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牛乳のおもしろ文化史

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牛乳のおもしろ文化史
全
• 国各地にひろがっていた古代牧場 ⋮⋮⋮
天
• 平美人を生んだ牛乳 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
日
• 本に牛乳をもたらした善那 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮
一
• 杯の牛乳で悟りをひらく ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
古
• 代エジプト人の牛乳美容法 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮
一
• 番最初に乳をしぼられた動物 ⋮⋮⋮⋮⋮
5
4
3
も く じ
平
• 安貴族の滋養強壮食だった乳製品 ⋮⋮⋮
6
牛
• 乳は体と骨を丈夫にするのです ⋮⋮⋮⋮
明
• 治初期の乳製品の人気 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
文
• 明開化は牛乳から ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
お
• 吉の苦労 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
江
• 戸時代の乳製品は薬用 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
鼻
• をつまんで飲んだ牛乳 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
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不老時代の牛乳文化
平安時代には
﹁酪﹂
や
﹁蘇﹂
、﹁醍醐﹂
がありました。各地で生産された牛乳
を加熱加工したもので、
チーズケーキのような濃厚なうまみがあります。
そ し て 現 代。 女 性 は 輝 き、 あ ら ゆ る 分 野 で す ば ら し い 成 果 を あ げ て
い る の で す。 平 安 才 女 の よ う に エ レ ガ ン ス に。 平 均 寿 命 は 八 十 六 歳 で
世 界 一。 牛 乳 や 乳 製 品 好 き が 大 変 に 多 い の で す。 男 性 の 平 均 寿 命 は
七十九歳。
男女ともに長い長い人生です。表情やお肌の若さはもちろん、脳や骨
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食文化史研究家・西武文理大学客員教授
永山久夫
歴史的にみて、女性が美しく輝く時代は、その背景に牛乳文化がある
場合が少なくありません 。
平安時代が、まさに牛乳文化が花開いた時代でした。紫式部が﹃源氏
物語﹄を書き、清少納言も﹃枕草子﹄を記しています。
世界の三大美人といわれた小野小町、情熱的な歌人である和泉式部も
同時代の才女たち。牛乳やその加工食品に含まれている良質のたんぱく
質やカルシウム、亜鉛、それにビタミン 、 、 類などが平安女性たちの
B
創作能力を高め、感性や洞察力を豊かにしていたのではないでしょうか。
E
を長持ちさせながら小野小町に想いをはせ、牛乳を飲み、チーズを楽し
む時代がやってきたので す 。
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15 14 13 12 11 10
A
一番最初に乳をしぼられた動物
人間が原始的な農耕をはじ
めたのが、今から九〇〇〇年く
らい前。それ以前、すでに家畜
を飼育し、その肉や乳を利用し
ていたとみられていますから、
人間とミルクのつき合いも古
いものです。
人間によって一番最初に乳
をしぼられたのは山羊でした。
また、いまから六〇〇〇年くら
い前のメソポタミヤでは、すで
に牛乳を飲用にし乳製品を作
っていたことが知られていま
す。
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古代エジプト人の牛乳美容法
ミルクは最初は神への供物
が主で、王や貴族たちがわずか
に飲めるほどの貴重品でした
が、やがて一般の人たちも用い
るようになっていきます。
古代エジプトの女性たちは、
飲むだけではなく、牛乳を美容
にも活用したといわれていま
す。牛乳で洗顔したり、牛乳風
呂に入ったりして、輝くように
美しい肢体をつくり上げてい
たのです。
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一杯の牛乳で悟りをひらく
お釈迦様が、山中にこもって
修 行 し て い た こ ろ の お 話。 十
日に一食、あるいは七日に一食
というような食絶ちの苦行を
続けていたためにすっかり衰
弱し、餓死寸前になったとき、
たまたま通りかかった村の娘
が、一杯の牛乳をお釈迦様にさ
さげました。
ひと口飲んだお釈迦様は、世
の中にこれほど美味なものが
あったのかと驚き、その瞬間に
悟りをひらいたと伝えられて
います。
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日本に牛乳をもたらした善那
考徳天皇︵六四五∼六五四在
位 ︶ の と き に 善 那︵ 別 名 福 常 ︶
という人が牛の乳をしぼって
天 皇 に 献 上 し ま し た。 天 皇 は
そのおいしさに大変およろこ
びになり、牛乳は健康に役立つ
妙 薬 で あ る と い っ て、 善 那 に
大 和 薬 使 王 と い う 姓 を さ ず け、
乳 長 上 の 職 を 与 え ま し た。 以
来、善那の子孫は代々乳しぼり
の役職につき、宮中につかえた
と伝えられています。
その頃は牛乳はまだ日常の飲
料というより薬として珍重され
るほうが多かったようです。
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天平美人を生んだ牛乳
咲く花の匂うがごとくとう
たわれた奈良の春を謳歌した
天平美人の豊かな美しさは、ど
こからきていたのでしょうか。
食物が健康的だったことに
もよりますが、牛乳やその加工
品などをとっていたことも大
きな背景とみられています。
﹁蘇﹂という加工品の場合は、
牛乳をほぼ十分の一に煮つめ
た も の。 牛 乳 は 煮 沸 し て か ら
飲用にしており、出土した木簡
にも﹁牛乳煎人﹂の文字があり
ま す。 牛 乳 を 煮 沸 す る 役 人 の
こと。
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全国各地にひろがっていた
古代牧場
平安時代、朝廷に蘇を納める
ように定められていた国は九
州から関東地方まで全国各地
に ひ ろ が っ て い ま し た。 と く
に乳製品を多く生産していた
のが関東地方の諸国。
関東には古くから渡来人が
多く、日本に永住するようにな
っても大陸での食生活を続け、
牛乳を飲んだり乳製品を作っ
た り し て い た の で す。 当 時 の
東国は〝酪農先進国〟だったの
で す。 蘇 の 他 に も 酪 な ど の 加
工食品がありました。
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平安貴族の滋養強壮食だった乳製品
﹃源氏物語﹄にみられるように、
はなやかな平安時代の貴族文
化。しかし、そのはなやかさの
反面で、貴族たちの平均寿命は
短かったようです。
食事が形式化したために栄養
やカロリーが不足していました。
副食物は乾物や保存食など消化
のあまりよくないものが多く、
その上、夜ふかしの宴会、運動不
足がたたって体力も低下してい
たのです。
健康回復に用いられた薬餌の
中でも特に重宝されたのが牛乳
であり、乳製品だったのです。
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鼻をつまんで飲んだ牛乳
乳製品は貴族階級が独占的
に利用してきましたが、医書な
どによってその効果は知られ
ていましたから、重病にかかる
としばしば一般の人も牛乳を
薬として利用していました。
ところが、その利用法が大変。
牛乳は必ず屋外で煮沸させ、鍋
もけがれるといって普段のも
の は 使 用 し ま せ ん で し た。 飲
む の が ひ と 苦 労。 け も の 臭 を
嫌って鼻をつまんで飲んだり、
口 の 中 を 塩 水 で 清 め た り。 こ
のような習慣は明治時代にな
っても残っていたというから
驚 き。 肉 食 を き ら う 仏 教 の 影
響とみられます。
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江戸時代の乳製品は薬用
江戸時代、八代将軍の徳川吉
宗はインドの白牛を 頭輸入
頭は十一代将軍の家斉
乳を分けてもらい、それを薬と
人がでると、役人にたのんで牛
価 で し た。 町 人 の 間 で も 重 病
ほどこされましたが、非常に高
一般人にもこれらの乳製品は
製 品 を 愛 用 し て い た の で す。
て い ま し た。 新 鮮 な 牛 乳 や 乳
の時代になると七〇頭に増え
この
たのです。
用や栄養食品として用いてい
ら﹁酪﹂を作らせています。薬
し房州の牧場に放ち、その乳か
三
して服用しても効果がないと
あきらめたそうです。
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三
お吉の苦労
︵一八五六年︶
、下田
安政三年
港に上陸したアメリカ総領事
のハリスは港に近い玉泉寺に
住むようになりました。
ハリスの世話をしたのが、後
に﹁唐人お吉﹂と呼ばれたお吉
さ ん。 彼 女 は ハ リ ス が 飲 む 牛
乳 を 調 達 す る の に た い へ ん苦
労しました。
村人たちが牛の乳をしぼるの
をきらったためにたいへん高価
で一合︵約 〇・一八リットル︶が
だいたい白米一斗︵約一五キロ︶
の値段と同じだったと伝えられ
ています。
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文明開化は牛乳から
明治の文明開化は日本人の
食生活の中で、長い間しこりに
なっていた食べ物に対するタ
ブ ー を と り 払 い ま し た。 あ れ
ほど避けていた牛肉を食べた
り牛乳を飲むことが、文明開化
の象徴にうつる時代でした。
明治七年の﹃東京開化繁昌誌﹄
に よ れ ば、 和 牛 は 一 日 に 二 升
五合︵四・五リットル︶から三升
︵ 五・四 リ ッ ト ル ︶ 強 く ら い し か
乳 は し ぼ れ な い が、 ア メ リ カ 牛
は一斗︵約十八リットル︶から二
斗︵約三十六リットル︶も出ると
あ り、 牛 一 頭 の 値 段 も 和 牛 が せ
いぜい七∼八〇円なのにたいし
て舶来牛は七∼八〇〇円もして
いました。
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明治初期の乳製品の人気
﹁牛鍋食わねばひらけぬやつ﹂
とばかりに、昨日までのチョン
マゲさんが、いきがって牛肉を
つ っ つ く。 ブ ー ム を ま き お こ
し た 牛 鍋 屋 で は、 お み や げ 用
として、牛乳や乾酪︵チーズ︶
、
、乳の粉︵粉ミル
乳油︵バター︶
ク︶なども売っていましたが、
こ れ が 又 な か な か の 人 気。 そ
のにぎやかな店頭の混雑ぶり
を明治四年の﹁安愚楽鍋﹂があ
ら わ し て い ま す。 牛 乳 も 次 第
に人気を高め、明治の中頃にな
りますと、チラシを配って宣伝
するほど需要がふえていまし
た。
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