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アメリカコロラド州デンバーでの作陶技術研修
アメリカコロラド州デンバーでの作陶技術研修 第7回 九州電力若手工芸家国内外派遣研修制度 研修報告書 太田 聡一郎 2 研修日程表 年 月 日 平成 15 年 滞在先 デンバー 視察先 Barry 氏の工房 10月 15 日 研修内容及び視察目的 備考 Barry 氏の工房にて仕事を手伝いなが 研修についての説明。 らテラコッタについての技術の習得。 資料などの購入。 (一週目) 10月22日 リリーフの制作、テラコッタの製作。 自分で持ってきた粘 (2週目) アート・ステュー 10月 27 日 デント・リーグ 土を使っての制作。 陶芸教室の見学。 (3週目) 陶芸教室の生徒達と の交流。 11 月3日 デンバー美術館の視察。 (4週目) デンバーアート 11 月10日 ミュージアム 周辺のギャラリーの視察。 アメリカ陶器の歴史 について調べる。 (5週目) 11 月 17 日 (6週目) 11 月 24 日 ピーター氏の工 Barry 氏の知人の作家のギャラリーを (7週目) 房の見学。 見学 11 月 31 日 (8週目) 12月7日 (9週目) 12月 14 日 (10週目) 仕上げ。 12月 21 日 自分が制作した作品の焼成 (11 週目) 12月 28 日 (12週目) 平成16年 1月5日 (13週目) 1月9日 帰国 現地作家との交流。 3 研修報告書 (1)コロラド州デンバーについて 2002の7月15日に初めてアメリカの友人を訪れた時、友人の紹介で Tom 氏と知合い Tom 氏からの紹介で Barry 氏と知合うことができた。 最初の Barry 氏の仕事に対する印象は私が今までみたことがない仕事のスタイルだという ことと、いままでとは違う彼の仕事ぶりに対して素直に新しい技術を学びたいと興味がわ いてきたということ。 そして帰国後に考えた末、今回の九州電力若手海外派遣制度の計画に申し込みをすること を決めました。Barry 氏も私の提案を快く了承してくれて今回の計画を実行に移すことがで きたというわけです。 研修先となった場所はアメリカのコロラド州デンバーいう場所です。 コロラド州は、アメリカの中西部にあり、北はアラスカから南はニューメキシコまで全長 6,500M に及ぶ壮大なロッキー山脈が州の中心を横断しています。コロラド州の全面積は 104,000 平方マイルで日本の本州とほぼ同じサイズです。コロラド州は、西部半分がロッキ ー山脈の山々に覆われており、東部半分が平野となっています。 デンバーはコロラド州都で州の中部、荘厳なロッキー山脈の東に位置します。1800年 なかば金鉱発見と共に栄えたアメリカ開拓時代の町の一つでしたが、今日では市内には高 層ビルが立ち並ぶ近代都市です。 さらに1994年に完成した新デ ンバー国際空港は、ロッキー山脈を デザインとした新しいモデルの空 港で世界でも最新・最大規模のもの だと言われています。最近ではヨー ロッパからの直行便も発着してお り、日本への直行便も将来期待され ています。デンバー市は、海抜が1 マイル(約 1.6km)の場所にある ことから ”Mile Hi City”と 呼ばれており、何かのタイトルにはよく MILE HI の名前が出てくることがよくある。そ れにデンバーはアメリカでも、すべてのスポーツのチームがある少ない都市の一つです。 フットボール(ブロンコス)、野球(ロッキーズ)、ホッケー(アバランチ)、バスケッ ト(ナゲッツ)とサッカー(ラペッツ)と 1 年を通じてスポーツを楽しむことができます。 コロラド州人口は、約397万人と言われており、その内デンバー市とその周辺では、4 9万人ぐらいの人が住んでいると言われています。毎年、人口が増え続けており2010 年には1.2から1.5倍にもなるのではないかと予想されています。西海岸などの自然 災害などで安定した土地を求めて移動してくる人や、アメリカ経済成長を背景にハイテク 関係など産業の会社で引っ越してくる人が多いようです。また、日本人・日系人は1.5 万人ぐらいがデンバー市とその周辺に住んでいると言われています。 デンバーは、年間通しても温暖です。気候は、夏の平均が30度ぐらいで冬でもー 4 度程度 です。コロラド・ロッキーマウンテンと思うと”雪が多い”とか”寒い”とか思う人が多 いでしょうが、デンバーはどちらかと言うと砂漠地帯にあるため年間の平均降水量も90 日ぐらいと極めて少なく、雪が降ることはあってもめったに積もりません。雪が降る前日 は寒いが、雪が降れば24時間から48時間以内に太陽を見ることができ暖かいと地元の 人々は言います。夏は暑いのですが、日本とは違い湿度が低いのでカラットした暑さです」 一年中過ごし易いといったこともデンバーの人口の増加の理由のひとつでしょう。 2003 年10月 15 日成田を出発してまで約10時間 15 分ほどのフライトでロスアンゼルス に到着。それから飛行機を乗り換え約2時間と少しでデンバーに到着する。空港までは Barry 氏が迎えに来てくれていて最初の2日間ほどは時差ぼけもあっていきなり仕事は少 しきついだろうという Barry 氏の配慮により家でのんびりさせてもらうことにしました。 Barry 氏の裏庭には色んな種類の植物が植えてあってとってもきれいなバラや実をそのま ま食べることができる葡萄のような植物などについて説明してくれた。 また至る所にリスなどの小動物が出てきては木に登ったり、時々足元までよって来たりと 都会でありながらそんな光景もあるなんて不思議な感じだった。 3日後から Barry 氏が私のために確保しておいてくれたアパートに移って翌日から仕事を 開始することになった。 Barry 氏はテラコッタ[(Terracotta)粘土で造形した素焼きの器物、瓦などの総称。石器 時代に起こり、古代ギリシアのタナグラ人形をはじめ、美術上価値ある胸像、建築装飾な どの遺品が多い]を制作している。 (2)リリーフの制作 Barry 氏は主に市や建築関係者からの依頼を受けてその建物の外観を飾る装飾品の制作や 頼まれれば壊れかかっている建物のデザインの修復などもする。 私が最初に Barry 氏のスタジオで見た彼の仕事はスポーツショップの外観を飾る置物のし あげとヨーロッパからの移民のお客さんから依頼 された家紋の制作だった。今まで私にとってあま りなじみのなかった仕事をこれから勉強すること についてとっても興味がわいてきて実際にこんな 人形を目にして最初これらはどのようにして制作 されるのか想像もできなかったが同じ制作工程を 習ってきたので後々紹介していきたい。 全 く 私にとって違う技術を学ぶことにあたってま ず、最初に Barry 氏が教えてくれたことは、石 膏型に粘土をプレスしてタイルを製作する方 法だった。Barry 氏の石膏型を使わせてもらい テラコッタ専用の粘土で制作する。粘土を少し ずつ指でちぎってこすりつけるように凹凸部 分から粘土を はりつけてい く。最初は指 で強くプレス しながら凹凸 部分から粘土 を丁寧にはり つけていく。だいたい一通り満遍なく粘土でうまったところで今度は少し大目に粘土をと りすばやく一気に最後まで粘土をしきつめていく。全て粘土を敷き詰めた時点でのこぎり の歯みたいな道具をつかって底の部分を均して空気を抜く。粘土が型から外れるようにな るまで少しの間乾かして待つ。 型から粘土をとりはずして取り外したタイルの角を指やローラーできれいにならして少し 亀裂のある部分やひび割れのある部分などに粘土を付け加えたりしながら修正する。 最初の粘土をプレスする時点で注意しないと後からの修正が大変になる。 タイル制作の工程が分かったところで今度は自分でデザインしてオリジナルの石膏型作り から始める。 まず紙に自分のデザインを描く。そして粘土を陶板機で厚み 3cm に厚みを決めて陶板をつ くる。このとき彫刻など細工をする時に使う粘土はテラコッタ用の粘土ではなくて磁器土 みたいなきめの細かくて細工しやすい粘土を使う。 陶板を作るとそれを机に移し、表面をきれいに道具でならして紙からデザインを写しやす いように少し陶板の表面を乾かす。 一番深く掘り込む部分が底の部分からあまり薄くなりすぎないように針などを刺して底と の厚みを調べながら掘り込んでいかなければならない。 粘土がやわらかくて手直しがしやすい状態の時に何回も雑なラインを修正したり粘土を付 け加えたりして修正したりと、この時点で完璧な状態にする。石膏を流しいれてしまった ら修正ができなくなる。 それが終わったら淵の部分の余分な粘土を切り取って石膏を流し込む準備をする。 次に余分な粘土を切り取った陶板の周りに粘土で壁をつくって石膏を流し込む。粉状の石 膏を水を張ったバケツの中に少しずつ混ぜいれてよく掻き混ぜる。そしてバケツをゆすり 石膏内に含まれている空気をしっかりぬく。石膏を流し込んだ後も机などをゆすってしっ かり石膏内の空気を抜く必要ある。もし石膏内に空気が含まれていたらできあがった型の 内部に気泡ができてもろくなる上にデザインの場所に気泡ができてたらせっかくのデザイ ンがだめになるから空気を抜く作業はとても重要。あと石膏を流し込んだ時に粘土の壁の 底の部分から石膏が流れ出ないようにしっかり紐状にした粘土で机と壁の底の部分をしっ かりと塞ぐ。 石膏が固まったら壁を取り外して石膏型の角をきれいに削ってなめらかにしてしあげる。 この時に石膏型ができたからといってモデルになる陶板を型にはめこんだまま放置したら いけない。なぜなら粘土は乾いたら収縮するから石膏型にはめこんだまま収縮してしまっ たらその収縮によって石膏型のデザインやラインが圧迫されひび割れなどを起こすことが あるので粘土が固くなる前に型から取り外す。そうしてやっとモデルとなる石膏型ができ あがる。 自分のオリジナルの石膏型をつかって早速粘土をプレスして陶板を製作していく。今回小 石原から持ってきた粘土も使って制作してみる。テラコッタに使われる粘土はとってもざ らざらと荒くプレスしにくいが焼き上げたらとっても強くやきしまるし焼成後の収縮率も すくない。小石原の粘土はきめが細かくてプレスしやすく扱いやすいがプレートにしたと き乾燥途中で反り返りやすく収縮率もかなり高い。だから裏と表をひっくり返しながら乾 燥させていかなければならない。 私の仕事が一区切りついたとこで、Barry 氏が制作途中だったヨーロッパの移民からのお客 さんの注文だった家紋作りを手伝った。 私が自分で作った単純な陶板のデザインと違いさすがに家紋にするだけあってデザインも こってあって複雑にいりくんでいるラインも沢山あった。それらのラインを慎重に掘り進 んでいく。 これは余談になるがこの家紋の模様で男の人が、金槌と杭を使って石を掘っているデザイ ンがある。その部分にはその家が成功した家業、つまり先祖代々その家に続く家業をデザ インしたものでこの家紋を注文したパイカー氏は石細工の家業を代々受け継いできた家系 になる。もし私がこんなスタイルの家紋を作りたいならその部分のデザインは、ロクロを 回して焼き物を作っているデザインか土を掘っているデザインになるだろうねと Barry 氏 はヨーロッパ風の家紋のデザインの意味について教えてくれた。 ややこしく入り組んだ細かいラインを注意しながら掘り進んでいってその後スポンジで表 面をきれいにならして何回もチェックした後にやっと石膏がながしこめる状態になる。 作る石膏型のモデルが大きいために勿論使う石膏の量もとても多い。だからこの時は粘土 の壁を作らずに板を直接机に打ちつけて固定して壁を作った。 そして私が作ったタイルの石膏型と同じように石膏を流し込む。そのときにまた机をゆす って石膏内の空気をとることを忘れないようにする。 石膏型がかたまったら壁の板を取り外して私が作った石膏型と同じ工程でモデルの陶板が 固くなって収縮しないうちに型から取り外す。 そしてこの石膏型にまた粘土を指でプレスしていく。とっても大きい上にデザインも複雑 なためプレスしていく作業はとても時間がかかる。 粘土を全てプレスし終えると少し待って型から陶板を取り外し陶板がそりかえらないよう に四方に粘土か何かの重りを置いてゆっくりと乾燥させていく。 最初はこんなに複雑なデザインをちゃんと彫り上げていって完成させることができるのか と思っていたがこういう仕事は私にとってなじみがないだけで何回か家紋制作を引き受け たことがある Barry 氏は完璧に仕上げていった。 (3)陶芸教室の見学 10月 22 日この日は Barry 氏が毎週水曜日と金曜日に陶芸教室を担当している「Art Students League」という建物を見物させてもらった。 6人ほどの生徒がみんなそれぞれ自分の作りたい物をそれぞれのスタイルで作り方などを 工夫しながら制作に励んでいた。 中でもダイアンという生徒の人の体を形作る造形方とシェナという生徒の薄くのばした陶 板を石膏型の上にかぶせて口元を何回も薄く指で引き延ばしてシャープな口元に仕上げて いく鉢の造形方はおもしろかった。 この建物の中には Barry 氏の受け持つ陶芸のクラスのほかに彫刻のクラス、油絵のクラス などさまざまな種類のクラスがありそれぞれに指導をする先生がいて生徒がいる。 三階建てのこの建物の中では一階には油絵などの生徒の作品が常時展示してあって2回に は陶芸教室の生徒の作品が展示販売されている。 ダイアンさんの作品、シェラさんの作品も展示販売されていたがすでに二人の作品には売 却済みのシールがはられてあった。やはり面白い作風、珍しいアイディアを持った作品は 人気がある。 (4)テラコッタの制作 私が最初に Barry 氏のスタジオを訪れた時に既に仕上げをしていたスポーツショップから の注文のテラコッタと同じ工程の制作法を学ぶ。 最初に基本となる形を考える、もともとテラコッタは置物として外観を飾る物として使わ れる。花瓶や食器と違って単に置物としてだけ使われる物のデザインなど考えたことのな かった私にとって最初のデザイン作りから長い時間がかかった。 「そんなに難しく考えないで最初は簡単で単純な形から作っていけばいい」という Barry 氏からのアドバイスもあって台の上に丸い球形の球が乗っているデザインに決めた。 土台になる部分と球の部分を別々に制作してしっかりその二つを割り箸をつかって上から 貫通させ固定する。 そして固定できたらまず片面の型を採るためにステンレスの板を使って縦半分をしきる。 その後サイドと正面に壁を作り石膏がもれないように粘土をはりつけてステンレスと壁の 隙間を塞ぐ。 まず片方に石膏を流し込んで型を採る。 そしてもう片方の型を採る。その時に注意しなければならないことが粘土は石膏が固まっ た場合でも取り外すことができるが石膏と石膏同士ではお互いがくっついてしまってはな れなくなる。だから2回目に型を採る時には最初採った石膏型の表面に石油をペースト状 にした物をなるべく分厚くあらかじめに塗っておく。そうすることによって石膏同士がお 互いにくっつくことを防ぐことができる。 前回と同じように型の周りを粘土の壁で囲っ て石膏を流し込む。石膏が固まって石膏と石膏 同士をうまく取り外すことができたらヤスリ などを使って荒い部分なんかを削って少し修 正していく。 そして二つの型が無事できたら二つの型の内 側に粘土を貼り付けていってその二つをくっ つけて一つの作品にする。 まず粘土を石膏の内部に貼り付けていく前に、この二つをくっつけるためのドベ(乾燥し た粘土を水に混ぜてやわらかくした物)を作る。 完全に乾燥した粘土を細かく砕いてさらに麺棒を使ってさらに細かく砕く。それらの細か く砕いた粘土の粉を水を張った容器やバケツの中にいれてかき混ぜずにゆっくり粘土が水 の中で溶けていくのを待つ。そして上水を何回かきって濃いドベを作る。濃いドベのほう がくっつきがよい。 石膏の内側に粘土を厚み 1cm ほどに満遍なく貼り付けていく。食器などとはちがってテラ コッタなどの置物は軽いよりも丈夫になるように重くてもいいから粘土は沢山つかって分 厚く作る。粘土を全て貼り付け終わったらお互いの接着面に歯のぎざぎざした道具で傷を いれてドベを塗っていく。片方には盛り上げるようにして、もう一方には薄く塗っていく。 この時点粘土が石膏から盛り上がらなくて全体 が均等に平らになるように気をつける。もし粘 土が石膏から盛り上がっている部分が所々にあ った場合隙間ができやすくそこの隙間からひび 割れをおこす原因になる。 二つの石膏型のカギとカギをしっかり合わせ て両方からぐっと押さえつける。少しそのま ま待って型から取り外す。 この時点で底の処理をしっかりすることと内 側を何か長い道具をつかって二つの間の隙間 をうめるように念入りに慣らす。 型から取り外したら二つをくっつけるためにつかわれたドベの跡がついているのでそれを 丁寧にスポンジやステンレスの板などを使って処理していく。でも型から取り外したばか りの時点ではまだやわらかくて、形が変形しやすくそれらの処理をしにくいので、ドベの 跡の処理は一日放置して少し乾かした次の日がいい。タイミングが大切。 Barry 氏はこれらと同じ工程で信じられな いほど大きいテラコッタを制作する。 工程が分かった後に改めて見直してみると これらの作品を制作するのにどのくらいの 時間と労力と技術が必要かよく分かる。 (5)デモンストレーション 10月 31 日 Barry 氏が毎週金曜日朝から昼にかけて受け持っているクラスでロクロびきの デモンストレーションをすることになった。 そのクラスにアメリカ人と結婚して、もうこっちに20年ほど住んでいるより子さんとい う人が生徒として来ていたので通訳をしてもらうことができた。やはり細かいニュアンス を伝えるのはちょっと難しいのですごく助かった。 ロクロびきの前に粘土を練る菊練りから一通りの皿、茶碗、花瓶などを作って見せた。日 頃ロクロを使って成形する習慣がない生徒達ばかりだったのでものすごく真剣に、そして 興味深そうに私のロクロ成形に見入っていた。 そしてその後私の村が製作した小石原焼きについてのビデオを見せてその歴史などについ て話をした。昔小石原焼きの窯元の人達は焼き物をリヤカーに積んでそれをひっぱりなが ら何キロも離れた町に行って売り歩いていたことについて話すとみんなとっても驚いてい た。焼き物についての歴史は国それぞれ違うからみんなものすごく興味があるといった様 子でどんな種類の窯を今つかっているか、使っている釉薬の種類、などの質問も受けた。 アメリカの人々に小石原の歴史を知ってもらう機会ができてとっても良かったし、生徒達 からも共感が得られた。Barry 氏も日本の陶芸の歴史について知ることはとっても興味深い し生徒達にも良い勉強になったととても喜んでもらえた。 (6)サンタフェ通り周辺のギャラリー 11 月 15 日 Denver 市内の西に位置するサンタフェ通り沿いには陶磁器、絵画などを展示 してあるギャラリーが多く建ち並んでいて、より子さんの知り合いがいるというギャラリ ーに連れて行ってもらった。 「ARTISTS On SANTAFE」というギャラリーには何人かの作家の作品を展示してあって奥に は作業場、電気窯、ガス窯があってそこでは2人の作家が作陶している。 この建物の作業場を使っている一人 Macy Dorf(マースィ・ドーフ)という作家はフランスの ドボンという村で2年間修行したあとデンバーにもどってきて作陶しているという。もの すごく気さくな人で自分が使っている作業場を見せてくれたり、それぞれの釉薬の種類に ついていろいろと説明をしてくれた。作品は大物が多く焼き〆や緋襷(ひだすき)などの 技法を多く用いている。 あと一人の作家は、より子さんの知合い Janey Skeer(ジェニー・スキア)という作 家でとても斬新な作品を制作している。ハリガネを陶板に押し付けて模様をつけ それから成形いくという技法を用いていて、蓋付の陶箱の取手にはハリガネを動 物の形などに加工した物を使ったりとアイディアもとてもおもしろい。この日は 不在で会うことができなかったのが残念だった。 そのほかにもほかの作家の作品がそのギャラリーには展示してあってそれぞれとてもユニ ークで面白い作品がたくさんあった。 周辺にもいろんな作品を展示してあるギャラリーがあって焼き物に限らずいろんな種類の 作品のギャラリーを見学できた。なかでもマーブルの石を加工して作ったおばあちゃんの 形をした人形はかわいかった作品名は「Domo」という。 より子さん自身も陶芸に限らずアートが大好きで油絵なども描くし、磁器土に彫刻を施し てそれを貝にくっつけて窯で焼き付けて作るユニークなネックレスも作る。個展経験もあ って私も Barry 氏と一緒にその個展に訪れたこともある。 (7)アメリカ陶器の歴史 その後「デンバー・アート・ミュージアム」に行ってアメリカの陶器の歴史について調べ た。日本の陶器の歴史とちがって詳しい資料のこっているわけではなかったが残っている 記録によるとインディアンから伝わってきたもので 1000 年ほど前からアメリカ南西部あた りで花瓶や人形などが発掘されている。 マリア・マルティネスというインディアンの女性がアメリカ陶器に古くから使われた技法、 粘土として使われる原料、焼成法などを最初に講評、記録した人物らしい。 記録によるとその当時使われていた粘土は粘土質の土に火山灰と水を混ぜて練り合わせた 物で、成形法は粘土を紐状にしてどんどん上に積み重ねていく手びねりの技法が用いられ ていた。乾燥した素地に鉄分を含んだ赤い色をした液体を塗っていき、少し乾かしてなめ らかな石を使って磨き光沢をだしていく。 その当時使われていたヘラなどは、乾燥させた大きなかぼちゃの皮をはいでその皮を加工 して道具として使っていた。 絵付けなどに使われる筆や原料などを塗るために使われる刷毛はユッカという繊維質な植 物を口のなかで噛み砕いてやわらかくしてそれを束ねて作られていた。 焼成法は鉄の支柱を4本置き、その上に網をのせて作品を上に並べる。その周りを乾燥し た牛糞で完全に覆い、その上を乾燥した藁で覆う。藁に火を放ち焼成する、火の勢いが弱 まってきたら乾燥した木屑や燃えてしまった藁の灰などを何度も上から振りかけて温度の 低下を防ぐ 焼き上がった作品は釉薬をかけていないのに光沢がる。 これらの記録がアメリカで最初に用いられた焼き物の制作法として記録に残っている。 アメリカは広い土地で地域によってさまざまな服装や装飾品などがあったらしくてその当 時の衣装や使われていたテントなども再現されて展示されていた。 (8)タイルの複製 「COLBURN HOTEL」からの依頼でホテルの外の壁に埋め込むためのタイルの 複製の仕事を手伝うことになった。言葉には聞いたことはある複製という言葉だが実際に そんな仕事を今まで見たことがなかったため不安と期待の気持ちでアシスタントとして Barry 氏から指導をうけながら仕事を進めていった。 まず必要なだけのタイルを陶板機を使って制作。後からタイルがそりかえらないように片 面2回ずつローラーにかける。それらの陶板を机に移し正方形にカットしていく。カット し終えたらタイル一枚、一枚の角をローラーや指できれいにならしていってデザインが下 書きできるまで乾かす。 紙に描いたデザインを乾いたタイルに鉛筆で映しエジプションペーストという原料を外郭 のラインの部分に盛っていく。 細かい作業のため最初手元が震えて緊張し たが数をこなしていくうちに慣れて楽しく なってきた。 次に一番大切な釉薬のテストをする。オリジナルの色に近づくように重ね塗りの数を1回、 2回と変えてみたり、パーセンテージを変えて釉薬を調合したりしながらそれらをテスト ピースに塗っていく。そしてテストピースが窯から出たら一番オリジナルに近い色の釉薬 を調合し、何回重ね塗りをしたかを記録しておいてそれにしたがってタイルに釉薬を塗っ ていく。 全ての色の釉薬を2回重ね塗りしていく。外の壁に飾っていつも雨風にさらされるために ラインの部分が裸だったらどうしても弱くなってしまためペーストのラインを釉薬で覆う ようにして塗っていく。そして焼成。 こうして見事にオリジナルにとっても近い複製されたタイルが焼きあがってきた。 この時釉薬のテストピースの実験は一回で満足いく色ができたが時には4回も5回も釉薬 の試験をすることもあるという。やはりオリジナルを制作するより修復の仕事というのは 気を使うし責任も大きい。 今度私がデンバーに行く機会があったらこのホテルの壁に飾られているだろうタイルを自 分の目で見てみたい。自分が制作に携わった物が人の目に付く場所飾られている。それは とても私にとって誇りに思うことだし、そんな仕事を手伝える機会にめぐり合えたことに 感謝したい。 「マイル・ハイ・セラミック」という道具屋に連れて行ってもらった。最初に説明した通 りデンバーでは「マイル・ハイ」という言葉がよく使われる。ほかに「マイル・ハイ・電 話会社」や「マイル・ハイ・印刷会社」などもある。 沢山の種類の化粧土、釉薬、上絵薬、道具がそろっていて粘土もその店で混ぜ合わせて作 っている。 Barry 氏は全て自分の仕事で使う釉薬や道具、化粧土をこの店で購入している。デンバーで 一番大きい道具屋らしい。 また Barry 氏はこのお店の主人の協力を得て昔テラコッタに使う粘土を試行錯誤しながら 作ったらしく Barry 氏が使うテラコッタ専用の粘土はここでしか手に入れることができな い。 「MILE HI CERAMICS. INC.」のカラフルな看板は Barry 氏が制作した物だ。 12月 22 日、クリスマスの少し前の日 Barry 氏が「ハナカ」というイベントに招待してく れた。全然聞き覚えのないそのイベントについて訪ねてみると「ハナカ」というのはユダ ヤ人の間で古くから伝わるイベントで日頃の自由とアメリカに対する感謝の気持ちを忘れ ないようにするためのものらしい。 昔からユダヤの人々が愛して食べた自家製のコーンビーフとジャガイモの料理が食卓にな らんで家族で食事をとったあとにテーブルの上に並んでいる蝋燭に火をともしてユダヤ人 にとって民謡でもある音楽を聞く。 「ホーラー」というダンスをみんなで踊った後に部屋の 電気を全て消しテーブルの上にある蝋燭が燃え尽きるまで静かにみつめる。 ユダヤ人特有のこのイベントは家族から家族へと昔からずっと受け継がれている。 こんな特別なイベントに参加できてとても良い記念になった。 「戦場のピアニスト」という映画を思い出し、とっても悲しくなった。 (9)焼成 私が制作した作品を焼成する。Barry 氏が使っている窯は電気窯で温度調節を切り替えるた めのスイッチが下、中、上の三箇所についていて作品の大きさや窯の中の作品のボリュー ムにあわせて温度のあげ方を変化させていく。私たちのつかっている電気窯と違い Barry 氏が使っている電気窯のしくみは少し変わっていてタイマーで制御するのではなくゼーゲ ルコーンを使う。 窯の内側にゼーゲルコーンをはさむ場所があってそこにコーンをはさみ温度が上がってコ ーンが曲がると内部との接触によって窯のスイッチが自動的に切れるしかけになっている。 温度の低い素焼きをするときはコーン1を使い本焼の場合はコーン4から6を使う。 焼成温度は1200度から高くて1300くらいまでで使っている釉薬によってそれぞれ ちがう。 素焼きが終わるといよいよ釉薬を塗っていく。今回は Barry 氏が持っている釉薬の中から 何個か面白そうな釉薬を使って焼いてみた。 CHUN RED という釉薬は一回のコートでグリーンに2回目のコートで赤に色が変化するとい うとっても面白い釉薬。でも流れやすいためにタイルなどに使ったほうがいい。 AGATE という釉薬はとっても深みのある青い色を出す釉薬でタイルのデザインにとっても よくあう釉薬だった。 カプチーノという釉薬はこっちでいう飴釉みたいな感じの色合いをだす。流れ具合がきれ いだった。 それぞれよくできたと思うがやはり焼成した窯も釉薬の調合も違うので自分の色を自分の 窯で作り出すことが課題になる。 テラコッタなどの置物は何の問題もなく焼成できたが、小石原の粘土でタイルを制作した 場合ひびが入っている作品が多かった。 だがそれぞれの新しい技術を学ぶことができたのでこれからの作陶の中で活かしていきた い。 ペイカー氏から注文された家紋の制作もちょうど仕上げをするときになった。 完全に乾かしたら透明釉をコンプレッサーという霧状にして吹きつける機械を使って陶板 全体に釉薬を吹き付けていく。 その後いろんな種類の色を使い分けて絵の具を塗るみたいにペイントしていく。 完成予定のデザインはとてもカラフルだ。 塗っていく原料は日本で上絵付けに使う原料でも下絵に使う原料でもなく何か特別なとて も珍しい物で3回ほど重ね塗りをしたら釉薬のようにガラス質になり光沢がでるという。 塗っている原料はカラフルな色の釉薬ということになる。一瓶の値段はものすごく高いら しい。 色を塗り終えるともう一度全体的に輝きがでるように透明釉をもう一回コンプレッサーで 吹き付けて窯入れ。素焼きはしない。 私がスタジオを訪れたときにちょうど制作を始めたくらいで 最初から最後まで一緒に仕事を手伝わせてもらって完成した。 大変な仕事が多かっただけに出来上がったらやっぱり嬉しい。 この家紋は無事パイカーしによって車で運ばれていった。左の 写真はそのパイカー氏。仕上がりにとても満足していた。 (10)ピーター氏の工房、作品 Barry 氏の古くからの友人で作家のピーター氏と Barry 氏が高校生の頃彼の美術の担任だっ たマーク氏に会うことができた。 ピーター氏は Barry 氏と同様に毎週火曜日の夕方「ART STUDENTS LEAGE」でハンドビルデ ィングのクラスを受け持っている。ハンドビルディングとは大きめのオブジェなどの作品 を意味する言葉でピーター氏の作品には大物が多い。 土練機(どれんき)の口に金具をはめ、そこから板状になって出てくる粘土を大きい筒に 巻きつけていく成形方法でこんなに多きい筒状の物ができる。 窯は電気窯を使っていてその窯は組み立て式になっているので、ある程度大きい物だった ら焼成できるしくみになっている。電熱線がついているパーツとついていないパーツがあ るので大物を焼成するときは窯内部に伝わる熱がむらにならないようにそれぞれのパーツ の位置を調整しながら窯を組み立てていく。 非常に便利な窯で作品だけを見たときはいったいどうやってあんな大きな物を焼成するの か不思議だったが知ったらなるほどと理解できる。ガス窯、電気窯といっても横開きの扉 か上向きに開ける扉の窯しか見たことなかったのでこんな仕組みの窯を知ったことは勉強 になった。 (11)マーク氏について マーク氏は1969年から一年間、京都にある美術学校で交換教員として焼き物を教えて いた経験をもっていて、その時に登り窯を始めて見て魅了され、自分自身もコロラドロッ キー山脈に登り窯を所有している。 この時はちょうどマーク氏の作陶引退展覧会が開かれていて今までマーク氏が制作した作 品が会場には展示されていた。 青磁の壺や志野、天目などの食器類やオブジェにいたるまで本当に焼き物を愛し焼き物の 歴史に興味を持つ彼の人間性がうかがえる展覧会だった。 登り窯で焼いた作品も多く登り窯特有の自然釉がかかった壺や焼〆の食器などもあった。 今年79歳を迎えるマーク氏だが体力が続く限り作陶に励みたい、登り窯をもう一度焼き たいと、もう年だからといって作陶を諦めている様子は全然なかった。 またアメリカでも日本の登り窯の名前はそのまま[NOBORIGAMA]として英訳されずに使われ ている。アメリカ人にとって焼き物といったらやはり日本がブランドなのかもしれない。 (12)グループ展覧会 日本へ帰る前日 Barry 氏の知り合いのギャラリーで作家のグループ展をやっているという ことでその展覧会に行った。 8人の作家が出展しているその展覧会は夜にもかかわらず沢山の人々で賑わっていた。 おもにオブジェが多く出展されていた。 トニー氏の出展していた大壺にはびっくりさせられた。3つのパーツを作りそれらを焼き 上げた後に展示する時、その場で組み立てて一つの形の壺にするというアイディアが面白 い。 トニー氏はマーク氏が展覧会を開いていた大学内にある建物の地下に作業場を持っていて そこで作陶に励んでいる。またサンフランシスコ市内のギャラリーにも彼の作品は展示さ れている。 (13)Barry 氏の作品 ここで Barry 氏の作品を紹介したい。 左の写真は 「Quest tower」 という電話会社のビルの受付の後ろにかざられている作品は 1998 年に設置された。右の写真は「オックスフォードホテル」の玄関の壁にタイルを装飾して 玄関全体を Barry 氏がこのように全てリフォームしたもので 1996 年に完成した。 「Acomo Building」という石油会社からの依頼でビルの一階の壁に 1995 年に設置された陶 板で、地層のイメージと温かみのある感じの色使いというコンセプトで制作してほしいと の注文だったらしい。 右の写真からも分かるように非常に規模の大きい作品だった。 びっくりするほど一つ一つの陶板が大きくて綿密な計算が必要な仕事だったろう。 Barry 氏の娘が通う高校の校門にバリー氏の作品はある。噴水にかざられている鯉と蛙の置 物が使われている。春から秋にかけてその鯉からは水が吹き出ているという。私の研修時 期は冬だったのでその様子を見ることができなかったがここ2∼3年デンバーは水不足で 噴水は止められているらしい。 自分のお父さんが制作した作品が自分の通う学校の校門の前で噴水として使われているな んて Barry 氏の娘さんはとても父のことを誇りに思っているだろうと思う。 水族館の前の壁にびっしり貼り付けられたこれらのピースは、銅、アルミを加工して作ら れていて全部で1400枚ある。それぞれにこの水族館を訪れたお客さんのメッセージが 刻まれてこのような形で残されている。全てを完成させるまでに3年の歳月がかかったと 言っていた。Barry 氏は陶器の仕事だけではなくこのような仕事も手掛けている。 1999 年に設置された。 ほかにも街に架かっている橋の壁に Barry 氏が制作した陶板が埋め込まれてあったり、デ ンバー市の図書館には巨大な陶板で制作した本棚がかざられてあったりとデンバー市内の いたるところで彼の作品を見ることができる。 4 研修を終えて 今回、九州電力若手工芸家国内外派遣研修制度の研修生に選ばれてアメリカで3ヶ月間研 修する機会を得ることができました。 アメリカで全く別のジャンルの仕事を学ぶことは楽しみではある反面もちろん不安な部分 もありました。言葉の壁、その国での生活に慣れること、自分がどれだけやれるのかはそ れをやってみないと分からないと思います。 でも、今研修を終えて自分自身にも自信が持てたし、また言葉や文化は違っても私の気持 ちを理解して励ましてくれるような人々がアメリカにも沢山いるということが分かりまし た。 今回の研修で新しい技術を学ぶことができました。でもこれから先に学んだことを発展さ せていくのは自分自身だと思います。この研修で学んだ事を忘れずに自分なりに小石原焼 の文化の中にうまく取り入れていけたらと思います。 今回の研修にあたって九州電力・若手工芸国内外科研研修制度の担当係りの方、私をこの 制度の候補者として推薦してくださった小石原協同組合理事長、そのほか協力してくださ った方々に心からお礼を言いたいとおもいます。 平成16年1月 太田 聡一郎 1 研修に当たって 1 研修期間 平成 15 年10月10日(水)∼平成 16 年1月 9 日(土) 2 研修先 3 研修の目的 アメリカコロラド州デンバー この度、私は平成 15 年度の第7回・九州電力若手工芸家国内外派遣研修制度の一人に 選ばれ、アメリカのコロラドデンバーで研修する機会が得られた。 今回の研修の目的はアメリカ陶芸の日本とは異なる感性から生まれる作品に触れ、新しい 技術を習得すること。 そしてまだ歴史的には浅い国アメリカで最初どのように陶芸が伝わってきたかのか、アメ リカ陶器の歴史を学ぶこと。 そして私が前回アメリカを訪れた時に知合った作家の下で今までとは全く異なる技術の習 得。