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インドの経済発展における財閥の役割1 二階堂 有子 - C
インドの経済発展における財閥の役割1 二階堂 有子 1. インドを代表する財閥 インドで最も古くかつ有名な株価指数がセンシティブ指数(SENSEX)である。 SENSEX は、ムンバイ証券取引所に上場している主要な 30 銘柄を対象とした浮動株基準 株価指数で、1978/79 年度を 100 としている。30 銘柄は、取引頻度や時価総額、業種など を考慮して選ばれ、四半期に一度見直しが行われている。表 1 は、2010 年 5 月改定時点の SENSEX 構成銘柄であり、まさに現在のインドを代表する企業群である。 同族経営かつ大規模で多角的な事業展開を行う企業集団を財閥と定義すると、ビルラ、 ヒーロー、マヒンドラ、リライアンス、タタといった財閥のグループ企業が構成銘柄に名 を連ねていることがわかる。インドでは財閥を‘business house’や‘corporate house’と呼ぶ ように、企業がいかなる特定の「家」によりよって経営されているかが、社会的にも信用 的にも極めて重要視されてきた。 表1 SENSEX構成銘柄( 2010年5月3日改定) 会社名 業種 備考 ACC セメント 重電機器 バーラート重電機(BHEL) バルティ・エアテル 通信(携帯電話) シプラ 製薬 DLF 不動産開発 グラシム・インダストリーズ セメント・繊維 アディティヤ・ビルラ財閥 HDFC 住宅金融 HDFC銀行 商業銀行 ヒーロー・ホンダ 二輪車 ヒーロー財閥 ヒンダルコ・インダストリーズ アルミニウム精錬 アディティヤ・ビルラ財閥 ヒンドゥスタン・リーバ 食品・日用品・化粧品 ICICI銀行 商業銀行 インフォシス・テクノロジーズ IT ITC タバコ・食品・製紙 ジャイプラカシュ・アソシエイツ 建設・セメント ラーセン&トゥブロ 重電機器・建設 マヒンドラ&マヒンドラ 自動車・農業機械 マヒンドラ財閥 マルチ・スズキ・インディア 自動車 NTPC 電力 ONGC 石油・ガス リライアンス・コミュニケーションズ 通信 リライアンス財閥 (弟) リライアンス・インダストリーズ 石油・ガス リライアンス財閥 (兄) リライアンス・インフラストラクチャー 電力 リライアンス財閥 (弟) インド州立銀行(SBI) 商業銀行 スターライト・インダストリーズ アルミニウム・銅・亜鉛・鉛 タタ・コンサルタンシー・サービス(TCS) IT タタ財閥 タタ・モーターズ 自動車 タタ財閥 タタ・パワー 電力 タタ財閥 タタ・スチール 製鉄 タタ財閥 ウィプロ IT 注: リアイアンス財閥は、兄(ムケシュ)グループと弟(アニル)グループに分割されている。 出所: BSE (http://www.bseindia.com/) 『新・新興国経済論-存在感を高める BRICs の等身大の姿』RIETI LETTER 2010 年 10 月号 1 2. インド型開発戦略と財閥 日本や韓国、タイなど後進国の経済発展過程において、財閥が工業化の担い手となっ たと同様に、インドでも戦前からタタやビルラなどの財閥が存在し、様々な産業で活躍し てきた。 特に、独立後のインド型開発戦略の下で、財閥は様々な規制により自由な経済活動を 奪われたものの、公共部門を補完しながらインドの社会経済開発に貢献してきた。すなわ ち、民間企業が参入可能な業種や立地は制限されていたことに加えて、財閥は 1969 年に制 定された独占・制限的取引慣行法の下で、公益に沿う場合のみ生産能力の拡大や新規企業 の設立、M&A が許可された。だが、財閥は政府の新規重点分野に参入したり、市場から遠 く、インフラも未整備な後進地域に進出したりすることで、社会経済開発に寄与してきた。 現在、経済自由化により様々な規制から解放された財閥は、グローバル化の恩恵を最 も享受している存在ともいえる。その一方で、インドでは均等分割相続が原則のため、し ばしば相続・後継問題が起こり、分裂する財閥も少なくない。 3. 三大財閥 三大財閥に挙げられるのがタタ、ビルラ、リライアンスである。タタとビルラは戦前 に事業をスタートしたのに対し、リライアンスは、戦後の 1960 年代から台頭してきた新興 財閥である。これらの財閥の歩みを概観することで、上述の議論を補足したい。 タタ財閥は、1868 年にジャムシェトジ・N・タタ(1839-1904)が貿易会社を設立し てスタートし、1874 年には綿工業、1903 年にはホテル業にも進出した。二代目会長ドラー ブジー・タタの時代には、ジャーカンド州・ジャムシェドプールに製鉄所を建設して 1912 年から操業を開始したほか(現タタ・スチール)、マハラシュトラ州・ムンバイの南に水力 発電所を建設して 1915 年から稼働した(現タタ・パワー)。ジャムシェドプールは別名タ タ町と言われるように、タタが学校・病院・上下水道・労働者用住宅などを次々に建設し、 地域開発に寄与した。四代目会長 J・R・D タタの時代になると、多角化はさらに進み、1932 年にインドで初めて航空産業(現エア・インディア、のちに国有化)へ進出したほか、1945 年には商用車(現タタ・モーターズ)の製造も開始した。 このように、タタは独立前後には現在の体制がほぼ出来上がっていたが、規制により グループ企業は分断され、シナジー効果が得られなかったと言われている。1991 年の経済 自由化開始の年に就任した 5 代目会長ラタン・タタは、低収益事業を売却し、IT や通信と いった成長分野に集中投資を行いグループの再編を進めた。また、近年は企業のグローバ ル化を促進するため、米フォード傘下だったジャガー、ランドローバーや英蘭製鉄会社コ ーラス等を買収した。 ビルラ財閥は、創業者である G・D・ビルラ(1894-1983)が 1906 年に綿工業に参入 して以降、一代で築いた財閥である。第二次世界大戦後から独立にかけての時期に重工業 を含む一層の多角化を進め、製糖、製紙、機械、自動車(現ヒンドゥスタン・モーターズ)、 アルミニウム(現ヒンダルコ・インダストリーズ)など様々な事業に進出した。ヒンドゥ スタン・モーターズは、元祖国産車・アンバサダーの製造を 1948 年から開始し、今でも公 用車やタクシーとして使われている。また、ヒンダルコはウッタル・プラデシュ州の後進 地域に進出して、地域の開発に貢献した。しかし、タタを凌ぐ勢いであったビルラは、後 継問題からその後六つに分割された。そのうちの一つが表中のアディティヤ・ビルラ財閥 である。 リライアンス財閥は、ディルバイ・H・アンバニ(1932-2002)が中東での出稼ぎから 帰国後、ムンバイに貿易会社を設立してスタートした。1966 年にはグジャラート州アーメ ダバード近郊でニットの製造を開始し、その後、ポリエステル、プラスティック、石油化 学、石油精製、石油・ガス開発と後方垂直統合を進めてきた。 売上高でタタを上回るほど急拡大したリライアンスだが、創業者ディルバイ・H・アン バニの死後、中核企業であるリライアンス・インダストリーズの所有と経営を巡って、兄 弟対立が勃発した。母親の仲介により、リライアンスは 2005 年 6 月、二つに分割された。 兄のムケシュ・アンバニはリライアンス・インダストリーズ(石油化学事業中心)を引き 継ぎ、弟のアニル・アンバニは情報通信や電力、ファイナンスなど新しい事業を獲得した。 ただ、分割後も二つのリライアンスの勢いはとどまることをしらず、特に兄ムケシュは世 界で最も有能な CEO の第五位にランクしている(Harvard Business Review, Jan/Feb, 2010)。 参考文献 伊藤正二編(1988)『インドの工業化-岐路に立つハイコスト経済』アジア経済研究所 小島眞(2008)『タタ財閥』東洋経済 三上敦史(1993)『インド財閥経営史研究』同文館