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ヨーロッパ統合とベルギー連邦制

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ヨーロッパ統合とベルギー連邦制
経済空間史研究会 第 5 回研究報告会報告要旨
小島 健
ヨーロッパ統合とベルギー連邦制
小 島 健(立正大学)
2006[平成18]年4月2日(日) 洲本市五色町 ウェルネスパーク五色
はじめに
中世以来ラテンとゲルマンの十字路として多様な文化が交流してきた現在のベルギーが独立
国として誕生したのは 1831 年のことである。ベルギーは 19 世紀にヨーロッパで相次いで誕生
した国民国家(Nation-State)の一つである。しかし,ベルギーは近代国民国家のなかでも特
に人工的であり,国内に問題を抱えていた。本来の国民国家が単一の言語,文化,歴史を持つ
ものとすれば,ベルギーはその要件の多くを欠いていた。
このベルギーの国家のありようが大きく変化したのは第二次世界大戦後のことである。ベル
ギーは,ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体),EEC(欧州経済共同体)の創設に加わり,今日の
EU の原加盟国となった。他方,国内においては地域対立の激化によって 1970 年以来 4 回の憲
法改正が行われ 1993 年の憲法改正によって完全に連邦制に移行した。
戦後のヨーロッパでは統合と地方分権の動きが強くなってきているが,ベルギーではこの二
つが他の国に先駆けて同時に進行した。本報告の課題は,独立後から今日に至るベルギーの国
家としてのありようを統合と連邦化の視点から跡づけ,欧州統合の中での連邦制という国家改
造の意義を明らかにすることにある。
Ⅰ. 第二次世界大戦までのベルギー
1830 年オランダから独立を獲得してベルギーは誕生した。独立を主導したのは自由主義ブル
ジョアジーとカトリック教会であり,独立後のベルギーにおいても自由主義者とカトリックが
2大勢力となった。ベルギーは国土のほぼ中央を東西に言語境界線が走り,北部フランデレン
はオランダ語(ゲルマン系),南部ワロンはフランス語(ラテン系),首都ブリュッセルはフ
ランデレン地域にあるがフランス語住民が多数であった。そして,独立後のベルギーにおいて
は,フランス語住民が政治,経済の主導権を握っていた。 第一次世界大戦後,ドイツ領だったサンヴィト,オイペン,マルメディーがベルギーに割譲
された。また, 普通選挙が実施され,フランデレンの政治的発言力が向上するとともに,内陸
ワロンの工業地域における労働運動を背景とした労働党が台頭し,3党体制(カトリック党,
自由党,労働党)が確立し,今日まで続くことになる。 戦間期において,ベルギーはヨーロッパ統合の先駆的試みを始める。まず,1921 年にルクセ
ンブルクとの間でベルギー・ルクセンブルク経済同盟を締結した。さらに,1930 年代の大不況
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下では,1930 年調印のオスロ協定によってスカンジナビア諸国と低地諸国による関税休戦が
合意され,1932 年には低地諸国三国の関税引き下げ決めたウーシー協定が締結された。しか
し,ウーシー協定は英米の反対により発効せず失敗に終わった。
Ⅱ. 第二次世界大戦後における地域対立
大戦後のベルギーでは戦争中国内にとどまった国王レオポルド3世の帰国問題で国論が分裂
し,1950 年 3 月に国王帰国の賛否を問う国民投票が実施された。結果は賛成が 57.5%であった
が,ワロン地域では賛成が 42%と少数にとどまった。国王の帰国によりワロンではストライキ
やデモが発生し,1950 年 7 月ついに国王は退位を表明した。この事件は,圧倒的多数で国王帰
国を支持したフランデレンにとっては屈辱的出来事となった。
また,1947 年に行われた人口調査の結果,ブリュッセル圏におけるフランス語住民の増加
が明らかとなり,言語境界線の変更を危惧したフランデレンでは 1960 年国勢調査における言
語調査に反対する運動が起こった。こうして,1960 年の言語調査は実地されず今日に至ってい
る。
さらに,反聖職者主義を巡る学校教育問題でもキリスト教社会党支持者の多いフランデレ
ン,社会党支持者の多いワロン,自由党支持者の多いブリュッセルの地域対立の側面を持っ
た。
Ⅲ. ベルギーの連邦化
戦後ベルギーでは,地域利害の対立を背景に地域政党が誕生した。1954 年にフランデレン人
民同盟(VU)が設立され,1960 年代にはワロン連合(RW),ブリュッセル・フランス語系
民主戦線(FDF)が結成された。これらの地域政党は地域対立が激化した 1960 年代後半の
1965 年と 68 年の総選挙で伸長した。
こうした動きに対応して既成政党も地域化した。1968 年キリスト教社会党が PSC(仏語
系),CVP(蘭語系)に分裂した。また,自由党も 1972 年に分裂し PRL(仏語系),PVV
(蘭語系),PL(ブリュッセル)が生まれた。社会党は 1978 年までは統一をかろうじて維持
したが,ついに PS(仏語系)と SP(蘭語系)に分かれた。
ベルギーの連邦化の直接の起点となったのはルーヴァン大学問題であった。1960 年代フラン
デレンにあるルーヴァン・カトリック大学のフランス語部門に対して,ワロン地域への移転を
求める運動が激化した。この問題を巡ってついに 1968 年,当時の政権が崩壊した。結果的に同
大学のフランス語部門はブラバント州南部(ワロン)に新大学町 Louvain-la-neuve を建設し
移転することになったが,カトリックにおける地域分裂は決定的となった。
また,経済面での地域格差構造の逆転現象も生じた。独立以来ベルギー経済を牽引してきた
ワロンの重工業は石炭業の危機をきっかけに衰退していった。他方,フランデレンはアントウ
ェルペン港の発展,米英を中心とした外国資本が臨海地域に進出しとことにより,1960 年代
以降,急速な経済発展を遂げた。このように,フランデレンとワロンは経済の波長が合わず,
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同一の経済圏と見ることはできない。
ベルギーでは 1970 年,1980 年,1988 年の憲法改正により地域へ権限が段階的に移譲され
た。最終的に 1993 年の憲法改正によりベルギー独自の連邦制が完成した。これは「二元的連邦
制」と呼ばれる独自の連邦制である。すなわち,連邦政府のほかに3つの地域圏(ワロン,フラ
ンデレン,ブリュッセル)政府,3つの言語共同体(フランス語,オランダ語,ドイツ語)政
府がある。政府の権限はそれぞれ決められており排他的である。
Ⅳ. 欧州統合と地方分権を媒介する補完性原理
1992 年に調印されたマーストリヒト条約では, EU と加盟国との権限の配分原則として補完
性原理(Principle of Subsidiarity)が採用され,EU は国家が行うことが適切ではない分野での
み権限をもつことが決められた。これは,当時,イギリス(サッチャー)の要求を受け入れ
EU の超国家性を制限するものと理解された。
しかし,補完性原理は元来,カトリック社会教説が個人,公権力,国家,国際社会が守るべ
き権利と義務として示したものであった。そして,マーストリヒト条約以前の 1985 年に欧州審
議会で採択された「ヨーロッパ地方自治体憲章」(European Charter of Local Self-Government)
において取り入れられた。憲章の第 4 条は「公的な任務は,市民に最も近い地方自治体が一般的
に優先して実行する。他の団体への任務の配分は,その範囲,性格および効率と経済の要請を
考慮して行わなければならない」と補完性原理の考えを示した。
マーストリヒト条約も前文で「この同盟における決定が,補完性原理に従って,可能な限り
市民に近いところで行われ,ヨーロッパ諸国民の間に一層緊密化する同盟を設立する過程を継
続」すると述べている。また,条約 198 条は地域委員会を新設し,地域の代表が直接 EU に意向
を反映させる道を開いた。
イギリスや北欧諸国に比べ住民自治が遅れたベルギーなど大陸諸国にとってヨーロッパ統合
によってもたらされた補完性原理は地方分権・地方自治を促進する契機となった。連邦制を定
めたベルギー憲法(1993 年改正)は,初めて権限の分配を明確化し,「連邦機関は,憲法と憲
法に従って定められた法律が正式に認めた事項においてのみ権限を有する。共同体および地域
圏は,各々に関して,法律で定められた条件と方式に従って,その他の事項に関する権限を有
する」と,補完性原理に基づく権限配分原則を定めた。
むすび
以上に見てきたように,ベルギーでは国内における地域対立を欧州統合と連邦化のなかで解
決しつつある。ベルギーは,ヨーロッパ統合と地方分権の同時進行により,国としてのあり方
を変化させ,国家分裂の危機を回避したばかりか,統合ヨーロッパから経済的にも利益を享受
している。また,こうした国家改造によって,ベルギー人は地域,国家,ヨーロッパという 3
層のアイデンティティーを持つことになったが,これは将来の EU 市民像であるといえよう。
しかし,EU と地域に権限を移譲しても国家はいまなお自立的主体であり続けている。国際
法上も,ウェストファリア条約以降の主権国家体制は国連憲章に引き継がれており,連邦下に
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おいて地域には限定的な国際法主体が認められるのみで,国家が憲法上も国際法主体であるこ
とに変わりはない。
現在のベルギーを初めとする EU 諸国は多くの権限を EU と地方に委譲したが,国家が消滅
する方向にあるわけではない。この点を理解するうえで重要なのは補完性原理である。補完性原
理は,戦後の地方分権要求と欧州統合のなかで,国際機関―国家―中間団体―個人の段階的秩
序と権限分配の原則として広く採用され,それぞれの権限を明確化しているのである。
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