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Ⅴ(PDF版) - 都市科学政策研究所

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Ⅴ(PDF版) - 都市科学政策研究所
Ⅴ.都市科学の小さな歴史
Ⅴ.都市科学の小さな歴史
1970年 1970
年 71
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99 2000
2000 01
01 02
02 03
03
(株)都市科学研究所
/沖縄事務所
(株)都市科学研究所/京都事務所
組織とスタッフ
1980年7月
1983年7月20日
沖縄事務所設置 ㈱都市科学政策事務所創立
1994年7月引っ越し
ふそうビル (那覇市前島)
4
: 監
: 経
査
理
4
7
7
7
8
ビーシービル
7
8
10
9
9
11
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16
16
15
16
(那覇市泉崎)
17
18
18
18
19
役
職
員
: 女性研究職員
: 男性研究職員
: 嘱託研究職員
※:その他にも会社を支えた多くの
アルバイトスタッフがいます。
過去の社員
研修旅行先
北海道 屋良朝苗県政
主な出来事
県
平良幸市県政
・日本復帰、沖縄復帰関連法
・沖縄振興開発計画
・新都市計画法適用
(都市計画区域の設定等)
内
・若夏国体
全
国
31
台湾
今帰仁 久米島 香港 バリ シンガポール タイ 韓国 ハワイ バリ タイ 屋久島 台湾 西銘順治県政
大田昌秀県政
・沖縄自動車道開通(名護∼石川)
・国際海洋博覧会
・バス専用レーン実施
・都市緑地保全法
・第三次全国総合開発計画
・大店法
・オイルショック
・成田空港
・伝建地区制度
・大店法改正
・安定成長期
・竹富島重要伝統的建造物群
保存地区選定
・北部広域市町村圏設定
・中部広域市町村圏設定
・南部広域市町村圏設定
・沖縄自動車道(石川∼那覇)開通
・海邦国体
・県立芸術大学開校
・新用途地域 ・国際都市形成構想
・軍転特措法
・シンクタンク協議会設立
・名桜大学
・全国植樹祭
・長期断水
・首里城公園
・SACOにおいて普天間飛行場等の
土地の返還合意
・平和の礎建立
・沖縄振興新計画
・沖縄サミット開催
・琉球王国のグスク及び関連遺産群
世界遺産登録
・ゆいレール
・渡名喜島重要伝建選定
開通
・壺屋地区まちづくり憲章
・合併久米島町誕生
・世界最高水準
の大学院大学
・新しい全国総合開発計画
・都市計画法、建築基準法改正
・中心市街地活性化法 ・中央省庁再編成
(都市マスタープラン、新用途地域)
・都市計画法及び建築基準法一部改正・都市再生特措法
・緑の基本計画
・阪神・淡路大震災
・都市計画法等一部改正
・北海道南西沖地震
・美らさんNHK
・普賢岳火砕流
・わが国初の世界遺産登録(自然遺産:屋久島等)
・地方分権一括法成立
全国放映
・土地基本法
・第四次全国総合開発計画
・民活法 ・集落地域整備法
・総合保養地域整備法
・地区計画制度
・第二次オイルショック
稲嶺恵一県政
・第三次沖縄振興開発計画
・第二次沖縄振興開発計画
・交通方法変更
上海 北海道 香港 愛媛・高知・広島
オーストラリア
韓国/愛媛
・老人保健法
・地域住宅計画
・円高
・地価高騰、バブル経済
エピソード1 研究所誕生の予兆は、備瀬知伸の鹿児島大学時代に
同じくする研究会・委員会の事務局の仕事や、あくまでも現地状況に
とではじめて知る。東京霞ヶ関ビルに進出するなどの思い切った「中
はじまる。世界に通じる建築家をめざす沖縄青年にプランナーの何た
目線を置く調査分析作業によって、幅広い見識とコンサル技術者とし
央での展開戦略」がことごとく失敗したらしい。沖縄の我々にとって
社フロアという資産を持つことを決断する契機となった。
この件はのぞましい形で決着することができたが、この経験が知伸に自
るかを身を持って示した吉野正治先生との出会いである。この時、沖
ての確信が培われていった。沖縄コンサルの草分けである財)沖縄経
は、ただただ、青天のへきれきの事件であり、事の顛末は後日雑誌の
エピソード8 2003年7月20日、我が研究所は満20歳となり、前原所
縄青年の将来は「沖縄をリードし、沖縄をサポートする世界に通じる
済開発研究所との交流があるほどの研究所に在席しながら、沖縄への
特集ルポになったことで詳しく知ることができた。
長・小柴副所長を基軸にした行動力のある新体制がスタートした。この
プランナー」となることに定まった。
機はなかなかに熟さなかった。
エピソード6 新会社設立!!!倒産から1ヶ月後、㈱都市科学政策研
間の軌跡は上の図表で外観してもらえよう。現在、資本金2000万円、職
エピソード2 京都府立大学に転身された恩師を追うように、1972
エピソード4 30歳には沖縄でコンサル事業をおこすと、入所以来
究所の誕生である。旧社のリスクを背負って、マイナスからのスター
員19人とアルバイトスタッフ6人、自社フロアには印刷コピー機5台がひ
年4月、京都に本社を持つ㈱都市科学研究所に就職する。この草分け
広言し続けた沖縄青年もすでに33歳、自力で帰沖をめざした矢先に、
トではあったが、3年間で築いた信頼が逆境の中で光を放った。知伸
的コンサルは、諸外国の研究論文引用型の研究機関が幅をきかす時代
社長より沖縄事務所開設の打診がある。1980年7月には夢は現実のも
・ヒロ子は奮い立った。若い前原たちも2人に続いた。
に、フィールドワーク重視型で、建築学・経済学・地理学・社会学・
のとなった。帰沖した知伸・ヒロ子それぞれに連日の行政まわりの中
エピソード7 それから、小さな会社は何度も危機を乗りこえてき
林学・哲学・美学・家政学などおそろしく幅広い異専門集団をようす
から、情報を得て企画書を作成し、足場を築き、1982年にはスタッフ
た。ある時、会社の財産は「人間」と「信頼」と考えて、不動産取得
るユニークなコンサルであった。翌年には職場結婚して知伸・ヒロ子
6名の体制で充実した業務に取り組むまでになった。この6名の中に若
などには見むきもせずにやってきた知伸の経営姿勢と銀行のシステム
のコンビも定まる。
き前原(今期より所長)がいた。
とがかみあわなくなった。お決まりの資金繰りの時期にお決まりの小
エピソード3 研究所が財産としたすぐれた知的ネットワークの中
エピソード5 1983年6月、本社倒産!!!「三菱総研、野村総研に次
額の借り入れであったにもかかわらず、担保となる固定資産の提供を
で、2人は経験を積み重ねた。大学研究者、経済人、行政マンと席を
ぐ関西の雄」と形容される研究機関となっていたことを、倒産したこ
断固求められたのである。会社存亡の危機となった。ホントである。
しめき、職員数を上まわるパソコンが机を占拠し、図書資料室から溢れ
出た資料棚が、年々職員のスペースを圧迫する。が、職員は新しい機器
を次々と使いこなし、元気に語らい、日々、県内各地域を走りまわって
いる。来訪者もまさに県内外から千客万来である。あの20年前の7月に
資本金400万円、職員6人で、ふそうビル3階の最小スパンの部屋に、
100万円もしたワープロ(自前で報告書をつくらねばならなかったため)
と20万円で破産管財人から購入した机・本棚等の備品をもってスタート
した時の高揚感が、今日の姿に結ばれている。そして、あの沖縄青年は
壮年となった今でも未来のことを語りつづけている。
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