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居心地の悪さの中に営みが見えてくる (IV 教師おこし編)
SURE: Shizuoka University REpository http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/ Title Author(s) Citation Issue Date URL Version 居心地の悪さの中に営みが見えてくる(IV 教師おこし編) 早川, 靖 研究紀要 : 学びをひらく. 2003, p. 126-129 2004-06-30 http://doi.org/10.14945/00000181 publisher Rights This document is downloaded at: 2017-03-28T13:34:44Z 居心地の悪さの中に営みが見えてくる 3年3組 早 川 靖 教職2年目以来の3年生の担任。今年はどんな子どもたちとの出会いが待っているのだろうと意気 込んでいました。そんな中、「僕はいっも先生の顔色を伺っていたんだ。先生に怒られないように行 動していたんだよ」と遊びに来た卒業生に何気なく言われた時、卒業生と自分との関係を見つめてし まいました。自分にとって都合よく動かない子に対しても、自分にとって都合よく動いた子に対して も、実は自分自身の価値観を一方的に押しつけていたのではないかこ教師である自分は子どもたちに とってどのような存在だったのかなどが頭をよぎりました。こらえきれずに子どもたちを自分が思う 方向に向かせてしまったり、時間で制約してしまったりしたこともあります。子どもたちのことを考 えるよりも自分の都合を優先してしまったために、子どもたちと自分との間に壁ができ、居心地の悪 さを感じていったのではないかとも思っています。そんな卒業生との関係をふり返り、今年こそは、 目の前の子どもたちを見ていこうという思いを強くしました。 1.子どもたちとの出会いから感じたこと クラス替えをした子どもたちは、どんなクラスになるのか、新しい友達はできるのか、先生はどん な人かと、期待と不安をもっているようでした。子どもたちと会う前に、卒業生の顔がふと浮かび、 「今年は笑顔で過ごそう」と思っていた私でした。「きっと子どもたちはざわざわしているだろう」と 私は教室に向かう前に予想していました。担任発表の後、私が教室に入ると、子どもたちは驚くほど 静かに過ごしていました。整然とした教室の雰囲気に私は、「どうして静かにしているのだろう。3 年生だから、もっと元気があるはずなのに」と予想外の表れに戸惑いました。 「先生、怒ると怖いから、みんな静かにしているんだよ」と言う声が聞こえてきました。3年間受 け持った女の子の弟です。「なるほど、噂がもう広まっていたんだ」と、出会ったばかりなのに私へ の見方に決めっけがあることにショックを受けました。子どもたちに「そんなことはないよ」と話し ても理解されることはないと思い、平静を装って明るく振る舞っていました。自分の心の中では子ど もたちの中にある「怖い」というイメージを覆そうと撃がっていたのです。子どもたちは自己紹介を する私を見ながら、本当に怒ると怖い先生なのかと私の言動を気にかけていました。 私は、「子どもたちは自分のことを意識している。自分は子どもたちのことを傍観的に見ている」 と自分と子どもたちとの間に距離があるような、しっくりとしない感じがしました。「まだ互いに探っ ているんだな。私もどこかよそよそしかった」と子どもたちの様子と自分の対応をふり返りました。 「まだ一日目だから」という楽観的な思いと、なぜ子どもの目がこんなにも気になるのか、子どもた ちは自分のことをどう思っているのかという不安が私の心の中で入り混じっていました。一度感じて しまうと、感じないようにしても、なかなかその思いを拭い去ることはできませんでした。 私の心配をよそに、次の日から子どもたちは元気よく話にきたり、ドッジボールをしようと声をか けてきたりしました。中でもE男君は同じ地区に住んでいることで親しみを感じたのか、私を愛称で 呼びました。E男君が愛称で呼んできたことは嬉しかったのですが、この子は馴れ馴れしいなという 思いも生まれていました。係を決める話し合いで2年生の時の係や 決め方を例に出しながら、子どもたちは役割を決めていきます。E 男君は友達に反論されながも、自分の考えを述べ、よりよいものに していこうとしていました。子どもたちには2年生の時の係や決め 方にこだわりがあるので、自分の考えを主張するばかりでなかなか まとまりません。「このまましばらく、子どもたちが話し合いを進 めていくことを見守っていこう。その中で互いのよさを知っていく <話し合いを進めるE男君> ことになる」と私はまとまりそうのない話し合いに口を出すことを ー126− しませんでした。その時は意見を出させることが子どもたちが互いのよさを伸ばしていくはずだと自 分に言い聞かせていました。私は子どもたちが自分たちで決めていきたい、決めていけるはずだから と彼らの動き出しを待とうという姿勢でいたのです。 2.時間は守るべき 子どもたちは元気よく外で遊んで来ます。時間を守るのは当然と考えていた私は、子どもたちが時 間が来ても教室に戻らないことにいらいらしていました。「今は時間を守らないこの子どもたちであ るが、いっかきっと自分たちで気づいて守るようになるはずだ」「外で遊ぶのはいい、子どもたちに 行動の判断は任せよう」と思いながらも、教室で待っている子のことを考えると、私は守らない子に 対してはしつけをする必要があるように思えてきました。ある日の3時間目、10人くらいの子が教室 にいません。E男君の姿もありませんでした。当番の子が心配して、「先生、授業を始める?」と声 をかけてきました。「先生、来ていない子は外でドッジボールをしているよ」「僕たちが休み時間は終 わったと言っても聞いてくれなかった」と話す子もいました。「時間を守っている子がいるのに、ど うして平気で遅叫て来るんだ」と私は時間通りに来ない子どもたちに腹が立ってきました。我慢し切 れなくなり、「いいよ、やろう」と当番に告げ、「後で指導しよう」と考えた私は授業を始めました。 E男君を含め、遅れていた子どもたちが戻って来ました。ドッジボールの結果の話で盛り上がり、 席に着こうとする子どもたちに、「何で黙って座る。遅れてきた理由があるだろう」と怒りました。 私の声に周りの子もびっくりしました。「先生はどうしてそんなことで怒るのか」という表情でE男 君は見ています。咄嵯に「しまった」「本来の自分が出てしまった」と思いました。子どもたちの動 き出しを待とうと考えていましたが、私は時間を守るのは当然であるという自分の価値観を、怒るこ とで守らせようとしたのです。「集まる時間がわからないよ」とE男君がぽつりと言いました。「時間、 習っていないの?」と私は半ばあきれてしました。彼には、怒っていることを顔に出すだけでなく、 直接自分の言いたいことを説明してほしいと思っていました。E男君は感情的に怒った私の対応に不 満を抱いていたようでした。私と目を合わせず、下を向いたままのE男君の細かいことを言わないで はしいという様子から、もう少し自分たちの藷を聞いてほしいという感じがしました。E男君と仲の よい友達も彼の意見に賛同するかのように、私を冷ややかな目で見ていました。「伝わらない」。自分 の真意が子どもたちに伝わらないことのもどかしさ、この雰囲気では駄目だ、怒っている自分はこの クラスでは一体どんな存在であるのかと情けなくなりました。遅れて来た子どもたちからは「ごめん なさい」という声が聞かれましたが、言わされた感じで子どもたちの気持ちが入っていない感じがし て、私は釈然としませんでした。 私は、クラスの子どもには時間を守らせるべきだと考え、これまでも揺るぎないものとして指導し てきました。どうして遅れてきたのかという理由も聞かず、感情的になり、いっもの自分に戻ってし まいました。子どもたちの反応は冷ややかで、やっぱりこの先生は怖いんだという思いをもたせてし まったようでした。「そんなことはない、時間を守るということは当たり前のことだ」と言いたかっ たのですが、子どもたちから理由を聞かずに怒る羊とで、無理に時間を守らせようとしている気がし てしまいました。私は、子どもたちとの間に距離があることを感じ、黙ってしまいました。黙ってし まったことでますます私の真意は伝わらず、子どもたちとの間に、また壁を作ってしまったと居心地 の悪さを感じていました。 3.度々遅れてくるE男君 その後も相変わらず、E男君は度々遅れて来ました。「2年生の時は何も言われなかった」と言い 訳をしました。そんな彼に、私は「2年生は2年生、今は3年生だろ」と怒りをぶつけました。E男 君はむっとし、そんなに怒らなくてもいいのにという視線を私に送りました。こんな彼とのやりとり の中で、「私はなぜE男君にだけこんなに怒ってしまうのだろう」という疑問が浮かんできました。 彼は2年生の時の担任の所によく出かけ、話をしていました。時々、その先生と彼との微笑ましいや りとりを見ると、私は嫉妬を覚え、寂しさを感じました。自分の思うように動いてくれないという一 −127− 面だけを見て、きっとE男君への対応が否定的になってしまうのだろう。同じように他の子がやって も、E男君だけにどこか冷たい対応をしていなかったのだろうか、私がE男君に対して感じているこ とを、同じように彼も私に対して感じているのではないかと思い始めました。 その後も、「自分が担任なのに」「自分は彼とは合わないのか」と思い悩みました。私が彼のことを 気にとめているだけでは、彼も私の存在が鬱陶しくなるでしょう。もっと自分のことを信じてはしい という彼の心の叫びを、私はわがままな彼という目で否定的に見ていました。彼を自分の方に振り向 かせたいと、彼の気を引こうとするばかりでいいのだろうか、私は彼をまるごととらえ、真正面から 彼と向き合っていないのではないかと、自分のこれまでの彼への関わりを見っめました。しかし、信 頼関係ができていない所では何を言っても彼の心には響きません。私はどうすればいいのか、ますま すわからなくなってしまいました。 どうしたらいいのかと迷っていた私はいっの間にか、「先生、僕にも何かやらせて」という彼の言 葉を期待するようになっていました。彼の動き出しを信じたと言うよりも、どうせいずれ彼は教師で ある私の所に助けを求めて来るだろうと、教師を頼りにしてくるという彼の弱い姿を待っていました。 自分に都合よく解釈することで、自分がこれまで揺るぎないものとして指導してきたことを正当化し ようとしていました。居心地の悪さから逃げ出したい私は、都合の悪い表れを見せる子どもたちの責 任にすることで、自分を納得させようとしていたと思います。 ある日のことでした。時間に遅れてきたE男君をいっものように怒っていた私に、「先生、何で俺 ばかり怒る?」と彼は言ったのです。彼の言葉を聞いて、私は自分の内にある思いをE男君に見透か されていたのではないかとはっとしました。E男君のことを気にするあまりに、私は彼が自分にとっ て都合の悪い表れをする子どもだと、E男君を自分の価値観を通して一方的に見ていなかっただろう かという思いが浮かんできました。教師として指導すべきことだと当然として考え、それがうまくい かないと、今度はそれを子どもの責任にしてしまっていた私自身の姿が見えてきたのです。 E男君の言葉を聞いた私は、自分が思い直さなければならないと自分自身を見っめ、居心地が悪い と感じるのは子どもたちに責任があるのではなく、自分が子どもを感じ、とらえていなかったからだ ということに気づき始めました。E男君が自分にとって都合の悪い表ればかりするのだと決めっけて いたのです。そして私は、E男君との間に壁を作っているのは実は自分ではないだろうかと考え始め ました。 4.サッカー大会への取り組みから 11月に行われる学年集会のことについて、話し合いをすることになりました。集会の内容の決定は 子どもたちに任せました。話し合いの結果、サッカーをやることに決まり、E男君は大喜びしました。 審判はどうするのかという話題になった時、私は、「先生はやらないよ」と答えました。E男君は 十何で?」という表情をしました。「文句を言われると嫌だよ。みんなで決めていくことだから、審判 もみんなで決めたらどう?」と続けて答えました。私は自分が口を出すことは今までのように都合の よい表れだけを取り上げ、自分の価値観を押しつけしてしまうことになる、今度こそ子どもたちの判 断を大切にしていきたいと思っていました。子どもたちが自分たちでどこまでできるのかと見届けた いと考えました。「いいよ」とE男君は答え、周りの友達も審判を薦めていました。「みんなで」と言 いながらも、私もE男君に審判を薦めていました。「いいよ」と言ったE男君でしたが、自分が審判 になった時、本当にできるのかと不安を感じていました。それでも彼なら、みんなで決めていく時、 友達に反論されてもよりよいものを求め、自分の考えを主張していくだろうと思っていました。 E男君は周りの友達から文句を言われることが嫌で、審判をやることをためらっていました。いっ になぐ慎重になっている彼を感じました。自分の意見を発言する彼であることを信じたいと思ってい た私は、「だったらルールの中に審判に文句を言ったら、退場というのを入れればいい」と答えまし た。今までの私なら、「文句を言われるのが嫌なら、審判をやらない方がいい」と言ったはずです。 彼もまさか私の口からそんな言葉が出るとは思ってもいなかったのでしょう。審判をやることをため ー128− らっている彼の様子から、以前には見えなかった彼のよさがあると、私は無意識のうちに彼を支えて いく言葉を発していたのせす。さらに私は、サッカーの得意な彼が審判をすることで、彼自身も清々 と自分らしさを発揮する姿が見られるのではないかと考えました。審判を決めていく彼とのやりとり で、私は彼に任せてみようと心の底から思い、彼への見方が少し広がったと感じました。 サッカー大会の練習が始まりました。E男君は、「女子はルールがよく分からないから、審判でき ない」という女子の不安の声にも、「分からないことは知っている男子に聞いてよ。僕も教えるから」 と返答しました。E男君は自分だけが楽しむのではなく、女子にも楽しんでもらいたいと思っていた のです。私はそんな彼を蓮しく思い、支えていこうと決めたのです。今までの私だったらE男君が自 分勝手に見えていたでしょう。否定的に見ていた時には見えなかったE男君のよさが少しずっ見えて きました。彼のよさを見ていこうとした私には、自分らしさを精一杯出しているE男君が眩しく映っ てきたのです。審判を薦めたのも、E男君ならできる、彼がどこまでやれるのかを見届けたいという 思いがあったからです。周りの友達もE男君ならできる、友達を気遣う彼を助けていきたいと考えて いたのでしょう。何よりも私自身が居心地の悪さを感じ、ありのままの自分を隠そうとしていた自分 自身を見つめ、彼と正面から向き合うことができたことを嬉しく思っていました。今の彼をしっかり と見て、ありのままの自分を出しながら、彼の動き出しを信じていこうとすることができたのだと思 います。私はそんなことを考える自分が不思議に思えました。 E男君は練習の中で審判をやりながら、実際にどこで笛をふけばいいのかを確かめているようでし た。判定を下すことの難しさを感じ、自分にできるのかという不安をいだきながら、ゲームを進めて います。きわどい場面にも自分の判断を信じ、判定を下しました。彼は同じチームの仲間を励ました り、指示を出したりしながら、決して倣ることなく、誠実に取り組んでいました。「先生、試合、終 わったよ」とどこか自信ありげに話かけてきました。「ナイス審判。本 番でも頑張っていこうね」と私はE男君に言葉を返しました。これまで 彼との間に何か壁を感じていた私が、声をかけずにはいられなくなった のです。私は今まで見えなかったE男君の別の姿に出会えたことが嬉し くて、思わず声をかけてしまったのです。ずっと彼との間に居心地の悪 さを感じていた私でしたが、実は自分がE男君との間に壁を作っていた のです。「都合の悪い表れをするE男君」と決めっけていた自分。今、 彼とのやりとりをふり返りながら、E男君の実直な姿を感じ、彼の動き <サッカーを楽しむE男君> 出しを信じ、関わっていくことができてよかったのだと思っています。 12月につどいの発表をしました。「先生も一緒にダンスをステージで踊ってね」とダンス係の子ど もたちに言われました。ダンスの後半で私はステージに立ちました。照れくさかった私でしたが、ど こか心地よさを感じていました。私のダンスを微笑ましく見る子、「何でいるの」と不満そうにする 子、「もっと上手に躍ってよ」と文句を言う子など、さまざまな子どもたちに出会えました。 つどいを終えて子どもたちとの間に作っている壁が全く無くなったわけではありません。壁を作ら ないようにしようと思っても、時には感情的に怒ってしまうこともあります。何も変わらない自分が います。しかし、居心地の悪さを感じられる自分に出会えたこと、居心地が悪い中だからこそ、自分 自身を見っめることができたことと思っています。子どもたちとの間に自ら壁を作り、「居心地が悪い と思っていた私は、E男君とのやりとりの中で今の子どもたちを見て、自分らしさを隠さず、関わっ ていこうという思いを強くしました。教師である自分にとって都合の悪い表れに対して感情的に怒っ ている自分に出会うたびに、何も変わっていない自分を嘆いています。ふとした瞬間に子どもたちと 自分との関係に立ち止まり、そんな自分を受け入れられることができるのかと自分自身を見っめ、自 分自身の弱さや醜さと向き合い、自分のよさや可能性に気づいていく中で、子どもも教師も自分らし くなっていくのだと思います。その積み重ねによって、子どもも教師も一層自分らしくなっていくこ とが子どもと教師との営みであると私は考えています。 −129−