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No.81~90(PDF:4.7MB)

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No.81~90(PDF:4.7MB)
∼4/2㈪
手仕事の仲間展(大野博史・久美子、藤沢裕子、有原和代)
∼4/2㈪
手作り作品展(西山、長谷、下口)
∼4/2㈪
川辺浩個展(絵画)
4/18㈬∼23㈪
中谷伸次個展(絵画)
4/25㈬∼30㉁
【ギャルリVEGA】
4/8㈰∼14㈯
伊澤友梨墨彩画教室作品展
4/18㈬∼23㈪
手描き染色しらゆり会作品展
4/25㈬∼30㉁
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
第53回池田市美術展(絵画)
皆さんで 活 性 化 を
に 高 ま り ま し た。 日 本 は こ れ か ら ど
う な っ て い く の か。 身 分 や 階 層 に 関
係 な く、 日 本 中 の 人 び と が で き る だ
け 多 く の 情 報 を 求 め て 活 動 す る。 ま
さ に﹁ 情 報 社 会 ﹂ と も 言 い 得 る 社 会
状 況 が 形 成 さ れ た の で す︵ 詳 し く は、
岩 田 み ゆ き﹃ 黒 船 が や っ て き た 幕 末
の 情 報 ネ ッ ト ワ ー ク ﹄ 吉 川 弘 文 館、
2005年を参照︶
。
ろでした。アメリカ艦隊が江戸湾︵現
黒船来航の衝撃と池田
東 京 湾 ︶ に と ど ま る こ と に よ っ て、
商業が停滞してしまうことを懸念し
も ち ろ ん、 池 田 の 人 び と も 黒 船 来
航 に 大 き な 関 心 を 寄 せ て い ま し た。 ています。
そ れ で は、 稲 束 小 兵 衛 は ど の よ う
た と え ば、 当 時 中 之 町︵ 現 綾 羽 1・
にしてこれらの情報を入手していた
2丁目あたり︶で商売を営んでいた
の で し ょ う か。 6 月 日 の 日 記 に、
稲束小兵衛は 185 3年6月 日付
小兵衛は大阪の商人たちと談話した
の 日 記 に﹁ 浦 賀 港 へ、 北 ア メ リ カ ワ
と 記 し て い ま す。 ま た、 6 月 日 の
シントンという所の商船 4艘入港﹂
日 記 に つ い て は、 大 阪 か ら 来 た 商 人
し、﹁大騒動﹂と書き記しています︵
﹃池
茶碗屋伊兵衛の話が情報源だったよ
。実際
田市史﹄史料編⑤ 稲束家日記︶
うです。
に来航したのは商船ではなく軍艦で
全国的な規模でさまざまな商品が
す が、 来 航 の 場 所 や 船 の 数 な ど、 ほ
流 通 し て い た 江 戸 時 代 後 期、 こ の 流
ぼ正確に情報をキャッチしていたこ
通 網 を 通 じ て、 商 人 た ち は 商 品 と と
とが分かります。
4/8㈰∼14㈯
幕末池田と
﹁情報社会﹂
現代の私たちはテレビやインター
ネットを通じて、世界や日本の政治・
経 済 の 動 き、 あ る い は 災 害 の 発 生 な
ど、 こ れ ら の 情 報 を す ぐ に 入 手 す る
こ と が で き ま す。 安 心 な 生 活 を 保 つ
た め に も、 情 報 は 不 可 欠 と い っ て 過
言 で は あ り ま せ ん。 こ の こ と は テ レ
ビやパソコンのない時代を生きてい
た 人 び と に と っ て も 同 じ で し た。 今
回 は 今 か ら 15 0 年 前 の 幕 末 と い う
時 代 に お け る﹁ 情 報 ﹂ に 注 目 し た い
と思います。
﹁情報社会﹂としての幕末
第53回池田市美術展(書)
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで、池田市美術展は10:00∼
17:00で最終日は15:00まで)
【休館日】火曜日(4/10は除く)
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
黒川文子水墨画展
さん
15
15
18
稲束小兵衛の肖像画
も に 多 く の 情 報 を 交 換 し て い ま し た。
1 8 5 3 年 6 月 3 日、 浦 賀 沖︵ 現 黒 船 来 航 の 情 報 に 接 し た 小 兵 衛 が
黒 船 来 航 の 情 報 も、 こ の 商 人 同 士 の
気 に か け て い た の は﹁ こ の 事 件 が 戦
横須賀市︶に 4隻からなるアメリカ
情 報 ネ ッ ト ワ ー ク に よ っ て、 稲 束 小
争につながるのではないか﹂という
艦 隊 が 来 航 し ま し た。 い わ ゆ る ペ リ
兵衛のもとに届いたものと考えられ
こ と で し た。 6 月 日 に は 黒 船 来 航
ー 来 航 =﹁ 黒 船 来 航 ﹂ で す。 こ の 事
ます。
﹁情報社会﹂のなかで、幕末の
に関してより詳しい情報を入手して
件はまさに日本中を揺るがす大事件
池 田 も ま た、 激 動 の 時 代 の 渦 に 巻 き
い ま す が、 そ の 情 報 を も と に﹁ や は
でした。
込まれていくこととなるのです。
こ の 黒 船 来 航 を き っ か け と し て、 り 交 易 を 望 ん で い る と の こ と で、 軍
︵ 日 本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員・ 後 藤
兵︵= 戦 争 ︶ な ど の こ と は あ る ま じ
日本中にいろいろな情報が飛び交う
敦史︶
く存じ候﹂という予想を記していま
こ と と な り ま す。 強 大 な 軍 事 力 を 伴
問い合わせは生涯学習推進課市史
す。また、商人である小兵衛としては、
った外国艦隊の出現という未曾有の
編纂︵℡754・6674︶
商業への影響も非常に気になるとこ
危 機 に よ っ て、 人 び と の 不 安 が 急 激
18
【ギャラリーいけだ】
市史編纂だより
12
安政の東南海大地震
1854年 月、東海大地震︵4
日︶と南海大地震︵5日︶が起きま
した。この大地震により、日本列島
全体が大きな被害を受けました。治
左衛門はこの大地震についても﹃諸
国稀代大変の事﹄という史料を書き
残しています。このタイトルのとお
り、大地震は﹁稀代大変﹂の事態を
もたらしました。5日の大地震によ
り、大阪湾には津波も襲います。地
震と津波という二重の大災害を前に、
治左衛門は﹁書くも言うも休むこと、
あたわず﹂と書いています。
分で集めた情報を基に治左衛門が作
成したものです。
この中にはたくさんの情報が記さ
れ、例えば﹁亜黒利加詞﹂と題して、
英単語まで書かれています。しかし、
﹁めでたい﹂を﹁きんば﹂
、﹁うれしい﹂
のこ
を﹁さんちよろ︵ Thank you
と?︶﹂ と 書 く な ど、 英 単 語 に つ い
てはあまり正確な情報ではなかった
﹁諸国稀代大変の事﹂
ようです。それでも﹁集めた情報を
とにかく記録に残しておこう﹂とい
急速に進む国際化と国内を襲う大
う治左衛門の熱い思いが伝わってき
きな災害⋮。このように書くと、ま
ます。
さに現代日本の状況を表わしている
治左衛門はその記録の中で、アメ
ようです。しかし、実は約150年
リカ艦隊の帰帆によって動員された
前の幕末といわれる時代もまた、国
人 々 も 故 郷 に 帰 る こ と が で き、﹁ い
際化の波と災害に人々が直面した時
よいよ国穏やかに相成り候﹂と書い
代でした。その幕末の時代、今在家
ています。しかし、日本の歴史はこ
村︵現豊島南辺り︶で庄屋を務めて
の 黒 船 来 航 以 後 に こ そ、
﹁穏やか﹂
いたのが、中田治左衛門という人物
ならぬ激動の時代に入るのです。
です。激動の時代の中で、彼は多く
の出来事を記録に書きとどめました。
黒船来航と 治 左 衛 門
さん
1853年6月3日、浦賀沖︵現
横須賀市︶にペリー率いるアメリカ
艦隊が来航しました。この事件をき
っかけに、日本社会は大きく揺れ動
くこととなり ま す 。
アメリカ使節ペリーは1854年
1月に再び江戸湾に来航し、同年3
月、徳川幕府とアメリカとの間で日
米和親条約が結ばれます。治左衛門
が 書 き 残 し た 記 録 の 中 に、
﹃亜黒利
加再来入﹄という史料がありますが、
これはこの一連の事件について、自
11
市史編纂だより
また﹃諸国稀代大変の事﹄の最後
に、彼は次の歌を書き記しました。
﹁とやかくと 思ひし心 あだ事よ
地震津波を 見るにつけても﹂
これは、地震・津波という災害を
前にすると、あれこれ考えることも
無駄なことのように感じる⋮という
意味です。しかし、治左衛門の﹁絶
望﹂を表わしたものではありません。
む し ろ、 あ れ こ れ と 不 安 に 考 え ず、
とにかく今の時代を生きるんだとい
う彼の決意すら感じられます。
その証拠に、治左衛門の残した史
料をたくさん含む﹁今在家村中田家
文書﹂からは、明治維新ごろまで実
直に庄屋の仕事を行いながら激動の
時代を生き抜いた、彼の確かな﹁足
跡﹂をたどることができます。それ
は、同じように﹁大変﹂な時代を生
きる現代の私たちに向けた、幕末の
池田を生きた一人の人物からの﹁メ
ッセージ﹂ともいえるでしょう。
︵ 日 本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員・ 後 藤
敦史︶
問い合わせは生涯学習推進課市史
編纂︵☎753・6674︶
【ギャルリVEGA】
5/23㈬∼28㈪
5/30㈬∼6/4㈪
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
5/16㈬∼21㈪
5/16㈬∼21㈪
アトリエMORI作品展
2012 ザ・スペース小品展
米倉健史 キルトアート教室生徒展
近藤雄士 木の家具展
大阪空港カルチャースクール・箕面駅前スク
ール第10回合同展
工房 悠 作品展
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
5/2㈬∼7㈪ 【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 5/9㈬∼14㈪ 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
「安政の南海大地震の絵」
長井正義・森邦彦 二人展
5/2㈬∼7㈪
∼写生から抽象への展開∼第30回あおにしちかこ展
5/9㈬∼14㈪
兄・妹展(角田郁夫・伊澤友梨)
5/16㈬∼21㈪
吉岡律子絵画展
5/23㈬∼28㈪
鍛治ゆう子作陶展
5/30㈬∼6/4㈪
12
さん
10
にぎわう呉服座
10
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
6/6㈬∼11㈪
6/13㈬∼18㈪
6/20㈬∼25㈪
6/20㈬∼25㈪
6/27㈬∼7/2㈪
工房 悠 作品展
岡田元史・大和絵展
本荘正彦 花彩りの木版画展
ジャポニズムモダンin半蔵作品展
池高七期のアートな仲間展
川口もと子・川口恵 二人展(絵画)
呉服座で芝居見物
【ギャルリVEGA】
∼6/4㈪
6/6㈬∼11㈪
6/13㈬∼18㈪
6/20㈬∼25㈪
6/27㈬∼7/2㈪
鍛治ゆう子作陶展
山路均 第四回 油彩展
祐紀油彩画展
塩屋信敏「犬と椿のコラボ展」(絵画)
高村喜美子作品展
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 ∼6/4㈪ 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
す。ヨモギ・センダンは整腸・鎮痛・
駆虫・止血に効き目のある薬草の上に
25
44
香りが強い。尚武に通じるショウブと
巡業の一座を迎える所もあったでし
ともに、邪気を払い一年の健康を念じ
ょうが、池田には常設の芝居小屋があ
ました。頭に巻くと頭痛が治るとの言
ったので、そこで豆芝居向けの興行が
い 伝 え も あ り ま す ﹃ 新 修 池 田 市 史 ﹄ 掛かりました。昭和 ︵1935︶年
(
第5巻 。)
ごろには、呉服座に豆芝居見物に行く
端午の節句は午の月の初午の日、午
ことが年中行事だったといいます ﹃池
(
と五が重なる重日でとりわけ忌むべき
田・昔ばなしと年中行事﹄ほか 。)呉
端午の節句に豆芝居
日でしたから、邪気を払う必要があっ
服座は西之口の呉服橋の南、猪名川堤
たのです。
1
防沿いに明治
5月5日は端午の節句、池田では旧
( 89 2 年
) に移築
あるいは改築され、回り舞台に広い花
暦に合わせて一月遅れの6月5日に祝
豆
芝
居
の
季
節
道を持ち、平場・出席・桟敷と定員3
うことが多かったそうです。そのころ
端午の節句時分はムギが黄ばみ、畔
50人ほどもある立派な芝居小屋でし
行われたのが豆芝居です。といっても、
にソラマメが実るころ。田起こし・代
た︵
﹃新修池田市史﹄第3・5巻︶
。
懐かしいと覚えておられるのは、もう
かき・苗代作りと早春から続いた春の
豆芝居が近づくと、赤パッチをはい
年配の方だけでしょうか。
農作業が一段落する時期で、田植え前
た東西屋 チ
( ンドン屋 が
) ﹁オバンの
端午の節句 に 邪 気 払 い
の骨休みに芝居見物。豆芝居という年
好 き な 豆 芝 居、 さ あ い よ い よ 始 ま り、
中行事がありました。池田学講座﹁明
始まり﹂と、芝居興行を触れ回ります。
さて、節句の前日の6月4日、池田
治大正の文学と池田︵平成 年 月
猪名川の河原まで幟が立ち並び、池田
ではヨモギ・センダン・ショウブを束
日開催︶
﹂の中で、肥田晧三先生が池
だけでなく豊中・箕面・川西・能勢な
ねて屋根に放り上げて夜露を受け、翌
田の俳人・波々部柳雨が書いた﹁豆芝
どから客を集め、多い日には呉服橋ま
日はそれでショウブ湯をたてたそうで
居︵
﹃倦鳥﹄大正 年8月︶
﹂を俳句と
で人の波が続きました。演目は﹁忠臣
ともに紹介されています。
蔵﹂
﹁お染久松﹂
﹁ 八 百 屋 お 七 ﹂ な ど、
﹁池田・伊丹を中心として豊能・川
毎日変えて、興行は 日間ほど続きま
辺郡にわたりてのみに限り行はれてあ
す
。しかしその呉服座も昭和 年に閉
る﹂農家はもちろん商家の雇い人にも
鎖され、豆芝居の伝統は廃れました。
楽しみな行事だったといい、これを詠
豆芝居が終わると今度は田植え、梅
んだ句も載せています。
﹁待ち兼ねし
雨
の
季
節
と
な
り
ま
す
。
そこで柳雨﹁豆
年の行事の豆芝居﹂ 君女 ﹁豆芝居
芝居﹂からまた一句。
﹁豆芝居果てて
(
)
﹁豆
あたりの麦は黄ばみけり﹂ 青々︶
池田の夏の雨﹂
︵無山人︶
。
(
芝居豆の飯して日暮らせり﹂ 柳
( 雨 。) ︵池田市史編纂委員会専門委員・植木
豆ご飯を重箱に詰め、一升瓶も提げて、 佳子︶
一日芝居を楽しんだ様子が目に浮かび
問い合わせは生涯学習推進課市史編
ます。
纂︵℡754・6674︶
市史編纂だより83
10
19
11
18
12
新政権の受け入れ
13
こうなれば、もう疑うことはなく
なりますね。池田の町やその周辺の
村々の人々も、新しい天皇の政権の
存在をおとなしく受け入れます。
稲束家も3月3日には﹁ひいな祭
24 22
27
新修池田市史は好評発売中で
す。ぜひ、お買い求めください。
問い合わせは生涯学習推進課市史
編纂︵☎754・6674︶
ています。
﹁将軍会津付添い大坂御城明渡シ
にて、紀州どのヘ落ち行候風聞これ
あ り ﹂ と か、﹁ 大 坂 わ た し 船 往 来 と
まり、飛脚来らず﹂とか書かれてい
ます。池田でも大変な騒動だったこ
とは間違いありませんね。
必ずしも正確な情報が届いていた
わけではなさそうですが、それでも、
討幕戦争と池田の人々
政 権 の 動 向 は 気 に な っ た の で す ね。
一生懸命に情報を取ろうとしている
幕末から維新にかけてのころって
ではありませんか。
面白いですね。黒船はやってくるわ、
坂本龍馬は活動するわ、新選組は暴
池田にも薩摩藩兵士駐屯
れるわ⋮。要するに徳川時代の幕藩
り祝い﹂を行い、これには近所の娘
しばらくすると薩長側の政権確立
体制が行き詰まり、それに代わって
や子どもが 人も遊びに来ています。
は間違いないことが分かってきます。
明治政府が生まれ、いろんな人が自
また、同月 日には﹁天子様大阪ヘ
何よりも薩長それぞれから池田へも
分の個性とその能力を発揮した時代
御着き、御堂泊り﹂といった記事も
通達が回って、天皇の政権が出来上
なんですね。 生 き 生 き し て い ま す 。
出てきます。8月 日には天皇の即
がったこと、前将軍・徳川慶喜はそ
この時代のことをテーマに本を書
位のため、商売を休み、軒にはちょ
れ に 刃 向 っ た﹁ 朝 敵 ﹂﹁ 賊 将 ﹂ と し
いたら読まれるし、テレビでドラマ
うちんをつってお祝いをしたことも
て追討令を発せられたことが知らさ
を作ったら大勢の人が見てくれます。
書かれています。
れます。これが1月 日のこと。
何とも面白い も の で す 。
池田の町やその周辺の村々の人々
そして、それに続いて武装した長
では、当時池田の町やその周辺の
は政権の変動の渦中に割って入ろう
州 藩 の 兵 士 た ち が 郷 蔵 を 点 検 し て、
村々に暮らしていた人たちにとって、
とはせず、受け身だったということ
納め残りの年貢米を封印して回った
この時代はどういうものだったので
ですね。
り、薩摩藩の兵士が警備のため池田
しょうか。
︵ 池 田 市 史 編 纂 委 員 会 副 委 員 長・ 小
の町に駐屯したりするようになりま
田康徳︶
す。
飛脚来らず ⋮
さん
池田の稲束家の日記には、慶応 4
︵ 1 8 6 8、 こ の 年 9 月 か ら 明 治 と
改元︶年1月早々、京都に近い鳥羽・
伏見での合戦、また淀・八幡・橋本
などでの幕府方の敗北の様子、ある
いはその直前に起こった大阪市中の
騒動についての聞き書きが記録され
市史編纂だより
稲束家日記
高村喜美子作品展(絵画)
∼7/2㈪
大石美都里展(絵画)
7/4㈬∼9㈪
お∼い雲’
12 碇貴代司 パステル画展
7/11㈬∼16㈷
DREAM 川口美治(工芸)
7/18㈬∼23㈪
第5回野村よしお個展(絵画・バルーンアート) 7/25㈬∼7/30㈪
【ギャルリVEGA】
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
∼7/2㈪
川口もと子・川口恵二人展(絵画)
7/4㈬∼9㈪
版:女子会(版画)
7/4㈬∼9㈪
トールペイント 池田バラの会
7/11㈬∼16㈷
第12回ACF川西写真展「四季の山野草と花華」
7/18㈬∼23㈪
ギャルリVEGA真夏のサムホール展・前期
ギャルリVEGA真夏のサムホール展・後期 7/25㈬∼7/30㈪
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
12
40
8/8㈬∼13㈪
きもの座京都 作品展 (大東伸・鳴瀬直幸)
8/22㈬∼27㈪
きもの座京都 作品展 (鈴木啓子・光永鴻皇) 8/29㈬∼9/3㈪
【ギャルリVEGA】
武田育英学資金 さつき奨学金
くすのき奨学金
(武田育英基金) (池田市奨学基金)
(水本教育振興基金)
区分
ki:ki工房「板モノ箱モノ展」
8/22㈬∼27㈪
大阪大学美術部 夏部展
8/22㈬∼27㈪
8/29㈬∼9/3㈪
8,372,796 円
107,667,415 円
高校生私立
5,000 円/年
大学生
10,000 円/月
高校生公立
3,000 円/月
高校生私立
5,000 円/月
中学3年生
10,000 円/年
の受給額
小学6年生
5,000 円/年
1人
1,200,000 円
基金額
29
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
黄嘴会展(絵画)
8/1㈬∼8/6㈪
カルチャーVEGA教室 夏展
昭和 年に生存者叙勲を受けた武田
義三は﹁受賞は市民のおかげ﹂と述
べ、さらに 万 円 を 基 金 に 寄 付 し ま
した。現在、市立小・中学生各校 1
人が受給しています。
和紙のちぎり絵二人展(小山清子・池添小夜美)
20
さつき奨学金
12
8/1㈬∼8/6㈪
奥畑 司 油彩展
44
45
47
54
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日・8/15㈬∼8/20㈪
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
市史編纂だより85
さん
各奨学金の基金額および1人当たりの受給額
※基金額は 23 年4月1日現在。受給額は 23 年度当初予算
昭和 年、神田の一市民から、父
母 と 妻 の 法 事 に 際 し そ の 供 養 に と、
﹁教育のま ち 池 田 ﹂ を
匿名を条件に500万円が寄付され
ま し た。﹁ 家 庭 の 事 情 で 中 退 し て い
支え た 市 民 の 善 意
く高校生や高校進学をあきらめてい
る中学生のために﹂という意向を汲
﹁教育のまち池田﹂といわれる背
ました。その意向を受けて、市は水
み、市は﹁池田市奨学基金﹂を設立
景の一つに、市民の強い教育への関
本教育振興基金を設け、大学生と高
し、高校生を対象とした奨学金を制
心があります。その一例が池田市独
校生を対象とする﹁くすのき奨学金﹂
度化しました。
自 の 奨 学 金 制 度 と い え る で し ょ う。
として制度化しました。現在、大学
昭和 年には匿名の老人から﹁高
家庭の経済的事情で勉強を続けるの
生への給付型奨学金は珍しくなって
校 生 の 奨 学 金 に 充 て て ほ し い ﹂ と、
が困難な子どもたちには、国や市の
おり、大学生 人、高校生127人
100万円の有価証券が寄付されま
援助制度がありました。本市ではそ
が受給しています。
した。寄付者の意を受け、高校生を
れに加えて、市民の善意によって拠
対象とした﹁さつき奨学金﹂として
出された基金をもとにした奨学金が
経済的事情を要件に
制度化され、平成8年度からは﹁池
あります。
これらの奨学金は、拠出された基
田市奨学基金﹂と一体化して運用さ
︵本文敬称略︶
金 や 池 田 市 の 一 般 財 源 で 充 て ら れ、
れることになりました。その後も市
武田育英学 資 金
池田の子どもたちの教育を支援して
民の善意の寄付が蓄積され、現在高
います。なお、奨学金の受給要件に
校生 人が受給しています。
昭和 ︵1965︶年、戦後初の
あった﹁人物・学業共にすぐれ、か
公選市長であった武田義三は﹁経済
くすのき奨学金
つ健康な者で学資の支弁が困難な
的ゆとりがない家庭の小・中学生に﹂
者﹂という規定は、今では経済的事
昭 和 年 に は 市 を﹁ 第 2 の 故 郷 ﹂
と 万円を寄付、市は武田育英基金
情と人物評価が主な要件になってい
と呼ぶ篤志家の水本利光から、奨学
を設立し、小・中学生を対象とした
ます。
金にと現金1億円の寄付がありまし
奨 学 金 を 制 度 化 し ま し た。 そ の 後、
︵ 池 田 市 史 編 纂 委 員 会 専 門 委 員・ 横
た。水本はその動機を﹁勉強したく
武田市長の功績をたたえる像を建立
山篤夫︶
ても、十分な教育を受けられなかっ
するための寄付を募った時に、予定
問い合わせは生涯学習推進課市史
た青春時代の悔しさ﹂を思い出し﹁次
額を超える寄付金が集まり、その内
編纂︵☎754・6674︶
代を担う若者の教育資金に﹂と語り
の 万 円 が 基 金 に 寄 付 さ れ ま し た。
10
90
当たり
古本有理恵展∼緑の在るところ∼(銅版画) 8/8㈬∼13㈪
くの出来事をまとめた年表の発刊は、
池田では初めての試みです。
本文編すべてに目を通すのはなか
なか大変という方でも、この年表な
ら眺めるだけで池田の歩みが一目り
ょう然。さらに、時代の流れに沿っ
て 歴 史 を た ど る こ と が で き る の で、
本文編だけでは見えなかった新たな
発見があるかもしれません。
約5000項目の索引
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
黄嘴会展(絵画)
∼9/3㈪
木々を見上げ水辺にたたずむ 久保田敬英展(絵画) 9/5㈬∼10㈪
第12回グループ“翔”展(絵画)
9/12㈬∼17㈷
北浩二絵画教室展
9/19㈬∼24㈪
第11回深山会会員展(書)
9/26㈬∼10/1㈪
﹃新修池 田 市 史 ﹄ 完 結
別巻︵年表・索引編︶刊行
本文編の総ページ数は約4000
このほど﹃新修池田市史﹄シリー
ページ。そのため、各巻の目次だけ
ズの最終巻となる別巻︵年表・索引
では読みたい場所が見つけられない
編︶を刊行。平成5年から編さん作
場合もあります。
業を進めてきた﹃新修池田市史﹄全
そこで、索引語句として、約50
6 巻が完結し ま し た 。
00項目を厳選。関連項目も併記す
ることで、より見つけやすいように
池田の歴史 の 全 貌 が
工夫しました。
これまで刊行した本文編は全5巻。
お求めはこちら
ふるさと池田の基本図書
池田の考古・古代∼現代に至る歴史
販 売 場 所 = 市 役 所︵ 総 合 窓 口 課、
をはじめ、地理や民俗など、さまざ
今回の刊行で﹃新修池田市史﹄は
生涯学習推進課︶
、 歴 史 民 俗 資 料 館、
まな事柄を紹介しています。写真や
完結しました。これまで資料提供な
市 民 文 化 会 館、 カ ル チ ャ ー プ ラ ザ、
図版も多く取り入れ、分かりやすく
ど、多大なご協力をいただいた皆さ
いけだ市民文化振興財団、耕文堂書
多面的に記述しており、今のところ、
んに改めて感謝するとともに、この
店、甲川正文堂、ブックファースト
池田の歴史の一番詳しい図書といえ
﹃新修池田市史﹄が、ふるさと池田
池田店など 販売価格=第1巻︵地
ます。皆さん、もうお読みいただい
の歴史と文化を知る基本図書として、
理・ 考古・古代・中世編︶3500
たでしょうか 。
一人でも多くの方の役に立つことを
円、 第 2 巻︵ 近 世 編 ︶ 4 2 0 0 円、
願っています。
詳細な年表 も 満 載
第3巻︵近代編︶5400円、第4
なお、今後は収集したたくさんの
巻︵現代編︶6000円、
第5巻︵民
史料の中から、近代・現代に関する
俗編︶4500円、別巻︵年表・索
史料編を作成する予定です。引き続
引編︶1500円
き、市史編さんにご理解とご協力を
問い合わせは生涯学習推進課市史
お願いします。
編纂︵☎754・6674︶
【ギャルリVEGA】
さん
今回の別巻は、この本文編の成果
を存分に盛り込んだ池田の詳細な年
表を収めています。また、本文編に
は載せることができなかった事項も
新たに加え、一層充実。これだけ多
きもの座京都作品展(Ⅱ)(鈴木啓子・光永鴻皇)
∼9/3㈪
華実 河野俊也(絵画)
9/5㈬∼10㈪
水彩画・油絵で綴る絵日記 吉井正明展 9/12㈬∼17㈷
白井武志 水彩画展
9/19㈬∼24㈪
佐々木和子 個展(絵画)
9/26㈬∼10/1㈪
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
市史編纂だより86
18
昭和 10 年秦野小学校秋季運動会(石田健治氏提供)
はなく、小学生や職員の子ども・来
賓 な ど も 競 技 に 参 加 し た そ う で す。
運動会が地域の恒例行事として親し
まれていた様子がうかがえます。
全国各地においても、地域住民の
日常における祭りのような一大イベ
ン ト と し て 親 し ま れ て い き ま し た。
このため、一般的に運動会は地域住
民に対して、体操による身体向上の
重要性についての認識を周知させる
だけではなく、洋服の普及や就学率
の向上を促すなど、地域社会に対し
てさまざまなことをアピールする場
ともなり、世界には類を見ない日本
独特のスポーツイベントとして定着
していきました。
︵
﹃新修池田市史﹄第3 巻分担執筆・
関根則子︶
問い合わせは生涯学習推進課市史
編纂︵☎754・6674︶
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 ∼10/1㈪ 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャルリVEGA】
∼10/1㈪
10/3㈬∼8㈷
10/10㈬∼15㈪
10/17㈬∼22㈪
10/24㈬∼29㈪
10/31㈬∼11/5㈪
佐々木和子個展(絵画)
汪洋洋画展
たちおか帽子「墨絵」展
水野保雄作品展(絵画)
猿渡士郎個展(絵画)
出口彰水彩画展
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
第11回深山会会員展(書道)
喜多晴子美術工芸盆栽作品展
10/3㈬∼8㈷
安食愼太郎個展(絵画)
10/10㈬∼15㈪
近藤雄士 木の家具展
10/17㈬∼22㈪
第35回 彩赤会展(絵画)
10/17㈬∼22㈪
彩友会・KO絵画研究会合同作品展(絵画)
10/24㈬∼29㈪
江原和足展“大阪にのこる街道風景”
(絵画) 10/31㈬∼11/5㈪
運動会
11
今年も運動会シーズンがやってき
ま し た ね。﹁ よ ー い ド ン ﹂ で 飛 び 出
す 駆 け っ こ や、 綱 引 き に ダ ン ス ⋮。
今からとっても楽しみですね。とこ
ろでこの運動会、いつから始まった
のかご存じです か ?
明治 年に文部大臣に就任した森有
礼が、日本の教育システムを形作っ
ていく過程において、児童・生徒の
身体と規律訓練のため、体操科を教
育科目として推進し、運動会を行う
ように奨励したことによります。
現在分かっている本市の一番古い
運動会は、明治 年3月 日に猪名
川の兵庫県側河川敷にある﹁小戸河
原 ﹂ で、 池 田 と 細 郷︵ 現 細 河 ︶
、市
場︵現北豊島︶の三つの小学校が合
同で開催したものです。当時、運動
会の実施場所はほとんどが校外の河
原・丘・神社の境内などでした。市
域の学校も例外ではなく、池田小学
校ではこれ以後もたびたび猪名川の
河原を使っていましたし、細河地域
では久安寺境内を使用した記録が残
っています。また、変わったものと
しては、
同 年に豊能高等小学校︵現
池田小学校︶の寮生により呉服橋付
近で観月を兼ねた夜の運動会が催さ
れています。
27
明治 ∼ 年の間、池田にあった
府立池田中学校の同 年 月3日の
記録には、競技内容が残されていま
す。
﹁四五〇㍍突競争・柔道・撃剣・
二人三脚・戴嚢・蛙飛・スプウンレ
ース・提灯競争・綱引き﹂など、今
では良く分からないものから現在で
も親しまれているものまで、さまざ
まです。この運動会、とても大勢の
見物人が訪れ、中学校の生徒だけで
36
【ギャラリーいけだ】
20
スプウンレース
24
38
さん
全国の小・中学校に運動会が普及
し た の は、 明 治 の 中 ご ろ 以 降 で す 。
18
36
運動会の始 ま り
日本で初めての運動会は、明治7
︵ 1 8 7 4︶ 年 3 月、 東 京 の 海 軍 兵
学寮で開催された﹁共闘遊戯会﹂だ
といわれています。外国人教師らの
指導のもと、150ヤード︵約13
7㍍ 競
) 争、 走 り 高 跳 び 、 ボ ー ル 投
げなどが行われ ま し た 。
これ以降、明治 年には札幌の農
学 校 で﹁ 力 芸 会 ﹂、 同 年 に は 東 京
大 学 で﹁ 運 動 会 ﹂、 同 年 に は 体 操
伝習場で﹁東京体育会﹂が開催され
ました。
17 16
河原の合同 運 動 会
11
市史編纂だより
11
10
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
江原和足展“大阪にのこる街道風景”
(絵画)
炎の煌き 山口勝敏展―金彩備前に魅せられて― 11/7㈬∼12㈪
彩の会展2012(絵画)
11/7㈬∼12㈪
第8回朝日カルチャーセンター川西教室 ボタニカルアート展 11/14㈬∼19㈪
手作りハウス(辻下とし子・小堺玲子・柳井真理江) 11/21㈬∼26㈪
吉永沙母 アクリル絵画個展
11/21㈬∼26㈪
キルティングikkoのパッチワーク展
11/28㈬∼12/3㈪
﹃池田酒史 ﹄ の 誕 生
あった北村儀三郎が、地方の史蹟に
錯 誤 で あ る と 大阪大学総合学術博物館
ついて御前講演を命じられ、同年
抗 議 を 受 け て で 展 示 中 の﹃ 池 田 酒 史 ﹄
︵教育委員会蔵︶
月 日に講演を行っています。これ
います。
を 記 念 し て 作 成 さ れ た の が、
﹃池田
ま た、 編 纂
酒史﹄なのです。
期間が短かっ
た た め、 稲 束
皇室・皇族へ献上
家や森家以外
﹃ 池 田 酒 史 ﹄ の 編 纂 に は、 池 田 史
が所蔵する史
談会が当たりました。同会は、池田
料 は あ ま り 参 照 さ れ ま せ ん で し た。
近隣の地理・歴史の研究を目的とし
講演に間に合わせるための〝突貫工
て、池田の旧家・宮司・町長らによ
事 〟 が、 結 果 的 に、
﹃池田酒史﹄の
って作られた組織で、今の池田郷土
内容を不十分なものにしてしまった
史学会の前身に当たります。
のです。
史料は、素封家として名高い稲束
ただし、これらの問題点について
家の第十代当主で、史談会の会員で
は、池田史談会も認識していたよう
もある稲束芝馬太郎が所蔵する文書
で す。 巻 頭 の﹁ 例 言 ﹂ に は、
﹁史料
が主に用いられたほか、同じく会員
の収集と分析が思うように進まなか
の 森 万 太 郎 か ら も 提 供 さ れ ま し た。
ったため⋮他日の修正を期したい﹂
9月 日に調査が開始され、 月
と記されています。戦後における池
日には早くも編纂が完了しています。
田小西家の酒造史料の発見は、その
月に特製と並製の二種類が作ら
﹁ 修 正 ﹂ の 端 的 な 例 で あ り、 史 料 を
れ、特製版は皇室と皇族への献上本
執念深く追跡することの大切さを物
とされました。池田の酒造史料を現
語るエピソードといえるでしょう。
在にまで伝える貴重な成果が、大演
問い合わせは生涯学習推進課市史
習を契機として生まれたのです。
編纂︵☎754・6674︶
池田酒史とその修正
【ギャルリVEGA】
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 ∼11/5㈪ 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
大演習がき っ か け で
現在、大阪大学豊中キャンパスが
ある待兼山の頂上に、左写真の碑が
あります。大正8︵1919︶年
月に摂津・播磨で陸軍特別大演習が
行われた際、大正天皇が統監として
待兼山を訪れたことを記念し、豊能
郡によって建立されたものです。豊
能郡にとって、大演習と行幸が一大
イベントであったことがうかがえま
す。
ところで、この大演習は池田の銘
品である酒︵池田酒︶と、深いつな
がりを持っています。大演習に当た
って、当時池田在郷軍人分会会長で
10
﹃池田酒史﹄は﹁総説﹂
﹁池田酒造
の沿革﹂
﹁ 交 通 ﹂ の 三 編 か ら 成 り、
最後に北村儀三郎による講演の原稿
な ど が 収 め ら れ て い ま す。 し か し、
江戸中ごろの伊丹の醸造高について
は﹁実に微々たるもの﹂と極めて低
く評価しており、後に伊丹の酒造家・
岡田利兵衞から、そのような評価は
10 月 5 日、市史編纂委員会が市長へ
『新修池田市史』の完成報告を行いまし
た
14
15
11
市史編纂だより
さん
11
待兼山山頂の記念碑
∼11/5㈪
出口彰 水彩画展
栃尾啓子・小泉昭造 水彩画二人展
11/7㈬∼12㈪
「花日和」吉田素子 ボタニカルアート展 11/14㈬∼19㈪
井上亜衛 織絵展
11/21㈬∼26㈪
音・色・画展(河合絵一)
11/28㈬∼12/3㈪
12
12
池田の教育環境
日本のウイスキー・清酒・ビールの
歴史や技術を紹介する展覧会﹁ものづ
くり 上方〝酒〟ばなし︱先駆・革新
の系譜と大阪高工醸造科︱﹂が、大阪
大学総合学術博物館で開催中︵ ㌻参
照︶
。
治 は﹁ 洋 酒 の 寿 屋 ﹂ と し て、 高 級 品
学 校 で も﹁ ご ん た ﹂ は 健 在 で、 同 窓
のウイスキーの大衆化に貢献する一
会ではその話題で盛り上がったそう
方、 和 食 と ウ イ ス キ ー の 相 性 を 追 求
で す。 1 年 生 1 学 期 の 通 信 簿 は 甲 乙
し、 ジ ャ パ ニ ー ズ・ ウ イ ス キ ー の 確
丙 丁 の 4 段 階 の﹁ 乙 ﹂ ば か り で、 兄
固 た る 地 位 を 築 き ま し た。 こ の 昭 和
か ら﹁ ア ヒ ル の 行 列 ﹂ と か ら か わ れ
を 代 表 す る 経 営 者 は、 池 田 と そ の 周
る な ど、 出 来 の よ い 子 ど も で は な か
辺で少年時代を過ごしました。
ったと自身で振り返っています。
少年・佐治敬三と池田
家なき幼稚園の﹁ごんた﹂ し か し、 4 年 生 か ら は 一 転 し、 通
信 簿 に は す べ て﹁ 甲 ﹂ が 並 ぶ よ う に
大 正 年、 鳥 井 家 は 煙 の 都・ 大 阪
な り、 中 学 校 は 浪 速 高 等 学 校︵ 後 の
ウイスキー の レ ジ ェ ン ド
か ら、 郊 外 の 雲 雀 丘︵ 川 西 市 ︶ へ と
大阪大学教養部︶尋常科に進みまし
今 年 3 月、 イ ギ リ ス ・ パ ラ グ ラ フ
居 を 移 し ま す。 当 時 の 宝 塚 沿 線 に は、 た。 な お、 進 学 を 機 に 佐 治 家 の 養 子
パブリッシング社から刊行されてい
箕 面 有 馬 電 気 軌 道︵ 現 阪 急 電 鉄 ︶ が
と な り ま す が、 こ れ ま で 通 り 鳥 井 家
る ウ イ ス キ ー 専 門 誌﹃ ウ イ ス キ ー マ
分 譲 し た 池 田 新 市 街﹁ 室 町 住 宅 ﹂ を
で 暮 ら し、 雲 雀 丘 か ら 待 兼 山 へ 通 学
ガ ジ ン ﹄ に﹁ 世 界 の ウ イ ス キ ー 、 1
皮 切 り に、 閑 静 な 郊 外 住 宅 地 が 開 発
しました。
00人のレジェンド﹂が発表されま
されつつありました。
そ の 後、 大 阪 帝 国 大 学 理 学 部︵ 大
し た。 世 界 五 大 ウ イ ス キ ー の 産 地 ・
転 居 当 時 4 歳 だ っ た 佐 治 は、 雲 雀
阪 市 北 区 ︶ に 進 学 し、 海 軍 を 経 て 寿
日 本 か ら は 4 人 が 選 ば れ、 う ち 2 人
丘
の
家
な
き
幼
稚
園
に
入
園
し
ま
す
。
家
屋
に
入
社
し
ま
す
。
寿
屋
ではPR誌﹃洋
はサントリー歴代社長の鳥井信治郎
なき幼稚園は近代幼児教育史に異彩
酒天国﹄などを通じ、
﹁洋酒のある生
︵1879∼1962︶
・佐治敬三︵1
を 放 つ 独 特 の 教 育 方 針 を 持 ち、 園 舎
活 ﹂ を 提 案 し て い く こ と に な り ま す。
919∼99︶父子でした。
を 持 た な い 屋 外 幼 稚 園 で し た。 橋 詰 ﹁やってみなはれ﹂精神といわれる自
鳥 井 は 大 正 ︵ 1 9 2 4︶ 年、 山
良 一︵ 通 称 せ み 郎 ︶ が 大 正 年 に 室
由・ 進 取・ 挑 戦 の 社 風 は 父 譲 り の も
崎︵ 大 阪 府 島 本 町 ︶ の 地 で 日 本 初 の
町 住 宅 の 中 央、 呉 服 神 社 に 開 園 し た
の で す が、 池 田 周 辺 の 教 育 環 境 も 幾
本 格 ウ イ ス キ ー 蒸 留 を 開 始 し、 4 年
後、 雲 雀 丘 や 宝 塚 な ど 北 摂 地 域 に も
分かは影響しているのではないでし
後 に 初 の 国 産 品 を 販 売 し ま し た。 佐
設置されました。
ょうか。
家 な き 幼 稚 園 で の び の び と 育 っ た ︵大阪大学総合学術博物館助教・松永
佐治は相当な﹁ごんた﹂
︵いたずらっ
和浩︶
こ、 わ ん ぱ く 小 僧 ︶ だ っ た ら し く、
問い合わせは生涯学習推進課市史
女の子をいじめたりもしていたそう
編纂︵☎754・6295︶
です。
市史編纂だより
10
佐治は大阪府池田師範附属小学校
︵現大阪教育大学附属池田小学校︶に
入 学 し、 阪 急 電 車 で 通 い ま し た。 小
23
13
さん
佐 治 敬 三 が 編 集 し た﹃ ホ ー ム サ イ エ ン ス ﹄ 昭
和 年 月号︵ケンショク﹁食﹂資料室所蔵︶
21
∼12/3㈪
12/5㈬∼10㈪
【ギャルリVEGA】
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
12/12㈬∼17㈪
12/12㈬∼17㈪
12/19㈬∼24㈷
キルティングikkoのパッチワーク展
七彩会展(絵画)
Ribbon Lei Anuhea
ハワイアンリボンレイ作品展
SUCANPIN展(絵画)
大阪青山短期大学・第7回「アソビと造形」展
12/19㈬∼24㈷
音・色・画展(河合絵一)
中山光弘水彩画展“みずえの彩り”
三谷照男・水彩画回顧展2
2012 FINAL Exhibition
絹絵の世界展 久保義浩
∼12/3㈪
12/5㈬∼10㈪
12/12㈬∼17㈪
【開館時間】10:00∼19:00(最終日
は16:00まで)
【休館日】火曜日、12/26日㈬∼1/7㈪
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
20
20
市史編纂だより
1/16㈬∼21㈪
1/23㈬∼28㈪
【ギャルリVEGA】
德治昭童画展∼ほっこりワールド∼
1/9㈬∼14㈷
染group70up展
1/16㈬∼21㈪
横関千恵子 布絵作品展
1/23㈬∼28㈪
遊“織”色(さをり織教室展)
1/30㈬∼2/4㈪
カルチャーVEGA教室 春展
1/30㈬∼2/4㈪
使用申し込みは
㈶いけだ市民文化振興財団
(☎750・3333)
1/23㈬∼28㈪
カルチャーサロン半蔵3人展
1/30㈬∼2/4㈪
4scene(川村信子・金井良勝)
は少ないという。
染二人展(谷野吉冬・やまもと正二)
池田市ゆかりの作家展
﹃新修池田市史﹄
第四巻︵現代編︶
1/9㈬∼14㈷
成 7 ︶ 年 は 戦 後 年 で あ っ た。 1 月
に 阪 神・ 淡 路 大 震 災 が 発 生 し、 3 月
にはオウム真理教による地下鉄サリ
ン 事 件 が 起 こ っ た。 年 と い う 節 目
日本画 久保義浩展
【開館時間】10:00∼19:00(最終日は16:00ま
で)
【休館日】1/1㈷∼7㈪、火曜日
【入館料】無料
【使用料】
〈ギャラリーいけだ〉5万円(展示販売不可)
〈ギャルリVEGA〉15万円(ブロックの分割
使用=7・10万円=、展示販売も可)
【使用期間】水∼翌週月曜日の6日間 【申し込み】使用希望月の1年前から
【ギャラリーいけだ】
さん
50
50
新修池田市史
と時代の変化を実感する二つの大き
筆 者 は、 見 出 し の﹃ 新 修 池 田 市 史 ﹄
な出来事とあいまって戦後論がにぎ
第四巻の編集と執筆を担当させても
わ い、 改 め て 戦 後 を 意 識 し た 人 も 少
ら っ た。 1 9 4 5 年 8 月 か ら 以 後 の
な く な か っ た。 現 在 に 至 る ま で、 さ
戦 後 史 で あ る。 1 9 4 5 年 を 始 ま り
﹁戦後﹂と﹁戦後池田﹂
ら に 時 間 が 経 過 し た。 世 紀 の 転 換 を
と し、 原 則 と し て 世 紀 の 終 わ る 2
挟 み、 戦 後 は ほ と ん ど 古 希︵ 年 ︶
0 0 0 年 ま で を 対 象 と し た。 編 集 と
について考える①
に近い歳月を重ねた。
執 筆 の 際、 い つ も 念 頭 に あ っ た の は
降る雪や
﹁ 戦 後 ﹂ と は 何 か、 本 市 の 戦 後 を ど う
木枯らしや
と ら え る か と い う こ と で あ っ た。 共
明治は 遠くなりにけり
戦
後
は
遠
く
な
り
に
け
り
こ れ は、 俳 人 の 中 村 草 田 男 が 1 9 同 執 筆 者 と 事 務 局 の 奮 闘 の お か げ で、
筆 者 の 下 手 な ざ れ 句 で あ る。 明 治
31︵昭和6︶年に作った句という。
池田の戦後の姿をこれまでになく明
を 遠 い と 感 じ た 中 村 の 時 間 に 比 べ、 ら か に で き た と 自 負 し て い る。 と は
明 治 が 終 わ っ た の は 1 9 1 2︵ 明 治
戦後は3倍以上なのだから遠いのは
︶ 年 だ か ら、 中 村 が﹁ 遠 い ﹂ と 感
い え、 編 集 と 執 筆 の 際 に い つ も 念 頭
当然である。食うや食わずの焼け跡・
じた明治は 年ほど前に終わったば
に あ っ た 問 い は、 本 が 刊 行 さ れ た 今
闇 市 の 時 代 か ら、 経 済 成 長 の 時 代 を
か り。 し か し、 明 治 以 後 の 日 本 は 変
も 消 え な い。 戦 後 と は 何 か、 池 田 の
経て長期不況と格差社会の現代へと、
わ り 身 が 早 い。 モ ダ ン ボ ー イ・ モ ダ
戦後をどうとらえるか。
ざっと振り返ってもこの間に目まぐ
ン ガ ー ル が 街 を 歩 き、 同 時 に 戦 争 と
これからしばらくこの紙面をお借
る し い 変 転 を 遂 げ た。 こ ん な に も 長
軍国主義の足音が高まりつつあった
り し て、 消
い 時 間、 こ ん な に も 変 転 を は ら ん だ
時 代 か ら 見 れ ば、 既 に 明 治 の 情 景 は
えない疑問
歴 史 を、 今 も 戦 後 と し て ひ と ま と め
遠かったのだ ろ う 。
を探る旅に
に 考 え る こ と は で き る の だ ろ う か。 出 た い。 ど
戦 後 と い う 時 代 の 区 切 り は、 第 二
戦 後 は 終 わ っ た と い う 人 も あ れ ば、 う せ 終 着 の
次 世 界 大 戦 が 終 了 し た 1 9 4 5︵ 昭
年
終わっていないという主張もある。
和
ない旅だか
) 8月に始まる。1995︵平
戦後の価値観や意識を守るべきか
ら、 寄 り 道
変 え る べ き か﹁ 戦 後 ﹂ へ の 評 価 に か
や迷い道ば
か わ っ て、 日 本 国 憲 法 の 扱 い を 巡 る
かりになる
対 立 は ホ ッ ト な 政 治 的 課 題 で あ る。 だ ろ う け れ
日 本 は﹁ 長 い 戦 後 ﹂ と い わ れ る。 第
ど。
二次世界大戦には多くの国が参戦し
問い合わせは生涯学習推進課市史編
た。 そ れ ぞ れ の 国 に 戦 後 は あ る け れ
纂︵☎75 ・6674︶
ど、 日 本 ほ ど 戦 後 を 長 く 引 き ず る 国
2013.1.1 池田市ホームページ http://www.city.ikeda.osaka.jp/
11
45
20
池田市史編纂委員会委員
芝村篤樹
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