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自由主義思想の射程

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自由主義思想の射程
セッション「自由主義思想の射程」事後報告書
テーマ:市場の論理とデモクラシーの論理――ナイトとハイエクの対話――
世話人:中澤信彦(関西大学)
報告者:佐藤方宣(大東文化大学)
、太子堂正称(東洋大学)
討論者:桂木隆夫(学習院大学、非会員)
参加者数:22 名
【趣旨説明】
本セッションは自由主義思想の可能性と多様性の考察を主題とする。今回はかつて本セ
ッションでご報告いただいたことのある佐藤会員と太子堂会員に再登板していただき、そ
れぞれの専門であるフランク・ナイト(1885-1972)とフリードリヒ・ハイエク(1899-1992)
の思想について、とりわけその市場観とデモクラシー観の関係性に焦点を絞ってご報告い
ただく。
自由主義という言葉は、経済システムとしての市場を擁護する思想的立場に対して用い
られる場合もあれば、政治システムとしてのデモクラシーを擁護する思想的立場に対して
用いられる場合もある。しかも、前者も後者もそれ自身が一枚岩ではないし、両者の結び
つきも自明でない。自由主義をめぐるこのような複雑な問題状況は、ナイトとハイエクの
思想において典型的に認められるように思われる。
佐藤会員と太子堂会員は経済思想史の専門家であるが、今回のセッションのテーマそれ
自体がすぐれてインターディシプリナリーな性格を帯びていることもあり、法哲学・公共
哲学の立場から市場社会の意味を積極的に問い続けている桂木隆夫氏に討論者をお願いし
た。
【太子堂報告の内容】
最初に、太子堂会員から、「市場の論理とデモクラシーの論理――果たされなかった論
争:ハイエクからナイトへの問いかけ――」と題された報告が行われた。フランク・ナイ
ト(1885-1972)とフリードリヒ・ハイエク(1899-1992)は、ともに社会主義を批判し自
由な経済社会を擁護した 20 世紀の代表的経済学者である。両者は 1930 年代に資本理論を
めぐって論争を行った一方で、ナイトは、
(ハイエクが 1947 年に創設した自由主義者の団
体である)モンペルラン協会の創立当初からのメンバーであったし、ハイエクは 1950 年か
ら 1962 年までシカゴ大学の教授として招かれ、ナイトと同僚であった。ハイエクの開くセ
ミナーにナイトは定期的に参加して活発な知的交流を行っていたし、ハイエクの主著の一
つである『自由の条件』
(1960)には、たびたびナイトへの言及が見られる。しかし、おそ
らくはその『自由の条件』をナイトが酷評したことが一つの原因となり、ナイトの死後に
出版された『法と立法と自由』
(1973-79)においては、その名はまったく姿を消し、イン
タビュー形式の回想録である『ハイエク、ハイエクを語る』
(1994)においても言及されて
いない。二人の自由主義者を決裂させた意見の隔たりとは、いったい何であったのか。そ
れらを考察することは、現代の自由主義のあるべき未来について考える際にも大きな手が
かりとなるであろう。
そうした問題関心を背景に、本報告では、まず、ナイトのハイエク批判の中身について
検討した。その骨子は二つであり、
「討議」および「社会正義」概念を巡る両者の考え方の
違いに由来する。ナイトにとっては、「自由」や「権利」といった概念は相当程度に歴史的
偶然の産物であるからこそ、そうした自由社会の理念を擁護するためのルール設定に当た
っては公共的な「討議」の役割が重要になる。また、そうした「討議」によって合意を重
ねていくためには、貧困対策や税制といった特定の問題についての個別的かつ具体的な見
解である「社会正義」についての議論が不可避である。こうした観点から、ナイトは、ハ
イエクが「社会正義」を否定し「討議」という政治的手続きをほとんど顧みずに、「自然選
択」という非常に不安定な過程に自由社会の成長の命運を託してしまっているという懸念
を表明したのであった。
一方でハイエクは、
「功績」や「功労」、
「必要」といった「社会正義」による分配は恣意
的であり、真の正義とはなりえないとする。そうした要求には明確な限界がなく、結局は
平等主義か、上のような基準による分配の決定に帰着せざるをえず、結局のところ、一元
的な恣意的基準による人間の格付けと厳しい階層制(メリトクラシー)をもたらし、自由
を圧迫することになるというのである。誰が何をどのくらい受け取るべきかという配分的
正義の問題は、あくまでも何らかの小集団や組織のための規範である「社会正義」あるい
は「部族社会の情緒」によっては解決できず無数の人々からなる「大きな社会」において
は、
「社会正義」からは切り離された、抽象的なルールの枠組みこそが特定の価値基準に支
配されることのない「多元的社会」を作るために必要なのである。
また、ハイエクは、そうしたルールの設定を完全に「自然選択」に任せているわけでは
なく、彼の法理論においては、一般的ルールである「ノモス」の法を制定するための能動
的な役割を「裁判官」
(および独自の議会改革案)に求めている。ハイエクにとっても市民
の間の「世論」は法の基盤として重要なものであるが、それは単に一世代の人間による明
示的な意思というよりも歴史的過程を重ねて形成されたある種超越的なものであり、それ
を判例という形で抽出して一般化する「裁判官」の行為が法の一般性や公平性を担保する
ものとして捉えられている。ハイエクが憂慮していたのは、政治と利害、およびメディア
の結びつきによって、民主主義的「討議」が「票の買収過程そのもの」へと堕落し、議会
によって恣意的な立法が行われることの危険性であった。
【佐藤報告の内容】
次いで、佐藤会員から「市場の論理と討議の倫理――自由主義の変容とナイト――」と
題された報告が行われた。この報告はナイト流の自由主義とは何かを問うものだが、具体
的には、1930 年代以降のナイトの政治哲学的論考に見られる「自由主義の変容」をめぐる
变述を追うなかで、そこに垣間見える民主的討議についての規範的評価をすくい上げよう
とするものであった。いわば、ナイトの「現実の自由主義」評価を通じて、彼の「理念と
しての自由主義」像を探ろうという試みである。
本報告によれば、ナイトの大戦間期の問題関心は、経済的な自由市場と政治的な民主主
義の組み合わせからなる 19 世紀的自由主義の問題点の検討とその代替的構想の批判的吟味
にあった。ナイトは西欧世界における「自由主義」はきわめて偶有的な歴史的条件(地理
的/技術的フロンティアの存在)によりたまさか成立したにすぎず、本来的に機能不全に
陥る可能性を胚胎していると考えていた。ナイトは「消極的自由/積極的自由」という二
分法を批判し「形式的自由/実質的自由」という対比を採用するが、現実の自由主義は実
質的自由をそのままで保障してくれるものではないからである。しかし自由主義を補完・
修正しようとする試み(経済的民主主義ないし社会主義)は、民主主義の根本的弱点(そ
れが政治的な個人主義であること)ゆえに、共産主義やファシズムへと道を譲ってしまっ
ている、との憂慮に満ちた同時代認識を示していたという。
本報告は、この否定的見解の背後にナイトにおける「(政治的)自由主義」の理念を見て
とる。政治的な「討議」を科学における真理探究とのアナロジーで語るナイトは、人間の
真理探究と政治的討議が共に暫定的でオープンエンドな性質をもつことを強調している。
そこには常に暫定的で不完全な知識の下に置かれざるを得ない人間の条件と、それに社会
的に対処していくなかで「相対的に絶対的なもの」を希求するプロセスにこそ人間の自由
の実現があるという認識がある。現実の民主主義は不可避的に「競争としての政治」に堕
するとの諦念を持ちつつも、ナイトは一貫して望ましい民主主義の条件、対話の倫理につ
いて説き続けていった。ナイトの政治哲学的言説がその後の世界に広範な影響力を与えて
いるとは言いがたいが、ここにわれわれは、諦念まじりの自由主義者としてのナイトの実
践を見ることが出来るように思われる。
【討論内容】
討論者の桂木氏は、両報告を受けて、以前から「自生的秩序」には討議が含まれてしか
るべきだと考えていた、そこでは均衡や安定でなくジレンマやパラドックスの発見とそれ
に対する対処としての討議があるのでは、との見解を示された。
太子堂報告との関連では、「自生的秩序」をめぐるヒュームとスミスとの関連において、
四者を同一平面上に並べることの意義を認めつつも、その上で、
(太子堂会員が述べたよう
な)政治的「討議」を重視するヒューム=ナイト的枠組みと自然法学的伝統を重視するス
ミス=ハイエク的枠組みといった対立の構図については、過度な図式化への懸念を表明さ
れた。
佐藤報告との関連では、ナイトの不確実性理解と「アニマル・スピリット」評価につい
て、そしてナイトの「相対的に絶対的なもの」の希求とヒュームの懐疑主義との関係につ
いて質問され、
(佐藤会員の理解する)ナイトの立場と討議/熟議/暫定協定をめぐる現代
政治思想との近縁性を指摘された。
【フロアとの質疑応答】
当日はフロアとも活発なやり取りが展開された。主だったものを以下に列挙する。
両報告との関連では、新村聡会員(岡山大学)から、Classical⇒New⇒Neo という「自
由」概念の歴史的変遷において、ナイトは New に、ハイエクは Neo にあたるという理解で
いいか、ナイトとハイエクの「自由」観の相違に注目すべきでは、とのコメントがなされ
た。
佐藤報告との関連では、井上彰会員(群馬大学)から、討議を重視するナイトの討議観
への関心と共に、現代政治哲学の観点から、熟議が対立を生む場合や多数派に少数派がお
もねるという可能性もあるのでは、とのコメントがなされた。
太子堂報告との関連では、保住敏彦会員(愛知大学)から、ハイエクが「機会の平等」
を重視しなかったことの積極的意義ならびに、独自の福祉政策の中身についての質問が提
出された。
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