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記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜

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記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
鈴 木 繁 夫
1.記憶技芸と象徴
1.1.記憶の達人:ディタース、シンプリキス、ヒッピアス
20世紀の初め頃、ロンドンの大ミュージック・ホールで、毎夜大勢の客たちを楽しま
せていたディタース という不思議な名前の人物がいた。この男は適当に観客を指
名する。あてられた客は、たとえば「タイタニック号が沈没したのはいつか」といった
質問をディタースにする。するとこの男はたちどころに、その年を答える。この芸人は
コンピューターのなかった時代に、頭のなかに歴史年代表を保存し、コンピュータを越
えるスピードで事件とその年号というデーター をたちどころにアウトプットでき
たのだ。ヒッチコックはこの人物にミスター・メモリーという名前をつけて、あらゆる
出来事を記憶している百科事典のような超記憶人間に変え、
『三十九夜』という映画に
登場させる。1 ステージで芸を披露するメモリー氏は、記憶芸のさなかに客の一人から、
「三十九階段とはなにか」と問われる。一瞬ためらうが、それがスパイ組織の名称であっ
て、どういう目的で誰を中心にしていつできたのかまで、観客の前に暴露してしまう。
暴露すれば殺されることはわかっていても、彼の職業意識と誇りが、沈黙を許さなかっ
た。
時代はさかのぼって、紀元4
00年頃、キリスト教がローマの国教になってからまだ間
もない頃、シンプリキスというキリスト教信者がいた。この男は、ウェルギリウスの一
万行以上におよぶ詩をどこからでも自由に朗誦できた。またキケロのあの膨大な量の演
説のなかのどこからでも、らくらくと引用ができた。ここまでならメモリー氏とあまり
変わらないし、データーを頭脳にインプットした複写機にすぎないことになってしまう。
シンプレックス
しかしこの信者シンプリキウスは
単 純ではなかった。キケロの複数の演説から、ある
演説の一部を別な演説の一部と組み合わせ、新たなキケロ演説を捏造することも簡単に
やってのけた。この信者の友人である聖アウグスティヌスは、この人ならウェルギリウ
スの詩を最終行から最初の行にまで逆にいってみせることもできると思っていた。この
男は、記憶した内容をいくつかの単位に分けて、単位を相互に入れ換え、新たに単位同
士を接合させて、これまでにない取りあわせを作り出す構成力をもっていた。2
メモリー氏もシンプリキスも、現代ならギネスブックに名を連ねるはずの記憶の達人
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言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
たちだ。これらの人物たちは、いわばカメラ機構のような直覚を頭のなかにもっている。
視覚や聴覚をつうじて外界から入ってくるデータを、内界にそっくりそのまま焼きつけ
るのだ。このような直覚像は、実はおおかたの子供にある能力だと実験心理学では考え
られている。たとえば、子供の場合、ときに自分がいま立っているある道の景色が一瞬
のうちに心象として内界に写しだされ保持されることがある。子供は、自分では意味も
わからず読むことも満足にできない店の看板に描かれた文字を、右からでも左からでも
自由にそらんじることができる。脳が感光板の役割をはたして、外界がそっくりそのま
ま保持される。この能力は、残念ながら大人になると失われてしまうという。3 記憶の
達人たちは、景色の直覚像が、年代、詩などの別な方面に特化して大人になっても残っ
たのだと推測できる。
しかし、どうもそれだけではないようだ。直覚像という先天的な能力とは別に、膨大
な資料を脳内に保持し自由に引き出す記憶技芸という人工的な技術がヨーロッパには古
くからあったからだ。彼らは、この術を習得し巧みに使っていた形跡がある。データー
を自分のうちにどのように刻印するか、その方法は、記憶技芸としてソクラテス―プラ
トンの時代にはすでに確立していた。4 高名なソフィストのヒッピアスは、
「いっぺん聞
けば、50人の名前を覚えてしまう」とソクラテスに向かっていっている。5 科学志向の
現代では 、
「記憶技芸」というと少しいかがわしく、そして皮相的でうそ臭いテクニッ
クのように思われている。しかも2
1世紀のパーソナル・コンピューター時代に生きるこ
とになる我々にとっては、ハードディクスが記憶保持の役割を果たしてくれるわけで、
いまさらそんなテクニックなど不必要だと頭から決めつけてしまう。
1.2.しるしから記号へ
しかし、記憶技芸は、ものごとをそのまま再現前化するためのたんなる人工的技術で
はなかった。ハードディクス以上の意義があった。なぜなら、記憶技芸は、文字という
記号に対抗する別な記号であったからだ。紀元前410年頃の夏、城壁都市アテネの近く
ディアレクティケー
流れるイリソス川の木陰で、ソクラテスは若者パイドロスと対話しながら、哲学問答法
とはどういうものなのかを教え導こうとしていた。ソクラテスは問答法を説明するにあ
たって、エジプトを統べていたアモン神のところに技芸の神トトがやってくるエジプト
神話の挿話を引き合いにだした。トトは主神アモンに、自分が発明した算術、幾何学、
天文学などを披瀝し、この地に広めることを勧める。アモンはひとつひとつの説明にそ
の是々非々を加えてていねいに答えていった。そして、トトが文字を見せて、「王様、
この文字というものを学べば、エジプト人の知恵は高まり、もの覚えはよくなるでしょ
う」といった。すると、アモンは即座に文字のマイナス面をいってきかせた。6 文字を
70
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
学べば、人々の「記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂のなかには、
忘れっぽい性質が植えつけられるだろう」。具体的にいえば、文字があるために、「自分
以外のものに彫りつけられた〈しるし〉τυ
´πτοιによって外から思い出す」ようになっ
てしまう。自分で自分の力によって自分の内部に彫りつけられた〈しるし〉を、内発的
に思い出す記憶力の訓練がなおざりにされるようになる。心の外に書きつけることは、
人間の記憶力を堕落させるいかがわしい行為なのだ。発明された文字に先だって、自分
自身の内部に刻みつける〈しるし〉があり、それらを保持する記憶の方が、人間にとっ
ては文字よりも重要なのだ。
これまでの発達心理学は、外界からの刺激を人間が感覚によって受容するという枠組
みで、人間と外界とのかかわり方を考えてきた。この考え方にのっとるなら、人間は感
覚によって受けとめた刺激を、ある印象として自分自身の内部に刻印することになる。
刻印される印象は、外界のオリジナルなものがそのまま印象として残るわけではなく、
トレイス
いろいろな要素が捨象された
痕跡
として残る。このように外部からの刺激のあるものが
生理的な痕跡として人間の大脳のなかに永続して残るものを、ゼモンにならってエング
ラム とよぶことにしよう。7 エングラムは、たんなる断片として独立して互い
に無関係にばらばらにあるのではない。エングラムは、連鎖をなした複合体となってい
るはずである。かりに複合体でなくひとつの痕跡が別の痕跡とまったく無関係にあると
すると、痴呆症患者のように、前の瞬間にとった行動と次の瞬間にとる行動とがちぐは
ぐになってしまう。人間は、外からまたは内側からなんらかの刺激を受けるたびに、こ
のエングラムの連合体に問い合わせ、次に瞬間にどういう反応をその刺激にたいして返
すかを決定する。
プラトンが例示したエジプト神話をこうした心理学の文脈でいいなおしてみよう。文
字という擬似エングラムは、人間に本来備わっているエングラムに代用されると、人間
は記憶を働かせて本来のエングラムを想起することをおろそかするようになる。人間は、
オリジナルものの痕跡のそのまた痕跡である擬似エングラムを媒介にしてしかオリジナ
ルなものに近づけないということになってしまう。8 それでは困るというアモン神の答
には、オリジナル優位というプラトンの発想が潜んでいる。そしてその発想を基礎づけ
ているのは、人間の外部に文字というしるしを刻むことであれ、内部にエングラムとい
うしるしをつけることであれ、刺激に付随して刻まれるしるしがあり、しるしが刺激そ
のものにとってかわられる、という見方である。
「あるものが他のものに取って代わら
れる」
ということだ。ここでいうあるものとは、人間にとって
感覚することが可能なものである。他のものとは、文字だとかエングラムといった人間
にとって認知しうるなにかである。頭に記憶するとか文字で記録するということは、可
感的なものが可知的なものに到達した結果である。逆にいえば、可知的なものから可感
71
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
的なものに至る手段が、記憶であり記録だということになる。記憶や記録によって再現
される可感的なものは、いま・ここの私の意識にとっていつも・すでにあったなにかで
ある。可感的なものとは、いま・ここにはもはやない不在のものごとなのだ。
不在のもののかわりをするしるしとは、記憶技芸ではあらかじめ頭のなかに覚えこん
だ数多くの〈場〉や幾種類もの〈像〉である。〈場〉や〈像〉に、記憶したいものごと
のひとつひとつをつないだり引っかけたりして、はっきりと自分の内部に刻みつける。
この〈場〉と〈像〉による置換法をつかうなら、記憶したい対象は多種多様に無数に存
在しているので、頭のなかに個々の点として連続した〈場〉と〈像〉が長々と連なるこ
ヒエログリフ
とになる。9 ところが〈場〉や〈像〉は、ちょうどエジプトの
神聖文字
そのものが暗示
しているように、それが指示するオリジナルな対象にたいしてべったりと密着するあま
り、外界や対象世界のなかに埋没してしまうことがない。
〈場〉や〈像〉は、表意文字
シニフィカシオン
はもちろん、表音文字においてすらもみられるように、その
表意作用
によって、オリジ
ナルな指示対象を抽象化する。この抽象化作用によって、
〈場〉や〈像〉は、あたかも
みずからに内在する価値を備えた、それ自体で自律した客体として現前化する。もはや
たんなる記憶の無機質の媒介ではなくなる。〈場〉や〈像〉は、それを生み出した人間
の思惑をこえて勝手に動きだし、逆に人間の記憶のあり方そのものを拘束する。このと
き、神聖文字にしても、〈場〉も〈像〉も、たんなるしるしではなく、魂をもった記号
となる。想像力によって人間が産み出した人為的な記号は、内面化されて、それ自体で
意志のある生き物のように動き出す。
1.3.記憶技芸と記憶術の違い
記憶技芸が記号にかかわっていたということは、この技芸が、たんに記憶を頭の中に
定着させるハウ・ツゥーとしての、いわば狭窄視野の技術ではなかったということであ
る。このことはどんなに強調しても強調しすぎることはない。たしかに、記憶技芸は、
結果として実践で役に立つ学問であった。しかし、役に立つかどうかという形而下の問
題を背後から支配しているのは、人間が自分を取り巻く存在世界をどのように記号化し、
どんな風にそれらの記号を構成し、そこにどのような価値の布置をみるかという形而上
的な精神構造である。その構造までもが、記憶技芸の射程に入っている。
ふつうに今の私たちが思い浮かべてしまう記憶術では、記憶は、あくまでもものごと
を効率よく、しかも出来るだけたくさんのことがらを覚えるという、その実用実践とい
う目的に限定されてしまう。そのためにどういう手段をとれば、最大効率で大量のもの
ごとを記憶できるかが、一番の関心事となる。そこで、それこそ枚挙にいとまがないほ
ど数多くの記憶術が出てくる。覚えるべきことがらを星座の属性とからめる類比法、状
72
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
況を誇張して強い印象を脳に与えて覚える誇張法、場面を描画に焼き直して記憶する図
画法、そして語呂合わせに代表されるような数字とイメージを対応させる線形法などは、
その代表的な例である。10 これらのいわば「秘伝」や「スーパーテクニック」は、効率
よく覚えるべきものごとを頭のなかに大量にしまいこむことを助けるばかりではない。
それら覚えたことがらを長期間にわたって保持し、必要におうじて覚えたことをスムー
ズに再現させてくれる。
しかし、どんな目的のために覚えるのかという点になると、必須事項を暗記して試験
に合格しより高い社会的地位に昇るだとか、結婚記念日を忘れずに家庭の平和を守ると
いったような、身近な生活にかかわることばかりがあげられがちになる。もちろんこれ
らのことは、社会の通念としてはいずれもプラスのことだから、さまざまな記憶術や、
記憶術を教える一般書は、人々の間に流布していく。しかし、高い地位になんのために
昇るのか、家庭の平和とはそもそもなんなのかといった、社会通念を疑う精神的構えを
そこにみつけだすことは、めったに感じられない。生活に役立つという世俗功利主義に
どっぷりつかりきっている。世界や人間の本来あるべき姿に合致するような記憶すべき
内容の選別を、そこにみいだすことはまず不可能である。世界の成り立ちはかくかくし
かじかのようになっているから、その世界の成り立ちにふさわしいような人間のあり方
があり、したがってこういうことがらを覚えなくてはならない。そのためには、このよ
うな記憶方法があるという順序になっていない。覚えるべきことがらは、たいていは目
先の生活とって必要なことがらであり、実生活上の快適さをえるための手段である。つ
まり、全体を貫く基本的な世界像・人間観がそこには欠けているのだ。
ときに、こうした記憶術指南書が、きわめて学術的な構えをとることがある。そこで
は、人間の心理的・生理的な機構が、さまざまな実験とその統計資料にもとづいて解剖
される。解剖といっても、記憶は消化器官のように化学反応を臓器のなかで起こすわけ
ではない。だから、脳細胞がいくつあるか、脳細胞の多さは記憶のよさに比例するか、
記憶をつかさどっている部分は脳のどのあたりかということにはあまり関心がない。む
しろ、私たちの実際の行動から、脳の働きを細かく類推し、脳の働きを外側から法則化
することに注意がむけられる。いわば外側から解剖された脳が、どのような場合にその
記憶機能をうまく稼動させ、どうすれば脳は記憶を長期間にわたって保持することがで
きるかが、そこで導き出される。実証主義にもとづいたこの記憶術は、一見すると脳の
仕組みをきわめて科学的にとりあつかっているから、人間の精神構造そのものをあつ
かっているかのように、私たちはとりちがえてしまう。11 しかし実際には、そこであつ
かわれているのは外界を認識する脳の仕組みや仕方であっても、けっして精神の仕組み
ではない。なぜなら、この科学においては、人間は動物の一種と暗黙のうちに強く意識
されているからだ。動物のなかで最高位にある人間は、他の動物よりもどのように勝っ
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言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
て記憶力をもっているのかを探るという姿勢があるからだ。動物の究極の延長線上にあ
る人間は、動物よりも優れた脳をもっている生物としてしか考えられていない。動物と
・
人間との間に連綿性をみてしまう科学的連続観は、人間精神を脳力へと矮小化してしま
う。そこには動物には越えられない、世界観のあり方そのものにたいする懐疑という人
間固有の精神のあり方をとらえようとする視点が欠けているのだ。だからこそ、状況に
おうじて記憶力に変動がある人間の脳をすこしでも改良すべく、正しい記憶の仕方が解
説されるのである。これによって、精神のいとなみ、人間固有の認識のあり方が見落と
されてしまうのだ。
これにたいして記憶技芸は、記憶の権利や身分を人間の認識や記号化という、さらに
広い視界の中で捉えようとする学問としての可能性を最初からもっていた。もちろん、
実践での有効性と抽象的な精神構造という、形而下と形而上という二つの軸のうち、ど
ちらに比重をかけるかは、西洋の記憶技芸の長い歴史のなかでは、地域や時代によって
微妙に揺れ動いている。しかし少なくとも古典と称され、人々の共通理解となった記憶
技芸を手ほどきする記憶技芸書は、人間精神がどのような構造になっているかを忘れる
ことはなかった。そうであったからこそ、実際に一つの学問として取り扱われたのだ。
「記憶の女神ムネーモシュネーは、学芸女神ムーサたちの母親」というギリシアの格
言がある。もしもこの格言が、学芸をするには多くの基本事項を覚えなくてはならず記
憶が不可欠だという、あまりにも当然で実際上
の意味しかもたないなら、記憶は学芸のつまら
ない必要条件になってしまう。学芸の必要条件
なら、記憶のほかにも、構想力・理性など思い
つくままに次々とあげていくことができる。
「学
芸の母」という意味は、人間が認識するという
土台において、「何を記憶すべきか」という問
への答えが要請されていることを、教えている
のだ。ムーサたちが代表するような学芸では、
真理にしても記憶すべきことにしても、それら
は公理・公準や基本項目として、了解済みの前
提になっている。これにたいして、ムーサたち
の学芸が既成の前提としていることに問いを投
げかけ、根底まで遡ることが、記憶技芸なのだ。
図1 ロバート・フラッド『両宇宙誌』
「通俗には記憶術と呼ばれている霊魂の記
憶科学について」
いいかえるなら、この格言の実質上の意味は、
記憶技芸とは、認識理解変遷の精神史という地
平における母体だということだ。
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記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
こうしてみると、たとえばフラッドが自らの著作に「記憶科学」と題して、世間でい
われている「記憶術」との違いを意図的に出そうしている理由がうなずける(図1)。
またフラッドが師とも仰ぎ、自らも『記憶術』の著作があるジョルダーノ・ブルーノー
も、生活世界にかかわる個々の断片的な知識や現象をどうやって覚えるかに、その記憶
術のアクセントをおかなかった。たとえば、あのアリストテレスの『自然誌』の詳細な
項目をどうやって覚えたらいいかを教えるときにも、古代神話の神々を出して、各項目
を形而上学的な自然のあり方に対応させている。対応させるだけでなく、神話に隠され
ている宇宙の神智(アルカーナ)を開示する手段の一環として、『自然誌』の項目を読
みかえている。12 人間にとって、記憶がどのような形式により可能なのかという認識原
理論に、ブルーノは深い関心をもっていた。どうすれば他の人々にぬきんでるほど沢山
のことがらを、できるだけ長期間にわたり、しかも可能なかぎりすばやく思い出せるか
といったように、時間が脳にもたらす風化現象に対抗する役割として記憶を位置づけて
いたわけではなかった。13 ところが、きわめて残念なことに、
「あの男[ブルーノ]は
沢山のことを教えてやると約束して金品を受け取ったくせに、わたしはまだ何一つ効果
を上げていない」という評判が暗示するように、知識をやすやすと手に入れる手段とし
てブルーノの記憶術は、誤解されていた形跡がある。14
本稿の目的は、記憶技芸という文字に対抗するひとつの記号様式が、世界を認識する
媒介として、記憶そのものの働きとともにどのように考えられてきたかを、跡づけるも
のである。古典古代の文芸復興ルネッサンス期に生きたブルーノの例からもわかるよう
に、記憶技芸の全盛は、ひとつはギリシア・ローマ時代にあり、もうひとつは16世紀に
やってくる。15 本稿では、ギリシア・ローマ時代にかぎり、それももっとも代表的な作
家・哲学者に限定して、記憶技芸の記号様式と記憶の働きの系譜を追うことにする。
2.記憶技芸と記憶の系譜
2.1.プラトン
2.1.1.記憶と想起の区別
人間は魂と身体との二つの基体からなるという二元論のプラトンにとっては、身体と
は魂がたまたま宿っている受け皿にすぎない。プラトンが人間のあり方を考えるとき、
多くの場合、身体における人間と、身体を背負いこんだ魂における人間との二つのあり
方に分けて議論される。記憶は、プラトンでは身体と共同する魂の領域にあるものだと
される。まず人間が外部からの刺激を受けて、それに反応する場合、人間のあり方には
二種類ある。ひとつは、身体だけで受けとられて身体においてのみ状態変化がおこり、
75
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
魂にはなんら変化が起こらない場合である。もうひとつは、身体と魂との両者に変化を
引き起こす場合である。前者は、魂にまで浸透していないから、魂はその刺激にも状態
ラ
ン
サ
ァ
ネ
イ
ン
ラ ン サ ァ ノ マ イ
変化にも「
うっかりして気づかない
」λανθα
´νειν、つまり「
忘れている
」λανθα
´νομ
αι。16 ところが身体と魂との相互に浸透するものの方は、魂は気づいているから、忘
れているとはいえない。この忘れているとはいえない状態において、身体と魂とは共同
アイソッオー
アイスセースイス
して働いているが、共同して「
動 く」α
’
ισσωことを「
感
´
覚」αι
σθησιとよぶ。17 ´
’
ムネーメェー
感覚におけるひとつのひとつの動を保全するのが、記憶である。
「
記 憶」μ
νη
μηは、運
´
ムーネー
1
8
動ではなく魂の内部における「
留まり
」μονηなのだ。
´
みとめいん
どのように保全されているかは、
認
印
付指輪で押印するときのようなものだといわれ
ている。私たちの心には蜜蝋が生のままかたまらずにあり、その蝋に感覚をあてがって、
感覚の痕跡をとどめようとする。19 刻印されて蜜蝋の上にそのしるしが残っているかぎ
りは、記憶されている。しるしが拭い消されれば、記憶がとぶということなのだ。この
蜜蝋は、ムネーモシュネー(記憶)νημοσυ
νηの女神が人間に授けた賜物である。
´
プラトンによる記憶の説明を、駄洒落のオンパレードだと軽々しく侮ってはならない。
プラトンには、ものごとをあるひとつの不動の基準にしたがって整理するという姿勢が
不足しているために、プラトンは説得力を欠いた語源や神話に最終的に頼っているのだ
と誤解してはならない。プラトンがあることがらの本質的なあり方やその真の姿をあき
しゅ
らかにしようとするとき、相互に異なる
種
の間を樹木の枝分れ状に並行に区別していく
ようなやり方はとらない。私たちが暗黙のうちにアリストテレスに依拠して、ある類と
別な類とをなんらかの違いによって区別し、さらにその類のなかである種と別な種とを
区分していく、この常套手段をプラトンはとらない。たとえば人間なら、生物と非生物
とに区別し、生物をその場所から動かない植物とその場所から自由に移動する動物に分
類し、さらに動物を子供の生み方によって分け、最終的にサルと人間とを選り分ける言
語使用という特徴をもちだす――こういった並行の分類方式は、プラトンにはなじまな
い。プラトンの手さばきは、私たちからみれば任意としか思えないような選択的な根拠
づけを連続して出すことによって、縦方向へつながる系統を一時的に確立する。その系
統に沿ったものが、真のものごとだと判定される。たとえば、魚釣り師の技術を明確に
していくときには、作る技術と獲得の技術という根拠を出し、次に交換にかかわるもの
と捕獲にかかわるもの、さらに闘いとるものと狩猟するもの、……といったように系統
が確立されて、それぞれの根拠をどれだけ分有しているかによって魚釣り師の技術の真
の姿があきらかにされていく。20
2.1.2.記憶と想起、そして精神の眼
動の感覚を保全する記憶とペアになっているのが、想起である。保全された感覚を、
76
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
図2 プラトンにおける記憶
魂が身体と共同せずにできるだけ単独でもう一度とりもどす場合が、想起である。また、
保全されていたが、いったん忘れてしまった記憶を魂が自らの内部でもう一度復活させ
る場合にも、想起といわれる。21 どういう場合に想起が可能かいえば、蜜蝋の上に感覚
の痕跡が残っている場合である。魂にまで浸透せず身体だけで受けとめられた不感覚の
場合は、最初から気づかにずに忘れているから、想起ということは起こりえない。
ペア
記憶と想起という
組
は、このように外界の刺激にたいする人間の側からの身体と魂と
の共同という感覚を端緒として、魂の内での刻印の保全、刻印を媒介とした感覚の再現
という様式で説明される(図2)。ただしこの一組は、人間がもっと大きな枠組みで世
界全体とかかわるかかわり方とも結びついている。人間の身体は、つねに生成変化して
やまない物体の世界にあり、感覚によってその世界の影響をたえず受けている。ところ
が、魂はそんな物質の世界だけにかかわっているのではない。霊魂は理性・知性をつう
じてこの世界ばかりか不変のイデア界にかかわっている。
プラトン哲学では、魂はそもそもイデア界に住んでいたと考えられている。そこでは
リラ
魂は神々とともにあって、小さなもの、善いもの、聖なるもの、人間、竪琴
などのさま
ざまな純粋観念を観照していた。しかし、魂は堕落によって、この地上に落下し、人間
という身体をまとうようになる。身体をまとった魂は、本来住んでいた土地ではないこ
の地上という異邦の地にあって、肉眼という身体の眼によって、外界を把握している。
しかし、私たちはたんに外界の事物を感覚によって把握するだけではない。そうやって
感覚される事物のなかに、私たちは美しさ、正しさ、善さなどをみてしまう。それは、
個々の事物のなかに美のイデア、正のイデア、善のイデアが分有されているからである。
77
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
純粋観念であるイデアが、物質のなかに関与しているからである。その分有・関与され
ているイデアを見ているのは、肉眼ではなく心眼なのである。心眼によってえられるイ
デアの智は、かつてははっきりと「見られたもの」(ギリシア語イデアの本来の意味)
を想起させてくれる。心眼の働きは、私たちが日常の生の流れに埋没してしまい、イデ
ディアレクティケー
アを忘却していたことを気づかせてくれる。プラトンが得意とする
哲学的問答法
の目的
は、
「文字どおり異邦の泥土のなかに埋もれている[人間の]魂の眼φυχη
^
ο
´
’
μμαを……
[天]上へと導いていく」ことにある。22
プラトンにあっては、この地上のものに向けられる記憶と想起、そしてそれとは別
に、心眼によってこの世のものごとに分有されているイデアとかかわるがゆえに顕在
化する記憶と想起という、二段構えになっている。この姿勢は、ネオ・プラトニストや
ルネッサンスの一部の知識人たちに受け継がれることになる。
2.2.アリストテレス
2.2.1.動物の優劣基準としての記憶
18世紀までは、地上に存在するものはおおむね動物・植物・鉱物の三つの世界からなっ
ていると考えられていた。この三つの世界は、動物界を頂点とする位階を形成し、それ
ぞれの世界のなかでも上下関係が決まっていた。宇宙は、各世界に属する様々なものが
類としていくつにも分別されひとつひとつの鎖を形作り、それらの鎖が複数まとまって
ひとつに連続した連鎖として想定された。いわゆる「存在の鎖」である。そのとき動物
界のなかでは、なにを基準にして位階の上下が決まったかといえば、記憶であった。ア
リストテレスは、記憶を動物の優劣基準にもちこんだ。
動物は、(1)自然的に感覚を有するものとして生まれてついている。(2)この感覚から記憶
力が、ある種の動物には生じないが、あるほかの種の動物には生じてくる。そしてこのゆえに、
これらの動物の方が、あの記憶する能のない動物よりもいっそう多く利口でありいっそう多く
教わり学ぶに適している。……記憶力のほかにさらにこの聴の感覚をもあわせ有する動物は、
教わり学ぶこともできる。23
動物にはみななんらかの感覚が自然に備わっているということを、動物という一つの類
の基本的共通項とする。つぎに、動物には、記憶する能力がある動物と、記憶力のない
動物との二種類あることを指摘する。動物の違いを見分ける最初の指標として、記憶能
力を考えているのだ。そして、記憶力のある動物は記憶力のない動物よりも優秀だとみ
なしている。
78
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
動物という類をさらに細かく分類する第一次指標である記憶力のつぎに、アリストテ
レスは、動物が経験をそなえているかどうかを第二次指標にしている。
「ほかの諸動物は、
ファンタシア
表 象や記憶で生きている」が、人間には経験がそなわっている。どういうことかとい
うと、動物は同じ状況がなんど繰り返されても、そこから経験則をみいだすことがない。
トンビには、夕方に気流にのってゆったりと帆翔する日とそうでない日がある。私たち
は、トンビが帆翔する日の翌日は晴れになるのが多いのを、経験によって知っている。
しかし、十中八九、トンビはいま自分が上昇気流にのっていることは意識しても、夕方
の上昇気流と明日の晴れとを経験法則化することはない。ところが人間の場合には、こ
の経験法則化ができるのだ。ただし、ここで問題になっている人間の経験化能力は、じ
つは記憶があってはじめて生まれ発揮される能力である。なぜなら、
「同じ事柄につい
ての多くの記憶が、やがてひとつの経験としての力をもたらすからである」
(『形而上学』
981
)。
では、動物にあてはまる記憶一般ではなく、人間に固有な記憶はどのように規定でき
るのだろうか。精密に議論を進めることの好きなアリストテレスは、人間の記憶を時間
と感覚との関係において説明している。
2.2.2.過去モードとしての〈記憶〉と表象像
たとえば「私はドラエモンを知っている」と、今この瞬間にいうとき、ドラエモンを
今のこの瞬間よりも前のある過去の一時点において見聞きしたから、知っているといえ
る。同じように、梅干を食べる前に、それを食べた場合に口がすっぱくなると未来の出
来事を予測できるのは、梅干を見ているこの今の瞬間に、かつて食べてすっぱかった感
覚を覚えているからだ。食べる前から、食べた後の未来に起こりうることを推定できる
のだ。このように、たとえ意識が今のこの瞬間にあっても、過去にかかわる記憶がこの
現在に侵入してきている。とすると、記憶は、今この瞬間よりも前の経験を基盤として
いるから、時間においては、基本的には未来でも現在でもなく、過去にかかわっている。
過去と結びついているということは、現在と過去との対立がいつもあるということだ。
いま
時が
今
として、不断に次々と連続して切れ目が入れられるのではない。今は過去と対立
するものとして措定される。こうして過去にかかわる記憶はいつも時間から切り離すこ
とができず、時間との結びつきをもたざるをえなくなる。たとえば、現在のその瞬間瞬
間にしか意識がない動物がいるとすれば、その動物の運動はいつも現在モードで進行し
ていく。現在しかないから、この動物には未来も過去も存在しない。この現在形の動物
には、私たちが経験しているような時間は流れていないといえる。これにたいして、ド
ラエモンを知っているとか、梅干がすっぱいというのは、過去において経験したことを、
現在においてよみがえらせることである。過去と現在とは異なっていて、それぞれの間
79
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
に距離のある広がりとしてとらえられている。同じことは、未来が過去と現在にたいし
てもつ関係についてもいえる。
つぎに、現在において過去の経験をよみがえらせるということは、過去の経験をその
まままるごと霊魂が追体験することではない。そのよみがえりとは、過去の経験が霊魂
の能力によって表象化され、経験そのものとは別な像で再生されることである。経験そ
のままではなく、経験全体が適当に捨象され、映像化される。記憶の表象化作用をアリ
ストテレスは、肖像画によって説明している。
’
画板の上に描かれた画像は画像ζω
ονであって、しかも肖像ει
κω
´νである。……それと同様に、
^
・´
我々のうちに浮かぶ記憶による表象像もまた、……それ自体としては[霊魂によって]観照さ
れたもの、すなわち表象像であるが、他のものを表わしているものとしては、たとえば肖像や
記念のようなものである。24
翻訳からだけでは画像と肖像との区別がじかに伝わってこないので、アリストテレスの
趣旨が残念ながらわかりにくくなっている。たとえばある一人の女性を描いた肖像画の
場合には、そこには当然、その特定の女性の顔や姿などが描きうつされている。その絵
が、肖像画として本来の意味が発揮されるのは、そこに描かれている人物が実際に誰か
ということが同定化される場合である。絵の外部に存在しているか存在していたはずの
あるなまの特定の女性に、その絵が言及し、言及されている対象がはっきりしたとき、
肖像画としてのもともとの意味がでてくる。ところがその絵を、任意のある一人の女性
がただ描かれている像としてしかみない場合には、その絵を越えでて外部に言及する依
存度がきわめて低いから、それがたとえ肖像画であっても、画像といえるというのだ。
私たちが記憶しているのは、対象そのものではなく対象を模写している像である。その
像は、ちょうど肖像画の像がそうであるように、対象そのものに向かうための補助媒介
である。肖像のように、実際の人物から切り離されては、単独で意味をもたない。記憶
に保持されている表象は、たえず実際の対象とのかかわりにおいて、真の価値を帯びる
のである。つまり、記憶には、過去の写し(画像・表象像)を通して過去そのもの(画
像・表象像が言及している対象)にかかわるのだ。
表象像が、知覚そのものでも、あるいは意識そのものでもないことはいうまでもない。
「表象は感覚や思考とも別なものである。そして表象は感覚なしには生じないし、また
表象なしに思想は生じない」。25 意識は、目の前になにかものごとがあるかどうかという
こととは無関係に、即自的に存在する。感覚は、即自的な意識が意識の外部にあるもの
ごとを五官などを介して志向する関係であって、ものごとが意識に現われる現われ方で
ある。
80
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
アリストテレスは、表象をもちだすことによって、記憶が感覚とも異なっていること
を暗黙のうちに教えている。感覚は、視覚・聴覚・味覚・触覚などの感覚器官を通じて
ものごとを意識する器官である。即自的にはほとんど意味をなさず、対他的であること
によって初めて存在価値をもつといってよい。感覚が直接働くためには、感覚に刺激を
与えるものごとが存在しなくてはならない。ところが記憶が保持する表象像そのものは、
表象されるものごとが目の前に存在しなくともさしさわりがない。ものごとは記憶の想
起作用によって思い浮かべられさえすればよい。
「知覚が対象を存在するものとして措定
するのにたいして、……イメージ[表象像]は対象を空無として措定する」と、アリス
トテレスは現代哲学風にいえばいっているのだ。26 ものが眼前に直接には存在しなくと
も、表象は存在しうるのである。
2.2.3.模写としての記憶
きわめて理性的な判断や合理的認識からすれば、表象というのは対象の存在を欠如さ
せている関係にすぎない。その面では、表象とは足のない幽霊のような存在である。人
間というのは、表象という不思議な精霊を、自分自身の霊魂の内部に引きずっていると
いえるのだ。しかし、問題はここから先である。画像→肖像という対応関係が、記憶像
→経験の比喩となるという宣言は、画像が肖像を正確に表象するように、記憶像は経験
を正しく表象するという考え方をおのずと認めることになる。この宣言には、外界が意
識から独立して存在するとみなす前提があり、意識内容は外界を忠実に模写しうるとい
う素朴実在論が肯定されている。この反映模写説は、『霊魂論』のなかで、知覚によっ
て対象をとりこむ仕組みを説明している箇所にはっきりとあらわれている。
感覚は、感覚されうる対象の形相をその質料をともなわずに受け入れるものである。それは
みとめいん
ちょうど、蜜蝋が
認
印
付指輪のしるしを受け入れながら、指輪の鉄や金は受け入れないのと同
じである。27
ヨーロッパでは長い間、日本のはんこにあたるものは、指輪であった。現在の宝石台付
の指輪をもうひとまわり大きくしたようなものであった。王侯貴族は、宝石を載せる部
分に独特の字体で、イニシャルなどを組み合わせた飾り文字の印章を、指につけていた。
印鑑の朱肉あたるものが、蜜蝋であった。蝋は、指輪の印章に押されると、正確に飾り
文字のその形を、刻みこんである印章の材質とをともなわずに自らの内部に刻みこむ。
それと同じように、感覚は対象を刻みこむとアリストテレスは考えた。28 ここでアリス
トテレスは、感覚によってとらえられる経験される対象と、経験によって保持される表
・・
・・
象像との間にも楔をいれた。そればかりか、ものだけでなくことをも含んだ広い意味で
81
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
の対象は、霊魂内に保存された表象像の正確な反映だと認めてしまったのだ。記憶を媒
介とする人間の認識は、意識の外にある存在が意識に反映し、意識は対象の鏡面への映
射に似たものになっている。外界と主体とは、別々なものとして二分化されている。自
分たちの外側に客観的事実があって、私たちはその事実を正確に写し取っているという
カメラ型認識論を打ち出したのだ。
2.2.4.〈記憶〉μνη
´μηと〈回想〉μνημονευ
´εινとの区別
通常なら、表象像を保持することと、その保持された表象像をある瞬間において引き
出すこととをひとつにまとめて記憶とよんでしまう。ところが、腑分け好きで分析志向
のアリストテレスは、表象像保持と表象像喚起とを別々に分ける。表象像という過去モー
ドにかかわる前者を記憶、現在から出発して過去へ遡行する後者を回想とよぶ。回想を
現在から出発させるのは、たとえば梅干というある一つの刺激を霊魂が受けると、刺激
を受けた現在の瞬間から、いきなり梅干を食べた過去のある時点の刺激へと一気にジャ
ンプする。時計の針を猛スピードで逆に回転させて、時間の継起を順番に貫いていって、
過去のある時点にたどり着くのではない。回想には、飛躍がある。時間の節約という意
味で効率がよい。それならば回想の効率を上げるために、あることを思い出したい場合
には、きっかけとなる刺激を生み出す開始点をあらかじめて決めておくとよい。その刺
激開始点となるのが、
´ 〈場〉το
´ποιなのだ。
したがって、……回想するとき、
〈場〉から出発するのだ。
〈場〉を使う理由は、ある段階から
別の段階へと即座に進んでいけるからだ。たとえば、ミルクから白色、白色から風、これから
湿へ、そしてここから秋を……回想する。29
ミルクは、直接には秋とは結びつかない。結びつかないが、ミルクを刺激の起点にして、
秋をたぐりよせていく。この一連の回想は、風が吹けば桶屋が儲かるといった連想のよ
うに、ある出来事からそれに付随して起こる出来事を想像し、その想像を繰り返してい
く、といった連想法とは微妙に異なっている。風が吹くこと→土ぼこりが舞うこと→ほ
こりで目をいためる人が増えること……といったように、ひとつひとつの項は、現実に
起こりうる多様な可能性のなかの一つにすぎない。多様ななかからなぜその一つが起こ
るのか、という必然的な根拠はそこにはない。各項の相互の結びつきも希薄のまま、一
サンス
つの項は次の項へと連鎖させられる。そこには諸項間の
方向=意味
がこうでなくてはな
らないことを規定する体系もなければ、きわだった特異性もない。ところが、ミルクか
ら秋の連想には、現代の物理学の知識のみが正しいと信じがちな私たちにはわかりにく
くなっている、当時の科学観の常識にもとづいた方向=意味があるのだ。宇宙までふく
82
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
図3 アリストテレスにおける記憶
めた世界のあらゆる存在は、地・水・風・火の四つの元素の組みあわせからなっており、
風は色では白に呼応し、風の質は熱と湿であった。ミルク→白→風→湿→秋は、四性説
という科学からすれば、諸項間にはそれなりの必然性があるのだ。いやむしろ連想が比較
的強固に必然的にわき、逆に想像力が入りこむ余地はそれほどないといってよい(図3)
。
しかしそれにしても、アリストテレスのこの例から読み取るかぎりでは、
〈場〉とは
文字通りある場所をさすのではない。ミルクや白色といったように、その人にとって刺
激を喚起するようなものならなんであってもよく、どこそこの具体的土地には限定され
ない。〈場〉という、のちに記憶技芸にとって不可欠となる手段は、ここではまだ明瞭
な形式をとっていない。万人が技法として利用できるような記憶体系も、記憶にかんす
る理論も、アリストテレスの関心の射程外にあるのだ。30 ただしアリストテレスの指摘
によって、記憶として漠然と考えられていたことは、〈記憶〉と〈回想〉の二つに分け
られ明確化された。そして、〈記憶〉とは、実際の経験を表象化しているものであって、
経験を指示する像を保持する機能として位置づけられることになった。保持された像と
いう考え方は、のちに〈場〉とセットなって、記憶が有効に機能するための媒介である
〈像〉の基本前提となる。
アリストテレスの素朴な模写説と回想とが互いに他を抱きこみあうと、いま・ここに
おいて一瞬のうちに表象像を回想する意識は、表象像がいつも・すでという過去モード
でしか再現できないことを忘れさせる。記憶は、ものごとを内部に保持するといっても、
なまのものごとをそのまままるごと保存するわけではない。ある人との話を記憶する場
合には、その人がなにを話したかをもとの形のまま全部そっくり覚えているわけではな
8
3
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
い。その場その場の一語一語の声の調子、息づかい、感情、そしてその人の衣服の微妙
な色の陰影、少しずつズレを含んだ多種多様な形、さらにはその人を包んでいる部屋の
色、形、雰囲気など、それこそその人の話の内容とはそれほどかかわりなくまとまわり
ついていることがらが無限にある。これらのことがらは、話の内容という本質には関係
のない夾雑物として処理されてしまう。逆にいえば、記憶とは、無数の情報のなかから
ある特定のものごとだけを取りだして、取りだされたものだけでその場の全体と置換さ
せてしまう代表化 をおこなう機能だ。記憶の代表化にたいして、回想の働
・
・
・
きとは、過去に起こったその人との話を、再び現在の時点において目の前に呼び戻すこ
・・・
とである。すなわち、再現前化 である。「再」の面を強調すれば、あるも
のごとをその「不在のうち」に置き換えることになる。「現前」の面に注目すれば、現
前化されたものごとと、ものごとを喚起する媒体(像や場所や広い意味の言葉など)と
の間に有契性があることを認承することである。代表化も再現前化も、対象と表象像と
の同一視に手を貸し、脱構築の起爆剤としてしばしばとりあげられる、差異の取り消し
を起こす引き金になっている。31
この延長線上で生じるのは、回想が自由に活動しだして、表象像が実際の対象との絆
を解き放って、あたかもそれ自体で存在するかのようにみえる物象化である。差異の取
り消しは、やがて哲学の領域において糾弾され、物象化はのちに偶像崇拝として宗教の
領域で断罪されることになる。
2.3.シモーニデース
2.3.1.宴会の惨劇
記憶そのものを語るとき、いつも必ずふれずにはすまされない古典の箇所がある。そ
れは、キケロが引用する次の話だ。ギリシアのテッサリアに住む貴族スコパスが宴会を
催した。ギリシアの宴会では詩人を招いて、歌を吟じさせることが典型的な余興となっ
ていた。この宴会に招聘された詩人は、ケオス島のシモーニデースであった。詩人は慣
例にしたがって宴会の主人を祝する歌をうたったが、その祝歌のなかに双子の神カスト
ルとポルクッスもおりこんで、この双神をほめたたえた。さて、歌が終わると、主人ス
コパスは、約束額の半分しか謝金は出せぬという。歌の半分が双神に捧げられていたか
ら、残り半額は神からもらえというのだった。宴会は続いた。すると宴席に連ねていた
詩人シモーニデースのところに、知らせが届いた。詩人に用があるという若者が二人、
家の外で待っているという。そこで詩人が席を立ち、外に出てみると誰もいない。とこ
ま
ろが、こうして詩人が席をはずしているうちに、宴会の
間
の屋根が落ち、スコパスをは
じめ招待客たちは皆、天井の下敷きになって死んでしまう。死体は瓦礫の重みでめちゃ
84
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
めちゃになり、いったいどの体がだれなのか判別がつけられないほどであった。ところ
が、シモーニデースはだれがどの席にいたのか、はっきり思い出すことができた。死体
のある場所から、そこに誰がいたかをきちんといいあてることができた。さて、二人の
若者の正体が双神であったことは、いうまでもない。双神カストルとポルクッスは、詩
人を死から救って、手に入れることのできなかった残り半分の報酬に十分に報いた。そ
ればかりか、記憶によって死体を正しく判定するというよき機会を詩人にあたえる。こ
ぎょうこう
の
僥
倖
によって、シモーニデースは記憶技芸原理の創案者という地位までもさずけられ
たのだ。
さて、シモーニデースはそこでこう推定したのだった、この能力[記憶力]を磨こうと思うな
ら〈場〉
を選び、覚えたいと思っているものごとの心的な〈像〉
をつくりだし、
その〈像〉を〈場〉におくことだ。そうすれば、
〈場〉の順番 がものごとの順番を保ち、
ものごとの〈像〉はものごとそのものをしるす記号をあらわすことになるから、〈場〉は蜜蝋
板
に、〈像〉は蜜蝋板に書きしるす文字 としてそれぞれ使えるようになる。32
これは、シモーニデースの出来事を後の時代の法廷弁論家キケロが説明している記述だ。
キケロはこの逸話によって、記憶するには、ただひたすら覚えるのではなく、技術があ
ることを明示している。宴会の間という〈場〉を思い浮かべて、自分の精神のなかに宴
会場という現実空間のコピーをつくりだす。そして、宴会の出席者ひとりひとりの〈像〉
を想起して、精神のなかにつくりだされたそのコピー空間のなかにひとつひとつの〈像〉
をおいてみるのだ(図4)。コピー空間は、文字を書きつける蜜蝋板のように、覚えて
図4 シーモニデースにおける記憶
85
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
おきたい内容を記録するための土台なのだ。想起された〈像〉は表音文字というよりも
象形文字のように、その土台に書きつけられる。〈場〉とそこに結びつける〈像〉とい
う、二つの異なった種類の媒介をもつことによって、人間は多くのことを記憶にとどめ
ることができるようになるのだ。記憶保持の技術によって、人間は爆発的に大量のこと
がらを、たとえ一時的であるにせよ、蓄積することができるのだ。記憶の蓄積と記憶力
の増大――これらはおそらく、キケロの時代にとりわけ顕著となってきた、富の蓄積と
富の発揮する力の増大という社会経済現象と呼応して、全面的に肯定されたに違いない。
2.3.2.修辞学の一部門としての記憶
しかし、このシモーニデースの逸話は、たんに記憶力増進の手管を教えているのだろ
うか。この逸話は、弁論家キケロの対話篇『弁論家について』
(前46年)のなかの一節
である。この対話篇は、プラトンの対話篇のようにボケ(ソクラテス)とツコッミ(友
人)がいて、いつのまにか両者の役割が入れ替わり、真理と思われていたものが覆され、
新たな真理らしきものが提示されるという体裁からはほどとおい。ローマで名をはせた
著名な二人の弁論家を主人公として、それ以外に何人かの弁論家も加わり、弁論につい
て互いに意見交換をし、それをそばで聞くものが弁論への造詣を深めるという組み立て
になっている。プラトン対話篇のように、常識がゆさぶられめまいを感じるような経験
こそないが、話題の中心である弁論について、およそ考えられるかぎりの常識的教条へ
の知見を深めることができる。この対話篇のなかでは、シモーニデースにまつわる記憶
という能力は、修辞学の一部門として解説されている。
古典古代の修辞学は、修辞学という用語が現代の我々にもっている響きとはずいぶん
異なっている。修辞学は現在ではほとんど省みられれず、「心からではなく舌から出る」
言葉を巧みに操り、自分自身をいろいろな場面で有利に導くための処世術の一手段ぐら
いにしか評価されていない。真実らしくみえるものを真実だと言いくるめ、小さいはず
のものを大きなものに見せかけるといったように、言葉の力によって巧みに外装を飾り
たて、事実・正当な価値をともかくゆがめて幻覚を引き起こす技術といった含みをもっ
ている。実は修辞学にたいするこのような否定的評価は、プラトンの時代からすでにあっ
た。たとえば、「弁論家はちょうど独裁者がするように、相手が誰であろうと、死刑に
したいと思う者を死刑にするし、またこれと思う人の財産を没収したり、国家から追放
したりする」(『ゴルギアス』
)。33 いかがわしさという批判にくわえて、現代で
は修辞学は、経験に照らしてどのようにすれば相手をうまく説得できるかという説得術
の一種であって、学問として体系だてられ、学習されるわけではない。
これにたいして、古典古代の修辞学は、アリストテレスによって論理学のように一般
原則にもとづいた方法として組織化された。アリストテレスは、修辞学を正当な技芸と
86
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
して身分確保することに成功した。学問としての体系化にくわえて、プラトンが批判し
たソフィストたちのように、争点にたいして依頼者の意図のままに白を黒ともいってし
まう無節操にたいして、アリストテレスは歯止めをかけた。もちろん、問題の賛否のい
ずれの側にも目配りして議論する。しかしその目的は、事態の一面だけをみて片手落ち
にならないためであり、また論敵の誤謬をより鮮明にしようとめざしていたからであっ
た。相手を打ち負かすことが、けっして最終目的なのではなかった。34 アリストテレス
の、修辞学への第三の貢献は、言葉を甘美に巧みに表現することだけを修辞とせずに、
言論そのもののほかに、①弁論者の人柄、②弁論の聞き手の心理状態までをも修辞学の
射程内に明確にいれたことであった。35 弁論者が高潔な人格であることが聴衆に伝われ
ば、その発言は論理という言論のレベルを越えて、信憑性を帯びるようになる。また、
聴衆が怒っているときと喜んでいるときとでは、弁論者の同じ主張も異なった影響を議
論全体に引き起こす。身振り・声の調子といった演技要素、聴衆の感情を巧みに読み取
り臨機応変に対処する心理要素も、修辞学において学問として学ばれるようになる。し
たがって、当時の修辞学は、発声や身ぶりをどうするかという、現代なら演劇に分類さ
れるような表現様式までをもふくんでいた。言語表現だけに限定された間口の狭い学芸
ではなかった。とくに、ローマ時代になると、修辞学は詩学との接近を深めて、表現が
聴衆にあたえる心理的効果などまでもその学問対象とするようになっていった。36 そし
ていうまでもないことだが、ギリシアでもローマでも、修辞学は議会での演説、裁判で
の弾劾弁論論争という実践的な場で適用される実学であった。
以上のような演劇学・心理学までをも射程にいれた広い脈絡をかかえこんでいる実践
的修辞学がまずあって、その一分野として、記憶が考えられている。実践でなぜ記憶が
必要であったかは、容易に想像がつく。用意された原稿を棒読みする現代の裁判官や日
本の国会答弁のスタイルのように、紙にたよる発言をすれば、相手を説得する力が激減
してしまう。ところが、アメリカの大統領や中国の主席のように、原稿がまるで手元に
ないかのように、かなり記憶にたよりながら、それでいて記憶にまったくたよっていな
いかのような素振りでスピーチをする。自らも興にのりながら熱弁をふるえば、人々か
らの賛同の拍手喝采が待っていて、発言者は熱狂をもって受けいれられる。原稿の棒読
みよりも記憶にたよった雄弁のほうが、はるかに説得力をもち、実地で有効なのだ。
しかしいくら記憶にたよるといっても、人間の暗誦能力には限界がある。あらかじめ
十分に練った発言内容を、一字一句ただ丸暗記することは苦痛以外のなにものでもない。
そこで、頭のなかに適当な〈場〉を思い浮かべ、いくつかの〈像〉に分割された発言内
容をその〈場〉にひっかけてとめる。発言するときには、その〈場〉をひとつひとつ順
番に思い浮かべて、各〈場〉につなぎとめておいた〈像〉を想起し、発言内容を思い出
しながら、弁舌をふるうのだ。この方法をとるなら、かなり長い弁論もそれほど大きな
87
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
脱線がないままに間違わずに覚えられるだろう。
2.4.キケロ
2.4.1.明晰―判明の〈場〉と〈像〉
弁論類だけでも三桁の著作を残している雄弁家キケロは、さきほどの触れた『弁論家
について』のなかで、
「技芸として教えられる、
〈場〉
と〈摸像〉
によるあ
の例の[記憶]方法にたよることを、必ずしも嫌ってはいない」と、登場人物の一人に
いわせている。37 キケロが実際に記憶技芸を見下していたかどうかはわからない。しか
し、名うての弁論家として評価され、現在からみても驚くような長大な弁論をとうとう
とまくしたてていたキケロが、まったく記憶技芸に頼らなかったとは信じ難い。かりに
頼らなかったとしても、少なくともこの技芸への造詣が深かったことは、シモーニデー
スの逸話をひきあいにだした別な人物が、この方法を詳述していることからうかがえる。
であるからいたしまして、……膨大な数の〈場〉を利用しなくてはなりませんが、〈場〉には
明瞭さ、くっきりとした配列、適当な距離が必要です。一方、
〈像〉の方はといえば、生々し
さ、明確さ、奇抜さがあって、すみやかに心と出会い、また、心を貫くようなものが必要で
あります。38
〈場〉に要請される明瞭さは、光の明るさとして考えれば、暗い神殿は不適当だし、建
物がこみいっているスブラのような古代ローマの繁華街も〈場〉としてはふさわしくな
い。また〈場〉と〈場〉は、適当に離れていながら、なおかつきちんと整列している必
要があるから、ブドウの房の一粒一粒や壷の装飾模様などは、〈場〉としての候補の対
象外になる。これにたいして〈像〉は、見事な彫刻像を思わせるようなすばらしいもの
でなくてはならない。
記憶技芸の創始者シモーニデースのその逸話からだけでは曖昧であったが、ここにお
いて〈場〉と〈像〉は、記憶したい内容を部分に分けるときの最小単位にあたることが
はっきりとわかる。この単位は、記憶内容を分解し分節化するとき、頭で記憶するのに
適切な大きさをもち、記憶したものを引き出すのを容易にする広がりになっている。分
節化されたものが大きすぎては、記憶があまりにも曖昧になってしまう。逆に小さすぎ
るとかえって煩雑になって、覚えるべきことが多すぎてしまう。大きすぎもせず、さほ
ど小さくもない単位を、〈場〉と〈像〉とはもっていなくてはならない。そしてわざわ
ざ〈場〉と〈場〉との間に距離をおき、〈像〉を鮮明にするのは、最小単位の相互の混
同を避けるためである。個々の単位が明晰―判明に並んで、曖昧―混乱によって〈場〉
88
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
と〈像〉の秩序が乱さないよう配慮されている。
キケロは、対象を明晰―判明という軸において、〈場〉と〈像〉という媒介を用いて
精神に固着させるという記憶の道筋を明確に提示した。シモーニデースの逸話からは間
接的にしか伝わってこない、軸と媒介と道筋との明瞭化が、キケロの功績である。この
明瞭化によって、キケロの記憶手法は、これ以後、西洋の記憶技芸の根本様態を規定し
てしまった。認識の枠組みでいうなら、世界を単純化し分節するという分析指向の知の
パラダイムを暗黙のうちに肯定し、強化することに力を貸してしまった。世界は、明晰
―判明の軸において切り取られるブロック小単位からなりうるのだ。しかもこの小単位
は、〈場〉と〈像〉という媒介によって実体性を獲得し、その実体性ゆえに、共同体内
のほかの人々によっても共有され、互いの間で流通可能な貨幣のような具体性を帯びる
ようになる。キケロの記憶技芸は世界のなかにある多種多様なものとこととが、なんら
かの論理にもとづいて組合わされ配列されうるという世界への向き合い方に荷担してし
まったのだ。
人間は言語に代表されるような共同主観の力を借りながら、それらの世界を単純な単
位にもとづいて、習慣的に分断している。言葉のレベルでいうなら、複雑なもの(表現
したい観念)を単純なもの(単語)に分け、その単純なものをもういちど総合化(文)
して複雑なもの(文章)をつくっていく。そして総合化してできあがるその複雑なもの
(文章)を、存在世界や精神世界がもたらす複雑な現象に対応させ、この対応によって
この二つの複雑な物事の間に同一性が確立される。同一性は、人間が総合化して人工的
に作り出した複雑なもの、たとえば文章にかぎらず理論・原理といったパラダイムを、
存在世界・精神世界のあるがままの姿だと思いこませる。同一化と並行して起こる、も
のごとを単純なものへと還元する分節化の理性作業は、連続多様体としての対象のなか
に、なんらかの区切りを入れ、区切られたひとつひとつの単位を、あることがらとして
認知させる。言語レベルで再びいいかえれば、認知は言葉による世界分節化と対応し、
言葉による世界分節化こそがリアリティーをもって私たちに迫ってくるのだ。このリア
リティーは、ものごとを分類するという、理性がはたす機能のなかでも基本的な衝動を、
あたかも人間にとって第一義であるかのように前提としてしまう。また、そもそも存在
世界が、きわめて多種多様性を複雑に抱えこんでいる巨大な塊としてあることをやすや
すと忘れさせてくれる。この前提と忘却によって、精神世界では、さまざまな欲動が多
次元に展開し互いに錯綜し共鳴しあっていることは、もはや思考されるべき問題ではな
くなる。多面多様体としてある存在と精神のそれぞれの世界にたいして、目を閉ざすこ
とが許されるのだ。こういう思索の路線上に、キケロは記憶を無自覚に据えてしまった。
軸と媒介とによって拘束・固定され感知されうる実体として、記憶は矮少化され還元化
されてしまったのだ。
89
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
ただし、キケロはローマの弁論家であって、ギリシア哲学者ではなかった。世界のあ
り方や人間と世界とのかかわり方を体系化された理論という形で秩序だてることはしな
かった。なるほどこの雄弁家は、国家論・運命論などの哲学的著作は残しているが、そ
れらは主題が哲学にかかわっているというにすぎない。私たちがふつう哲学という言葉
から思い浮かべる、理論上の整合性、原理の一貫性、命題相互の有機的まとまりは、キ
ケロの場合には不透明で漠然としている。そのために、〈場〉や〈像〉という媒介は表
象化の機能として考えられているだけで、ある体系にもとづいて諸々の〈場〉や〈像〉
を有機的集合体として構成するまでにはいたらなかった。うまく〈場〉を設定して対象
を分類し、印象的な〈像〉によって対象を表現するという実践上の課題が、関心の大部
分を占めるのだ。
2.4.2.蜜蝋板
〈場〉と〈像〉とがどのようなものでなくてはならないかという概略のつぎに、記憶
は、ものごとに対応する記憶と言葉に対応する記憶との二つに分類される。
言葉に対応する記憶は、私たちにとってはそれほど必要なものではありませんが、ずいぶんと
多彩な〈像〉
によって分けられております。言葉はたくさんあり、言葉は弁論という肢
体を結びあわせる結節のようなものであり、
類似によって形成されえないものです。ところが、
ものごとに対応する記憶は、弁論家にとってとくに必要となる財産です。ものごとを象徴する
個々の人物[の像]を巧みに配列することによって、この財産を私たちは心に刻印することが
できるのです。その結果、
〈像〉という手段によって観念を把握し、
〈場〉という手段によって
観念の順番を把握することができるのです。40
ひとつの文のなかのひとつひとつの言葉に対応する〈像〉が、言葉に対応する記憶にあ
たる。キケロは、具体的にどのようなものを像として採用しているかに言及していない。
おそらく「勇気」という言葉にはアーレスやアキレウスを当て、樺山という名前なら山
の上に乗っているカバ(河馬)を連想するといった類のことだと、推察される。41
これにたいして、個々の観念に対応する記憶が、ものごとに対応する記憶である。個々
の観念に、〈像〉を割り当てるということは、観念を視覚的表象化をすることにほかな
らない。言葉の視覚表象化という記憶作業は、詩において比喩を創り出すこととは異なっ
ている。詩的比喩は、なるほど記憶作業と同様にあるものごとを別なものごとに置きか
える。しかし、比喩では、置きかえられたものごとを通じて、置きかえられる以前のそ
の本来のものごとがどのようなものなのか、置きかえられる以前よりも明瞭にまたます
ます豊かに直観によって把握されるようになる。たとえば、自分の愛する恋人と恋人に
まつわる感情を、「夏の日」(シェイクスピア)にたとえることによって、恋人と恋人に
90
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
抱く感情が私たちの直観によってより深く理解されるようになる。記憶作業では、この
深い理解はめざされず、どれだけ長時間にわたって記憶に保持されるかという実用価値
から置き換えがおこなわれる。しかもキケロのいう〈像〉は、言葉を積み重ねることに
よって誕生する輪郭のはっきりとしない比喩的イメージではなく、ひとつのくっきりと
した形をもった像である。置き換えによって創り出されるこの像は、言葉による置き換
えという比喩を補完するものとしてあるのではなく、それ自体で存在価値のある独立し
たものなのだ。では、記憶における観念の視覚表象化は、詩的比喩でないというなら、
絵画や彫刻のような視覚芸術像と考えてよいのだろうか。答えはノーである。なぜなら、
記憶作業の表象像は、芸術という特定の洗練された一分野のレベルにまで磨きあげられ
る必要はない。絵画・彫刻における像のように、像であることによって生活世界を高次
元から縦断して豊かにするわけではない。表象像にかりに美的価値尺度が適用されると
しても、美的でありうる必然性は美的であるがゆえに記憶の助けになるという、これま
た実用的理由があるからだ。
ものごとと言葉とに対応するそれぞれの記憶は、しかしながら、基本的には文字の比
喩を土台とすると、二つではなくひとつの記憶として考えられている。
記憶は、ある意味で文字の双子姉妹であって、異なった出自でありながらきわめて似ている。
というのも、文字は、文字をあらわすしるしと、そのしるしが書きつけられる材料とから成り
立っているように、記憶の集大成は、ちょうど蜜蝋版 のように、諸々の場 を用い、そ
れらの場に、ちょうど文字のように像 を割り当てる。39
音声なら弁別可能な音韻という素材があれば、言葉を現前化させることができる。とこ
ろが、文字の場合には、アルファベットといったしるしと、そのアルファベットが実際
に眼に見えるように書きつけられる素材なし
には、現前化が不可能だ。文字は音声とは異
なって、物質性を背負っている。キケロは記
憶を文字と対比させて、記憶という私たちに
はそこはかとない淡いこととして感じられる
ものの物質性を強調している。記憶は、私た
ちの精神のなかに浮遊しているのではないの
だ。たとえば音声・音韻がアルファベット文
字という視覚像に置きかえられ、それらの像
が音声・音韻が発声された順番に対応する、
生起順の各場に割り振られて、一つの単語と
91
図5蜜蝋板 ポンペイの壁画 左側の少年は
ノート型の蜜蝋板を右手にもっている。
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
なるように、あることがらの記憶も、覚えるべき諸々の対象のひとつひとつを〈像〉に
転化し、それらの〈像〉を頭のなかで思い描く〈場〉につなぎとめておく。諸々の対象
を記憶するこの整理法を、キケロは蜜蝋板 という場と、蝋の表面に刻み
こまれた画像との関係として考えている。蜜蝋版というのは、古代ローマで広く用いら
れた筆記用具だ(図5)。蜜蝋が板の上に塗って固まらせてあるので、そこにへさきの
鋭い鉄筆や木筆で文字や絵などを書きこむと、板をもう一度暖めるなり表面全体を削る
なりしないと、いったん刻みこんだ文字や絵は消えずにずっと残る。記銘されたことは
時間の経過にしたがって風化していくのが常であって、人間が記憶するひとつひとつの
ことがらは、はかない消散と散逸の運命にある。ところが、まったく無抵抗にこの運命
を受け入れてしまうのではなく、発言が文字という形で残されることによって時間の風
化に抵抗するように、記憶も〈像〉に変身し〈場〉に繋留されることによって刻印機能
が発揮され霧散しないのだ(図6)。
なお、キケロの功績としてさらに忘れてはならないのは、倫理枠として記憶を位置づ
けたことである。『弁論家について』よりも30年も前に書かれた『創案について』(前85
年頃)では、記憶を修辞ではなく倫理の枠のなかで考察している。
慎重とは、なにが善で、なにが悪か、またなにが善でも悪でもないかを知ることである。慎重
は、記憶、知性、予見からなっている。記憶とは、すでに起った事柄を、精神が思い起こす際
に用いられる能力である。知性とは、現在の事態を精神が確認する際に用いられる能力である。
図6 キケロにおける記憶
9
2
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
予見とは、ある出来事が起らないうちに、それがやがて起ることを認める際に用いられる能力
である。42
美徳は、慎重・正義・堅忍・節制の四つの部分(四枢要徳)からなるというのが、中世
からルネッサンスにかけて受け入れられていた定義だ。それぞれの美徳には、美徳を支
えている機能がある。慎重が慎重であるためには、記憶の機能が働かなくてはならない
と、キケロは考えたのだった。
2.4.3.視覚優位の記憶と視覚の悦楽
キケロの記憶方法を、大量に効率よく覚えこむための記憶芸にすぎないのだとして
さっさと片づけてしまうのは、早計に失する。キケロにかぎらず古典の先達は、人間の
魂に信じがたいほど強烈な印象を保持する技術の手ほどき、ただそれだけをしているの
ではないからだ。〈場〉と〈像〉を使った記憶様式が優れていると考えている前提には、
見ることは、人間にそなわっている他の感覚よりも強い印象を残すという前提がある。
〈場〉と〈像〉という映像手段が提唱されるのは、記憶による回想には映像化がとも
なうという一般的な理由があるためだけではない。もしもただたんにそれだけの理由で、
〈場〉と〈像〉が提案されたのなら、この方法は、道具をひとつ増やして生活を便利に
さが
する技術にすぎない。人間が
性
として背負いこんでいるこの一般的な意識メカニズム(回
想の映像化)のほかに、哲学的な信念が〈場〉と〈像〉の映像化の根拠にあるのだ。な
ぜなら古典哲学では、視覚は人間の五官なかでももっとも強大な力をもっていると考え
られていたからだ。
キケロは、次のような信念を表白している。
シモーニデースは聡明にも気づいていたのだが、……私たちの感覚のなかでももっとも鋭いの
は視覚であり、その結果、耳がうけとったものや反省したことがらが、もしも眼の瞑想を介し
て私たちの心に送られるなら、それらのものごとはこのうえなく容易に精神のなかに保持され
るのである。43
これはキケロに独特の思想ではない。アリストテレスも、ほぼ同じことをいっている。
すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感覚への愛好があげられ
る。……もっとも愛好されるのは、眼による感覚である。……その理由は、見ることが、ほか
のいずれの感覚よりも最良に我々にものごとを認知させ、ものごとの多くの違いをあきらかに
してくれるからである。44
9
3
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
中世哲学にきわめて大きな影響をあたえることになる『形而上学』の冒頭で、アリスト
テレスが述べているのは、すべての人間は知ることを欲し、知覚が一番好きだというこ
とだ。人間は、空間による対置と時間による連続、そして構想力による表象化をおこなっ
て、存在世界を認識する。ただし、人間は即時的事実というものをなまのままそのまま
まるごとつかめない。なぜなら、かならず時空間の軸において対象を表象化してしまう
からである。時空間のなかの表象化――それはまさしく視覚化する、ないしは視覚化せ
ざるをえないということである。
人間の本源的性向を視覚化と的確に見抜いたのは、アリステトテレスやキケロの後輩
にあたる、新プラトン主義者のプロティノスであった。いや正確にいえば、人間にかぎ
らず、生物と非生物をとわず、この世界内のすべてのものは、あるがままの姿(一者)
をながめる観照を希求していると、プロティノスは考えている。自然から魂へ、魂から
知性へと存在の位階が上位になるにつれて、観照と観照をおこなうものとの関係も緊密
化し、ますます一体化の傾向を強める。「この世のものは大地であれ植物であれ、すべ
てが観照を行っているのであって、人々の実践活動も、…それぞれが観照をめざして行
われている。」
(プロティノス『自然、観照、一者について』Ⅲ 8)。45 見ることの究極
に起こりえるのは、キリスト教の表現にしたがえば、神とじかにまみえる至福直観だ。
自我が崩壊して個人の頭脳によって表象される神概念が破られ、普遍的な大文字の神を
直観することが、人間にとってもっとも貴重で最高に望まれるべきことなのだ。
見ることの悦楽とでも呼べるような人間の性向は、映像化と共鳴して、精神のなかに
肉眼と類比関係にあるもうひとつの眼、すなわち心眼が考えられるようになる。次節で
述べる『ヘレンニウスへの修辞学』では、心眼はあたかも肉眼と同じように、眼からの
距離と対象の間隔を把握するかのように、その機能が述べられている。
外的眼[肉眼]のように、思考の内的眼[心眼]は、対象があまりにも近すぎたり、逆に遠す
ぎたりすると、視力が落ちてしまう。46
肉眼と類比される記憶の心眼は、距離、そして光をも把握するのだ。
心眼のなかに映っているものは、文字情報として思い浮かべられるのではなく、絵画
や写真のように頭のなかで再現されなくてはならない。ここにおいて、肉眼ではない別
な種類の視覚が想定される。その視覚とは、肉眼とはまったく無関係ではないにしても、
肉眼とは別な眼球であるはずだ。その眼球こそが、プラトンがいっていたように、心眼
(魂の眼)なのである。
94
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
2.5.『ヘレンニウスへの修辞学』
2.5.1.工夫された〈場〉
ではサイモーニデースの逸話を引用するキケロのローマでは、記憶がどのように考え
られていたのだろうか。これを教えてくれるもっとも有効な一次資料は、中世・ルネッ
サンスではキケロの著作だと誤認されていた修辞学書『ヘレンニウスへの修辞学』
(前86
82年)である。キケロ作との誤認には、それなりの根拠があった。この作品で述べられ
ている修辞学の考え方は、キケロの真作である修辞学書『弁論家について』の基本的考
え方を焙りだしているのだ。ローマ時代を通じて散文全盛をむかえた共和制末期に、キ
ケロに代表されるような修辞学がどのようなものとして考えられていたかを、教えてく
れるのだ。
とはいえ、キケロの威光で珍重されたこの著作は、冗長だが迫力のこもったキケロの
文体とは似ても似つかない。アリストテレスのごつごとした単調な文体にとても似てい
て、文章に魅了されるということはまずない。しかしアリストテレスと同様に、重厚な
建築物を思わせるそのどっしりとした構成感覚と、微に入り細をうがった分析が私たち
の心をとらえる。まず、修辞学の五部門が一本調子で順番に解説される。
(1)発想
:自分の主張を妥当なものとするために、主張にふさわしい論証の材料や方向を
さがしだす技術。(2)配置 :発想によって発見された内容を、適当な順序で
配列する技術。(3)修辞 :発想によってみつけられたことがらに、適切な言語
表現をあたえる技術。(4)記憶 :ことがらと言語表現を心のなかでしっかりと
覚えておく技術。(5)発表 :ことがらと言語表現の重みにかなうように、
発声や表情・身ぶりを調整する技術。47
(4)の記憶にかんする記述で、〈場〉と〈像〉の説明はキケロがいっていたことが具
体的にどういうことなのかを詳しく教えている。記憶技芸の根本は〈場〉と〈像〉との
設定であり、
〈場〉は、家屋、柱廊、凱旋門などで、
〈像〉は自分の気にいっている姿形、
しるし、似像などである。48 〈場〉をなににするかはきわめて重要である。違ったセリー
(系列)にある記憶すべき内容も、同じ〈場〉に割り当てられていくからである。たと
えば、大統領の不倫疑惑は政権失脚を狙ったでっちあげで、大統領は任期満了まで職責
をまっとうすべしという演説する場合に、その内容の一つ一つが〈像〉になり、できあ
がった複数の〈像〉がひとつのひとつの〈場〉に割り当てられる。次に、中国が核機密
を盗み出したために、自国の防衛は危機にひんしているという弁論をするとき、前の演
説でたとえば不倫に割り振った〈場〉に核機密が割り当てられ、政権失脚に当てた〈場〉
に、盗み出しをつなぎとめる。こういったように、〈場〉には弁論のたびごとに異なっ
た〈像〉が次々と付加されていく。〈場〉において新たな記憶すべき内容は次々と蓄積
95
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
されるのだ。そしてどんなに付加されても、また、記憶した内容の〈像〉が〈場〉から
時間とともにしだいに消えていっても、
〈場〉だけは記憶の土台として忘れてはならない。
蓄積の土台でもある〈場〉を設定するさいに注意しなくてはならないのは、
〈場〉そ
のものが一連のセリー(系列)となっているから、そのセリーの各要素の順番をしっか
りと覚えることである。たとえば〈場〉を一個の建物とした場合、その建物全体を想起
し、次にその建物のなかをめぐっていく順番を決めておく。決めた順にしたがって、建
物の中のひとつひとつの場所に覚えるべき〈像〉をおいていく。各〈場〉と〈像〉の接
着が完了すれば、〈場〉を訪れるのが正順であろうと逆順であろうと、どちらからでも
思い出せるようになる。49
ただし、〈場〉の数が少ないときには問題はないが、〈場〉数が多くなると、〈場〉に
アクセントをつける必要がある。アクセントのないのっぺらぼうな多数の〈場〉は、頭
のなかに混乱を引きおこす。混乱を防ぐために、五番目の〈場〉ごとになにか変った目
印をつけておく。たとえば、五番目には黄金の五本指、十番目の交叉部にはデキムスと
いう人名(ラテン語で10はデキムス)をつけておく。これらは、日本語ならさしずめ五
本松という地名や十字屋という屋号にあたるだろう。ともかく、番数と関係のあるしる
しを、大きな区切りとなる〈場〉につけておくのだ。
またもうひとつ、
〈場〉数が多い場合に〈場〉の選定で注意しなくてはならないこと
がある。ひとつひとつの〈場〉の違いをあらかじめ鮮明にしておき、混乱を起こさない
ようにすることである。柱廊のように、同じデザインがなんども繰り返される〈場〉は、
たとえ多くの〈場〉を提供するとしてもふわしくない。また石棺を装飾する彫刻の一場
面一場面のように、〈場〉のもともとの大きさがあまりにも小さいと、〈像〉をそこにつ
けたときに〈場〉全体があまりに混雑してしまい、これもまた混乱を引き起こすから、
勧められない。明晰―判明の路線は、ここでも着実に踏襲されている。
2.5.2.二種類の〈像〉
つぎに〈像〉についてだが、この弁論術の著者はキケロと同様にものごとに対応する
〈像〉と、言葉に対応する〈像〉との二種類に分けている。ここでいうものごとは、い
ブツ
わゆる
物
だけではなく、主張や見解までをもふくんでいる。これにたいして、言葉は、
図表1 修辞学部門と対象と記憶
9
6
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
一字一句違わずに覚えなくてはならない単語や語句をさしている。
修辞学の五部門のうち、それぞれの部門がものごとにかかわるのか、それとも言葉と
関係するのかは、かなり境界がはっきりしていた(図表1)。発想は、主題・主張を熟
考することだからものごと、配置は発想によってみいだされた内容の配列だからものご
と。ところが三番目の修辞は、主題・主張・内容にふさわしい言葉を提供することなの
で言葉にかかわる。修辞につづく記憶では、ものごとと言葉の両方をしっかりと保持す
ることが問題になるので、この第4番目の記憶においてはじめてものごとと言葉の両者
にかかわることになる。したがって、主題を思い出し、どのような順で議論を進めるか
を覚えるときには、〈ものごとの記憶〉
が必要になり、どんな言葉で語っ
ていくのか、その一字一句を記憶するときには〈言葉の記憶〉
を使う
のだ。
では、どんな〈像〉をつかったらよいのだろうか。答は〈場〉の場合とほとんど変ら
ない。大きく違うところは、
〈場〉は人ごみの少ない静かな場所が勧められ穏やかなイメー
ジをもっているが、
〈像〉は感情を高ぶらせる刺激的なものごとがよいとされている。
たとえば、空に輝く太陽は平凡だが、日食は異常なので〈像〉にふさわしい。著者は
〈ものごとの記憶〉の例として、たとえば毒殺事件で被告が原告側の主張をどう記憶し
たらよいか、その方法をあげている。
被害者を個人的に知っているなら、その人がベットで横たわっている姿を想像しよう。もし知
らないなら、誰かかわりの人が寝ていると想像するが、その人は最下層の身分であってはなら
ない。卑しい身分だと[町中にごろごろしているから]誰だかすぐに思い出せないからだ。さ
て、[君が弁護しなくてはならない]訴えられている加害者がそのベットのわきにいるものと
し、右手には盃を、左手には書字板をもっている。加害者の薬指には牡羊の睾丸がついている。
こうすることで、私たちは毒殺された人、証人、遺産を記憶にとどめておけるのだ。50
テステース
テステース
加害者がもっている盃は毒、書字板は遺書・遺産、睾丸
は複数の
証人
をそれぞれあらわ
している。こうして、加害者は遺産目当てに被害者を毒殺し、この事件には多数の証人
がいるという原告側の主張が記憶できる。具体的にどういう言葉で議論するかではなく、
どういう内容について議論しなくてはならないかが、ベットの〈像〉からたぐりだせる
のだ。これに続けて被告の弁護をするとなると、たとえば、被告は毒をもって殺したと
される日には元老院で開かれていた裁判に出席し、弾劾演説をしていたという具体的な
内容をいわなくてはならない。そこで白い服をまとった老人が人差し指を立てている姿
を〈像〉にして、その〈像〉を階段席という〈場〉につなぎとめる。ちなみに、ローマ
では裁判は、階段席にすわる元老院議員が自ら投じる評決によって決着がつき、議員は
トーガとよばれる白い服を身にまとっていた。
97
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
言葉に対応する〈像〉は、ものごとに対応する〈像〉と同様に、〈場〉を記憶するこ
とからはじまる。しかし言葉の一字一句を違わずに覚えることが目的だから、ものごと
の〈像〉よりもはるかに多くの〈場〉を設定しなくてはならない。牡羊の睾丸だけでは、
「複数の証人がいた」「証人は多数いた」「証人はたくさんいる」……といったように、
幾通りにも言葉が対応してしまう。そこで、たとえば「複数の証人がいた」といいたい
なら、顔の両頬をふくらませた人物を思い浮かべ、その人が睾丸を指につけ、その指を
・・
・・
下を向けているといったようにする。51 二つの頬をふくらませているから「複数の」と
なり、睾丸は「証人」
、下に向けた指は過去をあらわすから「いた」となる。こんな奇
妙なしぐさをしている人物が、〈像〉となるのだ。その人物から「複数の証人がいた」
を思い出すのだ。ただし〈場〉と〈像〉を思い浮かべるだけでは不十分で、少なくとも
三、四回は繰り返して〈場〉から〈像〉を読まなくてはいけないと、著者は注意してい
アルス
ナートゥーラ
る。繰り返すことで、「
技芸
は
自然
を補完する。というのも、技芸も自然もただそれだ
アルス
けでは十分に強力ではないのだ」
。52 著者はこの本の末尾を、記憶の
技
は、なんども繰
り返すという記憶の基本的行為(自然)なしにはなんら益するところがないといってし
めくくっている。
『ヘレンニウスへの修辞学』は、頻繁にでてくる言葉には、あらかじめ規定した対応
する〈像〉を決めておいたほうが、便利だといっている。実際にギリシアでは大半の
人々が〈像〉のリストをもっていた。「ギリシア人の多くは、…数多くの言葉にたいし
てそれらに呼応する像をリストにするという方針をとっている。リストがあるおかげで、
そら
像を
空
で覚えたい人たちは、像をどういうものにするかと無駄な労力をはらわずに、像
を手中のものとすることができるのだ」。53 この像が具体的にどんなものであったのか、
著者はいっさい述べていない。フランシス・イェイツは、速記文字ではないかと推測し
ているが、これには確証がない。どんなものだったかという歴史上の事実の詮索も大切
だが、著者が像リストにあえてふれようとしない理由そのもののほうが、はるかに興味
深い。言葉に呼応している像を数千作り出したところで、実際に使う言葉全体をカバー
できないから、そんな像は覚えても、あまり役にはたたないという理由なのだ。
しかし、著者が無駄だと考えている手法は、まさに漢字が多数存在するロジックなの
だ。ギリシア文字にしてもローマ文字にしても、音声を正確に転写しようという性向を
もっている文字だ。これにたいして、漢字は、自らの母体にはらみもつ生成してやまな
い形をバネにして、ブラックホールのように強烈な力によってあらゆるものを呑みこん
でいく音声の場にとりこまれない。漢字は、音声の転写手段になりさがる、アルファベッ
ト表音文字の運命に、素直に従わない。漢字自身が孕むその形によって、概念という心
的なものの方に吸いこまれていくその瞬間に、漢字は視覚的な連想力を稼動させる。た
つくり
とえば、梅という漢字は、ローマ字表記の とは異なって、
旁
の「毎」によって音声
9
8
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
へん
情報を伝え、「木」という
片
で、それが木の一種であることを指示している。さらに漢
字は、眼にみえないものごとを、形として自らの内部に背負っている。漢字「梅」の場
合でいえば、梅が実をたくさんつけることと、母親が子をたくさん産むこととが類比さ
れて、記号表現としての梅は記号内容としての多産を象徴する。53 漢字では、アルファ
ベット文字にはないこの視覚的連想力が働いて、概念に概念が重なりあって、そこには
様々な可能性が開けてくる。ということは、漢字は、高貴なギリシア人や実践的なロー
マ人が創案し流布することのできなかった優れた記憶技芸の〈像〉といってよいかもし
れない。
2.6.クインティリアーヌス
2.6.1.想像される〈場〉
シモーニデースの場合には、〈場〉が宴会場のひとつひとつの席であり、
〈像〉はそこ
に座っていた一人一人の客であった。宴会場と宴席は、死体が誰かを実際に確定するた
めには必要だから、この場合には〈場〉と〈像〉をなににするかはあらかじめほぼ決
まっている。しかし、演説・弁論の場合には原理上はほぼどんな〈場〉を想定してもか
まわない。
〈像〉として想起される演説・弁論の各部分も、原理からすればこういう
〈像〉でなくてはならないという必然性はそれほど強くない。無契的で、恣意性の度合
いが高いのだ。〈場〉と〈像〉をなににするかは、発言者の意図にかなりまかされてい
る。いいかえれば、発言者がきわめて自由に〈場〉と〈像〉を決められたのだ。
しかし、発言者の自由といっても、人間の精神は勝手気ままで無作為な方向に発散し
アーキタイプ
ているわけではない。20世紀の力動心理学の成果、とりわけユングの
原型
が示唆するよ
うに、人間が心のなかに思い描くイメージは、おおまかではあっても一定のパターンを
もっている。したがって、人間の意識にうったえる〈場〉と〈像〉も、なんでもよいと
いうわけではなく、人間の心性に沿うようなパターンが好まれることになる。
〈場〉のなかでももっとも人気が高く、圧倒的によく用いられたのは、建物であった。
〈場〉として建物を勧めたのが、ヨーロッパで修辞学の最高の大家として尊敬をあつめ
たクインティリアーヌスである。1
2巻からなる大著『弁論術教程』
96年頃 のなかで、
この教師は「できるかぎり大きくて変化にとんでいる〈場〉を覚えるべきである」と述
べている。55 この修辞家が、変化にとんでいるという言葉でいわんとしていることは、
前庭、居間、寝室、談話室などの多種類の部屋と、彫像などのさまざまな室内装飾品で
ある。〈建物〉の設定のつぎは、演説・弁論を複数の〈像〉にすることだ。クインティ
リアーヌスが勧める像は、錨と武器であった。それらの〈像〉を一部屋一部屋におき、
また各部屋にある装飾品につなげていく。この接着作業が終わったら、こんどはもう一
9
9
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
度、その建物を思い出し、順番に部屋や装飾品を訪ねていく。
〈場〉と〈像〉を利用す
るシモーニデース―クインティリアーヌス法は、ローマ時代に元老院で弁舌をふるう演
説家たちが、精神のなかに仮想建物を想起し、順に建物をめぐりながら話を進めていっ
たことを教えてくれる。演説は舌から流れ出るように進んでいくが、それは意識のなか
の建物回覧と並行して進んでいったのだ。
この修辞家の記憶法にかんする明瞭な手ほどきは、たんに建物を想定せよと指南する
だけにおわらない。〈場〉については次のように銘記している。
ですから私たちには〈場〉が必要で、それは現実のものでも想像上のものでもどちらでもかま
いませんが、〈像〉ないし〈摸造〉は創り出さなくてはなりません。56
〈場〉と〈像〉とをわけてはいるが、そこに通底している基本的構えは、演説家がおの
おの個別にイメージしてもよいということだ。〈場〉や〈像〉は、生活世界でみかける
建物や出来事にべったりと一致する必要はもはやないのだ。このことは、
『ヘレンニウ
スへの修辞学』でも述べられている。「思考は、どんな領域でも抱くことができるし、
思考それ自身のなかに自分の意のままに〈場〉を設定することができるのだ」
。57 この
ことから、イェイツは、記憶技芸では〈場〉は現実に知っている場所でなくとも、「虚
構の場所」と呼ばれる想像上の〈場〉でもこの時代からよかったのだと、主張している。
5
8 たしかに人間が想像を働かせて自由裁量によって〈像〉や〈場〉を決めてもよいこと
は、『ヘレンニウスへの修辞学』から明瞭になった。しかしでは実際にどのようなもの
を〈像〉や〈場〉にするかという段になると、この本はあまりはっきりとは教えてくれ
ない。クインティリアーヌスにおいてはじめて、〈像〉や〈場〉が想像によってもよろ
しいという裁可とともに、〈像〉や〈場〉を具体的にどう設定したらよいかという指針
が設定された。
2.6.2.〈像〉の愛憎
「私たちの教養はすべて記憶にあります」
(
.
.
1)といって記憶を賞賛しているクイ
ンティリアーヌスだが、〈言葉にたいする記憶〉で〈像〉を使うことにかんしては、慎
重であった。言葉そのものではなく、言葉を思い出すために〈像〉を思い出すことはか
えって記憶の負担になる。第一、一語一語に対応する像を作り出していく手間は、想像
を絶するほどの労力がかかるからだ。つまり漢字のような表意文字の世界は、わずらわ
しさ以外のなにものでもないのだ。その代わりにこの学者が勧めるのは、分割法である。
ある演説を覚えなくてはならないなら、それを大きな単位にまず分け、その単位を今度
はまたいくつかの小単位に分けていく。そうすると演説は、自分で覚えられそうな小単
100
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
位のブロックになって、記憶ができるではないかという。59 ここでもまた、キケロのと
ころで出会った路線――軸と媒介とによって拘束・固定化され感知される実体へと矮小
化する記憶――が踏襲されている。ただし、この学者は、
〈像〉そのものを蔑視してい
たわけではない。生き生きとした〈像〉は、話し手はもちろん、聞き手にも感情と注意
を喚起し、
「私たちの精神に消すことのできない刻印を残す」
(
.
.
31)と指摘してい
る。60 言葉だけだと忘れてしまう演説の内容も、そこに〈像〉がリンクしているといつ
までもしっかりと記憶に残るから、そういう像なら歓迎だという。そういう〈像〉は、
自らが想像によって作成した像であることはいうまでもない。
2.6.3.〈場〉と〈像〉の無限ループ
繰り返すが、自由裁量の余地が最初からほとんどない宴会場の死体を同定するシモー
ニデースの場合には、〈場〉は宴会場、〈像〉は招待客というように記憶するその具体的
な〈場〉と〈像〉はほぼ決まっていた。シモーニデースの逸話を引用する弁舌家キケロ
にとっては、〈場〉と〈像〉は記憶する本人が恣意的に偶然にほぼ自由に決めることが
できた。クインティリアーヌスは、〈場〉を建物、〈像〉を錨・武器にするよう勧めた。
これによって、〈場〉と〈像〉とに方向性が定まり限定が加えられていった。この三人
の態度の変化は、〈場〉と〈像〉が事実密着型から、抽象化をへて記号化にというに流
れととらえることができる。
しかしここで見落としてはならないのは、記憶した内容を記憶するために〈場〉と
〈像〉を記憶しなくてはならないという、記憶するために記憶が不可欠という構造である。
記憶はどこまでも記憶へと遡及していく。記憶技芸では、そもそも〈場〉と〈像〉が成
立するためには、個々の〈場〉を統合している全体の場、クインテイリアーヌスの場合
でいえば、個々の部屋をひとつの場としてまとめあげている邸宅という〈場〉が必要で
ある。
数多くの部屋にわけられている広々とした邸宅があります。邸宅のなかの目立つものひとつひ
とつを、こつこつと心に刻みつけ、思考が邸宅のどこにでもなんの障害もなく走り回ることが
できるようにするのです。そのためにまず最初にやるべきことは、やすやすと邸宅内を走り回
れることを確保することです。邸宅をこのうえなくしっかりと記憶しておけば、これから記憶
することの助けになるからです。61
邸宅を自由に動き回れるために、邸宅内の部屋をひとつひとつくまなく覚えこむ。覚え
こむのは、これから覚えようとすることがらをスムーズに覚えるためだ。では、部屋を
覚えるにはどうしたらよいのか。それは、説明されていないのだ。ちょうど辞典の基本
101
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
語のように、石の説明に「岩より小さく砂より大きな岩石」とあると理解できたつもり
になる。しかし、岩は「地上に現れている大きな鉱物」と説明されいて、さらに鉱物を
ひくと、「固体の岩や石の類」となっている。石→岩石→鉱物→固体の岩や石といった
ように、ループ状に元に戻ってきてしまう。この自己言及性は、これから記憶しようと
するものを記憶するために、邸宅の記憶を要請するが、邸宅を記憶するためにどうすれ
ばよいのかを答えてくれないのだ。記憶したい内容を効率よく大量に覚えるためには、
さらに別なことを覚えるという入れ箱式の仕掛けがあるのだ。62
この自己言及性がもたらす不条理は、修辞学部門の網にかけるとますますはっきりし
てくる。一見すると〈ものごとの記憶〉と〈言葉の記憶〉は、修辞の第四部門である記
憶がとりあつかうことになっているものごとと言葉に呼応して、整合性があるように思
える。ところが、記憶の柱は〈場〉と〈像〉であった。〈ものごとの記憶〉のそれぞれ
と〈言葉の記憶〉にも〈場〉と〈像〉がなくてはならない。毒殺事件の〈ものごとの記
憶〉の例でいうなら、著者ははっきりとは述べていないがベットが〈場〉ということに
なるだろうから、ベット→階段席が〈場〉であり、書字板、薬指、白い服、人差し指と
いった〈像〉が、それぞれの〈場〉につなげられる。しかし、これらの〈場〉と〈像〉
はいわば最初の下位にある第一区分である。これを〈場〉1と〈像〉1とするなら、これ
らを包みこむようにして上からおおいかぶさる、修辞第三部門における〈場〉と〈像〉
がある(図表2)
。この修辞部門の〈像〉は、〈場〉1と〈像〉1が指し示している内容を
どのような言葉によって表現するかという、具体的なひとつひとつの言葉である。この
言葉が、新たな〈像〉によって置き換えられ、置き換えられたその〈像〉はそれまでな
かった〈場〉に結びつけられる。この〈場〉と〈像〉は、〈場〉1と〈像〉1の次にやって
くるものなので、〈場〉2と〈像〉2とする。言葉の修辞は言葉によって内容をくるむが、
くるまれた内容のひとつひとつは、今度は修辞学の第二部門である配置によって並べら
れる。ベットと階段席のどちらをさきに述べるのか、その順番が決められる。
図表2 修辞学部門と記憶の働き
102
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
配置という高次の枠組みが、くるまれた内容をさらに上からおおうのだ。いったん配
置が決まれば、くるまれた内容のひとつひとつをまた新たな〈場〉と〈像〉によって置
き換えなくてはならない。配置は、言葉の修辞よりも上位にあるから〈場〉3と〈像〉3
となる。しかし、配置は、毒殺事件であれば、被告は無実であるという大目的をもっと
も効果的に主張するためのものだから、その大目的に支配されていることになる。そし
てこの大目的そのものも、覚えている必要があるから、〈場〉4と〈像〉4に転換されなく
てはならない。この〈場〉4と〈像〉4こそ、これまでのすべての〈場〉と〈像〉を創り
出す根拠のもっとも一番背後にある根拠である。
ここまでくると、前の図(図表1)のように、発想→配置→修辞→記憶というお定ま
りの部門の順序とは逆行する動きがあることがわかる。各部門に必要な記憶とは別な記
憶の働きがあることがわかる。記憶はすべての部門にかかわっているが、そのかかわり
方は、ものごとか言葉かという結びつきだけではないのだ。記憶は、その〈場〉と〈像〉
という二本柱によって、第四部門に限定されない。入れ箱式に下位部門のことがらにか
かわるはずの記憶がさらに上位の部門のことがらにかかわることによって、記憶は記憶
によってつぎつぎと支配されていくのだ。第四部門の記憶は、ちょうど池の水面に落と
した石のように内側から外へ、個々の具体的なことがらからさらにおおきなことがらへ
とその波紋を広げいくのだ。その広がり方は、お定まりの部門順序が教える記憶が登場
する順序とは逆の方向に進んでいるのだ。また、含み含まれる関係においても、発想・
配置(〈ものごとの記憶〉)と修辞(〈言葉の記憶〉)という修辞学の定石では異なった二
項は、記憶という土台において成り立っているので、記憶が発想・配置と修辞とをまと
めあげる根源的力になっている。ところが、下位が上位に包摂されていく過程にあって
は、記憶は発想・配置・修辞の僕なのだ。記憶は、支配者にして僕であり、逆行する双
方向性をはらみもっているのだ。それは、たとえば、言語
を語るとき言語について言語を用いなくてはならないと
いった二重性と同じように、自己言及的であるということ
だ。自己言及性ゆえにかかえこんでしまう錯綜性・過剰性
のため、記憶は、おさまりのよいユークリッド平面幾何の
体系を破りでて、いつのまにか内側の面が外側にめくれで
て、外側が内側に転換するクラインの壷のようにたちあら
われているのだ(図7)。
記憶が深層でおこなっているのは、このように弁論にト
ポロジカルな変形をあたえることなのだ。ところが私たち
は、そんな爆発的な曲芸をおこなっている記憶の妙技をく
さすかのうに、毒を抜かれた〈場〉と〈像〉の設定に記憶
103
図7 クラインの壷
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
を収斂させてしまう。記憶というクラインの壷をぺしゃんこに押しつぶして、単純な平
面にしてしまうのだ。この押しつぶされた記憶は、弁論という本来ならば発散して多面
多様体となってしまうために小さな理性では理解不可能なものを、あたかも理解可能で
あるかのように平面化し規格化する。そこにつくりだされるのは、平面的でおさまりの
よい弁論だ。弁論は記憶をとおして、手にとっていともたやすくもてあそぶわかりやす
い対象に堕してしまう。それと同時に、弁論だけではなく記憶そのものも、
〈場〉と
〈像〉といった社会に流通する記号に変換されて、弁論と同様にもおさまりのよい社会・
文化の枠組のなかにはめられていくようになるのだ。そのために、記憶は弁論と同様に
錯綜する過剰性をもっている多面多様体であるという事実が、ますます隠蔽されてしま
うのだ。
3.三つの記憶
3.1.刺激と信号
とするとこれら古代ローマの著述家たちが同時に見落としていたのは、記憶の特異性
ということになる。記憶は修辞学の一部門としてとりあつかわれるには、あまりにも重
過ぎる精神機能なのだ。言い換えるのなら、記憶が哲学的な吟味をへていないために、
あまりにも軽々しくあつかわれているのだ。彼らにとって記憶を考察するとは、あらか
しゅ
じめて定義可能なものである修辞学という
種
のなかで、発想・配置・修辞・記憶・発表
という類がどのような棲み分けをしているのか、その領域を確定するだけである。また、
つぎに記憶を種に格上げして、そのなかにものごとの記憶と言葉の記憶という別々の類
が住んでいることを説明するにとどまっている。これは、あらかじめ確立された記憶と
いう観念を、既成の枠にしたがって分類し細かく説明しているだけで、ジグゾーバズル
の各ピースをはめこむこととあまりかわらない。
そもそも記憶は、時間の流れのなかで忘却してしまう人間の脳の働きに歯止めをかけ
る反エントロピーの作用をする。円環的であれ直線的であれ、ともかく時間の流れのな
かに身をおかざるをえない人間は、時間の流れとともにいやおうなしに経験を重ねてい
く。ここでいう経験とは、会得する知識や技術という狭い意味の経験ではなく、五官に
よって見たり聞いた感じたりすることや、自分の身体によって試みたりすることまでを
もふくんだ広い意味の経験である。しかしこの意味での経験なら、おおよそ感覚器官を
もっている動物ならほとんどすべて例外なくおこなっている営みである。ただし、意識
をもたない下等動物は、感覚器官が受ける刺激にたいして、あらかじめ決まった反応を
して生きている。経験は、意識をへない反射運動に終わってしまう。おそらく に
104
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
埋めこまれている遺伝情報のなかでももっとも原始的な知である反射は、刺激をうけた
瞬間に想起され、反応が開始する瞬間に忘れ去れられていく。記憶は本来永続性が要請
されているが、瞬時に想起と忘却が起るという意味では、この記憶は、瞬間的記憶といっ
てもよい。
ところが、家畜や人間などの高等な動物は、経験にたいして反射だけでは終わらない。
自らの意識を行使して、無数な経験のなかからそのうちのある特定の経験だけを有徴と
して認識する。無数の経験のなかからどの経験をひとつの反復されたパターンとして認
識するかは、本能だけにべったりと依存していてはできない。認識は、意識そしてさら
には意志によって左右されるのだ。そしてなにを認識するかというその一歩手前にある
のは、そのなにかが反復されていることに気づくことである。その気づきがあるために
は、当然、記憶がなくてはならない。ということは、認識の土台となっている意識には
記憶が不可欠だということになる。だからこそ、ベルグソンは次のようにいっている。
「意識とはまず記憶を意味します。…意識とは、現在における過去の保存と蓄積なので
あります。…精神は現在あるものにかかわっていますが、しかし、それはなによりもま
ずあろうとするもののためにである。注意とは期待であり、生へのなんらかの注意をと
もなわない意識はない。」(ベルクソン『意識と生命』)63
しかし、意識を記憶に収斂させるベルクソンのように、記憶を広義に考えてしまうと、
古代ローマの三人が自覚していた人間に特徴的な記憶が隠れてしまう。記憶とのからみ
において、人間を他の動物から区別する特徴が、消されてしまう。それでいったいよい
のであろうか。高等動物の場合には、時間の流れのなかで生じる独立した諸経験が、時
間が経過していくなかですべて流産していかない。記憶のおかげで、諸経験のなかの一
部分が同一の経験として意識に定着する。高等動物では、パブロフの有名な唾液条件反
射の実験が教えるように、条件反射によって、ある刺激に付随するものが刺激そのもの
にとってかわられる。ベルが鳴るという刺激と餌を食べるという刺激は、記憶の働きに
よって、ベルが鳴る刺激だけで、餌をあたえられなくなってからも唾液を流すという行
動を引き起こす。刺激に付随するものが刺激そのものにとってかわられる。記憶の恩恵
によってこの交替現象が起こり、高等動物は信号(シグナル)を選別し、選別された信
号に自分の行動を結びあわせていく。
3.2.信号と記号
記号も、信号と同様に置き換えという機能を果たしている。この意味では、パブロフ
実験で鳴るベル(シグナル)は、犬にとっては信号にして記号である。しかし記号は置
き換え機能だけにはとどまらない。
105
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
図表3 記憶と諸機能関係
(破線の枠組みは、包摂関係を示す)
たとえば、犬は飼い主の名前を聞くと、急に反応する。二人が犬のそばでは会話をし
ているときに、犬がよく知りまた記憶している人物の名前が会話のなかにでてくると、
犬はその人物がその場にいるのかと思い、あたかもその人がいるかのような反応をする。
それは、その人の名前が犬にとってひとつの信号になっていて、その人の登場が頭をな
でてくれるだとか散歩だとかいった刺激に結びつくので、反応するのだ。ところが会話
をしている当の二人にとっては、その人の名前は言葉(記号)である。その言葉を発す
ることによって、あるものごとやある状況を二人は心のなかに抱くことになる。その抱
かれるものは、対象そのもの(言及物)ではなく、対象の概念(記号内容)である。記
号が直接意味しているのは、ものごとの概念(記号内容)であって、ものごとそのもの
(言及物)ではない。あるものごとやある状況を概念として心に抱いたからといって、
あるものごとやある状況がいまそこに実際にある場合に反応するようには、反応しない。
ところが、犬にとっては、言葉は記号ではなく信号であるから、あたかもそこに実際に
あるかのように反応してしまうのだ。
人間の場合には、「音声行為 から言葉行為 へという歴史の
趨勢」があった。64 人間は、固有の言葉をもっている。人間の場合には、諸経験の一部
が受動的に総合化されるのではない。言葉は、信号機能から記号機能へと人間の経験受
容様式を変えていく。記憶は、内的で質的印象から出発して、個別の諸事例を、記憶の
時空間のなかで保存する。しかし、人間の場合には他の高等動物とは異なって、その印
象も記憶の時空間も、信号としての印象や経験実態に近接した時空間ではない。象徴化
された、記号の豊穣な領域になっているのだ(図表3)。
記号化は、人間のもっている感覚器官のなかでもおそらく視覚にもっとも多く依存す
る。これは、記憶によって意識のなかにできあがる内的な質的印象の多くが、映像化に
よって想起されることから容易に察しがつく。そして、映像化されるものは必ず広がり
をもつから、〈場〉と〈像〉という記憶の要がいずれも空間的広がりあることは、偶然
ではないのだ。
106
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
注
1 ヒッチコック、トリュフォー『映画術』
(山田宏一 蓮見重彦訳 晶文社 1981年)83
84ペー
ジ。
2 古典古代の韻文が暗誦に適していたことについては、次書を参照。
.
3 アラン・リチャードソン『心像』(鬼沢貞・滝沢静雄訳 紀伊国屋書店 年)
ペー
ジ。
4 5 プラトン『ヒッピアス(大)
』(プラトン全集第1
0巻)(北嶋美雪訳 岩波書店 1
975年)
17ページ。
6 . プラトン『パ
イドロス』(プラトン全集第5巻)(藤沢令夫訳 岩波書店 1974年)254
256ページ。
7 . 外林大作他編『誠信 心
理学辞典』(誠信書房 1981年)41ページ。
8 オリジナルと痕跡との関係、およびオリジナルに到達できるとするプラトンの考え方への批判
は、
.
9 ちなみに東洋では、〈場〉と〈像〉の置換法ではなく、お経などにみられるようにリズムによ
る暗誦法が多用されたし、また現在でもある分野では好んでもちいられている。参照 綿本昇
『「空」の奇跡でやる気の出る本:集中力、記憶力、創造力がみるみるアップする密教瞑想』
(プ
レジデント社
1984年)。
10 栗田昌裕『栗田博士の「超」記憶法』
(廣済堂1996年)32−221ページ。この本では、20種類の
記憶方法が解説されている。また、誕生日や相手の名前など、それぞれの事項別に記憶方法を
提言したダグラス・ハーマンは、約94の記憶術を教えている。参照ダグラス・ハーマン『超記
憶術』
(土田光義訳 白楊社1994年)。なお、近代の著作で、大容量記憶術の典型となっている
のは、イギリス人リチャード・グレイのもの。
.
11 実証主義アプローチの典型は、
12 .
13 14 引用は、カトリック教会に追われていたブルーノをヴェネチア(ベニス)に招聘することに一
107
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
役買った書店主ジョヴァンニ・バッティスタ・チォットの言葉。清水純一『ルネッサンスの偉
大と頽廃――ブルーノの生涯と思想――』(岩波新書
1972年)204ページ。
15 ただし中世でも記憶技芸は廃れることはなかった。
.
16 . プラトン『ピレボ
ス』(プラトン全集第4巻)(田中美知太郎訳 岩波書店 1975年)233ページ。
17 .
プラトン『ティマ
イオス』
(プラトン全集第12巻)
(種山恭子訳 岩波書店 1975年)
61
62ページ。および 。
18 1914
. プ ラ ト ン『ク ラ
テュロス』(プラトン全集第2巻)(水地宗明訳 岩波書店 1974年)160ページ。
19 . プラトン『テ
アイテトス』(プラトン全集第2巻)(田中美知太郎訳 岩波書店 1974年)335
336ページ。
20 プラトン『ソピステス』
(プラトン全集第3巻)(藤沢令夫訳 岩波書店 1
976年)補註 172
ページ。ヒルシュベルガー『西洋哲学史 Ⅰ古代』
(高橋憲一訳 理想社 1
967年)157−158
ページ。
21 .
22 . プラトン『国家
(下)』(藤沢令夫訳 岩波文庫 1979年)146ページ。
23 Ⅲ
. アリストテレス『形而上学 上』(出隆訳 岩波文庫 1961年)
。
24 Ⅲ
以下とくに断りのないかぎり、原典からの引用の訳文は拙訳による。
25 Ⅲ
.
26 .
27 .
28 アリストテレスは別な著作で、同じことを言語にからませて次のように述べている。「人間の
外には客観的な事物がある。人間の認識力は根本的に同じであるから、客観的事物は万人に同
じく認識される。そして、人間の頭にできた観念を表現するとき音声を符号として用いるが、
この符号は民族によって異なる。この符号を記述するのが文字であり、それは音声に対応して
いる」「ペリ・ヘルメニアス」(『オルガノン』)
29 .
30 アリストテレスは、あきらかに記憶技芸が存在することを知っていた。記憶の表象像を説明す
る際には、表象像が一瞬のうちに霊魂に浮かびあがる様子を次のように説明している。「記憶
に通じており像を作ることのできる人々のように、人間は眼の前になにかを作り出すことがで
きる」。
.
31 アリストテレスによってもたらされた差異の取り消しについては、ドゥルーズの批判が手厳し
い。
.
32 .
.
108
記号化の胎動:ギリシア・ローマ時代における記憶技芸の系譜
33 『プラントン全集』第2巻(加来彰俊・藤沢令夫訳,岩波書店,1974年)。また、次の箇所も同
じように事実をゆがめる弁論家への批判になっている。プラトン『パイドロス』
;
『国家』
。
34 アリストテレス『弁論術』(戸塚七郎訳,岩波書店,1975年)
。
35 アリストテレス『弁論術』
。
36 37 .
38 . なおロエブ訳では、
「活発で、鮮明な輪郭をもち、異常な」
となっているが、最後の「異常な」
は「並はずれて偉大な」と解釈した。
39 .
.
40 . 拙訳の「弁論という肢体を結びあわせる結節」とは、弁論
を人間の体にみたて、弁論の各部分(各配置)を肢体とし、その肢体を結び合わせなおかつ各
肢体を構成している個々の肉体器官を言葉と重ねあわせている。
「個々の人々」
はロエブ訳では、「いくつかの仮面」となっている。古典古代では、抽象概念が人物像であら
わされたことを考えれば、
は仮面ではなく人物ないしは人物像のほうが、適訳だと考え
られる。
41 ソクラテスより以前から残されている断片集『ディアレクセイス』
には、
という名前は、
「火」
+「輝く」
として結びつける例が出ている。
.
42 .
43 .
44 アリストテレス『形而上学』(出隆訳 岩波文庫 1961年)
。
45 田中美知太郎編『プロティノス全集』(中央公論社 1988年)Ⅱ.20ページ。
46 [
]
.
47 キケロの定義も参考になる。
.
48 .
49 「〈場〉が順序立てて配列されていると、その結果として、
〈像〉を思い出すときには、
〈像〉が
付けられていた〈場〉を、気に入ったどの〈場〉からでも、その〈場〉からどちらの方向にで
も、口に出していうことができるのだ」(同上)120ページ。
50 Ⅲ
.
51 Ⅲ
. 著者はラテン語の詩行の例をあげているが、煩雑なので、筆者の考
えた例をあげた。
52 Ⅲ
.
53 Ⅲ
.
54 拙稿「矮小化された象徴形態:ソシュール『一般言語学講義』における恣意性からみた文字」
(名古屋大学言語文化部論集)巻(
年)
‐
ページ。
55 .
56 .
109
言語文化論集 第ⅩⅩⅠ巻 第1号
57 .
58 .
59 60 61 .
62 .
63 『世界の名著53 ベルグソン』141ページ。
64 .
本稿は、科学研究費補助金(基盤研究 )
「アルチャート著『エンブレム』におけるルネッサンス
法学の〈歴史手法〉と〈記憶術〉」(平成8年−9年度)の成果の一部である。
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