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第 1 編 通 史 編
第 1 章 40 周年まで
第 1 章 40 周年まで
偶然とはいえ歴史の綾である。
国立高専第 2 期校として設置が決まったのは、八戸、
第 1 節 創立の経緯
宮城、鶴岡、長野、岐阜、豊田、津山、阿南、高知、
有明、大分、鹿児島の 12 校であった。こうして我が
文部省は、昭和 33 年から 35 年の間に 3 回にわたり
豊田高専は、昭和 38 年 4 月に開校した。国立高専は、
既存の短期大学制度を廃止し、かわりに 5 年制の「専
この後、昭和 39 年に 12 校、昭和 40 年に 7 校と全 43
科大学」を作ろうという、いわゆる「専科大学法案」
校がすべて工業分野の高専として開校された。
を国会に提出していた。この「専科大学法案」は短大
国立高専を豊田に誘致する際、豊田市では、豊田市
側の反発を招き、いずれも審議未了となり法案が成立
議会、豊田商工会議所が中心になり「高専誘致協力会」
することはなかった。
を組織し、この地方選出の衆議院議員であった浦野幸
このため文部省は、昭和 36 年には、既存の短大制
男氏が中央での交渉に当たった。当時、豊田市教育委
度はそのままにして、産業界からの要望が強かった、
員会の庶務課長を務め、実質的な誘致活動をされた元
技術革新に対応できる中堅技術者の養成を目指す「高
豊田市助役竹生淳氏が三河タイムス紙上に載せた「今
専制度」を新設するという学校教育法の一部改正案(高
だから話せる」という回想録を読むと、一連の陳情に
専法案)を第 38 通常国会に提出した。同年 6 月同法
おける手土産の話から、昭和 37 年 1 月に豊田市に国
案は衆議院を、8 月には参議院を通過し、5 年制高専
立高専の設置が決定される裏話まで、一大ストーリー
法案が成立した。ここに 6・3・3・4 制の学校制度に
が展開されており、どれほど地域の方々が国立高専を
加え、6・3・5 制の複線型学校制度として「高等専門
渇望していたか、またその実現までの政治の舞台のあ
学校」が新設されることになった。
れこれが興味深く述べられている。最後は、当時の池
法案成立以前の、紆余曲折に比べ、法案成立後は、
全国各県にて高専誘致活動が起こり、それは熾烈を極
めた。当時文部省は各県に 1 校ずつ、3 年計画で全国
田勇人総理大臣が地元に予定していた呉市を後回しに
して豊田市に譲ってくれた旨が記されている。
本校は、昭和 37 年度に設置された高専からみると、
に設置する計画を持っていたようであるが、初年度の
第 2 期校ということで、何かにつけて先輩の 1 期校を
昭和 37 年度には国立高専 12 校の設置が決まった。そ
参考に、遅れを取るまいという、次男坊の精神で一致
れは、函館、旭川、福島、群馬、長岡、沼津、鈴鹿、
団結していた。そのためか、創立 50 年を経過した今
明石、宇部、高松、新居浜、佐世保の各工業高専であっ
でも全国の 12 の 2 期校は 38 年度校校長会議を持ち回
た。このとき、全国で 37 都道府県 48 カ所が立候補し
りをしながら、毎年開催し、高専の未来について議論
激しい誘致合戦が行われた。この年、私立高専の設置
している。
についても全国で 7 校の申請がなされた。
愛知県においても、豊田市と豊橋市が誘致を激しく
競い、結局豊田市に誘致することが決まり、官民挙げ
第 2 節 須賀太郎校長時代
(昭和 38 年~昭和 48 年度)
て国立高専の誘致運動が行われた。後の、昭和 51 年
10 月に、高専生の編入学という形で大学進学への道
初代校長として名古屋大学より須賀太郎教授を迎
を開いた国立技術科学大学が開学し、豊橋市と長岡市
え、豊田高専は昭和 38 年 4 月 20 日に開校した。現在
に設置された。高専誘致ができなかった豊橋が巻き返
でも、この日は学則により開校記念日として休業日に
しをはかり、技術科学大学の誘致に成功したことは、
指定されている。
3
第 1 編 通 史 編
仮校舎はトヨタ自動車工業(株)(当時は、トヨタ
賀杯駅伝も創立 2 年目、昭和 39 年度から始まった。
自工と呼ばれていた)の学園(トヨタ学園)の教室を
また、第 1 回東海地区高専体育大会を豊田高専の主
一部借り、所在地はトヨタ自工と同じ「豊田市トヨタ
管で昭和 38 年 11 月に開催し、平成 24 年で第 50 回を
町 1 番地」(当時の封筒の写真参照)であった。その
数えている。
トヨタ学園の一角に、3 教室(機械、電気、建築の 3
昭和 41 年 8 月に豊田高専が主管校となり、全国高
学科)と 1 実験室、1 製図室の 5 部屋を間借りする状
専体育大会を開催した。この記念すべき第 1 回大会で、
態で発足した。学生寮は豊田市役所(現在の参合館の
本校バレーボール部が優勝し、全国制覇を成し遂げた。
付近)の古い庁舎に仮住いであった。
昭和 43 年には、本校 4 番目の学科として土木工学
科が設置され、同時に 1、2 年制の全寮制も始まった。
昭和 43 年度に校歌が制定されたが、同年度の卒業
式に、校歌斉唱を学生が拒否するという事件も発生し、
以後長い間、「歌われざる校歌」として封印され、豊
田高専の式典に校歌が歌われることはなかった。
昭和 44 年度は、全国に吹き荒れた学園紛争の嵐に
見舞われ本校も混乱の時代を過ごした。学生玄関の封
鎖などの事態も起きたが、昭和 45 年 3 月には紛争も
ほぼ終息した。昭和 45 年 4 月から、学校も落ち着き
を取り戻し正常化したが、しばらくの間、紛争の余波
は、学園生活に影を落とした。
当時、赴任してきた新任の教官に、須賀校長は必ず 昭和 48 年、初代須賀太郎校長は春の叙勲で勲二等
「高専では、研究よりも教育に力を入れるように」と
瑞宝章を拝受、電子計算機室の 2 階にトヨタ系各社の
教育重視の教育機関であると念押しをしていた。した
寄附により、豊田記念会館が完成し、創立 10 周年を
がって赴任したてのどの教官も、発足したばかりの新
祝った。これを花道に須賀校長が退官し、2 代目校長
しい高等教育機関「高専」は、従来の研究をする大学
に名古屋大学の榊米一郎教授が就任した。
よりも、教育に重きを置いた学校であると心に留めて
いた。
開校後、1 年たった昭和 39 年に現在の地、新しく
第 3 節 榊米一郎校長時代
(昭和 49 年~昭和 51 年 9 月)
建築された栄生町校舎へ移転した。 体育施設は、陸
上競技場や野球場の整備に続き、昭和 40 年には第 1
榊校長は着任早々、全教官に向けて研究にも力を入
体育館が完成し、翌昭和 41 年にはプールもでき、そ
れること、博士の学位の取得に力を入れることを力説
れまでの、トヨタ自工のプールを借りて行う水泳訓練
された。そして、全教官に研究業績を報告することを
も自前で行えるようになった。この頃までに、教育・
求めた。これまで、高専では研究に時間を割かないで、
研究・体育施設、学寮などは一通り揃っていたが、図
教育に専念していたら良いという風潮があったもの
書館の完成は昭和 47 年まで待つ必要があった。
が、180 度転換し、教育も大事であるが、高等教育機
須賀校長は学ぶことも重要であるが、技術者にとっ
関の教官たる者、研究もすべしとハッパをかけ、学位
て、体力もそれに劣らず大事なことであると考え、第
の取得を目指すよう説いた。それまで教育に邁進し、
1 学年の内海海岸における臨海教育や第 2 学年の御岳
研究にあまり時間をかけていなかった多くの教官に対
登山、第 3 学年のスキー教育と身体の鍛錬を目的とす
して意識を変えることが求められた。そして、徐々に
る学校行事が創立の年から始められた。耐寒マラソン
ではあるが、教官のなかに研究を積み重ね、博士の学
や、本校をスタートし、名古屋大学をゴールとする須
位を取得する者が現れるようになった。
4
第 1 章 40 周年まで
第 2 代榊校長は着任期間が 2 年半と短かったが、現
在まで続くいくつかの施策を実施した。
昭和 47 年に、名誉教授の称号を授与するための規
定を制定し、昭和 49 年 5 月に名誉教授第 1 号として、
須賀太郎初代校長をはじめ、倉本雄三郎教授、山本和
夫教授に名誉教授の称号が授与された。
を割き、計算能力は大型機を頼るという方針でコン
ピュータ関連の教育と研究にエネルギーをつぎ込ん
だ。このときも、口の悪い人からは、豊田高専が「豊
田情報高専」と言われるほどであった。
高専教官は「教育と研究」に専念すべきであるが、
どちらかと言えば、教育に重点を置くべきだというの
榊校長の時代に、教官の採用・昇任に関する校長の
が市川校長の持論で、あまり研究のことを口やかまし
諮問機関として、
「教授の会」が設置された。それまで、
く教官に強いることがなかった。第 2 代榊校長の「教
人事は校長の専権事項として、秘密のベールに包まれ
官は博士の学位を取得すべき」という口調からは、一
ていたが、少なくとも採用や昇任時に、全教授の前で、
転して、初代須賀校長の時代に戻った感があった。そ
履歴や採用・昇任の理由が明らかにされるようになっ
れでも、何人かの先生は、第 2 代榊校長の言を肝に銘
た。
じて、忙しい中で、時間を見つけ研究に従事し、外部
また、校長を補佐し、高専運営の要となる、「教務」
へその成果を発表していた。
「学生」「寮務」の 3 主事の選考は、本来高専の管理責
昭和 51 年 10 月に高専卒業生の編入の道として、豊
任者である校長の専権事項であるが、教官の意向を聞
橋と長岡に 2 つの技術科学大学が創設され、昭和 53
くため意向調査を始めた。これも全国の高専の中では、
年 4 月に高専卒業生が最初の編入生として入学した。
採用されることの少ない、豊田高専独自のシステムの
このときの編入学生は、豊橋技科大へ 9 名、長岡技科
一つであり、現在まで続いている。
大へ 3 名、計 12 名であった。
昭和 52 年度より、工業高校からの卒業生を高専第
昭和 54 年 7 月には、名古屋市営地下鉄鶴舞線から
4 学年に編入学させる制度を実施した。そのための第
直行運転される豊田新線が開通した。名古屋方面から
1 回編入学試験を昭和 51 年 9 月に実施した。初年度
の通学・通勤にこれまでの知立経由に加え、もう一つ
は工業高校からの応募も多く、30 名の志願者があり、
の行程が加わり、尾張・名古屋方面からアクセスが大
13 名に入学を許可した。以来現在に至るまで編入学
きく改善された。
制度は続いている。
地域への貢献、高専のPRも目論み、公開講座が開
第 2 代榊米一郎校長は新設「豊橋技術科学大学」の
講されるようになった。「スポーツ教室」は、水泳や
初代学長として赴任するため、昭和 51 年 9 月に豊田
トランポリンを小学生に教え、毎回、申し込み開始時
高専を退職した。
には、門前市を成す盛況ぶりであった。「マイクロコ
ンピュータ教室」には、おりからのマイコンブームの
第 4 節 市川眞人校長時代
(昭和 51 年 10 月~昭和 59 年度)
影響もあり、豊田市のみならず、遠隔の地からも参加
者が殺到した。
創立 10 周年の際には、学生紛争の余燼もさめやら
第 2 代榊米一郎校長の後を受けて、名古屋大学電気
教室より、市川眞人校長が 3 代目校長に就任した。
初代須賀校長が体育施設の充実、高専体育大会の実
施、運動部での活動奨励と、口の悪い人からは「豊田
ない中、あまり大きな事業は計画されなかったが、第
3 代市川校長が腐心したものの一つに、創立 20 周年
記念事業があり、かなりの時間と精力をこれに費やし
た。
体育高専」と揶揄されるほどに体育に情熱を傾けてい
その一つが、同窓会の一本化であった。従来専門学
た。それに対して、第 3 代市川校長は、着任早々、そ
科ごとに活動していた同窓会を「豊田高専同窓会」と
れまでの電子計算機室を「学内共同利用データステー
して纏めるよう尽力した。
ション」と名称変更をし、名古屋大学大型計算機セン
ターの遠隔端末として接続し、通信機能の強化に予算
昭和 58 年度に、創立 20 周年を記念し、「20 年史」
を発行するとともに、20 周年記念体育祭を本校グラ
5
第 1 編 通 史 編
ンドで、記念講演会・音楽会を豊田市市民文化会館で
対処する必要があるということで、昭和 62 年度より
開催した。記念事業の仕上げとして、11 月 5 日には、
志願者の募集や入試制度について改革がなされた。
本校で記念式典を、その後第 2 体育館で祝賀会を盛大
に催した。
施設の整備にも心を砕き、昭和 56 年 1 月には福利
厚生会館、昭和 57 年 3 月には第 2 体育館を、昭和 58
年には材料構造物・疲労試験センターの完成へと導い
た。
市川校長の最後の仕事は、5 番目の学科の新設で
まず、志願者の募集については、全教官が手分けし
て、愛知県下の中学校を訪問することを始めた。1 人
の教官につき 5 ~ 7 校程度を分担し、学生募集要項や
学校案内を手に訪問した。
さらに、入試制度の改革も行い、これまでの学力試
験だけでなく、推薦入試の制度も始めた。推薦入試に
は面接を課したが、入試改革の初年度である昭和 62
あった。当時は、学科の増設は文部省への概算要求の
年度の推薦入試の面接試験の際には、志望動機の他に、
項目であったので、学校内をまとめるのに大変な苦労
学力を試すような質問項目を加えていた。学力を試す
をした。それでも昭和 59 年度に「情報工学科」の増
ような質問は、公立高校の推薦入試には実施されてい
設を概算要求として提出した。しかし、その実現は市
なかったため、受験生から中学校側の知るところとな
川校長の時代ではなく、次の岩田校長まで待たなけれ
り、進路担当の教諭、中学校によっては校長からも猛
ばならなかった。
烈なクレームが続出し、次年度からは、学力を試すよ
うな質問は、一切行われなくなった。
第 5 節 岩田幸二校長時代
(昭和 60 年~平成 2 年 9 月)
情報工学科の増設に伴い、従来女子学生の多かった
のは建築学科のみであったが、新生情報工学科でも女
子学生が急増し、女子寮の必要性が検討され、昭和
第 3 代市川眞人校長の後を受けて、名古屋大学電気
62 年度より、女子寮生の受け入れを始めた。
教室より、岩田幸二校長が 4 代目校長として就任した。
海外からの留学生を最初に受け入れたのは、昭和
岩田校長は、それまで 3 代続いた学者先生とは異なり、
61 年からで、この年の留学生はイスラム教徒であっ
大学から民間企業に勤め、その後請われて名古屋大学
たため、学寮での食事やお祈りの場の確保などで配慮
に戻るという異色の経歴を有していた。
をした。
本校着任早々、「教官は 3 か月に一度、自分の教育・
昭和 63 年度には、情報工学科棟が竣工し、概算要
研究に関する状況報告」を提出すべしと言明し、豊田
求獲得に努力されていた市川前校長も来校し、新しい
高専に一種の旋風を巻き起こした。
校舎の完成を祝った。従来の校舎と異なり、外観がタ
第 3 代市川校長は、高専が教育重視の教育機関であ
るとの認識から、研究については、それほど口やかま
イル張りとなり、以後、建築される校舎はタイル張り
が標準となった。
しく言われなかったのに比べ、第 2 代榊校長の「教育
平成元年には、NHKが主催する「第 2 回高専ロボッ
も研究も重視」という高専の実現に向けて、岩田校長
トコンテスト」、通称「高専ロボコン」に初めて参加
は「高専の先生方が教育に熱心に当たるのは当然であ
した。この年からロボコンは毎年開催されるとともに、
るけれど、それが研究をしない言い訳にはならない」
平成 3 年からは地区大会が開催されることになり、そ
と、研究の重要性を説いた。また、「博士の学位のな
の第 1 回大会は、豊田高専が東海北陸地区大会の主管
い者は教授への昇任をさせない」と言われ、教官陣に
校となり第 1 体育館を会場として開催された。NHK
ショックを与えた。
の番組放映と、早い時期からのロボコンへの熱心な参
昭和 61 年度に情報工学科が増設された。1 学科の
加と実績により、豊田高専は「ロボコンの豊田高専」
増設で、40 名の定員が追加されただけであったが、
として広く知られることになり、高専という教育機関
入学志願者がそれまでより激減し、入学試験の倍率が
の知名度を高めるのに貢献した。
1.5 倍と下がった。この低倍率に対して、学校全体で
6
第 1 章 40 周年まで
第 6 節 堀井憲爾校長時代
(平成 2 年 10 月~平成 6 年度)
自己点検・評価
平成 3 年 7 月、
「高等専門学校設置基準」が改正され、
卒業に必要な単位を従来の 177 単位から 167 単位とし
第 4 代岩田校長の後を継いで、名古屋大学電気教室
出身の堀井憲爾校長が平成 2 年 10 月に就任した。
た。この 167 という単位数は、以後変更されていない。
さらに、教育研究活動等の状況についての自己点検・
雷へロケットを打ち込んで、誘雷実験をするという
評価が努力義務として導入された。これを受け、本校
“ 雷博士 ” として名をなした方で、NHKの科学実験
でも平成 4 年 4 月には豊田高専学則を改正し、「教育
番組では、
「自動車に乗っているときには、落雷に合っ
基本法の精神にのっとり、及び学校教育法に基づき、
ても安全です。」ということを証明する実験に、自ら
深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成す
被験者になって番組出演した。
ることを目的とする。」とした本校の目的及び社会的
校長に就任してからも、松食い虫の研究や地震の予
使命を達成するため、本校における教育研究活動等の
知など幅広く研究のアンテナを広げていたが、校長は
状況について点検及び評価を行うこととした。このた
高専の管理運営に専念すべしとのことで、研究に時間
め、平成 4 年 5 月に「豊田高専の自己点検・評価実施
を割けないことを残念がっていた。
要項」を制定し、自己点検・評価委員会を発足させ、
平成 6 年 4 月までの間、実に 22 回の会議を重ね、平
編入学制度の変遷
従来工業高校の関連学科からのみ編入学を実施して
いたが、平成 3 年度実施の編入学試験から、建築学科
成 6 年 5 月その成果を「豊田高専の自己点検・評価(Ⅰ)」
として、報告書に結実させた。
その中で、1)教育理念・目標等、2)研究活動、3)
を除く 4 学科で高等学校の全学科(普通科・商業科・
交通安全対策の 3 つのテーマについて自己点検・評価
工業科・農業科他を含む)から編入学を受け入れるこ
が行われた。
とにした。工業高校を除く受験生については、専門科
研究活動の中では、平成 6 年 5 月の時点で、教官
目か理科のどちらかを選択し、受験できるように配慮
77 名のうち、課程博士が 6 名、論文博士が 24 名、計
した。ただし情報工学科は、理科での受験を許さず、
30 名の博士号の取得者を数え、2 代目榊校長の「研究
プログラミング等を含む専門科目について試験を課す
をするようにとハッパをかけた」ことが功を奏し、結
ことにした。このような制度改定をしたものの、平成
実した結果ともいえた。
3 年度の編入学試験は全員工業高校からの受験生で占
められ、新制度の普及にはしばらく時間を要した。
この自己点検の中で、特に「交通安全対策」につい
ての項を設けているのは、平成 4 年に、立て続けに 3
翌、平成 4 年度実施の編入学試験では、すべての学
名もの学生が交通事故により死亡するという痛ましい
科で工業高校出身者に限定せず、専門科目の代わりに
事故が起きたことに因っている。交通安全に努め、こ
理科による受験を認め編入学の門戸を開放した。
れ以上、痛ましい事故を起こさせないという教職員学
その後、平成 18 年度の編入学試験では建築学科の
生全員の決意の表れでもある。これ以降、平成 24 年
み、物理による受験を認めないことにした。これは、
に至るまで、学生の交通事故による死亡は起きていな
建築学科が建築士の試験に係る要件のためカリキュラ
い。
ムを変更し、第 3 学年に必修科目が設定され、普通科
この自己点検書とは別に、全教官の研究業績につい
等を卒業した編入学生では 2 年間での卒業が難しく
て、90 ページに亘る大部なものを別冊としてまとめ
なったためである。このため、建築学科の編入学試験
た。
は、専門科目の代わりに物理によって受験することが
できなくなった。
自己点検・評価に対する社会的な要請は強く、続く
平成 7 年 5 月には、「豊田高専の自己点検・評価(II)」
が発刊されている。かなり広範な分野に亘り自己点検・
評価が成された。その主たる項目は「教育活動、学生
7
第 1 編 通 史 編
生活、学生寮、施設設備、国際交流、生涯学習への対
平成 5 年 11 月に、第 4 回全国高専プロコンが本校
応、社会との連携、学校運営、自己評価体制」であり、
主 管 で 名 古 屋 市 吹 上 ホ ー ル に て 開 催 さ れ た。 平成元年度から 6 年度までの本校の活動を自己点検・
情報工学科第 4 学年の林幸弘君が「グラフィカルファ
評価している。
イラTW」で特別賞を受賞した。それまで、東京で毎
年開催されていたプロコンは、これ以降、各地区の高
週 5 日制の実施
専が主管し、全国持ち回りで開催されるようになった。
平成 4 年度より、週 5 日で 1 コマ 90 分の授業が開
始された。当初は、土曜日を “ 向上の日 ” として、清
専攻科の設置
掃ボランティアを実施していたが、土曜日を休業とし
平成 6 年度に、機械工学科、電気工学科卒業生を対
ないと週 5 日制の精神に反するとされて、土曜日の清
象とする「電子機械工学専攻」、環境都市工学科、建
掃ボランティアはウィークデイに移された。
築学科卒業生を対象とする「建設工学専攻」、情報工
学科卒業生を対象とする「情報科学専攻」の 3 専攻で
創立 30 周年記念事業
構成される専攻科が発足した。定員は 2 学科を擁する
平成 5 年 10 月に、創立 30 周年記念体育祭が開催さ
前者の 2 専攻が各 8 名、1 学科の情報のみは 4 名で計
れた。同窓生も揃いのシャツでチームとして参加し、
20 名であった。全国高専のなかでは 7 番目の開設で
盛り上げた。さらに、同年 11 月には、創立 30 周年記
あった。本科生の入学式に遅れること約 10 日、4 月
念式典を第 1 体育館で、続いて記念祝賀会を第 2 体育
15 日に専攻科入学式が挙行され、25 名の 1 期生を迎
館にて盛大に開催した。
えスタートした。平成 6 年 6 月には、文部省高等教育
局専門教育課長本間政雄氏や豊田市国際交流協会理事
土木工学科を環境都市工学科へ改組
長豊田寿子氏による記念講演会とそれに続く記念祝賀
昭和 45 年、第 4 番目の学科として設置された土木
会を豊田キャッスルホテルにて開催し、新しい専攻科
工学科が、時代の要請に応えるため、平成 5 年度より、
の門出を祝った。専攻科棟の竣工は平成 8 年 3 月であ
環境都市工学科に改組された。このため、環境関連の
り、1 期生達にとっては学習の環境が整うと同時に修
実験室を始めとする実験設備等を、学年進行に合わせ
了という結果となった。専攻科は学生にとっても、卒
充実させていった。一部の土木工学科出身の同窓生か
業後の選択肢が増え、教官にとっても研究環境が向上
ら、「我々、卒業生の気持ちが反映されていない、一
するものと期待された。
方的な改組は問題だ」との指摘もあり、学校は同窓生
ただ、大学の学部卒業に相当する学士の学位は、平
にアンケートなどを実施し、理解を求めた。同窓生も
成 4 年に発足した学位授与機構へ学位申請をし、学修
真意を理解し、環境都市工学科としての再出発を後押
成果レポートの提出と、それに関連する小論文試験に
しした。
合格する必要があった。高専の一員としては、高専に
学位の授与権がないことを、学生も含め内外に明示す
小栗記念クラブ対抗陸上競技会
るという、いささか残念なことでもあった。
平成 4 年度の年度末に寮務主事への就任が予定され
ていた小栗達也教授が不慮の事故により急逝された。
シラバスの作成とセメスター制の実施
毎年「陸上記録会」として開催されていた会を、平成
平成 6 年度より、教育改革の一環として、シラバス
5 年 4 月 29 日「小栗記念クラブ対抗陸上競技会」と
(講義概要集)の作成とセメスター制の実施が始まっ
変更し、故小栗教授の夫人が見守る中開催された。
た。セメスター制は通年科目の中弛みを防ぐ目的で、
1 年を前・後学期に二分し、学期ごとに成績評価を行
全国高専プロコン(プログラミングコンテスト)
う制度である。学年制である高専には、ある意味なじ
開催
まない制度であった。このため教務電算システムの更
8
第 1 章 40 周年まで
新が必要となるとともに、学生が前期の成績評価のみ
とにかく、全国一を達成しようと、教職員を叱咤激励
で単位不足のため留年が決まってしまう等、問題も多
した。数値化されたものは、目標設定が容易であり、
かった。
公開講座の件数までもが、その 1 つとなった。平成
11 年 に は、 全 教 室 に 液 晶 プ ロ ジ ェ ク タ を 装 備 し、
高専ロボコン全国大会初優勝
平成 6 年 11 月、ロボコンAチームの「SUCCESS」
LAN 配線を施した。おそらくこれも全国高専初であっ
たと思われる。教育や研究、学校運営について、とに
かくあらゆる会議で直言居士を貫き、少しでも意に添
が 本 校 チ ー ム と し て は、 初 の 全 国 大 会 優 勝 の 偉業を達成した。チアガール応援団も「応援団賞」を
わないときには、誰に向かっても、言葉の勢いが衰え
受賞し、全国制覇に花を添えた。
なかった。ただ、皆の前で叱責した際には、後で本人
を呼んで、皆の前での言葉の真意を説明し、慰めてく
再入学制度
れるという人情派校長の面もあった。
本校の退学者で、勉学の意志がありで再入学を希望
平成 8 年度の高専体育大会報告会で、地区大会、全
する者は、再入学試験の結果により再入学を許可する
国大会を合わせ、大変な好成績を収め、これにすっか
制度を創設した。
り気を良くし、両手を広げ高く掲げながら「豊田高専
この制度により、平成 6 年度 2 名の学生を再入学さ
は、上げ潮じゃー」と挨拶した。これは当時の NHK
せた。これらの学生は、過去に 2 名とも連続して留年
の大河ドラマ「秀吉」のなかで、竹中直人演じる豊臣
したため退学を余儀なくさせられた学生である。社会
秀吉が、吉事の際に身振りよろしく口にしていたので、
に出てみて、やはり勉強の必要性を痛感した結果、再
広く人口に膾炙していた。以後、鬼頭校長は、ことあ
入学試験を受験し、合格したものである。再入学後は、
るごとに、このフレーズを繰り返し、鬼頭校長のキャッ
従来とはうって変わってまじめに勉学に励み、無事卒
チフレーズとなった感もある。寮生会では、寮生新聞
業することができた。
のタイトルを「あげしお」と名付け、今に引き継がれ
ている。
テニスコート整備
平成 6 年、テニスコートが改修され、夜間照明設備
が設置された。冬場の日暮れが早い時期も 6 時半まで、
クラブ活動ができるようになった。
マルチメディア情報教育センター発足
第 3 代市川真人校長の時代、昭和 56 年 3 月に豊田
高専の学内共同利用施設として「データステーション」
が開設され、学生の卒業研究や教官の研究に向けて、
学校要覧をA 4 版に
平成 6 年より、学校要覧がB 5 版からA 4 版になり、
名古屋大学大型計算機センターのオンライン接続を既
に果たしていた。この施設に情報処理と通信の飛躍的
内容もそれまでは一部が英訳されていたものを、全面
発展を取り入れ、平成 8 年 7 月に、新生「マルチメディ
的に英語による表記を併記するようにし、海外からの
ア情報教育センター」として発足させ、初代のセンター
来客にも対応できるようにした。
長には、情報工学科の竹下鉄夫教官が就任した。
第 7 節 鬼頭幸生校長時代
(平成 7 年~平成 11 年度)
電気工学科の名称変更
平成 11 年 4 月には、電気工学科が「電気・電子シ
ステム工学科」と名称を変更した。同時に授業科目の
平成 7 年、第 6 代校長として、堀井憲爾校長に替わ
改訂も実施し、「高い電圧、大きな電流」を扱う電気
り、名古屋大学電気教室より鬼頭幸生校長が就任した。
工学が、
「エレクトロニクス、情報通信、新エネルギー、
「何事にも日本一を目指せ」が口癖であった。全国高
システム技術」を柱とする学科へと変身した。
専校長会議に出席し、文部科学省の集計資料が出ると、
9
第 1 編 通 史 編
主事を副校長と呼ぶ
げを止めたのは、平成 19 年度の卒業式からである。
教務・学生・寮務の 3 主事に加え、専攻科の設置に
伴い専攻科長も任命され、総務会議の出席者となった。
平成 3 年度から、総務会議の開催される日の午前中に、
自己点検・外部評価
鬼頭校長の指示により、平成 8 年 11 月に本科生を
校長と 3 主事と部長と課長から成るメンバーで、総務
対象とする授業アンケートを実施した。これは、平成
会議の事前打ち合わせが開催されるようになってい
6 年度に始まった自己点検・評価の仕上げともいうべ
た。平成 9 年度の事前打ち合わせから、専攻科長も本
き位置づけで、本校を含む多くの高専で自己点検・評
校の枢要なメンバーであるということから、この会議
価を行う体制が整備されていたが、さらに第 3 者によ
に出席するようになった。
る評価の重要性が指摘されつつあった情勢を受けての
平成 11 年度からは、それまで主事と呼んでいた 3
ものであった。このような点を考慮し、本校では大規
主事を副校長と呼ぶようになった。それぞれ、教務主
模な授業アンケートを当時の授業法改善委員会が実施
事は「教務担当副校長」、学生主事は「学生担当副校長」、
することになった。委員長の機械工学科の小森勝夫教
寮務主事は「寮務担当副校長」と呼んだ。平成 16 年
授が中心となり、全学生を対象に、講義科目に留まら
度からは、専攻科長も「専攻科担当副校長」と呼ぶよ
ず設計製図、実験実習の科目まで、一部を記述式で、
うになり、4 副校長体制がスタートした。
大部分を回答選択式で調査し、集計した。その結果は
「豊田高専の自己点検・評価(No.3)」として、A4 版
国歌唱和・国歌斉唱
本校では、創立 20 周年記念式典において、君が代
の斉唱を式次第の中に入れようとしたが教官の一致し
た賛同が得られず、このときは歌われなかった。
241 頁の報告書に結実した。以後、授業評価アンケー
トは、平成 12 年以降、毎年実施されていくことになる。
平成 10 年度には、「懇話会」要綱を制定し、専門学
科単位で、夏休みの期間に、近隣の大学や企業の有識
国旗国歌法が平成 11 年 8 月に施行され、君が代が
者に委員を委嘱し、評価と助言を頂き、その結果をま
国歌に制定された。これを受けて、国の機関では、式
とめ公表した。専門学科の教官は全員が出席し、一般
典において国歌を演奏するようにという指示もあり、
学科からも専門学科当たり 5 名が割り当てられ、直接
平成 11 年度の卒業式に、国歌として君が代が歌われ
の指導・批評の言を聴き、討論に参加した。豊田高専
た。
として初めて外部評価を実施したことになる。この時、
卒業式の始まる前に、司会者は次のようなコメント
を読み上げている。
外部評価委員としては各学科とも大学や企業から各 3
人以上、学科によって、若干ばらついたものの 6 ~ 9
「本日の卒業式の式次第の中に、国歌唱和が入って
名の外部委員にお願いし、教育の、特に学力に焦点を
おります。このことは、閣議において国が主催する行
当てて、外部評価が実施された。その結果は、「学生
事では国旗掲揚・国歌斉唱に努めることが確認されて
の学力からみた教育活動に関する外部評価報告書
おり、本校は学校教育法にありますように国が設置す
(No.4)」として平成 10 年 12 月に発行された。その中
る学校であるため、このことを踏まえ、式次第の中に
で、豊田高専の学力から見た教育は、高専生について
入れております。式の中で、国歌唱和、起立と申しま
古くから指摘されてきた点が指摘された。長所は「ま
すが、個人の信条を束縛するものではなく、起立され
じめで素直である」「専門的な能力は大学生に比して
なくても、唱和されなくても結構です。ご理解賜りま
遜色がない」と評価されているが、欠点として「語学
すよう、よろしくお願い申し上げます。」
力が大学生に比して劣る」「視野の狭い学生がいる」
唱和とは、斉唱ほど強制を伴わない響きを持ち、卒
業式・入学式は前述したコメントとともに、君が代が
歌われてきた。
式典において、国歌斉唱となり、コメントの読み上
10
と評価されている。
平成 11 年 11 月には、それまでの「懇話会」要綱を
「懇話会」要項に改訂し、同時に「自己点検及び評価
等実施委員会規程」を整備し、
「自己点検・評価」と「外
第 1 章 40 周年まで
部検証」をする体制を整えた。外部検証委員には岡島
が多いが、前学期定期試験後、後学期開始時期までの
達雄名古屋工業大学長、後藤啓司豊橋技術科学大学長、
間に実施されたこともあった。実施科目も数学・物理・
稲垣康善名古屋大学工学研究科長を始め、6 人の有識
専門科目が実施されていたが、途中より数学・物理に
者からそれぞれ有益なご助言、ご指摘を頂いた。
限定されるようになった。
図書館の夜間開館
新食堂竣工
平成 7 年 7 月より、図書館の夜間開館が始まり、午
平成 12 年 1 月、1 階が定員 300 名の学寮食堂、2 階
後 8 時まで図書館が利用できるようになった。寮生・
は定員 100 名の通学生、教職員用食堂である新食堂が
通学生ともに試験前や試験期間中の勉学の場が 1 つ増
竣工した。清潔感にあふれ、外観もガラスを多用した
えることになった。
ひときわ目立つモダンな建物である。
1 階のホールには、アップライトピアノが設置され
技能審査による単位の認定
た。同時に、2 階の一般食堂にも鬼頭校長からアップ
平成 4 年度より、技能審査の合格について、単位修
ライトピアノを寄贈していただき、食事を摂る場所と
得の認定制度を始めた。これは外部での資格試験など
してだけでなく、文化の発信基地として、音楽会等も
へ挑戦する意欲を後押しする意味もあり、また年度末
開催されるようになり、寮生のみならず学生達の憩い
の進級判定の際に、進級か留年かがきわどい学生に大
の場所となっている。
きな福音であった。
平成 6 年度より開始したセメスター制により、前学
教官採用に面接試験を導入
期成績評価の時点で単位不足が露呈し、留年が確定し
それまで、教官採用に当たっては、当該学科のみが
てしまい、後学期の勉学の意欲を著しく阻害してしま
面接に関与していたが、平成 11 年度より、校長を含
う弊害のあることが指摘され、その救済という面もあ
む複数の教官が面接し、教官採用に当たることになっ
り、従来からの技能審査に加え、ロボコン参加者にも
た。
単位を付与するという制度を始めた。ロボコン参加者
は夏休み中をほとんど出校し、母校の名誉をかけて頑
張っていることから、いろいろ議論はあったが、単位
第 8 節 髙木不折校長時代
(平成 12 年~平成 14 年度)
を付与することにした。その際、課題研究と名を替え、
制度の整備を図った。
平成 12 年、第 7 代校長として、鬼頭幸生校長に替
わり、名古屋大学土木教室から髙木不折校長が就任し
高専ロボコン、2 度目の全国制覇
平成 10 年 11 月、ロボコン全国大会でロボコンBチー
ムの「生命侵略」が優勝し、全国制覇を果たした。
た。それまで、名古屋大学電気教室からの校長就任が
続いた中で、大学こそ同じであったが、他の分野の先
生が就任されたのは、異例であった。
入学式における、入学許可の際、それまでの敬体「入
第 3 学年基礎学力試験を実施
平成 11 年度の 9 月から、第 1 学年から第 3 学年ま
でを対象に、夏休み明けに学力の定着度合いを確認す
学を許可します」から「入学を許可する」と常体に変
えたので、以後、これを真似する学生が、寮祭や文化
祭で続出し、髙木校長のトレードマークとなった。
るため、学力定着試験を実施した。この試験は、翌年
折から、教育改革の嵐が日本中を席巻し、主として
から基礎学力試験と名を変え、第 1 学年から第 3 学年
それは大学を対象とする旋風であったが、高等教育機
までを対象に平成 14 年まで、4 年間続けて実施した。
関としての高専をも直撃するものであった。そして、
平成 15 年度からは、対象を第 3 学年に限定し、現在
そのときのキーワードは「自己点検」「外部評価」「産
に至るまで続けられている。実施時期は、夏休み明け
学官連携」などであった。平成 11 年度の外部評価に
11
第 1 編 通 史 編
続き、平成 12 年度も自己点検を実施し、「自己点検・
は実験内容 5 項目、実験指導 3 項目、レポート 3 項目
評価並びに外部検証・外部評価報告書」も 2 年続いて
の 11 項目について聞いた。FD委員長の伊藤義和教
発行した。教官研究費についても、従来からの人数割
官が中心になって進めたが、膨大なアンケートの集計
りで平等に分配することから、成果を重視し、競争的
は、文部省メディア教育センターに依頼した。
な資金分配を進めるべしという方針のもと、全体とし
348 クラス、総計百万を越える項目の授業アンケー
ての教官研究費を減額し、あらたに校内公募による「教
トは、その分析を電気・電子システム工学科の小関教
育・研究プロジェクト経費」を設け、教官が競争的な
官が中心になって担当し、
(a)学生の取組は真剣であっ
環境の中で研究をするための準備と、外部資金の導入
た、(b)評価はクラスによって大きな差がある、(c)
を促すようにした。
予習・復習もクラスによって大きな差がある、(d)文
科系教科は語学が健闘している、(e)専門科目に対す
新入生学力検査を実施
る評価は案外きびしい、(f)実験・実習に対する評価
平成 12 年度より、第 1 学年を対象に新入生学力検
は概して高いという結果が得られた。この後、項目数
査を実施するようになった。これは、入学時点の学生
や質問内容について変更が加えられたが、平成 15 年
の達成度を入学試験とは別の角度から測り、全教官団、
度からは、継続的に授業アンケートが実施されること
特に科目担当教官や指導教官が学生個人の学力を把握
になった。
することで、入学後の指導に役立てようという趣旨で
始めた。数学、理科、国語、英語の各科目について第
1 学年の 4 月の授業中に実施されている。
情報公開の推進
平成 13 年度より、情報公開法の施行に伴い、本校
でも情報公開制度を制定し、実際に運用を開始した。
産学官連携
平成 12 年 7 月には、「産学官連携委員会」を発足さ
新講義棟の完成
せ、初代の委員長には、機械工学科の橋本正俊教官が
機械工学科東側の講義室を広い教室に拡大する工事
就任した。図書館 1 階にあった学生課教務係と学生係
を前にして、教室の改修中に授業を行う教室が不足す
が福利厚生会館 1 階へ移動し、それに伴ってそれまで
るため、平成 13 年 11 月に、環境都市工学科東隣りに
の寮務係、保健室が移動し、学生課は福利厚生会館 1
新しい講義棟が完成した。1 階に環境都市工学科の土
か所に集まり、学生に対するサービスの向上を目指し
質実験室を設置し、教室の広さも 82㎡とゆったりと
た。空いた図書館 1 階のスペースには、産学官連携の
した広さになった。平成 15 年 2 月には、機械工学科
ための「インキュベーションセミナー室」を新設し、
の東側の講義室の改修も行われ、58㎡の狭い教室がゆ
外部講師による産学官連携事業のセミナー等に使われ
とりのある 76㎡の広さとなった。同時に教室の冷暖
るようになった。
房装置の設置や照明設備の更新も行われ、教室内には
ロッカーも整備され、学生が快適に勉学できるような
教育改革授業アンケートの実施
教 授 方 法 等 改 善 委 員 会( 通 称: F D(Faculty
環境となった。2 つの講義棟ができたので、これらを
区別するため、機械工学科東側の講義室を第 1 講義棟、
Development)委員会)は、平成 12 年度から、「学生
環境都市工学科の東隣りの講義室を第 2 講義棟と呼ん
による授業評価」を行うために、授業評価アンケート
で区別することになった。
を開始した。すべての科目で全クラスについて、座学
については講義内容 5 項目、教授法 7 項目、学生の状
豊田高専ホームページをリニューアル
況 4 項目、計 16 項目について、「あてはまる」「やや
平成 13 年 9 月、これまでの教職員有志が行ってい
あてはまる」「あまりあてはまらない」「あてはまらな
た Web ページの運営体制を見直し、組織的に記事の
い」の 4 段階評価で答えてもらった。製図・実験実習
内容を更新できるよう新しい体制を整備し、デザイン
12
第 1 章 40 周年まで
も新たに、新生豊田高専ホームページをスタートした。
立
このリニューアルによって、Web ページを電子版の
3.問題解決能力
広報誌として位置づけ、広報委員会主導のもとに、ペー
問題意識と考える力を持ち、自ら学習することによ
ジごとにコンテンツの内容に関する責任部署を明確に
る創造力と実践力を備えた技術者の養成
し、デザインもできる限り統一し、維持・管理が容易
4.コミュニケーション能力
にできる環境を構築した。
科学的な分析に基づく論理的な記述力、明解な口頭
発表能力、十分な討議能力、および国際的に通用する
JABEE を目指す
JABEE と は、 日 本 技 術 者 教 育 認 定 制 度(Japan
コミュニケーション能力の修得
5.技術者倫理
Accreditation Board for Engineering Education) の
世界の文化・歴史の中で、技術が社会に与える影響
略称で、<大学などの高等教育機関で実施されている
を考え、自らの責任を自覚し誇りを持つことのできる
技術者教育プログラムが社会や国際的に要求される水
技術者の育成
準を満たしているかどうか>を外部機関が公平に評価
し、水準を満たしているならば、その教育プログラム
JABEE 受審に向けてカリキュラムの改訂
を認定する、という専門認定制度である。その審査を
平成 14 年度に、JABEE(日本技術者認定機構)の
行うのが日本技術者教育認定機構で、平成 11 年 11 月
審査を受けることを決定したので、JABEE において
に設置された。
要求される各基準をクリアするため、各学科が具体的
平成 12 年度には、仙台電波高専が高専のトップを
達成度目標を明確にし、その目標を達成するために各
切って、工学(複合融合・新領域)の分野で試行審査
科目の配置が全面的に見直され、さらに新設科目の導
を受けた。続く平成 13 年度には、宮城高専、小山高専、
入などが行われた。ここでは、科目間連携や PBL(プ
新居浜高専、高知高専の 4 高専が受審した。
ロジェクトベースラーニング)授業の導入についても
本校では、平成 12 年度に JABEE 委員会を設置し、
JABEE 審査のための調査を開始した。平成 13 年度
推進され、それまでの教育課程から大幅なカリキュラ
ム変更がなされた。
から、数度にわたる教官シンポジウムを経て、平成
14 年度末までに JABEE の審査を受けるため、次に
述べるようなカリキュラム改訂などの準備作業を行な
地域共同テクノセンター竣工
平成 14 年 11 月に地域の産学官連携支援拠点として、
い、工学(複合融合・新領域)の分野で「システム創
「地域共同テクノセンター」が竣工した。これまでの
成工学」教育プログラムによる受審体制を整備した。
産学官連携活動が認められ、「インキュベーションセ
ミナー室」から一気にセンター建設へと進み、センター
教育目標の設定
は実習工場の南東に設置された。それに伴い、工場横
JABEE 認定を核とした教育改革に取り組む体制を
の「しだれ桜」の移植が行われ、電気・電子システム
通じて、教育目標を新しく定めた。その内容は以下の
工学科棟と機械工学科棟の間の中庭に移された。桜の
5 項目である。
移植は難しいと言われており、造園業者も心配顔で
1.ものづくり能力
あったが、翌年無事、花を咲かせた。
社会の変化と要請を的確に捉え、ものづくりを多面
産学官連携の地域拠点としての、「地域共同テクノ
的に認識し、実現可能なシステムを構築できる技術者
センター」の開所式は、翌平成 15 年 7 月に、鈴木公
の養成
平豊田市長(当時)などを来賓に招き、にぎにぎしく
2.基礎学力
挙行された。センターの発足に当たっては、産学官連
実験・実習で培われる豊かな体験と基礎理論の深い
理解との融合から生まれるエンジニアリング基盤の確
携委員長橋本正俊教官の多大な貢献があり、初代セン
ター長には橋本教官が就任した。
13
第 1 編 通 史 編
第 2 章 新たな 10 年
11.1・2 こうよう祭を開催 鈴鹿高専ソ-ラン隊が参加
第 1 節 髙木不折校長時代
(平成 15・16 年度)
第 1 項 平成 15 年度
4.1 中嶋清実教務主事、山口健二学生主事、竹下鉄夫寮務 主事就任
4.2 入学式を挙行、本科 216 名、専攻科 23 名
4.15 新入生学力検査を実施
4.17・18 1 年合宿研修を実施(教務主催:愛知県旭高原少
年自然の家にて)
4.18 2 年見学旅行(彦根城・長浜スクエア)を実施
4.30 同窓会特別講演会を開催
5.2~5 ロボカップジャパンオープン(新潟)に参加し優勝
5.7 球技大会を実施
5.17・18 寮祭を開催(大賞:ウオーターボーイズ)
6.10 国際協力機構(JICA)研修生 10 名が来校した
6.14 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施
6.25 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員)
7.1 「地域共同テクノセンター」開所式を挙行
712・13 東海地区高専体育大会に参加
ハンドボール・水泳競技を本校主管で行う
団体 5 種目で優勝 個人も陸上、水泳などで優勝多し
8.7~10 全国高専体育大会(九州地区)に参加
硬式野球、ハンドボールが優勝
8.28 水泳部で事故、1 年男子学生が死去
のち、部活動の安全対策を検討することになった。
9.11 基礎学力試験(3 年:数学・英語・理科・専門)を 実施
9.17 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
独法化、教育改善に関するシンポジウムを開催
10.11・12 学校見学会を開催、プロコン全国大会(東京高 専)に参加
10.12 ロボコン地区大会(福井高専)に参加
「桜」(機械)ベスト 8 に進出
「夢 KANAE」(電気)アイデア賞を獲得し、全国大会に
出場
10.15 体育大会を開催 (優勝は環境)
14
11.22・23 「パソコン甲子園 2003」(福島)に参加 銅メダ
ルを獲得(情報 ・ 機械チーム)
11.23 須賀杯争奪駅伝大会を実施(57 チーム参加)
高木賢治(4 機)が全区間独走し特別表彰
ロ ボ コ ン 全 国 大 会 に 出 場 「 夢 KANAE」 が 特 別 賞 を 獲得
11.26 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
11.28 40 周年特別講演会(根岸孝年氏:機械卒)を開催
記念式典は中止(夏の死亡事故のため自粛)
11.29 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
1.10 JABEE 履修者選抜試験を実施
1.19 推薦入学試験を実施
1.28 校内耐寒マラソン大会を実施(完走者 962 名)
優勝は環境 4 年、3 電:松本雄介、4 環:藤本桃加
1. 31 クラブ対抗駅伝大会を実施(46 チーム参加)
優勝は、男子:陸上競技部、女子:バレーボール部
2.22 入学者学力選抜試験を実施
2.27 本校の交流協定校の韓国大川大学一行(学生 32 名) が来校
3.2~5 2 年スキー教育を実施(志賀高原)
3.2~7 建築 4 年海外研修旅行(タイ:バンコク市内、アユ タヤ遺跡など)
3.2~5 環境 4 年見学旅行(沖縄)
3.3~5 機械 4 年見学旅行(関西方面)
情報 4 年見学旅行(関西方面)
3.8・9 3 年交通安全教育合宿研修(鈴鹿サーキット交通教
育センター)
3.26 卒業式 本科 180 名・修了式 専攻科 31 名
(その他の事項)
・安全衛生関係対策プロジェクトの設置
・清水利弘教官、在外研究員として 11 月から 10 か月間米
国へ出張
・小関修教官が「国立高等専門学校協会会長賞」(11 月)
・西澤一教官、吉岡貴芳教官両名は論文賞(数学における
技術利用アジア会議)を受賞(2 月報告)
・平成 15 年 3 月市川眞人元校長、9 月會澤俊作元教授、10
月長谷亘康元教授逝去
第 2 章 新たな 10 年
「再修得試験の廃止」の代償措置として、同時に、次
豊田高専の教育改革
セメスターでの「複数回開講制度」が始められた。こ
髙木校長の指導の下に、それまで続けていた教育改
れは、前のセメスターで履修はしたけれど、単位を修
革の総仕上げとして、JABEE の認定を目指すこと、
得できなかった学生のために、開講時間にはほとんど
そのために必要な教務上のルール改訂をこの年、集中
の学年で、第 5 限目を当てて、再度、学生に履修の機
的に実施した。
会を提供するものであった。このため、前のセメスター
で修得できなかった学生は、午後 4 時 20 分から 5 時
再修得試験制度の廃止
50 分までの 5 限目にもう一度、授業を受ける必要が
従来授業を聴講し、課題等を提出し、試験を受けて
あった。所定回数の講義を受け、試験を実施し単位の
も、所定の成績に達しない科目は単位の修得が認めら
認定を行った。学生にとっては、2 度目の授業を、単
れず、未修得科目として、次セメスターで再修得試験
位の取れなかった学生のみのクラスで授業を受けると
が実施されていた。これは、前期開講科目は後期に、
いう形式に、発憤して単位を修得できる学生もいた。
後期開講科目は次年度の前期に、この再修得試験が行
一方、教官側には二重の講義の実施を強いるもので、
なわれていた。この制度は、本来は履修はしたものの
反発も大きかった。
単位修得に至らなかった学生のための救済措置として
スタートした。当初は、本来の目的とする、わずかな
ところで試験の得点が及第点に達しなかった学生のた
教育改善推進室の設置
JABEE に関連した、教育改革が実施された。まず、
めの、再挑戦を許容する制度であった。制度が運用さ
それぞれの授業について、<何をどこまで学ぶのか>
れて長い期間が経つにつれ、最初の目的はだんだん薄
という達成目標、そして、<それをどのように評価す
れ、そのうちに、試験の前から、学生は進級に真に必
るのか>という事柄を学生に明示するため、平成 6 年
要な単位を数え、最低限の単位を取得することに集中
度からのシラバス(講義概要)では大改訂が行われた。
し、それ以外の科目については、最初から再修得試験
JABEE は本来、大学の学部教育課程を認定するも
をあてにして、「単位取得をあきらめる」(学生はこれ
のなので、高専でいえば、本科 4、5 年と専攻科の教
を、「捨てる」と表現)者が出てくることになり、こ
育課程が審査の対象である。このために、これらの学
の弊害が目立つようになった。また、教官の中には、
「再
年の専門教育が検討の中心であった。しかしながら高
修得試験」の方がどちらかというと、本来の試験の内
専の教育は、5 年一貫教育を行っており、1、2 年の低
容より、若干難易度を落とし、単位を取りやすくする
学年から専門科目の導入教育が実施されているので、
方もあり、両者の良くない「なれあい」「もたれあい」
低学年においても JABEE が示す教育の精神を導入す
のようなものも出てきた。これらを感じた教官グルー
ることにした。基本的に、成績評価の際、修得のため
プからは、「再修得試験こそが、学生の勉学意欲を低
の最低基準を達成目標の 6 割として、これを全学年、
下させる大きな原因の 1 つである」という主張がなさ
全科目で統一した。また、成績評価の証拠資料につい
れるようになり、教務委員会での議論の末、従来行わ
て低学年の科目についても、JABEE と同じレベルで
れていた「再修得試験を平成 15 年度より廃止」する
残すことにした。このための JABEE 資料室の整備と、
ことになった。
そのための非常勤職員を配置した。
教育改革を推進するため、校長を直接補佐する機関
複数回開講制度
として「教育改善推進室」を設けた。これにより、教
「再修得試験の廃止」は、高専のカリキュラム上、
育改革がシステマティックにかつ、継続して行えるよ
学生の空き時間が少ないことから、履修をしたけれど、
うにした。初代の教育改善推進室長には電気・電子シ
修得できなかった科目については、学生にとって再修
ステム工学科の梶田省吾教官が就任した。
得機会の喪失を意味した。再修得機会を提供するため、
15
第 1 編 通 史 編
JABEE(複合融合・新領域一括受審から)5 学
システム工学科と環境都市工学科は JABEE 履修者を
科個別に受審へ
決定するための選抜試験を実施した。制度上、専攻科
JABEE 受審に先行していた他高専が多く採用して
の入学試験に際して、推薦選抜に出願しようとする志
いた 1 高専が 1 教育プログラム、工学(複合融合・新
願者はこの JABEE 履修者選抜試験に合格している必
領域)で受審するという計画に従って、本校も、5 学
要があるという試験であった。それまでの学修の成果
科が一括して受審するという方針で着々と準備を進め
を達成度で評価し、学生が JABEE 履修者としてふさ
つつあった。
わしいか否かを確認するための試験であった。2 学科
平成 15 年 6 月頃、校内では比較的 JABEE 受審に
関する準備の進んでいた、環境都市工学科の荻野、中
とも、合格者はクラスの半分にも満たず、JABEE 受
審の前途多難を思わせた。
嶋教官が複合融合・新領域を担当する「日本工学教育
協会」へ今後の受審について進め方を相談に行った。
独立行政法人化への移行が決定
その際、このまま、「複合融合・新領域」の審査に合
平成 15 年度に、翌年度から国立高専が全体として
わせるべく全体のカリキュラムを検討していくと、本
一つの機関「独立行政法人国立高等専門学校機構」の
来豊田高専が進めている「5 つの専門学科の特色ある
設置する学校となることが決まり、独立行政法人の中
教育体系」が守れなくなるのではないかという危惧を
期目標の計画を立てるという作業が始まった。独立行
感じ始めた。それは、「システム創成プログラム」に
政法人化とは、行財政改革の一つとして民間の経営手
複合融合にふさわしい、共通的な専門科目が不足して
法を取り入れ、高専の運営に自由度を持たせることに
いるという指摘であった。いかに、JABEE 審査が大
より、教育及び運営の効率化と個々の学校に独自性を
事なことであるといっても、「専攻科の専門基礎の部
持たせ、魅力ある学校作りをしようとするものである。
分」が壊れてしまう、また、より進んだ専門教育がで
独法化により、高専は国の直接管理から切り離され、
きなくなるという恐れがあった。
一つの法人の下に各高専が所属するというシステムに
このような報告をするとともに、夏休み中に何度も
なる。各高専は、独自性、高度化、活性化を目指す目
教官全体の会議も開催し、いろいろな議論を尽くした
標を掲げ、毎年評価を受けながら教育改革や学校運営
が、結果として校長の強い指導もあり、これまで 5 学
の効率化を行っていく責務を負うことになった。
科が一括して一つのプログラムを受審する予定であっ
たものを考え直し、5 学科個別に教育プログラムの認
授業アンケートに対する教官の改善の方策を提
定申請をしようという方針に変更した。その際、高専
出
全体で JABEE の認定申請をする予定で、いろいろな
「学生による授業評価アンケート」を継続して実施
準備を 5 学科が揃って行ってきたが、5 学科が個別に
し、その評価はすべての科目で公表されていた。その
申請することになると、準備の進め方に早い遅いがあ
アンケート結果に対して、教官が<どのように授業を
り、一度にすべての学科で認定申請することができな
改善するか>という方策・企画を考え、校長へ提出し、
くても構わないということも確認された。結果として、
さらに実際に授業で実践するようにした。これは平成
電気・電子システム工学科と環境都市工学科が先行し
15 年度後期から開始されたが、現在に至るまで続け
て、平成 16 年度に受審申請することになった。
られている。
他の 3 学科は、先行する学科から 1 年認定申請が遅
また、平成 15 年度前学期から、授業評価アンケー
れて受審するのも仕方がないという、その後の豊田高
トの結果を科目ごとにレーダーチャートにして、学生
専の JABEE 申請の基本的な方針を決定した。
課教務係、図書館にて、学生が閲覧できるよう公開し
ている。
JABEE 履修者選抜試験を実施
平成 16 年の JABEE 受審を前にして、電気・電子
16
第 2 章 新たな 10 年
ロボカップジャパンオープン 2003 優勝
ロボコンに比べるとより進んだ形式で、試合中は人
が直接介在できない、プログラムによる自律制御方式
れまでのスチーム暖房を廃止し、ガスヒートポンプ方
式を採用し、温度や運転等の制御は会計課施設係で集
中的に管理する方式となった。
によるロボットサッカーの試合、「ロボカップ」サッ
カーが、日本の提唱により国際的な広がりをもって競
第 2 項 平成 16 年度
われるようになり、ロボコンの次のステップとして、
電気・電子システム工学科のチームが国内大会に出場
4.1 横田幹事務部長着任
していた。何年かの参加を経て、この年、始めて「小
4.5 入学式を挙行、本科 213 名 専攻科 23 名
型ロボットリーグ」の部にて、優勝を果たすことがで
きた。この後、国際大会などにも連続出場するように
なり、豊田高専の名を世界にPRしている。
創立 40 周年記念講演会開催 記念式典中止
創立 40 周年に当たり、11 月にはトヨタ自動車のデ
4.7 課外活動等における安全を誓う石碑の除幕式
4. 14 新入生学力検査を実施
4.23・24(金、土) 1 年合宿研修を実施(教務主催:愛知 県旭高原少年自然の家にて)
4.23 2 年見学旅行(彦根城・長浜スクエア)を実施
4.28 同窓会特別講演会を開催
5.13 球技大会を実施
ジタルエンジニアリング会社である(株)BPA 代表
5.15・16 寮祭を開催(雨天で花火、トーチはできず) 取締役社長の根岸孝年氏(機 2)による記念講演会を
6.2 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施
開催した。その他、記念式典等は、夏に起きた学生の
6.16 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員)
死亡事故に鑑みて自粛した。カラーページによる写真
6.21 台風 6 号のため臨時休講
集の形式で「豊田高専 40 年史」を発行した。
独立行政法人化準備
独法化の準備のため、校長、副校長、部長、課長か
らなる独法化準備チームが結成され、独法化時の問題
点を洗い出すと同時に、スムースな移行ができるよう
検討に時間を掛けた。これまでに経験のないことで、
誰もが想像力を働かせながら、機構本部準備チームか
らの情報や、他高専も巻き込んだ議論を進めた。
時間を割いたものの 1 つに、安全衛生関係対策が
あった。環境都市工学科の赤木教官をプロジェクト長
として、外部の安全衛生コンサルタントの指導を仰ぎ、
建物設備・機械設備・有害物質の管理等について総合
的に検討した対策計画書を作成した。その計画書に基
づいて設備等の改善を進めていった。
6.27~7.4 ロボカップ 2004 ポルトガル大会に参加(予選
敗退)
7.10・11 東海地区高専体育大会に参加
卓球、テニス、硬式野球、弓道を本校主管で行う
団体 6 種目で優勝 個人も陸上、水泳などで優勝多し
8.7~10 全国高専体育大会(東海・北陸地区)に参加
ハ ン ド ボ - ル が 優 勝 個 人 で は、 走 り 幅 跳 び( 陸 上 ) 熊本卓史(4 機)が 優勝
9.4・5 全国デザインコンペティション(石川高専)に参加 文部科学大臣賞・アイデア賞を獲得(5 建 池田大樹 ・
小林克成 ・ 近藤洋輔 3 建 宮下浩の 4 名)
9.11(土)基礎学力試験(3 年:数学・英語・理科・専門)
を実施
9.20(月:敬老の日)台風 6 号のため臨時休講にした振り 替え授業を実施
10. 1 第 3 学年 TOEIC –IP を実施(本年度から)
10.9・10 プロコン全国大会(新居浜高専)に参加
10.13 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
校舎棟の改修
耐震化対策も兼ねて、電気・電子システム工学科棟
10.16・17 学校見学会を開催
10.20 台風 23 号のため臨時休講
と建築学科棟の改修工事が行われた。従来の中廊下の
10.21 体育大会を開催 優勝は建築 建物が北側に廊下を寄せた片廊下に改修され、各教官
10.24~26 電気・電子システム工学科の JABEE 受審
室の入り口部分には、教官と学生とのゼミスペースを
設けた新しい校舎が竣工した。冷暖房についても、そ
10.30・31 こうよう祭を開催 10.31~11.2 環境都市工学科の JABEE 受審
17
第 1 編 通 史 編
11.7 ロボコン地区大会(鈴鹿高専)に参加
国立大学は国立大学法人に生まれかわり、全国の高専
「前線職人」(機械)2 回戦で敗退 はすべてを統括する「独立行政法人国立高等専門学校
「vELo-city(ベロシティ)」(電気)技術賞を獲得
機構」が設置する教育機関となった。豊田高専は、正
11.24 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
11.27 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
11.28 須賀杯争奪駅伝大会を実施(59 チーム参加)
ロボコン全国大会に出場 「vELo-city」ロボコン大賞・
特別賞を獲得
式には「独立行政法人国立高等専門学校機構豊田工業
高等専門学校」という名称に変更された。国立の高等
教育機関であることには変わりなく、教育に関する実
質的な部分ではあまり変化なく、文部科学省の配分す
12.17 韓国の亜州自動車大学(旧韓国大川専門大学)の る税金によって運営されていた学校が、国からの運営
来校(60 名) 1.12 第 2 回 教育の内容についての討論会(FD委員会 主催)を開催
費交付金という補助金によって運営されるようになっ
た。ただ、身分は従来の国家公務員から、独立行政法
人の職員へと変わった。文部科学省共済組合の組合員
1.19 学生向けの救急蘇生法講習会を実施
であることに変わりはなかったが、教職員は国家公務
1.23 推薦入学試験を実施
員でなくなったために、雇用保険の被保険者となった。
吹奏楽部定期演奏会(豊田市民文化会館大ホール)で開
催
1.26 校内耐寒マラソン大会を実施(完走者 987 名)
優勝は機械 1 年、4 電:松本雄介、1 建:上田琴恵
1. 29 JABEE 履修者選抜試験を実施
これより「教官」という呼称は使用されなくなり、
「教
員」と呼ばれるようになった。
この独法化により、高専機構は国へ 5 か年の第 1 期
中期計画を提出し、その計画に基づき各年度毎の計画
2. 5 クラブ対抗駅伝大会を実施(48 チーム参加)
を立案し、毎年計画の実施状況を報告することになっ
優勝は、男子:サッカー部、女子:バレーボール部
た。
2.20 入学者学力選抜試験を実施
3.2・3 3 年交通安全教育合宿研修(鈴鹿サーキット交通 教育センター)
3.7~10 2 年スキー教育を実施(志賀高原)
3.6~10 建築 4 年海外研修旅行(タイ:バンコク市内、ア ユタヤ遺跡など)
3.8~10 環境 4 年見学旅行(熊本・鹿児島県)
3.7~10 機械 4 年海外研修旅行(大韓民国)
3.25 卒業式 本科 183 名・修了式 専攻科 20 名
(その他の事項)
教職員は労働者
独法化によって、それまで国家公務員であった教職
員が、労働基準監督署の監督を受ける労働者となった。
それでも教員は職務の性格上、執務をきちんと午前 8
時半から午後 5 時までと区切ることができない。学寮
関係の仕事、クラブの指導、学生の補習など、枚挙に
いとまがない。これらに対処するために、変形労働時
間制をとることにした。これは、1 週間の総労働時間
は決められた時間を守るものの、勤務の実態に合わせ、
・鈴木基伸教員、在外研究員として 10 か月間英国へ出張
1 日の勤務時間を変動できるもので、各自の勤務の様
・河野伊知郎教員、海外先進教育研究実践支援プログラム
態に応じて変えることができる方式である。これによ
で米国へ出張
・2 情 森俊介が「全国高校生読書体験記」で愛知県入賞(以
後 7 年間連続本校学生が受賞)
・平成 16 年 3 月栗本譲名誉教授、6 月手塚二郎名誉教授、
7 月安土幸一郎名誉教授逝去
り、会議の多い水曜日は、遅くまで勤務時間を配置す
るなどの工夫をする余地がでた。独法化当初は、教員
(事務職員については最初の 1 年間は学生課のみ実施)
のみが変形労働制を取り入れていたが、入学試験など
日曜日にも勤務の必要が生じる事務職員についても、
平成 22 年度より変形労働制をとることにした。
独法化元年
平成 16 年度より、国の教育改革、行政改革の一環で、
18
労働者代表の選出
労働者となった教職員が勤務条件などを使用者側と
第 2 章 新たな 10 年
交渉するための労働者代表を設置する必要が生じた。
制度本来の姿である。この点を弾力化し、たとえ、留
その労働者代表は、勤務する教職員の過半数の信任を
年したとしても単位の認定された科目についてはその
得る必要があり、過半数労働者代表と呼ばれる。初代
単位認定を留保し、留年した学生にとって、上位の学
の過半数労働者代表には、一般学科(国語)の松浦由
年の履修を認めることにした。ただし、単位制ではな
起教員が選任され、以後、就業規則等の交渉に当たる
いので、上位学年の単位の認定は、その学生が当該学
ことになった。
年に進級してから行うことにした。これにより、留年
した学生は、空きコマの時間を利用して上位学年の履
カリキュラム改訂
修ができるようになった。
毎 年 の 教 育 課 程 に 関 す る 改 善 活 動 と と も に、
JABEE 側の基準改定や実際の審査において指摘を受
JABEE(電気・電子システム工学科、環境都市
けた事項に対応するため、平成 15 年度に改正したば
工学科)受審
かりのカリキュラムを早々と見直すことになった。基
電気・電子システム工学科は「電気・電子システム
本的な変更点は、科目の名称や内容の変更、開講学年
工学教育プログラム」について西澤一教員をプロジェ
の移動などがあり、平成 15 年度のカリキュラムから
クトリーダとして、環境都市工学科は、「環境都市工
マイナーチェンジが行われた。
学教育プログラム」について山下清吾教員を中心に、
JABEE 認定の申請をした。秋には 2 つのプログラム
複数回開講制度を廃止
平成 16 年度の教務上の大きな変更は、前年度再修
について実地調査が実施され、卒業したプログラム修
了生も呼んで、面接に対応したり、履修中の学生への
得試験制度を廃止した際に、その代償措置として開始
質疑応答も行なわれた。教員団にも面談が実施され、
した複数回開講制度を廃止したことである。第 5 限目
初めての経験で学校中が緊張した数日間を過ごした。
という開講時間が、運動部を中心として課外活動を制
2 つのプログラムに関して、学科の先生方の準備もあ
約阻害し、教員の負担も増し、専門とする教科以外の
り、また中心となって推進した 2 人の先生方の精力的
科目を別の教員が担当するという問題などが生じ、全
な努力もあったが、認定の結果は期間が 2 年間に限定
国的にみてもかなりユニークな制度であったが、1 年
された制限認定であった。
間実施されただけで、廃止することになった。
ただし、前年度からの、全学年全科目で単位認定の
下限の得点を 60 点とするという制度に基づき、以前
教員顕彰制度始まる
教育改革の一環として、「豊田高専教員顕彰規則」
に比べ、修得不認となる学生が大幅に増えた。このこ
を制定し、教育・研究・学生指導等の諸活動の活性化
とが結果として、1、2 年生の留年を引き起こすこと
を図り、教員の自己研鑽の実をあげることを目的とし、
になり、低学年学生を中心に高専の教育に対する不安
顕著な功績を挙げた教員を顕彰することにした。第 1
が広がった。そのため複数回開講制度の廃止の代償措
回の顕彰は、小関修教員(電気・電子システム工学科)、
置として、第 1 学年から修得した単位は留保すること
西澤一教員(電気・電子システム工学科)、稲垣宏教
にした。それまでも、制度として学年制を施行してい
員(情報工学科)の 3 名に対し行われ、校長から賞状
たが、第 4 学年の留年した学生については、卒業研究
及び副賞(研究費 30 万円)が授与された。
の履修を除き、第 5 学年の履修を許し、単位認定も行
うという弾力的な運用を行っていた。このことを第 3
ハンドボール部全国 3 連覇、デザコン文部科学
学年以下の留年生にも許すことにした。学年制の本来
大臣賞、ロボコン大賞受賞 の趣旨からすれば、留年した場合、たとえ修得が認定
8 月豊田高専が主管し愛知県体育館で開催された全
された科目も留年とともに、その単位の修得を取り消
国高専体育大会ハンドボール競技において、本校ハン
し、もう一度すべての当該学年の科目を履修するのが
ドボール部は優勝を飾り、全国大会 3 連覇の偉業を達
19
第 1 編 通 史 編
成した。一般学科(体育)藤本巳由紀教員が監督とし
て学生を指導した賜物であった。
第 2 節 末松良一校長時代
(平成 17 年~平成 22 年度)
9 月石川高専の主管にて開催された「高専デザイン
コンペティション」全国大会において、単純梁方式の
第 1 項 平成 17 年度
木造の橋強度コンテストの部門で、本校建築学科の作
品が、耐荷強度、デザイン性などにおいて他の作品と
比較し、群を抜いて優れているということで文部科学
大臣賞・グランプリを受賞した。
11 月に国技館で開催された「高専ロボコン」全国
大会において、B チーム(電気・電子システム工学科
が主体)の「vELo-city(ベロシティ)」は、優勝より
難しいと言われる「ロボコン大賞」を受賞した。
4.1 末松良一校長着任 松浦由起教務主事、山口健二学生 主事、竹下鉄夫寮務主事、中嶋清実専攻科長就任
4.5 入学式を挙行、本科 214 名 専攻科 27 名
4.14 新入生学力検査を実施
4.27 1・2 年見学旅行を実施 ともに日本国際博覧会(愛 知万博)へ
同窓会特別講演会を開催
5.12 球技大会を実施
5.21・22 寮祭を開催(2005 ~ BIG SMILE ~)
鈴木看護師に感謝状授与
6.1 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施 平成 17 年 2 月、豊田市消防本部において、秋本豊
6.15 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員)
田市消防長から鈴木看護師に感謝状が授与された。こ
6.18 外国人留学生研修旅行を実施 愛知万博へ れは、1 月 27 日体育の授業中に、一般学科(体育)
6.24 FDシンポジウムの開催(授業の工夫の分科会など)
教員が狭心症による心室細動により倒れた際、看護師
の迅速かつ的確な応急手当により容体悪化を最小限に
くい止めた功績に対して贈られたもので、その教員も、
無事退院され職場復帰を果たした。このときには、授
業中の 4 機の学生による看護師、消防署への連絡、救
7.2 JABEE 修了証授与式を開催
7.6 国際協力機構(JICA)の研修生 10 名が来校した(「産 業技術教育Ⅱ」研修コース)
7.9・10 東海地区高専体育大会に参加
陸上競技、サッカー、バドミントン、空手を本校主管 で行う。
急車の誘導等が素早く行われたことが、良い結果につ
団体 6 種目で優勝 個人も陸上、水泳などで優勝多し
ながった。
7.13~17 ロボカップ世界大会(大阪)に参加
84~11 全国高専体育大会(関東・信越地区)に参加
救急救命処置講習会の実施、AED の設置
校内における事故を契機に、それまで運動部の部員
を対象に行われていた救急救命の処置についての講習
会を全校的に開催することにした。運動クラブの部員、
学寮の指導学生等を対象に、豊田市消防本部の協力を
請い、平成 15 年度より講習会を開催した。教職員全
ハンドボ-ルが優勝(4 連覇)
8.22~24 第 3 回全国高専テクノフォーラムの開催(愛知 県産業貿易館西館、本校が世話校)
9.14 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
9.27 国際協力機構(JICA)研修員 10 名が来校した
10.3 ブックハンティング(学生図書委員等が直接書店へ 出向き本を選定する)を実施
員に対しても、平成 17 年度より 3 年に一度の講習を
10.4 TOEIC-IP 試験を実施
義務づけ、講習会を実施している。
10.11 第 3 学年基礎学力試験(数学・理科・専門)を実施
さらに、校内への AED の設置を推進してきた。当
10.8・9 学校見学会を開催(参加者 819 名)
初は、保健室から設置し、体育館、学寮等にも設置し、
プロコン全国大会(米子高専)に参加
自販機を設置する飲料メーカから、AED の組み込ま
10.13 体育大会を開催(優勝:学科情報 学級 2 情報)
れた自販機の設置もあり、平成 24 年度現在では、校
10.30・31 こうよう祭を開催 堀井賞
内に計 6 台が設置されている。
最優秀賞:WATER BOYS(水泳部)
10.31 ロボコン地区大会(金沢高専)に参加
「Climber Pro」
(機械)、「輪廻転生」(電気)ともに敗退
20
第 2 章 新たな 10 年
11.2 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員) 土木教室出身であったが、2 代続けて名古屋大学電気
11.13~15 情報工学科の JABEE 受審
教室以外からの出身という、豊田高専の伝統を破る校
11.18・19 全 国 高 専 デ ザ イ ン コ ン ペ テ ィ シ ョ ン 2005 in
AKASHI(明石)に参加 構造デザイン部門」、「環境デ 長の就任であった。自身で「からくりフロンティア」
ザイン部門」及び「プロポーザル部門」の 3 部門全て本
校学生が最優秀賞を受賞した
11.26 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
11.27 須賀杯争奪駅伝大会を実施(49 チーム参加)本校が なるWebページを立ち上げ、からくり人形師「九代
目玉屋庄兵衛」氏とも個人的に親しく、
「からくり校長」
のニックネームで呼ばれた。何度も九代目玉屋庄兵衛
氏と二人三脚で、「茶運び人形」などを携え、海外に
6 年ぶりに優勝した(陸上競技部チームが 1 位に、硬式
出かけ、日本のものづくりの原点「からくり人形」の
テニス部チームが 8 位に、5 環境チームが 10 位)
実演や講演に東奔西走していた。こうよう祭(文化祭)
11. 27~29 機械工学科の JABEE 受審
では、保護者を中心とする教育後援会の方々に対して
12.6 第 2 回FDシンポジウムの開催(名古屋大学の黒田 も「からくり人形」の紹介に努めた。
先生「技術者倫理」の講演、後半は分科会)
1.5~7 東海地区高専外国人留学生交流会 高山市見学、乗
鞍青年の家(スキー実習)
1.22 推薦入学試験を実施 1.25 校内耐寒マラソン大会を実施(完走者 940 名)
優勝は機械 1 年、5 電:松本雄介、2 建:上田琴恵
1. 28 JABEE 履修者選抜試験(電気)を実施
2. 4 クラブ対抗駅伝大会を実施
優勝は、男子:新聞部、女子:バレーボール部
末松校長は「科学」、「技術」、「技能」の 3 つがバラ
ンスよく、発展・維持してこそ創造的科学技術立国が
実現できるという信念を持ち、特に前二者に比べ、最
後の「技能」をおろそかにしてはならないと、ことあ
るごとに強調していた。
教員採用面接に模擬授業
教員採用時の面接は平成 11 年度より開始されてい
2.20 入学者学力選抜試験を実施
たが、面接は校長室にて実施していた。当初は、校長
3.2・3 3 年交通安全教育合宿研修(鈴鹿)
以下、採用担当教員の前にて面談をする形式であった。
3.7~10 2 年スキー教育を実施(志賀高原)
その後、スライド等を用いて自己PRや自分の研究紹
3.7~9 環境 4 年見学旅行(北海道:道南)
介をするようになっていた。この年から、採用時の面
3.7~11 建築 4 年海外研修旅行(マレーシアおよび香港)
3.8~10 機械 4 年研修旅行(関東方面)
3.20 卒業式 本科 184 名・修了式 専攻科 23 名
3. 24 外部評価委員会を開催する
(その他の事項)
・東海地区中学・高校ディベート大会で、本校ディベート
同好会が準優勝し、全国大会へ出場
・
「数検」グランプリ「奨励賞」
(財団法人日本数学検定協会)
の受賞
・豊田市産業フェスタ 2005 への参加:豊田スタジアムで 9
月上旬に開催される
・耐震工事:一般管理棟、一般教室棟北側、機械工学科棟、
図書館、第 1 体育館(7 ~ 9 月)
接に模擬授業を実施し、教員の教授能力も面接の対象
とすることにした。そのため、面接試験会場も校長室
から、インキュベーションセミナー室や共同会議室に
おいて実施されるようになった。
校舎改修工事(一般管理棟、第一講義棟、機械
工学科棟、図書館及び第 1 体育館の耐震改修)
並びに図書館にエレベータを設置
校舎棟の耐震改修工事が行われ、外部から耐震補強
が行われた。校舎の一部では、窓の部分を壁にするこ
とで強度を確保したところもある。全体として窓の見
通しや、風通しの悪くなる部屋もあったが、耐震強度
の方が優先され、工事が行われた。同時に、図書館に
バリアフリーの観点からエレベータが設置された。透
明ガラスに囲まれ内部の様子が見える新感覚デザイン
平成 17 年 4 月、第 8 代校長として名古屋大学機械
のエレベータである。
教室から末松良一校長が就任した。先代の髙木校長も
21
第 1 編 通 史 編
JABEE(機械工学科、情報工学科)受審
財団法人豊田理化学研究所刈谷少年発明クラブ会長、
前年度に引き続き、平成 17 年度に機械工学科が「機
吉田允昭豊田市教育長、加藤俊博豊田高専教育後援会
械工学教育プログラム」で、情報工学科が「情報科学
長、尾崎哲可豊田高専同窓会長にお願いした。従来の
プログラム」で JABEE の認定を申請した。11 月に
大学と企業の代表者に加えて、地域の青少年、子供達
は実地調査も行われた。この 2 科も先行学科と同じ、
の教育に通じた方、学生の保護者の方、卒業生の方か
2 年間の限定認定であった。建築学科も同時に受審す
ら、本校の運営について、意見を是非伺いたいという
る予定であったが、プログラム修了生がいないという
思いから、評価委員に新しいメンバーを加えた。年度
ことで、認定申請を次年度に延期した。
末の忙しい中、予めお送りした審査資料に加え、評価
委員会当日には、高専までお越し頂き、教育と学生支
学生の活躍
援を中心とした本校の活動について、率直な意見交換
1)「セレンダイン」がティーンズ大賞受賞
を行うとともに、貴重な意見を数多く頂いた。
平成 17 年 11 月東京 Shibuya-AX で行われたヤマハ
この外部評価委員会では、高専のすばらしい点を 8
音 楽 振 興 会 主 催 の「TEENS’ MUSIC FESTIVAL つ要約して述べられた。(1)早くから専門性を意識し、
2005」で豊田高専軽音楽部に所属するギターロックバ
目的意識を持って進学・学習することができる。(2)
ンド「セレンダイン」がティーンズ大賞を受賞し、文
自由な校風で、自主性を育てながら学園生活を送って
部科学大臣表彰を受けた。メンバーは 3 電 岡本知也
いる。(3)3 年生での大学受験がないため、5 年間の
(Gt.Vo)、3 環 市川諒(Ba)、3 電 井上敦夫(Dr)
学習で専門的なことをじっくり学んでいる。(4)学生
の 3 人で、寮祭やこうよう祭等の学校祭で毎年行われ
寮では、親元を離れ集団生活を通して、他人との接し
ている軽音楽部主催のライブイベントやステージイベ
方、自立心が養える。(5)JABEE の審査を受け、高
ントの出演を皮切りに活動を始め、日頃の練習により
いレベルの技術者育成を目指している。
(6)5 年卒業
実力をつけ、受賞につながった。
時に大学への編入など、さらに高いレベルの学習への
道がある。(7)中学生や市民対象の公開講座で情報や
2)全国高専デザコン 2005 in AKASHI(明石)で最
技術を発信している。(8)教師陣がすばらしく、質の
優秀賞を独占
高い授業を受けることができる。
11 月に明石で開催された全国高専デザインコンペ
改善が望まれる点として、次の 2 つが指摘された。
ティションで、「構造デザイン部門」「環境デザイン部
(1)施設等の清掃や整備があまりされていない。校内
門」及び「プロポーザル部門」の 3 部門すべてで、豊
での環境整備など、ボランティア活動の精神を高揚す
田高専学生が最優秀賞を受賞した。
るための教育や活動を進めてもらいたい。(2)学生寮
では、500 人以上が生活している。挨拶やマナーなど
3)豊田市クリエイティブ大賞受賞
身につくことが多いとは聞いている一方、寮担当の指
平成 18 年 3 月豊田産業文化センターで開催された
導があまり熱心でないとも聞いている。学寮が広い地
「とよた科学創造フェスタ 2006」のクリエイティブ競
域から学生を集める手段というだけでなく、集団生活
技一般部門で 1 電チーム(6 名)が最高位のクリエイ
でのルールを守ること、協力することなど、多くを意
ティブ大賞を受賞した。
図的に学ばせる場であって欲しい。
指摘して頂いた意見を本校の管理運営に反映し、本
独法化後初めての外部評価を実施
年度末の平成 18 年 3 月に、独立行政法人になって
から初めての外部評価を実施した。評価委員としては、
校の持続的発展に繋げていきたいと、教職員一同肝に
銘じた。
これ以降、2 年に一度、外部評価委員を委嘱し、外
澤木宣彦名古屋大学大学院工学研究科長、青山高美株
部から本校の点検をして頂くことが定着した。平成
式会社トヨタテクノサービス代表取締役社長、桑門聡
19 年度には、主として研究活動と正規課程の学生以
22
第 2 章 新たな 10 年
外に対する教育サービスの状況について審議をして頂
10.22~24 建築学科の JABEE 受審
いた。さらに平成 21 年度には、キャリア支援と学習
10.29 ロボコン地区大会(沼津高専)に参加
支援と外部資金による教育の高度化活動をテーマとし
「TOTOYA」
(機械)特別賞、「Liberty」(電気)技術賞
て評価を受け、意見を頂いた。
第 2 項 平成 18 年度
4.4 入学式を挙行、本科 214 名 専攻科 33 名
4.11 新入生学力検査を実施(旺文社の問題を利用)本学力 検査結果に基づき、数学の成績不振者に対して夏季休業
までの間補講を行う
4.26 同窓会特別講演会を開催
4.27 1 年見学旅行を実施(陶芸教室ボイスオブセラミック
ス、日本大正村) 2 年見学旅行を実施(馬籠宿・妻籠宿の散策)
5.3~6 ロボカップジャパンオープン 2006(北九州市)に参 加、小型ロボット部門で 3 位入賞
5.10 球技大会を実施
5.20・21 寮祭を開催(テーマ「おっきく」) 6.10 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施 6.14~18 ロボカップ世界大会 2006 小型リーグ(ドイツ)
に出場 「KIKS」決勝トーナメントに進出
6.21 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員)
6.23 国際協力機構(JICA)研修員 10 名が来校した
7.15 JABEE 修了証授与式を開催
7.8・9(1・2) 東海地区高専体育大会に参加
ソフトテニス、バレーボールを本校主管で行う
団体 4 種目で優勝 個人も陸上、水泳などで優勝多し
8.1~12 全国高専体育大会(関東・信越地区)に参加
ハンドボール準優勝 走高跳 2 位(5 情二村保徳) 100m 平 泳 ぎ( 女 子 )3 位(4 電 上 野 雅 子 ) 近 畿・ 東 海・ 北陸・信越地区高専弓道大会 男子団体の部 優勝
9.13 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
9.20 FDシンポジウムの開催(阿南高専の坪井泰士教授 「全校的な授業改善システムの構築にむけて」の講演会、
後半は 3 会場で分科会)
10.3 第 3 学年基礎学力試験(TOEIC・数学・理科)
10.6 国際協力機構(JICA)研修員が来校した
10.7・8 学校見学会を開催(参加者 658 名)
プロコン全国大会(茨城県ひたちなか市)に参加
10.9 わ く わ く ワ ー ル ド「 と よ た も の づ く り フ ェ ス タ
2006」(トヨタスポーツセンター)に参加
10.17 体育大会を開催(優勝:学科情報)
10.30・31 環境都市工学科の JABEE 受審
11.3・4 こうよう祭を開催(テーマは「Herrts」
)
11.12 東海地区国立高等専門学校体育大会ラグビー・フッ トボール競技の開催(本校にて)
11.12・13 電気・電子システム工学科の JABEE 受審
11.15 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員) 11.17・18 全国高専デザインコンペティション(都城)
「プロポーザル部門」で「会場審査賞」を受賞(3 建中島 優チーム「マチレゴ」)
11.25 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
学寮で「焼き芋会」を実施(寮で作ったサツマイモ)
11.26 須 賀 杯 争 奪 駅 伝 大 会 を 実 施(51 チ ー ム 参 加 ) 陸上競技部チームが 2 位、卓球部チームが 5 位、2 区で
区間賞を獲得
ロボコン全国大会に「TOTOYA」(機械)が出場 開会
式の選手宣誓を 3 機安妻亮が行う 特別賞を受賞
1.11 国立高等専門学校学習到達度試験(数学・物理)の実 施
1.21 推薦入学試験を実施 1.24 校内耐寒マラソン大会を実施(完走者 816 名)
優勝は建築 1 年、専 1 電機:松本雄介、3 建:上田琴恵
1. 27 JABEE 履修者選抜試験(環境)を実施
2.3 クラブ対抗駅伝大会を実施(40 チーム参加)
優勝は、男子:サッカー部、女子:ソフトテニス部
2.18 入学者学力選抜試験を実施
2.27~3.1 環境 4 年見学旅行(山陽:錦帯橋、広島)
2.28 後学期定期試験の答案返却の試行(第 1 ~ 4 学年)
3.1・2 3 年交通安全教育合宿研修(鈴鹿)
3.6~9 2 年スキー教育を実施(志賀高原)スノーボードを 実施
3.6~8 機械 4 年見学旅行(関東方面)
3.19 卒業式 本科 196 名・修了式 専攻科 30 名
(その他の事項)
・高専間教員交流制度始まる:本年度、鬼頭俊介教員が一
関高専へ
・吉岡貴芳教員、在外研究員としてオーストラリアへ出張
・中村寛(専 1 年情報)が電気学会優秀論文発表賞を受賞
・修了式・卒業式、今回の式典から校歌吹奏(校歌斉唱) を加える
・公開授業の実施(保護者の授業参観も)
23
第 1 編 通 史 編
・小・中学校出前授業の実施
・教員室、ゼミ室、演習室等の扉ガラスの透明化
また、この年、建築士の受験資格の要件変更により、
建築学科では一部の科目に必修要件が追加された。
教員交流制度(一関高専へ、福井高専から)
末松校長、科学技術賞を受賞
高専機構が発足し、全国の高専が一つの組織体と
平成 18 年 4 月、末松校長は、「サマー・サイエンス・
なったことから、従来からも進められてはいたが、教
スクールでの科学理解の増進」により、文部科学大臣
職員の人員配置を適正にすることがより求められるよ
表彰「科学技術賞」(理解増進部門)を受賞した。平
うになった。
成 7 年度から岐阜県中津川市で毎年開催されている
その一環として、高専機構内の高専間教員の交流制
「サマー・サイエンス・スクール」での活躍を評価さ
度が発足した。この制度を利用し、機械工学科の鬼頭
れたもので、校内でも機会をとらえ、からくり講演や
俊介教員が一関高専に 1 年間配置転換となり、勤務し
特別授業など、学生を前に熱弁をふるった。
た。一関高専では、スターリングエンジンの技術修得
に努め、豊田高専に戻った後、関連する新しい実験テー
カリキュラム改訂、学修単位の導入
マを作り、機械工学科の実験に新風を吹き込んだ。
高専の科目は講義、演習および実験・実習などの科
また、逆に福井高専からは、翌年、野村保之教員が
目種別に関わらず、2 単位時間(90 分 1 コマ)の授業
情報工学科に異動になり、1 年間勤務した後、福井へ
を 15 週(計 30 単位時間)受講し、試験などによる評
戻った。以降、高専間交流のみでなく、この交流の輪
価をクリアすると 1 単位が認定されるものであった。
に豊橋、長岡の両技科大も加わり、毎年のように教員
しかし、合計 60 単位までの範囲内で、大学と同様な
交流が実施されるようになった。
単位の算定方式が認められるようになった。大学の単
位算定方式に基づく科目を「学修単位科目」と呼んで
専攻科の前期を 8 月まで、夏休みを 9 月へ
いる。大学では 45 時間の学習(講義 15 ~ 30 時間で
中期目標に謳われている「専攻科の長期インターン
残りは自学自習による)で 1 単位となっており、通常
シップの充実」を推進する際、障害となっていたのが、
の半年 1 コマで講義される座学の科目では、30 時間
専攻科の夏休みの時期であった。それまで、本科と同
の講義と 60 時間の自学自習により、2 単位が認定さ
じように 7 月中旬まで授業をし、夏休みを挟んで、9
れる。高専でも平成 16 年度入学生から、これら「学
月に入ってから前期の残りの授業と定期試験を行って
修単位科目」による単位認定を一部始めており、平成
いた。この日程を前倒しして、8 月に入って、前期の
18 年度入学生からは「学修単位科目」を本格的に導
授業と定期試験を実施し、その後に夏休みに入り、9
入し、高専や各学科の教育目標を達成するよう科目の
月一杯は夏休みとした。これにより、専攻科は 8 月後
配置を全面的に見直した。学修単位科目のほとんどは
半と 9 月が夏休みとなり、長期インターンシップの実
4・5 年生向けの科目に配置されており、講義の受講
施時期を確保することができるようになった。さらに、
だけではなく、多くの自学自習時間が必要である。そ
専攻科の 2 年生にとっては、学位授与機構へ 10 月初
れら多くの自学自習時間を必要とする学修単位科目に
めに提出する「学修成果レポート」の執筆時間が確保
ついては、1 週間に時間割の中で 5 科目までに制限す
できるというメリットもあった。ただ、このため両方
ることで、学生の自学自習する時間を確保するように
の授業を担当している教員にとっては 8 月中旬まで専
努めている。授業のなかでも、教員は学生に自学自習
攻科の成績報告に追われ、9 月からは本科の授業に忙
を促すべく、声をかけたり、具体的に家庭学習のため
殺されることになり、教員自身のまとまった自由な時
の課題を課す等の工夫をし、その授業実施記録を残し、
間、研究をするための時間が確保できないという声も
JABEE の証拠資料と同じように、資料として残すこ
上がった。さらに進んで、本科についても、前期定期
とにしている。
試験をしてから夏休みに入る方が学習の効率の面から
24
第 2 章 新たな 10 年
みて好ましいという意見もあり、また本科の卒業研究
施した。実験や小テストをするなど、公開にふさわし
と専攻科の特別研究が同期してできないという不具合
くない授業を予めピックアップし、それ以外の授業に
も指摘されている。学寮にエアコンが設置され、7 月
ついて、保護者に公開している。学生・教員にとって
一杯授業を行ない、定期試験ができる環境が整えば、
緊張感を生み、良い刺激となっている。
本科の夏休みについて議論をする日が来るかもしれな
い。
国際化の推進(長期留学)
豊田高専の特徴の一つとして、長期の海外留学・異
後学期定期試験の答案返却
これまで後学期の定期試験の答案は、次年度になっ
文 化 理 解 活 動 が 盛 ん な こ と が あ る。 毎 年、AFS・
YFU による長期留学制度(休学留学)を利用して約
てから返却したり、卒業式の当日に学年成績の通知を
30 名の成績優秀な学生(2 年生、3 年生)がアメリカ、
するので、そのときに返却したり定まっていなかった。
ヨーロッパ、オーストラリア、南米などへ 1 年間留学
5 学年の学生は卒業してしまうため、返却していない
している。留学生はホームステイをしながら現地の高
教員も多数いた。JABEE の精神、教育の観点からは、
校に通う。学校生活(授業・クラブ活動など)
、ホー
試験の答案返却は重視されており、教育改革の一環と
ムステイを通して多くの異文化に触れ、大きく成長し
して、定期試験の終了後、春休み中に答案返却日を設
て帰国する。帰国後、多くの留学経験学生は学生会、
定し、この日は登校日とした。学年、学科、科目につ
寮生会、地域ボランティア活動の中心メンバーとして
いて、予め調整しておき、教員が教室に赴き答案を返
活躍している。
却するとともに、採点の疑問に答えるという日を設け
「海外留学受験許可に関する申し合わせ」が平成 13
た。自宅が県外の学生については、特に配達記録郵便
年に制定された。AFS や YFU といった伝統と実績の
により郵送するという特例も設けている。
ある交換留学の派遣団体による留学について、年度を
またぐ留学の場合、前年度の途中の成績を留保し、帰
第 3 学年国立高専学習到達度試験の実施
学校教育法が改正され、「ゆとり教育」の見直し、
国後、その成績を引き継ぎ、1 年の留年のみで済むよ
うにした。その中で、前年度の学年末の成績評価平均
全国学力テストの導入を前にして、高専でも全国統一
点(GPA)が所定のレベルに達していることを受験
の学習達成度を評価する試験を実施することになっ
の条件とした。
た。科目は数学と物理で、各高専のカリキュラムに合
年度により留学する学生数に大きな増減があると、
わせ、出題分野を予め登録しておき、実施されている。
1 クラス 40 名を基本として設計されているクラスの
試験の結果は、各自に分野ごとの得点が通知されると
運営に支障がでるため、一定の歯止めが必要であると
ともに、全国高専の平均点の他、高専ごと、学科ごと
いう理由から、平成 18 年度から、留学生は 1 クラス
の平均などが自高専分に限り通知される。これを見て、
原則 10 名までという条件を付加した。これにより、
各高専は、学生の理解度や弱点などを知ることができ
学校全体でも 1 年に留学する学生の上限は 50 名を越
るようになった。毎年、1 月に第 3 学年を対象に実施
えることはない。
され、現在に至っている。
ロボコンは学科混成のA、B 2 チームで参加
保護者による授業参観の実施
ロボコンは当初は、機械工学科と電気工学科が主体
例年、前期成績が通知された後、こうよう祭(文化
となって、2 チームで参加していた。入学して来る学
祭)の期間中とその前後に指導教員と保護者の間で個
生で、前記 2 学科以外の学生からもロボコンに参加し
別懇談会が行われている。この期間中に保護者がせっ
たいという希望者が出てきた。それら希望者に配慮し
かく来校するのだから、授業の様子を保護者に公開し
て、前記 2 学科以外の学生も、毎春チームの構成メン
た方が良いのではと考え、保護者による授業参観を実
バーとして募集し、豊田高専としては、A、Bチーム
25
第 1 編 通 史 編
という名称で、必ずしも所属学科に拘らず、高専生で
図書館に多目的ホールを整備
あれば誰もがロボコンに参加できるようになった。現
学生が多数集まることのできる場所としては、図書
在でも、指導する教員はAチームが機械工学科で、B
館講堂があった。文部科学省は多人数の集まる場所は
チームが電気・電子システム工学科であることは変
必要ないという観点から、図書館講堂も正式には、視
わっていない。
聴覚室といって、必ずしも講堂として位置づけられて
いなかった。それでも一つの学年の学生全員が収容で
ロボカップ世界大会予選突破
きることから、修了式・卒業式は図書館講堂で実施さ
電気・電子システム工学科がロボコンの次のステッ
れてきた。ところが、専攻科の設置や、修了式・卒業
プとして参加していた、ロボットによるサッカーチー
式への保護者の列席が多くなり、本校教官の参列もま
ムが国内大会を勝ち抜き、何度かの国際大会を経て、
まならないことになり、平成 15 年度より卒業式も体
平成 18 年 6 月ドイツのブレーメンで行われた国際大
育館に式場を設けて実施することになった。
会にて予選リーグを勝ち抜き、始めて決勝リーグへ進
出するという快挙を成し遂げた。
図書館講堂は椅子が固定されていて、配置を変更す
ることもできず、後ろ側は階段になっており、多少傾
これ以降も毎年、国際大会にエントリーし、予選リー
斜をしてステージが見通しやすいように設計されてい
グを突破し、決勝リーグの常連として活躍するように
た。なにより椅子が固定されていたため、かねてから
なった。平成 18 年度のドイツ大会では、ベスト 4 に
利用の用途は講演会に限られていた。
進出し、平成 24 年度のメキシコ大会では、ついに 3
位に入賞するまでに躍進した。
これらを考慮して、12 月に図書館講堂を整備、机
を配置し、1 学年 200 名がノートなどを置いて講義を
受けることもできるようにした。そして、参加者が多
JABEE(建築学科)受審
いときには机を撤去し、椅子だけにすることで 300 名
平成 18 年度には、建築学科が 5 学科の最後の学科
近い収容人員を確保できるようにした。なにより、机・
として、「建築学教育プログラム」により、JABEE
椅子が固定されていないため、配置を自由にできるこ
を受審した。建築学科の準備ならびに実施状況の実地
とから、グループ討議をすることもできるし、机・椅
調査も行われ、結果として、5 年間の完全認定を受け
子を除けば、ミニ展示室とすることもできるように
た。これにより、豊田高専の 5 学科はすべて JABEE
なった。このように従来の講堂に比して、使用目的が
から認定された教育プログラムを実践していることが
いくつにも設定できるので、改修を機に名前も「多目
内外に認められた。
的ホール」と改めた。
環境都市工学科棟改修工事が完成
ものづくりセンター発足
平成 18 年 12 月、耐震工事とともに、環境都市工学
機械科出身の末松校長は、老朽化の著しかった実習
科の改修工事が完成した。学科創立以来続いてきた土
工場の改修に心を砕き、名称も「ものづくりセンター」
木工学科の教育環境を一新すべく、学科棟の改築工事
と改名し、3 年掛かりで改修、化粧直しを実現した。
を 行 っ た。 環 境 に 関 連 す る 実 験 室 が な い こ と が、
最後まで残っていた、鉄枠の窓がアルミサッシとなり、
JABEE の審査でも問題になっていたが、改修を機に、
工場に天井を設け、冷暖房装置も設置された。
ようやく環境実験室が整備された。機械工学科、環境
情報工学科棟と専攻科棟の間にあって、利用度の余
都市工学科、建築学科の 3 学科が共同利用するための
り高くなかった機械工学科の流体・熱工学実験棟の改
CAD 室も、改修を契機に環境都市工学科棟に設置さ
修も手掛け、ものづくり工房として再生し、全校的な
れた。
利用施設とした。広い作業スペースが魅力で、デザイ
ンコンペティションにおける橋の強度コンテスト部門
の試作工場として、また専攻科の特別実験のスペース
26
第 2 章 新たな 10 年
として広く使われるようになった。
末松校長は、1 年から 3 年までの全学科の学生を対
ができてきた。このスコアを基に吹奏楽部も練習を重
ね、作詞者の氏名でミソをつけていたため、教務主事
象に、ものづくりセンターでの実習を中心とした「も
松浦教員の発案にて、作詞者を明示せず、「歌詞撰定 のづくりセミナー」の開講にも尽力した。これは平成
須賀太郎」として、校歌のスコアならびに歌詞カード
18 年度から、課題研究乙として実施している。例年
を印刷して、修了式・卒業式に演奏することにした。
定員を越える学生の応募があり、「ものづくり」を重
昭和 44 年 3 月の第 2 回卒業式にて披露されるはずが、
視する末松校長の真骨頂でもある。
結局歌われなかったため、平成 18 年度修了式・卒業
式において、実に 38 年振りに日の目を見た校歌が歌
教員室、実験室の扉ガラスを透明化
この年、徳山高専で起こった事件を契機に、教室、
われた。
平成 19 年度の入学式でも、吹奏楽部が校歌の演奏
講義室、教員室、実験室、演習室の扉のガラスを不透
を行った。せっかく「栄生ケ丘に聳え立つ」と、すば
明なすりガラスから、透明ガラスに付け替えた。廊下
らしい詩がついているのだからと、折から発足した合
から、室内の様子が見通せるようになり、一部にプラ
唱同好会に依頼し、平成 20 年度の修了式・卒業式に
イバシーがなくなるという指摘もあったが、安全確保
は吹奏楽部の伴奏で、合唱同好会のメンバーが二部合
の観点から一律に実施された。
唱の校歌を披露した。まだ、校歌を大きな声で、卒業
生、在校生が合唱するに至っていないが、毎年の入学
校歌の演奏
豊田高専では、昭和 43 年に校歌を制定したが、第
1 章第 2 節に書いたように、卒業式において不幸な出
式、修了式・卒業式の式次第には、国歌とならんで校
歌斉唱も必ず墨書され、すっかり式に定着した。
卒業式が近づくと、歌入りの校歌を昼休みに流し、
来事があり、これ以後、入学式・卒業式などの公式な
参列者が校歌を歌えるように配慮した。また、第 1 学
場所での校歌は演奏されてこなかった。
年の芸術の時間には、1 コマを使って、校歌の練習を
環境都市工学科(土木工学科)の体育祭における応
援合戦において、応援団が歌う校歌のみが、豊田高専
するようにもなり、徐々に学生や教職員の間に定着し
つつある。
にて唯一と言っていいくらいの校歌を聞く機会で、歌
われざる校歌であった。
第 3 項 平成 19 年度
着任早々の末松校長は、入学式に国歌は歌われるの
に、校歌が歌われないのを訝しく思い、勤務の長い教
職員に「歌われない校歌」の由縁を聞いた。
その結果、歌詞と旋律をそのままで、校歌を復活さ
せるべく行動を開始した。まず、吹奏楽部の顧問教員
であった安藤浩哉教員に相談し、新たに吹奏楽部が演
奏できるよう編曲をし直すことにした。安藤教員を通
じて、クラシックからポップスまで作編曲し、多くの
吹奏楽曲を出版されている鈴木英史氏に編曲を依頼し
た。鈴木氏の曲は、本校の吹奏楽部に限らず、吹奏楽
コンクールなどでも演奏される機会が多い。安藤教員
は、かねてから吹奏楽の全ての楽器の音色が生かされ
るような曲づくりをされる鈴木氏の素敵な作品に注目
していた。その結果、新しい曲ではないかと思われる
ほど生まれ変わった、新生「豊田高専校歌」のスコア
4.1 松本 勤事務部長着任、金井康雄教務主事、中嶋清実 学生主事、後田澄夫寮務主事、竹下鉄夫専攻科長就任
4.3 入学式を挙行、215 名 専攻科 38 名
4.11 新入生学力検査を実施(スタディーサポート)
4.25 同窓会特別講演会を開催
4.24 1 年見学旅行を実施(長島スパーランド) 2 年見学旅行を実施(郡上市八幡地区)
4. 28(土) 球技大会を実施、土曜日に(498 名の参加)
5.3~5 ロボカップジャパンオープン小型ロボットリーグ
(大阪)で準優勝
5.14 建築学科が JABEE 認定され、全 5 学科の教育プロ グラムが JABEE 認定を受ける
5.19・20 寮祭を開催(テーマ「enjoint」) 6. 9 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施 6.13 FDシンポジウムの開催(「授業評価アンケートの 27
第 1 編 通 史 編
経年変化分析」の報告)
6.20 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員)
1.30 校内耐寒マラソン大会を実施(23 日は雨天のため延
期された 完走者 940 名)
6.23 「建築学プログラム」JABEE 修了証授与式を挙行
優勝は環境 1 年、専 1 電機:粕谷悠介、1 情:白井小雪
7.3~8 ロボカップ世界大会でベスト 8 入賞(米国ジョージ
2. 2 クラブ対抗駅伝大会を実施(36 チーム参加)
ア 州アトランタ)
7.7・8(6/30・7/1)東海地区高専体育大会に参加 バスケッ
ト ボール、ハンドボール、剣道、弓道を本校主管で行
う
優勝は、男子:陸上部、女子:陸上部
2.17 入学者学力選抜試験を実施
2.26・27 環 境 4 年 研 修 旅 行( 関 西 方 面: 明 石 海 峡 大 橋、 北淡震災記念公園など)
団体 5 種目で優勝 個人も陸上、水泳などで優勝多し
2.28 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
7.16 全国高等専門学校等通信弓道大会
3.4~6 2 年スキー教育を実施(志賀高原)
女子個人 5 環上田恵が 3 位
3.5~8 建築 4 年海外研修旅行(中国:上海方面)
8.18~26 全国高専体育大会(四国地区)に参加
3.4~6 機械 4 年見学旅行(関東方面)
ハンドボール準優勝 3.10 外部評価委員会の開催 9.12 校内環境美化を実施(全学生・教職員)
3.10・11 3 年交通安全教育合宿研修(鈴鹿)
10. 2 建築学科第 1・2 学年見学研修
3.19 卒業式 本科 190 名・修了式 専攻科 25 名
復習試験の実施(第 3 学年基礎学力試験(数学・理科)
に代わるもの)
(その他の事項)
10.6・7 学校見学会を開催(参加者 754 名)
・全 5 学科の教育プログラムが JABEE 認定を受ける
プロコン全国大会(津山高専)に参加 「マジカル☆ モ ・全国高校ディベート大会(東京)出場(8.4~6)
ルるートくんー化学反応シミュレーター」(専 1 情報チー ム)自由部門で優秀賞受賞(準優勝に相当)
10.18 体育大会を開催(優勝:学科情報 学級 1 機械)
10.21
ロボコン地区大会 課題「風林火山 ロボット騎馬 戦」
(富山高専)に参加 Aチーム「倭(ヤマト)」
(機械)、
「騎槍展開」 (電気)アイデア賞を受賞
・全国障害者スポーツ大会の陸上競技で、4 建加藤尊士が 男子 100m 金メダル、400m 銀メダルを獲得(10.13~15)
・ディジタル技術検定において 4 電堀井隆斗が文部科学大
臣賞を受賞
・全国高校生読書体験記コンクールにおいて 1 機辻村憲昭 が一ツ橋文芸教育振興会賞を受賞(全国規模での受賞)
10.29~31 機関別認証評価の訪問審査、無事終了
11.3・4 こうよう祭を開催(テーマは「Break Our Limit」) 最優秀学科展 4 年建築「Sea Cat ~港町の酒場~」
11.8・9 情報工学科の JABEE 中間審査の受審
11.13 機械工学科の JABEE 中間審査の受審
11.14 校内環境美化作業を実施(全学生・教職員) 教員の職階追加と変更
平成 19 年施行の学校教育法の改正により、改正前
の助教授とは、教授を補佐する立場であるとされてい
11.16・17 全国高専デザインコンペティション 2007in 周南 たが、これを独立した教育・研究の従事者として「准
(徳山高専)環境部門「ソファミレどーろ」(4 建中島優 教授」という職階に変更した。さらに、これまでの助
チ ー ム ) 優 秀 賞 も の づ く り 部 門「makingAnother
手相当の職階を新たに設け、座学による講義を担当で
Animal」 (専 1 建設三宅正人チーム)優秀賞
きる職階を「助教」とした。
11.24 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
11.25 須賀杯争奪駅伝大会を実施(48 チーム参加)
大高緑地公園の周回コースに変更 陸上部チームが 3 位
12. 5 第 2 回FDシンポジウムの開催(学力不振による留年 の要因分析など)
1.11 国立高等専門学校学習到達度試験(数学・物理)の実 施(すべての高専で実施)
教員の定員削減
国家公務員の時代から、高専の定員削減は続いてい
たが、それはすべて事務職員の削減であった。ところ
が、沖縄高専の設立、高専機構本部への教職員配置の
ため、初めて教員の定員が削減された。平成 19、20
1.19 第 3 学年 JABEE 履修者選抜試験(環境都市工学科)
年度と 2 年度にわたり助手・助教の定員が 1 名ずつ削
1.20 推薦入学試験を実施 減された。それまでの事務職員の定員削減も結果とし
28
第 2 章 新たな 10 年
て、事務処理の一部を教員が肩代わりせざるを得ず、
第 4 項 平成 20 年度
教員の負担が重くなってきていたが、直接教育を担当
する教員の削減は教育重視の高専にとって由々しき事
4.3 入学式を挙行、本科 210 名 専攻科 30 名
態であった。
4.16 新入生学力検査を実施
機関別認証評価を受審
高専は平成 17 年度の学校教育法の改正により、そ
の規定に基づき、教育研究等の状況について、一定期
間ごとに、文部科学大臣から認証を受けた評価機関に
よる評価を受けることが義務づけられている。高専の
認証評価は、「独立行政法人大学評価・学位授与機構」
を認証評価機関として平成 17 年度から開始された。
本校では、平成 19 年度に評価を受け、実地審査も
踏まえ、「大学評価・学位授与機構が定める高等専門
学校評価基準を満たしている」と判定された。
その時の、認証評価で本校の主に優れた点として以
下の 4 つが挙げられた。
(1)インターンシップは、全学科において 4 年次の選
択科目「校外実習」として開設され、単位認定が行わ
4.22 新任教職員研修を実施
4.24 1・2 年生見学旅行を実施(1 年:ブルーメの丘、滋賀 県 2 年:モクモム手作りファーム、伊賀市)
4.30 同窓会特別講演会を開催
5.3~5 ロボカップジャパンオープン 2008(沼津)に参加
5.17(土) 球技大会を実施(参加者:約 460 名)
5.24・25 寮祭を開催(テーマ「絆船」 24 日は雨天のため ファイヤートーチは延期)
5.28 校内環境美化を実施(電気:3 年以上)
6.7 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施
6.18 国際協力機構(JICA)研修員が本校を訪問
校内環境美化を実施(機械:3 年以上)
6.26 (財)オイスカ中部日本研修センター研修員が本校を 訪問
7.5・6 東海地区高専体育大会に参加
水泳、柔道、テニス、ラグビーを本校主管で行う
団体 6 種目で優勝、個人も陸上、水泳などで優勝多し
れている。4 年次学生のほぼ全員が地域の企業や官公
7.14~20 ロボカップ世界大会(中国・蘇州)に参加 庁、工場、工事現場等で実習を行っており、企業体験
8.29 FD シンポジウムを開催 (テーマは「学生に対する を通して社会性を身に付けるとともに、実習終了後に
学習・生活指導」などで、午前、午後に分け行う)
報告書の提出や校外実習報告会で実習内容の発表を行
8.17~27 全国高専体育大会(北海道地区)に参加
うことで、プレゼンテーション能力の向上にも活用さ
陸上部 400m リレー優勝 400m 3 位 2 機長谷川慎
れている。
(2)専攻科課程の「電子機械工学特別実験」では、公
道を走行可能な市販の 1 人乗りキットカーの分解、製
図、組み立て及び性能試験を通じて、システム的思考
の養成が図られている。
(3)卒業(修了)生の就職率(就職者数/就職希望者
数)が高く、その就職先は、製造業、サービス業、運
輸通信業、建設業等となっており、各学科・各専攻の
専門性が活かされるものとなっている。
(4)授業評価アンケートの詳細分析、公開授業、FD
シンポジウム、講演会等のファカルティ・ディベロッ
プメント活動に基づき、授業の方法や教材の選択、作
成の見直しが図られている。授業内容及び方法に関し
て教員各自が分析を行っており、教育の質の向上や授
業の改善を図る多面的な取組みが総合的かつ効果的に
水泳部 400m リレー 3 位
9.10 校内環境美化を実施(2 年、職員)
10.2 TOEIC-IP 試験を実施
10.4・5 オープンキャンパスを開催(参加者 711 名)
10.9 校内環境美化を実施(情報:3 年以上)
10.11・12 プロコン全国大会(福島高専)に参加
専 1 情報の 2 チームが課題部門・自由部門でともに「特 別賞」を受賞
10.12 ロ ボ コ ン 地 区 大 会( 鳥 羽 商 船 ) に 参 加、 「evoRYU」(電気)が準優勝 「エビフライだがや」(機 械)は特別賞を受賞
10.16 体育祭を開催(優勝:学科情報 学級 3 年情報)
11.1・2 こうよう祭を開催
11.12 校内環境美化を実施(環境:3 年以上)
11.16 須賀杯駅伝を実施
11.22 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
11.23 ロ ボ コ ン 全 国 大 会 に 参 加 「evoRYU」( 電 気 ) 予 行われている。
29
第 1 編 通 史 編
選 25 チーム中 5 位の成績を収める
11.24(祝日)本科・専攻科ともに授業日
および必修科目が変更された。これらの改訂は平成
20、21 年度の 2 年間に亘って実施された。
12.10 本科特別講演「心の健康」を開催
校内環境美化を実施(建築:3 年以上)
12.13・14 全国高専デザインコンペティション 2008(高松
高専) 「デザイン賞」
(5 建上田琴恵チーム)と「アイディ
ア賞」(4 建宮戸実チーム)を受賞
12.18 東海工学教育協会高専部門のシンポジウムが本校で 開催される(テーマ「高専における導入教育について」)
硬式野球部 甲子園大会県予選 4 回戦進出
厚い選手層、適切な指導者、対戦相手にも恵まれ、
史上 2 度目の県予選 4 回戦に進出することができた。
野球部が勝利するたびに、新しく編曲し直された校歌
が吹奏楽部により演奏され、球場に鳴り響いた。
12.20~22 本校が主管校となり、国立乗鞍青少年交流の家
および飛騨高山スキー場にて、第 4 回東海地区高専留学
戦略的大学連携支援事業「工科系コンソーシア
生交流会を実施
ムによるものづくり拠点の形成」採択
1.14 国立高等専門学校学習到達度試験
(数学・物理)
の実 施
校内環境美化を実施(1 年)
1.17 第 3 学年 JABEE 履修者選抜試験(環境都市工学科)
1.21 耐寒マラソンを実施(完走者 1024 名) 優勝は環境 1 年 専 2 電機:粕谷悠介、2 情:白井小雪
1.24 豊田高専同窓会創立 30 周年記念式典を開催(豊田参 合館内小ホール) 吹奏楽部定期演奏会も開催
文部科学省が募集した、戦略的大学連携支援事業に
応募し、名古屋工業大学、愛知工業大学、大同大学及
び本校による「工科系コンソーシアムによるものづく
り拠点の形成」事業が採択された。
連携取組内容は、理工系啓発活動、社会人教育プロ
グラムの開発、教育レベルの向上、産学連携等である。
1.25 推薦入学試験を実施
連携各校が協力して、「工科系コンソーシアムによる
2.7 クラブ対抗駅伝を実施(33 チーム参加)
ものづくり拠点の形成」を目指し、本校では、特に小
優勝は、男子:陸上部、女子:卓球部
中学生を対象とした理工系啓発活動に力点を置いて活
2.18 入学者学力選抜試験を実施
動した。この事業で、「時計づくり講座:職人体験を
3.2 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
してみよう!」を連携校の共催で名古屋工業大学にお
3.4~6 第 2 学年スキー教育を実施(志賀高原スキー場)
いて開催した。
3.10・11 3 年交通安全教育合宿(鈴鹿)
3.17~19 環境 4 年研修旅行(雲仙岳災害記念館等) 3.24 卒業式 本科 199 名・修了式 専攻科 38 名
(その他の事項)
・庶務課、会計課を統合し、総務課とする
・エコノパワー燃費競技鈴鹿大会に自動車部、3 位入賞
末松校長から「人の生活と時計の歴史のお話」と題
して講演があり、「振り子の実験」によって、振り子
と周期の関係を学び、さらに、貴重で珍しい時計がい
くつも実際に動いているところを見ながら、時計の歴
史や人との関わりについて学んだ。
引き続き、時計 BUNKA 理事長(成瀬時計(株)
・オリエンテーリング部、合唱同好会、天文同好会の承認
代表取締役)の成瀬拓郎氏から、「ゼンマイ式時計の
・新旅費システムの導入
お話と時計づくり」と題して、自身と時計との関わり
・校内環境美化を学年、学科ごとに変更
も交えて、お話をして頂いた。
・環境都市工学科棟と専攻科棟のエレベータ設置
休憩後は、実際にプラスチック製の時計キットを各
自、製作した。小学生低学年の受講生は、保護者やア
シスタントの手助けを受けながら悪戦苦闘して組み立
カリキュラム改訂
建築士受験資格の再三にわたる要件変更に伴い、環
てていた。実際に時計が動き出した時には喜びの表情
を満面に浮かべていた。
境都市工学科では、この受験資格の確保は難しいと判
断し、一部の科目の選択必修要件が解除された。一方、
教育 GP に「英語多読(百万語英文多読)」と「ボ
建築学科では要件変更を満たすべく、開講科目の一部
ランティア活動」採択
30
第 2 章 新たな 10 年
「質の高い大学教育推進プログラム(略して教育G
あまり変わりのないのが実情で、とにかくメディアに
P)」は大学設置基準等の改正への積極的な対応を前
よって紹介されることで、高専がひろくアピールでき
提に、各大学・短期大学・高専から申請された教育の
れば良いと考え、この企画に賛同し、取材を受けるこ
質の向上につながる教育取組の中から特に優れたもの
とにした。連載時から好評を博していたこの企画記事
を選定し、広く社会に情報提供するとともに、重点的
は、後に、講談社より平成 21 年 3 月「名門高校ライ
な財政支援を行うことにより、我が国全体としての高
バル物語」として上梓された。
等教育の質の保証、国際競争力の強化に資することを
目的としている。文部科学省の募集に応じ、この年 2
件の取組が採択された。
一つめの英語多読は「多読・多聴による英語教育改
入試結果の簡易開示
平成 21 年 2 月に実施された平成 22 年度学力選抜入
学試験から、試験結果の簡易開示制度が始まった。こ
善の全学的展開~苦手意識を早期に克服し、自律学習
れは、受験者が自分の得点を知ることができる制度で、
を継続させ、英語運用能力を顕著に向上させる新しい
しかも簡易開示の名称の通り、本人確認ができるもの
英語教育の展開・伸張~」という題目により、従来の
と受験票を持参し、開示請求することにより、本人の
LL教室の視聴覚機器をそれまでの専用機から、Mac
学力試験の結果を科目毎に知らせるとともに、不合格
に全面的に置き換えた。それまで電気・電子システム
者の場合、合格までの可能性をAからDのランクに分
工学科が先導的に実施していた授業を、全校的に導入
けて知らせる制度である。制度開始からまだあまり経
し、「英語のできる高専生」を目指した。プロジェク
過しないこともあって、余り請求件数は多くないもの
トリーダーは電気・電子システム工学科西澤一教員が
の、年を追うごとに着実に増えつつある。
務め、これを一般学科(英語)の全教員がサポートし、
カリキュラム内に英文多読を導入した。二つめのGP
OECD 高等教育政策レビューで高専を評価
は、「ボランティア活動を活用した実践教育~防災教
OECD では、各国の高等教育政策について調査を
育・環境・町づくりボランティア~」という取り組み
行っており、高等教育政策調査団が平成 18 年 6 月に
である。ボランティア活動を単位認定するようになり、
10 日間訪日調査をして、それに基づいて平成 21 年 3
学科として環境保全活動や、町づくり活動や、里山保
月に報告書をとりまとめた。その中で、次のように高
全に熱心であった環境都市工学科伊東孝教員がプロ
専について極めて高い評価をしている。
ジェクトリーダーを努め、活動を展開した。
「高等専門学校においては、学校数の 87.3%は公的
資金により運営されており、また高等専門学校生の
月刊誌「現代」名門校ライバル校物語に登場
87.5%は国立高等専門学校機構を通じ運営される国立
講談社が発行する「現代」平成 20 年 9 月号の連載
の高等専門学校に通っている。高等専門学校では、15
企画「名門校ライバル物語」の第 13 回に「トヨタ工
歳~ 20 歳にかけての期間に質の高い職業教育を提供
業学園 VS 豊田高専」として、二つのライバル校が
しており、卒業後に正式な学士課程に編入学すること
14 頁の記事となり紹介された。筆者のルポライター
もできる。高等専門学校は、高水準の職業訓練を提供
宮島英紀氏は学寮の朝体操を始め、校長・教職員・学
しているだけではなく、さらに産業界(特に製造業部
生・同窓生まで取材を重ね、かなり正確に高専の実情
門)のニーズに迅速・的確に応えていることから、広
を書き表してくれた。残念なことに昭和 12 年のトヨ
く国際的な賞賛を受けてもいる。さらに、高等専門学
タ自動車設立の翌年に設置された「豊田工科養成学校」
校は、社会経済的に低い位置にいる家庭出身の学生達
を起源とするトヨタ学園とは歴史の差もあり、ライバ
に対し社会に参加し、その中で自らの地位を向上させ
ル校の紹介の際には、最初にトヨタ学園が紹介され、
ていくための機会を与えてもいる。数知れぬ海外の評
その後に、豊田高専が一歩譲って記述されていた。高
価者たちと同様、我々も高等専門学校の運営、質、工
専制度が一般に広く認知されていないのは、現在でも
夫に感銘を受けた」と。
31
第 1 編 通 史 編
日頃、高専教育をする中で教育・研究のみならず学
硬式野球・卓球・空手を本校主管で行う
生指導、クラブを中心とする課外活動の指導、学寮に
団体 4 種目で優勝、個人も陸上、水泳などで優勝多し
おける生活指導をしている教職員にエールを送ってく
7.10 第 1 回FDシンポジウムを開催(物理実験レポート、 れた。
エレベータ工事(環境都市工学科棟及び専攻科
棟)完成
平成 21 年 3 月、バリアフリーの一環として、車椅
授業支援ツールなどの紹介からの議論)
7.31・8.1 近畿・東海・北陸・信越地区高専弓道大会(長野 市)に参加 男子団体戦優勝
8.18・19 教育教員研究集会(国立高専機構主催)会場:豊 田高専、大会参加者 219 名(本校参加者 56 名を含む)、 104 件の発表および発表論文審査を無事終えた
子での移動ができなかった環境都市工学科棟と専攻科
8.18~28 全国高専体育大会(九州地区)に参加
棟にエレベータが設置された。環境都市工学科のエレ
陸上部 400m リレー優勝
ベータは、渡り廊下の部分からも乗り降りできるよう
400m 3 位 3 機長谷川慎
なっていて、エレベータから、車椅子などで、本館か
9.30 TOEIC-IP 試験を実施
らの渡り廊下と環境都市工学科棟のどちらへも移動で
10.3・4 オープンキャンパスを実施(参加者 650 名)
きるよう、乗降り口は 2 方向にあり、3 階建ての環境
都市工学科棟に 5 か所昇降口があるという便利な構造
となっている。
専攻科棟は 4 階建ての建物で、最上階に教員室があ
ることから、障害のある学生も気軽に先生に質問に行
けるようになった。
1600m リレー優勝
10.11 ロボコン地区大会(石川高専)に参加
Aチーム(機械)敗退、「叢雲」(電気)準優勝
10.17・18 プロコン全国大会(木更津)に参加
専 1 情報チーム、課題部門・自由部門でともに敢闘賞
10.25~27 電気・電子システム工学科、環境都市工学科が JABEE2 回目審査を 2 学科同日受審
10.31~11.1 こうよう祭を開催
11.14・15 全 国 高 専 デ ザ イ ン コ ン ペ テ ィ シ ョ ン 2009 in 第 5 項 平成 21 年度
豊田(スカイホール豊田)ものづくり部門「ツナグハコ」 で最優秀賞 5 建中川貴史 ・ 宮戸実の作品
4.1 山本敏文事務部長着任
11.21 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
4・6 入学式を挙行、本科 210 名 専攻科 30 名
11.22 ロボットコンテスト全国大会
4.7 NHKラジオ第一放送「ここはふるさと旅するラジオ」 「叢雲(むらくも)」技術賞を受賞
全国版公開生放送が本校を会場として行われ、本校から
11.22 須賀杯争奪駅伝大会(36 チーム参加)
ロボコンチームの学生及び担当教員が出演
1.13 国立高等専門学校学習到達度試験の実施
4.13 新入生学力検査を実施
1.16 第 3 学年 JABEE 履修者選抜試験(環境都市工学科)
4.23 1・2 年見学旅行を実施 1 年生名古屋港水族館・名 1.16・17 全国高専英語プレゼンテーションコンテスト準優 古屋市科学館、2 年生郡上八幡
5.6 同窓会特別講演会を開催
5.8~10 ロボカップジャパンオープン 2009(大阪)に参加 勝(4 情 , 近藤潤、4 環石田明久、3 建稲葉美名緒)
1.20 耐寒マラソンを実施(完走者 955 名)
優勝は機械 2 年 2 電:小木曽豊、3 情:白井小雪
小型ロボットリーグ(SSL)で準優勝、小型ロボットヒュー 1.24 推薦入学試験を実施
マノイド部門で優勝(電気電子システム工学科チーム)
2.6 クラブ対抗駅伝大会を実施(35 チーム参加)
5.16・17 寮祭を開催(テーマ「闘牛祭 - この祭あばれろ -」)
優勝 男子陸上部 女子バドミントン部
5.23(土) 球技大会を実施(参加者:581 名)
2.18 平成 21 年度第 2 回FDシンポジウム、
「ヤル気の出る 6.6 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験を実施
授業アンケート結果の分析と授業評価アンケート改訂」
6.17 ハイチ共和国前首相が本校を訪問
に関する報告会
7.1~5 ロボカップ世界大会(オーストリア)において、小 型ロボットリーグでベスト 8 進出
7.4・5 東海地区高専体育大会に参加
2.21 平成 22 年度学力選抜入学試験実施
3.1 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
3.2~6 建築 4 年海外研修旅行(シンガポール)
3.3~5 スキー教育(第 2 学年、志賀高原)
32
第 2 章 新たな 10 年
3.3~5 環境 4 年研修旅行(① 錦帯橋② 厳島神社③ しまな み海道等)
3.4・5 機械 4 年見学旅行(東京 ANA・山梨リニア)
3.18 外部評価委員会を開催:「キャリア支援と学習支援」 「外部資金による教育高度化活動」を評価課題とする
3.24 卒業式 本科 202 名・修了式 専攻科 34 名 3.29・30 交通安全教育合宿研修(第 3 学年、鈴鹿)
(その他の事項)
・仲野巧教員が在外研究員として 11 か月間ニュージーラン
ドへ出張
・第 2 学年スキー教育、実技指導を本校体育教員及び現地
インストラクターで行う形に改める
・「とよたものづくりフェスタ 2009」に技術部から、
「TES
フェスティバル 2009」に機械・電気科から出展(10.10)
・インフルエンザのため、1・2 学年及び環境 5 年で学級 閉鎖(のち代替授業を実施)、体育祭も中止(10 月)
高専や△△電波高専が単なる□□高専へと名称変更も
行われた。2 つの高専が 1 つの高専となったが、新生
の 4 高専ではキャンパスは 2 か所のまま残り、地域の
高専センターの機能も強化し、専攻科の充実と高度化
を目指している。
転科の申し合わせを改訂
転科の規程は平成 3 年に制定され、第 1 学年と第 2
学年の年度末に、学年末における成績と受け入れ学科
のクラス構成上の余裕とを考慮して行われていた。
年々、この転科希望者が現れる現状を考慮し、転科の
申し合わせを見直し、この年の 4 月より、それまでよ
り詳細に転科の申し合わせを定めた。そこでは、学年
末の成績の基準を累積 GPA とし、転科試験を実施す
ることを明記した。以後、希望者は現れるものの、た
とえ転科願いを出しても、累積 GPA が基準に達しな
いため、転科試験の受験資格のない学生もおり、実際
に転科試験を受験し、転科する学生は毎年数名程度で
総務主事を任命
ある。
専攻科関連、産学官連携等の分野を管轄する総務担
当副校長として、総務主事をおくことにした。それま
での専攻科長を総務主事に任命した。同時に総務担当
38 年度校校長会議を開催
平成 21 年 6 月に、本校において平成 21 年度の「昭
副校長を含む 4 副校長の職務分担の見直しも実施し、
和 38 年度校校長会議」が記念会館会議室を会場とし
対外的な広報活動について、従来の学生主事管轄から、
て開催された。昭和 38 年度に、高専の 2 期校として
総務主事管轄に変更した。また、生涯学習委員会の所
設置された 12 高専が、毎年持ち回りで開催している
掌を総務主事に変更した。
校長会議であり、この会議には、9 高専の校長が参加
した。第 1 期校も第 3 期校も同じ 12 校が設置されて
4 高専(仙台、富山、香川、熊本)が高度化、再
いて、設立当初は期毎に校長会議が開催されていたが
編して発足、併せて専攻科の充実
創設以来、今に至るも続いているのは 2 期校の校長会
高専機構は、独立行政法人として 5 年間の中期目標
議のみとなってしまった。
を立て、さらに実施のための中期計画を起案し運営さ
会議では、議長の末松豊田高専校長の挨拶の後、
「Ⅱ
れている。独法化の第 1 期中期計画は平成 16 年度か
期目を迎えた高専機構の管理運営について」「最近の
ら 20 年度までの 5 か年がこれに該当した。5 か年を
高専生気質」「創立 50 周年取組状況など」について予
さらに 1 年ごとに区切り、年度計画を立てている。こ
定時間を超える活発な意見交換が行われた。
の第 1 期が平成 20 年度までに、概ね目標を達成して
会議後の校内視察では、図書館において、英語教育
終了し、平成 21 年度より第 2 期中期計画が始まった。
改善の全学展開を行っている「多読多聴授業」に関し
第 1 期の中期計画中に検討が続けられてきた国立高専
て、担当の電気・電子システム工学科西澤教員から説
の高度化、再編が行われ、平成 21 年 10 月を期して、
明を受け、熱心に耳を傾けていた。また、ロボカップ
全国にあった 3 つの電波高専と 1 つの商船高専の名称
ジャパンオープン 2009 で好成績を収め、世界大会出
がなくなった。それぞれの高専では、従来の○○工業
場となった豊田高専ロボカップチームの二足歩行ロ
33
第 1 編 通 史 編
ボットのデモンストレーションを興味深く視察した。
空間・環境デザインの各部門とものづくりの計 4 部門
の競技が行なわれた。
全国高専教育教員研究集会を主管
8 月、国立高専機構主催の平成 21 年度教育教員研
豊田高専のチームは、国産材で遊具をつくる「もの
づくりコンペティション」の部門において、5 建 中
究集会が全国の高専から、約 200 名の教員を迎え豊田
川貴史君と 5 建 宮戸実君のチームが「ツナグハコ」
高専にて開催された。初日の開会式には、高専機構林
で最優秀賞の豊田市長賞を獲得した。その他にも、構
勇二郎理事長の挨拶に続き、豊橋技術科学大学の榊佳
造デザイン部門では木造の 3 点支持ブリッジの強度コ
之学長により「豊橋技術科学大学における教育研究組
ンテストで優秀賞を、空間デザイン部門で審査員特別
織再編―その狙いと新しい技術者像―」と題して基調
賞をそれぞれ受賞した。
講演が行なわれた。
引き続き、4 つの会場にわかれ事前審査を通過した
論文について、午前中に 2 セッション、午後 2 セッショ
「ものづくり一気通観エンジニアの養成」プログ
ラム採択
ン、2 日目にも午前 8 時半より 4 会場にて 2 セッショ
5 月に平成 21 年度科学技術戦略推進費「地域再生
ンで講演発表が実施された。合計、教育研究部門で
人材創出拠点の形成」プログラムに、本校から申請し
72 件、学生指導部門で 33 件の発表があった。講演発
た「ものづくり一気通観エンジニアの養成」が採択さ
表の終了後、校内ツアーも実施され、電気・電子シス
れた。これは地元豊田市と連携し、地域ニーズの高い
テム工学科の「ロボカップチーム」の開発の模様と、
『ものづくり工程全体を見通して人と地球にやさしい
図書館の「多読用図書」を見学した。
技術開発ができる技術者』を養成しようとする取り組
さらに、多目的ホールでは末松校長による「からく
みであり、これにより地域活性化が期待されるものと
り人形とものづくり」についての特別講演が実演も交
して高い評価を受けた。同事業は 5 年間に亘り実施さ
え行われた。
れるもので、様々な人材育成カリキュラムが予定され
閉会式では、文部科学省高等教育局神田忠雄企画官、
高専機構赤坂裕理事による挨拶に続き表彰式が実施さ
れ、文部科学大臣賞 2 件、高専機構理事長賞 8 件の表
彰があった。
ており、優秀な技術者を輩出することが期待されてい
る。
翌平成 22 年 4 月には、第 1 期生の開講式が行われ、
企業からの派遣受講生 13 名、専攻科受講生 25 名の計
本校では、電気・電子システム工学科吉岡貴芳教員
38 名でスタートした。平成 23 年 2 月には、1 期生の
と一般学科(英語)深田桃代教員による「豊田高専に
中間発表会と、高専機構五十嵐理事による「産学官連
おける英語多読による授業実践と英語運用能力改善の
携による実践的技術者教育」と題した特別講演会が行
報告」が機構理事長賞を受賞した。
なわれた。いくつかの困難な問題に直面しながらも、
この研究集会は、翌年度から「高専教育フォーラム」
受講生の熱気とパワーによりこれらを克服し、全体と
と名も改め、情報処理関連の研究発表会も合わせて開
してプログラムは順調に進んで行った。平成 24 年 2
催されるようになり、規模も拡大し長岡、鹿児島、東
月には、「第 1 期生修了式」 が執り行われ、第 1 期生
京と、毎年夏に開催されている。
38 名に対して髙井校長から修了証書の授与と式辞の
後、連携自治体及び派遣元企業からの来賓祝辞があり、
デザコン in 豊田、ものづくり部門最優秀賞
11 月、スカイホール豊田を会場として、豊田高専
の主管にて、「全国高専デザインコンペティション
本プログラムでは最初となる修了生を出した。毎年、
定員の 20 名を越えて若手企業エンジニアと学生との
協働、協調作業が順調に行われている。
2009 in 豊田」が開催された。全国から集まる高専生
の活躍の様子を広く市民に知らせたいとの趣旨で、ス
カイホール豊田を会場とした。2 日間の会期中、構造・
34
高専プレコン準優勝
平成 22 年 1 月、国立オリンピック記念青少年セン
第 2 章 新たな 10 年
ターにおいて開催された「第 3 回全国高等専門学校英
のの、残念ながら高専を各種学校・専修学校や国立の
語プレゼンテーションコンテスト」(通称:プレコン)
高校と勘違いしている地域住民の方も少なくない。地
に、本校チームも参加した。このコンテストには「英
域社会の「ものづくり教育」、「教養教育」に貢献し、
語プレゼンテーションの部」と「英語スピーチコンテ
高専ブランドの確立を目指して、主として豊田高専演
ストの部」の 2 部門がある。
劇部の学生と豊田地区のケーブルテレビ会社である
そのうち「プレゼンの部」は、1 チーム 3 人が一つ
「ひまわりネットワーク」とで共同・連携して高専 PR
のテーマについて 10 分間の発表と審査員との 2 分間
のドキュメンタリー番組を 2 本制作し放映した。さら
の質疑応答でもって競われる。予選は、ビデオ審査に
に特色ある 3 種類の公開講座を制作し、放映した。ま
よって行われ、近畿地区を除く 20 チームのうち 8 チー
た FM とよた(ラジオ・ラブィート)を活用して「ラ
ムが全国大会への切符を手に入れた。近畿地区プレゼ
ジオ TNCT」と言う情報番組の提供も行った。事業
ンテーション大会で上位に選ばれた高専 2 校を加え、
は平成 21・22 年度と 2 年間に亘り実施し、ひまわりネッ
本校を含む全国 10 校の代表が全国大会に参加し、本
トワークや東海ケーブルチャンネルを通じて地域社会
校からは近藤潤(4 情)・石田明久(4 環)・稲葉美名
へ豊田高専の PR 番組を届けた。
緒(3 建)のチームが参加し、見事準優勝の成績を収
めた。
本校チームは、米国留学中に実感した「英語コミュ
ドキュメンタリー番組は、「全国高専デザコン 2009
in 豊田」というデザコンの様子を 30 分のドキュメン
タリー番組に纏めたもので、一般学科(英語)神谷昌
ニケーション力の大切さ」を題材に、前年の夏休み頃
明教員の指導により、演劇部の学生が制作に協力した。
から、原稿やプレゼンテーションのスライド作成を始
また、平成 22 年 8 月には、「ストライカーはロボット
め、4 か月間、放課後や週末を使って練習した。予選
だ!~ RoboCup 2010 豊田高専 KIKS の挑戦~」と題
の DVD の作成には演劇部の手伝いもお願いし、留学
して、シンガポールで開催されたロボカップ世界大会
生にも支えられ、好成績を挙げることができた。
での活躍の様子を、ひまわりネットワークの番組制作
平成 22 年 8 月には、「高専プレコン 2009」に入賞
した学生達はシンガポールへ 10 日間の研修に参加し
の方と学生達が一緒になって、1 時間の番組として制
作した。
た。シンガポールのポリテク 3 校の訪問、現地の企業
公開講座は、末松校長の「機巧(からくり)に学ぶ
訪問、ポリテク学生と 1 泊 2 日の合宿研修(英語で専
『人にやさしい技術』」と題した、茶運び人形から、無
門分野についてのプレゼンテーション、ディスカッ
動力搬送装置までの話、一般学科(英語)高橋薫教員
ション)、ポリテク学生の自宅訪問など充実した内容
の「絵解き英文法」と題した 30 分番組(全 4 回)の
の研修だった。
シリーズ、さらに情報工学科早坂太一教員の「脳の不
特に近藤君は、学生リーダーとして、最終日に行わ
思議 ― 目の錯覚はなぜ起こる?」という目の錯覚、
れたシンガポールの日本大使館主催の Farewell Party
錯視現象を、市民向けにわかりやすく解説した 30 分
で英語のスピーチを行った。英語科の鈴木基伸教員も、
の番組、いずれの番組にも学生がアシスタントとして
この海外研修に引率教員として参加した。
参加し、高専の PR に協力した。
高専改革推進事業「地域のケーブルネットワー
新型インフルエンザで学級閉鎖 クとコラボ」採択
新しく人から人への伝染する能力を持つようになっ
高専機構が募集する平成 21 年度高専改革推進事業
たウィルスを病原体とする新型のインフルエンザが世
として「地域のケーブルネットワークを利用した高専
界的な流行の兆しを見せ、マスメディアを介して大々
の PR 及び公開講座の配信―学生と地域社会のコラボ
的に報道されるようになった。同時に、免疫を持たな
レーション―」が採択された。高専卒業生は産業界や
い比較的若年層の感染率、罹患率が高くなることと、
進学先の大学教員からは極めて高い評価を得ているも
死亡率もまた高いのではないかと不安も増大した。
35
第 1 編 通 史 編
そのため教職員でも家族に伝染し、発病した患者が
(名鉄トヨタホテル)
いる場合は、出勤停止という措置がとられ、授業の対
7.29~31 近畿・東海・北陸・信越地区高専弓道大会
応にも苦労した。そんな折、1 人でも罹患者がいると、
(本校担当) 男子団体 準優勝 女子団体 優勝
確かに感染力は強く、いったんクラスで感染した学生
がいると瞬く間に、他の学生に感染し、欠席する学生
も増えた。学寮での感染もあるため、早い処置により
蔓延を防ごうと、学級閉鎖が何度か繰り返された。最
初は 10 月 9 日(金)から 12 日(月)まで、1 建のク
ラスで学級が閉鎖された。その後、10 月 13 日(火)
から 16 日(金)までは、第 1 学年と第 2 学年の全ク
個人優勝 3 環今井智乃 射技優秀賞 2 機野尻菜摘
8.18~28 全国高専体育大会(東海北陸地区)
陸上部 400 mリレー 2 位 400 m 2 位 4 機長谷川慎
水泳部 200 mバタフライ 2 位 1 機浅岡祐斗
8.21~24 全国高専体育大会サッカー競技を開催(本校担当)
会場は豊田市運動公園陸上競技場など
8.30 FDシンポジウムを開催(キャリア教育支援プログラ ムについての報告、意見交換)
ラスで学級閉鎖をした。学寮でも担当クラスの寮生は
9.27~30 機械 4 年見学旅行(関西、九州地区)
帰省させ、感染の防止に努めた。それでも 10 月 14 日
9.30 TOEIC-IP 試験を実施
(水)から 16 日(金)には、5 環のクラスで、少し遅
れて 12 月 10 日(木)から 14 日(月)には 4 環のク
ラスでも学級閉鎖があった。残念ながら、インフルエ
ンザによるこれらの学級閉鎖の影響もあって、平成
21 年度の体育祭は中止となった。
その後、感染力は強いものの、死亡率については他
10.3(日)ロボコン地区大会(テーマは「激走!ロボ力車」 スカイホール豊田にて) 「唯我独走」(電気)アイデア 賞・特別賞を受賞 「「KÖnig」(機械)は敗退
10.9・10 オープンキャンパスを実施(674 名参加)
10.16・17 プロコン全国大会(高知高専)に参加
競技部門で「水亀-みずゲーム-」(情報チーム)が特別 賞を受賞
のインフルエンザとあまり違わないということで、取
10.19 体育祭(優勝:学科機械 学級 4 年機械)
り扱いは通常の伝染病と同様で良いことになった。
10.24~26 機 械・ 情 報・ 建 築 学 科 が JABEE2 回 目 審 査 を 3 学科同日受審
第 6 項 平成 22 年度
10.30・31 こうよう祭を開催
4.6 入学式を挙行、本科 215 名 専攻科 32 名
4 年機械 池谷賢一 3 位入賞
4.23 第 1 学年見学旅行(伊那谷道中)
4.28 同窓会特別講演会
5.2~4 ロボカップジャパンオープン(大阪)
小型ロボットリーグ(SSL)車輪部門と SSL ヒューマノ
イド 部門の両部門で優勝
5.15・16 寮祭(テーマ「ハナヒラク」)
5.22(土) 球技大会 ドッジボール、3on3 など 6 種目
総合優勝 4 年機械
6.3 キャリア支援特別講演会の開催(講師 函館・徳山高 専のキャリア支援の担当者)
6.5 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験
6.21~25 ロボカップ世界大会(シンガポール)
小型ロボットリーグ「KIKS」(電気)4 位入賞
7.3・4 東海地区高専体育大会
サッカー・バドミントンを本校主管で行う
団体 6 種目で優勝、個人、陸上など 15 種目で優勝
11.13 東海北陸地区(英語)スピーチコンテスト(福井高専)
11.13・14 全国高専デザコン(八戸高専)に参加
ものづくり部門「よりどころ」で最優秀賞(八戸市長賞)
4 建長谷川知世 ・ 杉浦みさき ・ 押切孝太のチーム 11.14 ひまわりサンクスフェスタに参加(スカイホール豊 田にて)豊田高専&ひまわりネットワークのコラボ事業 として、豊田高専を紹介
11.15~19 授業公開週間
11.20 専攻科学力・社会人特別入学試験を実施
11.21 須賀杯争奪駅伝大会(36 チーム参加)陸上部 3 位
1.13 国立高等専門学校学習到達度試験(第 3 学年)
1.23 推薦入学試験を実施
2.5 クラブ対抗駅伝大会(28 チーム参加)
優勝 男子:陸上競技部、女子:陸上競技部
2.16 FDに関する報告会
2.20 学力選抜入学試験
2.23・24 環境 4 年研修旅行(滋賀・京都方面)
7.23 豊田市立中学校及び豊田高専教員情報交換会を開催 2.28 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
3.2~4 2 年スキー教育(志賀高原スキー場)
36
第 2 章 新たな 10 年
3.17・18 第 8 回全国高専選抜弓道大会を開催(豊田市)
度の整備により、従来にも増して専攻科のみでなく、
女子団体 優勝 個人 3 位 今井智乃
本科についても外部へ研究成果の発表に出かける学生
3.23 卒業式 本科 180 名・修了式 専攻科 32 名
が着実に増えている。
3.28・29 交通安全教育合宿研修(第 3 学年、鈴鹿)
(その他の事項)
・高専改革推進事業「地域のケーブルネットワークを利用
した高専 PR 及び公開講座の配信」―様々な取り組み
・仲野巧教員、JICA「トルコ国自動制御技術教育普及計画
強化プロジェクト」によりトルコに出張(7.12 ~ .8.25)
・専 2 年電機 堀井隆斗が日本学生支援機構より優秀学生表
彰を授与される
学生便覧の形式変更
学生便覧は掲載項目が増えるに従い年々厚くなる傾
向にあり、国の用紙・冊子スタイルの方針もあり、平
成 6 年度より、それまでの B5 版から A4 版へとサイ
ズを変更した。
さらに、平成 22 年度には、それまでの規則主体の
学生便覧から、
「学生が見やすく、わかりやすい」をモッ
・校外での耐寒マラソン、交通量増加等により中止
トーに全面的に編集し直し、学生の側に立った構成に
体育の授業内で実施(優勝は 2 年電気 5 電:石川英典 変更した。
4 情:白井小雪)
・新入生学力検査を各教科の授業内で行う
・2 年見学旅行を廃止
・公立高校授業料無償化に伴う授業料免除制度の変更
中学校教諭との情報交換会
平成 22 年 7 月、名鉄トヨタホテルにて「豊田市立
中学校及び豊田高専情報交換会」を開催した。中学校
からは主として進路指導の教諭が 15 名、高専からも
ほぼ同数の教員が参加した。従来、学校説明会におい
出張の自家用車の利用、学生の帯同制度を整備
て、中学校教諭と保護者・受験生向けの 2 会場で説明
末松校長の時代になって、出張への自家用車の利用
会を実施していたが、中学校教諭の参加者が減り、ま
等が実現した。それまでも公共交通機関の不便なとこ
た保護者から教諭向けの説明会で、どんな説明がされ
ろ、中学校訪問をする際、まとめて行けるなどの理由
ているか質問もあり、2 つを分けて行う必要性が薄い
で、近郊地の出張に自家用車を利用したいという希望
のではという判断から、同一の会場で、中学校教諭、
はあったが、認められなかった。事故時の対人補償に
保護者・受験生を対象に説明会を実施するようになっ
関する任意保険等、予め決められた条件を満たせば、
た。さらに地元の中学校との絆も大事であるという判
教員は自家用車で出張することができるようになっ
断から、中学校教諭と本校教員と意見交換会を開催す
た。
ることにした。
研究のために必要な学会等の個人年会費や学会参加
最初に校長が、豊田高専についての説明を 25 分程
費などについても、校費での支払いもできるように
度スライドなどを用いながら行った。その後は、各テー
なった。国立学校の時代には許されなかったことで、
ブルにおいて、参加された中学校の先生方と豊田高専
これも独法化の 1 つの成果といえるかもしれない。
の教員との間で、80 分程度情報交換を図った。
専攻科における特別研究の成果を外部の学会で発表
中学校との教育活動の連携を図り、高専における導
することも増えてきて、学生の旅費について従来は教
入教育を向上・改善するための有意義な情報交換がで
員が個人的に負担したり、学生に負担を強いて、問題
きた。この情報交換会は、その後名古屋市内、東三河
となっていた。また、研究成果の発表を国際会議で行
地区の中学校と地域を替えながら毎夏、開催されてい
う事例も出てきたことから、これらについて、統一的
る。
に学生の帯同制度として整備した。予め、帯同願いを
提出することで、国内のみでなく、海外への学生の帯
同旅費も校費から支出できるようになった。これら制
教育改善推進室
平成 15 年度にできた教育改善推進室は初代室長に
37
第 1 編 通 史 編
梶田省吾電気・電子システム工学科教員が就任し、翌
客が見守るなか熱戦が繰り広げられた。本校Bチーム
平成 16 年度から同じく電気・電子の西澤一教員が就
のマシン「唯我独走」は、第 2 回戦第 1 試合に敗れた
任し、平成 19 年度まで務めた。翌平成 20 年度からの
ものの、解説の豊橋技科大三浦先生からの指名もあり
第 3 代室長は電気・電子の小関修教員が就任し、3 年
エキシビションマッチに出場し、観客にロボコン精神
間室長を務めた。
を披露することができた。「唯我独走」は鍵が自走す
平成 21 年 11 月には学生に「やる気がでる授業に関
るという斬新なアイデアを評価され「アイデア賞」と
するアンケート」をとり、その結果を見つつ、平成
「特別賞」を獲得したが、全国大会出場権を得ること
22 年 2 月には第 2 回 FD シンポジウムを開催した。
はできなかった。
この間の議論を踏まえ、平成 22 年度からは、従来の
授業評価アンケートを「授業改善アンケート」と名称
高専機構の監事監査
変更し、調査内容を変えた。必ず教員がアンケート結
平成 23 年 1 月 19 日から 21 日にかけて高専機構の
果を見て、どのようなフィードバックをしたかという
監事監査が実施され、機構からは長岡技術科学大学の
点を重視するようにした。また授業を担当する教員は、
副学長も務める齋藤監事が来校され、実地監査を行っ
リクエストにより 3 項目の評価項目を独自に追加でき
た。教職員は年度末の忙しい時期であったが、資料作
る仕様とした。アンケート結果を見て、教員がどのよ
成から、実地監査の対応まで粛々と対応した。齋藤監
うなアクションをとる予定であるかという項目まで含
事からは豊田高専の特長を以下の 4 項目にまとめて指
め、集計結果を学生が閲覧できるように、従前どおり
摘をされた。
図書館や学生課前に一覧として公開した。
室長の小関教員の退職に伴い、平成 23 年度からは、
一般学科(数学)の金井康雄教員が第 4 代室長に就任
した。
(1)学生の自動 2 輪・自動車通学と交通安全教育
(2)多数の海外留学生の派遣システムと先輩学生から
後輩への伝達
(3)AED5 台の設置と救命実績、救命指導訓練
(4)構内植え込みがきれいに整備されている。日常の
ロボコン東海北陸地区大会を主管
「高専ロボコン」が地区大会予選をするようになっ
てから、東海北陸地区大会の 3 度目の主管校が豊田高
専に巡ってきた。第 1 回のロボコン東海北陸地区大会
手入れは大変だがそれを実現している。
自分たちでは、日頃あまり気づかない良さを指摘し
て頂いた。
齋藤監事は公益社団法人精密工学会が発行する「精
は平成 3 年 10 月に、本校第 1 体育館において開催した。
密工学会誌」第 928 号の「特集:高等専門学校におけ
このときは、会場の都合から応援団の入場・応援もま
る技術者教育 50 年の歩みとこれから」の中で、「豊田
まならず、より広い会場で開催する必要性を痛感した。
高専では AED による 3 例の適用例(教員 1 人、学生
大会では、本校チーム「ラズヴェル」が優勝し、全国
2 人)があり、全員が完全社会復帰をした。それは世
大会に駒を進めた。
界的に見ても快挙である」と驚嘆している。
2 巡目の地区大会は豊田市体育館を会場に、平成 13
年 10 月に開催された。このときには NHK からの要
請もあり、大会の様子は広く地域の方にも開放され多
マイクロソフト(株)と包括ライセンス協定
国立高専機構は平成 21 年 12 月マイクロソフト(株)
数の市民が観覧した。この大会では優勝こそ逃したも
との間で、同社製品の包括ライセンス契約などを含む
のの、アイデア賞を獲得した「点火無敵」が全国大会
国 内 初 と な る 協 定「Microsoft Education Alliance
に出場した。
Agreement」を締結した。この協定は多数の学校を
平成 22 年 10 月、本校が主管した 3 巡目のロボコン
所管している公的教育機関が対象で、国外では政府が
東海北陸地区大会は、新装なった「スカイホール豊田」
協定の相手方となる例もある。調印は国立高専機構林
にて、一般来場者や高専応援団も含め約 2000 人の観
理事長とマイクロソフト社バイスプレジデントのアン
38
第 2 章 新たな 10 年
ソニー氏が出席して行われた。
引き続いて開催された共同発表会において、林理事
長は「高専機構として第 2 期中期計画期間に入り、地
域に根ざしたグローバルな教育の実践を目指した活動
を進めているところで、今回の協定の締結により、高
専のスケールメリットを活かしていきたい」との抱負
を述べた。
高専とマイクロソフトが協力関係を築くことによ
り、国立高専の学生に対して同社が開発する最新のソ
フトウェアやカリキュラムキットを活用した教育環境
教務主事、伊東孝学生主事、鈴木基伸寮務主事、齋藤 努総務主事就任
4.5 入学式を挙行、本科 210 名 専攻科 26 名
4.6 始業式を挙行(新入生除く) 初めての実施
5.3~5 ロボカップジャパンオープン(大阪)ロボカップチー ム KIKS、小型ロボットリーグ車輪部門 2 連覇。同ヒュー マノイド部門 3 連覇達成
5.14・15 寮祭(テーマ「いざ笑嵐 ―おもしろくなければ祭
りじゃない―」)
5.21(土) 球技大会 ドッジボールなど 6 種目 延べ 476 名(61 チーム)参加
が整備され、また、IT リーダー育成キャンプなどの
6.1 東ティモール青少年の学校訪問
共同教育の実施を通し、実践的かつ専門的な知識と技
6.4 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験
術を有する、世界に通じる高度 IT 人材育成に資する
6.20~24 授業公開週間
ことが期待されている。
高専学生は自らの所有するパソコンに媒体費用のみ
の安価な価格で、オフィスソフトのインストールが行
え、経済的な学習環境を整えることができる。学生に
とって、それらのソフトウェアについて卒業後の使用
許諾もあり、使い慣れたソフトの永年にわたる利用が
保証されている。
7.2-3 東海地区高専体育大会に参加 ソフトテニス、バレー
ボール、ハンドボール、弓道を本校主管で行う
団体 9 種目で優勝、個人、陸上など 11 種目で優勝
7.5~11 ロボカップ世界大会(トルコ)
小型リーグで昨年に続き 4 位入賞
7.17~18 第 1 学年合宿研修(鈴鹿青少年センター:コミュ
ニケーション能力の育成)
7.21~23 近畿・東海・北陸・信越地区高専弓道大会(舞鶴
高専)
東日本大震災:救援物資を仙台高専へ
平成 23 年 3 月 11 日に起きた東日本大震災は仙台高
専名取キャンパスを中心に高専にも被害をもたらし
た。高専機構本部からの救援物資についての要請を受
け、東海地方の高専からも、鳥羽商船、鈴鹿、岐阜の
各高専と共同し、バスを 1 台チャーターし、非常災害
の際の備蓄品を中心に、救援物資として送った。時を
措かず、高専機構本部からの要請もあり、3 月末から
は救援のための募金が行われ、教職員を始め、教育後
援会や同窓会の協力も得て、約 800 万円余の浄財が集
まり、被災した高専学生や教職員とその家族へ、機構
本部を通じて届けることができた。
第 3 節 髙井吉明校長時代
(平成 23・24 年度)
第 1 項 平成 23 年度
団体 優勝、準優勝 女子団体 準優勝 個人準優勝 1 環深谷公貴 射技優秀賞 4 情井熊千夏
7.28 名古屋市内中学校と豊田高専との情報交換会を開催 (ウインクあいち)
817~28 全国高専体育大会(関東甲信越地区)
ハンドボール部 3 位 陸上部 1600m リレー優勝 100m・200m 優勝 4 機加藤良祐 400m3 位 5 機長谷川慎 水泳部 200 mバタフライ 3 位 2 機浅岡祐斗
8.25・26 東海・北陸地区国立高専技術職員技術長連絡会議 を本校にて開催
8.29 FDシンポジウムを開催「ティーチング・ポートフォ リオの紹介」大阪府立大学高専 北野健一准教授
9.4(日)海陽学園・豊田高専学寮ジョイントカンファレン スの実施
9.28~10.1 機械 4 年見学旅行(関西方面)
9.29 第 3 学年復習試験、 TOEIC-IP 試験の実施
10.2 わくわくワールド(とよたものづくりフェスタ 2011)
に出展(本校より 3 つの企画の出展・ブースの参加者各
100 名超)
10.8~9 オープンキャンパスを実施(参加者 809 名)
4.1 髙井吉明校長着任、針貝俊彦事務部長着任 竹下鉄夫
10.18 体育祭を開催(優勝:学科機械 学級 5 年機械)
39
第 1 編 通 史 編
10.22 和歌山高専学生寮関係者の来校(18 名) 気教室より髙井吉明校長が就任した。2 代続けて他の
10.30 ロボットコンテスト地区大会(岐阜高専)
分野からの校長が就任していたが、豊田高専にとって
テーマ「ロボ・ボウル」 A チーム「クーゲル・カノン」 は、
は久しぶりの古巣、電気教室からの着任であった。髙
3 回戦で敗戦。B チーム「飛・飛・飛(ヒ・ミ・ツ)」 は
1 回戦で敗戦したが、アイデア賞を獲得
11.5-6 こうよう祭を開催
11.12-13 全国高専デザインコンペティション(釧路高専)
空間デザイン部門で優秀賞(5 建チーム)
井校長も前任校である名古屋大学在職中の平成 19 年
4 月に「科学技術賞」理解増進部門で「リフレッシュ
理科教室事業による青少年理科教育の普及啓発」に努
めた功績により文部科学大臣表彰を受賞していた。第
11.19 専攻科社会人・学力後期選抜入学試験を実施
8 代末松良一校長に続き、2 代続けての理科教育に熱
11.20 ロボットコンテスト全国大会
心な教育者校長の就任であった。豊田高専に着任して
「飛・飛・飛(ヒ・ミ・ツ)」デザイン賞を受賞
からも青少年理科教育をライフワークに、平成 24 年
11.23 須賀杯争奪駅伝大会(41 チーム参加)陸上部 3 位
1 月には、小学生を対象とした「とよた高専おもしろ
11.30 同窓会特別講演会を開催
科学教室」を開催した。翌年度にも、従来の中学生向
12.22・23 全国高専プログラミングコンテスト(舞鶴高専)
け公開講座は、名前が堅い印象を与えると、「とよた
1.12 国立高等専門学校学習到達度試験(数学・物理)の実 施
1.28・29 全国高専英語プレゼンテーションコンテスト
2.4 クラブ対抗駅伝大会を実施(20 チーム参加)
優勝 陸上競技部 A
2.19 入学者学力選抜入学試験を実施
2.28 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
2.29~3.2 スキー教育(第 2 学年 志賀高原)
高専ワクワク広場」と改称し、従来より少し低い年齢
層を対象に、保護者ともども高専に来てもらい、「高
専制度」をアピールしようと、自ら陣頭指揮を執り活
動している。
キャリア教育支援室発足
キャリア教育支援室が、単に進路指導や就職活動支
3.1・2 環境 4 年研修旅行(関西方面)
援の延長ではなく、高専での生活を充実させ、変化の
3.1~3 建築 4 年研修旅行(岡山、香川県)
激しい社会を生き抜くための自己理解や職業理解を進
3.18 小水力発電アイデアコンテスト
めることで、学生が卒業後に自分の思い描く「自己」
3.21 卒業式 本科 218 名(内留学生 2 名)、修了式 専攻
科 29 名
3.27 外部評価委員会の開催
3.28・29 鈴鹿交通安全教育合宿研修(第 3 学年)
を実現できる能力を養うことを支援する目的で発足し
た。初代の支援室長には、キャリア教育支援準備室の
室長でもあった機械工学科兼重明宏教員が任命され
た。各クラスの指導教員(担任)、各教科を担当する
(その他の事項)
教員、クラブ活動の顧問教員、事務職員等が連携し、
・キャリア教育支援プログラムの開始
主にホームルームを中心に行う指導について経年的な
・新教務電算システムの導入(Web での履修申請)
学生の動向等を分析しながら、企画や情報提供を行っ
・前学期定期試験:台風の影響で 21 日に実施予定の科目を
ている。
26 日に延期
・第 35 回文部科学大臣杯全国高校囲碁選手権大会愛知県大
会 男子個人戦優勝 1 情石塚 天(6.4)
・第 2 講義棟室の黒板を手動式に取り替える(3 月)
・一般管理棟便所改修工事:10 月に完了
・第 2 会議室を廃止し、印刷室として整備
・豊田高専職員証 平成 23 年 4 月(発行) モデルコアカリキュラムの検討開始
モデルコアカリキュラムとは、国立高専のすべての
学生に到達させることを目標とする最低限の能力水
準・修得内容である「コア(ミニマムスタンダード)」
と、高専教育のより一層の高度化を図るための指針と
なる「モデル」とを提示するものである。国立高専機
構から、平成 23 年度初めに高専教育のさらなる高度
平成 23 年 4 月、第 9 代校長として、名古屋大学電
40
化を図っていくため草案が示され、全国の国立高専で
第 2 章 新たな 10 年
検討を開始した。
各学科から担当教官を選出し、チームとして教務電算
モデルコアカリキュラムでは、学校が編成・実施す
システムの運用管理に当たった。新しい教務電算シス
る具体的な教育課程(狭義のカリキュラム)を示すも
テムは、当時としては、学生の履修申告、教官の成績
のではなく、教育課程編成の指針として学生に身に付
入力を OCR で処理するという方式が確立しており、
けさせるべき到達目標(アウトカムズ)を提示してい
全国的にみても、進んだシステムであるといえた。と
る。
ころがまったく別の観点から問題が生じてきた。それ
「モデル」部分については、先導的な取組事例を全
は、 計 算 機 業 界 の 競 争 を 通 じ て、「Borland 社 の
高専が共有し、各高専の実情に応じて導入・普及を図
Paradox が開発用のシステムとして提供され続けるか
るもので、定期的に「エンジニアリングデザイン教育
どうかが危ういのではないか」という問題である。こ
事例集」を発行している。
の危機感を背景に、当時の鬼頭校長は各学科から選出
国立高専機構は、平成 24 年 3 月 23 日に、モデルコ
された教務電算開発プロジェクトメンバーを二分し、
アカリキュラム(試案)を公開した。その後豊田高専
平成 9 年度より新システム開発班と Paradox 担当班
でも、カリキュラムにどのように、この「モデルコア
に分け、2 つのチームで「継続利用」と「新開発」を
カリキュラム(試案)」を反映させるかという議論が
担当するという並行プロジェクト体制を発足させた。
始まっている。
Paradox によるシステム運用を継続するチームは、一
般学科(数学)米澤佳己教官と環境都市工学科の榊原
教務電算システム
教務電算は初代電子計算機室長伊藤二郎先生が着手
幸雄教官が中心となり、学生課教務係と共に教務電算
システムの運用・開発を続けた。新システムの開発チー
され、事務電算処理用のプログラミング言語 COBOL
ムは、情報工学科の岡部教官が率いることになった。
によって作成されていた。教務電算システムはその性
それは岡部教官が名古屋大学工学部全体の教務電算シ
質上、教務規定が変わるたびに対応するプログラムの
ステムを、前職の名古屋大学大型計算機センターに勤
変更をする必要があるという、システムの修正が宿命
務していたころから分担開発しており、プログラミン
づけられていた。その後は野澤繁之元電算室長の献身
グ能力と開発経験を鬼頭校長が高く評価したからであ
的な努力もあり、COBOL によるシステムが維持され
る。このころ COBOL は 2000(Y2K)年問題も喧伝
ていた。教務電算システムの変遷は、長い年月に亘っ
され、それにも対処しながら、約 3 年間システム開発
ているが、全体の理解を容易にするため、ここで紹介
を続けた。システムの開発に一応目途の立った平成
する。
11 年度の終わり頃、Paradox から COBOL に乗り換
えようかという判断をする際、会議において以下の 2
平成 5 年度の終り頃より、COBOL から Borland 社
点が問題視された。
の Paradox による、新たな教務電算システムの開発
1.Paradox は、この時点で安定して動作している
が開始された。それは、平成 6 年度より開始された「セ
2.COBOL に変更すると、プログラムを読める教官
メスター制」を見越してのものであった。その開発担
が少なくなる
当として、新たに電気工学科に採用された吉岡教官が
以上の理由から、「新システム開発班」の岡部教官
システム開発に専念し、従来の汎用電算機で動作する
等の努力は報われることなく、鬼頭校長の判断もあり
COBOL を用いたバッチ処理とは異なる、パソコンの
「継続利用班」の Paradox の教務電算システムを使用
対話型で運用される方式であった。同時に、入試電算
システムも、吉岡教官に加え、環境都市工学科榊原教
官の協力も得て開発した。
このようにして開発された新しい教務電算システム
が平成 6 年度前期の成績処理から運用された。その後
続けることになった。
ところが教育改革の一環で、平成 15 年度から、教
務規定が変更され、それまでの「再修得試験を廃止」し、
「複数回開講制度を開始」した。「複数回開講制度」は、
前期の修得できなかった科目を後期から直ちに、学生
41
第 1 編 通 史 編
に履修させる必要があり、教務電算システムの対応は、
が受け取る学業成績とが完全に一致し、情報処理シス
待ったなしの状況であった。このとき、1)Borland
テムを使う利便性が発揮される。このため、教員の成
社の Paradox はメーカーからのサポートのない状況
績を従来の OCR 入力から、パソコンを用いた表計算
で、2)Paradox による開発を強力に推進する熱意を
ソフトの入力に変更した。教員はエクセルソフトを用
持った教官がいなかったため、従来の Paradox によ
い成績入力をし、そのファイルを USB メモリーに格
る教務電算システムを改造して使い続けることができ
納し、教務係へ成績提出するようにした。この方式の
なくなった。この対応に苦慮していた教務グループは、
システム開発は平成 16 年より開始され、教務主事補
当時の学生主事で、次期教務主事に内定していた中嶋
の情報工学科安藤浩哉教員とそれを引き継いだ同じく
教 官 か ら、 一 度 開 発 し て い た が、 中 断 し て い た
情報工学科早坂太一教員の多大な貢献があった。
COBOL による教務電算システムの開発再開を岡部教
官へ依頼した。
成績の保護者への送付
こうして、岡部教官を中心とする教務電算プロジェ
教務電算システム導入の副次的な効果として、学生
クトは平成 15 年夏休みに集中的に作業を重ね、教務
の成績の保護者への送付が挙げられる。平成 23 年度
電算システムが Paradox から COBOL によるシステ
前期成績から、11 月の保護者懇談会に参加しなかっ
ムへと変更された。それから、毎年のように教務規定
た保護者については、該当する学生の保護者宛に送付
が変わるたびに、仕様変更ともいうべきシステムの修
した。
正を繰り返した。この間 COBOL もパソコンに対応す
さらに、年度末の学年成績については、卒業式の日
べく変化し、それまでのバッチ処理型のシステムから
に、全学生に手渡しているが、平成 23 年度学年成績
GUI を備えたシステムへと進化していった。
から、同時に保護者にも自宅へ郵送することにして、
一連の教務電算システムの開発による功績を認めら
成績が確実に保護者の元へ届くようにした。
れ、岡部教員は平成 17 年度教員顕彰を受けている。
本校には、COBOL プログラムを読むことのできる
教員がほとんどいなかったため、岡部教員の退職を前
にして、平成 20 年頃から、教務電算システムをどう
外部評価を実施
2 年に一度の外部評価の年に当たり、次のような 3
つのテーマで実施した。
するかという議論が始まった。そのとき、1)COBOL
(1)長期海外留学を中心とした異文化理解・国際交流
プ ロ グ ラ ム を 読 む こ と の で き る 教 員 が い な い。2)
活動の現状と、留学後における学生会や寮生会での活
Web 連携したシステムになっていなかった。それら
躍や貢献の状況について説明した。同時に海外からの
のことが重なり、平成 21 年度には新しい教務電算シ
留学生の受け入れ状況や留学生への取り組みも説明し
ステムを導入することになった。
た。
2 年の準備期間を経て、新しい教務電算システムは、
多読・多聴による学生の英語運用能力改善の具体的
事務部学生課が主体となってシステム開発をし、運用
指標として TOEIC の得点を用いて留学経験者、未経
することになった。平成 23 年度より本格運用された
験者、積極的に多読・多聴に取り組んだ学生の得点分
教務電算システムは、学生の履修申告を Web ページ
布についてその特徴を説明した。
から行えるスマートなもので、また本校の複雑な教務
規定にも対応するものとなっている。
(2)キャリア教育支援室の運営について、本校の特徴
であるパーソナルポートフォリオ(T- ファイル)や、
各学年で実施されている具体的なプログラムについて
JABEE の証拠資料として USB メモリを活用
説明した。
教員が提出する学生の成績は JABEE 審査の重要な
(3)文部科学省科学技術戦略推進費「地域再生人材創
証拠資料である。同時に、教務電算システムと連動し
出拠点の形成」により平成 21 年度に採択された「も
て成績入力がなされると、JABEE 審査の資料と学生
のづくり一気通観エンジニアの養成」プログラムにつ
42
第 2 章 新たな 10 年
いて、第 1 期生の企業技術者と専攻科生との共同によ
陸上部 1600m リレー優勝(佐貫 ・ 加藤 ・ 鈴木 ・ 河合) るプログラムへの取組状況や今後の自立化に向けた方
100m・200m 優勝 5 機加藤良祐 向性について報告した。
8.21 東三河地区各市立中学校教員と豊田高専教員との情
各委員からの助言・提言については、外部評価報告
書としてまとめるとともに、各種業務や次年度の計画
に反映することにした。
第 2 項 平成 24 年度
報交換会
8.25 豊橋技術科学大学オープンキャンパスに参画
9.4 第 3 学年復習試験(午前中に実施、午後は通常授業)
9.14 東海・北陸地区国立高専教員研究集会開催(本校が担
当) ウインクあいち(名古屋市)にて。
9.27 第 3 学年復習試験、 TOEIC-IP 試験の実施
10.6-7 オープンキャンパスを実施(参加者 837 名)
4.3 入学式を挙行、本科 212 名 専攻科 29 名
10.13-14 全国高専プログラミングコンテスト
4.4 始業式を挙行(新入生除く)
10.14 ロボットコンテスト地区大会(福井高専)
4.4 豊田商工会議所・豊田工業高等専門学校・豊田市の連
テーマ「ベスト・ペット」 A チーム「ポチ」は、2 回戦
携による「とよたイノベーションセンターに関する協定
で敗戦。B チーム「B-sep」は 1 回戦で敗戦したが、特別
締結式」 を実施(豊田商工会議所会議室)
賞を獲得
4.11 「 も の づ く り 一 気 通 観 エ ン ジ ニ ア の 養 成 プ ロ グ ラ ム」 第 3 期生の開講式を実施
5.3~5 ロボカップジャパンオープン(大阪)ロボカップ チー
ム KIKS、小型ロボットリーグ車輪部門・同ヒューマノイ
ド部門で準優勝
5.11~13 東海学生陸上競技対校選手権大会(瑞穂陸上競技
場) 200m 競走で優勝(5 機加藤良祐)
5.12・13 寮祭(テーマ「つながりの輪~ WA になって踊 ろう~」)
5.19(土) 球技大会ドッジボールなど 6 種目 延べ 722 名(92 チーム)参加
6.2 専攻科推薦・学力(前期)選抜入学試験
6.10-11(日 ・ 月)第 1 学年合宿研修(鈴鹿青少年センター: コミュニケーション能力の育成)
10.16 体育祭を開催(優勝:学科電気 学級 5 年電気)
11.3-4 こうよう祭を開催
11.10-11 全国高専デザインコンペティション(小山高専)
ものづくりデザイン部門で、準優勝に相当する「優秀賞」
を獲得。3 建黒田あすか・森遥貴・杉山侑希のチーム
11.17 専攻科社会人・学力後期選抜入学試験を実施
11.24 須賀杯争奪駅伝大会(35 チーム参加)陸上部 1 位
11.28 同窓会特別講演会を開催
1.10 国立高等専門学校学習到達度試験(数学・物理)の 実施
1.12 とよた高専ワクワク広場「おもしろ科学教室」を実施
(文部科学省科学研究費「ひらめき☆ときめきサイエンス」
採択 プログラム)
2.2 クラブ対抗駅伝大会、雨天のため中止
6.18~29 授業公開週間
2.24 入学者学力選抜入学試験を実施
6.18-24 ロボカップ世界大会(メキシコ)
2.27 後学期定期試験の答案返却(第 1 ~ 4 学年)
小型リーグで堂々 3 位の入賞(豊田市長に表敬訪問)
3.4-3.6 スキー教育(第 2 学年 志賀高原)
6.29 とよたイノベーションセンターオープニングセレ 3.4~6 機械 4 年研修旅行(九州方面)
モニー・記念講演会を開催(本校にて)
3.4~6 環境 4 年研修旅行(中国方面)
7.4 国際協力機構(JICA)研修員 9 名が来校した
3.5~7 情報 4 年研修旅行(関西方面)
7.7-8 東海地区高専体育大会に参加 陸上競技、テニス、 3.21 卒業式 本科 183 名(内留学生 4 名)、修了式 専攻
剣道、バスケットボールを本校主管で行う
団体 5 種目で優勝、個人、陸上など 10 種目で優勝
科 26 名
3.26-27 鈴鹿交通安全教育合宿研修(第 3 学年)
7.27-28 近畿・東海・北陸・信越地区高専弓道大会(和歌山) 団体の部 2 連覇 女子団体の部 準優勝
(その他の事項)
個人優勝 5 環久野拓真
・グループウェア更新(学内の Web システム)
8.9 第 36 回全国高等学校総合文化祭・囲碁部門大会(富
・寄宿舎空調機用基幹整備(エアコンの導入)
山県)に愛知県代表として参加(2 情石塚天)
820~26 全国高専体育大会(中国地区)
・夏季、冬季閉寮を土曜日に実施
・前学期定期試験、3 年及び 5 年の試験時間割、2 コマ目か
43
第 1 編 通 史 編
ら開始する方式を試行(追試験を減らすため)
・在外研究員として、平野学教員が英国へ、伊藤和晃教員
がイタリアへ出張 ・第 64 回小野道風公奉賛全国書道展覧会(道風展)」の学生・
条幅部門で、3 電長谷川開が文部科学大臣奨励賞を受賞
験による合格者を反対にそれまでの 8 割程度から 7 割
に減らした。
1)平成 15 年度には、調査書(内申点)のみで上位 8
名を当日の学力試験の成績によらず合格させるという
制度を中止した。これは、内申点のみの評価で合格し
た学生に入学後の成績不振者が多く、制度として学力
選抜にふさわしくないとの意見からである。
入試制度の変遷
2)調査書(内申点)にかかわりなく、当日の学力試
推薦選抜制度を昭和 62 年度入学試験から始めたこ
験の結果の上位 2 割を合格にしていたが、平成 22 年
とは、既に第 1 章第 5 節にて述べた。同時に、学力選
度入試から、この成績のみで合格する割合を 2 割から
抜の際、1)内申書に関係なく当日の学力試験の成績
1 割に減らした。この制度は、不登校などの結果、中
上位 2 割、各学科 8 名は合格とする。2)当日の学力
学校での調査書の評価が著しく低い受験生を救済しよ
試験の成績に関係なく、内申書の上位 2 割、各学科 8
うという趣旨で、昭和 62 年度の入試改革の当初より
名は無条件で合格とする、とし残りは内申書と当日の
採用された方策である。この制度による合格者も入学
学力試験の成績を総合的に判断して合否の判定を行っ
後の成績不振者が他の合格者に比べ、その比率が高い
てきた。また、この年より、学校見学会という名称で、
ことが問題となり、
各学科 1 割 4 名に限ることになった。
豊田高専のカリキュラムを理解してもらうための講義
3)平成 24 年度に実施する入試から、学力選抜の合否
内容の説明、実験室の開放を行った。さらに、体育館
判定方法を詳細に公開することにした。平成 21 年度
で、保護者、生徒と中学校教諭等全参加者を対象に入
に始まった学力選抜に関する簡易開示制度や、行政情
試説明会も実施した。
報に関する情報公開制度の進展もあり、いくつかの高
同時に、全教官が手分けして、愛知県下の全中学校
専では、学力選抜に関する学科ごとに詳細な情報や、
を訪問することが始まった。これは、昭和 62 年度よ
合否の判定に関する情報を公開する高専が出始めてい
り推薦選抜を始めたこと、学力選抜の合否判定にユ
た。そのような情勢をうけて、学校説明会の席上で、
ニークな方法を取り入れたことの内容を中学校側に
参加者からは、「豊田高専はなぜ入試の情報、特に合
知ってもらおうという趣旨であった。また、高専創設
否判定の方法を公開しないのか」という質問が相次ぐ
より 25 年以上経過し、高専創立当時の熱気を知る中
ようになってきた。これらをうけて、平成 25 年度入
学校教諭も退職し、高専制度を知らない中学校教諭も
試から学力選抜に関する合否判定の方法を詳細に公表
いるということで中学校訪問を開始した。当初は、教
することにし、平成 25 年度学生募集要項に掲載した。
官の出張旅費の手当もない、まったくの教官のボラン
この中で、合否の判定は、調査書と当日に学力検査
ティアであったが、出張命令のない支出の伴わない中
の結果を総合して行われるが、中学校からの調査書に
学校訪問は良くないということで、年をおかず正式の
ついて、9 教科のうち数学と理科について傾斜配分を
出張処理がなされるようになり、手当の支給も行われ
し、他の科目の 2 倍で評価していることを明らかにし
ることになった。300 校を越す中学校に全教官が出張
た。その結果内申点は、9 教科の 5 点満点で 45 点。
するため、その事務処理も膨大であり、事務官も出張
これに、数学と理科の評価を上乗せし、55 点満点と
に関する事務処理に忙殺されることになった。
なる。この得点を 2 年と 3 年で 2 学年分評価するので、
最初、入学定員の 2 割程度としていた推薦選抜の合
調査書点は 110 点満点となる。さらに、学力試験の評
格者数は、学力試験を避けて推薦選抜で出願する志願
価は、実施している 5 科目の試験について、すべて
者が多く、学科によっては 10 倍を越える倍率となり
100 点満点で、当日の試験は合計 500 点で評価する。
中学校側からの要望も強く、推薦選抜での合格者を増
この結果を基に、第 1 段階として第 1 志望学科の学
やした。翌昭和 63 年度より 3 割まで増やし、学力試
力試験の上位 4 名を合格とする。次に第 2 段階として
44
第 2 章 新たな 10 年
調査書点、学力検査の得点をそれぞれ、得点の多い順
20 年度より、名前も「オープンキャンパス」に改め、
にならべ、上位から合格内定者数に達するまで選別す
入試のみに限定しないで幅広い参加者を対象として実
る。そして、調査書点、学力検査の得点のどちらも、
施するようにしている。いかんせん入試の実体はすぐ
上位からの合格内定者になった受験者を合格とする。
に変更することもできず、入試説明会が情報公開の主
ただし、このときの合否判定は、第 1 志望学科のみに
体であるが、徐々に幅広く地域の住民の方に対しても、
ついて行う。もし、第 1 志望学科の前記調査書点、学
高専の情報を提供し、オープンキャンパスに参加する
力検査の得点の 2 つの基準について合格判定を受けた
年齢層もより広げることができるよう努力している。
受験者総数が当該学科の合格内定者数を越えるときに
は、その受験者の合否は、調査書点を 4 倍し 440 点満
点にし、それに学力検査の得点を加え、その合計の多
とよたイノベーションセンター開設
産学官の共同事業を推進してきた 1 つの結実とし
い順に合格とする。これを第 2 段階の合否判定とする。
て、豊田市、豊田商工会議所、豊田高専の 3 者は「と
第 2 段階の合否判定をしても、合格内定者数に達し
よたイノベーションセンター」を設立した。このセン
ないときには、まだ合格内定していない全受験者につ
ターの目的は、豊田地域の中堅・中小ものづくり企業
いて、調査書点を 3 倍し 330 点満点の内申点に学力検
のための一番身近な総合支援窓口として、豊田商工会
査得点の合計 500 点を加え、830 点満点で合否判定を
議所・豊田工業高等専門学校・豊田市の産学官連携に
する。
より、人材育成を核に産業支援機能の一元化を図る。
このように平成 25 年度入試から、学力選抜の合否
判定の方法を全面的に公開することにしたが、過去の
さらに、ものづくり企業の活動環境を整備し、イノベー
ション創出を図ることである。
判定方法については公開していない。公表した合否判
豊田高専では、とよたイノベーションセンターオー
定方法は、得点の比率や内容を主として愛知県公立高
プニングセレモニー・記念講演会を 6 月に開催した。
校普通科の合否判定方法に準拠し、普通科を目指す学
オープニングセレモニーに先立ち、とよたイノベー
力の受験生にとって、あまり違和感のない方法とする
ションセンターの所属する地域共同テクノセンターに
ように努めた。また、第 2 段階の合否判定においては、
て、豊田商工会議所三宅英臣会頭、太田稔彦豊田市長、
第 1 志望学科の受験生のみを合否の判定対象とするこ
髙井吉明校長の 3 者により、「とよたイノベーション
とから、専門学科による入試倍率が平準化することも
センター」銘板の除幕式が行われた。
期待をしている。
引き続きオープニングセレモニー会場へ移動し、本
入試制度に関すること、特に合否判定に関すること
校教職員や地域企業関係者等約 120 名が参加し、髙井
は、入試委員会で審議され決定されている。入試委員
センター長の挨拶、三宅商工会議所会頭の挨拶、太田
会は委員名簿も非公開であるし、議事録も公開されて
豊田市長の挨拶の後、高専機構五十嵐一男理事、中部
いない。したがって、長い間入試委員でない教員は、
経済産業局竹村初美次長、あいち産業科学技術総合セ
入試制度に関する詳細については知ることもなく、ま
ンター中野達夫所長及び豊田市議会梅村憲夫議長から
た入試委員会の審議もその場において決定するため、
の祝辞に続き、豊田信用金庫から寄贈目録の贈呈が行
その内容を知る由もなかった。ただ、校内での議論を
われた。
尽くしたいという入試委員の希望もあり、平成 24 年
オープニングセレモニー終了後は、株式会社ユニ
現在では、入試委員会といえども学科持ち帰りの審議
バーサルデザイン総合研究所赤池学代表取締役社長に
が常態化しており、各教員が入試について議論できる
よる記念講演会が併せて実施された。
というオープンな状態となってきている。これについ
今後は産業活性化や新事業創出に貢献する「ものづ
て、昭和時代の入試委員会の密室審議・秘密主義を知
くり・ひとづくり支援拠点」としての役割を果たすべ
る教員にとっては、隔世の感のある事態ともいえる。
く、豊田信用金庫とも相互連携し、地域企業の発展に
入学志願者やその保護者に対する学校説明会も平成
向けて支援を行う予定である。
45
第 1 編 通 史 編
第 3 章 回 想
20 世紀最後の校長から
的に理学の世界では同じ課題に複数の原理法則が並び立つ
ことはない。1998 年秋の全国大会では学生達の創意ある堅
牢な機器で豊田は全国優勝を果たした。校長冥利につきる
できごとであった。中学から高専を志望する生徒達はこの
ロボコンにあこがれているという。しかし全員が参加でき
るわけではない。そこで学生実験の中に目標追求型の実験
第 6 代校長 鬼頭 幸生
(
「文部省」等、
本稿では独立行政法人化以前の名称を使用した)
1.豊田高専は 「上げ潮」 だぁ
豊田高専創立 50 周年、慶賀の極みである。「上げ潮」 と
は満ち潮から転じて 「興隆、充実していく勢いのあるさま」
をいう。私が校長の頃、東海北陸地区高専体育大会におい
て豊田は半数以上の種目に優勝するのが常であった。大会
後の学内報告会で選手達を讃え、激励し、全員で喜びを分
かち合うために 「豊田高専は上げ潮だー」 と勝ちどきを挙
げることにしてみた。共感してくれた学生もあって、 後に
学寮の機関誌として 「上げ潮新聞」 が生まれた。何事によ
らず豊田高専は活気があって上昇機運に満ちていた。
2.高専のユニークさ
高専では中学卒業以後、教養的教科の上に勉学目的を「工
学」に定めて実験たっぷりのカリキュラムで勉強し、就職
は勿論、大学あるいは専攻科、その先大学院へと進学できる。
「工学」とはアイディアから出発して設定された目的に適合
した機械や設備(ソフトウエアも含めて)を造り出す学問
体系である。対するに「理学」とは観察からアイディアを
得て自然界を支配する原理・法則を見いだす学問体系であ
る。ただ、工学でも原理法則には逆らえないから表向きの
知識はかなり理学に由来しているけれども理学ではない。
このように高専は国内ではユニークな進路であるだけに、
中学生・保護者向けの学校説明会を毎秋 1 ヶ月半の内に県
下 13 ヶ所で開いていた。校長講話では上述のような基本方
針を分かり易く述べた。その効果ありや、あらぬや在任中
5 年間で入試合格者の平均得点は上昇し続けた。
3.高専ロボットコンテスト
このコンテストには与えられた課題に対して全国 50 有余
の高専から予選を含めれば 100 台以上の機械が出現する。
そして競技の末に生き残りが決まるけれども、実質的に準
決勝以上のレベルの複数の機械に顕著な優劣はない。対照
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を導入することをお願いした。いくつかの学科ではそれを
実現してくださった。
4.学内情報インフラの充実
私が着任したとき、校内にはLAN回線が設置済みであっ
たが、校長室には引き込まれていなかった。仕事にはマッ
クのパソコン(以下PC)を愛用していたので、工事をお
願いして一ヶ月余を経てネットに接続できた。当時、携帯
電話も普及していない時代であったが、LANを活用して
学内情報インフラの充実には注力した。むろん、校長一人
の力でできることではなく、教官、歴代事務部長始め事務
官の支えがあって進展していった。「校長が PC 好きで、弱
るなぁ」 と風が耳元でささやいたような気がした。
図書館図書目録の電子化から事務運営への情報技術の導
入、学生の成績処理の情報化へと進んできた。図書目録の
電子化には配分予算の中から自前で行った。このことは文
部省も評価してくれてご褒美の予算が配分され、図書館入
り口に図書管理ゲートを設置できた。事務の情報化では事
務官で個人的に情報技術に詳しい方々を中核として導入が
進んだ。他高専の校長から「豊田はどうやって事務まで情
報化を進めたのか」と質問されるくらい先進的であった。
学生の成績処理の情報化の折には専用の部屋が必要だとい
うことになって、ついに事務部長室を明け渡し、 部長が校
長室へ移り、校長は大応接間の一角を占めることになった。
他方、授業でビジュアルな教材やインターネットも利用
できるように各教室へ LAN の端末を導入し、特別の予算配
分があった折、PC 操作のプロジェクターを全教室の天井に
吊り下げた。これは名大、名工大あたりより早かった。
5.専攻科
専攻科は前校長時代に全校の尽力で設置済みであった。
他高専の校長から「それでは鬼頭校長はやることが無いじゃ
ないか」とひやかされたりした。しかし専攻科は 5 年ごと
に学位授与機構の審査を受けなければならない。ポイント
は所用の人数の学位をもった教官が教育に当たっているこ
第 3 章 回 想
と、担当教官は 5 年ごとに複数篇の学術論文を公表してい
あります。当時、わたくしが配った冊子「ボートの話」も
ることである。この種の要件は一朝一夕には実現できない
実はこうした意味での学生諸君へのメッセージのつもりで
から不断の厳しい運営が求められていた。次第に専攻科を
したが、ロボコン大賞をはじめ、全国的な多くのコンテス
もつ高専が増えた頃、国立高専協会で、高専・専攻科を一
トやクラブ活動などでの学生諸君のみごとな活躍に目を見
貫して仮称の仮称だが「高専大学」とでも進展させる途は
張り、将来素晴らしい技術者を輩出するに違いないと思っ
ないかと会長中心に文部省と折衝されたことがある。しか
たものです。教育システムとしては、それぞれのしっかり
し 「大学」 の概念をそこまで拡張することはできないとの
した専門性の上に広い視野を築くものとして JABEE 認定
ことで実現には至らなかった。
を受けられたことにも大きな敬意を払いたいと思います。
6.さよならにかえて
いま、毎年の修了式・卒業式で私の式辞を、「本日、豊田工
PC 好きの校長も 20 世紀の最終年、2000 年の 3 月に退職。
今の想いを、新古今集から和歌 2 首に仮託して筆をおく。
ふるさとの宿もる月にこと問はん
われをば知るや昔住みきと 寂超
業高等専門学校は、諸君を自信と誇りを持って世に送り出
します」という言葉で終えることができた幸せを感じてい
ます。
学校の組織の在り方という意味での変革にあっても、当
昔見し雲居をめぐる秋の月
時、教職員の皆さんにとっては大きな戸惑いを強制せざる
いま幾年か袖に宿さん 二条院讃岐
を得なかったと思います。良い悪いに拘わらず、まさに戦
後の教育改革以来の大改革とささやかれておりました。国
立高専を法人化し、それまで受けていた多くの規制を緩和
豊田高専 50 周年に寄せて
する代わりに、自らの目標に向けて責任をもって自己改革
を進めよというものでした。しかし、法人化する時期は定
められているものの、具体的にどのようになるのかは、当
初の予定よりずっと遅れて初めて見えてくる有様でした。
そんなこともあり、将来の具体が見えないまま、みんなの
意識改革に手を付けることとなりました。しかも、かなり
第 7 代校長 髙木 不折
豊田高専の 50 周年 心からお祝い申し上げます。創設期
から順次それぞれの時代に、教職員とともに学生諸君が積
み上げてきた伝統が、いま 50 周年という形で輝いておりま
す。本当にうれしく思わずにはおれません。
さて、わたくしも 2000 年からの 5 年間を豊田高専で過ご
しましたが、その期間はこの 50 年のうちでも特筆すべき時
代にあたると言ってよいでしょう。豊田高専だけでなく、
高専全体、大学も含めた我が国の高等教育機関の在り方、
さらには技術者教育の在り方が議論されていた時でした。
技術者教育の在り方という点では、それまでの教育、「…
学」「…学」といった学問体系に沿った教え方の重要性はと
もかく、とくに強調されたのが「創造性育成」ということ
でした。要は、他所でできた技術を発展させるだけでなく、
実際の世の中の需要を汲み取りつつ、それを実現するいろ
いろな製品やシステムを、その基礎から創り上げ、組み上
げていける若者を育てることの大切さです。と同時に、そ
のためには、自分の専門分野だけでなく、より広く物事を
見る目の大切さも叫ばれていました。いろいろな知識や工
夫を一つの目的のために創り上げていくことの大切さでも
短時間で行わなければならず、走りながら考えるという状
況だったと思います。とくに、組織として自己改革をする
ということは、教育改革の点でもそうですが、いわゆる「評
価」が極めて大きな意味を持つことになります。そして「評
価」というのは大変に多くの面を持ち、難しいということ
は言うまでもありません。
現在 学校はいくつもの評価を受けておられるでしょう。
大きくは大学評価・学位授与機構による「機関別認証評価」、
教育システムについては「日本技術者教育認定機構」によ
る JABEE 評価です。そしてそれらはまた数多くの項目に
ついての評価を含んでいます。これらに応えねばならず、
現在も教職員の方々は大変でしょう。そして、多くの方々
の大変なエネルギーが注がれております。ただ、大切なこ
とは、これらが「評価のための評価」に終わってはならな
いということです。しかしながら、本当の意味で「この評
価がゆえに、教育が、あるいは教育機関がより良く」なる
ならば、多くの方々のエネルギー、努力、労力も報われる
ことになるでしょう。本校ではぜひ基本に眼を向けられ、
そのような方向に向けてより一層のご努力をいただければ
と願います。そうすれば、豊田高専の今後の 50 年がより輝
いたものになるでしょう。
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第 1 編 通 史 編
KOBAN・KANBAN・KOSEN
国立高専の創設期から大学編入学制度、専攻科設置まで
の高専に関する新聞記事を、朝日新聞のデーターベースで
調べた時に気付いたことがあった。
それは、検索のキーワードを「工業高等専門学校」とす
ると、ヒット数が数件しか存在しないのに対し、キーワー
ドを「高専」とすると数百件ヒットするという事実であった。
第 8 代校長 末松 良一
私は、2005 年 4 月から 2011 年 3 月までの 6 年間豊田高
専の校長を務めさせていただいた。55 の国立高専が独立行
政法人高等専門学校機構となり、JABEE 認定の導入などの
大変革が前校長である髙木不折先生によって方向性が決定
され、実施に移行する時期の校長就任であった。
日本技術者教育認定機構による JABEE 認定について豊
田高専の 5 学科の専門分野ごとに受審する方針が激しい議
論の末、髙木校長の決断によって決定されたのだった。他
の高専が、複合・融合領域分野の 1 分野での JABEE 認定
の受審を選択する中、また、多くの大学が JABEE 認定で
大わらわ中、正に英断であったと思う。
2005 年に電気・電子システム工学教育プログラムと環境
都市工学教育プログラムが認定されたのに続いて、2006 年
に機械工学プログラムと情報科学プログラム、そして、
2007 年に建築学教育プログラムがそれぞれ認定を取得した。
私は、大学教員時代に ABET EC 2000 や国立大学の工学
教育プログラムにも携わった経験をもつが、こと「技術者
教育」において、高専・専攻科の教育が、大学の教育に劣
るはずがないという思いは抱いていた。
JABEE 認定において、各学科の教員が一丸となって取り
組んでくれたことが印象深い。膨大な資料をタイムスケ
ジュールに従って遂行した学科の熱意と教員協力は素晴ら
しかった。
称ではなく、単に高専という名称で浸透していることを端
的に示していた。
以来、私は高専あるいは KOSEN という名称を意識して
多用するようになった。少し遅れて国立高等専門学校機構
もホームページやパンフレットに、高専・KOSEN という
名称を用いるようになった。
私は、日本に特有な技術者教育システムとしての高専を
PR するために、「KOBAN・KANBAN・KOSEN」という
キ ャ ッ チ フ レ ー ズ を 提 案 し た。KOBAN( 交 番 ) と
KANBAN(カンバン)は、すでに国際語となっている。ぜ
ひ、KOSEN(高専)を、世界に輸出し、それぞれの国の産
業発展に貢献できる若者の技術者教育システムとして広め
たいという思いからであった。
2009 年の夏、ある参議院議員から、「ベトナムで Japan Festival と日越ビジネスフォーラムがある。ファーラムで
日本の高専について話してくれないか」と急に誘われた。
教育熱心で産業発展が期待されるベトナムこそ、高専シ
ステムの輸出に相応しいと判断した私は、周りの人に背中
を押されたこともあって、議員の依頼を引き受けた。
準備に 2 週間ほどしかなかったが、ベトナムダナン市で
の私の講演は、科学技術機関の副長官や、大学関係者に反
響を呼んだ。副長官は、必ずベトナムに高専を創るといった。
その部下が、「彼は実力者だから彼がやるといったことは必
ず実現しますよ」といってくれたことを思い出す。
5 学科(専攻)JABEE 認定完了を祝う
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このことは、世間では、工業高等専門学校という正式名
日越ビジネスフォーラムでのプレゼン(ダナン市)
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