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日系アメリカ人との交流事業

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日系アメリカ人との交流事業
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)日米センター(CGP)では、日米両国間の相互理解を深めるために、日米間の
様々な交流事業を実施していますが、最も重要な事業の一つとして、日本人と日系アメリカ人との交流事業があります。コラムス
第8号では、CGPが実施する日系アメリカ人との交流事業を特集し、その概要や方針についてご紹介します。
さらに本号では、2007年8月ハワイにて開催された日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム同窓会会議について同会議
の主催団体である全米日系人博物館の副館長の海部優子氏より、またCGPや日本の政府機関が日系人交流事業に携わる意義につ
いて津田塾大学学長飯野正子氏よりご寄稿いただいています。またロサンゼルスに設立されたアメリカ初の日系アメリカ人の体験
を伝える全米日系人博物館の紹介、2007年10月東京にて開催された公開シンポジウム「変わりゆく日本のイメージ? ー米メデ
ィア界で活躍する日系人の見方ー」の開催報告もお届けします。
日系アメリカ人との交流事業
日米センター(CGP)では、日系アメリカ人の日本への理解、また日本人の日系アメリカ人コミュニティーに対する理解を深める
ことを目的とし、訪日プログラム、シンポジウム、調査・出版事業等、さまざまな事業を実施しています。CGPがこのような事業に
積極的に取り組む理由として、同じ民族的ルーツを持ちながら日本人と日系アメリカ人の相互交流の機会が少ない、また日本におい
て現在も日系アメリカ人との交流事業に対する認識が薄いという点があげられます。日系人交流事業を実施する前後のアンケートの
結果によると、日系アメリカ人自身のアイデンティティに対する意識の向上、日本に対する認識改善、また日系人参加者同士のネッ
トワークの強化などのさまざまな成果が見られ、日系人交流事業が大きな役割を果たしていることが分かります。
ここでは日系アメリカ人交流事業の中核をなす日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム、ならびに全米日系人博物館との共
催シンポジウムについてご紹介します。
今月のコラム
日系アメリカ人との交流事業
1.
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム :Japanese American Leadership Delegation(JALD)Program
日系アメリカ人との交流事業
の特集として、コラムス第8
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム(以下JALD)
日系アメリカ人リーダー訪日 日系人交流事業の意義
招へいプログラム同窓会会議
号では日米センターが実施し
てきた様々な日系人交流事業
の業績や方針、2007年8月
ハワイにて行なわれた日系ア
本のリーダーと会い、情報交換を行う機会を与えています。こ
では、毎年1回3月に米国の多様な分野の第一線で活躍する約
のような交流は、米国で影響力のある日系人の対日理解、日本
10∼15名の日系三世、四世のアメリカ人を全米各地から一週
のリーダーと日系アメリカ人コミュニティーの間に強固なネッ
全米日系人博物館
副館長
津田塾大学
学長
間ほど日本に招へいし、各界の指導者や有識者との意見交換等
トワーク作りを促進し、また日本にとっても日系アメリカ人コ
を通して、日米間の懸け橋的なネットワーク作りを目指してい
ミュニティーにおける変化を知る機会となります。
海部優子
飯野正子
ます。本プログラムは2000年に外務省によって開始されたも
京都にて
メリカ人リーダー訪日招へい
ので、CGPは2003年3月より共催、また全米日系人博物館の
協力も得て実施され、2007年までに累計84名を招へいしてい
プログラム同窓会会議につい
ます。招へい期間中は東京、京都、そして地方1都市の3都市を
て、また当センターや政府機
訪問し、また招へい者はパネリストとして、地方都市にて開催
関が日系人交流事業に携わる
されているCGP主催の日系アメリカ人リーダーシップ・シンポ
意義についてご紹介します。
ジウムにも参加しています。
宮島にて
来る2008年3月にはJALDプログラムを実施し、3月6日には
日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウムを福岡(アクロス
福岡)にて開催予定です。詳細については今後ホームページに掲
載しますので、ご興味のある方はご覧ください。
過去の日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウム
年度 招聘人数 実施場所
テーマ
2003
10
東京
日系人コミュニティーから見た
現代アメリカ社会と市民活動
深め、両国の長期的な関係を強化し、日米関係の進展における
2004
12
京都
アジア系アメリカ人の多様性 : 連帯に向けて
日系アメリカ人の役割を向上させることにあります。ビジネス、
2005
12
神戸
多文化共生実現への道:マイノリティの視点から
2006
15
名古屋
2007
13
広島
招へい事業の目的は、日本人と日系アメリカ人の相互理解を
行政、法律、社会福祉、地域奉仕活動などさまざまな専門分野
におけるリーダー的存在の日系人の方々を招へいし、日本に対
する理解を深め、行政、企業、政治やNPO等の分野における日
芸術からビジネスまで :
多様な職業を通じた日系アメリカ人の貢献
岐路にたつ日系アメリカ人
ー過去・現在・未来をつないでー
シンポジウム報告書
CGPでは過去に開催された日系アメリカ人リーダーシップ・シン
日米センター(CGP: Center for Global Partnership )
とは
日米が共同で世界に貢献し、緊密な日米関係を築くことを
新年明けましておめでとうございます。本年もご
ポジウムの基調講演やパネル・ディスカッション等の全容が収めら
愛読のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
れている報告書(和英併記)を発行しています。ご希望の方には送
今回のコラムス第8号は日系アメリカ人との交流事
目的として、1991年に国際交流基金に設立されました。
業の特集として、日系人交流事業に深く関わって
日米センターでは、両国のパートナーシップ推進のための
おられる方々にご寄稿いただきました。CGPが携
知的交流と両国の相互理解を深めるための地域・草の根交
流の2分野で交流事業を行なっています。
知的交流
地域・草の根交流
編 集
後 記
付いたしますので、ぜひ下記のURLよりご請求ください。
(PDFに
てダウンロード可能なシンポジウム報告もございます。また『多文
化共生実現への道:マイノリティの視点から』は配布終了いたしま
わっているさまざまな日系人交流事業、またその
したのでPDFダウンロードの上、ご覧ください。
)
意義や今後の展望について少しでも感じていただ
けたら幸いです。また2008年3月には次の日系ア
各報告書の詳細・資料請求・PDFダウンロードはこちらから↓
メリカ人リーダー訪日招へいプログラムを実施し、
http://www.jpf.go.jp/cgp/info/publication/sympo.html
【芸術からビジネスまで:
多様な職業を通じた
日系アメリカ人の貢献】
【岐路にたつ日系アメリカ人
ー過去・現在・未来をつないでー】
福岡にてシンポジウムも開催します。詳細につい
2.CGP・全米日系人博物館共催公開シンポジウム
てはウェブサイトに掲載予定ですので、ぜひご覧
ください。(nk)
CGPは全米日系人博物館との共催で、日本人の米国社会の多
様性に関する理解を深めるために公開シンポジウムを毎年開催
しています。日系アメリカ人に関係するさまざまなテーマを取
り上げているシンポジウムを通して、米国における日系人社会
の現状に対しての理解促進、また日米関係強化につながること
『日系人アイデンティティの
変貌:日米それぞれの見方』、
サンフランシスコにて
が期待されています。
(2007年に開催されたシンポジウムの開催報告は3ページ目をご覧下さい。
)
過去の公開シンポジウム
日時
テーマ
2005年5月25日
日系アメリカ人と日米関係の将来
2006年7月21日
日米関係の新しい展望:ポップカルチャー、
メディア及びスポーツ分野で(ロサンゼルスにて)
2006年7月24日
日系人アイデンティティの変貌:日米それぞれの
見方(サンフランシスコにて)
変わりゆく日本のイメージ? 2007年10月11日 −米メディア界で活躍する日系人の見方−
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム(JALD)同窓会会議
日系人交流事業の意義
海部 優子
飯野 正子
Yuko Kaifu
全米日系人博物館 副館長
2007年8月、全米から40名の日系人リーダーたちがホ
実現させるために、ハワイや米国本土に渡った。日系一世
日系アメリカ人の歴史を振り返ると、アメリカ社会にお
ラムが2001年から2005年までの5年間に招聘したリーダ
ける日系人の立場や地位が日米関係の変化に大きく影響さ
ー多数にインタビューをする機会を与えられたが、そこで、
れてきたことがわかる - 彼らが好むと好まざるとにかかわ
同プログラムがきわめて有効であるという印象を得た。
ノルルに集合した。彼らは、2000年以降、外務省と国際
として苦労を重ね、やがて米国生まれの二世が誕生したが、
交流基金日米センターが共催で実施しているグループ招聘
アメリカ社会での基盤を徐々に固めつつあった矢先に第二
事業「日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム」で
次世界大戦が勃発、約12万人の日系人が、
「敵性外国人」と
らず、あるいは、認識するとしないとに関わらず。とくに
同プログラムで日本を訪れた日系人三世の多くは、選考
日本に招待された経験を
して、全米10数ヶ所の収容所に収容された。収容された日
日米関係が悪化したときのアメリカ社会の日系人に対する
の基準の一つが「訪日経験がない、あるいは少ないこと」
持つ日系人たちだ。ハワ
系人の7割は米国籍を持つ二世だったといわれる。彼らは米
姿勢に、その影響が明確にみられる。
であることからわかるように、それまで日本に関心を持た
イ在住者たちの発案によ
国で生まれ育った米国人であったのに、祖先の母国が日本
日米貿易摩擦を経た1990年代、日系人コミュニティに
ず、つまり自らのルーツを知る努力をしていなかった人々
り、国際交流基金日米セ
であったいう理由だけで、差別と隔離の対象になったので
新しい動きがみられた。日系三世が中心になって、日米関
である。しかし、同プログラムによる訪日によって、次の
ンターの助成を得て、彼
ある。こうした戦時中の日系人の厳しい体験が、日本との
係を改善しようとの努力を始めたのである。日系人である
4点が、顕著な結果として生まれたと、参加した日系人の
らの「同窓会会議」が初
間に埋めがたい溝を残すことになった。その溝は、戦後60
ことを生かし、日本とアメリカの「懸け橋」となって日米
大半が表明した。(1)自分のルーツやアイデンティティに
めて行われることになっ
年余を経た現在も、完全に埋まっているとは言えない。戦
関係に貢献しようとの努力である。
対する関心が深まった。(2)日本や日本人に対する認識が
たのだ。観光や社交パー
後生まれた日系三世は、アメリカ人として米国社会に深く
ティをするためではない。
根をおろし、数多くが米国各分野の第一線で活躍している。
ホテルの会議室にこもり、
しかし、彼らの中には、日本語を解さず日本を訪れたこと
1日半にわたって、日米
関係の推進や日系人と日本との交流やアメリカの日系コミ
Masako Iino
津田塾大学 学長
もちろん、この「日米の懸け橋」という考え方は、1990
改善された、あるいは、もっと知りたいと思うようになっ
年代に生まれた新しいものではない。アメリカ社会に排日
た。(3)日系人コミュニティや日米関係に関わる活動に積
大阪府豊中市出身。1966
感情が高まっていた1920年代(その頂点とみなされたの
極的に参加するようになった。(4)日系人参加者同士のネ
のない人も多い。同じ祖先を持つ日本人と日系人が、互い
年、津田塾大学学芸学部英
は1924年移民法)、当時、日系人コミュニティの指導者
ットワークが強まっている。
の理解を欠いたままの状態が続くのは残念なことである。
文学科卒業後、フルブライ
的存在であった安孫子久太郎は、排日運動に「油を注いで
たとえ日米関係の改善に役立つような影響力をアメリカ社
ュニティの将来等について話し合うためだ。参加した日系
そうした問題意識によって開始されたのが、この「日系
ト留学生として渡米。ニュ
きた誤解」を解くため、二世こそが「日米両国をつなぐ相
会全体に及ぼすことは難しいとしても、日系人コミュニティ
人は40名。このほか、日本の外務省、日米センター関係
アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム」だった。この
ーヨーク州シラキュース大
互理解の懸け橋」として重要な役割を果たすべきだと論じ
のリーダーとして日本との絆をコミュニティに伝えることは
者や、研究者、全米日系人博物館関係者なども含め総勢
プログラムで日本に招待された日系人は、これまで84名
学大学院歴史学科修士課程
た。二世が懸け橋となってアメリカ社会で能力を発揮する
すぐにでも可能であり、訪日したリーダーたちがすでに実行
55名が出席し、日系人と日本とがお互いに理解しあい、
にのぼっている。この訪日プログラムへの参加をきっかけ
を修了。1969年3月まで博
には、まず日本について十分な知識をもたなければならず、
していることでもある。インタビューの一つで聞いた印象深
両国の関係をより豊かなものにしていくためにはどうする
として、祖先の母国である日本に愛着を抱き、日系人とし
それを進めるのが一世の「道徳的な義務」だと考えた安孫
いエピソードがある。同プログラムによる初訪日で日本・日
べきか、自分たちが今後一つのグループとして活動を進め
て日米関係の推進のために何か貢献したいという熱い思い
子の「懸け橋」論の実現の第一歩は、二世が日本を訪れ、日
本人に好感を抱いて帰国した後すぐ実行したのは、自分の息
ていくためには何が必要かといったことについて、具体的
を抱く人々も多い。彼らのそうした思いが一つの形として
本に関する知識を得ることであった。
子を日本に行かせたこと、そして続いて、自分が関わる日系
なアイデアを出し合った。ダニエル・イノウエ米国上院議
実ったのが、この昨年8月の同窓会会議だったのだ。
士課程在籍。同年4月より
津田塾大学に勤務。McGill
大学客員助教授、Acadia大
学客員教授、California大
学Berkeley校客員研究員な
1990年代以降の「懸け橋」論が安孫子の唱えたそれと異
人コミュニティの子供野球チーム全員を日本に送ったことだ
なる点は、主として三世の日系アメリカ人が、自ら、それ
と、彼は誇らしげに語った。これは、まさに次世代を見据え
た日米関係への貢献の好例ではないだろうか。このような活
員や河野太郎衆議院議員が会議に出席したほか、リング
この同窓会会議の最大の意義は何だろうか。それは、訪
ル・ハワイ州知事、アリヨシ元知事、ハネマン・ホノルル
日プログラムへの参加経験者たちが、日本と日系人、日本
史、特にアメリカの移民の
を自分たちの役目として唱えていることである。日系三世
市長なども関連行事に顔を出し、一行にエールを送った。
と米国との間をつなぐ「懸け橋」になりたいと心から感じ
歴史。
『もう一つの日米関係
が日米関係改善に重要な役割を果たそうとの意志を明確に
動が地道に続けられることは、日米の相互理解に大いに役立
1日半の協議の結果、同窓会組織の発足やインターネット
てくれているということだ。忙しい毎日のなかで、誰しも、
史』
、
『日系カナダ人の歴史』
し、そうできる自信を表明しているのである。日米両国を
つはずである。日本とアメリカの関係の波に揺れ動かされて
を活用した相互のコミュニケーションの促進、米国在留邦
世のため人のために時間を割くことは難しい。しかし彼ら
など著書多数。共訳を含め
理解しやすい立場にある自分たちこそが、「日米の懸け橋」
きた日系アメリカ人は、いま、新たな意識をもって日本を眺
人への支援の強化、若い世代の日系人の対日理解促進など
は、誰かに頼まれたからではなく、また名誉や報酬のため
て翻訳書も多い。1997年、
になるべきだという意識が彼らの行動に示されていること
め、日本との絆を考えているのだ。
について、今後具体的に検討していくことが提言された。
でもなく、自ら手を挙げてこの同窓会会議を企画し、スケ
カナダ首相出版賞受賞。
は、最近の日系人コミュニティの重要な変化である。
会議場となったホテルの外では燦々と明るい太陽が降り注
ジュールを調整して私費で参加し、今後も協力しあって活
2001年、国際カナダ研究
ぎ、ワイキキのビーチに出かける人々の賑やかな声が聞こ
動を続けていこうとしている。そして、そのような志を共
総督賞受賞。
える中で、わき目も振らぬ熱心さで議論に没頭する彼らの
有する日系人の同胞にめぐり合えたことを心から喜んでい
姿には、外務省関係者も感嘆のため息を漏らすほどだった。
どを歴任。専門はアメリカ
最近の外務省や日本の政府機関が携わる日系人交流事業
このような動きを外務省や日本の政府機関がサポートす
の意義は、このような流れを推し進める上で、きわめて意
ることは、きわめて重要である。たとえば、三世リーダー
義深い。結果をすぐに求めるのではなく、長い目で見てよ
を日本へ招き日本各地を訪問して各界の日本人リーダーと
い方向に向かうことを目指す姿勢で、日米関係が友好的な
るようにも見える。これまでの日系人と日本との歴史に思
面談し日本の文化に触れる機会を提供する「日系アメリカ
ときに自然体での交流を促進する支援によって、これらの
日系人と日本との長く複雑な歴史を知る人は、このよう
いを馳せると、三世、四世の日系人たちが、今、祖先の祖
人リーダー訪日招へいプログラム」は、すでに6年を経て、
日系人交流事業は、日本理解の種を蒔き、水を与える役割
な日系人リーダーたちの真摯な姿勢を見て感慨深く思うか
国日本と自分たちの祖国アメリカとの間で、何か役に立ち
大きな実りを見せている。2006年の夏、筆者は、同プログ
を果たしているのであるから。
もしれない。戦前に米国に移民した日本人を祖父母に持つ
たいと考えているということは、それ自体、深い意味を持
日系人の中には、どちらかと言えば日本に距離を置いてき
っている。日本が米国との人的交流を重視するならば、彼
た人が多いからだ。明治初期から大正末期にかけて、何万
ら日系人は、日本人が大切に友情を育んでいくべき相手で
人、何十万人という日本人が、生活のため、あるいは夢を
はないかと感じられる。
公開シンポジウム開催報告
「変わりゆく日本のイメージ?ー米メディア界で活躍する日系人の見方ー」
“Is the Image of Japan Changing? ー Perspectives of Japanese Americans in Media”
海部 優子
奈良女子大学文学部社会学
科卒業。カナダ・クイーン
ズ大学社会学部修士号取得。
同大学講義助手。外務省入
省後、在カナダ日本大使館
勤務を経て、外務省北米局
北米第一課、総合外交政策
局企画課課長補佐、文化交
流部政策課課長補佐など。
1989年より同省通訳担当
官として政府要人の通訳を
務める。2001年9月在ロサ
ンゼルス日本総領事館領事。
2007年外務省退職。同年7
月より全米日系人博物館副
館長。共訳書にG.ウォル
フォード著『パブリックス
クールの社会学』
、タキエ・
スギヤマ・リブラ著『近代
日本の上流階級(華族のエ
スノグラフィー)
』
プログラム
全米日系人博物館 (Japanese American National Museum)
全米日系人博物館は、日系アメリカ人の歴史を保存し伝え
ていくために米国で最初に設立された博物館である。1992
年にロサンゼルス市リトル東京の旧西本願寺ビルを改装して
オープンし、1999年には、多目的ホール、三つの展示スペ
ース、資料センター、会議室や日本庭園などを擁する新館が
増設された。常設展示場で日系人の歴史が写真パネルで説明
されており、かつて使用されていた生活用具や歴史史料が時
代ごとに展示されている。企画展会場では、日系人アーティ
ストによる作品の展覧会などが不定期に行われている。
2008年には、アジア系アメリカ人アーティストたちの美術
展、日本の生け花とモダン・アートの融合展、ハワイ日系移
民の衣装展などが企画されている。更に同年は、戦時中の日
系人強制収容に関し米国政府が日系人への謝罪と賠償を行う
ことを定めた1988年の「市民自由法」成立から20周年を迎
えることから、各種講演会やパネル・ディスカッションなど
様々なプログラムが企画されている。また、博物館主催行事
も全米各地で開催しており、2008年7月にはコロラド州デ
ンバーでアリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、テキ
サス州、およびユタ州の日系人の歴史と経験を検証するため
のコンファレンスが予定されている。
このように、多様な日系人関係プログラムを開催する一方
で、同博物館が近年力を入れているのが、日系人と日本人と
【来賓挨拶】
河野 雅治
の絆づくりのためのプログラムである。アメリカの日系社会
は、世代交代が進むにつれて、若い世代の日系人としてのア
イデンティティが希薄化していると言われている。日系人の
歴史と文化を継承し、コミュニティを存続させていくために
は、祖先の祖国である日本との結びつきを強めていくことが
重要であるとの認識のもと、外務省や国際交流基金日米セン
ター等とも協力しつつ、日系人リーダー訪日招へいプログラ
ムや日米シンポジウムほか各種交流事業などを進めている。
同博物館は、歴史博物館の枠を超えて、日本人との関係を能
動的に行うための組織として、活動の幅を広げつつあるのだ。
外務省外務審議官
【基調講演】
「日米関係はどう変わってきたか」
ダニエル・イノウエ
米国上院議員/上院商務・科学・
運輸委員会委員長 長谷川 閑史
日本経団連アメリカ委員会委員長/武田
薬品工業社長
【パネル・ディスカッション】
第一部 発表
「変わりゆく日本のイメージ?
―米メディア界で活躍する日系人の見方―」
第二部 討議
Q&A
さる2007年10月11日、全米日系人博物館との共催のも
と、第3回目となるシンポジウム「変わりゆく日本のイメー
ジ?−米メディア界で活躍する日系人の見方−」が開催され
ました。本シンポジウムには、各界の関係者にご参加いただ
き、基調講演、パネル・ディスカッションを通し、米国にお
ける対日イメージの変化、さらに日米関係強化とメディアの
役割について活発な議論が行なわれました。
日
会
共
後
時:2007年10月11日(木)14時∼16時30分
場:経団連ホール 東京都千代田区大手町1-9-4 経団連会館14階
催:国際交流基金日米センター、全米日系人博物館
援:社団法人 日本経済団体連合会
<パネリスト>
サチ・コト
フランク・バックレー
アイリス・ヤマシタ
サチ・コト・コミュニケーションズ社長/
元CNNニュース・アンカー
ロサンゼルスKTLAニュース・アンカー/
元CNNニュース特派員
映画「硫黄島からの手紙」脚本家
<モデレーター> 沼田 貞昭
国際交流基金日米センター所長
【閉会挨拶】
アイリーン・ヒラノ
<司会>
海部 優子
全米日系人博物館館長
全米日系人博物館副館長
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム(JALD)同窓会会議
日系人交流事業の意義
海部 優子
飯野 正子
Yuko Kaifu
全米日系人博物館 副館長
2007年8月、全米から40名の日系人リーダーたちがホ
実現させるために、ハワイや米国本土に渡った。日系一世
日系アメリカ人の歴史を振り返ると、アメリカ社会にお
ラムが2001年から2005年までの5年間に招聘したリーダ
ける日系人の立場や地位が日米関係の変化に大きく影響さ
ー多数にインタビューをする機会を与えられたが、そこで、
れてきたことがわかる - 彼らが好むと好まざるとにかかわ
同プログラムがきわめて有効であるという印象を得た。
ノルルに集合した。彼らは、2000年以降、外務省と国際
として苦労を重ね、やがて米国生まれの二世が誕生したが、
交流基金日米センターが共催で実施しているグループ招聘
アメリカ社会での基盤を徐々に固めつつあった矢先に第二
事業「日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム」で
次世界大戦が勃発、約12万人の日系人が、
「敵性外国人」と
らず、あるいは、認識するとしないとに関わらず。とくに
同プログラムで日本を訪れた日系人三世の多くは、選考
日本に招待された経験を
して、全米10数ヶ所の収容所に収容された。収容された日
日米関係が悪化したときのアメリカ社会の日系人に対する
の基準の一つが「訪日経験がない、あるいは少ないこと」
持つ日系人たちだ。ハワ
系人の7割は米国籍を持つ二世だったといわれる。彼らは米
姿勢に、その影響が明確にみられる。
であることからわかるように、それまで日本に関心を持た
イ在住者たちの発案によ
国で生まれ育った米国人であったのに、祖先の母国が日本
日米貿易摩擦を経た1990年代、日系人コミュニティに
ず、つまり自らのルーツを知る努力をしていなかった人々
り、国際交流基金日米セ
であったいう理由だけで、差別と隔離の対象になったので
新しい動きがみられた。日系三世が中心になって、日米関
である。しかし、同プログラムによる訪日によって、次の
ンターの助成を得て、彼
ある。こうした戦時中の日系人の厳しい体験が、日本との
係を改善しようとの努力を始めたのである。日系人である
4点が、顕著な結果として生まれたと、参加した日系人の
らの「同窓会会議」が初
間に埋めがたい溝を残すことになった。その溝は、戦後60
ことを生かし、日本とアメリカの「懸け橋」となって日米
大半が表明した。(1)自分のルーツやアイデンティティに
めて行われることになっ
年余を経た現在も、完全に埋まっているとは言えない。戦
関係に貢献しようとの努力である。
対する関心が深まった。(2)日本や日本人に対する認識が
たのだ。観光や社交パー
後生まれた日系三世は、アメリカ人として米国社会に深く
ティをするためではない。
根をおろし、数多くが米国各分野の第一線で活躍している。
ホテルの会議室にこもり、
しかし、彼らの中には、日本語を解さず日本を訪れたこと
1日半にわたって、日米
関係の推進や日系人と日本との交流やアメリカの日系コミ
Masako Iino
津田塾大学 学長
もちろん、この「日米の懸け橋」という考え方は、1990
改善された、あるいは、もっと知りたいと思うようになっ
年代に生まれた新しいものではない。アメリカ社会に排日
た。(3)日系人コミュニティや日米関係に関わる活動に積
大阪府豊中市出身。1966
感情が高まっていた1920年代(その頂点とみなされたの
極的に参加するようになった。(4)日系人参加者同士のネ
のない人も多い。同じ祖先を持つ日本人と日系人が、互い
年、津田塾大学学芸学部英
は1924年移民法)、当時、日系人コミュニティの指導者
ットワークが強まっている。
の理解を欠いたままの状態が続くのは残念なことである。
文学科卒業後、フルブライ
的存在であった安孫子久太郎は、排日運動に「油を注いで
たとえ日米関係の改善に役立つような影響力をアメリカ社
ュニティの将来等について話し合うためだ。参加した日系
そうした問題意識によって開始されたのが、この「日系
ト留学生として渡米。ニュ
きた誤解」を解くため、二世こそが「日米両国をつなぐ相
会全体に及ぼすことは難しいとしても、日系人コミュニティ
人は40名。このほか、日本の外務省、日米センター関係
アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム」だった。この
ーヨーク州シラキュース大
互理解の懸け橋」として重要な役割を果たすべきだと論じ
のリーダーとして日本との絆をコミュニティに伝えることは
者や、研究者、全米日系人博物館関係者なども含め総勢
プログラムで日本に招待された日系人は、これまで84名
学大学院歴史学科修士課程
た。二世が懸け橋となってアメリカ社会で能力を発揮する
すぐにでも可能であり、訪日したリーダーたちがすでに実行
55名が出席し、日系人と日本とがお互いに理解しあい、
にのぼっている。この訪日プログラムへの参加をきっかけ
を修了。1969年3月まで博
には、まず日本について十分な知識をもたなければならず、
していることでもある。インタビューの一つで聞いた印象深
両国の関係をより豊かなものにしていくためにはどうする
として、祖先の母国である日本に愛着を抱き、日系人とし
それを進めるのが一世の「道徳的な義務」だと考えた安孫
いエピソードがある。同プログラムによる初訪日で日本・日
べきか、自分たちが今後一つのグループとして活動を進め
て日米関係の推進のために何か貢献したいという熱い思い
子の「懸け橋」論の実現の第一歩は、二世が日本を訪れ、日
本人に好感を抱いて帰国した後すぐ実行したのは、自分の息
ていくためには何が必要かといったことについて、具体的
を抱く人々も多い。彼らのそうした思いが一つの形として
本に関する知識を得ることであった。
子を日本に行かせたこと、そして続いて、自分が関わる日系
なアイデアを出し合った。ダニエル・イノウエ米国上院議
実ったのが、この昨年8月の同窓会会議だったのだ。
士課程在籍。同年4月より
津田塾大学に勤務。McGill
大学客員助教授、Acadia大
学客員教授、California大
学Berkeley校客員研究員な
1990年代以降の「懸け橋」論が安孫子の唱えたそれと異
人コミュニティの子供野球チーム全員を日本に送ったことだ
なる点は、主として三世の日系アメリカ人が、自ら、それ
と、彼は誇らしげに語った。これは、まさに次世代を見据え
た日米関係への貢献の好例ではないだろうか。このような活
員や河野太郎衆議院議員が会議に出席したほか、リング
この同窓会会議の最大の意義は何だろうか。それは、訪
ル・ハワイ州知事、アリヨシ元知事、ハネマン・ホノルル
日プログラムへの参加経験者たちが、日本と日系人、日本
史、特にアメリカの移民の
を自分たちの役目として唱えていることである。日系三世
市長なども関連行事に顔を出し、一行にエールを送った。
と米国との間をつなぐ「懸け橋」になりたいと心から感じ
歴史。
『もう一つの日米関係
が日米関係改善に重要な役割を果たそうとの意志を明確に
動が地道に続けられることは、日米の相互理解に大いに役立
1日半の協議の結果、同窓会組織の発足やインターネット
てくれているということだ。忙しい毎日のなかで、誰しも、
史』
、
『日系カナダ人の歴史』
し、そうできる自信を表明しているのである。日米両国を
つはずである。日本とアメリカの関係の波に揺れ動かされて
を活用した相互のコミュニケーションの促進、米国在留邦
世のため人のために時間を割くことは難しい。しかし彼ら
など著書多数。共訳を含め
理解しやすい立場にある自分たちこそが、「日米の懸け橋」
きた日系アメリカ人は、いま、新たな意識をもって日本を眺
人への支援の強化、若い世代の日系人の対日理解促進など
は、誰かに頼まれたからではなく、また名誉や報酬のため
て翻訳書も多い。1997年、
になるべきだという意識が彼らの行動に示されていること
め、日本との絆を考えているのだ。
について、今後具体的に検討していくことが提言された。
でもなく、自ら手を挙げてこの同窓会会議を企画し、スケ
カナダ首相出版賞受賞。
は、最近の日系人コミュニティの重要な変化である。
会議場となったホテルの外では燦々と明るい太陽が降り注
ジュールを調整して私費で参加し、今後も協力しあって活
2001年、国際カナダ研究
ぎ、ワイキキのビーチに出かける人々の賑やかな声が聞こ
動を続けていこうとしている。そして、そのような志を共
総督賞受賞。
える中で、わき目も振らぬ熱心さで議論に没頭する彼らの
有する日系人の同胞にめぐり合えたことを心から喜んでい
姿には、外務省関係者も感嘆のため息を漏らすほどだった。
どを歴任。専門はアメリカ
最近の外務省や日本の政府機関が携わる日系人交流事業
このような動きを外務省や日本の政府機関がサポートす
の意義は、このような流れを推し進める上で、きわめて意
ることは、きわめて重要である。たとえば、三世リーダー
義深い。結果をすぐに求めるのではなく、長い目で見てよ
を日本へ招き日本各地を訪問して各界の日本人リーダーと
い方向に向かうことを目指す姿勢で、日米関係が友好的な
るようにも見える。これまでの日系人と日本との歴史に思
面談し日本の文化に触れる機会を提供する「日系アメリカ
ときに自然体での交流を促進する支援によって、これらの
日系人と日本との長く複雑な歴史を知る人は、このよう
いを馳せると、三世、四世の日系人たちが、今、祖先の祖
人リーダー訪日招へいプログラム」は、すでに6年を経て、
日系人交流事業は、日本理解の種を蒔き、水を与える役割
な日系人リーダーたちの真摯な姿勢を見て感慨深く思うか
国日本と自分たちの祖国アメリカとの間で、何か役に立ち
大きな実りを見せている。2006年の夏、筆者は、同プログ
を果たしているのであるから。
もしれない。戦前に米国に移民した日本人を祖父母に持つ
たいと考えているということは、それ自体、深い意味を持
日系人の中には、どちらかと言えば日本に距離を置いてき
っている。日本が米国との人的交流を重視するならば、彼
た人が多いからだ。明治初期から大正末期にかけて、何万
ら日系人は、日本人が大切に友情を育んでいくべき相手で
人、何十万人という日本人が、生活のため、あるいは夢を
はないかと感じられる。
公開シンポジウム開催報告
「変わりゆく日本のイメージ?ー米メディア界で活躍する日系人の見方ー」
“Is the Image of Japan Changing? ー Perspectives of Japanese Americans in Media”
海部 優子
奈良女子大学文学部社会学
科卒業。カナダ・クイーン
ズ大学社会学部修士号取得。
同大学講義助手。外務省入
省後、在カナダ日本大使館
勤務を経て、外務省北米局
北米第一課、総合外交政策
局企画課課長補佐、文化交
流部政策課課長補佐など。
1989年より同省通訳担当
官として政府要人の通訳を
務める。2001年9月在ロサ
ンゼルス日本総領事館領事。
2007年外務省退職。同年7
月より全米日系人博物館副
館長。共訳書にG.ウォル
フォード著『パブリックス
クールの社会学』
、タキエ・
スギヤマ・リブラ著『近代
日本の上流階級(華族のエ
スノグラフィー)
』
プログラム
全米日系人博物館 (Japanese American National Museum)
全米日系人博物館は、日系アメリカ人の歴史を保存し伝え
ていくために米国で最初に設立された博物館である。1992
年にロサンゼルス市リトル東京の旧西本願寺ビルを改装して
オープンし、1999年には、多目的ホール、三つの展示スペ
ース、資料センター、会議室や日本庭園などを擁する新館が
増設された。常設展示場で日系人の歴史が写真パネルで説明
されており、かつて使用されていた生活用具や歴史史料が時
代ごとに展示されている。企画展会場では、日系人アーティ
ストによる作品の展覧会などが不定期に行われている。
2008年には、アジア系アメリカ人アーティストたちの美術
展、日本の生け花とモダン・アートの融合展、ハワイ日系移
民の衣装展などが企画されている。更に同年は、戦時中の日
系人強制収容に関し米国政府が日系人への謝罪と賠償を行う
ことを定めた1988年の「市民自由法」成立から20周年を迎
えることから、各種講演会やパネル・ディスカッションなど
様々なプログラムが企画されている。また、博物館主催行事
も全米各地で開催しており、2008年7月にはコロラド州デ
ンバーでアリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、テキ
サス州、およびユタ州の日系人の歴史と経験を検証するため
のコンファレンスが予定されている。
このように、多様な日系人関係プログラムを開催する一方
で、同博物館が近年力を入れているのが、日系人と日本人と
【来賓挨拶】
河野 雅治
の絆づくりのためのプログラムである。アメリカの日系社会
は、世代交代が進むにつれて、若い世代の日系人としてのア
イデンティティが希薄化していると言われている。日系人の
歴史と文化を継承し、コミュニティを存続させていくために
は、祖先の祖国である日本との結びつきを強めていくことが
重要であるとの認識のもと、外務省や国際交流基金日米セン
ター等とも協力しつつ、日系人リーダー訪日招へいプログラ
ムや日米シンポジウムほか各種交流事業などを進めている。
同博物館は、歴史博物館の枠を超えて、日本人との関係を能
動的に行うための組織として、活動の幅を広げつつあるのだ。
外務省外務審議官
【基調講演】
「日米関係はどう変わってきたか」
ダニエル・イノウエ
米国上院議員/上院商務・科学・
運輸委員会委員長 長谷川 閑史
日本経団連アメリカ委員会委員長/武田
薬品工業社長
【パネル・ディスカッション】
第一部 発表
「変わりゆく日本のイメージ?
―米メディア界で活躍する日系人の見方―」
第二部 討議
Q&A
さる2007年10月11日、全米日系人博物館との共催のも
と、第3回目となるシンポジウム「変わりゆく日本のイメー
ジ?−米メディア界で活躍する日系人の見方−」が開催され
ました。本シンポジウムには、各界の関係者にご参加いただ
き、基調講演、パネル・ディスカッションを通し、米国にお
ける対日イメージの変化、さらに日米関係強化とメディアの
役割について活発な議論が行なわれました。
日
会
共
後
時:2007年10月11日(木)14時∼16時30分
場:経団連ホール 東京都千代田区大手町1-9-4 経団連会館14階
催:国際交流基金日米センター、全米日系人博物館
援:社団法人 日本経済団体連合会
<パネリスト>
サチ・コト
フランク・バックレー
アイリス・ヤマシタ
サチ・コト・コミュニケーションズ社長/
元CNNニュース・アンカー
ロサンゼルスKTLAニュース・アンカー/
元CNNニュース特派員
映画「硫黄島からの手紙」脚本家
<モデレーター> 沼田 貞昭
国際交流基金日米センター所長
【閉会挨拶】
アイリーン・ヒラノ
<司会>
海部 優子
全米日系人博物館館長
全米日系人博物館副館長
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)日米センター(CGP)では、日米両国間の相互理解を深めるために、日米間の
様々な交流事業を実施していますが、最も重要な事業の一つとして、日本人と日系アメリカ人との交流事業があります。コラムス
第8号では、CGPが実施する日系アメリカ人との交流事業を特集し、その概要や方針についてご紹介します。
さらに本号では、2007年8月ハワイにて開催された日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム同窓会会議について同会議
の主催団体である全米日系人博物館の副館長の海部優子氏より、またCGPや日本の政府機関が日系人交流事業に携わる意義につ
いて津田塾大学学長飯野正子氏よりご寄稿いただいています。またロサンゼルスに設立されたアメリカ初の日系アメリカ人の体験
を伝える全米日系人博物館の紹介、2007年10月東京にて開催された公開シンポジウム「変わりゆく日本のイメージ? ー米メデ
ィア界で活躍する日系人の見方ー」の開催報告もお届けします。
日系アメリカ人との交流事業
日米センター(CGP)では、日系アメリカ人の日本への理解、また日本人の日系アメリカ人コミュニティーに対する理解を深める
ことを目的とし、訪日プログラム、シンポジウム、調査・出版事業等、さまざまな事業を実施しています。CGPがこのような事業に
積極的に取り組む理由として、同じ民族的ルーツを持ちながら日本人と日系アメリカ人の相互交流の機会が少ない、また日本におい
て現在も日系アメリカ人との交流事業に対する認識が薄いという点があげられます。日系人交流事業を実施する前後のアンケートの
結果によると、日系アメリカ人自身のアイデンティティに対する意識の向上、日本に対する認識改善、また日系人参加者同士のネッ
トワークの強化などのさまざまな成果が見られ、日系人交流事業が大きな役割を果たしていることが分かります。
ここでは日系アメリカ人交流事業の中核をなす日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム、ならびに全米日系人博物館との共
催シンポジウムについてご紹介します。
今月のコラム
日系アメリカ人との交流事業
1.
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム :Japanese American Leadership Delegation(JALD)Program
日系アメリカ人との交流事業
の特集として、コラムス第8
日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム(以下JALD)
日系アメリカ人リーダー訪日 日系人交流事業の意義
招へいプログラム同窓会会議
号では日米センターが実施し
てきた様々な日系人交流事業
の業績や方針、2007年8月
ハワイにて行なわれた日系ア
本のリーダーと会い、情報交換を行う機会を与えています。こ
では、毎年1回3月に米国の多様な分野の第一線で活躍する約
のような交流は、米国で影響力のある日系人の対日理解、日本
10∼15名の日系三世、四世のアメリカ人を全米各地から一週
のリーダーと日系アメリカ人コミュニティーの間に強固なネッ
全米日系人博物館
副館長
津田塾大学
学長
間ほど日本に招へいし、各界の指導者や有識者との意見交換等
トワーク作りを促進し、また日本にとっても日系アメリカ人コ
を通して、日米間の懸け橋的なネットワーク作りを目指してい
ミュニティーにおける変化を知る機会となります。
海部優子
飯野正子
ます。本プログラムは2000年に外務省によって開始されたも
京都にて
メリカ人リーダー訪日招へい
ので、CGPは2003年3月より共催、また全米日系人博物館の
協力も得て実施され、2007年までに累計84名を招へいしてい
プログラム同窓会会議につい
ます。招へい期間中は東京、京都、そして地方1都市の3都市を
て、また当センターや政府機
訪問し、また招へい者はパネリストとして、地方都市にて開催
関が日系人交流事業に携わる
されているCGP主催の日系アメリカ人リーダーシップ・シンポ
意義についてご紹介します。
ジウムにも参加しています。
宮島にて
来る2008年3月にはJALDプログラムを実施し、3月6日には
日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウムを福岡(アクロス
福岡)にて開催予定です。詳細については今後ホームページに掲
載しますので、ご興味のある方はご覧ください。
過去の日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウム
年度 招聘人数 実施場所
テーマ
2003
10
東京
日系人コミュニティーから見た
現代アメリカ社会と市民活動
深め、両国の長期的な関係を強化し、日米関係の進展における
2004
12
京都
アジア系アメリカ人の多様性 : 連帯に向けて
日系アメリカ人の役割を向上させることにあります。ビジネス、
2005
12
神戸
多文化共生実現への道:マイノリティの視点から
2006
15
名古屋
2007
13
広島
招へい事業の目的は、日本人と日系アメリカ人の相互理解を
行政、法律、社会福祉、地域奉仕活動などさまざまな専門分野
におけるリーダー的存在の日系人の方々を招へいし、日本に対
する理解を深め、行政、企業、政治やNPO等の分野における日
芸術からビジネスまで :
多様な職業を通じた日系アメリカ人の貢献
岐路にたつ日系アメリカ人
ー過去・現在・未来をつないでー
シンポジウム報告書
CGPでは過去に開催された日系アメリカ人リーダーシップ・シン
日米センター(CGP: Center for Global Partnership )
とは
日米が共同で世界に貢献し、緊密な日米関係を築くことを
新年明けましておめでとうございます。本年もご
ポジウムの基調講演やパネル・ディスカッション等の全容が収めら
愛読のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
れている報告書(和英併記)を発行しています。ご希望の方には送
今回のコラムス第8号は日系アメリカ人との交流事
目的として、1991年に国際交流基金に設立されました。
業の特集として、日系人交流事業に深く関わって
日米センターでは、両国のパートナーシップ推進のための
おられる方々にご寄稿いただきました。CGPが携
知的交流と両国の相互理解を深めるための地域・草の根交
流の2分野で交流事業を行なっています。
知的交流
地域・草の根交流
編 集
後 記
付いたしますので、ぜひ下記のURLよりご請求ください。
(PDFに
てダウンロード可能なシンポジウム報告もございます。また『多文
化共生実現への道:マイノリティの視点から』は配布終了いたしま
わっているさまざまな日系人交流事業、またその
したのでPDFダウンロードの上、ご覧ください。
)
意義や今後の展望について少しでも感じていただ
けたら幸いです。また2008年3月には次の日系ア
各報告書の詳細・資料請求・PDFダウンロードはこちらから↓
メリカ人リーダー訪日招へいプログラムを実施し、
http://www.jpf.go.jp/cgp/info/publication/sympo.html
【芸術からビジネスまで:
多様な職業を通じた
日系アメリカ人の貢献】
【岐路にたつ日系アメリカ人
ー過去・現在・未来をつないでー】
福岡にてシンポジウムも開催します。詳細につい
2.CGP・全米日系人博物館共催公開シンポジウム
てはウェブサイトに掲載予定ですので、ぜひご覧
ください。(nk)
CGPは全米日系人博物館との共催で、日本人の米国社会の多
様性に関する理解を深めるために公開シンポジウムを毎年開催
しています。日系アメリカ人に関係するさまざまなテーマを取
り上げているシンポジウムを通して、米国における日系人社会
の現状に対しての理解促進、また日米関係強化につながること
『日系人アイデンティティの
変貌:日米それぞれの見方』、
サンフランシスコにて
が期待されています。
(2007年に開催されたシンポジウムの開催報告は3ページ目をご覧下さい。
)
過去の公開シンポジウム
日時
テーマ
2005年5月25日
日系アメリカ人と日米関係の将来
2006年7月21日
日米関係の新しい展望:ポップカルチャー、
メディア及びスポーツ分野で(ロサンゼルスにて)
2006年7月24日
日系人アイデンティティの変貌:日米それぞれの
見方(サンフランシスコにて)
変わりゆく日本のイメージ? 2007年10月11日 −米メディア界で活躍する日系人の見方−
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