...

論文II - 政治大學東亞研究所

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

論文II - 政治大學東亞研究所
「日本新防衛政策與東亞情勢」
國際研討會
日本外交安保戰略對東亞情勢與
「美日韓同盟」之意義
II – 1
新政権下の日韓関係:日韓両国は何故対立するか
新政權下的日韓關係:日韓兩國為何對立
木村 幹(日本神戶大學國際協力研究科教授)
II – 2
東北アジアにおける海洋(領土)紛争の様態と
「韓米-日米同盟」の意義:韓国の観点から
東北亞中的海洋(領土)紛爭的樣態與「美韓-美日同盟」的
意義:從韓國觀點出發
宋錫源(韓國慶熙大學政治外交學科教授、日本研究所所長)
新政権下の日韓関係:日韓両国は何故対立するか
木村 幹
【要約】2012 年の李明博韓国前大統領の竹島(韓国名:独島)上陸以降、日韓
関係は一向に改善の兆しを見せていない。この状況は、同年末から 2013 年初頭
にかけて日韓両国の新政権の成立以降も変化していない。何故に日韓両国の関
係は悪化を続けているのか。両国間の経済・安全保障上の互いの重要性の低下
と、中国の台頭に伴う北東アジア認識の相違という構造的変化がその背後に存
在する。
キーワード:日韓関係、日本、韓国、中国、アメリカ
一
はじめに
「歴史問題や領土問題で歴史に逆行する発言をする日本の指導部のために信
頼を築けていない。首脳が2人で座って解決する事ができない状況だ。
・・・被
害者は青春をめちゃくちゃにされ、深い傷を受けているのに、日本は謝罪どこ
ろか、ずっと侮辱している」1。
2013 年 9 月 30 日、ソウルで行われた朴槿恵大統領のヘーゲル米国防長官との
会談で飛び出した発言である。
韓国で朴槿惠政権が成立したのは今年 2 月、日本で安倍政権が誕生したのは
昨年 12 月末の事である。しかしながら、それから既に半年以上経過した今日で
も、朴槿惠大統領と安倍首相の首脳会談は未だ実現していない。否、それどこ
ろではない。両国の間では、首脳会談実現の為の準備さえ満足に行われておら
ず、取り分け韓国政府は強硬な姿勢を取っている。周知のように、少なくとも
建前以上は、自らの側には何時でも韓国との首脳会談を行う準備がある事を繰
り返し明言している2日本側とは対照的に、韓国側母が何時行えるかの見通しさ
1
NHK Online「韓国大統領 首脳会談に否定的」2013 年 9 月 13 日、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130930/k10014925351000.html(最終確認 2013 年 12 月 7
日)。 2
例えば、2013 年 10 月 22 日、安倍は「最も大切な隣国で1つの事に問題があったか
らといって関係すべてを閉ざしてしまうのは間違っている。対話のドアはいつも開
いており、韓国側にも同様の対応を取ってもらいたい」と述べている。NHK Online 「首相 集団的自衛権行使は法整備必要」2013 年 10 月 22 日、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131022/k10015456881000.html(最終確認 2013 年 10 月 24
II - 1
え立たない状況である。10 月 14 日の段階でも、韓国の尹炳世外交部長官は、
「現
在のところ日本の真剣な措置が不足しているため、条件が熟していないと見
ている」と述べており、韓国政府の姿勢は極めて強硬なものとなっている。
1987 年における韓国の民主化以後、日韓両国は韓国にて新しい大統領が就任す
る度に、早い段階から両国首脳による会談の準備を進めてきたから、この事態
は極めて特殊なものと言う事が出来る。
このような事態は、日韓両国の国民感情にも影響した。両国国民の相手側国
家や政府に対する感情も大きく悪化し(グラフ1、表1)、このような状況は両
国政府をして相手国に対する積極的な融和政策を取る余地を狭めさせる事とな
っている。結果、今日の両国においては、関係改善の為に積極的な動きに乗り
出そうとする動きは極めて小さなものとなっている。その事は、日中関係と比
べても明確であろう。例えば、尖閣問題が悪化して以来、これを憂慮した日本
の財界からは幾度か中国に対する使節団が派遣された3。しかしながら、同じよ
うな積極的な動きは韓国に対しては存在しない。政界のみならず、財界におい
ても日韓関係改善に向けての動きは小さく、事態は深刻なものとなっている。
二
比較の対象としての第一次安倍政権
このような事態に対して、通常、韓国においては、先の朴槿恵大統領自身の
発言にも典型的に表れているように、その原因は安倍政権の「右傾化」に求め
られている4。とはいえここで考えなければならない事がある。安倍氏が首相に
就任したのは、2006 年に次いで 2 回目、しかしこの 7 年間の間に安倍氏の政治
的主張は実は殆ど変化していない。即ち、安倍氏は前回政権についた際におい
ても、憲法改正論者であったし、集団的自衛権の適用を主張し、また従軍慰安
婦の強制連行を否定していた5。言い換えるなら、少なくともこの両時期の安倍
日)。また、防衛省・自衛隊「大臣臨時会見概要」2013 年 8 月 29 日、
http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2013/08/29.html(最終確認 2013 年 10 月 24 日) 3
例えば、時事ドットコム「汪洋副首相と会談へ=「副首相」は2年ぶり-日中経協」2013
年 11 月 11 日、http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013111800542(最終確認 2013 年 12 月 7
日)。 4
「尹외교 “日 지도자 시대착오적 언행 개탄”」(尹外相「日本指導者の
時代錯誤的言行を慨嘆)、 『동아일보』(東亜日報)2013 年 4 月 27 日。 5
例えば、1997 年 5 月、安倍は「(河野)官房長官談話は誤報から発した。強制性を検証す
る文書が出てきていない」「河野談話の前提がかなり崩れてきている」
、と衆議院決算委第
2分科会にて述べている。安倍は同じく、2006 年 2 月の衆議院予算委員会にて、A 級戦犯
について「日本において彼らが犯罪人であるかと言えば、それはそうではないだろう」と
述べ、併せて村山談話と関連して「いわゆる侵略戦争をどう定義づけるかと言う問題も当
然ある。まだ学問的に確定しているとは言えない状況ではないか」とも述べている。「歴史
認識「本音」は封印 安倍首相、中韓歴訪控え」、『朝日新聞』2006 年 10 月 5 日。 II - 2
氏の主張を比較した限りでは、彼の主張は全く「右傾化」していない。勿論そ
の事は彼が最初から「右寄りの」主張を有する政治家だと言う事を否定はしな
い。しかしながら、安倍氏の主張の変化が存在しない以上、今日の状況が安倍
氏、或いは彼の政権が「右傾化」した事にある、と言う事はできない。
とはいえ、本稿で議論したいのはこのような安倍氏の政治的性向そのものに
ついてではない。重要な事は 2006 年と 2013 年における安倍氏の政治的主張がほ
ぼ同一であるにも拘らず、この安倍氏に対する韓国政府やメディアの理解が大
きく異なってしまっている事である。この点を理解する為には、前回の政権獲
得時に、韓国政府やメディアがどのような主張をしていたかを見ればよくわか
る。
振り返れば、2006 年に安倍氏が最初に政権についた当時の韓国の大統領は盧
武鉉だった。言うまでもなく、盧武鉉は韓国の歴代大統領の中でも、日韓両国
の間に横たわる歴史認識問題や領土問題に対して、強硬な姿勢を有していた人
物の一人だった。その事は、第一次の安倍政権に先立つ、小泉政権期の日韓関
係を見れば容易に知る事が出来る。周知のように、2003 年 2 月に政権の座に就
いた盧武鉉は、当初こそ、
「自らの政権下においては歴史認識問題を争点化しな
い」事を強調し、日韓関係の修復を図ったものの、やがて、2005 年 3 月、島根
県議会が所謂「竹島(韓国名独島)の日」条例を通過させると、日本への批判
を強めるようになり、更に翌 4 月に、当時注目を浴びていた「新しい教科書を
つくる会」による教科書が、検定を通過する事により、その方向性は明確なも
のとなった。2006 年には竹島問題にて日本政府への批判を強める韓国政府と日
本政府の関係は、一触即発の事態へと発展する。即ち、2006 年 4 月、日本政府
が竹島近海に測量船を派遣する事を決定すると、盧武鉉はこの測量船が竹島近
海の韓国側の認識する「領海」に入った場合には、韓国側の警備艇を衝突させ
て撃沈するように命じる事となり、日韓両国は文字通り、本格的な紛争の一歩
手前にまで至る事となる。当時の盧武鉉政権は、北朝鮮政策においても、宥和
政策を掲げて、拉致問題との絡みで経済制裁を強化する日本政府と激しく対立
し、日韓両国は、今日と同じく韓国側の拒否により、日韓首脳による会談さえ
実現できない状況へと追い込まれた。小泉は 2006 年 8 月 15 日には、兼ねてより
自らが公約していた靖国神社参拝を強行し、日韓関係は袋小路へと陥った。
このような状況を受けて、2006 年 9 月に成立した安倍政権を、当時の韓国政
府や世論は好意的に受け止めた。小泉は既に 2005 年 8 月、郵政改革を最大の焦
点として行われた総選挙に大勝を収めた直後、自らが翌年 9 月に退陣する事を
明らかにしており6、当時の韓国政府はこの日本の政権交代を、両国の関係改善
6
「総選挙勝利でも来年9月退陣
小泉首相が表明」、『朝日新聞』2005 年 8 月 20 日。 II - 3
の好機として受け止めた7。事実、2006 年 8 月 15 日の小泉による靖国参拝の直後
においても、韓国外交通商部府は、これによりまもなく成立する安倍政権との
関係を損なう事を恐れて、わざわざ「日本の責任ある指導者たちが韓日関係を
阻害する事が二度とないように」と述べ、将来に含みを持たせる事となってい
る8。
このような状況は 2006 年 9 月 26 日に正式に第一次安倍政権が成立すると、韓
国側からの日韓関係修復へのより強い期待して表れる事となる。この政権の成
立に際して、韓国政府は「(新政権下の日韓関係は)日本側がどうするかにかか
っている。我々が求めている事を日本はよく知っている」との声明を発表し、
両国は第一次安倍政権成立の僅か 2 日後に、首脳会談開催で一致する事となっ
ている9。事実、韓国政府は小泉政権下の官房長官であった安倍に対して、総理
就任の以前から首脳会談の開催を打診しており10、日本政府側もこのような韓国
側の期待に応える形で、安倍首相の最初の外遊先として、同じく小泉政権期に
大きく関係が悪化した中国と並んで韓国を選ぶ事となり、安倍首相は 10 月 8 日、
9 日の両日、中韓両国を相次いで訪問し首脳会談を開催する事となっている。
第一次安倍政権への好意的な姿勢は韓国メディアにおいても同様だった。例
えば、安倍が政権に就任する直前、韓国メディアの多くは、この政権下におけ
る日韓関係の打開への期待を、その民族主義的な姿勢に対する「憂慮」と共に
示しており11、第一次安倍政権に対する関心は極めて高い水準にあった。例えば、
韓国の有力紙の一つである東亜日報は自らの社説で次のように述べている。
「盧大統領も「日本とは付き合って見なければわからない」といった後ろ向
きの言葉で日本を刺激したり、対話の門を閉じたりする自閉症的態度を捨てる
べきだ。 中国と日本が靖国神社参拝問題で対立しながらも実益に関わる事案で
は「ウィンウィン」の関係を築こうとする実用的戦略を駆使している点に注目
7
「中韓、「小泉後」を視野 麻生氏、存在感アピール 外相会談実現」、『朝日新聞』2006
年 5 月 25 日。 8
「小泉首相、靖国参拝 中韓『次で』打開期待」『朝日新聞』2006 年 8 月 16 日。 9
「中韓、関係改善に期待感 安倍内閣発足」、
『朝日新聞』2006 年 9 月 28 日。 10
「정부, 아베 관방장관에 정상회담 타진」(政府、安倍官房長官に
首脳会談打診)、『세계일보』(世界日報)2006 年 9 月 5 日。 11
例えば、「日 아베시대 개막/‘전쟁할 수 있는 나라로' 깃발 올렸다」(日本、安倍時代開幕/「戦争できる国に」と旗揚
マ
マ
げ)、『동아일보』(東亜日報)2006 年 9 月 21 日、「<포럼>예고된 아베정권과 對日 マ
マ
외교전략」(フォーラム:予告された安倍政権の対日
外交戦略)、『문화일보』(文化日報)2006 年 9 月 15 日、「[사설] '아베의 일본' 기대는 작고 걱정은 크다」(社説:「安倍の日本」期待は小さく心配は大き
い)、『한국일보』(韓国日報)2006 年 9 月 21 日。 II - 4
しなければならない。 韓国が中国と北朝鮮の側に立っていると言う認識を日本
に植えるのは賢明でない。
安倍政権のスタートを契機に韓日両国が「閉じられた民族主義」の競争から
抜け出して長期的共同利益次元で互いに理解して協力する方法を探さなければ
ならない」12。
三
2006 年と 2013 年の違い
以上の事からもわかるように、一見類似しているかのように見える第一次安
倍政権誕生当時と現在との間の違いは、安倍政権や安倍個人の政治的志向にあ
るのではない。そしてその事は、両安倍政権の成立に先立つ時期の日韓関係が
共に大きな問題に直面していた事を見れば更に明瞭になる。小泉政権期と同様
に、野田政権期における日韓両国も、李明博大統領の竹島訪問や所謂「天皇謝
罪発言」更には従軍慰安婦問題を巡る見解の相違により悪化した状態にあった。
その意味では、野田政権から第二次安倍政権への以降もまた、韓国側にとって
は両国の関係改善の好機と看做される余地は、少なくとも論理的には存在した。
実際、日本政府はほぼ同時期に誕生した朴槿恵政権の成立を、日韓関係の好機
だと看做し、朴槿恵の大統領当選直後には、日韓議員連盟幹事であった額賀福
志郎を安倍首相の特使として派遣し、また同大統領の就任式には麻生太郎副首
相をやはりソウルに派遣して、日韓関係の打診を試みている。
しかしながら、第二次安倍政権の成立期が第一のそれと大きく異なったのは、
韓国側の日本の新政権成立に対する姿勢が全く異なっていた事だった。即ち、
大統領に当選した朴槿恵が額賀の訪韓に対する答礼として派遣した黄祐呂セヌ
リ党代表には特使の資格は与えられず、首脳会談の開催を打診した麻生13に対す
る姿勢も冷淡なものだった。そして、この後、3 月 27 日に韓国外交部から出さ
れたレポートには、
「歴史認識問題などに対しては原則に基づいた断固たる対処
を取る方針」である事が公式に宣言される事となる。つまり、韓国政府はこの
時点で、
「歴史認識問題など」の日韓間の懸案については、些かの譲歩を行う準
12
「[사설] 아베시대, 韓日 ‘닫힌 민족주의' 탈피해야 」(社説:安倍時代、韓日「閉じ
た民族主義」脱皮せよ)、『동아일보』(東亜日報)2006 年 9 月 21 日。なお、本稿におい
ては 2010 年以前の韓国の新聞記事については
、한국언론진흥재단(韓国言論振興財団)「기사통합검책」(記事統合検索)、http://www
.kinds.or.kr/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)によっている。 13
但し、この時に行われた朴槿恵と麻生の会談では、麻生による歴史認識に対する発言が、
朴槿恵の心情を大きく害し、これが後の日韓関係に大きな影響を与えた、と言う分析もあ
る。
「日韓摩擦、一番の理由は朴槿恵大統領の切れ長な眼差しの怒り」
、
『産経新聞』2013 年
4 月 29 日。 II - 5
備もない事を明らかにした訳である。
重要なのは、2006 年においては第一次安倍政権の成立を日韓関係改善の好機
だと看做した韓国政府が、2013 年には同じ考えを有さなかった、と言う事であ
る。同じ事は韓国メディアについても言う事ができた。例えば、2006 年の第一
次安倍政権成立時には、時の盧武鉉政権の「後ろ向き」の政策を批判し、日本
との間での実利外交を主張した東亜日報は、2012 年 12 月に行われた日本の総選
挙にて自民党が圧勝し、総裁であった安倍の総理就任が確実視された直後、
「日
本『安倍自民党』の軍国主義回帰を憂慮する」と言う社説を掲載し、次のよう
に述べている。
「安倍の再執権の為の青写真は日本を怪物に変貌させる可能性が大きい。 彼
は憲法を改正して自衛隊を国防軍に変更して、集団的自衛権を確保すると公約
した。教科書検定基準を変えてアジア周辺国に対する配慮を入れた「近隣諸国
条項」を修正すると約束した。軍国主義時代に行った慰安婦動員に強制性がな
いと言う反論と反証をして、島根県が条例で定めた 2 月 22 日の「竹島の日」を
政府行事に昇格させると言う方針も明らかにした。中国と領土紛争をかもして
いる尖閣列島(中国名釣魚島)に公務員を常駐させて周辺漁業環境を整備すると
も念を押した。安倍は公約集に「日本を取り戻す」と言うタイトルをつけたが
戦争責任を否定して隣である韓国と中国を蹴飛ばしたも同然だ14」。
勿論、このような東亜日報の社説は、今日の韓国メディアにおいて孤立した
ものではない。現在の韓国メディアは安倍政権の成立を日本社会が右傾化して
いる事の証左として当然視するのみならず、その政権の政策に対し韓国をはじ
めとするアジア諸国を脅威に晒す危険なものであるとして強力に非難する事と
なっている。
四
世代交代の効果
それでは類似した政策を有する第一次と第二次の安倍政権に対する韓国政府
やメディアの姿勢はどうしてこれほどまでに大きく異なるものとなってしまっ
たのだろうか。
この点において先の安倍自身の政治的性向の安定と並んで重要な事は、少な
くとも 2013 年初頭までの間に、歴史認識問題や領土問題を巡る基本的状況が大
14
「[사설]日 '아베 자민당' 軍國 회귀를 우려한다」(社説:日本「安倍自民党」の
軍国主義回帰を憂慮する)、『동아일보』(東亜日報)2013 年 12 月 17 日。 II - 6
きく変化した訳ではない15、と言う事だ。即ち、「新しい教科書をつくる会」に
代表される民族主義的な教科書の検定通過は 2001 年以降繰り返し行われている
し、自民党内においては河野談話や村山談話の見直しを求める議論は以前同様
に続けられている。靖国神社参拝も首相である安倍自身はその就任以降、自省
しており、逆に閣僚からの参拝者が出ている事も同様である。領土問題を巡る
日韓両国の姿勢は以前と同様であり、日韓両国の軍事的バランスが日本側に傾
き、韓国に対する脅威が増している訳でもない。
にも拘らず、日韓関係が悪化している背景には幾つか理由がある。最初に明
らかなのは、従来と比べて、日韓両国のエリート間を繋ぐネットワークが限定
されたものになって来ており、この結果、日韓両国政府の「疎通」のレベルが
大きく低下している事である。
この点については、再び過去の事例と比較してみればわかり易い。振り返れ
ば、韓国の植民地支配からの解放以後、日韓間には常に多くの問題が存在して
きた。にも拘らず両国の関係が破綻に至らず今日まで来られた理由の一つは、
各々の危機の時期において、問題の解決に向けて動いた人々がいたからである。
代表的な人物としては、80 年代、日韓両国が所謂「60 億ドル借款問題」にて紛
糾していた当時の日韓関係において密使役を果たした瀬島龍三を挙げる事がで
きよう16。また、2000 年代においても電通の成田豊が日韓間のパイプ役を果たし
た事はよく知られている17。
しかしながら、今日の日韓両国にはそのような人物は見当たらなくなってい
る。そして、その理由は幾つか挙げる事が出来る。最初に挙げられるのは日韓
両国エリートの世代交代である。瀬島が元日本陸軍参謀として軍事政権期の韓
国に独自の人脈を持ち、また成田が植民地期の朝鮮半島にて生を受け、生涯、
韓国との関係に関心を向けたように、甞ての日本において日韓間のパイプ役を
果たした人物の多くは植民地支配から続く日韓の複雑な過去と、何らかの繋が
りを持つ人々が多かった。勿論、同様の事情が韓国側にあった事も忘れてはな
らない。瀬島の交渉相手となった全斗煥政権期に与党幹事長、権翊鉉が瀬島の
日本陸軍士官学校の同期生であった事に典型的に表れていたように、甞ての日
韓関係のある部分は、同様の過去の遺産によって支えられていた。同様の事情
15
但し、従軍慰安婦問題については、その後、慰安所の会計係であった人物の日記が発見
されている。新たな史料の発見がこの問題に対する新たな議論を齎す可能性がある。「慰安
所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる」、『毎日新聞』2013 年 8 月 8 日。 16
この点については、中曽根康弘「巻頭随想 瀬島龍三さんと私―戦後日本の再構築・日
韓関係修復の事」、『季報:平成 20 年「瀬島龍三特集」』、第 36 巻、を参照の事。また、小
倉和夫『秘録・日韓 1 兆円資金』講談社、2013 年。 17
「電通元社長、成田豊氏が死去 日韓 W 杯共催を後押し」、
『産経新聞』2011 年 11 月 21
日。 II - 7
はつい最近まで存在した。李明博政権下においても、日本とのパイプ役を果た
していたのは大統領の実兄であり、1935 年に日本にて生を受けた李相得元国会
議長であったのである。李相得は韓日有効議員連盟の会長をも務めており、2011
年末における汚職スキャンダルによる失脚は、日韓両国の議員外交にも決定的
な影響を与えたと言われている。
しかしながら、今の韓国には彼等のように「日本語により教育を受けた」世
代のエリートは最早存在しない。つまり、今日の日韓関係は、日韓両国がはじ
めて「植民地世代」の助けなしに運営する事を強いられるものとなっている。
五
日本の重要性の低下
とはいえそれだけでは、これら古い世代の日韓のパイプ役がいなくなった理
由は説明できても、どうして新しいパイプ役が生まれないのかは説明できない。
そして取り分け今日の状況が、韓国側が日本との積極的な協力を拒否するもの
となっている以上、とりわけ重要なのは韓国側における状況がどのようなもの
となっているか、である。
この点について注目すべきは日韓両国にとっての「互いの価値」が急速に低
下している事である。とはいえ、この事については、これまで別稿にて幾度も
議論している点でもあり、ここではその議論の概要を説明するにとどめる事に
しよう18。まずこの問題を経済問題から見てみるなら次のようになる。韓国経済
において日本の重要性が低下している事はよく知られている。1970 年代の一時
期には韓国の輸出入の実に 40%を占めていた日本のシェアは、現在 10%を切る
水準になっている(グラフ1)。因みに韓国における日本のシェアがこのように
低下しているのは、韓国内でよく誤解されているように、日本経済の低迷によ
るのではない。韓国における日本のシェアは日本経済が世界的な脚光を浴びて
いた 80 年代においても 70 年代より大きく低下しているし、何よりも、同時期に
アメリカのシェアも 35%から 10%以下に低下しているからだ。甞ての韓国は冷
戦下の最前線に立たされた貧しい発展途上国であり、中国やソ連とは国交を持
つ事さえできなかった。だからこそ日米両国に過度に依存せざるを得なかった
と言う事になる。だからこそ、韓国が経済発展を果たし、冷戦が終わり、グロ
18
日韓関係に対する相互の重要性の低下が与える影響については、より詳しくは、以下の
拙稿を参照いただきたい。'Nationalistic Populism in Democratic Countries of East Asia' Journal of Korean Politics, Vol.16 No.2, 2007, 'Why Are the Issues of “Historical Perceptions” between Japan and South Korea Persisting?’『国際協力論集』第 19 巻第 1 号、2011 年 7 月、'How can we cope with historical disputes?: The Japanese and South Korean experience?' Marie Söderberg ed., Changing Power Relations in Northeast Asia, Rutledge, 2010、等。 II - 8
ーバル化が進むと、韓国の国際関係は飛躍的に増加し、結果として日米両国へ
の依存度が低下した、と言う構造になっている。
そして同じ事は日本においてもある程度言う事ができる。韓流現象等で、恰
も向上しているように見える日本における韓国の存在感は、実際には思われて
いるほどには向上していない。例えば、日本の貿易に占める韓国のシェアは6%
程度でほぼ横ばいであり、特に増加している訳ではない(グラフ2)。携帯電話
等の一部を例外にすれば、サムソンや LG、現代といった韓国の世界的大企業は
依然として日本で大きな成功を収めてもいない。
一言で言うなら、韓国における日本の経済的重要性は低下しているし、日本
における韓国の重要性は伸び悩んでいる。就中、韓国における日本の経済的重
要性の低下は重要なものであり、その事は、先に引用した東亜日報の社説にお
いても、甞ては強調された韓国にとっての日本の重要性が、2012 年末の段階で
は綺麗に消えうせている事からも知る事ができる。また、同じく既に言及した
外交部のレポートにおいても、韓国にとっての日本の経済的重要性は殆ど言及
されていない。日本の重要性が金融面においてすら低下している事は、2012 年、
13 年と相次いで行われた日韓通貨スワップ協定の延長交渉が、韓国側がこれを
要請してこなかった事により、打ち切りになってしまった事にもよく表れてい
る19。グローバル化が進む今日では、中国をはじめとして、韓国が通貨スワップ
協定を結ぶ事のできる相手先は急速に増加しており、結果として、日本の重要
性はここでも低下する事となっている。
だからこそ今日の韓国政府やメディアが日韓関係の修復を早急に為されねば
ならない事と考えておらず、また同様の事は日本政府やメディアについても言
う事ができる。加えて、日韓の間に存在する相互依存関係は次第に一般の人々
にわかりにくいものとなっている。例えば、80年代、現代自動車のボンネッ
トを開ければ、
「三菱」のロゴが入ったエンジンが載っていた時代には、両者の
相互依存関係は誰の目にも明らかだった。勿論、現在においても、例えばサム
ソンのギャラクシーの蓋を開ければ、そこには相当数の日本製の部品が入って
いる。だが、我々にはその部品がどれであり、また、ギャラクシーのパフォー
マンスにどれだけ影響を与えているかを知る術はない。こうして日韓の相互依
存関係は、見えなくなり、人々に認知されにくいものとなる。
だからこそ、このような状況において、人々はこの両国の関係改善の為に積
19
財務省「二国間通貨スワップの時限的な増額部分の終了について」、2012 年 10 月 9 日、
http://www.mof.go.jp/international_policy/financial_cooperation_in_asia/bsa/swap_korea_houdo
u_20121009.htm(最終確認 2013 年 12 月 7 日)、及び、同「30 億ドル相当の日韓通貨スワ
ップ取極を終了します」
、2013 年 6 月 24 日、
http://www.mof.go.jp/international_policy/financial_cooperation_in_asia/swap/swap_korea_houd
ou_20130624.htm(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 II - 9
極的に動こうとはしない。政治家にせよ、経済人にせよ、また、マスメディア
や知識人にせよ、彼等を動かす最も大きな動因が、それを取り巻く利益にある
以上、大きなそして新しい利益が生まれない分野で人が積極的に動く事を期待
する事は難しい。同じ事は現場で外交を担当する外交官たちについても言う事
ができる。韓国における日本の重要性が下がれば、当然、韓国内の日本専門家
たちの地位も下がる事になる20。勿論、我々日本における韓国専門家たちも同じ
である。ジャパン・スクールやコリア・スクールが退潮すれば、当然の事なが
ら両国を繋ぐパイプは更に細くなる事になる21。
六
米中関係に対する理解の相違22
更に悪い事に、同じメカニズムは安全保障の分野でも働いている。重要な事
は、日韓両国における今日の北東アジアを巡る理解が大きくずれてしまってい
る事である。そしてこの点を巡る日韓両国の理解の最大の懸隔の一つは、米中
関係を巡るものである。それは一言で言えば次のようになる。今の日本政府や
多くの日本人は、米中関係を基本的に対立的なものと考えている。だからこそ
日本が中国と対立しても、アメリカは自らを支持してくれる筈だ、と言う計算
の下、動く事になる。
これに対して現在の韓国政府は米中両国の間で「連米連中」的な路線を選択
している。そこでは、米中両国関係は必ずしも対立的なものとは理解されてお
らず、寧ろ、グローバル化の進む世界においては、究極的には共存を目指す筈
である、と言う理解が存在する。だからこそ、韓国では中国に接近する事によ
り米韓関係は大きく損なわれる事はない、と言う理解が生まれる事になる。
実際、このような米中両国と共に同盟レベルに近い密接な関係を持つべきだ
と言う主張は、既に李明博政権下において、韓国の保守メディアにおいて頻繁
になされてきた23。つまり、今日の朴槿恵政権における米中均等外交は、同政権
独自の政策と言うよりは、寧ろ、朝鮮日報24や東亜日報、更には中央日報といっ
20
「외교부 권력 이동 … 재팬스쿨 지고 차이나스쿨 뜬다」(外交部権力移動・ジャパン
スクール退潮し、チャイナスクール浮上)、『중앙일보』(中央日報)2013 年 4 月 23 日。 21
この点については、
「竹島上陸、不意打ち 対日強硬路線に勢い 韓国大統領周囲、知日
派消え」、『朝日新聞』2012 年 8 月 11 日をも参照の事。 22
以下の 2 章については、詳しくは、拙稿「韓国はなぜ中国に急接近するのか」、
『アジア
時報』2013 年 6 月、を参照の事。 23
「'연미화중(聯美和中)'을 넘어 '연미연중'으로」(「連米和中」を超え「連米連中」
へ)『동아일보』(東亜日報)2012 年 6 月 13 日、「한·중 수교 18 주년 전문가 인터뷰」(韓中修交 18 周年専門家インタビュー)、『중앙일보』2010 年 8 月 26 日。 24
例えば、「'양다리 外交'」(二股外交)、『조선일보』(朝鮮日報)2013 年 4 月 7 日。 II - 10
た、韓国の代表的な保守メディアの主張に忠実に沿ったものなのである。逆に
これらのメディアでは 5、6 年までは頻繁に見られた「中国脅威論」は急速に減
少する事となっている25。そしてその事は朴槿恵政権が、保守政党による保守政
権である以上、ある程度、当然の結果だと言う事が出来た。
こうした米中関係に対する理解の相違は、日韓両国の互いに対する理解にも
大きな影響を与える。米中の対立構造を基本に北東アジアの国際秩序を考える
日本では、韓国による中国の接近は、韓国がアメリカを中心とする陣営から離
脱、或いは中立化を試みるものとして理解される26。これに対して、韓国から見
れば領土問題等で中国と対立する日本は米中間のトラブルメーカーに見える27。
そしてこのような米中関係に対する理解の違いは、日韓関係における障害物
として実際に現れている。例えば、朴槿恵政権が発足する前後の時期、日本政
府は自らの唱える「価値観外交」に則って、韓国との対話を試みた。2013 年 2
月 28 日、ちょうど朴槿恵政権の成立から僅か 3 日後に行われた国会での施政方
針演説にて安倍首相は、
「韓国は、自由や民主主義といった基本的価値と利益を
共有する最も重要な隣国です。朴槿惠新大統領の就任を心より歓迎いたします」
と述べ、同じ「西側民主主義的な価値観」を共有する日韓両国はそれ故に協力
できるし、協力すべきだ、と言うメッセージを送っている28。背景にあるのは、
朴槿恵政権は保守政権だから、日本と同じく、現在の北東アジアを巡る情勢を、
米中対立を機軸に理解して行動するはずだ、と言う予測である。
しかしながら、このメッセージは朴槿恵政権に好意的に受け止められる事は
なかった。理由はきわめて簡単である。
「西側民主主義的な価値観」を有してい
る国が団結する、と言う事は、即ち、これを有していない国 - 具体的には中
国 - に日本と協力して対抗する、と言う事を意味しており、中国との友好関
係を重視する朴槿恵政権にはとても応諾できるものではなかったからであるそ
してこのような朴槿恵政権の対応は、大統領自身の志向の結果と言うより、韓
25
逆に、「[한중수교 20 년&인천 '중국을 다시 보다'∙6]중국의 발전은 우리에게 (韓中修交 20 年&仁川:
「中国再発見 6」中国の発展は我々に脅威か)、
『경인일보』
위협적인가?」
(京仁日報)2012 年 2 月 21 日、に見られるように、経済発展に伴う「中国脅威論」を明確
に否定し、その成長を「機会として捉えなければならない」と言う主張が増えている。 26
「『中国の取り込み警戒を』産経/『核問題で中韓は不一致』毎読」
、『産経新聞』2013
年 8 月 22 日。 27
例えば、박창희(パク・チャンヒ)「미중관계와 한반도: 미국의 “전략적 재균형”을 중심으로」(米中関係と韓半島:アメリカの「戦略的再配置」を中心
に)、『숙명안보학연구소 연례특별학술대회 한반도 안보의 새로운 지평』(淑明安保学研究所年例特別学術大会:韓半島安保の
新地平)、2012 年、http://www.kinu.or.kr/upload/neoboard/KNEVENT/%C0%DA%B
7%E1%C1%FD2.pdf(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 28
「安倍首相の施政方針演説」、『朝日新聞』2013 年 3 月 1 日。 II - 11
国の世論を忠実に反映した結果だった。事実、2013 年 6 月に行われた中韓関係
と日韓関係に関わる世論調査において、中韓関係がより重要だとする回答が
83.0%であったのに対し、日韓関係が重要だとする回答は僅か 11.7%に過ぎなか
った29。
米中関係を、対立を機軸に見るか、それとも共存関係を中心に見るかは、当
然、両国の軍事的な協力関係にも影響を与える事になる。米中関係を、対立を
機軸に考える日本からすれば、韓国もまた中国の強大な軍事力の圧力に晒され
ており、これに抗する為にはアメリカ軍に軍事基地を提供する日本との関係は
極めて重要であるはずだ、と言う理解になる。だから、軍事情報保護協定や軍
需支援協定といった日本との軍事協力を拒む韓国政府の姿勢は非合理である、
と考えられる。逆に、北東アジアの脅威を中国ではなく、北朝鮮を中心に考え
れば、日本ができる事は余り多くない。であれば、韓国にとって日本との軍事
協力は特に急ぐべき事ではなく、寧ろ、朝鮮半島における緊張を不必要に招く
だけの行為である、と言う理解になる。
七
中国に対する依存度の相違
日韓両国の理解の相違は、中国そのものについても大きい。一見、その事は
奇妙に見える。例えば再び貿易のデータを取ってみるなら、再びグラフ1、2
に見られるように、今日の日韓両国の輸出入総額に対する中国のシェアは、等
しく20数%を上回るものになっている。つまり、このデータを見るだけなら、
両国にとっての中国の経済的重要性は同じように見えるから、その中国観に大
きな違いが出るのはおかしい、と言う事になる。しかしながら、実際には現在
の日韓両国における中国の重要性に対する認識には大きな違いがある。よく知
られているように、今日の韓国の人々は最大の貿易パートナーである中国の存
在を大きく捉え、自らの経済成長を支える最も重要なエンジンであると考えて
いる。そしてそのような韓国人から見れば、領土問題や歴史認識問題で中国と
対立を続ける日本は愚かな存在に見える30。実際、昨年の大規模な反日デモ以来、
日中貿易は縮小しているし、日本企業の対中投資も減少基調へと変化している。
だが、これにはからくりがある。貿易に占める中国のシェアは同じでも、そ
もそもの経済全体に対する貿易そのものの重要性が、日韓両国では全く異なる
29
Realmeter「"한중 정상회담 기대된다", 74.4%」(「韓中首脳会談に期待する」74.4%) http://www.realmeter.net/issue/view.asp?Table_Name=s_news2&N_Num=862&file_name=201306
26130027.htm&Cpage=1(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 30
例えば、「일본 사상 최대 무역적자 … 대중국 수출 감소가 결정타」(
日本史上最大の貿易赤字:対中国輸出減少が
決定打)、『중앙일보』(中央日報)2012 年 10 月 23 日。 II - 12
からである。現在、貿易総額が GDP に匹敵するかこれを凌駕する今日の韓国と
は異なり、日本の GDP に対する貿易総額は僅か 20 数パーセントにしか達してい
ない(グラフ3)。つまり、韓国にとって、貿易総額の 20%強を占める中国との
貿易はそのまま GDP の 20%強を占める存在である。当然の事ながらこのような
巨大な中国の存在は、いわば韓国経済の生命線とも言えるものであり、だから
こそ巨大財閥をはじめとするビジネス界と密接な関係を持つ、韓国の保守メデ
ィアは中韓関係の一層の強化を主張する事になり、朴槿恵政権は保守政権であ
るからこそ、この韓国の保守メディアの論調に忠実に行動する事となる。
しかし、日本にとって貿易総額の 20%強を占める中国の貿易は、GDP に対し
ては 5%弱の大きさしか占めていない。簡単に言えば、日本から見た中国は、韓
国から見た中国の 1/4 以下に見えている(表2)
。
類似性が言われる事の多い両国であるが、この点において、今日の日韓は大
きく異なっている。韓国に比べれば、日本経済はその圧倒的な部分を外需にで
はなく内需に頼っている。忘れてはならない事は、日本が依然として世界第三
位の巨大な GDP を有する経済大国だと言う事である。また、日本にとって中国
は確かに最大の貿易相手国であるが、例えば原油に相当するような戦略的に緊
要な資源を排他的に依存している訳ではない。言い換えるなら、日中関係の悪
化により、日中貿易が減少しても、その影響は限定的であり、場合によっては
他国との貿易関係の拡大により、これを十分補う事ができる、と言う事になる。
日本企業の多くは、昨年の中国に大規模デモを受けて、生産拠点を中国から東
南アジア等に移す動きを強めている、とも言われており、実際、2013 年上半期
の ASEAN 諸国に対する投資額は中国に対するものの 2 倍にも達する事となって
いる31。だからこそ、日本国内では中国との関係が多少損なわれても、領土や民
族のプライドを優先すべきだ、と考える人が生まれやすい状況が存在する。結
果として、
「内向きな日本」は時に国際関係よりも自らの論理を優先させる事も
ある、と言う事になる。
そして同時に、このような状況は日韓両国と中国との力関係にも影響を与え
る事になる。重要なのは日韓両国の GDP の大きさの違いである。再び表2に明
らかなように、韓国にとって GDP の 20%にも相当する中韓貿易は、中国にとっ
ては 3%強の比重しか持っていない。
だからこそ中韓両国の外交交渉においても、
中韓関係に大きく依存する韓国に対して、中国は強い立場を維持する事ができ
る。対して、依然として大きな GDP を持つ日本にとっての日中貿易の重要性は、
韓国にとっての中韓貿易とは比べ物にならない程小さいから、対中外交におい
て日本はある程度の自由度を持つ事ができる。
31
JETRO『ジェトロ世界貿易投資報告 2013』、
2013 年、http://www.jetro.go.jp/world/gtir/2013/
(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。また、
『産経新聞』2013 年 8 月 8 日。 II - 13
このような日韓両国の違いは、一旦中国が自らに強硬な姿勢に出た時に、わ
かりやすい形で現れる事となる。例えば、2013 年 11 月の中国による防空識別圏
拡大を巡って、尖閣諸島を巡って中国と激しい対立関係にある日本はこれに激
しく抗議した。しかしながら、同じく東シナ海上にある離於島(中国名:蘇岩
礁)という暗礁を巡って中国との対立を抱えている韓国政府の立場は曖昧なも
のだった32。中国から「踏絵」を示された時にどうするか。韓国の立場は複雑な
ものとなっている。
八
日韓両国における「北東アジア観」の乖離
ここまで見てきたように、いつの間にか、日韓両国を取り巻く状況が大きく
変化し、またそれ故に、両国の人々が国際関係を見る目も、大きく異なるもの
になってしまっている。そしてここでの大きな問題は、このような状況にも拘
らず、両国の人々がこの何時しか生まれた両国間の国際社会に対する理解の大
きな間隙を十分に認識していない事である。言い換えるなら、日韓両国は依然
として、相手側もまた自分と同じ視覚で国際社会を理解している、と言う前提
で議論を構築し、日韓関係に臨んでいる。
つまり、日本人は、依然として、甞て自らがアジア唯一の経済大国であった
時代のイメージで、韓国をはじめとするアジアの国を眺めている。だからこそ、
韓国もまた、
「経済的不況に陥れば、経済大国である日本を頼むはずだ」と多く
の人が漠然と考える33。事実、日本の書店に数多く並ぶ「嫌韓本」の多くは、韓
国経済が恰も崩壊寸前であるかのように報じ、だからこそ韓国はやがては日本
に対して屈服する事になる、と主張する34。アジア通貨危機当時のイメージだと
いえばわかり易いかもしれない。だが勿論、今の韓国において日本はそのよう
な存在ではない。既に紹介したスワップ協定を巡る駆け引きにも表れているよ
うに、甞てよりも遥かに力と自信をつけた韓国は、国際社会における様々なパ
イプを利用して、日本を飛び越えて多様な資源を利用する事ができる。しかし
ながら、多くの日本人はこのような韓国の変化を見落としている。だからこそ、
彼等には韓国政府や韓国人が行う事は著しく非合理に見える、と言う事になる。
同じ事は、韓国の人々についても言う事ができる。今日の韓国にとって中国
32
Chosun Online「韓国の防空識別圏、離於島を含まない三つの理由」2013 年 11 月 25 日、
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/11/26/2013112600945.html(最終確認
2013 年 12 月 7 日)。 33
エコノミックニュース「中国経済急減速、ウォン高で韓国経済危機感増幅」、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130810‐00000067‐economic‐bus_all
(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 34
例えば、三橋貴明『いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由』ワック、2013 年。 II - 14
の存在は極めて大きなものであり、だからこそ、彼らは中国との円滑な関係を
望んでいる。既に幾度か述べているように、この数年間の韓国では、甞ては中
国に対して警戒的であった保守メディアが、中国との友好関係を積極的に訴え
る、と言う変化が進行している。この点については、例えば朝鮮日報のような
メディアがこの数年間で中国に対する論調の変化を調べて見てみると面白い。
甞ては頻繁に見えられた中国脅威論は今日の韓国の保守言論ではすっかり影を
潜めている35。今では、FTA 問題等において進歩派のメディアの方が中国との関
係改善に及び腰であるかのように見えるほどだ。
だからこそ、そのような韓国から見れば、領土問題や歴史認識問題によって
中国政府と協力して行う抗議活動に反応しようとしない日本は極めて非合理的
な存在に見える。だが勿論、日本側の行動には理由がある。日中貿易の不振等
は、少なくとも現在の所日本経済に大きな影響を与えていない36。逆に、中国と
韓国の一致したように見える行動は、日本の民族主義を刺激する37のみならず、
米中関係を、対立を機軸に考える日本では次のように解釈される。つまり、中
国はその経済力を生かして韓国を自らの陣営に取り込みつつあるのであり、そ
の動きに乗ってはならない、と38。こうして日本側は更に頑なになり、政治的な
譲歩は困難なものとなる。しかしながら、このような日本側の内情がわからな
ければ、多くの韓国人にとって、日本側の行為はただ不可解なものと看做され
る事となる。行きつく先は、「日本は不合理な存在」だと言う理解である39。こ
うして日韓両国は互いを、不合理で不可解な存在であると看做すようになり、
日韓関係はいよいよ迷走する事になる。
勿論、このような日韓の「北東アジア観」の相違は、両国における「将来予
測」とも繋がるものであり、どちらかがより正しいと言いきれるものではない。
しかしながら同時に重要な事は、このような日韓両国の異なる「北東アジア観」
が共に両国と同盟関係を有するアメリカの北東アジア外交において大きな障害
35
韓国保守メディアにおける中国観の変化については、別稿にて詳しく論じる予定である。 36
三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社調査部『日本経済の景気動向等に関する
資料』2013 年 9 月、http://www.rinya.maff.go.jp/j/riyou/jyukyuu/pdf/2013092501.pdf
(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。実際、2013 年上半期においては、内需の寄与度が外需を
大きく上回る形で経済成長が支えられている。 37
「中韓首脳会談 日本に問われる東アジア戦略」
、『読売新聞』2013 年 6 月 30 日。 38
例えば「【主張】朴大統領訪中 日米との結束こそ重要だ」
、『産経新聞』2013 年 6 月 30
日。 39
例えば、「정부 "집단적 자위권에 대한 기본입장, 日에 전달"」(政府「集団的自衛権
に対する基本的立場を日本に伝達)、『연합뉴스』(聯合ニュー
ス)2013 年 10 月 22 日、http://
www.yonhapnews.co.kr/politics/2013/10/22/0503000000AKR20131022142700043.HTML(最終確認 2
013 年 12 月 7 日)。 II - 15
となる、と言う事であろう。当然の事ながら、アメリカは自らの外交において
統一性を持たなければならず、にも拘らず向けられる事なる期待は、長期的に
はアメリカをして両国のどちらかを選ばさせる事となる。
だが、このような状況は韓国にとって不利なようにも見える。2013 年 11 月に
おける中国の防空識別圏拡大や、西沙・南沙諸島を巡る領土問題の高まりは、
アメリカをして中国との対立へと動かしているように見える。また何よりも、
アメリカの安全保障政策において、日韓両国の地位は大きく異なっている。ユ
ーラシア大陸の東端に位置する韓国は、海軍力においては他国を圧倒する一方
で、陸軍力においては同様の大きな優位を持たないアメリカにとって、
「守りに
くい」存在である。だからこそ、1970 年代以来アメリカは繰り返し朝鮮半島か
らの撤退を論議して来たのであり、今日においても所謂「作戦統制権」- 有事
において韓国軍を統制する権限 - を早期に韓国政府に返還する事を求めてい
る。即ち、アメリカにとって韓国との同盟関係は、
「整理することのできる関係」
であり、時に「整理したい関係」でさえある。
しかしながら、アメリカにとっての日本の重要性は全く異なっている。世界
第三位の経済力を持ち、強大な海軍力を持つ日本は北東アジアにおけるアメリ
カ軍の重要なパートナーであり、また何よりも、北東アジアの海上に浮かぶ日
本はそれ自身が中国の海洋進出を阻む巨大な防波堤であり、不沈空母である。
沖縄の米軍基地問題が如実に示すように、韓国とは異なり、今日に至るまでア
メリカは日本からの撤退の意を示した事はなく、寧ろ、アメリカにとっての同
盟国とのしての日本の重要性は大きくなっている。それは異なる言い方をすれ
ば次のようになる。その地政学的配置から必然的に、アメリカは日本との同盟
関係なしに、韓国を守る事は出来ないが、韓国との同盟関係なしに日本を守る
事は出来る。だとすれば北東アジアに拠点を維持したいアメリカが最終的にど
ちらを優先するかは明らか、なのかも知れない。
九
むすびにかえて
ともあれ、重要なのはこのような日韓関係の悪化の影響は、単に両国関係を
損なうだけでなく、最終的には両国とその同盟国であるアメリカを含む関係国
との関係にも大きな影響を与えていく、という事である。そして、勿論その事
は、我々がこの状況を放置してよい、と言う事を意味しない。日本人にとって
も、自らの貿易の 6%のシェアを持つ韓国との関係は経済的に重要であり、
また、
北東アジアの変化する国際情勢の中で、世界 15 位の GDP を誇り、世界有数の陸
軍力を持つ韓国との関係を徒に損なうのは日本の国益にも反している。
だとすれば、日韓両国はこの問題にどう取り組むべきなのだろうか。明らか
II - 16
なのは、何故に相手側に自らのメッセージが伝わらないのか、相手側を動かす
原理がどこにあるかを見極める事である。しかしながら、現在の日韓両国で行
われているのは、これとは全く異なるゲームである。つまり、両者が互いに原
理原則を突きつけて、状況をそのまま放置している、という状態である。厄介
な事は、日韓両国は互いが相手に突きつけたカードに効力がある、と信じてい
る事であろう。かくして日韓両国の間では「チキンゲーム」が演じられる40。い
や、このゲームは本当の「チキンゲーム」よりたちが悪い。がけっぷちに向か
って車を走らせ、お互いの度胸を競い合う本来の「チキンゲーム」なら、どち
らかが何時かはブレーキを踏む事になるだろう。しかし、今の日韓間で行われ
ているのは、
「大草原のチキンゲーム」とでも言うべきものなのである。日韓両
国が互いに相手に突きつけているのは効力のないカードであり、だから相手に
とっては自らがブレーキを踏む理由にはなり得ない。両者の間に立って、無意
味な「チキンゲーム」の終わりを呼びかける人はなく、だからこそ両者は永遠
に大草原を走り続ける事になる。
そして更に悪い事がある。振り返れば 21 世紀に入ってから、日韓間には常に
様々な問題が存在してきた。靖国問題や教科書問題、従軍慰安婦問題や領土問
題41。その度ごとに、両国の政治家は互いに非難し、また、メディアには過激な
言辞が躍った。民族主義的な市民運動も時に激しさを増し、インターネット上
では読む耐えない言葉が飛び交った。
些か逆説的な説明になるが、問題は、にも拘らず、これらの現象によって日
韓の経済的、社会的関係は大きく損なわれなかった事である。即ち、この間に
サッカー日韓ワールドカップ共催があり、また、韓流旋風が吹き荒れた。つま
り、我々はこの 10 数年間に、政治家をはじめとするエリートが日韓関係の改善
に積極的に働きかけをしなくても、短期的な日韓関係に大きな問題は生じない、
事を学んできた。
勿論、その事は日韓両国の市民社会が成熟してきた事を意味しており、それ
自身が悪い訳ではない。だが、このような状況は、日韓両国の政治家や言論人、
更には本来なら両国の関係改善に影響力を発揮する事のできる人々にモラルハ
ザードを提供する事になる。日韓両国に横たわる問題の多くは、両国の民族主
義と密接に関連したものであり、だからこそ、多くのエリートにとって、この
問題に携わる事により失われるものは、得られるものよりも大きくなる。言い
40
この点については、「緊張続く日中韓『チキンゲーム』」
、『AERA』2013 年 10 月 7 日号、
をも参照の事。 41
歴史認識問題の発展過程については、拙稿"Discovery of Disputes: Collective Memories on Textbooks and Japanese–South Korean Relations,", Journal of Korean Studies, Volume 17, Number 1, Spring 2012。また、
『究』
(ミネルヴァ書房)の拙連載「日韓歴史認識問題にどう向き合うか」
をも参照の事。 II - 17
換えるなら、彼らの利益にとっては、この問題に携わらない事、或いは原則論
を相手側に突きつけてポーズをとる事、多くの人々にとって容易であり、合理
的なのである。
日韓の間に存在するのは、だからこそ誰もが自らのカードに「効力がある事
にして」現状を放置するに任せている、と言う状況である。だからこそ現在の
日韓両国政府からは似たような声が聞こえてくる。つまり、日本政府から聞こ
えるのは、
「中国との関係改善さえできれば、韓国との関係改善は放っておいて
もついてくる」と言う声であり、他方、韓国側からは「欧米の世論を味方につ
ければ慰安婦問題等で自らに有利なように事が運ぶはずだ」と言う声である。
「大草原のチキンゲーム」の中、相手側の行き先に「落とし穴」を掘ろうと言
うのである。
だが問題がそれにより解決するとは思えない。「落とし穴」に落ちた相手は、
プライドを傷つけられ、それによって負った深い傷は、短期的にはともかく、
中長期的には彼等をより頑なな姿勢に変えていくからだ。
根本的な誤謬は、そもそも外交は「交渉」によってその成果を勝ち取るもの
であり、相手に一方的にカードを突きつけて「勝ち負け」を決めるものではな
い、と言う事を日韓両国政府が忘却している事にある。北朝鮮を巡る問題を考
えてもわかるように、一国の政治姿勢を変えさせるには、単純な制裁では容易
ではない。日韓両国が相手に対して、甞て自らが北朝鮮に加えた程度の制裁さ
え加える事が出来ない事を考えれば、
「大草原のチキンゲーム」が何如にナンセ
ンスであるかは容易わかるであろう。
それでは結局、どうすれば良いのであろうか。この点については、短期的な
課題と中長期的な課題に分けて考える必要がある。短期的な課題、取り分け、
首脳間の対話さえ困難な状況にある両国の外交関係をどうするかを考えるにあ
たって重要なのは - 些か後ろ向きに聞こえるかもしれないが - ともあれ対
話を再開する為の「言い訳(エクスキューズ)」を如何にして見つけるか、と言
う事である。上記のように、現在の日韓両国政府は、
「相手側が折れてくる」事
を前提に外交を行っているが、共に両国の世論が相手国に対して強硬な姿勢を
取っている以上、現在のままの状況でこれを期待する事は難しい。必要なのは、
この強硬な世論を両国政府が説得する為の材料を如何にして見つけるかであり、
その一つの方法は、取り敢えず、懸案となっている問題に(その実態はともあ
れ)
「取り組む」姿勢を見せる事で、事態が前進に向かっているとの期待を世論
に与えるような状況を作り上げる事である。例えばその一つは、2002 年から 2010
年までの間、2 度に渡って行われた「日韓歴史共同研究」の再開であろうし、場
合によっては、これを現在最大の懸案となっている慰安婦問題に集中して行う
のも一つの方法である。実際、2013 年 11 月の段階で韓国の大統領は日中韓「共
II - 18
通の歴史教科書」の作成を提案しており、これを契機にして会談を行い関係を
正常化するのは一つの方法である。大事なのは外交の基本は対話だと言う事で
あり、ともあれこれを再開させる事は重要である。
しかしながら、このような方法が日韓関係の抜本的な解決には繋がるか、と
言えば勿論そうではない。2 度の「日韓歴史共同研究」の結果が如術に示すよう
に、歴史学者の間の対話や共同研究により、両国が「共通の歴史認識」に至る
のは極めて困難である。
「歴史認識」とは単なる「過去」の歴史的事実のみによ
って決まるのではなく、それ以上に「過去」の歴史的事実をどのような「文脈」
で理解するかによって決まるものであり、故に異なる「文脈」の中で「過去」
を解釈する日韓両国の「歴史認識」が共有される事は容易ではない。
「共通の歴史教科書」の困難性については言うまでもない。日韓両国の歴史
教科書はそれぞれの「国史」の文脈に沿って書かれており、日韓両国がそれを
共有することは不可能に近い。そもそも教科書とは各々社会における教育目的
に沿って作られるものであり、当然、各々の社会に存在する教育制度や教育目
標により様々な制約を受けている。わかりやすく言えば、日韓両国の基本的な
教育指針が共有されていない以上、我々は「共通の歴史教科書」どころか、
「共
通の数学教科書」すら作る事ができないのである。
本稿で強調してきたように、日韓関係の悪化の背景の背後には、両国にとっ
ての互いの重要性の低下と、これに代わって登場する中国の台頭、という構造
的な問題がある。だからこそこの問題の解決もまた、この構造的な問題に如何
にして取り組むか、と言う事を抜きにして考える事はできない。忘れてはなら
ない事は、日韓両国は共に世界的に見ても大きな経済力や軍事力を持つ国家で
あり、本来なら両者の協力によりできる事は沢山ある筈だ、と言う事であろう。
FTA 締結等の手段を用いて互いの市場を開放し、経済的発展に生かす事や、そ
れを持ってとりわけ韓国において増大する中国への過度な依存をバランスする
事はその一つであろう。
また、グローバル化の進む今日において、隣国しかできない協力関係に如何
なるものがあるかを考える事も重要であろう。金融や情報のそれらとは異なり、
人の移動においては依然として移動に伴う時間的制約が大きな意味を有してい
る。だからこそ例えば東日本大震災時に日米両国の間で行われたような、巨大
災害時の相互協力の為の体制をより制度的に構築する事や、将来の少子高齢化
に備えて教育面や福祉面のインフラを整備する事は重要な提案の一つになる可
能性がある。地政学的配置が影響を与えるのはエネルギー分野においても同様
である。パイプラインの施設や電力の相互融通において EU と類似した協力体制
を構築する事ができれば両国のエネルギー政策の自由度は増加するに違いない
II - 19
42
。
ともあれ重要な事は、日韓関係の重要性が問われている、と言う事であり、
だからこそ、我々はその重要性を再構築する事為の「知恵」を出さなければな
らない、と言う事である。そしてこのような日韓関係の姿は、実は北東アジア
の多くの国々の間での国際関係姿でもある。グローバル化や中国の台頭の中で、
如何にして新たなるこの地域の協力関係を再構築するか。問われているのは、
我々自身の「創造力」なのかも知れない。
42
これらの点については、拙稿 "Northeast Asian Trilateral Cooperation in the Globalizing World: How to Re‐establish the Mutual Importance"、『国際協力論集』第 21 巻 2 号(2014 年)を参照
の事。 II - 20
グラフ1
日本人の韓国に対する好感度
50
45
40
35
30
25
20
15
10
5
0
親しみを感じる %
どちらかというと親しみを感じる %
どちらかというと親しみを感じない %
親しみを感じない %
出典:内閣府「外交に関する世論調査」
(2013 年 10 月)http://www8.cao.go.jp/survey/h25/h25‐gaiko/2‐1.html(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より、筆者
作成。 II - 21
表1
周辺国指導者に対する韓国人の好感度(2013 年 9 月現在)
好感を持っている 好感を持っていない
わからない
オバマ
71
14
14
習近平
48
25
27
プーチン
31
31
38
金正恩
6
86
8
安倍
3
89
8
%
%
%
出典:한국갤럽조사연구소(韓国ギャラップ調査研究所)、http://www.gallup.co.kr/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。
II - 22
表2
貿易額の GDP に対する比率
GDP
対中貿易
/GDP
対韓貿易
/GDP
対日貿易
/GDP
統計年度
中国
5,878,629
ー
3.52
5.07
2010
韓国
1,116,247
19.76
ー
9.68
2011
日本
5,867,154
4.69
1.44
ー
2011
%
%
%
年
百万米ドル
出典:JETRO「統計ナビ」http://www.jetro.go.jp/world/statistics/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。
II - 23
グラフ2 韓国貿易における主要国のシェア
0.45
0.4
0.35
0.3
0.25
0.2
0.15
0.1
0.05
0
中国
日本
アメリカ
出典:통계청(統計庁)
「국가통계포털」(国家統計ポータル)http://kosis.kr/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。 II - 24
グラフ3 日本貿易に占める韓国のシェア
0.07
0.06
0.05
0.04
0.03
0.02
0.01
0
出典:財務省「財務省貿易統計」http://www.customs.go.jp/toukei/info/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)、より筆者作成。 II - 25
1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
グラフ4
世界
中国
各国の貿易依存度の推移
120
100
80
60
40
20
0
日本
韓国
II - 26
アメリカ
ユーロ地域
出典:World Trade Organization, "Statistics database", http://stat.wto.org/Home/WSDBHome.aspx?Language=E(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。 新政權下的日韓關係:日韓兩國為何對立
木村幹
(日本神戶大學國立協立研究科教授)
【摘要】2012 年李明博韓國前總統參觀竹島之後,日韓關係一直沒有改善。從 2012 年到 2013
年初,日韓兩國新政權成立之後此情況也沒有改變。為何日韓兩國關係一直持續惡化呢?其背
景因素為兩國間構造性的變化。即兩國間的經濟安全面的相互重要性降低,以及中國崛起後兩
國對於東北亞的情勢認知不同。
關鍵字:日韓關係、日本、韓國、中國、美國
一、前言
「因為日本指導層對於歷史問題和領土問題,說了背離歷史的發言,所以日韓無法建構信
賴關係。這不是兩個領導人坐下來就能解決的情況。…被害人青春年華被踐踏,受了極大的傷
害,日本非但沒謝罪,還一直侮辱受害人1。」
這是 2013 年 9 月 30 日,朴槿恵總統和美國防部長海格(Charles Timothy "Chuck" Hagel)
在首爾會談時,突然說出的話。
韓國朴槿惠政權在今年 2 月成立,而日本安倍政權成立是去年 12 月底的事。然而,迄今
已經過半年,朴槿惠總統和安倍首相還沒舉行高峰會談。不只如此,兩國之間根本還沒開始準
備高峰會談,尤其韓國政府一直採取強硬姿態。眾所皆知,日本方面一直重申自己隨時準備要
和韓國舉行高峰會談2,但韓國方面對於何時舉行沒有共識。10 月 14 日時,韓國的尹炳世外交
部長說「因為現在日本不夠認真處理,所以條件仍不成熟」,可見韓國政府的姿態極為強硬。
自從 1987 年韓國民主化之後,日韓兩國在每次韓國有新總統上任時,就會盡早開始準備日韓
高峰會,所以這次的情況極為特殊。
這種情況也影響到日韓兩國國民情感。兩國國民對對方國家和政府的感情大幅惡化(圖 1、
表 1)。這種情況下,兩國政府更不可能積極採取改善關係的政策。結果,目前兩國沒有什麼
1
NHK Online「韓国大統領首脳会談に否定的」2013 年 9 月 13 日、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130930/k10014925351000.html(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 2
2013 年 10 月 22 日,安倍說:
「韓國是最重要的鄰國,就算對單一事件有異議,也無須影響整體雙邊關係。
我們随時大開對話之門,希望韓國也有所回應」
。NHK Online 「首相集団的自衛権行使は法整備必要」2013
年 10 月 22 日、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131022/k10015456881000.html(最終確認 2013 年 10 月
24 日)。また、防衛省・自衛隊「大臣臨時会見概要」2013 年 8 月 29 日、
http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2013/08/29.html(最終確認 2013 年 10 月 24 日) II - 27
積極改善關係的行動。與中日關係比起來更明顯。例如,自從釣魚台問題惡化以來,對此感到
憂慮的日本財界幾次派遣使節團到中國3。然而,對韓國卻沒有這樣積極的行動。不只政界,
財界也沒什麼改善日韓關係的行動,所以情況變得嚴重。
二、與第一次安倍政權時比較
像朴槿恵的發言一般,韓國方面認為原因出在安倍政權的「右傾化」4。然而,不得不思
考,安倍已非第一次擔任首相,2006 年即曾擔任一次,而且七年之間安倍的政治主張實際上
沒有什麼變化。也就是說,安倍在上次擔任首相時,已是修憲論主張者、主張應有集團自衛權、
也一直否認慰安婦是被強制帶走的5。換句話說,比起前後兩時期安倍的主張,他的主張並沒
有更「右傾化」
。當然,筆者不否認安倍本來就是持「保守(原文為偏右)
」主張的政治家。然
而,如果安倍主張沒什麼變化的話,把日韓關係的現狀歸諸於安倍或安倍政權右傾化不太合
理。
不過,本文想討論的不是安倍的政治性向。討論的重點應是 2006 年和 2013 年安倍的政治
主張沒有變化,但韓國政府和媒體卻對安倍的想法差異如此之大。為理解這點,得先回顧一下
第一次安倍政權時,韓國政府和媒體抱持著什麼主張。
2006 年安倍剛上任時,當時的韓國總統為盧武鉉。盧武鉉是韓國是歷代總統中,對於日
韓之間的歷史認識問題與領土問題,持強硬姿態的總統之一。有關這部分,觀察小泉政權期的
日韓關係就能看出。眾而皆知,2003 年 2 月上任的盧武鉉,一開始即強調「在我的任內,歷
史認識問題不會成為問題」,且想要修復日韓關係。然而,2005 年 3 月島根縣議會通過所謂的
「竹島(韓國名為獨島)」條例後,盧武鉉政權也加強了對日本批判。後來,2006 年 4 月受注
目的「新教科書編撰會」的教科書版本通過了審查,盧武鉉政權對日本批判的也更為明顯。2006
年,韓國政府在竹島問題上加強批判日本政府,因此日韓關係惡化到一觸即發的情況。2006
年 4 月,日本政府決定派遣測量船到竹島近海,盧武鉉下令如果日本測量船進入竹島「領海」
的話,韓國警備艇就與之相撞擊沉它。日韓兩國真的面臨接近衝突的情況。當時的盧武鉉政權
在北韓政策中,採取了綏靖政策,而當時的日本政府因為綁架問題而強化對北韓的經濟制裁,
於是日韓兩國在對北韓政策上也激烈對立。日韓兩國在當時也像目前一樣,因為韓國方面不斷
拒絕,而無法舉行日韓高峰會議。小泉為了當年自己許下的承諾,強行在 2006 年 8 月 15 日參
拜靖國神社,日韓關係走進了死胡同。
3
例如,時事ドットコム「汪洋副首相と会談へ=「副首相」は2年ぶり-日中経協」2013 年 11 月 11 日、
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013111800542(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 4
「尹외교 “日지도자시대착오적언행개탄”」(尹外相「日本指導者の時代錯誤的言行を
慨嘆)、『동아일보』(東亜日報)2013 年 4 月 27 日。 5
例如,1997 年 5 月,安倍在眾議院決算委第 2 分科會中說「(河野)官房長官談話給了錯誤訊息。沒有能
証實是強制性的文件」「河野談話的前提已經不存在」。在 2006 年 2 月的眾議院預算委員會中,安倍對於 A
級戦犯,他說「在日本若問他們算不算罪犯,未必算是吧」
,言談中涉及村山談話時,他說「所謂的侵略戰
爭要怎麼定義還有爭議。學術上仍無定論」。
「歴史認識「本音」は封印 安倍首相、中韓歴訪控え」、
『朝日
新聞』2006 年 10 月 5 日。 II - 28
在這種情況下,當時的韓國政府和輿論,對於 2006 年 9 月新成立的安倍政權卻有好感。
2005 年 8 月的國會總選舉以郵政改革為焦點,小泉在此大選中大勝,他之後表明自己將在 2006
年 9 月下台6。當時的韓國政府認為日本政權交替是改善關係的好機會7。事實上,在 2006 年 8
月 15 日小泉參拜靖國之後,因為怕小泉參拜靖國一事將會傷害到韓國與即將成立的安倍政權
的關係,韓國外交通商部府特別表明「日本國內的領導者們,不應該再做阻礙傷害日韓關係的
事」,暗示對未來有所期待8。
在這種情況下,當 2006 年 9 月 26 日第一次安倍政權成立時,韓國方面強烈期待要修復日
韓關係。此時,韓國政府發表了聲明表示「(新政權下的日韓關係)與日方態度息息相關。日
本很清楚我們想要求的事」
,兩國在第一次安倍政權成立後兩天後就決定舉行高峰會9。事實上,
面對曾擔任小泉政權的官房長官的安倍,韓國政府在安倍上任之前就試探了舉行高峰會的可能
性10。日本政府也順勢回應了韓國方面的期待,安倍首相首次的訪外行程就選了中國與韓國。
中國也是在小泉政權時關係大幅惡化的國家。於是,安倍首相在 10 月 8 日、9 日兩天相繼訪
問中韓,各自舉行了高峰會。
韓國媒體也對第一次安倍政權態度友善。安倍上任前,韓國媒體表達了希望在安倍政權下
能改善日韓關係,同時也「擔憂」安倍的民族主義姿態11,對於第一次安倍政權給予高度注目。
例如,韓國有影響力的報紙之一東亞日報就在社論中表示:
「盧總統也不應該再說『不跟日本交往看看不知道?』這種消極的話來刺激日本了,應該
捨棄這種自己關起對話之門的自閉症態度了。中日之間雖然在靖國神社參科問題上對立,但在
有關實際利益的事件上,中日都採實用戰略,試著要建構「雙贏」關係,我們應該多注意雙方
這樣的發展。若讓日本覺得,韓國已經站在中國和北韓那邊,對韓國而言並非好事。以安倍政
權的開端為契機,日韓兩國從『封閉民族主義』的競爭中掙脫出來,試著在長期共同利益層面
找出相互理解合作的方法12。」
6
「総選挙勝利でも来年9月退陣 小泉首相が表明」、『朝日新聞』2005 年 8 月 20 日。 7
「中韓、「小泉後」を視野 麻生氏、存在感アピール 外相会談実現」、『朝日新聞』2006 年 5 月 25 日。 8
「小泉首相、靖国参拝 中韓『次で』打開期待」『朝日新聞』2006 年 8 月 16 日。 9
「中韓、関係改善に期待感 安倍内閣発足」、
『朝日新聞』2006 年 9 月 28 日。
10
「정부, 아베관방장관에정상회담타진」(政府、安倍官房長官に
首脳会談打診)、『세계일보』(世界日報)2006 年 9 月 5 日。
11
例えば、「日아베시대개막/‘전쟁할수있는나라로' 깃발올렸다」(日本、安倍時代開幕/「戦争できる
マ
マ
国に」と旗揚げ)、『동아일보』(東亜日報)2006 年 9 月 21 日、「<포럼>예고된아베정권과對日
マ
マ
외교전략」(フォーラム:予告された安倍政権の対日
外交戦略)、『문화일보』(文化日報)2006 年 9 月 15 日、「[사설] '아베의일본'
기대는작고걱정은크다」(社説:「安倍の日本」期待は小さく心配は大き
い)、『한국일보』(韓国日報)2006 年 9 月 21 日。
12
「[사설] 아베시대, 韓日 ‘닫힌민족주의' 탈피해야」(社説:安倍時代、韓日「閉じた民族主義)脱皮
せ
よ)、『동아일보』(東亜日報)2006 年 9 月 21 日。本文提到的 2010 年前的韓國的新聞記事,한국언론
진흥재단(韓国言論振興財団)「기사통합검책」(記事統合検索)、http://www.kinds.or.kr/(最終確認 201
3 年 12 月 7 日)によっている。 II - 29
三、2006 年和 2013 年的不同
從前述之事能得知,兩次政權的不同之處,並非安倍政權或安倍個人的政治志向。為了証
實這個觀點,筆者進一步比較兩次安倍政權成立前的日韓關係,恰巧都遇上大問題。與小泉政
權一樣,野田政權期時,因為李明博總統參訪竹島、所謂「天皇謝罪發言」、對慰安婦問題見
解不同,日韓兩國關係也呈惡化狀態。也就是說,由野田政權政權輪替到第二次安倍政權後,
理論上韓國應該也會覺得這是日韓兩國改善關係的好時機。實際上,朴槿恵與安倍算是同時期
上任,日本政府在把朴槿恵新政權成立當成日韓關係改善的好時機,在朴槿恵當選總統之後沒
多久,時任日韓議員聯盟幹事額賀福志郎,作為安倍首相特使被派到韓國訪問、另外,派了麻
生太郎副首相去首爾參加朴槿恵總統的就職典禮,想要試著試探日韓關係有無改善機會。
然而,與上次安倍政權成立期大不相同的是,此次韓國對於日本新政權的姿態完全不同。
已當選總統的朴槿恵,對於額賀訪韓,雖然也派了新世界黨代表黄祐呂訪日作為回敬,但卻沒
有給黄祐呂特使的資格。而對於前來試探舉行高峰會議可能性的麻生,朴槿恵也態度冷淡13。
再者,3 月 27 日韓國外交部發表的報告中,公開指出「對於歷史認識問題等,應該基於原則
採取堅決處理的方針」。也就是說,韓國政府在這時間點上,對於「歷史認識問題等」日韓間
的懸案,並不準備有任何讓步。
重點在於,韓國政府在 2006 年時把第一次安倍政權成立當作日韓關係改善的好機會,但
為什麼 2013 年卻不這樣想了呢?韓國媒體也是一樣。東亞日報雖曾在 2006 年時,批判盧武鉉
政権的「消極」政策,主張要對日本採取實利外交。但當自民黨在 2012 年 12 月舉行的國會總
選舉壓倒性大勝、確認自民黨總裁安倍為下任首相後,東亞日報刊載了以「擔心日本『安倍自
民黨』回歸軍國主義」為題的社論,以下引述部分內容。
「安倍再執權的藍圖相當有可能會把日本改造成怪物,他公開表示想要修憲、把自衛隊改
成國防軍、要確保集團自衛權。他答應要改變教科書檢定基準,要刪去將亞洲各國的擔憂放入
的『鄰國條款』。不斷反駁且反証軍國主義時代動員的慰安婦是強制性的。島根縣表明已通過
條例,要將 2 月 22 日定為『竹島之日』
,作為政府紀念日。甚至考慮要在與中國有領土糾紛的
尖閣列島(中國名為釣魚台)
,派遣常駐公務員來整備周邊的漁業環境 。安倍雖把政見集取名
為『要取回日本』,但等於是否定戰爭責任,要把中韓兩鄰國踢飛14。」
當然,這樣的東亞日報社論,在當今韓國媒體中並非個例。現在的韓國媒體理所當然地認
為安倍政權的成立,是日本社會已經右傾化的証據。而且,認為這個政權的政策會給包括韓國
在內的亞洲諸國帶來危險,所以強烈批判其政策。
13
然而,另一種分析是,當時朴槿恵與麻生舉行會談時,麻生對於歷史認識的發言,讓朴槿恵極不愉快,這
大幅影響了之後的日韓關係。「日韓摩擦、一番の理由は朴槿恵大統領の切れ長な眼差しの怒り」、『産経新
聞』2013 年 4 月 29 日。 14
「[사설]日 '아베자민당' 軍國회귀를우려한다」(社説:日本「安倍自民党」の
軍国主義回帰を憂慮する)、『동아일보』(東亜日報)2013 年 12 月 17 日。 II - 30
四、世代交替的效果
為什麼安倍兩次政權政策差不多,但韓國政府和媒體卻對安倍態度差如此多呢?
除了回顧安倍自身的政治性向變化之外,觀察兩國間爭議(即歷史認識問題及領土問題)
的基本狀況是否有改變也很重要。然而,到 2013 年年初為止沒什麼變化15。也就是說,代表「新
教科書編撰會會」的、帶民族主義色彩版本的教科書,從 2001 年開始就不斷被通過。而自民
黨內也一直有聲浪要求修改河野談話和村山談話,這點也沒改變。靖國神社參拜議題上,作為
首相的安倍在上任以後自制,反而是內閣閣僚去參拜,這點也和上次一樣。領土問題上,日韓
兩國的姿勢也和以往一樣,而日韓兩國軍事均衡也沒有傾向日本,對韓國威脅亦無增加。
即使如此,日韓關係卻惡化。筆者認為其中有幾個理由。最顯而易見的是,與從前相比,
日韓兩國政治菁英之間的人際網絡變得有限,結果現在日韓政府能「疏通」的層次大幅降底。
有關這點,與過去相比就較易了解。回顧以前的情況,自從韓國從殖民地支配被解放後,
日韓之間常常存在許多問題。然而,兩國關係到現在還能維持至今的理由之一,是每次面對危
機之時,有為了解決問題而行動的人們。代表人物舉例來說為瀨島龍三。八○年代日韓兩國為
了所謂的「60 億美元借款問題」而有糾紛時,當時擔任日韓關係密使的即是瀨島龍三16。另外,
2000 年代時,電通的成田豊曾經擔任日韓間的溝通橋樑也廣為人知17。
然而,今日日韓兩國中卻沒有像這樣的人物。筆者認為有幾個理由。首先是日韓兩國政治
菁英的世代交替。瀬島因為曾擔任日本陸軍參謀,所以在軍事政權期的韓國有自己的人脈。而
成田出生於殖民地時期的韓半島,終生關心日本與韓國的關係。在以前的日本,有許多擔任溝
通橋樑的人物都曾與日韓之間的殖民時期複雜過去有關。當然,同樣的事情在韓國方面也一樣。
瀬島的談判對象在全斗煥政權期為執政黨幹事長権翊鉉。権翊鉉與瀨島在日本陸軍士官學校是
同學。從此例可看出,過去的日韓關係的某些部分,是靠相同過去的遺產支撐起來的。這樣的
事情到近年仍存在,李明博政權時,扮演與日本的溝通橋樑的是李總統的兄長,1935 年在日
本出生的李相得前國會議長。李相得也擔任韓日有效議員聯盟會長的職位,據說他在 2011 年
末因瀆職醜聞下台之前,在日韓兩國的議員外交上,給予決定性的影響。
然而,今日韓國像他們這樣曾「以日語受教育」的世代的政治菁英已經不存在了。也就是
說,今日的日韓關係是在沒有「殖民地世代」幫忙的情況下運作的。
五、日本重要性下降
15
然而,對於慰安婦問題,之後發現了慰安所中擔任会計的人物的日記。新史料發現後,對這個問題可能會
有新的討論。「慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見ビルマなどでつづる」、『毎日新聞』2013 年 8 月 8 日。 16
この点については、中曽根康弘「巻頭随想 瀬島龍三さんと私―戦後日本の再構築・日韓関係修復の事」、
『季報:平成 20 年「瀬島龍三特集」
』、第 36 巻、を参照の事。また、小倉和夫『秘録・日韓 1 兆円資金』
講談社、2013 年。 17
「電通元社長、成田豊氏が死去日韓 W 杯共催を後押し」、
『産経新聞』2011 年 11 月 21 日。 II - 31
除了舉出沒有舊世代擔任日韓溝通橋樑之外,也要說明為何沒有產生新的溝通管道呢?由
於現在的情況是韓國在抗拒與日本積極合作,那本段的討論重點就放在韓國方面。
關於這點值得注目的是,日韓兩國對於「彼此的價值」急速下降。由於在其他幾篇文章中
已經討論過了,所以以下僅簡述此論點18。首先,先由經濟層面來看。日本在韓國經濟中所佔
的重要性正在降低。1970 年代曾有一時期,日本佔韓國對外進出口的 40%,然而現在只剩 10%
(圖 1)。日本佔韓國對外進出口的比例變成那麼少,並非如韓國內所認知的,是因為日本經
濟低迷。日本佔韓國對外進出口的比例,早在日本經濟受世界注目的八○年代就已經較七○年
代減少。而且,八○年代美國在韓國對外進出口的比例,也從 35%降低到 10%以下。韓國曾經
是身處冷戰最前線的貧窮發展中國家,與中蘇都沒建交。所以,當年不得不過度依存美日兩國。
當韓國達成經濟發展、冷戰結束、全球化進展後,構造也改變了,即韓國的國際關係飛躍增加,
結果使其美日兩國的依存度降低。
在日本也是一樣。雖然韓流現象讓韓國在日本的存在感看似提高了,但實際上並非如此。
例如,日本貿易中韓國所佔的比例一直保持 6%,並沒有增加(圖 2)。除了手機等商品算是例
外,Samsung、LG、現代這些韓國的世界級大企業,在日本依然不算很成功。
一言以蔽之,日本在韓國經濟中的重要性也降低,韓國在日本經濟中的重要性也很難提升。
在中韓兩國中的日本經濟重要性降低,這點很重要。先前引用的東亞日報的社論中,也強調了
對韓國而言,日本的重要性在 2012 年末的階段就完全消失了。之前言及的外交部的報告中,
則是完全不提日本經濟的重要性。日本的重要性在金融面中也降低這點,可以從貨幣互換協定
談判中看出。2012、2013 年都曾進行的延長日韓貨幣互換協定的談判,韓國方面並沒有要求,
所以就此打住了。全球化的現在,包括中國在內,能與韓國簽貨幣交換協定的國家急速增加,
結果日本重要性也就因此降低。
因此,現在韓國政府和媒體也不急著修復日韓關係。日本政府和媒體也是一樣。加上,一
般人越來越難了解日韓之間存在的相互依存關係。例如,80 年代打開「現代」的車的引擎蓋,
裡面放著標示著「三菱」標識的引擎,兩者的相互依存關係很明顯。當然,現在也有類似的情
況,例如,打開 Samsung 的 Galaxy(手機)蓋子,裡面也有相當數目的日本製零件。然而,
我們無法得知哪個零件是日本製的、如何影響 Samsung 的 Galaxy 的性能。現今這種日韓相互
依存關係不容易被察覺,人們也就不容易認知到日韓間有相互依存關係。
所以,這種情況下,人們不會積極推動兩國的關係改善。不管是政治家、經濟人還是媒體
和知識份子,推動他們行動的最大動因就是行動所伴随的利益。在不會產生大且新的利益的領
域,人們就不會有積極行動。實際從事外交行為的外交官也是一樣。在韓國日本重要性降低,
18
有關相互重要性低落對日韓關係所產生的影響,詳情請見筆者以下作品。'Nationalistic Populism in Democratic Countries of East Asia' Journal of Korean Politics, Vol.16 No.2, 2007, 'Why Are the Issues of “Historical Perceptions” between Japan and South Korea Persisting?’『国際協力論集』
第 19 巻第 1 号、2011 年 7 月、'How can we cope with historical disputes?: The Japanese and South Korean experience?' Marie Söderberg ed., Changing Power Relations in Northeast Asia, Rutledge, 2010、等。 II - 32
韓國國內的日本專家的地位也就降低了19。當然,我們這些在日本的韓國專家也是一樣。日本
派(Japan School)與韓國派(Korea School)都退潮的話,當然兩國之間的溝通橋樑也變更
少20。
六、日韓兩國對於中美關係的解讀不同21
更糟的事是,同樣的機制在安全領域也是一樣。重點在於,日韓兩國中對於現今的東北亞
的理解大不相同。關於這點,日韓兩國認知差異最大的是對中美關係的理解。簡單來說,日本
政府與多數日本人都認為中美關係基本上是對立的。所以,其行動背後的盤算是,即使日本與
中國對立,美國也會支持日本。
對此,目前的韓國政府則是在中美兩國之間選擇了「聯美聯中」路線。韓國認為中美兩國
關係未必是對立的關係。反之,韓國認為在全球化的世界中,終極的目標應該是共存。因此,
韓國認為韓國與中國接近也不會對美韓關係造成傷害。
實際上,韓國國內這種主張,即韓國應該與中美兩國同時維持像同盟一樣密切的關係的主
張,並不是新產物。早在李明博政權時,韓國的保守媒體就頻繁地提起。也就是說,現在朴槿
恵政權的中美均等外交,與其說是其自創的政策,不如說是忠實地採用了朝鮮日報22、東亞日
報、甚至中央日報這些有影響力的保守媒體的主張。相反地,5、6 年前這些媒體頻繁提及的
「中國威脅論」則急速減少23。朴槿恵政權作為保守政黨主導的保守政權,採用這些政策也是
理所當然。
這種對中美關係解讀的差異,為日韓兩國的相互理解帶來很大影響。日本因為把中美的對
立構造視為東北亞國際秩序的基本框架,把韓國接近中國的行為,視為是從以美國為中心的陣
營中脫離,或是試著想要中立化24。對此,韓國則是把因為領土問題等問題及中國對立的日本,
視為中美間的麻煩製造者25。
19
「외교부권력이동 … 재팬스쿨지고차이나스쿨뜬다」(外交部権力移動・ジャパンスクール退潮し、チ
ャイナスクール浮上)、『중앙일보』(中央日報)2013 年 4 月 23 日。 20
對此請參照,
「竹島上陸、不意打ち 対日強硬路線に勢い 韓国大統領周囲、知日派消え」、
『朝日新聞』
2012 年 8 月 11 日。 21
以下兩章詳情請見筆者前作,「韓国はなぜ中国に急接近するのか」、『アジア時報』2013 年 6 月。 22
例えば、「'양다리外交'」(二股外交)、『조선일보』(朝鮮日報)2013 年 4 月 7 日。
逆に、
「[한중수교 20 년&인천 '중국을다시보다'·6]중국의발전은우리에게위협적인가?」
(韓中修交 20 年
&仁川:
「中国再発見 6」中国の発展は我々に脅威か)、
『경인일보』
(京仁日報)2012 年 2 月 21 日、に見ら
れるように、経済発展に伴う「中国脅威論」を明確に否定し、その成長を「機会として捉えなければなら
ない」と言う主張が増えている。
【譯:就像此文,伴隨著經濟發展,明確地否定「中國威脅論」,反而要把中國的經濟成長當作機會捉住的
主張增加。】
24
「『中国の取り込み警戒を』産経/『核問題で中韓は不一致』毎読」、
『産経新聞』2013 年 8 月 22 日。
25
例えば、박창희(パク・チャンヒ)「미중관계와한반도: 미국의
“전략적재균형”을중심으로」(米中関係と韓半島:アメリカの「戦略的再配置」を中心
に)、『숙명안보학연구소연례특별학술대회한반도안보의새로운지평』(淑明安保学研究所年例特別学
23
II - 33
這種對於中美關係的解讀差異,實際上成為了日韓關係之間的障礙物。例如,朴槿恵政權
成立前後,日本政府根據自己提倡的「價值觀外交」理念,試著想與韓國對話。2013 年 2 月
28 日朴槿恵政權成立後 3 天,安倍首相在國會施政方針演說中提到「韓國與日本共同擁有自
由、民主主義等基本價值與利益,是最重要的鄰國。我們真心歡迎朴槿恵總統上任」,安倍表
達了一樣都有「西方民主主義的價值觀」的日韓兩國可以合作、也應該合作的訊息26。其背景
是,安倍政權預測,由於朴槿恵政權是保守政權,所以應該和日本一樣,會以中美對立為軸心
來解讀東北亞情勢,然後行動。
然而,這個訊息並沒有被朴槿恵政權善意地接受。理由很簡單。如果擁有「西方民主主義
價值觀」的國家團結,也就是說和日本一起對抗沒有西方民主主義價值觀的國家(具體來說是
中國)。這對重視中國的友好關係的朴槿恵政權而言,是無法允諾的事。朴槿恵政權的這種反
應與其說是總統自身志向的結果,不如說是忠實反映了韓國輿論。事實上,2013 年 6 月舉行
的中韓關係和日韓關係輿論調查中,回答中韓關係更重要的人高達 83.0%,但回答日韓關係更
重要的僅有 11.7%27。
把中美關係解讀為對立或是共存關係,會影響到兩國的軍事合作關係。由於日本把中美關
係解讀為對立,所以認為韓國也因中國的強大軍事力感到壓力,為了與中對抗,面對向美軍提
供軍事基地的日本,韓國理應覺得對日關係極為重要才對。所以,韓國政府拒絕與日本簽定軍
事情報保護協定與軍需支援協定,在日本看來實在是不合理的態度。相反地,如果認為東北亞
的威脅不是中國,而是北韓,則沒有什麼日本能做的事。因此,對韓國而言,無須特別急著與
日本簽軍事合作協定,簽這些協定反而會讓韓半島陷入緊張情況。
七、對中國依存度不同
日韓兩國對於中國也有歧見。此事乍聽覺得很奇怪。例如,如圖 1、2 所看到的,現在的
日韓兩國的進出口總額中,中國所佔的比例都差不多上升到 20%左右。也就是說,光看這個資
料,會認為中國經濟的重要性對兩國而言應該差不多。那這樣對中國觀差異如此之大似乎很奇
怪。然而,現今日韓兩國對於中國重要性的認知的確有很大差異。現今韓國人都知道最大的貿
易伙伴是中國,認為中國的存在很重要,是支持韓國經濟成長最重要的動力。對這些韓國人而
言,日本因為領土問題及歷史認識問題,一直與中國對立,是很愚蠢的存在。實際上,自從去
年的大規模反日示威以來,中日貿易縮小,日本企業的對中投資也已減少。
然而,其中有些弔詭之處。即使在兩國貿易中,中國佔的比例一樣,但對於兩國經濟全體,
術大会:韓半島安保の
新地平)、2012 年、http://www.kinu.or.kr/upload/neoboard/KNEVENT/%C0%DA%B7%E1%C1%FD2.pdf(最終確
認 2013 年 12 月 7 日)。
26
「安倍首相の施政方針演説」、『朝日新聞』2013 年 3 月 1 日。 27
Realmeter「"한중정상회담기대된다", 74.4%」(「韓中首脳会談に期待す
る」74.4%)http://www.realmeter.net/issue/view.asp?Table_Name=s_news2&N_Num=862&file_name=2013062
6130027.htm&Cpage=1(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 II - 34
貿易本身的重要性,卻是截然不同。韓國目前的貿易總額與 GDP 差不多,甚至比 GDP 多。但日
本的情況不同,貿易總額僅佔 GDP 的 20%出頭(圖 3)
。也就是說,對韓國而言,佔貿易總額中
20%的對中貿易,對其 GDP 也佔 20%出頭。所以中國如此巨大的存在感,幾乎可說是韓國經濟
的生命線,韓國保守媒體因為與巨大財閥為首的韓國商業界有密切關係,開始主張更強化中韓
關係。而由於朴槿恵政權是保守政権,所以依據韓國保守媒體的論調忠實行動。
然而,對日本而言,對中國貿易雖佔其貿易總額的 20%出頭,但在 GDP 才佔 5%以下。簡單
來說,日本看到的中國,只有韓國看到的中國的 1/4 還少(表 2)。
兩國雖然被認為有很多相似的地方,但現今日韓已大不相同。和韓國比起來,日本經濟壓
倒性部分不是靠外需而是內需。日本依然是 GDP 高居世界第三位的經濟大國。而且,雖然對日
本而言中國的確是最大貿易國,但並不是像依存原油這種排他性、戰略上緊要的資源一樣。換
句話說,即使中日關係惡化,中日貿易減少,這些影響都是有限的,與他國的貿易關係擴大的
話,就可以補救回來。據說日本企業多數看到去年中國的大規模示威後,都把生產據點從中國
移到東南亞等國。實際上,2013 年上半期日本對東盟諸國的投資額,為對中國的投資額的兩
倍28。因此,日本國內可能會有些人認為,即使傷害與中國關係也不足為惜,要優先保護領土
和民族的尊嚴。因此,比起國際關係,「向內看的日本」有時候,會以自己的論理為優先。
同時,這種狀況也影響到日韓兩國與中國的權力關係。重要的是,日韓兩國的 GDP 大不相
同。表 2 可看出,對韓國而言佔 GDP20%的中韓貿易,對中國而言只佔了 3%。所以中韓兩國在
外交談判時,面對相當依存中韓關係的韓國,中國可以維持強硬立場。與此相對,日本因為
GDP 高,所以中日貿易的重要性較小,與對韓國而言的中韓貿易無法相比。所以對中外交上,
日本也有較大自由度。
一旦中國表現出強硬姿態時,這樣的日韓兩國差異就能輕易看出。例如,2013 年 11 月中
國宣布擴大防空識別圈,在釣魚台問題上與中國陷入激烈對立關係的日本,提出了嚴正抗議。
然而,韓國雖然針對位於東海的離於島(中國名:蘇岩礁)暗礁,與中國有對立,但韓國政府
對防空識別圈的立場卻顯曖昧29。中國要韓國表態時,韓國立場就變得很複雜。
八、日韓兩國國內對「東北亞觀」歧異
至此,不知何時開始,圍繞日韓兩國的情況已大不相同,所以兩國人們看國際關係的角度
也不同。此處的大問題是,不管這些狀況如何,兩國人們並沒有發覺兩國對於國際社會的解讀
的差距這麼大。換句話說,日韓兩國依然認為彼此都用同一角度解讀國際社會,在這個前提上
討論事情,處理日韓關係。
28
JETRO『ジェトロ世界貿易投資報告 2013』、2013 年、http://www.jetro.go.jp/world/gtir/2013/
(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。また、
『産経新聞』2013 年 8 月 8 日。 29
Chosun Online「韓国の防空識別圏、離於島を含まない三つの理由」2013 年 11 月 25 日、
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/11/26/2013112600945.html(最終確認 2013 年 12 月 7
日)。 II - 35
也就是說,日本人依然活在自己是亞洲唯一的經濟大國的時代的印象中,眺望包括韓國在
內的亞洲國家。很多日本人也漠然地覺得,韓國「如果陷入經濟不景氣的話,可以依賴日本這
個經濟大國」30。事實上,日本書店裡列了很多「討厭韓國的書」
,其中多數都指稱韓國經濟已
31
經快要崩潰了,所以主張韓國最終會對日本屈服 。舉亞洲金融危機時的印象之例,就能較容
易理解。然而,當然在韓國,日本並不是這樣的存在。如之前提到的,有關貨幣交換協定的談
判也可看出,比當年更有力量也更有自信的韓國,在國際社會有各種管道可利用,不需要日本,
也有多種資源可用。然而,很多日本人沒看到韓國的變化。所以,對他們而言,韓國政府和韓
國人的行為明顯地不合理。
韓國人也一樣。現在對韓國而言中國的存在極為重要,所以他們想要與中國維持良好關係。
如上而述,以往曾對中國採警戒姿態的韓國保守媒體,這幾年積極提倡與中國的良好關係。對
此,例如,研究數年來朝鮮日報中,對中國論調的變化,結果相當有趣。往年頻繁看到中國威
脅論出現,但在當今韓國這類保守言論中已不復見32。像 FTA 問題等,現在反而是進步派的媒
體批判改善與中國關係是搖擺不定。
所以,就這樣的韓國看來,韓國在領土問題和歷史認識問題上與中國合作進行抗議,但日
本也不理不睬,這樣的日本極不合理。但當然日本行動有其理由。即使中日貿易不振,也不會
太影響現在的日本經濟33。反而,中韓一起行動不只刺激了日本的民族主義,也讓認知中美關
係是對立的日本有以下解釋。即,中國活用其經濟力,正在把韓國拉進了自己的陣營,日本不
能被拉著走34。所以日本變得更頑強,政治上更不願讓步。然而,不了解日本方面的內情的話,
對很多韓國人而言,只覺得無法理解日本行為。最後就形成「日本是個不合理的存在」的解讀
35
。如此一來,日韓兩國彼此覺得對方不合理、無法理解,日韓關係越陷入迷走狀態。
當然,這樣的日韓「東亞觀」差異,會影響到兩國對「未來的預測」。難說哪一國的看法
比較正確。然而,日韓兩國的「東亞觀」差異,可能會對與兩國有同盟關係的美國的東北亞外
交形成很大的障礙。當然美國自身的外交必須要有一致性,而長期來看美國會選日韓中的哪一
國呢?
然而,情勢看來對韓國不利。2013 年 11 月中國擴大防空識別圈,西沙/南沙諸島領土問
題升高之際,看似美國已轉而與中國對立。而且,美國的安全政策中,日韓兩國的地位差異很
多。對於海軍軍力大幅超越他國、陸軍軍力同樣也有優勢的美國而言,位處歐亞大陸東端的韓
30
エコノミックニュース「中国経済急減速、ウォン高で韓国経済危機感増幅」、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130810‐00000067‐economic‐bus_all(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。 31
例如,三橋貴明『いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由』ワック、2013 年。 32
有關韓國保守媒體的中國觀變化,筆者預定之後在別的作品中討論。 33
三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社調査部『日本経済の景気動向等に関する資料』2013 年 9
月、http://www.rinya.maff.go.jp/j/riyou/jyukyuu/pdf/2013092501.pdf(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。實際上,
2013 年上半期,對內需的依存度比外需大幅增加,支撐著經濟成長。 34
例如,「【主張】朴大統領訪中日米との結束こそ重要だ」、
『産経新聞』2013 年 6 月 30 日。 35
例えば、「정부 "집단적자위권에대한기본입장, 日에전달"」(政府「集団的自衛権に対する
基本的立場を日本に伝達)、『연합뉴스』(聯合ニュース)2013 年 10 月 22 日、http://
www.yonhapnews.co.kr/politics/2013/10/22/0503000000AKR20131022142700043.HTML(最終確認 2013 年 12 月 7
日)。 II - 36
國是「很難防守」的存在。所以,1970 年以來美國國內不斷討論是否要從韓半島撤退。現在
也有人提出要求要把所謂「作戰統制權」(發生事情時,能指揮韓國軍隊的權限)應該盡快還
給韓國政府。也就是說,對美國而言,與韓國的同盟關係,是「可以整理的關係」,甚至有時
可說是「想要整理的關係」。
然而,對美國而言,日本的重要性完全不同。日本有世界第三位的經濟實力,有強大的海
軍,在東北亞是美軍重要的伙伴。而且,最重要的是,位處東北亞海上的日本,可以作為阻止
中國進入海洋的巨大防波堤、不沉空母。與韓國不同,關於沖繩美軍基地問題,美軍至今沒有
表達想從日本撤退之意,反而是一直提升日本作為美國同盟國的重要性。換種說法,從地政學
位置看來是必然,美國如果沒有日本這個同盟,也沒辦法防衛韓國,但沒有韓國這個同盟,卻
能防衛日本。如此的話,美國想要維持在東北亞的據點,最終會選哪一國是顯而易見的。
九、代結論
重要的是,日韓關係惡化會帶來的影響,不只兩國關係會有損害,最終兩國與美國這個同
盟的關係也會被影響。當然,這不是說,我們可以對目前情況置之不理。對日本人而言,佔自
身貿易 6%比例的韓國在經濟上是重要的,而且在東北亞變化中的國際情勢中,韓國目前有世
界第 15 位的 GDP 及名列世界前茅的陸軍力,日本如果與其關係交惡會有違日本的國家利益。
那日韓兩國應如何處理這個問題?為何不傳達自己的訊息給對方、理解讓對方行動的原理
為何?然而,現在日韓兩國正在進行的是完全不同的賽局。也就是,硬要要求對方接受自己的
原理原則,然後置之不理。最麻煩的是,日韓兩國相信硬要對方接受自己的原理原則是有用的。
如此看來,日韓兩國之間正處於「懦夫博弈」36。不,目前的賽局比「懦夫博弈」還糟。
「懦夫
博弈」本來的內容是兩台車向對方驅車而行,看誰先踩煞車,藉此競爭彼此的膽量。然而,現
在日韓間進行的是「大草原懦夫博弈」。日韓兩國現在用的方法(硬要對方接受自己的原理原
則)是沒用的,所以對對方而言,自己沒有踩煞車的理由。但是因為沒有人站在兩者之間,告
訴他們應結束沒意義的「懦夫博弈」,所以兩國會永遠在大草原奔馳。
更糟的是,回顧 21 世紀之後的十數年,日韓之間經常有各種問題,諸如,靖國問題、教
科書問題、慰安婦問題和領土問題37。問題發生時,兩國政治家每每相互指責,而且媒體也充
斥過度激烈的言論。民族主義的市民運動日漸激烈化,網路上有許多難以入耳的言語交鋒。
與這樣的政治情況相反,即使有這些問題,但日韓的經濟、社會關係沒有太大損害。之前
合辦了日韓世足盃,韓流旋風吹不停。也就是說,我們學到在這十數年來,即使政治家等政治
菁英沒有積極想改善日韓關係的作為,但短期間日韓關係不會發生大問題。
當然,這意味著日韓兩國的市民社會已趨成熟,這件事本身並不是壞事。然而,這種情況
36
有關這點,參照「緊張続く日中韓『チキンゲーム』」
、『AERA』2013 年 10 月 7 日号。 37
有關歷史認識問題的發展過程,請參照筆者前作:"Discovery of Disputes: Collective Memories on Textbooks and Japanese–South Korean Relations,", Journal of Korean Studies, Volume 17, Number 1, Spring 2012。及『究』
(ミネルヴァ書房)的筆者連載「日韓歴史認識問題にどう向き合うか」。 II - 37
提供了道德風險給日韓兩國的政治家、言論家、和其他本來應該為了改善兩國關係發揮影響力
的人們。日韓兩國之間的問題之多,與兩國的民族主義有密切相關,所以對於很多政治菁英而
言,處理這問題的得失也變多。換句話說,在他們的利益而言,不處理這些或是逼對方接受原
則論來表態,對多數人而言比較容易也比較合理。
日韓之間存在的是狀況是,兩邊都「假裝」自己的打的牌「有用」,放著現狀不去改變。
所以,現在常常聽到日韓兩國政府有差不多的言論。日本政府會說「只要與中國的關係改善了,
與韓國的關係即使不處理也會跟著改善」
,另一方面,韓國則說「歐美輿論站在我們這邊的話,
慰安婦問題等就會轉向對自己有利的方向了」。在「大草原懦夫博弈」中,在對方走的路上挖
「陷阱」。
但是問題不會這樣就解決。掉入「陷阱」的對方,自信心也因此受損,受到的傷害,對短
期或許影響較小,但中長期來看會讓對手的態度變得更頑強。
根本的謬誤是,日韓兩國都忘了,外交是由「談判」而取得成果的;不是由單方面指責對
方而決定勝負的。思考一下北韓問題就能了解,想要改變一國的政治姿勢,不能光靠制裁。日
韓兩國對對手能夠加諸,像自己能對北韓加諸的制裁嗎?這樣想,就會發覺「大草原懦夫博弈」
是如何的荒謬。
那結果要怎麼辦才好。對此,應該分為短期課題和中長期課題。關於短期課題,尤其在目
前領袖間的對話也很困難的情況下,兩國外交關係要怎麼辦。雖然聽來有些消極,但總之為了
重啟對話,應先找到「藉口」。如上述,目前的日韓政府都是以「怎麼讓對方低頭」的前提來
進行外交,而且兩國輿論對對方國家採強硬姿態,在這種情況下要能重啟對話很困難。兩國政
府要先找到能說服國內強硬的輿論的材料,其中一個方法就是表現出要處理目前懸案的樣子
(不論實際情況如何),讓輿論覺得事情往解決的方向進行。例如,2002 年到 2010 年之間,
舉行了兩次的「日韓歷史共同研究」,應該重新開始。視情況,應該集中研究目前的最大懸案
慰安婦問題。實際上,2013 年 11 月階段,韓國總統提議要作成中日韓「共通教科書」,以此
為契機,進行會談使關係修復是方法之一。重要的是外交的基本對話,不論如何應該要重啟談
話。
然而,這種方法當然無法根本地解決日韓關係。二次「日韓歷史共同研究」的結果可以看
出,要靠歷史學者之間的對話和共同研究,讓兩國取得「共通歷史認識」是極為困難的。「歷
史認識」不只是「過去」的歷史事實而已。而是在什麼樣的「脈絡」中理解「過去」的歷史事
實。所以要讓在不同的「脈絡」中,解釋「過去」的日韓兩國,取得共通的「歷史認識」是很
困難的事。
不用說也知道「共通的歷史教科書」的困難性。日韓兩國的歷史教科書是依照各自的「國
史」脈絡寫出來的,這樣的「國史」脈絡絕不可能日韓兩國共有。教科書本來就是每個社會為
了教育目的而寫出來的,當然,會受到每個社會存在的教育制度和教育目標的制約。簡單來說,
日韓兩國不可能有相同的基本教育指針,所以我們別說是不可能寫出「共通的歷史教科書」了,
連「共通的數學教科書」都寫不出來。
II - 38
本文要強調的是,日韓關係惡化的背景之後,有兩國對彼此重要性降低,加上中國崛起等
構造性問題。所以這個問題的解決,端看如何解決這些構造性問題。日韓兩國在世界中有很大
經濟力和軍事力的國家,如果兩國合作能解決很多問題。藉由簽署 FTA 的手段開放彼此的市場,
活用經濟的發展,將韓國目前對中國過度依存的情況平衡過來。
全球化的現在,只有鄰國才能做到的合作關係究竟為何。與金融及情報不同,人的移動仍
然有移動時間的制約。例如,東日本大震災時,日美之間面對巨大災害時相互合作的體制,應
進一步被制度化。另外,為了因應將來的少子高齢化,教育面和社會福利面的基礎設施都需要
有所準備。在能源領域也受地政學位置影響。在建設管線設施和電力的相互融通方面,應該建
立與 EU 類似的合作體制,如果能建立這樣的體制,日韓兩國的能源政策自由度應能提高38。
不論如何,重點是日韓關係被質疑。所以,我們為了重建這個重要性,必須獻出「智慧」
。
這樣的日韓關係的姿態,其實也是東北亞的多數國家的國際關係姿態。全球化和中國崛起之中,
要如何重建這區域的合作關係。現在需要的是我們自己的「創造力」。
38
有關這點請參照筆者前作,"Northeast Asian Trilateral Cooperation in the Globalizing World: How to Re‐establish the Mutual Importance"、『国際協力論集』第 21 巻 2 号(2014 年)。 II - 39
グラフ1 日本人の韓国に対する好感度
[圖 1:日本人對韓國的好感度]
50
45
40
35
30
25
20
15
10
5
0
親しみを感じる %
どちらかというと親しみを感じる %
どちらかというと親しみを感じない %
親しみを感じない %
出典:内閣府「外交に関する世論調査」
(2013 年 10 月)http://www8.cao.go.jp/survey/h25/h25‐gaiko/2‐1.html(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より、筆者
作成。 II - 40
表1 周辺国指導者に対する韓国人の好感度(2013 年 9 月現在)
[表 1 韓國人對周邊國家領導人的好感度]
好感を持っている 好感を持っていない
わからない
オバマ
71
14
14
習近平
48
25
27
プーチン
31
31
38
金正恩
6
86
8
安倍
3
89
8
%
%
%
出典:한국갤럽조사연구소(韓国ギャラップ調査研究所)、http://www.gallup.co.kr/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)。
II - 41
表2 貿易額の GDP に対する比率
[表 2 貿易額相對 GDP 比例]
GDP
対中貿易
/GDP
対韓貿易
/GDP
対日貿易
/GDP
統計年度
中国
5,878,629
ー
3.52
5.07
2010
韓国
1,116,247
19.76
ー
9.68
2011
日本
5,867,154
4.69
1.44
ー
2011
%
%
%
年
百万米ドル
出典:JETRO「統計ナビ」http://www.jetro.go.jp/world/statistics/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。
II - 42
[圖 2 韓國貿易額中主要國家所佔的比例] グラフ2 韓国貿易における主要国のシェア
0.45
0.4
0.35
0.3
0.25
0.2
0.15
0.1
0.05
0
中国
日本
アメリカ
出典:통계청(統計庁)
「국가통계포털」(国家統計ポータル)http://kosis.kr/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。 圖 3 日本貿易額中韓國所佔的比例 II - 43
グラフ3 日本貿易に占める韓国のシェア
0.07
0.06
0.05
0.04
0.03
0.02
0.01
0
出典:財務省「財務省貿易統計」http://www.customs.go.jp/toukei/info/(最終確認 2013 年 12 月 7 日)、より筆者作成。 II - 44
1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
圖 4 各國貿易依存度的演變 グラフ4
世界
中国
各国の貿易依存度の推移
120
100
80
60
40
20
0
日本
韓国
II - 45
アメリカ
ユーロ地域
出典:World Trade Organization, "Statistics database",http://stat.wto.org/Home/WSDBHome.aspx?Language=E(最終確認 2013 年 12 月 7 日)より筆者作成。 II - 46
東北アジアにおける海洋(領土)紛争の様態と 「韓米-日米同盟」の意義:韓国の観点から 宋錫源 (韓国・慶煕大学) Ⅰ。はじめに
東北アジアは、地球上の他の地域に比べて、最もとはいえないにしてもきわめて複雑な地域の一つ
であるといえよう。というのも、この地域では、いわゆゆる「東北アジアのパラドックス(Northeast
Asianparadox)」という現状が著しいからであろう。すなわち、東北アジアの諸国では国同士の経済協
力は順調に進んでいるものの、政治あるいは安保の協力は、韓国と北朝鮮の対峙や米日中ロの四ヶ
国の間で域内における影響力の拡大を巡って繰り広げられている角逐などからもわかるように、容
易ではないのである。東北アジア諸国間の信頼関係はそれほど高いとはいえない。
東北アジアには、ヨーロッパの北大西洋条約機構(NATO)に匹敵するような多国間安保協力機構は
存在しない。米日中ロのような世界のビック・パワーが角逐を繰り広げている地域であるのに、で
ある。さらに東北アジアの殆んどの国々が領土紛争に関わっており、北朝鮮の核開発をめぐる関係
各国家間の駆け引きの激しさは日々増すばかりであるのに、である。なぜ、このような実態になっ
たのであろうか。この問題に関しては、幾つかの側面からの説明が成されるであろうが、何よりも
先ず指摘して置かねばならないことは、Hettne と Söderbaum が提示した「地域性(Regionness)」のレベル
が東北アジアではそれほど高くないことであろう。Hettne と Söderbaum は「地域性」について五つのレ
ベルがあると指摘している1。EU は「地域国家」のレベルに達しており、東北アジアは「地域複合体」
のレベルから「地域社会」のレベルに至っていると評価することができると思われる。
さらに東北アジアが、地域性のレベルが低く、かつ多国間安保協力機構が存在しないことの原
因についても多様な側面からの議論が行われているが、なかでもナショナリズムはよく指摘される
2
重要な要因であろう 。各国のナショナリズムが地域協力の推進に障害物として作用しているにもか
かわらず、各国の政治指導者たちがよくも地域主義に言及するのはキンミギョンが適切に表現して
3
いるように「組織された偽善 」といわざるを得ないであろう。また Calden と Ye が提起した「決定
1
HettneBjörn and Fredrik Söderbaum, “Theorising the Rise of Regionness,” New Political Economy, Vol.5, No.3, 2000,
pp.463-468.
2
たとえば、チェジンウ、
「民族主義と東北アジア地域協力」
、
『JPI 政策フォーラム』(2014-25)、2014 参照。
3
キンミギョン、
「組織された偽善と東アジアの地域統合:東アジア地域統合の制度的低発展に対する理論
的小考」、『亞細亞研究』
、53 巻 4 号、2010 参照。
II - 47
4
的な契機(critical juncture) 」
、すなわち東北アジアには韓国戦争という決定的な契機によって構築され
た秩序が残っている状況のなかで、これを根本的に再編し得るくらいの強力なエネルギーを供給す
る新しい決定的な契機がまだ 起こっていないことが東北アジアにおける制度化された多国間安保
協力機構の不在の原因である、という説もまた注目に値するものと考える。
<表 1>
「地域性」のレベル
レベル
意味
地域空間
散在している小規模の諸々の共同体が物理的な距離によって相互間
(regional space)
の接触や交流が行われている状況
互いに分離されて存在する小規模の諸々の共同体間の接触、交流、
地域複合体
取引が増加するにつれ、一つの社会システムが形成され、地域のア
(regional complex)
イデンティティ-が芽生える状況。ただ、この段階における交流な
どは互恵性や相互信頼に基づいたものではなく、近視眼的で利己的
な利益追求によるもので、不安定性が内在している状況である。
地域社会
国家をはじめとする多様なアクターの間で多様なレベルで複合的な
(regional society)
相互作用が行われ、国境の意味が弱まり、アクター間の関係が規則
に基づいて形成される状況
地域共同体
地域が独自的なアイデンティティ-を構築し、アクターとしての能
(regional community)
力を備え、アイデンティティ-が認められる意思決定構造を有する
状況
地域国家
既存の政治段位の自発的な主権統合によって形成された分権的で重
(regional state)
層的なガバナンスを特徴としている地域機構が市場統合、対外的な
安保、対内的な治安、社会政策などの機能を担当するレベル
では、東北アジアでは如何にして安全を保つことができたのであろうか。第二次世界大戦以降の東北アジ
アの安全は、この地域におけるパワー・バランサー(power balancer)としてのアメリカに負うところが大
きいと思われる。じっさい、韓国や日本はアメリカとの間で安保条約を締結しており、基地をも提
供している。フィリピンはアメリカに基地を提供することで安全を確保することができた。台湾は
アメリカのアナウンスメントと時折の行動とによって幾つかの危機に対処することができた。しか
し、最近パワー・バランサーとしてのアメリカのパワーは以前に比べて著しい低下を見せていると
いえよう。これとは対照的に、中国の浮上はあらゆる側面において明らかになりつつある。随分前
から「浮上する中国(Rising China)」が語られてきた。「浮上する中国」が言及され始まった当時にお
いて、それは、近い将来中国が発展を重ね浮上するであろう、というポジティブな展望でしかなか
った。しかし、最近の「浮上する中国」とは、すでに浮上しており、これからも浮上し続けるであ
4
CaldenKent and Min Ye, “Regionalism andCritical Junctures : Explaining the ‘Organization Gap’in Northeast
Asia,”Journal of East Asian Studies, 4, 2004 参照。
II - 48
ろうという現実感覚として言及される言説であるといえよう。中国が、外交政策の重点を鄧小平時
代以降の原則として看做されてきた韜光養晦(conceal our capabilities and avoid limelight)や和平崛起
(peaceful rise)に変えて主動作為(taking and making opportunities to change the status quo in China's favor)へ
と変貌しているのもこうした「浮上する中国」を裏打ちするものと考えられる。
これからの東北アジアの国際関係は、米中関係の行方に大きく左右されるであろう。すでに中国
を第一交易国としていると同時に、アメリカとの同盟関係を引き続き持続させていくことを希望す
る韓国の観点からも、近い将来の米中関係の展開振りは二つの当事国に劣らぬ核心的な関心事であ
るといえよう。このことに関しては、安保╱戦略的関係構図(葛藤あるいは協力)と経済的相互依存(高
いあるいは低い)とによって、近い将来の東北アジアにおけるありそうな四つの米中関係のシナリオ
を描くことが可能であろう。 <表 2>
予測可能な近い将来の東北アジアにおける力学構図
安保/戦略的関係構図
葛藤
協力
←
経
高
済
い
→
↑
B
C
東アジアの平和時代
21 世紀型弱肉強食
的
(PAX NEA)
相
互
依
低
存
い
D
A
不安定で危険な東アジア
変換の持続
↓
出所:チャドゥヒョン、「序文」、キンビョンクック他、『米中関係 2025』、東アジア研究院、2012、
p.17.
シナリオ B が最も理想的な構図であるのは、言うまでもあるまい。米中関係が協力的な安保╱戦
略的関係と高いレベルの経済的相互依存関係に置かれることになれば、東北アジアはまさに平和時
代を切り開くことができるからである。しかしながら、シナリオ B が現実のものになるためには経
済的相互依存関係が益々深まっていくだけではなく安保╱戦略的関係もまた協力的にならなければ
ならない。アジアへの関与(pivot to Asia)政策を打ち立てているアメリカと新型大国関係(New Type of
Great Power Relations)を強調している中国が安保╱戦略的な問題でもそう簡単に協力的な関係になる
とは思われない。2015 年現在の東北アジアの国際関係はシナリオ C の様子を呈していると考える。
経済的相互依存関係は高まりつつあるなか、安保╱戦略的関係は葛藤の局面を見せているからであ
る。すなわち、東北アジアのパラドックスの状況である。したがって、依然としてシナリオ C がも
っとも可能性の高いシナリオであるといえる。シナリオ C がやがてシナリオ B になることもありう
るであろうが、そうなるためには安保╱戦略的関係において高いレベルの協力性を確保しなければ
ならない。 II - 49
では、スーパーパワーとしての米中両国が東北アジア地域における安保╱戦略的な問題で対峙し、
協力関係になりにくいのは何故であろうか。この問題に答えるのは、東北アジア地域における多国
間安保協力機構の不在の原因を説明することにもなるであろう。韓米同盟や日米同盟のようにアメ
リカを軸とした軍事同盟がこの地域における安保を支えている。そもそも韓米同盟や日米同盟は仮
想の敵国を想定してのものであったのであるが、東北アジアにおける海洋(領土)紛争が激しさを増す
につれ、敵国は仮想の枠を超え現実味を持つようになったと思われる。したがって、本稿では、韓
米同盟や日米同盟が東北アジアにおける海洋(領土)紛争において如何なる意味を持つのか、こうした
紛争が近い将来の東北アジアにおける力学構図にどう影響するのか、を検討してみることにしたい。
Ⅱ。東北アジアにおける海洋(領土)紛争の様態
領土紛争に関する統計資料としては、1919 年から 1995 年までのデーターを分析している Huth と
Allee の研究成果が特に有用であるといえよう。彼らは、領土紛争について、まず領土を実効支配し
ていて現象を維持しようとする相手国家(target state)と現象を変更しようとする挑戦国家(challenger state)とを区別した。そして挑戦国家が取り得る行動を、何の行動も取っていない場合、交渉(ネゴシ
エーション)を始めた場合、軍事的行動を取った場合、などに分類した。Huth と Allee によれば、1919
年から 1995 年までの間に起こった国家間の領土紛争は 348 件であった。紛争の総数ではヨーロッパ
や中近東で多いが、紛争が起こった時期を 1945 年の前後に分けて整理してみると、1945 年以後の紛
争はとりわけアジアに多いのが目立つ。ヨーロッパとアメリカでの紛争は 1945 年以後明らかに減少
しつつあるのが見て取れる。これとは対照的に、アジアとアフリカではむしろ紛争の回数が増えて
いる。また中近東では 1945 年の以前と以後とを問わずほぼ変わりのない傾向を見せており、両期間
に跨る紛争も相当の回数に上っている。このことは、領土問題は、1945 年以後の国際秩序のなかで
も依然として国家間紛争の重要な背景として作用している、ということを示唆するものであるとい
える。Huth と Allee の研究は 1995 年までに起こった紛争を対象にしているため、その後の紛争は扱
われていない。したがって、そのときからすでに 20 年が過ぎた現時点では多少物足りなさを思える
のも事実であろう。じっさい 1995 年までの領土(領海)紛争のなかでいくつかは現時点でもなお紛争
を続けているからである。しかし、領土紛争に関するある程度の傾向を掴むことは可能である。 <表 3> 1919 年から 1995 年までの国家間の領土紛争
地域
紛争の総数
1945 年の以前
1945 年の以後
両期間に跨る
ヨーロッパ
95
60
27
8
中近東
89
36
32
21
アフリカ
48
17
26
5
アジア
65
14
42
9
アメリカ
51
30
6
15
合計
348
157
133
58
II - 50
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, p.27.
では、こうした領土紛争は如何に進行して行ったのであろうか。Huth と Allee によれば、対話・協商が
1,528 件、挑戦国家の譲歩が 568 件である。また軍事的な対峙の状況が起こったのは 374 件で、このうち
戦争にまでエスカレートしたのは 40 件であった。Huth と Allee は別のところで戦争あるいは戦争の直前
にまで軍事的な対峙がエスカレートしたのは 89 件である5としている。したがって、じつに軍事的対峙の
24%が戦争あるいは戦争の直前にまでエスカレートして行くのが分かる。 <表 4> 1919 年から 1995 年までの国家間の領土紛争における協商と軍事的対峙
協商
地域
紛争の総数
軍事的対峙
協商の回数
譲歩の回数
軍事的
対峙の回数
戦争の回数
ヨーロッパ
95
268
113
56
9
中近東
89
423
162
130
15
アフリカ
48
172
60
27
3
アジア
65
362
114
109
12
アメリカ
51
303
119
52
1
合計
348
1,528
568
374
40
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.29-30.
一方、挑戦国家が採択した様々な外交的、軍事的政策を含む紛争観測の回数は、合計 6,542 件に上ってお
り、このなかで挑戦国家が何の行動も取っていない場合(maintain status quo)は 4,370 件(66%)、交渉を始め
た場合(seek negotiations)は 1,782 件(27%)、軍事的行動を取った場合(threaten force)は 390 件(6%)であった
6
。 <表 5> 挑戦国家としての中国の領土紛争
相手国家
始点
終点
頻度
協商
軍事
アフガニスタン
1919╱1
1963╱3
45
3
-
ブタン
1979╱1
1995╱8
20
9
-
イギリス
1919╱1
1930╱2
12
5
-
イギリス
1919╱1
1984╱1
65
6
-
イギリス╱インド
1919╱1
1962╱4
48
5
7
イギリス╱ミャンマー
1919╱5
1960╱1
44
15
5
5
Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century, New York,
Cambridge University Press, 2003, p.43.
6
Ibid, p.45.
II - 51
フランス
1919╱1
1945╱3
28
2
-
フランス╱越南╱越盟
1932╱6
1995╱12
70
10
10
日本
1919╱1
1945╱11
31
2
6
日本
1951╱1
1995╱7
46
4
-
ネパール
1949╱1
1960╱12
13
3
1
カザフスタン
1993╱4
1994╱2
2
2
-
キルギスタン
1993╱4
1995╱12
4
3
-
モンゴル
1946╱1
1962╱11
18
1
2
パキスタン
1947╱1
1962╱2
16
1
-
ポルトガル
1919╱1
1975╱6
57
3
1
ソヴィエト(ロシア)
1919╱7
1995╱12
81
31
4
ソヴィエト
1948╱3
1955╱10
10
3
-
タジキスタン
1993╱4
1995╱12
4
2
1
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.403-411.
では、東北アジアにおける領土紛争はどのような特徴を見せているのであろうか。Huth と Allee
の研究結果を踏まえてこの問題を考えてみたい。先ず中国の領土紛争からみることにしよう。中国
は、自らが挑戦国家になった領土紛争は 19 件、相手国家としての紛争は 6 件であった。インドやヴ
ェトナムを相手国家として中国が領土紛争に挑戦した際、特に軍事的な対峙が顕著に現れているの
がみてとれる。またソヴィエトの崩壊後、中国は旧ソヴィエト圏のカザフスタン、キルギスタン、
タジキスタンなどを相手国家として 1993 年 4 月に領土問題を提起しているが、たいてい協商を通
じての解決が模索されている。
中国が紛争の相手国家になっているケースは 6 件であり、日本との間の満州国ケースやネパール
との国境紛争は解決済みであるが、他の紛争は 1995 年現在にも続いている。中国が挑戦国家であっ
た際の紛争では、軍事的な衝突に至るケースが少なくなかったのであるが、中国を相手国家にして
紛争を提起した国々はそれほど武力に訴えていないのが顕著である。
<表 6> 中国が相手国家になった領土紛争
挑戦国家
始点
終点
頻度
協商
軍事
フランス╱越南╱越盟
1932╱6
1995/5
62
13
1
インド
1963/4
1995/9
40
15
-
日本
1932/10
1937/7
9
2
7
マレーシア
1979/1
1995/11
19
5
-
ネパール
1949/1
1960/12
13
3
-
フィリピン
1971/1
1995/12
27
5
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
II - 52
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.411-420.
中国は、領土紛争に対して協商と軍事的な対峙とを交差して活用する積極的で挑発的な行動を取
っているのが分かる。さらに日本を相手国家として領土紛争に挑戦している最近の中国の行動は軍
事的な対峙をも辞さない動きを見せており、挑戦国家か相手国家かがはっきりしない南沙群島など
でも軍事的な対峙が顕著である。
日本の場合、自らが挑戦国家になって領土紛争を起こしたのは 7 件である。その殆どは日本の軍
国主義が敗戦した 1945 年の以前に植民地の拡張過程で起こったケースであり、サンフランシスコ条
約 以 降 の国 際 秩 序 のなかで発 生 した紛 争 はそれぞれ韓 国 やロシアを相 手 国 家 として領 土 紛 争
に挑 戦 したドックド(独 島 )とクリル列 島 紛 争 の二 つのケースである。紛 争 の解 決 手 段 として軍 事 力
に頼 るのが目 立 っているが、そのほとんどが軍 国 主 義 の時 期 と関 わっているからであろう。しかし、
そうであるとはいえ、現 在 まで続 く二 つの紛 争 への対 処 の相 違 がとりわけ目 立 つのが見 て取 れる
であろう。すなわち、ロシアを相 手 国 家 にした紛 争 では、軍 事 的 な対 峙 には至 ることなくすべてが
協 商 に頼 っているが、これとは対 照 的 に、韓 国 を相 手 国 家 とした紛 争 では、日 本 は協 商 よりも軍
事 力 に頼 っているのである。ロシアは軍 事 的 強 大 国 であるので、ロシアとの間 での紛 争 でははじ
めから軍 事 的 な対 峙 は想 定 外 に置 かれていたと見 るべきであろう。つまり、相 手 国 家 の国 力 によ
って相 異 なった政 策 で対 処 しているようにみえる。
<表 7> 挑戦国家としての日本の領土紛争
相手国家
始点
終点
頻度
協商
軍事
韓国
1951/1
1995/6
47
2
3
中国
1932/10
1937/7
9
2
7
フランス
1938/10
1938/10
1
-
1
フランス
1941/6
1941/6
1
-
1
モンゴル
1935/6
1940/1
5
1
2
ソヴィエト
1935/6
1944/10
11
3
-
ソヴィエト(ロシア)
1951/1
1995/10
50
29
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.415-417.
日本が紛争の相手国家になっているケースは 4 件である。このなかでフランスおよびアメリカとの紛争は
2 次世界大戦の以前にすでに終結している。げんざい、日本を相手国家にして紛争に挑戦しているのは、
尖閣諸島(釣魚島)をめぐっての中国のみである。しかしこの紛争においては 1995 年まで軍事的な対峙は
一回も起こっておらず、もっぱら協商のみが行われた。 <表 8> 日本が相手国家になった領土紛争
挑戦国家
始点
終点
II - 53
頻度
協商
軍事
中国
1919/1
1945/11
31
6
2
中国
1951/1
1995/7
46
4
-
フランス
1939/1
1940/1
2
-
1
アメリカ
1919/5
1920/11
3
2
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.406-423.
最後に、韓国のケースを見てみよう。Huth と Allee は、彼らの著書ではドックド(独 島 )をめぐる紛
争 について韓 国 が日 本 を相 手 国 家 として挑 戦 しているケースとして説 明 しているが、現 実 では韓
国 がドックドを実 効 支 配 しているので韓 国 と日 本 の立 場 はその逆 であるといえよう。 したがって、
Huth と Allee の研究では韓国は相手国家に対して領土あるいは領海について現状の変更を要求する挑
戦国家になったケースは全くないのである。ただ、韓国を相手国家として領土紛争に挑戦している
のは、北朝鮮と日本の二つのケースが存在している。そしてこれら二つのケースは今もなお続いて
いる。日本が韓国を相手にして起こした軍事的な行動は 1953 年 6 月、1954 年 6 月、1978 年 5 月な
どの 3 回である7。 <表 9> 韓国が相手国家になった領土紛争
挑戦国家
始点
終点
頻度
協商
軍事
北朝鮮
1948/1
1995/4
53
20
7
日本
1951/1
1995/6
47
2
3
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.418-422.
Huth と Allee の研究が今から 20 年前のことであるのは、すでに述べたとおりである。その後、東
北アジアの領土紛争は、とりわけ中国の浮上を背景に頻繁で、かつ益々激しさを増しつつある。次
章では、Huth と Allee の 1995 年までの研究結果を踏まえながら、最近の東北アジアにおいて発生し
ている領土(領海)紛争の特徴と、そのような紛争をめぐる挑戦国家および相手国家の対処ぶりを特に
相手国家(韓国および日本)の同盟関係とを中心にみていくことにしたい。
Ⅲ。領土(領海)紛争と「韓米-日米同盟」の意義
2015 年現在、東北アジアにおける主な領土(領海)紛争は、クリル列島、ドックド(独島)、尖閣諸島(釣魚
8
島)、NLL(northernlimitline=北方限界線) 、その他、などがある。クリル列島の紛争では日本が挑戦国家、
ロシアが相手国家になっており、ドックド(独島)の紛争では日本がまた挑戦国家で、韓国が相手国家にな
7
イソンウ、
「東アジア領有権紛争の科学的理解:世界的次元の領有権紛争における中日ロ韓の行動分析」
、
『JPI 政策フォーラム』(2014-15)、2014、p.17.
8
NLL とは、南北朝鮮の間の海洋境界線のことである。 II - 54
っている。尖閣諸島(釣魚島)の紛争では日本が相手国家で、中国や台湾が挑戦国家になっている。NLL
では北朝鮮が韓国を相手に挑戦している。日本は、NLL 紛争以外の紛争、つまりクリル列島、ドック
ド(独島)、尖閣諸島(釣魚島)などの紛争に関わっている。クリル列島やドックド(独島)では挑戦国家、尖
閣諸島(釣魚島)では相手国家、としてである。
東北アジアの領土紛争に関わる同盟には韓米同盟と日米同盟とがある。韓米同盟は NLL に、
日米同盟は尖閣諸島(釣魚島)の紛争にそれぞれ関わる。NLL は韓国戦争以来北朝鮮が韓国を相手に挑
戦している海域である。韓米同盟は 1953 年 10 月署名され、1954 年 11 月に発効した「韓国とアメリ
カ間の相互防衛条約」を基にしており、駐韓米軍の存在と韓国の戦時作戦指揮権のアメリカへの移
譲などがこれを支えている。北朝鮮は NLL の無力化を狙い、軍事的な挑発を重ねている。1999 年 6
月 15 日、2002 年 6 月 29 日の二回に及ぶ延坪(ヨンピョン)海戰、2010 年 3 月 26 日発生した天安(チョ
ンアン)艦沈沒事件などは、北朝鮮が韓国を相手国家にして NLL で挑戦して起こした行動である。
「韓
国とアメリカ間の相互防衛条約」ではその第 3 条で「各当事国は他の当事国の行政管理下にある領
土または今後各当事国が他の当事国の行政管理下に合法的に入ったと認める領土において他の当事
国に対する太平洋地域における武力攻撃を自国の平和と安全を危うくするものと認定し、共通の脅
威に対処するために各自の憲法上の手続きに従って行動することを宣言する」と規定している。し
たがって、NLL での北朝鮮の挑戦は韓米同盟が作動する問題領域ではある。しかし、NLL での北朝
鮮の挑戦に韓米同盟が具体的にどう対処したのかは明らかにされていない。ただ、戦時作戦指揮権
を 2012 年 4 月 17 日までアメリカから韓国へと転換させる、という 2007 年の韓米両政府の合意は、
天安艦沈沒事件を契機に 2015 年 12 月 1 日までに、と延期された。さらに 2013 年 2 月 12 日北朝鮮の
3次核実験により戦時作戦指揮権の転換の更なる延期が合意された。転換の時期を明記しないまま
「条件に基づいた転換」という表現が用いられた9。
一方、尖閣諸島(釣魚島)における紛争は中日間の歴史問題が絡んだ地域である。日米同盟は 1960
年 1 月署名され、1960 年 6 月に発効した「日本とアメリカ間の相互協力および安全保障条約」を基
にしており、駐日米軍の存在がこれを支えている。
「日本とアメリカ間の相互協力および安全保障条
約」ではその第 5 条で「各締約国は、日本国の施政の下にある地域における、いずれか一方に対す
る武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び
手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と規定している。この条約
が対象にしている地域は<日本国の施政の下にある地域>である。<当事国の行政管理下にある領土>
と規定している韓米条約に比べて、日米条約の及ぶ範囲はきわめて限定的であるといえよう。さら
に、こうした日米条約の規定から、日本が関わる領土(領海)紛争のなかでクリル列島、ドックド(独島)
などは日米条約の対象ではないことは明らかである。これらの地域は<日本国の施政の下にある地域>で
はないからである。したがって、現実的に日米同盟が関わる日本の紛争地域は尖閣諸島(釣魚島)のみ
であり、結局のところ日中関係であるといえる。
Huth と Allee の研究によれば、中国と日本の間における領土(領海)紛争は、日本軍国主義の時期には
武力衝突のケースもあるが、1945 年以後 1995 年までには軍事的な対峙は避けられており、協商のみが行
われたのである。しかし、最近の中国の浮上に伴って、日中間の尖閣諸島(釣魚島)紛争は益々激しくなり
戦時作戦指揮権の転換問題に関しては、ハンヨンソプ・チョンサンヒョク、「戦時作戦統制権の転換再延
期の政治・経済・軍事的照明:理論、評価、対応」、『国際関係研究』
、20 巻 1 号、2015 参照。
9
II - 55
つつある。こうした現状を象徴する出来事が 2010 年 9 月 7 日発生した中国の漁船と日本の海上保安庁の
巡視船との衝突事件であろう。翌日、日本は中国漁船の船長を拘束したが、これに対して中国は、ガス田
に対する中日交渉の中止、閣僚級交流の中止、軍事管理地域に侵入した疑いとしての日本人の拘束、レ
10
アアース(rare earth)の対日輸出の禁止などで対応した 。ここまで来て日本は中国人船長を釈放して一
件落着することになった。
中国が対応をエスカレートさせるなか、日本は自国の領土侵害には国内法をもって対応して行く、
という強い意志を表明してはいたものの、そうした意志を最後まで貫くことはできなかった。日本
は、野田政権の時期である 2012 年、尖閣諸島の国有化を宣言した。これに対して中国は尖閣諸島(釣
魚島)を領海の基点として設定した領海基線を宣布し、同地域に海洋監視船や漁業指導船を派遣しての常
時監視活動を行うという立場を表明した。こうした中国の動きを牽制するべく日本も対抗措置を重ねた。
<表 10>は、こうして再びエスカレートして行った尖閣諸島(釣魚島)をめぐる日中間の対立・葛藤を主な出
来事を中心に纏めたものである。
<表 10>
尖閣諸島(釣魚島)をめぐる日中間の対立・葛藤(2012 年以降)
日時
出来事
2012 年 3 月
両国の海洋監視船が尖閣諸島(釣魚島)で遭遇
2012 年 7 月
中国、東シナ海にて実弾訓練
2012 年 8 月
日本のマスコミ、日本の陸上自衛隊と沖縄駐屯米海兵隊が日本の島嶼地域が
攻撃を受けたことを想定した合同上陸訓練を実施すると報道
2012 年 8 月
米国務部のスポークスマン、日中間の領土紛争での中立再確認
2012 年 9 月
中国の海洋監視船、12 海里内に進入
パネッタ(Leon Panetta)米国防長官、米国は主権に関する紛争において如何な
2012 年 9 月
る国にも味方しないと言及すると同時に、尖閣諸島(釣魚島)に対して日米安
全保障条約による義務の移行を表明
2012 年 9 月
2012 年 10 月
2012 年 11 月
尖閣諸島(釣魚島)の海域に日中の軍艦が接近
中国の海洋監視船、10 月 1 日から 9 日まで尖閣諸島(釣魚島)の接続水域に連
続して進入
米上院、尖閣諸島が日米安保条約 5 条の適用範囲であると宣言する条項を国
防授権法案に追加する修正案を満場一致で可決
中国の海洋監視船4艘が日本が設定した尖閣諸島に進入、中国国家海洋局の
2012 年 12 月
所属航空機1台が魚釣島の領空に始めて進入
これに対して日本の航空自衛隊の F-15J 戦闘機8台及び早期警戒機 E-2C が緊
急発進
尖閣諸島(釣魚島)の公海上で中国海軍のフリゲート 艦が飛行中であった海上
2013 年 1 月
自衛隊の護衛艦「大隅」に搭載したヘリ SH-60K に対して射撃管制レーダー
照準
10
この事件の始末については、孫崎享(梁起豪訳)、『日本の領土紛争:ドックド・尖閣・北方領土』、メデ
ィチ、2012、pp.68-71.
II - 56
2013 年 2 月
2013 年 7 月
2013 年 9 月
2013 年 10 月
2013 年 10 月
中国の海洋監視船、日本が設定した尖閣諸島の領海にて初めて日本の漁船の
追い出し
中国の海上保安機関を統合して発足した中国海洋局の「中国海警」4艘がは
じめて尖閣諸島の領海に進入
中国軍の H-6 爆撃機2台、沖縄本島と宮古島の間の南西諸島を通過して東中
国海と太平洋を往復飛行
日本、尖閣諸島(釣魚島)の防衛のため沖縄の那覇基地に 3000 トン級の大型巡
視船配備
中国軍、日本が中国軍の無人機を撃墜した場合、これを戦争挑発行為である
と看做し必ず反撃するとのアナウンス
中国の情報収集機 TU-154 が尖閣の北側 150 キロメートルまで接近し、これを
2013 年 11 月
牽制するために日本の航空自衛隊の戦闘機が緊急発進するものの、領空侵入
には至らず
2013 年 11 月
2013 年 11 月
2014 年 3 月
2014 年 4 月
2014 年 7 月
2015 年 4 月
中国、尖閣諸島(釣魚島)の上空を含む東中国海の防空識別区域を宣布
アメリカの B-52 爆撃機 2 台、中国が宣布した防空識別区域を中国に事前通報
せぬまま飛行
日米両国政府、尖閣諸島(釣魚島)に関連して米軍と自衛隊の協力のための常
設協議機関の設置に合意
オバマ米大統領、現職大統領としてははじめて尖閣が日米安保条約の適用対
象であることを確認
中国の国家海洋局、2013 年 7 月の創設以降 1 年間尖閣諸島(釣魚島)の海域を
34 回巡察航行したと発表(毎月平均 3 回に該当)
日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定
出 所 : 韓 国 国 防 研 究 院 、『 世 界 紛 争 デ ー タ ー ベ ー ス (World War Watch) : 尖 閣 諸 島 ( 釣 魚 島 ) 』
(http://www.kida.re.kr/woww/dispute_detail.asp?idx=28)からの抜粋(検索日 2015 年 5 月 10 日)。
このように、NLL をめぐっての北朝鮮の韓国を相手にしての挑戦と尖閣諸島(釣魚島)をめぐっての中
国の日本を相手にしての挑戦はいまなお進行中であるといえる。北朝鮮と中国からのそれぞれの挑
戦に対して相手国家としての韓国と日本はアナウンスや実質的な軍事的対応をしてきたことが分か
る。韓国と北朝鮮では軍事的な対応が海戦にまで及んでいるのであるが、日本と中国の間では軍事
的な対峙はあるものの実戦までには及んでいない。挑戦国家と相手国家とを問わず、協商よりも軍
事的な対応措置を強めることがとくに目立っているといえよう。
こうしたなかで、韓米同盟と日米同盟の存在は韓国や日本にとって大きな後ろ盾になっていると
思われる。NLL 問題で駐韓米軍、さらにアメリカ政府が特定の行動を取っているわけではないが、
にもかかわらず韓米安保条約と駐韓米軍の存在は、北朝鮮の NLL、さらには朝鮮半島での軍事的挑
戦を抑止する役割を果たしていると考える。戦時作戦指揮権の転換を再延期しようとするのも、ア
メリカをして朝鮮半島の平和と安定に直接的、かつより多くの役割を果たしてもらえるためであろ
II - 57
う。むろん、北朝鮮は韓米の協力関係をいつでも試して行こうとするであろうし、それのためにも
NLL での北朝鮮の韓国への挑戦は今後も続くものと考えられる。こうした北朝鮮の挑戦に対しての
韓国の対応はきわめて限られたものにならざるを得ない。南北朝鮮の境界は、NLL をはじめ陸地の
休戦線もきわめて近く、ソウルなどの大都市が脅威に晒されるのも避けなければならないからであ
る。
一方、尖閣諸島(釣魚島)の紛争は駐日米軍とアメリカ政府がより積極的に反応しているのが見て取
れる。中国の浮上とそれによる中国とアメリカの世界戦略、なかんずく東北アジア戦略の衝突とが
その背景にあるといえよう。2015 年 4 月の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定は、以
前の指針に比べて、平常時の協力、日本の平和及び安全に対する潜在的な脅威に対する対応、日本
に対する武力攻撃の事態に対する対処、日本以外の国家に対する武力攻撃に対する対応(集団的自衛
権)、日本の大規模な災害時の協力など5カ分野に地理的な範囲を無制限に拡大したと評価されてい
る。島嶼地域の防衛を明文化したのも注目に値するであろう。尖閣諸島を日米共同で防衛するとい
うことを謳っているからである。
このように日米間の新しいガイドラインは、中国を牽制しようとする日米両国の利害一致の産物で
11
あるといえる 。中国の浮上はいわゆる「One Belt & One Road(一帯一路)」構想を強く打ちたてている
ところから窺うことができよう。2013 年に公にされた一帯一路構想とは、シルクロード経済ベルト
と海洋シルクロードを同時に推進しようとする構想であり、2012 年 11 月に提起された「中国の夢」
の表現であるといえる。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立もこうした構想から立案されたものと
考えられる。しかし、中国のこうした構想はアジアへの回帰政策を取っているアメリカの政策は相
容れないものであろう。
中国の浮上と尖閣諸島(魚釣島)の海域での日中間の高まりつつある緊張とはアメリカをしてこの
問題への関与を一層強化させた。じっさい、アメリカは尖閣諸島への関与に消極的であり続けた。
1996 年 9 月、モンデール(Walter
Mondale)駐日アメリカ大使は「アメリカは尖閣諸島の領有権問題で
12
どちら側にも味方しない 」と言明した。しかし、2011 年 9 月、アーミテージ(Richard Armitage)元米
国務副長官は「僕が言わんとするものは唯一つである。尖閣、尖閣、尖閣・・・我々を試すな、と
13
いうことである 」と主張している。尖閣諸島に関するモンデールとアーミテージの二人の認識の差
は、二人の個人的な構成や日本あるいは尖閣諸島に関する考え方の相違にも関わると思われるが、
何よりも中国の浮上の勢いがこうした姿勢の転換を促している面もあると考えるべきであろう。い
ずれにせよ、なるべく尖閣諸島への関与を避けようとしてきたアメリカは尖閣諸島の問題をベース
に日本との協力関係を強めていくことになった。尖閣諸島へのアメリカの関与を強める新ガイドラ
インの再改定に際しての日本の強かな外交力も特筆すべきであろう。アジアへの関与を強めんとす
るものの、なかなか手が回らず困っていたアメリカに手を貸す形で日米関係を強化させたからであ
る。日本は、戦後外交を脱皮しながら中国・北朝鮮の脅威論を立ててアメリカの安保パートナーに
なっていった。したがって、安倍内閣の右傾化とアメリカ寄りはコインの両面であるといえる。
11
日本の毎日新聞は、社説で、日米同盟の強化があまり中国牽制に偏らないように、という注文をつけて
いる。毎日新聞、2015 年4月 30 日。
12
TheNew York Times、1996 年 9 月 15 日。孫崎享(梁起豪訳)、前掲書、pp.165-166 から再引用。
13
リチャード・L・アーミテージ, ジョセフ・S・ナイ Jr, 春原剛、『日米同盟 vs 中国・北朝鮮:アーミテ
ージ・ナイ緊急提言』、文藝春秋、2010。孫崎享(梁起豪訳)、前掲書、pp.145 から再引用。
II - 58
一方、新ガイドラインは、主に中国を牽制せんがためのものであるとはいえ、韓国にも関わりを
持ちうる可能性が全くないとはいえないであろう。というのは、極端な仮定の話ではあるが、韓国
と北朝鮮とが戦争の状態に入るか、ドックドをめぐって韓国と日本が軍事的に対峙する場合、新ガ
イドラインによればアメリカは日本に味方することになっており、韓米安保条約の規定によれば韓
14
国に味方することになっているからである 。韓国は、日本帝国の植民地経験から韓国に絡んだ日本
の軍事的な行動に対しては大きな抵抗を覚えている。韓国が、韓国の管轄地域で日本が軍事活動を
したり、韓国の領域に影響を与える軍事活動をする場合、韓国にその旨を要請し、かつ事前同意を
受けるよう日本側に求めているのはこのためである。
Ⅳ。おわりに
ミサイルや核実験を繰り返している北朝鮮は絶えず NLL で韓国に挑戦するであろう。韓米同盟と
駐韓米軍の存在はそうした北朝鮮の挑発に対する最終的な抑止力になるであろうが、そもそもの北
朝鮮の挑発の主な目標の一つに体制固めという面があることから、挑発の範囲や激しさは制限され
たものになると思われる。尖閣諸島(魚釣島)での中国の日本を相手にした挑戦も続くものと考える。
日米安保条約と駐日米軍の存在がこうした中国の挑戦を牽制するであろうが、米中間の世界戦略が
衝突する最一線のなかの一つであることから、その行方はを許さない。ヴィクトル・チャー(Victor D.
15
Cha)は、新ガイドラインが日中間の衝突可能性を減少させるであろう、とみる 。果たして、そうな
るかどうか。これから韓米や日米の「同盟」関係の真価が問われるであろう。
すでに述べたとおり、世界的な戦略を持つアメリカと中国という二大超強大国が勢力争いを演じ
ている地域であるにもかかわらず、東北アジア地域には多国間安保協力機構は存在しない。東北ア
ジア地域における平和と安全の確保は、韓中日、韓米日、米中日などの小規模の多国間協力によっ
て行われている。したがって、究極的な地域の安全確保のためには多国間安保協力機構を構築すべ
きであるという主張が随分前から主張されてきた。しかし、そのほとんどが政治的リーダーたちに
よって提起された「組織された偽善」に過ぎなかったのもすでに指摘したとおりである。多国間安
保協力機構が不在している東北アジアでは、地域の平和と安全を同盟関係あるいは小規模の多国間
協力によって確保しているのが現状であるが、同盟関係あるいは小規模の多国間協力もまた、地域
の平和と安全の確保には多くの限界を呈している。依然として多国間安保協力機構の構築の可能性
が模索されるのは、そのためであろう。しかし、東北アジア地域が抱えているいくつかの領土(領海)
紛争は、多国間安保協力機構の構築の可能性を弱める要因として作用し続けるであろう。したがっ
て、勢力均衡を保持してゆく現実主義的な方策としての「同盟」への依存も依然として続いていく
であろう。
14
『中央日報』
、2015 年 4 月 28 日。
15
『中央日報』
、2015 年 5 月1日。 II - 59
II - 60
東北亞中的海洋(領土)紛爭的樣態與「美韓-美日同盟」的意義:
從韓國觀點出發
宋錫源
(韓国・慶煕大学)
一、前言
和其他地球上的區域比起來,東北亞雖說不是最複雜,但也算是極為複雜的區域。在這區域中,
目前「東北亞難題(Northeast Asianparadox)」現況很顯著。也就是說,雖然東北亞諸國在
經濟合作上很順利,但政治及安全合作方面卻不順利,如韓國和北韓對峙,而美日中蘇四國在
區域內影響力為擴大影響力,而進行權力角逐。東北亞諸國間信賴關係不高。
東北亞中,沒有像歐洲的北大西洋條約機構的多國間安全合作機構(NATO)。美日中蘇的
世界大國不斷角逐的區域。幾乎所有國家在東北亞都有領土爭議,而北韓核武也讓相關各國耍
手腕的情況日漸激烈。為何變成這種情況呢?關於這個問題,可由幾個層面來說明,最重要的
是,在 Hettne 和 Söderbaum 指出的「區域性(Regionness)」層次概念中,東北亞中仍處於較
低的程度。Hettne 和 Söderbaum 把「區域性」分為五個層次16。他們認為 EU 已經達到「區域國
家」層次,東北亞則介於「地域複合体」到「地域社会」層次之間。
東北亞的區域性層次仍低。關於東北亞為何不曾存在多國間安全合作機構,進行了多方面
的議論。其中,各國的民族主義是重要的原因之一17。雖然各國民族主義是推動區域合作時的
障礙物,但各國政治領導者卻總是提及區域主義,這種表現恰如キンミギョン所謂的「被組織
的偽善18」。另一個注意一提的是,Calden 與 Ye 提出的「決定的契機(critical juncture)19」
概念來解釋為何東北亞沒有多國間安全合作機構。也就是說,因為東北亞中還存在冷戰時因韓
戰成為決定契機而形成的秩序,而能供給根本上再編的強力動力的新的決定契機還沒出現。
16
Hettne Björn and Fredrik Söderbaum, “Theorising the Rise of Regionness,” New Political Economy, Vol.5, No.3,
2000, pp.463-468.
17
たとえば、チェジンウ、
「民族主義と東北アジア地域協力」、
『JPI 政策フォーラム』(2014-25)、2014 参照。
18
キンミギョン、
「組織された偽善と東アジアの地域統合:東アジア地域統合の制度的低発展に対する理論
的小考」、『亞細亞研究』
、53 巻 4 号、2010 参照。
19
Calden Kent and Min Ye, “Regionalism andCritical Junctures : Explaining the ‘Organization Gap’in Northeast
Asia,”Journal of East Asian Studies, 4, 2004 参照。
II - 61
<表 1>「區域性」層次
層次
意義
區域空間
散在的、小規模的諸多共同體,藉著物理距離,而進行相互間的接觸
(regional space)
與交流的情況
相互分離的小規模的諸多共同體之間進行接觸與交流、交易增加,形
區域複合體
成一個社會系統,產生區域認同的情況。只是此階段的交流並非基於
(regional complex)
互惠性或相互信賴,而是基於追求短視的、利己的利益,所以內含不
安定性。
區域社会
(regional society)
區域共同体
(regional community)
國家為始的多樣行為者之間,在多樣層次中,進行複合的相互作用,
國境的意義弱化,行為者之間的關係是基於規則而形成的情況。
區域構築了獨特的認同,具備行為者的能力,有承認認同的決策構造
的情況。
區域国家
由既存的政治級自發性主權統合而形成,以分權、多重層次的治理為
(regional state)
特徵的區域機構,有市場統合、對外安保、對內治安、社會政策的機
能的層次。
東北亞怎麼維持安全呢?美國作為這個區域的權力平衡者(power balancer),對於第二
次世界大戰之後東北亞的安全擔起許多責任。實際上,美國與韓日各自簽署安全保障條約,兩
國則為其提供基地。菲律賓也藉提供美國基地來確保其安全。台灣也因為美國的宣示及偶爾的
行動而渡過了數次危機。然而,最近美國這個權力平衡者的國力較之前降低。與此對照,中國
的各方面崛起都更明顯了。從頗久之前,「崛起中國」的說法就甚囂塵上。剛開始提到「崛起
中國」時,大家還覺得只是一個樂觀的預測。然而,最近眾人提及「崛起中國」時,認為現實
為中國已經崛起,而且持續崛起中。中國在鄧小平時代之後的外交政策重點原則是韜光養晦
(conceal our capabilities and avoid limelight)和和平崛起(peaceful rise),近年已改
變為主動作為(taking and making opportunities to change the status quo in China's
favor)。這也是「崛起中國」成為事實的表現之一。
今後的東北亞國際關係,會被中美關係的方向而左右。中國已經是第一貿易交易國的同時,
對於從想要繼續與美國維持同盟關係的韓國而言,對不久的將來中美關係的發展的關心,並不
亞於兩個當事國。對此,依據安保╱戰略的關係構圖(糾紛或合作)及經濟依存度(高或低)
,
可以寫出四種將來在東北亞的中美關係的劇本。
II - 62
<表 2>
預測不久的將來可能的東北亞的力學構圖
安保/戰略的關係構圖
糾紛
合作
←
經
高
→
↑
B
濟
C
的
21 世紀型弱肉強食
東亞的和平時代
(PAX NEA)
相
互
依
存
低
D
A
不安定、危険的東亞
持續變換
↓
資料出處:チャドゥヒョン、
「序文」
、キンビョンクック他、
『米中関係 2025』、東アジア研究院、2012、
p.17.
當然劇本 B 是最理想的構圖。中美關係有合作的安保╱戰略的關係及高經濟依存度,那東
北亞應該能展開和平時代。然而,劇本 B 要成為現實,不只要提高相互經濟依存度,也得要在
安保╱戰略的關係上合作。打出重視亞洲政策的美國與強調新型大國關係的中國,在安保╱戰
略問題上要形成合作關係並不容易。2015 年現在的東北亞的國際關係,較接近劇本 C。經濟相
互依存度提高,但安保╱戰略的關係呈現糾紛局面。也就是說,東北亞的難題(Paradox)
,所
以劇本 C 依然是可能性最高的劇本。到底劇本 C 能不能演變為劇本 B 呢?希望這樣的話,就得
要確保在安保╱戰略關係上能有高層次的合作。
那麼,超級強權的中美兩國為何在東北亞區域的安保╱戰略問題上對峙,難以形成合作關
係呢?要回答這個問題,要先說明東北亞為何沒有多國間安保合作機構。這個區域的安全保障
是由美韓同盟與美日同盟這種以美國為軸心的軍事同盟而支撐的。而美韓同盟與美日同盟是假
定有假想敵而形成的產物。隨著東北亞中的海洋(領土)爭議更激烈,敵國已經超過假定的範
圍,而有現實味。本文將檢討美韓同盟與日美同盟在東北亞中海洋(領土)爭議中扮演什麼角
色,而這樣的爭議會怎麼樣影響不久的將來東北亞中的力學構圖。
二、東北亞中的海洋(領土)紛爭的樣態
作為領土爭議的統計資料,特別有用的研究為 Huth 與 Allee 的研究,他們分析了 1919 年
開始到 1995 年為止的資料。他們把領土爭議中的國家分為對手國與挑戰國。對手國想要維持
領土的實效統治現象,而挑戰國想要改變這個現象。把挑戰國能採取的行動,分類為什麼都不
做、開始談判(negotiation)、軍事行動等。據 Huth 與 Allee 研究,1919 年到 1995 年之間
發生的國家間領土爭議有 348 件。其中,歐洲與中近東最多。將發生時間分為 1945 年前後的
話,1945 年後的爭議中亞洲佔了特別多。歐洲與美洲的爭議在 1945 年後明顯減少。與此相對,
亞洲和非洲的爭議數則增加。中東則在 1945 年前後都爭議數目差不多,而且跨越兩時期的爭
II - 63
議增加了相當的數目。可見領土問題在 1945 年後,在國際秩序中依然是國際間爭議的重要背
景。Huth 與 Allee 的研究只有做到 1995 年,之後的領土爭議沒有列入。而 1995 年至今已近
二十年,所以這個研究似乎有點不夠。實際上,1995 年為止的領土(領海)爭議中,有些到
現在也仍在繼續中。故這個研究仍能夠在某些程度上掌握領土爭議。
<表 3> 從 1919 年到 1995 年為止的國家間的領土紛爭
區域
紛爭總數
1945 年之前
1945 年之後
跨越兩時期
歐洲
95
60
27
8
中近東
89
36
32
21
非洲
48
17
26
5
亞洲
65
14
42
9
美洲
51
30
6
15
合計
348
157
133
58
資料來源:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, p.27.
那領土爭議是怎麼發展的?Huth 與 Allee 認為,對話/協商有 1,528 件,而挑戰國讓步的
有 568 件。引起軍事對峙的情況有 374 件,其中情勢升高為戰爭的有 40 件。另外,Huth 與 Allee
認為在別處戰爭或接近戰爭的軍事對峙情況有 89 件20。到底 24%的軍事對峙是怎麼發展到戰
爭或是接近戰爭的情況的呢?
<表 4> 從 1919 年到 1995 年為止的國家間領土紛爭中的協商及軍事對峙
協商
區域
紛爭的總數
軍事對峙
協商次數
讓歩次數
軍事對峙
的次數
戰爭的次數
歐洲
95
268
113
56
9
中近東
89
423
162
130
15
非洲
48
172
60
27
3
亞洲
65
362
114
109
12
美洲
51
303
119
52
1
合計
348
1,528
568
374
40
資料來源:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.29-30.
另一方面,挑戰國採取各種包括外交、軍事政策,而挑起紛爭的次數總共有 6,542 件。其
20
Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century, New York,
Cambridge University Press, 2003, p.43.
II - 64
中,挑戰國什麼行動都沒做的情況有 4,370 件(66%)
、開始談判的情況(seek negotiations)
有 1,782 件(27%)、採軍事行動的情況(threaten force)有 390 件(6%)21。
<表 5> 作為挑戰國的中國的領土紛爭
對手國
起點
終點
頻度
協商
軍事
阿富汗
1919╱1
1963╱3
45
3
-
不丹
1979╱1
1995╱8
20
9
-
英國
1919╱1
1930╱2
12
5
-
英國
1919╱1
1984╱1
65
6
-
英國╱印度
1919╱1
1962╱4
48
5
7
英國╱緬甸
1919╱5
1960╱1
44
15
5
法國
1919╱1
1945╱3
28
2
-
法國╱越南╱越盟
1932╱6
1995╱12
70
10
10
日本
1919╱1
1945╱11
31
2
6
日本
1951╱1
1995╱7
46
4
-
尼泊爾
1949╱1
1960╱12
13
3
1
哈薩克
1993╱4
1994╱2
2
2
-
吉爾吉斯
1993╱4
1995╱12
4
3
-
蒙古
1946╱1
1962╱11
18
1
2
巴基斯坦
1947╱1
1962╱2
16
1
-
葡萄牙
1919╱1
1975╱6
57
3
1
蘇聯(俄國)
1919╱7
1995╱12
81
31
4
蘇聯
1948╱3
1955╱10
10
3
-
塔吉克
1993╱4
1995╱12
4
2
1
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.403-411.
那東北亞的領士爭議有什麼特徵呢?據 Huth 與 Allee 的研究結果統整出來各國各有特徵。
首先,先從中國的領土爭議來看。中國作為挑戰國的領土爭議有 19 件,作為對手國的有 6 件。
當對手國為印度與印度,挑戰國為中國的領土爭議情況時,軍事對峙的情況尤其明顯。而蘇聯
崩壞後,中國面對前蘇聯國的哈薩克、吉爾吉斯、塔吉克等對手國,都在 1993 年 4 月挑起領
土爭議,大部分都透過協商,模索解決之道。
中國作為對手國的案例有 6 件,與日本之間的滿洲國案例及與尼泊爾之間的領土爭議都已
經解決了。中國作為挑戰國的爭議,發展成軍事衝突的例子不少;但中國作為對手國時的爭議
21
Ibid, p.45.
II - 65
則幾乎都沒有訴諸武力。
<表 6> 中國為對手國的領土紛爭
挑戰國家
起點
終點
頻度
協商
軍事
法國╱越南╱越盟
1932╱6
1995/5
62
13
1
印度
1963/4
1995/9
40
15
-
日本
1932/10
1937/7
9
2
7
馬來西亞
1979/1
1995/11
19
5
-
尼泊爾
1949/1
1960/12
13
3
-
菲律賓
1971/1
1995/12
27
5
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.411-420.
中國對於領土爭議巧用協商及軍事對峙並進,積極地採取挑撥式的行動。最近在日本為對
手國的領土爭議中,又可見中國不惜採軍事對峙的行動,而難判斷中國是挑戰國還是對手國的
南沙群島案例中,軍事對峙更為明顯。
再者來討論日本的情況。日本作為挑戰國的領土爭議有 7 件。這些幾乎都是日本軍國主義
在 1945 年敗戰之前擴張的殖民地。其中,舊金山和約之後的國際秩序中發生的爭議有兩例,
分別為與韓國為對手國的獨島爭議及與俄國為對手國的千島群島爭議。解決爭議時運用軍事力
的情況頗多,但幾乎都是軍國主義時期的情況。然而,就算如此,可看出日本處理這兩個爭議
的方式很不同。也就是說,在俄國作為對手國的爭議中,沒有發展到軍事對峙,只倚賴協商。
但在韓國作為對手國的爭議中,日本比起協商,更倚賴軍事力。因為俄國是軍事強國,所以處
理與俄國爭議時,不可能採用軍事對峙。也就是說,依對手國不同,政策也不同。
<表 7> 作為挑戰國的日本的領土紛爭
對手國
起點
終點
頻度
協商
軍事
韓國
1951/1
1995/6
47
2
3
中國
1932/10
1937/7
9
2
7
法國
1938/10
1938/10
1
-
1
法國
1941/6
1941/6
1
-
1
蒙古
1935/6
1940/1
5
1
2
蘇聯
1935/6
1944/10
11
3
-
蘇聯(俄國)
1951/1
1995/10
50
29
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.415-417.
II - 66
日本作為對手國的例子有 4 件。其中與法國和美國的爭議在二次大戰前就終結了。現在,
日本作為對手國被挑戰的例子只有 1 件,即中國作為挑戰國的尖閣諸島(釣魚島)爭議。然而,
這個爭議到 1995 年為止並沒有發生軍事對峙,主要是進行協商。
<表 8> 日本作為對手國的紛爭争
挑戰國家
起點
終點
頻度
協商
軍事
中國
1919/1
1945/11
31
6
2
中國
1951/1
1995/7
46
4
-
法國
1939/1
1940/1
2
-
1
美國
1919/5
1920/11
3
2
-
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.406-423.
最後來看韓國的情況。雖然在 Huth 與 Allee 的書中,獨島爭議被他們列為,韓國作為挑戰國,
日本作為對手國。然而,現實上韓國才是實效統治獨島的國家,所以兩國的立場應是相反才對。
如此一來,在 Huth 與 Allee 的研究中,韓國就沒有要求改變領土或領海現況,作為挑戰國的
例子。只是,韓國作為對手國被挑戰的領土爭議情況中,有北韓及日本兩例。這兩例目前仍持
續中。日本對韓國採取了三次軍事行動,分別是 1953 年 6 月、1954 年 6 月、1978 年 5 月22。
<表 9> 韓國為對手國的領土紛爭
挑戰國
起點
終點
頻度
協商
軍事
北韓
1948/1
1995/4
53
20
7
日本
1951/1
1995/6
47
2
3
出所:Paul K. Huth and Todd L. Allee, The Democratic Peace and Territorial Conflict in the Twentieth Century,
New York, Cambridge University Press, 2003, pp.418-422.
前面也提到 Huth 與 Allee 的研究是 20 年前的研究。之後,尤其以中國崛起為背景,東北
亞的領土紛爭變得更頻繁也更激烈。下一節中,以 Huth 與 Allee 的 1995 年為止的研究結果為
基礎,整理出亞洲發生的領土(領海)爭議的特徵,爭議中挑戰國及對手國的對應情況,特別
以對手國(韓國與日本)間的同盟關係為討論中心。
三、領土(領海)紛爭與「美韓-美日同盟」的意義
2015 年的現在,東北亞的主要領土爭議有千島群島、獨島、尖閣諸島(釣魚島)、NLL
(northernlimitline=北方界線)23及其他等。其中,千島群島爭議中,日本是挑戰國、俄國
22
イソンウ、
「東アジア領有権紛争の科学的理解:世界的次元の領有権紛争における中日ロ韓の行動分析」、
『JPI 政策フォーラム』(2014-15)、2014、p.17.
23
NLL 為南北韓之間的海洋邊界
II - 67
是對手國;獨島爭議中,日本是挑戰國,韓國是對手國。尖閣諸島(釣魚島)爭議中,日本是
對手國,中國與台灣是挑戰國。NLL 爭議中,北韓是挑戰國,韓國是對手國。除了 NLL 以外的
爭議,日本全都涉入包括千島群島、獨島、尖閣諸島(釣魚島)等。日本在千島群島和獨島爭
議中為挑戰國,在尖閣諸島(釣魚島)爭議中則為對手國。
被捲入東北亞的領土爭議的同盟有美韓同盟和日美同盟。美韓同盟與 NLL 有關係,而日美
同盟則與尖閣諸島(釣魚島)有關。從韓戰以來,NLL 就是北韓一直挑戰韓國作為對手國的海
域。美韓同盟基於在 1953 年 10 月簽署,1954 年 11 月發效的「韓國與美國之間的相互防衛條
約」而成立,支撐這個同盟的是,駐韓美軍的存在以及韓國將戰時作戰指揮權移讓給美國。北
韓趁 NLL 呈疲態之際,不斷進行軍事挑撥。1999 年 6 月 15 日、2002 年 6 月 29 日兩次在延坪
的海戰,2010 年 3 月 26 日又發生天安艦沈沒事件等,北韓多次以行動挑戰韓國這個對手國。
「韓國與美國之間的相互防衛條約」的第 3 條規定了「本條約締結雙方認為在太平洋區域內,
如果締約國任何一方目前處於各自行政控制下(或者以後經締約一方承認合法地處於另一方行
政控制下)的領土受到武力攻擊,都將被視為本國自身的和平與安全受到威脅,並且宣布願依
照本國憲法程序,採取行動應對這種共同的危險」。然而,北韓對 NLL 的挑戰是美韓同盟行動
的問題領域。具體而言,美韓同盟要怎麼處理北韓對 NLL 的挑戰卻沒有明確化。只是,2007
年美韓兩國政府已經同意,戰時作戰指揮權在 2012 年 4 月 17 日為止應由美國歸還給韓國。但
以天安艦沉沒事件為契機,被延到 2015 年 12 月 1 日為止才要歸還。而且,因為 2013 年 2 月
12 日北韓進行三次核武試驗,兩國決定再次延期歸還戰時作戰指揮權的日期。這次沒有決定
歸還的日期,只寫了「基於條件歸還」24。
另一方面,尖閣諸島(釣魚島)爭議則是牽涉到中日間歷史問題的區域。美日同盟是基於
在 1960 年 1 月署名,1960 年生效的「日本與美國的相互合作及安全保障條約」,駐日美軍的
存在支撐著美日同盟。「日本與美國的相互合作及安全保障條約」的第 5 條中,規定「締約國
的每一方都認識到:對在日本國施政下的領土上的任何一方所發動的武裝進攻都會危及它本國
的和平和安全,並且宣布它將按照自己的憲法規定和程序採取行動以應付共同的危險」。條約
的防衛對象是<日本國施政下的區域>。比起美韓條約規定的是<當事國行政管理下的領土>,美
日條約所及的範圍是相當限定。而從這樣的日美條約的規定,很明顯能看出,日本涉及的領土
(領海)爭議中,千島群島、獨島並不在美日條約的對象內。因為這些區域不屬於<日本國施
政下的區域>。這樣看來,現實情況下,美日同盟實際上涉及的只有日本的爭議區域只有尖閣
諸島(釣魚島),結果意即涉及中日關係。
依據 Huth 與 Allee 的研究,中國與日本之間的領土(領海)爭議,雖在在日本軍國主義
時期曾有武力衝突的情況,但從 1945 年到 1995 年為止,兩國都避免軍事對峙,僅用協商方式。
但是伴隨著中國崛起,中日尖閣諸島(釣魚島)紛爭越演越烈。最能象徵這種現況的事件是,
中國漁船與日本海上保安廳巡視船的衝突事件。隔日日本逮捕了中方船隻船長。對此,中國有
一連串對應措施,包括中國停止了中日間天然氣田的談判,中止內閣官員級的交流,逮捕疑似
24
有關戰時作戰指揮權的轉換問題,參照ハンヨンソプ・チョンサンヒョク、「戦時作戦統制権の転換再延期
の政治・経済・軍事的照明:理論、評価、対応」、『国際関係研究』、20 巻 1 号、2015。
II - 68
進入軍事管制區的日本人,禁止稀土對日出口25。直到日本釋放了船長,事情才告一段落。
中國對應升高的同時,日本視為對本國的領土侵害以國內法做對應,雖然一開始表明了堅
強的意志,但無法堅持到最後。2012 年野田政權日本,宣言國有化尖閣諸島。對此,中國宣
布把尖閣諸島(釣魚島)作為領海基點,設定了領海基線。還派遣海洋監視船和漁業指導船到
同區域,表明了監視活動常態化的立場。為了牽制這樣中國行動,日本也採用了對抗措施,<
表 10>提供了大事表,可看出近年升溫後,圍繞尖閣諸島(釣魚島)的中日對立及糾紛。
<表 10>
尖閣諸島(釣魚島)日中間的對立・糾葛(2012 年之後)
日期
事件
2012 年 3 月
兩國的海洋監視船在尖閣諸島(釣魚島)遭遇
2012 年 7 月
中國在東海舉行實彈演習
2012 年 8 月
日本的媒體報導說:日本的陸上自衛隊與駐沖繩美海軍,假想日本島嶼區域受
攻擊情況,進行共同登陸演習
2012 年 8 月
美國務院發言人,再確認了美國在中日間領土爭議中保持中立
2012 年 9 月
中國的海洋監視船進入尖閣諸島(釣魚島)的 12 海里内
2012 年 9 月
2012 年 9 月
2012 年 10 月
2012 年 11 月
Leon Panetta 美國防部長,提及美國在有關主權的紛爭上,不會站在任一方,但
同時他也表明,基於美日安全保障條約,美國對尖閣諸島(釣魚島)有義務。
尖閣諸島(釣魚島)海域中,中日軍艦接近對方
中國的海洋監視船從 10 月 1 日到 9 日為止,連續進入尖閣諸島(釣魚島)的附
近海域
米上議院全場通過決議,將宣言尖閣諸島為美日安保條約第 5 條的適用範圍的
條款,追加到國防授權法案的修正案。
4 艘中國的海洋監視船進入尖閣諸島,一台中國國家海洋局的所屬飛機,首次
2012 年 12 月
飛入釣魚台(魚釣島)的領空
對此,日本的航空自衛隊的八台 F-15J 戰鬥機及早期警戒機 E-2C 緊急升空
尖閣諸島(釣魚島)的公海上,中國海軍的巡 防 艦,對正在飛行中的海上自衛
2013 年 1 月
隊的護衛艦「大 隅 」搭載的直昇機 SH-60K,用射擊管制雷達瞄准
射撃管制レーダー照準
2013 年 2 月
2013 年 7 月
2013 年 9 月
2013 年 10 月
中國的海洋監視船首次在尖閣諸島領海,將日本漁船趕出去
中國統合海上保安機關而成立的中國海洋局的「中國海警」,有 4 艘船首次進
入尖閣諸島的領海
2 台中國軍的 H-6 轟炸機、通過沖繩本島與宮古島之間的南西諸島,在東海與
太平洋之間往返
為了防衛尖閣諸島(釣魚島),日本在沖繩的那霸基地配備 3000 噸級的大型巡
視船
25
本事件的始末請見孫崎享(梁起豪訳)、『日本の領土紛争:ドックド・尖閣・北方領土』、メディチ、2012、
pp.68-71。
II - 69
2013 年 10 月
2013 年 11 月
中國軍宣布,如果日本把中國軍的無人機擊落時,將視為戰爭挑撥行為,一定
反擊
中國的情報收集機 TU-154 接近尖閣北側 150 公里處
為了牽制,日本航空自衛隊的戰鬥機緊急升空,不至於到侵入領空
2013 年 11 月
中國宣布包含尖閣諸島(釣魚島)上空為東海防空識別區
2013 年 11 月
美國的 2 台 B-52 轟炸機,沒有事前通報中國就飛過中國宣布的防空識別區
2014 年 3 月
2014 年 4 月
2014 年 7 月
2015 年 4 月
美日兩國政府同意設置,對尖閣諸島(釣魚島)的美軍與自衛隊合作的常設協
議機關
作為現職總統,美國總統歐巴馬首次確認尖閣為美日安保條約的適用對象
中國的國家海洋局、發表了從 2013 年 7 月成立以來一年,已經在尖閣諸島(釣
魚島)海域巡察航行了 34 次(每月平均 3 次)
再次修改美日防衛合作的指針(guideline)
出 所 : 韓 国 国 防 研 究 院 、『 世 界 紛 争 デ ー タ ー ベ ー ス (World War Watch) : 尖 閣 諸 島 ( 釣 魚 島 ) 』
(http://www.kida.re.kr/woww/dispute_detail.asp?idx=28)からの抜粋(検索日 2015 年 5 月 10 日)。
現況為北韓為了 NLL 挑戰韓國這個對手國,而中國則為了尖閣諸島(釣魚島)挑戰了日本
這個對手國。各自被北韓與中國挑戰的韓國與日本兩對手國,以宣言及實質軍事行為回應。韓
國與北韓之間的軍事行動已經發展到海戰。日本與中國之間雖有軍事對峙,但不至於到實戰程
度。引人注目的是,不論挑戰國或對手國,都選擇了加強軍事對應方式而非協商。
這種情況下,美韓同盟和美日同盟的存在,對韓國和日本而言是很大的後盾。NLL 問題中,
雖然駐韓美軍及美國政府未採取特定行動,但光是美韓安保條約及駐韓美軍的存在,就能達到
嚇阻北韓對 NLL 及韓半島軍事挑戰的目標。戰時作戰指揮權歸還再次延期,也是為了讓美國在
韓半島的和平與安定上,扮演直接且多樣的角色。當然,北韓總是在試驗著美韓的合作關係。
因此,北韓為了 NLL 而挑戰韓國的情形今後也會繼續。對於這樣的北韓挑戰,韓國的對應方式
極為有限。南北韓的邊境,離 NLL 為始的陸地休戰線也相當接近,所以要避免讓首爾這些大城
市受到威脅。
另一方面,在尖閣諸島(釣魚島)爭議上,駐日美軍與美國政府則更積極地反應。其背景
是,中國崛起、因中國崛起而生的中美各自的世界戰略、東北亞戰略之間的衝突。2015 年 4
月的美日防衛合作指針(Guideline)又進行修改。比起前版指針,本指針分為五個領域:平
時的合作、對應日本和平與安全的潛在威脅,處理對日本的武力攻擊事態、應對對日本以外的
國家的武力攻擊(集團自衛權)、日本有大規模災害時的合作等。而且,其地理範圍被無限擴
大了。值得注意的是,本版指針還明文寫入島嶼區域的防衛。這是指美日共同防衛尖閣諸島。
由於美日兩國在牽制中國這點上利害一致,才會產生美日間的新指針這樣的產物26。中國
的崛起可以由中國強打出「One Belt & One Road(一帶一路)」構想來一窺究竟。2013 年公
開的一帶一路構想,其內容為同時推動絲路經濟帶及海洋絲路。可說是,2012 年 11 月提出的
26
日本的每日新聞的社論中,提醒了美日同盟強化不宜太偏向牽制中國。毎日新聞、2015 年4月 30 日。
II - 70
「中國夢」的實質表現。亞洲基礎投資銀行(AIIB)也是從這個構想出來的提案。然而,中國
的這些構想,對於採取重回亞洲政策的美國而言,兩者政策自然並不相容。
中國的崛起與尖閣諸島(釣魚島)海域上中日間升高的緊張局勢,使得美國對這些問題涉
入更深。實際上,美國本來對尖閣諸島的態度很消極。1996 年 9 月,Walter Mondale 駐日美
國大使說「美國在尖閣諸島主權問題上,不選邊站27」
。然而,2011 年 9 月,Richard Armitage
前美國副國務卿卻主張「我想說的話只有一句,就是尖閣、尖閣、尖閣…不要想試探我們28」。
有關尖閣諸島 Mondale 及 Armitage 的認知差異,雖與兩人個人性格及兩人對於日本及尖閣諸
島的想法不同有關,但應該也是因為中國崛起的態勢促使了這樣的態度轉換。不論如何,美國
本來避免涉入尖閣諸島,但現在卻因尖閣諸島問題為基礎而強化了與日本的合作關係。要談到
修改新指針,使美國進一步涉入尖閣諸島時,值得一提日本強硬的外交力。雖然美國想進一步
參與亞洲事務,但苦於沒有可用的藉口,此時,日本適時出現以幫忙美國的形式強化了美日關
係。日本一邊從戰後外交脫胎換骨,一邊強調中國・北韓威脅論,而成為美國的安保伙伴。因
此,安倍內閣的右傾化及偏向美國,可說是銅板的正反兩面。
一方面,雖然新指針主要是為了牽制中國,也不是與韓國毫無關聯。之所以這樣說,在極
端的假設情況下,如果韓國與北韓交戰,而韓國與日本因為獨島而軍事對峙的話,美國是會依
新指針站在日本那邊,還是要依美韓安全保障條約而站在韓國這邊呢?29由於韓國曾有被日本
帝國殖民的經驗,所以相當抗距日本參與韓國的軍事行動。所以日本若是想要在韓國管轄區域
從事軍事行動,尤其是影響韓國區域的軍事行動,日本必須先向韓國申請,得到韓國的事先同
意。
四、結論
北韓不斷發射飛彈及核試驗,往後可能也會為了 NLL 紛爭一直挑戰韓國。美韓同盟和駐韓
美軍的存在,是否能夠成為對北韓的挑撥的最終嚇阻力?不過,由於北韓挑撥的主要目標為鞏
固其國內體制,故其挑撥的範圍和激烈程度有限。尖閣諸島(釣魚島)問題上,中國會一直挑
戰日本這個對手國。美日安保條約和駐日美軍的存在,是否會牽制中國的挑戰。因為是中美間
世界戰略衝突的第一線其中之一,應不允許這樣的走向。Victor D. Cha 指出新指針會減少中
日間衝突的可能性30。是否會變這樣呢?今後會才能判斷美韓及美日「同盟」關係的真價值。
如上所述,美國與中國各有其世界戰略,這兩個超級強國的勢力之爭可能會發生在東北亞
區域。然而,東北亞區域卻仍沒有多國間安保合作機構。要確保東北亞區域的和平與安全,只
靠中日韓、美日韓、中美日之類的小規模多國間合作。因此,為了確保究極的區域安全,很早
之前就主張應該要建構多國間安保合作機構。然而,如上面談到的,這些都只是政治領袖們提
27
TheNew York Times、1996 年 9 月 15 日。孫崎享(梁起豪訳)、前掲書、pp.165-166 から再引用。
28
リチャード・L・アーミテージ, ジョセフ・S・ナイ Jr, 春原剛、『日米同盟 vs 中国・北朝鮮:アーミテ
ージ・ナイ緊急提言』、文藝春秋、2010。孫崎享(梁起豪訳)、前掲書、pp.145 から再引用。
29
『中央日報』
、2015 年 4 月 28 日。
30
『中央日報』
、2015 年 5 月1日。 II - 71
起的「被組織的偽善」。東北亞沒有多國間安保合作機構,目前只能靠同盟關係或小規模多國
間合作來確保區域和平與安全,但光靠同盟關係或小規模多國間合作,要確保區域和平與安全
的能力很有限。所以,仍在摸索建構多國間安保合作機構的可能性。然而,東北亞區域有數個
領土(領海)紛爭,使得建構多國間安保合作機構的可能性更小。因此,作為維持勢力均衡的
現實主義方法,仍然會纕續依存「同盟」。
II - 72
Fly UP