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イノベーションを創出する制度の働き

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イノベーションを創出する制度の働き
Kobe University Repository : Kernel
Title
イノベーションを創出する制度の働き(Institution Works
on the Innovational Work)
Author(s)
松嶋, 登 / 浦野, 充洋
Citation
国民経済雑誌,207(6):93-116
Issue date
2013-06
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008489
Create Date: 2017-03-30
イノベーションを創出する制度の働き
松
嶋
浦
野
国民経済雑誌
登
充
第 207 巻
洋
第6号
平 成 25 年 6 月
抜刷
93
イノベーションを創出する制度の働き
松
嶋
浦
野
登
充
洋
変化を伴うイノベーションを制度化する。 本研究が探求するこの考え方は, そも
そもの問いのたて方から間違っていると感じられるかもしれない。 しかし, 近代以
降, 伝統的な慣習による支配からの脱却を希求する我々は, 精神的な拠所として形
式的な規則を纏った官僚制を求め, 今や多様な制度を通じて様々な意図性を獲得す
るに至っている。 それ故, イノベーションの管理は, 人々を拘束し, 組織を硬直化
させる制度からの離脱を目指すのではなく, 制度に基づいて所定の実践を維持する
という観点を持たねばならない。 本研究では, シャープの緊急プロジェクト制度の
分析を通じて, 官僚制の原則が組み込まれた制度がイノベーションの創出に寄与す
る実際的な機能と, そうした機能を引き出すための管理を検討する。
キーワード
制度の働き (Institutional work), イノベーション (Innovation),
新制度派組織論 (New institutionalism), 官僚制 (Bureaucracy),
形而上のパトス (Metaphysical pathos)
1
は じ め に
官僚制が人々を拘束し, 組織を硬直化させることは, 一般的にもよく知られるところであ
ろう。 官僚制をその典型としつつ 「没主観的で合理的な経営が成立した近代において, 秩序
化の根拠となる物象化された社会的事物」 と一般化される制度概念に纏わる議論でも, 制度
化された組織の変化が理論的な課題とされることが多い。 これに対して本研究の目的は, 変
化を伴うイノベーションと, 秩序を前提とした制度という, 一見矛盾する要求を両立させる
実践を捉えることにある。 イノベーションと制度が両立するということは, 換言すれば, 官
僚制もまたイノベーションを創出しうるということになる。 制度に関する抽象的な概念定義
はともあれ, 官僚制がイノベーションを創出するという主張には, 違和感がなかろうか。 だ
が, もし違和感があるとすれば, そこに本研究が対峙すべき課題がある。 それは, 官僚制が
人々を拘束し, 組織を硬直化する仮想敵として配役されていること, それ自体である。 この
配役が, 制度を通じたイノベーションの創出をあまりに困難なように思わせてきた。
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本稿では, 以下のように議論を進めていきたい。 まず, 第二節では, 組織の硬直化という
課題に直面した新制度派を巡り, 新制度派が制度の原型として参照した官僚制を表現する際
に用いられた 「鉄の檻」 を代表とするメタファーに注目しつつ, 官僚制ないし制度概念にお
いて見失われた理論的内包を検討する。 第三節では, 改めて官僚制を論じてきた古典的研究
を振り返るとともに, 近年の新制度派において提唱される, 制度の働き (institutional work)
という概念に注目する。 この概念は, 主客の二分法を克服する実践論的転回をメタ理論に据
え, 第二節で議論する制度概念の内包に具体的に迫る二つの焦点を有している。 第一に, 制
度は人々に働きかけ, 意図性 (intentionality) を触発する。 第二に, それ故に, 多様に生み
出される目的的行為を組織的な成果として結実させる仕事として制度化するための努力
(effort) が必要になる。
第四節から第七節では, 制度の働きという概念が有する二つの理論的含意のもと, イノベー
ションを創出する制度として知られる, シャープ株式会社の緊急プロジェクト制度 (以下,
緊プロ) を検討する。 第四節で調査デザインを示したのち, 第五節では, 実際に官僚制の原
則 (専門化を通じた委任, 権限への服従, 規則の神聖化) が組み込まれた緊プロが, いかに
人々に働きかけているのかを検討する。 もちろん, 制度化された緊プロが人々に働きかけ,
意図性を触発すると言っても, 必ずしもその全てがイノベーションを保証するわけではない。
第六節では, 緊プロを, イノベーションを創出する実践として確立させるために, シャープ
で行われてきた制度の管理に注目する。 第七節では, 本研究の事例分析に対する方法論的含
意に触れる。 我々の研究は, 制度概念の理論的整備を行い, その概念を利用して経験的事象
の記述には留まらない。 産業界を含んで一般的にも仮想敵とされるに至った官僚制の理解は,
我々の調査目的, 調査結果, 果ては研究成果の発信方法にも影響を及ぼすことになる。
最後に第八節では, 本研究が探求してきたイノベーションそのものを再考する。 イノベー
ションは, 今や定義不可能なほど多様に用いられるが, 実は官僚制を仮想敵に仕立てたのと
同じ倫理的基礎に導かれた美徳に他ならない。 しかし, この美徳こそが, イノベーションを
創出する制度の働きを支え, さらに企業と研究者が相互に関与する言説空間を構成している。
2
官僚制を巡る通説と制度概念の歪曲
官僚制が, 組織を硬直化させるという考え方は, 今や実務界でも広く知られている。 だが,
学術的な見地からすれば, 官僚制を全く含まない組織など理論的にありえないことも, 研究
者であれば誰でも知っている。 正確には, 官僚制とは, 非人格的な規則を通じた合理合法的
支配体系を体現した組織の理念型であり, 今日, あらゆる企業がその要素を有している。 こ
うしたことを知りつつも, 官僚制は環境変化へ適応しようとする組織が乗り越えるべき対象
として位置づけられてきた。 古くは Burns and Stalker (1961) や Bennis (1966) らから, 環
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境変化に柔軟に対応するには, 脱官僚制が必要になるという主張が繰り返し論じられてきた。
こうした主張は, 官僚制に対する理論的知識というよりは, むしろ一般的な通説がもとになっ
ている。 もちろん, 経営学が経験的世界を分析対象とする以上, 理論的な出自はどうあれ,
実践を支える通説のもとで議論を進めることは悪いことではない。
ただし, 厄介なことに, そうした通説が理論的な検討に滑り込むことが, 往々にして生じ
る。 例えば, 「官僚制とイノベーション (Bureaucracy and innovation)」 と題された Thomson
(1965) では, 官僚制が組織を硬直化させるという考え方は, 市井に浸透したイデオロギー
に過ぎないことが指摘されていた (p. 3)。 本研究と同じ問題意識が, 既に古い業績におい
ても見られていたと言える。 しかし, それでは官僚制はいかにイノベーションを創出するの
だろうか。 この問いに対する彼の議論は, 部門を重複させる, 権限階層を減少させるなど,
積極的にイノベーションを創出する官僚制の機能に注目するというよりは, 官僚制の程度の
18)。 その後も, Adler and Borys (1996) や Adler (1999)
緩和を求めるものであった (pp. 13
などが官僚制を再訪しているが, 彼らの議論でも結局, 官僚制における権限関係の緩和が求
められている。 これらの議論では, いずれにしても官僚制が人々を拘束し, ひいては組織を
硬直化させることが前提にされている。
なぜ, 我々は, 官僚制に対する通説にこれほど囚われるのだろうか。 その一因は, ウェー
バーが官僚制を説明する際に用いた 「鉄の檻」 というメタファーにあるだろう。 「鉄の檻」
と聞けば, 文字通り我々を閉じ込める窮屈なイメージが喚起される。 ところが, パーソンズ
は, 人々を一方的に拘束する監獄というよ
が iron cage と (意) 訳した stahlhartes りも, むしろ伝統主義から脱し, 個人主義を希求した人々の新たな信憑対象として示されて
1)
いた。 つまり, 伝統主義の魔術から解放された人々の拠所となったのが, 非人格的な規則で
あり, その規則を原理として構成される官僚制なのである。 例えば, 山之内 (1997) によれ
ば, この非人格的な規則への服従は, 近代特有のものではなく, 古プロテスタンティズムか
ら通底する神の規律に重ねられる。 すなわち, 非人格的な規則への服従とは, 神の創造物た
る人間が最終的な救済に向けて進化の過程を歩むという, 宗教的倫理に根ざしていた (54
55頁)。 この宗教的倫理が, 一方で人によって測りうるものに価値を見出さないという非創
造物神化の拒否の態度を生み出しつつ, 他方で失われた精神的な拠所として人格性を廃した
2)
官僚制を求めさせた (70頁)。 もちろん, 今日, 官僚制は西欧に限らず日本を含め世界中に
見られる。 これは, プロテスタンティズムに限らず, 近代が進化を希求する倫理的基礎に駆
3)
動された時代であるためであろう (加護野, 2010)。 ここで重要なことは, 官僚制が人々を
抑圧するというよりも, 進化を希求する倫理的基礎に根ざした人々の精神的拠所として求め
4)
られていたことである。 こう考えると, 官僚制は, 自由な行動を妨げる鉄の檻というより,
我々に 「鋼鉄の甲冑」 を与え, 未知なる領域へと行軍することを許すものというイメージに
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近い (Clegg, 1995 ; Kallinikos, 2004 ; 松嶋, 2011 ; 高橋, 2013)。
官僚制を典型的な表象として, 現代社会の制度を理論化してきた新制度派も, こうしたウェー
バーの議論が持っていた理論的含意を見失ってきた。 もともと制度とは, スペンサー, デュ
ルケーム, マルクスなど, 社会科学の歴史を通じて主題化されてきた古典的な問いである。
これらの議論に共通しているのは, 方法論的個人主義を退け, 現世界に投企された人々の実
践を捉えるために, 制度概念を位置してきたことである (Hinings and Tolbert, 2008)。 新制
度派もこの系譜に連なって, 社会的な文脈に埋め込まれた個人や組織の目的的行為を体系的
に説明することを目指していた (DiMaggio and Powell, 1991 ; Greenwood, Oliver, Sahlin and
Suddaby, 2008)。
ところが, 1990年代前半, 制度に拘束された人々が, いかに変化を生み出すかを問う 「埋
め込まれたエージェンシーのパラドクス」 (Holm, 1995 ; Seo and Creed, 2002) が理論的な
課題として取り上げられ, 議論の筋がおかしくなり始める。 制度が人々を拘束すると決めた
時点で, 変化を論じることは論理的に不可能である。 それ故, 制度変化を, 制度以外の技術
的環境の変化 (Seo and Creed, 2002), より上位の制度的環境の変化 (Greenwood and
Suddaby, 2006), マクロの制度とミクロの行為者のコンフリクト (Zucker, 1988a), 制度間
の矛盾が表出させる利害対立 (Friedland and Alford, 1991) という外生的な要因に求めざる
を得なかったのも必然的な帰結である。 そもそも不可能であれば, 変化を論じなくても良かっ
たのだが, そこに変化を通じた進化を求める, 我々の倫理的基礎が潜んでいたのであろう。
これに対して, 新制度派の嚆矢となった議論は, 今日の精神的な拠所として官僚制が求め
られているという, ウェーバーの理論的含意に注目するものであった。 例えば, 「合理化さ
れた神話」 たる制度は, 物象化された社会的事物でありつつ, 我々の実際的な行為の根拠と
なり (Meyer and Rowan, 1977), 「鉄の檻」 と喩えられた官僚制への同型化が, 今日的な文
脈のもと, いかに機能しているかを探求していた (DiMaggio and Powell, 1983, p. 147)。
もちろん, 新制度派は, ウェーバーによる近代化および官僚制解釈そのものの妥当性を問
いたかったわけではない。 彼らは, ウェーバーの論じた官僚制を再訪しつつも, 学説史的な
論争に拘泥することを避けるために, あくまで独自の概念化を目指したのである。 だが, そ
のことが裏目に出てしまった。 ウェーバーを再訪した理由が忘却され, 官僚制に与えられた
メタファーが様々な誤解を生み出してしまったのである。 例えば, 「合理化された神話」 は,
制度を非合理性の根拠と誤解させた。 「鉄の檻」 は, より直接的に官僚制の拘束的なイメー
ジを喚起し, 同型化はすなわち同質化だと捉えられてしまった。 それ故, DiMaggio (1988)
は, 自らが嚆矢となった新制度派の隆盛に対し, Gouldner (1955) や Lovejoy (1936) に依拠
しながら, 形而上のパトス (metaphysical pathos) を指摘せざるを得なかった。 官僚制の内
包を十分に検討することなく, 単に用語のイメージに喚起された感情によって, その内包が
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錯誤されたというのである。
そして, 混乱を抱えたまま議論が進められていく新制度派に対して, DiMaggio (1988) が
提唱したのが制度的企業家という概念であった (e.g., Garud, Hardy and Maguire, 2007)。 こ
の概念は, 新制度派において歪曲された制度概念の修正を狙いとしたものであったことを見
過ごしてはならない。 何らかの理由で制度化が弱まることを通じて個人の利害が生まれるの
ではなく, 制度化とともに強まる権力関係への反発として多様な利害が生まれる。 制度変化
は, 非連続的な飛躍を必要とするのではなく, 制度化された支配的権力に反発して生じた様々
な利害の動員を通じて新たな制度化を目指していく力として捉えられる。 こうしたダイナミ
ズムは, 制度を通じてイノベーションを創出するという本研究の探求課題にも通じる。
だが, 皮肉なことにこうした理論的な可能性もまた, 今度は 「企業家」 というアナロジー
に付き纏う, 進歩的イメージによって忘却されてしまった (Hwang and Powell, 2005, pp.
179
180)。 実際, 大半の研究は, 歪められた制度概念の理論的内包に注目するより, 変革
を成し遂げるヒロイックな存在を強調するために制度的企業家の概念を用いてきた (e.g.,
Maguire, Hardy and Lawrence, 2004 ; Leblebici, Salancik, Copay and King, 1991)。 厳しく言え
ば, その含意はどうあれ, 変化を論じるために企業家という用語を求めざるをえなかったこ
と自体, 進化を信仰する倫理的基礎に囚われた証拠であったとも指摘される (Zucker,
1988b, p. xv)。
以上のように, 官僚制をその原型とする新制度派に生じた制度概念の歪曲は, 官僚制に喚
起されたイメージを通じて理解できる。 一方で人々を拘束し, 組織を硬直化する仮想敵とし
て制度を配役し, 他方で制度による束縛を脱するために企業家という特別な存在を置く。 制
度による束縛を嫌い, 変化の起点を担う企業家を登場させてきた概念展開による議論の混乱
もまた, 進化を希求する我々の倫理的基礎を起源とすると考えれば, なるほど合点がいく。
3
制度の働きと官僚制の実際的機能
前節で検討したように, 官僚制の再訪に端を発した新制度派は, 長らく官僚制のイメージ
に苦しめられてきた。 制度概念の原点回帰という意味では不発に終わった制度的企業家概念
の後に, 改めてその理論的内包を取り戻すべく提唱されているのが, 制度の働きという概念
である (Lawrence and Suddaby, 2006 ; Lawrence, Suddaby and Leca, 2009 ; 2011)。
制度の働きとは, Lawrence and Suddaby (2006) によれば 「制度の創造・維持・崩壊を目
指した個人や組織の目的的行為」 (p. 215) を捉えるための概念であり, Willmott (2011) は
「制度の維持・変更を可能にする日々の努力を要する実践」 (p. 67) を描き出す概念である
という。 この概念は, 理論的には実践論的転回を基底に据えており, 自明視された制度を手
掛かりに構成され, 同時に制度を構成する, 個人や集団の生きられた経験 (lived experi-
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ences) に注目する (Lawrence et al., 2011, p. 52)。
Lawrence らは, この概念によって照射される現実をより具体化するために, 意図性と努
17 ; 2011, p. 53)。 し
力という二つの下位概念を用意している (Lawrence et al., 2009, pp. 11
かし, この下位概念の設定には, 制度からの自由を想起させる個人という用語の不用意な利
用を含め, 旧来の二分法を繰り返していると厳しく批判される (Willmott, 2011, p. 69 ; Kaghan
and Lounsbury, 2011, p. 73)。 確かに未だ曖昧な部分が残る概念ではあるが, 制度は行為と
の関わりを前提とし, 行為も制度との関わりが前提にされることが強調される (Lawrence,
et al., 2009, p. 17)。 この関係を相互的という使い古されたレトリックで覆い隠すのではなく,
生きられた経験を全体的に説明する必要がある (Lawrence et al., 2011, p. 57)。 こう力説す
る彼らの真意を汲み取れば, 制度の働きを構成する二つの下位概念には, 以下のような含意
が見出せる。
第一に, 意図性の概念化に注目すれば, 制度を通じて意識的な目的的行為が喚起されるこ
とが説明される (Lawrence et al., 2009, p. 11)。 だが, 意図と一口に言えば, とたんに制度
から自由な個人が換起されてしてしまう。 例えば, Boxenbaum and Pedersen (2009) は, 制
度の働きによって説明される目的的行為の源泉は, 個人によるセンス・メイキングによって
理論的に理解できるとした。 しかし, 目的的行為が個人のセンス・メイキングに還元されて
しまえば, Willmott (2011) や Kaghan and Lounsbury (2011) が批判する方法論的個人主義
の再燃でしかない。
意図性の概念化で重要なのは, 先取的な戦略や反省性という有意識的な行為を, 個人を出
発点にするのではなく, 制度的な効果 (effect) として把握する考え方である。 Lawrence et
al. (2011) では, ブルデューの概念を意識しつつ, 「よりラディカルに, しかし共通した見
解に基づけば, 制度の働きによる意図性は, ……行為のスキーマを呼び出し, 選択し, 利用
する時に生まれる主体性 (agency) を伴ったハビトスのようなもの」 (p. 53) とする。 この
含意に注目すれば, 制度の働きは, 制度が人々に働きかける (works on) という動詞概念と
して捉えられる (Raviola, 2010)。 翻って個人という概念も, 方法論的個人主義の再燃とし
て退けるのではなく, 制度的に付与された主体性として捉え直される。 Lawrence et al.
(2011) によれば, 制度派組織論では古くから, 西欧的合理性の歴史的産物として個人の存
在を探求してきたはずであった。 個人という概念は, 制度分析に馴染まないどころか, まさ
にその個人を構成する制度的ポートフォリオ (Viale and Suddaby, 2009) やバイオグラフィー
(Lawrence et al., 2011, p. 55) を読み解く絶好の分析基盤になる。
このように意図性の概念化に基づけば, 官僚制にも論じ尽くされていない余地が見出せる。
官僚制が, 今日の社会でいかなる意図性を我々に付与しているかの経験的探求である。 この
論理に基づいて, 官僚制の逆機能を発見していたのが, 言わずと知れた Merton (1957) で
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あった。 逆機能という表現は, 官僚制が本来的には一様な合理的機能を備えているようにも
受け取られ, 必ずしもうまい表現ではなかった。 だが, 注目すべきは, 専門化を通じた委任,
権限への服従, 規則の神聖化という官僚制の諸原則が, ウェーバーが想定しなかったセクショ
ナリズム, 権威主義, 目標転移といった, 様々な (逆) 機能をも果たすことを示した点にあ
5)
る。 この着想は, Gouldner (1954) に引き継がれ, ゼネラル石膏会社に導入された官僚制が
備える規則に, 実に様々な合理的機能が隠されていることが示されていた。 具体的には, 第
一に, 直接的な命令と等価な機能を有し, 特定の事柄を特定の方法で行うよう指示する 「明
示機能」, 第二に, 自らの権威主義を隠し非人格的に振る舞う 「隠蔽機能」, 第三に, 遵守す
べき規則を公にすることで第三者から監視させる 「遠隔操作機能」, 第四に, 自らの攻撃的
な感情に基づいた罰則を規則によって正当化する 「懲罰正当化機能」, 第五に, 規則からの
逸脱を許容することで非公式の協力を引き出す 「応報機能」, 第六に, 規則に書かれた以外
の仕事を断る 「無関心維持機能」 である。
第二に, 制度の働きにおける努力の概念化は, 働きの辞書的な意味でもある 「特定の結果
を得るための物質的・精神的な活動」 に基づいたものであり, 名詞概念としての制度化され
6)
た 「仕事 (WORK)」 がイメージされている (Lawrence et al., 2009, p. 15)。 だが, 意図性の
概念が自由な個人を喚起させたように, 努力によって制度化した仕事を名詞型で捉えれば,
今度は制度化された仕事に従事することに対して, どこか窮屈な感覚が喚起されるのではな
かろうか。
しかし, 人々が制度に働きかけられて意図性を獲得し, 様々な目的的行為を展開すること
になるなら, こうして生み出される目的的行為を組織として統制していく再制度化への取り
組みこそが問題となる。 この再制度化とは, その状態を留めることによって達成されるとい
うよりも, 例えば, 管理者として新たな実践のアレンジメントを作り出すという意味での組
織変革であり, さらには既存の権限関係の反覆を伴う改革でもありうる。 例えば, 制度とし
ての民主主義は, 意見を求めるメンバーの境界を変えるなど, 民主主義にそぐわない活動を
通じて維持されてきた (Trank and Washington, 2009)。 Lawrence et al. (2011) によれば,
努力の概念は, 自らが生き, 実践する (live and work) 状況を有利に作り変えようとする闘
争 (struggle) の考え方に近い (p. 56)。
先述のマートンの弟子筋の内, 組織としての実践を維持するための努力としての管理行動
に注目していたのが Selznick (1957) であった。 彼が言う制度とは, 道具としての組織機構
ではなく, それ自体として独自の価値を帯びた (infused with value) 存在である。 独自の価
値を帯びた制度は, 人々に利害を見出させ, 新たな利害関係者をも引き寄せてしまう。 例え
ば, TVA (Tennessee Valley Authority:テネシー川流域開発公社) の制度化が分析された
Selznick (1949) では, テネシー川流域を開発するために掲げられた草の根運動というスロー
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ガンが, 開発される土地を私的に利用しようとする農業専門官集団を引き寄せてしまい, 当
初の計画にあった地域住民への公共スペースの解放ができなくなった様子が描かれている。
このように多様化する利害の調整のために求められたのが, 規範となる目標の掲揚, 組織メ
ンバーの説得, 対立する利害集団の取り込みを行う制度的リーダーであった。 セルズニック
の議論は, 一見, 官僚制を道具的な組織機構として退けているように見えるかもしれない。
しかし, 官僚制それ自体が独自の価値を持つことによって, 人々に利害を見出させる機能こ
そが, ウェーバーが官僚制に読み解いた含意に他ならない。
このように新制度派は, ウェーバーに着想を得つつも, 独自の理論体系を作ろうとしてき
た。 新制度派のリサーチ・プログラムに基づけば, 制度の概念的原型として官僚制が登場す
る近代化の過程に注目するというよりも, 現実のものになった官僚制の働きを分析すること
こそが求められる。 これは, 新制度派がウェーバーと並んで自らの知的ルーツとして位置づ
けてきた, 社会構成主義が目指していたことでもある。
Mind)
故郷喪失者たち (The Homeless
というタイトルで, 近代化以降の我々の日常意識のあり方を議論する Berger,
Berger and Kellner (1973) によれば, 匿名性を備えた官僚制への接触によって我々は, 日常
意識に対して, 「そこからの波及効果」 とともに 「そこへの波及効果」 の両方を見出しうる。
例えば, 一方では, 公的な職場を離れ家事や家庭を同様に管理しようとする, 私生活の官僚
制化が見られる。 しかし他方では, 職場でのクリスマスパーティーなど, かえって人間味や
私的関係を匿名的機構である官僚制に導入しようとする, 官僚制の個性化も見られる (邦訳
52
53頁)。 Berger et al. (1973) によれば, ホーソン工場実験に端を発する人間関係運動に
も似たこの効果もまた, 官僚制の働きによって導かれたものである。 同様に, 我々がイノベー
ションを求める意識も, 官僚制の働きによって導かれたものになろう。 例えば, Clegg
(2005) は, 記号化された非人格的な規則に基づいて局所的な文脈を超えるようになる情報
化社会では, 構造的にイノベーションが美徳になると指摘している (p. 528)。
以上, 本節の議論を簡単に振り返っておこう。 我々は, 一方的に官僚制に拘束され, 組織
を硬直化していくわけではない。 むしろ, 進化を倫理的基礎とする我々は, 伝統的な支配か
ら逃れるために, 非人格的な規則に依拠し, 官僚制に従属することを自ら欲してきた。 官僚
制を求める意識と, イノベーションを求める意識に大きな違いはないのである。 そうであれ
ば, 我々は, 精神的な拠所を失うことになる (あるいは別の拠所を作らなければならない)
脱官僚制よりは, 既存の官僚制を通じたイノベーションを論じたほうが現実的であろう。 事
実, すでに官僚制は我々の意図性を触発し, 様々な目的的行為を導いてきた。 ますます多様
化する目的的行為を一定の組織成果に結びつけるために, むしろ再制度化が必要になってい
る。 制度に働きかけられた行為を組織的な仕事として再制度化させた時, 我々はイノベーショ
ンを達成するのではなかろうか。
イノベーションを創出する制度の働き
4
101
調査デザイン
前節で検討した制度の働きという観点から, 以降, シャープ株式会社の緊急プロジェクト
制度を検討する。 シャープは電機大手 8 社の一角に挙げられるが, 8 社の中で従業員数, 売
上高ともに最下位。 業界トップのパナソニックに比べれば, 従業員数, 売上高ともに半分程
度に留まる。 こうした厳しい競争条件の中, シャープは他社に先駆けた幾多ものイノベーショ
7)
ンによって成長を遂げてきた。 イノベーションを目標に掲げられた緊プロは, 同社の命運を
担った制度に位置づけられ, かつてはメンバーに金バッジが付与されたことから, 金バッジ・
プロジェクトとも称される (Noda, 1995)。
今日では産業界でも広く知られる緊プロは, 同社の経営層の講演会や書籍, 更には研究者
にも幾度となく取り上げられてきた。 その要点は, 「部門横断的な異質的な人材交流が, 従
来の専門化では困難な問題解決を可能にし」 「通常業務から切り離された特別な権限によっ
て既存のしがらみを断ち切り」 「規則から自由になることで, あらゆる前例に縛られない」,
すなわち脱官僚制の論理であった。 我々も当初は, 緊プロの調査を通じて官僚制とは異なる
新たな組織原理を解明できると期待する部分もあった。
しかし, 緊プロの公式見解は様々な問題を孕んでいた。 第一に, 社内外で懐疑的な意見が
発せられ始めていた。 シャープ四代目社長の町田勝彦も 「講演会などで, シャープの 緊プ
ロ
制度を紹介すると, 集まった経営者はだれもが,
ちでもやってみます
いい話をうかがいました。 ぜひ, う
と口をそろえる。 ところが二, 三年後に会って聞くと,
いやあ, う
8)
まくいきませんでした
と苦笑いをされる」 と語っている。 公式見解が緊プロの実態を説明
するものではないことはもとより, その説明が説得的でなくなっていることに, 皆, 薄々気
づいていたのである。
第二に, 我々の調査窓口となった, 緊プロの企画・運営を務める事務局にとっても, 現実
と乖離した公式見解が問題になり始めていた。 当然, 彼らは自らの経験の内に, 緊プロを管
理する方法を習得していた。 だが, その管理の方法は, 必ずしも体系化された知識ではなく,
公式見解と合致するものでもなかった。 公式見解が流布する程に, 今後, 緊プロに参加する
かもしれない社員にも誤解を与えてしまう。 それ故に, 緊プロ事務局は, 外部の研究者が調
査する機会を利用し, 公式見解では説明できない反証事実を, 「挑戦状」 としてアサインし
てきたのである。
最後に調査手続きの詳細に触れておきたい。 我々のフィールドワークは, 2009年 6 月の緊
プロ事務局へのヒアリングから始まった。 これまでに立ち上げられた292件 (2010年 2 月時
点) の緊プロの内, 年代とテーマのバラエティを念頭にサンプリングを行い, 14件の緊プロ
を詳細に調査した。 その他, 各種講演会への参加, 人事部へのヒアリング, アーカイバル・
102
第207巻
第
6 号
データや公刊資料, 社内報の収集を行った。 緊プロが制度化された当時の社員の大半は既に
退職していたが, 当時の背景や現在の緊プロに対する問題意識を知るべく OB に対するヒア
リングを行った。
個別のプロジェクトの調査を始めた2009年10月から 5 ヶ月経過した2010年 3 月にケースの
初稿を挙げ, フィードバックを行った。 その後, 緊プロ事務局を中心にシャープ社員との間
で議論を重ね, 不足するデータ収集のために追加ヒアリングも実施し, ケースの改訂を重ね
た。 初稿から 3 ヶ月が経過し, ケースの完成が見え始めた2010年 6 月にシャープが公式に関
わった調査として 「共同開発契約書」 が取り交わされた。 以降の検討は, この契約書のもと
で執筆された浦野・松嶋・金井 (2010) に基づいている。
5
イノベーションを創出する官僚制
本節では, 緊プロが, いかにイノベーションを創出していたのかを検討する。 前節で述べ
たように, 緊プロ事務局は, 実際の緊プロが公式見解に収まらないことを知っていた。 緊プ
ロ事務局に誘導された我々が目にした緊プロは, それ故に, 脱官僚制を体現した組織という
よりも, 多分に官僚制の原則が組み込まれた通常の組織体制であった。 当然, 我々がアサイ
ンされたプロジェクトは, 失敗事例として紹介されたわけではない。 本節では, 緊プロに組
み込まれた官僚制の諸原則 (専門化を通じた委任, 権限への服従, 規則の神聖化) が, イノ
ベーションの創出に対して, いかに機能していたのかを検討する。
5.1 問題解決を委任された専門家の自負
まず, 緊プロでは, 既存部門の分業を支える専門性が, イノベーションに立ちはだかる問
題解決を担保していた。 例えば, 新製品開発に限っても, 様々な技術的問題が生じることは
想像に難くない。 公式見解では, 既存の部門を超えた異質的な人材交流が, これらの問題を
解決すると説明されてきた。 既存の水平分業を超えた人事が, 新たな問題解決に寄与すると
考えられたのである。
しかし, 緊プロは, 部門を越えた異質な人材交流を促しているわけではなかった。 緊プロ
では, テーマに即した既存の部門が主管に定められる。 そして, 既存の部門の開発機能を中
心に各部門から専門家が集められる。 こうした専門家によって, 緊プロでは既存の部門の組
織構造が再現されていた。 櫻井・藤村 (2008) も, 「シャープ技報」 の執筆者データから技
術者の異動を分析し, 部門横断的な人事異動が確認されていないことを示している。
図 1 は, テレビ機能を内蔵した携帯電話を開発したプロジェクトの組織図である。 このプ
ロジェクトでは, 技術本部を中心とした要素技術 (映像デバイス等) の開発と, 通信システ
ム事業本部の製品開発が必要であった。 それでも既存の部門を跨ぐ混成チームの編成は避け
イノベーションを創出する制度の働き
図1
103
AQUOS ケータイを開発した A1238 プロジェクトの組織図
Aグループ (製品開発)
統轄責任者
副統轄責任者
Aグループチーフ
ワンセグ固有アプリケーション開発
(通信システム事業本部長)
(通信システム事業本部幹部)
(通信システム事業本部出身管理職)
(通信システム事業本部出身者主体)
携帯電話用地上デジアンテナ開発
(通信システム事業本部出身者主体)
H264 対応 MMLSI 開発
(通信システム事業本部出身者主体)
機構, デザイン開発
(通信システム事業本部出身者主体)
Bグループ (要素技術開発)
Bグループチーフ
ワンセグ用チューナ開発
(技術本部出身管理職)
(電子部品事業本部, 技術本部出身者構成)
ワンセグ用 OFDM 復調 IC 開発
(通信システム事業本部出身者主体)
放送受信技術開発
(AV システム事業本部出身者主体)
ワンセグ用 H264 デコーダ IC 開発
(LSI 事業本部出身者主体)
ワンセグ用ソフトプラットホーム開発
(技術本部出身者主体)
企画, デザイン開発
(オンリーワン商品企画推進本部出身者主体)
られた。 「二段式緊急プロジェクト」 と呼ばれる, 最初に技術本部が要素技術の開発に携わ
り, 目処がついた段階で, 通信システム事業本部が製品開発を行う体制が取られていた。
そもそも, プロジェクトの途上で生じる新たな課題に対応した知識を有する専門家を予め
選んでおくことはできない。 だとすれば, 既存の職能制組織で割り当てられた専門家に頼る
しかない。 その時, 何よりも重要なのは, 公式の役割が与えられることで, 専門家は未知の
問題解決に動機付けられることである。 緊プロの問題解決は, こうした専門性への委任を通
じて, 強制的に成し遂げられてきた。
この専門家の機能は, 緊プロに限らない。 シャープでは, 全く異なる技術を要する開発で
も, 専門性に基づいて技術者が割り当てられる。 例えば, 携帯電話のソフトウェア開発が必
要になった時, ワープロのソフトウェア開発のプログラマーが動員された。 ここで興味深い
のは, ハードウェアが異なるワープロと携帯電話では, 全く異なったプログラム言語を必要
とし, それまでの専門的知識がまるで使えなかったことである。 しかし, プログラマーとし
ての専門性は, 単なる技術的知識に留まらず, プログラミングに関わる専門領域の問題は,
自分たちが解決しなければならないという自負を生み出していた。
以上のように, 緊プロでは異質的な人材交流が行われているわけではない。 しかし, 専門
性を頼りに集められた緊プロのメンバーには専門家としての問題解決が委任されている。 そ
104
第207巻
第
6 号
の委任は具体的な知識内容を識別した上での判断というより, 当該領域の問題解決に対する
全面的な信頼に基づいている。 そして, 未知なる問題も専門家としての自負を通じて解決さ
れていたのである。
5.2 責任に転嫁しうる組織の権限
次に, 緊プロは, 既存の部門で定められた権限関係が, プロジェクトの事業化を担保して
いた。 公式見解では, 緊プロには既存の部門から切り離された, 特別な権限が与えられると
説明されてきた。 一般的にも, イノベーションの実現には, 既存の部門の権限関係を超えた
意思決定や資源調達が必要と考えられている。
しかし, 実際の緊プロでは, 主管になる部門の事業本部長や事業部長が, プロジェクトの
統轄責任者を務めることが定められている。 プロジェクトの申請には事業本部長の承諾さえ
必要としている。 これでは, 既存の権限関係から逃れられないが, プロジェクトの事業化に
は, こうした既存の権限関係こそが必要であった。 既存部門の責任者が緊プロの統轄責任者
に位置づけられれば, プロジェクトの結果に対する責任が発生する。 それ故に, 事業化に必
要となる, 既存の部門の製造や営業が有する資源を動員しやすくなる。
さらに, 実際に現場を取り仕切るチーフもまた, テーマの提案者であることは滅多になく,
事業本部長や事業部長によって指名されていた。 指名されるのは, 社内の突発事項への対応
を議論する際にも必ず召集される, 通常業務でも一目置かれた各部門のキーパーソンである
という。 それ故に, 緊プロのチーフには, テーマが異なっても同じ人が繰り返し選ばれる場
合が多い。 ハイテク化した今日の製品開発では, 大掛かりな設備が求められ, 緊プロに参加
するキーパーソンが設備を擁する既存部門との調整係となり, 実際の開発に既存部門の多く
の技術者を巻き込みながら進める方法がますます有効になっている。 チーフにキーパーソン
を抜擢することで, こうした広範な人脈が緊プロに取り込まれていた。
以上のように, 緊プロは, 既存の権限関係からは切り離されていない。 むしろ, 既存部門
の責任者を緊プロの職責ある役職に位置づければ, 既存部門の資源を動員させることが可能
になる。 その資源には, 社内で影響力のある人物をチーフに指名することを通じた非公式な
人脈さえ含まれる。 このように, 既存の権限関係は事業化の局面において, イノベーション
の遂行を強力に推進する機能を果たしうる。
5.3 成果を強制する規則
とは言え, 専門化や権限関係はどの組織にも取り入れられており, そのことが即ちイノベー
ションを担保するわけではない。 最後に, 緊プロをしてイノベーションが創出されてきた所
以を, 官僚制の根本的な原則でもある, 規則の機能から検討したい。
イノベーションを創出する制度の働き
105
官僚制が人々を拘束し, 組織を硬直化すると考えられた最も有力な根拠は, 官僚制の根本
原則である規則にある。 通説によれば, 規則を定めればイノベーションが妨げられると考え
られてきた。 だが, 規則を定めないこと自体にも規則が必要なように, 合理合法的支配のも
とで規則が存在しないことはありえない。 実際, 緊プロにも様々な規則が存在し, 通達とし
て配布されている。 トップダウンで大胆なテーマを決定したり, ボトムアップでテーマを募っ
たり, 商業的な成果を挙げられなかった場合には費用を償還させる通達などである。 ところ
が, 6.3 で詳しく検討するが, トップダウンでのテーマ決定という通達は, その後, ボトム
アップでのテーマ決定に変更され, 果てはトップダウン・ボトムアップに関わる通達は撤廃
されている。 つまり, こうした通達がイノベーションを創出するために不可欠な規則だった
わけではない。 その意味で, 緊プロは公式見解通り, 少なくとも絶対的な規則は存在しなかっ
たと言えるのかもしれない。
しかし, 社員の間で緊プロに対する二つの共通見解があった。 一つは, プロジェクトを立
ち上げる以上 「何に代えても成果を挙げなければならない」 という感情である。 もう一つが,
結果として自らが参加したプロジェクトが 「典型的ではなかった」 という認識である。 この
二つは, 密接に関連して, 緊プロを通じたイノベーションの創出を支えていた。
例えば, 先述のテレビ機能を内蔵した携帯電話の開発プロジェクトは, 映像デバイスの開
発から始められた。 要素技術の開発から着手する垂直立ち上げは, 強力な競合他社との差別
化を必要としてきたシャープの基本的な技術戦略である。 だが, 競合他社も同様の映像デバ
イスの開発に着手し, 映像デバイスでは競争優位が担保されないことが判明する。 新たな要
素技術を開発し直すことは, とても現実的ではなかった。 とは言え, 緊プロである限り, 失
敗は許されない。 そこで, マーケティング担当者から, 携帯電話の縦長の画面を横長に回転
させるという, 当時の業界で画期的と言われるアイデアが 「捻りだされた」 のである。 この
アイデア自体は, 要素技術に基づいた差別化というシャープの技術戦略には当てはまらない。
それ故の 「典型的ではない」 緊プロであった。
このように緊プロには, 具体的な手続きとしての規則があったわけではない。 だが, 緊プ
ロを立ち上げる以上 「何に代えても成果を挙げなければならない」 という感情が存在してい
た。 つまり, 緊プロを立ち上げる以上, 成果を挙げることが, 絶対的な規則となり, 典型的
ではないイノベーションの創出を支えてきたわけである。
6
イノベーションを創出する制度の維持
前節では, 緊プロに組み込まれた官僚制の原則が, イノベーションの創出に寄与する機能
を検討してきた。 そこで重要であったのは, 緊プロを立ち上げる以上, 何に代えても成果を
挙げなければならないという感情が喚起されていたこと, つまり緊プロがイノベーションの
106
第207巻
第
6 号
ための制度として信憑されていたことであった。 本節では, 第一に, こうした緊プロに対す
る信憑が, いかに獲得されたのかを検討する。 第二に, 制度化された緊プロが喚起した様々
な目的的行為を取り上げる。 こうした行為は, 時として緊プロに対する信憑を損ねてしまう。
それ故, 第三に, 緊プロに対する信憑を維持するための管理を検討する。
6.1 緊プロに対する信憑の確立
緊プロの原型は, 世界初の液晶電卓を開発した1972年の S-734 プロジェクトに求められる。
シャープは, この液晶電卓の開発で圧倒的なシェアを獲得した。 緊プロは, この成功体験を
再現するための制度であった。 とは言え, 緊プロにイノベーションのための制度としての信
憑を帯びさせることは容易ではなかった。
まず, 1973年にはトップダウンで S-734 プロジェクトに続く 「緊急開発テーマ」 が選定さ
れ, 約25件のプロジェクトが立ち上げられた。 だが, トップダウンのテーマは, 当時の事業
に沿ったものでしかなかった。 「緊急開発テーマ」 の完了を受け, 1975年に今度はボトムアッ
プの画期的な提案を目指して経営企画室より 「緊急重要課題 早期対処方策について」 と題
する通達が交付されたが, 有望なテーマが挙がることはなかった。
緊プロ制度化の契機となったのは, 1977年11月に交付された 「緊急指令制度の改正並びに
実施の件」 という通達であった。 緊プロ事務局によれば, この時, 制度化のための十分な
「仕込み」 と 「演出」 がなされていた。
第一に, 通達交付の二週間後に14件のプロジェクトが立ち上げられた。 シャープの通常の
組織編成からすれば, 到底考えられない速さであった。 通達に先立ち14件ものプロジェクト
を 「仕込み」, 短期間で一同に立ち上げ, 緊プロが緊急の課題に対して迅速に取り組むこと
が 「演出」 された。
第二に, 14件のプロジェクトの統括責任者は役員が務めていた。 その内の 3 人は, 後に副
社長を務める人物でもあった。 社内のキーパーソンを緊プロの責任者として 「仕込む」 こと
で, 彼らのコミットメントを得ると同時に, 緊プロがシャープにとって重要なプロジェクト
であることが 「演出」 された。
第三に, プロジェクトには既に開発が進行し, 成功の筋道が見えていたものが含まれてい
た。 緊プロの成功事例第一号として語り継がれてきたのが, 業界初のフロントローディング
方式 VTR を開発したプロジェクトである。 しかし, このプロジェクトは通達交付前の1977
年 1 月から, 別のプロジェクトとして既に開発に着手されていた。 他方, 第一号の作戦番号
が与えられたのは, 「EL 生産技術の開発」 という刷新的な要素技術の開発を伴うプロジェ
クトであった。 だが, 要素技術の開発は, 即座に商業的な成果に繋がるものではない。 それ
故, 緊プロ第一号として画期的な商業的成果を 「演出」 するためには, 成功の筋道が見えて
イノベーションを創出する制度の働き
107
いたプロジェクトを 「仕込む」 ことも必要だったわけである。
「何に代えても成果を挙げなければならない」 という感情を喚起する緊プロは, 自然発生
的に生じたわけではない。 その制度化には, 以上のような 「仕込み」 と 「演出」 を必要とし
ていたのである。 ここで緊プロ事務局によって発せられた 「仕込み」 と 「演出」 という表現
は少し過激に思われるかもしれない。 しかし, 前節でみてきたような官僚制の原則が組み込
まれた緊プロは, 通説のとおりイノベーションの創出を阻害するようにも機能しうる。 それ
故に, 緊プロは通説に囚われることのない独自の価値を持った存在として制度化されなけれ
ばならなかったのである。
6.2 緊プロを使った多様な実践
緊プロが制度化され, 独自の価値を持つようになれば, 人々は緊プロを 「うまく」 使った
様々な目的的行為を見出せるようになる。
第一に, 各部門の問題解決に使われる。 緊プロはシャープの命運をかけたプロジェクトで
あり, それ故に 「何に代えても成果を挙げなければならない」 という感情を喚起し, イノベー
ションを創出してきた。 実際, 緊プロを通じて, PC 事業や液晶事業, 太陽光発電事業など,
シャープの急成長を支えた看板事業が生み出されている。 ところが, こうした事業が一部門
を形成すれば, 各部門の基盤を強固にするためにも使われるようになる。 例えば, PC 事業
部が設立された後, ノート PC の開発を促進するために緊プロが使われてきた。
第二に, 部門の資金獲得に使われる。 緊プロを立ち上げれば全社的な資金が配分される。
それ故, シャープの命運をかけたイノベーションというより, 各部門の資金を補うために,
既に成功の道筋が見えているテーマが緊プロとして立ち上げられたこともあった。 先に,
「典型的ではない」 緊プロが典型的な緊プロであることを述べた。 では 「典型的な緊プロと
は何か」 と詰め寄る我々に対し, 敢えて典型的な緊プロが語られるとしたら, この場合かも
しれないと言う。
第三に, 人材育成に使われる。 緊プロは, 主管部門の指名でテーマに相応しい人物が選抜
されてきた。 しかし, 緊プロの成功を通じて会社の規模が大きくなり, 主管部門の判断では
指名できない場合が出てきた。 それ故に, 今では, メンバーを送り出す部門側の判断で, 必
ずしも即戦力でなくとも成長を促したい人物が送り込まれる。 こうした緊プロを通じた人材
育成は, 経営層による講演や著書でも語られてきた。
このように, 制度化された緊プロは様々な目的的行為を生みだしてきた。 これらは, 制度
化された緊プロに触発された各部門の利害を追求した行為であり, 一様に逆機能と判断でき
るものではない。 だが, 緊プロ事務局として重要であったのは, 緊プロがシャープの命運を
かけたイノベーションを目標に掲げた制度であることであった。 この観点から, 以上の目的
108
第207巻
第
6 号
的行為を評価するならば, 緊プロに対する信憑を損ねる可能性を孕んでいる。 各部門の問題
解決に使われる緊プロは, 必ずしもシャープの命運をかけたプロジェクトとは言えない。 資
金獲得を目的にすれば, シャープの命運を担う画期的な製品より, 既に成果が見込まれたプ
ロジェクトが立ち上げられてしまう。 人材育成は, 確かに企業にとって重要課題の一つかも
しれないが, 人材育成を成果にしてしまえば, 商業的成果という観点でのプロジェクトの失
敗を許容してしまう。 このようにイノベーションのための制度としての信憑を損ねかねない
行為は, 緊プロ事務局にとって問題を含んだものとして映った。
6.3 緊プロに対する信憑の維持
制度化された緊プロは, 前項のように様々な目的を見出させてきた。 それら全てが, 制度
化された緊プロの効果であり, 合理的な理由を持ち合わせていた。 だが, こうした行為が広
まれば, イノベーションを目標とした制度としての, 緊プロに対する信憑は損なわれる。
緊プロに対する信憑を維持すべく行われてきたのが, 様々な通達の配付であった。 第一に,
トップダウン・ボトムアップを巡るテーマの提案者に関わる通達である。 トップの発想を超
えるイノベーションには, ボトムアップの組織設計が必要になることは, 度々指摘されてき
た。 しかし, テーマの発案を部門に求めれば, シャープの命運をかけた全社的な問題という
より部門の問題に根ざしたテーマが発案される。 予め定められたシャープの命運に関わる重
要なテーマに取り組ませるために, 1998年に 「トップダウンでテーマ決定」 という通達が設
定された。 しかし, トップダウンでプロジェクトを立ち上げれば, 各部門の問題意識が薄く
なる。 2000年に 「各本部からの提案が中心」 に戻され, 2001年には 「トップダウン・ボトム
アップの別なく緊プロの要件に適うテーマは申請受付」 に変更された。
第二に, プロジェクトの費用償還に関わる通達である。 今や特定のテーマに取り組むプロ
ジェクト組織は多くの企業で取り入れられるが, プロジェクトの遂行や結果に責任を持たせ
るため, 成果を挙げられなかったプロジェクトに配分資金を償還させる通達を設けることは
珍しくない。 緊プロでも, 1983年に 「緊プロ総経費の50%を事業化後 2 年以内で償還する」
通達が設定され, 1998年に成果によって50%以上の償還を求める 「償還ペナルティ」 が設定
された。 しかし, 費用償還制度を導入しても, 緊プロに申請すれば部門の人件費などの経費
を全社的な資金で賄うことが出来る。 2002年に 「主管本部出身者の人件費は主管本部の負担
とする」 という通達が, 2006年に 「特許出願に要する経費を主管本部の負担とする」 という
通達が追加された。
第三に, 成果としての売り上げ下限に関する通達である。 緊プロを通じたイノベーション
の商業的成果を測る基準の一つとして, 売上規模が考えられる。 1987年に売上計画の下限と
して 「開発商品化後 3 カ年売上累計100億」 という通達が配付され, 1997年には150億円以上
イノベーションを創出する制度の働き
109
という通達が配付された。 しかし, 売上計画の下限を引き上げていけば, 売り上げさえ大き
ければ, シャープにとって命運がかかったプロジェクトであるかが問われなくなる。 2001年
には売上計画下限が撤廃され, 「明確なターゲットがあり, 事業化時に具体的成果が見込め
るテーマを, 事業規模や新規技術課題の大小に関係なく, 広く緊プロの対象とする」 という
通達へと変更された。
以上のように, 緊プロの通達は, 常に変わり続けている。 通達は設定の度に社内に配付さ
れるが, 緊プロのメンバーに通達のリストが渡されるわけではない。 そもそも全ての通達が
体系的に残されてきていない。 これらの通達で重要なのは, 緊プロはあくまでもイノベーショ
ンを目標に掲げた制度であることを確認することであった。 換言すれば, 制度化された緊プ
ロが生み出す様々な行為を利用して, とりわけ不都合な行為に反応して緊プロに対する信憑
を維持するために配付されてきたわけである。
ただし, 緊プロに対する信憑の維持も, 通達が受け入れられなければうまくいかない。 そ
のために緊プロ事務局が行ったのが, 2006年の六段階に分けられた社内規定の重要度の内,
上から二番目にあたる 「規程」 への緊プロの格上げである。 当時まで緊プロ (1977年の通達)
は下から二番目の 「例規」 に位置づけられていた。 改めて緊プロがシャープにとって特別な
制度であることを示すために, その合法性が示されたのである。
7
ディスカッション:方法論的考察
緊プロは, 通説とは異なり, 官僚制原則がイノベーションの創出に機能していた。 しかし,
官僚制が人々を拘束し, 組織を硬直化するという通説は研究者だけの問題ではない。 研究者
が作り出した知識は産業界でも参照される。 制度分析は研究者が作り出しつつ, 巻き込まれ
る実践を対象にせざるを得ない。
かつて Cole (1964) は, 経営学の知識がビジネス・スクールを通じて産業界の発展に寄与
し, 産業界の発展が経営学の更なる研究を進める循環的関係を論じた。 だが, 経営学と産業
界の関係を制度の働きによって構成された実践として捉えれば, 線形的な成功や発展が常に
11)。 Willmott (2011) は, 制度の働
保証されるわけではない (Lawrence et al., 2009, pp. 10
きの分析は, 観察される人々の営みの客観的記述に留まらず, その射程を自ら関与する実践
に拡張する必要があるという (p. 69)。
この点で, 経営学とシャープの緊プロとの接点は, 明らかであった。 第四節で述べたよう
に, 緊プロに対する公式見解は, 経営学で論じられてきた脱官僚制の各種テーゼが援用され
ていた。 経営学の理論を用いれば, 単に緊プロを説明するだけではなく, 理論的な裏付けを
得たものとして緊プロを正当化できるからである。
ところが経営学的な説明が, 新たな問題をも生み出していた。 脱官僚制は, 確かに分かり
110
第207巻
第
6 号
やすいが, どこか白々しさを感じさせ, もはや説得力に欠いていた。 この問題を抱えた緊プ
ロ事務局に誘導された我々の調査が, 公式見解に対する反証事実に満ち溢れていたのは, あ
る種の必然であった。
我々のヒアリング調査に同行した緊プロ事務局は, 調査の進展とともに, 彼ら自身の経験
を再解釈していく。 彼らは, 当初, 緊プロの制度化のために仕込まれたプロジェクトを 「サ
クラ」 と呼んでいた。 だが, 我々がこうした表現を引用することに対しては, 戸惑いを感じ
ていた。 しかし, 我々と調査結果をもとに議論していく中で, 緊プロには十分な 「仕込み」
と 「演出」 が必要であったと積極的に語り始めたのである。
彼ら自身の経験が体系化されることで数々の持論も生み出された。 緊プロは, 極めて 「ウ
エットな制度」 であり, 「何度でも切り札として抜くことができ, 使い勝手が良い一方で,
常に磨いて手入れしなければ錆び付いてしまう伝家の宝刀」, 「大切に育て上げられ, 千里を
駆けるが乗り手を選び, 時に拗ねてしまう名馬」, 「誰もが失敗するリスクが大きいと認める
難度の高いテーマに挑戦する時, ダンボに飛ぶ勇気を与える魔法の羽」 などである。 我々が
制度概念の内包を再検討したように, 彼らも持論を作り上げ, 緊プロを管理する 「土台」 と
9)
したわけである。
だが, 我々の研究成果が緊プロ事務局に全て受け入れられたわけではない。 そもそも我々
の調査は, 経済産業省産学連携人材育成事業の一環として着手された。 自ずと, 調査は人材
育成を視野に入れていた。 第六節で述べたように各部門から成長を望む人材を緊プロに送り
込む実践も観察された。 経営層の講演や著書でも, 企画から販売までをトータルに経験でき
る緊プロの人材育成効果が謳われていた。 こうした事実から我々は, 人材育成を緊プロの成
果の一つとして挙げることは妥当であると考えた。 ところが, この説明は, 緊プロ事務局か
ら強い反発を受けた。 緊プロを人材育成の仕組みに位置づければ, 緊プロが生み出す 「何に
代えても成果を挙げなければならない」 という感情が薄れてしまう。 彼らにとって, 人材育
成は緊プロの成果として相応しくなかったのである。
こうして我々の研究成果は, 再び取捨選択される。 経営学の理論は, 単に事象を記述した
ものではない。 緊プロの公式見解は, 緊プロを社内外に説得するために使われてきた側面も
あった。 分かりやすく, 経営学のお墨付きを得た説明は使い勝手が良かった。 これに対して,
官僚制がイノベーションを創出するという説明は, 分かりにくい。
10)
「公式見解から, 五歩も, 十歩も踏み出した」 研究成果が見え始めた頃, ケースの活用を
研究・教育の利用に限定することが明記された 「共同開発契約書」 が結ばれることになった。
利用目的の限定を明記した共同開発契約書を取り交わすことで, 我々の研究成果を人目につ
かないように隠蔽したかったわけではない (そうしたければ, 共同開発契約書など結ばない
ほうが良い)。 公式見解と大きく異なる研究成果が一人歩きしてしまえば, シャープが緊プ
イノベーションを創出する制度の働き
111
ロについて偽りを騙っていたと誤解されかねない。 彼らが求めていたのは, 緊プロが理論的
11)
に正当であることを示すことだったとは考えられないだろうか。
8
結
語
既存の組織的活動の変化を伴うイノベーションの制度化が矛盾するように思えるのは, 制
度が人々を拘束し, 組織を硬直化するという通説に囚われているためにすぎない。 だが, こ
の通説に囚われていたのは, 研究者だけではない。 本研究で経験的な分析の俎上に載せた緊
プロも, 当事者によって脱官僚制を体現した制度として謳われてきた。
しかし, 考えてみれば脱官僚制がイノベーションを促すという説明に, 理論的裏付けがあっ
たわけではない。 まず, イノベーションに伴う問題解決に, 部門横断的に選別されたメンバー
が有効である保証はどこにもない。 むしろ, プロジェクトで生じた問題は, 公式の役割が与
えられた専門家の自負を通じて解決されていた。 次に, 既存の権限関係がイノベーションの
遂行を阻害するわけでもない。 既存の権限関係に紐づけるからこそ, 既存の部門が保有する
資源や, 非公式的な人脈すら有効に動員できる。 最後に, 規則がなければ自由だというのは,
あまりにもナイーブであろう。 緊プロである以上, 何に代えても成果を挙げなければならな
いとする, 絶対的な信憑が生み出す強制力こそ, イノベーションを目標に掲げた規則の最も
重要な機能であった。
そして, こうした官僚制の機能が発揮されるためには, これを維持するための管理を必要
とした。 本稿では, 緊プロを作り出し, 維持するための一連の管理行動を検討してきた。 緊
プロは, 十分な仕込みと演出によって, イノベーションのための制度としての信憑を獲得し
た。 だが, 制度化された緊プロが生み出す様々な目的的行為は, 全てが緊プロに望ましいと
は限らず, その信憑を貶める行為さえ生み出してしまう。 それ故に必要となったのが緊プロ
に対する信憑を維持するための, 様々な通達の配付であった。 なお, シャープとの共同調査
の成果となったケースでは, こうした制度の働きを維持させるプロセスを 「金バッジのマネ
ジメント」 と表現してきた。 金バッジを 「造幣し」, 「映し出し」, 「映り込み」, 「磨き上げ」,
「照らし出す」 ことで, イノベーションを創出する制度として維持されてきたわけである。
最後に, 制度の働きについては, 経営学者も不可分に関わっていることに触れておきたい。
シャープは, 脱官僚制がイノベーションを促すという経営学の議論を援用することで緊プロ
を正当化する一方で, その説明が現実の緊プロとは異なることに問題を抱えていた。 つまり,
その問題の一端を経営学が担っていたわけである。 だからこそ, 我々は経営学の理論が作り
出した問題と向き合い, 自らにも折り返して理論を改訂していく必要がある。 本稿は, 官僚
制の通説の内に見失われてきた, イノベーションの創出に寄与する官僚制の機能を取り戻し
た点で, ひとつの製造者責任を果たしたと言えるかもしれない。
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そして, もっと根深いところにある問題も見過ごしてはならない。 シャープの緊プロがそ
の目標として掲げ, 我々, 経営学者も長らく探求してきた 「イノベーション」 それ自体, 進
化を希求する倫理的基礎に他ならず, 同じ倫理的基礎に根ざしつつ奇しくも悲観的なイメー
ジが与えられた官僚制の映し鏡に他ならない。 裏を返せば, 緊プロが脱官僚制を果たした制
度であるのか, 実は官僚制の要素を含んでいた制度であったのかは, おそらくそのどちらで
も構わない。 社内外の環境変化への適応を通じた企業の成長が経営の要諦であるという問題
意識が共有された今日の美徳が, 詰まるところで 「イノベーション」 なのである。 それ故,
こんな風にも言えよう。 「イノベーション」 は, 多様な利害が渦巻く近代社会において, 局
所的な対応を許容する 「鋼鉄の甲冑」 でありつつ, 絶対的な美徳として我々をその内側から
支配し, ますます社会を複雑化させていく, 新たな 「鉄の檻」 と化している。
注
1) stahlhartes の iron cage (鉄の檻) という訳出は, パーソンズによる誤訳と言われる
が, 今日の官僚制の現実的な作用を見れば必ずしも間違いとは言い切れない。 この他にもパーソ
ンズは, betrieb を organization と訳したことも有名である。 大塚 (1965) によれば, わが国にお
いては, 一定種類の持続的な有目的行為である betrieb には 「経営」, 命令権力の配分である
organization には 「組織」 と別の訳語をあて区別しており, 近代的な独自の支配関係を含んだ組
織を支えるのが官僚制支配であるという (310
311頁)。 しかし, 中川 (1965) は, アメリカ経営
学においてはむしろ, organization という概念に betrieb の意味合いが含まれていたことを指摘し
ている (341頁)。 そこには, 抽象的な公式組織概念のもとで協働体系の管理を論じたバーナード
の影響が見て取れるが, バーナードが当時のパーソンズからの影響を受けつつ, しかし独自の概
念化を通じて公式組織に本来の betrieb を回復している点は興味深い。
2) プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (Weber, 1920) において, ニーチェにならっ
て近代を鉄の檻に喩えたウェーバーは, その時点で直接的に官僚制を議論していたわけではなかっ
た。 山之内 (1982) によれば, プロテスタンティズムから派生した社会的規範によって, 人々は
神から委託された財産を管理する下僕としての 「営利機械」 と化すとしていた点に, 後に展開さ
れる官僚制論の序説的な位置づけが与えられる (29
30頁)。
3) 加護野 (2010) によれば, 官僚制を支える近代資本主義の成立には利潤を追求した個人ではな
く, 内面から人々を律し突き動かす市民精神, 企業精神, 営利精神の三つからなる経営の精神が
必要であり, とくに日本においては市民精神が宗教的倫理に基づいて育まれてきたという。
4) 鉄の檻による拘束を内生的に乗り越えようとする松井 (2007) も, 形式的な規則は人々の合法
性に対する諒解に基づいており, そこには価値的・倫理的な要素が不可分かつ重層的に関わって
いることを指摘している。 その上で, ウェーバーが, そもそも規則は人々を拘束するというより
も, 「本来の法形式主義は, 法装置を, 技術的に合理的な一つの機械のように機能させるもので
あり, かくして, それは, 個々の法利害関係者に対して, 彼の行動の自由のために, とりわけ彼
の目的行為の法的な効果やチャンスの合理的な計算のために, 相対的には最大限の活動の余地を
与えることになる」 (Weber, 1972, 邦訳379頁) と考えていた点に注目している。
イノベーションを創出する制度の働き
113
5) ウェーバーが提唱した官僚制の諸原則は, Weber (1956) に忠実に 6 項目に分類されることも
あるが, 本稿では Adler and Borys (1996) にならって 3 つの次元に集約する。
6) 組織論一般としての実践論的転回を概観する Miettinen, Samra-Frederics and Yanow (2009) は,
ヘーゲルとマルクスの業績から実践としての Work 概念を 「道具や文化的人工物に媒介された創
造的活動のプロトタイプ, および人々が自分自身と彼らの物質的な文化を同時に作り出すプロセ
スとして理解できる」 (p. 1311) と説明している。
7) 緊プロを通じて成し遂げられるイノベーションは, 製品開発に限ったものではない。 制度化の
契機となった1977年の通達において, 緊プロは 「開発生産関係」 のAプロ, 「営業関係」 のBプ
ロ, 「管理関係」 のCプロという作戦区分が設けられ, 「ABC 作戦」 とも記されていた。
8) 町田勝彦 (2008)
オンリーワンは創意である
文藝春秋, 157頁。
9) より具体的には, 緊プロ事務局のA氏は, メールで以下のように語っている。 「今回のケース
教材開発に参画するよう社命を受けた際, 小職なりに次のとおり自らの課題を設定しました。 そ
れとなく認識・理解しているものの, 明快な言葉で説明できない緊プロの動作原理を明確にする
ことで, 今後の緊プロの進むべき方向を定めるための理論的な 「土台」 の構築……製造業の存立
条件を激変させている時間軸, (グローバル化による) 距離軸の縮小, 各種経営環境の跛行性の
激化に対応し, 換骨奪胎まで踏込むことも念頭に置きつつ, 次の段階の緊プロを考える緒に就く
ことができました」 (2010年 9 月10日)。
10) 緊プロ事務局A氏からのメール (2010年 2 月 3 日)。
11) 本節で検討した調査対象者との政治的関係のより詳細な記述は浦野・松嶋・金井 (2011) を参
照。
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