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トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界
ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 ИЙ「ブーメラン効果」に対抗する as if 的行動と時間要因試論ИЙ 宮 脇 昇 ▍ 要 約 特定の課題の推進のために NGO や国際機関や国家の連携により形成されるトランスナショナ ル唱導ネットワーク(TAN)は,ブーメラン効果を発揮して,対象国に圧力をかけることに成 功することがある。しかし対象国が,あたかも規範を内面化しているふりをしながら実際には規 範の合意を否定する行動(as if 的行動)をとる場合,ブーメラン効果をもたらすのは難しい。 本稿では OSCE(欧州安全保障協力機構)における人権 NGO の役割と活動を事例に,冷戦後の 現在,OSCE で人権 NGO の機能が変化し TAN の活動の制限が検討されている状況を明らかに する。その説明として,as if 的行動がブーメラン効果の発揮よりも,時間にともなう効果逓減 が少ないという発展的な説明を試みる。 キーワード:人権,TAN,ブーメラン効果,as if 的行動,OSCE と,国際 NGO が効果的に活動を行う上で各国内 の NGO との間に密な関係を持ったという事例が 1. は じ め に 紹介される(横田 2007:128 129)。特に,言論 の自由や結社の自由の保障がなされていない国家 の場合,直接自国政府に NGO が訴えることは比 較的困難であり,NGO 間のトランスナショナ NGO と自国の政府との関係が良好でない場合, ル・ネットワークを通して,NGO の活動の効果 NGO が他国の世論や NGO 等の協力をえて他国 が現れることも少なくない。 政府から自国政府に当該イシューについての影響 しかし,ブーメラン戦略が失敗する場合もある。 力を及ぼさせることにより,結果的に自国政府を 第 1 に,トランスナショナル・ネットワークによ 動かすことがある。ケックとシキンクは「ブーメ って他国政府に揺さぶりをかける際に,他国政府 ラン効果」という言葉を用いて,市民社会集団が が当該イシューの重要性を理解しなければならな 国家をバイパスし,脱国家的ネットワークや制度 い。加えて,当該イシューを他国政府が戦略的に に訴えかけ,外国政府にまでアピールし,その結 とらえて選択的に利用する場合には,ブーメラン 果かれらの要求が自らの現況に跳ね返ってくる状 戦略が有効に機能しない場合もある。そして最も 況を分析する(Keck and Sikkink 1998)。 ありうることは,自国政府が,他国政府の圧力や この戦略を用いることにより,国内の NGO が 要求に屈せず,当該イシューに関する態度を変え 直接政府に影響力を行使できない場合に,国家を ないという選択を行う場合である。 迂回し,国境横断的に形成されているネットワー 本稿では,この最後の点,すなわち他国政府の クや国際制度を利用することによって,外から圧 圧力に屈せず,当該イシューに関する態度を変え 力をかけ,国内における政策や政治状況を変化さ ない自国政府の行動により,ブーメラン戦略が成 せることが可能になるとされる。例えばアムネス 功しない状況を分析する。その 1 つの行動パター ティ・インターナショナルといった国際 NGO の ンとして,他国政府の圧力をかわすために,自国 存在が国際規範の設定に大きな役割を果たしたこ 政府が,争点となっている国際的な合意を,あた 83 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 かも(as if)遵守しているかのごとくふるまう 「価値をめぐる紛争」(conflict about values)を 行動(as if 的行動)を紹介し,as if 的行動によ 抱えている場合,主権国家や国際機構単独による りブーメラン効果がブロックされる状況を提示す 合意形成努力は推進力を失う。しかし NGO は世 る。なお,規範の内面化に抵抗する国家を本稿で 論を味方につけて合意形成を推進するためのキャ は「消極的アクター」とし,規範の普及や履行監 ンペーンを繰り広げる。もともと NGO が,国家 視に積極的な国家を「積極的アクター」と呼ぶ。 アクターに比べて相対的に利点として有する特徴 は,正義に基づいて主張を行い唱導することであ ろう。国益追求の方針を国際的な正義や国際法の 2. トランスナショナル・ネットワークと ブーメラン効果 原則に優先させる行動をとることを厭わない国家 アクターに比べて,NGO はそうした利害から距 離をおいて自らの信念にそった行動をとることが できるし,またそのように期待されている。こう 2.1. トランスナショナル・ネットワーク した特徴をもち,本質的に国境内に限定されない NGO の 国 際 的 な 活 動 の 1 つ の 形 態 と し て , 活動を行う NGO によって,課題の実現のための NGO がトランスナショナル・ネットワークを組 大きな影響力の確保のために国境を越えたトラン 織するという形態が挙げられる。1997 年にノー スナショナル・ネットワークが形成され,それに ベル平和賞を受賞した ICBL(地雷禁止国際キャ 国家や国際機構をまきこんで「トランスナショナ ンペーン)に代表されるように,同じ課題を有す ル・唱導ネットワーク」(Transnational Advo- る NGO が国境を越えたネットワークを形成して, cacy Network:TAN)が生まれるのである。 課題の実現のために国家アクターや国際機構に対 TAN は決して新しい現象ではないがかつてに して,時には圧力をかけ,時には連携することが 比べて増加していることは間違いない。TAN の 珍しくなくなった。1997 年にカナダ等の「有志 母体となる国際的 NGO は,表 1 に示すとおり, 国」のイニシアチブによって採択された対人地雷 20 世紀後半において,いずれの分野でも増大し 禁止条約は,ICBL 等の NGO とカナダ政府が事 てきた。 前に協議を行うかたわら,いかなる国にも何の相 TAN の形成にはメリットも多いがコストも生 談もなく条約締結交渉(オタワ・プロセス)の構 じる。地理的距離,民族主義の影響,言語・文化 想を突然打ち出した「中級国」カナダの合理的な の多重性,通信コスト等をケックとシキンクは 計算による外交とトランスナショナル・ネットワ TAN 形 成 の コ ス ト と し て 挙 げ る ( Keck and ークとの強い連携に基づく産物であった(足立 Sikkink 1998:12)。こうしたコストにもかかわ 2004)⑴ 。またクラスター爆弾の全面禁止を柱と 表 1 国際的非政府的社会変化組織 する条約の締結を目標にしたリマ会議(2007 年 5 月)でも,特定通常兵器使用禁止制限条約 (CCW)において米中露などの消極的姿勢で交渉 が進まない現状をよそに,NGO と有志国との連 年 1953 1963 1973 1983 1993 33 38 41 79 168 8 4 12 31 48 問題領域 人 権 携がみられた。リマ会議では条約採択に消極的な 世界秩序 諸国が多く,条約は採択されなかったが,会議終 国際法 14 19 25 26 26 了後 2008 年に向けて国連は新条約の締結を支持 平 和 11 20 14 22 59 することを明らかにしている⑵。 女性の権利 10 14 16 25 61 このようにトランスナショナル・ネットワーク 環 境 2 5 10 26 90 は国家,あるいは国際機構と連携して政策課題の 開 発 3 3 7 13 34 実現の方策となる国際的規範を提示し合意に導く 影響力を有する場合がある。特に政治的あるいは エスニック統一・ 集団的権利 10 12 18 37 29 経済的な国内制約によって国家には行動の選択肢 エスペラント 11 18 28 41 54 が少なく,国際機構が合意の採択に際して内部で 84 出所) Keck and Sikkink (1998:11) 特集:越境するガバナンスと公共政策 図 1 ブーメラン効果 通常のキャンペーンによる大衆動員は難しく,逆 に新しい理念の提示には影響力がある。また 1970 年代のチリやアルゼンチンの反人権侵害キ ャンペーンのほうが 1980 年代半ばのグアテマラ に対するキャンペーンより奏功したのは,国内の 人権 NGO が有効に存在していたかどうかによる。 また中国やミャンマーのように西側からの軍事支 援をほとんど受けていない国家の場合には有効な レバレッジ(梃子)がなく,経済的関係のみが唯 一のレバレッジとなるが,これを用いるかどうか は論争的であり,レバレッジを用いる西側諸国自 身の輸出業者に打撃を与える。たとえこのレバレ 国家 A は国内の組織の救済を阻止する。A 国内の組織 はネットワークを動かし,ネットワークのメンバーは それぞれの国家と関連する第三者的な国際機構に圧力 をかけ,それらが国家 A に圧力をかける。 出所) Keck and Sikkink (1998:13) ッジが用いられたとしても,対象国は圧力に政治 らず TAN が形成されるのは,①国内集団と政府 リーナとしての地域的な国際レジームや国際機構 の間のチャンネルがブロックされていたり無効で の規範も拡大し,かつ制度的に強化する。こうし あったりする場合で,TAN に特徴的な影響力の た地域的行動の結果はしばしば国際的な手段自体 注) 的に敏感である。 なおこのブーメラン効果の影響は対象国にとど まらず,ブーメラン様式を介在することになるア ブーメラン様式(後述)への動きがもたらされる, をも強化し,それが地域的なキャンペーンを増進 ②ネットワーキングに伴うミッションとキャンペ ーンを実施し,活発にネットワーク自体を促進す ると活動家や「政治的起業家」が信じるとき,③ させるために用いられることから,「二重のブー メラン」効果が存在するとカルドーは指摘する (Kaldor 2003:96)。 会議や他の形態での国際的な接触によってネット 他方で,圧力を受けた国がそれにどのように反 ワークの形成や強化をもたらすアリーナが創造さ 応するかは重要な論点である。リッセが分析した れ る と き , で あ る ( Keck and Sikkink 1998 : 「螺旋モデル」では,人権侵害国への批判は「内 12)。本稿で扱うブーメラン戦略の事例は上記① 政干渉」として当初否定されるが,世論の高まり の状態で生まれるものである(図 1 参照)。 により経済制裁等の手段の行使の可能性が高まり, 人権侵害国は人権規範を徐々に受け入れざるをえ 2.2. ブーメラン効果と螺旋モデル なくなる(Risse et al 1999;阪口 2004:1 2)。 ブーメラン様式による迂回的圧力を含む TAN すなわち制裁の回避や援助獲得のための戦略的な の成否の要因として,ケック及びシキンクは,① 譲歩であっても,一旦人権などの規範の正当性を アジェンダの討論及び問題の枠組み化,②国家及 公に受け入れると,内政干渉であるという反論が び他の政策アクターに漫然とした関与を促す,③ できなくなる。その結果,道徳的な討議に従事せ 国際的及び国内レベルで手続き的変化の要因とな ざるをえなくなり,次第に規範がアクターの中で る,④政策に影響を与える,⑤目標となるアクタ 内面化していくとする(横田 2007:128)。 ーの行動変化に影響を与える,という 5 つの段階 国際捕鯨委員会(IWC)における NGO の活動 について,問題領域の性格とアクターの性格とい を分析した阪口は,捕鯨乱獲防止という規範がレ う 2 つの変数にそって説明を試みる(Keck and ジーム参加国に共有されたものであったが,アメ Sikkink 1998:201 209)。難民が流出した 1990 リカの対応の変化によって環境 NGO がアメリカ 年代のハイチの事例を例外として,政策決定者は にバンドワゴンして圧力をかけた経緯を分析する。 人権課題を容易に無視しやすいが,国益あるいは しかし結果的に,レジームからの脱退国や「調査 コストがかからないと信じるときにのみ諸政府は 捕鯨」という形でルールの迂回を行う国の出現な 行動する。またアムネスティの成功例を除いて, どを招き,履行状況が悪化したことを説明する 85 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 (阪口 2004)。NGO による圧力は一面では逆効果 の共同で,個人が自己の良心の命ずるに従っ をもたらし,規範を当該国に内面化させるどころ て行動するところの宗教もしくは信条を信仰 か,逆に対象国の反発を招くという「逆螺旋モデ しかつ実行する自由を承認し,尊重する。 ル」が見られるとする。 (中略) このように TAN が介在するか否かはともかく, 参加国は人権と基本的自由の普遍的な意義 積極的アクターが消極的アクターに圧力をかけた が,参加国間並びに全ての国家間の友好的関 場合の反応は一様ではなく,効果的であるとは限 係及び協力関係の発展を確保するために必要 らない。 な平和,正義,福祉を構成する不可欠な要素 であると認める。 (第 1 バスケット第 7 原則) 3. ブーメラン効果と対抗行動としての as if 的行動」 この規定の特に冒頭にみられるような内容は, 1948 年の世界人権宣言や 1966 年の国際人権規約 にそったものである。しかしこの規定が合意によ さて TAN がブーメラン様式を用いた戦略を成 って東側でも国民に周知されたことにより,東側 功させるには,問題領域として「積極的アクタ 社会ではヘルシンキ・グループと呼ばれる NGO ー」の政策決定者が高い関心を抱くことと,圧力 が次々と結成され,西側社会に東側社会の人権侵 をかけるという選択肢のコストが「積極的アクタ 害の実態を伝えるようになった(宮脇 2003a; ー」にとって小さいことに加え,「消極的アクタ 吉川 1983)。1982 年に「国際ヘルシンキ人権連 ー」が「積極的アクター」のレバレッジに対して 盟」(IHF)がウィーンに設立される等,東西の 脆弱でなければならない。しかし前述のように NGO のネットワーク化と西側政府・世論との連 「積極的アクター」のレバレッジが限られる場合 携がすすんで TAN 化した過程はブーメラン効果 にはブーメラン効果はあまり有効ではない。 の成功例として紹介される(Kaldor 2003:96)。 ここで注意しなければならないのは,ブーメラ しかしこの戦略が「成功」するには 1975 年の ン効果が想定するのは,決して短期的なキャンペ ヘルシンキ宣言署名から 1989 年の東欧革命によ ーンにとどまらないことである。本稿でとりあげ る人権状況の抜本的改善に至るまで,14 年の歳 る冷戦期の東西欧州の事例は 10 年以上にわたる 月を要した。東欧革命に至らずとも,ソ連の政治 ものであり,かつ当初は全く対象国内に人権 犯の釈放が始まるのは 1987 年前後からであり, NGO がない状況から始まった。 少なくとも 12 年はかかっている⑶。「消極的アク 冷戦期の 1975 年に東西欧州及びアメリカ,カ ター」は「積極的アクター」からの様々な圧力に ナダの 35 カ国の首脳が一同に会して署名した 長期にわたって抗ってきた。実際に 1980 年代前 CSCE(欧州安全保障協力会議)のヘルシンキ宣 半にはヘルシンキ・グループの活動も厳しく制限 言には,次のように人権と基本的自由に関する規 され,メンバーの逮捕や政治犯の逮捕・流刑も多 定が含まれていた。 く見られ,状況は 1975 年よりも悪化した。決し て,ブーメラン効果や螺旋モデルが想定するよう 参加国は人種・性別・言語・宗教の差別な な単線的あるいは段階的な規範の内面化ではなか く,思想,良心,宗教,信条の自由を含む全 ったのである。 ての者に対する人権と基本的自由を尊重する。 筆者は,規範の内面化に抵抗する消極的アクタ 参加国は人間の固有の尊厳に由来し,人間 ーが,表面上はあたかも(as if)規範に賛同し の自由で完全な発展にとって不可欠な市民的, 内面化をしているようにみせかけながら,実際に 政治的,経済的,社会的,文化的およびその は決して規範を受容していない言行不一致の状況 他の権利並びに自由の効果的な行使を促進し, を,「as if 的行動」という用語を用いて説明して 86 奨励する。 きた(宮脇 2003c;2007a)。as if 的行動は,国 この枠内で参加国は,単独もしくは他者と 際規範に対する破約が生じることを隠蔽するため 特集:越境するガバナンスと公共政策 に,あたかも規範を遵守しているかのごとく僭称 れゆえに時として,NGO の活動に対する妨害や することから発生する。合理的に考えれば,自ら 弾圧への規制が国際的関心をよんだとしても,そ に不利益となることが確実な合意に同意するはず れをとどめるには十分な力をもたない。 がない。しかし他の分野での合意との連繋 OSCE にかかわる NGO 間の共通の協力枠組み (linkage)や第三者からの圧力によって,その合 が形成される一方で,OSCE 加盟国と国内 NGO 意に同意せざるをえないことがある。そうしたア との間に個別の協力枠組みが形成されているかと クターは 1 つの選択肢として as if 的行動をとる いえばそうではない⑺。こうした事例は OSCE に のである⑷(宮脇 限るわけではないが,OSCE は,国際的な枠組み 2007a)。 次節では,積極的アクターと消極的アクターの としては NGO の活動を高く評価しているにもか 関係を,ブーメラン効果と as if 的行動という観 かわらず,参加国の国内ではそれに逆行するよう 点 か ら , 冷 戦 後 の CSCE / OSCE ( 1995 年 よ り な事例が存在するという,一見相反する事象をあ CSCE は OSCE〔欧州安全保障協力機構〕に改 わせもつ。以下,OSCE 参加国とそれに対応する 称)の事例をもとに分析する。 TAN との緊張関係を明らかにしたい。 冷戦期において CSCE と NGO との関係は,そ の意義が西側に高く評価されながら東側には逆の 4. OSCE における人権 NGO/TAN と OSCE 参加国 評価をうけ,履行パートナーとして認めることも できないほど政治的緊張を有する関係であった。 しかし冷戦後 NGO と CSCE/OSCE との関係の 変化は,従来西側政府と東西 NGO にとどまる 4.1. OSCE における人権 NGO の役割と評価 TAN から,旧東側諸国の一部の諸国に TAN が 国際人権レジームが形成・発展する際に人権 拡大し,その位置づけも CSCE/OSCE によって NGO を中心とする TAN のブーメラン効果と, 評価されていく過程であった。 それに対する as if 的行動がどのように作用する 人権分野において NGO という文言が CSCE の かを検討するに際し,複雑な政治的背景を有して 文書で初めて規定されたのは,冷戦後の 1990 年 形成され,その後人権 NGO の影響力によって大 6 月から 7 月にかけて開催されたコペンハーゲン きく発展してきた国際機構であり,現在すべての 人的側面会議(CHD)の最終文書(以下,「コペ 欧州諸国とアメリカ・カナダのあわせて 56 カ国 ンハーゲン文書」)においてである⑻ 。1985 年の が加盟する OSCE の人権レジームの事例をここ CSCE オタワ人権専門家会議以来,西側が要求し でとりあげる。 ていた CSCE プロセスにおける NGO の役割につ 本 稿 で OSCE を と り あ げ る の は , 冷 戦 後 , いて進展がみられ,結社の自由との関連で「人権 OSCE が幾多の国際的な人権レジームの中でも, や基本的自由の伸長及びその擁護を目指す NGO NGO の参加を広範囲に認め,「履行パートナー」 を結成し,加入し,またそれに参加する権利 として位置づけているからである⑸。OSCE 加盟 として人権 NGO の設立の権利が明確に規定され 国,とりわけ西側諸国では人権 NGO が多く設立 た(吉川 1994:180)。また国内レベルであれト され,OSCE の諸会議への参加も多い⑹。 ランスナショナルなレベルであれ,NGO 間及び OSCE の主たる特徴の 1 つは,旧ソ連を含む全 NGO と国際機関との間での相互接触やコミュニ 欧州およびアメリカ・カナダの全ての国が参加国 ケーションを妨げないことを確認し,人権尊重の となり,高度な政治的対話のフォーラムが組織化 履行と保護を目的とする活動のために NGO が国 されていることにある。しかし国内における の内外からの自発的な財政支援を受けることを認 NGO との関係については参加国によって大きな めた⑽。更に,同会議の「議長声明」においては, 差がある。OSCE は,独自の設立条約をもたない CSCE の CHD の NGO に対する公開性とアクセ ⑼ など,国際法的な枠組みに依拠する度合いが低く, スの原則が全ての参加国にとって重要であるとの それに比例して参加国の政治的思惑を大きく反映 観点から,参加国は,次のような公開性とアクセ した合意形成を行ってきたことを特色とする。そ スの実施が尊重されるべきであると合意した⑾。 87 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 ・使節団及び事務局用の場所を除いて,関連 4)CSCE の人的側面の中で重要な機能を(訳 NGO の参加者が会議室内で自由に移動する 注:NGO が)果たしていることにかんがみ, こと。したがって,彼等の求めに応じて,事 人的側面における CSCE の将来の作業の中 務局から彼等にバッヂが発行される。 で,参加国自身の政府と他の全ての参加国の ・認証されたメディア代表団に加えて,関連 NGO と使節団との間の接触を妨げないこと。 政府の意見を NGO に伝えることを許可する。 5)人的側面における CSCE の将来の作業の中 ・全ての使用言語で CHD の公式文書にアクセ で,CSCE の人的側面の特殊な問題について スし,関連 NGO の参加者に伝達する意思を NGO は文書による寄稿を配布する機会を得 使節団が有するいかなる文書にもアクセスす る。 ること。 6)CSCE 事務局は,その自由な権限の範囲にお ・関連 NGO の参加者が CSCE の人的側面に関 いて資源の枠組みの中で,CSCE の部外秘以 する伝達事項を使節団に送る機会。この目的 外の文書を NGO が求める場合に好意的に対 のために関連 NGO の参加者は各使節団の文 応する。 7)NGO が,人的側面における CSCE の将来の 書受けにアクセスできる。 ・使節団が,関連 NGO から発信された全ての 作業の中で参加するさいのガイドラインは, 文書や会議の情報に関して事務局に寄せられ 特に,次の点を含むものとする。 た全ての文書に自由にアクセスできる。した ⒨NGO は,会議場で共通の場所を割り当て がって,事務局は常に更新された文書のコレ られるか,コピー機,電話,ファックス機 クションを使節団が利用できるようにしてお の技術的環境に自身の費用で合理的にアク く。 セスし,その利用も即座に近くでできるよ うに(場所を)割り当てられるべきである。 続いて 1990 年 11 月の CSCE パリ首脳会議で 採択された「新しい欧州のためのパリ憲章」では, 新設された CSCE 事務局が「CSCE に関する公的 ⒩NGO は時宜をえた方法で公開性とアクセ ス手続について周知され要約を受けるべき である。 領域(public domain)において,諸個人,国際 ⒪CSCE への使節団は,NGO メンバーを含 ⑿ こと めるか招待するよう一層助長されるべきで 機構,および非参加国に情報を提供する となっており,「諸個人」に NGO が含まれると ある。 解釈されうる規定をおいた。 更に,1991 年のモスクワ CHD では参加国が これらに加えて参加国は,ヘルシンキ・フォロ NGO を「現存する国内手続きにしたがうような ーアップ会議⒂で上記のガイドラインを設けるよ 形 態 で , 自 ら を NGO と し て 宣 言 す る も の を う考慮することを推奨することとされた。 NGO と認め,これらの組織(訳注:NGO)が領 しかし,NGO のアクセスが認められるにつれ, 域内で国内的活動を自由に実施する能力を助長す 西側内部では NGO のアクセスに制限をかけるべ る ⒀とした上で,次のことに参加国は同意した⒁。 きであるという意見も出始めた。例えば翌年のヘ ルシンキ・フォローアップ会議では,国連の 1)NGO と対応する当局や政府機構との間での NGO 諮問的地位のように参加を認める NGO を 接触と意見交換のための方法を一層強化する 認定する制度を導入(NGO の選定)することも 方法の探求に向かって努力する。 検討された。しかしオーストリアなどの共同提案 2)人的側面の条件を監視するためにいかなる参 は,NGO の定義にも参加資格の要件にもふれず, 加国の領域内からも NGO が別の参加国を訪 CSCE の諸会議の多くを NGO に公開するなど, 問することを促進するべく努力する。 さらに NGO の関与拡大をはかる提案であった 3)特に,人的側面の分野で CSCE 基準の遵守 ( 吉 川 1994 : 288 )。 そ の 結 果 , 採 択 さ れ た を監視することを含む NGO の活動を歓迎す 「 CSCE ヘ ル シ ン キ 文 書 1992 」 で は , CSCE に る。 88 NGO が一層関与する機会を与えるために,「特定 特集:越境するガバナンスと公共政策 の CSCE 会議への NGO のアクセスについて以前 いえば⑤の「行動変化」をもたらす段階に一旦は に合意されたガイドラインを全ての CSCE 会議 達したといえよう。 に適用する ⒃ことが規定され,上述の CHD での NGO のアクセスについての規定が人権分野に限 4.2. NGO との連携の限定 らず CSCE の全ての会議に適用されることにな 法的な独自の枠組みがなく政治的判断と合意の った。 積み重ねで TAN の活動を増大させ,56 カ国のメ 実際に,CSCE/OSCE の諸会議で国家と同様 ンバーを抱えているにもかかわらず発足以来コン に文書で報告を提出できる権限を活用して NGO センサス方式の意思決定をとってきた OSCE に は多くの人権問題を提起してきた。国家アクター とって,TAN は OSCE 自体の所産である。しか 側でも NGO や個人の参加を利用して自らの人権 し,冷戦が終わって 10 年経った頃には OSCE 参 外交を有利に展開したいという思惑をもっている 加国であるロシアやベラルーシ等の旧ソ連諸国の 国もあり,例えば,1997 年の人的側面履行会議 一部が消極的アクターに転じ,TAN の活動の限 (HDIM:後述の ODIHR と OSCE 議長国が主催。 界が再びあらわになる。 CHD の後身)でアメリカ代表団は,元ソ連在住 1990 年の「パリ憲章」で設立された自由選挙 アメリカ人記者のダニロフ(Nicholas Daniloff) 事務所は,1992 年の「ヘルシンキ文書 1992」で に発言時間を与え,旧東側諸国のメディアの自由 ODIHR(民主制度・人権事務所)に名を変えて をめぐる問題を提起している(宮脇 2000:82)。 いた。当時,アメリカは CSCE の重要な存在意 NGO が OSCE にアクセスできるようになり, 義を NGO のアクセスの面においていた。欧州審 OSCE のもつ弱さ,例えば法律的な枠組みに基づ 議会や EU が拡大と機能強化をすすめるにつれ, かず参加国の政治的意思の変化によって一貫性が この側面でのアメリカのプレゼンスは,軍事面で 欠ける点,OSCE の職員の入れ替わりが多い点⒄, は NATO の再編と拡大にあらわれ,CSCE では を NGO は補完する役割を担ってきた。 人的側面における NGO とのパートナーシップを 冷戦後の OSCE においては,東西対立が終わ 通じて,アメリカのプレゼンスを不動にすること ったことにより NGO 間の協力体制づくりもすす であったと考えられる。「自由選挙事務所」の設 み,各国のヘルシンキ・グループで構成される 立をすすめた国の 1 つはアメリカであり,また IHF のネットワーク化がすすんだ。更に東東協力 ODIHR を側面から政治的に支援してきた。しか (East to East cooperation)とよばれる NGO し ODIHR が選挙監視活動を拡大するようになる 間協力がすすんだ。例えば人権問題が比較的改善 と,ロシアをはじめ特に旧ソ連の国々からは された,旧東側諸国のポーランドにある「ポーラ ODIHR に対する不満も少しずつ広がっていった。 ンド・ヘルシンキ人権財団」(Helsinki Founda- また NGO のプレゼンスが比較的大きかった, tion for Human Rights in Poland)は,隣国ベ OSCE 人的側面履行会議(ワルシャワで開催)の ラルーシにある「在ベラルーシ・ポーランド人協 日程が 21 日間から 10 日間に短縮されたため,国 会」に対するベラルーシ当局の抑圧について国際 家とならんで発言していた NGO の発言時間も全 ヘルシンキ連盟に書簡を送っている⒅。またベラ 体として減少した。また新たに設けられた補助的 ルーシの NGO をポーランドやリトアニアで訓練 人的側面会議(Supplementary Human Dimen- するといった高度なレベルの協力が見受けられる。 sion Meeting)は,OSCE 参加国の政治的な圧力 とはいえ,国連と異なり OSCE は,市民社会 を受けやすいウィーンで行われることとなり,し を保護したり強化したりするための特別な制度的 かもこの会議では,関係する NGO が「招待され 枠組みを有していない。むろん多くの領域で る」にとどまり,NGO の全面的な参加の門戸は NGO との協力がうたわれ,実際になされている 少しずつ閉じられている⒆。 が,それは各分野の固有の協力に基づいており, このように NGO の OSCE へのアクセスは冷戦 それを制度的に保障する独自の枠組みがあるわけ 後の 1990 年代半ばを境に限定的になりつつあり, ではないことも確かである(Rhodes 2004:196) 。 TAN の重要な軸である NGOЁ国際機構Ё積極的 それでも実態として,2 2 で紹介した 5 段階で アクターの関係は徐々に変化する。 89 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 4.3. OSCE を補完する NGO ループがイギリス大使館からの「スパイ活動」を OSCE にとっての NGO の利用価値は,OSCE 手助けしたという嫌疑をかけられている。この事 の弱点である規範履行面で現れる。ODIHR は, 件は,2005 年 12 月,モスクワのイギリス大使館 人的側面履行会議(HDIM)をはじめ,民主化や 員 4 名がスパイ活動を行ったとしてロシア連邦保 人権規範の履行を促進する組織であるが,通常, 安局が摘発したもので,「西側のスパイが NGO ODIHR は特定の国に焦点をあてて人権問題を焦 を使って反政府活動を助長している」という見方 点化することはない⒇ 。しかし,人権 NGO はそ のもとに,モスクワ・ヘルシンキ・グループに対 うではない。NGO は,履行パートナーとして, して政治的圧力がかけられているという 。こう OSCE のプロジェクトに関与し協力して各国の人 した動きは同月,国際 NGO が事務所をロシア国 権状況を重視する。 内に設けることを禁じ,また国内の NGO も再登 こうした人権 NGO と OSCE の協力関係につい 録が必要とされる立法につながっている て,全ての参加国が強い支持を送っているわけで (Mainville 2005)。 はなく,アメリカ,カナダのような西側諸国のほ ベラルーシでも,「ヘルシンキ・グループ」の うが一般的に支持をしている 。逆に,参加国の 1 つ,ベラルーシ・ヘルシンキ委員会(Belaru- 中で,ベラルーシや中央アジア諸国のように, sian Helsinki Committee:BHC)が 2002 年頃 OSCE の人権基準や履行監視活動に消極的な諸国, からベラルーシ当局により様々な規制を受けてい すなわち消極的アクターが少なからず存在する 。 る。BHC は TACIS(CIS 技術支援)に基づいて 消極的アクターの存在にもかかわらず,OSCE 財政支援を受けているが,ベラルーシ最高経済裁 が国際機構として一定の信頼をえながら存在しつ 判所はその支援金をめぐって,2005 年 10 月,脱 づけていられるのはなぜであろうか。カラオスマ 税行為を認める判決を下した 。これに対して ノグルは OSCE の人権規範そのものより枠組み EU やアメリカは,2006 年 3 月の同国大統領選挙 自体に意味があると各国が考えている,と指摘し を前にしたベラルーシ当局による政治的妨害であ ている(Karaosmanoglu 2002)。OSCE の枠組 るとして OSCE 常任理事会で強く非難した 。ま みの重要性と脆弱性ゆえに,個別の規範の履行に た同国の刑法改正が 2005 年 12 月になされたが, ついては外交政策上の優先順位が低く,レジーム OSCE ミンスク事務所(OSCE Minsk Office)は 維持のためにレジームの規範の履行の空文化がレ NGO を規制する目的をもつとして改正を批判し ジームの枠組みの中で黙認されてきた,という自 ている 。これらの NGO 規制は他の人権侵害と 己否定の歴史が CSCE にはある 。特に人権規範 同様にエスカレートしているが,人権侵害である の場合,そのような傾向が強くみられてきた。こ という TAN の批判に両国とも応じず,あたかも うした OSCE 人権レジームの脆弱性を補完する OSCE の諸合意には反しないかのごとく as if 的 のが履行パートナーとしての NGO の存在意義で 行動をとり続けている。 あり,OSCE 規範の履行促進に大いなる役割を担 他方で,OSCE の機構改革という立場から,特 うことが期待されていたはずである。 に NGO によって旧東側諸国の人権問題が批判さ れることの多い OSCE 人的側面履行会議につい 4.4. 二重のセットバック ては,「人的側面委員会」の設立のかわりに開催 1990 年半ば以降旧ソ連諸国を中心に人権侵害 日程を削減することが,OSCE 改革を論じる賢人 が悪化し,部分的な「死文化レジーム」としての 会議において求められている(Panel of Emi- 特色を OSCE 人権レジームはもつようになって nent Persons on Strengthening the Effective- しまった(宮脇 2003c:47 52)。レジームに留ま ness of the OSCE 2005:17)。こうして NGO は, りながらレジームの規範の遵守をサボタージュし OSCE の消極的アクターにとって再び敵視される はじめるアクターが現れたのである。こうした状 ようになっただけなく,消極的アクターの先導に 態で NGO は消極的アクターの「as if 的行動」 より OSCE の組織的再編成の中で役割の制限に に再度直面することになった。 つながる議論にまで直面している。もちろんロシ 例えばロシアでは,モスクワ・ヘルシンキ・グ アなどの消極的アクターの提案には「ウィーンの 90 特集:越境するガバナンスと公共政策 図 2 現在の OSCE にみられる消極的アクター(国家 A) 2 2 で紹介した 5 段階でいえば,①アジェンダ の討論及び問題の枠組み化,②国家及び他の政策 アクターに漫然とした関与を促す,の段階に逆戻 りしているのが現状である。このことを TAN の ブーメラン戦略の観点からどのように説明すべき であろうか。 むろんケックとシキンクが述べるように,対象 国の特性や一般的な人権キャンペーンという問題 領域の特性を変数にとりあげてこの状況を説明す ることは容易であろう。しかし冷戦期のソ連ある いは東欧諸国の体制に挑戦した TAN と,冷戦後 の小国ベラルーシや大国とはもはやいえないロシ 消極的アクターの国家 A に圧力はかかっているが as if 的行動によってブロックされている。それだけでなく, 政府間国際機構や国内の NGO への逆方向の圧力を生ん でいる。 アに挑戦する TAN の構図を比較した場合,なぜ 西」の諸国が反対しているが,消極的アクターの as if 的行動は,一般に時間が経てば,その正 動きは OSCE 内部に深刻な亀裂をもたらしてい 当性を問われる量的機会が増えてしまい,僭称し る(宮脇 2007b)。二重のブーメラン効果はもと てきたことがらを補強するために政治的資源をま よりなく,消極的アクターによる NGO 規制の強 すます動員しなければならないと考えられる。後 注) 小国で as if 的行動が成功し,ブーメラン効果が 現れないのかという疑問は残る。 化と OSCE 枠組みにおける NGO の役割の制限と 述するように as if 的行動は,政治的資源を追加 いう二重のセットバック(逆流)の動きがあるの しないかぎり,時間に比例してその効果も逓減す が現状である。あえていえば逆螺旋モデルに近い る。as if 的行動を持続させるには,全体主義的 状況ともいえるが,いずれにせよ IHF や「ウィ 政権,権威主義的政権でもかなりの政治的資源を ーンの西」を通じてブーメラン効果を狙う TAN 動員しなければならない。ところが,ブーメラン の活動は,1980 年代のグアテマラのように,現 効果をねらう TAN の戦略は,時間に比例してそ 在のところ失敗に終わっている。これを説明した の効果を増大させる戦略である。その戦略が成功 のが,ケックとシキンクの図 1 をもとに作成した するためには,ブーメランが経由する国家や国際 図 2 である。 機構によって情報が増幅され言説が強化されねば ならない。 冷戦後の OSCE の TAN のブーメラン効果の失 5. 結びにかえて 敗は,情報増幅と言説強化が不十分であることに 要因を見いだすことができる。アメリカや西欧諸 国がベラルーシ等の消極的アクターによせる関心 の低さは,ブーメラン効果のモデルでいう「コス 前節でみたように,OSCE 参加国の as if 的行 ト」の低さからすると政府の行動を促す要因であ 動は再び NGO を中心とする TAN の活動を窮地 るが,逆にこれらの消極的アクターの諸国が小国 に陥れている。冷戦期に 14 年かけて成し遂げら であることの裏返しでもある。加えて大きな民族 れた TAN の成功に比べ,冷戦後の場合,ベラル 問題を抱えず,また人権侵害が継続しているとい ーシを例に考えると 1994 年のルカシェンコ政権 えども大規模な騒乱がないかぎり,たとえ選挙で 発足から 13 年経った現在,全く成功していない。 の組織的不正があったにせよ,情報増幅のために モスクワ CHD で参加国が NGO の能力を助長す 積極的アクターが政治的に関与する機会としては ることに合意したにもかかわらず,OSCE の制度 不十分であることは言をまたない。特に,ブーメ 的脆弱性を補完するはずの NGO の活動が再び制 ラン効果は一般に持続性が必要であり,積極的ア 限されつつあり,二重のセットバックが見られる。 クターの関心が低い段階では効果の発揮は難しい。 91 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 ここに,同じ時間を共有する as if 的行動とブ トハウスや国務省に圧力をかけた。現在もこの委 ーメラン戦略において,後者が as if 的行動より 員会は議会で活動しロシアやベラルーシの人権状 も劣った要因として,as if 的行動の「時間に伴 況に関心を寄せているが,冷戦期ほどは活発では う効果の逓減率」が,ブーメラン効果の「時間に ない。それはアメリカ国内におけるソ連・東欧系 伴う効果の逓減率」よりも長期的に低い(より緩 のエスニック・ロビーの活動が冷戦期に比べると やかに逓減)ため,効果が現れにくいという説明 低調になっている(即ち,インプットとして弱く をここに提示したい。 なっている)ためでもある 。 すなわち,as if 的行動は時間に伴う効果の逓 一般に,民主主義国の議会や政府に特定課題に 減が一般に見られる。虚言と真実との間で,対抗 ついて常に大きな圧力をかけることは容易ではな 言説間の競合はいずれ真実の方に傾くと考えるの い。経済的コストが必要なだけでなく,他の多く が普通である。権威主義的国家ではこうした現象 の課題との政策順位の競合の中でその課題の政治 を抑制するために言論の自由を制限せざるをえな 的寿命は一般に短くなりがちであるからである。 い。しかしそれには政治的コスト(野党の抵抗) ゆえに時間に伴う効果逓減は民主主義国の方がよ や社会的コスト(教育や情報流通の制限)が必要 り大きい。冷戦期の CSCE においてワシントン となるため常に政治的・社会的資源を動員しなけ がこの時間逓減にもかかわらず一定の関心を示し れば as if 的行動を一定のレベルに保つことがで 続けてブーメラン効果の成功に導くことができた きない。時間の経過に伴い,資源動員がたとえ安 のは,国内のエスニック・ロビーの活発な活動や, 定化したとしてもそれは 1 つの小さな事件を契機 東側への戦略的な関心の高さ(即ち資源投入が大 に大きく崩壊する危険を秘めているので,たとえ きく課題化しやすい)によるところが大きい。し ていえば,常に時限爆弾を抱えているようなもの かし現在,この 2 つの要因をワシントンに見いだ である。 すことはできない。この点について,「時間」を しかしこの時限的に思われる as if 的行動を長 どのように固有の方法で対象化し分析するべきか く続けることができる事例は世界に少なくない。 については,時間の政治学的研究の発展を考慮し 北朝鮮のような国家が国内外で虚偽に基づくキャ ながら今後検討せねばならない課題である 。 ンペーンを行い多くの諸国や人々がそれを批判し ブーメラン効果の方が as if 的行動よりも時間 ているにもかかわらず,その虚偽を北朝鮮国内で の効果逓減は激しいと考えるならば,政治的資 公式に指摘できない状態が現在でも続くのは,そ 源・社会的資源を通常の規模で動員している限り, の最たる例である。国内の権力基盤が盤石であり, as if 的行動の方がより持続することになる。 かつそのための政治的・社会的コストを十分に払 OSCE の TAN が as if 的行動をどのように抑制 っていれば,as if 的行動を続けることができる するかは,TAN の動員する資源の多寡にかかっ のである。たとえそれが永続的なものでなくとも, ている。 中期的に継続的なものであれば,その政治体制に とって as if 的行動は成功である。 一方のブーメラン戦略は,積極的アクターを常 に政治的に関与させ続けなければならないという コストを払わねばならない。一般に,積極的アク タ ー は 西 側 , 特 に 欧 米 諸 国 で あ る 。 CSCE / OSCE の場合は,積極的アクターの中でもアメリ カが大きな役割を果たした。1976 年以来アメリ カ議会に「ヘルシンキ委員会」(欧州の安全保障 と協力に関する委員会)が設置され,CSCE のヘ ルシンキ宣言の履行状況を監視していたのは有名 である(宮脇 2003c)。ヘルシンキ委員会は,国 内のエスニック・ロビーの要請を受けて,ホワイ 92 謝辞〉 本稿は,平成 17∼19 年度科学研究費補助金[若手研究]及 び,立命館大学学内提案公募研究推進プログラムに基づく成果 であり,筑波大学の「グローバルガヴァナンスと市民社会」研 究会での報告の一部に基づくものである。なお文中の図作成に あたっては本学大学院生宇津木到氏に多大な協力を得た。 [注] ⑴ この点については,宮脇昇による同書(足立 2004)書評(『国際問題』2004 年 12 月,71 74 頁)もあわせて参照。 ⑵ 毎日新聞』2007 年 10 月 22 日。 ⑶ ソ連は,国内に政治犯が存在することをゴル バチョフ政権発足 2 年目(1986 年)まで認め ていなかった。また,そのゴルバチョフでさえ 特集:越境するガバナンスと公共政策 も 1987 年段階では,西側や NGO が示したソ 連の政治犯収容者数の一割程度しか政治犯が存 在しないと主張した。このようなソ連の認識や 主張と西側や TAN の主張の食い違いが消える のは,87 年 12 月のゴルバチョフのワシントン 訪問のときである。このとき,ゴルバチョフは 当時のソ連政府の正式見解たる「ソ連には 22 名しか政治犯は存在しない」という見解を放棄 し,IHF やアメリカ国務省が指摘した数字の 「430 名」というデータの受け入れをようやく 表明するに至った。IHF 内部資料の書簡より。 IHF Cathy Fitzpatrick to Hester Minema IHF December 16 1987 あ わ せ て 宮 脇 (2003a),第 1 章参照。 ⑷ as if 的行動を相手国が容認し,あるいは批 判する選択肢の組み合わせを,外交ゲームの一 種として筆者は〈as if game〉として理論化し た(宮脇 2007a)。 ⑸ OSCE と NGO との関係について例えば,吉 川(1997),宮脇(1998),Tudyka(2002)。 ⑹ OSCE が市民社会の参加に対して他の国際機 関より開かれていることを指摘するものとして, Rhodes(2004:196)。 ⑺ この点についての一般的な指摘として, Clark et al (1998:5 6)。 ⑻ 人権分野以外では,既に 1975 年のヘルシン キ宣言の第 3 バスケット「接触の拡大」の項で 「政府機関,NGO,協会(associations)との 間で」接触を一層推進するために参加国が様々 な便宜を図ることを合意している。また文化領 域でも同様な規定がおかれている。この点につ いては,吉川(1994:261)。また 1989 年 1 月 に採択された CSCE ウィーン最終文書におい ても,文化交流,文化協力の観点から参加国が 「文化分野に関心をもつ NGO」の参加を促進す ることに合意することが,同文書第 48 項に規 定されている。 ⑼ Document of the Copenhagen Meeting of the Conference on the Human Dimension of the CSCE ⑽ Ibid ⑾ 以下,コペンハーゲン文書附属の「CHD 会 議への NGO とメディアのアクセスについての 議長声明」より。 ⑿ Charter of Paris for a New Europe E The CSCE Secretariat ⒀ Document of the Moscow Meeting of the Conference on the Human Dimension of the CSCE 43 ⒁ Ibidχ 47 ⒂ ヘルシンキ・フォローアップ会議は,翌年の 1992 年に開催された。 CSCE Helsinki Document 1992 The Challenges of Change Relations with international organizations relations with non participating states role of non governmental organizations (NGOs) 15 ⒄ 職員の入れ替わりの多さについては, Legutke(2005:188)。 ⒅ A Letter from the Helsinki Foundation for Human Rights in Poland to the International Helsinki Federation regarding the situation of the Association of Poles in Be⒃ larus http://www hfhrpol waw pl/en/ index_pliki/letter280705 html ⒆ 宮脇(2000:88 89)。 ⒇ Interview with Ms Susanne Ringgaard Pedersen Head of Human Rights Department ODIHR/OSCE 5 September 2005 Warsaw むろん選挙監視のような領域では, 個別の国家の選挙の実施条件や結果についての 報告書を出すが,人権問題になると特定の国家 の人権状況を焦点化しない。 Ibid ベラルーシの人権 NGO と OSCE の関係につ いては,例えば宮脇(2001;2003b;2007b) 参照。 例えばフランスの CSCE における行動は, 1980 年代前半まで,多国間交渉である CSCE では枠組みの維持を優先するばかりにアメリカ のような対ソ人権批判を抑制する一方,ソ連と の二国間外交では対ソ人権批判を強く行ったと いう二重の外交の典型であろう。宮脇(1997)。 毎日新聞』2006 年 1 月 24 日。 Belarusian Authorities Harass the Helsinki Committee Despite Court Ruling released by International Helsinki Federation for Human Rights 21 October 2005 http : / / www osce org / documents / pc / 2005/11/17025_en pdf,ほか。 Press release ; OSCE Minsk Office concerned over amendments to Belarus criminalcode http : / / www osce / org / item / 17188 html この点について,ヘルシンキ委員会への筆者 のインタビューより。Interview with Erika B Schlager Commission on Security and Cooperation in Europe March 20 1999 Washington D C この点について,2007 年度日本政治学会の 「『政治と時間』研究をめぐって」の研究報告は 興味深い。時間の歴史政治学の観点からは,小 93 宮脇:トランスナショナル唱導ネットワーク(TAN)の限界 川(2003)を参照。 [文献] 足立研幾(2004),『オタワプロセス 対人地雷禁 止レジームの形成』有信堂。 小川有美(2003),「時間の歴史政治学・端書」 『千葉大学法学論集』18 巻 1 号。 吉川元(1983),「ソ連反体制運動の展開」『広島 修道研究叢書』18 号。 И∂∂Й(1994),『ヨーロッパ安全保障協力会議 (CSCE)』三嶺書房。 И∂∂Й(1997),「OSCE と NGO」臼井久和・ 高瀬幹雄編『民際外交の研究』三嶺書房。 阪口功(2004),「IWC レジームの発展・変容に おける活動家型 NGO の役割ИЙ規範とパワ ーの相互作用」(2004 年 6 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