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イオニアり支配者たちは) 888 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会

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イオニアり支配者たちは) 888 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会
N ・ I ・"川
2 つの 3 パーソン・ゲーム
イオニアり支配者たちは)
渡辺
A: 先生こんにちは.言在阪のお話は宗教から科学史に
およびましたが,今釘はどんなところになりますか.
!J: 前聞はイオニアから磁の方イタリヤへと舞台が移
ったが,今日はイオニアから東と北に段を向けよう.
第 6@1 の終わりで言毒したが,ベルシャ::Eカンピュセス
港
が安これを追ってさらにスキュテイア人が侵入し, 28若手
間メディァを支複したあと,ロシヤ方面に引き揚げてい
った.この占領に対する報復を大義名分とした.
ダレイオスはコ{カサスでなく,黒海l1:!!俸をまわって
進攻することにし,使節を西方に送って出兵を命じた.
の品ジヅト駐留中に,王者五スサでおこった寸ゴス僧の纂
イオニア,アイオリス,ダーダネノレス海峡附近のキ・ 9 シ
奪事件は,ヨ三の死によちー終的に互主主きしたー
ャ人務市には,海軍の供出と,ポスポラス海峡への船橋
しかしやが
て王族,資族の決起によって倒され,英j惑なダレイオス
の架橋が命じられた.架橋が完成すると,ダレイオスは
が王位についた.中央アジアからリピヤに広がる大帝障
陵と部隊を率いてこれを渡ったが,へ口ドトスによれば
は生き返り,その行政13:,税?担IJ ,度量衡は撃機さまL ,寺管
その数は 70万,他方集結した艦船は 600 にのぼったとい
関の動脈となる大道路網計闘は驚々実現した.
う.掛値を 5fきと見ても,相当の規模だった.
このころイオニア議市は,それぞれベル、ンャから忠誠
イオニア鑑量殺の湾令官の中には,
ミレトスの支記者と
を認められたギ F シャ入独裁者たちの支配下にあった.
ステイアイオス,レスボス島ミュテイレネ市のコエス,
かつて俊史ポリュグラテスないただいて,エーゲ海域に
ケルソネソスの支配者で、アテナイ人のミルチイアデスな
磁を唱えたサモスも,俊三主をベノレシャに謀殺され,再び
どが含まれていた.海峡を渡り終わったダレイオスから
その支配下に入った.これら諸市は政治的独立を失って
彼らは,陸軍に先行してイストロス河(ドナウ河)ロに
はいたが,超大思の訟の下にあって,東地中海,中近東
逮し?遡行して渡湾点 tc.費量榛することを命じられた.
貿易で一定の利益を得ており,その経済カ,海軍カは,
ダレイオスは途中の民族左右EH置し,その兵力を態下に
かつてのグロイソスの時代よりも,さらに強化されてい
加えながら渡河点に到荒野し,橋を渡ってさらに架橋部隊
ずふ
に務遂を命じようとした.このときミ品テイレネのコ品
ダレイオスの待代になってから,パピロンが反乱をお
スが, f私たちはぜひ態下に従って前進したいと思います
こし,ベルシャ寧は手専攻鐙したが,総務させるのに前回
が,架橋苦ß~畿の一線をここに残して,御帰還絡の確保を
に数倍する犠牲をばらった.その後ダレイオスはベル γ
お命じになることが,万余の策ではあります 1まいか ?J
ャの全力~結集して,当時間シヤ平原にいた滋牧民族国
と曾上した.グレイオスはこの進言者ピ喜び,イオュア海
家スキ品テイア{スキタイ)の遠征に出かけることにし
軍全部をここに残すことにし,コーカサス経由で帰属す
た.これだけ雑多な民族からなる大帝国の統一を維持し
ることになる可能性も考えて, f60S 関だけこの橋を守備
ていくには,各民族のエネルギ{を共遜の呂的に吸収
するよろに,その跨に自分が戻らなければ,機を撤去し
し,大三五が偉大な笹綴者であることを実援して見せる以
て嫌濁してよい j と言い残して進撃していった.
外にはない,と大主に王手うちしたものがあるともいう.
A: ベノレシャからロシヤ途依ですか.速く離れて,な
にか交渉があったとは想像もできませんが.
当時のスキュテイア人定,ナポレオ γ やビットラ{の
時代のロシヤ人の先祖と考えることは無理だが,ダレイ
オスの霊容を迎えた後らの戦絡には,ある懇の遼想が湧
!J: 合代でも戦争に大義名分が必要な点は変わりなか
く.彼らは騎兵部隊を出して,進撃するベルシャ軍の i
った.スキュテイア入は元来は中央アジアにいたイラ γ
a 行事基先を静々と送鶏J~iま,歎にとって利用鑓鐙のあり
系の民族で,ベルシャ人とは同種だった.それがほかの
そうなものは,すべて破壊するか持ち去るかした.ウグ
民狭に追われてロシヤ方簡に移動し,そこにいたキンメ
ライナからロシヤにかけてのはてしない王子療をどこまマ
言ア人を i齢、払った.メディァ,
予ュデイア碕玄関の併
も議却と追跡がつづけられた.ついにスキ品テイアの領
立時代に,キンメリア人がコ…カサスを越えて南下した
域を通過して無人の竣までいったかふ思うと,退却部隊
掛 ItmUnU Ul IIUUI号制
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オベレーションズ・リサーチ
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は方向を変えて,他民族の領域に侵入したりしながら,
していった.イオニア勢は橋の北岸からの弓の射程内の
またいつしかスキュテイア本国に戻ってきた.
部分を取り壊すと,船に乗って南岸に留まっていた.
ダレイオスはスキュテイアの王に使を送って,逃走を
ペルシャ軍は幸運にもスキュテイア軍に遭遇しない
やめて決戦か降服かの選択を追ったが, I われわれは,い
で,しかし連日連夜の強行軍に疲労困懲して,夜中に渡
ままで敵を恐れて逃け.たことは l 度もない.平時と同じこ
河点にたどりついた.地理にくわしいスキュテイア軍
とをしているまでだ J
と人を食った返事が戻ってきた.
そうしながらもスキュテイア側は攻勢に転じつつあっ
は,敵が返却にもっとも有利な経路を選択すると考えて
探索したのに対し,地理に暗いベルシャ軍は,往路をた
た.糧食を求めて本隊を離れる小部隊は,かならず攻撃
どるのが精一杯だった.渡河点についた彼らは,橋が彼
を受けるようになった.両軍の騎兵が接触するたひ・にベ
壊されているのを見て博然としたが,ダレイオスが河岸
ルシャ側は破れ,歩兵部隊の陣に追い込まれてくるのだ
から大声でヒステイアイオスの名をよばせると,イオニ
った.イストロス河の架橋点にはスキュテイアの小部隊
ア全艦隊が姿をあらわし,ただちに橋をかけ l直した.こ
があらわれ,イオニア軍によびかけた. I 諸君が命令どお
うして大玉とその主力は無事帰還できた.
り 60 日聞ここを守備することについては,われわれとし
ても認めよう.しかしその期日を迎えたらすぐに撤収す
A: なにやらこの訴も少しうまくできすぎているよう
な気がしますね.
るように.そうすればわれわれはダレイオスに手痛い打
0: だまされたと知ったスキュテイア人が, I イオニア
撃を与え,諸君は面目を保ちながら帰国して,独立と繁
人は自由民としては,世界に例のない卑怯未練な民族だ
栄を楽しむことができるはず J と.イオニア軍が承諾す
が,奴隷として評価するかぎり,これほど忠実で信頼に
ると彼らは立ち去った.
値するものはない J とののしったというのは,もしヘロ
ダレイオスは決戦の機会もなく次第に窮地に追い込ま
れたが,時には敵から小さな戦果を与えられて,長居を
ドトスの創作としても,もっともらしい.この遠征は前
514年ごろに比定されている.
ずる結果になった.やがて架橋点の防衛期限もすぎつっ
こうしてダレイオスのスキュテイア遠征は失敗に終わ
あった.ついに一夜ダレイオスは,滞障の構えをとりつ
ったが,ポスポラス海峡を渡るとき,将軍メヵーパゾスに
つ,弱兵を陣営に残し,主力を率いて渡河点に向かつて
8 万の兵をつけてヨーロッパ側に残し,自分はサノレディ
急進発した.翌朝スキュテイア側もこれを追った.
スに帰着,駐留した.メガパゾスはダーダネノレス海峡附
両軍は互いに相手を見失なったが,渡河点に先に到着
近からはじめて,まだベルシャに服属していない都市や
したのはスキュテイア側だった.イオユア軍がまだそこ
民族をつぎつぎに征服し,
にいるのを見ると, I約束の期日をすぎても諸君がここに
にその西方マケドニアに対して政治工作を開始した.こ
留まっているのは不当だが,いまは一刻も早く橋を破嬢
して撤収せよ.ペルシャ軍はわれわれが屈服させるか
トラキヤ全域を平定し,さら
うしてエーゲ海北岸一帯はベルシャの支配下に入り,大
軍を動員したダレイオスの面目は保たれた.
ら,諸君は自由の身で帰還できることを喜べ」と説い
イオニア部隊の司令官たちの,ダレイオスの帰還にっ
た.このよびかけにイオニア部隊の指揮官たちは対応策
いての勲功は抜群だった.しかし大玉の側近たちは,帝
を協議した.アテナイ人ミルテイアデスは, I 彼らの言う
国の命運が一瞬ヒステイアイオスの掌中に握られた事実
とおり,われわれは橋を撤去,帰国して,イオニアをベ
を銘記した.ヒステイアイオスは恩賞の希望を訊ねられ
ルシャの支配から解放しよう J と発言した.しかしミレ
て,
トラキヤのミュノレキノスに植民市を建設したいので、
トスのヒステイアイオスは, I イオニア諸市が独立したと
と,その土地の譲許を願い,許された.彼はすぐにその
き,ここにいる者の中のなん人が,各都市での現在の地
都市を設計し,建設に着手した.城壁が完成したころ,
位を保持できるだろうか」と言った.結局全員が後者の
サルディスではメカツミゾスがダレイオスにつぎのように
意見に賛成し,それに沿って作戦を定めた.
イオニア軍は橋の北端を破壊しはじめ,ヒステイアイ
言上していた. I トラキヤは資源にも恵まれ,いろいろと
活動的な民族が割拠しているところです.とても一筋縄
オスは部隊を代表して,スキュテイア軍に, I われわれは
ではいかない有能なギリシャ人がその真中に城市を築い
直ちに撤収して,自由の身になるためあらゆる努力をし
て,もし周辺の民族どもがこれを指導者と仰いで団結す
たい.それにしてもベルシャ軍の動向が気がかりだ.諸
ることにでもなれば,なにがおこり得るかお考えくださ
君も早くベルシ
“ 1111111111111111111111111111111111111111111 川川
1976 年 11 月号
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