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第 6 章 重慶・成都のオートバイ産業管見と雑感

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第 6 章 重慶・成都のオートバイ産業管見と雑感
第6章
重慶・成都のオートバイ産業管見と雑感
第 6 章 重 慶 ・成 都 の オ ー ト バ イ 産 業 管 見 と 雑 感
出 水 力 (大 阪 産 業 大 学 経 営 学 部 )
はじめに
中 国 は 2 回 目 の 訪 問 だ が 、 前 回 は 1983 年 7 月 の 末 か ら 2 週 間 に わ た り 日 中 産
業 技 術 史 交 流 訪 中 団 の メ ン バ ー ーと し て 、当 時 の 山 崎 俊 雄 産 業 考 古 学 会 会 長 含 め
た 10 名 の メ ン バ ー 一 員 で 参 加 し た 。地 域 は 北 京 と 東 北 部 の 審 陽 、 撫 順 、 鞍 山 そ
し て 沿 海 部 の 上 海 に 立 ち 寄 っ た 。参 加 メ ン バ ー ーの 多 く は 鉄 鋼 の 研 究 者 が 多 く 、
主に製鉄関連の施設の施設を見学したが、他には工作機械、自動車生産、紡織
工 場 な ど も 訪 問 し た 1。
当 初 は 工 事 中 の 宝 山 製 鉄 所 を 見 る こ と も 最 大 の 目 的 の ひ と つ で あ っ た が 、日 程
に関係なしに変わる中国側の事情に振り回され、当初の目的がたっせなかった
の は 、今 考 え て も 残 念 で あ る 。ま た 、何 処 に 行 っ て も 出 て く る 中 国 側 の 冒 頭 の 挨
拶 は 、 4 人 組 に よ る 文 化 大 革 命 の 混 乱 は 、 近 代 化 に 遅 れ を も た ら し た 。我 々 は 、
そ の 遅 れ を 取 り 戻 し た い と い う 意 味 の こ と が 述 べ ら れ た 。今 回 の 訪 問 地 域 は 中
国 で も 西 の 内 陸 部 で 、 前 回 の 地 域 と 比 較 す る こ と は 時 間 ・空 間 が 大 き く 異 な り 、
象 の 頭 と 尻 尾 を 比 較 す る よ う な も の か も 知 れ な い が 、better than doing と 言 っ た
意味で少しは参考になろう。
1.中 国 オ ー ト バ イ 産 業 の 概 観
前回には北京にしろ東北部にしろオートバイは見ることがほとんどなかった。
と言うより全く印象がない、あるのは軍用と警察用の国防色に塗られたオート
バ イ だ け で あ る 。朝 夕 の 通 勤 ラ ッ シ ュ に 、雲 霞 の 如 く わ い て く る よ う な 実 用 自 転
車の存在に、どこにこれだけの自転車があるのかと、オートバイ社会の前兆が
予 測 で き た 。オ ー ト バ イ の 車 体 系 技 術 は 自 転 車 に 依 拠 し 、機 械 要 素 の 基 本 的 な も
の が 全 て 含 ま れ て い る 。こ れ に コ ン パ ク ト に 纏 め ら れ た 小 型 エ ン ジ ン を ドッキング
すれば、オートバイ生産に入れる技術的条件が整えられたことになる。
ユーザーの増加は社会経済的な条件が如何に整備されるかにかかっており、
この条件は最近の数年で満たされるようになり、オートバイ産業の急発進が開
始 さ れ た 。今 や 中 国 は 世 界 第 1 位 の オ ー ト バ イ 生 産 国 に な り 昨 年 の 統 計 で は 、世
界 全 体 の 生 産 台 数 2000 万 台 の 50%を 占 め る ま で に な り 、 近 隣 諸 国 に ま で 輸 出
が 開 始 さ れ た 。 と は 言 え 作 ら れ る オ ー ト バ イ は フ ァ ミ リ ー バ イ ク の 50cc か ら
1
出 水 力 [1983]「日 中 産 業 技 術 史 交 流 訪 中 団 に参 加 して」『大 阪 の産 業 記 念 物 』第 5号
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重慶・成都のオートバイ産業管見と雑感
125cc(150cc) 程 度 の も の で 、 こ れ ら の 詳 細 は 松 岡 ほ か 「 重 慶 の オ ー ト バ イ 産 業 」
(龍 谷 大 学 経 済 学 部 紀 要 、2001 年 )を 参 照 さ れ た い 。主 な も の は 全 て 日 本 車 に 範 を
求めたというよりコピー商品で、完成車および部品市場を見れば、日本との合
弁企業、中国現地の大手企業、中小企業と 3 つの市場に棲み分けられている。
1980 年 代 に は 入 る と 、 先 ず ホ ン ダ 、 ヤ マ ハ 、 ス ズ キ の 順 に 中 国 企 業 と の 間 に
技 術 援 助 が 進 行 し 、 90 年 代 に は 合 弁 生 産 が 始 め ら れ た 。こ れ ら 合 弁 の オ ー ト バ
イ企業を追走するように中国の大手オートバイ企業が、模倣生産つまり
learning by making の 学 習 効 果 に よ り 技 術 力 を 高 め て き た 。こ れ ら の 企 業 グループ
にいた人が独立して、中小のオートバイおよび部品企業として、市場に参入し
て き た の で あ る 。こ れ に は 国 営 企 業 の リ ス ト ラ と 言 っ た 背 景 や 、工 業 化 の 進 行 に
伴 う 経 済 成 長 が し た 支 え を 果 し て い る こ と は 否 め な い 。し か し 、オ ー ト バ イ 産 業
は 、乗 用 車 生 産 ほ ど で は な い が 、3000 個 ほ ど の 機 械 部 品 を 供 給 す る た め の 機 械
工業の基盤が整っていることも大きな要件であり、見逃すことはできない。
技 術 的 な 競 争 優 位 を 保 っ て い た 合 弁 企 業 も 、次 第 に 現 地 企 業 の 製 品 が 合 弁 車 レ
ベルにキャッチアップしつつあり、価格面で前者の半値から 3 割程度であり市
場 原 理 か ら 見 て 相 対 的 な 割 安 感 は 否 定 で き な い 。そ の た め 一 昨 年 あ た り か ら 合
弁 企 業 の オ ー ト バ イ が 売 れ 行 き 不 振 を 極 め 、戦 略 の 見 な お し が 始 ま っ た 。ス ズ キ
は 合 弁 形 態 を 保 ち つ つ 事 実 上 の 撤 退 態 勢 に あ り 、ヤ マ ハ は 「中 国 長 期 ビ ジ ョ ン ・
プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム 」を 発 足 さ せ た 。
中 国 に は 大 小 400 社 も の オートバイメーカーが あ る 。そ の 製 品 の 大 半 は 、日 本 車 の 設 計
を 模 倣 し た 「コ ピ ー 商 品 」と い う の が 実 態 だ 。中 国 以 外 の 途 上 国 で は 、地 元 メ ー
カーが低価格のコピー商品を発売しても、故障が多く耐久性も低いため、ユー
ザーはやがて日本メーカーの「本物」に戻ってきた。中国でも、ヤマハは同じ
現象が起こると期待していた。
だが、中国車の品質向上で、期待は画餅に終わる可能性が出てきた。今はコ
ピー商品でも、オートバイとしての基本的な品質、性能が向上してくれば、独
自設計の商品が登場するのは時間の問題だ。中国市場だけではない。インドネ
シアやベトナムなどの東南アジア市場でも、この 2 年で中国メーカーがシェア
を 急 伸 さ せ て い る 2。
と 述 べ ら れ て い る 。こ の よ う に 販 売 サイドか ら 見 れ ば 、も は や コ ピ ー 車 で な く 、競
合 車 の 段 階 に 達 し た こ と を 明 ら か に し て い る 。中 国 が WTO(世 界 貿 易 機 関 )に 加
2
[ 2 0 0 0 ] 「 気 が つ け ば 中 国 は 世 界 の 工 場 」 『 日 経 ビ ジ ネ ス 』 、 11 月 2 7 日 号
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盟すれば、また日本側の追い風になる可能性も無い訳ではないが、戦後日本の
オートバイ市場の経験から、日本車は高級品に特化するより、日本と中国の平
均 賃 金 が 1/30 の 大 き な 開 き を 前 に 成 熟 産 業 で あ る 日 本 の オ ー ト バ イ 産 業 は 生
き 延 び る 術 が 無 い よ う に 思 わ れ る 。杞 憂 に 終 わ れ ば 良 い の だ が 。
2. 重 慶 ・成 都 の オ ー ト バ イ 企 業
こ こ で 比 較 の た め 『 大 阪 の 産 業 記 念 物 』 第 5 号 の 拙 稿 を 紐 解 き 、 「上 海 汽 車 製
造 」(自 動 車 工 場 )視 察 時 に タ イ ム ス リ ッ プ す る 。サ ン タ ナ の 製 造 を 準 備 し つ つ あ
っ た 上 海 汽 車 製 造 は 、 ま だ 手 押 し コ ン ベ ヤ ー に よ る 組 立 方 式 で 、 「上 海 」と い う
乗用車が生産されていたことや、極めて生産性の低いプレスによるタイヤハウ
ス の 成 型 な ど が 印 象 に 残 っ て い る 。乗 用 車 「上 海 」は 、 「ベ ン ツ 」を モ デ ル に 1958
年 に 開 発 が 始 ま り 、生 産 に 入 っ た 64 年 か ら 基 本 的 な 変 化 な し に 生 産 が 続 い て お
り、サンタナの国産化のため、その役目を終えようとしていた。トラックのよ
うな分厚い鉄板製のボデ-と出足の悪い低出力のエンジン、それにサンタナに
比べノイズの高いごつごつした固い乗り心地の悪いクルマであった。
機 械 加 工 場 も 汎 用 機 が 主 体 で 、ジ グ さ え 整 っ て い な か っ た 。ス ポ ッ ト 溶 接 時 に
生じたボデーの熱歪みを、ハンマーとトーチ加熱で修正している現場に出くわ
し、試作板金屋の仕事のような感じさえうけた。これなど溶接ジグさえ準備す
れば容易に解決できる問題で、自動車工業史発展史を見た思いがした。見学の
折り工場に着くと、就業時間中に作業場の入り口に沢山の従業員がしゃがんで
話しをしているのを目撃した。何かと思い質問したところ仕事の手待ちと説明
さ れ た が 、 2500 人 の 従 業 員 で 月 産 500 台 と い う 数 も 怪 し い と 思 え た 3 。
こ れ が 中 国 の 先 進 工 業 地 域 で あ る 上 海 の 自 動 車 工 場 の 見 学 感 で あ る が 、そ れ か
ら 18 年 を 経 過 し て 今 回 の 重 慶 の 見 学 で は 、急 速 に 進 む 中 国 の 工 業 化 を 肌 で 感 じ
た 。特 に 民 営 工 場 は 、社 会 主 義 国 と は 言 え 市 場 経 済 の 中 で 競 合 で き な い と 生 き 残
れ ず 、建 前 と 本 音 が 一 致 し て い る と 感 じ た 。次 ぎ に 今 回 の 調 査 に 触 れ る が 、オ ー
トバイ産業調査チームでは、それぞれ分担に従い個別に見学とヒヤリング記録
などを纏めているので、ここでは見学した工場の感想を述べるにとどめる。
3. 建 摩 托 車 配 件 廠
国営企業的な体質である建設集団のオートバイ部品工場の事務所を最初に訪
問 し た が 、先 ず ト イ レ の 汚 い の に 驚 い た 。太 く と ぐ ろ を 巻 い た 大 チ ャ ン が ど の 便
器にも並んでおり、臭気と次ぎに使う人のことを考え処理することなど眼中に
3
前 出 (1)
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な い と 言 う よ り 、生 活 習 慣 の 違 い で あ ろ う 。こ の 工 場 は 文 化 大 革 命 で 下 放 さ れ た
青年の帰郷後の就職先として設立され、現況はかなりの余剰人員を抱え、生産
工 程 の 改 善 も 遅 れ て い る 。赤 字 体 質 で 優 秀 な 人 材 は 民 営 企 業 に 流 れ る と い う ジレ
ンマを 抱 え て い る と も 聞 か さ れ た 。
工場は射出成型によりプラスチック製のオートバイのカバー類とラバーフォ
ームを加工してシートを成型する作業が行なわれているようだが、作業が停止
しているので実際の様子は確認していない。作業手順の説明と設備や工場全体
の概況から考察して、優れた製品が生まれてくる雰囲気が乏しい。シートは発
泡ウレタンを加熱した金型に圧入して、冷却を経てできあがるが、その発泡ウ
レタンが床に散乱していたが汚い上に、原料ロスを招き日本なら改善提案をす
る間でもなく、対策が講じられていたに違いない。また、この作業方式はヤマ
ハ発動機から導入した設備で行なわれ、ヤマハでは電気加熱で生産コスト高だ
が、中国で温水加熱に改めコストが下がったと説明を受けたが、本当かと感じ
た。
4. 川 ゆ 摩 托 車 配 件 制 造 有 限 公 司
民 営 の こ じ ん ま り し た 工 場 で 、エ ン ジ ン カ バ ー 関 係 の ダ イ キ ャ ス ト 部 品 と そ の
加工、およびミッションなどが小ロットながら組立が行なわれていた。簡素に
纏 ま っ た 手 動 に よ る 組 立 ラ イ ン が 印 象 に 残 り 、1940 年 代 末 の ホ ン ダ 野 口 工 場 の
組 立 も こ れ に 近 い 段 階 と 推 測 さ れ た 4 。完 成 車 も 関 係 会 社 で 組 立 て ら れ て お り 、
場所は総経理の出身地である南充で、会社名は宏大摩托制造有限公司である。
たまたまオートバイ問屋ビルを冷やかしている中で、入手した同社のオートバ
イ カタログに は HONNDA と い う ロゴが 使 わ れ 、 パ ク リ も こ こ ま で 徹 底 す れ ば 、 本
物に近いという意味を込めてのことか。同社グループは中国の現地企業の中堅
に 位 置 し て い る と 見 ら れ る 。1950 年 代 中 頃 の 日 本 の オ ー ト バ イ 産 業 戦 国 時 代 も 、
このような企業が一定数存在し、やがて大手に対向できず市場から消えたが、
この企業の行く末は日本と異なり所得階層の幅が大きい中国市場で案外したた
かに生き延びるのではないかと思える。
5. 宗 申 摩 托 車 集 団
中 国 現 地 企 業 と し て は 最 大 手 企 業 の 一 つ で 、1960 年 当 時 の スー パ ー カ ブ 全 盛 期
のホンダ鈴鹿製作所に比較できる規模の工場である。組立ラインも自動化され
ているが、ホンダほど従業員から熱気は感じられない。機械工場も整頓され、
4
拙 著 [1999]『町 工 場 から世 界 のホンダへの技 術 形 成 の25年 』ユニオンプレス
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CNC 工 作 機 械 群 が 並 び 壮 観 で あ る が 、専 用 機 は 少 な か っ た 。品 質 管 理 も ISO9001
を獲得と日本のオートバイ工場に遜色ないが、まだ生産管理面で遅れがあるよ
う だ 。ホ ン ダ を ベ ン チ マ ー ク に 追 い 上 げ を 図 っ て い る が 、従 業 員 の 管 理 の 一 つ に
圧力式管理と言うのを聞かされ、これぞ社会主義市場経済の行きつくところか
と考えさせられた。優良従業員の名前と顔写真の発表は理解できるが、低劣従
業員も同様にするのは、却って意欲を殺ぐというより人権問題であるが、この
国では問題でない。
生産技術面でかなりのレベルにあり、後発性の効果を生かし日本車にいずれ
は追いつくだろうが、スポーツタイプや大型バイクについては未知数、模倣期
を経て習作期に入った段階で、まだまだ時間はかかるように思える。しかし、
東 南 ア ジ ア や イ ン ド 、 韓 国 に も 輸 出 さ れ 、 現 地 に 工 場 さ え 行 な わ れ 、 年 産 50
万台の生産を誇り日本車の強力な輸出の競合相手になってきた。
6. 金 機 械 製 造 有 限 責 任 公 司
金
工 業 グ ル ー プ の 一 つ の 部 門 と し て 、主 に オ ー ト バ イ の 排 気 管 系( マ フ ラ ー
など)を生産しており、ホンダ系部品メーカーのユタカ技研の技術が入ってい
る。加工は比較的単純なパイプベンダーによる曲げ加工と、マフラーのメガホ
ン 部 分 は 定 寸 に シ ャ リ ン グ さ れ た 薄 鋼 板 を C 型 の ク ラ ン ク プ レ ス で 成 型 し 、ア
ー ク 溶 接 す る 工 程 が 作 業 の 中 心 で あ る 。5 台 に 並 ん だ C 型 ク ラ ン ク プ レ ス 間 の
加工物搬送は、日本なら当然フィード装置か傾斜のついたローラーコンベヤー
で行なわれているが、如何にも人件費の安い中国ならぜないとできない装置に
代わるのが何と人間が配されていた。正に人間トランスファープレスと呼べる
装置であった。製品は嘉陵ホンダ、建設ヤマハ、宗申、力帆、隆申など重慶の
主要オートバイ企業に納入されている。
余 談 で あ る が 、日 本 か ら 派 遣 さ れ た 合 弁 企 業 の 総 経 理 (社 長 )に つ い て 、中 国 人
従業員はその行動にかなり関心が高い、いわば明治期に日本の官公庁や民間の
大 手 企 業 に 雇 わ れ た お 雇 い 外 国 人 の よ う な 超 高 給 取 と 同 じ 立 場 に あ る 。日 本 人
の 年 収 と 彼 ら の そ れ と は 100:1 に な り 、 日 本 人 1 人 の 雇 用 で 中 国 人 100 人 が 雇
え る 勘 定 に な る 。そ の 日 本 人 が 昼 食 を 中 国 人 と 一 緒 の 場 で 取 る こ と に 、彼 ら は 違
和 感 を 隠 し き れ な い よ う だ 。日 本 な ら コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を よ く す る 手 段 で は
あるが、これも文化の違いに根ざしているように思える。明治期の日本では、
一応の技術を学んだところでお雇い外国人技師を解雇し、生きる機械として利
用することで技術力を身につけた。合弁部門であれば両者の出資で運営されて
いるので、この図式が適用できないとしても、経営が安定した段階で日本人に
代わり中国人総経理が増加することだろう。
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重慶・成都のオートバイ産業管見と雑感
7. 成 都 江 貨 ・富 士 離 合 器 有 限 公 司
重 慶 市 か ら 350km 離 れ た 成 都 に 移 動 し 、 ホ ン ダ 系 の ク ラ ッ チ 専 門 メ ー カ ー で
あ る 日 本 の FCC と 中 国 の 合 弁 企 業 を 訪 問 し た 。日 本 型 の 生 産 方 式 の 導 入 と 同 じ
に 、改 善 提 案 な ど 日 本 企 業 の 文 化 の 定 着 を 図 っ て い た 。製 品 は オ ー ト バ イ の ク ラ
ッチのみの生産で、ほぼ中国国内で材料や、外注品の購入でまかない一部クラ
ッチフェーシングに貼りつける緩衝用の特殊なクッション版のみがノウハウが
あり、日本から運んでいるようだ。
製品品質は高いが、中国市場で競争に勝つにはやはり最大の要因が製品価格
にあり、コストダウンへの挑戦が常に続けられているが、2 年ほど前から日本
の合弁企業のバイクが中国車に食われて売れなくなった。その余波をもろに受
け、赤字体質から抜け出せないでいる。
8. 四 川 寧 江 昭 和 減 震 器 有 限 公 司
日 本 の 株 式 会 社 シ ョ - ワ は 、オ ー ト バ イ の シ ョ ッ ク ア ブ ソ バ ー の 分 野 で は 、世
界 最 大 の 企 業 で ハ ー レ ー 、BMW、カ ジ バ 、ア ッ プ リ リ ア な ど 日 米 欧 の オ ー ト バ
イメーカーのほとんどに製品は納入されている。取引関係からホンダ系の部品
メ ー カ ー に な り 、ホ ン ダ の 海 外 工 場 の 在 る 所 に 必 ず 進 出 し て い る 企 業 で も あ る 。
中国との合弁はホンダのオートバイ生産に伴う要請で、寧江との合弁で商社の
兼 松 も 一 部 出 資 し て い る 。嘉 陵 ホ ン ダ の 年 産 20 万 台 に 十 分 答 え る だ け の 余 力 を
持 っ た 工 場 進 出 だ け に 、当 初 の 予 想 に 反 し た 嘉 陵 ホ ン ダ の 不 振 は か な り 深 刻 で 、
販路の開拓や乗用車部門への一部転換が試みられている。
生 産 に つ い て は 、ほ と ん ど 現 地 調 達 し た 部 品 の ア ッ セ ン ブ リ ー で 、そ の た め 納
入先の技術指導が行なわれ、最終的な品質のチェックは、日本のショーワ本社
でなされ合格したものである。特殊なスプリング類と品質の安定したオイルの
み日本品でないと難しく、輸入している。帰国後、年末にショーワの本社工場
を訪ねたが、中国工場との大きな違いは、スプリング、ボトムケースなど基本
部品は内製されていた。また組立ラインは大幅な自動化がなされ、人間の関与
する部分は少ない。中国では全て人間が主体のラインであった。
9.イミテーションと イノベーションの 間
上 垣 内 憲 一 は 、「独 創 は 尊 く 、模 倣 は 恥 じ だ 」と 言 う 見 方 を 批 判 し 、学 習 (模 倣 )
と 記 憶 (継 承 )と を 「人 間 の 基 本 的 能 力 」と 評 価 し て い る 5。そ の 上 、 民 族 間 の 文 化
交 流 が 学 習 、伝 統 文 化 の 継 承 が 記 憶 に 相 当 す る と 論 じ て い る 。こ の 指 摘 は 言 葉 を
5
上 垣 内 憲 一 [2000]『日 本 文 化 交 流 小 史 』中 央 公 論 社
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置 き 換 え る と 、技 術 形 成 に も 当 て 嵌 め る こ と が で き る 。戦 後 の 日 本 の オ ー ト バ イ
技術は、どのメーカーとも多かれ少なかれ模倣から出発した。
こ の 期 間 は 極 く 短 く 、次 ぎ の 継 承 過 程 で 学 習 を 生 か し た 技 術 開 発 の 段 階 に 到 達
し た 。す な わ ち 模 倣 期 か ら 習 作 期 を 経 て 、 自 主 技 術 へ 移 行 し た の で あ る 。大 東 精
機 の DSK は ドイツの BMW を 、北 川 自 動 車 の ライナーは 英 国 の サ ン ビ ー ム を 、中 央 興
業 の セントラルは ドイツの NSU を フルコ ピ ー ーし た オ ー ト バ イ で あ る 。ホ ン ダ と 言 え ど 、
ベ ン リ イ J 型 は NSU の フ ォ ッ ク ス の フ ォ ル ム を 真 似 た 部 分 コ ピ ー で あ り 、ヤ マ
ハ も ド イ ツ の DKW の 改 良 型 コ ピ ー ー版 と し て YA1 を 最 初 に 売 り 出 し た 。
し か し 、 模 倣 に よ っ て 欧 州 車 と の コ ン フ リ ク ト は 、 ほ と ん ど 生 じ て い な い 。一
つ に は 1959 年 ご ろ ま で 日 本 の オ ー ト バ イ 輸 出 は な く 、 コ ピ ー ー車 の 販 売 は 市 場
規 模 の 小 さ い 国 内 問 題 に 過 ぎ な か っ た 。そ の 間 に 過 酷 な メ ー カ ー の 淘 汰 が 進 行
し 、フ ル コ ピ ー ーし た メ ー カ ー の 市 場 か ら の 撤 退 が 皮 肉 に も こ の 問 題 を 大 き く 表
面化を招くことはなかった。
オ ー ト バ イ の 模 倣 問 題 を 2000 年 の 今 、 中 国 に 目 を 向 け る と 年 産 1200~1500 万
台 の う ち 70%が 日 本 車 の コ ピ ー で 、 日 本 製 バ イ ク の 売 れ 行 き 不 振 が に な っ て き
た 。2001 年 1 月 15 日 の 朝 日 新 聞 の 「HONGDA 商 法 ア ジ ア が 注 視 」は 、 問 題 点 を
端的に捉えているので、次ぎに全文を引用した。
中 国 製 バ イ ク は 製 造 地 を 「重 慶 」な ど と 明 示 、「 ロ ン チ ン 」な ど の 製 品 名 が 刻 印 さ
れ て い る 。 だ が 、 車 体 に は 堂 々 と 「 HONDA 」 の ロ コ ゙ を つ け て い る 。 ち ょ っ と 控 え め
に 「HONGDA」と い う の も あ る 。「G」の 文 字 を 入 れ て あ れ ば 別 の 商 標 、と い う わ け
だ 。ホ ン ダ の 名 前 も 愚 弄 さ れ た も の だ 。最 近 よ く 売 れ て い る 製 品 名 は「 ホ ン ダ ・
ド リ ー ム 」と「 ウ エ ー ブ・ホ ン ダ 」。実 に ま ぎ ら わ し い 。さ ら に「 メ ー ド・イ ン ・
ジャパン」の代わりに「デザイン・イン・ジャパン」や「ジャパン・テクニッ
ク」と表示し、日本製品のイメージを演出する涙ぐましい工夫までしている。
海 賊 版 ホ ン ダ の 価 格 は 米 ドル換 算 で 約 六 、 七 百 ドル。本 物 の ホ ン ダ な ら 約 2 千 ド
ルす る か ら 、 3 分 の 1 ほ ど で 買 え る 。豊 で な い 人 で も 手 の 届 く 価 格 に 設 定 さ れ て
い る 。「中 国 製 ホ ン ダ は す ぐ に 故 障 す る 」 と い う ぼ や き も 聞 か れ る が 、 壊 れ た 部
品だけを百数十ドル払ってホンダの純正部品と交換すれば、また動く。壊れや
すい中国製部品を、最初から日本の純正部品に交換して売る知恵者の販売店主
もいる。
いま、ベトナムに進出してバイクを製造・販売するメーカーは、ホンダのほ
か 日 本 の ヤ マ ハ と ス ズ キ 、そ れ に 台 湾 、韓 国 の 各 一 社 で 計 五 社 が る 。一 方 、
「海
賊版ホンダ」を送りこむ贋作メーカーは、なんと五十一社にのぼるという。
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日 越 合 弁 の ホ ン ダ ・ベトナム社 (資 本 金 三 千 百 二 十 万 ドル)の 高 橋 亨 ホーチミン市 支 店 長
は 「わ が 社 製 品 の コ ピ ー ーど こ ろ か 、 コ ピ ー ーの ま た コ ピ ー ーま で が 製 造 さ れ て い
ま す 」と あ き れ 顔 で 語 る 。日 本 政 府 は ホ ン ダ の 苦 情 を 受 け て 中 国 政 府 に 海 賊 版 の
規 制 を 要 請 す る 一 方 で 、ベトナム政 府 に も 海 賊 版 の 輸 入 が 日 越 合 弁 企 業 を 脅 か し て
い る こ と を 伝 え た 。さ す が に ベトナムの 税 関 当 局 も 最 近 は 、中 国 製 「HONGDA」バイク
の 輸 入 を 認 め て い な い 。そ れ で も 在 庫 が 多 く 、 な か な か 市 場 か ら 追 放 で き な い 。
こうした海賊版は中国雲南省などから陸路、大量に入ってくる。一部はカンボ
ジア経由の密輸ルートもあるという。
ホーチミン市の華人街チョロンのバイク商は「去年まで十数年、日本のホン
ダを販売していたが、もう中国製ホンダの方がよく売れるので、
そっちに切り替えた。日に十台は売れるね」と語った。
世 界 貿 易 機 関 (WTO)に や が て 加 盟 す る 中 国 は 、去 年 秋 に 朱 熔 基 首 相 が 東 南 ア ジ
ア 諸 国 連 合 (ASEAN)の 非 公 式 首 脳 会 議 の 際 、「ASEAN と の 通 商 ・貿 易 を 一 層 活 発
に し た い 」と 表 明 し た 。そ で あ れ ば な お さ ら 、 日 本 企 業 が 努 力 の 末 に 確 立 し た 商
品 の 信 頼 度 と 「の れ ん 」の 威 光 を 無 断 借 用 す る よ う な 、 あ こ ぎ な 商 法 を や め る よ
う中国業界を指導してほしいものだ。
ア ジ ア 各 国 は ベ ト ナ ム で の 中 国 商 法 を じ っ と 見 守 っ て い る 。へ た を す れ ば 、そ
の高いつけが中国にかえっていこう。中国業界はあえて日本製品の海賊版を作
らなくとも、安くて優れた製品を輸出し国際市場で評価が固まれば、消費者は
そちらを買うだろう。
公正、透明、自由な競争こそ、国際社会と国際ビジネスの常識である。
結び
「中国製の海賊版バイクはよく故障する」といはれる点を技術的にみれば、材
料、熱処理、生産技術のうち、見学の印象から材料と均質な熱処理に問題点を
抱えているように思われる。もちろん中国メーカー間に階層が存在し、トップ
レベルの企業では、これらの点は追々かたづけば、中国の独自ブランドで十分
輸出市場で、日本車に対抗できる強敵となるのも時間の問題であろう。
現 実 に 生 産 両 だ け を 指 標 に す れ ば 、中 国 は 世 界 最 大 の オ ー ト バ イ 大 国 で あ る 。
その意味でオートバイ、洗濯機、テレビ、冷蔵庫、エアコンの生産高は世界の
トップシェアを占め、
「 気 が つ け ば 中 国 は 世 界 の 工 場 」と 呼 ぶ の も む べ な る 事 で 、
否定できない。
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