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「反神学」再考
2003年日韓聖公会神学会
「反神学」再考
−神学方法論としての民衆神学−
2003年4月30日
香山洋人
1.はじめに
2.徐南同の「反神学」
3.神学方法論、「神学の作法」に関する問題
4.「啓示の媒体」
(1)キリスト教の起源に関する社会的関心理論
(2)キリスト教の起源に関する民衆神学の見解
(3)原点としての「民衆ものがたり」に立ち返る
1.はじめに
第一世代の民衆神学はそれまでの神学に対し方向転換を主張した。しかしその主張の根
底には教会、キリスト教そのものに対する異議申し立てが含まれていた。彼らの基本的な
構想は、聖典として成立した「新約聖書」以前、ガリラヤのイエスへの回帰であったとい
えるだろう。このことを特に強調したのは新約聖書学者であった安炳茂であり、徐南同も
教会の歴史に対する批判的な始点、正統ではなく「異端」の復権という主題によってキリ
スト教の歩みに痛烈な批判を加えている。徐南同はさらに聖書ではなく民話や民衆の物語
の中に啓示を見出す立場を主張した。これらは聖典としての聖書を相対化する立場といえ
る。徐南同はこれを「脱神学」あるいは「反神学」といい、安炳茂は「事件の神学」、さら
に民衆神学は「反神学」だけでない「反学問」でなければならないとまで表現した。
こうした民衆神学によるキリスト教批判、教会批判的な言説は周囲の保守的キリスト者
から非難されたと同時に、民衆神学の後継者たち、すなわち徐南同、安炳茂の弟子たちか
らも批判の対象、あるいは修正の対象とみなされている。しかし、徐南同の主張した「反
神学」は「物語神学」として多くの論者たちに同意されるだろうし、安炳茂の主張した「事
件の神学」や福音書伝承に関する批判的研究は「非神話化論」、「史的イエス研究」という
形で世界の神学界において展開されている。われわれは「反神学」の主張を、そうした広
い議論の文脈に置き直して再検討すべきと考えるし、批判や修正ではなくむしろ積極的に
発展継承すべき重要な主題であると考えていいだろう。もちろん、
「反神学、反学問」とい
う表現は第一世代の民衆神学特有の直感的表現によるものであって、narrative theology
といった厳密な方法論をともなった主張ではない。しかし、そうだからこそこの神学的直
感、想像力にあふれた洞察は、様々な取り組みの可能性を内包しているのであり、
「反神学」
1
のテーマは今日においても真剣なテーマであり続けるはずだ。本研究では今後複数の論者
との対話を通して民衆神学における「反神学」の主題を再検討していくつもりであるが、
今回取り上げたのは「現場の神学」に関する金子啓一の見解と、バートン・マックの「神話
としてのキリスト教」である 1 。
2.徐南同の「反神学」
徐南同は「民話の神学−反神学」の中で「文字」と「ものがたり(イヤギ)」 2 を対比さ
せながら物語の神学、「反神学」を主張した 3 。これは神学の方法論として民衆神学にとっ
てたいへん重要な指摘であると同時に、同様の方法論を展開する他の神学的主張との共通
の論点として重要な部分であるといえるだろう。民衆神学は既存の神学に対する批判であ
る。それは、個々の主張に対する批判や反論ではなく、神学的パラダイム、前提そのもの
に対する「否」の声、否定の宣告であったといっていい。いうまでもなく神学とはキリス
ト教の信仰に関する学問的な言説であり、その下部構造として何らかの「現場」を前提と
して存在している。問題は神学が自らの現場をどこにすえるのか、どの現場の経験をわれ
われは「神学」として認識しているのかということだろう。したがって、
「反神学」はその
下部構造としてのキリスト教、教会そのものに対する異議申し立ての声であり、新しいパ
ラダイムを再構築し、新しいキリスト教、新しい教会を模索する営みの一つといってもい
いだろう。
神学の資料、あるいは方法論という点で徐南同の提案は「物語の神学」の手法と言える。
彼は「文字」と「ものがたり」を対比させながら、前者は人間が自らの考えを紙に書き記
したものであり、印刷され他の誰かが読むことで理解するようにさせる間接的なものであ
り、後者は、ある人間が自らの口を通して他の人間の耳に向かって語り何かを知らしめる
直接的な媒体であるという。また文字で書かれたものはおおかた観念的で、ものがたりは
実際的で具体的であることを特徴としている。文字あるいは本は、学問の研究発表様式と
して「頭の言語」だが、ものがたりは日常生活の表現伝達の方式であって「身体の言語」
といえるだろう。
「頭の言語」は分析的であるのに対し「身体の言語」は「全体的 holistic」
だ。文字によるコミュニケーションは外部から何かを付加するものであって、その人自身
が疎外される危険をはらむのに対し、ものがたりによるコミュニケーションは面白がるこ
1
2
3
この関心に沿って研究を進展させるためにはさらに「宗教多元主義」との対話が必要だろう。
今後の課題としたい。
韓国語のイヤギ 이야기 は「物語」でなくむしろ「はなし、かたり」に近いニュアンスを持っ
ている。ここではひらがなで「ものがたり」と書くことにする。
徐南同『民衆神学 의 探求』(ハンギル社版301∼312頁)。残念なことに新教出版から
出され日本語版(金忠一訳『民衆神学の探求』)にはこの論文は収録されていない。日本語
訳は他にも数編を省略している。なお「民間説話についての脱神学的考察」もほぼ同様の手
法で書かれている。
2
とによって自発的にそして直感的にその内容全体を「自己化」しうるものであるという 4 。
徐南同は、従来の神学の媒体は「論理的思弁」
「抽象的観念」であり、その方法は「演繹
的」であり、内容は「超越した神」であったという。超越的な神という前提で描かれた「聖
書」に基づく教理を受け継ぐ神学は、いやおうなくこうした性質を持ってきた。教理的神
学からの自由を主張した「自由主義神学」は更に強化された「頭の神学」であり、現代神
学の多くは結局「教理の再解釈」であってこの限界を突破できないでいる。しかしこれに
対し神の啓示の正しい媒体は、「実際的・具体的な経験と事例から帰納的(inductive)な
方法によってもたらされるところの『ものがたり』だ」という。
「抽象的な超越の神」では
なく「具体的な受肉の神」を求めることが重要であり、その意味では、従来の伝統的神学
が「超越的・演繹的」であるならば、ものがたり神学は「帰納的神学、いや、反神学(Gegen
Theologie, counter theology ) で あ り 、 そ れ ば か り か 伝 統 的 神 学 は 「 支 配 の 神 学
(Herrschende Theologie)だ」という 5 。
文字を媒体とする神学は支配者のイデオロギーである、という批判はあまりに非論理的
に聞こえるかもしれない。しかし、一見論理の飛躍に聞こえる徐南同の問題提起はわれわ
れにとって十分検討価値のある主題となるはずだ。それは、第一に神学の方法論の問題で
あり、さらには啓示と聖書に関する問題、そしてキリスト教の成立そのものに関する問題
へとつながっているからだ。
3.神学方法論、「神学の作法」に関する問題
日本で「物語の神学」に注目し続け、民衆神学との対話にも積極的な姿勢をとり続けて
きた金子啓一は、神学の方法論について興味深い研究を発表している 6 。金子の主張は「民
間の学としての現場の神学」だ。金子は1960年代末から70年代にかけてのいわゆる
「安保闘争」期における様々な異議申し立てや問題提起、特に、思想的、神学的な問題提
起を念頭に構想する神学としてこれを提唱している。
「民間学」は富国強兵と連動する「官
学アカデミズム」に対抗して形成された近代日本のひとつの学問伝統であるという鹿野政
直の分析を受けて、金子は「伝統」や「正統」
「アカデミズム神学」と区分けされた「民間
の学としての神学」もまた可能ではないかと考えている 7 。その際重要なことは神学の「出
4
5
6
7
同、303∼304頁。
同、305∼306頁。
「神学方法について−いま、どの神学か−」『キリスト教学』34、35号(立教大学キリ
スト教学会、1992∼3年)。他に「低み、場、福音の知」について論じた論考「いま、こ
このこととしての神学」
『キリスト教学』
(36∼38号)がある。金子の論点とは若干違う
が、韓国の哲学者キム・ヨンミンの場合は「論文」という作法、人文科学における「原典主
義」を批判しながら、「脱植民地的人文学」の作法について語っている。学問研究の表現発
表形式それ自体が内容を規定しているという指摘は、金子のいう「民間学」の指標と関連し
て傾聴する必要がある。 김영민,탈식민성과 우리 인문학의 글쓰기.(민음사,1996)
『キリスト教学』34号、5∼7頁。「現場の神学」の試みは富坂キリスト教センター主催
の研究会の成果が出版されている(『現場の神学』新教出版、1993年)。ここに収録され
3
自」を明確にすること、すなわち「現場の特定」であるという 8 。金子はこの点について徐
南同が語った「現場神学としての民衆神学」を参照している。抑圧された民衆が苦難を受
けている現場に聞く神学だ。
「現場の特定」の問題について金子が注意深く論証しているの
は「場」と「現場」の違いだ。「場」が安定的であるのに対し「現場」は不安定だ。「非抽
象性」という点ではあらゆる現実は「場」となりうるし、そこには一定の力、説得力が存
在する。しかしそうした一般化ではなく「現場」の真の生命力は苦難の民衆の現場におい
て初めて噴出している。金子はこれを「出エジプト」などのヘブライ語聖書を典拠として
説明しながら、「貧しい者の解釈学的特権」の概念を確認している。
一方この課題は「地域」の視点からの発想を巡る一連の議論の中にも重要な課題として
認識されている。たとえば、在日コリアンの歴史を研究する杉原達は大阪におけるコリア
ン共同体の形成の過程を研究した著作の最後に、「地域から世界史へ」という命題を掲げ、
地域、生活の重要性を述べながらも「地域の生活が草の根保守主義ともいわれるように、
しがらみが貫徹する場として機能することも少なくない」ことを指摘している。しかし杉
原は、
「歴史に裏打ちされた思想が人の生き方の深いところに届き、主体の確立に響くよう
なものとして定立されることがあるとすれば、それはやはり何らかの形で幾度も形と工夫
を考えながら、生活の場をくぐり抜けることが求められている」と指摘している 9 。ここで
いう生活の場は一般化されたそれではなく、「暮らしの中のオリエンタリズム」ともいうべ
き作業によって「境界」の向こう側に固定化された人々、たとえば日本社会の中で「みすぼ
らしいアジア」の役割を負わされた在日コリアンたちの生活経験を中心としたものであり
10 、そこから連想すべき、「暮らしの中のオリエンタリズム」から解放された連帯可能な日
本人たちを含む生活の場であることは言うまでもないだろう。しかし杉原の指摘は、「生活
の場」という決して単純ではなく図式化や美化など一蹴する場の存在を念頭に置いている。
生活の場、生活者の視点は地域や民衆といった「下からの知」を読み解く上で重要な主題で
はないだろうか。そしてこの取り組みは「現場と場」の二項対立にもう一つの可能性を示
す可能性があるのではなかろうか 11 。
「現場と場」を巡る主題は、民衆神学においては「民衆とはだれか」という問題、さら
には「民衆のメシア性」の問題として受け止められるだろう。民衆神学は一般的言葉とし
て民衆を理想化するのではなく、苦難を受ける民衆が覚醒し歴史変革の主体として立ち上
がる「事件」にメシア的性格を読みとるのである。これがおそらく金子のいう「現場」的
性格であり、単純な「現場主義」や「大衆、市民」までをもひとからげにしようとする民衆
た座談会で阿蘇敏文は、いわゆるアカデミズムと天皇制の関係制について指摘し、日本の神
学が「アカデミズムと結びついている天皇制」から解放される必要があり、そこから初めて
日本の教会、日本の神学が生まれると語っている(143頁)。
8 同、11頁。
9 杉原達『越境する民』新幹社、1989年、213頁。
10 前掲書、24∼31頁。
11 金子は民衆とそうでない者が通低する可能性を「低み」あるいは「無者性」に見ようとする。
これは詳細に検討しなければならない課題だが、社会経済的次元と実存的次元の混同は厳に
注意しなければならないだろう。
4
神学の新しい試みが、批判的に検討されるべき「場」の論理といえないだろうか。
「現場の神学」の生命線とも言えるのが「現場との呼吸」だ。神学は常に現場が持つ「解
放の力・躍動的生命力」を感受しなければならない。こうした論証の中で金子は、「解放の
諸神学は、具体的日常的な生活経験から始める。概念や理念を先に立てる『演繹法』でな
く、民間学とまったく同じではないが、いわば、
『帰納的』立場をとる」という 12 。いい換
えれば、民衆の声を聴くこと、民衆とともに生きることの重要性だ。この点は徐南同が主張
した民衆神学の立場と見事に呼応しているといっていいだろう 13 。
4.「啓示の媒体」
徐南同は民衆の「ものがたり」こそ啓示の媒体であると述べながら、声無き民衆の声の媒
体となることこそキリスト教の役割であると主張した。徐南同は教会が「民衆のハンの祭
司」となるべきと語ったが、これは神学の役割ともいえる。この視点に立つならば、神学に
とって聖書は第一の text ではなく context と理解される。これは「ものがたりの合流」の
大前提となる理解であり、徐南同神学の中心ともいえる「聖霊論的神学」に基づいている。
徐南同にとっては神の啓示はイエスを中心とした通時的出来事としてではなく共時的出来
事として解釈可能であり、ここに聖書の相対化(文脈化)を可能とする原理としての「聖
霊論」の重要性を見てとることができる。初代教会が定式化した贖罪の出来事としての十
字架の犠牲や、バルトが「特殊啓示」と呼んだ歴史上ただ一度きりのイエスの出来事は、第
一世代の民衆神学においては一つの啓示的事件として理解され、その時に働いていた聖霊
によって「いま・ここ」においてもイエス事件と同様の啓示的事件が起こっていると考え
られている。
聖霊論的神学、は「時の特殊性」に関する新たな理解を要求している。新約聖書学者であ
る安炳茂は、教義化されたイエスの事件の歴史性を明確にすることを要求した。彼によれ
ば教会がこれまで依拠してきた新約聖書の「ケリュグマ」は、ものごとを抽象化し、非歴
史化する傾向があると指摘し、
「十字架以外何も知ろうとはしない」というパウロのケリュ
グマも歴史性を捨象したものと批判する。すなわち「十字架刑」が「十字架」に、「イエス
の殺害」が「イエスの死」にすりかえられたという指摘だ。このように考える彼は、批判
的聖書研究の手法によってマルコの「オクロス」がイエス事件の伝承者であると語った。
安炳茂の手法はいわゆる「史的イエス研究」のそれと類似している。しかし、伝統的な教理
としての「イエスの特殊性」に基づいた「史的イエス」論と、「イエス事件の歴史性」の主
張を同列に論じることはできない。
12
13
『キリスト教学』35号、15頁。
金子はさらに、現場神学がどのような知であるかを論じながらバタイユを手がかりに「無知、
反知」の問題を論じている。これは「反神学」と直接呼応する主題といえまいか。この点は
今後の課題としたい。
5
安炳茂は、文書批判の手法にとって解明されたオクロス、そしてイエス民衆に原理主義的
な価値(唯一性)を見出そうとはしていない。彼はイエスを「人格」として捉えてはいけ
ないと主張し、それに基づくのが彼の「火山脈」の理論だ。パレスチナのイエス民衆の事
件は歴史上あらゆる民衆の現場に起こりうる。ここに安炳茂の共時的神学、「 聖霊論的神学」
が見られる。それゆえ安炳茂は民衆こそが啓示の媒体であり、教会は民衆の声を「啓示の
ように」尊重しなければならないと主張できたのである 14 。安炳茂のこうした理解も聖書
は text ではなく一つの context であるという前提に立つ意味で徐南同と同じ立場であり、
「史的イエス研究」とは異なった立場といえる。
しかし、
「聖書主義」に立つ限りこうした言説は無意味化されるだろう。たとえ原理主義
的な聖書逐語霊感説でなくとも、教会が主張する聖書解釈のための諸原則は、十全な啓示
としての聖書、キリスト教の大前提としての聖書について語っている。「非神話化」論の系
譜に立つ「史的イエス探求」の動きも、唯一無比の特殊な存在としての史的イエスを前提と
している点で、伝統的神学の枠組みの中にとどまっている。その意味でも民衆神学が提出し
た「文脈としての聖書」という理解が容易に受容されるとはいいがたい。この問題は、キ
リスト教にとって「聖書」とは何であるのか、キリスト教とは、あるいは教会とは何であ
るのかという問いへと発展せざるをえない。
「聖書自体が啓示なのではない」 15 という徐南同の主張はキリスト教を解体してしまう
だろうか。その場合、福音書の意味はどうなるのだろうか。伝統的神学に意義を提出する
批判的立場、ある種の「反神学」ともいえる「非神話化」論、その具体的作業としての「史
的イエス探求」も無意味な作業になってしまうのだろうか。それが徐南同の「反神学」と
どのような関係にあるのだろうか。
(1)キリストの起源に関する社会的関心理論
19世紀末に始まった欧州における「史的イエス論争」はブルトマンにおいて一つの頂
点を迎えたといわれている。この過程で聖書に対する批判的研究の可能性が大いに開かれ
た。それは聖典としての聖書をキリスト教の教理的枠組みから解き放ち、古代文書として
の「聖書」を研究対象とする作業であった。一方、近年北米で盛んになっているもう一つ
の「史的イエス研究」、クロッサンらを中心にクレアモント大学に集った「イエスセミナー」
の作業はマスコミまでをも巻き込んで盛んに行われている。この作業は、
「新約聖書」の中
の史実の特定、イエス自身の言葉の特定といった目標に向かって多くの成果を生み出して
いるといわれ、関連する書籍はベストセラーであるという。その中にあってバートン・マ
ックは、これまでの史的イエス研究はキリスト教の起源を探るという本来の目的を果たし
えないと批判し、キリスト教の起源の書き直しというプロジェクトのための独自のアプロ
ーチを提案している。
14
15
「民衆による伝承」、「民衆の共同体−教会」。
『民衆神学の探求』329∼330頁。
6
マックによれば、キリスト教の起源、史的イエスに関するこれまでの研究は、結局どれ
も福音書の主張に依拠しており、その枠組みを踏襲した「非学問的」作業であるという。
彼は、福音書のパラダイムではキリスト教の起源を説明することはできないといい、宗教学
の手法によって「史的イエス研究」そのものの「非神話化」を図るアプローチを選択した。
これは一つの「反神学」的立場といえるだろう。
マックは、
『キリスト教の神話』16 の中でキリスト教成立の起源を「福音書の物語」によ
って(いわゆる「史的イエス研究」)ではなく「社会的関心の理論」で再構成しようと試み
「福音書の物語」を排除しなければならない理由として次のことを指摘
ている 17 。その際、
する。第一は「福音書のパラダイムが学問的ジレンマを作る」という点、第二は「福音書
の物語を擁護する試みは現代の神学的な妥当性に対する釈義的欲求であり、それは学問的
な妥当性に反する」、第三は「その結果は、キリスト教によってしか説明できないような宗
教理論を生み出す」というものである 18 。マックの解決は、イエスの従う人々が創造したキ
リスト教という神話と、そのために必要な神話としての福音書物語という前提に立つとい
う方法だ。すなわち、キリスト教について、神の側からの圧倒的な活動に対して人間が応答
した結果、というような「信仰」に基づく理解ではなく、「人間の思慮深い共同作業によっ
て作られたもの」としてキリスト教を理解する立場だ 19 。初期のイエス運動の後継者、イエ
スの信奉者たちがこのような神話創造の作業に着手したことは「非常に大胆な社会実験」
といえるものだが、それは「人々の幸福を脅かす社会状況の中で健全さをとり戻すための、
思慮深い建設的な試み」として、きわめて肯定的な営みと理解される 20 。
イエス運動を継承するということは、ひとつの神政政治を目指した運動であった。しかし、
それを地上に実現することの現実的な困難さの中で、人々はそれを神話的に成就させよう
として「神話創作」の作業が進んでいったと、マックは見ている。社会的組織を作り出しそ
れを維持するために必要なのは一定の「社会的関心」である。それは「行動のコードを強
化し、好奇心を刺激し、作業を押し進め、笑いを許し、不条理を楽しむことを可能にし、優れ
た業績に対しては報いを示唆するように機能する」。そしてこのような「社会的関心」は共同
的生 活が 持 って いる 一 つの 力強 い 特徴」であ ると いう 21 。 こう して イ エス 運動 の 共同 体 が
「社会的関心」の体系としてのキリスト教神話(および儀式)を創出するというのだが、
ここに描き出されたイエスの姿は共同体の理想を投影したものであって、その逆ではない
ことが示されている。つまり、福音書のイエスとは「それぞれの集団が自分たちのあり方、
16
17
18
19
20
21
Burton L. Mack. The Christian Myth: Origins, Logic and Legacy (Continuum,
New York/London, 2001). 本稿での引用はすべて松田直成訳『キリスト教という神話』
(青土社、2003年)による。
マックは福音書と初期キリスト教に関する「難問」のリストを30以上提示した後に、これ
らは福音書のパラダイムからは解決できないと主張する(85∼87頁)。
同、90頁。
同、95頁。
同、99頁。
同、125∼126頁。
7
あるいはこれからそうなりたいと願っている在り方を正当化するための神話創作」であっ
たということだ 22 。
こうした徹底した「非神話化」の前提は、キリスト教を一つの宗教として先入見なしに検
討しようとする姿勢といっていいだろう。言い換えれば、これは「多元主義」的立場であり、
「キリスト教は宗教ではない」という排他的絶対主義に対する徹底的な批判である。しか
しここで重要なのは、門外漢として「史的イエス研究」を巡る複雑な議論に立ち入ったり、
キリスト教がかねてより主張してきた歴史性や信仰の核を粉砕することではなく、こうし
た「脱神学」「反神学」的取り組みによって、民衆神学が提唱してきた問題をさらに明らか
にすることに他ならない。すなわち、「聖典」として固定化された聖書がイエス事件を伝承
する物語、啓示の器としては不十分であり、民衆神学が聖書を text としてではなく context
として参照するという態度はここで支持されているということだ。聖書に接するわれわれ
は、そこに当時の運動、共同体の人々の大胆な社会実験と、物語を中心とした組織作りの過
程を見出し、ひるがえってわれわれの「今・ここ」において同様の社会的実験と共同体形成を
していくための有効な「社会的関心」をどのように創出することができるのかという問題
と取り組まなければならないだろう。
保守的な立場からは聖書を神話と理解するのは過激すぎるだろうし、一方ではわれわれ
はすでに聖書を十分批判的に読んでいると考えてもいるのだが、「 福音書に基づく批判的読
み」に対する検証の必要は次の例からも明らかとなる。たとえば、新約聖書だけを情報源
とする限り、イエス運動の現場であるガリラヤはイスラエル社会における周縁、
「よいもの
は出ない」といわれた被差別地、とイメージされる。しかし、紀元前二世紀から数百年に
わたって、ガリラヤはユダヤ教における学問の重要な地域であり、イエスの時代、イスラエ
ル社会においてガリラヤは多くの賢者を輩出した誉れある街であったという 23 。こうした
ガリラヤの事情はマックがイエスを「犬儒派の教師」として分類することの根拠ともなっ
ているが、われわれはこのような指摘を通して、われわれがすでに福音書という神話によっ
てすでに脚色された世界観を刷り込まれていることをあぶり出してくれる。そうであれば、
われわれは「アムハアーレツ」集団という、これまでのイエス運動に関する見解や、「キリ
ストとメシア」に関する言説などを再検討する必要に迫られることになる 24 。
福音書に依拠せずにキリスト教の起源、イエス運動とその発展について語るという方法
自体が脱神学的であり反神学だ。
22
23
24
同、158頁。
S・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』サンパウロ、180∼181
頁。
マックは、キリストを「救世主」としたのはキリスト教の創作した神話であり、パウロ自身に
もそうした意図はなかったという(マック前掲書162∼163頁)。
8
(2).キリスト教の起源に関する民衆神学の見解
キリスト教の起源とその問題について第一世代の民衆神学が示してきた基本的姿勢の一
つは、
「コンスタンチヌスの転換」とそれによって生まれた「コンスタンチヌスの教会」に
対する批判である。この問題は民衆神学に限らず多くの神学者たちが共感する主張だろう。
現在のキリスト教のあり方はコンスタンチヌス以降、はたして変化したのだろうか。さらに
いえば、「神の国」(神の支配)の神学は、アウグスティヌス以前、初代教会がイエスの言説
としてそれを福音書に注入しようとした時点ですでにローマ帝国をモデルとしてはいなか
ったといえるだろうか。われわれはキリスト教の成立とそれ以降の変化を語るとき、
「コン
スタンチヌスの転換」以上に大きな出来事はなかったというべきなのだろうか。
安炳茂は、本来教会は民衆の教会であり聖書は民衆の書であるという。そしてその変質
の過程を極めて初期の段階から見ている。確かにコンスタンチヌスが「回心」したといわ
れる313年より前に、キリスト教は常に民衆の友であったわけではない。第一世代の民
衆神学は既成宗教としてのキリスト教を批判しつつ、ナザレのイエス、ガリラヤの民衆へ
の回帰を目指している。そのためキリスト教の「変質」あるいは「堕落」が問題となる。
安炳茂の主張を整理すれば、ガリラヤ民衆の事件、それを神の国の到来と宣言したイエス
の運動、イエス運動を継承するイエス民衆の運動、それを制度化組織化しようと試みた初
代教会、そして地中海地方において無視できない存在となっていたキリスト教に対するロ
ーマ帝国による公認、さらに「公認」後のキリスト教、という図式が存在する。新約聖書
は組織化された初代教会による文書であり、ガリラヤ民衆、イエス運動については断片的
にしか記録していないのだが、安炳茂は文献批評などの手法によって、主にマルコ福音書
にガリラヤ民衆とイエス運動に関する情報を読み取った。その主題は、イエス・民衆・弟
子といった三者の関係の中から、弟子を批判するイエスに民衆による教会権力への批判を
よみとるというものであり、この図式はヨハネ福音書にまで適応され、初代教会内の主流
派と反主流派の葛藤関係に、エルサレムの教権と民衆との葛藤構造を見ようとしている。
われわれはこれらの問題を、徐南同の言葉を参照しながら「神学の下部構造」の問題と
してとらえたい 25 。伝統的神学を規定するのは「聖書」に他ならない。アングリカンが「聖
書、伝統、理性」を主張する場合も、伝統と理性は聖書解釈の根拠として動員されている。
いわば、
「福音主義」を標榜するかしないかに関わらず、キリスト教は聖書を典拠とした宗
教であり、神学の第一の典拠、神学を規定する下部構造は「聖典としての聖書」に他なら
ない。
民衆神学は聖書を context といい、現場、事件を text といった。しかし、この命題を正
確に言うと、われわれ自身の置かれた現場、われわれの神学が置かれている状況、文脈
context の 重要性が問 題とされて いる。われ われは当然 どの文脈か を問わざる を得ない。
25
徐南同「民間説話についての脱神学的考察」。徐南同はここで「啓示の下部構造」
「啓示の器」
の問題として「物語」の重要性を主張した。
9
「現場の声を聴く」というとき、どの現場の誰の声かを、やはり問わざるを得ない 26 。徐
南同は現場の声、民衆の声を民話や民間説話を text として「啓示」を聞き取ろうとした。
また、安炳茂は「民衆事件」そのものに神学が聞くべき声を聞き取ろうとしたといえるだ
ろう。民衆の現場、事件には「解放の力・躍動的生命力」があり、自己超越があるからだ。
聖書を相対化する試みは、神学が帰り着く場所を喪失させるだろうか。聖書が示した「ナ
ザレのイエス」
(史的イエス)に立ち返ることの意味を無化するだろうか。信仰者としてわ
れわれは創作された神話としてのキリスト教の受容した。このことは、史的核が確認され
ようがされまいが関係のない営みである。
「ポンテオピラトの時」という信条がすでに歴史
上の事実に依拠して無いのだとすれば、究極的にいえば「空になった墓」をたよりにわれ
われは信仰を構築しているのではないと、明確に立場表明する必要性に迫られているだろ
う。われわれが民衆神学、そしてその他多くの「解放の諸神学」の主張を受け止めるなら
ば、われわれは次のような立場を導き出すことになるだろう。すなわち、聖書は、初代教
会の人々が経験した「ある事件」を伝承するものがたりを含んだひとつのテキストであり、
それは神話として多くを語りはしても、そのままではわれわれにとっては「死文」に過ぎ
ない。しかし、われわれが自らの現場において、民衆(受難者)の語るものがたり(経験、
叫び)に傾聴し、そこに現れた「解放の力・躍動的生命力」を感受することが可能であるな
らば、われわれは聖書のものがたりが内包する「解放の力・躍動的生命力」を再発見するこ
とができ、
「救い主イエス」を巡る使信を現場の事件、民衆事件と密接なものとして受け止
めることができるだろう。すなわち二つのものがたりが「われわれ」の現場において合流
するとき、聖書の人々の現場が内包する「解放の力・躍動的生命力」がわれわれの現場にお
いて初めて意味を持つことになる、という理解である。
(3)原点としての「民衆ものがたり」に立ち返る
マックの指摘を待つまでもなく、イエスに関する言説には、研究者自身の「イエスのイ
メージ」が学問的研究に先立って存在し、研究結果に影響を及ぼしている。マックは、シ
ュバイツァーのイエス像を「狂気に近い黙示録的幻想者」といい、イエスセミナーが提供
するのは、
「感性豊かな詩人であり情熱的な説教者」か、あるいは「放浪する田舎の知識人」
(クロッサン)というイメージだという。従来こうした「イエス像」は数多く提供されて
きた。「放浪のラディカリスト」「知恵の教師」「犬儒派の教師」「奇跡的治癒者」「革命家」
「逆説的反抗者」「フェミニスト」「神秘家」・・・
これらのイメージに、語り手自身の理想像の投影が影響されていないとはいえないだろ
26
第二世代の民衆神学による「第一世代批判」、特に民衆教会牧会者による批判の問題は、ま
さにこの論点を明確にして評価される必要がある。彼らの言う「現場」からの批判とは、民
衆教会の牧会者からの批判であり、「民衆」自身からのものではなかった。もちろん、だか
らといって批判がすべて間違っているというのではないが、これは現場に立つ者の自己正体
性の問題といえる。「民衆自身の声に傾聴する」という基本姿勢は常に明確にされていなけ
ればならないだろう。
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う。おそらく聖書を編集した人々がそうであったように、われわれも理想像、こうありた
いと思う姿をイエスのものがたり、メシアの神話に織り込もうとしている。
第一世代の民衆神学が示したイエス像は「民衆」だ。彼らは知識人として民衆事件に立
ち会い「証言者」となった。自らが「民衆」であることを否定しつつ、民衆抜きの救いを
断固拒否し続けた。第一世代の民衆神学は民衆に関する定義を後回しにした。このことは
第二世代の民衆神学にとって厄介な課題となったし、そのことのために「神学」としての
評価を得られなかったりもした。しかし、史的イエス研究に関するマックの指摘、予見的
なイエス像の問題を考慮するならば、第一世代の民衆神学が描いていたイエスのイメージ
である「民衆」こそ、研究者たちの「自画像の投影」を拒否するうえでこの上なく有利な
イメージであるといえないだろうか。
われわれは民衆の定義を行わない。それは「民衆とは誰か」という問いは、
「イエスとは
だれか」という問い同様そこから出発する考えにジレンマを含ませてしまいかねないから
だ。われわれが民衆を特定し、定義をしたところで、われわれはそれを神話化する必要は
ないし、聖典化する必要も無い。むしろ、先入見無しに一つ一つのものがたりに耳を傾け、
事件の証言者となればいいのではないか。当然民衆のものがたりは、チョンテイルのよう
な1970年代の韓国民衆ものがたりとは限らないし、
「ねずみと雄牛」のような民間説話
や「涙の水たまりの中のアリス」のような有名作家の手による寓話とも限らない 27 。以下
に提示するのはある少女が創作した童話である。この物語に、
「社会経済的契機」や「抑圧
構造」を見出すことは困難だろう。むしろ一人の人間の内面的な葛藤、「한(恨・ハン)」
の物語だ。
(4)ある復活ものがたり
15歳で「膠原病」の診断を受けた少女は、進学した高校を断念し闘病生活を送ってい
た。イラストレーター志望であった彼女はわずかな入院の隙間を縫って『よっちゃんのク
レヨン』という絵本を描いた 28 。
主人公よっちゃんは不思議なクレヨンをもっている。それは描いたものが本物になるく
クレヨンだ。よっちゃんは赤色で苺を描きおやつにしようとする。しかし鳥がやってきて
苺を欲しがるのでそれをあげてしまう。次に紫でぶどうを描いてそれを食べようとするが、
狐にせがまれてあげてしまう。オレンジ色でミカンを描いたときもそれを欲しがるウサギ
にあげてしまった。よっちゃんは残された緑色でメロンを描いた。残りは黒だけだから、
このメロンは自分が食べるつもりだ。しかし、どうしてもメロンが欲しいというクマの悲
しそうな顔に負けて、よっちゃんはメロンを渡してしまった。彼女は悲しくて泣いてしま
27
28
宋泉盛『民話の神学』参照。
小林千恵(作・絵)『よっちゃんのクレヨン』LITHON、1995年。この絵本は少女の死
後、両親の手によって出版された。筆者は、少女の祖父母との関係から少女の葬儀を担当し
た。
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う。残った黒いクレヨンでは美味しい果物は描けないからだ。しかし彼女は突然いいこと
を思いついた。黒いクレヨンで花の種を描くのだ。彼女は大きな種を描き、地に埋めて水
を与える。その種は芽を出し、大きな花を咲かせた。すると、よっちゃんが果物を分けて
あげた動物たちが戻ってきて彼女に言った。おやつを取ってしまってごめんなさい、もら
った果物でケーキを焼いたよと。よっちゃんは動物たちとともに、大きなお花の上で楽し
いパーティーを開いた。
少女はこの絵本を書いた半年後に世を去った。彼女はキリスト者ではないし、聖書の勉
強をしていたわけではないが、われわれはこのものがたりに「復活」に関するこの上ない
たとえ話を見出さないだろうか。きれいなクレヨンと黒いクレヨン、ここに希望と絶望を
読みとる「寓喩的解釈」も成り立つだろう。動物たちとの再開、和解の宴はあたかもイエ
スのたとえ話の様でもある。聖書の読者であればおそらく「種のたとえ」を連想するに違
いない。しかしこれらは15年の人生の経験、闘病の苦しみ、闘病のための高校退学とい
った挫折などが書かしめた彼女自身のものがたりだ。このものがたりの中では、メシア予
言も、イエスの贖いも、復活証言も、使徒たちの教えも位置をもっていない。さらにこの
ものがたりは一切の史実と無関係な創作に他ならない。しかし、彼女のものがたりによっ
てわれわれはイエスの復活ものがたりの生命力、真実味へと導かれているといえないだろ
うか。われわれはこの少女のものがたりをくぐり抜けることで、復活の証人たち、その後
継者たちと共通の現場を持つことが可能となるのではないだろうか。われわれはこうした
ものがたりを根拠として聖書の使信に意味を見出すことができるのであって、その逆では
ない。
われわれは民衆神学を評価する際に、既存の神学の枠組みにあてはめようとしてはなら
ないだろう。むしろ「反神学」
「脱神学」としての意味を積極的に受け止め、他の批判的神
学、解放の諸神学との関連の中で、あらためて「民衆神学」の再構築をはかる必要がある。
そして民衆のものがたり、現場の声との呼応の中で、韓国民衆のものがたりから受け止め
たものよりも、さらに豊かな響きを見出すことができるに違いない。(2003.4.30)
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