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2015
目 次
【論 文】
地域に埋め込まれた/地域を創りだすローカル・イノベーション
……………………………………………………………日比野 愛 子
曽 我 亨
1
監査役監査は内部監査か外部監査か……………………………………………柴 田 英 樹 17
企業買収価格構造の幾何的理解とその利用……………………………………飯 島 裕 胤 31
準市場の優劣論とイギリスの学校選択の
……………………………………………児 山 正 史 47
公平性・社会的包摂への影響( 2・完)
遺産債務相続における相続人救済の歴史的考察
─単純承認本則のもとでの相続人の責任制限─………………………………𠮷 村 顕 真
69
【翻 訳】
ドイツ連邦議会における連邦首相アンゲラ・メルケル博士の
2015年度予算法説明演説(2014年 9月10日ベルリン)
… ………………………齋 藤 義 彦 105
【研究ノート】
職場における反社会的行動に関する実証調査…………………………………川 村 啓 嘉
岩 田 一 哲 119
プレイング・マネジャーのストレスに関する実証調査
─ミドル・マネジャーを中心に ─… ……………………………………………福 澤 菜 恵
岩 田 一 哲 145
羽鳥卓也のリカード研究…………………………………………………………福 田 進 治 167
【論 文】
地域に埋め込まれた/地域を創りだす
ローカル・イノベーション
日比野愛子・曽我 亨
1 .はじめに
本稿では、地域に固有のイノベーション(ローカル・イノベーション,local innovation)をとら
えるための分析枠組みを提示する。ここでいう地域に固有のイノベーションとは、地域のなかに点
在する工場のなかで生み出されるようなイノベーションではない。地域全体に埋め込まれているイ
ノベーションを考えたいのである。地域のなかで生まれ、維持され、さらに改良されるイノベー
ションを考える場合、それをどのように把握することが可能だろうか。また、ローカル・イノベー
ションという枠組みを立ち上げることによって、私たちは、何を発見することができるだろうか。
イノベーションが、ただ、 1 つのテクノロジーが開発され普及するという図式に収まらないこと
は、すでに多くの先行研究が強調している。イノベーションとは、社会と技術のシステムそのもの
が大きく変動する現象であり、さまざまな関与者や、道具、対象物、また、自然環境や、歴史、文
化、経済的要因が関わっている。さらに、イノベーションにはインタラクティブな作用が多分に含
まれている。たとえば、特定の地域ならではのユニークな道具が試行錯誤の末に発案され、それ
が、想定外に自地域・他地域の働き方や制度、自然環境を変えていくこともありうる。
しかしながら、従来のイノベーション研究は、地域の実践における複雑なダイナミクスの意義を
認めつつも、その実態を十分にとらえてきたとは言いがたい。それはおそらく、多くのイノベー
ション研究の主眼が、成功事例の要因を突き止めることに置かれ、
「地域・社会」を分析する視座
が不足していたためではないだろうか。本稿では、現場の実践を手がかりに、進行しているイノ
ベーションの動きをどのようにつかまえ描き出せるのかを検討したい。
事例として、青森県南部地域に特徴的な農産物にかかわる機械をとりまくイノベーションを紹介
する。青森県南部地域は従来、冷害のため米作に困難を抱えていたが、そうした環境的制約を逆手
にとり、ニンニクやナガイモの畑作へと転換してきた経緯がある。その転換のプロセスには、地域
に即した農作業機の開発が必要不可欠であった。現在もなお、農作業機が新たな型に改良された
り、使用者が機械に応じた戦略を展開したりといった働きかけがみられる。そうした幾多もの働き
かけの積み重ねが全体としてのイノベーションを構成していくと考える。
本稿の構成は以下のとおりである。第 2 章では、イノベーション研究と人類学における関連研究
1 をレビューし、ローカル・イノベーションの位置づけを確認する。第 3 章では、ローカル・イノ
ベーションの概念を整理し、現場調査からの事例を紹介する。第 4 章では、当概念によって拓かれ
る視座の広がりを確認する。本稿のねらいは、新たな問題について研究を進めるための分析枠組み
を提案することにある。ただし、ここでの議論は、すでに実施された現場調査の中から構築されて
いる。個々の事例検討や、詳細な分析については後続の論文で深めていきたい。事例は、2012年度
から2014年度に行なわれた弘前大学人文学部社会行動コースの社会調査実習の一環で得られたもの
で、基礎的資料は報告書(弘前大学人文学部社会行動コース , 2013)にまとめられている。
2 .イノベーションとローカリティの理論的枠組み
ローカル・イノベーション(local innovation)を、差し当たって「地域に固有のイノベーション」
と措定する。そこには大きく、イノベーションとは何か、ローカリティ(地域性)とは何か、とい
うテーマが含まれている。前者はイノベーション研究、後者は人類学・地域研究において、膨大な
事例研究と理論的検討が蓄積されてきた。ローカル・イノベーションを考えるために、両アプロー
チの枠組みを整理してみよう。
(1)システム変動としてのイノベーション
イノベーションをどのように理解するか。経済学・経営学は、経済・社会を成長させる決定因子
としてイノベーションに注目し、そのプロセスを解明することを試みてきた。技術革新という訳語
により、日本においては、イノベーションを新しいテクノロジーの発明とするイメージが強いかも
しれない。しかし、発明そのものではなく、発明を実践に移す取り組みこそがイノベーションなの
である(Fagerberg, 2005)
。現在、イノベーション研究は、進化経済学を主として、経営学、工学、
組織科学、科学技術史、認知科学などの分野からなる巨大な学際領域へと発展してきた(Fagerberg,
2005 ; ミエッティネン,2010)
。扱われている事例や理論的枠組みは多岐にわたるため、系統立っ
た整理は難しいが、イノベーションのプロセスを見ようとする姿勢は共通している。
イノベーションのとらえ方は、政策方針の変遷と軌を一にしながら変化してきた(ミエッティネ
ン,
2010 ; Miettinen, 2013)1。1970年までは、リニアモデル、すなわち、基礎研究が最重要の基盤で
あり、それが技術開発を経て社会に広まっていくという一方向の直線的モデルが支配的であった。
これに対し、1970年代から1980年代にかけては、じょじょに相互作用(インタラクティブ)モデル
が支配的となる。制度と関係者の相互作用がイノベーションを生み出す点に注目が集まり、イノベー
ションネットワーク(Freeman, 1991)や、地域イノベーションシステム(Cooke, 1992 ; Asheim
and Isaksen, 1997)2 といった概念も生み出されてきた。イノベーションについての研究が蓄積さ
1
イノベーション研究の大まかな流れについては、ミエッティネン(2010)、Miettinen(2013)に詳しい。
2
地域イノベーションシステムとは、ある地域の生産システムにおけるイノベーションを支えるような制度的
2
れ、その姿が理解されるにつれ、
「技術の発明から変革につながる」といった直線的なモデルに反
省が加えられ、独立した個人・企業に閉じない複雑なダイナミズムに迫ろうとする方向へと向かっ
ている3。
とくに欧米における近年のイノベーション研究は、イノベーションにおける相互作用に迫ろうと
する。注目を集めている 1 つが、イノベーションを、複数のテクノロジーやユーザーを含む生態系
システムとしてみる「システム論的アプローチ」
(Geels, 2004 ; Rip and Kemp, 1998)である。主要
論者である Geels(2004)は、イノベーションを起こしモノ(artifact)を開発する開発者サイド、そ
れを利用する実践者サイドの両方を含む社会−技術システムを考慮に入れる重要性を説いている。
さらに彼は、イノベーションの要素を、人々(関与者、組織、社会集団の活動)、社会−技術シス
、の 3 つの項によってモデル化し、それぞれの項の間に方
テム、制度(ルールやスクリプト4 など)
向性をともなった合計 6 タイプの関係性があると示す。たとえば、個別の関与者や組織の働きかけ
によって、社会−技術システムが稼働する(人々から社会−技術システムへの作用)
、社会−技術
システムや物的条件がルールを形作る(社会−技術システムから制度への作用)
、ルールに沿った
人々の意識や行動が生起する(制度から人々への作用)といった具合である。こうした定式化を土
台として、なぜ既存のシステムが安定的なのか、システムが安定しているのならばどのようにして
イノベーションが生じうるのか、といった議論を展開している。Geels は、後者の問いをとく鍵と
して、既存システム内に用意された「ニッチ」に注目する。既存の社会−技術システム内に用意さ
れた保護された場としてのニッチが、秩序化されない試しを許容する。そのいくつかの動きがレ
ジーム5となり、さらに強固になる段階的プロセスを提起している。
以上のように、テクノロジーの生態学的アプローチは、さまざまなセクターが絡み合うシステム
の変動としてイノベーションをとらえる点が示唆に富む。すなわち、イノベーションという現象に
ついて目を向けるべき対象は、個々の要素そのものではなく、個々の要素がどのように組み合わ
さっているのか、そして、その組み合わせの変化が、社会や他のテクノロジーとかかわりながらど
のようにもたらされるのか、なのである。ただし、これまでのイノベーション研究では、主に、企
業で開発される特定製品・テクノロジーを対象とするケーススタディが多かった。もしくは、イン
インフラストラクチャーを指す(Asheim and Gertler, 2005)。
3
近年では、Grassroots innovation
(Assefa, et al., 2009)
という言葉も登場しつつある。本稿で提示するローカル・
イノベーション概念とオーバーラップする要素もあるが、Grassroots innovation は、農業変革にかかわる実践
者が提唱している用語であり、より介入的・実践的なイノベーションのニュアンスを持つ。
4「スクリプト」とは、人工的に作られたモノが、人々の関係性や、人とモノとの関係性を可能にする、もしく
は制約するという意の概念である。アクター・ネットワーク理論の論者によって、詳しく議論されている(Akrich,
1992 ; Latour, 1992)。
5「レジーム」とは、Geels(2004)の説明にそうならば、互いに連結した、半・干渉的なルールの組み合わせで
ある。 1 つのルールを変えることは、他の異なるルールを変えることなしには困難である。ルールの配置は、
レジームに安定性をもたらし、個々の活動を調整するための力をもたらす。
3 ターネットや、車、新エネルギーなど、社会全般のインフラストラクチャーとなるテクノロジーを
対象としてきた。いずれにしても、私たちが迫ろうとしている地域(local/locality)への視点がう
すい。地域へと視点を広げることで、私たちは、イノベーションを均質的な動きではなく、バラつ
きや偏りをともなう動きとして描くことができる。
(2)共同的学習としてのイノベーション
イノベーションとは、その担い手にとってどのようなものか。認知心理学における活動理論や状
況的学習論アプローチは、イノベーションを集合体の学習ととらえる。このとき、レイブとウェン
ガー(1993[1991]
)に代表される状況的学習論アプローチは、組織化の側面――とりわけ、制度的
な組織の埒外に置かれるニッチとしての実践コミュニティ(ウェンガー,マクダーモット,スナイ
ダー, 2002)による学習に注目する6。これに対し、活動理論は集合体と道具とのかかわりに注目す
る。ローカル・イノベーションにより密接にかかわる後者の理論を紹介しよう。活動理論は、ヴィ
ゴツキー、レオンチェフ、ルリヤなどに代表される20世紀ロシアの心理学者のグループに源流をも
つ。その特徴は、人間の行為を個人に閉じたものとして扱うのではなく、集合体の置かれた歴史
的・文化的文脈の中で考える点にある。したがって、活動理論の枠組みで学習の主体とされるの
は、発明家や企業といった個別の行為者ではない。学習の担い手は、あくまで「モノを含む集合体」
であり、イノベーションは、集合体による共同的学習として描かれる。
ローカル・イノベーションとのかかわりで重要な点は、活動理論が、道具の存在に注視しなが
ら、
「集合体」のくくりを切り出すことである。活動理論によると、主体が対象に働きかける行為
は、道具による媒介、ならびに、道具使用を可能にせしめる集合体によってはじめて成り立つ 7 。
言い換えれば、いかなる道具も過去の幾多の集合体によって作られているのである(杉万, 2013)。
これまで活動理論によるイノベーション研究では、企業組織や科学実験室が多く登場してきたが、
集合体の枠組みを地域まで敷衍することも可能である。ただし、企業組織のような集合体と、地域
という集合体との間には無視できない違いもある。この違いこそが、ローカル・イノベーションを
他の一般的なイノベーションとは異なる主題として特徴づける。集合体の区切りを、地域に置くこ
とによって新たに見えてくる問題については第 4 章で議論したい。
加えて、現場で生じているイノベーションの動きをとらえるためには、活動理論で用いられるプ
ロセスモデルを超えていく必要もある。活動理論では、活動が 1 つの経路をたどるようにイノベー
ションを記述する。しかし、地域の現場で見られるイノベーションの姿とは、さまざまな試行錯誤
6
状況的学習論では、学習は、「実践へのアクセスの組織化の問題」と位置づけられる。
7
活動理論で提示される行為のモデルは、正確には 6 つの項からなる。主体(①)から客体(②)への働きかけ、
それらを媒介する道具(③)、ならびに、集合体(④)に加え、主体と集合体とを媒介するルール(⑤)
、さらに、
集合体と客体とを媒介する分業(⑥)から成り立つ。集合体における変革(イノベーション)は、いずれかの項、
あるいは、いずれかの関係性に内在している矛盾が顕在化した時にもたらされる。
4
や蛇行といった複雑な経路である。さらにいうならば、複数の経路が同時並行的に共存している姿
として見えてくる。そうした複雑な経路の集積をいかにとらえるかが、ローカル・イノベーション
研究の課題だと考えられる。対象の複雑性をなるべく保ったまま、地域・社会のあり方を包括的に
理解するアプローチについては人類学が得意とする。これを次節で解説する。
(3)外来との応答としてのローカリティ
地域性をどのように理解するか。かつて人類学は、地域社会や文化を、西欧社会や歴史や資本主
義などの外部世界から隔絶された、それだけで完結した体系として描いてきた。さらに初期の人類
学においては、地域社会や文化は静止的に描かれることが多かった。変化がおきない「冷たい社会」
として描かれたのである。これに対し、リーチは高地ビルマ社会を動的に描こうと試み、ヒエラル
キー型の社会と平等型の社会を振り子のように揺れ動くとした(リーチ, 1987[1954])。社会を動的
にとらえようとしたのは、当時としては画期的なことであったが、社会の変化は外部世界の関わり
によってではなく、社会の内側から生み出されるものととらえられていた。
けれども1980年代になり、社会学者ウォーラーステインが提唱する「世界システム論」に注目が
集まるようになると、地域社会のあり方や、文化もなんらかの形で世界経済の一部をなしているの
ではないかと考えられるようになっていった。また、歴史学者ホブズボウムとレンジャーが『創ら
れた伝統』
(1992[1983]
)を発表すると、伝統的と見なしてきた文化や制度、そして民族そのもの
も、外部世界との応答によって作られたものではないかと考えられるようになっていった。
こうした事例は枚挙にいとまがない。たとえば、ギャーツ(2001[1963]: 201)は、19世紀から20
世紀にかけて生じたジャワ島の農業の変化を「内旋(involution)
」と表現している。これはオラン
ダの強制栽培制度や企業によるプランテーションの影響をうけつつ、増加し続ける人口圧力によっ
て駆動された、砂糖と米の二毛作化のプロセスを指す言葉である。オランダ植民地支配のもとで生
まれた搾取のパターンに応答しながら、ジャワ農民は、伝統的な水田耕作を、労働集約的なシステ
ムへと内に向かって複雑化させていったのである。また、制度に関する Hodgson(1999)の研究に
よると、ケニアの植民地政府が家畜市場を整備し、牧畜社会が世界市場に接続される過程で、牧畜
社会の「家父長制」が作り出されたことを明らかにしている。さらに、ケニアの牧畜民サンブルに
関する中村(2011)の研究によると、サンブル男性の身体を彩るビーズ装飾は、彼らの社会が市場
経済に包摂される過程で、どんどん華美になっていったという。このように、ローカルな生業・制
度・文化は、外部世界との応答のなかで能動的に作られている点に注目が集まってきたのである。
具体的な例として、弘前の伝統的祭りであるネプタの変容を取りあげよう。弘前の夏を彩るネプ
タ祭りは、高さ・横幅 7 メートル、厚さ 2 メートルにおよぶ扇のような灯籠山車「ネプタ」を引い
て町を練り歩く祭りである。かつてネプタは、木でできた枠に、武者絵が描かれた和紙を貼られ、
ロウソクの灯がともされていた。けれども今日のネプタは違う。がっちりした鉄製の枠が組まれ、
雨にぬれても破れないようにナイロンを含んだ特殊な和紙「ロンテックス」が貼られている。武者
5 絵は合成樹脂のアクリル絵具で描かれ、さらに防水性・撥水性を高めるためにガラスコーティング
液「スーパーGX・ねぶた」が塗られている。ネプタを中から照らす灯は、ロウソクからアセチレン
ガス灯、白熱球や蛍光管を経て、今では LED が用いられるようになってきた。さらに明かりを灯
すため、ネプタの台座には、発電機が仕込まれている。このように、現代のネプタは、外部から持
ちこまれた多くの材料を取り込んでいるのである。ここで重要なことは、外部から持ちこまれた材
料が、地域固有のやり方に沿って配置されていることである。過去のネプタとはまったく別物であ
りながらも、現代のネプタが伝統的にみえるのは、配置のシステムそのものが強固にそこに存在し
ているためだと考えられる。
ローカル・イノベーションとのかかわりにおいては、特に「知識」の生成における外来と在来と
の応答に注目する、
「在来知」研究も重要である。自律的に生まれ、改良を遂げてきた地域に固有
のイノベーションの例として、農業や漁業など地域に固有の生業がある。生態人類学は、こうした
生業を営む人々の研究をおこなってきた。そして人々はやみくもに先人たちのやり方を継承してい
るのではなく、その時々の状況に応じてやり方を変更したり、外来の技術や物を取り込んだりして
いることがわかってきた。こうした地域を特徴づける集団的な知識は、在来知(local knowledge)
と呼ばれる。
「集団的」とするのは、たとえば改良に取り組む人がいた場合、他の人たちは改良に
取り組む人の実践を観察しながら、遅れてそれを採用したり、しなかったり、別の取り組みをおこ
なったりするような、集団内での相互作用を含むからである。また、重田(2007)が、在来知を「人
びとが自然・社会環境と日々関わるなかで形成される実践的、経験的な知」と定義しているように、
こうした集団的知識の形成には、自然・社会環境との応答も密接に含まれている。
相互作用にさらに接近するアプローチが、菅原(1993 ; 2010)や木村ら(2010)らが進める、霊長
類やヒトのコミュニケーション研究である。彼らはスペルベルらの関連性理論(1986[1999])を手
がかりとしつつ、コミュニケーションを発話や行為の接続としてとらえてきた。さらに近年、科学
人類学を標榜するラトゥールらが提唱するアクター・ネットワーク理論は、コミュニケーションの
概念を、ヒトだけでなくモノとの接続にまで拡張する(Latour, 2005)。イノベーションとは、複数
のテクノロジーやユーザーを含む生態系システムであり、そのなかではヒトとモノのコミュニケー
ションが営まれているのである8。
以上のように、人類学的アプローチは、社会変化やローカリティを理解するためのさまざまな概
念――インボリューション、在来知、ヒトとモノのインタラクションなど――を提供する。これら
の概念は、現象を描く方法論を提供するとともに、そうした活動が地域で生じている意味を解釈す
る際に役立つ。たとえば、近年の作品として、森田(2012)は、タイの地場工業の特徴と成り立ち
を取り巻く人とモノとの生成的な関係についてのエスノグラフィを著した。ここでは、人とモノと
8
こうした視点は、先述した Geels のシステム論的アプローチとも親和性を持つ。実際、近年のイノベーション
研究は、アクター・ネットワーク理論にもとづき、ヒトとモノのコミュニケーションとしてイノベーションを
描きだす作品が増えている。
6
のコミュニケーションや学習、技術移転のプロセスを丹念に描き出すことに成功している。人類学
が拾い出してきた人々の実践を、イノベーション研究と接続することによって、集団としての能動
的・創造的な活動と描けるはずである。
(4)小括
ここまで、ローカル・イノベーションの関連研究に対し、いわば、イノベーションとローカリ
ティ(地域性)の二者に大きく整理した上でレビューを進めてきた。イノベーションとはシステム
の変動であること、また、共同的学習であることを強調してきた。一方、ローカリティとは、外来
との応答、ならびに、集合体内の作りこみによって形成されるものであった。
ローカル・イノベーションという分析枠組みを用いて私たちが迫りたいのは、当然のことなが
ら、ローカリティとイノベーションの両者が交錯するポイントである。イノベーションがさまざま
な社会・技術のシステムの一連の変動だとして、地域性に注目することで、システム変動のバリ
エーションや固有性の意味が問われてくる。同時に、イノベーションに注目することで、ローカリ
ティ研究では検討されなかった観点を考察できる。ローカリティが在来知と外来知とのインタラク
ションによって形成されるものだとして、ローカル・イノベーションは、インタラクションの集積
が新しい価値としてのイノベーションへとつながる条件やメカニズムに光を当てる。
なお、本稿で取り上げた、システム論的アプローチ(イノベーション研究)、活動理論(認知心理
学)
、在来知研究、アクター・ネットワーク理論(人類学)は、由来する分野が異なるものの、用い
られるアイディアは重なり合っている9。たとえば、システム論的アプローチの枠組みには、インタ
ラクションを基底にすえるアクター・ネットワーク理論の考え方が多分に組み込まれている。ま
た、在来知研究と活動理論は、
「知」を集合的な営みとみなす点で視点が共通している。
3 .ローカル・イノベーションをどのようにとらえるか
本章では、ローカル・イノベーションというコンセプトの輪郭と適用範囲を明確化していきたい。
(1)ローカル・イノベーションの 3 つのプロセス
前章までの議論をもとに、改めて、ローカル・イノベーションとは何かを整理しておく必要があ
るだろう。本稿では、ローカル・イノベーションを、「地域の固有性(その地域らしさ・ユニーク
ネス)が人・モノ・環境からなる集合体の変動を導くとともに、集合体内外のさまざまな相互作用
9
Lehenkari(2000)は、イノベーション研究の文脈でアクター・ネットワーク理論と活動理論をそれぞれどの
ように活用できるかを述べ、方法論上の比較検討を試みている。ヒトとモノとの関係性をあくまでフラットに
拾い出していくアクター・ネットワーク理論は、あくまで現象を記述するための方法論であり、分析にあたっ
ては、新たな枠組み・理論が必要であると強調している。
7 を通じて、地域の固有性が新しい価値として創出されてくる変動」と考える。すなわち、ここでは、
地域の現場におけるさまざまなエージェントのインタラクションの重なり合いが、全体としての
ローカル・イノベーション(変動)を構成していく、という視点をとる。
ローカル・イノベーションを研究するにあたっては、こうした複雑な全体の変動をいくつかのプ
ロセスに焦点化することが有効だと考えられる。本稿では、以下の 3 つのプロセスに整理する。第一
は、インタラクションから新たな価値が創出されるプロセスである(emergence through interaction)
。
エージェントが互いに影響を与えあう相互作用の連鎖を通じて、特定の場で新しいモノ・新しいシ
ステムが自律的に創発されてくるプロセスがそれにあたる。第二は、アイディアやモノがローカラ
イズ(現地適合化)されるプロセスである(localization of innovation)。現地適合化は、単に 1 つの
テクノロジーが現地に導入されていくプロセスではない。アイディアやモノが現地で調整されてい
く際に、地域の人・モノ・環境が組み替えられたり、新たな要素が加わったりしながら、結果とし
て、地域が 1 つのシステムとして作りこまれていくプロセスを指す。先に述べた内旋(involution)
は、その一例である。第三は、ある地域にあわせて調整されたアイディアやモノが、脱ローカル化
し、再び他の場所に埋め込まれていく再ローカル化のプロセス(dis-locality for another localization)
である。あるシステムで萌芽しつつあるイノベーションが、外部のシステムへの発信や移転をとも
ないながら、
「新規なイノベーション」になりえていくプロセスを見ることになる。
(2)事例:青森県南部地方にみられるローカル・イノベーション
ここからは、青森県南部地方にみられるナガイモ機械についての事例を紹介する。当事例には以
下に描く内容以外にもさまざまな背景や要素が含まれている。本稿では、ローカル・イノベーショ
ンの 3 つのプロセスを解説するため、簡潔な描写にまとめた点を断っておきたい。
青森県の南部地域は、ヤマセの影響が大きく、しばしば冷夏に苦しんできた。稲作に適さないこ
とから、南部地域の町村は畑作を中心に、各町村独自のブランドをつくりだそうとしてきた。東北
町の場合、ナガイモに力を入れ、一大産地となっている。以下ではナガイモ栽培に欠かせない、地
域に根ざした機械である「トレンチャー」を例にとり、ローカル・イノベーションがうまれるプロ
セスを見ていこう。トレンチャーとは、トレンチ(塹壕)に由来するように、細長く、深い溝を
掘っていくための機械である。ナガイモは、地中深くに伸長していく作物であるから、土地を深く
耕したり掘ったりしなければ、植え付けもできないし収穫もできない。東北町では、トレンチャー
を用いて、幅15センチメートル、深さ120センチメートルの溝を掘っている。トレンチャーはどの
ように作られてきたのだろうか。
先に整理したように、ローカル・イノベーションのプロセスには 3 つの段階が認められる。すな
わち、 1 )インタラクションから新たな価値が創出されるプロセス、 2 )アイディアやモノがロー
カライズ(現地適合化)されるプロセス、 3 )ある地域にあわせて調整されたアイディアやモノを、
脱ローカル化し、再び他の場所に埋め込んでいく再ローカル化のプロセス、である。
「トレン
8
チャー」を例に、 3 つのプロセスを確認していこう。
①新たな価値が創出されるプロセス
かつて南部地域では、馬につけて畑を耕す鋤(プラウ)や、回転式の耕耘刃(ハロー)を用いて畑
を耕していたが、いずれも地表数十センチメートルを耕すものであり、ナガイモを栽培するには別
の機械が必要であった。ナガイモは1960年代に栽培が始まったが、深く土地を耕したり、折らない
ように収穫したりするのが大変であった。そこで1970年頃に登場したのが「モール・ミニ」と呼ば
れる機械である(図 1 )10。これは耕耘機の一種であり、その先端には頑丈なチェーンがクチバシの
ようにつけられていた(図 2 )
。チェーンには、ずんぐりした耕起用の刃が取り付けられている。
このチェーンの部分を地面に突き刺すことで、深く耕起したり、成長したナガイモの周囲を掘って
収穫したりすることが容易になる。このモール・ミニの登場を、新たな価値を創出するプロセスと
位置づけることができるだろう。鋤や耕耘刃のかわりに、チェーンソーのようなクチバシ状の突起
を採用したことが、ナガイモの一大産地を生み出す契機となったのである。
図1 「モール・ミニ」機械
つぎに生じたのは、トラクターとモール・ミニの融合である。モール・ミニは、チェーンの動力
源としてエンジンを搭載していた。それ 1 台で作業をおこなうことができる自立的な機械であっ
た。そのエンジンを取り除き、トラクターから動力を取るようにしたのである。深く耕起したり掘
り起こしたりする部分は、トラクターのアタッチメントとなった。こうすることで更に作業効率が
高まったのである。
10製造したのは、東京に本社を置く川辺農研産業株式会社である。ホームページには、昭和35年(1960年)に、
わが国初のトレンチャーを開発したと記されている。
「川辺農研産業株式会社」http://www.kawabenoken.co.jp/com.html(最終アクセス2014年11月25日)。
また「農業共同組合新聞ニュース 第47回 JA 全国青年大会特集」に記載された記事「仲間とともに育んできた「な
がいも」栽培の伝統」によると、南部地域のひとつである十和田市にモール・ミニが導入されたのは昭和45年頃
であるとの記載がある。
「農業共同組合新聞ニュース 第47回 JA 全国青年大会特集」
http://www.jacom.or.jp/archive01/document/tokusyu/01022101/01022101.html#02(最終アクセス2014年11月25日)
9 図 2 「モール・ミニ」の先端部
②ローカライズされるプロセス
さて、モール・ミニを開発したのは、東京に本社を置く川辺農研産業株式会社であるが、その
後、青森県南部地方には、畑作用のアタッチメントを作る工場が誕生し、地域の事情に適合した製
品が生み出されていった。
たとえば、頑丈なチェーンに耕起用の刃をとりつけたトレンチャーは、確かに作業効率を高めた
が、その一方で管理コストが問題になっていた。摩耗した刃やチェーンを定期的に交換する必要が
あったが、そのコストが農家の経営に重くのしかかったのである。そこでチェーン式に変わって登
場したのが、ロータリー式のトレンチャーであった。直径 1 メートルの円盤の周囲に、耕起用の長
細い刃をとりつけたのである。摩耗した刃を交換する必要はあるものの、チェーン式に比べてコス
トの軽減を実現した。
また、南部地方の土質にあわせてローカライズが進められていった。南部地方は、火山灰性の黒
ボク土に覆われている。比較的さらさらとしているのが特徴である。この土をうまく耕起するため
にロータリーに取り付けられる刃の数や長さなどが調整されていった。
さらに効率化を図るため、ロータリーを 2 つ連装したトレンチャーも現れた(図 3 )
。ここで問
題となったのは、ナガイモの栽培に適した条間である。農家とともに試行錯誤を繰り返し、現在で
は、条間が110から120センチメートルのものが製造されるようになった。また、南部地域では、ナ
ガイモの連作障害を防ぐために農家がゴボウを植えている。これに注目したあるメーカーは、ゴボ
ウに適した条間にも対応できるように、ロータリーの間隔を変えられるようにした。このように南
部地域にあわせて機械は調整され、さらに南部地域に固有の発展を遂げていったのである。
10
図 3 ロータリートレンチャー
③脱ローカル化と再ローカル化
特定の場所にあわせて調整された機械は、その地域では多いに力を発揮するものの、それを他の
場所に持って行くと、うまく働かないことがある。たとえば熊本県では稲作の裏作として水田ゴボ
ウが作られているが、青森県南部地域で使われているロータリートレンチャーを持って行っても、
うまく作動しなかった。水分を多く含んだ粘土質の土壌が、ロータリーの回転を妨げたのである。
青森県南部地方のあるメーカーは、熊本県の農家から依頼をうけて、何度もテストを繰り返し、
ロータリーに付ける刃の最適な長さや数を見いだしていった。このように機械を他の地域で作動さ
せるには、元の地域で作り上げた調整から離れ(脱ローカル化)
、新しい地域にあわせて調整しな
おす(再ローカル化)必要があるのである。
脱ローカル化と再ローカル化は、ローカル・イノベーションの最も顕著な特質であろう。自動車
などの工業製品と対比させてみればよい。自動車は、国内・海外のどこでもおなじ製品が売られて
いる。いわば地域性とは独立した、普遍的な工業製品であるといえるだろう。これに対し、トレン
チャーのような農業機械は、各地域の土質にあわせてローカル化する必要がある。逆にローカル化
した機械が、農産物の一大生産地を作り出すのであり、地域の固有性を生み出しているのである。
4 .ローカル・イノベーション研究の可能性
イノベーション研究/人類学アプローチを活用しながら地域の固有のイノベーションをとらえる
ための枠組みとその例を述べてきたが、ここからさらに、ローカル・イノベーションによって新た
に浮かび上がる問題を確認しておこう。
11 (1)物的環境
ここで「地域」と「組織」との違いについて整理してみたい。地域と組織は、ともに、人・モノ・
環境からなる集合体とみなすことができる。しかしながら、組織という言葉を使ったときには背景
化している、けれども、地域なるものを考えたときに検討せざるをえない要素とは、その集合体が
持つ、物的環境(自然環境、物理的制約)である。言い換えると、その「場所性」である。たとえ
ば、イノベーションや学習組織の研究において、対象となる企業組織や教育現場がどのような物的
環境・場所に置かれているかはほとんど言及されない。例外が、地域イノベーションシステムのア
プローチであり、それらの研究ではイノベーションが生起する際の企業間の地理的ネットワークに
ついて分析がなされている。ただし、場所性の概念は、企業同士の地理的な位置関係に限定される
4
4
4
4
4
4
4
4
4
のではなく、それが置かれた場所や、配置そのものの動かしがたい固有性とかかわるはずである。
ローカル・イノベーションという題材は、たとえば、自然環境の特質であったり、別の都市からの
距離であったり、そうした環境がイノベーションのあり方と密接にかかわっていることの気づきを
もたらすのである。
物的環境は、制約が創発の源泉になるという点で、イノベーションにとって重要な役割を持つ。
杉万(2013)は、集合体が持つ環境には、制度的環境と物的環境があることを指摘しており、制度
的環境は、モノではないが、モノのように絶対的な存在として現れると述べている。通常のイノ
ベーション研究や活動理論アプローチにおいても、制度(ルール)は、イノベーションの方向性や
成否を水路づけるとされ、分析の対象としてしばしば取り上げられてきた。たとえば、前述の
Geels も、イノベーションシステムの 1 つの項に、制度(ルール)を挙げている。しかし、ローカ
ル・イノベーションというテーマで前景化するのは、むしろ、集合体に含まれる物的環境の存在感
である。物的環境は、それ自体が動かしがたい固有性を持つがゆえに大きな制約条件となり、イノ
ベーションの源泉となる。冒頭でのべた、
「南部地域の冷温環境という制約が、高付加価値の農作
物を作り出した」という現象は、時間軸を巨視的にとったときの創発の端的な例だといえる。さら
に、一見、物的環境とは関係なさそうな、イノベーションプロダクトの「シンボル」や、「ブラン
ディング」も、そのルーツは物的環境にねざすと考えられる。ローカル・イノベーションは、集合
体に含まれる物的環境の役割に新たな考察を加えることにつながる。
(2)課題と展望
ローカル・イノベーションは、理論的にも発展可能性を持つ。その 1 つの論点として、イノベー
ションがどのような時間軸で生じるかといった問題がある。これは、どこまでの大きなインパク
ト・変動があればイノベーションと呼べるのかという議論にもつながる(杉山,2011)
。イノベー
ションの現象は、その場・その時のただ中において、
「これがイノベーションである」と評価する
ことは困難であり、ある程度の時間幅、ある程度の空間幅をもって、後から、あれがイノベーショ
ンだったと評価できるような対象である。つまり、個別の活動や相互作用の様態と、システム全体
12
としての変動であるイノベーションとの間には、なんらかの質的飛躍(創発)がある。杉山(2011)
も言及するように、イノベーションの時間軸や試行の諸段階、またその重なりについては入念な検
討が必要であり、今後の課題としたい。本稿では、地域の事例から出発するローカル・イノベー
ション研究が、現場で生じている動きを見る強みを持つ点を強調しておこう。イノベーションが創
発されるメカニズムを扱うことが難しくとも、現象の局面を丹念に追うことによって、イノベー
ションが成り立つ条件を拾い出せるのではないかと期待される。
ローカル・イノベーション研究の個別調査においては、いくつかの工夫が考えられる。たとえ
ば、比較の視点を持ち込み、異なる地域間の違いを明らかにする工夫である。同じ作物を作ってい
ても、地域によって異なる機械が用いられ、異なる分業形態がとられている。これは、創発の結果
として生じた要素の安定した組み合わせ――いわば創発の「痕跡」であって、正確には創発そのも
のではない。しかし、X 時点での A 地域と B 地域の違いを比較することで、どのようにその地域の
変動が起こってきたのかを検討していく切り口となる。
本稿で提示した分析枠組みをもとに実証的研究を積み重ねていくことが重要である。青森県の事
例に限ってみても、ナガイモ以外に、ニンニクや小カブ、リンゴやホタテ養殖といった、地域に固
有のイノベーションのさまざまな事例がある。また、ローカル・イノベーションは、農業機械のみ
に関わるわけでもなく、第一次産業に限定されるわけでもない。もちろんこうした機械・産業にお
いては先述した物的環境の役割が端的に見えやすい。しかし、ローカル・イノベーションの枠組み
を、他の産業・組織に適用することによって新たな知見を得ることも期待される。
5 .まとめ
本稿では、地域に固有のイノベーション(ローカル・イノベーション,local innovation)をとら
えるための分析枠組みを提示してきた。ローカル・イノベーションは、
「地域の固有性(その地域
らしさ・ユニークネス)が人・モノ・環境からなる集合体の大きな変動を導くとともに、集合体内
外のさまざまな相互作用を通じて、地域の固有性が新しい価値として創出されてくる変動」と把握
できる。その研究の際には、 3 つのプロセス、 1 )インタラクションから新たな価値が創出される
プロセス(emergence through interaction)
、 2 )アイディアやモノがローカライズ(現地適合化)
されるプロセス(localization of innovation)
、 3 )ある地域にあわせて調整されたアイディアやモノ
を、脱ローカル化し、再び他の場所に埋め込んでいく再ローカル化のプロセス(dis-locality for
another localization)に注目することが有効である。さらに、ローカル・イノベーションというコ
ンセプトは、従来のイノベーションや組織研究に対し、とくにその物的環境の役割を前景化する。
今日、ローカル・イノベーションに注目することは、日本社会がかかえるとされる地域の課題に
新たな視点を持ち込むことでもある。2014年の日本では、地方創生のかけ声のもと、地域を活性化
するためのさまざまな取り組みがなされている。しかし、そこで想定されるのは、地域の外から産
13 業を誘致し雇用を生み出すといった、持込み型の地域再生方策ではないだろうか。確かに、高度な
テクノロジーの持ち込み、あるいは、卓越した職人・経営者によってイノベーションを達成し産業
を大きく育てていくやり方も、地域活性化の 1 つの姿ではあろう。しかし、こうした個人芸に依存
したものとしてイノベーション/地域活性化をとらえるのは一面的であり、スターのみが達成でき
る夢物語の描写に終わってしまう危険性もある。地域の現場には、すでに実践されている種々の活
動があるはずである。つまり、ローカル・イノベーションというコンセプトによって光を当てたい
のは、普通の人々の営みなのである。普通の人々が、その地域や生業に応じた創意工夫を凝らし、
地域全体が緻密にシステムを作り上げることによって、他には真似のできない地域の独自性が形成
される―いわば、ローカリティをつきつめることによってローカルを超えた価値が構築される―
という点に、私たちは地域の「持続可能性」を支える現実的な道筋を見出すことができるのではな
いか。
これに関連する点として、ローカル・イノベーションに着目することは、テクノロジーの応用場
面で依然支配的な設計主義を見直すことにもつながる。ローカル・イノベーションで起きているこ
とは、外部世界からのアイデア・テクノロジーの持ち込みではなく、所与の条件のなかからの開発
である。こうした開発の良いところは、現地の文脈において発展してきた在来の産業を、さらに向
上させるように作用する事である。小回りの効く機械開発は、在来知に寄り添う方向で行われてお
り、より現地の人々の生活に則したイノベーションとなっている。ローカル・イノベーションを見
るという姿勢は、現場の人が環境に寄り添い、こまやかなインタラクションを通じて、テクノロ
ジーを設計していくやり方を確認する姿勢にほかならない。
「いかにして地域に新しい設計を持ち
込むか」という視点から、
「いかにしてその地域の設計の仕方をアシストするか」という視点への転
換がうながされるのである。
謝辞
本研究は、2013年度生産性研究助成(財団法人日本生産性本部)の研究成果の一部である。
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15 【論 文】
監査役監査は内部監査か外部監査か
柴 田 英 樹
1 .はじめに
2 .監査役監査の意義と問題点
3 .監査役会監査の意義と問題点
4 .内部監査の意義と問題点
5 .監査役監査と内部監査との両者の相違
6 .外部監査の意義と問題点
7 .監査役監査と外部監査との両者の相違
8 .監査役は内部監査に近い関係にある
9 .まとめ
1 .はじめに
監査には、監査役監査、内部監査、外部監査の 3 種類の監査があり、これらは三様監査と呼ばれ
る。これらの 3 種類の監査は、相互に依存関係があり、最近では 3 者間の連携やコミュニケーショ
ンの必要性が叫ばれるようになっている。
しかし、内部監査と外部監査は、法定監査か任意監査かの違いはあるものの、企業の内部の監査
人が被監査会社の監査を行うか、企業の外部の監査人が被監査会社の監査を行うかによって分けら
れるのに対して、監査役は会社の制度上に必要な機関として設置されたものであり、内部監査や外
部監査の範疇に入れることは少ないと思われる。しかも、企業の内部の重要な存在にも関わらず、
経営者に直接帰属せず、経営者自体の行為の誠実性を監査するということから特殊で特別な存在で
あるとみなされることが多い。
このように監査役監査は三様監査と称されるごとく、内部監査と外部監査と区別して、別の監査
と見ることもでき、会計・監査研究学会でもそうした考え方が主流である。しかし、内部監査と外
部監査とは、企業の内部か外部かによって区分される名称であり、監査役監査がこのどちらにも属
さない監査であると言い切ることには若干無理があると筆者は考える。
17 そこで監査役監査に注目し、よりその業務内容を厳密に検討することにより、監査役監査が内部
監査なのか、それとも外部監査なのか、あるいは従来の考え方のように三様監査とされるように内
部監査や外部監査のどこにも属さない監査とすることが適切なのかについて、本稿で検討していき
たい。
2 .監査役監査の意義と問題点
監査役は取締役と同様に会社の機関である。また、監査役は取締役と同様に会社の役員でもあ
る。取締役が企業の業務に関する重要な意思決定をするのに対して、監査役は経営者の行為の誠実
性について検証することを自らの業務とする。その意味では業務監査に主眼点があるといえよう。
先にも述べたように監査役と経営者は主従の関係は存在しない。監査役は経営者から独立してお
り、経営者の判断に左右されないことになっている。ここに監査役の持つ強みがある。ここで我が
国では株式会社は、監査役設置会社と委員会設置会社とがあるが、本稿では監査役設置会社に限定
して論述する。というのは、上場会社においては、まだまだ委員会設置会社を採用している企業は
少数であり、多数を占める監査役設置会社の方が日本の商慣習には適合していると解されるからで
ある。また、委員会設置会社では監査委員会、報酬委員会、指名委員会の三委員会が存在するが、
監査委員会の監査委員は取締役が行い、当該取締役は監査役と同様な業務を行うことになることか
ら、監査役に焦点を当てて議論しても、それほど問題にならないといえるからである。
大会社の監査役は、常勤監査役と非常勤監査役に分けられる。常勤監査役といっても、毎日会社
に通勤し、勤務する企業に勤務する必要はないが、非常勤監査役への定期的な連絡やコミュニケー
ションを取り、主体的に監査役業務を行う必要がある。
しかし、監査役が会社の機関として存在しており、企業が業務の効率的な運用を行っているかに
ついて経営者を監視する役割を担っていることから、内部監査という側面を保持していることは明
らかである。そのため、監査役と内部監査人との協調体制の構築が叫ばれている。一方、監査役は
経営者と主従の隷属関係を持っておらず、独立的な存在であるという点では外部監査の側面も持っ
ていることは否定することはできない。それでは監査役監査は内部監査の側面が強いのか、それと
も外部監査の側面が強いのかといわれると、一長一短の状況にあり、どちらの側面がより強いのか
といえば、議論は分かれるところである。
3 .監査役会監査の意義と問題点
監査役は独任制であり、監査役はそれぞれ 1 人ずつでも監査業務を遂行できるが、公開会社であ
る大会社の場合には、監査役全員で構成される合議制の機関である監査役を置かなければならない
(会社法第328条第 1 項、ただし、委員会設置会社の場合は監査役が存在しないので除く)
。監査役
18
設置会社の場合には、監査役は 3 人以上で、そのうち半数以上は社外監査役 1 でなければならない
(会社法第335条第 3 項)
。
監査役会は、監査役の中から、監査の職務に選任する常勤監査役を選定しなければならない(会
社法第390条第 3 項)
。
このように大会社の場合には、監査役同士の意見をまとめるために定期的に監査役会が開催され
る。そうすることにより監査役一人一人の意見がまとまらないという事態が避けられ、監査役の総
意としての意見を報告することになる。また、会計監査人から定期的に会計報告の監査結果を得る
ことにより、会計的側面でもある程度の専門知識が醸成されているといえよう。監査役に会計監査
人の選任権を付与しようと会社法を改正しようとしているのは、妥当な考え方であると考える。な
ぜならば、会社側が会計監査人の選任に影響を与えることになると、会計監査人は自由な立場で会
計監査を実施できない恐れがあるためである。
4 .内部監査の意義と問題点
会社の経営者が内部監査人を会社の業務の効率性、コンプライアンス、従業員不正などを検証す
る。内部監査人は経営者の部下であるので、経営者に対して誠実性を検証することができない。経
営者の意向に沿った行動ができるのみである。ここに内部監査人の限界がある。
内部監査の本質は、ライン機能をより有効に機能させるためのスタッフ機能の充実にある。
内部監査の問題点としては、経営者の誠実性に関する検証は行うことができず、経営者の行動に
関する規制やチェックは無力である。内部監査は業務監査だけでなく、必要な場合には会計監査も
行う。ただし、会計監査は従業員の不正(業務上の横領など)の有無を検証することが主眼であ
る。つまり、会計監査の一部を行うに過ぎない。これは全体的な会計監査は外部監査として財務諸
表監査が会計監査人によって監査が行われるためである。
また、内部監査人は直属の上司である経営者には従属しているが、他の企業の部署からは独立し
ており、各企業内の部署に対しては独立性がある程度維持されているといえよう。内部監査は、内
部監査室で実施され、内部監査室長がその責任者に当たる。内部監査室が充実している企業もある
が、一般的には数名で内部監査を実施している。内部監査室では、内部監査計画を立案し、年間を
通して、それにしたがって監査を実施している。しかし、必要な場合には、抜き打ち監査なども行
うことがある。さらに経営者に直属していることもあり、経営者から新たな緊急を要する監査テー
マを指示された場合には、年間の監査計画を変更し、これに対応しなければならない。
1
過去にその会社または子会社の取締役、会計参与もしくは執行役または支配人その他の使用人となったこと
がないものをいう(伊豫田他〔2013〕
、51頁)
。
19 5 .監査役監査と内部監査との両者の相違
内部監査が経営者に直属しており、経営者に従属する会社の機関なのに対し、監査役監査は経営
者の業務遂行が適切に行われているかを監査する。つまり、監査役は経営者に従属する機関ではな
いのである。また、監査役は実質的には経営者から選任されることが多く、経営者の行為の誠実性
を本当に検証できるのかといわれることがある。
内部監査はスタッフ機能を有している。一方、監査役はスタッフ機能ということはできない。な
ぜなら、経営を監視する役割であるため、経営者に帰属するライン機能やスタッフ機能を持つもの
ではないからである。しかし、ライン機能のように直接、営業に資することはないため、スタッフ
機能に近い機能ということはできよう。
内部監査は内部統制システムが効率的に整備・運用されているかを検証することが必要である。
一方、大会社において監査役監査は内部統制の構築の基本方針が決定されているかを確認しなけれ
ばならない。これについてもう少し詳細に説明すると次のようになる。
2006(平成18)年 5 月施行の会社法 2 では、取締役会は、内部統制システムの構築について決定
を行うことされている(会社法第362条第 4 項第 6 号)。また、大会社については、内部統制システ
ムの構築の基本方針の決定を義務づけている(会社法第362条第 5 項)。監査役の監査対象には、取
締役会が構築する内部統制システムの評価が含まれる。
会社法では、「取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他
株式会社の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備」 を義務づ
け、その 「その他株式会社の業務の適正を確保するための体制」 として、法務省令である会社法施
行規則で、次のような体制が挙げられている(会社法施行規則第 4 条第 1 項)。
・取締役の職務の執行に係る情報の保存及び管理に関する体制
・損失の危険の管理に関する規程その他の体制
・取締役の職務の執行が効率的に行われることを確保するための体制
・使用人の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制
・当該株式会社並びにその親会社及び子会社から成る企業集団における業務の適正を確保するため
の体制
監査役設置会社の場合には、さらに次のような体制が含まれる(会社法施行規則第 4 条。第 3 項)
。
・監査役がその職務を補助すべき使用人を置くことを求めた場合における当該使用人に関する事項
・前号の使用人の取締役からの独立性に関する事項
2
従来は、監査役をおかない委員会設置会社のみに法的に義務づけられ、監査役設置会社では、取締役の善管
注意義務とされていた内部統制の整備であるが、会社法では、大会社において、委員会設置会社、監査役設置
会社を問わず、リスクマネジメント、コンプライアンスなどを含む内部統制の整備を要求している(大会社:資
本金 5 億円以上または負債200億円以上を有する株式会社)。
20
・取締役及び使用人が監査役に報告をするための体制その他の監査役への報告に関する体制
・その他監査役の監査が実効的に行われることを確保するための体制
監査役監査と内部監査との両者の相違を比較すると、図表 1 のようにまとめられよう。ここで特
に留意しなければならないのは、経営者との主従関係、監査目的、独立性の有無、専門性の充実、
監査の依頼者、実態の監査か情報の監査かの区別等である。
図表 1 監査役監査と内部監査との両者の相違3
3
監査役監査
内部監査
経営者との主従関係
なし
ただし、経営者が気に食わない人物が監
査役になることはないと考えられる。
また、長年、当該企業に勤務した従業員
が監査役に選任されるケースが少なくな
い。
あり
企業内に内部監査室を設置し、内部監査
人が監査計画に沿って組織的に内部監査
業務を行っている。また、業務上で内部
監査人が問題点を発見した場合には、即
座に経営者に報告し、対処方法を求めな
ければならない。
監査目的
経営者の行為の誠実性の検証
経営の監視
業務効率の増進
コンプライアンスの重視
従業員不正の防止
独立性の有無
経営者からの独立性の保持
ただし、監査役は企業内部の機関である
ために、外部監査人よりも独立性は低い
と考えられる。
経営者以外の部署からの独立性の保持
経営者には直属しており、経営者に対す
る独立性はない。
専門性の充実
会計知識の専門性は要求されていない。 業務監査の専門性が要求される。
しかし、最近は被監査会社を監査してい
る監査法人を退職した公認会計士が非常
勤監査役になるケースが増加している。
業務監査の専門性も要求されていない。
つまり、監査役に関しては専門性に関す
る資格要件は存在しない。
監査の依頼者
株主総会
経営者または取締役会 3 が決定する。
企業の必要不可欠の部門として、企業に
設置されている。
業務監査か会計監査か
の区別
業務監査を中心に会計監査も行う。
業務監査を中心に会計監査も行う。
実態の監査か情報の監
査かの区別
実態の監査を中心に情報の監査も行う。
会計監査は会計監査人が行うが、監査役
は会計監査人の監査の状況を確認する。
実態の監査を中心に情報の監査も行う。
内部監査の中心は業務監査であるが、従
業員不正を発見・摘発するために情報の
監査も行う。
監査人の選任
株主総会
経営者
企業の必要不可欠の部門として、企業に
設置されている。
八田〔2006〕、233頁。
21 監査役監査
内部監査
監査結果の利用者
株主
経営者
監査スタッフの充実度
監査役は監査スタッフを抱えていない場
合が多く、監査スタッフがあまり充実し
ているとはいえない。
内部監査室のメンバーは数名の場合が多
いが、内部監査に精通して、実務経験者
が多くしていることが少なくないので、
それなりに充実している。
しかし、人数はそれほど多く所属してい
ないケースが多く点で、時間的人材的に
余裕がないので十分に内部監査ができる
わけではなく全般的な監査計画、監査実
施、監査結果をまとめるのは困難である。
全般的な監査を行った場合には、表面的
にならざるを得ない。そこでもっと内容
を充実するために優先順位を決定し、毎
回、優先順位の高い監査テーマを決定し、
その年度のテーマに沿って実施すること
が必要と考えられる。
法定監査か任意監査か
法定監査(会社法監査)
任意監査
非発見リスク(DR)
DR = AR/(IR + CR)
(AR= 監査リスク、
IR= 固有リスク、
CR= 統制リスク)
監査役の非発見リスクは、内部監査人や
会計監査人の非発見リスクよりも高い確
率ではないと考えられる。なぜならば、
監査役は定時取締役会に出席し、取締役
の行動や業務意思決定をつぶさにみてい
るからである。
DR = AR/(IR + CR)
(AR= 監査リスク、
IR= 固有リスク、
CR= 統制リスク)
内部監査人の非発見リスクは、内部統制
のリスクに大きく依存している。
内部統制が不備な状況にあれば、十分な
内部監査を遂行することは困難になる。
監査の期待ギャップ
株主は監査役に企業の経営者の経営の監
視を期待している。監査役はこの株主の
期待にこたえようと努力している。
経営者は部下の不正が行っていないか、
効率性は確保されているか、コンプライ
アンスは維持されているかを内部監査人
に検証させようとしており、内部監査人
は経営者の期待にこたえようと検証業務
を行う。
したがって、期待ギャップは経営者の期
待することと内部監査人の期待するとこ
ろは、大きな乖離は生じていない。
監査計画の立案
監査計画が立案されなければならないこ
とはもちろんであるが、監査役はスタッ
フを含めて、人材が豊富とはいえないの
で、できるだけ効率的に実施しなければ
ならない。
経営者の要望を優先して、毎年度の監査
計画を立案しなければならない。つまり、
毎年、監査目標は異なってくることにな
る。例えば、コンプライアンスが十分に
遵守されているかを経営者に監査するよ
うにいわれたならば、この意向に沿った
監査計画を立案する必要がある。
任期
選任後 4 年以内に終了する事業年度のう
ち最終のものに関する定時株主総会終結
のときまで
任意
22
6 .外部監査の意義と問題点
外部監査としては、業務監査と会計監査の両方がありうるが、本稿では会計監査人による会計監
査について検討する。ただし、監査役監査による監査が外部監査として考えた場合には、会計監査
の側面と業務監査の両者の側面を持っている(大会社の場合)
。また、監査役監査による監査が内
部監査として考えた場合にも、会計監査の側面と業務監査の両者の側面を持つことに留意が必要で
ある。
また、従来において、会計監査人は外部監査の主体として会計監査に専念するだけでよかった
が、金融商品取引法の導入により、内部統制報告書の監査を行うことが義務付けられ、業務監査の
領域に外部監査は業務の幅が拡大したといえよう。
会計監査人になれるのは、公認会計士ないしは監査法人のみである。会計監査人は独立不羈の第
三者として被監査会社に何ら影響されることなく、会計監査を行う会計の専門家である。会計監査
人として大会社を会計するのは、ほとんどが監査法人であり、監査スタッフが充実しているといえ
よう。
7 .監査役監査と外部監査との両者の相違
外部監査として監査役監査を認識するとした場合には、監査役は会社外部の機関であるのかどう
かが検討されなければならない。しかし、監査役は役員であり、会社の機関であることは疑う余地
がない。そのため、監査役は会社の内部機関であると考えられ、外部監査のように会社外部の機関
である会計監査人による外部監査とは区別しなければならない。外部監査人は特定の被監査会社か
らの報酬に余り依存しないようにしなければならない。なぜなら、特定の企業に収入が依存する
と、適正な判断ができなくなる恐れがあるからである。
また、監査役会に参加するメンバーである監査役は 3 名以上でなければならない。
監査役監査と外部監査との両者の相違を比較すると、図表 2 のようにまとめられよう。ここで特
に留意しなければならないのは、経営者との主従関係、監査目的、独立性の有無、専門性の充実、
監査の依頼者、実態の監査か情報の監査かの区別等である。
図表 2 監査役監査と外部監査との両者の相違
経営者との主従関係
監査役監査
外部監査
なし
ただし、経営者が気に食わない人が監査
役になることはないと考えられる。
また、長年、当該企業に勤務した従業員
が監査役に選任されるケースが少なくない。
なし
特別の利害関係があってはならない。
社会的な信頼性を確保するため、精神的
独立性と経済的独立性が保持される必要
がある。
23 監査役監査
監査目的
独立性の有無
経営者の行為の誠実性の検証
経営の監視
外部監査
財務諸表の適正性の有無に関する意見表
明
会計不正の防止
内部統制報告書の監査
経営者からの独立性の保持
経営者からの独立性の保持
(経営者に実質的に監査役の選任権があ (精神的独立性、経済的独立性を保持)
るため、精神的独立性、経済的独立性を
保持し続けることは困難であるという向
きもある)
独立性に問題点があると外部からみなさ
れる恐れがあり、非常勤監査役を選任す
ることにより、独立性をより確保しよう
としていると考えられる。
専門性の充実
会計知識の専門性は要求されていない。 会計監査の専門性が要求される。
しかし、最近は被監査会社を監査してい 継続的教育を実施しており、専門性が維
る監査法人を退職した公認会計士が非常 持できるように努力している。
勤監査役になるケースが増加している。
業務監査の専門性も要求されていない。
監査の依頼者
株主総会
株主総会で選任されるが、経営者が実質
的には決定している。
企業の必要不可欠の部門として、企業に
設置されている。
業務監査か会計監査か
の区別
業務監査を中心に会計監査も行う。
会計監査が主たる監査であるが、経営者
の作成した内部統制評価報告書について
も監査を行う。
実態の監査か情報の監
査かの区別
実態の監査を中心に情報の監査も行う。
財務諸表などの情報の監査を中心に行う
が、実態の監査の範囲にも範囲を広げつ
つある。
監査人の選任
株主総会
株主総会
監査結果の利用者
株主
株主、投資家、債権者等の企業外部の利
害関係者を中心に、従業員、経営者等の
企業内部の利害関係者も含む。
監査スタッフの充実度
監査役は監査スタッフを抱えていない場
合が多く、監査スタッフがあまり充実し
ているとはいえない。
大手監査法人の場合には、監査資源が豊
富であり、監査スタッフは非常に充実し
ているといえよう。
また、中堅監査法人においても上場監査
の会計監査を行っている場合には、それ
なりに監査スタッフが充実していると考
えられる。
法定監査か任意監査か
法定監査(会社法監査)
法定監査(会社法監査・金融商品取引法
監査)
24
監査役監査
外部監査
非発見リスク
DR = AR/(IR + CR)
(AR= 監査リスク、
IR= 固有リスク、
CR= 統制リスク)
監査役の非発見リスクは、内部監査人や
会計監査人の非発見リスクよりも高い確
率ではないと考えられる。なぜならば、
監査役は定時取締役会に出席し、取締役
の行動や意思決定をつぶさにみているか
らである。
DR = AR/(IR + CR)
(AR= 監査リスク、
IR= 固有リスク、
CR= 統制リスク)
会計監査人の非発見リスク
は、重要な虚偽表示のリスク(固有リス
クや統制リスク)に大きく依存している。
そのため、経営者の作成する内部統制評
価報告書を監査する責任が付与されたと
考えられる。
監査の期待ギャップ
株主は監査役に企業の経営者の経営の監
視を期待している。監査役はこの株主の
期待にこたえようと努力している。した
がって、期待ギャップは株主の期待する
ことと監査役の期待することは、大きな
乖離は生じていない。
監査人は財務諸表の適正性に関する意見
を表明することを目的としているが、企
業の利害関係者は粉飾が行われていない
ことを期待している。ここに期待ギャッ
プが乖離しており、期待ギャップは両者
の間で拡大している。
監査計画の立案
監査計画が立案されなければならないこ
とはもちろんであるが、監査役はスタッ
フを含めて、人材が豊富とはいえないの
で、できるだけ効率的に実施しなければ
ならない。
監査計画には、年度計画と基本計画とが
ある。外部監査においては、監査リス
クを勘案して、監査計画の果たす役割が
益々重視されてきている。すなわち、監
査リスクの高いものから重点的に監査を
行わなければならないことから、高いリ
スクのあるものを中心に監査計画を立案
しなければならない。
任期
選任後 4 年以内に終了する事業年度のう 1 年決算の場合には次期株主総会まで
、特段の決議が
ち最終のものに関する定時株主総会終結 (会社法第338条第 1 項)
なければ再任となる(同第 2 項)。
のときまで
8 .監査役は内部監査に近い関係にある
以上で行った図表 1 と図表 2 における比較分析による検討結果を勘案して監査役監査の本質を解
明していくことにしたい。監査役監査を独自の監査であり、内部監査にも、外部監査にも属さない
という通説的な見方に対して、一つの有力説としては、監査役監査が外部監査ではなく、内部監査
と解する見解がある。その根拠としては、監査役は会社の内部機関であり、また役員であることか
ら、企業外部の機関である外部監査人と解するには無理があることが挙げられるからである。ただ
し、内部監査に対する見方が従来のように経営者に直属するという考え方のままでは、監査役監査
を内部監査として捉えることはできない。内部監査という考え方をもう一度見直すことが必要とな
る。
外部監査を行う会計監査人は、公認会計士法上で認められた企業外部の民間監査機関である。ま
た、会計監査人が被監査会社から受領した監査報酬は、会計監査人にとって生活の糧となることは
25 間違いのない事実である。しかし、それだけで会計監査人は被監査会社に従属するわけではなく当
該被監査会社からの監査報酬の金額はあくまでも、全体の監査報酬の収入の一部にしか過ぎない。
つまり当該被監査会社の監査報酬の如何にかかわらず、会計監査人は会計監査の判断を会計監査人
自らが自主的に行うことができることが重要である。これはいうならば、経済的独立性及び精神的
独立性を保持されているということである。この点は非常に重要なポイントである。監査役だけで
なくとも、取締役にも社外の人間を入れようとする最近の会社法の試みは、経営者からの独立性と
密接に関係している。
ただ、監査役監査を内部監査とすると、経営者との主従関係が問題となるだろう。監査役監査は
経営者と主従関係は表面上では存在しないが、内部監査は経営者の部下である内部監査人が業務を
行うので、主従関係が存在している。この点は三様監査を主張する者にとって、監査役監査と内部
監査とを分離する根拠の一つになっている。
監査役監査を実施するのは、常勤監査役及び非常勤監査役である。監査役会設置会社(委員会設
置会社以外の公開会社である大会社においては監査役会設置義務、会社法第328条第 1 項)には 3
人以上おくことが必要であり、うち半数以上が社外監査役でなくてはならない(会社法第335条第
3 項)。
では外部監査と監査役監査を考えるのは、適切なのだろうか。企業が経営者の名の下に業務活動
を実施していることは疑問の余地はない。監査役は経営者の行動をよりよい方向に推進する役割を
持っているといえよう。実際に監査役は取締役会でどのような活動をしているかといえば、定時取
締役会に出席し、取締役会で自分の意見を述べることはまずなく、役会終了時にまとめた議事録に
署名捺印しているだけに過ぎない。完全な傍観者のような存在といえよう。
しかし、場合によると、監査役が経営者の判断を正し、自分の意見を開陳する事例がないわけで
はない。企業の経営状況が厳しい状況になっている場合には、数年に 1 、 2 度はこうした事態も生
じてはいる。これは監査役が後(企業倒産後など)に責任を回避するための方策であるとみられな
いこともない。だが、そうした事例はほとんどないといっても間違いではない。このように経営者
に反対意見をいうということは覚悟がいるのは確かといえよう。企業の経営方針に異論を唱えるの
であるから、内部監査と言い切れるのかという疑問も生じよう。監査役がこうした反対意見を言う
際には、株主の立場に立って監査役は意見を述べているといえよう。株主が企業内部の存在なの
か、それとも外部の存在なのかに関しても意見は分かれるかもしれないが、論者によっては企業外
部の存在と考える立場がある。つまり、株主は企業の利害関係者と見る立場である。それゆえに監
査役が株主の立場に立って取締役会で意見を陳述した場合には、監査役監査は外部監査とみなせる
のではないと考えられるわけである。
では監査役は内部監査と考えるべきか、外部監査と考えるべきかに関して筆者の結論を述べるこ
とにしよう。
26
【結論】
監査役は外部監査と考えるよりも、内部監査と考えるほうが合理的である。ただし、監査役監査
と内部監査とは、経営者の帰属関係等に差異が存在し、完全には一致しないことに留意しなければ
ならない。新たな内部監査の考え方に立って、監査役監査と従来の内部監査を捉えることが必要に
なる。
以下、監査役を外部監査とするよりも内部監査とするほうが合理的である、と筆者の考えるその
根拠について言及してみよう。
〔監査役を内部監査とする根拠〕
(1)監査役は企業内部の役員であり、監査役を企業の外部者とするのはふさわしくない。また、公
認会計士法上において、被監査会社を監査している外部監査人である公認会計士は企業の役員
にはなれない。ただし、非常勤監査役は外部の経営者等が就任することがありうる。これはよ
り監査役に独立性を持たせるために、企業内部の者(従来、当該企業に勤務していた者を含
む)だけから監査役を選任しないという会社法の立法精神から来ているものである。
(2)監査役の独立性に関しては、経営者に対して独立性が維持されているために、経営者の支配下
にある企業内部にある内部監査とするには問題があるという意見もあるが、経営者に対する独
立性があっても監査役が所属する企業自体に対する独立性はないと考えられるので、広義の意
味で内部監査としても問題がないといえよう。
(3)企業を自動車で例えると、自動車の推進力となるアクセルが経営者であり、ブレーキが内部監
査と監査役である。アクセルを噴かせるだけでは、スピードが出すぎてしまい、事故を起こし
てしまう。やはり適度な速度で走行するためにはブレーキが必要である。監査役はこのブレー
キの役目を果たしているといえよう。ブレーキは重要な自動車の内部の部品である。同様に監
査役も企業にとって重要な企業内部の存在である。もちろん経営者はアクセルだけをかけるだ
けではない。内部監査室を設置し、業務の効率的な推進、コンプライアンスの遵守、従業員不
正の摘発と発見にも尽力している。だが、経営者自身の決断がいつも正しいとは限らない。そ
こで監査役は経営者が誤った判断をした場合には、迅速に対応し、会社が間違った方向に行か
ないように善処することが必要になる。
(4)内部監査人は監査役とのコミュニケーションを行い、良好な連携を行うが求められている。内
部監査人は監査役に頼まれて、監査役を援助し、また調査を助けることもありうるのである。
この点は監査役と外部監査の役割を果たす会計監査人との間の大きな相違点といえよう。もち
ろん会計監査人と監査役とは連携、協力関係を保持しなければならないが、会計監査人側から
監査役に企業活動に関する問題点や粉飾に関する相談されることがあっても、監査役の求めに
応じて監査役を援助したり、経営者の判断に関する調査を行ったりすることにより、会計監査
人が監査役の意向に沿って会計監査の業務を行うことは基本的にはない。この理由としては、
27 会計監査人はあくまでも企業外部の存在であることが挙げられよう。内部監査人と監査役のよ
うな親密な連携関係はお互いが同じ企業内部の存在であることから可能となるといえよう。も
ちろんお互いが対立するという立場ではないので、会計監査人から監査役に会社不正などを発
見した場合には、早急に連絡することが必要であることはいうまでもない。また、監査役には
自分の手足となって働いてくれる十分な監査スタッフが存在するケースが少ないので、その代
わりとして内部監査人が協力してくれることは大いに助けになる。ただし、内部監査人をコン
トロールしているのはあくまでも経営者であり、監査役の部下ではないことを忘れてはならない。
(5)監査役が外部監査人であるとすると、業務監査及び会計監査に対するその専門性を保持してい
るかどうかが問題となろう。外部監査人は会計監査のプロとして、十分な業務に関する専門性
が要求される。しかし、監査役にはこうした専門性を課す規定はないので、専門性が十分であ
るか疑問がある。一方、監査役監査には内部監査に比較して、専門性がなくてもよいというわ
けではないが、内部監査人が業務監査のスペシャリストであるのに対して、監査役はスペシャ
リスト的な側面よりも、被監査会社を俯瞰してみることができるジェネラリスト的な監査が必
要とされることになる。経営者の暴走を止めるためにも、常識的な判断能力を持っていること
が、なによりも監査役にとって重要な役割である。もちろん企業活動は年々複雑化しており、
それに対応した業務監査を実施するためにも今後はジェネラリスト的な役割ばかりではなく、
より専門性が要請されることになろう。
(6)コーポレート ・ ガバナンスの観点から企業を見ると、経営者は非常に重要な役割を果たしてい
ることがわかる。経営者が専制的に経営を行っている状況では、コーポレート ・ ガバナンスが
機能しているとはいえない。また、CEO(最高経営責任者)や代表取締役などの一部の経営
者だけ戦略的な意思決定や業務執行を決定する常務会や経営幹部会では十分なコーポレート ・
ガバナンスを遂行することは困難である。平取締役を含むより多くの経営者同士の健全な相互
監視が必要といえよう。また、監査役はこの相互監視をより十分に機能させる機能を保持して
いるとみなければならない。
(7)会社法改正により、監査役が会計監査人を選任する権限も持つことになる。したがって、会計
監査人は監査役との連携を現在以上に強化しなければならない。このことから監査役は外部監
査人とはみなされないことになろう。監査役が外部監査人とすると、外部監査人が外部監査人
である会計監査人を任命するのは、自己矛盾と考えられるからである。つまり、監査役は企業
内部の監査人であるが企業内に存在しながらも最も自社の活動を客観視できる人材であるがゆ
えに外部監査人を選任する権限を持つと考えられるからである。
(8)内部監査は業務監査が中心であるが、監査役監査も同様に業務監査が中心である。一方、外部
監査である会計監査人による監査は会計監査つまり情報の監査である。こうしたことでも内部
監査と監査役監査には共通点があるといえよう。ただし、監査役監査は法定監査であるが、内
部監査は経営者のニーズから生まれた任意監査である。また、会計監査人監査は法定監査であ
28
る。内部監査は任意監査であることから、コンサルティング機能も保持しているといえよう。
(9)監査役監査と内部監査とは、両者を合わせると、広義の内部監査に該当する。内部監査が企業
内部の従業員に関する業務を監査するのに対して、監査役は経営者の監視業務を行う業務を遂
行しているといえよう。内部監査では、内部監査人が直属の上司である経営者に対しては無力
であるため、経営者の行為の誠実性を検証することは困難である。そこで内部監査人に代わっ
て監査役が企業上層部の人間の行動の妥当性や適法性を監視する役割をさせているのである。
したがって、通常の内部監査は、狭義の内部監査といえよう。また、監査役監査と内部監査を
統合することにより、広義の内部監査が完結するといえよう。
9 .まとめ
我が国の監査役制度はドイツ商法典を参考にして、経営を関しする役割を持つ会社の機関として
導入され、明治時代以降、法制度として100年以上もの長期間存在・維持され続けている 4 。株式会
社においてもアメリカ型の委員会設置会社形態を採用することにより監査役の設置をしない場合も
あるが、監査役制度の人気は根強くあり、今後とも日本独自の会社法の中で存在し続けていくこと
になると考えられている。もちろん法制度が変わり、監査役よりも優れた会社の機関が創造される
ことになれば、監査役のお役目は終わることになるかもしれない。しかし、監査役制度はその役割
の重要性を鑑みた場合には、そう簡単に委員会設置会社の監査委員会などの別の機関に取って代わ
るものではないことも明らかである。
今回は、こうした監査役監査の役割を内部監査か外部監査か等という観点から議論してみた。そ
して監査役監査は業務監査が中心であるという観点及び企業内部の機関であることから、外部監査
よりも狭義の内部監査により近い制度であるという結論に達した。ただし、監査役には監査役を支
援する監査スタッフが充実していない場合が多く、経営者直属の内部監査室に所属する内部監査人
の援助を仰ぐことがあり、今後、監査役が独自に差配できるさらなる監査スタッフ(監査役室)の
充実が望まれる。
一方、会計監査人による外部監査は、被監査会社の経済実態を利害関係者(特に外部利害関係
者)にわかりやすい形式で表した財務諸表(F/S)による情報の適正性に関して監査が中心である
が、これに対して監査役監査は経営者を中心とする企業の実態そのものに注目して、その有効性を
監査する点で大きく異なっている点に注目しなければならない。
さらに、監査役監査と狭義の内部監査は、企業の実態を中心とする監査する点では同様である
が、企業全体のガバナンスの観点から経営者の行動の誠実性を監視するのが監査役監査であり、一
方、狭義の内部監査は経営者に直属し、中間管理職及びその下部の従業員の業務に関して、不正行
4
監査役制度はドイツ商法的な二元機構(監査役会の監視監督のもとに取締役を置く会社機構)をわが国にアレ
ンジしたものでした(山浦〔2006〕
)
。
29 為を含むその企業の実態を明らかにするため、内部統制が良好な整備・運用状況であるかを検証す
る点に相違点がある。すなわち、経営者をも対象として企業実態を監査・監視することに監査役監
査の意義はあるが、狭義の内部監査は経営者を監査の対象とせずに、経営者以外の従業員の不正の
有無、内部統制の整備・運用状況の評価、コンプライアンスの遵守等を監査することにより、内部
監査人は経営者に報告義務を果たし、コンサルティング業務によりスタッフとして奉仕することに
意義がある。
以上の関係を図示したものが、図表 3 である。
図表 3 内部監査(広義)と外部監査
企業
取締役会
監
従業員
監査役会
直属
外部監査人
部
(会計監査人 監査)
監
視
経営者
外
査
企業外部の
内部監査室
F/S
公表
利害関係者
狭義の
内部監査
社外監査役
(注)監査役監査と狭義の内部監査(内部監査人監査)を合わせて、広義の内部監査とする。
(注)監査役監査と狭義の内部監査(内部監査人監査)を合わせて、広義の内部監査とする。
【参考文献】
伊豫田他〔2013〕
:伊豫田隆俊他『ベーシック監査論(六訂版)』同文舘、2013。
柴田〔1999〕
:柴田英樹『監査風土の革新』清文社、1999年。
柴田〔2006〕
:柴田英樹『変革期の監査風土』プログレス社、2006年。
柴田〔2007〕
:柴田英樹『粉飾の監査風土』プログレス社、2007年。
柴田〔2011〕
:柴田英樹『会計士の監査風土』プログレス社、2011年。
八田〔2006〕
:八田進二編『新訂版 監査論を学ぶ』
、同文舘、2006年。
山浦〔2006〕
:山浦久司『監査論テキスト』中央経済社、2006年。
30
【論 文】
企業買収価格構造の幾何的理解とその利用
飯 島 裕 胤*
1 .はじめに
企業買収の望ましい制度は、分析の俎上にある各企業の買収成否状況と、買収が成立する場合の
利得配分を把握する作業を通じて明らかにされる。これは論者の立場─たとえば、現株主と買収者
の利益のみを考える立場か、従業員や取引先、周辺住民を含む利益を考える立場か─に依らない。
ゆえに、企業買収価格の構造を解明することは、企業買収の望ましい制度を明らかにする上での
「要点」といえる。買収価格は、買収利得の配分だけでなく、買収の成否(またそもそも買収が計
画されるか否か)を直接的に決定づけるからである。買収価格が買収者の気を削ぐほど高いなら買
収は成立しないし、低ければ買収は成立するから、買収の成否状況を知るには、制度や当該企業の
置かれた状況によって買収価格が変化する「構造」を明らかにする必要がある。いいかえると、企
業買収の制度は企業買収価格の高低を介して買収成否を決定づけるから、買収価格構造の理解が分
析の要点といえるのである。
本稿は、買収価格の構造を幾何的に表現して、制度間の比較対照を視覚的に行う。ある制度が他
の制度にまさる範囲と理由を明確につかむことが、ここでの狙いである。
以下の構成は次の通りである。第 2 節でモデルを定める。ここでは以下のような基本的類型を網
羅しながら、状況の単純化を行っている。株主の状況として、
(1)当該企業の株式が分散所有され
Grossman and Hart (2)Kahan [8], Bebchuk
[6] が指摘した「フリーライダー問題」が起こるケース、
[1] が論じたような支配的大株主が存在するケース。また制度として、(a)市場を通じた支配権取
得が許容される米国型のケース、
(b)公開買付が求められる日本型のケース。これらを順次、共通
の枠組みで幾何的に表現する。これが第 3 節の分析である 1 。制度の理解と制度間の比較対照を行
う。また応用的な考察も行い、支配権取得時に全部買付が求められるヨーロッパ型の制度や、また
Iijima and Ieda [7] で検討した買収者のタイプに情報の非対称性があるケースについても言及する。
*E-mail:
1
[email protected]
近年の研究として、藤田[11]は、企業買収価格の構造を明示にしながら企業買収の制度―強制公開買付制度―
の得失を、手際よく詳細に論じている。本稿は補完的研究をめざすものであり、
「フリーライダー問題」や「非負
の買収プレミアム」も考慮しつつ企業買収価格構造を明らかにする点、そして幾何的表現を行う点が異なる。
31 最後に第 4 節でまとめを述べる。
2 .モデル
単純化された企業モデルを考えることで、さまざまな状況をカバーした企業買収価格の基本的構
造をつかむ。
2 つの時点、時点 0 、時点 1 が存在する。時点 0 は、当該企業に買収者が現れる前の状況を描
く。時点 1 は、買収者が現れて株主に対して買収提案を行う(結果的に買収が成功することも失敗
することもある)時点である。
本稿では、株主と買収者の株式取引に焦点をあわせて、企業買収の成否を考える。現実の企業に
おいては、他の主体―現経営陣、労働者、取引先、周辺住民など―は重要だが、それらの動向を明
示的に扱うことはしない。
当該企業の状況を特定してゆく。時点 0 の企業価値を V0(≧ 0 )で表す。株式は N 人の株主に
よって所有され、それぞれの株式所有割合を si0(i = 1, …, N)で表す。企業株式は小株主が分散所
有している場合もあれば、支配権を持つ大株主が存在する場合もある。以下、それぞれの場合を次
のように定義する。
ケース 1 :当該企業の株式が分散所有されている場合 株主は全て、自らの株式売却の有無は企業
買収の成否に影響しないと考え、売却を判断する。
ケース 2 :当該企業に大株主が存在している場合 支配権を持つ株主が存在する。買収が成立する
のは、買収者がこの株主から株式を取得できたときのみである。
ケース 2 の場合、大株主を記号 l(large の略。その株式所有割合を sl0)で表す。大株主は支配権
を持つことにより私的利益を享受していることがある。その金銭換算価値を Bl(≧ 0 )で表す。
(buyer の略。買収者の時点 0 の株式所有割合を sb0(≧ 0 )
時点 1 に買収者が現れる。記号 b で表す。
b
0 )を享受する。
と表す。)買収者が支配権を取得すると、企業価値は V1 になり、私的利益 B(≧
記号として、ΔV = V1 –V0と定める。ΔV は企業価値の変化を表すが、これは買収者のタイプによっ
て、正の値、負の値、いずれもありうる。なお、ΔV の値は、とくに明示しない限り、株主も知っ
ているものとする(対称情報)2。
買収者は株主に対して株式の売却提案を行う。買収者の提案価格を P、買取後の予定株式割合を
s 1と表す(そして、Δsb = sb1 – sb0とおく)。支配権取得のための株式取得にはコストがかかり、それ
b
(≧ 0 )で表す。これは買収不成立のときにも取り戻し不可能である。
を C(Δsb)
2
情報の非対称性がある場合は、第 3.1E 節で考察する。
32
株主に対する提示の方法は、むろん法規則に則ったものでなければならない。以下、次の 2 つの
単純化されたルールを明示的に扱い、比較対照する。
ルール 1 :公開買付ルール 買収者は全株主に等しく買取提案をして、売却を募らなければならな
い(全部勧誘)
。部分買付(sb1<1 に設定すること)は、明記しない限り認められている3。sb1を超え
る応募があったときには、応募株主間で比例按分して売却可能株式が決まる。逆に応募が少なく支
配権を獲得できないときには、株式の取得義務はない。
ルール 2 :市場買付ルール 市場買付を行い、一部の株主に限定して売却を募ることができる。
(いいかえると、一部の株主を排除した勧誘が可能である。)
これらの買付提案に対する株主行動を次のように定める。
まず、株主は利己的に行動し、
「ナッシュ均衡」以外の協力・協調行動はとらない。すなわち、
各株主が買付提案に対して、他の株主の行動を所与として、自らの利得の最大化をしていること
を、理論的に要請する。
ただし、少し分析すれば分かるのだが、ナッシュ均衡の条件だけでは、非現実的な解も含まれて
しまう。買収プレミアムが負であっても、株主が売却に応じてしまうのである4。次に、以下の仮定
を置く。
仮定:パレート優越基準(Pareto Dominant Criteria) 買収提案・応募において複数のナッシュ均
衡が存在するとき、それらのナッシュ均衡のうちパレート劣位なものは、均衡にはならない。パ
レート優位なナッシュ均衡が均衡である5。
なぜ、現実に買収者が(とくに敵対的企業買収において)負の買収プレミアムを提示しないのかを
考えてみれば、株主が負の買収プレミアムを受け入れるはずがないと理解され、またその理解を裏
付けるような「対抗措置」を株主が持っていると予想されているからであろう。たとえば、買収プ
レミアムゼロの「対抗提案」
(または単に買収提案に応じないこと)によってナッシュ均衡を株主
が形成できるとき(買収者が負の買収プレミアムを提示しているときには容易に形成可能である)、
ナッシュ均衡であることを理由に、株主が負の買収プレミアムを受け入れるとは思えない。このよ
うな、明らかにパレート劣位な均衡を排除するメカニズムが、企業買収の局面には存在すると考
3
全部買付の規制がある場合は、第 3.1C 節で議論する。
5
この仮定は分析上不可欠なわけではない。負の買収プレミアムを想定した分析も、
(分析結果は異なるものの)
4 ΔV<
0 のときである。
同じ枠組みで可能である。
33 え、本稿では、上の「パレート優越基準」を採る。後にみるように、この仮定によって、負の買収
プレミアムは提示されなくなる。つまり、非線形の企業買収価格構造が導かれる6。
以上のような株主行動の結果、企業買収の成否が定まる。企業価値 V1は、買収が成立すれば(先
述の通り)V1 =V0 +ΔV、不成立のときには V1 =V0である。買収者は買収が成立する最も低い価格を
みきわめて 7、その価格で正の利益があるときのみ買収提案を行う。
3 .分析
分析の焦点は、企業買収において買収者が提示すべき価格の構造である。以下、当該企業の株式
所有状況(分散所有か、大株主が存在するか)
、買収者が従うべき法の状況(公開買付ルールか、
市場取引ルールか)ごとに買収価格の構造を明らかにする。その上で、買収可能な最低価格を前提
として、買収者の買収利得を導き、企業買収行動を理解する。
3.1 当該企業の株式が分散所有されている場合
3.1 A 公開買付ルールの場合の企業買収価格構造
利己的な株主が、自らの株式売却の有無が買収成否の帰趨に影響しないと考えている場合、企業
買収の「フリーライダー問題」が発生する。これは、企業価値上昇的(ΔV > 0 )な企業買収におい
て、株主が、他の株主が買付に応募することを期待してなかなか応募しないパラドクスを指す。
)買収が成立すれば株主は利益を得るが、それゆえ
(これを考慮して買収プレミアムはΔVとなる。
に買収者は利益が見込めず、そもそも企業買収自体が起こりにくくなる。
これを式で表現する。企業買収が成立する価格を求める。株主は買収が成立することを前提とし
(V0+ΔV)
)を上回るときの
て、所有株式の売却利得(si0×P)が、所有継続した場合の利得(si0×
み買付提案に応募する。買収成立条件は P ≧ V0+ΔV であり、変形すると P – V0≧ΔV である。つま
り、買収を成立させるために買収者は、買収プレミアムを最低限、 P – V0 =ΔV
(1)
に設定しなければならない。図 1 は、縦軸を P–V0(買収プレミアム)、横軸をΔV(当該企業に現
れた買収者のタイプ)として、
(1)式を図解したものである。ΔV が大きな買収者ほど高い買収価
格を提示しなければならないことを表している。
ただ、先に述べたように、ΔV< 0 の領域での負の買収プレミアムは、非現実的である。パレート
優越基準を採用して、この問題を処理する。パレート優越基準を仮定すると、買収成立時の株主利
/ 1–sb0)は当初株式所有割合に占める売却可能株式割合)
; ただし α =sb1(
(V0 +ΔV)
得(αP+(1–α)
6
Iijima and Ieda [7]は、この均衡概念を用いて企業買収制度を考察している。
7
本稿では、買収者は買収が成立する最低価格を提示する、と仮定している。これは、株主の企業買収利益を
最も慎重に、少ないものとして考えるものである。
34
が、買収不成立でも達成可能な株主利得(V0)を上回る必要がある8。買収成立条件は α P +(1–α)
/α)
(1–α)
ΔV である。つまり、買収を成立させ
(V0+ΔV)≧ V0であり、これを変形すると P – V0≧ –(
るために買収者は、買収プレミアムを最低限、
P – V0 = –((1–α)/α)ΔV
(2)
に設定しなければならない。図 2 は(2)式を図解したものである。なお、このグラフの傾きは、買
収者の株式取得後割合 sb1によって決まる。sb1が大きいほど(α は大きくなるから)傾きの絶対値は
小さく、つまり提示すべき買収プレミアムは低くなる。
図1 買収価格の導出(当該企業の株式が分散所
有されている状況、公開買付ルールの場合)
フリーライダー制約による必要買収プレミ
アムのグラフ。
図 2 買収価格の導出(当該企業の株式が分散所
有されている状況、公開買付ルールの場合)
パレート優越条件による必要買収プレミア
ムのグラフ。
以上をまとめると買収価格の構造が分かる。買収者は買収を成立させるために(1)
(2)式の両方
を満たす必要がある。買収プレミアムは、
P – V0 = max{ΔV, –((1–α)/α)ΔV}
(3)
以上に設定する必要がある。幾何的には図 3 として表現できる。
ここでグラフが、買収プレミアムが負にならない非線形性をもつのは、パレート優越基準の仮定
によっている。
8
全ての株主が応募しないことは、ナッシュ均衡の要件を満たす。買収不成立を所与とすると、どの株主にとっ
ても買付に応募することにメリットはない。
35 3.1 B 市場買付ルールの場合の企業買収価格構造
次に市場買付ルールの下での企業買収価格を分析する。市場買付では、一部の株主のみが所有株
式の売却を勧誘されることになる。勧誘された株主は、自らの利得を高められれば、勧誘されない
他の株主の利得には関心がない。このことは買収者が提示する買収価格に影響するだろう。以下、
フリーライダー問題から要請される条件と、パレート優越基準から要請される条件を順次調べる。
式で導出する。まずフリーライダー問題から導かれる条件だが、これは市場買付であっても状況
は全く変わらない。株主は買収が成立することを前提として、所有株式の売却利得(si0×P)が、
(V0 +ΔV)
)を上回るときのみ買付提案に応募する。買収成立条件は
所有継続した場合の利得(si0×
P ≧ V0+ΔV、変形すると P–V0≧ΔV である。つまり、買収を成立させるために買収者は、買収プレ
ミアムを最低限、
P–V0 =ΔV
(4)
に設定しなければならない。
次にパレート優越基準から要請される条件である。この場合、勧誘される一部の株主が(とくに
負の買収プレミアムが提示されるときに)売却を選択するかどうかが問題である。これら株主の買
収成立時の株主利得(P)が、買収不成立でも達成可能な株主利得(V0)を上回る必要がある。買
収成立条件は P ≧ V0、これを変形すると P–V0 ≧ 0である。つまり、買収を成立させるために買収者
は、買収プレミアムを最低限、
P – V0 = 0 (5)
に設定しなければならない。
(V0+ΔV)であったのに
公開買付ルールのときには、売却を選択したときの株主利得は αP+(1–α)
対し、市場買付ルールの下では売却を選択したときの勧誘された株主の利得は P である。これが
ΔV < 0 の領域で、低い買収価格でも買収が応じる原因である。
この 2 つの条件をまとめると買収価格の構造が分かる。買収者は買収を成立させるために(4)
(5)式の両方を満たす必要がある。買収プレミアムは、
P – V0 = max{ΔV, 0}
以上に設定する必要がある。幾何的には図 4 として表現できる。
36
(6)
図 3 買収価格(当該企業の株式が分散所有され
ている状況、公開買付ルールの場合)パレー
ト優越条件によりグラフは非線形(買収プ
レミアムは常に正の値)。
図 4 買収価格(当該企業の株式が分散所有され
ている状況、市場買付ルールの場合)公開
買付ルールの場合と同様だが、ΔV< 0 の領域
で買収プレミアムが低下。
ここでもグラフが、買収プレミアムが負にならないような非線形性をもつのは、パレート優越基
準の仮定によっている。
3.1 C 企業買収の成否、過大・過少買収
買収者は、以上の買収成立価格の水準を前提として、自らの利得が正の値のときに株式の買付を
提示する。
(負の値のときには提示を行わない。
)
(V0+ΔV)
)から、株
これを式で表現する。買収者の利得は、買収後所有する株式の価値(sb1×
主に支払う買収支出額(sb1×P )を引き、支配権を得たことで生じる私的利益(Bb)を加え、企業
、以下単に C で表す)を引いたものである。これが正の値とは、sb1×
(V0+ ΔV –
買収費用(C(Δsb)
{ Bb – C)/sb1 +ΔV} –(P – V0 )〕≧0 のときである。この式が成立するとき、買収者は
P)+ Bb – C = sb1×
〔(
買収提案を行う。ここで、幾何的表現のために、第 2 式の第 1 項目を取り出して、
y =(Bb – C)/sb1 +ΔV
(7)
とする。このグラフが、前小節までに導出した P – V0を上回るときかつそのときのみ、買収者が買
収を提示する。
このような買収者の行動は、どう評価できるだろうか。本稿では以下、全株主と買収者の利得の
和を「総価値」として、この観点からみた過大・過少買収が、どんな状況で、なぜ生じるのかを明
らかにしたい。
「過大買収」とは、総価値上昇的でない企業買収が実施されている状況、
「過少買
収」とは、総価値上昇的な企業買収が行われない状況を指す。
37 式で表す。V0+ΔV + Bb – C ≧ V0のとき、総価値上昇的な企業買収といえる。この条件式は変形す
るとΔV + Bb – C ≧ 0であり、この条件式が成立するときかつそのときのみ企業買収は実施されるべ
きである。幾何的表現のため右辺を取り出して、
y = ΔV + Bb – C
(8)
として、以下グラフに描く。
図 3 、 4 に(7)式、
(8)式を書き込む。これにより企業買収の成否と過大・過少買収は幾何的に
理解できる。Bb – C ≧ 0 のときと Bb – C ≦ 0 のときで結果が大きく異なるので、分けて描画する。前
者が図 5 、 6 、後者が図 7 、 8 である。なお、
(2)式と(7)式、(6)式と(7)式の交点は過大買収
(ただし β=Δsb/{(1–sb0)sb1≧1で、sb0=0 の
(Bb–C)
の判別で重要である。これはそれぞれ、ΔV= –β
/sb1 10 である。
とき β=1)9、ΔV= –(Bb–C)
図 5 買収の成否、過大・過少買収(当該企業の
株式が分散所有されている状況、公開買付
ルールの場合)Bb- C ≧ 0 のケース。上下方
向の矢印(の長さ)は、買収者利得を表す。
以下同様。
9
図 6 買収の成否、過大・過少買収(当該企業の
株式が分散所有されている状況、市場買付
ルールの場合)Bb-C ≧ 0 のケース。
–((1–α)/α)ΔV=(Bb – C)/sb1 +ΔV を解くことで求められる。
1 +ΔV を解くことで求められる。
100 =(Bb– C)
/sb
38
図 7 買収の成否、過大・過少買収(当該企業の
株式が分散所有されている状況、公開買付
ルールの場合)Bb-C < 0 のケース。
図 8 買収の成否、過大・過少買収(当該企業の
株式が分散所有されている状況、市場買付
ルールの場合)Bb - C < 0 のケース。
図から、過大・過少買収が起こる状況をクリアに理解できる。以下、ここでは部分買付(sb1< 1)
が行われる場合について言及する。
(たとえば、買収コスト C(Δsb)がΔsb の増加とともにきわめ
て逓増的に上昇する場合、買収者にとって部分買付を選択することが有利になる。)
Bb – C(Δsb)≧ 0 のときには、公開買付ルールの下では、若干の過大買収がみられる。ただし、買
収者が当初所有株式をもたない(sb0 = 0 )場合には、過大買収が起こらず、最適な買収の実施がみ
られる。一方、市場買付ルールの下では、公開買付ルールよりも広範に過大買収がみられる。まと
めると、公開買付ルールの方が構造的に買収価格が高く、よって過大買収が起こりにくいといえる。
逆に Bb – C(Δsb) ≦0 のときは、どうだろうか。この場合は、いずれの制度の下でも等しく過少買
収が起こる。買収者が大きく企業価値を高める(ΔV ≧ 0 )には、企業買収は行われるべきである。
(株主にとって利益になる。
)ところがこのケースでは、買収成立価格が(フリーライド問題によっ
て)高く、その一方で私的利益が買収費用を超えず、結果として企業買収が行われない。
次の命題1は以上をまとめたものである。
命題 1 Bb – C(Δsb)≧ 0 のときには、市場買付ルールの下では、公開買付ルールよりも広範に過大
買収がみられる。Bb – C(Δsb) ≦ 0 のときは、いずれの制度の下でも等しく過少買収が起こる。
39 3.1 D 応用 1 :全部買付制度の効果
企業買収での全部買付は、どのように評価できるだろうか。とくにヨーロッパ型の制度は、支配
権移転の手段に関わらず(公開買付でも市場買付でもよい)
、事後的に全部買付(全部勧誘)を義
務付けている11。これをどう評価すべきだろうか。
このケースは、sb1 = 1 と設定することで理解できる。このとき、過大買収の問題は発生しない。
総価値上昇的でない企業買収は、買収者自らの利益を損なうから、これを行わない。企業買収で発
生する問題が過大買収のみであれば、ヨーロッパ型の制度はきわめて合理的で優れた(しかも簡便
な)制度といえる。
ただし、過少買収の問題は一切緩和できない。「フリーライダー問題」に対応することを想定し
て組まれた制度ではなく、この点で企業買収抑制的な制度である12。
図 9, 10は幾何的表現であり、命題 2 は結果のまとめである。
図 9 全部買付の場合(1)
:買収の成否、過大・
過少買収(当該企業の株式が分散所有され
ている状況)Bb-C ≧ 0 のケース。sb1=1 の場
合には、公開買付ルール、市場買付ルール、
いずれも共通。
図10 全部買付の場合(2): 買収の成否、過大・
過少買収(当該企業の株式が分散所有され
ている状況、
)Bb-C < 0 のケース。sb1=1の場
合には、公開買付ルール、市場買付ルール、
いずれも共通。
11藤田
[11]を参照。
12本稿のモデルでは扱っていないが、会社法学者によく知られたヨーロッパ型制度の問題もある。支配権移転
後の残存株主は、買収後の株価をみきわめて、買収価格以上に上昇した時には買付に応じず、買収価格以下に
下落した時には応じて買収価格を保証してもらえるという「オプション」を与えられることになる。これは株
主間の公平性の問題だけでなく、過少買収問題を深刻化させる。
(この点について家田崇教授(南山大学)の示
唆を受けた。)
40
命題 2 企業買収の問題が過大買収のみであれば、ヨーロッパ型の全部買付の制度は、優れてい
る。支配権取得方法は、公開買付、市場買付いずれでもよく、どちらにしても、過大買収は起こら
ない。一方で過少買収問題には一切対応せず、企業買収抑制的な制度といえる。
3.1 E 応用 2 :情報の非対称性と企業買収
以上の分析では、株主は、買収による企業価値変動(ΔV)について買収者と同等の情報をもつ
と仮定してきた。この仮定が当てはまらない場合は、どうなるだろうか。次に、当該企業のΔV の
値を知っている買収者が、知らない株主に対して買収提案をする状況を分析する。
(同時に株主は
Bb の値も知らないものとする。)
この場合の企業買収価格は、想定されるΔV の値に対応する買収価格について、その期待値を
とることで求められる。たとえば、Δv1 > 0 、Δv2> 0 の 2 通りの可能性が等確率で想定される場合、
買収価格は図11, 12で与えられる。
図11 情報の非対称性の下での買収価格(当該企
業の株式が分散所有されている状況、公開
買付ルールの場合)買収プレミアムが期待
値以上でなければ、株主は売却しない。
図12 情報の非対称性の下での買収価格(当該企
業の株式が分散所有されている状況、市場
買付ルールの場合)株主が売却する買収プ
レミアムの値はやや低く。
この状況で興味深いのは、様々なΔV、Bb を持つ買収者が混在して想定される場合である。私的
利益 Bb が大きな買収者は、ΔV < 0 であっても企業買収を行う。(ΔV が大きなマイナスであって
も。
)このことは、公開買付ルールの下では買収成立価格を押し上げる働きを持つ。そしてそれが、
。一方、市
ΔV > 0 であるが Bb が小さいために、買収を断念する買収者を生じさせる(過少買収)
場買付ルールの下では買収価格の押し上げが少ないから、この種の過少買収問題は起こりにくい。
41 3.2 当該企業に支配的大株主が現存する場合
次に、当該企業に支配権移転において決定的な「大株主」が存在する場合を分析する。この場
合、支配的大株主に株式売却の意思があるときかつそのときのみ買収が成立する。一方で、支配的
大株主はフリーライダーにはなりえないから、買収者は、前節のようなフリーライダー問題を考え
る必要はない。結局のところ、買収者は、支配的大株主に対して買収不成立時の当初利得以上を提
示することを考えればよい。
以下、買収成立価格を式で導出し、幾何的表現を行う。買収者が株式取得割合Δsb を提示した時、
買収プレミアムがどんなグラフを描くのか検討する。
まず公開買付ルールの場合である。このルールの下では、買収者は全株主に対して買付を提示し
なければならない(全部勧誘)
。仮に大株主の私的利益 Bl を考慮して提示価格 P を高く設定したと
して、その高い価格は、他の株主にも適用されることになる。支配的大株主が売却する株式割合は
(sl0 –Δsb sl0 /( 1 – sl0 )は所有し続ける。)このことを踏まえる
Δsb の一部で、Δsb sl0 /( 1 – sl0 )である。
と、買収成立時の大株主利得は {Δsb sl0 /(1 – sl0)} P + {sl0 –Δsb sl0 /(1 – sl0)}(V0+ΔV)である。一方、
買収不成立時の株主利得は sl0V0+bl であるから、買収成立条件は {Δsb sl0 /(1 – sl0)} P + {sl0 –Δsb sl0 /(1–
sl0)}(V0 +ΔV) ≧ sl0V0 + bl であり、これを変形すると P – V0≧ γ(b/Δsb)– {γ(sl0 /Δsb)–1}ΔV(ただし、
γ=(1– sb0)/sl0≧1 )である。買収を成立させるために買収者は、買収プレミアムを最低限、 P – V0 =γ(b/Δsb)– {γ(sl0 /Δsb)–1}ΔV
(9)
に設定しなければならない。
次に、市場買付ルールの場合である。このルールの下では、買収者は支配的大株主に対してのみ
売却を持ちかけることができる。仮に大株主の私的利益を考慮して提示価格 P を高く設定するとし
て、公開買付とは異なり、他の株主に高い利得を与えることがない。このことは同時に、企業価値
を低下させる(ΔV< 0 )ことに対する補償を、大株主にだけに与えることも意味する。ともあれ、
(sl0 –Δsb は所有し続ける。
)このことを
この場合の支配的大株主が売却する株式割合はΔsb である。
踏まえると、買収成立時の大株主利得はΔsbP +(sl0 –Δsb)(V0+ΔV)である。買収不成立時の株主利
(V0+ΔV) ≧ sl0V0 +bl であり、これを変形
得は sl0V0+bl であるから、買収成立条件はΔsbP+(sl0 –Δsb)
すると P – V0≧ (b/Δsb)–{(sl0 /Δsb)–1}ΔV である。買収を成立させるために買収者は、買収プレミア
ムを最低限、
{ sl0 /Δsb)–1}ΔV
P – V0 =(b/Δsb)– (
に設定しなければならない。
図13、14は、
(9)式、
(10)式をそれぞれ図解したものである。
42
(10)
図13 買収価格(当該企業に支配的大株主が存在
している状況、公開買付ルールの場合)
図14 買収価格(当該企業に支配的大株主が存在
している状況、市場買付ルール)
両者共通の特徴は、Δsb が高くなるほど、切片が下方に位置し、傾きが水平に近くなることであ
る。相違点は、公開買付ルールの場合の方が位置が高い(買収プレミアムが高い)ことである。こ
れは、全部勧誘の特性から支配的大株主の売却株式割合が減少し、買収プレミアムを十分に得られ
ないことを反映している。
(買収プレミアムを高く設定しなければならない。)
続いて、企業買収の成否と過大・過少買収の特徴を幾何的に表現しよう。分析は第3.1節と同様
である。
)から、株主に支払う買収支
まず、買収者の利得は、買収後所有する株式の価値(sb1× (V0+ΔV)
、
出額(sb1×P)を引き、支配権を得たことで生じる私的利益(Bb)を加え、企業買収費用(C(Δsb)
以下単に C で表す)を引いたものである。これが正の値とは、sb1×(V0 +ΔV – P )+ Bb – C =sb1×〔{(Bb – C)/
sb1 +ΔV} –(P – V0)〕≧ 0 のときである。幾何的表現のために、第 2 式の第 1 項目を取り出して、
y =(Bb – C)/sb1 +ΔV
とする。(第3.1節と全く同じである。
)このグラフが P – V0を上回るときかつそのときのみ、買収者
が買収を提示する。
次に、この買収者の行動を評価する。全株主と買収者の利得の和を「総価値」として、企業買収
を評価する。
V0 + ΔV + Bb – C ≧ V0 のとき、総価値上昇的な企業買収である。この条件式は変形するとΔV + Bb –
C ≧ 0 であり、この条件式が成立するときかつそのときのみ企業買収は実施されるべきである。幾
何的表現のため右辺を取り出して、
43 y = ΔV + Bb – C
として、以下グラフに描く。
図13、14をあわせて上記 2 つの式を書き込んだものが、図15〜17である。これは 3 つの特徴的な
状況を取り出して描いたものである。図15は、Bb – C – Bl ≧ 0 であり、私的利益のみを考えると企業
買収が望ましいことが多いケース、図16、17は、Bb – C – Bl < 0 であり、むしろ望ましくないことが
多いケースを描いている。
図15 買収の成否、過大・過少買収(当該企業に
支配的大株主が存在している状況)
Bb-C-Bl ≧ 0 のケース。
図16 買収の成否、過大・過少買収(当該企業に
支配的大株主が存在している状況)
Bb-C-Bl < 0 のケース、Bl が大きい場合。
図17 買収の成否、過大・過少買収(当該
企業に支配的大株主が存在している
状況)Bb- C-Bl < 0 のケース、Bl が小
さく、C が大きい場合。
44
図15の状況では、市場買付ルールの買収促進的な側面が過大買収を生起する一方、公開買付ルー
ルの買収抑制的な側面が過少買収を起こす。この場合は、望ましいルールは状況次第である。
図16は、Bb – C – Bl < 0 であり、またとくに Bl が大きい状況を描いている。このときには過大買収
が起こりやすく、買収促進的な側面をもつ市場買付ルールは適さない傾向がある。
最後に図17は、Bb – C – Bl < 0 だが Bl は小さい(つまり C が大きい)状況である。このときには、
買収コスト C を買収者のみが負担する(たとえΔV が大きく、株主にも企業買収の大きな利点が
あっても)ことの問題から、両ルールとも過少買収がみられる。この場合は、買収促進的な市場買
付ルールが望ましい。
4 .おわりに
企業買収価格を幾何的に表現することで、企業買収の成否と過大・過少買収の発生範囲を視覚的
に捉えることができる。
本稿では、例えば買収者が二段階買付を行うケースには言及してこなかった。よって、ここでの
結論は、議論の出発点として理解する必要がある。分析は全く同様に可能であるから、稿を改めて
論じたい。
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「支配株式の取得と強制公開買付―強制公開買付制度の機能」岩原紳作=山下友信=神田
秀樹編『会社・金融・法(下巻)
』33 –77
45 【論 文】
準市場の優劣論とイギリスの学校選択の
公平性・社会的包摂への影響( 2・完)
児 山 正 史
目次
1 .はじめに
2 .利用者の行為主体性
3 .条件の充足 (以上、前号)
4 .良いサービスの提供
5 .おわりに
4 .良いサービスの提供
(1)公平性
ルグランのいう公平性とは、社会経済的地位などのニーズと無関係な違いに関わらずサービスを
利用できることである。希望した学校や質の高い学校に通う可能性が階層・民族間で異なったり、
学校が一部の生徒への教育を軽視または重視したり、階層・民族や生徒の間で成績の差異が拡大し
たりすれば、公平性が損なわれているといえる。以下では、これらの点に関する実証的な調査・研
究を整理する。
①通学先
まず、希望した学校や成績の高い学校に通う可能性が階層・民族によって異なるかどうかが分析
されている。
(a)希望した学校
希望した学校への入学と階層との関係については、まず、ロンドンの中学校への1994年度入学者
(120人)の家族への聞き取り調査の結果の分析によると、第 1 希望の学校や申し込んだ学校に入学
した割合は、労働者層と中間層との間で違いがなかった。(Noden et al. 1998 : 222–3)
次に、全国の中学校への1999・2000年度入学者(約 2 千 2 百人)の親への聞き取り調査の結果の
分析によると、希望した学校(申し込んだ学校のうち最も子供を入学させたかった学校)に入学す
47 る可能性は、母親が白人であるよりも白人以外の方が低く、申し込みの結果に不満を持つ可能性
は、単身で無職の親の方が他の親よりも高かったが、それ以外には階層・民族による違いはなかっ
た(Flatley et al. 2001 : 114–7, 125–6)。また、全国の中学校への2006年度入学者(約 2 千 2 百人)の親
への聞き取り調査の結果の分析によると、第 1 希望の学校に受け入れられる可能性は、母親が白人
であるよりも白人以外の方が低かったが、階層間の違いはなく、申し込みの結果に不満を持つ可能
性は、階層・民族による違いがなかった(Coldron et al. 2008 : 147–9, 157)。
このように、希望した学校に入学する可能性は、母親が白人である方が高かったが、階層による
違いはなかった。また、申し込みの結果に不満を持つ可能性は、階層・民族による違いがほとんど
なかった。
(b)成績の高い学校
成績の高い学校への通学と階層との関係については、学校までの距離の影響を考慮しない分析と
考慮した分析が行われている。
まず、距離の影響を考慮しないものとしては、ロンドンの中学校への1994年度入学者(120人)
の家族への聞き取り調査の結果の分析によると、最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績を取った
生徒の割合は、中間層の子供が通う学校は平均50%、労働者層の子供が通う学校は27%だった(中
(Noden et al. 1998 :
間層が第 1 希望にした学校は53%、労働者層が第 1 希望にした学校は40%だった)
229)。また、全国の公立中学校への2001~03年度入学者(合計約120万人)のデータの分析による
と、最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合が全国の上位 3 分の 1 の学校に在
学している生徒の割合は、無料学校給食の受給資格を持たない生徒のうち32%、受給資格を持つ生
徒のうち17%だった( 1 )(Burgess and Briggs 2006 : 11–4, 28)。同様に、全国の小学校への2005年度入学
者(約 1 万 2 千人)のデータの分析でも、選択可能な学校の中で最終学年の試験の成績が最も高い
学校を第 1 希望にした場合、その学校に入学できる可能性は、社会経済的地位が上位20%の生徒は
91%、下位20%の生徒は80%だった(Burgess et al. 2009 : 16, 32 ; Burgess et al. 2011 : 542)。
このように、高い階層の生徒の方が成績の高い学校に通う傾向があったが、これは、高い階層の
生徒の方が近くに成績の高い学校があり、生徒・親が近くの学校を希望したり、定員超過の場合に
通学距離を基準に受け入れられたためかもしれない(その場合は、生徒・親が学校を選択せず近く
の学校に割り振られる方式でも、同じ傾向が生じるかもしれない)
。そこで、通学距離の影響を考
慮した分析も行われている。
全国の中学校への2001年度入学者(約37万人)のデータの分析によると、無料学校給食の受給資
格を持たない生徒が最も近い学校に通う割合は、その学校の成績におおむね比例していたが(例え
ば、全国の下位 5 %なら 3 割未満、上位 8 分の 1 なら約 6 割)
、受給資格を持つ生徒がそのような
学校に通う割合は、成績に関わらずほぼ一定(約 4 割)だった(Burgess et al. 2006 : 10–1, 35)。また、
全国の公立中学校への2001~03年度入学者(合計約120万人)のデータの分析でも、同様の結果が
48
示されている(Burgess and Briggs 2006 : 12, 21–2, 43)。次に、最も近い学校とは別の学校に通う生徒の
うち、最も近い学校よりも成績の低い学校に通う割合は、無料学校給食の受給資格を持たない生徒
は35%、受給資格を持つ生徒は50%であり、それぞれの集団の中では、小学校最終学年の試験の成
績の高い生徒の方が、その割合が小さかった(Burgess et al. 2006: 11, 27–8)。最後に、全国の公立中学
校への2001~03年度入学者(合計約120万人)のデータの分析によると、無料学校給食の受給資格
を持たない生徒は、すぐ近く(100m以内)に住む受給資格者と比較して、成績の高い学校に通う
可能性が約 2 %ポイント高かった( 2 )(成績の高い学校に通う生徒の割合は全体で約 3 割だった)
(Burgess and Briggs 2006 : 12, 18, 33 ; Burgess and Briggs 2010 : 644–6)
。
以上のように、住居から学校までの距離の影響を考慮しても、高い階層の生徒の方が成績の高い
学校に通う傾向があったが、その程度については多様な結果が示されていた。
②学校内の教育
学校が、特別な教育ニーズを持つ生徒への教育を軽視したり、中間層の生徒や学校の評価を高め
そうな生徒への教育を重視したかどうかについて、一部の地方教育当局を対象とした調査・研究が
行われている。
第 1 に、特別な教育ニーズを持つ生徒については、 3 つの地方教育当局の14の中学校の教職員な
ど(約百人)に対する1991~94年の聞き取り調査によると、特別なニーズへの供給は費用がかかる
という副校長の発言や、定員割れの学校で特別なニーズのための教員が削減された例があった
(Gewirtz et al. 1995 : 13, 16–7, 167–8)
。他方、 1 つの地方教育当局の11の学校の教職員など(約百人)に
対する1991~93年の聞き取り調査によると、地方教育当局が特別なニーズへの支援を削減したのに
対して、大部分の学校はそれを補って特別なニーズのための教員や補助職員を増加した(ただし、一
(Levačić 1995 : 84–6, 106, 159–60)
。
部の学校は特別なニーズのための非正規教員との契約を一時中断した)
第 2 に、中間層の生徒については、上述の 3 つの地方教育当局での聞き取り調査によると、学力
の高い中間層の親の好みに反応して、ほとんどの学校が能力別学級編成に移行し、ある教員は、底
辺の学級の子供に失敗者のレッテルを貼ることになると述べた。また、多くの学校で演劇・音楽・
芸術が重視されるようになったが、いくつかの学校では、そこに参加するのは中間層の子供が多い
と感じられていた。(Gewirtz et al. 1995 : 168–74)
第 3 に、学校の評価を高めそうな生徒については、同じ調査によると、ある学校が、成績(最終
学年の試験で 5 科目以上で高い点数を取る生徒や、 1 科目以上で合格点を取る生徒)の目標を設定
し、目標のすぐ下にいる生徒に予算を向けた例があった(ibid.: 175)。また、中学校の校長・副校長
22人への2002~03年の聞き取り調査によると、
「学校の成績の順位を上げるために特定の範囲に資
源を向けたことがあるか」という質問に対して、10人は境界線の生徒に資源を向けている、 2 人は
過去にそうしたことがあると回答し、10人は到達度の低いすべての生徒に向けていると回答した
(Wilson et al. 2006 : 158, 162)
。
49 このように、一部の地方教育当局を対象とした調査では、特別な教育ニーズを持つ生徒への教育
を軽視したり、中間層の生徒や学校の評価を高めそうな生徒への教育を重視した例が挙げられてい
た。他方で、特別な教育ニーズを持つ生徒や到達度の低い生徒への教育を維持した例も挙げられて
いた。
③成績の差異
階層・民族や生徒の間で成績の差異が拡大したかどうかについては、全国的なデータが分析され
ている。
(a)階層・民族間
階層・民族間の成績の差異については、全国の中学校の最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績
を取った生徒の割合が比較されている。
第 1 に、階層間では、1988~96年に高い成績を取った生徒の割合は、専門職の子供は59%から
77%に、無職の親の子供は11%から19%に増加した。両者の差は48%ポイントから58%ポイントに
拡大したように見えるが、相違は69%から60%に縮小し、増加率は専門職(1.31倍)よりも無職
(1.73倍)の親の子供の方が高いとされている( 3 )(Gorard 2000a : 139, 145)。なお、データを入手できた
2002~13年に高い成績を取った割合は、無料学校給食の受給資格を持つ生徒は23%から69%に、受
給資格を持たない生徒は54%から85%に増加した( 4 )(DfES 2004–07 ; DfE 2012 ; DfE 2014)。両者の差は
31%ポイントから16%ポイントに、相違は40%から10%に縮小した。
第 2 に、民族間では、1991~93年に高い成績を取った割合は、アジア人は30.0%から38.0%に、
アフリカ系カリブ人は19.1%から25.6%に増加した。階層間と同様に、差は10.9%ポイントから
12.4%ポイントに拡大したように見えるが、相違は22%から19%に縮小し、増加率はアジア人(1.27
倍)よりもアフリカ系カリブ人(1.34倍)の方が高いとされている(Gorard 2000a : 140, 145)。なお、
2002~13年に高い成績を取った生徒の割合は、白人は50%から83%に、黒人は34%から83%に増加
した(DfES 2004–07 ; DfE 2012 ; DfE 2014)。両者の差は16%ポイントから 0 %ポイントに、相違は19%
から 0 %に縮小した( 5 )。
以上のように、階層・民族間の成績の差異は、学校選択制の拡大直後(1980年代末~90年代中
頃)には、差を計算すれば拡大し、相違を計算すれば縮小していたが、2000年頃以降はいずれの計
算方法でも縮小した。
(b)生徒間
生徒間の成績の差異については、全国の中学生の最終学年の試験の点数の変化が上位・下位の生
徒間で比較されている。
まず、1993~97年に、上位10%の生徒は63.6点から68.0点に上昇し、下位10%の生徒は逆に0.8点
50
から0.7点に低下した。(West and Pennell 2000 : 431)
他方、1993~2000年に、上位20%の生徒は59.0点から66.1点に、下位20%の生徒は5.0点から8.2点
に上昇し、相違は84%から78%に縮小したとされている。なお、最初の分析と同じ1993~97年に
も、上位20%は59.0点から62.8点に、下位20%は5.0点から6.0点に上昇し、相違は84%から83%に縮
小したとされている(Gorard et al. 2003 : 92)。ただし、差を計算すると、1993~2000年には54.0点か
ら57.9点に、1993~97年には54.0点から56.8点に拡大したともいえる。他に、1993~97年の変化を
上位・下位25%の生徒間で比較した分析や、1993~2000年の変化を上位・下位50%の生徒間で比較
した分析でも、同様の結果が示されている(Gorard 2000c : 317–8 ; Gorard et al. 2003 : 92)。
このように、生徒間の成績の差異の1990年代の変化は、集計・計算の方法によって異なってい
た。
(なお、2000年以降のデータは入手できなかった。)
(2)社会的包摂
ルグランによると、社会的包摂とは、学校が社会の溶融炉の役割を果たし、文化的分裂を融解す
るという考え方である。学校選択制の拡大後、学校間で生徒の階層・民族・成績などの違い(社会
的分離)が拡大したかどうか、また、学校選択が学校間の社会的分離に影響を与えたかどうかが分
析されている。
①学校間の社会的分離の推移
学校間で社会的分離が拡大したかどうかについては、2000年頃から論争が行われてきた。以下で
は、分離が拡大したことを否定する分析と、拡大したことを示す分析を見ていく。
(a)拡大の否定
学校間の社会的分離をめぐる論争は、2000年頃にゴラード(Stephen Gorard)らが分離の拡大
を否定する分析を示したことから始まった。ここでは、ゴラードらによる分析と、同様の結果を示
す他の研究者による分析を整理する。
ア ゴラードら
ゴラードらは、1998年にウェールズの 6 つの地方教育当局を対象とした分析(Gorard and Fitz
1998)
、2000年にイングランドのほぼすべての中学校を対象とした分析を発表し、その後も、対象
や指数を追加しながら分析を重ねてきた。以下では、イングランドを対象とした分析を見ていく。
第 1 に、全国の中学校における1989~97年の無料学校給食の受給資格者( 6 )のデータの分析によ
ると、学校間の社会的分離を示す指数(分離指数)は、1989~91年は横ばい、1992~94年は低下、
1995~97年は横ばいだった( 7 )(Gorard 2000a : 39 ; Gorard and Fitz 2000a : 119 ; Gorard and Fitz 2000b : 415)。
なお、全国の中学校・小学校における、特別な教育ニーズを持つ生徒、英語が母語でない生徒(以
51 上1996~98年)
、白人以外の生徒(1997~98年)のデータの分析でも、分離指数は低下または横ば
いだった(Gorard 2000a : 40 ; Gorard and Fitz 2000b : 414)。
第 2 に、2001年までのデータを追加して、全国の中学校における無料学校給食の受給資格者の
データを分析したところ、分離指数は1998~2001年に上昇していた( 8 )。(Gorard et al. 2001 : 19 ; Gorard
et al. 2002 : 30 ; Gorard et al. 2003 : 50)
第 3 に、分離指数ではなく非類似指数を用いて、全国の中学校における1989~99年の無料学校給
食の受給資格者のデータを分析した結果も、1989~91年は横ばい、1992~94年はおおむね低下、
1995~97年は横ばい、1998~99年は上昇した( 9 )。(Gorard 2007 : 673)
第 4 に、2009年までのデータを追加し、分離指数と非類似指数を用いて、中学校における無料学
校給食の受給者と受給資格者のデータを分析したところ、おおむね、1998~2002年は上昇、2003~
04年は横ばい、2005~07年は上昇、2008~09年は低下した。(Gorard 2009 : 649 ; Cheng and Gorard 2010 :
417)
第 5 に、全国の小学校と中学校における無料学校給食の受給者と受給資格者、特別な教育ニーズ
、英語が第 1 言語でない
を持つ生徒(詳細な記録が作成された生徒、作成されていない生徒(10))
生徒、白人以外の生徒について、分離指数と非類似指数の2011年までの推移が分析されている(両
指数の結果は実質的に同じだったので前者だけが示されている)。まず、無料学校給食の受給者
(1989年~)
・受給資格者(1993年~)の分離指数の推移は、小中学校でほぼ同様であり、おおむね、
1994年まで低下、1997年まで横ばい、2003年まで上昇、2008年まで横ばい、2011年まで低下した。
次に、特別な教育ニーズを持つ生徒の分離指数の推移も小中学校でほぼ同様だったが、無料学校給
食とは異なり、詳細な記録が作成された生徒(1989年~)の数値は、小学校で2003年、中学校で
2006年まで低下し、2011年までわずかに上昇した。また、詳細な記録が作成されていない生徒
(1998年~)の数値は、2000年まで低下、2001年は横ばい、2003年まで上昇、2011年まで低下した
(小学校は2006年まで横ばい)
。そして、英語が第 1 言語でない生徒(2000年~)の分離指数も小中
学校で同様だったが、2011年まで低下し続けた。最後に、白人以外の生徒(1997年~)の分離指数
は小中学校で異なり、小学校はほとんど変化がなかったのに対して、中学校は2010年まで(特に
1999年と2003年に)低下し、2011年に上昇した。(Gorard et al. 2013 : 185–9)(11)
以上のように、ゴラードらの分析によると、学校間の社会的分離は、学校選択制の拡大直後
(1980年代末~90年代中頃)には横ばいまたは縮小し、その後も一貫して拡大することはなかった。
イ 他の研究者
ゴラードらによる分析以外にも、さまざまなデータ・指標・指数・手法を用いて、ゴラードらと
同様の結論を示した分析がある。
第 1 に、全国のほぼすべての中学校を対象とした分析としては、まず、1989~1995年の無料学校
給食の受給者の非類似指数は、1990~91年はほぼ横ばい、1992~93年は低下、1994~95年はほぼ横
52
ばいだった。また、1999年と2004年の非類似指数を比較すると、60%の地方教育当局で上昇し、
40%の地方教育当局で低下していた(Allen and Vignoles 2007 : 658–9)。次に、2002~10年の無料学校
給食の受給資格者、白人のイギリス人、小学校最終学年の試験の成績が上位25%だった生徒、同じ
く下位25%だった生徒の非類似指数は、おおむね横ばいか低下していた(Allen et al. 2010 : 12)。最後
に、1996~2002年に小学校最終学年の試験を受けた中学生のデータの分析では、生徒間の成績の違
いのうち学校間の違いによって説明できる割合は、 9 つの地方のうちほとんどで1996年よりも2002
年の方が小さかった。また、成績が上位・下位各 5 %の生徒を受け入れた中学校の割合は、ほとん
どの地方で1996年よりも2002年の方が大きかった(Gibbons and Telhaj 2007 : 1287–8, 1290–2)。
第 2 に、全国の半分程度の中学校(データが得られた約 1 千 5 百校)を対象とした分析による
と、まず、無料学校給食の受給者の割合が下位10%の学校と上位10%の学校との差は、1995年より
も98年の方が小さかった(12)(Gibson and Asthana 2000a : 140)。また、無料学校給食の受給者の割合が
1995年に最大だった学校は、1998年までにその割合が最も大きく減少した。次に、中学校最終学年
の試験で 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合が1994・95年に下位10%だった学校は、1998年
までにその割合が最も大きく増加した(13)(ただし、無料学校給食の受給者の割合も最も大きく増
(Gibson and Asthana 2000b : 312–3)
。
加した)
第 3 に、全国の中学校の最終学年の生徒( 1 万人前後を抽出)への調査結果の分析によると、労
働者層と管理職・専門職層の分離指数と孤立指数(14)は1986~99年にほぼ横ばいであり(15)、1988
~99年の労働者層と管理職・専門職層の分散比(16)、1990~99年の親の社会経済的地位(職業・教
育から合成したもの)の分散比は、上下に変動していた。(Croxsford and Paterson 2006 : 388–401, 404)
第 4 に、ロンドンの中学校( 3 百校以上)における無料学校給食の受給資格者の非類似指数は
2003~08年に上昇も低下もせず、集中指数は低下した(17)(Harris 2012 : 682–4)。また、小学校の最終
学年の試験の成績の相違指数(18)は、2003~08年に上昇も低下もしなかった(Harris 2013 : 256, 263–4)。
以上のように、ゴラードらや他の研究者による多数の分析では、学校間の社会的分離は学校選択
制の拡大直後に横ばいまたは縮小し、その後も一貫して拡大することはなかった。ゴラードらの分
析に対しては、無料学校給食という指標(19)や分離指数(20)への批判があった。しかし、上述のと
おり、ゴラードらによるものも含めて、別の指標(特別な教育ニーズ、母語、民族、入学前の成
績、卒業時の成績、親の職業・教育)や別の指数(非類似指数、孤立指数、分散比、集中指数、相
違指数)を用いて、同様の結論を示した分析が多数ある(21)。
(b)拡大
他方で、学校間の社会的分離が拡大したことを示す分析がいくつかある。
第 1 に、全国の中学校を対象とした分析としては、まず、1993~98年の無料学校給食の受給資格
者と試験の成績(最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合)の標準偏差は、い
53 ずれも1993年よりも98年の方が少し高かった(Bradley et al. 2000 : 383)。次に、1994~99年の無料学
校給食の受給資格者の分離指数は、1995年にわずかに低下し、1996年はほぼ横ばいで、1997~99年
には上昇した(22)。そして、1994年よりも99年の分離指数が高かった地方教育当局は72%だった
(Noden 2000 : 378–9, 384)(23)。また、無料学校給食の受給資格者の学校間の分散(24)は、1995~99年に
一貫して上昇した(Goldstein and Noden 2003 : 227–9)。
第 2 に、全国の半分程度の中学校(データが得られた約 1 千 5 百校)の試験の成績(最終学年の
試験で 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合)の分析によると、成績が上位10%の学校と下位
(Gibson and Asthana 2000b : 310–1)
。
10%の学校との差は、1994年よりも98年の方が大きかった(25)
第 3 に、イングランドとウェールズの22の地方教育当局の中学校(約 5 百校)のデータの分析に
よると、生徒の居住地が最も重なる 5 校の中で、成績(最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績を
取った生徒の割合)が1994・95年に上位だった学校ほど、1995~98年に成績が大幅に向上した(26)
(Gibson and Asthana 2000a : 140–1)
(同じく無料学校給食の受給資格者の割合は大幅に減少した)
。
以上のように、学校間の社会的分離が拡大したことを示す分析がいくつかあるが、いずれも、
1990年代中頃から末にかけての 5 年程度の変化を分析していた。他方、ゴラードらや他の研究者に
よる多数の分析は、学校選択制の拡大直後の1980年代末~90年代中頃に社会的分離が横ばいまたは
縮小し、その後、分離が拡大する時期はあったものの、一貫して拡大することはなかったことを示
していた。
②学校選択の影響
学校間の社会的分離に対する学校選択の影響を明らかにするために、学校選択制の拡大後の分離
の推移に加えて、学校間の分離に影響を与える要因、学校間の分離と学校選択に関連する特徴との
関係、居住地間の分離と学校間の分離との関係が分析されている。
(a)分離の要因
学校間の社会的分離に影響を与える要因については、全国の中学校の2011年までのデータが分析
されている。
まず、特別な教育ニーズを持つ生徒(詳細な記録が作成された生徒)(1989年~)、英語が第 1 言
語でない生徒(2000年~)
、白人以外の生徒(1997年~)の分離指数の変化と、これらの生徒の全
体的な割合の変化との間には、強い負の相関関係があり、分離指数の変化のうち 8 ~ 9 割程度は、
全体的な割合の変化によって説明できた(27)。従って、学校選択などの他の要因によって説明でき
る部分は非常に少ないとされている。
他方、無料学校給食の受給者(1989年~)の分離指数の変化のうち、全体的な割合の変化によっ
て説明できる部分は 6 ~ 7 割であり、1990~95年の好況期にも指数が低下していたことから、この
時期には学校選択の拡大が分離の縮小に影響を与えたとされている。なお、この影響は、1988年の
54
教育改革法(1989年度施行)の 5 ~ 6 年後に、すべての生徒が選択制の学校に入学するまでの 1 回
限りのものだったとされている。(Gorard et al. 2013: 191–3)
このように、学校間の社会的分離に対する学校選択の影響は小さいことが示されている。
(b)学校選択に関連する特徴
学校間の社会的分離に学校選択が影響を与えるかどうかを明らかにするために、学校間の分離の
水準・推移と学校選択に関連する特徴(人口密度、学校数、入学許可の基準・権限など)との間に
関係があるかどうかが分析されている。
ア 分離の水準
まず、分離の水準と学校選択に関連する特徴との関係については、全国的なデータを用いた分析
やロンドンの中学校の分析が行われている。
第 1 に、全国の中学校(約 3 千校)への2001年度入学者のデータの分析によると、黒人・アジア
人の分離の程度(居住地間の非類似指数・孤立指数に対する学校間の両指数の比率)は、人口密度
が高い地方教育当局ほど大きかった。なお、民族間の分離とその他の要因(選抜制の学校の割合、
田園地域の割合、ロンドン、大都市など)との関係は、民族や指数によって異なっていた。また、
小学校最終学年の試験の成績、無料学校給食の受給資格、民族による分離の程度(居住地間の非類
似指数に対する学校間の同指数の比率)は、車で10分以内の学校数が多い地方教育当局ほど大き
かった。つまり、人口密度が高く、選択できる学校の数が多い地方教育当局ほど、学校間の分離は
大きかったとされている(Burgess et al. 2005 : 1031, 1043, 1046 ; Burgess et al. 2004 : 9–11, 13, 16, 19–20, 26)。
次に、全国の中学校(約 3 千校)で2002年度に 3 年生だった生徒のデータの分析によると、無料学
校給食の受給資格者、小学校最終学年の試験の成績が上位20%の生徒、同じく下位20%の生徒の分
離(最も近い学校に通うと仮定した場合と現在の学校に通う場合の非類似指数の差)は、人口密度
が高く、グラマースクールや入学許可の権限を持つ学校の割合が大きいほど大きかった(Allen 2007:
753–5, 763–4)。
第 2 に、ロンドンの中学校(約 4 百校)の2003・08年のデータの分析によると、無料学校給食の
受給資格者の非類似指数(競争相手の学校間)は、選抜制の学校がある地方教育当局や助成を受け
る民間の学校の割合が大きい地方教育当局の方が高いという関係はなかった(逆に、助成を受ける
民間の学校の割合が小さい地方教育当局の方が高かった)。(Harris 2011 : 1749, 1751)
このように、学校間の社会的分離の水準が(居住地間の分離を考慮しても)高い地域は、人口密
度が高く、選択できる学校数が多かった。他方、入学許可の権限を持つ学校や選抜制の学校の影響
については、多様な結果が示されていた。
55 イ 分離の推移
次に、学校間の社会的分離の推移と学校選択に関連する特徴との関係については、全国的なデー
タを用いて、特徴の記述や統計的な分析が行われている。
第 1 に、学校選択に関連する特徴を記述したものとしては、全国の中学校のデータの分析による
と、イングランドの11の地方のうち、無料学校給食の受給資格者の分離指数が1989~95年に最も低
下した 2 つの地方(東南地方、ロンドン郊外)は、人口密度が高く、学校数が多く、交通が発達し
ており、社会経済的に多様な親が学校を選択できるとされている。また、イングランドとウェール
ズの163の地方教育当局のうち、無料学校給食の受給資格者の分離指数の1989~95年の低下率が
3 %以上だった87の地方教育当局の多くは、人口密度が比較的高い中規模の都市地域だった。これ
に対して、低下・上昇率が 3 %未満だった37の地方教育当局の多くは、学校数の少なさ、人口密度
の低さ、入学許可の手続(特定の小学校の卒業生の入学を保証、兄姉が在学している生徒を優先、
最も近い学校への交通費だけを補助)により、学校の市場が機能しない地域であるとされる。他
方、分離指数の上昇率が 3 %以上だった39の地方教育当局の多くは首都の郊外にあり、いくつかの
地方教育当局は、選抜制のグラマースクールを運営したり、入学許可の権限を持つ学校によって深
刻な影響を受けていたとされる(Gorard et al. 2003 : 53, 58–63)。ただし、イングランドとウェールズの
地方教育当局(約120)の1989~97年のデータの分析によると、無料学校給食の受給資格者の分離
の変化と選抜制の学校の数との関係は直線的ではなく、グラマースクールの数が多い地域は分離の
変化が小さく、分離の拡大・縮小が大きい地域はグラマースクールが存在しなかった(入学許可の
(Gorard and Fitz 2000a : 117, 127–8)
。
権限を持つ学校についても同様だった)
第 2 に、統計的な分析としては、まず、全国の地方教育当局(約150)の中学校のデータの分析
によると、1999~2004年の分離指数の変化と、人口密度、グラマースクールの割合、財団の学校の
割合およびその変化との間には、統計的に有意な関係はなく、助成を受ける民間の学校の割合およ
びその変化との間には正の関係、グラマースクールの割合の変化との間には負の関係があった。な
お、分離指数の変化と学校数の変化との間には正の関係があり、これは、学校の閉鎖が分離の縮小
と関連していることを示しているとされる(Allen and Vignoles 2007 : 645, 659–60)。次に、全国の地方
教育当局(約130)の中学校の1994~99年のデータの分析によると、無料学校給食の受給資格者の
分離(学校間の分散)は、選抜制の学校がある地方教育当局の方が拡大した。なお、入学許可の権
限を持つ学校の割合が大きい地方教育当局の方が分離が拡大するという関係もあったが、その効果
は小さく、統計的に有意であるといえるぎりぎりの水準( 5 %)だった(Goldstein and Noden 2003 : 227,
230–1)。
以上のように、学校選択に関連する特徴を記述した分析では、学校間の社会的分離が縮小した地
域は人口密度が高く学校数が多かったが、分離が拡大した地域も首都の郊外にあった。また、統計
的な分析では、分離の変化と人口密度との間に有意な関係はなかった。他方、選抜制の学校や入学
許可の権限を持つ学校の影響については、多様な結果が示されていた。
56
(c)居住地間の分離との比較
生徒・親が学校を選択せずに居住地の近くの学校に割り振られる方式でも、居住地間の社会的分
離を反映して、学校間の分離が生じる可能性がある。そこで、居住地間の分離と学校間の分離や、
地元の学校に通うと仮定した場合と現在の学校に通う場合の学校間の分離を比較する分析が行われ
ている。
第 1 に、居住地間の分離と学校間の分離を比較したものとしては、全国の中学校(約 3 千校)へ
の2001年度入学者のデータの分析によると、黒人・アジア人の非類似指数と黒人・中国人の孤立指
数は居住地間の方が高かったが、その他の少数民族の非類似指数と南アジア人の孤立指数は学校間
の方が高かった。また、居住地間の分離を横軸、学校間の分離を縦軸にとり、各地方教育当局の非
類似指数・孤立指数を図示すると、大部分の少数民族は学校間の分離の方がわずかに大きかった。
(Burgess et al. 2005 : 1036–7, 1039–40)
第 2 に、地元の学校に通うと仮定した場合と現在の学校に通う場合の学校間の分離を比較したも
のとしては、まず、 8 つの地方教育当局の中学校(約 2 百校)への1995年度入学者(約 3 万 5 千
人)のデータの分析によると、学校間での生徒の属性(貧富、親の職業、住居、民族)の違い(標
準偏差)は、全員が地元の学校に通うと仮定した場合よりも、現在の学校に通う場合の方が小さ
かった(Taylor 2002 : 221–2)。他方、全国の中学校(約 3 千校)で2002年度に 3 年生だった生徒の
データの分析によると、無料学校給食の受給資格者と、小学校最終学年の試験の成績が上位20%
だった生徒の非類似指数は、全員が最も近い学校に通うと仮定した場合よりも、現在の学校に通う
場合の方が高かった(差はそれぞれ 5 %ポイント・11%ポイント、現在の学校に通う場合の指数は
それぞれ29%・27%)
。なお、1988年の教育改革法以前にもグラマースクールや助成を受ける民間
の学校を選択することは可能だったため、これらの学校に現在通っている生徒はその学校に通い、
他の生徒は最も近い学校に通うと仮定した場合と比較しても、全員が現在の学校に通う場合の方
が、無料学校給食の受給資格者と、小学校最終学年の試験の成績が上位20%だった生徒の非類似指
数は高かった。ただし、差は 2 つの指標とも 3 %ポイントと非常に小さく、このことが、学校間の
社会的分離の変化が非常に小さいことを説明するかもしれないとされている。なお、学校選択制を
廃止すれば、希望する学校に通うために住居を移動することが予想されるので、生徒が最も近い学
校に通うという仮定は、現実の世界での実験とは異なるとも述べられている(Allen 2007 : 753, 762,
765, 768)
。
以上のように、居住地間の分離と学校間の分離や、地元の学校に通うと仮定した場合と現在の学
校に通う場合の学校間の分離を比較した分析は、多様な結果を示していた。なお、学校間の分離や
現在の学校に通う場合の分離の方が大きいことを示す分析は、その程度は小さいとしていた。ま
た、学校選択制を廃止しても、転居によって、居住地間の社会的分離とそれを反映した学校間の分
離の拡大が生じる可能性もある。
57 5 .おわりに
本稿は、準市場の優位というルグランの主張に沿って、イギリスの学校選択の公平性・社会的包
摂への影響に関する実証的な調査・研究を整理してきた。最後に、これまでの記述を要約した上
で、イギリスの学校選択に関する調査・研究に基づいて、準市場が他の方式と比べて公平性・社会
的包摂を損うといえるかどうかを考察する。
(1)要約
①利用者の行為主体性
学校を積極的に選択する生徒・親の割合が階層・民族によって異なるかどうかについては、多様
な結果が示されていた。全国的なデータを用いた分析の結果も一致しておらず、家庭の所得が低い
方が近くの学校に通う可能性が高いことや、母親の学歴が高い方が近くの学校に申し込まない可能
性が高いことを示す分析がある一方で、近くの学校に申し込まなかった親とそれ以外の親との間に
は所得・職業・住居・学歴・民族の点で違いがないことを示す分析もあった。
②条件の充足
(a)競争
第 1 に、選択できる学校の数は、階層による一貫した違いがなかった。
第 2 に、選択できる学校の質は階層によって異なり、親の所得・職業・住居や教育の水準が最も
高い生徒に(距離などの点で)選択可能な学校は、最も低い生徒に選択可能な学校よりも、生徒の
成績や家庭の所得が高いなどの違いがあった。ただし、生徒・親が学校を選択せずに近くの学校に
割り振られる方式の下でも、近くの学校の質が階層間で異なり、その結果、通う学校の質が異なる
可能性もある。
(b)情報
第 1 に、生徒・親が学校を選択する際に利用した情報源が階層・民族によって異なるかどうかに
ついては、学校の成績を利用した家庭は、母親の学歴が高く、持ち家に住むという傾向があった。
ただし、利用した情報源と職業・民族や民間の賃貸住宅への居住との関係については、分析の結果
は一致していなかった。
第 2 に、生徒・親が学校を選択する際に重視した側面が階層によって異なるかどうかについて
は、まず、学校を選択した理由や重要だった要因として学力を挙げた親は所得・職業・住居の水準
が高く、通学の利便性を挙げた親は所得・住居の水準が低いという傾向があった。ただし、これら
と学歴との関係や、通学の利便性を挙げることと職業との関係については、分析の結果は一致して
いなかった。また、学力を挙げる可能性は白人以外の方が高く、通学の利便性を挙げる可能性は民
58
族による違いがなかった。
次に、実際に選択した学校の特徴が階層間で異なるかどうかについては、生徒の成績や家庭の所
得の高い学校を希望した親は、所得・職業・住居や教育の水準が高かった。ただし、成績の高い 1
つ遠くの学校を希望する程度は、階層による一貫した違いがなかった。また、階層の高い家庭の方
が、生徒の成績や家庭の所得の高い学校が近くにあるという解釈や、それを裏づけるデータもあっ
た。
(c)いいとこ取り
第 1 に、入学許可の権限と基準については、まず、公費によって維持される中学校の約 3 分の 1
は学校自身が入学許可の権限を持っていた。次に、能力・適性によって生徒を選抜した中学校は約
1 割であり、定員超過の場合の基準は、兄姉の在学、距離・通学区域、生徒の特別な事情などが多
かった。また、入学許可の権限を持つ学校は、選抜を行った学校の大半を占め、定員超過の場合の
基準として生徒の特別な事情を挙げる割合が小さかった。そして、入学許可の権限を持つ学校や入
学者を学力で選抜する学校の方が、生徒の入学前の成績や家庭の所得が高く、特別な教育ニーズを
持つ生徒が少なかった。
第 2 に、いいとこどりの防止策の効果については、まず、2000年以降に入学許可の基準に対する
規制が強化された効果は小さかった。また、家庭の所得の低い生徒や費用のかかる生徒を受け入れ
た学校には追加的な予算が配分されていたが、短期的には、これらの生徒を増やした学校の予算は
必ずしも増えなかった。
③良いサービスの提供
(a)公平性
第 1 に、希望した学校や成績の高い学校に通う可能性が階層・民族によって異なるかどうかにつ
いては、まず、希望した学校に入学する可能性は母親が白人である方が高かったが、階層による違
いはなく、申し込みの結果に不満を持つ可能性は階層・民族による違いがほとんどなかった。次
に、高い階層の生徒の方が成績の高い学校に通う傾向があったが、その程度については多様な結果
が示されていた。
第 2 に、学校が一部の生徒への教育を軽視または重視したかどうかについては、一部の地方教育
当局を対象とした調査では、多様な例が挙げられていた。
第 3 に、階層・民族や生徒の間で成績の差異が拡大したかどうかについては、まず、階層・民族
間の成績の差異は、学校選択制の導入直後は計算方法によって異なっていたが、2000年頃以降はい
ずれの計算方法でも縮小した。次に、生徒間の成績の差異の1990年代の変化は、集計・計算の方法
によって異なっていた。
59 (b)社会的包摂
学校選択によって学校間で生徒の階層・民族・成績などの違い(社会的分離)が拡大したかどう
かについては、第 1 に、学校間の分離は、学校選択制の拡大直後には横ばいまたは縮小し、その
後、拡大する時期はあったものの、一貫して拡大することはなかった。
第 2 に、学校選択が学校間の社会的分離に影響を与えたかどうかについては、まず、学校間の分
離に対する学校選択の影響は小さかった。次に、学校間の分離の水準が高い地域は、人口密度が高
く、選択できる学校数が多かったが、分離の推移と人口密度や学校数との間には一貫した関係はな
く、分離の水準・推移と入学許可の権限を持つ学校や選抜制の学校との関係については多様な結果
が示されていた。最後に、居住地間の分離と学校間の分離や、地元の学校に通うと仮定した場合と
現在の学校に通う場合の学校間の分離の大小については、多様な結果が示されていたが、違いがあ
るとしても小さかった。なお、学校選択制を廃止しても、転居によって、居住地間の分離とそれを
反映した学校間の分離の拡大が生じる可能性もある。
(2)準市場と公平性・社会的包摂
ルグランは、情報の不足やいいとこ取りによって公平性が損なわれたり、階層間で選択の基準が
異なることによって不公平や社会的分裂が生じたりする可能性があることを認めていた。しかし、
これらに対しては、さまざまな政策手段を提案するとともに、準市場以外の方式でも転居などに
よって同様の問題が生じると指摘していた。さらに、準市場は、利用者が供給者に不満や満足を直
接伝達する「発言」という方式よりも公平であると主張していた。
「発言」は、教育や発言力に恵
まれた者に有利だとされるからである(児山2011)。ただし、イギリスの学校選択に関する実証的な
調査・研究では、学校選択と学校参加の公平性は比較されておらず、学校選択制が選択のない方式
と比べて公平性や社会的包摂を損うかどうかが分析されている。そこで、これまでに整理してきた
調査・研究に基づいて、準市場が他の方式と比べて公平性や社会的包摂を損うといえるかどうかを
考察する。
準市場は、公平性や社会的包摂を次のように損なう可能性がある。
①供給者を積極的に選択する利用者の割合が階層・民族によって異なる。(利用者の行為主体性)
②利用者が選択できる供給者の数や質が階層・民族によって異なる。(競争)
③利用者が供給者を選択する際に利用する情報源や重視する側面が階層・民族によって異なる。
(情報)
④供給者が一部の階層・民族の利用者を優先的に受け入れる。(いいとこ取り)
以上の結果、⑤利用するサービスの質が階層・民族によって異なる。(公平性)
また、⑥利用する供給者が階層・民族によって異なる。(社会的包摂)
イギリスの学校選択に関する実証的な調査・研究では、これらの点についておおむね次のような
結果が示されていた。
60
①積極的な選択と階層・民族との関係については多様な結果が示されていた。
②選択できる学校の数と階層との間に一貫した関係はなかった。選択できる学校の質は階層に
よって異なっていたが、生徒が近くの学校に割り振られる方式の下でも、通う学校の質が階層に
よって異なる可能性がある。
③利用した情報源と階層・民族との間に一貫した関係はなく、多様な結果が示されていた。重視
した側面と階層・民族との関係も同様であり、また、希望した学校の特徴(生徒の成績や家庭の所
得)が階層間で異なるのは近くの学校を希望した結果であるという解釈も可能だった。
④入学許可の権限を持つ学校や入学者を学力で選抜する学校は、成績や家庭の所得の高い生徒を
多く受け入れた。
⑤希望した学校への入学と階層・民族との間に一貫した関係はなかった。成績の高い学校への通
学と階層との間には関係があったが、その程度については多様な結果が示されていた。学校内での
教育と階層との関係については多様な例が示されていた。階層・民族や生徒の間の成績の差異の変
化は、集計・計算方法や時期によって異なっていた。
⑥学校間の社会的分離は学校選択制の拡大直後には横ばいまたは縮小し、その後も一貫して拡大
することはなかった。学校間の社会的分離に対する学校選択の影響は一貫せず、多様な結果が示さ
れ、影響があるとしても小さかった。また、学校選択制を廃止しても転居によって学校間の社会的
分離が生じる可能性もあった。
このように、イギリスにおいて学校選択が公平性や社会的包摂を損ったといえる点は、④入学許
可の権限を持つ学校や学力で選抜する学校がいいとこ取りを行ったこと、⑤成績の高い学校に高い
階層の生徒が通うという意味で公平性が損なわれたことである。その他の点については、調査・研
究によって多様な結果が示されたり、階層・民族や時期などによって一貫しなかったり、学校選択
制以外の方式でも同様のことが生じる可能性があった。さらに、いいとこ取りに関しては、入学許
可の権限を持つ中学校は約 3 分の 1 、能力・適性で選抜した中学校は 1 割、入学者全員を成績で選
抜した中学校は 5 %だった。また、公平性に関しては、階層間の成績の差異は、1990年代には計算
方法によって異なる結果が示され、2000年以降はいずれの計算方法でも縮小した。
結局、イギリスの学校選択の例からは、準市場が他の方式と比べて公平性や社会的包摂を損うと
はほとんどいえない。公平性や社会的包摂に対する最終的な影響(階層・民族間の成績の差異、学
校間の社会的分離)の点では、準市場は公平性の拡大や社会的包摂の維持と両立可能であるといえ
る。
61 注
(1) 申し込みの決定の時点で在学していた生徒( 6 歳上の生徒)の成績が用いられている。(Burgess and
Briggs 2006 : 12 ; Burgess and Briggs 2010 : 643)
(2) 成績の高い学校の定義として、最終学年の試験で 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合が全国で上
位 3 分の 1 の学校だけでなく、付加価値が上位 3 分の 1 の学校や、これらが各地方教育当局で上位 3 分の
1 の学校を用いても、結果は同様(無料学校給食の受給資格を持たない生徒と持つ生徒の差は1.6~2.6%ポ
イント)だった。(Burgess and Briggs 2006 : 19–20, 34 ; Burgess and Briggs 2010 : 646)
(3) 例えば、1988年の専門職と無職の差(difference)は59-11(%ポイント)、相違(gap)は(59-11)÷(59
+11)
×100(%)で計算されている。また、1988~96年の専門職の増加率は77÷59で計算されている。
2009~13年における無料学校給食の受給資格を持たない生徒のデータは、受給資格の有無が不明の生徒
(4)
を含む(2002~04年にはそのような生徒は全生徒の 1 %未満だった)。(DfES 2004–07 ; DfE 2012 ; DfE 2014)
(5) なお、英語・数学を含む 5 科目以上で高い成績を取った生徒の割合についても、データを入手できた
2005~13年に同様の傾向が見られた。まず、無料学校給食の受給資格を持つ生徒は18%から38%に、受給
資格を持たない生徒は46%から65%に増加し、両者の差は28%ポイントから27%ポイントに、相違は44%
から26%に縮小した。また、白人は43%から60%に、黒人は31%から58%に増加し、両者の差は12%ポイ
ントから 2 %ポイントに、相違は17%から 2 %に縮小した。(DfES 2006–07 ; DfE 2012 ; DfE 2014)
(6) 1992年までは無料学校給食の受給者の調査、1993年以降は受給者と受給資格者の調査が行われており、
貧困を表す指標としては受給資格者の方が確実であるため、1992年までは受給者、1993年以降は受給資格
者のデータが分析されている。(Gorard 2000a : 34, Gorard 2007 : 673)
(7) 分離指数(segregation index)とは、例えば無料学校給食の受給資格者が学校間で均等に配分されるた
めには、どれだけの割合の生徒が学校を移動しなければならないかを表す指数であり、
「ある学校の受給資
格者数÷受給資格者の総数-ある学校の生徒数÷生徒の総数」の絶対値の合計÷ 2 ×100(%)で計算される
(Gorard 2000a : 36 ; Gorard et al. 2003 : 36)
。全国の中学校における無料学校給食の受給資格者の分離指数は、
1989~91年はそれぞれ34.7、35.1、34.8、1992~94年は32.5、31.9、30.6、1995~97年は30.7、30.6、30.8だっ
た(Gorard et al. 2001 : 19)。なお、1990年における一時的な上昇は、「号砲効果」(新しい権利を社会の一部
が素早く行使すること)によって説明されている(Gorard et al. 2003 : 51)
(8) 1998~2000年はそれぞれ31.7、32.0、32.6だった(Gorard et al. 2001 : 19)。2001年以降はグラフのみで示さ
れており、数値は見られない。
非類似指数(dissimilarity index)は、分離指数と同様の指数であるが、「ある学校の受給資格者数÷受給
(9)
資格者の総数-ある学校の受給資格を持たない生徒の数÷受給資格を持たない生徒の総数」の絶対値の合
計÷ 2 ×100(%)で計算される。この指数は、分離指数とは異なり、受給資格者の総数が増加すると、各学
校への配分の比率が変わらなくても上昇する。そのため、無料学校給食のデータが受給者から受給資格者
に変更された1993年に、非類似指数は一時的に上昇した。(Gorard 2007 : 671–3)
(10)特別な教育ニーズに関する詳細な記録(statement)は、地方教育当局が発行する法定の文書であり、生
徒の氏名・住所・生年月日・言語、特別なニーズの詳細、特別なニーズに関する目的、目的に向けた進展
の観察方法、特別な教育を提供する学校などが記載される(Wallace ed. 2009 : 286–7)。学校への調査では、
特別な教育ニーズに関する詳細な記録が作成された生徒と、特別な教育ニーズを持つが詳細な記録が作成
されていない生徒の数の報告が求められる(Gorard et al. 2013 : 185)。
(11)グラフで示されている最初の年と最後の年の分離指数を比較すると次のとおりである(数値は概数。%
ではなく最大値は 1 )
。無料学校給食の受給者は小学校で0.40(1989年)から0.32(2011年)に、中学校で0.35
(1989年)から0.32(2011年)に低下し、受給資格者は小学校で0.31(1995年)から0.31(2011年)に、中学
62
校で0.32(1993年)から0.31(2011年)とほぼ同水準だった。特別な教育ニーズを持つ生徒については、詳
細な記録が作成された生徒は小学校で0.58(1989年)から0.35(2011年)に、中学校で0.48(1989年)から0.26
(2011年)に低下し、詳細な記録が作成されていない生徒は小学校で0.20(1998年)から0.18(2011年)に、
中学校で0.24(1998年)から0.20(2011年)に低下した。英語が第 1 言語でない生徒は小学校で0.67(2000年)
から0.53(2011年)に、中学校で0.65(2000年)から0.52(2011年)に低下した。白人以外の生徒は小学校
で0.29(1997年)から0.25(2011年)に、中学校で0.60(1997年)から0.43(2011年)に低下した。(Gorard
et al. 2013 : 185–9)
(12)1995年は下位10%の学校が6.3%で上位10%の学校が48.8%(差は42.5%ポイント)
、1998年は下位が7.2%
で上位が48.0%(差は40.8%ポイント)だった。(Gibson and Asthana 2000a : 140)
(13)無料学校給食の受給者・特別な教育ニーズを持つ生徒・女子生徒の割合の影響を統制した場合の成績に
ついても同様だった。(Gibson and Asthana 2000b : 313)
(14)孤立指数(isolation index)とは、少数集団に属する人々が同じ集団の人々とだけ接触する程度を表す指
数であり、「(各学校における少数集団の生徒数÷少数集団の生徒の総数)×
(各学校における少数集団の生
徒数÷各学校の生徒数)」の合計で計算される。この指数は、少数集団の規模の影響を受け、小さな集団の
方が大きな集団よりも孤立の程度が小さくなる。(Croxsford and Paterson 2006 : 385–6)
(15)
1993年に労働者層の分離指数と管理職・専門職層の孤立指数が上昇したが、サンプリングの方法の変更
によるかもしれないとされている。(Croxsford and Paterson 2006 : 391–4)
(16)分散比(variance ratio)は、孤立指数を調整し、少数集団の全体的な規模の影響を取り除いたものである。
(Croxsford and Paterson 2006 : 387)
(17)集中指数(index of concentration)は、孤立指数を調整し、少数集団の全体的な割合の影響を考慮した
ものである。なお、孤立指数は上昇したが、これは、無料学校給食の受給資格者の全体的な割合が増加し
たことによって説明されている。(Harris 2012 : 676, 683)
(18)
相違指数(index of difference)は、ある中学校の生徒の入学前の成績が、競争相手の中学校(同じ小学
校の卒業生を受け入れた別の中学校)の生徒の入学前の成績と比較して、どのくらい高いか低いかを表す
指数である。(Harris 2013 : 261)
(19)
無料学校給食という指標については、人種や民族などの指標との優劣が議論された。(Gibson and
Asthana 2000a; Gibson and Asthana 2002 ; Gorard 2000b ; Gorard 2002 ; Gorard et al. 2003)
(20)分離指数については、その問題点(Gibson and Asthana 2000a ; Gorard 2000b)、非類似指数との優劣(Gorard
and Taylor 2002; Gorard et al. 2003; Allen and Vignoles 2007 ; Gorard 2007 ; Gorard 2009)
、孤立指数との優劣
(Noden 2000 ; Gorard et al. 2003 ; Noden 2002 ; Johnston and Jones 2010 ; Gorard 2011 ; Johnston and Jones 2011)
、
統計的な推定との優劣(Leckie et al. 2012 ; Gorard et al. 2013)などが議論された。
なお、競争する学校間の社会的分離を分析すべきであるという批判もあったが(Gibson and Asthana
(21)
2000a ; Harris 2011 ; Gorard et al. 2003)
、上述のとおり、そのような分析でも同様の結果が示されている。
(22)この分析については、全国の数値を計算する際に、地方教育当局の規模に関わらず数値を平均したこと
の是非が議論になった。(Gorard and Fitz 2006 : 807 ; Noden and Goldstein 2007 : 273)
(23)なお、孤立指数は1995~97年に上昇し、1998~99年に低下したが、孤立指数のうち、無料学校給食の受
給資格者が学校間で不均等に配分されていることによる部分は一貫して上昇し、また、1994年よりも99年
の数値が高かった地方教育当局は66%だったとされていた(Noden 2000 : 377–80)。しかし、この分析を行っ
た研究者は、後に、孤立指数は無料学校給食の受給資格者の(全体的な)水準と関係するため、時系列の
解釈は困難であり、自分の指数の選択は不満足であることが判明したと述べている(Noden 2002 : 411)。
(24)学校間の分散は、偶然の分散の可能性を考慮して統計的に推定されたものであるが(Goldstein and Noden
63 2003 : 226–7)
、この方法についても議論があった(Gorard 2004 ; Goldstein and Noden 2004 ; Noden and Goldstein
2007)
。
1994年は最上位が65.0%で最下位が10.4%(差は54.6% ポイント)
(25)
、1998年はそれぞれ70.9%と12.8%(差
は58.1%ポイント)だった。しかし、これに対しては、成績の改善率は最上位の学校が9.1%((70.9-65.0)
÷65.0)
、最下位の学校が23.1%(
(12.8-10.4)÷10.4)であり、後者の方が大きいという異論もある(Gibson
and Asthana 2000b : 310–1)。差を計算すべきか率を計算すべきかについても議論があった(Gorard 1999 ;
Gorard 2000a ; Gorard 2000c ; Connolly 2006a ; Gorard 2006 ; Connolly 2006b)
。
(26)例えば、 1 位の学校は1995~98年平均で1.65%ポイント上昇し、 5 位の学校は0.33%ポイント上昇した
(Gibson and Asthana 2000a : 140–1)
。しかし、上述のとおり、差ではなく率を計算すべきであるとの異論も
ある(率に関する数値は示されていない)
。
(27)両者の関係は次のように説明されている。まず、特別な教育ニーズをより敏感に見分け、そのようなニー
ズを持つ生徒を普通の学校で教育するようになった結果、多くの学校でそのような生徒が増加した。また、
移民が増加し、家庭を持つようになると、英語が第 1 言語でない生徒や白人以外の生徒が増加し、社会と
学校に浸透していった。(Gorard et al. 2013 : 191, 193)
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67 【論 文】
遺産債務相続における相続人救済の歴史的考察
単純承認本則のもとでの相続人の責任制限 ─
─ 𠮷 村 顕 真
はじめに:問題の所在と課題の設定
第 1 節 問題の所在
第 2 節 課題の設定と分析方法
第 1 章 戦前における限定承認による救済の理想と現実
第 1 節 家制度的思想による単純承認の事実上の強制
第 1 款 家督相続における単純承認本則と相続放棄の禁止
第 2 款 限定承認制度の新設と父債子還思想の社会的浸透 第 2 節 立法論における限定承認本則の導入を求める動き
第 1 款 戦前の学説における限定承認本則
第 2 款 人事法案から見る限定承認本則の提案内容
第 3 節 小括
第 2 章 戦後における立法論から解釈論への救済措置の移行
第 1 節 単純承認本則から限定承認本則への転換に伴う問題
第 1 款 戦後民法改正における限定承認本則の見送り
第 2 款 戦後間もない頃の限定承認本則論の提唱
第 3 款 その後の限定承認の利用状況から見る問題
第 2 節 判例法における相続財産認識基準の形成
第 1 款 熟慮期間の起算点に関する起草者の見解
第 2 款 最高裁昭和59年判決までの法解釈の概観
第 3 款 近年の裁判所における決定の状況とその問題
第 3 節 小括
おわりに:本稿の総括と結論
第 1 節 本稿の総括
第 2 節 相続人の責任制限に関する再検討 69 はじめに:問題の所在と課題の設定 第 1 節 問題の所在
民法では、相続開始によって被相続人の財産に属した一切の権利義務が当然かつ包括的に相続人
に承継されることを原則としている(民法896条本文)。しかしながら、その一方で、個人の意思を
無視して強制的に被相続人の権利及び義務を相続人に承継させるとすることは、個人の意思を尊重
する近代法の理念に反することになる。そのため、熟慮期間内において単純承認、限定承認、相続
放棄のいずれかを選択する自由(民法915条)を相続人に認めることで、当然包括承継原則と個人
の意思尊重との調節している 1。また、その際に民法は単純承認を本則としているため、限定承認
や相続放棄をしない限り、相続人は被相続人の権利及び義務を無限に承継することになる(民法
920条)が、実際のところ、これら 3 つの選択肢の中では単純承認が最も多いと言われている 2。
こうした法状況のもと、現代の社会においては、核家族化が進んでいることに加え、取引が複雑
化しているため、相続人が熟慮期間内に被相続人の相続財産を必ずしも把握できるとは限らない状
況にある 3。また相続人が相続制度を熟知していないため、認識のないまま法定単純承認(民法921
条)をしていたということもありうるが 4、いずれにしても相続人が被相続人の相続財産、特に相
続債務を相続するということについて認識のないまま、熟慮期間経過後に多額の債務を相続してい
たという問題がしばしば起きている。
このような問題は、特に大災害が起きた場合により深刻な問題となるだろう。すなわち、大災害
により生活そのものが混乱している上に、災害の状況によっては債務の書類等が紛失することもあ
るため、相続人が被相続人の財産状況を把握することがさらに一層困難となる 5。またその状況の
もとで、相続人が被相続人に多額の債務があったことを知らないまま、法定単純承認によって結果
的に生活再建がさらに困難となる可能性すらある。これは特に相続人が被災者でもあった場合には
1
中川善之助 = 泉久雄『相続法』(有斐閣、新版、1974年)306頁、泉久雄ほか『民法講義⑧相続』
(有斐閣、
1978年)209–210頁〔上野雅和〕
、山崎邦彦「限定承認」
(現代家族法大系編集委員会編)
『中川善之助先生追悼・
現代家族法大系⑤相続Ⅱ』
(有斐閣、1979年)75–76頁。
2
谷口知平 = 久貴忠彦編集『新版・注釈民法
(27)相続
(2)相続の効果896条 ~959条』
(有斐閣、補訂版、2013年)
514頁〔川井健〕を参照。
3
上原裕之「判批」判タ1036号(2000年)190頁、斉藤友嘉「家族に関する法律相談(30)─相続放棄申述
事件の処理について」戸籍時報621号(2012年)69–70頁、梶村太市ほか『家族法実務講義』
(有斐閣、2013年)
429頁〔棚村政行〕を参照。
4
奈良次郎「金銭債務の原則相続(承継)の非合理性雑感」判タ718号(1990年)20頁、斉藤・前掲注(3)69頁。
5
東日本大震災発生後に創設された復興庁によれば、2013年(平成25年) 3 月31日の時点で、東日本大震災
における震災関連死の死者震災関連死者数は 1 都 9 県で合計2688人と公表している。詳しくは http://www.
reconstruction.go.jp/topics/20130510_kanrenshi.pdf を参照(2014年12月01日最終確認)。
70
さらに深刻である。
もっとも、このような不意の事態に備えて、民法上では相続人を保護するための措置がいくつか
認められている。そのひとつが熟慮期間の伸長(民法915条但書き)であり、とりわけ大災害が起
きた場合には、その都度、事後的に相続の熟慮期間の延長を認める特例法が制定される 6。しかし
ながら、現代社会では平時であっても相続財産、特に相続債務の調査が容易ではない 7。ましてや
大災害ともなれば、そもそも家庭裁判所にその申立手続きをすること自体が困難であり 8、特例法
によりその伸長をしたとしても、状況次第では必ずしも十分に相続財産を調査できるとは限らな
い。そのため、結果的に熟慮期間経過後に予期しえなかった多額の相続債務の存在が判明すること
も考えられる。またその他にも、相続財産の状況が不明である場合に備えて、限定承認制度(民法
922条)も認められているが、その利用にあたっては様々な問題があるため、平時においてはもち
ろん、大災害が起きた場合に相続人がそれを選択することはなおさら負担がかかるように思える。
第 2 節 課題の設定と分析方法
このような問題の根本には、現行法が単純承認を原則とし、またそれに伴って相続人に無限責任
を負わせるとしつつも、その反面で、多額の債務があることを知らずに相続していたというリスク
から相続人を救済するための措置が立法上で十分に認められていないということがあるだろう。こ
の点からすると、現行法の在り方は相続人よりも債権者の利益を重視した形になっていると言える
6
東日本大震災においては「東日本大震災に伴う相続の承認又は放棄をすべき期間に係る民法の特例に関す
る法律」
(特例法)が議員立法で緊急上程され、平成23年 6 月17日に成立し、同年 6 月21日に公布・施行された。
この特例法は、東日本大震災に被災者であって平成22年12月11日以降に自己のために相続の開始があったこ
とを知った相続人について、相続の承認または放棄をすべき熟慮期間を平成23年11月30日まで延長するとし
ている。東日本大震災の被災者に関しては、
(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00092.html)を参照(2014
年12月01日最終確認)。詳しくは、村瀬遼「東日本大震災に伴う相続の承認又は放棄をすべき期間に係る民法
の特例に関する法律の概要」金法1927号(2011年)110–113頁を参照。
7
なお、平成16年以前において、保証人の手元に保証契約の締結を証明する契約書そのものが存在しない場
合もあった。この問題を受けて、それ以降は要式行為(民法446条 2 項)へと改正されたが、その状況はそれ
ほど変わらないという指摘がある。松田亨「相続放棄・限定承認をめぐる諸問題」野田愛子ほか『新家族法
実務大系③相続Ⅰ―相続・遺産分割―』
(新日本法規、2008年)397頁、本山敦「相続放棄と連帯保証」月報司
法書士433号(2008年)50頁、有元和也「限定承認についての再検討―相続債権者の立場から」銀法754号(2013
年)21頁。
8
特例法が制定される前に、日本弁護士連合会が、東日本大震災により相続が開始されたことを受けて、
『相
続放棄などの熟慮期間の伸長に関する意見書(2011年 5 月26日)
』をまとめ、その中で民法915条の熟慮期間
を「自己のために相続の開始があったことを知った時」から 1 年に伸長する特別の立法措置を講ずるべきと
の提案をしていた。これに関しては、http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/110526_3.
pdf を参照(2014年12月01日最終確認)
。
71 が 9、将来においてはむしろ残された相続人(特に被災した相続人)の生活こそ優先した形にする
必要がある。もっとも、そうする一方で相続債権者側の利益(弁済保障)も考慮すべきとの見解も
あるが、本来、相続債権者は被相続人の財産のみを引当にすべきであり、相続を契機とした引当財
産の増加を相続債権者に認めるべきではないだろう 10。また諸外国の法制度と比較しても、相続人
に厳しい日本法の在り方は特異であると言われていることからしても 11、残された相続人の生活利
益を配慮した責任の在り方を改めて検討していく必要がある 12。
そこで、本稿では、これまで多額の相続債務から相続人をどのように救済してきたのかという点
について着目していくことを通じて、現行法のもとでの相続人の責任の在り方を再検討していくこ
とにする 13。この点に関し、相続財産の状況が不明、とくに予期しえない相続債務が後に判明する
ことに備えて相続人の責任を有限責任にしておく、すなわち限定承認を本則とする方法が従来から
しばしば注目されてきた。このことからすると、まずは限定承認制度による相続人救済をめぐる動
向に着目する必要があるだろう 14。もっとも、確かにこれは戦前から立法論として実際に議論され、
また現代においても個人責任を重視する観点からその本則を求める見解が見られるにもかかわら
ず、むしろそれに代わって、熟慮期間の起算点をめぐる判例法による救済が展開していった。した
9
中川善之助責任編集『註釋相續法(上)§§882~959』
(有斐閣、1954年)12–13頁〔中川善之助〕。なお、法的・
権利安定=取引安全の保障という論理から無限責任的承継の論理を導き出すこと、また相続人が積極財産の
承継を望むのならば、消極財産の承継もすべきとの論理に対する批判として、伊藤進「債務の相続性と債権者」
判タ403号(1980年) 6 頁以下を参照。
10 高木多喜男『口述・相続法』
(成文堂、1988年)263–264頁、西原道雄「判批」『家族法判例百選』(有斐閣、
第 5 版、1995年)205頁。
11
高木多喜男「相続人の責任」金判567号(1979年) 2 頁、高木多喜男「遺産分割と債権者」判タ403号(1980
年)34頁以下。また、門広乃里子「相続による債務の継承と熟慮期間の起算点に関する一考察:2002年のフ
ランス相続法改正草案を参考として」上智法学48巻 3 = 4 号(2005年)35頁以下、梶村ほか・前掲注 (3)
430、443–444頁〔棚村政行〕
。
12
なお、相続債権者への弁済保障を重視するのか、それとも相続人の生活保障を重視するか、そのいずれを
重視するのかは、究極的には相続の本質をどのように考えるのかということに関係しているが、この点に関
しては本稿では検討しない。この点に関しては、中川責任編集・前掲注(9)12–13頁〔中川善之助〕、椿寿夫「相
続の承認・放棄をめぐる若干の問題」判タ385号(1979年)71頁を参照。
13 立法論としての相続人救済の再検討を示唆するものとして、例えば、高木・前掲注(11)
「相続人の責任」
2 頁、中川淳「相続における熟慮期間の起算点─相続人救済の視点から─」
『青山道夫博士追悼論集・家
族の法と歴史』(法律文化社、1981年)292頁、尾島明「民法915条 1 項の熟慮期間の起算点─昭和59年 4 月
27日最高裁第二小法廷判決の射程の問題を中心にして─」家月54巻 8 号(2002年)28頁、宮川不可止「債
務の相続における熟慮期間の起算点─相続債務の調査とこれを知りうる可能性─」京園 1 号(2005年)
51頁以下などがある。
14
なお、債務超過の相続が問題になる場合に最初から相続放棄をするという方法もあるが、相続放棄を選択
した場合には、相続人の地位そのものを放棄するため、積極財産も放棄することになるだけでなく、さらに
第一順位の者が放棄した場合には第二順位の者が無限責任となるだけであるから、根本的な解決にはならな
い(高木・前掲注(10)265頁)
。
72
がって、こうした経緯からすると、限定承認制度と並んで、熟慮期間の起算点をめぐる判例法によ
る相続人救済も踏まえた上で、日本法になじむ相続人の責任制限の在り方を検討しなければならな
いだろう。
以下、まず「第 1 章」では、戦前の相続の中心にあった家督相続では相続放棄が禁止されていた
ため、限定承認が多額の債務から家督相続人を救済する唯一の手段であったが、当時の社会思想に
より現実的にはそれを選択することができなかったということを述べる。また、立法論として限定
承認本則論を求める動きがあったものの、最終的には実現しなかったということも述べる。次いで
「第 2 章」では、戦後においては戦前の思想的拘束が徐々に消滅していったことで限定承認が利用
できる状況にあったものの、限定承認には従来から潜在的に抱えていた問題もあって利用が普及す
ることはなく、その結果、相続債務から相続人を救済する中心的措置は限定承認本則を求める立法
論から熟慮期間の起算点をめぐる判例法に移行していったということを述べる。最後に「おわり
に」において、本稿の総括としてこれまでの相続人救済に関する一連の歴史的経緯をまとめ、それ
を踏まえた上で将来における相続人の責任制限の在り方について言及する 15。
第 1 章 戦前における限定承認による救済の理想と現実 第 1 節 家制度的思想による単純承認の事実上の強制
第 1 款 家督相続における単純承認本則と相続放棄の禁止
(1)戦前の相続法においては 16、家族制度的な家督相続制度と個人制度的な遺産相続制度といった
根本的に性質を異にする 2 つの制度がひとつの相続法の中に併存していた 17。このうち、遺産相続
に関しては、相続人に単純承認、限定承認、相続放棄のいずれかを選択する自由を認められていた
が(旧1020条但書き)
、実際はあまり問題となることはなかったようである 18。むしろ、当時におい
ては家督相続こそ相続の中心にあり 19、家督相続人は単純承認をするものと考えられていた。この
15 なお、以下の本文中において、明治大正期の原典(漢文訓読語)を引用することがあるが、便宜上、筆者
がそれに句読点を付けて表記する。
16 旧民法でも家督相続(財産取得編第287条以下)と遺産相続(財産取得編第312条以下)の二種を認めていた。
17 穂積重遠『相続法大意』
(岩波書店、1926年)220–221頁。家督相続の相続開始原因には、戸主の死亡、隠居、
国籍喪失などがあった(旧964条)
。これに対して、遺産相続の相続開始原因は、家族の死亡とされていた(旧
992条)。
18 なお、相続回復、限定相続、遺留分減殺など、家督相続と遺産相続の両方の共通規定であったにもかかわ
らず、実際には家督相続についてだけ問題とされ、また研究及び裁判所の判決も家督相続に集中する傾向が
あったという(我妻栄「相続法案の解説」法時19巻10号(1947年)503頁。)。
19 戦前における相続の中心は家督相続であり、高額の遺産相続自体が比較的少なかったと言われている。中
73 ような考えは、当時の起草段階における議論の中から見ることができる。
例えば、起草者である穂積陳重博士は、第175回の法典調査会において、「家督相續人ハ、相續開
始ノ時ヨリ、前戸主ノ有セシ一切ノ權利義務ヲ承繼ス。但、前戸主ノ一身に専屬セシモノハ此限ニ
アラス。
」
(旧第973条案)との通則規定を設けることを提案したが、その議論の中から家督相続に
おける相続の在り方をどのように考えていたのかを見ることができる 20。すなわち、その規定の議
論において、長谷川喬氏が義務の承継の範囲に関して「
『一切ノ權利義務ヲ承繼ス』ト云フコトデ
アリマスカラ、戸主ガ借金シテ居ツタナラバ、其義務ハ相續人ガ總テ負擔シナケレバナラヌ」とし
て、家督相続においては単純承認をすることが当然であると考えていた 21。これを受けて、穂積博
士も同じく以下のように述べている。
「固ヨリ通則ハモウ一文モ─權利ノ方ハ僅カデアツテ、義務ノ方ハ山程アツテモ、苟モ相續ス
ル以上ハ、─之ヲ承繼スル以上ハ、家督相續ノ本質ノ積リデアリマス。・・・(省略)・・・ 義務ノ方ガ、
ドレ丈ケ權利ヨリ多クテモ、繼ガナケレバ往カヌ。長男デアレバ、親ガ借金ヲシテ居ツタ、己レハ
息子ダカラ知ラヌト云フコトハ言ワセナイ、ト云フ方ガ、原則ト爲ル積リデ如斯書キマシタ 22。」
このように、家督相続においては親が多額の債務を残していたとしても、その相続の本質から、
子としては親の債務を全て承継するものと考えられていたため、法制度としては単純承認を原則と
して位置付ける必要があったと述べている 23。
(2)またこうした家督相続と単純承認の結び付きは、相続放棄の禁止を明文化することによって
より強化されていた 24。この点に関し、起草者の富井政章博士は、第180回の法典調査会において
「法定家督相續人ハ、抛棄ヲ爲スコトヲ得ス」
(旧第1003条案)との規定を提案する際に、次のよう
に述べている。
川 = 泉・前掲注(1)347頁の注 4 、中川善之助ほか『註解相続法』
(法文社、1951年)183頁、我妻栄 = 立石芳
枝『親族法・相続法(法律学体系コンメンタール篇 4 』
(日本評論社、1952年)463頁、谷口 = 久貴編集・前掲
注(2)466頁〔谷口知平 = 松川正毅〕を参照。
20 法務大臣官房司法法制調査部監修『法典調査会・民法議事速記録(7)第百六十八回 - 第二百二回』
(商事法
務研究会、1984年)236頁以下。
21 法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)241頁。
22 法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)241頁。
23 また、井上正一が、同案の「一切ノ權利義務ヲ承繼ス」との文言に関して「限定相續ハ別ニ家督相續ニ付
テハ御許シニ爲ラヌト云フ御考デゴザイマセウカ」との質問に対して、穂積博士は「之ハ實際上カラ言ヘバ、
モウ御尤モノ御話デアリマス」
と答え、やはり家督相続の下では親の債務を子が承継するものと考えている(法
務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)241頁。)。
24 最終的には、民法旧1020条において「法定家督相續人ハ、抛棄ヲ爲スコトヲ得ス。但、第九百八十四條ニ
揭ケタル者ハ、此限ニ在ラス。
」と定められた。なお、法定家督相続人が「家ニ在ル直系尊屬」
(旧984条)の
場合には、相続放棄が認められていた(旧1020条但書き)。
74
「是ハ、既成法典取得編ノ第三百十七條ノ通リデアリマシテ、外国ノ法律ニハ一切ノ相續人ハ抛
棄ヲ爲スコトヲ得、ト云ウ規定ガアリマス。又、サウ云ウ規定ガナイ所ハ、無論ノコトトシテ、アリ
マス。夫レハ、勿論、財産相續ノ制度ノ所デハ、サウナラナケレバナラヌノデゴザイマスガ、併シ乍
ラ、既ニ家督相續ト云フコトヲ認メタ以上ハ、抛棄ダケハ出来ナイト云フコトニシナイト、ドウモ公
ケノ秩序ニ関スル事柄デアラウト思ヒマスカラ、ドウモコノ規定ハナクテハナラヌト考ヘマシタ 25。
」
このように、単なる財産相続であるならば、その相続人に相続放棄という選択が認められるもの
の、家督相続は戸主としての地位を引き継ぐものであるため、家督相続人による相続放棄が禁止さ
れるということを明らかにしている 26。もちろん、この点に関しては他の出席委員からも特に異論
が出されることはなかった 27。
また、民法施行後の概説書等においても、家督相続において相続放棄を禁止することが当然のこ
ととして説明されていた。例えば、梅謙次郎博士は、その著書である『民法要義』の中で、民法旧
1020条に関して、
「本條ハ、我邦ノ慣習ニ従ヒ、直系卑属カ、法定家督相續人タル場合ニ於テ、其
相續ヲ抛棄スルコトヲ許ササル旨ヲ規定シタルモノナリ。是レ、家ヲ重スル慣習ヨリ生シタル結果
一旦、家督相續ヲ認ムル以上ハ、蓋シ已ムコトヲ得ナル所ナリ。
ニシテ、
」と述べている 28。また穂
積陳重博士も著書である『相続法原理講義』の中で「法定推定家督相続人ノ場合ニハ、帰属及受諾
ハ法ノ働キニヨリ、当然生ズルモノナリ。而シテ、其一〇二〇条ニヨリ、相続ノ抛棄ヲ為スコト能
ハザルガ故ニ、従テ受諾ノ問題ヲ生ゼズ。
」と簡潔に述べるに留まっている 29。
(3) このように家督相続の場合、家督相続人は財産のみならず、戸主の地位をも承継するという
相続であることから、当時においては相続放棄を禁止するということに関して異論はなかったようで
ある 30。しかし、その一方で、多額の相続債務を回避する手段が全く認められないとするならば、
家督相続を契機にその相続人が経済的に厳しい状況に追いやられ、結果的に家そのものを衰退させ
ることにもなりかねないことは明白であった 31。そこで、親が抱えていた多額の相続債務から家督
相続人を解放しつつ、その者の地位を保持させる救済措置として新たに限定承認制度を導入するこ
25
法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)418頁。
26 もっとも、その一方で、法定家督相続人の保護も一応は視野に入れていたようである(穂積重遠「相続法
改正余論」法協46巻 1 号(1928年)21頁以下、右近健男「債務の相続」
『民法講座(第 7 巻)』
(有斐閣、1984年)
431頁)。
27 法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)418頁。
28 梅謙次郎『民法要義(巻之五・相続編)
』
(有斐閣、大正
2 年版完全復刻版、1984年)158頁。
29 穂積陳重(磯野誠一翻刻)
『相続法原理講義』
(信山社、1990年)53頁。
30 この旧1020条は、少なくとも現代文明国だけで言うと、強制相続続制度を最期まで残した実例であると言う
(中川善之助「相続放棄の理論」
『家族法研究の諸問題』
(勁草書房、1969年)314頁。)。
31
債務承継の歴史的根拠については、中川善之助「限定承認について(1)
」法学17巻 4 号(1953年) 6 – 8 頁
を参照。
75 ととなった。
第 2 款 限定承認制度の新設と父債子還思想の社会的浸透 (1)限定承認制度の新設をめぐる議論においては、そもそも日本の相続慣習にはそのような慣習
がなかったと考えられていたこともあって、それを新設することに対しては抵抗があったようであ
る 32。しかしながら、とりわけ相続放棄が禁止された家督相続においては、その相続人を多額の債
務から救済する措置が必要であったために、最終的にはそれを新設せざるを得なかった。この点に
関し、起草者の富井政章博士は第180回の法典調査会において、限定承認制度の新設について次の
ような見解を述べている。
「法定家督相續人ト雖モ、限定承認ガ出来ルトシマシタ。是ハ、慣習ヲ破ルコトニハ違ヒアリマ
セヌガ、極メテ已ムヲ得ナイ改革デアラウト思ヒマス。今日、親ガ巨額ノ負債ヲ殘シテ、子ガ、是
非共、ソレヲ繼ガナケレバナラヌト云ウコトニスルノハ、其者ノ爲ニハ非常ナ災難デアル。多少ソ
レデ、頭ガ上ガラヌト云ウコトニ爲ルノハ、粗々、今日迄、実例ヲ見ルコトデアル。ソレハ、家督
(ママ)
制度ニぶつ附カルコトデアレバ、惡ルイカモ知レマセヌガ、財産ニツイテノミノコトデアル。ソレ
故ニ、其方ノ故障ハ少シモナカラウ。只、サウ云ウコトニナレバ、債權者ガ可哀想ダト云ウ論ガ起
コラウガ、併シ乍ラ、ソレハ又別ニ此後ニ目録ニハアリマセヌガ、財産ノ分離權ト云ウ者ノ規定ヲ
置カナケレバナラヌト思フノデ、サウ云ウ規定ヲ置ク積リデアル。相續ノ所デ法典ヲ拵ヘルト云ウ
必要ハ、他ノ事ニ付テハ餘理アリマセヌガ、後見トカ、家督相續人ノ限定承認ヲ許スト云ウヤウナ
コトガ、先ヅ必要デアレバ、サウ云ウ點デアルト思フ。其點ハ、何處迄モ、思ヒ切ツテ、慣習ヲ破
ラニヤナラヌモノト考ヘテ居ル 33。」
このように、富井博士は、子に親の多額の債務を強制的に承継させるとすることは「非常な災
難」となることから、親の負債から子を救済する措置が必要であると説明している。また同様の見
解は、梅博士による『民法要義』の中でも見られる。梅博士によれば、相続人に過大な負担を被ら
せることは国家経済の許さないところであるという理由に加え、債権者はもともと被相続人を信頼
して債権を取得したのであって、その負担を無関係の相続人に負わせることは不当であるという理
由から、限定承認を新設することに対して肯定的な評価をした 34。いずれにしても、これらの見解
32 牧野菊之助『日本相続法論』(巌松堂書店、1919年)300頁、穂積・前掲注(17)100頁、谷口 = 久貴編集・
前掲注(2)536–538頁〔小室 = 浦野〕
。なお、日本の慣習において限定承認のような慣習が認められていたか
どうかに関しては議論がある(中川善之助 = 宮澤俊義『現代日本文明史・法律史』
(東洋経済新報社、1934年)
165頁、近藤英吉『相続法』
(日本評論社、1937年)224頁、柚木馨『判例相続法論』
(有斐閣、1953年)260頁、
川崎秀司「限定承認本則論考」東北法学会雑誌 1 巻(1950年)26頁も参照。)。
33 法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)416頁。
34
梅・前掲注(28)175頁。
76
は、家督相続といえども、多額の債務から相続人を保護する唯一の法的措置として、その必要性を
説いており、これはその相続人に対して単純承認の選択を法的に強制することとなれば、私有財産
制を認めていることに抵触することにもなりかねないという問題意識が一応あったことを示すもの
である 35。
(2) その一方、家督相続においてその相続人が限定承認を利用することは、実際のところは稀で
あったようである。その理由としてはいくつか挙げられる。例えば、民法旧752条において、隠居
者の家督相続人は相続開始前に予め単純承認をするものとされていたため 36、限定承認を選択する
余地がなかったことが挙げられる 37。また、大抵の相続人はそもそも相続選択について具体的な認
識がない上に、単純承認に関しては意思表示や手続きを特に必要とするわけでもないため、法定単
純承認(旧1024条)によって、単純承認が擬制されたということも挙げられるだろう 38。
しかし、最も注目すべき理由としては、当時においては、家長の地位及び家産の承継し、永久に
永続させていくことこそ国民道徳の要求するものであるとの考えのもと、家長の債務は家の債務で
あるため、家の名誉や信用のためにも、その相続人が負うのが当然であって、親の債務を子が回避
することは家の孝道に反するという儒教的な父債子還思想が社会に浸透していたことが大きいだろ
う 39。この思想のもと、家督相続人が限定承認をすることは「家の恥」として非難の対象となって
いたため、実際に限定承認を利用することは非常に稀であったと言える 40。もっとも、このような
事実上において、相続人に限定承認を選択させないようにすることによって、結局は単純承認を選
択させるとする在り方は、債権者側の弁済を受けるという利益を重視したものであり、単に信用取
引における担保を道徳的に美化するための手段にすぎなかった 41。
(3)したがって、限定承認は、家督相続人が多額の相続債務を回避する法的手段として確かに認め
られてはいたが、それを取り巻く父債子還思想が社会全体に浸透していたため、事実上、その相続人
35
中川・前掲注(30)315頁。
36
川名兼四郎「相續ノ単純限定承認」法協28巻(1910年)1584頁。
第七百五十二條 戸主ハ左ニ掲ゲタル條件ノ具備スルニ非サレハ隠居ヲ爲スコトヲ得ス。
一 満六十年以上ナルコト
二 完全ノ能力ヲ有スル家督相續人カ相續ノ単純承認ヲ爲スコト
37
梅謙次郎『民法要義(巻之四・親族編)
』
(有斐閣、明治45年版完全復刻版、1984年)58–59頁、穂積・前掲
注(17)100頁。なお、家督相続の相続開始原因には、戸主の死亡、隠居、国籍喪失などがある(旧964条)。
38
穂積重遠『相続法』
(岩波書店、1947年)262、274頁。
39
谷口 = 久貴編集・前掲注(2)537頁〔小室 = 浦野〕
。武藤運十郎『親族相続法読本』
(家庭法律社、1935年)
198頁、穂積・前掲注(17)100頁、穂積・前掲注(38)274頁、松坂佐一『民法提要』
(有斐閣、第 4 版、1992
年)283頁、遠藤浩ほか『民法(9)相続』
(有斐閣双書、第 3 版、1987年)156頁。なお、当時の「孝」につい
ては、川島武宜「イデオロギーとしての『孝』
」
『川島武宜著作集第10巻』
(岩波書店、1983年)162頁以下を参照。
40
磯田進ほか「相続法の改正と家族生活(座談会)1947年 8 月 5 日」法時19巻 8 号(1947年)28–29頁〔川島
武宜・発言〕、中川責任編集・前掲注(9)262頁〔吾妻光俊〕
41
中川・前掲注(31) 6 頁、谷口 = 久貴編集・前掲注(2)537頁〔小室 = 浦野〕。
77 は単純承認を選択することが強制されていた 42。このことからすると、限定承認制度はその法的意義自
体は評価されてはいたものの、実際には単に法制度として存在していたに過ぎなかったと言える。
第 2 節 立法論における限定承認本則の導入を求める動き
第 1 款 戦前の学説における限定承認本則
(1) しかしながら、社会状況とは対照的に、学説の中では限定承認本則を支持する見解が見られ
た。もっとも、こうした学説の多くは、家督相続においては家制度的性質から単純承認を原則とせ
ざるを得ないとしつつも、それとは異なる遺産相続に関しては限定承認を原則とすべきであるとし
て、両相続制度を区別して考えるものであった 43。
その代表的論者である穂積重遠博士は、家族制度的相続である家督相続と個人主義的遺産相続を
ひとつの相続法の中に併存することには問題があるとの前提に立ちつつも、当時の法制度の枠組み
に従って、遺産相続に関してのみ限定承認本則論を唱えている。すなわち、家督相続においては単
純承認(旧1024条 2 号)を原則とすることが妥当するとしつつも、
「遺産相續については寧ろ限定
承認を原則として、遺産相續人はその相續した積極財産の限度に於てのみ被相續人の債務を辨濟す
る責に任ずべきものとする方が適當ではあるまいか」として、遺産相続の場合に限定して限定承認
本則を説いた 44。もっとも、穂積博士が家督相続と遺産相続を併存させることに根本的矛盾が生じ
ると考えていたことは上述したが、やはり根本的には両相続制度の区別を撤廃し、かつ債務の承継
について特則を設けることで対応していくべきと考えていた 45。しかしながら、遺産相続における
限定承認の詳細な清算手続き及びその債務承継の特則の内容までは言及していない 46。
(2) これに対し、中川善之助教授も限定承認本則を主張するが、その際に特に家督相続及び遺産
相続を明確に分けて述べていない。すなわち、中川教授によれば、確かにこの時には道義論として
父債子還が当然視されてはいることは認めるものの、やはりそれが「現代社會に適應する法律技術
としては必ずしも然かく簡単にいつてしまえないものがあるやうに思はれる」として、純粋に法律
論の観点から単純承認を強制する必然性がないものと考えていた 47。また、法定単純承認がされた
場合にその取消を認めるかどうかという問題においても、債権者保護と相続人の保護の調和をする
ために、限定承認を本則とする必要性があるとする。すなわち、
「法定単純承認を認める以上、
42
なお、戦争中に限定承認本則論を主張することは、非難の対象となったようである(我妻栄編『戦後にお
ける民法改正の経過』
(日本評論社、1956年)186頁〔中川善之助・発言〕。)。
43
例えば、近藤英吉「相続人の責任制度とその修正」論叢40巻 1 号(1939年)30頁。
44
穂積・前掲注(26)21–22頁、また穂積・前掲注(17)100頁、穂積・前掲注(38)274–275、278–279頁も参照。
45
穂積・前掲注(26)21–22頁。
46 その他の学説として、川崎・前掲注(32)30–32頁を参照。
47
中川善之助『親族・相続』
(岩波書店、1934年)256頁。
78
輕々にそれを取り消させてはいけないといふ論理的要求と、法定単純承認を絕對不動のものとして
しまつては相續人に抛棄や限定承認の自由を認めた精神に副はなくなるという實際的感情とが衝突
する」ため、
「そうした矛盾の禍根は、相續の原則的態様を限定承認にありと修正することによつ
てのみ救はれるものと斷定することは早計に失したものとして非難せられるであらうか」と述べて
いる 48。なお、中川教授は、当時の社会思想から離れ、純粋に法的観点から限定承認本則論を説い
ているが、それを実現する際に生じる問題に関しては言及していない。
(3)このように、当時の学説では、限定承認本則を遺産相続の場合に限定するかどうかは別とし
て、そもそも相続人の責任を無限責任にする必然性はなく、むしろ有限責任とすることが望ましい
と考える見解があり、その手段として限定承認本則が注目されていた。もっとも、この段階におい
ては、限定承認を本則とすることにより生じる法的問題、また他の制度との調節関係を視野に入れ
つつ、それをどのように具体的に制度設計するのかというところまでは十分に言及されていなかっ
た。しかしながら、当時の状況において、家督相続はその性質上やむを得なかったとしても、単な
る財産相続である遺産相続において個人主義的相続へと移行する必要性を明確に述べたこと、また
それを実現する一手段として限定承認本則を述べたことには意義があったと言えるだろう。
第 2 款 人事法案から見る限定承認本則の提案内容
(1) こうした限定承認本則を求める動きは学説の中にとどまらず、立法論としても実際に議論さ
れるようになった。この立法論として限定承認本則を求める動きは、淳風美俗論が強く主張された
大正から昭和初期にかけて、民法上の家族制度を見直す中で現れた 49。そして、この審議をするにあ
たって臨時法制審議会が設けられ、昭和 2 年(1927年)に「民法相続編の改正要綱」という形で、
その審議結果が公表された 50。その後、それをもとにして要綱の作成を繰り返し、最終的には『人
事法案(昭和15年11月整理)
』という形でまとめられ、その中で限定承認本則が明らかにされた 51。
もっとも、この人事法案は八部通り立法化の準備が進んでいたようであるが、太平洋戦争の激化
によって、その編纂作業が停止したために、最終的にはその法改正が実現するには至らなかっ
た 52。しかしながら、家制度が確立していた当時の時代状況のもとで、立法論として本格的に限定
承認本則が検討されたことは注目すべきであろう。また人事法案は、戦後、家族法改正を検討して
48 中川・前掲注(47)264頁。
49 人事法案の起草過程などに関しては、唄孝一 = 利谷信義「
『人事法案』の起草過程とその概要」
『我妻榮先生
追悼論文集:私法学の新たな展開』
(有斐閣、1975年)471頁以下、我妻栄『親族法』
(有斐閣、1961年)5 – 7 頁、
我妻栄『法律随想:身辺雑記 』
(有斐閣、1963年)116–125頁、近藤佳代子「家族法制」
『日本現代法史論』
(法
(1)
律文化社、2010年)205–206頁も参照。
50 武藤・前掲注(39)53頁、太田武男『相続法概説』
(一粒社、1997年)
51 『人事法案(仮称)
:第
52
9 頁。
1 編親族(昭和16年整理)第 2 編相続(昭和15年整理)』
(信山社、復刻版、2000年)。
中川 = 泉・前掲注(1)29頁、太田・前掲注(50)10頁。
79 いく際に、家族法改正に対して一定の影響を与えたことからしても注目すべきである 53。そこで、
戦前の旧相続法規定と比較しつつ、人事法案における限定承認本則の特徴を整理する。
(2) まず人事法案の特徴のひとつとして、限定承認を「承認」の原則形態として位置付けている
点が挙げられる。同案第 3 章「相続ノ承認及抛棄」の第 1 節「総則」第303条において熟慮期間の
起算点について定められており、そこでは「相続人ハ、自己ノ為ニ相続ノ開始アリタルコトヲ知リ
タル時ヨリ三月内ニ、承認又ハ抛棄ヲ為スコトヲ要ス。」と規定していた。ここで注目すべき点は、
旧1017条のように「単純若シクハ限定ノ承認又ハ抛棄」というように選択肢が 3 つ明記されている
わけではなく、単に「承認」もしくは「抛棄」と明記されているに過ぎないという点である。
そして同案第303条で言う「承認」の内容に関しては、同案「第 2 節 承認」の第313条以下にお
いて規定されており、そこでは「相続人ガ、限定承認ヲ為シタルトキハ、相続ニ依リテ得タル財産
ノ限度ニ於テノミ、被相続人ノ債務ノ履行ヲ為ス責ニ任ズ。
」
(同案313条 1 項)というように、相
続人の責任を有限にすることを明らかにする限定承認の規定から始めている。この点で単純承認の
規定(旧1023条)から始まる戦前の旧相続法とは異なっており、ここから限定承認を同案303条の
「承認」の原則形態として位置付けているものと読むことができる。もっとも、その一方で、同案
309条第 1 項で「相続人ハ、既ニ為シタル単純承認又ハ抛棄ヲ取消スコトヲ得ズ」とし、また第 2
項において「相続人ハ、第三百三条第一項ノ期間経過ノ後ト雖モ、限定承認ヲ取消シテ単純承認ヲ
為スコトヲ得。
」と規定することで、相続債権者側の利益に対しても一定の配慮を示している。
(3) 次に同案第313条の限定承認をしなかった場合の法定承認擬制という側面からも、限定承認
を相続の原則形態として位置付けていることが読み取れるが、遺産相続と家督相続ではその扱いが
異なっている点には注意が必要である。遺産相続に関しては、人事法案の第316条において「遺産
相続人ガ、三百三条第一項ノ期間内ニ承認又ハ抛棄ヲ為サザルトキハ、限定承認ヲ為シタルモノト
看做ス」というように、積極的に承認もしくは放棄をしない場合には限定承認を擬制するものとし
ている。これとは対照的に、家督相続に関しては、人事法案の第315条 1 項において「家督相続人
ガ、第三百三条第一項ノ期間内ニ承認又ハ抛棄ヲ為サザルトキハ、単純承認ヲ為シタルモノト看做
ス」として、相続人が積極的に承認や放棄をしない限りは、単純承認を擬制するものとしてい
た 54。また同第315条 2 項において「相続ノ承認又ハ抛棄ニ付、同意ヲ要スル場合ニ於テ、家督相続
人ガ前項ノ期間内ニ承認又ハ抛棄ヲ為サザルトキハ、限定承認ヲ為シタルモノト看做ス。但シ、第
三百九条第二項ノ規定ノ適用ヲ妨ゲズ。
」として、一定の場合には限定承認擬制による相続人保護
を認めているが、その場合であっても同条第 2 項但書きにあるように、法定限定承認を単純承認へ
と事後的に変更することで、相続債権者の利益に対しても一定の配慮をしている。
53 我妻・前掲注(49)
『親族法』
7 頁。
54 なお、人事法案の第307条において「法定ノ推定家督相続人ハ、抛棄ヲ為スコトヲ得ズ。
」として、相続放
棄の自由を制約していた。
80
(4)このように人事法案を見ると、当時の相続の中心とされた家督相続においても 55、一応は相続
人の選択を前提とし、またその意味で単純承認擬制を後退させている点では、当時の旧相続法規定
よりも、相続人保護に対して一定の配慮を示していると言える。しかしながら、家督相続の場合は
積極的に限定承認をしなければ単純承認を擬制するという点では、家督相続という相続の性質から
単純承認との結びつきを完全に無視することはしていない。そのため、仮にこの人事法案が実現し
ていたとしても、当時の社会状況のもとで、家督相続人が限定承認を積極的に選択できるものとな
るかは疑問である 56。また、仮に思想的圧力がなかったとしても、家督相続人が特に相続の選択に
関して具体的に意思を有していない場合もあるため、単純承認擬制により家督相続人が自覚なしに
債務を相続することもあるように思える。したがって、この人事法案が実現していたとしても、実
際に多額の相続債務から相続人を保護することにつながるのかは疑問である。
第 3 節 小括
戦前においては、家督相続と遺産相続という 2 つの異なる相続制度が併存していた。家督相続に
おいて、その家督相続人は家の地位を全て承継するという性質から相続放棄を禁止されており、実
際は単純承認が強制されていた。もっとも、相続人に単純承認を強制することで、多額の債務を負
うことになる相続人を救済する措置として限定承認制度が新設された。しかし、当時の社会として
は、親の債務は子の債務として考える父子債還思想が浸透していたため、家督相続において限定承
認を実際に利用することが困難であった。結局、この状況のもとでは、相続人救済制度として限定
承認制度が一応は存在していたが、それによる救済は単なる理想に過ぎなかったと言えるだろう。
その一方で、学説の中では限定承認本則を支持する見解があった。その大方は、家督相続の場合
は単純承認本則とすることはやむを得ないとしつつも、遺産相続の場合は限定承認を本則とするこ
とを提案するものであった。しかし、それを具体的にどのように展開するのかというところまで十
分に言及していなかった。また、人事法案においても限定承認本則が視野に入れられており、実際
に遺産相続に関しては限定承認を本則とすることが提案されていた。これに対して、家督相続にお
いては積極的に限定承認をしなければ単純承認を擬制するという点では、単純承認との結びつきを
完全に無視することはしていなかった。そのため、仮にそれが実現していたとしても、多額の相続
債務から相続人を救済することができるとは言い切れないように思える。
55 中川 = 泉・前掲注(1)347頁の注
4 を参照。
56 その他にも、人事法案には、承認、財産分離、相続人の不存在を包含した「特別管理制度」を提案してい
ることも特徴と言える(我妻栄 = 唄孝一『判例コンメンタールⅧ・相続法』
(日本評論社、1966年)154頁。)。
81 第 2 章 戦後における立法論から解釈論への救済措置の移行 第 1 節 単純承認本則から限定承認本則への転換に伴う問題
第 1 款 戦後民法改正における限定承認本則の見送り
(1) 戦後、新たに制定された日本国憲法において「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」といっ
た新たな基本原理が導入された。これを具体化するため、その施行に先立って、戦前の家族法の根
本にあった家・戸主権・家督相続といった封建的制度を廃止するための改正作業が進められた 57。
そして、その作業を進めていく過程で、限定承認を本則にするかどうかという点に関しても一応は
視野に入れられていた 58。その検討においてネックとなったのが、複数の相続人間で限定承認をす
るには相続人が共同で限定承認をするべきなのか、それともその一部の者によっても限定承認がで
きるとするべきか、という共同性要件の問題であった。
この問題は、既に戦前の旧相続法においても、複数の遺産相続人間で限定承認を選択した場合の
清算手続きに関する明文規定がなかったことから、潜在的にはあった 59。しかし、当時においては、
そもそも高額の遺産相続自体が比較的少なく、また相続の中心が遺産相続ではなく、むしろ家督相
続にあったために 60、共同相続人間の一部が限定承認した場合の規定が不備であっても、それほど
喫緊の問題とはならなかった 61。もっとも、たとえ遺産相続がされる場合が稀であるにしても、遺
産相続において共同相続人が複数いることは普通であった。そのため、学説の中には遺産相続にお
いて共同相続人の中の 1 人が限定承認を選択したという場合に備えて、限定承認の効力を他の共同
相続人に及ぼさないものとして 62、単独での限定承認を認めるとする見解が出されていた 63。
57 青山道夫
『新しい民法』
(惇信堂、1947年)15頁、床谷文雄ほか『現代家族法』
(有斐閣、2010年)
〔床谷文雄〕10頁。
58 戦後、民法改正を検討するにあたって、戦前に議論された「人事法案」が参考資料のひとつとされたが、
その審議内容を十分に検討する余裕がなかったようである(唄 = 利谷・前掲注(49)474頁。)。
59 我妻 = 立石・前掲注(19)492頁。なお、このような問題を受けて、昭和
2 年に発表された臨時法制審議会
の民法改正要綱では「遺産相續人數人アル場合ニ於テ、其一人ガ限定承認ヲ爲シタルトキハ、相續財産ノ全
部ニ付キ限定承認ニ因ル淸算手續ヲ爲ス趣旨ヲ明ニスルコト」
(相續法改正要綱第七ノ二)として、単独で限
定承認ができることを明記していた(近藤英吉「限定承認」穂積重遠 = 中川善之助責任編集『家族制度全集(法
律編)Ⅴ相続』
(河出書房、1937年)147頁)
。これは、相続財産全部について清算し、それによって十分の弁
済を受けなかった相続債権者は、単純承認をした相続人に請求していけるようにしようという、現行法939条
にやや類似するものを考えていたようである(中川 = 泉・前掲注(1)265頁の注 2 )。
60 中川 = 泉・前掲注(1)265頁の注
2 、中川ほか・前掲注(19)183頁、我妻 = 立石・前掲注(19)432頁。
なお、限定承認制度は家督相続と遺産相続の両方の共通規定であったにもかかわらず、実際には家督相続に
ついてだけ問題とされ、また研究及び裁判所の判決も家督相続に集中する傾向があったという(我妻・前掲
注(18)503頁。)。
61
我妻 = 唄・前掲注(56)180–181頁。
62 近藤・前掲注(32)213、240頁、川名・前掲注(36)2099頁。
63 この学説に対する懐疑的見解としては、近藤・前掲注(32)240頁、近藤・前掲注(59)147頁を参照。
82
これに対して、戦後においては、単独での限定承認を認めない方向へと進んだ。戦後において
は、戦前の相続の中心であった家督相続制度が廃止されたことによって、相続人が 1 人ということ
はむしろ例外となり、複数の相続人で共同相続がなされることが多くなることが予測された 64。そ
のため、複数の相続人間における一部の者による限定承認をどのように認めるのか、という複雑な
清算問題の現実化がより一層懸念された。この点に関して、実際に戦後民法改正の立案作業に係っ
た長野潔氏も、共同相続人の 1 人が限定承認をした場合に他の相続人の清算関係を法律上どのよう
にするのか、またそれに関連した条文全体の調節をどのようにするのかといった複雑かつ困難な問
題に直面し、戦後における早急の改正に間に合わないという事情があったことを明らかにしてい
る 65。そのような法制度上の事情もあって、最終的には限定承認を原則形態へと変更するには至ら
なかったが、その代わりとして、旧相続法の形を基本的には維持しつつも、
「相続人が数人あると
きは、限定承認は、共同相続人の全員が共同してのみこれをすることができる」という規定(民法
923条)など 66、若干の規定を新たに追加するという形で決着をつけた 67。
(2) このように、限定承認本則への転換を阻む原因として、表面的には法律技術的な問題がネッ
クとなっていたことは確かであるが、それ以外にも内面的・思想的原因が潜在的に絡んでもいた。
すなわち、単純承認本則が家制度あるいは家督相続と親近性を有することは上述したが、個人の尊
厳や平等を保障する戦後の日本国憲法制定との整合性からすれば、そのような単純承認本則を個人
主義的な限定承認本則へと改めることも必修の検討事項として位置付けることも出来たはずであ
る。この点を表面的に見れば、上述したように、確かに十分な検討時間がなかったために、日本国
憲法の制定に伴う必要最小限度の改正に留められ、それに直接関係しないものに関しては十分な検
討がされなかったということになろう 68。
しかし、その一方で、例えば、川崎秀司教授は「起草者が、家族制度的だとして単純承認に執着
する人々の傳統的感情を顧慮し急據な改革から生ずる社会的混乱を避けるためになした一應の立法
上の妥協の故に外なるまい」として 69、実際のところは、当時の社会状況からすると、内面的にも
その改正を急に実現することが困難であったことを指摘している。また、小室直人教授も「古くか
ら根強く存在する『親のために限定承認をしない』とする、家族制度的観念に根ざした国民感情
64 我妻 = 唄・前掲注(56)181頁。
65 我妻編・前掲注(42)186頁〔長野潔・発言〕
。また、右近・前掲注(26)431頁も参照。
66 もっとも、
負債が多いにもかかわらず、親の名誉のためにそれを返済するという共同相続人がいた場合には、
923条で共同限定承認を要件としたことにより、限定承認できないということになるようにも思える。しかし、
債務の相続を回避したい相続人は個人的に相続放棄をすることによって不利益を免れることができるため、
問題ないと解された(我妻栄『改正 親族・相続法解説』
(日本評論社、1949年)206頁。)。
67 民法923条の導入に伴って、共同相続人の内の
1 人を管理人とする規定(936条)
、限定承認をした者の中に
法定単純承認とみなすべき不正な行為をした者があれば、その者だけ責任を負あわせると規定(937条)も新
たに導入した(我妻 = 唄・前掲注(56)180–181頁。
)
。
68
我妻編・前掲注(42)186頁〔長野潔・発言〕
、我妻・前掲注(60)503頁。
69 川崎・前掲注(32)33–34頁。
83 を、一気に払拭して混乱を生じることを避けた」として 70、その当時においてはその改正が現実的
には難しかったことを指摘している。その他にも、
「わが國では、債務についての個人的責任の觀
念がはっきりせず、債務を『家』の負擔と考えたり、親の債務は子の債務と考えたりする思想が強
い」ことに加え、「遺産の整理を迅速かつ合理的に處理する制度も發達していない」ため、引き続
き戦後も清算主義へと転換しなかったと指摘する見解もある 71。
したがって、こうした諸見解に照らして考慮すると、戦後といえども、その直後に従来の家単位
で考えていた相続を個人単位での相続へと根本的意識を急に転換させていくことができないという
現実が、例外として位置付けられていた限定承認を、本則へと転換する改正に踏み切ることができ
なかったその理由のひとつとして関係していたと言える。
(3)結局、戦後おいては、確かに個人主義的発想が徐々に芽生えつつあったものの、法律技術及
び思想的事情が絡み合って、戦後の民法改正においても単純承認本則を維持することになった。し
かしながら、戦後直後においては単純承認本則を改正することができなかったとしても、その後に
改めて単純承認本則とそれに伴う相続人保護について再検討する機会を設ける必要があったように
思える。もっとも、戦後の民法改正後しばらくして一応は相続制度に関する点検作業がなされたよ
うであるが、それが本格的な改正の議論につながることはなかった 72。そしてその結果が本章の第
2 節において後述するように、単純承認本則の抱えていた問題を顕在化させていくことにつながっ
ていった。すなわち、1970年代頃から、悪質なサラ金業者・相続債権者が、被相続人が多額の債務
を抱えていたことを相続人が知らないことを逆手にとって、熟慮期間経過後にその相続人にその支
払いを請求する、あるいは厳しい取り立てをするという事件が多発していった 73。
第 2 款 戦後間もない頃の限定承認本則論の提唱
以上のような背景から戦後においても従来通りに単純承認を原則として位置付けていったが、こ
れに対しては戦後間もない頃から限定承認本則を支持する側が批判をしていた。
(1) まず、そのひとつとして「民法改正案研究会」が挙げられる。この研究会は、政府の「民法
改正要綱」及び「民法中改正法律案」について何度も議論を重ねた成果を『民法改正案に対する意
見書』
(1947年 6 月28日公表)にまとめ、その中で新たな相続の在り方を提案した 74。この意見書の
70 谷口 = 久貴編集・前掲注(2)540頁〔小室 = 浦野〕
。
71 我妻 = 立石・前掲注(19)404–405頁。またこの他、中川責任編集・前掲注(9)12頁〔中川善之助〕にお
いても、日本の相続法が「身分相続」として長い間理解されてきたことが関係しているとの指摘をしている。
72
この点検は、1960年に発行された『家庭裁判所月報』の中で「民法相続編の改正に関する各裁判所の意見」
と題するものの中で報告されている。とりわけ限定承認制度に関しては、限定承認の手続きが煩雑であること、
またその利用が著しく少ないことなどの理由から、限定承認制度を廃止すべきとの意見や、利用を相続財産
の僅少な場合に限定するべきであるとの意見が出されていた(家月12巻 5 号(1960年)259–260頁。)。
73
石川利夫「判批」ひろば37巻 9 号(1984年)85頁。
74
民法改正案研究会「民法改正案に対する意見書」法時19巻 8 号(1947年)438頁以下。
84
中で、英米法の人格代表者制度そのものを提案するというよりも、それと類似した結果になる限定
承認本則を提案している 75。その点について以下のように述べている。
「われわれは、共同相続財産の分割に関する問題と単純承認か限定承認かの問題とを一挙に解決
する方法として英米法流の人格代表者の制度のようなものを思い切って採用することを提案した
い。改革案は、相続人が数人ある場合については、このような制度を新たに設けた(第1037條の 2
参照)のであるが、それは、共同相続人が『全員共同して』限定承認をする場合に限られる。われ
われとしては、むしろ、限定相続を原則とした上で、この制度を全般的なものとすることを要望す
る。そうすることによって、実質上、限定相続を原則とすることになる 76。」
このように、同研究会は、人格代表者に相続手続きを委ねて清算処理をしていく英米の人格代表
者制度そのものへと転換するのではなく、従来通りに当然包括承継主義を維持した上で複数の共同
相続人で行う限定承認を原則へと変更することによって、結果的に英米の人格代表者制度と同じに
する、すなわち清算主義へと転換していくことを提案している。しかしながら、この研究会の意見
は、限定承認本則に変更すること自体は提案しているものの、その一方で、戦後の改正時にも指摘
された、限定承認を選択した場合の共同相続人間での個別的清算をどのように処理するのか、また
仮にその改正が実現した場合に生じる問題、さらにはそれによる社会的影響がいかなるものかとい
う点までは言及していない。
(2) また、山中康雄教授も『市民社会と親族身分法』
(1949年)の中で、上記の民法改正案研究会
の提案と同様に単純承認本則を批判している。しかし、その研究会とは異なって、英米法における
人格代表者制度そのものの導入を提案している点に特徴がある。すなわち、山中教授は、封建制に
おける家督相続と市民社会における遺産相続との違いを比較しつつ、単純承認本則により相続人に
無限責任を負わせるとする相続法の在り方を批判した 77。
山中教授が単純承認本則を批判する根本的な根拠としては、かつての封建社会における親の
「家」と子の「家」には完全な同一性の持続・継続性・連続性が見られたのに対し、市民社会にお
75
英米法における人格代表者制度に関しては、内田力蔵「英米家族法の概要(一)
:民法改正案への比較法的
資料として」法時19巻10号(1947年)18頁、立石芳枝「イギリスの無遺言者遺産の管理─遺産管理状と遺
産管理人について─」
『英米私法論集:末延三次先生還暦記念』
(東大出版、1963年)187頁以下、浦本寛雄「英
国遺産管理制度の関する一考察」鹿児島大学法文学紀要[法学論集] 3 号(1967年)58頁以下、浦本寛雄「イ
ギリス人格代表者制度」法政研究35巻(1969年)491頁以下、青木勢津「イギリス相続法における遺産管理(上・
下)」民研245号(1977年) 2 頁以下、民研246号(1977年)14頁、川淳一 「英国における相続財産管理( 1 ・
2 完)」 法学54巻 3 号(1990年)459頁以下、同 4 号(同年)670頁以下、フィリップ・S・ジェームズ著(矢
頭敏也監訳)
『イギリス法(下)私法』
(三省堂、1985年)334–344頁などがある。
76 民法改正案研究会・前掲注(74)448頁。
77 山中康雄『市民社会と親族身分法』
(日本評論社、1949年)343頁。
85 ける親子相互の「家」にはそれが全くないという社会的背景の違いにある 78。この点からすると、
もはや市民社会における「相続は『家』の制度というよりも、市民社会法秩序における財産権の得
喪変動の一原因にすぎぬもの」であるため 79、子が親の積極財産を超えて借金を当然に承継する必
然性はないという。こうした理由から、最終的には既存の限定承認制度という形で対応するのでは
なく、思い切って英米法における人格代表者制度を新たに採用して対応すべきであると主張し
た 80。もっとも、この学説は、家制度の消滅という点に着目して人格代表者制度への抜本的改正を
提唱している点では独創的であるが、それを実現させるにあたって生じる問題とその対応までは触
れていない。
(3) 同様に、川崎秀司教授も「相続人の責任に関する学説と制度の動向」
(1955年)と題する論文
の中で限定承認本則に変更することの必要性を主張している 81。川崎教授は、その主張の前提とし
て、既に限定承認や相続放棄が認められていることから、あえて限定承認本則へと改正をする必要
がないとの批判を想定し、
「法に暗い一般民衆は限定承認や放棄の申述期間を徒過するおそれがあ
るし、又実際そうした深刻な実例も少なくない」として 82、それによる相続人救済には限界がある
ことを指摘している。その上で、限定承認本則へと改正する必要性について、次のように述べる。
「同じ限定承認をなすにしても、原則として認められている場合と例外的にしか認められていな
い場合とでは、実際のところ差異があって、例外としての取扱いに過ぎぬ場合には、兎角制限的に
取扱われる結果となるし、又ややもすれば、債権者側に於ても本則に威を借りて責任を過重に追求
する傾向にあり、且つは、承認者側に於ても精神的威壓を受けるなど種々なる点に於て歩が悪いの
である 83。
」
このように川崎教授は、限定承認を原則として位置付けるのか、それとも例外として位置付ける
のかによって現実的には違いが生じることを指摘している。また相続人保護は相続放棄を通じてす
べきであるとの批判に対しては、放棄者は相続財産を清算した後の残余財産を相続できないという
不利益があるとの点から再反論をしている 84。こうした点から、川崎教授は、まずは英米法におけ
る人格代表者制度を新たに導入することを提案したが、それを直ちに導入できない場合には、少な
78 山中・前掲注(77)344頁。
79 山中・前掲注(77)344頁。
80 山中・前掲注(77)346頁。
81 川崎秀司「相続人の責任に関する学説と制度の動向」
『石田文次郎先生還暦記念・私法学の諸問題(1)民法』
(有斐閣、1955年)163頁以下。なお、川崎・前掲注(32)38頁以下、川崎秀司「相続人の責任」山形大学紀
要(社会科学) 3 巻 4 号(1971年)337頁以下も参照。
82 川崎・前掲注(81)184頁。
83 川崎・前掲注(81)184頁。
84 川崎・前掲注(81)184–185頁。
86
くとも限定承認本則・法定限定承認を認めていくべきであると主張した 85。
(4) さらに、青山道夫教授も『家族法論』
(1958年)の中で、家督相続のもとでならば、
「家」の
継続を目的とするため単純承認を原則とすることはやむを得ないが、家制度が消滅し、相続が純然
たる財産相続となった戦後相続法においても、なお単純承認を原則としていることには根本的な問
題があるとの問題意識から始まっている 86。その上で、被相続人の債権者は被相続人の財産の限度
で弁済を受けることがむしろ当然であるとの考えから、限定承認本則を主張した。もっとも、それ
を実現していくにしても、上述のとおり、現行の限定承認は共同相続人全員でしなければならない
という問題がある。この点に関して青山教授はその手続的繁雑さを批判しており、将来において改
正する必要があることを示唆してはいるが 87、それ以上に詳細な言及はしていない。
(5) このように戦後においては、家制度が廃止されたことから、もはや相続は純粋な財産相続と
なった。これを受けて、戦前のように単純承認本則を維持し続ける必要がなくなり、明確な形で個
人主義的な相続制度へと転換していくことが提案された。そしてその具体的手段としては、限定承
認本則へと転換すること、さらにはより一歩進めた英米法における人格代表者制度の導入さえも主
張された。そのアプローチがどうあれ、その後の学説に対しても影響を与え、近代相続法における
個人責任主義という合理性の点から支持された 88。しかしながら、限定承認本則に転換する場合に
生じる諸問題については必ずしも十分な検討がされていない。その点もあってか、結局は単純承認
本則を変更させるには至らなかった。
第 3 款 その後の限定承認の利用状況から見る問題
(1)以上のように、学説の中で限定承認本則がしばしば支持されてきたが、その一方で、戦後から
今日にかけてそもそも限定承認に対して実際にどれだけのニーズがあるのかを見る必要がある。こ
の限定承認の利用状況に関しては、最高裁判所事務総局による『司法統計年報(家事事件)
』におい
て公表されているが 89、それと並んで同じく相続債務から相続人を救済する相続放棄制度の利用状
況も参照する。
85 川崎・前掲注(81)192頁。
86 青山道夫『家族法論』
(法律文化社、1958年)311、319頁。
87 青山・前掲注(86)319–320頁を参照。
88 例えば、山崎・前掲注(1)93–94頁、中川淳『身分法講義案』
(有斐閣、1966年)112頁、右近・前掲注(26)
430–432頁、高木・前掲注(11)
「相続人の責任」 2 頁、福島四郎「判批」
『家族法判例百選』
(有斐閣、新版増補、
1975年)254頁。泉久雄「相続人の有限責任」
『家族法論集』
(有斐閣、1989年)181頁、谷口 = 久貴編集・前掲
注(2)539–540頁〔小室 = 浦野〕
。なお、限定承認および財産分離の両制度を廃止し、相続財産債務超過のお
それがある場合の処理方法を相続財産破産一本にすることを主張する見解として、鈴木禄弥『相続法講義』
(創
文社、改訂版、1996年)87頁。
89 最高裁判所の司法統計に関しては、http://www.courts.go.jp/app/sihotokei_jp/search を参照。なお、家事・
平成15年から平成24年の「第 2 表:家事審判・調停事件の事件別新受件 ─全家庭裁判所」に関しては、
http://www.courts.go.jp/app/files/toukei/760/006760.pdf を参照(2014年12月01日最終確認)。
87 これによると、まず相続放棄に関しては、その受理件数が昭和24年では約14万件あり、その後に
減少したが、近年において再びそれが約14万件までに増加している。これに対し、限定承認の受理
件数に関しては、戦後の民法改正をして間もない昭和24年には181件しかなかったものが、その後
1990年代頃から徐々に増加し、平成15年には995件までに増加している(詳しくは下記の別表を参
照)。しかしながら、依然として限定承認が相続債務から相続人を救済する際の中心的措置とは
なっておらず、最初から相続放棄を選択する方が圧倒的に多いという状況にある。
このような限定承認の利用状況の変化を見ると、かつて川島武宜教授が「家族制度が民主化し、
家族制度的な拘束や意識がなくなれば、結局は限定承認の制度はおそらく一般化するであろう」と
述べたように 90、確かに戦前における家族制度的な拘束意識が徐々に希薄化していることを示して
いるように思える 91。もっとも、限定承認を選択する以前の問題として、そもそも相続人が限定承
認制度について十分な知識を有していないために 92、今日においても道徳的レベルで自然に親の債
務は子の債務として考えることがあるのかもしれない 93。いずれにしても、全体的傾向としては、
取引観念が家単位での相続から個人単位での相続へと意識そのものが徐々に変化しているものと見
ることは間違いではないだろう。したがって、今日においては、戦後直後に限定承認本則へと転換
するにあたって障害となっていた思想的側面での限定承認の利用に対する抵抗感は克服したものと
言え、かつての思想が利用の中心的な障害とはなっていないだろう。
相続の承認・放棄の
期間伸長
相続放棄の
申述受理
限定承認の
申述受理
昭和24年
2405
148192
181
昭和30年
3846
142889
587
昭和40年
1839
110242
353
昭和50年
828
48981
237
昭和60年
835
46227
451
平成 3 年
783
45884
427
平成 4 年
975
50946
482
平成 5 年
1298
58490
578
平成 6 年
1481
58794
568
平成 7 年
1569
62603
658
平成 8 年
1805
66898
670
平成 9 年
2196
73462
751
平成10年
2339
83316
799
平成11年
2685
98546
856
90 磯田進ほか「相続法の改正と家族生活」法時19巻10号(1947年)16頁。
91 我妻 = 唄・前掲注(56)154頁においても、この点が指摘されている。
92 島津一郎編『注釈民法(3)親族・相続』
(有斐閣新書、第
93 奈良・前掲注(4)20頁。
88
2 版、1981年)295頁〔有地亨〕。
平成12年
2796
104502
845
平成13年
3024
109730
905
平成14年
3211
123038
938
平成15年
3761
140236
995
平成16年
3764
141477
960
平成17年
4095
149375
995
平成18年
4381
149514
1000
平成19年
4597
150049
1013
平成20年
5045
148526
897
平成21年
5658
156419
978
平成22年
6150
160293
880
平成23年
7014
166463
889
平成24年
6694
169300
833
平成25年
6641
173166
797
(2) むしろ戦後においては、思想的抵抗感が希薄化し、限定承認が利用できる状況になったこと
で、それが従来から潜在的に抱えていた制度的問題が顕在化し、その問題こそ限定承認の利用を妨
げる原因となっている。その制度的問題のひとつとして、まず、民法923条が限定承認の成立要件
として共同相続人全員での合意を必要としていることが挙げられる。これは清算関係を簡易にする
ために共同性を要件としたことは上述したが、そうしたことによりかえって各相続人が自由にそれ
を選択できなくなったということはしばしば指摘されている。もちろん、こうした問題に対して、
学説では、そもそも限定承認の成立要件として共同相続人間での合意を要求することは近代相続法
にそぐわないという考えから、立法論としてそれを緩和する見解が提唱されたが、最終的にそれが
実現することはなかった 94。また、解釈論としても、共同相続人のうちのひとりが限定承認をする
ことを認める見解が出されたものの、その解釈論に対して必ずしも十分な支持が得られたわけでは
なかった 95。
その他にも、仮に相続人が限定承認を選択することになったとしても、その手続きが煩雑でかつ
94 立法論としては、むしろ単独でも限定承認ができるとし、その中の
1 人でも限定承認を希望すれば、反対
者がいたとしても、遺産全部の整理をして、債務の残額を各共同相続人に割り当てるとしつつ、限定承認を
しない者については、清算後に自分の割当額について、固有財産をもって弁済の責めに任ずるものとする、
との見解が提唱されてきた(我妻栄ほか『民法③親族法・相続法』
(勁草書房、第 3 版、2013年)353頁、我妻・
前掲注(66)206頁、我妻・前掲注(18)11頁、中川責任編集・前掲注(9)262頁〔吾妻光俊〕、川崎・前掲
注(81)
「相続人の責任」351頁、鈴木・前掲注(88)78頁を参照。)。
95 たとえ共同相続人の
1 人について法定単純承認の要件が備わった場合であっても、その者が同意する限り、
なお限定承認をなすことができるものと解するとして、それを緩和する見解が提案されてきた。我妻ほか・
前掲注(94)349–350、353頁、我妻・前掲注(66)206頁。また、椿・前掲注(12)71頁、谷口 = 久貴編集・
前掲注(2)524–525頁〔川井健〕も参照。
89 高度の法的知識を必要であるために、法律の専門家でもない一般の相続人がその手続きを進めてい
くことは難しいという現実的な問題もある。とりわけ、一家の大黒柱を失った相続人にとって、相
続開始直後にその複雑な清算事務をすることは過大な負担となることは確かであり、またもしその
手続過程で不当な弁済がなされたという場合には、債権者や受遺者に対して損害賠償責任も負わさ
れるというリスク(934条)があるということも関係しているだろう 96。いずれにしても、限定承認
が利用されない背景には、その制度が清算をするものである以上、それに伴う手続的問題が現実的
には障害となっている。
このような問題がある一方、限定承認を積極的に選択することの意義は、とりわけ相続財産の状
況が明白でない場合に限定承認を選択することにより、相続財産の範囲内での債務が清算されるこ
とになるため、相続人が債務超過を相続することを回避することができるという点にあることは周
知の通りである 97。この点からすると、とりわけ相続財産の調査が複雑化している現代社会におい
ては、最初から限定承認を選択し、相続人の責任を有限にしておくことは確かに合理的である。ま
た、相続放棄も相続人を相続債務から解放するという意味では限定承認と同じであるが、相続放棄
を選択した場合には、たとえその後に残余財産があることが判明しても、もはや相続人はそれを取
得することはできなくなるのに対して、限定承認を選択した場合には、それを取得できるという点
でも、その意義がある 98。 このように、限定承認を積極的に選択することの意義として相続人の責任を有限責任とすること
が挙げられるが、それ以外にも財産上の損得計算では直ちに計れない価値を保持するという点でも
実益がある。すなわち、被相続人が経営していた債務超過にある家業を相続人が引き継いで再建す
るという場合には、直ちに相続放棄を選択するよりも、むしろそれを存続させた方が将来的には相
続人のみならず、債権者にも有利になることがあると言われており、この場合に限定承認を選択す
ることに実益がある 99。また、先祖伝来の家宝などのように、相続人にとって特別の価値のある財
産が相続財産の中にある場合に、限定承認を選択するならば、その限定承認者は家裁で選任された
鑑定人の評価額を弁済することで、競売に代えることができるため(932条但書き)、結果的には相
続人が先祖伝来の財産を確保できるという点でも実益がある 100。いずれも相続人にとって財産上の
損得計算では直ちに計れない価値を保持するという点で積極的に限定承認を利用する意義がある
が、この実益のために限定承認を利用する場合は比較的限られているであろうから、やはり有限責
96
内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』
(東京大学出版会、補訂版、2004年)452頁。
97
谷口 = 久貴編集・前掲注(2)539頁〔小室 = 浦野〕
、泉・前掲注(88)181頁。
98
相続の承認・放棄の期間伸長の件数も年々増加していく傾向にあることからすると、相続人にとって相続
財産の把握が必ずしも容易でないということが読み取れるだろう。
99
梶村ほか・前掲注(3)433頁〔棚村政行〕
、谷口 = 久貴編集・前掲注(2)539頁〔小室 = 浦野〕。
100
泉ほか・前掲注(1)210、233–234頁〔上野雅和〕
、梶村ほか・前掲注(3)433頁〔棚村政行〕、谷口 = 久貴・
前掲注(2)589–590頁〔小室 = 浦野〕
。
90
任が中心的実益ということになるだろう。
このように限定承認の問題点と実益の両面を整理してきたが、本稿の「はじめに」で述べたよう
に、複雑な現代社会においては、とりわけ予期し得ない多額の相続債務が後に判明するという可能
性に備えておくという点で、最初から限定承認を選択しておくこと、さらにはそれを本則としてお
くことが理想ではある。しかしながら、限定承認を利用することに伴う様々な煩わしい問題を考慮
すると、現実的にはそうすることが難しいことは否めない 101。したがって、限定承認は確かに多額
の相続債務から家督相続人を救済するために新設されたという背景があるが 102、以上で述べた現実
的な問題がその利用上の重大な障害となって、結局は戦前から今日にかけて相続人救済の中心的措
置としては十分に機能してこなかったと言える。その結果として、相続債務から相続人を救済する
ための中心的措置は、民法915条(旧1017条)における「熟慮期間の起算点」の解釈による救済に
移行していかざるをえなかった。
第 2 節 判例法における相続財産認識基準の形成 第 1 款 熟慮期間の起算点に関する起草者の見解
現在、熟慮期間の起算点に関する解釈論を通じて相続人を救済することが確立しているが、これ
による相続人救済を分析していく前提として、まずは起草者が熟慮期間の起算点についてどのよう
に考えていたのかを簡単に確認する 103。
まず旧民法の財産取得編の第317条においては、「相續人ハ、相續ニ付キ、単純若シクハ限定ノ受
諾ヲ爲シ、又ハ抛棄ヲ爲スコトヲ得。但、法定家督相續人ハ抛棄ヲ爲スコトヲ得ス、又隠居家督相
續人ハ限定ノ受諾ヲ爲スコトヲ得ス」として、一応は単純承認、限定承認、相続放棄という 3 つの
「隠居家督
選択肢が規定されていた 104。その上で、熟慮期間の起算点に関しては、同318条 1 項で、
相續ヲ除ク外、相續人ハ、相續財産ヲ調査スル爲メ、相續ノ日ヨリ三个月ノ期間ヲ有ス。但、裁判
所ハ情況ニ因リ、更ニ三个月内ノ延期ヲ許スコトヲ得」としていた 105。この点からすると、熟慮期
間を起算するにあたって、相続人が相続財産の具体的内容を認識しているかどうかについてまでは
考慮の対象としていなかった 106。
101
なお、民法上の問題とは別に、相続税法上の問題も視野に入れる必要があるが、ここでは視野に入れていない。
102
谷口 = 久貴編集・前掲注(2)538頁〔小室 = 浦野〕
。
103
なお、門広・前掲注(11)40–62頁を参照。
104
もっとも、この時点では「承認」ではなく、
「受諾」と表記していた。
105
なお、同条 2 項で「受諾又ハ抛棄ヲ決定スル爲、一个月ノ期間ヲ有ス。此期間ハ、調査期間満限ノ日又ハ
其前ニ實際ノ調査ヲ終了シタル日ヨリ之ヲ算ス」として、財産調査に 3 ヵ月、その選択にさらに 1 ヶ月の期
間を認めていた。
106
この点に関し、遠藤賢治「判解」
『最高裁判所判例解説(民事篇・昭和59年度)』194頁。
91 その後、第180回の法典調査会において、旧相続法(明治31年法律第 9 号)の起草者である富井
政章博士は、第1001条 1 項において「相續人ハ、相續權ノ發生ヲ知リタル時ヨリ、三ヶ月内ニ単純
若シクハ限定ノ承諾又抛棄ヲ爲スコトヲ要ス。但シ、此期間ハ裁判所ニ於テコレヲ伸長スルコトヲ
得。
」との提案をした 107。その上で、富井博士は旧民法財産取得編ノ第318条において「相續ノ日ヨ
リ」とあった点について次のように述べている。
「『相續ノ日ヨリ』トアツテ、是ハ相續開始ノ日ヨリト云フ積リデハナカラウト思フ。ソレナラバ、
必ズサウ書クノデアツタラウト思フ。相續開始ノ日ニ限ラナイ、殊更親族会デ選ブト云フヤウナ事
ガアラウ。是ハ、性質上、相續人ガ知ツタ日ヨリト云フ事ニシタガ宜イト思フ。詰リ、財産ヲ調ベ、
サウシテ處決スル考ヘル期間ヲ與ヘタノデアリマスカラ、ドウシテモ相續人ガ自分ガ相續人デアル
ト云フ事ヲ知ツタ日カラ起算シナケレバイカヌト思ヒマシタカラ、斯ウ書キマシタ 108。」
このように、富井博士は、熟慮期間の起算点に関しては、そもそも自己が相続人であると認識し
なければ意味がないことから、その認識を基準にしているに過ぎなかった。また、当時における相
続の大方は、相続財産がそれほど複雑なものではないため 109、通常はその期間内に財産調査ができ
るものとの考えていたようである 110。したがって、この段階においても相続財産の内容に関する相
続人の認識がその前提とはなっているが、直接的には熟慮期間の起算基準とすることは想定してい
なかった。
第 2 款 最高裁昭和59年判決までの法解釈の概観
(1) しかしながら、実際には、特に被相続人と別居している場合に相続人が財産状況を十分に調
査できないことが当時においてもあった。その結果、熟慮期間経過後に被相続人の債権者からその
支払を請求された時に初めて自己が遺産相続人であることを知り、認識がないまま債務を相続して
いたということが戦前からしばしば問題となっていた。そしてその相続人が熟慮期間の起算点を通
じて裁判所に救済を求める際に、旧1017条における「自己ノ爲メニ相續ノ開始アリタルコトヲ知リ
タル時」とはいかなる時を意味するのか、その解釈が問題となっていた。
この問題に対し、当初の裁判所は、単に被相続人の死亡という原因事実の発生を相続人が知った
107
法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)414–415頁。
108
法務大臣官房司法法制調査部監修・前掲注(20)415–416頁。
109
熟慮期間に関し、大方の者は「ソンナ入組ンデ財産関係ヲ持ツテ居ル者ハナカラウト思ヒマスカラ、二ヵ
月位デ宜カラウト思ヒマシタ」として、全体として 1 ヵ月間の期間短縮を提案した(法務大臣官房司法法制
調査部監修・前掲注(20)415頁。
)
。
110
なお、この際に、富井博士は、旧民法で用いた「受諾」という文言を「承認」へと改めた(法務大臣官房
司法法制調査部監修・前掲注(20)414頁。
)
。
92
時から熟慮期間を起算するものと解していた。例えば、大決大正 3 年12月11日民録 20輯1093頁に
おいて 111、大審院は「遺産相續ハ、家族ノ死亡ニ因リテ當然開始シ、遺産相續人ハ其相續開始ノ時
ヨリ財産ニ関スル被相續人ノ權利義務ヲ包括的ニ承継スル」のであり、
「被相續人カ毫モ財産ヲ遺
留セス、債務ノミヲ負担シタル儘死亡シタル場合ト雖モ、遺産相續人ニ於テ之ヲ承継スヘキモノナ
ル」として 112、被相続人の死亡時から当然に相続が開始し、その時から熟慮期間を起算するものと
解した。また同様に、大判大正10年10月20日民録27輯1807頁においても、大審院は「遺産相續ハ被
相續人ノ死亡ニヨリテ當然開始スルモノニシテ、其開始ノ時ヨリ遺産相續人ハ財産ニ関スル被相續
人ノ權利義務ヲ包括的ニ承継スルモノトス」と判断した 113。これらの判断から見られるように、当
初の裁判所は被相続人の死亡という原因事実の発生を認識した時から熟慮期間を起算するものとし
て表面的に考えていた。そのため、法律上において自己が相続人となっているかどうか、さらには
被相続人に相続債務があるかどうかといった相続人側の事情は一切考慮されなかった。
この判決を受けて、穂積重遠博士は、上記の大審院判例が確立しているにもかかわらず、なお問
題が裁判所に持ち込まれるのは、そもそも「制度其ものが不穏當」だからであり、またその「解釈
も餘り窮屈すぎるのではあるまいか」と批判をした 114。その上で、熟慮期間経過後に借金を知り、
承継するという事態を目の当たりにし、そうした事態は「少々氣の毒な次第である」から、
「此點
は立法論として留意再考を要する所だが、差當り何とか救済出来ぬものだろうか」と考えた。そし
て「所謂『相続の開始』と云うのを形式的ではなく実質的に解したらどうかと云うことを問題にし
て置きたい」との示唆をした 115。
(2) その後、その批判を受けてか、大正15年に大審院は同様の事件で「民法第千十七條ニ、所謂、
相續人カ自己ノ爲ニ相續ノ開始アリタルコトヲ知リタル時トハ、相續人カ相續開始ノ原因タル事實
ノ發生ヲ知リタル時ノ謂ニ非スシテ、其ノ原因事実ノ發生ヲ知リ、且、之カ爲ニ自己カ相續人ト爲
リタルコヲ覺知シタル時ヲ指稱スル」との決定を出した 116。これにより、熟慮期間の起算点を考慮
するにあたっては、相続人に被相続人の死亡などの相続開始の原因発生に関する認識があったかど
うかという点に加え、さらに自己がその相続人となったことにつき認識があったかどうかという、
相続人側の事情を多少は考慮する方向へと動き出した。
その一方で、この種の問題においては、とりわけ相続人の生活を脅かしかねない消極財産に関す
る認識の有無こそ問題のネックになっているにもかかわらず、この段階では相続人が相続財産の内
容を十分に認識しているかどうかという点までは、考慮の対象とされなかった。そのため、熟慮期
111
なお、東京控訴院明治40年 2 月16日決定(判例集 1 巻24頁)も参照。
112
大決大正 3 年12月11日民録20輯1093頁。
113
大判大正10年10月20日民録27輯1807頁。
114
穂積重遠『判例民法・大正10年度』150事件(有斐閣、1923年)509頁。
115
穂積・前掲注(114)510頁。
116
大決大正15年 8 月 3 日民集 5 巻679頁、穂積重遠『判例民法・大正15年度』89事件(有斐閣、1928年)468頁。
93 間経過によって相続人が多額の債務を相続するという問題がやはりしばしば起きていた 117。
しかし、このような状況の中、昭和54年 3 月22日の大阪高裁による決定において、熟慮期間の起
算点を考慮するにあたっては、
「少なくとも積極財産の一部または消極財産の存在を覚知すること」
が必要であるとする画期的な判断が示された 118。そしてこの大阪高裁の決定を契機に、最高裁昭和
59年判決においても「相続財産の内容の認識」に関して言及されるに至った 119。
(3) 最高裁昭和59年 4 月27日判決の事案は、別居し音信不通となっていた被相続人 A には積極財
産がなかったため、相続人 X らが特に相続手続きをしないでいたところ、その 3 カ月後に A の債
権者 Y から突如その支払の訴えを提起されたため、X らは家裁に相続放棄の申述をしたというもの
であるが、その際にそれが民法915条に定められた 3 カ月の熟慮期間を既に徒過したものと言える
か、その熟慮期間の起算点が争われた 120。
この点に関し、最高裁は、そもそも相続人が、①相続開始の原因事実、及び②これにより自己が
法律上相続人となった事実を知った場合には、
「通常、右各事実を知つた時から三か月以内に、調
査すること等によつて、相続すべき積極及び消極の財産(以下「相続財産」という。)の有無、そ
の状況等を認識し又は認識することができ」るので、
「熟慮期間は、原則として、相続人が前記の
各事実を知つた時から起算すべき」であるした。しかしながら、例外的に一定の場合には熟慮期間
を相続財産認識時から起算することもあるということを、次のように述べている。
「相続人が、右各事実を知つた場合であつても、右各事実を知つた時から三か月以内に限定承認
又は相続放棄をしなかつたのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、
被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対
し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続人において右のように
117
大審院判例は、戦後の下級審において引き継がれた(中川・前掲注(13)289頁を参照。)。大審院判決に従っ
たものとして、①福岡高決昭23年11月29日家月 2 巻 1 号 7 頁、②大阪高決昭和41年12月26日判時485号47頁、
③高松高決昭47年 6 月26日判タ283号272頁、④高松高決昭48年 9 月 4 日家月26巻 2 号103頁、⑤大阪高判昭和
51年 9 月10日判タ345号219頁などがある。なお、相続人が相続財産を認識したかどうかを検討しているもの
として、①東京家審昭47年 6 月 2 日家月25巻 5 号50頁、②大阪高決昭48年 3 月13日家月25巻11号96頁、③東
京高決昭50年10月27日判タ336号269頁、④東京高決昭51年10月26日東高民報27巻10号239頁、⑤大阪高決昭52
年 6 月20日家月30巻 1 号83頁などがある。また、遠山和光「熟慮期間の起算点」
(梶村太市 = 雨宮則夫編集)
『現
代裁判法大系⑫相続・遺言』
(新日本法規出版、1999年)107–109頁も参照。
118
大阪高決昭和54年 3 月22日家月31巻10号61頁。岩垂肇「相続における熟慮期間の起算点」民商87巻 6 号(1983
年) 1 –12頁、浅見公子「判批」加藤一郎 = 太田武男編『家族法判例百選(第 3 版)』
(有斐閣、1980年)224頁、
山口正夫「判批」手形研究293号(1980年)34頁も参照。
119
太田・前掲注(50)96頁。
120
最判昭和59年 4 月27日民集38巻 6 号698頁。中田裕康「判批」法協103巻 9 号(1986年)1875–1899頁、遠藤・
前掲注(106)188–211頁、太田武男「相続放棄熟慮期間の起算点」民商93巻・臨時増刊号 1 (1986年)89–
115頁、泉久雄「判批」昭和59年度重判(ジュリ臨増838号)98–100頁、小賀野晶一「判批」水野紀子ほか編『家
族法判例百選』
(有斐閣、第 7 版、2008年)158頁など。
94
信ずるについて相当な理由があると認められるときには、・・・ 熟慮期間は相続人が相続財産の全部
又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当
である。」
このように、相続人に相続財産が全く存在しないと信じ、かつ財産調査の困難性などにより相続
財産がないと信じるにつき相当な理由があった場合には、相続人が相続財産を認識した時から熟慮
期間を起算するとした。また判決文において、
「相続財産」の内容を「相続すべき積極及び消極の
財産」として表現していることから、相続人がいずれかの相続財産を認識した場合には「全く存在
しない」とは言えないため、もはや熟慮期間の起算点を財産認識時まで繰り下げることができない
とものと読める。この点の解釈をめぐって、この判決以降の下級審において意見が分かれることと
なったが、いずれにしても相続人を救済する余地が従来よりも拡大されたことは確かである。
(4) その一方、宮崎梧一裁判官は、民法915条 2 項で十分な相続財産調査期間を与えていること
や、同条 1 項但書きで期間の伸長を認めていることから、
「相続人において相続財産を認識したか
どうかは、熟慮期間の起算点に影響を及ぼさない」との反対意見を述べた。その上で、多数意見に
対して次のような点から批判した。
まず第 1 に、立法の経緯からして、意識的に熟慮期間の起算点に例外を認めないことが明らかで
あることから、その例外を認める法廷意見は、
「法解釈の域から立法論に踏み込んだもの」という
批判である。第 2 に、多数意見のような解釈をすると「著しく法的安定性を害するものであり、そ
のような事情について関知しない相続債権者等に対し不測の損害を与えるおそれがある」という点
である。第 3 に「今後、熟慮期間徒過後も例外的に限定承認又は放棄ができるとされる場合の右の
相当性があるかどうかの点をめぐつて、相続人と相続債権者等の間における解釈の対立から無用の
紛争を引き起こすおそれもある。
」という点である。第 4 に、もはや単純承認本則が国民の間に普
及しており、法の不順守を弁護する必要はないという点であった。そして、宮崎裁判官が 3 つ目に
指摘した通りに、この判決の射程範囲をめぐって、後に下級審において争われることになった。
第 3 款 近年の裁判所における決定の状況とその問題
(1)限定説と非限定説の拮抗
下級審においては、昭和59年判決において被相続人において「相続財産が全く存在しないと信じ
た」という文言の射程範囲をめぐって意見が分かれている 121。
そのひとつが、その文言をそのまま解釈するもので、熟慮期間の起算点を相続財産認識時までに
繰り下げる場合を、相続人が積極財産及び消極財産のいずれも存在しないと信じた場合のみに限定
121
昭和59年判決直後における下級審の動向については、池田光宏「相続放棄の熟慮期間の起算点」判タ688号
(1989年)18頁、久保豊「相続放棄の熟慮期間の起算日について―下級審裁判例の分析と家裁実務―」家月45
巻 7 号(1994年) 1 頁以下を参照。
95 するという見解(限定説)である 122。この見解は、熟慮期間の経過という客観的事実により早期確
定をしている以上はそれを信頼した債権者を保護する必要があることや、後に相続債務の存在が判
明する度に熟慮期間を新たに起算していくことになりかねないため第三者を不安定にさせるという
点から、相続債権者の利益を考慮するものである 123。
これに対して、そもそも予期しえない多額の相続債務から相続人を救済することにこそこの問題
の本質があると考え、相続人が、相続財産の一部は知っていたものの、それが著しく債務超過であ
ることを知っていれば通常は相続放棄したであろうというような債務が存在しないと信じた場合で
あっても、熟慮期間の起算点の繰り下げを認めるという見解(非限定説)もある 124。
以下、近年における裁判所の決定を通じて、熟慮期間の起算点による相続人救済の状況を明らか
にしていくが、若干の事例をとりあげるに留める 125。
(2)限定説に従った事例
①最決平成13年10月30日家月54巻 4 号70頁 126。
相続人 X は、被相続人 A が死亡したこと、また A の相続財産として不動産(時価約500万円)及
び預金(15万円)があることは認識していたが、A に保証債務(約5500万円)があることまでは知
らなかった。その 3 年 8 カ月後、X は住宅金融公庫 Y から保証債務の支払いを請求されたため、相
続放棄の申述をしたが、高松家裁丸亀支部はそれを却下した。
高松高裁も「民法915条 1 項所定の熟慮期間は、遅くとも相続人が相続すべき積極及び消極財産
(相続財産)の全部または一部の存在を認識した時または通常これを認識しうべき時から起算すべ
き」とした上で、本件では X が A の不動産や預金といった相続財産の存在を知っていたため、X の
相続放棄の申述はもはや熟慮期間経過後になされたものであり、認められないと判断した。なお、
122
遠藤・前掲注(106)206頁。この点に関して、尾島・前掲注(13)22頁、松田・前掲注(7)391頁、遠山
和光「熟慮期間の起算点」梶村太市 = 雨宮則夫編集『現代裁判法大系⑫相続・遺言』
(新日本法規出版、1999年)
115頁を参照。
123
松田・前掲注(7)396頁。
124
なお、釜元裁判官は、債務超過を理由とした相続放棄の申述においては、原則として、それを受理すべき
と言う(釜元修「家庭裁判所が相続放棄の申述を却下できる場合」右近健男ほか『家事事件の現況と課題』
(判
例タイムズ社、2006年)243頁を参照。
)
。
125
昭和59年判決の射程範囲を検討している近年における一連の裁判例を扱ったものとして、例えば、尾島・
前掲注(13) 1 頁以下、松田・前掲注(7)389頁以下、千藤洋三「判批」リマークス39号(2009年下)58–61頁、
釜元・前掲注(124)238頁以下、吉岡伸一「民法915条の熟慮期間について」岡法55巻 3 = 4 号(2006年)553
頁以下。
126
最決平成13年10月30日家月54巻 4 号70頁。民事訴訟法337条において許可抗告制度を創設したことにより、
最高裁も相続放棄の申述の適否について法律問題として決定を出すことができるようになった。
(尾島・前掲
注(13) 3 頁、川淳一「判批」民商128巻 4 = 5 号(2003年)684頁、釜本・前掲注(124)247頁注 5 を参照。)。
なお原審は、高松高決平成13年 1 月10日家月54巻 4 号66頁。
96
高松高裁は最高裁への抗告を許可したが、その結果、最高裁は原審の判断を正当なものとして抗告
を棄却した。このことから、最高裁も、相続人の認識した相続財産が、たとえ積極財産であって
も、それを認識した以上はその時から熟慮期間を起算するものとして、例外法理の射程範囲を限定
的に解していると言える。
②最決平成14年 4 月26日判時1790号111頁 127。
X ら( 5 名)は、被相続人 A 死亡(平成10年 1 月 2 日)から 7 日後(同年 1 月 9 日頃)に、A 所
有の不動産を X 3 が単独取得し、それ以外の者は相続分不存在証明書に署名押印するとの遺産分割
協議を成立させた。しかし、その 3 年 7 か月後に、A の債権者(銀行)から2000万円を超える連帯
保証債務の支払いを求められ、その時に他の負債を含めた A の消極財産の額が積極財産の額を上
回ることを知った。そこで、X らは相続放棄の申述をしたが、千葉家裁八日市場支部はそれを却下
した。
東京高裁も「X らは、遅くとも、遺産分割協議をした平成10年 1 月 9 日ころまでには、A の遺産
の存在を認識し、自己のために相続の開始があったことを知ったといわざるを得ない」と述べ、相
続人が積極財産を認識した以上はその時から熟慮期間を起算するものとして、申立てを却下した本
件家裁の判断を支持した。なお、本件においても、東京高裁は最高裁への抗告を許可した。その結
果、最高裁は高裁の判断を正当なものとして、抗告を棄却した。このことから、本件においても最
高裁はその例外法理の射程範囲を限定的に解していると言える。
(3)非限定説に従った事例
①大阪高決平成10年 2 月 9 日家月50巻 6 号89頁 128。
相続人 B、C、X 1 、X 2 、X 3 は、平成 9 年 4 月30日に被相続人 A が死亡したことを受けて、同
年 8 月 1 日に遺産分割協議により、相続財産である不動産甲を B に、不動産乙を C に取得させる旨
の遺産分割の合意をし、所有権移転登記手続をした。その後、同年 9 月29日に、国民金融公庫 Y か
ら A が B の経営する会社の連帯保証人として連帯保証債務(510万円)を負担していることを知ら
され、またそれを契機に調査した結果、別の銀行にも約4400万円の連帯保証債務を負っていたこと
が判明した。そこで X らは同年11月 1 日に相続放棄の申述をしたが、神戸家裁は、X らが本件遺産
分割協議により遺産について処分行為をしたことは法定単純承認事由に該当するので、その申立て
を不適法として却下した。
これに対して、大阪高裁は、民法915条の熟慮期間内に相続放棄をしなかったことが、「相続人に
127
最決平成14年 4 月26日判時1790号111頁。なお、原審は、東京高決平成14年 1 月16日家月55巻11号106頁。
上野雅和「判批」民商131巻 3 号(2004年)136頁、釜本・前掲注(124)247頁も参照。
128
大阪高決平成10年 2 月 9 日家月50巻 6 号89頁、判タ985号257頁。この決定に関する検討として、村松徹「判
批」判タ臨増1005号(1999年)154頁、千藤洋三「判批」民商121巻 4 = 5 号(2000年)204頁を参照。
97 おいて、相続債務が存在しないか、あるいは相続放棄の手続をとる必要をみない程度の少額にすぎ
ないものと誤信したためであり、かつそのように信じるにつき相当な理由があるときは、相続債務
のほぼ全容を認識したとき、または通常これを認識しうべきときから起算すべき」との判断のも
と、本件の諸事情に照らし、最終的には X による相続放棄の申述を受理した 129。
本件では、熟慮期間の起算点を判断において、相続人に相続債務の有無やその債務額の点に誤信
相当性があるかどうかに着目し、誤信相当性が認められる場合には消極財産の「ほぼ全容」を認識
した(認識しうべき)時から熟慮期間を起算するものと判断した点で、昭和59年判決の射程範囲を
超えて、相続人の主観的事情をより重視した判断をしている。
②東京高決平成12年12月 7 日家月53巻 7 号124頁 130
相続人 X は、被相続人 A(平成 7 年10月26日死亡)の公正証書遺言に B が A の財産を全て相続す
るものとあったため、X 自身には何らの相続財産もないと信じており、またそのことに承諾もして
いた(正式に相続放棄の手続きはしていない)
。そして指定の遺言執行者 C が財産目録を作成し、
遺産分割を完了させたものの、実は住宅金融公庫 Y からの借入金が記入漏れしており、また B の単
独相続とする債務承継の手続きが完了していなかったため、平成12年 6 月17日に X は Y から債務額
950万円及び残元金額718万8382円の支払いを催告された。そこで X は平成12年 8 月30日に相続放棄
の申述をした。しかし、千葉家裁市川出張所においては、X は自己が相続することはないものと信
じていたとしても、A 死亡時に相続財産の存在を認識していた以上はその時点から熟慮期間が進行
するものと判断され、X の申述が却下された。
これに対して、東京高裁は、本件 X は「被相続人の本件遺言があるため、自らは被相続人の積極
及び消極の財産を全く承継することがないと信じたものであるところ、本件遺言の内容、本件遺言
執行者である C の X らに対する報告内容等に照らし、X がこのように信じたことについては相当な
理由があった」として、熟慮期間内に X が相続の選択することは「およそ期待できなかったもの」
と判断した。その上で「X が相続開始時において本件債務等の相続財産が存在することを知ってい
たとしても、X のした本件申述をもって直ちに同熟慮期間を経過した不適法なものとすることは相
当でないといわざるを得ない」として、本件熟慮期間は自己が債務を相続すべき立場にあることを
認識した時(平成12年 6 月17日)から起算するものと判断した。
本件の原審では、単に被相続人死亡時に相続人が相続財産の存在を認識した以上はその時から熟
慮期間が起算されるとして、限定説の立場を示した。これに対し、東京高裁は、単に積極財産もし
129
本件は、熟慮期間の徒過そのものというよりも、むしろ遺産分割協議をしたことが処分行為に該当すると
して法定単純承認されたものである。そのため、最高裁昭和59年判決のような熟慮期間の経過が問題となっ
た事例とは違いがあるが、誤信相当性を判断している点では共通している。
130
東京高決平成12年12月 7 日家月53巻 7 号124頁、判タ1051号302頁。また、上原裕之「判批」判タ1096号
(2002年)106頁、千藤洋三「判批」民商128巻 1 号(2003年)149頁を参照。
98
くは消極財産のいずれかの存在に関する相続人の認識だけを判断基準にするのではなく、公正証書
遺言の存在など諸事情を考慮し、相続人が当該相続財産、特に消極財産との関係で自己が相続しか
つ弁済する立場にあることを認識した時から熟慮期間を起算するものとしている。この点で、本件
においても、最高裁による例外法理の射程範囲を超えて、相続人を救済したものと言える。
③福岡高決平成16年 3 月16日判タ 1179号315頁 131。
カネミ油症患者である被相続人 A は国 Y から損害賠償(約390万円)の仮払いを受けていたが、
最高裁で訴えの取下げをした。それに伴って、その仮払金を返還すべきところ、A は直ちにその返
還ができなかったため、その支払期限を 5 年間延長する調停を申立て、それが成立したが、その
後、A は平成14年 3 月27日に死亡した。これにより、A の相続財産は債務超過の状態となった。A
の第 1 順位の法定相続人 B ら(配偶者と子 3 名)は相続放棄を行った。次いで第 2 順位の法定相続
人 X ら(父母)は、平成15年 5 月28日に、農水省から「故 A に関して発生した相続の『承認』又
は『相続放棄』の意向の確認について」と題する書面(本件通知書)を受け、その中で X らが相続
放棄をしない限りは、上記仮払金返還債務を相続する立場にある旨記載されていたため、その時に
その債務に関する自己の相続開始を具体的に認識した。そこで、X らは翌日に相続放棄の申述をし
たが、長崎家庭裁判所上県出張所はそれを却下した。
これに対して、福岡高裁は「X は、農林水産省の担当者から、次順位の相続人である X について
は、先順位の相続人が全員相続放棄をしたことが確認されれば、関係書類を送付するので、これを
見て対応するようにとの説明を受けたというのであるから、X が次順位相続人として、上記仮払金
返還債務について、相続開始の事実を認識するに至ったのは、本件通知書の送付を受けた後である
と認めるのが相当である。
」として、本件 X の熟慮期間は平成15年 5 月28日から進行するため、X
の相続放棄の申述を受理した。本件福岡高裁は、X が農水省から、先順位相続人全員が相続放棄を
したことを確認した後に、関係書類を送付するので、それを見て対応するようにとの説明があった
ことに着目し、当該相続人が本件相続に関する通知書を受けてから熟慮期間の起算していくものと
判断した。本件も相続人が当該相続債務を相続し、かつ弁済することを具体的に認識した時から熟
慮期間を起算すると判断していることから、本件でも相続人救済をより重視している。
(4)まとめ
最高裁昭和59年判決以降、その判決で示された相続人が「相続財産が全く存在しないと信じた」
場合とはいかなる場合を意味するのか、その解釈をめぐって 2 つの見解が拮抗している。
まず、限定説によれば、最高裁昭和59年判決をそのまま読み取り、相続人が積極財産も消極財産
のいずれの相続財産も認識していない場合に限って、熟慮期間の起算点を相続人の相続財産認識時
131
川並美佐砂「判批」法学新報114巻 1 = 2 号(2007年)265頁。
99 に繰り下げるとする 132。しかしながら、この種の事件の特徴は、相続人が積極財産の有無に関して
は認識していたが、消極財産の有無に関しては認識していなかった、あるいは相続債務の存在を知
りつつも、自分は全く財産を相続しないものと信じていたというところにあり、いずれの場合にお
いても相続人が相続債務を弁済する責任があることについて具体的に認識していなかったというも
のであった。したがって、昭和59年判決は確かにこの種の問題から例外的に相続人を救済するとい
うものではあったものの、通常、相続人は積極財産に関しては比較的容易に認識しうるであろうか
ら、その射程範囲を限定説のように解すると、この種の事件において相続人を救済していくはずで
あった例外法理がほとんど機能しなくなるように思える。
これに対し、非限定説によれば、消極財産の存在を認識してない場合はもちろん、いくら相続人
が相続財産(特に相続債務)の存在そのものを認識していたとしても、自己に相続債務を弁済する
責任があることを具体的に認識していないという場合には、それを認識した時までに熟慮期間を繰
り下げることができるとしていることから、相続人救済の可能性が昭和59年判決の想定していた範
囲をさらに広げるものである 133。もっとも、そう解することによって、立法論に踏み込んだものと
して批判された昭和59年判決の枠組みをさらに超えることになるため、もはや解釈論としての限界
を超えているとの批判にも一理あるだろう 134。また、本来、熟慮期間の伸長制度によって相続財産
を十分に調査していくことが予定されているものの、結局、相続債務を弁済する責任を認識した時
までに熟慮期間を繰り下げるとしていることから、その制度を軽視することにもなるとの批判もあ
るだろう。しかしながら、上述したようなこの種の事件の本質に照らし合わせると、やはり非限定
説による処理が妥当であるように思える 135。そして、非限定説に従って多額の相続債務から相続人
を救済していく余地を広げていくことは単純承認によって負わされるリスクを抑制していく機会を
相続人に与えることになるという点で、正面から認めることができなかった限定承認本則による相
続人救済と近い結果を認めることにもなるだろう 136。
132
なお、大阪高判平成21年 1 月23日判タ1309号251頁も、熟慮期間を繰り下げるべき特段の事情がないとされ
たが、相続人側において相続財産の調査が不十分であることを理由にしている点には注意する必要がある。
133
その他、仙台高決平成 7 年 4 月26日家月48巻 3 号58頁、名古屋高決平成11年 3 月31日家月51巻 9 号64頁、
東京高決平成26年 3 月27日判時21頁がある。平成19年 6 月25日家月 60巻 1 号97頁も非限定説。裁判例の流れ
としては、相続債務弁済責任認識時を熟慮期間の起算点をする方向に傾斜しているとの見解につき、千藤・
前掲注(125)58–61頁を参照。
134
もっとも、非限定説においては、相続放棄の申述が受理されても、相続債権者は民事訴訟で相続放棄の有
効性を争うことができるから、できるだけその申述を受理しておくべきとの考えが背後にあるとも言われて
いる(松田・前掲注(7)399–400頁。
)
。
135
下級審においては、昭和59年最高裁判決を前提に判断しているものの、その原審との間で判断が逆になる
ということも多々ある。こうした点から、最高裁判決の定式自体に欠陥があるとの批判がある(伊藤昌司「判
批」民商115巻 6 号(1997年)207頁。
)
。
136
松田・前掲注(7)401頁、椿・前掲注(12)67頁以下。
100
第 3 節 小括
戦後の相続法改正において、限定承認本則が検討項目のひとつとして視野に一応入れられてい
た。しかし、戦後直後においては父債子還思想がまだ残っていたことや、限定承認本則を認めるこ
とに伴う諸問題を短期間で解決できなかったため、結局は従来通りに単純承認本則が維持された。
こうした改正論において学説は限定承認本則の実現を求めていたが、それに関する具体的な制度構
築までは提唱されていなかったこともあってか、単純承認本則を維持する方向を転換させるまでに
は至らなかった。その後においても限定承認の問題が指摘されていたが、本格的な検討へとつなが
ることはなく、またその利用増加にもつながらなかった。結局、当初は債務を相続するという拘束
から相続人を救済する目的で限定承認が導入されたものの、戦後においても限定承認が相続人救済
の中心的措置として定着することはなかった。
その一方、被相続人に相続債務の存在を知らないまま、熟慮期間経過後にそれを相続していたと
いう場合の相続人救済は、熟慮期間の起算点をめぐる解釈論を中心にして進められた。当初は、民
法旧1017条における「自己ノ爲メニ相續ノ開始アリタルコトヲ知リタル時」を被相続人の死亡時に
当然開始するものと解していたが、後には相続開始の原因事実の発生及びこれにより自己が法律上
相続人になった事実を知った時と解され、相続人救済の余地が徐々に開かれていった。その後、昭
和59年判決において、一定の場合には「相続人が相続財産の全部又は一部の存在を知った時又は通
常これを認識しうべき時」から起算するものとして、例外的に相続財産に関する相続人の認識状況
を考慮することで、相続人救済のための画期的な例外法理を認めた。もっとも、その後の裁判所に
おいて、相続財産の認識に関してはその解釈が拮抗しているが、相続人救済のために相続人が相続
債務を弁済する責任を認識した時から熟慮期間を起算すると判断する事例も多々見られるように
なった。
おわりに:本稿の総括と結論
第 1 節 本稿の総括
(1) 戦前の相続の中心にあった家督相続においては相続放棄が禁止されていた。そのため、家督
相続人が多額の相続債務を回避するための救済措置として限定承認制度が新設された。しかし、当
時の社会において浸透していた父債子還思想により、事実上、単純承認が強制されていたため、限
定承認の多額の相続債務から相続人を救済するという目的は理想に留まった。その一方、学説の中
で限定承認本則論がみられたが、これはさらに立法論(人事法案)としても注目された。そのうち
遺産相続においては限定承認本則案が示されていたが、家督相続においてはその特質から積極的に
101 限定承認を選択しない限りは、単純承認とみなすという形になっていた。このように戦前において
は立法論として限定承認本則を求める動きが高まったものの、結局は、戦争の影響を受け、それが
実現することはなかった。
(2) 戦後において、日本国憲法制定に伴って家族法も改正された。その際、限定承認本則論も一
応は考慮されたが、その手続上の諸問題を理由として導入が見送られた。しかし、限定承認本則論
を阻んだのは、それだけではなく、戦後直後においては戦前の国民意識を急転換させることができ
なかったという思想的事情も関係していた。そのため、戦後直後の改正においては単純承認本則か
らの脱却が実現しなかった。もっとも、その改正過程において、学説では限定承認本則を求める動
きが見られたが、その詳細な問題点を具体的に論じていなかったこともあってか、結局はそれが実
現することはなかった。その後、徐々に思想的にはかつての父債子還思想が希薄化していったもの
の、制度上の問題に関しては依然として解決することができず、限定承認が債務超過に備えての安
全装置として相続の第一次的選択肢となることはなかった。その結果、多額の債務を知らずに相続
していた相続人を救済する中心的手段は判例法に移行し、それはとりわけ昭和59年の最高裁判決に
よって展開した。しかしながら、その後の下級審において、その救済するための射程範囲をめぐる
解釈が拮抗しているため、相続人救済措置としては不安定な状況にあるが、相続人が相続債務につ
いて弁済する責任を認識した時まで熟慮期間を繰り下げることを認める判断も多々見られるように
なった。
第 2 節 相続人の責任制限に関する再検討
(1) 以上のように、日本法における相続人救済の歴史的経過を概観してみると、今日においても
なお学説の中でしばしば主張されているように、限定承認を本則とすることは、確かに個人責任と
いう近代的相続法の観点からすると合理性がある。しかしながら、限定承認が抱える複雑な手続き
の問題が解決されないまま、直ちに個人主義の理想という点から原則として複雑な限定承認手続き
を要求することは、かえって相続人に負担をかけることとなるだけでなく、社会的に混乱を惹き起
こすことにもなるだろう。したがって、現時点では、限定承認による対応は期待できず、単純承認
を本則とする構造を維持せざるを得ないように思える。
しかしながら、その一方で、単純承認を原則とし、またそれにより相続人が無限責任を負うとい
うリスクがあることからすると、立法上で相続人に十分なセーフガードを認めていく必要があるだ
ろう。すなわち、単純承認を本則とすることは相続債権者の利益を重視することになることは上述
したが、その反面で、単純承認本則に伴う不意打的な債務の相続を事後的に認識するというリスク
から相続人を救済する措置が未だに立法上で十分に整備されていないことからすると、相続債権者
の利益と相続人の利益とのバランスがとれていないと言える。
もっとも、上記で見たように、熟慮期間の起算点に関する判例法によって相続人救済が認められ
102
てはいる。その判断において、最高裁としては相続人の主観的事情をあまり考慮しないようである
が、その一方で、下級審の実務としては最高裁の方向に反して相続人の主観的事情、とくに相続債
務の弁済責任に対する認識を考慮するものも多々ある。このことからすると、その救済の射程範囲
の解釈には不明確さが残っており、またそもそも民法915条の文言からかなりかけ離れていること
も否めない。したがって、このような問題からすると、今後もなおその法構造をそのまま維持し
て、解釈論という形で相続人救済を維持していくことが妥当であるようには思えない。むしろ、相
続債権者との関係での法的安定性も考慮する必要はあるが、単純承認を本則としていることに相応
する事後的な相続人救済措置を立法上で明確にしておく必要があるだろう。
(2) なお、この問題に関して参考になるのが、例えば、韓国民法であろう。韓国では2002年の法
改正において、相続人は熟慮期間内に相続債務が相続財産を超過する事実を重大な過失なく知るこ
とができず、単純承認をした場合には、その事実を知った時から 3 か月以内に限定承認をすること
ができるとの規定(韓国民法1019条)を追加し 137、相続債務から相続人を救済する法的措置を整備
したようである。また、その限定承認をするにしても、個別による限定承認を認めているようであ
る(韓国民法1029条)
。
こうした韓国での立法的対応を見ると、相続人、とりわけその相続人が大災害の被災者もあった
場合に、熟慮期間経過後に相続債務を請求されることにより、生活再建がさらに一層滞るという事
態を回避できるように思える。またそれを明文規定にすることにより、相続債権者側にも熟慮期間
経過後に請求することにはリスクがあることを認識させることにもつながるように思える 138。
137
浅野義正「韓国の親族法・相続法」公証法学42号(2012年)204–206頁、梶村太市ほか・前掲注(3)430、
443–444頁〔棚村政行〕を参照。
138
本稿は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(A)
「北リアスにおける QOL を重視した災害復興政策研究
―社会・経済・法的アプローチ」
(課題番号24243056)
(代表:李永俊)の助成を受けた研究成果の一部である。
103 【翻 訳】
ドイツ連邦議会における連邦首相
アンゲラ・メルケル博士の2015年度予算法説明演説
2014年 9 月10日ベルリン
齋 藤 義 彦 訳
議長、同僚議員の皆様
私たちは今日第一読会で特別な予算について審議します。2015年度予算で私たちは1969年以来初
めて新規の借り入れをしないつもりです。1 私たちがここ数年間努力してきたことが今や現実とな
るのです。連邦政府は世代間の責任を果たす予算案を提示することに成功しました。この予算は社
会的であり、この国の未来に投資し、そうすることで経済成長と雇用を促進するものです。私たち
は共同でこの目標を達成できたことに誇りを持つことができます。2
今後数年間に渡り財政計画は連邦の新規の借り入れを予定していません。借金に頼る経済は終わ
らせなくてはいけません。そしてこれが ─ そこにこの予算の深い意味があるのですが ─ 私たち
が青年たち、子供たちや孫たちに寄与することができる、世代間正義のための最良の貢献なので
す。今日私たちは始まりつつある巨大な人口動態的な変化を前にこの貢献を果たします。ですから
これは正しいのです。
私たちの目標を達成するためには厳格な歳出規律が必要になるでしょう。ドイツに妥当すること
はそのまま欧州にも妥当します。私たちは欧州情勢が依然として予断を許さないものであることを
知っています。私たちは改革政策により欧州で重要な成果を収めてきました。例えばスペインのよ
うな一連の国で改革が効果を発揮し、成長力を強化していることを確認できます。しかし欧州委員
会が正当にも、改革コースからの離脱が継続的な回復にとって最大のリスクであると警告したこと
を私たちは真剣に受け止めなければなりません。ですから欧州委員会がいわゆる欧州ゼメスターの
枠組みの中で健全な財政と改革に注視し、圧力を維持することは、正しいことなのです。3 連邦政
府はこの目標を目指す欧州委員会を支持します。4
ヴォルフガング・ショイブレ(財務相)が昨日言ったことを私は繰り返したいと思います。欧州
で、特にユーロ圏で私たちが合意した義務の遵守は、過去とは異なりユーロ圏の特徴とならなくて
105 はいけません。このことが信用を生みます。そして当事者から私たちに見返りがあるでしょう。5
失業、特に若年層での失業が依然として高水準にあることに目をつぶることは許されません。で
すから若年失業をなくす戦いは最重要の課題です。10月 8 日にイタリアの欧州理事会議長は欧州理
事会をイタリアで開催します。そこで私たちは再度この課題に取り組みます。私たちはいかに改善
したか。どのような障害があるか。若年失業対策の特別計画が今日まで該当する国々から利用され
ていないことは、良い印ではありません。私たちは問わなければなりません。運用により柔軟性が
必要か。それは必要か。いずれにしろ最も重要なことは、予算が若者たちに届き、そこから雇用が
生まれることです。6
同僚の皆様、健全な財政は自己目的ではありません。それは未来のための政治の機動力確保の前
提なのです。
第一にデジタル変革の積極的支援のためのものです。デジタル変革は経済と科学にとって中枢的
な建設的課題です。それは私たち政治にとっても言えます。この十年代の後半にドイツ、そして
EU が、この課題を巡りいかに世界的に位置付けられるかで、私たちの競争力、それとともに将来
の福祉が決定されるでしょう。
連邦経済省、内務省、デジタルインフラ担当省が、デジタルアジェンダを策定し、 8 月20日に閣
議決定されました。これはほとんどすべてと言っていい生活領域で生じつつあるデジタル化によっ
て生まれる技術革命を積極的に支援し、政治的に共同参画するための最初の一歩です。
私たちは連邦政府として三つの重点項目を立てました。
追加的成長と雇用のための刺激と ─ 情報技術業界は決定的な技術革新と成長のためのエンジン
です ─ 高度な通信網への接続と参加 ─ 我が国は広域的な広帯域インフラを必要とします ─ そ
してインターネットにおける信頼と安全です。これは私人や企業のデータの安全から枢要なインフ
ラの防護まで含みます。7
8 月20日の閣議決定は行動大綱を示しています。共同の実施は関係する経済団体、科学団体、市
民社会との対話を通して行われます。しかしこの対話の後政治が重要な決定を下さなくてはならな
いし下すであろう諸項目があるでしょう。
8 月20日の閣議決定の後での段取りは10月21日にハンブルクで予定されている IT サミットです。
106
このサミットは中心的な対話基盤となり、デジタルアジェンダの行動領域を反映するものとなるで
しょう。管轄する三人の閣僚とそれまでに重要項目の準備をすることで合意しています。例えば、
ネットワークの拡張に欠かせない、ネット中立性のテーマや700メガヘルツ帯域の競売の具体的日
程などです。
デジタル化は単に高速インターネット、IT の安全、あるいは遠距離通信分野における技術革新
を意味しているだけではありません。産業革命が問題となっていること、ただし私たちが歴史から
学んだような工場の煙を吐く煙突や機械の騒音ではなく、まったく別の様相を示すものであること
を理解しなくてはいけません。しかし似たような魅惑的な変化を伴うものです。
キーワードは「産業(革命)
ヴァージョン 4 」です。これは何を意味するのでしょう。機械が
相互に情報伝達するところでは、自動的に自己組織化する生産工程がますます増えるでしょう。こ
れはもちろん労働現場に重要な作用を及ぼすことになります。ちなみに私たちはこの問題を経済団
体、労働組合と数日前メーゼブルクで議論しました。ソフトウエアーのちょっとした導入でビジネ
スモデルや価値創造プロセスが完全に変更されてしまいます。そしてサービス部門と生産プロセス
はますます接近し、噛み合うことになるでしょう。今日私たちが知っているような道具としてのコ
ンピューターは、ますます日常的道具の中に姿を消し、統合されるでしょう。これが議論の的となっ
ているモノのインターネットです。インターネット企業、アプリの開発者、その他デジタルサービ
スの分野の企業が、新しい中間層となるのです。中間層はこれまでも常にドイツの屋台骨となって
きました。ですからこの中間層が良い発展の機会を得られるよう私たちがこの中間層を支援するこ
とが重要なのです。これはまず今日オープンイノヴェーション、気の利いた言葉ですね、によっ
て、つまり必要なソースへのアクセス権によって担保されます。さらに私たちは特に経済相を通じ
て、若い企業家がよりよい資金調達条件を得られるよう支援します。例えば私たちはヴェンチャー
資金のための「INVEST」助成金を収益税から免除します。また私たちはこのようなヴェンチャー
企業家にドイツでよい条件を用意できるよう追加的な可能性を検討しています。
都市と地方の均衡のとれた発展は、両者が高速インターネットへの同等のアクセスを持つことに
よってはじめて可能になります。私たちは人口の半数が地方に住んでいることを忘れてはなりませ
ん。経済的可能性への参加が問題になっているだけではありません。教育などその他多くの事柄、
広義での同等の生活条件が問題となっているのです。ですから私たちは一歩一歩この目標を実現し
ています。2018年には少なくとも秒速50メガビットの速度を持つ広域の高速サービスが達成できる
ことが目標です。
私たちは事を進めたいと考えています。ですからドーブリント国土交通相が具体的な行程を決定
107 する「ネット連合 デジタルドイツ」を設立しました。インフラの整備と並んで将来は特に厖大な
データ量の管理が問題となります。これは一方での安全と他方での未来対応とを統合しようとして
いる私たちにとって重い課題となるでしょう。なぜならビッグデータは新しい価値創造プロセスの
出発点になるからです。この言葉を聞く前から恐れを抱いてこのプロセスに参加しない者は、この
価値創造プロセスに到達することはできません。ですから私たちはベルリンとドレスデンに二つの
ビッグデータセンターを設立し、未来の価値創造プロセスがいかにして可能になるのか経験を集め
たいと考えています。
内務相トーマス・デ・メジエールが、私たちは新しいデジタル秩序枠組みについての議論をする
必要がある、と言ったのは正しいことです。原則的な問いはいつも同じです。私たちはいかにして
ネットでの自由と安全を調和させることができるかということです。ですから連邦政府は、連邦内
務省の指導のもと、目下最初の IT 安全保障法を策定中です。この法律は私たちのインフラの安全
に特に重点を置きます。私たちはこの問題に対応したビジネスモデルを助成します。これは経済分
野でさらなる発展を可能にしてくれるはずです。ドイツはデジタル分野でのセキュリティー技術で
は最先端にいます。これはさらに増進しなければいけません。
「経済での IT セキュリティー」や
「サイバーセキュリティーのための連合」のような提案はさらに助成されます。8
もちろんこれらすべてのことは一国家だけでルールづくりができるわけではありません。ですか
ら私たちは欧州での同一の情報保護を必要としています。そのために情報保護基本指令が予定され
ています。この採決は重要な意味を持っています。私はこのことをここで何度も話題にしてきまし
た。しかし私たちは独自の国民的情報保護を弱めないように注意する必要があります。ですから交
渉は簡単なものではありません。しかし私たちが欧州で情報保護を含む経済的法的枠組みを統一し
なければ、この分野での域内市場は発展することができないでしょう。ですからこれは28加盟国す
べてが関係する事柄なのです。
デジタルアジェンダの今後の発展はドイツでのみ展開される必要はなく、欧州規模でも展開しな
くてはいけません。私たちの目標は ─ 新しい欧州委員会の作業においても ─ 中国のネット企業
同様アメリカのデジタルサ-ビス企業とも対等な競争ができることです。問題は、私たちは彼らと
同等か、私たちは本当に将来ドイツのため、欧州全域に価値創造、成長、雇用を生み出すことがで
きるのかということです。
国家による借金を終えることは ─ すでに述べたように ─ 自己目的ではなく、未来の政治的行
動可能性のための前提です。
108
このことは ─ 第二に ─ 私たちの研究環境、科学環境の先端的地位を維持する可能性のための
ものです。これは教育と研究に対する過去数年の一貫した支援の成果です。時に誤ったイメージが
示されるので再度次のことに注意を喚起します。2005年以降連邦の研究と開発のための支出は60%
弱144億ユーロまで増加しました。いまだかつてドイツ連邦共和国でこれほどの額が研究と開発の
ために連邦から支出されたことはありません。
私たちは私たちの国内生産のほとんど 3 %を研究と開発に支出しています。ちなみにこれは14年
前に宣伝されたものの、現実には少数の国によってのみ実施された欧州の計画の一つでもありま
す。これは信用だけではなく、もちろん経済力とも関係しています。連邦政府は任期中だけでもさ
らに教育と研究のために追加的に90億ユーロを支出します。そのうち30億ユーロを研究のために、
例えば「研究と技術革新のための協定」や私たちが先週閣議決定した新しいハイテク戦略のために
支出します。これはなかんずく産学の連携、つまり開発の応用が課題です。これが新しいハイテク
戦略の強みです。なぜなら私たちは研究での世界王者だけではなく、応用分野でも世界王者になり
たいからです。特に最先端クラスターにいくつかの成功例を見ることができます。医学からの一例
をあげます。ライン・ネッカー地域で最先端クラスターがまったく新しい治療法と薬品をいわゆる
カスタム医薬のためのがん研究で開発しました。私はハイデルベルクのがん研究センターを見学し
ました。医薬の個人対応がまったく新しい治療を可能にしていることに感動しました。このような
クラスターを他にもあげることができます。研究と開発における世界におけるドイツの評判がこれ
らの事例に実現しているのです。
重要なことは私たちの新しいハイテク戦略が今やすべての部署を動員しているということです。
そうすることによって私たちは連邦政府のための総合的基盤を持つことができます。
教育のテーマに関しては再度、各州と連邦との大学協定の一環として共同して運営されている追
加的な62万 5 千人分の学生定員のことに言及します。9 2015年度だけでそのために20億ユーロが用
意されています。そして私たちは各州と共同して歴史的な一歩を踏み出しました ─ 教育に関して
は各州と共同して初めて解決策を見出すことができると私は考えています。研究についても同じこ
とが言えます ─ 私たちは今度生徒と大学生のための奨学金の費用を連邦が100%負担することで
合意しました。これによって私たちは教育のための連邦および州共同の責任を追加的に引き受ける
ことになります。また私たちは数年にわたる奨学金増額のための方針を決定しました。そして私た
ちは基本法第91条b項を修正します。こうすることによって大学と大学外の研究施設とのよりよい
連携が可能になり ─ これは連邦制の課題を知らない他の国では当たり前のことになっています
が ─ 世界の頂点に立つことができます。
109 私たちは職業教育協定をさらに発展させ、今年の統合サミットを職業教育のテーマのもとに開催
します。ここで私たちは新しい段階に入ったことに言及しなければいけません。新しい学生定員増
員が朗報であることは確かですが、初めて大学進学者よりも、職業教育を受ける生徒の数が少なく
なったことで、私たちは私たちの職業教育の第二の柱を見失わないように注意する必要がありま
す。私たちは引き続きこの職業教育を強化していかなければなりません。
大学新入生のうち依然として高率の割合で修了しない者がいることから、職業教育と大学システ
ムの連結がシステム間移動のために重要であることが分かります。なぜならまったく職業教育を受
けない者は、将来失業に見舞われることを恐れなければならないからです。
健全な財政は ─ 第三に ─ 私たちのインフラの更新の前提です。良いインフラは私たちの国の
将来にとって重要な意味を持つという点で私たちは皆同じ意見です。これは私たちが過去に集中的
に審議してきたエネルギー転換との関連でのエネルギー網についても言えます。これはデータ伝送
とデジタル化についても言えます。それについてはすでに述べた通りです。そしてこれはもちろん
私たちの道路、橋、線路、水路のネットワークについても言えます。私も認識しているし、皆が認
識している欠点にもかかわらず ─ 私はあらかじめ確認しておきたいのですが ─ ドイツは世界的
に見ても最良の交通網の一つを持ち、これが私たちの国の強力な経済的担保となっているのです。
さらに私たちは連立協定では現任期中に交通路の維持と近代化のために追加的に50億ユーロ、本
年度中には11億ユーロを支出することで合意しました。交通投資は来年度には110億ユーロに達し
ます。追加投資が必要になります。将来的には貨物自動車通行税から賄われる予定です。自家用車
通行税の導入も加わります。ドーブリント道路交通相の提案は現在関係部署と欧州委員会との間で
調整中です。10
国家による借金を終えることは ─ 第四に ─ 人口動態的変動の克服と、私たちが社会的市場主
義の枠内で求められている社会保障の維持のための前提です。これは年金制度、医療制度、そして
特に介護制度について言えます。将来はより多くの高齢者、それとともにより多くの要介護者が生
じることを私たちは知っています。一方でこれは相互に責任を負う家族にとってまったく新しい課
題となります。しかし他方ではまた私たちの社会にとっての新しい課題でもあります。連邦政府は
まさにこの課題に取り組みます。ドイツでは直接にしろ間接にしろこの介護問題にかかわらない家
族はほとんどないと言ってもいいでしょう。ですからこの問題は私たちの社会のなかで正しく解決
すべき、深刻な人道的問題なのです。
私たちは介護強化法の第一読会を終えました。来年 1 月 1 日以降の介護の改善が議題でした。原
110
則は次の通りです。人道的な介護は将来も介護を必要とするすべての人にとって支払い可能なもの
でなければならない。これは介護施設で介護を受ける人にとっても家族に介護される人にとっても
言えます。
ですから私たちは ─ これは正しいことだと信じています ─ 介護保険料率を若干引き上げまし
た。これによって給付が引き上げられ、より柔軟に請求できるようにもなりました。私たちは家族
介護休暇の申請も簡素化したいと考えています。これによって家庭で家族を介護している家族に対
する支援が強化されます。この懸案は目下関係部署の間で調整中です。介護施設での介護要員の数
は増員されます。これは認知症の施設入居者のためだけではなく、すべての介護施設入居者にとっ
ても追加的な介護要員が手当てされることを意味します。このことによって介護専門要員の負担が
改善され、状況が改善されます。
親愛なる同僚議員の皆さん、人道的な社会は最弱者の扱いで測られます。私たちの援助と支援と
を必要とする人々です。このことは生存を脅かされて難民となる人々についても言えます。難民の
多くが欧州に保護を求めます。相当数がドイツでも助けを求めます。ですから私たちは慎重に十分
責任を持ってこの状況に取り組まなければいけません。
今年は世界で難民と被追放者の数が第二次世界大戦後最大となります。これは途方もない課題で
す。私たちドイツ人は歴史から、逃亡と追放がいかなる困苦と結びついているかをよく知っていま
す。ですから私たちは責任を自覚しています。EU 内でドイツは二位を大きく引き離してほとんど
の亡命申請者を受け入れています。その数は2013年には12万 7 千人、今年はほぼ20万人に達しま
す。このようにドイツは、戦闘地域からの難民という点を含めて、重要な貢献を果たしています。
ドイツにおける亡命申請者の増大する数はもちろん連邦、各州、地方自治体に亡命申請の処理、
宿舎、賄いと言った課題を負わせています。ですから私たち連邦政府は、各州、地方自治体と宿舎
の計画と設置に関していかにより迅速に目標を達成するかを検討しています。この問題では連邦軍
が貢献しなくてはなりませんが、すでに貢献は始まっています。連邦軍はすでに必要でなくなった
不動産や土地を速やかに連邦不動産局に返還するよう努めています。そうすることによって特に当
該の郡を支援することができます。この問題では私たちは本当に全力で取り組んでいます。
私たちは、連立文書で合意したように、亡命審査の処理時間をさらに短縮する必要があります。
亡命申請者のためにも、当該の地方自治体のためにも。連邦議会は2014年度予算で ─ もう一度思
い起こしてもらいたいのですが ─ 連邦移民難民局に300の新定員を認めました。こうすることに
よって今年度前半期には亡命判定数を倍増させることができました。急増する亡命申請者を受けて
111 私たちは更なる改善が必要です。それは明らかです。親愛なる同僚議員の皆様、ここで亡命申請を
処理している職員に感謝したいと思います。
これは実際要求の高い、困難な作業です。私は大いに敬意を持っています。
この問題と関連して重要な問いがあります。私たちは特定の国をどのように位置づけたらいいの
でしょう。ご存じのように、私たちは連邦議会でセルビア、マケドニア、ボスニア- ヘルツェゴ
ヴィナを安全な出発国と位置付けました。もう一度事情を説明したいと思います。私たちはシリア
からの難民、おそらくイラクからの難民も含め、という緊急の課題を抱えています。私たちは熟慮
しなければなりません。最も助けを必要としている人々をどのようにして私たちは実際助けること
ができるのか。これまで2014年に申請された亡命の20%がこの三か国に所属する人から提出されま
した。この申請の 1 %が許可されました。ですから私たちは、連邦参議院でもいかにしてこれらの
国を安全な出発国と位置付けることに賛同が得られるか協議しているところです。なぜならそうす
ることによって全員を対象とする法治国家的亡命審査で、緊急に私たちの助けを必要としている人
をより支援することができるからです。
8 月末に私たちは、地方自治体の負担軽減にもなる、亡命申請者支援法の修正を決議しました。
これで連邦憲法裁判所の判決を実施することができました。私たちはもちろん欧州の亡命政策を必
要としています。欧州の次元で共通の解決策を見いださなくてはいけません。それには、すべての
EU 加盟国が、たがいに責任を転嫁するのではなく、相互に支援する必要があります。これは大き
な違いです。ですからトーマス・デ・メジエール内務相がこの協議で成功を収めるよう願っています。
また、フランス、イギリス、ポーランドの同僚とともに共同の提案がなされることを歓迎します。
今日そして今週私たちの国家的課題を審議する時、私たちの審議は大きく変化した国際環境のな
かで行われています。昨年私たちの大連合政権の仕事の重点項目を決定した時、私たちは2014年と
いう記念年をどのような行事にするかを考えました。第一次世界大戦開始100周年記念、第二次世
界大戦開始75周年記念、ベルリンの壁崩壊25周年記念の行事です。その時は、欧州の諸民族がどの
道を進むかを21世紀には自決すること、諸民族の領土が保全されていること、私たち欧州の安全保
障体制についての合意が守られることは、いかに自明のように思われたことでしょう。現在2014年
はいかに様相を変えてしまったことでしょう。
EU と連合協定、自由貿易協定を締結するというウクライナの願いからロシアとの深刻な紛争が
生じました。11 クリミア半島の併合、ロシアによるドネツクとルハンスクの分離独立派の支援、ロ
シアの兵士による積極的な介入と武器供与が、この展開の三つの決定的な項目です。この切迫した
112
紛争を前にして私たちは次の問いの前に立たされています。私たちは歴史から何を学んだのか。こ
のような紛争で私たちの答えはいかにあるべきか。
四つの原則が私たちの行動に指針を与えてくれます。
第一に。この紛争は軍事的に解決すべきではない。
第二に。28EU 加盟国とアメリカ合衆国は共通の答えを見出す。
第三に。一国の領土保全の侵害と不安定化を私たちは容認しない。
第四に。同時に私たちは継続的に紛争の外交的解決のために働く。交渉のための扉は開かれてお
り、開いたままにする。
当面ウクライナとロシアの大統領の12項目計画が実施されるべきです。停戦と捕虜の解放が12項
目の 2 つの要素となっています。特に OSZE による停戦の継続的監視、紛争地域からのロシアの兵
士と武器の撤収そしてドネツクとルハンスクの住民による将来の地位についての自由な決定が問わ
れています。これらすべてが包括的に解決されるべきです。
EU による新規の制裁が合意されました。現在これが公表され、実施に移されます。連邦政府の
見解は次の通りです。確かに軍事的活動に関連した改善が ─ これは100%の休戦ではありません
が一つの改善ではあります。しかし私が挙げた他の多くの項目の実施については依然として不明な
点が残っています ─ もたらされた状況を受け、私たちはこの制裁が公表されることを支持します。
このことについて速やかに決定されることを期待しています。補足しますが、12項目が実際実質
的に満たされれば、私たちは真っ先に新規の制裁を再び解除するつもりです。なぜなら新規の制裁
は自己目的ではなく、不可避になったときにのみ科されるものだからです。
私たちの目標は全く明らかです。私たちは平和的にかつ自決的に自らの運命を決定できるウクラ
イナを支援します。ちなみにロシアとの善隣関係のもとで。私たちにとって EU とウクライナの良
好な関係とロシアとウクライナの良好な関係はあれかこれかの問題ではありません ─ 私はこのこ
とを昨年11月この場で言明しています ─ そうではなくあれもこれもの問題です。これが私たちの
目標です。私はこの危機の克服の道のりが時間がかかり、困難なものであることを理解していま
す。私たちは後退も経験しなくてはならないでしょう。私たちには粘り強さが求められます。しか
113 し現状がいかに困難なものでも、最後には法の強さが貫徹するということを私は強く確信していま
す。この確信によって私たちは勇気づけられます。
もちろんウクライナ情勢は先週のウェールズでの NATO 首脳会談での議題でもありました。NATO
条約第 5 条に規定されている集団義務により当地で全会一致でいわゆる準備行動計画(Readiness
Action Plan)が採択されました。目的は私たちのバルト地方および東欧の同盟国との連帯を目に
見える表現とするため、同盟の対応力と防衛力のはっきりした強化を示すことです。
ドイツはこの目的に貢献します。私たちはシュテッティンの北東方面多国籍部隊を強化すること
によって私たちの対応段階と能力を引き上げます。これはドイツ、デンマーク、ポーランドの共同
提案です。私たちは計画、兵站、演習により大規模な部隊の緊急展開のための前提を用意し、その
ために私たちの同盟国との地域的共同行動のための能力を構築します。
首脳会議のこの決定が私たちの欧州大西洋安全保障体制の枠組の中で、それには NATO ロシア
基本協定も含まれます、実施されることが重要です。NATO ロシア基本協定の諸原則、つまり民
主主義的原則と協力的安全保障の基盤に立った欧州大西洋地域の安全保障は、依然として基本的な
ものです。私たちはこれらの原則が再び守られることを期待しています。
私たちは欧州でのウクライナ紛争とシリアおよびイラクでの劇的な紛争と同時に取り組む必要が
ありました。シリアでの内戦はほとんど20万人の命を奪い、ヨルダンやレバノンなど諸国を不安定
化させる数百万の難民を生み出しただけではなく、新たなテロ組織を生み出しました。このテロ組
織はこの地域全域またその他の地域の安全を深刻に脅かしています。テロ民兵組織 IS(イスラム
国)です。IS との戦いは、異なる思想を持つ者に対する弾圧と少数派の野蛮な抹殺に反対するす
べての者の決断的で団結的な行動を必要とします。イラクのキリスト教徒、イェジド教徒、トゥル
クメン人、その他の少数民族の生存が脅かされています。ですからできるだけ多くの国の同盟が
IS に対抗することが正しい方策です。
私たちは先週ドイツの貢献について審議しました。連邦政府は包括的援助を実施することを決定
しました。最初にテロから逃れた数千人の人々の窮迫を緩和するための支援を始めます。私たちは
そのために約5500万ユーロを用意しました。180万トンの支援物資がすでにイラク北部の難民のた
めに搬送されました。私たちは支援を継続し、窮迫した人たちが近づく冬を無理なく越すことがで
きるよう援助します。
私たちはさらにクルド自治政府の治安部隊に軍需品を供与することを決定しました。クルド人部
114
隊は、僅かの装備で、イラク正規軍とともに、アメリカの支援を受けながら、非道で重武装した
IS テロリストと戦っています。防弾チョッキ、ヘルメット、通信機、地雷除去装置からなるエル
ビルへの最初の供与はすでに実施されました。そして今月中にも追加的な供与が実施されます。そ
のために私たちはイラク中央政府の明示的な承認を得ており、国際的なパートナーと密接に協力し
ています。12
IS との戦いも今日明日中に成功するわけではなく、相当長期に渡るでしょう。しかしこの戦い
も最後には成功するでしょう。なぜならこの戦いはアメリカ合衆国、EU さらにアラビア地域の多
くの同盟国からなる新しい同盟の中で遂行されるからです。私たち皆共同して、いかなる宗派に属
する者であっても、過激派とイスラム原理主義者に戦いを挑みます。
ここで再度強調します。テロの危険を軍事的に防ぐことは、絶対に必要です。しかしここでも言
えることは、持続的安定は政治的解決のみがもたらします。そのために月曜日のイラクでの新しい
包括的な政府の宣誓式は正しい方向に向けての重要な第一歩となりました。これから重要なこと
は ─ その際ドイツは可能な限り支援するつもりですが ─ イラク政府がすべての住民グループを
統合することです。なぜならそうすることによってのみ政治的解決が可能になり、国家が安定する
からです。
私たちは今日、あらゆる世代が常に新たに欧州と世界における自由で平和な人類の共存のために
努力するという課題を負っていることに思いを新たにしています。私たちは改めて、私たちが今日
いかに巨大な課題を克服しなければならないかを体験しています。
さきほど私たちはポーランド大統領ブロニスラフ・コモロフスキ氏の感動的な演説を拝聴しまし
た。75年前ドイツのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦を記念してここドイツ連邦議
会で私たちにポーランドの国家元首が語りかけたことは、いかに高く評価してもしきれるものでは
ありません。大統領は私たちに多大の栄誉を与えてくれました。私はこれに対し個人的にも感謝い
たします。
大統領の言葉が感動的であったのは、もし私たちが歴史から学ぶ用意があれば、深く、広い善き
方向への変化が可能であることが明らかになったからです。なぜなら和解と和解に基づく欧州の統
合は、欧州諸国民の画期的な成果だからです。国家債務危機、その他の深刻な問題にもかかわら
ず、平和、和解、自由という欧州モデルがいかに価値があり、守るべきものであるかを私たちは忘
れてはなりません。
115 EU は第一に価値共同体なのです。私たちは共存のルールを共有しました。そして私たちは相互
に公正な扱いをします ─ 平和と自由の中で、一人ひとりの市民の利益となるように。この EU を
保護し、強化するために、私の信じるところでは、努力を惜しむことはありえません。
訳注
1 この年政権交代があり戦後初めて社民党首班の率いる政権が成立し、積極財政を進めた。さらに1974年以降
の石油危機後の景気後退、1990年のドイツ統一の負担など経済環境の悪化によりドイツの赤字財政は定着し、
構造的大量失業時代を迎えることになる。ユーロ導入後もドイツが主導して導入した財政安定条項(いわゆる
3 % 条項)に繰り返し違反していた。
2 ドイツは2003年にシュレーダー政権(社民党 / 緑の党)によって示された労働市場改革を中心とする急進的な
構造改革(アジェンダ2010)によって失業者数の削減や財政改革が進んだ。同時にそれ以降非正規雇用が飛躍
的に増大し、失業への不安も一般化した。2014年のある世論調査(GfK)でもドイツ全域で雇用の安定が最も重
要な政策課題であるという調査結果が出ている。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家政党であった社会主義
統一党(SED 共産党が社民党を吸収)の後継政党である左派党(ラフォンテーヌ(元社民党党首)ら社民党左派
が民主社会主義党 PDS に合流して2005年に設立)はこのアジェンダ2010に反発する社民党支持者の票を奪い、
全国政党化した。2014年 9 月のチューリンゲン州議会選挙では、社民党が10% 政党へと転落する一方、左派党
は20% 以上を得票し、CDU に次ぐ第 2 党になった。この選挙結果を受けチューリンゲン州ではドイツ初の左派
党首班の州政府(左派党 社民党 緑の党連立)成立のための協議が進んだ(2014年12月州議会で首相選出)
。
2005年から2009年までの第 1 次メルケル大連立政権(同盟 CDU/CSU、社民党 SPD)でもこの改革は進められた。
付加価値税(消費税)は19%( 3 % 増)へ引き上げられ(同盟の公約は 2 % 増であったが、連立後増税を批判し
ていた社民党とさらに 1 % 引き上げることで合意)財政再建が着実に進捗した。年金支給開始年齢も67歳に引
き上げることになった。これらの構造改革の結果2008年以降の金融恐慌、ユーロ危機に際しても堅実な対応が
可能となった。2014年の総選挙では逆にこの構造改革の修正が選挙の争点となり、同盟は母親の育児期間の年
金積立期間へのみなし算入(母親年金)の拡大や家賃抑制、社民党は法定最低賃金制や年金開始年齢の部分的
引き下げを公約しそれぞれ連立合意文書に採用され実施された。
3 ユーロ危機に対応した EU 新財政協定(イギリス、チェコは不参加)実施の準備段階をなすもので、EU 委員
会による各国政府の予算案点検のこと。2015年度分に関してはフランスとイタリアの予算案が審査され、それ
ぞれ財政赤字を修正する手続きが行われた。フランスは指摘を受け、360億ユーロの追加的財政削減を余儀なく
され、4.3%(GDP 比)から0.5% 以上財政赤字を削減することになった。イタリアも450億ユーロ規模の追加的
財政削減を約束し、単年度赤字を2.9% に引き下げ、ユーロ基準を充たすことになった。両国ともユーロ圏では
ドイツに次ぐ財政規模を持つため財政危機に陥った場合の影響が懸念され、対応が求められていた。また2014
年11月には、ギリシャの財政を監視するための支援策が決定されるなど、ユーロ危機への備えは進んでいる。
欧州中銀総裁のドラギはむしろユーロ高が進むことを警戒して金融政策を調整している。
4 11月からバローゾに代わり元ルクセンブルク首相、元ユーロ圏会議議長のユンカーが欧州委員長に就任した
( 6 月に欧州理事会が指名し、 7 月に欧州議会が採択した)
。金融規制を恐れ同じ保守陣営でありながら、同じ
金融立国出身のユンカーの委員長就任を阻止しようとしたイギリス首相キャメロンの反対を欧州議会が押し
切った形である。この欧州議会による実質的な委員長人事は EU における権力バランスが、欧州理事会から欧州
議会にシフトしたことを劇的に示した。ユンカーはユーロ圏議長の時代にはドイツ、スウェーデンの強硬な財
政緊縮路線と PIIGS など債務国や積極財政を進めるフランスなどとの調停をしてきた。そして就任後民間資金
を利用する成長と雇用のための 3 千億ユーロを超える大規模な投資計画を発表した。これはユーロ救済基金の
保証を利用するもので、同盟は反対、社民党は賛成の意志表示をした。アメリカの FRB はすでに10月に国債買
い入れを停止したが、アメリカのオバマ政権が主導していた積極的財政政策を IMF も支援しており、ドイツの
116
緊縮政策は国際社会の中では依然少数派である。IMF専務理事がかつてフランス財務相時代にショイブレとユー
ロ危機に対処するための財政政策を巡り対立したサルコジ政権のラガルドであることをここで想起してもいい
だろう。当時フランス政府は EU 次元での救済策を主張したが、ドイツ政府は各国の個別政策の調和を主張しフ
ランスの主張を退けた。2012年 6 月にオランドがフランス大統領に就任後、EU の勢力バランスが変化した後初
めてドイツ政府は景気刺激政策に譲歩するようになった。また、ドイツ政府は、ショイブレ財務相が中心となっ
て租税回避、脱税の解消を目指しており、銀行の口座情報の自動的なグローバルな通報システムの構築でも
OECD と協力して積極的な役割を果たしている(ベルリン会議)
。ユンカーは新欧州委員会人事では、金融規制
担当に金融規制に反対するイギリス出身の委員を指名、財政規律担当の委員に積極財政国であるフランス出身
の委員を任命するなど奇抜な策を示した。またルクセンブルクは、ユンカーが首相の時アマゾンをはじめ多数
の多国籍企業と租税回避契約を結んだことで新委員会から調査を受けた(ユンカー(新委員長)対ユンカー(元
首相))が、これも奇抜人事の皮肉な一環と見ることもできる。
5 新財政協定で各国の均衡財政を法的に義務付けること
6 フランス大統領オランドが若年失業対策費の大幅増額を要求したが、ドイツはこのように理由付け拒否した。
7 スノーデン元米安全保障局(NSA)職員のアメリカのサイバー空間での諜報活動の暴露後、米英情報当局に
よるドイツを含むグローバルで大規模な盗聴活動が明らかになった。メルケル首相の携帯電話も盗聴されてい
たことが判明した。イラク戦争に際し、シュレーダー首相に反対してブッシュ大統領を支持した親米派メルケ
ルにとってもこの事件は衝撃的であった。ドイツはアメリカに真相究明を求め、内務相をアメリカに派遣したが、
アメリカ当局からはメルケルの盗聴の停止以外実質的な譲歩を得ることはできなかった。またドイツの連邦情
報局(BND)の職員が米情報機関のために内部情報の提供をしていたことが明らかになり、捜査が行われた。
その後ドイツ政府はベルリンの米大使館の CIA 責任者を実質的な国外追放処分とした。EU 加盟国であるイギリ
スの情報機関(GCHQ)も NSA と同様の諜報活動をしていることから、ドイツ政府としては EU での諜報活動
の調和が当面の課題となる。
8 ドイツ政府は、米英に倣い、サイバー空間での予防的網羅的情報収集の計画を進めているが、EU 司法裁判所
もドイツ連邦憲法裁判所もこの種の計画を抑制する判決を出している。
9 連邦制のドイツでは州に教育権限がある。これまでは連邦は大学設立など限られた分野でのみ教育に関与し
てきた。また EU 次元ではボローニャプロセス(大学課程の EU 次元での共通化)などが推進されている。連邦
は調整役を果たすことが求められている。
10CSU(バイエルン州のみにある CDU の姉妹政党 キリスト教社会同盟)の提案によるこの自家用車通行税構
想は、ドイツに登録されている自家用車のみを実質的に無税とする内容を持ち、EU の域内差別禁止原則に違反
する可能性がある。隣接国オーストリア、オランダは提訴する構えである。また、事務費用が嵩み本来の目的
とされるインフラ整備の財源になるかどうかも疑問視されている。連立合意文書に盛り込まれたものの、CDU
も社民党も批判的である。
112014年
3 月18日にロシア大統領プーチンは声明を発表し、住民投票後のクリミア半島のロシアへの併合を正
当化した。これが単なる地域紛争ではなく、アメリカと EU の世界戦略に対するロシアの回答であることが強調
された。アメリカが都合良く国際法(領土保全の原則、内政干渉禁止の原則)の存在を思い出すことになった
と揶揄しながら、西側諸国はソ連崩壊後ロシアを欺き、
「繰り返しロシアを追い詰めてきた」とし、ロシアの影
響力をそぐために、NATO を東欧に拡大し、東欧にアメリカ主導のミサイル防衛計画を策定し、セルビアから
のコソボの分離独立を推進したと非難した。それに対しウクライナ問題ではロシアは、
「すべての物事には限界
がある」として、西側に妥協しないと宣言した。またドイツに向かって1990年に躊躇する西側同盟国とは違い
ソ連がドイツ統一を支援したことを想起し、ドイツの市民がロシア民族の統一のための努力を支援するよう呼
び掛けた。この声明を受け、NATO, EU 諸国はロシアが冷戦時代の勢力圏思考に戻ったとして、ロシアへの強
硬姿勢をさらに強化し、段階的な経済制裁の実施に踏み切った。ドイツは歴史的背景(第 2 次世界大戦でのソ
連侵攻、ドイツ統一の際の独ソ協力)やエネルギー分野を中心とする経済関係(ドイツのガス需要の三分の一
はロシアに依存している)からロシアとは特別な関係にある。シュレーダー政権以降独ソ関係は急速に親密に
なっていた。この関係は親米派メルケルの首相就任により修正されるが、連立パートナー社民党が依然として
117 ロシアとのパイプを維持している。しかしドイツでも大統領ガウク(東ドイツの社会主義政権に対し反体制派
の宣教師として活動)につづき、首相メルケル(東ドイツ時代は政治的活動はない)もロシアに対し強硬な姿
勢を示している。大連合政権のメルケル首相(同盟)とシュタインマイアー外相(社民党)は繰り返しウクラ
イナ問題で意見の一致を強調しているが、バイエルン州首相ゼーホーファー(CSU)は、11月18日にシュタイン
マイアーが外相会談のためのモスクワ滞在中にプーチンによる突然の会談要請に応じたことを受け、社民党が
ロシア寄りの独自外交をしないよう警告した。実際ドイツ国内では、政府の公式のロシア政策を批判し、対ロ
関係を重視する発言が後を絶たない。前首相のシュレーダー(社民党)は紛争の最中であるにもかかわらず誇示
的にプーチンの誕生会に出席し、ロシアとの関係を損なわないよう繰り返し警告している。政界の長老として
なお強い影響力を持つシュミット元首相(社民党)もロシアのクリミア半島併合に理解を示している。経済界
も参加するドイツロシアフォーラムの議長であるプラツェック(元社民党党首、前ブランデンブルク州首相)
もキエフでのプーチン、ポロシェンコ会談で紛争解決の糸口が見えた直後に、NATO、EU が新規経済制裁を科
したことを強く非難した。ブラント首相の東方外交の立案者であったバール(社民党)もクリミア半島併合を
国際法上承認しないにしろ、「敬意を払う」よう発言している。ドイツにとってウクライナ紛争が対岸の火事で
はないことは、 8 月以降経済成長が急激に鈍化したことに端的に示されている。旧ソ連出身の連邦軍兵士が脱
走し、ウクライナ東部で分離独立派の加わったとされる事件も発生している。10月からはバルト地域でドイツ
も加わる NATO 軍機のロシア軍機に対する緊急発進も頻繁に起きている。
12これはドイツの武器輸出原則(戦闘地域への武器輸出の禁止)に抵触するとして緑の党、左派党が反対した。
ちなみにドイツはトルコのシリア国境へ、当時はアサド政権をけん制するため、ミサイル迎撃部隊を派遣して
いる。イスラム国へは約550人のドイツ国籍者が出国して戦闘に加わっているとみられる。国連安保理での決議
を受けドイツもドイツ国籍を持つテロ容疑者の出入国を厳しく管理することになった。
118
【研究ノート】
職場における反社会的行動に関する実証調査 1
川村 啓嘉・岩田 一哲
1
1 .はじめに
職場における反社会的行動とは、Giacalone & Greenberg(1997)にて「組織、組織成員、もし
くは管理者に対して、害を及ぼすもしくは害を及ぼそうと意図されたすべての行為」
(田中, 2008)
と定義された、組織における反社会的行動の定義に該当する行動をいう。
日本の職場で問題になっている反社会的行動は、精神的苦痛を伴う職場でのいじめや嫌がらせが
多い。厚生労働省の調査 2 によると、相談件数が過去最高を記録した平成21年の約113万 2 百件か
ら 1 万 7 百件減少したものの、依然高止まりしている。厚生労働省ではこれらのいじめ・嫌がらせ
をパワー・ハラスメントの定義に含め、ポータルサイト 3 による広報活動など職場のパワー・ハラ
スメント予防・解決に向けた取り組みを平成24年から始めている。社員同士の尊重、思いやりのあ
るコミュニケーションがパワー・ハラスメント予防のために必要である、としているのは、パ
ワー・ハラスメントを道徳的・倫理的な問題と考えていることの証左であるといえる。
本稿は、職場いじめは倫理観の欠如のみによって起こるのかに着目し、具体的には、上司と部下
の間の誤解によって職場いじめが起こる場合を想定する。この理由は、上司と部下とが互いに配慮
しているつもりでも、世代間の認識の違いやコミュニケーション不全によって、部下がパワー・ハ
ラスメントであると感じてしまう場合、厚生労働省が捉えている倫理観の欠如のみで指摘すべきか
どうかの判断が難しいためである。上司が管理職としてのマネジメントに必要と考えて部下に対し
て行った行為が、部下にとってはいじめやパワー・ハラスメントだと捉えられてしまうこともあり
得る。したがって、本稿の中心的な論点は、上司の倫理観の欠如以外の要因から、結果的にいじめ
やパワー・ハラスメントになってしまう可能性を、実証的方法によって明らかにすることにある。
1
本稿は、川村(2013)をもとに作成した。
2
厚生労働省『平成22年度個別労働紛争解決制度施行状況』を参照。
3「あかるい職場応援団」
〈http://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/〉
(2014/12/
1 アクセス)
119 2 .職場における反社会的行動に関する先行研究
職場における反社会的行動に関する研究はアメリカで盛んに行われており、日本でも、田中
(2001; 2002)が先駆的な研究として検討されている。そこで、職場における反社会的行動の定義を
分類することで、職場における反社会行動を把握したい。
2 - 1 職場における反社会的行動の定義とその分類
職場における反社会的行動には多くの内容が含まれる。日本でのこの分野の先駆的な研究である
田中(2008)の検討を見てみると、以下の内容が指摘されている。それは、「職場の逸脱」、「職場
攻撃性」
「従業員の窃盗」
「組織報復行動」
「非生産的職務行動」
「機能不全行動」
「職場の迫害」
「職場
での不作法」
「職場いじめ」
「警笛行動」である。
また、様々な用語で研究されてきた職場における反社会的行動の内容を、何らかの基準で区分し
ようとする研究も見られる。
Anderson & Pearson(1999)は、定義上、組織内反社会的行動(本稿では「組織における反社
会的行動」
)最も包括的概念であり、職場の逸脱行動は規則違反に限定されるため、反社会的行動
に含まれるとしている。さらに、職場での攻撃性(本稿では「職場攻撃性」)は、他者に対する危
害に限定されるとみなされるため、逸脱行動に含まれるとしている。
Griffin et al(1998)は、機能不全行動の検討から、組織の機能を停滞させる行動についてのよ
り包括的な用語を提示している。この中で、機能不全行動を、人の福利を害する行動と組織に対し
て有害な行動の 2 つに分類している。
2 - 2 職場における反社会的行動に関する実証的研究
職場における反社会的行動に関する研究はアンケート調査を中心とした実証研究での知見が数多
くある。代表的な実証研究結果を提示することで、職場における反社会的行動の実証研究がどのよ
うに行われてきたかを指摘したい。
第 1 に、Sakurai et al(2011)による研究がある。この研究は米国人を対象とし、職場の不作法
が職務満足感や職務逃避行動へ及ぼす影響を検討することを目的に分析された。結果としては、上
司が職場におけるチームワークを乱すような言動をするなど、職務目的を達成していく職場(チー
ム)が不出来であると部下に感じさせてしまうような行動である「上司の部下統率に欠ける行動」
が、部下間の職場不作法の頻度を高めること、職場不作法の増加は、それを経験する労働者のネガ
ティブ感情を高めること、労働者が組織からの待遇に対して尊重・尊敬といった認識をする度合い
である対人公平性は、ネガティブ感情と職務満足感の関連を調整し、対人公平性が高い群は、低い
群と比べてネガティブ感情が職務満足感に及ぼす影響が低いこと、ネガティブ感情は、職場不作法
と職務満足感との負の関係を仲介することの 4 つが支持された。この結果は、職務不作法が職務満
足感に負の影響を及ぼすのは、職務不作法によってネガティブ感情が起こり、そのため職務満足感
120
を低下させることを支持している。
第 2 に、宗像(2000)は、いじめを「主観的であろうと客観的であろうと、同一共同体の中で力
関係において優位にある者が自分より劣位にある者に対して、一方的に、身体的・精神的・社会的
苦痛を、一時的または継続的に与えること」と定義した。この定義を基にしたモデルを作成し、日
本における従業員384名に予備調査を実施した後、1998年に3000人を対象に調査を実施した。結果
として 1 つ目は、この研究では職位や業種、業務によって職場環境は大きく異なり、受けるストレ
スにも大きな違いがあること、状態不安を増加させる背景として、職場環境をストレスフルだと認
知する度合いが強いこと、現在いじめの被害に遭っていると認知している度合いが強いことが把握
された。 2 つ目は、状態不安を減少させる背景には自己価値感の強さがあった。自己価値感は、職
場や家族等に情緒的支援者の認知から増大し、職場環境がストレスフルと認知すると減少する。
第 3 に、蘭・河野ら(2007)は、組織の倫理性向上のため倫理意識尺度を開発し、倫理教育の方
策とその効果を実証した。結果として、
「普遍的倫理意識」の高群は低群よりも倫理的行動評定が
高いため、高群は低群に比べ倫理的に望ましい方向に行動評定をしていること、
「帰属集団の正当
化・防衛意識」の低群は高群よりも倫理的行動評定が高いため、高群であるほど、帰属集団を優先
「懲罰からの自己防衛」の低群は高群よりも倫理的行動評定
する視点から倫理的判断を行うこと 4、
が高いため、高群であるほど、つまり、自分自身の利益や欲求に合うように行動することが正しい
(利己主義)と認識している人たちほど倫理的判断が低いこと、を明らかにした。また、普遍的倫
理、自己防衛、組織防衛の 3 つの倫理意識を説明変数とし、上司の不正場面における倫理的行動評
定の得点を被説明変数とした重回帰分析を行った結果、普遍的倫理、自己防衛、組織防衛の 3 つの
倫理意識が測定可能であること、 3 つの倫理意識は上司の不正場面への対応において理論的に予想
される結果、つまり、上司の不正場面における倫理的行動を対象とした場合、
「組織防衛」の意識
が高いと倫理的行動を低める方向に強く作用し、
「普遍的倫理意識」が高いと倫理的行動を高める
方向に作用することをほぼ見出していること、上司の不正場面への対応を対象とした場合、
「組織
防衛」の意識が高いと倫理的行動を低める方向へ強く影響することの 3 つを明らかにした。
第 4 に、田中(2006; 2008)による研究である。この研究は「日本版組織における反社会的行動
尺度」を作成し、日本における反社会的行動の測定尺度を作成したことが大きい。因子分析によっ
て、
「業務への深刻な阻害行動」
「怠業」
「言語的嫌がらせ」「言語的暴力」の 4 つから反社会的行動
が構成されることを結果として提示している。
2 - 3 職場における反社会的行動の規定要因
これまでの研究を列挙したが、ここで、職場における反社会的行動の規定要因を、本稿でのテー
4
所属する集団や組織へ過度にコミットメントしている人たちは所属集団優先の考えに陥りやすく、所属集団
における人間関係を重視し倫理的に何が望ましいかという視点が欠如しているということを示す。
121 マであるいじめを規定する要因を中心に検討する。本稿での調査は日本で行うため、日本での検討
を中心に、田中(2005; 2006; 2008)
、宗像(2000)の研究での要因を概略する(表 1 )。
表 1 .職場における反社会的行動の規定要因
代表的研究
宗像(2000)
田中(2005;2006)
田中(2008)
規 定 要 因
・状態不安 ・自己価値感 ・自己抑制型行動特性(イイコ度)
・いじめ感度
・職階 ・ネガティビズム ・対人的公正 ・手続き的公正
・職務満足感
・不公正感 ・デモグラフィック要因(年齢、性別、勤続年数、学歴 etc)
、
・パーソナリティ特性(攻撃的・怒りっぽい)
・統制感(内部統制・外部統制)
・道徳観 ・モデリング
これらの研究を見ると、大きく分けて、デモグラフィック要因、パーソナリティ要因、組織にお
ける公正性、いじめに対する感度が、職場における反社会的行動の規定要因として存在する。次章
では、これらの規定因をもとに、本稿での仮説ならびにモデルを作成する。
3 .仮説と研究モデル
仮説構築にあたり、パワー・ハラスメントを職場における「いじめ」の範疇に含める。本稿での
いじめと嫌がらせの定義は、宗像(2000)の定義を援用し、「主観的であろうと客観的であろうと、
同一共同体の中で力関係において優位にある者が自分より劣位にある者に対して、一方的に言語を
用いて、精神的苦痛・社会的苦痛を一時的に与えること」とした。本稿では、嫌がらせは言語的嫌
がらせを中心に検討するため、
「言語を用いて」を加えたことに特徴がある。
次に、先行研究を踏まえ、倫理意識と職場いじめとの関連、また上司と部下間における誤解から
部下がいじめだと感じることは倫理の欠如によるものであるかを検討する。
前述の田中(2008)は、職階と言語的な嫌がらせとは正の相関があると指摘する。ただし、職階
と言語的嫌がらせが直接に結びつくのではなく、勤続年数と職階の上昇が倫理意識を下げることか
ら、言語的嫌がらせに結びつきやすくなると考えられる。そこで、倫理意識尺度を用いてモデルを
構築する。倫理意識尺度には、
「言っても聞かない奴には体罰も時には必要だ」「落ちこぼれた者に
は、少々しごきがあっても仕方ないと思う」といった「帰属集団の正当化・防衛意識(組織防衛)」
に関する項目があり、この評定が高い者は、先行研究では倫理的行動を低めるとしている。それ
故、この評定が高いことは職場いじめが起こりやすくなると考えられる。また、
「普遍的倫理意識」
は先行研究では倫理的行動を高めるとされており、言語的嫌がらせやいじめを抑制すると考えられ
る。
122
以上のことから、本稿では以下の 5 つの仮説を提示し、研究モデルを提示した。
仮説 1 :職階もしくは勤続年数が上がることにより、組織防衛が高まり、これはいじめ出来事と
正の相関がある
仮説 2 :普遍的倫理意識は、職場における反社会的行動を抑制する。
仮説 3 :対人的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、対人的公正といじめ出来事は負の関係にあ
る
仮説 4 :手続き的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、手続き的公正はいじめ出来事と負の関係
にある
仮説 5 :言い過ぎや、誤解を与えてしまうことは職階と正の関係があり、いじめ出来事と正の関
係にある
仮説の補足として、仮説 3 ・ 4 では、対人的公正や手続き的公正といった公正感を欠いた環境
は、個人の倫理観に悪影響を及ぼし倫理意識を低めると考えられる。仮説 5 では、上司が悪意を
持って部下に接している訳ではなく、部下と上司とのコミュニケーション不全が原因で部下に対し
て心労を与えてしまい、部下がいじめだと感じてしまうケースを想定する。
以上の 5 つの仮説をまとめて調査モデルとしたものが、図 1 である。
職階
誤解
普遍的倫理
組織防衛
勤続年数
いじめ出来事
対人的公正
手続き的公正
図 1 . 本稿における調査モデル(実践は正の説明因、破線は負の説明因である)
このモデルは職場いじめに関するモデルであるが、上司が部下を結果的にいじめと取られるよう
な行動をする背景には、上司自身の心理的な状況が関係すると考えられる。そこで、ストレス研究
で検討されるストレインとストレッサーである、ストレス反応・抑うつ・質的・量的負荷・役割曖
昧性・役割葛藤という要因を組み込んで検討する。
123 4 .アンケート調査
4 - 1 調査方法と回答者の属性
本調査は、後述する 4 - 2 の項目からなる web アンケートの作成、回答を依頼した 5 。調査手続き
は、電子メールにより、正社員433名に対して web アンケートの回答を依頼し、433名の回答が回
収された。回答者の内訳は、男性216名、女性216名、役職有り(係長以上)216名、役職無し216
名、平均勤続年数11.8年、職位歴4.5年(役職ありのみ)
、平均年齢39.8歳(SD=10.82)であった。
質問紙は該当者が解答に進めるように開発され、男女、役職あり・なしが200名程度になるまで調
査対象者からサンプルを収集した。
4 - 2 調査項目
調査項目は、デモグラフィック要因、普遍的倫理意識、帰属集団への忠誠心、懲罰からの自己防
衛、手続き的公正、対人的公正、いじめ・嫌がらせ出来事、いじめ・嫌がらせ体験、上司-部下間
の誤解、仕事の負荷、役割葛藤、役割曖昧性、抑うつ傾向、ストレス反応、である。
普遍的倫理意識、帰属集団への忠誠心、懲罰からの自己防衛は、蘭・河野(2002)による項目を
参考に作成し、
「全くそう思わない」から「強くそう思う」までの 5 段階評価で評定した。手続き
的公正、対人的公正は、田中(2005; 2006)による組織における公正尺度を援用し、
「全くそう思わ
ない」から「強くそう思う」までの 5 段階評価で評定された。いじめ・嫌がらせ出来事尺度と、い
じめ・嫌がらせ体験は、宗像(2000)の尺度を援用した。いじめ・嫌がらせ出来事尺度は、「この
1 週間で見た」
「今の職場になってから見た」
「かつて見たことがある」
「見たことはない」の 4 段階
評価で、いじめ・嫌がらせ体験は、
「今、自分がされている」、「かつて自分もされたことがある」、
「自分もしたことがある」
、
「いずれもない」の 4 つのそれぞれで「ある」と答えた項目に 1 点を与
えた。上司-部下間の誤解は、新たに作成した尺度で、
「全くそう思わない」から「非常にそう思
う」の 5 段階評価で評定した。仕事の負荷は、金井・若林(1998)、下光・原谷(2000)、田中
(2008)の研究を参考に 7 項目を提示し、最近 6 ヶ月間での「ちがう」~「そうだ」の 4 段階評価で
評定した。役割葛藤、役割曖昧性は、金井・若林(1998)の尺度を援用し、役割曖昧性は最近 6 ヶ
月間での「ほとんど分かっていない」~「よく分かっている」の 4 段階評価、役割葛藤は「まった
くない」~「大変ある」の 4 段階評価で評定した。抑うつ傾向は、Kassler et al(2002)の作成し
た尺度を古川・大野・宇田・中根(2003)が日本語訳したものを援用した。最近 1 ヶ月間で、「ほ
とんどなかった」~「ほとんどいつもあった」の 4 段階評定により評定した。ストレス反応は、小
杉他(2004)を援用し、最近 1 ヶ月間での、
「ほとんどなかった」~「ほとんどいつもあった」の 4
段階評定で評定した。
5
本調査は、株式会社マクロミルの協力で行われた。
124
4-3 「役職無し」に関する調査結果
本稿では、役職有り・役職無しを分析の際に分割して行った。この理由は、日本では、職場いじ
めを想定する際に、パワー・ハラスメントが含まれた概念として考えられ、上司-部下間を想定す
る可能性が高いためである。
4 - 3 - 1 因子分析の結果 尺度を構成するために、主因子法によるプロマックス回転を施す因子分析を行った。
普遍的倫理意識、質的・量的負荷、役割曖昧性、役割葛藤、抑うつ、ストレス反応はそれぞれ 1
因子が確認された。α 係数は「普遍的倫理意識」で .853、「質的・量的負荷」で .849、「役割曖昧性」
で .914、「役割葛藤」で .837、
「抑うつ」で .906、
「ストレス反応」で .912であり、信頼性が確保され
た。
組織防衛は、 2 因子を抽出した(表 2 )
。第 1 因子を「隠蔽」、第 2 因子を「組織への忠誠心」と
命名した 6。α 係数は「隠蔽」が .745であり「組織への忠誠心」が .650と、ある程度の信頼性を確認
した。
表 2 .組織防衛に関する因子分析
項 目
Ⅰ
Ⅱ
自分の組織を守るためには時には世間に事実を隠す必要もある
.87
-.11
会社の不祥事は、すべて世間に明らかにする必要はない
.76
-.16
上司が不正なことをしていても出世のためなら見て見ぬふりをすることも大事だ
.52
.30
落ちこぼれた者には、少々しごきがあっても仕方ないと思う
-.03
.78
言っても聞かない奴には体罰も時には必要だ
-.20
.62
自社が競争に勝つためなら、何をしてもかまわない
.30
.42
業者から多少の接待を受けることは、仕方ないと思う
.30
.34
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅰ
─
.44
Ⅱ
─
手続き的公正・対人的公正は、 3 因子を抽出した(表 3 )。第 1 因子を「手続き的公正」、第 2 因
子を「(上司からの)尊重」
、第 3 因子を「
(上司からの)軽視」と命名した。α 係数は「手続き的
公正」が .873であり、
「尊重」が .929、
「軽視」が .754と十分な信頼性を確認した。
6
因子の命名に関しては、川村・岩田両者によって検討して決定した。
125 表 3 .手続き的公正・対人的公正に関する因子分析
項 目
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
会社(組織)のシステムや手続きは、ある決定を行う際、関係者すべ
ての意見や要望を聞くようになっている
.92
-.07
.01
会社(組織)のシステムや手続きは、社員が重要な決定に関して意見
を述べる機会を十分に設けている
.85
.06
.05
会社(組織)のシステムや手続きでは、社員がある決定に関して説明
を求めたり情報を要求することが認められている
.70
.08
.01
会社(組織)が行う職務上の決定は、正確で完全な情報に基づいてな
されている
.70
.02
-.03
事業計画や会社(組織)の業績の動向を、すべて従業員に知らせてくれる
.52
.06
-.13
-.07
.99
.01
私を社員の一人として尊重してくれる
.05
.87
.04
わたしのことを親身になって考えてくれる
.08
.82
.01
ある決定をしたりそれを実行する際、部下に納得できるように説明し
ようと努める
.05
.76
-.04
部下の従業員としての権利に関心がないようだ
.02
-.11
.81
何かを決定する際、部下の個々の事情を軽んずる傾向がある
.10
.01
.77
どちらかと言うと自分にとって都合の良い決定をする傾向がある
-.03
-.04
.64
会社(組織)の昇進・昇格の手続きは、一部の部署や人々に偏って行
われている
-.26
.19
.42
部下に対して誠実な対応を心がけている
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅰ
─
.54
-.24
─
-.48
Ⅱ
Ⅲ
─
「いじめ出来事」
、
「現在のいじめ体験」
、
「過去のいじめ体験」
、
「過去の本人によるいじめ体験」
、
「いじめ・いじめられ体験なし」は、先行研究を参考に因子分析を行わず、α 係数のみ算出した。
結果は「いじめ出来事」.958、
「現在のいじめ体験度」.877、「過去のいじめ体験」.934、「過去の本
人によるいじめ体験」.863、
「いじめ、いじめられ体験なし」.950と十分な信頼性を確認した。
4 - 3 - 2 相関分析の結果
本研究で設定した各変数における 2 変数の相関を検討するため、相関係数を算出した(表 4 )
。
本稿の主要なテーマであるいじめに関連する分析結果は、以下のようになる。
126
第 1 に、いじめ出来事と「現在のいじめられ体験(r=.451, p<.01)
」
、
「過去のいじめられ体験度
(r=.592, p<.01)
」
、
「過去の本人によるいじめ体験(r=.352, p<.01)」、「役割葛藤(r=.418, p<.01)」、
「抑うつ(r=.423, p<.01)
」
、
「ストレス反応(r=.300, p<.01)」は有意な正の相関、「いじめ、いじめ
られ体験なし(r=-.698, p<.01)
」は有意な負の相関が見られた。
第 2 に、現在のいじめられ体験と「過去のいじめられ体験(r=.197, p<.01)」、
「役割葛藤(r=.208,
p<.01)
」
、
「抑うつ(r=.411, p<.01)
」
、
「ストレス反応(r=.327, p<.01)」は有意な正の相関、「いじ
め、いじめられ体験なし(r=-.453, p<.01)
」は有意な負の相関が見られた。
第 3 に、過去のいじめられ体験と「過去の本人によるいじめ体験(r=.286, p<.01)
」
、
「量的・質
的負荷(r=.218, p<.01)
」
、
「役割葛藤(r=.339, p<.01)」、「抑うつ(r=.264, p<.01)」、「ストレス反応
(r=.245, p<.01)
」は有意な正の相関、
「いじめ、いじめられ体験なし(r=-.453, p<.01)」は有意な負
の相関が見られた。
第 4 に、過去の本人によるいじめ体験と「いじめ、いじめられ体験なし(r=-.555, p<01)
」は有
意な負の相関が見られた。第 5 に、いじめ、いじめられ体験なしと「量的・質的負荷(r=-.156,
p<.01)
」
、
「 役 割 葛 藤(r=-.318, p<01)
」
、
「 抑 う つ(r=-.351, p<.01)」、「 ス ト レ ス 反 応(r=-.312,
p<.01)
」は有意な負の相関が見られた。
4 - 3 - 3 回帰分析
次に、「いじめ出来事」
、
「現在のいじめられ体験」、「いじめ、いじめられ体験なし」を従属変数
とした回帰分析を行った(表 5 )
。
具体的な結果は、いじめ出来事は、分析結果から性別、現在のいじめられ体験、過去の本人によ
るいじめ体験、過去のいじめられ体験、役割葛藤によって規定されていた。性別がいじめ出来事の
負の説明因であることは、女性は男性よりもいじめの現場を観測していないことを示している。
現在のいじめられ体験は、抑うつによって規定されていた。決定係数の値が小さかった理由は、
本稿で規定する要因が抑うつのみであったためだと考えられる。
いじめ、いじめられ体験なしは、尊重、役割葛藤、抑うつによって規定されていた。
127 128
(注) p<.05,
**
p<.01
4.32
9.87
6.58
抑うつ
ストレス反応
2.89
.019
-.039
.023
.099
-.092
.096
-.081
.024
.143*
-.011
-.180** -.164* -.063
-.156* -.205** -.155*
-.108
.176**
.085
.031
-.064
.015
.053
-.104
.165*
-.051
.036
.095
.015
-.080
.028
.244** -.133
.265** -.076
-.007
-.052
-.031
.068
.076
.079
.548**
─
-.127
.091
.112
.114
-.057
.052
-.162*
-.109
-.089
─
.214**
.171*
.086
.284**
.197**
─
.352** -.008
.592**
.451**
─
─
.286**
─
.035
-.148*
-.204**
.165*
.202**
.268**
.218** -.052
.026
.050
.300**
.423**
.418**
.327**
.411**
.208**
-.174* -.114
.154*
.245**
.264**
.339**
.011
.064
.112
.019
-.119
.218** -.059
.267** -.213** -.698** -.453** -.892** -.555**
-.202**
-.195**
-.183**
-.182** -.228**
.170*
.083
.077
.185** -.015
.142* -.064
-.028
.165* -.208** -.315**
.164* -.235** -.441**
-.021
-.312**
-.351**
-.318**
.080
-.156*
─
─
.019
─
.292** -.030
.265** -.105
.316**
.233**
.341**
.414**
─
藤
.023
.020
-.073
.043
.001
-.084
.048
.052
.133
-.089
─
.680**
─
つ
*
3.48
9.85
役割葛藤
4.28
.021
.008
-.023
.009
.030
-.050
.057
.096
性
2.73
17.31
4.78
12.36
17.42
いじめ、いじめられ体験なし
-.069
-.011
-.093
-.094
.030
.013
.145*
─
過去の本人によるいじめ体験
1.82
-.092
-.112
.034
-.151*
.070
─
.401**
過去のいじめられ体験
3.69
.054
-.114
.159*
-.022
.015
-.035
いじめ、いじめられ体験なし
量的・質的負荷
.63
1.55
12.95
2.75
4.07
-.186** -.050
-.055
-.164* -.107
量 的 ・ 質 的 負 荷
役割曖昧性
1.68
いじめ出来事
過去の本人によるいじめ体験
8.21
31.48
軽視
過去のいじめられ体験
11.24
尊重
-.017
-.090
-.071
─
手 続 き 的 公 正
3.98
.010
.009
.012
い じ め 出 来 事
.41
12.54
手続き的公正
-.065
-.165*
.172*
組 織 へ の 忠 誠 心
2.65
.198**
蔽
2.14
.116
─
普 遍 的 倫 理 意 識
3.79
.111
現在のいじめられ体験
現在のいじめられ体験
9.31
D
7.26
S
組織への忠誠心
別
隠蔽
性
15.58
齢
普遍的倫理意識
年
─
数
.043**
年
-.143*
続
-.108
勤
-.115
数
9.02
員
1.64
業
3.75
従
10.25
隠
従業員数
重
─
尊
-.027
視
11.10
軽
勤続年数
M
昧
39.63
曖
年令
割
葛
─
役
割
.50
役
う
1.50
抑
性別(1=男性,2=女性)
表 4 .各項目の相関係数
─
ス ト レ ス 反 応
表 5 .「いじめ出来事」、「現在のいじめられ体験」
、
「いじめ、いじめられ体験なし」を従属変数とした回帰分析 7
従属変数\
いじめ出来事
現在の
いじめられ体験
いじめ、いじめられ
体験なし
性別
-.126**
.063
-.012
年齢
-.068
-.040
-.024
勤続年数
-.002
.028
.014
従業員数
.040
.089
-.098
普遍的倫理意識
.078
.063
.050
隠蔽
.017
.072
-.113
組織への忠誠心
.027
-.073
-.054
-.101
-.030
-.096
尊重
.001
-.098
軽視
.078
-.061
-.029
手続き的公正
いじめ出来事
.233**
─
─
─
現在のいじめられ体験度
.284***
─
─
過去の本人によるいじめ体験度
.195***
-.094
─
過去のいじめられ体験度
.383***
.124
─
量的・質的負荷
-.003
-.099
-.044
役割曖昧性
-.097
-.046
.006
役割葛藤
.147**
0.02
-.162*
抑うつ
.072
.418***
-.250**
.574***
.164***
R2
.175***
注:* ; p < .05, ** ; p< . 01, *** ; p < . 001
最後に、仮説の検証を行うために、階層的重回帰分析によるパス解析を行った。これにより、部
下群における仮説 1 ~ 4 の検証を行った。
仮説 1 :職階もしくは勤続年数が上がることにより、組織防衛が高まり、これはいじめ出来事と
正の相関がある
仮説 2 :普遍的倫理意識は、職場における反社会的行動を抑制する。
仮説 3 :対人的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、対人的公正といじめ出来事と負の関係にある
仮説 4 :手続き的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、手続き的公正はいじめ出来事と負の関係
にある
「組織防衛」と「対人的公正」については複数因子が出ているが、仮説で想定していたのはこれ
らの因子のうち「組織への忠誠心」と「尊重」である。
7
多重共線性の疑いのある変数・因子は除外した(図では「-」と表記)
。ストレス反応については、全ての分
析において多重共線性の疑いがあったために除外した。
129 勤続年数、性別、年齢といったデモグラフィック要因を第 1 段階、組織への忠誠心、隠蔽、尊
重、軽視、手続き的公正といった組織的要因と組織に対する低い倫理意識を第 2 段階、普遍的倫
理、質的・量的負荷、役割曖昧性、抑うつ、役割葛藤といった組織に対する高い倫理意識と個人的
要因を第 3 段階、過去の本人によるいじめ体験、現在のいじめられ体験、過去のいじめられ体験な
どのいじめ体験を第 4 段階とし、いじめ出来事を第 5 段階として階層的重回帰分析を行った(図
14)
。解析方法は強制投入法を用いた。
-.137*
.174*
普遍的倫理
R=.085***
尊重
-.209*
勤続年数
.238**
-.177**
性別
年齢
.222
**
組織への忠誠心
R=.025*
隠蔽
-.209**
.154*
手続き的公正
R=.023*
.176
*
過去の本人による
いじめ体験
質的・量的負荷
役割曖昧性
R=.102***
-.147*
.187*
抑うつ
R=.106***
.287***
現在のいじめられ
体験
R=.151***
.402***
.387***
過去のいじめられ
体験
役割葛藤
R=.089***
-.173*
.194***
-.207*
いじめ出来事
R=.575***
R=.074**
-.179*
.255*
軽視
-.174*
R=.123***
.216
**
.225**
.237**
図 2 .いじめ出来事への影響過程のパス解析
***p<.001, **p<.01, *p<.05 実線は正の決定因、破線は負の決定因である。
いじめ出来事に対して直接の効果が認められた正の決定因は、役割葛藤( β =.225, p<.01)、軽視
( β = .176, p<.05)であった。負の決定因は尊重( β = -.209, p<.05)
、性別( β = -.137, p<.05)であった。
過去のいじめられ体験、現在のいじめられ体験、抑うつ、過去の本人によるいじめ体験は強い正
の決定因であったが、過去のいじめられ体験は役割葛藤と尊重、現在のいじめられ体験は抑うつ、
抑うつは隠蔽と軽視、過去の本人によるいじめ体験は尊重を経て間接的にいじめ出来事を規定して
いる。
この結果より仮説 1 、 2 は棄却され、仮説 3 については、尊重が高ければ高いほど過去のいじめ
られ体験が多いことを示す結果となった。仮説 4 については、手続き的公正は普遍的倫理への正の
説明因であったが、いじめ出来事への負の説明因は認められなかった。
130
4 - 4 「役職有り」に関する調査結果
4 - 4 - 1 因子分析の結果
尺度を構成するために、主因子法によるプロマックス回転を施す因子分析を行った。
普遍的倫理意識、勘違いいじめ、役割曖昧性、役割葛藤、抑うつ、ストレス反応は 1 因子であっ
た。α 係数は「普遍的倫理意識」で .750、
「勘違いいじめ」で .759、
「役割曖昧性」で .849、
「役割葛
藤」で .881、
「抑うつ」で .907、
「ストレス反応」で .915であり、十分な信頼性を確認した。
組織防衛は、 2 因子を抽出した(表 6 )
。
表 6 .組織防衛に関する因子分析
項 目
Ⅰ
Ⅱ
自社が競争に勝つためなら、何をしてもかまわない
.81
-.08
落ちこぼれた者には、少々しごきがあっても仕方ないと思う
.72
-.05
言っても聞かない奴には体罰も時には必要だ
.56
-.03
業者から多少の接待を受けることは、仕方ないと思う
.47
.14
上司が不正なことをしていても出世のためなら見て見ぬふりをすることも大事だ
.47
.28
自分の組織を守るためには時には世間に事実を隠す必要もある
-.02
.89
会社の不祥事は、すべて世間に明らかにする必要はない
-.02
.77
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅰ
―
.48
Ⅱ
―
「役職なし」とは結果が異なるため、こちらの第 1 因子を「組織への忠誠心」
、第 2 因子を「隠
蔽」と命名する。因子間相関は .48であり、中程度の相関が認められる。また α 係数は「組織への
忠誠心」が .753、
「隠蔽」が .753であり、十分な信頼性が確認された。
手続き的公正・対人的公正は、 3 因子を抽出した(表 7 )。
「役職無し」では、
「会社(組織)の昇進・昇格の手続きは、一部の部署や人々に偏って行われて
いる」という項目 2 が第 3 因子にあったが、第 1 因子に組み込まれている。その他の項目には変動
が無く、この項目は「会社の昇進・昇格」という文章から手続き的な公正に関する質問とも、
「一
部の部署や人々によって偏っている」という文章から対人的公正の欠如に関する項目とも取れるた
め、回答者がこの質問を対人的公正でなく手続き的公正に関する質問と捉えたためと判断し、因子
の命名は「役職無し」と同じく、第 1 因子を「手続き的公正」、第 2 因子を「(上司からの)尊重」、
第 3 因子を「(上司からの)軽視」と命名した。因子間相関は「手続き的公正」と「尊重」が .52、
「手続き的公正」と「軽視」が -.32、
「尊重」と「軽視」が -.59という相関係数が得られた。α 係数
は「手続き的公正」が .677、
「尊重」が .893、
「軽視」が .735であり、おおむね信頼性が確認された
といえる。
131 表 7 .手続き的公正・対人的公正に関する因子分析
手続き的公正・対人的公正
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
会社(組織)のシステムや手続きは、社員が重要な決定に関して意見を述べる機
会を十分に設けている
.93
-.03
.00
会社(組織)のシステムや手続きは、ある決定を行う際、関係者すべての意見や
要望を聞くようになっている
.85
-.09
.03
会社(組織)のシステムや手続きでは、社員がある決定に関して説明を求めたり
情報を要求することが認められている
.74
.04
.00
事業計画や会社(組織)の業績の動向を、すべて従業員に知らせてくれる
.53
.21
.07
会社(組織)が行う職務上の決定は、正確で完全な情報に基づいてなされている
.52
.10
.00
会社(組織)の昇進・昇格の手続きは、一部の部署や人々に偏って行われている
-.35
.20
.28
.07
.73
-.09
-.12
.90
.05
ある決定をしたりそれを実行する際、部下に納得できるように説明しようと努める
.16
.63
-.06
部下に対して誠実な対応を心がけている
.00
.76
.03
部下の従業員としての権利に関心がないようだ
.02
-.13
.64
何かを決定する際、部下の個々の事情を軽んずる傾向がある
.03
.09
.76
-.02
-.10
.61
わたしのことを親身になって考えてくれる
私を社員の一人として尊重してくれる
どちらかと言うと自分にとって都合の良い決定をする傾向がある
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅰ
―
.52
.-32
―
-.59
Ⅱ
Ⅲ
―
量的・質的負荷は、 2 因子を抽出した(表 8 )
。
表 8 .量的・質的負荷に関する因子分析
項 目
時間内に仕事が処理しきれない
Ⅰ
Ⅱ
1.01
-.20
非常にたくさんの仕事をしなければならない
.69
.15
一生懸命働かなければならない
.49
.32
難しい判断や責任の重い決定を任される
-.13
.75
高度の知識や技術が必要な難しい仕事だ
-.04
.68
かなり注意を集中する必要がある
.17
.68
勤務時間中はいつも仕事のことを考えていなけれればならない
.19
.41
Ⅰ
―
Ⅱ
.61
―
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
132
おおむね質的負荷と質的負荷とで因子が分かれているものの、量的負荷 4 項目のうち、
「かなり
注意を集中する必要がある」が質的負荷の因子に属している。しかし、
「かなり注意を集中する必
要がある」という質問は質的・量的の区別が付きづらく、職務一般に関して広い含意を持っている
といえ、
「役職有り」の群は自らの質的な負荷と捉えていると判断した。したがって、第 1 因子を
「量的負荷」、第 2 因子を「質的負荷」とする。因子間相関は .61と、中程度の相関が認められる。α
係数は「量的負荷」が .826、
「質的負荷」が .756と、十分な信頼性が確認された。
「いじめ出来事」
、
「現在のいじめ体験」
、
「過去のいじめ体験」
、
「過去の本人によるいじめ体験」
、
「いじめ、いじめられ体験なし」については、先行研究を参考に因子分析を行わず、α 係数のみ算
出した。結果は「いじめ出来事」.954、
「現在のいじめ体験度」.902、「過去のいじめ体験」.903、
「過去の本人によるいじめ体験」.859、
「いじめ、いじめられ体験なし」.923と十分な信頼性を確認
した。
4 - 4 - 2 相関分析の結果
本研究で設定した各変数における 2 変数の相関を検討するため、相関係数を算出した。
(表 9 )
。
本稿での主要なテーマであるいじめに関連する分析結果は、以下のようになる。
第 1 に、いじめ出来事と、
「現在のいじめられ体験度(r = .421, p<.01)」、
「過去のいじめられ体験
度(r=.536, p<.01)
」
、
「過去の本人によるいじめ体験度(r = 238, p<.01)
」
、
「勘違い(r = 374, p<.01)
」
、
「役割葛藤(r = .385, p<.01)
」
、
「抑うつ(r = .350, p<.01)
」
、
「ストレス反応(r = .326, p<.01)
」は有意
な正の相関を示した。
「過去の本人によるい
現在のいじめられ体験度と、
「過去のいじめられ体験度(r = .443, p<.01)」、
じめ体験度(r = .185, p<.01)
」
、
「役割葛藤(r = .300, p<.01)
」
、
「抑うつ(r = .287, p<.01)
」
、
「ストレス
」は有意な正の相関を示した。
反応(r = .206, p<.01)
過去のいじめられ体験と、
「過去の本人によるいじめ体験(r =.188, p<.01)」、「勘違い(r=.328,
p<.01)
」
、
「質的負荷(r = .191, p<.01)
」
、
「役割葛藤(r = .208, p<.01)」、「抑うつ(r = .321, p<.01)」
は有意な正の相関を示した。
」は有意な正の相関を示した。
過去の本人によるいじめ体験と、
「勘違い(r = .303, p<.01)
いじめ、いじめられ体験なしと、
「役割曖昧性(r =190, p<.01)
」は有意な正の相関、
「勘違い
(r = -.411, p<.01)
」は有意な負の相関を示した。
勘違いと「質的負荷(r =.188, p<.01)
」
、
「役割葛藤(r=.286, p<.01)」、「抑うつ(r=.392, p<.01)」、
「ストレス反応(r =.338, p<.01)」は有意な正の相関を示した。
133 134
12.62
8.11
30.33
尊重
軽視
いじめ出来事
D
13.70
S
手続き的公正
別
10.69
性
隠蔽
齢
5.29
年
組織への忠誠心
M
8.27
10.88
13.17
10.83
9.50
6.44
量的負荷
質的負荷
役割曖昧性
役割葛藤
抑うつ
ストレス反応
2.59
3.94
.000
-.029
-.050
-.100
-.115
-.170*
.185** .128
-.021
-.140*
-.043
.005
.058
-.003
.059
.045
-.037
.083
.027
.000
-.070
-.119
-.082
-.007
.086
-.002
.138* -.081
-.010
-.109
-.037
.048
-.028
.087
.073
.079
.115
-.098
.011
.081
.043
.015
.085
.082
.293** .065
.175*
.097
-.061
.020
-.043
.029
.114
─
─
-.004
.077
.155*
.027
-.153*
-.097
-.147*
.129
.039
.032
-.074
.088
-.059
-.070
.054
─
.421**
─
.238** .185** .188**
-.057
-.046
-.096
─
─
.109
.035
.128
.102
.141*
.084
.211** .374** .133
-.162* -.075
.191** -.085
.017
.206** .326** .206** .159*
.074
.261** .350** .287** .321** .167*
─
─
.178**
─
─
-.154*
.338** .203** .249** -.073
-.350** .392** .308** .297** -.168*
-.235** .286** .421** .339** -.011
.033
.188** .573**
.163*
.190** -.149*
-.119
.154* -.144* -.041
-.189** .274** .385** .300** .208** .109
-.065
─
.328** .303** -.411**
-.238** -.559** -.511** -.850** -.631**
.127
.184** .536** .443**
.134*
.265** .349** -.214** -.207** -.028
.088
.050
.007
-.244** .019
.284** -.038
.065
.146* -.058
.173* -.162* -.204** .343**
─
.366** .594** ─
.426**
─
藤
3.55
-.022
-.047
-.023
.157*
.000
.003
.041
.511**
.230** -.266** -.480**
-.136*
─
性
2.43
2.51
2.39
-.112
.127
-.146* -.002
-.001
.097
-.084
.148*
─
-.103
い
1.87
.043
.012
-.095
-.069
.010
-.057
.188** -.013
.294** -.021
つ
(注)* p<.05, **p<.01
5.80
勘違い
.129
-.158*
.094
-.018
.051
-.102
─
.410**
いじめ、いじめられ体験なし
3.70
1.82
.64
17.02
過去の本人によるいじめ体験
-.079
-.088
-.092
.058
-.011
.085
-.131
過去のいじめられ体験
-.024
-.058
.032
.047
.003
.027
-.010
過去の本人によるいじめ体験
いじめ、いじめられ体験なし
3.10
1.51
過去のいじめられ体験
1.28
.24
-.138*
.019
.112
─
-.136* -.005
現在のいじめられ体験
現在のいじめられ体験
-.100
-.063
.172* -.037
-.015
.055
.093
─
.001
い じ め 出 来 事
11.80
2.57
3.68
.036
.025
-.086
.030
手 続 き 的 公 正
3.98
.215** -.089
.054
-.003
蔽
3.37
.000
.061
組 織 へ の 忠 誠 心
1.73
数
.125
─
数
.008
理
3.22
年
17.28
続
年
数
.020
の
.515** .096
員
.185** .060
業
倫
普遍的倫理
勤
職
的
-.012
隠
1.61
重
4.50
尊
4.00
視
4.50
軽
従業員数
現
違
現職の年数
荷
─
負
─
的
.157*
量
-.075
荷
22.56 133.68
負
勤続年数
的
─
質
-.007
従
遍
昧
.50
勘
曖
10.57
普
割
葛
1.50
役
割
40.08
役
う
年齢
抑
性別(1=男性, 2=女性)
表 9 .各項目の相関係数
ス ト レ ス 反 応
4 - 3 - 3 重回帰分析の結果
次に、「いじめ出来事」
、
「現在のいじめられ体験」、「いじめ、いじめられ体験なし」を従属変数
とした回帰分析を行った(表10)
。
表10.「いじめ出来事」、「現在のいじめられ体験」
、
「いじめ、いじめられ体験なし」
を従属変数とした回帰分析結果
従属変数\
いじめ出来事
性別
年齢
勤続年数
現職の年数
従業員数
普遍的倫理意識
組織への忠誠心
隠蔽
手続き的公正
尊重
軽視
いじめ出来事
現在のいじめられ体験
過去の本人によるいじめ体験
過去のいじめられ体験
勘違い
量的負荷
質的負荷
役割曖昧性
役割葛藤
抑うつ
現在の
いじめられ体験
いじめ、
いじめられ体験なし
-.022
-.056
-.001
-.008
.005
-.025
-.053
.046
-.065
-.017
.135*
─
.160*
.035*
.339***
.141
-.056
-.013
-.032
.187**
.021
-.044
.019
-.071
-.035
.092
-.010
.071
.049
-.099
.220**
.031
.195*
─
.070
.332***
-.158*
-.084
.030
.039
.206**
.077
.033
.007
-.130*
-.045
.004
-.040
-.027
-.096
-.039
-.038
.003
-.436***
─
─
─
-.194**
.088
-.053
.080
.021
-.117
.413***
.285***
.368***
R2
注:* ; p < .05, ** ; p< . 01, *** ; p < . 001
いじめ出来事は、軽視、現在のいじめられ体験、過去の本人によるいじめ体験、過去のいじめら
れ体験度、役割葛藤によって規定されている。いじめ出来事と過去のいじめられ体験が有意な説明
因であることは、過去にいじめられた体験を持つ役職のある従業員は、いじめの場面をよく観測す
ることを示している。現在のいじめられ体験は、尊重、いじめ出来事、過去のいじめられ体験、勘
違い、役割葛藤によって規定されていた。
いじめ、いじめられ体験なしは、勤続年数、いじめ出来事、勘違いによって規定されていた。
最後に、仮説の検証のために、階層的重回帰分析によるパス解析を行った。これにより、上司群
における仮説 1 ~ 5 の検証を行う。
135 仮説 1 :職階もしくは勤続年数が上がることにより組織防衛が高まり、これは、いじめ出来事と
正の相関がある
仮説 2 :普遍的倫理意識は、職場における反社会的行動を抑制する。
仮説 3 :対人的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、対人的公正といじめ出来事と負の関係にある
仮説 4 :手続き的公正は普遍的倫理と正の関係にあり、手続き的公正はいじめ出来事と負の関係
にある
仮説 5 :言い過ぎや、誤解を与えてしまうことは職階と正の関係があり、いじめ出来事と正の関
係にある
「組織防衛」と「対人的公正」については複数因子が出ているが、仮説で想定していたのはこれ
らの因子のうち「組織への忠誠心」と「尊重」である。
現職(に就いてから)の年数、職階、勤続年数、性別、年齢といったデモグラフィック要因を第
1 段階、勘違い、組織への忠誠心、隠蔽、尊重、軽視、手続き的公正といった組織的要因と組織に
対する低い倫理意識を第 2 段階、普遍的倫理、質的負荷、量的負荷、役割曖昧性、抑うつ、役割葛
藤といった組織に対する高い倫理意識と個人的要因を第 3 段階、過去の本人によるいじめ体験、現
在のいじめられ体験、過去のいじめられ体験などのいじめ体験を第 4 段階とし、いじめ出来事を第
5 段階として階層的重回帰分析を行った(図 3 )
。解析方法は強制投入法を用いた。
いじめ出来事に対し直接の効果が認められたものは、勘違い( β = .141, p<.05)と軽視( β = .135,
p<.05)であった。いじめ出来事の強い正の決定因は、過去のいじめられ体験( β = .339, p<.001)、
であった。また勘違いについてはいじめ出来事を間接的に正で規定するパスが見られるため、総合
、現在のいじめられ体験( β = .160,
効果としての影響力は強まるといえる。役割葛藤( β = .187, p<.01)
p<.05)も正の決定因であったが、役割葛藤は軽視( β = .189, p<.05)
、年齢( β = -.216 p<.05)
、現在
のいじめられ体験は尊重( β = .231, p<.01)
、抑うつ( β = .165, p<.05)
、役割葛藤( β = .266, p<.001)
を経ていじめ出来事を間接的に正で規定するパスが見られる。
こちらも仮説 1 、 2 については棄却され、仮説 3 については尊重と現在のいじめられ体験が正の
説明因となり、仮説と逆の結果が示された。仮説 4 、 5 については一部仮説が支持された。
仮説 4 については、部下の場合同様手続き的公正と普遍的倫理は正の相関が認められたが、いじ
めとの相関は見られなかった。仮説 5 については、職階との関係は認められなかったが、いじめ出
来事が正の説明因となった。
136
.231**
勘違い
現職の年数
尊重
.154
年齢
-.220**
-.160
-.252***
.195
**
.278***
質的負荷
R=.054*
役割曖昧性
R=.169***
-.211**
隠蔽
R=.048**
*
.210**
普遍的倫理
R=.071**
**
組織への忠誠心
性別
.345
.124***
勤続年数
.141*
***
-.205**
R=.184***
.160*
現在のいじめられ
体験
R=.110***
量的負荷
R=.077**
-.176*
いじめ出来事
R=.413***
過去の本人による
いじめ体験
.155*
手続き的公正
抑うつ
R=.187***
.217**
.255
***
軽視
-.215*
.189*
役割葛藤
R=.144***
過去のいじめられ
体験
R=.125***
.339***
.187**
.135
*
図 3 . いじめ出来事への影響過程のパス解析図
***p<.001, **p<.01, *p<.05 実線は正の決定因、破線は負の決定因である。
5 .考察
5 - 1 因子分析の結果に関する考察
因子分析において、役職有りと役職無しでは若干の違いが見られた。具体的には、質的・量的負
荷が役職有りの群では因子が分かれていたのに対し、役職無しでは一因子となっていた。
この結果に関しては、役職のある上司は職務上意思決定を伴う質的な負荷が伴うのに対し、役職
のない従業員はこの負荷がなく、質的な負荷と量的な負荷との違いが職務において存在しないと認
識していると考えられる。また、隠蔽と組織への忠誠心が役職有りと役職無しにおいて因子の現れ
方が前後したのは、組織をマネジメントする立場である役職有り群は組織への忠誠心、マネジメン
トされる側の役職無し群は職務における隠蔽をより強く意識している結果であると考えられる。
5 - 2 相関、回帰分析、階層的回帰分析の結果に関する考察
次に、仮説の 1 ~ 5 の結果に対する考察を述べる。
仮説 1 については、 1 つの会社の中で役職や勤続年数が高くなれば自らの所属する組織への忠誠
心が高まり、個人への配慮がなされ難くなるためにいじめが起こりやすくなると想定したが、組織
137 への忠誠心とデモグラフィック要因との相関関係は認められなかった。この理由として、役職有
り、役職無しの平均勤続年数が両群とも10年前後であり、役職有りの勤続年数が短かったことが、
相関関係が認められなかった原因であると考えられる。
また組織への忠誠心といじめ出来事への相関では、直接の相関も組織への忠誠心から何らかの要
因を経由しいじめ出来事を正で規定するパスも認められなかったため、両者の関連は認められな
かった。先行研究では上司の不正行動に対する倫理的な行動を低めるという結果であったが、いじ
めとの関連は認められなかった。隠蔽行動や、会社のためになるなら出来の悪い部下はしごいても
構わないとする意識は、いじめとの関わりが低いと考えられる。
役職有りの群では、決定係数は非常に低いながら組織への忠誠心から量的負荷を経由し、いじめ
出来事を負で規定するパスが認められた。組織への忠誠心の高まりにより量的負荷が高まるという
のは、落ちこぼれや不出来な部下を指導するための時間が負荷となっているのではないかと考えら
れる。ただし、量的負荷が低い状態にある上司は過去にいじめを行ったことがよくある、という関
係については不明である 8。
仮説 2 については、役職有り・無しの両群で、普遍的倫理意識が職場におけるいじめ出来事を低
減するという結果は、相関分析、回帰分析どちらからも認められなかった。役職無し群では役割曖
昧性や仕事の量的・質的負荷を有意に高め、役職有り群では役割曖昧性や仕事の質的負荷を高めて
おり、職場において普遍的倫理を重要視する社員は、会社における自らの役割が分からなくなった
り、仕事の量的な負荷や意思決定における葛藤を感じやすくなったりする結果が得られた。これは
先行研究とは逆の結果である。普遍的倫理意識と上司の不正行動を隠蔽するか告発するかどうか、
とは関わりがあったが、いじめと普遍的倫理意識との関連は認められなかった。普遍的倫理意識尺
度は社外でも社内でも当てはまる尺度であり、職場における倫理意識や、対人関係について質問す
る項目ではなかったことが理由として考えられる。
仮説 3 については、役職有りの群の相関分析では、普遍的倫理と尊重(対人的公正)が正の相関
として認められた。ただし、対人的公正といじめ出来事について、役職有りの群の階層的回帰分析
においては有意なパスとはならず、むしろ直属の上司から尊重されていると感じているほど、現在
いじめられていると感じているという結果となった。対人的公正といじめについての関係について
は、田中(2008)で挙げている先行研究と異なり、田中(2008)自身が行った研究結果と同様の結
果であった。上司からの対人的公正といじめとの関係性は薄いものと思われる。
一方、役職無しの群の相関分析において、普遍的倫理と尊重(対人的公正)が正の相関にあるこ
とは認められなかった。ただし、階層的回帰分析において尊重と過去のいじめられ体験との間に負
の相関が見られたことから、上司から尊重されていると感じている役職の無い従業員は、過去にい
8
推測の域を出ないが、いじめ経験のある上司は、多くの仕事を部下に振ってしまっている可能性があるために、
本人の量的負荷感は減っている可能性があるかもしれない。今後の検討が必要であろう。
138
じめられたことがない傾向にあることがわかった。これは、上司から尊重されていると感じられる
職場環境であれば、いじめが起こりにくい可能性を示唆していると考えられる。
役職有りの群では、尊重と普遍的倫理が正の相関が認められ、役職無しでは相関が認められな
かったのは、役職無しの群における相関分析で年齢と普遍的倫理に正の相関が見られたことを踏ま
え、普遍的倫理は年齢と相関があるためと考えた。自分が尊重されているかどうかではなく、年齢
の高まりによって普遍的倫理を持つようになるもので、平均年齢がほぼ同じである両群においてこ
の結果の違いが見られたのは、上司から尊重されていると感じている役職を持つ年齢の社員と、上
司から尊重されていると感じている役職のない社員とでは、前者は高い年齢層であり、後者は若年
層の社員が多かったためと推測した。
ただし、役職有りの群での尊重の得点高い従業員と、役職無しで尊重の得点が高い従業員とを比
較したところ大きな差はなかった 9。このことは、責任のある役職に就く従業員は、年齢による差で
はなく、普遍的倫理を持っている者が選ばれていると考えられる。
上司からの対人的公正感に欠いた軽視といじめとの関係は、両群においていじめ出来事との有意
な正の相関が認められた。このことは、上司から軽視されていると感じている従業員は、他人がい
じめられている現場をよく観測することを意味している。上司が部下を軽んじ、配慮に欠く態度や
言動を行なっている職場は、いじめが発生しやすい職場であることが証明されたと考えられる。
仮説 4 に関して、手続き的公正が普遍的倫理と正の相関にあることが両群において認められたこ
とは、手続き的な公正を感じている従業員は、普遍的倫理が高い傾向にあることを意味する。ただ
し、公正感といじめの発生との関係は認められなかった。手続き的公正は先行研究において言語的
暴力を従属変数とした回帰分析において有意な負の相関が認められたが、本研究ではいじめと手続
き的公正との関係は認められなかった。
仮説 5 に関して、勘違いをされる上司は自らもいじめたことがある傾向にあることが認められ
た。このことは、パワハラやいじめだと部下から勘違いをされるような態度や言動をしている上司
は部下などからの勘違いによる被害者というだけでなく、自分がいじめを行なっている加害者とし
ての側面も持つことを意味している。これは、仮説を設定する際に想定した上司像と一致するので
はないかと考えられる。
仮説との関係から検討すると、職階や勤続年数が高まるほど上司-部下間のコミュニケーション
不全に陥り、部下から勘違いされやすくなるという点が考えられる。ただし、統計的には明らかに
ならなかったために、年齢と勘違いとの関係はほとんど無いと考えられる。職階や勤続年数と勘違
いとの関係がみられなかったのは、本研究における上司群の現職の年齢の偏りにあると考えられ
る。年齢や勤続年数の分布に比べ、現職の年数の分布は 1 年~ 3 年程度に標本数のうち半数を占め
9
4 問ある尊重に関する質問において回答した数の得点が平均 3 以上、つまり合計12点以上の得点となってい
る従業員を抽出し、平均年齢を求めた。役職無しは39.6歳、役職有りは40.0歳であった。
139 ていた。上司群の年齢分布、上司群の勤続年数分布では、30代、勤続年数10年以内が多く、部下と
の年齢の差がコミュニケーション不全に陥るほどに大きくないと考えられる。
また、勘違いを受けている上司は抑うつや役割葛藤を感じており、部下や会社からの誤解は上司
にとって多大なストレスや自らの役職に葛藤から生じることが明らかになった。それゆえ、上司と
部下のコミュニケーション不全の改善は、上司のメンタルヘルスの面でも良好な効果があると考え
られる。
仮説以外に明らかになった点では、回帰分析において、いじめ出来事と過去のいじめられ体験と
が非常に強く結びついていた点である。これは過去にいじめられた経験を持つ従業員は、いじめの
現場を観測しやすいことを意味している。これは、過去にいじめられた経験がいじめに対する感度
を高めていることにあると考えられる。いじめられた経験を持つかどうかは、個人情報の問題から
も企業側が聞き出すことは難しいが、調査結果からは、過去にいじめられた経験を持つ従業員への
対人的な配慮は、過去にいじめられた経験のない従業員よりも重視すべきことを示唆している。
さらに、階層的回帰分析において組織防衛の 2 因子と性別との関係が明らかになったが、女性よ
りも男性の方が、組織に過剰な忠誠や隠蔽を是とする倫理意識に陥ることが認められた。
ただし、この階層的回帰分析の結果では役職による影響を否定できないため、役職有りの男性を
1 、役職無しの男性を 2 、役職有りの女性を 3 、役職無しの女性を 4 とし、隠蔽、忠誠心について
それぞれ 1 要因分散分析を行った(表11)10。
表11.忠誠心の男女・役職有無別による比較
役職有男性 役職無男性 役職有女性 役職無女性
(1)
(2)
(3)
(4)
(N=108) (N=108) (N=108) (N=108)
忠誠心
平均
SD
11.41
3.470
11.84
3.064
9.96
3.129
10.71
3.079
F
多重比較
7.192
(1>3),(2>3),(2>4)
隠蔽では有意な差は認められなかったが、忠誠心では、役職有りの男性の方が役職無しの女性よ
りも、役職なしの男性の方が役職無しの女性よりも、役職無しの男性の方が役職無しの女性よりも
有意に高かった(全て p<.05)
。組織に対する過剰な忠誠心は役職に関わらず男性が抱きやすく、
女性は抱きにくいと言える。この点は、現在の日本においても、男性が主たる生計者であることが
多いため、役職有り・無しに関わらず、男性は企業への忠誠心が高いと推察される11。
10隠蔽について有意な差が認められなかったため、図は省略している。
11日本的雇用慣行の下での男性従業員の忠誠心の醸成には多くの議論があるが、例えば、岩田(1977;
1985)は、
日本企業では柔軟な組織構造が維持され、この構造を機能させる背後に「責任の連帯性」と「状況即応性」
があるとし、この責任の連帯性が忠誠心に関係が深いと考えられる。
140
隠蔽は上司群において質的負荷と量的負荷と負の相関が認められるが、隠蔽を是とする考えを
持っているからといって、業務の負荷が減少する訳ではないため、業務において何らかのごまかし
を行なっている場合が考えられる。組織防衛はいじめ出来事には作用しないが、業務の質を下げる
可能性が示唆されたといえる。
5 - 3 .まとめ
本研究の課題は、前述のように、職場いじめは倫理観の欠如によって起こるのかと、倫理観の欠
如によると判断がつきかねるケース、つまり「勘違い」によるいじめはにどのような原因があるの
かであった。この 2 点について、整理・検討したい。
(1)職場いじめは倫理観の欠如によって起こるのか
組織防衛の 2 因子と、いじめ出来事・過去の本人によるいじめ体験(過去にいじめの加害者だっ
たことがあるか)との関係は、全ての分析を通して認められなかった。
(2)
「勘違い」によるいじめにはどのような原因があるのか
この点に関して、勘違いを従属変数とした回帰分析を行ったところ、抑うつといじめ出来事が有
意な正の説明因となっていた(表17)
。
この結果から、勘違いをされる職場は、上司か
表17.勘違いを従属変数とする回帰分析結果
ら見ていじめが起こっている職場である傾向に
従属変数\
勘違い
あった。また、抑うつ反応が高い上司の精神状態
性別
-.064
は、部下から勘違いをされやすい傾向を誘発し
年齢
.091
た。これまでの分析と考察結果との関係から見る
勤続年数
-.079
現職の年数
-.021
普遍的倫理意識
-.082
組織への忠誠心
.071
と、勘違いといじめ出来事・過去の本人によるい
じめ体験との関係が階層的回帰分析によって明ら
かになったことから、勘違いをされている上司
隠蔽
.016
は、いじめがよく起こる、あるいは、本人がそう
手続き的公正
.117
思っている職場にいたり、上司自身が他の従業員
尊重
.029
軽視
.039
いじめ出来事
.261***
をいじめてしまいがちであるということである。
他方で、階層的回帰分析により勘違いをされてい
る上司は、抑うつや役割葛藤を抱えている場合が
あり、職場における役割葛藤やうつ傾向が生じる
ことで、勘違いを誘発する可能性を指摘した。
現在のいじめられ体験
-.103
量的負荷
-.007
質的負荷
.071
役割曖昧性
-.076
役割葛藤
.090
抑うつ
.203*
R2
.276***
注:* ; p<.05, ** ; p<.01, *** ; p<.001
141 全体として、勘違いのようなコミュニケーション不全は、上司と部下との間にいじめが起きる原
因になるだけでなく、上司のメンタルヘルスにも悪影響を与える可能性が明らかになった。
6 .課題
本研究において、上司と部下との誤解はいじめと直接関係があり、かつ上司のメンタルヘルスに
も影響があることが明らかになったが、高い倫理観や倫理観の欠如といじめとの直接関係は明らか
にならなかった。
今後の課題は、勘違いについては年齢や性別といったデモグラフィック要因ではなく、個人的要
因と組織的要因についてより詳細に検討することであろう。勘違いと相関があったのは、抑うつ、
役割葛藤といった個人的要因と、いじめ出来事などの組織的要因であった。自らの精神状態に余裕
が無いために部下に対して配慮を欠く態度を取ってしまうのか(個人的要因を起因とするもの)、
それともいじめが起こっている職場であるため、部下が敏感になっているのか(組織的要因を起因
とするもの)
、という 2 つの視点から考えていくべきである。
個人的要因については、攻撃性やネガティビズムといったパーソナリティ要因に焦点を当て、組
織的要因については、部下が上司の言動や態度をどう受け取っているかという視点から部下群向け
の新たな尺度の作成が必要である。本稿は、上司が部下から勘違いを受けているかどうかを尺度化
し、いじめに対する感度がいじめられた経験があると高まる傾向にあることが明らかになった。こ
の理由は、いじめが起こっている職場において、部下がいじめに対して敏感になっていないか、上
司の言葉を悪い意味で受け取りがちになっていないかどうかを調査するためである。宗像(2000)
はいじめ感度尺度を作成しているため、この尺度を今後参考にしたい。
調査方法については、尺度の選択に関するさらなる検討が必要である。先行研究が様々ないじ
め・嫌がらせ・反社会的行動に関する尺度を作成しており、投入している要因が先行研究によって
様々なため、先行研究との比較検討が困難となった。倫理意識尺度は、普遍的倫理意識が社内での
倫理意識を測定するものでは必ずしも無いため、社内でのいじめに関する研究に適用させる場合
は、この尺度の妥当性をさらに検討する必要がある。
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総務省統計局『平成23年 労働力調査年報』
(http://www.stat.go.jp/data/roudou/report/2011/index.htm:2014年12月 1 日アクセス)
U.S. Bureau of Labor Statistics All charts, Census of Fatal Occupational Injuries, 2011 (http://www.bls.gov/iif/oshwc/cfoi/cfch0010.pdf:2014/12/01accsess)
143 【研究ノート】
プレイング・マネジャーのストレスに関する実証調査
─ ミドル・マネジャーを中心に ─ 1
福澤 菜恵・岩田 一哲
1
1 .問題と背景
1 – 1 問題
現在のミドル・マネジャーは、マネジャーの業務や責任が増大しただけでなく、プレイング・マ
ネジャーとしてプレイヤーの成果も求められており、ストレスが増加している。実際、職場でのス
トレスを原因として起こる精神障害は管理職に多い。例えば、厚生労働省が毎年発表している最近
の精神障害の労災支給請求件数 2 を見ると、専門的・技術的職業従事者、事務従事者、販売従事者、
サービス職業従事者が多い。これらと比較すると、請求件数の実数では管理的職業従事者が少ない
が、従事者10万人あたりの請求件数は3.27件と最も多い。これは、管理的職業従事者の総数は少な
いが、その中で精神障害を患う人の割合が多いことを意味する。また、石川ら(2002)は、「中間
管理職への昇進はストレッサであることが推察された(p.302)
」など、昇進がきっかけで体調や心
身に不調をきたす中間管理職が出現しているという。さらに、小倉(2010)も「今、多くの会社で
は、あまりにもプロのマネジャーが少ない(pp.192–193)」と述べており、プロのマネジャーを「管
理業務のみを行う人」
、
「その部署や現場のすべてを総合的に見て判断し、他の部署との関係や全社
的な調整役を担い、部署内の細かな作業は下にゆだねる人」としている。
以上の論点から本稿は、中間管理職の仕事内容の拡大がストレスの大きな要因であるのか、ま
た、拡大した仕事のどの内容がストレスに影響を与えるのかについて検討する。
1 – 2 上司・部下間の関係の変化 3
過去と比較すると、以前はサポートしてくれる上司がおり、安定した新卒採用を行っていたため
管理職を教育するシステムが整っていた。現在ではそのシステムが崩れ、団塊の世代退職後のポス
トがそのまま無くなったことにより業務量が増加し、忙しくて部下を見られないといった人間関係
の希薄化、ICT(information and communication technology:情報技術)の進展により、スピード
1
本稿は、福澤(2014)をもとに作成した。
2
厚生労働省総務省『統計局労働力調査』より作成。
3
樋口(2012)33–38頁、50–58頁の内容をまとめて記述した。
145 化や管理職の仕事の高度化、個々人の職務が明確化されていないといった問題が生じている。その
ため、管理職の仕事の一部を占めている部下の育成、指導がされにくくなっている。
樋口(2012)は、現在の管理職の仕事について以下の点を指摘する。以前の係長は、管理職の末
端であり現場に近く、課長より限定された範囲で課長に代わって業務、収益、人事を管理し、現状
把握と課長への報告をしていた。また、課長からの指導を受けられたため、管理職を育てる観点で
利点があった。他の管理職や部下との役割分担も明確であった。現在の係長(リーダー)は業務、
収益、人事管理は同じであるのにもかかわらず、以前の係長より高い能力を求められている。
「判
断業務」が増え、現場に近いところで意思決定しなければならず、課長に近い負荷がかかってい
る。業務のスピード化で上長に指示を仰ぐ余裕がない。スタッフの管理はストレス管理やモチベー
ション管理も行わなければならない。また、リーダーのほとんどはプレイング・マネジャーである。
以前の課長は、目標そのものが安定しており、上司の支援が得やすかった。現在の課長は、戦略
や戦術が頻繁に変化し、上司がその変化に対して未経験のため、支援を受けられないという問題が
ある。本来部長の役割である目標設定にまで関わるマネジャーが増加している。
「柔軟性」
、
「スト
レス耐性」
、
「視野の高さ・広さ」など、かつて部長に求められた能力や仕事が、マネジャーとして
の課長の必須要件になっている。マネジャーとしての役割の難度が高くなったことに加えて、プレ
イヤー兼務がおよそ99%、つまり、ほとんどの課長がプレイング・マネジャーの役割を担っている4。
以前の部長は、上位方針の展開、組織作り、担当部門の成果管理、人材育成を行っていた。変化
が少なく、時間に余裕があり市場全体が成長していた時代であり、上位方針の変更も少ないため、
組織作り、成果管理、人材育成に集中できた。現在のディレクターは、短期の成果を求められ、変
化が激しく負荷が高まっている。トップや経営層で決められた方針展開を伝達したり、チームの活
性化に力を入れる余裕がない。日々の問題解決の量・質とも増加し、人材育成に関わるより長期的
な課題に注力できない。
管理職の下に就く部下の仕事も、ICT 技術の進展によって高度化している。ICT がない時代は清
書やコピー、会議資料づくりなどの簡単な仕事を行う間に、会社や仕事の内容を理解する余裕が
あった。現在では「非正規社員比率の増加、人材を育成しても辞めてしまう、鍛えがいのある人材
が集まらない 5」などの理由から管理される側の人材育成が軽視され、よい人材、よいプレイヤーが
育たなくなることで、ミドル・マネジャーへの負担がさらに重くなっている。
4
学校法人産業能率大学(2010)
『上場企業の課長を取り巻く状況に関する調査(速報版)』、 2 頁。
5
厚生労働省(2012)
『平成24年労働経済白書』
、282頁。
146
2 .プレイング・マネジャーとミドル・マネジャー
2 – 1 プレイング・マネジャー
管理職の役割について八代(2002)は、
「
「監督者」即ちマネジメントコントロールの担い手の側
面と「タスクの遂行者」という側面がある(p.2)
」と述べ、管理職は管理機能と実行機能を併せ持
つ、つまり管理職は皆プレイング・マネジャーであることを指摘している。プレイング・マネ
ジャーの定義は多くあり、例えば、樋口(2012)は、「最前線に立つプレイヤーとしてバリバリ仕
事をこなしながら、なおかつ部下をじっくりマネジメントする(p.2)」、小倉(2010)は「「プレー」
つまり自分の仕事と、
「マネジャー」つまり管理の仕事の両方をする人(p.120)
」
、佐藤(2004)は
「管理機能と実行機能を併せ持つ存在」とそれぞれ定義している。
ただし、これらの先行研究の定義では、プレーの意味が把握しにくい。樋口(2012)の「最前線
に立つプレイヤー」とは現場に出るプレイヤーとも受け取れ、営業職では一般的だが、事務職の場
合は現場に出るというイメージはつかみにくい。小倉(2010)の「「プレー」つまり自分の仕事」
の自分の仕事とは管理職であるため、管理業務が自分の仕事である。したがって、
「管理の仕事」
と「プレー」がオーバーラップするため、不十分である。佐藤(2004)の「実行機能」の場合、管
理機能が考える仕事に限定されるため、部下に対する助言等の行動が実行機能なのか管理機能なの
かの判断に窮する場合が想定される。以上から、本稿はプレーを「現場スタッフと同じ内容の仕
事」と定義する。
プレイング・マネジャーの仕事内容だけではなく、求められる業績に言及した研究もある。例え
ば大井(2005)は、管理職といえども一日中デスクにいるわけではなく、高い実績を上げていくこ
とが求められると指摘しており、厨子ら(2010)は、部下の管理をしながら、自らも一人のプレイ
ヤーとして個人業績を高めることが求められる管理職であることを指摘しており、両者に共通の要
因である「高い業績」も求められている。
以上の検討から本稿は、プレイング・マネジャーを「部下の管理をしながらプレーを遂行するこ
とで、個人の高い業績を求められる管理職」と定義する。
2 – 2 ミドル・マネジャー
ミドル・マネジャーの位置づけは、以下の研究を参考とした。第 1 に、Mintzberg(2011)によ
ると、トップ・マネジャーとは、
「組織内の全員が自分の部下、組織の活動すべてに対して正式な
権限を持っている」者であり、ミドル・マネジャーとは、「組織図で自分の上にも下にもマネジャー
がいる」者であり、現場マネジャーとは、
「部下はすべて、マネジャーの肩書きを持たない現場ス
タッフ 6」である。日本語の「中間管理職」という言葉には、「上司と部下の間にいる管理職」とい
6
Mintzberg, H. (2011)、165–169頁を参照。
147 う意味があり、現場マネジャーも含む場合がある。また、課長や部長等の肩書による分類では「部
下なし管理職」も含まれるため、マネジャーである部下の管理をしている「ミドル・マネジャー」
を検討対象とした。
2 – 3 プレー度
労働政策研究・研修機構(2011)によると、プレー度は、「自分の業務=プレーと、管理業務=
マネジメントの比率を合計100とした場合のプレーの比率(p.7)
」と定義されている。ただしこの
定義では「自分の業務」の内容が曖昧である。産業能率大学による上場企業の課長を対象に行った
調査では、
「現在のあなたの仕事における、プレイヤーとしての仕事の割合はどの程度ですか? 7」
という設問から、
「プレイヤーとしての仕事の割合」で回答者がその意味を理解して回答している。
そこで、本稿におけるプレー度の定義は、両研究の定義を合成して、
「プレイヤーとしての業務=
プレーと、管理業務=マネジメントの比率を合計100とした場合のプレーの比率」とする。した
がって、この定義では、プレー度が 0 でも100でもないマネジャーがプレイング・マネジャーと言
える。
3 .本稿の分析枠組み
3 – 1 ストレスの概念
学術用語としてのストレスの概念は、研究者の間で共通する内容がある訳ではないが、ストレス
の状態は、ストレッサとストレイン、およびそれらの間に介在するモデレータからなる要因群の相
互関係の中で捉えられる 8。ストレッサとはストレスの原因であり、生体の外にあって、それに歪み
を与える要因である。ストレインとは「ストレッサを受けた後に生じる結果としての反応 9」であ
る。モデレータとは、
「ストレッサとストレインの間の緩衝要因」であり、モデレータによってス
トレインが強められたり弱められたりする。
ストレス研究では、ストレッサ、ストレイン、モデレータの関係を把握するために、ストレスモ
デルを作成することが多い。この点に関連して横山ら(1998)は、ストレスモデルは仕事の中のス
トレッサを探るために作られてきた点を指摘している。最近ではコーピングやソーシャルサポート
も重要な要素であり、ストレッサが生じ、ストレインが発現するまでの過程を明らかにしている。
3 – 2 職業性ストレスモデル
ストレスモデルに関する研究は数多くあるが、本稿では代表的な 5 つのモデルを比較すること
7
学校法人産業能率大学(2010)
「上場企業の課長を取り巻く状況に関する調査(速報版)」より参照。
8
田尾(1999)69頁を参照。
9
開本(2007)、84頁を参照。
148
で、本稿の分析枠組みの作成のための手がかりとする。
(1)Cooper & Marshall の職業性ストレスモデル
Cooper & Marshall(1976)はそれまでの職業性ストレスに関する研究のレビューを行い、職
場ストレッサから疾患に至るプロセスの理論的枠組みを提案した。このモデルは様々な職場内外
のストレッサが個人特性を受けて、職場不適応徴候を生じさせ、最終的に疾患に至る一連のプロ
セスが示されている。個人特性には、不安特性、神経症傾向、タイプ A 行動といった変容可能
性の低い要素が挙げられている。
(2)LaRocco, House & French(1980)のソーシャルサポートと職業性ストレスおよび健康に関
する概念モデル
LaRocco らは、Kahn et al(1964)のモデルをもとにストレスモデルを検討している。
Kahn らによるモデルは、後にミシガンモデルと総称される多くのモデルの原型であり、職業
性ストレスの生成過程を心理学的観点から概念化した最初のモデルと言われている10。職業性ス
トレスは客観的環境、心理学的環境、反応の各要因を通過して生成されることを指摘している。
LaRocco らは、Kahn らのモデルに記された対人関係をソーシャルサポートとして捉えることを
提案した。また、従来の疫学的視点での職業性ストレス研究のモデルにおいて、ソーシャルサ
ポートという対人関係の要因を緩衝要因として取り込んで、心理的健康や疾患を説明した。
(3)Karasek(1979)の Job Demand-Control モデル
Karasek は、職場ストレッサに関して、要求度とコントロールの 2 要因によって管理職・非管
理職といった役割の違いに関わらずストレス反応を予測するモデルを検討した。仕事の要求度の
高低と仕事のコントロールとの高低の組み合わせによって、仕事の特徴を要求度が高くコント
ロールが低い「高ストレイン群」
、要求度が高くコントロールも高い「アクティブ群」、要求度が
低くコントロールが高い「パッシブ群」
、要求度が低くコントロールも低い「低ストレイン群」
の 4 つに分類し、高ストレイン群では、抑うつ感をはじめとするストレス反応が最も高くなるこ
とが示されている。この後、Jonson & Hall(1988)が Job Demand-Control-Support モデルを提
示し、Karasek の指摘した高ストレイン条件に、ソーシャルサポート(職場内における上司、同
僚から)の欠如を加味した。
(4)Hurrell & McLaney(1988)の NIOSH 職業性ストレスモデル
米国国立職業安全保健研究機関(National Institute of Occupational Safety and Health)によ
る NIOSH Model は、前述の Cooper & Marshall のモデル、LaRocco らのモデル、Karasek のモ
デルを含む、それまでの多くの職業性ストレスモデルの理論をほとんど全て包括したモデルであ
る。特徴として、職場ストレッサが急性ストレス反応を発生させ、この急性ストレス反応が持続
し慢性化した場合に疾患へと発展する可能性を指摘し、この過程の中で、職場ストレッサと急性
10小杉(2009)
、42頁を参照。
149 ストレス反応との結びつきを調整・緩衝する要因として個人要因、仕事以外の要因、緩衝要因が
想定されている。
(5)小杉ら(2004)の心理学的職場ストレスモデル
小杉ら(2004)のモデルは、職場不適応に至る過程の最終経路である心理的ストレス反応とし
て、「疲労感」、
「イライラ感」
、
「緊張感」
、
「抑うつ気分」といった感情反応を挙げた。ネガティ
ブ感情反応は、
「環境からの要請」
、
「要請に関する負担の評定」
、
「負担を評定された要請への
コーピング」からの影響によって変化する。
「環境からの要請」は、従業員個人が「負担である」
という認知的評定を下した場合に、当該個人にとって「個人の資源に負荷を負わせる、ないし個
人の資源を超えると評定された要求」すなわちストレッサとしての性質を持つ。ストレッサが成
立すると、コーピングが発動される。個人が自覚する心理的ストレス反応の強度は、
「環境から
の要請」
、
「認知的評定」
、
「コーピング」のいずれかあるいは複数によって規定され、コーピング
が特に重要であると言う。
3 – 3 各ストレスモデルの検討
本稿において、各ストレスモデルを検討するにあたって、実際に管理職が精神に障害や身体に不
調をきたす要因を明らかにするため、ストレインに疾患を想定する疫学的ストレスモデルであり、
かつ、ストレインの軽減に貢献する要因は何かを明らかにするモデルである必要がある。したがっ
て、各ストレスモデルについて、疫学的ストレスモデルであるかと、ストレス反応を軽減させる要
因が含まれているかの 2 つの観点から検討する。
Cooper & Marshall のモデルでは、ストレスが最終的に疾患にまで影響を与えているという疫学
的な発想である。また、田中(2009)が「予防や対応という視点からは基本的にストレッサを操作
するしかないと考えざるを得ない」とこのモデルを評価するように、コーピングやソーシャルサ
ポートのようなストレス反応を軽減させる要因は含まれていないため除外される。LaRocco らのモ
デルでは、最終的なアウトカムに冠動脈疾患に代表されるストレス関連疾患を想定する点で、疫学
的ストレス研究の流れにある研究であり、モデレータとしてソーシャルサポートがストレインの強
度を変化させることを含めている。Karasekのモデルでは、プレーとマネジメントの関係について、
業務上の要求度が高いことは、プレー時間に関わる多くの仕事が要求されている、つまり、プレー
度の高い場合と考え、業務上の裁量権などに関するコントロールという視点は、管理職としての権
利をどれだけ執行できるかをプレー度の低い場合と考える。プレイング・マネジャーの視点から
は、高ストレイン群はプレー度の高いプレイング・マネジャー、アクティブ群はプレー度が中程度
のプレイング・マネジャー、パッシブ群はプレー度の低いプレイング・マネジャーと考えられる。
このモデルは疫学的ストレスモデルであり、ストレス反応の軽減は Job-Demand-Support モデルで
補われている。NIOSH 職業性ストレスモデルは、LaRocco らのモデルと Karasek のモデルを含ん
だ、包括的なモデルである。
150
以上から、本稿では日本でも数多くの研究で使用され、妥当性の高い NIOSH 職業性ストレスモ
デルを援用する。小杉らのモデルは日本での新しい心理学的ストレスモデルである。職場不適応に
至る過程の最終経路である心理的ストレス反応として疾患ではなく感情反応をあげている。ストレ
ス反応軽減策であるコーピングが含まれているが、本稿では疫学的ストレスの問題を取り上げるた
めに援用しない。
3 – 4 分析枠組みと仮説の提示
本稿で分析枠組みとして援用する NIOSH 職業性ストレスモデルは、日本でも実証的に検討され
ている。職業性ストレス簡易調査票(下光 , 1999)は、今日最も広く認められている 2 つのストレ
スモデル、すなわち、Karasek のモデルと NIOSH 職業性ストレスモデルを基にして作成されてい
る。この調査票では、ストレス反応は心理的ストレス反応と身体的ストレス反応とに二分され
る11。調査票の内容は57項目からなり、仕事のストレス要因、ストレス反応、修飾要因の 3 つから
構成されている。各項目に対する回答は 4 件法である。
仕事の要因に関する尺度は 9 つで、心理的な仕事の量的負担( 3 項目)
、心理的な仕事の質的負
担( 3 項目)、身体的負担( 1 項目)
、コントロール( 3 項目)
、技術の活用( 1 項目)
、対人関係
( 3 項目)
、職場環境( 1 項目)
、仕事の適性度( 1 項目)、働きがい( 1 項目)からなる。
ストレス反応については、心理的ストレス反応と身体的ストレス反応によって測定される。心理
的ストレス反応の尺度は 5 つで、ポジティブな心理尺度として活気( 3 項目)
、ネガティブな心理
的反応の尺度としてイライラ感( 3 項目)
、疲労感( 3 項目)、不安感( 3 項目)、抑うつ感( 6 項
目)がある。身体的ストレス反応は身体愁訴について11項目からなる。
修飾要因については、上司、同僚、および配偶者・家族・友人からのサポート 9 項目および仕事
あるいは家庭生活に対する満足度の 2 項目がある。
本稿は、 3 - 3 で指摘した理由から、NIOSH 職業性ストレスモデルを実証的に検討した職業性ス
トレス簡易調査票(2005)をもとに新たな項目を追加して、以下の分析枠組みを作成した(表 1 )。
11小杉、前掲書、91頁。
151 表 1 .本稿の分析枠組み
仕事のストレス要因
ストレス反応
修飾要因
仕事の負担(量)
仕事の負担(質)
身体的負担
対人関係
職場環境
コントロール
技能の活用
適性度
働きがい
(17項目)
活気
イライラ感
疲労感
不安感
抑うつ感
身体愁訴
(29項目)
上司からのサポート
同僚からのサポート
家族や友人からのサポート
仕事や生活の満足度
(11項目)
業務内容
( 3 項目)
月間残業時間
( 1 項目)
調査のために追加した項目は、業務内容に関する 3 項目(プレー時間、自分の管理業務時間、他
者の管理業務時間の割合)と月間残業時間の 1 項目である。
労働政策研究・研修機構(2011)は、
「プレイング・マネジャーである管理職は、プレー度合い
が高いほど労働時間が長くなる(p.8)
」と指摘する。本来の管理業務であるマネジメント業務だけ
ではなく、プレーも担うため仕事量が増加する傾向が強く、結果として労働時間が長い。ただし、
プレー時間が増加してもマネジメントの時間は減少しない。したがって、業務内容と月間残業時間
の関係が想定されるため、月間残業時間を組み入れた。
また、前述の調査で、役職別の月間残業時間についても既に検討されている。管理職は残業時間
の平均が非管理職に比べ約 7 時間長くなっている、また、
「残業や休日手当が欲しいから」残業を
している管理職は0.1% とほぼいない、という結果が出ている。管理職監督者は残業手当を支払わ
れないことが多いため、残業する理由は、仕事の量や突発的に入った仕事やきちんと仕事を仕上げ
たい責任感が中心である。したがって、プレー度が高いと労働時間が長くなり仕事の量的負荷が大
きくなると考えられる。
前述のように、現在の管理職は、現場マネジャーがミドル・マネジャーの肩代わりをしており、
ミドル・マネジャーがさらに上のミドル・マネジャーと現場マネジャーの肩代わりをしている点が
指摘されている。このため、管理業務時間も自分の分か、他者の肩代わりかといった仕事の割り振
りに関する内容も含め、以下の仮説を設定する。
仮説 1 :プレー度と残業時間とは正の関係がある。
仮説 2 :プレー度と仕事の量的負荷とは正の関係がある。
仮説 3 :管理業務を肩代わりさせられた時間が多い従業員は、仕事の量的負荷が大きい。
以上の仮説をストレッサ、ストレインとの関連から把握し、プレイング・マネジャー化したミド
ル・マネジャーのストレスの実状を Web 調査によって分析する。
152
4 .研究方法
4 – 1 調査方法 12
本調査は、日本に在住する正社員の専門・技術職、事務職、販売・営業職の中間管理職を対象
に、2013年12月 2 日~12月 4 日にかけて Web による質問紙調査を行った。調査対象者を中間管理
職に絞り込んだ理由は、ミドル・マネジャーと現場マネジャーを比較するためである。専門・技術
職、事務職、販売・営業職を対象としたのは、これらの職種の精神障害による労災請求件数が多い
ためである。調査対象者は調査会社の保有するモニターにより任意に抽出された。抽出条件は「正
社員・管理職」、職種が「専門・技術」あるいは「事務」あるいは「販売・営業」、「直属の上司が
いる」、「管理職の部下がいる(ミドル・マネジャー)」あるいは「管理職ではない部下がいる(現
場マネジャー)
」
、の 4 条件で、質問紙は該当者が解答に進めるように開発され、専門・技術職のミ
ドル・マネジャー、専門・技術職の現場マネジャー、事務職のミドル・マネジャー、事務職の現場
マネジャー、販売・営業職のミドル・マネジャー、販売・営業職の現場マネジャーがそれぞれ100
名、計600名になるまで調査対象者からサンプルを収集した。
4 – 2 回答者の属性
ミドル・マネジャー307名、現場マネジャー309名、計616名を対象とした。内訳は専門・技術職
のミドル・マネジャー101名、専門・技術職の現場マネジャー103名、事務職のミドル・マネジャー
103名、事務職の現場マネジャー103名、販売・営業職のミドル・マネジャー103名、販売・営業職
の現場マネジャー103名であった。全体の平均年齢は47.5歳(標準偏差7.20)であった。男性578名、
女性38名であり、男性に偏った属性である。
4 – 3 調査項目
表 1 の分析枠組みにしたがって調査項目を作成した。ストレスに関する調査項目は職業性ストレ
ス簡易調査票と同じである。仕事のストレス要因、ストレス反応、修飾要因について57項目、 4 件
法で質問した。
業務内容は、最近 1 か月のプレー時間、自分の管理業務時間、他者(上司あるいは部下)の管理
業務時間の割合を 1 % 単位で記入してもらうこととした。月間残業時間は、先行研究をもとに最近
1 か月の残業時間を、 0 分(残業をしていない)、 1 分~20時間未満、20時間~40時間未満、40時
間~60時間未満、60時間以上に分けて質問した。
12本調査は、株式会社マクロミルの協力で行われた。
153 4 – 4 分析結果
結果は SPSS 16.0 Japanese for Windows によって分析した。分析にあたって性別は男 = 1 、女
= 2 、月間残業時間は 0 分 = 0 、 1 分~20時間未満 =10、20~40時間未満 = 30、40~60時間未満 = 50、
60時間以上 = 60として分析した。
4 – 4 - 1 全体の分析
(1)因子分析
ストレッサ(仕事の負担(量)
、仕事の負担(質)、身体的負担、対人関係、職場環境、コン
トロール、技能の活用、適性度、働きがい)、ストレイン(活気、イライラ感、疲労感、不安
感、抑うつ感、身体愁訴)について、主因子法によるプロマックス回転を施す因子分析を行っ
た13。ストレッサは因子得点の低い身体的負担、職場環境、技能の活用を除外し、仕事の負担
(量)
、仕事の負担(質)
、対人関係のストレス、コントロール、適性度、働きがいで分析した。
仕事の量的負荷と質的負荷、適性度と働きがいは 1 因子として抽出された。
仕事の量的負荷と仕事の質的負荷を合成し、第 1 因子を仕事負荷と命名した。固有値は3.461
であった。第 2 因子は、働きがいと適性度が合成されたため、適性度と命名した。固有値は
2.888であった。第 3 因子は、事前に想定したコントロールと同項目である。固有値は1.421で
あった。第 4 因子は、事前に想定した対人関係のストレスと同項目である。固有値は0.972で
あった。本尺度の信頼性は仕事負荷が α=.808、適性度が α =.813、コントロールが α =.687、対
人関係のストレスが α =.620と、ある程度の内的整合性が確保された。回転後の最終的な因子
パターンと因子間相関を表 2 に示す。
表 2 .ストレッサの因子分析結果
項 目
一生懸命働かなければならない
非常にたくさんの仕事をしなければならない
勤務時間中はいつも仕事のことを考えていなければならない
かなり注意を集中する必要がある
時間内に仕事が処理しきれない
高度の知識や技術が必要なむずかしい仕事だ
働きがいのある仕事だ
仕事の内容は自分にあっている
自分で仕事の順番・やり方を決めることができる
自分のペースで仕事ができる
職場の仕事の方針に自分の意見を反映できる
私の部署内で意見のくい違いがある
私の部署と他の部署とはうまが合わない
私の職場の雰囲気は友好的である
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
13各因子の命名については、福澤・岩田の両名で検討した。
154
Ⅰ
.744
.734
.651
.621
.594
.513
.045
-.025
.098
-.296
.167
.082
.057
-.006
Ⅱ
-.055
-.040
-.018
.087
-.051
.160
.916
.764
-.134
.106
.165
.100
-.087
-.280
Ⅲ
.012
.056
-.004
.009
-.125
.073
-.082
.044
.920
.596
.471
-.044
.089
-.090
Ⅳ
-.083
.019
-.004
.083
.068
.104
-.019
.021
-.034
.181
-.135
.689
.588
.384
Ⅰ
─
Ⅱ
.076
─
Ⅲ
-.135
.473
─
Ⅳ
.213
-.382
-.236
─
心理的ストレインは活気、イライラ感、疲労感、不安感、抑うつ感を分析した。不安感と想
定した項目である「気がはりつめている」という項目は、因子分析では疲労感として抽出され
たが、尺度の信頼性が大きく下がるため除外した。
第 1 因子は事前に想定した不安感と抑うつ感が合成されたため、不安抑うつ感と命名した。
固有値は8.838であった。第 2 因子は事前に想定した活気と同項目である。固有値は2.454であっ
た。第 3 因子は事前に想定したイライラ感と同項目である。固有値は1.397であった。第 4 因
子は事前に想定した疲労感と同項目である。固有値は .932であった。本尺度の信頼性は不安抑
うつ感が α = .942、活気が α = .939、イライラ感が α = .919、疲労感が α = .894と、十分な内的整
合性がとれた。回転後の最終的な因子パターンと因子間相関を表 3 に示した。
表 3 .心理的ストレインの因子分析結果
項 目
仕事が手につかない
物事に集中できない
悲しいと感じる
気分が晴れない
何をするのも面倒だ
落ち着かない
ゆううつだ
不安だ
元気がいっぱいだ
生き生きする
活気がわいてくる
内心腹立たしい
怒りを感じる
イライラしている
へとへとだ
ひどく疲れた
だるい
因子間相関
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
.964
.901
.847
.796
.766
.750
.724
.604
-.016
.027
.037
-.020
-.008
.109
.054
-.106
.173
.099
.019
.045
-.071
-.027
.025
-.094
-.018
.962
.924
.896
-.008
.069
-.044
.078
.013
-.072
-.107
-.062
.002
.073
-.018
.073
.072
.139
.068
-.009
-.020
.978
.947
.669
-.107
.110
.013
-.100
.029
-.134
.003
.117
.063
.090
.070
-.013
.013
.052
-.040
-.042
.133
.941
.887
.666
Ⅰ
─
Ⅱ
-.295
─
Ⅲ
.630
-.279
─
Ⅳ
.712
-.271
.658
─
身体的ストレインである身体愁訴については先行研究を参考に因子分析を行わず、α 係数の
み算出した。身体愁訴は α=.913と十分な内的整合性を確認した。
(2)相関分析
全因子の平均値、標準偏差を表 4 、相関係数を表 5 に示した。以下に注目すべき点を概略する。
まず、月間残業時間と仕事負荷の有意な中程度の正の相関がある。プレー時間と仕事負荷、
プレー時間と月間残業時間の間には相関関係が見られなかった。また、年齢が上がるにつれネ
155 ガティブな心理的ストレス反応が減少する傾向も見られた。これは、年齢が上がるにつれて多
くの仕事経験を積むことができ、ストレスに対処する方法を身につけていることが考えられ
る。対人関係ストレスは、イライラ感、不安抑うつ感と高い正の相関を示した。対人関係のス
トレスが従業員にとって大きなストレッサであることは従業員自身も自覚しており、先行研究
と類似の結果である。
表 4 .全体の各項目の平均と標準偏差
項 目
性別(男性 =1, 女性 =2)
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
平均値
1.06
47.51
49.18
28.56
22.26
30.21
2.94
2.84
2.26
2.82
2.26
2.27
2.23
1.84
1.78
2.52
2.59
2.91
2.68
2.99
標準偏差
0.244
7.205
22.718
18.283
16.444
19.66
0.51
0.54
0.52
0.63
0.73
0.77
0.82
0.70
0.62
0.69
0.60
0.70
0.79
0.75
表 5 .全体の相関分析結果
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
性別(男性=1, 女性=2)
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
月間残業時間
*p<.05 **p<.01
156
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
─
-.203**
.099*
-.066
-.063
-.033
-.075
-.022
.036
-.032
.038
.029
.002
.006
-.030
.008
.025
-.020
.064
-.122**
─
.033
.016
-.063
-.063
-.041
-.037
-.029
-.057
-.153**
-.205**
-.166**
-.094*
-.011
-.095*
-.054
.018
-.055
-.101*
─
-.698**
-.605**
-.009
-.049
.084*
-.028
-.093*
.036
.040
.055
.047
-.076
-.113**
-.038
-.004
-.029
-.003
─
-.147**
-.098*
.060
-.134**
.040
.079
-.108**
-.117**
-.093*
-.067
.105**
.144**
.056
.073
.059
-.096*
─
.121**
.001
.033
-.005
.040
.071
.075
.027
.010
-.012
-.003
-.010
-.076
-.026
.111**
─
-.126**
.220**
.077
-.030
.285**
.464**
.299**
.313**
-.105**
-.104**
-.040
-.116**
-.009
.423**
─
-.226**
.392**
.260**
-.147**
-.187**
-.223**
-.123**
.175**
.129**
.118**
.326**
.094*
-.119**
─
-.353**
-.263**
.528**
.380**
.484**
.361**
-.392**
-.354**
-.185**
-.440**
-.161**
.114**
─
.457**
-.280**
-.206**
-.333**
-.179**
.314**
.238**
.148**
.645**
.201**
-.010
─
-.228**
-.213**
-.244**
-.103*
.375**
.316**
.143**
.533**
.180**
-.032
─
.628**
.631**
.486**
-.349**
-.243**
-.145**
-.396**
-.154**
.195**
─
.706**
.625**
-.212**
-.159**
-.109**
-.318**
-.073
.306**
─
.728**
-.305**
-.261**
-.210**
-.426**
-.189**
.215**
─
-.175**
-.173**
-.162**
-.247**
-.152**
.193**
─
.555**
.334**
.542**
.242**
-.122**
─
.408**
.387**
.272**
-.109**
17
18
19
20
─
.253** ─
.607** .363** ─
-.042 -.104* -.058
─
4 – 4 – 2 業務内容ごとの結果
(1)プレー時間、自分の管理業務時間、他者の管理業務時間の割合
プレー時間、自分の管理業務時間、他者の管理業務時間の平均値は、それぞれ、49.18%、
28.56%、22.26% であった。平均値未満を低群、平均値以上を高群に分けて分析した。
(2)プレー時間
プレー時間を高群と低群に分け、全因子ごとの平均値、標準偏差、t 値を表 6 に示した。以
下に t 検定の結果を述べる。
自分の管理業務時間、他者の管理業務時間に有意な差がみられたが、これはプレー時間の割
合が増えると必然的にこれら 2 つの割合が減るため、裏表の関係である。プレー時間の高低に
よるストレッサ、ストレイン、モデレータの有意な差はなかった。
表 6 .プレー時間による t 検定結果
低群(n=244)
平均値
標準偏差
性別
年齢
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
1.04
47.58
41.57
32.89
30.66
2.96
2.85
2.23
2.83
2.31
2.28
2.22
1.83
1.79
2.54
2.64
2.92
2.67
3.02
0.199
7.053
20.254
19.104
20.05
0.53
0.56
0.53
0.66
0.78
0.81
0.82
0.73
0.64
0.72
0.61
0.71
0.82
0.74
高群(n=372)
平均値
標準偏差
1.08
47.47
20.03
15.28
29.92
2.93
2.83
2.28
2.82
2.23
2.26
2.23
1.85
1.78
2.50
2.56
2.90
2.68
2.98
0.268
7.311
10.056
9.276
19.42
0.50
0.52
0.51
0.61
0.71
0.75
0.82
0.67
0.60
0.67
0.59
0.70
0.77
0.76
t値
-1.845
0.197
17.493***
15.25***
0.454
0.567
0.532
-1.194
0.348
1.327
0.247
-0.22
-0.393
0.312
0.72
1.546
0.333
-0.186
0.611
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(3)自分の管理業務時間
自分の管理業務時間を高群と低群に分け、全因子ごとの平均値、標準偏差、t 値を表 7 に示
した。以下に t 検定の結果を述べる。
自分の管理業務時間の高低により、プレー時間、仕事負荷、対人関係のストレス、疲労感、
同僚からのサポートに有意な差があった。他者の管理業務時間に差がなかったのは、自分の管
理業務の量に関わらず、他者の管理業務時間に影響せず、プレー時間と関連すると考えられる。
157 表 7 .自分の管理業務時間による t 検定結果
低群(n=319)
平均値
標準偏差
性別
年齢
プレー時間
他者の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
1.07
47.53
62.16
22.62
31.79
2.99
2.83
2.30
2.80
2.21
2.33
2.29
1.87
1.78
2.47
2.53
2.87
2.64
2.95
0.254
7.017
19.487
18.254
19.16
0.51
0.54
0.49
0.63
0.71
0.75
0.83
0.68
0.62
0.66
0.57
0.70
0.78
0.78
高群(n=297)
平均値
標準偏差
1.06
47.49
35.24
21.87
28.52
2.89
2.84
2.21
2.85
2.31
2.21
2.16
1.82
1.78
2.57
2.66
2.94
2.71
3.04
0.233
7.412
16.967
14.266
20.08
0.51
0.54
0.54
0.63
0.76
0.79
0.80
0.71
0.61
0.72
0.62
0.70
0.79
0.72
t値
0.596
0.066
18.226***
0.564
2.067*
2.246*
-0.257
2.051*
-0.835
-1.689
1.919
1.994*
0.908
-0.045
-1.833
-2.661**
-1.239
-1.168
-1.495
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
同僚からのサポートに有意な差があったため、サポートの項目ごとにt検定を行った(表
8)
。結果は、
「頼りになる」のみ有意な差があった。これは、自分の管理業務時間が長い人に
は、頼りになる同僚がいることを意味する。
表 8 .同僚からのサポート内容によるt検定の結果
同僚からのサポート
気軽に話ができる
頼りになる
個人的な相談をきいてくれる
低群(n=319)
平均値
標準偏差
高群(n=297)
平均値
標準偏差
2.8558
2.3103
2.4169
2.963
2.4781
2.5253
0.65724
0.74453
0.73448
0.69892
0.78437
0.70725
t値
-1.961
-2.723**
-1.862
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(4)他者の管理業務時間
他者の管理業務時間を高群と低群に分け、それぞれの変数・因子の平均値、標準偏差、t 値
を表 9 に示した。以下に t 検定の結果を述べる。
他者の管理業務時間の高低により、プレー時間、自分の管理業務時間、月間残業時間、仕事
負荷、イライラ感、疲労感、職務満足度に有意な差があった。他者の管理業務時間が長い人は
月間残業時間も長い。他者の仕事は自分の仕事とは異なり、その仕事に慣れていないため多く
の時間が必要となる。他者から肩代わりした業務は、上司からも同僚からもサポートを得られ
にくくなり、イライラ感と疲労感が高くなったと考えられる。
158
表 9 .他者の管理業務時間による t 検定結果
性別
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
低群(n=405)
平均値
標準偏差
1.07
0.25
47.89
7.255
57.34
21.268
30.1
20.323
28.59
19.28
2.89
0.50
2.84
0.53
2.24
0.52
2.83
0.62
2.27
0.73
2.22
0.77
2.14
0.80
1.81
0.68
1.75
0.60
2.53
0.68
2.61
0.61
2.90
0.71
2.72
0.77
2.99
0.77
高群(n=211)
平均値
標準偏差
1.06
0.232
46.79
7.068
33.51
16.309
25.62
13.079
33.32
20.06
3.04
0.53
2.84
0.55
2.29
0.52
2.82
0.66
2.24
0.74
2.36
0.77
2.38
0.83
1.90
0.72
1.84
0.64
2.50
0.72
2.55
0.57
2.92
0.68
2.58
0.82
3.00
0.72
t値
0.473
1.793
14.242***
2.907**
-2.847**
-3.531***
-0.022
-1.143
0.156
0.376
-2.119*
-3.484**
-1.518
-1.745
0.482
1.136
-0.252
2.103*
-0.155
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(5)職階ごとの結果
職階(ミドル・マネジャー、現場マネジャー)に分け、それぞれの変数・因子の平均値、標
準偏差、t 値を表10に示した。以下に t 検定の結果を述べる。
年齢、プレー時間、自分の管理業務時間、活気、職務満足度に有意な差があった。ミドル・
マネジャーの方がプレー時間は短く、自分の管理業務時間が長い。また、ポジティブな反応で
ある活気と職務満足度の得点が高い。
表10.職階別の t 検定結果
性別
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
現場マネジャー(n=309)
平均値
標準偏差
1.07
0.263
46.66
7.292
52.83
22.509
25.59
16.489
21.58
16.241
30.10
19.43
2.92
0.53
2.80
0.55
2.24
0.53
2.77
0.65
2.17
0.75
2.33
0.77
2.27
0.82
1.86
0.68
1.77
0.60
2.47
0.72
2.57
0.63
2.88
0.73
2.61
0.84
2.97
0.79
ミドル・マネジャー(n=307)
平均値
標準偏差
1.05
0.223
48.36
7.024
45.5
22.367
31.56
19.498
22.93
16.644
30.33
19.92
2.96
0.49
2.87
0.53
2.28
0.50
2.88
0.62
2.35
0.71
2.21
0.77
2.18
0.81
1.83
0.71
1.79
0.63
2.56
0.65
2.61
0.57
2.93
0.67
2.75
0.73
3.02
0.71
t値
1.137
-2.949**
4.054***
-4.11***
-1.021
-0.144
-0.869
-1.548
-1.075
-2.085
-3.103**
1.817
1.292
0.481
-0.435
-1.656
-0.82
-0.772
-2.22*
-0.856
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
159 (6)肩書ごとの結果
肩書(係長、課長、部長)に分け、それぞれの変数・因子の平均値、標準偏差、F 値を表11
に示した。以下に 1 要因分散分析の結果を述べる。
肩書により、性別、年齢、プレー時間、自分の管理時間、月間残業時間、疲労感に有意な差
があった。多重比較の結果は、性別では係長<課長、係長<部長、年齢では係長<課長<部
長、プレー時間では係長>部長、自分の管理時間では係長<部長、月間残業時間では係長<課
長、係長<部長、疲労感では係長<部長、課長<部長、であった。
全体の相関分析での年齢からみた結果と同様に、肩書ごとの結果でも、肩書が上がるにつれ
て、月間残業時間は増加するにも関わらず疲労感が減少する傾向があった。肩書が上がるにつ
れてプレー時間が減少し、自分の管理業務時間が増加する。管理業務には多くの時間が必要で
あるが、自分の業務は既に仕事内容が分かっていたり、仕事経験による慣れがあるため、疲労
感が軽減することが考えられる。
表11.肩書による分散分析の結果
係長(n=98)
平均値 標準偏差
性別
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
月間残業時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
1.26
42.66
55.05
24.97
19.98
24.39
2.93
2.72
2.28
2.84
2.27
2.36
2.32
1.93
1.88
2.46
2.65
2.91
2.67
3.10
0.438
8.076
20.515
15.358
16.151
20.76
0.50
0.63
0.53
0.65
0.65
0.87
0.82
0.76
0.69
0.69
0.63
0.77
0.86
0.74
課長(n=372)
平均値 標準偏差
1.03
47.74
49.5
28.05
22.45
31.32
2.94
2.86
2.26
2.80
2.24
2.27
2.26
1.86
1.75
2.51
2.56
2.89
2.67
2.99
0.177
6.608
23.339
18.107
15.899
19.15
0.52
0.53
0.50
0.62
0.77
0.76
0.80
0.67
0.60
0.67
0.59
0.69
0.77
0.76
部長(n=146)
平均値 標準偏差
1.01
50.19
44.42
32.29
23.29
31.30
2.96
2.85
2.23
2.87
2.30
2.21
2.06
1.74
1.80
2.56
2.63
2.94
2.70
2.92
0.117
6.446
21.62
19.941
17.912
19.63
0.50
0.49
0.55
0.65
0.69
0.75
0.84
0.71
0.62
0.74
0.60
0.70
0.79
0.74
F値
41.138***
36.191***
6.636**
5.15**
1.254
5.183**
0.136
2.634
0.279
0.695
0.388
1.098
4.003*
2.379
1.643
0.615
1.286
0.196
0.086
1.764
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(7)職種ごとの結果
職種(専門・技術、事務、販売・営業)に分け、それぞれの変数・因子の平均値、標準偏
差、F 値を表12に示した。以下 1 要因分散分析の結果を述べる。
160
職種により、性別、年齢、月間残業時間、仕事負荷、不安抑うつ感、イライラ感に有意な差
があった。多重比較の結果は、月間残業時間では事務<専門・技術、事務<販売営業、仕事負
荷では事務<専門・技術、イライラ感では事務<販売・営業、不安抑うつ感では事務<販売・
営業、であった。
表12.職種による 1 要因分散分析結果
専門・技術(n=204)
平均値 標準偏差
事務(n=206)
平均値 標準偏差
販売・営業(n=206)
平均値 標準偏差
F値
性別
1.03
0.182
1.13
0.333
1.03
0.169
10.656***
年齢
47.38
6.466
48.77
7.978
46.38
6.914
5.774**
プレー時間
48.31
23.193
50.4
22.83
48.81
22.184
0.473
自分の管理業務時間
27.46
18.748
29.27
18.92
28.96
17.172
0.576
他者の管理業務時間
24.23
18.58
20.33
13.929
22.23
16.361
月間残業時間
32.25
19.90
25.63
18.98
32.77
19.37
8.644***
2.909
11.049***
仕事負荷
3.07
0.49
2.85
0.50
2.90
0.52
コントロール
2.85
0.54
2.81
0.54
2.86
0.54
0.425
対人関係
2.28
0.55
2.19
0.51
2.30
0.49
2.669
適性度
2.90
0.66
2.79
0.57
2.78
0.66
2.237
活気
2.23
0.74
2.20
0.73
2.34
0.73
2.124
イライラ感
2.28
0.76
2.15
0.80
2.38
0.74
4.976**
疲労感
2.24
0.81
2.14
0.83
2.30
0.81
2.191
不安抑うつ感
1.85
0.70
1.75
0.69
1.93
0.69
3.351*
身体愁訴
1.76
0.61
1.74
0.61
1.84
0.63
1.57
上司からのサポート
2.44
0.68
2.56
0.69
2.55
0.70
1.66
同僚からのサポート
2.53
0.62
2.57
0.60
2.67
0.57
2.896
配偶者家族友人からのサポート
2.88
0.74
2.91
0.72
2.93
0.65
0.242
職務満足度
2.72
0.83
2.72
0.78
2.59
0.76
1.72
家庭満足度
3.00
0.80
3.05
0.70
2.93
0.75
1.377
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(8)月間残業時間低群・高群の結果
月間残業時間を高群と低群に分け、それぞれの変数・因子の平均値、標準偏差、t 値を表13
に示した。以下に t 検定の結果を述べる。
月間残業時間の高低により、仕事負荷、イライラ感、疲労感、不安抑うつ感、身体愁訴、上
司からのサポート、同僚からのサポートに有意な差があった。月間残業時間が多いと仕事負荷
も多く、イライラ感、疲労感、不安抑うつ感、身体愁訴といったネガティブな反応が増えてい
た。月間残業時間が少ない群では上司からのサポートも同僚からのサポートも受けていた。
161 表13.月間残業時間による t 検定の結果
性別
年齢
プレー時間
自分の管理業務時間
他者の管理業務時間
仕事負荷
コントロール
対人関係
適性度
活気
イライラ感
疲労感
不安抑うつ感
身体愁訴
上司からのサポート
同僚からのサポート
配偶者家族友人からのサポート
職務満足度
家庭満足度
低群(n=408)
平均値
標準偏差
1.08
0.265
47.89
7.414
49.85
23.053
29.11
18.987
21.04
16.032
2.83
0.48
2.87
0.53
2.23
0.50
2.82
0.60
2.27
0.73
2.19
0.76
2.09
0.77
1.77
0.66
1.73
0.58
2.56
0.69
2.63
0.61
2.92
0.71
2.72
0.79
3.02
0.74
高群(n=208)
平均値
標準偏差
1.04
0.193
46.77
6.73
47.87
22.043
27.5
16.809
24.64
17.011
3.17
0.49
2.77
0.56
2.32
0.55
2.82
0.70
2.24
0.74
2.43
0.77
2.49
0.84
1.98
0.74
1.89
0.67
2.42
0.68
2.51
0.56
2.88
0.69
2.60
0.79
2.94
0.77
t値
1.81
1.829
1.024
1.037
-2.58*
-8.314***
2.277*
-2.045*
0.093
0.557
-3.756***
-5.952***
-3.564***
-3.047**
2.398*
2.224*
0.71
1.781
1.207
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
(9)ストレス反応の回帰分析
前述の t 検定の結果、他者との関係によるストレッサが、ストレス反応により強く影響する
ことが把握された。そこで、ストレス反応は他者との関係によるいかなる要因から規定される
のかを検討する。具体的には、ネガティブなストレス反応である「イライラ感」、「疲労感」、
「不安抑うつ感」
、
「身体愁訴」の合計得点を「ストレス反応」という従属変数とし、コント
ロール、対人関係のストレス、上司からのサポート、同僚からのサポートを独立変数として重
回帰分析を行った。他者の管理業務時間の高群と低群に分けてストレス反応の規定因を検討し
た(表14)
。
表14.ストレス反応を従属変数とした重回帰分析結果
コントロール
対人関係
上司からのサポート
同僚からのサポート
修正済み R2
*p<.05 **p<.01 ***p<.001
他者の管理業務時間
低群(n=405)
高群(n=211)
-.040
-.164**
.432***
.486***
-.141**
.008
.262
-.040
-.048
.340
同僚からのサポートは、ストレス反応への直接の効果がなかった。他者の管理業務時間の低
群では、対人関係のストレスが正のストレス反応の規定因であり、上司からのサポートは負の
規定因であった。高群では、対人関係のストレスが正のストレス反応の規定因であり、コント
ロールが負の規定因であった。
162
5 .考察と課題
5 – 1 仮説の検証
仮説 1 ~ 3 の結果に対する考察については以下のようになる。
仮説 1 :プレー度と残業時間とは正の関係がある。
プレー時間と月間残業時間の間に有意な相関関係は見られなかった。これは先行研究とは異なる
結果であり、仮説 1 は棄却された。ただし、他者の管理業務時間と月間残業時間の間には有意な正
の相関が見られ、このことは、プレー自体が労働時間に影響するのではなく他者から肩代わりさせ
られた管理業務が労働時間を増加させていると考えられる。
仮説 2 :プレー度と仕事の量的負荷とは正の関係がある。
因子分析から、仕事の量的負荷と質的負荷は合成して抽出され、仕事負荷と命名した。仕事負荷
とプレー時間の間には相関分析からも t 検定からも有意な結果は得られなかったため、仮説 2 は棄
却された。他者の管理業務時間と仕事負荷の間には有意な正の相関が見られ、プレー時間よりも他
者の管理業務時間の方が仕事負荷に影響していた。
仮説 3 :管理業務を肩代わりさせられた時間が多い従業員は、仕事の質的負荷が多い。
因子分析では質的負荷が抽出されなかったが、相関分析では他者の管理業務時間と仕事負荷には
有意な正の相関がみられた。t 検定によって他者の管理業務時間の長い人に仕事負荷が大きいこと
が認められた。よって仮説 3 は一部支持された。また、他者の管理業務時間の長い人はイライラ感
と不安抑うつ感も大きくなり、職務満足度も低くなるというネガティブなストレス反応が見られた。
仮説 3 の考察から、他者の管理業務時間がストレッサにもストレインにも影響していたため、他
者との関係に関わる変数・因子のうち、ストレス反応を説明する変数・因子を重回帰分析によって
探索した。全体として対人関係のストレスが正の規定因であった。他者の管理業務時間が多い群で
はコントロールが負の規定因であり、少ない群では上司からのサポートが負の規定因であった。他
者の管理業務を肩代わりしている時間が多い人は、仕事のやり方をコントロールする裁量があるこ
とでストレスを軽減させることができる。ただし、他者の管理業務時間の数値が高い群は、その高
さゆえにコントロールがストレス反応に負で影響している可能性がある。したがって、他者の管理
業務を肩代わりさせないこと自体が、ストレス軽減には重要かもしれない。
また、他者の管理業務を肩代わりしている時間が少ない人は、上司からのサポートを受けること
でストレスを軽減できる。他者の管理業務時間の低い群は、他者の管理業務を引き受ける能力がな
い群、つまり、通常の管理業務やプレー業務のみに留まっている従業員である可能性がある。した
がって、上司も通常業務を行っている部下にはあまりサポートをせず、そのことが、部下のストレ
スに影響しているかもしれない。
163 5 – 2 他の内容の検討
自分の管理業務時間が長い人は仕事負荷、対人関係のストレス、疲労感が低く、同僚からのサ
ポートも受けている。自分の管理業務は仕事の内容がよくわかっているため、その仕事に専念でき
ることで負荷感が少なくなる。また、自分の管理業務時間が長い人には頼りになる同僚がいて、ス
トレッサとなる仕事負荷や対人関係のストレスが少なくかつ、自分の管理業務に専念できるため、
疲労感が少ないと考えられる。
ミドル・マネジャーの方が、ポジティブな反応である活気と職務満足度の得点が高い。現場マネ
ジャーとミドル・マネジャーの違いは部下に管理職がいるかいないかであり、部下に管理職がいる
ほうが職務満足が大きいことが考えられ、ストレスのコーピングだけでなく、本人へのインセン
ティブにもなっていると考えられる。
月間残業時間が多いと仕事負荷も多く、イライラ感、疲労感、不安抑うつ感、身体愁訴といった
ネガティブな反応が増えていた。月間残業時間が少ない群では上司からのサポートも同僚からのサ
ポートも受けていた。
肩書ごとの結果でも、肩書が上に行くにつれ月間残業時間は増加するにも関わらず、疲労感が減
少する傾向があった。同時に肩書が上にいくにつれプレー時間が減少し、自分の管理業務時間が増
加することから、管理業務は多くの時間を使うが、肩代わりではない本来の自分の業務の場合、経
験の多さや慣れなどで、自分のやるべき仕事の内容やその方法を理解しているため、疲労感が軽減
すると考えられる。
以上の検討から、プレイング・マネジャー化した管理職のストレスを軽減させる要因を指摘す
る。第 1 に、従業員個人としては、管理職として経験を積むことで、仕事に慣れさせることが重要
である。第 2 に、組織的には、他の管理職の仕事を肩代わりしないような職務設計を行うこと、上
司からサポートを受けられる状況を作ること、肩代わりする事態になった際は、仕事に対するコン
トロールを可能にする裁量権を与えることである。
5 – 3 課題
第 1 に、女性が38名と大変少なく、性差を比較検討できなかったことが課題である。女性管理職
が将来増加していくことも予想されるため、女性管理職のストレス要因についても明らかにする意
義があると考える。第 2 に、対象者を管理職に絞ったために、役職なしの従業員との比較検討がで
きなかったことである。対人関係のストレスは、役職なしの従業員にとっても大きなストレッサで
あることからも、さらなる調査検討が必要である。
164
参考文献
◦著書・論文
(邦文文献)
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イング・マネジャーの負担を軽減する人事管理のあり方とは(B-1 セッション【フォーラム 1 】
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(13), 23–25, 2010–11–12
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の実像』、日経 BP 社、2011年)
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ac/topics/pdf/manual2.pdf(閲覧日2014年12月 1 日)
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(閲覧日2014年12月 1 日)
独立行政法人労働政策研究・研修機構「第 4 回改訂厚生労働省編職業分類職業分類表改訂の経緯とその内容」
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http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/dbguide/kaitei_bunrui.html(閲覧日2014年12月 1 日)
166
【研究ノート】
羽鳥卓也のリカード研究
福 田 進 治
はじめに
スラッファ編『リカードウ全集』
(1951–1971)刊行後、欧米のリカード研究はスラッファのリ
カード解釈の影響の下で展開してきたが、日本のリカード研究はスラッファの影響を受けながら
も、これを批判的に克服し、独自の道を歩んできた。すなわち、日本の研究者たちは、スラッファ
の初期リカードの利潤理論に関する「穀物比率論」解釈を早い時期に批判し、独自の初期リカード
解釈を確立するとともに、初期以降のリカードの労働価値理論の発展過程を綿密に検討し、卓越し
た研究成果を生み出してきた 1 )。こうした研究を先導し、その後の日本のリカード研究史の中で長
らく中心的役割を果たしてきたのが、羽鳥卓也(1922–2012)である。
2012年12月に羽鳥が他界して以来、羽鳥の人柄や業績について盛んに議論が行われてきた。翌年
には、第164回経済学史学会関西部会及び第28回リカードウ研究会において、追悼シンポジウムが
各々開催された 2 )。また、同年の『経済学史学会ニュース』及び『マルサス学会年報』には、追悼
記事が各々掲載された 3 )。筆者もこれらの企画に参加し、また記事を読み、日本のリカード研究史
における羽鳥の業績の重要性を再確認しているところである。羽鳥の業績はそのほとんどが日本語
で発表されていたため、欧米の研究者にはあまり知られていないが、今日振り返っても、多くの点
で欧米の研究に対する優位性を持っているように思われる。
本稿の課題は、こうした羽鳥のリカード研究を振り返り、その現代的意義を再確認することを通
して、日本のリカード研究の独自性を再検討することである。ただし、羽鳥の多くの業績を網羅的
に紹介するのではなく、スラッファのリカード解釈の批判とその後の日本のリカード研究の展開と
いう点からとくに重要であると思われるいくつかの論点を振り返り、その研究の目的と方法につい
て再考し、羽鳥のリカード研究の特色を明らかにすることとしたい。
1 羽鳥卓也のリカード研究
最初に、羽鳥のリカード研究の経緯を概観しておきたい。羽鳥は1922年、岐阜県に生まれ、第 2
次大戦を経て慶應義塾大学を卒業、民間企業に勤務した後、1940年代末頃から研究者の道を歩み始
167 めた。その後、羽鳥は単著・共著を含めて、以下の 9 冊の研究書を上梓した。
・
『近世封建社会の構造』
(1951、共著)
・
『近世日本社会史研究』
(1954)
・
『市民革命思想の展開』
(1957)
・
『古典派資本蓄積論の研究』
(1963)
・
『古典派経済学の基本問題』
(1972)
・
『リカードウ研究』
(1982)
・
『国富論研究』
(1990)
・
『リカードウの理論圏』
(1995)
・
『経済学の地下水脈』
(2012、共著)
このように羽鳥は当初、近世日本社会史の研究者として研究生活を開始していた。最初の 2 冊はこ
の分野の研究書である。しかし、
『市民革命思想の展開』において近世ヨーロッパの社会思想を検
討したことが契機となり、これを足がかりとして、1950年代末頃から古典派経済学の理論的研究に
本格的に取り組むようになった。その最初の成果が『古典派資本蓄積論の研究』である 4 )。この中
で、羽鳥はスラッファ編『リカードウ全集』を資料として用いながら、リカードの経済学の基本的
性格に言及したり、リカードの機械論や資本蓄積論を検討したりしたが、スラッファのリカード解
釈にはとくに言及していなかった。しかし、1960年代中葉から、羽鳥はスラッファのリカード解釈
を精力的に検討するようになった 5 )。そして、その成果として『古典派経済学の基本問題』を上梓
した。この中で、羽鳥はスラッファの初期リカードの利潤理論に関する「穀物比率論」解釈に疑問
を呈し、また、スラッファのリカード『原理』の理論構造に関する解釈を批判し、自身の見解を対
置した。こうした羽鳥の研究に刺激を受けて、日本のリカード研究の独自の道が始まったのであ
る。1970年代以降、羽鳥はさらにスラッファのリカード解釈を検討し、あるいはスラッファの解釈
を道標としながら、初期リカードの利潤理論、初期以降のリカードの労働価値理論の発展過程、晩
年のリカードの価値尺度論の研究に取り組んでいった。これらの成果は『リカードウ研究』にまと
められた。1980年代以降は、羽鳥はリカード研究をさらに推し進めるとともに、スミス研究やマル
サス研究にも精力的に取り組むようになった。スミス研究の成果は『国富論研究』にまとめられ、
さらなるリカード研究の成果は『リカードウの理論圏』にまとめられた。マルサス研究は研究書と
いう形にはまとめられなかったが、多くの研究論文が発表された。1990年代以降の羽鳥はとくにマ
ルサス研究に集中していた。最後の著作となった2012年刊行の『経済学の地下水脈』に収録された
のも「マルサスの戦後不況論」だった 6 )。
以上のように、羽鳥は1960年頃から古典派経済学の理論的研究に取り組むようになり、最晩年に
至るまでその歩みを止めることはなかった。羽鳥はスミス研究やマルサス研究にも精力的に取り組
んだが、彼の経済学史研究の中核はやはりリカード研究だった。羽鳥はリカード研究を開始した頃
にスラッファのリカード解釈から刺激を受けたに違いない。そして、スラッファのリカード解釈を
168
批判的に克服することが、彼のリカード研究の主要な動機となり、その後の彼の経済学史研究の方
向性を決定づけたと思われる。さらに、羽鳥の研究が刺激となって、スラッファのリカード解釈の
批判的克服という課題は、その後の日本のリカード研究の性格を決定づけたように思われる。
以下では、羽鳥のリカード研究のうち、
『古典派経済学の基本問題』及び『リカードウ研究』の
内容を中心に検討していきたい。
2 スラッファ批判の開始 ─
『古典派経済学の基本問題』
(1972)─
本章では、羽鳥の『古典派経済学の基本問題』の第 4 章「初期リカードウの価値と分配の理論」
及び第 5 章「リカードウ蓄積論の基本構成」を中心に、スラッファのリカード解釈に対する羽鳥の
批判を概観する。
同書の第 4 章で、羽鳥は初期リカードの利潤理論を検討し、スラッファの「穀物比率論」解釈に
疑問を呈した。1814年頃のリカードは「他のあらゆる産業の利潤を調整するものは、農業者の利潤
である」
(RW, IV, p.104)と述べていたが、その「合理的基礎」として、スラッファは当時のリカー
ドは「穀物比率論」を採用していたと主張した。すなわち、リカードは農業部門の投入と産出がと
もに「穀物」のみからなると仮定していたため、農業利潤率は価値決定の問題に先行して「穀物比
率」として決定し、必然的に他の産業の利潤率を規定すると考えていたという。スラッファは現存
の文献資料の中では、リカード自身がこうした仮定を明示的に述べていないことを認めながらも、
それらが「失われた論文」や会話の中で示されていたに違いないとして、そのことを示唆するとい
う 3 つの文献的証拠を挙げた。以下のとおりである(RW, I, pp.xxxi-ii)7 )。
・1814年のリカードのマルサス宛書簡(50)
・1814年のマルサスのリカード宛書簡(54)
・1815年刊行の『試論』の「地代と利潤の増進を示す表」
これらの証拠は一見すると「穀物比率」の存在を示唆しているように思われるが、羽鳥はそれらを
一つ一つ検討し、いずれもその存在を確実に示す証拠とは言い難いと主張した。すなわち、1814年
のリカードとマルサスの往復書簡(50)及び(54)については、リカードが確実に「穀物比率」に言
及しているとは言えないとし、1815年刊行の『試論』の「表」については、リカードは「穀物比率」を
用いていたのではなく、
「穀物」を価値尺度として用いていたという。こうして羽鳥は初期リカー
ドが「穀物比率」を採用していたというスラッファの解釈を否定し、むしろ当時のリカードは労働
価値理論の確立を目指していたが、この段階ではスミスの支配労働=価値尺度説を克服できずにい
たため、
「穀物」を価値尺度として採用していたという彼自身の解釈を提示した(羽鳥 1972, pp.197–
205)8 )。
ところで、同書は1972年に刊行されたが、第 4 章の初出論文「初期リカードウの価値と分配の理
論」は1965年に発表されている(羽鳥 1965)
。欧米では1973年にホランダーがスラッファの初期リ
169 カード解釈を批判する論文を発表している(Hollander 1973)。羽鳥のスラッファ批判がホランダー
よりもかなり早いということは銘記されるべきである。
同書の第 5 章では、羽鳥はリカード『原理』の理論構造を検討し、やはりスラッファの解釈に疑
問を呈した。リカード『原理』の各章の配列は複雑であることが知られている。前半の理論的諸章
は以下のとおりである。
第 1 章 価値論
第 2 章 地代論
第 3 章 鉱山地代論
第 4 章 価格論
第 5 章 賃金論
第 6 章 利潤論
第 7 章 外国貿易論
これらのうち、第 2 章地代論(及び第 3 章鉱山地代論)の位置がいかにも不自然であり、最も理解
しがたい。スラッファは1820年のリカードのマカロック宛書簡(368)を傍証として挙げながら、
リカードは賃金と利潤の分割を主要問題と考えており、この問題を単純化するために地代の問題を
先立って捨象しようとして、第 1 章価値論の直後に第 2 章地代論を置いたという(RW, I, p.xxiii)9 )。
しかし、羽鳥はこうしたスラッファの説明は不十分であり、労働価値理論との関係を理論的に検討
しない限り、第 2 章地代論が第 4 章価格論よりも前に置かれた本質的な理由が分からないと指摘し
た。そして、
『原理』初版の第 1 章価値論の叙述と1818年のリカードのミル宛書簡(298)を参照し
ながら、リカードはスミスの価値理論の立場を批判し、彼自身の労働価値理論は資本蓄積の進展や
土地所有の普及の問題に妨げれないと考えていたと主張した10)。このためにリカードは第 1 章価値
論の前半で純粋な労働価値理論の論理を確立した上で、第 1 章価値論の後半で資本蓄積(資本構成
の相違)に関わる問題を検討し、続いて第 2 章地代論で土地所有(肥沃度の相違)に関わる問題を
検討したという。こうして羽鳥はリカード体系を「価値と分配の理論」として把握するスラッファ
の解釈を批判し、これを「労働価値理論に基づく所得分配と資本蓄積の理論」として把握する彼自
身の解釈を対置したのである(羽鳥 1972, pp.272–81)11)。
ところで、羽鳥はどういう経緯で上のようなスラッファ批判を展開するようになったのか。この
点に関連して、1972年の第36回経済学史学会大会の中で「リカードゥ研究における西欧と日本」と
いうシンポジウムが開催されている(1972年11月12日、松山商科大学)12)。このシンポジウムはス
ラッファのリカード解釈の日本への導入と羽鳥のスラッファ批判の提起を踏まえて、今後の日本の
リカード研究の方向性を展望しようという趣旨で開催された。この中で羽鳥は彼自身の研究の経緯
について発言している。羽鳥によると、彼がリカード研究の方向性を模索していたとき、スラッ
ファの解釈が現れたので、当初はこれを歓迎したが、自分は内田義彦の影響を受けてスミスとリ
カードの関係を検討し、支配労働価値説と投下労働価値説の関係を再検討していたので、スラッ
170
ファのいう初期の「穀物比率論」から労働価値理論という転換が受け入れにくかったという(入江
1973, pp.11–12)。大雑把に言うなら、マルクス研究の影響を受けた日本のリカード研究者たちに
とって、もともとスラッファのリカード解釈は無理のある解釈であり、それが日本の伝統的な立場
を覆すには至らなかったということであろう。しかし、そこにはマルクス研究の影響だけでなく、
羽鳥の経済学史研究の方法に関する独自の立場がより本質的に関わっているように思われる。この
ことには後にあらためて言及する。
3 リカード研究の展開 ─『リカードウ研究』
(1982)─
本章では、羽鳥の『リカードウ研究』の主要な論点を検討し、羽鳥のリカード研究の特徴を明ら
かにする。同書は、第 1 部「初期リカードウの分配理論」、第 2 部「『経済学原理』の価値と分配の
理論」
、第 3 部「晩年の『絶対価値の尺度』の探索」に分かれており、全体を通して初期から晩年
に至るリカードの労働価値理論の発展過程に関わる諸問題を検討する形となっている。
第 1 部で、羽鳥は初期リカードの利潤理論をあらためて検討し、その中で、千賀重義の「部門別
利潤率規定論」解釈に対する支持を表明した。羽鳥のスラッファ批判を受けて、1970年代以降、日
本のリカード研究者たちは大挙して初期リカードの利潤理論を検討した。そうした中で、千賀は
「初期リカードウにおける価値と貨幣の理論」
(1972)において、スラッファの「穀物比率論」解釈
を批判的に検討しながら、新しい「部門別利潤率規定論」解釈を提示した。すなわち、初期リカー
ドは農業部門では「物量比率」の低下に従って利潤率が低下し、工業部門では「賃金-利潤相反関
係」の論理に基づいて、賃金の上昇に伴って利潤率が低下するという「部門別」の利潤理論を保持
していたという(千賀 1972, pp.88–92)
。千賀の提案はさらなる議論を刺激したが、それらの中で
最も微妙かつ重要な論点の一つが1814年のリカードのマルサス宛書簡(50)に見られる次の叙述の
解釈であった。
「利潤率と利子率とは、生産にとって必要な消費に対する生産の比率に依存しなければなり
ません。この比率はまた、本質上、食糧の安価さに依存しており、この食糧の安価さこそ、
我々が[その作用に]どのくらいの時間を認めようと自由ですが、結局、労働賃金の一大調整
者であります。
」
(RW, VI, p.108)
この叙述はスラッファが「穀物比率論」解釈の証拠の一つして挙げたもので、スラッファは「生産
の比率」が「穀物比率」を意味すると考えていた(RW, I, p.xxxii)
。しかし、この叙述を注意深く
読むなら、
「食糧の安価さ」が「労働賃金」を通して「生産の比率」を規定することが述べられて
いるように思われる。この場合、
「生産の比率」は明らかに価格タームの比率である。ところが、
羽鳥はいずれの解釈にも満足せず、
「生産の比率」が物的な投入-産出比率であるというスラッ
ファの解釈を認めた上で、農業部門では「生産の比率」が「利潤率」を規定し、工業部門では「食
糧の安価さ」が「労働賃金」を通して「利潤率」を規定するという「部門別」の論理が述べられて
171 いると主張した13)。こうして羽鳥は千賀の「部門別利潤率規定論」解釈を支持し、千賀の解釈はそ
の後の日本の初期リカード研究における支配的見解となった(羽鳥 1982, pp.16–25,36–45)14)。
同書の第 2 部で、羽鳥はスラッファのリカード解釈を踏まえて、リカードの労働価値理論の修正
問題を検討した。スラッファはリカード『原理』第 1 章価値論の修正の経緯を検討し、リカードは
『原理』初版から第 3 版にかけて当初の労働価値理論の立場から次第に後退していったという従来
支配的だった「後退」解釈を否定するとともに、一連の議論の中で、賃金が変化するときに価値が
変化するという問題から、資本の回収時間の相違のために価値が投下労働量に比例しなくなるとい
う問題へと強調点の変化が見られることを指摘した(RW, I, pp. xxxvii-ix, xlvii-viii)。羽鳥はこうし
たスラッファの解釈をおおむね受け入れながらも、スラッファの説明は不十分であるとして、ス
ラッファが十分に検討しなかった『原理』第 2 版以降のリカードとマルサスの論争を綿密に検討
し、修正の経緯を詳細に明らかにした。こうして羽鳥は事実上、スラッファの解釈を補強したとい
うことができる。その中でも困難な問題は、1820年のリカードのマカロック宛書簡(368)の叙述
の解釈であった。次のとおりである。
「結局のところ、地代、賃金、利潤に関する重要な問題は、全生産物が、地主、資本家、労
働者に分割される、価値の学説と本質的には関わらない比率によって説明されなければなりま
せん。
」
(RW, VIII, pp.194)
この書簡には、リカードの労働価値理論の修正問題の強調点の変化や価値尺度の探求の詳細ととも
に、リカードが資本の回収時間の問題と価値尺度の選択の問題に頭を悩ませていたことが示されて
いる。そして、上の叙述は所得分配の問題は労働価値理論と「本質的には関わらない比率」
、すな
わち物的タームの比率によって説明されなければならないと述べられており、あたかもリカードが
労働価値理論を放棄したかのように見える。スラッファはこの叙述を初期リカードが保持していた
「古い穀物比率理論の反響」
(RW, I, p.xxxii)であると見なし、あるいは修正問題の困難による「一
時的な弱気の兆し」
(RW, I, p.xxxix)にすぎないとした。いずれにせよスラッファはこの叙述を本
質的には重要でないと見なしている。しかし、近年、ハインツ・クルツは上の叙述がリカードの一
貫した基本的アイディアを表していると見なしながら、リカードは初期だけでなく、中期以降にも
「穀物比率論」と同様の論理を保持していたと主張している(Kurz 2011, pp.5– 6 )15)。しかしなが
ら、羽鳥は『マルサス評注』やこの時期のリカードの書簡を参照しながら、リカードは価値尺度の
選択の問題に頭を悩ませていたが、労働価値理論の妥当性にはわずかな疑念も抱いていなかったと
主張した。リカードの真意は、所得分配の問題は「価値尺度の選択という未解決の問題には本質的
に関わらない」というものだったという(羽鳥 1982, pp.242–46, 269–95)16)。
同書の第 3 部では、羽鳥は晩年のリカードの価値尺度をめぐる議論を検討し、やはりスラッファ
の解釈に疑問を呈した。スラッファはリカードの価値尺度の探求の過程を検討し、その目的は賃金
が変化するときにもそれ自身の価値が変化しない「不変の価値尺度」を探し求めることだったと主
張した。そして『原理』第 3 版において、
「両極端の中間」の資本構成をもつ新たな価値尺度を提
172
案することによってこの問題を解決したという(RW, I, pp.xl-v)
。しかし、羽鳥は晩年のリカード
は投下労働量に厳密に比例する「絶対価値」を正確に測定するための価値尺度を探し求めていたの
であって、この点で『原理』第 3 版の新たな価値尺度にも満足していなかったと指摘した。羽鳥は
最晩年のリカードのミル宛書簡(552)の次の叙述の引用した17)。
「12ヶ月にわたる 1 人の労働が 1 ヶ月間の12人の労働以上に値する。・・・・ 5 年間の利潤は 1
年間の利潤の 5 倍よりも多く、 1 年間の利潤は 1 週間の利潤の52倍よりも多いのであり、これ
が困難の大部分をもたらしています。・・・・ このところ、この問題について考えてみましたが、
大した進歩はありませんでした。
」
(RW, IX, p.387)
ここでリカードは資本の回収時間の相違があるとき、利潤(そして価値)が投下労働量に比例しな
いという問題に頭を悩ませている。このようにリカードは『原理』第 3 版で提案した「両極端の中
間」の価値尺度でも、資本の回収時間の相違の下で「絶対価値」を正確に測定する価値尺度として
は満足できるものではないと考えていた。結局、リカードは価値尺度の選択の問題に満足な解答を
見出すことができなかったのである(羽鳥 1982, 420–21)。
4 リカード研究の方法 ─『古典派資本蓄積論の研究』
(1963)─
本章では、羽鳥のリカード研究の方法について検討する。前章までで、羽鳥がスラッファのリ
カード解釈を吸収または批判しながら、彼自身のリカード研究を推し進めていったおよその経緯が
明らかになったと思われる。以下では、こうした羽鳥のリカード研究の方向性を規定した彼の経済
学史研究の目的と方法について考える。
羽鳥は最初の古典派経済学の理論的研究である『古典派資本蓄積論の研究』の序説「古典派資本
蓄積論研究の方法」において、彼の経済学史研究または古典派経済学研究に関わる基本的立場につ
いて詳細に述べている。まず、その冒頭において、羽鳥は次のように述べた。
「およそ経済学史研究の目的は、ただ単に過去の経済学説の内容を正確に理解することにあ
るだけではなく、それを通じて究極的には資本主義経済社会のメカニズムの解明そのものに
とって有効な迂回手段を提供することにある。したがって、古典派経済学について学ぼうとす
る場合にも、われわれは経済理論史上における古典派理論の意義と限界とを確定することに最
大の努力を注ぐべきであろう。
」
(羽鳥 1963, p.7)
ここで羽鳥は経済学史研究の現代的意義に関わる問題について述べており、このために経済学史研
究の主要な課題は理論的側面の検討でなければならないと主張している。しかし、これに続けて、
羽鳥は次のように述べた。
「しかしながら、そうであるからといって、古典派の体系の中から、個々の理論的諸環を手
当り次第に抽出し、それを個別的に後代の経済学における理論的達成と直接に対比してその欠
陥を摘出してゆく、といった研究方法を専一的に採用してはならない、と私は思う。」(羽鳥
173 1963, p.7)
すなわち、羽鳥は古典派経済学の理論的側面の検討と言っても、現代経済学の立場を基準にして
古典派経済学の論理を単純に断罪または断定していくような研究ばかりになってはならないと述べ
ている。その上で、羽鳥は次のように述べた。
「当然のことだが、批判的研究は、それが行われる前に、あらかじめ批判すべき対象そのも
のの忠実な理解に達していなければならない。・・・・ 古典派それ自体の論理に即してその理論
体系を再構成するという作業をぬきにして、古典派の理論的欠陥ないし稚拙を暴露することだ
けに終始すれば、その批判の仕方がいかに鋭利もしくはエレガントであろうと、所詮は論理の
遊戯に陥るものといわなくてはならない。
」
(羽鳥 1963, p.8)
ここで羽鳥は古典派経済学の理論的側面の検討のためには、その前提として、古典派に忠実に、古
典派に内在して、古典派を解釈をすることを求めている。こうして羽鳥は経済学史研究あるいは古
典派経済学研究において、現代的意義を重視する立場と歴史的事実を重視する立場の対立を克服し
ようとした。すなわち、過去の経済学の現代的意義を明らかにするためにこそ、その歴史的事実を
重視しなければならないである。そして、羽鳥は歴史的事実を探求することなく現代的意義を解明
しようとする研究を「論理の遊戯」であると批判している。羽鳥の念頭には何があったのだろう
か。この段階ではスラッファのリカード解釈の本格的な検討は始まっていないから、恐らくは、こ
の批判はマルクス研究者を含む日本人研究者のリカード解釈に向けられていたのではないかと思わ
れる。しかし、その後、スラッファのリカード解釈を本格的に検討するようになったとき、こうし
た羽鳥の批判的精神が刺激されたのではないだろうか。
さらに、羽鳥は古典派経済学の基本的性格に言及した。羽鳥によると、古典派経済学者たちもま
た、当時としての現代的意義を意識して政治経済学の理論的研究に取り組んでいた。従って、古典
派経済学は「歴史=社会体制認識のための基礎科学」として評価されなければならないという。そ
の上で、古典派経済学の特徴について次のように述べた。
「古典派経済学者は資本主義社会を構成する基本的経済的諸階級として、生産の三大要素
(土地・資本・労働)の所有者たる地主・資本家・労働者という三者を措定したが、彼らは資
本蓄積の進展がこれら諸階級の取得する所得範疇(地代・利潤・賃銀)に対していかなる影響
を及ぼすかについて考察し、あわせて、所得分配の態様に生じた変化が逆に将来の蓄積の進展
の仕方に対していかに反作用するかについて考察した。」
(羽鳥 1963, p.9)
ここで羽鳥は実践的性格をもつ古典派経済学にとって、資本蓄積と所得分配が最も基本的な問題で
あると述べている。すなわち、古典派経済学は優れて「資本蓄積と所得分配の理論」であったとい
う。さらに、羽鳥はこうした古典派理論の基礎となるのが古典派の労働価値理論であるという。こ
うした認識を踏まえて、羽鳥は次のように述べた。
「従来、古典派価値論は労働価値論に対する批判者の側からも擁護者の側からもしばしば議
論の対象とされてきた。しかし、批判するにせよ、擁護するにせよ、どちらにしても、それに
174
先立って、古典派価値論が古典派の全体系の中でいかなる位置を占め、体系の基軸たる蓄積と
分配の理論に対していかなる理論的関係にあるか、ということを古典派の論理に即して明らか
にしておかなければならないと私は思う。
」
(羽鳥 1963, p.11)
ここで羽鳥は古典派経済学の研究のために、労働価値理論を検討すること、しかもそれを理論体系
の中での関係性を踏まえて検討することが不可欠であると述べている。
「蓄積と分配との関連をまったく無視して、ただ単に価値論だけを抽出し、これを後代の価値
論と直接に比較して功罪を論ずるのでは、論理学の訓練として役立つことはあっても、歴史認
識の基礎科学としての経済学の理論的発展にとってはまったく無益であろう。
」
(羽鳥 1963, p.11)
そして労働価値理論を古典派の理論体系の中での関係性を無視して検討しようとするなら、羽鳥は
それを「論理学の訓練」にすぎないと批判している。すでに述べたように、羽鳥は歴史的事実を探
求することなく現代的意義を解明しようとする研究を「論理の遊戯」であると批判していたが、こ
こでの批判も同じ趣旨であると思われる。その後、羽鳥はスラッファのリカード解釈を「論理学の
訓練」にすぎないと考えるようになったのだろうか。いずれせによ、羽鳥はスラッファ批判に先
立って、彼自身の経済学史研究あるいは古典派経済学研究の方法を確立しつつ、古典派経済学を
「労働価値理論に基づく所得分配と資本蓄積の理論」として把握していたのである18)。
おわりに
以上より、羽鳥のリカード研究のおよその経緯とその方法が明らかになった。欧米のリカード研
究者の間では、スラッファのリカード解釈をめぐる激しい論争が長らく続いてきた。それらはある
ときは、スラッファ派のリカード解釈と新古典派なリカード解釈の間の党派的な対立であり、また
あるときは、歴史的事実を重視する立場と現代的意義を重視する立場の間の研究方法をめぐる対立
だった。しかし、羽鳥は特定の理論的立場からリカード理論を断罪または断定するような議論を批
判し、リカード自身に忠実に解釈することを求めていた。このことは現代的意義を検討するために
こそ、歴史的事実に忠実でなければならないと言い換えることができるだろう。この意味で、羽鳥
は欧米のリカード研究に見られたような対立を当初から克服していたのである。
すでに述べたように、羽鳥は日本近世社会史の研究者として出発しながら、近世ヨーロッパの社
会思想の検討を経て、1950年代末頃から古典派経済学の理論的研究に本格的に取り組むようになっ
た。折しも、スラッファ編『リカードウ全集』が刊行されて間もない頃である。羽鳥は当初『リ
カードウ全集』を資料として用いながら自身の研究を進めていたが、恐らくはスラッファのリカー
ド解釈を少しずつ検討していたのであろう。しかし、その頃には羽鳥自身の古典派経済学の基本的
理解や古典派経済学研究の方法が確立していた。羽鳥は彼自身の立場とスラッファの立場が相容れ
ないことを次第に感じるようになり、1960年代中葉以降、スラッファのリカード解釈の批判に精力
的に取り組むようになったものと思われる。
175 羽鳥のリカード研究を概観すると、彼の研究対象がリカードの価値・分配・蓄積の議論に集中し
ていることが分かる。羽鳥はリカード体系を「労働価値理論に基づく所得分配と資本蓄積の理論」
として把握しており、その問題に関心を集中していたのである。しかし、今一つ、羽鳥の研究対象
がスラッファのリカード解釈に関わる問題に集中していることが分かるだろう。羽鳥のリカード研
究は主に初期リカードの利潤理論と『原理』初版以降の労働価値理論の修正に関わる諸問題を扱っ
ているが、リカード体系の中心に位置する『原理』初版の純粋な労働価値理論はほとんど扱ってい
ない。羽鳥は彼自身のリカード解釈の体系を構築することよりも、スラッファのリカード解釈を批
判することに精力を注いだのである。
しかし、羽鳥は決してスラッファのリカード解釈のすべてを否定したわけではない。むしろ、そ
の多くの部分を評価し、彼自身の解釈に取り入れている。それでも、羽鳥の視点から見ると、ス
ラッファの解釈には歴史的事実を十分に顧みずに、スラッファ自身の理論的立場からリカード理論
を断定しようとする点が数多くあった。そうしたスラッファの解釈が日本のリカード研究にも影響
を与えようとしていた。こうして羽鳥はスラッファの解釈を吸収しながらも、これを批判的に克服
することを彼自身のリカード研究の中心的な課題とするようになったものと思われる。そして、こ
うした羽鳥のリカード研究の方向性はその後の日本のリカード研究に受け継がれていった。
[謝辞]筆者も晩年の羽鳥卓也教授から温かいご指導を賜った。ご冥福をお祈りする。なお、本稿は,文部科学
省科学研究費補助金基盤研究(A)
「リカードウが経済学に与えた影響とその現代的意義の総合的研究」(課題番
号22243019),基盤研究(C)
「日本のリカード研究と欧米のリカード研究の比較検討」
(課題番号22530193)の助
成を受けた研究成果である。
注
1)
筆者は以前よりこうした問題に関心を抱きながら、日本のリカード研究と欧米のリカード研究の比較検討
を行ってきた。福田2008; 2013a; 2013b を参照。また、日本のリカード研究史については、真実 2000;水田
1985;中村 2007;千賀 2006を参照。
2)
第164回経済学史学会関西部会例会では、藤本建夫、渡辺恵一、新村聡、佐藤滋正、八木紀一郎の各氏をパ
ネリストとして「羽鳥卓也先生追悼シンポジウム」が開催された(2013年 7 月13日、甲南大学)
。また、第28
回リカードウ研究会は「羽鳥卓也先生追悼研究会」として開催され、服部正治、新村聡、千賀重義、渡会勝
義の各氏をパネリストとして、シンポジウム形式の議論が行われた(2013年12月25日、明治大学)。
3)
『経済学史学会ニュース』第41号には藤本建夫氏が追悼文を寄稿した(藤本
2013)
。また、
『マルサス学会
年報』第22号には八木紀一郎氏が寄稿した(八木 2013)。
4)
羽鳥自身によると、彼の古典派経済学研究の第 1 部が『市民革命思想の展開』
、第 2 部が『古典派資本蓄積
論の研究』であり、前者では古典派のヴィジョンを追求するべく社会思想史の領域を検討し、後者ではそれ
を踏まえて経済理論史を検討するものであるという(羽鳥 1965, pp.283–84)。
5)
羽鳥は1965年の第29回経済学史学会大会において、報告「初期リカードウの分配論」を行うとともに(1965
年 9 月25日、小樽商科大学)、論文「初期リカードウの価値と分配の理論」を発表した(羽鳥 1965、羽鳥
1972に所収)。
6)
羽鳥はマルサス学会でも活発に活動し、晩年まで日本の古典派経済学研究の発展に貢献した。最後の著作
176
となった『経済学の地下水脈』は羽鳥と彼の教え子たちとの共著であり、こここでも羽鳥は長大な論文「マ
ルサスの戦後不況論」を寄稿している(藤本 2013)
。
7)
スラッファによると、1814年 6 月26日付のリカードのマルサス宛書簡(50)の中で、リカードは利潤率は「生
産の比率」に依存すると述べている(RW, VI, p.108)。1814年 8 月 5 日付のマルサスのリカード宛書簡(54)
の中で、マルサスはリカードが「物的比率」に言及することを批判している(RW, VI, p.117)。1815年 2 月刊
行の『試論』の「地代と利潤の増進を示す表」の中で、リカードは利潤率の変化を「穀物比率」を用いて説
明している(RW, IV, p.17)
。
8)
スラッファの「穀物比率論」解釈に対する羽鳥の批判については、福田 2008, p.46を参照。
9)
1820年 6 月13日付のリカードのマカロック宛書簡(368)の中で、リカードは「地代は最後に用いられた資
本をもって生産された穀物と、工場において労働によって生産されたすべての商品に基づいて片付けること
ができますが、地代を片付けると、資本家と労働者の間の分配はずっと単純な問題になります。労働者に与
えられる労働の結果の分け前が大きいほど、資本家に帰する利潤の率は小さくなり、反対の場合には逆にな
るでしょう。」と述べている(RW, VIII, p.194)
。
10)
『原理』初版の第
1 章価値論の中で、リカードはアダム・スミスが労働価値理論の適用範囲を「資本の蓄積
と土地の占有とに先行する初期未開の社会状態」に限定したことを批判した(RW, I, p.23n)
。また、1818年
12月28日付のリカードのミル宛書簡(298)の中で、リカードは「交換価値が変化するのは、利潤と賃銀とへ
のこの分割のためではなく、─資本が蓄積されるためではなく、それは社会のあらゆる段階においてただ
2 つの理由のために生ずるのであり、その一つは所用される労働量が多いか少ないか、他は資本の耐久度が
大きいか小さいかということだ」と主張した(RW, VII, p.377)。
11)
『原理』の理論構造(章別構成)の問題については、福田
2006, pp.166–69を参照。
12)
シンポジウム「リカードゥ研究における西欧と日本」では、報告者:羽鳥卓也、中村廣治、千賀重義、討
論者:真実一男、時永淑、森茂也、坂本弥三郎、溝川喜一、豊倉三子雄、司会者:玉野井芳郎、記録係:入
江奨という陣容で、リカード研究について議論が行われた。後日、記録係の入江が「学界展望」
(入江 1973)
を執筆した。
13)
書簡(50)の叙述の中の「この比率」が何を指すのかが解釈を左右する。羽鳥はこの時期のリカードが「生
産の比率」を農業部門の投入-産出比率の意味で使用していることから、賃金に依存する「この比率」は「生
産の比率」ではなく、冒頭の「利潤率」を指すと見なした。従って、工業部門では、
「食糧の安価さ」が「労
働賃金」を通して「この比率」=「利潤率」を規定するという解釈が成立する(羽鳥 1982, pp.43–44n)。
14)
千賀の「部門別利潤率規定論」解釈をめぐる議論については、福田
15)
クルツの書簡(368)の解釈をめぐる問題については、福田
16)
『マルサス評注』第
2008, pp.47–50を参照。
2013, pp.166–68を参照。
5 章第 4 節において、リカードは「考えられうる限りの最も完全な価値の尺度にも、こ
の除去されえぬ不完全さがあり、どのような修正がなされねばならないにせよ、私はこれに対して持ち出す
べき異論は持っていない。この不完全さのために若干の商品はある方向に、若干の商品は反対の方向に影響
を受けるかもしれないが、しかし一般的な平均では大きな影響は受けないであろう。一般的原理は、尺度に
必然的にともなう不完全さによっては、少しも損なわれるものではない。」と述べた(RW, II, p.288)。
17)
1823年
9 月 5 日付のリカードのミル宛書簡(552)は、リカードが遺稿となった『絶対価値と相対価値』の
執筆を終えた頃であり、 9 月11日に他界する直前に書かれたものである。
『絶対価値と相対価値』では、リカー
ドは平均的な資本構成をもち、かつ食糧生産と等しい資本構成をもつ価値尺度を提案したが、それでもなお、
リカードは満足できなかったのである(RW, IV, pp.405–6)。
18)
羽鳥は『古典派経済学の基本問題』の「あとがき」でも、同様の研究方法を提示した。すなわち、
「学史研
究の究極の目的は、ただ単に過去の学説の内容を正確に理解することだけに局限されるべきではなく、そこ
から進んで、これを媒介にして資本主義経済のメカニズムの科学的分析にとって有効な迂回的手段を提供す
177 ることにおかれなければならないであろう。
」
「かりに、どれほど鋭い問題意識をもった批判的学史研究を企て
たところで、対象それ自体に内在するという手続きを踏んでいなければ、古典派経済学説の虚像を描き出して、
これを既成の理論によって裁断するというだけの結果に終わるほかないだろう。」
(羽鳥 1972, pp.411–12)
参考文献
Kurz, H.D. 2011 , On David Ricardo’s Theory of Profits : The Laws of Distribution Are Not Essentially
Connected with the Doctrine of Value, History of Economic Thought, 53(1), pp.1–20.
Hollander, S. 1973, Ricardo’s Analysis of the Profit Rate, 1813–15, Economica, 40, pp.260–82.
Ricardo, D., Sraffa, P. (ed.) 1951 –73 , The Works and Correspondence of David Ricardo, 11 vols, Cambridge :
Cambridge University Press. 堀 経夫他(訳)1969–99『デイヴィド・リカードウ全集』全11巻,雄松堂書店
Sraffa, P. 1951, Introduction, in Ricardo, D., Sraffa, P. (ed.) 1951–73, vol 1, pp.xiii-lxii. 堀 経夫他(訳)1969–99,
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藤本建夫 2013「[追悼]羽鳥卓也会員 ─羽鳥先生の『最後の仕事』─」
『経済学史学会ニュース』41, pp. 19–20.
福田進治 2006『リカードの経済理論』日本経済評論社
福田進治 2008「日本の初期リカード研究」
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福田進治 2013a「初期リカードの利潤理論」
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福田進治 2013b「日本のリカード研究 ─労働価値理論を中心に─」
藤田五郎・羽鳥卓也 1951『近世封建社会の構造』御茶の水書房
羽鳥卓也 1954『近世日本社会史研究』未来社
羽鳥卓也 1957『市民革命思想の展開』御茶の水書房
羽鳥卓也 1963『古典派資本蓄積論の研究』未来社
『商学論集』34(3), pp.91–151.
羽鳥卓也 1965「初期リカードウの価値と分配の理論」
羽鳥卓也 1972『古典派経済学の基本問題』未来社
羽鳥卓也 1982『リカードウ研究』未来社
羽鳥卓也 1990『国富論研究』未来社
羽鳥卓也 1995『リカードウの理論圏』世界書院
羽鳥卓也・藤本建夫・坂本 正・玉井金五 2012『経済学の地下水脈』晃洋書房
入江 奨 1973「[学界展望]リカードゥ研究における西欧と日本」
『経済学史学会年報』11, pp.11–20.
真実一男 2000「我国の戦後リカードウ研究の回顧」
『経済学史学会年報』38, pp.76–82.
水田 健 1985「リカードウ研究」
『経済学史学会年報』23, pp.13–22.
中村廣治 2007「わが国におけるリカードウ研究」
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千賀重義 1972「初期リカードウにおける価値と貨幣の理論」
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千賀重義 2006「デイヴィッド・リカードウ」
, 鈴木信雄(編)『経済学の古典的世界 1 』日本経済評論社 , pp.175–
222.
八木紀一郎 2013「[追悼記事]羽鳥卓也先生追悼」
『マルサス学会年報』22, pp.121–23.
178
弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢』の刊行及び編集要項
平成23年 1 月19日教授会承認
平成26年 5 月21日最終改正 この要項は,弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢』(以下「紀要」という。)の刊行及び編集に
関して定めるものである。
1 紀要は,弘前大学人文学部(以下「本学部」という。)で行われた研究の成果を公表することを
目的に刊行する。
2 発行は原則として,各年度の 8 月及び 2 月の年 2 回とする。
3 原稿の著者には,原則として,本学部の常勤教員が含まれていなければならない。
4 掲載順序など編集に関することは,すべて研究推進・評価委員会が決定する。
5 紀要本体の表紙,裏表紙,目次,奥付,別刷りの表紙,研究活動報告については,様式を研究
推進・評価委員会が決定する。また,これらの内容を研究推進・評価委員会が変更することがある。
6 投稿者は,研究推進・評価委員会が告知する「原稿募集のお知らせ」に記された執筆要領に従っ
て原稿を作成し,投稿しなければならない。
「原稿募集のお知らせ」の細目は研究推進・評価委
員会が決定する。
7 論文等の校正は著者が行い, 3 校までとし,誤字及び脱字の修正に留める。
8 別刷りを希望する場合は,投稿の際に必要部数を申し出なければならない。なお,経費は著者
の負担とする。
9 紀要に掲載された論文等の著作権はその著者に帰属する。ただし,研究推進・評価委員会は,
掲載された論文等を電子データ化し,本学部ホームページ等で公開することができるものとする。
10 紀要本体及び別刷りに関して,この要項に定められていない事項については,著者が原稿を投
稿する前に研究推進・評価委員会に申し出て,協議すること。
附 記
この要項は,平成23年 1 月19日から実施する。
附 記
この要項は,平成23年 4 月20日から実施し,改正後の規定は,平成23年 4 月 1 日から適用する。
附 記
この要項は,平成24年 2 月22日から実施する。
附 記
この要項は,平成26年 5 月21日から実施する。
執筆者紹介
日比野 愛 子(情報行動講座/社会心理学)
曽 我 亨(情報行動講座/人類学)
柴 田 英 樹(ビジネスマネジメント講座/会計監査論)
飯 島 裕 胤(経済システム講座/金融論)
児 山 正 史(公共政策講座/行政学)
𠮷 村 顕 真(公共政策講座/民法)
齋 藤 義 彦(国際社会講座/現代ドイツ論)
川 村 啓 嘉(東日本旅客鉄道株式会社)
岩 田 一 哲(ビジネスマネジメント講座)
福 澤 菜 恵(元人文学部経済経営課程)
福 田 進 治(経済システム講座/経済学史)
編集委員(五十音順)
◎委員長
足 達 薫
飯 島 裕 胤
大 倉 邦 夫
奥 野 浩 子
河 合 正 雄
須 藤 弘 敏
福 田 進 治
松 井 太
◎保 田 宗 良
李 梁
渡 辺 麻里子
人文社会論叢
(社会科学篇)
第33号
2015年 2 月28日
編 集 研究推進・評価委員会
発 行 弘前大学人文学部
036-8560 弘前市文京町一番地
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/
印 刷 やまと印刷株式会社
036-8061 弘前市神田四-四-五
33
HIBINO ……………………
Aiko
Local innovation:
…………………………………………………………………………
SOGA Toru
Situated in the Local/ Create as the Local
1
…………………… Innovations
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
SHIBATA
Hideki
Is a Statutory
Audit an Internal Audit or an External Audit?
17
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
IIJIMA Hirotsugu
Control: A Geometry
31
…………………… Prices of Corporate
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
KOYAMA
Tadashi
Quasi-Market
and School Choice in England (2):
……………………
…………………………………………………………………………
on the Equity and Social Inclusiveness
47
…………………… The Effect…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
YOSHIMURA
Kenshin
Historical…………………………………………………………………………
Consideration of the Heir’s Relief in the Inherited Debt
69
……………………
……………………
…………………………………………………………………………
SAITO Yoshihiko
Bundeskanzlerin Dr. Angela Merkel
…………………… Rede von …………………………………………………………………………
2015 vor dem Deutschen Bundestag
…………………… zum Haushaltsgesetz
…………………………………………………………………………
2014 in Berlin
105
…………………… am 10. September
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
KAWAMURA
Takahiro An Empirical
Research on Antisocial Behavior in Workplace
119
……………………
…………………………………………………………………………
IWATA Ittetsu
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
FUKUSAWA
Nae
An Empirical
Research on Stress of Playing Manager:
……………………
…………………………………………………………………………
IWATA Ittetsu
Middle Manager
145
…………………… Focus on …………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
FUKUDA……………………
Shinji
Hatori on…………………………………………………………………………
Ricardo
167
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
……………………
…………………………………………………………………………
ISSN 1345-0255
Fly UP