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出生前検査における 「女性の意思決定」 再考
ジェンダー論特集 出生前検査における「女性の意思決定」再考 一検査を受けないという選択から見えるもの一 “Wbman’s decision making”reconsideration in prenatal testing −The one judging from selection of not undergoing testing一 菅野摂子(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター、東京家政大学非常勤講師) Setsuko SUGANO(Institute for Gender Studies, Ochanomizu University. Tokyo Kasei University, part−time lecturer) 要 旨 胎児の健康状態を診断すること目的とする出生前検査は、厚生労働省や日本産科婦人科学会によって一定の制 限が設けられながら、臨床の現場で実施されてきた。しかし、欧米に比べて日本の実施率は低い。その理由を筆 者の行った調査をもとに検討した。その結果、医師から検査の情報が得られにくいだけでなく、「中絶をしたく ない」という出産への意欲を周囲の人々が支えることで、受検が避けられることがわかった。それと共に胎児の 障害を知ることへの不安もあぶりだされた。胎児の状態を「あいまいなまま」にしておきたい要因として、障害 児の療育における先行きの見えなさ、障害を持つ胎児を孕みつづけることの心理的負担、検査の理解や認知の困 難さが浮上した。これらの要因は社会的に解決されることが望まれる一方で、胎児の障害への不安は生命の再生 産において根源的でもある。身体に対する女性の主体性を要求する「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」は、 こうした難しい問題にも対応できる概念としてさらに鍛えられなくてはならない。 Abstract The prenatal testing performed to diagnose embryo’s health condition has been executed on a clinical site. However, it is too untried in Japan compared with Europe and America. T()the author according to the investigation, it has been understood that the examination is avoided because information on the testing not only is received easily from the doctor but also the desire for birth“I do not want to abortion”is supported by surrounding people. It was clarified the anxiety to knowing embryo’s trouble simultaneously. As a reason to want to leave the fetal state vague, it was understood that not seeing the fUture of handicapped child/streatment, psychological load of keeping conceiving embryo who has trouble, and difficulty of understanding and acknowledgment of testing. However, because the anxiety of trouble root, it is likely not to solve it easily. It is necessary to forge the concept of reproductive health/ rights to deal also with such a difficult problem. キーワード:出生前検査 意思決定 あいまいさ リスク Key words:prenatal testing decision making vagueness risk 厚生労働省)は1999(平成11)年に『厚生科学審議 はじめに 会先端医療技術評価部会・出生前診断に関する専門委 出生前検査とは胎児の障害や病気を知るために行わ 員会 「母体血清マーカー検査に関する見解」につい れる検査のことである。妊婦健診の一環として行われ て』(以降「母体血清マーカー検査に関する見解」と る超音波検査や、任意で行われる妊婦の羊水を採取し 記述する)6を通知した。ここで、母体血清マーカー て培養しその成分を調べる羊水検査、妊婦の血液中の 検査の説明や結果の告知の仕方などについて指針が出 成分から胎児の異常の可能性を予測する母体血清マー されたが、それに応じられる医療体制が整っていない、 カー検査などがある。私が出生前検査について考え始 という現状認識から、「この検査を積極的に妊婦に知 め、この検査に向き合った経験のある女性たちにイン らせる必要はない」という文言が書かれた。 タビューを始めたのは1998年のことである。当時、 けれども、女性の身体への「安全」を抑制装置にし 1994(平成6)年に臨床応用された母体血清マーカー なければならないほど恐れられる「蔓延」とは、どれ 検査1について議論がわき起こっていた2。障害者団 ほどのものなのだろうか。女性の意思決定は、障害を 体3はもとより、障害者の差別の問題に取り組む研究 持った子どもが「生まれないこと望む」方向にしかな 者4、そして数年前までは中絶の権利の延長線上に選 されないのか。そもそも「障害を持った子どもを産む」 択的中絶を措定し出生前診断を擁護していた女性学の ことを、妊婦はどのようなリアリティを持って感じ、 研究者たちも疑問を呈した5。流産の副作用のある羊 検査に対していかなるスタンスを取ろうとしているの 水検査が、胎児を失うことへの躊躇から自発的に抑制 だろうか。 されるのに比べ、母体血清マーカー検査が採血という 女性は胎児までをも、いや胎児だからこそ、その生 身体的に「安全な」方法をとるため、妊婦たちの問で 命を差別し抹消する能動的な存在なのか、あるいは医 一気に蔓延するのではないかという懸念がこれらの批 師との関係において劣位におかれる受動的な存在であ 判の根底にあった。こうした批判を受けて、厚生省(現 るのか。それらを反転させて、将来には障害児の母と 一120一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 して差別され過大な負担を負わされる受動的な存在な かの検査解析を行っていた施設は32施設であり、母 のか、あるいは医師との関係において自らが情報を求 体血清マーカー検査と羊水検査の検査実施数の内訳は め検査を受けるかどうかを選択していく能動的な患者 次の通りであった。母体血清マーカー検査は、1998(平 像も思い描ける。 成10)年が21,708件、1999(平成11)年が18,312件、 複雑な立場で出生前検査に対峙する女性たちの経験 2000(平成12)年が15,927件と減少している。一方 を精査することなく、「障害を持つ胎児の中絶は差別 羊水検査は、1998(平成10)年が10,419件、1999(平 である」という主張から、妊婦への情報提供は必要な 成11)年が10,516件、2000(平成12)年が10,627 いとする「母体血清マーカー検査に関する見解」が導 件と微増している。 かれたのは早急といえよう。検査の情報入手、検査を この件数の多寡を評価するには、その年度の妊娠数 受けるかどうか、結果によって中絶するかどうかの一 との比較が必要だが、公的な統計資料に妊娠数は記さ 連のプロセスにおける意思決定の内実を明らかにする れていない。特に、妊娠12週より前の自然流産につ 必要がある。 いては統計がとられておらず、この中には妊娠に気付 ところで、この通達が出された後、母体血清マー かないまま流産している場合もある。従って、人口動 カー検査の受検件数は減少傾向にある。もともと日本 態統計で毎年公表されている出生数との比較を行う。 の実施数は欧米の実施数の少ない国との比較において 1998(平成10)年の出生数は1,203,147人、1999(平 も10分の1程度であり、かなり少ない(佐藤 1999 成11)年は1,177,669人、2000(平成12)年は1,190,560 p52)。このことは、医師の情報提供への抑制による 人である。出生数における検査件数の割合は、母体血 ものなのか、それともそうした検査に関心を持つ妊婦 清マーカー検査が1.8%(1998(平成10)年)、1.6%(1999 が少ないからなのか。検査を受ける人が少なければ選 (平成11)年)、1.3%(2000(平成12)年)、そして、 択的中絶の件数も少ないことから、障害を持った胎児 羊水検査がO. 9%(1998(平成10)年)、1.0%(1999(平 への「差別」もあまりない、と解釈してよいのか。本 成11)年)、1.0%(2000(平成12)年)である。こう 論文では、圧倒的に多数派である「検査を受けなかっ した検査を受けているのは少数であり、多くの妊婦は た人」に注目して、その理由や、決定へのプロセスを 受検していない。 探っていく。 他方で、国内の意識調査7によれば「胎児に重篤な 遺伝性疾患や染色体異常の可能性があり、出生前診断 を受けられるのであれば受けたい。」という人は、全 1.問題の背景 ての中の89.2%に上っている。これに関連して、「胎 母体血清マーカー検査および羊水検査の受検者数の 児の障害を根拠に中絶したくない」は21.8%であっ 推移は継続的に調査されていないものの、厚生科学研 が、一般的な問題として「選択的中絶を容認する」は 究の一環として3年間に渡って行われた調査はある。 45.7%に上っており、52.5%は「決定保留」となって 平成13年度厚生科学研究(子ども家庭総合研究事業) いる。検査の結果については、具体的な病名や状態が 「遺伝カウンセリングシステム構築に関する研究」(主 提示されない中で、こうした質問に答えるのは難しい 任研究者 古山順一)(以後「平成13年度調査」と記 と思われるが、決断における複雑な心境がうかがえる。 す)の分担研究「周産期遺伝カウンセリングシステム また、「選択的中絶をするかどうかの基本的な権利は 構築に関する研究」(分担研究者 左合治彦)(左合 妊婦にある」という意見は、男女別に集計すると、女 2004pp630−631)では、母体血清マーカー検査、羊 性で「賛成」とする人は50%、男性は58.9%であり、 水検査、絨毛検査、胎児血検査のいずれかの検査解析 女性の方が低く出ていた。選択的中絶を女性の権利と を行っていると思われる54施設を対象に出生前検査 して積極的に選びとろうとする女性はそれほど多いと の実施状況を調査している。この調査の特徴は、対象 はいえない。 を大学、病院だけではなく、臨床検査会社にまで広げ では、実際に出生前に胎児の先天異常はどれほど ていることである。多くの診療所が検査解析を臨床検 わかるのか。2004(平成16)年に行われた新生児に 査会社に委託している現状を踏まえると、実際に検査 対する大規模調査8では、先天異常が見つかった新生 解析を行っている施設に焦点を当てたこの調査は、数 児のうち、出生前に診断されたのが51.0%、出産中が 量的な限界があるものの、今まで困難と言われてきた 25.0%、出産後が24. 0%だった。見つかった先天異常 出生前検査の実態をほぼ把握していると考えられる。 で最も多いのは、心室中隔欠損、続いて口唇口蓋裂、 アンケートの回答を得た51施設のうち母体血清マー 3番目がダウン症だった。このうち、心室中隔欠損と カー検査、羊水検査、絨毛検査、胎児血検査のいずれ 口唇口蓋裂は超音波検査で妊娠中期以降にわかる場合 一121一 があり、ダウン症は母体血清マーカー検査や羊水検査 の対象となっている。ただし、近年は超音波検査で胎 2.先行研究 児の頸部の厚みを測定することで、染色体異常の可能 検査の当事者である女性たちへの調査は大規模なも 性を予測する技術(NT)も登場しているので、超音 のは少ないが、医療者が行ったものは複数ある。この 波検査でもダウン症のスクリーニングは可能である。 ほとんどは、検査を受ける決定に注目したものだが、 こう考えると、日本の出生前検査は超音波検査に いくつかは「受けない」決定に関しても言及している。 よってその多くは診断されていると思われる。厚生 まず、大学病院の産婦人科医である又吉によって 労働省の標準的なモデルでは初期に2回、中期に1 回、後期に1回、計4回となっている(厚生労働省 1993(平成5)年に実施された調査がある。又吉は東 京医科大学霞ヶ浦病院にて自らが行ってきた遺伝相談 2009)にもかかわらず、実際にはもっと頻繁に行われ に訪れる患者に対して羊水検査についてのアンケー ており、妊婦検診などの通常診療をとおして、こう ト調査および聴き取り調査を行った(又吉 1993 した先天異常がスクリーニングされているのではない pp64−68)。遺伝外来を訪れながら羊水検査を拒否す か。そうであれば、羊水検査や母体血清マーカー検査 る妊婦が出てきたことがテーマとなっている。又吉 などの妊婦の意思決定が重視される経路とは別に、す は1987(昭和62)年までは羊水検査の説明をすると でに異常が高いという医学的な見方がされた上での決 全員が受検したが、1988(昭和63)年以降少数では 定となっているはずだ。妊婦の意思決定によって生じ あるが検査を受けないと意思表示する妊婦が現れたこ る検査の「蔓延」を危惧するより、超音波検査の実施 とに注目した。1988(昭和63)年には検査希望者31 と運用、それに伴うインフォームド・コンセントやカ ウンセリングに注意が払われるべきだろう。だが、こ 名中1名が、1989(平成元)年には37名中5名が、 1990(平成2)年には41名中9名が、1991(平成3) れはあくまでも推測であり、実際の臨床の現場で先天 年には31名中8名が、検査を拒否した。1988(昭和 異常の可能性を示唆されるケースがどれほどに上るの 63)年から1991(平成3)年までの4年間に検査を拒 か、また、母体保護法で定められた22週未満という 否した22名に対し、アンケート調査を行ったところ 妊娠中絶が許される期間に確定診断される事例はその 高齢出産が16名と多く、前回染色体異常児を出産し うちどのくらいなのかはわからない。さらに、9割近 た経験者が6名であった。さらにこの中の19名に聴 くの人が異常の可能性が高いのであれば受検を希望す き取り調査を行ったところ、「どんな子どもであって る中で、羊水検査などの確定診断のための診断技術を も育てたい」が17名で多く、「検査をしても全てが分 利用している人は極めて少ない。超音波検査が通常診 かるわけではない」「夫の検査への同意が得られない」 療の一環で実施されているのであれば、妊婦の自律的 が1名ずつだった。検査の危険性から受検を取りやめ な決定そのものがなされているのかは疑問である。 た人はいなかった。また、決定者は「本人が決めた」 倫理学者の八幡は、こうした状況を踏まえたうえで、 が12名、「夫婦で決めた」が6名、「夫(と家族)が 日本において羊水検査や母体血清マーカー検査の実施 決めた」が1名だった。 件数が少ない理由について次のように述べる。(検査 また、安藤は高齢出産の妊婦に対して調査を行って の実施件数が少ないのは)「検査に関する情報が十分 いる(安藤1994p203)。30歳以上の妊婦30名に対し に提供されていないか、検査について相談しにくい雰 て行われた面接調査では、調査対象者は検査に対して 囲気があるなど、医療側の要因によって生じた結果な 肯定/否定どちらかの考えを持っており、夫や家族と のだろうか。あるいは、それ以外の社会的・文化的要 同じ考えの場合は「迷わず」決めていたが、そうでな 因が大きく影響してそうなっているのだろうか。出生 い場合は「迷い」が生じていた。また、「障害児の出 前診断の実施状況に関する先行研究としては、先にあ 産既往」の場合は受けた人/受けない人が半々であっ げた厚生科学研究のように、実施数、受診理由、胎児 たがどちらも「迷わず」決めていた。「ダウン症児と の異常が判明した場合の対応などを量的に調査したも の接触経験」「羊水穿刺の体験」のある人は「迷わず」 のが複数ある。しかし、このような調査では、結果と 受けていた。「医師からの説明」については、検査に して受診しなかった大多数の妊婦の姿が見えてこない 対する考えは賛否両方に散っており、「迷い」があった。 のが実情である。」(八幡 2007p105)妊婦の意思決 さらに、不妊治療を経て妊娠した4名は、4名とも流 定はどのように自律的になされ、あるいはなされてい 産の副作用を考慮して妊娠を継続していたが、その選 ないのか、その背景と決定要因についての質的な研究 択が良かったのか不安が続いていた。 が求められている。 心理学者の玉井は高齢を理由にして羊水検査を受け た事例と受けなかった事例を2例ずつ検討している 一122一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 (玉井 2000pp 124−132)。共通した心情として、検査 少ないから調査が困難であるという調査の実施上の問 に伴う流産等のリスクに対する不安、中期中絶に対す 題からではない。検査が存在し希望する人が多いとさ る極めて大きな心理的抵抗、できることなら健康な子 れるこの社会において、多くの妊婦たちが検査を受け どもを産みたいという思い、障害児が産まれたら育て なかった経緯や理由が、これらの検査がどのように扱 られるだろうかという自信のなさ、の4点が指摘され われているのかを知る上で有用だと考えるからであ ていた。検査を受けた人も受けなかった人も家族には る。こうした検査を社会がどうコントロールしていく 相談していた。受けた人の一人は夫に勧められたが自 のか、という遠大な問題に対するコンセンサスを築く 分の両親は勧めず、受けなかった1名は夫や夫の両親 ためには、患者主権をはじめとする医療倫理が唱えら からは「親戚の中には障害を持った人はいないから絶 れる昨今の医療状況の中で、患者である妊婦がいかに 対大丈夫」、友人からは「受け入れ施設もある」と中 主体的に関わっていくべきかを考えることが先決であ 絶に否定的な意見と「羊水検査を受けないのか」と肯 る。女性の「自己決定」という概念がこの問題に適切 定的な意見の相反する意見を言われ混乱した。もう1 であるかどうか、批判的な見解も見られるが、だから 名は、助産師に「出血やお腹のはりがなければ大丈夫」 といって女性が主体的にこうした検査を受けるかどう と言われた。2名とも受けないと決めてからも気持ち かの決定に関与することを否定することは到底できな は揺れ動き、1名は医師に報告した後、外来を3往復 い。ましてや生命倫理や医療倫理の姐上で一義的に解 したという。どんな選択をしてもサポートが受けられ 決できるものではないだろう。 る、という医療機関の対応が望まれる、と結んでいる。 出生前検査における女性の選択を「自己決定」と捉 これらの調査から、出生前検査について説明を受け えることには多くの議論がなされてきた。妊娠中絶全 た場合でも、最終的に「どんな子でも育てたい」とい 般が、堕胎罪で禁じられながらも母体保護法によって う気持ちで検査を受けない人たちがいることがわか 条件付きで許可される、という二重構造において、女 る。しかし、周囲の人、特に夫と意見が異なる場合に 性の権利として妊娠中絶の合意はなされにくい。こう は迷いが大きい。また、医学的に根拠のない理由を言 した状況において、障害胎児の選別という「差別」の われている人もおり、そうした意見はかえって迷いを 問題を孕んだ選択的中絶を、「自己決定」と位置づけ 強めていた。染色体異常を持った子どもを産んだ経験 るのは困難な一面もある。しかしながら、妊娠という のある人は、受けるか/受けないかの迷いが小さいと 事態が妊婦の身体でしか起こらず、なおかつ出産以降 いう報告もされている。夫をはじめとする周囲の人た も子どもの存在は母親である女性の人生を大きく左右 ちの意見のほか、自分の生活経験から、障害を持った することから、「自己決定ではない」と言い切ること 子どもを育てることについて妊婦は思いを巡らせ真剣 もできない。こうした両義的な議論は本論文において に考える。 は棚上げし、この問題をとりあえずは「意思決定」と ただし、これらの調査は全て調査者の所属する医療 して、その主体性を問うことを目的とする。 機関で実施されており、対象者が限定されている。ま た、玉井は心理職であるが、他の2名は医療者であり、 面接を行った場所も病院の中である。医療者との関係 4.調査の概要 性が結果に反映されていることも考えられる。女性た 2002(平成14)年度に「妊娠と出生前検査の経験 ちが妊娠の経験におけるひとつの出来事として、自分 に関するアンケート調査」を実施した。調査期間は のライフコースの中で検査を位置づけ、自由にその思 2003(平成15)年1月中旬から3月末までであり、 調査票は、調査の了承を得た東京都内の保育所21ヶ いを表出できるような環境で語られることが重要なの 所にて780件および医療機関4ヵ所にて120件、計 ではないだろうか。 900件を保育所の園長もしくは病院の院長に委託して 配布した。回収は、プライバシーに配慮してアンケー 3.研究の目的 ト用紙と共に配布した封筒で各人が投函する方法を 出生前検査における妊婦の自律的な意思決定とは何 とった。その結果、3月末までに382件の回答が得られ、 か。特に「検査を受けない」という決定の意味につい 回収率は42.4%であった。無効票7件を除いた375件 て女性たちの経験から探る。先述したように羊水検 のうち、保育所からの回答と医療機関からの回答が「仕 査や母体血清マーカー検査を受けている人は、全出産 事の有無」と「学歴」で平均の差が有意となったため、 数の1%前後と推測されており、非常に少ないのが理 保育園からの票315件のみを対象とした。 由である。ただし、これは単に調査対象となる人が ただし、聴き取り調査においては両方の経路を対象 一123一 とした。聴き取り調査の目的、方法、結果の公表の方 る。その平均像は、インタビューを行った時の年齢 法などを記した調査依頼状を折り込んで配布した。イ が34.4歳、妊娠回数が2.1回、子どもの数が1.8人、 ンタビューに協力する意思のある人がアンケートの回 末子出産年齢は32.2歳である。アンケート調査協力 答とは別に「調査協力承諾書」を記入して返送できる 者の平均年齢が34.2歳、妊娠回数が2.02回、末子出 よう、専用の返送用封筒を同封した。 産年齢32.2歳と比べて、年齢はほぼ同じだが妊娠回 聴き取り調査の実施時期は、アンケート調査を行っ 数は若干多い傾向がある。 た半年後の2003年の7月から9月に計画した。その 職業は、フルタイム勤務16名、パートタイム勤務 結果、約50名からインタビューの「調査協力承諾書」 4名、無職およびフリーが6名だった。アンケート調 を受け取った。ただし、実際に聴き取り調査の日程を 査に比べると無職が若干多い傾向にあった。その理由 調整しはじめると、育児休暇が終わって職場復帰した として、アンケート調査の分析では保育園に子どもを ために時間が取れなくなった、子どもの急病をはじめ 通わせている母親だけを対象としたが、病院に配布し とする家族の都合によって日程の都合がつかなくなっ た調査票から聴き取り調査に応じた対象者も含めたこ たなどの事情ができ、こうした事情から、最終的にイ とが、まず挙げられる。保育園からの票に絞らなかっ ンタビューを実施できたのは26名だった。 た理由は、どこから票を受け取ったかという経路は、 インタビューは直接面接で、質問票を準備して行 サンプリングの厳密性が求められない質的調査ではさ なったが、できるだけ調査協力者の話の流れを遮らな ほど重要ではないと考えたからである。加えて職業を いように配慮しながら、質問項目の順番や確認の質問 持っている場合、聴き取り調査に協力することが時間 を臨機応変に加える半構造化聴き取り調査の手法を用 的に難しかったことが考えられる。また、医療関係、 いた。質問の内容は、妊娠の経験、医療機関を選んだ 福祉関係、教育関係の仕事をしている人は9人で調査 経緯、超音波検査の経験、母体血清マーカー検査の経 対象者の約3割であり、妊娠・出産、そして育児の経 験、羊水検査の経験などについてである。これまでの 験ばかりでなく仕事を通しても、こうした問題に関心 妊娠の経験や医療機関を決めた過程は、できるだけ自 が持たれていることがうかがえた。 由に話してもらったが、超音波検査、母体血清マーカー 検査、羊水検査については、検査を知っていたかどう か、検査の情報はどこから得たか、医療機関の対応、 5.調査の結果 誰と相談したか、検査を受けるかどうかの決定の理由 母体血清マーカー検査を受けた人は1名、羊水検査 などを詳しくたずねた。 を受けた人は2名だった。この他、3D超音波を含む 調査は、質問に漏れがないように、基本的にインタ 詳細な超音波検査を受けた人が数名いた。多くの人が ビュアー2名で行なったが、初期は3名全員でインタ 選択的に出生前検査を受けることはなかった。 ビューした例や、日程の都合で1名だけで実施した場 合もある。面接の場所は、明治学院大学社会学部附属 ①アンケート調査の結果 研究所の相談室か、調査協力者の都合のよい場所(自 ここで、アンケート調査の結果を簡単に押さえてお 宅を含む)に調査者が出向いたかのいずれかである。 く。検査を知っていたかどうかの認知度は、超音波検 インタビューは全て録音し、逐語文字化した。デー 査が99%(うち妊娠前:41%・妊娠中:46%)、母体 タとして使用する際には、インタビュー協力者の氏名 血清マーカー検査が62%(うち妊娠前:26%・妊娠中: をはじめ、人名、医療機関名、会社名、保育園の名称 55%)、羊水検査が88%(うち妊娠前:37%・妊娠中: などはすべて匿名とした。協力者が非常に特徴のある 51%)であった。「知っている」と回答した人のうち、 属性を持っている場合には、匿名性を担保するため、 医師から説明を受けた人は、超音波検査で22%(69 その特徴は慎重に表記した。 名)、母体血清マーカー検査が74名(23%)、羊水検 査が80名(25%)で、実際に受検したのは、超音波 検査が98%(310名)、母体血清マーカー検査が12% 5.調査対象者 (37名)、羊水検査が6%(20名)である。母体血清マー アンケート調査の対象者は、先述したように東京都 カー検査と羊水検査は、先述の全国平均よりも、かな の私立保育園を利用する母親であり、21か所の保育 り高い数値である。 所から回収された票のうち315名を対象とした。 インタビュー協力者の属性と出生前検査を受けた履 歴および、妊娠・出産の特徴は、次表1のとおりであ 一124一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 表1インタビュー調査の対象者 # 年齢 夫の 学歴 家族構成 妊娠の結果 職業 事務職の会社員 39 短期大学 △ 夫 子ども3人(男7歳、男4歳、男9ヶ月) 28 B 30 専門学校 夫 34 35 大学 O 調査会社の会社員。 39 大学 O 元保育士。 結婚後専業主婦 夫 情報システム部門の正社 40 47 短大 保健所の保健師。 卿 38 大学院 フリーの調査員(博士号取 31 33 38 大学 ○ 薬剤師パート 28 子ども2人(女4歳、女8ヶ月) 39 44 大学 38 大学 41 31 35 夫の海外赴任で専業主婦。 公立高校の養護教諭。看護 t、保健師の資格あり %{% 子ども3人(男11歳、男8歳、男4歳) 飲食業パー』 ○ 夫 M 34 短大 専門学校 保育士。 精神保健福祉センター勤務 夫 子ども2人(女4歳、女2歳) P 30 35 大学 ○ フ臨床心理士 コンピュータ関係の事務職。 ○ 28 出産後専業主婦 診療放射線技師。 39 短大 事務職。 飲食業パー』 夫 ○ 学童の指導員。 36 大学 夫 企業のIR(コンサルティング〉 ○ 38 大学 夫 ○ 店舗経営者 35 ○ 34 ○ ○○ ○○ X× ×X ○ ○ × O ○ ××○ ○○○ XXX x×O X ○ X × ○ ○ X X ○○ ○○ ×× ×X OO ○○ ×× ×X ○○ OO ×× 陶 ×× ○○○ ○○○ ××× ××× ○ ○ × × ○○○○ ○○○ ×X× X×X × ○ × × ○○ ○○ ×X ×× ○○ ○○ XX ×× ×X X× 庁 ○ 28 子ども2人(女3歳、男11ヶ月) OOO xO 32 31 子ども2人(女4歳、女1歳) Z × ○? ” ○ ⋮ ⋮ 36 28 30 子ども2人(男5歳、女3歳) Y ×× OO四 24 ⋮ ヨ 46 大学 ×× ; 36 ○ ○ ︸ 団体職員 子ども2人(男5歳、女1歳) X ○○ ⋮ 34 大学 34 31 夫 30 i ○ 障害児施設の看護師。 子ども(男3歳、女9ヶ月) W ○○ ? 、 33 ○ 40 大学 △ ○ 28’ 夫 35 △ 27 ○ 子ども1人(男1歳) V ××× ⋮ 夫 ○ 25 ? ? u 30 短大 ○ △ 子ども3人(女8歳、男6歳、男1歳) 30 x×○ 34 夫 35 36 33 ○ 編集者。 子ども1人(女4歳) T ○ ︸︷ 40 大卒 O 26? 28 夫 38 29 X △ 子ども(男5歳、女3歳) S ○○○ ︸ 36 専門学校 ○○○ ⋮ 39 ×× 璽 夫 R ○ ○ 元保険会社社員。 ” 子ども(男6歳、女4歳) → 29 擁 33 大学 ○ 26} 夫 34 XX 32 ⋮ 子ども2人(女2歳、女2ヶ月) Q ○ 28 ⋮ 36 大学 十 30 21 夫 33 ○ 口 子ども2人(男9歳、男1歳) O ○○ ︸ 41 ⋮ ︸⋮ 31 夫 32 ○○ 34 子ども1人(男2歳) N X 35 ○ 元会社員。 大学 X ○ 39 33 出産後現在専業主婦。 子ども1人(男1歳) 夫 L × ○ 3了 × × 夫 K ○ 32 O ○ 元会社員。 子ども2人(女5歳、女4歳) ○ × J ξ⋮ ○ 1 × ” ⋮ セ)。 夫 子ども1人(男2歳) ⋮⋮ 夫 34 鵠 ○ 子ども2人(男4歳、男2歳) H 32 35 2了 十 G ○ 31 ○ ○ ○ 。 夫 子ども3人(男9歳、男4歳、女1歳) ○ 29 子ども2人(女4歳、女3歳) ︸ 37 34 短大 O ク ︸ 夫 F 33 XX× × ⋮ 27 子ども1人(女2歳) E XXX ○ ○ 飲食業パート 39 専門学校 OOO ○ 30 夫 29 OOO× 29 26 27 出産後専業主婦 子ども1人(女3歳) D 24 母体血清マー 羊水検 超音波経腹 三 C ○ ○ 元美容師。 ” 子ども1人(男7ヶ月) 24 23 ○ △ 超音波3D Jー検査 超音波経膣 ○ N齢 夫 A 31 ○○ ○○ X× ×× ○○ ○○ X× ×× 32 注 妊娠の結果での「○」は出産、「△」は流産、「□」は夫の連れ子、「×」は死亡である。検査欄での「○」は「受けた」、「×」 は「受けなかった」、「?」は本人の記憶が曖昧なもの。なお、Fさんの1回目の妊娠と3回目の妊娠、 Hさん、 Jさん、 Vさんの3D超音波、の超音波検査は専門の技師が行っている。なお、妊娠年齢について本人の記憶が曖昧な場合は、 妊娠に気がついたのが妊娠2か月の時、と想定して算出した。 母体血清マーカー検査と羊水検査の受検の有無の理 〈羊水検査〉 由をまとめると以下の通りであった。 ●受けた理由(20名中16名が回答) 〈母体血清マーカー検査〉 *「高齢のため」(9名) ●受けた理由(37名中27名が回答) *「超音波検査での所見」「生まれる前の心づもり」 *「医師や夫の意見、病院のシステムより」(6名) 「安心して子どもを産むため」「受けるものだと *「胎児の状態を知りたかったから」(6名) 思った」ほか *「妊娠や子どもの状態に不安があったから」(5 ●受けなかった理由(294名中162名が回答) 名)ほか *医師から説明されなかった・必要ないと言われた ●受けなかった理由(148名中84名が回答) (39名) *どちらにしても産むから必要なかった(25名) *検査に危険性があるから(30名) *医師から聞いていない(12名) 「受けなかった理由」は、検査の種類で若干異なる 一125一 ものの、出産の意思が固く検査の結果に関わらず産も ており、「自分で確かめたいと思う人には必要な検査」 うとする場合、流産の危険がわずかでもあることが気 と考えていた。出生前検査の目的を理解し、その後の になる場合などである。だが、医師からの情報がなかっ 対処をするためには、検査の技術的な説明が不可欠な たことを理由にしている人たちも多かった。説明され のはいうまでもない。 ないことを、単に「情報提供がなかった」という以上 からだ」と意味付けしているのではないかと考えられ ②一2医師の意向一Mさんの事例一 Mさんは、結婚するとき夫から親族にダウン症の る。家族特に夫の関与は、母体血清マーカー検査の受 人が複数いることを聞いた。それに加えて、職場の先 検理由として便宜上医療者との関係とともに集計した 輩で出生前検査を受けている人が多かったので、出生 が、実際には1件であり、それほど多く書かれていな 前検査は受けるものだと思っており、自分でも本を読 かった。 んで調べた上で、受検を希望していた。 に、「医師が説明しなかったのは、自分には必要ない 妊娠して、主治医に自分から出生前検査についてた ②インタビュー調査の結果 ずねたところ「そんなの受けてどうするの?」と言わ インタビュー調査では、受検をめぐってより複雑な れ、受けないと決めた。Mさんはその時の気持ちを 状況が語られた。アンケート調査と同様に出産への強 以下のように語った。 い意思や、医師の説明がないことを理由として挙げた (医師の意見を押し付けられたと感じたか?とい 人もいたが、他の要因も語られた。いくつかの事例を う質問に対して)それはなかったですね。もしそこ 取り上げる。 で先生が「じゃあ受けてみますか」って言って、そ ②一1医師の説明の仕方一Wさんの事例一 Wさんは、母体血清マーカー検査についてパンフ れで受けてダウン症だったら、「堕うすかどうか考 レットを渡されて説明を受けた。病院での説明は医師 と私もすごく悩んじゃったと思うんですけど、あま の考えを押し付けられたように思った。妊娠した時、 りにもあっけらかんと言われたので、「ああ、これ 比較的若かったのでダウン症の確率は低いと思って希 はもう受けなくていいんだ」というふうに…… えましょうかね」なんて言われちゃったら、ちょっ 望しなかったものの、障害を持つ子どもを産むかもし れないという不安があり、あとから気になって検査に Mさんは、「受けなくてもよい」と言った医師に対 ついてたずねた。 して、意見を押しつけられたとは感じず、受けなくて はいけないという自分の思い込みから解放してくれた (中略)「どうなんですか」って先生から聞こうと と受け止めた。夫は、子どもがダウン症だったとわかっ して、その検査に関してね、そしたら「そんなのやっ ても産んでほしいと希望し、一緒に育てることに前向 てもね、正確な確率は出ないから、やっても意味が きだったこと、Mさんの母親もダウン症の子どもを ないんじゃないの」って言っていたので……「でも 育てることに理解を示していたことなどもあり、結局 心配な人はやるんですよね」って言ったら、「それ 羊水検査などの出生前検査を受けることはなかった。 で出て堕うすって決めているんだったら、いいん ただ、ダウン症の子どもを育てていこうという決意は じゃない、受けても」って先生がそうやって言うん 検査を受けないと決めてから妊娠を継続していく中で ですよ。 次第に固まっていったようだ。医師に相談した時点で は、むしろ中絶がMさんにとってハードルの高い選 「正確な確率は出ない」という表現はおそらく擬陰 択であり、それを回避するには受けないことが合理的 性や擬陽性のことを指すのだろう。しかし、そのこと である、と医師の言葉から判断したのではないだろう をWさんが正しく理解していたかどうかはわからな か。 い。「正確な確率は出ない」検査を受ける意味がある かどうか、ましてや母体血清マーカー検査に侵襲性は ②一3夫の望み一1さんの事例一 ないので堕うすことを前提とするかどうかについて 1さんは、看護師から母体血清マーカー検査のパン も、そう簡単には決められないだろう。Wさんは、「『そ フレットをもらい、検査を知った。自分としては仕事 こまで決めているんだったら受けてみたら』っていう を続けたいと希望しており、胎児の障害について知り ことを言いたかった」と解釈しているが、母体血清マー たいと思っていた。胎児に異常があった場合には、中 カー検査そのものについては、「あっていい」と思っ 絶も考えていた。しかし、夫は中絶全般に抵抗感が強 一126一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 く、検査を受けることについても反対だった。夫との するのよ」って言った時には黙っちゃったし……理 やりとりを1さんは下記のように語った。 詰めで私が勝って、結局受けなかったです。 私はもしかしたらまあ仕事のこともそうですけ 誰にでも障害のある子どもを持つ可能性がある、と ど、仕事をやりたいなって思ってたんで、やっぱり わかっているからこそ、妊娠中に胎児の障害を知った 障害って分かっちゃうとやっぱり妊娠これ以上する 時にどうしたら良いのか、という問題は0さんにとっ のはちょっと躊躇するかなとは思いますけど。(中 て深刻だった。療育の準備というところまでリアリ 略)主人はやっぱり、障害児でも、やっぱり育てた ティの射程が届いていなかった、ともいえるが、夫と いっていうか、そういう気持ちがあったみたいな そこまで話し合うのは困難だった。 んで、その辺はちょっと意見が分かれてたんですけ ど。最終的には分かっても、やっぱり産んじゃうの ②一5胎児の不可視性一Cさんの事例一 かなって。障害があるって分かっても、最終的には Cさんは、母体血清マーカー検査、羊水検査ともに 産んじゃう。 受検しなかったが、障害を持っていたら親への負担が 大きいと感じていた。母体血清マーカー検査や羊水検 1さんは、もし夫が出生前検査に積極的であれば受 査については医師から説明されなかったため受検しな 検したと思われる。できれば中絶したくない、という かったが、妊娠する前に友人から確率のわかる検査が 気持ちはあるものの、仕事との両立という点で葛藤が ある、と聞いて知っていた。 生じていた。しかし、そうであるからこそ育児を含め 生まれてきた子どもは多指症で、1歳のとき切除手 た生活上のパートナーである夫の「育てたい」という 術を受けた。妊娠中に子どもの病気を知っておきた 意思が、Mさんの気持ちを「産んじゃう」という方 かったどうかたずねたところ、知らなかったのはむし 向に動かしたと思われる。 ろ良かった、と次のように語った。 ②一4 リアリティの強さ 一〇さんの事例一 私は指が1本多くたって別に産むし、かといって 〇さんは障害児施設で働いていた経験から、障害児 それを知ったところで対処ができないのであれば、 の訓練の厳しさや家族の大変さを身近に感じていた。 対処の何か方法が、食事制限して治るとかならそれ 子どもが障害を持っていたら、仕事を継続するのは難 は調べる価値はありますけれども、じゃないのだっ しいと思っていたが、何より強く感じていたのは、障 たらそんなにやらないでいいと思いますね。(中略) 害を持った子どもが生まれてくる、というリアリティ 見ちゃえば、あ、この程度なんだって逆にある意味 だった。 安心もできるのに、聞くと、どの程度それがすごい のかというのは、音だけだと余分な想像もしちゃう もう身の回りに、いっぱい障害を持って生まれて ので。 きちゃったお子さんが仕事の中でもいたから、もう 感情的にも、うまく生まれてくる確率の方が低いよ Cさんは妊娠中に多指症という病気を知ることにメ うな気がしちゃって1人目って……(中略)だから リットを感じていなかった。むしろ、「音だけだと余 もうそういうことに触れたくないみたいな、感情的 分な想像もしちゃう」と、妊娠中に分かることが実際 にも「嫌だ」というのがありましたね。 に見ることとは違う、と思っていた。子どもの異常と いっても、病気によって予後や生活はだいぶ違う。同 夫は0さんの妊娠を非常に喜び、「完全な妊娠・出産」 じ病気であっても症状の重さに幅がある場合もある。 を望んで母体血清マーカー検査を勧めたが、そのリア Cさんは手術をして「治る」病気であれば知らない方 リティの違いから対立した。0さんは、夫との食い違 が良いと思っていたが、「親が一生背負わなければい いについて次のように語った。 けない障害」だったり、「産んですぐ亡くなる」のなら、 産む勇気はないし中絶する人を責める気持ちにもなれ そこまで(胎児に障害があった場合について)考 ない、とも語っていた。 えていなくて腹が立ったんですけどね。とにかく安 心材料がほしいというので、私に勧めていたんだけ この他に、医師に検査があることを説明されて受け れども、「もしそれでプラス(陽性)だったらどう ない決断をしたが、その後不安になってダウン症につ 一127一 いて本を読んで調べたEさん、やはり説明を受けて 「出生前検査を受けない」という選択は、胎児の障 受検しなかったが、それは「知るのが怖かったからか 害の不安がないことを意味しているわけではない。0 もしれない」と振り返ったGさんの事例もあった。 さんは、障害へのリアリティが大きかったため、その ことを考えないですませようと、あえて検査を受けな 女性たちが検査を受けなかった理由はさまざまだ かった。事例にあげた女性たちは、0さんほど切実で が、その経緯も多様だった。Cさんのように医師から なくても胎児が障害を持っているかも知れないという 説明を受けずに「どちらにしても産むから」という気 可能性を抱えたまま、検査を受けずに妊娠を継続して 持ちになる場合もあるが、説明を受けた上で夫に相談 いた。情報提供をしない医療者の意向を反映している し、夫の意見も考え併せて「どちらにしても産もう」 面も確かにあるだろう。だが、あえて自覚的に、不安 と決意した1さんの例もあった。また、「どちらにし を抱えたまま妊娠を継続しようと選択する態度を、女 ても産む」と思っていても、検査で障害が疑われた場 性が意思決定していないと解釈することはできない。 合の対処を決めることへの恐れから、あえて検査を受 女性は自らの意思決定によって出生前検査を受けてい けないという選択をした0さんのような決め方もあ ない、とすれば、出生前検査の決定を女性の自己決定 る。医師から、「どちらにしもて産むのであれば必要 に任せると、検査が蔓延するという懸念は、必ずしも ない」と諭され、中絶のハードルの高い自分の気持ち 正しいは言えなくなる。 に気付いたMさんの事例もあった。Mさんの「どち しかしながら、不安を抱えたまま妊娠を継続してい らにしても産むから」という気持ちは医療者の関与に こうとする意思決定は、検査を受けて不安を解消しよ よって出てきた意識である。 うとする決定に比べて、幾分後ろ向きに見えてしまう。 だが、WさんはMさんと同じように医師から検査 はっきりわかる障害が複数ある中で、何故あえて、胎 を受けることに批判的な意見を言われたが、その受け 児の状態を「あいまいなまま」にしておこうとするの とり方は異なっていた。Wさんはもともと出生前検 だろうか。 査を受ける意思はなかったが、妊娠初期に卵管が腫れ ていると言われて不安になったことがあった。また、 6.「あいまいさ」を引き受ける理由 出生前検査の説明以外でも、胎児の性別を尋ねたのに 教えてもらえなかった、入院をした際に何故入院しな 女性たちが胎児の状態を知るのを避けて、「あいま くてはいけないのかその理由がよくわからなかった、 いなまま」にしておく理由を、アンケート調査とイン など医師に不信感を抱いていた。Mさんの場合、夫 タビュー調査から読みとると、次の三点が浮かび上 の血縁関係から胎児がダウン症かもしれないという不 がった。①障害児の療育に対する先行きの見えなさ、 安はありながらも、妊娠の経過は順調だった。また、 ②「障害」をもった胎児を孕みつづけることへの恐怖 主治医には質問しづらい雰囲気を感じていたが、親切 感、③出生前検査への嫌疑である。 な対応を望んでいたわけではなかったため、それが不 信感にはつながらなかった。母体血清マーカー検査や ①障害児療育の先行きの見えなさ 羊水検査の説明は妊娠中期になってなされるが、それ 羊水検査を受けて、胎児に何らかの障害があるとわ までの医療機関での経験や妊娠の経過などは、出生前 かったら、どうするのか。妊娠中絶するのか、それと 検査を伝える医師の態度を評価する際の要因になる。 もそのまま妊娠を継続するのか。 このように、医師が十分な説明をせず、自分の意見を 今回の調査の結果、羊水検査を受けた2名(Kさ 強く打ち出すことが、必ずしも妊婦に不安を抱かせる ん・Lさん)は、子どもに何らかの障害が見つかった わけではない。 ら中絶しようと考えていた。母体血清マーカー検査を 加えてMさんの場合、周囲の人たちがダウン症の 受けたFさんも、もし確率が高ければ羊水検査を受け、 子どもの出産に肯定的な態度を示しながらも、検査を その上で妊娠を継続するか決めようとしていた。 受けなくてはならないと思いつめており、そのことが しかし、妊娠を継続したいと強く望む場合、妊娠中 心の負担にもなっていた。医療者が周囲の人々の意見 に胎児の障害が分かったあと、療育機関を選定したり、 を支持したことで、その葛藤が軽減されたとみること 医療ばかりでなく生活上の様々な準備をあらかじめす もできる。ただし、出生前検査は受けずに出産しよう ることがどの程度可能なのだろうか。実は、今回の調 と決意してからも、胎児が障害を持っているかもしれ 査対象者の中で、一人だけ療育の準備をするために出 ないという不安は妊娠中ずっと消えなかった、と語っ 生前検査を希望していた女性(Vさん)がいた。あい ていた。それは、Wさんの不安と通じている。 にく妊娠中の体調不良により、母体血清マーカー検査 一128一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 や羊水検査を受けることはなかったが、療育施設で看 20051186−9)。すでに生まれているきょうだいたちと 護師として働く中で、早期に障害がわかることは、療 共にクリスマスを過ごすため、出産することを決めた 育の計画を立てたり、治せる障害を早めに治療してい 女性は、出産後、短く有意義な時間を子どもと過ごす く上で有効だと考えていた。同じ職場で理学療法士と ことができたという。だが、妊娠中に「普通の」妊婦 して働く夫とも、この考えは一致していた。一方、0 たちと話すのが辛く、妊婦健診でも疎外感を感じてい さんの場合、心理職という立場から、具体的な療育計 たことも書かれていた。妊婦健診が充実していくこと 画や医療的介入に主体的に関わる機i会はそれほど多く は、妊婦の健康管理のためにも必要だが、通常の健診 なかったのではないか。現場の厳しさを先の見えない は「胎児が健康だ」という前提になされていく。特に ことだと感じていたようだ。夫は会社員であり、先述 日本では、頻繁に超音波検査が実施されているので、 したようにリアリティの差が大きかったため、子ども 胎児に障害が判明した場合、毎回の検査が心理的に負 の障害にっいて話し合うこともなかった。障害児者へ 担になることは容易に想像できる。 のかかわり、とひと言でいっても立場が違っていた こうした負担を負うのは非常に辛いことだろう。出 り、障害児を育てていく際夫と協力しあえる見込みが 産後に早急な治療ができる9のであればまだしも、そ 異なっていれば、障害を持った子どもを育てることへ れが明白でなければ、むしろ「知らない方よい」と思 の展望も違ってくる。 うのが自然ではないだろうか。 ②「障害」をもった胎児を孕みつづけることへの恐怖感 ③出生前検査への嫌疑 胎児に「障害」があるとわかったとき、その先の療 Cさんの事例は、障害がわかっていながら妊娠を継 育について考える以前に、障害のある胎児を孕みつづ 続することの他に、本当に超音波検査で胎児の状態が けることへの恐怖感も出てくるのではないだろうか。 わかるのか、という疑問を呈してもいる。超音波検査 Cさんは、生まれてきた子どもが多指症だということ は「健常な」胎児のイメージを肥大させ、性別判定 を、妊娠中に知らなくてよかった、と思っていた。胎 などで妊婦の楽しみにもつながっている(菅野2007b 児は「イメージの赤ちゃん」と呼ばれるように、それ pp105−109)。しかしながら、出生前診断として位置付 が暗転すると胎児を化け物のように感じる「モンス けた場合、どこまで異常が分かるのか妊婦には知らさ ター・イメージ」ができてしまう場合があるという(室 れていない。Cさんの事例でわかるように、もし外表 月 2008N−327)。 Cさんが妊娠中に子どもの多指 の異常がわかったとしても、超音波画像に映る胎児と 症について知らなかったのは良かった、と思ったのは、 その異常部位は、どれだけリアリティを持って妊婦に こうした「モンスター・イメージ」にとらわれずに妊 受けとられるのだろうか。二度目、三度目の妊娠で、 娠を継続できたことを言っているのであろう。 自分らしいお産を求めて個人病院での出産を選び、超 胎児が障害を持っていることを知りながら妊娠を継 音波検査の回数にこだわらなかったAさんやYさん 続した事例は、今回の調査にはなかった。しかし、筆 の事例があった。赤ちゃんのイメージが経験的に把握 者が以前行った調査では、中絶可能な期間が過ぎてか できている妊婦は、出生前検査でのイメージづくりや ら胎児の障害が疑われ、診断が二転三転しながら、重 異常の発見に大きな期待はしていない。 篤な障害を持った子どもを出産した事例、胎児の染色 では、羊水検査や母体血清マーカー検査については 体異常が診断されたために選択的中絶を選んだ事例が どうだろう。アンケート調査を中心にみてみると、羊 あった。これらの事例では、生まれてきた子ども、あ 水検査のリスクについて、医療者はむしろ積極的に説 るいは中絶した胎児を実際に見て「私に似て可愛い子 明しており、妊婦の認知も高かった。それに対して、 だった」「普通の子どもだった」と語られていた(菅 母体血清マーカー検査においては、医師自身あるいは 野2000pp64−65)。胎児の実際の姿を知ることができ 確率を認知する妊婦自身が、どう受けとって良いのか ないだけに、その姿はイメージが先行する。何らかの 一部で混乱がみられた。母体血清マーカー検査は血液 診断がつくと、その病気に胎児のイメージが塗りつぶ 検査で、羊水検査のような流産の可能性がない。あく されてしまう。 までも、確率しか出ないということからすれば、35 胎児の障害を診断された上で妊娠を継続する苦し 歳以上、あるいは超音波検査のNTと同様にスクリー みは、イメージによるものばかりではない。社会的 ニングという位置づけである。しかし、数値で提示さ な苦しさもある。イギリスのBMJ(British Medical れ、また35歳以上という一般的な基準ではなく複数 Journal)には13トリソミーと診断されて迷った挙句、 の変数を使って個人に割り当てられる数値なので、そ 出産することに決めた事例が紹介されている(BMJ の数値を過大視しがちである。Wさんの事例で、主 一129一 治医が「正確な確率は出ないから、やっても意味がな られるものではないだろう。石戸は、教育の現場で い」と言った意味は、おそらく擬陽性や擬陰性のこと ルーマンの議論を敷術する中で、あらゆるものがリス だろう。しかし、その他にも全ての障害が分かるわけ ク化される社会、すなわちリスク社会について次のよ ではないし、確定診断とされる羊水検査であっても検 うに特徴づけている。「リスク社会とは、『不安』とい 体の取り違えなどを考慮すると100%正確とは言えな う根源的感情と向かい合いつつ、それをより積極的な い。 不安へと昇華することを目指す社会と見ることも可能 障害の程度もわからないだろう。ダウン症でも心臓 なのではないだろうか。すなわち、不安は必ずしもネ に合併症がある場合とない場合、また母体血清マー ガティブな感情としてとらえる必要はないということ カー検査で確率を出すことができる二分脊椎について である」(石戸 2007p69)。上記の三点においても、 も症状に幅がある。そうした中で、出生前検査で得ら その内部にはこうした根源的な不安が紛れ込んでお れる情報は限定的であり、蓋然性がある。胎児の不可 り、それらといかに付き合っていくべきか、ネガティ 視性との相乗作用で、それはいっそう強められるだろ ブな感情に拘泥されることのない冷静な議論を求めら う。 れる。議論の内容については、今後の課題としたい。 最後に、出生前検査における「女性の意思決定」と 性と生殖に対する女性の主体性を謳った「リプロダク 7.女性の「意思決定」再考 ティブ・ヘルス/ライツ」についてふれる。「リプロ 出生前検査における女性の意思決定は、医師からの ダクティブ・ヘルス/ライツ」は、国家や社会からの 情報が少ないがために、そのチャンスが奪われている 圧力に抗して積極的に再生産における主権を獲得して 一方で、一般的な知識として普及しつつある。インター いく女性たちの姿を措定しているが、出生前検査にお ネットで情報が入手しやすくなった社会の中で、医療 いては、その積極性は後退しているように見える。し 情報もその例外ではない10。妊娠に関連する複数のサ かし、そうした中にも、「検査を受けないこと」が障 イトに、妊婦向けの雑誌などの紙媒体も進出している 害を持った胎児を育てる上での前向きな「構え」に 11 なっている傾向をみられた。Mさんや1さんの場合、 B そうした中で、たとえ医師から情報が提供されず、 夫や自分の母親が、障害を持った子どもを育てること 受検についてたずねられなくても「検査を受けないこ に肯定的な意見を表明したことが、「もし、子どもが と」はある種の選択になっており、妊婦の意思決定の 障害を持っていても育てていこう」という気持ちにつ 表れとみなされるだろう(菅野2007ap9)。 ながっていった。Eさんのように本を読んで情報を集 本稿では、特に妊娠を継続したいと望んでいる場合、 める人もいた。胎児の状態をあいまいなままにしてお 「検査を受けない」という選択は胎児の状態を「あい きながら、そこから逃げるだけではなく、ひそかに心 まいなまま」にしておきたい、という妊婦の不安の表 の「構え」を作っている、そうした妊婦の姿勢もこの れであると述べた。その要因として、今日の日本の社 研究から見てとれた。 会において障害児の療育の先行きが見えづらいこと、 妊婦の権利か胎児の生存権か、という二項対立はあ 妊娠という期間に障害を持った胎児と共に過ごすこと くまで抽象的な議論である。女性の再生産においては、 が心理的に負担が重いこと、出生前検査についての理 生きていく女性の権利と女性の身体によって育まれて 解や認識にコンセンサスがとれていないことの三点を いる胎児の生存権は同居している。これからの「リプ 指摘した。これらの諸問題に対して、障害児の療育の ロダクティブ・ヘルス/ライツ」は、二つの権利を包 現場や展望を、それがどういった実態であろうと、社 含した上で、出生前検査のような「難しい問題」にも 会全体の問題として人々に伝えていくこと、妊婦健診 対応できる、より奥深いそして洗練された概念として においては妊婦の状況に応じて細やかな対応が望まれ 検討され、鍛えられなくてはならない。 る。さらに、胎児が病気を持っていることが隠蔽され ない社会であること、出生前検査については知りたい 本調査は、「平成14年度一16年度 科学研究費補助 妊婦に対しては十分な説明をすること、など社会的な 金基礎研究(C)(2)、新生殖技術における意思決定の 対応も求められるだろう。 文化・社会的要因分析一胎児診断の事例から一研 だが、こうした社会的な対応が出生前検査における 究代表者 柘植あつみ(平成16年度は加藤秀一)」によっ 妊婦の不安を全て解消できるのだろうか。胎児に障害 て実施したものである。なお調査の成果は、2009年12 があるかもしれない、という不安は生命に対する根源 月に『妊娠一あなたの妊娠と出生前検査の経験をお 的な不安でもあり、それは否定されたり、解決を求め しえてください』として洛北出版より出版された。 一130一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 に、遺伝子診断で遺伝子治療を望むなど、治療 注 1 母体血清マーカー検査とは、妊娠15∼17週の への意欲を表明していた。このように、障害者 間に母体から数ミリリットル採血し、血液中の 団体の中にも検査への姿勢はさまざまである。 成分を測定して、その値から胎児が21トリソ (天沼2006) ミー(ダウン症候群)であるかどうかを推定す 4 心理職としても活動している玉井真理子は、患 る検査で、検査所要日数は通常、約1週間で 者の決定によって「選択的中絶」を選ぶこと ある。この検査では、21トリソミー以外にも に厳しい批判のまなざしを向けている(玉井 神経管欠損(Neural tube defect)、18トリソ 1998ppll3−114)。さらに、その後の著作にお ミーも検出可能といわれているが、21トリソ いてはフェミニストが選択的中絶に対して批判 ミー以外は判定に用いる日本人のデータが得ら 的でありながらも胎児情報の情報提供を批判 れていない。(厚生科学審議会先端医療技術評 しないのは、障害者差別の「ダブルスタンダー 価部会・出生前診断に関する専門委員会「母体 ド」だとして糾弾している(玉井1999pp35− 血清マーカー検査に関する見解」について(平 40)。立岩真也は『私的所有論』で身体が私的に 成11年7月21日 児発第582号)より)。 所有できるものなのか問いかける。中でも、選 2 医療者としては佐藤孝道が、自己決定による出 択的中絶に関する論考の中で、誰についての決 生前検査の受検に関して、「“自己決定”は新し 定なのか、という点が曖昧だと指摘する(1999 い技術導入の露払いとして使われてきた一方、 立岩pp390−392)。確かに、日本の場合、刑法 企業や医師の一部は自己決定を操作することに の中で堕胎罪が規定されていると共に、母体保 よって出生前診断の普及をはかっている」(佐 護法では条件付で容認する、という二重構造に et 1999 pp86−87)、と疑念を記している。また なっているため、中絶の是非および可否につい ジャーナリストの坂井律子は、選択的中絶につ ては完全に結論が出ているとは言い難い。しか いて「すでに生まれている障害者の人権・尊厳 しながら、現実には、母体保護法の解釈を広げ は最大限守る。だが、これから生まれれてくる ることによって、中絶が行われていることを考 ことは防ぐ。この二つはぶつからず、両立しう えると、その決定が「誰についての決定なのか」 る」という論理を「ダブルスタンダード」であ という問題は選択的中絶にのみに問われるもの ではないであろう。 ると批判する。問題の出発点として「誰もが受 けられる」母体血清マーカー検査を取り上げ、 5 ジェンダー研究で論陣を張る江原由美子は、 出生前診断の「大衆化」と危惧している(坂井 1992年の著書の中で立岩が選択的中絶をする 1999pp7−11)。 権利が女性にはない、と明言することに対し 3 「日本ダウン症協会(JDS)」は母体血清マーカー て、「中絶」と「選択的中絶」との問の差異が 検査に対して明確に反対の立場をとった。「障 いかなる根拠によるものなのか、中絶をする女 害児出産が不利益な状況での出生前診断の普及 性の身体性を軸に疑問を呈した(江原 1992 は、自己決定という個人に責任転嫁した優生政 pp293−299)。だが、江原の議論は出生前診断に 策である」として母体血清マーカー検査の凍結 関して、女性の身体性のみならずその社会的状 を求めたのである。他にも、「全国重症心身障 況などにかかわる要因を重視する立場をとるこ 害児(者)を守る会」「日本脳性マヒ者協会」 とによって「自己決定権」を消極的に捉えるも などが出生前診断に否定的な立場をとったが、 のへと変わっていく。江原は、「身体の自己決定」 母体血清マーカー検査の「普及」というよりも を論拠にして不妊や中絶においても女性の決定 「人の尊厳」「障害者の生存権」という基底的な 権を擁護する一方で、出生前検査に関しては検 理念に基づいていた。「全国精神障害者家族会 査を受けることによって「子どもの品質管理」 連合会」「全日本手をつなぐ育成会」は、検査 を押し付けられるのではないかと慎重な姿勢を の精度や安全性およびカウンセリングを含む情 示すのである。さらに「出生前検査が存在すれ 報の充実、情報伝達体制を論点としていた。ま ば『受けない』責任をも問われるため、『受け た、「日本筋ジストロフィー協会」は「患者・ ても』『受けなくても』その責任を負うことに 家族が自由な意思で採用できる選択肢が多いこ なり、いざ胎児の異常がわかれば、妊婦はただ とが望ましい」としてインフォームド・コンセ でさえ妊娠中に不安を感じているために、中絶 ントをカウンセリング体制の整備を求めると共 を余儀なくされる。また、妊娠中の不安は検査 一131一 635名、126名の合計1473名が対象者数である。 を受けたほうが良いのではないかという行動を 促す。」(江原2002pp16−25)と述べる。江 8 この調査は、厚生労働科学研究(こども家庭 原の危機感はこうした八方ふさがりの状態で最 総合研究事業)に一環で行われており、2004 終的に女性が不利な立場に置かれるのではない かという疑念でもある。 年に全国の医療機関でモニタリングされた 77,233人の新生児において1366人(出生数 江原以外のフェミニストも、この問題に関して 1,110,721の7.0%)に奇形が見られた、として は概して慎重である。上野千鶴子はこの問題に いる。(平原 2006p2) ついて、その固有性よりも一般性に重きをおい 9 早期発見のメリットをあげる小児科関係の学 会もある。日本胎児心臓病研究会のWEBでは て論じている。日本のフェミニズムは「母性の 文化的な価値の肯定と深く結びついて」(上野 「生まれつきの心臓に疾患(先天性心疾患)は 1996p190)おり、「その成立当初から、近 出生児の約1%にみられ、大部分は原因不明で 代批判、産業主義批判として成立した」(ibid す。多くは軽症ですが生直後に生命の危険に直 p195)とした上で、「満足な療養施設もない 面する疾患もあり、出生前の正確な診断と治療 現実を背景に女は選択を強制される」という田 計画が予後を改善する事が知られています。」 中美津のことばを引用して、最終的には「どん と、出生前の診断が出生後の迅速な治療へと結 な子どもで生命として受け入れる権利と能力 びつくことを指摘し、出生前に胎児が心臓病と を」(ibid p211)と訴える。「フェミニズムが 診断された女性たちの声を紹介している。これ 目指すのは迂遠のようにみえても、自己決定権 は、どれも「はじめからわかっていて良かった」 を行使できる主体としての女性の成熟」(ibid という内容のものである(日本胎児心臓病研究 p208)と、女性の自己決定権を尊重しつつ、「選 会 1994)。また、日本小児外科学会では新生 択を強制される女性」という立場を所与のもの 児の外科手術が増加する中、約27%の乳児が としてその選択の困難さを重視することから、 出生前診断を受けており、「(出生前診断を受け 江原同様の躊躇が伝わってくる。 れば)生まれる前に赤ちゃんの手術ができる施 6 ここでは、検査についての説明やその後の相談 設にお母さんが転院されたり、出生時に小児外 体制の充実を図ると共に、「妊婦が検査の内容 科医が立ち会うことができます。出生前診断さ や結果について十分な認識を持たずに検査が れますと、赤ちゃんを出生直後から治療を開始 行われる傾向にあること」「確率で示された検 することができ、治療成績が向上します。」と、 査結果に対し妊婦が誤解したり不安を感じるこ その有用性を述べている(日本小児外科学会 1995) と」「胎児の疾患の発見を目的としたマススク リーニング検査として行われる懸念があるこ 10 日本経済新聞社が2009年に発表した「医療と と」など社会の受け入れ環境の不備から、「医 健康に関する意識調査」には、インターネット 師が妊婦に対して検査の情報を積極的に知らせ を情報源として活用する傾向が表れている。病 る必要はない。また、医師は検査を勧めるべき 気の治療法などに関する情報の入手先として、 ではなく、企業等が本検査を勧める文書などを 最も多かったのは「家族・知人」で61.8%、 作成・配布することは望ましくない」としたな 次いで「インターネット」で60.6%、新聞や 内容を持つものであった。詳しい内容は、厚 テレビといったいわゆるマスメディアは10% 生労働省のサイト:http://www. hourei. mhlw. 台だった。30∼50歳代では、男女ともインター ネットがトップだった(北澤2009p29)。 go. jp/hourei/より検索可能である。 7 小児科医の松田一郎が2004年に発表した研究 11 ベネッセコーポレーションは妊婦向け雑誌「た である(Matsuda 2004)。医療関係者はプラ まごクラブ」を発行しているが、並行して イマリーケアを行う医師、看護師、研究所の研 WEBも運営している。そこでは「たまごクラブ」 究員、最終学年に在学する医学生、(ただし遺 の内容が簡単に紹介されているほか、妊娠用語・ 伝学者は除く)、一般市民は主婦、学校の先生、 出産用語を検索できたり、産婦人科を探すこと 幼稚園の先生、公務員、会社員、事務職員、大 ができる。 学生、患者とその家族は、そのうち88%は筋 ジストロフィーであり、患者が少ない場合に は患者の親を対象とした。それぞれ、712名、 一132一 出生前検査における「女性の意思決定」再考 引用文献 研究報告書)』 2004 厚生労働科学研究費 難 天沼理恵 「母体血清マーカー検査における女性/ 治疾患克服研究事業 2004年 pp630−631 妊婦の『自己決定権』一臨床検査会社の調査を 坂井律子 『NHKスペシャルセレクション ルポル 中心に一」現代医療研究会発表資料 2006年 タージュ出生前診断 生命誕生の現場に何が起 p3(表8) きているのか?』日本放送協会出版 1999年 安藤広子 「羊水穿刺を受けるか否かの意思決定に 佐藤孝道 『出生前診断 いのちの品質管理への警 関する妊婦の意識調査一年齢30歳以上の妊婦 鐘』有斐閣 1999年 へのアンケート調査一」r母性衛生』35(3) 菅野摂子 「再生産における『自己決定』の射程」『社 日本母性衛生学会 1994年 p203 会学研究科年報』(第7号)立教大学社会学研 江原由美子 「フェミニズム問題への招待」江原由 究科 2000年 pp64−65 美子編『フェミニズムの主張』勤草書房 1992 菅野摂子 「羊水検査の受検とその決定要因」『立教 年 社会福祉研究』(第26号)立教大学社会福祉研 江原由美子 『自己決定権とジェンダー』(岩波セミ 究所 2007年ap9 ナーブックス(84))岩波書店 2002年 菅野摂子 「知らないことは可能か一超音波検査に 平原史樹 「先天異常モニタリング・サーベイラン おける胎児の認知と告知」根村直美編著 『健 スに関する研究」『先天異常モニタリング・サー 康とジェンダーIV 揺らぐ性・変わる医療ケア ベイランスに関する研究(平成17年度 研究 とセクシュアリティを読み直す』 明石書店 報告書)』2006 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