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未来に向けて 新たな50年へ

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未来に向けて 新たな50年へ
KANAGAWA DOYU’
s 50thAnniversary History Book
未来に向けて
新たな50年へ
神奈川県中小企業家同友会50年史
神奈川県中小企業家同友会
巻頭挨拶
未来に向けて
新たな50年へ
神奈川県中小企業家同友会50年史
3
2
巻頭挨拶
神奈川県中小企業家同友会五〇年史 発刊のご挨拶
酒匂雅隆
神奈川県中小企業家同友会
代表理事 代表理事 高橋良治
水口 勉
代表理事 新たな五〇年の飛躍への期待を込めた「神
創立五〇周年を迎え、ここに五〇年間の歩みをまとめ、
奈川同友会五〇年史」を発刊できましたことを喜び、関係各位のご支援、とりわけ大林弘道氏(神
奈川大学名誉教授)のご助力をいただきましたことに心から御礼を申し上げます。
五〇年前、創立当時の時代を顧みますと、戦後の大きな成長期と不況との繰り返しの中で、必死
に有為ある先達が神奈川同友会を四年間の準備期間を経て一九六五年四月一三日に、三六名の会員
で設立致しました。その熱い思いとその後の様々な困難を乗り越えてきた道のりは「激動」と言う
表現 が 相 応 し い よ う で す 。
特別寄稿、石館治良氏の「激動の五〇年を振り返って」と「同友会と私」をテーマに会員の皆様
から寄稿していただきました。同友会との出会いが、生き方を学び、自らと会社を大きく変えてい
く姿が描かれています。その根底には、「労使見解」がありました。取り巻く環境が厳しくなろう
とも、情勢の困難さを口実に経営者の責任を果たさなかったり、諦めたりしませんでした。社員と
どう向き合うのかを問いながら、人間尊重の経営を学び続けます。共に育ちあい、目的の実現のた
めに質の高い経営をめざして実践してきました。そして、経営環境の改善にも積極的に活動してき
ました。「五〇年史」から学び、同友会運動の更なる発展と自社の経営の「道しるべ」となること
を期 待 し て や み ま せ ん 。
「地域と共に歩む中小企業」の同友
私たちは、「同友会三つの目的」「自主・民主・連帯の精神」
会理念を実践する企業づくりを更に進め、地域に輝く企業をめざします。
「先進国経済としての日
本経済はますます中小企業に期待をつないでいます」
(本書一六八頁)
。私たちは、国民が安心して
豊かに暮らせる社会をつくること、この地域で広く認められる中小企業団体となるためには、まず
は一,〇〇〇名会員の早期実現が必要です。「五〇年史」発刊にあたり、その決意を表明したいと思
いま す 。
これからも関係各位のなお一層のご指導、ご支援を賜りますよう心からお願い申し上げ、刊行の
ご挨 拶 と 致 し ま す 。
2
3
巻頭挨拶
祝辞 「創立五〇周年おめでとうございます」
鋤柄 修
中小企業家同友会全国協議会 会長 神奈川県中小企業家同友会創立五〇周年および五〇年史の発行を心よりお喜び申し上げます。五
〇年にわたる神奈川同友会の活動は、全国の同友会運動の発展に多大な貢献をされてきました。一,
〇〇〇名を展望できる同友会として五〇周年を迎えられたことを共に喜びあい、神奈川同友会会員
の皆様の同友会運動への熱い思いとご努力に敬意を表します。
全国五番目の同友会として一九六五年四月に創立され、一九六九年中同協設立に寄与され早くも
一九七〇年には第二回全国総会の開催を担当、一九七一年には第二回中小企業問題全国研究集会、
その後青年経営者全国交流会をはじめ各種交流会をご担当いただき、全国に学びの場を提供いただ
きました。また社員教育活動をはじめ障害者問題や環境問題の取り組みなどに先進的な運動を展開
して い た だ き ま し た 。
地域経済の疲弊や世界的不安定さが続く中で、中小企業をとりまく経営環境は、かつて経験した
ことのないような厳しいものとなっています。私たちは、こうした中にあっても、企業経営に責任
を持ち、地域を担う企業づくりという社会的使命の自覚を高め、同友会に結集して同友会理念の総
合実践に取り組んでまいりました。良い企業づくりの取り組みとともに金融アセスメント法制定運
動など経営環境改善運動も大きく前進しました。そして二○一〇年六月に中小企業を「経済を牽引
する力であり、社会の主役である」と位置づける「中小企業憲章」が閣議決定されました。五〇年
の歴史を持つ神奈川同友会の皆様が、これまでの活動の蓄積を生かし、組織をあげてこれらの取り
組みにも大きな力を発揮していただきました。特に支部づくりと共に中小企業振興基本条例の制定
を県内自治体に働きかけるなど、その積極的な取り組みには大いに期待しております。皆様のご活
躍は地域の中小企業家を大いに励ましていることと思います。
日本経済と地域経済の担い手としての中小企業の役割はますます重要さを増しています。同友会
で学び実践する仲間の輪を広げ、地域再生の動きを中小企業憲章の理念を力に、豊かな地域と経済
社会をつくるという壮大な展望へ向けてすすんでいこうではありませんか。皆様が創立五〇周年を
契機に、学ぶ活動に一層磨きをかけられ、一千名さらには二千名同友会を目指して、地域になくて
はならない企業づくりにこれまで以上に邁進されることを期待し、さらなる活動の充実と発展を
祈っ て や み ま せ ん 。
4
5
巻頭挨拶
神奈川県中小企業家同友会の 年史発刊にあたって
田山謙堂
中小企業家同友会全国協議会 顧問 振り返ると忘れられない人々の顔が思い出されます。創立当時同友会を神奈川で作るために、私
も 神 奈 川 に で か け 山 本 斉 さ ん( 佐 伯 螺 子 工 業 社 長 )
、井上博さん(古川電機製作所社長)らと熱く
同友会の未来を語り合いその意義を共有する人たちでした。滝沢商店社長、滝沢正富さんは一九六
五年 同 友 会 第 三 次 訪 中 団 で ご 一 緒 で し た 。
その間中同協が一九六九年一一月に創立しました。初代議長は東京の田中秀一さんで副議長は神
奈川、大阪、名古屋、福岡、から選ばれ神奈川の代表の大和田武さんが副議長になりました。当時
の神 奈 川 の 顔 は 大 和 田 さ ん で し た 。
一九七七~一九八五年まで海興物産社長、山谷定義さんが代表理事で、その間同友会館問題が生
まれ、会議でも山谷さんはその意義を熱く語られました。善意で始められましたが会員の利害得失
を生み出す共同事業は、会員相互の不信を生み出し会の団結を阻害しました。山谷さんは視野の広
い、親分肌の方でしたが、同友会の理念を身に付けた幹部は育っていませんでした。
一九八四年東京同友会川崎支部が神奈川同友会と合併することになります。私はその合同の新年会
に呼ばれ講演した記憶があります。名簿を見ると殆ど製造業ですごい支部が出来たなと驚きました。
東京同友会で親しかったマルコ精機の菅野真一さんや三基電子工業の金子良明さんは親しい間柄で、
神奈川では異業種交流の菅野さんと呼ばれたようですが、僕は菅野さんから大企業の中小企業に対す
る不当な取引条件の改善についての菅野私案を拝見し、大変啓発された記憶があります。金子さんは
俳句の大家でした。菅野さんが四期代表理事を務められました。当時は異業種交流が流行しました。
一九八九~二〇〇一年まで代表を務められた宮田泰敬さんは同友会が大好きで、ご自分は建設、
不動産、コンビニなど手広く事業を展開され経営内容は抜群と聞いています。役員会の先頭に立っ
てリードするタイプで存在感のある方でした。宮田さんは経営者は自己変革しなければいけないが
口癖でした。
なぜか僕が再三呼ばれ同友会の社会的役割や同友会運動の進め方についてお話しました。
事務局長が宮川豊さんの時代、彼とは劇団文化座当時からの知り合いで、何かといえば引っ張り
出されました。支部の幹事会、横須賀の支部発足のとき、県央・相模原支部の新年会などに呼ばれ
ました。その時の私の話に日本エンジニアリング社長、代表理事の金子和夫さんが共鳴され、以後
お付き合いいただきました。最近原発についての本を出版され、寄贈いただきました。氏は技術の
進歩に信頼し原発の不安は除いてゆけると主張されています。しかし私は原発は減少してゆくのが
未来ではないかとの意味のお返事を差し上げました。
困難を乗り越え、神奈川同友会が大きく前進している姿に接し、皆様方と力を合わせ、力を尽く
した昔を振り返り感激ひとしおでございます。
6
7
50
巻頭挨拶
創立五〇周年を迎えて
黒岩祐治
神奈川県知事 神奈川県中小企業家同友会が創立五〇周年を迎え、ここに五〇年史を発刊されたことを心からお
祝い 申 し 上 げ ま す 。
神奈川県中小企業家同友会は、昭和四〇年の創立以来、長きにわたり時代の変化に対応し、積極
的な経営革新を遂げていく強い企業・永続企業づくりを進めてこられました。
「よい会社をつくろ
う」「よい経営者になろう」「よい経営環境をつくろう」という三つの目的を掲げ、自主・民主・連
帯の精神のもとに様々な活動に取り組み、地域と密着した中小企業・小規模企業の経営を安定させ、
ひいては地域の発展・振興に多大な貢献をされています。歴代の代表理事をはじめ役員の皆様、会
員の 皆 様 の ご 尽 力 に 心 か ら 敬 意 を 表 し ま す 。
本県の中小企業・小規模企業は、ものづくりや商品・サービスの提供などを通じ、地域の活性化
や雇用の確保に大きく貢献するなど、県民生活の向上と地域経済の発展に重要な役割を果たしてい
ます。しかし、近年、少子高齢化、海外との競争の激化など、経済社会情勢の変化に直面しており
ます 。
そうした中、県では、小規模企業の持続的な発展をはじめ、中小企業の活性化を一層推進してい
くことを目指し、中小企業活性化推進条例を中小企業・小規模企業活性化推進条例として改正し、
本年一〇月二〇日に施行したところです。また、地域経済のエンジンを回す神奈川の挑戦として、
京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区、さがみロボット産業特区及び国家戦略特区と
いう三つの特区を最大限に活用しながら、「健康・未病産業」や、
「ロボット産業」など、新たな産
業の 創 出 ・ 育 成 を 目 指 し て お り ま す 。
この道筋を一層確かなものにしていく原動力は、県内事業所の約九九%を占める中小企業・小規
模企 業 の 皆 様 で す 。
神奈川県中小企業家同友会の下に、様々な業種の経営者の皆様が集まり、五〇周年を契機として、
更なる発展に向けて活動されることは、大変心強く感じております。
県としても、皆様と連携・協働しながら、中小企業・小規模企業の活性化を推進し、活気あふれ
るかながわの実現に向けてしっかりと取り組んでまいります。今後とも皆様の御理解とお力添えを
賜り ま す よ う お 願 い 申 し 上 げ ま す 。
結びに、五〇周年を契機とした、神奈川県中小企業家同友会のますますのご発展と、会員の皆様
の更なるご健勝、ご活躍を心からお祈りいたしまして、私のあいさつといたします。
8
9
序章 同友会運動と各地同友会の設立
目 次
︱
︱︱︱︱︱︱︱︱2
神奈川県中小企業家同友会の 年史発刊にあたって ︱
︱︱︱︱︱︱︱6
中小企業家同友会全国協議会 会長 鋤柄 修
祝辞「創立五〇周年おめでとうございます」︱ ︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱4
水口 勉
高橋良治
神奈川県中小企業家同友会 代表理事 酒匂雅隆
神奈川県中小企業家同友会 年史 発刊のご挨拶
50
周年を迎えて ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱8
序章 同友会運動と各地同友会の設立 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
まえがき 編纂の目的と記述の方法 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
15
︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第一節 創立時の時代状況
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第二節 模索から前進へ 28
25
第一章 模索と前進 創立からの五年間(一九六五年 ―一九六九年)
第一部 神奈川同友会の五〇年
21
神奈川県知事 黒岩祐治
創立
中小企業家同友会全国協議会 顧問 田山謙堂
50
10
11
50
序章 同友会運動と各地同友会の設立
第二章 発展と課題 一九七〇年代(一九七〇年 ―一九七九年)
︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第一節 前進から発展へ
第二節 発展の中の課題 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第一節 大幅な後退 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第一節 運動の基本方針の確立 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第二節 二つの「危機」に新たな挑戦 第一節 回復からの再発展 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
95
︱︱︱︱︱︱︱
終章 未来に向けて 新たな五〇年へ ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第二節 これからを活躍する会員群像 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第一節 「新しい世代」の会員群像 会員からの寄稿文
155
第三部 同友会とわたし
159
第七章 いまを活躍する会員群像
第一節 草創期を担った会員群像
第六章 忘れえぬ会員群像
第二部 神奈川同友会の会員群像
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第二節 引継ぎ支えた会員群像 ︱
116
第五章 再発展と挑戦 二一世紀(二〇〇〇年 ― 現在)
第二節 「同友会理念」の再確認 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第四章 新生と前進 一九九〇年代(一九九〇年 ―一九九九年)
第二節 「新生同友会」の提起 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
第三章 後退と新生 一九八〇年代(一九八〇年 ―一九八九年)
47
73
85
133
167
|
12
13
60
78
90
146
169
|
序章 同友会運動と各地同友会の設立
あとがき 同友会運動の記録と記憶 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
(四)事務所移転 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
(三)中小企業家同友会会員数推移︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
(二)役員・事務局一覧 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
275
272
241
付録
参考文献一覧/資料一覧 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
(一)年表
編集後記 ︱
︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱
276
福岡県中小企業家同友会(以下、福岡同友会と略
称)
、神奈川県中小企業家同友会(以下、神奈川
同友会と略称)と二つの準備会(北海道中小企業
家同友会準備会、京都府中小企業家準備会)とに
名)、すなわち、日本同友会、関西地方を中心と
い た 五 つ の 中 小 企 業 家 同 友 会( 総 会 員 数 六 四 〇
また、一九六九(昭和四四)年に当時設立されて
と略称)が設立されてから五八年の歳月が過ぎ、
東京中小企業家同友会に継承、以下、東京同友会
友会(以下、日本同友会と略称。日本同友会は現
七〇名によって最初の同友会、日本中小企業家同
七(昭和三二)年に東京を中心とした中小企業家
近くの会員数によって組織されています。一九五
今日、中小企業家同友会(以下、同友会と略称)
は全国すべての都道府県に設立され、四万五千名
一つです。
川同友会五〇年史」と略称)の編纂と刊行もその
奈川県中小企業家同友会五〇年史」
(以下、
「神奈
いくつかの記念行事の開催が企画され、本書「神
た。神奈川同友会は、この節目の年に当たって、
昨二〇一五(平成二七)年に五〇周年を迎えまし
五(昭和四〇)年に誕生しました。したがって、
同友会は、全国の第五番目の同友会として一九六
成されてから四六年の歳月が経ちました。神奈川
家同友会全国協議会(以下、中同協と略称)が結
よって、中小企業家同友会の全国組織、中小企業
した関西中小企業同友会(以下、関西同友会と略
称)、名古屋を中心とした中部圏を代表する名古
ところで、神奈川同友会のみならず、中同協な
らびに各地の同友会は、それぞれの創立の年から
⑴編 纂 の 目 的
屋中小企業家同友会
(以下、
名古屋同友会と略称)、
277
まえがき 編纂の目的と記述の方法
279
14
15
281
の経済書や経営書から引き写されたり、借り出さ
ります。しかも、そのような同友会理念は、既存
に歩む中小企業」)に基づく運動であるからであ
みち」を神奈川県の地においてたどることにほか
今 改 め て、 神 奈 川 同 友 会 の 五 〇 年 の 歴 史 を た
どってみようとすることは、上に述べた「道なき
ち」があるのです。
数えて節目の年ごとに、「年史」ないしは「周年
れたりしたものではなく、また、既成の団体・運
ならないのです。しかも、それに加えて、神奈川
因みに、二〇一二(平成二四)年に五〇周年を
迎えた愛知中小企業家同友会が、その五〇年史の
動をモデルとしたものでも、個別・特定の法律を
県における中小企業の経営には、全国各地のそれ
記念誌」*1を刊行し、それぞれの歴史を回顧し、
根拠とするものでもありません。それは、中小企
と比較しても際立った固有の希望と困難が混在し
表題を「道なきみちを」としたのはそのような意
業家が自らの経営を営み、運動を通じて互いに学
ていました。それゆえ、それらの混在を引き受け
未来を展望しています。それらの刊行は単なる中
び合うことを通して生み出されたものであり、現
る神奈川県の中小企業家による同友会運動は模索
味に他なりません。言いかえれば、
同友会運動は、
在もな お 、 新 た に 生 み 出 さ れ 続 け て い ま す 。
年代である第二段階、同じく一九八〇年代の第三
小企業団体史のそれではありません。なぜなら、
の上に模索を続ける過程を続けてきたのであり、
段階、さらに、一九九〇年代の第四段階、そして、
「道なきみち」の自らの歩みを常に自ら確かめる
現在も続けています。同友会は、そのような過程
二〇〇〇年に入ってから現在までの第五段階で
中同協ならびに各地の同友会が推進する同友会運
を歴史として何はばかることなく、率直に、勇気
す。それぞれの段階はまたそれぞれいくつかの時
ことなしには、前進することはできないのです。
をもって検討できる団体であり、組織です。本書
期に分けられます。その歴史的展開は、当初の会
動は、日本の中では自他ともに認めるきわめて特
「 神 奈 川 同 友 会 五 〇 年 史 」 は、 そ の 五 〇 年 の 具 体
員三六名の規模から現在の七〇〇名を超える規模
そして、その「道なきみち」も、同友会理念を基
的な状況を未来に続く歴史として、現時点におい
に発展したので、五〇年という期間全体としては
徴のある独自の中小企業運動であるからであり、
て叙述したものです。そして、本書は、神奈川県
発展的基調であったと評価することができます。
礎に置きながら、各地において同じではありませ
中小企業の発展こそが、神奈川県経済(以下、神
本書は、このような発展的基調をたどってきた神
その中小企業運動が、同友会理念(「三つの目的」
、
奈川経済と略称)の発展の牽引力となることを明
奈川同友会の歴史がどのように形成されてきたの
ん。各地同友会にとって、それぞれに「道なきみ
らかにし、全国各地の中小企業の発展が日本経済
かを課題とし、それを前提に、その発展的基調を
「自主・民主・連帯の精神」、「国民と地域ととも
の発展の牽引力となることを示唆しようとするも
記述の方法については、以下の諸点を基準ない
し原則として考慮しています。
すことを試みたいと思います。
向けての教訓を導き、今後の発展の原動力を見出
から同友会運動の意義を汲み取り、また、未来に
る様々の状況をできるだけ忠実に描き出し、そこ
作り出した各段階・各時期の五〇年の軌跡におけ
⑵記 述 の 方 法
神奈川同友会の五〇年の歴史を、会員数と運動
状況を基準にして考えると、次のように段階区分
することができます。すなわち、一九六五年の創
立から一九七〇年までの第一段階、ほぼ一九七〇
16
17
のです 。
序章 同友会運動と各地同友会の設立
序章 同友会運動と各地同友会の設立
ていますが、少し立ち入った歴史的叙述について
ます。通常、注記の多い文章は読みにくいとされ
の審議 の 状 況 は ほ ぼ 把 握 で き ま す 。
記事も掲載されています。したがって、定時総会
おり、また、ほとんどの定時総会関連の何らかの
会の議案書と同様と考えられる文書が記載されて
を除いて、保存されている機関紙・誌に、定時総
あたる創立総会および第二回の定時総会の議案書
場合があります。その場合、現時点では第一回に
そのものおよびその付属資料が保存されていない
す。しかし、年度 *2
によっては定時総会の議案書
ては、それぞれの資料の事情に基づき記していま
加)を同様に記すこととし、その他の資料につい
特に必要と考えられる場合には、発行年月日を追
誌については、機関紙・誌名・号数・頁数(また、
名・頁数を引用文の後にかっこ内に記し、機関紙・
すこととし、議案書については、開催年・議案書
ます。引用に当たっては、その出所を本文中に示
⒜基本的な資料は、定時総会の議案書および機
関紙・誌ですが、その他の資料も適宜利用してい
入しています。
⒢「まえがき」と「あとがき」を除いて、本文
においては、番号を付記しない「小見出し」を挿
⒟本書全体において、注記をかなり挿入してい
マ」を用いず、適宜訂正して引用しています。
において明らかな誤植等の誤りについては、
「マ
料の文章等に厳格に従っています。なお、それら
とはいえ、引用に当たっては、典拠となる史・資
⒞本書は、会員に気軽にかつ真摯に読んでもら
えるように、
「です・ます」調で記述しています。
述しています。
員会での議論を通じて、執筆者の責任において記
や見解を付け加える必要がある場合には、編纂委
が、それらが見当たらない場合、あるいは、評価
⒝各段階・時期のまとめの部分や教訓等の記述
は、原則的には資料それ自体から導出しています
料等一覧は巻末に記載されています。
方法に依拠しています。引用されている文献、資
に遡及できるように一般的に採用されている記載
また、種々の刊行された図書・論文・記事等の
引用については、必要に従い、それらの引用典拠
動方針を記述した〝年度〟は、いずれも、それぞれの年の五
月から翌年四月までを指すことになります。したがって、議
案書からの引用文における〝年度〟表示には一般の意味とは
違い、注意が必要です。
*1 「年 史」ないしは「周年記念誌」 発刊された「年史」および
「周年記念誌」については、本書に関わるそれらの一部を巻
末の「参考文献」に記載しています。
*2 年度 定時総会は、毎年原則五月に開催されています。その
ため、議案書における前年度の運動の総括である「経過報告」
等の標題で記述されている〝年度〟、あるいは、次年度の運
は、本文に歴史上の詳細な事実や評価の詳細を記
述すると、かえって、歴史の主要な推移や道筋を
見失う面があります。本書では、それらを見失わ
ないように、個々の歴史的事実や評価の詳細につ
いては、むしろ、注記に記述し、読者において興
味や関心がある場合に積極的に応えるという立場
を取り ま し た 。
⒠資料に記載されている会員の証言や意見を引
用する場合、原則として初出において会員名の後
にカッコをつけ、その中に引用資料等に記載され
た会員の企業名を書き入れました。その際、企業
形態の名称は、㈱、㈲等の略記を用いて「環境依
存文字 」 で 記 し ま し た 。
⒡本文中の年号表記は、西暦を基本として採用
し、和暦を必要に応じて西暦の後にカッコ内に記
入しま し た 。
18
19
序章
ていること。
「天は自から助くるものを助く」の精神を自覚し
①日本中小企業家同友会は、中小企業家の、中
小企業家による、中小企業家のための会であり、
同友会運動と各地同友会の設立
■ 中小 企 業 家 同 友 会 の 誕 生
前述したように、中小企業家同友会の歴史は、
一九五七(昭和三二)年四月二六日東京赤坂プリ
③中小企業の近似した層毎に数多くの団体がで
き、それぞれの利益を代表するとともに、共通の
②中小企業の組織を全国一個に独り占めせず、
多様な団体が共通の問題に対して協力し合うこと。
ことを起点としています。それでは、一体なぜ中
問題に対して対等の立場で協力し合うこと。
ンスホテルにおいて、出席者数三五名、会員数七
小企業家同友会が結成された *3
の で し ょ う か。 そ
〇名によって日本中小企業家同友会が創立された
の理由について、同総会は討議を経て承認された
⑤日本の国民経済には自主独立に欠け、独占の
④②と③の確認が会そのものの沈滞や「ボス支
配」を招来しない基礎になること。
下の五 つ の 点 を 強 調 し て い ま す
20
21
「日本中小企業家同友会設立趣意書」*4
において以
序章 同友会運動と各地同友会の設立
弊害が強まり、また、統制の風潮もあるとの認識
を前提に、市場、金融、税制等の諸問題の解決こ
そ、重要であると考え、今日の条件に適合すべき、
中小企業家同友会は東京に設立されて以降、一
九五八年に大阪府、一九六二年に愛知県、一九六
各地中小企業家同友会の設立
するこ と 。
中小企業家同友会の基本的な姿勢や方針に共鳴し
■
この趣意書の内容は、その後の同友会運動の基
調、同友会理念の基礎となるものであるとともに、
た全国各地の中小企業家の有志によって、自前か
中小企業運動を展開して新たなる寄与をなそうと
中小企業家同友会とその運動の出発の背景をも物
つ自主的に結成されて行きました。
*5 *3 中小 企 業 家 同 友 会 が 結 成 さ れ た 〝 日 本 中 小 企 業 家 同 友 会 〟
の創設の事情の詳細については、中同協(一九九九)、三〇
三
- 八頁を参照してください。
*4 日本中小企業家同友会設立趣意書 同趣意書は、中同協(一
九九九)の「付録A資料集」二四八頁に掲載されています。
中小企業政治連盟 中政連とその運動の意味については、中
同協(一九九九)三〇 三
- 三頁を参照して下さい。
においてと次々と誕生しました。それらは、日本
三年に福岡県、そして、一九六五年には神奈川県
語っています。すなわち、②と④の指摘は、その
後の歴史において厳しい審判を受けざるをえな
5 以下、
かった 中 小 企 業 政 治 連 盟 *
(
中政連と略称)
の当時一,〇〇〇万名を超える会員による一大運
動の存在が念頭に置かれています。そして、同友
会運動は、①、③、⑤が示す立脚点から、そのよ
うな一大運動に立ち向かう、一〇〇人にも満たな
神奈川同友会の五〇年
い中小 企 業 運 動 と し て 誕 生 し た の で す 。
第一部
22
23
第一章 模索と前進
第一章
気」の反動、
「山一証券」の経営危機に代表され
不況」の年でした。前年の「東京オリンピック景
模索と前進 創 立からの五年間︵一九六五年 ︱一九六九年︶
第一節 創立時の時代状況
る「証券不況」
、
「山陽特殊鋼」の倒産に代表され
る大型倒産の発生等の「高度成長」期には見られ
神奈川同友会が一九六五(昭和四〇)年に創立
されてから一九七九(昭和五四)年に至る十数年
によって、
景気は一年余を経て回復し、
再度の「高
の国債発行を財源とする新たな財政政策への転換
歴史 的 画 期 と な る 激 動 の 時 代
の期間は、日本も、世界も、後に歴史的画期とさ
度成長」に突入して行きました。つまり、この年
■
ない現象が多発しました。
そのため日本経済は
「転
れる激動が続く年月でありました。また、一九六
を境に日本経済は「設備投資主導」型の成長から
形期」にあるとも言われました。とはいえ、政府
五年という年は、一九五五(昭和三〇)年以来一
「財政支出主導」型の成長に転換したと見なされ
ました。
〇年余り成長率一〇%前後の「高度成長」を持続
した日本経済が大きく頓挫した「(昭和)四〇年
24
25
第一章 模索と前進
ることによって、再び外貨(ドル)を獲得し…と
れらを通じて国内で製品を生産し、外国に輸出す
材料を輸入し、かつまた、外国技術を導入し、そ
製品を輸出して得た外貨(ドル)によって、原燃
時期の日本経済は、〝貿易立国〟、すなわち、日本
力の強化を掲げるようになりました。つまり、当
警戒し、産業政策も単なる輸出振興から国際競争
浸透ばかりでなく、外国企業の国内への進出をも
ていましたから、日本企業は外国製品の国内への
また、この経済成長の転換の背後で、日本経済
は「貿易自由化」*6
から「資本自由化」*7
に向かっ
ました。
造の変革、つまり「流通革命」を進行させていき
とともに、さらなる豊かさを求める商業・流通構
活を敗戦後の長期にわたる貧しさから脱却させる
張された〝貿易立国〟による経済成長は、国民生
手になっていったのです。同時に、このような拡
後述の「下請制」等を通じた「間接輸出」の担い
「直接輸出」の担い手から、大企業の輸出製品の
でもありました。言い換えかえれば、中小企業は
業が輸出製品の主たる担い手になる時代への移行
が輸出製品の主たる担い手である時代から、大企
産業構造・貿易構造の変化
神奈川同友会が誕生した時代は、
以上のように、
産業構造・貿易構造の重化学工業化が、
「資本の
■
のような貿易構造と産業構造の変化は、中小企業
いう循環を繰り返しながら、経済成長を持続させ
るという枠組みを一段と拡張することになりまし
た。この過程で、輸出の中心が、軽工業製品(繊
維・雑貨等)から重工業製品(造船・鉄鋼等)へ、
維等)に移行するとともに、産業構造も重化学工
自由化」によってさらに変化しようとしていた時
さらに、重化学工業製品(自動車・電機・合成繊
業中心の仕組みが作り上げられて行きました。そ
代であり、そして、それは、当時の大企業と中小
企業が一体となっていた生産体制(下請制等)が
絶えず再編成されることを意味するものでした。
「中小企業近代化」の名の下に、そ
それゆえ、
のような生産体制に組み込まれ、あるいは、むし
ろ組み込まれることを期待していた製造中小企業
は、大企業経営の動向によって自社の存続に大き
な影響を受ける存在となっていました。また、「高
度成長」による農村労働力の都市への大量流入に
ともなう本格的な消費需要の拡大が「大量消費・
大量廃棄」とも重なり、
「スーパーマーケット」
等の大規模小売業の怒涛の参入が在来の卸・小売
中小企業に多大な影響を与えていました。
そして、
貿易さらに資本の自由化によるアジアの途上国の
輸出産業の発展は、米国市場等の競合市場におい
て日本の輸出依存の中小企業・地場産業(
「輸出
型地場産業」
)を凌駕していきました。また、そ
れら諸国の消費財の日本への輸出の増大、しかも
26
27
写真提供:神奈川新聞社
1965年から1967年にかけての京浜工業地帯
界大不況」
(一九七四―七五年)
、
「スタグフレー
度成長」の終焉=マイナス成長
(一九七四年)
、「世
国内消費財生産の圧倒的多数を占める日本の中小
シ ョ ン 」* 現 象 の 発 生、
「 第 二 次 オ イ ル・ シ ョ ッ
海外進出した日本企業による「逆輸入」も含めて、
企業に継続的に打撃を与えていました。加えて、
所得の向上は「レジャー」等の言葉を生み、観光
ク」
(一九七九年)と次々と日本経済と企業経営
4 4 4 4 4
4
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4 4 4 4
■
神奈川同友会前史
第二節 模索から前進へ
続していました。
に「ショック」
(経済的衝撃)を与える事態が連
■ 激動 の 渦 中 の 神 奈 川 県
産業 構 造 ・ 貿 易 構 造 の 変 化
4
4
4
神奈川同友会の創立は、全国の同友会のうちで
五番目という早さでしたが、その創立に至る準備
した。神奈川同友会はまさにこのような過程の、
しか も 既 述のよ う に「
( 昭 和 )四 〇 年 不 況 」 と 言
期間は「まる四年」
(
「同友会ニュース」第二号、
螺子工業㈱)は、「神奈川県の同友は一国一城の
ことが推測されます。たとえば、山本斉氏(佐伯
りました。そのことが、むしろ、四年間という長
運動状況から神奈川同友会の創立が励まされてお
参加していました。その過程で、各地の同友会の
4
われた時期の、その激動の渦中において誕生した
一頁)を必要としていました。その理由を直接示
殿様が多く、まことにやりにくい点があります。
」
会員三六名の創立総会
期間の神奈川同友会創設の努力の継続に結びつい
■
三六名のうち出
ました。会員数
ム」で開 催 さ れ
バービュー・ルー
浜 駅 ビル「ハー
三日(火)に横
四〇)年四月一
一九六五(昭和
神奈川同友会
の創立総会は、
(「同友会ニュース」第二号、一頁)と言い、また、
博氏(㈱古川電機製作所)は「同友会をつくると
いう時に、私は、安易な考えでつくることに三年
間も反対してきました…。」(「同友会ニュース」
第一四号、七頁)と語っています。この場合の「安
易な考え」とは何を意味しているのかについても
不明ですが、神奈川県の中小企業が置かれた状況
の〝厳しさ〟* が想像されます。とはいえ、同時期、
神奈川同友会に先行して創立されていた同友会
友会の準備会等によって、同友会の全国組織の結
成を目指した「全国代表者会議」が一九五九(昭
和三四)年以降、一年を置いて毎年開催されてお
り、それに神奈川県の「創立世話人会」の会員も
会員36名で行われた神奈川県中小企業家同友会
創立総会
ていたと考えられます。
4
*8一
のでした。そして、
誕生後も、「ドル・ショック」(
す資料はありませんが、創立準備会である「創立
4 4
9 一九七
九七一年)
、
「第一次オイル・ショック」*(
世話人会」の中で意見がなかなか一致しなかった
4
三年)
、
「 狂乱 物 価」* (一九七三― 七四年 )
、
「高
4
開を遂げ、典型的と言ってよい様相を示していま
4
川県において、全国的に見て最も顕著で劇的な展
4
以上の戦後日本経済の経済成長とそれを促進4し4
ていた産業構造の変化・国民生活の変貌は、神奈
■
業等の 新 た な 展 開 の 誘 因 と な っ て い ま し た 。
11
初期に活躍した、後述にもたびたび登場する井上
10
28
29
12
( 東 京・ 大 阪・ 愛 知・ 福 岡 ) や そ の 他 の 各 地 の 同
第一章 模索と前進
第一章 模索と前進
*
と 考 え ら れ ま す。 会 員
の多くは当然ながら商工会議所・法人会・同業組
それらが母体となった
賓が一一名でありました。来賓挨拶の後、経過報
合等に加入していることが後述に引用する機関紙
席 者 は 一 九 名、「 準 会 員・ 会 友 」* が 一 〇 名、 来
告、運動方針、規約の質疑と採決が行われ、最後
で可決された先の「神奈川県中小企業家同友会規
針」の詳細な内容は不明でありますが、創立総会
創立総会での議案書そのものは現在保存されて
おらず、創立に至る「経過報告」および「運動方
創立時の規約
上での文章から確認できます。
決定されました。創立総会閉会後直ちに第一回理
事会が開催され、滝川三郎氏(㈱共栄ダイキャス
ト)が代表理事に選出され、理事全員を常任理事
とする こ と が 決 定 さ れ ま し た 。
創立 時 の 会 員 の 特 徴
めに、中小企業家の経済的地位を向上し、国民経
約」の第四条には「本会は中小企業家の利益のた
創立時の会員は、主として横浜と川崎を中心と
する製造業、建設関連業、貿易業等の中小企業家
済の発展に寄与することを目的とする」と書かれ
するために、すべての中小企業団体と提携して右
の事業を行う。
」と規定されて、次の四項目を挙
げられています。すなわち、①「大企業本位の経
博氏(㈱古川電機製作所)は、創立後約二ヶ月の
時点で「当面の活動と組織問題によせて」という
を 投 稿 し て い ま す。 そ れ を 通 じ て、 当 時
「同友会運動の本質は中小企業家の要求
を、企業単位に解決するという狭い範囲では
*
の神奈川同友会の状況と先頭に立つ会員の見解を
一文
当時の運動の状況は、準備会段階からほぼ毎月
発行されていた機関紙「同友会ニュース」の各号
解がしばしば投稿されています。たとえば、創立
なく、社会的見地から政治経済面の改革に目
19
総会で「一九六五年度活動方針」を報告した井上
には会員が自身の関心を中心に積極的に意見や見
書から、理解することができます。当時の機関紙
知ることができます。すなわち、
機関 誌 の 発 行 と 高 い 運 動 目 標
ており、第五条において、
「本会は右目的を達成
でした。横浜地区を中心として「神交会」* 、
「神
■
■
に役員選出において、理事一〇名、監査役二名が
18
および創立後二ヶ年を経た第三回定時総会の議案
■
どのよ う に 具 体 化 さ れ て い た で し ょ う か 。
題としたと想像されますが、実際の運動において
の神奈川同友会は、まずはこれらの項目を運動課
の目的達成に必要な項目」です。誕生したばかり
中小企業問題を研究すること」、④「その他本会
究すること」、③「相互の親睦を深め経験を交流し、
金、金融、労務等中小企業に関する基本問題を研
済を是正し、対等の取引を確立すること」、②「税
結成)等の地域的な中小企業家グループがあり、
二年結成)、「京浜商工協同組合」* (一九六二年
川崎地区を中心として「京浜一八会」* (一九六
奈川日中貿易商社」* (一九六五年結成)等の、
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30
31
13
17
16
15
同友会ニュース第1号
第一章 模索と前進
■
標を 置 い て 、 大 局 的 に 中 小 企 業 家 の 要 求 を 取
り上 げ て い く も の で す か ら 、 性 急 に 会 員 の 利
益に こ だ わ る こ と は 、 か え っ て 同 友 会 運 動 の
理念 を 閑 却 さ せ る 要 因 を つ く る 結 果 と な り ま
しょ う 。 や は り 同 友 会 会 員 と し て の 資 格 は 自
る も の で す。
」
(
「 同 友 会 ニ ュ ー ス 」 第 四 号、
二頁)
も加 入 し て い ま す が 、 こ の よ う な 団 体 の 中 で
「同友会に組織されている会員が、商工会
議所 や 法 人 会 ・ 同 業 組 合 等 の 中 小 企 業 団 体 に
ス」 第 四 号 、 二 頁 )
くてはならないと言えます。」(「同友会ニュー
役割 を 果 た す こ と に 意 欲 を 燃 や す も の で は な
共通 点 に 立 っ て 、 大 局 的 に 解 決 す る 先 進 的 な
にも、総務委員会、政治経済委員会、経営委員会、
が中心的な活動でありました。とはいえ、その間
成の動きを中心とする報告と機関紙の発行の確認
たものの、少人数であったため、理事会・常任理
きます。しかしながら、神奈川同友会は創立され
かれた厳しい状況に負けまいとする意思が確認で
ここには、神奈川同友会の創立時の会員の高い
運動目標、いわば〝志〟と同時に中小企業家の置
厳しい経営環境に立ち向かう諸活動
も中 小 企 業 の た め に 活 動 し て 、 中 小 企 業 の 諸
労働委員会が結成され、それぞれ機関紙発行、貿
■
要求 を 吸 い 上 げ て 、 同 友 会 の 方 針 を そ れ ぞ れ
易問題や近代化育成促進政策、労働者の確保・定
己の 利 害 と 数 多 く の 未 組 織 会 員 の 諸 要 求 と の
の団 体 に 努 力 を 積 み 重 ね 、 同 友 会 運 動 の 理 解
着の問題の検討が取り組まれていました。
合」の結成準備
*
*
の指摘、⑧「賃
このような最初の一年間の活動については、同
じく井上博氏は第二回定時総会後の一九六六(昭
最初の一年間の総括
表者会議」への出席および報告、⑤、「横浜地区
年一一月一二日・川崎「京浜ホール」)の開催の
全国大会」(一九六五年一一月一九日・東京「渋
とは考えていないし、中小企業の経営を安定
「同友会に加入している中小企業家は、…
企業努力だけで中小企業の存立が保証される
呼びかけ団体、その開催を契機にした「京浜中小
谷公会堂」)参加、⑥同友会会員によって構成さ
させるためには、政治、経済面の諸政策や機
企業団体連絡会」結成加入、その後の「危機突破
れる「第三次訪中代表団」への滝沢正富氏(㈱滝
いう文章で次のように述べています。
和四一)年の七月「過去一年の経験の中から」と
■
等です。
問題懇談会」* の開催、⑨「対共産圏貿易協同組
金問題」について「春の賃上げと中小企業―労務
年度税制改正政府案」の問題点
会実施(一九六五年一二月九日)
、⑦「昭和四一
沢商店)派遣・
「交易会」参加および両者の報告
事会の開催における議題についても、全国組織結
者を 増 加 さ せ る 作 用 と も な っ て 、 中 小 企 業 家
を大 同 団 結 さ せ る 方 向 が 実 現 さ れ る と 確 信 す
最初 の 一 年 間 の 諸 活 動
神奈川同友会の創立からの一年間の具体的活動
としては、つぎのような項目が挙げられています。
すなわち、①講演会(創立総会記念講演・花原二
郎 法 政 大 学 教 授「 今 年 の 日 本 経 済 と 中 小 企 業 経
営」)、②参議院選挙候補者アンケート、③「地域
性友好貿易商社」としての「横浜友好貿易株式会
21
中小企業・下請業者危機突破集会」* (一九六五
社」の設立、④「第七回中小企業家同友会全国代
23
22
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33
20
第一章 模索と前進
構を 改 革 す る 運 動 が 必 要 だ し 、 た と え 目 標 が
『高嶺の花』で達成するまでの道程は長くと
も、 同 友 会 に 団 結 し て 中 小 企 業 家 の 組 織 力 を
このように、少数でありながら、果敢な運動を
進めていた神奈川同友会は、創立会員の一人であ
同友の不慮の事故
友会 ニ ュ ー ス 」 第 八 号 、 二 頁 )
を不慮の事故(北海道からの帰途において飛行機
■
「私が常任理事として同友会活動に参画し
た、 過 去 一 ヶ 年 の 経 験 の 中 か ら 反 省 す べ き こ
墜落事故に遭遇)により失ってしまいました。そ
強化する必要のあることを痛感します。」(「同
とは 会 員 相 互 の 交 流 を 深 め る こ と に 集 中 的 に
れは創立したばかりの神奈川同友会にとっては大
り、
常任理事である坂田和恒氏
(㈱平間電機商会)
努 力 せ ね ば な ら な い と い う こ と で す。」(「 同
友会 ニ ュ ー ス 」 第 八 号 、 二 頁 )
「これは会員同士がお互いに知り合い、気
軽に 話 し 合 い 、 企 業 の 共 通 し た 悩 み を 相 談 し
合い、励まし合える友だちを多く持つことが、
中小 企 業 家 の 孤 立 感 を 吹 き 飛 ば し 、 勇 気 づ け
ることになるからです。」(「同友会ニュース」
第八 号 、 二 頁 )
でありました。そのことは、機関紙「同
このような創立以後二年間を経過した一九六七
(昭和四二)年の第三回定時総会は、その間の成
*
友会ニュース」第七号(一九六六年三月一五日)
果について、全体として「うちとけ、語り合える
きな打 撃
において「坂田和恒氏追悼号」が組まれたことか
会」という合言葉に近づくことができたが、運動
向があることであり、…今後は活動を外へ向けて
強めることにより、中小企業の運動の中に一つの
市民権を名実とも持つことであります。
」
(
「同友
同友会ニュース第7号
会ニュース」第一五号、
三頁)と指摘しています。
実施し、④労働委員会からの労務問題の提起があ
ち出されました。主な方向(
「同友会ニュース」
それゆえ、第三回定時総会の「一九六七年度運
動方針」では、
「外へ向けて」積極的な方向が打
三年目 ︱ 新たな方針
り、⑤「第八回中小企業家全国代表者会議」に出
■
席と報告をし、⑥第四次訪中団の派遣が準備され、
⑦「京浜一八会商業部会」の立上げが実施されま
した。
小企業育成策」に反対し、
それは
「反独占の闘い」
第一五号、三 五-頁)を整理すれば、次のように
なります。①「中小企業近代化法」に基づく「中
れ、③会員企業を相互に見学する「企業拝見」を
26
上の問題を、
「会の活動に内攻的・サークル的傾
ら推測 さ れ ま す 。
二年 間 の 総 括
組合」* が「横浜貿易協同組合」* として結成さ
進んでいませんでしたが、②「対共産圏貿易協同
います。①増強は二名のみの増加に止まり、なお
こうして、一年目を終えた神奈川同友会の二年
目の一九六六年度について、次のように指摘して
■
24
34
35
25
販売管理」「労務管理」を「企業内部体制」に確
力」を養い「経営技術」
「資金管理と金融」
「生産・
を「行動する会にむかったといえる」* と評価し、
取組み(
「互助預金会」* 、「県制度資金要請」等)
ることはなお克服できていないが、金融問題への
確認し、また、②組織的な日常活動を軌道に乗せ
立することを、「中小企業の体質づくり」としま
また、③「同友会が献身的に活動することによっ
であり、したがって、生き残るために、②「企業
した。また、③「一部会員同士の論争」* が会の
ました。さらに、⑤創立以来の二年間、会員増強
に乗っていない」欠点を克服することを重点とし
た。加えて、④「組織的な日常活動が未だに軌道
統一の障害になることを回避することができまし
告(
「同友会ニュース」第二一号、三頁)されまし
さらに、④三三名の会員拡大を達成したことが報
合」
・
「片山工業会の協同組合化」* の輪を拡げ、
合」
、
「横浜友好貿易株式会社」
・
「横浜貿易協同組
て」他団体との連携・組織化(
「京浜商工協同組
た。このような成果の上に、
「運動方針」では、
「同
友会の基本路線」を次のように確認しています。
業が 厳 し い 経 済 環 境 に も め げ ず 経 営 の 灯 を と
括として、①会の統一を守ることができたことを
「経過報告」、すなわち、一九六七年度の運動の総
この結果、翌一九六八(昭和四三)年の「第四
回定時総会議案書」における過去一年間の活動の
具 体 的 内 容 を、
「 一 一 項 目 の 運 動 目 標 」* に 集 約
すること、です。そして、それらの多岐にわたる
利益を守るために活動するとともに、会員企
いる悪い環境を一つ一つ取除き、中小企業の
と献身的に提携して、中小企業を取り囲んで
「中小企業家の政治的経済的なあらゆる要
求を組織し、運動化させ、他の中小企業団体
もし 続 け る た め に 会 員 間 で 工 夫 や 知 恵 を 出 し
し、
「神奈川同友会スローガン」
(①「会員を一〇
友会 ニ ュ ー ス 」 第 二 一 号 、 六 頁 )
組織拡大(横浜・川崎各地区の拡大の継続と県下
る)し、会員の要望に応えること、③会員および
成果を報告(
「同友会ニュース」第三三号、
二頁)
年の第五回定時総会の「経過報告」は次のような
積 極 的 な 運 動 方 針 を 掲 げ た 一 九 六 八( 昭 和 四
三)年度の運動方針の結果、
一九六九
(昭和四四)
会員数の倍加・全県的組織へ
の各地区の会員拡大)をはかり、今年度中に会員
しています。すなわち、①会員数が倍加し、九八
■
なりました。
以上のように、神奈川同友会は、ようやく初期
の模索の過程から前進への道筋を見いだすことに
織しましょう。
」
)を掲げました。
③「中小企業の当然の要求を声を大にして訴え組
し経営努力によって企業を発展させましょう。」
、
31
数一〇〇名にすること、④全国組織の結成を推進
独 立 さ せ、 同 委 員 会 に 各 委 員 会 委 員 長 が 参 画 す
務委員会の下の機関紙部会を機関紙委員会として
連携を強化すること、②専門委員会を活発化(総
して取り組んできた「日中友好運動」や他団体と
このような確認から、次のような次年度の運動
方針を提起しました。すなわち、①創立以来一貫
■「一一項目の運動目標」と
「神 奈 川 同 友 会 ス ロ ー ガ ン 」
■
合い 、 助 け 合 っ て い く 活 動 と を 車 の 両 輪 の 関
前進 の 第 一 歩
「会員 倍 増 」 方 針 を 掲 げ ま し た 。
が遅々として進んでいないことを踏まえ、改めて
29
〇名に増やしましょう。
」
、②「経営者の姿勢を正
■
30
36
37
28
27
係 で 運 動 を 進 め た い と 考 え て い ま す。」(「 同
第一章 模索と前進
第一章 模索と前進
名となり、藤沢、平塚、茅ケ崎、小田原の会員が
拡大して湘南地区会が発足し、厚木、相模原でも
新会員を迎え、全県的な組織への足掛かりをつく
ることができたこと、また、②横浜市根岸湾埋立
地(「ハ地区」)* の中小企業向け分譲について公
③地区会
*
の開催等の活動が弱かったこと等の
反省も指摘されました。
■ 神奈川同友会の前進と
全国の同友会運動との連動
会し、要請し、市も公募に踏み切り、さらに、会
織結成に向けた、前年から当年にかけての第一〇
このような神奈川同友会の着実な成果と真摯な
反省という活動状況は、各地同友会による全国組
■
員を中心に「共進会工業協同組合」* が設立され
募方式を採用するよう当時の飛鳥田一雄市長に面
35
事務局員を一名増員し、機関紙「同友会ニュース」
て、当地の分譲を受けることに成功したこと、③
同友会運動の大きな流れと連動していました。
よ全国組織の準備委員会の開催へと向かう全国の
回、第一一回全国代表者会議の開催から、いよい
その上で、上記の第五回定時総会における「一
九六九
(昭和四四)年度活動方針」では、「
(昭和)
四〇年不況」からの回復過程で、中小企業政策が
業「保護」政策から中小企業「切捨て」政策に転
「中小企業近代化促進法」の改正を通じて中小企
とはいえ、①理事会が報告と活動予定の承認に
止まり、なお問題の検討と方針の提起が不十分で
*
換し、単なる「近代化」から業界ごとの「構造改
あ る こ と、 ② 専 門 委 員 会
たものの、会員の要望に十分応えていないこと、
この第五回定時総会において、大和田武氏(㈱
大和田工務店)が理事長 * に就任しました。
38
理統合=重点系列化」が進行していることを指摘
しました。それゆえ、一九六九年の活動の重点と
して次の六点が挙げられました。すなわち、①内
外の政治経済情勢と政府の政策を明らかにするこ
と、②経営を守る切実な中小企業家の要求を取上
げ、その解決のための協力・協同の活動を、これ
までの成果(「京浜商工協同組合」、「共進会協同
組 合 」、「 県 水 道 工 事 組 合 」* 、 共 同 受 注、「 共 同
計算センター」等)を踏まえて推進すること、③
地方自治体に対する働きかけ等の対外的・社会的
活動を時宜に応じて推進すること、④他中小企業
団体との協力や各階層との連帯を図ること、⑤会
員拡大の目標を来年の定時総会時までに一五〇名
にし、各地区組織を確立すること、⑥全国組織の
結成の準備委員を二名選出し、協力を惜しまない
こと、です。さらに、昨年と同様の「運動目標」
善」* がさらに展開され、下請中小企業群の「整
の会合回数が増加し
■ 反省 点
の月一 回 の 定 期 発 行 を 実 行 し た こ と で し た 。
33
一一点(「同友会ニュース」第一三号、八 九-頁)
を提起 し て い ま す 。
36
34
37
38
39
32
同友会ニュース第13号
第一章 模索と前進
る大企業の多くも、
「本社」ではなく、
「支店」であったため、
「支店経済」とも呼ばれ、それら大企業の経営判断には「神
奈川経済」とは別の事情・要因・判断が働いていました。
準会員・会友 創立総会で採択された「神奈川県中小企業家
同 友 会 規 約 」 に は、「 準 会 員・ 会 友 」 の 規 定 は あ り ま せ ん。
同規約の第六条に「本会には会の趣旨に賛同する中小企業家
及びこれに準ずる者は誰でも会員になれる」とあり、「会員」
の規定のみです。したがって、「準会員・会友」は未見の内
て見られるような中小企業間における「横の関係」、中小企
業同士の地域的な繋がりが、神奈川県においては希薄だった
ということです。また、商業における卸売業・問屋機能、小
売業・商店街機能等の弱さがありました。したがって、中小
企業間の連帯を促進する中小企業運動は他の地域に比較して
より困難だったと考えられます。同時に、神奈川県に立地す
*6 貿易自由化 日本は一九六三年二月にGATT(「貿易と関
税に関する一般協定」)の一一条国(国際収入上の理由で輸
入制限ができなくなる国)への移行を表明し、一九六四年四
月にIMF(「国際通貨基金」)の八条国(「国際収支上の理
由で為替管理ができない国」)に移行を実施していました。
*7 資本
自由化 日本政府は一九六七年七月一日から、第一次資
本自由化を実施することを決定しました。さらに、その後、
一九七〇年に第三次、一九七一年は第四次、一九七三年には
五つの非自由化業種(農業、鉱業・石油、航空海運、投資信
託)を除いて、貿易の完全自由化を決定しました。
*8 ドル・ショック 一九七一年八月一五日、米国ニクソン大統
領は金・ドル交換停止を含むドル防衛政策を発表しました。
これに伴う世界経済への打撃を「ニクソン・ショック」ない
しは「ドル・ショック」と呼びます。同年一二月にスミソニ
アン会議でドル切下げ、固定為替制度への一応の復帰を見ま
したが、維持できず、一九七三年三月以降、主要国の変動相
場制への移行が開始され、戦後のIMF体制の下での、固定
相場制、金・ドル本位制は崩壊しました。これ以降、輸出主
導型の日本経済は為替相場の変動による影響を深刻に受け続
けることになりました。
*9 第一
次オイル・ショック 一九七三年一〇月、第四次中東戦
争の勃発を契機にアラブ諸国を中心とする石油輸出国機構
(OPEC)は結束して原油採掘量を減らし、イスラエルに
協力するすべての国に対して原油の輸出を禁止しました。こ
の結果、原油価格は一バーレル三ドルから一二ドルに急騰し
たことを「第一次オイル・ショック」ないしは「第一次石油
危機」と呼びます。一九七八年末から一九七九年にかけて「イ
ラン革命」によって一バーレル三〇ドル以上に上昇したこと
*
*
*
規かあるいは当時の各地の同友会の規定に見られた「準会員・
会友」の規定に準拠した表現と考えられます。
神交会 「神交会」については、その実態を示す資料が保存
されておらず、不明です。
神奈川日中貿易商社 当時、日本の各地では、中小貿易関連
企業関係者によって「日中友好の基本的な諸原則」に則って
「地域性友好貿易商社」の結成が促進されていました。神奈
川県においても「日中貿易促進研究懇談会」(一九六五年三
月二〇日設立)がもたれており、それを母体として「神奈川
日中貿易商社」の設立準備会が生まれました。それは、「同
友会の財源確保のためということであったが、組織的にも経
済的にも切り離して別の組織として事業を行うこと」(「同友
会ニュース」第三号、八頁)が決められ、同年九月に設立を
目指しました(「同友会ニュース」第四号、八頁)。
を「第二次オイル・ショック」ないしは「第二次石油危機」
と呼びます。この二度にわたる「ショック」の過程を通じて、
一九六〇年代、石炭から石油へのエネルギー転換を推進した
日本経済は大打撃を受け、それぞれ「高度成長」とその後の
「安定成長」の終焉の契機になりました。同時それ以降、金
融自由化の進展による世界的な金融自由化による金融緩和の
進展において、原油は常に投機の対象となり、高騰や乱高下
によって、円相場と並んで日本経済は翻弄され続けることに
なります。
*
狂乱物価 日本経済においては、*9に記した一九七三年の
「第一次オイル・ショック」を契機に物価の急騰が発生し、「狂
乱物価」と呼ばれました。そのような事態に対して、翌一九
七四年二月に開催された中小企業問題全国研究集会(以下、
全研と略称)は、その名において「声明文 決して悪徳商人
にはならない」を発表しました。そこにおいて、「外交・経
済政策における自主性の欠如、大企業・大商社の石油危機を
口実にしたやりたい放題の悪徳商法、それについて有効適切
な手をうち得ない政府の無策」を批判し、「中小企業はこの
国民的総困難のときにあたって、国民とともに生き、決して
悪徳商人にはならない」ことを呼び掛けました。(中同協(一
九九九)、二八一頁)
スタ グ フ レ ー ション ス タ グ ネ ー ション( 停 滞 stagnation
)
*
)とを組み
とインフレーション(物価の継続的上昇 inflation
合わせた用語。
* 〝厳 しさ〟 当時指摘されていた〝厳しさ〟としては、既述の
時代状況の他に、神奈川県における下請・系列関係の〝厳し
さ〟、いわゆる「縦割り」型の企業間関係の強固さを挙げる
ことができます。すなわち、近接する東京都城南地域におい
*
*
10
11
京浜一八会 「昭和三五年の二月に京浜一八会を組織し、経
営者の勉強会を続ける中で、昭和三七年の五月に京浜商工協
同組合が設立された」
(井上博「坂田君を偲ぶ」
「同友会ニュー
ス」第七号、二頁)の記述から、前者が勉強会であったこと、
それが中心になって、後者が創立されたことが理解できます。
なお、地域の経営者の勉強会が協同組合を設立した理由は、
12
当時の中小企業にとって〝協同化〟や〝共同化〟等は当然の
課題でありましたが、同業種組合が普通であった中で、商工
協同組合という多業種・異業種組合の設立ということは斬新
な試みであったと考えられます。
京浜商工協同組合 「京浜商工協同組合」のその後の活動と
しては、一九六六年「共同工場事業団」(仮称)の準備会を
発足させることになりました(「同友会ニュース」第一一号、
六頁)。また、「京浜商工協同組合」の第八回(一九六九年)
定時総会において、「新運動方針では、前々から準備してい
16
友会ニュース」第四二号、一〇頁)が、同時に、「給与体系
そのものの違いがあり、それも習慣的になっており、勤務時
間の問題、残業手当の率の問題等同一業種であってもまちま
ちで」(同上、一〇頁)あったことなど、中小企業にとって、
早い時期のコンピューターの導入の苦労が伝えられていま
す。さらに、同年七月二五日に同組合は国民金融公庫川崎支
店と懇談して、「零細企業」への融資の厳しさが進行してい
る事実の指摘と融資の拡大を要望しています(「同友会ニュー
ス」第三六号、一三頁)。
たコンピューターがいよいよ設置され、組合員企業の管理面
の近代化促進の第一歩を踏み出すこと」(「同友会ニュース」
第三五号、七頁)を決定しています。その結果、「初歩的な
労務管理であるが、一応計算システムが完成しました」(
「同
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14
15
第一章 模索と前進
*
それらが母体となった 地域的な中小企業家のグループのう
ちでは、「神交会」および「京浜一八会」の「二つの地域組
織が同友会を組織し発会させることに主要な役割を果たしま
し た。」( 井 上 博「 過 去 一 年 の 経 験 か ら 」「 同 友 会 ニ ュ ー ス 」
第八号、二頁)という経緯から、神奈川同友会が設立された
後の初期の時期は、その二つの「地域組織」が事実上の横浜
地区会および川崎地区会でありました。そして、そのことは
次の記述からも推測されます。すなわち、「神奈川の同友会
を支えている地域組織に、横浜を中心とした神交会と、川崎
を中心とした京浜一八会があります」(同上、二頁)、「同友
会運動を強化するには、こうした地域ごとの組織活動が底辺
となっていく必要があります」(同上、二頁)、「京浜一八会
も(一九六六年)五月の総会において、同友会の運動方針が
確認され、同友会の地域組織として面目を一新して活動を開
始しました。」(同上、二頁)
「当面の活動と組織問題によせて」という一文 この井上博
*
氏の一文は、一九六五年一〇月一〇日、一一日の両日開催さ
れた第七回中小企業家同友会全国代表者会議における各地同
友会の組織問題に関する会議で、同じ表題で報告されていま
す。
* 横浜 地 区 中 小 企 業・ 下 請 業 者 危 機 突 破 集 会 「 四 〇 年 不 況 」
を契機に、京浜地区では「中小企業、下請工業関係者には、
単価の切り下げ、発注の打切り、手形サイトの長期化、不渡
手形等々全く未曾有の危機に直面して」(上記集会を呼びか
けた神奈川県民主商工会川崎支部会長の「申入書」)いました。
それは、東京での同趣旨の全国版の集会(全国商工団体連合
会および東京同友会のよびかけ)に引き継がれました。(「同
友会ニュース」第五号、一二頁)前者には二〇〇名(うち同
*
*
*
ありました。坂田氏を含む創立時の会員諸氏の特徴について
は、本書第二部第六章第一節の「忘れえぬ会員群像」として
取り上げます。
対共産圏貿易協同組合 神奈川県下中小企業による対共産圏
貿易協同組合結成の準備が進み、「横浜でソ連を中心にその
他 の 共 産 圏 と 貿 易 す る 協 同 組 合 が 発 足 し よ う と し て い る。」
「発起会には、貿易、木材、家具、機器、スカーフ業界から
代表が参加し、設立趣意書を県下各界に発表し、広く中小業
者の結集を要請することに、現在約五〇名の業者が参加の意
思を表明」
(
「同友会ニュース」第七号、
七頁)しておりました。
横浜貿易協同組合 一九六六年四月二八日に、横浜市シルク
センターで創立総会が開催され、ソ連・チェコスロヴァキア・
ポーランド等の通商部代表、県知事、市長、東欧貿易会代表
など五〇名が出席した(「同友会ニュース」第八号、七頁)。
一 部 会 員 同 士 の 論 争 神 奈 川 同 友 会 の 創 立 に 参 加 し た 会 員
は、本文に既述したように横浜、川崎の製造業者を中心にし
た中小企業経営者でありましたが、その他に、横浜港を控え
た一群の貿易業者の会員がおりました。彼らは中小貿易企業
家として、当時、政策的・制度的に、ソ連、中国との貿易が
制限的であった事態を打破するために「東西貿易」に取り組
んでいました。その取組みは戦後長く継続的な運動でありま
したが、一九六〇年代後半、中国において「文化大革命」が
勃 発 す る と、「 東 西 貿 易 」 を 進 め て い た 会 員 の 間 で、 ま た、
第二次世界大戦における日中戦争に対する歴史認識を踏まえ
「日中貿易」の進展を期待していた会員の間で、「文化大革命」
およびその日本への波及に対する評価をめぐって意見の相違
が生まれ、論争が生じてきました。直接の課題としては、同
友会として、第五次訪中団を派遣するかどうか、「文化大革命」
友会一〇数名)の、後者には二,〇〇〇名余の参加がありま
した。(「同友会ニュース」第六号、八頁)
* 「昭
和 四 一 年 度 税 制 改 正 政 府 案 」 の 問 題 点 問 題 点 と し て、
①同族会社の留保金課税、②大企業の自己資本比率向上促進
税制・法人税率軽減、③合併促進の優遇税制の新設、④固定
資産税・個人県民税の引上げが挙げられています。
* 春の
賃上げと中小企業―労務問題懇談会 そこでは、次のよ
うな意見があり、同友会運動の特徴を現わす後年の「労使見
解」の片鱗が窺われます。「民主的経営ということがよくい
われる、その意味はいろいろあると思うが、本来経営には民
主的というものはないのではないか。私たちが経営者である
以上労働者を搾取していることは真理であり、ここをあいま
いにすると、経営者としての立場を見失い企業を守るという
こ と で も い い 加 減 な も の も 出 て く る。」(「 同 友 会 ニ ュ ー ス 」
第七号、六頁)、
「労働者が労働組合をつくったからといって、
そのことで労働者が自覚的になったとは言えない。」(同上、
六頁)
「対
* 共 産 圏 貿 易 協 同 組 合 」 の 結 成 準 備 神 奈 川 県 下 の 中 小 企
業が集まり、
「発起人には、貿易、木材、家具、機器、スカー
フ業界から代表が参加して、設立趣意書を県下各界に発表し、
広く中小業者の結集を要請することになっている。現在、約
五 〇 名 の 業 者 の 参 加 の 意 思 を 表 明 し て い る …」(「 同 友 会
ニュース」第七号、七頁)、「この貿易協同組合準備会には同
友会の会員である…諸氏が参加し、その結成に努力してきた
…」(同上、七頁)。
* 創立したばかりの神奈川同友会にとっては大きな打撃 この
打撃は、役員の喪失というだけでなく、神奈川同友会の創立
準備の過程、創立の後の諸活動への余人に代えがたい貢献が
*
*
*
を支持する団体に加盟するかどうかが問題になりました。こ
のような問題は当然全国代表者会議や各地の同友会において
も多かれ少なかれ生じており、大阪同友会は論争が激化し、
分裂に至りました(中同協(一九九九)、六六 六
- 七頁 。)神
奈川同友会は、一九六八年の第四回定時総会における「昭和
四三年度運動方針」で「創立以来一貫して行ってきた日中友
好運動の実績を正しく評価し、今後の中国問題に関する中小
企業家の要望などを積み重ねて今まで以上に日中友好貿易を
強化して行きたいと考えています。」(「同友会ニュース」第
二一号、六頁)と最終的に総括し、論争の激化、分裂の危機
を克服しました。
互助預金会 一九六七年度第八回理事会で「同友会互助預金
会 」 の 設 立 の 準 備 が 決 定 さ れ ま し た。「 こ の 互 助 預 金 会 は、
同友会活動の一環として運営しますが、本来の同友会の活動
は中小企業がこのような金を使わなくても経営ができるよう
にして行くことが運動の基本ですが、現実には明日の手形の
手当てに苦労する実情ですので、過渡的な活動として是非成
功させて行きたいものです。」(「同友会ニュース」第一九号、
頁)と結ばれています。その後、「互助預金会設立の趣意書」
「新中同互助預金会規約」
「同運用規定」が作成されています。
(「同友会ニュース」第二二号、九頁)それらには、会員相互
の「助け合い」の活動であること、会員の任意参加であるこ
と等のほか、詳細な規定が記述されています。
「行動する会にむかったといえる」 「県に対して制度資金に
ついての要請を行ったことは、ようやくサロン的なものから
抜け出して行動する会なる方向に向かった。」(「同友会ニュー
ス」第二一号、二頁」)
片山工業会の協同組合化 「京浜協同組合や片山工業会等の
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第一章 模索と前進
発展につくした経験を生かして組織の保塁拡大強化すること
も 必 要 な こ と と 思 い ま す。」(「 同 友 会 ニ ュ ー ス 」 第 二 一 号、
六頁)なお、この「片山工業会」についての資料は現時点で
は保存されていないので、実態は不明です。
*
項目の運動目標 「一一項目の運動目標」(「同友会ニュー
一一
ス」第二一号、八頁)の各項目を要約すれば、次のようにな
ります。すなわち、①中小企業の系列化・官僚統制反対、②
流通市場に対する内外大資本の支配の反対、③下請単価・小
売マージンの支払遅延・手形長期化反対、④自主的協業化・
共同化の推進、⑤工場用地・用水の中小企業育成のための開
放、⑥制度融資の改善(手続き簡素化・融資枠拡大・返済期
間延長等)、⑦減税・租税特別措置撤廃・売上税等間接税反対、
⑧友好貿易の拡大、⑨社会保障拡充・自主的健康保険組合の
設立支援、⑩労使問題の解決、⑪中小企業の労働力の確保
* 横浜市根岸湾埋立地(「ハ地区」)
横浜市根岸湾埋立地の中
小企業向け用地の公募について、会員の間では、中小企業に
は過酷な条件があり、その改正と公正な審査による納得いく
割り当てとが望まれていました。上記の問題について、「同
友会としては、分譲申し込み会員を中心とした工業部会を近
日中に開催し、問題を具体的に検討するとともに、その要望
を市当局に反映し、その実現を図っていく」(「同友会ニュー
ス」第二三号、二頁)こととし、その後、一九六八年七月一
五日に工業部会としての申し入れを決定し、同月一八日に市
助役、埋立事業局長に面会、懇談しました。その申し入れに
ついては「各新聞社が翌日の朝刊に問題を取上げ、各方面に
多大な反響を呼びおこしました。」(「同友会ニュース」第二
三号、二頁)
共進会工業協同組合 「共進会協同組合」について、当時同
*
*
おります。」(「同友会ニュース」第三六号、一頁)「この近促
法に基づいて行われた中小企業の近代化は、一部有力な中小
企業と、弱小中小企業との格差を一段と大きくする結果を招
きました。」(同上、一一頁)「そこで政府、与党が考えたこ
とは、近促法を改正して、中小企業の各業種毎に、業種全体
の力で、自主的に構造改善を実施させ、弱小企業を整理統合
し よ う と い う の が、 今 度 の 構 造 改 善 事 業 の ね ら い で あ り ま
す。」(同上、一一頁)また、印刷業の「構造改善」について、
神奈川同友会に作られていた「印刷部会」は次のように述べ
ています。「政府の提唱、推進している「構改」は、戦前の
企業整備に一脈通ずるものがあり、大企業のために役立てる
ための、中小企業の淘汰政策に過ぎないものであるとの判断
に立って、その本質を明らかにし、原則的に中止、自主的、
民主的に協業化、協同化の方向と要求を示した文書を、県下
五〇〇社以上の業者に郵送して広く訴えました。」(「同友会
ニュース」第四二号、三頁)「この運動には会員以外の業者
も参加し、これまた、同友会が会外に向かって大きく活動し
た最初の事業でしたが、県下の業者に多大な影響を与えるこ
とができました。」(同上、三頁)
県水道工事組合 一九六八(昭和四三)年八月一〇日に開か
れた「湘南地区会発会のための懇談会」の席で、大和田武氏
(㈱大和田工務店)は「県水道工事組合」について次のよう
に紹介しています。「県下の八市一三町村にわたる、企業庁
水道局の管轄下にある水道工事業者を組織して、一五年間理
事長をつとめ、最近、理事長を他の人に譲り会長として働い
ています。」(「同友会ニュース」第二五号、八頁)「水道工事
業者の組織=神奈川県水道工事組合は数年前、水道会館も建
て、固定資産一億二千万円をもつ、日本一の組合になってい
組合の理事長を務めていた、神奈川同友会会員の田中秋範氏
(㈱神奈川部品製作所)は次のように述べています。当時大
企業各社に組織されていた「下請協力会」に所属する中小企
業が敢えて「協同組合の組織を考えたのは、自らの経験に立っ
て、自分達の行末を考えてみるとき、何時までも今の姿では
企業はやっていけないと考えたからです。お互いに腕を組ん
で仕事をやり、いろんな形での助け合いをやらないかぎり生
きのびられない、また自分の企業を近代化していかねばなら
ないし、あれこれのことをしなければならいないと考えたと
き、どうしても今の自分の企業の土地の手狭さに行き着きま
す。そこで、協力会会員の中から、土地の広いところを求め
る 人 々 を 中 心 と し て、 今 の 協 同 組 合 を つ く っ た わ け で す。
」
(「同友会ニュース」第二八号、一四頁)また、「同友会には、
常に協力してもらい、また、私どもも同友会の一つの柱となっ
て活動しており、組合員中半数以上が同友会会員となってお
ります。」(「同友会ニュース」第二八号、一四頁)
* 専門委員会 当時の専門委員会としては、総務、政治経済、
経営、機関紙の各委員会がありました。
* 地区
会 当時の地区会としては、横浜、川崎、湘南の各地区
会がありました。
* 構造
改善 神奈川県プラスチック工業会の丸山一郎氏は、同
業界における「構造改善」事業の問題点について、次のよう
に語っています。従来、中小企業近代化政策の中心として
「中
小企業近代化事業」の指定業種の各企業に対し、税制上の優
遇措置(特別償却、割増償却等)、金融上の助成措置(貸付等)
が与えられ、そのようなメリットを求めて、「各業界とも指
定業種になるための運動を起こし、今では近促法(中小企業
近代化促進法―引用者)の指定業種は百十種業種にも達して
*
ます。」(同上、八頁)
理事長 第五回定時総会議案書の末尾に「御通知」として、
次のような文章が掲載されています。「来年度から今までの
代表理事制度を改めて理事長と副理事長ということに決まり
ました。」(「同友会ニュース」第三四号、六頁)なお、一九
七四年、代表理事制に再び戻りました。
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第一章 模索と前進
第二章
発展と課題
第一節 前進から発展へ
一九七〇年代︵一九七〇年 ︱一九七九年︶
る気になって、やり抜く計画をたて、それをやり
遂 げ た 実 際 行 動 の 賜 物 で あ り ま す。
﹂
︵
﹁同友会
ニュース﹂第四二号、二頁︶と分析しました。
ら発展 へ の 過 程 を 歩 む こ と に な り ま し た 。
創立から五年、神奈川同友会は模索を通してよ
うやく足場を固め、一九七〇年代における前進か
る調査と報告、神奈川県印刷工業組合で始められ
に 行 わ れ ま し た。
﹁ 従 業 員 の 定 着 問 題 ﹂* に 関 す
も反省しています。また、②各部門の活動も活発
した。
﹂
︵
﹁同友会ニュース﹂第四二号、三頁︶と
会員 一 五 〇 名 達 成 と 中 同 協 結 成
一九七〇︵昭和四五︶年の第六回定時総会は、
前年度の﹁運動方針﹂を基に次のように経過報告
ていた﹁構造改善﹂についての研究・討議とその
■
﹁常任理事会の要請が、理事会
しかし同時に、
や 全 会 員 の 皆 さ ん の と こ ろ ま で、 十 分 浸 透 し な
をしています。①方針通り、会員数一五〇名を達
文書の作成と会外への配布、
﹁大演説会﹂や記帳
かったために、限られた会員だけの苦労となりま
成し、その達成の原動力を﹁積極的な会員が、や
46
47
39
について、全国組織に立脚した対策を立てて
されていた、鉄鋼資材の払底、価格高騰問題
員、会員、事務局の三位一体の力でぶつかってい
ほしいという要望を出すなどして、連帯の中
事務講習会の開催等です。これらについては、「役
けば、きっと成功するものだという教訓」(「同友
の独自性の発揮にも努力をしてきました。
」
■
残された課題も
(
「同友会ニュース」第四二号、四頁)
会ニュース」第四二号、三頁)を得ています。さ
らに、③過去一〇年に渉る努力によって神奈川同
友会を含む各地五つの同友会が正式加盟する全国
組織、
「中小企業家同友会全国協議会」* (以下、
「問題ごとに対策会議をもつ、
それでもなお、
各種専門委員会や地区会の活動や機能の発揮が十
分でなかったこと」(
「同友会ニュース」第四二号、
にも 会 員 多 数 が 参 加 し 、 そ れ に 先 立 つ 全 国 の
「 神 奈 川 同 友 会 は 全 国 組 織 確 立 の た め に 積
極的 に 協 力 し て き ま し た 。 全 国 組 織 設 立 総 会
的範囲だけでは不十分で、執行部を補完する任務
会の執行業務を円滑にすることですが、単に事務
方の重要性を指摘し、
「元来、事務局は常任理事
四頁)を反省しています。その際、事務局のあり
運動 課 題 と し て 名 古 屋 で 開 催 さ れ た 「 夏 季 ゼ
が必要であります。
」
(
「同友会ニュース」第四二
二月に開かれた中同協第二回幹事会にも参
「六 つ の 活 動 」 と 「 四 つ の 柱 」
加、 既 述 の 「 共 進 会 工 業 協 同 組 合 」 か ら 提 案
■
展と会員企業の繁栄に資する、でありました。
後者の「四つの柱」とは、①労働力の「定着問
題」とそのための特別対策委員会の設置、
および、
中同協でまとめられた「労使問題についての統一
見解」
( 案 )* の 討 議、 ② 多 種 多 様 な 問 題 の 専 門
つの活 動 」 と 「 四 つ の 柱 」 を 掲 げ ま し た 。
変化に注目し、「中小企業の生きる道」として、「六
「第三次総合計画」による中小企業の位置付けの
備の長期展望「首都圏昭和六〇年」や神奈川県の
「 激 動 の 年 」 と の 認 識 を 前 提 に、 政 府 の 首 都 圏 整
る同様の「当面の要求」の一一項目(注 )が提
談、講習会の活発化、でした。最後に三年目とな
の大行事の実施、④会員間経済交流、税務法律相
とし、その目標達成の際の「二〇〇名突破記念」
委員会における検討、④会員拡大目標を二〇〇名
以上のように、神奈川同友会は創立当初の困難
から脱却し、その後の三年間にわたって飛躍を継
飛躍の中での模索
な具体的問題を通じて各種団体と連携を前進させ
続しました。まず、一九七一(昭和四六)年の第
■
る、⑤会員を拡大し、地区会を確立する、⑥中同
七回定時総会は前年度の「経過報告」の最初にお
31
協に協力し、その発展とともに神奈川同友会の発
に即して社会的対外的な活動を重視する、④重要
だいてゆく、③同友会の社会的地位・役割・力量
②会員の切実な悩みや要望に力を合わせ、心をく
起されています。
そして、一九七〇年代の最初の「一九七〇年度
運動方針」を次のように決定しました。すなわち、
号、四頁)と強調しています。
ミナール」* にも多くの会員が参加出席し、
て、次 の よ う に 指 摘 し て い ま す 。
数六四〇名をもって設立されました。それについ
中同協と略称)が一九六九年一一月一七日に会員
40
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49
42
41
前者の「六つの活動」とは、①情勢、政策、業
界、経営等について研究し、その成果を普及する、
第二章 発展と課題
第二章 発展と課題
いて次のように総括します。すなわち、「二〇〇
名会員にして、その目標が達成できた暁には、そ
れに相応しい記念行事を開くことを提起しまし
た。しかし、残念なことには、遂には不発に終わ
努力の不足、⑤会員と事務局との協力の不十分等
が指摘されました。
進したこと、②中同協主催「全国ゼミナール京都
とはいえ、①地区会の定期化および自主的展開
の基盤の上での活動がようやく小田原地区会で前
組織、⑤「神奈川同友会スローガン」を五項目に
②「一般運動方針」
、③具体的活動方針、④機構
そ れ ゆ え、 そ の よ う な 前 年 度 の 成 果 と 反 省 に
立って、
「一九七一年度運動方針」を、①「情勢」
、
新機軸の運動方針案
集会」に神奈川同友会の一六名の会員が参加し、
分けるという新機軸の形式によって提案しまし
■
中小企業と地方自治体とのすぐれた関係を学んだ
た。 ①「 情 勢 」 で は、 賃 金 の 上 昇、
「公害」問題
りました。」(「第七回定時総会議案書」、三頁)
こと、③「商法改正」* 反対の請願運動、県知事
る事業活動がたくさんあってもよいし、なければ
に応えていなかったこと、③会員の実利につなが
が計画どおりでなかったこと、②会員の学ぶ要求
げ、同時に、反省点として、①理事会の開催回数
総会の熱海開催の設営の担当等を成果として挙
選挙での公開質問書の提出、④第二回中同協定時
中同協の強化が挙げられ、③「具体的活動方針」
応える正しい経営姿勢の必要性、
平和憲法の堅持、
誰でも入れる会、他団体との協力、会員の要望に
業の歴史の足跡に見られる発展、中小企業家なら
相反を指摘し、②「一般運動方針」では、中小企
受注減、国・自治体の行政と中小企業の要望との
の深刻化、
流通業界の変容、「金詰まり・人詰まり」、
業種部会の結成による特殊と全体の関連の運動、
会の定期化・機能発揮、小グループの結成と親睦、
員・事務局は鼎の足、専門委員会の定期化、地区
からの脱却、注文・文句・批判の提出、役員・会
有機的に構成する組織体、「つき合い入会」意識
れました。④「機構組織」では、会は会員全体が
員数二〇〇名を目標とする会員拡大等々が掲げら
回 の 常 任 理 事 会 を 開 催 し、 会 の 運 営 と 執 行 に 当
総会の「経過報告」では、①五回の理事会、一〇
名の会員数を実現しました。その理由を、同定時
翌年の第八回定時総会の時点では、念願の二〇〇
ク」
(注8)と呼ばれた事態に直面しながらも、
る「ニクソン・ショック」あるいは「ドル・ショッ
和四六)年八月のニクソン米国大統領の声明によ
このような第七回定時総会における果敢な「一
九七一年度運動方針」の下で活動し、
一九七一(昭
「ドル・ショック」の中での増強
相 談 セ ン タ ー の 活 動 の 活 発 化、 会 報 以 外 の 活 動
たったこと、②中同協の第三回定時総会に一二名
■
ならないこと、④機関紙への会員の投稿等の充実
では、講演会・研究会の開催、調査・情報の収集、
会員企業の経験交流、労使問題の研究・対策、税
金・税制の研究・対策、公害問題の対策、制度融
ニュースの発行等々です。⑤「神奈川同友会のス
の会員が参加し、神奈川同友会の他同友会に較べ
資の大幅拡大、機関紙の改善・定期化の実行、会
ローガン」では、「会員の数を増やし、会を充実
ての「遅れ」* を率直に学び、教訓を得たこと、
③常任理事・理事が活動の比重を地区会に置いた
かなえ
させよう。」「経営者の姿勢を正し経営努力によっ
て企業を発展させよう。」「中小企業の当然の要求
(昭和四六)年の一〇月に熱海で第二回全研が開
ことである、とまとめています。また、一九七一
記運動 方 針 の 結 び と し て い ま す 。
を、声を大にして訴え、組織しよう」を掲げ、上
44
50
51
43
第二章 発展と課題
て大き く 貢 献 し ま し た 。
催され、神奈川同友会はその成功に設営担当とし
の「経済交流」* の発展、自治体への働きかけ、
して、
「一九七二年度活動方針」では、会員相互
さらに、翌一九七二年の一月には、念願の会員
二〇〇名達成の「躍進記念集会」が開催され、神
方向を打ち出し、会員増強では三〇〇名の会員数
に「 付 加 価 値 税 」 の 導 入 反 対 運 動
を 確 保 し ま し た。 そ
*
に取り組む
47
れていた「同友会理念」* に対する取組みについ
等)の成果も強調し、また、当時中同協で討議さ
自性ある活動(藤沢地区における「無尽」の開設
年間、第一回同友会学校開催、地区会の確立と独
りました。その総会での「経過報告」は、過去一
しかし、翌年の一九七三(昭和四八)年の第九
回定時総会の時点では、会員数は二〇一名に止ま
■
「同友会理念」への最初の取組み
文化活動等の課題をも掲げ、中同協の強化ととも
奈川県議会の各党議員が参加する、出席者数一五
を掲げました。
46
二名という盛会となりました。その他、この間、
事業協同組合、労使問題の研究がなされるととも
*
右側の建物が新事務所(横浜市神奈川区御
殿町、現在の神奈川本町)
ても、地区会の活動を通じて「同友会理念」を編
み出しつつあります、と総括しています。
52
53
48
に、それまで、会員企業の事務所に同居していた
事務局が独立した事務所
45
同友会ニュースNo.4
第二章 発展と課題
情勢 に 負 け な い 同 友 会 活 動
を改めて確認し、加えて、
「財政支出主導型」経
済成長の結果でもある「財政悪化」に対応する財
に対して明確な反対の方針を提起しています。そ
■
源確保のための「付加価値税」新設の動き、同じ
ところで、この間、神奈川同友会の当初の模索
を脱却しましたが、会員数や活動の水準の躍進と
して、会員数三〇〇人の達成を改めて掲げ、その
く「健康保険法」* 改正等の後年深刻になる問題
足踏みの繰返しは、日本経済と中小企業を取り巻
目標の各地区会への割当ての方針も立てました。
騰、変動相場制への移行、田中内閣の「列島改造
和四六)年の「ドル・ショック」後の円相場の急
はできません。すなわち、二年前の一九七一(昭
く情勢の激しさの影響を無視しては理解すること
51
■「オイル・ショック」と
「同友会 三つの目的」
した。激動の中での活動の困難を推測させる事態
体裁も手書きでいわゆる「青焼き印刷」のもので
友会の創立以来の実績を積み重ねつつあった方針
治体への働きかけを強めること、等々の神奈川同
演会・研修会等の各種催しを活発に開くこと、自
こと、会員相互の経済交流を発展させること、講
互の力を結集して自主的・民主的運動を展開する
針」も、一貫して情勢に負けないように、会員相
がありました。その中で、各年における「活動方
定時総会で決定された「同友会 三つの目的」を
身に着け、中同協を強化し、③会員の要求に応え
化し、②一九七三(昭和四八)年の中同協第五回
りのものに終わり、上記の「定時総会議案書」の
動方針」は従来との目立った変更もなく、例年通
案書」には初めて冒頭に「同友会 三つの目的」
が掲載されましたが、そこでの「経過報告」「活
一九七四(昭和四九)年の「第一〇回定時総会議
一次石油危機)
」において頂点に達しました。翌
「ドル・ショック」後の日本経済の激動は一九
七三(昭和四八)年九月の「オイル・ショック(第
■
でした。しかし、そのような中でも「横浜地区会
られる事務局体制を構築し、④創意ある経済交流
が全県組織に呼びかけ、各地区会の協力を得て成
功し、実質的には「中同協センター設立資金」*
として活用されたことは、会の発展に寄与された
ことであり、積極的にこの事業活動を進められた
方々に感謝いたします」(「第一〇回定時総会議案
書」、三頁)と記述されており、創意ある活動が
あった こ と が 理 解 で き ま す 。
しかし、会員拡大も目標の三〇〇名を達成でき
ませんでした。したがって、「一九七四年度活動
方針」も、基本的には、①会員企業の企業利益を
守り、経営環境を良くする運動を進めることと、
そのためにも、②神奈川同友会を強く大きくする
運動を改めて提起することになりました。後者に
ついては、①会員の要望に応えられる事業を活発
神奈川同友会一〇周年
迎えようと訴えています。そのような記念すべき
針と役員を選出し、確信をもって創立一〇周年を
励まし合い、成果と欠陥を明らかにし、新しい方
問題およびその打開策を明らかにし、学び合い、
展をしていることを指摘して、中小企業の現状と
ること、とりわけ、過去一年がこれまでにない発
す。
「よびかけ」では、同総会が一〇周年を迎え
会についての「よびかけ」の文書を発表していま
さて、神奈川同友会は、一九七五(昭和五〇)
年の第一一回定時総会の開催に先立って、定時総
■
をさらに活発にすることであると訴えました。
の有志が始めた「ハチミツ販売」* を常任理事会
論」によるインフレの進行・「買占め」等の横溢
49
54
55
50
第二章 発展と課題
〇名を達成したこ
〇名を超える三二
目標の会員数三〇
長の糧として」
、
は、「 苦 し み を 成
年度経過報告」で
書 」 の「 一 九 七 四
一回定時総会議案
川同友会の飛躍を表しています。つまり、議案書
にわたっており、そのこと自体がこの時期の神奈
のちに、まとめを行っています。その内容は多岐
一〇周年を飛躍の年に」の三本柱の方針を立てた
「中小企業の経営環境を改善する活動」
、③「創立
展と経営者としての資質の向上を図る運動」、②
て今後の課題を整理し、後者では、①「企業の発
友会を強く大きく育てる活動」の三本柱を総括し
②「中小企業の経営環境を改善する活動」
、
③「同
前者では、①「経営体質を改善・強化する活動」
、
とを報告していま
の充実が運動状況の発展と並行・連関しているこ
定 時 総 会 の「 第 一
す。
とを物語っています。前者の①では、九項目にわ
たる例会についての会員の「要望」* を掲げてい
ます。また、後者の③において、
「会員倍増」
(「会
財政確立」を掲げていたことが注目されます。さ
員一人が一人の新会員を迎え入れる」
)と「健全
そして、同時に、定時総会議案書の「経過報告」
と「活動方針」とが、中同協第五回定時総会にお
らに、第一一回定時総会では、
「規約」が全体的
に詳細で厳格なものに改正されています。
に際しては各界から期待の言葉が寄せられ、
「文
化厚生活動の一環として、会として初めての一,
〇〇〇名規模の催し(後述の「同友まつり」)の
第一一回定時総会において、「できるだけ早い時
催されています。臨時総会が開催された理由は、
ところで、このような第一一回定時総会の四ヶ
月後の一九七五年一〇月に第一二回臨時総会が開
の活動の広がりが見られたのでした。
議案書」
、三頁)としました。このように会外へ
社会的地位を向上させるための準備」
(
「臨時総会
■ 臨時総会―「会費値上げに相応しい
活動 状 況 」 の 創 造
期に会費値上げにふさわしい会の活動状況をつく
また、一九七五年の第三回青年経営者全国交流
集会(以下、青全交と略称)を契機に神奈川同友
準備をすすめ、この催しの成功によって同友会の
り、九月~一〇月には臨時総会を招集するという
設立大会が開催され、
「企業経営に
況」をつくることにありました。その結果、「会
にあるように、「値上げにふさわしい会の活動状
は会費値上げに重点があるのではなく、上の文章
時総会議案書」、一頁)からです。しかし、それ
②対外的にも同友会の社会的地位も向上させ、③
ます。「①会員数を急速に増やし、
四〇〇名を超え、
「今日の到達点」では次のようにまとめられてい
成」の課題への取組みが始まりました。
その結果、
おける後継者問題」
「同友会運動の新しい幹部養
動をすすめる段階に到達することで出来まし
への活動の幅を広げ、④新しい地域にも同友会運
員数は四〇〇名を超え」、「第二回理事会で地区運
も発行され、「新版 同 友会のごあんない」の発行
れ、「 横 浜 地 区 会 」 に よ る「 地 区 会 ニ ュ ー ス 」*
専門部会の機能を高めて新しい課題・新しい分野
54
営細則が決まり地区会の性格や活動が明確にさ
*
会青年部会
■
いて制定された「同友会 三つの目的」を踏まえ
た形で、記述されるようになりました。すなわち、
■ 定時 総 会 議 案 書 の 改 善
52
条件で」会費値上げをすることになっていた(「臨
53
56
57
創立10周年記念総会でご挨拶される長洲一二神奈川県知事
第二章 発展と課題
活動を紹介する「同友会のごあんない」パンフレット
59
58
第二章 発展と課題
た。」(「臨時総会議案書」、四頁)
それゆえ、今回の臨時総会では一九七五年度後
半期の活動の重点として、次の二点を重視するこ
とにしました。①引き続き会員増加活動に力を入
れ、次回定時総会において七〇〇名の達成を目標
第二節 発展の中の課題
業の利益を守る諸活動・他団体との接触等役員と
費の自主納入率の向上・広報活動の強化・会員企
区会運営の改善と充実・例会の出席率の向上・会
するというような受動的な考え方」をとらず「地
の諸活動を開始したことです。それらは、同時に
に達しました。この期間、特筆することは、新規
増加し、会議開催数・参加者数も前年度の約四倍
数は前年の三〇七名から四〇〇名を超える水準に
上記の臨時総会を挟んで、次の一九七六(昭和
五一)年の第一三回定時総会の時点までに、会員
会員四〇〇名の達成
事務局が一体となって会員とともに活動する方
さまざまな新規の課題を提起することでもありま
■
向」(「臨時総会議案書」、五頁)をめざすとしま
した。上記定時総会の議案書は、以下のような諸
としました。また、②「量が増えれば、質が向上
した。
点を指摘しています。
■
新
規
の
諸
活
動
―
建設部会・青年部会・
「同友会まつり」
・労使懇談・自動車損害保険
■
交 流、 会 員 企 業 の
た。 情 報 や 経 験 の
場がつくられまし
員の要望に応える
は別に業種別の会
発 足 し、 地 区 会 と
て建設関連部会が
の業種別部会とし
り、神奈川県・横浜市の協賛、神奈川新聞社・テ
ました。それは「老人福祉に協力する機会ともな
り」が一九七五年一一月一三日(木)に開催され
さらに、③神奈川同友会のPR、会員の増強、
従業員の慰安を内容とするはじめての「同友まつ
ました。
レビ神奈川の後援も
くりだし」
(
「第一三回定時総会議案書」
、一頁)
会等にとりくみ、会の活動に新しいスタイルをつ
まず、①一九七四(昭和五四)年七月に「最初
相互協力等もめざ
得ました。当日は入
頁 ) た だ し、
「会員
時 総 会 議 案 書 」、 二
た。
」
(
「第一三回定
民にアピールしまし
会の社会的存在を県
な催しとなり、同友
いう創立以来の大き
場者一,三〇〇人と
し な が ら も、 自 主
的 協 業、 共 同 化 の
問題も検討してきましたが、同友会の性格や理念
と照らし合わせて、会と事業体との関係等慎重に
対処すべき問題が今後に残されています。」(「第
一三回定時総会議案書」、一頁)とされました。
次に、②同年九月に前述のように青年部会が発
足しました。すなわち、「青年部会は次代をにな
う経営者として自らの資質を高めようと一泊研修
創立10周年記念事業の第1回同友会まつり
60
61
1974年9月に発足した青年部設立総会
第二章 発展と課題
また、④「中小企業の利益を守るために協力し
てくれる団体とは積極的に提携するという立場か
案書」、二頁)
点で反省が残りました。」(「第一三回定時総会議
かったこと、会の増強とも十分結び付かなかった
ころとなって設立したばかりの(有)神奈川同友
誤解を招き、それが損害保険協会監査室の知ると
注意しました。しかし、運営の段階で実務上の手
を行い、㋺会員の保険代理店とは競合しないよう
沿って会が直接扱わず別個に法人をつくって事業
動車損害保険を取扱うこととし、㋑法律の建前に
ら、 新 た な 試 み と し て 労 働 組 合 幹 部 と の 接 触 を
を一旦凍結することになりました。
」
(
「第一三回
の参加率が低く、会員自らの行事とする努力が弱
もってきました。「労使見解」をもとに全国一般
定時総会議案書」
、四頁)
げ、下請再編成・取引条件の悪化、赤字決算中小
企業の中小企業分野への進出、大企業製品の値上
保険事業に取り組むことを決めました。最初は自
加えて、⑤「昨年の総会は会の活動を支える財
政の健全化をめざし、会の財政を補う方法として、
た。」(「第一三回定時総会議案書」、二頁)
労働組合神奈川県支部幹部との懇談も行われまし
及び要望の政策化、国、県、市への要請活動」
、
③「会員の経営問題に関する相談業務とその対策
材養成と中小企業にふさわしい労使関係の確立」
、
ていたと言えます。すなわち、神奈川経済は、大
る神奈川同友会による同友会運動の積極性を示し
定で容易ではない経済の局面での会員企業の経営
以上の意欲的な諸活動は、日本経済の「高度成
長」の終焉から「安定成長」に向かっていく不安
■
■ 日本経済の成長の転換︱
「高度成長」から「安定成長」へ
落ちがあり、会が直接収益事業を行うかのような
神奈川地方本部と懇談し、集団的労使関係への足
がかりをつくったことをはじめ、地方自治体の建
設・建築行政について横浜市従労組幹部と懇談し、
相互理解と相互協力の可能性が確認されたこと
企業の増加による労使関係の悪化、神奈川県財政
④「会の理念をすべての活動の中に生かす」とい
や、金融機関の民主的運営の問題で国民金融公庫
の悪化等々に直面し、経済成長の転換を最も深刻
うことでした。このうち、
②では、
会員を「講師」
した。そのために、同活動方針は、次の四点を重
豊かな国民経済をつくる政策」への転換を掲げま
集会の横浜開催への貢献、③同友会組織の空白地
業への取組み、②中同協・建設関連産業全国研究
以上のような「課題」と「方針」があり、その
後の一年間は、①後述する「同友会館」の建設事
地区会活動の低迷とその克服の方針
視することになりました。すなわち、①「低成長
域であった平塚における「中小企業家の集い」の
■
加価値税導入反対」の取組みが強調されました。
タッフを集めた政策委員会の設置と政策立案、「付
交流や相談活動」
「相談員制度」
、会内の強力なス
とする「従業員教育」
、③では、
「技術開発の経験
状況を反映すると同時にそれに立ち向かおうとす
に受け 止 め ざ る を 得 な い 状 況 に あ っ た の で す 。
「原 点 に 立 っ て 中 小 企 業 問 題 の 解 決 を 」
■
このような情勢に対して、「一九七六年度活動
方針」(「課題と 方針」)は、改めて「原 点に立っ
て中小企業問題の解決を」という方針を提起し、
①「大企業と中小企業の対等な取引関係」の確保、
時代を生き抜く経営者としての資質の向上と経営
開催による地区会結成の基礎づくり、④役員の会
②大企業優先政策から「中小企業の良さを生かし
姿勢の確立」、②「経営体質の強化をめざし、人
62
63
第二章 発展と課題
員 企 業 へ の 訪 問、 ⑤ 事 務 所 の 移 転
*
による会活
動の効率化等が推し進められました。しかしなが
ら、①百数十名の新しい会員の入会とほぼ同数の
に据えて充実を」(「第一四回定時総会議案書」
、
七七年度活動方針」では、「同友会 三つの目的」
を再度確認し、改めて「地区会活動を運動の基本
七七(昭和五二)年の第一四回定時総会の「一九
はほとんど未達に終わりました。そのため、一九
での「一九七六年度活動方針」(「課題と方針」
)
移しました。その結果、前年の第一三回定時総会
が行われないまま、地区会活動が低調のうちに推
のうち四地区会での役員体制の空白があり、補充
期療養・海外出張、③企業整備等による五地区会
内の連絡体制を整備し、役員と会員の結びつきを
横浜支部は組織を八ブロックに再編し、ブロック
支部は新役員体制の確立をすすめ、大きくなった
た。具体的には、
「理事会は各専門委員会の担当
時総会議案書」
、一頁)した結果であるとしまし
の手の届くところでの活動を重視」
(
「第一五回定
定時総会は、
「会員の身近な問題を取り上げ会員
九七八(昭和五三)年五月に開催された第一五回
大しました。それを可能にした理由について、一
そして、右の方針による一九七六年度の一年間
においては、会員数を三九八名から五〇二名に拡
会員五〇〇名の達成
二頁)図ることを第一番目に提起しました。また、
強め、会員同士が知り合い、親睦を深め、交流し
■
一九七七年七月に予定されていた中同協・第九回
合えることに力」
(
「第一五回定時総会議案書」、
会員の退会による会員増強の未達成、②役員の長
定時総会に対して、神奈川同友会が設営担当とし
二頁)が注がれたことでした。
神奈川同友会バザール」* の開催(二日間)への
を決め、具体的な活動計画を作成する一方で、各
て総力 を 挙 げ て 取 組 む こ と を 決 定 し ま し た 。
■ 中同 協 第 九 回 定 時 総 会 ・
第八 回 全 研 へ の 多 数 参 加
取組みの期間、さらに、翌一九七九年の福岡市で
開催された中同協第八回全研の参加に向けての活
動(全国五六六名参加、
うち神奈川四八名参加〔開
総 会 の 地 元( 箱
中同協第九回定時
時総会から七月の
高一七〇名の参加)
、また、経営環境改善運動の
青全交への参加(一六名)
、新春の集い(過去最
員歓迎集会(一四〇名参加)
、青年部会の第五回
そして、この間、新たに発足した会員増強委員
会による横浜・川崎・横須賀の三支部合同の新会
催県を除く最大参加者数〕
)までの期間です。と
根)開催に向けた
新しい前進として、中同協定時総会方針にあった
それゆえ、一九七八年度の一年間、神奈川同友
会は、右のような組織的な基礎の上に、全国の運
活 動( 全 国 参 加 者
「国鉄・健保の再値上げ法案」反対署名運動で神
くに、第一期、第二期にそれぞれ、九八名、五七
五五七名のうち、
奈川同友会は一〇四社、約二千名の署名を集めま
動、全県の運動に結びついて成長して行きました。
神奈川一八七名参
した。さらに、一九八〇年度神奈川県予算に中小
上記の第一五回定
加 ) の 期 間、 そ し
企業の要望が反映される成果をあげました。
月 開 催 の「 第 二 回
て、 そ の 後 の 一 一
名の新会員を迎え入れています。
■
56
64
65
55
すなわち、その成長は、三つの時期に分けられ、
1978年11月に開催した第2回同友会バザール
第二章 発展と課題
な取組みでしたが、結果的には、事業そのものは
証すること等を目的とした二年間にわたる意欲的
の共同事業を通じて中小企業建設企業の力量を実
同友会の独自の事務所を確保すること、②会員間
引き継いだ「同友会館」建設の課題は、①神奈川
る「特別報告」が行われました。この前年度から
ところで、この第一五回定時総会において「同
友会館建設についての経過と結果の報告」と題す
た組織的力量の増大、⑤同友会活動の発展に対応
推進、④支部活動の強化を基本に全県的な統一し
策の改善と拡充を求める諸活動の支部別・業種別
「経営指針づくり」の活動の重視、③中小企業施
極的な取組み、②第九回中同協総会で策定された
企業の大きな団結を求めての対外的な活動への積
を重視することになりました。すなわち、①中小
以上の成果と「特別報告」における反省をもと
に、
「一九七八年度活動方針」は次の五つの課題
「経営指針」討議資料の登場
失敗であったわけでもないにもかかわらず、同会
できる新しい幹部の確保と研修活動、です。この
■
館の活用については、神奈川同友会自身の財政で
中で、②の「経営指針づくり」の活動の重視の提
「同 友 会 館 建 設 の 経 過 と 結 果 の 報 告 」
は負担しきれない高額な費用を必要としたため、
起が注目されます。議案書には第九回中同協定時
■
また、任意団体としての限界や会員企業の集合体
総 会 の 決 議 に あ っ た〝
「 経 営 指 針 」 討 議 資 料 〟*
*
が掲載されました。
も あ り、 肝 心 の 独 自
としての取組みの弱点等
の事務 所 を 確 保 す る に 至 り ま せ ん で し た 。
営研究集会(以下、全県研究集会と略称)を新年
の賀詞交歓会とセットとして開催し、一〇〇名の
増え、経営問題をテーマにした支部例会の回数も
以上の第一五回定時総会後の一年間の行事・例
会・研究会等の開催回数が前年に比べ一・五倍に
は当時の青年部会の半数の会員が自社の経営指針
青年部会が率先して開始し、一九七九年の一月に
が発足しました。また、
「経営指針」の学習会を
「中 小 企 業 国 際 交 流 シ ン ポ ジ ウ ム 」 へ の 挑 戦
増え、さまざまな講演会・懇談会に対する他団体
の成文化を達成しました。その上で青年部会は、
■
参加者を獲得しました。そして、全県研究集会を
の後援・協賛も多くなりました。しかし、開催を
その実践、経営指針で示した目標の達成状況の点
準備する過程で改めて
「工業部会」
、「流通懇談会」
予定した「中小企業国際交流シンポジウム」* は、
んでした。それでも、その準備段階において、四
それ自体先見的な企画でしたが、実現に至りませ
強、全国行事への参加は低調に終わりました。
進の反動のゆえであるか、一九七八年度の会員増
検等の方向性を決めています。しかし、前年の躍
流によ り 、 同 友 会 運 動 の 理 解 を 広 げ ま し た 。
■ 第一 回 全 県 経 営 研 究 集 会 の 開 催 ・
「工業部会」「流通懇談会」の発足
■
さらに、中同協・全研の地元開催の設営、多数
会員の参加の経験を生かして、初めて神奈川県経
一六回定時総会議案書」
、二九頁)
、次の三つの課
勢を考え、今年度における活動の柱として」
(「第
省のうえにたち、また今日の中小企業をめぐる情
合的な運動を発展させる中で、昨年度の成果と反
そのため、一九七九(昭和五四)年の第一六回
定時総会では、同友会の「三つの目的をめざす総
〇団体、六〇人を超える関係諸団体の人々との交
59
66
67
57
58
第二章 発展と課題
②中小企業の安定と発展のため一般消費税導入反
者の経営能力を高め、企業体質の強化をはかる、
害 者 共 同 作 業 所「 空 と ぶ ク ジ ラ 社 」 に 出 店 コ ー
奈川同友会速報」NO.二八、一頁)加えて、
「障
を大きくアピールすることができました。
」
(「神
円、商談成立四一三件となり、地域社会に同友会
対の運動を軸に経営環境改善の運動をすすめる、
ナーを提供し、併せて障害者の雇用促進、社会福
題を重視することにしました。すなわち、①経営
③同友会の目的・理念による執行体制の強化、活
祉の充実を訴える機会とすることができまし
一頁)することができました。また、
この
「バザー
通じてバザール利益金を福祉施設の寄付」
(同上、
た。
」
( 同 上、 一 頁 ) そ の 結 果、
「県及び横浜市を
動内容 の 充 実 、 会 勢 の 発 展 を は か る 、 で す 。
■ 社員教育」の本格的実施・
「
第三 回 「 同 友 会 ま つ り 」 の 成 功
■
を果たした青年部会の活躍は、会内で高く評価さ
ルの準備から後片付けまで、牽引車としての役割
具体的内容としては、神奈川同友会の中では従
来「従業員教育」と言われてきた活動が、各地の
れました。
」
(
「第一七回定時総会議案書」
、二頁)
*
*
企業に働く従業員が、それぞれの人生の中で、貴重な時間と
歳月をその企業にかけ、自分の将来の運命もその企業に託し
ているということを銘記して、これに応える企業の責任の重
大性を先ずみとめなければならないのではないかと思われま
す。」(同上、四頁)と報告を結んでいます。
*
中小企業家同友会全国協議会 中同協の結成の詳細について
は、中同協(一九九九)、七一 八
- 一頁を参照して下さい。
* 夏季
ゼミナール 中同協の設立総会で採択された運動方針の
おける「本年度の具体的活動方針」の一つとして「全国セミ
ナーや懇談会を実施し、各会員の企業体質改善に役立てるこ
と」がありますが、そのことは、ここに指摘されている「全
国セミナー」、神奈川同友会の文書でいう「夏季全国ゼミナー
同友会においては「社員教育」として広がってい
ることに学んで、神奈川同友会としても「社員教
育」としての実施を目指すことになりました。ま
た、「第三回同友会まつりチャリティ・バザール」
が企画され、一九七九年一一月一〇・一一日に横
浜産業貿易ホールで開催されました。「出展企業
七八社、入場者約一万八千人、売上高二千四百万
*
従業員の定着問題 中小企業における「従業員の定着問題」
とは、従業員の雇用の移動、離退職が顕著であることを指し
ますが、この問題が、神奈川県ではことさら激しかったこと
が指摘されていました。一九六〇年代以降の「高度成長」の
時期に、神奈川県の工場の地方進出が始まり、地方の地元採
用が拡大し、若手労働者の首都圏流入が減少し、とりわけ神
奈川県の従来からの若手労働力不足が昂進し、賃金が上昇し、
労働力の移動が激化し、「従業員の定着問題」が浮上しました。
当時、神奈川同友会は「求人対策研究会」を開催し(一九六
八年一一月二二日)、求人方法の工夫等の努力をしました(「同
友会ニュース」第二八号、三頁 五
- 頁)。神奈川同友会の理
事長に就任していた大和田武氏は理事会(一九六九年六月二
〇日、第二回)において、「定着問題を当面する重要課題に
したことについて」と題する報告(「同友会ニュース」第三
五号、三頁 四
- 頁)を行ない、次の諸点を指摘し、問題提起
をしました。以下、問題点だけを要約し列挙すると次のよう
になります。①従業員を企業の中でどのように位置づけてい
るか(他の経営要素と並列的か、最重要か)、②法人所得税
と労働賃金との関連をどのように考えているか(労働賃金を
真っ先に考えるか、法人所得税を確定してから労働賃金を考
えるか)、③従業員各自の苦情のはけ口をどのようにつくる
か(経営陣の一対一の温情主義か、組合による集約化による
か)、④勤続奨励のための施策はあるか(年功序列の基本給
の引上げか、退職金制度もしくは勤続特別報奨制度か)、⑤
企業の将来性について従業員は確信を持っているか(社長の
手腕・方針・品性等について従業員の尊敬はあるか、社長は
企業発展に愛着と執念で体当たりをしていると従業員は信頼
しているか)の五点です。同氏は、この課題について「その
ル」の発案の原点です。中同協結成後、それは〝全研〟(中
小企業問題全国研究集会)として中同協の三大全国行事の一
つとして定着して行きます。全研については、中同協(一九
九九)、八二 八五頁を参照して下さい。
「 労 使 問 題 に つ い て の 統一見 解 」
(案)
この「労使関係につ
い て の 統 一見 解 」
(案)とは、中同協第二回定時総会で発表
された「労使関係の統一見解」
(案)に先立つ、同定時総会
議案集(案)に掲載された「中同協第二回幹事会の討議第二
案」と考えられます。
(
「同友会ニュース」第四一号、
二 五
- 頁)
商法改正 法務省法制審議会から一九七〇年三月三〇日に答
申された商法改正案には次のような改正点(「同友会ニュー
ス」第四六号、一四頁)が含まれていました。すなわち、①
「資本金一億円以下の株式会社の監査役を任期三年とし、決
算に対し、個人責任を持ち、第三者に対して、連帯して責任
を持つ」こと、②「子会社(法律用語では従属会社)株式の
二分の一以上を有する親会社(同じく支配会社)は、子会社
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39
第二章 発展と課題
の業務の財産状況等、調達状況等を調査、報告を求める権限
を与える」ことです。これらに対して、神奈川同友会は「中
小企業圧迫の商法改正案」(同上、一四頁)であると批判し
ました。すなわち、上記の①は中小企業が監査役を務める人
材を求めることは困難で負担が大きい、それゆえ、中小企業
が株式会社資格を喪失する恐れが大きいとしました。また、
同じく②は子会社となった中小企業は、法律的にも親会社に
従属し、自主・独立の経営の余地が無くなる懸念があるとし
ました。この商法改正問題は一九七〇年二月二日に中同協を
含む主要中小企業団体および全政党が参加して「商法改悪阻
止国民総決起大会」が開催され、反対の決議が行われました。
* 「遅
れ」 この場合の「遅れ」とは、主として次のことを指し
ます。上記の第三回中同協定時総会に参加した各地同友会が、
それぞれの「自治体の中に市民権を確立している」(「第八回
定時総会議案書」、一頁)が、「神奈川同友会も一定の躍進を
し た と は い え、 残 念 な こ と に そ れ ほ ど 影 響 の 大 き い 会 に い
たっていません」(同上、一頁)という点を認識し、しかし、
「一年間の運動をふりかえる時同友会が大きく発展できると
確信をもって報告できる」(同上、一頁)としました。
* 独立
した事務所 神奈川同友会の事務所は創立以来会員山本
斉氏(佐伯螺子工業㈱)の社屋に同居していましたが、同社
の事情により、使用できなくなり、会員に呼びかけ新しい事
務所の確保を目指しました。その結果、はじめて独立の事務
所を横浜市御殿町に開くことができました。当時の「入会の
おすすめ」のパンフレットには、事務所が中小企業経営者の
「社長室」として広報されています。
経済交流 「経済交流」について、次のように理解されてい
ました。「神奈川同友会が創立して六年を過ぎましたが、会
*
*
*
*
問題が浮上し、一九七三年の中同協第五回定時総会において、
「同友会の生いたちと展望」が採択され、「三つの目的」が定
式化されました(中同協(一九九九)、八九 九
- 〇頁)。その
後、「 三 つ の 目 的 」 は、 各 地 の 同 友 会 運 動 に 普 及 し て 行 き、
その後の同友会運動の成果を汲み取りながら今日の理念に
至っています。
健康保険法 この時の「健康保険法」改正案について、中同
協は、一九七三年七月、中小企業が多く加盟する政府管掌健
康保険改正反対の署名を各政党に提出しました。神奈川同友
会は、第九回定時総会で「政府はその赤字要因が、病人が多
く医者がかかりすぎるからといっているが、真の原因は薬価
が大企業製薬会社の独占的価格で健保支払の約五〇%になっ
ていること」(「第九回定時総会議案書」、七 八
- 頁)からで
あり、「政府は受益者負担を定式化させ、赤字だから保険料
の値上げを法制化させようとしている」(同上、八頁)と批
判しています。
ハチミツ販売 「ハチミツ販売」について、当時の手書きの
チラシに次のような記述が見られます。「美容と健康に味の
良い純正カナダ産ハチミツを」という見出しに続いて、「メ
リットある事業活動の一助としてハチミツの販売を行なうこ
とになりました。大きな同友会となるために、豊かな財政を
作りたいと考えています。安いハチミツを仕入れましたので、
販売面でのご協力をお願いします。横浜地区会事業立案委員
会代表 我妻信夫」とあります。我妻信夫氏については、第
二部第六章(二)を参照して下さい。
中同協センター設立資金 中同協は「中同協センター」とな
るべく事務所の開設資金の調達のために「中同協債券」を発
行し、各地同友会に購入を呼びかけました。神奈川同友会は
員相互の経済交流は散発的な極めて小規模の状態でした。当
会もすでに二〇〇社に近づき、一年後には三〇〇社を予想す
る場合、会の中において「売る、買う、頼むなら信頼できる
仲間の会員に」という要望が出るのも当然です。したがって、
関連業種の集まりや独自の研究機関で検討し、経済交流の発
展をめざす活動が必要であります。しかし、同友会に入るこ
とによって、すぐ注文がもらえるだろう、商売にすぐ役立つ
だろうと最初から考えて入会させるとしたら、会へ入っても
長続きしないでしょうし、会を去る結果になるでしょう。ま
ず、同友会運動や集まりの中で信頼が深まり節度が確立され
てこそ成功することです。以上の立場から会員の正しい姿勢
のもとづく自己努力によって、徐々にではあっても会員相互
の経済交流を発展させるための活動が必要であると考えま
す。」(「第八回定時総会議案書」、八 九
- 頁)このような努力
の結果、その後、後述するように「経済交流の原則」が確立
され、実践されています。
* 「付
加 価 値 税 」 の 導 入 反 対 運 動 戦 後 日 本 に お け る 一 般 間 接
税の歴史としては、一九四八(昭和二三)年七月から翌年の
一二月まで実施された「取引高税」があり、その復活として
「付加価値税」の論議がありましたが、その後、一般間接税
反対の機運の中で、名称を「一般消費税」「売上税」と名称
と内容を変えながら、一九八九年四月に「消費税」が導入さ
れ、二度(一九九七年と二〇一四年)の税率の引上げを経て、
今日に至っています。
* 「同 友会理念」 今日、〝同友会理念〟と呼ばれる内容の確認は、
一九九三年の中同協第二五回定時総会(北海道)まで待たな
ければなりませんが、中同協が設立され、同友会運動が発展
してくると、同友会とは何かが問われ、改めていわゆる理念
*
*
*
本文にあるようにその負担を「遅滞なく一〇〇%納入できた
こ と は 財 政 的 に も 会 を 強 化 し た 事 実 と し て 評 価 で き ま す。」
(「第一〇回定時総会議案書」、九頁)としています。一九七
四年二月に中同協は東京九段下にセンターとなる事務所を開
設しました。
「①例
要望 「要望」の内容を列挙すれば、次のとおりです。
会の回数を増やしてほしい。一回欠席すると四ヵ月のご無沙
汰になり、同友会への親しみが薄れる。②出席しやすいよう
に企画した内容を一カ月前にニュースで発表したほしい。③
現実に悩んでいること、苦しんでいる問題に合うようなテー
マを取り上げてほしい。④参加者が多いと発言しにくい。ま
た深く掘り下げた討論にならない。少人数の研究会(企業規
模・業績も考慮して)のようなものを取り入れてほしい。⑤
心ゆくまで話し合い、学びあえるような、たとえば、一泊研
究会も年に一度位は企画してほしい。⑥同友会の例会は真面
目で硬い雰囲気の会議が多く、たまには親しみあい、楽しく
語り合ううちにいつの間にか勉強させられた、と思えるよう
な、そんな気分になれる企画を考えてほしい。⑦集会の場所
は、会員企業の事務所を交互に使うのも、親睦と理解が深まっ
てよい。⑧実践的な勉強(工場見学・視察等)の機会もほし
い。⑨社員教育等は一回に終わらせず、シリーズものでやっ
てほしい。」(「第一一回定時総会議案書」、四頁)
地区会ニュース 「横浜地区会」の「地区会ニュース」は現
時点では保存されておらず、未見です。なお、後年の一九七
九( 昭 和 五 四 ) 年 九 月 に、「 南 支 部 」 名 義 の「 南 支 部 瓦 版 」
が創刊されています。この瓦版を支部例会と並ぶ「交流の場」
と位置付けています。
神奈川同友会青年部会 各地の中小企業家同友会において青
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第二章 発展と課題
*
*
*
*
年部がその時期にも、その後も結成され、女性部と並ぶ同友
会運動の牽引役を果たしていくようになります。
事務所の移転 事務所の移転の時系列の状況については、付
録︵三︶を参照して下さい。
第二回神奈川同友会バザール この第二回の﹁同友会バザー
ル﹂は、第一回同様に、神奈川県・横浜市・神奈川新聞社・
TVK神奈川テレビの後援により、四三社出展、入場者一万
五千人、売上二千百万円、商談四四三件の成果を上げました。
任意団体としての限界や会員企業の集合体としての取組みの
弱点等 ﹁同友会館﹂の建設にかかわる問題︵以下、﹁同友会
館問題﹂と略称︶は、直接的には、本文にある﹁弱点﹂に由
来するものですが、そのような﹁弱点﹂を露呈してしまった
背景には、神奈川同友会の創立当初から胚胎していた、個人
加盟の任意団体としての神奈川同友会の運動における、同友
会運動と協同組合運動とが混同されていた問題があります。
そして、そのような混同が同友会財政の向上への寄与等の理
由によって、神奈川同友会の中で是認されてしまったことが、
問題を深刻化しました。﹁同友会館﹂問題はその典型的な事
例だったと言えます。この点については、第六章第一節で再
後退と新生
*
決め手∼経営指針作成の手引き﹂に結実していきます。
中小企業国際交流シンポジウム ﹁中小企業国際シンポジウ
ム﹂の開催は、当時の代表理事であった山谷定義氏︵海興物
産㈱︶を先頭に企画され、本文に記述したように当時として
は画期的であり、先見的でありました。それを示す資料とし
て、富田仙之助氏︵㈱富田鉄工所︶の手になると思われる手
書きの企画書を紹介しておきます。企画書は、中小企業を
﹁国
際経済の組み入れられた存在﹂として位置づけ、日本経済の
﹁国際競争力強化や外貨獲得に重大な役割りを果たしてきた﹂
と評価します。その上で、近年においては、﹁発展途上国の
追い上げ﹂﹁先進国間の競争激化﹂﹁円高等﹂の国際経済環境
の激変が見られ、中小企業の新たな対応が要請されていると
し、
﹁貿易、投資、援助の三つの面での新国際経済秩序の確立﹂
が要望されていると課題を提起します。そして、この﹁新国
際経済秩序の確立﹂を中小企業によって成し遂げるべき最初
の一歩にしようというのが、アジア諸国の中小企業が一堂に
集まる﹁国際シンポジウム﹂だったのです。そして、そのス
ローガンとして次の六項目を提示しています。すなわち、①
﹁日本と世界の中小企業が直接に手を結び相互理解・相互協
力を強めよう﹂、②﹁︵各国の︶中小企業間の貿易、投資、援
助の道を自ら切り開こう﹂、③﹁中小企業の活力を呼び起こし、
それぞれの国の経済の振興を図ろう﹂、④﹁開発途上国との
貿易上の密接な相互依存関係を一層発展させ、南北双方の協
調に立つ新しい貿易体制を確立しよう﹂、⑤﹁経済外交を国
民の手に、国際経済問題を中小企業家の手に﹂、⑥﹁新国際
経 済 秩 序 を 樹 立 し、 国 際 平 和 の 達 成 に 寄 与 し よ う ﹂、 で す。
このようなシンポジウムの企画案はその後の準備段階で若干
修正されましたが、基本線は貫かれました。
ました。そして、その後も一九九〇年代の初頭に
期間、会員数が〝急減〟と言ってよい状況を続け
一九八〇年代︵一九八〇年 ︱一九八九年︶
論します。
﹁経営指針﹂討議資料 今日の神奈川同友会においては、〝経
営指針成文化〟の運動は中核的なものになっていますが、そ
の 原 点 は こ こ に あ る と 言 っ て よ い で し ょ う。 そ の 時 点 で の
〝﹁経営指針﹂討議資料〟は、確立した﹁三つの目的﹂に則っ
て、その実現のための﹁心がまえや手順﹂を六項目にわたっ
て記述したものです。前文で﹁年々、この経営指針が充実さ
れることをのぞむものです﹂と結んでいます。そのような充
実への努力が現在の中同協発行の﹁二一世紀型企業づくりの
第三章
第一節 大幅な後退
数年間の﹁回復期﹂がありましたが、一九九〇年
代末まで会員数が、
一九七九年の水準に回復せず、
前章までに既述してきたように、神奈川同友会
は、一九六五︵昭和四〇︶年の誕生から、初期の
るように、一九八〇年代の新たな試みの数々、一
たく無かったというわけではありません。後述す
後退 の 開 始
いわば長期の低迷を続けることになりました。も
模索の時期を経て、激動する一九七〇年代の困難
九九〇年代の様々な努力は、二〇〇〇年以降の発
ちろん、その期間、評価すべき運動や活動がまっ
な時期に全国の同友会から称賛されるほどの発展
展を準備したと言わなければなりません。
■
59
を遂げていました。しかし、その発展の頂点であ
る一九七九︵昭和五四︶年の第一六回定時総会を
境に、それ以降、一九八四︵昭和五九︶年までの
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56
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58
■ 神奈 川 同 友 会 の 会 員 数 の 後 退 と 全 国 各 地
同友 会 の 「 破 竹 の 前 進 、 爆 発 的 な 伸 び 」
■
の背景、その要因には何があったのでしょうか。
しかも、その検討の際、前提として確認しておか
なくてはならないことは、そのような神奈川同友
会の状況は、一九八〇年代における全国各地同友
会の会員数の「破竹の前進、爆発的な伸び」* を
60
会 者 の 増 加 の み な ら ず、 加 え て 入 会 者 の 減 少 に
実現している状況とはきわめて対照的であったと
いうことです。そのような全国の同友会と対比さ
れる状況について、神奈川同友会は、その間の定
時総会において、どのような総括をしてきたので
定時総会における会員数の後退の要因分析
しょうか。
■
(昭和五五)年の第一七回定時総会は、
一九八〇
会員の減少の特徴について、①新入会員の増加が
あったにもかかわらず、退会会員の数が大きくう
わまわったこと、②退会者には、入会二年未満の
会員が多いこと、③退会者が特定の支部に偏って
いること、④退会の理由としては、
「親しみを感
じられない」
「初めての例会が期待外れだった」
等の理由が多かったと指摘しました。
また、翌一九八一(昭和五六)年の第一八回定
時総会の議案書では、会員数の減少の特徴が、退
「力に余る課題が多い」という声
その原因は、
に代表されるように「常任理事会の執行能力」と
会運動を「知らせたり、知り合ったりする努力が
あったことを指摘するとともに、その理由として、
たこと」(同上、一一頁)が指摘されました。
ものがない」
「楽しい雰囲気がなく面白くない」
「事務局の行動力」の「力不足」にあり、その根
さらに、一九八二(昭和五七)年の第一九回定
時総会においても、一九八一年度が「二年連続し
等々の状況が段々と停滞に導いたこと、③理事会
①「常任理事会の結束力が弱まり、本部・支部の
て新入会員は一〇〇名を割り、またそれを上まわ
などからの「呼びかけも弱く気持ちを奮い立たせ
底にあるのは、「魅力に欠ける会という現実」
(「第
る退会者を出したこと」(「第一九回定時総会議案
るきっかけがつくれなかったこと」を挙げていま
働き手が少なくなり、役員会全体の活動力が低下
書」、八頁)によって、なおも会員数を後退させ
す。
したがって、「全国的には発展していますので、
二〇回定時総会議案書」
、四頁)であり、そうし
てしまったことが明らかにされました。そして、
他の同友会の優れた経験を学んでいなかった、ま
したこと」(「第一八回定時総会議案書」、一一頁)
、
引き続き会員を減少させて迎えた一九八三(昭和
た、同友会らしい〝人育て〟が不足していたと言
た現実になってしまった原因は、①同友会・同友
五八)年の第二〇回定時総会では、「なにゆえ、
えます。
」
(
「第二〇回定時総会議案書」
、四頁)と
一貫して不足していたこと、②「会社に持ち帰る
全体を盛り上げていくことができなかったか」(第
結論としています。
のよう な 結 論 を 導 い て い ま す 。
二〇回定時総会議案書、四頁)を改めて問い、次
しかも、②①の状況を「事務局が支えきれなかっ
1981年3月に神奈川同友会設営で開
催した第11回中小企業問題全国研究
集会パンフレット
74
75
さて、右のような一九八〇年代前半の会員数の
〝 急 減 〟 と は、 ど の よ う な 状 況 で あ り、 一 体、 そ
第三章 後退と新生
第三章 後退と新生
「経 営 の 原 則 」 と 「 同 友 会 活 動 の 原 則 」
■
*
として「三つの基本点」、すなわち、
それゆえ、「一九八三年度活動指針」(第二〇回
定時総会議案書、一〇頁)では、まず、同友会活
動の原則
①「先見力を着け、情勢を読み、ビジョンを持つ、
戦略をたてる」、②「リーダーシップの下で方針・
員会は事務局を厳しく指導し総合能力を高めま
す」を提示し、方針を「会員が増えていない会は
よどんでいく」という簡潔な表現にまとめまし
た。そして、
「この一年は私たちの本気の努力が
期待され試される年」としました。
■ 再生への胎動︱
「中小企業家同友会川崎合同支部」の設立
て「二大目標」「四つの実行」を掲げました。前
人が育つ土壌を整える」を確認し、基本方針とし
( 横 浜 支 部 ) で は「 人
において、①支部例会
この結果、その後の
一九八三年度の一年間
■
者 と し て、 ①「 人 を 育 て ら れ る 経 営 者 に な る 」
、
を育てられる経営者に
計画を定め、意 思統一を図る」、③「 人を育て、
②「魅力ある会にする」という目標を、後者とし
なろう」を一貫した
教育にも取り組み、③
続的に追求し、②社員
テーマで取り上げ、継
て、①「同友会は集合(社員)教育を研究し、実
行します」、②「同友会は役員研修会、会員オリ
エンテーションを積極的に実施します」、③「同
友会は「新しい知恵」
「新しい風」をふき込み(会
の会合でこのテーマが意識され、また、④「何で
を掲げました。そして、上述の「中小企業家同友
一九八五年の「二〇周年を四〇〇名で迎えます」
部会や役員会等すべて
も提案運動」で改善提案が集約されました。加え
会川崎合同支部」を、一年後に神奈川同友会川崎
員をふやし)組織の活性化をすすめます」、④「役
て、⑤「中小企業家同友会川崎合同支部」* が設
川崎支部設立総会
立され、歴史的経緯から形成されていた東京同友
進めることとしました。
支部として迎える方針を明らかにし、その準備を
会川崎 支 部 に 移 行 す る 構 想 が 浮 上 し ま し た 。
た、活動の課題、活動の仕方について多くを掴み
とったと言えます。そして、会員数においてわず
じ、全会員の「交 流」をすすめます 」、②「新生
すなわち、①「新生同友会は、すべての活動を通
同友会」を作り上げる気概をもって、「三大目標」
、
年来の停滞を打ち破る年として位置づけ、「新生
年度活動方針」において、一九八四年度をこの数
和五九)年の第二一回定時総会では、「一九八四
このような再生に向けて努力の中でも、なお会
員の減少は続きました。そのため、一九八四(昭
オイル・ショック」による日本経済に対する打撃
た。その大きな背景には、一九七九年の「第二次
待される水準の回復には到達していませんでし
一九八〇年代前半の会員数の
〝急減〟
こうして、
に一応の歯止めを掛けることができましたが、期
五四号、二頁)と報告されました。
成できたと評価できます。
」
(
「同友かながわ」第
崎支部との合同を前にしての体制づくりが一応達
かな増勢でしたが、新生同友会の土台づくり、川
同友会は「教育」に精力的にとりくみます」、③
■「新生同友会」に向かう気概
「総合的
したがって、一九八四年度の活動は、
には〝自信と熱気〟を取り戻したと言えます。ま
会川崎地区会の会員(当時五六名)が神奈川同友
62
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61
第三章 後退と新生
発や事務局員の退職、事務局長の交代等があった
命な努力が続けられ、そして、役員の活動の不活
運動としての同友会運動の本道に戻ろうとする懸
のような状況の中で、前述したように、中小企業
たことを指摘しなければなりません。むしろ、こ
し、多くの中小企業に存立の危機を与え続けてい
型の神奈川経済に恒常的な産業再編成を呼びおこ
そして、上記の対ドル相場の高騰の出現に先立
つ五月に開催された第二二回定時総会では、既に
ました。
国に先駆けいち早く経営環境の「激変」に直面し
したから、その過程で再び大きな打撃を受け、全
車・電機をはじめとする機械工業は輸出依存型で
不況」に陥れました。神奈川経済を構成する自動
る対ドル円相場の高騰は一挙に日本経済を「円高
総裁会議によるプラザ合意に基づく円高誘導によ
にもかかわらず、新たな事務局員の入局もあり、
予兆のあった「激変」を感じ取り、
「中小企業を
が、重化学工業を中心に石油・エネルギー多消費
同友会運動として展開するべく活動を継続してき
取り巻く情勢」において「神奈川県は、この激変
一二頁)であるとし、それゆえ、
「同友会は異業
れが今日の特徴」
(
「第二二回定時総会議案書」
、
がその幅・深さ・奥行において際立っている。そ
たこと を 評 価 し な け れ ば な り ま せ ん 。
第二節「
の提起
新生同友会」
種の団体です。その中で異業種交流活動が中小企
業の生き残り策、中小企業の経営基盤を拡大して
動を前面に押し出
種交流と共同求人活
を 主 題 と し て、 異 業
こそ中小企業の道」
会運動と異業種交流
一九八五年九月の主要五か国の蔵相・中央銀行
お本格的増強には至りませんでした。
会員数の減少に「歯止め」がかかったものの、な
的行動、等々の活動を展開しました。とはいえ、
④各部の「スローガン」の設定による支部の自主
の設営に向かっての青年部会を中心とした準備、
二回定時総会議案書」
、一四頁)と指摘し、
「同友
創立 二 〇 周 年 と 異 業 種 交 流 活 動 の 推 進
し、 神 奈 川 同 友 会 の
それゆえに、一九八六年の第二三回定時総会で
は、①「第一四回青全交」の設営担当について、
■
創立二〇周年と川崎
「全国レベルで交流し、明日の経営に役立つこと
行く活動として役割を示しつつあります」
(
「第二
支部の合同を契機に、
出発したのでした。
現に向けて改めて再
「 新 生 同 友 会 」の 実
九八六年度活動方針(案)の図解書)
、②「支部
結集の場とする」(
「第二三回定時総会議案書」、「一
を学び、励まし合うための、神奈川同友会の一大
づくりを重点に展開し」
(同上)
、③「支部ビジョ
ン」をつくり、「一支部一運動で着実に前進する」
その結果、一九八六年度の活動は、①設営を担
当する「第一四回青全交」について、その実行委
(同上)ことを目指し、活動方針としました。
そのような「新生同友会」による一九八五年度
の具体的活動としては、①「二〇周年記念行事月
員会を二四回も開催し、神奈川同友会からの参加
「新 生 同 友 会 」 に 向 か う 再 出 発
■
間」の設定、②「異業種交流」を掲げた「マラソ
も一七二名に及び、同友会活動への自信を取り戻
78
79
「新生同友会」に向けて再出発した創立20周年
ン・フォーラム」* の展開、③「第一四回青全交」
63
第三章 後退と新生
動」に参加する会員が増加しました。しかし、会
充実」を中心に一貫して努力され、③「異業種活
れゆえ、
「一九八七年度活動方針」では、
「①経営
上、一三頁)を目指すことを課題としました。そ
ない主体的な運動、
それを共に創り出す運動」(同
「日本経済のゆがみを是正し、産業を空洞化させ
員増そのものは若干の後退に終わりました。とは
管理能力を飛躍的に強化すること、②付加価値を
し、②支部の〝魅力ある活動づくり〟が「例会の
いえ、情勢をさらに深く認識し、根本的な活動方
高め、新分野開拓の意欲と能力を養うこと、③そ
新たな諸活動への取組み
そのため、第二四回定時総会以後の一年間の活
動においては、①一昨年からの課題であった「売
■
それらの具体化に取り組むこととしました。
一四頁)が同友会運動に求められているとして、
の努力を助ける活動づくり、集団づくり」
(同上、
針の策 定 と 実 行 に 挑 戦 を 続 け ま し た 。
■ 日本 経 済 ・ 地 域 経 済 の 岐 路
一 九 八 七 年 の 第 二 四 回 定 時 総 会 は「 プ ラ ザ 合
意 」、 円 高、「 民 活 型 内 需 振 興 」(「 前 川 レ ポ ー
ト」* )と続く経営環境の「激変」は、単に「中
済そのものが岐路に立たされている」(「第二四回
上税」法案が中同協を含む中小企業団体が先頭に
上げ解決の道を示すことのできる会づくりに確信
て、その責務を果たす努力」(同上、一一頁)、②
覚し、①「中小企業が社会的役割と責任を自覚し
以上にうまくすすんだ」とも喧伝されました。し
神奈川県では「産業構造の転換・調整」が「予想
活動の基本点を学び、経営者の悩み・要求を取り
また、②「会勢こそ伸びませんでしたが、同友会
小企業受難時代というよりも、日本経済・地域経
定時総会議案書」、八頁)との認識に立ち、しかも、
と な り、
立った国民諸階層の反対によって廃案
が持てるようになりました。」(「第二五回定時総
かし、警戒していた「新型間接税」である〝消費
*
神奈川経済がその典型的地域経済であることを自
会議案書」、二頁)それゆえ、上記の定時総会の「一
が 決 定 し、 一 九 八 九 年 四 月 一 日 か
と受け止め、①「企業を一歩前に進める〝実にな
アップ、新しい展開を求めている」(同上、四頁)
く 情 勢 の 変 化、 環 境 の 変 化 は 中 小 企 業 の レ ベ ル
として伸び悩み状況でした。そのような中で、一
を生み出して行きました。そして、会員数は依然
ら実施されることとなり、中小企業に新たな不安
案の廃案後の「新型間接税」の導入を警戒し、③
一九八九年の二五周年の年に「中期ビジョン」*
その時点で代表理事であった菅野真一氏(㈱マル
*
を 迎 え ま し た。 急 遽、 宮 田 泰
コ精機)が病気の悪化により辞任せざるを得なく
なるという事態
る
*
ことになりました。
敬 氏( マ ル ヤ 建 設 ㈱ ) が 代 表 理 事 を 引 き 受 け
69
その結果、代表理事の急遽の交代という危機を
■
「バブル」経済の中の新たな方針
70
を発表 す る こ と を 計 画 し ま し た 。
「バ ブ ル 」 経 済 の 発 生 と 代 表 理 事 の 交 代
■
ところで一九八八年度の日本経済の状況は、「円
高不況」に対する「超低金利政策」が景気を押し
上げて、後年「バブル」と呼ばれる未経験の「良
好」状況を作り出しつつありました。その過程で、
から後半にかけて
「異業種交流」を中心に活躍し、
九八八(昭和六三)年一〇月、一九八〇年代中盤
68
る 〟* 活 動 を 実 行 し ま し ょ う 」、 ②「 売 上 税 」 法
*
税〟の導入
65
九八八年度活動方針」では、「中小企業を取り巻
67
80
81
64
66
そして、この第二六回定時総会で講演した香川
県中小企業家同友会(以下、香川同友会と略称)
バネに、宮田氏を先頭に神奈川同友会は、第二六
回定時総会で確認されていた「経営の具体的な体
は、
「どうすれば組織は
代表理事・三宅昭二氏
*
験を交流すると、集まりが楽しくなる」、すなわち、
企業経営者の本音の交流」が同友会運動の原点で
ると、集まりが楽しくなる」との教訓から「中小
総会では、上記の「経営の具体的な体験を交流す
みました。一九八九(平成元)年の第二六回定時
は楽しく明るい雰囲気が生まれ活性化する」との
び合い、援け合い〟が実現する。そうすれば、会
の良さである本音の交流ができ、
〝知り合い、学
者を誘う。そして、経営体験を交流すれば同友会
「一九八九年度活動方針」は、
「まず、新しい参加
活性化するのか」について「①明るい会をつくる
あるとの認識を、「一九八九年度活動方針」とし
方針に集中して取り組み、一九九〇(平成二)年
「中小企業経営者の本音の交流こそが同友会の原
ました。また、 この定時総会では、「同 友会の良
の第二七回定時総会では、
「経営者の自己変革」
こと、②役員が一致した会をつくること」である
さは〝知り合い、学び合い、励まし合い〟―同友
を「神奈川カラー」と位置付けるまでに至りまし
点だ」(「第二六回定時総会議案書」、一頁)とい
会・一〇の特徴―」というユニークな文書を資料
た。その結果、ようやく、会員数の長期の停滞か
と強調しました。
そのことを学んだことを契機に、
として作成しています。この文書は同友会の特徴
らの回復の兆しが見られ、それぞれの年の五月時
をはかる。③人を育てる。人が育つ土壌を整える。)を学び、
その原則が同友会とその運動にも当てはまるとの認識を根拠
にしています。(「第二〇回定時総会議案書」、一一頁)
中小企業家同友会川崎合同支部 神奈川同友会川崎支部は、
同同友会創立以来、横浜支部と並ぶ大きな存在でした。しか
し、一九七〇年代において「ニクソン・ショック」や二度に
わたる「オイル・ショック」の激動によって、川崎市の中小
企業は大きな打撃を受けてきました。たとえば、「神奈川同
友会川崎支部一一月例会報告」(一九七五年一一月七日)に
よれば、「仕事がない」という点で「中小企業の現状は最悪
の事態に直面している。」と報告し、川崎市中小企業の下請・
系列化の異常な強さを分析し、中小企業間取引への自主的努
力(詳細な名簿作成・「工場協会」の拡大・取引あっせん等、
今日でいう「マッチング」が民間主導で中小企業間で行われ
*
たが、支部条件としての会員数一〇〇名を満たしていません
でした。このような状態の下で、川崎市の同友会会員は、神
奈川、東京のいずれに属するにせよ、川崎市の同友会運動の
展開にとって、「独自事業が困難であり、地域活動の活発な
展開が見られず、行政との連携も極めて不十分でした。」そ
のため、神奈川、東京の両同友会の承認を得て、両同友会に
属する同友会会員が加盟する「中小企業家同友会川崎支部」
を新たに発足させ、略称を「川崎合同支部」としました。そ
の後の「川崎合同支部」の活動も「マイコン研修センター」
の設立等が活発化し、会員数も当初の一九八三年の五八名か
ら一九八五年に八五名に前進しました。
マラソン・フォーラム 「異業種交流マラソン・フォーラム」
とは、「異業種交流」を主題とした「フォーラム」を連続的
に開催することを意味しています。二〇周年記念行事月間の
の他を東京に持つ関係から、川崎市に立地しながら、東京同
友会城南支部に所属する同友会会員企業が次第に増えて行き
ました。一九八二年、東京同友会城南支部の品川地区、太田
地区がそれぞれ支部として独立することになり、世田谷地区、
川崎地区が城南支部となりました。これを契機に川崎地区は
東京同友会川崎支部として独立準備を進めることになりまし
年三三五名、一九九一年四六〇名と二年にわたっ
点で、一九八九年の会員数二六〇名から一九九〇
を「一〇の言葉」* で表現したものです。この方
*
* 「破 竹の前進、爆発的な伸び」
、一一九頁
田山謙堂(一九九五)
* 同友
会活動の原則 この「同友会活動の原則」の発想は、第
三〇回定時総会に先立つ一九八三年一月の「新春のつどい」
の講演(中同協幹事長・田山謙堂氏)において、「経営の原則」
(①先見力をつけ情勢を読む。ビジョンを持ち戦略を立てる。
②社長のリーダーの下で方針・計画を定め、社内の意思決定
て増大 を 続 け る こ と が で き ま し た 。
て行き ま す 。
針の下で、神奈川同友会は一九九〇年代に向かっ
71
ていたことは、川崎支部の先駆性を示しています。)や官公
需の拡大の対策等を協議しています。また、川崎市が東京都
に隣接していることによって、取引先・仕入れ先・外注先そ
登場する当時「異業種交流」を推進した菅野信一氏(㈱マル
コ精機)は「同友会精神として、これまでの〝知り合い、学
ラム」は「各地で熱気」を持って開催され(「同友かながわ」
第六二号、一頁)、「三会場に集まった経営者は、合計一二五
名、会外からの参加者はこの内五六名と五〇%近く、異業種
交流への関心が高さ」(同上、一頁)が示された。後述にも
中心的な行事として、一九八五年一〇月から一一月にかけて
平塚・小田原・横浜の三か所で行われた「マラソン・フォー
63
61 60
62
82
83
72
うことを確認し、組織の伸び悩みの克服に取り組
第三章 後退と新生
第三章 後退と新生
*
*
*
*
*
*
新生と前進
を得なくなるという事態 菅野真一氏の辞意表明の内容も含
めて、同氏の紹介については、第二部第六章第二節を参照し
て下さい。
*
宮田泰敬氏︵マルヤ建設㈱︶が代表理事を引き受ける 宮田
泰敬氏の代表理事の要請に際しての当時の心境を含めて、同
氏の紹介については、第二部第六章第二節を参照して下さい。
* ﹁一〇の言葉﹂
﹁一〇の言葉﹂とは、①﹁経営の苦労を〝明
るく〟交流する会﹂、②﹁経営経験を交流して勉強する会﹂、
③﹁異業種の集まりで視野をひろげてくれる会﹂、④﹁〝異業
種交流〟が日常の会﹂、⑤﹁人材の確保と育成に全力で取り
組んでいる会﹂、⑥﹁人をヤル気にさせてくれる会﹂、⑦﹁自
分から参加しなければメリットがない会﹂、⑧﹁常に仲間を
ふやして〝明るさ〟をつくる会﹂、⑨﹁着実に中小企業の経
営環境を改善していく会﹂、⑩﹁〝常識的〟でない会﹂
、です。
* 香川県中小企業家同友会代表理事・三宅昭二氏 三宅昭二氏
は、優れた企業家であるとともに、香川同友会の創立以来の
会員で一九八二年に代表理事就任した当時、会員一五〇名か
ら一,五〇〇名を超える会員の同友会に、そして組織率︵県
内における同友会会員数÷法人数︶の全国トップを競う同友
会となる原動力となりました。同氏は、座右の言葉として、﹁学
ぶとは誠実を胸に刻むこと、教えるとは共に希望を語ること﹂
︵フランスの詩人 ルイ・アラゴン︶を掲げて紹介︵﹁同友か
ながわ﹂第七八号︶しています。三宅昭二氏は、エネルギー
転換等の経営環境の変貌の中で、自社を、一〇〇年続いた石
炭販売業から住生活関連総合企業に発展させたことを語りつ
つ、香川同友会の会員増強の特徴は、﹁明るく楽しく﹂であり、
﹁人は連帯の中にいるとき最も幸せを感じる﹂と強調しまし
た。
上はじめて停止し、その後、二〇〇三年まで後退
降二〇〇〇年代の発展を支えるものになったと言
しかしながら、その後の一九九〇年代の神奈川
同友会の後述の様々な奮闘は、一九九〇年代末以
■
■﹁同友会理念﹂の再確認と
﹁二一世紀型企業づくり﹂の提唱
減少の歩みと軌を一にする結果になりました。
ブル﹂経済の崩壊後は、全国の同友会の会員数の
記のとおり一時的に回復軌道に入りましたが、﹁バ
後の低迷を続けたのに対し一九九〇年代初頭に上
年代の中同協の躍進の時代を、減少の継続とその
一九九〇年代︵一九九〇年 ︱一九九九年︶
び合い、励まし合い〟にもうひとつ〝創り合い〟が加わる時
代が来ているのではないか﹂︵同上、三頁︶と語っています。
前川レポート 当時の中曽根首相の私的諮問機関である﹁国
際協調のための経済構造調整研究会﹂︵座長・前川春雄前日
本銀行総裁︶による報告書﹂
︵一九八六年四月七日発表︶が﹁前
川レポート﹂と呼ばれました。
﹁売上税﹂法案が中同協を含む中小企業団体が先頭に立った
国民諸階層の反対によって廃案 一九八七︵昭和六二︶年五
月二七日に﹁売上税﹂法案は廃案になった。その経緯につい
ては、中同協︵一九九九︶、二六 二
- 七頁を参照して下さい。
企業を一歩前に進める〝実になる〟 〝実になる〟という表現
には、﹁同友会活動を分かり易いものにする﹂﹁経営の原理原
則に徹する﹂﹁学んだことを実践する﹂﹁抽象的でなく、具体
的な話﹂﹁ライバルを持ち、マークし合う関係をつくる﹂等
の意味を込めていました。︵﹁第二五回定時総会議案書﹂、四頁︶
中期ビジョン この﹁中期ビジョン﹂については、一九八五
︵昭和六〇︶年の第二二回定時総会において、翌年一月の創
立二〇周年記念の新年会で﹁中期ビジョン骨子﹂素案が発表
されました。そして、それが一九八八年の第二五回定時総会
の今後の一年間の方針案において、一九八九年の創立二五周
年記念の定時総会の場で正式に発表・採択される予定である
とされました。しかし、推進役であった菅野信一氏の代表理
事退任のため、立ち消えとなってしまいました。したがって、
神奈川同友会における﹁中期ビジョン﹂の策定の実現は、後
年︵二〇〇〇年︶に譲ることになりました。
〝消費税〟の導入 中同協︵一九九九︶、一六六 一
- 七四頁を
参照して下さい。
菅野真一氏︵㈱マルコ精機︶が病気の悪化により辞任せざる
第四章
第一節 運動の基本方針の確立
■﹁バブル﹂経済の崩壊と
全国 の 同 友 会 に お け る 会 員 数 の 後 退
■
一九九〇年代に入り、﹁バブル﹂経済は崩壊し、
日本経済の不況が長期化するに及んで、中同協の
創設以来維持してきた、全国の同友会の会員数に
を継続するという事態に直面することになりまし
うことができます。その根拠と背景を、
本章では、
おける躍進傾向が、一九九三年を頂点にその歴史
た。神奈川同友会は、既述したとおり、一九八〇
84
85
70
71
72
64
65
66
67
68
69
第四章 新生と前進
して、同じく後半を「同友会理念」の再確認と「二
の認識を強調しました。
五年第三二回定時総会議案書」
、一頁)にあると
や「価格破壊」が進む「変革期の過程」
(
「一九九
一世紀型企業づくり」の提唱の具体化を基軸とし
一九九〇年代前半を〝運動の基本方針の確立〟と
て記述 し ま す 。
同時に、この間、一九九三年の中同協第二五回
定時総会で再確認された「同友会理念」* と同総
会が宣言した「二一世紀型同友会づくり」* を受
は、「戦後最長の不況」(「一九九四年第三一回定
す。すなわち、一九九〇年代に直面していた状況
な方向性を確認していったと言うことができま
を、繰り返し問い、それを分析し、運動の基本的
済の「長期不況」とその神奈川経済における現れ
神奈川同友会は、まず、一九九〇年代前半にお
いて、何よりも「バブル」経済の崩壊後の日本経
この段階で、神奈川同友会は、最重要課題として
頁)ということの自覚を求めました。要するに、
対応が中小企業に求められている」
(同上、二一
一九頁)とともに、
「国民と地域に対する新たな
組むだけでなく、「独自の企業戦略の構築」
(同上、
策」
(
「第三三回定時総会議案書」
、七頁)に取り
も「中小企業の差し迫った窮状からの活路・打開
「現 状 の 科 学 的 認 識 と 経 営 戦 略 の 構 築 」
時総会議案書」、一頁)であるとともに、「なお出
の「現状の科学的認識と経営戦略の構築」
(同上、
時総会議案書」
、一三頁)と展望し、そのために
口の見えぬ平成不況」(同上、一三頁)であり、「戦
二二頁)を方針として確立したのでした。
四頁)であるとしました。その上で、「空洞化」
相模原支部」が誕生しました。さらに、③一九九
三年に「共育講演会」* がはじめて開催され、そ
外に開かれた集いとして、好評をもって受け止め
■「経営指針委員会」
「社員教育委員会」
「共 同 求 人 委 員 会 」 と 「 新 入 社 員 研 修 会 」
以上の認識と方針は、次のような具体的な活動
成果を生み出していきました。すなわち、①一九
られました。加えて、④一九九三年度に社員教育
毎年四月に開催され
がて二〇〇一年以降
ました。それは、や
研修会」が実施され
に初めて「新入社員
設けられ、四月八日
修会」実行委員会が
三月に「新入社員研
人会」が開催され、
修会」の「呼びかけ
の後も継続され、定着し、毎年実施され、広く会
八九年に発足した「経営指針」「共同求人活動」
委員会は「経営者と幹部社員が共に学ぶ研修会」
し、「 県 央・ 相 模 原
支部」が活動を再開
四 年 に は、「 小 田 原
も 新 設 さ れ、 一 九 九
め に「 組 織 委 員 会 」
熟さ」を克服するた
じ 年「 組 織 運 営 の 未
ま し た。 ま た、 ② 同
門委員会が設立され
求人委員会」の三専
の研究会のその後の成果を踏まえて、一九九二年
■
支部準備会」* が発足し、一九九五年には「県央・
後五〇年を超えての根本的な転換期」(同上、一
■
73
け止め、現状を「中小企業の時代」
(
「第三〇回定
74
の実施を踏まえて一九九四年二月に「新入社員研
76
社員教育委員会発足例会(講師は北海道同友会の
故大久保尚孝氏)
86
87
75
には「経営指針委員会」「社員教育委員会」「共同
県央・相模原支部創立総会(講師は中同協顧問の
田山謙堂氏)
第四章 新生と前進
ることになる「新入社員合同入社式」につながる
支部 例 会 の 充 実 へ の 努 力
ことに な り ま す 。
■
上のような成果の基礎となったのは、支部例会
の充実への懸命の努力でした。例会は従来から強
調されてきた「経営経験交流」が基本であること
か」
(
「一九九五年第三二回定時総会議案書」
、三
頁)と問い、その解決のカギを、①「学ぶべき中
身の追求」
、②「援け合い(=高め合い)を実現
すること」
、③「同友会らしい企業づくりの体現
者が増えること」の三点に整理しました。
ら頑張っているという励みとなる場」(「一九九四
方法と知恵を得、③不況の中でもみんな悩みなが
自社の考え方を点検し、具体的な改善課題とその
自業界や自社に置き換えて考える機会となり、②
して、例会が、「①広く情勢・環境の変化を知り、
践しようとして、一つ一つの例会に参加してきて
方をすれば、幹事が本当に例会に学んで自社に実
を持って取り組んでいるかどうかです。別の言い
その問題について、①「支部幹事会が例会に責任
六(平成八)年の第三三回定時総会では、まず、
このような支部例会の問題点の整理と改善の実
践は繰返し検討されることになりました。一九九
支部例会の問題点の整理と改善の実践
年第三一回定時総会議案書」、一頁)となること
いるかという問題です。
」
(
「第三三回定時総会議
■
が確認されました。しかしながら、課題も残って
案書」
、四頁)と提起しました。その上で、②「例
が、会員の理解するところとなってきました。そ
いました。「それ は、準備する側、学ぶ 側の問題
が決定的だとい
会を成功させるにはその準備
会で学んで自社で実践しているかにかかっていま
べるものになるかは、どれだけの会員企業が同友
うことです。」(同上、四頁)③「例会が本当に学
の点でも、
「一定の前進」
(同、四頁)がありまし
頁)が「着実に前進し」
(同、四頁)
、③例会準備
一人ひとりが大事にされる例会づくり」
(同、四
②例会運営についても、
「よく準備された内容で、
*
意識の不徹底さと学びとる力量の問題ではない
す。もっと進めて言えば、どれだけの同友会型企
た。
ち、①例会のテーマ・報告者の設定について「特
振り返って、次のように指摘しています。すなわ
て後退への傾向に立ち向かい、多面的な活動の充
ける全国各地の同友会の会員数増加の頭打ちそし
このようにして、一九九八年の第三五回定時総
会の時点において、
「バブル」経済の崩壊後にお
■
■ 全国の同友会に先駆けての
神奈川同友会の会員増強の開始
業(=「二一世紀型企業」)を各支部で創り出す
かどうかです。」(同上、五頁)と結論しています。
上 述 の 例 会 充 実 へ の 努 力 は、 一 九 九 七 年 度 に
なってようやく成果を生み出し始めます。すなわ
徴的なことは、各支部とも県全体の視点で報告者
実を実現して行きました。その結果、このような
ち、一九九八年の第三五回定時総会は、前年度を
の選定が行われ、県全体のレベルアップに繋がり、
4
神奈川同友会の会員数は底打ちし、全国の会員数
4
それと同時に、県全体の団結を生み出しました。
の底打ちに先んじて回復を実現したことは改めて
4
今後はさらに会員の要求を汲み取って例会テーマ
注目に値することでした。
4
に反映させていくことが大事です。また委員会と
連携して企画された例会も」(「一九九八年第三五
回定時総会議案書」、四頁)ありました。また、
88
89
77
具体的で戦略的な方針の策定と全県行事の定着
同友会理念」
の再確認
第二節「
■
神奈川ビジョン」は神奈川同友会に設置された
「ビジョン委員会」のもとで、会員自らの努力で
策定されたものでした。
■「五〇〇名達成記念パーティ」の開催と
「神奈川の中小企業ビジョン」の発表
■
以上の結果、
会員増強が進展し、
二〇〇〇年「五
〇〇名達成記念パー
以上の一九九〇年代の「バブル」崩壊後の厳し
い情勢を科学的に分析し、企業レベルにおいても
同友会レベルにおいても、基本方針の確立から、
ティ」の開催が実現
して、一九九〇年代
い合いました。こう
践者となることを誓
れ、同ビジョンの実
ジョン」が発表さ
奈川の中小企業ビ
定 時 総 会 で は、
「神
し、同年の第三七回
さらに、具体的で戦略的な方針の策定への取組み
が始まりました。一九九八年には初めて開催され
た「全県経営研究集会」* が、既述の「共育講演
会」とともに、いずれも毎年の恒例行事となって
定着しました。また、同友会運動においては「中
期計画」あるいは「中期ビジョン」と呼び慣らわ
されている同友会ビジョン、「神奈川同友会ビジョ
ン」(骨子)の策定が取り組まれ、一九九九年に「神
奈川同 友 会 ビ ジ ョ ン 」
(第一次案)、同(第二次案)
と中同協のそれにおける万単位)とはいえ、
〝驚異
の組織的停滞を克服
し、神奈川同友会は二〇〇〇年以降の新たな発展
的〟なものであると言わなくてはなりません。神
が策定され、討論に掛けられました。「二〇〇〇
期を迎えることになりました。また、二〇〇〇年
でした。それは、神奈川同友 会の一九六〇年代後
先行し、今度は、その増加において軌を一にしたの
4 4 4 4 4 4 4 4
奈川同友会の会員数の増加傾向が、全国のそれに
神奈 川 同 友 会 の 第 二 次 発 展 期 の は じ ま り
半から一九七〇年代の第一次発展期に続く第二次
発展期を歩みつつあるという意味でもあります。
「五つの課題」とその検証という方向性
ことはできませんでしたが、それぞれの団体の機
ので、長期のデータに基づいて正確には断定する
念」の再確認・
「二一世紀型の企業づくり」の宣
あったのでしょうか。それは、既述の「同友会理
神奈川同友会の全国の各地同友会の会員総数の
増加に先行する会員の増加は、どのようなもので
■
関紙や大会報告から窺がわれる限りでは、各中小
言をどのように同友会運動の中に具体化し、取り
きています。その意味で、全国同友会の会員数の
奈川同友会は、一九九六年度のその取組みにおい
組んできたかの水準を示すものでもあります。神
*
この間の増加傾向は、会員数規模の水準が異なる
企業団体は一九九〇年代以降減少
を継 続して
業団体の会員数は公表していない場合が多かった
を継続しています。従来、中同協を除く各中小企
中同協の創設以来の会員数集計値の最高数の達成
全国の同友会の会員総数も、二〇〇四年には減
少を食い止め、回復に向かい、二〇〇八年以降、
■
には労 働 委 員 会 が 再 発 足 し ま し た 。
第37回定時総会時の500名会員達成パーティー
て、次の「五つの課題」を自らに設定しました。
79
90
91
78
(各中小企業団体の会員数における百万・十万単位
第四章 新生と前進
すなわち、「①長期的・大局的な視野を経営者が
もつこと、②経営者として総合能力を持つこと、
③経営指針(理念・方針・計画)を確立して実践
して、同友会の諸活動・自社経営を推し進め、検
立すること」(「第三四回定時総会議案書」、一 二頁)、でした。その後、この五つの課題を基準と
⑤常に人材の確保につとめ、人材が育つ社風を確
きがいと生きがいが実感できる職場をつくること、
ン 」 発 表、 第 三 部「 五 〇 〇 名 会 員 達 成 記 念 パ ー
て、前述のとおり、第二部「神奈川同友会ビジョ
日の第三七回定時総会は、第一部総会議事に加え
策定、会外活動等々の充実となり、一九九九年段
例会・
このような神奈川同友会の着実な前進は、
「全県経営研究集会」の開催、
「中期ビジョン」の
二一世紀の同友会運動への歩み
証して い く 方 向 性 が 生 ま れ ま し た 。 そ の 結 果 、
「一
ティ」という三部構成の画期的な定時総会となり
■
九九七年度は県全体して着実に前進した年」
(
「第
ました。こうして、神奈川同友会は、前進的状況
すること、④経営者と社員の信頼関係を強め、働
三五回定時総会議案書」
、一二頁)となりました。
になりました。
に満ちた豊かな人間集団としての企業。」(中同協(一九九九)、
一九八頁)
県央・相模原支部準備会 「県央・相模原支部」の設立の意
義について、同準備会では次の三点を確認しています。「①
神奈川県の面積として大きな部分をしめる県央・相模原地域
で支部を設立することは文字通り全県的な組織として確立す
ることである。②県央・相模原地域は中小企業が多く、また
急速に発展している地域でもあり(県の工業試験所が厚木に
移転されることから見ても)、そこで経営実践をされている
中小企業家を組織化することは神奈川同友会の活性化にもつ
ながる。③神奈川同友会の念願である四桁の同友会会員組織
*
す。③会員一人一人が人間尊重に満ち溢れた人間としての高
まりを求めていきます。④この「講演会」を通じて同友会の
存在を地域にアピールして、基礎づくりに貢献します。」(「同
友かながわ」第一二一号、一九九五年一月一日、二頁)
* 例会を成功させるにはその準備 「準備の責任は幹事会と担
当事務局員にあります。最低三ヵ月前には幹事会でテーマを
決め、それに沿った報告者を選び、その報告者との打ち合わ
せや会社訪問、幹事会での模擬報告等を行うという準備活動」
(「第三三回定時総会議案書」、五頁)が指摘されていました。
* 全県 経 営 研 究 集 会 一 九 八 七 年 の 第 四 二 回 定 時 総 会 に お い
て、各支部の活動の前進を踏まえて、県全体の各分野での活
動を集約してさらに前進するために、神奈川同友会の運営体
制として総合運営委員会が設けられること(「第二四回定時
総会議案書」、一六 一–七頁)になりました。同委員会には各
支部代表が参加することとし、支部活動の交流を進めること
としました。翌一九八八年度第二回理事会(五月一四日)に
次のように明確にしていました。「①人間として共に育ちあ
う土壌づくりをめざし、地域の人々と学び合います。②同友
会会員企業の中に経営者と社員の共に学び合う関係を築きま
の中で二一世紀の同友会運動に歩みを進めること
階で会員五〇〇名を達成し、二〇〇〇年四月二一
また、一九九六年一一月二六日に開催された「全
県経営研究集会」は「設営支部を決めて新たな試
みでスタートしました。その設営を川崎支部が担
い、初めて川崎の地で行うことになりました。
」
* 同友 会 理 念 一 九 七 五 年 の 中 同 協 第 五 回 定 時 総 会 に お け る
「同友会 三つの目的」の成立から始まった〝同友会理念〟の
形成は、一九九三年の第二五回定時総会で一応の完成を見た
ということができます。もちろん、同友会運動の性格から今
後も同友会理念は同友会運動とともに発展するはずのもので
す。
* 二一世紀型同友会づくり 「①自社の存在意義を改めて問い
直すとともに、社会的使命感に燃えて事業活動を行い、国民
と地域社会からの信頼や期待に高い水準で応えられる企業。
②社員の創意や自主性が十分に発揮できる社風と理念が確立
され、労使が共に育ちあい、高まりあいの意欲に燃え、活力
*
*
化 の 展 望 を つ く り 出 す 最 善 の 道 で あ る。」(「 同 友 か な が わ 」
第一一九号、一九九四年一一月一日、四頁)
共育講演会 第一回は、横浜市開港記念会館において長崎総
合科学大学教授の広木克行氏を迎えて、四〇〇名の参加の下
で「人間が育つ条件を考える」というテーマで講演が行われ
ました。その準備において、「共育講演会」の意義と目的を
77
おいて総合運営委員会の運営方針を正式決定し、正副代表理
事、支部長、各専門委員会代表の参加を決め、第一回総合運
営委員会における「本年度活動方針」において、一一月二〇、
二一日の両日に、全県規模の「経営研究集会」を開催するこ
とを決定しました。九月以降三回にわたる実行委員会を開催
し、初めての「全県経営研究集会」の開催に成功しました。
以後、「全県」は文字通り神奈川同友会の全県行事として定
着しました。
一九九〇年代以降減少 中小企業庁編(二〇一四)において、
92
93
75
76
78
79
74
73
(「同友かながわ」第一三九号、一頁)
第四章 新生と前進
第四章 新生と前進
再発展と挑戦
の中小企業への﹁貸し渋り・貸し剥がし﹂の拡大、
端を発するアジア通貨危機を背景とする金融機関
二一世紀︵二〇〇〇年 ︱ 現在︶
いわゆる﹁商工会﹂﹁商工会議所﹂のそれぞれの全国組織で
ある﹁全国商工会連合会﹂︵略称、全国連︶、﹁日本商工会議所﹂
︵略称、日商︶の会員数状況についての分析がはじめて記載
されました。それによって、それぞれ会員数の減少が確認さ
れます。
第五章
第一節 回復からの再発展
また、戦後初めての都市銀行と大手証券会社の破
綻を契機とした金融危機の発生が続き、そして、
小 泉 政 権 の 発 足 に よ る 二 〇 〇 〇 年 以 降﹁ 構 造 改
長が継続し、当時の流行語である﹁失われた一〇
■ 日本 経 済 の ﹁ 失 わ れ た 一 〇 年 ﹂ か ら
﹁失 わ れ た 二 〇 年 ﹂ へ
二〇〇〇年代に入っても、世界と日本は、一九
九〇年代とは現象形態や意味内容において異なる
年﹂がさらに﹁失われた二〇年﹂へと継続・深化
■
ものの、予測や想定の困難な激動が続きました。
していきました。
革﹂を前提とする﹁緊縮財政﹂を強行するゼロ成
一九九〇年代の後半、一九九七年四月から始まっ
た消費税率三%から五%への引上げと新たな社会
保障負担の増加による急激な景気の落ち込み、同
年のタイ通貨の﹁バーツ﹂の危機︵大幅下落︶に
94
95
第五章 再発展と挑戦
「緩 や か な 回 復 」 と 神 奈 川 経 済 の 低 迷
■
さらに、この間、米国経済は二〇〇〇年の「ネッ
ト・バブル」崩壊からの急速な回復が「超金融緩
力を必要としました。しかし、そのような努力に
よっても、諸経済指標は低迷を続けていました。
れておりました。そして、それらの両産業の「空
愛知県等の自動車・電機産業の立地地域に限定さ
ようになりました。とはいえ、その回復の浸透は、
し、長期不況からの「緩やかな回復」を漸く示す
機産業を中心に米国向け、中国向けに輸出を拡大
日本経済は、二〇〇三年頃から、再び自動車・電
背景に成長を強めていました。それに関連して、
イム・ローン」を主軸とする「住宅ブーム」等を
たものの、会員数の増加の傾向を定着させたとい
九七年を底に、その後に若干の減少の年度もあっ
員の増強を達成しつつ新たな前進を開始し、一九
に、その諸活動をさまざまの分野に拡大させ、会
神奈川経済の状況認識を一段と深化させるととも
時不況〟を迎えるまでの期間、神奈川同友会は、
る「リーマン・ショック」とそれに続く〝世界同
から、二〇〇八年に〝世界的金融危機〟
、いわゆ
神奈川経済がそのような状況にあったにもかか
わらず、本節が対象とする二〇〇〇年代に入って
多様な活動分野の拡大
洞化」が劇的に進行していた神奈川経済は、愛知
うことができます。
■
県等の場合と異なり、「緩やかな景気回復」の波
和」の波に乗ってさらに加速化され、「サブプラ
に乗れず、県・市の行政は、新たに「インベスト
それらの諸活動について、個々の具体的な取組
みは後述することにして、二〇〇〇年から二〇〇
の新規産業形成という政策的努
ン」を実現するという展望を堅持しながら、中小
たとおり中期の「二〇〇〇神奈川中小企業ビジョ
り年度ごとの運動方針を策定し、加えて、前述し
友会は、転変する情勢を厳しく分析し、従来どお
ことができます。すなわち、この期間、神奈川同
の特徴を端的に表現すれば、次のように総括する
八までの二一世紀初頭の同友会運動について、そ
ことでもあります。
しさを自覚し、それに立ち向かう取組みを続ける
継続してきたことです。それは、神奈川経済の厳
同友会独自の具体的な活動形態を創造する努力を
運動を展開する段階に到達し、かつまた、神奈川
経営課題の設定という三者を貫く観点を実践する
堅持し、経済・社会情勢の分析、運動方針の策定、
*
企業経営の充実と発展に邁進してきたということ
二〇〇一年の第三八回定時総会の「二〇〇一年度
運動方針」は、日本経済の現状における「成長神
かながわ」等
です。以下、それらの具体的な取組みについて見
話」の崩壊を改めて確認し、
「神奈川の中小企業ビ
書」
、一頁)と総括し、神奈川同友会は、そのよう
日々迫って き ま し た。
」
(
「 第 三九回 定 時 総 会 議 案
で従来の経営の延長ではひとたまりもない様相で
経営環境はこれまでも経験したことのない厳しさ
度(二〇〇一年度 ―引用者)の中小企業をめぐる
で、翌二〇〇二年の第三九回定時総会では「昨年
げ、
「本物の中小企業経営」を提起しました。次い
ジョン」を実践し、県民の期待に応えることを掲
て行き ま し ょ う 。
同友 会 理 念 の 具 体 化 ・ 実 践 化
(一)情勢の分析・運動方針の策定・経営課題の
設定を貫く観点の確立
■
まず、最初に指摘できることは、二〇〇〇年以
降、神奈川同友会はようやく同友会理念を明確に
96
97
80
* を
な二一世紀の初頭の厳しい情勢に直面しているが、
それに対して、同友会理念の具体化・実践化
通じて立ち向かって行こうと呼びかけたのでした。
■「活動方針七つの柱」
「企業づくりの八項目の課題」
■
先の第三九回定時総会では、
「二〇〇二年度運
動方針」において「構造的危機状況―五つの特徴
在感を高めました。また、二〇〇二年に神奈川県
浜経済団体」の一角に加わることを実現して、存
神奈川同友会の上述のような姿勢は、二〇〇一
年に神奈川同友会が「神奈川新聞」紙上掲載の「横
詰められる所まで追い詰められた感がありま
―引用者)の中小企業をめぐる経営環境は、追い
の第四〇回定時総会では「昨年度(二〇〇二年度
の視点」* を採択しました。次いで、二〇〇三年
「横 浜 経 済 団 体 」 の 一 員 に
と中小企業諸団体との共同事業「シニア実践就労
す。
」
(
「第四〇回定時総会議案書」
、一頁)と指摘
■
点」* を前提に「活動方針 七つの柱」* 、
「企業
づ く り の 八 項 目 の 課 題 」* 、
「地域づくりの四つ
講義」にも参加し、さらに、横浜信用金庫との「産
しています。したがって、
「二〇〇三年度運動方
をさらに厳しく
学官連携」をも実現しました。このような経営・
*
分 析 し な が ら、
「 活 動 方 針 七 つ の 柱 」* を 改 め
て提起しました。
クづくりに進んでいる。
」
(
「第四一回定時総会議案
いる。④協力会社の関係も含めて良質のネットワー
ているか、また、本業の付加価値づくりに挑戦して
本業を深掘りする形で新しい仕事づくりに挑戦し
力を入れている。③現状に満足することなく常に
ている)
。②経営者を先頭に人育て(社員教育)に
針を持って実践している(経営指針を作成し実践し
いる企業」が存在し、その特徴として、
「① 経営 方
と指摘し、同時に、その中でも、
「着実に前進して
ました「激変消滅」の状況は変わっていません。
」
うに振り返っています。
「この間ずっと言われて来
そして、翌年の神奈川同友会第四一回定時総会に
おいては、前年度(二〇〇三年度)の状況を次のよ
くり、地域づくりのために同友会運動と自社経営
めながら、そのような経営環境の負けない企業づ
このように、二〇〇〇年代に入ってから、神奈
川同友会は、進行していく経営環境を厳しく見つ
です。
(
「第四一回定時総会議案書」
、一一 一-二頁)
テナンス・良質サービスがキーワードであること、
あること、⑦今後の仕事づくりとして環境・メイン
社会の到来による医療・福祉・健康食品への期待が
内観光資源との連携が課題であること、⑥高齢者
宅建設の根強い要求があること、⑤中小企業と県
業集積地が確保されていること、④県内地域に住
が拡大する可能性があること、③京浜臨海部で産
各系が雇用を拡大していること、②試作品づくり
しました。すなわち、①情報・医療・福祉・研究の
小企業の戦略を考えるう えでの〝ポイント〟を示
やかな回復」の動向を踏まえて、神奈川経済の中
奈川経済の特徴を指摘しながら、日本経済の「緩
87
書」
、一頁)という四点を挙げています。その上で、
「激変消滅」と中小企業の経営戦略のポイント
域への 貢 献 を 拡 げ て 行 き ま し た 。
針 」 で は、 神 奈 川 経 済 の 特 徴
83
雇用・金融における会外への働きかけを強め、地
84
に向けて数々の課題の提起を継続したのでした。
■
86
85
98
99
82
81
「二〇〇四年度活動方針」では、前年度と同様に神
第五章 再発展と挑戦
(二)「神
奈川の中 小企業ビジョン」(「二 〇〇〇
年ビジョン」)
「神 奈 川 の 中 小 企 業 ビ ジ ョ ン 」 の 実 践
■
きます。
」と宣言したのです。
また、
「神奈川の中小企業ビジョン」は発表さ
れてから直ちに実現に向けて実践されることが、
強調されていました。発表された翌二〇〇一年の
「第三八回定時総会」では第三分科会で三名の会
員の報告の下に、
「神奈川の中小企業ビジョン」
も、同ビジョン(以下「二〇〇〇年ビジョン」と
の実践体験とその広がりが語られました。その後
(一)に述べたような同友会運動の基本的な観
点を貫くことを可能にしたのが、二〇〇〇年四月
略称)は運動の指針として活用されました。
創立四〇周年と新たな「ビジョン」
域づくり」を呼び掛けたものでした。その上で、
ることになり、そのための「企業づくり」と「地
にし、今後の神奈川同友会の展望を切り拓き、目
月に発表された「二〇〇〇年ビジョン」をベース
活動方針」においては、
「今年度は、二〇〇〇年四
さらに、二〇〇五年、神奈川同友会が創立四〇
周年を迎えた第四二回定時総会の「二〇〇五年度
■
二一日(金)に開催された第三七回定時総会で発
表された「神奈川の中小企業ビジョン」でした。
その中心の考え方は、繰り返し強調するように、
神奈川県の同友会運動が「神奈川を発展させる」
「 神 奈 川 に 責 任 を 持 つ 」 と い う こ と で あ り、 そ の
ような方向は二一世紀の「県民的課題」* に応え
「神奈川同友会は神奈川県と中小企業の再生発展
略等について明ら
かにした「神奈川
同 友 会二〇一〇年
ビジョン」の策
定・発表に取り組
「三つの団結」
おける中小企業ビジョン」
(以下、
「二〇〇六年ビ
〇〇〇年ビジョン」の改訂版である「神奈川県に
友会指針」と略称)が発表されました。同時に、「二
家同友会指針(ビジョン)
」
(以下、
「二〇一〇年同
四三回定時総会で「二〇一〇年神奈川県中小企業
た。そして、翌二〇〇六年四月二〇日(木)の第
方針を決定しまし
書、一六 頁 )との
一回定期総会議案
年経営者全国交流会までに七〇〇名会員の実現を
「①二〇〇一年九月に横浜で行われる第二九回青
動に取り組んできたとまとめています。
すなわち、
を総括して、
「三つの団結」を堅持して同友会運
二〇〇一年の第三八回定時総会では、過去一年間
さらに基礎的な課題を抱えるようになりました。
会では、会員数も増加し、組織も拡大し、例会は
であり続けました。二〇〇〇年以降の神奈川同友
ての同友会にとってのそれぞれの創立以来の課題
例会の充実は、既述してきたように、同友会運
動の基本であり、神奈川同友会のみならず、すべ
■
ジョン」と略称)も発表されました。後者の実現
同友会理念の体現者づくりです。
」
(
「第三八回定
目指す。②経営体験発表例会の充実を目指す。③
る前者を策定したのでした。
を確実にするために、その課題と方針を明確にす
み ま す。
」
(
「第四
(三)例会の充実
指すべき組織づくりや具体的な活動戦略・運動戦
88
100
101
2000年に発表された「神奈川の中小企業
ビジョン」パンフレット
をめざす運動のセンターとしての役割を担ってい
第五章 再発展と挑戦
第五章 再発展と挑戦
委員会から湘南支部の会員に対する報告要請が多
が深まったのです。それゆえ、他支部の例会や各
会員が率先して報告者を引受けており、学びあい
くにこの間の湘南支部の「経営体験報告」例会は
り組まれ例会の充実が図られ」(同上、一頁)、と
ませんでしたが、②、③に関しては「各支部で取
時総会議案書」、一頁)このうち、①は実現でき
上がってない方の場合には、どのようにすれば成
いる方から学ぶのが最適だからです。まだ成果が
としての共通の立場で日々努力し、成果を上げて
が中心なのでしょうか。それは、同じ中小企業家
きました。なぜ、会員経営者の「経営体験報告」
験報告」を中心とした例会を各支部は取り組んで
「昨年(二〇〇四年)度も会員経営者の「経営体
案書」は次のように指摘しています。すなわち、
会について、二〇〇五年の「第四二回定時総会議
千葉同友会の経営研究集会でも高く評価されまし
くなり、
会内で「湘南から風が吹いている」
(同上、
果が挙げられるかを考える機会に」
(
「第四二回定
例会の充実と「経営体験報告」
こうして、二〇〇〇年以降における例会の充実
の努力が始まりました。この「経営体験報告」例
■
た。
一頁)と言われました。その成果は神奈川同友会
時総会議案書」
、三頁)なるからです。
組みます。報告者の依頼にあたって、一定の
基準として、…『同友会型(二一世紀型)企
て い ま す が、「 二 〇
部例会の充実を挙げ
ひ と つ と し て、 各 支
年度の運動の成果の
書 」 で も、 二 〇 〇 六
二 〇 〇 七 年 の「 第
四四回定時総会議案
くりを実践されている方、等に積極的に依頼
のネットワークを広げ、仕事づくり、地域づ
市場創造を図る上で、産学官、企業間連携等
共に育ち合う企業づくりを進めている方、④
うとしている方、③人材育成を柱に、社員と
新たな事業展開を切り拓いている、切り拓こ
が浮き彫りになった方、②経営指針を中心に
例会 づ く り の さ ら な る 課 題 と 定 式 化
の経営研究集会ばかりでなく、報告を要請された
■
業』をめざしている方、例えば、①経営指針
〇七年度活動方針」
して行きたいものです。例会運営にあたって
を作成し、社内で発表・実践し、成果や課題
で は「 例 会 づ く り 」
は、座長やグループ長は大変重要な役割を担
「自社に持ち帰っての経営実践」
ます。今年度も、特に「同友会で深く学ぶ」
ループ討論を進めるため、相互協力して行き
い ま す。 経 営 の 本 質 に 迫 る 論 議 の で き る グ
の取組みについての
課題も述べています。少し長いですが、引用して
おきま し ょ う 。
「同友会の学び合い活動の中心となる例会
は、 実 践 的 な 『 経 営 体 験 報 告 』 を 中 心 に 取 り
⇒
「企業
⇒
⇒
改革の成果に結実」 「その教訓を同友会内
102
103
2001年9月に神奈川同友会設営で開
催した第29回青年経営者全国交流会
パンフレット
例会でのグループ討論
第五章 再発展と挑戦
で検 証 し 活 動 へ 還 流 す る 」 と い う サ イ ク ル を
強化し、「学ぶこ ととは実践すること 」を合
言 葉 に し た 例 会 づ く り を 推 進 し ま す。」(「 第
四四回定時総会議案書」、九頁)
このようにして、例会づくり、その取り組み、
会員の 役 割 が 定 式 化 さ れ た と 言 え ま す 。
支部 創 設 の た め の 〝 準 備 例 会 〟
(四) 地 域 的 拡 大
■
ところで、支部例会は、既存の支部の基礎・基
本活動であるばかりでなく、神奈川同友会の地域
的 拡 大 を め ざ し た 支 部 の 創 設 の た め の〝 準 備 例
会〟としても、以下に述べるように小さくない役
割を発 揮 し て き ま し た 。
域に同友会の存在をアピールすることができまし
た。特に地域の農業生産者グループや漁業加工グ
ループとの事例発表を通じての交流は同友会運動
の地域的広がりを示すものでした。地域に責任を
持つという「神奈川の中小企業ビジョン」で示し
■
県南支部・西湘支部の設立
二〇〇二年二月に県南支部(横須賀市・鎌倉市・
逗子市・三浦市・葉山町)準備会が発足し(「第
三九回定時総会議案書」
、五頁)
、その後、横浜支
部の支援、湘南支部の協力を得て、準備例会が繰
返し開催され
(
「第四〇回定時総会議案書」
、
六頁)
、
加して取り組まれ、地
および行政の方達が参
六名の中小企業経営者
が行われました。二二
賀で全県経営研究集会
(同年)一一月に横須
横浜支部協力の体制で
直後、「県南支部設営、
しかも、県南支部設立
二〇〇三年五月に設立総会の開催に至りました。
(五)組織的拡大
して約一〇〇名の参
て の〝 準 備 例 会 〟 と
会が支部設立に向け
さ ら に、 二 〇 〇 八
年二月に西湘地域例
二頁)
回定時総会議案書」
、
重ねていましたが、その第一七回の時点で、県全
ん。神奈川同友会では、経営指針作成部会が回を
念・方針・計画)作成とその実践にほかなりませ
会の充実を推進する基盤は、会員の経営指針(理
上述してきた「二〇〇〇年ビジョン」の実現、例
大とともに、委員会・部会等の組織的拡大が進展
二〇〇〇年以降の期間、神奈川同友会の最高会
勢の達成を毎年のように繰り返す中で、地域的拡
組織的拡大と経営指針作成
加者の下に開催され
体の同部会を一本化し、二〇〇三年二月から三月
参、事前学習等の講座の中身について討論しまし
を考える会」を開催し、資料の改善、決算書の持
にかけて「八週間連続講座「経営指針作成部会」
したことにも大きな特徴でありました。
すなわち、
ました。
■
2003年5月に開催した県南支部設立総会
104
105
た方向を確認するものとなりました。」(「第四一
2009年3月に開催した西湘支部設立総会
た。それは、二〇〇二年七月の第三四回中同協定
時総会での「経営指針の作成と全社的実践で黒字
体質の企業づくりを」との呼びかけに呼応するも
のでもありました。このような活動を支えた経営
して評価されるものです。
そして、二〇〇五年二月一五日には懸案の経営
指針成文化活動の〝OB会〟が立ち上がり、「会
ダイジ ェ ス ト 版 セ ミ ナ ー 等 々 が 行 わ れ ま し た 。
さらには、会員のみならず社員のためのセミナー、
回にわたる、あるいは、一泊の「成文化セミナー」
、
経営指針成文化の活動はさらに活発になり、連続
したいと思います。」と記述しています。その後、
弁当精神に裏付けられた献身的な活動に対し感謝
会議案書は「委員会メンバー、講師団の方達の手
月二八日、
横浜駅西口の
「かながわ県民センター」
たとえば、
「大商談会」として、二〇〇三年一〇
が増え、また委員としての自覚を喚起し、委員会
を実施しました。定例化により、委員会の参加者
三年度に「新体制でスタートし、委員会の定例化
なります。そのような組織委員会自体が、二〇〇
間の調整等を検討する組織委員会の活動が必要と
きものですが、その方向性、新機軸の企画、組織
同友会会員の増加は、各委員会、部会の活発化
をともなってこそ、
〝会員増強〟と見なされるべ
組織委員会の活性化
の名称も「経友会」(会費月五〇〇円)とし、経
で「地域深耕・親交・新興~見つめよう『地域』
・
■
営指針実践の支援を活動目的」(「第四二回定時総
広げよう『ネットワーク』~」をテーマに二〇社
指針委員会に対し、二〇〇三年の第四〇回定時総
会議案書」、四頁)としました。これは同友会運
が自社の製品・サービスを宣伝しました。
「当日
師 ㈱生活倉庫 堀之内九一郎社
フォーラム」
(講
「かながわ経営
開催された第一回
〇四年三月八日に
の活性化を実現することができました。
その結果、
動における先輩経営者に学ぶという伝統の一環と
は出展者を含め二〇〇名の方が来場し、ビジネス
交流の輪が広がりました。また、会期中の特別企
画として『異業種交流セミナー』が取り組まれ、
のネットワークで地域経済活性化を」と題する講
演から 学 び 合 い ま し た 。
長)は、リーダー
シップを発揮する
西川三郎(ジャパ
員異業種交流会、会員交流昼食会、会員望年研修
大商談会などの活動に加え、会員交流納涼会、会
されました。「従来の同友会活用セミナー、企業
い、さらに、会内においても、新規の活動が開始
開催準備の過程で、計六回に及ぶ実行委員会を行
翌二〇〇四年三月八日には、第一回「かながわ
経営フォーラム」の開催を企画・実施しました。
二〇名の入会者を迎える大きな成果を上げまし
三二二名、うちオブザーバー一一三名の参加で、
回定時総会議案書」
、八頁)に努め、出席者総数
としてノウハウを蓄積させていくこと」
(
「第四一
営、
新規入会者増強策等を「神奈川同友会方式」
」
本フォーラムを通じて練り上げられる企画や運
員長のもと、
「計六回に及ぶ実行委員会を行い、
■ 第一 回 「 か な が わ 経 営 フ ォ ー ラ ム 」
開催 の 企 画 ・ 実 施
旅行」(「第四一回定時総会議案書」、四頁)等々
た。
「本フォーラムは会員増強をするためとして
ニマス㈱)実行委
が多方面において現れましたが、なかでも、二〇
■
第1回かながわ経営フォーラムでの名刺交換交流会
106
107
「 ア ド ッ ク 神 戸 」 の 事 務 局 長 栄 敏 充 氏 の「 産 官 学
第五章 再発展と挑戦
第五章 再発展と挑戦
を通して、過去最高会員数を達成、突破する等、
体的な役割を担いました。二回の経営フォーラム
ネス交流セッション」の開催の「実行委員会の主
一六日の「第三回かながわ経営フォーラム&ビジ
さらに、組織委員会は、二〇〇四年九月の「第
二回かながわ経営フォーラム」、二〇〇五年三月
した。」(「第四一回定時総会議案書」、八頁)
三月だけで四五名の入会者を迎えることができま
フォーラム後は各支部でフォロー活動を展開し、
の位置づけを明確にし、二〇名の入会者を迎え、
会の後援もあり、七七社が出展しました。
七頁)と企画しました。東京、埼玉、千葉の同友
スにつなげよう」
(
「第四二回定時総会議案書」
、
ではの異業種交流の力を発揮し、ビジネスチャン
団体や首都圏同友会とも連携を図り、同友会なら
た。また、
「ビジネス交流セッション」では、「他
長を中心にした実行委員会は、講師に㈱オリエン
ション」では、桜井耕司(㈱桜井商会)実行委員
三回かながわ経営フォーラム&ビジネス交流セッ
(
「第四二回定時総会議案書」
、六頁)
、また、「第
■
女性部会の設立
タルランドの山下堯(元)専務取締役を招きまし
組織委員は組織の発展、活性化に大きな役割を果
たしました。」(「第四二回定時総会議案書」、三頁)
「第二回かながわ経営フォーラム」は、講師に
神奈川県知事松沢成文氏を迎え、福岡正雄(㈱ベ
ルザ)実行委員長を中心に実行委員会は第一回の
との懇談も含めた
域の経営者の方々
湯 河 原・ 真 鶴 ) 地
に、西湘(小田原・
会を開催しました。また、同年の全県経営研究集
鎌倉)訪問による移動例会と納涼会の二回の準備
さらに、二〇〇五年度に「北海道同友会帯広支
部女性部会との懇談会、会員企業(サン・ハウス
議案書」
、一四頁)と述べられています。
この期間の神奈川同友会運動における特筆すべ
き成果は、準備会を経て女性部会が設立されたこ
一泊の女性部会
会では、準備会担当の分科会(女性経営者だけの
成果を踏まえ、二三四名の参加者、うちオブザー
は、 会 員 相 互 の 交
パネルディスカッション)を企画、設定し、困難
とです。二〇〇四年度に「少子高齢化を考える」
流 も 進 み、 女 性 部
な経営状況に立ち向かっていく女性経営者の経営
バー一一一名が参加し、「当日は一八名、後日に
会設立に向けた機
体験報告から学びました。そして、二〇〇六年五
の年間テーマで五回の準備会を開催しました。特
運が高まりまし
月に女性部会を設立することができました。設立
一六名」の入会者を迎える成果を上げました。
」
た。」(「 第 四 二 回
な活動に学びながら、神奈川同友会にきらりと光
活性化し、会増強も進んでいます。全国の先進的
女性部会が発展している同友会は、会活動全体が
す。全国的にも、女性部会の位置づけを重要視し、
備期間を終え、正式な部会として設立をめざしま
定時総会 議案書」、五 六
-頁)そし て、「二〇〇五
年度の活動方針」では、女性部会準備会は、「準
を開催しました。女性部会ニュース「Vivid
年度末には東京同友会女性部会と合同で一泊例会
さらに、首都圏女性部会との交流を深めながら、
クションを開催し、参加者から好評を得ました。
も考えさせられました。
また、
新年会を兼ねたオー
行い、中でも福祉施設の現場を訪ね、障害者問題
てきました。部会では会員の会社訪問を定期的に
後、
「二ヶ月に一度の部会と幹事会を相互に行っ
る女性部会をつくります。」(「第四二回定時総会
108
109
2006年5月に開催した女性部会設立総会
第五章 再発展と挑戦
ly」を発行して女性部会の存在をアピールしま
した。行政との連携は、かながわ女性センターの
女性起業家セミナー卒業生との交流や働く女性を
支援する講座の職場実習に女性部会会員企業が協
同友 会 広 報 と 機 関 誌 の 「 カ ラ ー 化 」
力しました。」(「第四四回定時総会議案書」、六頁)
■
神奈川同友会の発展は、機関紙の充実と並行し
ています。広報準備委員会のもとで二〇〇八年一
月号から、「DOYU kanagawa」のオー
ルカラー化が実現されました。会員から「文字が
大きくなって読みやすい」「写真が大きく掲載さ
れているので臨場感がある」等の意見が寄せられ
(六)研修会・研究会等
役員研修会と自己変革
神奈川同友会が増強し、また、学ぶ組織として
の本領を発揮するための基盤となるものは、同友
■
スが増えました。(「第四五回定時総会議案書」
、
会運動のリーダーの育成、すなわち、
「役員研修
て好評を得て、また、入会案内の時に活用するケー
四頁)
回全県役員研修会」、また、二〇〇五年度活動方
自己変革を迫るような役員研修会を積極的に行っ
運動の責任でもあります。県段階、支部段階でも
会」の推進です。それゆえ、二〇〇四年に「第一
針に「役員の条件」* の実現を目指した「系統的
役員研修会」の実施、その制度化の発展のために、
と表明されました。
ていきます。
」(
「第三八回定時総会議案書」
、
九頁)
められているのです。そのために同友会で学んで
つまり、同友会理念の体現者を生み出すことが求
す。まさに同友会理念の物差しをもつことです。
もった真の同友会のリーダーが求められていま
的広がりとその同友会の広がりにあった思考を
同友会運動を見るのではなく、同友会運動の社会
員集団は、特に理事は自社の経営的な見地だけで
く学ぶ会風の確立が大事です。
今年
(二〇〇三年)
くなったと言われないように役員同士互いに厳し
大の急務です。役員をすることで自社の経営が悪
で学んで実践した役員づくりが神奈川同友会の最
わち、
「この間の活動をふり返ってみて、同友会
反省し、次のような方針を決定しています。すな
でした。
」
(
「第四〇回定時総会議案書」
、五頁)と
第四〇回定時総会は、二〇〇二年度の「役員研
修会は二回行われましたが、充分ではありません
役員研修会の実施
自己変革し、社員を変え、会社も変えるのだとい
度も隔月で理事会が行われていますが、その理事
■
粘り強 い 努 力 が 繰 り 返 さ れ ま し た 。
このような努力にあたっては、二〇〇一年の第
三 八 回 定 時 総 会 に お い て「 二 〇 〇 一 年 度 活 動 方
針」が「役員研修会」が積極的に提起されていま
う決意をし、実践に踏み出すことです。そして常
会のない月の第二水曜日を基本的に役員研修会に
した。「今後 七〇〇名、一,〇〇〇名を 目指す役
に謙虚に学んでいくことです。この実践は同友会
110
111
89
神奈川同友会機関紙のカラー化
一三頁 )
事会が担います。」(「第四〇回定時総会議案書」
、
応じて開催して行きます。その召集は正副代表理
またこの他に支部長会議、委員長会議等を必要に
いくためにも実行責任は正副代表理事会が担い、
当てていきます。…内容を充分討議して実施して
支部長研修の場になればと思います。
」
(
「第四一
間を過ごしました。新年度でも引き続き実施して
りや会員増強の取組みの様子も語られ有意義な時
みも出され、またその一方では各支部の例会づく
理)が参加し大変好評でした。支部長としての悩
回実施しました。全支部の支部長(湘南支部は代
十分と言わざるを得ません。さらに中小企業をめ
分練り上げて行われたかというとそうではなく不
た。八月に開催した第一回全県役員研修会では、
〇四年)度は三回の全県役員研修会が行われまし
「同友会理念の体現者づくりと一致団
そして、
結した役員集団づくりをめざすため、昨年(二〇
回定時総会議案書」
、七頁)と総括しています。
ぐる状況が様々に変わってきている中でもっと情
数 年 振 り に 一 泊 で 開 催 さ れ、 … 例 会 づ く り と グ
その結果、「昨年(二〇〇三年)度は四回の役
員研修会を実施しました。一回一回の研修会が十
勢討議をすべきとの意見が寄せられています。
」
ループ討論の魅力を学び合いました。
」
(
「第四二
で構成されました。
員研修会の二段階
した。
」
(
「第四二回定時総会議案書」
、七頁)
成果と課題を総括し、次年度の方針案を討議しま
会」として、一年間の同友会活動、同友会運動の
回 全 県 役 員 研 修 会 で は「 定 時 総 会 議 案 検 討 学 習
(「第四一回定時総会議案書」、七頁)と指摘して
支部 長 会 議
回定時総会議案書」
、七頁)
「二月に開催した第三
■
また、「昨年(二〇〇三年)度は支部長会を一
「系 統 的 役 員 研 修 会 」
■
このような役員
研修の方向性は、
二〇〇五年度に
研修会と、②六講座程度の理事および理事候補を
とし、同友会運動の歴史や理念を学ぶ同友会基礎
は①三講座程度の支部幹事および幹事候補を対象
と宣言しました。ここでの「系統的役員研修会」
させます。」(「第四二回定時総会議案書」、一五頁)
に課題も生まれ、その後も模索と努力が続いてい
にして、役員研修の重要性の認識が深まるととも
書学習研修会」が実施されたことです。このよう
一八名参加の下に「中同協第三七回定時総会議案
施されました。また、注目すべきは、同年六月に
上げる真髄と同友会運動の可能性を学ぶ同友会役
きました。
計六回の講座が実
三〇名の参加で、
ぞれ延五一名、同
員研修会」がそれ
会」と「同友会役
「同友会基礎研修
2005年7月に開催した役員研修会(講師は駒澤大学
教授の吉田敬一氏)
対象とし、同友会での学びを自社で実践し成果を
役員集団を形成し、神奈川同友会の量と質を前進
現者(同友会理念の実践者)による一致団結した
員としての相応しい力量を高め、同友会理念の体
するために、「系統的な役員研修会を実施し、役
五年度活動方針」において「新たな役員像を実現
を踏まえて、第四二回定時総会における「二〇〇
さらに、二〇〇四年度の中同協組織問題全国交
流会において提起された〝役員の条件〟(注 )
89
112
113
います 。
第五章 再発展と挑戦
第五章 再発展と挑戦
の反省から事務局内の学習を進めていきます。新
年度も日常業務に追われる状態が続く模様です
実現を目指します。そのためにも財政的な裏付け
役員 研 修 と 事 務 局
このような役員研修を通じた同友会運動のリー
ダーの養成は、事務局員との育ち合いとも連動し
のある会員増強を事務局としても常に心がけてい
■
が、役員の皆様のご協力を得て、時間の確保をめ
ます。二〇〇一年度「初めて正副代表理事と事務
きます。
」
(
「第四一回定時総会議案書」
、一六頁)
ざしていきます。事務局体制も早期に四名体制の
局の合同研究会が、神奈川大学の大林弘道教授を
と指摘されています。
会費対策、④決算作成と予算案作成等」(「第四四
中の財務状態の把握、②期中の会計監査、③未収
り、計六回の同チームの会議が開催され、「①期
〇〇六年度に財務プロジェクトチームが立ち上が
とはいえ、「新年(二〇〇四年)度では昨年度
時総会議案書」、一三頁)と決意しました。
るなど具体化を進めて行きます。」(「第四〇回定
ながらも事務局研修会を役員の方と合同で実施す
す。学び合う気風づくりとして、独習を基本とし
務局方針に掲げた課題と目標を堅持して活動しま
考えられます。また、上述してきたように、会員
り、それが既述の「神奈川ビジョン」であったと
ずから構築することを目指すという方向性であ
そのための第一歩が新しい〝神奈川経済像〟をみ
的に、真剣に検討する必要が生まれてきました。
また、神奈川同友会の財政を確固とするために二
このような努力は、後年さらに続いて行きます。
しました。
」
(
「第四五回定時総会議案書」
、七頁)
を模索しました。そして、事務局経営指針を作成
年間事務局のあり方を見つめ直し、新しい事務局
上のような事務局の役割の前進を進めたのが総
務委員会でした。二〇〇七年度には、改めて「一
総務委員会・財務プロジェクトチーム
回定時総会議案書」、六頁)に取り組みました。
の増大にともなう組織の活性化を、
県・支部の様々
■
講 師 に「 同 友 会 運 動 の 今 日 的 意 義 と 事 務 局 の 役
割」のテーマで学びました。同友会運動の社会的
役割が共通認識となり、またリーダーと事務局の
団結が図られました。」(「第三九回定時総会議案
その結果、「未収会費は約一五〇万円程度回収す
な集会、例会等の改善を通じて、徐々に実現しつ
書」、五頁)次いで、「今年(二〇〇三年)度も事
ること」(同上)ができました。このような財政
つありました。そのような方向性の節目を迎えた
のは二〇〇五年の神奈川同友会四〇周年でした。
課題も そ の 後 も 取 り 組 ま れ る こ と に な り ま す 。
(七) 神 奈 川 同 友 会 創 立 四 〇 周 年 記 念 行 事
■ 四〇 周 年 記 念 と
「神 奈 川 同 友 会 四 〇 年 史 」 の 編 纂
■
ところで、既述のように神奈川同友会は、神奈
川経済の一九九〇年代以降の「産業空洞化」をは
じめとする多様で劇的な事態の変化について、そ
114
115
れをいかに理解し、いかなる戦略を同友会運動と
自社の企業経営に構築するかを、歴史的に、根本
2006年11月に発行した神奈川同友会40年の歩み
第五章 再発展と挑戦
それを機にまず、四〇周年を記念して「神奈川同
友会四〇年史」の編纂に取り組み、二〇〇六年一
一月に開催された第一九回全研経営研究集会にお
いて発表し、それを記念して会員交流旅行(箱根)
を実施し、同友会運動の歴史を議論しました。そ
れは、二〇一五年の五〇周年に向けての新たな歩
みへの 跳 躍 台 で も あ り ま し た 。
第二節 二つの
「危機」
に新たな挑戦
「リ ー マ ン ・ シ ョ ッ ク 」 と 「 東 日 本 大 震 災 」
■
前節までに述べてきたように、二〇〇〇年に突
入して以降の諸活動の充実・拡大の結果、神奈川
同友会は二〇〇八年第四五回定時総会の時点で会
員数は六一二名となり、過去最高の水準となりま
後、今度は、〝東 日本大震災〟が発生 し、東北地
不況〟に陥ったのでした。しかも、その約二年半
そして、その後の世界経済は深刻な〝世界的同時
が勃発し、経営環境の新たな激変に直面しました。
マン・ショック」、正確には〝世界的金融危機〟
崩壊以来の〝激変消滅〟の状況がなお継続してい
はもともと一九九〇年代初頭の「バブル」経済の
きな打撃を受けましたが、非輸出関連の中小企業
た。したがって、輸出関連の中小企業の経営は大
やかな回復」が頓挫したということでありまし
に依存していた二〇〇三年以降の日本経済の「緩
した。そして、まさにその年の九月、いわゆる「リー
方のみならず日本全国の国民生活を文字どおり根
ましたから、このような日本経済の頓挫の過程で
ず、中小企業全体が経営危機に陥ったのでした。
した。それゆえ、輸出関連・非輸出関連に関わら
中小企業に対しては二重の打撃となって現われま
底から 震 撼 さ せ ま し た 。
(一)危機的状況への対応とエネルギー問題の新
たな課題
そのため、その後の諸政権は、
「中小企業等に対
する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する
二〇〇八年の「リーマン・ショック」は日本経
済にとっては、主として、金融危機というより金
の効果を持ちましたが、上記の一九九〇年代以降
た。それらは確かに危機対応の対策としての一定
危機 対 応 と 根 本 的 解 決
融肥大化による住宅・耐久消費財ブームにあった
の中小企業の長期間の危機的状況そのものとその
■
法律」
(
「中小企業金融円滑法」と略称)等、金融
米国向けを中心とする輸出の拡大の挫折という事
傾向の継続を打開するものではありませんでし
116
117
を中心に特別措置を繰り広げることになりまし
態を意味していました。つまり、そのような輸出
2011年6月に視察した東日本大震災の被災地(宮城県気仙沼市)
第五章 再発展と挑戦
た。ここに、同友会運動における次項で述べる中
事故」の発生に対しても、中小企業経営とエネル
らには、その際の「福島原子力発電所」の「過酷
となり
小企業憲章制定運動と中小企業振興基本条例制定
*
ギーとの関係を抜本的に考え直す契機
(二)中小企業憲章・中小企業振興基本条例
ました。
運動が、二〇〇三年以降継続されてきた意義が改
め て 明 ら か に な り、 二 〇 〇 八 年 の「 リ ー マ ン・
ショック」は、それらの運動の必要性を改めて確
認する も の で し た 。
■ 中小企業憲章の制定と
中小企業振興基本条例の制定の全国的広がり
と推進の両方の意味を込めて「条例運動」と略称
三点セットにした推進運動(以下、同条例の制定
いて、制定された後は、条例・振興会議・調査を
中小企業振興基本条例においても、各自治体にお
て徐々にそして加速されて制定されました。この
県レベルと市町村レベルのそれぞれで各地におい
二〇〇二年以降、中小企業振興基本条例が都道府
称)というより高い段階に進展しました。また、
携わる者としての新たな自覚が高まりました。さ
ができるのかの認識が深められ、中小企業経営に
営にどのような意味の危機があり、いかなる対処
震災」という「大震災」という事態は中小企業経
同時に、「淡路・阪 神大震災」に続く「 東日本大
もに支援活動を精力的に実施しました。そして、
川同友会は中同協ならびに全国各地の同友会とと
また、二〇一一年三月一一日の「東日本大震災」
に際しては、その惨禍そのものに向かって、神奈
全国的な進捗状況とその成功事例の学習会を設営
において中小企業憲章・中小企業振興基本条例の
小企業憲章を理解するための企画・運営と理事会
〇六年度、政策委員会が「役員研修会において中
メント法制定運動」の経験を踏まえながら、二〇
議案書」
、七頁)さらに、かねての「金融アセス
教授を講師に学びました。
」
(
「第四二回定時総会
を横浜国立大学大学院環境情報研究院の三井逸友
は一二月に開催され、…「中小企業憲章学習会」
現 を推進する運動(以下、
「憲章推進運動」と略
れ自体をめざす運動は中小企業憲章の内容の実
ました。そして、それまでの中小企業憲章制定そ
閣議決定という形式ではありましたが、制定され
六月一八日に中小企業憲章が、国会決議ではなく
交代〟が行われました。その結果、翌二〇一〇年
〇九年の九月総選挙の劇的な結果によって〝政権
前節で述べた中小企業問題の深刻さやその後の
短命で終わる諸政権に対する批判を通じて、二〇
■
し、かつま た、「 憲章運動」と「条例運 動」の両
しました。
」
(
「第四四回定時総会議案書」
、五頁)
「大震災」「過酷事故」と中小企業
者を総称する場合には、「憲章・条例運動」と略
そして、二〇〇七年度には、中同協中小企業憲章
■
称)が 各 地 に 展 開 さ れ る こ と に な り ま し た 。
制定推進本部の課題提起を受け、
「語り部」の要
請を開始し、神奈川同友会から二名の登録が行わ
ところで、二〇〇七年度に至り、神奈川県にお
いても「中小企業活性化条例」の制定の機運が生
れました。
(
「第四五回定時総会議案書」
、七頁)
神奈川同友会では、中同協の呼びかけに応えた
二〇〇三年以降の全国の「憲章運動」
「条例運動」
じていることに対して、
「中小企業活性化条例制
「憲 章 ・ 条 例 運 動 」 と 政 策 委 員 会
に呼応して、政策委員会を中心に取り組まれまし
定」に向けて会員のアンケートを実施し、意見を
■
た。また、二〇〇四年度「第二回全県役員研修会
118
119
90
集約するとともに県に要望書を提出しました。さ
らに、神奈川県商工労働部産業活性化との懇談会
*
を伝えていきまし
も開き活発な意見交換も行い、条例制定の準備が
進む中で同友会の考え方
た。」(「第四五回定時総会議案書」、七頁)同時に、
異業種グループ連絡会議とともに主催し、広く県
民 的 課 題 と し て の 取 組 み を 実 施 し ま し た。」( 同
上)
性化条例」の制
定に伴う審議会
にも委員を送り
出し、積極的に
意見を具申しま
した。さらに、
制定が実現した
横浜市、横須賀
市のそれぞれ中
小企業振興基本
条例に対して、
そして、中小企業憲章および神奈川県中小企業
活性化条例(以下、「県活性化条例」と略称)の
員と意見交換をすると同時に審議会に委員を送
振興基本条例の制定に向けて市担当者や市議会議
神奈 川 県 中 小 企 業 活 性 化 条 例 の 制 定 と 推 進
制定後、中同協の中小企業憲章推進月間の提起を
り、制定に積極的に加わっています。
」
(
「第五〇
■
受け、二〇一二年六月に横浜支部・政策委員会・
回定時総会議案書」
、一〇頁)
活性化条例」の学習を行いました。また、「県活
(三) 組 織 の 持 続 的 拡 大
■
分析」―「運動方針」という全体構成から前年度
議案書」において、従来の「経過報告」―「情勢
神奈川同友会は、組織的拡大が進捗した中で、
二〇〇九年の第四六回定時総会より、「定時総会
受講者率の算定、⑤支部活動の三本柱(
「例会づ
イメージ」の提示、
④
「経営指針成文化」セミナー
り」
、③会員増強における「○○○名会員達成の
算定、②「
「三位一体活動」で推進する企業づく
「活動スローガン」「活動重点ポイント」
さらに、同友会活動の状況把握と方針提示の明
確化が進捗しました。すなわち、①「経営体験報
の「振り返って」等の表題を持つ「経過報告」と
くり」
「会員増強」
「役員養成」
)の設定、⑥「系
告を中心とした例会づくり」と「例会参加率」の
当該年度の「運動方針」において、「同友会ビジョ
統的役員研修会」の確実な開催等々です。
ン」「活動重点ポイント」を提示し、明確な経過
の整理と今後の方針を提示するようになりまし
た。また、各委員会・各部会の活動の経過と方針
も別欄で箇条書きとなって明確に理解できるよう
になり ま し た 。
「二つの危機」後においても、会員増強を推進
しながら、
さらに組織的拡大を進めて行きました。
■
■「コミュカ」活動の定着・
「地域小グループ活動」のはじまり
ン 」 に 基 づ く そ れ ぞ れ の 年 度 の「 活 動 ス ロ ー ガ
■
「例会参加率」等による活動状況の把握
青年部会の合同例会を開催し、中小企業憲章と「県
換しています。また、
「現在、川崎市の中小企業
それらの運用状況について毎年担当局と意見を交
2012年6月にはじめて開催した中小企業憲章・条例
推進月間企画例会
二〇〇九年三月に県内七番目の支部となる西湘部
120
121
91
「中小企業活性化条例の勉強会および討論会を県
第五章 再発展と挑戦
た。その一つが、
活発化してきまし
する新たな動きも
る と 同 時 に、 注 目
活発な活動を続け
会、 部 会 が さ ら に
景 に、 従 来 の 委 員
県行事の開催を背
定時総会議案書」、八頁)これらの組織的拡大や
会対象者の拡大につながりました。」(「第四九回
フォーラム」が六年ぶりに開催され、入会者、入
知 事 黒 岩 祐 治 氏 を 迎 え て「 第 五 回 か な が わ 経 営
した。また、二〇一二年三月二二日に、神奈川県
ルづくり」
(同上)
、その検討の材料となる「実態
すが、「コミュカ」活動の「運営にあたってのルー
と好評」
(
「第四九回定時総会議案書」
、三頁)で
活動は、自主的に「例会以外での切り口で学べる
グループ数の水準で推移しています。「コミュカ」
年度一九グループ、二〇一三年度二〇グループの
んになり、二〇一一年度二二グループ、二〇一二
ていました。
「コミュカ」活動は近年ますます盛
という文書が発表され、基本的な方針が決定され
委員会によって、
「研究会(同好会)について」
れており、また、二〇〇二年二月二三日付で総務
「神奈川同友会規約」の第六章(部会)
・第二
〇条には「テーマ別研究・各種同好会」が規定さ
て行きました。
動」が年々増加し、その後「コミュカ」活動とし
「グループ研究
把握が進んでいない」
(
「第五一回定時総会議案
会が「六回の準備例会、三回の世話人会を経て」
会」として始まっ
書」
、三頁)という課題を残しています。さらに、
て定着するとともに、活動テーマの多様性を増し
た「 小 グ ル ー プ 活
たとえば、横浜市の神奈川区に限ったような会員
福祉部会と
名称を障害者
し、二〇〇九
による自主的な「地域小グループ活動」もあらた
に始ま っ て い ま す 。
年に入って設
立一周年記念
祉事業の拡大を
二〇〇〇年以降、神奈川同友会では、会員の福
しての二回の
進める活動と
者雇用を推し
講演会、障害
背 景 に、 福 祉 関
学習会、鎌倉
■ 福祉 部 会 か ら 障 害 者 福 祉 部 会 を 経 て
障害 者 委 員 会 に
連の活動が活発
養護学校にお
■
化 し、 二 〇 〇 八
ました。その後、
案 書 」、 四 頁 )
六回定時総会議
を集め」(「第四
「内外から注目
会が設立され、
年七月に福祉部
き進められました。その結果、上記の全国交流会
害者問題全国交流会」の準備が、前年から引き続
〇月に神奈川同友会設営で開催する「第一七回障
南支部・県南支部との合同企画)が開催され、一
会が発足し、
同年七月に障害者委員会特別例会(湘
て、二〇一三年の第五〇回定時総会で障害者委員
けるシンポジウムが企画・開催されました。そし
2013年10月に神奈川同友会設営で開催した第17回障
害者問題全国交流会
コミュカ活動の発表会
2008年7月に開催した福祉部会(現障害者委員会)
設立総会
122
123
(「第四六回定時総会議案書」、四頁)設立されま
第五章 再発展と挑戦
第五章 再発展と挑戦
が障害者実習生の受け入れに取り組み始める契機
には総勢六九三名の参加者があり、参加会員企業
財務委員会の役割に対する期待も高まっています。
役割が高まっています。加えて、諸活動を支える
を調整しつつ、会員の増強をめざす総務委員会の
実態把握・訪問活動・予算進捗管理
づくりを目的にした会員・ゲストの訪問活動に取
以上のような多様でなおかつ新たな諸活動が始
まる中で、事務局は「会員企業の実態把握と仲間
■
(四)事務局
となりました。(「第五一回定時総会議案書」、一
三頁)また、これを機に川崎市との連携が深まり、
二 〇 一 四 年 二 月 の 川 崎 市 主 催「 障 害 者 雇 用 セ ミ
ナー」に神奈川同友会が後援し、多くの会員が参
加して障害者雇用についての理解を深めました。
その後も、各支部で障害者雇用問題をテーマにし
た例会が開催されています。(同上)
活動 の 多 様 性 の 増 大
は六五一社(うち有効面談四五〇社)に達しまし
■
り組みました。
」
(
「第五一回定時総会議案書」
、六
上述したように、従来からの活動のみならず新
たな委員会、部会、小グループの諸活動が活発化
た。また、二〇一二年度が赤字決算であったこと
頁)二〇一二年度は述べ五四七社、二〇一三年度
し、いわば活動の多様性がますます増大してきた
の反省を踏まえ、
予算の進捗管理を徹底しました。
大成を軸とし
「五〇周年の集
ことが、神奈川同友会の近年の特徴であり、今後
にわたる同友会活動の推進力であると考えること
ができます。それゆえ、それらの諸組織・諸活動
(五) 五 〇 周 年 記 念 事 業
て、神奈川同友
会の量と質を飛
躍的に高める年
しょう」と呼び
■ 第四 五 回 中 同 協 全 研 ・
「五〇周年記念式典」・
「神 奈 川 同 友 会 五 〇 年 史 」 の 取 組 み
二〇一五年は既述したように、神奈川同友会は
創立五〇周年を迎えることになります。その記念
掛け、確認して
■
行事に向かって、「第四五回中小企業問題全国研
います。その際、
度にして参りま
神奈
究 集 会(
「量」とは、
「会
員数の増加」
「例会参加率の増加」等で、
「質」と
川)」の開催、「五
〇周年記念式典」
は「経営指針成文化企業の増加」
「同友会がめざ
準備を始めました。
五月二〇日、第五二回定時総会および五〇周年記
二〇一五年三月五・六日、神奈川同友会は、上
記の第四五回の「全研」を一,二〇三名の参加に
〇年史」の刊行の
第五一回定時総
会 は「 二 〇 一 四 年
念式典を開催しました。当日、引き続いて記念講
よって、成功裏に成し遂げ、その成果を踏まえて、
度活動方針」で
す企業の増加」であると説明されています。
の開催および本書
50周年記念式典でご挨拶される黒岩祐治神奈川
県知事
124
125
in
「神奈川同友会五
第45回中小企業問題全国研究集会(講師は㈱崎陽
軒の野並直文氏)
第五章 再発展と挑戦
演(「エネルギー・シフトで神奈川の未来を展望
する!」・村上敦氏)と五〇周年記念パーティー
を実施し、五〇年の歴史を回顧し、今後五〇年の
未来を 語 り 合 い ま し た 。
動」、⑤「経営指針成文化と実践の活動」、⑥「同友会の「共
に育つ」理念を柱とした社員教育活動」、⑦「共同求人活動
に 参 加 し、 新 卒 を 採 用 し て 育 て ら れ る 企 業 を 目 指 す 活 動 」、
⑧「部会、研究会で学ぶ活動」(「第三九回定時総会議案書」、
七 八
- 頁)
* 地域づくりの四つの視点 要約して表現すれば、次のように
なります。①「中小企業の活性化は地域の活性化なくしては
ありえない」、②「中小企業が取り組めば、地域づくりは進む」、
③「大企業との新しい関係を進める」、④「グローバルゼーショ
ンの抵抗軸としてのローカルゼーションの確立をめざす」
(「第三九回定時総会議案書」、八頁)
* 神奈川経済の特徴 要約して表現すれば、①県・市の自治体
財政の赤字体質、②製造業の空洞化、③情報産業における技
術のアジアシフト、④オフィスビルの空洞化、⑤マンション
建設ラッシュ、⑥「東京支店経済」から「東京商圏(支店廃
止)経済」への移行、⑦横浜市による三五〇社育成方針(「第
*
*
四〇回定時総会議案書」、一〇頁)
活動方針 七つの柱 要約して表現すれば、①強靭な会社づ
くりに役立つ同友会活動とそのための経営指針作成・実践、
②①を前提とする「感動を呼ぶ例会」、③会員増強・五五〇
名目標、④同友会理念に照らした委員会・部会活動、⑤同友
会理念の体現者・実践者になる役員集団、⑥中同協全国行事
への積極的参加、機関紙・書籍の学習、⑦役員・会員と育ち
合う事務局(「第四〇回定時総会議案書」、八頁)
二一世紀の「県民的課題」
当時、神奈川県や横浜市・川崎
市等が二一世紀の「県民的課題」と打ち出していた諸課題を
「神奈川県中小企業家同友会ビジョン委員会」が上記ビジョ
ンにおいて六つの項目に整理したものです。すなわち、①経
* 「イ ンベストかながわ」等 「インベストかながわ」は、正式
には「神奈川県産業集積促進方策」であり、企業誘致のため
の総合的な政策パッケージを指します。二〇〇四年一二月か
ら二〇一〇年三月までの期間限定で実施され、引き続き二〇
一〇年四月から二〇一五年三月までの予定で「2nd ステッ
プ」として実施されました。
* 同友
会理念の具体化・実践化 同友会理念の具体化・実践化
に際して、しばしば「同友会理念では飯が食えない」「同友
会理念はわかりにくい」という意見が出されることが紹介さ
れています。(「第四〇回定時総会議案書」、五頁)しかしな
がら、そのような意見が、同友会理念を深く学び、理解して
おらず、さらには、同友会理念を経営実践していない場合に
むしろ出やすいことも同時に指摘されています。(同上、五頁)
* 構造的危機状況―五つの特徴点 次の五点に整理できます。
①「失業率の持続的増大」、②「消費の長期的低迷」、③金融
危機、④「産業空洞化」、⑤「非正規労働者の増大と正規労
働者の減少」(「第三九回定時総会議案書」、八 九
- 頁)
* 活動
方針 七つの柱 要約して表現すれば、次のようになり
ます。①「同友会型企業づくり」、②「学べる例会づくり」、
③「委員会・部会の水準の飛躍的引上げ」、④「同友会理念
の体現者としての役員」、⑤「神奈川の同友会ビジョンの実
現」、⑥「中同協全国行事への参加」、⑦「会員・役員と学び
育ち合う事務局」(「第三九回定時総会議案書」、八 九
- 頁)
* 企業づくりの八項目の課題 ①「経営者としての総合能力を
身につけ、強靭な経営体質を作る活動」、②「同友会の理念
を社内、業界、地域に広げる活動」、③「労使が共に学びあい、
お互いにレベルアップを図り、労使関係の確立を作る活動」、
④「会員経営者の経営体験交流を通し、生きた学び合いの活
*
*
済空洞化と地域振興、②高齢化社会の到来、③若年労働者の
激減(少子化)と価値観の変化、④豊かさ、ゆとりの実感で
きる社会づくり、⑤ニーズの高度化・多様化への対応、⑥地
域環境保全への対応、です。
役員の条件 二〇〇四年の「中同協組織問題全国交流会」に
おいて、当時の赤石義博中同協会長は「役員の条件」として
次の七項目の課題を提起しました。「①同友会理念に基づい
て経営指針を確立していること、②「労使見解」の精神を生
かして経営指針を実践していること、③同友会活動と経営活
動を車の両輪として体得していること、④同友会理念を自分
の言葉で語ること、⑤あらゆる事象を同友会理念で分析判断
できること、⑥同友会理念に立って後継者づくりに取り組ん
でいること、⑦地域・行政・業界等に同友会理念を拡げる役
割を果たしていること」(「第四二回定時総会議案書」、一四頁)
中小企業経営とエネルギーとの関係を抜本的に考え直す契
機 東日本大震災後、同友会運動は震災復興に取り組むとと
もに、その中心となった「中同協東日本大震災復興推進本部
研究グループ(REES)は、二〇一二年一〇月のドイツ・
オーストリア視察をへて、中小企業の仕事づくりと豊かな地
域づくりにつながる「エネルギーシフト」について学びを深
め、「中小企業家エネルギー宣言(案)」(討議資料)を二〇
一四年七月一〇日、中同協第四五回定時総会の際に発表しま
した。神奈川同友会でも、同二〇一四年の政策委員会は、毎
月の定例委員会に際し、学習会を企画し、広く会員から報告
者を求めながら、毎回にわたって輪読を行いました。議論が
大いに進むとともに、神奈川県のような首都圏に属する地域
においても、地域づくりとしての「エネルギー・シフト」の
可能性を、諸活動や各個別企業経営に活かそうという機運が
126
127
80
81
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90
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88
*
第二部
神奈川同友会の会員群像
128
129
生まれました。
条例制定の準備が進む中で同友会の考え方 「中小企業の活
性化が、神奈川県の地域社会・経済の発展に必要不可欠であ
ることを理念の中心に据えること」(「第四五回定時総会議案
書」、一頁)
91
第六章 忘れえぬ会員群像
開の段階に従って紹介したいと思います。とはい
え、群像とは言っても、多数の会員を個々に描い
つまた、その成果としての同友会理念の形成と発
う個性ある企業家による運動そのものであり、か
神奈川同友会のみならず、全国の同友会の歴史
を訪ねるとき、その魅力の中心は同友会運動とい
必要最小限の数の個人名の記載は不可欠です。会
遠目に見た群像を描いたに過ぎません。
それでも、
とよりできません。第二部の会員群像は、いわば
また、本書では紙幅の制約上そのような作業はも
中小 企 業 家 の 魅 力
展にあります。そして、それらとともに、各同友
員活動史の集積がそのまま団体運動史になるわけ
■
て、そこに何らかの意味を群像に象徴させるとい
会の歴史の資料に触れ、現に活躍している役員・
ではありません。そうした措置は、運動そのもの
うようなことは、本来たいへん困難な作業です。
会員に面談すれば、同友会運動を担い、担ってい
とその理念の形成と発展を基軸とする同友会運動
さらに、個人名を挙げた方々は、既に故人とな
られている場合が少なくありません。また、その
4 4 4 4 4 4 4 4 4
る個々の会員の企業家に魅せられる〝気持ち〟を
の団体運動史としては不可避であるとも言えます。
会員 群 像 の 分 類
抑える こ と が で き な い で し ょ う 。
■
中には、生前に退会された方もおられます。後者
の場合、それがどのような事情であれ、それらの
会員の長短いずれかの期間の同友会運動への参加
4
以下では、会員間の連帯という観点からいくつ
かのグループに分類できる会員群像を、神奈川同
の足跡は、どの方においても、神奈川同友会の過
4
友会の歴史を刻む文書に依拠して、その歴史的展
130
131
第六章 忘れえぬ会員群像
去五〇年の歴史を担い、引き継ぐ役割を担ったの
です。そして、さらなる五〇年の未来を発展させ
る立場から言えば、忘れてはいけない、学ばなけ
ればならない歴史を残されています。それがそれ
忘れえぬ会員群像
らの方 々 の 活 躍 を 敢 え て 記 載 し た 理 由 で す 。
第六章
第一節 草創期を担った会員群像
ていました。そうした会員構成の中で、
草創期に、
とくに指導的役割を果たしていた会員は製造業の
企業家でした。彼らに共通する特徴のひとつは、
工場労働者出身であり、労働運動の経験者が少な
期の会員の多くは、地域的には、主として横浜市、
最初は、神奈川同友会の創立時の前後、いわば
草創期の企業家群像です。既述したとおり、草創
は当人の「転向」
(思想・信条等の変更)を経る
珍しいことではありませんでした。大企業の場合
運動の経験者が企業経営者になるということは、
草創 期 の 会 員 の 特 徴
川崎市に立地する企業を経営しており、業種的に
場合が通常であったのですが、中小企業経営者の
■
くなかったということでした。戦後の日本では、
は、製造業に属する企業家が多く、その他に、建
場合には、以下のような性格がありました。
大企業の経営者も含めて、労働運動をはじめ社会
設業の企業家であり、また、横浜という地域的特
性を示して貿易業・運輸業に属す企業家が参加し
132
133
■
中小 企 業 経 営 者 へ の 道
第一は、企業経営者をはじめから目指したので
はなく、生きる過程で、いわば、それしか、生き
る選択の道はなかった結果ということです。戦後
の神奈川県は〝輝ける工業県〟を驀進していまし
たから、自ずと労働運動も盛んでしたし、大小の
の一形態)という選択は、彼らが生きる意欲も強
く、また、人望もありましたから、不可能ではあ
りませんでした。さらに、戦後の経済成長という
背景もあり、事業的成功を達成した場合もかなり
あったのです。
それゆえ、経済的自立の手段として、それまで
の工場労働を中心とした職能的経験を土台に自ら
就職は 困 難 を 極 め て い ま し た 。
また、当時、そうした活動経験を持つ退職者の再
合、信念を変えることはありませんでした。かつ
りする活動家が少なくなかったのです。多くの場
した。当然その中から左遷されたり、解雇された
資」間・「労労」間における諸対立を生んでいま
問題から日常の経営の細事あるいは人生の機微に
時代のいわば強い絆で結ばれており、運動上の諸
おりました。言い換えれば、経営者になってから
の〝団結〟という用語を好んでおり、また訴えて
てからも、盛んに日常的活動において中小企業家
えることは、
自然な流れでした。
同友会会員になっ
なった時、それを企業経営者の〝団結〟に置き換
第二に、彼らは、労働運動の経験に基づき、労
働者の〝団結〟を学んでいましたから、経営者と
労働者の〝団結〟と中小企業家の〝連帯〟
事業を始める(研究上の用語である「窮迫的自立」
行ったと考えられます。しかも、そのような神奈
■
至るまで交流の対象でした。同友会運動における
川同友会の草創期の会員は、戦中・戦後の社会と
労働争議やそれらに対する弾圧事件が頻発し、「労
「 自 主・ 民 主・ 連 帯 の 精 神 」 が 確 立 さ れ る 以 前 の
自身の困難を生き抜き、彼らの人生の苦闘や克己
ミラノ等の工業地帯を含む「北イタリア」の、世
所)
、滝川三郎(㈱共栄ダイキャスト)
、増山大二
当時の機関紙誌に登場するそれらの会員は、次
の諸氏(順不同)です。井上博(㈱古川電機製作
草創期の会員
界が注目するブランド力のある工業製品を生み出
郎(㈱朝日クローム工業所)
、坂田和恒(㈱平間
■
も、そして、同友会員となってからも、労働運動
ことで す 。
に満ちていた軌跡を示しています。
色は、日本だけのものではありません。今、世界
の先進国の製造業モデルとして、米国の「シリコ
している中小企業等のネットワークは、やはり、
電機商会)
、山本斉(㈱佐伯螺子工業)
、近藤正二
ン・バレー」と並んで称賛されるフィレンツェや
その地域での労働運動出身の企業家が生んだもの
(㈲近藤設備工業所)
、田中秋範(㈾神奈川部品製
です。これらの会員諸氏は、それぞれ常任理事な
されています。
以上に述べた神奈川同友会の草創期の会員群像
の存在は、多かれ少なかれ各地同友会の草創期に
どをはじめ役員を務めました。滝川氏は初代代表
*
も共通しており、やがて〝団結〟を〝連帯〟に発
理事、山本氏は最も早くから神奈川同友会創設の
である こ と が 指 摘
展させ、また、「労使見解」を生み出し、「経営指
ために当時の全国的な会合(中小企業家同友会全
作所)
、小池伊佐吉(㈲川崎電工社)等々の各氏
針成文化」等の「人を生かす経営」につながって
92
134
135
このように、工場労働者を出自とし、労働運動
の経験者としての中小企業経営者の誕生やその特
第六章 忘れえぬ会員群像
第六章 忘れえぬ会員群像
てしま い ま す 。
坂田、小池、近藤、増山の各氏を事故や病気で喪っ
し、残念なことに、神奈川同友会創設の三年間に
を囲む協同組合等の組織化に努めています。しか
増山、坂田、田中、小池の各氏は、神奈川同友会
社事務所の一角を同友会事務所に提供しました。
国代表者会議等)に繰り返し出席し、創設後は自
の困難な運動を、
それぞれ多方面から支えました。
設立に関わり、上記の会員諸氏とともに、草創期
て、地域的友好貿易商社、㈱横浜友好貿易商社の
(横浜友好貿易㈱)は「友好貿易」の草分けとし
会会員を引き継ぐ初代の会員であり、岡部秀一氏
機関誌印刷所)は創設以来今日まで同社から同友
商店)は第三次訪中団に参加し、田中正司氏(㈱
問題を通じて解説しました。滝沢正富氏(㈱滝沢
ス」第一三号、一頁)、「年頭所感 困難な年こそ
飛躍のチャンスだ」(「同友会ニュース」第二九号、
一 回 で も 多 く 楽 し く 集 ま ろ う 」(「 同 友 会 ニ ュ ー
しょう。同氏は、
経営者としての出発点について、
び寄稿していた井上博氏について述べておきま
そのような神奈川同友会の草創期の会員の中
で、上記のリーダーたちの一人であり、かつまた、
■
■ 草創期における〝リーダー〟の
「人となり」と諸見解
もちろん、この時期のリーダーたちは、上記の
人々だけではありませんでした。和菓子の製造卸
小売業を営んでいた柏木利雄(㈱かしわぎ)氏は、
日頃から「うちとけ、語り合える会に」(「同友会
二頁)と語り続けながら、会員を励ましていまし
一九六七(昭和四二)年の新年会で次のような挨
ニュース」第八号、一頁)、「一人でも多くの人が
た。中国への思い入れの深かった公認会計士の望
拶をしています。
当時の機関誌である「同友会ニュース」にたびた
月登氏はまた会計の専門知識を時宜に適った税制
「 川 崎 で 東 芝 を 中 心 と し て 下 請 を や っ て お
りま す 。 東 芝 で 喧 嘩 を し て や め た 私 が 東 芝 と
取引 を し て い る の が お か し い で す が 、 世 の 中
とい う も の は お か し い も の で 東 芝 時 代 喧 嘩 を
した人たちがよく面倒を見てくれます。」(「同
友会 ニ ュ ー ス 」 第 一 四 号 、 七 頁 )
「 同 友 会 を つ く る 時 に 、 私 は 、 安 易 な 考 え
でつ く る こ と に 三 年 間 も 反 対 し て き ま し た 」
からトランジスター・ラジオ製造を受注し、さら
(「同友会ニュース」第一四号、七頁)
「 い よ い よ 機 が 熟 し て 発 会 し た 手 前 一 生 懸
命や ら な く は な ら な い と い う の も 、 喧 嘩 が も
に、東芝からリレー計算機の部分組立、アトラス・
川電機製作所と変更し、その後、東芝と八欧電機
とになっておるわけです。」(同、七頁)
エレクトリックからステレオアンプやFMラジオ
また、同氏の企業経営者歴(「同友会ニュース」
第一四号、八頁)は、一九五一(昭和二六)年八
職員八名、
工員九六名(男性二六名・女性七〇名)
(昭和三九)年の時点では、資本金二〇〇万円、
組立を受注するまでに至っていました。一九六四
月、川崎市古川町で㈲井上商会として発足、東芝
にまで成長していました。
神奈川同友会設立後は、二年目から三年間、山
小日向工場の下請としてラジオ用部品加工を始
め、一九五五(昭和三〇)年七月に、社名を㈲古
136
137
同友会ニュース第14号
第六章 忘れえぬ会員群像
形成の中で運動の方針上の問題について的確な見
て、特筆すべきことは、この間、同友会理念が未
長として「互助預金会」を提唱しています。そし
の結成にも貢献し、専門委員会の経営委員会委員
した。また、「京浜一八会」「京浜商工協同組合」
事に就任し、一九七〇年度まで理事を務めていま
本斉、柏木利雄の両氏とともに三人体制で代表理
(
「会員に愛される同友会に育てましょう」「同
を揺さぶり崩す力量が発揮できましょう。」
てて、経済界を牛耳っている独占企業の土台
厳しい経済的環境にも負けない企業体質に育
なるほど、
政治的解決を容易にするとともに、
ら協同した力にまとめる作用が強烈になれば
て、企業を防衛に腐心している力を、孤立か
において政治的圧迫や経済的不利益に抗し
日中関係を中心とする会内の論争の対応
友会ニュース」第三三号、一五頁)
解を文章として残していたことです。その特徴は、
①中小企業運動の基本的な考え方、②中小製造業
の経営の考え方、③日中関係を中心とする会内の
論争における対応、④会員間の友情等の諸点にお
「昨年の中国問題で会員相互の認識の相違
が表面化したことから、思想的論議が出て、
いて示されています。以下では、①については、
第一章第一節で紹介していますので、②、③、④
会の統一に苦労した経験から、政治問題につ
偲ぶ」
「同友会ニュース」第七号、二頁)
じる道だと信じている。
」
(井上博「坂田君を
もたらす努力をすることが坂田君の冥福を通
企業を守るために活動して中小企業に安寧を
「坂田君よ、安らかに眠れ、友の墓前の風
よ、静かなれ。私たちは嵐にさらされた中小
第八号、二頁)
去一年の経験の中から」
「同友会ニュース」
努力せねばならないことです。
」
(井上博「過
とは会員相互の交流を深めることに集中的に
「私が常任理事として同友会活動に参画し
た、過去一年間の経験の中から反省すべきこ
会員間の友情
号、二頁)
な っ て い ま す。
」
(
「 今 月 の 言 葉 今 年 の 同 友
会活動を顧みて」
「同友会ニュース」第二八
いての会員の意見開陳が遠慮がちなムードに
についてそれぞれ若干の文章を引用しておきます。
中小企 業 の 経 営 の 考 え 方
「 中 小 企 業 問 題 は 行 き 着 く と こ ろ は 政 治 的
な解 決 が 優 先 さ れ ま す が 、 中 小 企 業 家 が 現 在
「 会 員 相 互 の 思 想 的 認 識 の 相 違 は そ う 簡 単
に統 一 で き ま せ ん 。 し か し 、 こ れ ら 政 治 問 題
のデ ィ ス カ ッ シ ョ ン は 大 い に 行 い 、 同 友 会 は
最小公倍数で統一しながら、中小企業を守り、
以上のように、井上氏は確固たる見解と信条を
堅持していましたが、同時に、深い現実も把握し
ながらも、温かい情感の持ち主でした。
138
139
発展させる方向を見出す必要がありましょ
う。」(「 今 月 の 言 葉 今 年 の 同 友 会 活 動 を 顧
みて」「同友会ニュース」第二八号、二頁)
同友会ニュース第28号
第六章 忘れえぬ会員群像
4
4
きり表現してきたことは、なお今日においても学
4
「中小企業家はそれぞれ問題点や要求を持
ちな が ら 、 毎 日 の 仕 事 に 追 い 回 さ れ て 、 目 先
ぶべきことです。
■
同友会運動と協同組合運動
考え、
方針を打ち立てようとし、
それを文章ではっ
のこ と を 解 決 す る 仕 事 が 精 い っ ぱ い で 、 理 論
的に 整 理 し た 要 求 事 項 を 大 局 的 見 地 か ら 運 動
する意欲が燃えにくい条件にあるようで
す。」
(井上博「過去一年の経験の中から」
「同
とを 考 え る 精 神 的 ゆ と り が な い の が 現 状 か も
現実 に 見 も 心 も 疲 れ 切 っ て い て 、 企 業 外 の こ
ほど 、 毎 日 の 企 業 活 動 に 多 忙 で あ り 、 厳 し い
「言いかえれば、何時要求が満たされるか
わか ら な い こ と に 取 り 組 ん で い る 余 裕 が な い
結〟によって解決しようとする方向性において
は、
中小企業経営が抱える諸問題を中小企業の〝団
中小企業組合の経験者の登場です。それらの会員
員が登場してきます。まず、協同組合等の戦後の
加すると、草創期の会員とは異なる経歴をもつ会
友会 ニ ュ ー ス 」 第 八 号 、 二 頁 )
知れません。」(井上博「過去一年の経験の中
は、草創期の会員らのそれと大きく変わりません
ところで、神奈川同友会は一九六〇年代の草創
期の困難を超え、七〇年代に向かって会員数も増
から」「同友会ニュース」第八号、二頁)
あり得ますが、常に状況を把握し、経営の問題を
もとより4、4以上の井上氏の4諸4見解に対しては、
当然に、当時においても、今日から見ても異論が
型的に現れました。また、
組合ではありませんが、
同組合を結成し、同友会の諸活動と連携する運動
同友会の周辺に、同友会と友好的かつ協力的な協
が、本質的な点では異なっています。つまり、一
が、存在していましたが、一九七〇年代になると、
「自動車損害保険事業」
(㈲神奈川同友)の場合で
4
4
も同様の問題性を持ちました。
4
九六〇年代においても、既述したとおり、神奈川
同友会運動とほぼ同体となって、協同組合の結成
が同友会運動の中心的な運動課題として設定され
4
たことです。その具体的な様相は第二章で詳述し
これらの会員の多くは、その後退会して行きま
すが、それは同友会との関係だけが誘因となった
4
ましたが、結果的には同友会運動に深い傷を残し
のではなく、戦後における中小企業組合運動の退
4
ました 。
いえ、協同組合運動と同友会運動との関係を深く
4
同友会運動は基本的には〝物的財産〟を持たな
い運動です。中小企業組合も中小企業運動の一形
究明する課題が残されました。
合の活動が成功した場合も、失敗した場合はなお
す。それゆえ、同友会が実質的に行う中小企業組
しょう。
ここでは、中小企業組合運動の経験者の代表と
し て 大 和 田 武 氏( ㈱ 大 和 田 工 務 店 ) を 紹 介 し ま
中小企業組合の経験者
のこと、同友会運動に容易でない問題を生じさせ
、大和田氏が第五回定
一九六九年五月八日(日)
時総会で神奈川同友会理事長に就任した際、副代
■
潮と共通した背景があったとも思われます。とは
態ですが、組合には、〝物的財産〟の所有・運用・
移動が伴います。一九七〇年代の神奈川同友会に
おいては、同友会と組合の形式上の区別は認識さ
れてはいたものの、運動上の区別が明確になされ
る事態が発生することになります。神奈川同友会
表理事であった山本斉氏は次のように紹介してい
ず、いわば混同されていたと思われる面がありま
の場合、このような問題が「同友会館建設」に典
140
141
第六章 忘れえぬ会員群像
同友会ニュース第34号
ます。
「今度、
理事長になって頂いた大和田さんは、
藤沢市で工務店を経営するかたわら、藤沢市議と
して長期にわたり市政発展のために貢献された方
です。また、水道工事の同業者団体の県組織の会
長をされております。社会的経験も深い方で、こ
のような方を理事長に迎えたことは会の今後の発
展にとって大きな力となります。
」
(
「同友会ニュー
ス」
「新しい年度にあたって」第三四号、四頁)
その後、大和田氏は一九七六(昭和五六)年度
の他 、 自 主 的 民 主 的 協 業 共 同 化 の 方 向 を 追 求
して行きます。」(同上、七頁)
同友 会 の 「 組 織 運 営 」
と強調 し て い ま す 。
■
大 和 田 氏 は、 理 事 長 在 任 中、 機 関 紙「 同 友 会
ニュース」にたびたび多彩な内容のものを寄稿し
で紹介した「従業員」のいわゆる「定着
ています。その中で、際立つ内容なもののひとつ
は、注
問題」についてです。それは、いわば「社会性」
に基づく優れた提言ですが、その他、特有な同友
会観や人間味溢れる随筆・随想を残しています。
たとえば、前者では、同友会の「組織運営」につ
いて、①会員間の企業紹介・相互利用、②同業種
間の相互交流、③共済制度の制定、④同友会の協
同組合化、⑤労使斡旋制度等を課題として挙げて
まで八期にわたって理事長を務めました。大和田
氏は、上述したように、水道組合の代表者の実績
があり、
「社会的経験が深い」点が抜きんでてい
ました。それゆえに、同氏が就任した上記の定時
総会で、早くも「一九六四年度運動方針」におけ
る「同友会活動の重点」について次のように述べ
ています。
「営業と生活を安定させ、経営をまもる切
実な中小企業家をとりあげ、その解決のため
の協力協同の活動を推進すること…」
(
「同友
会ニュース」第三三号、七頁)
「自主的民主的な協同協力関係の推進の点
で成果をあげておられる京浜協同組合や協進
会協同組合活動、県水道工事組合などの教訓
を学び、広め、構造改善をはじめとする天下
り、官僚的共同化、協業化ではなく、できる
ところから、共同受注、協同計算センターそ
います(
「同友会ニュース」
、第三八・三九号、一
九六九年一一月一〇日、三 四-頁)
。それらの諸項
目には同氏の経歴における輝かしい協同組合運動
随筆・随想
の成果に対する自信が滲み出ています。
■
後者については、①中小企業の社長は「ひとり
ぼっち」であるが、そのような社長に勇気を与え
るものは、
同じ中小企業の社長の「告白」であり、
経験談であり、
創意工夫の交流であると語り(「同
友会ニュース」
、第三八・三九号、一九六九年一一
月一〇日、三頁)
、また、②何度も、
「大霊場」の
高野山に登り、そこでの墓石の巨大さからその建
設の当時の「使役人民」の困難を思い、さらに、
民 族 的 遺 産 の 評 価 に 言 及 し てい ま す。
(
「同友会
ニュース」
、第四六号、一九七〇年一一月二四日、一五 一六頁)③当時流行していた
「長髪族」について
「お
142
143
39
第六章 忘れえぬ会員群像
得意様や関係者に、不快な気持を与えることはで
きないので、これを許すことはできないことを、
の会員が役員に目立っていたのですが、そうした
役員とは違う会員の活躍もありました。多士済々
ですが、ここでは、注 で紹介した「ハチミツ販
売」の責任者であった我妻信夫氏を紹介しておき
ましょう。「私の思い出」という文章
(
「同友会報」
第五〇号、一九七一年六月、七 八
-頁)に依れば、
我妻氏は当時船舶修理会社を経営し、横浜市に本
社と工場、神戸市に支社と工場、さらに福山市に
出張所を持っていました。とはいえ、戦時中は、
職業軍人で海軍航空隊に属していましたが、終戦
近くになっても、農民たちの厭戦的な発言になぜ
そういうことが起こるのか解明する手立てを持て
なかったのでした。戦後、「日雇い人夫」「物売り」
戦後日本において、労働運動の経験者が経営者
4
4
4
4
4
4
4
経験者を経ての経営者でした。それゆえ、我妻氏
われます。我妻氏は職業軍人と労働運動の双方の
業経験と入社・労働運動が新しい道を開いたと思
ませんでしたが、上記のように、戦後の様々の職
どのように克服したか、直接示す文章は見つかり
見られました。我妻氏は、職業軍人である過去を
職業軍人であった場合が大企業にも中小企業にも
われ、
〝簇生〟と呼ばれました。もちろん、将校・
そうせい
経験者の創業状況は、当時雨後の筍のようだとい
創業した場合が多くありました。そのような軍隊
えられたことを、逆に遺産として、戦後除隊の後、
入り、そこで初めて技術習得の機会を強制的に与
歴や技術習得の機会に恵まれなかった人が軍隊に
ます。軍隊経験を持つ中小企業経営者の場合、学
者の経路は、大企業でも中小企業でも共通してい
も戦後日本の経営者の特徴です。このような経営
経験者が、その経験を基礎に経営者になったこと
4
になる事例が多いことは既述しましたが、軍隊の
「私は惜しみなく働き、また、知識を吸収
ます。
りました。その後について、次のように綴ってい
ることを銘記すべきです。
」
(
「同 友 会 会 報」
、第 五
軍隊経験と中小企業経営者―職業軍人
等を一年近くもやってから、船舶修理の会社に入
■ 軍隊経験と中小企業経営者―技術習得
認されるものと信じています。」(同上、八頁)
「 私 の 考 え に つ い て 色 々 ご 批 判 も あ る と 思
いま す が 、 基 本 的 に は 私 の 経 営 原 則 が 益 々 確
りませんか。」(同上、八頁)
「 一 刻 も 早 く 個 人 の 利 益 追 求 を や め 全 従 業
員の 幸 福 の 中 に 自 分 の 幸 福 を 見 出 そ う で は あ
(同 上 、 八 頁 )
には儲ける ことが出来ても必ず失 敗する。」
針が 決 定 で き る 。 こ の 原 則 を 離 れ る と 一 時 的
状を 客 観 的 に 見 る こ と に よ っ て 初 め て 経 営 方
方向 を 見 極 め 、 大 衆 の 利 益 を 念 頭 に 入 れ 、 現
化の 法 則 に 目 覚 め た の で あ る 。 世 の 中 の 進 む
じて 観 念 的 な と こ ろ も 残 っ て い た 私 は 社 会 進
し、 そ し て 労 働 組 合 を 作 っ た 。 こ の 経 過 を 通
大和田理事長の時期、建設業、建設関連工事業
■
二号、一九七〇年一〇月、二頁)とも語っています。
毅然として申し渡すことが、企業の繁栄につなが
50
144
145
同友会ニュース第38号
第六章 忘れえぬ会員群像
の「経営原則」も深い歴史認識が基礎になってい
もに、一九八〇年代、九〇年代のそれぞれの時期
以下では、それぞれの個性の中身を解説するとと
アジアの中小企業が集まる「国際シンポジウム」
いました、いわば多様な個性派会員の群像です。
らの人々は、一括りにはできない多様性を示して
おいても、新しい会員像が生まれてきます。それ
い社会運動」とも呼ばれました。神奈川同友会に
市民運動の展開が始まります。後者は後年「新し
合運動の後退が見られましたが、同時に、多様な
大します。そして、国内では、労働運動や協同組
立経営」に結び付けて「国際展開」を強調した山
うと呼びかけたのです。この時期に、
いち早く
「自
問題の発生と拡大に対して、
〝国際派〟の会員は、
九七〇年代以降、
〝貿易摩擦〟
、
〝追い上げ〟等の
じた興味深い活動をしておりました。その後、一
業家がおり、草創期に貿易協同組合等の結成を通
員構成の特徴として貿易業・同関連業の一群の企
述したように、神奈川同友会創設の当初からの会
まず、一九七〇年代末から八〇年代にかけての
〝国際展開〟派とも言うべき会員の活動です。既
■
〝国際展開〟
言うまでもありません。
それぞれの個性派会員の周囲には、当然に共感
し、共鳴する会員がそれぞれ存在していたことは
の特徴ある諸活動とともに紹介したいと思います。
に代表理事を務めた会員を中心にした群像を彼ら
ると考 え な く て は な り ま せ ん 。
個性 派 の 会 員 群 像
第二節 引継ぎ支えた会員群像
■
一九八〇年代に入ると、日本経済の国際的評価
が一段と高く上昇するとともに、〝貿易摩擦〟等
の開催を提案し、果敢に準備をしました。それは、
谷氏は〝慧眼の士〟であったと言わなければなり
の国際経済問題が日米間で激化し、日欧間へも拡
既述のとおり、残念ながら結局は実現しませんで
ません。
既述の通り、神奈川同友会の最も困難な時期でし
で代表理事を務めました。その期間は、これまた
九八六年度まで二年間を除いて、単独でまた複数
ました。神奈川同友会では、一九七八年度から一
活 性 化 の た め に「 異 業 種 交 流 」 が 新 た な 課 題 と
業組織形態は、同業種組合が中心でしたが、その
中小企業政策における「組織化」が対象とする企
た、いわば〝異業種交流派〟の会員です。当時、
次は、一九八〇年代前半の神奈川同友会の低迷
からの脱却を目指して、
「異業種交流」を推進し
■
〝異業種交流〟
けいがん
したが、中小企業からする「新国際経済秩序の確
立」という大胆で斬新な提案であり、企画でした。
この当時の〝国際展開〟派の代表は、山谷定義
氏(㈱海興物産)です。同氏は神戸の海産物貿易
た。山谷氏は「国際シンポジウム」の開催準備に
なっていました。この「異業種交流」の概念それ
商社を経て一九六二年に横浜で貿易会社を設立し
で次のようなことを語っ
脱下請けの機運が盛り上がろうとしている。いつ
ています。円高に苦しむ下請中小企業が「最近、
本命だ、と〝異業種交流〟派の会員は考えたので
のをもっており、同友会運動は「異業種交流」の
自体は、同友会運動の考え方、理念と共通するも
*
までも大手に寄りかかっていては、自立経営はで
す。
したがって、
同友会運動は時代の課題を背負っ
追われる中、新聞紙上
きっこない。」そのためにも、海外に目を向けよ
146
147
93
第六章 忘れえぬ会員群像
動の再生、当時の言い方をすれば、
「新生同友会」
九八〇年代の後半、異業種交流の普及と同友会運
ているはずと確信したのでした。それゆえに、一
同社は「神奈川の中堅一二〇社」* にも選ばれて
会運動をこよなく愛した会員であり続けました。
東京同友会と神奈川同友会の会員を経験し、同友
と呼ばれる、「異業種交流」の意義を浸透させる
の活動を展開しました。「マラソン・フォーラム」
います。
術、
体育など全方向に伸ばせる大学である。
」
きにすれば、以下のようになります。①中小企業
てよい文章を寄稿しています。その要点を箇条書
を語る〟
」で、「異業種交流」について、
論文と言っ
「同友か
一九八四年の神奈川同友会機関紙上(
ながわ」第四〇号)の「新春放談〝中小企業の夢
何か月 に も わ た る 一 連 の 集 会 を 重 ね ま し た 。
■「中小企業大学」と「中小企業銀行」
この異業種派の代表は、菅野信一氏(㈱マルコ
精機)です。菅野氏は、東京同友会の副代表理事
を務め、その後、既述の川崎合同支部の設立から
同支部の神奈川同友会への移行に活躍し、四期に
わたって代表理事を務め、「異業種交流」を掲げ
て、神奈川同友会の新生をめざす「新生同友会」
を推進しました。菅野氏は一口に言えば見識のあ
る経営者でした。自社が電子技術を取り込んだ技
術開発型企業でありました。また、上述のように、
は世界各国で再認識されつつあること、②日本経
ていること、⑤「異業種交流」が戦後日本の「官
こと、④現実に「異業種交流」グループが発生し
種交流」こそが、明日への飛躍の最大の鍵である
いる国があったが、
そこまでいかないまでも、
九〇%以上を組織して中小企業銀行を持って
ヨーロッパの中小企業を視察した時、業者の
「二つ目は、ベンチャー中小企業キャピタ
ル・中小企業銀行だ。
」
(同上、五頁)
「以前、
(同上、五頁)
主導の系列別縦構造を克服する道」であること、
一定の拠出金によってその何倍かの中小企業
済の背骨を支える活力こそ中小企業であること、
⑥同友会は「異業種交流」の本家であること等々
向け融資が可能になるということは考えられ
③個々の中小企業の力には限界があるが、「異業
を指摘しています。そして、その文章の最後に、
る。
」
(同上、五頁)
中小企業経営者の使命と同友会の役割
しかしながら、菅野氏は、代表理事四期目の秋、
病気悪化のため急遽退任することになります。そ
■
新春の 初 夢 と し て 二 つ 挙 げ て い ま す 。
「 一 つ は 、 中 小 企 業 の 後 継 者 を 専 門 に 育 成
する中小企業大学を作れないかということ
小企 業 者 と し て い か な る 逆 境 に も 負 け な い 資
のときの辞意の表明を記した文章があります。そ
だ。」( 同 上、 五 頁 )「 我 々 の 創 る 大 学 は、 中
質と リ ー ダ ー シ ッ プ 、 チ ー ム ワ ー ク の 作 り 方
の一部を紹介します。
同友会ニュース第75号
など 、 中 小 企 業 経 営 に と っ て 大 切 な も の を 身
につ け る こ と の で き る 学 校 で あ る 。 ま た 、 芸
148
149
94
第六章 忘れえぬ会員群像
「同友会の活動の性格は、経営者が中小企
業の 新 し い 生 き 方 を 模 索 し 、 切 り 拓 き 、 経 験
し、 発 表 す る 、 そ の 活 動 を 通 じ て 自 ら の 資 質
小企業における新しい労使関係」「共同求人
日)において「新たな代表理事の選出は次期総会
菅野氏の辞意を受け、総合運営委員会、副代表
理事会の議を経て理事会(一九八八年一二月二一
代表理事の交代
活動」「異業種交流」「政策提言」等がこのこ
とし、宮田泰敬副代表理事に来期の代表理事を前
■
とを 示 し て い ま す 。 同 友 会 の 役 割 は 新 し い 道
提として「代表理事代行」をお願いする」
(
「同友
を向上させて行くことにあると思います。「中
を付けることにある。もっと極言すれば、(同
かながわ」第七七号、三頁)との副代表理事会報
上)
友会 の 役 割 は ) 海 底 ト ン ネ ル 掘 り の 先 進 導 抗
の 役 割( で あ り )、( で は、) 多 く の 人 に 役 立
つ本 ト ン ネ ル を 誰 が 掘 り 進 む の か 、 そ れ は 誰
か に 任 せ れ ば よ い と 思 う の で す。」(「 同 友 か
みなぎ
なが わ 」 第 七 七 号 、 二 三
- 頁)
「新しい中小企業を創造する使命に燃えた
経営 者 が 集 ま り 、 同 友 会 を 創 り 続 け る 意 思 が
漲れば、神奈川(同友会)は必ずや飛躍する
と信じています。」(同上、三頁)
告が了承され、今後一致した努力と協力を約しあ
いまし た 。
〝自己変革〟
■
の計 画 づ く り に 全 力 を あ げ た い 。 ど こ を 叩 い
総会 ま で に み ん な で 英 知 を 絞 っ て 短 期 、 中 期
から 作 り 直 す こ と で す 。 そ の た め に 、 来 期 の
「 構 想 の 基 本 点 は 、 全 国 同 友 会 の 英 知 で つ
くり あ げ ら れ た 成 果 を 学 ん で い く こ と で 、 一
もありますので遂行したいと思う。」(同上)
しま し た 。 し か し 、 や る か ら に は 抱 負 ・ 構 想
要請 も あ り 、 適 任 と は 全 く 思 い ま せ ん が 決 意
「 自 分 が 引 き 受 け ね ば 前 に 進 ま な い 状 況 と
判断 し 、 ま た 個 人 的 に は 菅 野 代 表 理 事 の 強 い
自身の成長の必要が自覚されてきました。それゆ
ましたが、むしろ、その際、自社の強化、経営者
されていました。そして、実際にも成果が生まれ
新しい技術、新しい企業を生み出すことが目標と
異業種の企業家が〝交流〟によって、
新しい製品、
の重点の強調は「異業種交流」から「自己変革」
付けられていたことは共通していましたが、活動
両氏とも「同友会理念」への強い確信と共感に裏
野氏から宮田氏への代表理事のバトンタッチは、
その時点で、宮田氏は次のような抱負を述べて
います 。
ても 同 じ 音 が 返 っ て く る 役 員 会 を つ く っ て い
え、とりわけ、一九九〇年代の「バブル」経済の
宮田氏は、その後一九八九年度から二〇〇一年
度まで一三期にわたって代表理事を務めます。菅
くこ と に 当 面 の 力 点 を 置 き た い 。 是 非 、 支 部
崩壊後の日本経済の中にあって、自社と自身を省
への移動を示していました。
「異業種交流」は、
からこの計画づくりに参加して下さい。」(同
150
151
同友会ニュース第78号
第六章 忘れえぬ会員群像
総会活動方針提案と題する文章(「同友かながわ」
こにあったのでしょうか。同氏は、第二七回定時
した「抱負・構想」そしてそれを支えた情熱はど
わる思いも機関誌に綴られました。宮田氏のそう
ところで、上記の宮田氏の「抱負・構想」は、
既述の通り次々と具体化され、また、それらに関
でした。いわば、〝自己変革〟派の形成です。
己変革」が強調されたことが会員にも共鳴したの
意識的に追及する姿勢が強調され、運動方針に「自
みることを迫る状況と相まって、「自己変革」を
けない〝自己革新〟派だったのです。
を経営するに至りました。宮田氏自身が誰にも負
一九九八年の時点では、それぞれ独立採算の五社
転換を連続的に展開してきたわけです。
その結果、
するに企業家としての宮田氏は、事業拡大と事業
産やコンビニエンスストアも手掛けたのです。要
もども同社を引き取り、建設業に進出し、その建
の建設会社が経緯不振に陥ったのを契機に社員と
組み、さらに、自社ビル建設を担った同友会会員
事務服」
、また、
「幌・シート」の製造販売に取り
文章と標語
宮田氏は、提案・提起等の自らの発言をよく文
章にする企業家でしたが、同時に、短い標語(多
■
設業も住宅開発販売等の多様な業態を試み、不動
第 八 八 号、 四 五
- 頁 ) に 書 か れ て い る よ う に、 一
九三九(昭和一四)年横浜の福富町の生まれです
から、根っからの〝浜っ子〟と言ってよいでしょ
う。白衣製造販売の父から病気ゆえに懇願され、
させ、さらに発展させます。しかし、父親の病気
くは見出し)にまとめることにもたけていまし
高校一年生の時に家業を承継し、経営状態を好転
回復・事業復帰による摩擦と自身の結婚とが重な
「中期ビジョン」への情熱と策定
た。それらは上述の経営への情熱を支えたもので
■
り、夫婦二人で独立し、新規事業として「作業服・
もあったと思われますので、それらの一部を紹介
してお き ま し ょ う 。
「本音の交流と自己革新」(一九九〇年)
「 社 内 外 に 信 頼 関 係 を 築 い て い く 運 動 ~ 本
音に な っ て 交 流 し 、 自 己 変 革 し て 経 営 指 針 を
「 自 分 を 変 え る 場、 そ れ が 同 友 会 」( 一 九
九〇 )
力を注いだのは、「中期ビジョン」です。
金子氏は、
とともに代表理事を務めました。その間、同氏が
ンジニアリング)です。同氏は、副代表理事を経
ところで、一九九〇年代、宮田泰敬氏とともに
神奈川同友会を支えたのが金子和夫氏(㈱日本エ
示し 、 実 践 し て い く 。 そ こ に 経 営 者 と し て の
系譜的には川崎に立地する独創的な製造中小企業
「経営指針作りと実践」(一九九〇)
面 白 さ、 喜 び、 生 き が い が あ る ~」( 一 九 九
の経営者であって、
「異業種交流」の推進者でも
「委員会の充実、「活動」から「運動」へ」
(一 九 九 二 年 )
は、経営の「科学性」を最も信奉した経営者であ
の「中期ビジョン」を神奈川同友会史上はじめて
て、一九九六年度から二〇〇〇年度まで、宮田氏
一年 )
「 経 営 は 今 、 情 勢 と の 闘 い ~ そ の 情 勢 を 乗
り越 え る に は 、 事 態 を 正 し く 見 つ め ら れ る か
り、自己を含めて変革に邁進し、かつまた、次に
の策定に貢献したといってよいでしょう。金子氏
ありました。菅野信一氏が策定しようとした未完
否かだ~」(一九九八年)
述べる「新しい世代」の登場に先駆けていたとも
言えます。
152
153
第六章 忘れえぬ会員群像
ともあれ、一九九〇年代の﹁自己変革﹂の活動
は、﹁経営指針成文化﹂活動とも連動し、一九九
〇年代以降の長期不況、後に〝失われた一〇年〟
と呼ばれた時期、さらには〝失われた二〇年〟と
言われた時代を潜り抜けていくことに寄与しまし
た。その中から、後述の﹁新しい世代﹂の企業家
が誕生 し て 行 き ま し た 。
それぞれに自己の、自社の、同友会の存在意義を
見出し、時代の課題を担った個性豊かなリーダー
が活躍してきたと言えます。
*
その地域での労働運動出身の企業家が生んだものであること
が指摘 ﹁イタリアにおけるフィレンツェとか、あるいはミ
ラノの郊外には小さな衣料ファッション企業のクラスターが
あって、それぞれの企業は専門的な分野に特化している。そ
うした小企業の間では、相互的な関係や信用などが取引の円
滑化に重要な役割を果たしている。﹂︵青木昌彦︵二〇一四︶、
八六頁︶﹁なぜ、そうなったのか⋮、⋮大繊維企業が一九六
〇年代まで存在し、そこでは強力な労働組合運動が活発な賃
上げ闘争を行っていました。その結果、賃金が上昇して企業
がつぶれ、会社は機械などを労働者に売り渡し、労働者は分
散して自営企業を始めるようになりました。つまり、労働組
合運動のなかでかつて培われていた一種の連帯感みたいなも
の が、 今 日 の 小 さ な 企 業 家 の ク ラ ス タ ー か ら な る 産 業 地 域
︶を支えているわけです。﹂
︵同上、八六頁︶
︵ industrial district
* 新聞紙上 ﹁神奈川新聞﹂一九七八年八月一〇日
* 神奈川の中堅一二〇社 日本経済新聞編︵一九八三︶
属します。それらの会員は、先代の経営者の経営
者でした。いわゆる﹁団塊の世代﹂以後の世代に
﹁経済大国﹂の刻印が定着された時代の創業経営
それらの新しい会員の多くは、いわゆる﹁二代
目﹂
﹁三代目﹂であり、
また、
日本の﹁先進国経済﹂
の中で育ってきた経歴を持っている企業家でした。
きた会員の多くは、戦後に生まれ、
﹁高度成長﹂
りました。しかし、一九八〇年代頃より入会して
まったり、独特の理念を作り上げたりする面があ
他面では、ややともすれば、その解釈が偏ってし
解釈し、消化するという面を持っていましたが、
た。そのことは、一面では、同友会理念を独自に
いまを活躍する会員群像
以上のように、二〇世紀の最後の二〇年余りの
間、﹁国際展開﹂、﹁異業種交流﹂、﹁自己 変革﹂の
第七章
第一節﹁新しい世代﹂
の会員群像
まれていた鋭い問題意識を強く投げ込んでいまし
う新しい中小企業運動に対して自らの体験から生
たのです。そのような会員群は、同友会運動とい
を生き抜き、多様な体験を背負って企業家になっ
え、それぞれ日本の戦前・戦中・戦後の激動の中
第6章で紹介した会員群像を構成する会員の多
くは、ほぼ戦前・戦中期の生まれでした。それゆ
﹁新 し い 世 代 ﹂ と 同 友 会 運 動
■
92
94 93
154
155
同友会ニュース第134号
神奈川同友会における同友会理念の新たな受容と
運動の展開が見られるようになりました。いわば、
神奈川同友会は、全体として同友会理念に則った
ような傾向が強まってくると、一九九〇年代以降、
面から学ぶ姿勢を備えていました。会内で、その
ような「新しい世代」はいわば同友会理念を真正
の後の大学の変化も体験してきていました。この
また、「大卒」経営者も増加し、「大学紛争」とそ
論や自らの職場経験を乗り越えることをめざし、
て、その勢いを「新しい世代」の会員の増強がさ
に先駆けて会員の増加傾向に向かいました。そし
ような結果、神奈川同友会は、今度は全国の動向
再生の動きと連動し、符合していたのです。この
べた新しい会員群像の登場が全国の同友会運動の
を提起しました。つまり、神奈川同友会の右に述
紀型企業づくり」
、
いわば「同友会型企業づくり」
会理念を再整理、再確認するとともに、
「二一世
年に開催された第二五回中同協定時総会は、同友
直面しました。そうした事態に対して、一九九三
一九八〇年代から一九九〇年代にかけて入会し
た、上記の「新しい世代」の会員が、役員である
らに推し進めたのでした。
実践の 時 代 で す 。
■「同友会理念」の再確認と
「二 一 世 紀 型 企 業 づ く り 」
ダー〟層を形成しています。神奈川同友会の長年
■
一九九〇年代は、既述のように、日本経済が戦
後はじめて経験する困難な時期、いわゆるバブル
会員歴を誇りうる現役の会員企業家群のほとんど
なしにかかわらず、現在の神奈川同友会の〝リー
崩壊による長期不況が始まった時代でした。その
は「新しい世代」に属しています。
承が継続しているのは、㈱野毛印刷社、㈱神奈川
社企業として、神奈川同友会の創立以来の会員継
ためもあって、同友会運動は、全国の同友会の会
長年 会 員
員数も減少するなど、その歴史上初めての事態に
■
機関紙印刷所の二社です。
氏は一九七三年東京同友会への入会から会員歴が
ている会員は植木育夫氏(㈲マシ技研)です。同
です。個人として、現時点で最長の会歴を維持し
代経営者からの「二世代」「三世代」以上の会員
ビス)
、神崎政昭氏(㈲神崎)
、横須賀健治氏(㈱
トコーポレーション)
、
鈴木茂氏(㈲優和総合サー
、大
益子良一氏 (税理士法人コンフィアンス)
貫文夫氏(㈱とらべるわん)
、西幹雄氏(㈱オフ
〝顔〟が見えてくるはずです。
以下、ここで上記の二名を除いて七四名の氏名
(右下 *
印は「二世代」以上の会員です)と会社名
始まります。一九七八年に神奈川同友会に移籍し
メジャーテックツルミ)
、小林康雄氏(㈱小林住
現時点における神奈川同友会の名簿に記載され
ている一九九九年までに入会した会員数は、七六
ましたから、同友会歴四二年、神奈川同友会歴三
宅工業)
、山本倍章氏(㈱ワンウィル)
、神座磯男
を記しておきましょう。ほぼ入会順に記載されて
七年です。二番目に長い神奈川同友会の会歴の会
氏(㈱神座)
、
藤澤徹氏(㈱新藤)
、
遠藤徳次氏(㈱
名です。それらの会員は少なくとも一五年以上の
員は、一九七九年入会・会歴三六年の石館治良氏
フジシン)
、石渡裕氏(㈱総合環境分析)
、杉谷健
います。それらの氏名から現在の神奈川同友会の
( ㈱ 開 明 製 作 所 ) で す。 石 館 氏 は 先 代 石 館 達 之 氏
吾氏
(エスケーホーム㈱)
、
小川勘七氏
(㈱オガワ)、
会歴を持っているわけです。その中の一〇名は先
からの「二世代」会員です。また、神奈川同友会
林幹雄氏(スターモア化粧品㈱)
、
斉藤秋造氏(横
156
157
*
創立時の会員は残念ながら現在おりませんが、会
第七章 いまを活躍する会員群像
クス㈱)、森田泰氏(森田建設㈱)、湯川則子氏(㈲
ロフェッショナル㈱)、佐々木政仁氏(佐々木工
(㈱東邦通信システムズ)、伴雅博氏(バンクスプ
プ総合企画)、永山慎一氏(㈲薔薇)、橋本日吉氏
田中亮太氏(東日電設㈱)、田中勇人氏(㈱アッ
宏氏(日本プロセス㈱)、辻永氏(㈱ショウエイ)
、
テル精養軒)、神田一弘氏 *
(横浜電子㈱)、堀澤
林哲郎氏 *
(サニー工業㈱)、萩原ひとみ氏(㈱ホ
テクノ)、石橋由希夫氏 *
(石橋ホーム資材㈱)
、
堀江裕明氏(タイジ㈱)、田中實氏(㈱グリーン
(㈱川崎中央プランナー)、吉岡優氏(㈱吉岡精工)
、
事務所)、佐々木雅一氏(㈱エニー)、木村教義氏
リベルテ)、須田徹也氏(須田労務マネジメント
市川久夫氏(㈲横浜サニーホーム)、会田国安氏(㈲
氏(みらいFP研究所)、酒匂雅隆氏(京浜産業㈱)
、
美容室)、真下友克氏(㈱カイショー)、齋藤英夫
新田景子氏(㈲カオリ)、小石川雄一氏(㈲くみ
(㈱クロステック)、岩橋祥江氏(協立電機工業㈱)
、
浜乾物㈱)、高須務氏(㈲高須金属)、渡辺安好氏
らは、会員の血肉となって、会員の経営と運動に
ても残されるべきものは少なくありません。それ
氏(㈱サンヨーシステム)
、石塚靜氏(アルファ
ピー)
、市川剛嗣氏(一幸電子工業㈱)
、板倉陽三
ステムニコル㈱)
、 稲 田 彰 典 氏( ㈱ ジ ェ イ エ ス
勝氏(サニー・トレーディング㈱)
、
浅見秀一氏(シ
スリー)
、上村弘氏(㈱組織科学研究所)
、雪竹俊
坂口聡隆氏
(㈱ジェニシス)
、
小野塚勝英氏
(㈱エー
クバン)
、横山草太氏 *
(㈱神奈川機関紙印刷所)
、
金子徹氏 *
(㈱野毛印刷社)
、平古場潤氏(㈱ビッ
畑誠氏(㈱エフワン)
、藤塚眞也子氏(㈱三宝)
、
寺精機㈱)
、宮田彰久氏 *
(㈱マルヤホーム)
、加
* 東海技研㈱)
祉協会)
、
中島敦氏 (
、
宮寺英明氏(宮
企画開発)
、窪倉孝道氏(財団法人横浜勤労者福
氏(㈱中川製作所)
、三戸部啓之氏(㈱アーバン
宮商事㈱)
、渡脩氏(㈱セルシステム)
、志田典之
ガネマシーン)
、
佐藤和穂氏(㈲ケー デ・ー エ
、
・ス)
小川泰延氏 *
(㈱LR小川会計)
、小宮福久氏(小
サンナイオートメーション)
、津金幸男氏(㈱ツ
機㈱)
、
菱山昭宏氏(㈱神菱商事)
、
内藤孝輔氏(㈱
生き続けているはずです。
これらの会員のほとんどは、代表理事をはじめ
種々の役員を担ってきたし、現在も担い続けてい
奈川同友会四〇年史』の執筆責任者です。会員自
責を担ってきています。また、斎藤秋造氏は『神
長年 会 員 と 〝 リ ー ダ ー 〟
ます。また、役員でない時であっても、役員とは
身が所属同友会の周年史の執筆責任者に就くこと
■
上記の諸氏のうち、後掲の役員一覧表にあるよ
うに、石館治良氏、横須賀健治氏、石渡裕氏、神
別 の 意 味 で の〝 リ ー ダ ー〟 で あ っ た し、〝 リ ー
は、同友会理念の理想的な形を体現しており、斎
座磯男氏、橋本日吉氏、酒匂雅隆氏は代表理事の
ダー〟である会員なのです。それゆえに、上記の
藤氏の尽力は賞賛すべき貢献です。
第二節 これからを活躍する会員群像
同友会運動の〝遺産〟と未来の〝リーダー〟
神奈川同友会会員の上述した新しい傾向は、神
■
会員諸氏は機関誌や例会報告者に多く登場してい
ます。しかも、それらの会員が経営するそれぞれ
の企業は個性豊かな企業であり、たとえどんなに
苦闘にまみれてきたとしても、会員としての継続
性と企業としての永続性を合わせ持つ企業家と企
業であったし、あると言わなくてはなりません。
その一つひとつの軌跡は、貴重なものであり、広
く後続の会員に対して、記録としても、記憶とし
158
159
二瓶建材)、阿萬太氏 *
(㈱東洋社)です。
第七章 いまを活躍する会員群像
会の草創期を担った川崎支部の〝工都〟川崎の〝経
ているように思われます。たとえば、神奈川同友
層を形成していた製造業の会員の〝遺産〟が生き
いますが、それぞれの支部のかつての〝リーダー〟
し、広義のサービス業の会員数の割合が増大して
種的構成において、製造業の会員数の割合が縮小
した。神奈川同友会の各支部とも、会員事業の業
類型化できないほどの多様な会員が増えていきま
ような傾向はさらに加速され、若い世代を中心に
反映していますが、二〇〇〇年代に入ると、その
奈川県の固有の経済・産業構造の変化と多様性を
は間違いないでしょう。
専門委員会等において活躍している姿にあること
れば、それは青年部会および女性部会、そして各
までもありませんが、これからの会員群像を求め
表理事をはじめとしての役員層にあることは言う
このような今日の神奈川同友会の運動の先頭あ
るいは第一線に立って活躍している担い手は、代
業種の会員が躍動しています。
部のような新興の基幹的産業地域も当然に新興の
会員が活躍しています。加えて、県央・相模原支
造業はもちろん多様な業種の個性溢れる企業家の
的伝統を背負う湘南・西相・県南の各支部にも製
各地の同友会の会員年齢構成は、全国的に〝若返
としてのイメージが強いけれども、それぞれ産業
が続いているのです。さらに、一般にリゾート地
九八二年五月に開催された第一九回定時総会にお
標を掲げて企画し、展開しました。たとえば、一
き継ぐ若い世代の存在は希望の基盤です。今日、
青年部会の〝青年〟は四〇歳以下を指していま
すが、そもそも同友会運動と自社経営の未来を引
青年部会の活躍
り〟が顕著であるという特徴があります。そのよ
いて、一九八一年度の経過報告において、次のよ
■
営者魂〟の伝統は、当地の今日最前線の福祉事業
経営の会員にも再現されています。また、「新し
さ」「珍しさ」への追及が伝統そのものである横
浜支部は、以前には考えられなかった事業を担い、
うな背景があり、青年経営者と呼ばれる同友会会
うに総括しています。
業態に挑む会員が登場しています。挑戦中の挑戦
員の自覚的な活動は、全国組織・中同協が結成さ
極的な取組みによって一五名の参加が実現し、「青
七七年の千葉市で開催された第五回青全交には積
神奈川同友会においても、一九七五年の第三回
青全交を契機に青年部会設立総会が開かれ、一九
ます。
( 以 下、 青 全 交 と 略 称 ) が 福 岡 市 で 開 催 さ れ て い
九七三年には第一回の全国青年経営者全国交流会
刻んでいます。青年部会は全県行事の運営に
ら版」はほぼ毎月一回発行し、活動の蓄積を
た。また、青年部会の機関誌として…「かわ
一二名が参加し、分科会の運営も担当しまし
修会等から経営について学び、交流の輪を拡
講演会、マネジメントゲームを使った一泊研
「経営体験報告をはじめ一二〇名を動員し
た経営講演会、恒例の鎌倉散策、年末の時局
れた直後の一九七〇年代初頭から、愛知県と兵庫
年部会の基礎」が固められたと記録されています
も積極的に参加しました。一二月のクリスマ
県等の同友会で始まりました。そして、早くも一
(「第一五回神奈川同友会定時総会議案書」、三頁)
。
スパーティでは厚生委員会と合同で企画から
(
「第一九回定時総会議案書」
、一〇頁)
げることができました。…第九回青全交には
その後、一九八〇年代前半の神奈川同友会の困難
運営まで担当し、
中心的役割を担いました。」
力とを発揮して多彩な活動を、青年部会独自の目
160
161
な時期にも、青年部会は青年経営者の情熱と行動
第七章 いまを活躍する会員群像
四回定時総会議案書」
、一〇頁)
、②後継者問題に
取り組み、
「継ぐ側の立場」から議論し、学んだ
こうして青年部会は同友会を支える中心的な役
割を果たし、①青年経営者としての人間形成と、
式を実施したこと(
「第四一回定時総会議案書」
、
二名の報告でお互いの課題を打ち出し討議する形
青年 部 会 の 役 割
②同友会の担い手・後継者づくりの追求に努力し
六頁)
。④東京同友会青年部会との合同例会の開
■
ました。そして、一九九〇年前後のバブルの発生
催で県を超えて学び合う機会を設定したこと等で
こと(同議案書、一〇 一
、③青年部会例会
-一頁)
報告の新しい試み、すなわち、後継者と創業者の
とその崩壊の中で、同友会運動の真価を問われて
す(
「第四八回定時総会議案書」
、一〇頁)
。今後
ア)、二〇一一年度~二〇一三年度を室根貴之氏
度~二〇一〇年度小湊宏之氏(㈱アルファメディ
年度・二〇〇七年度を奥原誠太郎氏、二〇〇八年
田運輸㈱)・三原淳(㈱エムアイエス)、二〇〇六
氏(㈱奥原商事ジョイフルランチ)
・津田賢一氏(津
氏(㈱ハヤシ運輸)、二〇〇五年度を奥原誠太郎
友会への導入の足掛かりをつくったこと(「第三
中心に活動し、それらの活動は自社への導入、同
一九九六年度時点で、インターネットの勉強会を
特徴を付け加えることができます。たとえば、①
合写真等を見ると、
「黒々」としていたことが思
つては男性中心の集まりでした。当時の会員の集
の同友会も、多くの経営者団体の例に漏れず、か
ます。とはいえ、神奈川同友会のみならず、全国
対応していった結果を現わしているとも考えられ
して「サービス化」
)に神奈川同友会が積極的に
繰り返すように、神奈川県産業構造の変化(主と
岡優氏(㈱吉岡精工)
、二〇〇四年度を早矢仕正
部会部長には、二〇〇〇年度~二〇〇三年度を吉
ダー〟となっています。二〇〇〇年度以降の青年
このような歴史を持つ青年部会の部長等の責任
者 に は、 や が て は そ の 後 の 代 表 理 事 等 の〝 リ ー
かなめ
いた一九九四年の年初めに再度の青年部会の組織
とも、青年部会は同友会運動の要です。
(㈱MURONE)、二〇一四年度を鈴木幹男氏(キ
い出されます。
青年部会長
ソー工 業 株 ) が 就 任 し て い ま す 。
同友会運動における女性の活動はどのような契
機から始まったのでしょうか。同友会運動が形を
■
化のための努力が始まりました(「同友かながわ」
第一一六号、七頁)。現在の青年部会に至る再生
の第一歩でした。その後の青年部会も多彩な活動
に挑んだことは変わりありませんが、課題の中で
このような青年部会はもとより男女の会員が属
していますが、とりわけ、女性会員の増加を見た
成し、その全国組織・中同協が結成された一九六
も、新しい課題を逸早く取り上げたことに改めて
二〇〇〇年以降は、女性部会の結成となり、その
には、安定的生活者としての「サラリーマン」の
き方の理想は、
〝専業主婦〟でした。それは一般
〇年代から七〇年代に掛けての時代は、女性の生
同友 会 運 動 と 女 性
人」という存在がありました。同友会運動の歴史
■
妻を指していましたが、
〝専業主婦〟の優良な亜
既述のように、神奈川同友会の二〇〇〇年以降
の第二次発展期を迎えますが、その発展を支えて
の中で、このような存在をどう考えるかが論争に
種として中小企業経営者の妻としての「経営者夫
きた要因として、女性部会の活躍を指摘できます。
162
163
活躍が 始 ま り ま す 。
第七章 いまを活躍する会員群像
第七章 いまを活躍する会員群像
なったことがあります。一方の立場は、中小企業
経営者の妻として、いわば「黒子」として、夫を
支え、家庭を守り、経営には一切口出しもせず、
敢えて理解もしないという考え方です。これに対
出した存在になっています。
への参加も増大し、名称も「女性部会」として不
中小企業経営者になる女性が増加し、同友会運動
画社会等の理念の普及から、積極的に、自立的に、
設立され、やがて〝ウーマンリブ〟や男女共同参
優位を獲得し、各地同友会に次々と「婦人部」が
いう考え方です。結果的には、当然ながら後者が
会員の妻とが共同で、交流と〝学び〟を求めると
業主婦〟の亜種からの脱出を意欲的に求めていた
性会員と、なお「経営者夫人」でありながら〝専
なくてはならなくなった経緯をたどった少数の女
ない事情で、「経営者夫人」自身が経営に携わら
性会員の割合は約二割になり、
各支部の例会報告、
ています。このような過程で、神奈川同友会の女
二〇一〇年に名称を「KDWOMEN」に変更し
が発足し、
二〇〇七年に「女性部会」が設立され、
のがありました。
二〇〇五年に
「女性部会準備会」
ても、様々な工夫と積極さにおいて目を見張るも
の活躍は、同友会運動としても、個別経営者とし
がゆえに、いったん始まった女性部会、女性会員
域であったということです。また、そうであった
神奈川県が全国で名立たる〝専業主婦〟の集合地
理由は多面的ですが、その一つの有力な根拠は、
神奈川同友会における女性部会の設立は、各地
同友会に比較すると意外に遅いものでした。その
神奈川同友会と女性部会の設立
動の存在になりました。現在、同友会運動での女
役員への進出も増加し、全国行事、他県への例会
■
性会員の多方面での活躍は、経済団体の中でも傑
全国中小企業問題研究集会の実行委員長には岡野
して、夫が何らかの理由で、大概は良いことでは
等への 参 加 も 顕 著 に な っ て い ま す 。
研究集会の長い歴史の中でも初めてのことです。
ます。二〇一〇年度に田波幸子氏(㈱セルタン)
、
す。このような中で、女性の支部長が生まれてい
子氏(㈱栄港建設)が女性部会部長を務めていま
た。その後の二〇〇九年度から現在まで岡野美紀
た。二〇〇八年度まで三期にわたって活躍しまし
部会成立に伴い初代の女性部会会長に就きまし
からのパイオニアの位置にあり、二〇〇六年女性
るメッセージは、終章の内容を具体的な形で補う
本書の第三部の寄稿文の執筆者は、ほぼこの第
七章の登場者です。それらの寄稿文から読み取れ
けるでしょう。
らず、広く国民からの〝期待〟の人間像であり続
拓く企業家たちの存在であり、神奈川県民のみな
神奈川の地から生み出され、その地をさらに切り
このように、今日に至る五〇年にわたる神奈川
同友会を担い、つなぎ、推し進めた会員群像は、
美紀子氏が就任しました。いずれも、それぞれの
女性部会の設立準備に活躍したのは、阪井サヤ
カ氏(㈲イズミインターナショナル)でした。同
二〇一一年度・二〇一二年度に大澤千代子氏(㈲
ものとなっているはずです。
氏は神奈川同友会のいわば女性会員が少ない時代
大沢自動車整備工場)が県央支部長に、また、二
〇一二年度~二〇一四年度に星野紀世子氏(㈱ス
タック ス ) 川 崎 支 部 長 に 就 任 し ま し た 。
さらに、既述の長期会員である藤塚眞也子氏が
二〇〇七年度の全県研究集会の実行委員長、そし
て、二〇一五年三月に横浜で開催される第四五回
164
165
終章 未来に向けて 新たな五〇年へ
終章
り例外ではありませんでした。しかし、その後、
ます。神奈川同友会もその流れと努力の中にあり
いま、全国の同友会は、この大きな流れに合流
しつつ、各地の個性の中で懸命な努力を続けてい
誇るべき歴史としての神奈川同友会の五〇年
これまた既述のように増強を回復し、最高会勢を
ます。したがって、以上に綴ってきた神奈川同友
■
違いないでしょう。
業家憲章制定運動の歴史的経験があることは、間
あり、また、同運動の客観的要因として、中小企
の再確認、
「二一世紀型企業づくり」の取組みが
未来に向けて 新たな五〇年へ
■ 同友 会 運 動 の 発 展 の 基 礎
中小企業家同友会は今日における中小企業運動
を担う主要な中小企業団体の中で唯一会員増強を
続けている団体です。一九九〇年代、「バブル」
経済の崩壊後、各中小企業団体は軒並み会員数を
継続しています。このことを可能にした基礎には、
会の波乱に富んだ歴史とその今日の到達点は、誇
減少させて行きました。同友会運動も、既述の通
同友会運動の主体的要因として、「同友会理念」
166
167
るべき歴史として存在していると言わなくてはな
りません。それは、偶然の積み重ねのようにも見
えますが、歴史の新しい必然を歩んできたように
考えられるものです。それゆえ、未来を、今後の
五〇年を展望するとすれば、この歩んできた道を、
さらに、謙虚に勇気も持って進める以外にありま
せん。まったく少数の片隅の運動から、今日の経
済・社会のあるべき大道を正々堂々と歩むに至っ
ている同友会運動の展開をさらに発展させること
日本 経 済 の 期 待 を 背 負 う 中 小 企 業 家
が中小 企 業 家 の 歴 史 的 使 命 で す 。
■
現在、世界と日本の目の当たりにある状況は困
難に満ちていますが、中小企業にとっては、過去
の五〇年に比較すれば、より困難になっていると
は到底言えません。先進国経済としての日本経済
小企業家は、この期待に応えることが、可能であ
り、役割であることの自覚が求められており、そ
こに今後五〇年の未来があります。
同友会とわたし
168
169
会員からの寄稿文
|
はますます中小企業に期待をつないでいます。中
第三部
|
2015
(第27回)
全県経営研究集会パンフレット
激動の五〇年をふり返って
株式会社 開明製作所
石館 治 良
光スポットとして人気を集めている。今から五〇
全国から多くの人たちが訪れ、横浜を代表する観
ドックヤード、観覧車が周辺を彩っている。毎年、
「みなとみらい」地区は、ランドマークタワー
を中心に近代的な高層ビルが建ち並び、日本丸や
たり、パチンコしたり、買い物したりで、商店街
造船所ばかりではないが、横浜方面に通う人達
は、会社の帰りがけに酒屋に寄って一杯ひっかけ
いくつもの商店街が並んでいた。
わかる。その道は「水道道」と呼ばれ、周辺には
代表取締役
自転車や徒歩で通っていた。現在の通勤イメージ
とはかなり異なっているが、地図を見れば、確か
年前、ここには巨大な規模を誇る三菱重工横浜造
と地域に暮らす人達は密接な関係にあった。天王
会社 創 業 の 頃
船所が あ っ た 。
あった。神社の例大祭や縁日ともなれば、たくさ
に一本の道が造船所に向かって延びていることが
わたしが幼少期を過ごしたのは、造船所から約
四キロ離れた保土ヶ谷区星川町というところで
んの人出で賑わい、下町独特の風情を醸し出して
町 周 辺 に は、 今 で は 存 在 し な い 映 画 館 が 四 軒 も
あった。この界隈から造船所に通う労働者は多く、
170
171
わたしの父親は東京品川に生まれ、工業高等専
門学校を卒業した後に、太平洋戦争に出征して、
中に立 地 し て い た 。
いた。先代がはじめた開明製作所はそんな環境の
「餅屋の子は餅屋」とは、よく言ったものだ。
結局、自分も親と同じ道を歩むことになった。
えてきたような記憶が残っている。
おとずれ、耳の奥から「シーン」という音が聞こ
終戦後祖父母が疎開していた鎌倉に復員し、そこ
で母と結婚した。落ち着いてしばらくすると、ね
築など 大 い に 役 立 っ た 。
に至っても、ソフトウエアの作成や加工手順の構
だ、終業時に機械が止まると、突如として静寂が
あたり前のように日常を過ごすことができた。た
ろしいもので、他人が思うほどうるさくも感じず、
り混じり、賑やかであった。慣れるというのは恐
中には機械の回転する音や、金属の削れる音が入
始め、建物全体が振動と騒音に包まれた。生活の
入され、ベルトとプーリーが唸りを上げて回転を
当初、工場と住まいは同じ建物であった。朝、
仕事が始まるときには大きなモーターに電源が投
所を設 立 し 、 機 械 部 品 加 工 を は じ め た 。
がら指さし「あの人、開明製作所の人だよ」と、
節」を歌って町内の人たちから大喝采をあびた。
木等のものまねで、当時流行っていた「スーダラ
ME(マイクロ・エレクトロニクス)革命の時代
な っ て い っ た。 こ の と き の 経 験 は や が て 訪 れ る
んに慣れてくると、軽快に機械を操作するように
を教わり、最初はビクついたりもしたが、だんだ
覚を駆使して機械を操作する。職人から加工方法
体に伝わる振動や切削音などで状態を判断し、感
手作業だ。金属を加工するときに、ハンドルから
ピュータ制御ではなく、ハンドルを廻しながらの
中学生になると、手伝いで現場に入り、旋盤を
操作するようになった。小遣い銭稼ぎのアルバイ
はじめての仕事
工場と住まいが同じであるということは、四六
時中、親の姿をみることになる。夏休みになると
隣の人と相槌を打ち合っていたのを覚えている。
じの製造を手がけるようになり、一九五五年頃に
家に居る時間も増え、工場での労使間のさまざま
小さな町工場ではあったが、社員ともどもしっか
横浜に越して来て、翌年には、有限会社開明製作
なやり取りも、オブラートなしでダイレクトに伝
りと町内に根付いていたのだ。
近所のおばさんが、顔をしわくちゃにして笑いな
ト だ。 当 時 一 九 六 五 年 頃 は 現 在 の よ う に コ ン
わってきた。社員が社長に対して不満をぶつける
ときなど、息子が居ようが居まいがおかまいなし
である。時としてわたしも親の側につくばかりで
あるとき、町内の祭りの日に酔払った社員が足
をふらつかせて、「酒を飲ませてくれ」と、台所
員がい て 、 家 族 の よ う な 雰 囲 気 す ら あ っ た 。
あった。第四次中東戦争の勃発により石油価格が
なかった。最初の洗礼は第一次オイルショックで
正式に入社したのは大学を卒業した一九七三
年、二十二歳のときだった。さあ、いよいよと意
時代の洗礼
に転がり込んできた。なにを間違えたか、酒と似
暴騰し、市場は大混乱に陥った。スーパーの商品
なく、社員に同情したりすることもあった。社員
たビンに入っていた味醂を飲んで、ふたたび午後
棚からは物がなくなり、トイレットペーパーを購
旅行などにもついて行き、日常の暮らしの中に社
の祭りに戻っていった。そのあとはどうなったの
入するために列ができた。
値段も上昇していった。
気込んでは見たものの、世の中はそんなに甘くは
かはわからないが、それでも、夜の演芸会では植
172
173
さらに、日銀は公定歩合を引き上げ、設備投資が
襲ってきた。それまで一ドル三六〇円の固定相場
しばらくして、オイルショックの影響もようや
く薄らいできたと思ったら、今度は急激な円高が
を見守 る こ と し か で き な か っ た 。
抱えていたが、社会人一年生にとってはただ現状
なマイナスとなった。父親はなすすべもなく頭を
増えるのはあたりまえであったが、この年は大き
現象だった。それまでは高度経済成長で、売上が
ながらも、
「東洋の奇跡」とまで言われた経済成長
味わうことになった。こうした犠牲が前提とされ
とっては、資金も資材も遠のき、塗炭の苦しみを
化学に投入し基幹産業を強固にし、それを全体に
呼ばれるものである。資金と資材を優先的に鉄鋼、
復興計画を推し進めていった。
「傾斜生産方式」と
は産業政策の柱として、重化学工業を主体とした
少し前まで、中小企業はまだ戦後経済復興の流
れの延長線上にあった。終戦直後に遡ると、政府
戦後経済復興の流れの中で
は変動相場へと移行した。市場の反応はすばやく、
が始まろうとしていた。基幹産業の繁栄、さらに
またたくまに一ドル二〇〇円を切った。輸出関連
は輸出産業を育成して、いよいよ世界の工場とし
抑制され、スタグフレーションに陥った。「生産
の製造業にとって致命的な一撃であった。工場の
て、グローバル展開の準備が整っていった。時代は
はどんどん最新鋭の機械に切り替わっていった。一
して仕事に慣れてきたころには、現場の機械設備
代化が促進され補助金制度も整い、わたしが入社
置に置かれることになった。それでも、設備の近
は実質的に「補完的役割」という不本意な立ち位
が制定された。だが、この法律によって中小企業
るために、関連法として「中小企業近代化促進法」
は中小企業の近代化であった。基本法を具体化す
て「中小企業基本法」が制定された。中身の中心
えない。こうした中で、一九六三年日本ではじめ
できない。大企業の下請としての役割が十分に担
社長の姿を見つけることにした。
を見ればなにか分かるだろう。自分が目指すべき
になった。そこで考えたのが、よその会社の社長
かった。やはり外に目を向けなければと思うよう
長けていても、ビジネスはあまり得意とはいえな
かった。父親も技術屋であった。ものづくりには
人 間 に と っ て、 社 長 と し て の イ メ ー ジ は 持 て な
ればよいのだろう。現場しか経験したことのない
し、突然そのときがやってきたら何をどう対処す
務めなければならないと考えるようになった。も
ようになってきた。やがて自分も近い将来社長を
はじめ、からだのあちこちにきしみが出はじめる
の減少」と「物価の上昇」が同時に起こる奇怪な
中は暗く沈み込み、電源の落ちた機械設備が幽霊
産業の総合的な力量が高まることを求めた。だが、
波及させようとした。対象から外れた中小企業に
のごとく静かに佇んでいる、こんな光景であった。
その一翼を担う中小企業は、企業数だけは多いも
時的に大ダメージを受けた不況も八十年代中ごろ
のの、設備は前近代的で輸出産業を支えることが
にかけて、輸出攻勢の時代が続き、
「集中豪雨的対
せっかく同友会に入会しても、自分の居場所を
見つけられずに会を辞めてしまう人もいるが、私
十八歳であった。
ていたので身近な存在であった。一九七九年、二
これが同友会入会のキッカケとなった。同友会
を選んだのは、父親も数年前まで同友会で活動し
父親が年を重ねるにつれ、体力もだんだん衰え
経営 者 と し て の 自 覚
米輸出 」 と い う 言 葉 も 生 ま れ る ほ ど で あ っ た 。
174
175
宜しくお願いします」、しばらくこのやりとりが
ています。これから同友会はわたしが出ますので、
おやじさんは元気か?」、「はい、なんとか頑張っ
ルキャップ用ねじに永久磁石を組み込むことで、
産自動車にいたが独立し、自動車エンジンのオイ
緒させていただいている唯一の同業者だ。元は日
副代表理事をしていたのは神奈川部品製作所の
田中秋範さん。
「神奈川県ねじ工業会」でもご一
の場合は違っ た。会う人会う人、「君 が息子か、
続いた 。
エンジンオイルを交換するときに、ねじ部に金属
の汚れを吸着させる方法を開発し大ヒットさせ
た。昔の同友会には弁舌の長けた人が多いことが
横浜を訪れていた。現在は航空貨物にその座を奪
横浜港は外国船の出入りが多く、大勢の乗組員が
の電化製品の免税店を商っていた。戦後しばらく、
伊勢佐木町通りの中心に店舗を構え、外国人向け
かった人で、同友会を運動としてとらえていた。
であっ た 。
たたいて「そうだろ」と、合槌を求めるのが口癖
もよくつき合ってくれた。酔っ払うと相手の膝を
イドを常に持ちながら活動していた。若い会員と
ただけあって眼光は鋭く、代表理事としてのプラ
生き馬の目を抜くといわれる世界を渡り歩いてき
東南アジア貿易に携わり、国際的な事情に詳しい。
けていた海興物産の山谷定義さん。長年、中国・
当時、代表理事をしていたのは、横浜中華街で
中華料理用の「ふかひれ」の輸入加工販売を手が
追求するという意味合いがあることを知った。同
考えたとき、
「個の尊厳性」
、
「人間の尊厳性」を
で「自主」
、
「民主」
、
「連帯」の精神を掘り下げて
れたことを覚えている。後に同友会理念を学ぶ中
ニズムを追求する運動です」あるとき、こう言わ
てくれていた。
「石館さん、同友会とはヒューマ
る 限 り で は、 同 友 会 に 対 す る 思 い 入 れ が 一 番 強
忘れてならないのは、もうひとりの副代表理事
をしていた昭和堂の玉木清雄さんだ。わたしの知
たと思う。
と、率先して踊りだす。たしか福岡県の出身だっ
らずに
「さあ、
みなさん炭鉱節でも踊りませんか」
はご機嫌になり、締めのあいさつでだけでは終わ
議論になるとなかなかうるさい。反面、二次会で
中心的な役割を担っていた。同友会の役員会でも
懐か し き 人 々
われてしまったが、全盛期には相当な人出があっ
友会の考え方というものは、ある日突然にできた
た。玉木さんはそんな中で売上を大きく伸ばした。
ものではなく、活動の積み重ねの中で体系化され
特徴だが、田中さんは日産の労働争議では組合の
非常に頭がきれるというのが印象に残っている。
たものだということが分かる。
の矛盾を指摘する。玉木さんの前で発言するとき
ズレた発言をしようものなら、最後にきまってそ
入 会 し て 間 も な く、 東 京 同 友 会 の 製 造 業 の メ ン
はさんで東京と神奈川に集積している。同友会に
京浜工業地帯は、日本を代表する数多くの大企
業と、それを取り巻く無数の中小企業が多摩川を
異業種交流活動への参加
商才は抜群であった。「人それぞれなので、真似
をしてもうまくいくものではないよ」と、言われ
たことが印象に残っている。大きな声を出すこと
は緊張したが、神奈川同友会の将来を見据えて「若
バーが中心となって、異業種グループが結成され
もなく、いつもにこにこしながら人の話に耳を傾
い役員を育てよう」と気遣っての意見だ。親子以
た。 神 奈 川 同 友 会 に は 製 造 業 の メ ン バ ー が 少 な
け、小さなことも見逃さない。理事会でわたしが
上の年齢差であったが、いつも対等な立場で接し
176
177
鋭く、ビジネス感覚に長けていた。先生というに
時代を見据え、中小企業をとりまく情勢の分析は
いていると「このひとは只者ではない」と感じた。
光かがやき、俳号と一致する。金子さんの話を聞
背が高く、頭の毛は薄いというよりも、きれいに
こまれて活躍していた。ユーモアにあふれた人で、
句の世界でも金子禿山子という俳号で、弟子にか
三基電子工業の金子良明さんはノイズシュミ
レータを開発し、中国にも工場を展開させた。俳
経営者 が そ こ に 集 っ て い た 。
の目的であった、こうありたいと願うすばらしい
り、東京中目黒に事務所が置かれた。同友会入会
道、愛知、兵庫、広島の同友会のメンバーが集ま
名付けられた。会員は東京、神奈川以外にも北海
であった。この会は「中小企業開発センター」と
品を次々に市場に送り出して活路を切り開いて
させた「メカトロニクス」の領域に進出し、新製
これまで培ってきた機械技術と、電子技術を結合
を過ぎ、多くの業者が廃業する中で、菅野さんは
だわり」である。本業の機械彫刻はすでにピーク
の加工精度で製作されたものもある。まさに、「こ
いであろう。部品によっては千分の一ミリレベル
ここまで正確さにこだわって再現されたものはな
し組み立てている。おそらく模型づくりの中で、
しかも、製作にあたっては、すべての部品を本物
数十年かけて菅野さんが引継ぎ、
完成させものだ。
く。この機関車はなんと先代が趣味で作り始め、
とした精巧に作られた蒸気機関車の模型が目につ
古く、創業は戦前に遡る。工場に入るとずっしり
マルコ精機の菅野信一さんは、武蔵小杉で機械
彫刻に携わる生粋の技術屋さんだ。会社の歴史は
かったため、誘いの話があったときには渡りに船
ふさわしい存在だった。金子さんの講演は聞く人
いった。後に金子さんらとともに東京同友会から
同友会に入会して、十年の歳月が経過した。支
部例会や部会への参加、異業種交流活動を繰り返
社長交代
の設計図からひとつひとつ忠実に縮小させて製作
をうな ら せ 、 納 得 さ せ る 内 容 で 溢 れ て い た 。
少しも揺らぐことはない。
とくざん し
神奈川同友会に移籍し、代表理事も務められた。
例会は早めに到着しても必ず誰かがいた。例会
が始まる前の雑談が、なんとも楽しく有意義な時
けて離さない。ここでの先輩経営者たちとの出会
しているうちに、どうにか経営者たるものの姿が
間であった。企業経営の話は勿論であるが、人と
いによって、わたしは同友会にますます惹きつけ
見えてきた。経営者といっても、その特徴をひと
はなかった。しかし、この人達は時代を担う中小
分もこうありたいと羨望した先輩経営者も例外で
退場に追い込まれることも少なからずあった。自
して取りあげられ、脚光を浴びていた会社が市場
り込まなければならない。つまり、同じ話でも受
なく、さまざまな事例を自分なりに抽象化して取
の「ものまね」をしていればよいというものでも
うに見えるが、これほど抽象的なものはない。人
今にして思えば、同友会に入会したことが幸運
であった。
「経営」という言葉は具体的であるよ
しての奥ゆかしさや面白さというのは人をひきつ
られる よ う に な っ て い っ た 。
別である。
企業家として、みごとに光り輝いていたことはま
け取り方は人によって様々である。
同友会では
「学
括りにできるわけでもなく、ひとそれぞれ千差万
時代の流れは中小企業にとって熾烈な結果をも
たらすこともある。その後、さまざまな経営環境
ぎれもない事実だ。会社が継続できなかったのは
び方を学ぶ」という言い回しがあるが、いかにも
の変化のなかで、マスコミにも頻繁に先進事例と
残念だが、わたしの先輩たちに対する敬愛の念は
178
179
一方、世の中には経営に関する書籍や雑誌は多
いが、そのほとんどは「こうすれば儲かる」など、
らない か ら だ 。
あるいは思想を経営理念にまとめ上げなければな
れもそのはず、これは作業ではなく、自身の哲学
針にまとめ上げるのだから、戸惑いを感じる。そ
まとを得た言葉だ。さらに、学んだことを経営指
一九八九年秋、三十八歳であった。
の思いを
「経営指針」にまとめて社長を交代した。
らを文言として明らかにする」
、これがわたしの
企業経営に立ち向かおうとしたとき、
「何を大
切にし、どのような組織を築きあげるのか、それ
凄さを感じる。
の目的」が制定されたことにあらためて同友会の
設業などは活況を呈していた。企業にとって、自
のは輸出関連企業だけで、その他の業種、特に建
済」のはじまりである。この間、業績が悪かった
字回復の様相を呈してきた。世に言う「バブル経
それまで下降を続けていた売上が上昇に転じ、V
いうが、まさに、その議論を経て「同友会の三つ
総会でこの内容を決めるときに大激論があったと
なか触れることのできない領域だ。同友会の全国
接社長を批判することはできない。ここは、なか
長が変わらなければ、会社は変わらない」と、直
あたる行政担当者も、経営コンサルタントも、
「社
パーセント上昇させて六〇パーセントを目指す。
うものだ。目標値として、自己資本比率を毎年一
させて絶対に潰れることがない条件を創ろうとい
社長就任に際して経営指針とは別にひとつだけ
心に誓ったものがある。それは、財務体質を改善
結果を招いた。
いった。ところが、諦めかけた一九八六年六月、
る 条 件 は 閉 ざ さ れ、 経 営 破 綻 は 秒 読 み 段 階 に は
銀行は警戒して貸し出しを拒み、新たに借り入れ
は減少の一途をたどり、資金繰りに行き詰った。
た。会社創立以来、最大の危機をむかえた。売上
社長に就任する前のことだが、一九八五年にプ
ラザ合意がなされ、円高ドル安が一気に加速され
バブル経済を乗り越えて
社長となる条件であった。稚拙ではあったが自分
テクニックにかかわるものばかりといっても過言
ではない。しかし、同友会は経営者そのものに視
点をおき、「良い会社づくりも、良い経営環境づ
助努力ではどうにもならないときがある。このと
流動比率は常に四〇〇パーセント以上を確保し、
くりも、経営者の能力や資質を高めることなしに
きがそうであった。それは、回復するときも同じ
資金繰りに余裕をもたせ、本業に徹する。バブル
は実現しない」と、結論づけた。中小企業支援に
であった。努力の結果と言うよりも、黙っていて
崩壊後、
心に誓った長い道程の闘いがはじまった。
人間尊重の経営
も仕事が入ってくる予想外の展開となった。こう
して、九死に一生を得ることができたが、バブル
の只中で思いっきり飛び跳ねることはなかった。
このときの財務状態では、薄氷を踏みながら前に
気に改善させることは中小企業、特に同族企業に
企業業績は短期間のうちに大きく変動すること
はあるが、財務はそういうわけにはいかない。一
は共通している。同友会で学んだことは、
「人の
が試される最前線だ。どの経営者に聞いても悩み
員とどのように向き合うのか、社長の能力、資質
進むこ と し か で き な か っ た か ら だ 。
とっては、ほぼ不可能に近い。皮肉なことに、こ
問題は社員をどう使いこなすかということではな
中小企業にとって、さまざまな経営課題はある
が、なによりも苦労するのは人の問題である。社
れがバブル崩壊に際してほとんど被害が生じない
180
181
であった。労働者が置かれている状況は「過酷」
産業革命後のイギリスでは、利潤を生み出すた
めに低賃金、長時間労働、過密労働はあたりまえ
し、互いの自己実現を図る」ということであった。
く、社員と共に学び、目的を遂行し成果を生み出
ていた。
社長こそが日本の誇れるものだ!」と締めくくっ
ばらしい。コラムは最後に「そういう中小企業の
け る 労 使 関 係 の 見 解 」 を 学 び、 実 践 す る こ と に
は神奈川同友会の会員であった。
「中小企業にお
に働く人びとの所得は、例外を除いて上位に位置
世帯は三〇パーセントを超えるという。中小企業
貯蓄額が一千万円以上あるというのに、貯蓄ゼロ
を生かす経営」の事例が書かれていた。その一例
究員である呉学殊さんのコラムに、同友会の「人
厚生労働省所管の労働政策研究・研修機構主任研
同友会会員企業の中からである。ネット上で偶然、
る事例がいくつも出てくるようになった。それも、
しかし、最近になって「人を生かすことのほう
が、そうでないよりも生産性が高い」と実証され
る。
どのような未来社会であろうと、いまわたしたち
未来とはどのようなものか?それはだれにもわ
からない。しかし、
ひとつだけ言えることがある。
している。
することができない。日本の一世帯あたりの平均
前の利益を上げるなかで、中小企業はそれを実感
勢を見てその結論は正しいと感じる。大企業が空
不平等も今後拡大していく。わたしも今の社会情
義の時代においては、所得配分の格差が拡大し、
国民所得の成長率を上回る」
、すなわち、資本主
フランスの経済学者トマ・ピケティは「二十一
世紀の資本」のなかで、膨大な統計データを比較
未来への思考
よって、こうした事例が出てくることは本当にす
以外のなにものでもなかった。残念ながら、現在
の日本でも、その呪縛から解き放たれたとは言い
難い現状がある。中小企業も立場が弱いがゆえに
なた
無理を強いるケースが多々ある。この問題に対し、
することはない。法則どおりに推移するならば、
が企業経営の中で大切に思い、実現しようとして
行政といえども大上段から鉈を振り下ろせずにい
わたしたち中小企業に働く社員がどのような未来
いることが、やがて、その時代の基礎を成して行
分析し、次のことを結論付けた。
「資本収益率が
を迎え る か は き わ め て 深 刻 な 問 題 だ 。
せ持たなければならない。同友会理念の最後に出
主自立の精神に立って地域を豊かにすることも併
政に要求することは当然だが、わたしたちも、自
れている。この意味は深い。経営環境の改善を行
「 構 成 者 」 で は な く「 形 成 者 」 と い う 言 葉 が 使 わ
成者として……資質を養う」とあった。ここには
で、国民の教育義務について「国家及び社会の形
神奈川同友会を益々発展させてくれることを願っ
を担う会員と事務局員が深く学び、力を発揮し、
活動している。何事も困難はつきものだが、次代
い。同友会はそのすべてに能動的に関わりを持ち
域が成立していることは、永遠に変わることはな
「働く」
、
「暮らす」という三つの機能を持って地
かり様変わりしてしまった。しかし、
「生きる」、
地域は時代とともにその姿かたちを変えてい
く。会社を取り巻く地域の環境も、五〇年ですっ
く。
てくる「国民とともに歩む中小企業を目指す」と
てやまない。
「教育基本法」
以前、社員教育委員会の例会で、
について考えさせられる機会があった。条文の中
は、形成者としての資質を持った人間が育つこと
をもって、地域が変わっていくということを示唆
182
183
ります。同友会って、どうゆう会って言うように
入会して一五年位知りませんでした。例会のイベ
ントで参加しても一人でやっている会社と社員の
いる社長とは話をするのも大変でした。一〇数年
過ぎて、私は川崎で仕事をしていて大田支部から
神奈川同友会の川崎支部に移ったのです。それで
下請けという形で独立をさせてもらいました。機
私は二五歳で独立してマシ技研を創業しまし
た。東京大田区の共同電機で五年と半年勤めて、
その頃に当時事務局長の宮川豊さんが会社に来て
が少なかったのですが、IT企業の方が元気で、
んだなと思った記憶があります。川崎支部は会員
育
夫
同友会に入会して今がある
㈲マシ技研
代表取締役 植木
も川崎には知人がいないので参加していませんで
した。金子良明さんや高山さん等の支部幹事は雲
械設計の仕事をそのまま頂いて家で仕事をしてい
製造業部会をつくりたいという話があり、それか
大田 支 部 か ら 川 崎 支 部 へ
ました。当時、庄野慎一郎社長が大田支部の支部
ら本格的に同友会へ参加することになりました。
の上の存在でしたが、会社を知った時は皆大変な
長ということで東京の大田支部に入会しました。
創業したばかりで同友会には殆ど参加していませ
んでし た 。
経営指針の勉強会スタート
今があると思っています。入会しても参加してい
で庄野慎一郎社長と巡り合い、同友会に入会して
と思いました。私は中途で就職した共同電機の縁
全国総会にも参加し、日本の中小企業は元気だな
になります。四五~五五歳の一〇年幹事をやって
をするようになり会社の経営や方針を考えるよう
三ヶ月に一回位の製造業部会で、会員の会社訪問
当時の金子和夫代表理事は売上一〇億を一〇〇億
が借り工場から自社工場を作った人もいました。
社にしたらいいのか?この経営指針を受けた社長
バーを呼んで会社の本音を話します。どうゆう会
に や る 事 を 進 め ま す。 ホ ー ル を 借 り て オ ブ ザ ー
経営計画を作りました。会社に帰って社員と一緒
崎支部から理事・幹事も参加し、一〇年一〇倍の
の経営指針の先生で本当に勉強になりました。川
四三歳から参加するようになって幹事になって
ない時は、経営者は雲の上の存在と思っていたの
にしてまさに一〇倍にされました。
三~五年が過ぎて同友会で運動会やスキーのツ
アーを企画したので家族で参加していた記憶があ
が、幹事になって経営者の本質を知り、本音で話
す社長はこんなに苦しんでいるのだと感じました。
して参加し、経営指針の勉強を始めます。最初の
始まりだったのです。その頃から同友会に幹事と
した。九〇%親会社に頼っていたのを方向転換し
どうすべきか中々行動出来ないで赤字続きでいま
私は親会社が中国に進出して仕事がどんどん少
なくなっていました。
三三人の社員の仕事が無い。
二一世紀型企業づくり
二~三年は居酒屋で少し経営の話をして一杯飲ん
なければ生きていけないと感じ、同友会で学んだ
四三歳(平成三年)にレーザー加工機を導入、
工場も新設してこれからだと考えていました。と
で終わっていました。幹事でも経営指針の理念は
事を実践していきました。製造業部会で知り合っ
ころが後で知るのですが平成三年がバブル崩壊の
ない、方針もない、その頃、庄司勇さんが第一回
184
185
た会社からも仕事を頂き、三〇社以上のお客様と
の縁を頂きました。川崎は昔から大企業があって、
その大企業に付いていれば良かったのですが、時
代は変わって大企業が地方へ、そして海外へと移
動していきます。縦の繋がり(下請け)がどんど
ん消えていきます。中小企業の自立が必要になっ
文 夫
「仲間づくり」
を大切にして
㈱とらべるわん
代表取締役 大貫
継続は力である、神奈川同友会五〇周年おめで
とうございます。
印象に残った講演会
て来ました。当時、同友会では二一世紀型の企業
をつくるというテーマがありました。横型企業づ
くりが大切だと知り、上下関係も必要かも知れま
せんが横の繋がりで仲間を沢山つくる。同友会の
私は、昭和五五(一九八〇)年六月に当時二代
目 神 奈 川 同 友 会 青 年 部 長 で ハ ル・ ス ー パ ー グ ラ
幹事をさせてもらって会社を続けることができた
と感じ て い ま す 。
八歳で旅行会社を創業して二年目のことでした。
その当時の会員の多くは、建設業関係会社の社
長が多く入会されていました。まさに日本経済が
フィックの宮川治夫氏の紹介で入会しました。二
神奈川同友会では、私が一番古い会員と言われ
ていますが、本当に参加したのは四一年間の中で
が下がります。今後も元気な同友会で頑張って下
絶好調のバブル真っ盛りの楽しい時代でした。開
一〇年です。代表理事、そして幹事の皆様には頭
さい。
田虎雄氏が壇上で自分の手帳を出し、その日働い
縮性側索硬化症(ALS)を患ってしまった、徳
は若い自分にとって貴重な思い出です。今は筋萎
手機械商社、山善の創業者・山本猛夫氏の話など
徳州会病院の創業者・徳田虎雄氏や花登筐氏の
小説「どてらい男」の主人公で東証一部上場の大
た。
をお呼びして、経営についての講演会がありまし
の思い出として同友会では、何度か有名な経営者
ムシャラに営業一筋に働いていました。その当時
一 ド ル 二 三 五 円 で 海 外 旅 行 者 数 は 五 〇 〇 万 人、
とができました。その当時の旅行業界の概況は、
パンの小助川氏に助けられ、無事に報告をするこ
の大竹脩一氏、座長にサクセス・ビルダーズ・ジャ
した。助言者に㈲日本特殊化学工業所で代表理事
ての目標や方針を決定する良い機会をいただきま
して二年目の事でしたが、まさに私にとっては創
のテーマは「我が社の生き抜く道」でした。入会
して報告させていただきました。この年の分科会
会」第一〇回記念大会が開催され、神奈川代表と
業はしたけれど、経営など全くわからず、ただガ
た時間が一五時間なら○印で、また内容によって、
ジョニー黒とナポレオンが大人気でした。旅行の
や組合スキーが激減して私たち業界も方向転換に
本が観光立国となってきました。企業の慰安旅行
海外よりの来日者数は一︐八〇〇万人となり、日
海外旅行者数は一︐四〇〇万人に増えましたが、
な時代でしたが、
現在は大きく様変わりしました。
業して三年目、社員も増えて来て、将来に向かっ
○・△・×をその○の中に書きこんで、毎日働く
主流は企業の職場旅行や組合のスキー等、華やか
青年 経 営 者 全 国 交 流 会 で の 報 告
んだとの話に大変感動して直ぐ真似をしました。
また入会から二年目の昭和五七(一九八二)年
九月一七~一八日に東京で「青年経営者全国交流
186
187
必死で す 。
お誘 い し た 会 員 の 活 躍
同友会にお誘いした会員、ファミリーホームの
新田英通氏、ニューイングの工藤文子氏、笑う門
会社の存続は
同友会員であった事
㈱オフトコーポレーション
幹雄
取締役 西
人を大事にしないと事業は成り立たない
の山田浩和氏の各氏が現在活躍している報告を聞
くと大変嬉しく思っています。私が三五年間も在
籍している理由は「仲間づくり」が一番大切だか
らです。これからも会社発展のために同友会会員
神奈川同友会の五〇周年、そして五〇年史の発
刊おめでとうございます。
した。業種は違っても人に関すること、また商売
として 継 続 し た い と 思 い ま す 。
私は昭和四九年第一次オイルショックの翌年三
四歳で大手電機メーカーを脱サラし、先輩が経営
している設備工事会社に誘われて、新規事業の立
ち上げに取り組みました。しかし先輩の考え方、
特に社員をいかに安く使って利益を出すか、社員
の社歴が長くならないよう常に若手に切り替える
う、お か し い な と 感 じ て い ま し た 。
の課題は同じです。
のが業界での賢い経営の仕方だと言われ何か違
大企業は掃いて捨てるほど人はいますが零細企
業では社員を育て、人を大事にしないと事業は成
り立たないし、取引先やお客様に信用して頂けな
なか例会の時間に間にあわず、暫くは「中小企業
ります。社長といっても現場に出てしまうとなか
みました。それが四二歳ですから会歴三四年にな
たいと考え、確か新聞の広告で同友会を知り申込
当初は社員数名、それでも社長の仕事とは、責
任とは、営業はわかるものの、どこかで勉強をし
解して く れ た の が 今 の 経 営 者 達 で す 。
が昭和五三年三八歳の時でした。私の考え方を理
士がお互いに報告し合う例会だと思っています。
れが平成二年二月でした。同友会の基本は会員同
ろ、言い出しっぺの私からやれとなりました。そ
番で自社のことを話すのはどうかと提案したとこ
中で私が会員同士あまり良くわかってないので順
んで居たようです。ある時、会の進め方の議論の
金を払っていました。支部会員は七〇~八〇人で
私は湘南支部所属でした。当時の例会は面白い
話をしてくれる人や話の上手な有名人に頼んでお
「労使見解」は同友会の魂
家しんぶん」を一生懸命読み、よその社長さんは
いと私は考えていました。その点で先輩とぶつか
どんな考え方で経営に、また社員に接しているの
私が同友会に永く居つづけたのは「労使見解」
と出会ったことです。
「労使見解」は同友会の魂
り、いろいろあって分社して社長を引き受けたの
だろうかと興味津々でした。「中小企業家しんぶ
とも言うべき精神です。先人のご苦労と深い見識
したが、多くは支部長と同じ業界の方で商売が絡
ん」から全国のいろいろな経営者像が見えてきま
188
189
まず社員を信用しなければ信頼も得られません。
ているのは社員から見た経営者の信用・信頼です。
企業の経営の中で私が最も重要であり、大切にし
い」と言い放った言葉にびっくりしました。中小
話は変わりますが経営指針作成の一泊研修の中
で、某氏が「社長と社員の間に信頼関係は必要な
に驚く ば か り で す 。
局にご苦労様と申し上げたい気持ちです。
小企業問題研究集会の成功と、役員の皆様と事務
増え、各支部の活動も活発となり、今春の全国中
張ってくれており感謝しています。いまや会員も
あれから一〇年、事務局も会員のために力一杯頑
を良いものに、事務局と役員の関係を正常なもの
準備をする。
(五)グループ研究制度を充実する。
る(情報の共有と徹底)
。
(四)同友会大学開設の
の 導 入 を 促 進 す る。
( 三 ) 広 報・HPの 充 実 を す
・具体的な活動方針(一)幹事以上は経営指針
を 自 社 で 掲 げ 実 践 者 と な る。
( 二 )e.doyu
うち一名は各支部推薦の委員の互選で任命する。
推薦をお願いする。委員会においての副委員長の
保つ為に委員会には各支部より一名以上の委員の
原則とする。
(二)県の委員会と支部との連携を
神奈川同友会の今後ますますのご隆盛をお祈り
いたします。
いと思っていますので宜しくお願いします。
の続く限り一会員として同友会に関わっていきた
に関係があったと思います。これからも私の体力
であった事と、いま会社が存続している事は大い
て永く勤められる事が社員の幸せです。同友会員
に、
長老支配から離れよう等々だったと思います。
あとで考えるとこの某氏は社員から信頼を得るの
いろいろな事を教えてくれた同友会、特に「労
使見解」は素晴らしい私のバイブルです。安心し
代表 理 事 を 引 き 受 け る
は難しいことだと言いたかったのかも知れません。
私は平成一〇年一月に脳梗塞で倒れましたが、
その後湘南支部長、副代表理事を杖をついて務め
ました。その頃の会内の雰囲気はあまり良いもの
ではなく、役員や会の事を心配してくれる若手経
営者たちから押され代表理事を一年だけの約束で
健
治
引き受けました。皆からの期待は役員間の雰囲気
コミュニケーションに
ついて考える
㈱メジャーテックツルミ
代表取締役 横須賀
私の 同 友 会 運 動 の 考 え 方
(六)同好会制度の導入を行う。
(七)中小企業活
横須賀 健 治 」 に 出 て い る 。
年度に向けての考え方(案)代表理事 橋本日吉・
・課題(一)各行事の統一(支部例会・委員会
例会・部会例会の連携と絞込み等)
。
(二)役員研
くり。
う。
(八)各支部の地区会の強化と新しい支部づ
性化推進条例の審議会への参加推進と活用を行
・年度方針「一人一人が生きがいを感じられる
強靭な企業づくりに取り組もう。人を育て、雇用
修会のあり方(魅力あるものにするために外部・
私が考えていた神奈川県中小企業家同友会の運
動は、平成二〇年一二月一〇日付けの「平成二一
の維持・拡大に努めよう。環境問題に取り組もう」
体制へ(例会づくりは幹事等が率先する)
。
(四)
県外からの講師も考える)
。
(三)活力ある事務局
・組織(一)理事会のメンバーは各支部推薦を
であっ た 。
190
191
社と自分がどれだけ変わることができたか。社員
自覚と姿勢も含む)。(五)学びの例会の推進(自
各役員の共通理解(理事のあり方・役員としての
た永年事務局を支えられた宮川豊さんの事務局退
三年ほどで完済ができた。とても嬉しかった。ま
会のもとにおき要綱案の作成もした。同友会債を
家同友会財務特別プロジェクトチームを総務委員
く。人事もその時その時で変わっていく。
しい思い出だ。運動はさまざまな事情で動いてい
局について励ます会を有志でおこなったのも懐か
を幸せに出来るか)。
事務 局 就 業 規 則 の 作 成 か ら 財 務 改 革
振り返ると、平成六年神奈川県中小企業家同友
会就業規則の制定提案を総務委員長(私の第一回
時会費未納が約五〇〇万円あった。会費を納めな
の見直しを行い、事務局の活性化を提案した。当
会債五八〇万円についての改革に取り組み、経費
の平成一六年の副代表理事になってからは、同友
した社会の宿命と感じた。言語が違う、文化が違
慣があるようだ。
「それは侵略によって多民族化
おいては意見があわないことをベースに考える習
ンについて考えることがあった。フィンランドに
代 表 理 事 の 時 に は「 中 小 企 業 憲 章 欧 州 視 察 旅
行」に参加させていただいた。コミュニケーショ
中小企業憲章欧州視察旅行に参加して
い幽霊会員が多数いたのである。会計処理が見に
う。まずお互いをみとめあうことの第一は文化を
目の役員就任時)としてさせていただいた。一度
くいこともあって、事務局一任でなく、財務を役
尊重すること。文化は言語によって伝達される。
役員を退任し、間をおいて第二回目の役員就任後
員会が責任を持つ事になった。神奈川県中小企業
Activeに生きる
㈱ワンウィル
ワンウィルと言う会社を設立して、既に三三年
目を迎えています。
本当に時が経つのは早いです。
同友会でコミュニケーションの取り方を私は学
んだ。神奈川県中小企業家同友会はこれからもっ
同友会との出会いは、会社設立後の間もない時期
代表取締役 山本
と発展していくはずだ。そして期待される企業が
でした。経営者として右も左も分からないまま、
倍 章
従って、統一した言語とは別に、少数民族の言語
でも国家が保証する。第二、第三の語学学習が行
われている。意見が違うことがベースであればコ
ミュニケーションが必要になる。相手の意見を聞
くことと、自分の意見を持つことが求められ、教
育のなかで徹底的にそのことが繰り返しおこなわ
れているようだ。授業の中でグループワークを行
多数存在し、切磋琢磨しながら幸せな社会づくり
同友会に入会しました。
(暦年齢だけは、年を重
思い出深いこと
に貢献していくはずだ。五〇周年おめでとうござ
ねましたが、今でも右も左も分からない経営者で
うのも そ の 為 で あ る 」
います 。
はありますが…)
その当時の私は勢いのみで、失敗が多く、七転
び八起きのワンウィルでありました。そのような
中、一番印象に残っているのが、①新藤の藤澤徹
192
193
さんとご一緒にした九州旅行で勢いのある話をし
た直後、転んだこと。②全国大会で地方に行き、
石館治良さんと同部屋で夜遅くまで話し合ったこ
と。これら二つの出来事は昨日の事の様に思い出
されま す 。
ワン ウ ィ ル 経 営 理 念
する人間愛集団でありたい」
「個と全体の〝ふれあい化〟
」
」
「人間と地球の〝地球化〟
「感謝と貢献の〝社会化〟
」
私達、ワンウィルの行動基準「縁あるものに優
しく、己に厳しく、地球に思いやりを!」
根っ子 に な っ て い ま す 。
下記の経営理念が今のワンウィルの事業活動の
くないように、しっかり生きましょうねと!まさ
うのは、私達は日本人、中国人である前に、赤い
今は、中国にも工場を設立し現地法人もありま
す。そして、中国の地でお酒の席でいつも私が言
ONE WORLD ONE PEOPLE
「私達、ワンウィルはONE WORLD ONE
PEOPLEの下、人に真心で接し人間の自主性
しくONE WORLD ONE PEOPLEの精
を大切に致します。そしてその中で世界の中の日
神です。
そのような中、合宿で行った経営理念作成の勉
強会は大変勉強になりました。その時、作成した
本として、日本人であると同時に赤い血が流れる
磯 男
素晴らしい仲間との出会い
血が流れる人間です!先ずは人間として恥ずかし
地球人として、常にグローバルな視野で事業活動
暦年齢はシニアにどっぷりと仲間入りしました
が、 俺 が 俺 が の〝 我 〟 を 捨 て て、 お 陰 様 で の、
を展開し、真の意味で豊かな社会・暮らしを創造
〝 げ 〟 で 生 き ら れ る よ う に、 健 康 に 留 意 し な が ら
Activeに生きて行きたいと思います。これか
らも、 皆 さ ん ! 何 卒 宜 し く お 願 い 致 し ま す 。
㈱神座
代表取締役 神座
同友会の学びで衝撃を受ける
私の神奈川同友会入会は、一九八七年一一月で
す。
四半世紀を越えてお世話になって参りました。
五〇年史発行にあたり、このような名誉ある出番
をいただきました。入会して異業種の会員経営者
に出会い、素晴らしい仲間と切磋琢磨の中、自己
研鑚の場となりました。私なりに感謝の意味を込
めて、同友会で学んだ事と、心に残る思い出を、
三項目に分けて述べさせていただきます。お陰様
で創業三四年になります。幾多の紆余曲折を乗り
越えて参りましたが、これも偏に同友会の学びの
194
195
まりました。特に全国行事においては強者に出会
持ち物でなく社会の公器?私の学びはそこから始
公器」全財産あてて起業した会社が、なぜ個人の
強会は衝撃を与えてくれました。「会社は社会の
金儲けのためにお店をはじめた私に、同友会の勉
賜物と受け止めております。ただただ人生のため、
一八回経営指針作成部会から、神奈川同友会の確
より、神奈川全県の取り組みに移行しました。第
調に継続し、足掛け六年を経て、二〇〇一年六月
えています。片や川崎支部経営指針作成部会は順
意で書き上げた、感動と達成感は今でも鮮明に覚
人任せでなく、自身の経営たるを自身の言葉と創
「良い経営者になろう」
「良い経営環境をつくろ
とのこと。思い起こせば「良い会社をつくろう」
思っています。現在四七期作成部会に至っている
固たる学びの骨子になったことも大変うれしく
経営 指 針 と の 出 会 い
い、如何に自身が小物であることに気づきました。
若さと勢いばかりで経営をしていた、一触即発の
う」と言いながら、
明確な経営羅針盤が無いまま、
一九九四年七月、宮城県仙台で開催された中同
協定時総会で、金子和夫元代表理事が持ち帰った
四〇代が懐かしいです。
常々、神奈川同友会の会員組織率の低さは、全
国で七不思議と言われていました。
私の入会時は、
事務局移転・会員増強
たが、一二月にやっと社内発表に漕ぎつけました。
え、任期中に一︐〇〇〇名会員を目標としている
学びの中から「同友会は、どうも経営指針の勉強
会が中心のようだ」と話が始まり、同年九月から
早速、第一回川崎支部経営指針委員会の作成部会
全県でも一五〇~一六〇名位、川崎支部において
事 を お 聞 き し ま し た。 私 は 夢 で な く 実 現 す る と
が一二名でスタートしました。私は川崎支部長で
は三五名位でした。他には小田原支部と三支部の
思っています。是非みんなの創意と団結で達成さ
もあり当然の課題でありました。悪戦苦闘しまし
構成でした。会の存続発展に会員増強は永久不可
れることを期待しております。
す。「人事を尽くして天命を待つ」結果は後から
動して下さった仲間には改めて感謝する次第で
て伏せさせていただきます。勇気をもって共に行
特に五名の協力者がおりましたが、お名前は敢え
二〇〇四年一二月、とうとう事務局移転を決行、
もいいから」と励ましのラブコールを受けました
数名の仲間から、
「理事だけでも、たまの出席で
総会直前の理事会において、退任を申し出た時、
成で大役を降りることを決めていました。
六〇歳、
て頂いたと思っております。私は会員五〇〇名達
長いようで短かった年月でしたが、一五年間理
事を仰せつかり、少なからず人間成長の場を与え
退任の時
欠な活動です。五〇〇名の会員達成は私において
も大きな目標でした。会員を増やすには事務局を
移転しないと無理であると考えました。移転の目
ついてくるもの、目標は達成しました。事務局員
が、性格上、中途半端は嫌いな人間ですので、考
当ては、①神奈川県の中心地に事務局、②交通ア
をはじめ多くの会員から嬉しいメッセージを賜り
えを曲げることは出来ませんでした。改めて退任
クセスの利便性の良い場所、③広い多目的会議室。
ました事や、仲良しと喜び合ったことも忘れませ
が入り混じって心は複雑で、後ろ髪を引かれる思
承認を受けた時、正直さびしい気持ちと、達成感
最近、水口勉代表理事より、現在七五〇名を超
ん。
196
197
いで事務局を後にしたことを今でも思い出します。
申し遅れましたが、同友会にお誘いくださった
川崎支部・矢澤登会員に感謝を忘れるわけにはい
きません。終わりになりますが、神奈川同友会の
同友会と自社経営は不離一体
㈱新藤
徹
代表取締役 藤澤
はほとんど実現されませんでしたが、私にとって
が入れ替わりました。その中で当初の「入会目的」
回目の経営指針をつくりました。それは便せん四
年一九九〇年六月に先輩会員の指導を受けて第一
動の総括を報告させていただきました。そして翌
益々の発展と会員企業のご繁栄を祈念致します。
入会のきっかけ
私は一九八八年に神奈川県中小企業家同友会に
入会させていただきました。当時の代表理事はマ
ルヤ建設の宮田泰敬さん。紹介者は原織ネームの
原一衛さんでした。入会のきっかけは、名入れタ
オルのネームを繊維業界仲間の原さんにお願いし
た際、
「同友会に入ると名入れタオルの注文が沢
山取れるから入ったほうがいいよ」と勧誘された
ことでした。
(笑)
中小企業家同友会の存在は、経営上の問題のみな
枚に手書きで自分が目指したい会社の姿を表現し
早いものであれから二七年。時代は変わり、紹
介者の原さんは他界し、当時の同友会会員も大半
らず、自分の生き方や社会のあり方を考える上で
ただけの素朴なものでしたが、これが以後二五年
間続く私の理念経営の出発点でした。
最も重 要 な も の に な っ て い き ま し た 。
同友 会 活 動 の 最 も 優 れ た 点
私は他団体と違う同友会活動の最も優れた点
は、「自社の経営指針の成文化とその実践を軸に
私見を 述 べ さ せ て い た だ き ま す 。
私が二七年間の体験で得た同友会活動についての
各種書籍やパンフレットに譲るとして、ここでは
案していました。私のタオル製品卸業からオーガ
の転換と「新たな市場創造」という経営戦略を提
でしたが、この時、同友会は経営指針を軸にした
われ、市場の縮小により企業倒産が続出した時代
一九九〇年代はバブル経済の破綻から始まる平
成不況の長期化により、
「失われた一〇年」とい
経営体験報告は自社(自分)を強化する
した例会での本音の経営体験交流にある」と考え
ニックコットン製品の製造卸小売業への転換は、
「同友会とはどうゆう会か?」については様々
な議論があります。原則的な回答は中同協発行の
ています。一九八八年に入会した私は、翌一九八
この経営戦略に学んだものでした。この経緯は二
全社一丸体制の構築による「二一世紀型企業」へ
九年一二月の横浜支部例会で、それまでの企業活
198
199
〇〇五年の愛知万博(地球環境博覧会)直後に中
をさせ て い た だ き ま し た 。
クコットンによる市場創造」というテーマで報告
参考にしていただく為に全力を尽くすこと。その
の上で例会での報告の機会があれば、自社の実践
このように私にとっての同友会活動とは、まず
経営指針の成文化とその実践から始まること。そ
日々の実践の中にある
その後、二〇一一年三月一一日の東日本大震災
の翌年、岐阜で行われた第四四回中同協定時総会
準備過程が自己自身と自社の実践を深めるきっか
では第九分科会で東日本大震災復興支援としての
けになるということ。つまり同友会と自社経営は
同協の赤石義博さんが基調報告をされた中小企業
東北コットンプロジェクトと天衣無縫のオーガ
不離一体のものであり、
「同友会活動の基本は会
地球環境問題交流会の第二分科会で「オーガニッ
ニックコットン事業の展開について報告をさせて
員企業の自社の日々の実践の中にある」というも
の総括を包み隠さず発表することで会員の皆様の
いただ き ま し た 。
とりわけ機能が多様化し、細分化した最近の会
活動で、全体を統合する「環」をしっかり握りし
のです。
ないほどですが、私はそれら全てを自社の事業活
めることが、真の発展の原動力になるということ
上記以外に同友会の県、市、地区レベルの例会
や行政関係の依頼による経営体験報告は数えきれ
動をその時々に総括し、自社(自分)を強化する
を肝に銘じたいと思います。
会長)の基調講演で労使見解(人を生かす経営)
神奈川同友会の一一月の全県経営研究集会で、
田山謙堂さん(当時中小企業家同友会全国協議会
労使見解との出会い、経営指針の作成
絶好のチャンスと受け止め、またお世話になった同
友会への恩返しとして全力で準備をしてきました。
同友会がめざす
良い会社づくりへ
㈱総合環境分析
そのものと、労使見解に基づく経営実践のすばら
しさに深く感動しました。一九九〇年当時、中同
針の発表を行いました。私は社員からは、社員思
会社を設立して六年で売り上げが初期の目標の
一億円になり、一人で始めた会社も十数名になり
いの社長と映っていたようで(社長が決めたのだ
代表取締役 石渡 裕
協経営指針専任講師の吉本洋一氏の経営指針作成
セミナーに参加し、経営指針を作成し、一九九一
ました 。
い)
、そのような反応に見えました。数字を含め
同友 会 入 会
求人誌で二〇歳代の男性も入社してくるように
なり、この若者たちに会社のビジョンを示さなく
社員には、余り理解してもらえないと分かりまし
年に二〇人程度の社員を集め、一日かけて経営指
てはと考える、そのような時期に友人から同友会
た。経営指針の浸透のためにも、社員が自主的に
から悪いことではないだろう。でもよく分からな
を紹介 さ れ 、 一 九 八 九 年 秋 に 入 会 し ま し た 。
仕事をするためにも、社員教育が当社の重要な課
題だと考えました。
200
201
なくなったと連絡が入りました。海の日の第三次
五ヵ年計画発表のとき、七月の給与の遅配がある
長期経営計画は、五ヵ年で作成しています。第二
は部門計画は各部門に作ってもらっています。中
私が提案し経営指針を作りましたが、二年目から
昭和の日(総括)の年三回行います。一年目は、
当社では、経営指針のための一日を使った会議
を、海の日(方針発表)、成人の日(中間総括)
、
が集まりました。経営指針を作成してちょうど一
社員ほか三〇人の方から二︐九〇〇万円弱の資金
員に社債を訴えてみてはとの提案がありました。
れた社員から金融機関の融資が厳しいのなら、社
万円持ってきてくれました。一〇〇万円出してく
代の男性社員一人が一〇〇万円、もう一人は五〇
経営 指 針 の 全 社 的 実 践 が 社 員 教 育 の 要
次五ヵ年計画の作成の時は箱根で一泊し、全社員
〇年のときでした。社員が当社を本当に自分たち
かもしれないと社員に伝えました。翌日、三〇歳
で経営 理 念 を 作 り 直 し ま し た 。
ナーと実感しました。
私は今六二歳です。全社的な経営指針の作成と
実践で、一人一人の社員の力を引き出し、高め、
の会社だと思ってくれている、社員が真のパート
二〇〇一年当社は金融機関から貸し渋りに会い
ました。四月に二︐〇〇〇万円の融資を受けるこ
たので、融資実施を三ヵ月先延ばしにし、七月に
同友会がめざす良い会社に少しでも近づけ、五年
とになっていました。売り上げの回収も順調だっ
なり延期した融資を申し込みました。七月中旬の
程度で事業継承をしたいと思います。
てゆくのですが、私ども食料品卸売の中小企業に
をいち早く察知した大手企業は大胆な対策を講じ
しかし、この年の年末をピークに株価が下がり
始めて、崩壊の兆しが見えていました。この変化
んでした。
身もこのバブルが未来永劫に続くものと疑いませ
た。ところが参加者の誰もが驚くでもなく、私自
ゴロ合わせの途方もない数字をぶち上げていまし
で臆面もなく「二〇〇〇年二〇〇億円達成」と、
融資実施の返事もいただきました。七月の中同協
札幌総会が終わり、小樽に足を伸ばしていたとき
秋
造
に携帯電話が鳴り、総務部長から融資は実行され
地域振興に寄与する
企業でありたい
取締役会長 斉藤
横浜乾物㈱
バブ ル 最 後 の 年 に
億円まで売上を伸ばしていて、一向に危機感を感
はタイムラグがあったというか、二年後には五一
私が神奈川同友会に入会したのは一九九〇(平
成二) 年 一 月 で し た 。
ピークでした。
その後は世間で言われる「失われた一〇年」ど
ころか、
「二〇年二五年」と売上の減少に歯止め
産業構造の転換期
じていませんでした。平成三年度が当社の売上の
その前年に当社は創業五〇周年を迎え、市内の
ホテルにメーカー・仕入先・得意先の代表三五〇
余名を集めて、華々しく記念式典を挙行しました。
創業者である父親の跡を継いで私は社長就任五年
目、四六歳でした。振り返ってみれば、それはバ
当時の年商は四〇億円でしたが、私は挨拶の中
ブル最 後 の 年 で し た 。
202
203
実態が理解出来ずに、私は「未曾有の不景気」と
てゆくのですが、この時になってもバブル崩壊の
が掛からないのです。平成四年から急激に落とし
化していました。
いました。損益分岐点すれすれの所まで経営は悪
ブルは弾けないままに、身動きが出来なくなって
捉えて い ま し た 。
ではないかと。実に、この不安を取り除いてくれ
換期の中で、業界ぐるみ吹き飛ばされてしまうの
うかという根本的な問題が残されていました。転
た。カネも注ぎ込みました。気が付けば社内のバ
社はひたすら今までの延長線上でもがいていまし
この言葉はまさにカルチャーショックでした。当
ければいけない。トンネルの出口は一〇年先だ」
期なのだ。今まで走ってきたレールを乗り換えな
待っていても回復はしない。今は産業構造の転換
実に、このピンチを救ってくれたのが同友会主
催の講演会でした。「今は単なる不景気ではない、
てしま い ま し た 。
に全社的な売上減少は止められない。途方に暮れ
しかし、その部分の売上は確かにオンしているの
ル崩壊も悪い事ばかりではないな」平成七~八年
た高卒予定の生徒が押し寄せてきました。
「バブ
が蓋を開けてびっくり。大企業に門戸を閉ざされ
れ、あまり望みを持たずに参加しました。ところ
しかし、スーパーやコンビニエンスが全盛の時
代に、我々の様な中小の食品卸が生き残れるだろ
標に掲げて、更に経費節減に取り組みました。
務署が公表していた所得金額四︐〇〇〇万円を目
計上するのは望むべくもありませんが、当時の税
した。売上が年々落ちてゆく中で絶頂期の利益を
の無駄を省き、その金額が利益として計上出来ま
たバブルを一年がかりで、一つずつ潰してゆきま
されました。不退転の決意で社内にくすぶってい
「産業構造の転換期ならば社内構造も転換させ
なければならない」と、私はこの時初めて気付か
激変消滅の時代
たのも同友会主催の講演会でした。テーマは「激
で、一〇名以上を採用したところ、何と、当社の
創業以来初の売上減少でしたが、「必ず回復す
る。その前に手を打とう」と積極策に打って出ま
変消滅の時代」。今まさにそういう時代なのだが、
平均年齢が一五歳も若返りました。
「この若い人
した。既存の店舗を拡張し、新店舗も造りました。
業界の一〇社全部が潰れてしまうわけではない。
たちと一緒にもう一度頑張ってみよう」という経
した。詳細は省きますが、年間に三︐〇〇〇万円
一社二 社 は 必 ず 生 き 残 る 。
営者の責任が蘇りました。「食文化の情報発信地」
の企業理念を掲げ、
「地域にある中小企業で普通
に働くことが、素晴らしい人生の見本となるよう
わゆる三Kと言われ、若い人が働きたくない会社
この話を聞いて生き残りへの挑戦が始まりまし
た。ところが、当社は「暗い・キツイ・汚い」い
する企業でありたいと決意しました。
こと、教育・文化等の全てを含む地域振興に寄与
ゆくこと」を誓いました。地域経済はもちろんの
共同 求 人 に 参 加 し て
です。気が付けば社員の平均年齢は五〇歳を超え
な、そんな落ち着いた価値観を地域の中に育てて
ており、このままの状態をあと一〇年続ければ、
神奈川同友会五〇周年にあたり、私の入会前後
の懐かしい思い出を綴ってみました。
「 働 き 手 が 全 部 卒 業 し て 会 社 も 終 わ り か な!」 そ
そんな時に同友会の仲間から共同求人を勧めら
う思わ ざ る を 得 な い 状 態 で し た 。
204
205
経営とは継続なり
経営指針作成部会を立ち上げる
入会まもなく当時の神座磯男川崎支部長に「同
友会とは、どういう会か」を知る為にと、月例の
「県の理事会」に同席させられ、無役参加の私も
討議に参加しているうちに、同友会の歴史や神奈
様に、「一回の会合で二〇社のお客様の社長に挨
のお客様が有り、日ごろ社員に任せっきりのお客
ところ、川崎支部会員約一二〇名の中、約二〇社
かれた事から、「会員名簿」を送って頂きました
で、私の不在時に来社され、入会案内を置いて行
入会動機は、長年のお客様であるメジャーテッ
クツルミの横須賀健治社長が会員増強活動の一環
でも立ち上げる事になり、庄司さんを座長に「経
と新潟での作成部会の活動を聞かされ、川崎支部
で川崎支部に転籍され、「経営指針作成の重要性」
指針作成部会」で活躍された庄司勇さんが、転勤
ましたところ、新潟同友会で理事をされ、
「経営
バーさんから勉強させられ、感動したりしており
自 社 の 経 営 に、 そ し て 同 友 会 活 動 に 熱 心 な メ ン
孝
輔
㈱サンナイオートメーション
代表取締役 内藤
川同友会の考え方、問題点を知り、横浜支部の理
事さんとも親しくさせて頂き、現在に至っており
拶出来る会だ!これは効率が良い」と考え、全く
営指針作成部会」を暗中模索の中、有志メンバー
お客 様 に 挨 拶 出 来 る 会
不純な動機で一九九三年一〇月に入会させていた
で立ち上げました。
ます。その間、
全国行事にも数回参加させて頂き、
だきま し た 。
分だけの物にしておりました。そのような時、中
同協に「経営指針作成専任講師」が居られること
の 道 筋 は!」「 社 員、 協 力 者、 支 援 者 に は!」 と
たのか!」「将来の夢、目標は!」から始まり、「そ
まっておりました。改めて、「何のために創業し
り、これからの道筋を考えたりする事を忘れてし
いると、改めてゆっくり初心を思い出し反省した
二〇年と、まあまあなんとか継続して経営出来て
創業時、私も「夢や希望や目標」がありました
が、次々と起きる日々の問題に対処して、一〇年、
会社というボートのセンターポールを必死に押さ
あまりにも変化が激しい経済情勢に振り回され、
と一緒に作成と考えて居りましたが、
残念ながら、
をして浸透を図っております。次の段階では社員
を社員証の裏に記入し、月曜朝礼時に全員で唱和
経営計画発表会で社員に発表しました。経営指針
成で漸く人前に発表する勇気が持て、翌年からの
日のマンツーマン缶詰研修会を開き、二度目の作
二度 目 の 経 営 指 針 作 成 で 漸 く
考え、それを社員や支援、協力者に分かりやすい
え続けながらの経営が続き、今日まで未達成なの
が分かり、参加者七名で大和市のホテルで二泊三
表現で成文化する事の難しさにぶつかり苦労しま
が現況です。
この度、五〇年史への寄稿を依頼され、約二〇
年前からの事を振り返る機会を与えられ、
あれも、
会社経営には経営指針が必須
した。
庄司さんの人脈で新潟同友会の「経営指針作成
部会」のリーダー横木さん達の協力を得、三浦海
岸で一泊研修、他をやりながら何とか全員作りま
したが、出来上がった「経営指針」は人前に披露
するのがどこか恥ずかしく、殆どのメンバーが自
206
207
これもと思い出しましたが、やはり同友会会員に
なって一番の思い出は、会社経営には「経営指針」
が一番大切だと思い書かせて頂きました。社員教
育で中村多計司先生と一緒に苦労した事、神奈川
同友会活性化の為にと中同協からの度々の応援研
修を受けた事等々、あの頃が一番勉強したな!と
当時を懐かしむと共に庄司さんを始め横木さん、
持続可能な同友会で
あり続けるために
京浜産業㈱
代表取締役副会長
酒匂 雅 隆
事を思い出させて頂きました。同友会を通して教
山の気付きを頂きながら、経営を続けて来ました
弊社の社長(現会長)から交代しました。翌年か
員として参加。二〇〇五年五月に同友会の会員を
一九九四年に初代が入会、私は同友会の共同求
人活動に、二〇〇〇年から参加し始め、その後委
えて頂いた事でここまで経営を続けてこられたと
ら共同求人委員長を三年間、二〇〇九年からの副
中同協の役員の方々、そしてメンバーの方々に沢
感謝し、「経営とは継続なり」と再度の挑戦意欲
代表理事を経て、二〇一一年から代表理事。
事務局のあるべき役割
二〇〇五年頃は、共同求人の参加企業は参加費
を出していることから、
「お客様」意識で、我々
苦悩の共同求人活動
を頂き ま し た 事 、 あ り が と う ご ざ い ま し た 。
委員や事務局員はお客様の為の小間使いやボラン
ティア、特に事務局員は苦情相談員に近い状態で
参加企業参加者にも全員担当をしてもらいまし
委員全員参加による委員会の運営でした。委員、
最初に変えようとしたのは、共同求人委員会の
運営で、事務局員の自立と主体的活動と共同求人
して教育が必要であり力をいれるようになりまし
きるパートナーと考える一方で、共育ちの関係と
を成文化してからは、経営者の一人として信頼で
れていますが、二〇〇八年に事務局長が経営指針
した。
た。私にとって事務局と役員間の改善活動の基礎
た。 「同友会がよくわかる」の
入会後に購入した、
最後の頁に「事務局の位置付けと役割」が記載さ
はすべて、共同求人活動の中から始まったと思っ
動となるように、また、ぶれない判断が出来るま
設定など担当事務局員と共に活気ある共同求人活
「学生の視点に立った共同求人活動」、数値目標の
共同求人活動の理念に基づき、神奈川独自のス
ローガ ン 、
「全員参加の共同求人活動」、行動方針、
神奈川の取り組みとしては、事務局指針の目標
や今後の神奈川同友会ビジョンの目的の一致のた
て、毎月事務局で打合せや討論を実施しました。
事務局作り」を目標としました。総務委員長とし
り影響を受け難い環境を構築し、働きがいのある
ていま す 。
でかなりの苦労をしました。今では社員の六〇%
め、事務局のすべきことは、
「同友会運動のセン
事務局労働環境改善に関して、神奈川の場合、
「長期的な目標の達成を目指し、役員の交代によ
が新卒 で す 。
ター」
、
「会員増強の軸」になること。そしてその
208
209
活動を継続することが第一であることを事務局員
全員と 確 認 し ま し た 。
継続 的 な 会 員 訪 問 活 動
神奈川同友会の会員の純増率は、二〇〇八~二
〇 一 〇 年 平 均 で 三 %( 会 員 五 〇 〇 名 以 上 全 国 四
位)と決して悪くはないのですが、退会率が高く、
また企業数に対する同友会の組織率は一%以下で
あり、
「会員増強」運動の、
「強」の強化策として、
もう一つは同友会の会員さんやゲストのところ
へ直接訪問して話を聞く活動です。毎月一~二回
ほどで六年以上になりますが、例会への出席はし
ていなくとも、別の会員さんと別の会で良く一緒
にされたり、仕事上の関係があったりして、不活
動でも元気な会員さんも多いようです。一番の強
化策は例会の充実と例会への誘いです。
労使見解との出会い やはがき作戦で、新入会員よりゲストの方が多く
参加するようになりました。最近では、HP更新
一つは新入会員のオリエンテーションへの参加
率の向上です。二年後には半分以上の新入会員が
歩一歩改善していくか、そういう姿勢がやはり大
労働基準法を一〇〇%守れるような企業に…、一
も信頼できるパートナーと考え…」
、
「どうすれば
の確立、経営指針の成文化と実践、社員をもっと
入会後 の 不 活 動 会 員 の 削 減 を 目 指 し ま し た 。
参加するようになり、入会者も多くなりました。
切なのではないか」
、
「労働条件の改善について、
薄くて軽い本ですが、私にとっては重く、大き
く思える本です。まえがきの「経営者の経営姿勢
当初の目的の会員増強の強が増へと変化していき
直ちに実行できること、実行について検討してみ
夢中になった同友会
代表取締役 田中
㈱グリーンテクノ
突然社長になって
實
ました 。
ること、当面は不可能なことなどをはっきりさせ
ることが必要です」などです。非常に感動したと
同時に同友会のすごさと良さを認識した瞬間でし
た。現在も謙虚な姿勢で学び、不離一体シートで
実践状 況 を 確 認 し て い ま す 。
現在、持続可能な同友会であり続けるために、
同友会運動や組織のあり方、会員増強運動の継続、
財務的に自立し続けるべく、新たな理事会運営を
開始し て い ま す 。
入会は四五才の時でした。社長になり、川崎市
の研究会で知り合い、飲み会を定期的に行う会を
内藤孝輔さん、
川久保洋さん(故人)
、
岡崎さん(故
人)他で作りました。少しして、同友会という会
があるから見に来ないかと誘われ、二~三回参加
して真面目な会だと感じ入会しました。
創業してから二三年、役員だった私が突然社長
になり、知りたいことばかり、本音でぶつかる事
で答えが出る会として、会社を良くしたい、儲か
る会社にすべく、利益を出す為の活動が始まりま
210
211
が出来 、 大 変 有 意 義 で し た 。
先輩の中には、教えたがる人もいて基本を学ぶ事
した。悩む毎日と求めれば知ることが出来ました。
にも参加、若手の採用を進めました。当時採用の
自社商品を持ちたいと、人材確保で共同求人活動
の強み・弱みを分析し、下請けからの脱皮の為、
人達も三〇歳代の戦力になりました(当時は金子
和夫さん、神座磯男さん、内藤孝輔さん、千田好
友さん、相馬茉左子さん、庄司勇さん、常山勝彦
聞きたいと参加しました。支部の中心人物が参加
経営指針とは聞き慣れない名称でしたが、見たい、
入会二年目程(約二一年前)、川崎支部に経営
指針作成部会が庄司勇さんの講師で始まります。
より、豊かな未来を築きます」が完成しました。
「環境に優しく、お客様と心の通う最高の商品に
をすることとなりました。そして、今の経営理念
営指針作成では完成出来ず、数年後二度目の受講
経営 指 針 の 作 成 で 方 向 性 が 明 確 に
し、決算書を持ち寄ります。参加費が三万円、五
これにより会社の方向性を皆に示すことが出来ま
さん、植木育夫さん等が居りました)
。一度の経
~六回でお茶とおにぎりが出たと記憶していま
した。
くの判断基準も生まれ、人生が面白いものになり
社長は皆、個性が強く、様々な考えを聞く事で多
等で様々な人と知り合うことが出来、中小企業の
等の発表も役に立ったと思います。例会や飲み会
に向けた働き甲斐等、その度に学び、実践と課題
自らの頭の整理になりました。過去、現在、未来
い出深いです。幹事となって発表の機会も有り、
で泊まりの幹事会を行い、激論も夜遅くまで、思
いに語り合いました。会員数も増えてきて伊東等
もあり、話し合い後、鮎の天ぷらを食べながら大
現在の進む基となる方向性が生まれました。自社
継続して行かなければ良い答えを出せません。例
ぞれ異なりますが、
常識にとらわれない手を打ち、
を大切にする」事だと思います。企業環境はそれ
生き残るには最初の頃に学んだ経営指針の「初心
たのです。製造業は皆厳しく、
企業数も減り続け、
会し、
五年程夢中でした。
それだけ厳しい環境だっ
クトかも知れませんが、乾いたスポンジ状態で入
来た事だと思います。最初の経営指針時のインパ
えば、人に恵まれ、本音で語れ、学べ、実践して
めて二〇数年間、同友会に通った訳とは何かと言
た。しかし、私にとって大変役立つ会でした。改
二二年前の川崎支部会員は一〇〇名位だったと
思います。幹事会は神座磯男さんの家で行うこと
多くの人と関わる
す。バブル後で元気がない社長が集まり、一〇年
先の売上と利益の計画、経営理念、労働関係、あ
るべき姿を本音で語り、お酒を飲むのを楽しみに
ました。そして、古くは中同協定時総会等、沖縄、
会に参加せずとも、当時の熱い気持ちで同友会に
頑張りました。ここで仕事不足の中で生き残る戦
京都、富山、北海道他、参加し多くの人と関わる
籍を置き、良い会だと会費を払い続けている人も
略、現状で不足なら別仕事の柱を作る等を学び、
産業に出会い、そこに生きる地域性や特殊性を活
充実した川崎市行政を利用し、皆様と連携しなが
と同友会、川崎市の元気企業広告塔となるべく、
入会当時、若かった私も六七歳となり、川崎支
部では年配となりましたが、何かお役に立てれば
少なくないです。
同友会は好きか嫌いかと言えば面倒で嫌いでし
初心 を 大 切 に す る
かした 競 争 力 が 生 ま れ る 事 を 知 り ま し た 。
212
213
ら、これからも成果の出せる会社を目指して前進
日
吉
ターをやっている知人から、時折入会を勧められ
た。二~三年前から東京同友会の経営指針のメン
小企業にありがちな経営であった時でありまし
ンを掲げて社員にトップダウンスタイルの正に中
長中短期(一〇年・三~五年・単年度)ビション
経営基本方針(経営戦略)に落とし込む。そして
ンス良く経営軸を確立させる。その実践としての
合性(科学性・人間性・社会性)の視点からバラ
くもあります。今振り返ると経営理念を三つの整
してい き た い と 思 い ま す 。
代表取締役 橋本
㈱東邦通信システムズ
安心して働ける
幸せの感じられる
会社創りをめざして
脱サラから起業
先ずもって五〇周年の記念すべき年を迎えまし
たことに、心よりお慶びを申し上げます。また五
〇年の歴史を積み上げて頂きました先輩諸兄に深
甚なる敬意と感謝を述べたいと思います。
私と同友会との出会いは、今から二三年前にな
ります。脱サラして会社を興し八期目を迎えてい
ていましたが、まだ時間がないことと理念は自分
としての経営計画の策定、最後に社員との日々の
た頃でした。
理念経営を目指し、
自分なりのビジョ
で作って実践しているという理由で断っていまし
実践等々、それから神奈川同友会の経営指針委員
中々到達しない状況でしたが、現在においては三
解も取り入れたことや当時、成文化率が二五%に
長としてスタートし、同友会特有で誇れる労使見
た。
経営 指 針 を き っ か け に 入 会
になろうとしていることは、大変うれしく思って
五%超ぐらいになっていること、そして四八部会
丁度当時、同業者で川崎支部経営指針作成部会
委員長の庄司勇さんがおられ、新潟同友会発祥の
おります。
経営指針発表会を継続して
我が社も今年で三一期になってきましたが、一
一期目に第一回の経営指針発表会をスタートさ
経営指針を学んで作成部会を熱心に年何回か開催
されていました。庄司勇さんの熱心なお誘いで即
入会、早速経営指針を学ぶ部会に参加しながら学
びと気付きの連続の日々であったと思います。正
に水を得た魚のような状態で同友会が面白く夢中
にさせてくれたのが、ついこの間のようで懐かし
214
215
せ、第一七期の発表会は県央支部の見学例会とし
て約九〇名の参加者で開催したこと、今振り返る
と懐かしく思い出されます。今期我が社も同友会
㈱エニー
経営指針委員会の黎明期
になって参りまして、毎年毎年、経営指針発表会
代表取締役 佐々木
にお世話になり早二三年目になりました。三一期
を継続して開催して、社員と共にPDCAを回し
ていることは、会社の誇りとなっています。地域
雅
一
川崎支部の経営指針作成セミナーを受講
と共に歩む中小企業として、地域から選ばれる会
社理念実現型企業として、さらに研鑽を積み、安
神奈川同友会五〇周年おめでとうございます。
神奈川同友会は全国でも珍しく創立時の会員が一
心して働ける幸せの感じられる強靭な会社創り
に、社員と共に精進したいと決意を新たにしたい
人もおられません。私の知るところの経営指針委
たので川崎支部有志で委員会を立ち上げ、その方
した。神奈川同友会には経営指針委員会がなかっ
の後、子会社が閉鎖され神奈川に戻り起業されま
社長として出向し新潟同友会で学ばれました。そ
川崎の経営指針作成セミナーを開催した、初代
委員長はサラリーマンだった時に新潟の子会社に
でした 。
部は不定期で外部講師を依頼して一泊のセミナー
回延べ八日で定期的に開催していました。他の支
成セミナーを紹介されました。当時川崎では年三
しました。このことにより講師の経験値に関係な
ストの説明箇所、担当者を明確に決めようと提案
ある部会の事前準備の会合で時間割に添ってテキ
いました。そんなことが益々頻度を増したので、
だ理解度が浅かったのでドギマギしながら進めて
やっておいて」といった調子でした。私はまだま
ですが、それもセミナーの直前に電話がかかって
人で運営していました。委員長が時々遅刻するの
てに精通していました。当時は主に私と委員長二
作成部会の転機になった一つを紹介します。川
崎初代委員長は大変優秀な方でカリキュラムの全
経営指針作成部会の転機
介されました。最初に参加したのは全県経営研究
時、同じセミナーを受けていた方から同友会を紹
した事業計画を継続的に勉強したいと思っていた
私は平成八年川崎商工会議所の創業者セミナー
を受講した勢いで起業しました。セミナーで作成
員会黎明期の一端を紐解いてみたいと思います。
と思っ て お り ま す 。
今後、神奈川県中小企業家同友会の益々の発展
をご祈念申し上げまして、五〇年史発刊によせて
の言葉 と い た し ま す 。
集会でした。紹介者から経営指針の分科会を勧め
が委員長となり講師となって運営をしていまし
く一定のレベルを保つことが出来ました。
その後、
られました。その分科会に共鳴し入会しました。
た。私が受講したのが発足から三年目の第九期で
委員長が突如退会されましたが、詳細な時間割が
所属は横浜支部でしたが、川崎支部の経営指針作
す。テキストは中同協の「経営指針作成の手引き」
出来上がっていたので戸惑いはありませんでした。
き て 私 に「 と り あ え ず テ キ ス ト の こ の 部 分 か ら
と「労使見解」、それに委員長が新潟から持ち帰っ
た手製 の コ ピ ー 資 料 で し た 。
216
217
県一 本 化 へ の 取 り 組 み
次の大きな転機はセミナーの県一本化でした。
神奈川では新潟の概念と神奈川独自の概念が入り
混じっていました。他県でもそれぞれ独自カラー
をもっており中同協の経営指針作成の手引きに
沿っていないのが実情でした。県統一とするには
中同協に従うべきだとの意見が根強くあり、なか
なか統一出来ませんでした。セミナー会場もジプ
シーのように転々としていました。しかし、他支
部から県で一本化するようにと要望が多くなりま
した。打開策として理事会でセミナーを公開して
内容を納得してもらう事にしました。県一本化に
伴い、テキストの大幅な改定を行いました。万全
を期しセミナーのワンクルー(週一回三時間×八
回)を費やして受講者は理事だけのセミナーを行
いました。これでやっと県一本化が出来ました。
働委員会と改称)立ち上がりの古い話です。五〇
年史の片隅に記されれば幸いです。神奈川同友会
の益々の繁栄を祈念いたし筆を置きます。
業憲章の提案、中小企業活性化条例、中小企業基
本条例への数々の取り組みの中で、大きな役割を
我々中小企業は担って来ました。
悩んでいた時に同友会に出会う
私の会社、株式会社川崎中央プランナーはバブ
ル崩壊直前の一九九〇年に産声を上げ、その当時
ク、大震災と幾多の試練の中をくぐり抜けて来た
ラザ合意、バブル崩壊をはじめ、リーマンショッ
政治的変動を乗り越えてまいりました。また、プ
の五〇年間、神奈川同友会もさまざまな経済的、
一九六五年に誕生した神奈川同友会は今年で五
〇歳。まさに働き盛りの壮年期を迎えました。こ
実践を怠っていたならば、今会社は存在しなかっ
私と同友会との関わりは、この経営指針作成部
会がきっかけです。作成部会に参加せずに、また
二〇〇〇年、秋の第一三部会のことです。
ら八年後です。経営指針作成部会に参加したのは
す。私が入会したのは一九九八年。会社の創立か
教 義
以上、私の知る経営指針委員会(現在は経営労
自らが謙虚になること
㈱川崎中央プランナー
代表取締役 木村
おめ で と う ご ざ い ま す !
経営方針まではあったものの、経営理念がなく、
のです。一方、一九七五年には「労使関係の見解」
たであろうと思っています。私は社員とともに歩
神奈 川 同 友 会 五 〇 歳 の 誕 生 日
の発表、一九七七年には「経営指針を確立する運
んで参りました。経営実践の中で最も大切なこと
悩んでいた時期に神奈川同友会に出会ったので
動」の提唱をはじめ、金融アセスメント、中小企
218
219
は、自らが謙虚になること、そして情報は幅広く
耳に入れ、その中から良質な経営情報を選択し、
決断することの大切さを知らされてまいりまし
た。同友会三つの目的である「良い会社になろう」
「 良 い 経 営 者 に な ろ う 」「 良 い 経 営 環 境 を つ く ろ
う」は、二一世紀の今だからこそ輝いています。
気付きと行動を
与えてくれる場
㈱吉岡精工
優
代表取締役 吉岡
軽い乗りで役を引き受ける
また会社を継続発展させる源は、家族を大切に
することと思っているのです。今後も、神奈川同
友会の未来への、さらなる発展を希求して、お祝
当時の担当事務局員は給前祐介さん。部会長はマ
目で青年部会長をお受けすることになりました。
「 同 友 会 に 入 会 す る と 漏 れ な く 役 が つ い て 来
る」と先輩経営者から教えを賜り、入会から三年
一心で 同 友 会 に 入 会 し た の で す 。
会で報告され、その座長をお引き受けし、
「目ま
(笑)
。タイジの堀江裕明さん(当時常務)が分科
こなすことに必死で内容はよく覚えていません
れたのですが、実はこの青全交については、役を
弘さん。青全交は若手経営者の集いという趣旨か
いの言 葉 と い た し ま す 。
私が同友会に入会したのは一九九七年一二月
(当時三四歳)
、
同じ製造業の仲間に声を掛けられ、
例会に参加し同友会を知ることになりました。入
会当時の事務局長は宮川豊さん。
事務局員として、
遠藤博之さん、上野貴之さん(現事務局長)
、野
澤奈々子さんといったメンバーだったと記憶して
います。当時、自社の業績はまずまずでしたが、
決して社内の対人関係は良好ではありませんでし
ルヤホームの宮田彰久さんでしたので、軽い乗り
ぐるしい一日だった」という印象だけが残ってい
た。同友会に入会し少しでも改善できればという
で引き受けてしまいました(笑)。青年部会では、
ます。
全国の経営者との出会い
ら、青年部会長である私が副実行委員長に任命さ
〝家族同士のつながりを大切にしよう〟とのス
ローガンから、バーベキューや餅つき大会、ソフ
トボールやボーリングなどを企画し、家族同士楽
しく交流しましたが、実際には家族への償い企画
だったように思います…(笑)。
さて話は変わり、私が同友会に最も魅力に感じ
ていたことは、全国の経営者との出会い、そして
その経営者の会社を訪問し経営を学ぶことでし
た。二〇〇一年、北海道同友会設営で開催された
ド社長の木野口功さんの講演を聞きました。木野
神奈 川 青 全 交 の 経 験
そして青年部会長二年目の二〇〇一年に神奈川
の地で青年経営者全国交流会(青全交)が開催さ
口さんの講演はまさに「社員と共に育つ」をテー
中同協定時総会では当時の札幌支部長、アイワー
れました。当事の実行委員長は東立機工の阿部法
220
221
魔し、社員ともども色々なことを学ばせて頂きま
れました。その後も加藤さんの会社に何度かお邪
確執を乗り越えられ、会社が成長する様子を話さ
テーマで、先代と一緒に歩んできた古参社員との
の転換」というテーマは自社の課題にぴったりの
加しました。「下請け体質から自立型企業体質へ
イベックス社長の加藤明彦さんの見学分科会に参
そして二〇〇二年、愛知同友会設営で開催され
た中同協定時総会では、当時の名古屋支部長、エ
至った の で す 。
後、札幌市内にあるアイワードを訪問することに
員が育っていく様子を中心に話をされました。直
マにした内容で、会社での日常的な出来事から社
も同友会と成長を共にする企業が増え続けること
動を与えてくれる場だと思っています。これから
ず、そして道を踏み外さないよう常に気付きと行
どんなに立派な経営者でも道を踏み外すことは
多々あります。同友会の存在は、一人で思い悩ま
たのではないかと自負しています。
社の経営に対し粘り強くここまで来ることができ
粛していますが、この経験があったからこそ、自
年間でした。今では諸事情により同友会活動を自
えています。経営は人。そして、その人と関わる
礎、人間としての礎ができた四年間であったと考
つかりました。この四年間は、私にとって経営の
二〇〇五年度から四年間に亘り横浜支部長を仰せ
が四七歳、活気がなく新しいことにチャレンジし
ることに気付きました。第一は、当時の平均年齢
致命傷になりかねない大きな問題点がいくつもあ
してしばらく当社の実情を客観的に分析すると、
社員に危機感は全くありませんでした。私は入社
を願っています。
ことの大切さ、楽しさ、難しさなどを思い知る四
した。
同友 会 の 存 在 の 大 き さ
そして全国のすばらしい経営者の影響を受け、
経営者としての在り方を学ぶ
タイジ㈱
裕 明
がおらず、自ら開発する能力がなく協力業者に丸
代表取締役 堀江
よう!現状を変えていこう!という機運が全くな
いこと!第二に、本業以外に飲食店舗を三店経営
し、全て人任せで赤字を垂れ流していました。第
私と同友会の出会いは今から一七年前、当社の
常務取締役に就任し、本格的に経営者として歩み
投げ状態でした。第四に、本業の業績も表面上黒
自社 の 問 題 点
だした頃です。私は一九九三年に結婚を機に家内
字の決算を分析してみると、実際は赤字でなおか
三に、ファブレス型のメーカーなのに開発技術者
の父親が経営する当社に後継者として金融機関か
つ不良資産が山のように積みあがっていました。
経営指針作成からの改革
そんな大きな危機感の中で同友会に入会し、経
営指針作成部会に参加しました。何のために経営
ら入社しました。当社が丁度設立三〇年目の年で
した。世の中は一九九〇年のバブル経済が崩壊し、
そ れ までの 右 肩 上が りの 経 済 成 長 が 終 わ り を 迎
え、混沌とした時代に突入していました。しかし、
当社は外食業界を中心とした会社を顧客にもち、
比較的に安定していたせいか、当時の役員はじめ
222
223
経営指針書として、新年度の経営方針発表会の場
回ほどの宿泊研修を行い、会社幹部も含めた形の
改めて当時の幹部社員一〇名程を巻き込んで、三
て発表したらどうだ!と言われました。そこで、
の番頭さんである専務から、当社の経営方針とし
経営方針を立てる立場になかったのですが、当時
成させました。しかし、自分は常務になりたてで
表現できず、苦心の末、自分なりの経営指針を完
もいざ文章に落とし込むとなると一字一句が中々
の戦略など、日頃理解していると思っていた課題
会社の問題点、一〇年後のあるべき姿、そのため
しているのか?の問いかけから、経営理念の構築、
るそんな社風が徐々に出始めました。
面でも徐々に改善され、社員が自ら動き、提案す
人任せにはしない。これらを徹底した結果、業績
ることは出来るだけする!決して丸投げのような
した差別化を社員と一緒に考え、自分たちで出来
商品面、サービス面、営業面で同業他社との徹底
化していくか?価格での勝負はしない!と決め、
おいて、ローテク、単一機能の商品をいかに差別
変化が表れてきました。戦略面でも、成熟市場に
いく参画意識、仕組みを取り入れ、徐々にですが
給与制度、人任せではなく自らが会社を良くして
商品開発に投資し、やったら報われる評価制度、
員もいましたが、外食事業から撤退し、人材採用、
が積極的に海外安全規格の認証も取得し、アメリ
場へ積極的に進出し、他に依頼することなく社員
少し前から、縮小する国内市場を見越し、海外市
は抵抗も大きく、中には辞める社員も抵抗する社
方、社員との関わりを含め常に気付きを与えてく
からの課題ですが、同友会は経営者としての在り
め、世の中の変化にいかに対応していくかがこれ
ました。私は社長として常に客観的に自社を見つ
リーマンショックを機に国内景気が後退し、売
り上げが著しく減少する危機に見舞われた時も、
海外市場への進出
を設けて発表しました。そこからが戦いの始まり
でした。やはり一番大きな課題は社員の意識の変
革です。現状の問題点、課題を共通に認識し、目
カはじめヨーロッパにも幅広く輸出し、現在では
れる素晴らしい場であると思います。これからも
的を理解し目標を設定し、それに向かって変革し
五五か国にまで広がりました。新商品開発でも、
末永くよろしくお願いいたします。
ていくしかありません。現状を大きく変革するに
デザイン面、半導体の新規技術など、社員が積極
的に習得し、毎年新商品を地道に開発、発売を続
けてい ま す 。
客観 的 に 自 社 を 見 つ め て
振り返りますと、社員を巻き込み一七年間、毎
年経営指針を社員と共に作成し、社内発表を続け
ることで、目的・目標を社員と共有化し、自ら考
え行動する社員が徐々に増えてきた結果、今日が
あると思います。昨年設立五〇年を社員及び社員
の家族でお祝いをしました。一〇〇周年に向けた
新一〇年プロジェクトを社員と策定しスタートし
224
225
究極の目的
㈱バニーフーズ
年半というのに経験させて頂きました。
入会直後、
中同協前会長の赤石さんの連続講座に参加できた
こと、県主催で初回の経営指針作成部会に参加す
るなど、えらい勢いで同友会を受け入れ「鉄は熱
いうちに鍛えろ」のようでした!
い準備会もありましたが、なんとか二〇名で二〇
千葉同友会元代表理事の相澤友夫さんと四〇年
以上のお付き合いがあり、かなり前から同友会の
〇三年五月に県南支部が誕生しました。その年一
良 治
事を聞いていました。友人であった真喜志康正さ
一月には出来たばかりの支部で経営研究集会を開
代表 高橋
んが仕事の件で相澤さんと相談して先に入会しま
催したのも勢いでした。地産地消をテーマに、内
二〇〇二年、県南支部の立ち上げに参加して、
給前事務局員と斉藤英夫さんの三人しか集まらな
した。二〇〇〇年、自然の流れで私も入会しまし
容も懇親会の食事にも力を入れて大好評でした。
県南支部・障害者委員会(福祉部会)の設立
二〇〇三年、同友会の紹介で障害者雇用を始め
たことで会社も私の運命も大きく変えました。
た。人間的に尊敬してやまない相澤さんの存在が、
この素 晴 ら し い 道 を 作 っ て く れ た と 思 い ま す 。
湘南支部は、「全員が幹事・県の理事」、が倉田
富雄元支部長の方針です。私は入会一年で県の理
事になりました。当時、宮川事務局長が私を色々
と報告者に仕立て上げ、全県行事や地区例会、そ
た。三年後には、この運動を大きく広げる為に障
部会」の名称で二〇〇八年七月に設立されまし
頭になって頂き、障害者関連の方を中心に「福祉
なってもらった障害者施設長の林美代子さんに先
脚 で 二 〇 〇 七 年 か ら 準 備 を 開 始 し ま す。 会 員 に
づくりを意識します。ここでも給前さんと二人三
いました。世の中・経営・暮らしを良くする運動
は何故か?どうにか出来ないだろうか常に考えて
赤字経営が多いのは何故か?商店街が無くなるの
私は当初から、自分の為だけではなく経営環境
を変える活動として捉えていました。中小企業の
で必死に食らいついていったように思います。
り、求めていたものがここにあると思いましたの
障害者雇用に強く意義を感じて、障害者委員会
害者問題全国交流会を開催したいと手を上げ、二
として同友会の考えが自分にぴったり合ったと思
〇一三年一〇月、念願の交流会を皆さんの熱い思
います。
してなんと千葉の経営研究集会の報告者に入会一
いが結集して、七〇〇名の参加で大成功となりま
した。
た。ほとんど休みなしで働いていましたので疲れ
ちゃくちゃな状況で経営に悩み苦しんでいまし
にいました。当時の赤石会長がまとめの挨拶で、
したのですが、頭が真っ白になり、一言も話せず
二〇〇三年、中同協の第一回役員研修会に参加
しました。二日目は体調が悪く、グループ発表を
中同協第一回役員研修会
果て、友人には「幽霊が立っている」と表現され
「この役員研修会は高橋さんの無言が成功であっ
入会したばかりの時に、湘南支部の西幹雄さん、
小林康雄さん、故武田安正さん、先輩経営者のア
ていました。同友会には藁をもつかむ気持ちで参
たと思う」と言って頂いた、あの思いやりの言葉
ドバイスが有難い想い出です。当時は、会社もめ
加していました。そこには解決のヒントが沢山あ
226
227
です。
さんと出会えた事、書かれた本は私の貴重な財産
に感動し感謝したことを今でも忘れません。赤石
きたか忘れています」
お山の大将になってしまう!…何のために登って
二〇〇五年春、当時の宮川豊事務局長(相模原
支部担当)の推薦で経営指針作成の機会を与えて
足元を見直し、未来を見通す経営指針
温かく育ててくれました。
部はアットホームな雰囲気で、経営者見習の私を
自宅に近い相模原支部に所属しました。相模原支
らの活動が多いこと、仕事と家事の両立を考え、
に圧倒され、即入会しました。仕事が終わってか
二〇〇二年の全県経営研究集会(川崎)に初め
て参加し、基調講演の中同協・鋤柄修会長の熱弁
れました。
オンザウェイの野中元樹社長から同友会を紹介さ
ないまま、どうすれば良いのか悩んでいた私は、
あるものの、会社経営について深く考える機会が
同友会の究極の目的、安心して暮らせる世の中
を皆さんと作っていきたいと思う毎日です。
そのような話を聞いて、まだまだといつも奮い
立たせ、学び続けています。
経営の勉強もせずに、まったく我流でその日暮
らしの経営でした。社員にも周りの人にも随分迷
惑をかけていました。同友会に入会して経営指針
を作り実践してきました。その中で自己変革する
事が一番大変でしたが、ワンマン経営から社員の
幸せを 求 め る 経 営 に 変 わ っ て き ま し た 。
究極 の 目 的
「経営者が勉強をして会社が変わるのは一〇年
かかる ! 」
「富士山を目指していたのに、樹木に覆われて
山頂がみえません。小高い丘に登ってそこまでの
険しい道に疲れ、そこが目的になってしまいます。
登ってきた道を見下ろし、出来上がった自分に…
今後のミッションは
仲間づくり
㈱栄港建設
専務取締役 岡野 美紀子
全県 経 営 研 究 集 会 に 参 加 し て 入 会
バブル経済崩壊、失われた一〇年、世紀末など、
ネガティブな言葉が陣取っていた頃、弊社は特化
して行くことで「建築家との家づくり」の分野で
その時に私に課せられたミッションは、人材育成
いただき、第二六部会に参加し、同期の仲間やメ
トップランナーになる、新事業「アヘッド」で自
の仕組み、組織、経営者としての自覚です。創業
ンターの助言でわが社の指針書ができました。自
社の強みを打ち出す!という目標を立てました。
から経理総務として関わり、自社への思いは深く
228
229
来を見 通 せ る よ う に な っ た と 思 い ま す 。
いき、毎年の指針書見直しは、足元を見直し、未
動努力は、会社経営を改善し、内なる力を育んで
した。経営指針に記したことを実現するための行
営者として立つという使命感を持つようになりま
分の言葉で会社理念を示すことにより、自分が経
い女性経営者との出会いと実践活動報告から女性
のメッセージに励まされました。全国各県の力強
点と社員の育成」で会社を発展された大先輩から
また文化堂の後藤せき子会長(当時)にもご講
演いただき、女性経営者ならではの「生活者の視
おうと広報誌
「Vividly」を発刊しました。
活用の可能性を強く感じ、自社の新しい事業に繋
がっていきました。
ときの安らぎをお届けできたことが救いとなりま
れたての「神奈川同友会女性部会」を知ってもら
た。何かやらなければとの思いから、まずは生ま
女性部の連帯感と組織力に刺激を受けて戻りまし
子代表の美しく心に響く挨拶、東京・大阪同友会
に参加しました。中同協女性部連絡会の糸数久美
う!」と一緒に大阪での女性部連絡会一泊研修会
に、 初 代 の 阪 井 サ ヤ カ 会 長 か ら 「 他 県 か ら 学 ぼ
二〇〇六年は「女性部会」が設立されました。
目的も方針も分からぬままに副部会長になった私
意識高い若手経営者が増えたことは神奈川の可能
える神奈川同友会においても大きな自信になり、
溪園は明るく暖かく、お越し下さった方々にひと
正直今でも悩んでいます。三月一三日(日)の三
安全を確認した上で開催決定を判断しましたが、
だったので、開催の是非を問われました。会場の
をした茶会でしたが、あの東日本大震災の二日後
(サクラ会)は忘れられません。一年かけて準備
ますが、特に二〇一一年三月、三溪園でのお茶会
い仲間たちとワクワクたのしく活動を継続してい
女性 部 会 の 活 動
した。茶券の売上を被災地へ寄付いたしましたが、
性を感じます。同友会で得られた多くの学びと素
二 〇 〇 八 年 よ り 女 性 部 会 長 を 引 き 継 ぎ、
「KDWOMEN」 と 命 名 し、 今 日 ま で 素 晴 ら し
事務局はじめ多くの仲間の存在があったから実現
晴らしい出会いへの感謝の気持ちを、今後は「仲
い致します。
う!そう思っています。これからもよろしくお願
間づくり」をミッションとして汗をかいていこ
できた こ と な の で す 。
神奈 川 全 研 の 実 行 委 員 長 と し て
振り返ると色々な場面で多くの仲間に支えてい
ただきましたが、第四五回中小企業問題全国研究
集会in神奈川(全研)では強く実感しました。
実行委員長として「神奈川の仲間をどう巻き込ん
でいけるか!」を水口勉・小林雅人両副実行委員
長と考え、分担して各支部・全国大会を回りまし
た。実績もなく頼りない実行委員長を委員会のメ
ンバーが全力でサポート下さり、その輪が次第に
大きくなり繋がっていくことに前へ進む勇気をも
らいました。全国から一︐二〇〇名の経営者が集
い、学び合う全研の成功は、五〇周年の節目を迎
230
231
次の人生ステージへ
㈱セルタン
幹事指名を受けて
二〇〇四年二月、県央支部入会と共に私は同友
会の組織に組み込まれる事となりました。当時県
央支部の女性会員が少なく、事務局や支部幹部の
中で県央支部初の女性幹事誕生を画策?していた
て 」 と 同 友 会 で 言 わ れ て も「 夢? 夢 を 思 わ な く
りに追われる自転車操業状態。「経営者は夢を持
び、夫 の 一 言 の 重 要 性 に 思 い 当 た り ま し た 。
が、その後、同友会理念の自主、民主、連帯を学
珍しい」私はその時深く考えていなかったのです
資金を受けていない独立した会だ。この様な会は
に記憶に残っています。「この会は、何処からも
ターネットで検索。その時夫の一言が今でも鮮明
同 友 会 の 知 識 皆 無 の 私 と 夫 の 二 人 で、 早 速 イ ン
「同友会に入会しませんか?」二〇〇四年、知
人より入会の勧誘を受けた時、「同友会って何?」
改善のために不退転の決意で臨みました。小川正
所にアドバイスを求めて飛び込んだ事です。財務
資料を手に、県央支部会員の小川正人税理士事務
の経営状態は最悪で、経理担当の私は毎月資金繰
それからは神奈川県初の女性支部長、女性副代
表理事を経験させて頂きました。入会当時、会社
決方法を勉強出来たと思います。
り合う事が出来、経営に対する考え方や、問題解
けた事により、短時間で同友会の会員の方々と知
と、有無を言わせない幹事指名を訳も分からず受
幹事を務めさせて頂きました。振り返って見ます
なって久しい!」と例会アンケートに書くような
人先生は、当時当社の顧問税理士ではなかったの
幸 子
状況でした。同友会の行事に積極的に参加してい
ですが、快く相談に乗って下さいました。それか
前常務取締役 田波
ようで、私と、同時期入会の中野千恵子会員が入
会数か月で幹事指名を受ける事になりました。二
ると、同じような経営危機を切り抜けた貴重な体
ら数年間は、時には金融機関とぎりぎりの交渉を
同友 会 っ て 何 ?
験の報告を聞く機会も増え、今何を行うべきか?
経たりしながら、あらゆる手段を講じて財務改善
〇一五年五月に退会するまで一一年間、県央支部
打つ手は何か?真剣に考える機会が増えました。
に努め、何とか安定した財務内容に成ることがで
きました。二〇一五年の年初に、五月末退職を決
心しました。長年お世話に成った同友会は、私の
経理として打てる手を全て打つのは今だと確信。
た。会社の財務内容が好転し始めた時、兎に角、
は次の世代に引き継がせられないと思っていまし
状態が悪かった時期、とてもこの様な財務内容で
社長の経営手腕により、会社の経営状態が五~
六年前より徐々に好転してきました。会社の経営
た、手作りの同友会卒業証書でした。この様な形
皆さんの温かい気持ちのこもった言葉で語られ
贈り物を頂くことができました。それは幹事仲間
出席した時、幹事の皆様よりサプライズの素敵な
人生ステージに立つ思いでした。最後の幹事会に
た。同友会を退会するのでは無く、卒業して次の
財務 改 善 の た め の 不 退 転 の 決 意
最初に行動したのは、財務の現状、積年手がつけ
で同友会を巣立つ事が出来た私は、本当に幸せ者
後任の経理部長に引き継いで頂くことにしまし
られなかった問題点、あるべき会社の姿を書いた
232
233
だと感謝しています。最後になりますが、神奈川
県中小企業家同友会の今後益々のご発展を祈念し
同友会の
「役割」
が学びの場
を考えるようになりました。そしてその後すぐに、
ていました。独りよがりの経営から「組織経営」
課題」はその後の経営を考える大きな意味を持っ
どが入っていて、テーマである「わが社の現状と
料になるような項目、例えば「将来の組織図」な
経営指針(その時は存在すら知らなかった)の材
チベーションをあげてみたり、委員長最後の年に
堅」という言葉に変えて、参加社員さんたちのモ
実行委員と一緒につくり、「一般」という研修を
「中
く、
「二年 目 研 修 」や「三年 目 研 修 」を 事 務 局や
入社員研修」や「フォローアップ研修」の後に続
き ま し た。同 友 会 入 会 後、初の大 役 でし た。
「新
て大きな挑戦でしたので、快く受けさせていただ
ていま す 。
㈱ジャパウイン
勉
代表取締役 水口
きっかけは地区例会の報告者
同友会は私に「役割」ということで、学びの場
を与え続けてくれています。二〇〇〇年三月に入
会して一五年ですが、
最初の二年間は
「幽霊会員」
でした。
二年間で数回の例会しか参加しておらず、
「学び」とは程遠いものでした。最初にきっかけ
を 頂 い た の は「 地 区 例 会 」 の 報 告 者 と し て の オ
ファーでした。
小さな地区例会でしたが、
オファー
を頂けたのが嬉しくて(何か経営者として認めて
もらえた様な喜びを感じました)
、一生懸命レジ
経営指針作成部会を受講することになり、素晴ら
皆で協力した「幹部社員研修連続講座」は思い出
メを作成したのを覚えています。
そのレジメには、
しい経営者の方々と毎週「経営の道場」で学び合
深く、また自社にとっても重要な研修になりまし
組織経営を学ぶ支部運営
そしてまた同友会は大きな「チャンス」をくれ
織経営」は出来ていない状態は続きました。
なか困難で、
最初の報告したころに思い描いた「組
ていました。そうは言うものの指針の浸透はなか
の浸透を幹部社員と共に行い始めた時期も重なっ
た。新卒を採り出したのと並行して、
「経営指針」
いまし た 。
経営 指 針 の 浸 透 と 社 員 教 育 委 員 会
人間性 社会性 科学性の「ベクトル」と初め
て遭 遇した 瞬 間でした。
「 人を生かす 経 営 」を学
大 変 躊 躇 しましたが、
「 社 員 教 育 」 は 自 社 に とっ
にその頃、支部幹事という重責を担っていた私は、
員教育委員会」の委員長という役目でした。すで
び 始 め た 私 が、 次 に きっか け を 頂いたのが、
「社
⇔
234
235
⇔
ラッキーでした。支部長の二年間は、幹事個々の
筆頭副支部長という役柄で学ぶことが出来たのも
らの推薦もいただき、一年間はその支部長のもと、
した。大きなチャンスでした。幸い、前支部長か
織経営」の学びになるのではないかと思っていま
支部をまとめていかなければならないので、「組
でした。私は予てから、支部長というのは一つの
ました。「支部長」をやってみないかというもの
して成功させました。
ことをやり遂げました。一年以上前からの準備を
オプショナルツアーの企画など、ありとあらゆる
になり、グループ討論や分科会の設営、懇親会や
しない「学びの場」でしたが、実行委員会が一つ
イベントでした。正に「組織」で動かないと成功
同友会から一︐二〇〇名という会員を集めての大
珍しく自ら手を挙げました。地元神奈川と全国の
の副実行委員長という立場を与えてくれました。
その昔、同友会入会前、一経営者でありながら、
独りよがりで自分勝手なことしかやれなかった私
「人を生かす」の深い学び
「 役 割 」 を 定 め て「 組 織 運 営 」 を 強 く 意 識 し ま し
た。トップダウンで行う場面、合議で決定する事
項、すべてを細分化して運営をしていましたが、
ら、同友会というところは「失敗」からも多くを
には考えられないほどの達成感でした。同友会で
学べる会だということを強調したいと思います。
学んだ、
或いは未だに学んでいること、
それは「人
説明不足が原因で随所に機能が破たんしました。
そ の 失 敗 か ら 数 年 が 経 過 し て、 ま た も 同 友 会 は
を生かす」でしょう。最終的にはどうしてもここ
これも多くの事を学んだ瞬間でした。しかしなが
「 チ ャ ン ス 」 を く れ た の で す。 そ れ は 二 〇 一 五 年
にたどり着きます。深い学びです。私は現在、代
妃
世子
川崎に同友会活動を広げて
三月に開催された「中小企業問題全国研究集会」
表理事の一人です。もっと素晴らしい方々がたく
さんいる会の中で、本当に重責です。しかしなが
㈱スタックス
らこの立場で一生懸命やり切ることが、自社の経
営や経営者としての私の大きな学びになることを
代表取締役 星野
神奈川同友会五〇年史の発刊おめでとうござい
ます。
入会のきっかけ
信じて 実 践 し て い き た い と 思 い ま す 。
最後に、会員企業それぞれの繁栄、我々が暮ら
す地域社会の繁栄、そしてそれによって築かれる
平和な社会構築のためにも、神奈川同友会がさら
に発展していくことに微力ながら貢献していくこ
とをお 約 束 し た い と 思 い ま す 。
この五〇年という歴史ある会の年史に掲載いた
だける事を誇りに思います。私と同友会との出会
い は、 川 崎 支 部 重 鎮 の お 三 方 で サ ン ナ イ オ ー ト
メーションの内藤孝輔社長、グリーンテクノの田
中實社長、リード技研の小川登社長からのお誘い
によるものでした。何も情報がなく、
「面白い会
があるから」という言葉に誘われるまま支部例会
と全県経営研究集会に出席して皆様の経営活動に
236
237
対する熱い思いや学び・気付きに対する真摯な姿
が、自分の経営に対する迷いでした。そのような
は同友会入会のきっかけとなったもう一つの理由
作りませんかという言葉に強く惹かれました。実
員から「経営指針作成部会」で一緒に経営指針を
という新たな挑戦である障害者雇用をはじめまし
風土がないという事実に驚き、ゼロから教育する
をして、自分たちで自発的に改善するという文化
社の生産ラインの教育が先輩の教えた通りに仕事
経営指針を作成して自社の強みや弱みを知って
特に社風づくりの大切さを痛感しましたのは、弊
障害者雇用をはじめて
ときのお誘いでしたので、是非にとばかり経営指
た。そのきっかけが障害者問題全国交流会in神
針作成部会の三六部会に参加しました。三六部会
奈 川 に 参 加 し て か ら で す。 そ し て い つ も 経 営 に
勢に感動して思わず「会員になります!」と宣言
は、九人参加者の内、何と六人が女性経営者で男
迷ったときは経営理念に立ち戻り行動を起こす事
している自分がいました。そして、同期の女性会
性経営者は三人という構成でした。現在、経営指
にしています。
ビジネスリゾートの取り組み
針作成部会は四七回になりますが、過半数以上が
女性経営者で占めるということは過去にもなかっ
たと思います。三六部会は宮田雅章委員長最後の
部会で、その後は中村暢宏委員長から渡辺学委員
長と変わる中、先輩受講生として継続参加し、毎
一方、所属の川崎支部の取り組みに「ビジネス
リゾート」という会員企業のビジネスマッチング
いくらいにPRをして全ブースが埋まった時は感
動を会員で手分けして、何度もお邪魔してしつこ
して参加者を集めるため、他支部の例会でPR活
入ることになりました。展示ブース出展者を募集
でしたから、当然ながら私も実行委員メンバーに
想と、新会員の仲間づくりということが活動目的
ら、もっと会員同士が深く交流するにはという発
士が具体的な仕事内容が分からないということか
に始まったイベントで、例会で隣り合った会員同
あげるという活動があります。私の入会と同時位
議」に神奈川同友会川崎支部長として参加できた
よる「川崎市中小企業活性化成長戦略条例策定会
なります、川崎商工会議所の山田長満会頭座長に
す。さらに、二〇一六年四月に制定されることに
されているということによるものと思っていま
これは神奈川同友会の活動が川崎市において注目
館を全館貸切りとなる開催は二回目となります。
〇月九日に開催しましたが、川崎市の産業振興会
ト活動です。
「ビジネスリゾート二〇一五」は一
が、やはり印象に残っているのはビジネスリゾー
にという推薦で三年間務めさせていただきました
回新た な 学 び の 機 会 を 得 て い ま す 。
激でした。お蔭様で他支部との交流も深まり、他
ことは同友会活動の目的の一つであります、良い
をベースにした展示会を会員企業が手作りで創り
支部と合同例会という活動に一役を担ったのでは
経営環境をつくるという活動の一環として川崎市
がら積極的に活動して参りたいと思っています。
見つけ出し、同友会活動の未来に向かって微力な
のヒントを同友会経営者仲間と同友会活動の中で
ております。これからも、自社の経営活動に沢山
に同友会活動の足跡を残せたのではないかと思っ
ないで し ょ う か 。
それからまもなく水口勉支部長から川崎支部長
川崎 支 部 長 と し て
中小 企 業 振 興 条 例 制 定 へ 向 け て
238
239
付録
)年
付録 (一)年表
1956(昭和
1957(昭和 )年 3月
神奈川同友会・中同協のできごと
中小企業団体法等反対連盟結成
11
12
19
26
1961(昭和 )年
)年
日
日
月 ・ 日
月
月
月
11
月
月
月
月
月
神奈川・日本・世界のできごと
全国中 小企業 等協同組 合中 央 会
( 全国中 央
会)
発足
日
日本中小企業政治連盟
(中政連)
発足
中小企業団体法期成同盟結成
日
日
日
日
日
中 小 企 業 団 体の組 織に関 する法 律
(中小企
業団体法)
公布
19
1
月
日本中小企業家同友会
(現東京同友会)
創立
総会
(中小企業家同友会の起点)
全国中 央 会、全国中 小企業団体 中 央 会
(全
国中央会)
改称
9
日
25
月
8
年
)
月
中小企業基本法成立
( 月 日公布・施行)
20
日 本、IMF8条 国 に 移 行
(
「資本自由化」
方針)
7
日
全国商工会連合会
(全国連)
創立
4
第 次日本中小企業 家訪中 代表団派遣
(訪
中団、以後、第 次まで継続)
11
月
関西中小企業同友 会
(現大阪府中小企業家
同友会)
創立総会
日
9
日
月
6
1958(昭和 )年
日本・関西両同友会合同懇談会(箱根・「箱
根会談」)
9
1959(昭和 )年
9
第 回全国中小企業家同友会代表者会議
(熱海・以後、第 回まで継続)
4
7
名古屋中小企業家同友会
(現愛知中小企業
家同友会)
創立総会
25
(
「貿易自由化」
日本、GATT 条国に移行
方針)
3
3
福岡県中小企業家同友会創立総会
28
9
日
12
33
4
1962(昭和
1963(昭和
11
34
月
10
11
4
36
240
241
4
3
37
1
2
7
4
31
32
38
付録
1964(昭和
1965(昭和
)年
)年
月
月
神奈川同友会・中同協のできごと
第 回日中貿易促進研究懇談会
神奈川同友会創立総会
( 横 浜・
「ハーバー
ビュー・ホテル」
)
日
日
日
月 ・ 日
日
日
日
日
回全国代表者会議
全国中小企業家同友会連絡会議(大阪)
中小企業家同友会第
(熱海)
京浜地区中小企業・下請業者危機突破集会
第 回全国代表者会議(別府)
横浜貿易協同組合結成
神奈川同友会第 回定時総会
坂田和恒常任理事死去
(全日空事故)
中小企業危機突破全国大会
(東京)
第 次訪中団出発
( 月 日帰国)
回定時総会
(湯河原・
「岩
月
月
日
日
神奈川・日本・世界のできごと
(第 次)
佐藤栄作内閣成立
東海道新幹線開業
東京オリンピック開幕
米軍、北ベトナム爆撃
(北爆開始)
山陽特殊鋼、会社更生法適用を申請
政府、山一証券への日銀特別融資を発表
日産自動車、プリンス自動車工業と合併覚
書調印
(自動車業界再編成)
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
(第 次)
佐藤栄作内閣成立
津田文吾氏、
(内山岩太郎氏に代わり)
第
代神奈川県知事に就任
神奈川県座間市で米軍による暴行事件
戦後初の赤字国債発行を閣議決定
日韓基本条約調印
日
1
日
日
日
日
月 日
月
月
月
月
月
月
月
月
神奈川同友会第
田」
)
月
月
月
月
月
資 本 自由化開 始
(以後、第 次 自 由 化を経
て1973年に 業種を除いて完全自由化)
2
月
月
日
日
日
月 ・ 日
月
神奈川同友会第
陽館」
)
回定時総会
(湯河原・
「光
全国中小企業家同友会連絡会議
(大阪)
根岸湾埋立地払下げについて飛鳥田市長と
懇談
労務対策研究会・横浜地区会
「ハ地区」払下げの公募条件について市長・
市会に陳情
横浜市議会議長に陳情
共進会工業協同組合創立大会
湘南地区会結成
第 回全国代表者会議
(京都)
「中小企業経営者の健康管理」
研究会
回定時総会
(湯河原・
「光
第 回全国代表者会議
(名古屋)
神奈川同友会第
陽館」
)
EC
(欧州共同体)
結成
公害対策基本法公布
中 小 企業 近 代 化 促 進 法 改正公 布
(指定業種
の構造改善促進)
大気汚染防止法・騒音規制法公布
消費者保護基本法公布・施行
(東南アジア諸国連合)
発足
ASEAN
4
)年
)年
県制度資金について知事・各党県議団に要
請書提出
22
「箱根物産の振興をはかる会」
発足
6
1966(昭和
1967(昭和
9
19
経済講演会
「ドル危機と今後の日本経済」
日
9
26
30
月
10
23
10
日
7
17
日
日
6
1
8
30
日
月
月
日
28
3
京浜商工協同組合 新事務所開設
月
11
6
第 回工業部会
日
日
日
3
11
日
月
日
日
日
月 ・ 日
月
10
3
5
)年
)年
日
日
2
4
1
10
11
1968(昭和
1969
(昭和
月
3
2
5
24
3
242
243
5
7
6
4
14
10
15
18
20
4
10
13
14
24
2
18
2
7
8
5
2
11
3
28
4
2
8
10
11
12
19
20
28
9
10
29
15
25
19
7
6
24
31
13
26
7
2
5
4
4
10
4
10
6
5
7
8
10
3
5
39
40
41
42
43
49
付録
日
20
21
5
6
14
15
24
21
22
10
11
17
25
26
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「翠光」
)
第 回中小企業問題全国研究集会
( 熱 海・
神奈川同友会設営)
中同協第 回定時総会
(福岡)
神奈川同友会第
ホテル」
第 回中同協定時総会
(熱 海・神奈川同友
会設営)
回定時総会
( 箱 根 湯 本・
中小企業家同友会全国協議会
(中同協)
創立
総会
(東京)
神奈川同友会第
「吉池」
)
月
日
日
日
日
日
神奈川・日本・世界のできごと
政府、初の
「公害白書」
発表
(国民総生産)
経済企画庁、日本のGNP
世
界第 位達成と発表
美濃部亮吉氏東京都知事に就任、老人医療
費無料化制実施
(第 次)
佐藤栄作内閣成立
15
日
18
大規模小売店舗における小売業の事業活動
の調整に関する法律
(大店法)
公布
円、変動相場制に移行
英・アイルランド・デンマーク、EC加入
(拡
大EC発足)
沖縄、本土復帰
か国蔵相会議、固定相場制への復帰を決
定
(スミソニアン体制発足)
第 回中小企業問題全国研究集会
(兵庫)
第 回青年経営者全国交流会
(兵庫)
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「翠光」
)
中小企業危機打開に関する陳情
ハバロフスク号国際親善パーティ
月
月
月
月
月
月
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
日
(第 次)
田中角栄内閣成立
田中角栄通産大臣、
「日本列島改造論」
を発
表
10
月 ・ 日
月
月
商 法 改 悪阻 止国民 総 決 起 大 会
( 東 京・日比
谷公会堂、5000人参加)
月
11
月 ・ 日
回定時総会
(熱海・
「赤尾
日本万国博開催
(大阪・千里丘陵)
7
日
日
月
八幡製鉄・富士製鉄合併、新日本製鉄発足
12
月
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
日
(スーパーの 全 国 チェーン 化・百 貨 店 の 系
列化進む)
29
月 ・ 日
月 ・ 日
三 菱 重 工、 子 会 社 三 菱 自 工 へ の ク ラ イ ス
ラー社の資本参加調印
(自動車業界再編成)
日
ニクソン米大統領、金・ドル交換停止を含
むドル防衛政策を発表
(ニクソン・ショック)
日
政府、円の変動相場制移行を実施
22
「新年の集い」
113名出席
日
日
1
月
14
日
横浜地区 会
「 飛 鳥 田 市 長 を 招いて 中 小 企 業
政策を聞く」
1
中同協第 回定時総会
(北海道)
中小企業危機打開緊急会議
( 労 働 福 祉 セン
ター)
17
OPEC、 月 日からの原油引上げ発表
(第 次石油危機・オイル・ショック)
月
月
日
月
2
3
12
田中角栄内閣成立
(第 次)
日中国交正常化に関する共同声明発表
川崎商工会議所、川崎市公害対策協力財団
(公害患者救済費用負担)
の設立発表
1
月
30
5
4
5
2
月 ・ 日
月 ・ 日
1
6
9
月 ・ 日
日
14
7
3
中同協第 回定時総会
(愛知)
・
「同 友 会三
つの目的」
成文化
月 ・ 日
2
8
経済同友会、値上げ・買占め・不当カルテ
ルを慎むとの年頭見解
15
日
14
31
12
9
10
7月
6
12
1
日
12
1
18
9月
日
日
月3日
月
)年 1月
23
1
15
6
2
28
1
3
2
1
7
8
2
5
神奈川同友会・中同協のできごと
19
2
3
8
中小企業家同友会全国協議会準備委員会
「全国セミナー」(京都)
23
24
10
1
月 ・ 日
27
28
(後年、第 回中小企業問題全国研究集会
と位置付け)
8
日
11
月
5
1
)年
6
19
20
月 ・ 日
5
24
1970(昭和
7
29
30
)年
9
6
1971(昭和
10
26
)年
5
16
1972(昭和
)年
6
24
(昭和
1973
1974
(昭和
10
244
245
5
6
10
11
45
46
47
48
49
付録
1975(昭和
)年
神奈川同友会・中同協のできごと
回定時総会
(関内・
「中小
月 ・ 日 第 回 中 小 企 業 問 題 全国研 究 集 会
(長 崎 )
・
「声明 決して悪徳商人にならない」
を発表
日
神奈川同友会第
企業会館」
)
月
日
中同協第 回定時総会
(東京・
「ホテルニュー
ジャパン」
)
月
7月 ・ 日
月 ・ 日
月
日
第2回青年経営者全国交流会
(愛知)
第 回中小企業問題全国研究集会
(岐阜)
講演会
「中小企業と日本経済」
長洲一二氏
「 中 小企業における労 使関 係の見解 」(労 使
関係)
発表
日
中同協
「独占禁止法改正についての見解」
発
表
月
月
月
月
日
神奈川・日本・世界のできごと
公正取引委員会、ヤミカルテル容疑の強制
捜査相次ぐ
(消費者物価の暴騰続く・
「狂乱物価」
)
横浜岡田屋に不用品交換会
(不用品コー
ナー開設)
日
衆 議院予算 委員 会、物 価 集 中 審 議
( 商 社の
悪徳商法露見)
日
電力節約のためネオン消灯始まる
政府、1974年度見通し、マイナス成長
に改定
( ・ %→マイナス ・ %)
三木武夫内閣成立
発足
IAEA
(国際エネルギー機関)
日
日
日
日
日
長洲一二氏、第 代神奈川県知事に就任
独占禁止法改正案成立
( 月 日施行)
米国国際貿易委員会、日本製テレビ輸入を
国内産業被害と裁定
(集中豪雨)
的輸出問題
第3回青年経営者全国交流会
(福岡)
神奈川同友会第 回臨時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「翠光」
)
小田原地区例会
「市長を囲む懇談会」
中井一
郎小田原市長
日
月
27
日
月
月 ・ 日
月 ・ 日
・ 日
月 ・ 日
日
ベトナム戦勝終結
7
中同協第 回定時総会
(広島)
第 回青年経営者全国交流会
(北海道)
第 回建設関連産業全国研究集会
( 横 浜・
神奈川同友会設営)
第 回中小企業問題全国研究集会
(大阪)
第 回青年経営者全国交流会
(千葉)
月
日
15
日
静岡同友会との交流会
24
第 回中小企業問題全国研究集会
(福岡)
3
14
2
月 ・ 日
横浜伊勢佐木町百年祭
日
8
月 ・ 日
日
日
27
政府税制調査会
「中期税制に関する答申」
(一般消費税導入提言)
月
25
円相場高騰関連中小企業対策臨時措置法
(円高対策法)
公布
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「翠光」
)
日
日
27
18
19
月
月
月
月
月
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
米軍機、横浜市に墜落、住宅
傷者 人
棟炎上、死
「 中 小 企 業 の 事 業 機 会 の 確 保 の ための 大 事
業者の事業活動の調整に関する法律」
公布
福田赴夫内閣成立
中小企業事業転換対策臨時措置法公布
(国民の中流意識が蔓延)
1975年 度一般 会 計 補正予 算 成 立
(赤字
国債本格化)
4
22
日
14
15
16
月
9
中同協第 回定時総会
(京都)
11
月
月
月 ・ 日
11
第 回中小企業問題全国研究集会
(群馬)
7月 ・ 日
12
・ 日
日
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「サテ
ライトホテル」
)
3
3
月
中同協第 回定時総会
(横浜・神奈川同友
会設営)「経営指針を確立する運動」
提唱
5
11
9
12
月
中同協、国鉄運賃値上げ・政管健保保険料
引き上げ反対署名
( カ月間で 万名達成)
6
12
13
23
24
月
8
8
9
8
9
10
月 ・ 日
1
13
10
4
2
7
2
)年
)年
)年
5
9
13
2
7
26
4
1976(昭和
1977(昭和
1978(昭和
1
2
2
7
23
6
29
25
3
5
19
6
4
5
7
5
2
8
10
11
8
8
4
26
11
9
246
247
11
30
8
9
22
6
7
12
13
7
5
24
25
11
10
16
4
6
20
21
21
22
4
12
16
17
5
11
5
6
22
23
4
2
6
1
6
10
9
2
50
51
52
53
付録
日
月 ・8日
日
月
日
神奈川・日本・世界のできごと
横浜スタジアム球場開業
特 定不況 産業 安 定 臨時措置 法公布
( 構 造不
況業種対策・
「企業城下町の落城」
)
月
支部代表者会議
( 新 年 度の支 部 運 営の強 化
について)
一般消費税反対のための中央連絡会結成
神奈川同友会・中同協のできごと
日
一般 消 費 税 反 対
中同協参加
月
政府税制調査会、一般消費税の1980年
度からの導入答申
OPEC総会、1979年度原油価格の値
上げ決定
(第 次石油危機)
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
(第 次)
大平正芳内閣成立
2
日
月
(第 次)
大平正芳内閣成立
イラン国 王パーレ ビ、エジ プト 亡 命
(イラ
ン革命)
日
国際石油資本、日本の石油精製会社に値上
げ通告、産油国、値上げ
(第 次石油危機)
月
中小企業政策審議会
「 1980 年 代 中 小 企
業ビジョン」
発表
月
月
月
日
16
日
27
月
16
鈴木善幸内閣成立
月
日
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
日
大店法改正公布
(大規模店の出店規制強化)
横浜市中小企業指導センターによる会の実
務診断
第 回役員合同研修会 講師:中同協幹事
長 田山謙堂氏・事務局長 仲野正氏
回中小企業問題神奈川
第6回青年経営者全国交流会
(石川)
新春のつどい・第
県研究集会
第 回中小企業問題全国研究集会
(東京)
「一般消費税に反対する県民連絡会」
結成 総
会へ神奈川同友会参加
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
中同協第 回定時総会
(北海道)
日
6
日
日
日
9月 ・ 日
日
月 ・ 日
日
県知事から
「
の文書回答
年度予算に対する要望書」
へ
臨時理事会
(
「建友」
問題について)
日
日
日
7月 ・ 日
第7回青年経営者全国交流会
(埼玉)
第 回同友まつり・チャリティバザール
全国 万名会員達成
( 同友会)
新春のつどい 中小企業問題シンポジウム
中同協第 回定時総会
(岐阜)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
9
本田技研、米国オハイオ州での小型自動車
生 産工場 建 設 発 表
( 1982 年 月 日 操
業)
横浜商工会議所100周年記念式典
日本中小企業学会発足
1
9月7・8日
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
日
月 ・ 日
日
7月 ・ 日
月
第8回青年経営者全国交流会
(静岡)
新春のつどい 記念講演
(赤石義博氏)
日
第 回中小企業問題全国研究集会
( 横 浜・
神奈川同友会設営)
9月 ・ 日
月
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
日
3月 ・ 日
月
1
11
1
月
中同協第 回定時総会
(愛知)
特別決議
「一般消費税導入反対」
採択
4
1
月
東商鈴木本部長・通産省矢野産業政策局長
と懇談
(国際シンポジウム)
日
15
万 人 国 民 大 集 会 」開 催・
細郷横浜市長と懇談会
( 市 政への要 望・同
友会への理解)
30
20
国際シンポジウム特別委員会
12
17
日
15
12
2
8月
7
1
11
4月
4
16
17
2
5月
5
2
15
1
21
月 ・ 日
月
8
54
)年 1月
)年
)年
9
11
10
11
12
(昭和
1979
1980(昭和
1981(昭和
11
1
9
10
248
249
12
1
24
18
4
19
11
5
7
10
11
21
7
18
13
19
20
21
1
3
4
4
5
10
27
28
19
20
8
1
5
10
25
25
15
19
15
16
20
2
3
3
6
3
5
11
2
19
1
7
2
1
16
54
55
56
付録
18
19
21
3
4
27
第 回中小企業問題全国研究集会
(愛知)
同 友 会 を よ く す るための研 究 会
( 講 師・北
海道同友会大久保尚孝氏)
新 春 のつどい・講 演
( 中 同 協 幹 事 長・田 山
謙堂氏)
中同協第 回定時総会
(長野)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
第 回中小企業問題全国研究集会
(大阪)
新 春のつどい・記 念 講 演
(東京同友会代表
理事・田村寿男氏)
月
日
日
日
日
月 ・ 日
月
月
月
日
第 回青年経営者講座始まる
( )
~
( )
第 回青年経営者全国交流会
(滋賀)
全県青年交流会
(報告・有馬俊一氏)
クリスマス・ファミリー・パーティ
第 回青年経営者全国交流会
(東京)
都市問題研究会
周 年・
第 回青年経営者全国交流会
(福岡)
新 春 の つ ど い・ 分 散 会 討 論
(創立
川崎支部合同)
第 回中小企業問題全国研究集会
(東京)
異業種交流全国集会
(ビッグフォーラム ’ )
第 回青年経営者全国交流会
(広島)
川崎異業種交流シンポジウム
川崎異業種交流マラソンフォーラム
月
日米自動車協議、日本の対米輸出自主規制
実施で決着
神奈川・日本・世界のできごと
鈴 木 首 相、訪 米、日 米 共同 声 明
(同盟関係
を明記、積極的防衛役割分担]を発表
日
川崎公害訴訟提訴
米国失業率、戦後初めて ケタ、 ・ %、
(双子の赤字深刻化)
1130万人
歳以上の医療有料化を含んだ老人保健法
公布
(1983年 月 日施行)
日
日
(第 次)
中曽根康弘内閣成立
月
「 大 型 間 接 税 反 対 の た め の 中 央 連 絡 会 」発
足、中同協、幹事団体として参加
月
月
月
MM 第 セクター発足
男女雇用均等化法成立
蔵相、日本の対外純資産が1985年中に
世界一になると閣議報告
日
日
日
日
日
(第 次)
中曽根康弘内閣成立
月
日
月
月
月
労働者派遣事業法成立
日
日
日
日
大蔵省、 億円以上の大口定期預金金利自
由化
(金融自由化開始)
月
月
先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議・ドル
高是正合意
(プラザ合意)
月
1
2
月
日
日
日
月 ・ 日
月
月
月
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
日
中同協第 回定時総会
(北海道)
月
月 ・ 日
月 ・ 日
日
日
・ 日
日
日
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
月
中同協第 回定時総会
(千葉)
月
月
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「サテ
ライトホテル・ヨコハマ」
)
月
月 ・ 日
中同協第 回定時総会
(埼玉)
日
10
1
2
70
1
月 ・ 日
月
1
1
19
20
4
8
13
14
15
5
17
2
9
12
10
13
11
月 ・ 日
月 ・ 日
)年 1月
)年
84
8
神奈川同友会・中同協のできごと
14
20
27
代表理事と青年部の懇談会
22
21
5
日
月 ・ 日
18
16
27
月
24
25
中同協第 回定時総会
(兵庫)
月 ・ 日
8
月 ・ 日
9
10
14
)年
17
18
22
23
1982(昭和
4
26
12
)年
23
26
8
9
(昭和
1983
・ 日
5
6
7
10
11
2
3
19
5
22
1984(昭和
1985(昭和
6
250
251
7
13
14
3
7
7
3
10
9
22
23
21
11
23
2
12
15
17
1
6
7
8
28
2
7
10
11
5
1
11
21
7
2
2
4
22
9
4
5
12
6
12
4
7
7
7
8
1
7
9
8
17
5
9
6
2
9
57
58
59
60
付録
1986(昭和
)年
第 回青年経営者全国交流会
(愛知)
神奈川同友会・中同協のできごと
日
日
日
日
日
9月7・8日
月
月
月
平塚異業種交流マラソンフォーラム
第1回婦人部全国交流会
(大阪)
小田原異業種交流マラソンフォーラム
横浜異業種交流マラソンフォーラム
創立 周年記念大会・新年交礼会
第 回中小企業問題全国研究集会
(岐阜)
相模原異業種グループ交流会
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「サテ
ライトホテル・ヨコハマ」
)
日
第 回総合運営委員会
(以後、毎月開催)
日
月 ・ 日
月
日
中同協第 回定時総会
(福岡)
第 回 青 年 経 営 者 全国交流 会
(横浜・神奈
川同友会設営)
月4・5日
新春のつどい・新会員オリエンテーション
月 ・ 日
日
月
月 ・ 日
第 回中小企業問題全国研究集会
(大阪)
中同協、売上税反 対国会 請願行 動
(
会)
・150名・ 万署名)
同友
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「サテ
ライトホテル・ヨコハマ」
)
日
中同協第 回定時総会
(東京)
日
月 ・ 日
月 ・ 日
日
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県労働福祉センター」
)
月
第 回青年経営者全国交流会
(千葉)
第 回中小企業問題全国研究集会
(愛知)
月
月
月
月
日
神奈川・日本・世界のできごと
横浜そごう開店
経済審議会、経済構造調整特別部会最終報
告書
(前川レポート)
提出
日
(第 次)
中曽根康弘内閣成立
(円高による不況感強まる・円高不況)
政府、売上税法案を国会提出
日 銀、公 定 歩 合を史 上最 低に引下 げ
(
→ ・ %)
、超低金利政策
%
ソ連チェルノブイリ原子力発電所、大規模
事故
日
日
日
日
法 人、国 鉄 清 算
国 鉄 分 割・民 営 化
( JR
事業団発足)
日
売上税法案、審議未了のため廃案
月
日
月
自民党税制調査会
「 税 制の抜 本 的 改 革に関
する方針」
で大型間接税導入を打ち出す
月
竹下登内閣成立
全日 本民間 労 働 組 合 連 合 会
(連合)発足
(
単産、約540万人参加)
日
日
日
ニューヨーク 株 式 市 場、大 暴 落
(508ド
ル・ %)
、ブラック・マンデー
月
改正
( 年ぶり)
労働基本法施行
日
日
日
日
日
日
日
トロント・サミットでNICSをNIES
に変更
月
月
月
月
月
月
政府、税制改革 法案国会提出
月
11
日
54
月
月 ・ 日
中同協第 回定時総会
(北海道)
第2回婦人部全国交流会
(三重)
第 回青年経営者全国交流会
(長崎)
第 回中小企業問題全国研究集会
(福岡)
5
22
税制改革 法案
(消費税導入)
成立
40
)年
)年
月 ・ 日
8月 ・ 日
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
全県経営研究集会
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「サテ
ライトホテル・ヨコハマ」
)
月 ・ 日
中同協第 回定時総会
(福島)
3
3
2
1
1
1987(昭和
1988(昭和
(平成元)年
1989
月 ・ 日
7
30
26
22
4
27
19
相互銀 行、普通 銀 行に転 換はじまる
(第
地銀)
(バブル景気)
消費税 %実施
宇野宗佑内閣成立
252
253
18
23
13
29
24
25
26
19
24
15
19
20
21
6
1
2
16
16
6
8
10
11
19
6
3
4
20
21
20
1
3
19
20
16
17
4
3
17
19
20
11
7
4
13
14
21
22
13
14
10
6
14
14
15
17
5
2
7
23
18
19
18
27
7
9
4
12
13
20
1
6
7
9
11
5
2
25
9
2
3
10
4
6
7
8
17
1
5
5
11
6
1
14
16
26
26
8
22
10
11
2
5
7
2
7
7
61
62
63
付録
1990(平成2)年
第 回青年経営者全国交流会
(三重)
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
回定時総会
( 関 内・
「寿
第3回婦人部全国交流会
(埼玉)
神奈川同友会第
宴」
)
第 回青年経営者全国交流会
(大分)
第 回中小企業問題全国研究集会
(石川)
第4回婦人部全国交流会
(沖縄)
神奈川同友会第 回定時総会
中同協第 回定時総会
(静岡)
全県経営研究集会
第 回青年経営者全国交流会
(長野)
新春のつどい・経営シンポジウム
合同入社式スタート
神奈川・日本・世界のできごと
(第 次)
海部俊樹内閣成立
12
11
9
12
11
5
1
12
10
5
3
2
12
11
8
28
29
1
9
日
13
23
11
2
9
26
5
2
17
28
3
日
24
27
28
29
21
10
羽田孜内閣成立
政治改革 法案成立
(小選挙区300議席・
比例代表200議席)
から
欧州連合条約発効、EC
(欧州共同体)
EU
(欧州連合)
に名称変更
細川護煕内閣成立
政府、総額 兆2000億円の過去最大規
模の新総合経済対策決定
日産自動車、座間工場の乗用車生産中止発
表
(リストラクチャリング)
日銀短観主要製造業景気判断指数マイナス
と発表
( 年代不況開始)
日 産 自 動 車、 月 中 間 決 算・ 経 常 赤 字
142億円発表
(上場以来初めて)
大蔵省、都市銀行等の不良債権の存在を発
表
東西ドイツ統一
通産省、大店法の運用適正化を通じて規制
緩和通達
大蔵省、金融機関に不動産向け融資への総
量規制通達
( 月 日実施)
東 京 証 券 取 引 所 平 均 株 価 史 上 最 高 値・
万8915円
日本労働組合総評議会
(総評)
解散・日本労
働組合連合会
(連合)
発足
日
2
日
月
4
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
日
(第 次)
海部俊樹内閣成立
3
日
8
月
11
神奈川同友会・中同協のできごと
月 ・ 日
日
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(福岡)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ル横 浜 ガー デン 」
)記 念 講 演
(赤石義博中同
協幹事長)
役員研修 会
「同友会運動と企業経営」講師:
中同協幹事長 赤石義博氏
中同協第 回定時総会
(北海道)
第 回青年経営者全国交流会
(熊本)
経営者と幹部社員が共に学ぶ研修会・講師:
東京同友会常任理事 大橋正義氏
第 回 全国女 性 部 交流 会
(婦人部交流会を
改称)(沖縄)
日
1
東 証 株 価、 史 上 最 高 値 か ら 約 % 値 下 げ
( 万3848円 銭)
、バブル崩壊
1
月 ・ 日
日
中同協第 回定時総会
(香川)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「神奈
川県立青少年センター」
)
月
月 ・ 日
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
日
月 ・ 日
月
6月 ・ 日
月 ・ 日
月 ・ 日
28
29
30
第 回中小企業問題全国研究集会
(兵庫)
日
24
25
月 ・ 日
月
月 ・ 日
23
21
19
22
20
23
4
月 ・ 日
5月
月 ・ 日
20
21
ソ連邦消滅・独立国家共同体
( か国)
発足
宮澤喜一内閣成立
地価税法公布
多国籍軍、イラク攻撃開始
(湾岸戦争突入)
40
第 回青年経営者全国交流会
(大阪)
21
22
5
71
月7・8日
27
中同協第 回定時総会
(富山)
全県経営研究集会
月 ・ 日
日
18
19
10
11
11
月
13
14
27
第 回中小企業問題全国研究集会
(東京)
13
14
月 ・ 日
6
7
18
19
8
9
1991(平成3)年
27
19
27
6
7
17
18
28
1992(平成4)年
9
10
24
1993
(平成5)年
1994(平成6)年
11
254
255
2
14
15
9
5
2
17
7
17
18
90
8
9
9
1
13
22
23
2
9
1
4
4
23
24
16
3
1
10
2
27
9
5
2
7
2
40
22
2
12
13
20
18
3
7
9
7
5
9
4
付録
1995(平成7)年
月
5月
6月
日
・ 日
日
第 回共育講演会
「人が育つ条件」
講師:長
崎総合科学大学教授 広木克行氏
新入社員研修会スタート
神奈川同友会・中同協のできごと
日
日
日
月 ・ 日
日
9月 ・ 日
月
月
月
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルリッチ横浜」
)
社員教育セミナー・講師:北海道同友会専
務理事 大久保尚孝氏
中同協第 回定時総会
(宮城)
第 回青年経営者全国交流会
(岡山)
全県 経 営研究 集 会・基調講演
「社会的存在
価値のある企業」
講師:岩田満氏
第 回共育講演会・映画
「明日晴れるかな」
と講演:映画監督 中山節夫氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(千葉)
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルリッチ横浜」
)
記念講演
「同友会型企業」
講師:東洋大学教
授 吉田敬一氏
中同協第 回定時総会
(滋賀)
第 回青年経営者全国交流会
(京都)
(広島)
第6回全国女性部交流会
横浜支部・新年例会特別企画
「阪神大震災」
報告者:兵庫同友会事務局長 栄敏充氏
全県経営研究集会・基調講演
「リーダーシッ
プ」
講師:㈱サヤカ社長 猿渡盛之氏
月
日
日
神奈川・日本・世界のできごと
村山富市内閣成立
( 世界 貿 易 機関 )
WTO
、GATTを引き継
いで発足
月
阪神大震災
日
岡崎洋氏、第 代神奈川県知事に就任
日
月
日
公正取引委員会、資生堂に対しメーカー希
望小売価格強制の排除命令
月
ジャスコ、化粧品の安売り販売発表
地銀)
・木 津 信 組
(最大
日
日
兵庫銀行
(最大第
信組)
、経営破綻
8月
日
日
日
日
政府、住専 社への整理・生産のための財
政資金導入処理案決定
(住専処理)
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
(第 次)
橋本龍太郎内閣成立
公正取引委員会、純粋持ち株会社設立の
「原
則自由」
を表明
(純粋持株会社解禁)
(第 次)
橋本龍太郎内閣成立
橋本首相、日本版ビッグバン構想発表
法成立
医療費患者負担引上げの医療保険法成立
N TT を 分 割 す る N TT 関 連
(NTT)
成立
改正独占禁止法成立
(純粋持株会社解禁)
容器包装リサイクル法施行
%
日本経営者連盟
(日経連)
、1997年度就
職協定を廃止
月
月
消 費 税 率、 導 入 以 来 初 め て 引 上 げ
(
→ %)
月
2
月 ・ 日
日
第 回共 育 講 演 会
「人が育つとは」
講師:東
京大学名誉教授 太田尭氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(愛知)
4
7
月 ・ 日
日
月9・ 日
月
月
日
・ 日
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「神奈
川労働プラザ」
)
日
中同協第 回定時総会
(広島)
第 回青年経営者全国交流会
(新潟)
全県経営研究集会・基調講演
「中小企業の時
代」
講師:日本福祉大学教授 小栗崇資氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(香川)
第 回共育講演会
「 社 員 が 生 き 生 き として
働く企業」
講師:神戸大学教授 二宮厚美氏
合同入社式・記念講演 講師:日本エンジ
ニアリング㈱会長 金子和夫氏
1
2
月
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
月 ・ 日
日
日
30
23
30
3
1996(平成8)年
1997(平成9)年
月
日
神奈川同友会第 回定時総会・記念講演
「大
転 換 の 時 代 」講 師: 福 井 同 友 会 代 表 理 事 小林真氏(
「かながわ労働プラザ」
)
中同協第 回定時総会
(沖縄)
幹部社員研修会連続講座
( 回)
1
17
21
19
26
11
25
7
11
4
3
月
日
月3・4日
9月
6
256
257
1
5
27
4
4
1
33
34
1
24
28
29
11
15
4
13
18
19
6
16
12
13
12
31
32
26
1
1
26
27
13
14
21
23
11
1
22
2
5
4
12
6
7
12
7
3
4
6
8
9
24
10
8
25
17
5
14
23
3
23
24
7
9
15
16
3
11
9
1
11
26
19
26
24
8
9
7
8
4
7
2
11
2
2
4
7
付録
第 回中小企業問題全国研究集会
(宮崎)
全県 経 営研 究 集 会・基調 講 演
「大構造変化
の中で」
講師:立教大学助教授 山口義行氏
第7回全国女性部交流会
(岡山)
第 回青年経営者全国交流会
(福井)
神奈川同友会・中同協のできごと
月 ・ 日
日
月2・3日
月
日
日
月 ・ 日
月
第 回共育講演会
「人間らしく育ち生きる」
講師:愛知県立大学名誉教授 山田正敏氏
月
北 海 道拓殖 銀 行、都銀 初の経 営 破 綻
(北洋
銀行への営業譲渡)
神奈川・日本・世界のできごと
山一證券、自主廃業
日
日
( か国)
、 単 一通 貨 ユ ー ロ 導 入
(通貨
EU
統合)
大規模小売店舗立地法成立
( 月 日施行)
金融持株会社関連
解禁)
月
月
日
日
日
日
法施行
(金融持株会社
日 銀、 短 期 金 利 誘 導 目 標 水 準 引 下 げ 決 定
( ・ %・ゼロ金利政策開始)
月
月
月
日
日
日
日
日
日
日
日
日 産 自 動 車、フランス・ルノー 傘 下
(出資
比率 ・ %)(自動車産業の世界的再編)
2
合同入社式・記念講演 講師:ライファ山
手社長 有馬俊一氏
産業活力再生特別措置法成立
( 月 に施
行、2003年 月 日までの時限立法)
月
月
月
月
月
月
日
日産自動車、村山等 工場閉鎖、 ・ 万
人削減の再建 か年計画発表
月
日
東京証券取引所、ベンチャー向け株式市場
「マザーズ」
開設
(株式市場再編)
月
11
小淵恵三内閣成立
27
日
30
1
神奈川同友会第 回定時総会
中同協第 回定時総会
(大阪)
第 回青年経営者全国交流会
(静岡)
1
6
日
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
12
11
全県 経 営研 究 集 会・基調 講 演
「 金 融 ビッ グ
バンにさらされる日 本 経 済再 生への道 」講
師:立教大学教授 小西一雄氏
27
15
第 回中小企業問題全国研究集会
(岡山)
第 回共育講演会
「人材の有効活用」講師:
横浜銀行常務取締役 山下伊佐男氏
異業種交流戦略シンポジウム
8
中央省庁再編関連法と地方分権一括法成立
8
日
日
日
6
0
月 ・ 日
月
18
改正中小企業基本法成立
介護保険制度実施開始
(第 次)
森喜朗内閣成立
1
合同入 社 式・記 念講 演
「 社 会 人として 第
歩」
講師:東海大学教授 岩尾範人氏
11
10
回 定時 総 会(
「かな がわ
22
31
神奈川同友 会 第
労働プラザ」
)
1
3
日
中同協第 回定時総会
(東京)
講座
(以後、
3
(第 次)
森喜朗内閣成立
セゾン・グループ 解 体 加 速
(流通業界再編
成)
1
第 回青年経営者全国交流会
(愛媛)
幹部社員研修連続講座第
講座実施)
第8回全国女性部交流会
(北海道)
全県経営研究集会・記念講演
「時代との戦い」
講師:三重同友会代表理事 宮崎由至氏
第 回ビジョン委員会
(以後、 回実施)
5
2
月8・9日
日
7・8日
日
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
7
5
月9・ 日
月
月
月
月 ・ 日
1
36
)年
)年
)年
第 回共育講演会
「 世紀を託す若者たち」
講師:鹿児島大学教授 神田嘉延氏
合同入 社 式・記 念講 演
「 社 会 人として 第
歩 」講 師:神奈川同友 会 代 表理事 宮田泰
敬氏
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルリッチ横浜」
)
「神奈川の中小企業ビジョン」
発表・501
名会員達成パーティ
中同協第 回定時総会
(兵庫)
2
3
1
1998(平成
1999
(平成
2000(平成
日
日
1
第 回青年経営者全国交流会
(宮城)
3
1
月
月
日
月 ・ 日
月 ・ 日
7
2
35
258
259
8
5
30
17
10
25
28
5
26
29
24
11
11
16
11
12
4
8
5
1
4
7
3
16
17
17
18
36
21
37
10
11
13
31
32
18
10
3
21
6
18
19
19
20
1
26
7
11
27
11
7
12
13
14
1
12
13
24
1
23
9
2
14
15
30
12
13
11
11
3
7
7
28
9
10
2
4
2
4
7
9
10
4
9
10
11
12
付録
)年
神奈川同友会・中同協のできごと
月
神奈川・日本・世界のできごと
内閣 府に経 済 財 政 諮問 会 議を設置
(首相官
邸主導の経済財政運営)
日
19
第 回中小企業問題全国研究集会
(富山)
26
月 ・ 日
中央省庁、 府 省庁体制発足
日銀、量的緩和政策を開始
日
日
11
米英、イラク戦争開始
経団連と日経連が統合し、日本経済団体連
合会
(日本経団連)
発足
米 英、アフ ガニスタ ン 爆 撃
( ア フ ガ ニス タ
ン戦争開始)
月
7
合同入社式
「 社 会 人として一歩 を 踏み出 す
あなたへ」
横浜国立大学教授 北川善英氏
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「かな
がわ労働プラザ」
)
日
28
月
月
月
月
月
月
月
月
月
日
日
日
日
日
米国、同時多発テロ発生
松沢成文氏、第 代神奈川県知事に就任
日本経団連、2004年から政治献金再開
を表明
(第 次)
小泉純一郎内閣成立
東京都、中小企業向け無担保融資を柱とす
る
「新銀行東京」
の基本計画発表
日
派遣業務、製造業に解禁
日
(EU か国体制)
EU、東欧 か国加盟
日
日
(第 次)
小泉純一郎内閣成立
20
日
23
月
11
日
日
日
政 策 委員 会
「金融アセスメント法」
講師:中
同協政策局長 瓜田靖氏
中同協第 回定時総会
(北海道)
第 回青年経営者全国交流会
(神奈川)
合同入社式
「 社 会 人として一歩 を 踏み出 す
あなたへ」
神奈川大学助教授 出雲雅志氏
第 回青年経営者全国交流会
(鹿児島)
全県 経 営研 究 集 会・基調 講 演
「 実 践の繰り
返し」
講師:中同協幹事長 鋤柄修氏
「金融アセスメント法」
制定街頭署名活動
第 回中小企業問題全国研究集会
(大分)
合同入社式
「社会人として第一歩を踏み出す
あなたへ」
講師:横浜乾物㈱ 斉藤秋造氏
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルリッチ横浜」
)
パ ネ ル デ ィス カッション
「 学 んで 実 践、経
営と同友会運動の両輪として」
県 南 支 部 設 立総 会・記 念講 演
「 今こそ同 友
会 がめざす 企業づくりを」講 師:中同協顧
問 田山謙堂氏
中同協第 回定時総会
(福岡)
第 回青年経営者全国交流会
(青森)
第 回全国女性部交流会
(大阪)
全県 経 営研究 集 会・基調 講 演
「地域資源と
オリジナル商品」北海同友 会 代表理事 若
山直氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(静岡)
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
す あ な た へ 」講 師: ㈱ バ ニ ー フ ー ズ 社 長 高橋良治氏
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「横浜
情報文化センター」
)
19
1
月
月
月 ・ 日
月 ・ 日
第9回全国女性部交流会
(長野)
第 回会員研修連続講座
「 真の中 小 企 業の
時代に向かって」(以後、計 回)
日
全県経営研究集会
第 回中小企業問題全国研究集会
(埼玉)
日
月4・5日
月
日
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「かな
がわ労働プラザ」
)
記念講演
「同友会に学び企業実践」
中同協会
長 赤石義博氏
中同協第 回定時総会
(愛知)
39
月 ・ 日
月
日
月 ・ 日
日
日
月 ・ 日
月
月
日
日
日
月 ・ 日
月
月
月 ・ 日
月 ・ 日
日
月 ・3日
月
月 ・ 日
日
32
2001(平成
)年
)年
)年
月
日
3
5
2002(平成
(平成
2003
2004(平成
27
260
261
4
25
17
18
12
9
10
10
11
12
13
1
10
2
12
13
2
6
5
28
11
17
8
3
1
13
13
14
1
4
1
13
14
1
40
41
1
15
5
34
35
21
7
7
30
14
15
9
9
33
31
10
34
5
4
28
1
18
11
10
4
12
13
38
8
9
13
14
17
11
1
11
22
11
5
33
2
13
6
31
29
3
7
2
2
2
1
4
9
10
4
4
4
13
14
15
16
付録
2005(平成
)年
)年
)年
神奈川同友会・中同協のできごと
第 回共育講演会
「 現 代 社 会 に おい て 人 間
らしく 生きる」講 師:神戸 大 学 教 授 二宮
厚美氏
中同協第 回定時総会
(岡山)
第 回青年経営者全国交流会
(高知)
第 回 か な が わ 経 営 フ ォー ラ ム
「 知 事と語
り合う」
神奈川県知事 松沢成文氏
全県経営研究集会・基調講演
「開発型企業へ」
講師:日本ジャバラ工業㈱ 田中信吾氏
第 回 女 性 経 営 者 全国 交 流 会
(女性部交流
会を改称)(奈良)
日
合同入社式『社会人として第一歩を踏み出
すあなたへ」講 師:㈱ 東 邦 通 信 システム社 長橋本日吉氏
月
日
神奈川・日本・世界のできごと
独立行政法人中小企業基盤整備機構発足
ダ イエー、新 再 建 計 画 案 作 成
( スー パー 業
界再編成)
日
日
厚生労働省、ニート 万人と初推計
三菱UFJフィナンシャル・グループ発足
(3大金融グループの誕生)
月
日
「新銀行東京」
開業
中小企業の新たな事業活動の促進に関する
法律
(中小企業新事業促進法)
成立
日
会社法成立
日
日
日
日
(第 次)
小泉純一郎内閣成立
日本経団連、集団的自衛権の行使を求めた
初の改憲報告書を発表
月
月
月
日
横浜商品取引所閉鎖
月
日
月
月
月
30
日
日
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(新潟)
中同協第 回定時総会
(千葉)
月6・7日
月
日
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
すあなたへ」講 師:㈱ 開 明 製 作 所 社長 石
館治良氏
12
1
10
50
月 ・ 日
月
月
日
月 ・ 日
月
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
すあなたへ」講 師:横 浜 乾 物 ㈱ 社長 斉 藤
秋造氏
月 ・ 日 神 奈 川 同 友 会 第 回 定 時 総 会 記 念 講 演
「神奈川県の中小企業活性化政策 」講 師:神
奈 川 県 知 事 松 沢 成 文 氏(
「 ホ テ ル キ ャメ
ロットジャパン」
)
月7・8日
第 回青年経営者全国交流会
(滋賀)
日
月
第 回 全県 経 営研究 集 会・基調報告
「人を
生かす経営」
中同協顧問 田山謙堂氏
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルキャロメット・ジャパン」
)
月
女性部 神奈川県立かながわ女性センター
との懇談会と女性部会幹事会
日
第 回共育講演会
「共に育つ社風づくり」
講
師:㈱ホンダクリオ新かながわ会長 相澤
賢二氏
第 回青年経営者全国交流会
(徳島)
日
第 回中小企業問題全国研究集会
(兵庫)
中同協第 回定時総会
(石川)
月 ・3日
月 ・ 日
9月
・ 日
日
横浜支部 第 回中小企業憲章学習会
月
第 回中小企業問題全国研究集会
(沖縄)
日
日
月 ・ 日
月
月
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「ワー
クピア横浜」
)
基調講演
「経営指針で労使の意識」
講師:㈱
三宅産業社長 三宅昭二氏
7
1
月
22
月 ・ 日
15
16
月 ・ 日
42
8
6
35
33
11
18
36
9
8
2
32
36
37
38
43
1
44
2006(平成
2007(平成
9
10
(第 次)
安倍晋三内閣成立
262
263
13
21
10
3
26
2
4
1
17
18
1
34
1
1
20
37
21
15
16
15
16
13
14
28
14
14
15
18
6
12
1
7
8
9
26
9
2
5
10
11
2
9
11
2
10
1
2
4
2
3
4
4
4
9
5
7
9
10
7
5
17
18
19
付録
2008(平成 )年
2009
(平成
第 回女性経営者全国交流会
(東京)
神奈川同友会・中同協のできごと
6月7・8日
日
7月5・6日
第 回共育講演会
「 運 命 を 変 え る 言 葉 」講
師:工学博士 五日市剛氏
中同協第 回定時総会
(香川)
月
日
神奈川・日本・世界のできごと
福田康夫内閣成立
日本郵政株式会社を持株会社とし 社
立法人として発足
独
米国投資銀行、リーマン・ブラザーズ経営
破綻
(世界的金融危機勃発)
月
日
日
麻生太郎内閣成立
月
日
月
月
日
日
東京日比谷公園に
「年越し派遣村」
開設
横浜松坂屋閉店
(創業144年)
26
第 回中小企業政策を考える会
第 回青年経営者全国交流会
(山口)
全県 経 営研究 集 会 基調講演
「 人 は どのよ う
な 時に働 くのか」講 師:㈱エムソフト社 長 小暮恭一氏
2007全国共同求人交流会
(神奈川)
第 回中小企業問題全国研究集会
(宮城)
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
すあなたへ」
講師:㈱サンナイトオートメー
ション社長 内藤孝輔氏
福祉部会
(現障害者委員会)
設立
「 生きる喜 びを 実 感できる 会 社 づくりをめ
ざ して 」講 師:㈱ ゴロー ズ・ プロダ クツ 社
長 内田五郎氏
中同協第 回定時総会
(埼玉)
第 回青年経営者全国交流会
(岩手)
全県 経 営研 究 集 会 基調 講 演
「 タ カラから
ライフマネ ジメント 」講 師:タカラ 創 業 者 佐藤安太氏
同友会連続活用セミナー
「同友会と私」
講師:
㈱オフトコーポレーション会長 西幹雄氏
同友 会連続活用セミナー
「 同 友 会 と 私 」講
師:㈱高野商店専務 高野滋子氏
同友会連続活用セミナー
「同友会と私」
講師:
㈱ワイズ・インフィニティ社長 小林雅人氏
同友 会連続活用セミナー
「 同 友 会 と 私 」講
師:㈱ホリデン 堀内真一氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(熊本)
緊 急経 営 相 談室 「 中 小 企業緊 急雇用 安 定
助 成 金」説明 会 社会 保険 労 務士 水野隆
久氏
1
日
月 ・ 日
日
月 ・ 日
日
月 ・ 日
月
日
回定時総会
(関内・
「ワー
か わ さ き 中 小 企 業 サ ミット 記 念 講 演
「元気
都 市かわさきの実現に向けて」講 師:川 崎
市長 阿部孝夫氏
神奈川同友会第
クピア横浜」
)
日
第 回共育講演会 映画
「ひめゆり」
日
日
月
月
・ 日
日
9月 ・ 日
月
日
日
日
日
日
)年 2月 ・ 日
月
日
45
西 湘 支 部 設 立総 会・記 念講 演
「 自 社 ブラン
ドの開発で自 立型企業をめざす 」講 師:㈱
ハーヴィインターナショナル社長 切山英
彦氏
15
24
39
40
264
265
9
12
11
1
12
36
1
10
28
6
7
25
4
9
31
6
7
27
39
10
1
3
10
11
11
12
13
25
26
27
28
9
11
12
12
35
28
27
13
14
19
3
6
3
38
9
4
7
11
3
12
13
20
21
付録
2010(平成
月
月
日
日
日
第 回女性経営者全国交流会
(青森)
中同協第 回定時総会
(東京)
第 回全県経営研究集会 基調報告
「 新し
い時 代は中 小 企業から」講 師:立教 大 学 教
授 山口義行氏
合同入社式
「 社 会 人として一歩 踏み出 すあ
なたへ」
講師 タイジ㈱社長 堀江裕明氏
神奈川同友会第 回定時総会記念講演
「リーダーシップの発揮」
講師:㈱大栄電器
工業社長 大野栄一氏
中同協第 回定時総会
(大分)
かわさきビジネスリゾート2010
障 がい 者 福 祉 部 会 設 立 周 年 記 念 講 演 会
「 障 が い 者 雇 用 十 有 余 年 の 軌 跡 」講 師: ㈱
ファンケルスマイル社長 浅井輝生氏
第 回共育講演会
「 途 上 国 で 見つ け た 可 能
性」
講師:マザーハウス代表 山口絵里子氏
第 回青年経営者全国交流会
(山形)
第 回 全県経 営研究 集 会記念講演
「新規ビ
ジ ネス・新 商 品 」講 師:㈱ イドム社 長 小
出宗昭氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(岡山)
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
すあなたへ」
講師:㈱水口社長 水口勉氏
神 奈川同友 会 第 回 定時 総 会
「克ち進む経
営」
講師:エイベックス社長 加藤明彦氏・
2015神奈川同友会指針
(ビジョン)
発表
(
「ホテルプライムコスモY」
)
全県役員会
「同友会役員の役割を考える」
第 回女性経営者全国交流会
(静岡)
第 回共育講演会
「 若 者 が希 望を 持てる社
会へ」
講師:東京大学教授 本田由紀氏
中同協第 回定時総会
(札幌)
第 回青年経営者全国交流会
(富山)
月
日
8
12
16
31
3
月
月
月
日
日
日
日
神奈川・日本・世界のできごと
米国クライスラー社、経営破綻
横浜開港150周年記念式典
鳩山由紀夫内閣成立
ギリシャ、財政危機表面化、欧州債務危機
菅直人内閣成立
中小企業憲章制定
(閣議決定)
東日本大震災・福島原発炉心溶解し、放射
性物質多量飛散
日
米国で
「ウォール街占拠運動」
始まる
野田佳彦内閣成立
黒岩祐治氏、第6代神奈川県知事に就任
月
月
日
日
日
月
日
4
月
5
神奈川同友会・中同協のできごと
日
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
す あ な たへ」講 師:㈱ メジャーテックツル
ミ社長 横須賀健治氏
第 回女性部会総括例会
「 女 性 部 設 立 メン
バーの軌跡」
日
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「ワー
クピア横浜」
)
記念講演
「日本を支える主役、中小企業」
講
師:杉村精工㈱社長 杉村征郎氏
第 回共育講演会
日
日
・ 日
月 ・ 日
第 回中小企業地球環境問題交流会
(神奈
川)
月 ・ 日
月
月
日
日
日
日
7月8・9日
8月
月 ・ 日
月
月3・4日
日
日
日
第 回青年経営者全国交流会
(北海道)
第 回中小企業問題全国研究集会
(京都)
月 ・ 日
)年 2月 ・ 日
2011(平成 )年
月
5月
月 ・ 日
日
7月5・6日
月 ・ 日
2
266
267
42
47
48
18
37
5
40
22
14
38
23
41
14
15
9
11
9
10
8
9
10
1
23
10
11
43
2
15
16
11
12
1
22
14
21
24
10
1
21
30
9
10
28
6
17
41
7
39
3
4
13
13
9
3
9
15
16
4
46
1
22
27
3
11
12
4
6
10
4
11
3
4
6
9
9
22
23
付録
第 回全県経営研究集会&第 回社員教育
活動全国研修・交流会
(神奈川)
神奈川同友会・中同協のできごと
月 ・ 日
日
日
日
2012(平成 )年 3月8・9日
月
5月
月 ・ 日
日
日
月 ・ 日
日
日
日
月 ・ 日
月
)年 2月 ・ 日
第 回中小企業問題全国研究集会
(福島)
合同入社式
「 社 会 人として 第一歩 を 踏み出
すあなたへ」講 師:㈱ 栄 港 建 設 専 務 岡野
美紀子氏
神奈川同友会第 回定時総会
(横浜・
「ホテ
ルプラムコスモY」
)
記念講演
「 企 業 発 展 の ポイントは現 場 にあ
り」
講師:一橋大学名誉教授 関満博氏
全県役員オリエンテーション
第 回女性経営者全国交流会
(沖縄)
横浜支部・政策委員会・青年部会合同例会
「2012年度中小企業憲章推進月間企画」
第 回共育講演会
「 取 材 現 場から 学ぶ心の
共 育 」講 師:みや ざき中 央 新聞 編 集長 水
谷もりひと氏
中同協第 回定時総会
(岐阜)
第 回 か な が わ 経 営 フ ォー ラ ム
「 ビジ ネス
界での実 践と中 小 企業への期 待 」講 師:横
浜市長 林文子氏
第 回青年経営者全国交流会
(島根)
神奈川県商工労働局総務部中小企業支援
課・横浜市経済局中小企業支援課との意見
交換
第 回 全県経 営研究 集 会・基調報告
「全員
参加型経営 」講師:吉村紙業㈱社長 橋本
久美子氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(福岡)
神奈川同友会第 回定時総会
(関内・
「ロイ
ヤルホールヨコハマ」
)
日
日
日
第 回女性経営者全国交流会
(大阪)
月
25
月 ・ 日
月
・ 日
日
日
日
月 ・ 日
横 浜 支 部・ 政 策 委 員 会・ 青 年 部 会・
KDWOME N合 同 例 会
「 2013 年 度 中
小企業憲章月間企画」
第 回共育講演会
「先人たちの肝心
(ちむぐ
くる)
を伝えていく語りべ」
講師:美ら島観
光ガイド指導 崎原真弓氏
中同協第 回定時総会
(宮崎)
第 回青年経営者全国交流会
(東京)
第 回 障 害 者問題全国交流 会
(神奈川同友
会設営)
横浜市経済局中小企業振興部との意見交換
横浜支部・川崎 支部 合同新春例 会
「地域密
着型経 営で目指す街づくり」講 師:大里綜
合管理㈱社長 野老真理子氏
第 回中小企業問題全国研究集会
(広島)
日
月3日
月
月
2月
月
日
日
日
神奈川・日本・世界のできごと
「 日 本 の 未 来 応 援 会 議 ~〝 ち い さ な 企 業 〟
が日本を変える」(
「未来会議」
)
第一回総会
国内原子力発電所、すべて停止
(第 次)
安倍晋三内閣成立
「 小 規 模 企 業 の 事 業 活 動 の 活 性 化 の ための
中小企業基本法等の一部を改正する等の法
律」(
「小規模活性化法)
成立
「日本再興戦略」(閣議決定)
「未来会議」
を
「成長本部」
に格上げ
2
3
6
49
50
26
14
44
45
5
17
16
17
41
17
月 ・ 日
月
月
12
20
2013
(平成
)年
24
30
13
14
2014(平成
9
1
268
269
10
2
12
6
24
42
15
16
6
40
25
14
15
2
25
29
21
22
25
27
12
13
25
4
5
29
21
14
15
26
13
11
12
9
19
13
14
43
11
4
6
7
10
11
4
7
6
44
24
25
26
付録
2015(平成
)年
27
月
月
第 回全県経営研究集会
(ワークピア横浜)
神奈川同友会・中同協のできごと
日
日
日
日
日
日
月 ・ 日
月
・ 日
日
日
日
月 ・ 日
政 策 委員 会・報 告
「 景 況 調 査の 意 義 と調 査
内 容 案 に つ い て 」報 告 者: 玉 川 大 学 助 教 長谷川英伸氏
かわさきビジネスリゾート2014
神 奈 川 同 友 会 第 回 定 時 総 会( ロ イ ヤ ル
ホールヨコハマ」
)
第 回女性経営者全国交流会
(熊本)
川 崎 支 部・ 政 策 委 員 会・ 青 年 部 会・
「 2014 年 度 中
KDWOME N合 同 例 会
小企業憲章月間企画」
産学交流委員会主催特別講演会
「社会貢献
で経 営の成 功をつかむ」報 告 者:横 浜 市 立
大学教授 影山摩子弥氏
中同協第 回定時総会
(新潟)
第 回政策委員会
「 2020 年 神 奈 川 同 友
会 ビ ジ ョンへの 提 言 につい て 」問 題 提 起:
㈱ミナロ社長 緑川賢司氏
第 回政策委員会
「 中 小 企業 向け 増 税 案に
関わる状況と反対運動の展開の具体化につ
いて」
神奈川県産業労働局産業・観光部中小企業
支援課との意見交換
第 回青年経営者全国交流会
(奈良)
月
月
月
月
日
日
日
日
日
政策委員会&第 回エネルギーシフト学習
会
(以後、第 回まで開催)
日
第 回共育講演会
「コミュニケーションを
大事にした企業づくり」
講師:日鐵鋼業㈱・
広島同友会 能登伸一氏
横浜市経済局中小企業振興部との意見交換
会
日
日
第 回かながわ経営フォーラム・講師:経
済再生担当大臣 甘利明氏
日
第 号 神 奈川同友 会景 況調 査報 告
( K Dレ
発表
ポート、2014年7 8月期)
月
日
月 ・ 日
月
日
日
日
月5日
9月
日
24
月
30
日
第 回中小企業問題全国研究集会
( 横 浜・
神奈川同友会設営)
7月
月
第 号 神 奈川同友 会景 況調 査報 告
( K Dレ
発表
ポート、2015年1 3月期)
8月
日
18
日
神奈川同友会第 回定時総会& 周年記念
式典
(関内・
「ロイヤルホールヨコハマ」
)
9月 日
( ロ イ ヤ ルホ ール
第 回全県経営研究集会
ヨコハマ)
月
第 回女性経営者全国交流会
(岡山)
50
第 回青年経営者全国交流会
(山梨)
中同協第 回定時総会
(岩手)
-
7
21
11
52
12
19
6月 ・ 日
7月9・ 日
9月 ・ 日
月 日
47
6
10
-
1
8
45
2
日
16
月
30
神奈川・日本・世界のできごと
「 小 規 模 企 業 振 興 基 本 法 」(
「小規模基本
法」
)
・
「 商工会 及 び商工会 会 議 所による小
規模事業者の支援に関する法律の一部を改
正する法律」(
「小規模支援法」
)
成立
「日本再興戦略」
改訂2014
(閣議決定)
内閣改造による
「地方創生担当大臣」
および
「まち・ひと・しごと創生本部」
設置
日本銀行、金融緩和
(
「バズーカⅡ」
)
「GDPショック」
安倍首相、2018年 月の消費税率 %
引上げの 年半の延期・衆議院解散を表明
(第 次)
安倍晋三内閣成立
「日本再興戦略」改訂2015
(閣議決定)
「中小企業需要創生法」成立
「 中 小 企 業における 経 営の承 継の円 滑 化に
関する法律」
(
「承継円滑化法」
)
成立
「 労 働 者 派 遣 事 業の適正な運 営の確 保及 び
派遣労働者の保護等に関する法律等の一部
を改正する法律」
(労働者派遣法改正)
成立
「安全保障関連法」成立
環太平洋パートナーシップ
(TPP)
協定交
渉、
「大筋合意」
270
271
25
18
10
3
13
43
10
31
5
6
27
1
20
24
17
7
18
3
6
9
51
20
19
10
10
11
1
10
46
14
11
18
4
11
26
17
4
3
15
16
25
12
13
17
9
10
11
14
15
29
18
19
2
29
42
3
3
18
4
6
7
9
10
5
11
付録
付録 (二)役員・事務局一覧
1965(昭和 )
年度 滝川三郎
-
-
副代表理事
1966(昭和 )
年度 柏木利雄・井上博・
山本斉
-
代表理事
年度 柏木利雄・井上博・
1967(昭和 )
山本斉
-
年度
年度 柏木利雄・井上博・
1968(昭和 )
山本斉
事務局長
藤田秀春
藤田秀春
藤田秀春
山本斉
佐藤門之丞
西本静雄
西本静雄
児島東吾
児島東吾
児島東吾
西本静雄
1969(昭和 )
年度 大和田武
山本斉
佐藤門之丞
藤田秀春
年度 大和田武
1970(昭和 )
玉木清雄・金子政喜
-
年度 大和田武
1971(昭和 )
年度 大和田武
1972(昭和 )
山谷定義・川久保正夫
田中秋範・金子政喜
荒井照雄
荒井照雄
佐藤門之丞
佐藤門之丞
相田邦夫・伊藤実
相田邦夫・伊藤実
相田邦夫・倉田弘江・伊藤実
相田邦夫
児島東吾
児島東吾
事務局員
1975(昭和 )
年度 大和田武
荒井照雄
相田邦夫・伊藤実
-
1976(昭和 )
年度 大和田武
川久保正夫・広川正司
荒井照雄
相田邦夫・伊藤実
1973(昭和 )
年度 大和田武・田中秋範・
金子政喜・河本隆保
年度 山谷定義
1978(昭和 )
荒井照雄
-
年度 山谷定義
1979(昭和 )
年度 大和田武
1974(昭和 )
1980(昭和 )
年度 山谷定義
大竹脩一・川久保正夫・田中秋範・ 荒井照雄
玉木清雄・広川正司
年度 山谷定義
1977(昭和 )
石岡新
相田邦夫・伊藤実・柳川たづ江
石岡新
相田邦夫・柳川たづ江
遠藤博之
荒井照雄
遠藤博之
玉木清雄・田中秋範・広川正司
太田義男・川久保正夫・宮田泰敬
年度 山谷定義・奥住荘介
1981(昭和 )
太田義男・川久保正夫・宮田泰敬
太田義男・小笠原博・川久保正夫・ 荒井照雄
宮田泰敬
1983(昭和 )
年度 大竹脩一
石岡新
1982(昭和 )
年度 大竹脩一
1984(昭和 )
年度 山谷定義・大竹脩一・
菅野信一
太田義男・川久保正夫・宮田泰敬・ 遠藤博之
鈴木孝昌
杉山隆一
川久保正夫・宮田泰敬・鈴木孝昌
高橋静枝・宮川豊
遠藤博之
年度 山谷定義・大竹脩一・
1985(昭和 )
菅野信一
高橋静枝・宮川豊
杉山隆一
遠藤博之
高橋静枝・宮川豊
杉山隆一
有馬俊一・菅沼英秋・矢沢登・
中丸一男・青野新一
遠藤博之
遠藤博之
有馬俊一・菅沼英秋・矢沢登・
中丸一男・青野新一
遠藤博之
高橋静枝
(遠藤博之)
高橋静枝・宮川豊
遠藤博之
年度 宮田泰敬
1991(平成3)
菅沼英秋・有馬俊一・中丸一男
遠藤博之
上野貴之
(遠藤博之)
高橋静枝
1992(平成4)
年度 宮田泰敬
菅沼英秋・有馬俊一・中丸一男・
金子和夫
宮川豊
遠藤博之
1993(平成5)
年度 宮田泰敬
有馬俊一・斉藤秋造
宮川豊
宮田泰敬・有馬俊一・矢沢登・
太田義男・川久保正夫
年度 大竹脩一
1986(昭和 )
年度 菅野信一
1987(昭和 )
1988(昭和 )
年度 菅野信一
年度 宮田泰敬
1989(平成元)
1994(平成6)
年度 宮田泰敬
有馬俊一・斉藤秋造・神座磯男
上野貴之
(遠藤博之)
高橋静枝
1995(平成7)
年度 宮田泰敬・金子和夫
有馬俊一・斉藤秋造・神座磯男
宮川豊
上野貴之・野澤奈々子
上野貴之
(遠藤博之)
矢沢登・有馬俊一・中丸一男・
青野新一
1996(平成8)
年度 宮田泰敬・金子和夫
宮川豊
高橋静枝
1997(平成9)
年度 宮田泰敬・金子和夫
有馬俊一・斉藤秋造・神座磯男
宮川豊
遠藤博之
年度 宮田泰敬・金子和夫
1998(平成 )
有馬俊一・神座磯男
宮川豊
遠藤博之
年度 宮田泰敬・金子和夫
1999(平成 )
石渡裕・斉藤秋造
1990(平成2)
年度 宮田泰敬
2000(平成 )
年度 宮田泰敬・金子和夫
石館治良・石渡裕・斉藤秋造・
神座磯男
上野貴之・野澤奈々子・給前祐介
2001(平成 )
年度 宮田泰敬
272
273
41 40
42
43
48 47 46 45 44
55 54 53 52 51 50 49
57 56
59 58
60
63 62 61
13 12 11 10
年度 橋本日吉・横須賀健治
2007(平成 )
2006(平成 )
年度 西幹雄
2005(平成 )
年度 橋本日吉・石渡裕
2004(平成 )
年度 橋本日吉・神座磯男・
石渡裕
小林雅人・酒匂雅隆・西幹雄・
堀江裕明・水口勉
石渡裕・西幹雄・渡辺安好
石渡裕・木村教義・西川三郎・
西幹雄
石渡裕・橋本日吉・横須賀健治
西幹雄・横須賀健治
斉藤秋造・高橋良治・西幹雄
石渡裕・神座磯男・高橋良治・
橋本日吉
石渡裕・倉田富雄・神座磯男・
橋本日吉
上野貴之
上野貴之
上野貴之
給前祐介・小星知敬・山本潤
上野貴之
(代理) 給前祐介・内藤清香・小星知敬
宮川豊
給前祐介・小星知敬・山本潤
上野貴之
(代理) 給前祐介・小星知敬
宮川豊
給前祐介・小星知敬・山本潤
上野貴之
(代理) 給前祐介・小星知敬
宮川豊
給前祐介・小星知敬・山本潤
上野貴之・給前祐介・内藤清香
上野貴之・給前祐介
上野貴之・野澤奈々子・給前祐介
事務局員
2008(平成 )
年度 橋本日吉・横須賀健治
小林雅人・酒匂雅隆・西幹雄・
堀江裕明・水口勉
給前祐介・小星知敬・山本潤
事務局長
2009(平成 )
年度 橋本日吉・石渡裕
岡野美紀子・小林雅人・佐々木雅一・ 上野貴之
田波幸子・水口勉
給前祐介・小星知敬・山本潤
副代表理事
年度 石渡裕・酒匂雅隆・
2011(平成 )
堀江裕明
岡野美紀子・小林雅人・佐々木雅一・ 上野貴之
田波幸子・水口勉
代表理事
年度 石渡裕・酒匂雅隆・
2012(平成 )
堀江裕明
岡野美紀子・小林雅人・佐々木雅一・ 上野貴之
田波幸子
年度
2013(平成 )
年度 石渡裕・酒匂雅隆・
堀江裕明
給前祐介・小星知敬・山本潤
0
5,000
10,000
15,000
20,000
25,000
30,000
35,000
(注)数字は当該年の 5/1 時点(定時総会)の会員数 (資料)中小企業家同友会全国協議会調べ
40,000
45,000
年度 石館治良
2003(平成 )
2010(平成 )
年度 橋本日吉・石渡裕
(人)
50,000
2002(平成 )
年度 石館治良
2014(平成 )
年度 石渡裕・酒匂雅隆
給前祐介・小星知敬・山本潤
-
上野貴之
年度 酒匂雅隆・高橋良治・
2015(平成 )
水口勉
全国
神奈川
(人)
800
700
600
500
400
300
200
100
0
(注)
①1969 1973は理事長・副理事長制 ②-は不在
(注)
①佐藤門之丞氏は専務理事 ②
( )
内は嘱託
岡野美紀子・小林雅人・佐々木雅一・ 上野貴之
新田英通・星野妃世子
14
22
274
275
15
16
19 18 17
21 20
23
24
25
26
27
-
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
1998年
1997年
1996年
1995年
1994年
1993年
1992年
1991年
1990年
1989年
1988年
1987年
1986年
1985年
1984年
1983年
1982年
1981年
1980年
1979年
1978年
1977年
1976年
1975年
1974年
1973年
1972年
1971年
1970年
1969年
1968年
1967年
1966年
1965年
付録 (三)中小企業家同友会会員数推移(神奈川・全国)
付録
)
年度
50
46
)
年度~1982
(昭和
)
年度~1986
(昭和
)
年度~1988
(昭和
1990
(平成2)
年度~2004
(平成
横浜市西区北幸町2 2
横浜市神奈川区御殿町5
横浜市中区相生町5
横浜市中区南仲通439
横浜市神奈川区台町7
横浜市弁天通2
横浜市南区吉野町1
松田ビル3階
新目ビル4階
2 ハイツ横浜713号
宮田ビル3階
1 ライオンズマンション関内803号
3
横浜市西区浅間町1 6
横浜市中区尾上町5
ます。
小金井ビル4階
神奈川中小企業センタービル3階
す。また、見る立場からも伝説の誕生に対する期
伝説になりたいとまで発言するアスリートもいま
聞くようになりました。さらには、記憶を超えて
近年のスポーツの世界では、記録を残すより記
憶に残る選手になりたいという選手自身の発言を
業の記録というものは、
大企業のそれと比べると、
握することが重要だと考えます。ことに、中小企
資料からだけでなく、その存在の全体・全面を把
在の歴史を記述する場合、できれば、限定された
できませんが、中小企業経営者、企業家という存
同友会運動の歴史を記述する際に、上に述べた
ような根本的な問題の検討にまで立ち入ることは
待もあります。正確な記録よりもより曖昧な伝説
界があります。
したがって、
中小企業経営者にあっ
企業の経理資料の公開・非公開も含めて大きな限
なった と い う こ と で し ょ う か 。
り起こされ、従来の資料に加えて、歴史資料とさ
ます。つまり、口伝、伝承が新たに注目され、掘
対する批判が、これまた、近年浮かび上がってい
なると考えられます。そうすれば、同友会の歴史
すれば、それ自体、問題の社会的解決力の基礎に
遇する諸問題を記録し、整理し、できるだけ公開
社内の経理公開は以前と比較すればかなり進ん
でいると思いますが、経理文書を超えた経営上遭
ては、積極的に記録を残すことが、重要な経営要
件になっていると言えます。
れるようになってきています。また、資料も、文
されてしまう傾向があります。そのような傾向に
伝統的な実証主義歴史学の場合には、伝説や記
憶があっても、記録がないと歴史にはならないと
の方に、感動のより深く高い価値を感ずるように
あとがき 同友会運動の記録と記憶
書だけでなく、非文字の資料が重視されてきてい
(注)①住居表示は当時のものです。
②
創設
から1971年度までは会員企業であった佐伯螺子工業株式会社の事務所に同居させてもらっていました。
③
1972年度以降,独立の事務所となりましたが,会員の便宜・支援を受けてきています。
)
年度
)
年度
)
年度
)
年度
)
年度
)
年度
57
)
年度~1975
(昭和
61
2005
(平成 )
年度~2014
(平成
-
付録 (四)事務所移転(年度別)
1968
(昭和 )
年度~1971
(昭和
1972
(昭和
1976
(昭和
1983
(昭和
63
1989
(昭和 ・平成元)
年度
1987
(昭和
40
2015
(平成 )
年度
-
23
-
16
-
10
47
276
277
-
51
16
-
79
-
-
-
80
58
26
-
28
-
62
64
17
27
も、日本の歴史そのものもさらに豊かなものにな
るでし ょ う 。
最後に、この『神奈川同友会五〇年史』を読ん
でいただき、そこに記述されているひとこまひと
こまに、会員の方々がそれぞれに自社の、企業経
営者としての自らの歴史を書き加えることを期待
してい ま す 。
参考文献一覧
愛知中小企業家同友会(二〇一二)
『道なきみちを―愛知中小企業家同友会五〇年史―』中日新聞出版部
青木昌彦(二〇一四)
『青木昌彦の経済学入門―制度論の地平を拡げる』筑摩書房(ちくま新書)
大阪府中小企業家同友会(二〇〇八)
『輝く大阪 大阪府中小企業家同友会創立 周年記念誌』
沖縄県中小企業家同友会(二〇〇八)
『創立 周年記念誌一九八七 二-〇〇七』
神奈川新聞編集局(二〇一〇)
『かながわの記憶 報道写真でたどる戦後史』神奈川新聞社
周年記念誌』
群馬中小企業家同友会(二〇一四)
『創立
武井君夫(一九九九)
『斉藤万太郎の歩み』横浜乾物株式会社
田山謙堂(一九九五)
『同友会運動の歴史と理念』中小企業家同友会全国協議会
同(二〇一三)
『変革と継承』中小企業家同友会全国協議会・鉱脈社
中小企業家同友会全国協議会(一九九九)
『中同協三〇年史』
中小企業家同友会全国協議会(一九九九)
『中同協四〇周年記念誌』
千葉県中小企業家同友会(二〇一五)
『翔はばたき 創立 周年記念誌』
日本経済新聞社編(一九八三)
『神奈川の中堅一二〇社』日本経済新聞社
50
研究所
浜銀総合研究所調査部(一九九九)
『神奈川経済の軌跡 戦後の神奈川県経済・社会の発展過程』浜銀総合
40
福岡県中小企業家同友会(二〇一三)
『同友 創立 周年記念誌一九六三 二-〇一三』
周年記念誌』
山口県中小企業家同友会(二〇一四)
『
50
278
279
20
40
20
資料一覧
総会議案書
神奈川県中小企業家同友会「総会議案書」第一回~第五二回(一九六五年~二〇一五年)
機関誌
神奈川県中小企業家同友会「同友会ニュース」第一号~第四九号(一九六四年~一九七一年)
神奈川県中小企業家同友会「同友会報」第五〇号~第五二号(一九七一年)
神奈川県中小企業家同友会「同友会ニュース」
神奈川県中小企業家同友会「同友」
二~
二三(一九七四年~一九七七年)
神奈川県中小企業家同友会「同友神奈川」第五三号~第五六号(一九七二年~一九七三年)
神奈川県中小企業家同友会「神奈川同友」
一~
(二〇〇一年~二〇一五年)
一七七(一九七七年~二〇〇〇年)
一~
no.
思います。
となりました事、心からの感謝を書き添えたいと
奈川新聞社担当各位のご努力の上に、刊行の運び
大林氏には大変なご苦労をお掛けしました。言
葉に言い表せないほどの感謝と編纂委員各位・神
います。
い、神奈川同友会の発展を展望できると確信して
会員各位が、また、これから入会される方が読
まれ、伝え続けていく事が、先輩諸氏の努力に報
く、私たちの役割・使命を学べます。
知り、次の五〇年が「中小企業の時代」になるべ
頂きました。本文と付録で神奈川同友会の歩みを
神奈川同友会の輝く未来を築く上で貴重な「資
料」が出来上がりました。諸先輩から投稿もして
ありました。
で持続的発展に繋がると活動してきた五〇年でも
できます。この中小企業運動が、日本経済の健全
者の大きな志と熱い思い、その実践を知ることが
神奈川県中小企業家同友会「doyu kanagawa」
(支部等の)機関誌
編集後記
諸事情がありましたが、本文を主筆頂いた大林
氏には、理事会側の対応が遅れてご迷惑をお掛け
致しました。本文は書き上がっておりましたので、
短期決戦の編纂委員会でありました。大林氏から
は、何度か「もっと前からこうした委員会を開き
たかった」と言われましたが、中味の濃い検討が
少しは で き た か と 思 い ま す 。
「未来に向けて 新たな五〇年へ」の終章では、
「神奈川同友会の波乱の歴史とその今日的到達
点は、 誇 る べ き 歴 史 と し て 存 在 し て い る … 」
「少数の片隅の運動から、今日の経済・社会の
あるべき大道を正々堂々と歩むに至る中小企業運
動…」
この文章が神奈川同友会五〇年の歴史を見事に
表現されていると思います。五〇年史には、先達
no.
神奈川県中小企業家同友会「同友かながわ」
神奈川県中小企業家同友会「中小企業家しんぶん 神奈川版」(一九七七年~一九八一年)
神奈川県中小企業家同友会「神奈川同友会速報」(一九七七年~一九八一年)
no.
no.
280
281
no.
no.
委員 石渡 裕
委員 石館治良
委員 大林弘道
委員長 高橋良治
(元副代表理事)
(元代表理事)
(元代表理事)
(神奈川大学名誉教授)
(代表理事)
神奈川 県 中 小 企 業 家 同 友 会
年史 編 纂 委 員 会
委員 斉藤秋造
(理事)
(理事)
委員 齋藤英夫
(事務局長)
委員 星野妃世子
委員 上野貴之
282
283
50
未来に向けて新たな50年へ
神奈川県中小企業家同友会50年史
2015年12月25日 発行
頒価 2,000円
編集 神奈川県中小企業家同友会50年史編纂委員会
発行 神奈川県中小企業家同友会
〒231-0015 横浜市中区尾上町5-80
神奈川中小企業センタービル3F
電 話 045-222-3671
FAX 045-222-3672
印刷 神奈川新聞社
283
282
神奈川県中小企業家同友会
神奈川県中小企業家同友会50年史
50
年へ
未来に向けて
新たな50年へ
未来に向けて新たな
NAGAWA DOYU’
s 50thAnniversary History Book
年史
50
神奈川県中小企業家同友会
神奈川県中小企業家同友会
頒価 2,
000円
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