Comments
Description
Transcript
PDFダウンロード - ベネッセ教育総合研究所
Interview 教員養成に必要とされる グランド・デザイン ── 教師の教育基盤をアップグレードするために ── ● 佐藤 学[東京大学大学院教育学研究科教授] 高 い教養水準がストックされていた士族層を基盤に さとう まなぶ 近代教育をスタートさせた日本は、 ● 戦後も先進諸国に先駆けて「大学における教師教育」を実現させた。 東京大学大学院教育学研究科教授。 だが日本の教師の優秀さを支えた基盤は崩壊の危機に瀕し、 東京大学大学院教育学研究科教育学専攻博士課程修了。 東京教育大学教育学部教育学科卒、 三重大学教育学部助教授、東京大学教育学部助教授、 教師教育を大学院レベルへ引き上げた欧米に遅れをとっている。 同教授、同学部長を経て現職。 著書に 東京大学・佐藤学先生は、 『学校の挑戦∼学びの共同体を創る∼』 (小学館) 、 日本の教師教育の質を向上させるには小手先の改革ではなく 『新しい時代の教職入門』 (共著/有斐閣) 、 現在のリソースを複線で生かすグランド・デザインが必要だと提言する。 2 『教育の方法』 (放送大学教育振興会)などがある。 教師の資質を支えた ベットが書ける程度の水準の低い教師も多かったようです。 高い教育水準と研修文化 アメリカの場合は、1880 ∼ 90 年代に優れた女性教師を確保 教師の資質力量と教員養成の在り方が重大な改革イシュー できましたが、これは教養の高い女性の仕事が教師くらいし になっています。しかし、現時点で問題の所在がどこにある かなかったからで、当時の教師の約 8 割が女性でした。アメ のか、近視眼的ではなく、歴史的・国際的な視点から広く捉 リカを度外視すれば、日本は国際的に見ても最初から高水準 え直さなければいけません。対症療法的にあれこれ積み上げ の知識教養を持った人たちが教職に就いていた希有な国とい るだけでは、混乱を招くばかりです。 えるでしょう。 まず、現状を捉える上で重要なのは、日本の教育水準の高 さらに戦後も日本の教師教育は世界最高レベルで再スター さが歴史的に見て教師の資質ないしインテリジェンスの高さ トを切りました。南原繁を委員長とする教育刷新委員会の提 に専ら依拠してきた、という事実の確認です。 言によって、中等教育レベルにあった戦前の教師教育を一挙 日本は明治維新直後に欧米の学校モデル、教師教育モデル に高等教育レベルに引き上げ、 「大学での教員養成」を実現し を導入して近代の公教育制度を築きました。その基盤を形成 ました。戦前の反省から、自由な思想を育むリベラルアーツ したのは、四民平等によって大量に生み出された失業者の士 教育、すなわち大学での一般教養を前提とした教師教育を進 族層です。幕末期における地方の藩校藩学の教育水準の高さ めたのです。アメリカで当時、大学で教師教育をしていたの は世界的にも屈指であり、高度な「知のネットワーク」が築 は 17 州にすぎません。ヨーロッパ諸国では、義務教育段階の 鴎外にしても福沢諭吉にしても、 かれていました。例えば森嘔 教師教育は戦前の日本と同じく中等教育レベルでした。こう 津和野(現在の島根県)や中津(現在の大分県)といった地 してみると、日本が敗戦直後の最も困窮していた時期に世界 方において、最高レベルの水準の教育を受けてきた人たちで 最高の教育水準で教師を養成し始めたのは画期的なことです。 す。幕末から明治期にかけ、こうした高い教養水準が士族層 日本の教師の資質力量を支えてきたのは、高い教育水準に の中にストックされており、それが近代学校の成立過程にお 加えて、現職教師たちの自主的な「研修文化」です。これは いて教師の基盤になっていました。 日本独特の優れた慣習でした。例えば書店で教育書の棚を見 一方で当時のヨーロッパ諸国の公教育を見ると、アルファ ると、教育学者が書いた本よりも、教師が書いた本の方が圧 特集 「教員養成」ーー いま考えるべき課題とはなにか 倒的に多い。こんな国は他にありません。 図表[1]教員養成の歴史 日本の教師たちは誰に強制されたわけでもなく、自主的に 1872 明5 自らの専門家としての能力を高め、経験を分かち合うための 1876 明9 研究会や研修組織、ジャーナルを持っていました。とりわけ 世界に注目されたのが校内研修です。学校単位で互いに教師 が授業を見学し合い、技量を高めていくレッスン・スタディ。 学校の中で授業を公開することによって実践と理論を結びつ 東京に師範学校設立。日本初の教員養成機関 「学制」公布。教員養成について定めた初の規程 全府県に教員養成機関が設立。速成的機関で現職の再教育も 目指す 明 1880 明13「改正教育令」により府県に公立師範学校の設置が義務付けら 治 れる ・ 「師範学校教則大綱」 制定。この大綱に基づき、師範教育の整 1881 明14 大 備、統一化が図られる 正 「順良・信愛・威重」の三気質) 1886 明19「師範学校令」制定。教員資質( けていく方法の有効性が、世界に広く知れ渡りました。 を規定 高い給与水準も日本の教師の優秀さを支えました。高度経 1917 大6 済成長の進展に伴い、教育学部の優秀な学生が雪崩をうって 臨時教育会議設置。 「二年制の高等小学校との接続」 「男女教 員の適当な比率の設定」などが答申される 1946 昭21 米国教育使節団が教員養成は大学が行うべきと勧告 一般企業へ就職します。このままでは優秀な人材が学校に確 1947 昭22「学校教育法」制定。旧制の教員養成学校は廃止。一般大学で 保できないので、1971 年に制定された「国立及び公立の義務 の教員養成が既定路線となる 教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」以 教育刷新委員会が「 『学芸大学』の設置」 「必要な課程を履修し た一般大学卒業者を教員に認定」 「教員養成のための学資支 降、教師の給与水準を一般公務員の 2 割増にする優遇措置が 給の廃止」などを提案 施されてきました。これによって優秀な人材を確保すること 1949 昭24「教育職員免許法」制定。大学で一定の単位を修めれば誰も が取得できる「開放制」が示された ができた。諸外国では教師の給料が低く、志望者が少ない状 「教員養成 1958 昭33 中央教育審議会は開放制への疑問や批判を受け、 況に苦しんでいましたが、日本の場合はつい最近(2001 年) まで、平均 12 倍という高い競争率で優秀な教師を採用して きたわけです(図表 2、P.4) 。 を目的とする大学の設置」 「国家検定試験制度の設置」 「教員 免許状授与権者を国とする」などを提案 昭 1971 昭46「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関 和 する特別措置法」制定。教員の給与水準の優遇措置が施される 1972 昭47 教育職員養成審議会が「教員養成の改善方策について」を建 議。 「1 年程度の実地訓練、初任者研修の段階実施」 「現職教員 大学院レベルに引き上げられた の研修を目的とする新構想大学院創設」などを提言 欧米における教師教育 1973 昭48「教育職員免許法」改正。教員資格認定試験制度を法制化 世界最高水準の教育を背景とする日本の教師の優位性は、 (上越教育大学、兵庫教育大学)創設。 (鳴門教 1978 昭53「新教育大学」 育大学は81 年創設) いつまで維持されたか。その転換期は 80 年代でした。 1987 昭62 山梨大学と愛知教育大学がゼロ免課程導入 アメリカでは 70 年代に全州で、教員養成に学士号を要求 1988 昭63「教育公務員特例法」改正。初任者研修の法制化(翌年より実施) 「教育職員免許法」改正。普通免許状を1種、 2種、専修免許に するようになります。同時期にヨーロッパでも、中等教育も 区分。特別免許状を新設 しくは短大レベルで実施していた教員養成が 4 年制大学へシ 1991 平3 フトしていきます。つまり欧米諸国における教員養成は 70 年 「教職の意義等」 「総合演習」などの 1998 平10「教育職員免許法」改正。 科目新設、実習単位の増加など 代に日本と同等の教育水準に到達したのです。さらに 80 年 「専門 2000 平12 教育改革国民会議が「教育を変える17の提案」を提出。 代に入ると、世界の先進諸国は教員養成を大学の学部レベル 施されており、ドイツやフランスでは修士号を付与してはい ませんが、学部卒業後、インターンを含む 2 年間の専門教育 を行っています。ヨーロッパの大学の教育学部は、ちょうど 日本の医学部の 6 年モデルと似た自己完結型の専門家教育の 学部で、卒業生は教師としての進路と地位を保障されます。 かつての日本の師範学校を大学レベルにアップグレードした もの、と考えればよいでしょう。ちなみに戦後日本の「大学 平 成 方懇) 」が報告書を提出。カリキュラムや修士課程の在り方につ いての見直し、教員養成系大学の統廃合・再編を提案 「教員免許更新制の導入に対す 2002 平14 中央教育審議会の答申として、 る慎重論」や「特別免許状による社会人活用の促進」などが提 起される 2006 平18 中央教育審議会が「今後の教員養成・免許制度の在り方につ いて」答申。 「10 年ごとの教員免許更新制」 「教職実践演習の 2007 ヨーロッパでは、フィンランドの教員養成は修士課程で実 職大学院の創設」 「教員免許更新制の導入」などが提起される 2001 平13「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(在り NO.10 から大学院レベルにアップグレードさせます。 大学設置基準の大綱化 新設」 「教職大学院の創設」などを提案 *参考文献:篠田弘ほか編『学校の歴史 第 5 巻 教員養成の歴史』 、海後宗臣編 『教員養成』 (戦後日本の教育改革8) 、TEES研究会編『 「大学における教員養成」の 歴史的研究』 、東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター編『教師教 育改革のゆくえ』 、久保義三ほか編著『現代教育史事典』を基に作成 3 教員養成に必要とされるグランド・デザイン Interview 図表[2]公立学校教員の採用競争率の推移 18(競争率、%) 16 15.9 14 13.2 12.3 10.6 8 9.3 9.3 中学校 高等学校 合計 16.0 14.3 12 10 小学校 17.9 11.1 10.9 13.2 13.9 13.9 14.1 14.0 12.2 12.0 11.8 11.8 11.7 9.3 9.4 8.5 8.1 7.8 4.8 4.5 4.2 2004 2005 2006(年度) 13.4 13.3 12.0 11.9 12.5 10.1 8.4 6 11.7 7.3 6.3 5.3 4 2 0 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 *教育再生会議「第5回教育再生分科会」配付資料より における教員養成」は、 「開放制」と「免許状主義」の名の下 もかかわらず、こと「教職の専門職化」については、欧米先 に、教師教育を師範学校の独占から解き放ち、免許状の定め 進諸国に比べて 15 年遅れているといわざるを得ません。 る所定の単位の履修要件を満たす「課程認定」によって一般 大学における教員養成を可能にしたのでした。 日本でも 70 ∼ 80 年代にかけ、全国の国立大学の教育学部 に修士課程を設置して、大学院で現職教員が研修する機会を アメリカには、教師教育を目的とする「教育学部」も、一 拡大し、教員養成の大学院レベルへのアップグレードを図ろ 般大学における「教員養成課程」もなく、学部教育において うとしました。しかしこの政策は人事と財源の問題で地方教 主専攻で教育学を履修した学生に初等教育の免許状、副専攻 育委員会が動けなかったため、結果的に破綻します。 で教育学を履修した学生に主専攻の教科の中等教員の免許状 日本の教師の優秀さを支えた高い給与水準と、それが生み を与えています。最初の赴任時には学部教育レベルの教師が 出した高い採用競争率も過去のことになりました。現在の教 多いのですが、5 ∼ 7 年後に終身雇用契約を行うために修士 員給与の実質は地方公務員と比べて、文部科学省の試算では 号の取得が要求されています。アメリカでも今や教師の半数 4 %増、財務省の試算では 3 %増にすぎません。地方財政の 以上が修士号取得者であり、校長の 4 割近くは博士号取得者 悪化で教師に対する諸手当が軒並み削られているからです。 ないしは博士課程レベルの教育を受けた人たちです。 その上、教師の週当たり平均労働時間は 52 時間まで増え このように 80 年代以降、欧米諸国の教育改革の中心は「教 ています。71 年の優遇措置以来、残業手当は付かないので 職の専門職化」でした。教師の地位や待遇を医師や弁護士な (そもそも当時は残業があまりなかった) 、教師は労多くして ど他の専門職並に高め、教育と研修を高度化したのです。 報いの少ない職業に転落しつつあります。 そうした状況と相まって、団塊世代教師の大量退職に伴い、 4 教師の資質を支える基盤は 都市部を中心に教員大量採用時代に突入しています。01 年に 崩壊の危機を迎えている 平均 12.2 倍だった教員採用競争率は、わずか 5 年後の 06 年 翻って日本はどうでしょうか。日本の教員の修士号(専修 には 7.3 倍にまで低下しました(図表 2) 。06 年の東京都の小 免許状)取得者は、小学校で 2.6% 、中学校で 4.0%、高校で 学校教員の採用倍率は 2.24 倍でした。文部科学省は向こう 25.1 %(04 年学校教員統計調査)にとどまっています。他の 12 年間で教員の 3 分の 1 が入れ替わると予測していますが、 先進諸国に先駆けて「大学における教員養成」を実現したに これはすべての教員が定年まで勤めることを前提にした予測 特集 「教員養成」ーー いま考えるべき課題とはなにか 図表[3]公立小・中学校の退職者・採用者見込み数の推移 小学校 25000(人) 20413 20000 18254 16870 17328 16622 16048 11829 12341 11522 11281 5374 5100 4987 4226 4572 5041 4767 4999 退職者 2002 採用者 2003 2003 2004 2004 2005 2005 2006 2006 2007 16967 15000 14425 13657 10000 15055 11593 9540 9431 5000 退職者 4885 中学校 採用者 10483 17051 退職者 採用者 21334 合計 退職者 採用者 22094 22039 18797 19489 18785 19205 14315 14743 12529 12385 12127 12451 6820 6918 7038 15176 15175 12248 12052 6006 6256 6098 6591 6670 2007 2008 2008 2009 2009 2010 6864 0 2010(年度末) 2011(年度) *教育再生会議「第5回教育再生分科会」配付資料より です。現実には定年まで勤める教員は 4 割しかいませんから、 機能していた側面は否定できません。しかもその内容という 予測をはるかに上回る速度で教員の世代交代は進むでしょう。 と、マスプロ授業中心のプログラムと実習校任せの短期の教 日本の教師の優秀さを支えたもう一つの要因である自主的 育実習が大半でした。このようなかたちで教師のライセンス な研修文化も危機に瀕しています。あまりにも多忙なため自 主的な研修や研究会の機会が減っている。皮肉なことに諸外 国では日本式の研修文化が導入され、広まっています。 を与えている国は他にありません。 一方で教員養成系大学(学部)はどうかといえば、教師の 構成として教科専門の人が圧倒的に多かった。長い間ミニ文 このように日本の教師の資質力量を支える基盤がことごとく 学部、ミニ理学部のような様相を呈していたのです。そして 崩壊し始めているのが現状です。教師の資質そのものが低下し 学内政治は教科専門、教養教育、教職専門の三つの勢力の対 ているとは決して思いませんが、このまま放置はできません。 立構図に翻弄され続けてきました。教員養成系大学における 世代交代が急速に進む今この時期に(図表 3 参照) 、高いレベ 教員養成も、十分にその責任を果たしてきたとはいえないの ルの教師教育を保証すれば、日本の教育の将来は安定するでし ではないでしょうか。 ょう。もしそれができなければ、向こう 20 ∼ 30 年間のうちに 極めて深刻な事態に陥ることになります。 現在、中央教育審議会と文科省で政策検討され、08 年度 から発足予定の「教職大学院」は、 「実務経験者の教員 4 割」 「350 時間の実習」 「地方教育委員会との連携」によって、 「実 先に述べたように、戦後の教育刷新委員会は、 「開放制」と 「免許状主義」を原則として「大学における教員養成」を打ち す。しかし、率直にいってこの施策により教師教育を大学院 レベルへアップグレードするのは難しいと思います。 まず「4 割の実務家教員」という縛りをかけてしまうと、 出しました。この崇高な理念は概ね正しかったにせよ、現実 一つの教育学部が 100 人以上のスタッフを抱えているような に普及した開放制の実態は「オプション」としての教師教育 大規模大学、つまり実質的に教育系単科大学を中心とした一 です。すなわち、一般大学の教職課程は、大学においては学 部の大学に限定されてしまいます。現に初年度は 21 大学の認 生獲得のマーケティングのため、学生にとっては資格取得の 可申請にとどまっています。教員免許状の認定課程を持つ ための、専門教育の枠外に位置付けられたオプションとして 700 以上の大学・短大、500 以上の大学院が全体としてアッ 2007 「理論と実践の統合」が必要 践的指導力」の向上を中心に教師の資質向上を目指していま NO.10 実務的な技能の訓練だけでなく 5 教員養成に必要とされるグランド・デザイン Interview プグレードするグランド・デザインが必要ではないでしょう 教員養成のアップグレードは か。 多様なアプローチによる転換を もう一つの問題点は、 「実践的指導力の向上」という目的 です。地方教育委員会との連携によって実務的な技能を訓練 プグレードできるのでしょうか。 するというのは、都道府県が実施する現職教員の研修講座を 最も重要な点は、教師教育のアップグレードのモデルを多 肩代わりすることにもなりかねず、大学院としての専門家教 様化することです。日本の教員養成の改革政策がことごとく 育の名に値するとは思えません。欧米で行われている「教師 失敗に終わった原因は、単線で考えていたからにほかなりま の専門職化」とは似て非なるものです。 せん。 専門家教育の中心は「理論と実践の統合」にあります。特 文部官僚の中には、戦前の師範学校型ないしはヨーロッパ に教師教育の専門性の場合、三つの要素がアップグレードす 型の医学教育に似たモデル|つまり教員養成というのは本 る必要があります。第一に一般教養。第二に教科専門。第三 来、教育学部で専門的に行うべきだ、とする考えが潜在的に に教職専門。教職大学院の設立趣旨では、第三の教職専門の 根強いのではないでしょうか。その節は政策の端々にうかが 中の実務的な技能に関わる部分だけのアップグレードになら えます。しかしそれはやればやるだけ、開放制に依拠する私 ざるを得ません。特に教科内容に関する部分がすっぽり抜け 立大学との間で利害が衝突するばかりです。 落ちていて、子どもや学校の社会的コンテキストに関する科 学的知識の重要性についても配慮されていません。 もはや純粋なヨーロッパモデルへの転換は事実上できませ ん。大学制度自体は戦後アメリカのシステムを導入し、教員 21 世紀に入って学校教育がこれだけ問われている背景には 養成についてはヨーロッパ型とアメリカ型を折衷したような 三つの大きな課題があります。第一に、高度知識社会に対応 独自の日本型モデルをすでに築き上げてしまっているからで した教育ができていないこと。このままだと日本経済の競争 す。これを今さら壊しても何のメリットもない。 力が低下し、大量の失業者を生み出して、ますます格差社会 それよりも今あるリソースをいかに活用するか、多様なモ が進むことが危惧されます。第二に、子どもたちを取り巻く デルで考えた方が、よほど現実的です。教員養成系の単科大 社会が複雑化していること。家庭の経済的格差の拡大や地域 学はヨーロッパ的なモデルとして発展させる。それと同時に のコミュニティの崩壊などに学校教育が対応しきれていませ アメリカ的なモデルの一般大学の学部教育では、教養教育を ん。第三に教師の「教え方」が一斉授業といった旧来の伝統 前提として専門家教育を積み上げる。5 年次コースや大学院 的な様式を抜け出ていないこと。これでは 21 世紀社会に要求 コースで教師教育を行う。この方向は開発すべきです。大学 される創造的思考力や探究能力といった高度な学力を育めな 院レベルで新たな枠組みをつくり教員免許を授与すれば、社 いのではないか。学習と授業に関する深い専門的な知識、ヴ 会人から教師になる道筋もさらに開けるでしょう。 ィジョン、哲学が必要です。 6 では、どのようにすれば日本の教師教育を全体としてアッ また現在、教育系の大学が 100 もあり、課程認定を行って こうした課題をすべて解決して初めて、学校が活性化し社 いる大学院の専攻だけで 500 以上あるわけですから、これら 会の信頼に足る教育の責任を果たせます。もちろん、子ども が横に連携すれば、現職教師の再教育も視野に入れた強力な たちを引き付ける素晴らしい授業をする優秀な教師がいるこ 大学院のシステムができ上がると思います。 とは事実で、そこから学ぶべきことはたくさんあります。し 教育系の大学も、研究系の大学も、それぞれの立場から学 かし、実務家を呼んでくるだけで質の高い教育ができるかと 校現場あるいは教師教育に関与するシステムを再構築する。 いえば、ことはそう単純ではない。教師の専門性には本人も 現に、そうした試みはすでに始まっています。特に私立大学 自覚していない暗黙知の領域があって、その優秀性は研究し が熱心で、教師教育が大学間競争の中心題目の一つにもなっ て定置しないと表に見えてきません。自転車に乗れる人なら ている。だから今こそ横の連携を築くチャンスではないでしょ 誰でも乗れない人に教えられるかといったらできないのと同 うか。現在進められている教職大学院は、一つの試みとして じこと。理論と実践の統合を図る研究の役割が重要なので あってよいのですが、ごく一部の取り組みに限られている。大 す。 学同士の連携を進めて教師教育改革の大潮流を生むべきです。 特集 「教員養成」ーー いま考えるべき課題とはなにか 行政の役割は、それぞれの大学の特性に応じたアップグレ ードのモデルを複数のかたちで支援できる仕組みをつくるこ と。例えば、未だに短大卒の小学校 2 種免許状が残っていま すが、年間採用数はわずか 1 %。それであれば、短大での履 修後に他大学の 3 年生として教員養成プログラムに移動でき るようにすればよいのです。また、4 年制大学で大学院のな いところは他の大学の大学院へ接続できるようにする。これ らは地域的な大学間の連携があればできることです。 オプションのマスプロ授業で教員免許を認可している現状 は大量のペーパーティーチャーを生み出し、極めて非効率で す。それを有効に機能するように統合すれば、もっと高いレ ベルの教育が可能になります。多数の機関が教員養成に関わ っていること自体は決して悪くない。そのリソースを高いレ ベルに引き上げるグランド・デザインが必要なのです。 専門家による総合的な評価が 教師をさらに育てる 現在、教師に対する評価軸は「行政による評価」と「保護 者と子どもによる評価」の二つしかありません。しかも、こ の二つは必ずしも一致しない。すると教師は二つに引き裂か れる。ここに多くのトラブルが発生しています。 しかし、教師が仮にも専門家であるならば「専門家による 評価」が最も重要です。教員評価は「行政」「保護者と子」 「専門家」の 3 軸があって初めて成り立つものです。専門家に よる評価軸がないことが、今の教師の問題を複雑にしていま す。この軸を立てる上でも、教師教育のアップグレードによ る専門職化推進の新しい動きを作り出さなければなりません。 メリット・ペイの方法よりも、教師の成長をエンカレッジし、 ただし、アメリカやイギリスが専門職化を推進した時のよ 成長したことについてはそれなりの待遇と権限を保障する方 教師教育の大学院レベルへのアップグレードを実現する鍵 アメリカの場合はカーネギー財団の財政基盤で行政とは独 は、グランド・デザインと政策支援、そして都道府県教育委 立した評価機関「教職専門基準委員会」をつくり、優秀な教 員会の協力です。この三つが揃えば必ず改革は進みます。現 師に対してライセンスとは別のサーティフィケイトという資 状は厳しいですが、決して絶望はしていません。日本の教師 格証明を出しています。この資格証明を得た教師は給与が優 の大多数は「機会があれば学びたい」という強い意思を持っ 遇され校長と同等に学校の運営方針決定に関わる権限を与え ているからです。その機会を提供することが重要です。 2007 価基準に未だ合意がない。これをどこでどうつくるか。 法が望ましい。単純な減点主義や加点主義は逆効果です。 NO.10 うなプロフェッショナル・スタンダード、すなわち教師の評 られます。こうした方向は参考に値するでしょう。 評価の方法は教科や教育学の知識、授業のやり方、それま での実績のみならず、学校での役割、地域への貢献など多面 的・総合的に判断すべきです。点数を付けて給与に反映する Reference ●「教師教育の危機と改革の原理的検討∼グランド・デザインの前提∼」佐藤 学著/『日本教師教育学会年報』第 15号所収/学事出版/2006年 ●『学校の挑戦∼学びの共同体を創る∼』佐藤学著/小学館/2006年 7