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東日本大震災 ・ 原発災害と 私たちの未来

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東日本大震災 ・ 原発災害と 私たちの未来
日本科学者会議(JSA)シンポジウム
東日本大震災 ・ 原発災害と
私たちの未来
2012 年 3 月 3 日 ( 土 ) 13:15 〜 19:00
東京・文京区民センター
プログラム
13:15-13:25 開会挨拶
13:25-14:15 岡本 良治 (JSA 東日本大震災問題特別研究委員会 )
「原発事故の 1 年 」 P.3-6
14:15-15:05 沢田 昭二 (JSA 平和問題研究委員会 )
「内部被曝研究の現段階」 P.7-17
***
15:15-16:05 綱島 不二雄 (JSA 東日本大震災問題特別研究委員会 )
「復旧・復興の現状と課題」 P.18-21
16:05-16:55 山崎 正勝(東京工業大学名誉教授)
「核エネルギーをめぐる『日米同盟』の展開」 P.22-25
***
17:05-18:05 ゼバスティアン・プフルークバイル(ドイツ放射線防護協会)
「チェルノブイリ−ドイツ−フクシマ:真実を求めて」 P.26-33
Pflugbeil, Sebastian: Tschernobyl - Deutschland - Fukuschima, Auf der Suche nach der Wahrheit.
18:05-19:00 総合討論・閉会挨拶
コーディネータ 岩本 智之・亀山 統一
通訳 シンチンガー・エミ(東京医科歯科大学)
主催:日本科学者会議 協賛:JSA 東京支部 後援:原発をなくす全国連絡会
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
原発事故の 1 年
岡本 良治(JSA 東日本大震災問題特別委員会・福岡支部)
本講演では中間報告,特に [1, 2] について
ではなく,技術的経験知も活用することは必
JSA 会員諸氏から寄せられた意見と政府の事
要不可欠である [7, 8, 9, 10, 11].
故調査委員会中間報告 [3],一委員のコメン
ト [4] と外部からのコメント [5] などを踏ま
え,内容を更新し,議論できなかった事柄を
2. 事故によって判明した事実と経過
補足する.
施設外の環境中に放出された放射能の量
は合計約 700 万テラベクレル * で,チェル
1. 福島第一原発事故の深い衝撃
ノブイリ原発事故の約 3 分の 1 に相当する
[4].これまで放出された放射能は原子炉中
原発は著しく大きい出力密度と含まれる
の全放射能の高々 2% 程度と推定される.事
莫大な放射能のために,いったん原発の苛酷
故後,約 11 ヶ月が経過し,約 15 万人の人々
事故が起こると,その影響は空間的 , 時間的
が依然として避難している.事故発生 2 週
に制御できないことが国内外であらためて
間後,首相官邸では不測事態シナリオが検討
明白になった.たとえ過酷事故がなくても, され,福島原発から 170 キロ,250 キロ圏
10 万年間も管理が必要な高レベル核廃棄物
内の避難も検討されていた [12]. しかし,
と軍事転用危険性もある.これらの理由に
首都圏 3 千万人の避難という最悪の事態は
よって原発システムは他の技術システムと
避けられた [13].偏西風は放射能大量放出
は異質である.
の際,かなりの時間,海側を向いていた.3.15
また原発は巨大複合技術システムである. 首都圏に高レベル放射能雲が飛来していた
個別の学術知・専門性の陥穽を考える必要が
が,幸運にも降雨がなかった [14].
ある.巨大システムのすべての要素を掌握で
原子力安全・保安院は原発の安全確保に失
きる「専門家」は存在しない [6].原発を造
敗した組織である.同様に,原子力安全委員
る専門家だからといって,事故・災害の専門
会は安全性の学術的根拠の助言に失敗した
家ではない.さらに,事故は実験室ではなく, 組織である.失敗または誤りについて,結果
巨大で複雑な装置の中で発生し,影響は広範
責任という意味で,辞任,処分,大幅改組な
囲に及んでいる.「アカデミックな人という
ど何等かの客観的に検証できるけじめが必
のは原子炉の具体的な構造をしらないので
要不可欠である.
す.もちろん概念的にはわかりますけれど, 原子炉の状態の時系列的変化と放射性物
どこにどう配管がつながっているのか,そん
質の放出と拡散,局部的濃縮については中間
なのは原子力委員会の学者もわかりません. 報告 [1] を講演当日補足する.
メーカーと電力会社のエンジニアしか知ら
ないでしょう」[4] 従って,学術的な知だけ
*700 万テラベクレル (TBq, =7EBq) は 700 京ベクレル.
-3-
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
る最悪事態回避 [4] ,全交流電源喪失に対す
3. 事故の原因とその背景
るマニュアル不在と訓練の不十分性 [4] ,大
型高圧電源車 [4] ,ベントマニュアルと実際
1990 年に米国の NRC は「シビア・アク
のベント [4] ,原子力災害対策本部@総理官
シデントのリスク」という名前の報告書 [15]
邸 [13] ,SPEEDI の稼働と公開遅延,小出し
を作成した.この中で,地震発生→制御棒
にされた避難勧告,原子力災害現地対策本部
挿入→地震により送電線の碍子が壊れて外
@オフサイトセンターの機能不全などが特
部からの電源喪失→非常用ディーゼル発電
徴的なことである.全体として,事故対策は
機の立ち上げに失敗→温度上昇による炉心
東京電力の能力の範囲内で,国家あげての事
損傷というケースがおきる割合が高いとい
故対策は全く存在しなかった [4] .
う結論が提示されている.この事例研究は
福島第一原発事故の展開に良く似ているが,
東京電力も原子力安全委員会も原子力安全・
5.「収束」に向けての課題・方法と条件
保安院もこの研究から学んでいなかった.ま
た,東京電力は事故後に,「巨大津波は想定
外」とコメントしてきた.しかし,2008 年,
1.除染とまたは自主避難(移住)
:除染に
は決意・覚悟・コストが必要である.
869 年の貞観地震に伴った大津波と同規模
の津波が再び襲来する可能性が指摘されて
2.福島第一原発の溶融及び貫通した炉心の
いた.[16]
日本の全原発の操作員,技術者には,福
解体撤去は可能か.
島第一原発事故で起きたような長時間のス
テーションブラックアウト(全交流電源喪
失)を想定した運転訓練や運転管理を受けて
いなかったこと.さらに,緊急時安全系の信
3.原発立地自治体と原発関連企業の転換と
経過措置の必要性について考える.
頼性の問題は,沸騰水型原子炉だげではな
く,加圧水型原子炉にも内在していること,
日本の原発の運転再開が困難である理由は,
実証性のない緊急システムが設置され,どの
ような事象の時に,どのような問題に進展す
6. 何をなすべきか,何が問われているか
るのか,誰ひとり認識できていないためであ
る [5].事故原因が長い揺れの地震動か巨大
津波か,あるいはそれら両者か,については
中間報告 [1] を補足する [17].
1.定期検査中の原発の再稼働の不当性と不
必要性:
政府の最大のミスは,現代の科学では地
震や津波の評価に大きな不確実性があるに
もかかわらず,高い信頼性で保守的に評価
4. 事故後の対応
できるとした虚構の安全審査を基に,日本
のような地震国・津波国に多くの軽水炉を
事故発生後の初動体制と住民避難につい
ては,重要免震棟における必死の対応によ
-4-
建設したことである [5].
安全審査に失敗した組織 ( 政府 ) が,事
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
故原因の十分な究明もなく,自ら設置した
競争力 , 温室効果ガス排出削減との関係 ,
事故調査委員会の最終報告もなく,安全宣
再処理工場の環境影響.
言することは論理的に誤りである.原発の
ここでは特に、原発に代わる安全な代替
再稼働の理解が必要とされる「地元」は原
エネルギー源について議論する.特別委員
発立地市町村だけではなく,福島第一原発
会・中間報告は「今すぐの原発ゼロは不可
事故における最悪シナリオで検討されたよ
能」という立場ではないかという意見が増
うに、最低 170 キロ,250 キロにおよぶ
田善信氏から寄せられた。事実はその逆で
広範な領域に存在する自治体が含まれるべ
ある。特別委員会・中間報告において、原
きである.ストレステストは実証試験の裏
発をゼロにする速度と可能性と求められる
付けがないので,技術的に十分に信頼でき
制度,経済への影響を短期的または長期的
るとは言えない.従って,ストレステスト
な場合の双方について具体的に論じてい
のみで再稼働を行うことは広範な地域住民
る.[2] 例えば、全原発が再稼働しなく
を巻き込んだ社会的実証実験を意味する。
ても 2012 年夏の消費電力ピークを既存の
原発の再稼働がなくても 2012 年の夏の
発電設備で各電力会社は十分に支えること
ピーク電力時期を乗り切れることは,後述
ができることも論じている.「原発必要悪
の資料参照.
論」の克服のためにも,増田善信氏の論考
「原発ゼロは今すぐにでも可能」[19] も貴
重であると考える.
2.停止中の原発や使用済み燃料の絶対的な
報告者はできるだけ早く既存の全原発
安全性が保証されているわけではない.
(ほとんど軽水炉)をゼロにすべきと考え
る.しかし,軽水炉以外のトリウム溶融塩
炉などの可能性を研究する自由は保障され
3.首都圏における巨大地震の可能性が指摘
るべきである.
され、ごく最近,福島第一原発の直下型地
かなり以前から JSA の中で議論された
震の可能性 [18] が指摘された現在,備え
「脱原発(または反原発)は反技術である」
るべき最悪の事態とは何か.
という見方は必ずしも正しいとは言えな
い.
原発と核兵器の技術的な重なり(転用可
4.原発、特に軽水炉の総合的評価と代替エ
能性)は多いことについては専門家の意見
ネルギーの展望: 以下の項目(要素)につ
はほぼ一致している.しかし,日本におい
いて、原発、特に軽水炉の総合的評価を行
ても核兵器開発の政治的意志が当初から強
うことは重要である.原発の重大事故の影
く継続している可能性が大きい.従って,
響は空間的、時間的に制御できない (より)
,
核兵器=軍事利用,原子力=平和利用とい
安全な原発は技術的に可能か , 高レベル放
う 2 分法思考と運動論上の克服または再検
射線下での作業の不可避性 , 核廃棄物の処
討が必要不可欠である.
理処分の未確立 , 通常運転時の環境影響(地
球の被曝環境保全), 原発は自爆してもテ
ロにあっても放射能兵器となること , 軍事
5.2011.3.11 以後,多くの支部の多数の会
転用(核兵器開発)への懸念 , 経済的な
員が原発事故と関連する問題について考察
-5-
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
し,講演し,集会などに参加してきたと
推測される.しかし,全国的組織として
の JSA の見解・行動提起は 2011.5.29(第
42 回定期大会決議)と 2011. 11.13 常任
幹事会決議とを除いて,不十分であったと
言わざるを得ない.特に,これらの問題で
指導的役割を果すことが期待されていたエ
ネルギー・原子力問題研究委員会が,第
32 回原発問題全国シンポジウムの開催を
除いて,研究委員会としての見解表明も行
動提起も行わなかったことは極めて残念で
ある.また、エネルギー・原子力問題研究
委員会と特別委員会との連携もほとんどな
かった.科学者(組織)として危険性の警
[9] 井野博満編「福島原発事故はなぜ起きたか」
,
藤原書店,2011 年,p.67.
[10] 菊池洋一「原発をつくった私が,原発に反対
する理由」
,角川書店,2011 年.
[11] 浅川 凌「福島原発でいま起きている本当の
こと」
,宝島社.
[12] 近藤駿介「福島第一原子力発電所の不測事態
シ ナ リ オ の 素 描(2011.3.25)」
,http://www.
asahi-net.or.jp/ pn8r-fjsk/saiakusinario.pdf
[13] 田坂広志「官邸からみた原発事故の真実」
,
光文社新書,2012 年.
[14] A. Stohl, et. al. Xenon-133 and caesium-137
releases into the atmosphere from the
Fukushima Dai-ichi nuclear power plant,
Atmos. Chem. Phys. Discuss., 11, 28319-
告及び打開するための見解・展望を,不完
28394,http://www.atmos-chem-phys-discuss.
全ではあっても,一般市民,地方自治体,
net/11/28319/2011/acpd- 11-28319-2011.
運動組織などに遅滞なく訴えるべきである
html
[20, 21] .
[15 米国 ,NRC(NUREG-1150), 1990 年 . http://
(2012.2.16 記)
www.nrc.gov/reading-rm/doc-collections/
nuregs/staff/sr1150/
参考文献
[1] 岡本良治
「日本の科学者」
,
2012 年 3 月号 , p. 8.
[2] 佐川清隆「日本の科学者」
,2012 年 3 月号 , p.
34.
[3] 政 府・ 事 故 調 査 委 員 会・ 中 間 報 告,
2011.12.28. http://icanps.go.jp/post-1.html
[4] 吉 岡 斉「 福 岡 の 暮 ら し と 自 治 」
,2011.
12.15,408 号.
[5] 桜井 淳,サンデー毎日,2012 年 2 月 5 日号,
p.25.
[6] 五神 真,日本物理学会会誌,2011 年 10 月
号,巻頭言.
[7] 豊田正敏他「原子力発電技術読本」オーム
社 ,1970 年.
[8] 田中三彦「原発はなぜ危険か」, 岩波新書,
1990 年.特に,p.177.
[16] 日隅一雄,木野龍逸「検証福島原発事故・記
者会見」
,岩波書店,2012 年,pp.48-50.
[17] 岡本良治「福島第一原発は地震では壊れな
かったのか?」
,JSA 福岡支部,第 2 回原発シ
ンポ,2011.7.24.
[18] P.Tong, D. Zhao and D.Yang,Tomography
of the 2011 Iwaki earthquake (M 7.0) and
Fukushima nuclear power plant area, Solid
Earth, 3, 43-51, 2012 (http://www.solidearth.
net/3/43/2012/se-3-43-2012.html)
[19] 増 田 善 信「 日 本 の 科 学 者 」
,Vol. 46,No.
21,34(2011).
[20] JSA 福岡支部 核問題研究委員会「文科省の
校庭使用についての暫定的考え方の見直しを要
求する」201.5.10.
[21] JSA 福岡支部,九州電力への申し入れ,福岡
市長への申し入れ,2012.2.6.
-6-
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
内部被曝研究の現段階
沢田 昭二(日本科学者会議平和問題研究委員会)
1.放射線の人体影響
が用いられる.国際放射線防護委員会(ICRP)
はγ線とβ線は外部被曝では X 線と同程度の
ガンマ線(γ線),ベータ線(β線)など, 影響であるとして,RBE を 1 とし,α(アル
放射線の量子(量子化された波の塊で,光子, ファ )線の RBE を 20 としている.今回の福島
電子など )は,放射性原子核から数千〜数百万
原発事故による被曝は,1Sv の 100 分の 1 以
電子ボルト(eV)のエネルギーを持って放出
下の被曝が問題になっているので1Sv の 1000
される.これらの放射線量子が体内を通過する
分の1の mSv,100 万分の 1 のμ(マイクロ )
時,電磁相互作用によって,水,タンパク質, Sv の単位が用いられる.
DNA など,生体内の分子で原子を結合する役
1mSv の全身被曝をすると,全身の約 60 兆
割を担っている電子に吸収されたり,散乱され
個の細胞1個当たり平均して約 500 カ所の電
たりして,電子にエネルギーを渡す.エネルギー
離作用を受ける.電離作用を受けても,ほとん
を受け取った電子は分子から離脱し,その結果, どの生体分子は再びもとの状態に修復される.
水や生体分子が壊される.これが放射線による
ところが,きわめて小さい確率で誤った修復や,
電離作用で,すべての放射線影響の始まりであ
修復できないことが起こり,損傷が生じる.特
る.
に電離作用が DNA 分子の2重らせんの接近し
1 個の電離作用に必要なエネルギーはせいぜ
た箇所で起こると,切断箇所が誤って接合され
い 10eV であるのに対し,放射線を構成する量
る確率が大きくなり,染色体異常をつくり出し,
子は数千〜数百万 eV のエネルギーを持つので, 次の細胞分裂を不可能にして急性放射線症を引
1 個の放射線の量子は,生体組織内で数百〜数
き起こしたり,細胞分裂をしても,染色体異
十万カ所の電離作用を引き起こす.可視光線や
常を持つ細胞を再生してがん細胞につながる.
電波は,X 線やγ線と同じ電磁波であるが,そ
誤った修復の頻度は放射線の電離作用の密度が
の光子は1eV に満たないエネルギーしか持た
かかわる.Feinengeden と Booz との研究では
ないので電離作用をせず,非電離性放射線と呼
1mSv の被曝によって全身の細胞に平均して
ばれる.
ほぼ1カ所の損傷を生じるとしている 1).100
放射線は電離作用によって人体に障害を引き
mSv の被曝で細胞死がはじまり,200 ~ 500
起こすので,物理学的には放射線が人体にど
mSv で急性症状の発症が始まる.
れくらいエネルギーを与えたかで被曝線量を表
放射線によってもっとも深刻な影響を受ける
し,人体組織1kg 当たり 1 J( ジュール , Joule ) のは染色体である.図1は放射線感受性の強い
のエネルギーを放射線から吸収したとき1グレ
DNA がγ線とβ線によって電離作用を受けて
イ(Gy, Gray )の吸収線量という.
2重らせんが切断される例を示した.染色体は
しかし,放射線の種類によって人体への障害
2 重らせん構造と塩基のペアからできているこ
の程度が異なるので,X 線に比べて何倍の影響
とにより,誤修復を防いでいる.放射線の中で
を与えるかを考慮した生物学的効果比(RBE,
もγ線は,まばらで密度の低い電離作用を起こ
Relative Biological Effectiveness ) を グ レ イ に
すので透過力が強い.そのため2本あるDNA
乗じた線量当量としてシーベルト(Sv, Sievert ) の螺旋の鎖のうち1本鎖だけの切断が多く,染
-7-
いエネル
所の損傷を生じるとしている 1).100 mSv の
ず,非電
被曝で細胞死がはじまり,200∼500 mSv で
障害を引
急性症状の発症が始まる.
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
2.急性放射線症と晩発性障害
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が人体に
被曝線量
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ジュール,
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収したと
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防護委員
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1 とし,
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放射線被曝による障害は,発症時期によって
急性放射線症と晩発性障害とに大別される.体
外から放射線を浴びる外部被曝による急性放射
線症は一般には1週間から2週間後に発症し,
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内部被曝の場合には,取り込んだ放射性物質が
放出する放射線を浴び続けるので一般的にはさ
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らに遅れて発症する.一方,がんなどの晩発性
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する.このように,放射線影響は一般に被曝か
障害は,被曝後数年から 10 年以上を経て発症
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らかなり遅れて発症する.このことから「“ 直
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図1 DNA 分子に対する放射線の電離作用
ちに ” 健康に影響が出るレベルではない」と影
響がないかのように説明するのは,ごまかしで
ある.
図1
DNA 分子に対する放射線の電離作用 放射線被曝による急性症状の発症も晩発性障
色体が損傷を受けても修復されやすい.
一方,β線の透過力が弱いのは,密度の高い
害の発症も,個人差が大きい.これを示すため,
電離作用を起こしてエネルギーを急速に失う
典型的な急性放射線症である脱毛の発症率と被
ためである.したがって,接近した電離作用に
曝線量の関係を,以下のようにして求める.
よって二重らせんの2本とも切断して,誤った
1947 年トルーマン大統領の指示によって,
修復の可能性が高まる.誤った修復が起こると
核兵器爆発1分以内に到達する初期放射線の影
細胞分裂が不可能になったり,異常な細胞が増
響を知るために広島と長崎に原爆傷害調査委員
えてがん細胞になることも起こる.β線は陽子
会 (ABCC, Atomic Bomb Casualty Commission )
ほどではないがγ線より密度の高い電離作用を
が設置された.ABCC は ’50 年の国勢調査の付
引き起こすので,β線のほうが染色体異常を引
帯調査で得られた被爆者リストから,広島市と
き起こす可能性が高く,人体影響が大きいとい
長崎市に籍を置く約 13 万人で寿命調査 (LSS,
える.この点で ICRP がβ線とγ線についてと
Life-Span-Study ) 集団をつくった.図2の□印
もに RBE =1としているのは疑問である.透
は,ABCC が ’50 年 前 後 に LSS の 脱 毛 発 症 率
過力の弱いβ線は内部被曝で体内の組織の中で
を調査した中の広島の被爆者の脱毛発症率で
密度の高い電離作用を引き起こすことを無視し
あ る 2).’75 年 に ABCC が 閉 鎖 さ れ 日 米 共 同
た ICRP の基準を,内部被曝に適用することの
運営の放射線影響研究所(放影研)になった
弊害は,深刻である.
が,ABCC の初期放射線影響を研究する計画は
放射線の強さについては,放射性原子核が1
そのまま引継がれ,’89 年,放影研の Stram と
秒間に何個崩壊して放射線量子を放出したか
Mizuno は,図2の調査結果から初期放射線の
の回数を表すベクレル(Bq)が用いられ,1kg
みによる脱毛発症率を求めた 3).その結果が
の物質当たり,あるいは地面の 1m2 当たりの
図 3 の●印である.Stram と Mizuno が用いた
ベクレル数が報告されている.放射性核種ご 「1986 年原爆放射線量評価体系(DS86)」を
とに典型的な被曝に対して Sy への換算が ICRP
用いて,図 3 の●印に対応する初期放射線被
によって提示されている.しかし,内部被曝に
曝量を爆心地からの距離にもどすと,図2の◆
対しては適切な換算は出来ない.
印になる.□印と◆印の間が,放射性降下物に
よる脱毛発症率に対応する.
-8-
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
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図2 ABCC 調査の LSS( 広島 ) 集団脱毛発症率
図2 図2
ABCCABCC
調査の
LSS(広島)集団脱毛発
調査の
LSS(広島)集団脱毛発
症率 症率
動物実験から急性症状の発症率は被曝線量に
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図3 LSS 集団の被曝線量と脱毛発症率の関係
図3 図3
LSS 集団の被曝線量と脱毛発症率
LSS 集団の被曝線量と脱毛発症率
の関係
の関係
射性降下物の影響を含めた被曝線量と図2の□
印に対応する脱毛発症率である.図3の●印か
対して正規分布であることが知られており,被
ら■印に向う矢印は,放射性降下物による被曝
で,被曝線量増加によって重篤になり遂に死亡
表す.■印も高線量被曝で 100%に達しない
線はこれを正規分布でフィットさせたもので
線はこれを正規分布でフィットさせたものでが示しているように,急性症状を発症する線
が示しているように,急性症状を発症する線
曝線量を増加すれ必ず発症する「確定的障害」 線量と Stram と Mizuno が差し引いた発症率を
ある.●印は低被曝線量での立ち上がりが正
ある.●印は低被曝線量での立ち上がりが正量には個人差があるが,被曝線量が増加すれ
量には個人差があるが,被曝線量が増加すれ
規分布より速い.これは放射性降下物による
規分布より速い.これは放射性降下物によるば細胞死が増加して,遂には
100%の人が発
ば細胞死が増加して,遂には
100%の人が発
に高線量被曝でも 1950
年まで生存
する.図 3 の○印は,放影研の Kyoizumi らが のは,LSS
影響を取り込んだためと考えられる.逆に,
影響を取り込んだためと考えられる.逆に,
症する「確定的障害」である.そして,被曝
できた被爆者のみ含まれている影響である.
免疫機能を除去したマウスに死亡した胎児の頭 症する「確定的障害」である.そして,被曝
3Sv以上では横這いになっている.
これはLSS
3Sv以上では横這いになっている.
これはLSS線量の増加とともに重篤度が強まり,遂に死
線量の増加とともに重篤度が強まり,遂に死
典型的な急性症状の脱毛発症率の正規分布が
皮を移植して X 線照射をし,被曝線量と脱毛
集団の重要な欠陥で,この集団には半致死線
集団の重要な欠陥で,この集団には半致死線
亡する.
示しているように,急性症状を発症する線量に
の発症率の関係を調べたもので 4),実線はこれ 亡する.
量約4Sv以上の被曝をしても1950年まで生
量約4Sv以上の被曝をしても1950年まで生
染色体異常などの損傷が,免疫機能やがん
染色体異常などの損傷が,免疫機能やがん
を正規分布でフィットさせたものである.●印 は個人差があるが,被曝線量が増加すれば細胞
存できた被爆者のみ含まれているためと,
存できた被爆者のみ含まれているためと,
などの発症を抑制する機能を失わせるなど,
死が増加して,
遂には 100% の人が発症する「確
は低被曝線量での立ち上がりが正規分布より速 などの発症を抑制する機能を失わせるなど,
StramとMizunoが初期放射線影響のみを求め
StramとMizunoが初期放射線影響のみを求め
定的障害」である.そして,被曝線量の増加と
放射線被曝による数段階の歯止めが失われた
い.これは放射性降下物による影響を取り込ん 放射線被曝による数段階の歯止めが失われた
るために降下物による発症率を引き過ぎたた
るために降下物による発症率を引き過ぎたた
ともに重篤度が強まり,遂に死亡する.
だためと考えられる.逆に,3Sv 以上では横這 場合,かなりの年月を経て障害が発症する.
場合,かなりの年月を経て障害が発症する.
めである.前者の問題はAlice
(欧州放
染色体異常などの損傷が,免疫機能やがんな
めである.前者の問題はAlice
Stewart
(欧州放晩発性障害は,被曝しても必ず発症するとは
いになっている.これは Stewart
LSS 集団の重要な欠
晩発性障害は,被曝しても必ず発症するとは
どの発症を抑制する機能を失わせるなど,放射
)が指摘し
射線リスク委員会(ECRR)の初代会長
陥で,この集団には半致死線量約
4Sv
以上の 限らないが,被曝線量が増加すれば発症する
)が指摘し
射線リスク委員会(ECRR)の初代会長
限らないが,被曝線量が増加すれば発症する
線被曝による数段階の歯止めが失われた場合,
被曝をしても 1950 年まで生存できた被爆者の 確率が増加する.そのため「確率的障害」と
ていたことで,晩発性障害の被曝線量の影響
ていたことで,晩発性障害の被曝線量の影響
確率が増加する.そのため「確率的障害」と
かなりの年月を経て障害が発症する.晩発性障
み含まれているためと,Stram と Mizuno が初 される.
の研究にも大きく影響する.
の研究にも大きく影響する.
障害の重篤度は被曝線量によらない.
される.
障害の重篤度は被曝線量によらない.
害は,被曝しても必ず発症するとは限らない
期放射線影響のみを求めるために降下物による
図3の実線の正規分布の関係を用いて,図
図3の実線の正規分布の関係を用いて,図晩発性障害も,発症するかどうかは大きな個
晩発性障害も,発症するかどうかは大きな個
が,被曝線量が増加すれば発症する確率が増加
発症率を引き過ぎたためである.前者の問題は
2の□印から,広島原爆による初期放射線被
2の□印から,広島原爆による初期放射線被人差がある.
人差がある.
Alice Stewart ( 欧州放射線リスク委員会(ECRR) する.そのため「確率的障害」とされる.障害
曝線量と放射性降下物による被曝線量を求め
曝線量と放射性降下物による被曝線量を求め
被爆者が原爆症認定申請すると,認定審査
被爆者が原爆症認定申請すると,認定審査
の重篤度は被曝線量によらない.
晩発性障害も,
5)
)
が指摘していたことで,晩発性障
の初代会長
5)
た結果が,図4の■印である
.図 3
の■印
た結果が,図4の■印である
.図
3 の■印会の「御用学者」らは個人差の大きな広がり
会の「御用学者」らは個人差の大きな広がり
害の被曝線量の影響の研究にも大きく影響す 発症するかどうかは大きな個人差がある.
は,放射性降下物の影響を含めた被曝線量と
は,放射性降下物の影響を含めた被曝線量と
を無視して,被曝線量分布の平均値で一斉に
を無視して,被曝線量分布の平均値で一斉に
被爆者が原爆症認定申請すると,認定審査会
る.
図2の□印に対応する脱毛発症率である.図
図2の□印に対応する脱毛発症率である.図発症するとして,原爆症の発症の放射線影響
発症するとして,原爆症の発症の放射線影響
図3の実線の正規分布の関係を用いて,図2 の「御用学者」らは個人差の大きな広がりを無
3の●印から■印に向う矢印は,放射性降下
3の●印から■印に向う矢印は,放射性降下の有無を判定する「原因確率」を導入し,機
の有無を判定する「原因確率」を導入し,機
の□印から,広島原爆による初期放射線被曝線 視して,被曝線量分布の平均値で一斉に発症す
物による被曝線量と
StramStram
と Mizuno
が差し
物による被曝線量と
と Mizuno
が差し械的に原爆症認定審査を行うという非科学的
械的に原爆症認定審査を行うという非科学的
量と放射性降下物による被曝線量を求めた結果 るとして,原爆症の発症の放射線影響の有無を
引いた発症率を表す.■印も高線量被曝で
引いた発症率を表す.■印も高線量被曝で
な基準を作った.さらに,原爆症認定集団訴
な基準を作った.さらに,原爆症認定集団訴
が,図4の■印である 5).図 3 の■印は,放 判定する「原因確率」を導入し,機械的に原爆
100%に達しないのは,LSS
に高線量被曝で
100%に達しないのは,LSS
に高線量被曝で訟で連敗して安倍晋三首相(当時)指示で厚
訟で連敗して安倍晋三首相(当時)指示で厚
-9-
も 1950
年まで生存できた被爆者のみ含まれ
も 1950
年まで生存できた被爆者のみ含まれ労省につくられた「原爆症認定の在り方検討
労省につくられた「原爆症認定の在り方検討
ている影響である.
ている影響である.
会」の委員になった現在国際放射線防護委員
会」の委員になった現在国際放射線防護委員
典型的な急性症状の脱毛発症率の正規分布
典型的な急性症状の脱毛発症率の正規分布会(ICRP)主委員会委員の仁羽太貫氏は,検
会(ICRP)主委員会委員の仁羽太貫氏は,検
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
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討会のまとめに今後も「原因確率」を継続使
た.さらに,原爆症認定集団訴訟で連敗して安
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図5 広島原爆による脱毛,紫斑および下痢の
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+ 爆心地からの距離による発症率
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の切断確率が大きくなり,誤った損傷修復の確
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図4 急性放射線症発症率による広島原爆推定被
曝線量
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症認定審査を行うという非科学的な基準を作っ
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る急性症状の脱毛,皮下出血による紫斑,下
率が大きくなる.こうしたことを考慮すると,
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用するとした.2011
年 11 月 27 日,丹羽氏
討会のまとめに今後も「原因確率」を継続使
る急性症状の脱毛,皮下出血による紫斑,下
倍晋三首相(当時)指示で厚労省につくられた 痢の発症率について見よう.図5に示したよ
ICRP が内部被曝に対してβ線の
RBE を1とす
は日本物理学会京都支部で講演し,私が検討
うに,脱毛の□印と紫斑の●印は爆心地から
用するとした.2011 年 11 月 27 日,丹羽氏
痢の発症率について見よう.図5に示したよ
「原爆症認定の在り方検討会」の委員になった
ることには疑問がある.
会で報告したものを参考文献とし挙げている.
6) が調
は日本物理学会京都支部で講演し,私が検討
現在国際放射線防護委員会(ICRP)主委員会 の距離とともにほぼ同じような変化をしてい
この問題を,具体的に於保源作医師
うに,脱毛の□印と紫斑の●印は爆心地から
事 実 を会で報告したものを参考文献とし挙げている.
知
っていてもこれを反映させない
る.しかし,△印の下痢の発症率は,近距離
委員の仁羽太貫氏は,検討会のまとめに今後も
査した広島の被爆者の爆心地からの距離による
の距離とともにほぼ同じような変化をしてい
ICRP の手法である.
では脱毛や紫斑に比べて小さく,遠距離では
「原因確率」を継続使用するとした.2011
年な い
急性症状の脱毛,皮下出血による紫斑,下痢の
事実を知っていてもこれを反映させ
る.しかし,△印の下痢の発症率は,近距離
数倍大きい.
11
月
27
日,丹羽氏は日本物理学会京都支部
発症率について見よう.図5に示したように,
ICRP の手法である.
では脱毛や紫斑に比べて小さく,遠距離では
3. 外部被曝と内部被曝
近距離では,初期放射線のγ線や中性子線
で講演し,私が検討会で報告したものを参考文
脱毛の□印と紫斑の●印は爆心地からの距離と
数倍大きい.
献として挙げている.事実を知っていてもこれ による瞬間的な外部被曝が主要な被曝影響を
ともにほぼ同じような変化をしている.しかし,
3. 外部被曝と内部被曝
近距離では,初期放射線のγ線や中性子線
X 線とγ線は生体組織を通過する時,まば
を反映させない ICRP の手法である.
△印の下痢の発症率は,近距離では脱毛や紫斑
与える.外部被曝では透過力の強いγ線が腸
による瞬間的な外部被曝が主要な被曝影響を
に比べて小さく,遠距離では数倍大きい.
らな電離作用をするので,エネルギーを失う
壁まで到達できる.しかし,到達したγ線は
X 線とγ線は生体組織を通過する時,まば
与える.外部被曝では透過力の強いγ線が腸
近距離では,初期放射線のγ線や中性子線に
3.外部被曝と内部被曝
までに相当の距離を通過するため,透過力が
まばらな電離作用を行って薄い腸壁細胞を通
らな電離作用をするので,エネルギーを失う
壁まで到達できる.しかし,到達したγ線は
よる瞬間的な外部被曝が主要な被曝影響を与え
強い.これに対し,α線はきわめて密度の高
り抜けるので,高線量のγ線でなければ下痢
までに相当の距離を通過するため,透過力が
まばらな電離作用を行って薄い腸壁細胞を通
X 線とγ線は生体組織を通過する時,まばら
る.外部被曝では透過力の強いγ線が腸壁まで
い電離作用をして,数百万
eV のエネルギー
を発症させない.
強い.これに対し,α線はきわめて密度の高
り抜けるので,高線量のγ線でなければ下痢
な電離作用をするので,エネルギーを失うまで
到達できる.しかし,到達したγ線はまばらな
を数十μm
走るうちに全部放出するので,透
一方,遠距離では,放射性降下物の放射性
に相当の距離を通過するため,透過力が強い.
い電離作用をして,数百万
eV のエネルギー
電離作用を行って薄い腸壁細胞を通り抜けるの
を発症させない.
過力はきわめて弱い.β線はこの中間で,生
微粒子を体内に摂取したことによる内部被曝
これに対し,α線はきわめて密度の高い電離
で,高線量のγ線でなければ下痢を発症させな
を数十μm
一方,遠距離では,放射性降下物の放射性
体内では通常数
cm走るうちに全部放出するので,透
走ってエネルギーを失っ
が主要になる.呼吸や飲食で取込んだβ線を
作用をして,数百万 eV のエネルギーを数十μ い. 微粒子を体内に摂取したことによる内部被曝
過力はきわめて弱い.β線はこの中間で,生
て止まる.電離作用の密度が大きいと,分子
放出する放射性微粒子が腸壁に到達すると,
m
走るうちに全部放出するので,透過力はき
一方,遠距離では,放射性降下物の放射性微
体内では通常数 cm 走ってエネルギーを失っ
が主要になる.呼吸や飲食で取込んだβ線を
の接近した箇所の切断確率が大きくなり,誤
β線は密度の高い電離作用を行うので,腸壁
わめて弱い.β線はこの中間で,生体内では通
粒子を体内に摂取したことによる内部被曝が
て止まる.電離作用の密度が大きいと,分子
った損傷修復の確率が大きくなる.こうした
放出する放射性微粒子が腸壁に到達すると,
細胞に損傷を与えて下痢を発症させる.この
常数 cm 走ってエネルギーを失って止まる.電 主要になる.呼吸や飲食で取込んだβ線を放出
ことを考慮すると,
ICRP が内部被曝に対して
ことを考慮して,図6に示したように,被曝
の接近した箇所の切断確率が大きくなり,誤
β線は密度の高い電離作用を行うので,腸壁
- 10 β線の った損傷修復の確率が大きくなる.こうした
RBE
を1とすることには疑問がある.
線量と下痢の発症率の関係を,初期放射線の
細胞に損傷を与えて下痢を発症させる.この
6)
この問題を,具体的に於保源作医師
が調
γ線による外部被曝の場合には脱毛と紫斑に
ことを考慮すると,ICRP が内部被曝に対して
ことを考慮して,図6に示したように,被曝
査した広島の被爆者の爆心地からの距離によ
対する正規分布(
50%の人が発症する半発症線
β線の RBE を1とすることには疑問がある.
線量と下痢の発症率の関係を,初期放射線の
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
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子を含むこともありうるので,微粒子が沈着
水溶性あるいは脂溶性であれば,原子あるいは
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した周辺の細胞は大量の被曝を継続して死滅
分子レベルに分解し,元素の種類によって特定
臓器に蓄積し,集中した被曝を与える.
する.特に微粒子が多数のウランやプルトニ
水溶性・脂溶性でない場合には,微粒子のま
ウム原子核を含む場合には,きわめて高密度
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ま,
あるいは幾つかの微粒子に分解して循環し,
の電離作用をするα線を放出するので,被曝
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体内の特定箇所に付着する.1μ
m の微粒子
影響が大きくなる.こうしたことも外部被曝
でも,原理的には数百億個の放射性原子を含む
にない内部被曝の特質である.
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図6 被曝線量と脱毛,紫斑,下痢の発症率の
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する放射性微粒子が腸壁に到達すると,β線は
こともありうるので,微粒子が沈着した周辺の
図3に示したように放射線の影響は個人差
細胞は大量の被曝を継続して死滅する.特に微
が大きく,標準的な人が発症しなくても,放
粒子が多数のウランやプルトニウム原子核を含
射線感受性の高い人には影響が現れることを
無視してはならない.また,図4に示された
む場合には,きわめて高密度の電離作用をする
α線を放出するので,被曝影響が大きくなる.
ように爆心地から 1.2 km までは初期放射線
密度の高い電離作用を行うので,腸壁細胞に損
量を 2.75Sv(○印)
)より高い被曝線量方向に
傷を与えて下痢を発症させる.このことを考慮
ずれた正規分布(50%の人が発症する半発症線
して,図6に示したように,被曝線量と下痢の
量を 3.03 Sv(▲印)
)の曲線によって与え,
発症率の関係を,初期放射線のγ線による外部
こうしたことも,外部被曝にない内部被曝の特
被曝の場合には脱毛と紫斑に対する正規分布
感受性の高い人には影響が現れることを無視し
放射性降下物による内部被曝の場合には脱毛
と紫斑の場合より低い被曝線量方向にずれた
(50%の人が発症する半発症線量を 2.75Sv(○
正規分布(
50%の人が発症する半発症線量を
印))より高い被曝線量方向にずれた正規分布
(△印)
)の曲線によって与えると,図
1.98Sv
3.03 Sv(▲
(50%の人が発症する半発症線量を
4に対応したマークを付した細い曲線で示し
印))の曲線によって与え,放射性降下物によ
たように,ほとんど同じ被曝線量によって,
る内部被曝の場合には脱毛と紫斑の場合より低
図5の細い曲線のように脱毛,紫斑,および
い被曝線量方向にずれた正規分布(50%の人
下痢の3種の急性症状の発症率を同時に再現
が発症する半発症線量を 1.98Sv (△印))の曲
できる.こうして放射性降下物による内部被
線によって与えると,図4に対応したマークを
曝の被曝線量と急性症状発症率の関係を求め
付した細い曲線で示したように,ほとんど同じ
による外部被曝が主要な影響を与えているが,
質である.
1.2 km より遠距離では放射性降下物による
内部被曝が主要な影響を与えたことがわかる.
図3に示したように放射線の影響は個人差が
大きく,標準的な人が発症しなくても,放射線
これまでの放射性降下物による被曝線量の
評価は,
「黒い雨」と呼ばれる放射性降雨に含
まれて地中に浸透した後,その後の火災雨や
てはならない.また,図4に示されたように爆
心地から 1.2 km までは初期放射線による外部
台風による洪水で流されなかった放射性物質
被曝が主要な影響を与えているが,1.2
km よ
が放出した放射線の物理的測定結果にもとづ
り遠距離では放射性降下物による内部被曝が主
いている.
要な影響を与えたことがわかる.
政府は,図4に×印で示した広島の爆心地
これまでの放射性降下物による被曝線量の評
から西方約
2∼4km の己斐・高須地域におけ
価は,
「黒い雨」と呼ばれる放射性降雨に含ま
る積算被曝線量の 0.006∼0.02Sv のみ認め,
れて地中に浸透した後,その後の火災雨や台風
その他の地域の放射性降下物は無視してきた.
による洪水で流されなかった放射性物質が放出
ることができた.こうして得られた結果を,
被曝線量によって,図5の細い曲線のように脱
図4に示されるように,被爆者の間に生じた
した放射線の物理的測定結果にもとづいてい
毛,紫斑,および下痢の3種の急性症状の発症
医学的および分子生物学的な研究に基づいて
る.
急性症状から推定した値は 0.85∼1.7Sv で,
率を同時に再現できる.こうして放射性降下物
解明する課題が生まれた.
による内部被曝の被曝線量と急性症状発症率の
このように障害のしくみが外部被曝と異な
政府は,図4に×印で示した広島の爆心地か
2桁の過小評価である.この過小評価が,
関係を求めることができた.こうして得られた
る内部被曝を
X 線や CT スキャンによる外部
積算被曝線量の
0.006 〜 0.02Sv のみ認め,そ
故における内部被曝影響の軽視につながって
結果を,医学的および分子生物学的な研究に基
被曝と比較することは適当でない.
づいて解明する課題が生まれた.
今回の原発事故による拡散した放射性物質
このように,障害のしくみが外部被曝と異な
は,酸化物などの微粒子として飛散している
ら西方約
2 〜 4km の己斐・高須地域における
ICRP の内部被曝の軽視と,
今回の福島原発事
の他の地域の放射性降下物は無視してきた.図
いる.
4に示されるように,被爆者の間に生じた急性
ここで,線量当量の単位の Sv を用いてき
症状から推定した値は
0.85 〜 1.7Sv で,2桁
たが,内部被曝に対する適切な単位が存在し
る内部被曝を,X 線や CT スキャンによる外部 の過小評価である.この過小評価が,ICRP の
ないために,外部被曝と同等な急性症状の発
と考えられる.
1μm 以下の大きさであれば,
被曝と比較することは,適当でない.
内部被曝の軽視と,今回の福島原発事故におけ
症率を与える内部被曝の影響を表す線量当量
呼吸で鼻毛などに遮られないで肺胞を経て血
今回の原発事故による拡散した放射性物質
る内部被曝影響の軽視につながっている.
は,酸化物などの微粒子として飛散している
ここで,線量当量の単位の Sv を用いてきた
液に達して全身を廻る.その際,放射性微粒
子が水溶性あるいは脂溶性であれば原子ある
の意味で用いている.
図4に示された結果は,
放射性物質による内部被曝の影響が外部被曝
と考えられる.1μ m 以下の大きさであれば, が,内部被曝に対する適切な単位が存在しない
よりもはるかに深刻であることを示している.
いは分子レベルに分解し,元素の種類によっ
呼吸で鼻毛などに遮られないで肺胞を経て血液 ために,外部被曝と同等な急性症状の発症率を
広島原爆と同様の結果が,長崎原爆による
て特定臓器に蓄積し,
集中した被曝を与える.
に達して全身を廻る.その際,放射性微粒子が
水溶性・脂溶性でない場合には,微粒子の
与える内部被曝の影響を表す線量当量の意味で
爆心地から 12km までの脱毛,紫斑,下痢の
- 11 -
まま,あるいは幾つかの微粒子に分解して循
環し,体内の特定箇所に付着する.1μm の
3種の急性症状発症率の解析から得られた.
ただし,爆心地から 12¥km でも,放射性降
微粒子でも,原理的には数百億個の放射性原
下物による被曝線量は 1.2∼1.3Sv で,広島原
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
用いている.図4に示された結果は,放射性物
① 初期放射線による人体影響に研究の焦点が
質による内部被曝の影響が外部被曝よりもはる
当てられ,初期放射線被曝 0.005Sv 以下の
かに深刻であることを示している.
遠距離被爆者を実質上非被曝コントロール
広島原爆と同様の結果が,長崎原爆による爆
としている
心地から 12km までの脱毛,紫斑,下痢の3
② 寿命調査(LSS)集団には 1950 年 10 月 1
種の急性症状発症率の解析から得られた.ただ
日に生存していた広島市と長崎市在籍被爆
し,爆心地から 12km でも,放射性降下物に
者のみ含まれ,それまでに死亡した被爆者
よる被曝線量は 1.2 〜 1.3Sv で,広島原爆の爆
は調査対象から除外されている.
心地から 6km の 0.8Sv の約 1.5 倍である.こ
の結果は,原爆の爆発威力が広島の 1.4 倍で
あったこと,原爆容器と爆発後の火薬成分など
が広島原爆より多くの中性子線によって誘導放
③ 癌以外の障害の研究を軽視し,遺伝的影響
を否定している.
④ 原爆の熱線と爆風の影響を過小評価してい
る.
射化されたこと,核分裂しなかったプルトニウ
これら欠陥の帰結は,内部被曝の軽視あるい
ムの方がウランより放射能が強いことで説明で
は研究の大幅な遅れと,晩発性障害のリスクの
きる.
過小評価となるが,多くの内外の放射線影響の
専門家は,こうした問題を深刻に捉えず今なお
4.放射線影響研究所の疫学研究の
欠陥と問題点
放影研の研究を金科玉条としている.
放影研の求めた相対リスクは,放射性降下物
による被曝影響を考慮し,真の非被爆者を対照
福島原発事故による政府の放射線防護基準
区(コントロール )に採用した場合より大幅な
は,ICRP, 国 際 原 子 力 機 構(IAEA), 原 子 放
過小評価になっていることを,悪性新生物死亡
射線の影響に関する国連科学委員会(UNSC
リスクについて具体的に示す.広島大学原爆放
EAR)などに大きく依存し,これらの国際機関
射線医科学研究所(原医研)は,広島県在住の
は核兵器国の核政策と原発推進政策によって科
被爆者(被爆者健康管理手帳所持者 )のさまざ
学的基盤からずれ,人命よりも政治的で実用性
まな障害による死亡率を,被爆者を除く広島県
を重視した勧告を発表してきたが,科学的根拠
民を対照区として比較研究してきた 7).ここ
として放影研の疫学研究に大きく依存してき
では,この研究の中から爆心地から 1km 以内,
た.しかし放影研はさまざまな問題点を抱え, 1〜 1.5km,1.5 〜 2km,2km 以遠の直爆被
これらの国際機関もその欠陥を引継いでいる. 爆者と広島県民非被爆者の男女別と男女全体に
放影研の欠陥あるいは問題点は
ついて,1968 〜 72 年の悪性新生物による死
表 1 広島大学原医研による広島県被爆者の悪性新生物年間死亡率
直爆被爆者
1km以内 1〜1.5km 1.5〜2km <2km計
1968-72年観察人年
19,637
42,025
60,505 122,167
男性 悪性新生物死亡数
99
191
210
500
年間死亡率 (%)
0.504
0.454
0.347
0.409
1968-72年 観察人年
18,968
61,222 172,919 153,109
女性 悪性新生物死亡数
58
170
153
381
年間死亡率 (%)
0.306
0.278
0.210
0.249
1968-72年 観察人年
38,605 103,247 133,424 275,276
男女
悪性新生物死亡数
157
361
363
881
合計
年間死亡率 (%)
0.407
0.350
0.272
0.320
- 12 -
2km以遠
75,968
284
0.374
116,992
276
0.230
192,960
560
0.290
被爆者計
非被爆者
370,343
1,729
0.467
421,266
1,037
0.246
791,609
2,766
0.349
3,537,580
6,700
0.189
3,884,180
5,451
0.140
7,421,760
12,151
0.164
・ 原発災害と私たちの未来」予稿集
2012.3.3. 東京
して表2に示した.また,1Sv
当たりの悪性
と男女全体について,1968日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災
年から 1972
新生物による死亡相対リスクの増加を求めて
の悪性新生物による死亡数と年間死亡率を
亡数と年間死亡率を検討する.原医研のデータ
表2の相対リスクを全被曝線量にたいして示
を示すと表1のようになる.被爆者を除く広島
すと,広島県民の非被爆者を対照区にしたもの
表2に示した.
討する.原医研のデータを示すと表1のよ
県民を対照区として,表1の悪性新生物死亡率
は図7の●印になり,放影研式で 2km 以遠の
表2の相対リスクを全被曝線量にたいして
になる.被爆者を除く広島県民を対照区と
から,爆心地から 1km 以内,1 〜 1.5km,1.5 遠距離被爆者を対照区にした相対リスクは図7
示すと広島県民の非被爆者を対照区にしたも
て表1の悪性新生物死亡率から,爆心地か
〜 2km,2km 以遠の直爆被爆者,および非被
の▲印になる.
爆者の男性,女性,男女全体について,悪性新
爆心地から 2km 以遠の遠距離被爆者を,放
1km 以内,1∼1.5km,1.5∼2km,2km
のは図7の●印になり,放影研式で 2km 以
遠の遠距離被爆者を対照区にした相対リスク
遠の直爆被爆者,および非被爆者の男性,
生物による相対リスク(被爆者の被曝線量ごと 影研のように放射線をあびていないとして対照
は図7の▲印になる.
性,男女全体について,悪性新生物による
の集団の死亡率を非被爆者(対照区)の死亡率
区とすると,表1に示されているように年間死
爆心地から
2km 以遠の遠距離被爆者を,
対リスク(被爆者の被曝線量ごとの集団の死
で除したもの . RR )を求めると,表2のよう
亡率は,爆心地から
2 km 以遠の被爆者の方が
になる.表2には,DS02
による初期放射線被
1.5 〜 2km の直爆被爆者よりも男女とも大き
放影研のように放射線をあびていないとして
)を求める
率を非被爆者の死亡率で除したもの
曝線量,図4に示した ABCC の脱毛発症率から
いので,爆心地から 1.5 〜 2km の直爆被爆者
対照区とすると,表1に示されているように
表2のようになる.表2には,DS02
によ
求めた放射性降下物による被曝線量,およびこ 相対リスクが表2と図7の▲印のように 1 以
年間死亡率は,爆心地から 2 km 以遠の被爆
初期放射線被曝線量,図4に示した
ABCC
れらを加えた全被曝線量を示した.
脱毛発症率から求めた放射性降下物による
下になるという問題が生ずる.この理由を合理
者の方が 1.5∼2km の直爆被爆者よりも男女
放影研は,初期放射線がほとんど到達しない
曝線量,およびこれらを加えた全被曝線量
遠距離被爆者の放射性降下物による被曝は
示した.
無視できるとして,初期放射線被曝のみを
的に説明する必要があるが,どちらの領域にお
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非被曝の対照区にしている.しかし,表 1
遠距離被爆者の放射性降下物による被曝は
と表2に見られるように,爆心地から 2km
視できるとして,初期放射線被曝のみを考
���
しているので,遠距離被爆者を実質上非被
爆者より悪性新生物による死亡率が高い.
の対照区にしている.しかし,表 1 と表2
放影研のように遠距離被爆者を対照区にす
見られるように,爆心地から
2km 以遠の
る過ちを明示するために,爆心地から 2km
爆者は爆心地から
1.5∼2km の被爆者より
以遠の被爆者を対照区にした相対リスクを
性新生物による死亡率が高い.放影研のよ
「放影研式」として,表2に示した.また,
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放影研は,初期放射線がほとんど到達しな
考慮しているので,遠距離被爆者を実質上
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以遠の被爆者は爆心地から 1.5 〜 2km の被
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1Sv 当たりの悪性新生物による死亡相対リス 図7 広島の被爆者の悪性新生物の被曝線量に
に遠距離被爆者を対照区にする過ちを明示
図7 広島の被爆者の悪性新生物の被曝
よる相対リスク(広大原医研)
クの増加を求めて,表2に示した.
るために,爆心地から
2km 以遠の被爆者
線量による相対リスク(広大原医研)
表 2 原医研による広島県被爆者の悪性新生物による死亡リスク
対照区にした相対リスクを「放影研式」と
男
性
女
性
男
直爆被爆者
非被爆者
2km以遠
a) 初期放射線平均被曝線量 (Sv)
1.614
0.77
0.1
0
0
直爆被爆者
b) 放射性降下物平均被曝線量 (Sv)
2.27
1.469
1.458
0.85
0
非被爆者
c=a+b) 合計平均被曝線量
(Sv) 以内 3.884
1.558 2km 0.85
0
1 km
1∼1.5km2.239
1.5∼2km
以遠
d1) 相対リスク RR
2.6667
2.4021
1.8360
1.9788
1
初期放射線平均被曝線量
0.77
0.1
0
0
e1) 同上 放影研式 1.614
RR
1.3476
1.2139
0.9278
1
—
男性
放射性降下物平均被曝線量
2.27
1.469
1.458 0.63,
0.85
f) 1Sv 当たり相対リスクの増加: 原医研方式
放影研方式 0.21 0
d2) 相対リスク RR
1.6857
合計平均被曝線量
3.884 2.1857
2.239 1.98571.5581.5000 0.85
0 1
e2) 同上 放影研式 RR
女性
1.2966
1.1780
0.8898
1
—
)
f
相対リスク ERR 1Sv 当たり相対リスクの増加: 原医研方式
2.6667
2.4021
1.8360 0.43,放影研方式
1.9788
0.191
d1+2) 相対リスク RR
1.6585
同上放影研式
ERR
1.3476 2.4817
1.2139 2.13410.9278
11.7683
̶1
男女
e1+2) 同上 放影研式 RR
1.4034
1.2069
0.9379
1
—
合計
)
1Sv 当たり相対リスクの増加
原医研方式
0.63,
放影研方式
0.21
f
1Sv 当たり相対リスクの増加: 原医研方式 0.53,放影研方式 0.23
1 km以内
1〜1.5km
1.5〜2km
原医研による広島県被爆者の悪性新生物による死亡リスク
注 : d,e は,斜字体で
f 1.6857
は,c 〜 e に基づき各群をプロッ
過剰相対リスク
ERR 1 と表記した群(対照区)にたいする比率を表したもの.
2.1857
1.9857
1.5000
0
トした図 7 で得られた回帰直線の傾きの値を表す.f の違いが,b の無視(対照区の違い)を反映する .
同上放影研式 ERR
1.2966
1Sv 当たり相対リスクの増加
過剰相対リスク ERR
1.1780
0.8898
1
原医研方式 0.43,放影研方式 0.19
2.4817
2.1341
1.6585
1.7683
̶ - 13 0
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
いても放射性降下物が主要な被曝影響を与えて
る.原医研の研究と合せて,放影研の LSS 集
おり,1.5 〜 2km では火災による死亡が多い
団も対照区として真の非被爆者を設定して正し
こと,2km 以遠は広島市の郊外となり,生活
く研究を行えば,遠距離被爆者の放射性降下物
様式が異なるなどの影響も考えられる.
の内部被曝による晩発性障害の影響についての
相対リスクの●印と▲印全体をそれぞれ表す
知見が得られるであろう.
回帰直線を求めると図7の直線と細い点線とな
放射線感受性は,急性症状でも晩発性障害に
り,この直線の勾配すなわち 1Sv 当たりの相
ついても,細胞分裂を活発におこなっている子
対リスクの増加は,表2に示すように原医研で
供や胎児は数倍大きい.こうした問題について
は男性 0.63,女性 0.43,男女全体で 0.53 で
もさらに研究を進めなければならない.
あるのに対し,放影研方式では男性 0.21,女
原医研の研究では,広島県在住被爆者の悪性
性 0.19,男女全体で 0.23 となる.すなわち, 新生物による死亡率は非被爆者の広島県民より
真の非被爆者を対照区にした場合は,遠距離被
も高いにもかかわらず,全死因による死亡率は
爆者を対照区にした場合の,男性で 3 倍,女
男女とも非被爆者より 9%低率であることが示
性で 2.3 倍,全体で 2.3 倍となり,放影研の方
されている.これは被爆者が年2回の健康診断
式は,悪性新生物による死亡リスクを大幅に過
を国の責任で行ってきたことの反映である 7).
小評価していることになる.
このことから,原発作業員など,今回の放射線
爆心地から 1km 未満の直爆被爆者の大半は, によって被曝した福島県や北関東などの人びと
半致死線量の 4Sv 以上を被曝し,1968 年まで
に対し,健康管理を国の責任で行うことが必要
に死亡している.図7に,悪性新生物による相
である.
対リスクが被曝線量にしたがって直線で増加す
るとして,相対リスク全体を表現する回帰直線
5.おわりに
を求めたが,1km 以内の直爆被爆者の相対リ
スクが回帰直線の下になっているのは,放影研
東電の社員について,1次測定の 3,726 人
の LSS と同様,1968 年までに生存できた放射
の測定では 100 mSv 以上は 24 人,5 月 31 日
線抵抗力の強い被爆者が調査対象となったため
までにホール・ボディ・カウンターを用いた内
と考えられる.
部被曝の測定を行った 2,367 人中 100 mSv を
放 影 研 の 疫 学 調 査 の 対 照 区 と し た LSS の
超えた人は 29 人いた.
0.09Sv 以下の遠距離被爆者と入市被爆者のが
とくに被曝線量が高い ① 30 代社員:外部
んの死亡の日本人平均を基準にした相対リス
被 曝 88mSv, 内 部 被 曝 590mSv, 合 計 678
クが 1 より大きく,乳がん,甲状腺がん,白
mSv,② 40 代社員:外部被曝 103mSv,内部
血病の発症の日本人平均を基準にした相対リ
被曝 540mSv,合計 643mSv,③ 50 代社員:
スクが 1 よりかなり大きいことを 1983 年に
外 部 被 曝 35mSv, 内 部 被 曝 300mSv. 合 計
最初に指摘したのは,ブレーメン大学の Inge
335mSv の3人は,外部被曝に比して内部被曝
Schmitz-Feuerhake さんで,彼女は ECRR の現
がかなり大きい.ただし,測定はγ線だけで,
会長である.同時に彼女はドイツ反核医師の会
β線被曝は含まれていない.ホール・ボディ・
の「チェルノブイリの健康影響—原子炉大災害
カウンターは,「セシウム 137—β崩壊 →バリ
から 25 年後」を Sebastian Pflugbeil さんたち
ウム 137 励起状態—γ崩壊 →バリウム 137 基
とまとめて,2011 年 4 月に発表している.ま
底状態」と崩壊する過程の,ガンマ線だけを測
た,LSS の広島被爆者の 0.005Sv 以下の初期放
定する.内部被曝の場合はβ線の影響の方がγ
射線極低線量集団ががんの高いリスクを示すこ
線よりはるかに大きく,RBE を 1 として Sv を
とを,T. Watanabe らが 2007 年に見出してい
求めた価に比べて内部被曝線量はさらに大きく
- 14 -
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
なる可能性がある.
受けて科学的根拠を欠いていると報道したこと
福島原発事故調査・検証委員会「中間報告」 から,「安全神話」の復活を目論む道を閉ざさ
では,「放射性物質が固体の塊のまま体内に取
れてはならないという焦りとして「抗議と要望」
り込まれた場合の影響を考える必要性は小さい
に現れたと考えられる.
と思われる」と述べているが,内部被曝線量推
以上述べたように,放影研の研究や ICRP な
定で重要になる,飛散した放射性微粒子の大き
どの国際組織が内部被曝の問題を軽視し,内部
さは測定されていない.
被曝の研究は大きく遅れてしまった.そこで,
ICRP に影響された科学者が,福島原発事故
去る 1 月 27 日に「市民と科学者の内部被曝問
による放射線被ばくの影響について,テレビで
題研究会」が発足し,内部被曝の問題の科学的
「直ちに影響はありません」「100mSv 以下では
な研究を推進するとともに,市民と共同して研
がんなどが起きるという証拠はありません」と
究成果を活かして,内部被曝も含めてた被曝影
述べ,政府も ICRP の勧告に従って 20mSv 以
響から,とりわけ放射線影響が大きい胎児,幼
下の被ばく影響は無視できるかのように述べて
児,子どもの被曝防護に努めなければならない.
きた.これまでも,100mSv 以下でもがん発症
独立した原子力安全委員会ないし規制委員会
率が被ばく線量に比例して増加するという研究
を4月に発足させると言いながら,「安全神話」
はあった.特に 2011 年 3 月に,カナダのマ
を振りまいてきた専門家を除き,自主・民主・
ギー大学のチームが X 線検査・治療を受けた
公開の基本原則に基づいて国民の安全に責任を
82,861 人を追跡調査し,10 〜 40mSv の間の
持つ専門家を総結集した,強い権限を持つ安全
10mSv 間隔でがん発症率が 3% づつ増加する
規制委員会と原発事故委員会が立ち上がるかど
との論文を発表している.ICRP はこうした研
うか,見通しが立っていない.事故の収拾計画,
究を意図的に無視している.
スポット状汚染地域の放射能のきめ細かい測定
2011 年 12 月 28 日に NHK の「追跡 ! 真相ファ
と居住環境の調査,被曝した人びとの健康管理,
イル 低線量被ばく 揺れる国際基準」は,ICRP
汚染土壌の処理を含めた農業などの安定的再
が,一般には科学的な立場から放射線防護の基
開,海洋と水産物の汚染のきめ細かい測定と公
準を勧告してきたと考えられているのに対し, 表などを推進することが何よりも必要である.
実際には核兵器を製造しているアメリカのエネ
ルギー省や原子力産業の影響を受けて,政治的
引用文献
な立場からの影響を強く受けてきたことを国民
1) L. E. Feinendegen & J. Booz : Def. Sci. J., 40,
に知らせるものであった.この番組に対し,日
本原子力学会のシニアネットワークなど「安全
神話」で原発を推進してきた人たちが,放影研
が 1980 年代に被曝線量を「原爆放射線 1965
年暫定線量(T65D)」から DS86 に変更したこ
とを,時間当たりの被曝を与える線量率の変更
だと勘違いの批判をして,NHK 会長宛に「抗
議と要望」を提出して圧力をかけている 8).
東電福島第一原発の事故によって,市民が放
383-388 (1990).
2) Preston, D. L., 馬渕清彦 , 児玉和紀 , 藤田正一
郎 : 長崎医学会雑誌 73, 251-253 (1998).
3) Stram and Mizuno : Radiat. Res.117:93-113
(1989).
4) Kyoizumi, S., Suzuki, T., Teraoka, S. & Seyama,
T. : Radiat. Res. 194, 11-18 (1998).
5) Sawada, S.: 社会医学研究,第 29 巻1号 (2011).
(『日本の科学者』2011 年 6 月号にも掲載)
射能汚染のために避難させられ,福島県と関
6) 於保源作:日本医事新報 ,1746, 21-25 (1957).
東北部をはじめ国民の中に原発から自然エネル
7) 栗 原 登 ら: 広 大 原 医 研 年 報 22, 235-255,
ギーに転換してほしいと願う中で,NHK の番
組が,ICRP が核兵器や原発推進勢力の影響を
1981.
8) 沢田昭二:DAYS JAPAN, 9(3),216-217, (2012).
- 15 -
閉
鎖
さ
れ
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の
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75
R被 は 基 て 。 焦 目
た 大 投 。 究 っ 7 に 射
、 部 研 準 ど 影 原 事 て 集 ︵
づ い 彼 り 論
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影 曝 に 勧 視 、 雲 に ま と 研
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委
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災
原発災害と私たちの未来」予稿集
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、 、
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判
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て
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ま
す
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け
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全
体
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不
公
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、
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ー
ム
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
は
こ
う
し
た
こ
と
に
は
反
影
響
を
受
け
て
き
た
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と
を
裏
付
け
ま
し
た
。
更
し
た
こ
と
で
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。
8
6
年
線
量
推
定
方
式
︵
D
S
86
︶
﹂
に
変
暫
定
線
量
推
定
方
式
︵
T
65
D
︶
﹂
を
﹁
1
9
線
量
を
過
大
評
価
し
て
い
た
﹁
1
9
6
5
年
大
き
な
変
化
は
、
主
と
し
て
原
爆
の
中
性
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を
し
て
き
た
こ
と
、
T
65
D
か
ら
D
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86
へ
被
曝
線
量
に
固
執
し
て
癌
な
ど
の
疫
学
調
査
と
述
べ
て
い
ま
す
。
補
正
を
行
う
の
は
常
識
に
な
っ
て
い
ま
す
﹂
口
々
に
述
べ
て
い
ま
す
。
政
府
も
I
C
R
P
な
る
と
い
う
証
拠
は
あ
り
ま
せ
ん
﹂
な
ど
と
つ
い
て
﹁
直
ち
に
影
響
は
あ
り
ま
せ
ん
﹂
﹁
1
し
ま
し
た
。
彼
ら
は
放
射
線
被
曝
の
影
響
に
を
線
量
・
線
量
率
効
果
係
数
と
呼
ぶ
。
こ
れ
は
放
影
研
が
、
初
期
放
射
線
の
み
の
0
0
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
以
下
で
は
癌
な
ど
に
と
き
、
同
じ
効
果
を
得
る
の
に
要
す
る
線
量
の
逆
比
は
弱
く
な
る
。
こ
れ
を
線
量
率
効
果
と
い
う
。
こ
の
率
を
下
げ
て
時
間
を
か
け
て
照
射
す
る
と
生
物
効
果
し
た
と
き
に
得
ら
れ
る
生
物
効
果
に
比
べ
て
、
線
量
用
に
は
問
題
が
あ
る
。
高
線
量
率
で
短
時
間
に
照
射
217 DAYS JAPAN 増刊号
- 16 え
て
、
I
C
R
P
が
核
政
策
や
原
発
政
策
に
員
会
︵
E
C
R
R
︶
は
2
0
0
3
年
勧
告
や
部
被
曝
の
軽
視
を
、
欧
州
放
射
線
リ
ス
ク
委
率
効
果
係
数
﹂
は
、
低
線
量
で
長
時
間
被
曝
る
外
部
被
曝
で
す
。
一
方
の
﹁
線
量
・
線
量
ほ
と
ん
ど
瞬
間
的
に
身
体
の
外
か
ら
被
曝
す
き
ま
せ
ん
で
し
た
。
初
期
放
射
線
被
曝
は
、
分
以
内
の
初
期
放
射
線
被
曝
し
か
考
慮
し
て
原
爆
放
射
線
被
曝
と
し
て
は
原
爆
の
爆
発
1
線
量
率
効
果
係
数
の
出
る
幕
が
な
い
と
い
う
う
と
﹁
、
抗
議
と
要
望
﹂
が
い
う
よ
う
な
線
量
・
の
委
員
が
テ
レ
ビ
カ
メ
ラ
の
前
で
何
と
言
お
こ
う
し
た
背
景
を
考
え
る
と
、
I
C
R
P
に
な
り
ま
す
。
の
癌
の
発
症
リ
ス
ク
は
約
2
倍
と
い
う
こ
と
す す 準
。 る も
場 、
合 福
に 島
妥 原
当 発
性 事
を 故
欠 に
く よ
こ る
と 被
に 曝
な を
り 評
ま 価
曝
を
軽
視
し
た
I
C
R
P
の
放
射
線
防
護
基
放
影
研
の
研
究
結
果
に
も
と
づ
く
、
内
部
被
要
な
欠
陥
で
す
。
こ
う
し
た
欠
陥
を
も
っ
た
た
し
て
ほ
し
い
と
思
い
ま
す
。
よ
う
な
圧
力
に
屈
す
る
こ
と
な
く
、
N
H
K
う
視
点
か
ら
重
要
で
す
。
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
の
と
は
、
﹁
科
学
が
誰
の
た
め
の
も
の
か
﹂
と
い
事
実
に
基
づ
い
て
得
ら
れ
た
放
射
性
降
下
物
性
症
状
、
晩
発
性
障
害
、
染
色
体
異
常
な
ど
、
委
員
も
、
原
爆
被
爆
者
の
中
で
起
こ
っ
た
急
と
は
あ
り
ま
せ
ん
。
効
果
係
数
﹂
を
I
C
R
P
が
問
題
に
す
る
こ
放
影
研
の
報
告
を
受
け
て
﹁
線
量
・
線
量
率
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
が
い
う
よ
う
に
、
80
年
代
に
、
し
た
場
合
の
リ
ス
ク
を
考
慮
す
る
係
数
で
す
。
に
適
用
す
る
た
め
に
D
D
R
E
F
値
に
よ
り
で
の
評
価
結
果
を
﹃
低
線
量
率
・
長
時
間
﹄
わ
り
、
﹁
原
爆
の
よ
う
な
1
度
の
大
量
被
曝
2
人
は
、
線
量
・
線
量
率
効
果
係
数
に
こ
だ
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
の
提
出
を
承
認
し
た
1
1
こ
と
に
な
り
ま
す
。
返
し
テ
レ
ビ
な
ど
の
マ
ス
メ
デ
ィ
ア
に
登
場
P
に
影
響
さ
れ
た
何
人
か
の
科
学
者
が
繰
り
80
年
代
の
放
影
研
の
疫
学
研
究
に
お
け
る
P
の
シ
ー
ベ
ル
ト
の
算
出
方
法
の
内
部
被
曝
へ
の
適
に
つ
い
て
の
研
究
が
進
ん
で
い
な
い
の
で
、
I
C
R
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
な
ど
で
あ
る
。
し
か
し
、
内
部
被
曝
当
量
で
、
そ
の
単
位
が
シ
ー
ベ
ル
ト
、
あ
る
い
は
ミ
ジ
ャ
ー
ナ
リ
ズ
ム
の
役
割
福
島
第
一
原
発
の
事
故
の
あ
と
、
I
C
R
的
効
果
比
と
し
て
吸
収
線
量
に
掛
け
た
も
の
が
線
量
る
。
放
射
線
の
種
類
に
よ
る
効
果
の
違
い
を
生
物
学
あ
っ
て
も
放
射
線
の
種
類
や
線
量
率
に
よ
っ
て
異
な
︵
注
︶
放
射
線
の
生
物
学
的
効
果
は
、
同
一
の
吸
収
線
量
で
2
0
1
0
年
勧
告
で
批
判
し
て
き
ま
し
た
。
に
よ
る
内
部
被
曝
の
影
響
を
未
だ
に
認
め
よ
日
本
か
ら
I
C
R
P
に
派
遣
さ
れ
て
い
る
う
と
し
ま
せ
ん
。
N
H
K
の
番
組
は
こ
う
し
た
背
景
を
踏
ま
科
学
的
な
事
実
を
市
民
に
伝
え
る
役
割
を
果
だ
け
で
な
く
す
べ
て
の
ジ
ャ
ー
ナ
リ
ズ
ム
は
、
こ
の
I
C
R
P
の
最
大
の
問
題
で
あ
る
内
の
番
組
が
、
﹁
原
発
て
ほ
し
い
と
い
う
願
い
だ
の
が
放
影
研
で
す
。
年
。
同
年
か
ら
A
B
C
C
の
研
究
を
引
き
継
か
に
な
り
ま
す
。
﹁
内
部
被
曝
﹂
が
重
要
で
あ
る
こ
と
が
明
ら
込
む
こ
と
で
起
こ
る
、
放
射
性
物
質
に
よ
る
究
す
る
と
、
放
射
性
降
下
物
を
体
内
に
取
り
行
い
ま
し
た
。
こ
の
調
査
結
果
を
丹
念
に
研
の
頻
度
、
癌
な
ど
の
晩
発
性
障
害
の
調
査
を
症
率
や
、
放
射
線
被
曝
に
よ
る
染
色
体
異
常
ま な け に
と す っ て 、
こ 。 て 変 核
い 更 兵
ろ
る し 器
が
。 な や
、
そ か 原
放
れ っ 発
影
は た 推
研
誤 と 進
の
り い 勢
疫
だ う 力
学
と 番 の
研
述 組 影
究
べ 内 響
で
て 容 を
は
い に 受
、
結
果
、
発
症
の
リ
ス
ク
は
2
倍
に
な
っ
た
の
と
誤
解
し
た
。
線
量
が
2
分
の
1
に
な
っ
た
に
し
た
の
に
、
N
H
K
は
放
射
線
被
曝
線
量
係
数
︵
D
D
R
E
F
︶
﹂
︵
文
末
注
︶
を
問
題
の
委
員
の
説
明
が
、
﹁
線
量
・
線
量
率
効
果
意
図
的
す
り
替
え
﹂
に
お
い
て
、
I
C
R
P
基
準
関
連
に
つ
い
て
﹂
の
﹁
︵
1
︶
論
旨
の
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
は
、
﹁
1
.
I
C
R
P
の
理理
解論
せ的
ず到
に達
抗を
議
し
か
し
、
中
性
子
を
吸
収
し
た
物
質
の
原
ー
ク
リ
ッ
ジ
国
立
研
究
所
が
策
定
し
ま
し
た
。
の
核
実
験
な
ど
の
デ
ー
タ
に
基
づ
い
て
米
オ
マ
線
と
中
性
子
線
の
線
量
を
、
ネ
バ
ダ
州
で
地
か
ら
の
距
離
ご
と
の
初
期
放
射
線
の
ガ
ン
も
の
で
す
。
広
島
原
爆
と
長
崎
原
爆
の
爆
心
し
て
い
る
人
々
の
影
響
を
受
け
た
か
ら
で
す
。
ま
し
た
。
核
兵
器
製
造
や
原
発
利
用
を
推
進
被
曝
の
重
要
さ
を
示
す
研
究
を
無
視
し
て
き
放
影
研
も
I
C
R
P
も
、
こ
う
し
た
内
部
は
約
2
分
の
1
に
な
り
、
被
曝
線
量
当
た
り
こ
の
問
題
は
、
放
影
研
の
疫
学
研
究
の
重
つ
い
て
の
事
実
を
一
般
の
人
々
に
伝
え
る
こ
初
期
放
射
線
に
よ
る
被
曝
線
量
は
、
実
際
に
つ
ま
り
初
期
放
射
線
の
ガ
ン
マ
線
と
合
せ
た
6
分
の
1
で
あ
る
こ
と
が
わ
か
り
ま
し
た
。
爆
の
中
性
子
線
量
が
実
際
に
は
T
65
D
の
約
実
際
に
は
T
65
D
の
約
10
分
の
1
、
長
崎
原
測
定
す
る
と
、
広
島
原
爆
の
中
性
子
線
量
は
子
核
が
放
射
化
さ
れ
て
放
出
す
る
放
射
線
を
な
過
小
評
価
を
し
て
い
る
の
で
す
。
そ
の
た
め
癌
の
発
症
リ
ス
ク
に
つ
い
て
大
き
距
離
被
爆
者
を
コ
ン
ト
ロ
ー
ル
し
て
い
ま
す
。
下
物
に
よ
る
影
響
を
無
視
し
て
、
実
質
上
遠
と
こ
ろ
が
、
放
影
研
で
は
今
な
お
放
射
性
降
選
択
が
き
わ
め
て
重
要
に
な
っ
て
き
ま
す
。
コ
ン
ト
ロ
ー
ル
と
呼
ば
れ
る
比
較
対
照
群
の
し
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
疫
学
研
究
で
は
が
、
放
影
研
の
疫
学
研
究
の
問
題
点
も
指
摘
を
発
表
し
て
い
ま
す
。
発
症
率
が
3
%
ず
つ
増
加
す
る
と
い
う
論
文
ト
の
間
の
10
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
間
隔
で
癌
の
10
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
か
ら
40
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
治
療
を
受
け
た
8
2
8
6
1
人
を
調
査
し
て
、
跡
調
査
で
す
。
こ
の
チ
ー
ム
は
X
線
検
査
・
ナ
ダ
の
マ
ギ
ー
大
学
の
チ
ー
ム
が
行
っ
た
追
ま
し
た
。
特
筆
す
べ
き
は
、
昨
年
3
月
に
カ
ジ
ャ
ー
ナ
リ
ズ
ム
が
低
線
量
被
曝
影
響
に
A
B
C
C
は
50
年
頃
に
被
曝
者
の
脱
毛
発
216
D
と
い
う
暫
定
的
な
推
定
方
式
を
変
更
し
た
け
て
き
た
こ
と
は
、
I
C
R
P
と
N
C
R
P
T
65
D
は
、
57
年
に
最
初
に
で
き
た
T
57
害
に
あ
っ
た
国
民
の
中
に
、
原
発
か
ら
自
然
す ふ 果 は の
番 。 た 係 問 線
組
つ 数 題 量
で
を ﹂ に の
は
理 は な 変
取
解 直 っ 更
り
し 接 て に
上
て 関 も 際
げ
い 係 、 し
て
な が ﹁ て
い
い な 線 線
ま
と い 量 量
せ
考 こ ・ と
ん
え と 線 線
で
ら 、 量 質
し
れ こ 率 係
た
ま の 効 数
員
会
︵
A
B
C
C
︶
が
閉
鎖
さ
れ
た
の
は
75
に
比
例
し
て
増
加
す
る
と
い
う
研
究
は
あ
り
ベ
ル
ト
以
下
で
も
癌
の
発
症
率
が
被
曝
線
量
し
か
し
、
こ
れ
ま
で
も
1
0
0
ミ
リ
シ
ー
述
べ
て
き
ま
し
た
。
下
の
被
曝
影
響
は
無
視
で
き
る
か
の
よ
う
に
の
勧
告
に
従
っ
て
、
20
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
以
か
か
わ
る
勢
力
か
ら
影
響
や
圧
力
を
受
け
続
東
電
福
島
第
一
原
発
の
事
故
に
よ
っ
て
被
島
と
長
崎
に
設
置
さ
れ
た
原
爆
傷
害
調
査
委
I
C
R
P
が
核
兵
器
工
場
や
原
発
推
進
に
い
る
の
で
す
。
4
年
に
ト
ル
ー
マ
ン
米
大
統
領
の
指
示
で
広
か
え
た
批
判
を
し
て
い
ま
す
。
述
べ
て
き
ま
し
た
。
も
か
か
わ
ら
ず
、
放
射
能
の
除
染
の
見
通
し
続
け
、
野
田
首
相
の
﹁
事
故
収
束
宣
言
﹂
に
事
故
に
よ
っ
て
放
射
線
に
被
曝
し
て
避
難
を
20
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
を
採
用
︶
、
人
命
救
助
ト
の
間
の
目
安
に
な
る
線
量
︵
日
本
政
府
は
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
と
1
0
0
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
﹁
緊
急
時
被
曝
状
況
﹂
で
は
、
一
般
人
は
20
②
事
故
が
起
こ
っ
た
と
き
な
ど
の
非
常
事
態
間
で
1
0
0
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
と
す
る
。
し
か
し
多
く
の
人
々
は
、
福
島
第
一
原
発
に
問
題
の
多
い
内
容
﹂
と
書
か
れ
て
い
ま
す
。
な
問
題
指
摘
な
ど
に
よ
り
構
築
さ
れ
た
非
常
誤
認
、
不
都
合
な
情
報
隠
ぺ
い
、
根
拠
薄
弱
に
反
し
、
数
々
の
論
旨
の
す
り
替
え
、
事
実
ト
/
年
、
﹁
職
業
被
曝
線
量
限
度
﹂
を
5
年
の
﹁
公
衆
線
量
限
度
﹂
を
1
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
状
態
の
﹁
計
画
被
曝
状
況
﹂
で
は
、
一
般
人
①
計
画
的
に
放
射
線
を
管
理
で
き
る
平
常
な
い
ま
す
。
放
射
線
被
曝
の
﹁
線
量
限
度
﹂
を
勧
告
し
て
N
C
R
P
の
並
列
組
織
と
い
う
性
格
が
強
く
,
委
員
会
議
長
が
兼
ね
た
の
で
、
I
C
R
P
は
全
米
放
射
線
防
護
委
員
会
︵
N
C
R
P
︶
の
I
C
R
P
の
ほ
と
ん
ど
の
委
員
会
の
議
長
は
委
員
会
の
名
称
を
変
更
し
て
発
足
し
ま
し
た
。
1
9
5
0
年
に
国
際
X
線
お
よ
び
ラ
ジ
ウ
ム
り
ま
す
。
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
は
、
こ
う
し
た
番
も
原
発
政
策
を
継
続
さ
せ
る
上
で
邪
魔
に
な
た
ち
に
と
っ
て
は
、
こ
う
し
た
番
組
は
今
後
続
く
中
で
、
原
発
を
推
進
し
よ
う
と
す
る
人
と
は
大
き
な
問
題
で
す
。
の
点
で
内
部
被
曝
の
研
究
が
遅
れ
て
い
る
こ
内
部
被
曝
が
問
題
に
な
っ
て
き
て
お
り
、
こ
現
在
は
セ
シ
ウ
ム
1
3
7
と
1
3
4
に
よ
る
論
し
な
い
で
、
細
か
い
と
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
は
こ
う
し
影
響
を
受
け
て
き
た
こ
と
を
え
て
、
I
C
R
P
が
核
政
増刊号
215 DAYS JAPAN
大 米
け か
て か I き 国
き わ C く な
た る R 受 ど
こ 勢 P け 核
と 力 が て 兵
は か 核 い 器
、 ら 兵 ま 国
I 影 器 す 家
C 響 工 。 の
R や 場
核
P 圧 や
政
策
と 力 原
N を 発
の
C 受 推
影
R け 進
響
P 続 に
を
T
65
D
は
、
57
年
に
最
初
に
で
き
た
T
57
害
に
あ
っ
た
国
民
の
中
に
、
原
発
か
ら
自
然
は
問
題
に
な
っ
て
も
、
﹁
線
量
・
線
量
率
効
の
線
量
の
変
更
に
際
し
て
線
量
と
線
質
係
数
員
会
︵
A
B
C
C
︶
が
閉
鎖
さ
れ
た
の
は
75
下
の
被
曝
影
響
は
無
視
で
の
勧
告
に
従
っ
て
、
20
ミ
東
電
福
島
第
一
原
発
の
事
故
に
よ
っ
て
被
島
と
長
崎
に
設
置
さ
れ
た
原
爆
傷
害
調
査
委
い
る
の
で
す
。
47
年
に
ト
ル
ー
マ
ン
米
大
統
領
の
指
示
で
広
か
え
た
批
判
を
し
て
い
ま
組
を
放
映
さ
せ
な
い
よ
う
に
圧
力
を
か
け
て
広
島
・
長
崎
の
原
爆
投
下
か
ら
2
年
後
の
を
つ
け
て
、
番
組
全
体
が
射
線
障
害
の
リ
ス
ク
の
基
準
を
示
す
た
め
に
、
こ
こ
に
は
、
﹁
こ
の
報
道
番
組
は
、
期
待
I
C
R
P
は
次
の
3
つ
の
状
況
に
対
し
て
い
う
︶
を
N
H
K
会
長
宛
に
提
出
し
ま
し
た
。
の
抗
議
と
要
望
︵
﹂
以
下
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
と
て
い
ま
す
。
準
を
日
本
政
府
も
福
島
原
発
事
故
で
採
用
し
の
I で
C す
R 。
P
は
、
国
際
的
に
合
意
さ
れ
た
放
被
爆
者
に
相
当
す
る
被
曝
に
な
っ
て
し
ま
う
﹁
﹃
低
線
量
被
ば
く
揺
ら
ぐ
国
際
基
準
﹄
へ
こ
の
I
C
R
P
の
放
射
線
か
ら
の
防
護
基
ら
2
キ
ロ
メ
ー
ト
ル
以
遠
で
被
爆
し
た
原
爆
r.
果
係
数
﹂
は
直
接
関
係
が
な
い
こ
と
、
こ
の
も
立
た
な
い
中
、
命
と
暮
ら
し
の
基
盤
を
奪
の
有
志
1
1
2
名
が
、
こ
の
番
組
に
対
し
、
金
子
熊
夫
元
外
交
官
、
評
論
家
︶
の
3
団
体
長
︶
、
﹁
エ
ネ
ル
ギ
ー
戦
略
研
究
会
﹂
︵
会
長
・
間
が
割
か
れ
て
い
ま
す
。
委
員
会
︵
I
C
R
P
︶
に
つ
い
て
多
く
の
時
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
に
達
し
、
広
島
の
爆
心
地
か
40
年
間
働
く
と
累
積
被
曝
線
量
は
8
0
0
ミ
N
H
K
の
番
組
で
は
、
国
際
放
射
線
防
護
て
も
引
き
続
き
仕
事
を
続
け
ま
す
。
例
え
ば
幹
事
・
林
勉
元
日
立
製
作
所
原
子
力
事
業
部
﹁
エ
ネ
ル
ギ
ー
問
題
に
発
言
す
る
会
﹂
︵
代
表
︵
会
長
・
宅
間
正
夫
元
東
電
本
店
企
画
部
︶
、
の国
性際
格放
射
線
防
護
委
員
会
放
射
線
業
務
従
事
者
は
、
一
般
に
5
年
を
経
職
業
被
曝
線
量
限
度
を
勧
告
し
て
い
ま
す
。
し
て
、
5
年
間
1
0
0
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
の
こ
れ
に
対
し
て
今
年
1
月
12
日
、
﹁
日
本
原
際
基
準
﹂
と
い
う
番
組
を
放
映
し
ま
し
た
。
相
フ
ァ
イ
ル
揺
ら
ぐ
国
昨
年
12
月
28
日
に
N
H
K
が
﹁
追
跡
!
真
り
ま
せ
ん
。
要
望
﹂
に
は
、
反
省
の
弁
が
一
言
も
見
当
た
な
ら
な
い
人
た
ち
で
す
。
し
か
し
﹁
抗
議
と
し
て
き
た
責
任
を
謙
虚
に
反
省
し
な
け
れ
ば
﹁
安
全
神
話
﹂
を
振
り
ま
き
、
原
発
を
推
進
/
年
と
し
て
い
ま
す
。
P
の
5
分
の
1
の
0
・
2
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
放
射
線
防
護
令
は
一
般
人
に
対
し
て
I
C
R
向
け
た
便
宜
の
結
果
と
い
え
ま
す
。
ー
ガ
ン
博
士
が
指
摘
し
た
原
発
や
核
産
業
に
I
C
R
P
は
、
放
射
線
を
取
扱
う
人
に
対
し よ 委 き 推 し 的 省 を た 線 の と か
し た っ 員 た 進 た な や 製 よ 量 N 考 ら I
か 。 て や 事 勢 。 立 原 造 う 被 H え 放 C
し
裏 元 実 力 I 場 子 し に ば K ら 射 R
福
付 委 を の C か 力 て 、 く
の れ 線 P
﹁ て 防 は
島
け 員 、 圧 R ら 産 い I
原
て を N 力 P の 業 る C 揺 追 き 護 一
発
、 取 H に の 影 の ア R ら 跡 ま の 般
事
広 材 K よ 勧 響 影 メ P ぐ ! し 基 に
く し が っ 告 を 響 リ は 国 真 た 準 は
故
の
国 、 直 て が 強 を カ 実 際 相 。 を 、
深
民 彼 接 ゆ 核 く 受 の 際 基 フ し 勧 科
刻
に ら I が 政 受 け エ に 準 ァ か 告 学
な
知 の C め 策 け て ネ は ﹂ イ し し 的
影
ら 証 R ら や て 、 ル 核 が ル
、 て な
せ 言 P れ 原 き 政 ギ 兵 伝
響
今 き 立
が
ま に の て 発 ま 治 ー 器 え 低 回 た 場
当
初
は
ヨ
ウ
素
1
3
1
に
よ
る
内
部
被
曝
、
N
H
K
の
番
組
は
こ
う
福
島
原
発
事
故
の
放
射
線
に
よ
る
被
曝
は
、
う
と
し
ま
せ
ん
。
あ
り
ま
す
。
り
無
視
す
る
根
源
に
は
、
放
影
研
の
研
究
が
ま
す
。
I
C
R
P
が
内
部
被
曝
を
軽
視
し
た
R
P
は
こ
の
放
影
研
の
研
究
に
基
づ
い
て
い
に
よ
る
内
部
被
曝
の
影
響
事
実
に
基
づ
い
て
得
ら
れ
性
症
状
、
晩
発
性
障
害
、
染
委
員
も
、
原
爆
被
爆
者
の
た
。
放
射
線
防
護
の
基
準
を
勧
告
す
る
I
C
日
本
か
ら
I
C
R
P
に
な
内
部
被
曝
を
ほ
と
ん
ど
無
視
し
て
き
ま
し
性
降
下
物
に
よ
る
被
曝
影
響
、
と
く
に
重
要
被
曝
と
共
通
性
の
多
い
原
子
雲
か
ら
の
放
射
2
0
1
0
年
勧
告
で
批
判
員
会
︵
E
C
R
R
︶
は
2
部
被
曝
の
軽
視
を
、
欧
州
放
影
研
は
、
福
島
原
発
事
故
に
よ
る
放
射
線
こ
の
I
C
R
P
の
最
大
の
人
体
影
響
を
研
究
し
て
き
ま
し
た
。
こ
の
長
崎
の
被
爆
者
を
調
査
集
団
と
し
て
放
射
線
し
て
い
る
人
々
の
影
響
を
受
ま
し
た
。
核
兵
器
製
造
や
放
射
線
影
響
研
究
所
︵
放
影
研
︶
は
、
広
島
・
被
曝
の
重
要
さ
を
示
す
研
子
力
学
会
シ
ニ
ア
・
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
連
絡
会
﹂
引放
き影
継研
ぐの
I内
C部
R被
P曝
軽
視
を
放
影
研
も
I
C
R
P
も
か
に
な
り
ま
す
。
﹁
内
部
被
曝
﹂
が
重
要
で
あ
低
線
量
被
ば
く
名
古
屋
大
学
名
誉
教
授
沢
田
昭
二
Nuclear Tragedy,
D
と
い
う
暫
定
的
な
推
定
方
式
を
変
更
し
た
わ
れ
続
け
て
い
ま
す
。
﹁
抗
議
と
要
望
﹂
を
"Second
も
の
で
す
。
広
島
原
爆
と
長
崎
原
爆
の
爆
心
提
出
し
た
3
団
体
の
有
志
の
人
々
は
、
人
災
r as Technicians
理理
解論
せ的
ず到
に達
抗を
議
で
あ
る
今
回
の
原
発
事
故
の
原
因
と
な
っ
た
age", Mar. 14, NT;
n the meltdowns",
学
う 発 ア 々 体 爆 原 よ 側 被
始
て 放 る の れ 恐 は て 研 つ く 者
射 。 日 が れ 本 い 究 い ら は 14
さ に の な に 弾 発 り は 害
ま
い
州
る
は
て
い
女
本
現
が
能
を 依 報 事 わ を 施 、 説 を
り
︶
る
、
明
の 川 の 実 あ に 。 ほ は 海 海 で
垣 存 道 実 た 投 設 地
で
及
が
し
︵
検 原 マ と る も 風 と 未 の に 表
間 す は で っ 下 の 震
あ
ぼ
て
出 発 ス な と そ 向 ん 知 生 広 明
見 る 、 あ て さ 安 多
る
す
を に コ っ 指 れ き ど 数 態 が さ
さ 日 消 る 高 れ 全 発 い 水
と
っ れ
両 お ミ て 摘 以 具 行 で 系2012.3.3.
せ 本 費 。 ま た 性 列 る 準
の
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災
・
原発災害と私たちの未来」予稿集
東京
。
原N
子H
力K
ム番
ラ組
に
圧
力
を
か
け
た
岸
の
火
事
で
は
な
い
か
ら
で
あ
る
。
日
本
の
容
赦
な
く
襲
わ
れ
て
科
学
技
術
の
危
機
に
直
(注
間
に
設
定
。
ベ
ル
ト
/
年
と
20
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
/
年
の
期
の
﹁
現
存
被
曝
状
況
﹂
で
は
1
ミ
リ
シ
ー
③
事
故
が
起
こ
っ
た
後
の
回
復
や
復
旧
の
時
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
/
年
。
の
許
容
限
度
の
目
安
は
5
0
0
∼
1
0
0
0
0
ミ
リ
シ
ー
ベ
ル
ト
に
し
て
い
る
の
も
、
モ
職
業
被
曝
線
量
限
度
の
勧
告
を
5
年
間
1
0
学
的
根
拠
も
な
く
放
射
線
に
か
か
わ
る
人
の
影
﹄
に
述
べ
て
い
ま
す
。
I
C
R
P
が
、
科
ガ
ン
博
士
が
、
著
書
﹃
原
子
力
開
発
の
光
と
足
当
初
か
ら
20
年
間
務
め
た
カ
ー
ル
・
モ
ー
の
内
部
被
曝
に
関
す
る
委
員
会
の
議
長
を
発
う
評
価
を
失
う
わ
け
に
は
い
か
な
い
の
で
す
。
告
が
、
科
学
的
根
拠
に
基
づ
い
て
い
る
と
い
ち
が
よ
り
ど
こ
ろ
に
し
て
い
る
I
C
R
P
勧
望
﹂
に
表
れ
て
い
ま
す
。
彼
ら
は
、
自
分
た
て
は
な
ら
な
い
と
い
う
焦
り
が
﹁
抗
議
と
要
安
全
神
話
﹂
の
復
活
を
目
論
む
道
を
閉
ざ
し
い
が
広
が
る
中
で
、
こ
の
番
組
が
、
﹁
原
発
エ
ネ
ル
ギ
ー
に
転
換
し
て
ほ
し
い
と
い
う
願
込
む
こ
と
で
起
こ
る
、
放
究
す
る
と
、
放
射
性
降
下
行
い
ま
し
た
。
こ
の
調
査
の
頻
度
、
癌
な
ど
の
晩
発
症
率
や
、
放
射
線
被
曝
に
こ
の
I
C
R
P
の
勧
告
に
対
し
、
ド
イ
ツ
と
述
べ
て
い
る
。
い 年
A だ 。
B -の
17同 C が 年
C 放 か
は 影 ら
50 研 A
年 で B
頃 す C
に 。 C
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
復旧 ・ 復興の現状と課題
綱島 不二雄(JSA 東日本大震災問題特別研究委員会)
Ⅰ.はじめに − 大震災と被災者主権
出額を超える額となっています.加えて被災
農 地 は, 岩 手 1800ha, 宮 城 1 万 5000ha,
「みなさん,ひなんじょのせいかつにはな
れましたか?ガンバリましょう!!」
福島 6000ha に及んでいます.
被害は,これに止まらず,岩手南部沿岸,
小学生による手書きの「ファイト新聞」は, 宮城の松島,仙台を除く,沿岸部町村のすべ
避難所の人々の心をどれほど励ましたこと
てが流出しました.福島は原発事故を受けて
でしょう.50 号まで出した「ファイト新聞
前例のない被災状況となっています.(福島
社」の小学生編集者たちも二度目の春を迎え
県の復旧 ・ 復興は別の機会に論じざるを得ま
ようとしています.いまどこで何をしている
せん)経験したことのない大災害です.
のでしょうか.
はげしい災害でした.大地震・大津波・
被災者の主権は尊重されねばなりません.
では,被災者の主権を具体的にどう考えたら
そして原発事故と同時多発大震災というべ
よいのでしょうか.それは,被災者の生命,
き事態でした.漁業,沿岸部農業の被害も大
くらし,コミュニティーの維持が一刻も早く
きく,中でも岩手,宮城,福島三県の被害は
保障される状況を作り出すことです.全てが
甚大でした.漁業の被害額は,三県で全国
流出した状況下からの復旧は,けっして「単
の 91%にのぼる 1 兆 1305 億円と推計され, なる復旧」ではありません.阪神淡路大震災
なかでも宮城は,6647 億円と全国の 50%
以来,復旧財政支出と個人財産権の攻め合い
を占める被害を受けました.漁港,水産加工
が続いてきました.その中で,生活再建支援
施設の被害も深刻で,漁港は,岩手で 111
法の誕生を見ました.その拡充を図ることは
港のうち 108 港,宮城は 142 港,漁港のす
引き続き重要な課題です.被災者が権利とし
べて,福島も 10 港のすべてが破壊されまし
て,自らの復旧・復興図を描くことは大切で
た.水産加工施設は,岩手,宮城,両県で
す.復興コンサルタントに丸投げされた箱も
70%強,福島で 60%弱が全壊しました.施
の中心の復興図からは「人の復旧 ・ 復興」は
設だけではなく,沿岸部全域で 1m 程の地盤
生まれないのです.息の長い復興への道のり
沈下があり,復旧をより困難なものにしてい
です.「ファイト新聞」の子どもたちが,夢
ます.
をもって復興にあたる姿を想像できる状況
農業被災額は,岩手 580 億円,宮城 4900
億円,福島 2100 億円に及び,三県の年間産
に持っていくのが,今私たちに課せられた責
務であり,国の責務なのです.
Ⅱ.被災地の権利と国家の責務 1. 自助努力の範囲を飛び越えた被災と被災者の権利(とくに生存権,所有権)は,敗戦後
ダメージに共通する事態ともいわれますが,当時の制約された国家主権の下よりは,今
回の事態に対する国の責任はさらに重いと考えるべきです.
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
2. 国の責務 → ともかく一日も早い被災者の平穏な日常,生業の回復を図ることです.
3. 被災者生活再建支援法は,阪神淡路大震災の復興の中で議論され,それ以降の執ような
運動の積み重ねによって成立しました.住宅再建に最大 300 万円支給が被災者の主権
回復の主要な柱です.これの 500 万円までの引き上げが市民運動の中から出され,国
会でも議論されています.困難な作業ですが,より根源的な議論も含めて運動していく
努力が必要とされています.
4. 国の対応 → 単なる復旧ではなく「創造的復興」日本の再生(財界主導,被災者目線なし)
その急先鋒として被災県宮城の村井知事のスポークスマン的な役割→「水産業復興特区」
発言など
国がこれまでやろうとして出来なかった,構造改革の導入意図そのもの,復旧 ・ 復
興の大幅な遅れ,復興の実権をもたない復興庁の設立(2 月 10 日予発足)
スマトラ沖地震,津波へのインドネシア政府の対応との比較(図 -1)
Ⅲ.県の対応の相違による復旧 ・ 復興格差と限界
復旧 ・ 復興に関する宮城,岩手両県の知事の対応,言動はきわめて対照的でした.
宮城(村井知事)―国の復旧 ・ 復興政策のスポークスマン的役割を果たす
「水産業復興特区構想」のぶち上げ→民間資本積極導入による早急な復興そのた
めに漁業権の民間開放,漁港の集約化
仮設住宅→大手プレハブメーカーに一括発注→欠陥住宅の典型,
復興特区法に基づく申請→「民間投資促進特区」申請,認可
福島原発事故対応→早々に宮城県は汚染なし,対策無用宣言
以後の汚染対応に大幅なおくれ
子供の将来にわたる健康不安には,特に問題なしとの態度
岩手(達増知事)―県民目線で復旧 ・ 復興対応
「被災したすべての漁港は完全復旧を目指す」→漁業者に希望
復興特区法に基づく申請→「保健 ・ 医療 ・ 介護特区」申請,認可
仮設住宅,地元材利用の木造住宅建設(一部)の試み
国の支援不足もあり,岩手の漁民にも不満が出ています.また,岩手県大槌町の
仮設住宅調査では,住民の 50%が収入ゼロという状況が報告されています.
仙台塩釜港(特定重要港湾)は,2011 年 9 月に一部復旧し,中国,韓国向けてコンテナ
航路が開通,2012.1.22 北米コンテナ航路も再開されました.一方,漁港の復興はおそく,
漁港の機能の回復までにはかなりの時間が予想されます.まさに,被災地の復興に大きな格
差が生まれているのです.
また宮城県では,復旧 ・ 復興には直接関係ない別次元の予算を紛れ込ませました.県復興
計画最終版に突如,リニアコライダー計画(中性子研究の大規模施設),メディカルメガバ
ンク構想(個人情報,倫理上の問題を含む)等の,被災時には不適当なものが登場しました.
これも結果として復旧を遅らせる要因の一つになります.
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
Ⅳ.大企業の被災地ビジネスの展開と被災者の権利と課題
単独の公共事業では前例のない巨額の契約額――ガレキ処理(表- 1)
中小企業グループ支援事業に,大企業も仲間入り(表- 2)
被災者の積極雇用は皆無に近い状態(漁港,農地のガレキ処理は例外)
被災農地への企業の参入,展開意図(生産から末端消費まで),農林漁業
支援ファンド(5 年 2000 億円)がこれをバック・アップ→農業,漁業の担い手をこ
こにしっかり位置づける取り組みが重要(JA,生協,地元企業への働きかけ)
交付金が交付されることになっても,事業開始までのつなぎ資金が必要→地元信金等
への公的資金投入が必要
Ⅴ.農業,漁業,水産業,コミュニティの復興理念
1.「高台移転」「職住分離」
生業復旧・復興の無視,コミュニティー機能の軽視
高台移転とインフラ整備の高度化による防御との矛盾,しかしインフラ整備計画が先
行――被災者の不安増幅
2.「生活の質」の多様性確保の無視
災害大国日本にあっては,大規模災害を想定して,生活の質の多様性―農村,山村,漁村,
都市生活―の確保はきわめて重要
日本の国土条件にあった生業における農民,漁民の復旧力にこそ,創造的復興の芽は
見出せるはず⇔世界的食糧不足予測
Ⅵ.被災地の復興力
応急復旧の浜で共同漁業
被災農地での野菜栽培,営農集団の農業復興への努力
水産加工業の回復努力+港の商店街も仮営業
地域伝統文化の伝承活動を小学生対象に開始
Ⅶ.公害経験に学ばない日本企業,国家
1.今なお,新患者が確認されている水俣病
チッソ――クローズド ・ システム(当時約 4 億円)を設置せず,排水たれ流し,
国は将来の化学産業への影響を危惧して対応は無視
2.東電福島原発
原発の予備電源システム増設(約数十億円)検討の末着手せず!!
国は安全神話ゆえリスク対応は僅少
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
Ⅷ.漁業権と国民的権利
海の汚染は陸の汚染の反映,沿岸用地確保に漁業権放棄は不可欠(財界)
漁業権は,漁獲と資源保全の漁業者総有の一種の財産権であり,国民的権利
<資 料>
図- 1
2004.12.2 スマトラ沖地震 M 9.1,死者 20 万人
2005.2 被災国による国際会議開催――宣言採決
宣言要旨
津波被害では,まづ,人命救助と復旧が要請される.ついで,漁業,水産業,農業,
観光,ミュニティーの復興と漁業における女性労働への配慮
インドネシア政府の取り組み
2005.4 インドネシア政府,最大被災州アチェ州の州都バンダ ・ アチェに復興庁
設置(100 日かけて国会で,復興全権を復興庁に委託決定)
長官――「私が書類にサインする段階で,その案件は着手されてなければならない」
「1 年目は,全員に感謝され,2 年目に不正,苦情が多発、3 年目に普通の生活,
4 年目 09’4 月解散」
「のびゆく農業 No.997」2011.5 農政調査委員会 朝日新聞(2011.4.14 号)より作成
<表―1 > 宮城県内廃棄物処理における契約状況
ブロック
共同企業体
契約金額(億円)
石巻地区
鹿島など 9 社
1924 億円
名取市
西松など 3 社
162 億円
岩沼市
間組など 5 社
238 億円
亘理町
大林など 7 社
543 億円
山元町
フジタなど 7 社
331 億円
JFEなど 6 社
235 億円
名亘地区
宮城東部地区
合 計
3433 億円
宮城県環境生活部資料から作成
<表―2 > 中小企業グループ支援
1次
2次
3次
申請
1250 億円
採択
64
(14 グループ)
66 億円
申請
1221
(146 グループ)
802 億円
採択
175
(16 グループ)
88 億円
申請
2028
(164 グループ)
1979 億円
採択
1010
(31 グループ)
1041 億円
採択計
1300 事業所 (217 グループ)
1249 事業所
(27%)
1165 億円
宮城県
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
核エネルギーをめぐる「日米同盟」の展開
山崎 正勝(東京工業大学名誉教授)
1.はじめに
機などの核戦力を増強する対共産圏政策を
とった.54 年 1 月にダレス国務長官が示し
日本での原子力発電が本格化する上で, た「ニュールック」戦略は,相手国を核兵器
1955 年の日米原子力協定締結と,1968 年
で破壊することを狙うものだった.3 月のビ
のその改定は,核エネルギーをめぐる日米間
キニ実験は,そのための小型水爆開発が目的
の重要な出来事であった.55 年協定で米国
だった.
から導入された原子炉は実験炉で,当時,日
福竜丸の乗組員の被災が明らかになった
本は英国の発電炉に期待していた.この状況
直後の 3 月 23 日に,アースキン国防長官補
は 1968 年の日米協定改定で大きく変わり, 佐官は国家安全保障会議作戦調整委員会に,
濃縮ウランと米国製軽水炉の支配体制がで 「共産主義者たち」の活動に対抗するため,
き上がった.前半では,55 年協定の経過を
日本へ「原子エネルギーの非軍事的利用」を
振り返り,後半では 68 年協定の意味を検討
展開する提言を行った.それを受けて 4 月
したい.
に米政府は,日本での博覧会の開催などの包
括的な対日対策を立てた.米国政府は,ビキ
2.アイゼンハワー政権の
核エネルギー戦略とビキニ事件
ニ事件とその後の日本国内の動向を,日米関
共和党から 1952 年 11 月の大統領選挙に
3.日本(広島)へ原子力発電所を
―米国民間人の提案―
勝利したドワイト・アイゼンハワーは,そ
係の戦後最大の危機と捉えていた.
れまで国が独占的に掌握してきた核エネル
ギー技術を民間企業に開放した.上下両院原
アイゼンハワー政権の原子力政策は「原子
子力委員会では,原子力委員会法の改正法案
エネルギーの平和利用における外国との協
の検討が進められた.民間企業も全米産業会
力」(NSC5431/1) で論じられ,動力炉は技
議を中心に原子力参入への準備を進めた.大
術的に可能とされながらも,いまだ経済的に
統領は,原子力委員長に「100% のアメリカ
引き合わないとされ,小規模な研究炉を使っ
人」(レスリー・グローブスの言葉)のルイ
た研究,訓練,医学などへの利用が各国との
ス・ストローズを指名した.こうした国内の
主な協力内容とされた.しかし,その後の米
政策転換を基に,英仏首脳との協議の上で, 民間人の提案では,発電用原子炉が想定され
アイゼンハワーは 53 年 12 月 8 日の国連総
た.
会での「平和のための原子」演説で,関係国
最初の提案は,54 年 9 月の米原子力委員
が国際原子力機関(IAEA)に核物質を提出し, トーマス・マレーによるもので,彼は従来の
世界の国々がそれを使って原子力の平和利
米国の兵器中心の核開発を平和目的に向け
用を進める提案を行った.
るべきだとし,発電炉が完成したときに,真
この政権は,他方で核兵器と長距離爆撃
っ先に設置すべき場所は広島だと主張した.
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
提案の直後に久保山愛吉が亡くなり,「クリ
利用準備調査会で,1 月 11 日に米国大使館
スチャン・サイエンス・モニター」 紙は,マ
から協定の申入れがあったと報告したので,
レー提案を「タイムリーで有益」だと評した. 「朝日新聞」 のスクープは正しかったという
ノーチラス号を建造したジェネラル・ダイ
定説ができ上った.
ナミックス社社長兼会長のジョン・ホプキン
しかし,1 月 11 日の口上書(無署名覚書)
スは,12 月に米国政府は,開発途上国,と
には,条約に関する記述はない.『朝日新聞』
りわけアジア諸国に原子力発電所を建設し, の記事後に米大使館から,濃縮ウラン供与
ソ連の攻勢に対抗して経済発展を援助すべ
は 1 月 11 日に申入れ済みと伝えられたため,
きだと主張した(「原子力マーシャル・プラ
外務省は 1 月に申入れがあったとしたのだっ
ン」).この構想は,ホプキンス 55 年来日の
た.米国では,ビキニ事件の政治決着と原子
機会を捉えた正力松太郎が社主を務める読
力協定の公式交渉とが重ならないことが必
売新聞グループの 「原子力平和使節」 キャン
要だと考えられていた.原子力委員会国際部
ペーンで,広く知られるようになった.
長ジョン・ホールは,交渉の時期を春にすべ
55 年 1 月 4 日に日米政府は,200 万ドル
きだと提案したと述べている.日本政府は文
の慰謝料によってビキニ事件の決着を図っ
書による申入れを米国から受けることなく,
た.この政治決着後,下院議員シドニー・
日米原子力協定の実務的な協議を開始した.
イェーツは,マレー,ホプキンスのアイデア
ビキニ事件後に原子力三原則の声明を出
を受け継ぎ,日米政府間の協力で,広島市に
していた学術会議は,日米協定は自主原則
発電用原子炉を寄贈する議案の提出を米国
を著しく損なう恐れがあると判断し,6 月 4
議会で行った.こうした一連の提言の影響
日に外務省に対して,8 月に予定されていた
で,米国は近い将来に日本に原子力発電所を
ジュネーブの原子力平和利用国際会議の結
もたらすという空気が,日本の政府と世論の
果を見定めることを求めたが,政府は 6 月
中に形成された.
22 日に協定の仮調印を行った.政府は,米
国議会の日程との関係で,日本の協定成立が
4.日米原子力協定の申入れと受け入れ
少なくとも半年遅れることを嫌い,協定を急
いだ.
1954 年 12 月,日本では日本民主党の鳩
山一郎内閣(第一次)が発足し,1 月のビキ
ニ政治決着の直後の 1955 年 1 月 11 日に米
5.原子力協定の国会審議と
その後の英国への依存
国大使館から,政府に原子力講習会参加問
い合わせがあった.その後,1 月 25 日に井
11 月末,自由民主党誕生と同じ日に,鳩
口駐米大使を通じて米国との原子力協定の
山政府は日米原子力協定を正式調印した.
概要が書かれた文書(「ファクト・シート」) 「55 年体制」成立後,第三次鳩山内閣が誕生
が届けられた.4 月 14 日の『朝日新聞』が, し,ホプキンスらを派手に迎え入れた正力松
同年 1 月末日にアメリカ政府が外務省に対
太郎が,原子力問題担当の国務大臣に就い
して原子炉用濃縮ウラン配分の申入れをし
た.正力は国会に日米協定の承認問題を諮っ
ていたと報じたため,外務省が米国政府から
たが,社会党は国内の受け入れ態勢が整って
協定の申入れがあった事実を隠ぺいしたと
いないと強く反発し,原子力基本法の上程を
見なされた.外務省は,4 月 21 日の原子力
強く迫った.自民党は急きょ,中曽根らが超
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
党派の議員立法で準備してきた原子力基本
法を提出する決断を行い,日米原子力協定
7.ケネディー・シーボーグ原子力低廉
化計画
は,原子力基本法と原子力委員会設置法と抱
き合わせで可決承認された.
ケネディー大統領の月ロケット計画はよ
正力松太郎は,原子力委員長就任会見で, く知られているが,それと並んでケネディー
5 年以内に原子力発電を実現すると発言し, は原子力発電の国家プロジェクトを立ち上
湯川秀樹らの反発を呼んだが,当時,発電用
げていた.彼は 1961 年に大統領に就任する
の原子炉は米国には存在しなかった.正力
と,シーボーグを科学者としてはじめて原子
は,その事実を認識すると,爆弾用プルトニ
力委員長に指名し,翌年の 3 月 17 日のシー
ウム生産と発電を同時に行っていた英国の
ボーグ宛の手紙で,「わが国における原子力
コルダーホール黒鉛原子炉に期待を寄せた. の役割に対する新しく堅固な視点」を取るこ
コルダーホール炉では,原子炉の地震による
とを求め,国内的・国際的な視点から原子力
脆弱性がはじめて本格的に議論された.原子
問題を検討することを要請した.
力研究所で最初の実用炉として作られたの
1962 年 11 月 20 日にシーボーグは大統
も,コルダーホール炉の改良型だった.50
領宛報告書を提出し,原子力発電を長期のエ
年代後半の日本の発電炉技術は,英国に依存
ネルギー政策の中に位置づけるとともに,軽
していたのである.
水炉の商業化のための国の財政的援助を提
言した.
6.68 年協定の意味
これに対して,初代原子力委員長のデイ
ヴィッド・リリエンソールは,厳しい批判的
68 年協定によって,日米政府は,米国か
見解を示した.当初,彼は原子力の平和利用
らの発電用軽水炉 13 基に対する 30 年間に
に大きな希望を抱いていたが,原子力による
わたる濃縮ウラン供与(有料濃縮)と再処理
安価な電力に対する初期の楽観論は崩壊し
の研究用プルトニウム 365Kg を日本が受け
たと見た.また原子力発電に伴う放射能の潜
入れることに合意した.これによって英国炉
在的危険性を懸念し,開発推進の AEC の許
への依存に終止符が打たれ,米国製軽水炉の
認可権は不当であるとし,国の過剰な援助を
優位体制が定着した.2 月 26 日の調印式で, 批判した.
ラスク国務長官自らが署名を行った.当時の
12 月のジョンソン大統領の就任直後の 12
米原子力委員長グレン・シーボーグによれ
日に,ニュージャージー州のオイスター・ク
ば,これは異例なことで,そこには米国側の
リーク発電所のコストが従来型火力発電を
並々ならぬ熱意が表れていた.68 年協定は
下回ることが発表され,初めて競争的民間原
ケネディー・ジョンソン政権が進めてきた, 発(GE-BWR-2 型)が実現し,コストの点で
原子力発電の低廉化をめざす国家プロジェ
も英国炉を抜き去った.
クトの具体化であるとともに,日本への核不
その後,ジョンソン政権は緊縮財政政策を
拡散政策と深く結びついていた.
とり,議会では従来型火力と経済的に競争で
きるようになった「実証(proven)」炉の研
究開発には,国の資金の使用が禁止された.
1966 年 8 月 16 日に AEC 保安措置諮問委員
会は,シーボーグに原発の問題を指摘した手
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
紙を出していたものの,シーボーグはその手
68 年の日米協定の改定は,従来の英国コ
紙の公表を控えさせた.一方に安全性に問題
ルダーホール炉依存の日本の原子力発電事
を残したまま,米国は 1964 年の第 3 回原
業を,米国製軽水炉依存へと転換させた.そ
子力平和利用国際会議で軽水炉の経済性を
の後の日本の商業用原子力発電炉は,すべて
大々的に宣伝し,国際的な市場開拓に臨ん
米国の軽水炉となった.このステップは,東
だ.
電福島第一原発事故に密接した日米関係の
重要な局面となった.
8.日本への軽水炉導入
米国政府にとって,軽水炉の日本への「静
かな」導入は,ジョンソン政権が進めてい
1963 年 8 月 5 日に部分的核実験禁止条約
た核不拡散政策の一環であった.3 月 4 日の
批准され,米国は核燃料の民有化への動きを 『イブニング・スター』紙は,日本は核兵器
具体化しはじめ,11 月 1 日には日米 IAEA
所有能力があるが,核武装しない意思を持っ
三者協定を,米国最初の三者協定として結
ており,日米協定の改定はその意思をさらに
び,日本の核物質の保安措置を IAEA へ移行
強調した,日本は不拡散条約におそらく向
させた.
かうだろうと報じた.実際に 1970 年に,日
1964 年 10 月 16 日に中国の核実験成功
本は核不拡散条約に批准した.この経緯は,
が伝えられると,米国は日本の核武装を強く
米国の軽水炉と濃縮ウランに傾斜しながら,
警戒し,ラスク国務長官は,1965 年 1 月 9
IEAE の保安措置を承諾せずに独自の核武装
日付の大統領宛てメモで,「日本は核の平和
へと進んだインドなどの場合と,対照的で
利用や宇宙開発を通じてアジアにおける科
あった.
学的優位性を十分発揮できるし,米国も静か
に協力することができる」と,日本が独自の
核武装を断念して米国の核の傘に入ること
参考文献・資料
と引き換えに,原子力と宇宙開発の分野での
山 崎 正 勝『 日 本 の 核 開 発:1939 ~ 1955』
技術協力を進言した.その直後の 1 月 14 日
に,佐藤・ジョンソン共同声明で,日本への
核不拡散政策を確かなものとした.
績文堂(2011 年)
外交史料館蔵 日米原子力平和利用協力協
定関係資料(1998 年公開)
1966 年 10 月 24 日,シーボーグは英国
米国上下両院原子力委員会議事録
原子力学会の講演で,軽水炉と英加の炉との
日本原子力産業会議編『原子力年鑑』日本産
経済性の比較を検討し,軽水炉が日本に適
業会議(1962 年~ 1966 年版)
応していることを示唆した.1980 年までに
太田昌克『日米「核密約」の全貌』筑摩書房
2 万メガワットに近い原子力発電の需要が見
(2011 年)
込まれていた日本は,米国にとって有力な原
D. リリエンソール『原爆から生き残る道―変化・希
子力発電市場であった.一国としては最大の
望・爆弾-』鹿島研究所出版会(1965 年)
濃縮ウラン供与を日本に対して米国が決定
した 1968 年 2 月の日米原子力協定改定調
印後,米国議会で原子力委員のジェラルド・
テープは,6 億 2 千万ドルの経済的見返りが
あると証言した.
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
Tschernobyl – Deutschland – Fukushima
Auf der Suche nach der Wahrheit
Sebastian Pflugbeil
Wissenschaften in Zusammenhang mit der friedlichen und der militärischen Nutzung der Kernenergie
sind in viel stärkerem Maße von Geheimhaltung, Halbinformation, Desinformation und Manipulation geprägt
als sich Bürger außerhalb des Wissenschaftsbetriebes das
vorstellen können. So bewegt man sich insbesondere bei
der Analyse von nuklearen Katastrophen auf vermintem Gebiet. Die größten Kontroversen gibt es bei der
Einschätzung strahlenbedingter Gesundheitsschäden.
Folgend soll an wenigen Beispielen aus den Erfahrungen
nach Tschernobyl die Realitätsferne politscher Stellungnahmen und die fragwürdige Position hochrangiger
Wissenschaftler und formal zuständiger internationaler
Organisationen aufgezeigt werden. Erst etwa 15 Jahre
nach Tschernobyl gab es erste Forschungsergebnisse zu
unerwarteten Gesundheitsfolgen in Deutschland und
Westeuropa. Mit Effekten dieser Art ist in der Umgebung von Fukushima bereits heute zu rechnen.
„Haltet die Bevölkerung im Unklaren über Kernspaltung und Kernfusion“ sagte der US-Präsident D. Eisenhower zu seinen Mitarbeitern 1953. Er hatte verstanden, daß eine wahrheitsgetreue Information der Bürger
über die Wirkungen von Atomwaffen und die Risiken,
die mit Uranbergbau, Atomwaffenindustrie und allen
anderen Formen der Kernenergienutzung verbunden
sind, das Ende der Kernenergienutzung bedeuten würde. So waren von Beginn an Schweigen und Lügen
unverzichtbare Bestandteile der Kernenergienutzung.
Begleitet werden sie von völlig unverständlichen Einschätzungen von hochrangigen Fachleuten. Ein leitender
Mitarbeiter der Atomaufsicht der DDR erklärte zu einer
UNCPICPUNE-Konferenz 1988: „Die langjährigen
Betriebserfahrungen und die Schlußfolgerungen aus den
KKW-Unfällen und Three Mile Island und Tschernobyl
belegen, daß Kernkraftwerke und andere Kernanlagen
sicher betrieben werden können.“ Im September 2011
konnte man auf der Jahrestagung der World Nuclear
Association in London hören: „Der Atomunfall in Fukushima ist ein Beweis dafür, wie sicher Kernkraftwerke
sind.“ Diese Verweigerung der Realitätswahrnehmung
auf der Ebene einflußreicher Fachleute erscheint ebenso
gefährlich wie die Nutzung der Kernenergie selbst.
Die IAEA hat das Internationale TschernobylProjekt geleitet, dessen Ergebnisse 1991 veröffentlicht
wurden. „Berichtete negative Gesundheitseffekte, die
- 26 -
in Verbindung mit der Strahlung stehen, wurden nicht
erhärtet.“ Und „Die Kinder, die untersucht wurden,
waren völlig gesund.“ Und „Die Daten enthalten seit
dem Unfall keinen deutlichen Anstieg von Leukämie
oder Schilddrüsentumoren. … Es gibt nur Gerüchte
über solche Tumore.“ Wir hatten im Herbst 1990 unsere
erste Tschernobyl-Konferenz in Berlin. Dort wurde von
der weissrussischen Ärztin M. Ankudowitsch vorgetragen, wie der Schilddrüsenkrebs bei Kindern seit 1989
anstieg. Verantwortlich für die falschen Aussagen der
IAEA zu Schilddrüsenkrebs war Fred Mettler (USA),
er hatte damals bereits die Gewebeproben von Schilddrüsen erkrankter Kinder auf dem Tisch. Bis heute wird
wahrheitswidrig behauptet, daß „strahleninduzierter
Schilddrüsenkrebs nur bei Kindern und allenfalls jungen Erwachsenen“ auftritt. Daraus wird abgeleitet, daß
die Jodblockade bei Erwachsenen älter als 45 Jahre
nicht empfohlen wird. In Deutschland müssen die Betreiber der KKW die Jodtabletten für die Jodblockade
finanzieren – die Empfehlung der deutschen Strahlenschutzkommission schützt die Bevölkerung nicht,
ersparen aber den KKW-Betreibern etwa 50% der sonst
erforderlichen Kosten für die Jodtabletten. Die Tschernobyldaten zeigen dagegen auch bei Erwachsenen einen
erheblichen Anstieg von Schilddrüsenkrebs. Diesbezügliche Effekte sind in Belarus und in der Tschechischen
Republik nachgewiesen.
Bereits in der „heißen Phase“, den ersten 10 Jahren
nach Tschernobyl, zeigte sich sowohl im Norden der
Ukraine als auch im Süden von Belarus, daß sich der
Gesundheitszustand der Bevölkerung rapide verschlechterte. Die Verschlechterung zeigte sich nicht nur bei den
Liquidatoren, die direkt am havarierten Reaktor eingesetzt wurden, sondern auch bei den Evakuierten und
beunruhigenderweise auch bei Kindern dieser Bevölkerungsgruppen, die erst nach Tschernobyl geboren wurden. Die weitaus überwiegende Zahl der Erkrankungen
sind nicht-Krebs-Erkrankungen: Endokrinologische
Erkrankungen, Ernährungs- und Stoffwechselstörungen, Störungen des Immunsystems, Erkrankungen des
Blutes und der blutbildenden Gewebe, der Nerven und
Sinnesorgane, des Kreislaufsystems, der Atemwege, der
Verdauungsorgane, des Urogenitalsystems, der Haut
und des Unterhautgewebes, des Muskel-Skelettsystems
und der Bindegewebe und Psychische Störungen. Exemplarisch sei erwähnt, daß in den nördlichen Gebieten
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
der Ukraine die Kreislauferkrankungen von 2.236 (1987)
auf 98.363 (1992) bezogen auf 100.000 Erwachsene und
Jugendliche angestiegen sind, d.h. 1992 hatten fast alle
Einwohner Kreislauferkrankungen. Bemerkenswert sind
auch die Erkrankungen des Muskel-Skelett-Systems: in
den nördlichen Regionen der Ukraine stiegen die Erkrankungszahlen von 768 (1987) auf 73440 (1992) auf
100.000 erwachsene und jugendliche Einwohner an. Es
muß erwähnt werden, daß in dieser Zeit die Sowjetunion zusammenbrach, damit auch das Gesundheitswesen
große Probleme hatte. Dazu gab es erhebliche soziale
Verwerfungen, die sicher auch den Gesundheitszustand
der Bevölkerung negativ beeinflußt haben. Die Fülle
der vorliegenden Untersuchungen – viele in russischer
Sprache und damit für die westliche Welt nicht leicht zu
lesen – und die gefundenen Unterschiede zwischen höher und weniger belasteten Bevölkerungsgruppen spinnen jedoch ein dichtes Netz von gravierenden Indizien,
die es als sehr wahrscheinlich erscheinen lassen, daß die
beobachteten Gesundheitsschäden überwiegend strahleninduziert sind. Auch wenn das unbefriedigend ist,
man kommt im Bereich von Strahlenschäden über die
Abschätzung von Wahrscheinlichkeiten nicht hinaus.
Das liegt in der Natur der Sache, darf aber nicht dazu
mißbraucht werden, die gefundenen Effekte grundsätzlich in Frage zu stellen.
Heute – 26 Jahre nach Tschernobyl – wird die weitaus überwiegende Zahl der Gesundheitsschäden von
den internationalen Gremien ( z.B. IAEA, WHO, UNSCEAR) schlichtweg ignoriert oder ihr Zusammenhang
mit der Strahlenbelastung bestritten. Im Frühjahr 2011
hat UNSCEAR eine Ergänzung zu dem Bericht von
2008 veröffentlichet, in der es speziell um die Tschernobylfolgen geht (Vol. II Annex D). Dort wird angegeben,
daß es 134 Fälle von Akutem Strahlensyndrom gab,
daß davon 28 an der hohen Strahlung starben, 19 weitere an irgendwelchen anderen Gründen. Dann meint
UNSCEAR, daß es für mehrere 100.000 andere an den
Aufräumarbeiten beteiligte Arbeiter keine Belege zu
Gesundheitsschäden gibt, die der Strahlung zugeordnet werden können. Es wird erwähnt, daß es mehr als
6.000 Schilddrüsenkrebsfälle gegeben hätte, von denen
15 starben. Und dann wird geschrieben: „Bis jetzt gibt
es keine überzeugenden Belege, daß irgendein anderer
Gesundheitseffekt in der allgemeinen Bevölkerung der
Strahlung zugeschrieben werden kann.“ Wir haben wenig später in Berlin einen Kongreß veranstaltet, zu dem
wir 25 erfahrene Ärzte aus der Ukraine, Weißrußland
und Rußland eingeladen haben, die nahezu ihr ganzes
Arbeitsleben mit der Behandlung von Menschen zugebracht haben, die in irgendeiner Form nach Tschernobyl
– sehr wahrscheinlich durch Tschernobyl – erkrankt
sind. Sie kannten den Bericht noch nicht und waren außer sich vor Zorn über die Ignoranz von UNSCEAR. So
empörend das bis heute anhaltende Bestreiten der Gesundheitsfolgen von Tschernobyl ist, so bekannt ist das
Vorgehen aus anderen Bereichen der Kernenergienutzung. Die Strahlenschäden in Hiroshima und Nagasaki
werden immer noch untersucht, die Forschungsergebnisse werden mißbraucht, Strahlenschäden in anderen
Bereichen in Frage zu stellen. Die Gesundheitsschäden
in Zusammenhang mit dem Uranbergbau sind zwar im
Prinzip bekannt, vor Gericht werden aber nur wenige
Erkrankungen als strahlenbedingt anerkannt. In der
DDR (Ostdeutschland) wurde der Uranbergbau 1990
geschlossen, bis heute treten Erkrankungen bei Bergleuten auf, die damit aber alleingelassen werden. Sie haben
praktisch keine Chance auf Anerkennung. Die Krebsund Leukämiehäufigkeit von Kindern < 5 Jahre in der
Umgebung der deutschen KKW nimmt zu, je näher
die Kinder an einem KKW wohnen. Trotzdem wird
bestritten, daß die Strahlung, die von den KKW ausgeht, dafür verantwortlich ist. „Paralyse durch Analyse“
beschreibt das Umweltbundesamt in Deutschland die
Praxis, vor dem Ergreifen von Maßnahmen zum Schutz
der Bevölkerung immer weitere Forschung zu fordern,
obwohl man eigentlich schon genug weiß.
Aus der Ferne ist es unmöglich, die Gesundheitsschäden nach Fukushima zu beschreiben, die uns vorliegenden Daten reichen dazu noch nicht aus. Folgende
Angaben beziehen sich auf die zunächst für unmöglich
gehaltenen Gesundheitsauswirkungen des Tschernobylfallouts auf Deutschland und Westeuropa. Sie erscheinen von Bedeutung, weil sie von den internationalen
Gremien ignoriert werden, weil sie in Zusammenhang
mit einer vergleichsweise moderaten Strahlenbelastung
stehen und weil es sehr wahrscheinlich ist, daß eine große Population in Japan zumindest ähnlichen Strahlenbelastungen ausgesetzt wird.
Der Berliner Genetiker Karl Sperling bemerkte
1987, daß im Januar die Zahl der Neugeborenen mit
Downsyndrom in Berlin steil angestiegen war. Die
Kinder wurden 9 Monate nach den Falloutspitzen über
Berlin geboren. Auf Sperling wurde von der Strahlenschutzkommission Druck ausgeübt, die Verbindung zu
Tschernobyl aufzugeben. Er hat das nicht getan – später
gab es Daten aus Weißrußland, die einen ebensolchen
peak der Down-Syndrom-Kinder im Januar 1987
zeigten und – anders als in Berlin – dann auf einem
erhöhten Niveau blieben. Es ist zu befürchten, daß die
Down-Syndrom-Kinder von Fukushima bereits geboren
wurden.
Der Münchner Mathematiker Hagen Scherb hat
sich mit Totgeburten und Fehlbildungen in Deutschland und Europa vor und nach Tschernobyl befaßt. Für
die Totgeburten in Bayern, den neuen Bundesländern,
Westberlin, Dänemark, Island, Lettland, Norwegen,
- 27 -
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
Polen, Schweden und Ungarn war 1986 die Totgeburtlichkeit um 4,6% erhöht (p=0.0022) und von 19871992 hochsignifikant um 8.8% (p=0,33E-6) gegenüber
dem Trend auf der Basis der Jahre 1981-1985 und 19871992 erhöht. Es ergibt sich ein Totgeburtenüberschuß
von mehreren Tausend Fällen. Finnland war auch vom
Fallout betroffen. Die finnischen Fallout-Daten und die
Daten der Totgeburten weisen eine signifikante DosisWirkungsbeziehung zwischen der mittleren effektiven
Äquivalenzdosis im Mai 1986 und dem relativen Risiko für Totgeburt im Zeitraum 1987 bis 1992 auf. Es
ergibt sich ein relatives Risiko pro 1 mSv/a von 1,25
(95%KI=[1.10,1.42], p=0.0006). Für die deutschen
Daten ergibt sich sehr ähnlich ein relatives Risiko pro
1 mSv/a von 1.33 mit KI=[1.16,1.51] und p=0.000026.
Aus den für Bayern, DDR und Westberlin kombinierten
Daten leitet Scherb Angaben für das relative Risiko für
Totgeburt pro 1 kBq/m2 für die Jahre 1987 und 1988
ab. Es ergibt sich ein Wert für Mädchen und Jungen gesamt von 1.0061 (KI=[1.0032,1.0089], p=0.000026).
Die Epidemologie von angeborenen Fehlbildungen
ist schwierig, weil es nur in wenigen Ausnahmefällen Register dazu gibt. In Deutschland gab es z.B. nur für einige Jahre und nur in Bayern ein solches Register. Scherb
hat die Fehlbildungsdaten in Bezug auf Tschernobyl
analysiert und für viele Fehlbildungen erschreckende
Ergebnisse gefunden. Dabei hat er jeweils die durch
Tschernobylfallout hochbelasteten bayerischen Landkreise den niedrig belasteten Landkreisen gegenübergestellt. Für Vorhofseptum- und Ventrikelseptumdefekte
(Herzfehlbildungen) ergibt sich ein geschätztes relatives
Risiko pro 1 kBq/m2 von 1.013 (KI=[1.005,1.021],
p=0.0020). Für Mikrozephalus (auch in Hiroshima und
Nagasaki beobachtet) hat sich in den höher belasteten
bayerischen Landkreisen die Diagnosehäufigkeit ab
1987 verdoppelt (p=0.0903), während sie in den niedrig
belasteten Landkreisen konstant blieb.
Die jüngsten Überlegungen von Scherb betreffen
das Geschlechtsverhältnis bei Neugeborenen (m/w). Er
fand heraus, daß sich nach Tschernobyl das Geschlechtsverhältnis in den vom Fallout betroffenen Ländern
gravierend verändert hat. Nimmt man die europäischen
Länder und die ebenfalls vom Fallout getroffenen früheren asiatischen Sowjetrepubliken zusammen, so ergeben
sich 0.6 bis 1,1 Millionen verlorene Kinder, überwiegend
Mädchen. Der Mechanismus der Schädigung ist noch
nicht ganz klar, Scherb und Sperling haben dazu bereits
erste Vorstellungen entwickelt, die in international angesehenen Fachjournalen publiziert wurden. Das veränderte Geschlechtsverhältnis scheint ein empfindlicher
Indikator für strahleninduzierte Gesundheitsbeeinträchtigungen zu sein. Erste Erkenntnisse dazu lieferte der
Nobelpreisträger Muller bereits vor vielen Jahrzehnten.
Scherb untersuchte gemeinsam mit weiteren Kollegen
- 28 -
auch die Daten um die atmosphärischen Atomwaffentests, Mitte der 60er Jahre gab es Veränderungen des
Geschlechtsverhältnisses sowohl in den USA wie auch in
Europa – hier wie dort ging der erhebliche Fallout nieder. Ebenfalls fanden Sie diesen seltsamen Effekt in der
Umgebung der deutschen Kernkraftwerke und des Lagers für hochradioaktive Abfälle in Gorleben. Diese sehr
verschiedenen Bereiche werden durch eines verbunden –
die Nutzung der Kernenergie. Das dabei anfallende Gift
ist ionisierende Strahlung in verschiedensten Formen.
Es ist zu befürchten, daß solch „leise“ Auswirkungen von Strahlenbelastungen in der Umgebung von
Fukushima bereits jetzt und in den kommenden Jahren
zu beklagen sind. Es ist auch zu befürchten, daß sich
der Gesundheitszustand einer großen Population verschlechtern wird. Bemerken wird man das aber nur,
wenn man diese Veränderungen sehr sorgfältig wahrnimmt und dokumentiert, wenn es Register gibt, die
die Veränderungen über viele Jahre erfassen und für die
freie Forschung zugänglich sind. Eine entscheidenden
Rolle dabei spielen die Ärzte und die Wissenschaftler. Es
wäre aber tragisch, wenn am Beispiel Fukushima wieder
über Jahrzehnte geforscht wird, ohne die naheliegenden
Schlußfolgerungen endlich zu ziehen (Paralyse durch
Analyse). Wir wissen doch genug.
Für die Ärzte und Wissenschaftler sei an folgende
provokante Sätze erinnert, die in dem Drama „Leben
des Galileo Galilei“ von Berthold Brecht zu finden
sind. Dieses Drama ist um die Zeit entstanden, als in
Deutschland die Kernspaltung von Otto Hahn und Lise
Meitner entdeckt wurde:
„Wer die Wahrheit nicht kennt
ist nur ein Dummkopf.
Aber wer sie kennt und sie eine Lüge nennt,
der ist ein Verbrecher.“
Literaturhinweise
Sperling, Karl, H. Neitzel, H. Scherb: Evidence for an
Increease in Trisomie 21 (Down Syndrom) in Europe
after the Chernobyl Reactor Accident; Genetic Epidemioloigy 36:48-55 (2012).
Scherb, Hagen, Karl Sperling: Heutige Lehren aus dem
Reaktorunfall von Tschernobyl; Naturwissenschaftliche Rundschau 64 (2011)5, 229-239
Pflugbeil, Sebastian: Chernobyl – Looking back to go
forwards: the September 2005 IAEA Conference; Medicine Conflict and Survival Vol.22, No.4 Oct-Dec
2006, p.299-309.
Pflugbeil, Sebastian, H. Paulitz, A. Claußen, I. SchmitzFeuerhake: Health Effects of Chernobyl, 20 years after
the reactor catastrophe, IPPNW & German Society for
Radiation Protection, April 2006, 73pp.
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
チェルノブイリ - ドイツ - フクシマ
真実を求めて
ゼバスティアン・プフルークバイル(ドイツ放射線防護協会)
原子力の平和的,軍事的利用についての学
たい評価がついてまわった.
問は,専門外の市民が想像できるよりもずっ
1988 年 の UNCPICPUNE( 国 連 原 子 力 平
と秘密主義,中途半端な情報,誤った情報や
和利用会議 )について東ドイツ(当時,以下
操作された情報にあふれている.核の重大事
同 )の原子力監督庁の幹部職員は次のように
故の解釈については,まさに地雷原を歩くよ
発言した:「原子力発電施設とその他の核施
うなものである.一番大きな見解の対立があ
設は安全に運転できると,長年の経験と,ま
るのは,放射能が健康にもたらす被害の評価
た原子力発電所の諸事故やスリーマイル島,
についてである.
チェルノブイリ(の過酷事故 )から導いた結
ここではチェルノブイリ後の経験の 2,3
論が証明している.」 2011 年 9 月のロンド
の例を挙げて,「政治的見解」というものが
ン で の World Nuclear Association( 世 界 原
いかに現実からかけ離れているか,高名な科
子力協会 注:原子力利用の業界団体 )の
学者たちや公に専門と見なされている国際
総会では:
「福島での原子力発電所の事故が,
機関の立場がいかに怪しいものであるかを
原子力発電所がいかに安全かということの
明らかにしていきたいと思う.チェルノブイ
証明である.」という発言があった.影響力
リからやっと 15 年たってから,ドイツと西
のある専門家たちがこのように現実理解を
ヨーロッパにおける想定外の健康被害につ
拒否していることは,原子力の使用と同様に
いての最初の研究結果が発表された.福島の
危険である.
周辺における同様の影響については,既に今
日予測することができる.
IAEA(国際原子力機関)は「国際チェル
ノブイリ・プロジェクト」を指導し,その結
アメリカ合衆国のアイゼンハワー大統領
果を 1991 年に発表した.「放射能と関連す
は,既に 1953 年に「民衆には核分裂と核
る健康への悪影響についての報告は,確証さ
融合については曖昧にしか知らせないよう
れなかった.」
「検査を受けた子供たちは完全
に.」と彼の下で働いている人たちに言って
に健康であった.」
「事故以降の白血病ならび
いる.彼は,核兵器の影響と,ウラン鉱石の
に甲状腺腫瘍の数は,はっきりと上昇しては
採掘精錬,核兵器産業,そして全ての核エネ
いない.… あるのはそのような腫瘍に関す
ルギー使用の持つ危険性について,市民に真
る噂だけである.」
実を知らせることは,核エネルギー使用の終
私たちは 1990 年秋にベルリンで第 1 回
わりをもたらすであろうことを理解してい
のチェルノブイリ会議を行った.そこで,ベ
たのだ.このように初めから沈黙と嘘は,核
ラ ル ー シ の 医 師 M. Ankudowitsch( ア ン ク
エネルギー使用の重要不可欠の一部分だっ
ドヴィチ)女史が子供たちの甲状腺がんが
たのである.かくして,これらのことには, 1989 年からいかに増えているか報告した.
高い地位にある専門家たちの全く理解しが
IAEA の甲状腺がんについての間違った発言
- 29 -
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
は,アメリカ合衆国の Fred Mettler(フレッ
中 1987 年 に は 2,236 人 だ っ た の に 対 し
ド A. メトラー)教授(注:ニュー・メキシ
て,1992 年には 98,363 人に増えているこ
コ大学名誉教授,UNSCEAR 米国代表,ICRP
とである.つまり 1992 年には住民のほと
委員 )に責任がある.既に当時彼は,病気
んどが循環器の病気にかかっていたことに
になった子どもたちの甲状腺の組織標本を
なる.また,筋骨格系の病気も注目に値す
手にしていたのだ.
る:ウクライナの北部では成人と若者 10 万
今日まで「放射線により誘発された甲状
人中,1987 年の 768 人から,1992 年には
腺がんは,子どもと若い成人にしか」現れ
73,440 人に増えているのである.もちろん
ないと,真実に反して主張されている.そ
説明しておかなければならないのは,この時
れにより,45 歳以上の成人には,ヨウ素剤
期にソビエト連邦が崩壊し,保健衛生制度も
による防護を推奨しないとの結論が導き出
大きな問題を抱えていた.それにくわえ社会
されている.ドイツでは原子力発電所を稼働
全体にも大きな混乱があり,これらはおそら
させている機関は放射性ヨウ素からの防護
く住民の健康に悪い影響を与えていたであ
のためのヨウ素剤を拠出しなければならな
ろうことである.
いのだが,(この結論に基づく )ドイツ連邦
これらの研究の膨大さ--研究の多くは
共和国放射線防護委員会の勧告は,住民を
ロシア語で書かれており,西側の世界のもの
保護する代わりに,原子力発電所を稼働さ
には読むのが難しいのだが--と,被曝の負
せている企業が本来必要であったヨウ素剤
荷の大きな住民群と小さな住民群との間に
に対する支出を 50%も節約することに寄与
見られるあまりにも大きな差が,観察された
しているのである.これに対してチェルノ
健康被害が主に放射線被曝に誘発されたも
ブイリのデータは,成人でも甲状腺がんの
のであるという,重要な状況証拠の網を張り
著しい上昇を表している.これらの結果は, 巡らせているのである.不満足に思うことな
ベラルーシやチェコ共和国で示されている.
がら,放射線障害の問題については,つねに
その確率を見積もることしかできない.これ
はこの問題の本質から来るのだが,だからと
チェルノブイリ事故直後 10 年の「熱い時
いってそれを,見出された影響を根本から疑
期」にすでに,ウクライナ北部とベラルー
問視することに悪用してはならない.
シ南部では,住民の健康状態が急激に悪化
チ ェ ル ノ ブ イ リ か ら 26 年 た っ た 今 日,
していた.この悪化は,事故のあった原子炉
健 康 被 害 の ほ と ん ど は, た と え ば IAEA,
で直接収束活動に従事していた作業員たち
WHO( 世界保健機関 ), UNSCEAR(原子放射
だけでなく,疎開していた人々,また不安
線の影響に関する国連科学委員会)などの国
なことに事故後に生まれたこれらの人々の
際機関から,単純に無視されたり,その放射
子供たちにもみられた.健康障害の多くは
線被曝との相関を否定されたりしている.
がん以外の病気であった:内分泌系,栄養
2011 年 春 に UNSCEAR は,2008 年 報 告
障害と代謝疾患,免疫疾患,血液と造血組織, 書(UNSCEAR 2008 Report: "Sources and
神経・感覚器,循環器系,呼吸器,消化器, effects of ionizing radiation". )に対する,特
泌尿器・生殖器,皮膚・皮下組織,筋肉・骨格・
にチェルノブイリの影響に関する附属書を
結合組織の病気や精神疾患である.
発表した ( Vol. II Annex D 第Ⅱ巻附属書D ):
例 と し て あ げ た い の は, ウ ク ラ イ ナ の
そこには急性放射線症の症例が 134 例あり,
北部で循環器の病気が成人と若者 10 万人
うち 28 例が高い放射線量によって亡くな
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
り,19 例がその他の理由によって亡くなっ
力発電所周辺に住む 5 歳以下の小児のがん
たと記されている.UNSCEAR は,それ以外
と白血病の発症頻度は,住所が原発に近づく
の 100,000 人の収束作業に携わった作業員
ほど上昇している.にもかかわらず原子力発
たちには,放射線障害と分類可能な健康被害
電所から出る放射能がその原因であるとい
があったとの証拠は得られなかったとして
うことは猛反駁される.住民を保護するため
いる.ただし,6,000 例の甲状腺がんの症例
の措置を講じる前に,もう十分結果はわかっ
があり,その内 15 例が亡くなったことも記
ているにもかかわらず,次から次へと調査を
している.そして「今のところ一般国民の
要求するこのような現象を,ドイツ環境省は
間に,放射線に起因すると言いうる何らか 「分析による麻痺」(Analysis paralysis) であ
の健康への影響があるとする確証はない.」 るとしている.
と書いている.
私たちはこの(報告書が出た )直後に,ベ
ルリンで会議を開催し,そこにウクライナ, 遠くから福島後の健康被害について発言
ベラルーシ,ロシアから 25 人の経験豊富な
するのは不可能である.私たちが受け取って
医師を招待した.彼らは,チェルノブイリ
いるデータでは不十分なのだ.これから説明
後に何らかの病気にかかり,それが非常に
するのは,当初はあり得ないと思われてい
高い確率でチェルノブイリによって発病し
た,ドイツと西ヨーロッパでのチェルノブイ
たと考えられる人たちの治療のために,職
リの放射性降下物による健康影響について
業人生の全てを費やしていた医師たちであ
である.重要だと思うのは,これらが比較的
る.彼らはこの報告書をまだ読んではいな
少量の放射線量にともなって発生している
かったが,UNSCEAR の無知(無視)に怒り
ために,国際的な機関から無視されているか
を覚えていた.
らである.そして日本で多くの人々が,少な
チェルノブイリの健康への影響を今日ま
くとも似たような線量の放射線にさらされ
で否定するということには怒りを覚えるが, ている可能性が高いからである.
同じような行動は,原子力利用の他の分野
ベ ル リ ン( 自 由 大 学 ) の 人 類 遺 伝 学 者
では既によく知られていることだ.広島と
カール・シュペアリング (Karl Sperling) は,
長崎の放射線の影響は今日でもまだ調査さ
1987 年 1 月に ( 西 ) ベルリンでダウン症児
れ続けており,その研究結果は他の領域で
の出生数が急激に上昇したことを報告して
の放射線の影響を疑問視するために悪用さ
いる.ベルリンに放射性降下物(死の灰)
れ続けている.ウラン鉱石の採掘精錬にと
が降ってから 9 ヶ月後に,これらの子ども
もなって健康被害が生じることは,原理的
は生まれたのである.シュペアリングには,
には知られているが,裁判では非常に少な
チェルノブイリと関連づけないよう放射線
い症例しか放射線の影響によると認められ
防護委員会から圧力がかけられた.彼は圧力
ない.ドイツ民主共和国(東ドイツ)では, には屈しなかった.後にベラルーシからも,
1990 年にウラン鉱山(注:東独・露合弁国
1987 年 1 月に同じようにダウン症児出生数
営企業ビスマス Bismuth のこと )が閉山と
のピークがあったことが報告された.ベルリ
なった.今日でも(当時の )鉱山労働者に様々
ンと違っていたのは,ベラルーシではその後
な病気が現れるが,彼らは助けを得られな
も高いダウン症児の出生水準が続いたこと
い.放射線の影響だと認められるチャンス
である.福島に起因するダウン症児たちが既
は現実的には全くないのだ.ドイツの原子
に生まれていることが危惧される.
- 31 -
日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
ミュンヘン・ヘルムホルツ・センター の数
と旧東ドイツ地域と西ベルリンを合わせた
学者ハーゲン・シェルプ (Hagen Scherb) は, データから,’87,’88 年の(セシウム 137 )
チェルノブイリ前とチェルノブイリ後のドイ
1kBq(キロベクレル)/ 平方メートル当た
ツとヨーロッパでの死産と流産について研究
りの死産率をみちびきだしたところ,女児と
した.
男児の合計で 1.0061 であった (95% 信頼区
バイエルン州,旧東ドイツの各州,西ベル
間 [1.0032,1.0089], 危 険 率 0.0026%).( さ
リン,デンマーク,アイスランド,ラトヴィ
らに,地域レベルでの測定から1kBq/m2 か
ア,ノルウェイ,ポーランド,スウェーデン, ら 1mSv/ 年への換算係数 0.0143 を得たも
ハンガリーを合わせたデータ にもとづくと, のである.)
1981 〜 ’85 年と ’87 〜 ’92 年の期間には死
先天性の奇形についての疫学は難しい.少
産の発生率はなめらかに減少し,ほぼ同じ傾
しの例外を除いて記録がないからである.た
きの直線で表されたが,’81 〜 ’85 年の回帰
とえばドイツでは,数年間だけ,しかもバ
関数を外挿して得られる死産率の期待値に対
イエルン州でだけ,そのような記録が取ら
して ,’86 年の死産の年間発生率は 4.6%高
れていた.シェルプは先天性奇形の出生デー
く ( 危険率 0.22%),
1987 〜 1992 年には 8.8%
タとチェルノブイリとの関係を分析し,多
と著しく高かった ( 危険率百万分の 1 以下 ). くの奇形について驚くべき結果を得た.そ
(注:危険率とは結果が誤っている確率を指
の際,彼はバイエルン州の中でチェルノブ
す.値が小さいほど確度が高く,普通 5% 未
イリの放射性降下物によって強く汚染され
満であれば統計学的に意味がある結果とされ
た地域とあまり汚染されなかった地域を比
るが,生物統計学の教科書では,公害病の疫
較したのである.心房隔壁と心室隔壁の欠
学調査などの場合人命への影響の可能性を重
陥(心臓の奇形)の発生率の算定値は,1
視して危険率 20% まで有意と見てもよいと
kBq/m2 あたり 1.013 であった (95% 信頼区
さえ指摘される ).死産が数千例過剰であっ
間 [1.005,1.021], 危険率 0.20%).小頭症(本
た(注:原著論文では,計算上は ’86 〜 ’92
症は広島と長崎でもみられた)については,
年に 3240 人 )ことが判明したのである.
バイエルン州の汚染が激しかった地域では,
フィンランドにも放射性降下物があっ
1987 年以降診断される頻度が倍増した ( 危
た.フィンランドにおける放射性降下物量
険率 9.0% 注:統計学的には「傾向が認めら
のデータと死産のデータは,’86 年 5 月の実
れる」水準 ) が,ほとんど汚染されていない
効的線量当量の平均値と ’87 〜 ’92 年の死
地域では診断頻度に変化はなかった.
産発生率との間に,顕著な(統計学的に有
シェルプの最新の関心は,新生児の性(男・
意な )線量 − 作用の相互関係が成立してい
女)比率である.彼が発見したのは,チェル
ることを示した.1mSv(ミリシーベルト) ノブイリ後放射性降下物にみまわれた国々
/ 年当たりの死産率は 1.25 である(95% 信
では,男子・女子の比率が深刻に変わってし
頼 区 間 [1.10,1.42]( 注: 真 の 値 が 1.10 〜
まったことである.ヨーロッパの国々と,同
1.42 の間である確率が 95%であるという
じように放射性降下物にみまわれた旧ソ連
意味 ), 危険率 0.06%)ことを示した.ドイ
のアジアの国々をあわせると,おそらく 60
ツのデータでも同様の関係が示された.す
万から 110 万の子ども,主に女児が失われ
なわち,1mSv/ 年当たり死産率は1.33 で
たことになる.どのようにこのような害がも
あ っ た(95% 信 頼 区 間 [1.16,1.51], 危 険 率
たらされるのかのメカニズムは,まだはっき
0.0026%).( そ の 根 拠 は,) バ イ エ ル ン 州
りとは解明されていないが,シェルプもシュ
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
ペアリングも最初の推測は行っている.そ
危惧される.大きな人口が健康状態の悪化に
れらは国際的に認められた専門誌に掲載さ
さらされることも危惧される.しかし,これ
れている.性比率の変化は,放射線が誘発
らの影響は,注意深く認識し文書化すること
する健康被害についての感度の高い指標で
がなければ,気付くこともできないであろ
あると思われる.このことについての最初
う.それには,変化を何年間にもわたって記
の洞察は,ノーベル賞受賞者のハーマン・J・
録し,自由な研究のために手に届くようにし
マラ- (Muller) が既に何十年か前に行って
ておかねばならない.その際,医師たちと科
いる.シェルプは他の同僚たちと一緒に大
学者たちが重要な役目を果たすのである.し
気圏内核実験のデータについても研究をし
かし福島の場合にも,何十年にもわたってた
ている:
だ研究だけが続けられ,すぐに気付くであろ
’60 年代半ばにアメリカ合衆国でもヨーロッ
う結論が結局導き出されない,「分析による
パでも男・女児比率の変化があった:アメ
麻痺」の状態に陥ってしまうことが一番の悲
リカでもヨーロッパでも多量の放射性降下
劇である.私たちはもう十分に知っている.
物が降ったのである.彼らは同じようにド
イツの原子力発電所周辺とゴアレーベン(ド
イツ北部ニーダーザクセン州 )の高レベル
医師と科学者の皆さんには,次の挑発的な
放射性廃棄物貯蔵施設の周辺でも,この奇
文章を思い出してほしい:ベルトルト・ブレ
異な作用(男・女児の比率の変化 )を見い
ヒトの「ガリレオ・ガリレイの生涯」とい
だした.
う劇の中に出てくるものである.この劇は,
このように非常に異なった領域どうしが, ドイツでオットー・ハーンとリーゼ・マイト
たった一つのものでつながっている:核エ
ナーによって核分裂が発見された時期に書
ネルギー(原子力)の使用である.その際
かれたものである.
放出される毒というのは,非常に異なる数
「真実を知らないものは,
種の電離放射線である.
ただの愚か者である.
しかし,真実を知っているにもかかわらず,
このような放射線被曝の軽微なレベルの
それを嘘と呼ぶものは,犯罪者である.」
影響が,既に今,そしてこれから何年間に
もわたって,福島の周辺で出てくることが
*本文中,斜字体の部分は,翻訳者および校訂者が便宜のために書き加えた部分である.
*著者の掲げた引用文献以外で校訂の際に参照した原著論文は下記のとおり.
Scherb H. and Weigelt E.(2003) Congenital Malformation and Stillbirth in Germany and Europe Before and
After the Chernobyl Nuclear Power Plant Accident. ESPR - Environ Sci & Pollut Res, 10 Special (1) 2003
Dec, 117-125.
Scherb H. and Voigt K. (2011) The human sex odds at birth after the atmospheric atomic bomb tests, after
Chernobyl, and in the vicinity of nuclear facilities. Environ Sci Pollut Res 18:697–707, PMID: 21336635.
翻訳 シンチンガー・エミ(東京医科歯科大学教養部)
校訂 沢田 昭二・亀山 統一(JSA 平和問題研究委員会)
2012 年 2 月 28 日
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日本科学者会議シンポジウム「東日本大震災 ・ 原発災害と私たちの未来」予稿集 2012.3.3. 東京
□講演者など紹介
▽岡本良治氏は,九州工業大学名誉教授で,専門は物理学.JSA 福岡支部核問題研究委員会の
委員として「原発事故 - そのときあなたはどうするか」
(1989 年 , 合同出版.2011 年改訂新版「原
発事故緊急対策マニュアル - 放射能汚染から身を守るために」)を執筆しています.
▽沢田昭二氏は,名古屋大学名誉教授(理論物理学),JSA 平和問題研究委員長.自らも被爆者
として,核兵器廃絶運動や原爆症患者認定訴訟における中心的科学者として活動.また,ICRP
の被曝線量基準の偽りを科学的に解明してきました.
▽綱島不二雄氏は,元山形大学教授(農業経済)で,JSA 東日本大震災問題特別研究委員.環境
保全型農業の研究に従事し,「東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター」の代表世話人
として,現場で尽力しています.
▽山崎正勝氏は,「原爆はこうして開発された」( 青木書店 ,1997),「日本の核開発 :1939 ‐
1955―原爆から原子力へ」(績文堂出版 ,2011)などの執筆で知られている,科学史とくに核開
発史の専門家です.
▽プフルークバイル S. Pflugbeil 氏は,チェルノブイリで 90 回以上実地調査を行ってきた,活
動する専門家です.JSA の招待で来日しました.
▽岩本智之氏は,JSA 大阪支部所属,JSA 中長期気候目標研究委員長,専門は大気環境.3.11 以降,
原子力安全の問題で休みなく講演を続けています.亀山統一氏は,琉球大学農学部助教(森林
保護学),JSA 平和問題研究委員.沖縄の基地・安保問題と生態系保全に取り組んでいます.
▽シンチンガー・エミ氏は,東京医科歯科大学教養部准教授,専門は中高ドイツ文学・日本文
化史です.今回,Pflugbeil 氏の求めに応えて講演の通訳をお引き受けいただき,お忙しい中,
予稿の翻訳にもご協力いただきました.
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用語注
軽水炉 核分裂で発生する中性子を,核分裂反応を継続するの適当な速度に減速する「減速材」として,
通常の水(軽水)を用いる原子炉.現在日本で稼働している商業用の原子力発電施設のすべては,軽
水炉であり,熱エネルギーの取り出し方によって加圧水型 PWR と沸騰水型 BWR の二種類がある.
黒鉛炉 減速材として黒鉛(炭素)を用いる原子炉.日本で建設されたものでは,日本原電東海発電
所 ( 運転終了 ) のコルダーホール型原子炉がこれに属する (P.24, この炉の場合,冷却材は二酸化炭素
ガス ).過酷事故をおこしたチェルノブイリ原発も黒鉛炉だが,その冷却材は軽水.
沸騰水型原子炉 BWR 原子炉を満たしている減速材である水(軽水)を冷却材としても用い,核燃
料で熱して沸騰させ,生じた水蒸気をとりだして原子炉外に導き,直接発電用タービンを回して,再
び冷却して液体の水に戻し原子炉に循環させる仕組みの炉.日本の商用原子炉では,福島第一原発を
含む東京電力,東北電力,中部電力,北陸電力,中国電力のすべての原子炉,日本原電敦賀発電所 1
号機(日本最古の軽水炉,なお 2 号機以降は加圧水型)などがこの型(改良型を含む).
加圧水型原子炉 PWR 原子炉を満たしている減速材である水(軽水)を冷却材としても用い,核燃
料で熱して高圧で液体のままで原子炉外の蒸気発生器に循環させ(一次冷却水),この蒸気発生器で
二次冷却水に熱を伝えて取り出し,二次冷却水の水蒸気で発電用タービンを回す仕組みの炉.商用原
子炉では,玄海原発をはじめ九州電力や関西電力,四国電力,北海道電力のすべての原子炉,日本原
電敦賀発電所 2 号機,過酷事故を起こしたスリーマイル島原発がこの型.
ベクレル(Bq) 放射線の強さ(放射能の量)の単位で,放射性原子核が1秒間に何個崩壊して放
射線量子を放出したかの回数を表す.1kg の物質当たり,あるいは地面の 1m2 当たりの放射線強
度を表すのにもちいられている.たとえば P.3 の 7 百万テラベクレルは,1 秒間に放射線量子が
7,000,000,000,000,000,000 個放出される強さを意味する.
グレイ(Gy)
吸収線量の単位で,放射線によって 1 キログラムの物質に 1J( ジュール )の放射エネ
ルギーが吸収されたときの吸収線量を指す.放射線は電離作用によって人体に障害を引き起こすので,
物理学的には放射線が人体にどれくらいエネルギーを与えたかで被曝線量を表し,人体組織1kg 当た
り 1 J のエネルギーを放射線から吸収したとき1グレイ(Gy)の吸収線量になる.もちろん,生物に
限定せず,どのような物体にも適用される.
シーベルト (Sv) 線量当量の単位.放射線の種類によって人体への障害の程度が異なるので,X 線に
比べて何倍の影響を与えるかを考慮した生物学的効果比(RBE, Relative Biological Effectiveness )を
グレイに乗じた線量当量としてシーベルトが用いられる.国際放射線防護委員会(ICRP)はγ線とβ
線は外部被曝では X 線と同程度の影響であるとして,RBE を 1 とし,α(アルファ )線の RBE を 20
としている.ベクレルからの換算に,放射線の種類ごとの RBE の設定値が影響することになる.
補助単位 大きな値,小さな値を表すときに,単位につけて用いる.キログラム,ミリメートルなど.
大きな値:キロ (k, 1000 倍),メガ (M, 100 万倍),ギガ (G, 10 億倍),テラ (T, 1 兆倍),
ペタ (P, 1000 兆倍),エクサ (E, 100 京(けい)倍),….
小さな値:ミリ (m, 1000 分の 1 倍),マイクロ ( μ , 100 万分の 1 倍),ナノ (n, 10 億分の 1 倍),
ピコ (p, 1 兆分の 1 倍 ),…
事務局 mail
日本科学者会議
jsa.gr.jp 電話 03-3812-1472 Fax03-3813-2363
〒113-0034文京区湯島1-9-15茶州ビル9F http://www.jsa.gr.jp
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