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文化の伝播と精神的文化の輸出

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文化の伝播と精神的文化の輸出
関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
文化の伝播と精神的文化の輸出
山 上 徹
要 旨:
本稿では文化を物質的文化、制度的文化および精神的文化の 3 つの要素に分
類する。このような文化が他の国へと伝播する際、文化の要素間において「文
化の遅滞」
(cultural lag)が生じるとの問題意識から本研究を行う。
明治以来、日本では物質的文化である工業製品を輸出してきた。また、先行
的に伝播する物質的文化に関連し、制度的文化に帰属するサービス部門でも、
すでに海外進出を果たしている。さらに、近年、日本的な精神的文化であるお
もてなしを基軸とした企業が海外進出する時代となりつつある。
経済成長著しいアジア地域では、近年、日本の精神的文化であるおもてなし
を好む富裕層が多くなっている。そこで、本稿では文化の遅滞を考慮しつつ、
日本的な精神的文化に帰属するおもてなしを提供する企業が、アジア・台湾へ
進出するに至った背景や、さらに、その課題について考究することにしたい。
キーワード:
オグバーン、文化の遅滞、精神的文化、極上のおもてなし、三方よし
1 .はじめに
世界の歴史は戦争の歴史であったと同じように異なる文化間の交流・接
触の歴史でもあった。日本は昔から海外の文化を受容しつつ、変容して発
展してきた。
「日本は周囲から孤立した『島国』などでは決してない。日本
列島はむしろ、アジア大陸の北と南を結ぶ、弓なりの架け橋であった 1 )。」
海は人びとの往来を隔てるものではなく、
「モノ・コト・ヒト」のにぎわう
交通路の役割を担った。日本海は大陸と日本との間の内海であり、大陸の
陸橋である朝鮮を主たる海上ルートとして文化が渡来した。また、東アジ
ア地域、さらに、遠くは欧州からも絶え間ない文化の渡来により、その文
化の洗礼・刺激を受容してきた。日本は歴史的に、最も先進的な国々から
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1
文化の伝播と精神的文化の輸出
文化を吸収し、受容してきた。たとえば、古代には中国・朝鮮から儒教・
道教・仏教などを受け入れ、大航海時代にはポルトガルやスペインの文化、
さらにオランダの文化を、明治以降では欧米の近代文化を積極的に受容し
てきた。日本へ持ち込まれた文化は長い年月の間に独自の日本文化として
焼直・発酵させてきた。
「さまざまな文化的特色が重なり合う多重な構造が
生み出され、その重なり合った文化的特色が相互に影響し合う中から、特
有の多様性や柔軟性が生み出されてきた 2 )。
」このように日本の文化の形成は、
異文化との交流・接触の歴史であった。日本の文化には国家を単位とする
国の文化(national culture)をはじめ、それぞれの地域や集団組織が共有
する地域文化あるいは組織文化(organizational cultures)
、さらに、企業文
化(corporate culture)など多様に形成されている。
本稿では、文化を物質的文化、制度的文化および精神的文化の 3 つの要
素に分類する。このような文化が他の国へと伝播する際、文化の要素間に
おいて「文化の遅滞」
(cultural lag)が生じる。つまり、精神的文化を他の
地域へと伝播させたり、それを受容・発酵させたりする際、他の文化の要
素と異なり、一般的には難しく、遅滞化する傾向がある。
明治以来、日本では物質的文化である工業製品を輸出してきた。また、
先行的に輸出される物質的文化に対し、それに関連する制度的文化に帰属
するサービス部門でも、すでに多くの企業が海外進出を果たしている。さ
らに、近年、日本的な精神的文化に帰属する極上のおもてなしを提供する
企業が海外進出を果たした。経済成長著しいアジア地域では、近年、日本
的な精神的文化である極上のおもてなしを好む人びとが多くなっている。
そこで、本稿ではまず、文化の要素間の遅滞性を考察する。また、現代
アジア地域の人びとが、どのような消費性向から日本的な精神的文化に帰
属する極上のおもてなしを受入れているかを明らかにする。さらに、精神
的文化を海外へ輸出する企業にはいかなる課題があるかについても考究す
ることにしたい。
2 .文化の要素と文化の遅滞
(1)文化の定義
文化は、一般的に「ある社会の一員としての人間によって獲得された、
知識・信仰・芸術・道徳・法およびその他の能力や習慣を含む複合体 3 )」で
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
ある。つまり、文化は社会の一員として全体的に統合された人間の心技体
で感知する生活様式である。この広義の文化はある特定の社会(集団)の
成員によって後天的に習得され、伝達され、共有され、そして認知された
生き方、暮らし方が含まれる。このように文化には遺伝的に組み込まれて
いるような先天的な人類共通の行動は排除されよう。文化は生活する中で
極めて大切に特定の社会に共有されている要素の総称といえる。一定の成
員(トチ・ヒト)によって継承・伝承されてきた生活様式・行動様式(モ
ノ・コト)が文化であるといえる。
表− 1
広義の文化(物質的文化、非物質的文化)の要素
(2)文化の要素
本稿では文化を包括的に捉え、表− 1 のように「文化の要素」を 3 つに
区分することにしたい。まず、
「モノ」の物質的文化は自然環境や有形な財
貨である。それは形状・性能を変え、進化する可能性が高い。また「コト」
の制度的文化は物質的文化に適合するような方法やシステムである。さら
に「ヒト」の精神的文化は人間の精神的な心で感知する度合いであり、表
層・外面的から深層へと深化させることができる。言い換えると、まず、
物質的文化は house という家屋を意味する。また、制度的文化は home とい
う家庭・システムとなる。さらに、精神的文化は family という心の触合う
家庭的な絆を意味する。それらすべてを包括した総称が文化ということに
なる。
(3)文化の要素の伝播
ある文化の要素が他の社会へと移動することを伝播(diffusion)という。
文化の伝播は世界各地に成立した文化の統合過程をもたらす 4 )。それはある
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文化の伝播と精神的文化の輸出
社会の人びと自体が発明・発見・日常化する内発的変化というよりも、む
しろ、他の社会の人びとが創造した文化を借用・模倣による外発的変化を
意味する。
では、文化の諸要素を伝播させる主体とは誰であろうか。歴史的に文化
運搬者(culture carriers)を担当してきた主体は、
「留学生、お雇い外国人教
師、外国人技術者、宣教師、さらに貿易商人、植民者、外国人旅行者・観
光客、そしてときに軍人も外の文化から新しい文化要素を運んでくる。他
方、これらの人々が介在しなくとも、実物、書物、映画、ラジオ、テレビ
電波、衛星放送などのメディアを通じて情報の移動によって文化の要素が
伝播する 5 )。」
しかし、文化の要素がある社会へ伝播し、認知されるには時間の経過が
必要となる。3 つの文化の要素は、それぞれ同じ割合で、同じ速度をもっ
て他の社会へと伝播するものであろうか。
(4)文化の遅滞
社会学者オグバーン(William Fielding, Ogburn)は「近代文化の種々な部
分が同じ割合で変化しないで、ある部分は他の部分よりももっと急速に変
化する 6 )」という「文化の遅滞仮説」を提起した。
「ある発見または発明によ
って文化の一部分がまず変化し、そして、その結果の他のある部分に変化
が起こった場合は、しばしば文化の依存的な部分に変化が遅延して発生す
るのである 7 )。
」一般的に、文化の発見と発明とは異なる。新規の文化要素を
解明することが発見であり、既存の文化要素を新たに組み合わせ、新たな
文化要素を創造することが発明といえる。この文化の要素間の変化には、
「文化の遅滞」という時間的ズレがあるとした。文化は「ひとりあるきをす
るものではない。文化というものにはそういう力はないということです。
文化が文化であるためには、かならずそれの装置、制度、組織としての具
体化がなければならない 8 )。」
オグバーンは人間社会の産物を物質的文化と非物質的文化に分けた。し
かも有形な物質的文化だけがひとり歩きするものではないとした。非物質
的文化の中には物質的文化に対処して調整的な働きをする適合的文化(法
律、規則等)があるとした。一般的に、両文化の間には相互依存関係が生
じるので、前者の伝播は後者の変化(再調整)を引き起こす。つまり、物
質的文化はグローバル(global)に伝播できる。また、適合的文化である制
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
度的文化はやや遅れて、やはりグローバル化することになる。しかし、短
期的な文化の変化には、物質的文化や制度的文化はグローバル化するのに
対し、精神的文化はローカル(local)な現地固有のままの状態が続く。こ
のようにグローバルとローカルが併存する現状を「グローカル」(glocal)
と称している。
3 .文化の要素の伝播と遅滞
(1)物質的文化の先行的伝播性
今日、物質的文化は、交通手段の発達により、多くの工業製品などが輸
出入のためグローバルに輸送できるようになり、比較的簡単に伝播・移植
が可能になった。たとえば、日本企業は、物質的文化である製品を輸出す
る際、世界各国の顧客を対象とし、かつ制度的文化についても、グローバ
ル・スタンダードに適合させてきた。
文化の要素の伝播を考えるに当たり、物質的文化を意味する他の用語と
して、文明(civilization)が考えられる。それは、都会(civic)の生活、市
民(civil)の社会からの技術的・物質的所産というラテン語の civilitas に由
来する 9 )。いわゆる、文明とは元来、都市の発達過程においてモノの豊かさ
を追求し、進化し続ける物質的文化を対象にしているといえよう。物質的
文化という要素を意味する文明は、他の社会へ移植・伝播することが比較
的に容易である。物質的文化である文明自体は普遍的、機能的、合理的で
あり、他の時間・場所へも容易に輸出入することが可能である。文化の要
素が伝播する基本的なパターンとは、まず物質的文化(モノ)による移動
からはじまり、先行的にグローバル化を可能とする。
(2)制度的文化の適応性
一般的には、
「物質的なものは家・工場・機械・原料・手工業的生産物・
食料品及び他の物質的事物から成り立つ。これらの物質的なものをわれわ
れが使用するに当たって、われわれはある方法を用いる。これらの方法の
あるものは道具を使用する方法のように単純である。しかし、文化の物資
的なる事物を使用する方法の大多数は、慣習・信仰・哲学・法律・政府の
ようなもっと広範な行為と調整を含んでいる10)。
」オグバーンは非物質的文
化の一部ながら、物質的文化に対処して調整的な働きをする文化を適応文
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文化の伝播と精神的文化の輸出
化と称した。
それは「コトをなす方法」である経済組織の変化、社会制度の変化とい
う非物質的な制度的文化(コト)の伝播・移植が起こることを意味する。
先行的に物質的文化がグローバル化した後に、制度的文化がやや遅れて追
従し、グローバル化を果たすのが、一般的である。
(3)精神的文化の伝播と遅滞性
Culture、Kultur の訳語である文化とは、元来、ラテン語の cultus(崇拝)
という言葉に関係する culturaに由来する。その cult はラテン語で「住む、
耕す、崇拝する」ことを表す。また ure は「その結果として」を意味する。
つまり cultura とは、田園で土地を耕作(cultivate)
、動物を飼育することで
ある。文化の語義は基本的に土地空間に根ざし、心を耕すという精神の開
発を意味する。文化の 3 つの要素の内、狭義な文化が精神的文化である。
いわゆる、それは精神的所産に限定されるといえよう。この文化は目に見
える有形なものというよりも、むしろ視覚では感じられない人間の精神的
な価値観で構成される。つまり、文化は心の豊かさを創造する宗教、学問、
芸術、道徳などの価値観や規範などが発達する過程である。文化は哲学、
宗教および芸術に対応する精神的所産であり、価値観ないし、規範をめぐ
ることになる。文化は芸術、道徳、宗教に関する人間の価値観自体で「目
的」であり、田園的、精神的、知的であるといえよう。
後進国では、
「暮らしは貧しくとも心と頭は清く、高く、美しく」という
標語を掲げている場合が多い。その暮らしは貧しいとは物質的文化(文明)
であり、
「心と頭」は精神的文化(狭義の文化)に該当するといえよう。ま
た、仏作って(文明)魂入れず(文化)の諺のように物質的文化は文明で
あり、精神的文化は魂(文化)に該当する。それぞれの民族・地域・国家
が独特の文化を生成してきた。しかし、精神的文化は外部とは閉ざされ、
固有の土地に根ざし、かつ、その栽培(culture)には細心の注意が求めら
れる。精神的文化自体は、簡単に他へ移植・伝播させることはできない場
合が多いのである11)。
要するに、物質的文化(モノ)は顧客の満足度を高めるために、交通手
段を介して目的地へ比較的、容易に移転が可能となる。つまり、地域・国
境を越える先導的な役割を果たす文化の要素とは物質的文化である。物質
的文化は非物質的文化、適合文化よりも容易に移植・伝播が可能となる。
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
それゆえ、一般的に文化の要素は物質的文化→制度的文化→精神的文化の
サイクルでもって伝播する。精神的文化は、田園で土地を耕作する行為で
土地に根ざしたローカル性が根本にある。文化の伝播はある地域からモノ・
コトが伝わり、最後にヒトの精神的所産を変容させるのに時間を費やす。
ローカルな精神的文化(ヒト)の伝播は難解で、文化の遅滞というタイム・
ラグが生じている。このように文化の要素間の伝播状況はグローカルな状
態となる。
4 .精神的文化の先行的な伝播
(1)精神的文化に対する布教活動
精神的文化の要素が、常に遅滞するとは限らず、逆に先行する場合が考
えられる。精神的文化が先行的に伝播した事例とは、たとえば、
「内的な発
展と外的な刺激による発展が相互に作用し、複雑にからみあって変化し統
合していくものだといえます。ある文化のある天才的な個人によって考え
られた思想(たとえば、仏教やキリスト教)が他の文化に広がり(文化が
伝播)、たちまちその文化の価値観を変えていく12)」ことがある。未開の異
文化圏に対し、物質的文化よりも、まず宗教そのものの精神・魂という精
神的文化が先行して伝播されるという事実も歴史的に存在する。
しかし、日本の場合、1549年に、精神的文化であるイエズス会士ザヴィ
エルが日本の地にキリスト教を伝えたことになっている。しかし、宗教と
いう精神的文化の布教を試みる前に宣教師・伝道師たちにより、1543年、
物質的文化である銃が渡来していた。その布教活動を容易にするために事
前的な戦略として布教先の権力者・上流階層などへ鉄砲、時計、世界地図、
地球儀などの先進的な物質的文化をはじめ、大砲製造法、天文学などの制
度的文化を贈与し、事後的に精神的文化の浸透を図るという戦略を行って
いた。いわゆる、
「鉄砲と十字架」という物質的文化と精神的文化の双方を
セットで伝播させたのであった13)。
しかし、秀吉は1587年、固有の精神的文化を変容されることを回避する
ため、キリシタンを禁止(バテレン追放令)した。1613年、徳川幕府もキ
リシタン禁教令を出した。1641年、キリシタンの禁令・弾圧とともに鎖国
が完成した。江戸幕府はオランダを西洋唯一の通商国とし、物質的文化や
制度的文化を受容し、さらに、蘭学の輸入による精神的文化をも適応させ
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文化の伝播と精神的文化の輸出
ていた面もある。
(2)精神的文化に対する植民地支配
先のような布教活動の先行的な伝播に対し、植民地国が植民地化を進め
る場合、ローカルな被植民地国の「道徳・倫理・美的な価値観」となる精神
的文化を破壊することが必要となる。植民地化のプロセスは「剣と弾丸の夜
のあとにはチョークと黒板の朝がやってきた。戦場の物理的暴力のあとに
は教室での心理的暴力が続いたのだった14)。
」植民地化をする側は本来、さ
れる側の制度的文化の基本である教育制度を変えようとする。とくに、支
配する側に有利になる精神的文化を浸透させることが重要となる。支配す
る側は支配される側に対し、教育制度からの意識改革を強制するのである。
まず、植民地主義は被植民者の固有の精神的文化を破壊するために、
「被
植民者の道徳的、倫理的、美的な価値、ひいては精神的メガネを奪い、現
実を的確に認識して行動する能力を奪う。その結果、被植民者は自分たち
の能力や自分自身への信頼をなきものにされ、自分たちの過去を何の達成
もない 1 つの荒野だと思い込まされる。それは被植民者を絶望と落胆に陥
れ、無力感と劣等感の虜にする行為なのである15)。
」被植民地国のローカル
な固有の精神的文化は破壊され、植民地国の都合の良い精神的文化へと同
化を強いられる。つまり、土着の民族の制度的文化は芸術、踊り、教育、
口承芸能をはじめ、また、宗教、思想などの精神的文化を意図的に排除し、
被植民地国に対し、植民地国の言語を母国語化させる。たとえば、
「朝鮮で
は、1938年以降、日本と同じ教科書が使用され、日本語が強制された16)。」
植民地化をする側の植民地国は、文化の遅滞を無視し、される側の被植民
地国の人びとのローカルな固有の精神的文化を強制的に破壊するために、
植民地国の精神的文化を先行的に伝播させる。
5 .日本企業の物質的文化の輸出入
(1)物資的文化の輸出入取引
物質的文化は有形な物体であるので、所有することができる。したがっ
て異なる経済主体間で取引譲渡することが可能である。つまり、物質的文
化の所有権は売買という交換取引により異なる経済単位間で移動すること
が可能となる。輸出は財貨やサービスを販売し、外貨を得る取引交換であ
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るし、その逆の輸入は他国から資源やサービスなどの経済財を購入するこ
とである。
リカードの国際貿易の比較優位の理論とはある国はその国の得意とする
物質的文化財(比較優位を持つ財貨)の生産に特化し、その財貨を輸出し、
その国の不得意な物質的文化を輸入する。つまり、それは比較優位性があ
るか否かで、異なる比較劣位な財貨を輸入するという垂直貿易パターンを
提唱した。
今日の貿易パターンは同じ自動車でも日本は自動車を輸出すると同時に
米国などからも輸入しているように同じ産業間で輸出入がなされている。
同種の物資的文化の財貨間の取引交換が増え、つまり、水平分業あるいは
産業内分業の割合が上昇し、グローバル化している。
明治以来、日本企業の欧米先進国に「追い付け、追い越せ」をスローガ
ンに貿易立国を標榜し、欧米をお手本にして物質的文化の生産技術を輸入
し、先進国との同質化に向けてモノづくりに専念してきた。かつて日本は
重化学工業を中心に、できるだけ多くの工業製品を効率的に生産するため、
欧米で開発された生産技術を輸入するという物質的文化の追従者であった。
一方、それらを改良できる精神的文化が日本にあり、国際競争力を高め、
輸出力を伸ばしてきた。
(2)物質的文化の輸出
20世紀末、日本は物質的文化であるモノづくりの面で欧米にキャッチ・
アップするに至った。日本の生産技術水準は向上し、物質的文化力が高ま
り、もはや多くの製造業の分野では追随者の立場から技術開発者の立場へ
と転換できた。日本企業の発展には人間の労働力をできるだけ排除し、効
率性を図るために 3 S 運動(simplification、standardization、specialization)
による効率性を追求してきた。それは「むら、むり、むだなく」という経
済合理性を最優先するものであった。人間労働をできるだけ排除し、
「機械
化、自動化、ロボット化」によって生産コストの削減を達成したのであっ
た。しかし、その後、産業構造の転換が進み、日本はアジア地域の低賃金
国へと物質的文化の生産基地を移転させた。次第に、アジア地域が日本の
生産技術などから物質的文化を受容しつつ、自前で物質的文化を生産し、
日本を追いかけるように競争市場へと次々に加わるようになった。
もはや、その国際分業はアジア地域が第一次産品を輸出し、日本が工業
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文化の伝播と精神的文化の輸出
製品を輸出するという垂直分業の時代ではなくなった。日本、アジアNIEs、
ASAEAN、中国などは物質的文化である付加価値の高い製品へとダイナミ
ックに比較優位性を発揮しながら、同じ物質的文化である工業製品を輸出
入し合うという水平分業が進展してきている。国際取引においては、現在、
「世界中の消費者が求めているものは、90%は世界共通であり、ローカルな
適応が必要なのはせいぜい10%である17)。
」物資的文化である多くの製品は
その国の文化と慣習に合わせて調整するというよりも、ほとんどがグロー
バルに標準化できるといえよう。
それぞれの国内の産業構造が労働集約的な産業から、より高付加価値な
資本集約的、技術集約的な産業へと高度化して行くプロセスが同時に起こ
っている。それゆえ、今後とも、日本企業は上質な物質的文化である製品
を開発し、比較優位性を発揮し続けることが可能であるとはいえないであ
ろう。
表− 2
サービス(制度的文化・精神的文化)の国際取引の類型化
出典;佐々波楊子・浦田秀次郎『サービス貿易』東洋経
済新報社、1990年、11頁参照作成。
6 .日本企業のサービス取引と観光輸出
(1)サービスの国際取引の類型化
制度的文化をはじめ、精神的文化を含めたサービスの国際取引には、サ
ービスの生産者と消費者の双方の存在が必要になる。しかし、無形なサービ
ス取引には、生産と消費の同時性という特性が存在する。そのため、表− 2
のように生産者あるいは消費者が国境を越えて移動するか、あるいは国境
を越えないで取引されるかによって 4 つのタイプに分類できる18)。
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
①生産者と消費者はともに国境を越えない(国境貿易、タイプⅠ)
これは輸出国で生産され、国家間取引を経て輸入国で消費される。た
とえば、国際情報通信手段を介してサービスが輸出入される保険・金融
サービスがある。
②生産者のみが国境を越えて移動する(要素収益貿易、タイプⅡ)
これは消費国でサービス生産するためにサービス生産に必要な生産要
素の一部が輸出国から輸入国へと国境を越えて移転・移動する場合であ
る。従来から海運業・航空業・倉庫業などでは、有形財やヒトを国境を
越えて移動させるサービス提供を行っている。
③消費者のみが国境を越えて移動する(現地貿易、タイプⅢ)
これは消費者のみが国境を越えて移動するサービス取引である。たと
えば、観光旅行・医療・教育のサービスを受けるには現地へ移動せねば
ならない。
④生産者と消費者はともに国境を越えて移動する(第三国貿易、タイプⅣ)
これは海外の現地に営業基盤を設立し、進出国内よりも周辺諸国の人
びとを対象に展開されるサービス取引である。企業と消費者がともに第
三国へ移動し、経済取引がなされる場合である。
(2)サービス取引の観光輸出入
明治以来、日本は「モノづくり」による貿易立国を標榜してきた。近年、
観光立国という言葉が聞かれるようになった。では、外国人が来訪するこ
とは、日本へどのような経済的貢献をもたらすものであろうか。観光収支
の視点から観光の輸入(支出)・輸出(収入)について考えてみる。
前項の③の消費者のみが国境を越えて移動する(現地貿易、タイプⅢ)
サービス取引では、
「観光が世界の多くの国にとって国際貿易における最も
大きい商品19)」となっている。というのも、インバウンドした外国人が日
本国内で物質的文化の消費、たとえば、お土産品購入代、飲食代などを費
やす。また、宿泊費、国内交通費、娯楽費、各種サービスなどといった制
度的文化や精神的文化の範疇の諸費用を費やす。これらの消費額は「輸出
貿易」と同じように日本国の収入となる。貿易上は「観光輸出」といえる。
その逆で日本人のアウトバウンドによる海外消費額は「輸入貿易」と同じ
である。それは「観光支出」
「観光輸入」となる。このことは訪日外国人の
インバウンド数が多くなれば、国内消費額が多くなり、日本国の収入が増
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文化の伝播と精神的文化の輸出
え、観光輸出額が増えたことになる。
観光立国をかかげる日本では、訪日中国人観光客の消費額に期待すると
ころ大である。そこで、2010年 7 月より、中国人向け個人観光ビザ(査証)
の発行要件が緩和され、富裕層から中間層へと拡大させた。今後、中国人
の訪日観光客数の増加が期待され、全国の観光地では中国人観光客が増え
てきている。
たとえば、今日、中国人の 1 人当たりの物質的文化や制度的文化などへ
の消費額単価が約13万円と推定されている。1 万人の中国人の訪日は13億
円の収入が期待でき、観光輸出したことになる。また、百万人の訪日は、
1300億円の収入となり、モノを1300億円分、輸出したことと同じになる。
「観光収入・観光輸出」は「外貨手取率」が極めて大きいことになる。それ
ゆえ、訪日観光客を増加させるニュー・ツーリズムの創造が強く望まれる
ところである。
前項の③の観光客のみが移動するタイプ(現地貿易)の事例としては、
最近、ニュー・ツーリズムといえる医療ツアーへの期待が高まっている。
日本の制度的文化の範疇に属する医療技術・検査技術は質が高いというイ
メージがあり、外国人には魅力的なツアーとなりつつある。というのも、
患者は入院期間中、もろもろの心溢れるホスピタリティが体験できる。さ
らに、訪日する機会を活用して治療+観光という付加価値が追加されれば、
素晴らしい医療ツアーが体験できる。このような医療ツアーの多くは、長
期滞在で、かつ家族同伴となる場合が多く、この観光輸出の経済的効果は
多額になる。
(3)制度的文化のサービス輸出
前項の②生産者のみが国境を越えて移動する場合には海運・航空産業の
ようにサービス生産要素が移動する(要素収益貿易、タイプⅡ)ばかりで
なく、第三次産業自体が国境を越えて海外に営業基盤を設立し、サービス
輸出している場合が考えられる。その事例は、1985年 9 月のプラザ合意に
伴う円高以降、日本企業の海外事業展開には目覚ましく増加するに至った。
日本のメーカーが製造した物質的文化を輸出し、現地で大量販売するには、
日本で開発された制度的文化であるマーケティング戦略を適応させること
が必要になった。従来、流通業は、アジア地域では資源開発を中心とし、
その開発した産品を輸入するという開発輸入のための生産拠点であった。
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
しかし、20世紀末に、多くの流通業は販売市場を求め、アジア地域へと出
店するようになった。
日本企業のアジア進出は、もはや物質的文化のメーカーばかりでなく、
流通業、運輸、旅行、通信、金融、保険、建設、コンサルティングなどの
多様なサービス業である制度的文化へと拡大した。つまり、サービスが国
境を越えて輸出されるようになった。日本の多国籍企業のアジア進出は競
争力のあるサービス分野の事業が一般化している。その場合、サービス取
引の考え方は不特定多数の潜在的な消費者を見込み、売上至上主義のもと
に出来るだけ多量販売するために「マニューアル化」によって均一的、画
一的、標準化されたサービス提供にあった。それはもっぱら経済合理性を
追及し、消費者への欲求を不必要なまでに駆り立てるような需要を喚起す
る販売方法であった。その際、アジア進出する企業には税制優遇策を与え
る都市が選ばれ、主要活動都市には「地域統括本部」が設置された。つま
り、経済合理性を実現するためにアジア地域全域の財務管理を一元化する
「アジア地域統括本部」が設置されて成長・発展を図ってグローバル化を果
たしてきた。
(4)精神的文化である極上のおもてなしの輸出
日本の経済活動は「少子高齢化、縮み社会」と閉塞感が漂い、暗い話ば
かりが多い昨今である。単に物質的文化や制度的文化のグローバル化する
ばかりでなく、アジア市場へ精神的文化であるホスピタリティ溢れるおも
てなしという企業文化を輸出する企業が存在するようになった。とくに、
国境を越えて海外進出するという前項の②の事例に該当する極上のおもて
なしを提供する宿泊業が存在するようになった。
長年、日本では前項の③の観光客がインバウンドするタイプⅢに該当す
るサービス取引があったに過ぎない。たとえば、能登・和倉温泉の加賀屋
では、毎年約1万人以上の台湾人観光客が国境を越えて来訪していた。加賀
屋では国際交通アクセスとして石川県内の能登空港や小松空港を活用し、
チャーター便ツアーを行うなど台湾人観光客を受け入れてきた。加賀屋で
は均一・画一化した単なるマニューアルに基づくサービスではなく、能登
特有の人情味溢れた極上のおもてなしという高価格、高品質のこだわりの
事業活動を行ってきた。
企業が海外で事業展開するには治安上、安全・安心を前提にしなければ
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文化の伝播と精神的文化の輸出
ならない。加賀屋は2010年12月に台湾の温泉発祥の地・北投温泉へ進出し
た。それは前項の②の生産者が国境を越えて営業基盤を海外へ移転するも
のである。ここ15年間、すでに加賀屋では台湾人からそのおもてなしが高
く評価され、観光輸出力を高めてきた。加賀屋の台湾進出の背景は、次の
ような点にあった20)。
①加賀屋の海外からのインバウンド客は90%が台湾人(毎年約 1 万人)
である。
②台湾人は親日的である。
③加賀屋自体が海外進出を考えていた時期であった。
すでに台湾人観光客に対し、高価格、高品質の極上のおもてなしを提供
してきたという実績が強い自信となり、台湾で日本的な接客という精神的
文化の海外展開を決断させたといえる。台湾で極上のおもてなしである精
神的文化を直接、販売する現地生産が開始された。その場合、物資的文化
の適合力と異なり、日本的な精神的文化を基軸としてきた企業文化を台湾
人用に適応させ、調整することができるか否かが重要な課題となる。
さらに、加賀屋では前項の④の生産者と消費者がともに国境を越えて移
動する(第三国貿易、タイプⅣ)という三国間取引への発展を視野に入れ
ている。つまり、それは台湾から中国人への輸出観光を推進する戦略であ
る。そのため、加賀屋では、中国人の個人観光客の取り込みに乗り出す計画
がある。加賀屋とリンケージ先である台湾の東南旅行社(台北市)は台湾
ばかりでなく、上海、北京、および大連に営業拠点を持っている。日本的な
精神的文化を基軸とした極上のおもてなしを輸出する加賀屋は台湾内ばか
りでなく、中国の富裕層へと照準を拡大するサービス取引を計画している。
7 .日本人とアジアの富裕層との消費性向における類似性と異質性
アジア地域の経済成長パターンは V 字型に編隊を組んで飛ぶ雁(flying
geese)の群れの如く21)、アジアにおいて雁行的経済成長した先発国・日本
人と遅れて経済成長したアジア地域の人びととの消費性向には、以下のよ
うな理由から類似性と異質性が見られよう。
(1)類似性
現在、日本人もアジア地域の人びとも双方共に企業の経済合理性の追求
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
が蔓延していることもあり、消費性向は基本的に、類似している。現代社
会では物質的文化が大量生産され、一方、それを大量販売するために、制
度的文化であるサービスの標準化がなされている。そのサービスを提供す
る企業は不特定多数の顧客を対象とし、マニューアル化、均一化・画一化
でもって効率性を追求している。究極的な状況には、コインを入れれば製
品が出てくる自動販売機のようなサービスが行われている。そのように誰
にも詮索されず、「無味乾燥なサービスをよし」とする人びとがいる一方、
同時に、
「丁重で細やかなおもてなし」を求める人びとが存在するという二
極化現象が併存している。とくに、社会的地位を誇示したいとするアジア
地域の富裕層は「極上のおもてなし」を求めており、その消費性向には二
極化現象が見られ、それは日本人とも類似している。
(2)異質性
日本の社会では、20世紀半ば頃から大量の「有形なモノ」が溢れ、経済
合理性が蔓延する社会となった。その結果、多くの日本人がすべての文化
をモノ扱いするようになった。時には精神的文化である人格さえも無視さ
れ、人間がモノ扱いされている。たとえば、代理母、臓器売買,腎臓移植
問題などをはじめ、また、何の躊躇いもなくヒトの死体の映像をメールで
送り合うようになった。日本では他人への思いやりや心遣いといった古よ
り引継いできた日本人らしい礼節が忘れ去られ、もはや人間さえもモノ扱
いする社会となってしまった。
そこで、このようなモノ扱いの反動として日本人の関心は人間そのもの
の覚醒、ヒトにしかできない分野、部門が再評価されるようになった。と
りわけ、日本の慣習であった精神的文化である極上のおもてなしが「日本
らしい」として衆目の関心事となっている。日本人自身、
「日本人のこころ」
である日本的な精神的文化へと回帰するべきとの機運が高まっている。端
的には、接遇する加賀屋流の極上のおもてなしに対し、関心を持つ人びと
が多くなっている。
他方、近年、経済成長の著しいアジア地域の富裕層の中には他人との差
別化、いわゆる特権意識や自己の社会的地位を確認・誇示するために日本
的な精神的文化を求める傾向が高まっている。その性向はモノ扱い化され
ることへの不満さを感じる日本人とは異なり、アジア地域の富裕層はその
特権意識から日本的な精神的文化を選好していると考える。なぜならば、
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文化の伝播と精神的文化の輸出
富裕層の欲求は、一般的に「名声や世間的体面の基準なり、消費の基準な
りは、すべて目にみえない等級によって、最高の社会的金銭的階級(富裕
な有閑階級)の慣習や思考習慣22)」に適合させようとするものである。ア
ジア地域の富裕層は、上下関係となる差別化のためや、見栄・名声のため
といった観点から消費行動を起こす。雁行的経済成長したアジアの先発国・
日本はアジア地域の人びとから物質的文化ばかりでなく、非物質的文化の
面でも同様に、上質的、高級的であると認識されている。アジア地域の富
裕層は自己の社会的地位を誇示したいという欲求心から日本的な精神的文
化を基軸とした極上のおもてなしを選好する。とくに、加賀屋の極上のお
もてなしは個人を丁重に気遣う点からも、そのような人びとの自己顕示欲
と合致するものである。
このようなアジア地域の富裕層の消費性向に対し、たしかに日本人でも、
同様の消費行動をする人びとも存在する。しかし、多くの日本人は経済合
理性に基づくモノ扱い社会からの反動として、ホスピタリティ溢れるおも
てなしを求める。それゆえ、日本人とアジア地域の富裕層との双方の消費
性向は異質的であり、本質的に差異性が見られよう。
8 .日本企業のおもてなし輸出の課題
日本企業のアジアへの進出には、最初に経済合理性のもとで生産された
モノのグローバル化からはじまり、次に制度的文化である不特定多数を対
象とするサービス輸出が行われてきた。オグバーンの「文化の遅滞」では
精神的文化が最後に伝播するとしたように、今や一期一会の対応を大切に
する日本的な精神的文化の輸出がアジア地域で受入れられる時代となった。
日本の企業の海外展開にも同様に精神的文化が時系列的に時間的ズレをも
って輸出されていることが理解できた。先に述べたように加賀屋では近年、
日本的な精神的文化を基軸とした極上のおもてなしという文化の運搬者・
輸出者となり、台湾で直接、現地生産を開始した。その場合、日本的な精
神的文化を基軸にした極上のおもてなしを台湾人や中国人に対し、適応さ
せるには、次のような課題が考えられる。
(1)おもてなしの「強み」の進化・深化
加賀屋流の極上のおもてなしが海外市場環境下で、いかに適応させるか
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関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
である。精神的文化の輸出には文化の遅滞があり、ローカルなアジア市場
において、あまり性急にグローバル化を図ろうとするならば、結果的に事
業そのものを失敗に導くことになる。日本的な精神的文化を基軸とする「極
上のおもてなしの強み」を武器にする以上、十分な教育・訓練を徹底させ
ないままに安易にスタッフの現地化を急ぐと、大きなリスクを抱えること
になる。とくに、マニュ―アルに依存した均一・画一化したような立居振
舞いなどのサービスでは他社に簡単に模倣され、その優位性を失うことに
なる。
そこで、日頃から臨機応変な対応ができるように、現地のスタッフに「お
もてなしの心」という日本的な精神的文化を深化させる職場づくりが求め
られる。接客する人びとのおもてなしには完成という到達点がなく、常に
臨機応変な対応が求められる。それゆえ、スタッフ個人の自覚を高めるだ
けでなく、組織的にも、
「おもてなしの強み」を常に進化・深化し続けられ
るような職場の雰囲気づくりが日本の国内以上に、海外の輸出先において
は、非常に重要になるであろう。
(2)近江商人の三方よしの実現へ
海外進出した日本の企業の成否の判断基準は最終的に、
「現地化」を果た
しているか否かである。江戸時代、現在の滋賀県である近江商人の中村治
兵衛の商法に、「三方よし」がある23)。つまり、
「売り手よし、買い手よし、
世間よし」の考え方である。その商法は①売る側、②買う側、③現地住民
という三者が満足するという「三方よし」を目指すべきとした。海外進出
した企業は単に質の高い製品や極上のおもてなしによって、一部の富裕層
である顧客を満足させているだけでは不十分である。①売る側と②買う側
との取引の当事者間だけではなく、売り手である日本企業は「世間よし」
に当たる③の一般大衆、とりわけ、地域住民へ儲けた利益を還元する必要
性がある。
「世間よし」とは製品やサービスを購入する一部の富裕層である
消費者ばかりでなく、現地住民の人びとにも存在が高く評価されるという
ことである。単に日本的な精神的文化を基軸とした「極上のおもてなしの
需要があるから出店した」というグローバル化ではなく、ローカルな「現
地住民とも共存関係を築く」という考え方へと、さらに踏み込んだ現地化
が求められる。
要するに、経済成長著しいアジア市場への日本企業の進出は、顧客満足
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文化の伝播と精神的文化の輸出
を考えるだけでは十分とはいえない。海外進出した企業のおもてなしの真
髄は、お客の「買い手よし」ばかりでなく、さらに、その現地の人びとに
も日本企業の存在が歓迎されるという「世間よし」の実現が求められる。
日本の精神的文化といえる極上のおもてなしを輸出する企業にとっては、
この三方よしの考え方が最大の課題となるであろう。
最後に、日本港湾経済学会を通じて公私ともに、長年、お世話となった
小林照夫先生が関東学院大学をご退職されるに際し、それを記念して本号
が企画されました。小生へもご投稿の機会をお与え頂きましたことは、誠
に名誉で、大変、光栄なことであります。小林先生には御身体を十分にご
留意され、今後とも、後進へのご指導の程、宜しくお願い申し上げます。
注
1 )網野義彦『日本論の視座―列島の社会と国家』小学館、1990年、44頁。
2 )佐々木高明『日本文化の多重構造』小学館、1991年、9 頁。
3 )水野弘元・柴田道賢『宗教学ハンドブック』世界書院、1969年、8 頁。
4 )宮原一武『文明の構造と諸問題』近代文芸社、1998年、139頁。
5 )平野健一郎『国際文化論』東京大学出版会、2004年、66頁。
6 )W. F. Ogburn, SocialChange, with Respect to Culture and Original Nature,
London, 1923, 雨宮庸蔵・伊藤安二訳『社会変化論』育英書院、1944年、188ペ
ージ。
7 )同上書、189ページ。
8 )梅棹忠夫『梅棹忠夫著作集 第17巻』中央公論社、1992年、330頁。
9 )筧文生・飛田就一『国際化と異文化理解』法律文化社、1990年、5 ∼ 6 頁参照。
10)雨宮庸蔵・伊藤安二訳「前掲書」190ページ。
11)水野潤一『観光学原論』東海大学出版、1994年、85頁参照。
12)綾部恒雄・田中真砂子『文化人類学と人間』三五館、1995年、234頁。
13)石井敏他編『異文化コミュニーション・ハンドブック』有斐閣、2000年、107
頁参照。
14)狩谷あゆみ『文化とアイデンティティをめぐるポリティクス』広島修道大学
総合研究所、第133号、2005年、21頁。
15)同上書、29頁。
16)小林英夫『日本のアジア侵略』山川出版社、2007年、72頁。
17)馬越恵美子『異文化経営論の展開』学文社、2002年、20頁。
18)佐々波楊子・浦田秀次郎『サービス貿易』東洋経済新報社、1990年、11∼13
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18
関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 下巻(2010)
頁参照。
19)W. F. Theobald, Grobal Tourism, Butterworth Heinermann Ltd., 1994, 玉村和
彦『観光の地球規模化』晃洋書房、1995年、4 ページ。
20)http://www.unkar.org/read/yutori7.2ch.net/news4plpus/1269099951
21)赤松要『世界経済論』国元書房、1965年、第10章。
22)T. Vebien, The Theory of Leisure Class., New York, 1899. 小原敬士訳『有閑階
級の理論』岩波書店、1982年、103ページ。
23)小倉栄一郎『近江商人の開発力』中央経済社、1989年、10∼13頁参照。
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