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農学部教員 OB・OG 会だより 2014
農学部教員 OB・OG 会だより 2014 2014(平成 26)年 10 月1日 発行 山形大学農学部正面(2014 年 9 月 3 日撮影) 0 農学部の各棟の屋上にソーラーパネルが 設置されました。本年3月末に完成。 全部で100kW。 農学部玄関にある太陽光発電パネル。今日の 発電電力量、今までの発電電力量等が表示さ れている。 農学部学内農場の一部を市民交流農園に しました。 市民交流農園(1区画は80平方メートル) 1 毎週木曜日の昼、農学部で農場市(農場 で生産された作物が販売される)が開か れます。 市民の皆さん、学生、海外からの留学生が 沢山訪れていました。 鶴岡市立 クラゲドリーム館 加 茂 水 族 館 世界一のクラゲ水族館として生まれ 変わりました。 館長は村上龍男氏(本学部卒業生) タコクラゲ 2 巻頭言 農学部教員 OB・OG 会 幹事長の就任にあたって 大高 全洋 このたび名幹事長の塚原初男先生からその大役を引き継ぐことになりました。 わたしは千葉県市川市で生まれ育ち、大学進学のため札幌に移住しました。 その後ご縁があって1878年10月に鶴岡に南下し、今日に至っています。 わたしが赴任した当時の山形大学農学部農学科農業経済学講座は尾河和夫先 生が教授(ご病気のため休職中)、阿部幸吉先生が助教授、助手の加藤功先生が 新設の寒冷地作物学講座の助教授になった直後でした。 阿部先生とは、小生が北海道大学大学院農学研究科農業経済学専攻の大学院 生の時に、内地留学の研究員として農業協同組合論講座に来られて以来のご縁 で、公私共に大変お世話になりました。旧農林専門学校1期生であり、初代の 校長・学部長であった石川武彦先生が農経講座の所属だったため、卒業生や旧 教職員との出会いや交流に人並み以上に恵まれてきたことに感謝しています。 定年退職して12年目、鶴岡在住36年、現在は市内と羽黒町桜ヶ丘の山荘 (セカンドハウス)で四季折々の風情と人情を味わい暮らしています。 OB・OG 会とのご縁は、2009年に加藤幹事長(当時)が急逝された時に、 それを受け継いだ塚原幹事長から旧農学科・附属農場代表幹事の要請があり、 同時に総務・会報担当の事務局メンバーにも、ということで受諾しました。幸 い赤瀬章先生が新たに旧農業工学科代表と名簿・会計担当を担当して下さるこ とになり、3人体制で5年間、何とか会の運営を続けて来ることが出来ました。 このたびの塚原幹事長の勇退については、その理由のひとつに「傘寿を迎え たので」ということがありました。幸い新進気鋭の OB である高橋敏能先生が わたしの総務・会報を、そして本年度中に新設予定のホームページをも担当し、 さらに会員各位の講演講師の希望を募り、それをHPに載せることになりまし た。わたしの任務はピカピカの OB・OG がどんどん懇談会と懇親会に出席し、 会報にも寄稿して、規約第3条の目的「会員相互の連絡・親睦をはかり、あわ せて山形大学農学部の発展に資する」ようになることです。 藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』に「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」という セリフがありますが、最晩年は終わってみなければ分かりません。晩年を晩年 らしく日夜元気に生活(生存して活動すること:広辞苑)し続けましょう。 塚原先生、長い間幹事と幹事長役、ご苦労さまでした。後任の大谷博濔先生、 そして新幹事と事務局メンバーに加わっていただいた高橋敏能先生、引き続き 幹事を引き受けて下さった大先輩各位、そして全国各地で掛け替えのない人生 を全うしつつある会員の皆さま、山形大学農学部教員 OB・OG 会の一層の発展 のために、これからも末永くよろしくお願いします。 3 講話 稲作を通した国際貢献 安藤 豊 山形大学農学部では JICA の事業を受託する形で平成 17~19 年度にミャ ンマー稲作改善事業、平成 20 年度から現在も続いている稲収穫処理に関す る研修を実施している。これらは相手国から研修生を受け入れる研修で、短 期研修(1 年以内、実際は 1~2 ヶ月)である。そのほか、平成 20 年度から 修士の学生として途上国から毎年 4 名程度が、JICA 長期研修生として稲作 技術に関して学んでいる。また、ABE イニシアティブによるアフリカ援助 の一環として、大学院修士課程の中に主に英語で授業を実施する稲作コース をもうけ、長期研修生の受け入れを来年度から行うことが決まっている。何 故、稲作を通した国際貢献をこの庄内の地で行っているのであろうか。 稲の単位面積あたり収量を平成 24 年までの 20 年間で国際比較をすると、 日本は 16 位になる。鶴岡市が合併してから平成 24 年度までの 8 年間の単 位面積あたり収量を世界の国と比較すると第 7 位に相当する。単位面積当 たり収量が高い国は稲作期間中晴天日が多く、一日の気温較差が大きい国が 多くなっている。これに対して鶴岡は気象条件的には上位の国と比較してや や不利であるが、技術力でカバーしていると考えられる。この高い技術力を 途上国へ伝えることにより技術援助へ役立たせようと言う国際貢献である。 庄内の高い技術力の背景はどこにあるのであろうか。 庄内地域では昔から稲作に対して強い関心を示していた。稲作は水の確保 が重要である。江戸時代初めから鶴岡城下を水害から守るために赤川の河道 を安定にする工事が行われ、結果的に水田の洪水被害の減少に役立っていた。 赤川は庄内平野に出ると扇状地を流れているために河道が安定していなか ったため、水田の洪水被害が頻発していたのを防いだことになる。その後も、 1700 年代には朝日、櫛引、羽黒の用水確保のため越中堰が作られ、1800 年 代には黒川で堰、用水路が確保され開田がなされた。1900 年代になると水 源確保のため、朝日の国有林を保安林として設定している。また、1902 年 には矢馳揚水組合が日本で最初の農業への電力利用を行っている。 このように水を確保しながら、収量の安定性を求めただけでなく、米の品 質(良食味)も追求されていた。江戸時代には本間家が米を商売として販売 していたため、食味に対して敏感であったのであろう。明治時代になって、 品質が低下したため、本間家で倉庫事業も行って、品質の確保をした。この 倉庫事業で作られたのが山居倉庫であり、入庫米の審査を厳しく行うことに よって、品質確保を行った。昭和の初期には東京の廻米問屋の食味試験や白 米商組合員、正米問屋組合員の試験結果で、庄内の民間育成品種の「羽後の 4 華」が高い評価を得ている。 民間育成品種と言えば、「亀の尾」が有名であるが、そのほか、1960 年代 までに 150 以上の品種が育成されている。民間の育成により品種が成功した 背景には官民の協力体制があり、育成された品種の評価を山形県農業試験場 が行っていたことも重要であろう。 技術の先進性も重要であろう。1890 年には福岡より乾田馬耕教師を招聘 している。湿田から乾田へ変えることにより地力をより効果的に利用した試 みである。地力の有効利用だけではなく、施肥の改善も行い、1937 年には 荘内松柏会、本間農場で基肥重点から分施技術への転換の指導をはじめてい る。農業の機械化も県内では非常に早く、トラクターの普及、田植機の普及 も他地域より一足早くなっている。 これらのことは逆に言えば、庄内地域は稲作に関しての資源が豊富である ことを示している。しかし、現在の稲作は機械化され(写真 1,2,3,4)、 その機械化された先進技術が直ちに途上国の技術援助になることは考えら れない。例えば、苗は本田で作り、移植作業は手で行う途上国が大部分であ る。また、収穫も手刈りであり、脱穀作業もドラム缶に稲をたたきつけたり、 棒でたたく作業を行っている(写真 5)地域もある。特にアフリカ地域は畑 作物が中心であるので、湛水による農業になれていない。たとえば、JICA の協力隊員が現地農民に水稲栽培で水管理を教えて、次の日に行ってみると、 落水していたと言うことが起きる。現地の研究者、普及員も稲の講義は学校 時代に 2 単位授業(15 回の講義)で 1 回分程度しか聞いていない。このよ うな背景を持つ短期、長期研修生に対する教育は現在の技術体系を教えるよ り、稲作の基本と帰国してから役立つ技術を教える必要がある。 脱穀作業について具体的に見ると、日本で脱穀機が普及する以前は、千歯 扱きが主流であった。日本ではジャポニカ種が主に利用されているが途上国 の大部分はインディカ種であり、脱粒性が高い。このため、脱粒のために千 歯扱きのような手段の必要性は小さく、たたくことによって脱粒が可能であ る。しかし、地面に何も置かない状態では籾の回収率は低くなる。また、最 近開発され、アフリカで普及が図られているネリカ米は脱粒性があまりない 品種のようである。従って、インディカを栽培している地域ではシートの利 用や Bam Bam Box(写真 6)の利用などの指導が必要である。 現在農学部で行っている JICA の研修に対しては、庄内の稲作関連の豊富 な実績を有効に利用しながら、上記のような考えを基本としている。また山 形県、鶴岡市、JA 鶴岡等の協力で実施している。 5 写真1.機械化された稲作(移植) 写真 2. 機械化された稲作(無人ヘリ 防除) 写真 3.機械化された稲作(収穫) 写真 5. 棒による脱穀 写真 4. 機械化された稲作(乾燥貯蔵) 写真 6. Bam Bam Box 利用による脱穀 6 近況 「舞姫」の謎解きに挑んで十三年 林 尚孝 ドイツ留学から帰国した森林太郎を訪ねて、若いドイツ人女性エリー ゼ・ヴ ィ ー ゲ ル ト が 来 日 し 、築 地 精 養 軒 に 36 日 間 も 滞 在 し た 事 実 を 知 っ て い ま す か 。こ の 女 性 は 、長 い 間 エ リ ス と 呼 ば れ 、鷗 外 の 財 産 目 当 て に 来 日 し た 、少 し 頭 の 足 り な い 路 頭 の 花 (売 春 婦 ? )で あ る と さ れ て き ま し た 。そ れ は 、鷗 外 の 妹 小 金 井 喜 美 子 が 書 い た 回 想 録「 次 ぎ の 兄 」の 記 述 が事実であるとして、誰も疑わなかったからです。 鷗 外 の 処 女 小 説 「 舞 姫 」 は 、太 田 豊 太 郎 と 舞 姫 エ リ ス と の 悲 恋 物 語 で す 。 主 人 公 は 、友 人 の 讒 言 か ら 官 を 罷 免 さ れ 、貧 し い な が ら も 彼 女 と 楽 しい生活を送っています。出世のために妊娠し、発狂した彼女を捨て、 帰 国 す る 豊 太 郎 。こ の 小 説 が 発 表 さ れ た と き 、新 妻 登 志 子 と は 結 婚 し て 一 年 も 経 っ て い ま せ ん で し た 。ま た 、鷗 外 の 上 官 石 黒 忠 悳 を 思 わ せ る 官 長 も 登 場 し ま す 。出 世 街 道 を 歩 き 始 め た 森 林 太 郎 の 将 来 を も 危 う く す る 小説です。なぜ、このような小説を発表したのでしょうか。 そ の 謎 解 き を 始 め た の は 、 2001 年 11 月 の こ と で し た 。 学 界 の 常 識 に 挑 戦 し 、森 鷗 外 記 念 会 会 誌『 鷗 外 』に 、論 文 「 舞 姫 事 件 考 」 (そ の 1)を 発 表 し た の は 、 2007 年 7 月 の こ と で し た 。2014 年 7 月 に (そ の 11)が 印 刷 さ れ「 舞 姫 事 件 考 」シ リ ー ズ に 終止符を打ちました。与えられた紙数では 紹 介 し き れ ま せ ん 。要 約 す れ ば 、エ リ ー ゼ は 鷗外と結婚の約束をして来日しましたが、 森家の反対に遭い帰国せざるを得ませんで し た 。「 舞 姫 」の 主 題 は 、エ リ ー ゼ へ の 贖 罪 と自己の欠点の剔抉にあります。誇り高い 鷗 外 に と っ て 初 め て の 挫 折 で あ り 、「 舞 姫 」 は鷗外の慟哭の小説です。この事件は生涯 カンチコウゾリナ(鳥海山) 消すことができないトラウマを鷗外にもた らしました。 「 舞 姫 」を こ の よ う な 視 点 で 、も う 一 度 お 読 み 頂 け る と 幸 い です。 詳 し く は 、イ ン タ ー ネ ッ ト の サ イ ト「 森 鴎 外 と 舞 姫 事 件 研 究 」、URL: http://ntk884. blue.coocan.jp を ご 覧 下 さ い 。 ( 農 業 機 械 学 研 究 室 に 昭 和 39 年 ~ 昭 和 42 年 在 籍 ) 7 近況 カラス問題と関わる私の近況報告 後藤 三千代 10 年 一 昔 と い う が 、 私 の カ ラ ス と の 付 き 合 い は 1990 年 以 来 と 、 い つ の ま にか長くなり、二昔半になっている。この間、山形県という私が住んでいる 地域において、多くの住民の方々や地方自治体、企業などからカラスの悪行 による被害の数々を聞き、被害の原因と対策のあり方を問われてきた。私は いわば大岡越前の守のような(人間ではないがカラスを裁く)裁判官のつも りで調べ、原因を突き止めて裁きという対策を提案する。ただし、これまで 私が調べた内容で、カラスが悪いという裁きをしたことはほとんどなく、た いていは人間の側に責任の大半があり、我々人間自らを改善すべきという対 策になる。そのため、地域でカラス問題が発生したときは多くの場合、住民 の要求とはかけ離れた提案となり、自治体の説明だけでは済まされず、住民 から直接、結論に至った次第を詳しく説明せよということなる。そんなわけ で、説明報告会がカラス問題の発生地で開催される場合が多い。報告会の一 例であるが、説明会の会場には開催時刻よりも相当早くから町内会の役員と おぼしき方々が最前列にかたまって席につき、話を真剣に聞いておられるよ うにみえる。しかし、説明が終わり、司会の自治体の職員が質問・意見を受 け 付 け る と 、 さ っ と 手 を あ げ 、「 今 の 話 は カ ラ ス 問 題 で 苦 労 し て い る 自 分 ら へ の空気抜きだ、駆除はいつやるのか」といった質問が相次ぎ、まるで団体交 渉の場に化してしまう。結局、私の説明はほとんど理解されておらず、はじ め か ら 、 カ ラ ス を 駆 除 す る ( 殺 す )、 と い う 答 え し か 、 受 け 入 れ る つ も り は な いようで、カラス問題の平和的な解決を受け入れてもらうことはなかなか難 しいことを悟る。しかし、カラス問題の解決が難しいほど、カラスのため、 ひいては孫たち人間のためにめげずにカラス問題と関わりたいという思いは 募る。童謡の中のカラスの世界にまた人間を引き戻すことができれば、とい うのが夢であるが、だんだん残された時間が気になる今日この頃である。 ゴミステーションをあさるハシ ボソガラス(ゴミの置き方が悪 いのか、カラスが悪いのか?) 8 2014年度農学部教員 OB・OG 会 懇談会および懇親会報告 去 る 4 月 23 日 ( 水 ) 午 前 11 時 よ り 東 京 第 一 ホ テ ル 鶴 岡 で 12 名 ( 写 真参照)の出席者のもとに標記の懇談会と懇親会が開催されました。 最初に塚原幹事長より経過報告を含む挨拶があり、続いて懇談会に入 り、今春定年退職された安藤豊先生から「稲作を通した国際貢献」と 題して講話がありました。パワーポイントを使った分かりやすく、大 変興味深い内容であり、列席した先生諸氏からも活発な質問等があり ま し た ( 講 話 内 容 の 一 部 が 前 述 さ れ て い ま す )。 そ の 後 ① 活 動 報 告 、 ② 会計報告および③役員改選がそれぞれの担当幹事から提案されまし た 。 ① に つ い て は 「 OB・ OG 会 だ よ り 」 2013 年 版 の 発 行 な ど 、 ② は 別 紙の通りで承認されました。③の役員改選では、長年幹事長をお務め なされた塚原初男先生に代わって大高全洋先生が就かれました。塚原 先生、長い間お疲れ様でした。また、諸幹事についても後述のように 改選または留任されました。原案として「本会のホームページ」を開 設し農学部のホームページからリンクする事業が提案され、総務担当 の高橋が担当することで承認されました。 その後アルコール抜きで会食に移り、諸先生から近況報告などが報 告されました。先生の中には、畑仕事に精を出されている方、全国や 諸外国津々浦々旅行なさっておる方、写真などの趣味に凝っている方 がおり、和やかな雰囲気の中でも若さを感じる懇親会でありました。 (高橋 敏能) 懇談会の際の講話 安 藤 先 生 の 講 話( パ ワ ー ポ イントを使用して庄内の 稲作の歴史を詳しく説明 されています) 9 農学部教員 OB・OG 会の全体写真 後列左から塚原、上木、 渡部、斎藤、大谷、安藤、 金内、前列左から赤瀬、 前川、高橋、後藤、大高 (敬称略) “ホームページの開設”について 前 述 の 会 務 報 告 に も 記 載 し ま し た が 、「 農 学 部 教 員 OB・ OG 会 」 の ホームページを開設し、農学部のホームページからリンク出来るよう に進めています。状況は下記に記載した通りです。 ① 農学部の本年 7 月教授会において、農学部のホームページからリン クすることが承認されました。 ② 現在、ホームページ・ビルダーを購入してホームページ作成の準備 中です。本年度中にはリンクできるように努力いたします。 ③ 掲 載 す る 内 容 は 、 OB・ OG 会 規 約 、 過 去 4 年 間 の 「 教 員 OB・ OG 会 だ よ り 」( 但 し 、 名 簿 ( 御 逝 去 会 員 含 む ) と 会 計 報 告 は 除 く )、 幹 事名簿、会員が行える(希望する)講演内容、その他必要と認めた 事項。 “講演の講師希望”について 上記③に記載しましたが、講演を希望される方は下記の要項にて幹 事 の 高 橋 宛 、 郵 送 ま た は メ ー ル に て ご 連 絡 く だ さ い 。 な お 、 教 員 OB・ OG 会 の ホ ー ム ペ ー ジ に 下 記 の 内 容 は 載 せ ま す が 、 講 演 会 等 の 斡 旋 は 行 いませんのでご了承ください。 ① 講演なさる方のプロフィール ② 講演のテーマ ③ 講 演 内 容 ( 200 字 程 度 ) ④ 提 出 締 め 切 り : 2014 年 ( 平 成 26 年 ) 12 月 末 日 提 出 先 : 山 形 大 学 農 学 部 教 員 OB・ OG 会 幹 事 郵 送 の 場 合 の 提 出 先 住 所 : 〒 998-0874 高橋敏能 宛 酒 田 市 四 ツ 興 野 95 E-mail の 場 合 の ア ド レ ス : [email protected] 10 会幹事会名簿 ( 2014 年 4 月 ~ 2015 年 3 月 ) 幹事長:大高 全洋 幹 事:渡部 俊三(元農専農科代表) 金内 英司(元農専林科代表) 赤瀬 章 ( 旧 農 業 工 学 科 代 表 )( 名 簿 ・ 会 計 担 当 ) 高 橋 敏 能 ( 旧 農 学 科 ・ 附 属 農 場 代 表 )( 総 務 ・ 会 報 ・ ホ ー ムページ担当) 大谷 博彌(旧林学科・附属演習林代表) 小田 圭昭(旧農芸化学科代表) 高樹 英明(旧園芸学科代表) 「農学部教員 OB・OG 会だより」の原 稿募集について 本たよりに掲載する原稿を随時募集してい ます。皆様の近況などをお寄せください。原 稿 用 紙 1 枚 ( 400 字 ) 以 内 、 総 務 ・ 会 報 担 当 (高橋)までお送りください。原稿の締め切 ヨツバシオガマ(鳥海山) り は 、 2015 年 7 月 末 日 で す 。 山形大学農学部創立 70 周年記念事業のお知らせ 2017 年( 平 成 29 年 )に 標 記 の 事 業 を 予 定 し て い ま す 。具 体 的 に は 実 行委員会を立ち上げて、式典の開催と記念誌の発刊を予定しています。 飛び立とうとするゴマダラカミキリ (大山下池) 11 鳥海湖(鳥海山) 花園(弓張平) 12