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第1分科会基調報告書1(本文)
基調報告書の発刊にあたって 基調報告書の発刊にあたって 2014 年 7 月、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされ、2015 年 9 月には、平 和安全法制整備法及び国際平和支援法が国会で採決されました。またこれに先立つ 2013 年 12 月、秘密保護法が制定されました。 この間、日弁連、各弁護士会は、安保法制が、内容において立憲主義、恒久平和主義及 び国民主権に反しているうえ、その成立過程も民主主義に反していること、さらに、秘密 保護法により、安保法制に基づく政府の判断の是非や検証のために必要な情報の秘匿が強 く危惧されることなどを、会長声明、意見書などにより意見表明してきました。また、シ ンポジウムを開催したり、街頭宣伝活動を行うなどして、多くの人々とともに、全国各地 で様々な活動を行ってきました。 日弁連では、これまでの人権擁護大会においても、憲法問題をテーマとするシンポジウ ムを繰り返し開催し、2005 年第 48 回人権擁護大会では「立憲主義の堅持と日本国憲法の 基本原理の尊重を求める宣言」を採択し、さらに、2008 年の第 51 回大会においては「平 和的生存権及び日本国憲法 9 条の今日的意義を確認する宣言」を、2013 年の第 56 回大会 においては「恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、 「国防軍」の創設に反対する決 議」を採択しました。 あらためて憲法の立憲主義と民主主義を取り上げた本シンポジウムの意義は、安保法制 と秘密保護法の理論的検討や、2014 年からの安保法制の成立阻止そして廃止等への活動 を総括し、さらに今後の取組の方向性を探り、これまでの活動を維持・発展させるための 結節点とすることにあります。 基調報告書は、本実行委員会の意見として、以上のような観点から取りまとめたもの で、立憲主義と民主主義の観点から安保法制と秘密保護法の問題点を検討し、さらに、明 文改憲問題のなかでも立憲主義・民主主義との関係で重要な問題である国家緊急権を取り 上げて検討しています。 これらの問題に関する活動は、立憲主義と民主主義を回復することに他ならず、基本的 人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士、弁護士会の重要な責務です。日弁連、 各弁護士会は、さらに一層この責務を果たすべく活動に取り組む必要があると考えます。 この基調報告書が、今後、立憲主義と民主主義の回復を求め、さらにその新たな在り方 を求める活動の一助となることを心より願います。 2016 年(平成 28 年)10 月 6 日 日本弁護士連合会 第 59 回人権擁護大会シンポジウム 第 1 分科会実行委員会 委員長 -1- 水 地 啓 子 目 次 目 次 9 序章 本シンポジウムの意義 13 第 1 章 立憲主義、民主主義とは何か 13 第 1 立憲主義とは何か 1 はじめに 13 13 2 立憲主義の多義性 14 3 欧米主要諸国の立憲主義 4 日本の立憲主義 16 16 5 「個人として尊重」とは 6 法の支配 19 19 7 結論 第 2 民主主義とは何か 19 1 はじめに 19 20 2 国民代表論と民意の形成・反映 3 立憲民主主義 23 第 3 立憲主義と民主主義の危機の時代 24 24 1 全体主義の時代 25 2 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ 3 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想 27 第 4 日本国憲法の誕生と試練のとき 29 1 立憲主義の復活強化 29 30 2 日本国憲法の平和主義 3 再び試練のとき-問われる国民の態度 31 第 2 章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 37 37 第 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機 1 安保法制の基本的内容・性格と危険性 37 2 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性 39 3 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について 40 42 4 重要影響事態法と国際平和支援法について -2- 目 次 5 PKO 協力法改正と任務遂行のための武器使用について 43 6 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など 44 45 第 2 日本国憲法の平和主義 45 1 アジア・太平洋戦争の被害と加害 2 日本国憲法の恒久平和主義 46 47 3 日本の防衛力の強化と憲法 9 条の現実的機能 47 第 3 安保法制の制定経過 1 閣議決定に至る経緯 47 2 閣議決定による解釈改憲 48 3 ガイドラインによる米国との先行合意 49 49 4 国会審議の特徴 5 国会の強行採決による民主主義の蹂躙 50 6 国民・市民の広汎な反対とその運動 51 52 7 弁護士会及び日弁連の取組 第 4 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険 53 53 1 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限 55 2 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活 3 軍需産業と軍事研究の拡大 56 4 PKO の変質・変遷-憲法 9 条と国際法から考える改正 PKO 協力法適用の危険性 58 5 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして 64 6 明文改憲への動き 65 66 第 5 安保法制と「日米同盟」 1 安保法制と日米同盟 66 2 日米同盟と在日米軍 72 75 3 沖縄における在日米軍の問題 4 小括 78 87 第 3 章 秘密保護法 第1 はじめに 87 第 2 秘密保護法制定に至る経緯 87 87 1 はじめに 2 従前の秘密保護規定 88 3 秘密保護強化の動き 88 -3- 目 次 4 自衛隊法の改正 88 5 秘密保護法制定の契機 88 6 秘密保護法の制定へ 89 第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点 89 89 1 報告書の発表 89 2 法案の概要公表と強行採決 3 小括 90 第 4 秘密保護法の内容における問題点 90 90 1 はじめに 90 2 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること 3 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと 92 4 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと 92 5 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと 93 第 5 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点 95 95 1 情報監視審査会の設置 95 2 内閣府独立公文書管理監 3 国連特別報告者の指摘 95 4 国際 NGO の指摘 95 5 小括 96 第 6 安保法制と秘密保護法の関係 96 96 1 はじめに 2 秘密保護法の規定と国会法の規定 96 3 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれ があること 97 4 小括 97 第 7 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又は抜本的見直し 98 98 1 公的情報は市民の情報である 2 公的情報保存の重要性 98 3 公的情報開示の必要性 98 4 情報自由基本法制定の必要性 99 99 5 まとめ 101 第 4 章 国家緊急権条項について 第 1 国家緊急権とは 101 -4- 目 次 第2 憲法に国家緊急権条項を創設しようとする流れ-明文改憲への道筋 101 第3 日本国憲法に国家緊急権を規定することの積極論と必要性論 102 1 積極論 102 2 必要性論 102 諸外国の緊急権制度 102 第4 1 102 ドイツ 2 フランス 104 3 イギリス 106 4 アメリカ 106 5 107 諸外国の国家緊急権に共通するもの 第5 大日本帝国憲法の国家緊急権 107 1 107 4 つの緊急権 2 大日本帝国憲法下における国家緊急権の本質 109 109 第 6 日本国憲法の立場-立憲主義と徹底した恒久平和主義 第 7 国家緊急権の本質的な問題-憲法内での立憲主義の破壊、基本的人権抑圧の許容、 110 我が国の場合は恒久平和主義の破壊 第8 日本国憲法に国家緊急権を規定することは必要か 111 1 「有事」へ対処するという面からの検討 111 2 112 テロ等「内乱等による社会秩序の混乱」へ対処するという面からの検討 3 112 「地震等による大規模な自然災害」へ対処するという面からの検討 4 緊急事態における国会の活動の問題 114 115 第 9 自民党改憲草案の緊急事態条項について 1 自民党改憲草案の「緊急事態」(第 9 章) 115 2 自民党改憲草案の緊急事態条項の不要性・危険性 115 第 10 まとめ 118 119 終章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて 第1 弁護士及び弁護士会の役割 119 119 1 現行弁護士法制定以前の弁護士と弁護士会 2 新(現行)弁護士法の制定 119 3 日弁連、弁護士会の活動と課題 120 -5- 目 次 第 2 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて 123 1 民主主義の再生への胎動 123 2 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務 124 127 ◆ 資料編 129 資料 1 日弁連宣言・決議・意見書等一覧 132 資料 2 各弁護士会意見書・声明等一覧 資料 3 日弁連・各弁護士会イベント等一覧 143 資料 4 安保法制の検討資料「安保法制改定法の検討-改定前規定と対照して」 156 資料 5 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015 年 6 月 18 日) 197 資料 6 日弁連が考える情報自由基本法の骨子 236 228 資料 7 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日) 資料 8 日本国憲法・自由民主党「日本国憲法改正草案」対照表 238 ※ 本基調報告書は、本実行委員会の意見にとどまり、日弁連の意見ではない点も含まれ ております。 -6- 目 次 【法律等の題名の略称】 (第 189 回国会で題名が改正されたものは、特記以外は改正後の題名である。) 。これらにより新 安保法制=平和安全法制整備法(案)及び国際平和支援法(案) ・ 設・改正された制度。 ・ 平和安全法制整備法(案)=我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するため の自衛隊法等の一部を改正する法律(案) ・ 国際平和支援法(案)=国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍 隊等に対する協力支援活動等に関する法律(案) ・ 武力攻撃事態対処法(改正前)=武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに 国及び国民の安全の確保に関する法律 ・ 事態対処法=武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国 及び国民の安全の確保に関する法律 ・ 国民保護法=武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律 ・ 周辺事態法(改正前)=周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措 置に関する法律 ・ 重要影響事態法=重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置 に関する法律 国連平和維持活動協力法、PKO 協力法=国際連合平和維持活動等に対する協力に関 ・ する法律 ・ 秘密保護法=特定秘密の保護に関する法律 ・ テロ特措法=平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストに よる攻撃等に対応して国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が 実施する措置及び関連する国際連合決議に基づく人道的措置に関する特別措置法 ・ 日米安保条約=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 -7- 序 序 1 章 章 本シンポジウムの意義 本シンポジウムの意義 秘密保護法と安保法制の制定は、日本社会にかつてない規模の極めて緊迫した憲法論 議と政治状況を惹き起こした。 なぜ、ここまで緊迫した憲法論議と政治状況が生じたのか。それは、これらの法律の 内容及び制定経緯に、以下で述べるような立憲主義と民主主義を揺るがす大きな問題が あったからである。 2 まず、安保法制の制定に至る経緯から振り返ると、政府はそれに先立ち、戦後の歴代 内閣が一貫して憲法違反だとして禁じてきた集団的自衛権の行使を容認する等の閣議決 定を行った。これは憲法改正手続をとることなく内閣の一存で憲法の内容を変えてしま 「解釈改憲」と呼ばれるべき暴挙である。このような暴挙、すなわち うものであり、 「これまで憲法違反とされていた事柄も、時の内閣による憲法解釈の恣意的変更によっ て合憲とすることができる」というようなことがまかりとおるようになれば、憲法の最 高法規性(98 条)、硬性憲法性(96 条)及び公務員の憲法尊重擁護義務(99 条)も骨 抜きにされてしまい、立憲主義の理念は死滅することになりかねない。 ところで、日本国憲法の三大原理は、基本的人権の尊重、国民主権及び平和主義であ る。とすれば、立憲主義の危機はこれら三大原理の危機をも意味するのであり、これを 放置することは、将来にたいへんな禍根を残すことになる。 かつてのドイツにおけるヒトラーとナチスの歴史はこの点に関し大きな教訓を与えて くれる。ナチスは、政権を握るや、当時最も「先進的」と評価されていたワイマール憲 法の下、立憲主義を否定する政策を推進していった。基本的人権の保障と民主主義が失 われてしまったドイツが戦争へと突き進むことになったのはそのわずか数年後のこと だったのである。こうした歴史は決して繰り返されてはならない。 弁護士会や大多数の憲法学者は、こうした憲法に違反する閣議決定や安保法制法案に よる立憲主義の蹂躙、それが日本の国にもたらす結果に対して、大きな危機感を抱いて いた。法案審議開始から間もない時期に衆議院憲法審査会の参考人として呼ばれた 3 名 の著名な憲法学者全員が、法案について憲法違反であると断じたことは、大きなインパ クトを与えたが、その当然の表現でもあった。さらに、何人もの元内閣法制局長官や元 最高裁長官を含む複数の元最高裁判事もまた、法案の違憲性を指摘した。こうして世論 に安保法制の問題の大きさが共有され、一般市民の間でも、「憲法を守れ」「立憲主義を 守れ」という声が広がり、高まることとなったのである。 3 民主主義との関係では、安保法制の制定経緯に大きな問題がある。 まず、安倍内閣は、2014 年 7 月の閣議決定後、国会審議や民意を問う前に、まっさ きにアメリカに対し安保法制を制定させることを約束した。それが、2015 年 4 月 27 日 に合意された日米防衛協力のための指針(いわゆるガイドライン)の改定である。これ は、安倍内閣が当初から民主主義を軽視していたことの如実な現れである。 また、安保法制は、合計 10 件もの法律の大幅改正と 1 件の法律の新規制定からなっ -9- 章 序 序 章 本シンポジウムの意義 ている。その分量は大部のものであるうえ、内容も複雑にして多岐にわたる。ところ が、具体的法案が公表されたのは国会審議直前であった。それをわずか一会期における 審議だけで「成立」させたのである。 しかも、国会での首相答弁・閣僚答弁は、決して誠実なものではなく、法案の文言解 釈から考えられる危惧について質問されても、「ホルムズ海峡以外に外国の領域への派 兵は、現在念頭にない」とか、 「安全確保措置をとるので自衛官のリスクは増大しない」 等の代表的な答弁にみられるように、回答にならない答弁が何度も繰り返された。しか も国会審議の終盤では、首相が立法事実として当初あれほど強調していた「お母さんと 子供」が乗った米艦船の自衛艦による防護の話も、ホルムズ海峡封鎖のために敷設され た機雷掃海も、想定事例から実質上撤回された。立法事実、立法の必要性自体が疑わし いことになったのである。それでも法案は撤回されなかった。これでは、「説明が不十 分だ」という世論が多数を占めたのは当然である。しかもその採決はかつてない異常な 混乱の中で強行されたのであり、それは言論の府としての国会の自己否定であったと言 わざるを得ない。 4 次に、その安保法制よりも前に制定された秘密保護法について考察すると、まず何よ りも立憲主義にとって不可欠な恒久平和主義との観点から重大問題を含んでいることが 明らかになる。 戦前の日本では、多くの重要な情報が政府によって国民に対し隠蔽され、報道機関も 政府に追随し、国民の知る権利が侵害された。そのことが、当時の日本が誤った戦争へ の道を選ぶこととなった大きな原因の一つであったことは明らかである。 秘密保護法とは、こうした歴史的教訓をも顧みず、またしても重要情報を隠し、報道 の自由を委縮させ、国民の知る権利を大幅に制約しようとするものである。これが集団 的自衛権の行使を容認する安保法制とあいまって運用されれば、それは極めて危険であ り、立憲主義の不可欠な基礎であり、現在の私たちが享受している平和が、容易に危機 にさらされかねないのである。 また、民主主義の観点からも問題がある。 そもそも国民主権の下において、公的情報は本来、国民の情報であるとともに公的資 源であり、この公的情報を適切に公開、保存することが市民の知る権利に資し、民主的 な政治過程を健全に機能させることになるのである。しかし秘密保護法はこうした理念 に真っ向から反する法律である。 しかも、この法律の制定は、長年にわたり政府が水面下で検討していたにもかかわら ず、その検討過程の資料は公表されず、国会審議直前のパブリックコメントにおける多 くの国民の反対意見も無視され、強行採決によって制定された。 すなわち、秘密保護法は、その内容はもとより制定経緯においてすでに民主主義を軽 視していたのである。 「緊急」時に憲法の定める基本的人権の保障をも停止してしまう 5 さらに、憲法の中に、 「国家緊急権」を定めようとする議論もなされている。しかし、このような主張には、 歴史的教訓の忘却と立憲主義の重大性についての自覚の欠如が明らかに認められる。 -10- 序 6 章 本シンポジウムの意義 以上で述べてきたように、立憲主義と民主主義はいま、死滅への道を歩みはじめたと いっても過言ではない危機的状況にある。しかしいまならまだ、引き返すことも、進路 変更することも十分に可能である。いやそれどころか現在のこの危機的状況の試練を乗 り越えることで、一皮むけた立憲民主主義を手にするきっかけにすることさえできるか もしれない。このような観点から、今回のシンポジウムのテーマは、「立憲主義と民主 主義の回復」なのである。 -11- 第1章 第1章 1 立憲主義、民主主義とは何か 立憲主義とは何か はじめに 日弁連は、2005 年人権擁護大会で採択した宣言(鳥取宣言)において、日本国憲法 の理念および基本原理として、以下の 3 点について確認した。 (1)憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を 制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべきこと。 (2)憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理 とすべきこと。 (3)憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこ と。 (1)は日本国憲法における立憲主義を意味し、それは近代立憲主義の考え方を継承 し発展させ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、基本的人権 の尊重、国民主権(2)、恒久平和主義(3)などの基本原理を支えている。その目的は 「すべての人々の個人としての尊重」である。 憲法 97 条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自 由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試錬」に耐えてきたものであると規定して いるが、歴史を顧みると、基本的人権だけではなく、本シンポジウムのテーマである立 憲主義や民主主義、さらには恒久平和主義もまた同様に「過去幾多の試練」に曝されて きた。したがって、これらの理念や概念は、先人たちの多年にわたる自由獲得のための 努力と試練の成果として具体的に理解されねばならないのであって、時の政府による恣 意的な解釈を許すような単なる抽象概念として理解されてはならない。そしてもちろ ん、この努力や試練はまだ終わりを告げたわけではなく、私たちは今もまだ「不断の努 力」(憲法 12 条)が必要とされる途上にあるということも忘れてはならない。 以上のような観点を踏まえ、この章では近代立憲主義の考え方を継承、発展させた日 本国憲法の立憲主義、その中核である「個人の尊重」と「法の支配」を明確にし、立憲 主義が支える基本原理である国民主権、恒久平和主義についても、自由獲得を目指した 先人たちの努力と試練の歴史的成果として、具体化したい。 2 立憲主義の多義性 「立憲主義」という言葉は、欧米の言葉(注1)を直訳すれば「憲法主義」であって、概 ね次の 3 種の意味で語られることが多いとされている(注2)。 ① 政治権力を制限し、正義を実現しようとする思想。 ② 近代主権国家の成立を前提とし、政治権力を憲法によって制限し、国民の権利・自 由を確保しようとする思想。 ③ ②の思想を前提とし、その実効性を担保するために違憲立法審査の制度・機関を設 けるべきとする思想。「法の支配」原理と相関する。 これらのうち①の思想はそもそも近代憲法がなかった古代ギリシアや中世ヨーロッパに -13- 第1章 第1 立憲主義、民主主義とは何か 第1章 立憲主義、民主主義とは何か も存在した思想であり、現在の憲法主義としての立憲主義とはやや距離が認められる考え 方である(注3)。 ②の思想と③の思想については、②の思想が歴史的に先行し、続いて③の思想を採用す る国が現れ、日本国憲法も③の思想を採用していることは明らかであるが、どちらの思想 に重点をおいた制度を採用しているのかは、各国が経験した歴史的試練の結果という側面 が大きい。 3 欧米主要諸国の立憲主義 (1)イギリス 近代立憲主義の淵源が、市民革命を最初に実現したイギリスである点については ほとんど争いをみない。それはイギリスにおいてはじめて「国民の権利・自由を守 るために」、国王の「権力を制限」するという思想が生まれたからである。 しかし、そのイギリスには現在も最高法規としての成文硬性憲法がない。また、 近代イギリスで発展したのは「女を男にすること、あるいは男を女にすること以外 はあらゆることをなしうる」とまでいわれたほどの議会万能主義あるいは議会主権 と呼ばれる制度であった。そのイギリスにおいて議会や国王の権限の抑制をはかっ ている「法」は、コモンローと呼ばれる慣習法である。そのため、イギリスでは立 憲主義よりも「法の支配」という概念が強調されることが多い。 イギリスでは市民革命以降、国王と議会とがお互いにコモンローを破らないとの 事実を歴史的に積み上げてきた。イギリス現代立憲主義のあり方は、このイギリス 独自の歴史的事実に支えられた人権尊重のあり方といえる。 (2)アメリカ 歴史上、③の思想に基づく立憲主義が最初に生じたのは、イギリスの議会万能主 義の横暴の被害を受け(注4)、イギリスからの独立を果たしたアメリカであった。アメ リカは、その独立宣言の思想にイギリスの政治哲学者ジョン・ロック(注5)の影響が認 められるなど、リベラリズムについてはイギリスの思想を受け入れながらも、立憲 主義については、イギリスとは正反対に議会権力に対する不信を顕示したのである。 もっとも合衆国憲法には違憲立法審査制に関する明文規定はなく、それは判例に よって認められているにすぎない(注6)。また、その性質は具体的争訟解決を主要目的 とする付随的違憲審査制であって、憲法秩序を保障することを主要目的としたもの ではない。したがって、違憲判決の効力もあくまでも当該事件にしか及ばないとさ れており、そのような意味では、後述するドイツほどに厳格な立憲主義を採用する には至っていないといえるであろう。 (3)フランス フランスの場合、1789 年の人権宣言以後、イギリスと異なり様々な憲法が作られ た。しかし、その人権宣言第 6 条の「法律は一般意思の表明である」の影響が強かっ たため、徹底した議会中心主義が採用されることとなった。そのため、議会が制定 した法律の違憲性を審査することはむしろ国民主権原理に反するとの考え方が根強 く(注7)、長い間にわたって裁判所による違憲立法審査制度は認められてこなかった。 また、司法は行政に関与してはならないとされたため、行政裁判に関する権限も認 -14- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か められなかった(注8)。 そのフランスでも、1958 年憲法においてやっと法令の違憲審査を行う権限をもつ 憲法院が設けられることとなった。しかしその権限は法律が施行される前に実施さ れる事前審査にすぎず、違憲な法律が施行されてしまってからの市民の申立てによ る事後的違憲審査制度については 2010 年まで存在しなかった(注9)。 フランスにおいてこれほどに司法権の権限が縮小されたのは、フランス革命前の アンシャン・レジームにおける司法機関であったパルルマンが強大な権限をもち行 政や立法に関与したこと(とりわけ課税制度改革)がフランス革命勃発の一因に なったためであるといわれている(注10)。しかし、最近になってその傾向には明らか な変化が生じており、事後的違憲審査制が認められることになったことからも、同 国の立憲主義のあり方は③の思想に近づきつつある。 (4)ドイツ ドイツの場合、当時のイギリスやフランスとは異なり、19 世紀後半になっても議 会の力が弱かったため、議会中心主義による政治権力の制限は実現できず、議会と 国王権力の相互抑制を図ることを目指した欽定憲法が 1871 年に制定された。この憲 法は、政治権力の制限に一定の成果は上げたものの、国民の権利・自由の保障を目 指したものではなかったため、外見的立憲主義とも呼ばれる。 これに対し、第一次大戦敗戦後に制定されたワイマール憲法(1919 年)は、国民 主権原理や社会権が規定されるなど当時最も「先進的」と評されたものであったが、 ナチスが制定した全権委任法などによりワイマール憲法はその機能を果たすことが できなくなり、ドイツはまたしても戦争に突き進むことになった。 戦後のドイツはこの反省を踏まえ、とりわけ厳しい③の思想に基づく立憲主義を 採用している。具体的には憲法判断を行う専門機関としての連邦憲法裁判所が設け られ、通常裁判所が具体的事件の審理において憲法解釈上の疑義が生じた場合には ただちに審理を中止して、連邦憲法裁判所の判断を求めねばならないとされている だけでなく、行政・立法機関が法律の合憲性判断を申し立てることも認められてい る。また、一般市民が公権力により人権が侵害された場合にも出訴が認められてお り、これは憲法訴願(憲法異議)と呼ばれる。また、判決の効力も強力で、連邦憲 法裁判所がある法令に対して違憲判断を下した場合、アメリカや日本の場合と異な り、その法令の効力は立法機関の廃止手続を踏むことなく失効する。さらにドイツ の場合、自由で民主的な基本秩序の侵害、除去等を目指す政党を違憲であると明言 し(ボン基本法 21 条 2 項)、連邦憲法裁判所はこの政党の違憲性についても審査する 権限をもつなど、フランスの憲法院とは異なり、政治部門に対するきわめて強力な 権限が与えられている。 このようにドイツが連邦憲法裁判所に強大な権限を与えたのは、後述するワイ マール憲法体制を崩壊させたナチスの暴走に対して、当時の国民主権に基づく議会 制民主主義がまったく制御できなかったという歴史的経験による。実際、ナチスの 時代の「民意」は、選挙、国民投票、喝采等を通じてナチス支配の正当性にかえっ てお墨付きを与える材料とされたのであった。こうした歴史的経験を踏まえたドイ ツは、政治状況や感情に流されにくい裁判所の判断に基づく徹底した憲法秩序の維 -15- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 持を重視する③の思想に基づく立憲主義を採用したのである。 4 日本の立憲主義 以上のように立憲主義のあり方は現代の欧米主要諸国においてさえ多様であるが、そ のことを根拠に、立憲主義の理念を恣意的解釈可能な曖昧な抽象概念と把握することは 早計である。すでにみてきたように、現代立憲主義のあり方の多様性は、各国が経験し た歴史的試練の差異に基づくものであって、いずれの立憲主義のあり方においてもその 根底に、「個人の権利・自由を守ることを目的として、国家権力を法の力によって制限 する」という普遍的理念が認められる。すなわち、ここに立憲主義の本質があるのであ る。したがって、あらゆる国に共通な立憲主義のあり方はないとしても、それぞれの国 の多様な立憲主義のあり方の根底には普遍的な立憲主義理念が存在しているのであっ て、それは日本の立憲主義においても同様なのである。 とすれば、日本の立憲主義のあり方が議会不信に基づくアメリカあるいはドイツ型と なった歴史的事情は明らかであろう。 日本の戦前の議会もまた後述するように、治安維持法等の制定等により国民の表現や 思想の自由を弾圧し、政府の権限濫用を制御できなかった。また、戦前の日本の場合、 ドイツと異なりとりわけ軍部の独走が特徴的であったのだが、これに対しても議会は まったく無力だったのであり、国家総動員法等の制定等によってむしろ追随してしま い、その結果、日本が戦争へと突き進むことを止めることはできなかったのである。 こうした歴史的経験から私たちが学んだことは、国家権力は、それが政治状況や感情 さらには私益に流されやすい「人」によって行使されるものである限り、たとえそれが 民主的に選ばれた代表者で構成される議会権力であったとしても、常に濫用されたり暴 走したりすることにより国民の人権を侵害する危険があるということであり、その人権 侵害が行き着くゴールには戦争があるということである。だからこそ、戦後の日本の憲 法は、憲法という「法」の力によって立法権も含むあらゆる国家権力を制限し、人権保 障を目指すという立憲主義(法の支配)の理念を基盤としたのであって、憲法の最高法 規性、公務員の憲法尊重擁護義務そしてアメリカ型の違憲審査制を明文で定める現行憲 法はまさにそのような意味で、日本独自の歴史を踏まえた立憲主義理念を基盤としてい る憲法といえるのである。 日本国憲法の根本にある立憲主義は、こうして近代立憲主義の考え方を継承し発展さ せ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、国民主権、基本的人 権の尊重、恒久平和主義などの基本原理を支えているのである。 そして、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の尊重も、ともに「個人の尊 重」に由来しており、さらに、個人の自由と生存は平和なくしては確保されないという 意味において、平和主義も「個人の尊重」に由来するとともに国民主権及び基本的人権 の尊重と密接に結びついている。 5 「個人として尊重」とは (1)はじめに 立憲主義の目的は、鳥取宣言の言葉によれば、すべての人々が「個人として尊重 -16- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か される」ことであるが、これは、憲法 13 条前段に規定されている「すべて国民は、 個人として尊重される。」という憲法の根本理念を確認したものである。この理念 は、論者の好みなどによって、「個人の尊重」、「個人の尊厳」、「人間の尊厳」などと 簡潔に表現されることがあるが、これらの言葉あるいは理念の淵源はおそらくドイ ツの哲学者カントの「人間の尊厳」概念であろう(注11)。しかし、その概念があまり 知られていない我が国においては、「個人」という言葉が曖昧かつ抽象的に理解さ れ、国家権力によっても不可侵な個性を有するかけがえのない主体的な個人という 意味ではなく、個性を度外視した「人一般」のような個々人の同等性を根拠づける 抽象概念のように語られることさえある。この立場に立つことを明確に示したもの が、自民党日本国憲法改正草案 13 条前段であり、そこでは「全て国民は、人として 尊重される。」とされている。しかし、このような解釈は、憲法 13 条前段の理念を没 却することにもつながることから、その理念の淵源にあった思想を踏まえておくこ とは重要であろう。そこで、以下において、その淵源と思われるカントの「人間の 尊厳」概念について説明することとする。 (2)イギリス経験論の人間観 カントの「人間の尊厳」論は、ジョン・ロックやデイヴィッド・ヒューム(注12) に 代表されるイギリス経験論哲学者の哲学あるいは人間観の批判から生まれたもので ある。そこでまずその経験論哲学の考え方に簡単に触れておこう。 経験論哲学とは、真理とは客観的なものであって、人間は経験を通じてしかそれ に接近できないという立場をいう。すると世界中に歴史的に起こるすべてのことを 経験することなどできるはずのない不完全な人間が認識する法や道徳や自然科学の 法則はすべて仮象(確固たる根拠のない認識)あるいは仮説にすぎないという意味 で、みな不完全だということになる。 したがって、経験論者が国王や多数派の専制を否定する根拠は一般に人間の不完 全性に求められ、そのコインの裏表の関係として、個人の個性は客観的真理に対す る見解や感じ方の主観的多様性として尊重されるべきものとされることとなる。 (3)カントの「コペルニクス的転回」と「人間の尊厳」 カント哲学は上記のような経験論を以下のような考え方によって批判した。 経験論者は、何でもかんでも経験しなければ知ることができないというが、する と私たちが「真の立憲主義」について何かを語ろうと思えば、この世のどこかに 「真の立憲主義」が実際に出現するまでできないということになってしまう。また、 自然科学が成功するためには、たとえば因果関係の客観的実在性が経験によって証 明されなければならなくなるが、それではいつまでたっても自然科学が成功する日 は来ないであろう。 にもかかわらず、私たちが理想を抱いたり真理を獲得したりでき、それらを目指 して主体的に生きることができるのは、カントによれば、人間が経験にただ従い続 けるからなのではなく、経験から学びつつも、逆に経験の方を規定する必然性や普 遍的な法則を見出すことによるからであるとされるのである。これが、有名な「コ ペルニクス的転回」と呼ばれる考え方であって、自律的個人にとって自由で幸福な 生き方と真実が一つに決まるための仕組みを明らかにした考え方なのである。 -17- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か こうしてカントによれば、私たち人間が築いてきた科学や道徳や法は経験論哲学 とは違って仮象ではなく、人間が経験から導いた、経験を規定する法則によって成 立している確固たる真理ということになる。ところで、このような経験を規定する 法則は、「法則」と呼ばれるからには普遍性を本質としている。そこで、カントはこ の法則定立のことを「普遍的自己立法」と呼び(注13)、これに基づいて自分らしい生 き方や真実を獲得する人間の主体性において、「人間の尊厳」を見出したのである。 (4)カントの「自律」 以上のような人間観に基づいてカントが道徳論において強調した概念が「自律」 である。これは日本では「自己決定」と同視されることが多いが、不正確である。 前述のとおりカントは、人間が経験から学びながらも経験を規定する法則を生み出 す点に人間の尊厳を求めたのであるから、尊厳の重点は、決定能力よりむしろ経験 に基づいて普遍的な法則を定立する能力、先述した「普遍的自己立法」に基づく自 己決定と解すべきであって、それはつまり、経験から学ぶことにより、自分が従う あるいは目指すべき自分らしい生き方の法則や理想を発見する人間の主体性のこと である。 (5)「人間の尊厳」の不可侵性 以上のようなカントの思想を踏まえた場合、以下に述べるような時折見かける 「個人」や「個性」の解釈は憲法 13 条前段の理念に反するものといえるであろう。 それは、私もあなたも「みんな同じ個人」あるいは「すべての個性は個性として はみんな同じ」であるというように「同じであること」を前提として、個人や個性 は尊重されるべきという結論を導くような解釈である。このような解釈は結局、「「み んなの幸せ」のために各自の個性が制限されることは当たり前である」というよう な「個人の尊重」とは反対の、 「みんなの幸せ」なる同じ価値基準の個人に対する押 しつけや国民の義務拡大につながるのである。 先述したように、カントの「人間の尊厳」は、各自が経験に基づいて普遍的な法 則を立てることにより自分らしい生き方や真実を獲得する人間の主体性という具体 的な内容を持つものであるから、個人の自律的決定は自ずと「自己矛盾を含まない 普遍性」を指向するものとなる。それは、自分だけではなく、皆がその法則に従う ことによっても矛盾や不都合が生じないというような意味での「普遍性」のことで ある。カントによれば「人間の尊厳」とはそのような普遍性を指向するものである からこそ、不可侵性も備えることになるのである。 以上のようなカントの「人間の尊厳」に関する考え方は、憲法 13 条前段の解釈に あたっても重視されるべきであろう。つまり、同条前段は少なくとも、皆が「同じ 個人」として「同じ法則」に従わねばならないことの根拠として理解されてはなら ないのであって、各個人が自ら立てた独自の法則に従って生きようとするかけがえ のない個性的存在として尊重されなければならず、国家権力による特定の価値観の 押しつけや個性抑圧は禁止されなければならないことを根拠づける条文として理解 されるべきなのである。 -18- 第1章 6 立憲主義、民主主義とは何か 法の支配 「法の支配」とは、専断的な国家権力の支配(人による支配)を排斥し、権力を法で 拘束することによって、国民の基本的人権を擁護することを目的とするものである。日 本国憲法も、基本的人権の永久・不可侵性を確認するとともに(憲法 97 条)、憲法の最 高法規性を確認し(憲法 98 条)、公務員に憲法尊重擁護義務を課していること(憲法 、また、裁判所に違憲立法審査権を付与していること(憲法 81 条)から、日本 99 条) 国憲法が「法の支配」に立脚していることは明らかである。 7 結論 すでにみてきたように、現代立憲主義のあり方は国によって多様であるが、その根底 には、「個人の権利・自由を守ることを目的として、国家権力を法の力によって制限す る」という普遍的理念が認められた。 また、「個人の尊重」思想の淵源であるカントの哲学にあっては、「人間の尊厳」や 「個人として尊重」という場合の「人間」 、「尊厳」、「個人」とは単なる抽象概念ではな く、「人間の尊厳」とは、経験から様々なことを学び、かけがえのない自分らしい生き 方や真実を獲得し、それに自らを従わせて自由に生きようとする人間の主体性(自律) のことを意味していることも明らかになった。 「憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を 制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべき」との鳥取宣 言は、以上のような歴史や思想を踏まえて理解された立憲主義の理念こそが、我が国の 平和安全保障問題を含む国政や人権保障に関するあらゆる具体的な問題の解決にあたっ て、決して踏み外されることがあってはならない普遍的理念であることを確認したもの なのである。 第 2 民主主義とは何か 1 はじめに 憲法前文にあるように国政が国民の厳粛な信託によるものといえるためには、国政に おける代表者による権力行使が国民の意思によって拘束されている必要まではないとし ても、信託者である国民の意思が尊重されていなければならない。このことが一般に国 政への「民意の反映」と呼ばれるものであり、民主主義の代名詞にもなっている言葉で ある。しかし、この「民意の反映」とはどのようなことかという問いに答えることは、 簡単そうにみえて実はなかなか難しいのである。 たとえば、国民が 100 人からなる国において、うち有権者が 70 人で、うちある政策 への賛成者が 40 人で反対者が 30 人であると仮定する。この場合、この国の民意を国政 に反映させるとはどういうことなのかを明快に答えることができるであろうか。 民主主義に関する多くの解説書では、民意と多数者の意思とは異なるという指摘がさ れている。あるいは、民主主義は多数決主義とは異なると指摘されている。たしかに、 上の例で 40 人の多数派の意見を民意とした場合、残りの 60 人の意見はなぜ民意を構成 しないのかがわからない。あるいは、多数決が民主主義ならば与党が国会の多数派を占 -19- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か めていることが普通の日本の国会において、長々と審議時間を割くこと自体が無駄であ ろう。だから、民主主義をこの程度のレベルでしか理解していない政治家は、強行採決 に疑問を感じないのである。 また、多数決が民主主義ではない理由として、多数者が誤ることもあるということを 持ち出す方もいるであろう。たしかに、難しい試験問題の正答率は 50 パーセントを大 きく下回るが、それでも試験では多数者の解答を正解としたりはしない。しかし、それ を言いだしたら、今度は十分な審議の後であっても、そもそも多数決で決めること自体 がなぜ正しいのかがわからなくなりそうである。 「正しい民意」が最初からどこかに存在していて、そ しかし、上記のような議論は、 の後は変化しないということを前提としていることに気付くであろう。つまり、これら の議論は、そもそも「民意とはいつ、どこで、どのようにして形成されるのか」という 問題を看過してしまっているのである。以上のような観点を踏まえて、国会審議のあり 方はもちろん、選挙制度、国民代表制度のあり方までに及ぶ議論が次に説明する国民代 表論である。 2 国民代表論と民意の形成・反映 (1)「全国民の代表」とは 憲法は国会議員を「全国民の代表」 (43 条)と規定している。 この「代表」とは「政治的代表」と呼ばれるものであって、選挙で選ばれた議員 は有権者の意思に法的に拘束されることはなく、自由に発言・票決できるとされて いる。これは「自由委任の原則」とも呼ばれる。では、このような制度によってい かにして民意は国政に反映されることになるのであろうか。 たしかに、制限選挙制度の時代にこの政治的代表の考え方が貫かれれば、議員が 全国民の意思を国政に反映させる必然性はまったく保障されないであろう。しかし、 普通選挙や議会の解散の制度が一般化すると、事情が変わってくる。普通選挙制度 の下で再選を欲する議員は、有権者の意思を無視して行動するわけにいかなくなる からである。法的には自由委任の原則とされても、事実上、議員は有権者の意思を 無視できなくなるのである。 以上のような歴史的事情の変化の下、現在の政治的代表説は、国民と代表者との 関係を、意見の矛盾対立を前提とした、緊張感に満ちた相互の動態的コミュニケー ション過程(注14)として把握する。わかりやすくいえば、国会議員は国会等における 公開審議において自由に意見を表明し、票決できるが、その行動に対する国民ある いは世論からの問いかけに対しては誠実な応答義務(レスポンスビリティ)と説明 義務(アカウンタビリティ)が要請される。その過程の中で、時には国民の選挙時 の意思が議員の説得力のある説明によって変化する場合もあれば、議員の考え方が 世論の悲痛な叫びや抗議に共感したり、新たに提示された事実等によって変わる場 合も生じるであろう。つまりこの考え方によると「民意」とは、選挙の時に最初か ら完成したものとして存在していてその後も変化しないものなのではなく、選挙で 選ばれた議員と国民との、「選挙 → 散 議会における公開審議・票決 → 議会の解 → 選挙」の全プロセスにおける双方向コミュニケーション(もっとも、国民 -20- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か には憲法上の精神的自由権に基づく沈黙の自由(応答・説明拒否権)は保障される) において果たされるべき議員(代表者)の応答責任と説明責任を通じて、動的に形 成されつつ、国政にも反映されるとされるのである。 しかし、このような現代の政治的代表説に対しては、「国民と代表者の意思が異 なっていても何ら問題はない」という考え方をあまりにも正面から肯定すると、代 表者が国民の意見に耳を貸さなくなることにつながるとの批判もありえるであろう。 このような観点から、「代表」(憲法 43 条)とは選挙時に表明される国民の多元的な 意思を国会にできるだけ忠実に反映させるべきことを意味するとし、したがって、 選挙制度は、社会構造の複雑多様化に伴って社会の中に多元的に存在する国民意思 が国会に可能な限り公正かつ正確に反映するように構想しなければならないとする 「半代表」あるいは「社会学的代表」と呼ばれる考え方も有力である。しかしこの立 場は当然に、政治的代表説から、民意を選挙の時のそれに固定し、それを代表者が 認識し、集約・統合して国政に媒介するという静態的発想であると批判されること になる。 しかし、両代表観は必ずしも矛盾するものと考える必要はないであろう。すなわ ち、議員が国民の意見に耳を貸さないような暴挙に出ても次の選挙結果にほとんど 影響しないような選挙制度であれば、議員は前述した国民や世論との間における説 明責任や応答義務を誠実に果たさなくなるであろう。したがって、現代の政治的代 表説の立場も、議員が国民の意見に耳を貸さなかった場合には次期選挙でその報い を受ける可能性が高い選挙制度設計を採ることには賛成するはずであり、これは社 会学的代表の立場の要請と一致するものと思われる。 また、社会学的代表の立場にとっても、国民の多元的な意思をできるだけ忠実に 国会に反映させた場合において、議員に対しその多様な立場の国民に対する説明義 務や応答義務を負担させることによってこそ、当選後の代表者の安易な意見変更や 強行採決を防ぐ効果が高まると考えられるから、政治的代表説の考え方と相いれな い考え方とは思われない。 重要なことは、民意とは代表者との双方向コミュニケーションを通じて動態的に 形成あるいは変化していくものであり、国会や内閣の意思も、世論との対話を通じ て動態的に変化するという事実である。そして、この動態的プロセスにおける両者 の相互浸透を通じて、民意が形成されると共に、国政に反映されるという考え方が、 現代の国民代表論の根底にあるのである。 (2)民意反映のプロセス 上記のような観点からすると、「選挙結果こそが民意」という多くの人が思いこみ がちな考え方が必ずしも正しくないということに気づくであろう。実際、日本の選 挙の現状をみるに、争点は選挙の時期や立候補する側の都合によって単純化あるい は絞られてしまうことも多く、政策についても短い選挙期間中に多様な立場に対し て応答あるいは説明するような機会はほとんどない。 しかしだからこそ、選挙制度は公正で、かつできるだけ多様かつ多元的な意見を 国会に反映させることを可能とするものでなければならないという社会学的代表説 の要請もまた生じるのである。そうでなければ、選挙の段階で不当に切り捨てられ -21- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か てしまった少数意見はそもそも公開の議会で多数派を説得したり、応答説明責任を 果たさせたりする機会さえ奪われてしまうことになるし、その結果多数派の意見の 方も応答説明義務を果たすことによって醸成される機会を失うことになり、民意の 反映どころか、成熟した民意の形成自体が阻害されてしまうのである。 したがって、あまりにも小規模政党に不利で大量の死票が発生する小選挙区制中 心の選挙制度の妥当性については民意の反映という観点から問題視すべき余地があ り、また、1 票の価値の不平等についてはすでに多数の違憲判決が出されており、に もかかわらずまったく不十分な是正措置しかとられないまま国政選挙が繰り返され ている現状については、公正な選挙という観点からはもちろん、立憲主義の観点か らも問題であることは明らかである。 ともあれ、社会学的代表説が要請する多元的に存在する国民意思が選挙により国 会に可能な限り公正かつ正確に反映させられたなら、民意の国政への反映が実現さ れる中心的な場面とは討議による合意形成の場ということになるであろう。すなわ ち、この討議の場において多数派が少数派及び国民に対し説明責任を果たし、これ に対する少数派や世論から求められる質問に対する応答義務を果たすこと、ここに おいてこそ成熟した民意が形成されると共に、それが国政へと反映されるのである。 (3)説明・応答責任と情報公開 民主主義実現にとって最も重要な民意の形成と反映の過程においては、これまで 説明してきたように、代表者に国民に対する誠実な説明義務と応答義務が求められ るのであるが、そうであるならばとりわけ法案を通そうとする多数派による立法検 討過程の討議資料などの情報公開は不可欠である。なぜなら、これらの情報が公開 されてこそ、国民は多数派に対し適切な応答責任を求める質問を出すことが可能と なるのであり、それを通じて衆愚政治とは異なる民主主義の基盤となる成熟した民 意が醸成されることになるからである。 (4)集団示威運動と議会制民主主義 以上を前提に秘密保護法及び安保法制の成立の経緯を考察すれば、それが多くの 点で民主主義に反していることは明らかなのであるが、その詳細については第 2 章及 び第 4 章で説明する。 ここで最後に指摘しておきたいことは、これらの民主主義に反する法律の成立時 等において多発した集団示威運動(デモ行進)の意味である。これをその見かけ上 のイメージから、まるで議会制民主主義の否定行動のように批判する人もいるが、 それは誤りである。 そもそも普通選挙制に基づき議会制民主主義制度が採られている国家においてデ モ行進が多発する場合、それは多くの人が、議会制民主主義が正常に機能していな い、民主主義が実現されていないと感じている証拠だと考えることが自然である。 つまり、政府や国会が、国民からの問いかけに対し誠実に応答・説明責任を果たし ておらず、あるいは、いまの選挙制度が国民の多様な意見を国会に対し公正に反映 させる仕組みになっていないと多くの人が感じているからにほかならないと考える べきである。 したがって、集団示威運動の多発は、議会制民主主義の危機を映し出す鏡である。 -22- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 集団示威運動そのものは議会制民主主義ではないとしても、それは議会制民主主義 の危機を訴え、警告するものとして、議会制民主主義の健全化を支える機能を果た しているのである。したがって、政府及び国会は、このような事態を招いたことに つき反省するとともに、世論に対するより一層の誠実な応答及び説明義務を果たす ことにより、民主主義の回復に向けて努力するきっかけとすべきなのである。 3 立憲民主主義 (1)はじめに 安保法制も秘密保護法も、憲法上国権の最高機関と定められている国会で成立し てしまった。にもかかわらずこれに反対し、廃止を目指す立場とはどのような立場 なのか。これが最後に残された問題である。 もっとも、この問題に対する解答はすでに明らかである。先述したように日本が 採用する立憲主義とは違憲立法審査権を認める立憲主義である。すなわち、国会で 成立した法律であっても、憲法に違反する内容であれば違憲無効なのである。この ような立憲主義が日本独自の歴史的試練を踏まえて獲得されたものである点につい てもすでに述べた。 したがって、「民主主義といえども立憲主義の下にある」、このことを表現した言葉 が広い意味での「立憲民主主義」である。 (2)民主主義と司法との関係 しかしこの違憲立法審査権の実質的な正当化根拠はさまざまである。簡単に紹介 しておこう。 この問題は民主主義に対する司法の役割の問題であって、その立場は大きく二つ に分かれる(注15)。 まず、司法は民主主義的政治過程の維持のための補完的役割を果たすという考え 方である。この考え方によるとたとえば、経済的自由権の制限に関する法律問題の 場合、そこで人権が過度に制約されたとしても、民主政の過程での回復が可能であ るから、司法は積極的に関与すべきではないとされる。しかし、表現の自由などの 精神的自由権が過度に制限された場合、民主政の過程に瑕疵が生じるため、民主主 義による自律的回復が望めなくなる。したがって、司法はこの場合にこそ、違憲立 法審査権を積極的に行使すべきであるという立場である(二重の基準論)。 また、民主主義においては「平等な地位にある市民たちの自治」が保障されては じめて正常に機能する。したがって、その平等性が害される場合、典型的には莫大 な財力を背景に多額の政治献金を行なったり、選挙広告を行うことを許すような法 律の規制に司法は積極的になるべきというような立場である。選挙における 1 票の価 値の平等を司法は厳格に判断すべきとの立場もこれに含まれるであろう。 他方、司法は端的に非民主的機関であるということを認め、その立場から司法に 固有の役割を見出す立場がある。この立場は、民主主義と司法の役割分担を重視す る。その一例は、多数決による決定に親しむ政策問題においては民主主義が重視さ れるべきであるが、個人の自律的意思決定に親しむ事項については、司法がその保 護を図るべきだという考え方である。この立場は結論において先に紹介した二重の -23- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 基準論と大差は生じないが、民主主義と司法とは異なる理念の下にあることを前提 とする立場である。 これに対し、そもそも立憲主義の下では、民主主義も最初から個人の尊重を目的 とするものでなければならないという考え方がある。日本では芦部教授が、また、 フランスの憲法学者ドミニク・ルソーによれば、1789 年人権宣言以来長い間議会中 心主義が続いていたフランスにおいても憲法院が「可決された法律は、憲法を遵守 してはじめて一般意思の表明である」と判示したことにより、この立場への移行が 認められるとされるが(注16)、これが狭義の「立憲民主主義」と呼ばれる立場である。 フランスの例からもわかるように、この立場が社会に浸透するためには司法裁判所 が憲法の番人としての自己の役割を自覚し、政治部門に対して毅然とした態度で臨 むこと(司法積極主義)が要請されることであろう。 ともあれ、この立憲民主主義もまたもちろん要請であって、立憲民主主義が原理 とされたからといって、国会が決めた法律の合憲性が推定されるというような意味 ではもちろんない。「真の民主主義とは立憲民主主義である」という考え方は、まさ にカント哲学的な意味での私たちの歴史的経験に基づく理想としての要請なのであ る。 したがって、いずれにせよ、国会が憲法違反の法律を作る現実性は否定されない。 そして、そのような場合に司法が違憲立法審査権を自律的かつ積極的に行使するこ とにより立憲主義を守ること、これが司法の使命であると考えるべきであろう。 (3)おわりに しかし、この司法のプロセスにおいても、先に国民代表論のところで述べた民意 の反映のプロセスが生きているということを私たちは忘れてはならない。私たちの 民意は、選挙の時にすでに完成していて、そこで燃え尽きてしまうような代物では ないのである。たしかに政治家や国会議員とは異なり、国民と裁判官との直接的な 対話は困難であろうが、それでも、さまざまな方法を通じて私たちからのメッセー ジを発信し、裁判官に対して説明と応答を求め続ければ、判決等においてこれに説 明応答する責任を裁判官に自覚させることもきっとできるはずである。つまり、私 たちは民意を、司法にも反映させることができるのであって、この民主主義の力を 最後まで信じ、絶対に諦めてはいけないのである。 第3 1 立憲主義と民主主義の危機の時代 全体主義の時代 (1)以上のような立憲主義・民主主義の体系は、一朝一夕に確立されたものではない。 17 世紀イギリスで誕生し、その後各国で発展した近代立憲主義の思想が、ひとたび 潰えかけた時期がある。 (2)まず、19 世紀になると、自然科学の発達とともに、人権を国法によって与えられ た権利とする法実証主義が台頭し、近代立憲主義を支えた自然法や天賦人権思想は 過去のものとされた。他方、憲法そのものは、近代国家として認知されるために不 可欠なものとされ、普遍化してゆく。それゆえ、いわゆる「外見的立憲主義」、すな -24- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か わち権利保障と権力分立をある程度まで受け入れながらも、君主主権原理によって それらが強く制約されたままであるような例が現れる(欽定憲法としてつくられた 1848・1850 年プロイセン憲法、1871 年ドイツ帝国憲法、1889 年大日本帝国憲法な ど)(注17)。 (3)さらに、20 世紀前半には、立憲主義が完全に否定され、基本的人権という概念の 存在を許さぬ「全体主義」が登場する。ここでは、ドイツと日本を例にとって、全 体主義誕生の経緯とその特質について検討したい。 2 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ (1)20 世紀前半のドイツに誕生した全体主義体制は、ヒトラーとナチスドイツによっ てもたらされた。 (2)現代にあっても、ヒトラーとナチスドイツが反面教師として重視されるのは、ま ず、ワイマール憲法という当時最も「先進的」と評価されていた憲法の下で、歴史 上最も徹底した「全体主義」を完成させた点にある。 ヒトラーとナチスは、個人主義に基づく多元的な社会を否定し、「有機的な一体と しての共同体」がすなわち国家となるような社会を構想して(全体主義)、他の政党 を禁止して議会制民主主義も否定して一党独裁を行った(注18)。国家を「有機的な一 体」なもの、いわば一つの生命体のごとく論じるにあたり(注19)大きな役割を果たし たのが「民族」概念である(注20)。ナチズム確立後の思考になると、個人は「民族 《Volk》」のなかに完全に埋没し、「個人」と「社会」と「国家」の区別自体が原理的 に消滅してしまう(注21)。その意味で、確立期ナチズムの法思考は、自立した諸個人 を価値の源泉とする個人主義に対する、最も徹底した否定であった(注22)。また、個 人と国家の対立関係自体が否定されれば、国家権力を制限する必要もなくなる。そ こに、自由や基本的人権という概念が入り込む余地は存せず(注23)、個人の存在意義 は徹底的に否定され(注24)、民族の純潔を脅かすとされた人びとは追放ないし殺戮さ れた(注25)。 ちなみに、ヒトラーがこのような共同体の確立の先に見据えていたのは、戦争で あった。第一次世界大戦の敗戦によって国民は戦う意志と能力を失ってしまった。 その国民を再び戦争のできる国民に作り変えること。「民族共同体=フォルクスゲマ インシャフト」は、そのための絶対条件だったのである(注26)。 (3)また、ヒトラーとナチスドイツの歴史が重視されるのは、その成立過程のゆえでも ある。「ボヘミアの上等兵」(注27)に過ぎなかったヒトラーが、政治家を志してから独 裁者になるまで、わずか 13 年(注28)。ナチ党が全国政党になってから 3 年(注29)。ヒト ラー内閣が成立してから 2ヶ月。当時のドイツ国民からすれば、瞬く間に、基本的人 権と民主主義が消え去っていった。このとき一体何が起きていたのか。その歴史か ら学ぶべき点は数多いが、ここではしばしば「民主主義の自殺」と表現される過程 と、第 4 章にて詳述する国家緊急権の一種である「大統領緊急令」の問題について言 及する。 (4)民主主義の自殺 後述のように、ヒトラーを首相に任命しその独裁に道を拓く大統領緊急令を発令 -25- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か したヒンデンブルクは、国民の普通選挙によって選出された大統領であった。それ だけでなく、ナチズムは、その独裁を正当化するために、しばしば「民意」を援用 した。ナチスは、政権獲得の過程で、直接民主主義的制度を多いに活用した(注30)。 ヒトラーが大統領と首相を兼任する「総統」の地位を国内外に印象づけるため、「ド イツ国元首に関する国民投票」(1934 年 8 月 19 日)を実施したのは、その一例であ る(注31)。 このような動きを理論的に援護した法学者の 1 人がカール・シュミットであった。 彼は、ヒトラー台頭前のドイツにおいて政党が乱立し、議会が十分に機能を発揮で きない状況を批判し、 「人民の直接的意志表示の自然な形式は、集合した群衆の賛成 または反対の叫び、喝采である」との記述に象徴されるように、有能な一人の政治 指導者に全てを委ね、国民がその政治指導者の行動を支持するとき、民主主義にも かなうとした(注32)。 だが、シュミットも、「個人」という概念を起点として議論を展開していた。然る に、彼の主張通りに誕生した独裁体制は、その完成期においては「個人」の概念を 徹底的に否定し、シュミットの理論すら過去のものとしてしまったのである(注33)。 立憲主義が守ろうとする人びとの自由を、まさにその人びとが放棄するときには どうすべきか?(注34)ヒトラーとナチスドイツが独裁を実現した過程は、今日にも通 じる普遍的な問題を提起している。 (5)大統領緊急令 ヒトラーが独裁者となる過程では、本基調報告書の第 4 章で詳述する「国家緊急 権」の一種である大統領緊急令が大きな役割を果たした(注35)。 当時のドイツ(ワイマール憲法)では、いわゆる半大統領制が採られており、選 挙で直接選ばれる大統領が首相を任命することになっていた。当時の大統領は、ヒ ンデンブルクという元軍人、第一次世界大戦での国民的英雄である。彼は、ナチ党 員ではなく、保守の総元締めのような存在であったが、部下の進言に従い、当時、 議会第一党となっていたナチスの党首ヒトラーを首相に指名した。これが 1933 年 1 月 30 日のことである。 ただ、この時点では、ヒトラーに何の政治的実績もなく、ナチ党の議席も議会の 3 分の 1 しかなかった。ヒンデンブルクとつながりの深い保守政党と併せても過半数に 届かなかった。つまり、ヒトラー政権は、少数派政府だったのである。 ところが、ワイマール憲法 48 条には「大統領緊急令」という、一種の国家緊急権 の規定が存在した。その 2 項では 「もしもドイツ国家において公共の安全と秩序が著しく攪乱ないし脅かされたと きは、ライヒ大統領は公共の安全と秩序を回復するために必要な措置を講じ、必要 な際は武力を用いて干渉できる。この目的のためにライヒ大統領は、114 条(個人の 自由の不可侵権)、115 条(住居不可侵権)、117 条(通信の秘密) 、118 条(表現の自 由)、123 条(集会の自由)、124 条(結社の自由)および 153 条(財産権の保障)に 定めた基本的人権の全部あるいは一部を一時的に停止することができる。」 と規定されていた。 首相に就任したヒトラーは、就任早々、ヒンデンブルクに議会を解散させるとと -26- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か もに、「国会議事堂炎上事件」などを口実にして、大統領緊急令を濫発させた。特に 有名なのは「議事堂炎上令」として知られる緊急令(国民と国家を防衛するための 大統領緊急令・1933 年 2 月 28 日)である。これによって、国民の基本的人権はこと ごとく停止され、「保護拘禁」の名目で、司法手続きなしに被疑者を逮捕できるよう になった。かくして、共産党などの左翼指導者は一網打尽、身柄を拘束されるに 至った。 この結果、総選挙でナチ党は大きく議席を伸ばし、ヒンデンブルクと関係の深い 保守政党と併せて過半数を得た。そして、同年 3 月 23 日、ヒトラーは、著名な「全 権委任法」を成立させた。この法律の制定には、総議員の 3 分の 2 の出席と出席議員 の 3 分の 2 の賛成が必要とされていたが(注36)、共産党のみならず社会民主党の議員 の多くが身柄を拘束されたり逃亡したりしている状況ゆえ、この要件を満たすのは 容易であった。 この法律の内容は以下のようなものである(第 3~5 条は省略)。 「第 1 条 国の法律は、憲法に定まる手続きによるほか、政府によっても制定され うる。 第2条 政府が制定した国の法律は憲法と背反しうる。」 かくして、「独裁者ヒトラー」が誕生した。まさしく、電光石火の早業であった。 アウトバーンの建設などの経済政策は、ヒトラーが独裁者になった後の業績であり、 世間一般のイメージとは逆である。そして、この法律は本来 4 年間の時限立法とされ ていたにもかかわらず、独裁政権が誕生した後、それを問題とする者はいなかった。 そして、その後もこの「法律」による独裁が続けられ、ワイマール憲法は形だけの ものとして存続し続けた。 大統領緊急令の濫用がなければヒトラーが独裁者になりえなかったことは明らか である。また、全権委任法というアイデアもヒトラーのオリジナルではなく、それ と類似の「授権法」の制定も 2 回前例があった。つまり、ワイマール憲法の内容とそ の運用は、立憲主義の観点から見ると重大な弱点を抱えていたと言わねばならない。 また、議事堂炎上令によって、言論・集会・結社の自由が厳しく制限された時点で、 ドイツの民主主義は既に死んでいたということもできる。 (6)独裁の終焉 ヒトラーは、独裁体制を確立した後、侵略戦争への道を歩み始め、世界大戦の端 緒をひらいた。その後の経緯は周知の通りである。1945 年 4 月 30 日、瓦礫と化した 首都ベルリンの地下壕で、独裁者ヒトラーはその生涯を終えた。 3 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想 (1)大日本帝国憲法の制定とその運用 日本が全体主義の道を歩むきっかけとなったのは、ドイツと同じく、1929 年の世 界大恐慌を背景とした社会的混乱であった。ただ、ヒトラー時代のドイツと、同時 代の日本には多くの相違点がある。 日本の全体主義を特徴付けるのは、独特の神権的「国体」思想(注37)である。 これは、大日本帝国憲法制定の過程でも明確に位置づけられていた。すなわち、 -27- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 憲法案の作成を命じる勅語(「朕爰(ここ)ニ我カ建国ノ体ニ基キ広ク海外各国ノ成 法ヲ斟酌シ以テ国憲ヲ定メントス」・1876 年)中の「建国ノ体」(国体)という特殊 日本的要素である(注38)。大日本帝国憲法の告文や憲法発布勅語に天皇の先祖による 国造りを前提とした「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所 ナリ」との記述があることや、第 1 条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 、 第 3 条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」との規定が設けられているのも、国体思想 を反映したものである。 ただ、一方で、大日本帝国憲法に「海外各国ノ成法」すなわち西洋近代の憲法思 想に盛り込まれた普遍的要素(立憲主義的要素)が盛り込まれたのも事実であり、 これと「建国ノ体」との対抗こそが近代日本の憲法史をつらぬく糸となっていっ た(注39)。 1989 年に同憲法が制定された直後は「建国ノ体」を全面に押し出す神権学派が優 勢であったが、やがて「海外」の立憲主義の側に引きつけて帝国憲法を解釈・運用 しようとする立憲学派が優勢となる。それを象徴するのが美濃部達吉の「天皇機関 説」であった。これは、国家の統治権の主体は法人としての国家だと考え、天皇を、 法人としての国家の機関として位置づけるものであった。1912 年の天皇機関説論争 を通じて、この学説は影響力を強め、政党内閣の慣行と男子普通選挙の実現(1925 年)に象徴される「大正デモクラシー」の時代を迎えることとなる(注40)。 (2)天皇機関説事件と立憲主義の終焉 しかし、1930 年代の世界的規模の危機は、日本では、とりわけ突出して軍事化と 強権政治への道につながっていった。1931 年には満州事変、1932 年には五・一五事 件が起こる状況の中で、1935 年、「天皇機関説事件」が戦前の立憲主義にとどめを刺 すことになる。政府は、野党や軍隊からの圧力におされて、天皇機関説を禁止する 措置をとり、機関説を「神聖ナル我カ国体ニ悖」るものとして弾劾し、 「万邦無比ナ ル我カ国体ノ本義ヲ基トシ其神髄ヲ顕揚スルヲ要ス」という「国体明徴」に関する 第二次政府声明を出すに至った。美濃部も不敬罪で告発を受け、貴族院議員を辞職 した。1935 年以降の日本は、いわゆるシナ事変から大東亜戦争へという軍事的冒険 に突入し、それと並行して、国内の立憲政治的要素も、ほとんど駆逐されていっ た(注41)。 (3)「国体」概念は、元来「民族」主義的色彩を強く有している。従って、日本とドイ ツにおける全体主義は、国家を「有機的な一体としての共同体」と構想し、個人主 義を徹底的に否定するという構造において共通しているといえる。 それを象徴するのが、日中戦争が始まった 1937 年、当時の文部省が発表した「国 体の本義」なる文書である。その「緒言」には、「抑々社会主義・無政府主義・共産 主義等の詭激なる思想は、究極においてはすべて西洋近代思想の根底をなす個人主 義に基づくものであって、その発現の種々相に過ぎない」「個人主義の行詰まりは、 欧米に於いても我が国に於いても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を 将来している」「欧米が、今日の行詰まりを如何に打開するかの問題は暫く措き、我 が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切 の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂 -28- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきで ある」との記述がある。これは、諸悪の根源は「個人主義」にあり、これを徹底的 に排斥するという宣言であり、上記のヒトラーとナチスドイツの発想と共通するも のであった。 (4)では、このような全体主義的空間を作り上げたのは誰か。ドイツと違い、戦前の日 本において「カリスマ指導者」と言うべき人物を特定するのが難しいため、そのよ うな指導者を選出した「民主的」プロセスを描き出すことは難しい。 とはいえ、世界恐慌後、日本を全体主義に導いた勢力の一つが軍部(特に陸軍) であったことに争いはない。彼らは、開戦の詔勅も得ぬまま満州事変やシナ事変 (日中戦争)の端緒を開いた。これを天皇が追認する形で、泥沼の戦争への道が拓か れた。もちろん、この動きに対する批判もあったが、それは徹底的に封殺された。 では、なぜ、軍部がここまで力を持ち得たのか。軍部のプロパガンダに乗せられ、 閉塞した政治や社会の変革者として圧倒的にこれを支持したのは、貧困にあえぐ大 衆であったという指摘がある(注42)。つまり、日本においても「民主的独裁」が生ま れる下地はあったし、それが戦後日本で復活する危険性があることも自覚されなけ ればならない。 また、全体主義の時代に猛威を振るい、軍部や政府を批判する一切の表現を封殺 し、不十分ながらも根付きつつあった民主主義を完全に破壊した「治安維持法」が 制定されたのは、まさに平時、男子普通選挙が実施されたのと同じ 1925 年であった ことも、銘記されるべき事項である(注43)。 (5)全体主義の終焉 日本の全体主義は、ポツダム宣言を受諾したとき、一応終焉した。その後、立憲 主義的要素を全面的に取り入れた日本国憲法が制定され、1947 年 5 月 3 日に施行さ れてから 70 年が経とうとしている。その間、日本を全体主義に導いた「軍隊」が復 活することはなかった。 第4 1 日本国憲法の誕生と試練のとき 立憲主義の復活強化(注44) 全体主義の時代において、集団的興奮と狂気の進行の中で立憲主義を徹底的に攻撃・ 蹂躙し、その結果引き起こされた人類史上類を見ないような大量の殺戮・犠牲者を生み 出した悲惨な経験の後で、なすべきことは自ずと明らかであった。一言で言えば、立憲 主義の復活強化である。 より具体的に言えば、その骨格となったのは、①国民が憲法制定権力として憲法を制 定しその憲法によって必要な活動力の確保と濫用の防止に十分に配慮した政府の統治権 力の仕組み・根拠を明確にするとともに(国民主権)、②「個人の尊重」ないし「人間 の尊厳」を基礎とする基本的人権の保障を徹底し、そして③そのような内容を持つ憲法 の法規範性を可及的に実現すること(「憲法の優位」とそれを担保する憲法裁判所の導 入)(注45)であった。 我が国においても、戦後新たに制定された日本国憲法においては、これらに対応し -29- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か て、①国民主権の原則が明記され(前文・1 条)、表現の自由の保障(21 条)を含めた 民主的諸制度が取り入れられた。そして、②憲法全体を支える理念として「個人」の尊 重の理念(13 条)が明記されるとともに、③憲法の最高法規性(98 条 1 項)、全ての権 力者の憲法尊重擁護義務(99 条)及びこれを担保するための制度としての最高裁判所 の違憲立法審査権(81 条)に関する規定が設けられた。 さらに、これにもう一つ重要なことを付け加えておかなければならない。それは、④ 戦争が立憲主義にとって最大の「敵」であること、そうした痛切な思いに立って、平和 国家への志向を憲法を通じて明確にする、ということである。 2 日本国憲法の平和主義 (1)上記④の点は、戦後締結された国際条約である国連憲章においても「すべての加盟 国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土 保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいか なる方法によるものも慎まなければならない。」という形で反映された(2 条 4 号)。 日本国憲法 9 条 1 項の規定は、その内容を「政府に対する戦争の禁止」という形で反 映させたものであるといえる。 (2)日本国憲法は、さらに、9 条 2 項において、「陸海空軍その他の戦力」の放棄と 「交戦権」の否認を明記した。この規定が盛り込まれた経緯については本稿では深く 立ち入らないが、アジアで 2000 万人とも言われる犠牲者を出した中で、国際社会に 認知されるためには、再び戦争は行わない意思を明確に表示する必要があったこと、 また、日本国民の中にも 300 万人とも言われる犠牲を出し、自国民の自由を徹底的に 封殺した「軍隊」への強烈な嫌悪感が存在したこと-がその背景にあったことは銘 記されるべきである。 また、日本国憲法は、前文においていわゆる「平和的生存権」を個人に保障され るべき人権として規定した。これも、戦争と立憲主義との関係を的確に把握した上 での規定であると評価できる。 (3)9 条 2 項については、戦後 70 年、議論が繰り返されてきた。「自衛隊」の存在とそ の海外での活動が、9 条 2 項と抵触しないのか。仮にその存在を認めるとしたとき、 それを憲法に明記せずにいることがかえって立憲主義を空洞化するのではないか、 といった議論である。なるほど、従前の政府解釈は、我が国に対する武力攻撃があ り、自国民の生命・身体・財産などが脅かされる場合には、憲法とてこれを排除す るための実力行使を禁じるものではないはず-という論理を展開してきた。これは 憲法の明文には規定されていないし、全国民の同意を得ている訳でもない。しかし、 従前の政府解釈にあっても、その起点には 9 条 2 項があった。それゆえ、政府解釈で は、その論理の裏返しとして、「わが国自身に対する侵略が無ければ自衛隊は武力行 使をすることができない」とされ、また、その場合であっても、武力行使は必要最 小限度でなければならず、従ってまた「他国における武力行使は認められない」と いう明確な「線引き」がされていた。それゆえにこそ、「専守防衛の自衛隊」は「軍 隊」ではなく、その活動は交戦権否認と矛盾しない、と説明されてきたのである。 この「線引き」は、ひとたび理解すれば論理的にはシンプルなものであり、現実に -30- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 法規範として機能してきた。日弁連が、2008 年、人権擁護大会決議において「憲法 9 条は、現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも、自衛隊の組織・装備・ 活動等に対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使および集団的自衛権行使 を禁止するなど、憲法規範として有効に機能している」と確認したのはそれゆえで ある。また、それゆえにこそ、戦後 70 年、日本は他国民を 1 人も殺さず、自国民か ら戦死者を出さずにきたのである。 ところが、今回の安保法制及びそれに先立つ閣議決定は、この「線引き」を無に するもので、9 条 2 項を「解釈」の名の下に事実上抹消してしまい、平和国家として のあり方を根本から変えてしまう危険性がある。然るに、同法制定に至る説明と、 従前の政府解釈との論理的一貫性は無い。また、従前の解釈にかわる憲法との整合 性に関する合理的説明も無い。たとえば、集団的自衛権の行使が認められるとされ る「存立危機事態」は、その定義ないし具体的内容すら不明確なままである。兵站 活動そのものである後方支援活動や協力支援活動が「武力の行使」にはあたらない とか、個々の自衛隊員の「武器の使用」と武力の行使が区別されるといった説明は、 国際常識に真っ向から反している。 従って、同法や閣議決定について、その内容の妥当性についてはもちろん、手続 的側面においても立憲主義や国民主権との関係を問題にされるのは当然であると言 えよう。 (4)テロとの戦争 また、冷戦終結後にアメリカが始めた「テロとの戦争」が、憲法との関係で新た な緊張を生み出していることを指摘しておきたい。 なぜなら、この戦争の「敵」は国ではなく、テロリストという個人ないし集団と されているからである。しかも、その中には、自国民も含まれている(その意味で、 現在の世界の混乱した状況を「世界内戦」と表現するのは真実の一面をついてい る)。 かくして、「テロからの安全と安心の確保」という大義名分によってむき出しにな る国家権力の矛先が、自国民に向けられる可能性が高くなる。言い換えれば、 「テロ との戦争」という概念が、「軍隊」と「警察」、あるいは「戦争」と「日常」との境界 線を無くしてしまう。これらを区別するのが国家権力の濫用を防止する知恵である ことに鑑みると、両者の境界が曖昧になることの影響は大きい。その視点は、秘密 保護法の問題点を検討するにあたっても、重要である。 3 再び試練のとき-問われる国民の態度 日本国憲法が制定されてから 70 年、我が国においては、完全とは言えぬまでも、一 応、民主主義と立憲主義の伝統が根付いていたと言うことができよう。 しかし一方で、我が国において、戦前の全体主義に対する総括が不十分であったこと も否めない(注46)。いわば「戦前の余韻」ともいうべき潮流が戦後史の底流に流れ続け ていた。そして、立憲主義は「かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え 方」と明言(注47)する人物が首相となり(安倍首相の 2014 年 2 月 3 日の衆議院予算委員 会での発言)、立憲主義と全く相容れない内容の全面改憲案が政権党から出されている -31- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 今、戦前の全体主義の亡霊が再びよみがえりつつあるのではないかという問題意識は、 決して杞憂ではない(注48)。 その一つのあらわれが、9 条の「解釈改憲」であり、憲法違反の安保法制の制定であ り、秘密保護法の制定であった。また、その危険性が十分に説明されることなく国家緊 急権に関する議論が進められようとしていることも、この文脈で理解されるべきであ る。 ところが、国政選挙等において、その重大性が十分に議論されたとは言いがたい。今 や、衆議院・参議院ともに、憲法の「改正」に肯定的な政党が、改憲発議に必要な議席 を確保したと言われる。 「何のためにどこを変えるのか」という議論抜きに、 「憲法を変 えること」それ自体が自己目的的に語られていること自体異常と言わざるを得ないが、 現在公にされている明文改憲案の内容に照らせば、「改正」の中身いかんによって、立 憲主義と民主主義が大きく後退する恐れがある。また、憲法違反の安保法制は既に施行 されており、いつそれが発動されてもおかしくない状態にある。「殺し、殺される」状 況が生じること、それ自体が大変な問題であるが、過去の歴史や他国の例に鑑みるなら ば、それが現実となったとき、集団的興奮が冷静な判断を圧倒する事態が生じるおそれ も否定できない。 戦争が個人を封殺し、権力の暴走を許し、全体主義を生む。その愚を決して繰り返し てはならない。過去の全体主義の教訓に学ぶとき、誰もが「おかしい」と感じるときに は、もはや手遅れである。手遅れにならぬうちに立ち上がることができるか。今、まさ に、主権者たる国民の態度が問われているといえよう。 【第 1 章 注釈】 注1 constitutionalism(英・米)、constitutionnalisme(仏)、Konstitutionalismus(独)。 注2 南野森編『憲法学の世界』4 頁日本評論社 2013 年 7 月 注3 上掲書の編者である南野氏によれば、これを「古典的立憲主義」等と表現することは、定義の問題に すぎないとはいえ、「権力制限の思想を過大に包摂し、かつ「憲法」(及びそれが前提とする近代国家) がそこでは存在しないにも関わらず「憲法主義」と呼称し、ことさらに近代立憲主義との継続性を示唆 する点において、少なくともミス・リーディングと評すべき用語法である。」と述べられている。 しかし、近代憲法史をスタートさせたイギリスの「権利の章典」(1689 年)は中世立憲主義とのつなが りを援用しており(樋口陽一著『憲法』(第 3 版)27 頁以下、創文社 2007 年 4 月)、同国で 13 世紀に作 られたマグナカルタは今も同国の憲法典の一部をなしているなど、古典的立憲主義の痕跡が近代あるい は現代においてもまったく認められないというわけではない。 注4 砂糖法、印紙法、タウンゼント諸法など。 注5 John Locke(1632 年~1704 年)。イギリスの政治思想家・哲学者。主著『統治二論』、『人間知性論』 等。 注6 マーベリー対マジソン事件に関する連邦最高裁判所判決(1803 年 2 月 24 日)によって確立されたと されている。 注7 フランス 1946 年憲法は憲法委員会を設置したが、その役割は法律の合憲性審査ではなく、むしろ議会 で成立した法律を合憲とするために憲法の改正の必要性を検討するためのものであった。 注8 そのようなフランスのコンセイユ・デタ(行政裁判の最高裁判所)において、「国家機関の行為の合法 -32- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 性が具体的訴訟で争われても「高度の政治性」を帯びている場合には司法審査が及ばない」という「統 治行為」と呼ばれる理論に関する判例が積み重ねられ、日本の最高裁判所もこれを砂川判決において採 用したとされている。しかし、日本の憲法は 81 条により司法の優越を明確に規定しており、このような 制度的・歴史的差異を無視した司法消極主義の輸入には批判が多い。 注9 フランスの事後的違憲立法審査制は 2008 年 7 月 23 日の憲法改正によって認められることとなり(フ ランス憲法 61-1 条)、2010 年 3 月 1 日に同改正条項実施のための組織法律が施行されることで、実施さ れることになった。 注 10 中村義孝著『フランスの裁判制度(1)』(『立命館法学』2011 年 1 月号 335 号)13~15 頁 注 11 ちなみに、第 14 期ドイツ連邦議会「現代医療の法と倫理」審議会長マルゴット・フォン・レネッセ氏 は次のように述べている。 「人間の尊厳を侵害しないという絶対的な禁止は、ナチズム国家とそれがわたしたちの上にもたらし た戦慄を歴史的に経験する中から成立しました。わたしたちの憲法の第 1 条は、ナチズム体制が具現し た道徳的ニヒリズムからの方向転換を指し示す道標です。このことは、人間はだれもが個人として尊重 されるという基本的な要請が尊重されるべきことを教えた哲学者イマヌエル・カントの定式化に立ち返 ることによって生じました。」ドイツ連邦議会審議会答申『人間の尊厳と遺伝子情報』松田純監訳知泉書 館 2004 年日本版への序文より。 このように、ドイツの国会にあたる連邦議会ではドイツ憲法(ボン基本法)1 条にある「人間の尊厳」 が、カントの概念であると明確に認められているのである。 注 12 David Hume(1711 年~1776 年)。イギリスの哲学者。主著『人間本性論』。 注 13 カント著『人倫の形而上学の基礎づけ』カント全集第 7 巻 81 頁以下、岩波書店 2000 年 1 月 注 14 野中他著『憲法Ⅱ』(新版)51 頁、有斐閣、1997 年 4 月 注 15 分類方法は、前掲『憲法学の世界』34 頁以下(小泉良幸著)による。 注 16 『慶應法学』第 27 巻徳永貴志訳、231 頁 注 17 樋口陽一「憲法」第三版・12 頁 注 18 曽我部・見平「古典で読む憲法」(有斐閣)96~97 頁 注 19 国家有機体説 国家を一つの有機体とみる学説。国家は独自に成長発展する生物のような存在であり、 国民は、それ自身では生命を維持できない一細胞として、ごく一部の機能を担うにすぎないとする。 注 20 ナチスと民族 象徴的なところでは、1933 年の選挙では、ナチスは、投票前の官製選挙キャンペーン で「ひとつの民族、ひとりの指導者、ひとつのヤー(ja)!」をスローガンとしていた(石田勇治「ヒト ラーとナチスドイツ」176 頁)。また、上掲石田は、ヒトラーの政治思想の特徴として、「強者は必ず弱者 に勝利する、という社会ダーウイニズム的な発想」「アーリア人種は他のどの人種よりも優秀だとする思 い込み」「歴史発展の原理は民族にあり、国家は民族の維持・強化のために役立たなければならないとい う信念」「議会主義は無責任体制を意味し、民族を全体として代表するひとりの指導者の人格的責任にお いて万事が決定されるべきだとする指導者原理」「社会的、階級的な相違を越える統一体としての民族共 同体を創造するという願望」をあげている(同 73 頁)。また、フォルクスゲマインシャフト=民族共同 体概念については、同 214 頁以下が詳しい。ちなみに、フォルク Volk 概念は多義的で、民族、国民、人 民、民衆という 4 つの意味を持つことに注意。これは日本の「国民」概念の多義性に通じるところがあ る。 注 21 樋口陽一「比較憲法」(全訂第三版)192 頁 注 22 樋口陽一「比較憲法」(全訂第三版)193 頁 -33- 第1章 注 23 立憲主義、民主主義とは何か 樋口陽一「比較憲法」(全訂第三版)188 頁。なお、同書では、「自由権的基本権の全面的否定」とい う表現がとられている。 注 24 ヒトラーがフォルクスゲマインシャフト(民族共同体)について語るとき、「ヴァイマル共和国ではな ぜ国民の分裂が生じたか。それは西欧的な自由主義・個人主義が利益政治・政党政治を生み、民族の一 体性を砕き、国民の連帯を断ち切ったからだ」「ドイツ国民よ。おまえがひとつになれれば、おまえは強 くなれる」(上掲石田 215 頁)と繰り返していた。 注 25 民族概念に通底し、ホロコーストを引き起こしたレイシズム(人種主義)や、アーリア=ゲルマン神 話については、上掲石田 256 頁以下が詳しい。また、「人の価値には生来の差がある」ことを強調する優 生思想と安楽死殺害政策については、同 304~305 頁参照。 注 26 上掲石田 216 頁 注 27 ボヘミアの上等兵 後にヒトラーを首相に任命するヒンデンブルク大統領自身はヒトラーを「ボヘミ アの上等兵」(ヒトラーはボヘミアに近いオーストリアで生まれ、第一次世界大戦では上等兵だった)と 呼んで馬鹿にしていた。 注 28 13 年 ヒトラーが軍の教育将校として、ナチ党の前身であるドイツ労働者党の集会に赴き、同党に入 党したのが 1919 年 9 月(上掲石田 35 頁)。それから全権委任法成立までの期間は、わずか 13 年である。 注 29 ナチ党は、もともとバイエルン州の地方政党に過ぎず、首都ベルリンでは苦戦を続けていた。同党が 躍進し、国民政党となったのは、1930 年 9 月の国政選挙であった(上掲石田・100 頁) 注 30 樋口陽一「比較憲法」(全訂第三版)189 頁 注 31 上掲石田 注 32 上掲曽我部ら 注 33 樋口陽一「比較憲法」(全訂第三版)192 頁 注 34 この問題意識は、上掲曽我部ら 注 35 以下の大統領緊急令に関する記述は、主として上掲石田 136-159 頁による。 注 36 これは当時の憲法改正の要件と同じである。 注 37 一般に国体とは、日本神話の、皇室は万世一系の天照大神の子孫であり、神によって日本の永遠の統 186 頁 79 頁 15 頁より 治権が与えられている(神勅)天皇により統治された、人民や古里の決まりといった意義。国体論では、 とりわけ他国との対比において、王朝交代・易姓革命・近代においては市民革命が起きなかったことを、 日本の国体の表れとして重視する。論者の大部分は天皇による国家統治を国体の不可欠の要素として主 張する。Wikipedia 注 38 樋口陽一「憲法」第三版・51 頁 注 39 樋口陽一「憲法」第三版・51~52 頁 注 40 樋口陽一「憲法」第三版・56~57 頁を要約 注 41 樋口陽一「憲法」第三版・57~59 頁を要約 注 42 加藤陽子「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など 注 43 これは、「平時」に制定された秘密保護法等を念頭においた記述である。 注 44 この整理については、佐藤幸治「立憲主義について 注 45 要するに「法の支配」の理念の確認とその実効化に向けての制度設計のことである。 注 46 この点について、しばしば対比されるドイツにおいても、1963 年のフランクフルト・アウシュビッツ 成立過程と現代」を参考にした。 裁判まで、ナチス勢力が隠然たる力を持っていたとの指摘がある。同裁判を題材とした映画「顔のない ヒトラーたち」(2014)は、それを正面から描いている。現在のドイツの態度は、自国民が自国民を裁く -34- 第1章 立憲主義、民主主義とは何か 厳しい経験を経てのものである。 注 47 安倍総理の答弁の内容「憲法について、考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考 え方はありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、 今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか、このように思 います」 注 48 現在公にされている全面改憲案に対しては、戦前、個人主義を徹底的に否定して立憲政治を排除した のと同じ論理構造が、「個人」を「人」に変え、国民に憲法尊重義務を課し、「公共の福祉」を(「お国の ため」の論理を許す)「公益及び公の秩序」へと変える発想の根本にあるのではないか、との疑念を抱か ざるを得ない。 なお、本年 7 月 12 日付毎日新聞(関西版・朝刊)では、石川健治教授が「安倍政権の非立憲性が、 1950 年代の『古い改憲論』に由来しているらしい点が気がかりだ。『古い改憲論』は、かつて戦前日本の 立憲主義を破壊した、軍国主義を支えた復古的言説の体系であり、日本国憲法の象徴天皇制と政教分離 原則、何より 9 条によって封じ込められたはずのものだった」と述べている。また、愛敬浩二教授も、 「日本の有力な政治家が現在もなお、『民族国家』に固執する状況がある」として、中曽根氏や安倍総理 の国家観を紹介している(「社会契約は立憲主義にとってなお生ける理念か」岩波講座「憲法Ⅰ」31 頁 ~)。また、青井美帆「憲法と政治」(岩波新書)20 頁~も、「国家・家族・個人と一体となった『国が ら』」という問題意識を展開している。 -35- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 第 2 章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と 恒久平和主義の破壊 第1 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機 安保法制の基本的内容・性格と危険性 (1)平和国家としての日本の国の在り方を大きく変えてしまう安保法制が、2015 年 9 月 19 日参議院本会議で採決され、2016 年 3 月 29 日施行された。 安保法制は、自衛隊法、武力攻撃事態対処法、周辺事態法、国連平和維持活動協 力法など 10 本の法律を改正する平和安全法制整備法と、新規立法である国際平和支 け「安全保障法制改定法案に対する意見書」)。 ① 「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国 の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明 白な危険がある場合」(存立危機事態)において、自衛隊法 76 条の防衛出動として 武力の行使ができるものとした。 ② 周辺事態法を改正した重要影響事態法及び新たに成立した国際平和支援法によっ て、我が国の平和と安全に重要な影響を与える等の「重要影響事態」及び国際社 会の平和と安全を脅かす等の「国際平和共同対処事態」において、武力を行使す る他国の軍隊等に対し、地理的限定なく、随時、後方支援活動ないし協力支援活 動として自衛隊による物品及び役務の提供等をできるものとし、しかも、いわゆ る「非戦闘地域」にとどまらず「現に戦闘行為が行われている現場」以外の場所 であれば、弾薬の提供等までも含めてできるものとした。 ③ これまでの国連が統括する平和維持活動(国連 PKO)のほかに、国連が統括し ない有志連合等による「国際連携平和安全活動」にも参加できるようにした上、 従来その危険性ゆえに禁止されてきた「駆け付け警護」と「安全確保活動」を新 たな任務として認め、それらに伴う任務遂行のための武器使用を可能とした。ま た、自衛隊法において在外邦人の救出等の規定を新設し、ここでも任務遂行のた めの武器使用を認めた。 ④ 武力攻撃に至らない侵害への対処として、自衛隊法 95 条の 2 を新設し、「自衛隊 と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している」米軍等他国軍隊の 「武器等」(人及び武器・弾薬その他船舶・航空機まで含まれる。)を防護するため の武器使用を、自衛官の権限として認めた。 (2)上記①は、これまで政府も一貫して憲法 9 条で禁止されているとしてきた確立した 解釈を覆して、集団的自衛権の行使を認めるものであり、日本が他国間の戦争に積 極的に参加する道を開くものである。 上記②は、米軍等の他国軍隊に対するいわゆる兵站活動を、戦闘行為が行われて いる現場付近にまで及んで、戦闘行為に直接関連する物品や自衛隊による役務の提 供をできるとするものであり、これでは他国軍隊の武力の行使との一体化の危険は 免れず、自衛隊が相手国からの攻撃の対象となって、戦闘行為に発展する危険性の -37- 第2章 援法からなるが、その中心的な問題は、次の点にある(日弁連の 2015 年 6 月 18 日付 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 極めて高いものである。 上記③は、駆け付け警護等の任務目的を達成するためには、敵対する武装勢力等 を排除するに足る強力な武器使用を認めるものであり、自衛隊員が殺し、殺される 場面に直面し、戦闘行為に発展する危険性の高いものである。 上記④は、米軍等の船舶や航空機に対する侵害にまで対処してこれらを防護する ため、現場の自衛官の判断により、敵対国等に対して自衛隊の武器を使用すること を認めるものであり、実質的な集団的自衛権の行使と変わらない事態すら危惧され るものである。 このように、安保法制は、集団的自衛権に基づいて自衛隊が参戦する場合はもち ろん、後方支援活動、協力支援活動、国際連合平和維持活動、国際連携平和安全活 動、他国軍隊の武器等防護などにおいて、武力の行使に発展する可能性の高い自衛 隊の活動を広く認めることにより、自衛隊が戦闘行為に直面し、日本が戦争当事者 となっていく機会と危険性を大きく広げた。 (3)これらの安保法制の内容は、2015 年 4 月 27 日、安保法制法案の国会提出に先立っ て合意された新たな日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)によって、米国 との間でも確認され、その実施を方向付けられた。 その具体的内容は後述するが(第 5 の 1)、新ガイドラインは、「平時から緊急事態 までのいかなる状況においても日本の平和及び安全を確保するため、また、アジア 太平洋地域及びこれを越えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなるよう」 、日米 両国間の安全保障及び防衛協力のあり方を定めることを目的とし、グローバルな性 質を有するとされる日米同盟を強化し、「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な 日米共同の対応」等を定める。そこでは例えば、平時からの同盟調整メカニズムの 設置・運用体制をとるとともに、「米国又は第三国に対する武力攻撃に対処するた め」日米両国は適切に協力し、自衛隊は武力の行使を伴う適切な作戦を実施する等 とされ(集団的自衛権の行使)、その他、後方支援活動での相互協力、平和維持活動 での緊密な協力、自衛隊と米軍の訓練・演習中や弾道ミサイル防衛作戦等を含めた アセット(装備品すなわち上記自衛隊法 95 条の 2 の「武器等」)防護についての協力 等が定められている。 したがって、日本は米国との関係で、国際的な武力紛争にも関わって、集団的自 衛権の行使、後方支援、平和維持活動、武器等防護等、武力の行使又はそれに至る 危険性の高い自衛隊の活動を行うことを合意しているのであり、米国からの要請が あった場合に、日本政府はこれら自衛隊の出動ないし派遣に応ずべきこととなる。 (4)このような米国との関係でみた場合、安保法制は、改定された 2015 年ガイドライ ンを実施するための法整備という性格を有し(注1)、グローバルに展開する米軍を支援 するための法律という性格が色濃いものである(注2)。 法律に則してみても、まず、集団的自衛権の行使に係る「わが国と密接な関係に ある他国」の最たるものは米国である。また、重要影響事態法は「合衆国軍隊等」 に対する支援法であり、国際平和支援法もアフガン戦争やイラク戦争における特別 措置法の恒久化法であって、これらによって自衛隊は、世界中に展開する米軍に対 し、地理的限界なく、物品・役務の提供という兵站活動を、「現に戦闘行為が行われ -38- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 ている現場」以外の場所ならば、随時行うことが可能となった。さらに、自衛隊法 95 条の 2 として新設された武器等防護は、「アメリカ合衆国軍隊その他の外国の軍 隊」のために、自衛隊が武器を使用するものであることが明文で規定されている。 「切れ目なく」組み込まれて こうして、日本及び自衛隊は、米国の世界戦略の中に、 いくことになる。 2 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性(注3) この安保法制が、多くの点で日本国憲法に違反するものであることは、すでに多方面 から明らかにされてきているが、ここでは、その憲法上の問題点を論ずる場合に前提と なる、従来の政府の憲法解釈の要点を確認しておく(注4)。 日本政府は、日本国憲法も独立国が当然に保有する自衛権を否定するものではなく、 自衛のための必要最小限度の実力である自衛隊は憲法 9 条 2 項の「戦力」に当たらない とする。しかし他方、その自衛権の発動は、①我が国に対する急迫不正の侵害があるこ と、すなわち武力攻撃が発生したこと、②これを排除するために他の適当な手段がない こと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきことの 3 つの要件(自衛権発動の 3 要 件)を満たすことが必要であるとの解釈を定着させてきた。そして、自国と密接な関係 にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を もって阻止する権利としての集団的自衛権の行使は、右自衛権発動の 3 要件、とくに① の要件に反し、憲法上許されない、と解してきた(注5)。 また、自衛権による実力行使の「必要最小限度」については、それが外部からの武力 攻撃を我が国領域から排除することを目的とすることから、我が国の領域内での行使を 中心とし、必要な限度において我が国の周辺の公海・公空における対処も許されるが、 反面、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土・領海・領空に派遣するいわゆる海 外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されない とされてきた(注6)。 これらは、1954 年自衛隊創設時以来積み上げられてきた、政府の憲法解釈の基本原 則であり、これらに基づいて、憲法 9 条の恒久平和主義の現実的枠組みが形成され、 「平和国家日本」の基本的あり方が形造られ、維持されてきた。 そしてさらに、1990 年の湾岸戦争を契機として自衛隊の海外派遣が大きな課題とな る中で、とくに海外での武力の行使を防ぐため、右の基本原則から導かれるいくつかの 副次的原則が形成されていく。 その一つは、自衛隊の海外における活動の、外国軍隊の武力行使との「一体化」の禁 止である。これは以前から認められていた考え方であったが、2009 年の周辺事態法に おいては、その担保として、米軍に対する協力・支援活動を補給・輸送等に限定して列 挙するとともに、これを実施する区域を「後方地域」に限定することとされた。ここで 「後方地域」とは、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期 間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域をいう(周辺事態法 3 条 1 項 3 号)。そしてこの枠組みはその後、2011 年の米国同時多発テロに続くアフガニス タン戦争支援のためのいわゆるテロ対策特措法、2013 年のイラク戦争支援のためのい わゆるイラク特措法にも引き継がれた(これら特措法では、上記「後方地域」と同旨の -39- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 規定が置かれ、一般に「非戦闘地域」と称された。)。 他方、湾岸戦争後の国際協力への要請は、1991 年 9 月国連 PKO 活動への参加という 形で提起され、翌 1992 年 6 月に国連平和維持活動協力法(PKO 協力法)として成立し た。この法律において、自衛隊の活動が武力の行使に及ぶことがないように、いわゆる PKO 参加五原則が規定された。簡略化すると、①紛争当事者間の停戦合意、②領域 国・紛争当事者の PKO への同意、③中立維持、④これらが欠けたときの撤退、⑤武器 の使用は要員の生命等の防護に必要最小限度のものに限定、というものである。 この海外における武器の使用は、「いわば自己保存のための自然権的権利」であるこ とを根拠に、憲法 9 条 1 項で禁止された「武力の行使」に当たらない、と位置づけられ た(注7)。そしてその後も基本的にこの原則が維持され、いわゆる「任務遂行のための武 器使用」は武力の行使に当たる疑いを否定できない、「駆け付け警護における武器使用」 も国家ないし準国家に対して行う場合には武力の行使に当たるおそれがある等として、 従来の政府の憲法解釈上否定されてきたのである(注8)。 なお、政府の解釈によれば、「武力の行使」とは、「戦争」をも含め、広く国家の物 的、人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいう。その「戦闘行 為」とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為を 「武力の行使」と区別される「武器の使用」とは、火器、火薬類、刀剣類 いう。また、 その他直接人を殺傷し、又は武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機 械、器具、装置をその物の用法に従って用いることをいう(注9)。そして、関係法律で武 器の使用が規定される場合、それが組織的な武器の使用にならないよう、その主体は 「自衛隊」ではなく「自衛官」の権限として規定されてきた。 ところが、安保法制は、これらの積み上げられた政府の憲法解釈を、それこそ「根底 から覆す」ものである。集団的自衛権の行使容認はその最たるものであるが、後方支援 活動等において「非戦闘地域」のタガをはずし、弾薬の提供等まで認め、任務遂行のた めの武器使用を解禁し、他国軍隊の武器等防護のための武器使用を認める等々、これま で堰き止められていた平和のための制約原理を一挙に解禁し、同時に、自衛隊の活動を あらゆる面で地球規模のグローバルなものにしようとするものといえる。 その違憲性は明らかである。以下、各関連法の具体的内容と問題点を、主要な点にし ぼって指摘しておく。 3 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について 安保法制の内容の基礎となった 2014 年 7 月 1 日の閣議決定「国の存立を全うし、国 民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(以下「7.1 閣議決定」と いう。)は、上記のこれまでの政府の憲法解釈を根本的に変更し、憲法 9 条の内容を解 釈で実質的に改変してしまうものであったが、この 7.1 閣議決定は、 「我が国に対する 武力攻撃が発生した場合のみならず、①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻 撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権 利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、我が国の存立 を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力の行 使をすること」は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、 -40- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 憲法上許容されるとし、この武力の行使は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合 があるが、憲法上はあくまでも「自衛の措置」として許容されるものであるとした(引 用文中に①②③を挿入した。これが「新 3 要件」といわれる。)。 安保法制は、これを法制上実施できるようにするため、旧来の自衛隊法、武力攻撃事 態対処法その他の有事関連法を改正する。特徴的なのは、集団的自衛権の行使も「自衛 の措置」だとすることから、これも従来の自衛隊法上の「防衛出動」(76 条)とその際 の「武力の行使」(88 条)と位置づけていることである。そして、新 3 要件のうち①の 要件は、自衛隊法 76 条と事態対処法 2 条 4 号に閣議決定そのままの文言での条項が設 けられ、これを「存立危機事態」と称している。なお、②の要件は、存立危機事態に 至ったときの政府が定める対処基本方針に、他に適当な手段がないこと等を定めるもの とし(事態対処法 9 条 2 項)、③の要件は、基本理念の一環として、 「武力の行使は、事 態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない」と規定され る(事態対処法 3 条 4 項)。 ここで最も基本的な問題は、いうまでもなく、憲法 9 条のもとで許される自衛権の行 使は、我が国に対する直接の武力攻撃を排除するための必要最小限度のものでなければ ならず、したがってそれを超えた地域や方法による武力行使は禁止されてきたのを転換 し、「他国に対する武力攻撃が発生」した場合にも武力の行使を認めようとする点にあ る。この集団的自衛権の行使を認めれば、法理上、これまで基本的に我が国周辺に限ら れていた地理的限定はなくなり、外国の領域における武力の行使をも否定する理由はな くなる。そして、「我が国に対する武力攻撃」があったかなかったかは事実として明確 であるのに対し、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民 の生命、自由及び幸福追求の権利を覆す」かどうかは、評価の問題であるから、極めて あいまいであり、客観的限定性を欠く。「密接な関係」「根底から覆す」「明白な危険」 などとの修辞を重ねても、その基本的性質は変わらない。 また、②要件や③要件は、表現はこれまでの自衛権発動の 3 要件と類似するが、対象 とされる事態が拡大され、評価判断要素が入り込んだため、たとえばホルムズ海峡に機 雷が撒かれたとして、エネルギー源を他の方法で確保できないのかどうかといった必要 性判断においても客観的なものさしを考えにくく、判断者の情勢認識や価値判断、さら には決断に左右されるものになる。 その判断者は、基本的に、その時々の政府である。しかも、これら情勢認識、判断に 必要な軍事上、外交上、経済上その他の情報が、秘密保護法により、政府によって秘匿 されてしまう可能性、危険性を考えておかなければならない。 先に触れたように、国会審議において政府は、外国の領域で武力を行使する海外派兵 は、新 3 要件のもとでも、一般に自衛のための必要最小限度を超えるもので許されない と答弁し、他方で新 3 要件を満たす場合は他国の領域での武力行使も「法理上」は可能 だが、現在「念頭にある」のはホルムズ海峡のケースだけである、と繰り返した(注10)。 しかし、法文上、海外での武力行使ができないとする根拠規定はどこにもない。これま では、あくまでも「日本の領土を守る」ということによる性質上の限定が担保として働 いてきたが、本法では、このような限定が根本的に失われているのである。 こうして、本法による集団的自衛権の行使容認は、新 3 要件も決して明確な限定とは -41- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 ならず、日本が他国のために、あるいは他国とともに、地理的限定なく世界中で武力を 行使することを可能にするものとして、憲法 9 条の規定に真っ向から反すると評価すべ きものである。 4 重要影響事態法と国際平和支援法について 安保法制は、これまでの周辺事態法を改正して、重要影響事態法へと衣替えをした。 これまでの周辺事態法は、「周辺事態」すなわち「そのまま放置すれば我が国に対す る直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及 び安全に重要な影響を与える事態」において、日米安保条約の目的達成に寄与するため の活動(武力の行使等)を行っている米軍を支援する法律であったが、上記のうち、 「我が国周辺の地域における」との文言を削除し、支援対象も米軍以外に国連憲章の目 的達成に寄与するための活動を行っている外国の軍隊にまで拡大する(1 条)。すなわ ち、「我が国周辺の地域」に限らず世界中で、米軍に限らず他の外国軍隊の行う戦争等 をも、支援できるようにするものである。 その自衛隊による支援活動は、米軍等外国軍隊に対する物品・役務の提供等を内容と する「後方支援活動」 、戦闘行為による遭難者等の「捜索救助活動」等である(3 条 1 項)。そして、これらの支援活動を行う地域は、これまでは「後方地域」、すなわち「我 が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を 通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範 囲」とされていたのを、そのような地域的枠組みを取り払い、「現に戦闘行為が行われ ている現場」以外の場所ならどこでもできるようにしている(2 条 3 項)。その上、支 援活動の内容である物品・役務の提供の範囲を拡大し、これまで禁止されていた弾薬の 提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油・整備までできるように している(3 条 2 項・3 項、別表第一・別表第二)。 これらの物品・役務の提供等というのは、いわゆる兵站活動であり、国際法上は武力 の行使の一環である。しかし、これまでは支援の地域と内容を限定することによって、 他国の行っている武力の行使と「一体化」しないよう、すなわち自衛隊が憲法 9 条で禁 止された武力の行使に至ることがないよう、制度的枠組みが設けられていた。ところが 改正後の重要影響事態法によれば、現に戦闘行為が行われている現場でなければ、その すぐ近くでも、弾薬の提供などまで含めて兵站活動ができることになり、敵国から攻撃 を受ける危険性は格段に高まることになる。 政府は、国会答弁において、実際には防衛大臣が定める実施要項において「自衛隊が 現実に活動を行う期間について、戦闘行為がないと見込まれる場所」を実施区域として 指定することになるから、そのような危険はない、自衛隊員のリスクも変わらない、と の答弁を繰り返した(注11)。しかし、法文上そのような制限はないのであり、制度的な 担保は取り払われるのである。「他国の武力行使との一体化」の危険は明らかだという ほかはない。 同様に政府は国会において、支援活動の円滑・安全な実施が困難な状況になったら実 施区域の変更や活動の中断命令をするし、近くで戦闘行為が行われるような場合には活 動を一時休止する規定もあるから、自衛隊員の安全は確保されると説明してきた -42- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 が(注12)、自衛隊がいつ敵国の攻撃対象になっても不思議ではない状況のもとで、中断・ 休止などが適時・適切になされ、安全が確保されるなどという保障はない。 以上のような、武力行使をする他国軍隊に対する支援活動を行う制度を、もう一つ新 たに用意したのが、国際平和支援法である。過去には、アフガニスタン戦争に際してテ ロ対策特措法、イラク戦争に際してイラク特措法等の個別立法を行って支援活動を行っ てきたが、このような個別立法をそのつどしなくても、いつでも自衛隊の海外派遣がで きるようにした、いわゆる自衛隊海外派遣恒久法である。 すなわち同法は、我が国の平和と安全とは関係なく、「国際平和共同対処事態」と名 づけられた「国際社会の平和及び安全を脅かす事態」等に際して、一定の国連総会・安 保理決議がある場合に、協力支援活動や捜索救助活動などを行えるようにするものであ る(1 条、3 条 1 項)。 そして、この国際平和支援法による協力支援活動等を実施する地域ないし場所、その 支援活動の内容である物品・役務の提供の範囲については、重要影響事態法と全く同様 の枠組みが採られており、したがって、外国軍隊との武力行使の一体化や、自衛隊員の 安全確保上の問題も、そして憲法 9 条違反の問題も、全く同様である。 5 PKO 協力法改正と任務遂行のための武器使用について 国連平和維持活動協力法の改正法は、まず、これまで国連の統括下での PKO 活動を 基本としてきた現行法に、「国際連携平和安全活動」との名称を付された、国連が統括 しない有志連合ミッション等による活動分野を新設した。またこれら 2 つの活動の前提 状況としても、武力紛争終了後紛争当事者が存在しなくなった場合にも、また武力紛争 発生前の紛争未然防止のためにも活動を可能とするなど(3 条 1 号ロ・ハ、同条 2 号)、 活動領域を大きく拡大する。 とくに、国連平和維持活動及び国際連携平和安全活動の両者を通じて、その業務内容 として、いわゆる安全確保業務と駆け付け警護を追加する(3 条 5 号ト・ラ)。安全確 保業務とは、住民・被災民の危害の防止等特定の区域の保安の維持・警護などであり、 7.1 閣議決定では「住民保護などの治安の維持」と表記されていた。また駆け付け警 護とは、PKO 等活動関係者の不測の侵害・危難等に対する緊急の要請に対応する生 命・身体の保護業務である。そしてこれらの業務の性質上、武装勢力等の妨害を排除 し、目的を達成するための強力な武器の使用、すなわち任務遂行のための武器使用を必 要とし、これを認めるものとされている(26 条) 。 しかし、このような任務遂行のための武器使用は、相手方武装勢力等との武器使用の 応酬、さらには戦闘状態に発展しかねず、前記のような従来の政府の憲法解釈にも反 し、憲法 9 条に違反するものというべきである。 7.1 閣議決定は、PKO 参加 5 原則のもとでは、当該領域国及び紛争当事国の受入同 意があり、紛争当事者以外の国家に準ずる組織が敵対する者として登場することはない から、国家・準国家に対するものとしての武力の行使は考えられないとするもののよう であるが、相手が国家ないし準国家か否かにかかわらず、自衛隊員が戦闘行為による殺 傷の危険にさらされることは避けられず、また武装勢力の背後の国家等との戦争へ発展 する可能性も否定できない。 -43- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 以上と同じことは、自衛隊法に新設された在外邦人の警護・救出等の保護措置につい ても妥当する。これは、在外邦人が拘束されたり在外施設が占拠された場合などに、武 装勢力の妨害を排除する等の任務遂行のための武器使用を、新たに認めることとされて いるものであるが(自衛隊法 84 条の 3、94 条の 5)、同様の危険性と憲法上の問題をも つものである。 もう一つ武器使用に関して注意しておくべきものとして、新設された宿営地共同防護 の問題がある。これは、PKO 等に従事する外国の部隊と自衛隊の部隊の共同宿営地に 攻撃があった場合に、他に安全を確保できる場所がないときは、自衛官は、当該宿営地 に所在する者の生命・身体を防護するための措置をとる当該外国の部隊の要員と共同し て、武器を使用することができるとするものである(国連平和維持活動協力法 25 条 7 項)。すなわち、他国部隊との広大な宿営地、そこに居る多数の要員をも共同で防護す るために、敵対勢力に対して、他国部隊と連携して武器使用ができるとするもので、実 際上、共同した戦闘行為に発展することが想定される。 この宿営地共同防護については、PKO に関連して新設された経緯と具体的な危険性 の問題として後述するが(第 4 の 4)、同様の条項は、重要影響事態法 11 条 5 項、国際 平和支援法 11 条 5 項にも設けられた。ここでも、武器の使用から武力の行使に至る危 険がある。 6 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など 安保法制は、自衛隊法 95 条の 2 の新設規定を設けて、米軍等他国軍隊の武器等防護 のための武器使用を、自衛官の権限として規定した。これは、これまでの自衛隊自身の 武器等防護のための武器使用の規定(同法 95 条)の趣旨を、他国軍隊にまで押し及ぼ そうとするものである。 すなわち、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している米軍等外 国軍隊の武器等や人を、職務上警護する自衛官の判断により武器を使用して防護すると いうものである。 ここに「武器等」とは、武器・弾薬等のほか、船舶・航空機まで含む。米軍の空母す ら防護対象として否定されない(注13)。また「我が国の防衛に資する活動」として想定 されるケースとしては、重要影響事態における他国軍隊の輸送・補給活動、自衛隊と共 同して行う情報収集・警戒監視活動、共同訓練などが挙げられている(注14)。 しかし、もともと同法 95 条は、我が国の防衛力を構成する重要な物的手段を破壊や 奪取から防護するための極めて受動的、限定的な必要最小限のものとして、例外的に認 められてきたもので、本来は警察機能に属すべきものであるが、自衛隊の武器等が強力 なものであるため、警察機関ではなく、武器等を警護する任務を与えられた自衛官に武 器使用の権限を与えたものである。そして防護の対象が生命・身体でないため自然権的 権利ともいえず、従来の政府も積極的な根拠付けがないまま、憲法上問題が生じない武 「従来の自己等を防護するためのもの及び自衛隊法 95 条に規 器の使用の類型としては、 定するもの以外にはなかなか考えにくい」(注15)とされてきた。 自衛隊の武器等の防護でさえ憲法上の疑義があり、ましてや、米軍等の武器等が「我 が国の防衛力を構成する重要な物的手段」であるとするのは(注16)牽強付会も甚だしく、 -44- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 これを自衛隊員による警護と武器使用の対象とする憲法上の根拠は考えがたい。 なお、外国軍隊の武器等を警護するかどうかは、当該外国軍隊の要請に基づいて防衛 大臣が必要と認めることが要件とされているが(95 条の 2 第 2 項) 、その上で武器を使 用するかどうかはあくまで現場の自衛官の判断である。実際には現場の指揮官の判断に なることが考えられるが、武力行使に至らない外国軍隊への何らかの侵害行為があり、 その相手国等に対して自衛官による武器の使用がなされた場合、相手国等から見れば自 衛隊が反撃してきた場合と変わらない。それは実質的な集団的自衛権の行使になりかね ない。その場合、我が国は、閣議決定も総理大臣の防衛出動命令もなく、ましてや国会 の承認などもないまま、戦争に突入する危険すら否定できない。 したがって、この規定もまた、憲法 9 条に違反するものといわざるをえない。 最後に、自衛隊法 122 条の 2 に新設された国外犯処罰規定に触れておく。 これまで、自衛隊員の職務命令違反等についての罰則には、それらが国外で行われた 場合の国外犯処罰規定が置かれていなかったが、本法案は、多数共同反抗や部隊不法指 揮、防衛出動時の職務離脱・職務懈怠・職務命令不服従等について、及びこれらの教 唆・煽動等について、国外犯処罰規定を設けた。これは、従来と違って自衛隊の防衛出 動や後方支援等の活動が外国の領域で行われる場合を想定し、自衛隊員が危険で厳しい 任務に就くことになることから、そこでの規律違反行為等を処罰することとしてその活 動を統制しようとするものである。 そこでたとえば、防衛出動命令を受けて海外にある自衛隊員の母親が、息子に対して 戦地に赴かないように懇願した場合、それは職務命令不服従の教唆犯になりかねない。 第 2 日本国憲法の平和主義 1 アジア・太平洋戦争の被害と加害(注17) (1)85 年前、日本は、中国全土から東南アジアまで、支配・占領による権益の拡大を 求め、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」を確立するとして侵略を進めた末、アメリカと 直接対決する無謀な太平洋戦争へと突入していった。その過程では、日本軍による 南京での捕虜や住民の大量虐殺、中国側から「三光作戦」と呼ばれた中国北部での 民衆を含む掃討作戦の展開、日本軍の慰安所に移送された「慰安婦」に対する性的 虐待、731 部隊による人体実験、毒ガス兵器の使用その他、おぞましい暴虐行為によ る人間性の蹂躙が大規模に展開された。南京や重慶市街に対する大量かつ頻回の航 空機による無差別爆撃も、国際連盟の非難決議を無視して繰り返された。 (2)アジア・太平洋戦争は、これら他国への加害と同時に、日本の国民・住民に対して も、極限的な惨禍をもたらした。 日本は、1941 年 12 月の真珠湾攻撃の奇襲など緒戦ではアメリカに打撃を与えたも のの、国力の差は余りにも大きく、翌年 6 月のミッドウエー海戦で早くも敗北して敗 退を続け、前線の日本兵は兵站を絶たれて餓死を余儀なくされる等大量の戦病死者 を出しながら、国内にはその戦況が正しく伝えられないまま、軍部の判断により 「天皇のため」の勝算のない絶望的抗戦が続けられていった。1944 年 8 月にはアメリ カ軍がマリアナ諸島に上陸し、その航空基地から B29 爆撃機による日本本土爆撃が -45- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 可能になった。また、戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、1945 年 3 月 以降アメリカ軍の慶良間諸島から沖縄本島への上陸等による激しい攻撃にさらされ、 住民を巻き込んだ熾烈な地上戦が繰り広げられることになった。沖縄の住民の死者 は、少なくとも 4 人に 1 人の 10 万人以上にも及んだ。 アメリカ軍の空襲は、1944 年中は軍需工場等を中心にされていたが、1945 年 3 月 10 日未明、279 機の B29 が東京下町を襲った東京大空襲は、住宅地を絨毯爆撃し、 一夜にして死者は推定 10 万人以上に及び、子を失い、親を失い、住居・職業等を 失った被災者は 100 万人に及んだ。空襲は、その後も大都市から地方都市にも及び、 結局全国で 100 以上の都市が甚大な空襲被害を受け、これら空襲による死者は約 60 万人といわれる。 そして原爆の投下である。8 月 6 日午前 8 時 15 分、人類最初の原子爆弾が広島市 街上空で炸裂した。さらに、同月 9 日午前 11 時 2 分、第 2 弾の原子爆弾が長崎市街 上空で炸裂した。原爆の光と熱は、住民の衣服を焼き、皮膚を溶かし、家屋を炎上 させ、また強烈な爆風はコンクリートの建物をも破壊して、町は一瞬のうちに瓦礫 と化した。町全体が炎上し、河川は累々たる死骸で埋まった。1945 年中の死者は、 広島で約 14 万人、長崎で約 7 万人、1950 年までの死者は広島で 20 万人以上、長崎 で 10 万人以上といわれる。そしてさらに、原爆は放射能被爆による無数の後遺症患 者を生み出した。 こうして日本は、1945 年 8 月 14 日にポツダム宣言を受諾し、敗戦を迎えた。 2 日本国憲法の恒久平和主義 日本国憲法は、人類がかつて経験したことのないこのような戦争の惨禍への歴史的な 反省として、徹底した恒久平和主義をとった。すなわち、憲法前文は、「政府の行為に よって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に 存することを宣言し、この憲法を確定する」とし、「われらは、全世界の国民が、ひと しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定 めて、地球上の人々全ての平和的生存権を、平和への国際的取組の中で実現するという 理念を高々と掲げた。 そして、この理念を実現するために、憲法 9 条は、一切の戦争と武力の行使を放棄し た上、戦力の不保持と交戦権の否認を明記した。すなわち、戦争の違法化は、第一次世 界大戦を経て 1928 年のパリ不戦条約が侵略戦争を違法とし、第二次世界大戦を経て国 際連合憲章がこれを武力不行使原則へと徹底したが、憲法 9 条は、侵略戦争にとどまら ずあらゆる戦争を否定する、世界の憲法史上で画期的な意義を有するものとなったので ある。 しかもこの憲法は、「政府の行為によって」再び戦争が起こることがないよう、主権 の存する国民が政府の行為を制約して平和を確保し、そのことを通じて国民の権利と自 由を保障するという立憲主義を宣明したのである。(注18) 日本国憲法は、このようなものとして、1946 年 11 月 3 日公布され、1947 年 5 月 3 日 施行された。 -46- 第2章 3 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 日本の防衛力の強化と憲法 9 条の現実的機能 (1)日本国憲法の上記のような決意と理念にもかかわらず、戦後まもなく顕在化した米 ソの対立を軸とする国際情勢の下で、アメリカは早くも 1948 年には日本を「共産主 義の防壁」とすると明言して日本の再軍備をめざすようになり、1950 年 6 月に朝鮮 戦争が勃発すると警察予備隊を創設させた。さらに、1951 年 9 月に調印されたサン フランシスコ講和条約により日本の独立が認められると同時に日米安保条約が締結 され、沖縄をアメリカの施政下に留め置くとともに、日本の本土にも米軍基地が設 置・提供されて米軍が継続的に駐留する体制が作られた。また、日本自身の防衛力 の強化が求められる中で、講和条約発効直後の 1952 年 8 月に警察予備隊は保安隊と なり、さらに 1954 年 7 月、日本の防衛を直接の目的とする実力組織としての自衛隊 が発足するに至った。そして 1960 年には日米安保条約が改定され、日本の自衛力の 維持発展を明文化するとともに、日本の米軍への基地提供だけでなく、米軍による 日本の共同防衛義務を定めた。 こうして、米ソの対立と冷戦構造のもとで、日本は、憲法 9 条の下でも、世界有数 の実力組織としての自衛隊を保有し、自らの防衛力を強化するとともに、アメリカ の極東戦略、さらには世界戦略の中で重要な位置を占める米軍基地を提供し、相互 の同盟関係を強化する道を歩んできた。 それは、憲法 9 条の本来の理念からは乖離していく過程でもあった。 (2)このような憲法 9 条をめぐる現実の政治過程の下で、日本政府が構築してきたの が、集団的自衛権の行使の禁止と海外派兵の禁止を基本とする先述(第 1 の 2)の憲 法解釈であった。 この解釈は、1954 年の自衛隊創設以来積み上げられてきた、政府の憲法 9 条解釈 の根幹であり、内閣法制局及び歴代の総理大臣の国会答弁や政府答弁書等において 繰り返し表明されてきた。それは、自衛隊という実力組織を専守防衛のために保有 するという政治判断の下で、最低限の憲法 9 条による防波堤であり、確立された政府 の解釈として規範性を有するものとなり(注19)、これに基づいて憲法 9 条の平和主義 の現実的枠組みが形成され、「平和国家日本」の基本的あり方が形造られてきたもの といえる。 こうして、憲法 9 条は、少なくともこのように政府を拘束してきたものとして、 「現実政治との深刻な緊張関係を強いられながらも、自衛隊の組織・装備・活動等に 対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使及び集団的自衛権行使を禁止する など、憲法規範として有効に機能」してきたと評価することができる(2008 年 10 月 3 日第 51 回人権擁護大会「平和的生存権および日本国憲法 9 条の今日的意義を確認 。 する宣言」 ) 第3 1 安保法制の制定経過 閣議決定に至る経緯 (1)2006 年 9 月から 2007 年 8 月の第 1 次安倍内閣は、「戦後レジームからの脱却」を 掲げ、2006 年 12 月に教育基本法を改正して、伝統と文化の尊重や愛国心を養うこと -47- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 等を教育の目標として規定するなどし、同時期に防衛庁を防衛省に格上げし、2007 年 5 月には日本国憲法の改正手続に関する法律を制定して、いつでも憲法改正が可能 となる体制をとった。また、同年 4 月、総理大臣の私的諮問機関として「安全保障の 法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を立ち上げ、同懇談会は 2008 年 6 月、集団的自衛権の行使容認、国際的な活動における武器使用の拡大等を提言した (第 1 次報告)。 2009 年 9 月からの民主党政権の期間中の 2012 年 4 月、自民党は「日本国憲法改正 草案」を発表し、その中で憲法 9 条 2 項を削除して「国防軍」を創設するなど、日本 国憲法の全面的な改正を提起した。また、同年 7 月、「国家安全保障基本法案(概 要)」を発表し、その中で秘密保全法制の制定、国際平和協力活動や国連安全保障措 置への参加の拡大、武器輸出三原則の見直し等とともに、集団的自衛権の行使を挙 げた。 (2)2012 年 12 月に成立した第 2 次安倍内閣は、当初から憲法改正への意欲を正面から 打ち出し、2013 年 1 月、安倍首相はまず憲法 96 条の憲法改正要件の緩和を提起した が、これは憲法改正の「裏口入学」をしようとするものである等との世論の強い反 「集団的自衛権行 対を受け、やがてこれを断念した。しかし他方、安倍首相は同月、 使の見直しは安倍政権の大きな方針の一つ」と述べ、同年 2 月第 2 次安保法制懇を立 ち上げ、さらに同年 8 月には、従来の慣行に反して外部から集団的自衛権の容認論者 と見られる人物を内閣法制局長官に登用する異例の人事を行い、同年 10 月には日米 安全保障協議委員会において集団的自衛権の行使を前提とする 2014 年内の日米防衛 協力のための指針の改定を合意した。 また、同年 11 月に安全保障会議設置法を改正して国家安全保障会議(日本版 NSC)を設置し、同年 12 月、1957 年以来日本の防衛政策を規定してきた「国防の基 本方針」に代わるものとしての「国家安全保障戦略」を閣議決定し、「国際協調主義 に基づく積極的平和主義」を提唱し、力強い外交、あらゆる事態にシームレスに対 応する防衛体制の構築、離島等領域保全の強化、武器輸出三原則の見直し、国際平 和への積極的寄与等の方針を示した。同時に「平成 26 年度以降に係る防衛計画の大 綱」及び「中期防衛力整備計画」も閣議決定された。そして、武器輸出三原則の見 直しは、2014 年 4 月「防衛装備移転三原則」の閣議決定によって実行された。 また、これと並行して安倍内閣は、2013 年 10 月秘密保護法案を国会に提出し、同 年 12 月 6 日、世論の強い反対を押し切り、十分に審議を尽くすことなく強引に可決 成立させた。 2 閣議決定による解釈改憲 安倍首相は、2014 年 2 月、集団的自衛権の行使容認を閣議決定で行うとの方針を打 ち出し、同年 5 月 15 日安保法制懇が第 2 次報告書を提出したのを受けて、同日記者会 見をし、政府の「基本的方向性」を発表した。この中で、集団的自衛権の行使を、我が 国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能 性がある場合に、 「必要な自衛の措置」として認めるとの考え方が打ち出された。 そして 7 月 1 日まで自民党と公明党との与党協議が重ねられた上、同日、「国の存立 -48- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する閣議 決定(7.1 閣議決定)が行われた。その要点は、①「武力攻撃に至らない侵害への対 処」として、警察機関と自衛隊との協力による対応体制の整備、治安出動や海上警備行 動の下令手続の迅速化の措置、自衛隊による米軍の武器等防護の法整備等を行う、② 「国際社会の平和と安定への一層の貢献」として、(1)後方支援について、他国軍隊の 「武力の行使との一体化」論自体は前提としつつ、従来の「後方地域」や「非戦闘地 域」に自衛隊の活動する範囲を一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を 行っている現場」でない場所でならば支援活動を実施できるようにする、(2)PKO な どの国際的な平和支援活動について、駆け付け警護や治安維持の任務を遂行するための 武器使用、邦人救出のための武器使用を認める、③「憲法第 9 条の下で許容される自衛 の措置」として、後に安保法制において存立危機事態における防衛出動として位置づけ られる集団的自衛権の行使を容認する、というものである。 上記③は集団的自衛権の行使を一定の要件の下で認めるものであり、上記①②は海外 での武力行使に至る危険性の高い活動を認めるものである。こうして、従来政府自身が 一貫して示してきた、憲法 9 条の下では集団的自衛権の行使は認められない等の確立し た憲法解釈が、政府自身によって覆された。 3 ガイドラインによる米国との先行合意 政府は、2013 年 10 月に日米安全保障協議委員会において集団的自衛権の行使を前提 とする 2014 年内の日米防衛協力のための指針の改定を合意していたが、同委員会は 2014 年 10 月 8 日に「日米防衛協力のための指針の見直しに関する中間報告」を発表し た。そして政府は、2015 年 4 月 27 日、同委員会において新たな日米防衛協力のための 指針(新ガイドライン)に合意した(その内容については、前記第 1 の 1 及び後記第 5 の 1) 。 これは、上記 7.1 閣議決定を踏まえ、政府がこれから国会に提出して審議に入るこ とを予定する安保法制の実施を、米国との間で先に合意してしまったものである。安保 法制法案がまだ国会に提出されてもおらず、国会の審議が何もなされていないうちに、 米国に対してその実施を先行して約束してしまったことになる。さらに安倍首相は、同 月 29 日、米議会上下両院合同会議で演説し、「この夏までに法案を成就させる」と表明 したのであった。 これらの過程は、国民を代表する国会という国権の最高機関をないがしろにするもの と言わざるを得ず、代表制民主主義の根幹を掘り崩すものである。 4 国会審議の特徴 安保法制法案は、2015 年 5 月 14 日閣議決定の上、翌 15 日衆議院に提出され、同院 の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」(以下、衆議院及び参議 院にそれぞれ設けられたこの委員会を「特別委員会」という。)での審議が開始された。 同法案の違憲性はそれまで絶えず指摘されてきたことではあったが、同年 6 月 4 日衆議 院憲法審査会において、与党推薦者を含む参考人 3 名の憲法学者が全員、同法案が憲法 違反であると明言したことを契機に、国会審議においても世論の中でも、その違憲性の -49- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 問題が大きく注目されることになった。 これに対して政府は、集団的自衛権行使容認の合憲性の根拠として、1972 年 10 月 14 日参議院決算委員会政府提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」や、最高裁大法廷 1959 年 12 月 16 日判決(砂川事件判決)を挙げたが、いずれもその法的根拠の説明に はなっていない。前者は、憲法 9 条の下で集団的自衛権の行使が容認できないという規 範を定立するための論理を述べたものであり、その同じ論理で集団的自衛権の行使を容 認する結論を導き出そうとすることに、そもそも無理がある。また、砂川事件最高裁判 決は、周知のように、在日米軍が憲法 9 条 2 項の「戦力」に該当するかどうか、日米安 保条約が憲法に違反するかどうかが争点となったもので、そこでは日本の集団的自衛権 のことなど全く争点になっておらず、判決理由の中でも何ら触れられていない。した がって、安保法制の国会審議において、政府から、集団的自衛権の行使を容認すること について、法的根拠たりうる合理的説明はなされていない。 逆に、安保法制法案が違憲であることは、殆どの憲法学者が口をそろえて指摘し、歴 代の元内閣法制局長官らからも厳しく批判され、さらには元最高裁長官を含む複数の最 高裁判事経験者からも明確に指摘されるようになっていた。 また、安保法制が必要だとされる立法事実については、2014 年 5 月 15 日の安倍首相 の記者会見以来繰り返し強調されてきたホルムズ海峡の機雷掃海の必要性や、紛争地域 から退避する日本人母子等が乗った米艦防護の必要性の論点に象徴されるように、その 立法事実の存在は、国会審議においても結局のところ明確にされることはなかった。逆 に国会審議においては、ホルムズ海峡の機雷についてはそれを敷設する敵対国が想定で きないと答弁され、米艦の防護も邦人の乗船の有無は無関係であることが確認されたよ うに(2015 年 8 月 26 日・9 月 11 日・14 日参議院特別委員会)、むしろ立法の必要性の 根拠の乏しいことが浮き彫りにされた。(注20) にもかかわらず、衆参両議院の採決が強行された。安保法制の国会審議は、その立法 の必要性も法的正当性も明確にされず、必要な審議が尽くされないまま、すなわち、全 国民を代表する国会議員による言論の府としての代表民主主義制度が機能しないまま、 与党の議席数の多数の論理によって、それも次に述べるような強引かつ異常な手続に よって押し切られ、安保法制が成立したとされたのである。 5 国会の強行採決による民主主義の蹂躙 上記のような国会審議の推移の中で、メディアによる各種世論調査では、法案に反対 が賛成を上回り、また今国会での成立に反対する意見は 6 割ないし 7 割を超えるように なっていった。本来の会期内での成立は困難と判断した政府・与党は、2015 年 6 月 22 日、会期を 95 日間延長して 9 月 27 日までとする議決をした上、安倍首相自身国民の理 解が十分得られていないことを自認しながら、また多くの論点の審理がなされていない 状況でありながら、同年 7 月 16 日衆議院本会議において、野党欠席のまま、安保法制 法案の採決を強行した。 さらに、参議院においては、上記のように安保法制法案の立法事実の存在すら疑問が 深まる中で、9 月 17 日参議院特別委員会は、総括質問も行わずに突然質疑を打ち切り、 採決を強行した。前日に行われた横浜における地方公聴会の委員会への報告すら行われ -50- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 ず、審議打ち切りと同時に委員長席の周りを与党議員が取り囲んで野党議員を排除し、 速記には「議場騒然、聴取不能」と記録される異常な混乱の下で、採決がなされたとさ れた。なお、特別委員会の会議録には、委員長の職権で、速記の再開、法案の可決、附 帯決議等の議事経過が記載され、また、「参照」として横浜地方公聴会の速記録が添付 された。そして、この特別委員会採決を受けて、同月 19 日未明、参議院本会議で安保 法制法案が採決された。 同日発せられた日弁連の「安全保障法制改定法案の採決に抗議する会長声明」は、こ の採決について、「立憲民主主義国家としての我が国の歴史に大きな汚点を残したも の」と指摘し、「当連合会は、今後も国民・市民とともに、戦後 70 年間継続した我が国 の平和国家としての有り様を堅持すべく、改正された各法律及び国際平和支援法の適 用・運用に反対し、さらにはその廃止・改正に向けた取組を行う決意である」と表明し た。 6 国民・市民の広汎な反対とその運動 集団的自衛権の行使等を認めようとする閣議決定や安保法制法案に反対する国民・市 民の運動は、2014 年 7 月の閣議決定の前後から広がりを見せ、憲法学者や元内閣法制 局長官らによる違憲性の指摘も明確になされていたところであったが、上記のような国 会審議における参考人憲法学者の意見や政府の答弁の不誠実性・不十分性にも触発され て、その反対運動は、集会、デモ、国会要請、署名等様々な形で展開され、各界各層に 広がり、大きなうねりとなっていった。それがまた、法案反対の多数世論を形成してき ていた。 例えば、学者らの動きとしては、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定で行 おうとする動きに対して、2014 年 4 月には「立憲デモクラシーの会」が設立されて憲 法に従った政治を求める活動を始め、翌 5 月には政府の安保法制懇に対して「国民安保 法制懇」が各界の専門家によって結成され、安保法制法案の国会審議が始まった 2015 年 6 月には「安全保障関連法案に反対する学者の会」が結成されて賛同人はたちまち 1 万人を超えた。 若者たちの運動も、新鮮なインパクトを与えた。大学生による代表的な団体は、2013 年 12 月の秘密保護法成立反対を一つの契機として結成され、秘密保護法反対運動を続 けた後、安保法制反対の運動体へと発展し、「民主主義って何だ?」 「本当に止める」と いう運動を、渋谷や全国の街頭、そして国会前行動等によって展開した。高校生たちの グループも、これに続いた。また、「だれの子どももころさせない」を合い言葉に各地 に「ママの会」が結成されて、新風を吹き込んだ。そして、従来ともすれば潮流ごとに 独自の運動を行うにとどまりがちだった各種市民団体や労働組合なども、安保法制反対 のための一つの運動体を結成し、国会前集会等の結集軸としての役割を果たした。 そしてこれらの運動は、上記の学者・文化人、若者、母親たちにとどまらず、お年寄 りや家族連れまで含めて、幅広い層にまで広がり、自覚的、主体的な政治参加として、 全国各地に大きく広がったのである。 こうして安保法制反対運動は、例えば 2015 年 8 月 30 日には、国会議事堂周辺に 12 万人を超える市民が参集する一大集会が開催され、参議院での強行採決が危ぶまれる 9 -51- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 月 14 日には 4 万 5000 人が国会議事堂を包囲するなど、同月 19 日の採決に至るまで、 連日数万の安保法制反対集会が続けられた。 国会の強行採決は、このような国民・市民の民意に敢えて背を向け、言論の府におけ る説得と理解という民主主義の原則を放棄し、これを蹂躙して敢行されたものである。 7 弁護士会及び日弁連の取組 日弁連は、安倍政権が集団的自衛権行使容認の方針を示した直後から、その問題点を 指摘して反対の立場を明らかにしてきたが、2014 年 3 月には、憲法改正や解釈改憲問 題に適時的確に対応するため、従来の憲法委員会を発展的に解消して憲法問題対策本部 を設置した。そして、集団的自衛権の行使容認等を打ち出した 7.1 閣議決定に対する 意見書、国会に提出された安保法制法案に対する意見書などで憲法上の問題点を具体的 に指摘するとともに、その時々の政府や国会の動きに適時に対応する会長声明等を繰り 返し発表してきた。そして全国の 52 の弁護士会も、2014 年までにはその全部が閣議決 定・安保法制に反対する会長声明や決議を発表するに至った。 この安保法制反対の過程では、日弁連及び各地の弁護士会・弁護士会連合会は、運動 面でも、これまでにない大規模かつ特色ある運動を展開した。日弁連は、2014 年 10 月 7 日に、この問題では初めて、日比谷野外音楽堂での屋外集会と引き続くパレードを 行った。ここでは、元内閣法制局長官、名だたる社会学者、政治学者、憲法学者らが、 じつに力のこもったスピーチを行って、憲法体制の危機を訴えた。 続いて日弁連は、同年末から 2015 年前半にかけて、「全国キャラバン」運動として全 国各地の弁護士会とともに全国的な運動を展開した。各地の弁護士会は、次々とシンポ ジウムや屋外集会を開催し、例えば数千人から 1 万人近くにも及ぶ大集会も取り組ま れ、毎週のように駅頭に立って安保法制の問題点を訴え、チラシを配付し、署名を呼び かけるなどの行動を、全国各地で精力的に展開した。その全国キャラバンの掉尾となる 同年 4 月の東京集会には那須弘平元最高裁判事も登壇された。 そして安保法制法案の国会審議が終盤に差しかかった同年 8 月 26 日には、弁護士会 館においてオール学者・オール法曹による「安保法案廃案へ 立憲主義を守り抜く 学 者・弁護士共同記者会見」が実現した。ここには、学者・研究者の方々だけでも実に 200 人を超える参加をいただき、その中には、濱田邦夫元最高裁判事、2 人の元内閣法 制局長官、名だたる憲法学者その他の研究者が含まれ、20 人がスピーチをして、日弁 連の歴史上かつてない記者会見となった。このような場が実現したのは、憲法秩序と平 和主義を破壊する安保法制を強引に成立させようとする政治に対し、学者と法曹が市民 社会に対して責任を果たす必要性が共有されたものといえる。そして同日、この記者会 見に続いて、日比谷野外音楽堂における熱気に満ちた集会とこれに続くパレードを展開 し、安保法制法案反対を広く市民に訴えた。(注21) これら各弁護士会、弁護士会連合会、そして日弁連の運動は、かつてない広がりを示 しただけでなく、全国各地で展開された弁護士会関係の集会・シンポジウム等を通じ て、これまで個別に行われてきた市民運動の各潮流が一つに結集し、統一的な運動へと 発展する契機を提供したものとしても、その意義を評価することができる。 -52- 第2章 第4 1 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限 (1)憲法 9 条はこれまで、集団的自衛権の行使や海外における武力行使ないしそれに至 る危険のある自衛隊の活動を禁止することによって、日本が他国の戦争に参加・加 担し、又は他国の戦争に巻き込まれて戦争当事国となることがないよう、その歯止 めとして機能してきた。 しかし、安保法制は、この憲法 9 条に違反し、その歯止めを外して、集団的自衛権 の行使を認め、武力行使をする他国軍隊の後方支援等によってその武力行使と一体 化する自衛隊の活動を認め、PKO や外国軍隊の武器等防護での武器使用を拡大して ここでも武力行使に至る危険を拡大した。すなわち、日本が戦争当事国になる機会 と危険を大きく拡大したのである。 それは、とりもなおさず、自衛隊が海外で戦闘行為を現実に行うこと、自衛隊員 が殺傷の現場に直面することであり、今後自衛隊は、その局面に備えた武器使用基 準や部隊行動基準に則って、人を殺し、他国を破壊する訓練を行い、さらには実戦 に臨むことになる。 安保法制の適用はすでに始まっており、これに基づく最初の自衛隊の任務として、 南スーダン PKO において駆け付け警護や安全確保活動の新たな任務及びこれらの任 務を遂行するための武器使用権限の付与がなされるとみられる。また、IS(イスラム 国)に対する空爆の後方支援の実施の可能性も否定できない。 そして、日本が戦争当事国になれば、日本の領域も日本人も、当然に敵対国や敵 対勢力からの武力攻撃やテロ攻撃の対象になることになる。日本の国土が戦場にな ることも覚悟しなければならないのである。 なお、「存立危機事態」であるとして集団的自衛権を行使して日本が他国間の戦争 に参加した場合、多くは「武力攻撃予測事態」すなわち「我が国に対する武力攻撃 には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」に該当 する状況になると考えられる。そして、事態対処法では、 「武力攻撃予測事態」と 「武力攻撃事態」とを併せて「武力攻撃事態等」と称され、いわゆる有事法制が適用 されることとなる。 (2)このような事態になった場合、国民・市民は、身の危険にさらされるのはもちろん であるが、日常生活においても大きな権利制限を受け、また義務を強制される。国 家公務員や地方公務員は、その職務として、戦争の遂行やその準備のための業務へ の従事を命じられることになるし、民間企業やその労働者も協力を求められる。と くに、指定公共機関及び地方指定公共機関として指定されている法人は、その責務 として、自衛隊の活動や国民保護措置への協力を求められ、そこに働く労働者も、 危険な業務を含めて従事・遂行を求められることになる。 なお、指定公共機関には、各種独立行政法人、日本銀行、日本赤十字社、日本放 送協会、日本郵便、全国的ないし広域的な放送事業者、電気・ガス事業者、航空運 送業者、鉄道事業者、電気通信事業者、旅客・貨物運送事業者、海運事業者等が、 法人名で個別に指定されている(事態対処法施行令 3 条、平成 16 年 9 月 17 日内閣総 -53- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 理大臣公示)。地方指定公共機関は、知事がその地域で同種の公共的事業を営む者か ら指定している(国民保護法 2 条 2 項)。 (3)安保法制と有事法制でとられる措置等とこれによる国民・市民の権利制限等の概要 は、次のようなものである。 ア 重要影響事態及び国際平和共同対処事態においては、国は、後方支援活動等の 「対応措置」に関する「基本計画」を定めてこれを実施することになるが、その 場合、国は、地方公共団体その他国以外の者に協力を依頼することができる等 。ここで「国以外の者」 とされる(重要影響事態法 9 条、国際平和支援法 13 条) には指定公共機関、民間企業等が考えられる。 イ 存立危機事態においては、国は、「対処措置」すなわちその事態に対処する自 衛隊の任務の遂行等に関する措置(自衛隊法 76 条 1 項 2 号の防衛出動及び武力 の行使、部隊の展開等)と国民保護関連措置(公共的施設の保安、生活関連物 資の安定供給等)の両面で「対処基本方針」を策定し、事態対策本部を設置し、 これらの対処措置を実施することとされる。存立危機事態については、地方公 共団体・指定公共機関はこれら対処措置を行う責務までは規定されていないが、 国と連携協力して万全の措置を講ずべきこととされ(事態対処法 3 条 1 項)、事 態対策本部長(総理大臣)の調整を受け、調整に応じない場合には指示、代執 行もなされる(同法 14 条、15 条)。 ウ 武力攻撃予測事態は、自衛隊法 76 条 1 項 1 号の防衛出動はまだなされていな いが、これが予測される状態であり、この段階でも例えば、自衛隊に防衛出動 待機命令が出され(同法 77 条)、予備自衛官が招集される(同法 70 条)等、防 衛出動に備える体制がとられる。また、自衛隊展開予定地域での陣地その他の 防御施設構築のため、武器の使用、土地等の強制使用等もなされる(同法 77 条 の 2 等)。 エ 武力攻撃予測事態と武力攻撃事態とを合わせた「武力攻撃事態等」において は、国は、自衛隊の任務の遂行等に関する措置と国民保護に関する措置の両面 での「対処措置」をとるため、「対処基本方針」を策定し、事態対策本部を設置 する。そして、武力攻撃事態等においては、地方公共団体・指定公共機関等は 対処措置を行う責務があり、国民もこれに協力するよう努めるものとされる (事態対処法 5~8 条)。したがって、地方公共団体・指定公共機関等にはそれら に伴う様々な業務が指示され、その職員・労働者が従事を求められる。 オ そして、武力攻撃事態(日本に対する外部からの武力攻撃が発生し、又はその 危険が切迫した事態)は、まさに日本の領域が戦場になる局面であり、その中 で防衛出動と武力の行使がなされることになる(自衛隊法 76 条 1 項 1 号、88 条) 。そこでは、自衛隊の任務遂行(戦争遂行)のため、また国民保護措置のた め、国民・市民に対する強力な権利制限が可能とされる。その典型的なものが 同法 103 条であり、①病院等政令で定める施設の管理、②土地・家屋・物資の使 用、③業務上取扱物資の保管命令・収用、④医療・建築土木・輸送業者に対す る業務従事命令が用意されている。電気通信設備の優先利用もなされる(同法 104 条)。地方公共団体や指定公共機関は、戦争状態の下で対処措置を実施する -54- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 責務を負い、これに従事する職員・労働者は、一般の国民・市民と同様に自ら も身の危険にさらされながら、これら対処措置への従事・遂行が求められる。 2 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活 (1)安保法制は、日本国憲法の下で戦争を放棄した恒久平和主義に基づく国の在り方を 排斥し、自衛隊を実際に武力を行使する軍隊へと転換し、日本を武力を行使する国、 戦争をする国へと、国の在り方を根本的に変えてしまうものである。 いつでも戦える国、戦う準備をする国になることは、国の政策が根本的に転換さ れ、財政、教育、福祉その他国の政策全体の中で、軍事的必要性が優先されていき かねないことを意味する。また、戦争遂行体制ないしその準備体制の構築に向けて、 個人よりも国家に価値を置き、国家・公共のための個人の権利制限が当然視され、 日常の社会生活や文化においても、そのような価値観の浸透が図られることになり かねない。 そしてこれからは、国民・市民も、実際に日本の国土がテロの対象や戦場になる 場合を考えておかなければならないのはもとより、そうでなくても、常時、上記の ような有事に備えておかなければならないことになった。 (2)その場合に、真っ先に制約を受ける危険性の高いのは、言論・表現の自由、知る権 利の制限である。 言論・表現の自由については、先述のように、2013 年 12 月の秘密保護法の制定 で、知る権利と取材・報道の自由が大きく制限されるに至っている。 しかもこの間、政府ないし自民党のメディアに対する介入が際立ってきている。 2014 年 12 月の衆議院選挙前には、安倍首相がテレビ番組の選挙報道にクレームをつ けたのを始め、自民党が報道機関各社に対して選挙報道の公平性を求める文書を送 付する等した。2015 年 4 月には自民党内のメディアに関する部会が特定のテレビ番 組について当該報道局の幹部を呼び出して事情聴取を行い、さらに同年 6 月には自民 党議員の会合において安保法制批判等の報道姿勢を問題にして、マスコミを懲らし めるために広告料収入をなくすことなどを議論している。 そして 2016 年 2 月には、総務大臣が、放送法 4 条 1 項 2 号の「政治的公平性」の 規定を根拠に、一つの番組のみであっても政府が政治的公平性を判断し、放送事業 者に対する電波停止措置に及ぶ可能性を指摘し、政府も総務大臣の発言を追認した。 これに対して日弁連は、4 月 14 日、「放送法の『政治的公平性』に関する政府見解の 撤回と報道の自由の保障を求める意見書」を発表している。 (3)この表現の自由を含めて、自民党の前記憲法改正草案は、安保法制施行後の日本の 国の在り方として、どのようなものが目指されているかを考える上で、検討を要す る。ここでは、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び 公の秩序に反してはならない」とされ(同案 12 条)、表現の自由についてもあえて 「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行うことを禁じている(同案 21 条 2 項)。立憲主義の根本思想である天賦人権説と個人の概念は否定され、憲法 13 条の「個人として尊重される」はわざわざ「人として尊重される」と書き換えられ ている。個人よりも家族が重視され、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位とし -55- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 て、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とされる(同案 24 条)。総じて、権力を縛る憲法ではなく、国民を国家が統制するための憲法としての 性格が顕著である。 前文はすべて書き改められているが、ここには復古的な国家観・国民観が端的に 表出されている。 「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である 天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づい て統治される」「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権 を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成す る」「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、こ の憲法を制定する」。このように、国防軍を備えた、国家優先の伝統と文化を守る国 として、日本の在り方が展望されているのである。 軍事と国家の優先は、予算においても軍事費が優先され、福祉や社会的弱者の切 り捨てにつながる。その上、安倍政権の下で特徴的な企業優先の経済政策と貧富の 格差の拡大は、貧困層を拡大、固定化し、経済的徴兵制につながる危険を否定し得 ない。 3 軍需産業と軍事研究の拡大 (1)国家安全保障戦略(2013 年 12 月 17 日閣議決定)は、我が国が国際政治経済の主 要プレーヤーとして、 「国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から」国際平和 に寄与していくことを、国家安全保障の基本理念として掲げ、「経済力及び技術力の 強化に加え、外交力、防衛力等を強化し、国家安全保障上の我が国の強靱性を高め ること」を国家安全保障上の戦略的アプローチの中核と位置付ける。 その戦略的アプローチの中の一つに、「防衛装備・技術協力」があり、国際協調主 義に基づく積極的平和主義の観点から、防衛装備品等の国際共同開発・生産等に参 画することが求められており、武器輸出三原則等が果たしてきた役割にも配慮した 上、「武器等の海外移転に関し、新たな安全保障環境に適合する明確な原則を定める こととする」と、武器輸出禁止原則を見直すことを打ち出した。 また、戦略的アプローチの他の項目として「技術力の強化」を掲げ、我が国の高 い技術力は価値ある資源であり、「デュアル・ユース技術を含め、一層の技術の振興 を促し、我が国の技術力の強化を図る必要がある」「産官学の力を結集させて、安全 保障分野においても有効に活用するよう努めていく」と、踏み込んだ戦略を明らか にしている。その上で、国内基盤の強化として、「我が国の防衛生産・技術基盤の維 持・強化」「知的基盤の強化」を掲げ、「高等教育機関における安全保障教育の拡充・ 高度化、実戦的な研究の実施等を図るとともに、これら機関やシンクタンク等と政 府の交流を深め、知見の共有を促進する」としている。ここに明確に、いわゆる 「軍学共同」「軍産共同」の方針が示されている。 そして安保法制が制定された今、その動きが加速しつつある。 (2)国家安全保障戦略を受けて、安倍内閣は、2014 年 4 月 1 日、従来の武器輸出三原 則に代えて「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。武器輸出三原則は、共産圏、 国連決議による禁止対象国、紛争当事国・そのおそれのある国への武器輸出の禁止 -56- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 と、それ以外の国へも輸出を慎む等とするものであったが、防衛装備移転三原則は、 輸出の禁止の対象を国連決議対象国、紛争当事国等に限定し、それ以外の輸出は一 定の要件の下で認めるとするもので、原則と例外が逆転した。 また、2015 年 10 月 1 日防衛省の外局として防衛装備庁が設置され、武器の調達・ 開発だけでなく、輸出をも含む「諸外国との防衛装備・技術協力の強化」が任務と された。 この防衛装備庁の発足に合わせて、日本経団連は、同年 9 月 15 日(安保法制の参 議院採決の 4 日前)、「防衛政策の実行に向けた提言」を発表した。提言は、安保法制 が成立すれば、自衛隊の国際的な役割の拡大が見込まれ、自衛隊の活動を支える防 衛産業の役割は一層高まるとし、「防衛装備品の海外移転は国家戦略として推進すべ きである」という。また、「研究開発の拡充、装備・技術協力、契約制度改革、企業 「基礎研究の中 と省庁との連携強化を着実に実施すべきである」と述べるとともに、 核となる大学との連携を強化すべきである」と述べる。その他この提言は、国際共 同開発・生産の推進、官民一体となった展示・販売戦略の展開等の必要性を説いて、 防衛産業の発展に努めることを強調する。国家安全保障戦略にいう「産官学の力の 結集」を具体化させようとするものである。 産業界の軍需への期待は高まっている。それを奨励し、推進しようとする政府の 姿勢も明らかである。日本の企業の軍需依存率はまだ低いが、これは戦後憲法 9 条が 存在し、武器輸出禁止原則等が採られてきたことの反映である。しかし、経済界も 上記のように変わりつつある。そして、武器の製造や輸出を推進すれば、その軍需 依存率は増大し、企業にとって不可欠なものになっていく。そこに働く労働者もま た、武器を作れ、武器を売れと要求するようになる。 「武器輸出を推進することによ り、政治家のみならず、官僚達もその利権に染まっていく。武器産業はもとより、 労働者も武器が売れることを喜ぶ。そして、最終的には、官民ともに心のどこかで 戦争や紛争が起きることを望むような国になってしまう」。それは戦争への最後の歯 止めが失われることではないか、と問題提起がされる(古賀茂明「悪魔の成長戦略 ―民意が変質させられる前に」( 「世界」2016 年 6 月号 128 頁))。 (3)大学等の研究機関による軍事研究についても、問題が表面化している。 例えば、東京大学大学院情報理工学系研究科では、「科学研究ガイドライン」を学 生に配布し、そこには、「東京大学では、第二次世界大戦およびそれ以前の不幸な歴 史に鑑み、一切の例外なく、軍事研究を禁止しています」等と記載されていたが、 2014 年 12 月に改訂され、「成果が非公開となる機密性の高い軍事を目的とする研究 は行わないこととしています」等と改められ、多くの研究には軍事利用・平和利用 の両義性があることなどを指摘するものとされた。これを「東大、軍事研究を解禁」 と報じた産経新聞(2015 年 1 月 16 日付け)の評価は別としても、研究の自由度を上 げようとの意図が推察できる(池内了『科学者と戦争』岩波新書 2016 年 6 月・119 頁以下)。 また、日本学術会議は、1949 年創設以来平和国家への貢献のための科学を目的と して掲げ、1950 年 4 月の総会では「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わな い決意の声明」を発表するなどしてきたところ、2016 年 4 月の総会で大西会長は、 -57- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 「自衛の目的にかなう研究開発は許容されるべき」との考えを示し、5 月 27 日軍事研 究の在り方を検討する「安全保障と学術に関する検討委員会」を発足させた(同月 26 日・27 日付け東京新聞)。 軍学接近ないし軍学共同の例として、2 つの制度が挙げられる。一つは、2004 年に 開始された防衛省の技術交流事業で、防衛省が研究機関と「研究協力協定」を結ん で、大学・研究機関等の優れた技術を積極的に導入し、効果的かつ効率的な研究開 発の実施を目的とするものである。これ自体には、研究機関等への研究費等の支給 制度はないようであるが、技術協力が成功して自衛隊の装備計画に組み入れられる と大口の資金が流入する可能性があることからか、2012 年までは年に 1~2 件に止 まっていたのが、2013 年 5 件、2014 年 11 件と急増している(池内・前掲書 60~64 頁)。 もう一つは、2015 年度に新たに始められた「安全保障技術研究推進制度」である (池内・前掲書 68 頁以下)。これは、防衛省が提示したテーマについての研究を公募 し、審査して研究委託先を決定し、3 年間につき 3000 万円の委託費を支払うという もので、「防衛装備品そのものの研究開発ではなく、将来の装備品に適用できる可能 性のある基礎技術を想定」 「民生分野で活用されることも期待」とされるが、「既存の 防衛装備の能力を飛躍的に向上させる技術」等を募集の研究テーマとしており、防 衛装備品に関する研究であることは明らかである。2015 年度は予算が 3 億円、防衛 省が提示した研究テーマは 28 件で、109 件もの応募があり採択されたのは 9 件で あった。2016 年度の予算は 6 億円と倍増されているが、自民党国防部会は予算規模 。 を 100 億円に増額することを求めている(5 月 31 日付け東京新聞) 以上のような動きは、恒常的な研究費不足に悩んでいる大学等の研究者の食指を 動かし、「デュアル・ユース(軍事利用・平和利用の両義性)」を正当化理由に、大学 等の研究機関を軍事研究に組み込んでいく過程ともみられる。学問の自由、科学の 平和利用の真価が問われることとなる。 4 PKO の変質・変遷―憲法 9 条と国際法から考える改正 PKO 協力法適用の危険性 (1)安保法制と国連平和維持活動 国連平和維持活動(PKO)は、1948 年国連パレスチナ停戦監視機構以来約 70 年の 歴史を持ち、現在も紛争地域での平和維持に対処している。しかしその活動の内容 や原則は、冷戦時代から冷戦後、さらに現在に至る間に変質・変遷した。PKO に関 する基本原則は、①主要な紛争当事者の同意(同意原則)、② PKO 要員の活動の公 平性の維持(公平原則)、③自衛以外の武力不行使原則とされているが、その意味内 容は変遷している。 安保法制により改正された PKO 協力法(以下「改正 PKO 協力法」という。)で付 与された自衛隊の新たな任務や武器使用規定を吟味するうえで、この PKO の変質・ 変遷を理解しておく必要がある。 (2)PKO の変質・変遷と現代の PKO の特徴 冷戦時代の PKO(伝統的 PKO)は、停戦監視や兵力引き離しという限られた範囲 の活動であった。冷戦終結前後頃から、内戦後の国家の再建支援などを任務とした -58- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 警察、文民部門を含む複合的で多機能な PKO となる(国連カンボジア暫定統治機 構、国連モザンビーク活動など)。 2000 年 8 月「ブラヒミ・レポート」は、公平性の原則につき、現地勢力に対して 等距離中立ではなく、国連憲章の原則とそれに基づく任務に忠実に活動することと 再構成し、PKO 要員は自己の生命・身体だけではなく、PKO 部隊や保護対象に対す る攻撃があった場合には、その根源を鎮圧するために十分な反撃を可能とするよう な強力な交戦規則(ROE)を有することが必要とした。 1994 年ルワンダ虐殺に PKO は何ら有効な対処ができなかったことから、国際社会 では「保護する責任」論が高まったことが背景にあると思われる。 現代の紛争は、激しい内戦と中央政府の機能の弱体、それに伴う市民の虐殺、大 量の避難民の発生など破局的人道被害を特徴としている。2000 年以降の PKO はほと んどが国連安保理決議により設立され、憲章第 7 章のもとで武力行使権限を付与され ているのは、これらの紛争の実情に対処するためである。 PKO のこの変質・変遷を象徴するものとして、1999 年 8 月 12 日国連事務総長告 示「国連部隊による国際人道法の順守」を紹介する。告示は、告示を宣布した経緯 として、これまで国際人道法が国連に適用される可能性について何ら正式文書がな かったこと、その事情として、平和維持要員は停戦が確保されてから初めて現地で 活動するので、戦闘状態を取り扱うジュネーブ条約を適用する必要はないと考えら れていたが、実際にはしばしば戦闘状態に巻き込まれてきたことを述べている。そ の上で告示は、PKO 要員が交戦権を行使する際の交戦規則のような内容となってい る。 (3)南スーダン PKO の特徴 現在国連が展開している PKO は 16 カ所であるが、そのうち 9 カ所がアフリカ大 陸であり、そのいずれもが住民保護を筆頭任務とし、そのための武力行使権限が付 与されている。その中で最も強力な武力行使権限を付与されたものが「国連コンゴ 民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)」である。20 年間で 500 万人を上回ると いう犠牲者を出したコンゴ紛争の中で展開されていた MONUSCO に対して、安保理 は 2013 年 3 月決議 2098 号により、「前例とはならない例外的措置」として「武装集 団の拡大を防ぎ、無力化し、武装解除するため」の介入旅団を導入した。 2011 年 7 月安保理決議第 1996 号で設置された南スーダン PKO へ、自衛隊は 2012 年 1 月から施設部隊を中心とした陸上自衛隊部隊を派遣している。2016 年 5 月から は第 10 次隊が派遣されている。 当時の南スーダンは、長年にわたるスーダン内戦を経て、国民投票により 2011 年 7 月 9 日 ス ー ダ ン か ら 分 離 独 立 し た 国 家 で あ っ た。当 初 の 南 ス ー ダ ン PKO (UNMISS)は、新たな国家の建設を支援することが筆頭任務とされたが(決議 3 項 a)、住民保護のために南スーダン政府を支援し、自らも住民保護の任務も付与され、 憲章第 7 章のもとで、そのための必要なあらゆる手段を取ること(武力行使)を許可 された(決議 3 項 b-ⅴ、4 項)。 さらに、2013 年 12 月首都ジュバから始まった南スーダン内戦は瞬く間に全土に拡 大し、大規模な人道的破局が現れたため、2014 年 5 月安保理決議 2155 号により、 -59- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 UNMISS の筆頭任務に住民保護を掲げて、憲章第 7 章に基づく武力行使権限が付与 された。 (4)現代の PKO の特徴に対応するために安保法制で改正された PKO 協力法 PKO 協力法は、1992 年 6 月に成立し、同年 8 月から施行された。防衛省・自衛隊 はこれまで 14 カ所の PKO へ参加している(2016 年版防衛白書 461 頁)。PKO 協力 法は憲法 9 条との矛盾抵触を防ぐためとして、PKO 参加 5 原則を定めていた。安保 法制で改正された PKO 協力法もほぼ同じ 5 原則を踏襲している。この 5 原則は、① 停戦合意の存在、②受け入れ国の受け入れ同意と紛争当事者の同意、③中立性、④ 以上のいずれかが満たされなくなった場合の撤収、⑤武器使用は隊員の生命・身体 の防護のための必要最小限度である。 この 5 原則は、冷戦期の PKO の実態を踏まえた上で、個別的自衛権行使以外で武 力行使を禁じるという憲法 9 条との整合性を図るために作られたといわれているが、 PKO 協力法制定頃から上記のように PKO の変質が始まっている。安保法制で改正 された PKO 協力法は、この PKO の変質・変遷に対応するものとして作られたと思 われる。 すなわち、同法 3 条 5 号トは住民保護と治安維持活動を規定し、同号ラはいわゆる 駆け付け警護活動を規定し、これらの新たな任務に対応する武器使用権限として、26 条 1 項は任務を妨害する行為を排除するための武器使用(任務遂行のための武器使 用)、同条 2 項は駆け付け警護のための武器使用の規定を置いている。さらに 25 条 7 項が新設されて「宿営地共同防護」のための武器使用が可能となっている。 このように改正 PKO 協力法が自衛隊の部隊による PKO 活動に対して任務を拡大 し、そのための自衛官の武器使用権限を強化したのは、現代の PKO の実態を踏まえ て、これに対応しようとしたものと考えられる。 (5)改正 PKO 協力法での新たな任務や武器使用権限と憲法 9 条及び国際法との整合性 しかしながら改正 PKO 法により自衛隊の任務と自衛官の武器使用権限が強化拡大 されたことは、派遣された自衛官の生命身体に対する危険性が高まるだけではなく、 派遣された現地の非戦闘員の殺傷、或いは武装勢力との激しい戦闘を想定せざるを 得ないものであるから、憲法 9 条との整合性を問われることとなる。問題はこれだけ ではない、PKO 協力法もその改正法も、憲法 9 条との整合性という国内法の観点の みから制定されているため、国際法上の問題点との整合性が図られていないのであ る。以下、南スーダン PKO の現実を踏まえた憲法 9 条との整合性及び国際法との整 合性について検討する。 (6)南スーダン PKO の現状から見た改正 PKO 協力法と憲法 9 条との関係 南スーダン PKO は、派遣当時は反政府武装勢力との内戦は想定されていなかっ た。ところが 2013 年 7 月に副大統領(ヌエル族)を大統領(ディンカ族)が解任し たことから、大統領派(政府軍)と副大統領派は(反政府軍)との間で内戦となる。 同年 12 月には首都ジュバでの内戦による銃撃戦が始まり、その後南スーダン全土に 内戦が拡大した。政府軍も分裂した。その結果、集団レイプ、強制移住、村の焼き 討ち、虐殺、誘拐、少年兵の強制徴兵などの大規模人道被害が引き起こされ、全人 口の 4 分の 1 を超える 230 万人の国内・国外避難民が発生した。この時期に南スーダ -60- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 ンへ派遣された陸上自衛隊部隊が第 5 次隊である。以下に陸上自衛隊研究本部が作成 した第 5 次隊の「教訓要報」を紹介する。 2013 年 12 月 24 日 UNMISS の治安安全部門顧問からのメールで、首都ジュバのト ンピン地区にある国連宿営地(自衛隊の宿営地がこの中にある)の警備施設強化命 令が伝達された。その中に「火網の連携」があった。「火網の連携」とは宿営地に駐 屯する各国の PKO 部隊が、宿営地を武装勢力の襲撃から防護するため、隣接部隊と 連携して火器を使用するもので、火器の弾道が網の目のようになるものである。「教 訓要報」の備考欄には、 「我が国の従来の憲法解釈において違憲とされる武力行使に あたるとされていたため、他国軍との『火網の連携』は実現困難とみられていたも のの、今後の法整備の状況によっては、連携の調整もありうる。」と記述している。 陸自研究本部とは「陸上自衛隊の運用、防衛力の整備、研究開発、教育訓練等の 進展に寄与することを目的」とした組織(2016 年 3 月 16 日衆議院外務委員会若宮防 衛副大臣答弁)である。「宿営地共同防護のための武器使用」が武力行使になるとの 見解は、少なくとも陸上自衛隊の共通認識であったと考えてよいであろう。 「教訓要報」は 2014 年 11 月に作成されている。既に同年 7 月 1 日閣議決定がなさ れて、安全保障法制整備の方針が出され、2015 年 2 月からは具体的な法案協議の政 府与党協議が始まる前であり、すでに防衛省内には安全保障法制整備のための検討 チームが設置されて、部内での法案検討作業が開始されていた。改正 PKO 協力法 25 条 7 項で宿営地共同防護のための武器使用が新設されたのは、南スーダン PKO のこ の経験を踏まえたものであることは明らかである。 また、2013 年 12 月 16 日にトンピン地区の国連宿営地に国内避難民が流入した。 2014 年 1 月 5 日自衛隊宿営地近傍で、政府軍を脱走したヌエル族兵士とそれを追跡 する政府軍兵士(ディンカ族)との銃撃戦が発生した。これを受けて「教訓要報」 は提言として、「UN または UNMISS より国内避難民保護の要請があった場合、現行 の法的枠組みの中でどのような行動ができるか検討が必要である。」と記述してい る。この検討の結果改正 PKO 協力法で安全確保活動、警護活動と任務遂行のための 武器使用規定を入れたのであろう。 しかし、このようにして改正 PKO 協力法で規定された安全確保・警護活動、駆け 付け警護活動と任務遂行のための武器使用、宿営地共同防護のための武器使用は、 いずれも憲法 9 条に違反する武力行使になりうる。だからこそ従来の PKO 協力法 は、これらの活動や武器使用を認めてこなかった。宿営地共同防護のための武器使 用についても、上記「教訓要報」に記述されているように、陸上自衛隊自身が武力 行使にあたると認識していたものである。 宿営地共同防護を含む武器使用は、PKO 協力法 25 条に規定されているが、これら の武器使用規定は、いずれも自衛官による「自己保存型の自然権的武器使用」とさ れ、本来的に武力行使ではなく武器使用であるため、相手が「国又は国に準じる」 組織であっても武力行使にならないと説明されている。さらに政府解釈では、武力 行使の定義を「国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」とし、武器使用の相手 が「国又は国に準じる組織」でなければ「国際的な武力紛争」ではないとして、武 力行使該当性を否定している。しかし、この武器使用の相手が「国・国準」であるか -61- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 否かで武器使用と武力行使が区別されるとする政府解釈は、あくまでも国内法の解 釈に過ぎず、国際法上は軍隊が組織的に武器を使用する場合に「武力の行使」に該 当するかどうかは、交戦法規の適用にも関わることであるから、国内法上の問題に とどまらないはずである。 ところで、25 条の武器使用規定は、「自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員 若しくはその任務を行うに伴い自己の管理下に入った者」の生命身体を防護するた めの武器使用であるが(3 項)、新設された宿営地共同防護のための武器使用規定(7 項)は、これを「宿営地に所在する者」の防護のためにも認めようとするものであ る。すなわち「自己保存型の武器使用の一類型」と位置づけられている(2016 年版 防衛白書 218 頁)。 しかし、「自己保存型の自然権としての武器使用」は、自衛隊員がごく身近に所在 する人を防護することを想定したものであるが、宿営地共同防護は、広大な宿営地 全体を防護するためのものであるから、これに同様の枠組みを適用しようとする 25 条 7 項は明らかに無理がある。ジュバの国連宿営地は、ジュバ国際空港に隣接した広 大な敷地を持ち、ネパール他 4 カ国の歩兵部隊、日本とバングラディッシュの施設部 隊、その他ヘリコプター部隊、通信部隊、憲兵部隊など 10 カ国の軍隊が駐留してい る。遙か離れた他国部隊と共同して自衛隊が宿営地共同防護のため武器を使用する のであるから、その実態は、とうてい「自己保存型の自然権としての武器使用」と は言い難い。ましてや、他国の部隊は国連 PKO の交戦規則により武力行使を行うの であるから、自衛隊だけが武力行使ではなく「武器使用」であるとはとうてい言い 難いであろう。 (7)南スーダン PKO は既に PKO 参加 5 原則のうち停戦合意は失われていると疑われ ている現在、自衛隊を撤退させるべきであろう。また、宿営地共同防護から武力の 行使に至る危険がある。 報道機関も政府も、改正 PKO 協力法に基づく新たな任務は現在派遣されている第 10 次隊には与えず、11 月以降になると説明している。そのため、「宿営地共同防護」 も同様に 11 月以降に実施されると受け止められているようである。しかし、2016 年 3 月 22 日閣議決定(安保法制の施行日を 3 月 29 日とする政令を定めた閣議)で改訂 された南スーダン国際平和協力業務実施計画の下で作成された実施要領では、確か に「安全確保活動、警護活動」と「駆けつけ警護活動」の任務及びそのための武器 使用規定である 26 条は除外されているが、施設部隊に対する実施要領には武器使用 の項目に 25 条が掲げてある(内閣府国際平和協力本部事務局 HP 参照)。25 条中の 7 項が「宿営地共同防護」であり、同項は除外されていないのであるから、既に派遣 されている第 10 次隊は、 「宿営地共同防護」のための武器使用ができるのである。南 スーダンでは、2015 年 8 月大統領派と副大統領派との間で停戦と移行政府樹立が合 意されたが、その後も内戦が収まらなかった。2016 年 1 月 22 日付南スーダン専門家 パネルの安保理への最終報告書によると、2015 年 8 月の停戦と移行政府樹立合意は、 意味のあるほどの暴力の削減という結果をもたらしていない、2015 年 12 月半ば時点 で政府派と反政府派とは、上記和平合意に述べられた「永続的な停戦」に一貫して 違反している、民間人が部族の帰属を理由に引き続き暴力の対象にされている、「国 -62- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 民移行政府樹立」に向けた前進はごくわずかに過ぎないと警告を発している。 2016 年 2 月 17 日から 18 日にかけて、南スーダン北部のマラカルにある国連の避 難民保護キャンプで武力衝突が発生し、国境なき医師団スタッフ 2 名を含む 18 人が 死亡し、90 人以上が負傷した。この事件について国連安保理が発表した報道声明に よると、南スーダン政府軍兵士がキャンプに侵入し避難民に発砲し、略奪し、テン トに放火したとの信頼できる報告があるとし、国連施設に対する攻撃を戦争犯罪と 厳しく糾弾している。 2016 年 4 月マシャール副大統領が自派の軍隊を伴い首都ジュバに帰還して、停戦 と移行政府樹立に向けた歩みが始まった。ところが 7 月 8 日に首都ジュバで両派の軍 隊の間で激しい戦闘が始まった。この戦闘では、戦車、戦闘ヘリ、装甲戦闘車両、 機関砲、迫撃砲などの重火器が使用され、ジュバの国連宿営地も攻撃を受け、PKO 部隊兵士 3 名が死亡している。内戦勃発により、マシャール副大統領はジュバを離れ て現在(2016 年 7 月末)まで所在を隠している。大統領と副大統領は停戦を呼びか けたが、完全には収まっていない。さらに副大統領派の一部はマシャールから新た に別の代表を選んで、キール大統領はこの人物を副大統領に選任し、マシャール派 はこれを非難している。今後南スーダンの内紛は複雑さと激しさを増す可能性が高 いと思われる。 再びジュバで内戦が始まれば、自衛隊が駐屯しているジュバの国連施設に対して も攻撃がなされる恐れがあり、その際には、自衛隊は他国の PKO 部隊と共に「宿営 地共同防護」を行う可能性がある。武器を使用する相手は政府軍かも知れないし、 マシャール派の反政府軍かも知れない。いずれにせよ、国又は国に準じる組織と言 える。 公式には 2015 年 8 月の停戦合意はどちらの側からも破棄されていないが、停戦合 意を締結したマシャール派が分裂している状況では、到底停戦合意が守られている とは言えないであろう。 南スーダン情勢悪化を懸念して、アフリカ連合(2002 年 7 月に発足したアフリカ の 54 か国・地域が加盟する国連憲章上の地域機関)の拡大首脳会議が開かれ、7 月 17 日の共同声明で、住民保護等やジュバの情勢の鎮静化を図るために、地域諸国に よる防護軍の派兵を含む、改定された任務を持った UNMISS の派遣延長を国連安保 理へ要請した。現在の南スーダン PKO よりも強化された任務を付与する趣旨であ り、南スーダンの南隣で展開している PKO コンゴ民主共和国安定化ミッションのよ うな介入旅団を求めているとの報道もある。介入旅団は単に住民保護のための武力 行使のみならず、妨害勢力の「無力化」を図る任務を付与されており、平和強制部 隊類似の強力な権限と任務を与えられている。それだけ南スーダンの状況が悪化し ているということである。 現在派遣されている第 10 次隊の陸上自衛隊員が「宿営地共同防護」を行えば、そ れ自体が武力行使であり、自衛隊が対峙する相手は政府軍になる可能性もあり、確 実に南スーダン内戦の一方当事者となるし、自衛隊員が相手の兵士を殺傷したり自 らも犠牲になる可能性が高い。 (8)改正 PKO 協力法と国際法 -63- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 安保法制は立法に当たり憲法という国内法制との整合性を図ろうとしたあまり、 国際法上の整合性はほとんど無視された。その結果改正 PKO 協力法は国際法との矛 盾が鋭く表れている。 安全確保活動・警護活動、駆け付け警護活動とそのための武器使用(いずれも任 務遂行のための武器使用である)の際に、相手に対する危害射撃は正当防衛又は緊 急避難に限定されている。武器使用権限は自衛隊の部隊ではなく自衛官個人に与え られている。他方で正当防衛、緊急避難を除き武器の使用には部隊指揮官の命令に よらなければならないとしている(改正 PKO 協力法 26 条 4 項で準用されている自 衛隊法 89 条 2 項)。つまりこれは、任務遂行のため部隊が行う武器使用であり、それ は警告射撃であったとしても武力行使と言うほかはない。 しかしながら改正 PKO 協力法の建前はあくまでも武器使用であって、交戦権の行 使=武力行使ではないとの法の枠組みのため、国際法上の交戦法規は適用されない ということになる。また自衛隊は交戦当事者、紛争当事者ではないため、ジュネー ブ捕虜条約の適用はないというのが政府解釈である。 その結果派遣された自衛隊員はどのような立場に置かれるのか。部隊として行動 している自衛隊員が、戦闘に巻き込まれた際に誤って非戦闘員を射殺した場合には、 その自衛官個人の刑事事件として処理されることになる。政府の命令で派遣され部 隊として行動していても、武器を使用した際の責任は自衛官個人に属するというこ とでは、自衛官は安心して武器の使用ができない。 また、反政府武装勢力の手に落ちた自衛官には捕虜条約が適用されないとなると、 現地の法律、反政府武装勢力が法律と考えているもので処断されても文句は言えな いであろう。 このような国際法上の矛盾は、7・1 閣議決定で憲法解釈を変更してまで安保法制 を制定した結果、国際法上は武力行使になりうるにもかかわらず、国内法上は憲法 9 条 2 項の制約から武器使用とせざるを得ないところから生じたものである。 憲法 9 条の下で、改正 PKO 協力法により新たに付与された自衛隊の任務と活動は 行ってはならないのである。 5 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして (1)安保法制によって、自衛隊の海外での後方支援活動は、極めて危険なものとならざ るを得ない。現に戦闘行為が行われていないとはいえ、自衛隊は戦闘の前線まで行 くのである。自衛隊の活動場所で何時戦闘が始まるかも分からない。政府は、戦闘 が始まれば撤退すると説明するが、それは不可能なことである。 例えば、陸上自衛隊が、前線で戦っている他国軍の部隊に武器・弾薬・食糧等を 輸送している途中で敵から攻撃を受けたとする。政府の説明によれば、自衛隊は、 攻撃を受けた時点で輸送を中断し、撤退することとなる。しかし、自衛隊がそのよ うな行動を取れば、前線で戦っている部隊は補給なしに戦闘を継続しなければなら ず、危険に陥る恐れがある。もし自衛隊がそのような行動を取れば、味方を裏切っ たこととなり、日本に対する信頼を大きく毀損し、世界中からの非難を受けること となろう。自衛隊の輸送部隊は当然そのような結果を予想するであろうから、結局、 -64- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 敵からの攻撃に応戦せざるを得ない。攻撃を受ければ撤退するなどという説明は、 戦争の現場を無視した暴論にすぎない。 さらに言えば、中断、撤退などということ自体、非現実的だと言わざるを得ない。 もともと後方支援部隊は一般に攻撃には脆弱であるほか、攻撃する側は退路を断っ て攻撃すると考えられるから、自衛隊の部隊は、攻撃側を撃退するか敵陣を突破す るほかはなく、そこで戦闘状態に陥らざるをえないことになる(しかし、自衛隊員 には自己保存のための武器使用しか認められていないという矛盾がある。 )。 (2)海外での後方支援活動の危険性は、イラクのサマーワに派遣された陸上自衛隊の活 動の実態からも明らかである。 イラクには、陸上自衛隊の施設部隊が派遣され、道路や学校の修復や給水活動等 に従事した。イラク特別措置法では、自衛隊は、「非戦闘地域」で活動するものとさ れており、「非戦闘地域」とは、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ活動の期間を 通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」と定義された。このよう な非戦闘地域として、サマーワが選択されたのである。 ところが、実際には、自衛隊は戦闘に巻き込まれる危険に遭遇していた。自衛隊 の宿営地は、13 回もロケット弾などによる攻撃を受けた。また、仕掛け爆弾によっ て、車両に対する攻撃を受けた。 さらに、2005 年 12 月 4 日、サマーワから約 30 キロ離れたルメイサという町で、 自衛隊は戦闘に巻き込まれる危険に遭遇した。自衛隊の幹部たちは、養護施設修復 の祝賀式典に参加していた。ところが、その式典会場のそばで、反米指導者サドル 師派と自衛隊を警護していたオーストラリア軍との間で銃撃戦が始まった。サドル 師派は、頻繁に多国籍軍を攻撃し、自衛隊も敵視していた。銃撃戦に引き続き、約 100 人の群衆が自衛隊に抗議をしながら押し寄せた。式典会場の外で警備にあたって いた十数人の自衛隊員は、群衆に包囲された。群衆の中には銃を持つ者もおり、自 衛隊の車両に石を投げつける者や、ボンネットに飛び乗る者、銃床で車の窓を叩き 割ろうとする者などがいた。包囲された自衛隊員たちはどのように対応すればいい のか分からなかったという。幸いこの時には、地元のイラク人に逃げ道を作っても らって脱出することができたが、自衛隊員は、武器を使用せざるを得なくなる一歩 手前まで追い詰められていたのである。もしこの時武器を使用していれば、イラク の民衆を死傷させ、自衛隊員の中にも死傷者が出たであろう。 当時の自衛隊は、法律上その活動を「非戦闘地域」に限られていたにもかかわら ず、このような危機的な状況に直面せざるをえなかったのが現実である。新法に よって「現に戦闘行為が行われている現場」以外ならば前線地域にまで活動範囲を 拡大された自衛隊が戦闘に巻き込まれる危険性は、イラク派遣部隊と比較できない ほど高くなったと言わなければならない。 6 明文改憲への動き (1)安倍内閣は、ことあるごとに憲法改正に対する意欲を表明してきた。また、第 1 次 安倍内閣で憲法改正手続法が制定され、衆参両院に憲法審査会が設置されて、その 後憲法改正の論点についての審議が行われてきている。 -65- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 そして第 2 次安倍内閣はその発足直後から、前記のように憲法 96 条の改正論を打 ち出し、また、憲法 9 条を解釈と法律の制定で実質的に変えてしまう安保法制の制定 を強行した。そして政府・自民党関係者からは、近時、緊急事態条項を憲法に設け る必要性が強調されている。また、安倍首相は、自分の総理大臣の任期中に憲法改 正を成し遂げたいとの意欲を表明している。ここでは、ともかく一度憲法改正を行 うということが自己目的化されている。 (2)憲法改正の論点としては、9 条の明文改憲(国防軍の創設等)が意図されているほ か、環境権やプライバシー権の規定の新設、衆議院と参議院の改革、財政規律条項 の整備、緊急事態条項の創設、憲法改正手続の緩和等が提起されてきている。その うち緊急事態条項の創設の問題については、第 4 章で具体的に検討するとおりであ る。 日本国憲法の平和主義の条項は、その実質が安保法制によって大きく損なわれた。 そして、緊急事態条項を含む明文改憲の動きは、さらに加えて、国民・市民の基本 的人権保障の基本原理を侵害する危険性が高い。この問題もまた、日本の国の在り 方を大きく変えることにつながるものである。 第5 1 安保法制と「日米同盟」 安保法制と日米同盟 (1)第 1 の 1(3)、第 3 の 3 で述べたとおり、政府は、国会で安保法制の審議を開始す る以前に、2015 年 4 月 27 日、米国との間で新たな「日米防衛協力のための指針」 (新ガイドライン)を合意し、米国に対して、安保法制の実施を約束してしまった。 ここでは、安保法制制定に至るまでの日米関係とその変容を確認したい。 (2)政府は、安保条約に基づく日米安保体制を「わが国の安全保障の基軸」であると位 置づけている。 日米安保条約と日米地位協定に基づく日米の関係は、かつては、「日米安保」と呼 ばれることが一般的であったが、近年は、「日米同盟」と呼称されてきている。呼称 の変化が示すとおり、また政府が「わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを 増す一方、米国がアジア太平洋地域への関与およびプレゼンスの維持・強化を進め ている現状を踏まえ」、「日米同盟の強化」はこれまで以上に重要となっていると強調 し、「わが国に駐留する米軍のプレゼンスは、わが国の防衛に寄与するのみならず、 アジア太平洋地域における不測の事態の発生に対する抑止力および対処力として機 能しており、日米安保体制の中核的要素である。」とするとおり(注22)、その内容は、 日本有事への対応としての安保条約をはるかに超えて変容してきている。 この変容は、「事実としてみるならば、憲法を越えた国際関係の中で、安保政策を めぐる実質的な政治が決定されているように観察される。」と指摘される(注23)。 (3)以下にみるように、日本の安全保障政策は、米国の要求に応えるかのような経緯を 経ていると指摘できる。 2015 年 9 月 19 日に参議院で可決されて制定された安保法制は、国内のみに焦点を あてれば、2013 年 12 月 17 日の「国家安全保障戦略」の策定、2014 年 7 月 1 日の -66- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」 の閣議決定、2015 年 5 月 14 日の「平和安全法制」閣議決定を経て、法案が国会に提 出されるという経過を辿った。 し か し、日 米 政 府 の 合 意 の 経 過、す な わ ち 日 米 安 全 保 障 協 議 委 員 会(SCC ╱ Security Consultative Committee、2+2)(注24)の共同発表、日米防衛協力のための指 針(ガイドライン)の合意、これらに先立つアーミテージ報告公表の経緯を見れば、 政府による意思決定の前には、日米政府の合意が先行していたことが分かる。 (4)1978 年ガイドライン、1997 年ガイドライン 「日米防衛協力のための指針」(以下「78 年 日米安全保障協議委員会は、1978 年、 ガイドライン」という。)を策定し、1997 年にはこれを改定した(以下「97 年ガイド ライン」という。) 。 78 年ガイドラインは、日米安保条約 5 条が想定する「日本有事」における共同軍 事作戦研究を目的としたものであり、主として、日本への武力攻撃に対する日米の 役割分担を取り決めたもので、日本以外の極東での事態については、情勢の変化に 応じて随時協議・研究する、とするにとどまっていた。 その後、冷戦崩壊後の米国の新しい軍事戦略の形成と湾岸戦争や朝鮮半島核危機 を背景に、日米安全保障協議委員会は、1997 年、ガイドラインを改定した。 97 年ガイドラインは、「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影 響を与える場合(周辺事態)」に焦点を当てたものであり、「周辺事態」での相互協力 計画の策定が合意された。 国内では、97 年ガイドラインを実効あらしめるため、周辺事態法(1999 年) 、周辺 事態船舶検査法(2000 年)、有事関連 7 法(2003 年、2004 年)が制定された。 78 年ガイドライン及び 97 年ガイドラインは、集団的自衛権の行使及び海外での武 力行使が認められないことを前提とした、日本有事及び周辺事態に対する日米共同 行動についての合意であった。自衛隊による実力の行使は我が国を防衛するための 受動的なものであり、後方支援は後方地域(非戦闘地域)に限定され、他国の武力 行使との一体化は禁ぜられ、PKO 活動における武器使用は自己保存型に限定されて いた。 (5)2015 年新ガイドライン 2015 年 4 月 27 日、日米安全保障協議委員会は、新たな日米防衛協力のための指 ① 針(新ガイドライン)を合意した。 新ガイドラインは、米国の国防戦略の方針の変更に基づき、日米協力のあり方 を根本的に変えるものとなった。 すなわち、米国が、アジア太平洋地域を重視する国防戦略の下、同地域におけ るプレゼンスの充実、日本をはじめとする同盟国等との連携・協力の強化を強く 志向し、日本がこれに応えることを約したのが新ガイドラインである。 ② 2015 年「新ガイドライン」合意に至る経緯 2012 年 1 月、米オバマ政権は、米軍をより小規模で引き締まったものとすると ともに、米国の安全保障戦略の重点をアジア太平洋地域に置く、とする新たな国 防戦略指針を打ち出した。 -67- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 2012 年 4 月、日米安全保障協議委員会は、「日本における米軍の堅固なプレゼン スに支えられた日米同盟が、日本を防衛し、アジア太平洋地域の平和、安全及び 経済的繁栄を維持するために必要な抑止力と能力を引き続き提供することを再確 認する」、「日本政府は、2012 年 1 月に公表された米国の国防戦略指針を歓迎する」 と共同発表した。 2013 年 10 月 3 日、日米安全保障協議委員会は、「より力強い同盟とより大きな 責任の共有に向けて」を共同発表し、97 年ガイドラインの見直し、「アジア太平洋 地域及びこれを超えた地域における安全保障及び防衛協力の拡大」、「在日米軍の再 編を支える新たな措置の承認」 、「日米同盟の深化」を確認した。 2014 年 7 月 1 日、日本政府は、集団的自衛権の行使を容認する等の閣議決定を した。 同年 10 月 8 日、日米安全保障協議委員会は、「日米防衛協力のための指針の見直 しに関する中間報告」を発表した。これは、改定後のガイドラインの主な項目を 列挙したものであった。 同年 12 月 19 日、日米安全保障協議委員会は、米国のアジア太平洋地域への「リ バランス」政策及び日本の国際協調主義に基づく「積極的平和主義」政策は同盟 の取組に寄与する、米国政府は、切れ目のない安全保障法制の整備についての同 年 7 月 1 日の閣議決定を含む日本政府の取組を歓迎し、支持する、と共同発表し た。 このような経緯を経て、2015 年 4 月 27 日、日米安全保障協議委員会は、新たな 日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)を合意した。 新ガイドライン合意の 2 日後(同年 4 月 29 日)、安倍首相は、米国上下院合同議 会で演説し、「アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の『リバランス』を支 「日米同盟を強く 持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します」 、 しなくてはなりません。私たちには、その責任があります」、「(安保法制の整備に よって)自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層強固になり ます。・・・戦後、初めての大改 革 で す。こ の 夏 ま で に、成 就 さ せ ま す」等 と 述 べ(注25)、新ガイドラインを実施するための法整備、安保法制を「夏までに」成立 させる、と約した。 ③ 新ガイドラインと安保法制 新ガイドラインの内容は、安保法制を先取りするものである。 新ガイドラインは、 「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対 応」 、「日米両政府の国家安全保障政策間の相乗効果」、「政府一体となっての同盟と しての取組」 、「地域の及び他のパートナー並びに国際機関との協力」、「日米同盟の グローバルな性質」を強調する。 新ガイドラインの概要は、次のとおりである。 ア 「Ⅰ 防衛協力と指針の目的」においては、「平時から緊急事態までのいかな る状況においても」「日本の平和及び安全を確保」し、「アジア太平洋地域及び これを超えた地域」の安定と平和のための「切れ目のない、力強い、柔軟かつ 実効的な日米共同の対応」の必要性をうたい、「日米同盟のグローバルな性質」 -68- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 を強調している。 そして、 「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応」のため 「平時から利用可能な同盟調整メカニズム」を設置し、「平時から緊急事態まで のあらゆる段階において自衛隊及び米軍により実施される活動に関連した政策 面及び運用面の調整を強化する」とする。 イ 「Ⅳ 日本の平和及び安全の切れ目のない確保」 (ア)「A.平時からの協力措置」として、「情報収集」、「警戒監視及び偵察」、 「防空及びミサイル防衛」、「海洋安全保障」、「アセット(米軍の装備品等)の 防護」、「訓練・演習」、「後方支援」、「施設の利用」を重視している。 「アセット(米軍の装備品等)防護」は、その時点では法律上の根拠を有 しないものであったが、安保法制の制定により実施可能とされた(自衛隊法 95 条の 2)。 (イ)「B.日本の平和及び安全に対して発生する脅威への対処」 a 「日本の平和及び安全に影響を与える事態」は、 「地理的に定めることはで きない」としている。 重要影響事態法は、これに対応する形で、周辺事態法の「我が国周辺の 地域における」を削除している(1 条)。 b 対処措置としては、「非戦闘員を退避させるための活動」、「海洋安全保 障」、「避難民への対処のための措置」、「捜索・救難」、「施設・区域の警護」、 「施設の利用」をあげる。 「後方支援」、 (a)「後方支援」について、97 年ガイドラインは、「後方地域支援」は、「主 として日本の領域において行われるが、戦闘行動が行われている地域と は一線を画される日本の周囲の公海及びその上空において行われること もある」として実施地域を限定し、物資の補給についても「武器・弾薬 を除く」としていたが、2015 年新ガイドラインの「後方支援」は、地理 的に限定を付さず、物資の補給についても何らの限定を付していない。 重要影響事態法は、「現に戦闘行為が行われている現場」以外の場所で の後方支援を可能にし、かつ、周辺事態法が禁じていた、弾薬の提供、 戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油・整備を可能と しており、新ガイドラインに対応するものとなっている。 (b)「捜索・救難」では、日米両政府の「捜索・救難活動」における協力・ 相互支援について定めるとともに、自衛隊の米国による「戦闘捜索・救 難活動」に対する支援について定めているが、これは、捜索・救難活動 を開始した場合には、戦闘現場でも遂行することを意味する。 これに対応するものとして、重要影響事態法 7 条 5 項は、戦闘行為が 行われるに至った場合や戦闘行為が予測される場合であっても、「既に遭 難者が発見され、自衛隊の部隊等がその救助を開始しているときは、当 該部隊等の安全が確保される限り、当該遭難者に係る捜索救助活動を継 続することができる」と定めている。 (c)「施設・区域の警護」は、重要影響事態法では宿営地の共同防護の規定 -69- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 (11 条 5 項)として実現している。 (ウ)「C.日本に対する武力攻撃への対処行動」 「自衛隊は、島嶼に対するものを含む陸上攻撃を阻止し、排除するための 作戦を主体的に実施する。必要が生じた場合、自衛隊は島嶼を奪回するため の作戦を実施する」「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦 を実施する」とする。 「尖閣諸島」の防衛は、自衛隊の任務であり、米軍は支援・補完するに過 ぎないことがわかる。 (エ)「D. 日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」 「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日 本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆さ れる明白な危険がある事態」において、自衛隊は、「武力の行使を伴う適切な 作戦を実施する」とする。 これは、事態対処法で、「存立危機事態」における集団的自衛権の行使とし て実現されている(2 条 4 項)。 対処行動は、 「アセット(米軍の装備品等)の防護」、「捜索・救難」、「海上 作戦」、 「弾道ミサイル攻撃に対処するための作戦」、「後方支援」における日米 軍事協力であり、「海上作戦」には、「機雷掃海」、「船舶活動の阻止」が含ま れ、日米の共同対処は、 「同盟調整メカニズム」を通じて調整する、とされ る。 (オ) 「E.日本における大規模災害への対処における協力」についても定められ た。 ウ 「V. 地域の及びグローバルな平和と安全のための協力」との項が設けられ た。 「グローバルな」平和と安全のための協力は、78 年及び 97 年のガイドライン にはなかった合意である。 「平和維持活動」として、日米両政府は、同じ任務に従事する国際連合その 他の要員に対する後方支援の提供及び保護において協力することができる、と する。 これを実現するために、PKO 協力法は、宿営地共同防護(25 条 7 項)、駆け 付け警護(3 条 5 号ラ・26 条) 、弾薬の提供を含む補給(3 条 5 号ツ)を定めた。 「非戦闘員を退避させるための活動」は、日本国民及び米国民を含む非戦闘 員の安全を確保するため、外交努力を含むあらゆる手段を活用する、とする。 このほか、 「国際的な人道支援・災害救援」、「海洋安全保障」、「パートナーの 能力構築支援」、 「情報収集、警戒監視及び偵察」、「訓練・演習」、 「後方支援」に ついて定めている。 そしてここでいうグローバルな後方支援等のために、国際平和支援法が制定 された。 エ 「Ⅵ.宇宙及びサイバー空間に関する協力」では、責任ある平和的かつ安全な 宇宙の利用のための日米政府の連携・強化、サイバー空間の安全かつ安定的な -70- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 利用のための情報共有について合意する。 日米協力の範囲は、「グローバル」を超えて、宇宙やサイバー空間という仮想 空間にまで及んでいる。 オ ガイドラインは、ガイドラインとそれに基づいて行われる取組みは、日米政府 「立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づけるものでは に対して、 ない」とする。 しかし、上記のとおり、新ガイドラインでの合意事項は、安保法制制定によ り、国内法の根拠を得、実施可能となった。 97 年ガイドライン改定後の周辺事態法、有事関連 7 法の制定を見ても明らか なとおり、ガイドラインにより日米政府が合意した事項は、国内で立法措置が とられ、実現してきている。 (6)アーミテージ報告 ① 以上は、日米安全保障協議委員会による日米ガイドラインの策定と、日本の防衛 法との関係についてであるが、同委員会の合意にも先行する、米側の日本に対す る強い意図の表示として、「アーミテージ報告」の存在を指摘することができる。 アーミテージ報告は、米国のアーミテージ元国務副長官、ナイ元国防次官補ら 超党派の日本専門家が作成する報告書であり、2000 年 10 月、2007 年 2 月及び 2012 年 8 月の 3 度にわたり、公表されてきている。 2000 年 10 月に公表された報告は日米同盟の再構築を提案するものであり、2007 年 2 月に公表された報告は日米同盟の強化と米国のアジア回帰路線の強化を求める ものであった。 ② 2012 年 8 月に公表されたアーミテージ報告は、日本に対し、米国との「同盟強 化」を迫り、平時から戦時まで米軍と自衛隊が全面協力するための法制化を要求 し、日本の集団的自衛権の行使の禁止は「同盟にとって障害」であるとし、日本 に対し、自衛隊の活動範囲の拡大、中東・ホルムズ海峡での機雷掃海、南シナ海 での警戒監視活動の実施、PKO 活動における「駆け付け警護任務」の必要性等を 協調していた(注26)。 このアーミテージ報告の公表後、2013 年 10 月、日米安全保障協議委員会は、97 年ガイドラインの改定を合意して作業に着手し、2015 年、新ガイドラインを合意 した。 このような経緯に照らせば、アーミテージ報告により示された米側の日本に対 する要求が、新ガイドライン合意を経て、安保法制制定に至っていることは否定 できない(注27)。 (7)新ガイドライン実施法としての安保法制 新ガイドラインは、 「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応」、 「地域・同盟国・国際機関との協力」、「日米同盟のグローバルな性質」を強調してい た。 そして安保法制は、その新ガイドラインを実施するための国内法の整備を行うも のである(第 1 の 1(4)参照)。すなわち、米国等の同盟国への武力攻撃に対する集 、後方支援の地理的制約をな 団的自衛権の行使を可能にし(自衛隊法・事態対処法) -71- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 くすとともに、弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給 油等後方支援の内容を拡大し(重要影響事態法、国際平和支援法)、宿営地の共同防 護を可能とし(重要影響事態法 11 条 5 項、国際平和支援法 11 条 5 項、PKO 協力法 25 条 7 項)、国際平和協力活動における安全確保業務・駆け付け警護の実施を可能に し(PKO 協力法)、武器使用基準を拡大し(PKO 協力法 25 条・26 条、自衛隊法 94 条の 5)、米軍等のアセット防護を可能にし(自衛隊法 95 条の 2)、米国への平素から の後方支援を拡大する(自衛隊法 100 条の 6)など、平素、グレーゾーン、日本有事 とあらゆる段階において、また、国際平和協力のために、自衛隊が、米軍を始めと する他国軍隊を支援することを可能にした。 政府が日米同盟の強化を志向し、新ガイドラインを合意した経過及びその内容に 照らせば、安保法制は、まさしく新ガイドラインを実施するための法律であり、新 ガイドラインに則って米軍(及びその連合軍)を支援し、共同行動をするための法 律であるということができる(注28)。 2 日米同盟と在日米軍 (1)日米両政府が日米同盟の強化を推進するに伴い、日本に駐留する米軍は、ますます その存在を重視されることになるであろう。安保法制は、その日米同盟関係の強化 のための法律であり、在日米軍を含む米軍支援のための法律である。そして新ガイ ドラインは、平時から戦時に至るまでの日米間の同盟調整メカニズムを構築し、「切 れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応」を目指している。そこで は、在日米軍が大きな役割を果たすことになる。 しかし、在日米軍の存在は、騒音被害、環境汚染、米軍人による犯罪等、国民、 とりわけ基地周辺に居住する住民に対して、大きな負担をもたらしている。特に、 米軍基地が集中する沖縄においては、住民の負担は顕著であり、人権が侵害される に至っている。 さらに沖縄では、辺野古への新たな米軍の基地の建設をめぐり、政府と沖縄県と の間の深刻な対立が続いている。そこでは、安保法制の制定過程における民主主義 を蹂躙した政府の国家意思の強制が、沖縄における民意と地方自治との関係でも強 行されようとしているのではないか。 以下では、沖縄の状況を中心に、在日米軍の存在、日米同盟の強化が、国民・市 民に及ぼす影響について検討したい。 (2)在日米軍の現状 ① 米軍再編 9.11 同時多発テロ(2001 年)を受けて、米国は、「テロへの脅威」への対応を 前面に打ち出し、先制攻撃を含むあらゆる脅威に対抗できる機動力や展開能力を 重視する戦略に移行して米軍を再編し、世界各地に展開する米軍基地、司令部を 整理、統合した。 2015 年新ガイドラインの策定、そしてその実施体制としての安保法制の制定に より、米軍と自衛隊は、米軍のアジア太平洋地域への米軍のリバランスの下、あ らゆる場面において、強力な協力関係がとられることとなった。 -72- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 陸上自衛隊幕僚長を務めた冨澤暉は、「在日米軍基地は日本防衛のためにあるの ではなく、米国中心の世界秩序(平和)の維持存続のためにある」ということを 「(政治家は)国民に説明して欲しい」と要望した、とされる(注29)。 ② 在日米軍基地の概要 ア 現在、本土では、車力、三沢、横田、座間、厚木、横須賀、経ヶ岬、岩国、佐 世保に、沖縄ではシュワブ、ハンセン、キャンプコートニー、ホワイトビーチ 地区、トリイ、嘉手納、普天間に、在日米軍の主な兵力が配置されており、上 記以外にも、本土では 99 施設、沖縄では 32 施設が在日米軍に提供されている。 イ 横須賀基地(神奈川県)は、米海軍常設艦隊のなかで最大規模を誇る第七艦隊 の本拠地であり、米空母の事実上の母港となっている。第七艦隊は西太平洋か らアフリカ大陸東海岸のインド洋までを作戦海域とし、アフガニスタンやイラ ク戦争では、横須賀基地配備の艦船が攻撃の第一波に加わっている。グアムに 配備されている原子力潜水艦を統制する第七潜水艦群司令部も置かれている。 ウ 厚木基地(神奈川県)には、横須賀基地配備の空母の艦載機部隊(第 5 空母航 空団)が配備されている。 エ 佐世保基地(長崎県)も第七艦隊の重要な基地であり、朝鮮半島、東シナ海に 近く、第七艦隊の補給・整備拠点となっている。貯油能力は、米海軍世界第 2 を誇り、イラク戦争開戦時には、25 万キロリットル以上の燃料がインド洋上の 補給拠点に届けられた。 また、沖縄の海兵隊を作戦地域に運ぶための強襲揚陸艦が配備されている。 オ 横須賀基地、佐世保基地には、グアムに配備されている攻撃型原子力潜水艦が 寄港する。 カ 横田基地(東京都)では、2012 年 3 月、航空自衛隊航空総隊司令部が米軍横 「共同統合運用調整所」が設置され、米空軍と航空自衛隊 田基地内に移転して、 の一体化が期待されている。 キ 沖縄には、米陸海空軍及び海兵隊の 4 つの軍隊全ての基地が存在する。空軍嘉 手納基地は極東最大規模であり、普天間基地ほかに海兵隊が駐留する。 海兵隊の主力部隊は、6ヶ月ごとのローテーションで米本国から派遣されて来 て、2ヶ月ほどの訓練後、佐世保基地に配備される艦船に乗って、オーストラリ ア、タイ、フィリピンなどアジア太平洋地域の国々を巡り、訪問先国軍隊との 共同訓練を行っている。海兵隊の主力部隊が日本に常駐するものでないことは、 日米同盟の変容、すなわち、米軍の駐留が、日本有事への対応のためだけでは なく、米軍の軍事戦略の一環としてなされるものであることをよく示している といえよう。 ③ 基地提供の根拠、駐留経費 ア 在日米軍基地の法的根拠と問題点 (ア)日米安保条約は、アメリカ合衆国は、 「日本国の安全に寄与し、ならびに極 東における国際の平和および安全の維持に寄与するため」、米軍が日本国にお いて基地を使用することを「許される」と定め、日米地位協定は、日米安保 条約に基づき、米国に日本国内の基地の使用を許している。 -73- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 もっとも、前述したとおり、現在においては、日米の協力は、 「日本の平和 及び安全の確保」にとどまらず、「グローバルな平和と安全」のために実施さ れ、また、米軍及び自衛隊の共同対処は地理的限定のないものとされており、 安保条約の目的を超えるものとなっている。 砂川事件最高裁判決は、「わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛 力の不足を、・・・補おうとしたものに外ならないことが窺えるのであるから」、 「違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。」と 判示しているのであり、防衛力不足を補うためでない駐留の憲法適合性が問 題となり得る。 (イ)日米両政府の代表者からなる「合同委員会」が、個々の基地に関する協定 を締結する(日米地位協定 2 条 1 項(a)、25 条)。これは、個別の施設・区域 (基地)ごとの協定であり、政府間合意(行政取極)と観念されている(注30)。 しかし、米軍に対する施設・区域(基地)の提供は、地元住民・地方公共 団体の利害にも、自然環境にも、重大な影響を及ぼすものであるから、施設・ 区域の提供が、合同委員会だけで合意されてしまう仕組み自体に問題がある。 政府間合意による取極めという現在の形式を前提とするとしても、その提 供手続は、最低限、地方公共団体の長や地元住民その他の利害関係者の意見 聴取とその尊重など、慎重かつ十分な手続が保障されるべきである。のみな らず、国土の一部を提供し、日本の主権を制限するということの重大さから すれば、提供協定については、国会が何らかの形で関与する仕組みが検討さ れるべきであろう。(注31) イ 地位協定上の特権の問題 日本に駐留する米軍や米軍人・軍属は、地位協定により、種々の特権を付与 されている。そのことが、米軍人・軍属の犯罪・事故に対する抑止を阻害して いるのではないかと思われる。 (ア)刑事法上の特権 公務執行中の犯罪は米国に第一次裁判権があるため、日本は裁判権を行使 できず、公務外の犯罪であっても米軍人等が基地内にとどまるときは、起訴 されるまで身体は日本側に引き渡されない等、刑事法上の特権を有する。 刑事法上の特権が米軍関係者にとって犯罪抑止の障害となっていることは 否定できない。(注32) (イ)民事法上の特権 米軍人等による不法行為が公務中に行われたものである場合は、日本国が 国家賠償法により賠償する。 しかし、公務外のものである場合の損害賠償は米国が支払う見舞金で対処 されるに過ぎない。のみならず、不法行為の被害者が米軍人等やその家族に 対して民事訴訟を提起しようとしても、加害者の特定や差押え等の手続につ き米軍の協力義務を定めた規定もない。 このように、米軍関係者は、民事上も特権を有している現実がある。 ウ 駐留経費、思いやり予算 -74- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 地位協定上、米国は、提供を受けた施設・区域の維持に伴うすべての経費を 負担することとされている(地位協定 24 条)。しかし、日本政府は、「思いやり 予算」を組み、米軍に対して人件費等を支出している。日本政府による駐留経 費の負担が、米国にとって便宜であることは明らかである。(注33) エ このように、米国にとって、あらゆる面において、日本駐留は便宜である。米 国が、日本に対し、辺野古への新たな基地建設を求めるのも、日本駐留が米国 にとって世界戦略の一環であり、メリットが大きいからであると考えられる。 3 沖縄における在日米軍の問題 (1)米軍が駐留することによる問題は、在日米軍基地が集中する沖縄県において顕著で あり、現在は、辺野古への新しい米軍基地の建設をめぐり、問題が鮮明に浮き彫り になっている。 (2)沖縄の現状と、基地形成過程 国土面積のわずか 0.6%に過ぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約 74%に及ぶ広大な面積の米軍基地が存在している。 米軍基地は県土面積の約 10%を占め、とりわけ人口や産業の集積する沖縄本島に おいては約 18%を占めている。 敗戦後も本土と切り離されて引き続き米軍統治下におかれ、「銃剣とブルドー ザー」により、民有地が接収され、米軍基地が拡張された(注34)。 また、沖縄周辺には、28 カ所の水域と 20 カ所の空域が米軍の訓練区域として設定 されており、陸地だけでなく海、空の使用が制限されている。 1955 年由美子ちゃん事件、1995 年少女暴行事件を始めとする殺人、強姦等米兵に よる犯罪、軍用機の墜落事故、軍用機の騒音問題、PCB 流出やダイオキシン汚染等 環境汚染など、米軍基地による被害は甚大であり、人権侵害に至っている。 2016 年 6 月にも、元米兵が、20 歳女性に対する殺人、強姦致死、死体遺棄の容疑 で逮捕されている(注35)。 (3)普天間飛行場の返還と「代替施設」問題に関する日米合意 ① 1995 年 9 月の少女暴行事件により、沖縄県民の米軍に対する怒りが噴出したこ とから、日米両政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強 化することを目的として、1995 年 11 月、沖縄に関する特別行動委員会(SACO) を設置した。(注36) 1996 年 12 月、日米安全保障協議委員会は、普天間飛行場を始めとする県内在日 米軍基地の全部ないし一部の返還を内容とする SACO 最終報告書を承認し、普天 間飛行場については、普天間飛行場を日本へ返還すること、5~7 年以内に普天間 飛行場に所在する米軍部隊・装備等を沖縄県における他の米軍施設・区域へ移転 すること、普天間飛行場の代替施設として沖縄本島の東海岸沖に「撤去可能」な 「海上施設」を建設することを合意した(注37)。 ② 変遷の後、現在政府が建設を予定しているのは、辺野古大浦湾を埋め立て、1800 メートルの滑走路 2 本(V 字型滑走路)を有し、耐用年数は 200 年といわれる堅 固な施設であり、撤去可能な海上施設などではなくなっている。さらに、強襲揚 -75- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 陸艦が常時接岸できる岸壁、弾薬搭載エリアも備えられており、基地機能が強化 されている(注38)。 ③ 日米安全保障協議委員会は、2013 年 10 月、普天間飛行場の代替施設を辺野古に 建設することが同飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策であると の認識を再確認する、との共同発表を行い、2015 年 4 月 27 日、新ガイドライン合 意の共同発表においても、「普天間飛行場の代替施設をキャンプシュワブ辺野古地 区及びこれに隣接する水域に建設することが、運用上、政治上、財政上及び戦略 上の懸念に対処し、同飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策であ ることを再確認した。」とした。(注39)(注40)(注41) ④ 1960 年代、米軍は、辺野古沿岸に普天間基地の機能に加えて新たに港湾設備も 備えた「新基地」を建設する計画を有していた。ベトナム戦争当時の沖縄の情勢 や米国の財政事情もあって実現しなかった計画が、普天間飛行場返還と引き換え に、よみがえったのである。しかも、経費は日本側の負担である。日米政府が辺 野古が「唯一の解決策である」として辺野古にこだわる理由はここにもあると考 えられる(注42)。 (4)沖縄県民の意思 高度の機能を備え、200 年もの耐用年数を持つ軍用基地を新たに建設することは、 基地被害の増加、米軍基地の沖縄への固定化につながりうる。 辺野古移設断念を掲げて「島ぐるみ会議」が結成され、2014 年県知事選では、辺 野古移設反対を示した翁長知事が当選し、同年の名護市長選挙、衆議院選挙区選挙、 2016 年 6 月の県議会議員選挙、同年 7 月の参議院議員選挙においても、辺野古移設 に反対する候補者が当選した。これらにより、県民の意思は示されているといえ る。(注43)(注44) なお、辺野古キャンプシュワブ・ゲート前や、辺野古大浦湾では、市民の座り込 みや海上行動が行われており、これを制止しようとする機動隊、海上保安官との間 に衝突が生じ、市民に負傷者が出るまでの事態となっている(注45)。 (5)辺野古への新たな米軍基地建設を巡る、国と沖縄県との法廷闘争 ① このように、新たな米軍基地の建設に反対する県民の意思が示されている一方 で、日米両政府は、辺野古への新基地建設に固執する(注46)。 政府による基地提供行為は法律事項とはされておらず、基地提供に関して、国 民の意思を反映させる仕組みはないが、公有水面の埋立の許可は知事の権限であ ることから、基地建設に反対する沖縄県の意思は、国による公有水面埋立を承認 しない、という形で示されることとなった。 ② 翁長県知事は、第三者委員会の、前知事による埋立承認には法的瑕疵があったと する報告書の提出を受けて、2015 年 10 月 13 日、前知事がした公有水面埋立承認 を取り消した(注47)。 ③ 知事による埋立承認取消しを受け、国と沖縄県とは、法廷闘争に入った。 ア 沖縄防衛局が国土交通大臣に対して、知事の承認取消処分の取消しを求める審 査請求及び執行停止を申し立て、国土交通大臣は、承認取消処分の執行停止を 決定した。(注48)(注49) -76- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 これに対し、沖縄県は、国地方係争処理委員会に対して審査請求を申し立て、 請求を却下された後は、国を被告として、国土交通大臣がした執行停止決定の 取消訴訟を提起した。(注50) 国(国土交通大臣)は、福岡高裁那覇支部に対し、沖縄県知事を被告とする 代執行訴訟を提起した(注51)(注52)。代執行訴訟については、地方自治法の要件を 充たしていないのではないかとの指摘がされている(注53)。 さらに、沖縄県は、国土交通大臣がした執行停止決定が違法であるとして、 関与の取消訴訟を提起した。(注54) 国と沖縄県との間で、3 つの訴訟が係属することとなった。 イ 裁判所は、国と沖縄県に対して、和解を勧告した。裁判所が示した和解勧告文 は、「本来あるべき姿としては、沖縄を含めオールジャパンで最善の解決策を合 意して、米国に協力を求めるべきである。そうなれば、米国としても、大幅な 改革を含めて積極的に協力をしようという契機となりうる。 」と提案している。 2016 年 3 月 4 日、裁判所の勧告を受け入れ、沖縄県と国との間で和解が成立 した。県と国はそれぞれが訴訟を取り下げること、沖縄防衛局は審査請求・執 行停止申立を取り下げて工事を中止すること、国は是正を指示し、県は国地方 係争処理委員会への審査申し出を行い、不服等があれば取消訴訟を提起するこ と、普天間飛行場返還と埋立について円満解決に向けて協議すること、等を約 した。(注55)(注56) ウ 和解成立後、国は埋立工事を中止したが、是正指示、国地方係争処理委員会へ の審査の申し立てを行い、同委員会の判断を経て(注57)、国(国土交通大臣)は 2016 年 7 月 22 日、沖縄県知事を被告として、違法確認訴訟を提起した。 (6)沖縄の米軍基地建設と安保法制制定に共通する問題 ① すでに見てきたとおり、安保法制の本質は、米軍支援の法である、という点にあ る。 日本と米国は、新ガイドラインと安保法制により、平時から有事まで切れ目な い協力体制を構築する。 在日米軍基地の存在は、日米同盟強化を強化し、安保法制を実施するために不 可欠であり、今後更に重要視されてゆくであろうことは想像に難くない。現に、 日米安全保障協議委員会は、新ガイドライン合意時に、辺野古への新基地建設が 唯一の解決策である旨を再確認し、計画の完了を達成する決意を強調している。 ② 沖縄は、戦後、米軍基地の被害に苦しみ、人権を侵害され続けてきた。国連人種 差別撤廃委員会は、「沖縄における軍事基地の不均衡な集中は、住民の経済的、社 会的及び文化的権利の享受に否定的な影響があるという現代的形式の差別」であ る、としている。(注58) 沖縄への新たな米軍基地の建設は、米軍基地被害、米軍基地があるがゆえの人 権侵害を、沖縄に固定化することにならないか。 ③ 米軍基地の建設は、政府によって行われ、国会のコントロールは及ばない。基地 により多大な影響を受けることとなる市民の意向を反映させる仕組みもない。 安保法制に反対する国民の意思が様々な形で示されたと同様に、辺野古への新 -77- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 基地建設に反対する県民の声が、あらゆる形で示されているが、政府はその声に 耳を傾けようとせず、政府と米政府は、辺野古への新基地建設が「唯一」の解決 策であるとの考えを譲らない。 ④ 安保法制は、憲法に違反する法であり、かつ、様々な形で示された安保法制に反 対する国民の声を無視して異常な手続により強行採決されたものであって、安保 法制の制定は、立憲主義、民主主義を蹂躙するものであった。 民主的コントロールが及ばない仕組みによって、人権侵害にもわたる基地被害 の過大な負担を一自治体に負わせることとなる辺野古への米軍新基地建設もまた、 安保法制の制定と同じ問題をはらんでいるといえる。 安保法制の制定において政府により立憲主義・民主主義が蹂躙され、安保法制 に資する米軍新基地を建設するためにもまた、立憲主義・民主主義が蹂躙されよ うとしているのである。 4 小括 沖縄は、アジア・太平洋戦争終結後も、米国の施政下に置かれ、広大な米軍基地が県 土の多くを占めて、1972 年日本復帰後も、米軍の世界戦略の遂行のために、在日米軍 の最大の根拠地とされ続けてきた。 今、米軍が世界戦略を遂行するに際し、日本国と自衛隊が、世界中でいつでも、一緒 に戦い、あるいは強力に支援することができるようにするための安保法制が成立した。 安保法制は、日本全体が、アメリカの世界戦略に共同して深くコミットし、その一翼を 担おうとするものといえる。沖縄が置かれている状況は、私たちに安保法制との関わり 方を問いかけているのである。 【第 2 章 注1 注釈】 倉持孝司「新・新「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)」別冊法学セミナー『安保関連法総 批判』日本評論社 2015 年 8 月所収・101 頁 注2 例えば、柳澤協二「安保法制で日本は安全になるのか?」(長谷部恭男・杉田敦編『安保法制の何が問 題か』岩波書店 2015 年 9 月所収)は、「今回の法案について、安倍晋三首相は、国民の生命、財産を守 るための切れ目のない体制を作るものだ、と主張する。だが、法案に盛り込まれている内容は、日本の 自衛隊があらゆる事態において米軍を防護し、支援し、米軍とともに参加することであり、平時から有 事へ、そして地球規模での切れ目ない対米協力である。」と指摘する(同書 146 頁)。また同氏は、新ガ イドラインについて、米軍からどんな要請があっても、これに対応できるようにするというものである ことを指摘する(柳澤協二『新安保法制は日本をどこに導くか』かもがわ出版 2015 年 6 月・68 頁)。 また、長谷部恭男氏も「今回の安保関連法制は、日本が他国(主にアメリカ)を防衛できるようにす ることが狙いであって、なぜそれが日本にとっての抑止力を増すことにつながるのか、全く明らかでな い。」と述べる(長谷部恭男編『安保法制から考える憲法と立憲主義・民主主義』有斐閣 2016 年 6 月・ 107 頁) 。 注3 以下、2 から 6 までの記述は、本報告書執筆者が執筆した『安保法制の何が問題か』(岩波書店 2015 年 9 月)所収の「解説 安保法制改定法案の概要とその違憲性」を基礎に、一部修正補筆したものであ る。 -78- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 注4 この項の記述に当たっては、主に、阪田雅裕編著『政府の憲法解釈』(2013 年有斐閣)を参照した。 注5 とくに、第 94 回国会 1981 年 5 月 29 日付け政府答弁書第 32 号、2004 年 1 月 26 日衆議院予算委員会 内閣法制局長官答弁参照 注6 第 62 回国会 1969 年 12 月 29 日付け答弁書第 1 号、第 93 回国会 1980 年 10 月 28 日付け答弁書第 6 号、 第 102 回国会 1985 年 9 月 27 日付け答弁書第 47 号など 注7 1991 年 9 月 27 日付け政府統一見解 注8 1996 年 5 月 7 日参議院内閣委員会内閣法制局第一部長答弁、2011 年 10 月 27 日参議院外交防衛委員会 内閣法制局長官答弁など 1991 年 9 月 27 日付け政府統一見解、2004 年 6 月 3 日参議院イラク事態特別委員会内閣法制局長官答 注9 弁、第 159 回国会 2004 年 6 月 11 日付け答弁書第 130 号など 注 10 2015 年 5 月 27 日衆議院平和安全法制委員会総理大臣答弁など 注 11 同月 26 日衆議院本会議総理大臣答弁、同月 27 日同委員会防衛大臣答弁など 注 12 同上 注 13 同年 6 月 10 日同委員会防衛大臣答弁 注 14 同月 5 日同委員会政府参考人答弁 注 15 2003 年 6 月 13 日衆議院外務委員会内閣法制局第二部長答弁 注 16 2015 年 5 月 29 日衆議院平和安全法制委員会防衛大臣答弁 注 17 本項については、第 56 回人権擁護大会第 2 分科会基調報告書『なぜ、今「国防軍」なのか』31~38 頁以下参照。 注 18 佐藤幸治『世界史の中の日本国憲法』左右社 2015 年 8 月 56 頁以下参照 注 19 山口繁元最高裁長官は、この解釈を「規範として骨肉化したもの」と述べ、集団的自衛権の行使容認 の憲法違反を指摘している(2015 年 9 月 3 日付け朝日新聞)。 注 20 安倍首相は、2014 年 5 月 15 日の記者会見において、紛争地域から退避する日本人母子が乗船してい る公海上の米艦を描いたパネルを示しつつ、集団的自衛権を行使して自衛艦がこの米艦を防護すること が必要だとし、「こうした事態は机上の空論ではありません」「まさに紛争国から逃れようとしているお 父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を、 今、私たちは守ることができない」と熱弁をふるった。ところが参議院の審議の中で、中谷防衛大臣は、 米艦に邦人が乗っているかどうかは絶対的なものではないと答弁するに至った(2015 年 8 月 26 日参議院 特別委員会)。 また、安倍首相は、日本に輸入される原油の 8 割が通過するホルムズ海峡が機雷封鎖されて輸入が途 絶えたら、我が国の経済と国民生活に死活的な影響を与え、国の存立にかかわるとし、今回の法案でも 武装した部隊を他国の領域に派遣するいわゆる海外派兵は原則として許されない、しかしホルムズ海峡 の機雷掃海だけは例外で、それ以外には「現在念頭にない」と繰り返していた(例えば同年 5 月 27 日衆 議院特別委員会答弁)。ところが、9 月 14 日の参議院特別委員会で首相は、同海峡の機雷封鎖は「今現在 の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではありません」 と、その現実性をあっさりと否定してしまった。つまり、唯一「念頭」にあったホルムズ海峡も、立法 事実から消えたのである。 注 21 以上の日弁連等の活動をまとめたものとして、福山洋子「真理と社会正義の歴史的邂逅」(「世界」別 冊「2015 年安保から 2016 年選挙へ」所収) 注 22 2016 年版『防衛白書』228 頁 -79- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 注 23 青井美帆『憲法と政治』(岩波新書 2016 年 5 月)103・109 頁 注 24 日米安全保障協議委員会は、日米安保条約第 4 条などを根拠とし、1960 年 1 月 19 日付け内閣総理大 臣と米国国務長官との往復書簡に基づき設置された閣僚級の会議であり、安全保障の基盤をなし、協力 関係の強化に貢献する問題について検討することを目的とするものである。日本側から外務大臣と防衛 大臣、米国側から国務長官と国防長官が出席して行われることから、「2+2」とも呼ばれる。 注 25 米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説「希望の同盟へ」外務省ホームページ (http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html) 注 26 東京新聞 2015 年 9 月 22 日 注 27 安保法制が審議されていた参院特別委員会(2015 年 8 月 19 日)では、山本太郎議員が、アーミテー ジ報告の内容と安保法案の類似点を列挙したフリップを示しながら「ほとんどが重なっている。」「完全 コピー」だ、と追及した。(東京新聞 2015 年 8 月 26 日) 注 28 倉持孝司は、「自衛隊の活動範囲・役割の変質・拡大と『日米同盟の深化』、基地問題と『安保法制』 整備は、それぞれ『ガイドライン』を連結点として結びついている。」とする(倉持孝司「新・新『日米 』 」・別冊法学セミナー「安保関連法総批判」日本評論社)。 防衛協力のための指針(ガイドライン) その他、安保法制が米軍支援法としての性格を有することにつき、注 2 参照。 注 29 前田哲男・林博史・我部政明編『<沖縄>基地問題を知る事典』(吉川弘文館 2013 年 2 月)124 頁 注 30 『外務省機密文書 注 31 日本弁護士連合会「日米地位協定に関する意見書」(2014 年 2 月 20 日) 注 32 2016 年 5 月、うるま市の女性が遺体で発見され、元米海兵隊員の軍属が、死体遺棄、殺人及び強姦致 日米地位協定の考え方(増補版)』(高文研 2004 年 12 月)33 頁以下 死容疑で逮捕された。退役軍人でつくる「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」琉球沖縄支部代表ダグ ラス・ラミス氏は、「(米軍関係者による犯罪の)被害者が無作為に選ばれている沖縄はテロ的な状況だ」 と述べている。(東京新聞 6 月 10 日) 注 33 ベトナム戦争後の財政赤字等から、米政府は日本政府に対して経費の負担を求め、日本はこれに応じ て 1978 年度からいわゆる「思いやり予算」が組まれた。その後、日本の負担は膨張・肥大していき、現 在では、人件費、光熱水費(家族分をふくむ電気、ガス、水道及び暖房、調理用燃料)、訓練移転費が 「思いやり予算」の対象に含まれている。 注 34 沖縄は日本で唯一地上戦が行われた自治体であり、戦争で住民の 4 人に 1 人が死亡したといわれる。 敗戦後は、1952 年 4 月 28 日のサンフランシスコ条約の発効により、本土と切り離されて引き続き米軍統 治下におかれ、民有地を接収しての大規模な米軍基地の拡張が行われた。憲法が及ばない沖縄において、 米軍による民有地の接収は、武装兵とブルドーザーを出動させて、すなわち「銃剣とブルドーザー」に より、強制的に行われた。(第 56 回人権擁護大会第 2 分科会基調報告書『なぜ、今「国防軍」なのか』 38 頁参照) 注 35 米軍基地による被害は甚大である。(同基調報告書 38~46 頁、前掲日本弁護士連合会意見書 26~29 頁 参照) ① 米兵犯罪 1995 年 9 月、米軍人が複数で小学生の女児を強姦し、監禁するという事件が発生した(「少女暴行事 件」)。沖縄県県民の反基地感情、反米感情が噴出し、10 月に開催された県民大会には約 8 万 5000 人が参 加して、米軍基地の整理縮小、地位協定の見直しを求める動きとなった。 米兵による犯罪は後を絶たず、2016 年 5 月には、沖縄県うるま市の 20 歳の女性の遺体が発見され、元 米海兵隊員で軍属のシンザト・ケネス・フランクリン容疑者が、死体遺棄容疑で逮捕され、6 月 9 日に -80- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 は、殺人と強姦致死容疑で再逮捕された。 ② 軍用機墜落事故 1959 年 6 月、米軍ジェット戦闘機が墜落して民家と小学校を直撃した。小学生 11 人を含む 17 人が死 亡、負傷者は 200 人を超えた(宮森小学校ジェット機墜落事件)。 2004 年 8 月には、米軍大型ヘリが沖縄国際大学の構内へ墜落し、機体が炎上した。幸いにも人身に被 害はなかったものの、民間の地域への墜落は、県民に大きな衝撃を与えた。また、米軍が、事故直後か ら現場一帯を占拠し、大学関係者や警察、消防などを排除したことは、日米地位協定の矛盾を露呈させ た。 ③ 航空機騒音 米軍機の騒音問題は、嘉手納、普天間基地のほか、小松、横田、厚木、岩国の各基地でも深刻な問題 であり、1975 年に小松基地、1976 年に橫田・厚木基地周辺住民が差止めと国家賠償を求める訴訟を提起 して以来、各基地で訴訟が繰り返され、現在でも上記各基地での訴訟が継続している。 ④ 環境汚染 ア 赤土汚染 沖縄県内の基地内からの赤土等の流出による河川、海域の汚染は、生活環境及び生物生育環境の破 壊等、大きな影響を及ぼしている。例えば 1999 年 10 月キャンプハンセンから、1992 年 5 月キャンプ シュワブから、2002 年キャンプハンセンから、赤土流出が発生している。 イ PCB 漏出事故 1995 年 11 月 30 日に返還された恩納通信所跡地から、カドミウム、水銀、PCB、鉛、ヒ素等の有害 物質が検出された。PCB 含有汚泥は約 304 トンに上った。 ウ 劣化ウラン弾使用事件 1995 年 12 月から翌 1996 年 1 月にかけて鳥島射爆場において、約 1520 発の劣化ウランを含有する徹 甲焼夷弾が発射された。 エ タール状物質汚染 1981 年に返還された北谷町のキャンプ瑞慶覧射撃場跡地の地中から、2002 年 1 月店舗拡張工事の掘 削中に、米軍が投棄したとみられる黒い油状物質入りのドラム缶が次々に発見されてその総数は 187 本と大量に及び、周辺土壌がドラム缶のタール状物質により汚染されていることが発覚した。 オ 六価クロム、鉛、フッ素、ヒ素汚染 1999 年 6 月、嘉手納弾薬庫地区返還跡地から、那覇防衛施設局の調査の結果、六価クロム、鉛で環 境基準以上の数値が出た。 2006 年 8 月キャンプハンセンに米軍ヘリが墜落し、現場から環境基準を超えるヒ素など数種の有害 物質が検出された。 カ 鉛汚染 2001 年 2 月、キャンプコートニー旧クレー射撃場周辺海域等から、JEGS(在日米軍司令部によって 作成される日本環境管理基準)を超えた鉛汚染が発覚した。 キ アスベスト検出 2009 年 3 月、キャンプ瑞慶覧の米軍直轄工事において、事業者が搬出した廃棄物からアスベストの 検出が確認された。 ク ダイオキシン汚染 2013 年 6 月、1987 年 8 月に返還された米空軍嘉手納基地の一区画(沖縄市サッカー場)の工事現場 -81- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 からダイオキシン(ドラム缶数十本、米国「ダウケミカル社」の社名あり)が発見された 注 36 1995 年の少女暴行事件により、沖縄県民の米軍に対する怒りが噴出し、同年 9 月、大田昌秀沖縄県知 事は駐留軍用地特措法に基づく代理署名・押印を拒否するに至っている。 注 37 SACO 最終報告書、普天間飛行場に関する SACO 最終報告 注 38 SACO 最終報告が予定した代替施設は、「撤去可能」な「海上施設」であったが、その後、キャンプ シュワブ陸上案、L 字型案、V 字型案と変遷し、県外移設・国外移設が言われた時期もあったが、辺野 古大浦湾を埋め立て、1800 メートルの滑走路 2 本(V 字型滑走路)を有する案に決定された。耐用年数 は 200 年といわれる堅固な施設であり、撤去可能な海上施設などではなくなっている。 沖縄防衛局が 2013 年 3 月に沖縄県に提出した公有水面埋立承認申請書によれば、予定されている新基 地は、272 メートルの長さの岸壁を持ち、海兵隊の移動手段であって佐世保基地に駐留する強襲揚陸艦が 常時接岸できる軍港機能を有するものであり(宮城大蔵・渡辺豪『普天間辺野古ゆがめられた二〇年』 (集英社新書 2016 年 4 月)172 頁)、弾薬搭載エリアも備えられている。 これらは、陸地内にある普天間飛行場にはない機能であり、辺野古への新基地建設は、結局、普天間 飛行場の代替施設の提供にとどまらず、米軍基地の機能を強化するものとなっている。 注 39 日米安全保障協議委員会は、2014 年 10 月にも、普天間飛行場の代替施設を辺野古に建設することが、 同飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策であることを再確認する日米共同報道発表をし ている。 注 40 2015 年 4 月 27 日日米共同発表「変化する安全保障環境のためのより力強い同盟 新たな日米協力の ための指針」 注 41 2016 年 7 月 10 日の参議院議員選挙終了後、安倍首相は、テレビ番組に出演して、「住宅地や学校に取 り囲まれた普天間飛行場の固定化は誰も望んでいない。早期の移転を進めていきたい」と述べ、翌 11 日 には、米国務省カービー報道官が、島尻安伊子沖縄北方担当相が落選したことに絡み、辺野古への移設 を「日本政府とともに取り組み続ける」 「米軍だけでなく、日本国民にとっても最善だと確信している」 と述べ、移設推進の姿勢を強調した(2016 年 7 月 11 日沖縄タイムスプラス、2016 年 7 月 12 日産経 ニュース)。 注 42 新崎盛暉「日本にとって沖縄とは何か」(岩波新書 2016 年 1 月)120 頁、宮城大蔵ほか前掲書 76 頁 注 43 2013 年 1 月、沖縄県議会全会派の代表及び県下の全市町村長・議長が署名して、「オスプレイ配備撤 回、普天間基地閉鎖、辺野古移設断念」を求める「建白書」を安部首相に提出し、2014 年 7 月には、「沖 縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」が発足した。「島ぐるみ会議」は、「オール沖縄」の力 を結集して、「建白書」を実現することを目的とするものであり、政治家のみならず、沖縄県内有数の建 設業・小売業グループの会長や、県内観光業界トップ企業の会長も名を連ねている。(沖縄弁護士会日髙 洋一郎「辺野古新基地建設に対する沖縄県民及び沖縄弁護士会の取組み」) 2014 年に実施された名護市長選、県知事選、衆院選小選挙区選挙では、いずれの選挙でも、辺野古移 設反対を唱えた候補者が当選し、県知事には、翁長雄志氏が就任した。 2016 年 6 月 5 日には、翁長知事就任後初めて沖縄県議会議員選挙が実施され、全 48 議席は、辺野古新 基地建設反対を唱える翁長知事を支持する与党 27 議席、中立 6 議席、野党 15 議席となり、辺野古新基 地建設に反対する議員が 31 名、全議席の 6 割を占めるに至った。沖縄タイムスは「与党が過半数を得た ことは有権者が翁長県政に信任を与えた格好になる。」、「翁長知事とともに名護市辺野古の新基地建設に 反対を訴えてきた与党の『オール沖縄』勢力の勝利は、県民があらためて新基地建設反対の民意を示し たことになる。」と報じた(2016 年 6 月 6 日)。 -82- 第2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 2016 年 7 月 10 日に実施された参議院議員選挙では、辺野古移設反対を訴えた伊波洋一氏が、現職で沖 縄担当大臣の島尻安伊子氏に 10 万票以上の差をつけて当選し、「辺野古反対」の民意があらためて示さ れた、と報じられた。(沖縄タイムス 2016 年 7 月 11 日) 注 44 2014 年夏以降、辺野古や沖縄県庁周辺では、辺野古新基地建設に反対する集会が開催され多数の市民 が参加している。2015 年 5 月に那覇市内で開催された県民大会には、35,000 人もの市民が集結した。 注 45 辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前及び海側では新基地建設に反対する市民が座り込みを続けてい るが、機動隊がこれを排除しようとして、市民ともみあいになり、市民が負傷して病院へ救急搬送され るなどの事態がたびたび発生している。 海上での抗議行動では、2015 年 1 月には、海上保安官が女性に馬乗りになっている姿が報道され、同 年 4 月には、市民の小型船舶に海上保安官が乗り込んで船舶が転覆し、市民が病院へ救急搬送されたこ とが報道されるなど、市民と海上保安官との衝突がたびたび発生している。 注 46 2013 年 12 月、仲井真前知事は沖縄防衛局に対して公有水面埋立を承認し、政府は、2014 年 7 月、代 替施設(新基地)建設事業に着手した。 注 47 沖縄県が設置した「普天間飛行場代替施設移設事業に係る公有水面埋立承認手続に関する第三者委員 会」は、2015 年 7 月 16 日、仲井真前知事が行った埋立承認手続には、辺野古埋立の必要性に合理的な疑 いがある、生態系の評価が不十分、生物多様性に関する国や県の計画に違反している可能性が高い、な どの問題があり、埋立承認には「法的瑕疵」があったとする報告書をまとめた。 注 48 知事による承認取消しを受け、沖縄防衛局は、取消決定の翌日(2015 年 10 月 14 日)、国土交通大臣 に対し、行政不服審査法に基づき県知事の承認取消処分の取消しを求める審査請求、及び、裁決までの 間承認取消しの効力の停止を求める執行停止を申し立てた。 国土交通大臣は、同月 27 日、承認取消処分の執行停止を決定し、沖縄防衛局は同月 29 日、埋立工事 を再開した。 他方で、国土交通相は、取消処分の取消の審査請求については結論を出さず、結局、沖縄防衛局は、 2016 年 3 月 4 日の和解に基づいて審査請求を取り下げることとなった。 注 49 沖縄防衛局が行った、行政不服審査法に基づく審査請求及び執行停止の申し立てに対しては、行政法 学者から批判が加えられている。 2015 年 10 月 23 日、行政法学者からなる行政法研究者有志一同は、「辺野古埋立承認問題における政府 の行政不服審査制度の濫用を憂う」と題する声明を公表し、行政不服審査法は、行政機関が「固有の資 格」において行政処分の相手方になった場合の行政機関による審査請求を予定しておらず、2016 年 4 月 1 日施行の改正行政不服審査法は、かかる当該処分を明示的に適用除外しているのであり、沖縄防衛局に よる審査請求・執行申立は、「一方で国の行政機関である沖縄防衛局が『私人』になりすまし、他方で同 じく国の行政機関である国土交通大臣が、この『私人』としての沖縄防衛局の審査請求を受け、恣意的 に執行停止・裁決を行おうというものである。」と指摘し、「政府の手法は国民の権利救済制度である行 政不服審査制度を利用しようとするものであってじつに不公正であり、法治国家に悖るものと言わざる を得ない。」と厳しく批判した。 注 50 沖縄県は、2015 年 11 月 2 日、国土交通大臣による執行停止決定は自治体に対する違法な関与である として、国地方係争処理委員会へ審査請求を申し立てた。 国地方係争処理委員会は、同月 24 日、沖縄県の請求を却下した。 沖縄県は、翌日(2015 年 10 月 25 日)、那覇地裁に対し、国を被告として、国土交通相がした執行停止 決定の取消訴訟を提起した(行政事件訴訟法 3 条 2 項)。 -83- 第2章 注 51 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 国土交通大臣は、2015 年 11 月 17 日、福岡高裁那覇支部に対し、県知事を被告とする代執行訴訟を提 起した。 注 52 政府は、2015 年 10 月 27 日、代執行手続をとることを閣議了解した。国土交通相が、県知事の承認取 消処分の執行停止を決定した日である。 閣議には、国土交通相も加わり、県知事の承認取消処分の法令違反の是正を図るため、代執行等の手 続に着手する旨の発言をしている。(閣議議事録) 国土交通大臣は、行政不服審査の手続においては「中立な第三者としての立場」としての判断者を演 じながら、同時に他方で、承認取消は違法であるとの立場で訴訟を遂行した。まさにジャッジとプレイ ヤーを同時に演じたのである。 注 53 国が提起した代執行訴訟については、地方自治法の要件を満たしていないのではないか、との疑問が 呈されている。 「必要最小限の原則」違反 (ア) 1999 年地方分権一括法により機関委任事務制度が廃止され、国による自治体への関与は、「必要 最小限の原則」が適用されることとなった(地方自治法 245 条の 3)。 この原則に従えば、代執行制度は、「是正の指示」(地方自治法が 245 条の 7)、不作為の違法確 認訴訟(同法 251 条の 7)を経た後でなければ利用できないはずであるが、国は、これらを経ずに 代執行手続をとっているのであり、必要最小限の原則違反を指摘することができる。 (イ)国の並行的関与、「ダブルトラック論」 さらに、代執行訴訟は、他に手段がない場合に限って取ることができる究極的な手段である (地方自治法 245 条の 8 第 1 項「本項から第八項までに規定する措置以外の方法によってその是正 を図ることが困難であり、かつ、それを放置することにより著しく公益を害することが明らかで 。 あるとき」) 国は、行政不服審査制度により、承認取消しの執行停止決定を得て工事を再開しており、すで に承認取消しの効力を失わせるという目的を達成していたにもかかわらず、加えて代執行訴訟を 提起したものであり、地方自治法が定める代執行訴訟の要件を充足しないのではないか、との指 摘が可能である。行政法学者徳田博人は、このような国の並行的関与を「ダブルトラック論」と して批判している(徳田博人「辺野古裁判で問われたこと-和解の意義と今後の展望について )。 (1)」(「環境と正義」2016 年 4 月号、5 月号) 以上については、裁判所の判断が示されたわけではない。しかし、後述するとおり、国が和解 を受け入れたことにより、違法の疑いが指摘される手続により工事が継続されるという事態は、 一旦収束を見ることとなっている。 注 54 沖縄県は、2016 年 2 月 1 日、福岡高裁那覇支部に対して、国土交通大臣を被告として、国土交通大臣 。 の執行停止決定は違法であるとして、関与(執行停止)の取消訴訟を提起した(地方自治法 251 条の 5) 注 55 2016 年 3 月 4 日に成立した和解の概要は次のとおりである。① 取り下げる。② 国と県はそれぞれが起こした訴訟を 沖縄防衛局は、審査請求・執行停止申立てを取り下げ、工事を直ちに中止する。③ 国は承認取消しについて是正を指示し、県は不服があれば国地方係争処理委員会に審査申出を行う。④ 国地方係争処理委員会の判断に不服な場合、もしくは国が委員会の判断に従わない場合、県は、是正指 示の取消訴訟を提起する。⑤ 双方、取消訴訟判決確定後は、「同判決に従い、同主文及びこれを導く理 由の趣旨に添った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応するこ とを確約する。⑥ 判決確定まで普天間飛行場返還と埋立について円満解決に向け協議する。 -84- 第2章 注 56 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊 裁判所が双方に和解を勧告した和解勧告文は、1999 年の地方自治法改正後、国と地方公共団体は、そ れぞれ独立の行政主体として、対等・協力の関係となることが期待されているがそれに反する状況に なっていることを指摘した上で、「本来あるべき姿としては、沖縄を含めオールジャパンで最善の解決策 を合意して、米国に協力を求めるべきである。そうなれば、米国としても、大幅な改革を含めて積極的 に協力をしようという契機となりうる。」と述べている。 注 57 和解成立後、国は県に対して是正を指示し、県はこれを不服として、2016 年 3 月 23 日、国地方係争 処理委員会に審査を申し立てた。 国地方係争処理委員会は、同年 6 月 20 日、国の是正指示が地方自治法に適合するか否かについては 「判断しない。」との結論を出した。同委員会は、国と沖縄県の立場が対立する問題について、「議論を深 めるための共通の基盤づくりが不十分な状態のまま、一連の手続が行われてきたことが、本件争論を含 む国と沖縄県との間の紛争の本質的な要因であり、このままであれば、紛争は今後も継続する可能性が 高い。当委員会としては、本件是正の指示にまで立ち至っているこの一連の過程を、国と地方のあるべ き関係からかい離しているものと考える。」と指摘し、「本件是正の指示にまで立ち至った一連の過程は、 国と地方のあるべき関係からみて望ましくないものであり、国と沖縄県は、普天間飛行場の返還という 共通の目標の実現に向けて真摯に協議し、双方がそれぞれ納得できる結果を導き出す努力をすることが、 問題の解決に向けての最善の道であるとの見解に到達した。」としている。 注 58 「第 3 回~第 6 回政府報告に関する人種差別撤廃委員会の最終見解」外務省ホームページ(http://w ww.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/) -85- 第3章 第3章 第1 1 秘密保護法 秘密保護法 はじめに 秘密保護法は、多くの市民の反対を押し切って、2013 年 12 月 6 日に強行採決され、 2014 年 12 月 10 日施行された。この秘密保護法は、後にさらに強行採決により成立し た安保法制と不可分一体となり、市民の知る権利を侵害し、立憲主義にとって不可欠な 恒久平和主義を危機にさらすものである。 2 日弁連は、2011 年 8 月、 「秘密保全のための法制の在り方について(報告書)」(以下 「報告書」)によって、政府が検討する秘密保全法制の概要が明らかにされた当初から、 秘密保全法制の立法化は、市民の知る権利を侵害し国民主権を形骸化するものであると して、強く反対してきた。 なぜなら、政府が扱う情報は、本来市民の共有財産として広く公表・公開されるべき ものであるにもかかわらず、秘密保全法制は、政府が扱う情報を「秘密」に指定し、非 公開とする権限を付与することや、 「秘密」にアクセスしようとした市民、報道関係者、 国会議員等を重罰規定により処罰する内容を含んでいたからである。 る資料や法案も示すこともなく、秘密保全法制の立法化を進めたのである。 秘密保護法が強行採決された後、2014 年 7 月 26 日には国際人権(自由権)規約委員 会により、政府に対し、日弁連と同様の懸念を含む同法に関する勧告意見が表明され た。 しかしその勧告意見も無視され、同年 12 月 10 日、ついに秘密保護法は施行されたの である。 3 日弁連は、これほどにまで民主主義を踏みにじる制定経緯と内容をもつ秘密保護法の 廃止ないし無力化にむけて今後も全力を尽くすとともに、我々の知る権利の保障を図 り、国民主権を実質化するため、政府の情報に関する基本法としての性格を有する情報 自由基本法制定を目指す所存である。 そこで、本章においては、秘密保護法の制定経緯及び内容における問題点をあらため て明確化し、確認するとともに、情報自由基本法の内容とその制定の必要性について明 らかにしたい。 第2 1 秘密保護法制定に至る経緯 はじめに 秘密保護法の制定経緯を見てみると、これが冷戦終結後の日米軍事一体化が進むな か、日米の軍事部門や防衛産業の強い要請により制定されたものであって、我々市民が 望んで制定された法律ではなかったということが明らかになる。 -87- 第3章 しかし、政府は、市民が秘密保全法制の問題を具体的に検討するために必要なさした 第3章 2 秘密保護法 従前の秘密保護規定 従前における秘密は、国家公務員や自衛隊員を対象に、職務上知り得た秘密に関して 守秘義務を課すことを基本とし、日米安保条約に基づく米軍に関する秘密等を特別法で 保護していた。すなわち、国家公務員法により、国家公務員に対し守秘義務を課すこと で、日本における秘密を一般的に保護するとともに、自衛隊法により自衛隊員に対し守 秘義務を課することで、自衛隊固有の秘密について個別に保護する体裁になっていた。 また、軍事機密については、日米安保条約に基づく米軍地位協定の実施に伴う刑事特 別法に定めるところの在日米軍の機密、 「日米相互防衛援助協定に伴う秘密保護法」 (以 下「MDA 秘密保護法」という。)に定めるところのアメリカから供与された装備品に 関する秘密等を個別に保護する体裁になっていた。 3 秘密保護強化の動き しかし、1980 年代中旬ころより、日本固有の秘密を保護するために、公務員のみな らず広く市民をも対象とし、秘密へのアクセスを制限処罰しようとする動きがみられる ようになった。 「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(以下「国家秘密法 1985 年、 案」という。)が国会に上程され、継続審議になったものの、当時の与党自民党内から の反対もあり、廃案になった。翌年には、「防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に 関する法律案」がまとめられたが、国会への上程には至らなかった。 4 自衛隊法の改正 その後、2001 年の自衛隊法改正により、従前の自衛隊員に対する守秘義務に加えて、 防衛秘密を保護する法制度が実現された。 これは、自衛隊員の服務規定としての守秘義務は維持したまま、防衛庁長官が指定し た防衛秘密を直接保護し、自衛隊員のみならず、防衛秘密を扱う国家公務員や民間の防 衛産業関連会社従業員も広く秘密漏えい処罰の対象とし、漏えいの未遂犯や過失による 漏えいまでも処罰の対象とするものであった。秘密保護法の萌芽と評価することが可能 であろう。 5 秘密保護法制定の契機 2007 年 8 月 10 日、日米両政府は、秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関 する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定(以下「軍事情報包括保護協定 (GSOMIA) 」という。)を締結した。 この協定は、アメリカと他国との間で相互に軍事秘密を提供した場合、相手国の了承 なく第三国に軍事秘密を提供すること等を防止し、両国間で包括的に軍事秘密の保護を 確保することを内容としていた。 具体的には、「秘密軍事情報へのアクセスは、政府職員であって、職務上当該アクセ スを必要とし、かつ、当該情報を受領する締約国政府の国内法令に従って秘密軍事情報 取扱資格を付与されたものに対してのみ認められる」 (7 条 b)、「両締約国政府は、政 府職員に秘密軍事情報取扱資格を付与する決定が、国家安全保障上の利益と合致し、及 -88- 第3章 秘密保護法 び当該政府職員が秘密軍事情報を取り扱うに当たり信用できかつ信用し得るか否かを示 すすべての入手可能な情報に基づき行われることを確保する」(7 条 c)と規定し、秘密 保護法と同様の適性評価制度を構築することが要求されていた。 このような協定の内容に照らせば、この軍事情報包括保護協定の締結が秘密保護法制 定の重要な契機であったことは間違いないであろう。 6 秘密保護法の制定へ 実際、上記軍事情報包括保護協定締結後、秘密保護法制定に向けた動きは急加速し た。 2008 年 4 月 2 日、内閣府内に、 「秘密保全法制の在り方に関する検討チーム」が設置 され、「秘密保全法制の在り方に関する基本的な考え方」が纏められた。民主党政権下 の 2010 年 8 月 27 日、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が、情報保全 の強化のため法的基盤を与えるために秘密保全法制が必要であるとの報告書を提出し、 同年 12 月 7 日、政府が「情報保全に関する検討委員会」を設置し、同月 17 日、「新防 衛計画大綱」を閣議決定した。この中で、緊密な情報共有を行うことができるよう、政 府横断的な情報保全体制を強化することが決定された。 2011 年 10 月 7 日、政府の「情報保全に関する検討委員会」は、 「秘密保全のための 法制の在り方に関する有識者会議」が取り纏めた同年 8 月 8 日付報告書を受け入れ、秘 密保全法制を制定すべきとの判断に至った。 民主党政権後の第 2 次安倍政権もその路線は引き継がれ、政府は法案を国会に上程 し、2013 年 12 月 6 日、与党の賛成多数で秘密保護法は強行採決され、2014 年 12 月 10 日、施行されたのである。 第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点 1 報告書の発表 第 2 でみたように、秘密保護法の制定に向けた動きは 1980 年代半ばころから始まり、 2007 年ころから水面下で急加速し始めたが、その概要がはじめて私たちに示されたの は、民主党政権下の報告書であった。 報告書が示した秘密保全法制の概要は、市民の知る権利やプライバシー権にとって極 めて重大な影響を及ぼすものであった。 2 法案の概要公表と強行採決 その後、第 2 次安倍政権は、秘密保護法の制定に向けて進み続け、2013 年 9 月 3 日、 「特定秘密の保護に関する法律案の概要」を公表すると同時にパブリックコメントを実 施した。その実施期間は、通常の重要法案であれば 1 カ月の期間を設けられるところ、 わずかに 2 週間という短期間であった。この短期間のうちに、パブリックコメントの応 募数は 9 万件を超え、そのうち実に約 8 割が反対の意見であった。また、それまでに、 日弁連をはじめ、全国すべての弁護士会とすべての地域連合会から反対の意見書等が出 されただけでなく、ジャーナリストや映画界・演劇界など、様々な業界から反対の意見 -89- 第3章 秘密保護法 が寄せられた。 にもかかわらず、政府は同法案を国会に上程し、わずか、衆議院で約 45 時間、参議 院で約 22 時間の審理の後、2013 年 12 月 6 日、審議は打ち切られ、秘密保護法は強行 採決されたのである。 3 小括 以上のように、秘密保護法は、後述するその内容だけではなく制定経緯においても、 市民の知る権利をないがしろにし、多くの反対の世論を無視して、国会で強行採決され たものであり、民主主義を踏みにじるものである。 第 4 秘密保護法の内容における問題点 1 はじめに 日弁連は、秘密保護法に対して、報告書段階から再三にわたって強く反対の意見を表 明してきた。その主な理由は、①「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であるこ と、そのため、②「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が広いこと、③ 「特定秘密」の漏えいに対する処罰範囲が広く、国会の行政に対する監視機能が空洞化 するおそれが高いこと、かつ、刑罰が重いことから報道の自由及び知る権利を侵害する おそれが大きいこと、④適性評価制度はプライバシー侵害性が極めて高いこと、などで ある。 2 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること (1)秘密保護法では、指定対象となる「特定秘密」について、①防衛、②外交、③特定 有害活動の防止、④テロリズムの防止の 4 分野を別表で示している。 これは、世論の広範な反対によって廃案とされた国家秘密法案と比較しても、秘 密の対象範囲が著しく拡大されており、広範に過ぎる。同法案では、国家秘密の定 義は、 「防衛及び外交に関する別表に掲げる事項並びにこれらの事項にかかる文書、 図画、又は物件で、我が国の防衛上秘匿することを要し、かつ公になっていないも のをいう。」とされていた。 これに対して、秘密保護法では、国家秘密の対象事項を、防衛、外交のみならず、 特定有害活動及びテロの防止にまで拡大している。そして同法 3 条は、「その漏えい が我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがある」という条件を付している ものの、その該当性は行政機関の長が判断することになっているから、限定機能と して期待し得ない。 (2) 「防衛」情報の範囲が広範不明確であることについて ① 秘密保護法の別表第 1 号は、自衛隊法別表第 4(96 条の 2 関係)に相当するもの であり、自衛隊に関連する事項を網羅的に挙げている。 自衛隊法ではすでに民間事業者も処罰対象として予定しているのみならず、過 失犯の処罰規定、共謀、教唆、煽動に関する処罰規定も設けている(同法 122 条) から、この分野に関して新たな秘密保全法制は必要ないはずである。 -90- 第3章 秘密保護法 現在、上記のとおり、防衛に関する秘密情報は、実務の情報管理において外部 へ漏えいしないような運用がなされている。また、国家公務員法のほか、アメリ カ軍隊の秘密は日米刑事特別法によって保護されるとともに、アメリカから日本 に提供された装備品等に関する秘密は、MDA 秘密保護法によってそれぞれ保護さ れている。 ② このような現状の下で、防衛に関する秘密保全が今以上に拡大・強化されれば、 戦力の不保持を命じた憲法 9 条に違反するような政府の行為等を、市民や国会が チェックできなくなるおそれがある。 現に、航空自衛隊のイラク派遣問題では、自衛隊の活動が憲法 9 条に違反するの ではないかが問題とされた名古屋高等裁判所 2008 年 4 月 17 日判決は、航空自衛隊 のイラク派遣が憲法違反であるとの判断を示している。にもかかわらず、防衛省 はこの活動内容に関する文書の情報公開請求に対して、当初は国の安全が害され るおそれがあるとして非開示とした。しかし、2009 年 9 月にようやく開示された 文書では、政府の説明と異なり、航空自衛隊が米兵を運輸していた実態が明らか になった。 ③ この様に秘密保護法は、 「防衛」秘密の範囲が広範不明確であることから、本来 主権者が知っておく必要のある上記のような事実が「特定秘密」に指定され、主 権者に永久に知らされないままになる危険を生じさせることになる。 (3) 「外交」情報が広範不明確であることについて 「安全保障」に関連する事項が広く対象となっている。しかし、 秘密保護法では、 「安全保障」に関する事項は、問題によっては、国家間の深刻な対立や深刻な民族紛 争などに我が国が巻き込まれかねない事項を含むこともあり得るから、市民は広く 高い関心を持つべき情報である。 したがって、この分野について行政機関の判断により秘密指定できる範囲を広範 に認めることは問題である。 (4) 「特定有害活動の防止」情報の定義が不明確であり、恣意的に運用されるおそれが あることについて ① 秘密保護法の別表第 3 号で規定されている対象情報は、特定有害活動であり、こ れはスパイ活動の阻止を意図したものとされている(同法 12 条 2 項 1 号参照)。 ここでは「外国の利益を図る目的」が必要とされているが、主観的要件である から、政府による一方的な認定によって、恣意的な解釈運用がなされるおそれが 大きい。 ② この様に、特定有害活動の定義が不明確であることから、政府の一方的な解釈で 恣意的に特定有害活動に該当すると判断される虞が大きく、委縮効果が大きい。 (5)「テロリズムの防止」情報が広範不明確であることについて 秘密保護法では、「テロリズム」を「政治上その他の主義主張に基づき、国家若し くは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、 又は重要な施設その他の物を破壊する行為を行う活動をいう。」(同法 12 条 2 項 1 号 括弧書き)と定義している。 このようなテロ活動の主体は、集団や個人も主体となり得る。テロ活動の動機も -91- 第3章 秘密保護法 無限定であり、その行為態様の限定もしておらず、様々な行為が「テロリズム」に 該当し得る。 このような「テロリズム」のための「措置」「計画」 「研究」は、無限に広がる可能 性がある。現に、当時の与党幹事長が、秘密保護法に反対している市民の行動を 「テロ行為と変わらない」と発言したことからして、「テロリズム」の定義が政府の 解釈によって広がることは容易に想像できるところである。 (6)まとめ このように、秘密保護法が規定する「特定秘密」の概念は極めて広範かつ不明確 であり、行政機関の恣意的運用を止めることができない。 3 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと 上記のとおり、「特定秘密」の範囲は極めて広範かつ不明確である。加えて、 「特定秘 密」を指定するのは行政機関の長である(同法 3 条)。 したがって、行政機関の長が「特定秘密」を恣意的に指定するおそれが極めて高いと いうべきである。 4 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと (1)上記のとおり、秘密保護法においては、漏えいが禁止される「特定秘密」の範囲が 過度に広範かつ不明確である。 同法によれば、行政機関の長は、「特定秘密」に指定したときに、当該文書にその 旨の表示をするなど、当該文書が「特定秘密」である旨を明らかにすることになっ ているが、市民には如何なる情報が「特定秘密」として漏えい禁止の対象であるか は認識できない。 したがって、一定の情報を入手しようする市民の側には、「特定秘密」か否かの事 前予測はできないし、入手した後でさえ、「特定秘密」であるかどうかが分からない ということが起こり得る。たしかに、「特定秘密」と知った上で入手しようとしなけ れば処罰の対象とはならないが、これでは市民の情報収集活動を萎縮させ、ひいて は自由な言論活動を過剰に萎縮させることになる。また、「特定秘密」に指定された 情報が、本来市民に知らされるべき違法な内容であったり、秘密たり得ない内容で あった場合でも、これを内部告発しようとする者にとっては、秘密保護法では免責 されないため、重罰化の下では、内部告発も期待し得ないのである。 (2)秘密保護法は 23 条において、故意の漏えい行為のみならず、過失による漏えい行 為のほか、漏えい行為の未遂、共謀、教唆及び煽動、「特定秘密」の取得行為とその 共謀、教唆及び煽動についても処罰している。いずれも、ただでさえ過度に広範で 不明確な処罰範囲の外延を更に不明瞭にするものである。刑罰法規は、犯罪と刑罰 を具体的、明確に規定しなければならない。 しかし同法の規定は漠然不明確であって、憲法 31 条の罪刑法定主義の観点からし ても重大な問題がある。 なお、同法 22 条には、「報道又は取材の自由」に配慮する旨の規定が盛り込まれた が、「報道又は取材の自由」の保障は判例上確立しているから、「報道又は取材の自 -92- 第3章 秘密保護法 由」を尊重することは当然であり、上記文言を改めて規定する意味は特にない。 同法 22 条によっても、幅広い処罰規定を設ける同法の重罰化は、憲法が保障する 自由権に対する深刻な萎縮効果を何ら拭えないのである。 (3)秘密保護法では、国会議員を「特定秘密」の提供先として想定する一方で、処罰対 象とすることも規定している。 すなわち、「特定秘密」を知得した議員が「特定秘密」を故意又は過失により漏え いをしたときに 5 年以下の懲役刑に処するものとしている。 これによると、秘密の委員会や情報監視審査会で知った「特定秘密」を、国会議 員が同じ会派の議員や秘書、専門家として相談に乗ってもらっている弁護士や学者 などに知らせることが一切できないことになり、本来の議員活動ができなくなるお それがある。これでは国会議員は、秘密指定の妥当性を個人として深く検討するこ とができないだけでなく、所属政党として十分な検討をすることもできない。 これは議会制民主主義の否定と言わざるを得ない。 (4)秘密保護法は、国家公務員法や自衛隊法などに比べて、法定刑を懲役 5 年又は 10 年まで引き上げており、情報漏えいについて重罰化が図られている。 しかしながら、過去の主要な情報漏えい事件を見ても、懲役 10 月の実刑の事例と 懲役 2 年 6 月で 4 年間執行猶予の事例があるだけであり、法定刑の上限を懲役 10 年 に引き上げるべき立法事実はない。 懲役 10 年という法定刑は、刑罰の対象となる公務員、報道関係者、市民活動家な どに対する威嚇以外のなにものでもなく、上記法定刑には重大な疑問がある。 (5)以上のとおり、広範かつ不明確な情報が漏えいすることに関して、処罰範囲が広 く、国会の行政に対する監視機能が空洞化するおそれが高いこと、かつ刑罰が重い ことから、秘密保護法は、報道の自由及び知る権利を侵害するおそれが高いという 問題点が指摘できる。 5 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと (1)プライバシー権等が侵害されること ① 調査事項の広範・不明確性 秘密保護法による適性評価制度の調査事項は、スパイ活動やテロ活動との関連 性のほか、犯罪・懲戒の経歴、情報の取扱いに係る非違の経歴、薬物の濫用・影 響、精神疾患、飲酒の節度、信用状態など、通常他人に知られたくない個人情報 が多く含まれている。また、調査事項には、家族及び同居人の氏名、生年月日、 国籍、住所を含むとされているが、「家族」の範囲が曖昧であるし、それらの者の 氏名、生年月日、国籍、住所だけを調査することの合理性に疑問がある。これら の調査を通じて、適性評価の調査の名の下に対象者及びその「家族」のプライバ シーが著しく侵害されるおそれがある。 ② 思想調査の危険 調査事項のうち特定有害活動(同法 12 条 2 項 1 号)についてみると、その抽象 性故に調査実施権者である行政機関の恣意的判断によって、個人の政治活動や組 合活動、さらには思想・信条にまで踏み込んだ調査がなされる危険性も否定でき -93- 第3章 秘密保護法 ない。 ③ 同意は調査の正当化事由にならない 同法 12 条 3 項は、適性評価のための調査がプライバシーに深く関わる調査とな ることから、行政機関職員等の同意を得た上で、第三者に対する照会等により調 査を行うこととしている。 しかし、以下に述べるとおり、職員等の同意は、プライバシーや思想・信条の 領域に踏み込むことを許容する根拠とはなり得ない。 まず、この同意が真に自由意思によるものと認められるためには、同意の対象 となるプライバシー情報の範囲が明確に特定されていることが必要であるところ、 調査事項は広範に及び、かつ、特定有害活動といった抽象的な事項が含まれてお り、職員等にとって自己に関する情報のどこまでが調査されるのかが不明である。 また、職員等が上司等から同意を求められた場合に、真に自由な意思に基づい て同意・不同意の判断を行うことは、組織の性質から考えて不可能であろう。な ぜなら、秘密情報に関与することはその組織の中枢に関わることを意味し、同意 を求められた職員等が自由な意思に基づいて不同意を選択することはほとんどあ り得ないからである。 したがって、同法が予定している職員等の同意は、真にプライバシー等の保護 に配慮したものとは認められず、調査の正当化事由にはなり得ない。 ④ 個人情報保護の不十分性 秘密保護法 16 条は、対象者の個人情報保護については、国家公務員法上の懲戒 の事由等に該当する疑いがある場合を除き、目的外での利用及び提供を禁ずると している。 しかし、懲戒の場合以外、いかなる場合に目的外利用及び提供が認められるの か何ら明らかではなく、適性評価を実施した行政機関が収集した職員等のセンシ ティブ情報を含む個人情報が、本人が知らない利用のされ方をされてしまう危険 がある。 ⑤ 調査対象者以外の者の同意がないこと 秘密保護法 12 条 3 項は職員等のみからの同意しか想定していないため、職員等 の身近にある者は、自己の知らないうちに調査実施権者である行政機関に自己の 個人情報が提供されてしまうことになる。氏名、生年月日、国籍、住所だけで あっても提供されたくないと考える者はおり、それだけであってもプライバシー 侵害に該当し得るし、さらに調査項目が増えるようなことになれば、プライバ シー侵害はより深刻である。 (2)差別的取扱いの危険 秘密保護法は、適性評価の評価事項として、特定有害活動を挙げている。 しかし、適性評価制度は、特定秘密が漏えいされる一般的リスクがあると認めら れる者を予め除外する仕組みであるところ、このようにリスクが一般的・抽象的な ものとして把握されるとすれば、職員等、家族、同居人が一定の思想・信条や信仰 を有していることや、一定の国籍を有していること又は有していたこと、一定の民 族に属していること自体をもって、秘密漏えいのリスクがあるとして、「特定秘密」 -94- 第3章 秘密保護法 の取扱者から除外される可能性がある。 (3)適正手続の保障が危ぶまれること 秘密保護法 14 条では、行政機関の長に対する苦情申出制度は存在するが、適性評 価の評価基準の公開については規定されていない。また、実施権者が適性評価の理 由を通知することも規定されていない。 適性を有しないとの評価は、特定秘密の取扱者から除外されるという職員等の地 位に重大な不利益をもたらすものである以上、職員等に対して適正な手続が保障さ れなければならず、また、司法手続でその評価を争う機会が付与されなければなら ない。 しかるに、評価基準が非公開で、理由が付記されていなければそもそも主張を組 み立てることが困難である。これでは、恣意的、人権侵害的な調査を排除すること はできない結果となる。 (4)以上のとおり、適性評価制度は、プライバシーや思想・信条の自由等の侵害、差別 的取扱いの危険性のほか、適正手続との関係でも重大な問題をはらんでいる。 第5 1 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点 情報監視審査会の設置 2014 年 12 月 10 日、秘密保護法が施行され、恣意的な秘密指定を防ぐ目的で国会に は情報監視審査会(以下「審査会」)が設置されたが、この審査会は、与党議員が大多 数を占める構成となっている。 また、行政機関の長が「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認 め」ないかぎり、審査会に「特定秘密」は提供されない。国会に内部通報を行うことが できる旨の規定もない。審査会には強制的に指定を解除する権限もない。 よって、現在の仕組みでは、審査会に秘密指定の適正を担保する役割を期待すること は困難である。 2 内閣府独立公文書管理監 内閣府独立公文書管理監なども実質的なチェックを行っているとは言い難い。現実に は、恣意的な秘密指定をチェックする態勢がないまま制度が運用されていると言える。 3 国連特別報告者の指摘 この点、2016 年 4 月 12 日から 18 日に来日し、日本の表現の自由と知る権利につい ての調査を行った国連特別報告者のデービッド・ケイ氏は、秘密保護法について、原子 力産業の未来、災害対応、政府の国家安全保障等の重大な社会的関心事に関するメディ ア報道を萎縮させる効果を生んでいることを指摘し、改善を求めている。 4 国際 NGO の指摘 また、国際 NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は 2016 年の「報道の自由度ラン キング」を発表したが、日本は、対象の 180 カ国・地域のうち、前年より順位が 11 下 -95- 第3章 秘密保護法 がって 72 位だった。秘密保護法の施行から 1 年余りを経て、「多くのメディアが自主規 制し、独立性を欠いている」と指摘した。 日本は 10 年には 11 位だったが、年々順位を下げ、14 年 59 位、15 年は 61 位だった。 「国境なき記者団」はかねて、取材の方法しだいで記者も処罰されかねない秘密保護法 に疑問を呈してきた。14 年 12 月に同法が施行された後、メディアが自主規制に動くの は、「とりわけ(安倍晋三)首相に対してだ」とした。 「とても深刻」の 5 段 「問題がある」 「厳しい」 「良い状況」「どちらかと言えば良い」 階では、日本は「問題がある」に位置づけられた(朝日新聞デジタル 2016.4.20)。 5 小括 これら指摘のとおり、秘密保護法の制定・施行、その運用開始により、日本における 「報道の自由」「知る権利の保障」は、国際的な観点に照らしても、年々危機的状況に向 かっている。 第6 1 安保法制と秘密保護法の関係 はじめに 安保法制では、集団的自衛権を発動するにあたっては、国会による審査が必要とされ ているが、集団的自衛権を発動する前提となる情報が「特定秘密」に指定されてしまえ ば、国会による審査が充分に機能し得なくなるおそれが高い。 それだけでなく、それらの「特定秘密」が保存されることがないままに廃棄され、集 団的自衛権を発動する前提となる情報が如何なるものであったのか、事後的に検証する ことすらできなくなるおそれがある。 2 秘密保護法の規定と国会法の規定 秘密保護法 10 条 1 項 1 号においては、政府が、「我が国の安全保障に著しい支障を及 ぼすおそれがないと認めたとき」に限り、秘密会とされた「各議院又は各議院の委員会 若しくは参議院の調査会」(同号イ)に「特定秘密」を提供するとされている。 そして、同法の附則 10 条で「国会に対する特定秘密の提供及び国会におけるその保 護措置の在り方」を定めることとされ、それを受けて、国会法に審査会及び国政調査権 と「特定秘密」に関する規定が設けられた。 審査会が調査のため行政機関に対して「特定秘密」の提出を求めたときは、行政機関 はこれに応じなければならず(国会法 102 条の 15 第 1 項)、行政機関の長がこれに応じ ないときは、行政機関の長はその理由を疎明しなければならない(同条 3 項前段)。そ して、審査会においてその理由を受諾しない場合は、「特定秘密の提出が我が国の安全 保障に著しい支障を及ぼすおそれがある旨の内閣の声明」を要求することができるもの の、内閣がその声明を出せば、行政機関は「特定秘密」を提出しなくても良いことと なっている(同条 5 項)。 そもそも、秘密保護法は、 「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるお それがあるため、特に秘匿することが必要であるものを特定秘密として指定するものと -96- 第3章 秘密保護法 する。」としているため(同法 3 条 1 項) 、「特定秘密」に指定された情報は、上記の 「特定秘密の提出が我が国の安全保障に著しい支障をおよぼすおそれがある」という要 件を当然に満たすことになり、内閣が声明を出せば、国会の委員会や審査会に対して も、「特定秘密」の提供を拒めることとなっている。 したがって、集団的自衛権の行使を発動する前提となる情報が「特定秘密」に指定さ れてしまえば、その情報は国会の審査会にも提出されないこととなり、国会での審議は 機能し得ないおそれが高い。 3 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれがあ ること 上記 2 のとおり、集団的自衛権の行使を発動する前提となる情報が「特定秘密」に指 定された場合には、国会にもその情報が提供されず、国会での審議が機能し得ないおそ れがあるばかりか、当該情報が廃棄されてしまう結果、なぜ集団的自衛権行使の発動が 認められたかについて、事後的にさえ検証できないおそれもある。 すなわち、秘密指定の有効期間が 30 年未満であれば、公文書管理法が定める国立公 文書館等(同法 2 条 3 項)に「特定秘密」を移管する必要がないため、秘密指定期間満 了後は、当該「特定秘密」が歴史公文書等(同条 6 項)に該当しないとして、行政機関 の長が内閣総理大臣の同意を得た上で廃棄することが可能となる(同法 8 条 2 項)。そ のため、集団的自衛権行使の発動の前提となる情報が「特定秘密」として隠されたま ま、政府が発動を決断したとしても、その前提となる情報を事後的にすら検証すること が出来ない。 したがって、集団的自衛権行使の発動を政府が決断したかの理由は、永遠に闇に葬り 去られることになりかねないのである。 4 小括 秘密保護法、国会法及び公文書管理法の各規定からすれば、政府は、集団的自衛権行 使の発動の前提となる情報を「特定秘密」に指定し、一定の手続きさえ踏めば、当該情 報を国会の委員会や審査会に提供することを拒めることになるし、秘密指定期間を敢え て 30 年未満にすれば、当該情報を秘密指定期間が満了した時点で廃棄することも可能 となる。 すなわち、集団的自衛権の行使を発動するにあたって、国権の最高機関である時の国 会の審議にも、事後的な検証にもさらされることなく、政府は自由にその判断を行うこ とが可能となるというほかない。 これは、まさに、憲法が定める国民主権原理及び恒久平和主義をないがしろにするも のといわざるを得ない。 -97- 第3章 第7 1 秘密保護法 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又 は抜本的見直し 公的情報は市民の情報である 日本国憲法は国民主権を採用し、国民主権の下では、国の情報をはじめとする公的機 関の情報は、市民の情報である。 公的な情報が十分に提供されてはじめて、市民が国家の行為をチェックすることがで きるとともに国家の政策決定に関与できるようになり、よりよい政策決定が可能とな る。 それゆえ、この公的情報が適切に公開されることが、市民の知る権利に資するととも に民主的な政治過程を健全に機能させるために重要である。 2 公的情報保存の重要性 ところが、我が国において、重要な意思決定過程について文書が作成されていない現 実がある。 特に歴史的に重大な事例として「安倍内閣による集団的自衛権の行使を可能とする閣 議決定」がなされた際、協議の過程を記録した公文書が存在しない、というものが挙げ られる。「集団的自衛権行使は憲法 9 条に反する」という従前の政府解釈を翻すのであ るから、歴史の検証に耐えられるよう、その思考や協議の過程を公文書として作成・保 管してしかるべきであるところ、これら文書は全く存在しない、とされているのであ る。このように、一部の者により重要な政策が決定され、それら意思決定の経緯・過程 が検証できない事態は、本来の民主主義の在り方から、望ましくないことは明白であ る。 加えて、上述のとおり、秘密保護法の成立・施行により恣意的な秘密指定がなされ得 るなど、民主的な政治過程を健全に機能させるための公的情報が十分に公開等されない ような制度が作られた。さらに情報公開の制度自体、存在するものの、開示請求につい て広範な不開示がなされている現実がある。 3 公的情報開示の必要性 そこで、公的な情報が適切に公開等されるように、情報の適切な公開、保存及び取得 にかかる基本法としての情報自由基本法を制定し、これに伴い秘密保護法の廃止を含め た抜本的見直しを行うこと及び公文書管理法、情報公開法及び公益通報者保護法を改正 するなど、市民の「知る権利」を十全ならしめる措置を講ずべきである。 「情報自由基本法の制定を求める意見書」を公 そのため、日弁連は、本年 2 月 18 日、 表し、国民主権原理の下においては、公的情報は本来、市民の情報であり公的資源であ ることから、公的情報を適切に公開・保存することが市民の知る権利に資するとともに 民主政治の過程を健全に機能させることに鑑み、憲法 21 条 1 項が保障する知る権利を 具体化し、かつ発展させる法律がされるべきことを提言した。 -98- 第3章 4 秘密保護法 情報自由基本法制定の必要性 繰り返しになるが、この度の安保法制の成立前の 2014 年 7 月の閣議決定については、 日弁連や全国の弁護士会のみならず、大多数の憲法学者から違憲の指摘を受けたにもか かわらず、閣議決定での議事録が全く存在しないとされている。 違憲と指摘されている閣議決定の議事録が存在しないことは、国のあり方として極め て問題であり、まさに情報自由基本法を制定して、そのような不備を根絶する必要があ る。 5 まとめ 日弁連は、これまでも、秘密保護法の廃止を含めた抜本的見直しを行うこと、公文書 管理法、情報公開法及び公益通報者保護法を改正することを求める意見を表明してき た。 秘密保護法が成立・施行された今、公的情報は国民の情報であるとともに公的資源で あるとの原則に立ち返り、憲法上の知る権利及び国際人権規約に則り、ツワネ原則をも 参照して、公的情報に関する基本的事項を横断的包括的に規定する情報自由基本法を制 定すべきである。(注1)(注2) また、報道の自由及び知る権利を侵害するおそれが極めて高く、公的情報の開示を阻 害する秘密保護法は、廃止されるか抜本的に見直されなければならない。 【第 3 章 注釈】 注1 日弁連が考える情報自由基本法の骨子【資料 6】 注2 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日)【資料 7】 -99- 第4章 第4章 第1 国家緊急権条項について 国家緊急権条項について 国家緊急権とは 国家緊急権とは戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては 対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序を一時 停止して非常措置をとる権限をいう。すなわち、基本的人権の保障が全部または一部停止 されて、平常時にはふみこえることの許されない国家権力の制限の枠をこえて人権が制限 されるだけでなく、行政権が立法権や司法権をも掌握し、立憲主義が一時的に停止される 事態を正当化するものである。 第2 憲法に国家緊急権条項を創設しようとする流れー明文 改憲への道筋 (以下、草案という)には、後 2012 年 4 月に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」 述するように第 9 章の 98 条、99 条において国家緊急権の規定を置き「我が国に対する外 部からの武力攻撃その他法律で定める緊急事態」に備える他、平和的生存権(日本国憲法 前文)と交戦権否認条項(同 9 条 2 項)を削除した上で、国防軍を創設(草案 9 条の 2) することを中心に、日本国憲法の徹底した恒久平和主義を変容させる内容が盛り込まれて いる。第 2 章の表題を「戦争の放棄」から「安全保障」へ改め、国民に国防義務(草案前 文 3 項)、領土・資源確保義務(草案 9 条の 3)を課す。集団的自衛権を容認(草案 9 条 2 項)するとともに、国防軍の活動として、国際協力、治安維持活動を明記(草案 9 条の 2 第 3 項)する。さらに軍事機密の保持、軍事審判所の設置(同 4 項、5 項)を明記した上 で、緊急事態条項の創設(98 条以下)をめざしている。 事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国 その他公の機関の指示に従わなければならない」 (99 条 3 項)とし、憲法内に国民の公的 権力の指示に従う義務を規定している。これは、同じ改正草案 102 条 1 項で「全て国民 は、この憲法を尊重しなければならない」として国民の憲法尊重義務を明記していること に端的に表れているように、憲法が国民の基本的人権擁護のために公的権力を制約すると いう立憲主義を 180 度転換させようとする姿勢を示すものである。 この改正草案で示された内容のいくつかは、すでに実現している。軍事機密の保持に関 しては、秘密保護法が制定され(2014 年 12 月 10 日施行)、集団的自衛権行使に関して は、これを容認する閣議決定(2014 年 7 月 1 日)にそって日米防衛協力のための指針 (ガイドライン)の見直しが進み、ついに 2015 年 9 月 19 日、安保法制法案が成立した。 自衛隊が地域の限定なく「グローバル」に他国軍を支援し、国際協力の名目での武力行使 の道が開かれたのである。かつて憲法改正を一度も体験していない日本国民にとって、改 憲への心理的抵抗は大きいが、このようにして、徐々に国民の心理的抵抗を和らげようと している。同時に、本来憲法 9 条改正によってしか変更できないはずの集団的自衛権の行 使容認を、改正手続きによらず、閣議決定から安保法制の制定という手続で変更しようと -101- 第4章 また、国家緊急権条項として、「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る 第4章 国家緊急権条項について する姿勢は立憲主義を軽視するものに他ならない さらに、自民党は、本命と言われている 9 条 2 項の改正に先立ち、緊急事態条項、財政 規律条項、環境権など、他党の理解を得やすい条項を憲法に加えて改憲の前例をつくり、 それにより野党や国民がもつ心理的抵抗を取り除いてから 9 条改憲に進む動きを見せてい る(いわゆる「お試し改憲」) 。とりわけ災害対策を含めた緊急事態条項は国民の理解を得 られやすいとして改憲の筆頭に挙げられている。 第3 1 日本国憲法に国家緊急権を規定することの積極論と必 要性論 積極論 国家緊急権の規定を設けることについて、主として 2 つの論拠が挙げられている。 一つは、①緊急事態は起こりうるのであるから、緊急事態に政府が対処し、かつ権限 の濫用や誤用を防ぐためにきちんと明文で法制化しておくことは立憲主義の本旨に適い 立憲主義を守るというべきである、というものであり、他の一つは、②世界の多くの立 憲主義国は、何らかの緊急権規定を持っており、非常事態に備えているのが通常であ る、というものである。 2 必要性論 また、積極論者は、おおむね次の 3 つの局面および国会議員の任期に関して国家緊急 権の規定が必要になると主張している。 ア いわゆる有事においては国家緊急権の規定によって対応しなければ国家の存立 が維持できない。 イ テロに有効に対処するためにも国家緊急権は必要である。 ウ 東日本大震災の経験は国家緊急権の存在を要請する。 エ 日本国憲法は国会議員の任期と参議院の緊急集会について規定するが、緊急時 にはこのままでは対応できない。 これらについての検討はそれぞれ後述する。 第4 1 諸外国の緊急権制度 ドイツ (1)概要 ドイツ基本法は、緊急事態条項を憲法に詳細に規定し、その要件、手続、効果を 厳格に規範化するとともに、その最たる緊急事態である防衛事態において司法によ る統制が及ぶことを明記する。このような規範化は、ワイマール憲法 48 条の大統領 非常権限が、14 年間に 250 回以上も緊急勅令を発動させ、例外規定の常態化を招い てしまったという反省に立っている。ナチスが言論の自由を蹂躙した、悪名高い授 権法の存在に照らせば、国家緊急権を憲法に定めて授権規範とすることは、濫用の 危険と隣り合わせであることを示す。 -102- 第4章 国家緊急権条項について なお、緊急事態条項を導入した第 17 次基本法改正において、緊急権と抱き合わせ で国民の抵抗権(20 条 4 項)も規定されたことも意義深い。国家権力保持者による 憲法の不法な排除《上からのクーデタ》に対する抵抗のみならず、革命勢力による 憲法の排除《下からのクーデタ》 、つまり市民に対する抵抗権も規範化している点は 特徴的である。 (2)内的緊急事態 基本法は、緊急事態を、天災や人災などの内的緊急事態と戦争に関わる外的緊急 事態に分ける。ただ、規定の多くは外的緊急事態に関わるものである。内的緊急事 態である「特に重大な災害事故」には、テロなど故意に引き起こされた事故を含む。 「憲法上の緊急事態」とは、「連邦もしくは州(Land)の存立」又は「自由で民主的 な基本秩序」に対する差し迫った危険がある場合をいう。前者は、たとえば、多数 の国民の生命に関わる原発テロ、州の分離の動きのように、国民・領土・国家権力 に重大な影響が及ぶ場合、後者は、憲法秩序の基本的原理に差し迫った危険がある 場合である(闘う民主制) 。 これらの事態の有無は、連邦政府又は州政府が判断し、確定される。議会の手続 は求められない。 効果として、統治機構につき、他の州の警察力や他の行政官庁、連邦国境警備隊 および軍隊の力および施設を要請できる。人権につき、通信の秘密(10 条)と移転 の自由(11 条)の制限が明文で認められている(これに限る趣旨ではない)。 (3)外的緊急事態 ア 事態の緊張度に応じて、①「防衛事態」、②「緊迫事態」、③「同意事態」、④ 「同盟事態」を定める。 ①は、連邦の領域が武力によって攻撃される場合又はそのような攻撃が直前に 差し迫っている場合である(115a 条)。 ②は定義されていないが、学説は、防衛事態に発展する可能性が高く、防衛の ための準備体制の即時整備を必要とさせるような外交上の危機状況と解している。 ③は、②との緊張度の違いについては明らかでないが、 「緊迫事態を確定し、防 衛体制の準備に関連する法令全体の適用を開始すると、かえって対外的な緊張を 高めるおそれがあるので、防衛関連法令の適用を個別に認めるという方法をとっ た方が適当な場合もあるとの判断に基づいて設けられた規定である」。(注1) ④「同盟事態」は、上記事態に該当しない場合であっても、同盟関係にある国 を支援するために、同盟条約の範囲内における国際機関の決定に基づき、防衛体 制の準備に関連する個々の法令を適用する場合である。 イ これらの事態の有無を確定する手続は、各々の緊張度に応じて異なる。 ①は、連邦政府の発議に基づき、連邦参議院の同意を得た上で、連邦議会の 3 分 の 2 の多数(115a 条 1 項) 、 ②は、連邦政府又は連邦議会の発議に基づき、連邦議会の 3 分の 2 の多数(80a 条)、 ③は、一部の例外の他は連邦議会の過半数で(80a 条 1 項) 、各々判断される。 ④は、国際機関が連邦政府の同意を得て同盟条約の枠内で決定する(80a 条 3 -103- 第4章 国家緊急権条項について 項)。連邦議会の同意は不要である。 ウ 効果として、①は、統治機構につき、州の立法権限事項(例えば、警察)につ き、連邦が立法権を競合行使できるほか(115c 条 1 項)、連邦の立法手続を簡略化 した緊急立法が認められる(115d 条)。また、適時の議会招集や議決不能に備えて 合同委員会(ミニ議会)を立ち上げることができる(115e 条)。さらに、議員と大 統領の任期延長、首相改選手続き、連邦議会の解散禁止が定められている(115h 条) 。これに対して「災害事態」には、そのような定めはない。防衛事態ほど国家 が意思決定を迫られる事態ではないからだろう。人権につき、職業選択の自由へ の制約として、兵役又は代替役務の義務を負わない者に、非軍事役務への従事義 務(12a 条 3 項)を、また民間衛生施設・治療施設・野戦病院に労働力が足りない ときに女子に役務への従事義務(12a 条 4 項)を、それぞれ課する。人身の自由に ついて、通常は翌日までしか認められていない自由剥奪の期間を連邦法律によっ て最大 4 日まで延長できる(115c 条 2 項 2 号)、など。 ②の効果は、統治機構につき、防衛関連法令が全般に渡って適用される。人権 については、職業選択の自由について防衛事態と同じ定めがある(12a 条 5 項、6 項) 。 ③の効果は、同意があった防衛関連法令が個別に適用される。人権については ②と同じ。 ④の効果は、統治機構につき、軍に、民間物件を保護し、交通規制を行う権限 が与えられる(87a 条 3 項)。人権については②と同じ。 (4)司法審査等 ドイツでは緊急時においても連邦議会や裁判所は活動しており、基本的にその機 能を停止することはない。たとえ緊急事態であっても、常に行政権が議会と裁判所 の統制の下に置かれているのである。防衛事態であっても連邦憲法裁判所の機能に 原則として変更はない(115g 条)。連邦政府の措置のみならず連邦議会(合同委員会 も含む)の立法に対しての抽象的違憲審査も通常どおり可能なのである。 2 フランス (1)概要 早くから緊急事態法制が整備され、1958 年制定の第五共和国憲法では、大統領の 非常緊急措置権(16 条) 、戒厳令(36 条。「合囲状態」も同義)を定めた。いずれも、 災害対応ではなく戦時対応の制度である。さらに法律上の緊急権として、1955 年 4 月 3 日の非常事態に関する法律(緊急状態法)が置かれている。 (2)大統領の非常緊急措置権(フランス 1958 年憲法 16 条) ① 共和国の制度、国家の独立、その領土の一体性あるいは国際協約の履行が重大か つ直接に脅かされ、かつ、憲法上の公権力の適正な運営が中断されるときは、共 和国大統領は、首相、両院議長ならびに憲法院に公式に諮問したのち、これらの 事態によって必要とされる措置をとる。 ② 共和国大統領は、これらの措置を教書によって国民に通告する。 ③ これらの措置は、最も短い期間内に、憲法上の公権力に対してその任務を遂行す -104- 第4章 国家緊急権条項について る手段を確保させる意思に則ってとられなければならない。憲法院は、この問題 について諮問される。 ④ 国会は当然に開会する。 ⑤ 国民議会は、非常事態権限の行使の間は、解散されない。 非常緊急措置権が行使されると、事態への対処につき大統領に全権が委任され る一方、国会が当然招集され(16 条 4 項)、権限行使期間中は解散されない(同 5 項)。ただ、非常緊急措置権は排他的・独占的な権限であって、必要性の原則、比 例性の原則による制約を受けるほか、他の国家機関の介入を許さない。すなわち、 議会は、16 条に基づく大統領の決定を廃止することはできないし、典型的な統治 行為として、コンセイユ・デタの裁判権に服さない。 ただ、この権限は、核戦争など現代型の戦争やそれに匹敵する事件への対処を 想定し、実体要件として、「共和国の諸制度、国家の独立、領土の一体性又は国際 協約の実行が重大かつ直接的な方法で脅威にさらされ」 (16 条)、かつ、「憲法上の 公権力の適正な運営が妨害される」 (同)ときにはじめて発動できる。そのため、 極めて使いづらく、ド・ゴール大統領によって一度使用されたに止まる。とはい え、「その状況により必要とされる措置」という曖昧な文言に該当するかどうかの 判断が大統領に委ねられるため、濫用のおそれがある。実際、ド・ゴール大統領 は、4 人の将軍によるアルジェリアにおける反乱(1961 年)において、反乱自体は 1 週間もたたずに鎮圧されていたにもかかわらず、根本的解決を名目として、さら に 5 か月、緊急権を適用して表現の自由を侵害し続けた。憲法に緊急事態条項を定 めて授権規範を持つことは、よほどそれを厳格に定めない限り、濫用されるおそ れがあることを示す典型例である。 (3)戒厳令(合囲状態法)36 条 戒厳令は、閣議において発令される。 12 日を超える戒厳令の延長は、国会によらなければ許諾されない。 戒厳令は、大臣会議(≒閣議)によって、「外国との戦争、または武装反乱にもと づく、急迫した危険の場合」に宣言できる(1878 年 4 月 3 日の合囲状態法 1 条)。宣 言されれば、①警察権力は一般行政当局から軍当局に移されるほか、②警察権と軍 法会議の権限が拡大される。暴動、反乱等によって引き起こされる局地的な緊急状 態に対処するための緊急権であって、現代の危機には対応できない不十分な制度で あり、現行憲法下で発動されたことはなく、また今後も発動の可能性は少ないとさ れる。 (4)緊急状態法 大臣会議によって「本土、又は海外諸県の全部若しくは一部において、公の秩序 に対する重大な脅威を生ぜしめる急迫した危険がある場合、その種類及び重大性に よって、公の災害の性格を現出する事件の場合」に宣告できる(緊急状態法第 1 条)。 このデクレ(宣告)には、緊急状態が実施される範囲である地域がどこかも示され (2 条 1 項、2 項)、そこで公権力の行使を妨害しようとするすべての者に対して、県 の全部又は一部に滞在することを禁止したり(滞在の禁止。5 条 3 項)、指定地域に 居住する者に居所を指定できる(居所の指定。6 条)等の効果が発生する。滞在の禁 -105- 第4章 国家緊急権条項について 止や居所の指定について処分の対象になった者は、この処分の取り消しを諮問委員 会に提出して請求できること、権限踰越の訴えを管轄行政裁判所に対してなすこと、 さらに、コンセイユ・デタに控訴を行うことができる(7 条) 。 このように司法的救済の道も確保されており、国家緊急権というよりは、治安強 化を目的としているものとみられる。ちなみに、2015 年 11 月にパリで起きた同時テ ロにおいてとられた措置は、これに拠るものであり、憲法上の緊急事態条項とは 「全く関係のないもの」である。 3 イギリス イギリスには、もともと成文の憲法典がない。古くからコモン・ローとして、マー シャル・ローの法理が認められてきた。これは、用語本来の意義では、通常の法規を停 止し国土の全部又は一部を軍事法廷によって一時的に管理するものであった。一般に は、政府は、緊急事態に対処するに必要な範囲内で、平常時には違憲な措置であっても 暫定的に講じること(違法の権力行使)ができるとするルールである。 政府は事後に裁判所に対して、その措置の合法性を立証しなければならないが、実際 には、議会が免責法を制定して違法行為を合法化し、公共のためになされた責任を免除 する慣行となっていた。非常事態に対応する議会制定法も定められている。 1920 年国家緊急権法(1964 年改正)、民間防衛法(1948 年)、それを引き継ぐ新法と して、戦争、テロ攻撃から自然災害、伝染病に至るまでの多様な緊急事態に対応する包 括的枠組みを定めた「民間緊急事態法」(2004 年)がある。 これらの制定法に想定外の事態が生じた場合には、依然としてマーシャル・ローによ り政府が必要な措置を講じることができる。1920 年の国家緊急権法によれば、食糧、 水、燃料などの生活必需品を剥奪する事態が生じた場合に、国王は緊急事態の布告を宣 言できる。布告後直ちにその理由が議会に通知され、布告が指定した日に議会は集会 し、その後、開会し続ける(1 条 2 項)。布告が有効な間、国王は、枢密院例により、 社会の生活必需品を確保するための緊急事態規則を定めることができる。緊急権の背後 にあるのはマーシャル・ローであり、それは戦時の緊急対応がその本質である。 4 アメリカ (1)概要 合衆国憲法には、戦時を含む国家緊急事態に際して行政権に一時的な権力集中を 認める明文の緊急権規定をもたない。非常時に憲法が一時的にせよ停止されるとい う考えは認められていない。戦争などの緊急事態においても、連邦議会と大統領と の権限を分割してこれに対応することなどを定めている。すなわち、連邦議会に戦 争の宣言、軍隊の徴募・維持等の諸権限を与える一方で(1 条 8 節 11~16 項)、大統 領を合衆国の陸海軍及び各州の民兵の総指揮官であると定める(2 条 2 節 1 項)。こ の大統領の軍隊指揮権に基づいて大統領には「急な攻撃に抵抗する」裁量権が認め られ、議会の宣戦布告宣言なしに大統領が海外に軍隊を派遣することが行われてい る(200 回ともいわれる海外派兵のうち議会が憲法規定に従って宣戦布告を行ったの は 5 回のみ。しかもそのうち 4 回は事後追認である)。 -106- 第4章 国家緊急権条項について また、マーシャル・ローに基づき、大統領が、公共の安全を保障するため、法律 で明示的に禁止されていないあらゆる措置を講じ、議会は、それに追認又は白紙委 任するにとどまった。その結果、ベトナム戦争の戦況悪化と長期化、ペンタゴン秘 密文書漏えい事件、ウォーターゲート事件等を背景に大統領の信用が失墜し、大統 領の広範な権限を法的に抑制する動きが広がり、「戦争権限法」と「国家緊急事態 法」が成立した。 (2)立法による規制 「戦争権限法」によれば、大統領は、敵対行為又は敵対行為への巻添えが差し 迫っていると明白に認められる事態に対して合衆国軍隊を投入することができるが、 それは、次の場合に限られる(同 2 条 c 項)。①戦争宣言、②制定法による明示的な 授権、③合衆国又は合衆国軍隊に対する攻撃により生じた国家緊急事態が存在する 場合である。 「国家緊急事態法」は、国家緊急事態宣言を行う際に、議会の関与と役割を明確 にし、大統領の権限行使に対し議会の統制を及ぼす手続法である。大統領は、特別 の権限の行使を大統領に授権する連邦議会の法律に従って、国家緊急事態を宣言す る権限をもつ。この宣言は、直ちに連邦議会に送付され、かつ、連邦官報に公示さ れる。緊急事態宣言は、連邦議会が「同意決議」によって終了させ、又は大統領が 終了の布告を発した場合に終了し、その後、大統領は、授権された権限を一切行使 することはできなくなる(同 202 条 a 項)。 戦争や緊急事態以外の大規模災害(原因を問わない火事や爆発等)への対応は、 1988 年ロバート・T・スタフォード法に規定されている。災害対応に責任を負うの は州や地方政府であるが、被災州知事から要請に基づいて、連邦政府が支援を適切 と判断すれば、大統領宣言を発し、連邦政府が支援を行うことができる。支援内容 は予め同法に規定されている。 (3)まとめ 以上をまとめると、合衆国憲法には緊急権規定がなく、戦時の緊急対応ルールで あるマーシャル・ローを大統領が行使してきた。ただ大統領権限が濫用的に行使され たために議会法が規制するようになった。災害対応も議会法で定める。 なお、緊急事態において大統領の裁量によりとられた措置であっても、またマー シャル・ローによる措置であっても裁判所の審査を免れることはできない。ちなみ に、憲法改正の動きはない。 5 諸外国の国家緊急権に共通するもの このように、憲法上の国家緊急権は、戦争事態を想定して設けられてきており、戦争 と緊急権条項は一体のものなのである。 第 5 大日本帝国憲法の国家緊急権 1 4 つの緊急権 大日本帝国憲法の緊急権には、狭義の緊急権と立法的緊急措置権の 2 類型がある。前 -107- 第4章 国家緊急権条項について 者は、戦争・内乱などの非常事態に対処し、武力組織のドラスティックな発動を前提と する戒厳及び非常大権の規定。後者は、その段階以前の非正常な状態において、立法・ 財政上の例外措置をとりうるとする規定である。 (1)緊急勅令は、国に緊急事態が発生し、しかも議会が開かれていないときに、既にあ る法律に代わるものとして(多数説)発せられる、天皇が定めるものである。 具体例として、「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和 20 年勅 令第 542 号、9 月 20 日公布)、金融緊急措置令(昭和 20 年勅令第 83 号、2 月 17 日公 布)、日本銀行券預入令(同年勅令第 84 号、2 月 17 日公布)など。戦後処理を進め る手段として発せられたものが多い。ちなみに、女子挺身隊勤労令は独立命令(明 治憲法 9 条)によるものである。 (2)緊急財政処分は、緊急事態に必要な財政支出を、議会の協賛なしに行うことであ る。国内外の事情などで議会を招集できないときだけ行うことができ、緊急勅令と 違って、「議会閉会中」というだけでは行うことができない(臨時会を開けばよいだ けだから) 。 具体例として、1927 年の金融恐慌で危機に瀕した台湾銀行を緊急財政処分で救済 しようとした例がある。ただし、若槻内閣は枢密院の了承が得られずに総辞職した。 (3)戒厳の要件・効果は法律で定めることとされていたが(明治憲法 14 条 2 項)、実際 には 1882 年に制定された「戒厳令」がそれにあてられた。 戒厳令 1 条によれば、「戦時若しくは事変に際し兵備を以て全国若しくは一地方を 警戒する」とされる。具体例として、日清戦争時(1894~5 年、広島市・宇品に)お よび日露戦争時(1904~5 年、長崎・佐世保・津島・函館・台湾等に)の宣告例があ る。 一般に、戒厳の具体例と紹介されることが多い日比谷焼き討ち事件の際(1905 年、東京市と周辺諸郡)、関東大震災の際(1923 年、東京府・神奈川県・埼玉県・千 葉県) 、2・26 事件の際(1936 年)における各戒厳は、戦時でも事変でもないので、 本来の戒厳(軍事戒厳)ではない。それは、「天災その他普通の警察力をもってして は処置しえない事件の発生した場合に、緊急勅令によって戒厳令中の一部施行を規 定する方法」である(行政戒厳) 。要は、緊急勅令による騒乱鎮圧を目的とした行政 措置である。 ① 関東大震災時に例をとれば、9 月 2 日から東京地域に宣告された戒厳は、相次い で二回にわたり拡大され、11 月 15 日の解止に至るまで続いたが、この間に朝鮮人 の大量虐殺を始め、亀戸事件や甘粕大尉事件(大杉栄一家の惨殺)など、常識を 逸脱した殺傷事件が数多く生じた。軍隊による検問・検察の実施、兵器使用の許 可、自警団等への指示権の賦与などを通じて、支配層の目からみた「不良分子」 の「掃蕩」を任せた結果、朝鮮人や社会主義者に対する不法きわまる流血の弾圧 が行われたのである。「戒厳の本質」がこれらの事件によく示された。 ② もう一つの重大な事例は 2・26 事件の際、その勃発時から 7 月 18 日に及ぶ長い 戒厳期に見られる。2 月 29 日に反乱軍が鎮圧されたあと、なお 4 か月半もの長き にわたる戒厳の宣告がなされたのは、反乱将校らの軍事裁判と処刑を行うのみな らず、軍部(陸軍)がこの間を利して「高度国防国家」建設を意図したためであ -108- 第4章 国家緊急権条項について る。 軍部のそうした目的は、天皇機関説に関してかねて主張していた「国体明徴の 徹底」を掲げ、かつ国防の急速な充実を強く主張した点に現れているが、これら の軍の要求はその後の過程で強引に実現されていったのである。 (4)非常大権は、戦時やそれに準じる国家事変の時に、軍事に必要な限度で、法律によ らずに、軍隊が直接に臣民の自由を拘束できる天皇大権である。発動した例はない。 国家総動員法(1938 年)の制定、さらに次々と統制立法が制定され、大政翼賛会 が発足していく中で、非常大権を発動するまでもなく高度国防国家が実現していっ た。 2 大日本帝国憲法下における国家緊急権の本質 明治憲法の国家緊急権も、基本的には戦争事態を想定して定められており、ここにも 戦争と緊急権条項との一体性をみることができる。 「明治国家は自らの緊急権体制の強化を通じて、周辺に危機を作り出し、あるいは危 機を増大させ、破局にいたるまで突っ走ったという点で、緊急用の手段の準備じたいが 墓穴を掘る役割を果たしたともいえよう。右のような制度のパラドクスは、明治体制に 限らず、既に見てきたように、どこにでも生じうる問題である。…後代の日本はここか ら、貴重な教訓を学ばなければならない。それは最小限、次のような認識と知恵を与え るであろう。第一に、どれほど強力かつ完璧な緊急権の制度も、それを上回る危機に対 しては役立たないという認識。第二には、緊急権制度は、立憲民主制にとって本質的に 危険なものだという認識、したがって国民的抑制が利かないような広汎な授権は、避け なければならないという政策上の理性。第三には、危機を自ら招来するような愚行を チェックし、緊急事態を未然に防止するシステムを用意しておく知恵。…これらを踏ま えて、立憲民主制にふさわしい有効な対応策を考案することが、明治国家の残した教訓 に従うゆえんであろう。明治国家の苦い体験は、このようにしてわれわれに多くの示唆 ) を与えている」 (小林直樹「国家緊急権」 第6 日本国憲法の立場―立憲主義と徹底した恒久平和主義 日本国憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力 を制限し(制限規範)、人権保障などをはかるという立憲主義の理念を基盤としている。 この立憲主義は権力分立と人権保障を本質とする。他方、国家緊急権の本質は、権力の集 中と人権保障の停止にある。これは一時的であるにせよ、近代立憲主義の本質を否定する ことに他ならない。 日本国憲法はあえて国家緊急権条項を規定しなかった。この緊急権に関する憲法の沈黙 には積極的な意味がある。それは、明治憲法の緊急権が君権絶対のイデオロギーと不可分 であったという歴史的事情を反省し、国家権力を立憲主義的憲法体制の枠内に閉じこめよ うとする表れというべきである。実際に、1946 年の帝国憲法改正委員会において、金森 国務大臣(当時)は、国家緊急権の規定を設けなかった理由として、①民主政治を徹底さ せて国民の権利を充分擁護するためには、非常事態に政府の一存で行う措置は極力防止し -109- 第4章 国家緊急権条項について なければならないこと、②非常という言葉を口実に政府の自由判断を大幅に残しておくと どの様な精緻な憲法でも破壊される可能性があること、③特殊の必要があれば臨時国会を 召集し、衆議院が解散中であれば参議院の緊急集会を召集して対処できること、④特殊な 事態には平常時から法令等の制定によって濫用されない形式で完備しておくことが出来る こと、と答弁している(1946 年 7 月 15 日第 13 回帝国憲法改正案委員会議録・金森国務 大臣答弁) 。 また、日本国憲法は前文、9 条などにより、戦力を持たず、戦争、武力による威嚇、武 力の行使を放棄し、戦力を保持せず、国の交戦権を認めないという、徹底した恒久平和主 義を基本原理としている。こうした恒久平和主義の基本原理からは、戦争事態を想定した 緊急権を排除したものと考えるべきである。前述したように明治憲法の緊急事態条項が濫 用され、人間の尊厳をないがしろにしてきた歴史、及び政府の行為によって行われた戦争 の下での惨禍は無視できない。日本国憲法が緊急事態条項をもたなかったのは、日本のみ ならず各国における緊急権条項が濫用された苦い経験を踏まえ、あえて規定を置かなかっ たとみるべきである。あくまでも憲法の本質は国家権力を制限する制限規範にあるので あって、国家に立憲主義を停止する権限を与えてしまう緊急権条項は、授権規範として濫 用される危険が極めて大きいのであえて規定しなかったのである。 第7 国家緊急権の本質的な問題―憲法内での立憲主義の破 壊、基本的人権抑圧の許容、我が国の場合は恒久平和主 義の破壊 国家緊急権、すなわち公権力に国民の自由・権利を一時的にも制限する権限を与える授 権規範は、いかに厳格化しても濫用されることは歴史的に明らかである。ドイツのワイ マール憲法 48 条の大統領非常権限はその典型例である。14 年間に 250 回以上も緊急勅令 が発せられ、例外規定の常態化を招いてしまった。ナチスが言論の自由を蹂躙し、悪名高 き授権法を成立させるためにもこの緊急権としての大統領令が使用された。 フランス第 5 共和制憲法 16 条の緊急権もド・ゴール大統領により濫用された。4 人の 将軍によるアルジェリアにおける反乱(1961 年)において反乱自体は 1 週間もたたずに 鎮圧されていたにもかかわらず、ド・ゴール大統領は根本的解決を名目としてさらに 5ヶ 月、緊急権を適用して表現の自由を侵害した。他にも 1989 年 6 月の天安門事件、2001 年 7 月のインドネシアの文民非常事態宣言などで濫用されてきた。 このように国家緊急権は、一度発動されると、「国家存続のため」「公共の安全のため」 という名目の下で、人権は無視される。とりわけ、政権担当者にとって好ましくない者た ちの人身の自由は無視され、表現の自由は政権担当者にとって都合のいいように扱われて きた。大日本帝国憲法下での濫用例も前述のとおりである。 すなわち、国家緊急権は歴史的事実として、政権担当者が自らの地位を強固にするため に行使され、かつ政権担当者にとって目障りと思われる人々を排除するために行使されて きたのである。 こうした歴史的事実からも、憲法そのものが緊急事態において公権力が人権制約を認め -110- 第4章 国家緊急権条項について る規定を設けてしまえば(授権規範)、緊急事態=人権制約可能事態=立憲主義の例外、 という構図が出来上がってしまうので、公権力を制約する手段が、事後的にも困難になっ てしまう。立憲主義の下での厳格な審査基準は放棄され、人権制約の合憲性、合法性は、 「緊急事態」であったかどうか、「法律、政令の規定」に合致しているか、の二点だけクリ アーすればよいことになってしまう。この事態は、立憲主義の崩壊そのものである。もと より、立憲主義の根幹は基本的人権の確実な保障のために国家権力を制限するというとこ ろにある(制限規範)。憲法自身が立憲主義の例外である国家緊急権の規定を設けてしま 「緊急事態」とされた場合には、何らの制約も受けない公権力の行使によって基本 えば、 的人権は損なわれてしまい、事後的な司法手続によってもその回復は不可能である。 また、厳格な適用基準、手続を前提とし、かつ司法統制に服するような国家緊急権制度 を設ければよいのではないか、との疑問に対しては、①緊急権を合法に行使できるように 欲する支配者が厳しい制約につねに忠実に服しているという期待可能性はきわめて少ない (小林直樹 228 頁)という批判と、②付随的司法審査制をとり(ドイツは憲法裁判所を設 けている)、同時に統治行為論を前提とするわが裁判所に十分な司法統制を期待できるの か、という批判が当てはまるであろう。そもそも、そのような厳しい制約の下ではじめて 行使でき、かつ司法統制を免れない国家緊急権というものは、法律での緊急時への対処と 何が異なるのか。 それでも緊急事態は起こりうるのであるから、憲法の明文で法制化しておくことは立憲 主義をむしろ守ることになるのではないか、という疑問に対しては、そもそも立憲主義 は、基本的人権を保障するために(目的)、国家権力を制約するもの(手段)であるのに、 論者は緊急事態が起こると人権制約の必要性が当然に生ずる、ということを当然の前提と していて、立憲主義の目的を忘れている。つまり、形式的法治主義に陥っているとの批判 が当てはまるであろう。 さらに、いわゆる「有事」を想定した憲法上の国家緊急権は日本国憲法前文、9 条に規 定されている徹底した恒久平和主義を破壊することにもなる。すなわち、「有事」を含め て国家緊急権を設けると、「有事」において「9 条」が停止され、国家緊急権に基づく措 置がされることになり、我が国の憲法の根幹であり大原則である恒久平和主義が空洞化さ れてしまう。これは 9 条改憲を国家緊急権という形で先行して行うことに等しい。 第8 1 日本国憲法に国家緊急権を規定することは必要か 「有事」へ対処するという面からの検討 、自民党改正草案がいうところの「我が国に対する外部からの武力 いわゆる「有事」 攻撃」への対処を考えるにあたっては、日本国憲法が 9 条 2 項で戦力の不保持と交戦権 の否定を規定するように徹底した恒久平和主義を基本原理としていることを忘れてはな らない。 その上で、「有事」に対する法律である、自衛隊法、いわゆる事態対処法、国民保護 法等を見ると、自衛隊法では想定し得る限りの広範囲な行動、権限が規定されており (76 条以下)、事態対処法、国民保護法等でも内閣総理大臣を対策本部長とした体制に より対処し、地方自治体の責務や国民の協力等も規定されている。そして安保法制によ -111- 第4章 国家緊急権条項について り設けられた集団的自衛権の行使、多国籍軍等への後方支援、広範囲な武力行使・武器 使用によって「有事」に対処することは許されないものであるが、それはともかくとし て極めて限定された個別的自衛権(いわゆる専守防衛)の行使が問題となる場合であっ ても、まずそうした自衛権すら行使する事態を引き起こさないように外交努力を尽くす べきであるし、近隣諸国との間に日頃から信頼醸成を図ることが政府に求められてい る。 そのうえで、こうした自衛隊法、事態対処法、国民保護法等でも対処できない場面が 、さらに言うと ありうるか検討してみると、もはや軍事的な「戒厳」行政的な「戒厳」 日本を破滅に追い込んだ「国家総動員法」の態勢ぐらいしか考えられない。 結局のところ、現行法制にも問題点は多々あるが、それをすら超えてしまう「有事」 対応の国家緊急権とは総力戦を含む全面的な戦争体制を想定するものと言わざるを得 ず、そのような事態を想定した国家緊急権条項は徹底した恒久平和主義を基本原理とす る日本国憲法の下では許されない。 2 テロ等「内乱等による社会秩序の混乱」へ対処するという面からの検討 大規模なテロも含めて、刑法の殺人罪、騒乱罪をはじめとした各種犯罪規定、さらに は警察法に基づき緊急事態の布告を発し(警察法 71 条)、「一時的に警察を統制」する 権限(警察法 72 条)が内閣総理大臣に認められる。国内の内乱・騒乱のために自衛隊 法には治安出動(78 条、81 条)等の規定もある。実際に 13 人の死亡被害者と数千人の 傷害被害者を出した地下鉄サリン事件においても、破防法の適用すらせずにオウム真理 教を崩壊に追い込むことができたのである。 テロリストを入国させないための事前対応としても出入国管理・難民認定法に規定が ある。入国する 16 歳以上の外国人に対し指紋や顔画像の提供を義務付け(6 条、提供 された情報はデータベース化され犯罪捜査にも利用可)、船舶等に乗ろうとする外国人 の旅券、乗員手帳、再入国許可書の確認を運送業者等に義務付け(56 条の 2)、船舶等 が入国する際にはその長は入国審査官に乗員・乗客の氏名等の情報を報告しなければな らない(57 条 1 項)。テロリストとして認定された者に対し法務大臣は外務大臣、警察 庁長官、公安調査庁長官、海上保安庁長官らと意見交換をしながら退去強制を行うこと ができる(24 条、24 条の 2)。 こうしたテロに対処する各法制度以上に必要な国家緊急権とはどういうものになるの か。憲法 31 条以下の適正手続を無視した令状なしの身体拘束・住居所持品等への捜索 差押・広範囲な盗聴、令状を通した拷問。あるいは、「戒厳」と同様の一定地域への立 ち入り禁止令、夜間外出禁止令、一定地域内からの出入り禁止令、などであろう。いか にも恐ろしい警察国家である。 3 「地震等による大規模な自然災害」へ対処するという面からの検討 幾多の苦い経験を踏まえ、日本では、災害対策は、法律において平常時から以下のよ うに厳重な要件で整備されている。 (1)権限集中に関する法制 ① 災害が異常・激甚などで災害非常事態等の布告、宣言が行われた場合である。 -112- 第4章 ア 国家緊急権条項について 内閣の立法権 内閣は、国会閉会中、衆議院解散中、臨時会の招集及び参議院緊急集会の請 求を求めるいとまが無い場合緊急政令を制定できる。対象は❞生活必需物資の 配給、譲渡、引渡しの制限禁止、❟災害応急対策、災害復旧、国民生活安定に 必要な物の価格、役務その他の給付の対価の最高額の決定、❠金銭債務の支払 いの延期、権利保存期間の延長、❡被災者の支援にかかる外国からの救助の受 け入れ(災害対策基本法 109 条の 2)の 4 点であり、政令には刑罰を付せる。そ して、直ちに国会の臨時会を召集し、又は参議院緊急集会を求め、国会の承認 が無ければ政令は効力を失う(同法 109 条の 2、1 項、2 項、4 項、5 項)。 イ 内閣総理大臣への権限集中 内閣総理大臣は、❞国民に対し物資をみだりに購入しないことの協力要求 (災害対策基本法 108 条の 3)。❟必要があるときは、必要の限度において、関係 指定行政機関の長、関係指定地方行政機関の長、地方公共団体の長その他の執 行機関、関係指定公共機関並びに関係指定地方公共機関に必要な指示をするこ とができる(大規模地震対策特別措置法 13 条 1 項)。❠必要があるときは、防衛 大臣に対し、自衛隊法 8 条に規定する部隊等の派遣を要請することができる (同法 13 条 2 項)。❡警察庁長官を直接指揮監督し、一時的に警察を統制する (警察法 72 条)。❢市町村長、都道府県知事に対し、必要と認める地域の居住者 等に対し、避難の為の立ち退き又は屋内退避のための勧告・指示をすることが できる(原子力災害対策特別措置法 15 条、16 条)。 ② 非常事態の布告等が無い場合 防衛大臣は、災害に際して都道府県知事の部隊等の派遣要請があった場合、や むを得ない場合は、部隊を派遣することができる。但し要請を待ついとまが無い 場合は、要請を待たないで部隊を派遣できる(自衛隊法 83 条 1 項、2 項)。 (2)人権制限に関する法制度 ① 都道府県知事の強制権 都道府県知事は、❞医療、土木建築工事又は輸送関係者を救助に関する業務に 。これには罰則がある(同法 31 従事させることができる(災害救助法 7 条 1 項) 条)。❟救助を要する者その近隣の者を救助に関する業務に協力させることができ る(同法 8 条)。❠病院、診療所、旅館等を管理し、土地家屋物資を使用し、物資 の生産、集荷、販売、配給、保管若しくは輸送を業とする者に物資の保管を命じ、 収用できる(同法 9 条 1 項)。これには罰則がある(同法 31 条)。❡職員に施設、 土地、家屋、物資の所在場所、保管場所に立ち入り検査させることができる(同 法 10 条 1 項)。これには罰則がある(同法 33 条 1 項) ② 市町村長の強制権 市町村長は、❞設備物件の占有者、所有者又は管理者に対して当該設備又は物 件の除去、保安その他必要な措置を取ることを指示できる(災害対策基本法 59 条 1 項)、❟居住者等に対し避難のための立ち退きを勧告し、立ち退きを指示するこ とができる(同法 60 条 1 項)。❠居住者等に対し、屋内待避その他屋内における避 難のための安全確保措置を指示できる(同法 60 条 3 項)。❡警戒区域を設定し、立 -113- 第4章 国家緊急権条項について ち入りを制限、禁止、退去を命ずることができる(同法 63 条 1 項)、❢他人の土 地・建物その他の工作物を一時使用し、土石竹木その他の物件を一時使用し、若 しくは収用できる(同法 64 条 1 項)。❣現場の災害を受けた工作物又は物件の除去 その他必要な措置を執ることができる(同法 64 条 2 項)。❤住民又は現場にある者 を応急措置の業務に従事させることができる(同法 65 条 1 項)。 以上のとおり、日本の災害対策の法制は、非常事態の宣言や布告等を行い、国 会の統制のもとに、一定範囲で内閣に立法権を認め、また、内閣総理大臣に権限 を集中するとともに、国民の財産権の制限や労働の義務等を課して一定の範囲で 人権を制限している。世界のほとんどの国の憲法に国家緊急権が制定されている のに、日本だけ制定されていないという意見があるが、日本では実質的には災害 時の国家緊急権に相当する制度は法律で制定されている。災害対策を理由に憲法 に緊急権条項を設けることは必要ない。 4 緊急事態における国会の活動の問題 被災地の状況等、緊急事態によっては特定の選挙区において選挙を施行できなくなる こともあり得る。そして、事態への対応が長期化すると、当該選挙区の議員の任期が切 れてしまい、国会が機能不全に陥るのではないか、という問題について検討する。 (1)衆議院が解散総選挙中に、緊急事態が起きた場合 ① 緊急事態によって、選挙を施行することができなくなれば、時の経過により衆議 院議員は存在しなくなる。しかし、参議院議員は全員存在するから、憲法 54 条 2 項但書きの明文どおり、内閣は参議院の緊急集会を求めて対処すべき場合である。 選挙ができなくなったわけではないが、緊急事態への対応が原因で、解散後 40 ② 日以内の選挙や、選挙後 30 日以内の国会召集という、54 条 1 項が定める期間を守 ることができなくなった場合はどうか。この点は、このような緊急事態における 期間の取扱いについて法律で整備すればよい。54 条 1 項の趣旨は、解散後、相当 な期間内に選挙を行い、国会を召集することを求めたものであり、それが平時な ら 40 日・30 日が「相当」だとする趣旨である。平時でない緊急事態にまで、40 日・30 日を「相当」だとするものではない。解散できる場合でさえ、69 条に限定 しない解釈をとっているのだから、期間の定めを緊急事態においてまで貫くよう な厳密な解釈をとる必要はない。 (2)参議院議員の任期満了選挙中に、緊急事態が起きた場合 衆議院議員は全員存在し、参議院は半数改選(46 条)なので、時が経過しても残 りの半数は存在する。憲法は、両議院の定足数を 3 分の 1 とするので(56 条 1 項)、 内閣は、臨時会(53 条)の召集を決定することで対処すべき場合である。 (3)参議院の任期満了選挙に合わせて、衆議院が解散されたときに(いわゆる衆参同日 、緊急事態がおきた場合 選挙) 残っているのは、半数の参議院議員のみであるが、これで定足数を充たすので(56 条 1 項)、内閣が参議院の緊急集会を求めて対処すべき場合である。 (4)衆議院が任期満了総選挙中に、緊急事態がおきた場合 過去に任期満了による総選挙は 1976 年 12 月の 1 度だけである。このような憲法施 -114- 第4章 国家緊急権条項について 行後 69 年(2016 年 6 月現在)に 1 度しかない場合をもって国家緊急権条項の必要性 を論ずること自体が「ためにする議論」との批判を免れない。 仮に例外中の例外のこのような事態が起きた場合でも、参議院議員は全員存在す る。緊急集会は明文上、解散中の緊急措置を定めたものであるから、ここで 54 条 2 項但書きを直接適用することはできないように見える。しかし、この事案は、緊急 時に国会の判断が求められる点で解散総選挙と類似する。また予測できない緊急事 態への対処の必要性は、解散中であれ任期満了の際であれ異なるところはない。そ うだとすると、ここでは 54 条 2 項但書きを類推適用すべきである。 ただ、公職選挙法 57 条に繰り延べ投票の規定があるので、被災地の選挙区ないし 比例ブロックについては繰り延べ投票を実施し、他の選挙区、比例ブロックについ ては速やかに選挙を予定どおり実施し、衆議院の定足数を確保したうえで活動すれ ば、ほとんどの場合は緊急集会を開くまでもなく国会が対応できると考えられる。 以上のとおり、緊急時における国会議員の活動についても憲法に国家緊急権を規 定しなくとも十分対応できるのである。 第 9 自民党改憲草案の緊急事態条項について 1 自民党改憲草案の「緊急事態」 (第 9 章) 草案の第 9 章「緊急事態」には、98 条で「緊急事態の宣言」、99 条に「緊急事態の宣 言の効果」が置かれている。 「緊急事態の宣言」の 1 項では、内閣総理大臣は、「我が国に対する外部からの武力 攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」その他の法律 で定める緊急事態において、「特に必要がある認められるときは」 、法律の定めるところ により、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる、としている。その 2 項 には、この「宣言」は、法律の定めるところにより、「事前又は事後に」国会の承認を 得なければならない。また 3 項には国会の「不承認の議決があったとき」「国会が緊急 事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき」「事態の推移により当該宣言を継続する必 要がないと認めるとき」は、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速 やかに解除しなければならない。百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするとき は、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならないとし、4 項に予算と 同様の衆議院の優越の規定(五日以内に短縮)を置いている。 「緊急事態の宣言の効果」の 1 項では、法律の定めるところにより、「内閣は法律と 同一の効力を有する政令を制定することができる」ほか、「内閣総理大臣は財政上必要 な支出その他の処分」を行い、「地方自治体の長に対して必要な指示」をすることがで きる。2 項で事後の国会承認、3 項に「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言 に係る事態において国民の生命、身体、及び財産を守るために行われる措置に関して発 せられる国その他の公の機関の指示に従わなければならない」「この場合においても、 第 14 条、第 18 条、第 19 条、第 21 条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊 重されなければならないとし、4 項で法律の定めるところにより、その宣言が効力を有 する期間、「衆議院は解散されないものとし」 「両議院の議員の任期及び選挙期日の特例 -115- 第4章 国家緊急権条項について を設ける」ことができる、としている。 2 自民党改憲草案の緊急事態条項の不要性・危険性 以上のような緊急事態条項は、次のように、これを規定する必要性がないのみなら ず、立憲主義、人権保障の観点から極めて危険であり、とうてい認められるべきもので はない。 (1)必要性がないこと 自民党改憲草案の国家緊急権条項が想定する事態のすべてにおいて必要性がない ことは既に述べたとおりである。 (2)問題点、とりわけ危険性について ① 総理大臣に対する包括的委任であり、適用条件が不明確に過ぎ、濫用防止の手立 てがされていない ア 国家緊急権なのか平時の統治機構による危急時対応なのか否かを含め、内閣総 理大臣の緊急事態の宣言基準が曖昧に過ぎ、濫用を防げない 国家緊急権は「平時の統治機構をもっては対処できない」場合に行われ得る ものであるが、内閣総理大臣の宣言の発令基準については、「わが国に対する外 部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自 然災害」「その他法律で定める」ということ、及び「特に必要と定めるとき」、 という基準しか定めていない。 これでは内閣総理大臣に無条件の専断的な決定権を与えたようなものであり、 人権を制限することが予想される「宣言」下の事態について国会、司法の統制 が働きにくい。98 条、99 条では「宣言」そのものについては事前または事後の 国会承認、「政令」「その他の処分」については事後の国会承認が規定されてい るが、秘密保護法で国会議員に対する情報提供が制限されているので、国会の 民主的統制には限界がある。 さらに、司法統制についてはドイツ基本法と異なり、憲法上の配慮がなく、 しかも付随的審査制なので、これも制約がある。 「有事」「テロ対策」「災害」に対処するために様々 また、既に述べたように、 な法制度が存在しているが、これらの法制度が予定する場合にまで宣言がなさ れることもあり、両制度の衝突により大変な混乱を生じかねない。 このような内閣総理大臣の専断的な判断による緊急事態宣言を認めた改憲草 案は、国家緊急権を立憲主義の例外として認めようとするものであるから、立 憲主義に反するものと言わなければならない。 イ 国会中心主義、財政民主主義、地方自治を損なう 草案は、政令による既存の法律(刑事訴訟法等)を改変できるような立法権 を行使して人権を制限できるうえ、内閣総理大臣が財政処分を行い、自治体の 長に指示できるとするもので、これらについて国会の事前承認を必要としてい ない。これらは、国会中心立法原則(憲法 41 条)、財政民主主義(83 条)、地方 自治体の団体自治(92 条)を停止し、行政に権力を集中するものである。 ウ 基本的人権を侵害し、その回復可能性が保障されない -116- 第4章 国家緊急権条項について 既に述べたように、「有事」「テロ対策」名目での現行法制を超えての国家緊 急権の行使は、国家総動員体制、戒厳令下での、移動の自由制限、職業選択制 限、出版・放送制限、財産権制限、令状主義の崩壊、人身の自由の制限、拷問、 盗聴等の著しい人権制限を生む危険があるが、それを事前に抑制することはも ちろんのこと、事後的に救済することも期待できない。 99 条 3 項には「何人も国その他の公の機関の指示に従わなければならない」 として国民の公的機関の指示に従う包括的な指示を規定している。すべての基 本的人権が「法律の定めるところにより」制限される事態が憲法自体によって 導き出される。フランス憲法 16 条にこのような条項はないし、ドイツ憲法の緊 急事態条項には、限定された役務従事義務を規定するだけである。99 条 3 項は、 続けて 14 条、18 条、19 条、21 条その他の基本的人権に関する規定は最大限に 尊重されなければならない、としているが、政府の努力義務にとどめるだけで 「侵害してはならない」という禁止事項規定がないことから、司法による抑制を 含め国民の基本的人権侵害を回復するための何らの保障もない。 立憲主義、人権保障の観点から極めて危険であり、とうてい認められない。 ② 制度内容の危険性 ア 措置の正当性 の担保がない 草案では、緊急事態の発動要件とその効果を法律で定められるとしており何 らの限定もなされていない(98 条 1 項)。例えば、テロ、大規模な労働争議、集 団示威運動など、適用範囲を際限なく広く緩やかにすることが可能となってい る。 イ 措置の期間 草案では緊急事態の期間に制限がない(98 条 3 項)。また、草案は 100 日を基 準に継続を予定している(98 条 3 項)。国家緊急権は例外的措置なので、参議院 の緊急集会の請求すら出来ない場合に実施すべきはずであり、100 日とは余りに 長すぎるうえ、国会の事前承認があればいくらでも更新できる。 ウ 過度な権力集中・人権制約 草案では内閣は法律と同等の効力を有する政令を制定でき、これには事後に 国会の承認を必要とするが、承認が得られない場合に効力を失う旨の規定がな い(99 条 1 項、2 項)。財政処分についても同様の規定となっている。 旧憲法でさえ緊急勅令が事後に議会の承認を得られない場合は、将来に向 かって効力を失う旨の規定があった(8 条 2 項)のに対し、政府の立法と財政処 分に対して国会の統制がまったく及ばない制度である。 また、草案では、政令で規定できる対象に限定がなく、すべての人権を制限 でき、またすべての事項について政令を制定できる。 我が国は、1979 年に、自由権規約( 「市民的及び政治的権利に関する国際規 約」)を批准しており、この規約を遵守する義務を負っている。この自由権規約 においては、緊急事態におけるその権利や自由への規制について、制限し得る 条件を示しており、これに真っ向から反するものである。これは、実質的には 国会の立法権を内閣に完全に移譲する「授権法」(全権委任法)と言うべきもの -117- 第4章 国家緊急権条項について である。そして、司法審査による統制は、通常でも司法が政府の行為に違憲の 判断をすることは抑制的であることから、憲法が改正されて国家緊急権が制定 されたときには、さらに抑制することが予想され、司法による統制は期待でき ない。 以上のとおり、草案は、旧帝国憲法よりもさらに強力な国家緊急権を付与す るという、極めて危険な案になっている。 第 10 まとめ 国家緊急権は立憲主義に反するものであり、我が国の徹底した恒久平和主義を破壊する ものでもあって、本質的に有害である。過去の幾多の経験は、結局のところ国家緊急権な るものは濫用され、危険なものであることを如実に示している。 立憲主義を守るためにこそ明文の国家緊急権を憲法に規定することが必要である、との 論については、既に見てきたように、①それは立憲主義の目的を見失ったもので、形式的 法治主義に陥っている、との批判、②緊急権を合法に行使できるように欲する支配者が厳 しい制約につねに服するという期待可能性は極めて少ない、との批判が妥当する。さらに 言えば、そもそも緊急権論の発想は、権力と実力によって危急に対処するという点で常に 力に依存しすぎる傾向にあると断じざるをえない。 世界の多くの立憲主義国は何らかの緊急権制度を持っており非常事態に備えているのが 普通であるとの論については、既に見てきたように、使われたことのある憲法上の国家緊 急権は濫用と弊害ばかりである、との批判が妥当するし、現行の法律で非常事態に備える ことは十分可能になっているのである。 【第 4 章 注1 注釈】 「Ⅰ 憲法上の国家緊急権」(国立国会図書館調査資料 2003 年刊行『主要国における緊急事態への対 処総合調査報告書』) -118- 終 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現 に向けて 第1 弁護士及び弁護士会の役割 日弁連、各弁護士会及び各弁護士会連合会がこれまで基本的人権の擁護と社会正義の実 現(弁護士法 1 条)のため果たしてきた役割は大きいものがある。 日本国憲法の立憲主義の理念や国民主権、基本的人権の尊重及び恒久平和主義という基 本原理、すなわち戦後日本の社会を支えてきた背骨(バックボーン)が大きく揺らごうと している今日、改めて私たちが弁護士法 1 条に定められる責務を果たす必要性は極めて大 きいと思われる。 そのためにも、日本国憲法の下に 1949 年制定された現行弁護士法ができる前、弁護士、 弁護士会はどのような立場にあったのか、そして現行弁護士法はどのような理念を持ち、 私たちにどのような責務を課しているのか、を考えたい。 1 現行弁護士法制定以前の弁護士と弁護士会 「日弁連五十年史」によれば、現行弁護士法制定以前の制度と権限の概要は以下のと おりである。 (1)1876(明治 9)年 2 月代言人規則 (2)1893(明治 26)年弁護士法(旧々弁護士法)制定 旧々弁護士法の特色は、①弁護士の職務範囲について、通常裁判所又は特別裁判 所において法律で定めた職務を行うとして裁判所の活動に限定したこと、②弁護士 は各地方裁判所に登録するものとし、各地方裁判所毎に弁護士名簿を備えたこと、 ③弁護士の監督を従前の検事から地方裁判所検事局の検事正にしたこと、等である。 弁護士会の会則は、検事正を経由して司法大臣の許可を受けなければならず(23 条)、司法大臣は、弁護士会の会議で法律命令又は弁護士会会則に違反するものがあ るときはその決議を無効とし、又はその議事を停止することができた(30 条) 。 (3)1933(昭和 8)年弁護士法(旧弁護士法)誕生 旧弁護士法の特色は、①弁護士の職務の範囲を拡張し、裁判所以外の一般の法律 事務まで職務範囲としたこと、②弁護士試験合格後、弁護士試補としての実務修習 および考試を経て初めて弁護士となれるものとしたこと、③弁護士会に対する監督 弁護士会は司法大臣の監督を受け(34 条)、弁護士会の会議が法令、会則に違反 ができた。 2 新(現行)弁護士法の制定 1946 年 11 月 3 日、日本国憲法が公布され、国民主権、恒久平和主義とともに、基本 的人権尊重の基本原理が憲法上明確にされたことに伴い、憲法上に弁護士に関する規定 が置かれた(34 条、37 条 3 項、77 条 1 項)。 -119- 章 し、公益を害するときは司法大臣はその決議を取り消し、その議事を停止すること 終 権を検事正から司法大臣に改めたこと、等である。 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて 1949 年 6 月 10 日新弁護士法が制定された(施行は同年 9 月 1 日)。 新弁護士法は、類例をみない自治権を日弁連と各弁護士会に認めるとともに、弁護士 法 1 条では「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」 こととされ、弁護士は弁護士会への加入が強制されることとなった。 内田博文教授も指摘するとおり( 『刑法と戦争』みすず書房 375 頁以下)、新弁護士法 は以下の特徴を持つ。 第一は、その第 1 条で、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること を使命とする」「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維 持及び法律制度の改善に努力しなければならない」と規定したことである。 弁護士が職業的階層として成立するためには共通の職業的使命感をもつことが必須の 要件であるとされた。 第二は、弁護士自治という観点から弁護士会の完全な自治を認めたことである。ここ に弁護士自治とは、弁護士資格の審査や弁護士の懲戒を弁護士階層の自律に任せ、弁護 士の職務活動や規律を裁判所、検察庁又は行政官庁の監督に服せしめない原則である。 この国家機関からの独立は図り知れない大きな意義がある。医師、税理士、公認会計 士、司法書士がいずれも行政機関からの監督を受け、懲戒権は監督官庁が有するのと比 較した場合、その高度の自治権は明らかである。 第三は、弁護士自治に不可欠な制度として、全弁護士の強制加入団体である弁護士会 及び日本弁護士連合会を設立するとしたことである。戦前、全国的な弁護士団体として 日本弁護士協会と帝国弁護士会が存在していたが、それらは任意の私的団体でしかな かった。 この強制加入は、弁護士及び弁護士会の総体として弁護士法 1 条の職責を果たすこと を求めるものであり、かつ、そのための制度的保障である。 けだし、戦前の日本弁護士協会や帝国弁護士会のような任意の団体では、弁護士の総 体としての活動が困難であるうえ、基本的人権の擁護や社会正義の実現という目的を達 成するためには、時には国家権力と厳しい姿勢を堅持して対決することが必要であり、 それを支えるものとして、弁護士、弁護士会が一体となった諸活動が不可欠だからであ る。 3 日弁連、弁護士会の活動と課題 (1)1949 年以降、日弁連をはじめ全国の各弁護士会は、弁護士法 1 条に定められた責 務を拠り所として、基本的人権の擁護と社会正義の実現のため、多くの活動を行っ てきたことは社会も認めるところである。 日弁連については、毎年人権擁護大会で配布される「日本弁護士連合会の人権擁 護活動」(以下「活動報告書」という。)に詳しく報告されている。広汎な人権課題に つき、実に熱心、献身的な活動をしてきたことが明らかである。 2015 年 10 月千葉で開かれた第 58 回人権擁護大会の活動報告書第 31 では 2014 年 7 月から 2015 年 6 月までの秘密保護法に関する活動が、第 35 では憲法問題、第 36 で は基地問題、第 37 では戦争被害者に関する各活動が報告されている。2015 年 7 月以 降の活動は第 59 回、即ち、本福井大会の活動報告書に報告されている。 -120- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて (2)2014 年 7 月の集団的自衛権行使容認の閣議決定について、日弁連及び全国の弁護 士会、弁護士会連合会は、政府の閣議決定は憲法 9 条に定める恒久平和主義に反する のみならず、立憲主義という日本国憲法の背骨をも揺るがすものとして会長声明、 意見書などで反対の意思を表明するとともに、シンポ開催、反対パレード、院内勉 強会、街宣行動等々広汎な反対活動をしてきた。 にもかかわらず、政府は 2015 年 5 月安保法制法案を国会提出したため、日弁連及 び全国の弁護士会、弁護士会連合会は、前年同様日本国憲法の立憲主義の理念、恒 久平和主義等の基本原理の危機的状況に照らし、それを堅持するため、更なる広汎 かつ精力的な活動を尽くし、国民・市民に対し、日本国憲法の危機的状況を訴えた (その詳細は「資料編」の資料 1、資料 2、資料 3 のとおりである。)。 ① 日弁連の活動としては、例えば、2015 年 8 月 26 日、弁護士会館「クレオ」にお いて安保法制反対の日弁連・学者の会の共同記者会見が行われ、それに続き日比 谷野外音楽堂での学者、市民団体も参加した 3000 人大集会が行われ、デモ行進も 行われた。 また、日弁連は、安保法制案に反対する国民の声を政府、国会に届けるべく、15 万筆を目標に、全国の弁護士会の協力を得ながら、署名運動を展開した。各弁護 士会では駅前、あるいは街の中心部で安保法制反対の訴えとともに積極的な署名 運動が行われた。毎週行った弁護士会も多かった。それに対する市民の反応は極 めて良く、逆に弁護士を励ます市民の姿が各地でみられるなど反対運動の盛り上 がりを示すものとなった。 署名運動の結果として、安保法制法が「成立」した 2015 年 9 月までに日弁連独 自に集めた分,各弁護士会が集めた分の合計で、当初の目標をはるかに上回る 38 万 7000 筆を超える多くの署名を集めることができた。弁護士会で 1 万筆を超えて 集めたのは、東京(2 万 5000 筆)、大阪(2 万 4000 筆)、札幌(1 万 8000 筆)、福 岡県(1 万 7000 筆)、愛知県(1 万 6000 筆)、横浜(現神奈川県、1 万 5000 筆)、 第二東京(1 万 1000 筆)、仙台(1 万筆)の 8 会にのぼった。 これらの「署名の山」は、同年 7 月と 8 月の 2 回、村越進会長(当時)の手によ り国会に手渡しで提出された。この提出の様子はマスコミにも大きく報道され、 日弁連の署名運動が社会一般にも広く注目された。 ② 全国の弁護士会での取り組みも、例えば、札幌、仙台、横浜(現在は神奈川県)、 愛知県、大阪、京都、福岡県等、史上最大規模となり、弁護士の参加も空前の規 模となったし(愛知県では 2016 年 3 月の大集会に 3 割の弁護士が、福岡では同時 期の大集会に 2 割の弁護士が参加した)、そのような集会やシンポジウム等が、全 国各地で波状的に何回も積み重ねられた。 群馬弁護士会、千葉県弁護士会では会館に憲法違反の安保法制に反対するたれ 幕や横断幕が掲げられ、愛知県では寸劇などにより法案の違憲性が訴えられ、サ ウンドカー、ラッピングカーが加わり、パレードや市内巡回反対行動が行われ、 長野や滋賀では主要な駅前で支部会員も含めた街宣が行われ、福岡の講演会では 定員 1200 人の会場にあふれる参加者を集めた。その他、各弁護士会でも、創意工 夫をこらした様々な行動が展開された。 -121- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて 他方、多くの市民団体・労働組合や、学者の会・学生団体・ママの会・九条の 会その他数多くの任意団体や、自発的な市民の人々が、安保法制反対の大きな運 動を展開するに至った(第 2 章第 3 の 6 参照)。弁護士会、弁護士会連合会及び日 弁連の運動は、その一環として、またそれらと相乗効果を生みながら展開され、 それらの国民的運動が、安保法制反対のために連携し、さらには一体として行わ れるための契機を提供したものとして、その意義を確認することができよう。 (3)しかしながら、安保法制法案は、国民の多くの意思に反して 2015 年 9 月 19 日「成 立」し、2016 年 3 月 29 日施行された。憲法 96 条の改正手続によって国民の意思を 問うこともなく、長年定着してきた憲法解釈(山口繁元最高裁長官は 2015 年 9 月 3 日の朝日新聞において、この定着してきた解釈は単なる一解釈というものではなく、 法規範性を有しているものであることを指摘した。)を一内閣の判断で一方的に変更 するということはとうてい許されないものである。 このようにして今、日本国憲法の基本理念である立憲主義、そして基本原理であ る国民主権、基本的人権の尊重及び恒久平和主義が危機に瀕している。憲法はいう までもなく国家権力にしばりをかけ、国家権力の濫用を許さず、人々の基本的人権 を擁るためにある。その憲法の危機は、とりもなおさず基本的人権の危機である。 今こそ、弁護士、弁護士会、日弁連は、弁護士法 1 条により私たちに託された使命に 基づき、崇高な理念の実現のため、持ち場、持ち場で精一杯の努力を重ねることが 強く期待されている。 (4)ところで、政治に関することは弁護士、弁護士会、日弁連はかかわるべきでないと いう意見も散見される。しかし、近代憲法誕生の歴史を振りかえれば、政治と憲法、 憲法と人権はそれぞれ表裏一体の関係にあることがわかる。政治の動きの結果、憲 法が危くなり、同時に、国民、市民の人権が脅かされるときは、弁護士法 1 条の責務 に従って私たちは果敢に行動すべき責務がある、と考えられる。もとより、弁護士 会、日弁連が選挙などで特定の政党や候補を応援することはできないが、例えば今 回の安保法制のようにある政策(法律)が国民主権や恒久平和主義などの憲法の基 本原理に反し、立憲主義を無視するような場合は、国民、市民の平和的生存権など の基本的人権を擁護し、立憲主義を堅持する立場から、果敢に行動することが求め られている。秘密保護法の廃止や抜本的改定に関しても同様である。 かつて、国家秘密法に反対する日弁連の 1987 年総会決議に関し、会員の一部から 総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める提訴がなされた。この訴訟は一、 二審とも日弁連が勝訴し、最終的には最高裁で勝訴が確定したが、そのなかで 1992 年 4 月の東京高裁判決が日弁連活動について次のように述べたことを忘れてはならな い。 「弁護士に課せられた」弁護士法 1 条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみに よって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁 護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人(日弁連) が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地 から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、 それに沿った活動をすることも」 、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。 」 -122- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて また、弁護士会が強制加入団体であることを理由に政治問題から距離を置くべき だとする見解も散見される。しかし、政治問題と憲法問題は上述のとおり表裏の関 係にあることを忘れてはならない。しかも、上述のとおり日本国憲法の下に制定さ れた現行弁護士法は、弁護士を強制加入させた上、その強制加入となった弁護士、 弁護士会、という弁護士の総体に対し、基本的人権の擁護と社会正義の実現という 使命を課し、その使命に基づき誠実に職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の 改善に努力しなければならないことを求めている。 強制加入ということは、人権擁護活動のための制度的保障という積極的意義が与 えられたものであることを忘れてはならない。日本国憲法の下に成立した弁護士法 は、戦前、国家権力が暴走し、国を破局に追い込んだ深刻な反省の下、総体として の弁護士、弁護士会、日弁連に対し、権力監視の役割を課したものである。そのこ とは一人ひとりの弁護士が自覚すると否とにかかわらず、私たちは弁護士という立 場にあるかぎり、このような責務・職責から解放されることはないのである。 (5)政治権力が立憲主義、憲法を踏みにじり、憲法秩序が危機に瀕している今日、日弁 連、各弁護士会はこれまで以上に法の定める責務・職責に忠実に活動し、国民・市 民の基本的人権の擁護と社会正義の実現のため邁進する必要がある、と考えられる。 第2 1 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回 復・実現に向けて 民主主義の再生への胎動 (1)第 2 章第 3 の 6 及び前節で述べたように、違憲性が強く指摘されていた安保法制を 政府・与党が強引に成立させようとする過程で、これに反対する国民・市民の新た な運動が生まれてきた。 それは、一つには、従来政党や労働組合・市民団体の潮流ごとに別々に行われて きた旧来型の平和運動においても、立憲主義と憲法体制の危機に当たって、相互に 連携し、さらには一つの運動体にまでまとまって、集会、デモ、宣伝等を繰り広げ るようになってきたことが挙げられる。それには、当該団体等の努力はもちろんで あるし、危機感を共有する学者・著名人らの努力も大きいが、弁護士会が結集軸と なって果たした役割も大きい。 もう一つは、これまであまり政治の場に登場することのなかった層を含めて、個 人で、また一定の社会的立場の人たちが数多くの集団を形成して、それぞれ創意工 夫をこらしながら、安保法制に反対する大きな流れを形成したことである。その集 団は、例えば、学者・研究者、学生、高校生、母親たちの集まり、高齢者、在外日 本人などであり、あるいは、各地域を基盤にした憲法 9 条を守ろうとするグループで ある。特に、20 歳前後の若者を中心とするグループは、安保法制反対運動の活性化 に大きな役割を果たして、新風を吹き込んだ。 (2)これらの反対運動は、安保法制が国会を通過した後も、連携組織を作るなどしなが ら、運動を継続、発展させてきている。例えば参議院の国会採決があった応当日の 毎月 19 日に行動を組んで、数万人の集会を継続してきているし、安保法制が施行さ -123- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて れた 2016 年 3 月 29 日には国会議事堂周辺に 3 万 7000 人の人たちが結集した。全国 各地での集会や学習会の動きも活発に継続されている。 そしてこれらの運動の基本的目標は、安保法制の廃止であり、安保法制制定過程 で損なわれた立憲主義と民主主義の回復を共通の課題としているということができ る。ちなみに、民主党(当時)、共産党、維新の党(当時)、社会民主党及び生活の党 の 5 党が、2 月 19 日に衆議院に安保法制の廃止法案を共同で提出している。また、 これらの政党が政治の場で連携を強めて、立憲主義を堅持しようとする動きも注目 される。 以上のような安保法制制定過程及び制定後の過程を通じた、多様な方法と担い手 による運動は、福島原発事故以来形成されてきた、自由な個人の判断による新たな 政治参加の形態ということができ、それが安保法制問題を契機に大きく発展したも のとみることができる。その政治参加は、国会による代表制民主主義を前提とし、 これに働きかけてその意思形成に影響を及ぼそうとするものであると同時に、集会・ デモ・アピール・署名その他の方法を通じて、直接自らの声や意見を世論形成や政 治過程に反映させようとするものとして、直接民主主義としての性格を有するもの ということができる。 ここに、安保法制の制定過程で損なわれた民主主義の再生に向けて、国会内の数 の論理を超えた、政治的な合意形成のための新たな民主主義の胎動があると思われ る。 2 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務 (1)安保法制の制定過程において、内閣(行政府)と国会(立法府)によって、憲法に 違反する解釈を定立した 7.1 閣議決定及び安保法制の可決を通じて、憲法 9 条が侵 害され、同時に立憲主義と民主主義も蹂躙されて、今、日本の憲法秩序全体が危機 的な状況にある。国家機関の中で残されたのは裁判所(司法府)だけである。ちな みに、安倍首相自身、安保法制が違憲立法かどうかの「最終的な判断は最高裁判所 が行う、これは憲法にも書いてある」と、裁判所に逃げ道を求めた(2015 年 7 月 15 日衆議院平和安全法制特別委員会) 。 しかも安倍首相は、集団的自衛権の行使は憲法 9 条の下では許されないという従来 の確立した政府の憲法解釈を変更するため、2013 年 8 月、内閣法制局長官を更迭し て、集団的自衛権容認派の長官を外部から任命するという、異例の人事を強行した。 内閣法制局はこれまで、行政府の中にあって、法律の専門家集団として、日本国憲 法の下での統一的な政府見解を積み上げてきたのであり、それによって行政府の憲 法上の規律を支えてきた。内閣法制局は、憲法を頂点とする「法」によって政府や 国会の恣意的な行政や立法を制約する機能を果たしてきたといえる。 しかし、その内閣法制局長官の「政治」の意思による首のすげ替えと、その後の 7.1 閣議決定及び安保法制の法案作成・国会審議の過程を経て、内閣法制局の権威 は大きく損なわれてしまった。内閣の自浄機能が損なわれたのである。ここに至っ て、内閣と国会の逸脱をチェックすべき司法の役割は、ますます大きくなったと言 わなければならない。 -124- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて (2)その司法に対する国民・市民の期待は大きい。 逆説的ではあるが、今回の安保法制をめぐるできごとほど、立憲主義、民主主義、 そして平和主義という憲法的価値が、市民にとって身近で大切なものだと自覚され たことはなかったのではないか。だから、法律の可決後も、損なわれたこれらの憲 法的価値の回復と安保法制の廃止を求める市民運動が、上記のように継続してきて いるのである。 そしてその中から、安保法制の違憲性を、裁判を通じて明らかにしたい、してほ しいという声が、澎湃として起こってきた。そして 4 月以降、東京をはじめ、福島、 高知、大阪、長崎、岡山、埼玉、長野の各県で、集団的自衛権の行使、後方支援活 動・協力支援活動の差止めや、安保法制の制定による権利侵害の国家賠償を求める 訴訟が、それぞれ原告数百人規模で提起されてきている(2016 年 8 月 10 日現在)。 そしてさらなる提訴が各地で続くことが見込まれる。 これらの訴訟は、具体的事件性、権利侵害性や訴訟要件等、あるいは統治行為論 の問題など、克服すべき多くの課題があろう。しかし、司法の側からしても、上記 のような行政府・立法府による憲法秩序の破壊、内閣法制局という自律機関の機能 不全などの状況の下で、これまで指摘されてきたような司法消極主義は見直される べきであろうし、そうでなければ、国民の期待と信頼、及び司法に負託された統治 機構の中での役割に、応えることができないであろう。そして、近時の裁判所に積 極的な兆しがないわけではない(青井未帆『憲法と政治』岩波新書 2016 年 5 月・230 頁以下)。 (3)近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限すること を目的とするが、この立憲主義思想は、法の支配の原理と密接に関連する。 法の支配の原理は、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で 拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である が、そこでは憲法の最高法規性の観念、権力によって侵されない個人の人権、法の 内容・手続の公正を要求する適正手続に加えて、権力の恣意的行使をコントロール する裁判所の役割が重要である。 憲法に違反する安保法制が施行されるに至ったことから、今後、安保法制の適用・ 運用から個人の基本的人権を擁護するために、裁判所は積極的役割を果たすべきで ある。立憲主義という国家としての法秩序の基本が破壊されようとしているとき、 司法府には、法の支配の担い手として、裁判手続を通じて、立法府と行政府の誤り を正し、立憲主義を回復する役割が期待されるし、それが三権のうちの一つを構成 する司法権の責務である。 そして、その司法の一翼を担う弁護士及び弁護士会の責務は、第 1 で述べたように 重大である。 弁護士会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士から構成さ れる団体であり、憲法に違反し、立憲主義と民主主義を蹂躙して基本的人権と社会 正義を侵害する安保法制が施行されている状態を、徒に黙認することは許されない。 前述のように、戦前弁護士会は、言論・表現の自由が失われていく中、戦争の開始 と拡大に対して反対を徹底して貫くことができなかった。今、弁護士及び弁護士会 -125- 終 章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて が、基本的人権の擁護と社会正義の実現という立場から発言をし行動しなければ、 弁護士及び弁護士会は、先の大戦への真摯な反省と、そこから得た痛切な教訓を生 かせないことになる(2015 年 5 月 29 日日弁連定期総会宣言参照)。 日本国憲法は、その徹底した平和主義を通じて、権力に対して国民・市民の自由 と権利を確保する立憲主義に立脚する。その平和主義が安保法制によって侵害され、 その制定過程で立憲主義と民主主義が蹂躙されて、今、国民・市民の自由と権利が 危殆に瀕している。損なわれた立憲主義と民主主義を回復し、憲法の恒久平和主義 を実現することを通じて、国民・市民の自由と権利を擁護すべき法曹関係者の責務 は、限りなく大きい。 -126-