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11.OB 会員の先生方からの便り

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11.OB 会員の先生方からの便り
 11.OB 会員の先生方からの便り
内科循環器科吉木医院(遠賀郡岡垣町)
永 元 康 夫(昭和 54 年入局)
招きたい客、招きたくない客
吉木医院の庭には、いろいろな動物がやって来る。トカゲ、ミミズ、カマキリ、
ヘビ(春には脱皮した抜け殻が残っている)、ネコとタヌキ(けもの道がある)、
モグラ、赤トンボ、スズメ(玄関側の屋根の巣から雛が落ちてくる)、カラス、
ツバメ(待合室に迷いこんでくる)、セキレイ、モズ、ジョウビタキ、メジロ、ヒヨドリである。
一昨年六月、二羽の雛鳥が当院の庭に迷い込んできた。小鳥は庭をよちよち歩き回るだけで飛ぶこ
とが出来ない。二羽の親鳥が電線やヤマブキの枝にとまり、小鳥を見守っている。時々、餌を運んでく
る。隣の猫がマキの垣根越しに小鳥を窺っている。急いで巣をつくり芙蓉の樹の枝に縛り付けた。二羽
の小鳥をそっと巣のなかに入れたが、小鳥はじっとしていなかった。上手に羽ばたけないもかかわらず、
小鳥たちは巣から芝へと転がり出た。転がり落ちたという表現がぴったりだ。
ヒヨドリの雛
ヒヨドリの親
わたしの造った巣では安心できないのか、もともと樹に巣をつくる習性のない鳥なのか、分らない
が庭の方が安心できるようだ。芝の上で小鳥たちはしきりに羽ばたくが 50㎝ほどしか飛べない。よち
よち歩いて移動する姿がとてもかわいい。後日、バードウオッチングが趣味である友人に写真を見せた。
「これはヒヨドリですよ。親の写真を見たら直ぐ分かります。親鳥は気ぜわしく飛び回っていたで
しょう。ピーィ、ピーィと鳴くでしょ。ヒヨドリは、そんなに珍しい鳥ではないですよ。畑に巣を作る
ことが多いんです。ここらあたりは畑が多いようですね。きっとこのあたりの畑で生まれた雛でしょう
ね」
昨年の夏、モグラが大量発生した。芝生の中は数ヶ所、南側と
東側のマキの根元は十数ヶ所ほど掘り返されていた。とくに、東側
がひどかった。フリージャ、イキシア、グラジオラス、アルストメ
リアの球根が掘り返されていた。理由は二つ考えられる。一つは異
常気象のため、もう一つは生ごみ乾燥機でつくった肥料のためだろ
う。この肥料を樹木や花の根元に撒いたため、カラスや小鳥がやっ
てきた。モグラもお裾分けに与ったようだ。土の盛り上がり方から
− 46 −
モグラに違いないと思っていたが証拠がない。土地をならしても、数日すると別の箇所で土が大きく盛
り上がっている。大きな盛り上がりの間に、索状の小さな盛り上がりが見られる。ある日、マキの根元
が深く掘り返され根が顕わになっていた。その傍にモグラが死んでいた。背中には、後頭部から腰のあ
たりまで6㎝ほどの切創があった。猫かイタチにやられたようだ。土を掘り返しやすいよう手掌は外を
向いており、眼は退化して小さい。早速、量販店からモグラ退治器具「モグラにげ~る」を購入し、庭
の中ほどに埋め込んだ。効用には、音波と振動でモグラを寄せつけない。振動範囲 36 m、とある。効
果のほどは疑わしいが、他に方法がない。
ヒヨドリは招きたい客、モグラは招きたくない客である。
久山療育園重症児者医療療育センター(糟屋郡久山町)
センター長 宮 﨑 信 義(昭和 58 年入局)
「重症心身障害児(者)と共に」
-障害児者医療の御紹介-
私は、昭和 58 年 4 月から 63 年 3 月まで第二内科・呼吸器科にお世話になりま
した。それから早くも 25 年間経ちました。最近は御無沙汰していますが、
「欅会」
報などで教室の発展と皆様のご活躍を知り喜んでいます。下図は園の外観(航空写真)ですが上端に平
成 24 年度から増床部分(10 床)の LCU(Life Care Unit)が稼働しています。
LCU は一般病床ですが、生活重点ユニットとし
て医療に支えられながら QOL(生活の質)を重視し
た領域です。これはもう一つの病棟(医療重点病棟)
の重症観察室 SCR(Severe Case Room)と対照的な
傾斜配置としています。
当園は医療機関(医療法 94 床)と福祉施設(児
童福祉法・障害者自立支援法)とに規定される医療と
福祉の二重性が求められていますので、医師定数は
6.35 人、薬剤師 2 人、看護師は約 40 人(10 対 1 看護)、生活支援員 44 人(介護福祉士など)、その他
通園・外来・専門職・事務職・給食職員など、約 120 人の常勤職員と 55 人の非常勤職員で構成されて
−47 −
います。
現在、深刻な医師不足に直面しています。基礎疾患は脳性麻痺が大半ですが、平均年齢は入所者は
38 歳、通園利用者も殆どの方が成人(18 歳以上)で平均年齢は 30 歳前後です。私たち医師に求められ
る専門性は、三大基礎疾患である脳性麻痺・精神遅滞・癲癇の健康保持ですが、殆どが呼吸器疾患・消
化器疾患・神経疾患・運動器疾患からなる続発症及び合併症の診療です。もし同門の先生方で障害者医
療に関心のあられる方がおられましたらご一報下さると幸いです。施設紹介が医師募集のようになって
しまいましたが、医療者としての自己実現には十分な環境だと思っています。最後になりましたが、第
二内科の発展と教室の皆様のご活躍とご多幸をお祈り申し上げます。
大島郡医師会病院(鹿児島県奄美市)
院 長 櫻 井 修 吾(昭和 58 年入局)
大島郡医師会病院の近況を報告いたします。当院は奄美市中心から約 15 分程
度の郊外にあります。病床数は 188 床で一般病床は 33 床、医療療養病床 155 床
で慢性疾患を対象とした体制になっております。
一昨年頃より、心筋梗塞、脳卒中、癌、糖尿病など医師会および県の主導で
地域連携パスの立ち上げが、進行中で、心筋梗塞および脳卒中の連携パスはすでに立ち上がっておりま
す。そのパスの急性期は県立大島病院が役割を担うことになります。当院は回復期を担う予定ですが、
これは 2 ~ 3 年前からの懸案ですが、前途多難といったところです。昨年は当院の 30 周年の記念行事
があり、無事に執り行うことが出来ました。しかし、医師確保には大変難渋させられております。医師
会員の努力および協力により、最悪の事態は免れましたが、今後もさらなる努力が必要な状況です。
現在、内科、整形外科の先生方にマンパワー不足の中、大変がんばって戴いており、また、専門外
来として、リウマチ、膠原病外来、糖尿病、内分泌外来、耳鼻科をはじめとして、物忘れ(認知症)、
神経内科、皮膚科などの先生方にも定期的な診療をお願いしております。勉強会なども大島郡医師会、
県立大島病院で講演会、消化器カンファレンス、症例検討会など活発に行われています。
当地は離島であるがためにといっていいかは別にして風光明媚です。海も格別なようでスキューバ
ダイビング、釣りなどを皆さん楽しんでおられるようです。一方、それなりに繁華街もあります。利便
性の問題はなく、インターネット、鹿児島、大阪、東京への直行便などの利用で不自由は感じません。
そして今年 4 月から福岡~奄美
間に直行便が就航することにな
り、
福岡が大変近くなりました。
皆さん是非来られてください。
歓迎いたします。産業医大の先
生方のご活躍は耳にしておりま
す。教室員そして同門の先生方
の今後ともますますのご発展を
遠方より祈念いたしておりま
す。
−48 −
鞍手町立病院(福岡県鞍手郡)
院 長 八 代 晃(昭和 59 年入局)
同門の皆様には変わらずご健勝のことと存じます。また、第 2 内科の先生方
には平素より当直や外来への応援をいただき誠にありがとうございます。この場
を借りて御礼を申し上げます。
当院の近況をお知らせいたします。
当院は、平成 25 年の春より経営形態が独立行政法人へ移行し、職員は非公務員となり、また、病
院名も変更することとなりました。これまでは、首長が病院の管理者であり、行政の制度や意向が病院
経営に反映される仕組みでありましたが、平成 25 年度からは病院の理事長が管理者となり、裁量権を
もって病院を運営していくこととなります。その分、管理者の責任は重くなるというわけです。また、
公務員でなくなりますので職員の意識改革がすすみ、より合理的な運営ができるはずだと考えています。
職員の中には赤字ではないのだから公務員のままでいいのではとの声もありましたが、高齢化がすすみ
診療報酬制度がきびしくなるだろうと予想されることなどを考えると、公務員制度下の病院経営は将来
困難になると思われます。この制度移行が発展的移行となり、来年度が飛躍の年になればと期待してい
ます。
さて、当院には遅ればせながら昨年の秋に 64 列の CT が入り、冠動脈の撮影が可能となりました。
山下先生が判読を一手に引き受けて頑張ってくださっています。
腎臓の長谷川先生は今年で二年目になりますが、いつも元気いっぱい働いています。また、数年空
席でありましたが、今年の 4 月より整形外科の常勤医が来られることになり、病院の活性化につながっ
ています。整形の先生は熊大出身で、実家は飯塚地区で当院の外科医(高校の同級生)と一緒に手術を
されています。真面目な方で、当院の事情をよく理解してくださり積極的に活動されています。他の医
局員も変わらず元気に働いています。
当院は一部の棟は新しいのですが、他の棟は築 30 年ほどたっており老築化がすすんでいます。独
立法人後の私どもの夢は、5年以内に新病院を利便性のよい場所に建てることであります。どのような
コンセプトで新病院を構築するかなど、今からいろいろ考えて(空想・妄想?)しまうのですが、これ
が現実のものとなるように、そして職員が夢をもって働けるような職場になるようにと願っています。
つきましては、今後も皆様のお力添えをお願いする次第です。
以上、近況でした。皆様、また同門会などでお会いましょう。
−49 −
新行橋病院 ハートセンター循環器内科
ハートセンター長・循環器科部長 村 里 嘉 信(昭和 62 年入局)
昭和 62 年から平成 19 年まで、一貫して第2内科、関連教室、関連病院でお
世話になりました。特に、心カテを始めたばかりの門司労災病院、学位論文を書
かせて頂いた応用生理学教室、心カテ立ち上げを行い、年間 PCI200 例まで育て
上げた社会保険筑豊病院では、多くの第 2 内科の先生方に御指導・御協力を戴き
ましたことをこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。大学での高度医療や臨床研究に携わりたいとい
う希望はずっと持ち続けていましたが、関連病院の発展に尽力することとなり、後期研修終了後に、母
教室の臨床に絡む機会に恵まれなかったことは、大変残念に思っています。平成 19 年からは、現在勤
務している新行橋病院にハートセンター長として赴任してほしいと要請され、尾辻教授の許可を得たの
ち、異動し、平成 23 年 3 月に第 2 内科を退局いたしました。
現在、当院では、年間 PCI300 例、末梢血管 50 例、ペースメーカー 50 例の治療を行っており、ロー
タブレーター、ICD/CRTD 植え込み、頸動脈ステントなどの高度医療の認可施設で、心臓外科も併設
されておりますので、京都・築上地区だけでなく、大分県北部からも患者紹介があり、医療圏 30 万人
の循環器医療中核病院であります。第 2 内科同門で当地にて開業されている花岡・賀来・穴井先生には、
大変、お世話になっております。現在、私を含む 4 名の循環器内科、2 名の心臓外科の医師でハートセ
ンターは構成されていますが、循環器内科は慢性の医師不足で、大変厳しい状況にあります。私以外は、
いずれも経験が浅く、完全な operator は私のみの状況で、24 時間のオンコール体制が続いております。
19 万人の医療圏で、わずか一人の PCI 専門医であり、福岡県地域医療再生計画でもこの地域は、重点
地域に指定され、循環器科部門の強化が提言されており、現在、福岡大学心臓血管内科から 2 名の教室
員の派遣を頂いております。また、久留米大学での心カテ経験の豊富な開業医の先生に御支援を頂き、
何とか遣り繰りをしているのが現状であります。地域医療の再構築に関しては、医師会、行政との話し
合いを始めたところであり、公立病院の新設や維持が現実的ではない地方における私立病院と、それに
関わる大学の在り方については、論議をしなければならないところだと考えています。産業医大は、こ
の地域に最も近い大学であり、地元の期待は大変高いことを書き添えておきます。
また、私は、筑豊病院時代に冠動脈分岐部病変に関する研究を始め、それが評価され、現在、国内・
海外(欧州・米国・中国・韓国)のシンポジウムでは、パネリスト・ファカルティーとして招待される
ことが多くなりました。特に左冠動脈主幹部は、心臓外科とのハートチームを作り、治療に当たらなけ
ればならず、その領域での最先端医療を行いたいというのが、私の念願であります。若手にも技術習得
の機会を多く与えるようにしており、5 年目の終わりには、AMI に対する PCI も一人でこなせるレベ
ルまで上達します。また、臨床研究を必ず課しており、積極的に日循、インターベンション学会、
ACC、TCTAP などの国内外の学会に参加させ、英語発
表できるよう、native speaker による指導も行っています。
バランス感覚のとれた Interventional cardiologist となる
には、心臓外科を含む全ての循環器医療が提供されること
が必要であると考え、第 2 内科医局を離れ、現病院に移り
ましたが、母教室の発展は、今でも祈念しておりますし、
微力ではありますが、次世代の育成に何らかの貢献ができ
ればと思っております。
−50 −
医療法人 中村正内科循環器科クリニック
院 長 中 村 正(昭和 63 年入局)
産業医科大学卒業 3 期生です。現在、小倉北区片野の国道 322 号線沿いで内
科、循環器科として開業しております。2012 年 11 月末に開業して 10 年目にな
ります。同じ第 2 内科の同門で中村次弘先生が“中村内科循環器科クリニック”
という名前で、小倉南区ですでに開業されており、医院名に選択肢がなく、フル
ネームを含んだクリニック名としました。おかげで、しばしば次弘先生あての手紙やファックスが誤っ
て送られてきてしまいます。
片野は三萩野の隣町で、小倉北区の商業地帯から住宅街の中間にあり、半径1㎞に 3 万人の人口が
あります。一方、小倉記念病院、北九州市立医療センター、国立病院機構小倉医療センター、健和会大
手町病院、新小倉病院、北九州総合病院などの大型病院が近くにあり、さらに中小病院として三萩野病
院、松井病院、前田病院、北九州中央病院が半径 500m 以内にあります。内科医院は半径 160m 以内に
現在当院を含めて 5 施設あり、その周りにも延々と診療所がある激戦区です。しかし、激戦区というの
は連携という点で便利であり、医者-患者関係はむしろ良好な状態で日々診療できているようにも思い
ます。もちろん、クリニックの診療能力で負けるわけにはいきませんから、一定の緊張感もあります。
ようやくこの地域独特の診療体勢にうまく参画できつつあるようにも思います。一方、同門として、第
2 内科のお役に立てることがあればと常々考えており、患者紹介の際には産業医科大学を毎回選択枝に
入れているのですが、遠方であり、小倉で解決することが多いため、なかなか同意していただけません。
九州労災病院も小倉北区からは遠方のため、なかなか連携に至れないもどかしさがあります。そのほか
のことでも何かお役に立てそうなことがあればお申し付けください。
今のところ、やり甲斐も充実感もあって、開業して良かったと感じております。ただ、朝から晩ま
で外来診療をしていると運動不足になりますので、開業後にテニスを始めてこれにはまってしまいまし
た。医師会の集まりや講演会のない日はまず、テニスをしています。50 歳を過ぎて、上達速度も緩徐
ですが、楽しい気持ちは増しております。しかし、このまま延々と病気や怪我をしないでいつまで診療
できるのかという、健康に対する不安も最近感じるようになりました。何かの時には第一に医局に頼る
しかないのではないかとも思っております。よろしくお願いいたします。
−51 −
琉球大学 大学院 医学研究科 薬理学(沖縄県西原町)
教 授 筒 井 正 人(昭和 63 年入局)
第 2 内科の皆さん、こんにちは!私は、琉球大学に赴任して、3 年になりま
した。赴任当時は、沖縄の気候や文化の違いに戸惑いましたが、3 年が経過して
ようやく慣れてきました。
沖縄は日本唯一の亜熱帯地域で、1月に桜が咲きます。過去の最低気温は4
度で、雪は一度も観測されていません。海水浴は、4 月から 10 月まで楽しめます。熱帯夜(最低気温
が 25 度以上)の日数は 年間 約 100 日で、全国平均の 6 倍です。しかし、大変意外なことに、猛暑日(最
高気温が 35 度以上)は、過去 5 年間 一日も記録されていません。昨年の最高気温は 33 度でした。こ
れは、大気が海水で冷やされる海洋性気候のためです。そのため、夏は、猛暑となる本土よりも過ごし
やすく、慣れてくると快適です。
沖縄に来て一番驚いたことは、コウモリに遭遇したことです。それも大学内でです。夜 8 時頃、暗
がりを駐車場に向かって歩いていたら、10m 先の木の上で、コウモリが大きな翼をばたつかせている
のを目撃し、目が点になりました。
テレビで放映されたように、沖縄が米国統治から日本に復帰して、今年 5 月 15 日で 40 周年を迎え
ました。話題の普天間飛行場は、琉球大学から3km と近く、私はいつも 7 階の自分の部屋から、普天
間飛行場を離着陸する米軍の飛行機やヘリコプターを眺めています。
さて、仕事の話に移りますが、昨年、第 2 内科 腎グループの古野由美先生に、医学博士の学位を取っ
てもらいました。最近、骨髄が動脈硬化の成因に関与していることが報告されました。古野先生は、マ
ウス骨髄移植実験において、
「骨髄の一酸化窒素(NO)合成酵素が動脈硬化病変形成において重要な保
護的役割を果たしている」ことを世界で初めて明らかにしました(Nitric Oxide 2011)。古野先生は、
この業績が評価され、World Congress of Nephrology 2011 の Young Investigator Award(YIA)を受
賞しました。下の写真は、YIA の盾と授賞式の様子です。古野先生は、本当に良く頑張ったので、そ
の努力が報われて、私は とても嬉しく思っています。
古野先生は、私が産業医大で指導した最後の大学院生です。産業医大では、
7 人の第 2 内科の先生(守下、須田、堀内、中田、柴田、矢寺、古野先生)に、
医学博士の学位を取得してもらうことが出来ました。近い将来、また第 2 内科
の皆さんと、共同研究が出来ればと願っています。
〈写真 1〉
最後になりますが、来年 6 月 28 日~ 29 日、沖縄県医師会館で、第 13 回 World Congress of Nep
日本 NO 学会 学術集会を会長として開催することになりました。皆さんのご hrology 2011, YIA の盾
参加を期待しています。これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
〈写真 2〉授賞式の様子(左から3番目が古野先生)
−52 −
〈写真 3〉
授賞式での古野先生の
スピーチの様子
豊川内科・循環器科クリニック
院 長 豊 川 毅(平成3年入局)
開業しちゃってますっ!
皆様、こんにちは、平成 3 年入局の豊川です。昨年の 7 月に中間市で開業致
しました。たった 1 年前のことですが、開業前後は多忙極まり当時の記憶は既に
おぼろです。当時のことを想い起して寄稿し、御世話になった皆様への御報告と
させて戴きたく筆を取らせて戴きました。
新中間病院には、大学病院勤務中の平成 15 〜 17 年に非常勤医師として、平成 19 年から開業する
までは常勤医師として勤務しておりました。八幡西区南部〜中間市は、私にとって地域医療として深く
愛着がある土地です。開業では、自宅のある若松区と中間市悩んだ末に中間市を選びました。以前はスー
パー大栄だった土地付き建物を見つけて、クリニックに改装しました。前職の新中間病院から 200m 離
れただけのクリニックですが、予想ほど患者様は着いて来られず、ちょっと悲しい思いでした。御蔭様
で職員共々につつがなく診療を続けています。少しずつ患者様の来院もあり、丁寧な診療を心がけてい
ます。青葉台の自宅からは自動車通勤 30 分ですが、通勤の混雑とは逆方向ですので、遠賀川沿いの土
手を、自然を楽しみながら通勤しています。
なぜ開業するのか?どのような医療を行いたいのか?…もっと患者に密着したい、体力の衰え、プ
ライマリケアに特化したい、訪問診療、高収入を夢見て…その目的は人それぞれに尽きぬところでしょ
う。開業を思い立つも、その意志を保ち続けるのはなかなか困難でした。経営に失敗する恐怖、返済へ
のプレッシャー、人事労務の心配、僕は計画段階で何度もくじけそうになりました。そこでも支えて下
さったのは、尾辻教授、安倍教授、医局の皆様、同門同窓の開業している先輩方でした。「開業後には
患者紹介しよう。病診連携も心配するな。」「大変やけど楽しいよ。」「正しい診療を行っていれば、必ず
結果が着いて来るから心配するな。」…約 2 年の準備期間中、ずっと励まして戴きました。皆様の御支
援の無くしては開業を果たせなかったと思います。
また開業後の診療では、第 2 内科、新中間病院、北九州市立八幡総合病院、九州厚生年金病院、中
間市立病院、新水巻病院、萩原中央病院、東筑病院、社会保険筑豊病院と、近隣の先生方には、ACS・
アブレーション・ペースメーカ植え込み・心不全・SAS 等々で大変お世話になりました。開業すると
孤独になると言われますが、第 2 内科を中心とした医療圏の中で、連帯感と安心感を持って診療させて
戴いています。微力ではありますが、皆様の御助力を戴きながら、当地の地域医療に尽くしたいと思い
ます。今後とも宜しく御願いします。
−53 −
社会医療法人財団 池友会 福岡和白総合健診クリニック
花 田 秀 幸(平成 5 年入局)
皆様、お元気でしょうか。平成 5 年入局の花田です。大学には随分とご無沙
汰しておりましたが、この度、教室便りの寄稿の機会を頂き大変ありがたく思っ
ております。
私は第 2 内科の循環器グループで研修医・専修医として勤務させて頂きまし
たが、
いま大学にいた頃のことを思い返してみれば、専修医時代はとてもしんどかったことが印象に残っ
ています。月曜は EPS、水曜は PMI ope、木曜は心カテ、金曜はまた EPS・Ablation に入っていたので、
プロテクターは付けておりましたが放射線を結構被爆したと思いますし、この頃は鉛のプロテクターも
ずっしりと重量感があったため、体には随分とこたえたのをよく覚えております。当時はそれがとても
しんどいと思っておりましたが、今ではそれも懐かしく思い出されます。私が循環器の臨床に携わった
のは後にも先にもその時だけなので、今になって思えば大変いい経験をさせて頂いたと感謝しておりま
す。
卒後 7 年目からは労働衛生管理・予防医学の分野で仕事をさせて頂くようになり、三井化学 ㈱で
は専属産業医を、日赤熊本健康管理センター・福岡労働衛生研究所では嘱託産業医や巡回健診の仕事に
携わりました。特に三井化学では、産業医の実務について全くのど素人だった私に、当時顧問をされて
いた高田和美先生、そして 2 内科の先輩の土肥誠太郎先生がいろいろ御指導頂き、助けて頂きました。
この紙面を借りまして、心よりお礼申し上げたいと思います。
そして現在は、福岡市東区にあるクリニックで人間ドックの仕事をしています。こちらのクリニッ
クは平成 17 年に立ち上げられ、開院当初は受診者数も年間 1 万 2 千人余りと、それ程多くはなかった
ようですが、MRI・PET・心臓 CT など検査設備の拡充・施設の改修・営業努力などにより年々受診者
数も増加し、昨年度の年間受診者数は 3 万 9 千人を超え、健診機関としてはどんどん成長しているとこ
ろです。受診者数の増加によって仕事量も増え、それなりに忙しくはなりましたが、疾病の早期発見・
早期治療に貢献できているという面では非常にやりがいのある仕事だと思っています。
人間ドックの仕事をしておりますと、やはり悪性腫瘍が発見される方を一定の確率で目にします。
早期がんであれば、早期治療が受けられ、命を落とすことは殆どありませんが、進行がんで見つかった
場合は予後が非常に心配になります。
私も今年で 50 歳という節目の歳を迎
えるのですが、月日が経つのは早いも
ので、あっという間にこの歳になって
しまった気がします。同門の諸先生方
は定期的に人間ドックなどで健康
チェックをされていますでしょうか。
お忙しい日々を送っておられるとは思
いますが、どうぞご自身の健康にも留
意され、皆様がお元気で、今後も益々
ご活躍されることを心よりお祈り致し
ております。
−54 −
社会医療法人 明陽会 成田記念病院(愛知県豊橋市)
腎・糖尿科 渡 辺 勇次郎(平成 7 年入局)
皆様、ご無沙汰いたしております。平成 7 年に入局、平成 8 年から腎グルー
プでお世話になりました。入局後は市中病院での臨床業務の他、産業医や健診な
ど様々な業務を経験させていただきました。広く浅く、という意味で貴重な経験
をさせていただきましたが、腎疾患の診療をより深く学びたいと思い平成 22 年
度末に退局、平成 23 年 4 月に成田記念病院に就職させていただきました。
愛知県豊橋市は愛知県東部にある人口約 38 万人の中核市であり、成田記念病院は豊橋市の玄関口、
豊橋駅から徒歩数分の場所にある病床数 316 床、常勤医師数 50 名の病院です。私の所属は腎・糖尿科
であり、別に人工透析内科もありますが、実際には両科合同で診療を行っております。私が就職しまし
た平成 23 年 4 月には医師の退職により腎・糖尿科と人工透析科を合わせて2名まで医師が減少してお
りましたが、腎・糖尿科、人工透析内科を支えてこられた2名の先生のこれまでの実績のおかげで、愛
知県内の大学からこの1年で3名の非常に優秀な先生にご着任いただき、現在は私を含め常勤医6名体
制となりました。医師数の増加により患者様の数も増えており、貴重な症例に触れる機会も増えると期
待しております。
腎臓内科領域につきましては耳鼻科の先生にご協力いただき IgA 腎症に対する扁摘+パルス療法
を積極的に行っており、1999 年 12 月から 2012 年 12 月までに約 450 例の扁摘+パルス療法を行い良好
な結果を得ています。また月1回、同療法で著名な先生に IgA 腎症外来を行っていただいており、愛
知県のみならず全国各地、遠くは福岡からも患者様が受診されております。私も同外来で勉強させてい
ただき、教科書では学べない貴重な修練の場を与えていただけております。また、この先生は腎組織に
も造詣が深く、腎生検の標本を一緒に見ていただきながら単に診断するだけでなく「なぜそのように解
釈するのか」を組織像と臨床像の関係も含めわかりやすく教えていただき、大変勉強になっております。
人工透析領域につきましては、昭和 44 年に人工透析センターを開設、透析を東三河地区で最初に
導入した病院であり、現在も透析療法に熱心に取り組んでおります。腹膜透析も積極的に行っており、
2010 年に当院で透析を導入した患者様 102 名のうち 25 名が腹膜透析を選択、血液透析を選択された 77
名のうち 4 名が、後に腹膜透析に変更されております。当院で follow 中の透析患者様は原稿を書いて
いる 2012 年 5 月初旬で PD 77 名、HD40 名(両数字に PD、HD 併用の 9 名を含む、一時的に入院中の
患者様を含む)です。成田記念病院は本年 9 月に近隣に新築移転し血液透析室も拡張しベッド数が 50
程度に増える予定です。今後は当院に定期通院される HD 患者様も更に増えると考えられます。患者数
が増えますとシャント作成、PTA、腹膜透析カテーテル挿入や出口部変更等の手術件数も増えますが、
当院では心臓血管外科、腹部外科の先生方に速やかな対応をいただき、非常に助かっております。
腎・糖尿科では、その名のとおり糖尿病の診療も行っております。これまでの病院勤務では重症患
者様は代謝内科の先生や他院へ紹介する事が多かったのですが、今は逆に重症患者様をご紹介いただく
立場となりました。また、膠原病や敗血症も当科で診させていただいております。当初は慣れない疾患
にとまどう事も少なくなかったのですが、困った時にいつでも優秀な先生方に相談しやすい環境が整っ
ており大変助かっております。
愛知県は研究会も盛んで勉強の機会に恵まれています。時には平日の昼の研究会に参加する事もあ
りますが、そのような場合も他の先生方にバックアップしていただけますので安心して勉強に専念でき
ます。学会での発表の機会も与えていただき、
大変に恵まれた環境で修練をつませていただいております。
−55 −
国家公務員共済組合連合会 横浜栄共済病院
循環器内科 中 田 靖(平成 9 年入局)
産業医科大学第 2 内科学の皆様。大変ご無沙汰しております、知らない方も
多いと思いますが、14 期の中田靖です。今回このような、投稿させていただく
機会をいただき、大変感謝しております。私なりに、何とかやっておりますので、
近況につきご報告いたします。
プライベートですが、妻と娘が二人居ます。一時期、結婚出来ない男の代名詞のような時期も私に
はありましたが、何とか人並みの生活を送っています。
仕事ですが、私は平成 23 年 4 月より、郷里近くの国家公務員共済組合連合会横浜栄共済病院循環
器内科にて勤務しております。私のかつて通学していた神奈川県立柏陽高校はここから、200m のとこ
ろにあります。かなり好きにはなれない高校だったので、この高校の前を通るといつもお腹が痛くなる
のですが、最近になってようやく克服いたしました。こちらの病院は、横浜といっても鎌倉市に隣接し
ております。5km ほどのところには、あの湘南鎌倉総合病院もあり、産業医大周辺に負けないくらい、
循環器は大激戦地区です。当循環器内科は、PCI 症例ざっと 400 程度の規模です。スタッフは道下部長
を筆頭に 6 人おりまして、その他、後期レジデント 3 人と 9 人の体制です。内科の教育病院はもちろん、
循環器専門医指定研修施設、日本心血管インターベンション治療学会(CVIT)研修施設、不整脈専門
医研修施設、高血圧学会認定研修施設といった主な内科・循環器関連学会の認定を受けております。
今年は、研修医指導係というものを拝命いたしました。症例カンファが毎週あり、勉強会も隔週で
入りますので、かなり大変ではあります。昨年までは何となく付き合っていた研修医も、担当となると
何とか脱落者なく研修終了させることが、最低限の目標です。多分、私を知る人は、“えーっあいつが”
なんて思っている方も多いのでしょうか。最近は、自分の指導医だった同門の先生方のご苦労がようや
く身に染みて感じるようになりました。元々、金沢大学出身の先生が多いのですが、研修医は、山形大、
新潟大、金沢大、信州大、横浜市大、浜松医大、福岡大学といろいろです。当院の教育体制はしっかり
しているので、自分自身も勉強をしないといけないことも多く、正直かなり大変です。4 月 29 日には
東京国際フォーラムで開催されたeレジフェアで研修医獲得に奮闘いたしました。一日中しゃべり続け
て、本当に疲れました。どうやったら、ガッツのある先生を当院に来てもらえるのかいろいろ考えてい
ます。YouTube や Facebook を駆使して、
第2内科医局紹介に負けないくらいの、魅
力的なプロモーションビデオでも作ろうか
とも思っています。
第2内科の皆様のような革新的な仕事
は出来ませんが、自分なりに地元の皆様に
還元できる医療に寄与できるように頑張っ
ていきたいと考えております。今後ともど
うぞよろしくお願いいたします。
<写真の説明>
一年目研修医との集合写真(虎ノ門病院分
院シュミレーション・ラボセンター前にて)
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