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異世界×サバイバー - タテ書き小説ネット

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異世界×サバイバー - タテ書き小説ネット
異世界×サバイバー
佐藤清十郎
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
異世界×サバイバー
︻Nコード︼
N1346CS
︻作者名︼
佐藤清十郎
︻あらすじ︼
鹿島仁は気づくと、レベルやスキルがありステータスが見えると
いう、ゲームのような異世界に訪れていた。
中世ヨーロッパを思わせる封建社会、身分差があり奴隷があり剣と
魔法と魔物が混在する世界。
死にたくなければ、レベルを上げろ!
魔物を倒し、スキルを手に入れろ!
今ここに、一人の青年の生き残りを掛けた戦いが始まる!
1
※書籍化しました。
2
プロローグ
ボーナスを叩いて買った新車のバイクで、俺は目的の温泉地を目
指した。
天候は快晴とまでは行かないが、薄曇りというまずまずの天気だ。
頬に受ける風は冷たいが防寒は万全なので、それほど問題はない。
北海道、ニセコ某所。
世間ではゴールデンウィークと言われている連休である。
長い人だと10日間ほどの連休になる人も、いるとかいないとか。
羨ましい話だ。
俺はというとここ数年は﹃今年は休みになりそうだ﹄と言われつ
つ、結局仕事が入ったり、何かしら雑事に追われまともな連休にな
った記憶がない。
前もって休みが取れないためなかなか予定も立てられず⋮⋮とい
った状況だったのが、今年は違う。
意を決して社長に直談判し、連休を獲得したのだ。
渋い顔をされるかと思いきや、俺の要望はあっさり通った。
なんてことはない。ただ会社が暇になってきて、少々スケジュー
ルに余裕が出来たという話だ。
俺は昔から付き合いのある連中に声を掛け、ツーリングキャンプ
3
の企画を打診した。
その結果数名の参加者を得たわけだが⋮⋮
連休直前になって急にドタキャンされ、俺は一人旅となった。
1人は﹁親を還暦祝いがてらに、温泉旅行へ連れて行くことにな
った﹂とキャンセル︵もっと前もって計画しとけよ!︶
1人は、﹁彼女が出来たので、行けなくなった﹂とキャンセル︵
この前の合コンで、持ち帰りした女だろ!︶
1人は、﹁子供が生まれたんだから、もうバイクは卒業して!﹂
と嫁に言われた。とキャンセル︵その前にギャンブルを卒業しろ!︶
1人は、﹁仕事が終わりそうにない﹂とキャンセル︵がんばれ!︶
結果、俺はソロツーリング。
もちろん予定の変更はない。
せっかく滅多にない連休を手に入れたのだ、家でただ過ごすのも
勿体無い。
今の愛車での初の遠出だ。
この贅沢な時間を存分に満喫しようと思う。
>>>>>
4
道は渋滞というほど混んではいなかったが、温泉や食事処はさす
がにすごい混みようだ。
時間帯のせいもあるだろうが、人が行く所というのは大体が皆同
じようである。
俺は何箇所かの温泉と景勝地を巡り、今夜の宿泊の地となるキャ
ンプ場にやってきた。
日が落ちるには、まだ少し時間があるが、さすがに山間部は冷え
る。
夜になれば、まだ下がるのだろう。
俺は寝床と食事の用意を急いだ。
キャンプ場は羊蹄山の麓にある。
周囲は原生林に囲まれており、自然あふれるいい環境だ。
こんな環境にいると、普段の忙しさを忘れさせてくれる。
場内にテントを張る客は、俺を含めても数組しかいない。
敷地はかなり広いため、ほとんど貸切状態だった。
まだここにきて他の客の人影を見てないくらいだ。
俺は食事をカップ麺で簡単に済ませ、買ってきた缶ビールで一息
ついた。
愛用のローチェアに足を投げ出して座り、ぼんやりとした時間を
過ごす。
あくせくしたいつもの日常が、嘘のようである。
周囲からは微かな風の音と、ホーホーという遠くで鳴く鳥の声し
か聞こえない。
5
とても静かな空間だった。
﹁なにもしないでいるこの時間って、すげー贅沢だなー﹂
俺は誰に聞かせるわけもなく、1人呟いた。
しかし1人は、ちょっと寂しいのも事実だ。
俺は今の状況をLINEで撮影し、グループに乗せておいた。
>>>>>
﹁起きてても何するわけでもないし、そろそろ寝るかな⋮⋮﹂
LEDランタンの明かりを消し、眼鏡を外して寝床に入る。
さっきもスマホで確認したが、雨の降る予報にはなっていない、
しかし夜露で濡れるのも嫌なので、濡れて困るものはテント内に収
納する。
その辺を見越して、俺のテントはソロにしては十分な広さがあっ
て快適だった。
寝袋の中で蹲っていると、外の風が強くなってきた。
俺は普段から寝付きのいいほうで、自慢じゃないがどこででも寝
れる人間なのだが、今日はなぜか寝付けなかった。
6
目が冴えてしまいテントの中の天井をぼんやりと眺める。
キャンプ場の街灯は少し離れた場所にある炊事場とトイレ、それ
と場内の幾つかに必要最低限あるだけといった感じで基本的にかな
り暗い。
街灯近くでなければ、足元も見えないほどだ。
俺がテントを建てた場所は、街灯から離れているため、テントに
明かりが差すことはない。
﹁あれ?なんか外明るいな⋮⋮?﹂
枕元にあったスマホを見ると、深夜1時を指していた。
俺のテントの近くには、他の客のテントは立っていないはずだ。
こんなガラガラなのに、わざわざ他人のテントの近くに寄ってく
る奴はいない。
たぶん他の客がトイレに行くために、ランタンを手に俺のテント
の近くに、通りがかっただけだろう。
珍しくなかなか寝付けない俺はスマホをいじり、小説投稿サイト
でブックマークしている小説が更新されていないかチェックするこ
とにした。
俺がスマホをいじっている間も、外の明るさに変化はなかった。
もしかしたら酔っぱらいが近くに居座っているとか?そんなこと
を思うと、ちょっと気持ち悪い。
俺は不審に思いテントの入口のジッパーを少し開け、外の様子を
伺った。
7
人影はない。
そういった気配もない。
だが外は明るかった。
深夜とは思えないほどである。
日中雲が出ていたせいもあってか、月明かりもなく暗かった場内。
俺はテントから外へ出て、周囲を確認した。
﹁なんだこれ⋮⋮?﹂
薄曇りといったような昼間の天候。
日が落ちてからも寝る前までは似たような状態だったはずだが、
今俺が見上げる空はおかしなことになっている。
分厚い雲が空を覆い尽くし、グルグルと渦を巻いているのだ。
雲の渦はピカピカと紫に輝く稲妻を放っており、それが空を照ら
していた。
ぼんやりと空を眺めているうちに次第に風も強くなってきた。
俺は天候には詳しくないが、こんな雲初めて見た。
きっとかなり珍しい現象なのだろう。
8
俺はその不思議な現象を食い入るように見ていると、不意に俺の
直ぐ側で起こる空気を切り裂く衝撃音。
天から疾走る、一本の閃光。
その閃光は吸い寄せられるように、俺のバイクへ向かった。
俺は思わず、身を縮こませた。
グラリと倒れこむ、俺のバイク。
気のせいか煙が、上がっているような⋮⋮?
はぁ?
え?雷?
マジで?
空から遠く聞こえる、ゴロゴロとなる音。
こんな障害物の少ないキャンプ場とかって、もしかしたら危ない
のか?
どうしよう、どこに避難したらいいんだ?
あぁ、クソッまだぜんぜん乗ってないのに、まさか落雷に会うな
んてそんなことってあるか!?
9
俺が若干パニックになっていると、再び空気を切り裂くような衝
撃音と共に周囲が閃光に包まれた。
激しい衝撃が体を突き抜ける。
あ、俺死ぬわ。
俺は咄嗟に、そう思った。
10
第1話 森の中で
つん。
つんつん。
つんつんつん。
指先に感じる感触。
⋮⋮あれ?
⋮⋮たしか、俺⋮⋮死んだんじゃなかったけ?
かぷっ。
﹁いってぇぇーー!?﹂
うつ伏せに倒れこんでいた俺は、指先に感じる痛みに咄嗟に飛び
起きた。
見渡せば周囲には多数の鳥によって囲まれていた。
茶色いヒヨコの様な姿だが、チワワくらいにでかい。
﹁ピィギョォーーーッ!﹂
俺の叫びに驚いたのか、鳥達は蜘蛛の子散らすように藪へと消え
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ていった。
啄まれた指先がジンジンと痛い。
﹁⋮⋮あれ?ここは⋮⋮どこだ?﹂
落ち着いて周囲を見渡すと、見覚えのない景色が広がっていた。
キャンプ場でテントを張っていたはずが、周囲は俺の居る僅かな
スペースを除いて背の高い木々で囲まれ、まるで深い森の中といっ
た様子だ。
俺の知るキャンプ場も山の麓にあり、自然豊かなところだがこん
な森の中にテントを張った記憶はない。
指先の痛みから、これが夢の類では無いことだけは理解できた。
ふと見るとすぐ脇に俺のテントがあった。
荷物も軽くチェックしたところ、不審な点はなく揃っているよう
な気がする。
﹁⋮⋮あっ!そういや、バイクどうなった﹂
あたりを見渡してみるも、それらしき影は見当たらない。
地面は膝くらいまでの草で覆われているが、そんな中にバイクが
転がっていればすぐに気がつくだろう。
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俺は理解が追いつかず混乱するのを、必死に抑え努めて冷静にな
るように心がけた。
得体のしれない事態に陥っている今、パニックになっては危険で
はないかと咄嗟に感じたからである。
俺はふと妙な違和感を感じ、草を掻き分けとある木々の間から身
を乗り出す。
そしてそこから望む景色に、思わず息を呑んだ。
﹁なんじゃコレ﹂
身を乗り出した、すぐその先は崖だった。
そしてその先の光景は見渡す限り続く大森林、差詰め樹海といっ
た様相だった。
ギョェー。
はるか先の空には巨大な鳥、いや子供の頃に好きだった恐竜図鑑、
そこに記されたプテラノドンによく似た生き物が空を飛んでいるの
が見えた。
しかし、俺の目が捉えたそいつは2つの頭を持っていたのだ。
﹁うーん、ここから見える感じだと大きさがよくわからんが、少な
くとも10メートルくらいありそうだな﹂
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周辺の木々の大きさから大雑把に推測したもの故、正確性は皆無
だろうが。
ともかく、とてつもなく巨大な存在なのは間違いなさそうだ。
動物について特別詳しいわけではないが、俺の知っている地球に
はそんなにでかい鳥は居なかったはずだ。
もちろん2つの頭を持つ生物なんて、いるはずがない。
この身に何が起きたのか?と考えてみれば、異世界トリップとい
うワードが一番しっくりくる。
いや、というのも直前に読んでいた投稿小説の序盤の話の流れに、
よく似ていたからなのだが。
この状況から見ても、勇者として召喚されたようには思えない。
神様にもあった記憶もないので、偶発的な事故で転移したという
事なんだろう。
まぁ、ともかくありえない事態に直面しているのは事実のようで、
実際のところ情報もなくアレコレ考えても仕方ないので、異世界に
来ちゃった︵仮︶ということにしておこう。
ウオオオォォォゥゥーーーーー。
遠くから聞こえる地鳴りのような、遠吠え。
狼か、虎か、声の主が何かはわからないが、獰猛な肉食獣といっ
たような声だ。
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物凄い嫌な感じがする。
このままここにいては危険と判断して、俺はこの場から離れるこ
とにした。
>>>>>
﹁まさか、この年で異世界トリップを体験するとは、人生なにがあ
るかわからんなぁ﹂
俺は荷物を撤収し、リュックにまとめるとアテもなく歩き出した。
悲観しても、事態の解決には至らない。
ならば、現状を踏まえ、最善の行動を模索するのみと考え、俺は
まずは水の在処と夜安全に過ごせそうな場所を探して彷徨っている。
とは言うものの、森を行くにしても、特別な知識や技能を持って
いる訳ではない。
そういう意味でも、俺にはまったくアテは無かった。
﹁そういや俺眼鏡してねぇな⋮⋮﹂
小3くらいから眼鏡を掛けていた俺は、眼鏡が無ければ隣に座る
人の顔も満足に判別出来ないくらいには視力が悪い。
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しかし今は眼鏡が無くても視界ははっきりしている。
それどころか眼鏡を掛けていた頃よりも、より良く見えるような
気さえする。
異世界に来た影響で、視力が回復したのだろうか。
とんでもない状況だが、とりあえず1ついいことがあったようだ。
俺はポケットを探り、スマホを取り出した。
﹁やっぱ電源は入んねぇか⋮⋮﹂
先程から知人と連絡を取ろうと思い、電源を入れようとするも反
応はない。
バッテリーは十分残っていたと記憶しているので、このタイミン
グで無反応ということはあの雷で故障してしまったのかもしれない。
まぁ、あれが普通の雷だったかどうかは、わからないが。
この状況のきっかけと思えるものは、あれくらいしか思いつかな
いが俺の理解の範疇を超えるものなので、なぜだろうと考えるのも
無駄だろう。
とりあえず事実としてはスマホが使えず、救援も呼べないという
ことだ。
⋮⋮あぁ、そういやここ異世界だったか。
16
となると救援は期待できそうにないかもな。
>>>>>
既に2時間以上は歩いている気がする。
俺は腕時計の類は身につけていない。
いままではスマホがあれば問題なかったからだ。
このあたりの気候は、初夏といったところだろうか。
陽の光を遮る枝葉の下を歩いていても、それほど寒くもなく暑い
というほどの熱もない。
比較的快適な気候で助かった。
しばらく進んでいくと、無秩序に木々の繁茂するジャングルとい
ったよりは誰かに植樹されているのでは?と思えるような空間に入
った。
どれも似たような大きさの巨木が間隔を開けて立ち並び、得てし
て人工林のような雰囲気だった。
となると人の存在があるということだろう。
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少なくとも苗木を植樹したり、森を管理しようとする知性のある
存在がいるはずだ。
森は静かであった。
ときおり唐突に聞こえる小鳥の鳴き声に、ビビる事はあるものの
今のところ危険そうな生物には遭遇していない。
それでも熊や蛇くらいはいるかもしれないので、警戒は怠らない
ように務めよう。
﹁おっ、なにかあるぞ﹂
それは石で作られた、あきらかな人工物だった。
石で作られた円形の舞台。
大きさは直径10メートル近くはありそうだ。かなりデカイ。
舞台は地面から20センチほどせり上がっている。
周囲にはいくつかの石柱が疎らにそびえ立っている。
石の舞台は1つの大きな石ではなく、カットされた石を組み合わ
せて作られているようでなかなか凝った作りをしている。
まるで何か意味のあるデザインのように見えるが、それが何を意
味しているかまではわからなかった。
俺はここで休憩を取ることにした。
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リュックから飲みかけのペットボトルのお茶と菓子を取り出し、
口に放り込む。
﹁水がないと、カップ麺も食えないな⋮⋮﹂
飲み物はこのお茶がなくなれば終わりだ。
菓子も僅かしか無い。
あと食料と言えるのは、カップ麺2個とスルメくらいだ。
いままで水も食料も、すぐ手に入る環境にいたのだ。
重い食料を持ち歩くはずもなく、俺の手持ちの食料と言えるもの
はほとんどなかった。
石舞台に足を投げ出しどうしたもんかと考えていると、見覚えの
ある物体が木の影から飛び出すのが見えた。
なんだろうと、凝視すると。
ウズラ 魔獣Lv1
頭の中に情報が直接流れ込んでくるような感覚を得る。
なんだこれは?
ウズラ 魔獣Lv1
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おぉ。
こいつは俺の指を餌にしようとした、あの時の鳥か。
どうも調べたいと凝視すると、なにか情報を得られるようである。
異世界にきて何かの能力に目覚めたのだろうか?
ウズラと表記された鳥は言われてみれば地球のウズラに似てなく
もない。
ちょっと大きめだが。
丸っこい見た目に薄褐色の羽。
その体は小型犬か、もう少し大きいかもしれない。
少し離れた位置で、ウズラは必死に地面を啄んでいる。
そういやウズラって食えるよな⋮⋮
Lv1ということは、つまり弱いってことだろう。たぶん。
普通の野生動物ならいざしらず、魔物なら逃げずに襲ってくるん
じゃないだろうか?
ともすれば肉ゲットのチャンスでは?
俺はリュックからナイフを取り出し、1匹だけ逸れているウズラ
に狙いを定めゆっくりと背後から近づいた。
20
鳥には悪いが晩飯になってもらおう。
まさかこの歳になってサバイバルを経験するとは、夢にも思わな
かったぜ。
鳥の背後に迫る。
そしてあと僅かの距離まで来た時、足元から聞こえる乾いた高い
音。
枯れ枝踏み抜いた音に反応した鳥達は、あっという間に俺の視界
から消えていった⋮⋮
>>>>>
休憩を切り上げ、俺は水場を探した。
太陽の高さからいって、今の時刻は昼くらいだろう。
どうやら異世界だろうとも、太陽は地球とさほどの違いはないよ
うだ。
﹁そういや、あの力って俺にも効くんだろうか﹂
あの力とは、ウズラを判別した能力のことだ。
21
俺は自分の腕を見つる。
能力の使い方など知る由もないが、使おうと思って見れば簡単に
成功した。
鹿島仁 漂流者Lv1
人族 17歳 男性
スキルポイント 1/1
特性 魔眼
スキル 雷魔術
でた。
でちゃった。 さっきのウズラと違い、情報量も多い。
自分に掛けると沢山見えるのだろうか?
おそらくこの能力は特性の魔眼ってやつが関係しているんだろう。
このステータスを見れば、それしか考えられない。
この事態の影響で何かに開花したとか、そういったところだろう
か?
視力の回復もこれのせいかもしれない。
それにしても、17歳か。
22
ずいぶん若返ったものである。
どうも体がよく動くし、腹肉あたりがスッキリしたような気がし
ていたのだ。
雷による若返り効果だろうか。
歳のせいか最近痩せにくくなったなと感じていたので、ちょっと
ラッキーかもしれない。
漂流者ってのは、もうそのまま、そういう意味なんだろう。
俺漂流しちゃったんだ。
スキルポイントってのは、よくわからんな。
スキルを覚えるのに必要なポイントか?
ますますゲームみたいなノリだな。
そして雷魔術。
正直コレが一番気になるところだった。
魔術。
なんという胸熱の響き。
水も食料も満足にない危機的状況のはずなのに、ちょっと楽しく
23
なってきた。
これで俺の提唱する﹁ここって異世界なのでは?説﹂が現実味を
帯びてきたな。
これでこの世界に魔術、魔獣、レベルが存在することが証明され
た。
最近でこそ少なくなったが、俺もラノベやゲームは昔から好きだ
しRPGなんて特に好きでよくやっていた。
ゲームのような異世界に漂流。
ちょっと考えただけで、テンションが上ってしまうのは仕方ない
ことだろう。
俺は指先を目の前の巨木に定め叫んだ。
﹁サンダーボルトォッ!!﹂
特になにも起こらなかった。 24
第2話 留まる者
幾度と無く雷魔術の発動にトライしてみるものの、発動する気配
はなかった。
魔眼は見て使おうと思うだけで発動出来るため、雷魔術もそう難
しいものではないような気もする。
もしかしたら、特性とスキルというのは別物なのかもしれないが。
﹁⋮⋮うん、まぁ魔術の練習はまた後でゆっくりやるか﹂
俺は歩きながら、周囲に目をやり練習のため魔眼の使用を試みる。
木
草
落ち葉
土
うん。
知ってる。
俺は、すごいチート能力を手に入れたと思ったが、そんなことも
なかったようだ。
25
生物はというとウズラ以来、見ていない。
それにしても、腹減ったな⋮⋮
俺の視線は、ある巨木に止まった。
いままで見てきた木とは、種類が違うようだ。
枝を見れば、たわわに果実が実っている。
ヒワンの実 食材 E級
食材?
また初めて見る情報だった。E級というのは等級だろうか?
それはともかく、食材ということは食えるということだろう。
枝に付けたオレンジ色の実は、甘い香りを放っていた。
俺は木に登り、枝に手を伸ばす。近くになっていた実の1つを、
もぎ取りかぶりついた。
瑞々しい果肉に、強い甘み、程よい酸味。
なにこれ、めっちゃ旨い。
小腹も空いていたので、丁度いい。
26
俺は更に果実を手に入れるために、枝に手を伸ばした。
枝は太く俺の体重を支えるだけの十分な強度があると推測したの
だが⋮⋮
甘かった。枝は緩やかにしなり傾くと、その重さに耐え切れず軋
んだ音を奏で始める。
え?
体勢を維持しつつ振り返ると、俺が乗りかかった太い枝は、根本
から折れる寸前であった。
もしかしたら枝が傷んでたのか?そう思いを巡らせた矢先。
あ、折れた。
>>>>>
﹁うおぉぉぉ﹂
俺は果実の付いた枝を抱えながら、落下した。
落ちた場所は深い藪になっており、それが緩衝材になったようだ。
それ故、大きな怪我を負うこともなかった。
27
しかし藪の先は斜面になっており、俺はズルズルと滑り落ちてい
った。
濡れた地面、草、落ち葉。それらが斜度に加え余計に滑りやすく
させる。
﹁うおぉぉ、やばいっ、コレ止まらないぞッ﹂
途中、斜面に生える木々に掴まろうとするも上手く掴めず、結局
ズルズルと滑り落ちた。
ずいぶんと下まで、滑り落ちた。
体中に落ち葉や、泥やらを浴びてしまったが、大きな傷みはない。
自分の体を探るも問題は無さそうだ。
俺は立ち上がり、体についた土を払う。
﹁いてて、大きな怪我をしなかったのはよかったけど、あちこち打
ったし、けっこう擦りむいたな﹂
あまりの悲しさに、一人呟く。
大きな怪我はないが、体中が地味に痛い。
手に入れたと思った果実も、どこかに行ってしまったようだった。
﹁はぁ、どうしたもんかな。さすがにコレ登るのは無理だろ﹂
28
まだ1個しか食べていないのだ。
空腹が刺激されて、余計に腹が減った気がする。
ん∼、と悩んでいると、気のせいかサラサラという水の流れる音
が聞こえる気がした。
俺は試しにと、音の出処へと向かった。
藪を掻き分け木々を抜けると、明かりの差し込む開けた場所に辿
り着いた。
ザーザーと三段の滝が大きな滝壺を作り、豊かな水が川の流れを
作っている。
﹁おぉ﹂
俺は川に駆け寄り、中を覗き込む。
水は非常に澄んでいて、魚の泳ぐ姿も見えた。
手を差し込むと、身を切るほどに冷たい。
俺は手を洗い、そのまますくって水を口に含む。
旨い。
俺はお茶の入っていたペットボトルと水筒に水を入れ、川沿いを
下ることにした。
29
﹁水のある場所に人は住むもんだろうから、このまま川を下れば人
里に出会えるかもしれんな﹂
一縷の望みを胸に俺は、歩みを進めた。
>>>>>
しばらく川沿いを進むと、木で出来た城壁が見えてきた。
丸太を切り出して垂直に立て並べた様な壁だ。
川の水は城壁の向こう側へと流れ込んでいる。
城壁ということは、外からの侵入者に対しての防衛策だろう。
これは魔獣への対策なのか、人間同士の戦争中なのかはまだわか
らない。
俺は城壁の外周を歩いてみるが、人影は全くなく気配を感じなか
った。
砦であれば歩哨くらいはいそうなもんだが、聞こえるのは鳥の音
ばかりで非常に静かだ。
ん?あれは、城門か?
30
幅3メートルくらいの、木製に金属で補強された、重厚そうな扉
が見えた。
﹁⋮⋮これは、なんだろ﹂
扉はかつては、この城壁内を堅牢に守っていたのだろうが、いま
は無残な姿を晒している。
まるで扉に大型トラックが突っ込んできたかのような、物凄い衝
撃が扉を破壊したようだ。
⋮⋮これは、凄い嫌な感じだな。
﹁すいませーん、だれかいませんかー?﹂
しばらく返答を待つも、その声に答えるものは居なかった。
やや崩れてはいるものの、完全に破壊されたわけではない。
崩れた扉を無理やり押し広げ、俺は意を決して破壊された扉の隙
間から城壁内に侵入した。
中に入ると広場になっていて、奥には木材で出来た簡素な家が立
ち並んでいた。
﹁やはり誰も居ないか⋮⋮﹂
俺は城壁内を探索することにした。
31
城壁内には畑があったり丸太が山積みされていたりと、人が生活
していた痕跡があった。
ここは砦というよりは、森の中にある樵の村といったほうがしっ
くりくる。
中の様子を伺っても、戦争の準備中といったものは見られず日常
的な生活の様子が垣間見れた。
住宅を見ても畑を見ても、しばらくの間放置されていたようだ。
簡素な木造の家屋は、家主を失ってしまったからか風化が始まっ
ているのが見えた。
屋根が抜けていたり壁が無かったりしていて、まともな家は無か
った。
どうやら人は住んでいないようだ。
城壁外から流れ込んでいる水は、段々作りの水路へ流れ込んでい
る。
水路は石造りのしっかりしたものだ。
たぶんここで洗濯したり野菜を洗ったりしていたのかもしれない。
すぐ脇には壁から石の筒が突き出しており、絶え間なく水を噴き
出している。
水路と分けてあることから、飲水用の上水のように思える。
32
村の中心は高台になっていて、その上にも建物がありそうなので
俺は様子を見に向かった。
高台はまるで一枚の大岩のようである。
壁面に沿うように彫り作られた階段で登るようだ。
階段を登り切るとそこは木々が繁茂しており、その中に建物が立
っている。
まるでヨーロッパの田舎町にある教会のようだと感じた。
屋根の一部が塔の様に突き出していて、最上部には教会のシンボ
ルと思えるオブジェが見えた。
シンボルは初めて見るものであったが、まるで星の輝きのように
見えた。
教会は石造りのしっかりしたもので、他の家と比べて原型を留め
ているようだ。
入り口には正面の大きな扉と、裏口の小さい扉がある。裏口には
鍵が掛かっているようだ。
﹁ん⋮⋮正面の扉は、やけに重いな。どっか歪んでるのか?﹂
重厚な観音開きの扉は、いくら押しても開かなかった。
俺は教会の中を調べるのを後回しにして、他を見て回ることにし
33
た。 教会のすぐ脇には、地面に丸太が突き刺してある場所がある。
1つや2つではなく何十本と突き刺してあり、丸太には何か文字
が彫り込まれている。
その文字は俺が知るものではなく、読むことは出来なかった。
高台から眼下を見ると、ある一角から湯気が上がっているのが見
える。
俺は高台をおおまかに見てまわった後、湯気の出ている場所へ向
かった。
﹁おぉ、すげぇ﹂
思わず感嘆の声が漏れる。
木の壁で仕切られたその一角は、村の温泉施設のようだ。
おそらく脱衣所か何かだった小屋は、すでに完全に倒壊している
が、温泉は健在である。
露天風呂になっている温泉は、その一角から大量に湯が湧き出て
いる。
これなら掃除すればすぐに使えそうだ。
34
>>>>>
﹁あぁ∼、生き返るぅ∼﹂
俺は露天風呂の掃除をそこそこに、試しに湯に浸かってみた。
体をあちこち打ったため少々痛むが、なんとなく怪我に効きそう
な湯である。
ここの村人は何が原因でこの村を捨てたのかわからないが、少な
くとも人が居るのは間違いない。
しばらくはここを拠点にして、今後どうするか検討しよう。
温泉の近くにテントを張り、水を汲んで湯を沸かした。
バーナーのガスも残り少ないので、明日は薪も集めないといけな
いな。
まぁ木は幾らでもあるので、困ることはないだろう。
俺はカップ麺を啜り、その日は早めに就寝した。 35
第3話 闇の中の咆哮
﹁は∼、これでビールがあれば最高なんだけどな∼﹂
昨日はいろいろあって疲れてしまい、日が落ちる前に寝袋に入っ
てしまった。
そのためか夜明け前に目が覚めてしまったのだが、さすがに探索
するにも早いだろうと思い朝から温泉に浸かっている。
この温泉は本当に傷に効くようで、昨日の体の痛みは、朝起きれ
ばまったく無くなっていた。
目覚めもよく、すこぶる調子がよい。
温泉から上がった俺はガスバーナーで湯を沸かし、カップ麺を朝
食に食べた後、コーヒーで一息ついた。
今ある自分の荷物を確認するべく、リュックの中身をぶちまけた。
テント 寝袋 ロープ クッカー ナイフ ガスバーナー 小型
ガストーチ
着替えの服 下着 水筒 お茶の入っていたペットボトル イン
スタントコーヒー
小型ペンライト 携帯ラジオ 壊れたスマホ 石鹸 菓子 LE
Dランタン
眼鏡 雨具 タオル 箸 スプーン フォーク 歯ブラシ リュ
ック
あと当座の食料を調達できれば、しらばくは何とかなりそうだ。
ここから他の村まで、どのように行けばいいのかまだわからない。
何か手がかりになるようなものがあればいいのだが。
36
>>>>>
村内に残された家屋内を調査する。
幾つかは火事で焼けたような場所もあった。
魔獣か何かの襲撃でも受けたのだろうか。
俺は何か使えるものは無いかと物色する。
まるで泥棒のようだが、廃村になって久しいようだし、悪いが俺
が生き残るために利用させてもらおう。
ある家屋からは、干し肉などの保存食がいくつか発見できた。
全ての家屋を調査するには時間が掛かるので、有用なものを求め
て手短に調べていく。
畑は荒れていたが、土を掘ってみると芋を見つけることができた。
昔じいさんの家で見た、サツマイモの葉に似ていると思い掘って
みれば、似たような芋が出てきたのだ。
小振りだが当座の食料にするには十分だろう。
そんな中、俺は畑であるものを見つけた。
まるで巨人かというほどの巨大な足あとだ。
この村は巨人の村だったのだろうか?
2頭持つ鳥がいるくらいの世界なので、何がいても不思議ではな
い。
37
しかし家屋の大きさや、室内の食卓や椅子を見ても、巨人が住ん
でいたとは思えない。
どう考えても俺と同じくらいの、俺のよく知る人間サイズの住人
だと思われる。
これは襲撃者の足あとだろうか?
まだ情報が少ないためなんとも言えないが、もし巨人が攻めてき
たのだとすれば、村を捨てることもありそうだ。
>>>>>
ヒワンの実 食材 E級
ある家屋の軒先に立っていた大木から実がなっているのを発見し
た。
魔眼を通して得られる情報も見た目も変わらないため同一種なの
だろう。
俺は家屋の調査に一旦区切りをつけ、昼食とするためテントに戻
ってきた。
周辺に落ちていた枯れ枝を集め、ガストーチで火を付ける。
クッカーに水を張り、手に入れた芋を茹でてみた。
うん。
俺の記憶にあるサツマイモより、甘みは少ない気がするが十分食
38
える。
腹持ちもいいし、これでしばらくは食いつなげそうだ。
俺は村内で手に入れた品を広げて見た。
けっこう使えるものが残されていたので助かった。
ヒワンの実 食材 E級
赤芋 食材 E級
岩塩 食材 E級
干し肉 食品 E級
乾燥長豆 食材 E級
オーガ麦 食材 E級
骨の槍 両手槍 F級
骨の剣 片手剣 F級
他にも弓やら麦を刈り取る際に使うであろう、大きな鎌などもあ
ったが、使えなさそうなので放置した。
剣やら槍やらは、ちょっとかっこよさげなので拝借した次第だ。
なにか巨大な動物の骨から作られているであろう骨の武器は、金
属のそれと違いかなり軽い。
武器として軽いのは駄目そうだが、もしかしたら弱い魔獣ならこ
れで十分ということもあり得る。
まぁ実際の運用法は使っている人に聞いてみないとわからないが。
金属の剣のように刃もないため、武器というよりペーパーナイフ
のようだ。
39
>>>>>
俺は食後の運動に魔術の自主練を開始した。
鹿島仁 漂流者Lv1
人族 17歳 男性
スキルポイント 1/1
特性 魔眼
スキル 雷魔術
魔眼の力は、普通に使える。
となると気になるのは、雷魔術である。
大概こういったものはイメージが重要だったりするのだ。
漫画、小説、ゲームといった媒体から魔法や魔術の基礎知識は既
に会得している。
イメージ的には、某ハンター的な漫画キャラの技を参考にするこ
とにした。
2時間経過⋮⋮
うーん。
まったくできる気配がない。
人差し指と親指の間に紫電が疾走るイメージを持って集中するも、
力を入れすぎて手がつってきた。
40
想像力が足りないのだろうか。 それとも何か根本的に間違っているのだろうか⋮⋮
いずれうまく人里に行ければ、魔術師などに教えを請いたいもの
だ。
魔術というスキルがある以上、魔術師もきっといるだろう。
2時間経過⋮⋮
やばい挫けそうだ。
なにも情報がない中で修得するのは無理だったか。
せめて何かヒントがあれば⋮⋮
そういや、スキルポイントってのがあったな。
これの使い道もまだわかっていない。
そこでふと思った。
ポイントはスキルを得るのに使用するのではなく、成長させるた
めに使うのではないか?
俺は雷魔術にポイントを移行するようにイメージする。 スキルポイント 0/1
スキル 雷魔術︵F級︶
おぉう。
できた。
41
そうかスキルポイントは、こうやって使うのか。
2時間経過⋮⋮
﹁ふふふ⋮⋮できた﹂
バチバチと高い音を起て、俺の右手には紫電の閃光が纏われてい
る。 俺は目の前の木に指先の狙いを定め、電撃を放った。
バジンッ
指先から閃光が迸り木の幹に当たると、男性の腕ほどはあろうか
と思われるその幹は、バキバキと音を起てて中程からへし折れた。
何度も繰り返し練習すると、おおよそ有効射程は4∼5メートル
ということがわかった。
それ以上となると大きく精度が低下し、威力が不安定になるよう
だ。
紫電は蛇のようにその光の線を屈曲させ、蛇行し幹に命中した。
どうも雷のように見えるも、性質は異なるのかもしれない。
俺自身が電気などにそう詳しくないため、さらなる検証が必要だ
が、いまは魔術が使えるということだけで満足している。
この魔術というやつは、漫画であるような詠唱呪文といったよう
なものは必要ないようだ。
どうも念じるというか、集中しイメージすることで使えるようだ。
よく漫画なんかでありがちな、オーラだとか、チャクラだとか、
42
魔力といったような力を集めて打ち出すイメージである。
その手の漫画はよく読んでいたので、知識としては十分にあると
自負している。
当たりは既に暗くなり始めていた。
魔術の特訓がおもしろくて、いつのまにか時間が立っていたよう
だ。
俺は村で見つけた芋や干し肉で簡単に食事を済ませ、眠りに着い
た。
>>>>>
スマホが使えなくなってしまい、正確な時間がわからなくなって
しまったが、おそらくは日の出までまだかなり時間があるだろう。
俺は寝付きがよく、いつも一度寝ると朝まで起きることは無いの
だが唐突に目が覚めた。
用をたすため、テントから這い出て外にでる。
周囲に街灯などは無いが、空に浮かぶ月が夜の世界を照らしてい
た。
月の灯は思いのほか明るく、街灯がなくとも夜道を歩けるほどだ。
俺は地球となんら変わらない月をぼんやりと眺め、使えるように
なった魔術の事を考えると、異世界に来たんだなぁと改めて感じる
のだった。
43
草むらで用をたしていると城壁の外、森の方から甲高い音が聞こ
えた。
ギャァー
ギィイィーー
グアァッグアァッグアァッー
夜の空を鳥達が、飛び立っていく。
夜行性の鳥だろうか。
喧しい声が響き、そして暫くして静かになった頃。
グオォォーーーーーーーーー
はるか遠くから、夜の闇の中、野獣の咆哮のような声が聞こえた。
44
第4話 雷魔術
深夜に聞いた謎の咆哮により、昨日は気になってそれからあまり
寝付けなかった。
ここの城壁も万全ではないし、俺では修繕のしようもないのでど
うしたら良いか悩めるところだ。
家屋の多くはかなり傷んでおり、住むには適さないように見える。
唯一まともなのは高台の教会だが、墓地っぽいのが近くにあるた
め少々気味が悪い。
しかし安全には変えられない。
今日中に教会を調べ、可能なら拠点を移動することにしよう。 俺は朝食にオーガ麦を煮込んでみた。
食材アイテムらしいし、見たところ普通に穀物であるため煮れば
食えるだろうと試しに煮てみたのだ。
味付けは岩塩をナイフで削り入れた。
一時間ほど煮込んでみたが、固い。
周りはふやけるが、芯が残っている感じだ。
俺は更に30分ほど煮込んでみる。
正確な時間はわからないため、体内時計ってやつだ。
うん。
ほとんど変化していない。
やはり芯があるような感じがする。
俺は諦めて、芯のある穀物雑炊をぼりぼりとたいらげた。
朝の露天風呂に浸かり、上がってからは魔術の特訓だ。
45
魔獣もいることだし、あの咆哮の主のこともある。
自衛手段は身につけておきたい。
手に入れた骨の剣では、ウズラでさえ勝てるかわからないからな。
>>>>>
鹿島仁 漂流者Lv1
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/1
特性 魔眼
スキル 雷魔術F級︵雷撃 雷付与︶
ステータスの表示に変化があった。
魔術として会得した力が、ステータスに反映されたようだ。
雷撃は昨夜にコツを掴んだあの術である。
雷付与は雷撃を放出せずに、手元で維持する状態を、いつまで出
来るか実験した際に修得したものと思われる。
俺は特訓を一時中断して、荷物の移動を開始した。
結果から言えば、教会の扉は開いた。
押し開けるのではなく、引いて開ければよかったのだ。
教会の正面の扉を開け放ち、中に入る。
46
礼拝堂ってやつだろうか。
結婚式とかで、みたことあるような場所だ。
長椅子が整然と並べられ、正面に女性をモチーフにしたような石
像が設置されている。
長椅子を退かして場所を作り、ここを当座の寝床とする。
広い場所にただ寝袋で寝るのも落ち着かないので、建物内だがテ
ントも設置する。
扉に鍵は掛かっていなかったが、内側から閂を掛けられるようだ
し、見たところ建物もしっかりしていそうだ。
もしも魔獣か何かが城壁内に侵入しても、ここならやり過ごせる
かもしれない。
この教会には他に神父の私室と思われる部屋などもあったが、中
を調べるのも躊躇うほどに雑然としていたため今は放置している。
ざっくり見てみたものの、多くは俺の読めない書物や羊皮紙と思
われる紙の束などであったりしたため、現状丁寧に調べることもな
いだろう。
もしかしたら、他の村へ至る手がかりがあるやもしれないが、正
直調べるのは骨が折れそうだ。
調べるにしても、どうしても手がかりが見つからない後にしよう。
俺は昨日収穫しておいたヒワンの実を齧りながら、城壁の外も見
てみようと思い立ち上がった。
城壁の外へ出るには破損した扉のところか、おそらく村の正面の
門と思われる場所と2箇所ある。
正面の門は高さ4メートル以上、幅はそれ以上ある大きな引き戸
の様になっており、丸太を組み合わせて作られている。
閂が掛けられ施錠されているが、どうも変形してしまっているの
47
か、俺1人の力では外すことは叶わなかった。
まぁ閂を外せたとしても、この重そうな扉を1人で動かせるかど
うか、ちょっと難しそうだ。
俺は破損した扉の方から、外へと出てみた。
いつ魔獣が現れてもいいように、警戒はしておく。
動きやすいように、荷物は最低限にしておいた。
用心のため俺の手には骨の槍が握られているが、これがどこまで
役に立つかはわからない。
サラサラと川の水が流れている。
水は非常に冷たく澄んでいた。
周囲の様子を伺いながら俺は上流へと向かって歩いた。
川を覗きこむと、30センチオーバーの魚影が見える。
深さもそれ程無いし、うまくすれば素手で掴めるだろうか。
と考えたところで1つ思いついた。
俺は雷付与を槍に施し、魚のいる水面へ突き入れたのだ。
バジッ
短い音と共に、2匹の魚がぷっかり浮かんできた。
俺は素早く回収する。
﹁案外うまくいったな。これを昼飯にしよう﹂
48
こんなに簡単に取れるとは、魔術とは便利なものである。
俺は周辺から枯れ枝を集めて川辺で火を起こし、魚の塩焼きを作
ってみた。
魚の腹をナイフで裂き、内臓を抜く。
ナイフでそこらに生えている枝を、そぎ落として、串を作る。
適当に岩塩を削りまぶして、焼いたら完成だ。
全体がオレンジ色の体表で、黒いスポットの入った綺麗な川魚だ。
強火の遠火で、丁寧に焼いていく、
川魚の塩焼き 食品 F級
食品アイテムが完成した。
未加工だと食材、加工品だと食品になるようだ。
そういや干し肉も食品だったかもしれないな。
ふっくらと焼かれたその身に齧りつくと、白身の淡白な味わいに
程よく脂が乗っており、非常に美味かった。
骨まで柔らかく焼けてあったので、骨もまるごと食べられた。
﹁すげえ、めちゃくちゃ旨いぞ。素人の俺が作ってコレだから素材
がいいんだろうな﹂
見たところ川魚はまだたくさん居そうだし、当分食料の心配はな
さそうだ。 食事を終え、のんびり休憩をとっていると、すぐ脇の藪が、がさ
ごそと動くのが見えた。
そっと近づくと、どうやら藪の中に何かが潜んでいるようだ。
49
ラット 魔獣Lv1
巨大な鼠だ。
鼠というより、カピバラに似てる。
いやカピバラも鼠の仲間だっけか?
まぁそれはどうでもいいか。
ラットはもそもそと、下草を食んでいるようだった。
晩飯にと一瞬考えたが、さすがに鼠を食う気にはなれない。
食料も今のところ、特別困ってはいない。
俺はゆっくりとその場を後にした。
俺は森の中を探索することにした。
しばらく歩いて行くと、背の低い枝葉の密集した木々の群生する
場所に行き着いた。
よく見ると、いくつかの木にはピンポン玉くらいの赤い実がなっ
ている。
熊桃 食材 D級
お。
初のD級を発見した。
いままで見たやつよりも、珍しいものだということか。
50
俺は実の1つをもぎ取り、匂いを嗅いでみる。
かなり酸っぱそうな臭がする。
試しに一口齧ってみると、かなり酸味が強い。
後味に微かな甘味を感じる。
レアだからと言って、旨いわけではないらしい。
そんな中、俺はふと何かの視線に気がついた。 感じた先の藪の中に目をやると、暗がりの中から水晶体が2つ輝
くのが見えた。
何か生き物がいるようだ。
どうも魔眼になってから、俺の視力も感覚も鋭くなった様な気が
する。
槍を握る手に力がはいる。
周囲の様子を探ると、複数の何かに囲まれているようだ。
左手に意識を集中させ、いつでも雷撃が放てるように構える。
その直後、背後からガサガサと草木の擦れる音がすると共に、ギ
ャギャギャと短い奇声を発して何かが俺に飛びかかってきた。
俺は素早く振り返ると、ほぼ同時に雷撃を放つ。
﹁ギャッ!?﹂
衝撃音と共に紫電の閃光が走り、飛びつこうとしていたものが地
面にひっくり返っていた。
インプ 妖魔Lv1
51
全身黒い毛むくじゃらの猿のようだった。
体長は60∼70センチくらいだろう。
鋭い爪を持ち、鳥と猿を足して2で割ったような顔をしている。
顔や手のひらなど、毛の生えていないところの皮膚は灰色をして
いた。
地面にひっくり返ったインプは、ピクピクと痙攣していてまだ息
がある。
けっこうな太さの木をへし折るくらいのパワーのある雷撃を受け
て耐えるとは、レベル1の割になかなかタフのようだ。
周囲の藪から、ギャギャギャと怒気を孕んだ声が響く。
どうやら完全に敵対してしまったようだ。
52
第5話 雷刃旋風
﹁うおおおおぉぉーーーッ﹂
俺は森の中を、走りながら雄叫びを上げる。
木々を縫うように走り回り、槍を振り回した。
槍の使い方など知らないので、でたらめな素人槍術だ。
軽くて頼りなさ気な骨の槍だが、案外役に立っている。
雷付与を施してあるためか、それなりの威力があるなのだ。
穂先からバチバチと紫電が迸り、それがインプに触れると短い時
間だがスタンガンにでも当たったかのように、その身を硬直させひ
っくり返るのだ。
勢いをつけて差し込めば、インプの丈夫な皮膚にも幾らか突き刺
さるようだ。
俺は襲ってきたインプを撃退すると、どうも群れの怒りを買った
らしく彼らに森を追われる羽目になった。
最初に手を出したのは奴らなので、俺に否はないはずなのだが。
まぁ如何にも野生動物といった様相の彼らに、何を言っても意味
などなさそうではあるが。
迫り来るインプの群れを槍にて突き、払い、時に雷撃を放って撃
退する。
奴らの爪はかなり鋭く、飛びつかれるとけっこうヤバイ。
背後から俺の足に飛びついてきた1匹に、強く足を噛まれ鋭い爪
を起てられる。
53
﹁ぐうぅあッ﹂
痛みに堪え紫電を纏った槍を使って、足に噛み付くインプを引き
剥がした。
ギャッ
インプは短い悲鳴を上げて、倒れこむ。
倒れたインプの首元に、槍を突きつけ止めを差した。
城壁までもう目の前という所まで来ているが、無数のインプに囲
まれうまく引き剥がせないでいる。 このまま破損した門を潜るまで時間がかかれば、手痛いことにな
りそうだ。
城壁手前の広場まで辿り着いた。
1本の大木を背に、槍を構える。
コイツら早く諦めて帰ってくれないかなぁ⋮⋮
槍の穂先から紫電が迸る。
指先からだけでなく、穂先からでも雷撃を放てるようになってい
た。
もう何度雷撃を放ったのかわからない。
そういえばこの雷撃は、ゲームで言うところのMPみたいなもの
を消費しているのだろうか?
そういえば少々疲労感が出てきたような気がする。
54
しつこく纏わり付くインプたち。
他と比べれば幾らか皮膚の柔らかい、急所であろう首を狙い、雷
撃で動きを止めその首元に穂先を突き入れる。
周辺には既に多くの骸が、うず高く積まれていた。
何かおかしい、戦闘状態になってしばらく経つが疲労感はあるも
のの、何かより力が入るような感覚があった。
もしやと思い自身のステータスを確認する。
鹿島仁 漂流者Lv3
人族 17歳 男性
スキルポイント 2/3
特性 魔眼
スキル 雷魔術︵F級︶
いつの間にか、レベルが上がっていたようだ。
俺は思いつくまま、雷魔術にポイントを注ぎ込む。
スキルポイント 0/3
雷魔術︵E級︶
おぉ、いけるぞ!
俺がポイントの操作に気を割いている隙に、ジリジリと迫るイン
プの群れ。
1匹のインプが気を見て、死角から飛びかかる。
55
俺は咄嗟に反応し、穂先より雷撃を放った。
いままでの雷撃よりも、あきらかに威力が上がっている。
力強い、より強力な閃光が空を疾走る。
紫電が飛びかかってくるインプに接触すると、激しい衝撃音と共
にインプを絶命させた。
ギャギャギャッ
インプたちの狂ったような喚き声が、周囲に響く。
俺は槍に力を込める。
雷撃を穂先に収集させる。
雷付与
穂先が強く輝きを増す。
白に近い強い光。
﹁うおおおおおおぉーーーーッ!!﹂
頭上で槍を回転させ、雷付与で強化された槍から雷撃を放ち続け
る。
雷撃の無差別放出だ。
無数の光が放射された。
周囲を音と光が魔物を威嚇し、怯ませた。
白煙が立ち込める。
その中には、おびただしい数のインプの亡骸が横たわっていた。
骨の槍は役目を終えたかのように、穂先からヒビが走り、やがて
56
自然に砕け折れた。
﹁はぁ、疲れた⋮⋮﹂
あたりからは生物の気配は消えていた。
どうやら戦闘は終わったようだ⋮⋮
>>>>>
﹁いてて、あー、傷に滲みるわ∼。マキロンは持ってきてなかった
もんな∼﹂
誰も聞くものはいないが、湯に浸かると思わず声がでる。
体中に引っかき傷はあるものの、幸い大きな傷はなかった。
何度か足に噛まれはしたものの、奴らの顎はそれほど強くはない
ようだ。
俺はしばらく温泉に浸かり、傷を癒やすことにした。
骨の槍も存外役だった。
まぁ使いすぎて壊れてしまったが。
付与魔術を使うと、耐久性を消費するといったようなこともある
のかもしれない。
あの強い効果をみると、そういうこともありそうに思える。
57
俺は自身のステータスを確認した。
鹿島仁 漂流者Lv4
スキルポイント 1/4
特性 魔眼
スキル 雷魔術︵E級︶
最後の戦闘でレベルが上がったようだ。
どうもレベルが1上がることにポイントも1上昇するらしい。
スキルを有効化するために1ポイント消費してF級に。
F級からE級に成長させるため、さらに2ポイント消費するよう
だ。
そういえば使用したポイントはリセットできるのだろうか?
スキルポイント 4/4
お、できるようだ。
これは、いつでもポイントの振り直しができるということか。
もしこのまま、いろんなスキルが習得できるなら、状況に応じて、
スキルを変更して対応するといったことができるだろうな。
そのためにも、レベルは出来るだけ上げておいたほうが、いいか
もしれない。
俺は雷魔術にポイントを4使用しようとする。
スキルポイント 1/4
雷魔術︵E級︶
58
F級で1消費、E級で更に2消費で間違いないようだ。
となるとD級にするためには更に3ポイント消費となるのだろう
か?
レベル6になったら試してみよう。
雷魔術︵E級︶ とりあえずこれでいいか。
あとは槍をどうにかして調達したいな。
廃屋となり崩れた家屋から、燃料となる木材を調達する。
乾いているだろうし、ちょうどいいだろう。
夕食はオーガ麦の粥だ。
慣れれば、問題なく食える。
傷を癒やすには栄養と休息だろうと思い、俺は早々に寝袋に入っ
た。
夜が更け、村は静けさに包まれる。
昼間はまだ、鳥や動物の鳴き声が多少は聞こえるのだが、夜はそ
れも殆ど無い。
今夜からは教会の礼拝堂での就寝としている。
一応扉には内側から鍵が掛けられるので、魔獣や妖魔からの襲撃
を考えても外で寝るよりはマシだろう。
59
屋内であるが屋根が傷んでる可能性も考えて、テントを張って寝
ている。
あまり広いところで寝るのも、落ち着かないので丁度いいだろう。
少々無作法な気もするが既に廃墟となって久しいので、それほど
気にすることもないか。
俺はふと深夜に目を覚ました。
地球に居た頃は寝る時間はいつも深夜だったためか、こう早く寝
ると変な時間に起きてしまうようだ。
俺は用を足しに表へと出た。
月の灯が村を照らしている。
時刻は深夜になるが、それなりに明るい。
俺は墓場︵推定︶を横切り、草むらに入り用を足す。
﹁⋮⋮はぁ﹂
そういや、体の痛みもだいぶ良くなったようだ。
ここの温泉は本当に、傷によく効くらしい。
ぼんやりとそんな事を考えていると、俺の視界の端に違和感を捉
えた。
闇の中を漂う、発光体。
俺は用を足しつつ墓場で浮遊するそれを目で追うと、それはある
一角に留まっているが見えた。
目を凝らしてみると、大きな石に座っている体格の良い、壮年の
男の姿がそこにあった。 60
61
第6話 戦士の願い
墓場の端にある大きな石に、肩を落とし座り込む、その男の周辺
には、先ほど見た発光体が、ふよふよと浮かび漂っている。
もしかしたら彼はそういう存在なのかもしれない。
いや、もしかしなくてもそうだろう。
なんか若干、半透明だし。
大柄な体躯だが、今は肩を落とし縮こまっているため小さくも見
える。
上半身裸で筋骨隆々といった体は、ボディービルダーかK−1選
手かといえるほどだ。
胸くらいまではありそうな長い銀髪に、下半身は七分丈の革パン
の様なものを履いている。
うーん。
これは放置するべきか、接触するべきか。
魔物の類だと、ゴーストみたいな魔物は厄介な部類に入るという
イメージがある。
物理攻撃が効かなく、魔法、特に聖なる属性の攻撃でなければダ
メージを与えられないといったような感じだ。
今の俺には強化された雷魔術もあるが、それがどこまで通じるか
はわからない。
ゲームのようには考えないほうがいいだろう。
しかしゴーストだとすると、教会の正面に出現するのも、どうな
んだって感じもある。
62
ゴーストだとしても、悪霊といったものの類ではないのかもしれ
ない。
俺はとりあえず情報を得るために、気付かれないように魔眼で確
認できる位置まで近づくことにした。
魔眼の射程距離は、おおよそ50メートルくらいだと思う。
肉眼で見えるのが前提だが、ある程度近づかないと、うまく力が
使えない感じだ。
今のような夜、視界の悪い状況だと、さらに射程距離は短くなる
ようである。
俺は生い茂る草木の影から、盗み見るように、魔眼を発動させた。
アルドラ・ハントフィールド 亡霊Lv4
亡霊⋮⋮これだけだと、危険なのかどうなのか、わからないな。
俺が、どうするか思案していると、不意に男は立ち上がり、声高
に叫んだ。
﹃おい!今俺を見た者!何処だッ!出てこいッ!﹄
魔眼で見たのがバレたようだった。
﹃そこ居ることはわかっている!直ちに姿を表さぬ場合は、死すら
生ぬるい苦痛を持ってして厳罰を与えるッ!﹄ 男は俺に背を向け、明後日の方向へ指差し叫んだ。
⋮⋮俺が何処にいるかまでは、わからないようだ。
男はけっこうな興奮状態のようだ。
63
俺は悩んだが意を決して、男の前に姿を現した。
﹃むっ!そこにいたか!ハントフィールド氏族が族長アルドラが直
々に引導を渡してくれる、かんねんせい曲者め!﹄
俺は何だかテンションの上がっている男に事情を話すべく、落ち
着いて語りかける。
﹁待ってください、勝手に村に侵入したのは謝りますから、俺の話
を聞いてもらえませんか?﹂
﹃聞く耳もたん!死ねいッ!!﹄
聞いちゃいなかった。
男は俺に向かって、鬼の形相で走り寄って来る。
これは困った。
俺は両手を前に突き出し、左右の手で同時に電撃を放った。
雷双撃
それぞれの手から繰り出される雷撃は、互いに絡み合い、一つの
光の束となって、男に命中した。
ズガァンッ!!
激しい衝撃音と共に、吹っ飛ばされる亡霊。
彼はそのまま高台の崖より下へと落下していった。
64
﹁⋮⋮ふぅ、危なった﹂
危機は去った。
さてもう一眠りするか。
﹃まてい!﹄
戻るの早いな。
﹁⋮⋮なんですか?﹂
﹃あ、いやちょっとまってくれ。その、なんだ、わしを見える者に
久しぶりに会ったからの、なんかテンション上がってしまってのう
?な?わかるじゃろう?だから、その手のビリビリって光ってるの
やめてくれんかの?﹄
俺はいつでも雷撃を放てるよう待機状態にしていたのを解除した。
まぁ待機状態にしていなくても、すぐ撃てるんだけど。
>>>>>
夜はちょっと冷えるので、湯を沸かしコーヒーを入れた。
﹁飲みます?﹂
﹃わしは亡霊という身ゆえ飲めぬのだ﹄
65
最初のテンションとは打って変わっておとなしくなった男は、今
俺の前であぐらをかいて座っている。
白い肌に、隆起した筋肉の上半身。
輝く銀髪に青い瞳。
立って並ぶと2メートルを超えるだろうと思われる美丈夫である。
﹁そっか、亡霊ですもんね﹂
﹃それは何じゃ?黒い⋮⋮まるで炭の汁のようじゃな﹄
﹁コーヒーという俺の故郷の飲み物です。疲れがとれるし、体にい
いんですよ﹂
﹃ほう⋮⋮とても体に良さそうな見た目ではないがのう﹄
﹁こればっかりは飲んでみないとわかりませんよね﹂
﹃ところでお主は何者だ?人族の子供のようだが、ただの子供では
あるまい。あのような強力な魔術、相応な修練を積んだ魔術師でな
ければ到底扱えぬ﹄
俺は自分の、これまでの経緯を話した。
やっと出会えた現地人が亡霊とは、ちょっと考える所ではあるが、
今の状況を誰かに相談したかったのは事実だった。
﹃まこと不思議な話だ。出任せを言ってるようにも思えんしの﹄
アルドラは俺が転移者の証拠の品として渡した、壊れたスマホを
弄っている。
66
壊れてるせいもあって反応はイマイチだったが、アルドラにとっ
ては未知の技術で作られている物体であり、多少の興味を引いたの
か不思議そうに見ている。
﹁帰る方法なんて、わかりませんよね?﹂
﹃わからん﹄
でしょうね。
俺もだろうとは思っていたが、聞かずにはいられなかった。
﹁あ、そうだ、すいません村の中いろいろ物色しちゃったんですけ
ど﹂
もうだれもいないと思って、食料など勝手に持ちだしていたのを
思い出した。
対価を求められても、今の俺には支払い能力は無いのだが。
﹃案ずるな。この村はとうに捨てられた地、何をどうしようが、誰
も文句は言わんじゃろう﹄
村に残っている物は好きにしていいという族長直々の許可を頂い
た。
﹁ありがとうございます、助かります﹂
ふと見ると、アルドラの耳が長く尖っていることに事に気がつい
た。
﹃エルフ族が珍しいか?﹄
67
やはりそうだったのか。
ただ俺のエルフのイメージって、こんなに筋骨隆々な感じじゃな
いんだけど。
エルフって線の細い感じのイメージだよな。
この世界のエルフはみんなゴリマッチョなのだろうか。
﹁すいません、俺の故郷にはいませんでしたので﹂
﹃かまわん。我らは滅多に森から出ることはないからの、見たこと
のないという者も少なく無いだろう﹄
﹁他の村の人は、どうされたんですか?﹂
アルドラは寂しそうに、遠くを見つめ静かに語った。
﹃この村は、しばらく前に魔物に襲われてな。その際に多くの若者
が犠牲になった⋮⋮生き残ったものも、散り散りに逃げたゆえ、今
どうしているか検討もつかぬ﹄
何かあったんだろうとは思っていたが、やはりそういうことだっ
たのか。
アルドラはそのときの無念から、現世に留まっているのだろうか
⋮⋮
俺が顔を曇らせ押し黙っていると、アルドラはふっと笑い口を開
いた。
﹃森に住まう者ならば、そういう可能性もあり得ること。お主が気
にするような事ではない﹄
68
﹁アルドラさんはいつまでここに?﹂
地縛霊の様なものか。
彼には救われる日が来るのだろうか?
﹃わしにはやり残したことがあるでな。それが終わるまでは、消え
るに消えられぬ﹄
アルドラはにやりと笑ったが、その顔はどこか悲しげだった。
69
第7話 秘密の部屋
﹁はぁ∼、朝イチで入る露天風呂の贅沢さといったらないな﹂
昨日はいろいろあって、ほとんど眠れなかった。
なんだか体が怠重いが、それもこの湯に浸かればだいぶに楽にな
った気がする。
﹃うむ、この湯は我が村、自慢の宝じゃ。そもそもわしが発見した
ものでな、切り傷、擦り傷、打ち身、手荒れと皮膚の疾患に何でも
良く効く。この白濁した湯に、若干とろみのついた湯がなんとも体
に良さそうじゃろう?﹄
﹁⋮⋮えぇ。ところでアルドラさんは、何故ここに?﹂
﹃わしは毎朝この風呂に入るのが日課なのだ﹄
﹁もう夜明けましたけど、亡霊なのに平気なんですか?﹂
﹃うむ、気合を入れておけば平気じゃ﹄
﹁⋮⋮そうですか﹂
俺は村の畑で手にれた芋を茹でて朝食にした。
﹁ところでアルドラさん、ここから大きな街まで行く道というか、
70
方法とかってわかります?﹂
俺もいつまでもこの村に引きこもっている訳にもいかない。
いつ魔獣や妖魔に攻め込まれるか、わからないし、なにより人が
居ないのは寂しすぎる。
﹃うむ、わかるぞ﹄
倒壊した家屋から、板を持ってきて木炭のかけらで地図を描いて
くれることになった。
﹁亡霊は物持てるんですか?﹂
﹃気合を入れれば、短時間なら可能じゃ﹄
けっこう何でも気合なんだな。
アルドラさんは少し体育会系の臭がした。
数分後⋮⋮
﹃できたぞ﹄
﹁⋮⋮﹂
うん、ぜんぜんわからん。
アルドラさんが地図描くの下手なのか、亡霊のために物体を持ち
上げるのが困難なのか知らないけど、とにかく何書いてるか不明す
ぎる。
暗号解読ってレベルじゃない。
71
﹁すいません、説明してもらえますか?﹂
﹃うむ、いいだろう。まず村の正面の門を潜り、坂を下って⋮⋮﹄
アルドラさんは説明も下手だった。
どうも亡霊だからどうのという問題ではなく、この人自身の問題
のようだ。
俺は地図の問題を一旦後回しにして、狩りに出かけることにした。
﹃ふむ、そうか。ならばわしの屋敷に行ってみるといい。何か役に
立つものがあるやもしれん﹄
>>>>>
村のとある一角に完全に倒壊した元屋敷があった。
﹁ここですか?﹂
﹃うむ、ほれ、そこら辺に地下の収納庫への入口があるはずじゃ、
探してみい﹄
山盛りの木材に押しつぶされてますけど、これを俺1人でどかせ
と?
72
﹃若いもんが何を甘えておるか。わしは亡霊じゃから、廃材には触
れられん、自分で何とかせい。その代わり、中の物は自由にして良
いぞ﹄
アルドラさんの気合でどうにか動かせないかと一瞬思ったが、後
ろを振り返ると腕を組み仁王立ちのまま、首だけを動かし、はよせ
いと急かしてくる。 仕方ない頑張るか。
口ぶりじゃなんかありそうだし、自分のためだもんな。
自分でやるしかないか。
何とか時間を掛けて廃材をどかすと、床に絨毯のようなものが引
いてあるのが見えた。
かなり汚れているそれを引き剥がすと、床下の収納庫へと繋がる
扉が現れた。
アルドラは廃材の山の中に入っていき、何かを手に帰ってきた。
﹃これが鍵じゃ開けてみい﹄
中は当たり前だが真っ暗である。
俺は自前の小型ペンライトで収納庫内へ進入する。
地下へと下りる階段を1歩1歩確かめ入った。
73
﹃ほう、ずいぶん小さな灯火の魔導具じゃのう﹄
やっぱりあるんだ魔導具。
どういったものがあるのか興味が湧くが、とりあえずそれは後に
しよう。
収納庫内は高さ3メートルくらいで広さは6帖くらい。
ぐるりと何段かの棚が設置されていて、俺が見たことのない色ん
なモノが置いてある。
傷薬 薬品 D級
ライフポーション 魔法薬 C級
マナポーション 魔法薬 C級
キュアポーション 魔法薬 C級
大角鹿の角 素材 D級
銀蜥蜴の鱗 素材 D級
黒狼の毛皮 素材 D級
魔石 素材 E級
魔石 素材 D級
魔石 素材 C級
74
カシラの杖 魔杖 E級
発火棒 魔導具 E級
力の指輪 魔装具 E級
疾風の革靴 魔装具 E級
影隠の外套 魔装具 D級
金の腕輪 魔装具 D級
破邪の青銅剣 魔剣 F級
乾燥黒華豆 食材 C級
何やら気になるものがたくさんある。
俺の魔眼も発動しっぱなしである。
俺の魔眼では、ゲームのような細かい説明文のようなものは表示
されないので、アルドラさんに補足をお願いした。
﹃傷薬は、よくある軟膏じゃな。旅人だろうと、農民だろうとみん
な使うとる。もっとも普及しているのはFランクほどの粗悪品のも
ので、そこにあるような高品質なものだと中々手に入れるには苦労
するじゃろうな。もちろんランクに見合った効果はあると思うがの﹄
更にアルドラの説明は続いた。
軟膏は保存が効くため便利。
75
ポーションは水薬で即効性があるが、低ランクのものだと消費期
限が短く、保存が難しい。
魔石は一件石炭にも見える黒い石。
質の低い物は川とか地表近くの土中にも埋まってる場合もある。
多くは魔物の体内で発見され、魔導具など様々なものの燃料など
に利用される、魔力の結晶。
魔杖は魔術を扱うものが持つ魔導具の一種。
魔力を増幅したり、魔力を込めることで特定の魔術効果を発動し
たりする。
魔装具は身につけ、魔石を使うか、装備者の魔力を使用すること
によって様々な効果をもたらす、装備の一種。
魔剣は魔法の力を持つ武器。
俺はその中でも、特に気になったものを手にとった。
魔石︵剣術︶
魔石︵体術︶
魔石︵火魔術︶
見た目の色艶は他の魔石と同じようなのだが、何やらオーラのよ
うな湯気のようなものが立ち上っているように見える。
アルドラに確認した所、知らないらしい。
俺の持つ魔眼でなければ見えないのだろうか。
76
これらの魔石は、他の魔石共々、一塊にして保管されていたので、
特に特別扱いされていたようでもない。
これは使うことでスキルを覚えられるアイテムなのか?
俺の中で疑問が確信に変わった。
鹿島仁 漂流者Lv4
人族 17歳 男性
E級
スキルポイント 1/4
特性 魔眼
スキル 雷魔術
剣術 体術 火魔術
特別な魔石からスキルを得られる。
これはすごい発見ではないだろうか?
﹁アルドラさん魔石からスキルを得られるって話聞いたことありま
す?﹂
﹃そんな話初めて聞いたのう。わしの目には普通の魔石と変わらん
ように見えたがの﹄
オーラを放つ魔石を手に取り触れると、魔石の魔力が俺の中に流
れ込んできたのだ。
魔石を覆っていた光は消失し、今は他の魔石と同じように石炭の
ような黒光りした石となっている。
77
﹁ここにある魔石って、このあたりの魔獣の体内から取り出された
もの何ですか?﹂
﹃そうじゃな、ずいぶん昔になるが、まだ村の近くにも強い魔物が
居った時のものじゃ。売ってしまっても良かったんじゃが、少々質
の良いものらしいので、何かの時の為にと取って置いたのじゃ﹄
となると魔物を狩り、そこから魔石を手に入れスキルを入手って
流れになるのか。
ちなみに魔物というのは魔獣や妖魔の一般的な総称である。
あの大量に倒したインプからも、もしかしたら魔石が得られたか
もしれなかったな。
惜しいことをしたかもしれない。
﹃レベル1やそこらの魔物からは魔石は得られんと思うぞ。魔石は
体内で魔素が結晶化したものじゃ、結晶化には長い時間が掛る。生
まれて間もない低レベルの魔物では、まだ体内で魔石は作られてい
ないじゃろう﹄
﹁ある程度レベルが上がっている魔物なら、必ず魔石が体内にある
もの何ですか?﹂
﹃必ずではないのう。個体によって魔石を持つものと持たざるもの
がいるようじゃ、魔石は街へ行けばそれなりの値段で売れるからの。
持って行くといいじゃろう﹄ 78
第8話 狩りの時間
﹁これすごいイイですね﹂
アルドラの地下倉庫から、手に入れた魔杖、カシラの杖。
この森の奥深くに自生するカシラと言う木を加工して作られた長
さ130センチ前後の杖だ。
魔杖と言うものの、見た目は何の飾り気もない無骨な木の棒であ
る。
俺は杖を正眼に構え魔物と対峙している。
﹃カシラの杖は魔力操作への補助効果があるとされている。魔術師
見習いの為にあるような杖じゃ、お主にはピッタリじゃろう﹄
距離を保ち、油断なく構える俺に痺れを切らしたのか、魔物は正
面から突っ込んでくる。
それじゃ当ててくれって、言ってるようなもんだろ。
バァンッ
杖の先から、紫電のの閃光が迸った。
その一瞬で魔物の上半身は消し飛んだのだった。
﹁あー、もうちょい威力セーブしないと、魔石もろとも消し飛ばし
ちゃうな⋮⋮﹂
79
﹃どうでもいいが、魔術の威力もさることながら、魔力量も相当じ
ゃのう。かれこれ3時間は撃ちっぱなしじゃろ﹄
﹁自分でも多いかなとは思ってたんですが、やっぱ多い方ですか?﹂
﹃相当多いな。エルフ族よりも数段上じゃろう﹄
魔力量、つまりゲームで言うところの最大MPである。
これは個人差はあるものの種族によって大方決まっていて、レベ
ルが上ってもほとんど上昇しない。
仮に人族を基準にMP100とするとエルフ族でMP1000、
ドワーフ族でMP30、獣人族でMP50位だという。
どの種族も生まれた直後は、非常に低いが年齢とともに増加し、
遅くても成人する前までには、それぞれの種族の基準値くらいには
なるようだ。
もちろんMPは魔術を扱う上で、非常に重要なステータスなのは
間違いない。
大規模な魔術や、複雑かつ高度な魔術は大量のMPを消費するた
め、そもそもMPの低いドワーフや獣人では発動させることさえ出
来ないのだ。
したがってMPの少ない種族が魔術師としてやっていくには、非
常に高価な最大MP増幅効果のある魔装具や魔導具の利用か、魔石
を触媒にしてMPの補填を行うしか無い。
どちらも大金が必要になるため、簡単ではないようだ。
﹁そういえば、アルドラさん村から出られるんですね﹂
﹃あまり遠くまでは行けんがの。この辺りまでは大丈夫のようじゃ﹄
80
俺は地下倉庫で手に入れた装備を身につけ狩りに来ている。
アルドラさんも暇だからと言ってついてきてくれた。
この森を知り尽くしているアルドラさんが一緒だと心強い。
﹃む、大物がきたぞジン。その向こうの岩陰におる﹄
﹁了解﹂
ウッドゴーレム 魔導兵Lv6
ウッドマン 魔導人形Lv3
木の蔓をより集めて作られたような、ヒョロっとした木の人形が
ウッドマン。
それのボスっぽい巨大なやつがゴーレムだ。
どちらもこの近くの遺跡内部に住み着いているやつらしいが、た
まに表に出てくるものもいるんだとか。
ウッドゴーレムに引き連れられて、大量のウッドマンがワラワラ
と襲い掛かってくる。
なんだかヒョロヒョロとしていて、見てくれは滑稽だが、その腕
は鞭のようにしなり、防具を付けていない箇所で攻撃を受ければ相
当なダメージを食らう。
俺も一度食らって手痛い思いをしたため、油断はできない。
雷連撃
杖先から連続で放たれる雷撃にウッドマンが次々と倒れていく。
威力を抑えつつ、連射速度を上げてみたがうまく行ったようだ。 81
撃ち漏らした何体かのウッドマンが俺に肉薄する。
その腕が鞭の様にしなり、襲い掛かってきた。
俺は杖を縦に構え、攻撃を避ける。
多少ダメージを受けるが、直撃は回避できた。
疾風の革靴が効いているのか、足が軽い。
俺は杖を構え直し、雷付与した杖を正中線に突き入れる。
ダァンッ
ウッドマンの体に15センチほどの穴が開く。
そしてそのまま糸の切れた操り人形の様に、その場に崩れ落ちた。
﹁ウッドマンに雷はよく効くみたいだね﹂
離れた相手には電撃。
近づいてくれば雷付与した杖での突きか打撃で捌いていく。
ウッドマンは僅かな時間で、その数を瞬く間に減らしていった。
﹃油断するでない﹄
ゴオォォォォーーーッ
ウッドゴーレムが地響きのような唸り声を上げながら迫り来る。
後方で状況を静観していた巨兵は、まるで怒りに震えるように体
を揺らし、その豪腕を振り下ろした。
ドォンッ
振り下ろされた拳が大地を揺らす。
82
﹁うおぉッ、あぶね﹂
ゴーレムは5メートルは、あろうかという巨体だが、横幅はなく
縦に長い感じだ。
人間と比べると体の比率に対して、腕が長く、そのリーチを活か
した攻撃を主体にしているようだった。
これは魔術が使えない者が相対すると、苦労しそうだな。
俺はバックステップで距離を取り、杖を構えた。
雷付与で強化された杖からの、最大威力の雷撃を放つ。
ズガアァァァーーーンッ
激しい稲妻がゴーレムを襲う。
左腕もろとも半身が吹き飛び、ゴーレムは沈黙した。
ゴーレムを攻撃した余波で、周囲に居たウッドマンにもダメージ
が行ったようだった。
ゴーレムを倒した為なのか、残ったウッドマンはそれぞれ撤退し
ていく。
﹃その藪の向こうに、ウッドマンどもがねぐらとしておる遺跡の入
り口があるが、入ってはならんぞ﹄
遺跡とは言っても、既に遥か昔にアルドラさんたちが探索し尽く
して、期待するような宝などは無いとのことだ。
それに今だに稼働している罠も多数あるので危険らしい。
83
﹁何かいいスキル持ってる魔物がいるなら、いいんですけど﹂
﹃魔物はウッドマンくらいしか、いなかったと思ったがの﹄ 魔石に付着しているスキルは、その魔物が有しているスキル。
おそらくそれは間違いない。
俺はスキルの収集のために、しばらくこの村に留まり魔物狩りを
続けることに決めた。 そうこうしている内に3日が過ぎていた。
>>>>>
鹿島仁 漂流者Lv8
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/8
雷魔術
F級︵灯火︶
D級︵雷撃 雷付与 雷連撃 雷刃旋風 雷双撃︶
特性 魔眼
火魔術
F級︵嗅覚 魔力︶
闇魔術︵魔力吸収︶
体術
剣術
鞭術
探知
周辺にいる魔物を倒し、魔石を得てスキルを順調に修得していっ
84
た。
夜間では出現する魔物の種類が変わると聞いて、夜間の狩りにも
出かけた。
俺は月明かりのせいで、夜でも周囲がよく見えていると思ってい
たのだが、どうも魔眼のおかげだったようだ。
ちなみにエルフは夜目が効くそうなので、アルドラさんも問題な
いらしい。
まぁ亡霊なので、どうでもいいことだが。
﹁アルドラさん、この辺の夜の魔物ってワイルドドックとスティー
ルバットしか居ないんですか?﹂
俺はアルドラさんを連れ立って、夜の狩りに来ている。
昼間の村周辺でのスキル収集という名の狩りは、だいたい終了し
たと思っている。
そもそも強力な魔物は、村の戦士たちが狩っていたため、周辺に
は弱い魔物しかいないのだ。
レベルを上げるためには、ある程度拮抗した相手でなければいけ
ないようで、そのため俺のレベルもそろそろ上がり辛くなってきて
いた。
﹃わしも全てを把握しているわけでは、ないからのう﹄
俺は夜の森を、周囲を警戒しつつ探索を続けた。
インプから得た魔力探知とワイルドドックから得た嗅覚探知で獲
物を探す。
ポイントが足りないため、F級と低いが、無いよりかだいぶマシ
である。
85
それからしばらく探索を続けたが、見つかるのはワイルドドック
とスティールバットのみで、新しい魔物には出会えなかった。
夜の間は敵に見つかりづらく、また見つかった後も、敵に捉われ
にくくなるという魔装具、影隠の外套。
これのお陰で、魔物を発見後ほぼ先制攻撃できるし、魔物の群れ
に囲まれたとしても、ほとんど攻撃を受けることがなくなった。 86
第9話 狩人と魔物
しばらく夜の狩りを続けたが、進展は無かった。
おそらくこれ以上粘っても、新たな収穫は無いだろう。
で、あればそろそろ寝床に戻るとするか⋮⋮
俺がそんな事を考えてると、吹き抜ける風に嗅覚探知が反応する。
血の匂い?
いくらか魔物を狩っているので、血の匂いがしてもおかしくはな
い。
しかし方向や距離を考えても、俺が狩った獲物からの匂いでない
ことがわかる。
それにこの強い魔力。
あきらかにワイルドドックでも、スティールバットでもない、強
力な何かがそこにいる。
その何かは、少しずつこちらに近づいてきている。
﹁アルドラさん、何か来てる。かなり強そうだけど、何かわかりま
す?﹂
昼間だと、そこそこ強い魔物も、たまに見かけた。
たいがい特殊な能力などなく、パワーで押すタイプばかりだった
ので、楽と言えば楽だったのだが。
だが今闇の中に潜むやつが、それらと同様のタイプかどうかはわ
からない。
厄介な能力を持つ魔物であれば、知らずに相手するのはリスクが
87
ありすぎる。
ふとアルドラを見ると、何時になく真剣な眼差しで、その方向を
見ていた。
﹃まずい⋮⋮ジン、すぐに大きく迂回して村まで逃げろ。いや教会
だ、教会に立てこもって朝まで耐えろ﹄
アルドラは焦った声で、捲し立てる。
俺はアルドラの急な変貌に驚いていた。
村の近くには強力な魔物は滅多に出ない、そう言っていた。
出たとしても強力な威力をもつ雷魔術に敵は居ない。
俺もうすうす思っていた。
それはそうだろう、雷撃の威力は高く魔獣はほぼ一撃で沈む。
大型の魔物であっても、ほぼ一撃だった。
異世界って余裕だなと思った。
順調に上がっていくレベル。
魔物から手に入るスキル。
まるでゲームの世界のようだ。
俺はこの世界で命の危機を感じたことは、まだない。
いままでは。
﹃⋮⋮きたか﹄
闇の中を、ゆっくりとこちらに向かってくるそれが姿を現す。
88
月明かりに、魔眼の補正があるとはいえ、昼のように遠くまで見
渡せるほどではなく、木の影に入ればほとんど見えない。
木々の間を抜け、姿を見せたのは小柄な人だった。
まだ距離があるため、はっきり確認できないが、少年のように見
える。
意外だ。
魔力の強さ、アルドラの急変から見ても、かなりの大型魔獣を想
像していたからだ。
俺が思いつく森で出てきそうな大型魔獣といえば、熊かなと思っ
ていたのだが違ったようだ。
俺の身長は若返ってもほとんど変わってないと思うので、おそら
く170センチくらい。
その俺と比べても、だいぶ小柄で正確にはわからないが160セ
ンチくらいではないかと思う。
動きやすそうなパンツルックの軽装で、武器のような物は持って
おらず、肩くらいまで伸びた銀髪を靡かせている。
村は既に廃村になっていて誰も住んでいないという。
アルドラさんの反応を見ても、間違っても村人でない事は確かな
ようだ。
ゾクッ
鳥肌が立つというか、皮膚がざらつくような感覚を覚えた俺は、
89
思わずその場から飛び退き距離を取った。
気味が悪い。
嫌な気配をビンビン感じる。
これはアルドラさんの言うことを聞いて、逃げたほうがよさそう
だ。
と、思った次の瞬間。
そいつは目の前にいた。
薄気味悪い笑顔を浮かべて。
白い肌に血走った様な紅い瞳。
長い尖った耳に、長い銀髪。
﹃ジン!逃げろッ﹄
アルドラさんの声が聞こえた。
もちろん逃げますよ。
でも確認だけはしておかないと。
ウルバス 魔人Lv13
魔眼でそいつを見た瞬間、魔人は俺の顔面を殴りつけてきた。
振りぬかれる拳。
口の中に感じる血の味。
俺は一瞬で感じ取った。
90
明確な殺意。
こいつは友好的なやつじゃない。
間違いなく敵だ。
俺は咄嗟に体勢を整え距離をとる。
めちゃくちゃ痛い。
魔人。
コイツも魔物の類か?
俺はお返しにと杖に魔力を込める。
雷付与からの最大威力の雷撃だ。
雷付与は武器に雷の属性を与える魔術だ。
これを使えばナマクラの剣も魔法の剣へと変わる、強力な魔術で
ある。
雷を付与された武器は、敵に接触するたび、雷でダメージを与え
つつ、ショックを与え体を麻痺させる効果があるようだ。
だがそれだけではない。
雷付与された武器を触媒に、雷撃などの魔術を行うと、威力を底
上げできることがわかっている。
ウッドゴーレムも一撃で倒す威力の攻撃魔術だ。
﹁死んどけ﹂
91
ズガアァァァァァーーーーーンッ
杖から紫電が迸る。
夜の闇を切り裂く閃光。
至近距離からの雷を避けることは、いかなる生物でも不可能。
直撃必至である。
レベル的に見れば、かなり格上の相手。
もしかしたら倒せていないかもしれないが、かなりのダメージは
与えているはず。
俺は確認の為に、白煙が上がる雷撃の到達点へと足を踏み入れる。
﹁⋮⋮いない?﹂
消し飛んだわけじゃないようだ。
回避したのか?
まさか、どうやって⋮⋮
﹃後ろだッ﹄
ザシュッ
いつの間にか背後に回っていた、ウルバスの手刀が、肩口から腰
へと振りぬかれる。
﹁ぐあっ﹂
体から力が抜けていくような虚脱感。
92
これはマズイ。
なんだか理由はわからないけど、とにかくマズイ。
額に冷や汗が流れる。
俺は初めて自分より強い存在を肌で感じた。
死ぬかもしれない。
咄嗟にそう思った。
﹃おっと、お前の目的はわしだろう?﹄
俺とウルバスの間にアルドラが割って入る。
ウオォォォォォーーーーーッ
ウルバスはアルドラを目の前にすると、歓喜とも思える表情で、
雄叫びを上げて襲いかかる。
﹁アルドラさん!?﹂
アルドラはその手で、ウルバスを捉え押さえ込んだ。
﹃まだ立って歩けるなら、さっさと行け!長いことは持たんぞ!﹄
ウオォォォ
ウルバスはアルバスの丸太のように太い腕に捉えられ、身動きが
出来ないようだ。
呻き声を上げるも、その動きは完全に封じられている。
93
﹃ぬうううぅぅぅん﹄
ウルバスから黒い湯気の様なものが立ち上る。
俺の魔力探知が危険を知らせる。
﹁ごめん、アルドラさん!﹂
﹃おおよ!﹄
俺は村へと全力で駆け出した。
94
第10話 すれ違い
月明かりの夜を全力で走った。
息も絶え絶えに教会へ辿り着いた俺は、正面の門に閂を掛け、そ
の場にへたり込む。
﹁はぁはぁはぁ⋮⋮何だったんだアイツ﹂
初めて俺の雷撃が効かなかった。
いや正確にいうと躱されたのか。
あの至近距離からの攻撃。
まさか躱されるとは思わなかったな⋮⋮
俺は背中に手を当てる。
﹁いてて⋮⋮﹂
ざっくり斬られたと思ったが、思いのほか傷は浅いようだ。
それほど血も出ていない。
外套にはざっくり切れ目が入ってしまったが、これ直せるんだろ
うか⋮⋮
俺は教会に置いてあったライフポーションを手に取り飲み干した。
栄養ドリンクほどのサイズでガラス瓶に入った魔法薬だ。
薬っぽい味だが、それほど不味くもない。
体の内側から熱を感じる。
効いてくれるといいんだが。
95
ポーションを飲んでもゲームの様に一瞬で傷が治ると言うもので
もないらしい。
痛みは無くなったが、まだ完治したわけではないようだ。
﹁アルドラさん大丈夫かな⋮⋮﹂
まさかあの魔人にやられて、どうにかなるとは思えないけど。
ともかく今は傷を癒やすためにも、休もう。
考えるのはそれからだ。
いつの間にか、朝になっていた。
傷もすっかり治っているようだ。
礼拝堂のガラス窓から日が差し込む。
俺は正面の門の閂を外し、外に出た。
初めてアルドラさんを見たあの岩場に、彼はあの時と同じように
腰を下ろしていた。
﹃傷はもういいのか?﹄
﹁はい、アルドラさんの地下室にあった薬を使わせて頂きました。
もう大丈夫です﹂
﹃そうか﹄
96
﹁アルドラさんは大丈夫ですか?﹂
アルドラさんは元気が無い。
もともと半透明だったが、少し薄くなった気さえする。
﹃わしは亡霊じゃからな、問題無い﹄
そういって彼は力なく笑ってみせた。
﹁あの魔人って、アルドラさんの知り合いなんですか?﹂
あいつはアルドラさんの耳と同じ、尖った長い耳だった。
﹃ああ、奴はわしの実の弟、ウルバス・ハントフィールド。魔人落
ちし、この村を滅ぼした張本人じゃ﹄
>>>>>
﹃少し昔話をしようかの﹄
ザッハカーク大森林。
ルタリア王国に隣接する、広大な森林地帯。
この森は王国の権威も及ばない土地で、多くのエルフや獣人族が
暮らしている。
過つて、この森の資源を独占しようと、王国の軍隊が幾度と無く
97
やってきた。
森に住み着く、エルフや獣人を排除しようということだろう。
しかし平地で人間同士の戦争は得意でも、密林での戦闘は同じよ
うにはいかない。
数では王国軍が上回るものの、生まれながらに森に住み、狩人と
して生活してきた彼らには地の利があった。
それに加え、魔獣や妖魔といった魔物の存在である。
魔物の多くは森の奥地や人里離れた秘境など、ある特定の場所で
発生することが多い。
普段、王国軍の駐留している王都では、ほとんど魔物の姿を見か
けない。
たまに現れるとしても、一般人でも対処できるほどのものくらい
だ。
そのため王国軍は本当の魔物の恐ろしさを知らなかった。
エルフや獣人の抵抗を受け、幾度とない突発的な魔物の襲撃に会
い、王国軍は見る間に消耗し撤退していった。
作戦が思うようにうまくいかない王国軍は、もっとも愚かな強攻
策に出た。
魔術師ギルドに要請し、王国中から火魔術を扱える魔術師を集め
たのだ。
そして森に火を放った。
98
魔物もそこに住む者達も、まとめて焼き払い、残った土地を自分
たちのものにしようと思ったのだろう。
しかしそれは愚策だった。
エルフの掟の1つに﹃森に火を放ってはいけない﹄というものが
ある。
当たり前の話のように聞こえるかも知れないが、これは生き物を
大切にするとか、環境を破壊するなといったような話では無い。
これはまさに森の怒りを買う行為なのだ。
魔術師の放った炎は、次々に森の木々を焼いていった。
王国軍は束の間の、領土拡大に成功した。
作戦の成功に沸く王国軍であったが、数日後すぐさまその事態は
急転した。
魔物の異常発生である。
異常発生とは、通常に比べ急に大幅な個体数の増加を引き起こす
現象。
発生の原因は解明されていない。
しかしそれは、まさに森の怒りとも言えるべきものであった。
森の奥地より、無数の魔物が雪崩のように押し寄せてきたのであ
る。
そもそも大森林は広大で、いくらかのの魔術師を集め、森を焼い
たところで全てを焼きつくす事は難しい。
99
魔術師の数はけっして多くは無いのだ。
一部の森を焼けば、その煙と熱に追われ、そこに居たものは奥地
へ逃げ出すだろう。
それが戻ってきた、ただそれだけのことである。
押し寄せてきた魔物は、様々な種類がいた。
通常魔物が種類種族を越えて、徒党を組むことはない。
しかしこの時ばかりは、森の様々な魔物が、何かに取り憑かれる
ように雪崩れ込んできたのである。
人も魔物もパニック状態とも言える光景で、それは酷い有様だっ
たという。
やがて残ったのは無数の人と魔物の死骸。
その多くは物量に飲み込まれ、押しつぶされたようなものだった
という。
王国軍は撤退し、その後やってきた無数の樹木型の魔物、トレン
ト種が森を瞬く間に再生させていった。
事態が収束した頃には、王国の魔術師が焼いた森は完全に再生し、
更に溢れたトレント達によって王国の領土の一部は大森林に没した
という。
これらの経緯から、王国は大森林に手を延ばすこと辞めたそうだ。
エルフや獣人は、森で暮らすことを認められ、魔物が森から出て
100
王国領に行かないように監視する役割を担うことになった。
人間よりも身体能力の高い獣人族。
人間よりも高度な魔術を扱うエルフ。
人間が魔物の住まう森に定住することは難しいが、彼らならばそ
れも可能である。
魔物を監視する傍ら、森で得られる希少な薬草、木材などは王国
の領民との交易の材料となった。
この村も、そんなエルフの村の1つだった。
森の奥地にて手に入る良質な木材や薬草などを、人間の街に輸送
している。
それらの交易によって自分たちでは作り出せない、人間たちの薬
や嗜好品などを得ていた。
あるとき、この村で次の村長を決める村会議が行われた。
元村長の長老たち、村の有力者たちが集まり、意見が交わされた。
次の村長になるのは、アルドラの弟であり、村一番の魔術の使い
手で知恵者のウルバスで決まりだと、村の誰もが思っていただろう。
アルドラも、ウルバス本人もそう思っていたに違いない。
エルフ族に置いて村長は、魔術の腕前と知恵の回るものが、有力
視される。
身体能力が高いとはいえないエルフ族の強みは魔術適性の高さで
101
ある。
村を守り、皆を導く存在の村長には魔術の腕前が必要不可欠なの
だ。
アルドラはエルフ族の中で例外的に魔術の適性が低かった。
幼い頃から、勉強し村の実力者たちに教えを請い、努力を続けて
きたが、それが実を結ぶことは無かった。
村のある者に、お前には魔術の才能がないと言われてしまい、そ
れを期に魔術の修行は諦め、体を鍛えることにした。
魔術の修行を行わず、体のみを鍛え続けるエルフにあるまじき行
為をするアルドラを誰もが嘲り笑った。
時がたち、アルドラは獣人も一目置くほどの立派な戦士に成長し
ていた。
村に戦士などはいないため、すべては自己流である。
アルドラはより高みを目指すため、村を出て修行の旅をすること
に決めた。
エルフは森の奥地に篭もり、人間との接触を拒む者も少なくはな
いが、大森林に住むエルフ達は比較的人間たちとの交流も交易もあ
る。
若いエルフなどであれば、好奇心が強い者もいるため、村を飛び
出して旅をするものも中にはいるだろう。
アルドラもその1人だった。
村を飛び出し、人間の街で冒険者となり、様々な人と出会い、幾
多の冒険を経験したアルドラは大きく成長して村に戻ってきた。
102
もう彼を魔術の使えないエルフだと笑う者は居なかった。
成長した彼は、誰もが認める大森林でも随一の戦士となっていた
のだ。
そして、あの日、次の村長が長老たちによって指名された。
アルドラである。
魔術が使えない逆境を跳ね除け、逞しく成長したエルフ族の戦士。
これからこの村は、更に人間たちとの交流も増えていくだろう。
そのとき、人間たちの街で生活し、共に酒を酌み交わし、人間た
ちをよく知るアルドラは、これからの時代の村長に相応しいとの事
だった。
指名されれば、それに反対する声は上がらなかった。
村の誰もが、アルドラを認めたのだ。
1人の男を除いて。
103
第11話 正義の為に
﹃村長に指名されたわしは、その話を受けることにしたんじゃ。ま
ぁ断るという選択肢はなかったんじゃがの。村長に指名されるとい
うのは、大変な名誉でもあるからのう﹄
そして、その直後にウルバスは村から姿を消したらしい。
﹃それほど仲の良い兄弟では無かったかもしれん。あまり接点は無
かったからのう。今にして思えば、奴はプライドが高かったんじゃ
ないかと思う。優秀な自分が認められず、無能なわしが認められて
しまったんじゃからな﹄
﹁それから彼はずっと姿を見せなかったんですか?﹂
﹃あぁ、エルフの中には村を捨て、はぐれとして生きる者もいる。
わしはその時、ウルバスは村に嫌気が差して、森を降り人の街へ行
ったんだと思っておった。いくら優秀なエルフでも魔物が徘徊する
森を、1人で生き抜くのは難しいからの﹄
村長に指名されたのが、およそ30年くらい前だという。
その後、族長にも指名され、氏族の長としての地位も兼ねるよう
になった。
﹃ウルバスが姿を現したのは、約1年ほど前じゃ。あの日、村から
姿を消した時と同じ姿形と邪悪な笑みで、この村に戻って来たのじ
ゃ﹄
104
夜間の突然襲撃に村はパニックになった。
アルドラが知る限り、この村が魔物に襲撃を受けたことは無かっ
たからだ。
最初の襲撃で何人かの村人が犠牲になり、村の若衆が応戦したが、
返り討ちに会い、その若い命を散らしていった。
﹃わしは皆を逃がすために、1人残り囮となった。そして気づいた
時には、この有り様じゃった﹄
その後、王国の領内に存在する、ある街の冒険者ギルドが、この
村の訃報を聞きつけ、現地調査に乗り出したようじゃ。
おそらくこの村の生き残りが、人の街に助けを求めたのだろう。
魔物の住む森の中に居て、村が襲撃に会い滅ぼされるということ
は、ありえない話ではないのだ。
しかし今回は少し、様子が違った。
エルフの村を襲撃したのは、同じエルフではないかという話だっ
た。
﹃襲撃の時間は深夜であったが、エルフ族は夜目が効く。おそらく
襲撃者の顔を確認した者もおるじゃろう。その中でウルバスに気づ
いた者も、おったやもしれん﹄
平和を尊び、俗物に染まることのない、森の民エルフ。
厳しい環境である森の中で、ほぼ親族で構成された村で生活する
彼らは、人間のそれよりも、村民同士の繋がりは深い。
子供が出来にくく、寿命が人間よりも長い彼らは、同種同士で殺
し合うという概念がそもそも無いらしい。
それは常に互いに助け合わなければ、生きていけなかった生活環
105
境から来ているのだろう。
﹃調査隊が来る頃には、わしは今の状態になっておった。彼らの装
備を見た限りでは、おそらくC級かB級の冒険者のようじゃったな。
ギルドでも熟練の者達じゃろう﹄
彼らは村の状況を調べ、残った村人の遺体を埋葬し数日滞在した
後、撤収していったという。
ちなみに亡霊となった、アルドラさんは、冒険者たちの前に姿を
晒しても、認識されることはなかったという。
﹁俺は魔眼があるから、アルドラさんが見えるんですかね﹂
﹃おそらくそうじゃろう。冒険者の後にも、他の村のエルフや獣人
族の者が状況確認の為に、何度か来ていたようじゃが、わしに気づ
いたものはおらなんだ﹄
﹁ウルバスはどうなったんですか?﹂
﹃やつはあの襲撃以来、どこかへ姿を消した。冒険者たちもおそら
く見つけられなかったんじゃな﹄
﹁あれは一体なんですか?魔人という職業が見えたんですが⋮⋮﹂
あの血の様に紅い瞳に、常軌を逸した行動。
とても正常な状態とは思えない。
﹃あれは、おそらく魔人落ちと言われるものじゃ。わしも実物は初
めて見るがのう﹄
106
この世界の、あらゆるものには魔素と言われるエネルギー物質が
存在している。
目には見えないそれは、地下深くから湧き出て、大気中に放出さ
れる。
放出された魔素は、植物が吸収し、その植物を草食動物が食べ、
草食動物を肉食動物が⋮⋮というように魔素は世界の食物連鎖の中
で循環しているらしい。
そして人間やエルフは、体内に取り入れた食物から魔素を摂取し
ている。
摂取された魔素は体内で魔力に変換され、魔術を行使する際の燃
料として使われるということだ。
しかし、この魔素を短期間の内に過剰に摂取すると、肉体に変異
を起こすと言われている。
森の動物が、短期間の内に過剰に魔素を摂取し、変異した姿が、
魔獣なのだという。
それは人間やエルフにも起こりえると、研究者たちは考えていた。
しかし実際に、魔人化したという事例は数十年前に人族に起こっ
た1例のみで、魔人について人類はなにも知らないと同義である。
﹁はぁ、なるほど。とにかく今の俺と比べても、かなりの格上だし、
かなりヤバイ相手だというのはわかりました﹂
俺はいそいそと、荷造りを始める。
﹃何してるんじゃ?﹄
﹁明るい内に、ここを出ようかと。アルドラさんお世話になりまし
107
た﹂
俺はアルドラに向かって深々と頭をさげる。
﹃何じゃ!ここはわしと協力してやつを迎え撃つ算段をする場面じ
ゃないのか!?﹄
﹁いやいや冗談でしょう。俺の雷撃も効かなかったですし、あれを
相手するには、レベルも経験も今の俺には足りてませんよ。まぁ冒
険者の方たちが、また来るでしょうから、そっちの方たちに事態の
解決はお任せしましょう﹂
アルドラは苦悶に満ちた表情を見せる。
﹃いや、魔人となってしまい罪を重ねたとはいえ、あれでも我が弟
であり同胞なのだ。冒険者に魔物として討伐されるのは偲びない。
お主が奴の凶行を止めては貰えないだろうか?﹄ ﹁いや、無理っす﹂
﹃返事が早いのう!もうちょっと考えてくれんか?﹄
俺は、うーんと唸り声を上げる。
﹁リスクがあり過ぎますよ。俺にメリットないですし﹂
正直アルドラさんには、かなり世話になったので、できることな
ら願いを聞いてあげたいが、俺も命は惜しいのだ。
こんなところで命を掛けたバトルをするつもりはない。
108
﹃では、奴を止めてくれた暁には、わしの娘を、お主にやろう﹄
﹁は?﹂
なにその軽い感じ?娘ってそんな感じで貰えるの?
﹃まぁ正確にいうと、姪孫にあたる者だが、母に似てなかなかの美
人じゃから、気にいると思うぞ﹄
﹁いや、でも当人が居ないのに、そういう話ってどうですかね⋮⋮﹂
それに会ったこともない娘さんをくれるって言われてもね、ピン
と来ないよ。
まぁ美人ってワードは気になるけどね。
エルフの美人ね。
まぁ会ってみてもいいかな。
﹃たしか胸はEカップじゃったかな﹄
﹁アルドラさん、魔人落ちしてしまったウルバスを止めましょう!
このまま放置すれば、新たな犠牲者が出ないとも限らない!俺も協
力しますよ!﹂
﹃お、おぉ⋮⋮﹄
かくして俺は、哀れなエルフ族の凶行を止めるため、正義の為に
立ち上がったのだった。
109
第12話 闇の軍勢
俺は村でアルドラと共にウルバスを迎え撃つ準備をした。
村の中央に廃材を積み込み、篝火を焚く準備をする。
俺は他に何か使えるものは無いかと、空き家を見て回った。
﹁お、いいもの発見﹂
とある小屋で魔獣の革で作られたウエストバックを発見した。
これにポーション類を携帯して備えよう。
鹿島仁 漂流者Lv8
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/8
特性 魔眼
雷魔術
火魔術
F級
闇魔術
体術
F級
D級
剣術
鞭術
探知
スキル設定はこれでいいか。
とりあえず探知で警戒しつつ、変化があったら雷魔術に変更しよ
う。
戦闘中でも変更は可能だが、あまり意識を戦闘外へ向けるのは危
険のような気もするので、よく注意しなければ。
110
あとはウルバスが、本当に現れるのかということだが⋮⋮
アルドラさんの話によると、ウルバスは必ずまた姿を現すだろう
と言っていた。
﹃まぁ、あやつが恨みを持って村を襲ったとなれば、一番恨まれて
いるのはわしじゃろうからなぁ、わしがまだ元気だと知れば、必ず
姿を現すじゃろう﹄
元気だけど、もう死んでるんですよねアルドラさん。
あー、だとするとウルバスは、アルドラさんが既に故人だという
ことに気がついていないのかな?
まぁ既に正気を失っているようだったし、言葉も通じるかどうか
わからんからな。
﹃お主も、既に目を付けられてる可能性もあるのう。わしと一緒の
ところを見られているわけじゃし、一緒のところにてお主が襲われ
たのじゃから、もうどのみち逃げられなかったんじゃないかのう﹄
はははと笑うアルドラさん。
いや笑い事じゃない。
﹁そういう危険なやつがいるってことは、もっと早くに言って欲し
かったですね﹂
﹃1年近くも前に現れて、それ以来姿を見せなかったやつじゃぞ?
もうとうに何処かへ消えたと思っとったわい﹄
アルドラさんに文句を言っても仕方ないか。
111
このまま俺が人の街へ向かい、それを追ってウルバスが人の街で
被害者を出せば、俺の責任を問われる可能性も無きにしもあらず。
なにかややこしい事態になりそうだ。
できればここで解決して、人の街へ向かいたい。
いや、けっして美人エルフのおっぱいに、ほだされた訳ではない。
それに美人というが、現代の地球育ちの俺と、この異世界の森の
原住民エルフが同じ美的感覚かどうかは、わからないからな。
もしかしたらアルドラさんなみに、でかい女かもしれないし。
いくら美人でも2メートル近い女とかだと、ちょっと引いちゃう
かもしれない。
まぁ見るぶんには、いいかもしれないが。
そういえば、あまりに自然に会話できるんで気付かなかったが、
アルドラさんと普通に言葉通じるのも不思議な話だな。
まぁそもそも異世界トリップが一番の不思議体験なんだろうが。
言葉が通じるのは便利だから、まぁ文句はないし、別にいいか。
>>>>>
日は落ち、夜の闇が村を包む。
村の中央の広場では、轟々と炎が燃え盛る。
集められた廃材の山に、火が放たれ、天に向かって火柱が上がっ
ていた。
112
俺は干し肉を齧りながら、その時を待った。
アルドラさんの話によると、高台の教会はもしもの時の避難場所
らしい。
強力な結界が張られているため、まず魔物は中に入ることは出来
ないだろうということだ。
もしも危険を感じたら、教会まで走って避難するように言われた。
村の周囲を囲む、木の城壁も教会のそれよりは弱いものの、魔物
避けの結界が設置してあるようだ。
その効果もあって、村には魔物が侵入できないのだという。
﹁来ましたね﹂
﹃まぁ、結界とは言っても万能ではない。強力な魔物には効かない
ようじゃ﹄
ドガァンッ
裏側の門が吹き飛ばされる。
破損していたとはいえ、まだ一部形を残していた門は、いま完全
に役目を終えたようだ。
村の中に、砕かれた破片が飛散する。
外から侵入してきた者は、大型の妖魔であった。
ラージインプ 妖魔Lv10
弱点:光 耐性:闇
スキル 筋力強化
113
お、魔眼から得られる情報に変化がある。
何か俺したんだっけか?
魔眼にはLvが設定されていないために、能力の成長というもの
はないのだと思っていたが、違うのだろうか?
どういうことだろうと、俺が思案していると、横に居たアルドラ
さんから激が飛ぶ。
﹃なにをぼーっと突っ立っておるんじゃ!そら団体さんのお出まし
じゃぞ﹄
見ると大型のインプの後から、わらわらとインプが溢れて出てく
る。
能力の変化に思案するのは、あとでゆっくりすることにしよう。
いまはこいつらを片付けるのが先だ。
ラージインプはゴリラのようにデカイ。
黒い猿のような小柄なインプと比べると、その大きさは異様なほ
ど存在感を放っている。
インプ 妖魔Lv3
弱点:光 耐性:闇
スキル 魔力探知
インプも俺の知るやつよりは、ちょっとレベルが高いな。
それにしてもコイツらって。
﹁ウルバスの下僕ってこと?﹂
114
﹃わからん﹄
今のところ、ウルバスの姿は見えない。
ギャギャギャ
インプたちはうるさく囃し立てる。 いつの間にか、俺の周囲はインプの群れに囲まれていた。
さてやるか。
カシラの杖に雷付与をかけ、頭上で旋回させる。
雷刃旋風
頭上から周囲に撒き散らされる稲妻の嵐。
半径20メートルほどの範囲に、雷撃が降り注いだ。
バリバリバリバリバリバリバリッ!!
ギャアァァァァーーーーーーッ!!
バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!
ギャギャギャァァァーーーッ!!
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリッ!!
ギャギャギャーーーッ!!
115
小型のインプは次々に吹き飛ばされ、頭が、腕が、足が、消し飛
ばされる。
遠目に見ても、致命傷のダメージだ。
グオォォーーーーーッ
生き残ったラージインプが腕を振り上げ、襲い掛かってくる。
俺は身を引いて躱し、すれ違いざまに、ラージインプの体に青銅
剣を差し込んだ。
ギャーーッ
ラージインプは傷口から、赤黒い血が吹き出して、そのまま地に
伏して動かなくなった。
青銅剣からは白いオーラが立ち上がっている。
破邪の青銅剣 魔剣 属性:光 斬撃強化
さすがは魔剣、なかなかの手応えだ。
﹁範囲攻撃でだいぶ減ったと思ったけど、なんか増えてるなぁ﹂
周囲にはインプの骸が散乱しているが、それを踏み越えインプが
再び集まりつつあった。
これは長い夜になりそうだ。
116
>>>>>
村の中央の焚火が、夜の闇を明るく照らしていた。
どのくらいの時間が経過しただろうか。
すでに数えきれないほどの、インプの群れを葬ってきた。
周囲にはうず高くインプの骸が積まれている。
骸の山を乗り越え、4体のラージインプが俺に迫る。
俺は雷撃を放ち牽制しつつ、一番近いラージインプの脳天を切り
裂き動きを止めた。
雷付与で更に強化された魔剣が、光と雷のオーラを伴って、ラー
ジインプをなで斬りにしていった。
光の属性が傷口を広げ、雷の属性が麻痺を引き起こす。
動きの悪くなったラージインプに止めの一撃を差し込む。
﹃大丈夫か?﹄
アルドラさんが心配そうな顔を向けるが、問題無いまだ行ける。
俺は携帯していたライフポーションとマナポーションを飲み干し
た。
﹁えぇ、ポーションがあって助かりました。それにこれからが本番
のようです﹂
焚火の向こう側に、2体の巨大な魔物を引き連れた魔人がその姿
117
を現した。
118
第13話 魔人襲来
2体の巨大な魔物を引き連れた、ウルバスが姿を現した。
﹁⋮⋮きたか﹂
﹃無理じゃったら、逃げてくれよ﹄
﹁まぁ無理はしませんよ﹂
グオォォーーーーーッ
巨大な魔物の咆哮が広場に響く。
ドガッ
魔物の1体が、燃え上がる廃材の山を蹴りあげ、周囲に炎が散乱
する。
広場は炎と煙に覆われていった。
ウルバス 魔人Lv13
ジャイアントインプ 妖魔Lv12
弱点:光 耐性:闇
スキル 耐久強化
﹁おー、でかいな﹂
119
ジャイアントインプは4メートル以上はあろうかという、毛むく
じゃらの巨体で巨大な野獣といった様相だった。
足元に転がっている、ラージインプの骸を片手で掴み上げると、
大きく振りかぶりこちらへ放り投げてきた。
ドガアァーンッ
どうやら投擲の腕は、今ひとつのようで、狙いを大きく外したソ
レは後ろの廃屋へと吸い込まれていった。
グオォォーーーーッ
あまり頭は良くないようだが、放置していても面倒だ。
さっさと片付けてしまおう。
シュッ
空気を切り裂く鋭い音。
死角から狙いすましたかのような一撃が、俺の首筋を掠った。
﹁おおっと﹂
﹃油断するな、狙われとるぞ!﹄
ウルバスは狙っていた獲物を発見したというような、歓喜の笑み
を浮かべ襲いかかってきた。
その目はまるで紅いガラス球が嵌め込まれたように変質しており、
その白い皮膚も石のように硬質化していて異常さを増幅させていた。
石膏のようなヒビ割れた拳で殴りつけてくる。
120
しかしその動きは素人というか、闇雲に攻撃してるような印象で、
それほど危機感を感じなかった。
鹿島仁 漂流者Lv10
お、戦闘が続いていたおかげで、いつの間にかレベルが上がって
いる。
俺は自分の拳に雷付与を使用してから、スキルポイントの変更を
C級
試みた。
体術
ぶっつけ本番だが、やるしかない。
俺はウルバスの攻撃を紙一重で躱し、腕を掴み、足を引っ掛けて
地面に転ばした。
格闘技の経験なんて無いので、俺じゃあこの程度が精一杯だ。
俺は馬乗りになり、雷付与された拳を心臓目掛けて全力で突き放
った。
バリバリバリッ
拳に伝わる固い感触。
放たれる紫電の閃光。
本当に石膏像を殴っているようだ。
まったく血の通う生物の感触ではなかった。
まぁ石膏像を殴った経験はないのだが。
どうやら多少は効いたようで、ウググとくぐもった呻き声を上げ
る。
121
しかし次の瞬間、黒いオーラのようなものが、ウルバスの体を包
み込む。
俺は嫌な気配を感じて、その場から飛び退いた。
よろりと立ち上がるウルバスの体からは、どす黒いオーラが噴出
している。
﹁アルドラさん、あれ何だかわかるかい?﹂
﹃なんじゃ?﹄
アルドラさんには、あの黒いオーラが見えていないのか?
物凄い嫌な予感がするんだけど。
ウルバスが自分の前に手をかざすと、黒いオーラは渦を巻いて集
まり、球体を形作った。
なんだろうと思った次の瞬間、それは俺の方へと放たれたのだっ
た。
﹁おおっと、あぶねぇ!﹂
黒い玉のスピードは遅く、躱すが楽だったのが幸いだった。
それでもしつこく連射してくるのを、俺は躱し続けるのだった。
グオォォーーーーッ
ジャイアントインプが雄叫びを上げて近づいてくる。
そういえば居たのを忘れていた。
122
巨大なインプは、その長い腕高々と振り上げて、襲い掛かってく
る。
﹁邪魔臭い!﹂
ジャイアントインプはウルバスと俺の間に割り込み、覆いかぶさ
るように迫る。
グオォォォーーーーッ
しかし何が起きたのか次の瞬間、腕を振り上げた体勢のまま、ジ
ャイアントインプはその場に倒れこみ、地面に突っ伏してしまった。
﹁え?死んだ?﹂
よく見ると生きてる。
しかし、あー、とか、うーとか呻き声を上げながら、どうも体を
起こすことが出来ないようで、その場でもがいていた。
俺が不思議に思っていると、すぐ脇を黒い玉が通過した。
﹁あぶなっ﹂
俺は腰から青銅剣を抜き放ち、地面で呻いている、ジャイアント
インプに止めを差した。
もしかして、あの黒いオーラか。
﹁アルドラさん、ちょっと時間稼げる?﹂
123
﹃む?ほんの数秒なら気合で何とか、なるかもしれん﹄
﹁頼みます、もう1体のでかいの片付けるんで﹂
﹃わかった、まかせい﹄
俺は疾風の革靴に魔力を込めて、走りだした。
暴れ狂うジャイアントインプの攻撃を躱し、隙を突いて背後から
近づくと、腰から抜き放った青銅剣を振りぬき、膝からしたを分離
C級
させた。
剣術
崩れ落ち、地に膝を付くジャイアントインプの首を瞬時に跳ね飛
ばす。
俺は地面に沈み込む巨体に剣を刺し入れた。
刺し口から手を滑りこませ、ジャイアントインプの体内を探る。
指先に触れる魔石の感触。
俺は耐久強化を習得した。
すぐさま近くにあった、ラージインプの体内からも筋力強化のス
キルを回収した。
火魔術︵筋力強化︶
土魔術︵耐久強化︶
あれ?スキルじゃなかったか。
124
まぁ、魔術であれば、まとめて複数の術を行使できるぶん、得な
のでより良い気がするからいいのだが。
﹃おい、まだか!﹄
アルドラさんの焦りの声が聞こえた。 連続して放たれる黒球をウルバスを中心にして、俺は円を描くよ
うに走り続け回避していた。
弾速が遅いために、回避自体はそれほど難しくない。
しかし連発されると、なかなか近づけないのだ。
あの黒球を受けるのはマズイ。
おそらく相手の動きを封じる類の魔術だと思う。
なんとか近づいて、一太刀入れられないかと思案していると、俺
は足がインプの骸に引っかかり体勢を崩してしまう。
そこへ間髪入れずに飛来する黒球。
俺は直撃を受けた。
﹁あああああ﹂
﹃ジン!﹄
黒球はまるで、靄の塊のようで、実体はなかった。
ダメージはないようだし、痛みも感じない。
だが、恐ろしい効果はあった。
125
まるで体に力が入らないのだ。
膝を付き、剣を地面に突き刺して、体を支えるも立ち上がること
さえかなわない。
﹁あぁ、くそっやっぱデバフか﹂
しかも威力は相当強力だった。
効果時間によっては、とんでもなく強力な魔術だろう。
﹃ジン立て!来るぞ!﹄
何とか首を動かして見れば、余裕の笑みで、近づいてくる魔人の
姿があった。
﹁やばいです、立てません。アルドラさん時間稼ぎお願いします!﹂
アルドラは驚きと焦りの表情で、ウルバスに向かっていった。
亡霊のアルドラは基本物体に触れられない。
しかし気合?を入れれば、数秒は物を持ったり、触れたりも出来
るらしいのだ。
ウルバスに向かって時間を稼ぐとはいっても、持って数秒だろう。
﹃ぬうううううん﹄
アルドラの気合が迸る。
まるで相撲の押し出しのようだ。
こちらに向かって歩いてくるウルバスを押し返している。
ウルバスの姿はもはや石膏像の魔物のように変化していた。
衣類もほとんどが朽ちていて、顕になっている。
126
﹃これ以上は無理じゃあ﹄
アルドラさんが保ったのは2秒が限界だった。 127
第14話 魔導騎士
地に膝を付き、動けない俺の目の前にウルバスが迫る。
ギイィィィ
言葉にならない呻き声を上げ、こちらを睨みつけている。
いまだ体の自由は効かず、俺の背筋に冷たいものがはしった。
﹃ジン逃げろーッ﹄
﹁うおおおお﹂
俺は力を振り絞るが、状況はかわらず、焦りが募る。
そしてウルバスの腕が、ゆっくりと振り上げられ、
ドォウッ
﹁!?﹂
俺はわけもわからず、その場から吹っ飛ばされた。
﹃なんじゃ!?﹄
吹っ飛ばされた俺は顔面から地面に着地し、地面を転がった。
﹁い、痛い⋮⋮﹂
128
ドォウッ
ドォウッ
ドォウッ
﹃これは、風球か!いったい何処から?﹄
風の塊が、雨あられのように降り注ぐ。
俺を吹き飛ばし、周囲にあるインプたちの骸を吹き飛ばし、あた
りの地面を抉っていく。
風球が飛んでる射線上に目をやると、ある廃屋の屋根に人影があ
った。
﹁生きてるか御仁、助太刀いたすぞ!﹂
﹃誰じゃ?﹄
全身板金鎧に身を包んだ大柄な男が、そこに立っていた。
手には長い杖を持ち、獣毛の付いた襟首に真っ赤なマントをなび
かせている。
髑髏を模した禍々しい兜が異様さを際立たせていた。
﹁それえぇぇぇーーーいい﹂
長い杖を槍のように構え、先端に魔力を集中させると、風球が飛
び出した。
連続で発射された風球は、ウルバスにたて続けに襲いかかり、そ
129
の動きを封じる。
ダメージは無さそうだが、動きを邪魔するには十分なようで、ウ
ルバスは防御の体制のまま身動きが出来ないようだった。
﹁なんかわからんけど、助かった。あれアルドラさんの知り合い?﹂
﹃知らんぞ。エルフ族で金属甲冑を身につける者はおらんだろうか
ら、人族の冒険者じゃろう﹄
無数に放たれる風球は、ウルバスを中心に着弾している。
なかなかの命中率だ。
それにしても愉快な人が来たものだ。
あの騎士が時間を稼いでくれたお陰で、体の感覚も戻ってきた。
﹁人に害を成す、悪鬼魍魎どもめ、このわしが成敗してくれる!﹂
なんかあの人、ノリノリだな。
しかしあんなボロ屋で騒いでいたら、屋根抜けねぇか?
バキィ
﹁あ﹂
落ちた。
髑髏騎士が落下した廃屋へとインプたちが群がっていく。
﹁⋮⋮大丈夫かアレ?﹂
130
﹃問題無いじゃろ、インプの爪程度じゃ金属鎧にゃ傷も付けれんじ
ゃろうからな。それよりも⋮⋮﹄
﹁そうですね。俺が止めるしかないか﹂
﹃すまんな。本当ならわしがやらねば、ならんことなんじゃが﹄
﹁あの黒い攻撃は魔眼持ちじゃないと見えないようだし、これも何
かの縁っていうことですよ﹂
ウルバスの体は全身がヒビ割れたように変化している。
顔にも縦にヒビが入り、まるで涙を流している様にも見えた。
アルドラさんも身内のあんな痛ましい姿をいつまでも見ていたく
はないだろう。
なら俺がここで決着をつけるしか無い。
C級 耐久強化
C級 筋力強化
俺は腰の剣を抜き放った。
火魔術
土魔術
C級 雷付与
雷魔術
C級
俺はスキルポイントを変更しつつ、バフ魔術を掛ける。
剣術
ポイントを剣術に設定しなおして、準備完了だ。
俺は青銅剣に魔力を注ぎ込む。
131
魔力に呼応して光の強さが増したような気がした。
ギイイイイイイイィィーーーーーッ
ウルバスは奇声を発し、黒球を連続で放ってくる。
俺はそれを紙一重で躱していく。
剣など握ったのは初めてのことだが、ポイントを剣術に設定する
と、どう使えばいいのか、どう動けばいいのか体が自然に反応して
くれるようだ。
俺は脇を通り過ぎる黒球を剣で切り裂いてみる。
サクッ
なんの抵抗も無く黒球は分断され、その直後掻き消されたように
消失した。
﹁行けそうだな﹂
俺はウルバスに向かって直進する。
抵抗するかのように黒球を放ってくるが、剣で払いそれらを全て
消失させる。
手を前に突き出すような予備動作が攻撃のタイミングを知らせて
くれるため、今の俺でも十分に対応できる。
俺は渦を巻くように、ウルバスに迫る。
黒球を時に回避し、剣で払い、消失させる。
目前に迫る俺に、最後の抵抗とばかりにいままでで一番の巨大な
黒球を生み出すが、ここまで来てそのタメの長い攻撃は失敗だった。
俺は全ての力を込めて、黒球ごと袈裟斬りに切り捨てたのだった。
132
手応えはあった。
魔術によって強化された魔剣の一撃。
効いていないはずがない。
俺は距離を取り、様子を伺う。
ウルバスを見るとかろうじて立っていると言った様子だ。
体に大きな亀裂が斜めに入っている。
俺が付けたものだ。
まだ倒れないなら、もう一撃。
そう思った矢先、俺は剣を落としてしまった。
手に力が入らない。
ウルバスを見ると、体中からどす黒いオーラが溢れでている。
それはまるで炎のように天に向かって立ち上っているように見え
た。
﹁この感じ、またかよ﹂
ウルバスの体がボロボロと崩れていく。
どうやら満身創痍のようだが、まだ足掻くつもりでいるらしい。
﹃これは⋮⋮まずいのう﹄
俺の側にたつ、アルドラさんがぽつりとこぼす。
﹃ありゃ自爆するつもりじゃぞ﹄
133
俺は地面に膝を付く。
すでに立つことも、ままならない。
﹁どういうこと?﹂
﹃ありゃ魔力吸収じゃ広範囲のな。お主もたしか使えるじゃろう?
おそらく周囲の、インプの骸からも魔力を集めておる。あの状態で
ここまで大量の魔力を集める意図といえば、それくらいしか思いつ
かん﹄ 魔眼を発動させると、確かに周囲からオーラのような靄がウルバ
スに集まってきているのが見える。
﹁自爆ってどんな威力?﹂
﹃わからん。少なくとも村は吹っ飛びそうじゃの﹄
十分な威力だな。
俺は気合で剣を拾い、地面に突き立て立ち上がる。
体からどんどん魔力が吸われていくのを感じる。
全身の毛穴から、何かが放出されている気分だ。
擽ったいような気持ち悪いような、妙な感覚で、うまく力が入ら
ない。
だがあと一撃。
それでウルバスを止める。
俺は足を引きずる様に、ゆっくりと迫る。
134
徐々に失われる魔力。
そういえば魔力って空になったら、どうなるんだっけ⋮⋮
足が重い、力が入らない。
ウルバスまでもう目の前だが、これ以上足が前に進まないのだ。
ビュオッ
その時、一陣の風が吹いた。
空気を裂く音とともに、鉄の固まりが飛んでくる。
﹁おりゃあぁーッ﹂
髑髏騎士だった。
アメフト選手のタックルのような勢いで、ウルバスに激突する。
まるで交通事故である。
突然の襲来に成すすべなく、ウルバスは吹っ飛ばされて、俺の足
元まで転がってきた。
﹁ナイス!﹂
俺は髑髏騎士へサムズアップする。
髑髏騎士は激突した勢いのまま転がっていった。
魔力吸収はまだ発動中のようだ。
俺の魔力も吸われ続けている。
俺はアルドラさんを見た。
135
﹃もう終わりにしてやってくれ﹄
俺は静かに頷くと、地面に横たわるウルバスの首元に剣を突き入
れた。
抵抗もなく差し込まれる剣は、首もとをたやすく通過し地面に刺
さる。
その刹那、ウルバスの体は、まるでガラス細工のように粉々に砕
け散った。
内側に溜め込まれていた魔力はまるで靄のように、あたりに漂い、
やがて散り散りに飛散し消失した。
﹁⋮⋮終わったか﹂
﹃いや、まだじゃ﹄
俺は驚いた顔でアルドラさんを見る。
﹃高濃度の魔素に引き寄せられて、インプが興奮しとる。あれを片
付けるまで今日はゆっくり寝れんのう﹄
﹁まじかよ⋮⋮﹂
俺の長い夜はまだ終わらなかった。
136
第15話 戦い終わって
長い夜が明けた。
燃え残った廃材とインプの骸が周囲に散乱し、村は酷い有様だっ
た。
﹁何にしても、生き残ったな⋮⋮﹂
俺は腰のバックからライフポーションとマナポーションを取り出
し、飲み干した。
失われた体力と魔力が幾らか回復していく。
手に携える青銅剣は既にボロボロで、いつ折れてもおかしくない
ような状態だ。
外套その他も返り血と傷で、相当傷んでいる。
﹃この村の代表として、改めて例をいう。弟を止めてくれて感謝す
る﹄
アルドラさんは深々と頭を下げた。
﹁俺は自分の身を護るためにやっただけです﹂
俺は少しおどけてそう答えると。
アルドラさんはにやりと笑って、
﹃そうか﹄
137
そう短く答えた。
﹁そういえば、あの騎士様はどうしましたかね?﹂
昨日の夜には2度もピンチを救われた。
何か礼でもしないと、申し訳ない。
礼とは言っても、今の俺は文無しであるが⋮⋮
﹃さて、ジャイアントインプ6体とやりあってた頃までは、元気そ
うじゃったがな﹄
ウルバスを倒した後、この戦いも終局かと思いきや、まだ終わっ
てなかったのである。
数えきれない程のインプの群れが、村に雪崩れ込んできたのだ。
ウルバスを倒したことによって、ヤツの体内に内包していた魔素、
魔力が流出した。
さらに魔力吸収で周囲の魔素、魔力も一箇所に集中していた。
それによって、擬似的な魔素の源泉のようなものが、ここにでき
てしまったらしい。
アルドラさんの話によると、魔物は濃い魔素、魔力を求める。
高濃度のそれらを体内に取り込むことで、より強くなろうとする
ようだ。
それが原因でインプが興奮し集まってきてしまったのだ。
ちなみに源泉というのは、魔素がまるで温泉のように、地下から
大量に湧き出るパワースポット的な場所らしい。
そういった場所は強力な魔物の縄張りになっているんだとか。
138
そういったことで無数のインプ相手に俺と髑髏騎士の二人で朝ま
で戦い続けた。
ウルバスを倒したことで、この村にもかつての住人たちが帰って
くるだろうし、このままインプを放置するわけにもいかないと思っ
たのだ。
まぁ安心して眠るには、倒すしか選択肢はなかったのだが。
朝になると、動くものは俺達だけになっていた。
生き残ったインプの興奮もいい加減覚めたことだろう。
﹁これ片付けるのも、気が重いな⋮⋮﹂
﹃とりあえず魔石だけでも回収したらどうじゃ?ありかは見えるん
じゃろ﹄
魔物が生きているうちはよく分からないのだが、死んだ魔物の骸
を見ると、何かの気配を感じる。
うまく説明できないのだが、どうもこの感覚は結晶化した魔素で
ある魔石の気配のようだ。
C級
魔眼の力によって魔石から僅かに漂う魔素を感知しているのだと
思う。
探知
魔力探知と組み合わせることにより、よりハッキリと正確に広範
囲に探ることができる。
俺はナイフを手に黙々と作業を続けた。
139
﹁あ、いた﹂
インプの骸の中に、横たわる金属鎧。
無数の骸に埋もれるように髑髏騎士が倒れている。
生きてるのか?
﹃お、動いとるぞ﹄
﹁お、お腹すいた⋮⋮﹂
﹁⋮⋮大丈夫そうだな﹂
とりあえず命の心配は無さそうだ。
大丈夫そうとは思ったが、一安心だ。
﹁昨日は助かった、危ないところをありがとう﹂
﹁⋮⋮いや、大したことではない。礼はいい﹂
俺は腰のバックから、最後のライフポーション、マナポーション
を取り出した。
﹁俺が持ってるのはこれが最後だ。よかったら使ってくれ﹂
﹁⋮⋮いや、わしの事は気にせんでくれ、問題無い﹂
そう言う声にも力が篭っていない。
だいぶ消耗しているのは、あきらかだった。
140
﹁ん?遠慮するな、あんたもだいぶ消耗してるんだろう?使ってく
れ﹂
よく見れば、鎧のあちこちが砕け、割れ、破壊されている。
そういやジャイアントインプとも戦っていたもんな。
破壊力のある攻撃術は持ってないようだが、金属鎧らしからぬス
ピードのある動きで終始翻弄しつつ、戦っていた。
相当な手だれなのは、間違いないと思うが、鎧がこれじゃ無傷っ
てわけでもないだろう。
﹁だ、大丈夫だ。わしのことは気にするな﹂
髑髏騎士は、力を振り絞り立ち上がる。
﹁簡単なものでいいなら、食事の用意は出来るぞ。一緒に食べない
か?﹂
立ち去ろうとする騎士に俺は呼びかけるも、騎士の返答は無く、
歩き出そうと足を出した直後、石に躓いて前のめりに倒れた。
﹁⋮⋮﹂
死んだ!?
﹃魔力の枯渇じゃないか?昨日の夜から、こやつ散々魔術使ってお
ったじゃろう。普通あれだけ連発すれば、枯渇するのも当たり前じ
ゃろ﹄
ここの温泉には体力魔力の回復促進効果があるので、そこに浸け
ておけばいいか。
141
﹁とりあえず、鎧脱がすか⋮⋮﹂
ここで寝かせておく訳にもいかないだろうしな。
鎧を着込んだ男なんて、俺には担いで行けないし。
倒れたおっさんを担いでいくのは、ちょっと抵抗あるが、致し方
ない⋮⋮
ところで鎧ってどうやって外すんだ?
﹁あれ?なにこれ⋮⋮﹂ 鎧の胸部は簡単に外れた。
というより留め金の鋲が、破損して外れたんだが。 鎧の下はキルティングのような厚手の服を着ている。
そのため体型は解りづらいが、この胸の膨らみは⋮⋮
﹃女じゃな﹄
ともかく鎧を全部外し、兜も脱がせると、中から翡翠のような美
しい色をした髪を持つ美女が現れた。
いや美少女か。
よく見ればどことなく幼さも見える、まだ若い女だった。
﹁だけど声が、男だったよな⋮⋮鎧を着込んだ体型だって大男に見
えたし﹂
142
﹃うむ、そういう魔装具なんじゃろ、この鎧﹄
魔装具かよ。
まぁ今更驚かないけど、ほんと魔術って何でもありだな。
俺は昨夜の騎士のキャラを思い出し、複雑な気分になった。
﹃とりあえずポーションを飲ませて、どこかで寝かせてやったほう
が良いのではないか?﹄
﹁そうですね﹂
俺は彼女を抱きかかえると、温泉場のほうへ向かった。
>>>>>
俺は彼女を温泉場の脇に敷物を引いて寝かせる。
既にポーションは飲ませたので、とりあえずは大丈夫だろう。
今は寝ているが、起きたら食事にしようと準備もしておく。
まぁ茹でた芋、まずい粥、干し肉くらいしか無いが。
そうだヒワンの実がまだあったはずだな、後で取ってこよう。
いろいろ聞きたいこともあるが、それも起きてからだ。
143
まぁ焦らなくていいだろう。
助けてくれたことを考えても、友好的な人物だろうし。
そうだステータスだけは、確認しておくか。
エリザベス・ハントフィールド 薬師Lv21
促進
0/21
ハーフエルフ 16歳 女性 夜目
スキルポイント
特性
D級 直感
調合
C級
E級
風魔術
F級
採取
水魔法
やはりけっこうレベル高かったな。
あれだけ動けるなら、それなりにやるとは思っていたが。
それに特性が3つもあるし。
それにしてもハントフィールド?
どっかで聞いたことあるような⋮⋮
﹃どっかで見た顔じゃと思っとったが、リザじゃったか⋮⋮﹄
﹁ん?アルドラさんの知り合い?﹂
﹃うむ、前にいうとった、孫姪じゃ﹄
>>>>>
144
サクッ
サクッ
サクッ
俺は魔石の回収に勤しんでいる。
ナイフで魔物の体に傷を入れ、手を突っ込んで取り出すのだ。
探知にポイントを設定してあるので、何かあれば異変に気づける
と思う。
まぁ昼間から魔物が攻めてくることは無いらしいが。
﹁だいたいこんなところかなー﹂
空き家から手に入れた麻袋に魔石を詰めていく。
けっこうな量になった。
まぁ小型のインプからは、ほとんど入手できないので、倒した総
数を考えればだいぶ少ない。
俺は一度リザのもとに戻ることにした。
﹁お、気がついたか﹂
彼女は体を起こし、ぼんやりとした表情で、空を見つめていた。
俺の声に気がついて、慌てて頭を下げる。
145
﹁あ、先程は貴重な魔法薬をいただきまして、助かりましたありが
とうございます﹂
俺は彼女にヒワンの実を手渡し、笑って答えた。
﹁いや助かったのはこっちだよ。とりあえず飯にしよう。食べるだ
ろ?﹂
﹁はい、いただきます!﹂
グツグツグツ
石で作られた即席の竈の上には鍋が置かれ、中には見慣れた具材
が煮立っている。
芋と干し肉を入れた、雑炊である。
味付けは岩塩のみ素材の味をシンプルに活かした味付けだ。
﹁まぁあるもので作ったから、こんなのしか無いけど﹂
﹁でもすごいいい匂いがします。おいしそうです﹂
空腹は最高のスパイスというし、腹が減ってれば何でもごちそう
だよね。
﹁そういえば自己紹介がまだだったな、俺は鹿島仁。よろしく﹂
﹁カシ、マジン様?﹂
146
﹁いや違うよ?ジンが名前だから、ジンって呼んでくれたらいいよ﹂
﹁わかりましたジン様。私はエリザベス・ハントフィールド。親し
い者はみなリザと呼ぶのでジン様もリザとお呼びください﹂
別に様は付けなくていいんだけど、まぁいいか。
﹁わかった。とりあえず聞きたいことは色々あるんだけど、リザは
どうしてここに?﹂
魔物に滅ぼされた村。
そういう周知のはず。
相当な理由がなければ若い女が1人でここに訪れることも無いの
ではないか?
﹁はい。ここは私の育った村なのです﹂
147
第16話 未練
エリザベス・ハントフィールドは、薬師を生業に冒険者の街ベイ
ルで母と妹と3人で暮らす娘である。
幼いころに一時期アルドラの村に預けられ、生活していた経緯が
ある。
﹁そのとき大叔父様には大変お世話になりました。エルフ族として
の矜持、森での生き方、魔物との戦い方、その他にも多くをここで
学ばせて頂きました﹂
﹁なるほど。それで村のことが心配でここへ?﹂
﹁はい。あの大叔父様が簡単に死ぬはずがないと、自分の目で確か
めるためにここに来ました。冒険者ギルドの調査では、大叔父様の
遺体は発見されなかったそうですので、きっと生きてるんだと思い
まして。ここに来れば何かわかるんじゃないかと﹂ ﹃ふむう、心配かけたようじゃの⋮⋮﹄
アルドラさんがちょっとしんみりしている。
﹁あ、芋煮えたみたいだ。どうぞ﹂
﹁は、はい。いただきます﹂
もぐもぐもぐ
148
﹁干し肉からけっこう出汁出てるね﹂
﹁あっ、あつつ、熱いけど美味しいです﹂
腹が減ってれば、大概のものがうまい。
慌てなくても、おかわりあるよ?
﹁あの、ジン様どういったことでここへ?﹂
うん、エルフ族には見えないだろうし、なんで1人でここにいる
んだってことだよな。
俺は自身がここに至る経緯を説明した。
誰かれ構わず話すつもりも無いが、この娘には話してもいいかと
思う。
まぁ説明するに至って、俺の素性を隠しつつ、説明するのが面倒
だということもあるのだが。
﹁はぁ⋮⋮異世界ですか﹂
﹁まぁ、信じられないのは理解できる。突拍子もない話だしね﹂
俺が一番信じられない気持ちだし。
﹁いえ、信じます。エルフ族は、その感覚というか直感というか、
そういうものに敏感なんです。私はハーフなのでその能力は弱いで
すが、目の前の相手が嘘を言ってるかどうか、なんとなくわかるん
です。ジン様は嘘は言っておられません﹂
﹁そっか、信じてくれてありがとう﹂
149
﹁いえ、それで大叔父様もいまここにいらっしゃるのですか?﹂
﹁うん、いるね﹂
﹃見えんというのは、不便じゃのう﹄
リザはじろじろと明後日の方向を見つめているが、全く見えてい
ないようだ。
やはり魔眼所持者でなければ、見えないのだろう。
﹃ふーむ、ちょっとジン体貸してくれ﹄
﹁は?﹂
アルドラさんはそういうと、俺に体を重ねるように滑り込ませた。
嫌な予感がしたが、一瞬の隙を突いた動き、俺は反応できずに、
アルドラさんの侵入を許してしまった。
﹃なにこの技?これもスキル?﹄
﹁いや、気合じゃ﹂
﹃なんでも気合だな?体返してくれ!﹄
俺は悲痛な叫びをあげる。
﹁わかったわかった、すぐ返すから、落ち着け﹂
﹁え?え?﹂
150
混乱するリザ。
一瞬の内に俺とアルドラが入れ替わったなんて、思いも寄らない
だろう。
そりゃ目の前のやつが急に意味不明な言葉を口走りだしたら、そ
んなリアクションになるよな。
﹁いや、こっちの話じゃ。それにしても大きくなったなリザ。5年
ぶりくらいかの?﹂
﹁え?どういう?﹂
﹁うむ、混乱するのも無理は無い。わしもどうして亡霊なんぞにな
って、この世に醜くしがみついているのか、いままでわからんかっ
た。おそらく無意識にウルバスのことが気に病んでおるんだと思っ
ておったんじゃが、違ったようじゃ﹂
﹁大叔父様なのですか?﹂
﹁うむ、本当に美しい娘に育った。母によく似とる。その1人で飛
び出してくる無鉄砲さは冒険者の父譲りかの?﹂
俺にとり憑いたアルドラさんは、にやりと笑った。
﹁大叔父様!﹂
リザは思わず駆け出して、俺を抱きしめる。
いや俺にとり憑いたアルドラさんをか。
ややこしいな⋮⋮
151
﹁時間がないから簡潔に話す。良いな?﹂
﹁はい﹂
﹁わしは魔人落ちした我が弟ウルバスに殺された。闇魔術での不意
打ちじゃった。不可視の術で初見もあって裁けなかったのが敗因じ
ゃ、わしの弱さが招いたことゆえ未練はない。じゃが、わしの唯一
の未練はお前じゃリザ。わしは冒険者の経験もあるゆえハーフがど
うだ、人がどうだと差別せんが、世の中はそうではない。特にハー
フエルフには厳しい世界じゃ﹂
﹁はい、わかります﹂
﹁ウルバスを倒すことで、わしの無念を晴らし、ウルバスの迷える
魂も救ってくれたジン・カシマにハントフィールドは大恩ができた。
族長としてそれを返さねば、わしもゆっくり寝ていられん。じゃが
わし個人では、人族が求める金貨も財宝も、持ちあわせてはおらん。
そこでリザ、お前をジン・カシマに与えようと思う﹂
﹁⋮⋮私をですか?﹂
﹁うむ。お前はエルフ族だが、半分は人族だ。ジンも人族ゆえ丁度
いいだろう。妻として彼を助け、支えになるが良い。異論は無いな
?﹂
﹁わかりました。謹んでお受けいたします﹂
リザは深々と頭を下げた。
﹁うむ。⋮⋮わしはもう行くが、達者でくらせ。母にもよろしくな。
152
後は任せる﹂
リザは再び俺にとり憑いたアルドラを抱きしめる。
アルドラはリザの頭を優しく撫でた。
﹁娘の嫁ぎ先を決めるのは、父親の役目じゃ。わしは代役じゃがの。
これでもう心配ごとはない⋮⋮﹂
﹁大叔父様あああああああ!!﹂
リザは俺の胸の中でいつまでも泣き続けた。
>>>>>
俺はもうとっくにアルドラさんから体を返してもらっている。
泣いてる女の子を、無理に引き剥がすわけにもいかず、ただただ
泣き止むのを待つばかりであった。
それにしてもリザはいい匂いがするな。
まるで花のような香りだ。
香水だろうか。
女の子を抱きしめるなんて、相当久しぶりである。
女の子ってこんなに柔らかかったっけ⋮⋮
アルドラさんは、どうやら成仏して行ってしまったようだ。
153
最後に俺に﹃可愛がってやってくれ﹄と意味深な言葉を残して消
えた。
どういうつもりなんだ、あの人は?
まぁ最後には笑って逝ったので、俺もあまり辛い感情にはならな
かったのが、救いだ。
アルドラさんも安心できたのだと思いたい。
そして置き土産のつもりか、俺のポケットにはいつの間にか見慣
れぬ石が入っているのに気がついた。
魔晶石 素材 S級
S級である。
F∼Dまでは見たことがあるがSは初めてだ。
おそらく高ランクなのは間違いないだろうと思う。
ゲームや漫画でも、最高位のランクにSっていうのはよくあるか
らな。
それにこの魔晶石には、魔石のようにスキルも宿っていた。
おそらくはこっちが土産の本命なんだろう。
闘気
アルドラさんは戦士だったらしいから、たぶん名前からしても近
接戦闘系のスキルだろうと思う。
検証が楽しみだ。
154
﹁至らぬところも多いかと思いますが、よろしくお願い致します﹂
落ち着いたリザが姿勢を正して、頭を下げる。
この世界でも礼を尽くすときには頭を下げるものなのだろうか。
﹁うん、よろしく⋮⋮っじゃなくて!﹂
俺は展開に着いていけず、思わずノリツッコミが出てしまった。
﹁⋮⋮あの、私では駄目でしょうか⋮⋮?﹂
リザは肩を落とし、声を震わせる。
いや、そういうことじゃなくてだね⋮⋮
﹁いや、あって間もない俺達がね、そういうのっておかしくないか
な?お互いの事なにも知らないわけだし、アルドラさんに言われた
から、はいわかりましたって、言うのはどうかと⋮⋮﹂
俺はしどろもどろに説明する。
﹁駄目ですか⋮⋮?﹂
リザは俯いたまま、大粒の涙をこぼし肩を震わせる。
﹁あ⋮⋮いや⋮⋮﹂
うん、駄目じゃないかな?
よく考えてみると駄目じゃない気がしてきた。
ようはお見合いってことか⋮⋮
155
こんな可愛い娘を妻に何て、向こうの世界じゃ夢のような話だし、
悪い話じゃないよな。
﹁えっと、リザはそれでいいの?急に妻になれなんて話聞かされて
も困るでしょ?﹂
リザは小首を傾げて、きょとんとした様子で俺を見つめてくる。
﹁結婚相手を家長が決めるのは当然のことだと思います。私は困り
ません﹂
そうなんだ。
リザは真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
その瞳には迷いはなかった。
﹁ジン様は私では嫌ですか?﹂
﹁嫌じゃないよ。むしろタイプっていうか、願ったり叶ったりだけ
ど、急な話で戸惑っているっていうか⋮⋮﹂
急に結婚なんて言われても実感ないんだよ。
﹁⋮⋮わかりました。ではお互いに、もっとよく知り合ってからと
言うことにしませんか?﹂
リザは真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
眼力がすごい。
﹁そうだね、わかった。よろしく頼むよ﹂
156
俺はリザと固く握手を交わした。
﹁ジン様∼?ちゃんと後ろ見てます∼?﹂
﹁うん、わかってる。っていうか、見られたくないんなら、時間ず
らして別々に入ったほうが良かったんじゃない?﹂
俺は今何故かリザと一緒に露天風呂に入っている。
一緒に入っているくせに、裸は見られたくないようで、ちょいち
ょい覗いていないかチェックされるんだが、それなら最初から別で
入りたい。
﹁この湯は体力魔力の回復を促進する効能があるんです。ジン様も
昨日の戦闘でだいぶ消耗されたんですから、回復に務めたほうがい
いですよ﹂
まぁそうかもしれないけどね、気は休まらんよ。
俺たちは体を休めるため、昼すぎまで横になっていた。
回復効果のある温泉だが、一日中入っていれば良いというもので
もない。
﹁そろそろまともな食事がしたいね﹂
昼には黒華豆を炒ったものと、干し肉だ。
157
黒華豆はエルフ族が好む高級食材らしい。
﹁この豆は大叔父様の好物でした、久しぶりなので懐かしいです﹂
そう言って、リザは豆をポリポリ物凄い早さで食べている。
リスみたいだな。
この豆はエルフの村でしか栽培されない食材で、収穫量も少なく
貴重らしい。
﹁体力を取り戻すまで、この村に滞在してその後、ベイルに向かう
のか?﹂
﹁はい。ジン様は人族とは思えないほどの魔力量ですので、全快に
は何日か掛ると思います。安全を考えて全快してから行動するのが
いいでしょう。冒険者の登録できる一番近い街はベイルですので、
そこを目指すのがいいかと﹂
エルフは魔力量も多いが、魔力の回復速度が多種族より優れてい
る特性があるらしい。
たとえ最大魔力が同じでも、完全回復にかかる時間はエルフ族が
一番早いという。
魔力の回復というのは、いわゆる魔素の吸収である。
大気中に漂う魔素や食物に含まれる魔素を、取り込み体内で魔力
へ変換する。
そのため自然に魔力というのは徐々に回復していくもの、更に環
境や状況によって回復速度は変化する。
つまりは都市よりは自然の中のほうが、飲まず食わずで行動する
より、良い物を食べ休息をとるほうが、魔力の回復は早まるという
158
ことである。
無論例外はあるらしいが、おおまかに言うとこんなとこらしい。
﹁わかった、任せるよ。俺はこっちの常識はわからないから、いろ
いろ迷惑かけるかもしれないけど、よろしく﹂
﹁お任せください。それにしてもジン様も冒険者に憧れがあったん
ですか?﹂
﹁憧れっていうか、異世界に来たら冒険者になるのはお約束ってい
う⋮⋮まぁ、興味はあるよ﹂
俺はアルドラさんも若いころ経験したという、冒険者を目指すこ
とにした。
アルドラさん曰く俺くらいの魔力量と、この魔石からスキルを取
得できる能力があれば、S級の冒険者にもなれるだろうという、太
鼓判を貰ったのだ。
アルドラさんからは、基本的な魔物との戦い方や解体処理法、魔
物の体内の何処に魔石があるか、など冒険者として必要な最低限の
知識を教えてもらっている。
﹁?そうですか⋮⋮森も活動期に入っているようですし、丁度いい
かもしれませんね﹂
﹁活動期?﹂
﹁はい。この魔物の住む、ザッハカーク大森林は魔物が活発になる
活動期と、活動が鈍くなる停滞期があるんです。活動期は魔物の数
が増え、個体ごとの強さが増すので危険とされていますが、冒険者
にとっては稼ぎどきになるので、この時期に冒険者になるために地
159
方からやってくる人も大勢いますよ﹂
﹁なるほどね、レベルを上げるにも丁度いいかもしれないな﹂
﹁ジン様はレベルの確認ができるのですよね、それは心強いです﹂
この世界の住人にもレベルの概念があるようだ。
しかし高ランクの鑑定スキルでもないと、レベルの確認は出来な
いらしい。
鑑定スキルは生産系の職業が持つスキルらしく、低ランクの冒険
者が一般的に所持しているスキルではないようだ。
レベルの確認はギルドで行うのが一般的らしい。
﹁つまり魔物と対峙しても、普通相手のレベルもわからないわけか。
それはリスキーだな﹂
﹁はい。高ランクの冒険者なら鑑定持ちの奴隷を探すこともできま
すが、低ランクの冒険者ではそれも難しいでしょう﹂
160
第17話 旅立ち1
﹁ほんと魔術って超便利だな﹂
﹁ありがとうございます。確かに便利ですが、修得は時間もかかり
ますし、使える人も限られますから﹂
リザの水魔術で装備を洗浄し、風魔術で乾燥して貰った。
広場に散乱してあったインプの骸は、既に村の外にある谷底へ落
とし処分している。
リザの風魔術、浮遊を使いつつ、廃屋に放置してあった荷車で往
復して運んだ。
後は森に住む魔物が勝手に処分してくれるので、放置しておいて
大丈夫らしい。
﹁あの鎧はどうする?かなり破損してるようだけど﹂
﹁あれは、ここに放置して行きます。着ていくのは無理でしょうし、
手で運ぶのも大変ですから﹂
例の金属鎧はやはり魔装具だったようだ。
特別な合金製で知り合いに製作してもらったらしい。
装備者の体型や声色を変化させる能力があるのだとか。
もちろん金属鎧だけあって防御力も高い。
現在は装着不可能なほど、損傷が激しいため教会内に放置されて
いる。
161
﹁そういえば魔晶石って何かわかる?魔石とは違うようだけど﹂
スキルが内包されていた事を考えると、似たような物かもしれな
いが、魔石は石炭のような黒い石で、魔晶石はまるで水晶のようで
ある。
﹁えぇ?これは何処で?﹂
魔晶石を見たリザは、驚きを隠せないでいた。
俺はこれがアルドラさんが残した形見だと伝えた。
﹁なるほど。大叔父様なら持っていても、おかしくありませんね。
これは迷宮の最下層や魔境の果て、冒険者であっても簡単には到達
できないような場所で得られる貴重な素材だと聞いたことがありま
す。私も見るのは初めてですが﹂
魔石は消耗品で使えば無くなる。
魔晶石は使っても無くならず、魔力を貯めこむ事が出来るという。
例えば魔晶石に魔力を100貯められるとすると、その魔力を用
いて魔術を使用したりすることができる。
消費10の魔術なら10回使えるということだ。
使いきれば貯めてあった魔力は0になるが、自然に回復もするし、
魔石を使ってチャージすることも、魔術師が自前の魔力でチャージ
することも可能だという。
もしもの時のために、余裕のあるときに魔晶石に魔力をチャージ
しておいて、いざとなったら使うという事も可能らしい。
もちろん魔導具の材料としても使われ、希少性も高いことから、
オークションでも非常に高額になるアイテムの1つだという。
162
﹁形見みたいなものだし、リザが持っておくか?﹂
﹁いいえ、それは大叔父様がジン様のために残したものでしょう。
ジン様が持つべきものだと思います﹂
そう言ってくれると、ありがたい。
説明を聞いただけでも、かなりレアなアイテムなのは間違い無さ
そうだ。
﹁そっか、わかった。あとこれなんだけど⋮⋮﹂
俺が取り出したのは血のように紅い石。
ウルバスを倒した際に砕けた体から血の様に紅い石を発見した。
鮮血ともいうべき鮮やかな血の赤色。
血石 素材 E級
﹁すいません、私にはわかりません。ベイルに魔石に詳しい人がい
るので、そちらで聞いたほうがいいかもしれません﹂
﹁わかった、そうしよう﹂
俺はその不気味な紅い石を懐にしまいこんだ。
>>>>>
163
ウルバスを倒した夜から2日経った。
俺の魔力はおよそ8割ほど回復していると思う。
ちなみに自分の魔力の量を探る技はリザに教えてもらったものだ。
普通は何ヶ月も掛かって体得する技術らしいが。
俺達は教会内にテントを張って寝ている。
特に不寝番は立てていない。
あの夜が嘘のように村は静かになった。
破壊された裏口は村内にあった丸太を使って封じてある。
リザの浮遊を使って移動させ、積み上げただけだが、何もしない
よりはマシだろう。
ジン・カシマ 漂流者Lv13
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/13
雷魔術
F級︵灯火 筋力強化︶
C級︵雷撃 雷付与 雷連撃 雷刃旋風 雷双撃︶
特性 魔眼
火魔術
F級
隠蔽︶
土魔術︵耐久強化︶
闇魔術︵魔力吸収
体術
剣術
闘気
F級︵嗅覚 魔力︶
鞭術
探知
これが現在の俺のステータスだ。
名前がいつの間にか、カナ表記に変化していた。何故だろう。
164
レベルがかなり上がっている。
あの夜の戦闘が効いてるようだ。。
ちなみにウルバスが残した魔石からは隠蔽が得られた。
魔人は人の魔物らしいが、魔石ではなく血石を残したというのは、
普通の魔物ではない特別な存在なのだろうか?
﹁明日この寝床を片付けたら出発だな﹂
﹁はい、朝早くに出れば明るいうちに着くかと﹂
﹁その木材の集積所となってる村から、ベイルまでどのくらいで着
くんだ?﹂
﹁3日もあれば、着くと思います。街道も整備されているので、う
まくすれば荷運びの馬車に乗れるかもしれません﹂
バスやタクシーのような、交通機関はないのだろうか。
文化レベルがどの程度かはわからないが、中世くらいだとしても
乗合馬車くらいあっても不思議ではないだろう。
﹁そうか、じゃあ今日は早めに寝るとするか。明日も早いしな﹂
﹁はい﹂
ともかく、やっと人のいるまともな街に行くことができる。
いまから楽しみでしかたないな。
まるで遠足前の子供の心境だ。
﹁⋮⋮ところで、リザは平気なのか?﹂
165
﹁なにがですか?﹂
﹁俺も一応男なんで⋮⋮﹂
テントは俺が1人用にと買ったものだが、荷物を中に入れなけれ
ば2人は普通に寝られる。
寝られるとは言っても、すぐ隣である。
ゼロ距離である。
意識しないはずがないのである。
﹁私は大叔父様にジン様の支えになるようにと、仰せつかりました。
ジン様が望むなら、私はそれにお応えします﹂
それってアルドラさんに言われたから、やってるってことだよな。
まぁそれもそうか。
俺に対しては好きも嫌いもないのだ。
それにしても、よくよく見れば目の覚めるような美少女である。
160センチくらいの身長に翡翠のような輝く髪と瞳を持ち、雪
のように白い肌をしている。
幼さの残る整った顔立ちに、俺よりも少し長い尖った耳。
そして寝ていても立派にその存在を主張する、2つの霊峰。
まさに人類の神秘、人類の宝といえよう。
﹁ジン様、ジロジロ見すぎですよ⋮⋮﹂
﹁あ、ごめん﹂
﹁べつにいいですけど﹂
166
いいのかよ。
﹁よし寝よう。寝てしまおう﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺は邪念を払うため、自分に必至に言い聞かせた。
167
第18話 旅立ち2
翌朝、夜明けとともに起床した俺達は、身支度を整え寝床を撤収
した。
扉は侵入者のことも考え、閉じたままになっている。
リザに脚力強化と浮遊の魔術を付与してもらい、城壁を飛び越え
て村を出た。
﹁このまま坂を下って行くと、川に出るので川沿いを下って行きま
す﹂ ﹁わかった﹂
俺の荷物は地球から俺とともにトリップしてきたテントその他の
荷物、まとめて全てリュックに収まっている。
他にウエストバックと大きな麻袋を担いでいた。
リザは壊れた鎧を村に放棄し、いまは旅用の軽装に身を包んでい
る。
頭をすっぽり覆うフード付きの外套に口元はストールの様なもの
で覆っている。
手にはだいぶ痛みの目立つ長杖。
背中にリュックを背負っている。
﹁荷物大丈夫ですか?私の方にもまだ少し入りそうですが﹂
﹁大丈夫、筋力強化もあるしね﹂
168
俺達は風魔術の脚力強化を付与し、川の合流地点で森からの材木
を集める集積地の村、ガロを目指した。
いくらか坂道を進むと、川が見えてきた。
川幅はそれほどもない。
流れも非常に緩やかなものだ。
深さは1メートルあるかどうかだろう。
川沿いの道をひたすら進んでいく。
川は蛇行を繰り返し、脚力強化を付与しても進みはそう早くない。
道というのもいわゆる獣道のような、言われなければ道とは思わ
ないレベルのものだ。
ズシンッ
しばらく進んでいくと、地面がふと揺れるのを感じた。
﹁リザいまの感じた?﹂
﹁はい。揺れましたね﹂
ズシンッ
ズシンッ
これは地震では無さそうだ。
俺達は慎重に歩みを進め、その振動の原因となるものを発見した。
サイクロプス 妖魔Lv34
169
巨人である。
川で腰を屈め、巨人が水を飲んでいる。
かなりでかそうだ。
広い肩幅、異様に盛り上がった筋肉。
小さな山がそのまま動いているようだ。
﹁レベル34だ。見つかるとマズイな﹂
﹁⋮⋮引き返しますか?﹂
リザの不安な表情が見える。
﹁うーん。少し離れて様子を見よう﹂
サイクロプスはしばらく喉を潤したあと、その場へ座り込み、動
かなくなった。
むしゃむしゃむしゃ
手に何かを握りしめ、黙々と齧りついている。
﹁食事中でしょうか。静かに通り過ぎれば、行けるかもしれません﹂
C級
隠蔽
﹁そうだな、そういえば新たに習得した魔術がある﹂
闇魔術
俺はポイントを変更し、隠蔽を付与した。
体に黒いオーラが纏わり付く。
170
魔術の効果は習得すると、なんとなくだがわかるようになってい
る。
非常に便利である。
そのため隠蔽についても最低限の知識はあった。
隠蔽を付与することで、他者からの認識を阻害するという効果だ。
これによって魔物に気づかれずに潜入することも可能だ。
﹁よし、気付かれないように慎重に行こう﹂
﹁はい﹂
サイクロプスを迂回するため森へ分け入り、気配を殺して先へ進
む。
だが心配を他所に、気づかれる様子はまったくなかった。
隠蔽が優秀なのか、サイクロプスが鈍いのかどうかはわからなか
った。
その後、特に何事もなく移動を続けた。
昼ごろ、川沿いに丁度いい広場を見つけたので、休憩することに
した。
﹁水魔術で水まで出せるなんてホント便利だな。それがあれば、旅
なんかでも水の心配しなくていいんだもんな﹂
﹁そうですね。魔導具でも同じ効果のものはありますが、なかなか
高額ですしね﹂
171
火にかけたクッカーの水がグラグラと湯気を出し始める。
﹁できたよ。熱いから気をつけて﹂
俺はカップに入った黒い液体をリザに手渡した。
﹁はい、いただきます﹂
﹁どう?﹂
﹁ん∼、苦いです∼﹂
﹁慣れないと飲みづらいかもね。砂糖や蜂蜜、ミルクを混ぜて飲む
と飲みやすいんだけど﹂
慣れない飲み物に、両手でカップを持ち、ちびちびと飲むリザ。
疲れを取りリフレッシュする飲み物と聞いて、チャレンジしてい
るのだが、どうやら苦手のようだ。
﹁今度蜂蜜入れて飲んでみたいです﹂
﹁実はもう残りが少なくてね、この世界にもコーヒーがあればいい
んだけど﹂
﹁う∼ん、私は見たことないですね﹂
俺は知ってる限りのコーヒーの説明をした。
もし似たようなものがあれば、手に入れてもらおうと思ったのだ。
﹁それだと獣人国にあるかも知れないですね﹂
172
獣人国というのは、砂と荒野で出来た南の大陸にある国である。
便宜上、人族の間では国と呼称しているが、幾つもの獣人部族が
それぞれの縄張りを主張し合い、小競り合いを続けているような場
所らしい。
﹁そうか、いつか行ってみたいな﹂
﹁南の大陸の魔物は大変強いらしいですし、そこに住む獣人たちも
友好的かどうかは、その部族によっても違うでしょうから、かなり
危険かもしれません﹂
﹁そうだな。まずは自分を鍛えて⋮⋮まぁだいぶ先の話だな﹂
休憩を終えた俺達は、一路ガロを目指した。
なんどか魔物を目にすることはあっても、戦闘になるようなこと
はなく、移動はスムーズに行った。
慣れない山の中の移動ではあったが、脚力強化が効いているのだ
ろう、それほど苦痛というほどの疲れはなかった。
﹁村が見えました﹂
﹁おぉ﹂
何度か川を合流し、やっと辿り着いた。
森の中に突如現れた広く開かれた空間。
アルドラさんの村で見たような木の城壁が街をぐるりと囲んでい
173
る。
村というような規模ではない、予想よりもかなり大きな街だった。
街の入口である門前の広場に近づくと、門の近くに小屋が見える。
小屋の前には人が並んでおり、何か揉めているように見えた。
﹁だから嘘じゃないって言ってるだろ!﹂
﹁おいおい馬鹿なことを言うな。こんな森の外れにサイクロプスが
出るわけ無いだろ?はぁ、まったく手間を掛けさせるなよ。俺達は
お前の嘘に付き合ってられるほど暇じゃないんだ﹂
﹁そんなこと言って、後でどうなっても知らないからな!﹂
大きな声で言い争っているため、こちらの方にまで声が丸聞こえ
である。
﹁サイクロプスってアレのことだよな?﹂
俺はリザに同意を求めた。
﹁おそらく、そうでしょう﹂
リザも同じ意見のようだ。
﹁あのー、すいません﹂
>>>>>
174
﹁さっきは助かったよ、ありがとな兄さん!﹂
バシバシと俺の肩を叩いてくる彼は、先ほど門番と言い争ってい
た少年だ。
どうもこのあたりで普段見ることはない、サイクロプスを目撃し
て、その報告をした所、信じてもらえず言い争いになってしまった
らしい。
第三者の俺の証言も加わり、やっと信じて貰えたのか、確認のた
め人を派遣する手筈となった。
ロムルス 狩人Lv32
獣狼族 15歳 男性
特性 夜目 食い溜め
投擲
闘気
体術
追跡
探知
F級
C級
D級 C級
F級
E級 スキルポイント 1/32
隠密
獣狼族か。
頭の上に三角耳とフサフサの尻尾を持つ、獣耳少年だ。
やや切れ長の瞳をした生意気そうな顔付きに、小柄だが引き締ま
った体躯。
レベルやスキルを見ても、相当な実力者だとわかる。
15歳でこれだと、獣人ってどれだけ強いんだよって話である。
175
ちなみに門番の通行検査はあっさりしたもので、金を払って終わ
った。
一応身分証の提示を求められたものの、持ってないと言うと、通
行料を多く払うだけで問題なく通してもらえたのだ。
俺はこの世界の通貨を持っていなかったので、リザに立て替えて
貰ったのは言うまでもない。
﹁獣狼族は珍しいかい?﹂
﹁あぁ、初めて見た﹂
少年はにやりと不敵に笑い、
﹁兄さん達、今着いたばかりだろう?俺がおすすめの宿紹介してや
るよ﹂
先ほどの口添えの礼だという。
俺はリザに目配せすると、いままでおとなしかったリザが口を開
く。
﹁いえ、予定してある宿がありますので、せっかくですが﹂
﹁そっかー、じゃあ飯でも一緒にどうだい?もちろん俺のおごりだ
よ﹂
﹁俺はいいけど、リザはどう?﹂
﹁⋮⋮わかりました、ご一緒します﹂
176
﹁そうだ。まだ名乗ってなかったね、俺は獣狼族のロムルスだ﹂
﹁俺はジン。彼女はエリザベスだ﹂
俺達は少年と別れ、リザの勧める宿を目指す。
﹁⋮⋮あの、よろしかったでしょうか?﹂
﹁ん?なにが?﹂
﹁いえ、私が勝手に宿を決めてしまって﹂
﹁もちろんいいに決まってるよ。俺にはここの土地鑑なんてないん
だし、助かるよ﹂
﹁そうでしたか。わかりました﹂
﹁それに、そんなに畏まって話さなくていいからさ。歳も近いんだ
し、別に主従関係ってわけでもないんだしさ﹂
まぁ俺の向こうでの年齢はずっと上なんだけど、こっちでもステ
ータスは17歳って表記されてるし、17でいいだろう。
もしかしたら精神年齢って意味なのかもしれないが。
﹁はい﹂
リザはそういって優しく微笑んだ。
177
178
第19話 森外れの街
案内された宿は、お世辞にも綺麗な宿とは言えなかった。
リザが勧めるのだから、女の子が喜びそうなオシャレな外観とか
を想像していたのだが、その宿は今にも潰れそうな年季の入ったボ
ロ屋であった。
街の繁華街からも少し離れていて、場所的にも人気の無さそうな
宿である。
﹁ジン様ここです﹂
﹁⋮⋮趣きのある宿だね﹂
リザはそんな宿にためらいもなく入っていく。
﹁いらっしゃい。⋮⋮ってあれ?リザ?﹂
リザは受付カウンターの前まで歩みを進めると、フードとストー
ルを外した。
﹁アリアさん部屋空いてる?﹂
﹁いま1部屋だけ空いてるわよ。ってちょっと、そんなことより、
どうだったの?﹂
﹁ごめん、その話は後で﹂
そういうと、受付の女性は俺の存在に気がついた。
179
﹁え?リザ?﹂
﹁1泊、2人ね﹂
﹁あ、そうね。ごめんなさい。1部屋しか空いてないけどいいの?﹂
﹁ええ﹂
﹁そう、わかった。部屋は206号室よ、鍵はコレね﹂
リザは鍵を受け取り、部屋へと向かう。
荷物は自分で運ぶようだ。
俺は、ただ黙ってそれに追従した。
鍵を開けて中に入ると8帖くらいの部屋にダブルベッドが1つ。
他にクローゼット、チェスト、テーブルにイスが2つ。 ボロいビジネスホテルみたいな感じだ。
﹁貴重品は受付に預けたほうがいいと思います。この宿はこの街で
も安全なほうですが、預けたほうが間違いがないでしょう﹂
﹁わかった。えっとこの部屋ベッドは1つなんだな﹂
﹁はい?そうですね。この部屋しか、空いてなかったそうですので﹂
﹁そうか﹂
180
﹁すいません﹂
﹁いや、謝らなくていい。⋮⋮むしろ、いい﹂
﹁え?何か言いました?﹂
﹁いや、なんでもない﹂
この街では時刻を知らせるために、街の中央にある時計塔から時
間になると、それに合わせた鐘がなる。
待ち合わせは、夜6時を知らせる鐘が鳴る頃に、ということだっ
たので、まだ少し時間がある。
﹁ジン様、少し時間を頂いてもよろしいでしょうか?時間までには、
もどりますので﹂
﹁さっきの人?エルフ族みたいだったけど﹂
﹁はい。ずいぶん昔に村を出たそうですが、大叔父様の村の方です﹂
﹁そっか、わかった行っといで﹂
﹁はい﹂
リザは頭を下げ、部屋を出て行った。
>>>>>
181
しばらくして部屋に戻ってきたリザと一緒に部屋を出た。
荷物は受付に預けてある。
﹁宿代まで立て替えてもらって悪いな﹂
﹁いいえ、あの宿は他の一般的な宿より安いのです。なので大した
値段にはなりません﹂
﹁魔石や魔物の素材が売れるというのを聞いたんだが、この街でも
売れるのか?﹂
﹁そうですね、売れるとは思いますが、ベイルの冒険者ギルドで売
ったほうがいいかもしれません。需要の規模が違うでしょうから﹂
﹁魔石はリザのぶんも含まれてるけど、売却してから渡したほうが
いいか?そのままのほうがいいか?﹂
﹁え?私のぶんですか?﹂
﹁あの夜、活躍しただろう。俺も命救われてるしな﹂
﹁私もジン様に助けていただきましたし、それはジン様の懐に収め
て頂いてよろしいかと﹂
﹁うーん、それだと取り過ぎじゃないかな﹂
﹁では売却してから考えましょう﹂
182
﹁それって、後回しにして結局受け取らないパターン?﹂
リザは愛らしい笑顔を見せる。
なんか誤魔化された気分だ。
街のある一角にくると屋台がズラリと並ぶ通りに入った。
通りは人でごった返し、活気に満ちている。
ざっと見ただけでも様々な人種がいるようだ。
人族
獣狼族
獣猫族
獣鼠族
獣狐族
獣熊族
エルフ
ハーフエルフ
ドワーフ
人族が一番多いようで、次いで獣人族が多いようだ。
183
職業も様々で、戦士、狩人、冒険者、商人、農民、樵、衛兵など、
ざっと見ただけでもかなりの種類があるようだ。
﹁獣人族ってのは、獣耳と尻尾を持つ種族の総称なんだよね?﹂
﹁そうですね。人族が着けた呼称のようです﹂
屋台を覗きつつ、待ち合わせの場所を目指す。
屋台では様々な物が売られていて、おもしろい。
もっとゆっくり見て回りたいものだ。
食事を提供する屋台が大半だが、様々な道具を扱っていたり、魔
物の素材と思われるものを売っていたりと、その商品にはかなり幅
があるようだ。
﹁おーい、こっちだ!﹂
人混みの中、大きく手を振る獣狼族の少年を発見した。
﹁すごい人だな、いつもこんな感じか?﹂
﹁まぁだいたいそうだな。週末だから余計だろうけど﹂
そういえばこっちの世界の暦って知らないな。
﹁とりあえず入ろうぜ。こっちだ﹂
俺達はロムルスに促され、屋台を抜け、狭い路地に入ると一軒の
酒場に入った。
184
お世辞にも綺麗な店とは言えない、古めかしい店だ。
何十年と続けている歴史を感じさせるボロさだった。
﹁おーい、おっちゃんきたぞー!今日は3人だ﹂
店の中には、呑んだくれた爺さん達が数人いるだけで、寂れた様
子だった。
とても繁盛しているようには見えない。
﹁うるせえなクソガキ!怒鳴らなくても聞こえてんだよ!﹂
店の奥はカウンター席になっていて、その奥は厨房になっている
ようだ。
奥の厨房から、年配の男が濁声で怒鳴りつける。
ロンジ 調理師Lv42
ドワーフ 83歳 男性
ドワーフか。
肩幅のある厳つい体格。
豊かな髭に禿頭。
眼光鋭い視線。
俺のドワーフのイメージによく似たおっさんだった。
やはり人族よりも長寿なのだろう、83にしてはずいぶん若々し
い。
見た目での歳はわかりにくいが、人間に当てはめれば50過ぎぐ
らいに思える。
カウンターの奥を覗きこむと、やはり身長は低いのだろう。
床の高さを上げているようであった。
185
﹁お客さん、厨房に顔突っ込むと怪我するぜ﹂
ロンジの手に持つ大きな包丁がギラリと光ったような気がした。
﹁⋮⋮すいません﹂
店では酒を注文し、あとは適当に店主が料理を出してくれるとい
うスタイルらしい。
おまかせってやつだ。
俺もそうだが、文字の読めない者も多いため、そのほうが都合が
いいらしい。
文字が読めるという人は、商人や聖職者、貴族や一部の金持ちく
らいだという。
とりあえず酒を注文しろということなので、俺はエールを、ロム
ルスはワイン、リザはシードルを注文した。
﹁じゃあ、今日の出会いに乾杯ッ!﹂
俺は久しぶりの酒だ。
体に染み渡る気分で最高にうまい。
エールというのは、初めて飲んだ。
日本で慣れ親しんだビールや発泡酒とは、随分違うが、かなりう
まい。
まろやかな甘味に深いコク。
なかなかクセになる、うまさだ。
186
リザは酒に弱いのか、両手でマグを持ってコクコクと飲んでいる。
﹁それにしても、おごりだなんて、すこしやり過ぎじゃないか?何
もしてないのに﹂
﹁いや、あいつら俺が若い獣人だから、舐めてたんだよ。俺1人じ
ゃ金一封貰えなかったし、これくらいは当然さ﹂
ロムルスは懐から封筒のようなものを取り出し、目の前でヒラヒ
ラさせる。
﹁金一封?﹂
﹁あれ?知らない?たとえば普段街の近くに居ないような、ヤバイ
魔物を発見したら、それをギルドや役所に報告するんだ。情報が真
実だと確認されたら、情報料として金一封もらえるって寸法さ﹂
﹁なるほど、そういうことか﹂
しっかりしてるなぁ。
﹁それに、この店はすごく安く飲み食いできるんだけど、味はピカ
イチでさ、この街にきたら俺は必ずくる所なんだよ。まぁ質のいい
肉を仕入れてるからなんだろうけどね﹂
そこへロンジが料理をもって現れた。
﹁へぇ迷子のロムルスが、一端の口利くようになったじゃねぇか﹂
﹁ちょ、ちょっとおっちゃん!﹂
187
ロムルスは慌てふためいている。
﹁迷子のロムルス?﹂
﹁あぁ、獣狼族のくせに方向音痴で、よく集団狩りで迷子になって、
森に置いて行かれて泣いてたんだよな∼﹂
﹁いつの話だよ!俺がガキの頃の話じゃねぇか!﹂
﹁いまでもガキだろうが!﹂
ロムルスは押し黙ってしまった。
どうやらおっちゃんには勝てないようだ。
レベルも高いし、普通に強そうだしな。
まぁこの中で一番弱いの俺だけど⋮⋮
188
第20話 冒険者の街を目指して1
芋虫の素揚げ、山蛙のバターソテー、毒草のサラダ、川猿のステ
ーキ。
初めての異世界料理はゲテモノ料理だった。
美味かったので、文句はないが⋮⋮
﹁そうか、ジンさんは冒険者登録の為にベイルを目指してるんだね﹂
﹁あぁ、しばらくはベイルで活動かな。いろんな国を見てみたいっ
て夢もあるんだけど﹂
﹁ふ∼ん、まぁ冒険者でも上のランクになれば、外国行くのも楽に
なるって言うのは聞いたことあるから、旅目的にはいいかもしれな
いね﹂
他愛もない話に、盛り上がり、酒を酌み交わし、異世界の夜は更
けていった。
初めての街、酒場、異世界の人々。
旨い酒に、旨い飯。
俺は異世界の夜を心ゆくまで堪能し、店を後にした。
>>>>>
189
﹁⋮⋮飲み過ぎた﹂
初めての異世界の酒である。
ちょっと羽目を外すのも無理からぬ事。
どうやら少々飲み過ぎてしまったようだ。
まぁ元々酒は好きな方である。
1人だと、酔いつぶれるほど飲むことはないが、人と飲むのは好
きなのだ。
どうやって帰ってきたのか、まったく覚えていない。
おそらくリザが連れて帰って来てくれたのだろう。
彼女はそれほど飲んでいなかったようにも思える。
おぼろげな記憶を探っていると、自分がパンツ1枚でベッドに寝
ていることに気がついた。
毛布をそっとめくってみると、俺の腰辺りに抱きつくようにして
リザがスヤスヤと眠っている。
﹁⋮⋮あれー?﹂
昨夜何があったのかまったく記憶に無い。
何かあったんだろうか?
そっと見てみると、リザは外に出る服装ではなく、寝間着なのだ
ろう薄着のワンピースのようなものだった。
﹁⋮⋮﹂
俺はそっと毛布を戻した。
190
﹁おはようございます、ジン様﹂
﹁あぁ、おはよう﹂
しばらくして、リザが目覚めたので俺も合わせて起き上がる。
昨日何かあったのか聞いてみたい気もするが、直接聞くのも憚ら
れる。
リザの態度を見ても、特に変わった様子もないので、別におかし
なことは無かったのだろう。
俺がじっと彼女の様子を伺っていると、リザは仄かに顔を赤らめ、
俯いてしまった。
﹁⋮⋮何かありましたか?﹂
﹁そういや乗せてくれる荷馬車が見つかったんだってな﹂
﹁はい。この宿に泊まっている方で、途中までですが無償で荷車に
乗せてくれるそうです﹂
そう答える彼女の表情は、いつもと変わらないものに戻っていた。
﹁そうか。いい人がいて助かったな﹂
﹁そうですね。いい人かどうかは、わかりませんが﹂
この世界には魔物が出没する。
魔物の多くは森で生まれ、街道沿いまでは近寄らないことが多い
が絶対ではない。
191
街道を行く旅人や行商人も、襲われる場合がある。
そのため冒険者ギルドで護衛を雇ったりするわけだが、予算の都
合上、護衛を雇えない者もいる。
そういった者同士で、街から街への道中を一緒に移動する場合が
ある。
それは魔物に襲われるリスクを少しでも減らすという考えからだ。
集団であれば、それだけで弱い魔物なら襲ってこないだろうし、
強い魔物が襲ってきた場合、誰かの犠牲で他の者が助かる場合もあ
る。
1人で行動すれば襲われた場合、犠牲になるのは必然的に己自身
ということになるからである。
俺達は服を着替え、荷物をまとめて1階に下りた。
﹁おはよう。昨日はよく眠れたかい?﹂
﹁おはようございます。えぇ、久しぶりのベッドでよく寝れました﹂
リザは受付に鍵を返すとにこやかに答えた。
アリアさんは俺に向き直り、俺の手をガシッと両手で強く握ると、
﹁だんな、この子のことよろしく頼むよ﹂
アリアさんは笑顔であったが、その眼差しは真剣なものであった。
どういう意味だろうか⋮⋮
まぁ知り合いの女の子が、よく知らない男と旅をしてたら心配す
るか。
﹁はい。わかりました﹂
192
俺はアリアさんの気持ちを真摯に受け止めた。
1階には食堂が併設されており、料金を払えば朝食が食べられる。
朝の待ち合わせには、まだ時間があるので食事を済ませることに
した。
厚切りのベーコンにスクランブルエッグ。
ライ麦のパン、野菜のスープ。
ちなみにメニュー名は店員に聞いたわけではなく、魔眼の判定結
果だ。
ライ麦パン 食品 E級
この様に表示される。
とても便利である。
どれも味は普通に美味かった。
特に異世界感はしない普通の朝食だった。
それにしても、やはり少し変だ。
表情は普通だが、今日のリザはどうも機嫌がいい。
なんとなく口元が緩んでいる気がする⋮⋮
193
﹁おはようございます。ジン・カシマです。今日はよろしくお願い
します﹂
﹁⋮⋮ジートだ﹂
ジート 商人Lv28
エルフ 86歳 男性
俺達が宿の玄関で待っていると、約束の時間の鐘が鳴ると同時に
その男は現れた。
190以上はあるスラリとした体躯のエルフだ。
切れ長の瞳に銀髪のオールバック、口を真一文字に結んでいる。
見た目年齢は20代後半くらい。
リザはアリアさんに道中乗せてくれる人はいないか探してもらっ
た所、返事をくれたのが彼だったという。
無口な人だというが、悪い人ではないらしい。
二頭引きの荷車に、木箱が山のように積まれている。
ランドホース 魔獣Lv8
荷車を引いている馬は魔獣だった。
見た目は普通に馬だ。
足が太く、全体的にずんぐりとした印象である。
俺が近づいても、暴れることもなく、おとなしくよく躾られてい
るようだった。
﹁空いているところに適当に乗れ、荷には座るなよ﹂
194
ジートはそうぶっきらぼうに言い放つと、やがて荷馬車は宿を出
立した。
街から出て、しばらくは森の中の小径という様子であったが、や
がて木々が疎らになり、更に進むと森が途切れ、広い平原に出た。
俺は初めて森から出たのである。
﹁おぉ⋮⋮すげぇ﹂
どこまでも続く大地。
青く遠く、広い空。
なだらかな丘陵地帯が、果てしなく広がっている。
街道は石を敷かれているわけでもなく、ただ土を踏みしめただけ
の道であった。
多くの旅人が、行商人が、幾つもの馬車が通ってきたのだろう。
見渡せば街道だけが草が生えず、固く踏みしめられたようになっ
ている。
時折遠くに魔物の姿を見るが、こちらに近づいてくることは無か
った。
俺が隠蔽を使っているせいもあるだろうが。
魔物が近づいてくれば、すぐわかるように警戒はしておく。
探知にポイントを振り、探りを入れているので、何かあれば感じ
るだろう。
ちなみに荷車を引く馬にも筋力強化、脚力強化を。
荷車には、弱めに浮遊が掛けられており、負担を軽減してある。
195
もちろんジートには許可を得てから行った。
俺は何度目かの馬の休憩中に、大きな魔力の動きを感じた。
数は1体。こちらに向かって高速で移動中だ。
﹁なにか来ます﹂
﹁魔物か?﹂
﹁おそらく。でも俺たちを見つけて移動してる感じじゃないですね﹂
すると、向かって右手の丘の上に大きな獣が現れた。
獣は一瞬動きを止めたが、すぐに走り出し、あっという間に姿を
消した。
﹁反応が無くなりました。もう近くには居ないようです﹂
かなりの速度で移動しているようである。
遠目であるが大型の狼のような姿であった。
﹁ああいうのは、この辺りよく出るんですか?﹂
だとすると、この辺りはかなり危険な地域なのではないだろうか。
﹁いや、私もこの街道はよく利用するが、あんな大型の魔獣は森の
外では初めて見たな﹂
話によれば、森の外で強力な魔物が出現することは滅多にないそ
うだ。
もし現れても、被害が出れば冒険者ギルドに討伐依頼が出される
196
ことになる。
しかしそのような大きな惨事は、最近聞いていないとジートは教
えてくれた。
商人であれば耳が早いだろうし、ここで嘘をつく意味もないだろ
う、それなりに信用できそうな情報だと思う。
街道はけっして平坦では無かったが、強化魔術のおかげだろう、
それなりに速度は出ていたものの、道中では横転などの危険を感じ
る場面もなく順調に先へ進むことができた。
休憩と移動を繰り返し、一行は目的地の村へ辿り着いた。
通常であれば、これほど移動速度は出なかっただろうし、魔物が
出れば状況によっては立ち往生、もしくは迂回するところを、馬の
休憩をいれつつとは言え、そうとうな距離を稼ぐことができた。
2日かかる所を、1日で移動してきたらしい。
俺達も特に何かするわけでもなく、体を休めたので、ずいぶんと
助かった。
﹁お前らを乗せてやれるのは、ここまでだ﹂
ジートとは、ここでお別れだ。
彼はここで荷の一部を降ろし、ベイルへ行く街道とは別の道を行
くようだ。
ベイルまでは近いし、荷があっても歩いて行けるだろう。
俺達はジートへ礼を言うと、村の代表と交渉して、納屋の一角を
寝床として借りることにした。 197
第21話 冒険者の街を目指して2
交渉は滞り無くうまくいった。
対価として乾燥黒華豆を渡すと、大いに喜ばれ納屋に新しい寝藁
を敷いてくれた。
厚く敷かれた藁の上に寝袋を開いて敷き、掛け布団にと荷物から
毛布を出した。
俺の持っている寝袋は封筒型なので、開いて使うことができるの
だ。
その日は干し肉などを齧って晩飯とし、早々に就寝した。
朝起きると俺の胸でスヤスヤと眠るリザを発見する。
数日風呂に入ってないので、汗臭いんじゃないかと心配になった
が、寝顔をそっとみれば穏やかな顔であったので、そのあたりは考
えないことにした。
それにしても、可愛い寝顔である。
あまりじっと顔を覗き込むことなんてなかったが、こうして見て
みると本当に美人だな。
思わず俺は、彼女の美しい翡翠の髪に手を触れる。
すごいサラサラだ。
彼女も風呂には入っていないはず、と思ったが俺が知らないだけ
で、どこかで済ませていたかもしれないな。
昨日も俺は途中で記憶を失っているが、リザはそれほど飲んでい
なかったようだし。
とても触り心地がよいので、なんとなく頭を撫でていると、リザ
と目があった。
198
そりゃ寝てるところに、頭撫でてたら起きるよな⋮⋮
﹁お、おはよう﹂
﹁⋮⋮おはようございます﹂
若干声が上ずってしまう俺。
別にやましい気持ちでは無かったのだが、なんとなく悪いことし
てしまった感がある。
﹁⋮⋮ジン様は女の髪がお好きなのですか?﹂
リザは表情も無くそういうと、俺はまるで尋問を受けているよう
な気持ちになった。
﹁いや、リザの髪があまりに美しかったもので、ついな。すまん﹂
するとリザは穏やかな優しい声で、
﹁私ジン様に触れられるの、好きですよ﹂
いたずらっぽく小さく笑った。
>>>>> 村にあった井戸を借りて身支度を整えた俺達は、村を出る前に村
199
長宅へ挨拶に行くと、朝の食事にとパンと果物を貰った。
対価にと渡した黒華豆は、希少で市場に出れば高く取引されるも
のらしいので、それで機嫌がよいのだろう。
まぁ豆を渡す時、リザが少し残念そうな顔をしてたが、致し方あ
るまい。
渡していいもので、それなりに価値のありそうな物をと思ってそ
れにしたのだ。
それほど量は残っていなかったが、喜んでいたようだし、まぁい
いだろう。
俺達は互いに脚力強化、腕力強化、隠蔽を付与して街道を進んだ。
このまま進んでいけば、夜までにはベイルに着きそうだという。
日が落ちると城壁の門は閉じてしまうそうだが、城壁の近くまで
いけば魔物に出会う危険も少なく、見回りをしている衛兵もいるこ
とから、比較的安全に野営できるそうなのだ。
﹁ジン様、ベイルについて冒険者になった後は、しばらくベイルで
冒険者稼業をなされる予定なんですか?﹂
﹁そうだな。まぁ予定ってほど、先のことは考えてないけど。たぶ
ん元の世界には帰れないだろうし、ベイルで安宿でも借りて、街の
生活に慣れようかなとは思ってる﹂
﹁そうなんですね⋮⋮故郷には帰らないんですね⋮⋮﹂
うんうんと、1人何かなっとくしているリザ。
どことなく嬉しそうな表情をしている。
200
﹁まぁ、帰っても恋人が居るわけでもないし、両親はとうにの昔に
亡くしてるから、絶対に帰りたいとも思ってないしね﹂
﹁でしたら、ベイルに着いたら私が家族と住んでる家に来てもらえ
ませんか?空き部屋はまだありますし、狭い家ですがジン様が来て
いただければ、みんな喜ぶと思います﹂
リザは期待を込めた表情で、そう提案した。
﹁いや、俺が行ったら迷惑じゃないかな?1日、2日ならまだしも、
知らない人が家に来たら、家族の人も嫌がると思うんだけど﹂
﹁いいえ、そんなことありません!私は母と妹と3人暮らしなので
すが、やはり男手がないと困ることもありますし、女だけの家です
と心配なこともありますし⋮⋮あ、いえ、私達の都合で来てもらう
のは失礼かもしれませんが、私もジン様に来てもらったら、嬉しい
というか⋮⋮えっと⋮⋮﹂
なんか最後のほうの言葉が、どんどん小さくなっていって、あん
まり聞こえなかったんだけど、社交辞令で誘ってくれてるわけでも
ないのかな。
まぁ迷惑そうだったら、ちょっと挨拶して、適当な理由つけて出
ればいいか。
﹁リザがいいなら、お言葉に甘えるかな﹂
﹁はい!甘えてください!﹂
リザはすごいいい笑顔で、そう答えた。
201
俺達はベイルを目指して、街道を進んだ。
空は青く、いい天気だ。
風は少し涼しいが、寒いという程でもない。
俺はリザと他愛もない話をしながら、ゆっくり歩く。
特に急ぐ用事もない。
目的地までそう遠くもないし、焦る必要もないだろう。
そろそろ昼の休憩にしようかと思っていると、街道から少し離れ
た林の中で、人の叫ぶ声が聞こえた。
魔力探知には複数の気配。
﹁誰か戦ってるみたいだ。一応確認しようか﹂
﹁はいっ﹂
レウード 剣士Lv18
ザック 薬師Lv17
ミラル 狩人Lv17
レニー 魔術師Lv16
街道から外れ、林の中へ入って行くと、低い崖を下った先に男女
202
4人組が戦っている。
複数の魔物に囲まれ、戦局は防戦一方のようだった。
ワイルドドック 魔獣Lv6
魔物は痩せた犬を思わせるワイルドドック。
俺も森で戦った経験がある、決して強いとは言えない魔物だ。
十数匹に囲まれているとはいえ、魔術師もいるし、このレベル差
で負けることはないだろう。
と思っていると、魔術師の少女は手から杖を落とし、膝を突いて
地面に崩れ落ちた。
﹁レニー!?大丈夫か?﹂
﹁ごめん、もう魔力が⋮⋮私を置いて、みんなは逃げてッ﹂
少女の悲痛な叫びが、あたりに響いた。
﹁ばかやろう!仲間を見捨てられるかよッ!﹂
男は吐き捨てるように、言い放つ。
﹁ザックの言うとおりよ!私達は生きるも死ぬも一緒だって、この
PTを結成したときに決めたじゃない!﹂
﹁おいおい、諦めるのが早すぎるぜ!この俺がついてるんだ、仲間
は誰も死なせねぇよッ!﹂
剣士の鋭い斬撃が、正面の魔獣を両断する。
203
﹁レウード!危ない後ろッ!﹂
﹁ちいッ!﹂
背後からの魔獣の攻撃に、負傷する剣士。
あまり状況はよく無さそうだ。
手を貸すか。
﹁リザ助けに行こう﹂
﹁⋮⋮はい﹂
少し離れて様子を伺っていた俺は、彼らの前に現れ叫んだ。
﹁助けはいるか!?手を貸すぞ!﹂
4人組の視線が一瞬集まる。
﹁頼む!助けてくれ!﹂
剣士の男が叫んだ。 C級
﹁わかった!﹂
雷魔術
荷物を投げ捨て、ポイントを変更し俺は、魔獣目掛けて、走りだ
す。
204
4人組のもとへ素早く駆けつけると、両手のひらからそれぞれ、
紫電を放ち、魔獣を蹴散らしていった。
俺には敵わないと知った魔獣は、ターゲットを魔術師の少女に集
中させるが、崖の上からリザは風球を放って魔獣の攻撃を妨害した。
﹁ありがとう、助かった﹂
背の高い短い金髪の剣士と、握手を交わす。
﹁いや、大したことはしてないよ﹂
﹁そんなことはない。君たちが来てくれなかったら、仲間が大怪我
していたところだった﹂
﹁本当にありがとう。もう駄目かと思いました﹂
魔術師の少女は、よろよろと立ち上がり、仲間に支えられながら
頭を下げた。 ぐううぅ∼
﹁ちょっとザック!?﹂
﹁わりぃ、安心したら腹減っちまって⋮⋮なぁ、よかったらあんた
らも一緒にどうだ?お礼といっちゃあ何だが、俺は一応調理スキル
持ちなんだ。それなりのもん食わせれると思うぜ﹂
そうだな、まだ昼もまだだしな⋮⋮
205
異世界の人々との交流もしてみたいし。
﹁じゃあ、いただこうかな﹂
ザック達は戦闘があった林から出て、街道にほど近い場所で、火
を起こし、調理を始めた。
調理担当はザックのみらしく、彼は1人で手際よく、調理を進め
ていく。
俺達はそれを葡萄酒を飲みながら待つことにした。
﹁みんなは冒険者なのか?﹂
﹁そうだ。それぞれ田舎の村から出てきてベイルで知り合ったんだ。
1人で冒険者稼業を続けるには、いづれ限界がくるからな﹂
﹁どんな人だって得手不得手があるからね。お互いに足りない部分
を補い合うのが仲間さ﹂
﹁えぇ、ですがただ補い合うだけがPTではありません。ときに何
倍もの力を発揮する。それがPTでの連携です﹂
﹁あぁ、連携ができるPTは強いぞ。強いPTは稼げる。まぁ簡単
じゃないがな﹂
しばらくすると、料理が出来上がった。
なんとも美味そうな匂いが立ち込める。
206
肉と芋を蒸し焼きにした野趣溢れる料理だった。
﹁こんなのは上品に食うもんじゃねぇ。手掴みで齧り付くんだ。こ
れは葡萄酒にあうぜ、さぁ飲んでくれ﹂
肉に齧り付き、葡萄酒で流し込む。
旨い。
シンプルな料理だが、微かにハーブが香り、肉の旨味を十分に引
き出している。
ハーブはキツすぎず、肉を食った満足感がすごい。
葡萄酒も旨い。
防腐剤や余計な添加物が入っていないせいだろうか。
葡萄を感じる、どっしりとした濃厚な味だ。 本当に旨いな。
この世界に来て一番のヒットかもしれん。
ロンジさんの料理も美味かったが、ちょっとゲテモノ系だったし
な。
これはストレートに旨い。
﹁気に入ってもらえてよかったぜ。じゃんじゃんやってくれ!﹂
207
第22話 冒険者の街を目指して3
ふあぁぁぁ⋮⋮
眠い⋮⋮
体が重い⋮⋮
あれ?
そういえば俺何してたんだっけ?
たしかキャンプで⋮⋮
俺はまどろみの中、必至に思考を巡らせた。
周囲を確認すると、疎らに生える木々が見える。
どうやら俺は林の中で寝ていたらしい。
ここどこだっけ?
すると少し離れた場所から声が聞こえた。
﹁おいおいマジかよ!すげーぞ、コレ見てみろよ!﹂
男の興奮を抑えきれない声が響く。
﹁え?何このすごい量の魔石!﹂
208
﹁これだけありゃ闇市で売り払えば、俺らで分けても5年は遊んで
暮らせるぞ﹂
﹁なんでギルドで売らないの?そのほうが手っ取り早いのに﹂
﹁ばか、そんなことしたら出処が疑われるだろうが。E級の俺達が、
それだけ稼ぐのにどんだけかかると思ってんだよ﹂
﹁闇市なら盗品だろうがなんだろうが売却できるからな﹂
﹁さすが、悪党!汚い!﹂
女はゲラゲラと下品に笑う。
﹁ふん、どうせコレだって盗品だろうぜ。魔術師の2人組がこんな
に稼げるわけねぇ。そんな凄腕の奴らなら、俺の耳に入らないワケ
無いしな﹂
﹁まぁ私の感覚でも、男のレベルは私達より低いみたいだし、女の
ほうもそう高くないから、盗品で間違いないでしょうね﹂
弓を持つ女は自信ありげに言った。
﹁でも魔力量は、相当ありそうよ。それこそ二人ともエルフ以上か
も﹂
﹁関係ねえよ。俺の調合した魔力消失薬は完璧だ。眠り草の汁も混
ぜてある俺の特別レシピだからな﹂
209
﹁さっさと行きましょうよ。起きてこられると面倒よ?﹂
﹁別に構いやしねえよ、万が一起きてきたら、ワイルドドックのエ
サになって貰うだけだ﹂
男の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
﹁ああ、それよりまず味見しねぇとな?﹂
そう言って男は足元に転がる人影を見つめる。
﹁まったくだ。奴隷じゃないハーフエルフなんて久々に見たぜ、し
かもこんな上玉だ。味見してからでも闇市で売り払えば相当な値が
着くぞ﹂
男は舌なめずりしながら、下卑た笑みを浮かべる。
ビリビリッ
﹁ヒュウ、いい体してやがる。あの兄ちゃんもうまいことやったな﹂
男たちはゲラゲラと下品に笑いあった。 ﹁ねぇさっさと済ませてよ?早くその子売り払っちゃって、私のオ
ーロラローブ買いに行きましょうよ﹂
魔術師の女はつまらなさそうに吐き捨てる。
﹁オーロラローブは治療師の装備だろうが?魔術師のお前が着てど
うする﹂
210
﹁馬鹿ね、デザインが可愛いのよ。それ以外無いでしょ﹂
魔術師の女は呆れたように言った。
﹁私も新しい弓が欲しいな∼﹂
弓を持った女が男にしなだれかかる。
﹁⋮⋮わかった、わかった。それより今夜は楽しませてくれよ?﹂
﹁ええ、装備を約束してくれるなら、素敵な夜になるでしょうね﹂
﹁まったく女ってやつは、現金なもんだな﹂
﹁あらザックあなたは混じらないの?﹂
魔術師の女は意外そうに言った。
﹁俺の秘薬も必要になるだろう?もちろん参加するさ﹂
﹁アレを使うとすごいからね⋮⋮本当にとんでもない薬師もいたも
のね﹂
﹁お前らが言うなよ﹂
俺は、林の中で仰向け転がりながら彼らの話を聞いていた。
211
状態:魔力消失
俺は自分の状態を魔眼で確認する。
なにか薬を盛られたようだ。
くそっリザが危ない。
俺の体内の魔力は半分くらい失われているようだ。
俺はウエストバックに入っていたキュアポーションを飲み干した。
状態:正常
どうやら、キュアポーションがうまく効いたようだ。
俺は立ち上がりリザの元へ急いだ。
パンッ パンッ パンッ
指先から紫電が放たれる。
﹁なに!?﹂
﹁きゃあっ?﹂
﹁うおっ?﹂
﹁うわっ!?﹂
212
細い光の帯が、4人の周囲を掠め走った。
下手にでかい攻撃でリザが巻き添え食うといけない。
ダメージを与えないほどの威力で牽制にと弱威力の雷撃を放った。
﹁⋮⋮起きてきやがったか。大人しく寝ていれば生きて帰れたもの
を﹂
剣士の男が苛立つように、鋭い視線を送ってくる。
﹁魔力を失った魔術師なんて、はぐれゴブリン並だぜ﹂
薬師の男が馬鹿にしたように、せせら笑う。
﹁あんた4人相手に生きて帰れると思ってるの?﹂
﹁⋮⋮相手するのもめんどくさい。はやく死んで﹂
各々に好き勝手口走る4人組。
まさかこんな奴らだったとは。
世の中いいやつばかりでは無いということか。
﹁⋮⋮はぁ、冒険者と思ったら盗賊の類か﹂
状態:魔力消失 睡眠
リザは眠らされているようだった。
着衣は乱れているが、大事には至っていないようだ。
どうやら最悪な事態までには、間に合ったようだった。
﹁おっと動くんじゃないよ!この子の顔に傷を付けられたくなかっ
213
たらね!﹂
﹁⋮⋮まだコイツから魔力を感じる。油断できない﹂
ズダンッッ!!
俺の指先から紫電が迸り、リザの側に立つ弓を持った女を襲った。
女はくの字に折れ曲がって後方に吹っ飛ばされた。
あぶねぇ。リザが近くに居たのに思わずイラついて雷撃を放って
しまった。
咄嗟に威力を抑えたが、死んでないよな?
﹁ミラル!?﹂
﹁ばかな!?俺の薬はエルフでさえ昏倒するレベルのものだぞ!?﹂
薬師の男が狼狽する。
﹁安心しろ、峰打ちだ。俺は殺人鬼じゃないんだ、人殺しなんかす
るわけないだろ﹂
剣士の男が6メートルほど吹っ飛ばされた女を見ると、ピクピク
痙攣していた。
体から白煙をあげ気絶しているようだが、四肢が欠損したわけで
も、もちろん死んでいるようにも見えない。
よかった⋮⋮威力抑えれて⋮⋮
﹁あの練成時間でこの威力。コイツありえない⋮⋮ただの見習い魔
214
術師じゃない﹂
魔術師の女が油断なく俺を睨みつける。
﹁ハッ!関係ねぇ﹂
抜身の剣を手に、剣士が俺ににじり寄る。
﹁封魔!﹂
魔術師の女が杖を構え、何かの魔術を放った。
光の帯が俺の体に絡みつく。
﹁なんだ?﹂
ダメージは無いし、危険な感じもしない。
﹁アイツの魔術は封じた。さっさと殺して﹂
俺は自身の状態を確認する。
状態:魔力封印
ほー。
どうやら魔力を封じて魔術を使えなくする魔術のようだ。
魔術にはこんなのもあるのか。
なかなか優秀な魔術師のようだな。
犯罪者だけど。
215
﹁俺がやる。ミラルの敵だ!﹂
薬師の男が腰の短剣を抜いて、俺に向かってきた。
魔眼で見ても短剣スキルは所持していない。
俺でもわかる素人の動きだ。
だが嫌な予感がするので、男の短剣を魔眼で見ると、
毒付与
﹁なるほど、毒の短剣か。薬師っていうか毒使いだな﹂
男の短剣が空を切る。
﹁馬鹿め、薬は使い方次第で毒にも薬にもなるんだ。これが薬師の
戦い方なんだよ!﹂
﹁それもそうか﹂
鋭い一撃が俺へと向かってきた。
C級
﹁もらったぜッ!﹂
体術
俺が隙を見せると、簡単に乗ってきてくれた。
わかりやすい突きの一撃。
スキル持ちなら危険かもしれないが、武器は危険でも素人の一撃
である。
216
俺は短剣の攻撃を容易く捌くと、男の顎に向かって拳を打ち抜い
た。
グラリと倒れる薬師の男。
完全に白目を向いている。
﹁やりやがったな⋮⋮﹂
リーダーと思われる剣士の男が、走り寄る。
手に握られたロングソードが鈍い輝きを放つ。
﹁ちッ、ただの魔術師じゃないみたいだな。こんなに動ける術者は
初めて見たぜ﹂
﹁レウード!はやく殺して!じゃないと私が犯されちゃう!﹂
C級
魔術師の女が物騒な事を口走るが、俺は無視した。
剣術
男の剣と俺の魔剣が交差する。
﹁なに?魔術師のガキのクセに俺の剣を受け止めただと!?﹂
男の表情は驚きを隠せないでいた。
﹁馬鹿!手加減しないでさっさと殺しちゃってよ!﹂
﹁うるせえ、黙ってろ!﹂
強く恫喝された女は、ぐっと押し黙る。
217
﹁このルタリアの剣聖レウード様の魔剣を受け止めるたぁ、魔術師
のもやし野郎のくせにやるじゃねぇか﹂
ロングソード 片手剣 E級
剣聖?魔剣?
﹁この国ではアンタ程度の剣士の事を、剣聖って言うのか?﹂
﹁⋮⋮なんだと?﹂
﹁魔剣っていうのは﹂
俺は余ったスキルポイントを闘気に振り込む。
﹁こういうのだろ?﹂
俺の体全体から湯気のように黄金のオーラが立ち上る。
それは俺の手にある青銅剣をも包み込むようにして輝きを放って
いた。
﹁ふん、珍しい剣を持っているようだが、魔術師が剣士の真似事と
は馬鹿にしている。死んで詫びろ!﹂
背の高い男から上段の斬撃が、俺に向かって打ち下ろされる。
俺はそれを真っ向から剣で受け止めた。
バギッッ
218
﹁なっ!?﹂
打ち合ったそれぞれの剣は、互いに砕け折れた。
まさか獲物を失うとは思ってもみなかった剣士は、思わず狼狽え
る。
俺は素早く腰に差してあった、骨の剣を抜き取ると、ガラ空きの
胴に一撃を叩き込んだ。
﹁うげぇッ!?﹂
骨の剣は刃がないので、致命傷にはならないだろう。
まぁ闘気で強化されているので、破壊力はそれなりにあるようだ
が。
闘気は身体能力を向上させるようなスキルのようだ。
﹁安心しろ。峰打ちだ﹂
剣士の男は吐瀉物をまき散らしながら、地面を転げまわる。
どうやら良い所に入ったようだ。
しつこいくらいに転げまわり、うえうえ鳴いている剣士に蔑んだ
目を向ける魔術師の女。
すでに戦意はないようなので、女に危害を加えるつもりはない。
別に人を痛めつける趣味は俺にはないのだ。
俺はリザを抱き起こすと、頬を軽く叩く。
﹁おい、リザ大丈夫か?起きろ。立てるか?﹂
219
俺の呼びかけに、僅かに反応を見せる。
着衣は乱れ、胸元とか、太腿とかがあらわになっているが、大事
な部分までは見えていなかった。
セーフ。
間に合ってよかった。
俺は近くの木々にリザの背を預け、キュアポーションを飲ませる。
状態は回復したようだが、魔力は失われたままなので、動けるよ
うになるまではしばらく時間がかかりそうだ。
エルフは魔力回復が早いそうなので、しばらくすれば動けるよう
になるだろう。
リザはハーフエルフなので、その力も弱いのかもしれないが、俺
よりも回復力は高いはずだ。
俺は魔力を全て失うという経験がないので、予想も含まれるが、
たぶん魔力を全て失っても死ぬことはない。
ただ脱力というか、力が入らずうまく体を動かせないような状態
にはなる。
アルドラさんの話では、魔力を大きく失うと、人によっては気絶
したり強制的な睡眠状態になるというのも聞いた。
﹁さてと⋮⋮﹂
俺は体を向き直し女に迫った。
﹁ひいぃぃ、いあやあぁ犯さないで!お願い!変態!死んでぇ﹂
こいつは慈悲を乞うているのか、馬鹿にしてるのかもうわからな
いな。
220
なにか変な薬がキマってるのかもしれない。
どうやら状態異常の魔力封印も回復したようだ。
それほど長い時間、効果の続かない術らしい。
﹁お前らのせいで魔力をだいぶ消費した。すこし回収させてもらう﹂
﹁いやあぁぁ!犯されるぅーーー﹂
まったく人聞きの悪いやつだな⋮⋮
C級
俺の話も聞いてないし。
闇魔術
俺は魔術師の女にアイアンクローを決める。
﹁痛い!?いたたたたたたた!?﹂
おっと力が少し入ってしまった。
魔力吸収
夜間の森に出没するスティールバットから得た魔術である。
奴らは他の生物に噛みつき、魔力を奪う能力を持っている。
1匹1匹は弱く小さな魔物だが、数えきれないほどの大群で襲っ
てくるため、それなりに厄介な相手だった。
この魔術はこうやって触れた相手の魔力を吸収する力がある。
どうも戦士タイプのやつには、ほとんど効かないのだが、魔術師
221
タイプのやつにはよく効く術のようだ。
ズズズズズズズ⋮⋮
﹁あがががががっがががががが!?﹂
しばらく魔力を吸い取ると、女は痙攣して倒れてしまった。
吸収できた魔力は僅かなものだった。
人族だとこんなものか。
女の呼吸や脈を見てみるも、たぶん問題無さそうなので放置する
ことにした。
俺は自分の荷物を集め、中身を確認する。
コイツらはどうしたらいいだろうか?
縛って連れて行くのも、めんどうだな。
正直このまま放置して先を急ぎたいが、犯罪者を野放しにするの
もマズイだろうか。
犯罪者を野放しにすることで、俺も罪に問われるとかになったら、
やるせない。
﹁リザ気分はどうだ?﹂
とりあえずリザに意見を聞こう。
リザの口がパクパクと動く。
ん?なんだろう?
俺は耳を彼女の口元に近づける。
222
﹁⋮⋮﹂
え?
なに? 223
第23話 冒険者の街を目指して4
俺は探知にポイントを振り直し周囲を警戒した。
﹁⋮⋮なに?﹂
俺の探知の範囲に反応する存在を確認する。
俺は素早くポイントを振り直し、隠蔽を付与する。
﹁うぐぐぐ⋮⋮やりやがったな⋮⋮畜生め⋮⋮ぶっ殺す、絶対にお
前はぶっ殺すッ!!﹂
悶絶していた剣士は回復したのか、幽鬼のようにゆらりと立ち上
がり絶叫した。
﹁おい、お前!死にたくなかったら静かにしてろ!ごちゃごちゃう
るさい!﹂
一瞬何を言われたのか理解出来なかった剣士の男は、呆気に取ら
れたような表情を見せるも、すぐに感情を取り戻し激昂した。
﹁ごるあぁあああ!?な⋮⋮ッ﹂
剣士の男が怒りの叫び声を最後まで上げることは出来なかった。
男の背後に突如現れた魔物が、男の上半身を食いちぎったのだ。
後に残されたのは、嘗て剣士だった男の下半身である。
一瞬の出来事だった。
224
その一瞬で上半身は消失し、ゴポリと鮮血が地面に溢れる。
辺りに血の匂いが充満した。
﹁!!﹂
﹁いやあああぁぁぁぁぁーーーッ!?﹂
俺は思わず声を上げそうになるのを必至に押し殺す。
俺は身を低く屈めて、気配を消すよう務めた。
グラットン 魔獣Lv18
それは牛よりもデカイ狼のような魔獣であった。
ただ頭と体の比率がおかしく、普通の狼に比べると頭が異様にで
かい。
まるでデフォルメされたように頭が巨大化している。
焦茶色のゴワゴワした毛皮に包まれた、巨大な獣だ。
﹁グルルアアァ⋮⋮﹂
魔獣は再び大きな口を開くと、剣士だった物の残りを平らげた。
バリバリバリッ⋮⋮ゴクンッ
ゆらゆらと頭を振り、威圧的に周囲を警戒する魔獣。
あまりの唐突さに理解が追いつかない。
だが俺にしてみれば、この世界はいつだってありえないことばか
りだった。
225
そうだ。
落ち着いて行動すれば大丈夫だ。
ともかくリザだけは、守らないと。
リザが教えてくれなかったら危なかった。
万全を期していれば分からないが、動けないリザと魔力を大きく
失っている俺ではリスクが高過ぎる。
﹁あああああああああッッ!?﹂
目の前に迫る巨大な魔獣に思わず悲鳴を上げる魔術師。
パニック状態なのは一目瞭然だった。
バクンッ
魔獣はエサを見つけたと言わんばかりに飛びつき、一飲にしてし
まった。
それは魔術師が断末魔の叫びを、上げる間もないほどに。
魔獣はスンスンと鼻を鳴らし、あたりを彷徨く。
時折立ち止まり、耳だけをヒクヒク動かし、まるで何かを探って
いるようだ。
どうやら警戒しているのではなく、エサを探しているようにも見
える。
もしかしてコイツ目が悪いのかもしれない。
弓の女の近くに行ってフゴフゴ匂いを嗅ぐが、まだ気絶している
226
ようで、起き上がる気配はない。
魔獣も興味を無くし、立ち去ろうと歩みだした。
﹁あああぁぁぁ!!ま、魔物ォーー!?﹂
薬師が最悪のタイミングで目を覚ました。
>>>>>
ガタゴトガタゴト
﹁⋮⋮ん﹂
﹁お、気がついたか?﹂
﹁⋮⋮あれ?ここは?﹂
ロバの様な、小さな馬が荷車を引いている。
御者には小さな老人が座っていた。
ダバ 魔獣Lv4
ロバじゃなくで駄馬だった。
荷台には藁束が山のように積まれている。
227
﹁ああ、街道を通りがかった所を乗せてもらったんだ﹂
俺は荷車の脇を歩く。
荷車には体調の悪いリザと手荷物を乗せてもらっている。
状態:虚脱
どうやらまだ回復には時間が掛るようだ。
リザは俺が歩いているのを見て、自分も歩こうと立ち上がろうと
する。
俺はそれに気づいて、静止させた。
﹁まだ回復してないだろ。ゆっくり休んどけ﹂
すでに一度キュアポーションを飲ませている。
それでも回復していないことを見ると、この虚脱状態はキュアポ
ーションでは回復しないのだろう。
﹁あ、でも⋮⋮﹂
﹁奥さんや、いまは旦那さんの言うことを素直に聞くべきじゃない
かの?あなたの体を気遣って言っておるのじゃからな﹂
﹁お、奥さん⋮⋮﹂
リザの頬が朱色に染まる。
﹁すいません。お言葉に甘えさせて頂きます﹂
228
﹁うむ、困ったときはお互い様じゃ﹂
老人はそういうと、にかッと笑った。
俺はリザに事の顛末を話した。
魔獣はひとしきりその場を蹂躙した後、姿を消した。 ﹁またジン様に助けられました⋮⋮﹂
﹁いや、俺が軽率だった。まさか一服もられるとは﹂
俺の迂闊さがリザを危険に晒してしまった。
何も無かったからよかったものの、これで考えうる最悪の事があ
ったならと想像すると⋮⋮
﹁いいえ、油断していたのは私も同じなので、ジン様自分を責めな
いでください﹂
﹁⋮⋮すまん﹂
﹁今回のこと冒険者ギルドに報告したほうが良さそうですね﹂
﹁犯罪を取り締まるのも、冒険者ギルドの仕事なのか?﹂
﹁いえ、ギルド員のトラブルを解決するのもギルドの仕事の1つな
229
のです。今回は魔獣の介入もありますし、報告したほうが無難でし
ょう﹂
魔物に対応するのは、全面的に冒険者ギルドの仕事らしい。
空がゆっくりと赤く染まっていく。
もうすぐ日が落ちるのだろう。
﹁⋮⋮そういえば、もう1人いた者は?﹂
リザが思い出したかのように呟いた。
俺は荷車の後方に目配せをする。
リザは藁の中に紛れて体育座りで縮こまる人を見つけた。 彼女はもはや逃げる気力もなく、身動き一つせず縮こまっている。
このまま街まで連れて行き衛兵に引き渡そうと思う。
﹁見えてきたぞ﹂
﹁おぉ⋮⋮﹂
ベイルか﹂
視界の遠くに映るのは、平原にそびえ立つ巨大な城壁だった。
﹁これが冒険者の街
ザッハカーク大森林に相対する様に作れらた、冒険者が作った冒
険者たちの街。
ルタリア王国に置いての冒険者の本拠地。
それがこの自由都市ベイルだ。
230
231
閑話 エリザベス・ハントフィールド︵前書き︶
※リザ視点
232
閑話 エリザベス・ハントフィールド
ザッハカーク大森林。
その存在自体が迷宮といえるほどに、広く深い森には、様々な妖
魔や魔獣が住み着く危険な地域。
しかしこの地には、希少な薬草や価値の高い素材となる魔獣など、
研究者たちからも注目を浴びている場所でもあります。
﹁おーい、リザちゃんー﹂
藪の中から背に大きな籠を背負った、獣人の女性が姿を現しまし
た。
細いひも状の植物を組み合わせ編まれた籠の中には、様々な植物
がびっしりと収まっています。
﹁どうですか?見つかりました?﹂
﹁うん、向こうの崖下にいっぱい生えてたよ。ほら見て﹂
獣人の女性は背負い籠をおろして、今しがた手に入れた収穫物を
意気揚々と見せます。
﹁⋮⋮リュカさん、これとこれは毒草ですよ。あと、これと、これ
も⋮⋮﹂
籠の中身を調べていくと、その量は3分の1ほどになってしまい
ました。
233
﹁あちゃぁ、せっかくいっぱい生えてると思ったのに⋮⋮﹂
﹁仕方ないですよ、この薬草は見分けが付き難いですからね。ほら
この葉っぱのこの部分が尖ってるのが毒草なんです﹂
私が葉を手にのせて説明しますが、彼女は難しい顔をしたまま固
まってしまいました。
﹁うーん、わかんないわ。みんな同じに見える⋮⋮﹂
﹁ま、まぁ私が後で選別するので間違っても大丈夫ですよ﹂
﹁さすが薬師、頼りになるぅ﹂
﹁頼りになるはリュカさんの方ですよ。薬草採取にS級冒険者の護
衛だなんて贅沢過ぎます﹂
燃えるような赤い髪にややツリ目がちの緋色の瞳。
緩いウェーブの掛かったセミロングの髪に頭頂部には三角の獣耳。
腰からは豊かな毛量の紅いふさふさとした尾が揺れています。
﹁リザちゃんとならPT組んでもいいんだけどなぁー﹂
﹁リュカさんには、リュカさんにしか出来ない仕事があるじゃない
ですか。そんな足手まといになるような事できませんよ﹂
リュカさんは背後から私を抱きしめる。
160センチほどの私から見ても、リュカさんは175センチほ
どもあって背は高い。
234
そもそも職業で言えば薬師の私では剣士の彼女には単純な力では
敵わないのですが。
モミモミモミモミ⋮⋮
﹁ちょッ!どこ触ってるんですか?リュカさん?﹂
﹁まぁ女同士なんだし、いいじゃない∼。あぁホント可愛いなぁリ
ザちゃん。私も娘が欲しかったわ∼﹂
﹁だ、駄目ですって!やめてください!あぁ、もうッ⋮⋮﹂
>>>>>
﹁そろそろいい時間だし、戻りましょうかー﹂
﹁⋮⋮はい﹂
2人の背負い籠には採取した薬草で満載となりました。
何故だが元気なリュカさんと、私は何故だがいつもより疲れまし
た。
﹁じゃあ熱さまし薬のほうお願いね﹂
﹁戻ったらすぐ作りますね、明日には渡せると思います﹂
235
﹁ありがとう。20もあれば十分だから、余ったぶんはリザちゃん
が処分してくれちゃっていいからね﹂
﹁これだけあったら100は作れますよ?いいんですか?﹂
﹁もちろん。リザちゃんの熱さましって通りの店で買うより質いい
し、私のほうが助かるから﹂
﹁ありがとうございます、助かります﹂
私はリュカさんの行為に甘えることにしました。
彼女はいつもそうなのです。
私達家族を何かと気にかけてくれています。
﹁うちの馬鹿が流行りの風邪で熱出しちゃったみたいでね。まぁ寝
てれば治るんだろうけど、今流行ってるのが高熱が続くらしいから
⋮⋮あの馬鹿がこれ以上熱で馬鹿になっても困るしね﹂
そういうものの彼女が家族を大事に思っていることは知っていま
す。
だからこそ、わざわざ私の護衛までして薬草採取に付き合ってく
れているのです。
﹁そういえば、リザちゃんあの話聞いた?﹂
リュカさんの表情は先程までとは打って変わって真剣なものにな
りました。
﹁⋮⋮はい。アルドラ様のことですよね﹂
236
﹁うん。冒険者ギルドの話じゃ、魔物群れに襲撃にあって壊滅した
って話だけど、どうも信じられないのよね﹂
﹁はい、私も信じられません。あの大叔父様に限ってそんなことが
あるとは⋮⋮﹂
﹁あの人の遺体も発見されていないみたいだし、まさか死んだとは
思えない。うちの若い子に様子を見に行かせたんだけど、魔物の群
れって言うのも、どうもインプらしいのよ。余計に信じられないで
しょ?﹂
インプといえば臆病で有名な妖魔。
遺跡などに多数の群れで住み着き、森の果実や小さな虫などを主
食にしているといいます。
インプとて外敵が縄張りに近づけば襲うこともあるでしょうが、
彼らが積極的にエルフの村へ襲撃に出るとは思えません。
﹁そもそもインプが、あの人を殺せるとは思えないし。森の奥地に
いるサイクロプスが群れになったとしても無理でしょ。1人ならま
だしも、村の若衆だっているんだし﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
﹁言わなくてもわかってると思うけど、馬鹿なこと考えちゃだめよ
?あなたにも家族はいるでしょう?家族に心配掛けるような事をし
てはいけないわよ﹂
リュカさんは優しく言い聞かせるよう話します。
それは我が子を心配する母のようで、とても温かく心地いいので
す。
237
﹁もちろんですよ。さすがにそんな危険を犯すほど馬鹿じゃないで
す﹂
﹁うん。ホントは私が行ければいいんだけど﹂
リュカさんは歯痒そうに顔を顰めた。
﹁リュカさんには森の深部への調査があるんですよね。S級のリュ
カさんにしか出来ない仕事です。今は活動期ですし、リュカさんの
調査もとても重要な任務だと思います﹂
﹁う、うん⋮⋮がんばる﹂
リュカさんはがっくりと肩を落として呟やきました。
﹁冒険者ギルドからの調査隊が、また出るでしょうし、その報告を
待ちましょう﹂
﹁⋮⋮そうだね﹂
私たちは日が落ちる前に森を後にしました。
>>>>>
ベイルの街に戻った私はリュカさんと別れ、職人街を目指しまし
238
た。
ベイルは大森林にほど近い平原に作られた都市。
高度な土魔術を駆使して作られたらしい10メートル近くはあり
そうな城壁の内側には、数万人の人々が住んでいます。
冒険者の街と呼ばれるものの、あたりまえですが冒険者だけが住
んでいる訳ではありません。
彼らが使う剣を打つ鍛冶職人や、酒場へ酒を卸す酒造職人、彼ら
の腹を満たすパン職人など、冒険者以外にも沢山の人が暮らしてい
るのです。
職人街は街の一角にある区画で、多くの職人たちが暮らしていま
す。
多くは3階建の木造建築で、1階は工房兼販売所。
2階には商談などに使われる応接室などがあり、3階は親方家族
が住むようになっているのが一般的です。
私は職人街のとある工房を尋ねました。
くたびれた木の扉を開けると、ギイィと軋んだ音とドアベルの音
がなります。
ガランガランッ⋮⋮
﹁すいませーん。リザですー﹂
1階の工房は雑然としていて、とても店舗として営業しているよ
うには見えません。
まぁこの状況はいつもの風景なので、特に驚くべきものでは無い
のですが。
239
しばらく待つも返事はありませんでした。
私は部屋の中に入り、溢れるものを掻き分け、奥の階段から2階、
3階へ上がっていきました。
んががががが⋮⋮
3階の部屋に差し掛かると、奥から野獣のような咆哮が聞こえま
す。
意を決して扉を開けると、床に転がる死体を発見しました。
んっががががが⋮⋮ンがっ。
いや死体ではありません。
まだ息があるようです。 ﹁先生。起きてください。先生∼﹂
んが⋮⋮んがががが。
﹁⋮⋮﹂
んがががが⋮⋮
﹁先生、金貸し屋の人来てますよ﹂
耳元で、そう囁くと先生はビクリと身を震わせて飛び起きてくれ
ました。
240
﹁あッ!?すいません!お金はまだ、あと1ヶ月、いや2ヶ月待っ
てくださいッ!!大丈夫です!この魔導具が完成すれば!大ヒット
間違いなし!行けます!自信作なんです!もう少しだけ!もう少し
だけお時間をぉぉ﹂
うずくまり元から小さい先生は、更に小さくなったように見えま
す。
生まれたての小動物のようにプルプルと震えていました。
﹁先生、大丈夫です。私です、リザです﹂
﹁⋮⋮え?﹂
ゆっくりと顔を上げ、先生は状況を確認する。
そんなにお酒強くないのに、また飲み過ぎたようです。
﹁先生、できました?頼んでおいたアレ﹂
﹁リザ?﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮お前、マジでいいかげんにしろよ⋮⋮﹂
少々やり過ぎてしまったかもしれません。
寝起きで更に機嫌が悪そうです。
だけど、私にも譲れないものがあるのです。
﹁先生、私先生に金貨10枚貸してますよね。証文出しましょうか﹂
241
﹁⋮⋮﹂
﹁先生、二日酔いの薬と胃薬と疲労回復薬、集中力強化ポーション、
眠気覚まし、目薬、あと⋮⋮﹂
お金のない先生に、お願いされて作らされた薬の数々。
通りの店で買えば、けっこうな金額になりそうです。 ﹁すいませんでしたー﹂
鋭角に腰を曲げ、頭を下げる先生。
どうやら先生の機嫌が治ったようです。
>>>>>
﹁あのな、私甲冑師じゃないんだけど﹂
工房の片隅に布を掛けられた、塊があります。
私はそれを取り外し、中を確認しました。
﹁すごいですね﹂
金属で出来た全身甲冑です。
兜は髑髏をモチーフに作られていて、禍々しく凶悪な印象です。
242
﹁あぁ、注文通りにできていると思う。お前ほどの魔力があれば、
そこそこ持つだろう。それにコイツを被っていけば、中身がハーフ
エルフの女だとは、まず気付かれないだろうさ﹂
﹁ありがとうございます。先生には無理言ってすみません﹂
﹁⋮⋮いいよ。普段世話になってるのは私の方だしな﹂
﹁そうですね﹂
﹁おいいい?﹂
﹁冗談です﹂
﹁⋮⋮それ冗談なの?﹂
甲冑は180センチはあろうかという大きさなのですが、不思議
と私の体に合うらしいのです。
よくわからない魔導具を作ることで有名な先生ですが、本当に不
思議な鎧です。
サービスといって先生は魔術を強化補助してくれる魔杖と、強そ
うな雰囲気作りのためにといって真っ赤なマントを用意してくれま
した。
目立ちたくないのに、余計に目立ってしまいそうですが、せっか
く先生が用意してくれたものだし、有り難くいただくことにします。
﹁まぁ、ある程度予想はつくけど、あんまり無茶するなよ。それだ
ってどこまで堪えられるかわからないんだぞ﹂
243
本職じゃないので保証はできないと、言われました。
無理を言って作ってもらったものなので、それでも十分です。
﹁様子を見に行くだけです。無茶はしませんよ。それに私戦闘職じ
ゃありませんし﹂
﹁ん。そうだよな⋮⋮まぁ今更止はしないけど、気をつけろよ﹂
﹁はい﹂
﹁あと行く前に、二日酔いの薬と胃薬、5つずつ置いていってくれ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
私はリュカさんに薬を渡した翌日、大叔父様の村へ向けて旅立ち
ました。
244
閑話 迷子のロムルス︵前書き︶
※ロムルス視点
245
閑話 迷子のロムルス
大森林のとある場所にある、獣狼族の村。
この村の者達は生まれながらにして男も女も狩人という、狩猟民
族である。
﹁ロムルス、親父殿が呼んでる﹂
村外れの丘の上で昼寝をしていた俺は、その声で起こされた。
﹁⋮⋮ん。仕事か?﹂
声を掛けてきた奴は、黒髪に藍色の目という、俺によく似た顔立
ちの奴だ。
﹁さぁ?﹂
よく似ているのも、当たり前か。
コイツは俺の双子の弟レムスだ。 村は丸太を立て組み合わせた城壁によって守られている。
城壁の内部には、森の木から作られた柱と梁に魔獣の革を被せて
作った天幕が立ち並んでいる、見た目は円形で木製の扉も備えられ、
住居としては悪くない。
それら天幕の周辺には僅かばかりの畑が作物を実らせていた。
246
俺は村の中央にある、他のものよりか一回り大きい幾分立派な天
幕の扉を開けた。
﹁親父殿、呼んだか?﹂
天幕の中には体のあちこちに傷を残す、壮年の獣狼族の男が椅子
に座って煙管をふかせていた。
空気を入れ替えるために壁の一部には隙間が開いているものの、
それでも内部は煙で充満しており、独特の匂いが鼻につく。
俺は思わず顔を顰めた。
この男が、俺の実の父でもあり、獣狼族スン族の族長クラウスで
ある。
﹁あぁ、仕事だ。山蛙100匹、急ぎでロンジに届けてやれ﹂
山蛙と言うのは、大森林に生息する大型の蛙の魔物だ。
大型とは言っても、片手で十分持てるほどの大きさなので、たか
が知れてるが。
﹁はぁ?なんで俺が、そんなガキの使いみたいなことを!﹂
魔物とは言っても、毒があるわけでも鋭い牙があるわけでもない。
子供でも狩れる魔物だ。
生息地が大森林ということもあって、人間の子供が狩るには難し
いかもしれないが、獣人ならば子供のお使い程度の仕事である。
まぁ100匹は少し多い気もするが。
﹁ガキの使いみたいな、じゃなくて、ガキの使いなんだよお前は!﹂
247
親父は少し苛立ったような表情を見せ、そう吠えた。
﹁報告は受けてるぞ、また1人で暴走したらしいな﹂
俺は何も言えなかった。
言われることは想像できたし、それについて反論する術を持って
いなかったのだ。
だが自分が悪いことだけはわかっていた。
獣人族の多くが狩猟民族である。
草原、森林、雪原、山岳、砂漠と幅広い地域で生活しているが、
その本質は獲物を狩り糧を得るという生活だ。
狩猟の形態は様々で、種族で違うことは、当たり前だが、ときに
同じ種族でも村によって違いがある場合もあり、まさに千差万別と
いえる。 獣狼族はチームで狩りをするのを常としている種族だ。
個人としてみれば、獣熊族や獣牛族の戦闘力には1歩敵わない。
だが獣狼族の強みは連携である。
1人では敵わない、強大な魔獣もチームによって狩ることが出来
るのが獣狼族の強みなのだ。
俺は15で成人の儀を済ませてから、大人の戦士としてチームに
参加しているものの、結果は出せていなかった。
﹁お前は周りが見えてねぇんだ。自分1人で何でもやろうとする。
チームの意味がわかってねぇ﹂
わかってる!
248
そう叫びたかったが、言えなかった⋮⋮
結果としてできていないのだ。
反論のしようがなかった。
﹁お前に今任せられるのは、ガキの使い程度だってことだ﹂
>>>>>
俺は村から1つ山を超えた先にある、沼で山蛙を集めた。
まぁ見つけたら頭を潰して、袋に放り込むだけの作業だが。
大森林とは言っても、ただただ広い森ってわけでもない。
全体として見れば、なだらかな丘陵地帯が大半だが、山と呼べる
ものも幾らかはある。
山蛙は獣人には人気の食材のため、予め生息地は調査済みだ。
今回は最も近くて、量が取れそうな場所を選んだ。
蛙自体は問題ないが、周囲には蛙をエサにしようとする、別の魔
獣が潜んでいることもあり、油断は出来ない。
﹁はぁ、やっと集まった。これ運ぶだけでも緩くないな⋮⋮﹂
運搬用に持ち込んだ、大きな革袋が2つパンパンに膨れ上がって
249
いる。
けっこうな重量だが、力にはそれなりに自信があるし、やるしか
ない。
1人じゃ運べない!
とか何とか言って、子供の使いもまともに出来ないのか、なんて
言われるのも癪だしな。
日も沈みかけた頃、俺はガロに辿り着いた。
この街は人族の作った街だが、多くの獣人たちが訪れる。
その大半は、大森林で捕れた狩猟物や薬草なんかを人族の商人に
売るためだ。
森で狩りをするのは糧を得るために行うものであって、金儲けの
ために狩ることはいかん!
という昔ながらの掟を訴える獣人族の老人達もいるが、ここに商
売の為に訪れる獣人族は年々増えているようだ。
まぁ俺としては、どっちでもいいことだが。
いや人族の作る飯は旨いし、森には無いおもしろいものも多い。
商売も悪くはないだろう。
なんせ獣人族の作る料理といえば、焚火で焼く。
これぐらいである。
塩が掛かっていれば上等なほうで、大概素材の味だ。
初めてこの街で人族の屋台で料理を食べた時の衝撃は今でも覚え
ているほどだ。
250
金儲けのために森を荒らすのは、良くないとは思うが、魔獣の生
命力は強く、放っておけばあっという間に数を増やし、こちらが狩
られる側になることも十分あり得る。
よくわからんが、狩り尽くそうと思って、狩り尽くせるほど、こ
の森は微温くない。
﹁おーい、おっちゃん!蛙持ってきたぞー﹂
俺は店の裏口から店主へ呼びかけた。
程なくして、背丈は低いが岩のようながっしりとした老練の男が
姿を見せる。
﹁おう、早かったな﹂
﹁急ぎって聞いたからな。確認してくれ﹂
俺は革袋を男に渡し、カウンターの椅子に腰掛け、脚を休ませた。
待ってる間、従業員がよく冷えたシードルを持ってきてくれた。
﹁お、サンキュー﹂
北の方で収穫される林檎という果実から作られる、人族の酒だ。
シュワシュワとした感じが病み付きになる、旨い酒だが値段も安
く、これを飲みに来るだけでも、この街にくる価値はあると思う。
しばらく待っていると、男が小袋を手に戻ってきた。
﹁よく肥えてるし、状態も申し分ねぇ﹂
251
ロンジはそう言って銀貨の入った麻の小袋を手渡してきた。
俺は中身を確認すると、シードルを一気に流し込み、席を立った。
﹁んじゃ、行くわ﹂
﹁おう、また頼む﹂
店を出た俺は、当ても無くガロの街を彷徨った。
特に用事があるわけでもないが、すぐに帰らなければ行けない理
由もない。
もう日は落ちたし、夜の森の危険度は、昼のそれとは段違いだ。
もちろん俺にとってはガキの頃より歩き慣れた森であるため、こ
こから自分の村まで夜の森であろうと帰れないこともないのだが⋮⋮
﹁うーん、なんかつまんねぇ⋮⋮﹂
なんとなく感じる倦怠感。
なにか胸の中がムカムカするというか、モヤモヤするというか⋮⋮
俺がとぼとぼと道を歩いていると、とある街の一角がえらく華や
いでいるのが見える。
人族の街では、夜でも明かりが着き酒場など賑わいを見せている
場所も珍しくはない。
このガロでもそうだが、それにしても⋮⋮祭りかな?
俺は人の流れに誘われるまま、その場所に辿り着いた。
252
道は5人も並んで歩けば、いっぱいの狭い道。
そこへ人族、獣人がごった返している。
人、人、人、人で溢れかえる、この一角は何なんだろうか?
両サイドに3階建の木造の建物が並び、明かりを生み出す灯火の
魔導具が、そこら中にあって街を照らしている。
夜でもいくらか人通りのあるガロでも、この賑わいぶりは異常な
ほどだ。
夜にこれほどの人が集まる光景など、俺は初めて見た。
﹁ん?ロムルスか?﹂
俺がぼんやりと、その光景に圧倒されていると、不意に背後から
声を掛けられた。
振り向くとそこには、俺のよく知る顔があった。
﹁兄貴?﹂
血の繋がりは無いが、小さな頃から兄貴と慕って、よく付いて回
った獣狼族の青年だ。
今は村を出て、人族の街で冒険者をやってるって聞いたような⋮⋮
﹁おぉ、やっぱロムルスか!何年ぶりだ?久しぶりだな!﹂
兄貴はバシバシと俺の肩を叩き、再会を喜んでくれた。
﹁うん、兄貴も元気そうで﹂
俺も兄貴に会えて嬉しいが、正直いまの情けない俺の顔は見られ
たくない気もある⋮⋮
253
﹁そうかお前も15か!うんうん!わかるぞぉ∼、お前ももうガキ
じゃないもんなー﹂
兄貴はにやにやとした表情で、1人何かに納得している。
なんだろう?
﹁よしわかった!ここは俺が奢ってやろう!心配するな、ちょっと
いい仕事を片付けて、金ならある!﹂
﹁え?え?﹂
兄貴はそう言って俺の首に腕を回し、強引にとある店へと引きず
っていった。 ﹁いらっしゃ∼い﹂
﹁2名様ご案内∼﹂
ある店に入ると、若い獣人女性が出迎えてくれた。
けっこう可愛い。
わけもわからず、奥の部屋へと案内される。
部屋は個室で板間に魔獣の毛皮が敷かれている。
椅子などは無く、床に直接座るようだ。
﹁あの、兄貴ここって何ですか?﹂
254
俺がそう聞くと、兄貴は信じられないものを見るような表情で、
﹁何って、白描館だよ?知らないで付いてきたのか?﹂
﹁いや兄貴が無理やり連れてきたんですよ?﹂
﹁そうか?﹂
などと宣っていると、部屋に料理と酒が運ばれてきた。
﹁まぁ、お前も15になったんだ。もう立派な大人だろ?﹂
﹁いや、立派かどうかちょっとわかんないっす⋮⋮﹂
﹁ふぅん?まぁ、いいや。今日はお前の成人祝いに、再会を祝して
パーッとやろうぜ!﹂
兄貴がそう言うと、
﹁失礼します﹂
そう言って、部屋に2人の獣人女性が入ってきた。
どちらもすごい美人だ。
女性たちは、それぞれ俺と兄貴の横に着くと、酒を酌してくれた。
﹁獣狼族のレイです、お初にお目にかかります﹂
俺の横に着いた女性が、酌をしつつ、静々と会釈をする。
255
白く長い髪に青色の瞳。
おっぱい超でかい。
ちかい、距離がすごい近い!?何故?
﹁獣羊族のミウです、お初にお目にかかります﹂
兄貴の横に着いた女性が、兄貴に酌をしつつ、静々と会釈をする。
蜂蜜のような金髪に青色の瞳。
おっぱい超でかい。
そして、やっぱり近い、近いっていうか、くっついてるし。
腕絡めてるし!?
﹁兄貴ここは何ですか!?﹂
俺は叫んだ。
﹁いやだから白猫館だって﹂
﹁それはさっき聞きました!﹂
俺の村にも女はいるが、こんなに可愛くておっぱいのでかい女の
子はいない!
﹁お客様は花街は初めてですか?﹂
花街?
﹁はい。花街は殿方が疲れた心と体を癒やしにくる大人の社交場で
すわ﹂
256
レイはそう言って、俺の腕を絡めとり、その豊かな胸の谷間に押
さえつける。
﹁ささ、もう一献﹂
勢いに任せて飲み干し、空になった杯に、再び酌をする。
﹁ここはガロの花街でも、とびきり美人が多くて有名な店だぜ!丁
度入れてラッキーだったな!﹂
兄貴はカラカラと笑い、酒を煽る。
しなだれかかるミウの肩を抱き寄せ、上機嫌だ。
﹁お客様はお疲れのようですわ、いろいろあるかとは思いますが今
日だけは全て忘れて、楽しみませんか?﹂
>>>>>
朝になった。
﹁兄貴ありがとうございました﹂
俺の胸のモヤモヤはいつの間にか、晴れていた。
どこか迷走していた俺の心が、まるで雨の上がった青空のように
澄み渡る。
257
﹁おう、俺はしばらくガロに滞在するが、お前はどうするんだ?﹂
俺は晴れ晴れとした顔で、
﹁俺ベイルに行ってみます﹂
﹁そうか、ベイルはガロよりも何倍もでかい街だ﹂
﹁はい!﹂
﹁ボッタクリには気をつけろよ!﹂
﹁はい!﹂
﹁じゃあ、また生きてたら会おうぜ﹂
﹁ありがとうございましたッ﹂
朝靄の中、立ち去る兄貴の背を俺は深く頭を下げ、見送った。 258
第24話 貧民街
﹁ありがとう、助かったよ﹂
俺は老人に別れを告げ、リザとミラルを荷車から降ろす。
高さ10メートル弱はあろうかという立派な石壁が、先が見えな
いほど長く続いている。
俺達は門へと続く行列の1つに並んだ。
街へ入るには城壁門で、入市税を支払わなければならない。
荷車や馬車の者と、手荷物で徒歩の者とは税の額も違うので別の
列になっているようだ。
門へ続く列はそれなりに長く続いていたものの、そう待たされる
こともなく順番が回ってきた。
俺は門番に事情を話しミラルを引き渡した。
﹁そうか、それは難儀だったな﹂
ミラルは特に抵抗する様子も見せず、足取りは重いものの門番た
ちに連行されていった。
後のことは彼らに任せよう。
それにしても城壁を見ただけでも感じるが、相当大きな都市の様
だ。
259
ガロではゆっくり街の見物もしなかったし、しばらくここで暮ら
すことになりそうだからあちこち見て回りたいものだな。
﹁それじゃ調書を取るから付いて来てくれ﹂
あー、そうかそうだよな。
俺達は事件の被害者だ。これから詳しく事件の経緯を説明しない
といけないのか。
面倒くさいがしかたない。
俺は諦めて門番の後に追従した。
衛兵Lv25
あたりにいる軽鎧を着込んだ兵士達はおおよそレベル20∼30
程だ。
その立ち振舞を見れば、それ相応の訓練を受けた兵士といった様
子である。
装備も統一されているので、彼らはベイルの治安もしくは守備に
携わる組織の者なのだろう。
俺達は門番たちの詰所で、調書を取らされた。
まぁ、起こったことの経緯を話して文書にして残すという作業だ。
冒険者まがいの盗賊に襲われた経緯と魔獣について。
リザは薬を盛られたこともあり、そのあたりの記憶が曖昧となっ
ているため俺が細かく説明することになった。
それにしても目の前で人死を見たというのに、嫌悪感や恐怖とい
ったような負の感情はあまり沸かなかった。
260
いや、全くないとは言えないのだが、後になってふと思うと目の
前で死の瞬間を初めてみたというのに、あぁこんなものかとしか思
わなかったのだ。
よく考えれば人が獣に食われるという凄惨な現場だったはずだが、
事は一瞬だったこともあってかトラウマになるようなことも無さそ
うだ。
この世界にやってきて、精神や記憶は俺のものだという自信はあ
るが、肉体は元の世界の姿から変化している。
もしかしたら精神にも、何らかの影響を及ぼしているのかもしれ
ない。
ともかく今回のことで、善人を装った悪人もいるのだという事を
思い知らされた。
あまり甘い考えで行動していると、いつか大切なモノを失ってし
まう日が来てしまうかもしれない。
そうならないためにも、もっと俺自身が気を引き締めなければな
らないのだと痛感した思いであった。
最後に﹃証言した内容に虚偽はない﹄という文言の誓約書に署名
を求められた。
俺ではこの世界の文字は読めないため、リザに確認してもらう。
﹁ベイルには何用で来た?観光か?商売か?﹂
中世くらいの文化レベルかと思ってたが、観光っていう概念もあ
るのか。
ということは遊びで旅行したりする人もいるってことなんだな。
261
﹁いや冒険者になろうと思ってね。森も活動期だって聞いたからさ﹂
俺は軽い調子で答えた。
﹁ほう、そうか。この街はいつだって冒険者になろうって奴を歓迎
してる。俺達はアンタを歓迎するぜ﹂
﹁そりゃよかった﹂
冒険者の街というくらいだ。
成り手は歓迎されるようだ。
﹁普通なら都市内に住むには市民権がいるが、ベイルなら別だ。こ
の街は平民でも仕事さえしてりゃ、壁内に居場所がある。アンタも
真面目に働いて、追い出されないように頑張れよ!﹂
﹁あぁ、わかった﹂
バシバシと肩を叩いてエールを送る男に、俺は愛想笑いで対応す
る。
そうこうして俺達は詰所で規定の入市税を支払い、やっとベイル
の中へ入ることが出来たのだった。
俺はリザの案内で、彼女の住む家に向かっている。
リザは母と妹と3人暮らし。
父親はすでに故人となっているらしく、生前は冒険者だったとい
262
うのを前に聞いた。
うむ。
そんな家に転がり込むのかと思うと、少々緊張してきた。
何処の誰とも分からない身元不明の俺を、受け入れてくれるだろ
うか?
普通に考えれば、警戒する。いや家に上げるのでさえ躊躇うだろ
う。
あんな犯罪者が普通に彷徨く世界だ、それほど治安がいいとは思
えない。
俺だったら身元も素性も明らかではない奴などと、一緒に住もう
などとは思わない。ましや女性だけの家庭だ、尚更である。
リザには良くしてもらったし、ここまで連れてきてもらった恩も
ある。
そんな彼女の家族に、煙たがられるようなことは避けたい。
まぁ、リザもいるしいきなり辛辣な言葉を浴びせられ、追い返さ
れるってことは無いだろうと思うが⋮⋮
ベイルの街には幅の広い水路が流れている。
幾つか差はあるが、5∼10メートルほどもあって、船が荷を運
263
んでいる姿も見えた。
水路を利用して物資を運搬しているらしい。
青緑色の石材を組み合わせて作られた水路は、その損傷具合から
年季を感じさせる。
おそらくかなり古くから存在している、歴史あるものなのだろう。
歩きながら道行く人のレベルを見てみると、そのレベル幅にはか
なりのバラつきがあるようだ。
若者、子供は一桁代の者が多い。
全体を見ると10前後が多いように思う。
レベル30以上は、滅多に見かけない。
街に入ってからレベル40以上の者は、今のところ見ていない。
それに一番気になるところと言えばスキルポイントである。
スキルポイント15/18
スキルポイント14/16
スキルポイント10/12
持っているスキルポイントを全て消費しているという者が、思っ
たよりも少ない。
レベルを上げてスキルポイントを得て、そのポイントを消費して
スキルのランクを上げるのが、自身の能力を伸ばす1つの流れであ
るのだろうが、スキルポイントという概念がこの世界の者には無い
ようなので、ポイントの消費は無意識化で行っているようだ。 そのために効率よくポイントを消費するという考え自体が無いの
264
で、ポイントを余らせているのかもしれない。
俺達は幾つか橋を渡り、その先にある住宅街へ入っていった。
﹁あの⋮⋮ジン様﹂
リザがちらりとこちらを振り向く。
﹁ん?﹂
﹁あまり、そのように視線を泳がせますと田舎者だと思われ、邪な
者に付け入られますので⋮⋮﹂
自分でも無意識のうちに、物珍しさか周囲を落ち着きなく見回し
ていたらしい。
傍から見ればお上りさんに見えるか。
そういった浮足立った人達が、スリなんかの犯罪被害に遭うのは
どこの世界も同じなのかもしれない。
﹁悪い、ちょっと物珍しくてな﹂
住宅街に入ると、道幅は狭く入り組んでいて、場所によっては大
人が3人並んで歩くのがやっとという道もあった。
ほとんどの住居は木造で、3階建も珍しくなく、非常に密集した
地域だ。
通りを歩く人種は、獣人族と人族半々くらいだろうか。
265
建物は年季の入った古いものが多く、通りを歩く人の姿を見ても
あまり裕福な地域とは思えない場所だ。
そうこうしている内に、リザがある建物の前で立ち止まる。
3階建の古い家だ。
家の前には少女が1人しゃがみ込んで、何かを眺めいた。
﹁シアン﹂
リザがそう呼びかけると、少女は顔を上げ立ち上がり、リザの元
へ駆け寄ってきた。
やや緑みの明るい青色の髪とアクアマリンのような青い瞳を持つ
小柄な少女だった。
﹁お帰りなさい、姉様﹂
鈴の音のような綺麗な声が響いた。
リザが彼女の緩くウェーブの掛かった髪を優しく撫でる。
リザは翡翠のような輝く緑色をしたストレートのロングヘア。
シアンは緩くふんわりとしたボブカットといったような髪型だ。
パッと見た印象はだいぶ違うが、よく見れば顔のパーツはよく似
ている。
リザをもっと幼くしたような感じだ。
﹁ジン様、紹介致します。彼女が私の妹のシアンです﹂
266
ずいっと俺の前に押し出されるシアン。
誰コイツと言った視線が痛い。
あきらかに警戒している。
﹁よろしく。ジン・カシマだ﹂
俺は努めて平静を装い、握手を求めた。
差し出した俺の右手は華麗にスルーされる。
シアンはリザの背後をへ回り込み、リザを盾にして隠れた。
﹁⋮⋮誰?﹂
シアンのその顔には、あきらかに警戒の2文字が浮かび上がって
いた。
﹁えっと、話は中で母様も一緒にね?﹂
>>>>>
俺は家の中へ通された。
1階はキッチンとリビングか。
20畳以上はありそうな広さで、建物は古いが部屋の中は綺麗に
掃除が行き届いてある。
まるでアンティークのようなクックストーブが設置されている。
267
だいぶ年代物のようだが、よく手入れをされているようだ。
俺は待っている間、部屋の中を見ているだけでも十分に楽しめた。
﹁⋮⋮ジン様?﹂
部屋の中をジロジロと見ていると、いつの間にか戻ってきたリザ
に不思議そうな目で見られた。
﹁初めましてジンさん。私がエリザベスの母、ミラ・ハントフィー
ルドです﹂ 身長はリザより少し低いくらい。
蜂蜜のように輝くブロンド。
緩いウェーブの掛かった腰ほどまでありそうな長い髪を後ろで軽
く纏めている。
リザによく似た翡翠色の瞳。
リザをより大人に、ちょっとアンニュイな様子にした落ち着いた
美女といった感じだ。
﹁初めまして。ジン・カシマです﹂ ゆったりとしたワンピースに、肩からショールを掛けた彼女は、
なんとも言えない大人の色香を漂わせている。
それはまともに直視できないほどだが、直視できない理由は他に
もあった。
ゆったりした服に隠されてはいるが、その彼女の胸は相当にでか
268
い。
おそらくリザよりも一回り、いや二回りはでかいだろう。
うむ。ものすごい質量だ。
﹁そんなに見つめられると照れてしまいます﹂
﹁あっ、すいません﹂
思わず凝視していたのが、バレてしまった⋮⋮
ミラは気にしていない様子で、くすくすと笑っている。
男の視線を集めるのは、おそらくいつもの事なのだろう。
これだけの迫力である。
見るなと言う方が無理である。
ふと視線を移すと、リザとシアンのジト目が俺に突き刺さってい
た。
﹁なるほど、事情はわかりました。このような粗末な所でよろしけ
れば、自由にお使いください﹂
ミラはあっさりと滞在の許可を与えてくれた。
シアンは納得していないようだが、彼女が口を挟むことはなかっ
た。
﹁ありがとうございます。お世話になります﹂
﹁いいえ、もし追い出してしまったなら、リザも一緒に付いて行っ
てしまいそうですしね。それに女だけの家では不安な夜もあります
269
から、ジンさんが居てくれると助かる場合もあるということです﹂ おそらく俺が気兼ねなく滞在できるように、気を使ってくれてい
るんだろう。
俺のためではなく、リザのためなのだろうが。
俺が目配せすると、リザは嬉しそうな表情を見せていた。
﹁ジンさんは2階の部屋を使ってください。今は物置になっていま
すが、片付けて掃除すれば使えると思います。今日は狭いでしょう
が、リザの部屋でお休みください﹂
ん?
リザを見ると頬を染め、俯いてしまった。
﹁えっと⋮⋮﹂
﹁あ、もしかしてまだでした?まぁリザは嫌では無さそうなので問
題ないでしょう﹂
え?いや、問題あるよね?
というか、まだって何が?
シアンさんもめっちゃ睨んでるんですけど?
まぁ床に寝袋敷いて寝ればいいか。
そろそろ夕食の支度を、ということだったので荷物を部屋に置か
せてもらうことにした。
俺は2階へ上がり、リザの部屋に入れてもらう。
270
リザの部屋は仕事場を兼用としているらしく、物で溢れていた。
女の子の部屋というより、研究所兼仮眠室といった様相である。
色気も何もない。
何やら種類別に梱包された荷が、所狭しと存在している。
如何せん量が多く、部屋の収納力はとうに限界を超えていいた。
ベッド周辺はかろうじて、その場所を確保されている。
しかしどう見ても、床に寝袋を敷いて快適な眠りを確保するのは
無理そうだ。
﹁すいません、散らかっていて⋮⋮﹂
リザが申し訳無さそうに、小さくなって呟いた。
﹁すごい量でびっくりはしたが、それだけリザが熱心に仕事をして
るってことなんだろう。その勤勉さは俺も見習わないといけないな﹂
リザは﹁そんなことありません﹂と困った様子でいたが、彼女の
部屋の様子を見れば真面目で几帳面な正確が垣間見えるというもの
だ。
梱包された荷の多くは、薬草などのいわゆる調合素材のようだ。
彼女は薬師として、ここで様々な薬を調合し家計を支えているら
しい。
念の為に俺が自由にして良いという、物置となっている部屋を覗
いてみた。
271
同じように梱包された荷で溢れている。
リザの部屋の物量以上である。
この部屋で寝るのはどう見ても無理がある。
となると廊下で寝るか、リビングを借りるか⋮⋮
廊下はちょっと邪魔になりそうなんで、リビングを借りようか。
そんなことを考えていると︱︱
﹁一緒に寝るのは駄目ですか⋮⋮?﹂
俯きながら、そうリザが訴えてきた。
272
第25話 新たな拠点
﹁さぁ、遠慮しないで食べて下さいね﹂
夕食はミラさんとシアンが作った、シチューにパンと温野菜にソ
ースが掛かったようなもの、後はチーズにワインといった感じだ。
﹁すごいご馳走ですね。頂きます﹂
ミラさんに呼ばれ、1階に降りてくると、テーブルには既に食事
の用意ができていた。
どれもいい匂いがして、食欲を湧かせる。
異世界の食事が、まともなものでよかったと心底思う瞬間であっ
た。
何かで読んだのだが、中世など料理技術の発達していない調味料
にも乏しい時代の食事は、まともに食べられればいいほうで、味な
ど気にする余地は無かったという話だ。
そう言った話に特別詳しいわけではないが、料理の作法も手掴み
で食うのは当たり前で、汚れた手は服で拭いたりテーブルクロスで
拭いたりするというのを、どこかで読んだような気がする。
どうやらこの家では、スプーンもフォークもあるようだ。
まぁこのあたりの知識は地球の過去の歴史というものであって、
それがそのままこの世界の常識に繋がるとも思えない。
リザが素手でシチュー食べてたら、流石に驚く。
273
スプーンがあってよかった。
街中で見かける獣人族の男なんかだと、手掴みで肉を食らうのも
似合ってそうだし、やっててもおかしくないだろうけど。
俺は手を合わせ﹁いただきます﹂と静かに言うと、みんなの視線
が俺に集まった。
何かマズイことでもやってしまったのだろうか?
﹁今のは何ですか?﹂
ミラさんが小首を傾げ、不思議そうな表情を向けてくる。
﹁いただきます、って言うのは俺の故郷の食事の際にする挨拶です﹂
食材である生き物の植物や動物の命を貰って調理し、それを食べ
る人間が自分の命を維持し生きることが出来るという感謝を示す言
葉と説明した。
俺もどこかで聞いたうろ覚えの知識なので、それがあっているの
かどうかはわからないのだが。
﹁なるほど、それはいい風習ですね。私達も一緒にやらせてもらっ
てもいいですか?﹂
﹁もちろん、いいですよ﹂
そういうと、皆俺を真似して手を合わせ︱︱
﹁﹁﹁﹁いただきます﹂﹂﹂﹂
274
テーブルの中央には大皿に盛られた料理が並び、必要な分だけ自
分の皿に取り分けるというスタイルらしい。
シチューは鍋のままテーブルに置かれ、そこからシチュー皿へ取
り分けられる。 ﹁ジン様どうぞ﹂
﹁ありがとう﹂
リザがよそってくれたシチューを口に運ぶ。
ビーフシチューに似てるが、ビーフではない様だ。何の肉だろう。
﹁これはレアの肉です。お口に合いませんか?﹂
ふと疑問に思った考えが顔に出てしまったらしい。
ミラさんが少し曇った顔を見せる。
﹁いえ、すごく美味しいです。幾らでも食べれそうですよ﹂
俺がそう笑顔で答えると﹁それはよかった﹂とミラさんもにこや
かな表情を見せる。
レアと言うのは、ベイルの南方に多数生息する鳥の魔獣らしい。
討伐されたレアの肉や卵がベイルの市場に大量に出回るため、安
価で手に入る食材のようだ。
肉はとろけるほど、とまでは行かないが十分に柔らかく、一緒に
275
入っていたであろう野菜類は既に原型はなく溶けてスープと一体と
なっている。
ミラやシアンを見ると、パンをちぎってシチューに浸けて食べて
いるので俺も真似してやってみる。
最高です。
スープに融けだしたエキスがパンに染みこんで、最高に合う。
家ではコンビニ弁当が食事の中心だったからな⋮⋮
こんな豪勢な食事なんて、相当久しぶりだ。
俺がもりもり食べていると、不意にミラと目が合う。
﹁気に入ってもらえたようで何よりです﹂
ミラさんの嬉しそうな表情に、一瞬ドキリとさせられる。
リザもしっかりしていて大人だなと思うのだが、ミラさんには大
人の女性の余裕というか色香の様なものを感じる。
ちょっと気だるい疲れた感じというか、ゆったりとした雰囲気が
そう感じるのかもしれない。
ふとした表情に色気があるのだ。
なんといっても3人共、文句の付けようのない美女揃いなのだ。
﹁お母様、今日はずいぶん張り切りましたね﹂
﹁え?そうかしら?﹂
276
﹁えぇ、いつもより品数多いですし、量も多いですし、ワインもす
ごく上等なもの出しましたね﹂
ちょっとリザの目が怖い。
機嫌が悪いのだろうか?
﹁男の子だし、たくさん食べるかなーと思って。ジンさんがどうい
うのが好みか聞いてなかったけど、気に入って貰えたようでよかっ
たわ﹂
ミラさんがにこやかに答える。
﹁えぇ。すごく美味しいです﹂
﹁どんどん食べてね、まだおかわりあるから﹂
なぜかイライラしているリザをそっとして、俺は料理を平らげて
いくのであった。
>>>>>
﹁ごちそうさまでした﹂ 食事を終えた俺達は、ミラさんの用意したワインを頂いている。
シアンはアルコールは苦手らしく自室へ引き上げてしまった。
277
シアンと直接の会話はまだない。
打ち解けるにはまだしばらく掛かりそうだ。
この国には飲酒について、年齢制限のようなものは無いらしい。
あまり小さな子どもには飲ませないようにするのが一般的らしい
が、飲料水より酒類のほうが値段も安く入手もしやすいためよく飲
まれるそうだ。
しかしベイルでは飲用に出来るほどの清浄な水を得られる井戸が、
街中に設置されているためその限りではないようだが。
﹁ジンさん、この国のワインは口に合いますか?﹂
頬を仄かに赤く染めたミラさんが、少し体を傾けて訪ねてくる。
彼女は露出の少ない衣類で身を包んでいるが、僅かに肩口から見
える白い肌が艶っぽい。
見た目で言えば20代後半くらいだろうか。
エルフらしく耳が横に尖って長い。
地球の人種に無理やり当てはめれば北欧系といったところか、色
白で色素の薄い髪だ。
ただ地球のそれとはまた違った顔立ちと感じる。
﹁えぇ、こんなに旨いワイン初めて飲みました﹂
ワインについて詳しくはないが、俺が飲んだことがあるのはコン
ビニに売ってるような、テーブルワインくらいなのだ。
正直味についてどうこう言えるほどの知識はない、だがコンビニ
278
ワインよりは旨いと思う。
おそらく添加物などが入っていないから、じゃないだろうか?
濃厚というか、ずっしりとした重い感じでステーキとかと一緒に
頂くと美味そうだ。
既にミラさんには、俺が異世界から漂流してきた者だということ
は伝えてある。
ここで暮らさせてもらう以上、話しておいたほうが都合がいいか
と思ったのだ。
まぁ俺が秘密にしなければ、という事に気を使うのが面倒という
理由もある。
いろいろ気を使わずに、話せる相手が欲しいということだ。
ちなみに元の年齢については、リザを含め彼女達に特に語っては
いない。
いまの俺は17歳なのだ。
若返ったつもりで、というか実際若返ってしまったのだが、この
世界で人生を楽しむのも悪くない。
﹁明日は冒険者ギルドへ行かれるのですか?﹂
﹁そうですね、とりあえず登録を。それで身分証明にもなるらしい
ので、はやくしたほうがいいかなと﹂
それにアルドラさんの所で手に入れた魔石が、大量にあるのでそ
れらを売り払いたい。
村の事も報告したほうがいいだろう。
あと外套も修理できるならしたい。
279
穴あいちゃったしな。
﹁明日は私も付き合います。ジン様もここで生活するために必要な
ものを揃えたいでしょうし、街を案内しますね﹂
俺はワインを飲みながら、アルドラさんの話やリザの子供の頃の
話など、興味深い話に聞き入っていた。
>>>>>
ふあぁぁぁぁぁ⋮⋮
昨日は話が盛り上がって、つい長く飲み過ぎてしまった。
色々な話が聞けて、ワインもチーズも美味かった。
いつ寝たのか定かではないが、いつの間にか俺はベッドに入って
いたようだ。
ってここはどこだ?
俺は周囲を見渡し、カーテンの隙間から溢れる光でその光景を確
認する。
昨日訪れたリザの部屋だ。
﹁⋮⋮んっ﹂
280
背後から聞こえる甘い吐息。
体を動かさないように、そっと背後を見ると横向きにリザが俺と
体を重ねるようにして眠っている。
﹁ちょ!?﹂
スルリとリザの細い腕が伸び、俺の腰回りにその手が差し込まれ
た。
キュウと抱きつかれる。
リザの柔らかい体が密着する。
その豊かな胸が俺の背中に押し当てられ、潰されている。
﹁⋮⋮﹂
どうすんだコレ?
俺はスヤスヤと眠る彼女を起こすのも忍びないと、体を微動だに
せずこの攻めに堪えた。
彼女の花のような甘く爽やかな香りが、俺の邪な心を目覚めさせ
ようとするが、俺は微動だにせずにこれに堪えた。
耐え切った。
﹁おはようございます、ジン様﹂
﹁⋮⋮あぁ、おはよう﹂
281
既に日は上ったようだ。
外は明るい。
この辺り、この時期は5時くらいが日の出になるらしい。
農村に住む住人などは、既に仕事を始めている時間のようだ。
時計はあるらしいが、非常に高価なため一部の金持ちなどにしか
持つものは居ないというのを聞いた。
この街でもそれは同じで、やはり時計塔からの鐘の音が市民に時
刻を知らせる唯一の手段になっているようだ。
1階に降りてくると、誰もいない。
ミラさんはまだ寝ているようだ。
﹁お母様は朝弱いので﹂
昨日のパンが残っていたので、それをいただく。
冒険者ギルドはその性質上24時間営業らしいが、主要な業務は
日の出からとなっているようだ。
書類の申請だとか、素材の売買、依頼の受注といったものだ。
朝早いと依頼を受けに来る冒険者たちで混雑するらしいので、少
し時間をずらして行くことにした。
俺達は身支度を整え、シアンに出かける旨を伝えてから家を出た。
まずは冒険者ギルドだ。
282
第26話 冒険者ギルド
自由都市ベイルはルタリア王国の西の端、ラウド辺境伯の領地よ
り自立を認められた都市の1つである。
この都市より西側が魔物の生息域である、ザッハカーク大森林。
東側が人族の国、ルタリア王国。
地理的な条件により大森林で魔物の異常発生が起こった場合、ル
タリア王国へ至るにはこの都市近郊を通過する可能性が高い。
つまりはこの地が、王国の防衛拠点となっているわけだ。
大森林は一定周期で、活動期と停滞期を繰り返している。
現在大森林は活動期。
魔物が活発に活動する時期だ。
魔物の異常発生も起こりやすいと考えられている。
要警戒の時期ではあるが、冒険者にとっては稼ぎどきの時期でも
ある。
停滞期では姿を見せることのない魔獣の類も姿を見せるようにな
り、それらの希少な毛皮等の素材が高値で取引されるのだ。
そのため活動期のこの時期には、冒険者を志す者がこの街へ多く
訪れる。
﹁ここが冒険者ギルドか﹂
283
俺はリザと共に、ベイル冒険者ギルドの屋舎へとやってきた。
3階建の石造りの大きな建物である。
窓には鉄格子と鎧戸が見られ、ギルドの門戸は分厚い木と金属で
補強された無骨なものだった。
﹁朝の混みそうな時間帯は外したと思うのですが、凄い人ですね⋮
⋮﹂
ここまでの道程も、早朝だというのに既に街は人で賑わっていた。
だが冒険者ギルドはそれ以上だ。
屋舎の外まで人で溢れ、喧騒に満ちている。
武装した集団が何組も集まっているようだ。これから出立する準
備だろうか。
金属の鎧を身につけている者などはあまり居ない。
良くて革鎧か、布製の鎧といったような者も多いようだ。
ベイルは元々は数千人規模の人が暮らす、小さな城塞都市であっ
たそうだ。
王国の騎士団が大森林へ向かうための、中継地点のような場所で
あったのだという。
その立地が見直され要塞化が進み、やがて大森林へ赴くのが騎士
から冒険者へと移り変わると、多くの人が冒険者へ志願するように
なり、加速度的に大都市へと変貌していったそうだ。
俺達はギルド屋舎の外まで溢れ出る人達を掻き分け、開かれた重
厚な戸を潜り中に入った。
284
ギルドの床には、古い石畳が敷き詰められていた。
外壁は石造りだが、内部や骨組みは木造で、所々にはカンテラが
明かりを補強している。
掲示板に張られた依頼書と思しき書類、大きなホテルを思わせる
ほど広いギルドホールには、寒い日には火が焚かれるのであろう大
きな暖炉が設置されている。
暖炉の周辺にはテーブルや椅子なども設置され、そこで談笑する
人の姿も見えた。
多くの人で溢れかえり、その中を行き交う荒々しい男たちの姿。
獣の皮を剥いでそのまま被ってきたような、野獣のような戦士。
黒のローブを頭からすっぽり被った老人。
全身甲冑の騎士っぽい奴。
ほぼ裸の女。
ギルド内部は混沌としていた。
﹁すいません、冒険者の登録をしたいのですが﹂
俺は受付と思われるカウンターで、係の女性に声を掛けた。
リン・マウ ギルド職員Lv31
エルフ 62歳 女性
285
エルフ族はやはり長寿なのか、見た目と実年齢にギャップがある。
そういえばミラさんのステータスを確認していなかったが、彼女
の見た目もかなり若い。
このリンさんも、いいとこ20代前半くらいにしか見えないな。
そんなことを思っていると、リザに脇腹を指で突かれる。
ちょっとだけ口が尖って見えるのは気のせいだろうか。
﹁はい、登録ですね。少々お待ちください﹂
エルフは美人しかいないのかと思うほど、彼女も美しかった。
胸はリザのほうが⋮⋮
﹁おい、兄ちゃん。ちょっと待ちな﹂
俺は不意に背後からかかる声に呼び止められた。
声を掛けてきたのは、熊のようにでかい男だった。
服を着たザンギエフのようなやつだ。
﹁並んでるのが見えねえのか?用があるなら後ろに並びな﹂
男は親指を立てて合図を送る。
﹁あ、そうでしたか。すいません﹂
どうやら順番だったらしい。
286
俺は男の指示に従い、後ろへ回る。
﹁とは言ってもコレで並んでるのか?﹂
日本人の感覚だと1列に綺麗に並ぶ姿を想像してしまうが、どう
やら冒険者には順番に綺麗に並ぶという能力が備わっていないらし
い。
ぐちゃぐちゃに固まっていて、とても順番待ちしているようには
見えなかった。
リザを見ても、この感覚は理解できないようなので、冒険者特有
のいい加減な性質というヤツなのかもしれない。
﹁お兄さん、こちらへどーぞっ﹂
困っている俺を見かねたのか、受付カウンターから声がかかる。
﹁すいません、お願いしま⋮⋮す?﹂
そこに居たのは、小さな受付嬢だ。
丸い顔に丸い耳、褐色の髪に鳶色の瞳。
身長120センチほどの、どう見ても人族の子供がちょこんと椅
子に座っている。
ノーマ・ビュケ ギルド職員Lv3
人族 10歳 女性
エルフなどもそうだが、見た目と実年齢にギャップがあることは、
この世界に置いて珍しくはないように思える。
287
まぁ異世界だしな、エルフがいてドワーフがいて魔物が徘徊する
ような世界だ。
子供に見えて高齢の妖精族なんてこともありえると思っていたの
だが、普通の子供のようだ。
しかしギルドの職員で子供が働いていいのだろうか?
﹁冒険者の登録ですねっ?ここに名前と出身地、職業を記入してく
ださいっ﹂
やたらキャピキャピした受付嬢だ。
カウンターに羊皮紙とペンが差し出される。
﹁字が書けない場合は、代筆も出来ますっ。いかがいたしますか?﹂
俺はこの世界の文字は読み書きできない。
それゆえ代筆を頼もうとすると︱︱
﹁ジン様、お任せください﹂
リザがやってくれると名乗り出てくれた。
﹁ありがとう、頼むよ﹂
ジン・カシマ ザッハカーク大森林 職業か⋮⋮
職業ってリザの薬師とかのことだよな?
俺の漂流者って職業になるのか?
288
俺が職業の表記に迷っていると︱︱
﹁どうなさいました?冒険者に転職でよろしかったですか?﹂
﹁あぁ、そうだな。もちろん冒険者になりたいんだけど⋮⋮﹂
﹁わっかりました﹂
ノーマはそう言うと、まるでクリスタルで出来たかのような四
角く透明なブロックを取り出した。
﹁どうぞー﹂
ノーマは気軽な感じで薦めてくる。
俺はわけも分からず、言われるがままそのクリスタルブロックに
手を載せる。
しばらくするとクリスタルはピカピカと明暗し、更に待つと光は
静かに収まった。
転職石 魔導具 D級
転職させてくれる魔導具か。
さすがファンタジー、時々超技術が出てくるのは、やはりお約束
なのだろう。
ジン・カシマ ザッハカーク大森林 冒険者
﹁家名はカシマ様ですか?聞いたことのない氏ですが、ルタリアの
289
方ではないですよね?﹂
﹁あぁ、まぁそうだな﹂
なんて説明すればいいんだ?
あんまり誰彼なく、異世界から来ました!なんて言いふらすのも
問題ありそうだしな⋮⋮
話すにしても、ある程度信頼出来る人にしておきたいとは思うの
だが。
﹁そうですか、わかりましたっ。出身地はザッハカーク大森林との
ことですが、獣人の村でしょうか?エルフは異種族や混血を村へ滞
在させることは無いはずですが﹂
あまり深く追求しないでくれるのは有難いのだが、どうもこの子
の軽い感じが馴染めないな⋮⋮
﹁まぁエルフの村かな、一応⋮⋮﹂
実際は森の中に降って湧いたわけなんだけど。
異世界人というのを、隠したまま手続きするのは無理なのか⋮⋮
﹁まぁ、言いづらかったら言わなくても結構ですけどね﹂
いいのかよ。
だったら最初から言ってくれよ。
﹁あ、そうだ1つ報告があります﹂
290
>>>>>
ギルド1階の廊下を進み、とある部屋へ案内されることになった。
アルドラの村についての報告は、ギルドマスターが直接受けるそ
うだ。
俺たちを案内するのはエルフの女性だ。
エリーナ・ライネ ギルド職員Lv43
エルフ 84歳 女性
スキルポイント 0/56
鑑定 A級
弓術 B級
騎乗 F級
光魔術 B級
風魔術 D級
やはり年齢と見た目にギャップがある。
俺の目には30代後半くらいの、大人の女性のようにしか見えな
い。
落ち着いた上品な感じを受ける。
先ほどのギルドホールの、粗野な雰囲気とは偉い違いだ。
あれが冒険者のイメージだとすると彼女が漂わせるそれは、まる
で宮廷の女官のような規律や礼節といった言葉が似合いそうな雰囲
気を醸し出している。
291
それにしても、この人レベルとポイントが一致してないな。
ポイントの取得はレベルアップが条件のはずだが⋮⋮
ここ最近俺は見える情報を、ある程度コントロールできるように
なってきていた。
名前や職業など基本的な情報。
スキルなどに至る詳細な情報。
怪我や病気などに冒されていないかという、状態に関する情報だ。
より詳細に見るには、ある程度凝視というか数秒間対象に集中す
る必要があるし、魔力も多く消費する。
激しい戦闘中では難しいし、特に詳しく見るには顔周辺を凝視し
なければいけないため、タイミングもある程度必要である。
﹁こちらでお待ちください﹂
考え事をしている内に、辿り着いたようだ。
俺達は部屋に入り、革張りの長椅子に腰を降ろしてマスターが現
れるのを待つ。
こういう場合、立って待ってないと失礼にあたるんだろうか?
冒険者たちの雰囲気をみるかぎり、そのあたりは寛容であろうと
思いたい。
292
﹁リザ、冒険者ギルドとかマスターについて何か知ってることある
?﹂
リザは首を横に振り﹁わかりません﹂と申し訳無さそうに答える。
﹁そっか﹂
リザは冒険者じゃないのだし、知らなくても当然なのだろうけど。
293
第27話 ギルドマスター
ギルドマスターへアルドラの村の事を直接報告する、ということ
でとある部屋を通された俺とリザ。
しばらく待っていると、部屋に2人の男女が入ってきた。
﹁待たせたな。最近はギルドも忙しく、職員も手が回らんので参っ
とる。ええっと⋮⋮﹂
ドカドカと床を踏み鳴らし現れた男は、低い背丈に頑強な体を持
つ︱︱
ヴィム ギルド職員Lv48
ドワーフ 152歳 男性
スキルポイント 0/57
鍛冶 B級
鉄壁 B級
剛力 D級
探知 D級
斧術 B級
ドワーフであった。
俺とリザは長椅子より、即座に立ち上がり︱︱
﹁ジン・カシマです﹂
﹁エリザベス・ハントフィールドです﹂
294
頭を下げ、礼をする。
﹁ヴィムだ、このギルドを纏めている。あんたらも冒険者なら、堅
苦しいのは無しにしてくれ。まぁ座んな﹂
ヴィムはぶっきら棒な調子で挨拶を済ませると、ドカリと革張り
の長椅子に腰を下ろした。
彼と共に現れた女性は、先ほど部屋を案内してくれたエルフのエ
リーナだ。
﹁彼女はエリーナ。愛想は悪いが優秀な職員だ。君たちの報告に同
席して審議を測るために来てもらった﹂
﹁わかりました。よろしくお願いします﹂
エリーナはヴィムの横に座り、無言のまま軽く会釈をして答えた。
﹁時間も惜しいし、話を聞こうか?﹂
俺はアルドラの村であったことを、ヴィムに語った。
俺が異世界から来た漂流者であることは今のところ伏せている。
言う必要があれば折を見て話せばいいだろう。
村でアルドラの亡霊にあったこと、しばらく村で生活していたこ
と、魔人に襲われたこと、それを撃退したことなどだ。
その後ガロの村を経由して、ベイルまでやってきたという旨を話
した。
295
﹁⋮⋮ふむ﹂
ヴィムは俺の話を口を挟まず静かに聞いていた。
時折ふむふむと、何かに納得しているような様子も見えたが。
ヴィムはエリーナに視線を送ると、エリーナは首を振って答えた。
﹁嘘は言ってないようだな﹂
エルフには直感という特性があるという。
リザも持っているやつだ。
ハーフではその力も弱まるというが、リザはハーフの中でも強い
方らしい。
特に人生経験を積んだ老練なエルフたちが持つこの特性は、かな
り強力なものだという話を聞いた。
ざっくり言えば、凄まじく勘が鋭いとでも言うのだろうか。
これはただ当てずっぽうというのではなく、僅かな情報から本質
を見抜く能力のようだ。
人が嘘を言っているかどうかであれば、嘘を言う人間には必ず嘘
を隠そうとする仕草などの、違和感があるという。
それらを僅かな挙動から、あぶり出し本質を見抜くものなのだと
いう。
これらの能力は経験の浅い若いエルフではたいした信頼性を持た
ないが、経験深い老練のエルフに置いては強力な能力になり得ると
いう。
特に経験を積んだエルフ女性の勘の鋭さは、どんな男も彼女達に
は隠し事が出来ないほどであるという。
296
おそらくこのエリーナの能力は、そこに徹し得るレベルのものな
のだろう。
ガチャリ
緊張感が場を支配しているその時、ドアの開く音がその空気を破
った。
﹁失礼しま∼すっ﹂
現れたのは先ほど受付で、登録手続きを行ってくれていた少女だ
った。
その手にはお盆が、そしていくつかのマグが見える。
﹁お飲み物お持ちしました∼﹂
お盆に乗ったマグが、ガチャガチャと揺れる。
ヴィムは何故だか嫌なものを見たように顔をしかめ、エリーナは
無表情ながら僅かに眉がピクリとあがったような気がした。
ノーマに目をやると魔眼を通して情報が入った。
しかしいつものそれとは違う。
297
俺の魔眼は見た物の情報が、直接頭のなかに流れこんでくる感じ
なのだが、それがおかしな事になっている。
まるでトランプのシャッフルの様に、幾つもの情報が目まぐるし
く変化していくのだ。
魔眼がバグったのか?
このような事は初めてだった。
﹃これは奴の能力じゃ﹄
﹁え?﹂
今一瞬、声が聞こえたような気がした。
俺は思わず変な声が出てしまった。
どこかで聞いたことあるような?っていうか。
いや、まさかな?
﹁ジン様?﹂
リザが急に変な声を出した俺に、心配そうな顔を向ける。
俺はポケットに手を入れ、中に入っていたものをテーブルに出し
た。
﹁これは?﹂
298
﹁俺がアルドラさんから受け取った形見です﹂
それは︱︱
魔晶石 素材 S級
だった物だ。
だが今は名称が変化している。いつの間に?
幻魔石 魔導具 S級
﹁魔晶石か?かなりの高純度のようだが⋮⋮﹂
﹁いえ、魔晶石に酷似していますが違うようです⋮⋮私も初めて見
る﹂
﹁⋮⋮﹂
3人の反応はそれぞれだが、ノーマのそれは先ほどまでの純粋な
子供の笑顔は消え去り、いやらしい笑みが顔に張り付いていた。
ゼスト・シトロン ギルド職員Lv53
人族 56歳 男性
スキルポイント 0/57
短剣術 D級
闇魔術 B級
風魔術 C級
回避 C級
299
隠密 B級
探知 F級
ノーマの個人情報が変化している。
いや、元に戻ったのか?
入り乱れた情報が整理され、ゼストの情報が迫り出されるように
浮上してきたような感覚だ。
﹁ゼストさん?﹂
﹁ほう!?﹂
ノーマは一瞬驚き、そしてすぐに歓喜の笑みを見せた。
﹁私の変化を見抜ける者がいるとは⋮⋮やはり只者では無いみたい
だね!﹂
ノーマから黒いオーラが立ち上り、その身を包み込む。
一瞬にして、幼い少女は背の高い白髪の老紳士へとその姿を変え
た。
ヴィムもエリーナも表情は変わらない。
つまりはそういうこと。
2人は少なくとも知っていた。
リザは俺の横で目を見開いて固まっている。
﹁エルフババァの直感を凌ぐ能力か。特性か、スキルか⋮⋮神器の
300
所有者では無いようだが﹂
顎に手を当て、むううと唸るゼスト。
その立ち姿は貴族の執事の様でもあり、背筋が伸びスラリとした
体躯に、黒い軍服のような服をビシッと着こなしていて洗練された
印象を受ける。
﹁おい誰がババァだ?﹂
エリーナが横でゼストの横腹に、手刀で鋭い突きを入れる。
ゼストはそれを、ひらりと躱す。
﹁お前以外に誰がいる?﹂
からからと嘲り笑うゼスト。
更に手刀がゼストを襲うが、それをことごとく躱していく。
何してんだこの人達。
ん?
今何か、幻魔石が反応したような?
俺はおもむろに石に手を伸ばす。
石から魔力が溢れ出る。
それはまるで石から虹が溢れ出ているかのように、様々な色をし
たオーラをそこから立ち上っていた。
301
﹁エリーナ何だこれは!?﹂
ヴィムが慌てて叫ぶように訴える。
﹁わからん、私の鑑定でも見えん。何をしたお前!?﹂
エリーナの顔にも焦りの表情が見えた。
﹁慌てるなばかども。黙ってみていろ﹂
ゼストは一人落ち着き払い、それでいて期待感を持ったような目
でそれを見つめていた。
時間にして数秒、石はやがて全て魔力へ分解、変質し、やがて1
つの形を作る。
﹁よう!﹂
片手を上げて、気軽な感じで挨拶をする。
そこに現れたのは推定7、8歳くらいの銀髪のエルフ少年だった。
>>>>>
﹁君は私の変化を見ても、あまり驚かないんだね?﹂
302
ゼストは椅子に腰掛け、残念そうに言った。
﹁いえ驚いてますよ?ただ、何でもありの魔術ですから、そういう
事もあるんだろうなと思っただけです﹂
﹁そうか、しかし私の変化を見破ったのは君が初めてだよ。いやぁ
驚いた﹂
はっはっはっと軽快に笑うゼスト。
﹁しかしゼストお主も老けたな?最後にあったのは、まだ尻の青い
若造じゃったと思うのじゃが﹂
﹁人族はそんなものですよ、エルフやドワーフの寿命は人族の3倍
ほどでしたっけ?羨ましいかぎりです﹂
俺が形見に受け取ったと思っていた魔晶石。
それが幻魔石という魔導具に変化していた。
そして今、その幻魔石はアルドラさん︵子供バージョン︶に変化
している。
どうしてこうなった?
﹁わしにもわからん。気づいたらこうなっていたのじゃ﹂
アルドラ・ハントフィールド 幻魔Lv1
﹁幻魔って何ですか?﹂
﹁わからん﹂
303
俺は周囲を見渡す。
皆一様に、首を振っている。
どうやら幻魔を知るものは居ないようだ。
﹁大叔父様よかった⋮⋮生きていらっしゃったのですね﹂
リザの目には涙が浮かんでいる。
本当に嬉しそうだ。
﹁いや、死んでたけどなー!わしにもようわからんが、生まれ変わ
った様な気分じゃわい﹂
アルドラはテーブルの上に立ち、清々しい顔で胸を張った。
﹁いや、完全にそれ生まれ変わってますよ﹂
俺はため息を吐いた。
﹁まったく昔からむちゃくちゃな奴だとは思っとったが、死んだ後
に再び舞い戻るとは、ほとほと規格外の男だな﹂
ヴィムは呆れたように呟いたが、その顔には決して悪意は感じら
れない。
久しぶりに見る古い友人を、歓迎しているように見えた。 ﹁さて、こうして古い友人が久々に顔を出してくれたのだ。積もる
話もあることだろうし、どうだろうか近くの酒場で1杯⋮⋮﹂
エリーナの睨みがゼストに刺さる。
304
﹁⋮⋮と言いたい所だが、うちの秘書が許してくれ無さそうだな。
まぁアルドラも世間話をしに姿を現した訳でもあるまい?﹂
革張りの長椅子に深く腰掛け、足を組んだアルドラが不敵な笑み
を浮かべる。
﹁もちろんじゃ。活動期じゃからのう、ギルドも忙しいじゃろう。
わしもゆっくりしていきたいところじゃが、要件を済ませてしまお
うかの﹂
俺はアルドラさんに指示され、懐からウルバスが残した血石をテ
ーブルに載せる。
﹁⋮⋮これは?﹂
ゼストの飄々とした表情が、一瞬凍りついたかのように見えた。
ヴィムやエリーナも初めて見る品のようだ。
﹁魔人化したウルバスが残したものじゃ。おそらくは魔石に準ずる
もののようだが、わしも初めて見る﹂
崩れたウルバスの亡骸は、あっという間に塵となり、風に吹かれ
て消え去った。
後に残されたのは、この血石のみだった。
﹁触ってもいいかな?﹂
﹁どうぞ﹂
305
ゼストはそれを慎重に持ち上げると、しげしげと眺めた。
その後、エリーナに手渡すも︱︱
﹁私の鑑定でも、血石 素材 E級とまでしか見えませんね﹂
魔人は人類の歴史上、人族の1体しか確認されていないそうだ。
発生原因は疎か、魔人とはどういったものなのか、ほとんど資料
もなくその存在は謎に包まれている。 唯一伝えられていることは、非常に好戦的で、極めて危険である
ということ。
人類にとって害であるということだけであった。
研究者の間では、魔物の発生原因と同じでは?と考える者も多い
らしいが、今のところ確証はない。
魔物というのは動物が短時間に魔素を大量に吸収した結果、器が
耐え切れなくなり魔物へと突然変異したもの。と考えられている。
魔素はどこにでもある、目には見えない特殊な物質らしいが、濃
度の濃さには場所によって違いが在る。
植物の種類によっては濃い魔素が沸く場所で成長が高速で進む種
もあり、条件があえば見る間に深い森が形成されるという現象が起
こることも在る。
大森林がその1例だろう。
大森林では深いところほど魔素が濃く、魔物が多く生まれる場所
なのだ。
ちなみに植物、動物、虫、魚、どれも魔物化すると魔獣と呼ばれ
るらしい。
知性の乏しい、本能に突き動かされる魔物のことを差すのだとか。
306
俺達はウルバスについて、わかることを伝えた。
俺は僅かな時間しか相対していなかったので、大した情報を持っ
ているわけではないのだが、それはアルドラさんも同じのようだ。
彼もまた接触していた時間は短く、それほど有意義な情報はなか
った。
﹁つまるところ、魔人についてはさっぱりわからないということだ
な﹂
﹁じゃがこうなると、第3、第4の魔人が現れてもおかしくはある
まい﹂
むむむと唸るヴィム。
﹁専門の研究者に任せましょう。少しでも何かわかるかもしれませ
ん﹂
血石を調べ、発生原因を特定する。
それができれば、今回のようなことも防げるかもしれない。
﹁ではこの血石はギルドに提出という形でいいかな?﹂
ゼストがテーブルに置いてある血石に手を伸ばしかけると、アル
ドラから待ったがかかる。
﹁それは強制か?﹂
ちらりとエリーナを見ると、彼女は一瞬考えた素振りを見せ︱︱
307
﹁⋮⋮いえ、任意です。冒険者が獲得した素材を、ギルドに提出す
るか、自分で処理するかは、本人の自由意志となります﹂
﹁⋮⋮﹂
ゼストが苦い顔で、アルドラを見つめる。
﹁ふむ、じゃがわしらも魔人がまた出現するようなことが起こり、
誰かが犠牲になるようなことは望んではおらん。じゃがこれはジン
の戦利品じゃ、わしが勝手にどうこうしていいものではない。じゃ
からわしがジンに掛けあって、魔人の手掛かりとなるであろう、そ
の素材を優遇してもらえるように頼んでみよう。無論謝礼は必要じ
ゃが﹂
それでええかの?といった表情で俺を見つめてくるアルドラさん
に俺は無言で頷き返した。
﹁わかりました。金貨30枚でどうですか?﹂
エリーナが無表情で金額を提示してくる。
﹁金貨60枚じゃ﹂
アルドラはそう即座に返答した。
﹁無理言わないでください。35が限界です﹂
﹁貴重な情報に金を出し渋るのか?50じゃな﹂
308
﹁わかりました。50でいいでしょう﹂
ゼストはテーブルの血石を手に取りそう告げた。
﹁マスター!?﹂
エリーナは信じられない!とばかりに驚愕の声を上げる。
﹁前途有望な若者に融資するのは悪い話じゃない。うだつのあがら
ないロビーで騒いでいるだけの連中に、金をバラ撒くよりずっと建
設的だ﹂
エリーナはまだ少し納得していなかったが、最後には折れ、了承
した。
その後、エリーナは謝礼金と俺のギルドカードを用意するために
席を立った。
ヴィムには俺が持ち込んだ、魔石や素材もろもろを鑑定、換金す
るために鑑定所へ行ってもらっている。
俺が持ち込んだというか、多くはアルドラさんの地下収納庫にあ
ったものだが。
鑑定所と言うのは、ギルドの裏口に併設されている施設で、冒険
者が持ち込んだ魔物の素材や迷宮から産出された未知の素材を鑑定
する場所である。
鑑定所はベイルの街中にもあるが、ギルドで行えば冒険者であれ
ば無償で鑑定してくれるので、ほんんどの冒険者はここで鑑定する
だろう。
鑑定後、自分で使用する場合は持ち帰り、必要の無いものはここ
で売却するのが決まりになっている。
309
ここで無償で鑑定後、もっと割のいい店に売却というやつも、中
にはいるらしいが、一応罰則は無いもののそれらの行為は禁止とな
っている。
そんなケチな事をするのは、いつまでも低ランクで行き詰まって
いる連中くらいなものだとゼストは笑った。
﹁それにしても、お主がギルドマスターとはな。それだけ時が流れ
たということか﹂
アルドラさんは、ちょっとだけ遠い目をしている。
﹁まぁ周りが優秀ですからね。私が働かずともみんなが頑張ってく
れるので助かってます﹂
﹁あの、受付で変化していたのは、俺を試すためだったんですか?﹂
そう言われたゼストは惚けた様な顔を見せて、
﹁いえ、私は少女に変化して受付業を行うのが趣味でして﹂
﹁趣味!?﹂
﹁見破られたのも驚きましたが、アルドラの知人だったのも驚きま
した。アルドラが目をかけているだけあって興味深い。もしベイル
で困ったことがあれば、声を掛けてください。私は普段先ほどの様
な姿でベイルを巡回するのを仕事にしていますので﹂
少女に変身して街を散歩するのが仕事なの?ギルドマスター!?
﹁ギルドマスターの肩書などただの飾りです。なんの意味もありま
310
せん。私の仕事は街の犯罪者から少女を護ることです。街の平和を
守りつつ、遠くから見守り愛でるのが私の仕事なのです﹂
﹁⋮⋮はぁ﹂
ギルドマスターは格が違った。
俺の理解を遥かに超える存在のようだ。
まぁ、いいか。平和を守ってるんだし、いい人なんだろう。
ふと横を見ると、リザが無表情になっている。理解が追いついて
いないという顔だ。
⋮⋮そっとしておこう。
﹁お主も、変わらんのう﹂
そういってアルドラさんとゼストは、はっはっはと笑いあった。
311
第28話 F級冒険者
﹁失礼します﹂
ガチャリと扉を開けて、エリーナが小さな木箱を手に戻ってきた。
木箱をテーブルに置くとその中を開けて見せる。
﹁おぉ﹂
﹁すごいです⋮⋮﹂
﹁ほう﹂
小さな木箱の中には、金貨と銀貨と銅貨が収まっている。
金貨は日本の100円硬貨くらいのサイズで、まさに黄金という
ように輝いている。
やはり存在感が違う。
もしかしたら純金だろうか?いや純金だと柔らかすぎて、実用性
に欠けるらしいから違うのかもしれない。
銀貨は金貨より僅かに小さい。黄銅貨も似たようなサイズで黄色
に輝いている。金とは明らかに違うとわかる黄色で、5円玉に似た
色合いだ。
﹁素材提供の謝礼として金貨50枚。魔石その他の売却金として金
貨30枚、銀貨4枚、黄銅貨80枚。合計80万4800シリルに
なります。黒狼の毛皮は外套の修復に利用可能ということでしたの
312
で、除外しておきました﹂
うん。
価値がわかんねぇ。
すごいのか、すごくないのかわかんねぇ。
とりあえず確認はリザに任せよう。
この国で流通している通貨は、シリルと言われる貨幣でそれぞれ
︱︱
大金貨 50000シリル 金貨 10000シリル
大銀貨 5000シリル
銀貨 1000シリル
黄銅貨 10シリル
青銅貨 1シリル
となっているらしい。
続いて俺は冒険者ギルドの説明を受けることになった。
冒険者ギルドへの加入には、通常紹介状が必要らしい。
無い場合は仮採用扱いとなり、数ヶ月は見習いとなって依頼の報
酬が何割か差し引かれるそうだ。
俺の場合はアルドラさんが保証人となるらしく問題無いようだ。
加入には年会費銀貨2枚必要とのこと。
313
ギルドに加入するとギルドへの貢献度によりF級から始まり、E
級、D級、C級、B級、A級、S級と階級が上がる。
基本的にはレベルが一定以上に達していること、一定期間内に貢
献度を規定以上達成することで審査となり認められると階級が上が
るという。
依頼失敗、または放棄の際には報酬の倍額の違約金が発生する。
また昇級のための貢献度もリセットされ1からとなる。
依頼は2つ上の階級まで受けられ、FであればD以下の依頼まで
受けることが出来るということのようだ。
貢献度は同ランク以上の依頼で加算されるが、上のランクだから
といって貢献度が多く加算されるということはないらしい。
つまり階級を上げる目的なら、同ランクの依頼を着実に達成して
いくのが一番の近道だということだ。
貢献度というポイントの増減はギルドカードで管理されているよ
うだが、ギルド会員にその情報を提示することはなく、ギルド内に
ある特殊な魔導具で職員が管理する規定になっているらしい。
昇格条件の達成が近づくと職員が会員に通告し、昇格するか否か、
もしくは昇格試験を受けるか否かを問われるのだという。
依頼はギルドの掲示板に張り出される。
それぞれ階級別の掲示板が設置されているようだ。
ちなみにS級の依頼は個人指名となるので掲示板は存在しないの
だとか。
冒険者ギルドの会員になることで身分証明になり、階級が上がれ
ば市民権と同等の権利も与えられる。
314
城壁で囲まれた都市で生活するには、通常市民権が必要らしい。
ここベイルでは冒険者は優遇されているため市民権が無くても壁
内に住むことも許されているが、たとえば怪我や病気で冒険者を引
退せざるを得ないときに、市民権を持って引退するか否かでは大き
く意味が異なってくるのだ。
最悪の場合は、都市から追い出されることになる。
市民権を得るにはC級以上の階級もしくは、多額の金貨が必要に
なるらしい。
そのため将来を見据え引退後の生活を考えるなら、C級以上の階
級を目指しつつ引退後の為に貯蓄をするというのが、賢い者のやり
方かもしれない。
もちろん誰しもがC級以上になれるとは言えないらしいが。
﹁まぁ多くの冒険者たちはその日暮らしの労働者と何ら代わりませ
ん。金が無くなれば働き、金ができれば飲みに行くような生活です。
怪我や死の危険を犯してまで、レベルを上げようとするものは少数
派でしょう﹂
他には規則についてなど、まぁ揉め事を起こすなとか、そんなよ
うなことだ。
後はギルドで受けられるサービスや、訓練場の利用の仕方などな
ど⋮⋮
それとベイルには初心者の迷宮と呼ばれるダンジョンもあるらし
い。
F級の間にしか利用できない、いわゆる迷宮攻略の練習場のよう
な場所だ。
315
﹁なるほど。その初心者の迷宮ってのには、ギルドでやってる講習
20時間、実習20時間を受けなければ利用できないんですね?﹂
﹁はい。例えば今日の午前中に薬草学講習2時間、午後から体術実
習2時間、というように毎日行われていますので、それらを受講し
ていただき、指導官に証明書へサインを貰ってギルド受付へ提出と
いう流れになります﹂
講習10種類、実習10種類、計40時間、毎日やって最短で1
0日間か。
﹁わかりました。講習は明日からでも受けてみます﹂
﹁そうですか。お待ちしています﹂
エリーナから免許証サイズの金属のカードが差し出される。
﹁これがギルドカードですか﹂
何の変哲もない金属のカードだ。
見た目は鉄板といった感じだ。
﹁このナイフで血を1滴カードに垂らして見てください。それで本
人登録が完了となります﹂
俺は言われるがまま、指先に傷を付け、カードに血を垂らした。
一瞬、カッと輝いたと思うと、すぐに光は収まる。
ジン・カシマ 冒険者Lv1
人族 17歳 男性 平民
316
冒険者ギルド ベイル所属 階級:F 魔眼を使うとこの様に見えた。
ん?冒険者Lv1?
冒険者ギルド所属になったからか?
﹁これでギルドカードの登録は終了です。このカードは本人の魔力
を記憶させてありますので、本人にしか使えません。この情報を見
ることも特別な魔導具な無ければ本人しか見えません。貴重な物な
のでくれぐれも無くしたりしないように、大切にしてください。再
発行の際には金貨1枚が必要になりますので﹂ ﹁わかりました﹂
これで一応ギルドの登録は完了のようだ。
ちなみにギルドカードは階級によって色合いが変わるらしい。
鉄から始まり、青銅↓黄銅↓赤銅↓銀↓金↓ミスリルとなる。
ミスリルというのは俺もまだ目にしたことはないが、ミスリル、
ミスリル銀、霊銀などと呼ばれる白銀に輝く希少金属のようだ。
採掘される量が限られているために極めて高価なのだとか。
ゲームや小説でもよく聞く名前だし、例に漏れず優れた素材のよ
うで俺も興味をそそられる。何れはミスリル製の品など手にしてみ
たいものだ。
317
﹁このまま大金を持ち歩くのも不用心じゃ。幾ばくかは手元に残し
て、預けて行ったらどうじゃ?﹂
冒険者ギルドには無償で貸し金庫を提供しているらしい。
しかし、この金は俺だけの物ではない。
一部はアルドラさんの地下室から拝借した素材や魔石を売却した
ものだし、血石のことにしても俺1人で戦ったわけではないのだ。
俺の戦利品ということにはならないと思う。
﹁わしはこの体では金を自由に使うということは無いのだし、持っ
ていても意味は無いのう﹂
﹁ジン様はまずご自分の装備を整えることを、考えられたほうが良
いと思います。私のことは気になさらないでください﹂
リザには今まで色々出してもらっているからな。
何も返さないと言うのも、どうかと思うのだが。
﹁これから共に暮らそうというのに、そのような些細なこと問題に
なりません。それにあまり他人行儀にされるのも寂しくなってしま
います﹂
リザが寂しそうに俯いて訴える。
俺は申し訳無い気持ちも感じつつ、彼女達の申し出を受け入れる
ことにした。
318
どういう理屈で幻魔、幻魔石へ変化したのかは不明だが、幻魔石
へ魔力が貯まるとその魔力を用いて肉体を実体化させ、時間制限付
きで現世に顕現できるのだという。
﹁この体は魔力で作られているため、食事も水も必要ないようじゃ。
当然時間がくれば石に戻る。そして石の状態から、再び実体化させ
られる権限を持つのは、ジンお主だけの様じゃ﹂
﹁どういうことですか?﹂
﹁わしにもわからん、だがそうだということはわかる。今のわしは
お主の眷属のようなものだと思ってもらって良い。そうじゃな、ア
ルドラ・ハントフィールドはもう死んだ。今のわしはただのアルド
ラじゃ﹂
﹁わかった。アルドラさん﹂
﹁さんは不要じゃぞ?これからは対等、いやジンがわしの主じゃ、
よろしく頼むぞ﹂
急に主従と言われてもピンとこないが、肉体を持ったアルドラさ
んが仲間になったのだとしたら心強い。
制限付きだとはいえ、冒険者としてもこの世界の住人としても先
輩の彼は大きな力になってくれるだろう。
﹁わかった。よろしく頼む﹂
俺はアルドラと固い握手を交わし、その決意を受け取った。
319
カードを受け取り、ギルドの説明を聞き終えた俺達は︱︱
﹁たまには顔出せよアルドラ﹂
﹁主の許可が出たらのう。ゼストよ村のことは頼んだぞ﹂
﹁ああ、この街にも避難している奴が何人かいる。彼らに連絡を取
れば、そこから他の者達へ伝わるだろう﹂
﹁うむ。それで十分じゃ﹂
ギルドマスターとエリーナに見送られ、部屋から退出した。
同じ建物内にある貸し金庫へ、受け取った金の大部分を預けギル
ドを後にした。
ちなみに金庫とはいっても、ちょっとした物置サイズもあって冒
険者という仕事柄か、希少な素材や武器や鎧の類も預けて置けるら
しい。
最小のサイズで3帖ほどの広さだが、階級を上げ追加料金を支払
うことで広い金庫を借りることもできるようになるそうだ。
ちなみに貸し金庫や倉庫は街にもあるらしいが、安全面で一番信
頼できるのはここだと教えられた。
まぁ無償で借りれるのだし、ギルド内にあって便利もいいのだか
ら他で借りる理由は今のところない。
﹁とりあえず差し当たって必要なもの買い揃えたいな﹂
320
これからこの街で生活するなら、日用品から冒険者としての装備
品までいろいろ必要になる物はあるだろう。
それに異世界の街の商店というものにも興味がある。
俺達は街の大きな通りに出た。
ベイルは旧市街、現在では中央と呼ばれる街の中枢と、新市街と
呼ばれる中央を取り巻くようして作られた新たな居住区域によって
できている。
中央を囲む城壁に、外周の城壁と2つの城壁があるらしい。
中央には大聖堂やら修道院やら、街の行政を司るような施設だっ
たり、裁判所だったり、貴族の邸宅だったりがある。
いわゆる重要な施設が集まっている場所で普段は門も固く閉じら
れ、関係者しか入れない場所のようだ。
﹁だいぶ人が多いのう。いくら活動期と言うても、わしが知ってい
るベイルはここまででは無かったような気がするが﹂
現在のアルドラは120センチ強ほどの背丈に、上半身裸で七分
丈の革パンに裸足という出立である。
人族と比べると尖った長い耳に、胸辺りまである長い銀髪。
サファイアの様な青い瞳。
子供にしか見えない姿であるため許されそうだが、あの元の姿で
街中を歩くと通報されそうなんだが。
そういえば元の姿には戻れるんだよな?
あれ?戦闘とかで頼りにしてもいいんだよな?ずっと子供のまま
か?
321
﹁今の姿は魔力を節約した姿じゃからのう。無論、お主の知ってお
る姿を取ることも可能じゃ。魔力で出来た体ゆえ、ある程度の自在
は可能なのじゃ﹂
ある程度って、相当な自由なようだが。
﹁それにしても多いな。いつもこんな感じ?﹂
俺の側にいるリザが、口元を隠していたストールをずらして答え
た。
﹁いえ、このようにまともに歩けないほど混雑するというのは珍し
いですね﹂
リザは外出するときは、いつもローブのフードを深くかぶり、口
元をストールで覆って行動する。
隠蔽系の魔術が付与された魔装具らしく、エルフは何かと絡まれ
やすいため自衛の為にそうしているらしい。
ちなみにそれほど強力なものではないようなので、俺の魔眼では
普通に見破ることができるわけだが。
﹁ギルドマスターって何者なんですか?昔から知ってる様子でした
けど﹂
俺は見える情報を自分で段階を付けて制限することができる様に
なったが、無駄な使用は控えるようにしている。
あまり情報を多く取り過ぎると俺が疲れるというのもあるし、魔
眼の酷使し過ぎは疲労、魔力の消耗にも繋がる。
いざという時、疲弊していては困るからな。
322
ギルドマスターについては、あのような見え方のする人物は初め
てだった。
あれは何かのスキルなのか、特性なのだろうか。
﹁奴は神器の所有者じゃ﹂
神器?
そういやギルドマスターも、なんか言ってたな。
﹁古代遺跡などでごく稀に発見される、現代の魔術では作成不可能
なレベルの魔導具、魔装具の類じゃ。どれもこれも強力な能力を持
っていると言われておる﹂
それ自体が命を持つとも言われる神器。
使い手を神器自ら選び、資格無いものが身につけても扱う事は出
来ないという。
一度所有者として選ばれると、その者が死ぬか所有権を放棄、も
しくは譲渡しないかぎり所有者専用装備となるらしい。
﹁ギルドマスターのは変身能力ですか﹂
﹁そうじゃ、たしか変化の指輪と言ったはず。ただどんなものでも
変化できるわけでもなく、思い入れの強いものにしか変化出来ない
らしいが。中身は本人と変わらんらしいから、剣の達人に変化して
も達人になれるわけでは無いらしいがの﹂
それでも、あの人がそんな能力持ってたら、ある意味最悪のよう
な気もするが。
まぁ立場のある人だし、きっとその辺は弁えているんだろうと思
323
いたい。
﹁わしとゼスト、エリーナ、ヴィム、あともう1人と5人でPTを
組んでいたのじゃ。もう何十年も昔の話じゃ﹂
冒険者時代の元メンバーか。
アルドラはS級、他のメンバーはA級だったようだ。
﹁ゼストは斥候、ヴィムは鍛冶師、エリーナは鑑定師じゃったな﹂
今はみな冒険者を引退して、ギルド職員をしているということか。
ん?そういやギルド職員というのも、魔物と戦ってレベルが上が
るのか?
﹁そんなわけ在るはずなかろう。ギルド職員はギルドの運営の仕事
をしていれば上がるのではないか?﹂
職業というのは戦闘職、生産職、特殊職の3つに分類される。
戦闘職は戦闘訓練、戦闘行為を行うことでレベルが上がる職業。
戦士や魔術師などのことだ。
生産職は生産活動を行うことでレベルの上がる職業。薬師や鍛冶
師などである。
特殊職はそれ意外の職業。レベルの上がり様は、それぞれ異なる
が生産職に近いものが多い。ギルド職員などのことである。
ちなみに特殊職のことはアルドラもよく知らないのだという。
324
それぞれの職業はその職業にあったスキルを修得しやすくなるだ
けでなく、職業にあったスキルを上手く扱えるようになる補正効果
が得られるらしい。
﹁アルドラは神器、持ってないのか?﹂
ギルドマスターは元A級で神器持ちなのだろう?
普通に考えればS級のアルドラが、神器を持っていない道理は無
いと思うが。
﹁あー、あぁ⋮⋮いや、わしは持っていないな﹂
今、露骨に目を逸らしたな。
何か触れてほしくない話題だったのだろうか。 325
第29話 奴隷市場
俺達は人混みを掻き分け通りを進んだ。
﹁ジン、ちょっと肩を貸せ﹂
アルドラは俺の肩に手を掛けると、ひらりと飛び乗った。
肩車である。
﹁何か見えますか?﹂
﹁うーむ、広場で何かやっているようじゃな﹂
イベントだろうか。
俺達は広場まで行ってみることにした。
﹁リザ﹂
リザに向かって手を延ばす。
﹁え?﹂
﹁人混みがすごいから、はぐれないように﹂
﹁あっ、はい。ありがとうございます﹂
彼女はそう言うと、頬を少し赤らめ俺の手を取った。
326
人混みを掻き分け広場に着くと、何台かの大型馬車が停車してい
るのが見える。
一般の荷馬車の類は、通りを移動できる時間帯を決められている。
であれば見かけるのは特別に許可を受けた商会か、いろいろ優遇
の効く貴族あたりのものなのだが、見たところ貴族ではないようだ。
見た目が派手なのと、領家の紋章があるかどうかでひと目で貴族
のそれかどうかはわかるらしい。
広場の中心部には木製の演壇が設置され、そこへ子供から大人ま
で、様々な年代の男女が立たされている。
﹁何ですかあれ?﹂
俺が発した声を、自分への質問と勘違いした野次馬の1人が反応
した。
﹁ん?何だお前、奴隷競売も知らんのか?﹂
何処の田舎者だよ?みたいな顔で見られたが、気にせず話を聞い
てみる。
﹁王国認定の奴隷商が、北方の小国から犯罪やら借金やらで奴隷落
ちしたやつを買い付けてくるんだよ﹂
演壇に上がった者達は、一枚布を2つに折って作られた、貫頭衣
と言われる簡素な衣類に身を包んでいた。
横1列に並ばされ、おそらく奴隷商人と思われる腹の出た大男が
1人1人奴隷の情報を説明していく。
327
その手には鞭のようなものが見え、細かく何やら指示しているそ
の態度から、奴隷に対してかなり高圧的な男なのだなと思った。
﹁さぁさぁ、次は北方の山岳部にある小国ダニアから參りましたハ
ーフエルフの娘、年齢は15歳。北方の民と北の森に住むエルフの
混血児です。皆さん御存知の通り、異種族同士の交配では子が出来
難いと言われ、更言えばエルフは元々、子の出来難い種族だと言わ
れております。ともすればこのハーフエルフの価値がいかほどかも、
お分かりいただけますでしょう﹂
そう言うと、奴隷商人は鞭を手に娘に指示を出す。
彼女はその指示に、おずおずと従い、一歩前に出ると自らその衣
をたくし上げた。
多くの野次馬、そのほとんどがおそらく人族の男性だろう。
彼女のその行為に会場から歓声が上がる。 ﹁これほどの逸材なら、王都へ行けば80万シリルは下りませんよ。
さぁ今日は特別に40万シリルから始めましょう﹂
奴隷商人がそう言うと、会場のあちこちから声が上がる。
なるほど、これが奴隷競売か⋮⋮
王国認定というからには、国に認められた仕事なんだろうが、人
を物のように扱うさまを見るのは、さすがに抵抗がある。
この世界の、この国の事業にとやかく言うつもりはないが、リザ
とそう年格好も変わらない女性が好奇の目に晒されているのは見る
に耐えない。
俺の所持金を見れば、あの演壇の少女を買い上げることも可能だ
328
ろうが、同じような境遇の者は幾らでもいるのだということは簡単
に想像できる。
だとすれば、ここであの1人の少女を救ってやっても偽善にしか
ならないだろう。
いや、救ってやるという考え方そのものが偽善なのだろう。
別に俺はこの国の奴隷解放運動でもしようという訳ではないのだ。
この国にはこの国のやり方があるのだ。
郷に入っては郷に従えというやつだ。
それでも俺には、この場所はあまり居心地のいい場所ではなかっ
た。
﹁行こうか﹂
﹁はい﹂
俺達は足早にその広場を後にした。
>>>>>
﹁この辺りは、商店街といったところか﹂
広場からしばらく歩き、大きな通りから1本裏に入ると、年季の
329
入った古い店が石畳の両側に並ぶ通りにやってきた。
この場所へ案内してくれたのはアルドラだ。
﹁この辺りは冒険者が利用する店が多く集まる通りじゃ。わしが冒
険者をやっとった頃からたいして変わっておらんように見えるで、
おそらくわしの知る店もあるといいんじゃが⋮⋮﹂
そう言って、アルドラは石畳の道をずんずん進む。
道の脇には等間隔に大きな街路樹も植えてあって、近代の都市の
ように整備されている。
道にはゴミらしいゴミも落ちてはおらず、かなり綺麗だ。
建物の古い感じも、また味になっていて、なかなか雰囲気のいい
通りだ。
俺はリザの歩幅に合わせて、ゆっくりと進む。
そうこうしていると、アルドラは1軒の店の前で立ち止まった。
﹁うむ、ここへ来たのはもう何十年も昔になるが、変わらず営業し
ておるようじゃ﹂
カランカランッ⋮⋮
ドアベルが客の来店を知らせる。
店の扉を開けると、カウンターの奥から店主であろう1人の老人
が深いシワのある顔を覗かせた。
﹁⋮⋮客か?﹂
330
﹁ふははは、老いぼれたのう、ダニエル﹂
アルドラは不遜な態度で、にやりとしてみせた。
店内には他に客は居なかった。
お世辞にも流行っているようには見えない店である。
﹁⋮⋮貴様、まさかアルドラか?エルフは歳を取るのが遅い種族だ
とは聞いていたが、若返ると言うのは初めて聞いたわ﹂
見てくれは多少変わっても、その顔は忘れることはない。
老人はそう言って笑うと、アルドラの今の姿を見ても驚いた様子
はなかった。
﹁まぁ長生きしておると、いろいろあるということじゃ﹂
﹁ふん、そうか﹂
老人はぶっきら棒にそう言い残し、店の奥へ引き上げたと思うと、
しばらくして何かを抱えて帰ってきた。
﹁お前が、ここに来る理由は1つしか無いからな。悪いが今はこれ
しかないぞ﹂
﹁うむ、かまわん﹂
﹁アルドラこれは?﹂
﹁冒険者の鞄。特殊な魔獣の革を素材に作られる、何かと荷物の多
い冒険者のための鞄じゃよ﹂
331
﹁決まりで冒険者にしか売れんがな﹂
見た目は大きめのウエストポーチ。
厚手の革で作られているらしく、なるほど確かに丈夫そうだ。
冒険者の鞄 魔導具 D級
これは魔導具になるのか。
収納 0/40
ゲームなんかでよく見かける魔法の鞄といったものだろう。
ランクによって収納数が変化するようだ。
D級では40種類の品物が入るらしい。
ゲームでは当たり前の機能であったが、こうしてみるとめちゃく
ちゃ便利なアイテムである。
どうやら重さも大幅に軽減されるようで、荷運びの仕事なんかコ
レ1つあれば手軽に大量輸送とか出来そうだ。
﹁小石程度の大きさの品は1枠につき99個、両手で収まる程度の
大きさの品は1枠につき12個、両手で抱えるほどの大きさの品は
1枠につき1個まで収めることができるぞ﹂
ちなみに中に生物を入れることはできず、まだ時間が止まってい
るということもないそうなので、食料品を入れっぱなしにして放置
すると普通に腐るそうだ。
ただ鞄の中は通常よりも時間の流れは緩やかではあるらしいので、
外に出しておくよりかは長持ちするのだという。
332
本来はD級以上の冒険者にしか販売しないそうだが、アルドラの
顔が利いたようだ。
直感
促進
眷属
俺はふと思い、アルドラを見つめた。
夜目
アルドラ 幻魔Lv1
特性
スキルポイント 63/63
氏は消え、名のみとなっている。
これ本当にどういったシステムになってるんだろう⋮⋮
俺の時も漢字から突然カナに変化したしな。
まぁそれはいいか。
それよりも、スキルポイント多いな。
これはアレか?
生まれ変わる前のエルフ時代のポイントも引き継いでるってこと
なのか?
S級だという話は聞いたが、元のレベルは62だったのか?
﹁ジン?どうかしたのか?金を払って次の店に行くぞ﹂
﹁え?あぁ、いくらですか?﹂
﹁アルドラの知人なら5000でいい﹂
俺は銀貨を払い店を後にした。
333
﹁次は武器だな。護身の為にも差して置いたほうがいいじゃろう﹂
とは言うものの、護身の為にとは言え腰から剣をぶら下げて街を
歩くのもどうかと思うのだが。
俺は魔術もあるため、いざとなったら雷撃で片がつくのではない
だろうか?
﹁街なかで、あんな派手なものぶっ放す気か?即牢屋にぶち込まれ
るわ﹂
基本、街なかで攻撃に関する魔術は使用禁止らしい。
やむを得ない場合と判断された場合のみ許可されるらしいが、や
むを得ない場合ってどんな時だろう。
まぁ剣という武器を見せびらかすことで、余計なものに絡まれな
いよう抑止力になるってことなんだろう。
なんだか余計に絡まれそうな気もしないでもないが。
鞄を買った店からほど近くの武器屋に入り、アルドラが物色する。
﹁剣でいいじゃろ?﹂
﹁あー、はい﹂
まぁ無くてもいいのだが、せっかくだし買っておくか。
剣というのもロマンがあるしな。
334
この店は既に出来上がった品を買う店のようだ。
剣を買うというと、工房で自分にあったものを注文して作っても
らうのが一般的らしいが、それは時間も金もかかる。
特に冒険者の場合、急な仕事となると、準備に時間がないという
ことはよくあることである。
急遽武器が必要となった場合など、このような店には一定以上の
需要があるようだ。
﹁これにしようかのー﹂
俺には剣のことなど、よくわからないのでアルドラに任せること
にした。
俺のリクエストは軽くて片手で扱えるもの、扱いやすいものだ。
刃渡り70センチほどのショートソードを選んでもらった。
ショートソード 片手剣 E級
特殊な効果は付与されていない。
見た目も実用主義で、余計な飾りもなくいい感じだ。
﹁わしはこれにしようかの﹂
バスタードソード 片手半剣 E級
刃渡り120センチくらい。
柄が長めで、片手でも両手でも扱えるようになっている。
片手でも両手でも扱えるように、重心が独自のものになっていて、
そのため特別に訓練を受けたものでなければ使いこなせない特殊な
335
剣だという。
アルドラさんや、それ本当に使えるんですか?
あなたの身長と同じくらいの長さの剣なんですけど⋮⋮
﹁うむ、問題無い﹂ 剣は2本で15000シリルだった。
336
第30話 買い物
﹁ちょっとリザ見てくれ﹂
買ったばかりのショートソードを、冒険者の鞄に差し入れる。
﹁なっ?すごくない?﹂
全長2メートル近い、バスタードソードも入れることが出来る。
ゲームなんかでよくある、マジックバックというやつだ。
﹁⋮⋮はい、凄いと思います﹂
リザはにこやかに答えた。
あれ?俺の感動があんまり伝わってない。
2メートルの剣が入るバックなんてすごくね?
見た目は大きめのウエストポーチといった感じ。
もちろん長さが2メートルあるわけでもない。
﹁まぁ、この手の魔導具はそれほど珍しくはないからのう﹂
薬師が使う鞄にも、似たような物があるらしい。
ギルド会員じゃないと買えないらしいので、リザは持ってないそ
うだが。
337
通りを歩いていると、いろんな店があるとわかる。
中小規模の都市だと、行商や青空市場のような店舗を構えない商
売が中心らしい。
しかしこのベイルの様な大都市ともなれば経済の規模も違ってく
る。
客が多くいるこの街でなら、店舗を構えた店で売買するほうが効
率がいいのだろう。
﹁あの店はなんだろう?﹂
﹁獣皮紙の専門店ですね﹂
﹁獣皮紙?羊皮紙じゃなくて?﹂
店の中を覗きこむと、様々な大きさに切りそろえられた紙束が整
理され並べられている。
獣皮紙 雑貨 E級
﹁昔は羊の皮から作られていたそうですが、森の魔獣の皮からも作
られるようになってからは獣皮紙と呼ばれるようになったそうです﹂
なるほど、羊の皮じゃなくても作れるのか。
確かに魔獣が多く住む森がすぐ近くにあり、それを狩る冒険者が
いるこの街なら、素材は豊富に揃いそうだ。
﹁これは?﹂
隣の店を見ると、木の枝が束になって売られている。
338
﹁歯磨き枝ですね。この先を奥歯で齧ると、繊維がささくれだち歯
を磨くのに便利なんです﹂
見た目はただの小枝のようだ。
それが1つ100本ほどの束で売られている。
歯磨き枝 雑貨 E級
﹁へー。これみんな使ってるの?﹂
﹁そうですね、使っている人は多いと思います。私も使っています
よ﹂
ささくれさせた枝に塩をまぶして磨くらしい。
﹁1つ買っていこうかな﹂
﹁20シリルですね﹂
﹁安いな﹂
更に続いて、近くの古着屋に入った。
街で服を買うとなると、貴族や大商人など裕福な者であれば、服
飾店で採寸してからの受注生産が一般的である。
当然ながら時間も金も掛るため、都市の一般的な市民は古着を買
うのが常であるらしい。
貴族や大商人であれば、男も女も見栄のためによく着飾り、一日
に何度も着替え服も頻繁に作ることだろう。
そのために少し流行遅れの服や、気に入らなかったものなど、使
用人に下げ渡すことも、しばしばあることだという。
339
﹁そうして古着屋に服が回ってくるということか﹂
見れば、揃えられた服の類はあまり一貫性がない。
地域や身分によっても違いは在るだろうし、流行などもあるだろ
うから、それも当然か。
ざっくり見てみると、
商人の服 衣類 E級
貴族の服 衣類 E級
奴隷の服 衣類 F級
うわー。なんかコスプレっぽいな。
正直あまり着ようとは思わないデザインだ。
奴隷の服はシンプルでまだマシだが、少し傷んでいるようだ。
それに名称がちょっと⋮⋮
チュニック 衣類 E級
ブレー 衣類 E級
お、マシな奴を発見した。
チュニックは腰から膝の上あたりまである丈の上着でリ○クが着
てる服に似ている。
ベルトで使って止めるようだ。
ブレーはゆったりしたズボンである。
340
これにしよう。
他にも着れそうな、まともな服を幾つか見つけたので適当に購入
することにした。
﹁リザも何か買っていかないか?﹂
﹁いいのですか?﹂
﹁せっかく来たのだし、リザも好きな服があれば買っていくといい﹂
﹁ありがとうございます﹂
やはりどこの世界でも、女性は服を選ぶのが好きなのか、リザは
嬉々として服を選びに行った。
俺はそれほどこだわりはないので、適当に見繕う。
中にはどこのサーカス団だよ?ってツッコミたくなるような、ピ
エロの様な派手な衣装もあったが、もちろんそれらは却下した。
﹁子供服もあるのか﹂
服のサイズはかなり幅があるようだが、見たところ子供服が置い
てあるようには見えなかったため意外だった。
﹁それはミゼット族のサイズじゃろう﹂
話を聞くとミゼット族と言うのは、いわゆる小人族のようだ。
ホビ○トとか、ハーフリ○グだとか、グラスラ○ナーだとか言わ
341
れるような者達によく似ている気がする。
小さくすばしっこく、1つのところに定住せず旅をする種族。
120センチ前後の身長で、エルフやドワーフに並ぶ妖精族の末
席に連なる者達であるという。
﹁そんな種族もいるんだな。まだ見たこと無いが﹂
﹁吟遊詩人や旅芸人などをしながら街を巡る者もいるというし、い
づれ見かけることもあるじゃろう﹂ まぁそれはともかく。
﹁アルドラも何時までもそんな格好ではマズイだろうし、何か買っ
ていくか﹂
アルドラは露骨に嫌な顔をした。
﹁わしの肉体は魔力で構成されておる、いわば仮初めの物じゃ。別
に必要ないじゃろう?﹂
﹁いや、服ぐらい着よう。せっかく合いそうなサイズもあるのだし﹂
どうも服着るのが面倒くさいみたいだ。
なんだろう裸を見せたいのかな?
子供の体の癖に、シックスパックだしな。
合いそうなサイズを適当に購入することにした。
悩んで選ぶほど種類もないので、適当だ。
俺とアルドラの買い物は速攻で終わった。
342
長いのはここからだったが。
リザのこれどう思います?
こっちとこっち、どっちがいいですか?
という問答が延々続くのである。
異世界でも女性の買い物は長いのだなと痛感した日であった。
その後、近くにあった下着店に入った。
この世界の下着はどんなものかと興味があったし、予備のパンツ
もないので、何か普通に使えそうなものがあれば買いたい。
興味があるとは言っても文化としてであって、他意はない。
女性物はドロワーズという、いわゆるかぼちゃパンツのようなも
のだ。
男性用は膝丈のショートパンツというか、ステテコみたいなもの
が多いようだ。
ドロワーズ 衣類 E級
調べてみれば女性物、男性物とあるが名称はどちらもドロワーズ
のようだ。
だがもちろんデザインは違うので、下着の総称といった感じなの
だろうか?
まぁ金はたんまりある。
今の俺ならパンツならいくらでも買えるのである。 343
﹁余分にいくらか買っていくから、リザも気に入ったものがあった
ら買っていこう﹂
俺のはトランクスに似たデザインの物を選んだ。
何枚かまとめて買っていこう。
﹁いいのですか?﹂
﹁うん。ミラさんやシアンのぶんは、今度彼女達と来た時でいいか
な﹂
﹁ありがとうございます﹂
リザは少し照れながらも、やはり買い物は嬉しそうだ。
アルドラはいらないと店を出てしまったので放っておくことにす
る。
商品を真剣な眼差しで吟味するリザを、店の端から俺は眺めなが
ら待つ。
この店は下着を専門に扱う店のようだ。
男性用も女性用も同じ店で扱っている。
地球育ちの俺からすると少々違和感があるものの、ここではこれ
が普通なのだろう。
男性用の商品スペースは4分の1くらい。
やはり商品の種類、量は女性のほうが多いらしい。
店にいる客の様子を見れば、上品というか、金持ちというか、冒
険者ギルドにいた連中とは違った雰囲気だ。
下着というのは高級品なのだろうか。
344
さすがに下着はどれも新品のようだが。
﹁気に入ったものはあったか?﹂
商品の1つを手に取り悩んでいる様子のリザに声をかける。
﹁あっ、はい。でもここは高級店ですので、ちょっと高いですね⋮
⋮﹂
安めのもので100シリル。
高めのもので300シリル。
どうだろう高いのだろうか。
古着のシャツやズボンなんかも似たような値段だった気がする。
むしろ安いのではないだろうか。
女性物の下着って高いイメージがあるんだが。
﹁値段は気にしなくていい。気に入ったものがあるなら買おう﹂
なんかレースとかいっぱい付いてて、かなり凝った作りだな。
これ1つ1つ手製で作られているんだろう。
工場の大量生産品には出来なさそうな、かなり緻密な何かの花の
デザインのようだ。
生地も何か高級そうだな。
500シリル。
いや、安いよな。どう考えても。
これ手縫いなんだよな。
もしかして魔術で作られているのか?
345
試しに近くに居た女性店員に聞いてみると、男の俺が女性物の下
着の説明を聞いてきたにも関わらず丁寧に教えてくれた。
﹁これは熟練の裁縫師たちによる全て手縫いの品となっております。
王都の貴族階級の女性たちにも大変好評で、この値段で提供できる
のは素材の安く入手できるベイルならではの価格です﹂
なるほど、ここで手に入る素材で、ここで作ってるから安いって
ことか。
王都に持っていけば、きっと高くなるんだろう。
輸送費とか人件費も掛るだろうしな。
﹁ちなみに素材って?﹂
﹁森に生息する魔獣の繭玉より得られる、玉光糸を使用しておりま
す﹂
魔物から得られる素材か。
まぁ冒険者の街らしくて納得かな。
それにしてもこの肌触り、絹にも似ていて良い感触だ。
﹁リザはこういうの、どうだ?﹂
﹁貴族女性の方などが、身に付けるような品ですよね?私には贅沢
すぎる気が⋮⋮﹂
値段を気にしているのか、何を気にしているのかわからないが、
何かリザは尻込みしている様子だった。
346
﹁そうか。まぁ男の俺にはデザインなんてわからないけど、凝った
作りで可愛いかなとも思ったんだが、気に入らないならしょうがな
いな﹂
俺が少し残念そうな顔を見せるとリザは慌てて︱︱
﹁あっ、いえ。ジン様が選んでくれた品は私も可愛いと思ってまし
た!﹂
本当に嫌なら別にいいのだが、遠慮だとしたらそれは無用だ。
俺が預かっている金は、俺が1人で稼いだものではないが、それ
でもこれくらいの買い物は問題ないだろう。
これからの生活を考えて、先行き不透明なこともあるし、無駄遣
いは避けて貯金するべきという考えも頭を過ったが、よく考えれば
必要なものしか買ってないし、無駄遣いでもない。
それにリザが喜んでくれるなら、その笑顔はプライスレスである。
俺は女性店員に﹁彼女の似合うものを見繕ってやってくれ値段は
問わない﹂と頼み、他にも何点か揃えてもらった。
異世界にもそのような多種多様な女性用下着があるのかと一瞬驚
いたが、街の雰囲気が中世風と言うだけで、魔術などのことを考え
ると文化水準は中々に高いのだ。ありえない話ではないだろう。
﹁そんなに!勿体無いです!﹂
リザは遠慮からか買うことを拒否しようとしたが、顔は嬉しそう
だったので、俺は有無を言わせず購入することにした。
こんなに素材がいいのだ。
美しく着飾ってもらったほうが世のためだろう。
347
いや、誰かに見せようと言うのではない。
まぁ俺は見たいが。
そばにいる女性にいつまでも美しく居てほしいと願うのは、そん
なにおかしいことでは無いだろう。
断じてエロい意味は無い。
下着類全て合わせて8000シリルほどになった。
﹁ありがとうございましたジン様。こんなに自由に買い物したの、
生まれて初めてです﹂
リザはそう言うと、本当に嬉しそうな表情を見せてくれた。
思わす抱きしめたくなるほど、可愛いと思ってしまったがグッと
堪え自重した。
リザの家自体は、かなり年季の入った建物のようだったが、それ
ほど切迫した暮らしには見えなかった。
彼女自身も薬師ということは、いわゆる医者のようなものでは無
いのだろうか?
俺が持つ医者のイメージであれば、それなりにゆとりのある生活
が出来そうなものである。
もしかしたら家計のため、節制しているから自由に使える金は無
いのかもしれない。
﹁そうですね。私は薬師ギルドに所属していないので、大金を動か
すような商売はできないのです﹂
大きな通りで店を出している薬屋は、薬師ギルドのギルド員であ
348
るらしい。
薬師が店舗を持つ場合、薬師ギルドと商人ギルドの許可がいる。
商人ギルドの許可は金を払えば得られるが、薬師ギルドの許可は
ギルドに在籍し、ある程度経験と実績を積まなければならない。
﹁ギルドに入ってないと薬を売ってはいけないということ?﹂
﹁いえ売るのは自由です。ですがギルドに在籍していれば、それだ
けで信用になるということです﹂
ギルドに在籍しているまっとうな薬師なら、安心安全と客も信用
して薬を買うわけか。
もし悪質な商売をすればギルドを除名になるだろうし、店を持つ
薬師なら店の営業許可も取り下げられるのかもしれない。
ギルドに在籍していないモグリの薬師はその信用を得るのが大変
なので、商売すること事態は違法ではないが、楽でもないと。
﹁それにあまり大々的に商売をするとギルドの方から嫌がらせなど
も来てしまいますので、細々と商売するしかないのです﹂
店舗を持つ薬師の大半は冒険者向けの商売をしているようだ。
主要な商品はポーションと呼ばれる魔法薬である。
ポーションに必要な材料の多くはギルドが買い占めているので、
その販売価格や供給に関してほぼギルドが実権を握ってると言って
も過言ではない。
﹁価格操作か、エグいな﹂
怪我を癒す魔術というのは、現在のところ光魔術の治療しか知ら
れていない。
349
光魔術をもっとも有効に扱える職業である治療師は、希少と言う
ほど珍しい職業ではないが、その必要性ゆえに人気の職業で冒険者
ならずとも各方面から求められている。
そのせいもあってか、わざわざ危険の伴う冒険者を志す治療師は
数が少なく、尚の事ポーションの需要は高まるのである。
﹁薬師ギルドのポーションは中級以上の冒険者を意識して売られて
いますから、初級冒険者の若者たちが購入するのは厳しいでしょう
ね﹂
それでも安全な狩りを、保険のために、と考えればポーションは
買わざる得ないアイテムとなるだろう。
実際使ってみた使い心地を考えれば、誰もがそう考えると思う。 350
第31話 付与魔術
いろいろ店を回って、さすがに少々疲れた。
アルドラを見ると、彼にも疲れの色が見える。
召喚獣のくせに疲れるのか?
リザを見ると、彼女は元気そうだ。
自分の服や下着を買えて機嫌がいいのかもしれない。
ともあれ1度休憩したい所だ。
おそらくそろそろ昼頃だろう。
かつての生活では、時計のない生活など考えられなかったが、こ
うして時計のない生活を送ってみると案外いいものだし、どうとで
もなるものだ。
時間に追われ、あくせくと考えこまなくていいだけでもありがた
いと感じる。
﹁ちょっと腹が減ったな。何か食べるか﹂
いい匂いに誘われて、俺達は1軒の店先にやってきた。
串に刺さった物を、店先で焼いて提供する店のようだ。
焼き鳥屋みたいなものだろう。炭で焼かれた肉の香ばしい匂い、
ジュウジュウと焼ける肉が視覚にも訴えてくる。
店先に掲げられた木の板に文字が羅列してある。
351
おそらくメニュー表だろう。
店内は狭くて、あまり居心地は良さそうではない。
外にもテーブルと椅子が並べられてあったので、そこに座ること
にした。
﹁何かいろいろあるみたいだけど、文字が読めない⋮⋮﹂
リザはなにも言わず、スッと俺の横に立ち並ぶ。
密着するほどの距離だ。
﹁お任せください﹂
リザはにこりと微笑んだ。
目の前のテーブルには、山盛りの串焼きが乗った大皿が置かれて
いる。
リザは丁寧に説明してくれたが、種類が多すぎるので1つ1つ説
明させるのも手間になると思い、適当に注文してくれと頼んだ。
山盛りの串に驚いていると、中年の店員が銅製のマグを3つ持っ
てきて、それぞれの手元に置き去っていった。
中には並々とワインが注がれている。
﹁頼んでないぞ?﹂
俺は思わず声を出すが︱︱
352
﹁王国人にとってワインは水みたいなもんだ﹂
という捨て台詞を残し、店員はさっさと仕事に戻ってしまった。
俺王国人じゃないんだけど⋮⋮
って言うか、どういうことだよ。頼まなくても出るのが普通って
事か?
﹁田舎の酒場とかじゃ酒なんぞ選べるほど置いてないからのう、座
れば勝手に出てくるもんじゃ﹂
まぁいいや。
そんなものかと俺は昼間からワインの入ったマグを傾けた。 串焼き 食品 E級
1つの串を手に魔眼を発動させるも、このような情報しか得られ
ない。
一番重要な何の肉だか、わからないのである。
状態を見ても特に異変は無いため、普通の食品には違いないのだ
ろうが⋮⋮
やけに黒い肉が怪しさを高めている。
353
﹁ちょっと固いな。まぁ食えるけど﹂
キツイ香辛料で臭みを消しているが、消しきれていない獣臭が後
味に残る。
あまり旨くはない。
串焼きは、どれも1本5シリルらしい。
すげー安い。
﹁ジン様、それは蝙蝠です﹂
なるほど。
普通の焼き鳥屋ではないようだ。
臭い肉やら、固い肉をワインで流し込む。
﹁あ、これ旨いな﹂
四角くカットされた脂身の付いた肉。
塩と胡椒で味付けしてあるようで、少々獣臭はするものの、不快
なほどではない。
それ以上に旨味が強い感じだ。
ビール飲みたくなる。
﹁ワイルドボアですね。大叔父様の村でも、よく狩人衆の方たちが
狩っておられましたよね﹂
354
猪か。
地球では食べたことなかったけど、旨いらしいからな。
食べておけば味の違いもわかったんだろうが。
そんなことを思いつつ、アルドラに目をやると、
﹁うまわいわ。こわれいへる、はふはひひはじは﹂
口いっぱいに、ワイルドボアの肉を頬張るアルドラがいた。
子供の姿で手をグッと握り、指の間にそれぞれ4本づつ串焼きを
差し込んでいる。
全部ワイルドボアのようだ。
どこの意地汚い子供だアンタは。
﹁あれ?食事とかいらない体なんじゃ?﹂
魔力で作られた体が、どうのこうの言ってたような気がするが。
﹁ふあぐ⋮⋮んぐッ﹂
飲み込んでから話しなさい。
もぐもぐもぐもぐ⋮⋮
リスの様に頬張るアルドラは、一生懸命咀嚼しそれらをワインで
流し込んだ。
355
﹁はぁ、危なかったわ⋮⋮﹂
ふぅ、と一息ついた食い意地の張った子供は︱︱
﹁たしかに魔力があればいいので、飲まず食わずでも問題無い。だ
が食えるんじゃからいいじゃろう?食ったものは魔力として還元で
きるんじゃし、無駄にはならん!わしだけ仲間外れにする気か!?﹂
アルドラは涙ながらに訴えた。
今の姿は7∼8歳くらいのエルフの美少年であるため、悲しみに
憂いだその姿には、その手の女性ならずともグッとくるモノがある
のかもしれない。
ただ中身はあのオッサンだと思うと微妙な気持ちになってくる。
﹁いや別にいいけど。食事は大勢でしたほうが旨いしな﹂
おぉ、と感動したような表情をみせる少年。
﹁さすが我が主じゃ!﹂
アルドラの声が晴天の空に高らかに響いた。
>>>>>
356
さて、いろいろ店を回ってきたが、後1件行かなければならない
店がある。
エリーナさんに聞いて、おすすめと教えられた店だ。
ウルバスとの戦いで破損した外套を修理したい。
そのためにいい店はないかと、エリーナさんに聞いておいたのだ。
冒険者ギルドの幹部なら、いい店を知っていることだろう。
﹁ここか⋮⋮﹂
その店は、かなり混沌とした店であった。
おそらく元々の建物は普通のものだったのだろう。
原型はまだ見える。
木造2階建ての大きめの建物。
かつては木造の柱や枠に塗り壁が良い雰囲気を出していのだと思
う。
俺の目の前の店入り口には、おそらく魔獣の骨と思われる巨大な
看板が掲げられている。
どこの部位かは不明だが、平たく巨大なものだ。
これの主は鯨とかそのくらいの大物だろう。
屋根からは牙だか、角だかが生えており、店の各要所には魔獣の
頭蓋骨が鎮座している。
初見であれば黒魔術の館か、呪いの館だという名称が頭を過るこ
357
とだろう。
店の周囲にはプランターのような物が設置されていて、そこから
伸びる謎の植物の蔓が建物を縛り上げており、不気味さをより際立
たせていた。
﹁なんか全体的に黒っぽい店だな﹂
俺がぽつりと呟く。
﹁さぁグズグズしておらんと、さっさと用を済ませてしまうぞ﹂
店先で立ち止まる俺とリザを尻目に、アルドラは店内へズカズカ
と入っていった。
店内は物で溢れていた。
洗濯物の様に、革が干されてあったり、木枠に紐で縫い付けられ、
引き伸ばされているものもある。
棚を見れば様々な色の美しい鉱石や、何かの植物を乾燥させたも
のなど、様々な素材がガラス瓶に収まり陳列されていた。
保存瓶 魔導具 E級
魔術効果︻品質保持︼
ただのガラス瓶ではないようだ。
358
収納する器が魔導具なのか。
品質を保持する能力があるようだ。
﹁硝子工芸ギルドが数量限定で販売しているものです。大変貴重な
ものだと聞いたことがあります﹂
俺が見つめていると、リザが教えてくれた。
﹁リザは物知りだな﹂
俺は感心した様子で偉いぞ!といったような感じでリザの頭をヨ
シヨシと撫でる。
﹁いえっ、私は薬師ですので、薬草の保存などに便利だなと思って
知っていただけですっ﹂
リザは、なんでもないことだと、顔を赤らめた。
照れるリザが可愛いので、もう少しヨシヨシしよう。
﹁あのなぁ。人の店で乳繰り合うのは止めて貰えないか?﹂
後ろから響く声に振り向くと、革のボディスーツに身を包んだ褐
色の美女が立っていた。
>>>>>
359
ラドミナ・バレク 付与術師Lv46
ダークエルフ 122歳 女性
特性 夜目 献身 皮革細工 B級
付与魔術 B級
闇魔術 D級
風魔術 D級
剣術 E級
初めて見るダークエルフだ。
ベイルの街も幾らか歩いたが、ダークエルフは見ていなかった気
がする。
灰色の髪に褐色の肌。
エメラルドグリーンの瞳を備えた長身の美女。
言葉に表せばボンッキュッボンッと言った感じだろうか。
なんとも肉感的というか、扇情的というか、アメリカのポルノ女
優みたいな肉体にピッタリと貼り付く革のボディスーツが艶かしい。
まるでSMの女王様のような装備だ。
まぁ俺はそのような店には言ったことがないので、ほぼ想像であ
る。
︵献身って知ってるか?︶
俺は隣に立つアルドラに、そっと声をかける。
︵あぁ、ダークエルフの特性か︶
360
ダークエルフは闇魔術に強い適正を持つ種族で、反属性である光
の魔術を扱えるものはほぼいないと言われている。
体の傷を癒やす魔術である治療は光魔術であるため、ダークエル
フという種は治療の魔術の恩恵を受けることの出来ない種というわ
けだ。
そのために治療術さえあれば救えるはずだった命を、多く失って
きたのだという。
かつては特に乳幼児死亡率が高く、深刻な問題だったそうだ。
︵そこで生み出された秘術が献身じゃ。自分の生命力を他人に譲り
渡すというもので、使用すれば寿命は減るが高等治療術なみの効果
があるそうじゃな︶
ただ誰彼相手にでも使える能力と言うものでもないらしい。
基本的に本当に自分の命を捧げても救いたい相手にしか使えない
そうだ。
︵聞いた話しによれば、母子の間柄くらいにしか使われんそうじゃ
な︶
確かにそういうことなら自らの命も差し出すのかもしれない。
きっとそこまで愛されているということを知れたら、幸せなこと
だろうな。
﹁そっ、そのような熱視線を送られても、私は答えることは出来な
いぞ。私には既にパートナーがいるからな!﹂
ラドミナは腕を組み、その張り出した双丘を持ち上げるように押
し出すが、あきらかに挑発しているとしか思えない。
エロの女王様である。
361
﹁痛ッ!?﹂
一瞬腰の上辺りを抓られ、痛みが走った。
俺は振り向きリザを見つめるも、フイっと視線を逸らされる。
なんなんだ一体?
﹁どうでもいいが、話を進めようかのう﹂
ダークエルフの民族衣装はエロい。
どこかでそんな噂を聞いたことがあるが、本当だったようだ。
あぁそんなことは、どうでもいいか。
﹁冒険者ギルドの勧めで、お伺いしたのですが﹂
俺は本題を切り出した。
破損した魔装具の修復である。
﹁なるほど。影隠の外套か﹂
︻夜間限定隠蔽効果上昇︼
珍しい能力を持つ魔装具の一種。
見た感じは黒いトレンチコートのようだ。
﹁シャドウバットの外皮を利用した珍しい魔装具だ。アレは見つけ
るのが大変だからな。この装備もけっこうな値がしただろう?﹂
362
アルドラの地下倉庫に眠っていたものだからな。
高いものだったのか?
俺はどうなんだとアルドラに視線を送る。
﹁昔、村の近くでこそこそ悪巧みをしておった盗賊を捕まえてのう。
その時に身ぐるみを剥いだ物じゃ。値段はしらん﹂
ラドミナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔を伏せてクククッと
笑い出した。
﹁そうか。それは美味しいな﹂
俺は鞄から黒狼の毛皮を取り出した。
﹁これが使えると聞いてきたんだが﹂
毛皮はロール状に巻かれて紐で縛って纏めてある。
ラドミナは徐ろに紐を解くと、作業台の上で毛皮が広げられた。
艶のある美しい青黒い毛皮だ。
完全な黒と言うよりは、限りなく黒に近い濃い青と言った色であ
る。
﹁黒狼か。あんたが狩ったのか?﹂
﹁いや、貰い物だ﹂
まだ生きてる奴は見たことありません。
それにしても毛皮けっこうでかいな。
150センチ以上はあるようだ。
363
﹁まぁまぁの質だな。これなら使えそうだ﹂
たしかD級の素材だったはずだが、まぁまぁなのか。
﹁付与術師という職業が魔装具の修理を行えるのか?﹂
﹁私は皮革細工の技術も持ってる。それで修理ができるんだ﹂
﹁なるほどな。ということは革系の装備しか修復出来ないというこ
とか?﹂
﹁そうだ。付与術なら魔装具、魔剣があれば付与してやれるぞ﹂
疾風の革靴 魔装具 E級
魔術効果︻移動速度上昇︼
力の指輪 魔装具 E級
魔術効果︻腕力上昇︼
金の腕輪 魔装具 D級
魔術効果︻製作技術上昇︼
﹁ずいぶん持ってるな⋮⋮よっぽど魔力量に自信があるのか。なる
ほど、特異体質か﹂ ほう、と1人納得するラドミナ。
﹁どういうことだ?﹂
364
﹁魔装具は身に付けるだけで、僅かながら魔力を消費する。グレー
ドの高いものほどな。魔力量は種族での違いこそあれ、個人差はあ
まりないのが普通だが、まれに例外もいるってことだ﹂
魔力を不必要に消耗することは、命の危険にも繋がるからな。
本当に必要と思うものしか、身に着けないのが普通なのか。
﹁しかしこの中で付与術を行えるのは金の腕輪だけだな﹂
どういうことかと聞いてみると、付与術は幾らでも付けられるわ
けではないらしい。
F∼E級装備で1つ。
D∼C級装備で2つ。
B∼A級装備で3つ。
S級装備で4以上。
付与術には魔石を使用する。
グレードの高い装備ほど上質な魔石が必要のようだ。
また装備のグレードが高くなるにつれ、付与術の成功率は下がる。
更に2つめ、3つめに行う付与術もまた成功率が下がっていく仕
組みになっているらしい。
﹁ん?ということは、疾風の革靴は移動速度上昇が既に付いている
ため、新たに付与術を行えないということか?﹂
﹁そういうことだ﹂
365
第32話 宴会
俺は金の腕輪に、付与魔術というものをやってもらうことにした。
とにかく物は試しだ。
﹁付与する効果は、魔術抵抗上昇でいいんだな?﹂
﹁あぁ、頼む﹂
俺は装備を預け、外套の修理代3000シリルと腕輪の付与代3
000シリルを支払う。
﹁外套は4∼5日、付与は2∼3日ほど掛かると思う﹂
﹁そうか。まぁ一緒に受け取るから、5日後また顔を出す﹂
﹁了解した。その時に残りの金を頼む﹂
﹁わかった﹂
付与術は前金に半額支払い、成功後に残りの金を払うシステムに
なっているようだ。
俺はふと疑問が湧いた。
半額を受け取り、付与術を行ったが失敗したといえば半額ただで
丸儲けなのでは?と。
しかしそれは、あまりうまく行かないらしい。
エルフのような嘘を見抜ける種族がいるためだ。
万が一そのようなことをして、悪いうわさが立てばすぐに調査が
366
入るだろう。
その際に証拠が見つかれば、いや見つからずとも疑いありとみな
されれば、罪を問われ奴隷落ちは免れないという。
﹁そんなリスクを背負うくらいなら、まっとうに商売したほうが気
が楽だよ﹂
ラドミナは、はははと乾いた笑いを放った。
ラドミナの店を後にした俺達は、リザの家に向かって歩いていた。
﹁とりあえず買うもの買ったし、戻るか﹂
差し当たって必要な物は、だいたい揃えた気がする。
後買わなきゃいけないものあったっけ?
﹁うむ。まだあるぞ重要なものが﹂
>>>>>
﹁ただいま戻りましたー﹂
﹁ジンさん、リザお帰りなさい﹂
367
リザの家に戻ると、ミラが温かく出迎えてくれた。
うん。お帰りなさいって出迎えてくれるのって、なんかいいな。
俺は両親を子供の頃に無くし、成人するまでは祖父母に育てられ
た。
その祖父母も満足に恩返しする間もなく、亡くしてしまった。
それ以来、俺は1人暮らしをしていたので﹁お帰りなさい﹂なん
て言われたのは、随分と久しぶりなのだ。
﹁どうでしたか?﹂
﹁ええ、冒険者の登録も無事終わりましたし、差し当たって必要な
物も買い揃えてきました。明日からはしばらくギルドに通って講習
の毎日になりそうです﹂
ミラさんはそうですかと、俺がベイルでの生活を順調に始められ
たことを喜んでくれた。
穏やかで優しく、母親ってこんな感じだったっけ?と遠い記憶が
懐かしく感じる。
まぁミラさんは見た目で言えば、20代後半と言った雰囲気で、
お母さんと言うより、お姉さんと言ったほうが正しいかもしれない
が。
ふと、ミラさんの視線が俺の背後に居る人物へと移る。
その小柄な少年は、俺の影に隠れるように立っていたので、見え
なかったのだろう。
﹁あら?お客様ですか?﹂
368
俺達はリビングへ通され、それぞれの席についた。
﹁まさか?本当に?一体どうゆうことですか?﹂
ミラの困惑はもっともな話である。
それを聞きたいのは、こちらの方なのだ。
﹁本当かどうかは、お前が一番わかっているのではないか?﹂
アルドラは、ふふんと踏ん反り返る。
なぜ横柄な態度なのかはわからない。
ミラの値踏みするような視線が、アルドラを射抜く。
はぁ、と何か悟ったような、呆れたような様子で彼女は口を開い
た。
﹁叔父様は本当に常識なんて通用しない人なんですね⋮⋮﹂
﹁ははははっ、いまさらじゃのう﹂
ミラは驚いてはいるが、その顔はアルドラの訪問を喜んでいるよ
うに見えた。 アルドラのこんな状態になった経緯を離すとミラは再度驚いた。
驚いたものの、叔父様だし⋮⋮と結局納得してくれた。
﹁ミラさん、これを預かってください﹂
369
俺は懐から金貨10枚を差し出した。
もっと渡してもいいのだが、当分は大丈夫だろう。
あまり大金を家に置いておいても物騒だろうしな。
使わない分はギルドの金庫に預けておいたほうが安全だ。
﹁ジン様なにを?﹂
驚いて声を上げたのはリザだった。
﹁うん。しばらく厄介になるんだし、家賃代わりにな。いろいろ迷
惑掛けることもあるだろうし﹂
1人暮らしをしていたものの、俺は大した料理は出来ない。
カレーだとか野菜炒めくらいなら可能だが、この街にカレールー
が売ってるとは思えない。
となると食事に関しても、甘えることになるかと思う。
1人だけ外に食事にというのも、逆に気を使わせてしまうだろう。
多めに金を預けて、頼むのが一番いい気がする。
﹁多すぎます!平民の給与2年分はありますよ!?﹂
え?そうなのか。
金貨5枚で約1年分かぁ。
話によると、この国の暦は1年12ヶ月約365日と、まるで謀
ったかのように地球とそっくりだ。
覚えやすくていいので、不満はない。
﹁俺のことを家族だと思ってくれるなら預かって欲しい。みんなの
370
ことを信用しているから預けるんだ﹂
ここにいるみんなは既に、俺が異世界からの漂流者だということ
は話してある。
そんな怪しげな俺を信用して、側に置いてくれようとするなら何
かしら恩を返していきたい。
金で解決しようという気はないが、あって困るものでもないし余
裕があることはいいことだろう。
﹁そこまで言われては、受け取るしかありませんね﹂
ミラさんはやれやれといった様子で、俺の気持ちを受け取ってく
れた。
﹁何か必要な物があったら、どんどん使っちゃってください。俺は
ほとんど料理ができないので、できればお任せしたいのですが、こ
の国の料理や文化には興味があります。もし何かお勧めの物があり
ましたら値が張る物でもかまいませんので、手に入れてください﹂
ミラとリザはお互いに驚いた顔を見せたが、すぐ納得してくれて
俺の願いを聞き入ってくれた。
﹁わかりました。そうですねジン様は異国人なのですものね、色々
なものに興味を持つのは当然のことだと思います。とりあえず今日
はあるものを使って、エルフの家庭料理を堪能していただきましょ
う﹂
エルフにも住む地域や氏族によって、食文化は異なるらしい。
俺には菜食主義のイメージが強いが、大森林に住む彼らハントフ
ィールドは狩猟民族らしく、野菜も食べるが猟をして肉も食べるそ
371
うだ。
人間のように商売で狩ることは少ないので、その日食べる分だけ
を得るのが通常だという。
﹁あ、そうだ。コレ使えますかね?﹂
リビングのテーブルの上には肉、肉、肉、肉、肉。
多種多様な生肉がドドンと並べられた。
更にはワインやら蜂蜜酒やらチーズやら生ハム、塩漬け肉、ソー
セージ。
いったい今日の宴会は何人の客が来るのか?とツッコミを入れた
くなるほどの大量の食料が出現した。
﹁⋮⋮これは?﹂
﹁⋮⋮えーっと﹂
﹁わははははは﹂
アルドラの笑い声が静かなリビングに響く。
冒険者の革鞄は優秀であった。
大量の衣類や武器等を収納しても、重さはほとんど感じられず、
大きさに寄ってはまとめて収納できるので、かなりの物量を持ち運
べる。
実際性能を聞いたものの、実証実験という名目のもとに色々気に
なる食材を買い込んできたのだ。
372
腹が減っていたこともあってか、少々買い過ぎのような気もしな
いでもない。
﹁必要以上に買いすぎても、無駄にするだけですよ?﹂
ミラの窘めるような視線が痛い。
﹁すいません﹂
アルドラが肉肉騒ぐから⋮⋮
彼の性格もだんだんわかってきた。
彼は子供なのだ。
興味あるものに突き進み、あまりこらえ性がないようだ。
我慢という言葉を知らないのかもしれない。
まぁ乗っかった俺も悪いのだが。
肉屋に行くときは、腹一杯の時に行くのがいいかもしれんな。
﹁でも日持ちするものが多いようなので、傷みの早いものは今日の
夕飯にして、他は地下室に入れてしまいましょう﹂
地下室?
見たところ、それらしき入り口は見当たらなかったが。
リビングのテーブルを動かして、敷いてある絨毯をめくると木板
の床に切れ目が入っているのがわかった。
ミラは食器棚の引き出しから、金属の取っ手を取り出し、床に空
いた穴へ突き刺した。
373
ガゴッ
鈍い音ともに重い扉が開くように、地下室へ入り口が開かれる。
金属の取っ手を上へと持ち上げると、下へと続く急階段が現れた。
﹁すごいですね。こんなに広い地下室があるなんて﹂
広さ8帖はあるだろうか。
青緑色の石材で作られた地下室である。
中はひんやりと涼しい。
これなら食材の保存にも使えそうだ。
﹁このような部屋のある家はベイルでは珍しくないですよ。もしも
のときは避難所にもなるんです﹂
もしも、というのはもちろん魔物の異常発生のことだろう。
数年に1回ほどのペースで起きるとされているが、詳しい発生原
因はわかっておらず、事前の対処が難しいらしい。
それでも森には獣人やエルフが住み、冒険者たちも頻繁に森へ入
るため、近年では前兆のようなものを発見できるようになってきた。
かつてはベイルの城壁まで魔物が雪崩れ込んでくることもあった
らしいが、それもここしばらくは起きていないらしい。
﹁ベイルの街なかまで魔物が侵入したという事は今までないそうで
すから、ここも避難所として使われたことは無いんでしょうけどね﹂
地下室の周囲に木枠が施され、そこに木板を設置した簡素な棚。
374
俺はそこへ買ってきた食材を収納する。
収納するスペースにはだいぶ余裕がある。
主に日持ちするような保存食が幾らか置いてある程度だ。
俺達は地下室から外へ出て、扉を戻した。
﹁なにか必要な物があったら、自由に使ってください。扉の鍵とな
る取っ手はいつもここにありますので﹂
自分の家と思って自由にしてくれて良いと言われた。
俺はその言葉を有り難く受け入れる。
﹁夕食には少し時間がありますから、部屋へ荷物を運んでいらっし
ゃったらどうですか?その間に、湯を沸かしておきますので汗を流
されたらいいでしょう﹂
アルドラに先に湯を勧めたが、わし魔力体なので大丈夫だ。と言
われた。
単に面倒くさいだけなんじゃないか?という疑問が湧いたが、無
理にやらせるつもりもないので、まぁいいだろう。
﹁ありがとうございます。お願いします﹂
﹁もしよろしければ、下へ降りる前にシアンへ声を掛けて貰えませ
んか?部屋にいると思いますので﹂
﹁わかりました﹂ 375
第33話 風呂に入りたい
鞄を持って2階へ上がる。
扉を開け、物置だった部屋へ入った。
﹁だいぶ片付けてくれたんだな﹂
物で溢れていた部屋は、半分ほど荷が減っていた。
重いものは無理だが、軽いものはミラさんやシアンの部屋の開い
ている場所へしまってくれたようだ。
後幾つかどかせば、寝る場所は確保できそうだ。
﹁このあたりの物を廊下に出しましょう。私もやりますので﹂
私の荷物ですから、と腕まくりをするリザ。
そんな細腕で重い荷物を運べるとは思えない。
﹁荷物は俺が運ぶから、リザは指示を出してくれ﹂
俺には力の指輪があるし、足りなければ火魔術の腕力強化もある。
特別腕力に自信があるわけでもない俺でも、50キロほどなら何
の苦もなく軽く持ち上がる。
魔術超便利である。
﹁⋮⋮わかりました﹂
エルフはそもそも力の弱い種族らしい。
人族よりも、単純な力や体力では下なのだ。
376
ただ魔術の素養は高いため、魔術で身体能力を補うことができる。
人族よりも魔力量も豊富であるため、ガス欠の心配も少ない。
それ故に強力な種族と言われるのだ。
俺は重い荷物をリザの指示の下、廊下へ出していく。
人が通れるくらいのスペースは確保しなければいけないため、荷
物の全てを出すことは無理だろう。
だが俺にしてみれば、寝る場所さえあればいいので問題ない。
﹁これくらいなら、私でも運べますよ﹂
大きな植木鉢を抱きかかえ立ち上がるリザ。
ちょっと震えている。
森の深くに自生する薬草の栽培実験のようだ。
街でも簡単に栽培できるようになれば、薬の値段を大きく下げる
ことができると語ってくれた。
﹁無理しないほうがいいぞ﹂
そう言ってる矢先に、案の定体勢を崩す。
俺は予測していたため素早く反応し、片手でリザを抱きとめ、も
う片方の手で植木鉢を抱えた。
﹁あう⋮⋮すいません﹂
俺の腕に収まったリザは顔を赤らめ、その身を小さくした。
﹁どうかしたのか?変だぞ?﹂
377
﹁いえ、私も何かジン様のお役に立ちたいなと思いまして⋮⋮﹂
リザには世話になりっぱなしだし、俺が何かリザの為にしてあげ
たいくらいなのだが。
﹁そういえば薬師ってポーションとか作れるのか?手持ちの物を使
いきってしまって、買いに行かなければと思ってたんだが﹂
ポーションは飲むと傷を癒してくれる魔法の薬である。
瞬時に全快する。とまではいかないが、極めて優秀な回復アイテ
ムに間違いない。
これから魔物と戦っていくにせよ、何かあった時のためにも、複
数個所持しておきたい。
﹁はい!作れます!そうですね、そうでした。すぐに取り掛かりま
す﹂
リザはしまった!といったような表情をして、捲し立てる様に声
を出した。
﹁いや、急いでないぞ?たぶん講習だなんだと、森で活動するのは
もう少し先だろうしな﹂
それに魔装具の修復の件もある。
アレは夜間用の装備のため、しばらくは昼間の活動をと思ってい
るので活躍の場はまだ先になるだろうが、準備を怠るようなことは
したくない。
﹁お任せください!私の今までの経験を生かして、最高の物を作っ
378
てみせます!﹂
リザは物凄く張り切りだした。
そこまで張り切らなくてもいいんだけどな⋮⋮とは言えなかった。
寝床を確保した俺は、鞄の中から買ってきた衣類などを取り出し、
部屋へしまいこむ。
鞄の収納力には余裕を持たせたほうがいいだろうし、すぐに使う
ものでなければ、部屋に置いておけばいいだろう。
俺はリザに頼んでシアンに声を掛けた後、下へと降りてきた。
﹁ジンさん湯の準備は出来てますので、どうぞ﹂
俺は有り難く受けることにする。
ここ何日か風呂に入ってなかったからな。
地球に居た頃は、自宅に居ればほぼ毎日湯に浸かっていた。
それを思い出すと、風呂が恋しくなってくる。
﹁ジン様このような場所で申し訳ありません﹂
リザが部屋の1角に衝立を用いて、体を清める場所を確保してく
れた。
﹁いや十分だよ。湯を上に持っていくのも大変だしな﹂
大きな木桶に湯が張っている。
全身を浸けられるほどの大きさでは無いが、体を拭き頭を洗うく
379
らいは出来そうだ。
﹁何かありましたら、声をかけてください﹂
﹁わかった。ありがとう﹂
久々にさっぱりした。
頭もしっかり洗えてスッキリだ。
俺はキャンプなどのアウトドアが趣味の1つであるため、風呂に
入れないのが我慢できない!というほどでも無いのだが、やはり日
本人なのだろう風呂には特別な思い入れがある。
こうして中途半端な形で湯に浸かれないとなると、余計に風呂に
入りたくなってしまう。
しかしこの家には風呂桶を設置するようなスペースは無さそうな
ので、今は諦めるしか無い。
いずれは風呂の在る家に住みたいものだ。
﹁風呂ですか?ベイルに風呂屋なるものがあるとは聞いたことはな
いですね。貴族や大商人ともなれば屋敷に備えている方もいるかも
しれませんね﹂
ルタリア王国は人族の都市だ。
そのためかベイルも人族が多い。
しかしその祖先は大別して2つあるらしい。
1つは北方から山を越えて、この地にやってきた北方系の人族。
全体的に色素の薄い髪や肌をしていて、金髪や白い肌の者が多い。
体は大柄で体毛が濃く、性格は短気で粗暴な者が多いという。
380
対して南方系は海を渡ってきた者達だ。
全体的に色素が濃く、浅黒い肌や黒髪であったり茶系の瞳であっ
たりする者が多い。
体つきは北方系に比べて小柄だが、引き締まっていて柔軟な筋肉
を持ち、健脚の者が多いという。
船に乗り、多くの国を渡って商売を行ってきた経緯から柔軟な思
考の者が多いようだ。
王国が誕生する前は、この2つの種族が互いに領土を奪い合う、
長い戦乱があったという。
他種族から見れば、どちらも同じ人族ではあるのだが。
﹁北方には国によって風呂やサウナに入る文化があると聞いたこと
があります。北方の商人なら事情に詳しいかも知れません﹂
だがこの都市では、北方系は少数派のようだ。
たしかに街を歩いても、白人ぽいやつが多いとは感じなかった。
というより、たぶん混血が進んでいるのだろう。ハッキリと特徴
を際立たせた北方系というのはあまり見なかった気がする。
﹁そうか。ベイルでは難しそうだな﹂
>>>>>
﹁この野菜を切ればいいですね?﹂
381
﹁ええ。1口大にお願いします﹂
俺はミラとシアンと3人で夕飯の下拵え中だ。
こうして一緒に作業していても、シアンはまだ禄に口を聞いてく
れない。
まだシアンとの距離はだいぶ遠いようだ。
大人しい感じの娘だし、難しい年頃ってやつか。
俺自身が若い女の子と話すのはあまり得意な方ではないし、気の
利いた話も思いつかない。
煙たがられるような関係にはなりたくないので、不用意にこちら
から距離を詰めるようなことはしないほうが良いかなとも思う。
アルドラとも面識はないようで、顔を会わせても小さくお辞儀を
するだけに終わった。
アルドラ自身も﹁そういえば妹がいるという話を聞いたのう﹂と
記憶もあいまいであった。
まだ夕方くらいで夕飯の時間には早いが、この家の人数も多くな
ったし量が必要になったのだろう。
俺もどちらかと言えば、量を食う方だとは思うが、アルドラもあ
の小さい体で遠慮なしに食うからな。
もう水も飯も必要ないっていう設定は忘れているようだ。
ちなみにリザは俺の部屋の掃除のために席をたっている。
ベッドは無いため床に寝袋を敷いて寝ることにするのだが、その
前に拭き掃除をすると買って出てくれた。
382
前もって掃除をしておいてくれたようで、それほど汚れてはいな
いのだが﹁先ほど荷を動かしたので、やはりもう一度拭いておきま
す﹂と言ってくれるので、任せてある。
正直掃除はあまり好きではないので、やってくれるなら甘えてし
まおうと思う。
﹁この野菜はどうしますか?﹂
﹁出来るだけ細かくお願いします﹂
夕飯用に用意してあった野菜を、用途に合わせて切っていく。
薪を利用したキッチンは初めてだが、アンティークな感じがかっ
こいい。
火を調整するのが難しいらしいが、そこは慣れたもので手際よく
準備を進めていく。
用意された野菜は見慣れた物も多い。
ルタリアは小麦や葡萄の生産が有名らしいが、野菜も沢山作られ
ているらしい。
北の山中から山の栄養を含んだ雪解け水と、大森林から森の栄養
を多分に含んだ川が合流し王国の大地を豊かにしているのだ。
キャベツ 食材 E級
見慣れた野菜である。
かつてスーパーで見かけていたものより、数段でかい気がするが。
大きめのキャベツを縦に半分に切り、千切りにしてみる。
細かくして生で食べるようだから、千切りでも問題ないだろう。
どれシアンに俺のかっこいい所を見せるとしようか。
383
﹁すいません。手切りました⋮⋮﹂
﹁ジン様!?﹂
ちょうど戻ってきたリザが驚きの声を上げる。
千切りくらいはしたことあるのだが、ちょっと失敗してしまった。
猫の手だったのだが⋮⋮
包丁の切れ味が思いのほか良く、けっこうザックリ切れてしまっ
た。
血がだくだくと流れる。
﹁傷薬!傷薬とってきます!﹂
慌てて部屋へと駆け上がろうとするリザを静止させたのはミラだ
った。
﹁落ち着きなさいリザ﹂
俺の傷箇所をミラの手が優しく包む。
次の瞬間、パアァッと光が手の内より漏れたかと思うと同時に、
優しい温もりを感じた。
﹁魔術ですか?﹂
384
﹁ええ、もう大丈夫ですよ﹂
ミラ・ハントフィールド 治療師Lv28
エルフ 90歳 女性
スキルポイント 2/28
特性 夜目 直感 促進
光魔術 C級
魔力操作 C級
調理 D級
そういえばミラさんのステータスは確認していなかったな。
ステータスの深くまで見るには、数秒間は直視しなければならな
いため、見るには少し時間が必要なのだ。
会った直後に、その顔をじーっと見つめ続ける訳にもいかないだ
ろう。
まぁ見つめるのは顔じゃなくて、胸でもいいわけだが。
﹁見えましたか?﹂
既に俺の能力を知り、直感も持つミラさんは俺の行動は筒抜けの
ようだ。
﹁すいません、勝手に見てしまいました。治療師だったんですね﹂
﹁ええ。街の治療院で少し前まで働いてました。体調を崩してから
出てないのですが、最近はだいぶ調子がいいので、また仕事に戻れ
るかもしれません﹂
仕事に出れるようになれば金に余裕が生まれ、ジンさんに沢山出
385
してもらわなくても大丈夫になりますね。とミラは言う。
治療院の仕事はそれなりにいい給料になるらしい。
冒険者の街ということもあり、客が幾らでもいるそうだ。
それにしても金くらいは出しておきたい。
これからはどうなるかわからないが、今のところ金には余裕があ
るので、少しばかり出すことには何の問題もないのだ。
﹁母様﹂
シアンの声が静かに響く。
鈴の音のような綺麗な声だ。
﹁あら、ごめんなさい。ありがとう、助かったわ﹂
料理はこの家では普段ミラとシアンが作っているらしい。
ミラはスキル持ちであるし、リザは薬師の仕事があるのだろう。
﹁シアン、君のステータスも見ていいかな?﹂
シアンの直感はあまり強くないらしく、おそらく勝手に見ても気
づかれない。
ステータスを勝手に見るのはマナー違反というのはこの世界では
聞いたことがない。
しかし、なんとなく断りを入れたほうがいい気がした。
ネットゲームだとそういう考え方もあるので、俺がそう感じてし
まうだけなのだが。
386
﹁⋮⋮いいですよ﹂
シアンは無表情でそう静かに答えた。 387
第34話 スキルの確認
シアン・ハントフィールド 獣使いLv3
ハーフエルフ 14歳 女性
スキルポイント 2/3
特性 夜目 直感 促進
同調 F級
調教
使役
やや緑みの明るい青色の髪を持つ、青い瞳の少女である。
顔立ちはリザにも似ているが、より幼くした印象を受ける。
彼女のことはまだよく知らないが、大人しい少し周囲に対して警
戒心のある娘のような気がする。
﹁獣使いか。初めて見た﹂
獣使いは、かつては犬使いと呼ばれていた職業だという。
放浪の妖精族ミゼットの他者と心を通わせる技を昇華させ生まれ
た職業らしい。
ミゼットは小柄で彼ら自身は戦闘力の低い種族であったが、魔獣
を使役することで安全な旅を続けることができるのだという話だ。
ゲームでもよくある職業だよな。
テイム系ってやつか。
俺も昔オンラインゲームで、この手の職業でプレイしていた記憶
388
がある。
もしかしたら俺もスキルさえ修得すれば、そういったプレイがこ
の世界でも出来るかもしれない。
﹁⋮⋮もういい?﹂
﹁え?ああ、ありがとう﹂
シアンはそう言うと、足早に自分の部屋へと引き上げていった。
>>>>>
料理の仕込みも終わり、夕飯まで時間があるため手持ち無沙汰に
なった俺は、家から出て近くの空き地へ来ている。
﹁なんじゃ、こんなところで?﹂
ワイン瓶を片手にラッパ飲みする子供というのも、ひどい絵面だ。
この国には飲酒に対する年齢制限は無いらしいので、問題無いと
のことだったが。
﹁ああ、いろいろ確認したくてね。スキルについてはアルドラが1
番詳しそうだったから﹂
あの家で1番の年長者で、元冒険者ならそれなりに詳しいだろう。
389
いままで落ち着く暇が無く、後回しになっていたが
﹁まぁそれなりにはな﹂
﹁気になるところがあったら聞くから教えてくれ﹂
﹁あい、わかった﹂
アルドラはそう言うと、地べたにあぐらをかき、酒を煽った。 ジン・カシマ 冒険者Lv1
人族 17歳 男性
スキルポイント 1/14
雷魔術
F級︵灯火 筋力強化︶
C級︵雷撃 雷付与︶
特性 魔眼
火魔術
F級
隠蔽︶
土魔術 ︵耐久強化︶
闇魔術 ︵魔力吸収
体術
剣術
闘気
F級︵嗅覚 魔力︶
鞭術
探知
俺は改めて自分のステータスを確認してみた。
390
﹁あれ?漂流者から冒険者に変わってる?いつの間に⋮⋮﹂
レベルも1に戻っている。
これは冒険者に職業が変わったせいだろうが、いつ変わったんだ?
﹁あ、そういえばギルドで転職したんだったな﹂
そうか、そうだった。
転職すれば、このステータスも変わるのは当然だ。
就職という意味ではなく、転職は自分の能力を変更するというこ
とになるのか。
﹁そもそも職業って何なの?﹂
ステータスに記載されている職業とは、はるか昔に人がまだ多く
の魔物に蹂躙されていた時代、人族の魔術師が生み出した付与魔術
の1つらしい。
獣人のように優れた身体能力も、エルフのように優れた魔術も、
ドワーフのように頑強な体も持たない脆弱な人族は、ただ1つの武
器、繁栄する力によってなんとか滅びの時を迎えずに、そのか細い
生を繋いでいた。
なんとかその状況を変えようとしたある人族の若者が、さるエル
フの娘に懇願し魔術を修得、やがてその魔術を仲間に伝え、人族に
魔術が浸透していった。
しかし魔術を僅かに使えるようになったとしても、状況はあまり
変わらなかった。
人族の魔術師の始祖である男は、長い間研究に明け暮れやがてあ
る1つの魔術を完成させた。
391
それが後に職業と言われる付与魔術であった。
それぞれ人の得手不得手によって、成長の指針を指し示す。
魔術の適正が高い者には魔術師の職業が発現するようになり、肉
体に自信のあるものは戦士の職業が発現するようになった。
やがて魔術師の始祖となった男はエルフの娘と夫婦となり、エル
フと人との交流は活発になった。
それにともなって魔術師の適正を持つ者が大きく増え、やがてエ
ルフの得意とする治癒術を使えるようになった治療師の職業が発現
するようになった。
エルフと人との同盟がきっかけとなり、やがてドワーフ、獣人と
も交流を活発化させるようになる。
それにより戦士の職業が増加し、狩人の職業が発現するようにな
った。
好奇心が強く、欲が強く、貪欲に知識を求め続ける人族は、その
後も多くの多種族との交流を持ち、多くの技術や文化を手に入れて
いった。
﹁冒険者がいるような街の酒場に行けば、たいてい吟遊詩人がこの
ような詩をやっておる。人族の中では、それなりに有名な神話の1
節じゃ﹂
他にも魔術師の男とエルフの娘のラブロマンスだったり、その息
子である世界で最初のハーフエルフの英雄が魔竜を打ち倒すまでの
冒険譚であったり、ルタリア王国建国に携わった王を支えた黄金騎
士の話あたりが、ルタリアでは人気の物語らしい。
392
ただし何処までが真実で、何処までが虚構なのかは定かではない
ようだ。
ちなみにステータスに表記されている職業と、実際に仕事として
給与を貰っている職業は必ずしも同じではない。
ステータスに表記されている職業は、あくまで先人たちが残した
人が生き残るために生み出された力である。
﹁なるほどな。でも職業については真実なのだろう?﹂
戦士に向いてる奴は戦士に。
魔術師に向いてる奴は魔術師に。
そいつの成長の指針が示される。
﹁そうじゃ。戦士に向いてるものは、それ相応のスキルが身につき
やすい﹂
スキルは後天的に覚えるもの。
剣の稽古を続ければ剣術スキルを。
魔術の修行を続ければ魔術スキルを。
戦士の職業を持つなら魔術を修行するより、剣術の稽古を行うほ
うがスキルを得る可能性が高い。
また戦士、魔術師、狩人が全員剣術C級のスキル所持していた場
合、一番より強くスキルの影響を受けるのは戦士となるらしい。
393
スキルとは能力の補正。
元々在る才能を更に引き伸ばす力。
元が無ければ意味は薄い。
剣を見たことも聞いたこともない男が剣術S級を持っていても、
強くはならない。
剣術スキルを持たない男でも、その生涯を剣のみに費やし研磨さ
せた技は、やはり強力な武器となる。
重要なのは、下地とスキル両方。
いやそれだけでは無い。
経験や知識、あらゆる物が合わさり、1つとなることで人として
の強さが決まる。
レベルは1つの目安に過ぎず、真の強さはその先に在る。
﹁レベルを上げ、スキルポイントを得る。それも強くなる1つの要
素。だけどそれで終わりじゃない﹂
﹁そうじゃ。スキルを理解し、その利用法を知る知識。様々な人生
経験。柔軟な感性。鍛えあげられた肉体と精神。その全てが合わさ
り人の強さとなる﹂
﹁つまりは勉強して体を鍛えて、いろんな経験をしつつ己を磨き、
394
レベル上げしろってことか﹂
﹁うむ。強くなりたいのならな﹂
﹁すげえ大変じゃん⋮⋮﹂
この世界の人の強さは、本人の力量+スキル+装備で決まるよう
だ。
﹁あたりまえじゃろ。苦労せず手にした力に何の価値がある?﹂
アルドラはさも当然とばかりに正論ぽい言葉を吐いた。
体から赤いオーラが立ち上る。
︻筋力強化︼を付与された俺の体は力に漲り、今なら重量挙げも余
裕で出来そうだ。
腰に差した鞘からショートソードを引き抜き︻雷付与︼を施す。
剣肌を舐めるように紫電が疾走った。
続いて俺はポイントを変更して︻闘気︼を発動させた。
﹁なるほどな。これが︻闘気︼か﹂
︻闘気︼を使用する際に、それが身体強化の類で在ることはわかっ
ていたが、それ以上はわからなかった。
395
アルドラに聞いて自分で使用して確認し︻闘気︼の全容が判明し
た。
︻闘気︼を使用すると、それまで肉体に付与されていたバフ魔術が
強制解除される。
だが武器に付与されている分は解除されないようだ。
︻闘気︼使用中は魔力を消耗し続ける。
強力な身体強化スキルである。
本来獣人族の限られた才ある者だけしか発現しないとされている
希少なスキルであるという。
魔力の消費を多くすればより強化の割合を引き上げることも可能
らしい。
スキルのレベルを上げることで魔力消費と身体強化の効率が上昇
する。
︻闘気︼使用中は魔術が使用できなくなる。
また体のあらゆる機能が上昇する。
感覚が鋭くなり、筋力や耐久力が上昇し、傷の治りが早まり、軽
い毒なら自然に治癒するのだとか。
﹁めちゃくちゃ強力じゃないっすか﹂
﹁うむ。獣人族は少ない魔力量故に考えて運用しなければ、あっと
いう間に魔力枯渇で倒れてしまうが、その点お主の場合はあまり残
存魔力に気を使わんで良いだろうから強力じゃろうなぁ﹂
魔力、つまりゲームで言うところのMPはいわゆるスキルや魔術
を使用するための燃料である。
396
世界中に様々いる種族の中で、もっとも内蔵魔力量が豊富とされ
ているエルフ。
話しによればどうやら俺は、彼らの数倍の魔力量があるらしい。
いくら魔術を使ったところで、大した消耗した気がしないのはこ
のためだったようだ。
スキルや魔術に使用する以外にも、日常的な動きつまりは走った
り跳んだり泳いだりという行動にも僅かながらに魔力は消費してい
るという。
カロリーみたいなもんか。ちょっと違うかな。
魔力を使いすぎると、俗に枯渇と呼ばれる状態になり、一時的に
運動能力の低下、集中力の低下、体力の低下を引き起こす。
場合によって気絶、または強制睡眠という深い眠り状態となる。
魔力枯渇で直接死ぬことは無いらしいが、心臓に疾患を抱えてい
るなどした場合どうなるかわからないそうだ。
これらの症状は個人差があり、あまり症状の出ない者や重症化す
る者など様々である。
︻隠蔽︼
肉体に付与することにより他者からの認識を阻害し、見つかりに
くくする。
認識された状態で付与しても、姿を隠す効果は得られない。だが
それ以外の者には効果が発生する。
397
例えばアルドラに見られながら俺自身に隠蔽を施すと、体に黒い
オーラを纏っているように見えるだけで、アルドラには俺のことを
普通に認識できる。
だがアルドラ以外の者からは俺を認識することはできない。
姿を隠すだけで、音や気配、匂いなどは誤魔化せない。
﹁これもかなり強力なようだが、最強というほどでもないようだ﹂
﹁鍛えられた獣人の鼻や感覚は誤魔化せんじゃろうな。雑魚相手な
ら相当強力じゃが﹂
︻灯火︼
熱量の無い、火球を生み出す魔術。
基礎魔術と呼ばれるほど、広く認知されている有名な魔術の1つ。
火魔術に適正のあるものなら、多くのものが使用可能らしい。
洞窟や夜間の光源に利用される魔術だが、使用する場所を考えな
いと魔物を引き寄せる場合もあるため注意が必要。
魔力の消費量は微量で、長く持つため使い勝手はいい。
特定の場所、空間に固定して設置することも可能。
通常は使用者のいくらか上空を自動追尾するようになっている。
使えるようになると炬火が必要なくなるため、初級冒険者にも有
難い魔術の1つ。
398
ちなみに炬火とは、いわゆる松明のことで木の棒の先端にボロ布
を巻きつけ、スライムオイルを染み込ませた物で数時間火を灯し続
けることができる。
洞窟や夜間の探索には必需品の冒険者必須アイテムの1つである。
﹁俺は魔眼があるから、あんまり必要ないな⋮⋮﹂
︻雷撃︼
指先から撃ち出す紫の光を放つ雷。
消費魔力は少なく、威力は高い。
射程は短めだが光の速さなのか、ほぼノータイムで目標物に着弾
する早さ。
連射したり、両手から同時に打ち出したり、武器から打ち出した
り︻雷付与︼を触媒として絡めたりと俺の命を繋いでいる頼れる魔
術の1つだ。
この魔術は威力が高いだけでなく︻雷撃︼によって相手の筋肉を
弛緩させ、いわゆるショック状態という生物の動きを麻痺させる効
果もある。
この力を1箇所に留めたのが︻雷付与︼である。
︻雷付与︼は肉体に付与することも、武器に付与することも可能。
雷のダメージを対象に与えつつ、ショック状態にて対象の動きを
阻害する。
399
この世界の魔術にはゲームなどのような詠唱と言うものは必要な
いようで、その代わり魔力を集中させイメージする時間は必要のよ
うだ。
﹁ちょっと待て。詠唱が必要ないこともないぞ?﹂
アルドラの話によると、詠唱というのはイメージを高めるための
儀式のようなものらしい。
未熟な魔術師などは詠唱を行うもののほうが多く、熟練者におい
ては少なくなるといったような具合のようだ。
﹁我が名に従い、かの敵を焼き尽くせ!﹂などというフレーズの詠
唱呪文があったとすると、この呪文を唱えるとある火魔術が完成す
るというイメージを最初に叩きこむ。
そうするとこで如何なる状況でも安定して魔術を行使できるよう
になるらしい。
イメージというのはやはり重要なようで、1人練習で出来たこと
でもいざとなると、うまくいかないというのはザラであるそうだ。
しかしそれが練習ならよいが、命を掛けた実践でとなると取り返
しの付かない事態にも成りうる。
戦闘での緊張感や恐怖。怪我や状態異常による集中力の乱れ。
常に強固なイメージを持って、安定して魔術を行使し続けること
は、熟練の技術が必要となるのだという。
﹁今まで簡単に使ってきたけど、そんな高度な技だったのか。もし
かして俺ってすごいのか?﹂
確かに雷魔術の威力はすごいと思う。
400
無意識だとは思うが、俺の自信になっている部分でもあるだろう。
そうでもなければ古武術の達人でも、剣術の達人でもない普通の
一般社会人の俺が魔人や魔物相手に立ち向かおうとは思わない。 情けなくとも、卑怯だとしても、自分の安全をまず確保するべく
立ちまわるはずだ。
﹁魔力量にしてもそうだが、雷魔術は火と風を極めると修得に至る
とされる高等魔術だと聞いたことが在る。それを子供ながらに安々
と使いこなすのだから、どれほどのものかうかがい知れよう﹂
401
第35話 加護持ち
﹁それにしても俺は何故、雷魔術が使えるのだろう?﹂
俺は魔石からスキルや魔術を得ることが出来る。
それはおそらく持ち主の魔物が所持していた能力が、魔石に宿っ
ているものだと思っている。
アルドラやリザはこの魔石の事象については知らなかったような
ので、もしかしたら俺だけが知る事実なのかもしれない。
そうなるとかなり貴重な情報となり得るため、今は二人にもこの
情報は漏らさないようにと頼んでおいた。
だがアルドラの闘気の件もある。
このことを考えると、単純に魔石からスキルを得る。とだけでは
ないような気もする。
もう少し詳しい情報があれば、スキルを集めるのも楽になりそう
ではあるが。
雷魔術だけは最初から使えた。
使えるように修得されていた。
魔石から得た訳ではない。
つまりは雷魔術だけ特別なのだ。
何故だ?
雷と考えると、あの日の夜が思い出される。
402
﹁わしはあまり魔術には詳しい方ではないが、たしか聞いたことが
ある﹂
魔術師たちにとって、生涯を掛けて成し遂げたいと思う偉業には、
人それぞれ幾らかあるだろうが1つだけ共通するものが在るという。
それが新魔術の開発である。
魔術師が魔術を修得するには、師匠を見つけ教えを請うか、魔導
書を得て独自に学ぶかの2つが大抵ではあるが、もう1つ新たな魔
術を創造するという方法もある。
しかし新たな魔術を創造するというのは簡単な話ではなく、熟練
の魔術師が長い時を掛けて生み出すものであり、生涯を掛けて行う
仕事なのだ。
もし生み出した魔術が、魔術師業界で認められれば魔術書を作製
されることにもなり、歴史に名を残すことにもなる。
それは魔術師たちにとっても1つの誉れとなるだろう。
﹁魔術師という人種は知識のみを追い求める偏屈の集まりじゃ。そ
れ以外に欲はなく、地位や名誉を気にするものはおらん。じゃが1
つだけ、新たな魔術の創造についてだけは魔術師どもにとっても特
別なものがあるようじゃな﹂
新たな魔術を生み出すということは、並大抵のことではない。
だがエルフの老人たちの間では、あることが語られている。
エルフは魔術の素養があらゆる生命の中でもっとも高い種族。
403
多くのものが魔術の扱いに秀でている。
だがその中でも特別素養の高いものが極稀にいる。
いや、高いのではない、根本的に違うのだ。
そういった者たちのことを、老人たちは加護持ちと呼ぶ。
﹁加護持ちか⋮⋮﹂
﹁わしも詳しいことはわからん。老人どもなら何か知っているかも
しれんがな﹂
アルドラの言う老人とは、かつてそれぞれエルフの村の村長だっ
たり、族長だったりを経験し、既に現役を退いた長老たちのことの
ようだ。
長い時を生きた彼らなら、詳しい情報を得られるかもしれない。
﹁どうすれば会える?﹂
﹁そうじゃな⋮⋮﹂
長老たちは、森の何処かに在るという隠れ里で隠居生活を送って
いるらしい。
その場所を知るものは極わずかで、現役の族長であったはずのア
ルドラでも詳しい場所は知らないそうだ。
﹁森の中に在るのは間違いない。あとは知ってそうな者に聞いてみ
るしか無いが、教えてくれるとは思えんのう﹂
404
まぁそうだろうな。
知っているものは極わずかというのなら、秘匿にしている意味が
あるのだろう。
おそらくは保護だと思うが、それならば他人に簡単に情報を与え
るような事はしないはずだ。
﹁その辺りは、おいおい考えることにする。今すぐに、どうこうし
なければいけない話ではないしな﹂
その後、魔眼とスキルポイントの設定変更能力について検証した。
魔眼は今更ではあるが、改めて確認すると。
1、対象のステータスが見える。
2、暗い場所でも物がよく見える。
3、亡霊など、普通の人が見えないものが見える。
などである。
俺が一番注目しているのは3だ。
普通の人が見えないものが見える。
付与魔術では体をオーラのような靄のようなものが纏わり付くの
だが、これはいわゆる可視化された魔力であるという。
強力なものほど見えやすく、弱いものなどであると気づかない人
405
も多いようだ。
魔物の死体などから俺は微かに立ち上る靄を見えることが在る。
感じると言ってもいいのだが、それらもまた魔力であるらしい。
しかし死体から漏れ出るように現れる魔力は極微量であるため、
ほとんどのものは気づくことはない。
俺はそこから魔石の在処を判断するわけだが、この見えない、ま
たは見えづらいものを見る力は、まだまだ発展する余地があるよう
に思える。
時間があれば訓練しておいたほうがいい能力の1つだろう。
スキルポイントの変更。
これにはある程度の集中する時間が必要だ。
戦闘中でも出来なくはないが、剣で斬り合っている最中、コンマ
一秒が生死を分けると言ったような局面では難しいだろう。
剣術スキルを駆使して剣で斬り合っている最中に、一旦距離を置
いてポイント変更、魔術で攻撃。と上手く行けば良いが、隙を突か
れ急接近した敵にそのまま切り伏せられるといった状況を生み出す
可能性もある。
そう考えると、1人でやれることにはいずれ限界がくる。
少なくとも敵を引きつけてくれる盾役が必要だ。
俺のポジションは豊富なスキルと設定変更能力で臨機応変に対応
する、遊撃手のようなものがベストのような気がする。
そう思うと信頼できる仲間が必要なのだが、あのときの冒険者を
406
思い出すと信頼できる仲間を見つけるというのが、どれだけ難しい
のかと考えさせられる。
共に命を預けられる仲間というのは、そう簡単に見つかるような
ものではないだろう。
そう思っていると、アルドラがすごいイイ顔で俺の顔を覗きこん
でくる。
まるで俺の心を読んでいるかのようだ。
空の酒瓶を片手に、赤ら顔の少年が俺の背中を叩く。
信頼できる仲間はすぐ側にいたようだ。
少々酒臭いが。
﹁よろしく頼む﹂
﹁うむ任されよ!﹂
アルドラはいい顔で答えた。
次に俺は、絶え間なくポイントを変更し続けるとどうなるか検証
してみた。
結果、すごく気分が悪くなった。
まるで頭のなかをシェイクされた様な感覚だ。
二日酔いにも似た感覚である。
無理すれば、たて続けにスキルを連続で変更することも可能では
あるが、必要以上にしないほうがいいことがわかった。 407
>>>>>
リザが夕食の用意ができたと、呼びに来てくれた。
﹁わかった。すぐ戻るよ﹂
俺はスキルの検証作業を切り上げ、リザの家へと戻った。
テーブルには所狭しと料理が並べられ、その中央には幾つもの酒
瓶が置かれている。
今日は一体何人の客がくるんだ?って量である。
﹁これはすごいご馳走じゃな!﹂
アルドラの知る店で、高い肉を見繕って買ってきたのだ。
湿度や温度を一定に保たれた貯蔵庫で保存され、長期間熟成され
ることでより旨味が増すという、いわゆる熟成肉である。
詳しくは俺も知らないが、何時だったかテレビで見たような記憶
がある。
冷凍庫の無い時代に、肉を長期間保存しておくために編み出され
た保存方法らしい。
﹁まずは乾杯しようか﹂
﹁乾杯ですか?﹂
﹁アルドラの復活、家族の再会を祝してかな﹂
408
﹁うむ!﹂
高級肉に合わせるために、高いワインも用意した。
平民の多くが普段買うワインは、壺のような入れ物に入った1本
20シリルくらいのものらしいが、俺が買ってきたのは1本400
シリルほどの硝子瓶に入った高級品である。
高いものが旨いかどうかは分からないが、飲み比べてみようかと
思う。
他にも蜂蜜酒や林檎酒なども用意した。
各々が銅製のマグに酒を注ぎ、今日の集いを祝うのだった。
﹁あればビールが欲しかったが、この辺りではビールはあまり飲ま
れないのか?﹂
酒屋に置いてある酒の多くはワインである。
他には蜂蜜酒と林檎酒が幾らかある程度。
ビール党の俺としては、飲めないと思うと余計に飲みたくなって
しまう。
前に飲んだエールも良かったが、やはりビールが飲みたい。
これから季節は夏となり、より気温も上がってくるらしい。
ビールが旨い季節なのだ。どうにかして手に入れたいものだ。
﹁王国では葡萄と小麦の生産が盛んなので、酒というとワインが主
流ですね。蜂蜜酒はエルフが好むので幾らか扱ってるでしょうし、
林檎酒は北の方で栽培が盛んなので、そちらから行商人と共に流れ
てくるのでしょうが﹂
酒をあまり飲まないリザも蜂蜜酒は好きらしく、珍しく進んでい
409
るようだ。
蜂蜜酒は蜂蜜から作られる酒で、白ワインに似た酒である。
後味が蜂蜜風味といった感じで、なかなか旨い。
ただ少し冷やして飲んでみたいところだ。
色々な魔術や魔導具があるのだから、酒を冷やす魔導具があって
も良さそうなものだが。
﹁あるかも知れませんが、大手の工房はギルドなど提携している組
織に商品を卸してますから、市場にはあまり出回らないのではない
かと思います﹂
質の高い魔導具を作れる職人は数が少なく、1つ1つ手作りであ
るため大量生産ができないそうだ。
そのため市場では常に品薄なのだとか。
﹁それにしても、リザはよく勉強しているな。いろんなことに詳し
いし﹂
リザはそんなことはないと、謙遜して語った。
﹁いえ、ほとんどが受け売りなんです。私はいろんな人と話す機会
がありますから﹂
この辺りの平民が住む区画、通称﹃貧民街﹄には怪我をしても治
療院に行けない、病気になっても薬を買えないという人は大勢いる
らしい。
単純に金の問題もあるが、治療院や薬屋には金持ちしか相手しな
い所も多く在るのだ。
安い値段で身分に関係なく対応する、という店は少数派のようだ。
410
リザはそのような貧しい人相手に薬を格安で提供しているらしい。
薬師ギルドも貧乏人相手に小銭を稼いでいると思ってか、今のと
ころ表立って文句は言ってこないそうだ。
﹁なるほど、それでいろんな人との繋がりが出来たわけか﹂
それにしても立派な娘だよな。
金の為ではなく人の為になんて、思ってても実際中々出来るもん
じゃない。
﹁すいません、そんな崇高な思いからじゃないんです。たしかに貧
民街の人達はお金はないけど、みんないい人達ばかりなので⋮⋮﹂
リザはそのまま押し黙ってしまった。
静まり返る場を打ち壊したのはアルドラだった。
﹁旨い!ジンよ、これ食ってみい。脂身の部分がなんとも甘くて絶
妙じゃぞ!﹂
ワイルドボアの厚切りステーキを、顎が外れんばかりに大口を開
けて齧り付く。
この人は随分と美味そうに食うものだ。
﹁せっかくの料理が冷めてしまいますし、いただきましょう﹂
今日は家族の再会を祝う宴だ。今は俺も一緒に宴を楽しむことに
しよう。 411
第36話 ジョギング
ふあぁぁぁぁ⋮⋮
俺は重い瞼を何とか開き、周囲を見渡す。
寝ながら首だけを動かし、カーテンの隙間から望む景色はそろそ
ろ日の出が近いことを物語っている。
﹁完全に飲み過ぎたな⋮⋮﹂
皆で飲む酒は旨い。
それは何処の世界でも変わらないようだ。
それに隣を見ても、向かいを見ても息を飲むほどの美女がいる。
つい飲み過ぎるのも仕方のない事だ。
俺が寝ているのは、昨日から自由にして良いと与えられた部屋だ。
荷物はだいぶ片付き、寝るぶんには十分なスペースが確保されて
いる。
この部屋にはベッドが無いため、床に寝袋と毛布を敷いて寝てい
る。
床の硬さが多少気になるが、苦痛と言う程でもない。
まぁこれから長いこと暮らすと考えるなら、後で家具屋でも見て
ベッドを買ってきてもいいだろう。
枕元に置いてある小さなテーブルには、虹色の石が鈍く光ってい
412
る。
この力なく輝く石は、アルドラの本体である幻魔石だ。
おそらく魔力を使い果たしたのか、石の姿になっている。
放っておけばいずれ魔力を取り戻し、再び顕現できることであろ
う。
なので今は放置だ。
﹁それにしても⋮⋮﹂
俺は重い体を起こす。
部屋には当然俺1人だ。
思えばここ数日、リザと寝室を共にしてきた為か久々に1人にな
ると少し寂しいような気もする。
>>>>>
俺は着替えて家を出ると、すぐ近くにある井戸の在る広場へやっ
て来た。
元々は防火用に設置された井戸らしいが、飲用にも堪えられるら
しく、周囲の人達は生活用水として利用しているらしい。
井戸とは言っても、中からお化けが出てきたりボーナスステージ
に繋がっていたりはしない。
石で作られた円形の筒に屋根が備えられ、滑車と釣瓶が設置され
413
ている。
街で管理されているものらしく、使用の際に許可が必要なことも
なく自由に使っていいそうだ。
釣瓶を落とし、井戸の冷たい水を汲み顔を洗う。
気温は僅かずつにも上昇し季節の変わり目を感じるが、井戸の水
は身を切るほどに冷たく、目の覚める思いだ。
用意しておいた歯磨き枝を使ってみるが、コレはただの硬い枝の
ようだった。
たぶん慣れれば問題なくなるのだろう。慣れるまで時間は掛かり
そうだが。
冷たい水で目が覚めたので丁度いい。
俺は足取りも軽く、まだ夜が明けきってない薄靄のベイルの街を
走りだした。
街の人通りはまだ少ない。
既に動き出しているのは商売をしている者達だろうか。
朝っぱらから街なかを走り回っている者の姿は俺以外に居ないよ
うだ。
時折住人たちに変な顔で見られたり、せせら笑う者もちらほら見
かけた。
気にする必要も無いので、無視するが。
なぜ俺が朝っぱらから走っているかと言えば、単純に体力づくり
である。
414
俺は生まれてこの方、まともな運動をした記憶が無い。
もちろん格闘技の経験なんてものも無い。
運動といえば学生時代の体育の授業くらいである。
それ以来、まともに走った記憶さえ無いのだ。
近くのコンビニでさえ、車かバイクに乗っていた。
そんな男なのだ。
それが何の因果か、このような世界に飛ばされてしまった。
人を襲う魔物や、人を騙し殺し財貨を奪わんとする者達が彷徨く
危険な世界だ。
幸いなことに魔術という対抗手段が俺にはあるが、それにしても
体を鍛える必要はある。
体力もいるだろう。
アルドラの話によれば、いかに強力なスキルを持っていたとして
も自身を鍛えなければ、その意味は半減する。
死にたくなければ、鍛えるしか無い。
大切なモノを護るためには、強くなるしか無いのだ。
とはいっても、体を鍛えようと考え思いついたのは走りこみくら
いだった。
その後はアルドラに相談すればいいだろう。
ちなみに彼は昨日の夜、長々と生前の冒険譚を皆に聞かせてくれ
た。
エルフでは無くなったものの、酒には酔えるのか終始ごきげんで
415
あった。
食事が終われば直ぐ席を立つだろうと思っていたシアンも、アル
ドラの話は暫くの間聞いていたようだった。
シアンはずっと街で暮らしているようだし、アルドラの何処其処
へ行って、どんな魔獣が居たか、どんなふうに倒したかなどの冒険
譚は面白かったのかもしれない。
疲れの見えたシアンとリザを先に寝るように勧め、しばらく3人
で飲んでいたような気がするが、それ以降の記憶が出てこない。
あまり飲み過ぎないように気をつけないといけないな。
2時間ほど走った後、井戸の在る広場まで戻ってきた。
魔装具、疾風の革靴のお陰なのか走りに自信のない俺でも、すこ
ぶる調子が良い。
疾風の革靴はショートブーツのような形状なのだが、俺の足にピ
タリと収まり軽快な走りを与えてくれた。
走る前まではスニーカーが欲しいと思った事もあったが、そんな
考えも改めさせられた思いだ。
気持ちのいい汗をかいたので、井戸から水を汲み上げ頭から被っ
て涼を得る。
再び水を汲なおし、浴びるように喉へと流し込んだ。
﹁くあー、旨い!﹂
火照った体が冷やされる。
乾いた喉が潤いを取り戻し、やっと一息ついた。
416
﹁にゃにゃにゃ?見かけない顔がいるにゃ∼?﹂
井戸の水を浴びて汗を流していると、不意に背後から声を掛けら
れた。
振り向くと、浴衣のような衣を身にまとった獣人族の女が立って
いた。
獣猫族
白髪のショートヘア、青い瞳。
頭に猫耳と、特徴的な細い尻尾が揺れているのが見える。
浴衣は若干の違いは在るようだが、よく似ている。
着崩した胸元から豊満な物体が今にも零れ落ちそうだ。
オシャレに着崩しているというより、寝起きで飛び出してきた様
な格好に見える。
﹁⋮⋮おはようございます﹂
一瞬痴女が現れたかと思い焦ったが、思い直し出来るだけ丁寧に
挨拶した。
おそらく、この辺りに暮らす住人だろう。
ご近所さんだとすれば、リザたちの顔見知りかもしれないし下手
なことは言えない。
﹁ふふふん?人族の子供にゃぁ?迷子かにゃぁ?﹂
グイっと顔を近づけ覗き見る獣猫族の女。
417
﹁いえ、最近暮らし始めたばかりでして﹂
女の顔が俺の首もとへ接触するほど近づいてくる。
くんくんくん。
すごい匂い嗅がれてるんですけど。
汗臭かったか?
水は浴びたけど、まぁ走って汗かいた直後だしな。
しかし、なぜ臭いを嗅ぐ?
獣猫族の習性か何かか?
しかし近いな。
よく見ればけっこう美人だし、たぶん裸に身につけているのは浴
衣のみなのだろう。
ざっくりと開いた胸元から白い肌がさらけ出されている。
思わず反応してしまいそうになる。マズイな。
﹁コラッ!何朝から盛ってんだいタマ﹂
投げかけられる声に、女が振り向く。
獣猫族の女がもう1人増えた。
タマ 妓女Lv23
獣猫族 24歳 女性
418
ミケ 妓女Lv24
獣猫族 25歳 女性
﹁ん∼?何にゃミケかにゃ∼。別に盛ってなんかいないにゃ、あち
しの好みはもっと年季の入った男にゃからにゃ∼﹂
タマは飄々とした様子で答えた。
﹁旦那悪いね、ウチのもんが何か粗相をやらかさなかったかい?﹂
ミケは申し訳無さそうにしている。
着ている衣はタマと同じようなものだが、しっかり帯を留められ
背筋が伸びていて、同じ衣でも着ている人でだいぶ印象が変わる。
﹁いいえ何も﹂
地球時代には職場も含め、女っ気なんて無かった。
飲みに集まるのも男友達ばかりだったしな。
正直こうグイグイ来られるのは、どうしていいかわからない所が
ある。
助け舟が入って助かった。
﹁別にあちしは何もしてないにゃ。この子供からエルフの匂いがす
るなと思って気になっただけにゃ﹂
>>>>>
419
﹁そうかリザちゃんとこで世話になってるんだね﹂
2人はリザのお客さんだったようだ。
職業や身分に関係なく薬を売ってくれるということで、貧民街で
はちょっとした有名人らしい。
﹁ふぅん。なるほどにゃ∼﹂
タマが物凄いジロジロ見てくる。
そして何かを悟ったようにニヤニヤとした笑みを浮かべる。
﹁ええ、ちょっと縁がありまして﹂
﹁あたしはミケ、こっちはタマね。これからはご近所さんだ。よろ
しくね﹂
ミケが右手を差し出す。
この世界にも握手という風習があるらしい。
俺も右手を差し出し、それに応じた。
﹁ジンです。よろしくお願いします﹂
その後、しばらく世間話を交わした後に彼女達は去っていった。
ベイルの花街で白猫館という店をやっているので、機会があった
420
ら来てほしいと言われた。
なんでもベイルでは珍しく魚料理が食べられる店らしい。
知り合いの好で安くするということなので、いずれ顔を出してみ
てもいいだろう。
﹁ただいまー﹂
﹁お帰りなさいジン様﹂
家に戻ると、朝食の準備を終えたリザが出迎えてくれた。
俺が玄関に姿を現すと、パァッと顔を明るくし嬉しそうに駆け寄
ってくる。
結婚した経験は無いが、まるで新妻みたいだなと思った。
﹁早くに目が覚めたから、ちょっと走ってきた。みんなは?﹂
ミラさんは朝に弱いらしいので、当分起きてこない。
シアンは起きてるかもしれないが、朝は基本食べないらしい。
﹁あ、もしかして俺のために朝食用意してくれた?﹂
もしかして、この世界の人は朝はあんまり食べないのか?
でもガロの宿では、たしか朝食が出たような気がする。
﹁いえ、私もジン様と一緒に頂きたいので﹂
リザはそう言って笑顔で答えてくれるが、明らかに俺のためだろ
う。
421
内容と量を見ればわかる。
俺は朝からしっかり食べる派なので、正直有難い。
自分で作ろうと思えば、出来ないこともないだろうが朝から料理
をしようという気にはなれない。
俺1人であれば、買ってきたパンをそのまま齧って終わりだろう
しな。
テーブルに並ぶのはパン、目玉焼き、焼いたハム、チーズ、生の
野菜、フルーツなど。
この家で料理を担当するのは、ミラさんとシアンらしくリザは普
段やらないそうだが、きっとモリモリ食べる俺のために頑張って用
意したのだろう。
普段やらない娘が俺のために頑張ってると思うと、ちょっとグッ
とくるものがあるな。
﹁ごちそうさま。美味しかったよ﹂
﹁えへへ。よかったです﹂
リザの嬉しそうにほころばせる、その笑顔がとても可愛かった。
422
第37話 講習
﹁まだ少し早いけど、出かける準備をしてギルドに向かうよ﹂
今日からギルドで講習やら実習を受けることになっている。
時刻を知らせる教会の鐘の音を聞けば、まだ時間的には早いとわ
かるが少しでも街に慣れるため散策しながら行こうと思う。
﹁そうですか、わかりました。私は今日は部屋で調合の下処理に掛
かろうかと⋮⋮﹂
リザは本当は俺と一緒にいきたいけど、薬を作る準備をするそう
だ。
俺がポーションを作って欲しいと言ったのもあるし、貧民街の人
達へ売る傷薬なども作らなくてはいけないようだ。
リザの薬を頼りにしている人は、少なからずいるようだ。
なお調合というのは、ゲームのように魔法のような不思議な力で
材料さえ有れば一瞬で製品が完成するといったことではない。
素材を乾燥させたり、粉末にしたり、切り刻んだりと用途に応じ
た下処理を行い、1つ1つ手作業で作っていくものなのだ。
故に時間も手間もかかる。
これらの精密作業を後押ししてくれるのが、調合スキルだと言わ
れている。
スキルが無くてもレシピを知っていれば薬は作れるが、やはり出
来上がりに差が出来てしまう。
それが繊細な作業を要する魔法薬の類であれば、尚の事であろう。
423
>>>>> 革のジャケットに綿のシャツ、革のズボン。
魔導具に疾風の革靴、力の指輪、冒険者の革鞄。
鞄の中には傷薬とリザの手元にあったライフポーションFを2つ
貰った。
幻魔石の魔力はまだ貯まって無さそうなので、鞄に入れてある。
腰にショートソードを差し、手にカシラの杖を持って、後他に忘
れ物はなかったかな。
﹁ジン様、無茶はしないでくださいね﹂
リザが心配そうに呟く。
﹁大丈夫だ。危険なことはしないし、アルドラもいるからな﹂
まだ鞄の中で寝てるけどな。
俺はリザの見送りを受け、冒険者ギルドへ向けて家を出た。
街なかの様子を伺いつつ、歩みを進める。
424
途中街の広場にて青空市場が開かれている場所に出くわしたので、
見物しながら行くことにした。
﹁ここは近隣の村落から商品を持ち寄って、自由に露店を開ける場
所なんだ﹂
愛想のいい露天商の男が教えてくれた。
近隣の村落に住むものは、入市税を支払わなくともベイルへの出
入りが自由なのだとか。
小麦などを作っている農家などは税として支払う小麦、自分たち
が消費する小麦、それらを差し引いた余剰分をパンに加工して持ち
寄り販売していたりする。
もちろん大半は小麦としてそのまま組合に買い上げられるのだが、
一部手元に残した小麦はそうしてベイルの市場へ流れていくらしい。
見れば見たことのない果物や、どことなく見覚えのある野菜、魚
の干物などの加工品、他にも用途不明の様々なものが売られている。
僅かな場所代さえ支払えば商人ギルドに加入せずとも商売ができ
るとあって、ここへ品を持ち込む村人も少なくはない。
﹁昼ころには大半が引き上げちまうから、何か入用なら安くするぜ。
どうだい旦那﹂
俺は情報の礼も兼ねて昼飯用にパンといくつかの果実を購入した。
このような青空市場はここだけではなく、他にもベイルの市内に
いくつか在るらしい。
中には冒険者が多く集まる市場もあり、一般の行商では取り扱わ
ないような特殊な品もあったりするらしいので、いづれ覗いてみた
425
いと思う。
冒険者ギルドへやってくると、相変わらずの盛況ぶりであった。
帯剣した戦士風の男たちや、杖を持った魔術師風の女達が慌ただ
しく行き交っている。
﹁おはようございます。今日もすごい人ですね﹂
﹁おはようございますジンさん。この時期は毎日このような感じで
すよ﹂
朝から仕事に追われる受付のリンは、少し疲れた様子で答えた。
﹁F級の講習を受けに来たんですが、まだ時間大丈夫ですか?﹂
﹁はい、大丈夫ですよ。講習は1階奥の廊下を突き当たりにある会
議室で行われますので、まだ時間に余裕はありますが中で待ってい
て貰っても構いません﹂
俺はリンに礼を言って会議室へ向かった。
会議室の中に入ると簡素なテーブルに椅子が並べられている。
既に何人かの受講者と思われる人達が椅子に腰掛け、始まる時間
を待っている。
見れば15∼17歳あたりの人族の男性のようだ。
やはり危険を伴う職業のため、女性の成り手は少ないのであろう
か。
426
俺は空いている椅子に腰掛け、テーブルに突っ伏してその時を待
った。 しばらく待っているとバンッと勢い良く扉が開き、おそらく講師
であろう年配の男が会議室に入ってきた。
﹁受講者は揃っているかね?これより魔物生態の講習を始める。今
回講師を担当することになったベニートだ、よろしく!﹂
男は入ってくるやいなや、捲し立てるように話し始める。
俺も、その他の者達も慌てて姿勢を正した。
そういや講習を受けるにしても、ノートもペンも持ってないな。
この世界にあるかどうかは、わからんが。確か羊皮紙を売る店が
あったから、それを買って置けばいいか。メモ取るにも必要になる
だろうし。
この冒険者ギルドが実地している講習、実習の制度は今のギルド
マスターから行われるようになった制度のようだ。
冒険者になろうという若者は年々増えていったが、知識も技術も
ないものが大半だった。
魔物がほとんどでないような地域から来た若者などは、ベイルへ
来て初めて魔物を見たという者も少なくはない。
なんの予備知識も無く、ただ地元では職がないため、冒険者でう
まくすれば稼げるらしいという噂を信じてベイルへやって来たもの
427
の、迂闊な行動から魔物の餌食になるという若者が後を立たなかっ
た。 勝手に死ぬのは構わないが、才ある者もそのようなことで失って
しまうのは、やはり損失であろうとギルドマスターが今の制度を作
ったらしい。
どうやらちゃんと仕事はしているようだ。
レベル高かったしな。
ギルド職員のレベルはギルドの職務を全うすると上がっていくら
しいので、レベルの高いものはそれだけ貢献しているということな
のだろう。
ベニート 技能指導官Lv32
講師の男を魔眼で見てみるが、職員ではないようだ。
技能指導官?これも初めて見る職業だな。たぶん特殊職なんだろ
うが。
講習は2時間ぶっ通しで行われた。
さすがに疲れたが、ベイル周辺および大森林で多く見られる魔物
の生態についての講習であったため内容は非常に面白かった。
実に有意義な時間を過ごせたと思う。
﹁はぁ、やっと終わったか。寝ないように気をつけるのに精一杯で
話ぜんぜん覚えてないぜ﹂
﹁冗談言うなよ?お前、最初から寝てただろ﹂
﹁2時間とか言ってたけど、ほんと長かったな。あの砂時計止まっ
428
てるのかと思ったよ﹂
講習が終わり各人に受講完了の札が手渡されると、指導官は足早
に会議室を後にした。
受講者たちも、それぞれに会議室を後にする。
考えてみれば、たしかに2時間休憩を挟まずに行うのは、厳しい
かも知れない。
俺は楽しめたから良いが、普通に考えればそんなに長く集中力は
持たないかと思う。
あとで職員にでも、休憩を挟んだほうが効率的ではないかと進言
してみようか。
俺は受付で受講完了の札を渡した。
昼の休憩を挟んで、午後からすぐ近くの訓練場で剣術の実習らし
い。
時間まですることもないので、食事を取りつつ依頼の掲示板でも
覗こうか。
1階ギルドホールの壁面には幾つもの大きな掲示板が設置され、
そこへ様々な依頼書が貼りだされている。
﹁字読めないから、見てもわからんかったな⋮⋮﹂
この国の文字が読めないのは、やはり何かと不便である。
しかし字が読めないという人も多いため、それに配慮されている
ことも多々あるのだが、やはり読めないより読めたほうがいいのは
429
当然だろう。
1から勉強しなければならないと思うと、少々億劫ではあるがや
るしか無いか⋮⋮
字が読めるようになるスキルとか有ればいいのだが、そう都合の
いいスキルなんて無いだろう。
﹁ジンくん、依頼書が読めないの?手伝いましょうかっ?﹂
見覚えのある声に振り向くと、ギルドマスターがそこに居た。
ちっこい姿で。
﹁ゼストさん何してるんですか?﹂
俺は困惑の声を上げた。
﹁今はノーマだよっ﹂
ギルドマスターは力強く言い放った。
﹁ギルドマスター?﹂
﹁ノーマだよ﹂
ギルドマスターの声のトーンが一段下がる。
﹁⋮⋮こんにちは、ノーマさん﹂
﹁こんにちはっ﹂
430
冒険者ギルドが提供する依頼には討伐、採取、護衛、雑務の4種
類がある。
受付カウンターに近い場所に設置された掲示板は、雑務専用の掲
示板だ。
F、E、Dと依頼書にランクはあるものの、ギルドに加入したば
かりのFでもDまでの依頼を受けられるため、実質ギルド会員なら
誰でも受けられる依頼ということになる。
内容は倉庫の荷物整理や水路のゴミ掃除、老朽化した家屋の解体
作業の手伝い等、ほとんどが力仕事で街の日雇い労働者とそう変わ
らない仕事内容になっている。
ただ冒険者ギルドに信用が在るためか、仕事の依頼はそれなりの
量がくる。
戦闘が苦手だったり危険な作業をしたくない者達は、朝早くにギ
ルドを訪れ雑務を中心に自分の力量にあった依頼書を探すそうだ。
ちなみに雑務の依頼ランクにC以上はないそうだ。
雑務専用の掲示板の対面に、D、C、B、Aの4つの掲示板が設
置されている。
学校の黒板のように大きな物で、1つの掲示板を2分割し左半分
を討伐依頼書、右半分を採取依頼書が貼りだされているようだ。
FとEの掲示板がない理由は、Fの扱いがいわゆる研修期間のよ
うなものだかららしい。
受けられる依頼はDまでだが、推奨しているのは同ランクの依頼
までだ。
よほど自分に自信があれば別であるが、普通はあまり上の依頼を
431
受けるということは少ないようだ。
もちろんそれは失敗のリスクがあるからだ。
Fに推奨される依頼は雑務のみで、これは知識と技術を深めてか
ら昇格し、他の依頼も受けるようにして欲しいというギルドの意向
のようである。
Eになると採取の依頼が追加されるようになる。
Eから受けられる採取依頼は、常時依頼の出されているものとな
っている。
つまりいちいち依頼書を確認するのではなく、いつでもギルドで
は一定の額で買い取るから、幾らでも持ってこいという話である。
﹁なるほど、だいたいわかった。ありがとうノーマさん﹂
﹁どういたしましてっ﹂
一度に受けられる依頼書は2つまでのようだ。
試しに任務達成までの制限期間の長いものを2つ選んで受けてみ
ようと思う。
432
第38話 討伐依頼1
午後からの剣術実習を受けた。
ギルドから歩いてすぐ近くに在る訓練場は、木の塀で囲まれた土
むき出しの広場だった。
剣道の道場のような物を想像していたのだが、ただの空き地であ
る。
剣術スキルを持つ、元冒険者の技能指導官が教えてくれるらしい。
とりあえずポイントを剣術スキルに設定しておく。
内容はと言うと、前半は剣の扱い方などについて。
後半は、木剣を使って実践を想定した打ち込みなど。
ポイント変更したが、あまり意味はなかった。
2時間という限られた時間で稽古するのは無理があるし、実習は
剣という武器のレクチャーといった感じだった。
本格的に学びたい、剣術スキルが欲しいという人は別費用を払え
ば技能指導官が稽古をつけてくれるらしい。
実際スキルを得られるかどうかは、本人次第のようだが。
俺は受講完了の札を受け取り、訓練場を後にした。
﹁訓練はちょっと受けてみたい気もするけど、剣術スキルは持って
るしな﹂
アルドラも剣を獲物にしているようだし、アルドラに習うのもい
いだろう。
433
腕の立つ戦士が教えるのもうまいとは、限らないだろうが。
受講完了の札を受付に提出し、D級の討伐依頼書を提出して受理
してもらう。
﹁Dの討伐ですか?たしかジンさん昨日ギルドに登録されたばかり
ですよね?﹂
﹁そうですね﹂
リンさんが信じられないようなものを見る目で、見つめてくるが
気にしないでおこう。
﹁討伐依頼の危険性はご理解いただけてますね?﹂
考えなしに魔物討伐へ赴いて、命を落とす若者が絶えないという
話を聞いたからな。
登録したての若造が、いきなり討伐依頼を受けるとこんな感じに
なるのか。
﹁はい、大丈夫です。こうみえて魔物との戦闘経験は結構あるんで
すよ。マスターも了承していますし﹂
リンさんはマスターが了承しているという言葉が効いたのか、討
伐依頼を受理してくれた。
434
D級 討伐依頼 魔獣クローラー 推定Lv1∼12
大型芋虫の魔物。森の浅い部分から、境界付近に多数生息。
皮膚が固く、生命力が強いため仕留めるのに時間がかかる。
強靭な顎で希少な薬草もろとも周囲の植物を食い荒らし、増え過
ぎると人間の領域まで進出してくるため定期的な駆除が必要。
顎に噛まれると大怪我する可能性が高いが、動きは鈍いため気を
つければ問題無い。
極稀に粘糸を吐く場合もあるため注意が必要。
頭に1本触覚があり、それが討伐証明部位となる。
依頼達成数10匹 報奨金500シリル 追加1匹につき60シリル増額。
依頼を無事受けた俺は意気揚々と、外壁門へ繋がる道を走りだし
た。
門へと辿り着いた俺は、ギルドカードを提示して外にでる。
冒険者たちは仕事柄入市税を払わずに、カードの提示だけで門の
出入りの自由を認められているのだ。
門を潜り、討伐や採取に都合のいい地点まで移動することにした。
とはいっても、そう遠い距離ではない。
歩いても30∼40分ほどだろう。 俺はポイントを探知に設定し、魔物を探る。
このあたりの景色はというと、疎らに若木が生え所々には腰ほど
はある高さの下草が生い茂っている。
435
見晴らしはよく、遠くに幾らか巨木が見える。
地面に傾斜はなく、平坦であった。
このあたりがいわゆる、森と平原の境界と言われるような場所な
のだろう。
探知は自身を中心に周囲の状況を把握するスキルだ。
探れるのはFで半径30メートルくらい。
Eで60、Dで90、Cで120ほどだと思う。
その時の状況や体調によっても差が生じるため、目安程度だが。
実際には見えていない、遮蔽物の向こう側まで探れるこのスキル
は有用だと思う。
探知のスキルで獲物を探しつつ、薬草採取の依頼も平行して進め
る。
魔眼で草むらを探すという作業だ。
常時採取依頼が出されているE級の採取には、癒やし草、毒消し
草、活力草など数十種類がある。
今回は街の近くで簡単に入手できそうな、この三種を狙って探す
ことにした。
それぞれ低級のライフポーション、キュアポーション、強化ポー
ションの原材料の1つとして使用される素材であるため、その価値
は高い。
これらの薬草は見た目の似ている雑草もたくさんあるため、見習
い冒険者は間違えて雑草を必死に集めギルドに提出というのが、見
習い冒険者のよくある話ネタのようだ。
だが俺には魔眼がある。
436
草
草
草
草
癒やし草 素材 E級
草
草
藪掻き分け魔眼で探せば、簡単に見つけることが出来た。
魔眼の連続発動はかなり疲れるが、判別の難しい薬草の発見には
有効だ。
ある程度狙いを絞って使えば、負担もだいぶ減らせるだろう。
>>>>> このあたりには同業者の姿は見えない。
ある領域で冒険者が活動していた場合、先に活動していた者にそ
の場を譲るのがマナーと言うやつである。
437
これは法律という訳ではなく、冒険者ギルド内の暗黙の了解とい
うやつだ。
それにしても魔物の姿が見えない。
もっと大量にいると思ったが、そうでもないようだ。
と思ったら、いた。
クローラー 魔獣Lv1
体長1メートル位の巨大な緑色の芋虫。
顔はバスケットボールくらいある。
頭の先にチョウチンアンコウのような突起があり、それをフリフ
リと忙しなく動かしていた。
ブチブチッ
地面を這いまわるようにして動き、無心で下草を食んでいる。
確かに噛まれるとヤバそうな強力な顎のようだ。
魔物も人も生まれた時はLv1から成長するのだという。
こいつは生まれてから、それほど時間が立っていない個体なのだ
ろう。
あ、そういえば忘れてた。
俺は鞄の中を弄り、中に入っている物を取り出した。
幻魔石
438
手のひらで弾けるように、それは魔力の粒子へ変換される。
虹色の光が空気中に飛散し、やがて1つに纏まってアルドラがそ
の姿を表した。 ﹁あれ?なんか姿、変わってない?﹂
呼び出したアルドラは大人バージョンである。
しかし俺の記憶にある彼の姿とは、いささか違うようだ。
身長2メートルを超えるような美丈夫であるのはそのままに、少
しシャープになっている。
細マッチョである。
ちょっと若返ってるし。
洋画とかで見るような若手イケメン俳優っぽい。
亡霊時代に出会った時にはもっとゴリゴリだった気がするのだが。
﹁魔力で出来た体は、ある程度自在になるといったじゃろう﹂
そうだったか。
それにしても自由すぎだろう。
﹁その形態での服も、買ったほうがよかったかな﹂
今の姿は上半身裸に七分丈の革パン姿である。
﹁このままでも大した問題は無いがのう﹂
暑さも寒さも感じないため、服はそれほど気にしてないそうだ。
ただ記憶はあるため、暑い気がする、寒い気がするといった何と
439
なくの感覚はあるらしい。
剣で切られても、おそらく同じだという。
実際の痛みはないが、かつての記憶から不快な感触はあるそうだ。
﹁あ、そういえば剣は?家に置いてきたっけ﹂
俺がそう言うと、アルドラは何もない空間に手を掲げる。
すると次の瞬間、突如虚空から剣が出現しその手に収まった。
あの時買った、バスタードソードだ。
﹁わしのステータスを見てみい﹂
アルドラ 幻魔Lv1
特性 夜目 直感 促進 眷属
スキルポイント 35/63
時空魔術 S級︵還元 換装 収納︶
﹁あれ?いつの間に?﹂
アルドラがにやりと不敵な笑みを見せる。
﹁このような身となってから、魔術に目覚めるとは皮肉なものじゃ
のう﹂
魔力で出来た体となったために、魔術が扱えるようになったらし
い。
俺は魔石からスキルを得ることが出来るため忘れていたが、本来
スキルは修練によって修得するものなのだ。
440
﹁それはともかく﹂
アルドラはザクリと剣を地面に突き刺した。
ぐぐっと体を伸ばし、入念にストレッチをする。
まるで体の調子を探るかのように。
﹁アルドラ?﹂
﹁うむ。ちょっとこの体が、どの位動かせるのか試してみるわ。お
主も適当なところで切り上げて帰るんじゃぞ?リザが心配するでの
う﹂
そういうと、アルドラは剣を肩に担いで走り去っていった。 441
第39話 討伐依頼2
アルドラはあっという間に森の方角へと走り去っていった。
ステータス上はレベル1だが、その強さは元S級冒険者のそれな
のだ。
心配するだけ無駄だろう。
かつての戦闘スキルは失っているようだが、あの様子ではあまり
関係無さそうだ。
剣術スキルが無いからといって、剣が振れないというわけでも無
いのだから。
﹁さてと﹂
俺は魔物に向き直る。
魔物はアルドラとのやりとりを脇で聞いていても、知らん顔で草
を食み続けている。
魔物には好戦的なタイプと非好戦的なタイプがいるという。
こいつは後者だ。
この手のタイプは、こちらから必要以上に近づくか攻撃的な接触
しないかぎり襲ってくることはそうないらしい。
ある程度近づくと顎をガチガチと打ち鳴らして威嚇行動をとるが、
離れればまた何事もなかったかのように草を食む。
俺は杖を芋虫の背に押し当てる。
442
触れた感触は固いゴムのようだ。
タイヤとまでは行かないが、相当固い。
﹁ギィ?﹂
芋虫が不快に思ったのか、俺の方へ一瞥するも程なく無視してま
た草を食みだす。
敵意が無ければ棒で突かれても、襲ってくることは無いようだ。
バンッ
杖の先端より放たれる︻雷撃︼
弾けるような高い音を立てて放たれた閃光が、魔物の体を貫いた。
芋虫は一瞬にして2つに分断された。
俺が冒険者となって最初の獲物に芋虫を選んだ理由。
固く生命力が強く一部の者にとっては厄介な相手だが、好戦的で
なく魔術という弱点がある。
特に火雷氷に弱い。
軽く流すには丁度いい相手だろう。
俺は藪の中を薬草を探しつつ、探知で魔物も探る。
背の低い芋虫は地面を這っていれば、普通に探したのでは見つけ
づらい。
腰ほどもある下草が彼らを覆い隠すのだ。
443
しかしこの薬草は芋虫にとってもいい餌であるようで、薬草が纏
まって生えている様な場所には多くの芋虫がいることがわかった。
薬草事態もそう珍しい物では無いようで、彼方此方で発見できる。
俺のように魔眼や鑑定スキルの類がなければ似たような草はたく
さんあるので、いちいち見聞しながらとなってしまい中々に手間が
掛かりそうだが。
俺は薬草を次々に発見し鞄へ突っ込んでいった。
芋虫も発見次第︻雷撃︼で瞬殺だ。
その頭の突起を剣で切り取り、これも籠に放り込んでいく。
薬草も突起も12個まで鞄の中でまとめて収納出来るようだ。
今のところ魔石は見つかっていない。
レベルも1∼3ほどの個体が多く、生まれたばかりの子供なのだ
ろう。まだ魔石ができるほど育っていないのだ。
次々に魔物を葬って行く。
まるで害虫駆除だ。
まぁその通りなのかもしれない。
薬草もだいぶ集まってきた。
適当なところで戻るか。
そう思っていた矢先だ。
クローラー 魔獣Lv6
クローラー 魔獣Lv7
クローラー 魔獣Lv8
444
お、今までで一番レベルが高い。
見た目もこころなしか、一回り大きいのかもしれない。
魔物は放射状にて、俺を待ち構えるように布陣している。
今までの奴らとは違って、明らかに俺を敵視している。
仲間を殺され続けて怒ったのだろうか?虫にそんな知性があるの
かどうかは知らないが、今までの奴らのようにただ黙って、殺られ
てくれるだけでは済まなさそうな雰囲気だ。
一瞬俺が戸惑ったのを見逃さなかったのだろうか、芋虫共はそれ
ぞれに粘糸を空に向かって吐きかけた。
粘糸は放物線を描くように、山なりに飛んでくる。
空中で拡散し、その範囲は広い。
3匹ぶんも合わさると、けっこうな量である。
俺は慌てて、転がるように無様にそれを回避した。
僅かに腕や足に粘性の高い糸状の物質が付着する。
感触は強力な粘着テープといったような感じであろうか。
かなりの粘性だ。
まともに浴びるのはヤバそうだ。
追い打ちをかける様に第二射が発射される。
俺は後ろへ飛び退き、草むらへ退避する。
間髪入れずに第三射が放たれるが、生い茂る草木が屋根となって
俺を粘糸から守ってくれた。
第四射は来ない。
この状態では無駄だと悟ったのだろうか。
445
芋虫の1匹が草木を掻き分け、ガチガチと顎を鳴らして俺に迫る。
バンッ
俺は正面から︻雷撃︼を浴びせた。
頭の突起が宙を舞い、芋虫の顔面が消し飛ぶ。
討伐部位のことを考え威力は抑え気味にしているが、明らかにオ
ーバーキルだった。
すぐ後ろにいた、もう1匹の芋虫にも︻雷撃︼を浴びせ瞬殺。
たしか後1匹居たはず⋮⋮
その瞬間、ガサッと直ぐ脇の草が動くのを感じた。
回りこんでいた芋虫の1匹が、俺へ目掛けて跳躍する。
体当たりだ。
ドンッという強い衝撃を胸で受け止める。
﹁うぐうっ﹂
思わず鈍い声が漏れる。
衝撃で肺から無理やり空気を排出させられたような気分だ。
だが怪我をするほどの威力はない。
地味に痛いが。
地面に伏した芋虫を上から杖で押さえつける。
446
バンッ
芋虫の体は2つに分断され、その動きを止めた。
シュウシュウと肉を焼く煙が立ち上り、不快な匂いがあたりに広
まった。
﹁ふう、ビビったわ⋮⋮﹂
油断していたわけでもないが、粘糸は思いのほか厄介なスキルの
ようだ。
それにしっかりとした防具も必要のようだ。
俺はポイントを変更し、その後も耐久強化を自らに付与して狩り
を続けた。
そして日が沈む頃に、やっと魔石を発見することができた。
ジン・カシマ 冒険者Lv4
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/17
火魔術
雷魔術
︵耐久強化︶
︵灯火 筋力強化︶
特性 魔眼
土魔術
C級︵雷撃 雷付与︶
︵魔力吸収
隠蔽︶
闇魔術
体術
剣術
鞭術
闘気
447
魔力操作
探知 F級︵粘糸︶
D級︵嗅覚 魔力︶
魔石は幸運な事に、1つ目でスキル付きを引き当てた。
魔石を得られる魔物は、ある程度成熟した個体だが、それでも必
ず魔石を持っているとは限らない。
魔石を持っていたとしても、スキル付きである確率は更に低い。
粘糸は魔力操作というカテゴリらしい。
つまりあの糸は魔力を練って作られたということか。
そういえば腕に引っ付いた粘糸は、しばらくすると何もなかった
かのように消え失せた。
そう長い時間持つわけでもないようだ。
戦闘中に喰らえば十分脅威だが。
試しに︻粘糸︼を、近場に居た芋虫に放ってみる。
﹁ギュィィ??﹂
粘糸が芋虫に絡まり着く。
強い粘着性の糸が互いにくっつき絡まり、芋虫の動きを封じてい
く。
しばらくモゾモゾと動いていた芋虫は、時間が経つとピクリとも
動けなくなってしまった。
﹁F級でこれか。けっこう凶悪だな﹂
更にC級へとポイントを設定しなおし、別個体で威力を試してみ
448
る。
﹁うーん、威力は変わってないのかな?﹂
ランクを上昇させると、射程距離や範囲が広くなるようだ。
だが上昇率はそれほど高くないだろう、目に見えて効果が上がる
という程でもない。
もしかしたら効果時間も長くなるのかもしれない。
まぁ実際使うならFでも十分な射程と範囲だと思う。効果も申し
分ない。
俺はひとまず検証を終え、冒険者ギルドへ戻ることにした。
依頼を受けるのは正面受付からであるが、討伐部位を持ち込むの
は裏口の鑑定所のようだ。
俺は集めた薬草とともに、依頼書と討伐部位を提示した。
﹁これは今日一日の戦果ですか?﹂
﹁はい﹂
鑑定所の職員は驚愕の顔を見せる。
﹁少々お待ちください、今担当の者を呼んでまいります﹂
F級
鑑定師Lv18
鑑定
対応してくれたこの人も、鑑定スキル持ってるようだけど。
449
﹁いえ、私はまだまだ素人レベルですので﹂
そう言い残して、奥へと引っ込んでいった。
﹁お待たせしました﹂
少し待つと担当者が現れ、鑑定作業を進めてくれた。
多量の戦果があったとしても、大人数のパーティーならそれほど
驚く事でもないものな。
まぁ俺はソロだが。
討伐部位 クローラーの突起×84 4940シリル
薬草採取 癒やし草×60 1200シリル
おぉ結構な稼ぎになったな。
貧民街に暮らす最底辺の労働者の1日の稼ぎは200前後らしい
から、それを考えると30日分くらいだろうか。
冒険者がうまくすれば稼げるというのも頷ける。
しかし普通はリスクを抑えるためにもパーティーを組むのだろう
から、1人あたりの頭割りはそれほど稼げるといったものでも無い
のかもしれない。
消耗品など必要経費も在るだろうしな。無理をしては怪我にも繋
がるだろうしな。
俺は報酬を受け取るとギルドを後にした。
リザの家へと向かう道を進む。
時刻はだんだんと夜へ向かう頃だ。酒場が客を出迎える準備をし
ている。
450
早くから開いている店には、既に客が入り飲みつぶれている人の
姿も見える。
冒険者の街ベイルは、通常の都市とは違い夜でも火が灯り、人の
動きがある街だ。
冒険者も精鋭以上ともなれば夜活動することも珍しくない。
夜は魔物が活発に動く時間帯で、危険度は昼の比ではないが、だ
からこそ獲物を得るには丁度いいという見解も在る。
そんな冒険者を客として迎えるために、この街の酒場も時間に関
係なく営業するというのは珍しくはないのだ。
リザの家に到着すると、外で誰かがしゃがみ込んで、じっとして
いるのが見えた。
近づくとそれはシアンのようだ。
﹁ただいま﹂
俺は驚かせないように気をつけて声を掛ける。
﹁⋮⋮お帰りなさい﹂
無視されるかと思ったが、そこまで嫌われているようでもなかっ
た。
人見知りのようだから、慣れるには時間が掛るか。
﹁何見てるんだ?﹂
﹁ん﹂
451
シアンは地面に目を落とし、何かをじっと見ている。
俺も一緒になってそれを覗きこむ。
蟻
﹁ん?蟻?﹂
﹁うん﹂
蟻の行列だ。
でも俺の知っている蟻より随分でかい。4センチくらいはある。
何というかゴロッとしていて重量感もある。
とはいっても蟻だが。
﹁これ魔物ではないんだな﹂
俺の知っている蟻と比べると、魔物感はあるが。
﹁瘴気を浴びると魔物化する﹂
﹁瘴気?﹂
﹁濃い魔素﹂
魔素は普通目に見えることはなく感じることも出来ないそうだが、
異常に濃度があがると視覚できる状態になることもあるのだとか。
そのような濃厚な魔素を、瘴気というらしい。
瘴気は吸い込むと病気になったり、気分が悪くなったりするとも
言われており、魔物発生の原因とも考えられているようだ。
452
﹁へぇ詳しいな。動物が好きなのか?﹂
そういえば職業は獣使いだもんな。
﹁うん﹂
﹁まぁ街なかに魔物はいないか﹂
﹁うん?いるよ魔物﹂
当然でしょ。と言った様子で答えるシアン。
﹁いるの?﹂
見たことあったかな?あぁ、そういえば荷車を引いてる馬とかも
魔獣だった気がする。
﹁水路とか、裏路地とかでもいる﹂
﹁え、そうなのか﹂
それは見たこと無いな。
﹁魔物に詳しいんだ?﹂
﹁魔物図鑑で勉強した﹂
﹁魔物図鑑?何それ面白そうだな﹂
声が少し大きかったのか、ビクリと身を震わせる。驚かせてしま
453
ったようだ。
でもシアンと表情は、どことなく嬉しそうだ。
そして小さな声で﹁いいよ﹂と言ってくれた。
シアンはこちらを振り向かず、その後もじっと蟻を見続けていた。
454
第40話 帰還
﹁お帰りなさいジンさん。お湯の準備ができていますから、汗を流
してくださいね﹂
ミラさんに出迎えられ、進められるままに汗を流すことにした。
﹁ありがとうございます。いただきます﹂
﹁汚れ物は私に出してください。洗っておきますので﹂
リザなら水魔術︻洗浄︼が使えたりするのだが、今は仕事中で忙
しいようだ。
﹁魔術で洗って乾かすのもいいのですが、手で洗ってお日様で乾か
すのもいいものですよ﹂
確かにそうかもしれない。
魔術は便利でそれはそれでいいのだろうが、ミラさんの手洗いで
お日様で干すというのを聞くとそれも気持ちが良さそうだ。
便利なことはいいことだが。
﹁すいません、お願いします﹂
>>>>>
455
食事の準備が整うと、それに合わせてシアンが戻りリザも部屋か
ら出てきた。
随分と疲れた様子だ。
﹁あ、お帰りなさいジン様﹂
﹁あぁ、ただいま。リザ大丈夫か?なんか疲れてる様子だけど⋮⋮﹂
どうやら無茶をするかもしれない俺のために、ポーションの作製
を急いでくれているらしい。
ええっと、何か俺のせいみたいですまんな⋮⋮
﹁いいえ、大丈夫ですよ。明日にはいくつか出来るかと思いますの
で、それまで魔物狩りのほうは待ってて下さいね﹂
﹁え?あー、それがな﹂
すいません、もう行って来ました。
﹁もう。ジン様ぁ﹂
リザが信じられないとばかりに泣きついてくる。
﹁いや大丈夫だ、そんな危険なところには行ってないし、弱いヤツ
だったからな﹂
それにアルドラも居るのだし。
456
まぁ居なくなったんだけど。
そういえばアルドラってどうなったんだ?
﹁あっ﹂
リザが驚きの声を上げる。
見るといつ現れたのか、虹色に輝く魔力の粒子が窓から入りこみ
俺の側で渦を巻いていた。
やがて収まると1つの形に収束し、幻魔石の姿へと変わる。
俺が手を伸ばすと、幻魔石はスッと俺の手の中へと収まった。
﹁魔力が切れて戻ってきたか﹂
手の中にある幻魔石は光を失っている。
俺は懐にあった魔石を幻魔石へ押し付けた。
ズズズズッ
魔石が幻魔石へと飲み込まれていく。
ゆっくりととだが、引っ掛かりも無くズブズブと入り込んでいく。
僅かだが魔力が戻ったようだ。
﹁それじゃ揃ったところで﹁﹁﹁﹁﹁いただきます﹂﹂﹂﹂﹂
俺はアルドラを顕現させ、皆とともに席についた。
457
アルドラは魔力で動く魔法生物︵?︶であるため、食事は必要な
いはずだが呼ばないと煩そうなので呼び出した次第である。
あの後アルドラは体の調子を確かめるべく森を走り回り、適当に
魔物を狩っていたらしい。
肉の体であった頃とは感覚に差異があるようで、本来の動きを取
り戻すにはまだ時間が必要らしい。
﹁そういえばアルドラの得物は剣なんですよね?﹂
﹁もが﹂
アルドラは口に肉を頬張ったまま答えた。
﹁俺に剣の扱い方教えてくれませんか?﹂
﹁ほう?﹂
剣術スキルがあれば、ある程度は扱える。
だがある程度までだ。
間合いを知り、重さに慣れ、構えや足運び、それらの理屈を知れ
ばその先まで行けるはず。
普通なら長い年月を掛けて到達する領域だろう。
俺に剣術の才があるとは思えないが、そこはスキル頼みだ。
スキルの後押しを得て、進めるとこまで進んでみたいと思う。
まずは握り方や振り方など、基本的な所を身につけたい。
﹁わしは人に物を教えるのは苦手じゃが、技を見せることはできる。
458
盗めるものなら盗んでみい﹂
アルドラはにやりと答えた。
自分で見て覚えろと。
﹁ベイルでは魚ってあまり食べないんですか?﹂
市場では魚も僅かだが見かけた。
干物ばかりだったような気もするが。
今日の夕食も肉料理が中心である。
まぁ俺が大量に買い込んだせいでもあるのだろうが。
﹁そうですね近くに大きな川が流れているのでそこから川魚の類は
入ってきますが、魔物も出ますので量は限られるようです﹂ ミラは肉より魚のほうが好きのようだが、新鮮な魚をベイルで手
に入れるのは難しいそうだ。
また海へはかなりの距離があるため、やはり新鮮なものを入手す
るのは不可能に近く、せいぜいが塩漬け程度だという。
それから暫くの間、互いに酒を酌み交わし歓談な時を過ごした。
俺は部屋に戻ると、キッチンから拝借してきた調理用の油とボロ
布で剣の手入れを行うことにした。
鞘やら剣を抜き、ボロ布で汚れを取る。
後は油で磨き上げるだけだ。
今後を考えると、砥ぎ石も買っておいたほうが良いかもしれない。
459
だがより良く保つなら、定期的に研ぎ屋へ持っていったほうがい
いようだ。
素人が研いでも、そう上手くは行かないだろう。
コンコンッ
俺が作業に勤しんでいると、不意に扉をノックする音が聞こえる。
リザかな?
﹁どうぞ﹂
俺が声を掛けると、静かにゆっくりと扉が開かれる。
立っていたのはシアンだった。
寝間着なのだろう、薄手の白いワンピース姿だ。
水色の髪と白い肌のシアンによく似合っていて可愛らしい。
その手には数冊の本が握られている。
﹁どうした?﹂
入り口で立ち止まり、無言でこちらを見据えている。
しかし彼女は意を決したように口を開いた。
﹁⋮⋮これ﹂
手に持つ本を、ぶっきらぼうに差し出してくる。
﹁あぁ、魔物図鑑か﹂
460
俺が興味を持っていると思って、持ってきてくれたのか。
﹁うん。貸してあげる﹂
﹁ありがとう。大事なものなんだろ?﹂
﹁うん。父様の形見だから﹂
そうか、たしか父親は冒険者だって言ってたよな。
魔物図鑑はしっかりとした厚手の背表紙に獣皮紙で作られた、豪
華な作りの本だ。
話によると1巻から40巻以上のシリーズになっているらしい。
シアンが持っているのは3冊のようだ。
シアンは俺に本を渡すと、ぺこりとお辞儀をして足早に自分の部
屋へと帰っていった。
コンコンコンッ
暫くすると再び扉のノックする音が聞こえた。
またシアンかな?
﹁どうぞ﹂
ガチャリと扉が開かれると、そこに立っていたのは枕を抱えたリ
ザだった。
461
﹁ジン様⋮⋮少しよろしいですか?﹂
彼女が着ているのは先日買った下着だ。
真珠色と言ったような風合いのビスチェとドロワーズに身を包み、
腕に自分の枕を抱えている。
﹁それ、よく似あってるね﹂
冷静に考えると下着姿なのだが、いやらしい感じはしない。
ちょっと衣装っぽいし、可愛らしい感じだ。
肩紐はなく胸元辺りの露出は大きいため、セクシーといえばそれ
もそうなのだが。 似合っていると言われ気を良くしたのか、頬を赤く染めながらも
リザは嬉しそうだ。
枕を後ろ手に回し、俺の前に立つ。
﹁いま私の部屋が寝る場所もないくらいの状況でして⋮⋮﹂
リザの部屋は研究室兼、仮眠室といった様子だったからな。
ずいぶん部屋にこもって頑張っていたようだし、そういうことな
んだろう。
それにしても、その格好で男の部屋に来るのはさすがにマズイと
思うんだけど?
﹁いいよ。寝る場所ないならおいで﹂
俺は掛け毛布をめくり、リザを呼び寄せる。
ベッドはなく床に寝袋と毛布を重ねて敷いてあるだけだから、ち
ょっと固いかもしれないと言うと、リザは﹁問題無いです﹂と嬉し
462
そうに微笑んだ。
それから寝るまでの間、リザとの会話を楽しんだ。
彼女の父親の話だったり、いま作業している薬の話など。
しばらくして、また明日も早いからと適当なところで切り上げて
床についた。
ちなみにエロいことはしていない。
手を繋いで寝たくらいだ。
>>>>>
朝になり、リザを起こさないように着替え外に出た。
井戸で顔を洗い、身支度を整える。
街なかを軽く走り、汗を流す。
家にもどる頃には、リザも起きてきて朝食を出してくれている。
俺は朝食を食べ終わると、自室で装備を整え冒険者ギルドへ向か
う準備をする。
﹁じゃあ、いってくるよ﹂
﹁ジン様、無理はなさらないで下さいね﹂
リザが心配そうに見つめてくる。
俺はそっと近づき、彼女を抱き寄せた。
463
﹁え、あっ⋮⋮ジン様?﹂
﹁大丈夫だ﹂
俺は落ち着いた声で、優しく言い聞かせる。
﹁あっ⋮⋮はい﹂
﹁無茶はしないと約束するから﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
俺は彼女を引き剥がし、冒険者ギルドへ向かって家を出た。 464
第41話 討伐中止
俺は昨日とは別のルートで冒険者ギルドへ向かっていた。
ベイルの街並みを、見物がてらという意味もある。
石畳の道に、木造の建物が並ぶ。
場所によっては街路樹が設置されている箇所もあり、整備された
道が続いている。
ベイルの青空市場は何箇所かに別れて点在している。 ここも、その1つなのだろう。
昨日訪れた市場とは、また別の場所だ。
教会の鐘の音に従えば、時刻は朝の9時前といったところか。
市場を適当に見てからギルドへ向かうことにした。
人だかりができて人気なのだろうと思える店で、パンやソーセー
ジを購入する。
ソーセージはかなりの種類があるようだ。
ベイルは肉食の文化が盛んらしい。
獣人族もよく見かけるし、海からも遠いらしいからそうなるのも
頷ける。
﹁旦那何か探しものかい?よかったらこれなんてどうだい?今時期
しか手にはいらない貴重品だよ。買うなら今しかないよ﹂
オレアン 食材 C級
C級か、確かに珍しいようだ。
465
見た目はバスケットボールほどの大きさの棘棘した球体である。
果物だろうか。皮は固くしっかりしている。
何となく南国のフルーツっぽい。
﹁ほらコレが中身だよ。見るの初めてかい?気に入ったんなら安く
するよ﹂
売り子のおばちゃんが、中身の一部を切り取ったものを食べさせ
てくれた。
柑橘系の甘さと酸味に濃厚な生クリーム足したような、もったり
とした重い感じだ。
わからんけど栄養ありそう。
﹁大森林の奥地で今時期しか取れない貴重品だからね。次の入荷は
いつになるかわからない、どうだい?﹂
おばちゃんがグイグイ薦めてくる。
確かに旨いし、話の種に買ってみるか。
﹁ありがとよ。貴重品だけに高くて中々売れないから困ってたんだ。
重いから売れ残って持って帰るのも面倒だしね。お礼に色々サービ
スつけとくよ﹂
おばちゃんの本音がサラッと飛び出したが、まぁいいだろう。
サービスというには大量の果実を受け取り俺は市場を後にした。
>>>>>
466
ギルドに到着した俺は、昨日と同じように会議室で講習を受けた。
毎日通えば10日で終わる計算だが、毎日真面目に通うものは稀
らしい。
講習内容は解体だ。
主に魔物の解体手順の説明である。
俺はアルドラにある程度教えてもらっているので、問題無いだろ
う。
魔獣の皮の剥ぎ方や、内蔵の取り出し方、肉のバラし方など。
どの魔獣のどの部分が旨い、売れば金になるなど、有意義な話も
聞くことが出来た。 昼の休憩を挟んで午後からは槍術の実習だ。
昨日と同じ訓練場にて槍の扱い方を学ぶそうだ。
冒険者が推奨する武器にはいくつかあり、それらの技術を学びた
いものには訓練場にて技能指導官が個別の訓練をしてくれるらしい。
技能指導官というのは腕利きの元冒険者が大半のようだ。
推奨する武器というのは、魔獣との間合いが取れる槍。限定され
た空間でも取り回しがしやすく、護身用としても携帯しやすい剣。
遠距離から一方的に攻撃できる弓の3種である。
他にも無手になった場合、最低限の自衛手段として体術や冒険者
の足として一般的な馬術なども学ぶようだ。
467
槍術の実習を滞り無く終えた俺は、受付に受講完了の札を渡し依
頼掲示板を眺めている。
﹁お主が見かけたというのは、これじゃな﹂
C級 討伐依頼 魔獣グラットン 推定Lv21∼28
数十年ぶりに発生が確認されたワイルドドックの希少種。
森との境界付近を縄張りとし、現在いくつかの被害報告が出てい
る。
隠密状態にて高速で移動する能力を有する。立ち止まったり戦闘
状態になると隠密状態は解除される。
頭部が異常に発達しており、強化された顎は金属の鎧も噛み砕く。
頭部が発達しすぎたせいで、肉体のバランスは崩れており戦闘時
の動きはあまり鋭くない。
精鋭クラスの冒険者が数で押さえ込めば、問題なく討伐可能。
なお牙や毛皮は極めて希少な部類に入る素材のため、高額での買
い取りが見込まれる。
報奨金30000シリル これはあの時の魔獣か。
衛兵に情報を提供したのだが、他にも報告があったのだろう。
しかしこんな物騒なやつが彷徨いていたのでは、新人冒険者の活
468
動を大きく妨げることになるだろう。
さっさと討伐して欲しいものである。
C級だし、俺にはまだ無理そうだが。
ちなみに依頼書を読むため、予めアルドラを呼び出しておいた。
掲示板の前でやるには悪目立ちしそうなので、裏でこっそりと。
ともあれリザも心配するだろうし、今日考えていた討伐はやめて
おいたほうがいいかな。
一応受付で状況を聞いてみると最近数件の目撃報告があり、冒険
者の妨げにもなるためギルドが報奨金を出したようだ。
一般的に討伐依頼というのは、被害者が報奨金を用意して討伐依
頼をを行うもので、危険な魔物が発生したとしても実被害が無けれ
ば誰も報奨金を出すことは無く、討伐依頼も出されないということ
になる。
森との境界が縄張りと言っても、境目とされるラインだけでも数
百キロに及ぶものであるし、その周辺となる境界はそれ相応となる
広大な領域である。
確認されている魔獣は1匹の可能性が高いということなので、境
界での活動を自粛するか否かは各自の判断に委ねるということのよ
うだ。
またこの魔獣は生きのいい餌しか食べないという噂があるため、
万が一見つかった場合は、声を殺して身を伏せてやり過ごすのが良
いとされている。
そういえば、あのとき1人生き残った女のことを思い出した。
その後どうなったのかを聞いてみると、現在はギルドの施設にて
拘束しているとのこと。
469
詳しい情報はこれから聞き出すそうだ。
アルドラの話では、多額の賠償金を請求されることになるんじゃ
ないかと言っていた。
支払い能力が無いと判断されれば、奴隷落ちとなる様だ。
﹁そうだ、鎧作りに行こうか。アルドラのぶんも必要だろうし﹂
﹁うーん、わしはべつに﹂
﹁いや裸で彷徨くのもどうかと思うし、服とかもついでに買いに行
こう﹂
俺は受付で、お勧めの防具屋を教えてもらった。
防具と言っても金属甲冑で動きまわるのもキツイだろうし、ある
程度の防御力と動きを阻害しない軽快さを両立させるとなると、鎖
帷子や革鎧あたりだろうか。
リザのように脚力強化の魔術が使えれば選択肢も広がりそうだが、
あれは魔装具ということだったし、見た目そのままの重さでも無い
のかもしれない。
道すがらに見かけた服屋でアルドラの服を買い、他の店で獣皮紙
にペンとインクを購入した。
﹁アルドラあの店は?﹂
﹁あれは魔石屋じゃな﹂
470
魔石は魔力の結晶だ。
人族はこれを様々なものに利用する方法を編み出し、多大な利益
を得るようになったのだという。
それは魔導具の燃料であったり、薬品の素材であったり、魔導具
そのものの材料ともなる。
﹁あー、そうか﹂
俺はあることに思いつき、魔石屋の扉を潜った。
魔石屋は入ると何もない部屋で受付カウンターが1つだけあり、
それは鉄格子で守られていた。
それは店というには異様な雰囲気だった。
﹁ひやかしなら帰ってくれ。ここはアンタみたいな新人が来るよう
な店じゃないぞ﹂
厳つい雰囲気の大男が、カウンターの奥から現れた。
店主だろうか。
魔石の買い取りはギルドで行われる。
魔石屋は魔石を売るのが商売の店だ。
新人の冒険者ならば、魔導具を持つものも少ないだろうし、ここ
を訪れる者も少ないだろう。
それに魔石が必要なら、冒険者なら自分で調達できそうだし。
俺は懐の金貨をテーブルに並べた。
﹁ここで取り扱ってる魔石を見せて欲しい﹂
471
俺の思惑は成功した。
魔石︵解体︶
扱ってる商品を見定めるという理由をつけて、魔石を見せてもら
った所、そのうちの1つにスキル付きを発見した。
あまりしつこく言えば不審がられると思い、適当なところで切り
上げたのだが、スキルを得たとしても魔石自体の商品価値が下がる
わけでもないので問題はないだろう。
見せて貰ったのは、ほんの一部であろうが、うまくすればスキル
の大量入手も夢ではないかもしれない。
下手なことをして不審者扱いされるのは困るが、機会があれば調
べてみるのも一興だな。
職人街の端にある、目当ての工房を尋ねる。
ここは魔獣の革から作られる装備を生産している工房のようだ。
主な製品は革鎧のようだが、小手や具足、兜なども作っているよ
うなので、ここで一式揃えることができそうだ。
﹁なんだアンタら?客か?﹂
現れた男はドワーフの店主のようだ。
﹁装備一式作ってもらいたい。俺と彼とで2人分だ﹂
472
ほう、とドワーフの店主は見定めるように俺とアルドラを見回し
た。
﹁いくら出せる?﹂
いくら?うーん、金額的には2人で60万シリルくらいなら出せ
そうだが。
しかし装備の相場もわからないし、どの程度提示すればいいかわ
からないな。
﹁30万なら出せるかな⋮⋮﹂
﹁なんだと!?2人で30万か!?一体どんな素材で装備作る気な
んだお前ら!?﹂
﹁まぁ、わしは何でもいいんじゃがのう﹂
﹁⋮⋮1人30万何だけど、まぁいいか﹂
工房の2階で採寸して貰う。
アルドラは大人バーションである。
それぞれに革鎧、小手、具足、額当てを作ってもらうことになっ
た。
ちなみに魔装具の鎧となると値段は桁違いになる上に、作れる職
人は限られる。
ベイルでも数人しか居らず、飛び込みで製作を頼めるようなもの
でも無いらしいので、今回は選択肢から除外した。
473
直ぐに製作に入れる素材で、最も品質の良い黒狼の革で一式作る
ことになった。
新人には到底手の出ない高級素材らしい。
﹁しかしこれから夏だってのに、革鎧着て走り回るとなると、なん
か蒸れそうだな⋮⋮﹂
想像すると暑苦しいことこの上ない。
﹁そりゃそうだろう。だから一番下に体温調節の魔装具を一枚挟ん
どくんだ﹂
話によると防御力などには期待できないが、体温を調節してくれ
る機能のある魔装具というものがあるらしい。
冒険者の間では広く知られた装備で、いろんなタイプがあるそう
だが、インナーのように下に着こむタイプは安くて使うものも多い
ようだ。
アルドラはいらないようだが、俺のぶんに1枚合わせて購入する
ことにした。
﹁製作期間は、そうだな8日は欲しい﹂
魔導具のぶんも合わせて30000シリルとなった。
﹁アンタは戦士だろう?盾は使わないのか?﹂
戦士か。どっちかというと魔術主体なのだが。
魔法戦士といった所か。
今のところ武器は飾りに近いけど。
474
﹁うーん、そうだな⋮⋮今まで使ったことはないが﹂
﹁隣が盾屋だから覗いていったらどうだ?﹂
腰に差してあるショートソードを見てのことだろう。
確かに盾もあったほうがいいかもしれん。
扱い方はわからんが、単純に構えるだけでも役に立つだろう。
盾スキルを持ってないから考えてなかったが、買っておくか。
隣の工房を覗き、その盾と言うのを見てみる。
ここでは木製の盾と、魔獣の革を貼りつけ補強したものとが在る
ようだ。
﹁いらっしゃい。新人さんか?気に入ったものがあったら、手にと
って見てくれて構わんよ﹂
工房の中にはズラリといろいろなサイズが並べられている。
性能というより、使いやすさで選べばいいだろう。
﹁うちの盾は素材にアダンを使ってる。軽くて負担になりにくいが、
強度もそれなりに有るから新人には丁度いいと思うぞ﹂
アダンは大森林で切り出される木材の一種のようだ。
大量に切り出されるため値段も手頃で、軽さと強度のバランスか
ら初心者が手にしやすい素材らしい。
俺が選んだのは木製のラウンドシールドだ。木材を貼りあわせ縁
475
を金属で補強してある。
裏側に革のベルトが備えられ、そこに腕を通して固定する。
持ち手の部分にもベルトが付けられ、円形の盾を自由に動かせる
ようになっている。
直径は60センチ位。
小さずぎても上手く使えるかわからないし、ある程度の大きさは
必要だろう。
大きすぎても邪魔になるだろうから、こんなところか。
﹁それにするのか?300シリルだな﹂
476
第42話 その先には
﹁ただいまー﹂
﹁お帰りなさい、ジンさん。今日は早いのですね?﹂
﹁ええ、それがですね⋮⋮﹂
装備を注文し盾を買い、とりあえず今日の目的を果たしたので家
に戻ってきた。
まぁ焦ってレベルを上げることもない、森へ狩りに行くのは装備
が整ってからでもいいだろう。
それまでには魔獣の討伐も、誰かが終わらせてくれてると有難い
のだが。
行くだけなら隠蔽で進むことも出来そうだが、魔物との戦闘中に
割り込まれても困るしな、今の俺に倒せるかどうかはわからないし、
危ない橋をあえて渡ることもないだろう。
﹁なるほど、そうでしたか﹂
﹁そうだ、お土産があるのですが﹂
市場で珍しい果実を手に入れた。
みんな喜んでくれるといいのだが。
﹁またすごい量ですね⋮⋮﹂
ミラさんが若干呆れ気味に呟いた。
477
﹁買ったのは1つだけですよ?後はサービスで頂いたんです﹂
﹁今日の夕飯に幾つか出して、後は地下室に入れておきましょうか﹂
俺は地下室への扉を開けて、中へと入り備えられた棚に食材を収
納していく。
中は明かりが無く、入口から入る光のみなのでかなり暗い。
俺には魔眼が、ミラさんたちには夜目があるためそれでも作業す
るには困ることは無いのだが。
﹁お帰りなさい、ジン様﹂
入り口の方から、明るいリザの声が響く。
﹁ただいまリザ﹂
手伝いますね。と明るい声で地下室に降りてくるリザ。
ちなみにアルドラは既に上でワインを開けている。
まだ少し早くないか?
手伝うほどの量もないが、手伝ってくれるというなら断る理由は
ない。
今日手に入れた食材を収納し、元々収納していた食材を今日使う
物だけ取り出していく。
﹁⋮⋮?﹂
そんな折にリザが壁の一点を見つめ固まっている。
478
﹁⋮⋮どうした?﹂
﹁んー、この壁なにかおかしくありませんか?﹂
リザが見ているのは地下室へと下りた先の正面壁である。
部屋の中はかなり暗いため、見た目での細かな異変は見て取れな
い。
魔眼があったとしても昼間の太陽の下ほど見渡せる訳ではないの
だ。
壁を見るも、特に変わった箇所は見つけられない。
状態:隠蔽
と思ったらあった。
かなり高度な︻隠蔽︼が掛かっているようだ。
魔眼でも注意して調べなければ見抜けなかった。
リザに言われなければ気づかなかっただろう。
﹁たしかに何かある。︻隠蔽︼が掛かってるようだ﹂
しかし、何かあるのはわかるが、それが何なのかはわからない。
魔力探知
スキルを使って探ってみる。
こういった使い方は初めてだが、何かわかれば御の字だ。
479
魔力の存在を感じるがそれまでだった。よくわからん。
うーん、何だろ。
何かあるのは間違いないんだろうけど。
﹁リザは何かわかる?﹂
﹁いえ、地下室へは数えるくらいにしか入ったことありませんので﹂
探知で探るも、よくわからないし、アルドラなら何か知ってるか
な?
壁に触れ何か仕掛けが無いかと調べてみる。
触れてみても特に怪しいところは見られないが⋮⋮
﹁お?﹂
一瞬、壁に光が走る。
中心から外側に光は波紋のように表面を走り、瞬く間に消えた。
浮かび上がったソレは何かの幾何学模様のようにも見えた。
﹁いま見えた?﹂
﹁え?﹂
リザには今の現象は見えなかったのか?
480
﹁リザ、この辺の壁触って見てくれないか?こう魔力を注ぎ込む感
じで⋮⋮﹂
多分だけど邪悪な感じはしないし大丈夫だろう。
リザは恐る恐る俺の触れていた箇所へと指を伸ばしペタペタと触
る。
しばらくして︱︱
ヴォンッ
微かな重低音が聞こえた。
今度は強くはっきりした光が壁に浮かび上がる。
幾何学模様⋮⋮車輪のような図形にも見えるしが⋮⋮
﹁魔法陣?﹂
そう言われれば、そう見える。
﹁リザ大丈夫か?﹂
﹁あ、はい大丈夫です﹂
魔法陣を浮かび上がらせる強い光が消失しその直後、正面の壁が
左右に分かれて開かれていく。
音もなく静かにゆっくりと。
481
そして気づいた時には目の前には、高さ2メートル幅1メールほ
どの入り口が出現した。
ポッカリと口を開いた入り口は、まるで奈落の底へ繋がるかのよ
うに先は闇となっている。
魔眼も夜目も、完全な闇となると視界を確保することはできない。
月明かりとは言わずとも、星の光ほどは必要なのだ。
俺はそっと中を覗き込む。
どうも石造りの螺旋階段のようだ。
下へ下へと続いている。
使用されている石材は青緑色で地下室のそれと同じもののようだ。
緑晶石 素材 D級
石材の等級が高い。
特別な材料を使用しているのか。 ﹁ジン様危険です。先に何が在るかわかりません﹂
リザが不安な顔で、ぎゅっと俺の服の裾を掴む。
﹁ほう、おもしろそうじゃな。わしが行ってみよう﹂
ワイン瓶を片手に、いつの間にか大人の姿になっているアルドラ
が地下室へ降りてきた。
買ったばかりの服に袖を通し、今はもう裸ではない。
アルドラは新しいおもちゃを見つけた子供のような、嬉々とした
482
顔を覗かせる。
﹁危険はない?﹂
﹁わからん。たぶん大丈夫だとは思うが﹂
アルドラは大森林の遺跡の幾つかへ立ち入ったことがある。
罠のありそうな箇所と、そうでない箇所はある程度わかるという。
ただ絶対ではないということらしいが。
﹁あるとしても先の方じゃろう。まぁこの体なら何があっても問題
無い﹂
まだ試してはいないのだが、アルドラがその体で死んだとしても
石に戻るだけのようだ。
昨日は魔力を使いきって戻ったそうだが、死んだ場合も同じよう
な形で戻るのだろうと予想している。
﹁アルドラでもこの闇では先が見えないだろう?俺も行こう﹂
俺はポイントを変更して︻灯火︼を使用した。
熱量を持たない火球が空中に出現する。
﹁ふむ。まぁ大丈夫か﹂
アルドラは少し考えた素振りを見せるが、問題無いと判断したの
か振り返りもせずに螺旋階段の入り口へと侵入した。
﹁あっ、私も行きますっ﹂
483
リザが慌てて声を上げた。
﹁大丈夫か?﹂
俺は確認の為にアルドラに声を掛ける。
危険があるような場所には、連れて行きたくはないのだが。
﹁⋮⋮まぁ、いいじゃろう﹂
冒険者としての経験も豊富で、直感もあるアルドラが大丈夫と判
断するなら、俺が反対することもないだろう。
アルドラ、俺、リザの順に階段へ侵入することになった。
﹁待ってください!﹂
いざ行こうとする3人に階段の上から声が掛かる。
﹁夕食までには帰ってきて下さいねー﹂
ミラさんが笑顔で3人に呼びかけた。
>>>>>
暗闇の螺旋階段を延々と降りていく。
484
俺に追従する灯火の光量が周囲を照らしているが、それも僅かな
ものだ。
畝るように続く道の先を、照らすことは出来ないのだから。
道幅は狭く、1人が通るので限界だろう。
石造りの階段の閉鎖感が、心身を圧迫する。
階段は急な作りで、足を踏み外せば底まで転がり落ちてしまいそ
うな恐怖もあった。
﹁リザ足元気をつけて﹂
﹁はい﹂
アルドラも気を使ってくれているのか、進みは非常にゆっくりし
たものである。
それほど時間は立っていないはずだが、もう随分長いこと降って
きたような錯覚さえ覚える。
どれくらい時間が立ったかわからないが、俺達はいつしか螺旋階
段の底へと辿り着いた。
﹁ふむ⋮⋮﹂
それは畳3枚分ほどの狭い空間だった。
周囲は石壁に囲まれ行き止まりになっている。
光量となるものは俺の︻灯火︼だけだ。
しかし、さすがにここが終着点とは思えない。
﹁あったぞ﹂
485
魔力探知で閉ざされた扉をすぐに発見できた。
とはいっても階段から降りてきて正面にあっただけだが。
アルドラが壁に触れると魔法陣が浮かび上がり、同じように石壁
は左右に分かれて入り口が姿を現した。
俺が触れても扉は開けられないようだが、アルドラとリザなら何
故か開けられるようだ。
﹁あれ、中は明るいな?﹂
開かれた入り口から差し込む光が、暗闇だった螺旋階段を照らし
だす。
中はかなり明るい。
︻灯火︼が必要ないほどだ。
﹁これはちょっと掃除がいるのう﹂
入り口から中に入ると、広い部屋に出た。
見上げるとドーム状の天井の最上部には光を放つ装置︵?︶が設
置されていて、部屋全体を照らしてる。
部屋の中は植物で埋め尽くされていた。
直径5センチほどの幹の木のようだ。
床の石畳にはびっしりと根が張り巡らされ、そこから隙間なく木
々が密集している。
木の高さは天井にも届きそうな勢いだ。
しかし枝は殆ど無く、葉も先端に僅かに在るだけで、垂直に立っ
486
ている棒と言ったような不思議な形状の木だ。
カダ 素材 D級
﹁これはカダの木じゃな。森のような魔素の濃い場所で成長する植
物じゃ、僅かな水と濃い魔素があれば育つと言われておる﹂
カダは油を多く含む植物で、森の入り口にも大量に生えている珍
しくない植物のようだ。
樵などはコレを冬季の暖房燃料や調理用の燃料にするため、切り
倒し持ち帰るらしい。
街なかでは見ることのない植物のようだ。
﹁ここは森の中なみの魔素があるということか?﹂
﹁そうかもしれん。形状も森の遺跡に似ておる﹂
この部屋の床も、壁も、天井も緑晶石で出来ているようだ。
大森林の遺跡群も石材で作られており、色合いもこの緑晶石に似
ているらしい。
﹁しかし掃除とは言っても、簡単には行かなそうだな﹂
木が邪魔になって部屋の全容は見渡せないが、かなりの広さがあ
りそうだ。
バキッ
アルドラが木の下部を蹴り抜くと、いとも簡単に砕け折れた。
487
﹁この木はかなり脆いんじゃ。折るのに大した力はいらん﹂
>>>>>
部屋の空気を押し進む風球。それにより生まれる轟音が部屋に響
いた。
リザの風球が手のひらより放たれる。
空気を圧縮した塊は木々を薙ぎ倒し、粉砕し、まき散らしながら
部屋の中を突き進んでいった。
バキバキバキッ
木の乾いたような破砕音が部屋の中に響く。
放たれた無数の風球は、見る間に部屋を埋め尽くしていた異様な
植物を破壊し尽くした。
﹁リザの攻撃用の術ってこれだけか?﹂
﹁はい。私は攻撃術の類は苦手でして⋮⋮どちらかと言うと補助系
のほうが得意です﹂
そうなのか。そう言う割には初めてあったときには、軽快に戦っ
ていたような気もするのだが。
風球だけで戦っていたのだろうか?
488
﹁風球には大した攻撃力はありません。射程距離と発射速度が幾分
優れている程度です。弱い魔物なら十分対処できますが、強い魔物
や重い魔物には厳しいですね﹂
﹁あの時はデカイ魔物もいただろう?その時はどう対処したんだ?﹂
﹁私の攻撃力で対処出来ない相手には、魔導石を使いました﹂
魔導石は消費型の魔導具の1種だ。
魔石と幾つかの素材を原料に作られる、攻撃用の魔導具である。
様々な魔術と相応の魔力が封じられており、起動用の魔力を注ぐ
と一定の時間を置いて魔術が発動する機構になっている。
﹁便利そうだな。いくら位するものなんだ?﹂
﹁魔導具屋に行けば売っているかも知れませんが、入荷は不定期で
値段も安定していませんので、私には相場もわかりません﹂
リザの持っていた魔導石は、知人に譲ってもらった物らしい。
話によると、どうも魔法の手榴弾といった感じだろうか。
489
第43話 探索
俺は自分の使用できる術がステータス上にて確認できる。
アルドラも同様に確認できたが、それ以外の人達に関してはスキ
ルまでは見えるも、使える術までは見えないのだ。
アルドラに関して言えば、眷属の特性が関係しているのだろう。
相違点と言えば、それぐらいしか見当たらない⋮⋮
﹁私の使える術は⋮⋮﹂
リザは自分の使える術の全てを教えてくれた。
アルドラによれば、冒険者は元よりそうでなくても自分のスキル
や使用可能な術を、他人に易々と教えるものではないという。
それもそうだろう。
ここは暴力が身近にある世界だ。
自分の切り札となるであろう、スキルや術を晒すことは普通しな
いというのは俺も理解できる話だ。
しかしリザは﹁他人とは思っていませんから﹂と笑って答えた。
風魔術:脚力強化 風球 浮遊 微風 風壁 水魔術:洗浄 浄水 濃霧
アルドラに言わせると、この若さでこれだけの術を使えるという
のは、かなり優秀とのことだ。
魔術を覚えるには、魔術師に師事するか希少な魔導書で習得する
しかないとされている。
490
リザは前者であった。
﹁それにしても、どういう場所なんだここは?﹂
リザが魔術で粗方破壊したお陰で、部屋の全容が見えてきた。
円形の部屋は直径100メートルほどもあり、そのほぼ全体に植
物が繁茂していたようだ。
カダの根は今だに石畳の床を埋め尽くしている。
その上に打ち砕かれた木々が山と散乱していた。
﹁ベイル地下遺跡か。わしもこのような場所が在るとは知らなんだ
わ﹂
かなり地下に潜っていると思ったが、ここの空気は地上とそう変
わらないように感じる。
少なくとも密室というわけでもないようだ。一見したところでは
分からないが、何処かに換気口が在るのかもしれない。
﹁そういや勝手に入ってきて問題なかったのかな?後で問題になっ
たりしないか?﹂
アルドラは顎に手をやり、少し考える素振りをする。
﹁まぁ問題ないじゃろう。都市の地下に隠された遺跡に無断で侵入
することを禁ずる、といった法は聞いたことが無いからのう﹂
そう言ってアルドラは、カカカと笑う。
491
リザも同じ意見のようなので、2人が良いと言うのなら俺から何
かいうこともない。
とりあえず俺達はそれぞれに、部屋の調査をしてみることにした。
魔力探知では、俺達以外に動く存在が近くに居ないことはわかっ
ている。
﹁罠とかは無いのか?﹂
﹁そうじゃな、少なくともこの部屋には無いじゃろうな﹂
この雰囲気では、ここが行き止まりということも無さそうだ。
少なくともただの地下室には見えないし、核シェルターと言った
物でもないだろう。
天井の照明が生きていることを考えても、この遺跡︵?︶の機能
は死んでいないらしい。
よく見ると部屋の片隅に水溜りが出来ている。
見ただけでは分からないが、部屋の床が傾いているのかもしれな
い。
水溜りに近づくと、その水面が微かに揺れているのが見えた。
少なくともこの部屋には、風が入り込んでいる感じはしない。
換気はされているのだろうが、少々妙だ。
水溜りに近づき壁を調べていく。
水自体は特に異変は感じない。
492
水面の打ち撥ねる壁面を眺めていると、その一部に違和感を感じ
る。
よく注意してみると︱︱
状態:幻影
隠された入り口を発見した。
﹁2人ともちょっと来てくれ﹂
隠された入り口は、壁に見えるが触れてみると手が透けて通り抜
ける。
実際には壁が存在しないが、まるで存在しているように見えるの
だ。
いわゆるSFなどで見かける、立体ホログラムのようだ。
﹁ふむ、ちょっと見てくるか。2人はここで待っておれ﹂
ここから先は明かりの心配も無さそうなので、アルドラ1人で様
子を見てくるという。
危険があるならリザも居ることだし、無理に進むこともないだろ
う。
街の地下に密かに存在する遺跡というものに、心惹かれる物が無
いといえば嘘になるが⋮⋮
そっとアルドラの顔を見てみると、その顔には好奇心という文字
が書いてあるようであった。
493
﹁水はけっこう冷たいな﹂
俺達は結局3人で隠された通路を進んでいる。
罠も無さそうだし、面白そうだからもうちょい調べてみるか。と
いう結論に至ったのだ。
水溜りに入り隠された入り口を潜ると、その先は通路になってい
た。
トンネルのように天井は丸い形をしていて、一定間隔で部屋にあ
ったような照明のようなものが設置されている。
照明は光る石版と言ったようなものだ。
光明石 素材 D級
詳しい情報は得られないが、それ自体が光る特殊な石と言ったも
のなのだろうか。
2人も知らないもののようだ。それ以外の石材は、これまでと同
じ緑晶石のようである。
通路は幅4、5メートルほど。
水が膝に届くほど溜まっていて、俺達は足元を濡らしながら掻き
分けて進んだ。 探知で周囲を警戒しつつ、慎重に進む。
アルドラの経験から罠は無さそうということだが、絶対でも無い
だろうし不測の事態に陥ることも考えて行動する。
通路はかなり長い。
しばらく気付かなかったが、通路は緩やかに下降しているようだ。
494
徐々にだが、水嵩が増えてきた。
更にしばらく進むが、一向に終わりは見えない。
水は冷たく、長時間浸かっていれば体力を消耗するだろう。
既に水嵩は腰に届きそうな位置にまで来ていた。
﹁此処から先はわしが見てこよう。お主らは先に家まで戻るが良い﹂
アルドラの提案に俺は同意した。
この先がどうなっているか気になるところだが、これ以上水に浸
かっているのは体力的にもきつい。
俺はともかくリザは厳しいだろう。
これが依頼というならまだしも、単なる好奇心からの冒険である。
引き際も肝心だろう。無理をすれば怪我に繋がる。
リザは何でも無いように気丈に振舞っているが、唇の色が悪い。
たぶん体がかなり冷えていることだろう。俺はリザを連れて足早
にきた道を引き返した。
>>>>>
家へと戻った俺は、状況をミラさんに報告し、湯を沸かしてもら
った。
495
俺はリザに先に湯を浴びて体を温めるようにと進め、自分は濡れ
た服を脱いで体を拭き、やっと一息着くことが出来た。
アルドラはいつ戻るかわからないので、先に皆で食事を取ること
にした。
地下室への扉は開いたままに、皆で食事を済ませた。
しばらく皆でリビングに残っていたものの、それぞれに部屋で休
むことになり、残ったのは俺1人となった。
﹁ずいぶん遅いな﹂
別れてから随分と時間が経った。
だいぶ先まで行ったのだろうか?
地下室の入り口を見ながらぼんやりと呟くと、虹色の魔力の粒子
が地下室から溢れでた。
俺の手元まで来たそれは、いつもの通りに幻魔石へと姿を変えた。
見ればその内在魔力は、完全に失われているようだった。
﹁詳しい話は明日だな﹂
俺は地下室への入り口を元の状態に戻し、2階の与えられた自室
へと上がっていった。
部屋に戻ると暗闇の中で、寝床の膨らみを見つける。
そっと近づくと、すうすうと寝息を立てるリザであった。
496
俺は彼女を起こさないように、寝床へ入る。
その動きに反応するように、もぞもぞと身を捩る。
﹁んっ⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁いや、いいよ。まだ片付いてなかった?﹂
﹁はい⋮⋮すいません﹂
彼女は申し訳無さそうに答えた。
﹁正直に言うと?﹂
﹁⋮⋮一緒に寝たかったです﹂
そう言って、リザは体を預けてくる。
その体がぶるりと震える。
﹁まだ寒い?﹂
今夜は少し冷えるようだ。
体を温めたとはいえ、桶に貯めた湯である。
全身を浸かるほどもないし、時間が立てば直ぐに冷めてしまう。
﹁少しだけ﹂
震えるリザの肩を抱き寄せる。
背に手を回し、冷えた体を温める。
497
﹁温かいです⋮⋮﹂ 疲れきったリザを腕の中で抱きしめながら、その日はいつの間に
か眠りに着いていた。
498
第44話 デート 朝になった。
俺はリザを起こさないように、寝床から這い出る。
手早く着替えを済ませると、朝靄の街を走り軽く汗を流した。
人気のない広場で、冷たい井戸水を頭から被る。
熱を帯びた体を冷ますには丁度いい。
俺は周囲に人が居ないことを確認して、懐の幻魔石へ魔力を注い
だ。
幻魔石には魔晶石だった頃と、同じような性質が今も残っている
ようだ。
魔石が乾電池だとすると、魔晶石はバッテリーというところだろ
う。
予め魔力を蓄えて置けば、使いたいときに利用できる。
だが只のバッテリーでもない。
放っておいても空気中の魔素を勝手に集めて魔力を蓄えることが
出来るし、余裕のあるときに自前の魔力で補充することも、魔石で
補充することも可能な自由度の高い便利アイテムである。
幾らかの魔力を注ぎ込んで、俺はアルドラを顕現させた。
幻魔石へ補充された魔力は十分ではないので、魔力消費を抑えた
子供バージョンでの登場であった。
499
﹁今日はまた早くからの呼び出しじゃのう﹂
﹁ほう、石になってる間も時間の感覚はあるのか?﹂
﹁何となくじゃがの。石になっている状態と言うのは寝てるという
か、夢現と言ったような状態でな、ハッキリと周囲の状況が把握で
きるとは言えんが﹂
﹁んー、わかったような、わからんような﹂
俺は昨日別れてからのことを聞き出した。
アルドラはあの後も水没した通路を進み続け、遂には通路は完全
に水没したそうだ。
更に進むと部屋の入口に辿り着いたため、その内部に侵入。
部屋は最初の部屋とほぼ同じ形状だったという。
部屋内部も天井近くまで水で満たされている状態で、よく見れば
天井の亀裂から水が滲み出しているのが見て取れた。
アルドラは魔力体であるため息継ぎを必要としない。
また寒さも関係ないので、その辺りを考慮せずに調査を続ける事
ができるのだが、そこで邪魔が入った。
ウォーターリザードの群れである。
何処からとも無く現れた大量の魔物が、襲いかかってきたのだ。
﹁息継ぎは問題ないが、だからと言って水中戦が出来るわけではな
い。まともに剣も振れんし、動きも鈍くなる。そもそもわしは泳ぎ
が苦手なんじゃ﹂
魔物は大した強さでは無かったそうだが、数が多く最後には魔力
500
が切れて、帰還となったそうだ。
﹁じゃが、わかったこともある﹂
水没した部屋には侵入した入り口を除いて、他に2つ入り口があ
ったそうだ。
﹁わしらが最初に入ったあの部屋にも、他にまだ隠された扉がある
やもしれんな﹂
>>>>>
俺は家に戻って、リザの作ってくれた朝食を頂いた。
ギルドへ向かうために支度をしていると、
﹁ジン様、これを﹂
ライフポーション 魔法薬 D級 ×5
マナポーション 魔法薬 D級 ×5
キュアポーション 魔法薬 D級 ×5
栄養ドリンクほどのサイズの硝子瓶に収まった、魔法薬の数々で
あった。
501
﹁こんなにたくさん?持って行っていいのか?﹂
魔法薬の相場は知らないが、ここしばらく高騰しているというの
をギルドでも聞いたような気がする。
俺が使うより、売っちゃったほうが良いような気もするが、本当
に貰っていいのだろうか?
﹁もちろんです。そのために作ったのですから。でなければ困りま
す﹂
俺はリザに礼を言って、有り難く使わせて貰うことにした。
正直に言えば有難い。実際使ったことの在る使用感として、これ
ほど便利なアイテムも無いだろうと思えるほどだ。
実際治療魔術が使えない俺には、無くてはならないアイテムの1
つだろう。
﹁何か礼の1つでもしたいところだけど﹂
と俺が言いかけたところで、
﹁でしたら、1つお願いがあります﹂
>>>>>
冒険者ギルドは、いつもと変わらず賑わっていた。
様々な人種、格好の者が彷徨くギルドホール。
502
やはり人族の国であるからか、人族の冒険者がもっとも多いよう
だ。
子供のように若い者から、還暦を等に過ぎたと思われる年配の者
までその幅は広い。
獣人族は若者が中心のようだ。
人族に次いで多い。
後はちらほらと見かけるドワーフの戦士。
エルフは街なかでは、まだ見かけていない。
この街でエルフを見たのは、ギルド職員とミラさんくらいなもの
だ。
ギルドには俺1人で来ている。
アルドラは家に残り、探索の続きをと言って地下へ潜っていった。
講習ではスキルや特性について学び、午後からの実習では弓術に
ついて学んだ。
話を聞いているだけなので、特に問題もない。
受講完了の札を受付に提出し、俺はギルドの門を出た。 ﹁お疲れ様です、ジン様﹂
ギルドの門を出た直後、聞き慣れた声に呼び止められる。
﹁大したことしてないから、疲れてもいないけどね﹂
503
フードとストールで顔は隠れているが、その声と背格好で誰かは
一目瞭然である。
だが今日は1人ではない。
一回り小柄な人物が、リザの影から現れ軽く会釈する。
﹁街へはあまり出ないと聞いたが﹂
﹁一緒に来たいと言うので連れてきました。ダメでしたか?﹂
﹁そんな事、あるはずない﹂
フードとストールで顔は隠されているが、印象的な青い瞳がその
奥に見える。
﹁では行こうか﹂
﹁はいっ﹂
3人で向かった先は、薬草の類を専門に扱う店舗が集まっている
という商店街である。
ここでは大森林から得られる薬草類から、遠く離れた国から集め
られた珍しい薬草まで幅広く取り扱っているそうだ。
青空市場でもこの手の店はあるが、その多くは売れ筋の商品のみ
を扱う業者が殆どである。
そこで市場での流通量の少ないニッチな素材は、常時幅広く素材
を扱っているここの商店街に来れば入手できる可能性があるという
わけだ。
504
﹁これと、これと、あとそれも10ずつ下さい﹂
何軒もの店を跨いで素材を購入していく。
素材は乾燥させた植物の根であったり、植物の種であったり、木
の皮であったり様々である。
買った素材は麻袋などに詰めて貰うが、量も多いため端から冒険
者の鞄に放り込んでいく。
実に便利な魔導具だ。
手際よく買い物を済ませていくリザは、物の量こそ多かったが思
いのほか時間は掛からなかった。
﹁ジン様ありがとうございます。私の買い物はこれで粗方済みまし
た﹂
﹁これくらいの事なら、いつでも付き合うよ﹂
荷物持ちにはこの上なく便利であるしな。
﹁シアンも居ることだし、古着で良ければ見ていかないか?﹂
どうも聞いた話によると新品の服、つまりオーダーメイドで作っ
てもらうような服屋は紹介状などが無いと入れないような高級店ら
しい。
時間があるときにでも、彼女達にどうかと思っていたのだが金さ
え有れば気軽に作れるというものでもないようだ。
﹁はい、ぜひ!﹂
505
シアンの方を見ると、コクンと頷いた。
声は聞こえなかったが、興味はあるようだ。
古着屋へと向かう道中に本屋を発見した。
この街では初めて見かける。
﹁ちょっと覗いていかないか?﹂
﹁え?ジン様ここは本屋ですが﹂
リザが少し気後れしたような顔を見せたが、俺は構わず店に入る。
中に入ると本がズラリ⋮⋮とは並んでいなかった。
まるで宝石店か何かか?というほどに1冊1冊が厳重に保管され
ている。
客の手に届くような場所には置いて無く、店のカウンター奥など
に幾らか展示されている様な具合だ。
店の本、全てを合わせても100冊も無いだろう。
店に入った途端に、店主であろう男にジロリと睨まれる。
まるで犯罪者に向けるような、侮蔑にも近い眼差しだ。 ﹁リザ、そういえば俺字が読めなかった。どんな本なのかタイトル
読んで教えてくれる?﹂
リザは一瞬驚いた顔をしたものの、直ぐに了承してくれた。
俺も思ったが、字が読めない奴が本屋に来るなよって話だ。
506
でもシアンに借りた魔物図鑑のように挿絵付きなら、けっこう楽
しめるのだ。
後で日本語に翻訳してもいいのだし。
売っている本の大半は魔導書であった。
特別な魔力を込められた紙に、特別な魔力を込められたインクで
魔術文字を書いて作製されるらしい。
読むことで文字に込められた術が体に浸透して、魔術を扱えるよ
うになるんだとか。
浸透させるまで何度も繰り返し読まなくてはならないらしく、覚
えるのはかなり大変のようだ。
また適正のある術でなければ何度読んでも覚えることは出来ない
そうだ。
ここに売っている魔導書は、彼女達の適正には合わなさそうなの
で、魔導書の購入は見送った。
薬草図鑑、魔物図鑑、鉱石図鑑
売っているもので気になったのはこの辺だろう。
﹁本の中身を確認したいんだが、可能か?﹂
そう店主に問うも、聞こえていないのか、聞こえなかった振りな
のか返答はない。
俺がもう一度と口を開きかけると、
﹁あのな坊主、本の値段を知っていて店に入ってきたのか?俺は冷
やかしに付き合うほど暇な商売はしていないんだ﹂
507
カウンターに金貨を重ね置く。
﹁本の中身を確認したいんだが、可能か?﹂
﹁あぁ⋮⋮﹂
﹁本って、けっこう高いんだな﹂
薬草図鑑を2冊、魔物図鑑を5冊、鉱石図鑑を1冊、購入した。
1冊平均、銀貨3枚ほど。
総額24000シリルとなった。 これでも本の中では安いほうらしい。
希少な魔導書ともなれば、桁が違うようだ。
﹁ジン様、あのような振る舞いは危険かと﹂
大金を見せびらかす様な行いは、悪感情を呼び寄せる。
隙あらば騙し、奪い、唆そうとする輩が近づいてこないとも限ら
ないという。
﹁不味かったか。⋮⋮もしかしてボラれてたか?﹂
﹁いえ、今回のは適正価格だったと思います。今回たまたまあの店
の主人がまともな人物であっただけで、他の店ではどうかわかりま
せんので、お気をつけ下さい﹂
気をつけよう。あまり不用意なことをするものじゃないな。
508
というか買い物はリザに交渉してもらったほうが、いいかもしれ
んな⋮⋮ ﹁とりあえず本は2人に預けておく。適当に読んだら俺も見せても
らうから﹂
﹁よろしいのですか?﹂
﹁あぁ、俺自身は字が読めないしな。むしろ君らに読んでもらうの
がいいだろう﹂
シアンは嬉しそうに買ったばかりの本を抱きしめ、
﹁ありがとうございます﹂
と小さく呟いた。
その後、リザとも行った古着屋や下着屋を巡る。
シアンもやはり服には興味があるようで、リザと2人であれこれ
と話しながら品を吟味している。
彼女達には﹁値段を気にせずに自由に選んで﹂とは伝えてあるが、
それでも無駄な買い物はしないとばかりに、その目は真剣そのもの
だ。
俺はそんな彼女達のやりとりを店の端に置いてあるベンチから眺
めていた。
その後の女2人の買い物には、それ相応の時間が必要になったこ
509
とは言うまでもない。
510
第45話 初心者の迷宮
俺達が家に戻ったのは、そろそろ日も暮れようかという時刻であ
った。
買い物の主な目的であったはずの薬草素材の買い付けはあっとい
う間に終わったのに、ついでに立ち寄った古着屋と下着屋では長々
と時間がかかったものだ。
いや、もちろん文句はない。
待つだけというのも疲れるな、とは思ったが彼女達の嬉しそうな
顔を見られれば文句など、あるはずが無いのである。
特にシアンは、滅多に家から離れることが無いというので、いい
気分転換になったのでは無いかと思っている。
あまり表情の見えない彼女だが、今日の買い物では何度かいい笑
顔を見られた。
やはり女の子には、笑顔で居て欲しいものだなと思う。
﹁アルドラはまだ戻っていませんか?﹂
﹁ええ、ずっと地下へ行ったきりのようですね﹂
別に心配はしていない。
彼は生身の体では無いのだ。
俺はアルドラの位置を探るように、意識を集中させる。
511
アルドラに追加された特性、眷属は俺との繋がりを強化する特殊
な特性らしい。
主となる者を含めた眷属同士で互いの位置や状況を把握すること
が出来るという能力があるようだ。
更に繋がりが強くなれば、意識を繋げた会話も可能になるらしい。
これらは今日の講習で知った情報だ。
﹁居ますね、だいぶ深いところに﹂
どうも彼は本格的な遺跡探索に乗り出したらしい。
いつ戻るかわからないアルドラは置いておいて、残った皆でミラ
さん手製の食事を頂くことにした。
﹁ジンさん、ありがとうございます﹂
﹁え?何ですか、俺何かしましたっけ?﹂
俺が首を傾げると、ミラさんはくすくすと笑って、
﹁2人の様子を見ればわかります。ジンさんに良くして頂いている
ことを。リザはすっかりジンさんに心酔しているようですし、今日
はシアンも機嫌がいいようです﹂
シアンが自ら一緒に出かけたいと言い出すのも珍しいと、ミラは
嬉しそうな様子だ。
2人は急に話を振られ、顔を赤くして狼狽える。
512
﹁ジンさん、2人のことよろしくお願いします﹂
ミラさんは先ほどの朗らかな笑顔とは打って変わって、真剣な眼
差しを俺に向ける。
彼女の言う﹁よろしくお願いします﹂の真意は、イマイチわから
ないが⋮⋮
仲良くしてあげて、という意味なんだろうな。
﹁もちろんです。俺の方からも、よろしくお願いします﹂
ミラさんはホッとしたように胸を撫で下ろす。
リザとシアンは、それぞれにその顔を更に赤くした。 >>>>>
朝になり、いつもの様に日課を熟す。
井戸で偶然会ったタマとミケに挨拶して、リザと共に朝食を取り
ギルドへと向かう。
アルドラはというと夜半過ぎ頃に戻ってきた。
コトリ、という物音に気がつくと、枕元に幻魔石が転がっている
のが見えたような気がした。
俺は直ぐ様、睡魔に体を預けて眠りについた為に、よくは覚えて
いない。
513
朝方になって幻魔石に魔力を注いでアルドラを顕現させた。
また地下へ行くようだ。
﹁更に地下へ続く階段を発見したんじゃ。行けるとこまでいってみ
るかの﹂
キッチンから適当に食材を持ち出すと、彼は地下へと姿を消した。
そうやって毎日ギルドへ通い、真面目に講習を受けて10日が過
ぎた。
昨日で全過程の終了を認められ、後は卒業試験を経てE級へ昇級
という流れである。
その間に修理に出していた影隠の外套と金の腕輪も受け取った。
影隠の外套+1 魔装具 D級
夜間限定隠蔽効果上昇
防御力上昇
金の腕輪 魔装具 D級
製作成功率上昇
魔術抵抗上昇
外套に新たな魔術効果が追加されているのは、黒狼の素材を修復
素材に利用した結果だろう。
見た目には新品同然の仕上がりだ。
腕輪に追加された効果は付与術にて、添加したものだ。
514
付与された術の効果は、装備の質にも左右されるらしいので、D
級ではどれほどの物かはわからないが、まぁないよりはマシであろ
う。
C級の装備ともなると、売っているのは見たこともないしな。
どうやって手に入れるのか、検討もつかない。
黒狼の額当て
黒狼の革鎧
黒狼の小手 黒狼の具足
注文していた装備も期日通りに仕上がったようだ。
魔装具ではないが森の王者である黒狼の素材を、惜しげも無く使
った装備一式である。
動きを阻害せず、防御力は一定以上の質を確保しているそうだ。
また闇の魔術に対する抵抗力が高いとも言われており、森での夜
戦で大いに役立ってくれそうである。
俺はギルドへ通う毎日の他に、地下で魔術の特訓もしていた。
森の境界は魔獣が彷徨いていることもあり、装備が整うまで自重
していたというのもある。
街なかで魔術の訓練をするわけにも行かず、地下での訓練となっ
たのだ。
俺が地下へ降りてくるのを悟ったのか、途中アルドラも訓練の様
子を伺いに訪れたりもした。
そんなこんなで俺が訓練で編み出した新たな魔術が﹃麻痺﹄であ
る。
515
雷魔術は加護︵推定︶のお陰なのか、魔石からでなくとも術を習
得する、いや生み出すことが出来るらしい。
ただ出来るらしいとは言っても、何をどうすればいいのか、さっ
ぱりわからない。
思いついて欲しいと思ったのは、相手を無力化する魔術である。
非殺傷魔術ということだ。
雷付与や雷撃で、相手が麻痺することはわかっている。
自分で食らったことはないが、俺の予想では筋肉が収縮して麻痺
しているのだろうと思う。
では雷の威力を抑えつつ、麻痺させるような魔術は出来ないのだ
ろうかと考え編み出したのだ。
もともと威力の強弱を制御することは可能であった為に、そこま
で辿り着くのはそれほど難しくはなかった。
この魔術は相手の殺害が目的では無く、制圧が目的の場合きっと
役に立ってくれるはずだ。
>>>>>
装備を整え、鞄にはリザが用意してくれた魔法薬が大量にストッ
クされている。
準備は整った。
516
アルドラは例のごとく地下へ行っている。
迷宮はF級の卒業試験ということもあって、俺1人で望む所存だ
からだ。
まぁ奴なら関係なく地下へ行っていただろうが。
昨日古代文字が書かれた壁面を発見したとか言ってたから、また
そこへ向かったのだろうたぶん。
まぁそれはいい。
初心者の迷宮。
冒険者ギルドへ登録したF級冒険者たちは、40時間の実技と座
学を受ける。
その課程を終了した者は、初心者の迷宮という市内に存在する迷
宮への、挑戦権を得ることが出来るという。
そして迷宮へは1人で、挑戦するのが決まりとなっている。
これを突破したものが、E級へ昇級となるらしい。
冒険者たるもの、最低限の戦闘力を備えていなければ討伐はもち
ろん、採取も雑務も熟せないという判断から作られた施設のようだ。
元々あった遺跡を、魔術師たちが長い年月かけて改造した特殊な
迷宮らしい。
通常の迷宮とは違った、人の手で管理された施設といった物のよ
うだ。
自由都市ベイルの中心部より遠く離れた場所に、高い塀に囲まれ
517
隔離された場所がある。
重厚な門に門番が1人。
門番にギルドカードを見せると﹁話は通っている、入れ﹂と門の
脇にある勝手口の様な、小さな扉を案内される。
大人1人が潜って通るだけで、精一杯の小さな扉だ。
小さな扉を抜けると、石材で作られた1本道のトンネルの様な通
路に入った。
石畳の床を歩き、突き当りにある扉を潜ると、とある部屋に到達
する。
中には数名の職員の姿が確認できた。
受付カウンターの様なものがあり、職員が事務仕事をしている姿
が見える。
雰囲気で言えば冒険者ギルドにも似ていた。
﹁お願いします﹂
俺は受付にギルドカードを提示する。
受付の職員はカードを受け取り、淡々と事務処理を済ませていく。
﹁説明は受けているか?﹂
﹁はい﹂
﹁ではこれを﹂
職員から手渡されたのは、細い金の腕輪だ。
俺の腕には少し大きいサイズだが、腕に通すとスッと自動でサイ
518
ズ調整され、丁度良い大きさになった。 脱出の腕輪 魔装具 D級
迷宮突入後、一定時間を過ぎると装着者を強制退出させる魔装具。
魔術効果が発動すると、腕輪は破壊される。
自ら破壊することで、魔術効果を発動させることも可能。
迷宮参加者には無償で提供される。 ﹁武器は必要か?﹂
﹁いいえ、自前がありますので﹂
武器の類を用意できない冒険者には、この場限りだが無償で貸出
も行っているそうだ。
﹁そこの扉から入って、突き当りまで行けば入り口がある。後は中
にいる担当者の指示に従ってくれ﹂
﹁わかりました﹂ カードを受け取ると、俺は指示された扉を潜り先へ進んだ。
扉の先の通路も、石造りの頑丈なトンネルと言ったような様相で
ある。
少し歩くと、頑丈そうな扉が見えてくる。
その手前には2人組の男たちが茶を飲みながら談笑している姿が
見えた。
519
彼らが担当者だろうか?
脇にテーブルが設置され、ランプの明かりと茶菓子が置かれてい
るのも見えた。
利用者が来るまで、ここで茶を飲みながら待ってるのが仕事なん
だろうか。
俺が近づくと男の1人が気づいて立ち上がった。
﹁参加者か?カードの提示を﹂
俺からギルドカードを受け取ると、小さな箱の様な魔導具に差し
込む。
鑑定箱 魔導具 D級
この魔導具で、カードの情報を確認できるらしい。
男は情報を確認すると扉の鍵を開けて重い引き戸を、ズルズルと
押し広げた。
﹁付いて来てくれ﹂
俺は男に追従して、奥へと進む。
途中、鉄格子の扉を開けて更に奥へ進んでいく。
﹁この先だ﹂
辿り着いた通路の突き当りの重厚な扉を、男は鍵を開けて中に入
る。
それに俺も追従して入った。
520
何もない石造りの部屋だ。
窓も何もなく、ただ四角い石の部屋。
狭く冷たく無機質で、牢屋のような部屋である。
まぁ実際の牢屋は見たこと無いので、勝手なイメージではあるが。
担当の男が床に触れて、何かブツブツと呟くと、パアッと石畳の
床から光が生まれる。
﹁これが転移魔法陣だ﹂
迷宮への入り口が姿を表した。 521
第46話 侵入
転移魔法陣を潜った先へと辿り着き、俺は周囲の状況を確認した。
俺が立っているのは円形の部屋の丁度中心地。
半径50メートルはあるかという、かなり広い部屋だ。
天井はドーム状になっていて、その最上部には照明のようなもの
が設置されているのか、部屋全体を明るくてらしている。
床も壁も天井も、照明の部分以外は青緑色の石材で作られている
ようだった。
緑晶石
似ている⋮⋮というか、ほぼ同じ作りだこの部屋は。
初心者の迷宮というのは、元々この地にあった古代人の遺跡らし
い。
いつの時代のものかというのは研究者によって見解が違うためは
っきりしないが、数千年前の物というのが定説とされている。
その遺跡のある一部分を、遺跡を管理する人間たちが長い年月を
掛けて改造し、秘密の訓練施設であったり、避難場所であったりを
作ったのが始まりとされている。
初心者の迷宮として魔物を放って新人冒険者の訓練施設として開
放したのは、今の冒険者ギルドのマスターが始めたことのようだ。
ベイルを流れる水路も、遺跡の一部を利用したものだというのも
522
ギルドで聞いた話である。
転移直後に光っていた足元の魔法陣も、時間とともに光が弱まり
何時しかその輝きは失われてしまった。 しかし、あるだろうなと予測していた転移魔術だが、案外早くに
その存在を知ることが出来た。
だが普段の生活では転移魔術で移動すると言ったような話題は聞
かないし、そのような施設があるとも聞いたことがない。
実際どうなのかは後で聞いてみるとしても、もしあったとしても
一般人には利用できない様な場所なのかも。
だが冒険者ギルドが管理している迷宮で使われているくらいだし、
俺が知らないだけでギルドでは普通に運用されているのかもしれな
いな。
ともあれ、ここで突っ立って考えても仕方ないので、俺は先へ進
むことにする。
確か制限時間は6時間。
それまでにボスの部屋まで辿り着き、ボスを倒した場所に出現す
る魔法陣で脱出するのがクリアの条件だ。
ジン・カシマ 冒険者Lv4
人族 17歳 男性
C級︵雷撃 雷付与 麻痺︶
スキルポイント 0/17
雷魔術
特性 魔眼
523
土魔術 F級︵耐久強化︶
火魔術
︵灯火 筋力強化︶
隠蔽︶
闇魔術
D級︵嗅覚 魔力︶
︵魔力吸収
体術
剣術
鞭術
闘気
探知 魔力操作 ︵粘糸︶
解体
スキルポイントの設定をして、自身に耐久強化を付与しておく。
ちなみにレベルの低い者に、高ランクの術を付与してもその効果
はレベル相応の物に低下してしまうらしい。
F級で1以上、E級で10以上、D級で20以上、C級で30以
上、B級で40以上、A級で50以上、S級で60以上が適正レベ
ルなのだとか。
S級の耐久強化はレベル60以上の者に掛けて本来の効果を発揮
するということで、レベル1の者に掛けてもS級であるはずの術も
F級なみの効果しか発揮できないということだ。
部屋に1つだけある入口を潜って、その先に続く通路を進む。
扉のようなものは無く、壁にぽっかり穴が空いていて通路へと繋
がっている。
通路はトンネルのような作りだが、かなり狭い。
俺は普通に通れるが、身長の高いものなら身を屈めて進まなけれ
ば行けないくらいの窮屈さだ。
しばらく通路を進むと、次の部屋へと辿り着く。
524
侵入口からそっと中を覗きこむと、そこから見える景色は最初の
部屋と変わらないように見えた。
魔物の姿は見えない。
探知にも反応はない。
ギルドの話によれば、迷宮とは言っても迷路のようにはなってお
らず、ほぼ1本道らしい。
部屋を幾つか通過して、魔物を倒しつつボス部屋を目指すとの事
だったが、どうやら魔物が出ない部屋もあるらしい。
あまり慎重にならなくても平気かもしれない。
俺がそう思って、部屋に侵入すると︱︱
ズリッ
という何かの擦れるような異音と共に、探知スキルに複数の魔力
の反応を感じた。
天井の一部がスライドして、そこから魔物が侵入してきたのだ。
何だそれ、そういう仕様かよ。
心のなかで、溜め息を吐きつつ迎撃体制をとった。
ラウンドシールドを構え、右手には杖を槍のように構える。
俺が持つ最高の攻撃力は雷魔術の︻雷撃︼である。
それを使って迎え撃つ。
ウォールリザード 魔獣Lv1
でかいヤモリだ。
三角の頭に灰色の体色、潰れたような平たい体を持つ魔物だ。
525
尾も入れれば1メートルは超えそうなほどの巨体。
1匹の魔物は天井をスルスルと移動する。
重力というものを感じさせない滑らかな動きだ。
︻雷撃︼の射程距離は約5メートル。
もっと距離を伸ばそうと思えば出来ないことはないが、これを超
えると威力や命中率が目に見えて低下してしまう。
実用性を考えての限界距離である。
天井は高いので、降りてこないと︻雷撃︼は届かない。しばらく
様子を見るか。
そう思った矢先、天井に出現した窓︵?︶から、再び魔物が侵入
してくる。それもゾロゾロと。
天井が魔物で埋め尽くされそうな勢いである。
というかコレ、襲ってこないなら無視して先行ってもいいのでは?
俺のそんな疑問を感じ取ったのかは定かではないが、続々と魔物
が天井から落下してきた。
ビタンッ
ビタンッ
見ると天井から手を離した魔物は、猫の様に体を捻り回転させ、
床に上手いこと四肢で着地しているのだ。
巨体が床に着地する音が部屋に幾つも響いた。
526
俺は侵入してきた通路まで引き返した。
通路は狭く、俺1人が通るのでやっとのものだ。
ここで魔物を迎え撃つ。
俺は盾を構え、杖に魔力を集中させた。
>>>>>
俺の目の前には、もう動くことはない魔物の骸が山積みとなって
いる。
魔物の数は多いもののレベル1∼2と個体で見れば大した脅威で
はなかった。
通路で戦うことで1対1を維持できたのも大きいだろう。
まぁつまり︻雷撃︼の敵では無かったという話だ。 この迷宮では魔石を持つ魔物は出現しないらしい。
迷宮の魔素の濃さと、魔物の成熟具合による所らしいが詳しくは
わからないそうだ。
となるとスキルの入手も期待できない。
ならば長居は無用である。
サクサク進むとするか。
その後も魔物は出てくるものの、最初のような大量発生とまでは
527
行かなかった。
少ない時は2∼3匹、多くて5∼6匹ほど。
レベルも1∼6くらいに留まっているようだ。
魔物は部屋にて出現し、部屋と部屋とは通路で結ばれる。
俺は既に10以上の部屋を突破していた。
そしてまた1つ部屋を通過して、通路を進んでいくと行き止まり
となった。
いやよく見ると植物の蔓か何かが、侵入口に縄暖簾のように垂れ
下がっている。
それは向こうの様子が見えないほどに、密集していた。
今までとは違った雰囲気から、ここが最後の部屋かもしれないと
思い、鞄の中からマナポーションF級を取り出し飲み干した。
多少の疲労はあるものの、体力か魔力のどちらかを回復させると
なれば、魔力を選択せざるを得ない。
魔法薬は1度に服用できるのは1つまでで、1度飲んだら2時間
以上は間を置かなければいけないと言われている。
これは魔法薬の効果が強力であるために、体にかかる負担を考え
てのことだ。そもそも無理に連続使用しても十分な効果を発揮でき
ないそうだが。
俺は一息ついて呼吸を整えると、杖を縄暖簾に構えて︻雷撃︼を
放った。
派手な音を立てて爆散する植物。
突入する入り口が完成した。
528
中へ侵入すると、部屋には誰も居ない。
探知にも反応は無かった。
しかし部屋の様相は、今までとはだいぶ様変わりしている。
床も壁も天井も、植物の蔓か根の様なもので覆い尽くされ、石材
の部分が見えないほど積み重なっている。
一種異様な雰囲気である。
非常に歩きにくいその足元を確認しながら、部屋の中へと入って
いく。
いつ何が出てきてもいいように、探知スキルは稼働し続けている。
ザワッ
︻探知︼には反応が無いものの、何かしらの違和感を感じる。
何か居るのは間違いないようだ。
周囲を見るが、次の部屋へと至る通路への入り口は見当たらない。
植物が壁を覆っていて、ほとんど見えないというのもあるが。
部屋の中央近くまでくると、突然探知スキルが反応する。
今までで一番強い反応だ。
ガラガラガラ⋮⋮
侵入してきた通路への入り口に、石壁がシャッターの様に下りた
のが見えた。
退路は絶たれたらしい。
529
ウッドマン 魔導人形Lv8
部屋の中心部、地面からしゅるしゅると何本かの蔓が伸びたかと
思うと、それらは1つにより集まり、見る間に1体の異形の人形へ
と姿を変える。
﹁おー、懐かしいな﹂
俺の呟きとほぼ同時に、太い縄のような腕が風を切る音と共に横
薙ぎに振るわれる。
慌てて身をかがめて、盾を屋根の様に構えてそれを回避する。
ジャリッという盾に硬いものが掠める音が聞こえた。
﹁アブねっ﹂
前に森で見かけた奴と比べると、一回りほど大きいように感じる。
ただ大きいだけでなく、力強そうな雰囲気だ。
何となく今までの魔物の強さを考えると、こいつがボスっぽい。
これがF級の卒業試験となると、なるほど確かに簡単ではなさそ
うだ。
床に張り巡らされた根が素早い移動を阻害し、魔物の攻撃は中、
近距離をカバーできる。
逃げても閉ざされた部屋では、追い詰められるだけだ。
魔術師なら遠距離からの攻撃。
530
戦士なら攻撃を掻い潜って、接近戦というところか。
1人で戦わなければならないことを考えると、これで最低限魔物
と戦える人材を森へ送り出すということなのだろう。
ただ薬品も魔導具の類も制限無しであるし、装備も自由であるた
め準備を怠らず、対魔物戦に慣れてくればそこまで難しくも無いの
かもしれない。
まぁF級の冒険者が、どこまで装備を整えられるのかと言う話で
もあるのだが。
俺は魔物の攻撃を掻い潜り、その懐に肉薄する。
攻撃の間隔はかなり長い。
足に自信のある奴なら1発躱せば、懐まで一気に飛び込めるだろ
う。
魔物が次の攻撃動作に移る前に︻雷撃︼が杖から迸る。
ウッドマンの左腕が、根本から吹き飛んだ。
グギギッ⋮⋮
魔導人形という魔物に感情が在るかどうかは知らないが、一瞬そ
の顔が歪んだように見えた。
﹁悪いけど、そんなに鈍かったらあたんねーわ﹂
空気を引き裂くような甲高い音が部屋に響き、杖の先端から幾つ
もの紫電が迸った。
後に残ったのは、もはや原型が何だったかさえわからない打ち砕
531
かれた木材の塊だった。 532
第47話 E級冒険者
ウッドマンを倒すと、直ぐ様その場所に魔法陣が出現した。
床から立ち上がる輝きは、ここへやって来た時に通った転移魔法
陣の輝きによく似ている。
この部屋へ侵入してきた際の入り口は閉じたままであるため、帰
るためには脱出の腕輪を破壊するか、この魔方陣に飛び込むしか無
さそうだ。
俺は意を決して、魔法陣へ飛び込んだ。
>>>>>
ザッハカーク大森林、某所。
湿気を含んだひんやりとした風が頬を撫でる。
日増しに高くなる気温だが、森の中は長く伸びた枝葉が影を作り、
下草が大地を覆うことで一定の気温を保っていた。
直接日を浴びるよりは、だいぶマシだろう。
探知スキルに反応する魔力の数は12。
今までで最多だった。
﹁囲まれてるぞ!?どうするんだ?﹂
533
草葉の陰、木々の上からより感じる視線。
まるでいつでも襲えるぞ!とでも言われているかのような感覚。
﹁どうするも、こうするも無いじゃろう?全員打ちのめせば終いじ
ゃ﹂
長い銀髪を靡かせ、長い剣を両手に持ち、切っ先を水平よりやや
下へ構えた。
後の先を取る、防御の構え。
通称、地の構えである。
隙を突いたと思ったのだろう。
草葉の陰から1つの塊が飛び出し、俺の背後へと差し迫った。
﹁ギギィイーーッ!!﹂
耳障りのする不快な声を上げて、迫る魔物を振り向きざまにショ
ートソードで袈裟懸けに切り捨てる。
肉を切り裂く感触が、刃から直接伝わってくる。
﹁探知スキルでモロバレだよ﹂
ゴブリン 妖魔Lv4
ふと横を見ると木の上から2体同時に襲いかかるゴブリンを、ア
ルドラは軽々と1体を正中線より両断し、もう1体を上半身と下半
身に分断したところだった。
534
あんなデカイ剣なのに、切っ先が早すぎてほとんど見えない。
この爺さんには勝てる気がしねえ⋮⋮
戦力差は十分理解してもらえたはずだが、魔物は諦めていない様
子で戦闘は継続された。
俺は現在、アルドラと大森林で修行中である。
昇級は無事終わりE級となった。
もちろんギルドカードの情報も更新された。
E級からは森や境界での採取依頼が主となってくるため、これで
堂々と森へお出かけできるわけだ。
あー、もちろんF級だとしても自分の能力に自信があれば、森へ
行くことは自由ではある。
ただF級というのは見習い、研修期間という意味合いが強いため、
あまりいい顔されないってだけだ。
アルドラが急に﹁修行しようぜ﹂と言い出したのにも訳がある。
1つめは地下の探索が一区切り着いたこと。アルドラは地下遺跡
の先へだいぶ進んだようであるが、かなり水没した部分が多く先へ
進むには対策が必要とのことだ。他にも罠の問題も有り、これ以上
の探索は相応の準備が必要でありそうだ。
2つめはアルドラのレベルは俺のレベルと関連しているらしいと
いう話である。
アルドラのレベルの上限が、俺の現在のレベルとなっていると言
うことだ。
ちなみに現在のステータスは︱︱ 535
17歳
男性
ジン・カシマ 冒険者Lv7
人族
スキルポイント 0/20
火魔術
雷魔術
︵耐久強化︶
︵灯火
︵雷撃
筋力強化︶
雷付与
特性 魔眼
土魔術
眷属
収納
帰還︶
麻痺︶
促進
魔力︶
隠蔽︶
闇魔術 C級
E級
︵魔力吸収
体術
剣術 F級 鞭術
闘気
D級︵嗅覚
探知 魔力操作 ︵粘糸︶
解体
直感
アルドラ 幻魔Lv7
特性 夜目
換装
スキルポイント 0/69
時空魔術 S級︵還元
剣術 S級
体術 D級 闘気 F級
回避 D級
早い話が﹁わしのレベルを上げるためには、お主のレベルを上げ
536
ねばならんようじゃ!レベル上げに行くぞい!ついでに戦闘訓練と
スキル収集もじゃー!﹂
と言ったような話になったわけだ。
﹁疲れた⋮⋮ちょっと休憩にしないか?さすがに連戦し過ぎだろ﹂
朝一番でギルドに赴き、適当な依頼書を受けて森へとやってきた。
そして今まで休みなしの行軍である。
既に太陽は天高く存在していた。
﹁ふむ、では1つ昼飯にするか﹂
森の中、川沿いの少し開けた場所で火を起こす。
少し探せば、枯れた倒木は幾らでも見つかる。
それに発火棒を押し付けて火をつけた。
発火棒は薪に火をつける際に使われる魔導具だ。
金に余裕のある旅慣れた冒険者なら、1つは持っているであろう
便利な道具である。
僅かな魔力を元に︵または魔石を燃料に︶枯れ木に簡単に火をつ
ける事ができる。
雨の日でも、木が多少湿っていても大丈夫という優れ物だ。
バチバチと音を立てて燃え上がり、火の粉が舞い枯れ木が爆ぜる。
﹁手伝いはいるか?﹂
﹁いやいい。さっき見かけたから直ぐ戻る﹂
537
我が身に︻隠蔽︼を付与し、静かに藪へ分け入った。
そして僅かな時間を置いて、今回の糧となる獲物を発見した。
>>>>>
皮を剥かれて串刺しにされた野兎が2匹、焚き火に炙られている。
新たに修得した雷魔術︻麻痺︼のお陰で肉を痛めずに獲物を手に
入れることができる。
有効射程も︻雷撃︼より長く、その効果も申し分ない。
野兎もといワイルドラビットは、普通に旨いらしいので今日の昼
食となって貰うことにした。 味付けは家から持ってきた塩を肉に摺りこんである。
肉の焼けた匂いが香ばしい。
美味そうだ。
﹁この辺りはワイルドラビットの生息地らしい。ゴブリンの餌にも
なっておるんじゃろう。ついでに狩っていくか﹂
朝受けた討伐依頼はワイルドラビットとゴブリンだ。
どちらも増えすぎると人の領域まで足を伸ばして畑を荒らしたり
するので、定期的な駆除が求められている。
538
兎は肉も皮も売れるので、人気の獲物だったりするのだが、警戒
心が強く足も早いため素人には中々難しかったりする。
それでもそこそこの弓の腕があれば普通に狩れるわけだが。 ﹁うん、旨い。あっさりしてる割に旨味が濃い感じだ。野生の肉っ
て感じがする﹂
焼けた肉に齧り付く。
肉汁が滴り、思いのほかジューシーで旨い。
皮を剥いで内臓を抜いて串刺しで焼いただけなので、兎そのまま
の姿で残ってるわけだが、慣れると気にならないもんだ。
こうなるとただの肉である。
﹁ゴブリン狩りは終了か?﹂
﹁もちろん居ったら狩るに決まっておる。剣の実践練習に丁度いい
じゃろ﹂
ゴブリンは身長120センチくらいの人型の魔物だ。
深緑の皮膚を持ち、老人のような深い皺に長い鷲鼻、大きな耳、
ギョロリとした濁った目を持った醜悪な顔をしてる。
大概裸であるが、どこからか盗んできたボロ布を纏っていたり、
獣の皮を剥ぎ取って腰に巻いている奴もいたりする。
腕力はその小柄な体躯の割に、人族の成人男性なみにはあって侮
ることは出来ない。
基本的に群れで行動するため、囲まれると厄介である。
森に落ちている木の棒や、どこからか拾ってきた剣や短剣で武装
している奴も見かける。
539
道具を扱うだけの知能はあるらしい。
だが奴らの一番の武器は顎である。
腐肉だろうが何だろうが、森の獣を骨ごとバリバリ食べる強力な
顎と丈夫な胃が彼らの武器なのだ。
﹁あと繁殖力じゃな。1匹みたら近くに30匹はいると思えと言わ
れるほど、奴らはどんどん増えるからのう﹂
﹁ゴキブリみたいな奴だな⋮⋮﹂
その分いろいろな森の魔獣の餌になっているようだが。
昼休憩を終え、森を移動しながらの狩りが再開される。
どの道をどう行くかは、アルドラの直感に任せている。
丁度いいレベルの魔物がいそうな場所を狙って移動しているのだ。
道とは言っても、俺には草木の生い茂る森にしか見えない。
一応接近戦の修行という体であるため、魔術は封印し︻剣術︼を
中心としたスキル設定となっている。
俺の武装はラウンドシールドとショートソードだ。
﹁魔術の効かない魔物など幾らでもおるからな。︻雷撃︼に頼った
戦い方ではいずれ壁にぶつかる。今のうちに接近戦にも慣れて居っ
たほうがよいじゃろう﹂
土の属性を持つ魔物などは雷が効かないことが多いという。
540
他にも雨だったり、水辺や水中など使えなかったり制限されるよ
うな場面は幾らでも考えられる。
俺も︻雷撃︼以外の戦う術を見出したいとは考えていたのだ。
そもそも︻雷撃︼は有効射程が短いため、どちらにせよ接近戦の
訓練は必要不可欠だろうとは思っている。
﹁それに戦闘中に無闇にスキル設定を弄るのも、控えたほうがいい
じゃろうな﹂
設定を変更する際には、どうしても隙ができる。
意識がそちらに集中するからだ。
どう変更するか予め決めていたとしても、隙を完全に無くすこと
は出来ないのではないかと思う。
たとえ短い時間であっても、一瞬が命取りになるような場面では
自殺行為にも等しい。
﹁変更を余儀なくする場合は、戦局から一旦離れるか、隙が出来て
も問題無い状態に持っていくかしか無いじゃろうな﹂
だがアルドラはこうも言う。
﹁まぁ何にせよ、スキル構成を思いのままに変更できる者など聞い
たこともないし、間違いなくそれはお主の強力な武器になるじゃろ
うな﹂
﹁そうだな。そのためにも﹂
レベルを上げてポイントを増やし、スキルを収集して手札を増や
す。
541
やることは多い。
﹁世の中わしの知らんこともまだまだあるもんじゃのう。ゆっくり
死んでおる場合ではないわ﹂
森を移動中、木の上からゴブリンの襲撃を受ける。
飛び降りながらの棍棒の一撃。
俺は盾でそれをいなし、回避する。
攻撃をいなされて、隙の出来たゴブリンの首もとへ滑るように剣
を差し込む。
致命傷となる一撃。
ゴブリンはギョッとした顔で、数歩たたらを踏むとその場に崩れ
落ちた。
それを合図とするかのように、藪からゴブリンの群れが一斉に溢
れ出てきた。
﹁また多いのう﹂
﹁多すぎだよ!﹂
アルドラの突きが1体のゴブリンの胸に浅く食い込む。
542
ギィ!?
あまりに早く鋭い突きに、驚きの声を上げた。
アルドラはゴブリンを突き刺したまま、片手で高々と持ち上げる
とそのまま勢い良く振り下ろした。
切っ先に食い込んでいたゴブリンは遠心力を加えられ、勢い良く
弾き出される。
まるでボーリングの様に、弾き出されたゴブリンは仲間を巻き込
んでまとめて薙ぎ倒された。
﹁ゴブリンは本来臆病な連中じゃが、こうして数を揃えると途端に
強気になるんじゃよ﹂
1匹1匹はそれほどの脅威ではない。
装備を揃えた冒険者なら、新人でも十分に討伐できる程度の強さ
である。
知能も人族の幼児程度しかないと言われている。
だが群れになるとその危険度は格段に増す。
大きな群れともなれば、小規模の商隊を襲ったり人の村を襲った
りもする様になるそうだ。 ﹁あー、だからこんなに血の気が多いのか﹂
状態:興奮
仲間が殺られても戦意を失わず突っ込んでくる。
だがそれでは数が多いだけで、それほど恐ろしくはない。
543
人間の兵士とは違い戦術も何もない、単なる数に任せた突撃。
であれば必要以上に恐れる必要は無いのだ。
目の前に迫るゴブリンを盾で押し返す。
彼らは小柄で体重も軽いため、容易に押し返せる。
そしてそのまま弾き飛ばし、仰向けに転ばせて胸へと一刺し。
策もなく突っ込んでくるゴブリンに剣を突きつけ、その突進を止
める。
ゴブリンは鎧を着てるわけでもなく、皮膚も岩のように硬いわけ
でもないのである意味切り放題だ。
一瞬でも動きを止めることが出来れば、後はどうとでもなる。
ゴブリンは次々に襲いかかってくるが、アルドラに背中を任せ、
危なげなく対処していった。
恐ろしげな形相で立て続けに向かってくるゴブリンだが、もはや
彼らに危険を感じることはなかった。
﹁ゴブリンの耳も魔石もだいぶ貯まったのう。そろそろ終いにする
か﹂
ゴブリン集団相手の剣術修行も、今日のところは終了だ。
朝から狩り続けて、もう日も落ちようとする時刻。
さすがに疲れた⋮⋮
途中何度もポーションで回復はしているものの、疲れが完全に抜
544
けるわけでもない。
そろそろ疲労の限界も近い。
今回狩ったゴブリンの耳、魔石、ついでに狩ったワイルドラビッ
トはアルドラの時空魔術の︻収納︼へと放り込んだ。
アルドラも自身の能力を完全に把握している訳ではないそうだが、
どうも今わかる範囲ではS級の︻収納︼というのは収納力の上限が
ないようである。
事実上、無限にアイテムを保存しておけるぶっ飛んだ能力らしい。
﹁出し入れするには僅かな魔力を消費し、容量の大きい物じゃと消
費する魔力も増大するようじゃ﹂
あまり大量に収納すると、取り出すのに︵探しだすのに︶手間取
る様だ。また巨大なものであると出し入れに時間が掛るというのも
わかっている。
そもそも時空魔術というのが相当なレア魔術らしく、扱えるもの
が殆ど居ない幻の術らしい。
修得したアルドラでさえも、術の効果の全てを知っているわけで
はないそうだ。
﹁修得した時点では、最低限のことしかわからんからのう﹂
討伐証明部位であるゴブリンの耳はギルドへ提出して、魔石はア
ルドラが保管することになった。
ワイルドラビットは皆へのお土産だ。
魔石は時空魔術、還元によって魔力として吸収できるらしいから、
魔力が尽きかけた際の補助燃料ということで考えている。
545
﹁帰還ってので家まで帰れないのか?﹂
名前からしてル○ラっぽい魔術と期待してしまうのだが。
﹁無理じゃな﹂
この︻帰還︼という魔術は本来転移の場所を設定すると、そこへ
自分の体を魔力の粒子へと変換して一瞬で移動しその後に再構築す
るという転移魔術らしい。
﹁わしの使える︻帰還︼は転移場所を主に固定されてあるようで変
更できんようじゃ。それに効果の範囲もわし1人のようじゃな﹂
ん?つまり俺がホームポイントってこと?
あぁ、それで前に俺の元へ帰ってきたアレは︻帰還︼の効果だっ
たのか。 546
第48話 ビックフット
ジン・カシマ 冒険者Lv10
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/23
土魔術 F級︵耐久強化︶
火魔術
雷魔術
︵灯火 筋力強化︶
︵雷撃 雷付与 麻痺︶
特性 魔眼
隠蔽︶
闇魔術
E級
C級
E級 D級︵嗅覚 魔力︶
︵魔力吸収
体術
剣術 鞭術
闘気
探知 魔力操作︵粘糸︶
解体 繁栄
ゴブリンを倒しまくった成果か、いつの間にかレベルが上がって
いた。
アルドラが丁度いい獲物を探してくれていたお陰だろう。
ハードではあったが、着実に強くなっている実感もある。
それにいつ覚えたのか、新たなスキルも修得していた。
バタバタしていて気付かなかったのかもしれない。
まぁ効果については、戦闘系でもないので詳しい検証は後回しに
547
することにする。
とりあえず使う予定も無いしな。
魔獣グラットンの討伐はまだされていないようだが、アレの出現
域は森の境界ということなので、森の中での狩りであるならば出会
うこともないだろう。
︻隠蔽︼であれば欺けるであろうし、たとえ遭遇してもアルドラな
ら普通に対処出来そうでもある。レベル的に見ても問題無さそうだ。
そうして、その後もゴブリン相手の修行という名の実戦が繰り返
された。
ゴブリンを狩り続け、そろそろゴブリンが嫌いになり始めたそん
なある日の事だった。
D級 討伐依頼 魔獣ビックフット 推定Lv12∼15
ザッハカーク大森林、浅層域リナン川付近にてワイルドラビット
の希少種ビックフットの存在を確認。
これの肉、可能ならば毛皮の入手を求める。
特に後脚には傷をつけないように注意。
報奨金 3000シリル
冒険者ギルドの掲示板を眺めながら、適当な依頼をアルドラに読
み上げてもらう。
その中に聞きなれない名を聞いた。
548
﹁希少種か﹂
ゴブリン狩りにも飽きてきた。
ゴブリンのスキルも入手済みなのだし、他を狙ってみるのも良い
かもしれない。
希少種というのならばレアなスキルを持っていそうだし、運が良
ければすぐに手に入る可能性もある。
それにゴブリンではレベルも上がらなくなってきた所だ。
というか10から上がってない。
森の境界より近い部分である浅層域では、レベルの低い魔物が中
心だ。
探せばもう少し強い魔物もいるだろうが、数は少ない。
レベル上げの効率を考えて、ある程度の数の群れで俺のレベルと
近く、厄介な能力を持っていない魔物となると選択肢は限られてく
る。
もう一段階上の魔物となると中層域となるが、それだと強い魔物
も格段に増えるため、まだ乗り込むには早いというアルドラの判断
だ。 それならばスキル収集を軸に動くのも、1つの手だろう。
﹁俺達でも狩れるか?﹂
﹁ただのデカイ兎じゃからの。問題無いじゃろう﹂
ならば決まりだな。
549
ビックフットはワイルドラビットから派生した希少種だ。
森の滋養のある薬草を食べ続けた結果、体は大きくなり後脚が肥
大化したらしい。
強靭な後脚から繰り出される飛び蹴りは脅威らしいが、戦士が臆
するほどではないようだ。
薬草の滋養が肉に移っているせいか滋養強壮の妙薬として人気が
あり、貴族から求められることもしばしば在るという。
﹁それに旨いしな﹂
兎の肉は脂身が無く、あっさりしているのが特徴だが、このビッ
クフットは脂が乗っていて非常に旨いらしい。
その味わいは同じ野兎種とは思えないほどだという。
﹁それはいい土産になりそうだ﹂
徒歩で片道3時間ほどの道程。
平坦な街道を進む訳ではないため進める距離はそうでもないが、
魔装具の靴が歩みを補助してくれるお陰もあって苦痛は少ない。
だがそれにしても、アルドラの歩く速度は尋常じゃなく早い。 ﹁現地までの移動もまた修行よ﹂
その言葉を実行するかのごとく、それほど密度の濃くはない森の
木々を縫うように突き進んでいく。
まるで通い慣れた小径の如く、なれた足取りで進むアルドラに俺
550
は付いて行くのが精一杯だった。
途中で何度かゴブリンの襲撃に遭うも、危なげなく撃退した。
奴らの動きの癖もだいぶわかってきたように感じる。
油断するわけではないが︻雷撃︼に頼らずに戦える事は俺の1つ
の自信にも繋がっているように思えた。
そんな移動中に捉えた1つの反応。
魔力の量や質から推測するに人族だろう、しかも1人。
ここは既に森に入って1時間以上は経とうかという地点だ。
森は魔物も多く、腕に覚えのある者でも油断ならない場所である。
冒険者ならば通常複数人でパーティーを組んで、互いに補佐しつ
つ慎重に進むようなところなのだ。
そのため1人で森にいるというのは、かなり珍しいのである。
﹁ふむ?まぁわしはどっちでも良いが。主の判断に任せよう﹂
余計なお世話になるかもしれんが、一応確認だけしておこう。
別に正義感とか、人助け的な考えと言うわけでもない。
単に気になっただけだ。
気になったことを、そのままにしておくのも気持ちが悪いので確
認するだけだ。
他意はない。
50メートルほど離れた場所に、大きな立ち枯れた巨木があり、
その虚の中で身を震わせ縮こまる人影を見つけた。
551
﹁おーい、大丈夫ですかー?生きてますかー?﹂
装備から推測するに冒険者だろう。
30代後半から40代くらいの人族のようだ。
アルドラは俺から少し離れた所から周囲の様子を伺っている。
こいつが盗賊の類か何かで、困ったふりをして馬鹿な冒険者を誘
い込みだまし討にしようとする奴とも限らないからだ。
アルドラの直感もあるし、俺の探知も周囲を探っているためそれ
を掻い潜るのは難しいだろうとは思っている。
俺は油断なく男に近づいた。
状態:毒
毒か。
もし騙すために服毒したなら大した根性だ。
タイミングを間違えば最悪だろうし。
﹁ううぅ⋮⋮﹂
よく見れば、かなり顔色が悪い。
額に汗を流し、小刻みに痙攣している。
これが演技なら俳優で食っていけそうだな。
﹁キュアポーションです。飲めますか?﹂
リザ手製のキュアポーションE級。
552
浅層域に出るような魔物の毒なら大抵解毒できるという優れもの
だ。
毒の種類を選ばず治療できる便利なものである。
俺はポーションの口を開け、男に飲ませる。
ケビン 冒険者Lv38
おぉ、けっこうレベル高いなこのおっさん。
ケビンはポーションを飲み干すと、即座に顔色が良くなった。
実際に回復するには少し時間が掛るのだが、これで毒の痛みや違
和感も拭えたはずだ。
﹁助かった⋮⋮すまない、恩に着る﹂
うめき声をあげていた呼吸も、だいぶ良くなったようだ。 状態が安定したのが見て取れる。
状態:正常
﹁たまたま通りがかっただけです﹂
回復するのをしばらく待っていると、おっさんはゆっくりと体を
起こす。
﹁冒険者か?貴重な魔法薬を使わせてしまった様で、申し訳無い。
何にせよ助かった。ありがとう﹂
553
おっさんは俺に向き直り、丁寧に礼を述べる。
盗賊では無かったようだ。
おっさん、いやケビンは3人組の冒険者で森へ採取に来ていた所、
とある襲撃を受けて逃げる際に仲間と逸れてしまったらしい。
﹁仲間の一人が背後から奇襲を受けたんだ。まぁそれは上手くやり
過ごして、事無きを得たので問題ないのだが、慌てて逃げる際にう
っかりマーシュバイパーの棲家を踏み抜いてしまったようだ。最近
ポーションの値段が高騰していて買うのをケチったのがマズかった。
面目ない⋮⋮﹂
狩りに出る際には、薬の類は十分に用意して行くようにギルドの
講習でも言ってたぞ?
﹁襲撃って魔物ですか?﹂
﹁いや噂の魔人だと思う﹂
魔人。
っていうか噂って何?
1年ほど前に、森に魔人が出るという噂が流れたそうだ。
証拠もないため噂の域を出なかったわけだが、ボロの外套に赤い
目を輝かせた姿を数人の冒険者に目撃されているという。
﹁数人の冒険者のうちの1人が鑑定持ちだったんだ。それでステー
タスに魔人と出たらしい﹂
554
その魔人は突然背後から現れて、剣で斬りつけてくる通り魔だと
いう。
しかしその鑑定持ちもとっさのことで情報に確信が持てず、更に
憶えていたのはその項目だけだったため見間違いという判断で落ち
着いたそうだ。
その噂の魔人もごく短い期間に数例の目撃があっただけだった事
もあってか、すぐに冒険者の間でも忘れられることになった。
﹁襲われたという人も魔術で保護されていたようで、怪我もしなか
ったということもあってか、誰もその情報を重要視してなかった﹂
それが最近になってまた、目撃例が出たということらしい。 ﹁何人か怪我人が出ているらしい。まだ噂の魔人なのか、繋がりは
あるのかどうなのか、そもそも魔人なのかギルドも情報は掴んでい
ないと思うが、注意喚起はされているみたいだ﹂
注意喚起?
されてたっけ⋮⋮?
朝ギルド寄ってるんだけどな、そんな話を聞いた覚えはないが⋮⋮
>>>>>
555
俺たちはケビンと別れ、ビックフットの目撃場所を目指して再出
発した。
﹁あの魔人の話、ウルバスってことは無いよな?﹂
﹁ウルバスが剣を使っているところは見たことが無いのう。それに
何となくじゃが違うと思う﹂
アルドラの直感は当たるからな。
違うと思うなら、違うのだろう。
ケビンたちを襲ったのが本当に魔人かどうかはわからないし、
過去に目撃された件も含めて情報が少なくて判断できない。
まぁ俺がどうこう考える話でもないのだが。
ケビンは体力の回復を待ってから街に戻るらしい。
戻るだけなら1人でも問題無いそうだ。レベルも高いし大丈夫だ
ろう。
それにしてもマーシュバイパーの毒か。
あんな高レベルになっても死にかける毒ってどれだけ強力なんだ
よ⋮⋮恐ろしいな。
﹁マーシュバイパーの毒はそれほど強力ではないぞ。放っておいて
も死ぬような毒ではない。ただ3日間は高熱と痛みにうなされ眠れ
ぬ夜を過ごすだろうがな﹂
レベルもそれほど高くなく、特別強力な魔物でもないそうだ。
556
噛む力も強力というほどでも無いため、俺達が装備している黒狼
の装備の防御力なら防げるのではないかとアルドラは言う。
それでもあのケビンの姿を見ると、かなり苦しそうだったがな。
﹁そうか今まで気にもしていなかったけど、毒の対処も考えておか
ないとな﹂
幸いにリザがキュアポーションを大量に持たせてくれているため、
その点で言えば安心だ。
目的の場所にたどり着くと、そこには大量のワイルドラビットが
潜んでいた。
土に穴を掘って潜んでいたり、藪に隠れているためぱっと見は分
からないのだが、俺には探知と魔眼があるため余裕で発見すること
ができる。
ちなみにどちらも持っていないアルドラだが、彼もまた余裕で発
見していく。
直感便利過ぎる。
﹁ワイルドラビットも狩りつつ、ビックフットを探すか﹂
ワイルドラビット 魔獣Lv3
レベルが低いためにレベル上げにはならないが、売れば金になる
し晩飯に丁度いいだろう。
ギルドでは毛皮は買い取ってくれるようだが、生肉はたしかダメ
だったような気がする。
557
その場合はギルドで肉屋を紹介してもらおう。
アルドラのS級の︻収納︼であれば時間経過がしないようなので、
生肉も大量に保存して置けるようだ。
あまり大量に入れると出し入れが大変らしいので、アルドラはい
い顔しないが、狩っておきながら肉を捨てるようなことはしたくな
い。
日本人的なもったいない精神が、それを許さないのだ。
ワイルドラビットは警戒心が強く近づくと逃げてしまうが︻隠蔽︼
で近づき︻麻痺︼で拘束するコンボで捕まえ放題である。
しかも無傷で捕縛出来るため、その後の利用価値も高い。
アルドラはというと、剣の腹で殴り倒して気絶させて捕縛してい
る。
力技だ。
﹁よし!魔石ゲットだぜッ﹂
レベルの低いワイルドラビットは魔石持ちが中々居なかった。
でもようやくちらほら魔石が見つかるようになってきて、ついに
スキル付きを発見した。
魔石︵警戒︶
警戒か。
警戒心の強いワイルドラビットならではの納得のスキルである。
︻警戒︼を修得すると、その使用法が理解できる。
どうやら危険を察知するようなスキルのようだ。
558
死角から、例えば目の届かない背後などへの攻撃を察知して対処
できるといったような能力らしい。
ランクを上げれば効果範囲が拡大し、より感覚が鋭くなるようだ。
これはいいスキルを手に入れた。
﹁見ろジン﹂
アルドラが手に乗せた粒を見せてくる。
﹁何だ?﹂
﹁ビックフットの糞だ!﹂
汚え!
﹁別に汚くないぞ。奴らは薬草しか食わんから、この糞の主な部分
は未消化の薬草なんじゃ﹂
そう言われるとそれほど臭くはない。
草の匂いだ。むしろいい匂いかも。
でも、う○こはう○こだろ?
﹁これは薬草丸といって、街では乾燥させて薬として売られておる
ぞ。コップに入れて湯を注いで飲むんじゃ﹂
なんでも整腸作用があるらしい。
う○こ茶にして飲むのかよ⋮⋮
俺なら絶対飲まん。
﹁これがあるということは近いな﹂
559
糞は湿り気があってまだ新しい。
近くにビックフットがいるのは間違いないようだ。
こっそりアルドラが糞を回収していたのは、見なかったことにす
る。
まさか家で使う気じゃないよな?
﹁いたぞ﹂
川沿いの草むらで、むしゃむしゃと草を食んでいる兎を発見した。
﹁ものすごいデブだな⋮⋮﹂
ビックフットっていうか、全部ビックなんだけど。
あれならビックラビットで、いいんじゃないかな。
いろんな部分の肉がたるんで、肉塊と化している。
長い耳があるお陰で、かろうじて兎と認識できそうだ。
ビックフット 魔獣Lv10
依頼書の推定レベルよりも低いようだが?いいんだよな?
﹁あれはあくまで推定であって確定ではないからのう。まぁ多少の
違いがあっても仕方の無いことじゃ﹂
ギルドの手配した斥候が調査を行っているが、誤差が生じること
560
も多々ある。故に推定なのだ。
俺は念のため背後に回り込み︻隠蔽︼を付与して接近した。
気づかれる様子はまったくない。
草地を歩けば歩く音くらいはするのだが、食うことに夢中で気が
つかないようだ。
ゆっくり慎重に歩いて、距離を詰める。
雷魔術︻麻痺︼の有効射程に入ったと同時に、魔術を発動させる。
ピシリッ
極細の紫電の帯が、蛇のようにうねり、獲物へと襲いかかる。
一瞬紫の雷光が兎の肌を滑るように走ったかと思うと、その光が
消える頃には地面に醜く転がり口から泡を吹いて痙攣する魔物の姿
があった。
﹁余裕だな﹂
無事依頼を達成することに成功した。
後は自分用のビックフット捕獲大作戦だ。
川沿いの草むらを探しに探した。
薬草が餌というので、まずその群生地を探す。
この川沿いには薬草が沢山生えているようで、それほど時間も掛
からずに見つかった。
活力草 素材 F級
561
日陰草 素材 F級
癒やし草 素材 F級
知らない種類の薬草もあって少々気になるが、今日の目的はビッ
クフットだ。
薬草採取はまたリザと来た時にしよう。
そんな事を考えつつ、捜索を進めると見つけた。
ビックフットだ。 ︻隠蔽︼+︻麻痺︼の最強コンボが炸裂する。
安心の効果である。
その後もビックフットを狩り続け、合計7匹狩ったところでスキ
ル付きの魔石を発見した。
魔石︵疾走︶
あの体で︻疾走︼かぁ。
とても軽快に走れる容姿では無いけども。
動けるデブってことか?
まぁ何でもいいけど。
レベルも1つ上がった。
帰る時間には少し早いが、帰りもまた3時間ほど掛るのだ。
成果は十分だし、今日のところはこれで切り上げるとしよう。
562
﹁この︻疾走︼がどんなものか試してみるか﹂
︻疾走︼は文字通り早く走れるスキルのようだ。
﹁アルドラついて来れるか?﹂
﹁ぬかせ﹂
アルドラは顔では笑っていたが、目は笑っていなかった。
>>>>>
俺はきた道を疾走スキルで駆け抜けた。
地形はだいたい頭に入っている。大地を蹴り、木々を縫うように
走り抜け、途中出くわしたゴブリンの群れをぶっちぎる。
岩を飛び越え、風を切って進んだ。まさに︻疾走︼これスゲー。
超いいスキル手に入れた。
しかし、しかしだ。
なぜ、ついて来れる?
﹁ありえねぇ⋮⋮疾走スキル持ってったっけ?﹂
﹁ない﹂
563
アルドラは短く答えると、余裕の笑みを見せる。
﹁くそっ、化け物め!﹂
﹁地力の違いじゃろ﹂
アルドラは意外と勝負に拘るたちらしい。
いや、意外でもないかけっこう子供みたいな所あるしな。
街へ近づくと、俺は疾走スキルを解除した。
スキルを誰彼へと見せびらかすつもりは無いからである。
切り札は隠しておくものだからな。
まぁ魔力が切れかかっているという理由もあるが。
どうやら疾走スキルは燃費がすこぶる悪いらしい。
時間経過で消費量がどんどん上がっていく感じだ。
それに疲労感も相当なものだ。これは慣れのせいもあるかもしれ
ない。
短時間の散発的使用なら、それほどでも無いのかもしれないが、
長時間使い続けるのは割にあわないかもしれない。
よほど緊急のとき以外は避けたほうがいいだろう。無駄に魔力を
大量消費してしまうようだ。
﹁ん?また反応が﹂
564
﹁何じゃ?﹂
ベイルへ帰る途中の街道沿い、大きな木の根元にへたり込む人影
が見えた。
盗賊Lv12
そして近くの草むらにも。
盗賊Lv16
盗賊Lv17
盗賊Lv17
﹁アルドラそっち頼める?﹂
﹁まったくお優しいことじゃのう﹂
アルドラはやれやれと溜息を吐きながら、草むらへ近づいていっ
た。
俺は木の根元へと歩み寄る。
﹁ううううぅぅぅ⋮⋮あっ、冒険者の方ですか?すいません、助け、
ぶべらっ!?﹂
盗賊が俺の近づく気配に気づいて立ち上がり長台詞を語り出すも、
最後まで聞くのが面倒くさかったので︻麻痺︼を撃ち込んでしまっ
た。
565
弱っているフリで騙すつもりだったのかどうかは知らんが、演技
が下手すぎる。
起き上がるのも早すぎるし、元気すぎるだろう。
アルドラのほうも片付いたようだ。
問答無用のグーパンで気絶させたらしい。さすがだ。
ギルドの講習では盗賊を殺害しても罪には問われないと言うのは
聞いている。
盗賊に人権はなく、国民でも無いため死のうが生きようが知らん
ということらしい。
また盗賊には更生する余地が無いとも言われている。
そのためなのか、捉えて罪を償ってもらうだとか、裁判にかける
といった考えには及ばないようで、大抵の場合その場で斬首になる
ことが多いようだ。
ベイルまで近いというのに、馬鹿な奴らだ。
普通街の近くで盗賊が潜むことはないとされている。
何か有ればすぐに追手がかかるからだ。リスクが高過ぎる。
となれば盗賊が街の近くを彷徨くのは、よほど何か理由があるか、
救いようのない馬鹿のどちらかであろう。 アルドラは4人の盗賊を担ぎ上げる。
気絶しているだけで死んでは居ない。
﹁悪いな﹂
566
﹁まぁ良い。それがお主の美徳でもあることじゃしのう﹂
そんな大したものじゃない。
ただ臆病なだけだ。 567
第49話 死人沼1
盗賊はベイルの衛兵に引き渡しておいた。
殺害しても罪には問われないが、武装解除させて拘束し衛兵に引
き渡せば盗賊1人につき銀貨1枚の報酬を貰えるのだ。
手間ではあるし大人しく捕まってくれるわけでもなく、リスクを
考えればかなり安い。金稼ぎのネタとしては難しいだろう。
﹁まぁ、すごいですね!これをジンさんが?﹂
﹁うむ、奴がいればこの家も食うには困らんのう﹂
ギルドで報告を済ませた俺達は、我が家へと帰ってきた。
アルドラが収納からビックフットを取り出すと、ミラが感嘆の声
を上げた。
﹁すごいのはアルドラでしょう﹂
この人と一緒にいると何かと驚かされる。
﹁だてに年食ってるわけじゃないからのう﹂
アルドラは、かっかっかと笑ってみせた。
兎は煮ても焼いても癖が無く美味であると称される。
今回は焼いてもらうことにした。
ビックフットのグリルである。
568
﹁ジン様お帰りなさい﹂
俺達の声が聞こえたのか、2階からリザが降りてくる。
軽快な足音で近づいてくると、そのまま俺の胸に飛び込んできた。
﹁お、おいまだ湯を浴びてないから汚れてるぞ﹂
既に鎧や外套は脱いでいるが、服はそのままだ。
返り血で酷いことになっている、ということはないのだが、走り
回っているので埃や泥でだいぶ汚れている。
ほんの少しの間の抱擁を済ませると、リザは満足したように離れ
た。
﹁ごめんなさい。それにしても今日もすごい成果ですね﹂
デーブルに並べられた今日の素材に、リザも感心した様子であっ
た。
ふと見るとアルドラのにやにやとした顔が見えた。
ミラさんは菩薩の様な優しげな笑みである。
2人の視線を感じたのか、リザの顔が見る間に赤くなる。
﹁仲が良くて何よりじゃ﹂
﹁ええ、ジンさんは本当に優しい御仁。リザが惹かれるのもわかり
ます﹂
大人二人がうんうんと唸っている。
569
リザの顔が更に赤くなった。
食卓には豪勢な料理が並ぶ。
中央に鎮座するのは、今日の獲物であるビックフットのグリルだ。
リザの見繕った香草が肉に刷り込まれていて、その香りと肉の焼
けた香りが相まってなんとも言えない食欲のそそる芳香を生み出し
ている。
薬の素材として利用される薬草と言われる植物の中には、肉や魚
の臭みを取ったり香りづけに利用されるような香草や食材として利
用される野草などもある。
これらは厳密に分類されている訳ではない。どうやらリザがアル
ドラの村で得た知識は、多岐にわたるもののようだ。
﹁わぁ、すごいご馳走!今日は誰かの誕生日なの?﹂
中央の席についた少女が叫ぶように言う。
﹁いいえ、しいて言えば猟の成功を祝う打ち上げって感じでしょう
か?﹂
ミラさんが皆にワインを注ぎながら答えた。
﹁⋮⋮なぜノーマさんがここに?﹂
俺の目の前、対面の席には何故か冒険者ギルドのマスターである
ゼストが座っている。
俺の記憶が間違っていなければ、老練の紳士といった風貌の細身
の男だったはずだが、いまは小柄な少女の姿となっていた。
570
例の受付嬢である。
﹁美味しそうな匂いに誘われて、来ちゃったのっ﹂
てへっとウインクして舌を出す。
⋮⋮ちょっとイラッとした。
肉を切り分け料理と酒が配られたところで、
﹁﹁﹁いただきます﹂﹂﹂
﹁﹁﹁乾杯!﹂﹂﹂
宴が始まった。
ノーマが当然のようにワインを煽り、肉に齧りつく。
何故その姿で?というツッコミはしないほうがいいのだろうか。
皆気にしてないようなので、気にしたら負けなのかもしれない。
﹁すごく美味しいですね。脂が乗っていて、味が濃いですし。でも
あっさりしてて幾らでも食べれそうです﹂
ミラさんも初めて食べるようで、その評価も好評のようだ。
﹁うむ、特に旨いのはやはり後脚だな。しっかりした筋肉に強い旨
味が備わっておる﹂
571
薬草の滋養が乗っていると称されるのも、後脚の部位で高値で取
引されるようだ。
貴族の食卓に並ぶような食材のようだし、平民の口にはそうそう
入るものではないのだろう。
アルドラは何度か食べたことがあるようだが、その顔を見れば満
足しているように伺える。
﹁おいしい⋮⋮﹂
いつも静かなシアンも、もくもくと小さな口を動かしている。
食が細いようだが、これは気に入ってくれたようで何よりだ。
最近ではシアンとだいぶ言葉を交わせるようになってきている。
主に魔物の話などでだ。
動物から変化して魔物となるものも多いため、動物好き=魔物好
きなのだろう。
俺が地球の動物の話をすると、それが興味を惹いたのかよく話す
ようになった。
たまに俺の部屋へ訪れて、寝る前に話し込むほどだ。
俺には兄弟がいなかったが、もし妹がいればこんな感じかなと妄
想してしまうほど可愛く思ってしまう。
﹁美味しい⋮⋮ビックフットは逃げ足が早くて、捉えるのがとても
大変だと聞きました。さすがジン様すごいですね﹂
リザが心酔した目を向けてくる。
そんなに褒められるようなことはしていないと思う⋮⋮うまくス
572
キルがハマっただけで、大したことはしていないのだ。
隣に座るリザが誰も聞き取れないような小さな声で﹁やっぱりジ
ン様ってすごい﹂と呟くのが聞こえた。
どうも過剰に評価が高まっている気がしてならない。
褒められるのは嫌いじゃないし、美女からの賞賛の声ともなれば
言うまでもない。
ただ気恥ずかしさも少々ある。
苦労して勝ち取った訳ではないのだ。
ノーマとアルドラは何度も乾杯して、昔話に花を咲かせているよ
うだ。
﹁しかしアルドラ、よい婿が見つかってよかったな?この年でこの
腕ならば、将来も安泰だろう﹂
ノーマは酔っているのか、口調が戻っている。
余計にややこしくなっている。
﹁ああ、そうじゃな。わしにはとうとう子は出来なかったが、リザ
のことは娘の様に感じておる。うまくすればこの世に留まっていら
れる内に、リザの子が拝めるかもしれんと思うと感慨深いのう﹂
エルフは子供が授かり難い種族だと言われている。
それ故に一族にとって子は宝であり氏族全体で、集落全員で護る
ものという意識が強いようだ。
573
﹁リザ、ジンは優しくしてくれているか?﹂
﹁はい。とてもお優しい方です﹂
リザは迷いなく答えた。
まるでその言葉を噛みしめるように、何かを思い出すかのように
目を瞑る。
おっさん二人がうんうんと唸っている。
毎日励んでいるようだから、どうのこうのとか。
孫の顔が見れる日も近いとか。
何か随分と盛り上がっているようだ。
﹁まだそういうんじゃないけどな⋮⋮﹂
俺がぼそっと呟くと、うっかり聞こえてしまったのかノーマが驚
愕の表情を見せる。
﹁まさか男色の気が⋮⋮?﹂
﹁違うわ!﹂
どうも俺がリザと同衾しているという情報が流出しているようだ。
別に隠しているわけでもないのだが。
﹁そうか、お主も苦労しておるんじゃな⋮⋮まだ若いのに。だが案
ずるな。エルフに伝わる秘薬には、どんな病にも効くという薬があ
る。リザには薬箋を伝えておる、頼むといいじゃろう﹂
574
どうも明後日の方向で勘違いされている様な気がする。
﹁あの、大丈夫ですから!ジン様は大丈夫ですから!﹂
リザが慌てて叫ぶ。
何が大丈夫なのかは聞かないほうがいいだろう⋮⋮
>>>>>
﹁頭痛え⋮⋮また飲み過ぎたな﹂ 記憶が曖昧ではあるが、だいぶ長い時間飲んでいたような気がす
る。
アルドラの若いころはヤンチャしていた辺りの話までは覚えてい
るのだが⋮⋮
あぁ、そういえば魔人目撃の話もしていたな。
特に注意喚起などはしておらず、ギルドでも斥候を使って探って
いる段階の様だ。
ふと脇を見ると、下着姿でスヤスヤと眠るリザが見えた。
まったく無防備な寝姿に、俺も妙な気を起こしてしまいそうにな
る。
リザのサラサラとした長い髪に触れる。
575
艶やかな髪は美しい翡翠色で、柔らかく不思議な色合いだ。
まるで宝石から作られたようにきらきらと輝いている。
小さい顔に小さい口。
微かに聞こえる寝息を立てて、まるで安心しきったかのような寝
顔だ。
男としては微妙な心境ではある。
言っとくけど俺も男なんだぜ?
そんな無防備な姿晒してると、襲っちゃうよ?
そんなことを考えていると︱︱
﹁ん⋮⋮ジン様⋮⋮大好き⋮⋮﹂
目をつぶって未だ眠りに着いているリザの口から、微かに声が漏
れる。
﹁⋮⋮﹂
寝言⋮⋮だろうか?
起きてる?
予期せぬ自体に戸惑いを覚える。
俺の精神を支配しそうになっていた暗黒面は、何処かに吹き飛ん
でいった。
576
﹁そんな話になってたのか﹂
俺はいつもの様に、1人寝床を抜け出し日課を熟した。
軽く走って汗を流し、水を浴びてから戻ってきた。
いつものように、朝食を作って帰りを待っていたリザと一緒に食
事を取る。
﹁はい。覚えてらっしゃいませんか?﹂
﹁あぁ、ちょっと飲み過ぎてしまったようだ﹂
話を聞くと、今夜は森の北側にある沼地で狩りを行うらしい。
リザが用意してくれている魔法薬の1つ、マナポーションの必要
素材の一部が足りなくなっているらしいのだ。
その素材は夜間でしか採取できない特殊なもので、採取スキルを
持たない者だと素材の品質が低下してしまうためリザも同行する手
筈となっているという。
夜間の狩りは昼のそれよりも危険度が高い。
視界は悪く、魔物の動きも活発だからだ。
﹁アルドラ様の話では、ジン様は夜の狩りには慣れているので問題
無いとおっしゃってました﹂
まぁ慣れているというほどでもないのだが。しかし、魔眼もある
し問題ないだろう。
それほど森の夜が危険だという感覚もない。
ちなみにリザもミラさんも、アルドラのことは様付で呼ぶように
577
しているようだ。
元々、大叔父様と呼んでいたようだけど、いつだったかアルドラ
が﹁わしは生まれ変わって、ただのアルドラとなったから、お前た
ちも叔父と呼ぶのは禁止じゃ!アルドラと呼び捨てにするように!﹂
と宣言したのだ。
しかしアルドラがなんと言おうと、彼女達からすれば叔父である。
敬称として年上の、特に男性には様をつけるのが礼儀なのだ。
俺にはあまり馴染みがないが、そういうものだと認識している。
﹁リザは平気なのか?﹂
俺はいいけどリザは大丈夫だろうか?エルフの血を引く彼女も夜
目があるため、夜間の視野については問題ないはずだが。
﹁はい大丈夫です。何度か採取には行った経験がありますし﹂
1人で行くのはさすがに危険であるため、今までは冒険者ギルド
に採取時の護衛の依頼を出していたそうだ。
ただ護衛には女性で腕の立つものを少数ということで、なかなか
条件の合う人が見つからず苦労していたらしい。
まぁアルドラも居ることだし、そう危険はないとは思う。
リザの能力も高いし、もし危険があったとしても逃げるくらいは
出来るだろう。
そういうことなので、昼間は体を休め夕方から出かける事になっ
たのだそうだ。
﹁すいません、私のわがままで﹂
578
リザが申し訳ないと頭を下げる。
﹁いやいや、俺の為に用意してくれているんだろう?頭を下げるの
はこっちだよ﹂
マナポーションの素材は市場ではほとんど見かけず、薬師ギルド
によって買い占められているのは間違いないそうだ。
そのために適正価格での入手を考えると、自力で取りに行くしか
なくなってくる。
しかしそれも普通に考えれば、簡単な話ではないのだが。
何にせよ直接魔力を回復できる有効手段となるマナポーションは、
効率のいいレベル上げを考えればぜひ潤沢に持っておきたいアイテ
ムの1つなのは間違いない。
ここはその素材を大量入手して、保存して置くのが望ましいだろ
う。
目指す目的地は、夜間数多の死霊が徘徊するという危険域、死人
沼である。 579
第50話 死人沼2
夕方になるまでの時間はゆったり過ごした。
まだ気温は暑くもなく寒くもないといった丁度いい季節。
体温調節の魔装具はあるものの、普段着であるなら余計なものは
身につけずに薄着でいたほうが気持ちがいい。
ミラさんとシアンとゆっくりお茶を頂いたり、昼寝をしたりと静
かな時間を過ごす。
昼ころにはリザの来客もあった。
子供から老人まで、その幅は広い。
何組か来ていたようで俺が対応したわけではないが、皆リザのこ
とを先生と呼び頼りにされている様子が見えた。
客の中にはタマとミケの姿もあった。
彼女達とは朝たまにあうと、挨拶を交わす程度の知り合いである。
リザの耳元に口を寄せて、何かを話しかけける様子も見うけられ
る。
なんだかわいわいと賑やかな感じだ。
リザはこういった仕事をしているせいか、けっこう人付き合いが
広いようだ。
俺は夜のためにも魔力を温存して、体を休めることに専念しよう。
580
>>>>>
ザッハカーク大森林の北側には大きな川が流れている。
一部は森を突き抜けて来ており、一部は北の山々から流れ込んで
いる。
それがベイルから向かって北側の領域で合流して大きな流れとな
り、ルタリア王国の大地を潤す重要な河川となっているのだ。
だが北の山から流れ込んでくる大量の春の雪解け水は、時に大洪
水を引き起こす。
その為もあってか、川の周辺には湿地帯や、川の本流から分離し
た水溜りが沼地となり無数に存在していた。
死人沼もそんな場所の1つだ。
ここは随分と昔には、人族の村があった場所らしい。
森に飲み込まれ、今や村があった形跡は何処にもない。
だが無念の内に死んでいった村人たちが、夜になると土の下の冥
界より舞い戻り生者を羨んで森を彷徨うのだという。
﹁死霊ってのは初めて戦うんだけど大丈夫なのか?﹂
まえに亡霊であった頃のアルドラには︻雷撃︼が効いたという記
憶ならある。 ﹁これを使って下さい﹂
581
リザが手渡してきたのは小さな壺だ。
聖油 薬品 D級
銀豆という収穫量の少ない希少な食材が在る。
これは昔から闇を退ける退魔の力が宿っていると言われている食
材だ。
北方に住む人族には古くから魔除けとして、布袋に入れて玄関先
や部屋の窓などに括りつけている習わしが在るのだという。
﹁これはそれを留出させて作った品です。武器に塗れば闇を払う力
が与えられると言われています﹂
俺とアルドラは受け取った聖油を剣に塗り、夜を待った。
沼のほとりの空いた空間に、焚き火を起こしてそれを3人囲む。
沼とは言っても水は非常に澄んでいて、魚の姿も見える。
死人沼というような名からは想像できない、綺麗な場所だ。
手付かずの自然に、湖といえるような広さの清涼な水辺。
キャンプ場であれば人気のスポットになりそうな雰囲気である。
﹁その素材ってどういうもの?﹂
マナポーションの素材、採取スキルがないと品質の低下を招くら
しいが。
﹁月光草と言われる薬草です。夜になると花を開いて美しい姿を見
582
せるのですが、夜間以外の時間帯で採取しても薬効成分が抜けてし
まい役に立たなくなるそうです﹂
主に水源の近くで発見される薬草で、こういった沼地や湿地帯で
見つかるのだという。
短い時間しか花を開かないそうなので、採取難度の高い素材に分
類されるのだとか。
﹁月光草は夜になってみないと、どの草が花を咲かせるかわかりま
せん。ですので夜になってから花を咲かせたものだけを採取する必
要があります﹂
リザに教えてもらうと、沼のほとりには数え切れないくらいの大
量の月光草が生い茂っている。
月光草 素材 D級
だがこれ全てが花を咲かせるわけではないらしい。どういう条件
なのかは不明だが、夜になって花を咲かせるものだけを採取しなけ
れば意味がないようだ。
話している間にも、だんだんと夜の帳が下りてくる。
気づけば森の奥には闇が広がっていた。
沼の水面には月明かりが照らしだされる。
そのお陰もあってか、この開けた空間であればそれほど闇は深く
はなかった。
これなら夜目の持たない人族だとしても、戦えそうな明るさであ
る。
583
﹁そろそろじゃな﹂
静かに時を待っていたアルドラが、剣を担いで立ち上がった。
沼の周辺から光が溢れる。
﹁おお、すげえ﹂
光は月光草から生み出されるものだった。
月の明かりを受けて先端の蕾からは淡い黄色の光が、粒子となっ
てこぼれていた。
そして蕾はゆっくりと開いていく。
幻想的な光景だった。
細長く捻じれ先端の尖った形状の蕾が、ゆっくりと解け、花弁が
開いていく。
中に封じられていた光の粒子が、開放された時を待っていたかの
ように放出された。
地球では蛍を人工的に繁殖させていた場所で、数百匹の蛍の飛翔
というのを見たことがあるが、これはそれを遥かに超える美しさだ
と思う。
放出された光の粒子が、闇の空間を舞い踊る。
思わずここが危険な夜の森だということさえ忘れて、見入ってし
まうほどに幻想的な光景であった。
﹁綺麗だな﹂
﹁ええ、とても﹂
584
俺はリザと並んで、その光景を眺めていた。
﹁おい二人共、のんびりするのは終いのようじゃ﹂
俺の魔力探知にも反応があった。
というか探知より先に感づくとは、アルドラの直感というのも凄
まじいな。
ジン・カシマ 冒険者Lv11
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/24
火魔術
雷魔術
︵耐久強化︶
︵灯火
︵雷撃
筋力強化︶
雷付与
特性:魔眼
土魔術
麻痺︶
︵魔力吸収
隠蔽︶
闇魔術
C級
体術
剣術 E級 鞭術
闘気
D級︵嗅覚
探知 F級︵粘糸︶
魔力︶
魔力操作
E級
解体 繁栄
警戒
疾走
今回も修行の一環として、前衛型のスキル構成で行く。
585
促進
収納
眷属
換装
帰還︶
もし何かあれば、途中で切り替える時間を作る。
アルドラ 幻魔Lv11
直感
スキルポイント 2/73
特性:夜目
時空魔術 S級︵還元
剣術 S級
体術 D級 闘気 E級
回避 D級
エリザベス・ハントフィールド 薬師Lv22
促進
1/22
ハーフエルフ 16歳 女性 夜目
スキルポイント
特性:
D級 直感
調合 C級
E級
風魔術
F級
採取
水魔法
アルドラはいいとして、リザもレベル上がってる。
薬師のような生産職は戦闘職と違って、生産活動でレベルが上が
るらしい。
ここ最近特に俺のためにと、魔法薬を作り続けてくれた為かもし
れない。
だが戦闘職と比べるとレベルの上がりは遅いようだ。
効率よくレベルを上げるためには、何かコツが在るのかもしれな
い。
586
ともかく今は目の前の敵に集中しよう。
沼の水面を背に、俺は剣を構えた。
グール 死霊Lv8
グール 死霊Lv8
グール 死霊Lv9
見た目は灰色の皮膚をした痩せ細った人である。
体毛は無く眼窩は深く沈み込み、頬は痩け、骨と皮だけになって
いるかのようだ。
その瞳は光を失い焦点も定まっていないかのように、虚ろな表情
である。
足取りもおぼつかなく、口をだらしなく開け、その姿からは生命
力を感じない。
彼らは動く死体。
森で命を亡くした者が、闇の力によって冥界より舞い戻った亡者
である。
生前のものなのかボロ布を身にまとい、その身が朽ち果てるまで
夜の森を彷徨い続けるのだという。
森の奥から姿を見せた魔物は、ゆっくりとした足取りでこちらへ
587
向かって近づいてきた。
正直それほどの脅威は感じない。
3体と数も少ないし、動きも鈍そうだ。
だが初見の相手、どんな動きをするか油断は禁物である。
俺は剣を強く握りしめた。
﹁リザ頼んだ﹂
﹁はいっ﹂
アルドラの号令からリザが動いた。
2人に︻脚力強化︼を付与し、続けて︻風球︼を放つ。
杖の先から高速で打ち出される、圧縮された空気の塊がグールを
襲う。
沼と森の間には開けた空間が在るのだが、グールは森の方からや
ってくる。
風球はグールが森を抜けたところで正確に着弾し、その体を吹き
飛ばす。
くの字に折れ曲がったグールの体は、直ぐ後ろの巨木の幹へと叩
きつけられた。
﹁すごいな﹂
威力も命中力もかなりの物だ。
588
これで戦闘職でないと言うのだから、大した物である。
﹁いえ、軽い相手だから弾き飛ばせますが、風球でどれだけダメー
ジを与えられているか⋮⋮﹂
木に叩きつけられたグールは、ゆっくりと立ち上がる。
そして、走りだした。
陸上選手のように手を大きく振り、大きく足を開いて。
﹁えええ?﹂
速い!
映画やゲームのような敏捷性を感じられない、鈍い動きの魔物と
勝手に想像していたのだが違ったようだ。
本気出したグールは、生前は健脚だったのだろうか。
かなりの走力を持って、俺達の目前へと迫った。
予想外の動きに動揺して、俺の動きが一瞬止まる。
﹁あっ﹂
気づいた時には、俺の目の前にグールがいた。
咄嗟に盾を構えようとするが、動きが遅い。
グールの攻撃が先にくる。
俺は体を強ばらせた。
589
ブォンッ
突然の風切音。
グールの体は上半身と下半身に別れて、地面に転がった。
地面でピクピクと足掻くグールの頭を踵で踏み抜く。
グシャリ
嫌な音が響いた。
﹁ジン油断するな。思考を止めるな。足を動かせ。危険を感じても
最後まで諦めるな﹂
アルドラの叱咤が響いた。
﹁来るぞ。夜は始まったばかりじゃ﹂
グールは3∼4体を1つの群れとして行動しているようだ。
まぁ群れなのか、たまたま一緒に行動しているのかはわからない
が。
1つの群れを倒すと、次の奴がくるまで時間が空く。
その空いた時間に薬草の採取を行った。
戦闘中に採取を行うのは危険すぎるからだ。
590
1度だけ、沼の中からグールが現れたこともあって、今は沼から
も距離を置いている。
俺達が陣取るのは、空いた空間の丁度中央に当たる部分だ。
焚き火の炎を大きくし、襲撃に備える。
通常死霊の類は、火を恐れ近づいてこないらしい。
あるエルフの氏族では、焚き火は神聖なものとして扱っていると
いう。
闇を照らす炎には、魔を退ける聖なる力があると信じているのだ。
しかし、どうもここらの死霊は火を恐れないようだ。
焚き火をいくら大きくしても、構うものかと突っ込んでくる。
﹁理由は定かではないが、何らかの力を得ているのかもしれん﹂
何らかってなんだろうか。火を克服するもの⋮⋮水とか?
まぁ目の前に沼はあるが。
﹁わしも積極的に死霊と戦ったことはないから、よくは知らん﹂
死霊という魔物は、その多くがタフで厄介な能力を持ち、しつこ
いのだという。
あまり積極的に狙うような魔物ではないようだ。
﹁冒険者としても旨味がないからのう。食える肉はないし、皮を剥
ぐこともできんじゃろう﹂
﹁確かに﹂
591
まさかグールの肉に使い道は無いだろう。
もしあったとしても、さすがに採取には躊躇してしまう。
ちなみにグールからは魔石がまだ取れていない。
その後も散発的なグールの襲撃は続いた。
アルドラは余裕の動きで排除していくし、リザも風球で援護して
くれる。
俺も盾で牽制しつつ、剣を振るって危なげなく処理していった。
︻闘気︼で肉体を強化し、聖油を塗ったショートソードがグールの
体を切り裂いていく。
奴らの動きは素早いが、攻撃のキレはそれほどではない。剣術を
収めた剣士の鋭さといったようなものはないのだ。
数も多くはないため囲まれることも無く、落ち着いて対処すれば
問題ない。
リザの援護は最低限に止めた。
採取のこともあるし、戦闘で疲労を貯めるのは良くないだろう。
﹁あった魔石だ﹂
ようやく魔石を持つ個体を発見した。
スキル付きだ。
俺は剣を使って魔石をほじくりだした。
592
魔石︵闇耐性︶
死霊と戦うには丁度良いかもしれない。
F級︵闇︶
俺は粘糸に割いていたポイントを闇耐性に設定した。
耐性
︻粘糸︼は何度か使ってみたが、グールの動きが早くて思うように
捉えられなかった。
何度か練習すれば行けるかもしれないが、素早く動く的に当てる
には先読みする力が必要だろう。
今後使うこともあるかも知れないので、折を見て練習しておいた
ほうがいいだろうか。
それにしてもステータスを見ると耐性にはいろんな種類がありそ
うだ。
闇があるなら当然光や火や風もあるだろう。
ちなみにギルドの講習で習ったことだが、魔術の属性には火、水、
風、土の4大元素という基本属性に加え雷、氷、木、光、闇という
上位属性があるという。
さらに失われた魔術と言われている時空という属性もあるらしい
が、使えるものが極端に少なくよくわかっていないらしい。
古代人が生み出した秘術とも言われ、魔法の鞄などで技術の一部
が垣間見れる程度だという。
まぁその使い手なら、直ぐ傍に居るわけだが。 593
第51話 死人沼3
﹁ふあぁぁぁ⋮⋮あっ、すいません⋮⋮﹂
リザが疲れが出てきたのか、大きなあくびをする。
グールの出没する間隔が伸びてきて、少し暇になり緊張感が低下
してきたのだ。
忙しすぎるのも困るが、暇になってくるのも辛い。
仮眠でも取れるなら良いのだが、さすがに難しいだろう。
いつ来るかわからない魔物を、ただじっと警戒するというのはキ
ツイものが在る。
﹁いや仕方ない、そろそろ疲れも出てくる頃だろう。リザは特に採
取もあるのだし﹂
その採取は、もう十分な量を確保している。
だが多ければそれに越したことはないので、出来るだけ確保して
いきたいと言う。
もちろん疲労の限界が来れば街へ帰還するだろうが、リザはまだ
頑張るそうだ。
それなら俺も弱音を吐いている場合ではない。
﹁だいぶグールを倒したからのう。この辺りの奴はだいぶ減ったの
かもしれん﹂
グールは冒険者ギルドでも討伐の対象になっている魔物だ。
魔素の濃い森の奥で人が死ぬと、一定の確率でグールとなって蘇
594
るのだそうだ。
日中は土に潜り身を潜め、夜になると生者を求めて徘徊する死霊、
それがグールだ。
人を襲いグールに殺されたものは高い確率でグールになると言わ
れているため、非常に危険視され忌み嫌われている。
﹁しかし討伐とは言っても、討伐部位はどうする?何も取っていな
いが﹂
グールは死んでしばらく経つと、グズグズの腐肉の塊になり、や
がて土に還る。
耳を切り落としても、おそらく無意味。
それに耳の欠損した個体もいるのだ。
﹁これじゃ﹂
アルドラは手のひらから、砂時計を出現させた。
︻収納︼に入れてあったものだろう。
﹁昨夜にゼストから預かったものじゃ。死霊を倒すことで砂が貯ま
る特殊な魔道具じゃよ﹂
破魔の砂時計 魔道具 D級
死霊系の魔物は出来れば一掃したい厄介な魔物である。
しかしその身から金になる素材を手に入れることは出来ず、冒険
者は積極的に獲物として狙うことはない。
そこで作られたのがこの魔道具らしい。
595
これを持って死霊を倒せば砂が貯まり、その量で報酬が算出され
る仕組みのようだ。
﹁なるほど、それは便利だな﹂
どうもまだ試験的に作ったばかりの品のようで、これが試作第一
号らしい。
昨日の宴の席での話から、マスターが持たせてくれたようだ。
その後もグールの出現は続いたが、やはり数は少なくなってきて
いる。
出ないなら出ないで休めるのだが、まったく出現しなくなるとい
うこともなく、どうも休ませる気はないようだ。
グール 死霊Lv9
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
また現れた。今回は1体だ。
グールのレベルの幅は7∼9あたりで収まっている。
集団で来られると危険だが、1対1ならそう問題はない。
注意すべきは動きが素早いのと、見かけによらず腕力があること、
頚椎や心臓部を破壊するまで動きが止まらないことあたりだろうか。
﹁えいっ﹂
リザの︻風球︼がグールの右肩に直撃。
596
その威力に押され体勢が崩れる。
︻闘気︼で強化され、疾風の革靴が俺の足を補助してくれる。
俺は素早く間合いを詰めた。
グールは体勢を立て直そうとするが、俺は走りこんだ勢いのまま
盾で体当りをして押し倒す。
地面に転がるグールを上から抑えこみ、その首を刎ね動きを止め
た。
﹁ふう。リザさすがの命中力だな﹂
﹁いえ、ジン様もお見事です﹂
﹁ははは、もう少しスマートに倒せればいいんだけどな⋮⋮﹂
取り回しやすさからショートソードを選んだのだが、攻撃力とい
う点では少々物足りない。
軽くて使いやすいのはいいのだが、切れ味が特別いいわけでもな
く、重さによる破壊力はいまひとつだ。
グールという人型クラスの魔物でも物足りないのに、これ以上の
大型の魔物となると攻撃力不足は免れないだろう。
﹁いや、前から比べればだいぶ体を動かせるようになってきた。ス
キルの補助が在るとはいえ、今のは中々いい詰めじゃったぞ﹂
﹁⋮⋮そうか?﹂
こう普通に褒められると悪い気はしない。
うん、たぶん俺は褒められて伸びるタイプだと思う。
597
焚き火を囲んで暫しの休息。
革製の水筒で喉を潤し、干し肉を齧る。
グールの襲撃も止まったようで、やっと体を休めることが出来そ
うだ。
リザは俺の肩にもたれ掛かり、うつらうつらと船を漕いでいる。
疲れも限界に来ているのだろう。
アルドラは剣を抱え込み、瞑想しているように焚き火の前に座っ
ている。
そういや最後に倒したグールは弱点やスキルが見えた。
前にもこんなことが、あったような。
⋮⋮うーん。
今まで見えなかったのに、急に見えるようになった。
グールもそうだが、最初に戦った時と最後に戦った時では何が違
うんだろうか。
⋮⋮もしかして、数だろうか?
一定の撃破数で、詳細な情報が見えるようになるとか。
だとすると初見では、弱点等の情報は見えないということか。
まぁ今までも見えてなかったわけだから、関係ないと言えば関係
無い。
まだ確信は無いが、合ってそうな気がする。 598
森の中を冷やりとした風が吹き抜ける。
沼の周辺の月光草は、大部分を採取したために幻想的な光の乱舞
は鳴りを潜めている。
僅かに離れた位置に舞い散る輝きが、その余韻を残すのみである。
沼の水面が静かに揺れる。
月明かりに照らされて、水面の視界は晴れている。
そんな中で動く何かを発見した。
まるでボロ布か何かが、水面の僅かに上空を強風に煽られるよう
に漂っている。
だが吹き飛ばされることもなく、不思議な一定の動きでその空間
に居座り続けていた。
そもそも強風など何処にもないので、どちらにせよ得体のしれな
い物なのは間違いない。
俺がアレは何かと聞く前に、アルドラは立ち上がって呟いた。
﹁マズイのう﹂
まだ距離があるために魔眼での確認が出来ない。
だが得体のしれないソレは、確実にこちらへ近づいていた。
そして探知が更なる来客の到来を告げる。
599
ザッザッザッ⋮⋮
何者かの足音が、静かな森の奥から近づいてくる。
この辺りは獣の数も少ないようで、その声もあまり聞こえない。
そのせいもあってか、その進軍の足音はよく響いていた。
森から姿を現したのは、十数体の骸骨だった。
木製の円盾に、錆びた長剣を手に革鎧を着込んだ骸骨の戦士だ。
スケルトン 死霊Lv10
ガシャガシャと不吉な音を立てて、こちらへ近づいてくる。
それに反応したのはアルドラだった。
﹁ジンお主はアレを何とかせい﹂
アルドラが沼の方を見て呟く。
﹁アルドラッ!﹂
彼は振り向いて迷いなく走りだした。
スケルトンへ一直線に向かって行ったアルドラは、一番手前の一
体に突進力を乗せた上段斬りを放つ。
ガギンッッ
両手持ちから放たれる攻撃力のある一撃を、難なく盾でいなすス
600
ケルトン。
斬撃は逸らされ剣が地面にめり込む。
﹁おぉッ!?﹂
その隙を突いてスケルトンの錆びた長剣がアルドラへと殺到する。
素早く地面に刺さった剣を引き抜くと、バックステップで後方へ
下がりつつ大きく振りかぶり高めの水平切りを放った。
その攻撃に反応した前線のスケルトンらは、一様に盾を構えてア
ルドラの攻撃を防いだ。
﹁ちゃんと反応するんじゃのう。その装備は飾りな訳ではないよう
じゃなぁ﹂
魔物動きに満足したのか、ニヤリと不敵な笑みを見せる。
そしてこちらへ一瞬目配せした後、スケルトンの群れへと突進し
ていった。
﹁注意を自分へ向けるためにか﹂
派手な動きで、魔物の攻撃対象を自分へと向けたのだろう。
アルドラの動きはそういったものだ。
﹁ジン様⋮⋮﹂
俺の傍らで覚醒したリザが目を見開く。
直ぐ傍まで、水面の上を舞っていた何かが接近していたのだ。
ゴースト 死霊Lv10
601
何かの力で釣り上げられたボロ布。
そういったものが3体、目の前の空中に存在している。
見ているだけで薄ら寒いものを感じる。
不気味な存在だ。
オオオオオォォォォォ⋮⋮
何処からとも無く聞こえる気味の悪い音。
腹の底が冷えるような薄気味悪さ。
風の音にも聞こえるが、コレを目の前にすると怨嗟の声だと言っ
ても納得できる。
ゴーストは俺とリザを囲むように、地上1メートルあたりを浮遊
し旋回している。
主だった攻撃をする気配はない。
聖油を塗った剣は闇を払う力が在るらしい。
こういったフワフワした実体の無さそうな奴にも効くのだろうか?
俺は鋭く踏み込み上段斬りを放つ。
スルッ
まるで空中に浮いた羽毛に斬りつけたかのように手応えはまった
く無く、斬撃から生まれた風圧に巻かれるようにすり抜ける。
ゴーストも剣のギリギリ届かない間合いを知っているかのように、
一定の距離を保って近づいてこないようだ。
602
ならば雷魔術で撃ち落とす。
剣術のポイントを雷魔術へ移行。
ゴーストは仕掛ける様子もないようだし、丁度いい。
今日は杖を持ってきていないが、この鉄製の剣では触媒には向か
ないため剣を鞘に収める。
右手に魔力を練り上げ、いつでも発射できる準備が整った。
そんな時。
﹁うぅぅ⋮⋮﹂
ふと見るとリザが地面に腰を落とし、目から大粒の涙を流してい
る。
﹁⋮⋮リザ?﹂
﹁嫌ぁ⋮⋮もう嫌ぁ⋮⋮なんで皆いなくなるのぉ⋮⋮﹂
リザはボロボロと涙をこぼし、焦点が定まっていない。
何もない場所を見つめ、自身の体を抱きしめ震えている。
﹁リザどうした?大丈夫か?﹂
リザの肩を掴み、揺すって呼びかけるも反応は鈍い。
どうも声が届いていないようだ。
フワリとゴーストが空中を泳ぐようにリザに近づいた。
603
そしてボロ布の様なその体の先端部分が、ぐにゃりと頭蓋骨のよ
うな形に変化した。
カカカカカッ
振動して動くそれを見ると、まるで笑っているかのように見えた。
︻雷撃︼
ズダァンッ!!
右手で練り上げられた魔力は紫の残光を引いて、リザに纏わり付
くゴーストへ吸い込まれる。
ボロ布は渦を巻く様に、錐揉み回転をして地面へ落下した。
地面に蠢くゴミ。
俺はそれに追撃を浴びせる。
何度も紫の閃光が放たれた。
最初はモゾモゾと蠢いていたゴミの動きも、次第に鈍くなる。
止めに剣を抜き、上から突き刺しゴミを地面に縫い付けた。
やがてゴーストは溶けるように消滅した。
精神攻撃。
604
おそらくゴーストは攻撃してこなかったのではない。
ずっと攻撃していたのだ。
ただ俺には闇耐性があったので効かなかったのだろう。
こういった悪霊のような魔物ならあり得る攻撃だ。
ゲームや小説でもよくあったはず。 ⋮⋮もう少し早く気付けば。
アルドラもこれを咄嗟に直感で感じ取ったのだろう。
俺は残り2体のゴーストに︻雷撃︼を放つ。
距離もあるせいか、剣を振るった時のようにフワリフワリと、捉
えどころのない動きで︻雷撃︼が避けられる。
当たらない。
どうすればいい?
リザを見ると今もボロボロと涙を流し、すっかり憔悴しているよ
うに見える。
早く倒さないと、マズイかもしれない。
しかしどうすれば⋮⋮空でも飛べないと、空中を舞うゴーストに
接近できないし、点での攻撃は避けられてしまう。
せめて範囲攻撃なら⋮⋮
範囲攻撃⋮⋮
俺は今まで威力を高め、無駄な魔力の消費を抑えるために︻雷撃︼
をできるだけ集束させるように考えていた。
605
威力を散らさないように、攻撃力を1点に集中させる算段であっ
たのだ。
それを逆に散らしてみる。
扇状に広がるように、威力よりも広範囲にダメージが届くように。
わずかでも当たれば、隙が出来るかもしれない。
一瞬でも動きを止められれば、追撃を当てられるかもしれない。
以前試しにと編み出した技は、無差別に周囲に打ち出すもので効
率がいいとは言えないものだった。
今回はある程度範囲をまとめて打ち出す。
やったことはないが、やるしか無い。
俺は盾を外し、より広範囲に届くように両手で魔力を練り上げる。
普段よりも長めに、範囲攻撃なら威力も落ちるだろうからそれを
カバーする意味でも、より多くの魔力を込める。
うまく調整具合がわからないが、練習している場合じゃないし、
為せば成る!だ!
目の前で手を合せ、魔力を貯める。
バチバチと手から紫電が放出される。
両手で包み込む空間に魔力が貯まって何かが形成されているのが
見える。
通常魔力は視認できない。
俺でもたまに僅かに見えるくらいなのだが、こんなに濃い魔力は
606
初めて見る。
自分で作っといて何だが、大丈夫なのだろうか⋮⋮
両手で包み込む空間に作られた、魔力の塊っぽいもの。
このまま天に掲げれば、元○玉とかになりそう。
ちょっと怖くなってきたので、このまま発射することにしよう。
狙うタイミングはできるだけ2体のゴーストが近づいた時に、縦
に並んだ時に撃つ!それだ。
と思ったら、そのタイミングは直ぐに来た。
俺は慌てて︻雷撃︼を放った。
両手のひらから扇状に広範囲に威力を分散させた、範囲攻撃。
とりあえず︻雷扇︼とでも名付けよう。
空気を引き裂く音。
そんなような激しく強烈な音が、周囲を圧倒した。
無数の雷光が両手から放たれる。
雷をいくつも束ねた閃光。
先にあるもの全てを飲み込む稲妻の波だ。
光と爆音で何が起きたのか、どうなったのか結果がわかるまで多
少の時間を要したくらいである。
607
地面に落ちたそれを探すのは大変だった。
既に力なく消えかかっていたが、念の為に剣を突き刺し、完全に
消滅させる。
魔石︵恐怖︶
どうやらゴーストからも魔石は得られるようである。
精神攻撃の正体がこれか。
﹁リザ大丈夫か?魔物は倒したぞ﹂
ゴーストを倒したので直に正気を取り戻すとは思うが、回復には
少し時間がかかりそうだ。
﹁ジン様⋮⋮?﹂
俺の呼びかけに気がついたのか、リザの目に光が戻る。
﹁怖かった⋮⋮﹂
﹁うん﹂
リザが胸に飛び込んでくる。
俺はそれを受け止め、力強く抱きしめた。
﹁すごく怖い夢を見ました﹂
﹁そっか﹂
608
俺が強く抱きしめると、リザもそれに返してギュッと手に力を込
める。
それ以上の言葉なく、俺はまだ震えるリザの体を落ち着くまで強
く抱きしめた。
それにしても慣れない術に魔力を消費し過ぎた。
実はもう大部分の魔力を失っている。
今にも倒れそうなのだ。
おそらく不安であろうリザの為にも、今は弱っている所を見せな
いほうが良さそうな気がする。
とりあえずこの場は気合で耐えよう。
リザが落ち着いてからポーションを飲めばいい。
それでも今日の戦闘は、そろそろ終了にしたいところだ。
アルドラの方も、そろそろ決着がつきそうだ。
リザが少し落ち着いたので、腰を下ろして鞄からポーションを取
り出し、一気に煽った。
﹁ふう、少し落ち着いた﹂
リザはいつの間にか目を瞑り、眠ってしまったようだ。
疲労も限界へ来ていたのだろう無理もない。
リザを横に寝かせ、立ち上がる。
609
周囲には探知の反応はない。
アルドラが片付ければ、少しは静になるだろう。
スケルトンも後は僅か2体。
俺は魔力も尽きかけれてるし、悪いが休ませてもらい処理は彼に
任せよう。
それにしても、この魔物たかが骸骨と侮れない。スケルトン、な
かなか強い。
正面からの攻撃は盾でいなされ、隙を見せれば長剣での鋭い攻撃
が襲ってくる。
まるで訓練された兵士のようだ。
もしかしたら兵士の成れの果て、と言うやつかも知れないな。
アルドラは攻撃を掻い潜り、背後へ回って一閃。
また1体倒れた。
やはり強い。
だがアルドラはちょっと楽しそうだ。
探知に反応は無い。
それは間違いないはずなのに、なんだこれは?
地面に黒いモヤののようなものがいる。
610
ズルズルとゆっくり這いよる様にリザに近づいてる。
シャドウ 死霊Lv12
探知を掻い潜るタイプの魔物か!
﹁リザ起きろ、魔物だ!近い!!﹂
俺の叫び声でリザが飛び起きる。
周囲を見回すも気づいていない。見えてないのか?
黒いモヤはリザを飲み込もうと近づいた。
俺はそれに割って入る。
﹁ああああああッッ!?﹂
魔物が体に纏わり付く。
ヤバイこれ、体を乗っ取るタイプのやつだ。
意識が⋮⋮マジでヤバイ⋮⋮
﹁ジン様!﹂
リザが異変に気がついたのか、俺の体を掴み悲痛な声を上げる。
﹁離れろリザ、危ない⋮⋮﹂
﹁ジン様しっかり!﹂
気が動転しているのか俺の声を聞いていない。
611
﹃コ⋮⋮ロセ⋮⋮コロ⋮⋮セ⋮⋮﹄
俺の内側から、ドロドロとした黒い憎悪が沸き上がってくる。
俺は両手をリザの首もとへ伸ばした。
﹁逃げろリザッ!!﹂
薄れる意識の中から、必至に声を上げた。
﹁嫌です!﹂
なんでだよ!?
﹁リザ風球をジンに向かって撃て!衝撃で魔物を引き剥がすんじゃ
!﹂
﹁嫌です!!﹂
﹁なんじゃと!?﹂
アルドラが困惑の声を上げた。おそらく彼女がアルドラの言うこ
とに抵抗したのは、これが初めてなのかもしれない。
俺の手がリザの細い首に触れる。
それなりに鍛えてはいるし、力の指輪で強化もされている。
こんな細い首など本気で絞めれば、大変なことになるのは目に見
えてる。
612
﹁ぐうううッ﹂
俺は全力で抵抗した。
魔物の言いなりにはならない強い意思を持って。
この女は俺のだ!誰が魔物にくれてやるものか!
俺は心のなかで叫んだ。
腕の動きが止まる。
体の中で魔物の支配と俺の抵抗がぶつかり合う。
﹁ジン様!﹂
俺の両腕が、俺の意志とは無関係にリザを襲った。
むにっ。
リザが首を掴まれるのを避けようと動いたために、両手は彼女の
胸に。
むにむに。
﹁おおっ⋮⋮﹂
その瞬間、魔物の呪縛が薄れる。
俺の体は、俺の支配下に戻った。
むにむにむに。
613
﹁ジン様正気に戻って!!﹂
パァンッッ
腰の入った強烈な平手打ちが、俺の頬を打ち抜いた。 614
第52話 まだ死ねない
危ないところであった。
探知に反応しない魔物がいるとは。
話によればこの世界の全ての生命には大小の差あれど、少なから
ず魔力を体に宿しているのだ。 俺の探知スキルは魔力と臭いを探るものである。例えば臭いもせ
ず魔力を隠せる能力がある者ならば見つけられない。
ガス状の魔物シャドウは、俺に取り付くも衝撃を受けて体から分
離した。
その直後に意識を取り戻した俺は︻雷撃︼を浴びせて撃破した。
隠密能力に長けた奴だが、耐久力はそれほどでもなく︻雷撃︼も
普通に効いたので助かった。
魔石︵同調︶
シャドウからスキルを得られたのは、不幸中の幸いというやつか。
リザは焚き火の傍で横になって眠り、俺も魔力の限界の為にリザ
の傍で座って休ませてもらった。
その間アルドラには周囲を警戒していて貰う。
615
彼は睡眠を必要とせず、疲れもないので問題ないようだ。
ただ立っているだけで魔力は消耗し、蓄えた魔力が枯渇すれば幻
魔石へ戻ってしまうのだが、魔石は十分あり魔力の補充は効くので
しばらくは問題ないとのことだ。
アルドラが倒したスケルトンからも、いくらか魔石は得られた。
魔石︵盾術︶
俺は盾も扱うから丁度いい。
これからの戦いにも役立ちそうだ。
スケルトンは倒すと、その骨は砕け塵となって消えた。
盾や錆びた長剣、ボロの鎧などが残ったようだが、売れるかどう
かはわからんが念のため回収はしてある。
損傷が激しいため売れても二束三文だろうが。
﹁お主も少し眠っておけ。何か有れば起こす﹂
アルドラは焚き火の前にドカリと腰を降ろすと、剣を抱えて目を
瞑った。
その言葉に甘えて少し休むことにする。
さすがに疲れた。
>>>>> 616
俺達は日の出とともに街に戻ってきた。
俺が眠っている間に何度かグールが来たようだが、1体ずつであ
ったので処理に問題は無かったとのこと。
起こすまでもないということで、俺とリザは朝まで休むことがで
きた。
しかし休めたと言っても僅かな時間だ。
落ち着いた安全な場所でゆっくり寝たい。
今日のところは家に戻り、戦利品の換金等は後日にしよう。
リザの水魔術︻洗浄︼で装備の汚れを落とし、汲み置いてあった
水で濡らした布で体を拭いて、寝床へ倒れこむ。
熱い風呂に入りたいところだが、贅沢は言えない。
︻洗浄︼で体も洗おうと思えば洗えるのだが、あまりお勧めはしな
いそうだ。
この魔術は一定の範囲を霧状の水が覆い汚れを落とすものである
ようだが、水は冷たく手の汚れ程度ならまだしも、体を洗うに適し
ているとは言いがたい。
まぁ中には気にしない猛者もいるようだが。 それにしても疲れたが収穫は多い夜だった。
ポーションの素材は予定通り手に入ったし、スキルは3つも得て、
レベルも上がった。
ジン・カシマ 冒険者Lv13
人族 17歳 男性
スキルポイント 2/26
617
火魔術
雷魔術
︵耐久強化︶
︵灯火
︵雷撃
筋力強化︶
雷扇
特性:魔眼
土魔術
雷付与
︵魔力吸収
麻痺︶
恐怖︶
闇魔術
隠蔽
魔力︶
F級︵粘糸︶
︵闇︶
E級
D級︵嗅覚
E級
C級
魔力操作
体術
盾術
剣術 鞭術
闘気 探知 解体 繁栄
警戒 疾走
同調
耐性 エリザベス・ハントフィールド 薬師Lv23
促進
2/23
ハーフエルフ 16歳 女性 スキルポイント
D級 直感
調合
E級
特性:夜目
採取
C級
風魔術
618
水魔法
F級
確認してみるとリザのレベルも1つ上がっていた。
難易度の高い採取を行ったからだろうか。
﹁ん⋮⋮ジン様⋮⋮﹂
当然のようにリザは一緒の寝床へ入る。
まぁいいのだが、ちょっと困る。
体が疲れているときは⋮⋮
リザは寝巻き用の薄手のワンピースのみを身に纏っている。
下に一枚履いているだけだろう。
抱きつくように体を密着させ、足を絡めてくる。
あの時は厚手のローブであったから感触は今ひとつであったが、
今は薄手の布一枚だ。
その奥には何も身につけていない。
体に触れる感触が⋮⋮
俺はそっとリザの背中に手を回し、抱きしめる。
﹁⋮⋮もっと強く抱きしめて下さい﹂
俺の胸に顔を埋めながらポツリと呟く。
619
腕に力を込め、リザを抱き寄せる。
﹁泣いてるのか?﹂
僅かに肩を震わせる。
ゴーストの攻撃の影響がまだ残っているのだろうか?
﹁いえ、大丈夫です﹂
そう言うリザの声は震えていて大丈夫とは思えない。
光に属するエルフは闇の魔術に対する抵抗が低いらしい。
光の力は闇を払う大きな力になるが、闇もまた光を飲み込まんと
する危険な力を持っているのだ。
闇魔術︻恐怖︼は対象に恐ろしい幻覚を見せたり、辛い記憶を呼
び覚ましたりするなどして恐怖を与え、身を竦ませる弱体系魔術で
ある。
魔術のランクや対象の精神レベルによっては、対象をショック死
させるほどの威力があるという、強力な魔術である。
リザはぽつりぽつりと語りだす。
あの攻撃を受けて蘇った記憶。
最初に思い出されたのは冒険者であった父の死。
ほとんど家に居なかったために、顔もはっきり思い出せず、一緒
に遊んだような思い出も無いが、大好きだったという記憶はあった。
620
そしてアルドラの死。
居場所のないハーフエルフの自分に、居場所を与え、生きる術を
教えてくれた恩人であり、父親代わりの存在。
そしてジンの死。
ハーフエルフは売れば大金になる。人族の男が私を見る目は人を
見る目では無く、奇異の視線を孕んでいたいたという。
エルフの男にしてもそうだ。わざわざ忌み子に言い寄るような男
は居ない。
リザは男性からまともな接し方をされた記憶がなかった。
1人の人間として、1人の女として、接して頼って優しくしてく
れたのはジンが初めてだったという。
﹁まて!俺まだ死んでないけど!?﹂
どうも俺の死のイメージを叩きこまれ、精神を揺さぶられたよう
だ。
もし居なくなったら、父と同じように死んでしまったらどうしよ
うと、不安が止まらなくなったみたいだ。
まぁあの化け物みたいに強いアルドラでも死ぬのだ。
医療の発達した地球でも事故や病気、昨日元気だった人が今日は
もういない、なんてことは幾らでもありえる。
人は死ぬ。
621
地球だろうが異世界だろうが、それは変わらない。
いずれは皆死ぬのだ。
あたりまえのことだ。
だけど俺はまだ生きてる。
﹁大丈夫だ、俺はまだ死なない﹂
リザは涙を拭いて、顔上げる。
﹁⋮⋮実は俺はけっこう強いっぽい﹂
え?という表情で俺の顔を見つめるリザ。
﹁魔眼は隠された魔物の術も見破るし、魔物を倒してスキルも増や
せる、能力も操作できる﹂
﹁はい﹂
改めて聞くとすごいと関心した様子で聞き入る。
その顔は感心した様子である。
﹁だから心配するな。俺を信用しろ。俺は死なない﹂
もし俺が死んだら、たぶんリザは泣くんだろうな。
アルドラはどうなるんだろうか。
俺が死ぬと、アルドラも消えるのだろうか。
622
父親を失って、父親代わりのアルドラを失って、やっと仲良くな
った俺も居なくなったら、リザはどうなるのだろうか。
寂しい思いをするだろうか⋮⋮
リザの泣き顔は見たくない。
どうせ見るなら嬉し涙を見てみたい。 ﹁それにこんないい女を残して死ぬなんて勿体無い。まだまだ死ぬ
には早過ぎる﹂
リザの顔が赤く染まる。
俺はリザを強く抱きしめた。 ﹁だからもう泣くな﹂
﹁はい﹂
リザは俺の胸の中で小さく頷いた。
623
第53話 獣使いギルド
朝方に家へ戻った俺達は、昼頃まで部屋で寝ていた。
起きるとリザは既に目が覚めていたようだが、そのまま毛布に包
まり俺に体を密着させ甘えるように腕を絡めてくる。
﹁おはようございます。ジン様﹂
胸元からちらちらと見える豊かな白い谷間。
リザの甘い匂いも相まって、俺の欲望が反応してしまうのは致し
方のないことだろう⋮⋮
﹁おはようリザ﹂
それでもカッコつけたばかりなので、もう少しカッコつけておく
か。
泣いている女の子を押し倒す訳にも行かないだろうし、昼このタ
イミングで盛ってる場合でもないかなとも思う。
タイミングは重要である。けっしてヘタレという訳ではない。
着替えて1階へ下りると、ミラさんが食事の用意を整えてくれて
いた。
﹁おはようございますジンさん。お腹が空いたでしょう?さぁ温か
いうちにどうぞ﹂
624
食卓の上には具沢山の温かいスープにパンと生野菜が並んでいる。
﹁ありがとうございます。いただきます﹂
胡椒か何か鋭い芳香を持つスパイスが食欲を誘う。
ゴロゴロと大きなベーコンや根菜が入ったスープは、ポトフみた
いな感じで美味そうだ。
遅れてやってきたリザが隣に座る。
﹁シアンが外にいるようなので、ちょっと呼んできますね﹂
ミラがエプロンを外して、出ていこうとするのを俺は呼び止める。
ミラはまだ台所で片付け途中のようだし、呼ぶくらい俺が行って
こよう。
俺は1人外にでると、周囲を見渡してシアンを探す。
シアンはあまり外出はしない。
1人で家を出ても、その周辺にいることがほとんどだ。
どの辺りにいるかは探知によってすぐに特定できた。
﹁何してる?﹂
家のすぐ隣りの路地裏で、しゃがみ込むシアンを見つける。
俺は驚かせないように気をつけて、背後からそっと声をかけた。
625
しかし彼女は答えない。
だが今しがたその視線の先にあったものを、素早く懐に隠したの
は見えた。
それが何なのか探知を持つ俺は、ある程度は把握できている。
﹁にゃー﹂
シアンのお腹が鳴った。
>>>>>
魔物であった。
ブラックキャット 魔獣Lv1
見た目は俺もよく知る姿の、いわゆる黒猫である。
大きさからして子猫か。
レベルを見ても間違いないだろう。
この世界のあらゆる生物は、生まれた直後は皆レベル1だと言う
しな。
艶やかな毛並みを持ち、淡青色と黄色の瞳を備えたオッドアイで
あった。
626
その黒猫は今食卓テーブルの下で皿からミルクを飲んでいる。
中々かわいい。
仕草をみても普通の猫にしか見えない。
これも魔物なのか。
﹁ごめんなさい﹂
なぜかシアンが謝った。
理由はわからないが、酷く落ち込んだ様子だ。
話を聞いてみると、実はこの猫少し前からシアンがこっそり餌付
けしている子猫らしい。
市内で魔物を飼うには許可が必要で、無断で飼育すると罪に問わ
れるようだ。
無断で飼育するだけでも問題になるのだが、それが誤って人を傷
つけたりなどすると大変な問題に発展しかねない。
﹁規模にもよりますが、当事者は死罪か莫大な罰金刑になるかと﹂
リザが厳しい顔で答えた。
﹁ごめんなさい﹂
シアンもマズイことはわかっていた上で、ついついといった所だ
627
ろう。
顔を伏せて、肩を震わせる。
涙を堪えたその声を聞けば、反省はしているのだろうと思う。
リザも怒っているのではない、ただ彼女の行動を心配しての厳し
い言葉なのだ。
﹁黙って飼うのが問題なら、許可を取ればいいのでは?﹂
俺の言葉に3人は難しい顔をした。
﹁飼育許可を取るにも無料ではないのです﹂
魔物の飼育許可を取るには、ベイルの外れに拠点を置く獣使いギ
ルドへ赴き許可証を得る必要があるという。
獣使いギルドに席を置く会員ならともかく、それ以外の者では許
可証の値段も法外となるようだ。
つまり魔物の取り扱いに慣れたものならいざ知らず、一般の者が
魔物の飼育を市内で行う事には敢えて敷居を高くしているのだろう。
知識や経験の浅い未熟な飼育者が、問題を起こすようでは街の者
も迷惑だろうしな。
﹁具体的に幾らかわかる?﹂
>>>>>
628
食事を終えた俺達は獣使いギルドへ向かった。
黒猫は移動用に革の鞄へ入れてある。
俺とリザ、シアン、子供バージョンのアルドラも一緒である。
リザ達はいつもの様に、姿を偽装する魔装具で身を隠している。
エルフやハーフエルフはよく絡まれるということで、自衛手段と
いうことだ。
アルドラには、もしも絡まれた際にと護衛用に顕現させた。
﹁⋮⋮あの、ありがとうございます﹂
シアンが申し訳無さそうに、小さな声は放つ。
街の雑踏であまりよく聞こえない。
﹁気にしないでいい。魔獣の飼育ってのに俺も興味があるし、それ
に可愛いしな﹂
俺はどちらかと言うと犬派だが、猫が嫌いなわけじゃない。
実際に魔獣の飼育なんて面白そうだし、金を払えば許可が貰える
なら払えばいいのだ。
まぁ魔獣とは言っても見た目は普通の猫ではあるが。
﹁にゃー﹂
鞄の中で黒猫が会話に参加してくる。
それにお礼なら、飼うことを許してくれたミラさんとリザだけで
629
いいだろう。
俺のは単なる興味本位だし。
許可証の値段は金貨1枚ほどだろうと言うことだった。
金貨1枚は平民にとっては大金だ。
4人家族が2ヶ月は暮らしていける金額だという。
それをペットの飼育許可の代金にと考えると確かに法外な値段か
もしれない。
この世界の人にペットを飼うという概念があるかどうかは知らな
いが。
﹁シアンは何か動物を飼ったことはあるのか?﹂
シアンはふるふると首を振る。
﹁飼い方は大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮本で勉強しました﹂
冒険者の父親が残した本を読むのが趣味らしい。
家に籠もることが多いようだし、それくらいしかすることが無い
のかもしれない。
﹁私の職業が獣使いだと知って、獣使いの技を記した本を残してく
れました﹂
生後間もなくは職業が設定されていないという状態の者も多い、
しばらく時間がたつとそれぞれにあった職業がいつの間にか身につ
くのだという話だ。
630
親から受け継ぐ事も多いようだが、育った環境に影響されると唱
える研究者も多い。
もちろんそれ以外の本人の資質というのもあるんだろうが。
﹁ついたぞ、ここが獣使いギルドじゃな﹂
言われなくても、一目瞭然というか。
ひどく獣臭い。
ギルドの屋舎は冒険者ギルドとそう大差ない石造りのものだが、
違いが在るとすればその周辺だろう。
牧場でも経営しているのかと言うほどに、広い敷地が柵に囲まれ
存在している。
遠くを見れば立派な体格の馬が、悠然と草を食む姿が見られた。
一瞬ここが城壁に囲まれた都市であることを忘れさせる光景であ
った。
ギルドに掲げられた看板を見ると、犬をモチーフにした様なデザ
インだ。
確か獣使いが最初に使役するようになったのは、犬だったと言う
伝説があるとかないとか言ってたな。
他の建物といえば巨大な倉庫が幾つもあった。
同じ作りで並んで立っておりギルドの看板と同じ紋章があるので、
おそらくギルド所有の物なのだろう。
獣使いギルドは冒険者ギルドほど騒然とした場所ではないようだ。
人影も疎らで閑散としている。
631
>>>>>
﹁魔物の飼育許可か。ではこちらに必要事項を書いてくれ。字が掛
けないなら代筆も有料で行っている﹂
屋舎の中に入り、受付と思われる初老の男に声を掛ける。
ギルド内も人影は少ない。
だが見かける人の多くは職業が獣使いの者のようであった。
こういった所も冒険者ギルドとは違うようだ。
シアンが書類を作成している間に、受付の男に獣使いについて話
を聞いてみた。
獣使いの仕事と言うのは︱︱
1、羊や牛、山羊、豚などの魔獣の繁殖、成育、出荷。
2、馬や犬など、魔獣の用途に合わせた調教調整。
3、珍しい魔獣の捕縛。
などが主になるらしい。
中には冒険者ギルドにも在籍していて、魔獣を使った護衛や討伐
を熟す猛者もいるようだ。
﹁複数のギルドに所属するのは違反じゃないのか?﹂
632
﹁そのギルドにもよるが、獣使いギルドと冒険者ギルドでは問題な
い。会員料を支払えばな﹂
獣使いギルドに登録できるのは、職業が獣使いであることが条件
のようだ。
冒険者ギルドとは違って徒弟制度があり、一定期間ギルドが斡旋
する師匠について技を学び、一人前と認められると晴れて正規のギ
ルド会員になれるのだという。
会員は魔獣の登録料が割引されたり、獣使いとしての仕事を斡旋
してもらえたり、捕縛した魔獣の売買をギルドの流通網を使って行
えるという利点があるという。
﹁捕縛は生け捕りだからな。冒険者の討伐とはワケが違うぞ﹂
確かに難易度を考えると、言うまでもないだろう。
まぁ獣使いには、獣使いの技があるのだろうが。
﹁あの⋮⋮名前決めてください﹂
シアンがおずおずと俺に申し出る。
﹁ん?シアンが自分で決めればいいのでは?﹂
そう言うとシアンは俺の目を見たり、伏せたりしながら、
﹁あの⋮⋮お金出してもらったし⋮⋮この子を飼えるのは⋮⋮のお
陰だから⋮⋮﹂
633
小さな声だが、たぶん登録料を出すのは俺だから俺に名前を付け
て欲しいということかな? ﹁そうか﹂
俺はしばし考え、皆が見守る中でシアンが獣使いとして初めて育
てる魔獣に名を与えた。
ネロ 魔獣Lv1
﹁いい名前ですね。さすがジン様﹂
リザが褒め称える。
﹁ありがとう﹂
シアンも気に入ってくれたのか嬉しそうだ。
﹁ほう、中々勇ましい名じゃな﹂
勇ましいかどうかはわからんが、アルドラにも好評のようだ。
﹁にゃー﹂
猫も問題ないらしい。
634
意味があるのかどうかと聞かれたので、俺の故郷の古い王の名だ
と言っておいた。
うろ覚えだが、たしか黒という意味もあったはず。
ちなみに猫はオスのようだ。
ネロには銀に輝く首輪が装着された。
隷属の首輪 魔装具 D級
行動制限
見た目は細い金属の輪である。
魔導具らしく、繋ぎ目などは見当たらない。
職員がネロの首元に首輪を触れさせると、まるでそれは手品のよ
うにすり抜け収まった。
大きさも自動で調節されるようである。
ネロの主人はシアンに設定されている。
首輪を鑑定すれば装着した魔物の名前と、所有者の名前が見える
ようになるという。
また魔装具として、主人を直接害するような行動が制限されると
いう付与術が施されているようだ。
そして隷属の首輪には対になる主人の指輪が存在する。
主人の指輪 魔装具 D級
追跡
635
この指輪を装着した所有者は、設定された首輪の位置をある程度
特定できるようになるのだという。
﹁人の財産、所有物ですからね。これを勝手に盗めば罪になります
し、理由もなく傷つけたり害を与えた場合でも同じです﹂
これでネロが家から勝手に出て行ったとしても、街に侵入した魔
物として駆除される可能性はかなり少なくなったと言える。
ネロを盗んだり、傷つけようとする輩からも最低限の抑止力には
なるようだ。
それらの行動をとれば罪となる可能性が高いし、意味もなくそん
なリスクを犯すものは少ないだろう。
街でも野良の魔物は時折いるらしい。
密かに地下の水路に住み着いていたり、裏路地に潜んでいたりと
それほど珍しくないそうだ。
﹁ほとんどがレベル1の脅威とは言えない存在ですが。それでも発
見されれば駆除の対象になります﹂
ネロもあのままでは、何れ駆除されていたのかもしれない。
魔物が街にいる理由は、荷車に紛れ込んで入ってきたり、金持ち
の物好きが未登録の魔獣を密かに飼育して誤って逃したりと様々な
ケースがあるようだ。
﹁このベイルは森にも近く、人の街にしては魔素の濃いほうじゃか
らな。魔物が住むにも案外居心地がいいのやもしれん﹂
636
637
第54話 ベイルの英雄
俺達は飼育に関する書類を提出し、許可証を受け取ってギルドを
後にした。
首輪と指輪、2つの魔装具を含めて金貨1枚なら安いのかもしれ
ない。
魔装具、魔道具は大変高価らしいからな。
シアン・ハントフィールド 獣使いLv3
ハーフエルフ 14歳 女性
スキルポイント 2/3
特性 夜目 直感 促進
同調 F級
調教
使役
魔物の飼育、と言うより隷属の首輪を装着するには条件があるら
しい。
それは両者の同意が必要ということだ。
隷属の首輪は人の奴隷にも使われる魔装具なのだが、人でも魔物
でも両者の同意が無ければ魔装具は弾かれて装着できないらしい。
そのためネロはシアンを主人として受け入れたということなのだ
ろう。
この同調と言うスキルは相手と心を繋げるスキルだとも言われて
いるため、そのスキルの力かも知れないし単純に餌付けで懐いたの
かもしれない。
638
どういうことかはネロに聞いてみないとわからないが、それでも
ネロがシアンを受け入れたということは間違い無さそうだ。
﹁シアンは調教と使役のスキルを使えるようにする必要があるな﹂
調教はいわゆる躾である。
このスキルを持つものが調教を行えば、効率よく物事を教えこま
せる事が可能になるらしい。
もちろん対象の知能にも左右されることではあるが。
使役は自らが支配する対象物に命令を与えるスキルだ。
使役スキルが無くとも、調教の仕方次第で人の言うことを聞くよ
うに躾けることは可能であるが、使役スキルを有することでより複
雑な指示を与えることが出来る様になるという。 ﹁調教ですか⋮⋮﹂
スキルポイントはあるしスキルも有しているため、ポイントさえ
振り込め何時でもば使用できるようになるはずなのだが。
シアンは曇った顔を見せる。
調教という言葉に、あまり良いイメージを持っていないのかもし
れない。
﹁人の街で暮らすなら、人の街のルールを教えなければならない。
ネロの為にもシアンの為にもな﹂
ネロが街の人を傷つけるようなことがあれば、所有者であるシア
639
ンが罪に問われる。
もちろんネロ自体も処分されることになるだろう。
それでは互いに不幸になるだけだ。
人の街で暮らす以上、最低限の躾は必要なのだ。
﹁⋮⋮わかりました。がんばります﹂
シアンは決意したように力強く頷いた。 >>>>>
俺達はベイルにある商店街の1つに足を伸ばした。
ネロの食事用の皿など、必要なものを揃えるためだ。
飼育に関しては、獣使いの彼女に口出しするつもりはない。
口出しはしないが、金は出そうと言うわけだ。
必要なものとは言っても、全て揃えても大した額ではない。
ここまで来たら最後まで面倒見るつもりだ。
﹁何か広場が賑わっているな?﹂
ベイルの街の各地には広場がある。
そこでは青空市場が開かれていたり、奴隷市場が開かれたり、夏
になればビアガーデンのようなものが開かれていたりと様々な事に
利用される。
640
ベイルでは酒といえばワインが一般的でビールはあまり飲まれな
い。だがベイルの夏はかなり暑く、飲みなれないビールでも夏の暑
さが手伝って消費が増加するようだ。
北の商人などはビールの需要を延ばすべく、夏になるとビアガー
デンのような催しを開催しているらしい。
ぜひとも参加して見たいものだ。
そんな広場で人だかりが出来ている。
広場では日常的に何かしらのイベントが行われているので、人だ
かりがあっても珍しくは無いのだがどうも様子が違うようだ。
﹁はははッ。どうした冒険者!?案外大した事無いんだなぁー!﹂
喧騒の中心から若い男の声が響く。
﹁ガキがッ調子に乗りやがってッ!﹂
野次馬の中、一際体の大きな男が叫んだ。
あそこが中心か。
﹁ちょっと見てくる﹂
俺はリザたちをアルドラに任せ、野次馬を掻き分け様子を伺うべ
く中心へ近づいた。
﹁おい、どっちに賭ける?﹂
641
﹁もちろんジグだろ。あいつC級冒険者の中でも昇級間近の期待の
精鋭だって話だぜ﹂
野次馬の中では、賭ける賭けないと言ったような言葉が飛び交っ
ている。
どうも喧嘩を賭けの対象にしているようだ。
中心を囲む男たちの怒号は熱を帯び、一種の闘技場のような熱気
を生み出していた。
﹁犬ころ風情がっ、お前らは精々人間様に尻尾振ってりゃいいんだ
よっ﹂
ジグと呼ばれた男は吐き捨てるように罵声を浴びせつつ、その太
い腕から相手の男目掛けて拳を放った。
当たれば大した威力となりそうな速度と迫力だが、大振りの攻撃
はまったく当たる気配を見せず空を切るのみであった。
﹁⋮⋮それは戦士への侮辱と受け取っていいんだな?﹂
大男の相手は小柄な少年のようだ。
黒髪に燃えるような紅い瞳。
やや切れ長の目に不敵な笑みを浮かべるその少年は、生意気そう
な面構えであった。
ボサボサとした髪から三角の耳と、腰から長くふさふさとした豊
かな毛量の尻尾が揺れている。
642
﹁殺すッ!﹂
大男から繰り出される幾つもの拳は、少年を捉えることは出来な
かった。
まるでヘビー級のボクサーの様な拳を、紙一重とも言うべき軽や
かな動きで躱していく。
単純なスキルの働きによる動きではない。
明らかに何かの武術か、特別な訓練を積んでいる動作だ。
﹁遅っ﹂
大男が放った拳を軽くいなすと、少年はカウンター気味の掌打を
喉に叩き込んだ。
﹁ガハッッ﹂
男は声にならない声を上げ、喉を抑えて呻き苦しむ。
グラリとその大きな体が揺れた。
それにしてもあれ獣狼族だっけか。
どっかで見たことある気がするな⋮⋮
ふと俺が思案を巡らせていると、動きがあった。
大男が合図を送ると、少年の背後に居た観客が突然掴みかかる。
両腕両足を捕まれ自由を奪われた少年に、大男の豪腕が少年の腹
部を捉えた。
643
ドゴッ
鈍い音が響いた。
﹁うグッ﹂
体重の乗った一撃。
大きく踏み込み腰を落とし、正面から突き刺すように放たれた打
撃は、少年のみぞおち辺りを正確に捉えた。
直撃だ。
ロムルス 狩人Lv32
そうだ、あの時の獣狼族だ。
どこかで見たような顔立ちだと思った。
攻撃を受けたロムルスは、拘束を解かれ地面に崩れ落ちる。
俺は思わず身を乗り出す。
﹁ロムルスッ大丈夫かっ?﹂
俺は思わず声を掛ける。
関わった時間は短いが、それでも俺がこの世界で知る数少ない友
人だ。
一緒に酒を酌み交わし、一晩語れば友人と呼んでもいいだろう。
644
俺の行く手は熱狂した野次馬たちに遮られる。
ジグ 戦士Lv36
剣術
E級
D級
24/36
人族 32歳 男性
盾術
E級
スキルポイント
騎乗
大男は勝ち誇ったかのように、腕を高らかに上げて勝どきを上げ
る。
﹁うおおおおおーーーッ!﹂
男の雄叫びが広場に轟く。
周囲は更なる熱狂に包まれた。
そんな熱狂の渦の中、俺は地面に倒れ込むロムルスに黄金のオー
ラが纏わり付くのを見た。
あれは闘気のスキルだ。
ロムルスが幽鬼の様にゆらりと立ち上がると、体の埃を払い落と
す。 ﹁クズが。1対1の喧嘩だと思って付き合ってやりゃあ、下らねえ。
あー、人族は本当に下らねえ種族だな﹂
645
ロムルスは吐き捨てるように言い放つと、体に纏うオーラの勢い
がより一掃強くなった。
﹁あぁん?てめぇ、まだ動けるのか。獣はしぶといってのは本当だ
な。脳みそはスカスカだが、体の丈夫さだけが取り柄だもんな﹂
男はにやにやと人を馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
周囲にいるおそらく男の配下も、ゲタゲタと下品な笑い声を上げ
た。
大男の背後に控えていた、背の低い男が剣の柄を差し出した。
それをゆっくり引き抜くと、刀身80センチはあろうかという鈍
く輝く鋼の剣が目の前に現れた。
﹁泣いて謝るなら今のうちだぜ。今なら半殺しで許してやる﹂
ジグは何の感情も篭っていない、冷徹な声で言い放なった。
﹁剣を持って強くなった気になるのは、ガキの頃までにしとけ﹂
ロムルスもまた感情のない表情で答える。
体を斜に構え、自然体のようだがおそらく何かの武術の型に違い
ない。
場に緊張が走る。
先ほどの熱狂は何処へやら、この喧嘩の決着を皆が見守っている
646
ような状況だ。
しかしこの緊迫した空気をぶち壊したのは、彼らではなかった。
﹁お前たちッ!この天下の往来で何の騒ぎを起こしているのかッ!
?﹂
よく通る声が広場に轟いた。
647
第55話 再会1
広場に颯爽と現れた人物は、燃えるような赤い髪に緋色の瞳を持
つ獣人族の女性だった。
﹁随分と賑やかじゃないか!ええ?私はしばらく街を離れていたか
ら聞いちゃいないが、今日は何か祭りでもやっているのかな?﹂
獣人女はそう言って、ふんと鼻を鳴らす。
女にしては背が高い。
とく通る声に加え、背筋も伸びて堂々とした立ち振舞から、その
存在がより大きく見える。
彼女が広場に現れると、自然と人垣が分かれ道ができる。
そしてそのまま、ツカツカと静まり返る広場の中心へ進んだ。
﹁楽しそうだな、私も混ぜてくれよ﹂
2メートル近くはあるんじゃないかという大男のジグが、借りて
きた猫の様にその身を萎縮させている。
女がずいと顔を近づけると、その大きな体が更に縮んだように見
えた。
﹁へへへ。そんなリュカさんが絡むような話じゃないですよ。ただ
ちょっと生意気な獣人のガキに街のルールってやつを教えてやろう
かと思いましてね﹂
648
てへへと、おどけたような表情を見せ女の様子を伺うジグ。
まるで虎を目の前にした兎。
いや不良を目の前にした少年といった様子だ。
﹁なんだよ母ちゃん、子供の喧嘩に口出しするのかよ﹂
ロムルスが面白く無さそうな顔で呟いた。
﹁え?﹂
ジグが驚きの表情を見せる。
周囲がざわつく。
﹁え?リュカさんの息子?﹂
﹁リュカさんって子供いたの?﹂
﹁まさかあの血に飢えた狼に男がいたなんて⋮⋮﹂
﹁俺密かに狙ってたのに⋮⋮﹂
﹁お前じゃ無理だろ。食い千切られるのがオチだ﹂
﹁まぁリュカさんもけっこういい歳だろ?子供がいてもおかしくな
いだろ﹂
周囲の野次馬は一様に驚きと戸惑いの色に染まる。
だがリュカの解散を告げる号令を聞いて我に返ったのか、堰を切
649
ったように人の群れは散り散りとなり喧騒は収束した。
﹁あの⋮⋮すいません。俺⋮⋮﹂
ジグがバツの悪そうにリュカに頭を下げる。
﹁別に息子に手を出したからって構いやしないよ。そんなにヤワに
鍛えてないしね。だけど街なかでの私闘を禁止されているのは知っ
てるんだろ?今度からやるなら街の外でやるんだね﹂
冒険者ギルドの上位ランカーは治安維持も仕事の1つに数えられ
る。
ジグは冒険者で本来トラブルを鎮静させなければならない方の立
場なのだ。
>>>>>
﹁よう。久しぶり﹂
俺は気軽な感じでロムルスに声を掛けた。
﹁あれ?ジンさん?あー、そういえば冒険者になるためにベイルに
行くって言ってたっけ﹂
俺はロムルスに近づき握手を交わす。
650
﹁まあな。それより大丈夫か?﹂
俺の視線は攻撃を受けた腹部へ注がれる。
﹁あんな体術スキルも持ってないような奴の打撃なんて、大して効
かないよ﹂
ロムルスは鑑定などのスキルではなく、動きなどである程度相手
が所有するスキルに目星をつけているようだ。
つまりジグの攻撃が雑であったために、体術スキルは所持してい
ないと判断しているわけだ。
それに衝撃の瞬間に体の軸をずらして急所を避けているらしい。
みぞおちに入ったように見えたが、そうじゃなかったようだ。
闘気スキルも所持していることだし、まぁ心配する必要もないか。
﹁ロム、友達か?紹介してくれるんだろ?﹂
ロムルスの身長は俺と同じくらいか、少し低いくらいだ。
そんな俺達と比べるとリュカは少し高い程度だが、その存在感と
いうか迫力のせいか、ずっと大きく感じる。
ロムルスはガロでの俺との出会いを説明した。
﹁そうか、息子が世話になったみたいだね。ありがとう。私はリュ
カ。一応ベイルで冒険者をしている﹂
リュカは先ほどの怒気を孕んだ威圧的なオーラとは打って変わっ
651
て、気さくな雰囲気だ。
﹁ジン・カシマです。まだ入ったばかりですが、冒険者をしてます﹂
リュカはそうか後輩か、がんばりなさいと固く握手をして応援し
てくれた。
﹁少々血の気の多い息子だが、仲良くしてくれると嬉しい。これか
らもよろしく頼むよ﹂
そういうリュカの顔は、普通の母親の顔のように見えた。
﹁はい。こちらこそ﹂
話を聞くと彼女はS級冒険者らしい。
そしてベイルにS級は彼女しかいないようだ。
双剣士Lv62
つまりは彼女がベイルの冒険者の頂点ということだ。
リュカ
回避 闘気 剣術 体術 F級
E級
C級
S級
C級
0/62
食い溜め
女性
45歳
夜目
獣狼族
特性
疾走 C級
スキルポイント
二刀流
652
思わず俺は魔眼を発動させる。
S級冒険者で、この街の戦力の頂点だと聞いたら見たくなるのは
道理だろう。
しかし魔眼を発動させた瞬間。
気づくと俺は顔面を掴まれていた。
アイアンクローである。
﹁鑑定スキルか?覗き趣味はあまり関心しないな﹂
ギリギリギリ
締め付けられる脳天。
反応できない速度で掴まれていた。
やべえ。
﹁イタタタ。すいませんッ、ちょっと気になったものでつい﹂
ちょっとお母さん?
マジで締めてませんか?
マジで痛いんですけど?
﹁母ちゃん?ヤリ過ぎじゃね?﹂
ロムルスが驚きの声を上げる。
俺の叫びを聞いたのか、リザが駆け寄ってきた。
653
﹁ジン様!?﹂
>>>>>
熟練のエルフの直感は鑑定スキルの視線にも反応できるらしいが、
獣人族にもそんな感覚があるのだろうか?
今まで街で見た獣人族には、気づかれたことは無かったはずだが。
﹁リュカさん?え?ジン様?どういう状況ですかこれ!?﹂
俺の元へ駆けつけたリザが慌てて訴える。
﹁ん?リザちゃんどうしてここに?ってこの子、知り合いなの?﹂
リザに気づいたリュカは俺への攻撃を解除した。
危うく頭蓋が砕けるかと思ったわ。いやマジで。
﹁や!﹂
ロムルスが気さくな感じで手を上げて挨拶する。
リザは見知った顔を確認すると、頭を下げて挨拶した。
﹁んん?アンタいつの間にリザちゃんと知り合いに?﹂
654
﹁あぁ、ガロで兄さんと一緒にいた、姉ちゃんだろ?﹂
ロムルスは何気なく答える。
﹁ガロで⋮⋮?﹂
一瞬表情が止まったリュカは、スッとリザへ向き直り。
﹁⋮⋮リザちゃん。どういうことか説明してくれる?﹂
感情の篭もらない笑顔で、そう言い放った。
>>>>>
﹁すいませーん、牛肉串30本と鳥肉串30本、豚肉串30本、あ
と川海老の素揚げと、川魚の素揚げ、丸芋の素揚げお願いします﹂
ロムルスが勢い良く手を上げて、料理を注文していく。
﹁はーい、ただいまー﹂
給仕の女性が忙しく店内を動き回る。
まだ時間的には早いが、既に店の大半の席は埋まっているようだ。
655
﹁近くにこんな店があるなんて知らなかったな﹂
リザの家から徒歩15分ほどにあるこの店は、昼頃には店が開き
酒を飲ませてくれる酒場のようだ。
おそらく前は倉庫か何かだったのだろう、街なかでよく見かける
酒場の規模と比べると、ずいぶん大きな店である。
ベイルは冒険者の街と呼ばれるほどには、多くの冒険者が暮らし
ている。
そして彼らは昼夜と活動時間を問わないために、明るい内から営
業する酒場や、深夜まで営業する商店など他の都市では見られない
光景が日常的にあったりするのだ。
﹁給仕の女の子も獣人族、人族、ドワーフといろいろだね﹂
特別仲違いしているわけではないが、獣人が経営する店では獣人
の給仕が。
人族の経営する店では人族の給仕が接客をすることが多いような
気がする。
この店ではその傾向は当てはまらないようだが。
﹁あ、あの娘可愛い﹂
ロムルスが指さした女の子は獣狼族のようだ。
形の良い立派なものを持ってらっしゃる。
﹁やっぱり同族の娘が好みなのか?﹂
んむう、ロムルスは唸って考える。
656
﹁獣人族のが好みだけど、そこまで拘ってないよ﹂
しかし胸が大きいのは好みのようだ。
﹁獣狼族は胸の小さい女が多いからね。ああいう大きい子はすごく
少ない﹂
ロムルスの話によると、狩猟部族の獣狼族は男も女も戦士として
狩りを行うそうで、そのために何日もぶっ通しで走ることもよくあ
るそうだ。
胸の大きな女性は走って移動する際に負担になるために、実際は
どうあれ戦士として2流3流として見られてしまうらしい。
獣狼族の女性でモテるのは狩りの上手な女性であるために、そう
いった女性は村ではモテないそうだ。
﹁なるほど、貧乳がモテる↓貧乳の子孫が増える。ってことか﹂
﹁最近はそこまででも無いけどね﹂
狩りだけで生活していたのは今や昔の話で、人の街で暮らす獣人
族も年々増えているという。
商売をして生活をする獣人族も珍しくはないし、彼らの生活も多
様性を帯びてきたのだ。
﹁狩り以外の生活の基盤が出来たってことだな﹂
大きなおっぱいをゆさゆさと揺らしながら、給仕に忙しく動く獣
狼族の女子を温かい目で見守る俺たち。
657
きっと狩猟生活がすべてという時代であれば、彼女は村で弱い立
場で苦しい生活を余儀なくされたに違いない。
だが人族の街、ベイルの酒場で忙しく働く彼女を見て、弱いとか
苦しいとかいう負の感情は感じられない。
おそらく仕事は大変そうだが、充実した毎日を送っているに違い
ない。
彼女は自分の居場所を見つけたのだ。
俺はロムルスと深く頷きあうと、互いの硝子のジョッキを打ち鳴
らす。
おっぱいに乾杯。
よく冷えたビールを喉へと流し込んだ。 658
第56話 再会2
﹁リザちゃん!あれぼど1人で行くなって言ったよね!?約束した
よね!?﹂
﹁ご、ごめんなさい﹂
俺達はなんやかんやあってリュカさん行きつけの酒場、兎の尻尾
亭に場所を移した。
一番奥にあるVIPルームっぽい一角、革張りの長椅子を設置さ
れた席へ案内される。
ここはリュカさんがいつも利用する場所らしい。
﹁リュカさん落ち着いて﹂
リュカさんの隣に座るミラさんが興奮した彼女をなだめる。
ここで皆で食事を。という話になったので俺が呼びに行ったのだ。
﹁私に何の相談もなく!﹂
信じられない!と嘆くリュカ。
彼女は既に酔っている。
ミラさんを連れて来る前に、既に強めの酒を3杯ほど煽ったよう
だ。
﹁これ、大丈夫か?﹂
俺はロムルスにそっと耳打ちする。
659
彼は軽く首を振った。
﹁止めるのは無理だ﹂
そう達観した顔で答えた。
﹁それに、どういうこと!?﹂
ビシィと指さした先にいるのは豚串を両手に頬張るアルドラだ。
ずいぶん大人しいと思ったら、食事に夢中だった。
﹁んが?﹂
俺が漂流者ということは伏せて、既にことの経緯はこの場で説明
した。
リュカはアルドラの変わり果てた姿に困惑の声を上げる。
子供バージョンのアルドラが口いっぱいに肉を頬張りながら、も
がもがと答える。
飲み込んでから話せよ⋮⋮
﹁生きていたなら連絡くらいくれたっていいじゃない!?﹂
そう言ってグラスに注がれた火酒を一気に煽る。
このドワーフ謹製の火酒は、文字通り火が付くほどの高いアルコ
ール度数の酒だ。
660
いくら少量とは言え、そうガバガバ飲むような酒では無い。
﹁リュカさん街に居なかったじゃないですか。森へ調査に行ってた
んですよね﹂
むむむと唸るリュカ。
﹁それでも!ギルドに言伝残すとか、手紙出すとか何かあるでしょ
うがぁ﹂
頭に手をやり1人煩悶する。
﹁説明した通りわしはとうに死んだ身。今の姿は次世代を見守る仮
初めの灯火に過ぎぬ。いつ掻き消えてもおかしくない身だ。故にか
つての知己にわざわざ連絡を取るような真似はせん。アルドラ・ハ
ントフィールドは死んだのだ﹂
子供姿で口上を述べるアルドラ。
それを聞くリュカの額に青筋が走る。
﹁ほんと男っていつもそう!自分勝手で!周りの相手のことを考え
もしない!知ろうともしないで!﹂
更に火酒を煽るリュカ。
もう目がヤバイ⋮⋮
﹁おい、飲み過ぎじゃぞ﹂
661
さすがにアルドラもこれを放置しては不味いと思ったのか、彼女
に声を掛けるも︱︱
﹁あぁ?﹂
どうやら一度燃え上がった火は、容易く収まるようなことは無い
ようだ。
そしてリュカの愚痴大会が始まった。
主にアルドラへの文句である。
﹁なぁ、この2人の関係って何なの?﹂
俺はロムルスに耳打ちした。
﹁知らないよ﹂
ロムルスはアルドラの事自体知らないようだ。
彼がS級冒険者だったのは30年以上前の話らしいから無理もな
いか。
﹁それはそうと、この娘なに?﹂
そう言って視線を送ると、ロムルスのふさふさとした尻尾を撫で
るシアンの姿があった。
﹁あー、リザの妹だよ。動物好きなんだ﹂
662
モフりたいの我慢できなかったのか。
確かにいい毛並みだもんな。
家に閉じこもっていることの多いシアンは獣人族との交流もほと
んど無いのだろう。
このもふもふと戯れたことも、たぶん無いはずだ。
﹁あのね、ジンさん⋮⋮﹂
ロムルスが困ったような視線を送ってくる。
﹁言いたいことはわかる。すまん。でも悪い子じゃないんだ、許し
てやってくれ﹂
俺はロムルスに頭を下げ頼んだ。
﹁シアン人の尻尾に許可無く触ったらだめだぞ﹂
言われてやっと我に返ったのか、シアンは顔を赤く染めて﹁⋮⋮
ごめんなさい﹂と小さな声で呟いた。
﹁あの、触ってもいいですか?﹂
シアンがおずおずと、小さな声で尋ねる。
﹁ん。⋮⋮まぁいいよ﹂
ロムルスは少し困った様な複雑な表情を見せたが、理解してくれ
たのかシアンの申し出を了承した。
663
俺も一緒にモフりたいところだが、ちょっとロムルスが嫌そうな
ので俺は自重しておくか⋮⋮
それにしてもこんな近くにビールを扱っている店があったとは。
ベイルの酒の主流はワインであるらしく、ビールはあまり見かけ
ない。
エールもたまに見かけるが、俺はビール党なのだ。
それがこんな近場で発見出来たとは、灯台下暗しというやつであ
る。
硝子のジョッキによく冷えたビールが注がれている。
硝子製品は高価であるらしいのだが、この店では普通に使われて
いるようだ。
酒の味を変異させないとあって、どうも硝子は好評らしい。
炙ったベーコンを口に放り込み、冷たいビールを流し込む。
冷蔵庫が無いために地下室で貯蔵して、更に地下水で冷却して出
しているようだ。
これだけ冷えていれば十分だろう。
見るとリュカの獲物はリザに移ったようだ。
開放されたアルドラは、疲れを感じる体では無いはずなのに少し
664
疲れたような表情をしている。
﹁リュカさんと、どういう関係だったんだ?﹂
俺はストレートにアルドラに聞いた。
﹁関係も何も、友人の娘ってだけじゃ。あぁ彼女が子供の頃に剣を
教えたことはあったな﹂
ほう、俺の姉弟子って訳か。
﹁まぁ人に物を教えるなんぞ経験なかったのでな、大した事はして
おらん。短い間じゃったしな﹂
友人と言うのはかつて一緒にPTを組んでいたこともあった獣狼
族の男だという。
アルドラは体を鍛える一環として、彼から獣人の体術を学び、そ
の過程でリュカと出会っているようだ。
﹁そう!アルドラは私の剣の師匠よ﹂
ズイッとリュカが俺とアルドラの間に割って入る。
﹁師匠も何もないじゃろう。わしが教えたことなど、大したものは
無い﹂
﹁そんな事ないわ、今私が剣士をやっているのも貴方の影響だもの﹂
そう話すリュカの顔は嬉しそうだ。
665
﹁貴方と一緒に旅をする日を夢見て、一生懸命がんばったわ⋮⋮﹂
リュカは遠き日の思い出を懐かしむように目を瞑った。
﹁冒険者になったら一緒にPT組んでくれるって約束したのに⋮⋮﹂
﹁それなのに勝手に村に帰るって言って冒険者さっさと引退しちゃ
うし⋮⋮﹂
﹁私には何の話もしてくれないで⋮⋮﹂
﹁あ、なんかまた腹立ってきたな⋮⋮﹂
リュカが1人ぶつぶつと呟いている。
他者を寄せ付けない、怒気を含んだオーラで身を包んでいるかの
ようだ。
﹁さて、そろそろ帰るかのう﹂
残りの串を平らげ、帰り支度をしようとするアルドラの手を俺は
掴んだ。
﹁アルドラ、せっかく久しぶりの再会でしょう。彼女に付き合って
あげたらどう?﹂
アルドラはあからさまに嫌な顔をした。
﹁俺は先帰って寝るわ﹂
ミラ、リザ、シアンに目配せをする。
666
﹁わしを置いていくのか!?﹂
﹁魔力が尽きたら帰ってきて下さい⋮⋮﹂
俺はアルドラの肩を叩いて、健闘を祈った。
667
第57話 エルフの秘薬1
いつもと変わらない朝。
まどろみの中に手をやると、彼女の雪のように白い体に手が触れ
る。
﹁おはようございます。ジン様﹂
いつもの薄手のワンピース姿で毛布に包まれている。
彼女の髪に手を触れると、何の抵抗もなく滑らかに指が通る。
﹁おはようリザ﹂
この静かで平和な時間を好んでいるのか、彼女は自然な笑顔を見
せた。
昼夜を問わない冒険者の活動に合わせて、夜に灯火が消えること
はない街ではあるが、昼の喧騒と比べれば静かな時間であることは
言うまでもない。
特に朝方、夜明けの頃はこれから活動する者達が目覚める時間。
この街がもっとも静かな時間で、今時期は特に清涼な空気が流れ
る頃合いだ。
窓を開けると、朝の新鮮で冷たい空気が部屋に侵入してくる。
だが苦痛なほどの冷気でもない。
心地いい朝だ。
668
日課を済ませて家に戻った。
いつの間にか戻っていた幻魔石に魔石を押しこみ魔力を補充する。
そしてアルドラを顕現させた。
﹁にゃー﹂
ネロが足元に擦り寄ってくる。
猫に懐かれた記憶は無いが、こうしてみるとやはり可愛いものだ。
喉を撫でるとゴロゴロと嬉しそうな音を出す。
﹁ずいぶん疲れた様子だな﹂
椅子にもたれ掛かるアルドラは、何時になく疲れた表情をしてい
る。
魔力で出来た体は、肉の体とは違って、人の身に付き纏うあらゆ
るしがらみから開放されているという。
だが彼の顔を見ると、疲れたサラリーマン、日曜日のお父さんを
思い起こさせる。
俺は両親を早くに亡くしているので、そんな父の姿を見た記憶は
ないのだが。
今のアルドラの姿は、まったくしがらみから開放されたようには
669
見えない。
アルドラはマグに注がれた水を一気に飲み干す。
﹁女っていうのは、ようわからん生き物だな⋮⋮﹂
アルドラは何処を見るわけでもなく呟いた。
3人で朝食をとっていると、不意に玄関のドアが勢い良く開け放
たれる。
﹁おはよう!さぁ行くわよ!﹂
リュカだった。
アルドラの襟首をむんずと掴むと、有無を言わさず引きずってい
く。
子供バージョンのアルドラは軽々と連れ去られた。
﹁何じゃリュカ!?どんな了見じゃ!﹂
アルドラは抗議の声を上げた。
引きずると言うより、襟首を掴まれ既に中にぶら下げられている。
まるで母猫が子猫を咥えるかのように。
﹁何よ?昨日言ったじゃない久しぶりに稽古つけてくれるって﹂
670
そう言うリュカの表情は、とても晴れやかで嬉しそうだ。
﹁まて、言ったかそんなこと?﹂
アルドラは苦い顔を見せ狼狽した。 ジンを鍛えるために森へ行くから忙しいと訴えるも︱︱
﹁何いってるのよ、自分で鍛錬くらいできるでしょ。四六時中見て
やるわけでもなし、久しぶりに会ったんだから私に付き合ってくれ
てもいいじゃない﹂
アルドラの訴えは、にべもなく却下された。
﹁一週間や二週間、借りて行ってもいいわよね?﹂
リュカの鋭い眼光が俺に突き刺さる。
顔は笑っているが、目は笑ってない。
彼女には有無を言わさぬ迫力があった。
﹁はい。問題無いです﹂
﹁そう。ありがとう﹂
俺は一拍も置かずに了承した。
アルドラの抗議の声が聞こえた気がしたが、今の俺に彼女を止め
る術はないだろう。
671
リュカが満足してアルドラを無事に解放してくれるのを待つこと
にする。
突然の嵐の様に現れた彼女は、嵐のように去っていった。 >>>>>
リュカとアルドラを見送った俺達は、装備を整え家を出た。
ベイルは数万人が暮らす大都市であるために、門の数も多く12
箇所以上あるらしい。
一般市民がそのすべての門を利用できるというわけでもないが、
冒険者であれば利用できる箇所も多いようだ。
普段は森へ行くのに一番近い西の門へ向かうところだが、今日は
北へ目指して歩みを進めている。
﹁おお、でかいな﹂
北の門へと差し掛かるここら一帯には、旅人を泊める安宿や安酒
を提供する酒場、旅の足である馬を預かる馬屋、または貸馬屋など
がひしめいている。
これから出立する者達であろう。大きな馬体を揺らしながら、門
外へと出て行く一行を見送った。
大きな体に太い脚。見た目は馬だが、魔獣と言っても差し支えな
い力強さがある。
672
まぁ確かに魔獣なのだが。
普通の馬もいるようだが、大半は魔獣の馬のようだ。
魔物となった生物は、その多くが強靭な生命力、体力を有し、生
物として強力な力を得る。
だが同時に凶暴性も発揮するわけだが、中にはそれほど凶暴化し
ない魔物もいる。
その1つが馬の魔獣である。
すべての馬の魔獣が大人しい訳ではないが、穏やかな性格の種族
が多く調教もし易いらしい。
貸馬屋の魔獣も人によく懐くように調教された種のようだ。
店の前に来ると、ざっと見ただけでも多くの種がいることがわか
る。
﹁いかがですか旦那。うちの子たちはよく調教されていて乗りやす
いですよ。そこらの魔物にだって、慌てて驚いたりもしませんから
安全です﹂ 俺がそっと手をかざすと、スッと顔を寄せて頬を摺り寄せてくる。
馬もなかなか可愛いな。
ライドホース 魔獣Lv18
茶色い毛並みの小柄な馬である。
しかし俺には騎乗スキルはないのだ。
673
﹁ジン様、スキルが無くても馬には乗れますよ﹂
リザの話によると騎乗スキルは主に馬上戦闘に必要なスキルと言
われている。
高い技術を必要とする戦闘術であるために、スキル補正が重要と
考えられているようだ。
また騎乗できる生物には飛竜や走竜など、馬とは比べるまでもな
く難度の高い騎乗技術が必要な種もいる。
騎乗スキルはそれらを乗りこなすために、必要なスキルでもある
らしい。
﹁馬は人に懐きやすく、従順な性格の個体が多いです。スキルが無
くとも移動手段として利用するくらいには、何の問題もないかと思
います﹂
俺は貸馬屋に2頭分、1日のレンタル料200シリルを支払い出
立した。
俺達はそれぞれの馬にまたがり北へ移動している。
﹁リザは乗り慣れているようだな﹂
背筋は伸び、上体も安定していて無理がないように見える。
﹁いいえ、数える程度にしか乗ったことはありません。ジン様こそ
お上手でしょう﹂
674
﹁いや、俺も似たようなものだ﹂
牧場で何度か乗ったことがある程度だ。
技術などまったくない。
となると馬が優秀なのだろう。よく調教されていると言うのは本
当のようだ。
馬の背から見える景色は、遠くまでよく見渡せ気持ちがいい。
バイクなどの機械とは違い、生物の騎乗というのは一体感を感じ
て不思議な感動がある。
アルドラ達が去った後、今日の予定を考えリザの採取の仕事を手
伝うことにした。
ある馴染みの客からの依頼だそうで、素材の調達に難があるため
に断っていたそうだが、俺の魔眼で何とかなりそうだという。
﹁申し訳ありません。ジン様のお手数を煩わせてしまって﹂
リザが恐縮した様子で顔を伏せる。
﹁いや、リザが俺の為に尽くしてくれるのと同じように、俺もリザ
の為に何かできることがあれば嬉しい﹂
リザの頬が赤く染まる。
﹁あ、ありがとうございます﹂
彼女の表情は嬉しさを隠せない様子であった。
675
ベイルより北へ進むと、ほぼ平坦な地形がずっと先まで続いてい
る。
草のあまり生えていない荒れ地のような大地と、膝下ほどの短い
草がひしめく大地が交互にその領土を広げているようだ。
大森林のような大きな木々は見えず、時折背の低い若木が目につ
く程度であった。
馬で2時間弱の道程を進むと、幅1メートルくらいの小川が見え
てきた。
﹁確か目的地は川だったよな?﹂
川の周辺には、今までとは系統の違う種類の植物が繁茂している。
川底は小さい砂利のような石が大半で、片手で余るくらいの大き
めの石もよく見られた。
﹁はい。でもここではなく、目的地はもう少し先になります﹂
俺達は馬に水を飲ませ休ませた後、北へ向かって再び歩みだした。
川を乗り越え、しばらく進むと地面の様子が変わってくる。
硬い水分の少ない荒れ地のような大地は、柔らかく水気を含んだ
地面へ変わってきた。
やがて水溜りが見えるようになり、スポンジのような弾力のある
676
地面が現れる。 足元は不安定になり、馬の蹄がズブズブと地面に沈み込む。
水を多分に含んだスポンジを踏みつけたように、水が染み出して
くるが分かった。
﹁もうすぐ川が見えてくるはずです﹂
リザが指し示す方角に俺の乗る馬を進ませる。
ここまでの道程でだいぶ乗り方がわかってきた。
乗っているというより、乗せてもらっている感が強いのは否めな
いが。
﹁それにしても道中1匹の魔物にも出会わなかったな。やはり森で
なければ魔物はそれほど現れないものか?﹂
探知にも反応しなかった所を見ると、この辺りには魔物自体がい
ないのかもしれない。
﹁そうですね、少ないと思います。ですが全く居ないわけでもあり
ません﹂
魔物が現れない原因の一つに、魔除けの護符があるのだと言う。
﹁なんだそれは?﹂
魔道具の1つで鞍か何処かに密かに忍ばせてあるらしい。
弱い魔物を退ける効果があるのだとか。
強力な魔物には効果が無いが、この辺りを移動する分には十分な
効果があるようだ。
677
﹁他にも虫除けの護符、盗賊避けの護符などもあります﹂
﹁へぇ、それは便利なものがあるのだな﹂
完全ではないにしろ、そういった厄介事を退けられるのはかなり
役立つだろう。
持つことのデメリットが無いなら、何かに使えそうだし幾らか持
っておきたいところだな。
﹁私の知っている魔導具屋なら案内できます﹂
﹁じゃあ、時間のあるときにでも案内してもらおうか﹂
﹁はいっ﹂
678
第58話 エルフの秘薬2
川に辿り着いた俺達は、馬から降りて採取の準備を始める。
﹁ところで馬を繋ぎ止めておく木も無さそうなのだがどうする?﹂
周囲は草ばかりで背の高い木の姿は見当たらなかった。
﹁そのあたりに野放しでいいでしょう。呼べば戻ってきますし、魔
除けが効いてる筈ですから問題ないかと﹂
それに魔物に襲われても、たぶんこの馬なら返り討ちにできると
のことだ。
盗賊もこんな見晴らしのいい湿地帯に潜んでいるとは思えないし、
こんな人通りの無いところに潜む意味も無いだろう。
まぁ大丈夫か。
それにしても呼べば戻ってくるのか?頭いいんだな馬って。
﹁これを使えばかなり離れていても戻ってきますよ﹂
馬笛 魔導具 D級
貸馬屋で借りてきたらしい。
吹くと人間には聞こえない音を発し、数キロ離れた馬も呼び寄せ
ることが出来るのだという。
貸馬屋で提供している馬たちは、この笛の音に反応するように調
679
教されているようだ。
>>>>>
川の水はゆったりと流れている。よく見なければ、流れているの
がわからないほどの速度である。
川底も浅く膝下ほどしか無いようだ。
ベイルの北には、ルタリア王国の大地を潤す程の大河が流れてい
ると聞いたのだが、これがそうなのだろうか?
聞いた話と実際のものには、だいぶ隔たりがあるようだが。 ﹁それはバウリ大河のことでしょうね。ここより更に3日ほど北へ
行くと辿り着けるかと﹂
バウリ大河は大森林からの湧き水と、北の山脈から流れ込む水が
合流して巨大な流れを作っている大河らしい。
水量も豊富で川幅も広く、大型の水棲魔獣も多く住むという。
﹁ベイルから北東へ向かえば、大河を利用した輸送を行っている港
町があるはずです﹂
どうやらベイルで生産された豊富な資源は、そこからルタリア国
内へと輸送されているようだ。
680
俺達はそれぞれに目標となる獲物を探した。
俺には探知スキルもあることだし、異変があれば気づけるだろう。
ただ一昨日のシャドウの件もあることだし、目視での確認も重要
なのは間違いない。
スキルを掻い潜る魔物が多くないといいのだが。
ここは遮蔽物も無いことだし、異変があれば直ぐにわかるだろう。
別々に探すと入っても、そこまで離れているわけでもない。
馬も放してはいるものの、俺達からそう離れずに近くに佇んでい
る。
膝下ほどまでの水深の川を探るように進む。
獲物は川底に潜んでいるらしい。
幸い水の透明度は高く、探すのは問題無さそうだ。
﹁あ、いた﹂
川底にへばりつくように潜む魔物だ。
ソフトシェルタートル 魔獣Lv2
状態:擬態
681
両手のひらを合わせたくらいのサイズ。
魔物にしては小型だろう。
いわゆるスッポンである。
﹁さすがジン様、凄いです!﹂
リザの熱い眼差しが注がれる。
美人から凄い凄いと、持て囃されるのは正直気持ちがいい。
男というのは、頼られたがる生き物なのだ。
俺はリザに教わったとおりに捕獲を試みた。
後ろからそっと手を差し込んで、甲羅の後ろを掴む。
掴まれた瞬間、逃げようと激しく暴れ、異様なほど首を伸ばして
抵抗するが用意してあった麻袋に放り込んで事なきを得た。
一応︻麻痺︼を撃ち込み、動きを封じておく。
爪も思った以上に鋭く、素手では危険だと思った。
やはり小さくとも魔獣なのだろう。
そこから俺の魔眼を頼りに捜索が始まった。
リザは麻袋を手に追従する。
682
﹁ジン様、あれを﹂
リザが空を見上げて指をさす。
澄み渡る青空に、鳥の群れだ。
ここから見てもけっこう大きい。
デスバード 魔獣Lv4
﹁襲ってくるか?﹂
鳥の群れは俺達の上空を通りぬけ、遠くへ飛び去っていった。
すぐ襲ってくるつもりは無いようだ。
﹁あれは腐肉を漁る森の掃除屋です。生きた獲物は滅多に襲いませ
ん。特に自分たちより格上には、まず向かってこないでしょう﹂ 探知は一瞬だけ反応して、すぐに途絶えた。
スキルの射程外へ飛び去ったのだろう。
ともかく魔物が居ないわけではないらしい。
魔眼はスッポンの擬態を容易く見抜く。
生息数も多く、捕獲は思った以上に簡単に進んだ。
683
スッポンを10匹ほど捕獲したところで︱︱
﹁これだけ捕れれば十分です。ありがとうございましたジン様﹂
﹁では帰るか﹂
今日の仕事は終了となった。
馬2頭は少し離れたところにいる。
試しに笛を使ってみるかと、リザに吹かせてみると。
スーッ
﹁人間には聞こえない音なんだな﹂
音と言うより、魔力の波を放っているらしい。
人族より耳がいいというエルフの血を受け継ぐリザにも、音は聞
こえないようだ。
ただ肌がざわつく感じはあるという。
それが魔力の波と言うやつなのだろうか。
ちなみに俺の魔力探知には反応しないわけだが。
﹁⋮⋮来ないな?﹂
684
笛を吹いて少し待つも、馬が寄ってくる気配はない。
ここから肉眼で見える距離にいるため、居なくなったわけではな
いのだが、様子がおかしい。
試しにもう一度笛を吹くが、やはり来ない。
何かあったか?
﹁行ってみましょう﹂
﹁ああ﹂
俺達は異変を感じて、馬のもとへ駆け寄った。
バシャバシャバシャッ
水辺で激しく馬が暴れている。
何かを振り払うように。
何かに襲われている?
俺は馬のもとへ近づいた。
あまり接近すると暴れる馬に巻き込まれそうなので、一定の距離
を置いて周囲を伺う。
そこに見たものは、馬の足元に群がる無数の魔物の姿であった。
肉厚の平べったい黒ずんだ何か。
太った茶さじのようなフォルム。
685
ツチノコの様でもある。
リーチ 魔獣Lv3
リーチ?蛭か。
探知スキルで探れば周囲には多くのリーチに囲まれているのがわ
かる。
離れた位置にもいるため、だんだん集まってきているのかもしれ
ない。
俺は腰の剣を抜き放ち、すぐ手前の魔物に突き刺した。
グヌッ
硬いゴムのような感触。
切っ先が僅かに刺さる程度で、手応えがない。
リーチの動きは鈍いが、着実にその数を増やし包囲を狭めてくる。
その内の1体が、体をくねらせバネのように撥ねた。
弧を描く軌道で、リザの死角を突いて頭部を目掛けて襲いかかる。
﹁リザ!そのまま動くな!﹂
俺は素早く反応し、剣で叩き落とした。
686
﹁大丈夫か?﹂
﹁はい、大丈夫です。ありがとうございます﹂
リザはこの地に何度か訪れた事があるようだが、この魔物は初め
て見る種類のようだ。
馬の前蹴りがリーチを踏み抜く。
体重の乗った強烈な一撃だが、リーチには大して効いていない様
だ。
﹁非常にタフのようだな。しかし水辺では︻雷撃︼を撃つわけにも
⋮⋮﹂
直接水辺に︻雷撃︼を撃ち込んだことはないが、雷付与した武器
を差し込んだことはある。
確かその時は水を伝わった筈だ。
﹁あ、そうだ﹂
新たに修得した魔術があったことを思い出した。
闇魔術 恐怖
俺は目の前に居るリーチに魔術を放つ。
俺の手から放たれる黒い靄の塊が、リーチに接触すると黒いオー
ラが纏わり付いて、リーチを苦しめる。
まぁ聞いたわけではないので、そう見えただけだが。
リーチはビクンビクンと痙攣したかと思うと、そのままカチコチ
687
に固まり動かなくなった。
触れてみてもカッチカチになっていて、とても生気ある状態には
見えない。たぶんコレ死んでるな。
状態:死亡
どうやら死亡に間違いないようだ。
死んだ直後はこうして魔眼でステータスを見ることができるが、
暫くすると見えなくなる。
その場合は死体と表示されるのみである。
俺は次々にリーチを闇魔術︻恐怖︼で仕留めていった。
使っている内に使用感がわかってきた。
有効射程距離は推定5メートル。
手から黒い靄の塊を発射し、弾速はめちゃくちゃ遅い。
当たると靄は弾け拡散し、接触した対象物に靄が纏わり付く。
その瞬間、魔眼で確認すると状態:恐怖となっていることがわか
った。
しばらく痙攣しているが、その後だいたいカチカチになって死亡
する。
688
中には死なない奴もいたが、かなり弱っていて耐久性も脆弱にな
っていたため剣で容易く貫く事ができた。
誤ってリザはもちろん馬にも当てるわけにはいかないから、使用
には細心の注意を払ったことは言うまでもない。
これはかなり危険な、強力な魔術のようだ。 689
第59話 エルフの秘薬3
﹁リザ大丈夫か?﹂
少し離れた位置から、様子を伺っていたリザが青い顔で答えた。
﹁あ、大丈夫です﹂
嫌なことを思い出させてしまっただろうか?
大丈夫とは言うものの、あまり大丈夫そうには見えない。
俺はリザに向かって両手を広げる。
ウエルカムである。
リザはほんのりと頬を染めて、俺に走り寄る。
水気を含んだ地面がバシャバシャと音を立てて、水飛沫が撥ねる。
そしてそのまま、勢い良く俺の腕の中に収まった。
俺は力を込めて、リザを抱きしめた。
﹁な、何かありましたか?﹂
冷静を装いつつも、声の上ずるリザが可愛い。
﹁いや、抱きしめたかっただけ。ダメか?﹂
690
リザは俺の腰に手を回して、ギュッと力を込めた。
﹁ダメなわけ無いじゃないですか。私はいつだってジン様に抱かれ
たいと思っているんですから﹂
リザの大胆な告白に、俺がどう返したらいいものかと返事に困っ
た表情をしていると、その顔を見たリザがハッと気づいて︱︱
﹁あっ!違います!そういう意味じゃないですよ?いや、違わない
けど⋮⋮あれ、そうじゃなくて⋮⋮あの、とにかく違うんです!﹂
急に慌てだした。
あわわわと口が震え、表情がコロコロ変わる。
まぁ言いたいことはわかるけど、慌てすぎててちょっと面白い。
羞恥に染まるリザの顔も可愛い。
恥ずかしがっている女の子って、どうしようもなく可愛いな。
つい苛めたくなってしまう。
﹁リザ可愛いな﹂
耳元でそっと囁くと、リザの顔は更に赤くなった。
やっぱりリザは可愛い。
リーチの何体かは、魔石を持っていたので回収しておいた。
691
死んだ後の彼らの体は弾力性を失っており、硬さはあるものの力
を込めれば刃が通ったので魔石の回収も可能だった。
もしかしたら︻解体︼の効果があったのかもしれない。
魔石︵打耐性︶
魔物のレベルが低かったためにレベルアップはしなかったが、ス
キルが手に入ったのは大きな収穫だ。
それに名称から推測するに、有用そうなスキルである。
魔石は俺の鞄に保管して置くことにする。
そのまま使っても魔力を回復させることはできないが、幻魔石の
魔力を補充したりと何かと利用価値はある。
今のところまだ資金には余裕があるし、取っておいて問題ないだ
ろう。
俺達はこの地での作業を終え、ベイルへと帰還した。
>>>>>
翌朝、街で買い物があるというリザに同行することにした。
ちなみにアルドラは帰ってきていない。
眷属の特性を使って、居場所を探ってみると森の中にいるようだ。
まぁそっとしておこう。
692
﹁シアン、調教の方は順調か?﹂
﹁はい。ネロは頭のいい子で、教えたことをすぐに覚えてしまいま
す﹂
シアンの調教、使役のスキルはF級に上がっていた。
元々スキルポイントは足りていたので、後はそれを消費して成長
させるだけだった。
まぁ順当と言ったところだろう。
買い物にはシアンも同行している。
初めて会った頃と比べると、随分声を聞けるようになった。
今では俺とも普通に会話してくれる。
主に猫、いやネロの話なのは致し方あるまい。
ネロの話をしている時のシアンは、とても幸せそうに笑顔を見せ
てくれる。
よく声を出して笑っている姿も見られるようになったし、家もよ
り明るくなったような気さえする。
この辺りはネロの手柄なのだろう。
﹁この間、こんな大きなネズミを捕まえてきまして﹂
身振り手振りで一生懸命説明してくれるシアン。
身長140センチくらいと小さい体で、ちょこちょこと動く姿は、
693
眺めているだけでも癒される。
妹がいたらこんな感じなのだろうか?
リザとシアンはいつもの様にローブを深くかぶり、ストールで口
元を隠して移動している。
今日は何か人通りも多い。
また何か催しでも、やっているのだろうか。
大きな通りには人が溢れている。
ざわざわと喧騒とした雰囲気だ。
﹁ジン様、シアンとちょっと待っていて貰えますか?買い物を済ま
せてきます﹂
喧騒の中、リザが俺の耳元へ顔を近づけて話す。
﹁一緒に行かなくて大丈夫か?﹂
ベイルは治安の良い方だと聞くが、あまり信用はしていない。
大きな都市ともなれば、どんなに厳重にしていたとしても犯罪者、
または犯罪者予備軍が少なからず居ることだろう。
ともすれば、いつ何処でどんな者が居るかもわからない。こんな
街なかで暴れれば、直ぐに衛兵が駆けつけるだろうが、警戒は怠ら
ないほうがいいだろう。
﹁ええ、すぐそこの店ですので大丈夫です。それに店内は狭いので、
694
大勢で行くと迷惑になってしまうかも知れません﹂
リザの直感は鋭いし、魔術も使える。
彼女が大丈夫と言うなら、大丈夫なのだろう。
俺はリザを送り出して、シアンと2人で彼女の帰りを待つことに
した。
﹁なんでも聖女様がベイルに来ているらしいぜ﹂
人垣の男たちから、そんな声が聞こえる。
この世界、この国にも宗教というのは幾つかあるそうだが、その
1つに女神教というものがあるらしい。
ベイルにも大きな女神教の教会が立っており、時刻や街の様々な
事柄を伝える鐘の音を生み出している鐘塔を管理しているのも女神
教のようだ。
聖女というのが、どういった存在なのかは知らないが、名称だけ
聞けば重要人物っぽい。
この人だかりも﹁芸能人がきてるらしい﹂みたいな感じのノリで
騒いでいる野次馬なのかもしれない。
テレビもラジオもない世界だ。
娯楽に飢えていてもおかしくない。
何かあればこのように話題になるもの頷ける。
ドカドカと石畳を踏み鳴らし、雪崩れ込んでくる男たち。
695
大柄な彼らの勢いに押されて、シアンが思わずたたらを踏む。
﹁危ない﹂
俺は転びそうになるシアンの腕を掴んで、体を安定させた。
﹁あ、ごめんなさい﹂
北方系の人達だろうか。
彼らは背も高く大柄で、小柄なシアンがそばにいれば、吹き飛ば
されてしまいそうだ。
﹁人通りが多いからな。傍に居た方がいい﹂
俺はシアンの手を握って、近くに引き寄せた。
﹁はい。ありがとうございます﹂
顔を伏せながら、小さな声で答えるシアン。
嫌がってないよな?
危ないから親切心で密着しているだけで、他意はない。ないった
らない。
そこへ一際大柄な男が近づいてきた。
﹁んん∼?兄ちゃん、ハーフエルフの臭がするよォ兄ちゃん!ハー
696
フエルフって奴隷商に連れて行けば、高く買い取ってくれる美味し
い獲物だったよね∼?﹂
耳障りな間の抜けた声で、物騒な話をする大男。
なんだコイツ馬鹿か?
こんな大通りで話す内容か?
もちろん人攫いは重罪である。
本人の同意なく奴隷にすることも、国の法によって不可能と聞い
た。
つまりコイツの話の内容は、まっとうな人間の話では無いという
ことだ。
兄ちゃんと言われる人物は周囲にはいない様子で、男の物言いに
答える者は存在しなかった。
男のデカイ声と物騒な内容に驚いたのか、シアンがビクリと身を
震わせる。
俺はその反応だけで、自分が苛ついているがわかった。
﹁兄ちゃん?兄ちゃん?﹂
体は2メートル近くありそうだが、脳みそは幼児の物なのだろう
か?
だが幼児とはいえ純粋と言った感じはしない。
邪悪な臭いが漂ってきそうだ。
697
徐ろに大男の手がシアンに伸びる。
俺は彼女を抱きかかえ後ろへ跳んだ。
﹁あれ?﹂
あれ?じゃねーよ。
俺はジロリと男を睨みつける。
ヴィクトル 武闘家Lv32
人族 23歳 男性
スキルポイント 1/32
耐性 C級
体術 D級
剛力 D級
探知 D級
鉄壁 E級
武闘家、初めて見る職業だ。
けっこうレベル高いな。
おっさんかと思ったら、意外に若い。こいつに限ったことではな
いが、北方系の人族はみんな老け顔なんだよな。
﹁何だお前?俺達に何かようか?﹂
698
俺は喧嘩なんかしたこと無いから、こんな時に何て脅し文句を言
えばいいのかわからんな。
﹁んん?俺、男には用事ない!そっちの女よこせ!﹂
よこせ!と言われて、はいと答える馬鹿がいるのか?
リザがもうすぐ戻ってくるだろうし、今ここを離れるわけにも行
くまい。
︻麻痺︼
俺はノーモーション、ノータイムで雷魔術を放つ。
︻雷撃︼よりも細く頼りない光の帯は、大男へ獲物を狙う蛇のよう
に向かっていった。
見た目は頼りなくとも、効果は折り紙つきである。
筋肉で動く生物なら、瞬く間にその動きを封じる事ができる凶悪
な魔術だ。
パシィッ
しかし︻麻痺︼は相手の動きを封じる事は叶わず、男の表面を舐
めるようにして弾かれ、その光は掻き消えた。
﹁なに?﹂
699
︻麻痺︼が効かない?
いや雷耐性か。俺の雷魔術のランクはC級だった。レジストされ
たってことか。
﹁んん??﹂
攻撃を受けたのに、なんともなっていないので混乱しているよう
だ。
自分の体を見回して、不思議そうな表情を浮かべている。
﹁何かやったのか?どうでもいいけど、今度はこっちのばんだな!﹂
大男が肩をぐるぐると回しながら近づいてくる。
周りの人達は我関せずといった様子で近づいてこない。
何人かはこちらを見て動向を伺い、にやにやと薄わ笑いを浮かべ
ている者もいる。
だが止めに入ったり、衛兵を呼ぼうとする奴は居ないようだ。
さて困った。︻恐怖︼でもいいが、威力がどの程度のものか。誤
って死なれても面倒だ。
できれば無力化で止めておきたい。
あ、そういえばいいのが有ったな。
俺がそう思った矢先に声が掛かる。
﹁ヴィクトル!どこにいった!?戻ってこいッ!﹂
700
喧騒の中に響き渡る、よく通る声だった。
701
第60話 エルフの秘薬4
﹁あれほど俺から離れるなと、散々言ってあるだろうがッ﹂
若そうに見えるが、たぶん結構年行ってるな。
皺もなく20代の青年のような若々しさが見えるも、背筋の伸び
た立ち振舞、隙のない物腰、鋭い眼光。
熟練の兵士みたいな迫力がある。
2メートル近くもある大男が、腰を曲げて身を小さくしている。
まるで親に叱られている子供のようだ。
状態:認識阻害
ステータスが見えない。
ほう自分の情報を守る手段というのも、ちゃんとあるのだな。
初めて見た。
それにしても只者では無いようだ。
﹁すまない。うちの者が何か迷惑掛けただろうか?コイツは体は立
派だがオツムが今ひとつでね。ちょっと目を離したばかりに⋮⋮﹂
長い金髪に碧眼、肌の白い人族の男である。
身長は170センチほどと小柄だが、その容姿の特徴から北方系
なのは間違いないだろう。
軍服のような独特の服に身を包み、腰に曲刀を差している。
702
本当に申し訳無さそうにしている。その姿に偽りは感じられない。
﹁俺の妹が侮辱された。謝罪して欲しい﹂
俺は事の経緯を話して聞かせる。
﹁そうだったのか。それは申し訳無いことをした。すまなかった﹂
男は深々と頭を下げて謝罪してくれた。誠意ある対応だった。
この世界の、少なくとも俺の知っている範囲の男たちは皆総じて
プライドが高いように感じる。
獣人族の男も人族の男も、謙虚という言葉を知らないのではない
かと思うほどだ。
そのため自分の非を認めて、謝罪するというのは、1つ誠意ある
対応だと思っている。
アルドラにも聞いた話ではあるが、荒事に身を置くような輩は自
分に非があっても簡単には認めないとも言っていた。
その中でも特にプライドが高いと言われる連中が北方の民である
という。
﹁兄ちゃんが何で頭を下げなきゃいけないんだ!﹂
大男が憤慨する。
﹁馬鹿かッ!お前のために下げてやってるんだろうが!﹂
男の怒号が響く。
703
﹁見苦しい所を見せた。俺の名はカミル。うちの者が貴方の家族を
侮辱したことを精霊に誓って謝罪する﹂
﹁俺はジン・カシマ。あんたの謝罪を受け入れる﹂
俺たちは握手を交わして、その場は手打ちとした。
ギュッとしがみつくシアンの肩を軽く叩く。
﹁怖かったか?﹂
少し震えているように思える。
彼女もハーフエルフ。直感を持っている。悪意のような物に触れ
て、気が滅入ってしまったかも知れない。
﹁⋮⋮大丈夫です﹂
そう言うものの、あまり大丈夫には聞こえない。
俺は身長の低い彼女に合わせて身をかがめ、彼女の目を見て話し
かける。
﹁俺が守るから﹂
シアンが深く被ったローブの中から俺を見つめる。
﹁俺がリザもシアンもミラさんも守るから。だから心配するな﹂
704
もしアルドラと出会ってなくて、リザとも出会っていなかったら、
俺はどうなっていただろうか?
この世界でどう生きていただろうか?
俺はみんなに温かいものを感じている。
あの家にいて癒やされる。
少なくとも俺は家族の様に感じている。
俺はもう家族を失いたくない。
﹁悪い奴が来たら俺がぶっ飛ばすから﹂
俺はニカッとシアンに笑いかけた後、ギュッとシアンを抱きしめ
た。
シアンはビクリと驚いたように身を震わせたが、その後ゆっくり
と俺の肩に手を回して抱き返してくれた。
﹁わかりました。信じます﹂
シアンは俺の耳元でそう囁いた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
いつの間にか戻っていたリザが、無表情のままこちらに視線を送
っていた。
705
﹁⋮⋮うおっ?あれ、リザ買い物終わった?﹂
﹁⋮⋮はい。終わりました﹂
俺達はその後、幾つかの店を回ってから家路に着いた。
途中で﹁いつの間にかシアンとすごく仲良くなりましたね?﹂と
少しトゲのある言い方をしてきたのは、どういう意図だったのだろ
うか。
>>>>> 皆で夕食を囲み、早めに寝床に入った。
明日はリザと共に森へ採取に行く予定だ。場合によっては泊まり
込みになるというので、食料も余分に準備していく。
朝ギルドに寄って、情報を見てから出発だな。
コンコンコンッ
ドアをノックする音が聞こえる。
﹁どうぞ﹂
たぶんリザだろう。寝る支度を整えると言っていたので、そろそ
ろ来る頃かと思っていた。
706
俺も最近ではリザと寝るのが当然の様になってきたな。 ガチャリ
しかし、そこに立っていたのはリザではなかった。
﹁シアン?﹂
薄手のワンピースに身を包み、枕を抱きしめたシアンが立ってい
た。
﹁あ、あの、私も一緒に寝てもいいですか?﹂
おずおずとシアンが祈るように、上目遣いでお願いしてくる。
ん?
シアンがそんな事言い出すとは思わなかったな。
ああ、昼間のことを思い出して眠れなくなったのだろうか。
﹁いいよ﹂
そう言うと、シアンはパッと花が咲いたような明るい笑顔を見せ
て、とてとてと俺のもとに寄ってくる。
子犬に懐かれた様な感じだ。
﹁あ、あの兄様とお呼びしてもよろしいですか?﹂ 俺の元へ寄ってきたシアンが、上目遣いでお願いしてくる。
707
まぁ、断る理由もないし︱︱
﹁いいよ﹂
そう言うと、シアンはパッと花が咲いたような明るい笑顔を見せ
て、俺の胸へ飛び込んでくる。
﹁兄様﹂
ギュウと胸に抱きついてくるシアン。
俺はきらきらと綺麗な水色の髪を撫でる。
地球にいたら、コスプレでしかありえない色でも、こっちでは何
故か自然に見えるという不思議である。
何故か作り物感が無いのである。まぁ自然のものだから当然の事
なのかも知れないが。
コンコンコンッ
扉をノックする音が聞こえる。
ガチャリ
小さく扉が開く音が聞こえると︱︱
﹁お待たせしましたジン様﹂
そう言って部屋にやってきたリザは、部屋の光景を見て驚愕した。
708
﹁あ、あれ?シアン?﹂
左隣にリザ。右隣にシアン。二人の美少女に挟まれて川の字で寝
ることになった。
まさに両手に花である。
ギュム
そんなことを思っていると、リザにほっぺたを摘まれる。
﹁いつのまにシアンとそんなに仲良くなったんですか?﹂
ぷうと頬を膨らませるリザ。
﹁いや、何が有ったかは話しただろ?﹂
リザが居ない間のことはもちろん話してある。
家に戻ってからはミラさんにも報告済みだ。
シアンの方に目を向けると彼女は既に寝息を立てている。今日は
疲れたのかもしれない。
俺の腕を抱きまくらの様に抱き寄せ、太腿で挟み込んでいるので
逃げられない。
シアンのすべすべの肌の感触が心地いい。
﹁⋮⋮ジン様って女好きですよね﹂
リザがむにむにと頬を抓りながら鋭い視線を送ってくる。
709
﹁⋮⋮男が女好きなのは当たり前だろう?﹂
俺は目を逸らしながら答えた。
﹁そうですね﹂
リザは素っ気なく答えた。
俺は腕をリザの肩へ回し、ぐいっと抱き寄せる。
﹁あっ⋮⋮﹂
リザの頬が赤く染まる。
顔と顔の距離が近づく。
吐息が掛かる程に。
リザの唇に指先が触れる。
柔らかい、花のようないい香りがする。
リザは静かに目を瞑った。
﹁んんんっん∼∼∼∼⋮⋮﹂
うめき声のような音を隣で発したかと思うと、シアンがもぞもぞ
710
と動き出して、ガバっと唐突に立ち上がる。
そして寝ぼけた眼で﹁おしっこ﹂そう言い残して、部屋から出て
行った。
ふと見ると、目を瞑ったままプルプル震えているリザの姿があっ
た。
薄めを開けて、こちらの様子を伺っている。
えーっと⋮⋮
﹁あー、今日は、もう寝るか⋮⋮﹂
俺は苦笑して、そう呟いた。
711
第61話 エルフの秘薬5
ベイルから一日3往復、ザッハカーク砦へ向けて定期便が出てい
る。
雄々しく力強い馬の魔獣が2頭で引いている木造の箱型馬車は、
10人乗りと大きく立派だが魔獣たちはそれを物ともせず、安定し
た速度で乗客を運んでいた。
ガタガタと揺れる木の椅子が、俺の尻に容赦なくダメージを蓄積
していく。
道は石畳という立派なものではなく、何度も馬車が通って踏み固
められた様な土の道である。
時折椅子が撥ねたかと思うほど、大きな揺れに遭遇するも、今の
ところ箱馬車は転倒することも故障することも無く順調に目的地へ
向かって進んでいた。
﹁砦まで4、5時間といった所か﹂
﹁はい。何の問題も起こらなければそれくらいかと﹂
問題というと、馬車の車軸が折れただの、車輪が取れただの、道
が崩れて進めないだの、魔物が出た、盗賊が出た、えーっとざっと
思いつくのはそのぐらいか?
まぁ魔除けの護符や盗賊除けの護符は、この馬車にも備えている
ようだし、冒険者の馬車を襲う気合の入った盗賊もそう滅多に居な
712
いらしいが。
俺は朝の日課をいつものように熟し、リザとシアンと3人で朝食
を取って家を出た。
﹁兄様、早く帰ってきて下さいね。どうかお怪我をしないように﹂
シアンはそう言って俺の胸に抱きついてくる。
可愛い妹である。
﹁姉さまもお気をつけて﹂
なぜか俺を見つめるリザのジト目が気になったが、今は放ってお
くことにしよう。
途中、冒険者ギルドへ寄り適当な依頼を受け、受付で情報を確認
しておく。
砦経由で森へ入ることを告げ、俺とリザは駅馬車の待合所へ向か
った。
馬車の値段は1人100シリル。
俺達は朝の便に乗り込み、砦を目指した。
ザッハカーク砦は自由都市ベイルから西へ4、50キロほどの場
所にある大森林の前線基地である。
713
とはいっても、その場所は既に森の中にあり、いうなれば森で活
動する冒険者の拠点となっている場所だ。
ベイルほどでは無いにしろ街としての機能も有しており、本拠地
はベイルとしても、その実一年中砦を中心に活動している冒険者も
多い。
無論魔物が闊歩する森の中にある街であり、危険という意味では
ベイルの比ではない。
もちろんここを拠点に活動する冒険者には、当然それなりの実力
を求められるだろう。
馬車の客は俺たちを除けば3人だけで、混雑していなくて助かっ
た。
武装したおっさんで一杯の馬車5時間休みなしの旅だとすれば、
正直きついところだった。
まぁそれでなくとも、けっこうな揺れで体力は十分に削られたの
だが。
砦までの道は森を切り開き作れたものだが、馬車がすれ違うのに
十分な幅を確保してあって、かなり広く作られている。
木々の密度もこの辺りは、それほど高くないため、広い道と相ま
って襲撃を受ける危険性は多少なりとも下がるような気がする。
特にこれといった問題も起きること無く、俺達を乗せた馬車は砦
714
へ到着した。
唐突に森が終わり、視界が広がる。
要塞だ。
森の中の開けた空間に、石造りの巨大な建築物が存在している。
森が途切れたところからまだ距離があるが、どうやら小高い丘の
上に立っているようだ。
俺は箱馬車の窓から身を乗り出して、その景色を望む。
﹁ジン様危ないですよっ﹂
リザに小声で注意された。
高さ10メートルほどの石壁に囲まれた砦。
更に高い監視塔もいくつか見える。
砦は楕円形になっているようで、長さ500メートル、幅300
メートルほどはあるらしい。
元々この場所にあった遺跡を流用して作った砦のだという話だ。 石壁に備わる門の1つが重々しく開かれる。
箱馬車はその中へ吸い込まれるようにして入っていった。 715
﹁リザはここへ来たことあるのか?﹂
﹁はい。前に1度だけですが﹂
砦内に入った俺達は馬車を下り、簡単な審査を受ける。
ギルドカードを提示するだけなので、簡単なものだ。
リザの場合はギルドに加入していないため、納税者に対して納税
証明として発行される市民カードが身分証となるようだ。
﹁あれ?俺って納税ってしてないような気がするんだけど、大丈夫
なのか⋮⋮?﹂
ルタリア王国の国民であることの証明、庇護下に入ることを承諾
する人頭税は身分によって金額も変わってくる。
﹁ジン様の場合はギルドに加入したときに払っているはずです﹂
ギルドに支払った年会費に、人頭税も含まれているらしい。
そんな説明あったかな?
仮に誤って重複して支払ってしまった場合は、申請すれば返却し
て貰えるそうだ。
石壁の内部は木造の建築物が密集している。
いわゆる中世の石の城といった様相ではない。壁の中に街がある
のだ。
716
建築様式はベイルともまた違った様に見えるが、どこがどう違う
のかと問われれば答えるのは難しい。
建築資材は周辺から幾らでも入手できるからだろう、端に目をや
れば原木の状態で積み重なった山も見える。
内部を往く人々も、ベイルのそれとは異なっているようだ。
武装した冒険者であろう、金属や魔獣の革から作られたであろう
鎧を身につけ、腰に剣を差していたり槍を手にした者も少なくない。
ベイルの街なかでは、この様に今にも戦場に飛び出して行きそう
な重武装した者は少ないため、それらの光景を見ていると別の街に
来たのだと実感させられる。
ここはベイルよりも、魔物との戦闘がより身近にある場所なのだ。
﹁ジン様時間にも余裕がありそうですし、ここで軽く食事を取って
から、森へ入ろうと思うのですがよろしいですか?﹂
今回は目的地はこの砦ではない。
リザの薬草採取の護衛兼補助である。
﹁わかった。その辺りの勝手はリザに任せるよ﹂
>>>>>
俺とリザは砦の屋台で、食事を取り準備を整え森へ侵入した。
717
多くの人が討伐や採取で分け入る森には自然に獣道というか、冒
険者道と言ったものが出来上がっている。
それだけ多くの人がこの場所を行き交っているのだろう。
誰かがその領域で狩りや採取をしていた場合、後から来たものは
遠慮するのが暗黙の了解というやつらしい。
そのためか、それほど他の人とすれ違うことも無く、今のところ
問題もなく移動中である。
﹁狩場をかち合って争いになるのは、冒険者の方ではよくある話ら
しいですから﹂
そういうこともあってか、砦から少し離れた場所へ移動中という
わけだ。
リザを先頭に俺はそれに追従する。
︻脚力強化︼を付与しているために足取りは軽いが、下手に急ぐの
も良くないと歩みは慎重さを第一としている。
︻隠蔽︼も付与しているために、今のところ魔物との戦闘になるよ
うな事態にはなっていない。
木々の密集度はそれほど高くなく密林というほど緑は濃くないが、
それでも彼方此方に存在している巨木は枝葉を伸ばして影を作って
いるため、平地のそれよりは暗がりが多い。
そのような場所には魔物が潜み、油断して近づく人間を待ち構え
ていたりするものなのだが、俺達の場合は逆に闇が︻隠蔽︼の性能
718
を1段階上げてくれるし、探知が前もって潜伏者の存在を知らせて
くれるために、十分安全な移動が可能だった。
それでも探知を掻い潜る魔物がいることはわかっているので、警
戒スキルを設定し魔眼で周囲の様子を伺いながらの移動としている。
﹁ジン様の魔術は凄いですね。今まで1度も魔物に見つかっていま
せん﹂
何度か魔物が接近した場面はあったが、見つかる様子は無かった。
接近とは言っても一番近かった場面で10メートルほどだったが、
それくらいならまず問題無いと思って良いかもしれない。
もちろん検証が不十分であるため油断は禁物である。
﹁ありがとう。でもリザだって凄いのは同じだろう?これだけ足場
の悪い獣道を長時間歩いても足の負担が僅かしか無いというのは、
すごい魔術だと思うぞ﹂
軍隊の行軍とかで使えたら、すごそうだよな。
魔術師本人だけじゃなく、仲間や馬なんかにも使えるってのもポ
イントが高い。
戦闘を行うにしても逃げるにしても、足回りを強化補助できる魔
術ってのはいろんな場面で使えそうだ。
﹁ありがとうございます。お役に立てて嬉しいです﹂
深く被ったローブの中から、リザの嬉しそうな声が聞こえた。
719
第62話 エルフの秘薬6
今回森へ入った目的、それはリザが依頼を受けた魔法薬の作製に
必要な素材の入手である。
1つはレッドトレントの根。
ザッハカーク大森林の固有種にレッドツリーなる樹木があり、そ
れが魔物化したものがレッドトレントである。
レッドツリーの根でも薬効成分はあるようだが、なぜか魔物化し
たトレントのほうが薬効が強いということで、トレント捜索という
ことになった。
市場ではレッドツリーの根は出回っているものの、トレントの根
は殆ど無いという。
それはトレントの擬態能力の為らしい。
トレントは木が魔物化したもので、見た目は木そのものである。
顔がついていたり、泣き叫んだりしない、まんま木であるようだ。
ただ勝手に歩き回る。
根を地面から引き抜き、タコか何かのように、あるいは下半身が
触手という化け物か何かのように、根を自在に操り地面を這い目的
地へ移動する。
目的地というのは、例えば日当たりが良かったり、水はけが良か
ったり、土壌が良かったりする、と言ったような場所を求めて移動
するらしい。
まぁこれらのことはトレントに聞いたわけではなく、人族の研究
者の見解であるため真実のほどは不明らしいが。
720
レッドツリーは比較的良く見かける大森林では差して珍しくない
樹木である。
主に杖の素材等に使われたりする、普通の木材だ。
森の奥へと分け入れば大量に見つけることができるが、浅層域で
も探せば見つけられるくらい冒険者にとっては身近な植物である。
ただトレントとなると難しい。
トレントは自ら動き出すようになった木の魔物であるが、獣のよ
うに常に動きまわっているような活発さはない。
いよいよ必要となった場合だけ動き出す、特殊な魔物なのだ。
普段はあたかも普通の木のように、じっと動かず過ごしている。
冒険者が多少小突いたところで、身じろぐこともない。
そのためトレントか普通の木かを見極めるには、鑑定スキルで判
断するか、1本1本斧で幹を叩き折るしかないのだ。
トレントも幹に斧を叩きつけれられては、否応なしに動かざるを
得ないため、なし崩し的に戦闘となるわけだ。
この方法は労力を必要とするために、あまり好まれない判別法で
あるのだが。
﹁ジン様の魔眼に掛かれば、トレントの擬態を見抜くことなど造作
も無いことでしょう﹂
721
リザは我がことのように、誇らしげに語る。
もう1つはフォレストエルクの角。
大森林の西と北を中心に生息している鹿の魔物だ。
皮は柔軟性に優れた素材として人気で、蛋白で癖の少ない肉は高
級食材として貴族の間でも注目されているのだという。
そして雄の額から取れる巨大な角は、古くから薬効高い素材とし
て薬師の間で有名な品のようだ。
近年フォレストエルクの数は増加の一途を辿っており、ギルドで
も討伐を推奨する魔物の1つでもある。
このベイル側、つまり大森林の東側にもエルクは姿を見せ始め、
その勢力が拡大し続けていることを示している。
エルクは食欲旺盛な魔物で、森の薬草から毒草まで種類構わず手
当たり次第に食べ尽くしていく。
そのため森での採取で生計を立てている冒険者からは、懸念の声
が上がっているというわけだ。 ﹁エルクは強い魔物ではありませんが警戒心が強く、下手に近づく
と逃げられてしまいます﹂
魔物なら向かってこいよ。と思わないでもないが、どうも魔物と
いうのは動物の延長線上、進化したものといったような気がするの
で、そういった動物的な習性も致し方ないと考えるほかないだろう。
722
まぁそんな習性も、俺の︻隠蔽︼+︻麻痺︼の最強コンボに掛か
れば問題なく捕獲できるだろう。
後はエルクが、そう簡単に見つかってくれるかどうかだが。 >>>>>
森に入ってどれくらい立っただろうか。
途中何度かの休憩を取り、目的地へと進む。
目指している場所はエルフたちが利用する狩小屋らしい。
﹁エルフの狩人達は狩りに出かけると数日、長いと1週間帰らない
こともありますが、そんな時に寝泊まりに利用する場所が狩小屋で
す﹂
大森林には幾つもの狩小屋が設置されていて自由に使えるようだ。
あまり﹁誰彼無しに広めないように﹂という話のようだが、リザ
はアルドラの村に身を寄せていた時代に許可を貰っているそうなの
で問題無いという。
いつの間にか周囲は、20∼30メートルほどの木々が等間隔で
生えているような場所に出た。
723
背の高い木々が枝を伸ばして空を覆っている。
背の低い下草が地面を覆い、朽ち果てた倒木が森の栄養となるた
めに静かに横たわる。
この辺りの木々は低い場所には枝が茂っていないので、歩くには
随分と楽だ。
風には適度な湿度を感じ、僅かな冷気を感じる。
探知C級で探れる範囲はざっと半径120メートルくらい。
魔力が乏しかったり、疲労していたり、集中力が乱れていたりす
るとその限りではないが、だいたいそんな感じだ。
遮蔽物があっても探れるために、この様に隠れる場所が多く見通
しの効かない森などで特に威力を発揮するスキルだと言える。
今のレベルでもA級までランクを上げることが可能だが、他のス
キルとの兼ね合いもあるため、C級に止めてある。それでも十分な
成果があると思う。
﹁魔物の数が増えたな﹂
隠蔽を付与しているため、襲われる気配は今のところない。
しかし、探知を掻い潜る魔物がいる以上、隠蔽を見破る魔物がい
てもおかしくはない。
と言うより、必ず居ると思う。ゲームでもそういった敵は、少な
からずいるもんだ。
724
木の上、土の中、茂みの中、倒木の影、空。
俺が探知できる範囲内だけでも、けっこうな数だ。おそらく全部
別種だろう。こんな狭い範囲で数種類の魔物が存在している空間と
いうのも初めてだ。
この辺りは魔物が多い領域なのかもしれない。
すると目の前を行くリザが突如立ち止まり、手をかざして静止の
合図を送る。
﹁いました﹂
リザが小声で話す。
正面の大木の影に、目的のエルクの姿があった。
時折周囲を警戒する素振りを見せ、安全を確認するともさもさと
草を食む。
その動作を一定の間隔で繰り返している。
大きな雄だ。額には立派な角が見える。
エルクとの距離は50メートルはあるだろうか。
警戒心が強いとはいえ、この距離ならまだ気づくことはないと思
いたい。
しかし隠蔽は姿を消し、認識を阻害するとは言っても音は消せな
いらしい。
認識を阻害しているために人間相手なら多少の音なら誤魔化せる
が、人間と比べれば遥かに感覚の鋭敏な魔獣がどこまで騙されてく
725
れるかは未知数である。
ゆっくりと移動して、エルクを視界の正面に捉える。
フォレストエルク 魔獣Lv17
エルクは雄1匹の様だ。
この鹿系の魔物は、秋から冬に掛けてハーレムを形成する。
強い雄が群れのリーダーとなり、若い雌を囲って子を成すのだ。
ハーレムの時期外では雄は雄の群れを、雌は雌の群れを作って生
活するのだという。
﹁はぐれの様ですね﹂
群れの中の闘争に敗れ追い出されたか、何かから逃走する際に群
れからはぐれ、迷子にでもなったのか。
理由は定かではないが、こいつは1匹の様だ。
丁度いい。
﹁俺が行く。リザはここで﹂
﹁はい。お気をつけて﹂
リザは茂みの中に身を伏せる。
この茂みの周囲には、とりあえず魔物は居ないようなので、ここ
で待機していて貰おう。
726
俺は息を殺し、油断なく近づく。
当然風向きも考え風下から向かう。
雷魔術 C級
闇魔術 D級
探知 C級
︻隠蔽︼で近づき、背後から︻麻痺︼を撃ち込む。
単純で確実な作戦だ。
距離20メートル。
気づかれる様子はない。
距離10メートル。
︻麻痺︼の有効射程距離に入った。
周囲にはエルク以外の魔物は居ないようだ。
727
俺はエルクの背後から杖を構え、魔力を集中させる。
隠蔽は攻撃の瞬間解除されるようになっている。
もしも麻痺が効かずに反撃に転じられても、この距離なら十分抵
抗は出来るだろう。
盾もある。いきなりあの角で串刺しENDということにはならな
い。と思う。
杖の先端が輝き、︻麻痺︼の魔力を持った細雷が放たれた。
728
第63話 エルフの秘薬7
結果から言うと逃げられた。
わからん。
なぜ避けられたのか。
雷の魔術の速度はかなり早い。
光の速度かどうかは分からないが、リザの風球と比べると一目瞭
然である。
バジッと光ったと思うと、目標に命中している。そのくらい早い。
早すぎてそのエネルギーの残光しか見えない。
気づいたら当たっている。そういうレベルだ。
︻風球︼も早いが見えないという程ではない。
100キロは出ていないと思う。
ちなみに︻風球︼というのは魔力で圧縮した空気の塊らしい。
俺は魔眼があるためかはっきりと視認できるが、一般的には空気
の揺らぎのように見えるだけで、しかもそれが高速で発射されるた
め、非常に見えづらい厄介な魔術のようだ。
サッカーボール程の大きさで有効射程は20メートルほど。もち
ろん魔力を込める量を調節することで威力を増減したり、魔力の消
729
費を調節したりも可能。
球の大きさを変えたり、密度を変えたり、射程を伸ばしたり等も
出来るらしい。まぁそこまで行くと相当なレベルの魔力操作の技術
が必要となるようだが。
﹁気になさらないで下さい。きっとまだ近くにいると思います﹂ がっくりと肩を落とす俺を、リザが優しく励ましてくれる。
逃げられたこともショックだが︻隠蔽︼に加え、背後から極めて
早い雷魔術の奇襲を避けるって、どうやったら避けるに至るのか不
明過ぎる。
第六感的なものだろうか。
エルフにも直感があるのだ、魔物にも本能的な何かが備わってい
てもおかしくはないが。
エルクはこちらを振り向かずに、そのままの姿勢で横に飛び退い
た。
︻麻痺︼を撃ち出すと同時か、もしくは一瞬早く。
意外な動きに俺のほうが驚いた。
そして着地すると、奴は振り向かずにそのまま全力で逃走した。
物凄い速度で。
730
辺りが薄暗くなり始める頃、狩小屋に到着した。
近くに沢があり、地面が迫り出した崖のような場所。
その岩肌のとある場所に窪みがある。
周辺は蔦が垂れ下がり植物が生い茂っていて、一見してもそうと
は分からないが注意深く見てみると、引っ込んだ岩肌の先には木の
扉が存在していた。
﹁これは言われないと気づかないな﹂
生い茂る植物を掻き分け、垂れ下がる蔓をのれんのように潜り、
その奥に隠された木の扉を引き開けた。
中は岩をくり抜いて作った秘密基地と言った様相である。
明かりを取り入れる窓のようなものは無さそうだ。
横長の穴蔵といった作りは、奥へと目をやると魔眼を持ってして
も暗がりで良くは見えない。
熱を発生させない火球︻灯火︼を使って中へと入る。
﹁しばらく使われた形跡はないようですね﹂
辺りには僅かに埃が積もっている。
天井は低く2メートルくらい。硬い土の床、無造作に設置された
簡素なテーブルに椅子、おそらく横になるための場所であろう床か
731
ら30センチほど上がった板間。
奥に行くと火を起こすような囲炉裏の様な場所もある。脇に置か
れた薪を見ても間違いないだろう。
﹁一応換気のされるような作りになってるんだな﹂
閉鎖感は凄いが、部屋の中にいても空気の流れは感じる。
どこかに風の通り道があるらしい。
湿度もそう感じない。こんな様相でもカビ臭いといった不快なも
のは感じなかった。
このような場所は森の中に幾つもあるらしい。
彼ら狩人はこういった場所を拠点に、自らの糧となる獲物を探す
のだという。
﹁今日のところはここで休んで、探索は明日再開といたしましょう﹂
リザが進んで調理の支度をしてくれる。
火を起こし、鍋に水を張って湯を沸かす。
どうやら粥を作るらしい。
﹁私は母様のような料理は作れませんので⋮⋮﹂
設備的なこともあるし、この場で作れる物は限られる。
そんな中でも頑張って作ってくれているというのは有難いものだ。
732
それにリザは普段は料理をしないらしいが、俺のために頑張って
いるというのが、更に愛おしく感じてしまうのは当然のことだと思
う。
ミゼット麦 食材 E級
﹁初めて見る食材だな﹂
前に見たオーガ麦より粒の小さい穀物だ。形状は球体に近い。
﹁煮て食べれば柔らかく、甘みもあって大変美味とされている麦で
す。体にも良いとされていて、幼児や病人に食べさせるのにも適し
ていると、市場でも良く出ているそうですよ﹂
値段も安く、平民でも常用として買える程だという。
ベイルでも多く流通していて、パンに次ぐ主食となる食材のよう
だ。
なんでもミゼット族が主食として栽培していることから付いた名
前らしい。
テーブルにミゼット粥、干し肉、ヒワンの実が並ぶ。
﹁お、久しぶりに見たな﹂
アルドラの村では世話になった、ヒワンの実である。
733
手に取り香りを嗅ぐと、甘い香りが鼻孔を擽る。
﹁魔素の濃い森などでしか栽培できない果実らしく、日持ちもしな
いことから市場には中々出まわらないそうですが、たまたまここへ
来る前にお客さんから頂いたものがあったので持ってきました﹂ ジン様がお好きなようなので、とリザが気を利かせて持ってきて
くれたようだ。
なんとも気の利く娘である。
﹁ごちそうさま。美味しかったよ﹂ 粥は普通に粥だった。塩を振って頂いたが、米の粥とそう大差な
い。
しいてあげれば甘みは強いかもしれない。ベイルでは甘味は貴重
で高級品である。蜂蜜、白糖、黒糖などが市場で売られているが、
どれも高い。
平民では気軽に買える値段ではないのだ。それを考えると、この
自然な甘みは平民には、ごちそうになるかもしれない。
甘いモノって、たまに無性に食べたくなったりする。たぶん人間
の体が甘味を欲しているのだろう。
﹁お粗末さまでした﹂
洗浄の魔術のお陰で、鍋や食器を洗うのも楽なものだ。
あらかた片付け終わると、寝床の準備を始める。
734
﹁先にリザが休むといい。疲れただろう﹂
リザは恐縮するが﹁装備の手入れなども今のうちにしておきたい﹂
と言って無理やり休ませることにした。
魔力の優れた種族であるエルフだが、体力的に見れば人族より劣
っているという。
リザはハーフだが森の中を何時間も、定期的に魔術を使いながら
の移動となれば種族はどうあれ疲れないはずがない。
扉には鍵が掛けられているが、ここは魔物の巣食う森の中。
寝ずの番は必要だろう。
俺達は交代で休むことにした。
探知のある俺が起きていればいいと言う話ではあるが、それだと
明日の探索が万全に行くかという心配がある。
少しは休んで体力魔力を回復させたい。ポーションを飲めさえす
れば、すべて問題ないという風には行かないのだ。
︻灯火︼が生み出す柔らかな光の中、古く軋んだ椅子に座り剣の手
入れを始める。
汚れを拭き取り、新たなな油を引いて刃こぼれが無いか確かめる。
最近使ってないけど念のためな。暇だし。
俺が使っているこの剣の素材は鉄のようだ。
ルタリアでも幾らか採掘されているようだが、大規模な産出地は
735
東の山脈地帯が有名らしい。
鉄を嫌う魔物もいるため、値段も手頃で使い勝手もいい鉄製の武
器は冒険者にも人気だという。
しかし魔術の触媒としては相性が悪い。
俺も使える雷付与など、物に魔力を定着させる術との相性が悪く、
定着しづらいのだという。
それもあってか魔術師などは鉄製の品物を身につけないそうだ。
この部屋には空気の通り道があるらしく、静かにしていれば外の
音も聞こえてくる。
探知も使用しているため、直接見えなくとも外の状況はある程度
把握が可能だ。
時折ホーホーという梟のような鳴き声や、狼の遠吠えのような物
が聞こえてくるが、直ちに危険といった雰囲気はない。今のところ
は安全だと思う。
剣の手入れも終わり手持ち無沙汰になった俺は、毛布に包まった
リザに目を向ける。
﹁⋮⋮眠れないのか?﹂
横になるリザと目が合う。
口元まで毛布で覆われ、その表情は読めない。
736
すると毛布の隙間から、白く細い手がスッと伸びる。
俺は無言のまま彼女の脇に座り、その手を握る。
﹁えへへ。ジン様はいつも優しいですね﹂
毛布の中から顔だけ出して無邪気な笑顔を見せる。
﹁まぁな﹂
ちょっと戯けたように笑いかける。
﹁でもちょっとエッチですよね﹂
﹁え?ええ?どこが?﹂
思わず俺は狼狽した。むしろ我慢している方だというのに。
﹁よく女の人の胸とか見てますし﹂
うーん。まぁ否定はできないけど。
でも俺が住んでいた田舎じゃ見ないような美人が痴女みたいに、
乳のほとんどを放り出して歩いていたら見るよね。見ちゃうよね。
おっきいのをユサユサさせて歩いていたら見るよね。見ちゃうよ
ね。
仕方のないことなのだ。
見ようと思って見てるわけじゃないのだ。
本能的なものなんだ。
つい見ちゃうんだ。特別見たいわけじゃないんだ。
737
すいません、嘘です。
見たいです。
もっとがっつり見たいです。
おっぱい大好きです。ごめんなさい。
﹁⋮⋮私のも見たいですか?﹂
頬を赤く染めながら、彼女は上目遣いで呟いた。
738
第64話 エルフの秘薬8
朝になった。
結局のところ昨晩は何もなかった。
何もしなかったというか、出来なかったというか⋮⋮
﹁⋮⋮私のも見たいですか?﹂と口走るリザに﹁お、おお。⋮⋮あ
まりそういうのは良くないぞ⋮⋮俺だって我慢できなくなる時はあ
るんだからな。明日も大変だろうから早く寝なさい﹂
なんて口どもりながら対処するのが精一杯だった。
リザの気持ちに気づいていない訳ではないが、今はその気持ちに
答えられる余裕が無いのだ。
俺の拒絶を感じたのか、リザはそっぽを向いて寝てしまった。
そのリザの姿に少しの罪悪感と寂しさを感じてしまうが、俺の中
の感情がはっきりするまで答えは出せそうにない。
毛布で眠るリザを置いて、俺は︻隠蔽︼を付与して扉から外へ出
た。
まだ日は上っておらず、白く朝靄が立ち込め視界は数メートル程
度しかない。
739
暗い森の中、探知を巡らせると周囲に魔物は潜んでいるようだが、
やはり襲い掛かってくる気配はないので、そのままにして置く。
今は森に住む者たちも、静かに朝が来るのを待っている時間のよ
うだ。
魔物の巣食う危険な森だというのに、しんと静まり返るこの時間
ばかりは清浄な空気で支配されているようだ。
さらさらと流れる沢に近づき、水に手をやると身を切るような冷
たさを感じる。
魔眼で確認しても問題無さそうなので、思い切って顔を洗う。
﹁くうう∼﹂
あまりの冷たさに、目の覚める思いだ。
バシャッ
近くで何かの物音を感じる。
音の方角へ目を凝らすと、靄の中にエルクの姿を見つけた。
どうやら沢で水を飲んでいるようだ。
740
︻隠蔽︼を付与していて良かった。気づかれていない。
しかし、どうするか?
︻隠蔽︼接近し︻麻痺︼を撃ちこむ作戦は失敗したばかりだ。
もう1度同じ作戦をやってうまくいくとは思えない。
ならどうやって仕留める?
エルクは水を飲みつつも、周囲を注意深く警戒している。
あまり長いこと考えている時間は無さそうだ。
雷魔術 C級
闇魔術 E級
土魔術 F級
火魔術 E級 体術 D級
疾走 E級
肉体に︻耐久強化︼︻筋力強化︼︻隠蔽︼を付与する。
︻雷付与︼も付けようかと思ったが、余計な刺激で察知されても上
手くないので、今回はやめておこう。
741
俺は︻疾走︼スキルを発動させた。
魔力がグンと消耗される感覚。
︻脚力強化︼とは全く違う感覚だ。理屈は全くわからんが、使用者
をとにかく無理やり高速で走れる状態にするスキルである。
俺はエルクに向かって走りだす。
奴の一歩手前で跳躍し、その背中へ飛び乗った。
﹁フィーーーーーンッ!?﹂
驚いたエルクが声を荒げる。
突然背に現れた無礼者を振い落そうと、激しく抵抗し暴れ回る。
前足を持ち上げ、首を激しく振るう。
俺は必至に首にしがみついた。
ゼロ距離から放たれる闇魔術︻恐怖︼はエルクの動きを一瞬止め
た。
エルクの体がブルリと震える。
﹁フィーーーーーーンッ!?﹂
742
俺は更に︻麻痺︼を撃ち込む。
バジッという短く高い音が聞こえ、エルクの筋肉が収縮する。
その場に立つこともままならずに、グラリとよろけ地面に倒れ込
んだ。
﹁フィイイイイーーーンッ!!﹂
最後の抵抗とばかりに首をもたげる。
しかし体は完全に︻麻痺︼が効いている。ビクビクと僅かに痙攣
するばかりで、立ち上がる気配はない。
鹿の表情はわからないが、その瞳はまるで恨みを込めた呪詛を孕
んでいるかのように感じた。
﹁悪いな。恨みはないけど死んでくれ﹂
今更かわいそうと宣うつもりはない。
俺は手のひらに魔力を集め︻雷撃︼を放った。
C級の︻雷撃︼数発を浴びせて、エルクはやっとその動きを止め
た。
俺は動かなくなったエルクを背負い、狩小屋まで移動した。
おそらく100キロ以上あるだろうが︻筋力強化︼が効いている
からか、何とか背負って動ける。
743
このままここに放置しても魔物を呼び寄せそうだしな。
狩小屋の前まで運んだところで︻隠蔽︼施しておく。
これで見つかる可能性もだいぶ減っただろう。 >>>>>
﹁凄いです!凄いです!ジン様!﹂
リザを起こして仕留めたエルクを見せると、彼女は驚き喜んでく
れた。
﹁こんなに立派な太い角。ありがとうございますジン様﹂
どうやら目的の1つはクリア出来たようだ。彼女の喜ぶ姿を見れ
たのだ。頑張ったかいがあったというものだ。
エルクから角を切り落とし、ついでに皮を剥いで素材として持ち
帰ることにした。
解体スキルの出番である。 ちなみに肉は時期はずれで、旨くないそうなので放置することに
なった。
森の魔物たちが処理してくれるだろうという話だ。
魔石︵毒耐性︶
744
スキル付きだ。
森には毒を持つ魔物も多いそうなので、このスキルは役立ちそう
だ。
﹁あとはレッドトレントだな。食事を取ったら探索を始めよう﹂
﹁はい。お願いします﹂
軽い食事を済ませて、出立の準備を整えた俺達は狩小屋を後にす
る。
今日で見つからなかった場合は、またここに戻る予定だが、でき
れば見つけて街に帰りたいものだ。
まぁリザと二人きりというのも悪くないが、安心して眠れる家と
ミラさんの手料理には敵わない。
リザとて何日も泊まりこむのは厳しいだろう。
﹁私はジン様と一緒なら何処だって構いません﹂
リザは上機嫌で答えた。
目的の物も得られたし、機嫌がいいようだ。
俺は魔眼で周囲を確認しながら、慎重に探索を進める。
︻探知︼でも探れるが、擬態しているなら︻探知︼では発見できな
い可能性があるからだ。
この世界はあらゆるものに、魔素が含まれている。
745
人が栄養を得て血液を作り出すように、この世界のあらゆる生物
は魔素を得て魔力を生み出している。
それは人も魔物も同じだ。
水にも空気にも土中にも魔素は含まれる。
魔力探知は、魔素と魔力の両方を︻探知︼できる。
ただ魔素は感じる力が小さいために、通常素通りしている感じだ。
そこら中に存在しているために、あるのが当たり前なのだ。
だが魔力は生物が作り出すものなので、それを︻探知︼すること
で、その存在を感じ取る事ができる。
魔力は大抵体から微量ながら溢れでているものなので、それを感
知している感じだ。
魔物に限れば体の大きなものは、多くの魔力を溢れさせているこ
とが多い。もちろん例外もあるが。
だが賢い奴は漏れ出る魔力を抑え、隠すことの出来るやつも居る
のだ。
そういうものを︻探知︼で探しだすのは難しい。
別のアプローチが必要だ。
746
森の中は静かだ。
魔物はいるが襲い掛かってくる様子はない。
朝方よりかは晴れたが、今もまだ靄が残っていた。
場所によっては、未だ濃く視界を遮っている。
リザが巨木の1つに手を触れる。
レッドツリーだ。トレントじゃない。
﹁どうしても見つからない場合は、市場でツリーの根を購入するこ
とにします﹂
リザは申し訳無さそうに言った。
﹁いやまだ諦めるのは早いだろう。もともと見つけるのは難しいと
わかっていたのだし、俺も覚悟はしてきた。出来るだけ頑張ろう﹂
いつもリザには世話になっている。
こういう頼られたときこそ、頑張らないでいつ頑張るというのだ。
それに美少女の前でカッコつけるのは、男の本懐であるしな。
747
﹁リザ見つけたぞ﹂
状態:擬態
何本かのレッドツリーのなかに、レッドトレントが紛れている。
なるほど見ただけでは区別がつかない。
レッドトレント 魔獣Lv15
高さ10メートルほどの木である。
赤茶色の樹皮、赤みがかった葉。
皮を這いだ中も、赤みが差していて工芸品に使えるらしい。
一般的には杖が有名のようだ。
ほぼ垂直に伸びる広葉樹である。
周囲に魔物が居ないことを確認し、︻雷魔術︼にポイントを設定
する。
雷魔術 A級
杖先から放たれる極太の光帯。
激しい雷鳴。
空気を震わせる振動。
748
獲物を狙う蛇のように、だが鋭角に大気を切り裂くようにまるで
意志を持った光の槍は目標に向かっていく。
おそらく出来事は一瞬だった。
だがその残光ははっきりと脳内に焼き付けれる。
気づいた時にはレッドトレントは、中程から無残に破壊され分断
されていた。
威力も凄いが音も振動も半端ない。
まず暗殺には向かない魔術だとわかった。
派手すぎる。
C級からの進化が段違いだ。
俺はポイントを設定しなおし︻隠蔽︼を付与する。
﹁ふわああぁ⋮⋮﹂
リザは驚愕の表情のまま停止している。
︻雷撃︼は射程もだいぶ伸びているようだった。
検証しないと正確には不明だが、たぶん20メートル以上は余裕
だと思う。
749
もっと使用感を試したいところだ。 750
第65話 エルフの秘薬9
﹁何にせよ他の魔物が集まってこなくて良かった⋮⋮﹂
空気が震えるほどの轟音が森を突き抜けた。
︻隠蔽︼が解除され、俺達を発見した魔物に襲われるかと危惧した
が、今のところ襲ってくる気配はなかった。
もしかしたら逆に警戒の対象になったのかもしれない。
冒険者Lv14
確認するとレベルも上がってた。
レベル的には格上の魔物だしな。
﹁リザ大丈夫か?﹂
驚きで思考の停止しているリザに声を掛ける。
﹁あっ、はい。凄いですね。新しく修得された術ですか?﹂
﹁いや、いつも使っている︻雷撃︼という術だ。試しにランクをA
まで上げてみたのだが、俺も驚いた﹂
ランクを上げることで性能が変化するという術もある様だ。
他の術も試したほうが、良いかもしれない。
751
﹁⋮⋮凄いですね。魔装具や強化術の援護なしで、こんな威力が出
せるなんて﹂
S級となると更に威力が上がるのか。試すのが楽しみだな。
しかし魔力の消費もかなり上がっているようなので、ランクを上
げればいいというものでも無いような気がする。
F級やE級あたりだと、いくら撃っても魔力の消耗は僅かなもの
で、数時間は余裕で戦えた。
だがA級となると、かなり消費が上がっているようだ。
体感だが10∼20倍くらいにはなっていそうだ。
﹁それでレッドトレントを仕留めたはいいが、これどうする?﹂
中程から折れて沈黙しているレッドトレント。
もちろん木として擬態していたので、根は完全に地中である。
目的の部位は根っこなのだ。
﹁えーっと⋮⋮﹂
2人とも土を掘り返すのに有効な魔術は所持していない。
リザが採取用に、小さなシャベルを携帯しているくらいだ。
つまり算段としてはこうだった。
トレントを発見。
攻撃を加える。驚いたトレントが反撃するために根を地中から引
752
き上げ、動き出す。
完全に地中から出たところで、止めを刺す。
﹁うん、俺のミスだな。すまん﹂
調子に乗ってぶっ放したのは俺です。ごめんなさい。
でも、まさか一撃とは思わなかったのだよ。
エルクはけっこうしぶとかったからな。
トレントは雷が弱点なのかもしれない。
﹁だ、大丈夫ですよ。この調子なら直ぐにまた見つかりそうです﹂
今度は手加減することを念頭に、俺は気合を入れなおした。
>>>>>
レッドトレントは直ぐに見つかった。
先程のものよりも大物だ。
今回は手加減して攻撃したので、問題ない。
753
作戦通りに、トレントを誘い出し撃破に成功。目的の素材を手に
入れることができた。
赤木霊の根 素材 D級
ついでに魔石も手に入れた。
魔石︵成長促進︶
自身の成長を促進させる⋮⋮
よくわからないが、ゲーム的に言うと経験値取得量の上昇って所
だろうか。
どの程度の効果があるか不明だが、効果次第では有用なスキルだ
ろう。
検証は追々として、取り敢えずはポイントが余ったら設定してお
く程度でいいか。
﹁さて、今夜は森に泊まらなくて済みそうだな﹂
持ってきた手斧を鞄に収納する。
冒険者の鞄、便利すぎる。
目的の根っこの他に、素材として有用な本体も適当に切り落とし
持って行くことにする。
すべてを持っていくのも大変なので、何となく良さそうな部分を
754
厳選した。
俺の見立てではなくリザの意見を聞いたので、間違いはないと思
う。
﹁すべてジン様のお陰です。ありがとうございました﹂
リザが深々と頭を下げる。
﹁リザの仕事のサポートも俺の仕事の1つだからな﹂
当然だろ?と俺は笑って返した。
それにしても朝からの靄は、未だ晴れる様子もなく、どちらかと
言うとより濃くなってきているようだ。
それに何処からか、風に乗って異臭も漂ってくる。
﹁⋮⋮これ、瘴気かも知れませんね﹂
瘴気。
たしか濃度の高い魔素が、視認できるまでになったものだったか。
︻探知︼で探るぶんには、特別変わった感覚はない。
いや僅かに︻探知︼の感覚が鈍いかもしれない⋮⋮本当に僅かな
感覚であるため確証はないが、瘴気には術を阻害する効果があるか
もしれないな。
﹁瘴気に長時間晒されると体調を崩すと聞いたが﹂
755
﹁高濃度の瘴気だとそうかも知れませんが、これはそれほど濃度は
高く無いようです﹂
だとしても長居は無用か。
視界は不明瞭だが、帰り道は大丈夫だろうか。
﹁こう見えて森歩きには自信がありますから、任せて下さい!﹂
﹁うん。頼りにしてるよ﹂
しっかり者のリザが任せてというのなら心強い。
得意気に胸を張るリザの豊かな胸が、ゆさりと揺れた。
視界の悪い森を歩き出す。
帰還の途について間もなく、俺は異変を感じる。
ザシュ⋮⋮ザシュザシュッ
グシャッ
グシャッ
ズシュッ
756
風に乗って香る異臭。
近くに何かある。
﹁リザ気づいたか?﹂
﹁はい、これって⋮⋮﹂
俺の︻探知︼が危険を知らせる。
無数の魔力の反応。
だが俺たちを狙っている訳ではないようだ。
靄の奥にソレはあった。
﹁巨人か⋮⋮﹂
サイクロプスの死骸。
5メートルはあろうかという巨体が森の腐葉土の上に横たわる。
うつ伏せに倒れこんでいる為に、その表情は窺い知れない。
だがそいつは確実に死んでいる。
757
何故なら今まさに無数の甲虫に全身を集られ、あらゆる場所が食
われているからだ。
異臭はコイツの腐敗臭だったようだ。
鼻につく刺激で、俺は目を顰めた。
モゾモゾ、ガサゴソ⋮⋮
死骸に群がるのは全長50センチはあろうかという、巨大なダン
ゴムシのような魔物だ。
その口は凶悪なまでに進化していて、まるでエイリアンである。
死骸の肉を鋭い歯を持つ顎で、ガツガツと食らいついている。
グロい。
死骸に集る虫の数は数え切れない。
︻探知︼で探れば見えない範囲にも大量にいることがわかるのだ。
ウッドラウス 魔獣Lv12
ウッドラウス 魔獣Lv8
ウッドラウス 魔獣Lv4
魔物のレベル幅がかなり広い。
758
特に死骸に群がる奴はレベルが高いようである。
食ってレベルが上ったのか、レベルが高いから食事にありつける
のかどっちかはわからない。
﹁ジン様⋮⋮﹂
リザが耳元で、小さな悲鳴を上げる。
見れば足元スレスレを魔獣が行き交う。
﹁ッ!﹂
思わず声を上げそうになるのを、必至に我慢する。
いつの間にか足元は、魔物で埋め尽くされたように思えるほどの
大群で溢れていた。
周囲の木々を見るも、その幹には大量の魔物が張り付いている。
もしも襲われたらと想像すると、ゾッとする。
レベルが高かろうが低かろうが、この物量の前には関係ないだろ
う。
﹁そっと抜けよう、魔物に触れないように﹂
俺はリザに耳打ちする。
リザは俺の顔を見て頷き、ともかく一刻も早くこの場を脱出する
ことにした。
759
ギチギチギチギチ⋮⋮
魔物たちが俺たちを見て、まるで威嚇するかのように顎を鳴らす。
上体を持ち上げ、今まさに飛びかからんとするような姿勢だ。
﹁走るぞ﹂
俺はリザをお姫様抱っこで抱え上げる。
﹁あっ﹂
軽いな。リザは160センチくらいで、そう大きな方でも無いと
思うが、それにしても軽い。
俺は︻疾走︼スキルを発動させる。
リザを抱きかかえたまま、俺は靄に包まれた森を走り抜けた。
森を歩くに慣れていない俺が視界の悪い中、ただ敵から逃げるた
めに走り続けるとどうなるか。
﹁うん。迷子だな﹂
とにかくがむしゃらに走った。
ウッドラウスは目に見える範囲外にも大量に集まってきている最
760
中で、完全に振り切るにはしばらく走るのが良いと判断したのだ。
更に逃げる途中にゴブリンの群れや、ワイルドドックの群れ、ウ
ッドマンの群れにも遭遇した。
群れに飛び込んでの乱戦は、俺はいいとしてもリザに怪我をさせ
る可能性があるため、逃げの一手と決め込んだ。
それ以外の選択肢はなかったのだ。
長時間の︻疾走︼は魔力を大きく消耗した。
﹁ジン様、これを﹂
リザがマナポーションを渡してくれる。
﹁ありがとう﹂
俺はリザの手から、それを受け取ると勢い良く飲み干す。
魔力が回復していくのが感じられた。
﹁それにしても、ここは何処なんだろうな⋮⋮﹂
まぁ最初から、俺は現在地を把握してなかったわけだが。
あぁ、迷子は完全に俺のせいか⋮⋮
﹁えっと、ごめんリザ﹂
俺は頭を下げる。
761
﹁え?どうしてですか?﹂
リザは困惑の声を上げた。
﹁いや、逃げることに集中してて、もっと気を回せば迷子に成らな
かったかもなって﹂
俺は肩を落とした。
﹁ジン様は私を守るために動いてくださったんですよね。ありがと
うございます﹂
リザは頭を下げ、笑顔で向き直る。
﹁ですから謝ることは何一つありません。それに殿方が簡単に頭を
下げては行けませんよ﹂
リザはにこやかに微笑む。
慈愛に満ちた表情だ。
﹁でもそれがジン様の優しさなのですね﹂
リザは俺を優しく抱擁する。
いつもの優しい花の香りがした。
762
第66話 エルフの秘薬10
ズシンッ
ズシンッ
ズシンッ
巨大な脚が大地に沈む。
木材を集め無理やり人の姿に形作った巨大な人形。
ウッドゴーレム。
リザの香りを楽しむ暇も無く、それが群となって俺達の目の前に
現れた。
﹁オオオオオオオオオオォォォォォーーーーーーンッ!!﹂
人形と言うには不細工な作りだ。
これを作った作者はよほど不器用だったと思える。
一応頭があり腕が2本、胴体に脚が2本あるために人型とわかる。
顔の部分は面を被ったように能面だが、左目に当たる部分だけが
763
赤い単眼として輝きを放っていた。
口も無いのに何処から声が出ているのか気になるところではある
が、悠長に考えてる暇はない。
雷魔術 A級
探知 D級
巨大な体。
捕まれば人など、容易く握りつぶせるであろう巨大な腕。
ただ彷徨くだけで、その存在自体が脅威となる。
唯一の救いは致命的に脚が遅いことくらいだ。
﹁いい的だ﹂
だがそれが俺にとっては、最高の獲物だった。
杖の先から凶悪な雷が解き放たれる。
予め︻雷付与︼も施してあるため、更に強力になっているだろう。
ウッドゴーレム 魔導兵Lv18
5メートルはあろうかという巨体が雷の直撃を受けて激しく揺れ
る。
上半身の大部分を失い、その破片が空中に撒き散らされた。
764
ゴーレムは自重からか、バキバキと乾いた高い音を立てて崩れる
ように自壊した。
﹁ゴーレムってのは柔らかいな﹂
大気を揺るがすほどの雷が、ゴーレムの群れを次々に葬っていっ
た。
腕を吹き飛ばし、脚を吹き飛ばし、胴体を根こそぎ吹き飛ばす。
ウッドゴーレム 魔導兵Lv19
弱点:火雷 耐性:水光
スキル 木工
もうかなりの数のゴーレムを破壊したと思うが、まだ終わりは見
えてこない。
最初は5匹ほどだと思ったのだが、いつの間にか増援が来ていた
ようだ。
一定の数を倒すと、魔物のステータスも見えるようになるのだが、
木工ってどういうことだろうか?椅子とか作れるようになるのかな?
そんなことを考えると、一瞬判断が遅れた。
ゴーレムの腕が迫る。
﹁くっ!﹂
765
俺は何とかギリギリで︻雷撃︼を放った。
迫り来る腕が爆ぜる。
一瞬の判断でリザを庇うように動く。
破片を正面から浴び、激痛が体を駆け抜ける。
﹁ジン様!﹂
後方に控えていたリザが俺を抱きかかえた。
俺の怪我を案じて、悲痛な顔を見せる。
﹁大丈夫だ、ちょっと掠っただけだ﹂
破片が頬を切り血が流れる。
体は鎧を着込んで居たため、たいした被害はなかった。
お構いなしに、ゴーレムはにじり寄ってくる。俺を捉えることに
執念を燃やしているかのようだ。
追撃してくるゴーレムに俺は︻雷撃︼を放つ。
﹁今のうちに距離を取ろう﹂
俺達はゴーレムの群れから距離を取るように、後方へ走っていっ
た。
766
幾らか進むと崖に突き当たる。
行き止まりだ。
ゴーレムはすぐに来る。
脚が遅いとはいえ、そう距離は離れていない。体が大きいぶん歩
幅はあるからな。
﹁ジン様、こっちです﹂
横穴を見つけた。
熊の巣穴にしては大きいが、たぶん何か大型魔獣の棲家だろう。
家主は今は居ないようだ。
もしかしたら捨てた家かも知れない。
俺達はとりあえず其処へ身を隠すことにした。
﹁ジン様、痛くないですか?﹂
リザが頬に傷薬を塗ってくれた。
たいした痛みもないので、それほど深い傷ではなさそうだ。
﹁ありがとう。大丈夫だ﹂
ズシンッ
767
ズシンッ
ズシンッ
横穴の入り口近くに足音が近づいてくる。
穴はそれほど奥行きはない。
あの巨体では入ってこれないとは思うが⋮⋮
﹁あっ!﹂
リザが叫ぶ。
振り向くと、穴の中へ手を差し込んでくるゴーレムの腕が見えた。
ズリズリズリズリ⋮⋮
穴の中の天井は高さ2メートルに満たない低いものだ。
そこへゆっくりとゴーレムの枯れ木の様な腕が差し込まれる。
天井、壁、床を擦りながら徐々に侵入してくるのだ。
俺達は身を寄せ合い、奥へと後退する。 だが既に最奥まで来ていて、もう下がることは出来ない。
768
俺はリザを後ろにして杖を構える。
こんな狭いところで︻雷撃︼を放てば穴が崩れるかもしれない。
間違えて壁に当ててしまっては大変だ。
リザが俺の腕にしがみつく。
﹁心配するな。このゴーレムは雷が弱点のようだし、俺は相性が良
い。軽く蹴散らして街へ帰ろう﹂
俺は余裕を見せてにやりと笑った。
﹁心配していません。ジン様の凄さはよく知っていますから﹂
ゴーレムの腕が近くまで伸びる。
まるで巣穴へ逃げ込んだ兎を、捕まえようとしている狩人のよう
に。
だがお前の追っている兎は、少しばかり凶暴だ。
︻雷撃︼
杖から紫電が放たれた。
獲物を求める雷蛇が、その太い枯れ木に噛み付く。
769
乾いた甲高い音がして、ゴーレムの腕は打ち砕かれる。
轟音が穴の中で反響し、壁が地面が揺れたような気がした。
こんな狭い場所で使うもんじゃない。
幸い鼓膜は破れていないようだ。
俺はリザの手を取り、穴の入り口へ向かう。
腕を失ったゴーレムが、入口付近で立ち尽くしていた。
まるで怒りに震えているかのようだと思ったが、実際は能面で表
情などわからない。
︻雷撃︼
立ち尽くすゴーレムの腹部に直撃した。
激しい音と閃光と何かの燃える臭いが、周囲に溢れる。
バキバキと音を立てて、ゴーレムは2つに分離した。
﹁立ち尽くすばかりじゃ、動かない木と変わらないな﹂
ともあれ数が多い。
マナポーションは使ってからまだそう時間が立っていないので、
今飲んでも十分な効果は得られない。
森の中で見つけた薬草、苦渋草を齧っているが気休め程度だとい
う。
770
苦渋草はリザが教えてくれた薬草で、苦くて渋くてとても食えた
ものではないが、齧っていると魔力回復を促進してくれる薬草らし
い。
こんな切羽詰まった時じゃないと、絶対に口にはしたくないクソ
不味い草である。
ゆっくりと近づいてくるゴーレムを︻雷撃︼で沈黙させる。
少々体力的にも疲れが出てきた。
しかし目に見える範囲のゴーレムの数は、確実に減ってきている。
たぶん増援はない。
これを乗り切れば、一息着けるはずだ。
だが魔力消費の大きな︻雷撃︼を乱発しているため、いくら魔力
総量の多い俺とはいえ枯渇してきた。
上手くすれば全滅されられると思うが、魔力の消耗具合が上手く
行かなければゴーレムを全滅させる前に、魔力の枯渇から気絶や強
制睡眠になってしまうかもしれない。
そうならなくても運動能力は著しく低下するだろう。
そうなれば逃げることも戦うことも敵わない。
リザも疲弊している。攻撃力のないリザではゴーレムを破壊する
術はない。俺を担いで︻脚力強化︼で逃げるのは無理だろう。
1人ならこの場を逃げることも可能かもしれないが、ここまで森
771
の中まで入り込んでいては1人で街まで戦闘を回避し続けて行くの
は不可能だ。
﹁ここが正念場か⋮⋮﹂
リザの身も、俺自信も危険に晒されているというのに、何故だが
少し気持ちがいい。
疲れで頭がおかしくなったのだろうか。
リザが俺に寄り添ってくる。
﹁失敗したら死ぬかもしれん﹂
俺はリザの顔を見ずに、ぼそりと呟く。
﹁ジン様と一緒なら怖くありません﹂
リザは穏やかな口調で言ってのけた。
この世界では死は日常的にすぐ傍にある。
盗賊は珍しくないし、街から出れば魔物は幾らでもいる。
病院にあたる治療院は高額で貧乏人は通えないし、薬も大変高価
なものだ。
病気や怪我で命を落とすものも少なくはない。
誰しも死は隣人のように、直ぐ傍にいるものと認識している。
772
だが俺も少なからず、それに近い感情がある。
両親を幼いころに無くし、成人まで育ててくれた祖父母も恩返し
も出来ぬまま亡くしてしまった。
俺にとっても死は身近にある存在だ。
俺もいつ死ぬかわからない。
事故か病気か。
事件に巻き込まれることだってあるかもしれない。
まぁ人の恨みを買うようなことは、していないつもりだが。
ともかく死ぬときは死ぬ。
それが明日か50年後かは変わらないが。
そんなある種、達観した考えを持っていたわけだが、今は正直死
にたくないと考え初めている。
まだ死ねない。
足掻けるとこまで足掻いてやろうと。 俺はリザの顔を見て、改めてそう感じた。
﹁リザ試したいことがある﹂
773
﹁はい﹂
﹁あー、まぁ上手く行くかはわからないのだが﹂
俺は不安気に口ごもった。
﹁でも自信はあるのでしょう?﹂
リザの顔は晴れやかだ。
なんの不安も感じていないかのように。
俺のことを信頼しきっている。そんな顔だった。
俺は彼女の耳元で囁いた。
﹁もう少し時と場所を選べればよかったのだが﹂
﹁いいえ。それに初めてお会いした時も、この様に魔物に囲まれて
いましたよね﹂
リザはそんなに昔のことでは無いはずなのに、懐かしく感じると
クスクス笑った。
﹁あの時も大変だったな﹂
リザのあの頃の姿を思い出して、ふっと口元が緩む。
﹁あ、あれは忘れてもいいです﹂
リザは不本意だと、苦い顔をした。
774
俺はリザを優しく抱き寄せる。
﹁ともかくここを乗り切ってからだな﹂
﹁はい﹂
リザは静かに頷いた。
目を瞑り、俺のすべてを受け入れようとするリザ。
だが緊張もしているのだろう、触れればそれが伝わってくる。
そんな彼女にこれ以上ない愛おしさを感じ、その小さく潤んだ口
元に唇を重ねた。 775
第67話 エルフの秘薬11
リザの小さな唇と重ね合う。
情熱的に激しく求める動きに、リザもぎこちないながらも合わせ
てくる。
永遠にこのままでいたいという誘惑に駆られるが、そうも言って
られない。
︻魔力吸収︼
小型の蝙蝠系の魔物から修得した魔術。
奴らは対象の獲物に噛みつき、魔力を奪い糧としている。
これは相手に触れれば発動できるタイプの魔術だ。
だが使い方によっては、もっと効率的に魔力を吸い上げる方法が
あるのではと考えていた。
まぁ実験はしなかった。というか出来なかったわけだが。
舌を吸い上げ、甘噛みする。
﹁んッ、んんん∼んっ⋮⋮あっん﹂
甘く切ない声が漏れる。
776
ズズズズズズズズズ⋮⋮
ゆっくりと俺の体内に魔力が流れ込んでくる。
エルフは妖精種の中でも特に魔力総量で多いことで知られている。
魔力総量というのは、いわゆるMP最大値の様なものだ。
魔術やスキルを使用すると消耗し、使いきれば動けなくなったり
気絶することもあるという。
しかしハーフだとエルフとは違って魔力総量はハーフだけに半減
されているのでは?と思うが、そうでもないらしい。
エルフより僅かに少ないだけで、ほぼ変わらず高い魔力総量を持
つのがハーフエルフらしいのだ。
ハーフエルフは魔術師として優秀なエルフの半端者ではなく、エ
ルフの魔術師としての能力と、人族の柔軟性を併せ持つ2つの種の
強みを併せ持った混血種ということなのだ。
決して半人前というものでは無い。
777
チュウ⋮⋮ジュルジュルジュル⋮⋮ゴク。
﹁ん、口開けて﹂
﹁はい⋮⋮あんっ⋮⋮んんっ⋮⋮﹂
俺の舌がリザの口内を蹂躙する。
欲望のままにリザの甘い魔力を吸い出していく。
やっべ止められない⋮⋮
⋮⋮少し吸い過ぎたか。
リザは脚をがくがくと震わせ、立っているのもやっとの状態だ。
枯渇に近い状態に見える。ここまでするつもりは無かったのだが
⋮⋮申し訳無い。
﹁リザ大丈夫か?﹂
俺が肩を掴むと太腿を擦り合わせて、崩れるように地面にへたり
込んでしまった。
﹁だ、大丈夫です。少し休めば回復しますので⋮⋮﹂
778
ほぅと溜息を付くように頬を赤く染めて、熱っぽい瞳で空を見つ
めている。 エルフの血を引くリザは魔力の回復を促進させる特性を持ってい
る。
このような森の中であれば、その効果も高まる。
﹁少し片付けてくる。ちょっと待ってろ﹂
へたり込むリザに言い聞かせる。
﹁あっ、待って﹂
リザが俺の腕を強く掴む。
﹁ん?﹂
リザが俺を押し倒すかのように覆いかぶさり、唇を重ねてきた。
﹁いってらっしゃい﹂
そう熱っぽい瞳で、彼女は呟いた。 >>>>>
この世界のポーションは飲めば瞬時に回復するというほど万能で
はない。
779
マナポーションだと飲んだ瞬間に幾らか魔力が回復し、更に一定
時間徐々に魔力が回復していくと言ったような感覚だ。
これはライフポーションもキュアポーションも同じである。
だが闇魔術︻魔力吸収︼は別である。
対象から魔力を直接吸い上げ、それを瞬時に自分の物にする。
正確には不明だが還元率はランクによって上昇しているような感
じだ。
例えば対象の魔力を100減らしても、俺が魔力を100吸収で
きる訳ではないということだ。
どの程度かは分かりかねるが、その辺りはリザにも協力してもら
って検証を重ねるしか無いな。
この辺りはゲームのような数値が見えないので、感覚で予想する
しか無い。
﹁おおおおおッ﹂
魔力が回復した俺は、手当たりしだいにゴーレムを破壊して回っ
た。
回収できる魔石も回収しておく。レベルもあがったようだが確認
は後だ。
780
マナポーションとは違い、一気に魔力が回復するというのは独特
の感覚がある。
体の中にエネルギーが満たされるような感覚。
一種の快楽にも近い高揚感。
今なら何でも出来そうな気がする。
﹁さぁどんどん行くかッ﹂
目に見える範囲をゴーレムを掃討し、魔石を回収してリザの元へ
戻った。
﹁リザ動けるか?﹂
一応聞いてみるが、まだ時間的に僅かしか立っていない。ほとん
ど回復していないと見ていいだろう。
﹁すいません﹂
﹁いや、いい。ここでゆっくり座ってるのは危険そうだ。︻隠蔽︼
を掛けて移動したいと思う。いいか?﹂
俺はリザに了承をとり、彼女を背負って移動を開始した。
781
︻疾走︼は長時間使うと魔力の消耗が激しい。
目的もなく使うのは危険だ。
それにリザを背負って使うのは流石に躊躇われる。
俺は靄の中、地形を確かめながら歩みを進める。
何処をどう行くかは、リザが指示を出している。
彼女の直感が頼りだ。
﹁私も自分が今何処にいるかは、把握しきれていません。なので街
までの道を、見つけられるかどうかは⋮⋮﹂
リザの声は自信のないような、落ち込んだものだった。
直感は別に万能の魔法という訳ではない。
どうすればいいか選択に迫られた際に、限られた情報から感覚的
に最善の手を選べるようにする能力である。
﹁どのみち俺では全く見当がつかない。ここで立ち止まっている訳
にも行かないだろうし、リザの判断が今は最善の選択だ﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
リザは決心したように呟いた。
﹁⋮⋮ゴブリンだ﹂
782
茂みの中、何かを探るように徘徊するゴブリンの群れを見つける。
﹁今は構ってる場合じゃないな。静かにやり過ごそう﹂
﹁はい﹂
ゴブリン 妖魔Lv8
餌でも探しているのか、地面に意識を集中させて十数匹の群れが
動いている。
ギギッ
ギャィ
ギギギッ
時折仲間内で会話をしているような様子を見かける。
ゴブリン語だろうか。
人型ではあるし、それなりに知性もありそうだ。
﹁ギャアアアァァァァァァーーーッ!!﹂
1匹のゴブリンが耳を劈く悲鳴を上げた。
茂みの中から、俺達の目の前に転がり飛び出してくる。
783
﹁な、何だこれ?﹂
ゴブリンは激しく苦しみもがいて転げまわる。
グシュグシュグシュ⋮⋮
俺はその苦しみの正体を発見する。
キャタピラー 魔獣Lv10
背中に取り付いた大型の毛虫が、ゴブリンの首元に齧りつき肉を
貪り食っている。
辺りに血の匂いが広がる。
ゴブリンは程無くて力尽きたようだ。
﹁肉食毛虫の魔獣ですね⋮⋮﹂
ふと見上げると空中に無数の毛虫が浮かんでいるのが見えた。
いや浮かんでいるのではない。
巨木から広がる枝に糸を付け、そこから垂れ下がっているのだ。
糸が細く靄もあってか視界も悪いため、何もない空中に浮かんで
いるように見える。
彼らの体表に広がる毛は、空気の微妙な振動を感知して獲物を察
知するらしい。
784
目的の対象が眼下に来た時、糸を切り落下する。
そして獲物に取り付き襲うのだという。
﹁⋮⋮刺激しないように慎重に行こう﹂
微かな風に揺られる毛虫。
︻隠蔽︼を施しているとはいえ、この魔物にどれほど効果があるの
かはわからない。
︻隠蔽︼では音や気配まで隠せない。
あくまで視覚を欺く魔術なのだ。
﹁⋮⋮洞窟だ﹂
地面に穴が開いている。
少し盛り上がった地面に、地下へと続くように闇の世界の入り口
が開かれていた。
穴は直径10メートルほどもあり、かなりの大きさだ。
円形に近く、自然に出来たようなものには見えない。
坑道と言えなくもないが、木材で補強されたわけでもないので人
785
の手によって作られた物では無さそうだ。
まるで突然地面に穴が開いたような形跡をしている。
﹁⋮⋮危険だと思うか?﹂
入り口に立ち尽くす俺はリザに意見を求める。
周囲を見上げれば、毛虫がゆらゆらと揺れている。
あれがいつ下りてくるかも分からない。
魔力を失ったリザを抱えては、多数の魔物に囲まれるのは危険が
ある。
﹁何かいる気配はありますが⋮⋮﹂
リザは空を見上げる。
﹁ここにいるよりは、まだ良いかも知れません﹂
︻灯火︼火魔術の熱も持たない火球が、洞窟の闇を照らしだす。
土壁のようだが意外としっかりしていて、今にも崩落しそうとい
うといった様子でもない。
とはいえ慎重に進む。
786
リザは壁に手を付き、足場の悪い道をゆっくりと進んでいく。
彼女を背負いながらでは、この場を移動するのは難しい。
それに何か居た場合、咄嗟に対応するにも難があるだろう。
申し訳ないが、ここは一旦自分の足で歩いてもらうことにした。
俺は彼女の歩く速度に合わせて︻探知︼を使いつつ、周囲を油断
なく探りながら進んでいく。
﹁風が流れていますね﹂
洞窟内に空気の流れがある。
ということは、この先が何処かに繋がっているということだ。
道は緩やかだが徐々に下降していっている様子だ。
やがて俺たちは大きな空間に出た。
巨大な地下空間。
暗くて先が見えないが、かなりの広がりを感じる。
生物の気配はなく、あたりは不気味なほど静まり返っている。
大きな岩がごろごろと転がり、歩きづらいが特に危険な様子はな
787
い。
天井もかなり高いようだ。
明かりが十分に届かないほどの高さがある。
﹁不自然ですね⋮⋮これほどの場所なら、魔物が入り込まないはず
は無いかと思うのですが﹂
森の中には風雨に長年晒されたり、地下水に侵食されたりと自然
現象によって作り出される洞窟などは幾らでもある。
それらは大抵何かしらの魔物の棲家となっている場合が多い。
他にも魔物自体が穴を掘り、巣穴を作ったりもする。
何かの事情で巣穴を放棄する場合、いちいち埋め立てて放棄する
なんてことはない。
打ち捨てられた巣穴は、また別の魔物の棲家となるだけだ。
このような広大な地下空間で、魔物が1匹も存在しないというの
は不自然なことであった。
もしかしたら地下から毒ガスなどが噴出し、住むに住めなくなっ
た場所なのかも知れない。
だがそれなら人族よりも感覚の鋭敏な、エルフの血を引くリザが
異変を感知するかと思うのだが⋮⋮ ﹁⋮⋮なにかいるな﹂
788
地下空間を進むうちに、この場所に何かが潜んでいるのを︻探知︼
で補足した。
789
第68話 エルフの秘薬12
地下空間は東京ドームなんかが入りそうなほどの、広大な部屋で
あった。
まぁ東京ドームに行ったことがないから、実際東京ドームがどの
くらい広いのかは知らないのだが。
とにかくめちゃくちゃ広いって感じだ。
部屋の中心、その床に何かがめり込んでいる。
⋮⋮岩ではないようだ。
グレイブディガー 死霊Lv20
巨大な饅頭、そんな容姿である。
焦茶色の体に、ドーム状の丸い体。温泉饅頭を彷彿とさせる形態
だ。
直径10メートルはあるかと思う。だいたいバスくらいの大きさ
はあるだろう。
高さはそれほどもない。というか地面にめり込んでいる。饅頭が
いる場所がいくらか陥没しているのだ。
790
肌は岩のようだ。
ひび割れて、まるで古くなった鏡餅といった様子だった。
生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。
いや死霊というのは、アンデッド系の魔物だったはず。
とういうことは、元よりそういった魔物なのだ。
ただこの形状はまったくもって不明だ。
まだ人型のグールなどは理解できるが、饅頭である。
謎すぎる。
﹁そういえば迷宮を作る魔物の話を聞いた事があります﹂
迷宮。いわゆるダンジョンである。
地下へ続く魔物の巣窟だ。
どうやって作られたのかは誰も知らない。
いつのまにか存在し、ダンジョン内部は濃度の高い魔素が充満し
ているために魔物が成長しやすく、また増えやすいという。
増えた魔物はダンジョンを飛び出し、人の生活圏を脅かす。
人にとっては、この上ない厄介な存在である。
791
﹁こいつがその迷宮を作る魔物なのか?﹂
リザが首を横に振る。
﹁わかりません。誰も見たことがないので。迷宮は突然出来上がる
と聞いたことがあります。ですが誰もその課程を見たことが無いの
です﹂
研究者の間では魔物が作っている説が有力の様だ。
不浄な魂が寄り集まり腐肉に受胎して発生する魔物で、地下深く
にあるという冥界を目指して穴を掘り続けるらしい。
ただ実際存在するかどうかというのは、実証されていないという
話だ。
あくまで一部の研究者の見解である。
ググッ⋮⋮
﹁⋮⋮今動いたか?﹂
僅かに揺れたような気がしたが。
リザに合図して、距離を取らせる。
この空間に存在する魔物はコレだけだ。
792
いっそ倒してしまったほうが早いか。
そう考えた矢先、魔物は動き出した。
ゾワゾワゾワゾワ⋮⋮
饅頭から無数の毛が生える。
﹁おぉ⋮⋮﹂
毛はまるでアンテナのように、ざわざわと動き始める。
そして更に幾つもの触手が、その体表から生えてきた。
触手が空を蠢く。
蹂躙する獲物を探し求めているかのように、それは徐々に激しく
活発に動き始めた。
グパァッ
饅頭の体に巨大な単眼が生まれた。
ギョロリ
真っ赤な禍々しい瞳が見開き、俺を見つめる。
その邪悪な姿は、この世に終わりを告げる悪魔のようであった。 793
︻雷撃︼ S級
杖から稲妻が放たれた。
今までにない巨大な光の帯であった。
轟音が空間に反響する。
空気が振動し、切り裂かれたような凄まじい音。
レベルが上ったことで、S級までスキルランクを上げられるよう
になったのだ。
極大の雷が魔物の眼球に直撃し爆ぜた。
爆音が部屋に響き渡る。
1撃であった。
﹁あー、凄えな⋮⋮﹂
魔力の消耗も激しいが、威力も激しい。
794
魔物は爆散し、破片が周囲に散らばった。
強力すぎる魔術の代償か、杖が悲鳴を上げている。
相当に耐久力を消耗させてしまったようだ
魔物が居た場所に魔石が落ちている。
魔石はかなりの硬度があり、簡単には砕けないそうだが、あれを
受けて残るとは相当である。
魔石︵掘削︶
手のひらから魔力の波による振動を当てて、対象を破壊する術の
ようだ。
﹁ジン様っ﹂
駆け寄ってくるリザを受け止める。
﹁案外あっさり片付いたな﹂
俺は軽い調子で答えた。
﹁すごい光でした。あれがジン様の本当のお力なのですね﹂
リザは熱にうなされたように頬を染め、心酔するかのような眼差
しを向けてくる。
795
﹁まぁあれは魔力を使いすぎる。そう滅多には使えないのだがな﹂
﹁そうであっても凄いです。凄すぎます。あぁ、こんなに凄い御方
だとは⋮⋮﹂
どうやらまたリザの俺への評価が上がったようだ。
>>>>>
﹁こっちだな﹂
俺はリザの手を引き、洞窟内を移動している。
風の流れを感じるが、それ以上に何か懐かしい気配がするのだ。
もちろんここへ来たのは初めてのことだし、もともと洞窟に住ん
でいたという事実もない。
懐かしいなんてものは気のせいに違いないのだが、何か言い知れ
ぬ予感がするのだ。
俺はその感覚を確かめるべく、その気配の先へ向かって歩みを進
めている。
地下空間からは、幾つかの道へ繋がっていた。
796
どうやらあそこが最下層というわけでもないらしい。
俺はそのうちの1つの道へ入り進んでいる。
はぁはぁはぁ⋮⋮
リザの息が上がっている。
そろそろ休憩を取ったほうがいいか。
﹁リザちょっと休憩しようか﹂
俺がそう呼びかけた時、彼女は何かを発見したようだ。
土壁の一部が石で出来ている箇所があるのだ。
岩ではなく、人工的に作られた石の壁だ。石材を組み合わせた建
築物の様だ。
﹁リザ離れていてくれ﹂
土魔術︻掘削︼
先ほど修得したばかりの魔術を試す。
797
土の中に見える石の壁その周辺の硬い土を破壊していく。
見る間に壁が崩されていった。
そして石壁が顕になった。
緑晶石 素材 D級
リザの家の地下室でみた遺跡と同じ素材である。
ザッハカーク大森林には数多くの遺跡があるのだという、もしか
したらこれもその1つなのかも知れない。
俺は石壁に向かって︻掘削︼を放つ。
硬い土に比べれば遥かに高い強度だ。
しかしスキルランクをSまで上げれば、破壊出来ないことはない。
ドガガガガガガガガッ
時間は掛かかるが、石壁は徐々に砕け亀裂が入り、少しづつ破砕
が進んでいく。
798
この先に何があるかは分からないが、あの地下遺跡のような部屋
があるのかもしれない。
それならば休む場所があるかもしれない。
だがそれよりも俺の予感が、この先に何かがある気配を感じてい
るのだ。
壁に亀裂が一気に広がった。
大きな音を立てて、石壁が崩れ去る。
奥の空間から風が流れ込んでくるのがわかった。
﹁凄い⋮⋮﹂
﹁あぁ遺跡と繋がっていたようだな﹂
緑晶石で作られた遺跡だ。
中は淡い光に照らされ明るい。先ほど魔物のいた地下空間よりは
狭いが、コンサートホールくらいの広さはありそうだ。
直径数メートルはあろうかという、太い石の柱が整然と等間隔に
並んでいる。
まるで古代の神殿を思い起こさせる様相であった。
石畳の床の隙間からは、所々に草や短い木が生えている。
799
柱や床、壁などの至る所に苔が生え、もともと緑の石壁はよりい
っそう緑を濃くしていた。
ここに至る地下空間とは違って、この場所は清浄な空気が支配し
ているようだ。
﹁中を調べてみよう﹂
﹁はい﹂
︻探知︼で探るも魔物の反応はない。
だが何かが居る。先程からそんな予感がしているのだ。
﹁何かですか?私には感じません⋮⋮でも危険な感じはしませんね﹂
リザの直感でも何も感じないようだ。
﹁あっ、これは!﹂
リザが何かを発見し、石畳から伸びる植物の茂みを探る。
﹁どうした?﹂
リザが宝物に触れるように、何かを慎重に採取する。
﹁これは紫草ですね。マナポーション作製に使う素材の1つで、魔
力回復の効果を増幅すると言われています。こんなにたくさん⋮⋮
800
凄いです。これだけあれば当座のぶんは、十分に確保できそうです﹂
サボテンの様な肉厚の葉だ。
トゲは無くツルンと表面は滑らかであり、全体的に薄紫色をして
いる。
希少な薬草を見つけて興奮しているのか、リザのテンションが高
い。
﹁少しここで採取をしていてもいいでしょうか?あっ、安全を確か
めてからのほうが良いですね⋮⋮﹂
﹁いや、おそらく大丈夫だろう。奥は俺が見てくるから、リザはこ
こを頼む﹂
俺は薬草の採取をリザに任せて、奥の探索を進めることにする。
危険な場所での採取なら1人にさせるわけにはいかないが、この
場所は大丈夫だと思う。確証はないがそんな気がするのだ。
リザには何かあれば直ぐに知らせるように伝えた。
遺跡の中を周囲を確認しながら、ゆっくりと歩く。
魔物が居るような雰囲気ではないが念のために、それにこの場所
から感じる不思議な感覚の正体を探るためだ。
801
しばらく進むと、この空間の端までやってきた。
﹁これは⋮⋮﹂
巨大な石像があった。
かなりの年代モノらしく、彼方此方が掛け損傷している。
足元は苔で覆われ、時の流れを感じさせた。
石像は人型の何かだ。当然俺には理解できないものであった。
あえて言うなら明王像などといった雰囲気のものだ。たぶんこの
世界の、もしくはこの辺りに住んでいた人々の信仰する神か何かか
もしれない。
そしてその傍らに、石像により掛かるようにして存在するものが
あった。
死体だ。
人の死体。
ボロ布に包まれ、石像に身を寄せたまま朽ちて骨と化している。 ボロ布はローブか何かだろう。生前は魔術師だったのかもしれな
い。直ぐ傍に朽ち果てた木の棒が転がっていた。
骨
802
朽ちた杖
魔眼で見ても碌な情報は得られなかった。
仲間とはぐれ、ここで最後を迎えたのか⋮⋮
見たところ俺達が破壊して侵入した壁以外、この部屋は密室のよ
うだ。
どうやってコイツが侵入したのかはわからんが、何か問題が起き
て帰れなくなったのだろう。
こんなところで1人で死を迎えるとは、不憫なやつだ。
せめて埋葬でもしてやるか。
土魔術︻掘削︼
石畳の床を破壊して穴を掘る。
まぁそんなに深くなくてもいいだろう。墓を荒らすような野犬も
いなさそうだし、既に骨も風化が激しい。
俺がせっせと穴を掘っていると、不意に誰かの声が聞こえる。
﹃⋮⋮⋮﹄
803
﹁⋮⋮??﹂
幻聴か?微かな音、いや声だな。囁くような小さな声だ。
リザかと思ったが、彼女は今も採取に勤しんでいるようだ。近く
には居ない。
しばらく立ち止まり耳を澄ますも、特に何も聞こえない。
気のせいかと思い直し、再び穴掘りを再開する。
﹃⋮⋮⋮﹄
﹁⋮⋮ん?﹂
また何かが聞こえたような気がした。
幻聴では無い。
完全に何か居る。
﹁⋮⋮誰だ?姿を見せろ﹂
804
静まり返る空間、だが気配はする。これは魔力だ。
この場所にとてつもない強力な魔力が渦巻いている。
だが危険な、邪悪な感じはしない。
それよりも何か懐かしい、穏やかな気分にさせてくれる気配があ
った。まるで田舎のばあちゃんの家に来たような感覚だ。
ふと気づくと、骸の傍の石垣に腰掛ける、少女の姿があった。
年の頃は十代前半くらい。
シアンより若いか、同じくらいだろう。
幼い子供のような無邪気な笑みを浮かべている。
﹁⋮⋮誰だ?﹂
何処からとも無く、唐突に現れた少女。
明らかに普通ではない。
見た目こそ人族のようだが、人ではない。
その姿は半透明なのだ。
まるで亡霊の頃のアルドラのようだ。
805
少女はくすくすと笑う。
体全体から闘気スキルを使った時のような輝きを放っている。
紫色の輝きを纏った半透明の少女だ。
ただその存在感からただの亡霊とは思えなかった。
雷精霊 ジン
﹁精霊か⋮⋮﹂
いままでコイツに魔眼を使っても反応しなかったのが、急に情報
が飛び込んできた。
まるで手のひらで転がされているような嫌な気分だ。
だが敵意や悪意といった負の感情は感じない。
エルフや獣人族なんかは精霊信仰が今も強く根付いているらしい。
精霊の存在を感じられる者は時代をと共に少なくなり、その声を
聴ける者も僅かとなった。
今の時代精霊を見えるものは、世界中探しても居ないと言われて
806
いる。
精霊の存在を感じ、声が聞こえ、姿が見えるものは精霊使いと言
われ、精霊とともに信仰の対象となっているという。
雷精霊ジンがゆっくりと腕を持ち上げ、指先をこちらへ向けた。
俺が警戒する間もなく、その指先から細い紫電の糸が走り、一瞬
で俺の眉間へと到達する。
バシンッ
雷が全身を貫ぬき衝撃が走った。
細胞1つ1つに電気が流れる。
だが不思議と苦痛を感じない。ただ巨大なエネルギーが体を通過
した感覚。
なんというかまるでオフになっていたスイッチが、一瞬で全てオ
ンにされたような感じだ。
今まで理解できなかったことが、唐突に理解できるようになった気
がした。
雷精霊ジンはこちらをにこにこと見つめる。
子供のような無邪気な笑顔だ。
807
脳裏にあの日の夜の出来事が蘇る。
﹁俺をこの世界に呼んだのはアンタか?﹂
肯定の意味か、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
﹁そうか﹂
さっきの雷のせいなのか、何となくコイツの意識を感じることが
できる。まるで心が繋がったような感覚だ。
﹁もしかして俺が呼ばれた理由って、コイツか?﹂
俺の視線が骸へと移る。
やはり雷精霊ジンは、にこにこと笑顔を見せるのだった。
﹁はぁ⋮⋮そうか﹂
意識が繋がると言うのは、いわゆるテレパシーのようなイメージ
だ。
繋がっているという感覚はある。おそらくアルドラとの眷属関係
に近いものだろう。
だが精霊は具体的な解をくれない。
ハッキリと言葉で教えてくれる訳ではないのだ。
朧気なイメージが伝わってくるような感じだ。
どうもこの感覚は、人のそれとは違う。もっと純粋な意識を感じ
る。
なんというか植物にも近いように思える。
808
人間の喜怒哀楽のような複雑な感情は感じない。
もっとシンプルな感じだ。だが心が無いというわけでもないよう
だ。
矛盾しているように思えるが、好奇心のようなものもあるように
思える。
なんというか子供のような、もしくは自然がそのまま具現化した
かのような存在のようだ。
﹁何故俺が選ばれたんだ?﹂
雷精霊はじっと俺を射抜くように見つめる。
望んだ?俺が?
望んだということは、どういうことなんだ?
俺が自分で望んでいた?ここではない何処かへ。何処か遠くへ行
きたいって?
⋮⋮僅かな時間考える。
否定はできない。
心当たりは有る⋮⋮気がする。
仕事は忙しく、禄に自由な時間も取れない毎日。
疲れて帰ってきて寝るだけの家。
809
親も兄弟もいない、恋人もいない、友達もそれぞれの人生を歩ん
でいる、そう滅多に会えない。
疲れていたのかもしれない⋮⋮孤独だったのかもしれない⋮⋮
意識したことは無いが、もしかしたらそういった気持ちも無くは
ないだろうな。 810
第69話 エルフの秘薬13
俺は穴を掘って元精霊使いの骸を埋めてやることにした。
﹁成仏しろよ﹂
一応、南無阿弥陀仏と拝んでおくか。
﹁んで、これは頂いていいんだよな?祟られたりしないよな?﹂
精霊ジンがにっこりと微笑む。
問題ないらしい。
骸が抱えていた荷物にまだ使えそうな物があったので、埋葬の謝
礼として頂いておくことにしよう。
ミスリルダガー 短剣 C級
ムーンソード 魔剣 C級
魔術師の鞄 魔導具 C級
魔術師の指輪 魔装具 C級
どれもC級の希少な品のようだ。
811
市場に流せば1つの品につき金貨10∼30枚くらいはするはず
だ。
希少なアイテムの入手に浮わついていると、不意に雷精霊ジンが
抱きついてくる。
﹁お?﹂
まるで亡霊の様に半透明な姿の少女に、不意打ちで唇を奪われた。
そして次の瞬間、俺と抱きつく雷精霊ジンを中心として地面に紫
色の輝きを放つ巨大な魔法陣が出現した。
﹁うお!?﹂
魔法陣から紫の輝きを放つ雷が生まれ、大地をのたうつ。
体の中にエネルギーが流れ込んでくるようだ。
﹁なんだ?何が起こっている!?﹂
雷精霊ジンはにっこりと微笑んだ。
魔法陣から生まれた幾つもの雷が、暴れるように荒れ狂い轟音を
持って部屋を破壊した。
天井が、石柱が、石壁が、石床が砕け亀裂が入り隆起する。
812
激しい振動と轟音、閃光と衝撃。
塵が舞い上がり、視界を乱れ飛ぶ雷が支配する。
雷の1つが石像の半分を吹き飛ばす。
ガラガラと崩れる石像。
俺は身を竦ませ、思わずリザを呼ぼうと叫ぶも何故か声がでない。
激しい混乱の中で、俺はある場所に視線を奪われた。
石像の側で寄り添うように存在する骸が、ゆっくりと立ち上がっ
たのだ。 骸骨だ。
ボロ布を纏い、片足が悪いのかそれを庇うようにして立ち上がる。
そして雷の嵐の中をこちらへ片足を引きずるように、ゆっくりと
した足取りで近づいてきた。
﹁おぉ⋮⋮!?﹂
混乱の最中であった。
まったく訳がわからない。
この状況の展開に思考が追いついていなかった。
813
﹃思考が追いつかないなら、ゆっくり考えるがいい。そのための時
間はある﹄
ボロ布を纏った骸骨がこちらを見据えながら、そう言ってにやり
と笑ったような気がした。
>>>>>
アース・ノイド 亡霊Lv8
いつの間にか周囲が静かになっている。まるで時が止まったかの
ように。
いや実際止まっているのかもしれない。落ち着いてよくみれば、
雷や空中を舞う石礫が静止しているのだ。
﹃いや、別に時間が止まっている訳ではない。これはお前に︻思考
加速︼を掛けてあるからそう感じているだけだ﹄
俺の目の前に立つ骸骨が語る。
いや実際話しているというより念話みたいなもんだろうか。
そうかこれも意識が繋がっている状態ってやつか。
﹁これはあんたの使役している雷精霊ジンのしわざか?﹂
814
骸骨の傍らで無邪気な笑顔を持って佇む、少女の姿をした精霊に
目を向ける。
﹃使役している訳ではないが⋮⋮まぁ、そんな感じだ。それより意
外と驚かないんだな?もっと慌てふためくかと思ったぞ﹄
骸骨はカラカラと笑った。
﹁いや滅茶苦茶驚いているぞ。いまも絶賛混乱中だ﹂
俺がそう静かに答えると、骸骨は﹃そうか﹄と言って、またもカ
ラカラと笑った。
﹃意識が繋がっているのだ。余計な説明は不要だろう﹄
﹁あぁ、それに時間も大してないんだろ﹂
﹃まぁな、理解が早くて助かる﹄
魔法陣から迸る雷の1本が、俺の腕に備わる金の腕輪に吸い寄せ
られる。
そしてその瞬間、強い光がそこに生まれた。
雷精霊の腕輪 魔装具 S級
︻制作成功率上昇︼
︻魔術抵抗上昇︼
︻活性︼
815
︻鋭敏︼
﹃雷精霊ジンが宿った精霊の器だ。これでより強く恩恵が受けられ
るだろう﹄
腕輪は紫色の金属の台座に水晶の様な宝石を備えた姿に変化した。
精霊石トルマリン 素材 S級
凄まじい魔力を感じる。
まるでこれが精霊そのものといった存在感だ。
﹃活性は体の細胞を活性化させ、疲労を早く回復させるスキル。鋭
敏は感覚を高め反応速度を引き上げるスキルだ。地味だが強力だぞ﹄
骸骨はゆっくりと右腕を自身の心臓のある位置へと伸ばした。
そこから光輝く何かを掴みとる。
﹃後はお前の器を⋮⋮﹄
ボロッ
骸骨の腕が肩口から外れ、重力に従って地に落ちた。
床に叩きつけられた腕は、粉々に砕け散る。
816
光り輝く何かが床に転がった。
﹁⋮⋮﹂
思わず二人で床に転がった光り輝く何かを見つめる。
骸骨は無言のまま左腕でそれを回収すると、俺の胸元へ翳すよう
に伸ばした。
﹃⋮⋮後はお前の器を拡張だな﹄
骸骨は何事もなかったかのように口上を述べた。
光り輝く何かは、俺の胸へと吸い込まれるようにして姿を消した
のだった。
勿論俺にはこれが何かはわかっている。だからこそ受け入れたの
だ。
冒険者Lv18 精霊使いLv1
ステータスを確認すると、職業が増えていた。
第二職業だ。
副業である。
817
これが拡張ってやつか。
ここは雷精霊を祀る祠なのだという。
結界が働いているため、魔物は入ってこないそうだ。
﹁1つ聞いておきたいんだが、俺は元の世界に帰れるのか?﹂
﹃無理だろうな﹄
可能性はゼロではないが、かなり難しいらしい。
意識が繋がっているため聞かなくても答えはわかっているのだが、
言葉で聞いてみたかったのだ。まぁ答えは同じか。
転移魔術を使えば可能かもしれないということだが、実際そんな
高度な転移魔術を扱えるものがこの世界に存在するのかは不明だと
いう話だ。
別の次元から、別の次元へと渡る際には物質はそのままでは通過
できない。
分解されこの地で再構築される。
その際に魔素を体内に取り込みそれを魔力へ変換できる肉体へと
作り変える。
そのためその体には様々な変化が現れる。 818
﹁若返ったり、魔眼って能力を得たりした理由はそれか﹂
変化というのは人それぞれで、外見の変化や内面の変化など、様
々であるという。
また地球へ戻る際には、魔力を抜いて再構築されるわけだが、そ
の際にどんな影響がでるかは未知数だという。
五体満足で戻れる保証は無い。
元の生活に戻れる可能性は限りなく低いようだ。
﹃そろそろ時間だな﹄
骸骨の体がボロボロと高速で風化していく。
﹃忘れてた。これも渡しておくか﹄
繋がった意識を持って、情報が流れ込んでくる。
﹁これは⋮⋮魔術の知識?﹂
﹃加護を持つものは魔術の創造を実現できる。お前はわかっている
ようだが、俺から言わせればまだまだだ。俺が得意だった術、理論
はあったが使いこなせるまでに至らなかった術、それらを知識とし
て送っておいた。だが知識だけだ。実際に使えるようになるには、
自身の努力が必要なのはもうわかってるよな?俺には使えなかった
術も、お前なら使えるかも知れん。まぁ試してみろ﹄
819
骸骨は少し考える素振りを見せて︱︱
﹃この世界は甘くない。大切なものを守りたかったら強くなるしか
無い。強ければ生き弱ければ死ぬ﹄
﹁それ漫画の台詞だよね?﹂
﹃あ、やっぱ知ってた?ということは、やっぱりこっちとあっちの
時間の流れって⋮⋮まぁいいか、そんなことどうでも﹄
骸骨は一息、溜め息を吐いて続けた。
﹃まぁ一人でできることは限られてるからな。さっきの言葉とは矛
盾してるかも知れんが、困ったときは誰かに頼るのも大事だぜ?肩
貸してくれる友達くらいはいるんだろう?﹄
﹁まぁな。頼りになる奴はいるよ﹂
俺は笑顔で答えた。
骸骨は﹃十分だ﹄といってカカカと笑った。
﹃やれやれ、やっと眠りに着ける。俺を見つけてくれたお前には感
謝してるよ﹄
そう言って骸骨は天を仰ぐ。
﹁そうか﹂
俺はその身に備わった輝く腕輪を撫でた。
820
﹁これはその礼か?﹂
﹃そうだな。まぁ、同郷のよしみって奴かな﹄
骸骨は石床にあぐらをかいて座る。
もはや立っていられないのだろう。
﹁やっぱそうか。最後に1ついいか?こっちに来て幸せだったか?﹂
地面へ視線を伏せる骸骨はこちらを向き直り︱︱
﹃⋮⋮あぁ、幸せだったぜ﹄
そう言って笑った様な気がした。
その直後、その身は崩れ落ちるようにして塵へと姿を変えた。
>>>>> ﹁ジン様っ﹂
薬草の採取を終えたリザと合流する。
何か只ならぬ気配を直感で感じ、慌てて駆けつけたようだ。
821
俺は事の経緯を彼女に説明した。
不思議な事に破壊された天井や壁、床など元通りになっていた。
まるで白昼夢でも見ていた気分である。
石像を見ても、ここへ来た当初に見た状態のようであった。破壊
された形跡はない。
だがあの出来事が夢ではないと、俺の腕に備わった雷精霊の腕輪
が教えている。
リザにも確認したが、音や振動などの物理的な異変は感じられな
かったようだ。
﹁精霊様ですか⋮⋮さすがジン様です。まさか精霊の加護をお持ち
だったとは﹂
リザには精霊は見えないらしい。
しかし精霊がそばにいると、何かを感じることは出来るようだ。
ただそれが精霊だと言われなければ、何なのかさえ分からないよ
うだが。
エルフや獣人族には未だ根強い精霊信仰が存在するという。
リザもその影響は受けているだろう。
彼女が俺を見る視線もより一層、熱くなった気がしないでもなか
った。 822
﹁リザ﹂
﹁はい?﹂
俺は無言のままリザを抱きしめる。
﹁⋮⋮どうかしましたか?﹂
﹁いや、こうしたかっただけ﹂
そういうと彼女は少し間を置いて﹁そうですか﹂と優しく呟いた。
まぁ別に元の生活に、どうしても戻りたかったわけでもない。
未練が無いと言えば嘘になるが、ここにも大切なモノはできてし
まった。
今更捨てることは考えられない。 もしかしたら帰れるかもと考えていた淡い期待は完全に消えた。
となれば今までリザに対して一歩引いていた感情も、もう無理に歪
めなくとも良いだろう。
今更ではあるが改めてこの世界に骨を埋める覚悟が出来た気がす
る。
俺の体は魔力が扱えるように既に変革された肉体なのだ。
地球で生きていた俺はあの夜に死んだのだ。
823
はじめから俺もこの世界の住人であったのだ。
骸骨の最後の意識から、隠し通路の存在はわかっている。
俺は石柱に隠されたそれを通って外へ出た。
出た先は、古い塔の様だ。
崩れかかっているが、未だ何とか塔としての体裁を保っている。
ベイルで見た地下遺跡や、森の中の遺跡、それらが年代が同じか
どうかは不明だが、これも同じように相当年代物なのは間違い無さ
そうだ。
時間は夕方くらいだろうか。
まだ靄は晴れていない。
だが気のせいか、濃度は薄くなった様に見える。
明日になれば天候も回復するかもしれない。
今日のところは祠で休むことにしよう。
明日晴れれば、塔に登り高いところから見渡せば何か見えるかも
知れない。
崩れかかっていて危険だが︻脚力強化︼︻耐久強化︼︻浮遊︼を
824
掛けておけば、最悪落下しても死にはしないだろう。
精霊は何処にでもいる存在らしい。
いわゆる自然そのものなのだとか。
どんなものにも精霊が宿り存在している。
だが人工物には、その存在が極端に脆弱になるという。
また鉄など一部の素材にも精霊が寄り付かないものも存在するよ
うだ。
雷精霊は屋外で空気のある様な場所なら、大抵存在するらしい。
ただこのようにハッキリと形を成すほどにとなると、相当な濃い
魔素か特別な場所でなければならないそうだが。
ともあれ取り敢えずは街に戻りたいな。
精霊の祠で簡単な夕食を取ることにした。
魔力も大きく失っているし、今日はゆっくりと休むことにしよう。
祠内に落ちてあった枯れ木など、燃えそうなものを集めて焚き火
を起こした。
825
既に夕食を取り終え、寝床は用意してある。
俺は焚き火の前で荷物を広げ、精霊使いの遺品を整理していた。
﹁指輪ですか?﹂
﹁あぁ、あの亡骸が身につけていた魔装具だ﹂
何の変哲もない金の指輪だが、魔眼を発動させれば︱︱
魔術効果︻魔力自動回復︼
身に付けるだけで、魔力の回復を促してくれる装備らしい。
魔術はもちろん、スキルによっても魔力は多く必要とする重要な
要素だ。
ともすれば魔力の回復手段の強化は死活問題といえる。
早速身につけてみるが、特に何か感じるところはない。
そう劇的な効果があるわけでもないらしい。
だが長い目で見れば、この装備の有効性の高さは疑いようがない。
きっと大いに役に立ってくれるはずだ。
826
俺は手にした短剣を鞘から抜き放つ。
白銀に輝く美しい刃だ。
刃こぼれの1つもなく、くすみもなく、美しく磨かれ眩い輝きを
放っている。
刃渡り30センチほどの実用性重視といった、飾り気のない無骨
なナイフだ。
﹁ミスリルですね﹂
﹁そうだ。知ってるのか?﹂
リザの話によると、魔術との相性の悪い金属製品を嫌うエルフで
も、唯一身に付ける金属がミスリルだという。
霊銀とも言われ、限られた箇所でしか採掘されない希少な金属で
あり、非常に高額で取引される品という話だ。
﹁C級の装備品というだけでも高価だとは思っていたが、俺が想像
するよりもずっと希少な品かもしれないな﹂
もう1つの魔剣も鞘から抜いて確認する。
いわゆるシミターと言われるような曲刀の様だ。
細身の湾曲した刃に柄も湾曲している。
凝った装飾の具合から、礼儀用とも思えるが実際の戦闘にも堪え
827
れるのかは鍛冶師などプロにでも見てもらったほうが早そうだ。
魔術効果︻月光︼
夜間月の光を浴びると、魔力の回復を促進させるといった効果が
あるようだ。
魔力を回復させる装備はいくらあっても有難いからな。これで実
践に堪えれるのなら、これからメインで使っていくか。
魔術師の鞄 魔導具 C級
魔術効果︻収納︼43/60
今使っている冒険者の鞄よりもランクが上の鞄だ。
鞄に更に魔眼で収納具合を見てみると、何が入っているかも確認
できるので便利である。
様々な薬草
保存瓶
煙草
銀の煙管
828
魔法薬
解体ナイフ 使えそうな物も入っているようだが、とりあえず俺は収納されて
いた薬草の1つを取り出してみる。
﹁リザこれどう思う?﹂
﹁え?日輪草ですね。日当たりの良い場所に群生する薬草です﹂
なるほど。そうなのか。でも薬草の説明は今はいいかな。
リザに確認してもらうと、薬草は今しがた採取されたばかりの様
な品質らしい。
となるとこの鞄の中は時間が停止している。ということになる。
緩やかだが時間が流れている冒険者の鞄の、上位互換の魔導具だ
ということだ。 腕に備えられた雷精霊の腕輪に触れる。
アメジストの様な薄紫色の輝きを持った金属の腕輪。
不思議なことに外そうと思っても外すことはできない。
まるで強力な磁力でも働いているかのように、多少動かした所で
元の位置に戻ってしまう。
だが変な違和感はない。まさか呪われた品ということは無いだろ
829
う。
ならばそういう物として、放って置くか。
付与されたスキルにしてみても、使い方は不明だ。
おそらく製作成功率上昇、魔防上昇と同じく身に付けるだけで効
果を発揮するものだと思われる。
ラドミナの話によれば付与されたスキル効力の大きさは、装備品
のランクに影響を受けるらしい。
ならばS級の魔装具とは一体どれほどのものか⋮⋮
今のところ腕輪へと姿を消した雷精霊は顕現する様子はない。
精霊使いとは一体どういうものなのか。
精霊とは一体どういう存在なのか。
今だはっきりしない情報は街に帰ってからゆっくりと調べる事に
しよう。
次の日の朝、俺は外へ出て状況を確認した。
﹁どうやら天候は回復したようだな﹂
木々の間から青空が見える。
既に日は昇っているようだ。
830
朝の爽やかな風が眠気を拭ってくれる。清々しい気分だ。
魔素の濃い森だからか、魔力の回復も幾分早い気もする。体の調
子は問題ない様だ。
﹁おはようございます、ジン様﹂
起きてきたリザともに朝食を取り、出立の準備を整える。
俺は最後に先輩精霊使いに黙祷を捧げ、祠を後にした。
リザに魔術を付与してもらい、俺は塔を上って確認した。
彼女は自分が登ると進言したが、魔眼を持つ俺のほうが適任だろ
う。崩れて落下したら危険だしな。
まぁ結果から言えば、塔の最上段へ上ったところでザッハカーク
砦を発見出来たのは幸運だった。
昨日の靄は嘘みたいに晴れ、澄み切った空が視界を明るくしてく
れる。
さぁ俺達の街に帰るとしよう。 >>>>>
831
﹁お帰りなさい兄様っ﹂
﹁にゃー﹂
﹁ただいまシアン﹂ 玄関で出迎えてくれたのはシアンとネロだった。
元気な彼女に引きずられるようにして家の中へ入る。
﹁姉様もお帰りなさい﹂
﹁ええ、ただいま﹂
べたべたしてくるシアンを、リザは面白く無さそうに見つめるも、
それを咎めるような声を掛けることは無かった。
奥からミラさんも姿を表し、飲み物を出してくれて労をねぎらっ
てくれた。
﹁二人共無事に帰ってきたことだし、今日は豪勢に行きましょうか。
ちゃんとジンさんの好きそうなお酒も用意してありますよ﹂
﹁それは楽しみだ﹂
外で食事をするのもいいが、ミラさんの手料理は別格である。
俺の好みに合わせてくれていると言うのもあるだろうが、世界や
国は違えども家庭料理というは安心できるものらしい。
832
こうして皆で食事が出来るというのはいいものだ。
温かい湯を浴びて疲れを取る。
2日程度のことだが、随分長いこと森に居たような錯覚さえ覚え
る濃厚な時間だった。
随分レベルも上がったし、収穫も多い。
精霊使いの事をミラさん達に報告すると、大変驚いていた。
やはりエルフにとっては、特別な職業といった意味があるようだ。
﹁おそらくその魔法陣というのは精霊の儀式でしょう。私も僅かに
話に聞いたことがあるだけなので、そう詳しくはありませんが﹂
精霊は気に入ったものに加護を与えるのだという。
どういう基準で加護を与えるのかは定かではない。
ただ邪悪な存在よりも純粋な存在に惹かれると言われている。
ともあれ細かいことは後日でいいだろう。
この夜は皆で一緒に食事をとり、穏やかな時間を過ごした。 833
第70話 エルフの秘薬14
リザは採取した素材の下処理のために部屋に篭っている。
俺に手伝える仕事は今のところ無さそうなので、冒険者ギルドで
依頼を受けて森へと出かけた。
ゴブリンを探しながら、片っ端から目についた魔物を葬って行く。
これが無双ってやつか。
討伐依頼をこなしつつ︻雷撃︼の威力を確かめる。
どうやら性能で言えばBとAの間には大きな壁があるようだ。
F∼Bまではランクをあげると順当に性能が上がっていくような
感じである。
だがAになった途端に、性能が大きく変化する。
︻雷撃︼を例にすると、F∼Bでは有効射程距離は5∼6メートル
︵杖などの補助無し︶
速度はおそらく攻撃魔術最高クラス。そのためランクで変化なし。
Fではゴブリン程度の小型の魔物でも急所に当てなければ、即死
させることは出来ない程度の威力。
834
だが気絶させたり、麻痺させたりは可能。牽制には十分な威力だ
ろう。
Eだとゴブリンクラスなら即死する威力。
Dだと大型の魔物でも致命傷を与えられるような威力。
Cだと大型の魔物も即死する程の威力。
Bだと強力な魔物でも致命傷を与えられるような威力。
そしてAにランクを上げると有効射程が20メートルほどに延長、
破壊力も格段に上昇する。
まぁAとSは魔力の消費も大きすぎるし、今後時間を掛けて検証
することにしよう。
他には新たに修得したスキルか。
耐性はそのままだからいいだろう。闇耐性の有用性は理解したし、
他の耐性にも期待はできる。
それに一纏めになっているのだ、その点も有用だろう。他の耐性
も修得し続けて行けば最終的には、最高の防御手段の1つになりそ
うだ。
ゴブリン討伐も十分成果を上げた。
835
スキルの検証も魔力をだいぶ消耗したので、今日はここまでとし
よう。
帰りがけに初めて見る魔物に遭遇する。
ツリーフロッグ 魔獣Lv12
このあたりは森の境界も近い、森の入口と言ったような場所だ。
それを考えると、レベルは高い。
見ると木に何匹も張り付いている。
このあたりは蛙の棲家なのか。
︻雷撃︼ E級
杖の先から紫電が迸る。
﹁E級でも十分だな﹂
︻雷撃︼の1撃で木から剥がれ落ち落下してくる蛙。
俺は慌てて逃げようとする魔物に︻雷撃︼を浴びせ続けた。
蛙の一団をサクッと葬る。
精霊使いLv4
精霊使いも戦闘職の様だ。
836
魔物との戦闘経験からレベルが上昇するようである。
魔石︵伸縮︶
ついでに狩った魔物からスキルも手に入った。
今日は調子がいい。
︻伸縮︼は魔力操作のカテゴリのようだ。
いまいち使用法は不明である。某漫画のように刀でも伸ばせるよ
うになるのだろうか。
>>>>>
﹁お疲れ様です。ジンさんギルドマスターから指名依頼が入ってい
るのですが﹂
翌日冒険者ギルドにゴブリンの耳を届けに行くと、受付のリンさ
んに捕まった。
﹁指名依頼ですか?﹂
指名依頼は仕事の依頼を掲示板に張り出し募集するのではなく、
個人に名指しで依頼する方式である。
これは名前が売れてくればよくあることらしい。
837
C級ともなれば護衛の仕事なども出てくるために、個人指名で依
頼することもよくあるそうだ。
だがE級冒険者の俺が指名依頼なんて、何かあるに違いない。
というか、そうかギルドマスターが依頼者なのか。つまり嫌な予
感しかしないってことだ。
﹁おいおい、そう身構えないでくれよ﹂
ギルドマスターゼストは革張りの高そうな椅子に腰掛けながら苦
笑いした。
というか、この姿を見たのも久しぶりだ。
街を歩いているとたまに幼女姿の彼とすれ違うことがあるのだが、
そういう時は無視してる。
もうこの人はどれが本当の姿なのかわからない。
﹁どんな要件ですか?﹂
俺はゼストにはいい印象は持っていない。
正直食えない人というのが、彼のイメージだ。
コンコンッ
838
扉をノックする音が聞こえたかと思うと、何かを抱えたエリーナ
さんが姿を現した。
﹁失礼します﹂
両手で抱えるほどの麻袋。
中には大量に何かがつめ込まれている。
﹁このベイルの地下には水路が張り巡らされている。知ってるかね
?﹂
俺は首を横に振る。
﹁何時の時代の物かはわかっていない。相当古いものだが立派に機
能しているので、それらの水路は今でもこの街の運用のために利用
している。だが最近その水路に魔物が住み始めてね﹂
﹁ベイルの地下にですか?﹂
﹁そうだ。ベイルは森に近いこともあってか、人の街にしては魔素
が濃い。地下だと尚更だ。どういう経路で侵入したかは不明だが、
それの対処を依頼したい﹂
魔物が住み始めたとはいっても、元よりベイルにはレベル1程度
の魔物であれば姿を見せていたそうだが。
日の高いうちは街を流れる水路の底や横穴などに潜み、日が落ち
てから活動する奴も珍しくはないらしい。
839
危険性が高くなければ、それほど必死に駆除に回ることもないよ
うだ。
精々が低級冒険者の小遣い稼ぎといったところだろう。
そのため今回の依頼は危険視するレベルの存在が相手ということ
だ。
それにしても魔物討伐か。魔物の強さ能力もわからないし、俺1
人では危険かな⋮⋮
アルドラはまだデートから帰らないし、呼び戻したほうがいいか
な。
﹁もちろん受けるか否かは君の判断に任せる。受けない場合は他の
ものに依頼を振るつもりだ﹂
判断はエリーナさんの説明を聞いてからで良いそうだ。
ベイル地下水路の調査依頼
ベイルの地下水路には随分まえから魔物が住み着いている。
だが最近になって厄介な魔物が新たに住み着いてしまったらしい。
それが蟻系の魔物である。森ではないのでレベルは低いが、巣を
作り数を増やしているようだ。
以前から住み着いている魔物を餌にしているようで、放置すれば
脅威となり得る。
水路に侵入し、魔物を一定数撃破、もしくは巣を発見すること。
840
巣を見つけても下手に刺激せずに、毒肉玉を設置して撤収するこ
と。
巣が見つからない場合は、魔物の出現ポイントに毒肉玉を設置し
て撤収すること。
報酬5000シリル
なかなかの高額依頼である。
Eランクの冒険者なら、飛びついて受けるような値段だ。
しかし何か裏がありそうで、少々怖い。
﹁別に裏なんて無いから、変な勘ぐりはしなくていいぞ﹂
ゼストがにこやかに答える。
まるでエルフのように心を読んでくるな。そんなに俺顔に出やす
いのかな。
横にいるエリーナさんは無表情だ。
どうやら俺が大量に討伐の成果を上げているので、魔物を探知す
るスキルに長けているという話になっているようだ。
それに1人だとしても戦力的にも申し分ないという判断なのだろ
う。
841
蟻系の魔物はまだ遭遇していない。上手くすれば新たなスキルが
得られるかもしれない。
まぁ︻隠蔽︼もあるし、危険と判断すれば撤退すれば良いのだ。
目的は巣の発見と毒エサの設置である。
俺は依頼を受けることにした。
麻袋に入った毒肉玉を受け取る。
﹁素手で触っても大丈夫だが、間違っても食うなよ﹂
腹が減っても我慢しろよ!と言ってゼストが笑いながら忠告して
くる。
俺は苦笑いで了承した。
俺はエリーナさんから水路の鍵を受け取り、ベイルの端にあると
いう地下水路の入り口を目指した。 842
第71話 エルフの秘薬15
城壁門にほど近い倉庫街の1つにその場所はあった。
今は荷入れの作業者の姿も見えず、人影もないその場所は閑散と
していて静寂に満ちている。
辿り着いた場所は、大きな倉庫に挟まれた木造の小屋だ。
俺は渡された鍵を、小屋の扉に備え付けれた錠前に差し込む。
何の変哲もない鉄の錠前のように見えるが、コレもまた魔導具ら
しい。
魔導錠 魔導具 D級
カチンッ
軽い抵抗感の後、何かが噛み合ったような甲高い音を立てて鍵が
回った。
小屋の中に入った。内部は何もない。
ただ正面の石壁は、見覚えのある色合いだった。
緑晶石だ。
843
俺は徐ろに壁に触れる。
状態:隠蔽
壁に触れ隠蔽を見破ると、体から魔力が奪われていく感覚を得た。
奪われた魔力は僅かなものだ。
それと同時に、壁に魔法陣のようなものが浮かび上がる。
幾何学模様にルーン文字を組み合わせたような、不思議な図形。
その文字が図形が、淡く光りだす。
石壁が崩れるように消え去り、その奥に地下へと続く螺旋階段が
姿を現した。 火魔術︻灯火︼により明かりを得る。
俺は闇へと続く螺旋階段を下っていった。
石造りの急階段は、僅かに湿気を帯びカビの臭いもする。
俺は滑り落ちないように、慎重に歩みを進めた。
844
しばらく階段を下ると石造りの小部屋に辿り着く。天井壁すべて
を石で作られた部屋だ。
遠くから水の流れる音が聞こえる。
正面には鉄格子の扉が備えられている。酸化による腐食が酷く痛
みは激しい。
手をかけゆっくり力を入れると、ギギギィと軋んだ鈍い音を立て
て扉は開いた。
独特の鼻につく刺激臭の中を進む。 しばらく狭い通路を突き当りまで進むと、広いトンネルの様な通
路に出た。
天井はドーム状に湾曲し、床には水が流れる溝があって緩やかな
流れがある。
溝とは言っても幅2メートルはあるだろうか。
深さは不明だが、それなりの水量がありそうだ。
溝を挟んだ両側には、幅2メートル程の通行用と思われる道が備
わっている。
845
天井には見覚えのある照明装置が等間隔に設置され、明かりは十
分確保されているようだ。
︻灯火︼を解除し先へ進む。
懐から獣皮紙を取り出し現在地を確認した。
この辺りの水路内部を示した地図だ。
エリーナさん手書きの地図で、魔物が潜んでいそうな箇所を示し
てある。
水の流れる音だけが響く地下水路を1人進む。
ザパァッ
突然水面から勢い良く何かが飛び出し、俺の行く手を阻むものが
現れた。
ザパァッ
背後からも。︻探知︼で既に接近していたのはわかっていたので、
驚くことはないのだが。
そういや︻隠蔽︼を付与し忘れていたな。
846
ウォーターリザード 魔獣Lv7
ウォーターリザード 魔獣Lv8
暗い青色をした細長い蜥蜴である。
顔は小さく細く、鋭い牙と爪が見える。
俺を挟み撃ちにして、今日の晩飯にするつもりなのだろう。
雷魔術︻雷撃︼
杖先から迸る光の帯が、青い蜥蜴を貫いた。
魔物は暴れる間もなく、口を大きく開け全身の筋肉が硬直したか
のように固まって絶命した。
水から上がったばかりで全身が濡れていたので、雷の通りが良か
ったのだろうか。
まぁ名前からして雷は効きそうな気もするので、単純に弱点だっ
たのかもしれない。
ともかくD級でも1撃である。無駄な魔力の消費を抑えるために
も、ポイントはD級のままで行こうと思う。
ウォーターリザードの肉は水っぽくて、あまり旨くないらしい。
そのため放置することにする。
847
皮は防具の素材になるらしいので、一応回収しておいた。
︻解体︼スキルのおかげか、皮を剥ぐのも大した時間は取られない
ので助かる。
時折対面の通路に鼠系の魔物の姿も見られた。
ラット 魔獣Lv1
鼠というより、カピバラみたいな見た目のやつだ。見様に寄って
は可愛いかもしれない。
今回の目的は蟻だ。水路の魔物を殲滅せよ!といった依頼では無
いので、特に邪魔にならない魔物は基本放置で行こうと思う。
さっさと仕事を終わらせて俺は帰りたいのだ。
︻雷撃︼
その後も時々通路を塞ぐ蜥蜴を撃退した。
︻隠蔽︼を施してあるため、いきなり強襲を仕掛けられることは無
かったが、進路を塞がれれば撃退する他ない。
一撃であるために倒す事に苦はないのだが︻解体︼スキルを用い
ても、そのたびに立ち止まっては少々面倒だ。
既に皮は20枚程までたまっているので、次からは全部放置にす
るか。
848
既に何箇所のポイントは調べたが、今のところ蟻の姿は見ていな
い。
無論︻探知︼は常に発動させている為、何かあれば直ぐにわかる
だろう。
だが今のところ反応しているのは、蜥蜴だけのようだ。
ガサガサガサ⋮⋮
通路を曲がった先から、何やら不審な物音が聞こえる。
それに血の匂いだ。
俺は壁に張り付き、慎重に先の様子を確認する。
スカウトアント 魔獣Lv5
スカウトアント 魔獣Lv6
スカウトアント 魔獣Lv5
蟻だ。
849
通路で3匹の蟻の魔物が、1体の蜥蜴の魔物を捕食している。
ズリズリズリ⋮⋮
いや、獲物を仕留めて巣へ持ち帰る途中か。
3匹の魔物が協力して獲物を運んでいる。
こいつらを追えば巣の場所がわかるかもしれない。
︻探知︼のポイントはC級に設定してある。
少々離れていても、その動向を見失うことはないだろう。
近づきすぎて警戒されても面倒なので、離れて追跡することにす
る。
追跡中も魔物は襲ってくる。
︻隠蔽︼を付与しても見つかってしまうので、おそらく音か何かを
察知しているのだろう。
先程から1撃で倒しているにも関わらず、性懲りも無くウォータ
ーリザードは今だに俺に向かってくるのだ。
魔石︵潜水︶
850
そのおかげもあって、魔石を入手出来たわけだが。
水魔術︻潜水︼
初の水魔術を修得した。
ダメかとも思っていたが、修得できたようだ。
となると俺の予想通り、全属性の魔術および全スキルの修得が可
能というのが現実味を帯びてきたと思える。
と言うのも、ギルドの講習にあった魔術講習の際に、自身の適正
と言うのを調べてもらったのだ。
どんな人にも、適正というのがあるらしい。 魔術師であれば魔術を、戦士であれば武術のスキルを得やすいと
言われる、ある程度その得意な傾向というものがあるらしい。
魔術師であれば水魔術が得意な者がいたり、火魔術が得意な者が
いたりと言った具合だ。
そんな中で適正を調べて貰った結果、俺の得意な属性はもっとも
高い適正に雷、次いで火土闇であった。
適性のある属性が4つもあるのは異例らしい。
精々が1つ2つという話だ。
属性というのは人が魔術を扱う際に理解しやすいように、その異
851
なる性質ごとに分けた魔術の種類の事だ。
それぞれ︻火魔術︼︻水魔術︼︻風魔術︼︻土魔術︼︻光魔術︼
︻闇魔術︼︻雷魔術︼︻氷魔術︼︻木魔術︼︻時空魔術︼の十種類
とされている。
雷が得意なのは納得できる。
雷精霊の加護があるしな。
それに加えて、火土闇である。
適正があるなしは、かなり重要な意味があるらしい。
適正があれば、その系統の魔術の覚えが早いと言われているよう
だし、適性のない者よりもより効率よく効果的に力を操れるそうだ。
おそらく魔石から修得できるために、適正に関係なく覚えること
ができるのだろう。
だがそれを上手く扱えるかは、また別問題という事になるかもし
れない。
無論、検証の必要はあるだろうが、適正のことは頭に入れておい
たほうがいい情報なのは間違いないだろう。
>>>>>
852
ザシュッ
行く手を遮るウォーターリザードの1体を剣で切り捨てる。
噛み付こうと迫ってきた所に、剣先を滑らせ上顎と頭部をその体
から切り飛ばしたのだ。 ﹁凄え切れ味じゃん⋮⋮﹂
俺は期待以上の結果に思わず声が漏れた。
雷精霊の祠で手に入れたムーンソード。ゲームなどではシミター
といったような名称でこういった姿の剣を見たことがある。
たしか元は中世のアラブかどっかの、斬ることに特化した曲剣だ
ったはずだ。
剣は何の抵抗も感じずに蜥蜴の骨と肉を切り裂いた。
剣としてはかなり軽いタイプだが、使いにくさは無い。よく手に
馴染み、振りやすい。柄も握りやすいよう工夫された形状の様だ。
ギルドに行った際に、ついでにとヴィムに剣を見てもらった。
やはりミスリルを使った合金らしい。
実用に耐えうる品とお墨付きを貰ったので、これからこれを主武
器として使っていこうかと思っている。
853
飾っておくのは勿体無いから、使ったほうがいいとヴィムにも言
われたのだ。
ジュルッ⋮⋮
ジュルジュルッ⋮⋮
何の音だ⋮⋮?
徐々に近づいてくる弱い魔力反応。魔物だろうが、何処だ?
俺はふと天井を見上げると、天井の石材の亀裂から何かが染みだ
しているのが見えた。
その染みは徐々に範囲を広げ、大きくなっていく。
高い粘質を持つ液状の様だ。
多少濁ってはいるが、透明に近い。
アシッドスライム 魔獣Lv7
天井に広がる蠢く粘液。
854
でけえ。
天井いっぱいに広がるそれは、集めれば風呂桶1杯分は余裕であ
りそうな量がある。
その一部が重力に従って垂れ下がる。
ボチャッ
鼻水のように垂れ下がったスライムの一部は、俺が今しがた死肉
に変えた蜥蜴の体を包み込んだ。
ジュウゥゥゥゥゥ⋮⋮
鼻をつく異臭が、周囲に立ち込める。
なるほどアシッドスライムか。餌に釣られたか。
蜥蜴を包む粘液の量が徐々に増大していく。
死肉しか食わないなら、それでもいい。今は余計な手間を取りた
くないしな。
天井に張り付いた粘液は、蜥蜴の死肉へと本格的に移動を開始し
たようだ。
ズルズルと音を立てて天井から下りてくる。
855
その間にも、死肉はどんどん消化されている。
見る間にほとんどが骨と化していた。
地上に降り立った粘液の塊は、重力に逆らいそのドロドロの体を
大きく持ち上げまるで威嚇しているようだ。
根本を見れば蜥蜴は、もはや骨も殆ど残さず消化されてしまった。
なんという消化速度だろうか。
うん。
こいつ俺も食う気だな。
まだ腹の満たされないスライムは体をブルリと震わせ、その体の
一部を触手のように伸ばしてくる。
遅え。攻撃速度、超遅え。
ニュルりと伸びる触手を、後ろに飛び退いて距離を取る。
雷魔術︻雷撃︼
指先から雷光が放たれた。
856
857
第72話 エルフの秘薬16
スライムに︻雷撃︼は効果的だったようだ。
水っぽいから効くかなと思ったのだが、上手く行ったようである。
あまり派手にやると蟻に感付かれると思い、威力は抑えめに︻雷
撃︼を数発浴びせ沈黙させた。
魔石︵溶解︶
ドロドロに原型を留めて置けなくなった、スライムから魔石を回
収する。
修得できたのは水魔術︻溶解︼だった。
触れたもの、もしくは触れるほど近くにあるものを溶かす能力の
様だ。
スライムからは他にも︱︱
スライムの核 素材 E級
といった用途不明の素材を回収した。
核は3センチ弱の円盤型。どら焼き型とも言える。おはじきのよ
うに薄い円形で、真ん中が膨れている。
スライムの核という名称は何かのゲームで聞いたことある気がす
858
るが、ゲームでも何に利用するものだったか覚えていない。
ハズレアイテムみたいな扱いだったような記憶ならあるが。
蟻の追跡を始めてしばらく経つ。
その間にも蜥蜴を何匹も排除した。魔石持ちだった場合だけ魔石
のみ回収し、肉や皮は放置した。
アシッドスライムを見かけたのは、あの1匹だけだ。
スライムといえば、クリーナースライムというのを見かけた。
白っぽい小さなスライムで水饅頭の様だ。
アシッドスライムのデロデロした感じとは、また違った印象であ
る。
レベル3∼4と弱かったが、試しに倒してみたところ︱︱
魔石︵洗浄︶
といった魔術を得ることができた。
これはリザも使える水魔術だな。便利な術を得て僥倖であった。
>>>>>
859
﹁やっと棲家に到着したか﹂
俺は壁に身を寄せて、出隅よりその先の様子を悟られぬよう慎重
に伺った。
闇魔術︻隠蔽︼を付与してあるとはいえ、探知系のスキルを持つ
蟻がいても不思議ではない。
まずは様子を伺い情報を得るのが先決だ。 ガサガサガサ⋮⋮ギチギチギチ⋮⋮
壁に亀裂が走っている。
まるで大きな負荷が掛かったかのように石壁は左右にズレ、丁度
蟻が通れるほどの寸法に口を開いていた。
その闇への入口に、忙しなく蟻が出入りを繰り返している。
持ち集めた食料を中へと運んでいるようだ。
スカウトアントのサイズは5∼60センチ程で蟻に似た姿をして
いるが、頭が非常に大きく発達しており俺が地球で見かけたことの
ある物と比べると、異様とも言える姿をしていた。
その頭部を見るとニッパーを思い起こさせる鋭い顎を備えており、
見ただけで危険な魔物だと判断できる。
860
彼らはギチギチと顎を鳴らして、合図を送り合っている。
ああやって仲間同士でコミュニケーションを取っているのかもし
れない。
巣の周辺に居るのは5∼6匹程で、おそらく門番か何かだろう。
ガードアント 魔獣Lv12
餌を探しに行く蟻よりも少しレベルが高い。
餌を探しに行くのは2∼3匹に編成されたスカウトアントだ。
先程から絶え間なく、餌を探す部隊が出動している。
ここから見る限り結構な数がいる。
さて、どうするか⋮⋮
試しに何匹か狩ってみるかな。
丁度良くスカウトアントが2体こちらへ向かってくる。
スカウトアント 魔獣Lv4
スカウトアント 魔獣Lv4
棲家周辺の蟻に気付かれないよう、出来るだけ距離を取ってから
仕掛けることにした。
俺は︻隠蔽︼状態のまま︻恐怖︼を放つ。
861
︻雷撃︼では光や音で注目を浴びてしまうかも知れないので念のた
めだ。
﹁ギギギギィ!?﹂
蟻の表情は分からないが、たぶん苦悶の表情を浮かべながらビク
ビクと痙攣したかと思うと、蟻はそのまま動かなくなった。
﹁ギギギギ⋮⋮﹂
戦闘行動をとると︻隠蔽︼は解除される。
突然現れた俺に、もう一方の蟻はすぐさま警戒の色を見せた。
顎を大きく開き敵意を剥き出しにしている。
すぐさま︻恐怖︼を放ち、もう一方も沈黙させた。
蟻にも問題なく効くようだ。
S級では魔力の消耗も大きい為、もっとランクを落としたほうが
良いだろう。
ただ︻恐怖︼使用後、再発動させるには数秒の待機時間が必要の
ようだ。
となると囲まれるのは危険だ。できるだけ1対1になるように、
862
対応したほうがいいだろう。
2体で行動している蟻を誘い込んで、その後もしばらく狩りを続
けた。
蟻に小石を投げつけ、注意を惹き通路の奥へと引き込む。
﹁ギャギャッ!﹂
︻恐怖︼で一方を仕留める。
するとすぐさま、もう一方が顎を打ち鳴らし襲いかかってきた。
まるでコメツキムシかのようにバチンッというクリック音を鳴ら
して、その大きな体を跳ね上げる。
素早く盾を向けて身構えると︱︱。
カッ
木製の盾に、その鋭い顎が突き刺さった。
くっ、重いッ⋮⋮ 蟻が突き刺さったまま盾を投げ捨てる。
863
地面を転がる蟻に向け、杖を突きつけ︻恐怖︼を放った。 魔石︵地形探知︶ 蟻の硬い甲殻を引き剥がし、内部に存在する魔石を回収する。
探知のカテゴリに入るスキルだ。地形を探る能力があるらしい。
うーん。今のところ役立つかは不明だな。
さてスキルも手に入ったし、毒餌を設置して帰るとしよう。
幾らか狩ったものの、変わらず巣から蟻は這い出してくる。
少しばかり狩っても、大した意味は無いだろう。
闇魔術︻隠蔽︼
姿を隠し、巣の周辺を警戒する蟻を刺激しないように慎重に近づ
く。
適当なところで、麻袋を取り出し中身を床に撒いた。
毒肉玉 毒物 D級
ゴルフボール程のサイズの揚げた肉団子の様だ。
微かに刺激臭がする。
ともあれこれで依頼は完了だろう。
後はギルドで報告して終了だ。
864
辺りに餌を巻き終わると、俺は長居は無用ときた道を引き返した。
︻疾走︼を使い帰りはあっという間であった。
>>>>>
﹁わかりました。報告受け賜りました﹂
ギルドに戻った俺はエリーナに依頼達成の旨を伝えた。
蟻の棲家の場所も、地図を用いて報告済みだ。
﹁水路の鍵はそのままジンさんの方で預かっていて下さい。また調
査依頼をお願いするかもしれません。独自に中に入るのも構いませ
ん。魔物も思った以上に増えているようなので、素材狩りとして掃
除してくれるなら助かります﹂
マスターからの指示の様だ。
まぁスキル収集の為にも、また水路に赴くのは良いかもしれない。
その全容を把握したわけではないし、他にもまだ魔物はいそうだ。
得られるスキルはまだあるだろう。
自由に出入りしていいというなら、俺にとっても願ったり叶った
りである。
865
雷魔術
︵潜水
溶解
洗浄︶
恐怖︶
地形︶
伸縮︶
魔力
麻痺︶
精霊使いLv7
第72話 エルフの秘薬16︵後書き︶
ジン・カシマ 冒険者Lv18
人族 17歳 男性
スキルポイント 6/38
火魔術
特性:魔眼
水魔術 掘削︶
雷付与
︵耐久強化
隠蔽
雷扇
土魔術
︵魔力吸収
S級︵雷撃
闇魔術
︵粘糸
筋力強化︶
E級︵嗅覚
︵灯火
魔力操作
体術
盾術
剣術 鞭術
闘気
探知 ︵打毒闇︶
F級
解体 繁栄
警戒
疾走 同調
耐性 成長促進
866
雷精霊の加護
︻装備︼
ムーンソード ミスリルダガー ショートソード カシラの杖 ラウンドシールド
疾風の革靴 影隠の外套+1 力の指輪 雷精霊の腕輪 魔術師
の指輪
黒狼の額当て 黒狼の革鎧 黒狼の小手 黒狼の具足
冒険者の鞄 867
第73話 エルフの秘薬17
水路の調査依頼を達成した翌日、今日も朝一でギルドへと顔を出
している。
だが今日のギルドは何時にも増して喧騒に満ちているようだ。
俺は人混みの中で、ロムルスを見つけ声を掛けた。
﹁よう、これから仕事か?﹂
何か考え事をしていたらしく、一拍置いてロムルスが反応する。
﹁ん?あぁ、ジンさんか﹂
どうやら討伐で森へ行くかどうか悩んでいたらしい。
﹁何かあったのか?﹂
俺は辺りの様子を伺いながら尋ねた。
掲示板の周辺にいる冒険者達も、どうするこうすると何かを話し
合って騒がしく揉めているようだ。
﹁んー、どうも境界の近くまで巨人が来てるみたいなんだ﹂
巨人、つまりサイクロプスのことだ。
この妖魔は普段は森の最奥、深層域と呼ばれる場所に縄張りを持
って暮らしている。
ザッハカーク大森林に生息する最強の魔物の1つだ。
868
そんな彼らが境界と呼ばれる森の端まで来て姿を見せることは殆
ど無い。
そのことからも、どうやら異常事態が起こっているのだとわかる。
境界は新人冒険者の活動領域である。
もし新人が巨人に出くわせば、その結果は目に見えている。
そういうことから森での採取、討伐の活動を自粛するように促し
ているようだ。
自粛というのは、いわゆる下級の冒険にのみ促されているもので、
それ以上の冒険者たちには特に与えられるようなものではないよう
だ。
もちろんそれらは強制ではないので、最終的な判断は自己責任の
もとに委ねられるようだが。
﹁俺1人なら別にいいんだけど⋮⋮﹂
そう言ったところで、彼の影から1人の小柄な女性が姿を表す。
白い髪に赤い目の獣兎族の少女だ。
彼女はやや緊張した面持ちで、ペコリと頭を下げて挨拶する。
﹁ア、アンナです!はじめまして!﹂
長い杖をギュウと握りしめ、ローブを羽織ったその姿から見ると
後衛職の様だ。
﹁はじめまして。ジン・カシマです﹂
869
ご丁寧にどうもと、わたわたと慌てふためく彼女に苦笑しつつも、
俺は握手の手を差し出す。
彼女はより一層慌てて、手に持つ杖を床に落としたりと、どうも
忙しない。
俺は視線をロムルスに送って説明を求めた。
﹁まぁ、ちょっと縁があって最近面倒見てるんだよね。コイツが一
緒だと巨人が居るかもしれないエリアはちょっと危険かもと思って
ね﹂
ロムルスが小声で教えてくれたが、どうも素人同然の治療師らし
い。
治療師もまた戦闘職に数えられる職業の1つではあるが、危険な
領域での活動はまだまだ不安が残るという。
縁があって組むことになったらしいが、獣兎族は獣人の中でも戦
闘向きとは言えない種ということもあって二の足を踏んでいるよう
だ。
確かに俺が見た印象からいっても、この子を連れて危険な場所で
の討伐は事故が起こりそうでちょっと怖い。
受付でも確認したが、やはり多数の巨人がかなり近くまで接近し
ているのは間違いないようだ。
下級冒険者への警告ではなく、強制的に採取討伐依頼の停止にす
るかどうか現在検討中とのことだった。
巨人が縄張りである深層域から出てくるのは、全く無いというわ
870
けでもないらしい。
若い巨人ほど好奇心が強く、何かのキッカケで縄張りの外に出る
こともある。
だが年間を通してもそのような報告は通常なら数件程度であると
いう。
やはり何かが起きているのは間違いないようだ。
特に無理して森へ行く理由も無いため、今日は仕事を休みにしよ
うと決めてロムルスたちと別れリザたちの待つ家へと足を向けた。
>>>>>
﹁ただいまー﹂
玄関を開けて、呼びかけるも応答はない。
そういえばミラさんは買い物に行くって言っていた様な気がする。
となるとリザは部屋だろうか。
ここしばらくの間で調達した素材を用いて、依頼を受けていた薬
の調合に入ると言っていたので、今まさに作業中なのかもしれない。
シアンは部屋で読書だろうか。
家の中へ入り一息つくと、上の階からドタドタと物音が聞こえる。
何か重いものが崩れたような音だ。
871
まさか泥棒ではないよなと、念のため︻探知︼︻警戒︼を発動さ
せて確認のために上の階へと向かった。
リザの部屋から魔力の反応は2つ。
感覚からしてリザとシアンだ。
俺は扉をノックした。
﹁リザ大丈夫か?すごい物音がしたけど。怪我してないか?﹂
呼びかけるも反応がない。
まさかと思い、俺は扉を勢い良く開けた。
部屋から溢れ出る白煙。
床を這うように流れ出たそれは、より低いところへと落ちるよう
に滑り拡散していく。
部屋の中は窓が閉じられているのか暗く、カンテラの明かりが僅
かに灯るのみであった。
煙を掻き分けるようにして侵入すると、抱えるほどの大きさの壺
を部屋内に発見した。
﹁リザ!シアン!﹂
ベッドや荷物の影に倒れこむ彼女達を発見した。
872
俺の脳裏に一酸化炭素中毒という言葉がよぎる。
一瞬にして血の気が引く思いを感じ、すぐさま彼女達を抱きかか
える。
﹁⋮⋮んっ﹂
良かった、どうやら息はあるようだ。
そうだ、換気をしないと!俺は慌てて窓の板戸を押し開けた。
窓から入る風と光が部屋の空気を押し流す。
リザは薬師だ。
言わずとも薬の調合、採取、管理の玄人である。
その彼女が密室で火を焚いて調合なんてことをするだろうか?こ
の世界の技術レベルがどの程度かは知らないが、火の危険性につい
ては当然熟知しているものだろう。
この街の発展を見ればそう思える。
壺を触れてみると暖かさはあるものの、熱いというほどではない。
火を掛けられた形跡はあるが、長時間という程でもないようだ。
﹁リザ大丈夫か?起きられるか?﹂
873
ともあれ本人に聞くのが手っ取り早い。
俺は彼女の頬に触れて、意識を覚まさせる。
﹁水持ってくるか?﹂
リザはうなされるように、呼吸を荒げるばかりで目を覚まさない。
あれ、ちょっとヤバイかな?医者を呼んだほうがいいのだろうか
?というか医者って何処に居るのかわからないのだが。
こういう時の正しい対処法など俺は知らない。
そう考えると専門家を呼んだほうがいいのかもしれない。
俺は床に倒れていたシアンを抱きかかえる。
﹁シアン大丈夫か?﹂
小柄な彼女を抱きかかえる。
﹁⋮⋮んっ、兄様?﹂
良かった、気がついたようだ。
﹁どうした?何があった?﹂
俺はシアンに問いかけるも、彼女は何も言わず首に手を回し抱き
ついてきた。
﹁シアン?﹂
874
何か怖いことでもあったのだろうか?
小さく震える彼女を優しく抱きしめる。
はぁはぁはぁ⋮⋮
﹁ん?シアン?﹂
何かシアンの呼吸が荒いような?
抱きつく細腕に力が入り、その身を強く寄せてくる。
おもむろに彼女は俺の首筋に、耳に舌を這わせてきた。
﹁え!?﹂
シアンの小さな舌が、忙しく動く。
ものすごく懐いている犬みたいに、ぺろぺろと首筋や耳を舐めて
くるのだ。
はぁはぁと荒い吐息が耳に掛る。
﹁シアン?どうした?何してる?なんだコレ!?﹂
875
状態:発情
魔眼が俺に情報を与えてくれた。
何だよ、発情って!?
そのとき背後から突然覆いかぶさる何かがあった。
リザだ。彼女は俺の背中にその豊かな胸を押し付けて、シアンと
は逆方向の耳を舐めてくる。そして強引に耳の中に舌を入れてくる
のだ。
﹁リザ!?﹂
ときおり聞こえる悩ましい吐息。にゅるりと蠢めく舌が、ぴちゃ
ぴちゃといやらしい水音を立てている。
二人共おかしな状態異常になっているようだ。
リザはブラウスにスカートといった装いである。
下着は身に付けているだろうが、このように押し付けるように密
着されては、その体の柔らかさを感じずにはいられない。
かつてその身に触れた時は、厚手の布越しということもあった。
だが今は違う。破壊力がかなりマズイことになっているのだ。
これキュアポーションで治るのか?
876
俺はシアンとリザを力ずくで引き剥がし、腰に備えた鞄に手を伸
ばす。
するとリザはその手を掴みあげて、自分の胸へと押し付けた。
﹁ちょっ!?リザ止めなさい!﹂
あまりのことに俺は声を荒げる。
﹁やだ﹂
リザはそう言ってクスクスと悪戯っぽく笑うと、ぐいぐいと自分
の胸に俺の手を押し付けるのだ。
適度に張りがあり、それでいて言いようのない柔らかさ⋮⋮
あぁ、女の子の体って凄い柔らかいんだな⋮⋮
そんなことを考えながら、思わず食指が動いてしまう。
あー、やばい。これはやばい。歯止めが効かなくなる。
俺の精神が揺れているのを見越してか、腕を引き胸の中に飛び込
み抱きついてくる。
俺は押し倒される形になり、そのままの勢いで唇を奪われた。
﹁んっ⋮⋮﹂
リザの舌が強引に口内に侵入してくる。
877
甘い香りが鼻孔を擽る。
舌と舌が絡みあい、唾液と唾液が混ざり合う。
例えようのない柔らかさを持つリザの唇が、俺を情熱的に求め貪
るのだ。
うおおおおおおおおおおーーーーい!!
やべえええええええええええええええ!!!
どうすんのよコレ!?
どうすんのよコレ!?
流石にこのままの勢いで、どうにかなっちゃうのはマズイでしょ
う!?
だがしかし俺とて賢者ではないのだ。ここまで来てそうそう堪え
られるものではない!
どうしよう。どうする?どうしたら良い!?
ミラさんはいないし⋮⋮そうだアルドラだ!
特性眷属によって繋がっている彼とは、ある程度の意思疎通がで
きる。
878
会話ができるというほど便利なものではないが、相手の危機を感
じるくらいには可能だ。
アルドラよ!俺は今この上ない危機に直面している!早く助けて
くれーーーッ!! 俺は心のなかで全力で叫んだ。 879
第74話 エルフの秘薬18
﹁一体どういう状況じゃ⋮⋮﹂
アルドラは難しい顔をして、そう呟いた。
俺の祈りが届いたのか、アルドラは時空魔術︻帰還︼にて俺の前
に姿を現した。
そして彼の目に飛び込んできたものは、半裸の俺とそれに抱きす
がるリザとシアンだった。
﹁とにかく話は後だ!どうにかしてくれ!﹂
>>>>>
アルドラに彼女達を抑えていて貰い、俺はリザの部屋から薬を探
した。
アルドラの話によればキュアポーションでは回復しないだろうと
いう話なので、彼の助言から効きそうな薬を探している。
鎮静薬 薬品 E級
880
あった、これかな。
俺は二人に薬を飲ませベッドに寝かせた。
薬を飲むとさっきまでの混乱は嘘のように落ち着き、しばらくし
て眠りに落ちた。
アルドラによれば﹁目を覚ませば回復しているだろう﹂とのこと
だった。
﹁成長したようじゃの﹂
アルドラがにやりと笑う。
﹁まぁ、いろいろあったよ。それより何処にいたんだ?﹂
俺のことを主と言いながらも、随分と放置していたじゃないか。
﹁森に。というか眷属の居場所は把握できるじゃろう?﹂
﹁まぁな﹂
アルドラは冒険者を引退してから30年以上経つ。
引退してからは村長として、更には族長として仕事をしていたた
めに剣を振るう機会はめっきり少なくなっていたそうだ。
881
神経を擦り減らし、命を掛けた戦いとなると、もっと昔から縁遠
くなっていた。
つまりは腕が訛っていたのだ。
﹁昔の感覚を取り戻すために、リュカに手伝って貰ったと言うわけ
じゃ﹂
まぁ半ば強制的にじゃがのうと、アルドラは笑った。
現役のS級冒険者との実戦訓練。
無論真剣での打ち合いだ。
アルドラの体は魔石があれば魔力を回復できる。魔力があれば傷
ついても回復できるので、濃い内容の訓練が出来たそうだ。
その笑顔は無邪気な少年の様にも見えるし、獰猛な野獣の様にも
見える。
アルドラの話によれば﹁昔の感覚が少し戻った﹂だそうだ。
>>>>> すやすやと眠るリザとシアン。
882
状態:正常
どうやら状態異常は回復したようだ。
寝顔を見ても異変は感じられない。呼吸も安定しているように見
える。
﹁何だったんだあれ?﹂
俺の視覚にあの怪しげな壺が入る。
壺を手に取り中身を確認すると、どろりとした粘度の高い黒い液
体が収まっていた。
液体と言うには語弊があるような見た目だ。
微かに異臭がする。
なんというか嗅いだことのない不思議な臭いだ。なんとも形容し
がたい、複雑な香りである。
﹁エルフの秘薬か﹂
アルドラが壺の中身を眺めてそう言い放った。
エルフを初めとした妖精種と呼ばれる種族は、人と比べれば長命
な者が多い。
エルフに限って言えば森の奥地に済み、家族単位の集落にて細々
と質素な生活を営むというのが一般的な人族のイメージのようだ。
かく言う俺もそのイメージとさしたる差はない。
﹁人族の住む平野とは違い、耕作できる土地は限りがあり得られる
883
食料には限界がある。産めよ増やせと言うわけにも行くまい﹂
つまりはエルフは住む土地に合わせて、そういう進化をしてきた
種というわけか。
森の中を大きく切り開き、開拓するにも魔物などの弊害もある。
魔素の濃い森の奥地では、ある特定の種においては異常な速度で
成長、繁茂する種もあるという。
そんな森に合わせた生活様式を行っているのが、エルフという種
族なのだ。
子孫を増やしていくよりも、個人の寿命を伸びるように伸ばすよ
うに進化したのだ。
そういうわけかどうかはわからないが、エルフの男性というのは
性欲が薄く淡白であるらしい。超草食系男子だ。
エルフの女性は妊娠しにくく、男性は性欲が薄い。
そうすることで限られた森という空間で繁栄し過ぎないように、
人口調整を行ってきたということだ。
人口増加が行き過ぎれば、食糧難という最悪の事態が訪れるのは
目に見えている。
﹁エルフの秘薬は男性機能を増幅させる薬じゃ。なかなかその気に
ならないエルフの男どもを、その気にさせるというものじゃな﹂
アルドラはカカカと笑って答えた。
エルフのそういった性質から、いざというときにも困ることが多
884
いという。
そういう時のための薬なのだ。
秘薬というからには門外不出で、一族の中だけで使われる秘匿と
されるべきものらしいが︱︱
﹁わしの村で言えば最近ではそこまで不能の者は少ないようじゃな。
ただ素材には採取に面倒なものが多いし、簡単に作れる品では無い
はずじゃ﹂
アルドラからの指示でリザが村に滞在していた際に、その調合法
や使用許可は与えてあった様だ。
リザなら無闇に広めることもないだろうし、悪用もしないだろう
と思ってのことだろう。使う機会があるかはわからないが、知識の
1つとして与えたのだという。
﹁それにしても薬の効果が強すぎないか?使い方間違えたら、大変
なことになりそうだけど﹂
﹁そうじゃのう。じゃがわしの村で与えた調合法の秘薬ではエルフ
の男にしか効果はないはずじゃし、こんな効力は無いはずなんじゃ
がなぁ⋮⋮﹂
腑に落ちないといった様子のアルドラは、思案した顔を見せてベ
ッドで眠るリザに視線を落とした。
﹁⋮⋮んっ﹂
リザの意識が回復したようだ。
885
彼女は薄目を開けて周囲を確認すると、徐々に覚醒し理解が追い
つくと目を見開いて飛び起きた。
﹁えええ?うわああああああ!?﹂
顔を赤く染め、わなわなと体を震わせ、混乱するリザ。
俺とアルドラの顔を交互に見渡し、なんとなくこの状況がわかっ
てきたようだ。
バタンッとベッドに顔を押し付ける様に倒れこみ﹁あああああー
違うんです違うんですー﹂と叫んでいる。
俺はベッドの縁に座り﹁大丈夫だ気にするな﹂と慰めにもならな
い言葉を投げかけた。
どうやら先程の出来事の記憶はあるようだ。
彼女の話によると調合したのはエルフの秘薬で間違いないが、ア
ルドラの村で教えてもらった調合法にリザ独自のアレンジを加えた
のだという。
リザはリュカなどからも、獣狼族独自の薬草術といった知識を得
ている。持てる知識を総動員して、効果効能を客の要望に合わせて
調整した新しい秘薬のようだ。
>>>>>
886
リビングでワインを傾けていると、調合を依頼したという客が薬
を取りに来た。
﹁リザちゃーん。お薬貰いに来たにゃー﹂
﹁うるさいよタマ!もう少し静かに呼びなさいよ!﹂
﹁ミケはばかにゃー、静かにしたら呼べないにゃー、案外アホの子
にゃー﹂
﹁あんたに言われたくない!﹂
何処かで聞いたことのある声が玄関から聞こえてくる。
﹁二人共静かになさい。先生のお宅ですよ﹂
静かに落ち着いた声の女性が、二人を窘める。
﹁お待たせしました。お約束の品ができました﹂
薬を持ったリザが客の前に姿を表す。
あの壺に入った謎の黒い物質は、今は硝子瓶に収められ密閉され
ている様だ。
あれを渡して大丈夫かと心配したが、薬の効果を強めるのは難し
887
いが、弱めるのはまだ難しくないらしい。
既に薬の効果は適切なレベルにまで弱めているようなので安心し
た。
実際に使用する際には更に水で薄めるらしい。
リビングでアルドラとだらだらと飲んでいると、リザから声がか
かった。
﹁初めましてジン様。私は彼女達の上役を努めさせて頂いておりま
す、モクランと言う者です。今回は手前どもの無理な依頼に尽力し
て頂いたようで、感謝の言葉もございません﹂
今回の依頼達成の際に大きな力になったのは、俺だということを
説明したらしい。
モクランと名乗る彼女は確かに、後ろの2人の上司のようで2人
は緊張した面持ちで控えている。
しかし俺と目が合うと、にたにたとした笑みを浮かべて、目で合
図をしてくる。
俺はそれに苦笑して答えた。
﹁俺は大した事はしていませんよ。調合はリザがやったことですし、
俺はただの手伝いですから﹂
そういうもモクランは軽く首を振って応える。
﹁もちろん先生には大変感謝しております。こんな相談ができるの
888
は、この街でもリザ先生以外には居ないでしょうし、無理な願いも
何とかしようと考えて頂いただけでもありがたいのに、こうして結
果を出していただいた。こんなに嬉しいことはありません﹂
これで多くの娘達が救われると、モクランは嬉しそうに微笑んだ。
健康的に日焼けしたような小麦色の肌に、明るい褐色の髪は胸元
まで長く伸びウェーブが掛かっている。
ダークブラウンと言ったような濃い茶色の瞳。
整った顔立ちに、その頭部には湾曲した2つの角が突き出してい
た。
背は高く俺よりも頭1つ上のようだ。
モクラン 妓女Lv52 獣牛族 36歳 女性
着物の様な衣に身を包み、その胸元は大きく開かれている。
それにしても大きい。
その迫力はミラさん以上だ。
﹁ジン様?﹂
うっかり凝視していた視線を戻す。
不思議そうな顔をするモクランに俺は笑って誤魔化した。
889
いつまでも若々しいエルフや、一定の年齢を過ぎれば老化の遅くな
るドワーフなどと違い、獣人は人族と似たような寿命と歳の取り方
だと言われている。
そういった意味ではモクランは年相応、極端に若々しいとは言えな
い。しかし人族よりも優れた身体能力を持つ獣人ならではなのか、
肉体の衰えというものを感じさせない色艶というものがあった。
その所作、佇まいから自分の美というものに絶対の自信を持ってい
るのが感じられる。
妖艶ともいえるそれは、ある意味で完成された女の美しさを体現し
ているようであった。
﹁ともあれジン様にお力を頂いたのは事実でしょう。リザ先生もそ
う仰っておりますし。先生への報酬は当然用意しておりますが、ジ
ン様にも是非とも御礼がしたく思います﹂
モクランに是非お店に立ち寄っていただきたいと強く念を押され
る。
﹁俺よりリザをお店に招待するほうが良いのでは?﹂
そういう俺にモクランは申し訳無さそうに答えた。
﹁私どもの店のある花街は女性は立ち入り禁止なのです。申し訳あ
りません﹂
﹁ジン様、どうかモクランさんの申し出をお受けになって下さい。
890
彼女にも立場というものがあるのです﹂
俺の後ろに静かに控えていたリザが助言を与えてくれる。
モクランはその言葉に頭を下げる。
それもそうか。彼女は個人的な事でここに立っているわけではな
いのだ、店の代表として来ているのだろう。
俺は彼女の申し出を受け入れ、近いうちに顔を出すことを約束し
た。
通常は予約して出向くものらしいが、今回は向こうからの招待の
ために予約は必要ないという。
いつでも迎え入れる準備をして待っているとのことだ。
そこまで言われると恐縮してしまう。
これは早めに顔を出しに行ったほうが良さそうだ。 891
第75話 ささやかな幸福
なんだかドタバタした1日が終わった。
リザもシアンもその日は羞恥心からなのか、頬を赤く染め俯くの
みであった。
﹁薬のせいで錯乱していただけであって、まともではなかったのだ。
気にする必要はない、早く忘れたほうがいい﹂
それっぽい助言を送っておいたのだが、彼女達の心に届いたかど
うかは定かではない。
とりあえずその夜に彼女達が俺の部屋へと訪ねてくることはなか
った。
しかしあんなことがあったせいか、気が高ぶって眠れない。
丁度今夜は独り寝のようだし、荒ぶる精神を落ち着けるための儀
式を執り行うことにした。
この儀式を執り行うのはこちらへ来て初だが、どうやら遂行する
に支障はないようだ。
翌日いつもの様に日課をこなして家に戻れば、いつもにようにリ
ザが出迎えてくれる。
どうやら吹っ切れたようで、変な緊張感はもうないようだ。
彼女が作った朝食をいつもの様に頂く。
892
いつもの平和な日常だ。
思えばこの世界に来た当初は生き残るのに精一杯で、まさにサバ
イバルだったが、最近、特にこの都市に腰を落ち着けてからは、こ
の世界のなりの日常に浸り、この生活にも慣れたような気がする。
﹁今日はどうされますか?﹂
﹁そうだな⋮⋮﹂
森は巨人のこともあるし、少し様子見でもいいだろう。
アルドラの話でも、普段とは違った違和感のようなものを感じて
いるようだし、もしかしたら魔物の異常発生の兆しかもしれない。
そうなればギルドから何らかの通達があるだろう。
特別森に行かねばならないという理由が無ければ、待機でいい。
リザにそのような考えを伝えると︱︱
﹁でしたら、お買い物に付き合っていただけませんか⋮⋮?﹂
彼女はおずおずと、俺の様子を伺いつつ訪ねてくる。
もちろん断る理由はない。
快く了承すると、昼頃までは調合の下準備があるらしく出かける
のはその後に、という話でまとまった。
893
リザとの約束の時間までは、地下遺跡の空間で剣術や魔術の訓練
をして時を過ごした。
最初の部屋は植物で埋め尽くされていたはずだが、今はもう綺麗
に片付いている。
砕かれた木片はアルドラの収納で上へと運んだらしい。
どうやら薪として利用されているようだ。
﹁しかしお主は覚えが早いのう。軽く教えた型もだいぶ様になって
きたようじゃ﹂
アルドラは今まで弟子というものを持ったことがないらしく﹁教
え方などわからん﹂とボヤいていたが、それでも実践を通して言葉
少なくも教えてくれた。
本人自体が得意な得物が大剣類ということもあって、実際に教え
られることには限界があると言っていたが、剣を持ったのも初めて
の俺からすれば基礎の基礎でも十分に有り難く勉強になった。
聞くのも体験するのも初めての事というのもあるのだが、とにか
く初体験というのは楽しいのだ。
まるで自分の世界が広がっていくような感覚である。
﹁ミラさんは大丈夫かな?﹂
昼になり、食事のためにリビングに皆が集まる中にミラさんの姿
はない。
﹁ええ、お母様は少し気分が悪いそうなので私達で先にいただきま
894
しょう﹂
リザの口ぶりから、それほど深刻さは感じられないので問題ない
のだろう。
ミラさんの体調が良くないと言っていた話を思い出す。
何かの病気なのだろうか。
リザが付いているのだし、俺から何かいうことも無いが少し心配
だ。
﹁ありがとうございます。でも大丈夫です、少し体力が落ちている
だけだと思うので﹂
そう言ってリザは笑顔を見せた。
﹁兄様、姉様いってらっしゃい﹂
﹁にゃー﹂
シアンとネロに留守を頼み、俺とリザは用事を足しに商店街へと
足を向けた。
アルドラはというと﹁若い二人を邪魔する趣味はない﹂と言って、
幻魔石へと戻り鞄に収まっている。
亀の甲より年の功である。
空気の読める大人であった。
895
どちらともなく手が触れると、何も言わずとも気付くと手を繋い
でいた。
自然と指を絡める。
リザは少し気恥ずかしそうにしているが、嬉しそうでもある。
そんな様子を視界の端に捉え、何か心の中が温かいもので満たさ
れるような感覚を得る。
何か久々に感じる、擽ったいような感覚。
幸福感ってやつだろうか。
俺はそんなことをぼんやりと考えながら、石畳の道を彼女の歩幅
に合わせてゆっくりと歩いた。
﹁ジン様よろしいのですか?2つともジン様が使われたほうが利用
価値が高い様に思えますけど⋮⋮﹂
俺は今まで使っていた冒険の鞄をリザに譲った。
現在俺の腰には祠で手に入れた魔術師の鞄が装着されている。
﹁便利な道具だし、リザも素材採取や道具の収納なんかで用途は幾
らでもあるだろう?これからも魔法薬の作製など頼りにしているし、
その魔導具が役に立てるなら使ってくれ﹂
896
もちろん俺が2つ装備するのも有効だろうが、今のところ収納数
が少なくて困っているわけでもないし、リザに持たせて素材の採取
用に役立てたほうが利がありそうだ。
この先で何か状況が変われば、その時また考えればいい。
リザもそういうことならと納得してくれたようで︱︱
﹁ありがとうございます。大事にしますね﹂
そう言って嬉しそうに俺が使っていた鞄を抱え込む。
うん、やっぱり返してとはもう言えないな⋮⋮
魔術師の鞄に収納されていた道具は、使えそうなものは手元に残
し、使わない売れそうなものは売り払うことにした。
既に素材の類などはリザに判断してもらい、分別してある。
﹁ここは何の店なんだ?﹂ 何件か巡って必要な買い物を済ませた。
処分する荷は処分し、今日の用事もだいたい終わりだろう。
そんな中で最後にと立ち寄った店は、戸が固く閉じられていた。
開店しているといった様子は見受けられない。
掲げられた木製の看板を見ると、ダイヤマークみたいな模様が彫
り込まれている。
897
﹁魔導具の店なのですが⋮⋮やはり開いていませんでしたか⋮⋮﹂
リザは少し残念そうに呟いた。
なるほど魔導具を扱っている店か。
魔導具を扱っている店は数は少ないものの他にもあるそうだが、
品質や店員の接客の良さから何か買うときはこの店でと決めている
らしい。 ただ魔導具は安定して生産供給できるものではなく、買いたいも
のがあっても入荷未定ということは良くあることのようだ。
魔導具というのは、魔力を持った素材を用いて職人によって作成
される道具全般を指す言葉である。
強い魔力を秘めた木材を用いて作られた椅子は、特殊な能力を備
える。
これもまた魔導具であるという。更には魔力回路を組み込んだり、
求められる能力にするために素材を変えたりと、話を聞く限り大量
生産に向かない品であるようだ。
﹁素材の魔力を十分に引き出すには優れた技術はもちろん、熟練の
感覚が必要らしいので良い魔導具を作れる職人の数というのはそう
多くないそうです﹂
彼女の望む魔導具は今直ぐ必要な物でもないそうなので、取り敢
えず今は諦めるそうだ。 898
これでリザの用事も終わったそうなので、俺たちは家路にと足を
向けることにした。
途中大きな店を見かける。
外観を見れば随分と凝った作りの立派な建物だ。
掲げられた木製の看板には、楓の葉を模した彫り込みが成されて
いる。
俺がそれを見上げていると、隣に立つリザがそっと体を重ねるよ
うに寄り添ってくる。
握られる手に力が入る。
﹁リザ?﹂
ふと見えた彼女の顔は悲しいような、険しい様な微妙な表情に変
化していた。
﹁帰れ!帰れ!ここはお前らみたいな半端者が来るような店じゃな
いんだよ!﹂
店の中から怒号が聞こえる。
その声に押されるように、店から若い獣人の男が2人飛び出した。
﹁何だよ!金ならあるって言ってるだろうが!﹂
899
納得行かない様子の若者は、おそらく怒号の主である店員の男に
掴みかかろうとする。
﹁ハッ!どんな手管で手に入れた金かは知らないけどな、そんな汚
え金で買えるほどウチの商品は安くないんだよ﹂
店員の男は若者に向かって嘲るように笑う。
その表情、その態度は相手を完全に見下しているのだとハッキリ
と見て取れた。
俺には関係ない話だが、あんなものを見てしまっては気分が悪い。
獣人族は一部の人族から軽んじられる傾向にあるという話を聞いた
が、こういったあからさまな現場を見かけるのは意外と少ないのだ。
不穏な空気に気分を害していると、リザの俺の腕を掴む手により
一層の力が込められる。
﹁大丈夫だ、他人の喧嘩に無闇に手を出すほど俺は血の気多くない﹂
そう言ってリザに苦笑して見せた。
﹁何を騒いでいる。店の外だぞ﹂
どこからともなく一人の人族の若者が現れた。いやそう若くもな
いか。二十代後半くらいだろう。
900
黒い革の手袋、革のロングコート。
その中に着ている服も洒落ていて、高級そうだ。
﹁こ、これはラファエル様。申し訳ありません。下賤の者が店で騒
ぎを⋮⋮﹂
ラファエル・ヴァレン 薬師Lv52
金髪の短髪に青い瞳。
スラリと背筋の伸びた高い身長。整った顔立ち。
堂々とした立ち振舞に非常に高いレベルを見ても、それなりの立
場にある人物だとわかる。
下賤の者という侮辱の言葉を受けて、若い獣人が苦々しい顔を向
ける。
店員の男がこの場の状況を説明した。
﹁なるほどな。おい﹂
ラファエルが顎で店員に指図する。
店員の男は驚いた様子で戸惑いながらも、その指示を受け入れた。
﹁悪かったな君たち。この店はC級以上の冒険者を対象とした店な
んだ。最近は魔法薬の材料も品薄でね、できれば全ての冒険者に十
901
分な量を行き渡らせたいのだが、そうも行かないのだ。それ故に仕
方なく上位階級を優先している次第だ。わかってくれないか?﹂
ラファエルは﹁上位冒険者の活動が滞れば、それがどんな結果を
もたらすのか理解してくれ﹂と熱く語った。
若者たちの肩を叩き、その手に魔法薬を渡す。
﹁いえ、俺達の方こそすいません⋮⋮﹂
視線を合わせて真剣に語るラファエルに絆されたのか、若者たち
は魔法薬を受け取りおとなしくなった。
﹁わかってくれるか。ありがとう﹂
ラファエルと若者たちは固く握手を交わして別れ、その場で血が
流れるようなことはなかった。
﹁しっかりせんか馬鹿者が﹂
ラファエルは革の手袋を脱ぎ捨て、店員の男の顔に叩きつける。
﹁⋮⋮申し訳ありません﹂
﹁捨てておけ、汚らわしい﹂
﹁はっ﹂
902
ラファエルは険しい顔を貼り付けて、その場を足早に去っていっ
た。
903
第76話 金貸し屋
リザと共に家路へと急ぐ。
あのラファエルという男、目測で身長190くらいだろうか。
若い女なら誰もが振り返るであろう端正な顔立ち、凛とした佇ま
い。
だが何か人を寄せつけない気配というものを、纏っているように
感じた。
俺の脇を通り過ぎるときリザがビクリと震え、怯えていたのも気
にかかる。
﹁あの人、有名なのか?﹂
リザは少し考えて答えた。
﹁⋮⋮はい、この街では有名です。一年ほど前に薬師ギルドのマス
ターに就任された若き天才薬師と称されています﹂
一年ほど前にフラリとベイルに訪れ、薬師ギルドに加入すると、
あっという間にマスターの座へと上り詰めた天才らしい。
新たな薬の調合法をいくつも発表したり、ありふれた薬草の画期
的な使いみちを提唱したりと、ギルドへ加入してからの功績は誰も
が認めるほど極めて高いものだったのだとか。
904
﹁ただ黒い噂も堪えませんが⋮⋮﹂
もともと薬師ギルドは人族至上主義を謳うことが強かったが、彼
がマスターに就任してからはそれがより強くなったのだとか。
﹁前任者の不可解な死、他のマスター候補の不可解な死、あの人の
周りでかなり多くの人が謎の死を遂げています﹂
⋮⋮は?なにそれ⋮⋮?
そもそも加入して一年足らずの新人がギルドの幹部、ましてや頂
点に立つなど、どう考えてもおかしな話である。
それがまかり通るということは、何らかの力が働いているとしか
思えないとリザは言う。
﹁たぶん誰もが思っていることなんでしょうが、誰も怖くて言えな
いのでしょう。証拠もないそうですし。あの人の周りでは、あの人
と敵対するような人物の多くは謎の死を遂げているらしいのです﹂
⋮⋮なるほどな。リザが薬師ギルドを避けている理由は、そのあ
たりが原因なのか。
>>>>>
﹁ただいまー﹂
905
玄関の戸を開けて、呼びかけるも返答はない。
夕刻というには、まだ少し早い時間だ。
おそらく二人は部屋にでもいるのだろう。
そう思って俺たちは家の中へと入っていく。
﹁ミラさん?﹂ リビングのテーブルに椅子に座った状態から、突き伏せるように
して身を倒す彼女を見つける。
少し驚いて声を掛けるも、反応があるようには見えない。
リザが駆け寄って、様子を伺う。
﹁⋮⋮ジン様﹂
ミラの状態を確認したリザが不安気な表情で顔を上げる。
﹁え?どうした?具合が悪いのか?病気?﹂
俺の声に気がついたのか、ミラが顔をあげる。
﹁⋮⋮あら、二人共お帰りなさい。ごめんなさいね、まだ食事の用
意出来てないのよ、ちょっと目眩がして休んでいたんだけど⋮⋮﹂
906
ミラは力なく立ち上がる。その様子から、明らかに何らかの異常
があることが見て取れた。
﹁いや、いいですよ。それより無理しないで部屋で休まれたほうが
⋮⋮﹂
ミラはそんな俺の言葉には耳をかさず、大丈夫大丈夫と自分に言
い聞かせるようにキッチンへと向かった。
力なくゆるりと歩くミラの体から、不意に最後に残された体力が
消失し、重力に従うように倒れこむ。
ミラのその異常な様子から、もしかしたらと予見していた俺は素
早く動いて彼女を抱きかかえた。
﹁ミラさん!?﹂
﹁お母様!﹂
そばで声を掛けるも反応はない。
ただ微かな息遣いだけが聞こえる。
﹁とりあえず部屋で休ませよう﹂
﹁はいっ。お願いします﹂
腕力のないリザでは彼女を抱えて部屋のある3階まで上がるのは
難しいだろう。
907
俺は横抱きにしてミラを抱え込む。いわゆるお姫様抱っこである。
リザよりも少し背の低いミラは抱いてみると、やはり軽い。
太っているわけでもないが、痩せ過ぎというわけでもない。
リザより幾ばくか膨よかで女性らしい丸みを帯びた体型。胸の辺
りは大変よく主張している。
おっと今はそんなことを考えている場合ではなかった。
ミラさんの体ってすげー柔らかいなとか、なんかいい匂いがする
とか、余計なことを考えている場合ではないのだ。
見た目で言えば20代後半くらいで、リザを大人にしたらこんな
感じかなとか、何処と無く漂う大人の色気というか、未亡人って何
となくエロい響きだなとか考えている場合ではないのだ。
3階へと続く階段は中々の急階段である。足を踏み外さないよう
に慎重に登っていく。
﹁⋮⋮どういうことだ?﹂
ベットに横になるミラは落ち着いているように見える。
取り急ぎ危険な状態ということもないようだ。
状態:正常
魔眼で確認しても異常は見られない。
908
何らかの病気を患っているなら、状態:病気と見えるはず。︵街
なかでそういった表示のものを、前に目撃した︶
であれば、病気ではないのか。もしくは魔眼でも確認できない何
かなのか。
﹁すいません。隠していたわけでは無いのですが、この所は調子も
良さそうでしたので、もう改善されたのかと思っていたのですが⋮
⋮﹂
リザはそう力なく答えた。
病気かと問われれば、少々違うらしい。
そのとき不意に鞄から、何かの反応を感じる。
⋮⋮幻魔石、アルドラだ。
﹁⋮⋮ふむ。これは魔力枯渇症じゃな﹂
顕現したアルドラが、ミラを一目見てそう語る。
﹁なんだそれは?﹂
﹁エルフの特に女性がなりやすい⋮⋮病気とはまた違った特性のよ
うなものじゃろう。魔素の濃い森に住むエルフは、その森の中でこ
そ健康に生活できる。魔素の薄い街に住むようになると、その濃度
の差から体調を崩す場合があるのじゃ。無論全てのエルフ女性が、
909
そうなるわけではないがの﹂
魔素は空中、地中、水中と何処にでも存在し、人が食べる食物、
肉や野菜にも存在する。
それらを体内に取り入れ、魔素を魔力に変換するのだが魔素の薄
い街では、それが上手く行かなくなる場合があるのだという。
人族では問題ないが、魔素の濃い森で生きる者の特有の性質のよ
うなものらしい。
そして魔力とはただ単に魔術やスキルの燃料というだけではない
のだ。
枯渇すれば気絶や運動能力の低下という事態を招くということは、
生物にとって生活するにあたって必要不可欠な栄養のようなものな
のである。
﹁獣人にも起こりえるのか?﹂
﹁いや、魔力総量の低い獣人ではほぼ起こらないようじゃ。それに
獣人は森でなくとも生きていける﹂
そうだった。森の深くで生きるのはエルフ特有の性質か。
いや、逆を言えばそういう環境でなければ生きられなかったとい
うことか。 うまく魔素を体内に取り込めず、魔力を回復、体内で新たに生産
できない、できにくい状態。
910
それが魔力枯渇症だ。
1階から激しく戸を叩く音が聞こえる。
まるで扉を壊そうとしているのかと思えるほど、暴力的な訪問の
合図だった。
﹁ミラ・ハントフィールドはいるか?﹂
玄関から怒鳴るような大声が響いた。
まったく病人が居るっていうのに、うるさい客が来たものだ。
﹁ちょっといってくる﹂
俺とアルドラが席を立つと、リザも合わせて立ち上がったので俺
はそれを片手で静止させる。 ﹁リザはミラさんに付いていてあげてくれ﹂
>>>>>
玄関先に立っていたのは2人の男だった。
911
獣熊族。革製の衣類に身を包んだ大男。
四角い顔で、服で隠れていない部分の皮膚は毛で覆われていてい
る。
獣鼠族。布製の衣類に身を包んだ小男。
身長130センチ程度で、子供かと思えばそういうわけでもない
ようだ。
それなりに歳を取った、年配の男である。
獣熊族の男は後ろに控え腕を組んで立っている。顔つきは険しく
口を真一文字に結んで、微動だにしない。
﹁ミラ・ハントフィールドはご在宅か?私はアルフレッド商会から
来た、ドナートと申すものだ﹂
小男が前に出て流暢に語り始める。
彼の話はいわゆる﹁貸した金を回収しに来た﹂というものだった。
アルドラに目配せして聞いてみると、アルフレッド商会というの
はベイルでは有名な金融商会のようだ。
金融商会と言うのは主な業務を資金の調達、配分、投資としてい
る商会である。
資金の運用についての相談なども受け付けているという話だ。
﹁証文もある。既に返済の期限は過ぎている、速やかに規定の金額
を返済していただきたい﹂
ドナートは懐から獣皮紙を取り出し広げて見せる。
何やら魔法陣のような文様が描かれ、この国の文字が書かれてい
912
るようだ。
おそらく借用の内容が示されているのだろう。
彼らの提示する金額は金貨にして約20枚。
手持ちでは不足だが、ギルドの貸し金庫に行けば払えない額では
ない。
しかし本物の証文なのだろうか?
借用証明書 魔導具 E級
俺の魔眼で見ても大した事はわからない。
何か偽装をしている感覚もないため、そういった意味では本物か
もしれないが。
﹁ここの家主は今病床にいる。対応できる状態ではないため、出直
して頂きたい﹂
そういう俺の言葉に、小男は僅かに眉をひそめた。
﹁ふむ。だが私も手ぶらで引き下がる訳にも行かないのだ。返済の
能力、意思があるかだけでも確認したい﹂
﹁その証文が本物かどうかも確認できない。家主は対応出来ないし、
俺が応えることは出来ない﹂
小男が言うには証文は間違いなく本物で、鑑定所で確認してもら
っても良いとの事だった。
﹁これは正式な契約魔術に基づいて行われた取り決めだ。もし返済
913
が滞るようなら、それ相応の対処を取らざるをえない﹂
それ相応の対処というのは、奴隷落ちということらしい。
奴隷商会に身を売って、その金を返済に当てるというものだ。
もちろん全ての人が、その身を奴隷に落としたとしても金になる
とは限らないが。
だが、もし万が一にもミラさんが奴隷落ちなどという事態は考え
たくはない。
﹁⋮⋮わかりました。俺が立て替えましょう﹂
俺の言葉を信じられなかったのか、ドナートは再度確認をする。
それもそうか。金貨20枚ともなれば、かなりの大金である。
俺の今の姿は十代半ばの若造なのだ、おいそれと大金を動かすよ
うな人物には見えないことだろう。
困惑の色を隠せないでいたドナートであったが、俺の﹁冒険者ギ
ルドの貸し金庫に預けてあるので、そこで支払う﹂という文言に深
く頷いた。
﹁なるほど、冒険者でしたか。失礼しました、それならば頷ける。
もちろん私どもとしては、返済していただけるのであれば何方でも
構いません﹂
どうやら冒険者というのは、ときに若くして大成するものがいる。
といった認識があるらしい。俺の僅かな経験から言えば、そんなイ
メージは感じないが、魔物の部位には希少価値の高い素材などもあ
り、条件によっては非常に高額で取引されることもある。運が良け
れば、稼げる可能性というのも確かにあるらしい。
914
﹁それならばエリーナに同席してもらうと良いじゃろう。あやつの
前では、如何なる偽証も意味を成さないからのう﹂
疑われていることに気分を害したのか、ドナートの表情が一瞬曇
ったが、すぐに取り繕い表情を柔和なものに変化させた。
﹁ジン様何か有りましたか?﹂
下へ降りたまま戻ってこない俺たちを心配したのか、1階へとリ
ザが下りてくる。
俺は事の次第を簡潔に説明した。
﹁確かに証文に間違いありませんが、それでジン様にご迷惑をお掛
けする訳には⋮⋮﹂
リザの表情が戸惑いに揺れる。ミラさんが今奴隷として連れて行
かれる訳にはいかないだろうし、かといって俺の迷惑になるような
ことは避けたいという考えなのだろう。だが、今はその辺りをここ
で長々と議論するわけにも行かない。
このまま返済が滞れば面倒な事態になりかねない。それならば俺
が立て替えるのはおかしな話では無いはずだ。
﹁その話は帰ってからしよう。それとも俺に頼るは嫌か?﹂
少し意地悪っぽく言うと、リザは困った顔をしながらも了承して
915
くれた。
916
第77話 大切なもの
冒険者ギルドにてエリーナ立ち会いのもと、アルフレッド商会へ
の支払いは滞り無く行われた。
﹁この証文に不備はありません。契約魔術も正式なものと確認がと
れました。よってこの取引は契約に基づく正当なものだと立会人エ
リーナ・ライネは判断します﹂
最後に書類に血判を押し、契約の精霊に嘘偽りの無いことを宣言
して、借金返済のやり取りは終了した。
﹁若くしてこれだけの財を成すとは、これからが楽しみな逸材です
な。それに金払いもいい。何か入用なときはぜひアルフレッド商会
に相談して下さい、お力になれることもあるでしょう﹂
﹁⋮⋮覚えておきます﹂
>>>>>
家に戻った俺はリザに支払いが完了した旨を伝えた。
﹁申し訳ありません。ジン様のご迷惑になるようなことになってし
まって⋮⋮﹂
917
リザが顔を伏して、謝罪の言葉を述べる。
借金についてはミラさんが体調を崩して仕事ができなくなった為
に、返済が間に合わなくなったということらしい。
﹁一緒に寝泊まりして、一緒に食事を取って、助けあって生きる。
俺たちは家族みたいなもんだろ?いつも皆には世話になりっぱなし
だからな、こんな時くらいは役に立ちたい。あー⋮⋮まぁ、俺を家
族と認めてくれたらという前提の話だけどな﹂
そう言って俺は苦笑した。
リザは目頭に涙を滲ませて、俺の胸に飛び込んでくる。
﹁ありがとうございます﹂
俺もリザの背に手を回して優しく抱きしめた。
﹁あー、おっほん﹂
少し離れた位置に立つアルドラが、わざとらしく咳をする。
それに気づいた俺とリザは、互いに顔を見合わせて苦笑して離れ
た。
﹁そういやシアンの姿が見えないが、どうしたのかの?﹂
918
﹁え?﹂
どうやら家の中にシアンの姿は見えないようだ。
家の周囲を確認するも、姿は見えない。
﹁シアンが1人で遠くへ出歩くことはありません﹂
リザの表情に不安がよぎる。
直感を持つエルフは、そもそも感覚が鋭い。
まだ未熟な彼女は周囲の悪意に敏感に反応し、他人に対して恐怖
感を抱いているそうだ。
これが親族のみで形成された森の集落なら、大した問題ではなか
ったのだ。ある程度成長すれば、そのあたりの感覚にもなれて自然
と心のなかで折り合いが付けられるようになってくるのだという。
他人との接触が極端に少ないシアンは、そのあたりの感覚が成熟
しているとは言いがたい。
﹁幼いころに街で男の人同士の喧嘩を見てしまい、その時の悪意を
感じ取ってしまったのが原因ではと言っていました﹂
他人に対して恐怖感を持っているシアンが、1人で行動するとい
うのは考えられないそうだ。
919
﹁⋮⋮俺ちょっと探してきます﹂
嫌な予感がする。
﹁私も一緒に﹂
そう言うリザを俺は静止させる。
﹁リザはミラさんの側にいてくれ﹂
>>>>>
俺とアルドラは冒険者ギルドへ向かって走りだした。 ﹁何か考えはあるのか?﹂
﹁ギルドマスターに相談する﹂
俺は即座に答えた。
﹁あの人のことだ、力になってくれそうな気がする。なんせ街の平
和を守るのが仕事なんだろ﹂
﹁にゃー﹂
920
いつの間にか頭に乗っていいたネロが勇ましく声を上げた。
﹁お前も主人が心配で付いてきたのか?﹂
﹁にゃうー﹂
街を駆け抜ける俺の視界に、見覚えのある人影が映った。
﹁どうしたんじゃジン?急に立ち止まって﹂
﹁にゃー?﹂
俺は少し考えた後、アルドラに切り出した。
﹁悪い、アルドラはギルドマスターのところへ行って、シアンの捜
索を頼んでみてくれ﹂
﹁お主はどうする気じゃ?﹂
﹁俺は別の方から探してみる。2人ならんで頼みに行っても無駄だ
ろ?﹂
﹁何か考えがあるんじゃな﹂
﹁ああ﹂
﹁⋮⋮わかっているとは思うが、自分にとって何が一番大切か見失
921
うなよ﹂
俺は無言で頷き返した。
﹁おっ、ジンさんどうしたんだい?そんなに慌てて﹂
街を彷徨くロムルスに声を掛けて呼び止める。
ウサ耳の少女の姿は見えない。
どうやら1人のようだ。
﹁悪いがのんびり話している暇はないんだ。ちょっと確認したいん
だが、前に俺と一緒に居た青い髪の女の子のこと覚えているか?﹂
んん?とロムルスは少し考えこんで思い出したようだ。
﹁ああ、あの尻尾触ってきた女の子か。たしかジンさんの妹だっけ
?勿論覚えているよ、俺は一度嗅いだ女の子の臭いは忘れないから
な﹂
何か妙なことを聞いたような気がするが、今はそれを言及してい
る時間はない。
﹁そうだ。今彼女が行方不明で探しているんだが、ロムの︻追跡︼
で探せないか?﹂
たしか持っていたはずだ。
922
獣使いギルドに訪れた際に、主人の指輪と隷属の首輪の関係を聞
いた。
主人の指輪には︻追跡︼の力が宿っている。それによって隷属し
た相手の居場所がわかるのだ。
ならばロムの持つ︻追跡︼を使えば、シアンの居場所も探れるの
かもしれない。
﹁確かに俺︻追跡︼持っているけど、なんでジンさんがそれ知って
るんだ?俺話したことあったっけ?﹂
﹁そんなことは今はどうでもいいだろう!頼む時間が無いんだ協力
してくれ!﹂
俺はロムルスの目を見て真剣に訴える。
﹁うん、協力するのはいいんだけど、その行方不明の女の子を探す
のは無理だと思うよ﹂
﹁え?﹂
ロムルスの話によると︻追跡︼というのは、予め対象とするもの
に印を付けておかねばならないらしい。
その印を辿るのが︻追跡︼というスキルなのだ。
なんてこった。そうだったのか⋮⋮
しかしそうなると当てがハズレてしまった。
923
どうする?闇雲に探しても見つかるとは思えない。
不意に思い出される、あの街で起きた出来事。
そういえばリザとシアンと共に街へ出た時に絡まれた事があった。
ハーフエルフ。ただそれだけで目を付けられ、狙われることがあ
るという。
俺からすれば、けっして治安が良いとは言えない世界である。何
年も遊んで暮らせる大金が手に入るとなれば、犯罪者崩れが魔が差
すことも十分考えられる。
だからと言って犯罪者を擁護するつもりもないが。
この世界の常識にも闇の深さにも疎い俺が、油断するべきでは無
かったのだ。
﹁にゃー﹂
俺の頭の上に乗るネロが声高らかに鳴き声を上げる。
﹁わかってる。お前も心配なんだろ?﹂
﹁にゃー!﹂
ネロはある方角を見続け、鳴き続けている。
ポンポンと俺の頭を肉球で叩いて合図を送る。
924
﹁にゃう!﹂
﹁⋮⋮もしかして主人の場所がわかるのか?﹂
﹁にゃー﹂
ネロは自信ありげに叫んだ。
﹁よし!案内しろネロ!﹂
﹁にゃー!﹂
俺は体に魔力を巡らせる。
﹁ジンさん大丈夫か?俺も何か手伝うことあるかい?﹂
﹁ありがとう。でも妹が待ってるだろうから急がないと。気持ちだ
けは貰っておくよ﹂
﹁⋮⋮そっか﹂
俺は︻疾走︼を発動させ、街を駆け抜けた。
﹁⋮⋮おぉ、凄いな﹂
高速で人混みを駆け抜けるジンの後ろ姿を見て、ロムルスは感嘆
の声を上げるがその声はジンに届くことはなかった。 925
第78話 シアン・ハントフィールド︵前書き︶
※シアン視点
926
第78話 シアン・ハントフィールド
朧気な記憶の中で、少しづつ記憶の糸を手繰り寄せる。
最後の記憶は確か、兄様と姉様が出かけて行ってそれで⋮⋮どう
したんだっけ?
ネロに餌をあげて、ブラシを掛けてあげて⋮⋮
そうだ⋮⋮ネロを追いかけて外に出て、それから⋮⋮
横たわる場所は冷たい土の上だった。
周囲は土の壁に囲まれた空間。私は後ろ手に手首を縛られて地面
に転がされているようだった。
口には布を紐状にした、猿ぐつわが嵌められている。
﹁⋮⋮ううぅ⋮⋮んっんん⋮⋮うぅぅ⋮⋮﹂
薄暗い空間の中でくぐもった様な声が聞こえる。
声の主はその声質からまだ若い、年端もいか無いような年代の子
に思えた。
ここからではその姿を確認出来ないが、他にも微かにすすり泣く
ような声も聞こえる。どうやら私以外にも複数の人がここに閉じ込
められているようだった。
927
湿気のある空気。漂うカビの臭い。
明かりになるのは遠くに置かれたカンテラが1つ。
その近くには人影が見える。椅子に座った痩せた男。うつらうつ
らと船を漕いでいる。 私は僅かな時間、この状況について考えを巡らせる。
どのくらいの時間が立ったのだろう⋮⋮
みんな心配してるかな。
姉様は私のことをよく心配してくれている。
たぶん私が魔術も使えなく、スキルも多く持っていないせいなん
だろうけど。
母様は﹁貴方にもエルフの血が流れているのだから、きっと魔術
が使えるようになる﹂と言っていたけど、その兆候は未だにない。
私が姉様とは違って、出来損ないだから余計に心配を掛けるんだ
ろう。
指に嵌められた指輪を包み込むように握る。
はるか遠くに反応を感じる。この感覚が指輪に宿った魔術︻追跡︼
928
なのだろう。
どうやらネロは連れて来られていないようだ。よかった。
ふと指輪を付けた日のことを思い出す。
兄様⋮⋮
いつの日か姉様が連れてきた知らない男の人。
あの男性が嫌いだった姉様が、まさか男の人を連れて帰ってくる
日がくるなんて夢にも思わなかった。
姉様があの人を見る目は、いつもキラキラしていた。あんなに嬉
しそうな姉様の顔を見たのは初めての事だった。
でも男の人は怖い。すぐに大きな声を出すし、何かと暴力を振る
う。恐ろしい感情を周りに振りまく存在だ。
それに私達を見る目は、人を見る目じゃない。それはすぐに解っ
た。
私は怖くて外に出るのが苦手になった。
929
だけどあの人は私たちに暴力を振るわなかった。
大きな声で恫喝することもなかった。
とても穏やかで優しい感情を振りまく人だった。
どうも街の怖い男の人とは違うようだ。
母様も随分気に入っている様子だった。
﹁あの方は不思議な力を持ったお方のようね。心も穏やかで、とて
も清らかなものを感じます。リザが気に入るのも理解できるわ。私
が頃合いを見て、リザと一緒に貴方のことも面倒見てもらえるよう
にお願いするつもりよ。あの方は優しいし、お人好しなところがあ
るようだから頼めば嫌とは言わないと思う。任せて起きなさい、き
っとうまくやってあげるから﹂
母様の体調は悪く、もしかしたら故郷の村に帰る日が来るかもし
れないと言っていた。
街の空気が合わないのかもしれない。
でもハーフエルフの私や姉様は、エルフの村に住むことは許され
ないだろう。
姉様が許されていたのは、例外なのだ。
930
遠くの方で声が聞こえる。
男の人の声だ。
悪意の感情が込められている、とても怖い声だ。
﹁へへへ、これだけ手土産があれば、兄ちゃんもびっくりして喜ん
でくれるかなぁ∼﹂
﹁だけどよ、本当に良かったのか?勝手に動いたら後でどうなるか
⋮⋮﹂
﹁ハーフエルフのガキにエルフのガキ2人だ。夜の街に連れて帰っ
て闇のオークションに出せば、凄い値がつく!この街での仕事も手
仕舞いだし、兄ちゃんが喜ばないはずがない!ぐひひひひ﹂
﹁はぁ⋮⋮どうなっても知らないぞ。指示を出したのはお前だから
な。くそっ、こんなやつのお守りなんて割に合わない役に付いちま
った﹂
﹁おいっ?何処に行く?まさかとは思うが、ガキに手は出すなよ!
下手したら値段が半額になっちまう。これだけリスク背負ってるん
だ、益にならないことはやめとけよ?﹂
﹁わーってるよっ。うるさいな、様子を見に行くだけだ!﹂
931
地面を擦るような足音が聞こえて、大きな男が姿を現した。
身長2メートルはあろうかという大男だった。
薄闇の中から、望むその顔に私は恐怖感を覚えた。
﹁ひひひ、怖いか?今からお前たちを俺たちの本拠地に連れて行っ
てやる。楽しい所だぞう?自由で何をしても誰も咎めるものは居な
い。血と死臭のする腐った街さ﹂
そう言うと男は気味の悪い笑い声を上げた。
それに反応するかのように、私の背後からすすり泣く声が聞こえ
る。
﹁ん∼?お前は泣かないんだなぁ?﹂
男が私の顔の近くまで寄ってくる。
私は後ろ手に縛られた指をギュッと握る。
﹁⋮⋮﹂
﹁生意気な面だな。もっとビービー泣いてりゃ可愛げがあるっても
んなのによ﹂
﹁⋮⋮﹂
大男はにやりと不敵に笑う。
932
﹁覚えてるか?まぁ忘れてるなら別にいいけどよ。恨むんなら俺に
恥かかせたアイツを恨むんだな﹂
﹁⋮⋮﹂
私は怖いのを我慢して必死に堪えた。
突然、男に平手打ちをされた。
首が千切れ飛ぶかと思うほどの衝撃。一瞬意識を失いかけたほど
だ。
口の中を切り、口内に血が貯まる。
私は自分の血の味を感じた。
﹁お前みたいに、私は幸せですって顔した奴を見ると虫唾が走る。
何不自由な暮らせて、苦労など無く何でも与えられるのだろう?自
分が幸せなのは当然だって顔だ。そんな奴を見ると、擦り潰してや
りたくなるぜ﹂
男の顔に悪意が満ちる。
﹁言っておくが助けなんて来ねーぞ。いまやそこら中に巨人どもが
集まってきて騒いでるからな。ギルドだって捜索隊を出してる場合
じゃない。ましてやあのクソ生意気な小僧1人じゃ巨人の餌になる
のがオチだろうなぁ﹂
933
男の冷酷な眼差しが突き刺さる。
痛い。すごく痛い。
うう、涙が勝手に出てきそうだ。
嫌だ。こんな奴に負けたくない。
絶対に泣きたくない。
﹁⋮⋮んぅ﹂
﹁⋮⋮なんだ?言いたいことでもあるのか?﹂
男は私の猿ぐつわを乱暴に外す。
私は声を張り上げた。
﹁兄様は絶対にくる。約束したから!﹂
﹁⋮⋮なに?﹂
﹁何が気に食わないか知らないけど、自分の不満を辺りに撒き散ら
して喚いて暴力を振るうような子供に、誰も優しくなんかしてくれ
ないよ!﹂
﹁てめえッ!!﹂
嫌悪感を剥き出しにした男が再び私に暴力を振るおうとしたその
934
時、その力が振るわれる前に男の仲間達に取り押さえられた。
﹁馬鹿ッ、なにやってんだ!?お前が殴ったら死んじまうだろうが
!﹂
大男は何かを叫びながら、他の男達に引きずられるように連れて
行かれた。
私は指に嵌められた指輪に触れて意識を集中させる。
物凄い速度でこちらに近づいてくる反応。ネロだけど、こんな速
度で移動するなんてありえない。
私には理由は1つしか思い浮かばない。
﹁兄様⋮⋮﹂
私は頬の痛みを必死で堪え、祈るような気持ちで助けが来るのを
まった。
935
第79話 黒い稲妻1
俺はネロを頭に乗せて森の中を駆け抜けた。
﹁にゃー!﹂
﹁こっちか!﹂
ネロの指示のもとに︻疾走︼+︻探知︼を駆使して進んだ。
地形探知によって見通しの効かない森の中だとしても、進む先の
地形が手に取るようにわかるのだ。
不思議な感覚だ。うまく例えようもないが、この先の藪を抜ける
と崖があるといったような、直接目で見えるはずのない景色が頭の
なかに入ってくる。
いや、見えるというより感じるといったほうが近いだろうか。
︻隠蔽︼も付与しているために、魔物に絡まれることもない。
もし走り抜ける物音に気づかれたとしても、気づいた頃には既に
通りすぎているので問題ないだろう。
徐々に日は傾き始め、辺りの影は濃くなっていく。
936
﹁にゃうにゃうにゃう!﹂
ネロが激しく鳴き叫ぶ。
まるで﹁ここだ!ここにご主人様がいるぞー!﹂と叫んでいるよ
うだった。
もちろん猫の言葉はわからないのだが。
だがネロがシアンの居場所を見つけられるという確信のようなも
のはある。
ネロ 使い魔Lv3
先ほど確認したところ、種族が魔獣から使い魔に変化しているの
に気がついた。
たしか初めてみた時は魔獣Lv1だったはずだ。
これはシアンが︻使役︼のスキルで下僕としている効果なのだろ
うか?
ともあれ、これがアルドラの持つ特性、眷属に似たようなものだ
とすれば互いの位置を感じあえるといった力を持っているはず。
ネロの興奮具合からしても、期待できそうだ。
937
辿り着いた場所は深い木々に囲まれ、地面が抉れ谷のようになっ
ている場所であった。
一見すると崖のようになっている切り立った岩肌は、特に異変は
見当たらず、ここに何かあるようには見えない。
木々に囲まれていることもあって、理由が無ければ奥まで進入す
るような者はまずいないだろう。
状態:擬態
普通の者が見ればただの岩肌に見えるそれも、俺が見ればその隠
された入り口を見つけることは容易かった。
なにせ隠された入り口から、少し入った先に複数の人の魔力を感
じるのだ。
岩の中に人とおぼしき魔力を感じれば、ある意味目印の様なもの
である。
おそらく何かの魔導具なのだろうが、せっかく擬態で隠してもま
ったく意味がない。
これならば魔眼を持っていなくとも、魔力探知のスキルがあれば
暴くのは容易いだろう。 938
︻探知︼S級
俺は地形探知を駆使して、内部を探る。
︻探知︼のスキルは自身を中心に周囲の様子を探るスキルである。
地上と同等とまではいかないが地中の様子も探ることが出来る。
地中に潜む魔物を事前に発見することも出来るし、ダンジョンであ
れば隠された扉も直接見えない先の通路も調べることが出来るだろ
う。
どうやらここは何かの魔物の巣のようだ。
だが巣の主は既に姿を消し、今は別の住人が住み着いているよう
だが。
発見した入り口の先は1本の通路に幾つかの部屋があるだけで、
構造的には単純なもののようだ。
内部には魔力の反応も確認できる。
入り口付近に大勢⋮⋮その奥の部屋に数名⋮⋮その先の部屋に数
名⋮⋮
この魔力の感じはシアンだな⋮⋮
939
魔力探知は単純に魔力を探るだけの能力だ。
魔力の量やその挙動から人か魔物かを判断する。
魔物であればどんな奴か、1匹で行動するタイプか群れで行動す
るタイプか、そういった情報から相手を推測する。
魔力の量と言うのは、種族でだいたい決まっている。人であれば
このくらい。エルフであればこのくらいと、判別するのは容易い。
ただそれゆえ個人を特定するのは難しい。
だが種族で決まっているとは言っても個人差はある。魔力量が皆
きっかり同じというわけではないのだ。
まだ長い付き合いといえるほどの時間は過ごしていないが、シア
ンの魔力は記憶している。
︻探知︼スキルで探っていると、擬態で隠された入り口から人影が
現れた。
腰に曲刀を差し、革製の軽鎧を装備した男だ。
キョロキョロと落ち着きなく辺りを見渡している。
盗賊Lv16
男はしばらく辺りの様子を伺った後、擬態にて隠された入り口へ
940
と消えていった。
﹁盗賊か⋮⋮﹂
嫌な予感があたってしまった。
眷属のアルドラなら俺の居場所がわかるので、しばらく待てばギ
ルドの捜索隊が追いついてくるだろう。
だが悠長に待っている時間は無いかもしれない。
シアンの安否の確認、救出を優先しよう。
あれこれ考えるのは後だ。1秒でも早く助けださなければ。
だがそのためにも、冷静に落ち着いて行動しなければならない。
︻隠蔽︼を付与したまま俺は隠された入り口へ近づいていく。
見つかる様子もない。
これからの時刻、より周囲は暗くなる。
洞窟の中の暗がりなら、なおさら闇魔術は有利であろう。
﹁お前はここで待っていろ﹂
﹁にゃう﹂
俺はネロを藪の中に隠れるよう指示したのち、意を決し内部に侵
入した。
941
﹁うひひひひ⋮⋮﹂
﹁ぎゃははは﹂
﹁おい、酒がねーぞ持って来い﹂
﹁うははは、馬鹿っオメーが持って来い﹂ 入り口は縦横2メートルほど。
カーテンの様な布で遮られており、この布に擬態の効果が付与さ
れていて岩肌に見えるようだ。
内部に侵入し、少し進むと開けた空間に出る。
そこでは木箱を椅子やテーブルにして十数人の男たちが酒盛りを
していた。 魔眼で確認すると、どいつもこいつも盗賊だった。
レベルは十代から二十代と幅は広い。
それぞれに革の鎧に腰に曲刀を差している。見たところ全員人族
のようだ。
942
辺りは幾つかのカンテラが置かれているだけで薄暗い。
俺は魔眼のために問題ないが、普通の人族には光量は不十分だろ
う。 まったく気づかれる様子もないので、俺は無視して先へ進んだ。
特に罠のようなものもなく、奥へと続く通路を進んでいく。
入り口よりも狭くなった通路を進むと、広い部屋に辿り着く。
木箱が並べられてベッドが作ってあったり、何かの物資と思われ
る木箱が山積みになっている。
何人かの男たちが横になって仮眠をとっているようだった。
﹁後何日ここで待てばいいんだ?﹂
﹁慌てるな、いま連絡をとっている。2、3日中には迎えの馬車が
用意される予定だ﹂
﹁それまでここでおとなしくしろってか⋮⋮こんな所で寝てたんじ
ゃ体にカビが生えそうだぜ﹂
﹁文句を言うな。それとも商品を担いで国境まで行くつもりか?﹂
﹁ちっ⋮⋮﹂
943
﹁森が騒がしいとギルドも慌ただしくなっている。今なら追っ手も
すぐには来ないだろうから、国境を抜けるには今しかない﹂
﹁だったらさっさとしろよ﹂
﹁⋮⋮何事も準備がいるんだよ﹂
王国に潜伏していた盗賊が国外へ逃亡するといった算段なのだろ
うか。
まぁいい今はとにかくシアンのことが心配だ。俺は盗賊の仮眠室
を通過して更に奥へ進んだ。
﹁んが⋮⋮んががががが⋮⋮﹂
椅子に腰掛け、盛大に居眠りをする見張りの脇をすり抜ける。
二股に別れた通路の片方の先、行き止まりまで来ると木で無造作
に作られた柵が見えてくる。
牢屋と言うには余りにお粗末な作りではあるが、手足を縛った子
供を閉じ込めておくだけなら問題ないのかもしれない。
柵を乗り越えて、俺は彼女の元へ駆け寄った。
見張りからは距離もあるし、あの様子では大丈夫だろう。
944
俺は肉体に付与されていた︻隠蔽︼を解除した。
﹁シアン大丈夫か?助けに来たぞ﹂
俺はそっと呼びかける。
彼女は後ろ手に手首を縛られ、冷たい土の地面に転がされるよう
にして寝かされていた。
頬に殴られたような痛ましい腫れが見える。口の中を切ったのか、
口元に血が滲んでいた。
すぐさま縛られた手首を解放する。
﹁⋮⋮兄様?﹂
目元に涙が溜まっていく。
シアンを強く抱きしめる。
﹁よく頑張ったな。偉いぞ﹂
﹁う⋮⋮うぅぅ⋮⋮﹂
声を押し殺すように泣く彼女を見て、こんな馬鹿げたことをしで
かした連中に怒りが湧いてくる。
まるで鍋の水が茹だるように、ふつふつと怒りが込み上げ、ぐら
ぐらと溢れんばかりに沸き立ってくる。
945
俺は努めて平静を装い、シアンを宥めた。
﹁何があったか教えてくれ﹂
俺はシアンからわかる範囲で事の経緯を聞いた。
そして全てを聞いた後、途方も無い怒りが自分に宿っていることに
気が付いた。
﹁⋮⋮俺は連中をどうにかしてくる。もう少しだけ待てるか?﹂
抱きついてくるシアンの力が強くなったような気がしたが、少し
すると力を緩め彼女は顔を上げた。 ﹁⋮⋮はい﹂
強い娘だな。
ほんとは声を上げて泣き出したい所を、歯を食いしばって耐えて
いるのだろう。
俺はシアンから少し離れた位置に転がされている、子供たちにも
声を掛ける。
エルフの少年と少女だ。
猿ぐつわをされていたために、声を出して騒がれることは無かっ
たが、俺が声を掛けると非常に怯えその大きな目から涙がポロポロ
と溢れ出てくる。
946
なんとか宥めて、俺がシアンの身内で救出に来た者だとわかって
もらった。
全員の拘束を解いて、ポーションを飲ませた。
目立つような大きな外傷は無いが、あちこち擦ったような傷や、
打ち付けた様な傷が見えたのだ。それくらいなら低級のポーション
でも十分に効果があるだろう。
少し落ち着いた所で、全員に︻隠蔽︼施した。
﹁ここで少し待っていてくれ﹂
部屋の隅に皆で一塊になって、静かにしているように言い聞かせ
る。
ここから脱出して家に帰るためにと、皆素直に頷いてくれた。
俺は再び自身に︻隠蔽︼を付与して、来た道を戻っていった。
﹁んっが⋮⋮んがががっが⋮⋮﹂
通路が二股に別れる分岐点で、椅子に腰掛け盛大に居眠りする男。
盗賊Lv13
盗賊見習いってところだろうか。
947
たぶん見張りなんだろうが、まったく仕事をする気がないようだ。
まぁ好都合だが。
俺は鞄からミスリルダガーを取り出した。
子供たちを縛っていた猿ぐつわを男に掛けて、短剣を眼前に突き
つける。
﹁んぐっ!?んんんんっ!!﹂
突然口に異物を咥えさせられ、混乱する男だったが、そんなもん
知ったこっちゃない。
騒がれても面倒なので、浅く短剣を頬に刺して声を掛けた。
﹁騒ぐな。殺すぞ﹂
白銀に輝く短剣が男の目の前でゆらゆらと揺れる。
相手に舐められるわけにはいかない。
そう思い努めて冷酷な暗殺者といった雰囲気を醸し出す。
まぁイメージだ。俺の装備は丁度黒尽くめだし。
﹁ちょっとお話しようか。なぁ?﹂
俺は子供たちがいる方とは別の道へと、男と共に進んでいった。
﹁これはミスリル製の短剣だ。知ってるか?恐ろしいくらいの切れ
948
味で、魔物の肉も骨ごと良く切れる。まだ切ったことはないけど、
たぶん人間の肉も良く切れるんだろうな﹂
猿ぐつわをさせて、後ろ手に手首を縛り上げて地面に転がした男
に淡々と話しかける。
﹁鉄と比べるとかなりの軽さだ。これなら女子供でも扱うのは楽そ
うだ。でも男の俺にすると少し軽すぎるな。軽すぎて手元が狂いそ
うだ。誤って取りこぼしたらゴメンな﹂
そう言って男の顔の前で短剣をちらつかせた。
﹁さて、ちょっといろいろ聞きたいことがあるんだけど、いいかな
?﹂
>>>>>
﹁なるほどな﹂
﹁なぁ、アンタが知りたがっていたことは全部話したぜ。俺は見逃
してくれるんだろ?﹂
﹁あぁ、そうだな⋮⋮﹂
俺は男の猿ぐつわを解いて情報を聞き出した。
949
今この状況はどういうことなのか確認するためだ。
こいつらは紛れも無い盗賊だということが判明した。
それも旅人を襲ったりして小銭を巻き上げるようなケチなチンピ
ラではなく、人攫いを専門に行なっている盗賊集団、人攫いギルド
という闇ギルドの1つらしい。
闇ギルドとは国に認可されていない違法ギルドのことを指す。
ギルドと勝手に名乗っているだけで、つまりは犯罪組織というこ
とだ。
北の山岳地帯のどこかにある、夜の街という無法地帯に本拠地が
あるらしい。
﹁夜の街の正確な場所は俺にもわからねえ。いつも案内人が来て迷
路みたいな洞窟を抜けていくんだ。落ち合う場所も毎回違うし、案
内人とどうやって連絡とるのかも下っ端の俺らじゃ知らねえよ﹂
ベイルで商売ができなくなったから、本拠地へ脱出する算段のよ
うだ。
﹁商売できなくなったとは?﹂
﹁そこまで知らねえよ。そういうのは幹部連中が知っているんじゃ
ねえの?﹂
レベル的に見ても、下っ端なのは間違い無さそうだ。ともすれば
大した情報は持っていないか。
950
こいつらの商売は人を攫って求めている人に売る、もしくは夜の
街まで連れて行き闇のオークションで捌く、そういったものらしい。
﹁つまりシアンを攫ったのは自分たちの本拠地に帰るついでに、金
になりそうなエルフをたまたま見つけて攫ったってことか?﹂
そういうと男はゲラゲラと笑い出した。
﹁あんた雷使いだろ?ヴィクトルが言ってたぜ、えらい恥かかされ
たって。あの青髪の子が攫われたのはアンタのせいだよ﹂
俺は思わず蹌踉めいた。
﹁見つけたのは偶然だろうが、恨んでいたからな。アンタへの腹い
せに予定になかった青髪の子も攫ったんだろうさ﹂
俺のせい?俺のせいなのか?
﹁どうやってここまで潜り込んだかは知らねえけど、大人しく引き
下がった方が身のためだぜ。もしかしたら雷使いが乗り込んでくる
かもしれないって言うんで、雷魔術対策はバッチリだからな﹂
男は拘束されたまま、クククと笑う。
﹁このまま逃げ帰るなら仲間には報告しねえからよ﹂男はそう言っ
て早く拘束を解くように催促してくる。
俺のせいなのか?⋮⋮俺がシアンを危険な目に合わせてしまった
のか?
951
自分自身に落ち着いて、冷静に考えるように言い聞かせる。
﹁なぁなぁ、さっさとコイツを解けよ。なぁ?﹂
苛立ちの混じった声で催促してくる男。
﹁どのみちガキ共を連れて、ここから脱出なんて無理だろ。もやし
みてぇな雷しか出せない魔術師に、何が出来るんだよ﹂
男は嘲るように笑う。
俺は男の言葉を無視し、徐に男に近づくとそのやかましい口に革
靴を蹴り入れた。
形容しがたい嫌な音が響く。
男の前歯を叩き折りながら、革靴を奥までねじ込んだ。
﹁ンんッ!?﹂
男のくぐもった声にならない声が聞こえる。
﹁うるせえよ。どう考えてもお前らが悪じゃねえか﹂
冷静に冷静に考えようと思ってたけど⋮⋮こんなの冷静でいられ
るかよ!
そうだ。
952
こいつらは俺の一番大事な家族を傷つけた。
許せる筈がない。
シアンは泣いていた⋮⋮何の落ち度もない⋮⋮優しい子なのに⋮⋮
シアンを泣かせた。
⋮⋮その代償は大きいぞ。 953
第80話 黒い稲妻2︵前書き︶
※注意 残酷な表現があります。苦手な方は読み飛ばして下さい。
954
第80話 黒い稲妻2
﹁あー、うあー﹂と、醜いうめき声を上げる盗賊に再度顔面に蹴り
を叩き込む。
ああッ、くそッ⋮⋮盗賊は救いようが無いから、殺害しても罪に
は問われないという話だったが、マジでクズの集まりなのか。
盗賊になるような者というのは、自ら望んでそうなった者達なの
だという。
光の射す道を行くのを諦め、自ら闇に落ちた者たちなのだ。
﹁別に正義がどうのとか、犯罪者を見過ごせないとか言うつもりは
ない。俺はそこまで正義感溢れるやつじゃ無いからな⋮⋮だけど家
族を傷つけられて、笑って許してやれるほど寛大でも無いみたいだ﹂
地面にゴミのように転がる男を冷徹な目で見下ろす。
﹁ひー、ひー、畜生!⋮⋮痛え、痛えよぉ⋮⋮なんで酷いヤヅだ!
許せねぇ⋮⋮ひどでなしかお前は!せっかく見逃してやろうと思っ
たのに⋮⋮もうダメだ、お前は殺す!殺してやる!絶対に後悔させ
てやる!⋮⋮そうだ、あの青い髪のガキを⋮⋮うひひひひ⋮⋮いい
コトを思いついたぜ。⋮⋮滅茶苦茶にしてやる。商品なんて関係ね
ぇ⋮⋮ここの全員で⋮⋮お前の目の前で嬲りつくしてやる⋮⋮決ま
りだ!さぁ!はやく拘束を解け!後悔させてやる!!﹂
まさか青い髪のガキってシアンの事か?
955
この状況わかってコイツ喚いているのか?
俺を怒らせる目的なら大成功だな。
男は﹁はやくしろ!いいかげんにしろ!﹂と騒ぐが、あまり煩く
されては面倒なことになりかねない。まぁ、もうなってるのかもし
れんが。
取り敢えず煩いので、もう数発顔面に蹴りをブチ込んでおいた。
少し大人しくなったのでダガーは鞄にしまい、腰に差した曲剣を
ゆっくり抜いた。白銀に輝く美しい剣だ。
﹁もうお前はいいや﹂
俺はため息混じりに呟いた。
﹁までッ!ごうがい、ずるぞッ!⋮⋮お前がァ、相手じようと、じ
でるのはぁー﹂
大半の歯を失い、男はまともな言葉さえ発することができない。
口内から濁流のように、ゴボゴボと血を吐き出す様を冷徹に見つ
める。
ーーーーッ!﹂
﹁もういい。喋るな﹂
﹁あ
俺は努めて冷静に、そしてごく静かに緩やかな動作で地面に横た
956
わる男の首を跳ね飛ばした。
勢い良く血が吹き出し、辺りに血の匂いが充満する。 ﹁あー、胸糞わりい﹂
最悪の気分だ。
このまま︻隠蔽︼を使ってシアンと他の子を担いで脱出するので
も良いのだが、ここの盗賊どもをこのまま見逃すという気分にはな
れない。
相応の報いは受けるべきだ。
いや、そんな話ではないな⋮⋮
﹁許せないよな⋮⋮﹂
無意識に言葉が口から飛び出す。
そうだ。
許せるはずがない。
俺が許せないから、行動する。
俺の意思と責任を持って。
放っておけば、またシアンに危害が及ぶかもしれない。
957
さっきの男の言葉を思い出す。
あー、くそ。
感情が高ぶりすぎて、わけがわからん。
考えれば考える程に、胸の奥の熱が高まっていくのを感じた。
そうだ⋮⋮特にアイツだけは見逃すわけにはいかない。
せっかく招待されたんだ。お望み通り出向いてやろうじゃないか。
俺は︻洗浄︼で血糊を落とし、死体に︻隠蔽︼を施して走りだし
た。
>>>>>
先ほど通過した仮眠室となっている場所では、5人の盗賊が簡易
的なベッドで大口を開けて寝ていた。
﹁んっが⋮⋮んががががっが⋮⋮﹂
どいつもこいつも大きなイビキをかいて、まったく起きる気配は
ない。奥で起こった騒ぎにも気づいてないのだろう。 不用心にも鎧などの防具は外して、身軽な姿を晒している。
958
まさかここを襲撃されるとは思っても居ないのだろう。
レベルは17∼19あたり、さっきの奴ともそれほど変わらない。
年代は20代∼30代くらいか。若気に至りとは言えない大人た
ちである。
その姿を見て、思わず溜め息が溢れる。
1人殺すのも、2人殺すのも大した変わらないだろう。
コイツらは俺にとっては悪。ただそれだけ。
であれば、もはやためらう必要はない。
俺は単純作業のように非情な刃を振るい、盗賊の首を跳ねて行っ
た。
初めて人を殺した感触としては﹁こんなものか﹂と言ったような、
特に感慨もないものであった。
ただ盗賊というクズどもに対する憤りが身を蝕んでいく。
いや、今は深く考えるまい。
959
それにしてもムーンソードの切れ味は凄まじい。
︻剣術︼スキルも上げているとはいえ、骨も容易く切り飛ばしてい
く。
硬いものが刃に触れる感触はあるが、その程度である。斬るため
に特化した剣と言うのも頷ける切れ味だ。
飛び散った鮮血が周囲を彩る。
気づけば生首が地面に転がり、死体が散乱する地獄のような光景
になっていた。
ほとんど叫び声も上げる間もなく全員絶命させたために、入り口
の連中にはまだ気づかれていないかもしれない。
と思ったが、勘のいいやつはいるようだ。まぁ盗賊といえばゲー
ムでも斥候役としてよくある職業だし、索敵能力が高いのかもしれ
ない。
ここの盗賊は皆レベルは低いようだが、そろそろ俺の存在に気づ
いてもいい頃か。そういえば戦闘行為によって既に︻隠蔽︼も解除
されている。
ドタドタと慌てた様な足音が聞こえて、1人の盗賊が姿を現す。
﹁うあっ!?﹂
960
部屋を覗き込んだ男は絶句した。
気配に気づいて様子を見に来てみれば、其処には地獄が広がって
いたのだ。
その血だまりの中に立つ、黒ずくめの侵入者を凝視する。
﹁⋮⋮お、おま、何処から⋮⋮?﹂
状況の理解が追いつかず、必至に言葉を絞り出す盗賊の男に俺は
無言のまま︻雷撃︼を放った。
紫の光が巨大な帯を幾重も作り、それが複雑に絡み合って轟音と
共に男に殺到した。
熱と衝撃が光の速度で襲いかかり、男は声を上げる間もなく、そ
の生命を失うこととなった。
待っていても他の者はやってこないようだ。
今の音で異常事態だと言うことは知れ渡っただろう。
︻探知︼で盗賊の動きは把握出来ているので、こちらから向かうと
しよう。無駄な時間を掛ける意味もない。
俺は抜身の剣を掲げてゆっくりとした足取りで、残りの盗賊が待
ち受けている入り口へと向かった。 961
異様な雰囲気が場内全体を包み込む。
それぞれに腰の得物を抜き放ち、油断なく鋭い視線を送ってくる。
だがその視線には不安、驚愕、怒りと様々な感情が渦巻いている
ようであった。
俺を迎え撃つように通路より放射状に陣取り、誰もが身構えて顔
を強ばらせている。
﹁⋮⋮いつの間に奥に?ふざけやがって、まぁいい。どうせ逃がし
ゃしないがな﹂
いつの間にって言うか、普通に正面の入口からお前らの横を素通
りしてきたんだけどな。
まぁ逃しはしないってのは、こっちの台詞だ。
﹁隠密系のスキルか。剣術にも自信があるようだが、どれ俺が相手
してやろうか﹂
集団から1歩前に出た男がにやけた顔で語る。
その手には左右に曲刀が握られている。二刀流か。
男は仲間達に手を出すなと声を上げる。1対1で殺り合うつもり
らしい。
962
﹁攫われたガキを救出に来たのか?身内か、それとも金で雇われた
か。へっ、まぁどうでもいいか﹂
男の値踏みするような視線が突き刺さる。
﹁俺に勝てたら逃がしてやってもいいぜ。もちろんガキは諦めても
らうがな﹂
男の態度と口上に周囲の緊張も緩んでいく。
仲間内でも実力者なのだろう。自分の剣の腕にかなり自信がある
ようだ。それが周囲の者達に安心感を与えているのか。
所有する戦闘スキルは剣術D級、二刀流F級という脅威とは感じ
ないものだが。
だが1対1でやるなんて話を誰も信じるものはいないだろう。そ
もそもお前らの勝手な話に付き合う道理はない。
俺がこうして姿を現したのは、お前らを殲滅するためなのだから。
︻雷撃︼ じりじりと近づく男に問答無用で攻撃魔術を浴びせる。
剣先から放たれた光は熱と衝撃を伴って、男の胸に殺到し凄まじ
い轟音を場内に轟かせた。
963
洞窟全体がびりびりと揺れている様な感覚を得るほどの衝撃だ。
男は仰け反るようにして吹き飛び、二度と立ち上がることはなか
った。
あまりの出来事に周囲は静まり返る。慌てて蜘蛛の子散らすよう
に逃げ失せると思ったのだが、其処まででもなかった。ある程度は
訓練されている集団なのか。
だが驚愕の色を隠せず口を開けたまま固まっているものや、完全
に戦意を喪失しているものなど、既に戦闘集団としては死んだも同
然だろう。
﹁⋮⋮A級でも十分だな﹂
俺の呟きに場内は騒然となる。
﹁馬鹿な雷魔術A級?ありえねえ!?﹂
﹁だけどよあの射程、あの威力とんでもねえぞ?﹂
﹁ただの雷魔術の訳があるか!雷魔術に普通あそこまでの威力なん
かねえ!﹂
﹁剣も使えて魔術もA級なんて⋮⋮まさか他国のS級冒険者か?﹂
騒然とする集団から、背の高い男がのっそりと歩み出る。
﹁⋮⋮やっぱり来たな雷使い﹂
964
大柄な体躯に、間抜け面。⋮⋮あぁ、たしかヴィクトルと言った
か。
ヴィクトル 武闘家Lv32
人族 23歳 男性
スキルポイント 1/32
耐性 C級
体術 D級
剛力 D級
探知 D級
鉄壁 E級
見たところレベルはこの中で一番高い。
この若さでこのレベルは、これまでに相当な修練を積んできたこ
とが伺える。
しかし、だからこそなぜそれを外道へと使うのかは理解できない。
まっとうに生きれば、それなりの地位も得られたかもしれないの
に。
﹁お前のせいで、兄ちゃんの前でとんだ恥をかいちまった。どうし
てもそのムカつく面に一発ブチ込まなきゃ、帰るに帰れないと思っ
ていたところだ﹂
にやにやと歪んだ顔を見せて、ヴィクトルはほくそ笑んだ。
965
﹁あのガキを攫えば、必ず来ると思っていたぜ。この人数じゃ、逃
げ場はねえ。それに⋮⋮﹂
懐に手を差し込むと、宝玉のようなものを取り出した。
吸魔石 魔導具 C級
透き通った水晶の如き石には、真鍮で作られたような装飾が施さ
れている。
見るものが見れば、芸術的な価値も示すことが出来そうな一品だ。
﹁ある御方から預かった、魔術師対策の魔導具だ。俺には雷魔術は
効かねえが、これがありゃ他にどんな小細工を仕込もうが無駄だぜ﹂
周囲から﹁おぉ⋮⋮﹂とざわめく声が聞こえる。
そんなのあるなら最初から出せばいいのに。さっきの奴が可哀想
だろ⋮⋮別にいいけど。
盗賊の癖にいい魔導具持ってるな。それが雷魔術対策ってやつか。
C級の装備を支給されるなんて、けっこう大きい組織なんだろう
か。
それはともかくどの程度の性能なのか⋮⋮物によっては俺も欲し
いな。
966
﹁試してみるか。S級の︻雷撃︼にC級の魔導具が堪えられるかど
うか実験だ﹂
﹁⋮⋮あ?﹂
かなりの魔力を使ってしまうが、ここで何時までも盗賊と遊んで
る訳にも行かないだろう。世話になった礼もあるし、魔力を多めに
込めてサービスしてやるか。
両手に魔力を集めて、それを放射状に打ち出す雷魔術。
︻雷扇︼
両手のひらを拝むように合わせ、そして僅かに間隔を空ける。
その間に輝く黒い稲妻が生まれ、徐々に間隔を広げると次第に雷
は大きく強く成長していった。
それはまるで生命を宿しているかのごとく跳ねまわり、その輝き
は周囲を照らすほどに強く大きくなっていく。
程なくしてその力は解き放たれる。
魔力を貯め、実際に撃ち出されるまでの数秒間、誰も動けずにた
だその光景を眺めていた。
魔術師の手元で生まれた強く巨大な光は無数の輝く帯となって、
それぞれが獲物を求めて動く獰猛な蛇のように彼らに向かって飛び
立って行った。
967
﹁ぐあああああああッッッ!!﹂
ヴィクトルには何が起きたのか理解できないだろう。
気づいた時には全身を、激しい熱と痛みが包み込んでいるのだ。
手に持っていた宝玉はいつの間にか落としたのか、地面を転がっ
ている。よく見れば宝玉には触れるだけで2つに割れそうなほどの
大きな亀裂が走っている。なんとか玉という形状を保っているだけ
の状態のようだ。
﹁やはりC級ではこんなものか。しかしだいぶ威力は削がれたよう
だ。結構生き残りもいるしな﹂
それにしても今回のは、いつもの︻雷撃︼の輝きとは違っていた
な⋮⋮黒かった気がするし。
⋮⋮何だろう?魔力の込め具合で変化が起きたのだろうか。まぁ、
追々検証するか。
目をやれば直接魔術を受けたものは元より、その余波を受けて大
多数の盗賊が地面を転がっている。うめき声が聞こえることから、
まだ息があるものも多そうだ。
﹁⋮⋮馬鹿な!?本当にS級の雷魔術!?﹂
全身に熱湯を浴びたように湯気を吹上げ、その皮膚は痛々しくも
血で滲んでいる。魔術による衝撃が全身に及んでいるのだろう。し
かし、それでも立って口が訊けるのは流石とも思える。元々の体力
968
と耐性のスキル、吸魔石の効果なのだろうか。 ﹁お前にも家族がいるんだろう?それを思えば、こんな悲しいこと
するもんじゃないって考えないもんかね﹂
俺はため息混じりに、ヴィクトルに向かって吐き出した。
別に反省してほしい訳でも、謝罪の言葉が聞きたいわけでもない。
どういう意図でその言葉が口から出たのか、俺自身わかっていな
かった。
ただ思っていた言葉がつい溢れてしまったのだ。
﹁⋮⋮ははっ、何が家族だよ⋮⋮﹂
ヴィクトルは呟くように答えた。
幼いころに︻耐性︼という珍しいスキルを持っていた為に、実の
両親にとある組織に売られた事。
そこで実験という拷問を連日受けて育った事。
ある時、使えるということで今の組織に買い取られた事。
﹁⋮⋮くっだらねぇ⋮⋮自分以外に大事なものなんてあるのかよ?
他人は利用するか、されるかの関係しか無いんだよ。だから俺は利
用してやるんだ。もう利用される人生はまっぴらだからな!﹂
ヴィクトルは叫ぶように言い放った。自分の中に溜まった何かを
969
吐き出すかのように。
﹁寂しいやつだなお前。大事なもんが自分だけなんて、そんな人生
寂しすぎるだろ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あぁ!?﹂
腰に差した曲剣を抜き放ち、白銀に輝く刃を振り抜いた。
男の巨体は地面に伏し、その首はもはや何も応えることもなく傍
らに転がるのみである。
﹁まぁ、お前の人生なんて知らねーよ。お前はシアンを傷つけた。
それだけでお前が死ぬ理由には十分だろ﹂ 970
第81話 合流︵前書き︶
※前回のあらすじ
なんやかんやあって盗賊団壊滅。シアンを無事救出した。
971
第81話 合流
どれほどの時間が経っただろうか。
事を終えた俺は、子供たちを洞窟の入り口まで連れて来た。
もうすぐ捜索隊が到着するはずである。
アルドラとは主人と眷属という関係で繋がっている為、彼がどの
あたりにいるか大体把握できるのだ。
どうやらギルドマスターをうまく説得して、人を派遣してもらう
ことができたようだ。
洞窟内にはいまだ息のある盗賊も多数いる。
逃げ出せるほど元気な奴はいないようなので、今は放置している。
捜索隊がきたらそのまま引き渡すことになるだろう。
だいぶ怪我のひどいやつもいるが放置だ。自業自得だしな。情け
をかけるような気分にもなれない。それに貴重なリザ謹製のポーシ
ョンをあいつらに使うのも勿体無い。
それにしても威力を削がれたとはいえ、S級に生き残れた者が
複数いることには驚いた。
範囲攻撃というのは場所によって威力にムラがあるのだろうか。
まぁ、仲間を盾にして防いだ可能性もあるか。
魔力の消費も激しいため、範囲攻撃という手段は有りだがダメ
972
ージ効率を考えると疑問が残る。
シアンは俺にしがみ付く様に身を寄せてぐったりしている。
魔法薬の効果か、怪我の具合は良いようだが疲れがでたのだろう。
精神的な疲労が大きいのかもしれない。医者でもない俺にはどうす
ることもできないため、今はそっとしておこう。
ネロは主人が戻ってきて安心したのか、もしくは彼女の護衛のた
めか、膝の上で丸くなっている。
他のエルフの子供たちはというと、少し離れたところで互いに身
を寄せて縮こまっていた。
近からず遠からず。俺のことを警戒しているのかもしれないし、
周囲に魔物の気配も無くとりあえずは安全といえるため、目のつく
ところにいる限り放って置いて良いだろう。
>>>>>
しばらくするとギルドの捜索隊を引き連れたアルドラが姿を現し
た。
﹁事は終わったようじゃの﹂
973
﹁あぁ、とりあえずは﹂
俺は疲れた声で答えた。
アルドラの視線が俺の傍らで眠るシアンに移る。
﹁俺のせいで攫われたようなもんだ﹂
俺は盗賊たちの話をアルドラに聞かせた。
静かに話を聞いていたアルドラだが、全てを聞き終わるとニカッ
と笑った。
﹁だがシアンを救ったのは事実だ。その娘はお主に救われた。それ
以上もそれ以下もない﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁不満か?﹂
未だに手に残る人を切った感触。
正直もやもやしたものは残っている。
自分がしたことは正しかったのか。もっと上手くやれる方法があ
ったのではないか。
捜索隊と共に行動するべきだったのでは?人質を救出したらその
974
まま洞窟を脱出すればよかったのでは?結局自分は身勝手な殺戮を
楽しんだだけでは?
俺は傍らで眠るシアンに目を向ける。
だけど⋮⋮おそらく⋮⋮
俺はまた俺の家族に危害が及ぶようなら、躊躇わずに刃を振るう
だろう。
必要なら何処までも残酷になれるだろう。
俺は家族を失うのが怖いのだ。
﹁正直わからん。だけどシアンを救えてよかったとは思っている﹂
﹁そうか﹂
アルドラはそう短く言うと、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
﹁ッ!?﹂
﹁がはははは、悩め悩め!悩むのは若者の特権じゃぞ!﹂
アルドラは声を上げて笑った。
﹁まったく⋮⋮﹂
﹁まぁなんにせよ﹂
975
アルドラは俺の眼前に拳を突き出す。
一瞬意味がわからなかったが、少しして気がついた俺は、それに
自身の拳を合わせた。
二人の拳がぶつかる。
﹁わしの身内の者を助けてくれたことに感謝する﹂
アルドラはそう真面目な顔で語った。
﹁俺にとっても大事な人さ﹂
俺は笑顔で答えた。
>>>>>
﹁盗賊討伐の協力に感謝する﹂
俺の前に現れた年配の男が、握手を求めつつそう礼を言ってきた。
俺がアルドラを通してギルドマスターに要請した冒険者ギルドの
捜索隊、その代表のようだ。
60を超える年代は現役の冒険者としては珍しい。
976
冒険者は肉体的にも過酷な職業であるため、40を過ぎれば引退
を考えるのが一般的であるという。
実力の知られた者なら、技術指導官やギルド職員などに誘われる
などの道もあるようだが。
俺は立ち上がり、握手に応えた。
﹁いや身内の為だ。それよりもこんなに早くギルドが動いてくれる
とは思わなかった感謝する﹂
俺がそういうと年配の男は首を振った。
﹁街の近くで大きな盗賊団が動いているともなれば放っておくわけ
にもいかない。それにエルフの村からの協力要請も来ていたのだ﹂
ルタリア王国の国民ではないが、エルフはいわば良き隣人である。
彼らの要請には出来る限り応えたい事情もある。
そもそも盗賊団は他国からの流れ者。ベイルとしてもそのような
ものが、街や街の近くで悪さをしているとあっては、放っておくわ
けにもいかないのだ。
﹁それに彼の存在も大きかった﹂
そう言って親指を立てて指し示す先にはアルドラがいた。何やら
若い隊員と揉めている。
﹁わしに借しを作っておくと得だぞ⋮⋮ってね。ギルドマスターは
977
元々捜索隊をすぐ動かす予定だったようだが、エリーナさんを動か
したのはその言葉かもしれない﹂
﹁そうでしたか﹂
俺は男に聞かれるままに事の経緯を話した。
﹁わかった。後日また話を聞くこともあるかもしれないが、今日の
ところはこれで帰っていいよ﹂
﹁え?いいんですか?﹂
もっと事情聴取というか、どっか施設的な所に連れて行かれて根
掘り葉掘り聞かれたりするもんだと。
盗賊とはいえ、けっこうな数殺してるんですけどね?いいのかな
⋮⋮そういや盗賊じゃない奴も1人いたし。
﹁うん?いや、なんかやましいことがあるなら聞くけど?まぁ相手
は盗賊だし、君がその娘の身内で助けに来たってことは確認とれて
いるしね。その武道家の男も盗賊と共に行動していたなら職業は違
えど、盗賊として扱われるだろう。つまり君に何の落ち度もないと
いうことだ。それとも我々と共にギルドへの帰還報告に付き合うと
いうなら止めはしないが﹂
そうだな。帰っていいなら帰ろうみんなの元へ。シアンもいるこ
とだし、みんな心配しているだろう。
978
人質となっていたエルフの子供たちは捜索隊によって保護された。
洞窟内に残っていた盗賊たちも同様に、捜索隊の手に渡った。ギ
ルドに戻った後に色々調べられることになるだろう。その辺りは彼
らの仕事だ。
盗賊たちが残した物資はアルドラの︻収納︼で片付けた。
当初は若い隊員が﹁闇ギルドの重要な手がかりになるかもしれな
い。勝手に持ちだされては困る﹂と食って掛かっていたのだが、結
局生き残った盗賊も連れて帰らなきゃならないし、物資はけっこう
な量があるしでアルドラの︻収納︼に頼らざるを得なくなったのだ。
この手の物資の処遇というのは、討伐を行ったものの手に委ねら
れる。つまり俺が処分︵売却︶して良いということになるのだが、
盗賊の足取りを掴むためにもギルドに処分を任せて欲しいという話
になった。
勿論それ相応の報酬は支払われるということなので、俺はそれに
了承した。
﹁こんなどこの馬の骨ともわからない者に、手を借りることになる
とは⋮⋮﹂
若い捜索隊の男は項垂れるように呟いた。
次の瞬間、若者の頭に拳が落とされる。鈍い音がした。
979
﹁痛いですね!?何ですか?﹂
予期せぬ行動をされ若者は狼狽した。
﹁馬鹿者。あの方が誰か知らんのか?﹂
殴られた若者が不貞腐れたようにアルドラを見つめる。
﹁まぁエルフのようですが⋮⋮あの人質の子供の身内か何かですか
?あんな立派な体躯のエルフは珍しいといえば珍しいですが⋮⋮﹂
それが何か?とでも言いたそうな若者の表情に、年配の男は溜め
息を吐いた。
﹁まぁあのお方がベイルの英雄と言われたのは30年以上前の事だ
から無理も無いか⋮⋮私も若造だったしな﹂
男は語った。
嘗てベイルに存在していた英雄の話を。
悪鬼羅刹と恐れられ、エルフでありながら大剣を振るい、森の巨
大な魔獣を1対1で仕留める怪物が居たことを。
﹁まぁ恐れていたのは人道に反した悪人どもだったがな﹂
年配の男はそう言って笑った。
﹁若い頃に憧れた英雄をこうして拝めるとは、俺も幸運だ﹂
980
何か巷では死亡説などもあったが、やはり英雄は死なずか⋮⋮と
男は誰に聴かせることもなく呟いた。
そんな話を傍らで聞いていた俺は、アルドラに不可解な顔を向け
た。
そういや元英雄なんだよな。あんまりそんな感じしないけど。
981
第82話 主人と奴隷
﹁申し訳無い﹂
俺は深く頭を下げた。
まどろみの中にいるシアンを連れ、アルドラと共に家に帰る頃に
はすっかりと日も暮れ、あたりには夜の帳が降りていた。
家に着くと状態の回復したミラさんとリザが出迎えてくれた。
疲れ果てているシアンを自室へ寝かせ、そして現在この状況であ
る。
﹁頭を上げて下さいジン様っ!ジン様に落ち度は無いじゃないです
か!?﹂
リザが悲痛の声を上げた。
今回のシアンが事件に巻き込まれたのは、俺のせいというのがか
なり強い。
口ではシアンのことを守ってやると、偉そうなこと言って置いて
このザマである。
まったく自分が情けないというか、恥ずかしい気持ちで心が折れ
そうな気分であった。
﹁そうですね。私もジンさんのせいだとは思えませんが⋮⋮﹂
982
ミラさんも俺の謝罪に困惑している様子である。
俺は事の経緯を伝えるが︱︱
﹁シアンを連れ出してくれている事に関しては、感謝することはあ
ってもそれを咎めるような事はありませんよ。それにシアンをずっ
と家に閉じ込めておくには無理があるかと思います。もちろん無理
やり家から出すようなことはしませんが、彼女が望めば私は送り出
したい⋮⋮それともジンさんはシアンに家の外は危険だから、ずっ
と家に篭っていろとおっしゃるのですか?﹂
そういってミラさんは俺の顔を見つめた。
﹁それは⋮⋮﹂
そんなことは無理だろう。
シアンもそんな生活は望んでいないはずだ⋮⋮
>>>>>
ミラさんが人族の若者と世帯を持つことになり、彼が冒険者だっ
たこともあってミラさんも治療師として冒険者となった。
ルタリア王国で冒険者ギルドがあるのはベイルだけなので、当然
983
住まいはベイルとなり、やがてエリザベスが生まれた。
エルフは元々子が出来難い種族。さらに異種族間では難しいと言
われているため、リザの誕生はそれはもう喜ばれたそうだ。
その頃にはミラさんは冒険者を引退、治療師として近くの治療院
で働きつつ子育てという生活だったらしい。
父親は冒険者の仕事で家を空けることが多かったそうだが、充実
した時期だったそうだ。
やがてシアンが生まれた。
身内のいない、知り合いの殆ど居ない街で二人の子供を育てるの
に難しさを感じたという。
体調が悪化していったのもこの時期からだったらしい。
長く悩んだ末にリザをアルドラへ預けることに決めたそうだ。
基本的にエルフというのは、ほぼ身内のみで構成された村で排他
的な生活を送る者達なのだという。
異種族との間に生まれた子供を受け入れるようなことは考えられ
ない。
自分一人ならまだしも、子供を連れ帰っても受け入れて貰える可
能性は限りなく低い。
984
いや自分でさえも異種族との間に子を為した女として、弱い立場
になる可能性が高いだろう。
頼るものがいない⋮⋮そう思った時に、アルドラのことを思い出
した。
アルドラはミラさんの母の兄にあたる人物。
直接の面識はないが、その存在は知っているし数年前に族長にな
った事も人づてに聞いている。
彼はエルフの中でもかなり特殊な人物らしい。
もしかしたら⋮⋮身内である私たちに救いの手を差し伸べてくれ
るかもしれない。
力を持った立場のある人物であるならば、その力で守って貰える
かもしれない。
ミラさんは一縷の望みを持って手紙を書いたそうだ。
﹁そうしてリザはアルドラ様の元へお世話になることになり、私は
ここで生まれたばかりのシアンを育てることになりました﹂
アルドラは少し離れた所で静かに話を聞いている。
985
リザもまた静かに、そして複雑な表情で話を聞いていた。
﹁アルドラ様には大変お世話になり、いくら感謝してもしたりない
程です。リザにも苦労かけました⋮⋮﹂
リザは早い段階で魔術の才に目覚め、使いこなすようになるまで
時間も掛からなかったそうだ。
またアルドラの村でエルフの薬草術を習得し、それが薬師の職業
発現に繋がったのだろう。
つまりは今の段階で、何時でも独り立ちできる状態。
身を守る術を持ち、食べていく手段がある。
だがシアンにはそれがない。
﹁彼女はまだ若い。いずれ魔術にも目覚めるでしょう。自らを守る
術も身につける筈です﹂
自分に時間があれば、それをゆっくりと見守ってやれる。
しかしその時間がない⋮⋮
﹁魔力枯渇症は魔素の濃い森で暮らせば、回復する症状です。完全
に治るかどうかはわかりませんが改善はすると思います﹂
リザは厳しい顔で答えた。
986
﹁ジンさん貴方は私達を家族だと言ってくれた﹂
﹁はい﹂
﹁この娘たちを守ると言ってくれた﹂
﹁はい﹂
﹁どうかこれから先のこと⋮⋮この娘たちの事を貴方に託したい。
私は治療のために森へ帰ります。どうかシアンとリザを貴方の奴隷
にしてもらえませんか?﹂
﹁え?﹂
その言葉にリザが驚き、アルドラが無表情で聞いている。
﹁⋮⋮どういうことですか?﹂
唐突な提案に困惑する俺に、ミラさんは一拍置いて語り出す。
﹁血縁者でもない貴方に保護者になってもらって、無償で助けて貰
おうというのも図々しい話です。ですから奴隷ということです﹂
﹁いやしかしそれは⋮⋮﹂
状況を飲み込めない俺を遮るように、アルドラが口を挟む。
﹁つまりジンの庇護下に入れるということじゃな﹂
﹁庇護下?﹂
987
﹁うむ。奴隷というのはその持ち主の所有物。勝手に害したりなど、
手を出せば罪に問われる。つまり人攫いにも狙われにくくなる。主
人と奴隷は魔導具で繋がっていることもあって、最悪攫われてもす
ぐに居場所も突き止められるしな﹂
また冒険者所有の奴隷をどうこうするというのは、冒険者ひいて
は冒険者ギルドに喧嘩を売るようなもの。そういった意味でも守ら
れる。
﹁まぁF級やE級じゃ話にならんがの。じゃがS級の奴隷に手をだ
す奴は居ないじゃろうな﹂
﹁俺はE級だぞ⋮⋮﹂
﹁今は⋮⋮じゃろ?﹂
つまりS級を目指せと?
﹁ジンさんはいずれS級冒険者になるでしょう。そうなれば人族の
国では英雄です。今ですら精霊使い、妖精種からは神使の如く敬わ
れるでしょう。そんな貴方に娘達を託したい。その庇護下に置くた
めに奴隷にして頂きたいのです﹂
﹁それは直感ですか?﹂
﹁そうですね。女の勘です。私は男を見る目はあると思っています﹂
ミラさんはそう言ってにこりと微笑んだ。
988
﹁でも奴隷ってそんな⋮⋮あー、えっと例えば結婚とかじゃダメな
んですか?﹂
俺はちらりとリザを見る。
すると彼女と目が会い、見る間に頬を染めるのであった。
﹁⋮⋮それでもいいかもしれません。ですがここは人族の国。異種
間の婚姻を簡単に認めてくれるかどうかはわかりません。そもそも
人族の言う結婚という儀式は女神教徒のためのものですからね⋮⋮﹂
階級が市民であれば、それも変わってくる可能性が高いが、どう
とも言えないという。
市民権を得るには金銭で買い取るのが一番の近道であるが、人族
以外であると値段は法外となり手続きにかかる時間も年単位で長く
なるらしい。
そもそも許可が降りるかどうかも未知数だという。
まぁ仮に結婚するとなると、シアンをどうするかという話になる。
まさか二人共嫁にします。という話もないだろう。
﹁人族が複数の妻を娶ることは珍しくはないがのう﹂
﹁え?そうなの?﹂
まじか。
この国は重婚ありなんだ⋮⋮
989
それはなんというか⋮⋮
夢のある話だな。
いやいやいや、間違った。そういうことじゃないだろう。
﹁もしかして俺なら仮に娘を奴隷に差し出しても、酷いことをしな
いで大事にしてくれそう。ってことですか?﹂
﹁はい﹂
ミラさんはにこやかに答えた。
﹁つまり俺を利用して娘を守ろうって話ですか?﹂
﹁はい﹂
ミラさんは清々しい笑顔で答えた。
アルドラが認めた男である。邪悪な人間であるはずがない。
それに自分の直感も認めている。つまりは疑う余地は無い。そう
言っているのだ。
﹁私が守りたいのは2人の娘です。それが叶うなら利用できるもの
は何でも利用します﹂
そうはっきりと言い放った。
990
かえって清々しい。実にわかりやすい。母として子のために、出
来ることならなんでもしよう。そういった力強い決意を感じる。
それは好感を持てるものだった。
﹁でも俺も男ですよ?こんな美人の奴隷なんて、危険だとは思わな
いんですか?﹂
自分でも﹁俺何言ってんだ?﹂と一瞬思ったが、その言葉に対し
てミラさんは︱︱
﹁ジンさんなら暴力に訴えて娘達をどうにかしようとは考えないだ
ろうなと思います。いえ、むしろ寵愛を授けていただけるなら、そ
れは彼女達も望むべきことかと思います﹂
寵愛って⋮⋮まじか。
いや、ちょっとまて奴隷になるって、そんな簡単に決めていいも
んなの?っていうか当人が認めてないじゃん!俺は思わず心の中で
叫んだ。そんな俺の心を読んだかのように、静かにリザが口を開く。
﹁私はジン様の奴隷になっても構いません﹂
991
第83話 守るべきもの
﹁リザ?﹂
﹁奴隷になればずっとジン様のお側にお仕えできますね﹂
そう言って彼女は微笑むのだった。
﹁いやいやいや、ちょっと待って下さい。奴隷と言ったってリスク
があるでしょう?確か罪を犯したものは罰としての奴隷落ちという
のもあると聞きました。となると相応のリスクがあるんじゃないで
すか?でなければ罰になり得ない﹂
自由を奪われ他人に金銭でその身の権利を受け渡す、とは言って
も良い人に渡ったのならそれは罰には成らない可能性がある。
いやその人の境遇次第では奴隷落ちしたほうがマシという話もあ
ってもおかしくない。
もしくは良い人に渡るように手引する可能性だってあるだろう。
つまりは奴隷落ち自体は罰とは成り得ない可能性だ。
﹁もちろんリスクはあります。ジンさんは王国の階級制については
ご存じですか?﹂
﹁ええ。ギルドの講習で聞きましたが⋮⋮﹂
992
ルタリア王国を始めとした多くの人族の国では階級制によって身
分が確立されている。
王族
貴族
自由民
市民
平民
奴隷
放浪者
王族、貴族は言わずもがな領地を持ちそれとそこに住む者を庇護
する立場の者達である。
自由民は貴族に次ぐ階級の者。金銭でその地位を買うことは出来
ず、古くからその土地に根付き住み着いていた者達などに与えられ
る階級。または王家に対して大きな働きをしたものに送られること
もある。認められた領域内なら自分の意志で自由に住む場所を決め
る権利を持つ。
市民は金銭で買える地位。城壁内に持ち家を得ることが出来る。
市民権を得た都市でのみ有効のために、別の都市に住みたい場合は
その都度、その都市の市民権を得なければならない。
993
平民は最低限の人頭税を支払っている国民。城壁のない村落に居
住する。得られる権利は最低限のもの。
奴隷は人とは認められていない。人に所有される物である。
放浪者は許可無く国に居座る者達である。犯罪者予備軍であり、
都市内部に入街することは厳しく規制される。
﹁一度奴隷に落とされれば、たとえ奴隷身分から開放されてもステ
ータス上は解放奴隷となり、それ以上変化しません。階級的には平
民と同じですが、意味合い的にはかなり違います﹂
一般的に奴隷というのは罪を犯してその罰として奴隷落ちとなっ
たもの犯罪奴隷と、借金などしてその金銭の肩代わりとして奴隷落
ちしたもの借金奴隷が大半である。
現在王国は戦争を行っていないため敗戦国からの捕虜、戦争奴隷
は扱っていない。
つまり奴隷というのは、一般市民からは犯罪者か借金で首の回ら
なくなった自業自得の者という視線を受けるのだ。
たとえ解放奴隷となってもステータスを調べればその経緯はわか
ってしまうため、世間からの扱いは厳しいものとなってしまう。
元犯罪者だとわかれば、積極的に良くしてあげようと思うものは
そういない。まともな仕事にもありつけず、厳しい生活を余儀なく
される。
﹁ハーフエルフである私の立場は元々この国では厳しいものです。
994
たとえ奴隷落ちとなってもそう変化はないでしょう﹂
リザは奴隷になるということに何の異も無いようだった。
﹁私もジン様は英雄の器だと思ってお有ります。だとすれば英雄の
奴隷というのも望むべきものかもしれませんね﹂
そういってリザはくすくすと笑った。
奴隷は一般的に軽んじて見られる。
だがその所有者が立場のある人物だったらどうだろうか?
例えばこの国の国王の奴隷であるならば、その奴隷は国王の所有
物である。
軽んじた扱いを受けるはずがない。
国民全員が称える英雄の奴隷であったなら?
だれが邪険な扱いをするというのであろうか。
﹁私も兄様の奴隷になることに異論はありません﹂
静かに階段を降りてきたシアンが話に割って入る。彼女の肩には
護衛のためかネロが乗っていた。
﹁いや、だけどな⋮⋮﹂
そんな簡単に決めていいのだろうか?
995
それにみんな俺を買いかぶり過ぎている。俺はそんな英雄の器な
どない。ただの一小市民なのだ。
俺がぐだぐだと考えていると、シアンが駆け寄り俺の胸へと飛び
込んできた。
﹁兄様、助けに来てくれてありがとうございます﹂
そう言って彼女は俺の胸にグッと抱きついてくる。
俺は優しく受け止め、軽く彼女の頭を撫でる。
﹁いや、遅くなってすまなかった﹂
﹁いいえ。兄様は絶対来てくれるとわかってましたから。だから少
しも怖くありませんでした。だって守ってくれるって約束しました
ものね﹂
そう言って顔をあげる彼女は眩しいほどの笑顔であった。
ちらりとアルドラに視線を送ると﹁お主に託されたこと。自分で
考え好きなようにするがいい﹂と判断は俺に任せるとのことであっ
た。
うむむ、と俺は唸って考え︱︱
自分の思う考えをミラに伝えた。
996
﹁ミラさんは二人が心配で俺に彼女たちを託したい、傍に置いてほ
しいということなんですね?﹂
﹁はい。お願いします﹂
ミラは深く頭を下げる。
﹁わかりました。二人の面倒は俺が責任もって見ます。彼女たちを
俺の妻にすることを許してください﹂
彼女たちに視線を送ると、二人はまっすぐな瞳をこちらに向けて
くる。
﹁もしものときに、たとえば居場所がわかったとしても、追跡はで
きても守る手段にはならないでしょうし、奴隷の首輪も魔道具であ
るなら破壊する手段もあるかもしれない﹂
抑止力にはなっても、彼女たちを直接守る手段にはならないかも
しれない。
﹁俺は彼女たちを手放すつもりはありません。2人とも俺の妻にし
て、2人とも俺が守ります。そして彼女たちには自衛の手段として、
一緒に狩りに出かけレベル上げに参加してもらいます。特にシアン
は今のままでは無力です。俺が見守り、最低限身を守る力を付けて
もらいます﹂
﹁リザ﹂
997
俺はリザに呼びかける。
﹁はいっ﹂
多くを語らずとも俺の求めることに気づいたのか、椅子から立ち
上がって駆け寄ってきた。
寄ってきたリザとシアンの2人を抱きしめる。
﹁あっ﹂
﹁きゃっ﹂
2人はされるがままに俺の腕の中に収まった。
﹁俺は自分を英雄の器だなんて思っちゃいない。臆病だし、特別鍛
えているわけでも覚悟があるわけでもない。だけど皆のことを家族
のように思ってるのは本当だ。本当に大事に思ってる。だから英雄
になれって言うならなってやる。強くもなるし覚悟もする。まだ未
熟な俺だけど⋮⋮付いて来てくれるか?﹂
リザとシアンは顔を上げて︱︱
﹁何処までもお伴します﹂
﹁私は兄様と一緒がいいです﹂
そう笑顔で言ってくれたのだった。
998
>>>>>
﹁足りない部分はわしが鍛えてやろう﹂
そう言って笑うアルドラの瞳に火が灯ったような気がしないでも
ない。
変なやる気のスイッチが入ってしまったかもしれないな⋮⋮
﹁ジンさん。娘たちをよろしくお願いします﹂
ミラは改めて頭を下げる。
俺もまたミラに向き直り﹁お任せください﹂と頭を下げた。
﹁それはそうとお母様はどうなさるのですか?﹂
リザの厳しい視線がミラさんを捉える。
﹁どうって⋮⋮?﹂
どうするって森に帰る、つまり実家に帰るって話か?
﹁お忘れですか?ジンさんはお母様の借金を立て替えて頂いている
999
んですよ﹂
﹁あっ⋮⋮﹂
ミラさんが驚きの表情を見せる。
たぶん忘れていたのだろう。俺も忘れていた。まぁ別にその辺は
大した問題じゃない。俺が勝手に返してしまったわけだし。
あと借金は正確に言うと、亡くなったミラさんの旦那さんのもの
らしいけどな。
﹁まさか何のお返しもせずに森に帰るなんて言わないですよね?﹂
リザの口調が厳しい。
ミラさんも失念していた為に言い返せないでいるようだった。
リザは本来なら奴隷商に身を売り、その金で返済に当てるべきで
は?というが⋮⋮
﹁いやそれは⋮⋮﹂
﹁もちろんジン様はそのようなこと納得されないでしょう。それに
そんなことにならないように、お金を出してくれたわけですから﹂
うん、勿論だ。ミラさんが奴隷商に身を売るなどしてもらっては、
俺のしたことが意味なくなる。
﹁ですからお母様はジン様の奴隷になって、体でお返しするのが筋
1000
ではないかと思います﹂
﹁えええ?﹂
﹁えええ?﹂
俺とミラさんは同時に驚愕の声をあげた。 1001
第84話 決意
ミラさんが真っ赤な顔して狼狽える。
自分の身を抱いて捩り、落ち着かない様子だ。
﹁え?いやそんな⋮⋮でもだって⋮⋮ねぇ?﹂
俺に目配せして同意を求めてくる。
たぶん﹁困ったわ、ジンさんもそんなこと言われても困るでしょ
う?﹂って感じだろう。
﹁ジン様は冒険者。お母様は元冒険者で優秀な治療師です。必ずお
役に立てるはず﹂
どうやらリザの言う体で返せというのは、治療師として働いて返
せという意味らしい。
何となくそうだろうと思った。かなり誤解を生みそうな発言だっ
たけど。
ミラさんはその言葉に我に返ったのか︱︱
﹁⋮⋮あ、そっか。なんだぁ⋮⋮﹂
そう言って、少し残念そうな表情を見せるのだった。
1002
冒険者というのは多くの場合、複数人で組んで依頼を行う場合が
多い。そういう形態をパーティーと呼称される。
F級では壁内での雑務が主な仕事であるため、1人で依頼を行う
のがほとんどだろう。
E級になると野外での薬草採取などが主な仕事になるために、人
によっては2∼3人で組んで依頼を行うものも出てくる。
D級になると討伐の依頼が主になってくるために、このあたりの
階級から本格的にパーティーを結成する者が増えてくるといった具
合だ。
だがパーティーというのは、そう簡単に組めるものではない。
近い実力の者を集めるのも一苦労だし、性格、考え方の不一致で
解散なんてこともある。
誰が苦労して誰が楽している、だから分前をもっと寄越せ︱︱な
どと金のトラブルはよくあること。
複数の人間が集まり、命の危険のある依頼を行うのだ、そう簡単
に互いに信頼の置ける良いパーティーといったものが出来るはずが
ない。
だが1人で活動するには何れ限界が来るのは目に見えている。
つまり信頼できる人材の確保は、極めて重要な案件なのだ。
1003
﹁後ろに治療師が控えていれば、ジン様も戦闘時に余裕が出来るで
しょう。魔法薬では瞬時に傷を癒やすことが出来ませんし。それに
傷を癒やすぶんに費やしていた魔法薬を、他に回すことも出来ます
からより戦闘も効率化させることができるでしょう﹂
勿論パーティーには私も参加しますが。と付け加えた。
﹁でも私は⋮⋮﹂
そうだ。
今の状態ではミラさんを戦闘に参加させることは出来ない。
魔力枯渇症は病気ではない。
特性に近いものだ。
故に薬で治療というわけにもいかない。
住む環境が適さないことから、体の調子が悪くなるといったもの
なのだ。
淡水の魚は海水で暮らせない。
逆もまた然り。
だけど本当にどうにもならない事なのだろうか?
﹁完全に治せるかどうかはわかりませんが、改善する方法はあると
1004
思います﹂
>>>>>
霊芝。
強い魔力を宿す、キノコの一種である。
大森林の至る所で発見されるが、去年ここで発見したから、また
来年同じ場所で見つけられるとは限らない、場所の特定しづらい薬
素材の一種だ。
﹁乾燥させそれを煮だした汁が体質の改善に効果があるのです﹂
発見が難しく、中々市場でも出まわらない希少な素材らしい。
飲めば魔力の吸収効率を高めてくれる、つまりは魔力の回復速度
を高めてくれる効果があるようだ。
﹁エルフ族にとっては相性のいい素材です。特別副作用もないです
し⋮⋮まとまった量を手に入れ飲み続ければ、お母様の症状もかな
り改善されるのではないかと﹂
なるほど。それがあればミラさんが1人で森に帰ることもないの
か。
1005
リザも僅かばかりを所有し、実際にミラさんもそれを飲んでいる
ようだが残りが僅からしい。
素材を今後も安定して手に入れられる保証はない。故にミラさん
は俺に彼女達を託し、自分は去る決意をしたのか。
ミラさんが俺を利用するかのような言い方をしたのは、きっと自
分が悪役になってすんなりと身を引こうという思いからなのだろう。
彼女達の安全という意味では、アルドラという最強の戦士が側に
控えているのだしな。
しかし中々市場に出回らない希少な素材となると、探しだすのも
簡単では無いのだろうな⋮⋮
それはそうと⋮⋮
﹁ミラさんはどうなんですか?実際の所、森へ帰りたいですか?可
能であれば体質を改善して、この街で暮らしていきたいですか?﹂
森へ帰りたいと願うのなら、無理に体質改善を強要することもな
い。
﹁私は⋮⋮﹂
ミラさんが言葉に詰まる。
﹁正直に答えて下さい。精霊に誓って﹂
エルフにこの文言は効くだろう。少々ずるいかもしれないが、お
互い様だ。
1006
口を開いたまま、一瞬何かを考えこむ表情を見せるが、それも子
供たちの顔を見て⋮⋮決意は決まったようだった。
﹁⋮⋮私はみんなと一緒に居たい﹂
そう振り絞るように答えるのだった。
﹁わかりました。霊芝ってやつを手に入れてきますから、体質改善
しましょう。俺には魔眼がありますからね、きっと見つけられます
よ。リザは腕の良い薬師だ。素材さえ手に入れば、きっと良く効く
薬を作ってくれますよ﹂
まぁこの件に関して魔眼が役立つかは不明だが、必ず見つけてみ
せる。俺はみんなの顔を見て改めて決意を固めた。 彼女はこの家で養生してもらって、回復に努めてもらおう。
そう思ったのだが、リザはその考えを否定した。
﹁いえ、このままだとお母様はこの家に残れない可能性があります﹂
通常、城塞都市と呼ばれる城壁に囲まれた堅牢な都市は、魔物や
盗賊︵戦時には敵兵︶などの外敵から住民を守り安全な生活を与え
てくれる。
しかし土地は限られる。誰しもが自由に城壁内に住める訳ではな
いのだ。
1007
通常の城塞都市であれば、壁内に住めるのは市民権を持つ住民だ
けである。
だが冒険者の街ベイルでは、一定の仕事に就いていれば例外的に
平民でも城壁内に住むことを許されている。
それは冒険者か、または冒険者を補助する仕事のいづれかである。
ミラは治療師だ。街の治療院に勤め、怪我や病気の冒険者を多く
診てきた。これもまた冒険者を補助する仕事なのである。
だが現在ミラは休業中だ。
一時的に仕事を休んでいる状態であるため、今はまだ壁内から追
い出されてはいない。
だが休業を許されるのは1年間のみらしい。
残された時間はあと僅か。万全な状態まで回復する時間があるの
かは難しい所だという。
﹁⋮⋮残された時間で霊芝を探しましょう﹂
残された時間が僅かとは言っても、今日明日どうこうなるわけで
はないだろう。
ならば時間内に見つけ出せばいいだけだ。
1008
俺が多数のスキルを扱えるのも、こういったときにこそ役立てる
べきだろう。
必ずやりようがあるはずだ。
﹁ジンさん、よろしくお願いします﹂
ミラは深く頭を下げるのであった。
1009
第85話 挨拶
翌日アルドラと俺はギルドへと足を伸ばした。
例の件の報告である。 結果から言うと例の盗賊たちは、とある盗賊団の下っ端であった。
既に本隊と言えるべき集団は国境を越え、国内を脱出しているよ
うである。
﹁それについては動きを掴めなかった我々の落ち度だ﹂
ゼストはやれやれと天を仰いだ。
﹁しかしながらそれに繋がる手掛かりは手に入った。結果的にだが
ジン君の動きが我々の利になったのだ﹂
ベイルの冒険者ギルドが国境を越えて盗賊団を追うことはしない。
誰かが盗賊団に懸賞金を掛け、その依頼を受ければその者が追う
だろうが、今のところその動きはない。
だが情報は他のギルド、もしくは国に売れる。
ベイルを去っても別の地で活動を続けるだろうからな。
協力の依頼を受ければ、それに答えることも出来るだろう。
1010
アルドラは盗賊のアジトで︻収納︼した物品をギルドに預けた。
盗賊を討伐すると盗賊の所有していた盗品の類は、討伐者の所有
となる。しかし今回は盗賊団を追う手掛かりになる情報が含まれて
いるかもしれないということである。
何か欲しいものがあれば情報を整理した後、引き渡して貰えると
のことだったが、それも何時になるか不明である。
何時になるか分からない物を待つのも面倒なので、まるごとギル
ドに物品の権利を譲渡した次第だ。
特にめぼしい物もなかったので、ギルドで整理した後、適正価格
での買い取りという形になり、その分の貨幣を支払ってくれるそう
だ。
払ってもらえるのは少し先の話になりそうだが、急いでるわけで
もないので良いだろう。
﹁それはそうと何かあったのか?﹂
アルドラは訝しげにゼストに問う。
ギルドに漂うまるでお通夜のような雰囲気をさしてのことだろう。
いつもの喧騒はなりを潜め、人はいるもののいつものギルドに比
べると異様な静かさである。
1011
﹁森の彼方此方で高濃度の瘴気が発生しているからな。若いランク
の奴は仕事にでれんのだ﹂
高濃度の瘴気は毒である。
毒とは言ってもゲームの様に体力を徐々に奪うといった物ではな
いらしいが、大量に吸い込めば気分を害したり意識が朦朧としたり
と危険なのだ。
無論それだけで死に直結するということでもないのだが、ことは
森のなかである。魔獣が闊歩するその領域で意識を失うことがどん
なことか、今更考えるまでもないだろう。
﹁それに濃度の高い瘴気は魔力を散らすからな。放った斥候もあぐ
ねてるよ﹂
このところの森の不穏な気配に、通常よりも多くの斥候を森に放
っているらしい。
しかし瘴気は様々な力を阻害する効果があるようだ。
魔術やスキルもいつもの様な勝手には行かないのだろう。
﹁まぁ何事も無く瘴気が収まってくれれば良いのだが⋮⋮﹂
>>>>>
1012
瘴気が濃いとはいっても森に入るなとは言っていない。
冒険者たるもの自己責任で行動するのが基本なのだ。
しかしながら瘴気の危険性はみな熟知しているのか、各々ギルド
でだらだらと時間を潰して瘴気が収束するのを待っている様子であ
った。
俺はアルドラを先に返し、一人で寄り道して帰ることにした。
この所、色々とあった手前長い時間女性たちだけを家に置いてお
くのも忍びない。
本屋や魔石屋、魔導具屋などを覗いてから家路へと足を向けた。
﹁収穫は新しい魔物図鑑1冊か。まぁいいだろう﹂
徐々に薄暗くなる石畳の道を行く。
この街にもだいぶ慣れたような気もする。
道も詳しくなったし、こうして路地裏の近道も知れるようにもな
ったのだ。
歩きながらパラパラと本を捲り、中身を確認する。
この巻は海の魔物に関するものが多く記載されているようだ。
1013
人気のない道を進むと、不意に何かの視線を感じる。
勢い良く振り向くも其処には誰もいない。
場所は路地裏。道幅は狭く、道に様々な物が置かれているので身
を隠す場所には困らないだろうが︻警戒︼︻探知︼には既にポイン
トを振っている。
近くには人の魔力反応はなかった。
だが嫌な感覚が抜けないので、警戒する意味でもポイントの設定
を見なおしておく。
俺が再び歩き出すと、その時背後から僅かな風が吹いた様な気が
した。
﹁⋮⋮ッ!?﹂
俺は後ろを振り返らずに、手を脇に回しそこから背後へ向けて︻
粘糸︼を放った。
魔力で織られた粘度の高い糸のシャワー。
効果時間は十数秒と短いが、一度絡まれば抜け出すことは難しい。
粘度の高い糸は、動けば動くほど互いに絡まり合い、粘着しあっ
て対象の動きを封じるのだ。
﹁⋮⋮誰だ?﹂
1014
振り向いた先に居たのは、深くフードを被り布で口元を覆った人
物だった。
魔眼の力が弾かれた。
俺の不意打ちに反応したのか、素早く背後へ飛び︻粘糸︼を回避
したらしい。
状態:認識阻害
自身の情報を守る魔導具か。
崩れた体勢を整え、その者はゆっくりと立ち上がりこちらへ向き
直る。
背はあまり高くない。見た目では男か女はわからなかった。
腰に曲刀を差しているが、抜く気配はないようだ。
だが俺を狙っているのは疑いようがない。
その者は何かの武術のような構えをとる。まるで中国拳法のよう
だ。
不意打ちの︻粘糸︼で距離をとった為に、二人の間合いは遠いが
この距離で構えをとるのは攻撃手段があるからなのだろう。 ︻雷撃︼
俺は距離が離れているうちにA級の攻撃魔術を放つ。
1015
俺が持つ攻撃手段のうち、最速、最高威力の術だ。
とにかく何かヤバイ感じがすると、俺の中の何かが警笛を鳴らす
のだ。
様子を見ている場合では無さそうだ。
壁内で魔術を使うのはご法度らしいが、それで衛兵が駆けつけて
くれるなら良しだ。
なにせ俺には正当防衛という大義名分があるのだから。
放たれた稲妻はまるで意思があるかのように獲物へ向かって一直
線に飛んだ。
そこから生まれて引き起こされる余波が周囲を容赦なく破壊した。
しかし致し方あるまい。非常事態なのだ。
轟音と閃光が目標に向かって殺到する。
一瞬にしてそこは凄まじいエネルギーに包まれた。
1016
第86話 襲撃者
﹁マジかよ⋮⋮﹂
街なかだというのに覚悟を決めて放った︻雷撃︼は目標には届か
なかった。
狭い路地裏だ。回避行動をとったには無理がある。そこまで道幅
は広くないし、紙一重で躱したというのは考えにくい。
それよりも決定的なのが︻雷撃︼の着弾地点が奴の真横だったと
いう事だ。
︻雷撃︼は真っ直ぐ飛ぶ。
曲がる能力は持っていない。
それはつまり奴の持つ何らかの手段で、曲げられたという可能性
だ。
﹁⋮⋮補助も無しに、大した威力だ。報告通りだな。しかし黒い稲
妻は使わないのか?出し惜しみしてると死ぬぞ?﹂
男の声だった。
服に付いた埃を軽く叩き落とすと、何事もなかったようにゆっく
りと歩いて近づいてくる。
1017
﹁俺に何のようだ?誰だお前?﹂
黒い稲妻ってなんだよ?冬の稲妻なら知ってるけどな!
相手からは殺意のような雰囲気は感じない。
単なる暗殺者ではないようだが、友好的でもないようだ。
一体何が目的なんだ?
︻麻痺︼
俺は淡い期待と牽制の意味も込めて、使い慣れた魔術を放つ。
放たれた細雷は男が左手を明後日の方向にかざすと、その指先に
従うように直角に曲がった。
いや曲げられたのだ。
﹁⋮⋮もしかして自由に使いこなせないのか?⋮⋮そうか﹂
ぶつぶつと己に問答し、独りごちる。
この者に俺の持つ攻撃魔術は効かない。
何かのスキルか魔術か。何となく何かの魔装具の様な気がする。
俺の中に焦りが生まれた。
遠くの方から人の声が聴こえる。
1018
﹁衛兵を呼べ!危ないぞ近づくな!﹂そんな声が微かに聞こえてく
る。
呼ぶならさっさと呼んで欲しい。これ以上の面倒事はごめんだ。
38あるスキルポイントを設定し直す。
︻剣術︼A級
︻闘気︼E級
︻耐性︼C級
︻警戒︼E級
﹁時間が無いな。さっさと終わらすか﹂
ゆっくりと歩いていた足取りが、一瞬で加速し気づいた時には眼
前へ迫っていた。
﹁やれやれ、監視係が馬鹿どもを止めてくれればこんな面倒な事に
ならずに済んだものを⋮⋮監視係は監視しかしないからな⋮⋮まっ
たく融通がきかん﹂
慌てて剣の柄を握るが、柄尻に手を当てられ抜くことが出来ない。
︻闘気︼を発動させる。体中に力が漲り、黄金のオーラが立ち上る。
しかし強化した肉体を持ってしても、握られた剣はビクともしな
1019
かった。
﹁魔術師が剣を使うのか?確かに報告でも心得があるようであった
が、安い自信は大怪我の元だぞ﹂
男が柄尻から手を離す。
俺は勢いに任せて鞘から剣を引き抜いた。
﹁スキルはあっても根本は素人の様だな。まったく力が噛み合って
ない﹂
﹁なに?﹂
その言葉の一瞬のうちに、足、利き手の肘、剣を握っていた手首
に強打を受ける。
おい︻警戒︼仕事しろ!俺は心のなかで叫んだ。
︻警戒︼スキルが反応し、皮膚がザワつくのを感じるもそれも無意
味にさせる速度の攻撃だ。
いやこれは速度の問題なのか?
俺には何をされたのかさえ理解できない攻撃であった。
﹁くそっ﹂
︻耐性︼をつけていたおかげでダメージ自体は少ないが、それでも
痛いものは痛い。
1020
思わず握っていた剣を落としてしまう。それを見逃すはずがなく、
男は蹴りつけ俺の剣を弾き飛ばした。
﹁おいっ、乱暴に扱うなよ!高いんだぞ!﹂
まぁ自分で買ったものじゃないけどな。
﹁気持ち悪いくらいタフだな。魔術師であるにも関わらず、剣術に
身体強化のスキルも保有してるのか﹂
値踏みするような視線がフードの奥から見えた。まるで珍しい物
を見たといった表情だ。
それにしても何処かで聞いたことあるような声だな。
︻警戒︼スキルが危険を知らせる。
皮膚がザワつくような感覚。鳥肌が立つような嫌な感触だ。
気づけば全身を殴打される。
拳打、裏拳、掌底、手刀、肘打ち、と様々な攻撃が矢継ぎ早に繰
り出される。
まるで流れるように格闘ゲームかよ!と突っ込みたくなるほどの
連打である。
つまりフルボッコであった。
1021
打撃に対する︻耐性︼と︻闘気︼の身体強化、肉体回復によって
堪えられてはいるものの滅茶苦茶痛い。
どのみち剣は通用しなかった。
今更隙がどうこうという意味もないので、ボコられているうちに
︻剣術︼を︻体術︼に変更する。
スキルの再設定の際に気が逸れたのか、男に足を払われ前のめり
に体勢を崩された。
髪を乱暴に掴まれ力任せに引き寄せられる。
そしてそこへ顔面への膝蹴りがまともに入った。
﹁ウッッぐっ!!﹂
激しく痛み思わず体ごと地に伏せるが、攻撃を受けた箇所を手で
触れてみるも骨が折れるなどの重症とは至らなかったようだ。
思わず︻闘気︼すげーな!と心のなかで賞賛を送った。
﹁⋮⋮本当におまえ魔術師なのか?守りの術を付与してるようには
感じられんが。まさか闘気か?人族で使える奴なんて初めてみたぞ﹂
頭上から驚愕した男の声が聴こえる。
悠々と分析をする男に苛立ちを感じ、俺は徐ろにその足に飛びつ
いた。
1022
散々殴りやがって、今の膝蹴りも普通だったらシャレにならない
攻撃だったぞ。
﹁おい、離せ﹂
片足に醜くしがみつく俺に、もう片方の足で容赦なく蹴りを打ち
込んでくる。
﹁誰が離すかよ﹂
足を掴み、腰を抱きつくようにして男を押し倒した。力に任せ相
手の背を勢い良く地面に叩きつける。一瞬くぐもった声が聞こえた
気がした。
そのまま上に跨がり馬乗りとなる。マウントポジションである。
その姿勢から拳を打ち下ろす。
連打である。
男は両腕でガードするが、防御の隙を突いて攻撃する。
時には︻闘気︼で強化された肉体で防御を強引にこじ開ける。
更には防御の上から構うこと無く殴る。
殴る殴る殴る。
格闘技の経験など勿論無い。喧嘩なんかも小学生以来したことな
い。人を殴るのは怖い。誰も好き好んでやりたくはない。
1023
だが理不尽な暴力を甘んじて受けられるほど聖人君子でもない。
俺にはやることも、守るべき者もある。
こんな所で転がってる場合じゃない。
﹁体術も持ってるのか⋮⋮?他にも何かありそうだが⋮⋮﹂
かなりの打撃を与えたはずなのに、男は余裕を崩さなかった。
両腕は布に巻かれ内部に薄い革か何かの防具が仕込まれている感
触がある。
それでも︻力の指輪︼︻闘気︼によって強化された腕力はそれな
りのものであると思う。
騎士が着けるような金属のガントレットなどといったものならま
だしも、布や革ですべての衝撃が防げるとは思えなかった。
﹁まぁそろそろ時間か⋮⋮﹂
男がぼそりと呟くと、殴りつける俺の腕をおもむろに掴む。
それに気づいた刹那、ぐいっと腕を引き込むと同時に男は自らの
腹筋を使って上体を起こす。
その勢いのまま体勢の崩れた俺の顔面に頭突きを入れた。
﹁ッ!?﹂
1024
一瞬にして拘束を解き、馬乗りの状態から脱出する。
まるで何時でも脱出できたと言わんばかりだ。
﹁土産に目玉の1つでも貰っていこうか。闇のギルドにもメンツと
いうものがあるのでね﹂
闇のギルド?メンツ?
男がゆらりと揺れながら近づいてくる。捉え所のない足取りで、
気味の悪い不思議な動きだ。
﹁知ってるか?肉体の欠損、特に繊細な部分はS級クラスの魔法薬
でもない限り治すことはできない﹂
隠された顔の奥で、獲物を狙う獰猛な瞳がギラリと光ったような
気がした。
まるで﹁遊びは終わりだ﹂と死刑宣告を告げられたように感じ、
背筋が寒くなる思いがした。
おそらく逃げても無駄だろう。
後ろを振り向いた瞬間捕まる気がする。
ならば最後まで抵抗を。そう思った瞬間、奴は目の前に居た。
ゆったりとした動きから、一瞬でトップスピードに達し目標へ到
達するといった動きだった。
1025
完全に虚を突かれた。体が強張り1ミリも反応できない。
だめだ詰んだ。
1026
第87話 人攫いギルド
襲撃者の手が伸びる。
俺の眼球を抉り出さんとする、獰猛な猛禽類の爪のように。
それをコマ送りのようにゆっくりとした時の流れのなかで感じて
いると、不意に見覚えのある背中が目の前に現れる。襲撃者と俺の
間に割って入ったのだ。
それは輝くような銀の長髪であった。
﹁どおおおおおおおおおらぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー
ーーーッッ!!﹂
鬼神の如き拳が襲撃者の顔面に叩き込まれる。
鍛えぬかれた剛腕が振りぬかれると、襲撃者の体は凄まじい勢い
で吹き飛び、路地裏の端の木製の壁に激突。壁を派手に粉砕した。
まるで漫画のように人が飛んでいった。
人って殴り飛ばせるんだと、このとき初めて知った。
殴られた瞬間の様子を、一瞬のことながら鮮明に見えた。集中し
ていたからか魔眼の力かはわからない。
﹁⋮⋮あれ余裕で20メートルは飛んでるんじゃねえか?﹂
1027
あの様子では良くて顔面粉砕骨折。悪くて頭部消失ではないだろ
うか。どっちにしろたぶん死んでる。
﹁いや手応えがおかしかった。おそらく死んでおらんぞ﹂
アルドラは特性の眷属によって繋がっている。
そのために位置や相手の状態が、何となくわかるのだ。
うまく危機を感じ取ってくれたようで、彼は時空魔術︻帰還︼に
て姿を現した。
もうちょい早くこい。とも思わないでもなかった。
﹁こんな近所でごちゃごちゃやっとったら、特性なんぞなくとも気
がつくわ﹂
砕かれた壁、その瓦礫のなかから何事もなかったかのように男は
立ち上がった。
﹁マジか⋮⋮何あれ不死身か?﹂
アンデッド系の魔物とかいうのじゃ無いだろうな?
﹁いや、身代わりの護符か何かじゃろ﹂
身代わりの護符というのは、死に至る一撃、もしくは瀕死となる
であろう一撃、そういったダメージを移し替えることができる魔導
具の1種だという。
1028
非常に高価かつ希少で年数回行われるオークションなどで数件の
取り引きがある程度である。人気の高い品で高ランクの冒険者なら
必ず持っているという必須のアイテムだ。
無論その価値から冒険者ならずとも身に備えるものは多い。
﹁そんないいアイテムがあるのか!そういうことは早く教えてくれ
よ!﹂
身代わりの護符は複数持っていても効果は発揮されず、身に付け
効果を期待するなら1枚だけにしなければならない。
魔術の効果が反発しあって、効果を打ち消してしまうからだそう
だ。
護符が効果を発揮する。もしくは効力が失われるとヒビが入り割
れてしまうそうだが、時に何でもない攻撃で割れてしまうこともよ
くあることらしい。
つまり過信しずぎも危険と言うことだ。あくまで備えの1つなの
だろう。
﹁欲しいとは思っても中々買えんぞ。店ではそうそう売ってないか
らな﹂
貴族や商人からも需要が高いために、作れる魔導具職人も手が足
りない状況なので希少ということらしい。
﹁へぇ⋮⋮でも有用なアイテムには違いない。なんとかして手に入
1029
れたいな﹂
みんなに持たせることを考えると、まとまった数が必要だ。
男の様子を見ても重症どころか怪我をしているような雰囲気には
見えない。
やはり何かの力で守られているのだろうか。
しかし体を包む衣服までは守護の力の範囲外のようで、激しく損
傷しているようだ。
顔を覆い隠していた布も、ボロ布のごとく成り果てもはや顔に僅
かに張り付くに留めている。
男は残ったボロ布を力尽くで引き千切り、地面に投げ捨てた。
﹁⋮⋮お前は!?﹂
俺は思わず息を飲んだ。
﹁得体のしれない魔術師に、英雄の亡霊か。さすがに分が悪いかな﹂
白い肌に青い瞳。長い金髪を結い上げるようにして纏めている。
整った顔立ちではあるが、顔がいいだけの優男といった風貌では
なく、歴戦の兵士を思わせる凄みがあった。
1030
﹁⋮⋮知っておるのか?﹂
アルドラは襲撃者を睨みつけたまま視線を動かさない。
どんな動きも見逃さないようにと警戒しているのが理解できた。
﹁⋮⋮いや、誰だっけ?﹂
僅かな沈黙の後︱︱
﹁⋮⋮カミルだ﹂
襲撃者は名前を教えてくれた。意外と丁寧な奴である。
﹁あー、そうだ。思い出した﹂
俺の言葉に若干顔を歪ませるが、それに関しては特に口を出すこ
とはなかった。
ごめんな忘れてたわ。
﹁どんな奴かと様子見に来てみたが、なるほど中々面白そうな奴だ
な﹂
その口ぶりから、どうも俺を探りに来ていたらしい。
腰の曲刀を抜かなかったことを考えると、本気で殺しに来たとい
うことではないようだ。
アルドラが来るまでは本気で死ぬかと思ったけどな。
1031
﹁まぁただの様子見ではつまらんから、腕の二、三本は折って帰ろ
うかと思っていたが意外と頑丈で驚いた﹂
あまりに打撃が効かないから、段々腹が立って腕を折るなんてヌ
ルいことはやめて、もう少し痛めつけようと思ったらしい。
ひどい話だ。
大抵の魔術師は俺のイメージ通り肉弾戦には弱い。
攻撃魔術で遠距離戦は強力だが、懐に入られると脆いといった具
合だ。
まぁその身に備えられるスキルには限りがあるし、肉弾戦も魔術
も一流って奴はそういないだろう。
魔装具や魔導具で補うこともできるが、ただ良い武器を持ってい
れば強いのか、ただスキルを持っていれば強いのかと言うとそうで
もない。やはり使いこなせないと意味はないように思える。
それを考えると、どんな場面でも強いって奴が本当に強いやつな
のかなと思う。
まぁボッコボコに殴っても倒れない魔術師、ある意味得体のしれ
ないって評価は妥当かもしれないな。
﹁そう睨むなよ英雄。俺はこれ以上は手を出さない。もちろんアン
タの女たちにだって手を出すつもりはない。ヴィクトルに関しては
アレはあいつが勝手に動いたことだ。まったく大人しくしておけっ
1032
て命令さえ守れないとは⋮⋮﹂
カミルはやれやれと天を仰いだ。
どうやらアルドラのことも知っているらしい。どこまで知ってい
るのは不明だが、英雄と呼ばれた存在であることは認識しているよ
うだ。
そして俺が冒険者ギルドのマスターとも、一冒険者以上の付き合
いがあることも︱︱
﹁冒険者ギルドと事を構えるつもりはない。面倒なだけで金になら
んしな﹂
カミルはそう言うと、ズボンのポケットを探り何かを取り出す。
﹁俺はもう帰るぜ。そろそろ煩くなってきた﹂
アルドラも察したようだ、すぐに衛兵がくる。まぁこれだけ暴れ
て遅いくらいだが。
﹁逃げられると思うのか?﹂
﹁逃げられるさ。知ってるか?盗賊って逃げ足速いんだぜ。もし攫
ってほしい人間がいたら俺に相談しな。金次第で王女様だって攫っ
て来てやるぜ。人攫いギルドのカミル様がな﹂
カミルが取り出したのはカードだ。
金属のカード。ギルドカードにも似ている。
1033
指で挟み、こちらを意識するかのようにこれ見よがしに掲げた。
︻帰還の呪符︼
魔眼で見つめると一瞬そんな名称が頭に残った。
カードはまるで塵となるかのように、端から魔力の粒子へと変化
し消失してゆく。
﹁じゃあな﹂
そういって彼は不敵な笑みを残し、まるで幻かのようにカードと
共に魔力の粒子へと変化して消失したのだった。 1034
第88話 森の弓師
︻帰還の呪符︼
時空魔術である︻帰還︼が封じ込まれた魔術札。使用すると予め
設定していたポイントまで一瞬で移動することができる。
移動地点の設定はその土地の魔素を使用する札に記憶させるやり
方が一般的。特に設定されていない場合は、使用者が安全と感じる
もっとも近いエリアに移動する。
非常に高価で一般の市場では流通していない。
魔導具によってあっさりと脱出を成功させたカミルを見送った直
後、ベイルの守備隊であり街の治安維持を担う衛兵たちが登場した。
激しい損壊となった現場に到着した彼らは、当然のことながら現
場に佇む2人の男を拘束する。
ことが終わってからやってきた彼らに少々思うところはあったも
のの、事の経緯を話すと意外なほど簡単に納得され解放された。
おそらく昨晩の捜索隊の隊員が、衛兵の中にいたことも大きいの
かもしれない。
大都市ベイルの守護を担う守備隊ではあるものの、その隊員数は
潤沢とは言えない。
予算の関係もあって単純に人数を増やせばいいという問題でもな
い。そのため必要に応じて冒険者ギルドから精鋭を補充されるのだ。
1035
具体的に言えばこの活動期などはベイルにも人が集まり出入りも
活発だ。となれば何かと問題も多くなるものなのである。
﹁完全にしてやられたようじゃの﹂
アルドラはクククと含んだような笑いを浮かべる。
﹁ぜんぜん笑えない﹂
俺は力なく溜息を吐いた。完全に遊ばれた結果と終わった。
>>>>>
数日後、俺は冒険者ギルドから呼び出しをくらう。
街なかで魔術をぶっ放した件で怒られるのではない。先日のシア
ンの1件で一緒に救出したエルフの子供たちの話である。
﹁失礼します﹂
ギルドマスターの部屋へ案内された俺は、そこにいた2人のエル
フの男女を紹介された。 ﹁君が助けたエルフの子供たちの両親だ。直接礼が言いたいと申さ
れてね﹂
1036
長い銀髪に碧眼の180センチくらいのエルフ男性と、長い銀髪
を1本に三つ編みにした小柄なエルフの女性だ。
男性は深く頭を下げ、感謝の意を示す。
この世界の男たちのプライドは高い。それはエルフも同じらしい。
それがこのような態度をとるというのは、それだけで大変な敬意を
払っている証であった。
﹁初めまして優しく強い人族の少年よ。私はロウ・マウ。マウ族の
代表補佐を務めている。この度の働き、我がマウ族を代表して君に
感謝を送りたい﹂
礼がしたいと言うものの態度の大きいロウの文言に、黙って聞い
ていた少女のように若々しいエルフ女性が飛び出してきた。
﹁ロウ!感謝しているときはね!ありがとうって言えばいいのよ!
?貴方がジンね?まだこんなにも若いのにとても強いのね!ウチの
子を助けてくれてありがとうジン!﹂
飛び出してきた勢いのまま俺に抱きつき、捲し立てるように語り
出す。興奮を抑えきれない様子で、凛とした美しさを持つエルフ女
性とは思えないギャップに若干戸惑ってしまう。
俺を抱きしめた状態のまま女性は、ロウと呼ばれるエルフをキリ
ッとした顔で睨みつける。
その視線を受けて思わず苦笑いを浮かべたロウは、僅かに口ごも
りつつも︱︱
1037
﹁わ、私たちの子供を助けてありがとう﹂
そう言って改めて感謝の言葉を述べるのであった。
﹁ごめんなさい!私ったら名乗りもしないで失礼だったわね!私は
マウ族のフィンよ!フィン・マウ!よろしくね﹂
そういってがっしりと俺の手を両手で握り、ぶんぶんと揺すって
くる。小さいけど元気な女性だ。
身長140センチくらいだろうか。見た目でだけで言えば小学生
くらいにしか見えない。シアンよりまだ低いくらいだ。
﹁よろしくお願いします。でも礼は不要ですよ。俺はただ自分の身
内を助けるために乗り込んだだけです。フィンさんのお子さんを助
けられたのは、結果そうなっただけで狙ってやったわけじゃないん
です﹂
その辺りについても、今思えば軽率だったかもしれない。まぁ今
更ではあるが。
﹁いいえ!私だけではあの者達のねぐらまでたどり着けるかわから
なかったわ。結果的でも私達の子供も助けてもらった。その事実は
変わらない。やはり貴方には感謝しなければいけないと思う。少な
くとも私はそう思うわ!﹂
その瞳は強い意志を宿していた。
1038
まぁ感謝されて悪い気はしない。正直シアンのことで一杯一杯で
あったため﹁助けてくれて、ありがとう﹂と言われても戸惑ってし
まうが、ここは素直に感謝の気持ちを受け取るのがいいのだろうな。
﹁だから何か御礼をしなくてはと思うの﹂
﹁だが私たち森の民は、人族の者が喜ぶ金貨の類を持ちあわせては
いないのだ﹂
ロウの話によれば人族との間にいくらかの交流はあるため、全く
金が無いというわけでもない。村中かき集めれば幾ばくかは見繕う
ことはできる筈だという。
﹁それも1つと考えたのだが、私たちは森の狩人。となれば私たち
にしか出来ない礼というものがあると思ってね﹂
そういって目の前に差し出されたのは朱色に塗られた長弓であっ
た。
﹁御礼なんていただけませんよ。気持ちだけで十分です。お二人の
言葉だけでも感謝の気持ちは伝わっています﹂
そういったものの︱︱
﹁なんと欲のない男だ。だが無欲というのは美徳というわけでもな
いぞ﹂
欲というのは生きるためのエネルギー。
1039
食欲、物欲、睡眠欲、性欲⋮⋮欲がまったくない人間は生きてい
ると言えるのだろうか?無我の境地ということもあるかもしれない
が、それが人間らしいかといえば考えさせられる所ではある。
欲とは生への渇望。
無欲=素晴らしいということでもないのだ。
﹁私たちは貴方に感謝してる。だから御礼がしたいの。受け取って
くれるかしら?﹂
フィンさんが手を握り、困ったような笑顔を向けてくる。
﹁すいません。そうですね、せっかくのお心遣い。ありがたく頂戴
します﹂
マウ族はハントフィールド族と同じくエルフの狩猟民族だ。
彼らは弓の名手で、弓作りの達人でもある。
彼らが作る弓は非常に優秀で、その独自の製法は外部には伝わっ
ていない。
それ故に市場では非常に高値で取引されている品でもあった。
﹁もし気に入らなければ売ってしまっても構わないわ。どのくらい
の価値になるかは私たちにはわからないけど、ここのギルドマスタ
ーさんは結構な金額になると仰ったから、御礼になるかと思ったん
1040
だけど﹂
ロウさんの手製の弓で、フィンさんが仕上げた夫婦で作った弓ら
しい。弓使いならば欲しがるものは多いとギルドマスターが教えて
くれた。
そんなものを貰っても売れるはずがない。だが俺には弓が使えな
い。
﹁君ほどの者ならいずれ多くの部下を従えるようになるのだろう。
その中に弓に精通した者がいれば、その者に持たせるという手もあ
る。本当に使い道がなければ売ってしまっても構わないのだ。それ
で君の役に立つなら、この弓にも価値があったということだ﹂
むむむと俺は唸った。
使いみちの思いつかない高級な弓を貰っても正直困るのだが、こ
れは受け取ったほうがいいのだろうか。俺は弓スキルを持っていな
いわけだし、身近で弓を使うものもいないのだ。
﹁あの1つ提案があるのですが⋮⋮もし良かったらという話で﹂
>>>>>
俺からの提案はすんなりと受け入れられた。
1041
いくら優れた弓を貰おうとも、使えないのであれば宝の持ち腐れ
である。
そこでマウ族の薬草術を教えて貰えないか頼んでみたのだ。
ミラさんのこともある。リザに更なる知識が加われば、より良い
結果を生み出せるのではないかという素人考えからだ。
﹁本来なら外部の者に簡単に教えることはできないのだが⋮⋮まぁ
無闇に広めないということではあるし、同じエルフの女性を助けた
いという話であるならば、無碍に断るわけにも行かないだろうな﹂
﹁なにカッコつけてるの?もちろんいいに決まってるじゃない!貴
方なら悪用しないってわかってるしね﹂
そういってフィンさんは俺に向かってウインクしてくる。
それは﹁女の勘ってやつですか?﹂と問うと﹁そうよ﹂といって
フィンさんは笑った。
ついでにと霊芝のことも聞いてみた。
もし所有してるなら、少しでも譲ってもらえないかと。
﹁済まない私たちは持ち合わせていないな﹂
森に生活していれば、魔力枯渇症には成り得ないのでそのための
薬というのは存在しないようだ。
また人の街に出て、体調を崩すことがあれば普通は森に帰ってく
る。
1042
基本的にはそういった考えの者が多いようなので、無理してまで
人の街に留まろうという考えの者は稀なのだという。
﹁帰ったら皆にも聞いてみるが、あまり期待しないでくれ﹂
森のエルフたちは通常必要としない素材であるため、所有してい
るものがいるかどうかはわからないそうだ。
人族には高く売れるということを、もし知っている者がいれば売
却用にと保持している可能性もあるという。
ただエルフは人族のように金儲けに執着するものがあまり居ない
ので、どうとも言えないということだ。
﹁ありがとうございます。十分です助かります﹂
もし所有するものがいなくても、村の者でどこかで見たという情
報があれば知らせてくれるという約束をしてくれた。
更に最悪の場合には、ミラさんを一時的にでも養生の為に受け入
れてくれる約束も。
﹁そうだな。もし一時的な養生の為だけに、その件の女性が自分の
村へ戻るとなると、余計な蟠りを生みそうだ。それならば違う氏族
の村で養生してもらうのも1つの手かもしれない﹂
ロウさんの横で、フィンさんもうんうんと唸って首を縦にふる。
どうやら賛同してもらえたようだ。
1043
魔弓
C級
︻貫通︼
そんなこんなで結局の所、弓の方も受け取った。
鹿王の朱弓
強い魔力を秘めた素材から作られた強弓である。
付与されたスキル貫通は、並の金属甲冑程度なら容易に撃ち抜く
らしい。
張りが強く素の状態で引くのは簡単ではない。
︻闘気︼や︻筋力強化︼の補助がないと完全に使いこなすというの
は難しそうだ。
これほど強力な張りだと、リザやシアンが扱うのは難しいだろう。
考えれば弓スキルならそう労せずとも、手に入りそうな予感もす
る。考えが甘いかもしれないが、例えばスケルトンなど魔物の中に
は弓を使う者も珍しくはないのだ。それを思い出せば、スキルの調
達も不可能ではないと思える。
使いこなせるようになれば強力な武器となるだろうし、先のこと
を考えて今からでも練習しておこう。同じエルフのアルドラなら扱
えるかもしれない。
﹁村に帰って族長に許可を貰ってからになると思う。まぁ心配せず
とも許可は問題なく貰えるだろう。族長は彼女には甘いからな﹂
そう言ってフィンさんに優しい視線を送る。
1044
﹁そうね。今教えてあげてもいいのだけれど、村に戻って資料を纏
めてからこのギルドに送りましょう。パパもきっと許してくれると
思うわ。もし許してくれなくても、私がなんとかするから心配しな
いで!それでいいジン?﹂
そういうロウさんとフィンさんに俺は頷く。
﹁はい。よろしくお願いします﹂ 1045
第89話 S級スキルの実力1
マウ族との邂逅の翌日、俺はシアンを連れて買い物に出掛けた。
シアンを狩りに連れて行くためにも、装備の調達を考えなければ
いけない。
魔術が使えないため武器は必要だろうが、リザよりも力の弱い彼
女が剣や槍を振り回せるかと問われれば、難しいと答えるしかない。
スキルの補正も無いのだ、それを考えると彼女でも扱える可能性
のあるものがいいのだろう。
そこで思いついたのが、クロスボウである。
冒険者で使用しているものは少ないようだが、この世界にも武器
として存在しているらしい。
どうやら連射が利かず射程距離も短いために、マイナーな武器と
いう扱いのようだが。
弓には弓術という武術スキルが存在しているが、弩術というスキ
ルの存在は確認されていないようで、それが不人気の理由の1つで
もあるようだ。扱う店も少ないようだが、冒険者ギルドで扱ってい
る店を聞いて試しにと予約しておいた。
他には彼女のサイズに合わせた革製のジャケットやズボンの作成
を依頼しておいた。完成まで数日掛かるだろうが、武器のほうも時
1046
間が掛かるだろうし丁度いいだろう。
森の異変のこともあって現状では待機という体をとっている。
ギルドの雰囲気から察しても、近いうちに何か動きがあるかもし
れないと考えてだ。
待機で生まれた時間は地下に降りてアルドラ相手に剣術や体術の
訓練で汗を流したり、一人で魔術の創造に挑戦したりといった具合
に過ごした。
いまだまともに使用していない魔術も使用感を試してみる。
︻潜水︼
水中で肺に空気を取り込まずとも、長時間活動できる魔術のよう
だ。
地下の水は冷たすぎるので長時間の調査はできなかったが、F級
で5分くらいE級で10分くらいか。
どうも適正が無いせいなのか、水魔術は魔力の消費が多い気がす
る。
︻溶解︼
手のひらから魔力を放出し、対象物を溶解する術のようだ。
1047
F級やE級では効果が低すぎて、どのような価値があるかは思い
つかない⋮⋮
A級以上となると効果は劇的に変化する。地下遺跡の石ブロック
に試しに使用してみたところ、アイスクリームが溶けるようにどろ
りとブロックが溶解したのだ。使用を停止すると、しばらくしてブ
ロックは溶けた状態のまま硬質化した。
魔力の消耗は激しいが、利用価値はありそうだ。
︻同調︼
シアンいわく魔物とお友達になれるスキルらしい。
いまのところ使用法は不明である。
魔物に使用して操るといったものでもないようだ。
使用していた魔物のことを考えると、精神支配かと思ったが違う
らしい。
︻伸縮︼
これも不明だ。
腕が伸びるわけでも、剣が伸びるわけでもない。
使用していた魔物の事を考えると、もしかしたら舌が伸びるスキ
ルなのかもしれない。使用する場面が思いつかないが、いつか役に
立つ日がくるのだろうか。
1048
︻雷精霊の腕輪︼
この手の装備品は所謂パッシプスキルというものらしい。
装備しているだけでその効果の恩恵を受けられる。
︻制作成功率上昇︼
リザも所有する生産スキルあたりを修得できれば、その効果も知
れるだろう。
今のところ何かに役立つ様子はない。
︻魔術抵抗上昇︼
攻撃的な魔術への抵抗力が上がるということらしい。
︻活性︼
疲れが早く取れるらしい。その効果はイマイチ実感できない。
︻鋭敏︼
感覚を高めるらしいが、これも実感しにくい。
腕輪には精霊が宿っているらしいが、あれ以来その姿を現してい
ない。
1049
たまに呼びかけているものの、反応はなかった。
必要ないから現れないのか、現れるには条件があるのかは不明だ。
﹁そういやコイツを渡すのを忘れておったわ﹂
そう言ってアルドラは︻収納︼から1枚の獣皮紙を取り出した。
盗賊の地図 魔導具 C級
﹁これは?﹂
一見すると何も書かれていないただの獣皮紙のようだが、魔力を
込めると地図が浮かび上がる。
﹁盗賊どもの物資の中にあったものじゃ。コレは使えそうじゃと思
ってな、拝借しておいたのよ﹂
ギルドで物資を渡す際に、これだけ抜いておいたらしい。大丈夫
なのかそんなことして。
﹁問題あるまい。本来盗賊を討伐すれば戦利品は権利は当事者のも
のじゃ﹂
アルドラは当然じゃろうと胸を張った。
1050
﹁魔力を注ぎ込んだお主が、地図の所有者となった筈じゃ。お主が
行ったことのある場所が地図に現れる。現在地周辺が現れておるじ
ゃろう?﹂
今いる場所はリザの家の地下遺跡、その最初の部屋である。
よく見ればこの地下遺跡の地図のようだった。確かに俺が行った
ことのある部分だけが、地図として現れている。アルドラであれば
更に深く遺跡を探索しているはずなので表示に違いがあるはずだ。
俺が他の場所も探索すれば、この地図の完成度を高めることがで
きるというわけか。都合の良いことに現在の自分周辺と、より大き
な領域の2種類の地図を出し分けられるようである。
﹁魔力を注いだものが地図の所有者となり、所有者の行ったことの
ある場所を地図として表示できる魔導具じゃよ。遺跡の探索に便利
そうじゃろ?﹂
どうやら彼は遺跡探索を諦めてなかったらしい。
罠もあるらしいので、危険らしいが⋮⋮しかし、この魔導具があ
れば確かに探索が捗りそうではある。
アルドラは幻魔のせいなのか所有者として登録できないようだ。
そういう訳で俺に地図を与えたのだ。
どうやら俺も探索のメンバーに組み込まれているらしい。
1051
近況を確認するためにギルドには顔を出して入るものの、状況の
変化はなかった。
冒険者ギルドの斥候も苦戦しているようだ。
瘴気のこともあってギルドには仕事に出られない低級の冒険者が
入り浸りくだを巻いている。
﹁今更街なかでF級の雑務なんかできるかっ﹂
そういった声も聞こえてくる。
ただやり場のない不満だけが溜まっていくようであった。
>>>>>
この数日間、市場にも顔を出したが霊芝は見当たらなかった。
店の者に聞いてもここしばらくは入荷していないそうだ。信頼で
きる店があれば予約という手もあるのだろうが、霊芝を取り扱いな
おかつ信頼できるという店は俺は知らない。おそらくリザもだろう。
﹁ジン様、お母様の体調が⋮⋮﹂
家のリビングで1人考え事をしていると、上の階から降りてきた
1052
リザに声を掛けられる。
ミラさんは気丈に振舞っているが、体力が落ちてきているようだ。
霊芝が残り僅かのために、他の薬草で代用しているのだが効きは
今ひとつらしい。
﹁⋮⋮森へ行く。アルドラいいな?﹂
俺は一拍置いて考えをまとめ決意した。
﹁わしが止めると思ったか?﹂
﹁まさか。頼りにしてる﹂
彼がいれば、どんな危険な場所でも行けるだろう。
それに俺には魔眼と隠蔽がある。潜む魔物を炙り出し、付け狙う
魔物を掻い潜る。
俺達に行けない場所は無い。
﹁任されよ﹂
市場で都合よく霊芝が手に入るとは思っていない。
そのため代案は考えてあった。いやこちらが本命か。
﹁私も行きます﹂
リザは当然の事と、胸を張った。
1053
﹁いや、リザはミラさんを見ていてくれ。薬師が側に居たほうがい
いだろう﹂
体調が悪化した場合も考えて、リザは残ったほうがいい。
﹁家にはシアンが残ります。薬の用意はしてありますし、それに森
に行くなら私が必要だと思います﹂
森歩きに慣れ、薬師のリザは採取の玄人だ。
確かに素材の発見率を上げるには必要かもしれない。
だが今の森は危険だとギルドでも警戒を呼びかけている。
戦闘職の冒険者が警戒しているのだ。生産職の薬師を森へ連れて
行くのは憚られる。
﹁家族のために自分を犠牲にして無茶をなさるのでしょう?でも私
がそばにいれば、無茶なこともしないですよね﹂
リザは﹁ですよね?﹂と期待を込めた瞳をもって俺の顔を覗き込
む。
参ったなぁ⋮⋮リザには敵わない。
﹁無茶をするつもりはない。戦闘を避け森に侵入し、さっさと霊芝
を見つけて帰ってくるさ。あまりミラさんを待たせるわけにも行か
ないだろ﹂
﹁なら私が付いて行っても問題ありませんね﹂
1054
リザはそう言ってこの話を打ち切った。
その表情から、もはや他の意見は聞かないといった強い決意が感
じられた。この娘、けっこう頑固かもしれない。
﹁お主の負けじゃ。なに女の1人くらい未熟なお主でも守ってやれ
るじゃろう?腕は2本あるんじゃし﹂
あまり危険な場所へは連れて行きたくはないが⋮⋮ただ守られて
いるだけの女の子ではないことは、俺がよく知っている。
﹁わかった。3人でいこう。よろしく頼む﹂
時間的に今出立しても、森で探索を始める頃にはすぐに暗くなる。
そのため出立は明朝とした。夜の闇が問題というわけではないが、
夜のほうが魔物は活発で、危険なものも増えるのだ。探索の妨害に
なりそうな可能性はできるだけ排除したほうがいいだろう。
>>>>>
翌朝、俺達は各々に装備を整え玄関に集まった。既にアルドラも
顕現し、いつでも何があっても大丈夫だという気構えである。
﹁兄様、無理はしないでくださいね﹂
1055
﹁わかってる﹂
シアンが心配からか、その表情は暗い。
俺は彼女の頭をくしゃくしゃと撫でる。
﹁約束したろ?家族を守るって。今度はミラさんの番さ。まぁ軽く
片付けて戻ってくる﹂
俺は戯けた様子で、努めて明るく振る舞った。
﹁そうですね。私は兄様を信じてますから﹂
シアンはそう言うと、僅かに歩み寄りスッと背伸びをして俺の頬
にキスをした。触れるか触れないかくらいの、一瞬のことである。
﹁お気をつけて﹂
先ほどの暗い顔はない。いつもの愛らしいシアンの顔がそこにあ
った。
ギルドに寄って森へ入る旨を伝えることにする。
基本的に狩りに行く前は、事前にギルドに行き先を報告するのが
義務になっている。報告を忘れたからといって特別罰則はないが、
ギルド側が冒険者の居場所を掴めていないと、異常発生などがあっ
た場合の対処に問題が生じるのだ。
1056
仮に無届のまま地方へ長期の狩りへ行っていた場合、その間に異
常発生が起きギルドへの緊急招集に応じられない状況になったとき、
最悪逃亡とみなされる場合もある。
逃亡となれば、その者の信用は地に落ちる。状況によってはギル
ドの追放もあり得るために、多くの者は報告の義務を軽んじること
はないだろう。
﹁ええ?ジンさん今の状況わかってますか?こんな高濃度の瘴気は、
そう滅多にない。いま森は異常事態なんですよ?森の境界付近でも
瘴気が確認されているんです。今森で採取なんかやろうというのは、
よっぽどの命知らずの馬鹿か、ただの馬鹿のどちらかですよ﹂
受付のリンさんに森へ行く旨を伝えると早口で捲し立てられた。
それほど興奮する事態となっているらしい。
まぁ瘴気は魔物発生の原因にも考えられている代物だ。魔物も興
奮し、通常とは違う動きを見せる可能性もある。
ましてや高濃度の瘴気は毒だというし、その中に敢えて飛び込む
というのは正気の沙汰ではないのだろう。瘴気だけに。
俺は興奮するリンさんを宥め、ギルドを後にした。
ギルドは警告を発しても、最終的に行動するかどうかは冒険者1
人1人の裁量に任されている。
自己責任というやつだ。
それ故いくら﹁危険だからやめておいたほうが良い﹂と言われよ
うとも、考えなおす余地は最初からない。
1057
必要だから行く。それだけだ。
街の外に出た。人気はないが、この辺りでは異変は感じられない。
リザは俺とアルドラに︻脚力強化︼を付与した。準備は完了だ。
俺はリザを抱きかかえ︻疾走︼を発動させる。
アルドラは自前の足で移動である。
﹁さて、行くか﹂
俺たちは森へ向けて走りだした。
1058
第90話 S級スキルの実力2
リザを抱きかかえたまま︻疾走︼にて森を駆け抜ける。
﹁ジン様、あの⋮⋮重くないですか?﹂
リザが遠慮しがちに聞いてきた。
﹁いや全然軽いよ。何時間でも抱いていられるくらい﹂
厚手の服に包まれてはいるものの、女の子特有の柔らかさを堪能
できる。むしろご褒美であった。
﹁⋮⋮いまエッチなこと考えませんでした?﹂
﹁いや全然!﹂
エルフの直感が冴え渡る。
これは霊芝も容易く見つけられそうな予感がするな。
﹁ほう、随分速く走れるようになったのう﹂
﹁え?そうか?﹂
自分ではそう変わったようには思えない。まぁ多少は疲れにくく
1059
なった気がしないでもないが。
﹁足運びに無理がなくなってきておる。森を走るのに慣れたように
見えるのう﹂
それはそうかもしれない。俺も随分と森を歩いているし、それな
りに成長したという所であろうか。
更に言えば地形探知の効果というのもあるだろう。
このスキルを使えば目で見えない場所の地形も把握できる。
藪の先が崖になっていたり、地面が泥濘んでいたり、脆くなって
いたりと事前にそれらの情報を得て、それらを回避して走りやすい
場所を選んで進むことができるのだ。
地味な様でこの効果はかなり大きいと思う。
今のところ巨人の姿は見ていない。
この辺りは瘴気も感じるほどには出ていないようだ。ただ森の空
気はいつもよりも若干重く感じる。もしかしたらこれが瘴気の感覚
なのかもしれない。
﹁この辺りでいいだろう﹂
森をしばらく進んだ後、少し開けた広場のような場所に出た。
1060
そこは切り開かれたように木々が途切れ、空が広く見える場所で
あった。
俺は抱きかかえていたリザを、そっと降ろす。
﹁ありがとうございます﹂
﹁何か策があるような事を言っておったが﹂
アルドラは周囲を警戒しつつ訪ねてくる。
﹁ここに何かあるのですか?﹂ リザを持ってしても、俺の意図はわからない様子であった。
﹁いや、特に意味は無い﹂
別にこの場所に何かあるという訳ではない。
ただある程度、森に侵入してから探ろうかと思っただけだ。
俺が持つ︻探知︼というスキルは非常に便利で、日常的に使用す
るスキルでもある。
魔力の消費も少なく、俺ほどの魔力量であるならば常時発動させ
ても支障のないほどだ。
そこまでせずとも無駄な消費を抑えれば、一般レベルの人族の術
1061
者であっても︻探知︼の使いすぎで魔力枯渇に悩まされる、といっ
た事態はそう起こらない。頻繁に使用しても問題ないほどの燃費良
さというのが︻探知︼なのである。
﹁リザ頼んでおいたもの持ってきたか?﹂
﹁あ、はいっ。ここに﹂
リザは鞄を探って硝子の小瓶を見つけ出すと、俺に差し出した。
中には茶色い粉末状のものが収まっている。
﹁あの、ジン様。どうなさるおつもりですか?﹂ 不思議そうな顔をするリザに俺は自信を持って告げる。
﹁ここから霊芝を探すのさ﹂
硝子の小瓶に収まっているのは、霊芝の粉末だ。残り僅かとなっ
たものを持ってきてもらったのだ。
瓶の蓋を開けて、その匂いを目一杯吸い込む。 おぉ⋮⋮けっこう刺激的な匂いだ。じいさんの靴下の匂いという
魔力
地形︶
か、腐った納豆というか⋮⋮だがこれだけ特徴的であれば、探しや
すいだろう。
︻探知︼S級︵嗅覚
1062
スキルを発動させて周囲を探る。
C級であれば周囲約120メートルほどを探ることができる。B
級だと150くらい、A級になると300メートルほどだ。そして
S級であれば、それ以上となる。
脳裏に焼き付いた匂いを頼りに、周囲を探っていく。
︻探知︼というのは魔力の波のようなものを飛ばして、周辺を探る
イメージである。
この場合の嗅覚探知というのは、実際に嗅覚が異常に発達して匂
いを嗅ぎ取るというのとは少々違う。記憶した匂いのイメージを周
辺のデータと照合する感覚だ。
俺が記憶した霊芝の匂いというデータを、周辺を探って近いデー
タが存在しないか探しだすということなのだ。
そのため色んな匂いで鼻がおかしくなるといった問題も起きない。
獣人のような鋭い嗅覚というわけではないため、細かいところま
で嗅ぎ分けられるとまではいかないが、それでもこの様に印象の強
い匂いであれば比較的探しやすいと思われる。
周辺の魔物の動きは無視して、霊芝を発見するためだけに嗅覚に
意識を集中させる。
1063
その間の周辺の警戒はアルドラの担当だ。
そうして幾ばくかの時間が流れたが︱︱
﹁⋮⋮如何ですか?﹂
﹁⋮⋮ダメだな﹂
霊芝を見つけることは叶わなかった。
霊芝はその薬効成分と希少価値から市場で高値で取引されている。
それを知る冒険者であるならば、見かければ採取し金策の足しに
することだろう。
今はギルドから要警戒の指示が出されてはいるものの、森に入る
ものが少なくなれば稼ぎやすいとばかりに、この警戒を逆手に取っ
て森への侵入を行うものも少なくない。
一部は本物の実力者たちで、ほとんどは命知らずの馬鹿のようだ
が。
何にせよ、そう簡単に見つかるとも思っていない。
今探れているのは、精々が500メートルほどであろう。ならば
もっと広い範囲を探せば良いのだ。
魔術は魔力を多く注ぎ込めば、その効果を引き上げることができ
る。燃費という意味では悪くなるが、多くの魔力を失ってでも効果
1064
を高められるのであれば、利用価値は高い。
俺は魔術の行使を︻ペットボトルのお茶をコップに注ぐ︼という
行為をイメージしている。
注ぎ口が小さいのがF級で、大きいのがS級だ。
F級でも時間と労力を掛ければ沢山のお茶を得られる。
だが効率を考えるとS級のほうが時間も労力も少なく済む。
もちろんお茶︵魔力︶が豊富にあることが前提であるが。
ちなみに俺の魔力の総量は、エルフの三倍程度らしい。
﹁少し本気だすか﹂
︻探知︼に魔力を注ぎ込む。
通常意識せずとも自然に使える所を、敢えて多く魔力を注ぎ込む
のだ。
目を瞑り、精神を落ち着かせ、体はできるだけ無理なく力を発揮
できるように自然体に。
肩幅ほどに足を開き、腕を開いて、自身がアンテナになったよう
なイメージである。
1065
﹁まだまだ足りないか⋮⋮﹂
︻探知︼の範囲が徐々に広がっていく。基本︻探知︼は自身を中心
に球体に広がっていくという。地中は魔力の波が進みにくいため、
地上に比べるとその探索速度と深度には差異が生じるそうだが。
この球体を横に広げるようにイメージしてみる。
空と地中の探索を捨てて、地上を覆うようにイメージするのだ。
魔術はイメージする力、想像力が重要だという。ならばスキルも同
じだろう。というよりも魔力を糧に効果を発揮するというのは同質
の存在だと感じる。
魔力をどんどん注ぎこむ。そのたびに︻探知︼の探索範囲は広が
っていく。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
徐々に疲労が蓄積されていく。慣れない使い方は無駄に魔力を消
耗させてしまう部分も多いようだ。
何も言わずリザがスッと傍らに寄り添い、手を添えてくれる。そ
れだけで疲れが僅かに和らいだようだ。
その優しさを側に感じながら、俺は更なる魔力を注ぎ込んだ。
>>>>>
1066
力が抜け体がぐらりと揺れる。
﹁だ、大丈夫ですか?ジン様﹂
咄嗟にリザが腰を入れて支えてくれた。
﹁大丈夫﹂
慣れない︻探知︼の使い方で、少々疲れた。魔力もかなり消費し
たが⋮⋮
﹁ダメでしたか?﹂
﹁⋮⋮あぁ﹂
地上を覆うように展開された︻探知︼は俺を中心として半径数キ
ロにまで及んだ。いつもと違った使い方であるためか、通常であれ
ば円を描くように展開されるそれは、いささか歪なものになった気
がする。例えるなら素人の作ったピザ生地のように、綺麗な円には
ならず歪んだ形と言った具合だ。
十分とは言えない時間ではあったが、それなりに練習はしてきた
つもりだ。
それでもやはり消耗は大きかった。
しかし簡単には行かないことは最初からわかっていたのだ。森は
広い。小国ならすっぽり収まるほどの広大さだという話だ。
1067
であれば見つかるまで、これを繰り返すだけだ。数は少ないもの
の霊芝は時期、季節を問わず発見されるという。探し続ければ必ず
見つかるに違いない。
﹁⋮⋮お客さんじゃな﹂
アルドラは一方の端を睨みつけながら呟いた。
100メートル以上離れた広場の切れ目、森の木々が揺れている。
風ではない、あきらかに不自然に動いている。
この距離では魔眼も使えないが、遠目ながらもそれは視界に現れ
た。
4メートルを超える巨人。サイクロプスだった。
アルドラの手のひらから、剣が生み出される。
時空魔術によって異空間に︻収納︼されたバスタードソードを取
り出したのだ。
﹁お主は魔力を回復させておけ、足りなければわしも協力してやろ
うか?﹂
そういって僅かに振り返りにやりと笑った。
1068
﹁⋮⋮想像しちゃったじゃねーか。俺にそんな趣味はない﹂
﹁奇遇じゃな、わしもじゃ﹂
アルドラはかっかっかと笑いながら、巨人に向かって走りだした。
1069
第91話 探索部隊︵前書き︶
※冒険者ギルドが放った斥候PT視点
主人公が森へ霊芝を探しに行く前の晩の話
1070
第91話 探索部隊
﹁⋮⋮どうなってんだこりゃ﹂
ベイルで30年以上冒険者稼業をやってきたその男は、目の前に
広がる異常事態に絶句した。
このような光景はここより遠く離れた東の山の中、ドワーフ王国
などではよく目にするという。
活発な活動を続ける活火山が、地下からの有毒ガスを大地の裂け
目より噴出させる︱︱
だがこの森は火山でもないし、地下から有毒ガスが吹き出たとい
う報告は、少なくとも冒険者ギルドの歴史の中には存在しない。
﹁ここで50箇所目だ。これほどの高濃度の瘴気が、このような浅
い場所で⋮⋮﹂
火山地帯に噴出する有毒ガスのように、現在ザッハカーク大森林
のあちらこちらで高濃度の瘴気が噴出していた。
濃度の高い瘴気が大森林で観測されるのは、それほど珍しいこと
ではない。
詳しい条件はわかっていないが、朝靄のように森を覆い、魔物た
ちの進化と成長を促すらしい。
1071
冒険者ギルドではザッハカーク大森林での異変を素早く察知する
ために、多数の斥候を放っている。
多くは2∼3人のパーティーで、それぞれの持場を確認し異常が
起きていないか調査するのだ。
彼らもそんな探索部隊の1つであった。
﹁こんなふうに地面からガスみてえに瘴気が溢れ出てるなんて、初
めてみたぜ﹂
髭面に短く刈り上げた髪を撫でながら、男は訝しげな視線を件の
場所に送った。
瘴気は魔素が視認できるほどに、濃度が高くなったものとされて
いる。
魔素は人はおろか、あらゆる生命に必要な要素の1つである。し
かし濃すぎる魔素、瘴気はときに生命に害を及ぼすのだ。
﹁そろそろ薬草の効力が怪しい。暗くなってきたことだし、一度砦
まで帰還しよう﹂
革製の軽鎧に身を包み腰に曲剣を差した男は、鞄から取り出した
砂時計を眺めながら髭面の男に提案した。
髭面の男は﹁そうだな﹂と提案に頷き了承した。
彼らはまるで鳥の嘴を模したような革製のマスクを被っている。
目に当たる部分は硝子板が嵌めこまれ、革のマスクは後頭部にあ
1072
たる部分でベルトで締め具合を調節する仕組みになっていた。
嘴にあたる部位に薬効の高い植物を詰め込んでいて、これにより
魔素を中和させている。
これは必要以上に魔素を体内に取り込むのを防ぐためだ。
彼らのように高濃度の瘴気に長時間身を置かなければならない者
達には、必須の装備だと言える。
髭面の男が懐から小さな何かを取り出すと、マスクを一旦外して
唇に当て勢い良く息を吹き入れた。
だだ空気の漏れる音だけが聞こえる。
実際には彼らには聞こえることのない笛の音は、彼が使役する下
僕たちへの合図である。
犬笛と言われるこの魔導具は、犬系の魔物を使役する際には無く
てはならない必需品だ。このように離れた下僕に合図を送る魔笛と
総称される魔導具は、獣使いが扱う魔導具の中でも最も代表的なも
のの1つであった。
髭面の男は獣使いと称される、獣を使役するに特化した職業だ。
しかし全ての獣を使役できるというわけではない。調教しやすい
種、しにくい種、その個性は様々である。
彼は6匹の犬系の魔獣を従えていた。それぞれ若い個体でも、1
0年以上彼が我が子のように手塩にかけて育てた自慢の下僕である。
﹁⋮⋮遅いな﹂
1073
6匹の魔獣を我が身の如く操り、広範囲を探索するのが彼の斥候
としての強みだ。
探知系のスキルで探りきれない、細やかな部分も暴きだす彼の仕
事には定評があった。
今回のような高濃度の瘴気が発生している地域などでは、いつも
の感覚で魔術やスキルが使えない場合もある。そんな状況下でも魔
獣である犬たちであれば、その影響は小さいため、十分に探索が可
能なのである。
現在近くに魔物がいないか警戒の最中である下僕は、それほど遠
くまでは離れていないはずだ。
帰還命令の笛の音が聞こえないはずがないし、1匹でもこのあた
りに出没するゴブリン程度なら楽に殺せる戦闘力は有している。
無論勝てない相手には逃げるように調教している。そもそも戦闘
を目的とした下僕ではないため、積極的に戦うようなことはないの
だが。
﹁犬も遅いがアイツも遅くないか?﹂
﹁まぁ女の小便は時間がかかるんだろ﹂
この探索部隊は3人組である。
獣使い、斥候、魔術師。この3人で行動するようになって20年
以上になるだろう。
1074
それなりに気心の知れた仲だとは思ってはいる。
今森は危険な状態で、そうでなくとも森のなか要警戒中に小便だ
としても一人になるのは危険だ。というのが本音ではあるものの、
流石に気心の知れた仲間とはいえ、女に俺たちの目の届く範囲で用
を足せとは言えるはずもない。
﹁だが少し遅すぎないか?﹂
斥候職の男が不安の色を見せる。
﹁小便のついでに大便も済ましてるんじゃないか?﹂
髭面の男の言いぶんは酷く下品なものであったが、そんな彼も流
石に遅すぎるなと感じ始めていた。
女の行動の遅さはともかく、我が下僕は自ら調教し育てた信頼で
きるものだ。その正確さ、機敏さには自信があるものだが、今の状
況は不安にさせる要素が多すぎた。
時間が経てば経つほどに、その不安は心のなかで大きなものとな
っていく。
しかし、我が子のように思っている下僕の犬たち、長年付き合っ
てきた女魔術師を置いてこの場所から撤退する選択肢はない。
自分らが動いて探しに行くのも危険だろう。入れ違いになる可能
性が高い。であればどうするか⋮⋮
1075
そうして悩む彼らの目の前に1つの影が姿を現した。
﹁⋮⋮なっ﹂
そこに現れたのは、血まみれになった下僕の1匹。一番年若い犬
であった。
動きがおかしい。ひょこひょこと足を庇うように歩み寄り、不器
用な様子で、今にも力なく倒れそうである。
よく見れば口に何かを咥えていた。
﹁⋮⋮おい。そんな馬鹿な﹂
犬が咥えていたものは、血に濡れた鳥の嘴を模したマスクであっ
た。
沈黙が流れた。髭面の男が犬に駆け寄り、その状態を確認しつつ
我が下僕が咥えていた品を確かめる。
犬は何か凄まじい力によって、硬い何かに全身を打ち付けられた。
そういった感じだと悟った。半身の至る所に骨折等の痛ましい傷が
見える。
﹁一体何が⋮⋮﹂
一体何が。とは言うものの、二人の胸中にあったものは、おそら
く同じであろう。だがそれを口にすることはできないかった。
1076
考えがまとまらず、行動が遅れた。それが彼らの明暗を分けるこ
とになったのだ。
﹁⋮⋮ナニガ?﹂
﹁バカナ?﹂
﹁いタイ⋮⋮な二?ヴァ?﹂
﹁ばカナ﹂
﹁アナバ⋮⋮﹂
﹁イナ⋮⋮ヴァ?ゥあ?﹂
暗く静かな森のなか、不気味な声がどこからともなく響いてくる。
そして気付いた。いや気付いてしまった。ずっと前から自分たち
が多数の巨人に囲まれていたことに。
1077
﹁なッ!?﹂
周囲の木の影、暗がりから徐々に姿を現す巨大な人影。1体1体
が3∼4メートルはある若いサイクロプスだ。
自分達からの距離はそれぞれ20メートルも離れていない。ここ
まで接近されるまで気付かなかったなど、例えここが高濃度の瘴気
によって汚染された地域だとしても斥候として絶対にありない事態
であった。
深い緑色の肌は分厚く剣も槍も通さず、頭部に備えた特徴的な単
眼は非常に目がよく、遠く離れた獲物も見逃さない。
丸太のように太い腕は、竜さえ絞め殺す程の怪力を生むという。
それがざっと見渡しただけで6体。絶望的な数だ。まだ1体なら
何とかなっただろう。少なくとも逃げることはできた。彼らは強靭
な肉体を持ってはいるものの、動きは機敏とは言えない部類なのだ。
だが既に囲まれたこの状況では⋮⋮
冒険者となって長い時を過ごした。死ぬような目にも両手じゃ足
りないほど経験している。今更死ぬのは怖くはないし、無様に取り
乱したりもしない。
だが自分たちの知り得た情報だけは、何とかギルドに届けなけれ
ば⋮⋮それは使命感か、またはある種の矜持か。
それにしてもこの巨人たちは妙だ。脳みそが鶏並みに小さいサイ
クロプスは、凶暴かつ馬鹿力で恐れられている。だが人の言葉を話
1078
すというのは聞いたことがない。
それに数だ。サイクロプスは通常群れない。1体で行動するのが
常である。無論例外はあるが。
ボリボリボリッ⋮⋮不気味な音が響いた。何かが砕かれ咀嚼され
る音。確認したくはないが、せざるを得ないそんな状況だ。 そして見た。絶望の権化を。
深い、何処までも深い黒い体色のサイクロプス。黒ではなく闇と
いったほうがしっくりくる印象。
周囲を囲むサイクロプスの背後にそれはいた。
骨太で分厚い印象である通常のサイクロプスとは違い、ソレは細
かった。しなやかさと強靭さを兼ね備えた、鞭のような体であった。
﹁希少種だと?嘘だろ⋮⋮巨人の希少種なんて、そんなもんが﹂
黒い巨人は手に持つ何かを齧りながら、俺たちを見てニヤリと笑
ったような気がした。
汗が止まらなかった。立ち向かうという選択肢はない。規格外に
もほどがある。これは俺達のようなレベルが相手にするやつじゃな
い。英雄と呼ばれる人外どもが相手をする輩だ。
あまりの異常な事態に鑑定筒を取り出すのも忘れていた。
1079
鑑定筒というのは、遠見筒といわれる遠くを見る事が出る筒の形
をした魔導具に、鑑定スキルを加えた魔導具である。
自分たちがギルドから支給された魔導具はC級だ。任務が終われ
ばギルドに返還し、万が一失うことがあれば自腹で賠償しなければ
ならない希少なものだ。そうなったら10回は命を捨てるような任
務を達成しなければならないだろう。それを考えると絶対に失くす
わけにはいかなかった。
﹁⋮⋮しかし返還は無理そうだな﹂
C級の鑑定はレベル30代までの魔物を調べることができる。
サイクロプス 妖魔Lv24
サイクロプス 妖魔Lv22
サイクロプス 妖魔Lv23 周囲を囲んでいるのはサイクロプスの子供のようだ。
成熟した大人だと40近いのも珍しくない。落ち着いて見ればサ
イクロプスの中では、体格的にまだ小柄な方だろう。だからといっ
てこの状況を覆せる妙案は浮かばないのだが。
奥に潜む黒いサイクロプスを鑑定してみるも弾かれる。
1080
鑑定を阻害する能力か、単純にレベル40以上かどちらかだ。両
方かもしれないが。
探索のプロである俺たちを欺き接近できる隠密系の能力、姿を隠
したまま俺たちを殺せたはずなのにわざわざ姿を晒すということは、
たぶん遊んでいるのだろう。
サイクロプスの子供ではよくある生態らしい。人を食うために襲
うのではなく、人の子供が遊びで悪戯に虫などの小動物の命を奪う
ように、彼らもまた遊びで人の命を奪うのだ。
そこにあるのは同族を殺された復讐や怨念といったものではなく、
単純で純粋なただの暴力である。
あの黒いヤツはそういった残虐性に加え、仲間に囲わせ自分は安
全な位置にいるという用心深さも備えている。
徐々に狭まる巨人の包囲。
髭面の男は犬の頭を撫でた。
﹁酷い怪我をしてるのに、悪いがもう一働きしてくれ。頼むぞ﹂
﹁オンッ﹂
男は懐に忍ばせておいた秘蔵の魔法薬を、手のひらに出して下僕
の犬に与えた。
1081
いざという時のための薬だ。瞬時に傷が治るといったものではな
いが、疲労や痛みは和らぐだろう。
﹁死ぬ時は花街で腹上死と決めていたんだがな⋮⋮﹂
髭面の男は呟いた。むさい男と一緒に巨人に嬲られる最後とは、
これ以上思いつかないほどの最悪の死に様だと嘆いた。
﹁くそっ、俺は鹿鳴亭のマリアちゃんともう少しで上手く行きそう
だったんだぞ!畜生!﹂
斥候の男が慟哭した。
﹁⋮⋮鹿鳴亭ってギルドの近くの店か?﹂
﹁ああ!﹂
﹁その娘って、金貨1枚で相手してくれる娘か?﹂
﹁!?﹂
宿に食事のできる酒場が併設された店は、ベイルでは珍しくない。
ときに酒場で働いている給仕の娘などは、そのような交渉に応じ
る場合もあるというのはそう珍しいことではなかった。
無論全ての店がそうとは言えないのは当然であるが。
﹁こんなときに、そんな話聞きたくなかった!!﹂
1082
﹁すまん﹂
斥候の嘆きの声が、静寂の森に響いた。
1083
第92話 森の怪物︵前書き︶
※ アルドラ視点
1084
第92話 森の怪物
深い緑色の肌は分厚く剣も槍も通さず、頭部に備えた特徴的な単
眼は非常に目がよく、遠く離れた獲物も見逃さない。
丸太のように太い腕は、竜さえ絞め殺す程の怪力を生むという。
サイクロプスと呼ばれるこの怪物は、広大なザッハカーク大森林
において最強の魔物に数えられる1種であった。
﹁グオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーッッッ!!﹂
巨人の咆哮が森に響く。
今は鳥の声も聞こえぬ不気味なほど静寂さを見せる森にその声は
よく通った。
﹁大人の巨人がこんな所まで顔を出すとは珍しいのう﹂
若い巨人ほど好奇心からか縄張りを飛び出し、人の出入りの多い
浅層域まで足を伸ばすこともあるという。
しかし歳を重ねれば重ねるほど彼らは用心深くなり、自分の縄張
りから出ることもなくなるのだ。
1085
アルドラは巨人を油断なく見据え、肩に剣を担ぐようにして走っ
た。
生前の彼は主な武装に大剣類を好んで使った。それは多少乱暴に
扱っても折れず、少々刃が欠けようがさしたる問題に成らないため
である。
大剣類の多くが重量による破壊力を主としているため、刃云々は
もとより重要ではないという体もあることだが。
冒険者時代に数多く相手をしてきた魔獣は、頑丈な皮膚に強靭な
筋肉を持つものが多く、少々切れ味が良い剣では殺しきれない場合
が多かったという理由もある。
更に言えば切れ味の良い鋭い剣はよく砥がれ、先端部にゆくほど
薄くなり刃が欠け易い。となると人相手ならまだしも、森の奥地で
の魔獣狩りにはどうしても不向きであると言わざるを得ない。
巨人の眼光がアルドラに向けられる。
﹁ガァ!?﹂
彼は既に巨人の目前まで迫っていた。
巨人はまるで今その存在に気付いたかのような素振りを見せる。
あの咆哮はこちらへの威嚇ではなかったのか。 1086
一瞬の驚き、そして歓喜。
生きのいい玩具を見つけたと、巨人は喜んでその太い腕を伸ばす。
4メートルを超える巨体だ。その動きは機敏とは言えなかったが、
その迫力から生まれる威圧感から脅威を感じない冒険者はいないだ
ろう。まぁ何事にも例外はいるものだが。 ﹁鈍いのう﹂
丸太のように太い巨人の腕を、軽い動作で飛び乗った。
いや、正確に言うと巨人の腕の筋肉が伸びた所で、その手首に飛
び片足を乗せ踏み台にして跳んだ。一瞬の出来事だ。
巨人からすれば、人が近寄ってきたので摘み上げようと手を延ば
すと、気付いた時には自分の顔の前にた。そんな状況だろう。
﹁⋮⋮ア?﹂
人とは思えない動きに、巨人も戸惑った。
一瞬の硬直。それをアルドラは見逃さない。
﹁ほいっ﹂
アルドラは正確な動作で巨人の眼球に突きを放った。
体勢の不安定な踏ん張りの効かない空中でだ。
1087
気軽な感じで放たれた突きは正確にソレを射抜いた。
﹁オアギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ
ッ!!?﹂
深々と剣が突き刺さる。そして一瞬で引き抜き、素早く飛び退く
と十分な距離を取った。手応えはあった。もう奴の目は使い物にな
るまい。そうアルドラは確信した。 巨人は激しい痛みと、その痛みを与えた者への怒りからか激しく
暴れた。
不差別に腕を振り回し、地団駄を踏み、転んで手足をバタつかせ
た。聞き分けのない子供のようだ。
耳を劈く絶叫がいつまでも周囲に轟いた。
﹁⋮⋮やっと静かになったか﹂
先程まで暴れ狂っていた巨人は今や大地に突っ伏し、動かなくな
っていた。強靭な生命力を有し、痛みに鈍いとされる魔物ではある
が眼球を深く貫かれては、無事では済まなかったようだ。
剣を通さぬ丈夫な皮膚を持つとされる巨人ではあるが、彼らとて
弱点が無いわけでもない。
1088
1つは、彼らの特徴でもある眼である。
彼らは遠くまで見通すことができる発達した単眼を備えるが、そ
こは痛みに鈍いとは言えないようで、傷つけられればまさに激昂と
いうほどに暴れ狂う。
皮膚は丈夫でも、眼球までは丈夫ではないのだ。
だが彼らとて自分の弱点は熟知している。それ故に警戒しており、
生半可な攻撃では防がれてしまう。攻撃を確実に成功させなければ
相手を怒らせるだけで終わるという、最悪の事態に繋がりかねない。
そのためにアルドラの取った行動が、いかに危険なものか、難易
度の高い技だったかがわかるだろう。
通常の冒険者ならまず狙わない弱点なのだ。
ならば通常の冒険者は何処を狙うのかと問われれば、それは首で
ある。
体中の皮膚が分厚く丈夫で、頭部の骨は鉄のように硬いと言われ
る隙のない巨人の唯一の弱点だ。
首の皮だけは、他に比べれば幾分薄いらしく、狙うならここしか
無いらしい。無論背丈のある巨人の首を狙うのは難しいのは当然言
うまでもない。相手は動かないトレント種ではないのだ。
1089
それにしても、何か胸騒ぎがする。
エルフの男の直感は、女達のそれよりも優れているとは言いがた
い。
しかしながら戦場ではこと男たちの直感のほうが、優れているよ
うに感じることもある。
そういう自分の直感も、決して優れているとは言えない程度では
あるが、それでも長い人生経験から培われたものは、そう馬鹿にで
きないものであると自負していた。
彼がこのような感覚に陥るときは大概の場合、大物に出くわす前
兆なのである。
﹁⋮⋮日が落ちる前に、帰ったほうがいいやもしれんな﹂
アルドラは自分の剣を眺めながら、ぽつりと呟いた。
この細い剣幅では耐久性が足りないだろう。巨人の皮膚を力技で
切り裂くのは無理がある。無理をすれば折れる可能性が高い。
しかしながら手頃な値段で、それなりのものと言うと難しい。
﹁うーむ、1本ヴィムに頼んでおくんじゃったわい﹂
現役時代にアルドラの剣を用意していたのは、元鍛冶師でアルド
ラのパーティーメンバーでもあったドワーフのヴィムであった。
魔剣の類ではなかったが﹁丈夫な剣を打ってくれ﹂という彼の要
1090
望を聞き入れ、多くの大剣を用意してきたという。
そしてその腕はアルドラも認めるところなのだ。
だが忙しいこの時期に、鍛冶師としての職をとうに離れているで
あろう彼に無理な願いをするのは、流石に躊躇われた。
真面目で実直な彼のことだ、頼めば無理な話だとしても聞いてく
れた可能性は高いとは思うが。
1091
第93話 霊芝1
﹁片付いたようだな﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁大丈夫か?あまり奪い過ぎないように気をつけたつもりなんだが﹂
リザは自分の唇に触れ、一呼吸吐いて気を落ち着かせる。
﹁はい。大丈夫です﹂
広場の端に地響きのような咆哮と共に姿を現した巨人。
颯爽と走りこんだアルドラは、それをいとも容易く葬ってしまっ
たようだ。
距離の離れたここからでは、詳細は不明だが一瞬の出来事であっ
た。
﹁ジン様は大丈夫ですか?かなり魔力を消耗したように見えました
が﹂
確かに消耗したが、リザが分け与えてくれた魔力とマナポーショ
ンがあれば、いくらか回復できるだろう。
﹁森の中ならリザの促進も効果を発揮するだろう?少し移動してま
た魔力を分けてくれ﹂
1092
リザは小さく頷き。
﹁勿論です。私は貴方の妻ですからね。私の身も心も魔力も、全て
は貴方のものです﹂
そう言って微笑を浮かべる彼女は、とても色艶のある顔に見えた。
>>>>>
アルドラが戻り次第、移動を開始した。
結局のところ最初の︻探知︼では、目的の霊芝は発見できなかっ
た。やり方は間違っていないはずだ。ぶっつけ本番の初めての使い
方だが、使い慣れた︻探知︼スキルにはそれなりに自信があるのも
確かだった。
﹁もう少し西へ移動しよう。適当な所で探索を始める﹂
アルドラの話では、森から異様な気配が漂っているということだ。
特に夜は危険かもしれないということなので、時間を見てダメな
ら一旦引き上げることも考えよう。
リザを抱えて森を移動する。
1093
脚力強化の効果も効いているのか、移動速度は足場の悪い森とし
てもかなり速い。
﹁⋮⋮瘴気が出てきましたね﹂
リザが呟く。周囲に気をやると、確かに薄く靄がかかってきた気
がする。空気もより重くなってきたかもしれない。
﹁血の匂いじゃな﹂
どこからともなく漂う血の匂い。不穏な気配が徐々に現実になっ
ていくような感覚を覚える。
だが焦りはより危険を生むだろう。まぁ何か危険があれば、エル
フの直感が2人とS級の探知がここにいるのだ。隙はないと思いた
い。
﹁人がいるな﹂
﹁うむ﹂
︻探知︼スキルが人と覚しき魔力の反応を拾った。少し距離はある
が、一応確認するか⋮⋮
>>>>>
1094
﹁なんだお前らも稼ぎに来たのか?俺たち以外にも命知らずがいる
とはな﹂
3人組の人族だった。三人ともまだ若く皆17∼8歳。戦士、斥
候、魔術師という冒険者としては標準的なパーティー構成である。
レベルは20代半ばあたり。アルドラによれば、この若さで既に
このレベルに達しているのは優秀といえるらしい。レベルというの
は数が若いほど上がりやすいのだという。
更に言えばレベルを上げるのに適した年代というのもあるらしく、
それが十代前半から20代前半あたりらしい。俗に黄金期と呼ばれ
ているそうだ。
﹁どこの採取場も空いてるからな。普段は何時行っても人のいる薬
草の群生地も、1人もいなくて稼ぎ放題だったぜ﹂
彼らは思い通りの採取が出来て上機嫌のようであった。
﹁少し前に大型のサイクロプスを見かけたぞ。危険じゃないのか?﹂
俺は遠回しに帰ったほうがいいのではと提案してみた。アルドラ
いわく彼らが巨人と交戦するようになったら、まず死者が出るだろ
うと。最悪全滅もあり得るという話だ。
彼らとは特別知り合いというわけでもないが、ゼストは優秀な若
い冒険者を欲しがってる様子であるし、自分としても気付いていな
がら無下にするのも憚られる。
﹁なに?何処で見たんだ?﹂
1095
彼らは所持していた獣皮紙の地図を地面に広げた。
﹁⋮⋮このあたりだな。1匹で4メートル以上。5メートルはなか
ったと思う﹂
その言葉に若い冒険者たちが驚愕の声を上げる。
﹁4メートル以上?﹂
﹁本当かよ!?﹂
﹁でかいな。よくあんたら逃げ切れたな?そのサイズじゃ、たぶん
大人の巨人だろう﹂ 一瞬事を告げるか悩んだが、特別情報を隠す必要性を思い浮かば
なかったので、アルドラが退治した事を告げると︱︱
﹁退治した?﹂
﹁⋮⋮本当かよ﹂
﹁凄えな。それが本当なら、アンタは少なく見積もってもB級以上
の実力があるって事か﹂
当初、彼らの視線には疑いの色も混じってはいたものの、アルド
ラの放つ雰囲気を感じ取ったのだろう。どうやら俺の言葉に嘘はな
いと判断したようだ。
1096
﹁情報ありがとう。助かった﹂
俺は若い冒険者たちと握手を交わす。アルドラは軽く手を上げて
別れの意を示す。リザは深くお辞儀をした。
﹁いや助かったのはこちらの方だ。もう少し採取に深く潜ろうかと
検討していたのだが、流石に引き上げることにするよ﹂
﹁アンタらも気をつけろよ!﹂
﹁言っておくが、あるかどうかはわからんぞ﹂
俺からは巨人の情報を。彼らからは霊芝の情報を教えてもらった。
なんでも去年数回に渡って採取されている場所らしい。今あるかど
うかは不明だが、情報がない現在の状況では少しの情報も有難い。
>>>>>
若い冒険者達と別れ、俺達は更に西へと足を伸ばした。
周囲の植生が徐々に変化していき、より背は高く幹は太く丈夫な
ものに変わっていく。
歩みを進めるにつれ、その瘴気の濃度は上がっていくような気が
1097
した。
﹁ジン様気分はどうですか?もし体に異変を感じたらすぐに飲んで
下さいね﹂
リザから渡された魔法薬、キュアポーションの改良版、名前をつ
けるなら中和ポーションだろうか。
高濃度の瘴気にあてられ、気分を害した際に飲むと過剰に摂取し
た魔素を分解してくれるらしい。
とはいっても高濃度の魔素を長時間浴び続けるなどしなければ、
それほど気にしなくても大丈夫のようだ。
そういったことに気をつけるのは、迷宮の地下深く高濃度の瘴気
に汚染された階を踏破しようと挑戦する冒険者や、大森林の奥地の
遺跡を調査しようとする調査団など、限定された者たちだろう。
リザが渡してくれた魔法薬も、万が一を考えての備えということ
だ。
﹁わかった。ありがとう﹂
リザやアルドラは問題ないのか尋ねると︱︱
﹁大丈夫だと思います﹂
﹁わしは勿論のこと、リザもエルフの血を引いておる。少々のこと
では影響はないじゃろう﹂
1098
人族のそれより適正が高いのだろう。心配する必要は無さそうだ。
1099
第94話 霊芝2
﹁ここが彼らが言っていた場所か﹂
たどり着いた場所は奇妙な場所であった。
森を覆っている背の高い木々がある場所から途切れ、その広場が
顕になった。
腰ほどまで伸びた草が地面を覆っている。空が広く見える開けた
場所。木は幾つかある程度で、代わりにあるのは岩だった。
壁の様に巨大な岩石が周囲に幾つも存在している。大森林には何
度も立ち入っているが、このような情景は初めてだ。
よく見ると、それは岩の板のようだった。
厚み1メートル弱はあるだろうか。高さ幅は大きい物だと5メー
トル以上はある。それがいくつも衝立のように立ち並んでいる。
だが人の街にある城壁というようなものでもない。ただ無造作に
地面に立ててある。または積み重ねて置いてあったり、適当に存在
しているといった感じだ。
大きさも様々である。大きな壁のような物もあれば、柱のような
形状の物もある。ただ古代遺跡の石の柱といったような立派なもの
ではなく、悪く言えば不細工、良く言えば荒削りといったような感
じだ。
1100
巨大な岩を乱暴に削りだして、それっぽい形にした。という雰囲
気に感じる。
また、ある場所では無数の岩板が広く互いに積み重なり、巨大な
岩山を作り出していた。賽の河原の積石の塔の様に、高くそびえ立
つものまである。
そのどれもが圧倒的に巨大で、人ではない何かが作り上げた造形
に間違いないと悟らせるものがあった。
一体、なんだろうこの場所は⋮⋮
﹁⋮⋮不思議な場所ですね。私も初めて来ました﹂
積石で作られた塔は数を数えきれないほど無数にあった。
俺たちはその中を縫うように進んだ。
﹁わしも初めてだな。この森にこのような場所があったとは知らな
んだ﹂
明らかに自然の造形ではない。
これも遺跡の1つなのだろうか。
巨大な岩の壁が乱立しているせいもあって、見通しは悪い。
︻探知︼は展開してあるし直感を持つアルドラもいるので、奇襲を
1101
掛けられる危険性は少ないとは思う。
だが、それを掻い潜る魔物の存在もあるため、魔眼にて注意深く
周囲を警戒しておく。
﹁ただの岩ではないようじゃな﹂
アルドラが岩に触れながら呟いた。
俺の魔眼を通しても、岩としか表示されない。
触った感じや︻探知︼を持ってしても、特別な違和感は感じなか
った。
﹁何か危険があるのか?﹂
俺が僅かに身構えると、アルドラは軽く首を振った。
﹁いや、そういうわけではない。どうやら魔力で作られた物じゃろ
うな﹂
ベイルの城壁もそうらしいが、土魔術にはそういった創造魔術が
あるらしい。
まったくの無から生み出すというよりは、触媒を用いて行使する
タイプの魔術のようだ。
土を素材に石のブロックを作るといった様なものらしい。
作られた物質には特有の魔力が含まれるので、わかる者にはわか
1102
るのだという。
何者かが作り、ここに残した物なのは間違いないようだ。
>>>>>
巨岩がひしめく場所を抜け、積石の塔が羅列した場所を進み、石
畳のように積み上がった石の道を進む。
石が積み重なった道は、ぐらぐら揺れて不安定だ。
先へと進むと、積石の塔が円状に配置された広場にたどり着いた。
中央部にはビルのように巨大な積石の塔が存在している。
1つ1つは同じ形状とは言えない石の板を、段違いに上手く組み
合わせて巨大な塔を作り上げているのだ。
石の隙間から僅かな植物が顔を覗かせる。
周囲に魔物は疎か、生物の気配は感じない。
この周辺に限っては、瘴気の存在もないようだ。
﹁⋮⋮あの上からやってみるか﹂
1103
石の塔は垂直に立っているわけではない。土台の部分は広く、上
に行くほど狭く細くなっていっている。おおまかに言えば円錐形と
いっていいだろう。
リザに︻浮遊︼︻脚力強化︼を付与してもらい、石の塔を登る。
︻浮遊︼を掛けると風の力により、体が浮き上がる。魔力を調節し
て付与する効果を微弱にすれば、ロッククライミングのような山登
りにおいて、かなりの手助けになるだろう。
しかし普通に地面を走る場合には、地を蹴る力が上手く使えなく
なるため、逆に走りづらくなったりするようだ。 ただ石を組み合わせて積み上げた塔の割には、存外しっかりした
作りのようだ。
緻密に計算されて作られているのだろう。かなり高度な技術のよ
うな気もするが、地下遺跡と比べるともっと古い原始的な時代の技
術のような気もする。まぁ、俺には何一つわからないのだが。
﹁この高さからだと、随分先まで見渡せますね﹂
はるか遠くには砦の存在も確認できる。
俺1人で塔に登り︻探知︼を行おうと考えていたのだが、結局2
人とも登ってきた。
1104
一瞬危険だと思ったが、こういう時は一緒に行動したほうがいい
のかもしれない。
頂上となる部分は、広さ6帖ほどのスペースしかない。
そっと下を覗き込むと、けっこうな高さがある。我ながらよく登
れたな。魔術の補助があると楽に行けるため、気軽に来てしまった
が上から見ると、ちょっと怖い。
ビルの5階くらいはあるだろうか。少なくとも4階くらいの高さ
はありそうだ。
高いところから周囲を見渡すと、かなりの部分で瘴気が発生して
いるのがわかった。特定の場所からというより、散発的に広範囲に
この事象が起きている感じだ。
濃い霧のようなものが森の木々を覆っている。あれが高濃度の瘴
気というやつなのだろう。
頬に強く風を感じる。
西の空を見ると、分厚い雲が流れてくるのがわかった。
﹁よし、始めるぞ﹂
高いところから︻探知︼を使えば、遠くまで射程を伸ばせるのか
と問われれば、そんなことはないと答えるだろう。
1105
登ってきた理由は単純に周囲を見渡せるからだ。あとは見えざる
敵を発見しやすいだろうという考えもある。
再び魔力を注ぎこみ︻探知︼を展開して行く。
アルドラは周囲を警戒し、リザは俺をそっと支え見守っていた。
意識を︻探知︼に、霊芝の発見のみに集中させる。
通常であれば︻探知︼︵嗅覚 魔力 地形︶という複合したスキ
ルとなると、それを使用するとなれば全部が一纏めになって行使さ
れる。
嗅覚、魔力、地形を同時に︻探知︼するということだ。
しかし魔力の操作に慣れれば、意識することで能力をカットする
こともできるようだ。
俺であれば、魔力と地形の︻探知︼をあえてカットして使用しな
いようにするといった具合だ。
それによって嗅覚をより鮮明に意識することができる。と考えて
いる。あくまで俺の感覚ではあるが。
皆に聞いた所、そのようなやり方は聞いたことがないというので、
もしかしたら俺の思う効果はないのかもしれない。
しかし余分なスキルをカットすることで、無駄な魔力の消費は抑
えられるので、まったくの無意味という訳でもないと思っている。
1106
︻探知︼の感覚が徐々に広がっていく。
しかし霊芝の発見には至らなかった。
もしかしたらやり方が間違っているのだろうか。俺はその身に備
わった雷精霊の腕輪を撫でる。
﹁⋮⋮普段大して役に立たないんだからよ。こんな時くらい力貸し
てくれ﹂
精霊は気に入った者に加護を与えるらしい。
そしてこの世界のあらゆる場所、何処にでも存在している。
精霊使いとは精霊とコンタクトをとれる者。
アイツはより強い恩恵を受けられると言っていたが、俺はまだそ
れを感じたことはない。
﹁雷精霊よ俺を気に入ってくれているなら、俺の声が届いているな
ら、頼むその力を貸してくれ︱︱﹂
︻探知︼にて広がっていく感覚が、一段階鋭くなったような気がし
た。
体の中でザワリと何かが波立つ。
1107
波が︻探知︼の後を追うように広がっていく。
鏡面の水面に波紋が立つように、それは静かに素早く確実に浸透
していった。
﹁⋮⋮あったぞ!!﹂
いや、実際に目で見て手にとって、リザに確認して貰わなければ
行けないのだろうが、あまりの興奮に思わず声が出てしまった。
腕輪から魔力のような反応を感じる。
俺の願いを汲みとってくれた、ということなのだろうか?
﹁やりましたねジン様!﹂
わぁと花開くような笑顔でリザが喜んでくれる。
﹁あぁ!﹂
アルドラの反応が見えなかったので、視線をやると彼は険しい表
情で叫んだ。
﹁伏せろッ!﹂
その言葉に俺とリザは咄嗟に身を屈めた。
1108
直後、俺達の頭上を岩が勢いを付けて通りぬけ、そして明後日の
方向へと音を立てて転がり落ちていった。
﹁⋮⋮なに?﹂
︻探知︼が岩を投擲した犯人を補足する。
それは俺達が登ってきた塔を包囲するように布陣する、6体のサ
イクロプスだった。 1109
第95話 サイクロプス・ベイビーズ1
﹁⋮⋮どこから?﹂
まるで降って湧いたように突然魔物が姿を現した。いや確かに魔
眼で睨みを効かせていた訳ではないが︻探知︼に引っかからなかっ
たのか。
ギルドの講習で聞いた話ではサイクロプスは純粋なパワータイプ
の魔物だったははず。
とにかく捕まるな!というのがギルドで何度も聞いた注意事項だ
った。
﹁グギャギャギャギャッ﹂
下方から不快な声が聴こえる。鳴き声なのか、もしかしたら彼ら
の笑い声かも知れない。
獲物を囲い込み、絶対的な優位を得た狩人といった具合か。
﹁隠密系の能力じゃろう。少なくとも、あのサイクロプス共のもの
ではないな。そういった感じはしないからの。おそらく他に他者に
隠密能力を付与できる存在がいるはずじゃ﹂
斥候や盗賊が得ることのある、隠密というスキルには体から漏れ
1110
出る魔力を遮断し︻探知︼に引っかからないようにする能力がある
という。
更には気配を消し、音や匂いといった様々な要素を誤魔化して、
知覚されにくくするスキルらしい。
物理的に姿を隠す闇魔術︻隠蔽︼との組み合わせは凶悪と言える。
魔物はいますぐ襲ってくる訳でもないようだ。
だが何時どういう動きをするかは予測できない。
﹁ジン、ここはわしがなんとかする。お主はリザと共に、霊芝を回
収して街に戻れ﹂
そういうとアルドラは︻収納︼から剣を取り出し肩に担いだ。
﹁魔力を失っているのだろう?回復してから行け。リザを守れよ﹂
﹁わかってる﹂
﹁さてお前たちはわしが遊んでやろう﹂
アルドラの獰猛な笑みが、眼下にある魔物を見据えた。
>>>>>
1111
※アルドラ視点
ジンはリザから︻魔力吸収︼を使って魔力を回復させた。
直接そういう手段があると聞いたわけではないが、何となくはわ
かっていた。ジンの所有する能力は把握している。おそらく眷属の
効果だろう。直接教えられなくとも察しがつくといった感覚だ。
リザは立ち去る前にジンとわしに︻脚力強化︼を付与した。
﹁お願いします。アルドラ様﹂
﹁うむ﹂
掛け続けなければ、おそらく効果は数分程度だろうが十分だろう。
︻隠蔽︼で身を隠し︻疾走︼で駆け抜ける彼らの背中を見送った。
﹁アルドラ頼んだ﹂
﹁ああ、お主もな﹂
別れる前にジンの所持していた魔石を貰い受ける。
魔石はいくらあってもいいからな。
適当な石を投げつけ、巨人の注意を逸らす。彼らはその隙を突い
1112
て駆け抜けて行った。奴らの動きはそれほど素早いものではない。
その間合いに入れば危険ではあるが、あれほどの速度で動く小さな
目標を、上手く捉えることは難しいだろう。
奴らは遠くまで見通せる単眼を持つが、近くのもの、特に距離感
はそれほど正確ではない。おそらく単眼ゆえの弊害だろう。無論生
まれながらにしての単眼であるため、2つの目を持つ人が急に単眼
になったのとは意味が違う。それほど大きな違和感では無いはずだ
ろうが。
でなければ森の怪物として、これほど名を馳せてはいない。
はるか昔、いつのことだったかも思い出せない程の過去に聞いた
話を思い出した。
どこかで出会った獣人族の老人。
とある獣人族に伝わる古い伝承。
あらゆる生命には魂と呼ばれる格が存在する。
格とは、そのモノの本質。それをそれと形作る何か。
そしてそれは魔素とも魔力とも言えない、不思議な力で形作られ
ているという。
強い未練を残して死ぬと、人は魂が分解されず、世に留まる。
1113
そうして彼らは霊と呼ばれる存在になるのだという。
精霊のように存在するが、存在しない存在。
しかしそれが何かのきっかけに、仮初の肉体を持つことがある。
精霊のようで精霊でない。
人のようで人でない。
霊でも肉の体でもない。何でもない存在。
彼らは幻魔と呼ばれた。 石積みの塔より駆け下りる。
バッタのように跳躍し、瞬く間に巨人たちの足元へとたどり着い
た。
ジンによれば、小奴らのレベルは22∼24ほどだという。
背丈から推測してもサイクロプスの中でも子供と言われる程度の
成熟度だ。
アルドラはリュカの言葉を思い出していた。
昔話をするために森へと連れだされた日のことだ。
1114
﹁貴方は何故ここにいる?既に死んだ身でありながら、何故この世
に執着する?何が貴方を苦しめている?﹂
痛みも感じず、呼吸すら必要ない。切られても血も出ないし、頭
を吹き飛ばされても魔力さえあるなら、即座に復活するだろう。
夜寝ることもなく、味覚も殆ど無い︵嘗ての記憶により雰囲気を
感じているだけ︶
これが生きていると言えるのだろうか?言えないだろう。
話を聞いてリュカはアルドラがこの世という牢獄に囚われた、哀
れな亡者のように思えてきたという。
その表情を見れば、悲しみ、哀れみ、その反面に再び出会えたこ
とへの喜びが入り混じっているように思えた。
﹁そう悪いものでもないぞ?皆の顔を見られるのは素直に嬉しい。
わしにもどうしてこうなったかは皆目見当も付かんが、何か意味は
あるような気はしておる。まぁ神の気まぐれかもしれんがな﹂
神なんているかどうかわからないものは、エルフも獣人も信じて
はいない。
弱々しい人族の老人たちが、心の支えにしている妄執だ。
もしくは純情な人々から金を巻き上げる手段か。まぁそれはどう
でもいい。
1115
﹁まぁわしにもこうして知らんことがあるのだ。人族が信じる神だ
って、わしらが知らんだけで存在してるやもしれんじゃろ?わしも
随分世界を回った気でおったが、まだまだ知らんことは多いのう﹂
そういってジンの顔を思い出した。
きっと自分がこうしているのは⋮⋮いや間違いなく奴の影響、奴
の力だろう。
﹁リュカ。何かお主は勘違いしておるようじゃが、わしは苦しんで
も悲しんでもおらんぞ。むしろわくわくしておる。初めて村を出て
冒険の旅に出たあの日のようにな﹂ 1116
第96話 サイクロプス・ベイビーズ2︵前書き︶
※アルドラ視点
1117
第96話 サイクロプス・ベイビーズ2
軽自動車ほどもある巨岩が飛来する。
アルドラはそれを紙一重で避けていく。
6体の巨人はそれぞれの手に岩を持ち、力任せの投擲を繰り返し
ていた。
﹁シネッ!﹂
﹁タスケテッ!﹂
﹁イいッ⋮⋮タイヨオオオオ!!﹂
﹁アメデーーーッ﹂
彼らが叫ぶ言葉には意味が感じられない。知っている人の言葉を
叫んでいる。そんな感じがした。
﹁もしかして、お前らが殺してきた人間たちの断末魔の叫びか?﹂
巨人のギョロリとした単眼が、憎々しくこちらを見据えている。
1118
素早く捕まえていじめ殺そうと思っていたのに、思ったように捕
まえられないので苛立ってきたのだろう。
奴らは6体でいるものの、人とは違って連携という言葉を知らな
いのだ。
それもそうだろう。サイクロプスというのは本来単独で行動する
魔物だ。集団でいることは滅多にない。つまりこのような事態は例
外といえる。
その例外を引き起こす要因は、強力なリーダーの存在だ。
サイクロプスというのは強さが全てという種。
繁殖の際も、雌を力尽くで組み伏せて行為を行う。
弱い雄は行為も出来ずに、逆に反撃にあい殺されて終わる。
圧倒的に強い者は、自由に繁殖でき、弱い者共を手下にできる。
それがサイクロプスという魔物だ。
だが通常群れでない奴らが付き従うのだ。まさに圧倒的、絶対に
逆らえないという隔絶した差がなければ、そういった現象は発生し
ない。
つまりは近くにそういった存在がいることの証明であるといえる。
﹁⋮⋮ジン油断するなよ﹂
1119
今は離れた場所にいる若く未熟な主に、激励の念を送るのだった。
攻撃を掻い潜り、1体のサイクロプスの眼前に迫る。
あまりの気迫に、弱点の1つである眼球を抉られると咄嗟に感じ
たのだろう。サイクロプスはその丸太の様に太い腕を、顔の前で交
差させて防御の姿勢をとった。
﹁⋮⋮愚かじゃのう﹂
アルドラは悠々と隙だらけの喉笛に剣を突き立てた。
稲妻のように鋭い突きであった。
目の前に敵が迫っているのに目を隠してどうする。とアルドラは
呆れたように溜め息を吐いた。
﹁グオオオオオオオォォォォォーーーーーーーーーッ!!﹂
絶叫。いや咆哮か。仲間を殺されたことへの怒りだろうか。小奴
らに仲間意識といったものが、存在しているのかは疑問が残る所で
はあるが。
だが1体が死んだことにより、雰囲気は変わったように思えた。
遊びは終わりということか。
1120
﹁これからが本当の殺し合いという訳じゃな﹂
岩を投げ捨て、油断のない睨みを効かせ、片手を地面に片手を空
へと掲げる。何時でも飛びかかれるといった姿勢のままに、にじり
寄る様に5体は包囲を狭めてくる。
魔物の強さというのは、種族によって様々である。
例えばドラゴン、兎、ゴブリン、イモムシが全てレベル1だとし
たら、それらは皆同じ強さなのだろうか?
レベル1のドラゴンとレベル1の兎は互角の死闘となるのだろう
か?
答えはNoだ。
強さは魔物によって違うのだ。
ドラゴンの強さと兎の強さは、同列ではない。
例えば兎という魔物はレベルが上がると、どういったふうに強く
なるのだろうか。
レベル1の兎は村人でも倒せるというのなら、レベル100の兎
は巨大なドラゴンも殺せるようになるのだろうか。
そうではないのだ。兎は兎なのだ。
1121
兎が成長し、魂の格が成熟する。つまりレベルが上がると、足が
早くなったり反応速度が上がったり、聴覚が発達する。兎としての
能力が向上していく。
だが爪が生えるわけでも、牙が生えるわでもない。二足歩行にも
ならないし、武器を使うようになったりもしない。
兎として強くなっていく。
無論特殊な進化をした場合はその限りではない。そうなれば、も
はやただの兎では無くなるだろう。
2体の巨人が左右から同時に攻めてくる。
連携している訳ではない。たまたま攻撃のタイミングがあっただ
けだろう。
巨人の怪力に一度捉えられれば、人の身に逃げ出せる術はない。
﹁そらどうした?わしを捕まえるのではなかったのか?﹂
︻回避︼スキルが効いているのか、エルフ特有の直感が効いている
のか。まるで後ろにも目が付いているかのように、アルドラは危な
げない動きで、その身に掠らせもしなかった。
攻撃を回避しつつ、隙を見て攻撃を加える。
やはり分厚い皮膚に阻まれて攻撃力を抑えられてしまう、致命傷
1122
になる一撃を入れるには相応に深く踏み込まなければいけないよう
だ。
奴らは痛覚が鈍く、皮膚を浅く切った程度では怯むどころか気づ
くこともない。
タイミングを見て上段から踏み込んだ渾身の斬撃を放てば、急所
となる首を狙わずとも深く肉を切り裂ける自信はある。
しかし剣のほうが持つかどうかはわからない。
それに腕を切り落とした程度では致命傷にはならない。
巨人の命を断つには、首を落とすか心臓を潰すか。
となると、やはり選択肢は首を狙うしかなくなるということだ。
それに上段からの一撃となれば、さすがのわしでも攻撃の直後は
隙が生じる。
その際に捉えられれば⋮⋮やはり確実に1体1体の首を狙うのが
定石なのだろう。
迫る巨人の隙を突いて、1体の単眼に浅く傷をつける。
﹁ウグアアアアアアアアアアアッッッ!!?﹂
巨人はもがき苦しみ、片手でその傷ついた目を庇いながら残った
腕を振り回し、暴れ狂った。
1123
思いがけずにその振り回した拳が、直ぐ側に居たもう1体の側頭
部に直撃する。
﹁ギイイイイイイイイアアアアア!!﹂
殴られて怒り狂った巨人は、怒りに任せた反撃を行う。
そして巨人同士の取っ組み合いの喧嘩が始まった。
互いを殴り、噛みつき、蹴飛ばし、組み伏せ、暴れまわった。
近くにあった小型の石積みの塔が、音を立てて崩れる。
他の巨人も巻き添えを食わないように、僅かに怯み後ずさった。
アルドラはそれを見逃さず、素早く動いて意識を喧嘩に集中させ
ている巨人の首を落とした。
まともに動いているのは後2体。
﹁さて息子たちが心配だ。そろそろ終わりにしようかの?﹂
獰猛な笑みを浮かべる小さな怪物に、森の怪物は初めて恐怖を感
じたのだった。
1124
第97話 見えざる怪物1
﹁あの2体の間を抜けよう。いいか?﹂
リザに確認すると、僅かに頷いて肯定の意を示した。
﹁はい。お願いします﹂
︻探知︼スキルで地形を調べ、足場の良いそれでいて巨人の間合い
に入らない安全なルートを駆け抜ける。
しかし万が一足を滑らせたり、体勢を崩して足が止まれば捕まる
可能性もある。
巨人の怪力に捕まれば、逃げる術はない。
﹁大丈夫。ジン様行きましょう﹂
俺の不安を感じ取ったのか、リザが笑顔を向けて勇気づけてくれ
る。
﹁⋮⋮そうだな。行こう﹂
何事もダメな方向に考えていたら、上手く行く事も行かなくなる
様な気がする。
しかし彼女が側にいてくれたら、どんなことでも上手く行きそう
な気がするのだ。
1125
まぁ、あれだな。美人に煽てられたら、どんな男でも木に登って
しまうと。
リザはのせるのが上手いのかもしれない。もしくは俺が煽てられ
るのに弱いのか。
だぶん後者だろうな。
そんな考えから思わず苦笑を漏らすと、リザは俺の顔を不思議そ
うに覗き込むのであった。
>>>>>
それぞれの身に︻隠蔽︼を付与し、リザを抱きかかえ︻脚力強化︼
によって強化された脚と︻疾走︼で森を駆け抜けた。
巨人の包囲は問題なく走り抜けることに成功した。リザの話では
数十メートルほど2体の巨人が後を追ってきたそうだが、すぐに諦
めて引き返したようだ。
姿は見えていないはずだが、直ぐ脇を通り抜けたために足音は聞
こえたのかもしれない。
﹁アルドラ様は大丈夫でしょうか﹂
1126
後方に視線を送るリザに、俺は軽い返事をした。
﹁あの人がやられる姿なんて、想像できないな﹂
そういうとリザは小さく笑って﹁そうですね﹂と肯定したのだっ
た。
アルドラなら心配ないだろう。彼の体は魔力で作られた不死の肉
体だ。滅んだとしても、俺の手元に幻魔石として戻るだけである。
それに彼なら、あっという間に6体の巨人を片付けて後を追って
くるような気がする。
地形的に目的の場所まで直線では進めない。
だが目視で位置は確認している。リザも正確に位置を把握してい
るようなので問題無いだろう。
俺の広範囲探知は魔力の消耗もさることながら、かなりの集中力
を必要とするため移動しながらは使えない。
いずれは移動しながらも使えるように、訓練と改良を重ねていこ
うと思う。
﹁ジン様もうすぐです﹂
﹁わかった﹂
1127
魔物といえば先ほどの巨人くらいで、今日は本当に魔物と出会わ
ない日だ。いつもは森の彼方此方に彷徨いているゴブリンの姿も見
えない。
ザッハカーク大森林はこの大陸にあって魔物の豊富な森と言われ
る有名な場所らしいが、やはりこれも異常事態の影響なのだろうか。
程なくして目的の場所に辿り着く。
︻探知︼嗅覚による反応も感じるため間違いはないようだ。
この辺りは生えている木々の種類が違うようだ。曲がりくねった
赤茶けた樹皮の、背が高く幹の太い木がそこら中に繁栄している。
しかし俺には件の霊芝が見つけられなかった。
ここにあるということは間違いないようだが、見当たらないのだ。
匂いはこのあたり一帯に充満している。俺の感覚ではその根源の発
見までには至らなかった。
﹁ジン様﹂
リザに呼びかけられ彼女の元へ歩み寄る。
﹁見てください。これです﹂
リザは樹皮のある一部分を指し示す。そしてそこへ手にした採取
用ナイフの先を差し込んだ。
1128
端からゆっくりと力を入れて、それを引き剥がすことに成功する。
﹁おぉ⋮⋮﹂
なんとなくイメージから、木に椎茸みたいなキノコが生えている
のではと予想していたのだが違ったようだ。
まるでスライムが木に取り付いてるかのごとく、樹皮にぴったり
と張り付いている。よく見れば樹皮の一部が不自然に、僅かに盛り
上がっていた。
採取されたそれを触れてみると硬い。表面は樹皮のように擬態さ
れているようで、素人では見分けは付かない。スキルや魔術で擬態
している訳ではないようだ。
霊芝 素材 C級
俺たちは手分けして採取を開始した。
リザは採取スキルの力からか、素材を傷つけることもなく綺麗に
引き剥がしていく。俺はというと、途中で砕けたりする場面が多か
った。たぶんスキルがないせいなのだ。俺が不器用ということでは
ないはずだ。
﹁砕けても大丈夫ですよ。売り物にするなら綺麗に採取しなけれな
高値が付かないそうですが、自分で消費するには関係ありませんか
ら﹂
1129
後で乾燥させて粉末にするので砕けてもいいらしい。
もしかしたらリザに採取させたほうが生産職のレベルを上げるこ
とに繋がるのかもしれないが、今は時間的にも状況的にも余裕はな
いので俺も手伝うことにしている。
手に入った素材をリザが持つ冒険者の鞄に収めていく。
﹁どんな木にも生えると聞きましたが、もしかしたらこの木に生え
やすいのかもしれませんね﹂
霊芝の生えていた木は同じ種類のようだし、おそらくそうなのだ
ろう。
少しでも入手できればと考えていたのだが、思いがけず大量に手
に入った。
霊芝×17
これだけあればもう素材の心配はしなくていいそうだ。
﹁よし、では街に帰ろう。雲行きも怪しいし、雨が振るかもしれな
い﹂
日が落ちるまでには、まだ時間に余裕があるだろうが、いつの間
にか空には厚い雲が蔓延っている。
空気も重い気がするので、瘴気の濃度も上がっているのかもしれ
ない。
1130
﹁雨ですか?﹂
リザは空を見上げる。
確かに雲は厚く日が落ちるには早い時間だが、周囲は薄暗い。
だが今時期の、夏季の王国周辺地域では雨は滅多に降らないらし
い。
雨は冬季に降るものだと、このあたりの住人は認識しているよう
だ。勿論絶対に降らない訳ではないが、降っても小雨程度の誰も気
にしない程度のものだという。
だがそう言っている間に、空からポツポツと雫が落ちてきた。
この季節には珍しい雨だった。
俺の側で空を見上げるリザ。そしてその背後、遥か後方に違和感
を感じた。
森の木々の間。隠れるように、生い茂る木々の影に溶け込むよう
に、それはいた。
﹁サイクロプスだ﹂
その呟きにビクリと身を怯ませ、俺の視線の先へと目を向ける。
﹁探知には反応がない。あの沼にいたような。隠れるのが上手いタ
イプの奴だ﹂
1131
あのときのシャドウも希少種だという話だ。冒険者ギルドでもア
レの存在を知るものは居なかった。かなりのレアモンスターらしい。
サイクロプスの希少種。嫌な予感しかしない。たぶん厄介な奴に
違いない。そうでなくとも巨人だ。この森で最強の魔物である。
俺はそっとリザを抱き寄せる。
﹁⋮⋮ジン様﹂
リザの表情に不安の色が見えた。
﹁逃げよう﹂
俺は彼女を抱きかかえると同時に︻疾走︼︻隠蔽︼を発動させ、
脇目もふらずにその場を走り去った。 1132
第98話 見えざる怪物2
雨が次第に強くなる中、俺は後ろを振り返らずに走った。
魔力に余裕はないが、立ち止まって回復させている時間はない。
﹁ジン様、何かが来ますっ﹂
抱きかかえたリザが声を荒げる。
雨粒が外套を濡らし、頬に雫が流れ落ちる。
背後に迫る何かを感じた。
いる。確実に追ってきている。︻探知︼には反応がないが、何か
を感じる。
︻鋭敏︼になった俺の感覚が、魔物の接近を感じているのだろうか。
だが︻疾走︼の速度について来られる魔物は今まで見たことがな
い。得体のしれない魔物に俺は恐怖を感じた。
﹁はぁはぁはぁ⋮⋮﹂
︻疾走︼を使いすぎた。魔力を消費し過ぎている。休息したいとこ
ろだが、そんな時間はないだろう。
1133
速度が目に見えて落ちる。リザが不安な表情を見せた。泣き言を
言っている場合ではない。彼女を守ると決意したのは自分だろうと、
自らに激を送る。
走りながらマナポーションを口に含む。緩やかに回復していく魔
力がもどかしい。
﹁ジン様、止まって下さい。少しでも回復させましょう﹂
俺に抱きかかえられながら、後方に視線を送る。
後を追ってくる感覚はあるが︻疾走︼で引き離しているはずだ。
距離は稼げてると思う。何より今の状態では街まで魔力が持たない。
﹁悪い。そうだな、少し回復させよう。頼む﹂
一度立ち止まり、リザから魔力を分けて貰うことにする。
同時にスキルの設定も変更しておこう。
リザを抱き寄せ、唇を重ねる。
その直後︻警戒︼のスキルが不意の危険を知らせるのだった。
俺はリザの両肩を全力で突き飛ばした。
強い力に体重の軽いリザは、容易に押し飛ばされる。
1134
突然の蛮行によろめき、たたらを踏んだ。
まさか敬愛しているジンに突き飛ばされるなど、夢にも思わなか
ったのだろう。その出来事に一瞬理解が及ばなかったが、すぐに理
由を知ることになった。
﹁⋮⋮逃げろリザッ﹂
俺の腹から剣が生えていた。
背後から刺された剣が腹を突き抜け飛び出していたのだ。
︻探知︼の反応はなかった。敵はサイクロプスだけじゃなかったの
だ。
﹁⋮⋮いやあああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ
!!﹂
リザの悲痛な叫びが森に轟いた。
鎧通し 魔剣 C級 ︻貫通︼︻伸縮︼
腹から突き出た剣に視線を送ると、魔眼が情報を与えてくれた。
ずるりと剣が引き抜かれる。
1135
マズイなマナポーションを飲んだばかりだ。魔法薬は連続で使用
しても十分な効力を得られない。最低でも2時間は間隔を空けるべ
きだという。効果が強い薬である弊害なのだろう。
俺は思わず膝から崩れ落ちる。
滅茶苦茶痛い。1ミリでも動くと泣き叫びたくなるほど痛い。死
ぬほど痛い。というかマジでやばいやつだコレ。
ピクリとも動けないでいる俺に蹴りが飛んで来る。
﹁あだぁあッ⋮⋮ぐううううううッッ﹂
蹴り飛ばされ無様に地面を転がる。刺された箇所を手で強く抑え、
地面に横たわる。雨が容赦なく降り注ぎ、泥と雨水で体を汚してい
く。
﹁ジン様っ﹂
リザの泣きそうな声が聴こえる。
彼女は俺のもとに駆け寄り、覆いかぶさるように身を挺して庇っ
た。
腹の傷口が熱い。直接傷口を見たわけではないが、血が急速に失
われているのがわかった。
俺は地面に転がりつつ、襲撃者の姿を見つめる。
1136
酷く汚れたボロ布の様なフード付きのローブを深く被り、手には
直剣が握られていた。剣にしては刃が短い。3∼40センチくらい
だろうか。
下から覗き込んでいる形になったために、フードの奥に隠された
顔が見えた。魔眼で情報を得るには、顔や姿をある程度認識しなけ
ればいけないのだ。
ルークス 剣士Lv29 獣狼族 19歳 男性
スキルポイント 0/29
特性 夜目 食い溜め
剣術 C級
闘気 E級
隠密 D級
縮地 C級
なんだコイツ?
魔物だと思っていたけど獣人?どういうことだ?なんだ?
まったく理解が追いつかない。一体どういう状況なんだ?
混乱状態にある俺に冷徹な視線で見下ろす襲撃者。
﹁⋮⋮人族は殺すッ!絶対に殺すっ!俺から大切なものを奪ったク
ズどもめッ!絶対に許さん!必ず⋮⋮必ず皆殺しにしてやる⋮⋮﹂
1137
憎しみの炎に燃えるその目は俺を見ているようで、どうにも違う
ようにも思えた。
怒りと憎しみを込めた呪詛の言葉を吐きつづける獣狼族の青年。
もはやその視線は俺から外れ。どこでもない虚空を見つめている
ようであった。
﹁ルシーナごめんな⋮⋮兄ちゃん守ってやれなくて⋮⋮大丈夫⋮⋮
お前の敵は絶対に俺が討ってやるからな⋮⋮﹂
情緒不安定なのか、一人小さく何かの懺悔を呟いているようだ。
声が小さくて全部は聞き取れない。だが完全にこちらから意識を外
しているようなので、今がチャンスかも知れない。
コイツは敵だ。遠慮をしてたらリザが危険だ。
俺は隙を見計らい︻恐怖︼を放った。
その直後、青年の姿が消え去った。
だが気づいた時には既に転がる俺の側に現れており、側頭部を足
蹴にされ押さえつけられていた。
﹁⋮⋮おい。妙な真似はするな。その女も殺すぞ﹂
殺意だ。純然たる殺意。カミルのときには感じなかったそれを強
く感じる。殺意という魔力の波を、俺に向かって放ち続けているよ
うな感覚にさえ感じる。
1138
﹁やめてっ!!﹂
リザが強く抗議して、男の足にしがみつく。力づくで俺の頭から
男の足をどかそうとするが、リザの力ではそれは叶わなかった。
﹁⋮⋮もしかしてお前⋮⋮人族か?﹂
一瞬青年の殺意が膨れ上がったような気がした。
﹁⋮⋮おい、やめろ。その子はエルフだ﹂
俺の声は届いていないようで、まったく反応を示さない。
頭にかかる圧力が僅かに緩まる。
﹁リザ逃げろ!早く!﹂
怒りだ。こいつから感じるのは途方も無い怒りの感情だ。
﹁おい、何か勘違いしてないか?俺たちはルシーナなんて子は知ら
ないぞ!おいッ、話を聞けッ!﹂
まったく俺の声は届いている様子はなかった。
青年の手がリザの首に伸びる。そして片手で悠々と掴み上げた。
﹁お前も人族だな。なら同罪だ。俺の怒りを思い知るがいい﹂
﹁ううううっ⋮⋮﹂
1139
急に出てきて何なんだコイツは?滅茶苦茶だ!ともかくコイツを
止めないとリザが危険だ。
残り少ない魔力だが、後先考えている場合ではない。とにかくコ
イツを止めるのが最優先だ!
雨の中では雷魔術は流石にマズイだろう。 体の濡れたリザにもダメージが行く可能性がある。
俺は曲剣を抜き、痛みを堪えて斬りかかった。
﹁うおおおおおおおおーーーッ!!﹂
声を荒げて痛みを無理やり抑えこむ。
しかし切り込んだ矢先に、奴の姿は忽然と消えていた。
背後から気配がする。
︻縮地︼は初見だが、たぶん瞬間移動しているように見えるのはこ
のスキルだろう。なんか漫画とかで見たことあるし。
だがリザを連れて移動はできないのか、彼女はその場で崩れ落ち
ていた。俺は痛みを堪えてリザの元へ歩み寄る。
﹁⋮⋮うっ⋮⋮ゲホッ﹂
乱暴に首を締められ持ち上げられたが、なんとか大丈夫そうだ。
まず良かった。
1140
﹁人族は殺さないとダメなんだ⋮⋮皆殺しにしないと⋮⋮﹂
振り向くと雨の降る空を見上げて、1人何かを呟く青年の姿があ
った。
雨で︻雷撃︼は使えないし、傷の痛みが酷い。
︻闘気︼で回復させ︻剣術︼で行くか。
何か一人でブツクサ言ってるし、今のうちにスキルを変更してお
こう。
38のスキルポイントを振り分ける。
︻闘気︼E級
︻剣術︼S級
︻警戒︼D級
︻魔力操作︼F級
肉体を強化するタイプのスキルや魔術は、強すぎてもそのレベル
に相当する効力しか発揮されない。
そのため現状の適正値であるE級とした。
1141
あとは短期決戦を狙った︻剣術︼と︻縮地︼の奇襲を考えての︻
警戒︼である。
余ったポイントは︻魔力操作︼にしておいた。︻粘糸︼があるの
で無駄にはならないだろう。
︻闘気︼を発動させると、傷の痛みが和らいだような気がする。激
しく動くのはマズイ気もするが、そうも言ってられないので仕方が
ない。なんとか耐えよう。
取り敢えずコイツをリザから遠ざける。今の状況で彼女から離れ
るのは危険かもしれないが、周囲に通常の魔物の気配はなかった。
あのサイクロプスもいずれ追いつくだろう。それならば、はやくコ
イツをどうにかしなければより危険だ。
﹁おい、そんなに人を殺したいならついてこいよ。ルシーナの敵を
討ちたいのだろう?﹂
ルシーナが誰かなんて知らない。だがのんびり誤解を説いている
時間はない。悪いが俺はリザを守るためなら、躊躇はしないと決め
たのだ。 ﹁貴様ァァァァッッ!!﹂
獣狼族の青年を挑発し、彼女から少しでも遠ざけるように引き離
す。
長く離れているのも心配だ。悪いがさっさと終わらせるぞ。
1142
手に持つ曲剣を強く握り直した。
1143
第99話 見えざる怪物3
理不尽にもほどがある。言いがかりもいいとこだ。だが今はアレ
コレと問答をしている余裕はない。
何かの事情があって怒りに震え、そのまま頭がイカれてしまった
のかもしれないが、俺の最優先は家族の安全だ。
そのためには幾らでも残酷になると決意した。
﹁許さんッ!!﹂
怒りに燃える男の剣が鋭い突きとなって俺に襲いかかる。
魔剣 鎧通しは通常時はショートソードのように短い刃だが、魔
力を込めると自在に︻伸縮︼させる能力があるようだ。
自在とはいっても2.5倍、いや3倍弱ってところか。
剣の重心、バランスからいっても伸ばしたまま振るうのは難しい
のだとわかる。直剣ということもあって、突きが主体の武器らしい。
︻警戒︼と︻鋭敏︼の効果なのか、一瞬早く攻撃を察知し今のとこ
ろ回避は出来ている。︻闘気︼の身体強化も効いているのだろう。
傷は塞がったわけではないが痛みはある程度誤魔化せている。︻
闘気︼の回復効果だろう。どうにか動ける。
1144
もしかしたら︻活性︼の効果もあるのかもしれない。
﹁⋮⋮くぅッ﹂
雨粒が頬を濡らし魔剣が脇を掠める。なんとかギリギリに回避し
ているといった状況だ。
しかし︻貫通︼がやばい。ランクにもよるがゲーム的にいうと防
御無視といった能力だ。確実に俺の革鎧は貫ける。急所にはいれば
即死である。
いや︻貫通︼がなくとも守りの薄い頭部や首をやられたらアウト
だ。 ギリギリと歯を食いしばり襲いかかる獣人の青年。
見れば見るほど嫌々戦っているようにしか見えない。その顔には
怒り、憎しみ、悲しみ、苛立ちといった様々な感情が渦巻いている
ようであった。
フェンシングの突きのような攻撃が連続で繰り出される。
それを曲剣の腹で側面を打ち据えいなしながら、バックステップ
で距離を取る。
﹁ルシーナってのは恋人か?家族か?﹂
俺の言葉に男の動きが一瞬止まった。俺はそれを見逃さず肩口を
目掛け、縦に剣筋を走らせた。
1145
﹁ッ!﹂
だが手応えから傷は浅いことがわかる。もう一歩踏み込んだ攻撃
でなければ、相手を止めることはできないだろう。
青年は防具らしい防具は身に付けていない。
ミスリル合金製のムーンソードの切れ味を持ってすれば、人の肉
や骨など容易く切り落とす。
直剣の突きを躱し、払い、いなす。剣と剣が交差する。
明確な殺意を持った相手との初めての斬り合い。
腹の痛みは既に麻痺して、感じなくなっている。極度の緊張感が
集中力を増大させる。
意識が研ぎ澄まされ、感覚が鋭敏になっていくのを感じていた。
不意に男の姿が掻き消える。
その瞬間︻警戒︼が反応する。
背後から殺気を感じる。
俺は咄嗟に身をよじって回避するが、利き腕を直剣が掠めた。血
がだくだくと流れる。体内の熱とエネルギーが失われていった。
﹁ルシーナ⋮⋮﹂
1146
青年はその場に立ち止まり、僅かに顔を伏せ暗い顔を見せる。
次の瞬間、その場の空気が一変する。
どす黒いオーラがルークスに纏わり付くように立ち昇ったのだ。
﹁ああああああアアアアアアアアアーーーーーーーーーッッッ!!
!﹂
体の中に渦巻く何かを吐き出すように、青年は叫んだ。
ルークス 魔人Lv1
瞳が赤く染まる。濁ったような赤黒い瞳だ。
この世界で紅い瞳というのは、さほど珍しくはない。リュカやロ
ムも紅い瞳である。人族には殆どいないそうだが、獣人族などには
稀にいるようだ。
だがルビーのような輝きを持つ友人たちの瞳の色とは明らかに違
う。魔人のそれは赤黒く濁った、腐った血のような不吉な色合いを
していた。それはどうしてか不気味で気味の悪い印象であった。
﹁⋮⋮変化した?魔人化したのか?﹂
変化した。とはいっても見た目の変化は瞳の色だけだ。元の青っ
ぽい色合いから赤黒い色合いへ。
1147
俺には魔眼があるためにステータスが切り替わったという情報が
得られたが、それがなければ変化と言ってもその程度。いや雰囲気
は変わったか?
などと思案を巡らせていた直後︻縮地︼による奇襲を仕掛けられ
た。突然目の前に現れた魔人は、俺の喉元を狙って鋭い突きを放つ。
最大レベルの緊張状態にあった俺は︻警戒︼︻鋭敏︼もあってか
集中力が非常に高まっている。
攻撃を身を引いて躱すのではなく、一歩踏み込んで躱しそこへ反
撃と斬撃を放つ。
︻剣術︼スキルが効いているのか、思った通りに剣が動く。まるで
長年付き合ってきた自身の腕の延長といったように、自在に扱える
感覚があった。
踏み込んだ攻撃は確実に相手を捉えたと思ったのだが躱された。
︻縮地︼か。まるで瞬間移動のように、気付いた時には視界から消
え、別の場所に現れる。
﹁はははははッッ!!﹂
ルークスの表情が嬉々としたものに変化している。
怒りや憎しみ、焦燥といった感情はなくなり、戦いを楽しんでい
る狂人の顔つきだった。
︻縮地︼を頻繁に繰り返し、攻撃が激しくなる。俺の体を幾度と無
1148
く刃が掠める。反撃はするものの致命傷には至らない攻撃。だがこ
のままではジリ貧だ。おそらく俺のほうが、体力も魔力も保たない
だろう。
アルドラはまだ来る気配はない。おそらくまだ戦闘中なのだろう。
かなり状況は良くない。1秒でもコイツをどうにかしなければい
けないのに、体中に刀傷を付けられているのに、何故かこの状況に
どこか愉楽を感じている俺もいるのだ。
︻闘気︼の効果で痛みが麻痺しているせいかもしれないが、もしか
したら俺の中にも闘争を好む性質があったのかもしれない。
1149
第100話 見えざる怪物4
︻縮地︼の使用間隔が魔人化した後では確実に短くなっている。
魔人化というのはステータスが向上する効果でもあるのかもしれ
ない。
人のステータスに表示される職業というものには、ステータス補
正のような効果はない。
魔人化というのはある意味進化のようなものなのか。
ルークスの攻撃が一段と激しさを増す。
それに反して俺の体力は目に見えて消耗し、やがてその影響が足
に出始める。
泥濘んだ地面に足をもつれさせ、体勢が崩れた。
﹁あっ、やべえ﹂
眉間を狙う鋭い突き。突きと同時に︻伸縮︼の効果により刃が伸
びる。俺は必死に首を逸らして、攻撃を回避する。
頬が浅く切り裂かれた。
あぶねえ!今のはやばかった。しかし体勢は崩れたままだ。ルー
クスの追撃が来る。
1150
汗が噴き出る。焦りが強くなり、体が強張る。
次の瞬間、俺と魔人の間を掠めるように風が通り抜けた。
リザだった。杖を突き出し、険しい顔で魔力を練る。
杖先に魔力が集まり︻風球︼が撃ちだされる。
空気を圧縮した無色透明の塊だ。
それが100キロほどの速度を持って、3発4発と間を置かずに
発射された。
ルークスは︻縮地︼を使うまでもなく、バックステップで俺との
距離をとる。
︻風球︼は俺とルークスの間を通りぬけ、その先にある木の幹に着
弾した。
﹁ジン様から離れなさいッ!!﹂
背筋を伸ばし、油断のない険しい表情で杖を構える。
ルークスは無言のまま、リザへと顔を向ける。
背筋に冷たいものが流れた。
1151
もう間もなくアルドラが︻帰還︼で駆けつける。であれば俺があ
と僅か時間を稼げば問題ないのだ。
リザは身を隠して、自分が狙われないようにしているのがベスト
だったはずだ。彼女がそれを気づかないはずがない。
彼女とてアルドラの実力も眷属のことも知っているはずなのだ。
アルドラの真の実力がどの程度なのかは俺も測りかねてはいるが、
あの巨人を容易く葬った手並みを見ればその実力も窺い知れる。
ルークスがゆっくりとした足取りでリザの方へ向かう。
﹁リザ逃げろッ!!﹂
俺は叫び声を上げながら魔人へ向かって走りだす。
水飛沫が舞い、泥が撥ねる。
リザは声が届いていないのか、杖を構えたまま再び︻風球︼を発
射した。
数発の︻風球︼が雨を撃ち抜き魔人へ向けて殺到する。
しかし︻縮地︼がその攻撃を全て無力にしてしまう。掠りもしな
かった︻風球︼は虚しく通り過ぎ、遙か先で着弾した。
魔人がリザに迫る。その距離はあと僅かだ。
﹁うおおおおおあああああああーーーーーーーーーッッ!!﹂
1152
みっともなく叫び声を上げながら、俺はルークスの袖口を引き寄
せるべく手を伸ばした。
そして姿が掻き消える。︻縮地︼で移動した魔人は俺のすぐ脇に
姿を現す。その手に持つ魔剣がギラリと光る。︻警戒︼が悲鳴を上
げる。
奴は赤黒い瞳と邪悪な笑みのまま、その狂刃を突き出した。
ザクリという服を裂き肉に金属が食い込む音が聞こえた。
﹁ウッ⋮⋮ぐぅぅううう⋮⋮あれ?痛くない?﹂
思わず刺されたと思ったが、間に合ったようだ。
﹁遅くなったようじゃな。すまん﹂
時空魔術︻帰還︼で駆けつけたアルドラが俺と魔人の間に割って
入った。
﹁⋮⋮いや、助かった﹂
思わず安堵の溜息が漏れる。
﹁アルドラ様ッ!﹂
視線を落として見れば、アルドラの脇腹に深々と魔剣が突き刺さ
1153
っていた。
アルドラは魔剣を掴む魔人の手首を強く握りしめる。骨の軋む音
が聞こえるほどの強い圧力だ。
もう片方の手首も抑え、その動きを完全に封じる。その状態のま
ま、アルドラは魔人に頭突きを放った。硬いものがぶつかる鈍い音
が聞こえた。
頭部に強い衝撃を受け、魔人が蹌踉めく。
動きを抑えられると︻縮地︼は使えないようだ。獣人は魔術の適
性が低いかわりに、身体能力が高いのだという話を聞いたことがあ
る。
︻縮地︼というのは魔術的な瞬間移動というより、技術的な高速移
動みたいな感じなのだろう。
﹁⋮⋮何じゃコイツは?﹂
アルドラはすぐに異変に気がついたようだ。
﹁魔人だ。俺の目の前で獣狼族の男が変化したんだ﹂
﹁なんと⋮⋮﹂
アルドラも流石に驚きの表情が隠せないでいた。
﹁そいつは縮地という瞬間移動みたいなスキルを持ってる。絶対に
逃がすなよ﹂
1154
﹁あい、わかった﹂
アルドラの握る握力が更に強まる。ルークスの手から魔剣が離れ
る。俺はそれをすぐさま拾い上げ、自身の鞄に収納した。⋮⋮泥棒
ではない。敵の武器を取り上げただけだ。武装解除だ。
﹁して此奴はどうする?﹂
どうする?うーん、どうするか。リザの命も狙うような危険な奴
は放置しておけない。何らかの事情はありそうだが、連れて帰るの
も大変そうだ。まぁ、アルドラが拘束して、ギルドに連れて帰るし
かないか⋮⋮魔人の重要な情報源でもあるし、この場にマスターが
いれば連れて帰って来いと言うだろう。目的の素材も手に入れたの
だ、あとは帰還するだけだ。
﹁とりあえず縄か何かで簀巻にして、アルドラに担いで帰ってもら
うか。武器は取り上げたし、武術系スキルは︻剣術︼しか持ってな
いから大丈夫だろう﹂
念のためにと捉えている両手首をそのまま握り砕いた。更に両膝
を蹴り抜き破壊する。命に別条はないが、これでしばらくは動けな
いだろう。︻闘気︼の回復力はそこまで高く無いだろうし、魔人化
して強化されているとしても時間は稼げるはずだ。
﹁ぐうううううううぁああぁああああっッッッ!!﹂
歯をむき出し、唾を飛ばし、獣の様に咆哮する。
血のように禍々しい瞳が狂気を感じさせた。
1155
言葉を掛けるも、それに反応するような素振りはみせない。今で
はルシーナのという人の名さえ忘れてしまったような印象を受けた。
もとよりまともではなかったようだが、今の状態はまるで気が触
れてしまったかのようだ。
そんなやり取り中で再び︻警戒︼が危険を知らせる。
ルークスの状態を見れば、もはや抵抗する術はないと見える。だ
とすれば︱︱
﹁アルドラなにか来るぞ!﹂
木が無理やり折れ砕かれる音、草や葉の擦れる音、土が抉れ泥の
舞う音が暴力的に聞こえる。
荒れ狂う何かが、猛烈な勢いで迫る音。
アルドラは周囲を見渡す。彼の直感が働いていないようだった。
それはリザも同様のようだ。
俺は安全のために彼女を側に抱き寄せた。
﹁来たぞ!2時の方向、距離20メートル﹂
大木を押しのけて現れたサイクロプスは、5メートルちかい大物
だった。
1156
サイクロプス 妖魔Lv37
現れた巨人は1体。その発達した太い腕を伸ばしながら、こちら
へと迫ってくる。
﹁また姿を隠したやつか!見えぬ!﹂
アルドラが吠える。
﹁目の前に迫ってる!近い!﹂
状態:隠蔽
魔術で姿を消しているのか。しかし隠蔽は音や魔力までは隠せな
い。ここまで接近してはエルフの直感を欺けないはずだが、コイツ
は俺の持つ︻隠蔽︼よりも強力らしい。魔力を遮断する隠密の能力
も付与されているのだろう。
アルドラはルークスを蹴り飛ばし自分から引き離した。そして︻
収納︼から剣を取り出す。俺の指示を頼りに見えない魔物へ上段斬
りを放った。
巨人の大木のような腕に剣筋が走り、紅い血が空を舞った。
人差し指と親指を切り飛ばし、腕に深い傷を負わせたのだ。
﹁グギぃガアアァァァァァァァァーーーーーーッッ!!?﹂
1157
巨人は絶叫と共にその姿を現した。
﹁ジン!リザを連れて下がるんじゃ!﹂
アルドラの声に焦りの色が交じる。
体の大きさ、肉付き、そこから放たれる雰囲気は、僅か前に見た
あの6体を凌駕しているように思えた。
これが大人のサイクロプスか。
下半身よりも上半身が良く発達しているような体型。
特に腕のあたりは筋肉が盛り上がり、全体のバランスとして人の
それより腕が長いように見えた。
巨人の腕が地面を攫うように繰り出される。泥水や土石を巻き上
げながら、手刀のような攻撃がアルドラに迫る。
アルドラはそれを飛び退いて危なげなく回避する。
だが空中に飛び上がったことを見越して、巨人は傷ついた腕でア
ルドラを地面に叩き落とした。
﹁ぐっッ!﹂
地面へ叩きつけられ、思わず声が漏れる。
俺は直ぐに行動を起こしていた。剣を抜いて巨人へと向かう。リ
ザはその単眼へ向けて︻風球︼を1発放った。
1158
風の塊が巨人の顔を掠める。巨人はそれを鬱陶しそうに顔をしか
めた。
巨人の脇を通り過ぎるようにして走りこみ、すれ違いざまに脛を
斬りつけた。
ミスリル合金の剣は、分厚い巨人の皮膚も切り裂くことが可能の
ようだ。
地面がぐらりと揺れた。
巨人が倒れ、地面を揺らしたのだ。
死んでいる。目を見開き喉を大きく切り裂かれて、水溜りに沈ん
でいた。アルドラの仕事だった。
﹁まだいる﹂
アルドラへ向けて叫んだ。だが彼の直感は敵の存在を発見できな
いでいるようだった。彼は周囲を睨みつけ警戒している。
俺はリザへと駆け寄った。
﹁ジン様!﹂
﹁悪い。魔力を分けてくれ﹂
1159
﹁はい。勿論です﹂
1160
第101話 見えざる怪物5
0/39
いつのまにかレベルが上がっていた。
冒険者Lv19 スキルポイント
︻剣術︼ D級 ︻闇魔術︼ A級
︻警戒︼ D級
︻土魔術︼ E級
︻耐性︼ E級
リザに魔力を分けてもらい、設定を変更する。
﹁リザ頼む﹂
﹁わかりました﹂
杖を地面に突いて魔力を集中させる。
周囲に︻濃霧︼が発生した。
1161
瘴気とは違った濃い水蒸気。リザの水魔術である。
﹁ここで迎え撃つ﹂
見えざる魔物が既に包囲している可能性が高い。
逃げるように仕向け、襲いかかる算段なのかもしれない。奴らは
自分たちが相手からは見えないと思っている。逆にそこを突いて活
路を見出す作戦だ。
﹁お主がわしの目になれ﹂
見えない敵に追いかけられるより、ここで撃破しようと言う話だ。
敵に背を向けて逃げるのと、俺が敵を見つけて仕留めるのとで、
どちらが安全かということだが、正直判断がつかない。
そういったことで冒険者の先輩であるアルドラの意見を尊重した
次第であった。
>>>>>
それぞれに︻耐久強化︼を掛けて戦いに望む。
リザは︻風球︼︻脚力強化︼︻濃霧︼で戦闘を補助している。
1162
俺は近づく巨人をいち早く知らせ、隙あらば攻撃に参加するとい
った具合だ。
闇魔術︻恐怖︼が何も無い中空に放たれる。
黒い霞のようなそれは、とある空間で弾かれたように四散した。
何もないと思われていた空間から、炙りだされるように巨人が出
現する。
﹁グオオオオオオォォォォーーーンッ!!﹂
巨人は天を仰いで咆哮した。
︻恐怖︼はあまり効いていないようだ。その辺りは予めわかっては
いたことだが。
ザッハカーク大森林には多種多様な魔物が生息しているらしいが、
朝や夜などの時間帯から季節などの時期によるもの、場所などによ
っても生息する魔物の種は大きく変わる。
もちろん森の至る所に幅広く生息域を延ばすものもいるが、僅か
な目撃例だけ、もしくは誰にも知られていない魔物と言うのも数多
くいるらしい。
その中でサイクロプスと言われる魔物は有名な1種である。
森で最強の1種とされていることからも、対策や性質についても
長年に渡って研究されているのだ。
1163
﹁やはり魔術は効かないようだな﹂
地面に横たわる巨人の脇で俺は呟いた。
﹁巨人は魔術に高い耐性を持っておる。特に雷と氷はほぼ無力化さ
れると言われておるのう﹂
何度か襲撃を退けていると相手も知恵をつけてきたのか、わざと
離れた位置から木々を揺らしたり、遠くから岩や大木を投擲したり
とフェイントや陽動のような行動が見られるようになってきた。
残りの魔力のこともあるし、できれば長期戦は避けたい。
通常群れることのないサイクロプスが、こうして群となって行動
するにはその背後に強力なリーダーの存在が必ずいるはずだという。
巨人たちに︻隠蔽︼+︻隠密︼のような魔術効果を付与している
のもそいつだろう。
俺はあの時に見た黒い巨人が、そのリーダーというやつなのだろ
う考えていた。
﹁それはそうと、あやつは逃げてしまったようじゃな﹂
巨人襲撃のどさくさに紛れて、魔人化した獣狼族の青年ルークス
が姿を消していた。
両腕両足の骨を砕いていたにも関わらず逃げ出せるとは。武器の
魔剣は奪ってあるし、あの傷ではそう遠くへは行けないと思うが今
1164
は追う暇もない。
︻闘気︼のスキルを所有していたので、回復効果により痛みが麻痺
していた可能性が高い。
﹁仕方ない。それよりもこの状況だ﹂
巨人は視覚に頼って獲物を探している。
感覚的なものはそれほど鋭敏ではないのだ。
リザの︻濃霧︼が俺たちの姿を隠してくれる。
彼らは自分たちだけが姿を隠し、人知れず襲うことができるとい
う優位性を失ったようだ。 ﹁アルドラ正面だ。距離30メートル﹂
いかに姿を隠そうとも4∼5メートルもある巨人が森の中を歩け
ば、不自然に枝がしなり、葉が揺れ、地面に足跡が残る。
しかし︻隠蔽︼の他に付与されている︻隠密︼という力が、魔力
の漏出を絶ち気配を消す以外にもそれらの痕跡を誤魔化しているよ
うである。でなければアルドラが気づかないはずが無い。
リザは俺の側に控えている。離れて身を隠すにも危険があるのだ。
それにリザは俺なんかよりも、ずっと肝が座っているようだった。
1165
﹁ジン様っ﹂
リザの声と︻警戒︼が同時に反応する。
見上げると力尽くで引き抜かれた大木が空を舞っていた。
巨木が雨と共に重力に従って落下する。
﹁リザっ﹂
俺は咄嗟に側にいた彼女を抱きかかえた。
大きな音と共に地面が揺れる。
土砂と泥と水溜りが巻き上げられた。 大きな質量の物質が巻き起こす風圧が、その場に在った︻濃霧︼
を掻き消した。
そこへ間を置かずに2体の巨人が殺到する。
先ほどの巨人は囮だと気付いたのは、僅かに後のことだった。
囮を送り込み大体の位置を把握した後に、投擲で足を止めて襲う
︱︱
そこには知能の低い魔物とは思えない作戦と言える行動があった。
知能の低い魔物という先入観が、この油断を生んだのか。
1166
﹁アルドラっ、左だ!すぐ側!﹂
﹁ああ!﹂
アルドラが俺の指示と同時に、何もない空間を斬りつける。
切っ先が僅かに巨人の肉体を裂いたのか、身をよじって回避する
姿がその場に炙りだされた。
向こうは大丈夫そうだ。それよりもこちらだ。
空気を押しのける音と共に︻風球︼が巨人の顔面に放たれ、その
動きを一瞬止める。
サイクロプス 妖魔Lv34
リザの絶妙なアシストを受け、素早く死角へと潜りこんだ。
背の高い巨人の首を狙うにはアルドラの様に飛び上がるか、巨人
に膝を突かせるしか無い。
死角へと入り込んだ俺は、無差別に巨人の足へ攻撃を行う。ミス
リル合金のムーンソードは巨人の分厚い皮膚も問題なく切り裂くの
だ。
﹁グオアアぁぁォっ!!﹂
足元動きまわる者に気がついたのか、地団駄を踏むように巨人が
暴れる。
1167
その行動を︻警戒︼にて素早く察知し身を引いた。大木の陰に隠
れ嵐が去るのを待つのだ。
向こうの1体を片付けたのかアルドラが、こちらへと援護にやっ
てくる姿が見えた。
﹁アルドラッ!後ろだッ!﹂
彼の背後に黒い巨人が迫っていた。
1168
第102話 見えざる怪物6
光沢のない黒色の巨人。全てを飲み込むような漆黒。
他の巨人と比べると細いが、弱々しい感じではなく鋭さやしなや
かさが感じられた。
余計な肉を削ぎ落とした、アスリートのような肉体。
巨人の顔を見ると骨が浮き出ていて、まるで単眼の髑髏を見てい
るようであった。
﹁ッ!?﹂
姿を消した巨人との戦闘にも慣れてきたのか、アルドラは姿は見
えず存在を感じない相手とも十分に戦えている。
未知の敵との戦闘経験が、彼の感覚を成長させたのかもしれない。
誤魔化しきれない僅かな違和感を感じ取り、戦闘を成立させてい
る。
彼は俺からの必要最低限の指示で、危なげない勝利を納めていた。
だがそいつは1段格上の相手だったらしい。
1169
巨人の鞭のような腕が、鋭く伸びる。
まるで地獄から這い上がろうとする亡者の腕のようだ。
丁度こちらへ意識を集中させ、足場の悪い地形を踏破するために
飛び上がり、体勢を崩したところであった。
﹁アルドラ様っ!﹂
﹁アルドラッ!﹂
アルドラは俺達の目の前で背後から迫る腕に捉えられた。
その漆黒の腕は植物の蔓と樹皮、魔獣の骨で防具のような装飾具
を備えている。装飾品を付けた巨人は初めて見る。自らが上位種で
あるという誇示であろうか。
姿を隠していた黒巨人は、アルドラを捉えたことで︻隠蔽︼の術
が解除されたようだ。
こちらには5メートル近い巨人がいまだ健在である。すぐには動
けない状況だ。
﹁ぐうっ﹂
巨人の手の中に収まったアルドラはそのまま握りつぶされてしま
った。
1170
一度巨人の握力に捕まれば、その怪力から逃れることは難しいの
だ。
グシャリと嫌な音が響いた。 更に間を置かずに黒巨人の大きな口がアルドラの頭部を食いちぎ
る。
﹁⋮⋮ッ!!﹂
その光景にリザは絶句し、俺も目を離せなかった。
巨人はアルドラをバラバラに引き裂くと、その残った身を水溜り
へと叩きつけた。
﹁ギャギャギャギャギャッッ!!﹂
俺達の方へと顔を向け、悪魔のような邪悪な笑みを浮かべて、高
らかに笑う黒いサイクロプス。
サイクロプス・アサシン 妖魔Lv42
その傍らには5メートル近いサイクロプス。
サイクロプス 妖魔Lv34
黒い方は4メートルほどだが、立ち並んで威圧されるとその迫力
は圧倒的だ。
その光景に思わず後ずさりしてしまう。
1171
俺達の怯えたような行動が気に入ったのか、巨人たちは嬉しそう
にギャギャと不快な声で鳴いた。
リザを側に抱き寄せ、ゆっくりと後退する。
巨人は勝ち誇ったかのような笑みを見せて、手を広げてゆっくり
とにじり寄ってくる。
小屋の隅へと鶏を追いやるように、圧倒的な優位に立つ者の余裕
の笑みを浮かべていた。
だがその笑みは長くは続かなかった。
黒い巨人の背後に飛びかかる影が1つ。
踏ん張りの効かない空中で、不安定な体勢のままの1撃。巨人の
急所、首筋をさらけ出した黒い巨人は致命的な1撃を受けることに
なった。
﹁アアアアアアアアオああァァォォァっァァァァァァァーーーーー
ーーッッ!!?﹂
希少種ということで頑丈だったのか、高レベルであるが故にとい
うことなのか。
その1撃は首を断ちきるとまでには行かずに、3割ほど切り裂く
に留まった。
鈍感な巨人も流石に堪えれるものではなかったらしい。
1172
痛みというのは自分の命を守る上で危険を知らせるサインなのだ。
黒い巨人に備わる痛みという感覚が、彼が誕生して最大の危機を
知らせていた。
状態:錯乱
傷口から止めどなく血が溢れ、その黒い体を濡らした。
理解できない状況から、黒い巨人は錯乱し近くにいた巨人を殴り
つける。
体格差はあるものの、レベルや単純な強さでは黒いほうが上らし
く、不意の攻撃もあったせいか殴られた巨人は顎を撃ち抜かれてよ
ろめき地面に膝をつけた。
俺は狙いすましたかのように、膝をついた巨人へ走りよりその首
元に飛び乗った。
曲剣の連撃が巨人に致命傷を与える。1撃で断ちきれなくとも、
2撃3撃ともなれば大型の巨人もその生命を刈り取ることができる
のだ。
魔石を消費して肉体を復活させたアルドラが黒い巨人に斬りかか
る。
錯乱した黒い巨人の嵐のような攻撃を掻い潜り、その腕に、脚に
深い傷を残した。
1173
﹁ギイいいぃぃ⋮⋮シネ!コロセッ!!﹂
黒い巨人が口角から唾を飛ばして喚き散らす。
﹁やれやれ⋮⋮そろそろ大人しくなってくれんかのう﹂
先ほどのアルドラはあえて黒い巨人に捕まったようだ。
近くに潜んでいることは何となく感じていたようで、自らを使っ
て誘いだしたというところか。
黒い巨人の動きに鋭さが増す。
いまだ錯乱状態にあるものの、鋭い鞭のような攻撃は他の巨人に
はない速い攻撃だった。
手刀のような攻撃がアルドラを掠める。
﹁むう⋮⋮これでは剣が持たぬ﹂
掠めるだけでも相当な威力があるようだ。剣で防ぐ彼の様子を見
ればそれは明らかだった。
しかし満身創痍の巨人の様子を見れば、それが灯火消えんとして
光を増すと言った状況なのだと理解できた。
そして僅かな一瞬、空気が揺らいだ。
1174
黒い巨人にオーラが纏わり付くような錯覚を覚え、その存在が僅
かに歪んだ。
一瞬の事だった。俺の視界からもアルドラの視界からも、黒い巨
人の存在感が薄くなる。
そして気づいたときには、俺達は黒い巨人の手の中に収まってい
た。
﹁⋮⋮おぉッ!?﹂
﹁ぬうッ!何じゃと!?﹂
乱暴な扱いが、いつ握りつぶされるともわからない恐怖を与えて
くる。
背筋に冷たいものが走った。
メキメキと自分の体から骨の軋む音が聞こえる。
どうにも逆らえない強大な力が、今まさにこの身を押し潰そうと
しているのだ。
﹁あああああああッッ!!﹂
リザは奇声を発し無数の︻風球︼を撃ち出した。それは巨人の顔
を含めた全身に命中していく。
黒い巨人は煩わしそうに顔をしかめる。
1175
一瞬気が逸れたのか、アルドラの拘束が僅かに緩んだ。
﹁いい加減にせんかッ!﹂
片手が自由になったアルドラは︻収納︼から剣を取り出し、黒い
巨人の単眼へと投擲する。
勢い良く放たれたそれは直線の軌道を描き、眼球へと深く食い込
んだ。
﹁ギイイイイイイイォォォォぉッ!!﹂
首から血を流し、眼球に剣を突き刺したまま巨人は絶叫した。
そしてアルドラの半身を勢い良く食いちぎり、彼を彼方へと投げ
捨てた。
次は俺の番か。
口を大きく開けた巨人の顔が、目の前に迫っていた。
覚悟を決めるべきかと思いかけたとき、ふと後ろで女の泣く声が
聞こえた。
そうだった。俺は自分に最後まで足掻くんじゃなかったのかと叱
咤を送る。
そのとき周囲からパァンと空気が弾けるような高い音を聞いた。
1176
一瞬、雷精霊の魔力を感じたのは気のせいではないだろう。
ほんの僅かな差だった。
誤差といえるほどの小さなものだ。
少しだけ巨人が怯んだのだ。
視覚を奪われ、痛みから触覚も麻痺しているかもしれない。
その中で残された感覚の1つ、聴覚が鋭敏になっていたのだろう
か。
そんな僅かな差が、攻撃のズレを生んだ。
アルドラの様に半身を食いちぎらんと迫る巨人の口は、大きく逸
れて右腕の肘から先を食いちぎるに留まった。
﹁⋮⋮助かった﹂
正確に言うとあまり助かってないが、ともかくこの状況は脱せそ
うだ。
腕を失ったのは痛いが、今は興奮しているためかそれほどでもな
い。
それに魔術やスキルのある世界だ。腕ぐらい何とでもなるだろう。
楽観的かも知れないがS級の魔法薬では回復できるという話だし、
その口ぶりからS級の魔法薬というものが存在しているという確証
にも繋がる。
1177
ともかく希望はある。生きていれば何とかなるだろう。
俺の腕を食いちぎった黒い巨人の動きが止まる。
手の握力が弱まりその拘束から解放されると、俺はよろめきなが
らも地面に着地した。
慌ててリザが駆け寄ってくる。
﹁ああァァァ⋮⋮﹂
彼女の顔は雨と汗と涙といろんなもので汚れてぐしゃぐしゃだっ
た。
綺麗な髪も乱れて、嗚咽により言葉も失っている。
﹁もう大丈夫だ。⋮⋮でもこの場からは離れようか。少しでも安全
な所で休憩しないと⋮⋮﹂
安心からか疲れからか、それとも血を失いすぎたのか⋮⋮体から
急速に力が失われていく。
朧気な意識の中で振り返ると、黒い巨人が苦悶の表情を浮かべ悶
絶し天を仰いだかと思うと、やがてダムが決壊したかのように巨人
の腹部が溶解して破裂した。
1178
巨人は崩れるように地面に伏し、それから二度と起き上がること
はなかった。
1179
第103話 戦いの後に
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
体中が怠くて重くて痛い。鉛のように重い瞼をどうにかして開け
ると、そこは見た覚えのない様子が広がっている。
ここは何処かの洞窟だろうか。入り口も近く、奥の壁もすぐ側に
あるので洞窟というより横穴といった感じだ。入り口の方に目をや
ると、既に雨はあがっているようであった。
薄明かりが射す中で、魔獣の毛皮だと思われる敷物を敷いて、毛
布を掛けて寝かされているようだった。
光源の正体は焚き火だ。少し離れた位置で赤々と燃えている。時
折パチパチと爆ぜる音が聞こえ、木の燃える匂いがした。
そこでふと気がついた。
﹁おはようリザ﹂
俺は彼女の膝枕で眠っていたようだ。
﹁ジン様っ﹂
声を掛けると、彼女は暗く落ち込んだ顔を見せて、その大きな目
から大粒の涙がぽろぽろと溢れた。
1180
﹁ど、どうした?大丈夫か?﹂
驚いて声を掛ける。
﹁大丈夫か?じゃないですよ!どれだけ心配したと思っているんで
すかっ!﹂
怒られてしまった。
﹁あぁ、まぁ悪かったよ⋮⋮でも仕方ないだろ。アルドラも手こず
る相手に生き残ったんだ、上等だろ?﹂
﹁そうですけど、こんな酷い怪我⋮⋮﹂
リザの白く細い指先が、俺の腕に添えられる。
そうか、右腕なくしたんだっけか。 失った腕をぼんやりと眺めていると﹁痛いですか?﹂とリザが心
配そうに声を掛けてきた。
﹁大丈夫だよ。まだ少し痛むけど、寝てればそのうち回復するだろ
う。それに腕のことはそれほど悲観してない。そのうち回復系のス
キルでも取得できれば治せるだろ﹂
楽観的かも知れないが、無くしたもんはしょうがない。左手でも
魔術は使えるんだし、なんとかなるだろ。あぁ、手は無くなったけ
ど右腕でも魔術は使えるかも知れんな。傷が癒えたら試してみよう。
それに少なくともS級の魔法薬では再生できるらしいから、希望
1181
はあるはずだ。リュカさんあたりなら持っているかもしれない。
アルドラは魔力を使い果たし、今のところ復活できないでいる。
鞄に保管してあった魔石もアルドラに全て預けたので、たぶん消費
してしまったのだろう。
﹁リザだって魔人の前に出てきて⋮⋮あの時は、相当焦ったぞ﹂
何とかなったからいいものの、違う結末になっていたかと思うと
ゾッとする。
﹁私も焦っていたんです!﹂
いつもは冷静で実直なリザだが、たまに無茶をするときがある。
まぁ俺が頼りないせいもあると思うので、怒るに怒れないというこ
ともあるのだが⋮⋮
﹁とりあえず今の状況を教えてくれ﹂ 最後の記憶は黒い巨人を葬ったところで終わっている。
たぶんその後、気を失ったのだろう。
リザの話によると魔力も体力も限界が近かった俺は、安全に休め
る場所を求めて戦闘のあった場所から移動。しかし適当な場所が見
当たらなかったので、土魔術︻掘削︼で壁に穴を掘って洞窟を作っ
たそうだ。
1182
そこで魔力を使いきり倒れてしまったそうだ。
﹁覚えていませんか?﹂
﹁ぜんぜん覚えていないな﹂
安全な休息場所を求めての無意識の行動だったのだろう。
﹁それからジン様を寝かせて、焚き火で体を温めてました。雨や泥
で汚れていたので⋮⋮えっと⋮⋮ごめんなさい﹂
そういってリザは頬を紅潮させて、もじもじと身を捩る。
理解の及ばなかった俺は、しばし思案して気がついた。
今の俺は全裸だった。
汚れた服や、装備を外して水魔術︻洗浄︼で綺麗にしてくれたよ
うだ。 傷つき魔力を失った俺を、汚れたまま寝かせるのもしのびないと
気を効かせてくれたのだ。
﹁体をお湯で拭いて、傷薬を塗りました。打撲などは2、3日もす
れば全快できるかと思います。あとは勝手ながらライフポーション
も飲ませました﹂
寝ている俺に上手く飲ませることが出来なかったので、口移しで
少しづつ飲ませたらしい。記憶が無いことが悔やまれた。
1183
俺は体を起こして礼をいった。
﹁いや、助かった。リザが居なかったらどうなっていたことか﹂
﹁私はジン様の妻ですから、当然のことです﹂
そういう彼女は気恥ずかしそうに僅かに俯く。頬を紅潮させ、自
身の両手で頬を挟んで身悶えている。
﹁そうだな、でもありがとう﹂
リザも汚れた体を清めて、身に着けていた装具の類は︻洗浄︼し
たのだろう。
髪もその顔もいつもの美しさを取り戻していた。
動きやすいように髪をアップに纏めている。
今は寝間着のようなワンピースと下着だけといった様相だ。体を
休ませるために楽な格好にしているのだろう。
襲撃に備えてスキルの設定を変更する。
そういえば初めて︻溶解︼をまともに使用したな。
食いちぎられた腕を捨てる覚悟で、体内にある魔力の殆どを水魔
術︻溶解︼S級に注いで腕に込めた。
その場の思いつきだったが、上手くいってよかった。
1184
また同じことをしろと言われても、できるかどうかはわからんが。
﹁それにしても焚き火の熱だけで、ここは随分と温かいな?﹂
いまは収まったようだが、雨も降ったし洞窟内だと湿気もあって
ひんやりとしていそうなものだが。
既に夜も深まっていて気温も下がってるかと思われる。
﹁あ、はい。焚き火で温めた空気を︻微風︼でジン様のもとへ来る
ようにしていました﹂
そういってリザは笑顔を向ける。リザだって疲れているだろうに、
俺が倒れてから休む場所を作って焚き火を起こし、ずっと世話をし
てくれていたのだ。
少しでも快適に休めるように魔術を使い続けてまで⋮⋮
俺はたまらず、リザを抱きしめた。
﹁あっ⋮⋮あの、傷口が開いてしまいますよ﹂
︻闘気︼やライフポーションで傷口が塞がったとしても、完全に回
復するには時間がかかる。
激しい動きをすれば傷口が開くこともあるし、治療後は絶対安静
が常識なのだ。
1185
﹁リザを抱きしめてると、傷が癒えるような気がするんだよ﹂
﹁⋮⋮そう⋮⋮ですか﹂
2人の唇が重なる。
﹁んっ⋮⋮魔力が足りなくなりましたか?﹂
﹁うん。少し回復させたいんだけど、いいか?﹂
﹁⋮⋮はい。ジン様のお好きなだけ﹂
リザを押し倒すように、毛皮の敷物の上に寝かせた。
﹁凄い固いですね⋮⋮まえに見た時よりも、逞しくなっているよう
な⋮⋮﹂
リザが潤んだような瞳で、俺の腹を優しく撫でる。
呼吸は荒く、頬は紅潮している。
今思いだせば、初めて会った時に一緒に風呂に入った記憶がある
な。
その時に、ある程度見られていたらしい。
まぁ多少は鍛えられただろうか。
﹁⋮⋮痛みますか?﹂
1186
リザが触れている箇所は、魔人化したルークスに刺された場所だ。
﹁刺された時は流石に痛かったけどな。いまは大丈夫だ。︻闘気︼
を使ってるとアドレナリンが出るのか、あんまり痛みを感じないん
だよ﹂
リザのひんやりとした細い指先が、恐る恐ると言った具合に熱を
持った部分に触れた。
﹁あー、それは生理現象というか何というか⋮⋮命の危険があると、
種を残そうとする雄の本能が働くというか⋮⋮﹂
もごもごと口ごもる俺を、リザは大きな瞳でまっすぐ見つめてく
る。
﹁まぁ⋮⋮その、なんだ⋮⋮いいか?﹂
まったくきまりの悪い俺の発言に、リザは愛らしい笑顔を浮かべ
て︱︱
﹁⋮⋮初めてですから、優しくして下さいね﹂と耳元で囁くのだっ
た。
1187
第104話 雷嵐
目が覚めると傍らには一糸まとわぬ姿のリザが眠っていた。
焚き火は勢いをなくし種火となっている。夏も近いためそれほど
でもないが、朝方はまだ少し冷える。
﹁んっ⋮⋮んぅ⋮⋮﹂
寄り添うように眠る彼女は、静かな寝息を立てていた。いまだ彼
女は深い眠りにあるようで、目覚める気配はない。
緑とも青ともつかない不思議な髪色。光の当たり加減では金髪に
も見えるそれは宝石の翡翠を思わせる。
雪のように白い肌は傷もくすみも1つもない。出るところは出て
いて、引っ込むべきところは引っ込んでいる。そんな感じだ。
一言でいえば女性らしい魅力的な体つきなのだ。
そっと毛布をめくって目の保養をする。
﹁⋮⋮くちゅんっ﹂
眠りの中にいるリザが、小さくクシャミをしたので毛布を戻した。
これ以上は、いろいろ我慢できなくなりそうだ。
1188
リザも疲れたのだろう。もう少し寝かせておこう。もしかしたら
俺が余計に疲れさせてしまったのかもしれないが⋮⋮
俺は毛布を抜けだして身支度を整える。
昨夜リザからたっぷり供給してもらったので魔力はほぼ全快して
いた。
いつのまにかレベルがかなり上がっている。
レベルの上がり方というのはイマイチわからない所があるが、や
はり黒い巨人との戦闘が身になったということだろうか。
レベルは低い時ほど上がりやすいということだし、急激な上昇は
そういった理由なのだろう。
冒険者Lv22 精霊使いLv14 スキルポイント 0/49
︻闇魔術︼C級
︻警戒︼ C級
︻探知︼ S級 とりあえず周囲の様子を探る。
意識を集中させて︻探知︼の範囲を広げていく。
1189
﹁⋮⋮うおっ⋮⋮まじかよ﹂
広範囲︻探知︼が拾ってきた情報に思わず声が漏れた。
外に薄明かりが差している。もうすぐ夜明けだ。
﹁⋮⋮ジン様?﹂
ぼんやりと眠気眼のリザが、体を起こしてこちらの様子を伺って
いる。
俺の声で起こしてしまったか。
⋮⋮毛布で体を隠しているのが、恥じらいもありつつ、隠し切れ
ない曲線が要所で見えてとても良い。おっと、今はそんなことを考
えている場合ではなかった。
﹁おはようリザ。いきなりで申し訳ないけど、すぐに支度してくれ。
出発する﹂
>>>>>
リザの着替えを待って外に出た。朝からいいものを見られて眼福
であった。
1190
﹁⋮⋮ジン様?﹂
﹁いやっ、なんでもない﹂
思わず顔がにやけてしまったようだ。気を引き締め直す。
外に出て見なければわからなかったが、高濃度の瘴気に周囲は包
まれていた。
朝靄の如きそれは、視界が数メートルしか効かないような濃い霧
状をしている。
魔物の徘徊する森で、このような視界が不明瞭な時に行動するの
は危険を伴うだろうが、ここに留まっていても安全を得られないの
は言うまでもなかった。
︻探知︼は使用について、今のところ特に違和感はない。であれば、
一刻も早くここから立ち去らなければならない。
﹁どうしたんですか?﹂
俺の焦りがリザに伝わったのか、不安げな表情で俺の顔を覗き込
んでくる。
隠しても仕方がないので︻探知︼で知り得た情報をありのまま伝
えた。
﹁⋮⋮え?﹂
1191
リザが驚いた表情のまま固まっている。
それもそうか。これからベイルが経験するのは最悪の異常発生な
のだろうから。
広範囲︻探知︼で感じた無数の反応。数えきれないほどのサイク
ロプスの群れが、ベイルへ向けて移動中だった。唯一の救いは彼ら
の歩みが遅いくらいか。
﹁急いでギルドへ戻ろう。もうギルドでも把握しているだろうが、
万が一まだ知れてない場合は大変なことになる﹂
行けば召集が発令されているかもしれない。無視するのも面倒事
になってしまうので、急いで向かったほうがいいだろう。
アルドラの手を借りることになりそうだ。手持ちがないこともあ
るし、黒い巨人の魔石も気になる。出来るだけ回収したい。
そう思って黒い巨人の骸へと向かうと︻探知︼がこちらへと向か
ってくる1団を補足した。
魔力の感じから巨人には間違いない。
黒い巨人の骸の直ぐ側まで来ると、その魔力を感じた相手が姿を
見せる。
サイクロプス・バーサーカー 妖魔Lv46
1192
サイクロプス 妖魔Lv41
サイクロプス 妖魔Lv39
サイクロプス 妖魔Lv40
濃い紫色の肌に、黒い蛇、もしくは炎のような刺青にも似た文様
が両腕に入った巨人。上半身、特に両腕が異様に発達している。筋
肉の怪物といった様相である。手に持つ棍棒は巨大な魔獣から得た
大腿骨をそのまま利用したといった雰囲気だ。首には装飾品なのか
植物の蔓が巻き付いている。
その巨人を中心に大型の巨人が周囲を守るように彷徨いていた。
まるで従者のようだ。
一目見て紫色の巨人バーサーカーは別格だとわかった。多分黒い
巨人より単純な戦闘力は上なのではないだろうか。レベルだけが理
由ではない。周囲へと放つ威圧感、内包する魔力、体付き、どれも
脅威を感じさせる十分なものがあった。
仲間の死を弔っているのだろうか。黒い巨人の側を落ち込んだよ
うに佇んでいた。
突如、紫の巨人は狂ったかのような雄叫びを上げる。
﹁ウグゥアアアアアアァァァァァァァーーーーーーッッ!!﹂
勢い良く棍棒を振り上げると、その体に稲妻が纏わり付き、天に
向かって幾つもの稲妻が放たれた。
1193
そして渾身の力を込めて振り下ろす。
大地を陥没させるかのような衝撃と音が響き、地面が揺れた。同
時に周囲へと無数の落雷が降り注ぐ。
大気を引き裂くバリバリという音と共に、次々と落雷が木々を破
壊していった。
木から大地へと伝う稲妻が、まるで生き物のように暴れ回り伝染
していく。ただの落雷ではない。範囲攻撃、そういった魔術の類だ。
俺はリザを庇うように覆い隠し身を屈めた。そして巨人が起こし
た雷嵐が、一瞬で俺たちのいる地点まで到達し走り抜けた。
﹁大丈夫か?﹂
外套の影に隠れたリザが顔をだす。
﹁はい。少し痺れたような気がしますが、痛みというほどのことは
ありません﹂
少し驚きましたが。と彼女は胸を撫で下ろした。
俺は雷精霊の加護のお陰で、雷魔術の類が効かないのだ。
自らに︻雷撃︼を向けるのは気が引けるので試したことはないが、
今の攻撃もダメージは感じなかったしやはり効かないのだろう。
1194
﹁魔石を回収するのは無理そうだな﹂
俺の呟きにリザも頷く。
︻隠蔽︼を付与しているものの、あの希少種には見つかる気がした。
まったくの勘だが、危険な感じがするのだ。サイクロプスは目が良
いというし、近づかないほうがいいだろう。特に希少種というのは、
得体のしれない感じがあるからな。
息を整えこの場を立ち去ろうとした時、不意に肩を叩くものがい
た。
1195
第105話 森は静かに動き出す
﹁うおおおおおおっ!?﹂
﹁うわあああああ!?﹂
突然背後から肩を叩かれて、思わず驚きの声をあげる。
叩いた相手も俺の声に驚いたのか、一緒になって声をあげていた。
振り向くとそこにはリュカが立っていた。
﹁急に叫ばないでよ!驚いたじゃない!﹂
驚かせたのはアンタだ!という抗議の声を飲み込んで、俺は呼吸
を整えた。
リザも口を抑えて目を丸くし固まっている。
幸いなことに巨人たちには気づかれなかったようだ。
﹁⋮⋮なんでリュカさんがここに?﹂
燃えるような赤い髪にややツリ目がちの緋色の瞳。
緩いウェーブの掛かったセミロングの髪に、頭頂部には三角の獣
耳。
1196
腰からは豊かな毛量の紅いふさふさとした尾が揺れていた。
彼女はベイルで唯一のS級冒険者、獣狼族の女剣士リュカである。
﹁もちろん森の調査に決まってるでしょう。なにか異様な気配を感
じてこのあたりを回ってたんだけど⋮⋮あぁ、さっきの落雷はアレ
かぁ﹂
リュカの視線は紫色の肌を持つ雷巨人に注がれた。
この濃い瘴気の中でも軽装で自由に行動できるのは、流石S級と
いうことなのか。
﹁それであなた達はこんな時に、こんな所で何をしてるのかな?﹂
そう笑顔を向けて訪ねてくるリュカの声には、若干の怒気が含ま
れていた。
それに気がついた俺とリザは互いに顔を見合わせ、思わず気後れ
してしまうのであった。
>>>>>
俺はリュカへこれまでの経緯を説明した。
﹁なるほどね。まぁいいわ。それなら一刻も早く街に戻ったほうが
1197
いいわね﹂
森へ来たのがミラのためであると理解してくれたのか、どうやら
怒気を収め落ち着いてくれたようだ。
リュカの視線が、俺の体を下から上へと舐めるように動く。
それだけで腕のことは勿論、肉体の状態も看破されたようだ。
﹁その状態じゃまともに戦えないでしょ。できるだけ戦闘は避けて、
ベイルへ向かいなさい。そしてゼストに︻探知︼で得た情報を伝え
て頂戴﹂
いまや高濃度の瘴気は、大森林を覆い尽くそうかというほどに広
がっているらしい。
高ランクの斥候たちの︻探知︼も全容を把握できないほどに。
﹁それにしてもそんなに高ランクの︻探知︼スキル持ってたんだ?
たしかジンはまだ冒険者の階級はEじゃなかったかしら⋮⋮?﹂
リュカの訝しげな視線を笑って誤魔化した。
﹁リュカさんはこれからどうするんですか?﹂
困った顔をしている俺に助け舟をだしてくれたのか、リザが話に
割って入る。
リュカは︻冒険者たるもの他人のスキルをとやかく詮索しない︼
という暗黙の了解を思い出してくれたようで、それ以上スキルにつ
1198
いて追求してくることはなかった。
﹁とりあえずアレをなんとかしようかなー﹂
リュカの視線の先には、黒巨人の骸の周りに居座る雷巨人とその
配下たちがいた。
彼女は始末をつけたら黒巨人の魔石も回収してギルドに届けてく
れる約束をしてくれた。
﹁え?大丈夫ですか?﹂
俺は思わず驚愕の声をあげる。
﹁大丈夫よ。心配しなくても勝手に懐に入れたりなんかしないから。
これでもS級なんだから、お金は結構持ってるのよ?﹂
ふふん。と平らな胸を張るリュカ。
﹁いえ、そういう意味ではなく⋮⋮﹂
﹁あら私の心配をしてくれてるの?﹂
俺の発言の意味を理解した彼女が見せるその笑顔は、いつもの優
しくも厳しいものであったが、どこか獰猛な野生の獣にも見えた。
あの巨人がベイルまで来てしまうと面倒なので、ここで片付けて
しまうのだという。
配下の巨人も少ないので、今がチャンスらしい。それでもレベル
1199
40前後の5メートルクラスが6体もいるのだが。
まぁアルドラの戦いぶりを見ても、英雄と呼ばれる存在の強さは
俺の理解を超えたものだ。装備の整っていないアルドラでああなの
だ。リュカの心配など不要ということだろう。
﹁わかりました。俺たちはベイルへ戻ります。あと魔人のことなん
ですが⋮⋮﹂
﹁わかってる。余裕があったら探してみるね。あなたもリザちゃん
の事しっかり守ってあげなさいよ﹂
﹁はい。後はお願いします﹂
というものの、俺のほうが助けられることも多いんだよな⋮⋮
リュカに礼を言って、俺たちはその場を後にした。
1200
第106話 異常発生
俺はリザを背負い、ベイルへ向けて︻疾走︼︻隠蔽︼を発動させ
走りだした。
︻疾走︼は魔力の消費も大きいが今は先を急ぐことを優先させる。
︻探知︼は常時発動させていた。S級で使用できる広範囲︻探知︼
は高い集中力が必要なので移動中は難しい。そのため低級の︻探知︼
だが、問題はないだろう。
いまは周囲を探ることよりも、安全にかつ素早く移動することが
目的なのだ。
体の方も今のところ問題無さそうだ。傷口が開く気配もない。体
力的には不十分だが、リザを背負って走るくらいは大丈夫だろう。
﹁あの、私は降りたほうが宜しいのでは?﹂
片手を失っている状態では、正直不安定なのは否めない。
無理しているのがわかるので、リザも対応に困っている様子であ
った。
﹁無理そうだったら降りてもらうさ。少しでも先を急ぎたいからな、
そのあたりは臨機応変にいこう﹂
なんとかバランスを取れば、いけないことも無さそうだ。
1201
周囲は視界の効かない高濃度の瘴気に飲み込まれている。通常で
あれば森歩きに慣れたエルフや獣人でも躊躇するほどだ。
﹁これがあって助かったな﹂
盗賊の地図 魔導具 C級
自分が歩いた箇所を地図として記録してくれる地図の魔導具だ。
これがあれば見通しの効かない瘴気の森も、迷子にならずに進む
事ができるだろう。
﹁はい。アルドラ様もいいものを見つけて下さいましたね﹂
﹁そうだな﹂
後は魔物に見つからないように気をつけることだ。 だが今のところ︻探知︼は問題なく使えるし、体調の変化もない
ようだ。
﹁リザ具合はどうだ?高濃度の瘴気は害があると聞いたのだが⋮⋮﹂
俺の背に掴まりながら、彼女は答えた。
﹁問題ありません。エルフの血が流れているせいでしょうか、人族
よりは耐性があるような気はするのですが﹂
1202
森が生活の拠点のエルフなのだから、そうなのだろうな。ともか
く今のところ体調の心配はしなくて良さそうだ。
﹁ジン様は大丈夫ですか?﹂
リザはエルフの血が流れる自分よりも、純粋な人族の俺のほうが
心配なのだろう。ただ俺が本当に純粋な人族なのかは、疑問が生じ
る所ではあるのだが。
転生してこの世界の母親の腹から生まれた訳でもないからな。ス
テータス上は人族なのだけど。
﹁俺も大丈夫だな。まぁ気分が悪くなってもリザの薬があるし、途
中で休むより早く森を抜けたほうが良さそうだ﹂
︻探知︼が無数の魔力を感知する。
すぐ近くに巨人の集団が移動中のようだ。
濃い瘴気が霧のようにあたりを包んでいるため視界は悪い。その
ためか巨人の姿は確認できないでいる。
﹁リザは何か感じるか?﹂
俺は走りながら聞いてみた。︻探知︼は正確に機能していると信
じているが、瘴気はスキルや魔術、つまり魔力を使った行為を阻害
する力があるとされている。
1203
俺が違和感を感じなくとも、実は変調を来しているという可能性
もある。
﹁いえ、わかりません。私にはすぐ近くにいるとは思えないのです
が⋮⋮﹂
巨人の集団が近くを移動しているなら、地響きや木や枝の折れ曲
がる音が聞こえるはずだ。
それらが全くないということは、やはり俺の︻探知︼が正常に働
いていないということか。
そう思った矢先に、それは起こった。
微かに地面が揺れる。
そして突然、目の前の地面が隆起した。
俺たちは突然の事に足を止め、近くにあった大木の影に身を潜め
た。
﹁そうか、巨人は地下を移動していたのか﹂
地面から巨大な手が生える。
土砂を掻き分け、岩を土を木々を押しのけて、それは姿を現した。
サイクロプスだ。
1204
僅かな間に大地から這い出るようにして、何体もの巨人たちが飛
び出した。後から後から何体もの巨人が溢れ出てくる。
サイクロプス 妖魔Lv32
サイクロプス 妖魔Lv34
サイクロプス 妖魔Lv33
﹁地下遺跡でしょうか﹂
﹁だろうな﹂
ザッハカーク大森林の至る所には、数多くの遺跡が残されている
という。その中には魔物の巣となっている箇所も多く存在する。
長く伸びた遺跡を通ってきたのだろうか。出口は土に埋まってい
たようで、突き破って出てきたのだ。
﹁まえに訪れた雷精霊の祠もかなり長い間、人が入り込んではいな
い雰囲気だった。そういった知られていない遺跡が他にもあるのだ
ろう﹂
魔物はそれを利用して、ベイルの冒険者や森の住人たちを欺いて
移動しているということか。
﹁そんなことが、ありえるんでしょうか⋮⋮﹂
1205
リザが困惑の表情を浮かべる。
ありえるのか?と言っても、現実に起きていることなのだ。巨人
は冒険者たちが言うように、脳みそスカスカの魔物ではないと言う
事なのだろう。
﹁ともかく報告することが1つ増えたことは確かだな﹂
巨人に見つからないように、大きく迂回して進んだ。巨人は目が
良いらしいが、感覚はそれほど鋭くない︻隠蔽︼を付与していれば、
ほぼ間違いなく彼らの視覚を欺けるだろう。
だが立て続けに希少種に出会っていることもあって、慎重に慎重
を重ねているといった具合だ。ここまでくると、どんな奴が潜んで
いるか予想もつかない。
﹁ゴブリンの群れか﹂
深い瘴気の中、藪の中を移動中のゴブリンの群れに遭遇した。い
つもの4∼6匹といった群れではない。︻探知︼で大まかに知り得
た情報であるため正確な数は不明だが、100は超えてるように感
じた。
﹁ゴブリンも異常発生しているってことなのか?﹂
﹁わかりません。魔物の異常発生は数年おきに1∼2回ほどあるら
しいのですが、いつもベイルまで到達することはないそうです。事
前に察知して、森の中で数を減らしたり境界で撃退してしまうそう
1206
なので﹂
異常発生の際に対処の中心を担うのは冒険者ギルドである。
リザはギルドに所属していないため、詳しい情報はわからないそ
うだ。
ゴブリン 妖魔Lv12
ゴブリン 妖魔Lv15
ゴブリン 妖魔Lv14
状態:興奮
ゴブリンの群れは高い興奮状態にあるようで、何かに向かって盲
目的に突き進んでいるといった様子であった。
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv21
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv22
ゴブリン・シーフ 妖魔Lv21
ゴブリン・リーダー 妖魔Lv23
1207
この辺りに出没するいつものゴブリンと比べると、微妙にレベル
が高い。
しかも希少種?なのか、普段みたことのない奴も混じっているよ
うだ。
﹁亜種でしょうか。あ、いや上位種だったかな⋮⋮﹂
リザは詳しくないのか、自信がないようだった。
亜種、上位種、希少種の違いもよくわからないらしい。なんとな
く聞いたことがある程度だという。 まぁ、ともかく今はゴブリンの相手をしている時間も余裕もない。
そのあたりのことは後でシアンにでも聞いてみよう。魔物好きな彼
女なら知っているかもしれない。
レベルの高いゴブリンたちは、見た目で言えば通常のゴブリンと
大差はない。深緑の肌にシワの深い、人族の老人のような顔。大き
く尖った耳と鷲鼻を持ち身長120センチくらいの小柄な人型の魔
物である。
あえて言えばレベルの高いゴブリンは、いくらか逞しい体付きと
言えるかもしれない。
彼らは感覚の鋭いタイプではないので大丈夫だとは思うが、念の
為に距離を取りつつ︻隠蔽︼︻疾走︼で危なげなく進んだ。
1208
>>>>>
そろそろ境界も近い。
周囲からは変わらず魔物の気配が多い。森へ侵入したときとは打
って変わって、まるでゲームのように湧き出しているかのようだと
感じた。
この世界はスキルや魔術、魔物が存在しゲームのような世界だと
感じることもときにあるが、だがゲームではないのだ。
怪我をし血が流れば痛いし、死んだ人は教会で生き返らない。
魔物は生物である。ゲームのように倒したの後、自動的に再配置
されるということもない。
繁殖し成長し、生命としての営みを教示している。
魔力の消耗も気になり始めた頃、まさに異常発生といえる光景を
目にする。
﹁おぉ⋮⋮すごいな﹂
グラスホッパー 魔獣Lv1
手のひらサイズの大型のバッタが、無数に飛び回っているのが視
1209
界に入った。
状態:興奮
それぞれ興奮状態にあり、それは先を進めば進むほど数を増した。
藪の中から無数のバッタが飛び立った。
﹁ジン様⋮⋮﹂
ウッドラウス 魔獣Lv1
状態:興奮
同じく手のひらサイズの、ダンゴムシに似た魔物が地面を這いま
わっていた。その数は地面を埋め尽くすほどで、もぞもぞと動く様
はまるで地面が脈動しているかのように思えた。
俺は思わず足を止める。
すると其処へ1匹のウッドラウスが足へと登ってきた。
鋭い牙を持つ顎を、肉に突き立てる。
﹁⋮⋮ちぃッ﹂
皮膚に僅かな痛みが走った。手を払い小型の魔物を叩き落とす。
︻隠蔽︼を付与しているが、接触すれば気づかれるのか。
1210
空中を埋め尽くすバッタと、地面を埋め尽くすダンゴムシである。
接触せずに通るのは不可能だろう。︻疾走︼で強引に通るか。俺1
人ならそれもいいが、リザを抱えている。それを考えるとあまり気
が進まない。
後でライフポーションを飲むか、ミラに︻治療︼してもらえば良
いだろうとという考えは避けたい。
﹁私はジン様に従います。どうか気を使わないで下さい﹂
エルフの村で暮らした経験もあるリザだ。魔物の解体もできるし、
森歩きにも慣れている。森には魔物は勿論、普通の虫なども多い。
現代人の女性と比べれば、逞しいと言えるかもしれない。
目の前に蠢くそれは、普通の虫よりも遥かに凶暴で巨大ではある
が。
﹁わかった﹂
とは言っても強引な手段をとるのは、最後に取っておこうと思っ
ている。
雷魔術︻雷付与︼
肉体に付与した雷が、飛来してくるバッタを撃ち落とした。正確
に言うと、この身に取り付こうと足を伸ばした直後に、雷の反撃に
あったのだろう。
武器に︻雷付与︼を施せば、雷に弱い魔物に効果的なダメージを
1211
与えることができる。時に麻痺を発生させることも可能だろう。
肉体に︻雷付与︼を施せば、接触しようとするものに雷の反撃ダ
メージを与えることができる。威力としては微々たるものだ。少々
驚く程度。それなりに強い魔物には、全くの無力といっていいほど。
その程度だ。
だが小さな魔物、矮小な存在であれば多少の効果も見込めるだろ
う。身に取り付く抑止力としての働きを期待できる。小さいとはい
え魔物である。場所によっては怪我の可能性もある。
数も尋常ではない程に多いのだ。そのための防御策である。
互いに︻雷付与︼︻脚力強化︼︻耐久強化︼を付与して進む。
︻隠蔽︼を付与しても、接触から見つかってしまう可能性が高いの
で外してある。この数の中を︻疾走︼するのも危険を感じて、防御
に念を置いて2人で歩いて進むことにした。
ここを抜ければ、森の切れ目までもうすぐだ。
1212
第107話 食うか食われるか
バチンッと高い音と共に体から迸る紫電が這いよる魔物を痺れさ
せ、取り付こうと飛来してくる魔物を撃ち落とした。
稲妻をその身に纏わせる魔術。︻雷付与︼である。
見た目に反して、威力はさほどでもない。
ヴォンヴォンとなる翅音が、周囲の空間を埋め尽くす。
曲剣に付与した︻雷付与︼で前方を払い進んだ。
利き手を失っているため、使い勝手は悪いが仕方ない。
︻雷扇︼は魔力を使いすぎる。︻雷撃︼はいくら撃ってもキリが無
さそうでやめた。
リザも杖に付与して手伝っている。彼女は虫タイプの魔物に嫌悪
感はないようだ。
足元を這う虫が潰れ、グシャリと嫌な音を立てる。
大きく迂回すれば多少は違うかもしれないが、最短距離の道を進
んだ。魔物はどれもレベル1の小型のもの。防御に徹すれば危険は
少ないだろう。
1213
﹁そろそろ森を抜けるぞ﹂
﹁はい﹂
森と人族の領域の境目、境界と言われる地域。
密集していた木々は疎らになり、若木が目立つ。巨木は少なく僅
かに数える程度。使えるものは木こり達が切り出していくのだ。
下草は刈られていて、其処を棲家にしている小動物や虫の類も少
ない。そのためそれを狙う大型の生物も少なくなる。
人の手が入ったこのあたりからが、人族の領域なのである。
藪がなくなり、それにともなって小型の魔物の数が大きく減った。
開けた場所に出たせいもあるが、魔物の密度は明らかに変化してい
た。
﹁ふぅ⋮⋮どうやら無事に抜けられたようだな﹂
俺は思わず安堵の溜め息を吐いた。
森を抜けたことで、瘴気も収まり視界も回復している。ここまで
くれば街まであと僅かだ。
﹁⋮⋮ジン様、何か聞こえませんか?﹂
リザがある方を向いて呟く。雲の少ない晴天の空に、何羽かの鳥
が天高く飛んでいた。
1214
>>>>>
﹁うおおおおおーーーッッ!﹂
﹁怯むなっ!撃て撃ちまくれっ!﹂
﹁駄目だ、全然効いてねぇ!矢が刺さらねぇんだっ﹂
丘の向こうから怒号が聞こえる。
声のする方向へ様子を見に来てみれば、若い冒険者の1団がサイ
クロプス相手に苦戦を強いられていた。
冒険者たちのレベルは20前後といった所か。
ギルドではサイクロプスの討伐にレベル30代の集団、40代で
あれば少数、50以上であれば単独の撃破というのを推奨している。
もちろん討伐に適した事前の準備等は当然のことである。これら
は単なる目安。さらに言えばそれぞれの得手不得手によって状況は
変化するため、もっとも重要なのは各自の判断ということだ。
サイクロプス 妖魔Lv26
1215
巨人のサイズは3メートル強といったところ。サイクロプスとし
ては小型だ。
だが骨太で肉厚なその体の迫力は相当なもの。
目の前に対峙されれば、いかに荒事に慣れた者でも尻込みするの
も当然といえる威圧感がある。
6名の冒険者のうち4名の弓使いが、絶え間なく矢を放っている。
的が大きいからか多くの矢が巨人に命中しているが、殆どの矢が
刺さるまでに至らずに地面に落下していた。
何本か矢が皮膚に刺さったとしても、明らかに傷は浅くダメージ
があるようには見えなかった。
巨人が動くか腕を払うだけで矢は地面に落ちた。
﹁グオォォオアアアアアアァァァアッッ!!﹂
巨人の咆哮が響く。若い冒険者たちは萎縮してしまっているよう
に見えた。
俺たちは︻隠蔽︼を付与しつつ、少し離れた場所から様子を伺っ
ていた。 ﹁やばそうだな。手を貸したほうがいいか﹂
1216
リザがギュッと袖を掴む。
﹁ジン様は大怪我からまだ体力が戻ってないんですよ。危険過ぎま
す。それにこんな腕では満足に戦えないでしょう?﹂
傷口は塞がったとはいえ、失った血は戻らないらしい。
魔法薬や治癒術で回復しても、回復した直後は絶対安静が常識だ
と怒られた。
﹁うーん⋮⋮でも時間稼ぎくらいは出来るんじゃないか?このまま
見捨てるのは寝覚めが悪いし。まぁヤバそうだったら︻疾走︼で逃
げるってことで﹂
正直彼らには荷が重い相手だろう。ベイルまで普通に走って1時
間強ってところか。冒険者は走るのが仕事というくらいの体力仕事
だし、それくらいは走れるだろうが、万が一捕まれば助かる術はな
い。
俺は自分を良い人間だとは思っていない。
側にいる大事な人を守れれば、他人はどうでもいい。悪人ならい
くら死んでも構わないとさえ思うようになった。
でも、もし余裕があるのなら、少し手助けするだけで助かる人が
いるなら、助けたいと言うのも本音だ。
情けは人の為ならずとも言うしな。
1217
>>>>>
﹁すまない、助かった﹂
﹁あ、ありがとう﹂
﹁礼はいいから早く逃げろ!街まで止まらずに走れ!﹂
巨人に向けて︻雷撃︼を放ち、こちらへ注意を向けさせる。自慢
の雷魔術でもダメージを与えることは難しいのだが、光と音があり
派手なのが効いたのか、こちらへと目標を変えてくれたようだ。
俺は巨人と冒険者の戦闘に割って入り、時間を稼ぐから逃げるよ
うに提案した。この状況を見れば、誰もが打ち倒すのは無理だと判
断するだろう。
冒険者の集団は巨人への抵抗を即座にやめて、街まで帰還するこ
とを了承した。
少し状況判断が遅いと思わざるを得ないが、ここで文句をいって
る状況でもないのでさっさと逃げてもらうことにする。
あのような若い冒険者がこんなところを彷徨いているということ
は、ギルドは異常発生をまだ察知していないのだろうか。
念の為に、リーダーと思われる男に森で異常発生が起こっている
ことを伝え、ギルドに連絡してもらうように頼んでおいた。
1218
﹁俺達も少し時間を稼いだら、帰還しよう﹂
﹁はい﹂
︻疾走︼は発動までにタイムラグがあるし、戦闘的な運動を補佐し
てくれるスキルではないので、通常戦闘では使えない使いづらいス
キルである。
しかし敵前から逃亡するというだけなら、問題なくその能力を発
揮してくれるだろう。
タイムラグとは言っても1分や2分もあるわけではないのだから。
リザの︻脚力強化︼があれば︻疾走︼が無くとも十分逃げ切れそ
うだ。巨人との一定の距離を保ちつつ、魔術で牽制を行う。
正直仕留めるのは難しいだろう。利き手が使えない状況では、有
効な攻撃手段であるムーンソードを満足に振るうことも出来ない。
それよりもまず膝を突かせるのも大変そうだが。
﹁これはマズイな﹂
﹁早く逃げましょう!﹂
俺とリザがそれを発見したのはほぼ同時だった。
1219
森の方からもう一体の巨人がこちらへと迫ってきているのである。
時間を稼ぐことへ意識を集中させていた、と言うのもあったかも
しれない。気がつくのが遅れてしまったのだ。
ともあれこうなれば俺もリザも胸中は同じだと思われる。即座に
撤退だ。
だがそれをリザに告げる前に、状況に更なる変化が訪れた。
グラットン 魔獣Lv42 巨大な何かが、何処からとも無く現れた。
そして一瞬の動きで、森からやってきた来訪者の首元に齧り付く。
バキバキと固い何かが砕かれる音が響いた。
﹁まだいたのか⋮⋮﹂
とっくに討伐されたものとして、気にも止めていなかった。
遠目から見てもその巨大さがわかる。頭部が異様なほど巨大化し
た、狼のような魔物だ。
ゴワゴワとした焦げ茶色の毛皮に覆われた巨大な野獣は、仕留め
た獲物の臓物を貪り食っている。
1220
そういえば生息域は森の境界だったかと思い出した。
境界といってもその範囲は広大なのだ。1匹の魔物となれば、そ
うそう出会うものでもない。
攻撃の瞬間まで姿が見えない。高速で移動する。
たぶん︻隠密︼と︻疾走︼のスキルが使えるのだろう。
それによる奇襲戦法を得意とする魔物か。
突然の事態に、近くに存在していた巨人のことを忘れていた。
﹁グオオオオアァァァァッァ!!﹂
雄叫びを上げながら迫る巨人から、牽制の魔術を放ちつつ安全な
位置まで距離をとる。
そしてリザを片腕に抱いて︻疾走︼を発動させた。
1221
第108話 魔獣グラットン1
確か前に見た時はレベル18くらいだったはず。
しばらく見ない間に、随分と成長したようだ。
リザを左手で肩に担いだまま︻疾走︼︻隠蔽︼でベイルを目指す。
長時間の使用は魔力を大きく消耗するが、今の状況を考えると出
し惜しみしている場合ではない。立ち止まり休み休み使用するとい
った悠長なことはできないだろう。
荷物みたいに担がれたリザには申し訳ないが、少しでも距離を稼
ぎたい。
あの冒険者達はどうなっただろうか。まだ街までは辿り着いてい
ないか。鉢合わせになってはまずいだろうな。
あそこでどれくらいの時間を稼げたのかはわからない。
けっこう経ったような気もするし、数分のような気もする。時計
がないと正確な時間はわからなかった。
﹁普段出入りしている西門から南に、大人が1人通るのがやっとの
小門があります。そこは一般の住民は通行不可で守備隊用の門なの
ですが、冒険者も利用できたはずです。そこからならあの大きな魔
獣は中まで入ってこられないのではないでしょうか﹂
1222
﹁なるほど、そうか。そうだな。そこへ向かおう﹂
大森林へ向かうためによく利用される西門は、ザッハカーク砦へ
向かう定期馬車の出入りもあるため、それなりに大きな門だ。大き
な箱馬車が通り抜けられる程には高さも幅もある。
そこへ魔獣を引き連れて向かうわけには行かない。
もちろん精鋭の守備隊が警戒しているのだろうが、奴は隠密能力
のある魔獣だ。あの巨人を1撃で仕留めた攻撃力も侮れない。一般
住民の出入りも多い西門は避けたほうが無難だろう。
﹁⋮⋮ジン様、大丈夫ですか?﹂
あきらかに息のあがっている俺を、心配そうにリザが見つめる。
歩む道は平坦ではない。それどころか道ですらない。緩やかな起
伏のある丘陵とした平原。膝ほどの高さの青草が地面の7割ほどを
覆っている。残りは草の生えていない固い土の荒野といった様子だ。
︻探知︼により歩きやすい場所は選んではいるが、それでも負担は
ある。距離もあるのだ。
街が遠く感じる。地図を確認している時間はない。ここまで来れ
ば、もうすぐベイルの城壁が見えてくるはずだ。
︻疾走︼はどれくらいの速度が出るのか⋮⋮正確には調べていない
が、1.5倍から2倍くらい走る速度が強化されると考えている。
1223
魔力の込め具合や、状況にも左右されるが。
背の低い若木の林を駆け抜ける。大森林を抜けても、木々が全く
無くなるわけじゃない。成長の早い木が、気がつけば小さな森を形
成していることもある。
境界近くに存在する木こり達の村が、森の繁栄を防いでいるのだ。
足が止まり、平原に生える1本の若木に手をかけ、体を預ける。
︻疾走︼を解除し、肩で大きく息をした。
﹁はあぁーー⋮⋮﹂
そっと後ろを振り向く。何かが来る気配はない。︻警戒︼にも反
応はないようだ。︻探知︼も反応ナシ。もう街まであと僅かだろう。
奴の生息圏を抜けたのだろうか。
﹁少し休みましょう。魔力を回復して下さい﹂
そう言うリザが顔を近づけてくる。腕に胸がぐいぐい当たってい
る。
魔力の回復=キス
という流れが定着しつつある様だ。もうしてるか。リザは俺が言
わなくとも、魔力の消耗具合を察知して身を差し出してくれる。い
い娘だ。あれこれ多くを言わなくとも、俺の求めを察してくれる。
これもエルフの直感の力なのか、もしくは彼女の性格なのか。
1224
申し訳ないと感じつつも、つい甘えてしまう。いや今更遠慮する
のもおかしいだろう。俺が彼女に必要とされることが嬉しいように、
彼女もまたそうなのだ。たぶん。たぶん、そうだと思う。
﹁何度も悪いな。頼む﹂
そう言い終わる前に、リザの方から唇を重ねてきた。
激しく求めるように舌を絡ませる。
リザは一度教えたことを、すぐに覚え実践してくる。頭も勘もよ
く、真面目で情熱的だ。
この口吻には︻魔力吸収︼以外の意味が込められていそうだが、
まぁ皆まで言うまい。いまゆっくりアレコレしてる場合じゃないと、
俺の中のもう1人の俺がツッコミを入れたが、コレを途中でやめる
方法があるなら聞きたいものだ。
ザワリッと背中に悪寒が走る。毛が逆立つような、鳥肌が立つと
いった感覚。あるいはザラザラとした猫の舌で肌を舐められたよう
な感触。
唇を放してそっと耳打ちする。
﹁なにか来る﹂ ﹁え?﹂
1225
リザの顔が強張る。
見えない。聞こえない。だが来る。来ているとわかる。︻探知︼
の反応はない。間違いなく奴だ。魔獣グラットン、あれは動くもの
に反応して襲い掛かってくる魔物だ。
生き餌を好む魔物。感覚的なものはそう鋭くない。︻隠蔽︼で騙
せるはずだ。
俺とリザはその場で立ち尽くし、周囲を警戒する。
何も感じない。リザも同じようだ。言葉を発しず、互いに目で確
認する。しかし何時までも、ここでこうしている訳にも行かない。
ゆっくりと歩き出し、その場から離れる。街まであと僅かだ。︻
隠蔽︼で姿を隠しつつ、歩いていけば見つからないはず。そう思っ
ていた。
1226
第109話 魔獣グラットン2
林を抜けた先、緩やかな丘を登ると街まで目と鼻の先だった。
延々と続く城壁が街の巨大さを伺わせる。
そして奴は居た。
巨体を揺らしながら、悠然と歩む1匹の魔獣。でかい。ウシか、
いやもっとデカイだろうか。頭部が異様に巨大化していてバランス
が悪い化物だ。
見晴らしの良い平原を、我が物顔で進む。その先にあるものは、
あの若い冒険者の1団。
更に先の門の周辺にも人だかりが見える。一般の住民だろうか。
人が多いマズイ。あの中に奴が突っ込むことを考えると、大変な事
態になりそうだ。
﹁いつのまに先を越されたのか?どうするか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮魔物がいるのですか?﹂
リザには見えてないようだ。魔獣はその存在を認識させない︻隠
蔽︼か︻隠密︼のスキルを使っている。
俺は魔眼があるために視認できるのだろう。
1227
拳を握りしめる。
正直戦える状態ではない。魔力も大きく消耗している。リザから
魔力を分けて貰ったが、回復したのは極僅かだ。根こそぎ奪う訳に
も行かないし︻疾走︼には多くの魔力を消耗する。
できれば戦いは避けたい。
魔獣は無視して街へ入るか。
いや魔獣の存在だけでも知らせればいいのか。自分の身を守るの
は自分。それが冒険者の流儀であろう。
リザと軽く打ち合わせをして走りだした。
︻脚力強化︼︻隠蔽︼︻疾走︼を駆使して魔獣を迂回して先に回る。
横目でちらりと視線を移すと、大きく開いた口から涎がダラダラ
と溢れているのが見えた。
目の部分は毛で覆われていて確認できない。
まるで食欲だけの化物のようだ。
﹁お前ら、魔獣が近くまで来ているぞ!門まで走れ逃げろ!﹂
冒険者の1団へと駆け寄り声をかける。彼らの姿を見ると、既に
逃走のために持てる体力は使いきったといった様相だった。息も絶
え絶えに、今にも足が止まりそうだ。
1228
突然声を掛けられて驚いたのか、それとも巨人の襲来を知らせた
俺がなぜここにいるのかと疑問なのか、若い冒険者達は唖然とした
表情を見せていた。
﹁え?な、なに?﹂
﹁⋮⋮あれ?アンタは⋮⋮﹂
疲れで頭が回らないのか、単純に状況が理解できないのか反応が
鈍い。
だがのんびりしている時間はない。
後方にいる魔獣の歩みが、その速度をあげた。狙いを定めたのか。
冒険者の1団、隊列の一番後ろを歩く女に魔獣の牙が迫る。
︻雷撃︼
﹁ギャッ﹂
魔獣から短い悲鳴が漏れる。指先から放たれた紫電の輝きが20
メートル先にいた魔獣の体に直撃した。轟音と閃光が、その身を僅
かに怯ませたのだ。
﹁⋮⋮あまり効いてないな﹂
1229
体からいくらか白煙があがっているが、致命傷には至っていない。
というか、あまりダメージがないように見える。
俺の攻撃を受けて︻隠密︼のスキルが解除されたのか、魔獣がそ
の姿を現した。
﹁きゃああああぁぁぁっっ!?﹂
﹁うおおおああああ!?﹂
突如姿を現した巨大な魔獣に、冒険者達は驚愕の声をあげる。
﹁フゥゥーーー、フゥゥーーーー﹂
魔獣の荒い呼吸が聞こえる。大きな赤い舌をベロリとだして、獲
物を見定めているようだ。
﹁いいからさっさと走れえ!止まったら食われるぞ!﹂
動く獲物、生き餌を好んで襲うらしいので目の前で走って逃げる
のは危険な行為なのかもしれないが、既にターゲットにされている
可能性が高い。
全員に︻隠蔽︼を付与している時間もないし、そもそも︻隠蔽︼
は認識されている状態からでは効果がないから無駄だろう。
つまりさっさと逃げるか、ブッ殺すしか選択肢はないのだ。
攻撃した俺の方に向かってくるかと思ったが、一瞥すると興味を
1230
失せたのか再び冒険者の女へ向き直る。
ダメージがなかったので、敵と認識してないのだろうか。
魔物の接近に焦ったのか、弓持ちの冒険者たちが矢継ぎ早に魔獣
の頭部へ矢を放つ。
﹁あっ、効かない?駄目だ固い!﹂
巨人のように皮膚が固いのか、放たれた矢の殆どが地面に落ちた。
だがその内の1矢が、頭部に刺さる。偶然だろうが眼球に当たっ
たらしい。
﹁グギャアあァァァァァァーーーーーーっッ!!﹂
然しもの魔物も痛覚はあるようだ。深く刺さった矢を抜こうと、
前足を顔へと動かすが短すぎて届かない。犬型の魔獣なのだ。前足
で顔に刺さった矢を抜くのは無理だろう、体型的にも。
僅かな時間、身震いするようにその場に立ち尽くしていたが、痛
みが収まったのか再び動き出す。何となく怒らせただけのような、
気もしないでもない。
﹁早く逃げろ!無理だ、救援!そうだ、救援を呼んでくれ!﹂
慌てて声を荒げ、逃げるように促す。守備隊がいるなら、魔物を
退けるのに手を貸してくれるかもしれない。ダメでも人を呼んでも
らえるだろう。
1231
若い冒険者たちは、火が付いたかのように走りだす。自分たちの
攻撃力では、魔獣を仕留めるのが難しいと理解したようだ。
俺の脇を掠めるように空気の塊が通過し魔獣へ迫った。
4発の︻風球︼は2発外れ、2発魔獣の頭部に着弾する。やはり
ダメージは無さそうだ。多少煩わしそうに、首を振って見せた程度
である。
﹁口だけだして、手は出さないのではなかったのですか?﹂
リザのジト目が突き刺さる。
﹁⋮⋮怒ってるのか?﹂
﹁怒ってなどいません﹂
そういうリザは軽く溜め息を吐いた。やれやれといった具合だっ
た。
﹁あー、いや、ついな⋮⋮﹂
俺が口ごもると﹁目に付く人、みんなに手を差し伸べていたらキ
リがありませんよ﹂とリザが窘める。
まぁリザは俺の身を一番に心配してくれているのだろう。それが
わかるぶん、申し訳無い。心配掛けるような行動は、しないで欲し
いといったところか。
﹁でもジン様らしいですね﹂
1232
そう言って溜め息を吐いたリザは、杖を構え直して︻風球︼を放
った。4発の空気の塊は、正確に魔獣の胴体に着弾した。
﹁相変わらず、すごい精度だな﹂
これで戦闘職ではないというのだから、不思議な事だ。明らかに
並以上の戦力は有していると思う。
﹁射程と命中精度だけです。威力は無いですからね﹂
魔獣がこちらへ向き直る。度重なる攻撃で、こちらを敵と認識し
たようだ。
﹁それより、いつまで時間を稼ぐんですか?﹂
既に城壁は目と鼻の先。
門までも僅かな距離だ。そこまで行って助けを求めた方が良いの
では?というリザの意見を俺は否定した。
﹁大丈夫。救援が来てくれたようだ﹂
1233
第110話 魔獣グラットン3
人だかりのほうから、走りこんでくる人影があった。
倒れこむほどの前傾姿勢。手を大きく振り、異様な速度でこちら
へ近づいて来る。︻疾走︼のスキルだろうか。走るフォームは無茶
苦茶だが速い。異様な速さだ。
まだ若い小柄な少年だ。獣耳と毛量の豊かな尾を持つ獣人族のよ
うだ。
速度を維持したまま、魔獣の眼前へと迫る。そのまま激突してし
まうのではないのかという勢いだった。
だがそうは成らなかった。彼は魔獣の口へ至る目前で、地面に片
手を突いた。そしてそれを起点に体を回転させた。片手でやる前方
倒立回転だ。
そしてそのまま魔獣の鼻先へ踵落としを放った。走りこむ速度、
回転の遠心力を加えた一撃。
﹁ギャンッ﹂
ドガッという鈍い音と、魔獣の短い悲鳴が同時に聞こえた。
鼻先は弱点なのか、魔獣はよろめき痛みに悶えているようであっ
た。
1234
﹁目立ちたがりか⋮⋮﹂
派手な技を決めたロムルスが、こちらへ向き直り笑顔で親指を立
てる。
彼を追いかけるように、獣狼族の戦士と思われる数名がこちらへ
走り寄ってきた。
﹁君たち、大丈夫か?﹂
革の軽鎧に身を包み、手に槍を持った獣狼族の戦士だ。
レベル38、42、43
皆総じてレベルが高い。一番歳が行っている者でも30代前半。
戦士として脂ののった頃合いか。鍛え上げられた体付きと、身のこ
なしから精鋭の戦士たちだとわかった。
俺は救援の礼を言い、手短に状況を説明した。
﹁わかった。コイツは我々で処理して良いのだな?﹂
﹁はい。お願いします﹂
>>>>>
1235
﹁おおっ、固い!﹂
魔獣の爪を掻い潜り肉薄する。そして腰の入った拳を叩き込んだ。
彼は攻撃の瞬間だけ︻闘気︼を発動させているようだ。それも全身
に発動させるのではなく攻撃する箇所、つまり腕だけに限定して発
動させているようだ。そんなやり方もあるのか。初めて知った。
ロムルスの拳が魔獣の腹にめり込んだ。
ダメージはあるようだが、致命傷には至っていない。
﹁ロム。いつまでも遊んでいないで、さっさとケリをつけろ。作戦
まで時間がないぞ﹂
一番年長と思われる獣狼族の戦士が叱咤を送る。
皆それぞれに戦士としての凄みがある。レベルだけではない迫力
のようなものを感じる。それに手に持つ武器は、それなりに業物の
ような雰囲気があった。もっと近くで見てみないと調べられないが、
近づいてジロジロ見つめるのも怪しげなので自重している。そうい
った視線に敏感な者もいるようだし、あらぬ疑いを掛けられるよう
な真似は避けたい。
﹁はーい。わかってますよー﹂
ロムルスは気軽な感じで答えた。
軽い身のこなしで魔獣の攻撃を避け︻闘気︼を乗せた攻撃を放つ。
1236
攻撃の瞬間に黄金のオーラがブワッと燃え上がるようなエフェク
トが見えるのだ。アレちょっとかっこいいな。俺も出来るようにな
りたい。
俺の視線に気がついた戦士が声を掛けてきた。
﹁もしかして君も闘気が扱えるのか?﹂
あの︻闘気︼のエフェクトというのは普通は目に見えないらしい。
だが︻闘気︼の修得者同士だと、見えたり感じたりするそうだ。た
ぶん俺は魔眼があるので見えているんだと思う。
﹁⋮⋮ええ。一応使えます﹂
返答に困ったが、あまり嘘は付きたくない。助けてもらったしな。
﹁そうか。いや、詮索するつもりはないのだが、人族で扱えるもの
は珍しいのでな。そうか君も戦士なのだな﹂
獣人族では闘気のスキルを修得して一人前の戦士と認められるら
しい。
何となく感心されてる様子だ。
まぁ、それはともかく。
﹁手伝わないのですか?﹂
いまロムルスは1人で魔獣と戦っている。
1237
その周辺には彼を見守る獣狼族の戦士たち。
全員で囲んでボコボコにするのかと思いきや、他の戦士たちは静
観を決め込んでいる。なぜだ?
﹁いや、奴が1人でやると言ってな。アレの皮が欲しいらしい﹂
ロムの装備は普通の革のジャケットといった装いだ。戦士の装備
といった感じではない。
﹁私達がこれで手伝うと穴だらけになるからと言ってな⋮⋮﹂
確かに︻闘気︼で強化された槍で貫けばそうなるのかな。しかし
随分と余裕だな。
ロムルスに視線を送ると、そこまで余裕があるようには見えない。
多少疲れが見え始めている。手伝ったほうがいいんじゃないか?
﹁リザ。マスターへの報告、頼んでもいいか?﹂
﹁はい。どうするおつもりですか?﹂
﹁時間かかりそうだから、手伝ってくる﹂
鞄に手を差し込み、中を探る。
﹁ロム。これを使え!﹂
1238
魔獣と一進一退の攻防を続けるロムルスに、鞄から取り出したも
のを投げて送った。 弧を描いて投げられたそれを空中で掴む。
それは一振りの魔剣。
﹁これは?﹂
ロムの手に収まった魔剣は、魔力を受けて音もなく伸びた。
﹁投げろ!﹂
内臓を蹴り上げられて蹌踉めいた魔獣は、再び覚醒してロムルス
に迫った。
咄嗟に理解したのか、彼はやり投げの要領で魔剣を放つ。
︻闘気︼のスキルが発動する。︻投擲︼のスキルがその動きを補正
した。
放たれた魔剣、鎧通しは︻貫通︼の効果を発揮して魔獣の眉間に
深々と突き刺さる。
﹁グギャアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーッッ!!?﹂
頭蓋を剣が突き抜けても、まだ息があるとはすごい生命力だ。
荒れ狂う魔獣は奇声を発しながら、暴れている。激しい動きにロ
1239
ムルスも手が出せないようだ。
﹁止めさしちゃっていいか?﹂
気軽な感じでロムに聞くと﹁毛皮を出来るだけ傷つけないように
お願い!﹂と頼まれたので了承した。
コイツの毛皮を使えば、良い防具が作れそうだという話だ。
残された僅かな魔力でも、手負いの獣に止めを刺すくらいはでき
るだろう。
手のひらに魔力を集める。
紫の閃光が生まれ、輝きを増していく。
雷魔術︻雷撃︼S級
一瞬の隙を見極め、眉間に刺さった魔剣目掛けて︻雷撃︼を放っ
た。
巨大な稲妻が解き放たれ、魔獣を襲う。
バリバリという空気を引き裂く轟音と、周囲を照らす閃光がその
魔術の破壊力を物語っていた。
一瞬の出来事だった。
魔獣は最後の瞬間の姿のまま硬直し、体中から白煙を上げている。
ぐらりと巨体が地面に伏した。高熱と衝撃が魔剣を通して、体内を
1240
破壊したのだ。もう起き上がることはないだろう。
魔力を使い果たした俺は、膝から崩れ落ちる。
見計らっていたのか、リザが背後から抱きかかえるようにして受
け止めた。
﹁リザ、ごめん。後は頼む﹂
﹁お疲れ様ですジン様﹂
疲労と魔力の消耗により限界を迎えた俺は、そのまま意識を手放
すことにした。 1241
第110話 魔獣グラットン3︵後書き︶
今回で2章終了です︵`・ω・´︶ゞ
閑話を挟みつつ後日3章へ移行します。
︳︶m
少々時間があくかもしれませんが、今後共お付き合いよろしくお願
い致しますm︵︳
1242
閑話 冒険者たちの戦い1︵前書き︶
※三人称?
1243
閑話 冒険者たちの戦い1
ジンたちが雷巨人と出会っていた頃、ベイルは物々しい雰囲気に
包まれていた。
既に前日冒険者ギルドからベイルの運営議会を通じて、ザッハカ
ーク大森林における魔物の異常発生について要警戒の報が発令され
ていた。
これは端的に言えば、何時何が起こるかわからないといった状況、
要警戒の状態を指し示している。
多くの冒険者は自宅ないし拠点で待機、いつでも動ける準備をし
ていた。
一種異様な雰囲気が街を包む中、それは起こった。
いつもなら朝の時間を知らせる街の鐘の音が、けたたましく鳴り
響く。
狂ったように鳴り響くその鐘の音に起こされた街の住人たちは、
初めて聞くその鐘の音に驚愕した。
﹁ああああぁぁぁぁ⋮⋮﹂
﹁なんてことだ⋮⋮まさか本当なのか﹂
﹁た、大変だ。は、はやく準備を﹂
1244
﹁あぁ、女神様。どうか我らをお救い下さい⋮⋮﹂
﹁子供たちを安全な場所に!﹂
鐘の音を聞いた者たちが一斉に動き出す。
ベイルに住むものにとって鐘の音は重要な情報源である。
現在の時刻を知らせるのは勿論のこと、議会召集、裁判、罪人の
処刑、大きな市場の開催など、街の人にとって重要な事柄について
教えてくれるのも鐘の音なのだ。
鳴らし方の種類によって今何が起きているのかを、いち早く知る
ことが出来るというわけである。
そして特に重要視されているのが、敵の襲来を知らせる鐘であっ
た。
戦時であれば敵国の軍隊が、平時でも盗賊の類が襲撃にくる可能
性はある。︵ベイルでは未だどちらの経験もないが︶
今回のこの鐘の音は、魔物の異常発生を知らせるもの。
それも最大レベルの災害、都市への襲撃を知らせる報であった。
大森林では2年に1回程度のペースで異常発生が起きている。
1245
これは頻度で言えば、世界的に見ても非常に高いと言える発生率
だろう。
だが多数の斥候を森に配し、時間を掛けて調査を進めることで、
ベイルではその被害を最小限に抑えることに成功している。
街が直接の被害を受けた記録は、ベイルの冒険者ギルドの歴史に
は存在しなかった。
﹁戦える者は武器を取り所定の場所へ!ギルド会員は所属するギル
ド屋舎へ赴き、指示を待て。戦えぬ者は所定の避難場所へ。急げ!
ぐずぐずするな!﹂
街の彼方此方で守備隊の衛士が声を上げている。
街で緊急事態が起きた際、住民はそれぞれ予め決められた行動を
とる。城壁で囲まれた空間を共有する集団なのだ。それぞれが勝手
な行動をとれば、その被害を悪戯に拡大させてしまう。
何かあればそれに対応した行動を速やかに行うのが、都市に住む
者の最低限のルールである。
>>>>>
冒険者ギルドには既に装備を整え、いつでも出撃できるといった
様子の冒険者たちで溢れていた。
1246
﹁砦からの報告です。多数のサイクロプスが砦周辺に集結しつつあ
ります。希少種の存在も確認されました﹂
ベイルへ向かっている一団も確認されている。森へと迎え撃ちに
出向くのはリスクが高い。高濃度の瘴気が広範囲に発生していて、
視界も効かず魔術の類も正常に働かないのだ。
冒険者ギルドのマスターゼストは、自身の執務室でエリーナから
の報告に耳を傾けていた。
﹁ほう⋮⋮籠城戦の準備は?﹂
﹁問題ありません。A級冒険者であるアルバス様のクランが駐留し
ています﹂
﹁そうか﹂
ゼストは顎に手を当て思案の表情を見せる。
既に異常発生の報はベイル全域へ通達された。治安維持の任に着
いている守備隊が、住民たちの避難誘導を行っているだろう。
﹁希少種の巨人が手下を連れて、砦とベイルを襲撃か⋮⋮﹂
ゼストはクククッといった含んだ様な笑い声を漏らした。
﹁⋮⋮マスター?﹂
エリーナの訝しげな視線がゼストへと注がれる。
1247
﹁おかしいとは思わんか?臆病な巨人が縄張りを出てきてのこの騒
ぎを﹂
ベイルへ出された異常発生の報。王国の危惧していた巨人の異常
発生が現実の物となった。
巨人はザッハカーク大森林で最強の怪物といって差し支えない難
敵だ。王国の貴族たちはその怪物が、いつの日か森を抜け出て領内
を蹂躙する日が来るのではないかと常々危惧していた。
竜さえも絞め殺すと言われる怪物である。それが大群、異常発生
となって領内に雪崩込めば、どれほどの被害が出るか。日々安全な
領地で、暮らしている貴族たちが恐れるのも無理はない。
﹁お前は異常発生について、どこまで知っている?﹂
ゼストはエリーナの顔も見ずに語りかけた。
﹁⋮⋮異常発生ですか?原因は不明とされていますが、ある期間に
置いて同時多発的に魔物が発生し、行き場の無くなった、もしくは
混乱した魔物が普段の生活圏を抜けて人の領地に侵入する現象でし
ょうか﹂
こんな時に何を悠長な問答をしているのかと、エリーナはゼスト
に疑問の念を抱く。
﹁異常発生は通常、虫やなんかの魔物に多いんだ。あれは大量の卵
を産み、孵化するタイミングが合えば大量の魔物が発生する可能性
がある﹂
1248
通常の生物が魔素に汚染されて魔物化する。
既に魔物化した生物同士であれば、その子供は生まれた時から魔
物になっている。
大森林など、魔素の濃い領域であれば、生物が魔物化するサイク
ルより、魔物としての生態系が既に確立されているのだ。
しかし魔物は様々な理由から、魔素の薄い領域では正常に暮らせ
ない場合が多い。そのため積極的に森など、その生活圏から出るこ
とは少ない。明確な理由があれば別だが。
﹁魔物の異常発生というのは、神の悪戯などによって降って湧くよ
うなものなんかじゃない。詳しい原因が解明されていないだけで、
自然現象の1つなんだ。だから巨人の大群も異常発生というより、
もともと森の奥地にいたやつが理由があって飛び出してきたものな
のだろう﹂
﹁⋮⋮はぁ﹂
エリーナはそれがどうしたと、思わず溜め息が漏れた。魔物の大
群が森を飛び出し、人の領地を犯そうとしている。つまりは異常発
生である。同じことだろう。
﹁巨人は臆病なんだ。本来な。希少種だってそうだ。森の奥地にあ
る縄張りから滅多に顔を出さない。あいつらは人間の中にも強い奴
がいることを知っているからな。だが今回に限って出てきた。巨人
の異常発生など、ベイルの冒険者の歴史上初めての事だ﹂
1249
巨人はより強い存在の言うことを聞く性質がある。普段は群れる
ことがない魔物だが、強いリーダーがいれば群れることもあるのだ
とか。
おそらく希少種が群れのリーダーなのだろう。
だが希少種も本来臆病な魔物だ。いや警戒心が強いと言ったほう
がいいのか。
ともかくおいそれと縄張りから出ることはない。
それが出てきた理由は1つしかないだろう。
﹁⋮⋮希少種に命令できる存在ですか?﹂
﹁そうだな。何かの意志によって巨人どもは動いている。俺にはそ
う感じるね﹂
エリーナの表情に不安の色が宿る。魔獣を操る獣使いといった職
業は存在するが、同じように巨人も操れるものなのだろうか?まし
てや希少種ともなると⋮⋮
そんな存在が王国に敵意を持っていたら⋮⋮
﹁お前も出る準備をしておけ。場合によっては働いてもらうぞ。現
役を退いたとはいえ、元A級冒険者なのだからな﹂ 1250
閑話 冒険者たちの戦い2
ザッハカーク砦。
人がこの地に住まうようになる前から存在している古代遺跡群、
その1つを改修して作られた大森林内にある要塞だ。
ベイルより西に約50キロの森の中に位置するその要塞は、現在
深い瘴気に包まれていた。
いや正確に言うと、要塞の周囲500メートル程は木々が伐採さ
れていて地面が見えている。定期的に草も刈られていて、いまはこ
の開けた場所に置いては瘴気の存在もなく見晴らしはいい。
だがそこを越えて森へと踏み込めば、一寸先も見えないほどの高
濃度の瘴気が支配しているといった具合だ。
瘴気は森を覆うようにその範囲を徐々に高めている。時と共に風
の流れに乗って要塞周辺にも差し掛かるようになり、見晴らしのい
い空間も瘴気の霧が溢れつつあった。
﹁どうだ?何か動きはあったか?﹂
砦に設置された4つの監視塔の1つ。襲撃に備えて哨戒にあたっ
ていた守備隊の若者に、壮年の男が声を掛けた。
若者は遠見筒にて森を監視していた。斥候の報告ではあの瘴気の
中には、数えるのも馬鹿らしくなるほどの巨人が潜んでいるのだと
1251
いう。
しかしこの濃度では、いくら目を凝らそうともその姿を確認する
ことは叶わなかった。
﹁いえ、今のところは﹂
砦に巨人が姿を見せることは稀にある。
頻度で言えば境界付近よりは多いだろう。
しかし、森のなかには獣人共の村もエルフ達の村も存在している
ため、そうそう彼らの包囲を突破出来るものでもない。
彼らは古の盟約に従い、森の奥地に潜む危険度の高い魔物が森の
外へ出るのを防いでいるらしい。
﹁不気味なほど静かですね﹂
若い守備隊の男が呟いた。
巨人が行軍してくるとあれば、地鳴りや木々の破壊される音、巨
人たちの雄叫び等など聞こえてきても良いはずだ。
それが1つとしてない。不気味だ。ひっそりと近づいてきて喉元
に刃を突き立てる死神のように、音も気配も無く忍び寄ってきてい
るとでも言うのだろうか。
﹁だが上の連中は信頼性の高い情報だと判断したんだろう﹂
1252
話によれば、ある斥候が砦に使役している獣を寄越したらしい。
獣使い本人は姿を見せなかったそうだが、登録してある個体であ
ることが確認された。そしてその身に緊急のメッセージが備えられ
ていたことも。
斥候はいざというときの為に、暗号や緊急の伝達方法を備えてい
ることが多い。
今回ベイルで任務にあたっていた斥候は共通する暗号を使ってい
た。
そして獣は赤い布を巻きつけられていた。
赤は異常発生を確認したという暗号だ。それも最大レベルの警戒
を示すものであった。
﹁もともと巨人の異常発生を警戒してましたからね。まぁ今でも信
じられませんが﹂
巨人は強大な敵ではあるが、臆病で森の奥地から滅多に姿を見せ
ない。稀に姿を見せるのは好奇心に駆られた若い個体くらいである。
そしてベイルの歴史には巨人の異常発生は存在していない。
異常発生というのは、虫系の魔物や小型の妖魔、小型の魔獣が殆
どなのだ。いや全てと言って良いかもしれない。
﹁そうだな。これは本当に悪い夢でも見ているようだ﹂
1253
守備隊の隊員たちは思わず絶句する。
森から静かな足取りで姿を現した巨人。
雄叫びを上げるわけでもなく、勇ましく武器を振り上げることも、
味方を鼓舞する仕草も見られない。
凶暴な巨人たちに似つかわしくない、亡霊のような足取りで、森
の切れ目から続々と姿を見せる。
巨人。巨人。巨人。巨人。巨人。
森の奥から続々と巨人が姿を現す。ゆったりとした足取りで大地
を踏みしめ、砦を目指して進軍を開始した。
その直後に激しい爆音が起こった。
砦の領域へと侵入したある巨人の足元から、轟々と炎と黒い煙が
上がったのだ。
炎に巻かれた巨人は片足を炭化させ、前のめりに倒れる。
斥候部隊が予め浅く地中に埋めておいた、爆炎の魔導具が作動し
たのだ。
地中に埋められたこの魔導具は巨人が踏み込み、足をあげると起
動する仕組みになっている。
起動すると爆発力と高温の炎を発生させ、対象を焼きつくすのだ。
1254
値段は張るが今回はベイル史上最大の戦いともあって、用意でき
る全ての爆炎魔導具が設置されている。
森との境目に大量に埋め込まれた魔導具は、侵入してくる巨人を
次々に爆破、炎上させていった。
しかしそれだけで巨人の進行を止めることはできないようである。
数を増していくそれに、隊員は慌てて声を荒げた。
﹁て、敵襲ーーーッ!!﹂
その声に目を覚ました隊員たちが各々に動き出す。
﹁バリスタを準備しろ!アルバス殿のクランに通達を!急げ敵は目
の前だ!﹂ >>>>>
監視塔に設置された大型の固定砲台、バリスタから発射される矢
は成人男性の腕ほどもある太く短いものである。
ドワーフの職人と人族の学者が共同で開発したベイル自慢の兵器
だ。
1255
選りすぐりの魔獣の腱を弦に、本体となる部分にはミスリルを初
めとした希少な金属が使われ、木材は大森林奥地から切りだされた
特別な物を素材にしている。
ベイルで使われている魔導具の中でも、非常に高価な魔導具の1
つであった。
バリスタから勢い良く発射された矢は、巨人の足元の地面を抉っ
た。 ﹁馬鹿野郎!もっと引きつけろ!的はデカイんだ、素人でも当たる
ぞ。落ち着け!﹂
そういって唾を飛ばして激を送るバリスタ隊の隊長こそ、一番落
ち着いたほうが良いと隊員たちは思った。
バリスタ隊は砦に在駐している守備隊の1部門で、5人1組で監
視塔に設置されたバリスタを操作する部隊である。
監督する隊長と装填、照準、発射等に分業にて操作する。
バリスタは簡単に言えばクロスボウを巨大化させた、対大型魔獣
用の戦術兵器だ。
有効射程300メートル。砦周辺の更地にはその限界を示す印の
杭が刺してあるため、そこを越えて侵入してきた巨人を狙い撃ちに
すれば良いのだ。
﹁くそっ、わらわらと何処から⋮⋮しかもこいつら不気味なほど静
かで気持ち悪りい﹂
1256
放たれた矢は高速で撃ちだされ、巨人の喉元を直撃し突き抜けた。
一撃で絶命したのか巨体は仰向けに倒れこんだ。
更に隣の隊から撃ち込まれた矢が、別の巨人腹部に直撃する。腹
に巨大な穴を開けた巨人はその場に膝をついた。
バリスタの破壊力は分厚い巨人の皮膚を突破できるようだ。
しかしバリスタは2分間に1発と、連続射出に難があるのが弱点
であった。
魔石を使って魔力を充填し、人の手を使って弦を巻き上げ、照準
を修正するのだ。それ相応の時間は掛る。
また砦に設置されたバリスタは8機と十分とは言えない数だった。
非常に高価故に大量生産するわけには行かず、この数を揃えるだ
けでも相当な資金が掛かっているのだ。
﹁壁に近づけさせなければ良い。十分に引きつけて1匹、1匹、確
実に仕留めよ!﹂
緩やかに歩みを進める巨人の群れに、追随するようにゴブリンの
姿も見える。
通常であれば種族越えて魔物同士が徒党を組むことはない。人間
たちの職業のように一方的に使役する関係は稀に見られるが、巨人
1257
から見ればゴブリンは食料程度にしか見えないと思われる。かねて
より巨人という種族は、同族以外の動く生き物を食料だと認識して
いる節があった。
どうやら巨人はゴブリンを無視しているようだ。
仲間として徒党を組んでいるようには見えない。もしかしたら巨
人の進行に便乗しているのだろうか。
巨人は巨人で、何かに突き動かされるように、まるで亡霊かのよ
うな覚束ない足取りで歩みを進めていた。
﹁こっちに兵を回せ!ゴブリンが多い!﹂
城壁上から守備隊が雨あられのごとく矢を撃ち込んでいる。
彼らに支給されているクロスボウは、ゴブリンは殺せても巨人は
殺せないようだ。
﹁巨人が1匹来てるぞ!バリスタ隊はなにやってんだ!?﹂
城壁に近づく巨人。5メートルはあるだろうか。あんなものが壁
に張り付けば、そう持たない。ゴブリン程度では揺るがない要塞も、
巨人の攻撃を防げる可能性は低い。
そのとき、どこからか放たれた1本の矢が巨人の単眼を撃ち抜い
た。
﹁オオオオオオォォォォォーー⋮⋮﹂
1258
巨人が苦悶の声を上げる。
どこから、と考えれば城壁上からなのだろうが、守備隊の者では
ないようだ。
ほぼ同時かと思えるほど、僅かな間を開けて巨人へと矢が殺到し
た。
巨人の頭蓋に矢が深々と突き刺さる。
頭蓋は金属の兜かと思えるほどに頑強で、並の攻撃では傷さえ付
けることも難しいのだ。
それが城壁上より放たれた矢によって、いとも容易く貫かれてい
た。
﹁うへー。すげーな。巨人多すぎだろー。やべーよ、コレ撤退した
ほうがよくねー?﹂
背の高い細身の男が、手にした長弓へ矢継ぎ早に矢を番える。
口を動かしながらも、手の動きに微塵も迷いはなく、放たれた矢
は次々と魔物の急所に吸い込まれていった。
﹁ロビン様、アルバス戦士団は砦の守護の任を受けてるんですよ。
そんな弱気な発言は士気に関わります!ダメですよ、メッです!﹂
長身の男に付き従うのは、幼子のように背の低い小柄な少女だ。
1259
装備からすると治療師だろうか。ずいぶんと身長差のあるでこぼこ
コンビだ。
﹁メイちゃんは厳しいなー。なんか最近アルバスの親父さんに似て
きたんじゃない?﹂
﹁そうですか?﹂
メイと呼ばれた少女は首を傾げる。
﹁うんうん、髭のところとか、顎が割れてるところとか。もうそっ
くりだよ、クリソツだよ﹂
﹁私は髭も生えてないし、顎も割れてませんよ!?﹂
メイは驚愕の声をあげた。
﹁大胸筋とかすごい鍛えられてるし、親父さんみたいにバインバイ
ン動かせるっしょ﹂
メイは自分の無い胸を擦った。
﹁動かせません!﹂
メイは悲哀の篭った声で叫んだ。
﹁そうなのかー。もうちょっと大きくなれば動かせるんじゃない?
俺っちが手伝ってあげるよ!﹂
ロビンは爽やかな笑顔を作り、親指を立て顔を向けた。 1260
﹁今の発言、お父様に報告します!﹂
﹁ごめんなさい!﹂
ロビンは即座に謝罪した。
そんなやり取りをしている間にも、矢筒から流れるような手捌き
で矢を取り出しては、瞬時に狙いを定め撃つ。という動作を延々と
繰り返していた。
そしてあれよと言う間に、この付近の魔物は駆逐されてしまった。
﹁⋮⋮何ですかアレ?﹂ 険しい顔で守備隊の男がボソリと呟いた。
﹁アルバス戦士団のNo.2。副団長のロビンだろう。500メー
トル先の飛翔する小鳥をも射抜く弓の技と、貫通の魔術付与を施さ
れた魔弓を操るハーフエルフの狩人だそうだ﹂
あれでB級だと言うのだから、A級の団長とは如何程の者だろう
かと、隊員たちは囁きあった。
﹁A級のアルバス殿も達人と称される御仁だが、この砦にはもう1
人A級がきているようだぞ﹂
﹁え?そうなんですか?そんな話、初めて聞きましたね﹂
1261
なんでもベイル防衛のために待機しているのは暇だから、激戦に
なりそうな砦に来たいと急遽配置移動を申し出て決まったそうだ。
﹁へぇ⋮⋮ずいぶん自由人ですね﹂
ともあれ強力な戦力となるA級が2人もいるというのは心強い。
A級というのは単独で巨人の撃破も可能と称されるほどの上位ラ
ンカーなのだ。
﹁まぁ、冒険者ってのは我の強い連中だからな。特に上位になれば
なるほど、そういう傾向が強い。A級、S級なんて変人の集まりだ
ってよく言うだろ?﹂
アルバス殿のクラン連中に聞かれると怒られそうだが、実際噂を
聞く限りでは否定出来ない話ではある。
﹁なんて言ったかな⋮⋮たしかベイルでも珍しい竜人族の戦士で、
カタナとか言う珍しい剣を操る剣術家だと聞いた気がする﹂
冒険者ランクが上位になればなるほど、名前も相応に知られてく
るというもの。
B級くらいだと、同業者や関係者なら知ってるくらいの知名度で、
A級ならベイルに住むものなら誰しも知ってるクラスの知名度、S
級であれば国中が知ってるくらいの知名度になる。
だとするとA級で名前が知られていないのは珍しいと言える。
1262
﹁それってちょっと変わった服装の人ですか?﹂
隊員の1人が何もない空を見つめ、自身の記憶を手繰り寄せる。
﹁あぁ⋮⋮そうだな。花街の妓女どもの服装に似ていた気がする﹂
﹁あれ?⋮⋮その人なら、だいぶ前に砦を出て行きましたよ﹂
﹁ん?﹂
何人かの隊員の顔に疑問の色が浮かんだ。
この現状で砦から出て行くってどういうことだ?敵前逃亡?なの
かと疑惑の念を巡らせる。
﹁砦の防衛の任でここに配属になったのではないのか?﹂
﹁俺にふさわしい獲物がいるな。雑魚はお前らにくれてやる﹂と言
って勝手口から飛び出していったのだという。
﹁⋮⋮なんだそれは﹂
﹁喜べ今宵は存分に強者の血を吸わせてやろうぞ﹂と自分の剣に語
りかけていたところも目撃したらしい。
﹁⋮⋮随分と変わった方のようだな﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
ともあれ、そのA級の剣士様は随分と自由な人なのはわかった。
1263
彼をどういった処分にするのかは上の人が決めるもの。自分ら守
備隊の隊員は与えられた任務を熟すのみである。
﹁アルバス戦士団は働いてくれているようだし、我々は我々の仕事
を果たす。巨人はまだまだ無数にいる。気合を入れ直すぞ!﹂
﹁おおっ!﹂
城壁上の1箇所で声をあげる隊員たちの姿があった。 1264
閑話 リュカVS雷巨人︵前書き︶
※リュカ視点 主人公と別れた後
1265
閑話 リュカVS雷巨人
ジンとリザを送り出したリュカは、目の前の希少種に向き直り思
案する。
心情からすれば2人を街まで送り届けてあげたい所ではあるが、
目の前のコイツを放っておく訳にはいかない。
ゼストに様子を見てくるように言われたのは2人のことなのか、
それともこの希少種のことなのか⋮⋮
どうもジンを気にかけている様子ではあったが、まぁ確かに普通
の新人ではないようだし、あのアルドラの弟子なのだ。特別と言え
ば特別か。
紫の肌を持つ巨人の希少種。
巨人の希少種自体は前に森の奥地へ調査に出向いた時に、遺跡内
部で見たことがある。これとは違う容姿ではあったが、相当な能力
を秘めていることが見るだけでわかる代物だった。
だがそういった巨人の実力者は総じて用心深く、自分の縄張りか
らまず出ることはない。
このように強力な個体が縄張りを出て彷徨いてるなんて初めて聞
く話だ。
1266
﹁まぁ、ジンの話していた魔人のこともあるし、手早く片付けてし
まいましょうか﹂
リュカはそう呟くと、空中を探るように手を動かした。
指に光る金属の輪。遺跡から回収した魔装具の1つで収納の指輪
と呼ばれている。
異空間に道具を収めておけるこの魔装具は非常に重宝している。
冒険者の鞄も便利だが、戦闘中に咄嗟に取り出すのには不便な所
がある。
収納力は小さいが、鞄を探らなくても良いこちらのほうが若干で
はあるが使い勝手が良かった。
リュカは悩みながら、空中から二振りの剣を取り出す。
S級の彼女には数多くの字名がある。多くは彼女も認めておらず、
周囲が勝手に呼んでいる好ましいものではなかったが、その中の1
つに自身も納得している字名があった。
魔剣収集家
双剣士という珍しい職業に着いている彼女は、得物に片手で扱え
る刀剣類を好んで使っている。
冒険者の報酬で得た豊富な資金を元に、金に糸目を付けずに集め
た魔剣の数々。いつしか巷では有名な魔剣収集家と呼ばれるように
1267
なった。
首落とし 魔剣 B級 ︻切断︼
魔術師殺し 魔剣 B級 ︻魔術妨害︼
世界中を探してもB級の魔剣を作れる鍛冶師は片手も居ないだろ
う。
それほどの貴重な品だ。
剣士であれば1度は夢見る、だが手に入れるには莫大な金とコネ
と運が必要。それがB級である。リュカには金もコネも運もあった。
そういうことだ。
赤い髪が風に棚引くように揺れた。
彼女の周囲に魔力が渦巻く。
ちりちりと火花が舞った。
ゆるい巻き毛の髪が、まるで焼けた金属のような輝きを放ちはじ
める。
﹁我が剣に祝福を。我が精霊に勝利を捧げん﹂
自分の剣に口吻をする行為は、彼女が本気で戦う前に行う恒例の
1268
儀式。
魔獣から作られた赤葡萄色をした革製の衣。鈍い黒鉛色の手甲。
焦茶色の革長靴。それらが細身でありながらも、靭やかな筋肉を備
えた肢体を隙間なく包んでいる。
﹁ふぅー⋮⋮﹂
そう一息ついた瞬間、彼女は飛び出していた。
︻疾走︼を使っているが、それにしても速かった。速過ぎるほどだ。
同じ︻疾走︼を使うものがいれば、その速さに驚いたであろう。
50メートル以上は離れていた距離が一瞬で縮まる。
それを可能にしている1つは、足元の装備だろう。
黒飛蝗の跳靴 魔装具 C級
南方の大陸に生息する虫系の魔物。その魔物から僅かに採取でき
る腱から作られた魔装具である。
身に付ければ跳躍力を高めてくれる装備だが、使いづらい特異な
効果もあって人気はなく冒険者でも愛用するものは少ない。
地面を跳ねるように進む。1歩の幅がとてつもなく深い。
足が地面に接地する瞬間に︻闘気︼を発動させ、地面を蹴る力を
増大させているようだ。
1269
巨人に気づかれること無く、その弱点たる首元に一瞬のうちに辿
り着く。
そして1撃で太い首を断ち切った。
樹齢数百年の大樹のような太さを持つ巨人の首をだ。
刃の長さは精々80∼90センチほど。片手で操る剣である。人
の身を断ち切るのとは訳がちがう。だが容易くそれを熟すことがで
きるのは、魔剣に付与された︻切断︼の力が大きい。
この魔剣の刃は、何の抵抗もなく肉を裂き骨を断つ。まるで切り
口を自らより広げる作用があるかのように、巨人の太い首をも容易
に落とすことができる。
無数の罪人の首を刎ね続けた結果、何時しか魔剣へと変化したと
噂される曰く付きの1品である。
雷巨人の周囲にいた従者ではリュカの相手は務まらなかった。
何せ気付いた時には、既に首が落とされている。
僅かな時間に6体の首が地面を転がった。
従者の巨人を軽く葬った後、立て続けに雷巨人へ刃を向けた。相
手も自分の存在を認識しているが、死角である背後を取った。自分
1270
の攻撃速度を持ってすれば、躱すことは不可能。
そう思える攻撃であったが、雷巨人の体から直接弾けるように電
撃が放出された。威力はさほどでもないが、不意の反撃に思わず距
離を取ることにした。
﹁流石に簡単には行かせてくれないか﹂
いくらか電撃を浴びたようだが、彼女にはさほど問題に成らなか
ったようだ。
﹁グアアアァァァァオオオオオオオォォォッッッ!!﹂
巨人がこちらへと向き直り、咆哮を上げる。
巨大な大腿骨を、そのまま棍棒にしたような武器だ。大きく構え
威嚇の体勢を取る。野生の動物等が自分をより大きく見せようとす
る。そういったような動きにも見える。
巨大化した筋肉の塊から、バチバチと音を起てて紫電が発生して
いるのが見えた。今にも大きな力が解き放たれようとしているよう
だ。
﹁やっぱりソレは邪魔かなー﹂
左手に持つ黒い刃を天に掲げる。
魔術師殺しの名を持つ魔剣。周囲に特殊な魔力の波を発生させ、
魔術の正常な発動を妨害する能力がある。
1271
人族からの評価によると、獣人族の多くは身体能力に優れた種だ
とされている。
単純な腕力や脚力等や、反射神経、各種知覚等などが人族を基準
として優秀らしい。その反面、魔術の素養は低く魔術師に適正のあ
るものが極端に少ない種族だという。
そんな獣人族の言わば鬼門といえる魔術師を無力化できるのがこ
の魔剣だ。
長時間広範囲に発動させるには、それなりに魔力の食う代物では
あるがリュカもそれなりに対策は用意してある。
腰に巻いた帯革には12個の星が等間隔に備えられ、それぞれに
深い輝きを放っていた。
この星というのは小型の魔晶石だ。リュカの長い冒険者生活で集
めた品の多くを使って、特注で拵えた魔装具である。
魔剣、魔術師殺しを発動させると星の3つが輝きを失い黒く変色
した。溜め込んでいた魔力を消費したのだ。獣人族が体内に溜め込
んで置ける魔力総量には限りがある。
それを外部に貯めて置けるようにと開発したのが、この魔晶石帯
革であった。
﹁グガッ!?﹂
その身から異変を感じたのか、巨人は顔を歪ませる。
1272
リュカはそんな巨人の困惑をお構いなしに肉薄すると、その左右
に握られた魔剣を縦横無尽に走らせる。
武神の籠手 神器 S級 ︻闘気効果上昇︼
腕に備えられた鈍い黒鉛色の小手が、脈動するように反応した。
魔力を喰らい力を生み出す。星の輝きが再び3つ消失した。
魔術師殺しが正中線を通って、深く切り込みを入れる。
首落としが右腕を左脚を切り落とす。
そして僅かな時間も掛からずに、巨人の希少種は各部位に切り分
けられ、その肉塊を地面に晒すことになったのであった。
>>>>>
巨人の体内より魔石を回収し、ジンの報告にあった魔人の追跡を
試みる。
とは言うものの、リュカ自身はスキル構成を戦闘に特化させてい
るため、探索系の仕事には自信がなかった。獲物の追跡は獣狼族の
十八番ではあるものの、件の獲物は雨の中で姿を眩まし、かなり時
1273
間が経過している。
現場は戦闘が行われたこともあり、残された情報は期待出来そう
にない。
何より瘴気のこともある。追跡の難しさは言うまでもなかった。
何か当てがあるわけではなかった。
しいて言えば勘だろうか。
長年荒事に身を置いてきた感覚。獣狼族としての天性の資質。対
象となる相手の立場になって考える。私が奴ならどう逃げるか⋮⋮
すこし思案を巡らせた後、リュカは歩き出した。特に気負いはし
ていない。見つからなかったら仕方がない。今回はそういう任務を
受けている訳ではないし、ジンが偶然出会ってしまった魔人の捕縛
をついでと頼まれただけだ。正式な任務ではないのだ。
ただリュカの勘というのは、下手な斥候の追跡なんかよりも随分
と頼りになるようだ。エルフの直感のように、肉体に備わった鋭敏
な感覚がスキルの有無さえ凌駕してしまうのかもしれない。得てし
て達人と呼ばれる領域に立つものには、似たような能力を備えるも
のが多いのも事実だ。
何気なく進む道の先にそれはいた。
1274
獣道か。そこは素人が見れば、道などとは思わない。草が無造作
に密集して生えた地帯。緩やかな斜面でもあり、ここらを進むには
骨が折れそうだ。この先へと向かうにしても、普通の人間なら別の
道を探したほうが無難と思える。そんな場所である。
そんな場所で、とある木の根元にうずくまる人影を見つけた。
あたりに濃密な瘴気が漂って入るものの、隙間なく埋め尽くされ
ている訳ではない。
そんな瘴気の切れ目に存在している。
こんな場所でだ。普通の人じゃないことは明らかである。普段か
ら油断などしないリュカであったが、念の為に警戒のレベルを1段
階引き上げた。 ﹁そこのアンタ!私の声が聴こえるか?﹂
木を背もたれにして根本に座り込んでいる。顔を伏せているので、
その表情は見えない。だが体付きから男のようだ。奴が件の人物だ
ろうか。
取り敢えず呼びかけて見るが、反応はない。だが死体ではないよ
うだ。少し離れてはいるが、生命を感じる。よく見れば微かに動い
ているようだ。
話によればかなりダメージを与えたとのことだし、半死半生なの
1275
かもしれない。魔術師殺しを何時でも発動出来るように手に備えて、
緩やかに近づいた。
周囲は静かだ。
濃密な瘴気が風に流れている。
目の前に座り込むアレ以外の生物の気配はない。
そのはずなのに、なぜそこにいる?
何時からいる?いや、何時からいた?
私と座り込む奴を挟んで対面する人影があった。気配がない。と
いうより、極端に存在感がないような感覚。妙な感覚だ。目の前に
いるのに、一瞬でも気を抜けば見逃してしまいそうになる。何かの
スキルか、魔術の類か。
仕掛けるか?
まともな相手ではない。勘だが、コイツは敵だ。まぁ傷めつけて、
もし敵ではなかったら、後で謝ろう。先手必勝だ。
魔剣を握る手に力が篭もる。
﹁おっと、ちょい待ってほしいっす。自分は怪しいもんじゃないっ
すよ。ベイルのリュカさんですよね?その物騒な獲物をしまってほ
1276
しいっす﹂
声色からして若い男だ。彼は両手を上げて叫んだ。
﹁⋮⋮貴方何者?なぜ私の名前を知ってる?﹂
鋭く睨みを効かせて問いただすと、男は驚いたように声を上げた。
﹁そりゃ知ってるでしょう。有名人っすからね。S級冒険者とまと
もにやり合おうなんて気は、これっぽっちもないっす﹂
その言葉を言い終える間もなく、上げた両手を素早く振り下ろし
た。ただ振り下ろしたのではない。手首の動きに独特の変化があっ
た。何かを投げた︱︱
ギャンィンッッ︱︱金属の削れる音。摩擦からくる異臭が鼻をつ
いた。鋭く回転して飛来する何かを、魔剣で逸らした。
顔と脇腹を狙った同時投擲。
魔剣が帯革の魔力を喰らい、星の輝きが消費される。︻魔術妨害︼
が周囲に発動される。
﹁悪いけど無駄っすよ。もう仕事は終わったんで﹂
その言葉と同時に、木に持たれた男の首がごろりと地面に転がっ
た。
最初に手を上げた時に、既に何かを投げていたのか。
1277
あまりに自然な動きだったので、見過ごしてしまったようだ。思
わず小さく舌打ちし、唇を軽く噛んだ。
﹁⋮⋮逃げられると思うの?﹂
﹁じゃなかったら目の前まで出てこないっすよ。これは忠告っす。
余計な詮索はしないで欲しいっす。あまり深入りされると面倒なん
す﹂
ここは相手の間合い。
自分の間合いに持ち込むには、もう数歩踏み込む必要がある。
﹁何が目的?何をしようとしてるの?﹂
﹁自分に言われても困るっす。あ、あんまり余計な話をすると姉さ
んに怒られるっす。マズイっす。姉さんがキレると半端ないっすか
ら。じゃ僕はそろそろ、御暇するっす﹂
そう言われて、ハイそうですかと逃がしてあげる訳にも行かない
のよね。
私が追う決意を見越してか、重心を移動させたのを感じたのか、
絶妙な間で攻撃を放ってきた。
先程から攻撃に使っていたのは、手首の動きで回転を加えた金属
の輪のようだ。外縁の刃は鋭く研いであるようで、殺傷力は高そう
だった。
1278
顔を狙って放たれたそれを紙一重で避け、もう1方を魔剣で弾い
た。
その僅かな間に、件の男は逃げてしまったようだ。
それにしても奇妙な逃げ方をする。
﹁この瘴気と森のなかを、背面走りのまま逃走するとはやるわね﹂
少々虚を突かれたことも否めないが、あの余裕からまだ奥の手は
持っているように感じた。若干納得行かないところもあるが、仕方
ない今は深追いはしないでおこう。
どうやらこの森には私も知らない何かが住み着いているらしい。
ゼストには次の世代が育つまで引退するのは待ってほしいと言わ
れているので、仕方なく冒険者稼業を続けているのだけど⋮⋮
﹁こうなると今すぐに引退と言うわけには行かないかな﹂
リュカはフゥと溜め息を吐いた。
気になる案件が出来てしまった。ここは自分の生まれ育った庭で
もある。あんな得体のしれない輩を放っておく訳にも行かない。
ともあれ今は非常事態だ。
リュカは今成すべきことを成すために再び走りだした。
1279
閑話 リュカVS雷巨人︵後書き︶
※残された死体は、リュカが自前の冒険者鞄に備えてあった麻袋に
詰め込んで丁寧に持ち帰りました。
1280
閑話 冒険者たちの戦い3
馬上にて女は弓を引いた。
不思議な事に弦の貼っていない弓であったが、彼女が手を添える
と始めから存在していたかのように光輝く弦が姿を見せたのだ。
美しい動作でそれを引き絞ると、何もなかった筈のそこに光輝く
矢が現れて、そして放たれた。
まるで吸い込まれるかのように、重力を感じさせない軌道で遥か
彼方の目標物へ向かって飛び去っていった。
﹁ライネ様。ゼスト様より通達です。ゴブリンの大規模な群れが南
部に向けて移動中。ゴブリンリーダーの存在を複数確認。既に現場
に向かっている狼牙戦士団と協力して、これの迎撃に当たれ。との
ことです﹂
エリーナ・ライネは弓を鞍に付けた鞘へ収めると、姿勢を正し報
告にあたった騎兵へ向き直った。
﹁了解しました。弓か魔術の使える騎兵を5名揃えて下さい。直ぐ
に出ます﹂
まったく人使いの荒いこと。このような現場に出るのは数年ぶり
だというのに容赦ないですね。
1281
魔物に怯えることのない軍馬として調教された馬の魔獣は非常に
希少だ。使い物になるまで育てるのに、相当な手間と時間が掛るた
め、金を積めば用意できるというものでもない。
エリーナは自前の馬を所有しているが、貸馬屋で借りるには数が
少なすぎる。
彼女のように自前で所有しているものは極少数だろう。
ゴブリンは小柄で身軽な妖魔。
大きな群れになると、群れを率いるリーダーと呼ばれる統率者が
生まれることがある。
ゴブリンリーダーは他のゴブリンよりも知能も体力も優れていて、
他のゴブリンを従える能力を持っているらしい。
これに従えられたゴブリンたちは、通常よりも進化、成長が速く
なり強力な個体になりやすいそうだ。
群れが大型になると餌を求めてなのか、他に理由があるのか、人
の領域に侵入し村や商隊を襲って略奪を繰り返すようになる。
こうなると非常に危険だ。群れは更に大きく強力になり、ある程
度大きくなると分裂して、更に被害を拡大させる。
その前に叩かなくてはいけない。
1282
ゴブリンは特別足が速いわけではないが、人並みかそれ以上はあ
るだろう。
既に距離があるため、ここから普通に走って駆けつけては、何時
追いつけるはわからない。
そこで速い足が必要なのだ。
獣狼族の若者で構成された狼牙戦士団なら自前の足で問題ないが、
普通の人族では難しいのだ。
エリーナは弓を取り出し、再び光り輝く矢を放った。
彼女が現役の頃に、とある経緯で手に入れた魔弓。
遺跡で発見してから、長い時間と資金を投じて使えるように修復
した1品である。
光の弓 魔弓 A級
この魔弓は自身が扱える魔術を矢として装填し放つことができる。
飛距離は魔力操作の技術や込めた魔力量にも左右されるが、彼女
であれば動かない的なら最大射程500メートルほど。
1283
光魔術、幻惑の効果を込めた光の矢は高速で飛び放たれ、約50
0メートル先の巨人の頭部に命中した。
光の矢で傷を与えることは出来ないが、魔術の効果は巨人に与え
ることが出来たようである。
どんな幻を見せられているのか、矢を受けた巨人は周囲の巨人に
攻撃を行い同士討ちが始まったようだ。
およそ300あまりの巨人の集団がベイルへ向けて移動中との報
を受けた。
その中には、やはり希少種の存在も確認されている。
だがより正確に言えば巨人は300の塊ではなく、5∼15体の
群れの集まりからなっているようだ。
巨人に人族の軍隊のような統制のとれた集団行動が出来るとは到
底思えない。
であれば頭である希少種を速やかに排除すれば、この集団も瓦解
し異常発生も鎮圧できる可能性が高い。
そのためにまずは希少種のまわりの巨人の排除を行う作戦だ。
ベイルを背に、この僅かに丘になっている荒地にて陣を取り、1
時間ほど矢を放った。
1284
巨人の足並みもいくらか崩せたかに思う。
後はベイルの勇猛な冒険者たちに任せよう。
あの希少種はヴィムの隊が上手く処理してくれる筈だ。
﹁ライネ様。準備が完了しました。何時でも移動できます﹂
﹁わかりました。皆に脚力強化を付与して、直ぐに移動しましょう。
少し急ぎますよ﹂
私は残った者に指示を出して、僅かな部下と共に南へと馬を走ら
せた。
>>>>>
﹁グオオオオオオォォォーーーーーーッ!!﹂
腹にドスンと響く重低音が直ぐ後ろの方から聞こえてくる。
思わず人も馬も身を竦ませてしまいそうになるが、必死にそれ堪
え意識を保つよう気合を入れる。
﹁ジグ遅れてるぞ!馬の尻尾が掴まれちまう!﹂
1285
男は罵声にも聞こえる荒げた声で叫んだ。
﹁わぁーってる!わかってるんだよ、畜生ぉおッ!﹂
その声に反応した大男は、如何にも余裕のない表情で答えた。
﹁ケビンッ!右からデカイのが来てるぞ!﹂
落ち着きのある壮年の男が、二人の会話に割って入る。
﹁悪いゼフ、誘導頼む!﹂
﹁了解!﹂
簡単な指示で全てを理解した壮年の男は、馬の進路を変えて走り
だした。
ベイルから少し離れた丘陵地帯、地面の起伏は少なく地面は程よ
く固く、馬を走らせるには持って来いだ。気のいいオンナを前に乗
せて、風を感じながら少し遠出の乗馬を楽しむのも悪く無い。
だが今日のデート相手は、少しばかり気の強い厄介な奴だった。
汚物の詰まった排水口の様な口臭を漂わせながら、雄叫びを上げ
て口角に泡を付けて唾を撒き散らしている。
血走った単眼は狂気しか感じない。まともに目を合わせるだけで
も恐怖を感じる。
1286
骨太で分厚い肉体。盛り上がった二の腕。化物という言葉よく似
合うやつだ。
俺たちは各々に騎乗スキルを持ち、自前の馬を所有するパーティ
ーである。
普段は境界付近で馬の速力、突破力を活かした狩りを行っている。
俺たちは何も特別じゃない。数はそう多くはないが、似たような
狩りを行ってるものは他にもいるだろう。
そんな馬乗りの冒険者パーティーに与えられた任務は巨人どもの
分断だ。一般的には釣りと呼ばれる作業である。
1匹でも厄介な巨人が固まっていては、対処出来るものも出来な
い。1匹、1匹バラして確実に潰していく。そういう話である。
数匹まとまっている巨人の1匹に狙いを絞って注意をこちらへ向
けさせ、待ち伏せしている仲間のもとまで連れて行く行為を釣りの
作業に見立てているわけだ。
勿論連れて行く奴も適当に選んでいる訳ではない。引き離しても
問題無さそうな、他の個体に気づかれ無さそうな奴を選別して行う。
馬の足は巨人よりは速いものの、捕まれば終わりなのは同じだ。
1287
気楽な作業じゃあない。
藪の中から人影が出てくる。
俺はいることがわかっていたので気づいたが、隠密スキル持ちの
斥候だ。馬に意識の集中している今の巨人では気づくことはないだ
ろう。
斥候の男は絶妙なタイミングで縄のようなものを投擲した。
重しが付いているようで、遠心力から回転し巨人の首に絡みつく
ようにして巻き付いた。
流石に巨人も気がついたのか、それを外そうと手を伸ばした瞬間。
ドオン。という重く響く爆発音と共に、独特の臭気と肉の焼ける
匂い、黒い煙、赤い炎が舞い上がった。
何らかの爆発物のようだ。巨人の首を吹き飛ばすまでの威力は無
いようだが、その状態を見れば明らかに瀕死である。これなら放っ
ておいても絶命するだろうが、確実に仕留めることを優先としてい
るため最後までしっかり止めを刺すようだ。
よろよろと力なく膝を突いた巨人に、潜んでいた複数の戦士系冒
険者が殺到した。こうなっては一方的だった。
ともあれ巨人に同情するほどの余裕はない。
少しでも化物の数を減らす。それが俺たちに課せられた任務であ
1288
る。
﹁よし、次行くぞ﹂
俺は斥候の男に視線を送って、更なる怪物を誘い出すために馬を
走らせた。 1289
閑話 冒険者たちの戦い4
﹁やれやれ、この歳になってまで戦場に駆り出されるとは思っても
みなかったのう﹂
鋼の輪を組み合わせて衣に仕立てた胴鎧、通称チェインメイルを
着込んだドワーフが呟いた。
腰のベルトには鞘に収められた剣と短剣。手に持つのは巨大な戦
斧。140センチにも満たない身長だが、肩幅は広く胸板は厚く、
鎧兜に身を包み直接は確認できないが、その逞しい肉体を疑う余地
は存在しないだろう。
戦斧は柄の長さだけで既に身長を超えるほど有り、斧頭の凶悪な
双刃が鈍い輝いを放っている。バケツのような金属の兜を被ってい
る為その表情は窺い知れないが、片手で柄を握り肩に悠々と担いで
いる様子は随分と余裕があった。
相当な重量のある得物だというのは間違いないだろうが、その金
属の塊とも言える巨大な戦斧を軽く扱う、この小さな体の老人にど
れほどの力が備わっているのかは、一見したところでは計り知れな
い。
﹁すまんな。だが工房が潰されては、爺どもも困るだろう?一仕事
終えたら上手い酒を用意する手筈になっている。酒代くらいは稼ご
うじゃないか﹂
ドワーフの老人に声を掛けたのは、全身板金鎧という金属の防具
1290
で隙間なく身を包んだドワーフの男だった。
﹁ヴィムよ、そうゼスト坊やに言えと言われたのか?まったく俺等
が酒をこよなく愛するドワーフだからと言って、なんでも酒で解決
できると思ったら大間違いじゃぞ!﹂
﹁そうじゃ!そうじゃ!﹂
バケツのドワーフが声を荒げると、それに何人かのドワーフの声
が続いた。
冒険者ギルドの実質的なサブマスター、ヴィムが指揮するドワー
フ戦士隊である。
総勢12名からなるドワーフの戦士たちは、平均年齢200歳弱
のドワーフの老人会であった。
一番若いヴィムでも150を超えているのだ。ドワーフは長命種
だというのは人族の間でもよく知られた事実であるが、それにして
もその堅牢な肉体には驚かされるばかりである。彼らには人族の常
識は当てはまらないのだ。まぁ、この老人たちが特別元気というの
も、否定はしない事実ではあるのだろうが。 ﹁ゼスト秘蔵の古竜酒らしいがな。1人に1壺、用意があるといっ
ていた﹂
﹁⋮⋮なに?﹂
﹁それは真か?﹂
1291
﹁なんと豪勢な﹂
﹁金を積めば買えるという代物でもないぞ﹂
竜酒というのは少数民族である竜人族が作る伝統の酒で、材料を
仕込んだ後に壺に入れ密封し、土中にて熟成させるという珍しい酒
だ。
同じ材料、同じ手法をとっても竜人族が仕込んだ竜酒の味に成ら
ないために、この酒を好むものは数に限りのある竜酒を買い求める
しか無い。
少数民族であるが故に作られる数には限界があり、市場に出回る
数も少ない幻の酒である。
また通常の竜酒で熟成の期間は2∼3年。年を重ねるほどに風味
も価値も増すとされ、10年物以上になると古竜酒として区別され
る。
正常に熟成されているかは封を解かなければ確認できないため、
10年寝かせた挙句に中身が価値の無いものになっていたというこ
ともよくある話で、この酒の作成の難しさと希少価値を高める要因
になっている。
独特の風味とクセのある味わいは、多くの好事家を生み出した。
特に年代を重ねた古竜酒は、強いクセが抜け風味が強調されてい
るため、多くの人に好まれているらしい。
﹁まったくあの坊やらしい、いやらしい選択じゃな。あれは一度味
1292
わってしまうと癖になるからのう﹂
﹁そのくせ、物がない故に金を出せば買えるというものでもない。
人族の貴族連中にも求めるものは多いようで、常に品薄じゃからな﹂
﹁独自のコネを持っているということか。まったく顔が広いやつだ﹂
ドワーフたちはやれやれと言いながらも、各々の装備の点検を始
める。報酬にと提示された酒にはそれほどの価値があるようだ。
それぞれに違った装いの重装備といえる武装で身を固めたドワー
フたちは、ベイルからいくらか離れた小高い丘に陣を張っていた。
﹁おぉ、あれが希少種か。巨人の希少種なんぞ初めて見るが、随分
とでかいのう﹂
ドワーフの1人が陣から遠見筒で巨人の動向を探る。
大きく体を揺らしながら移動する巨人の群れの中に、ひときわ巨
大な物体が紛れている。どんな巨人よりも圧倒的に大きな巨人だ。
普通の巨人と並んで歩くその姿は、まるで人族の大人と子供くら
いの体格差がある。
既にベイルの目前まで迫っている巨人たち。城壁まで辿り着くの
は時間の問題だった。
1293
>>>>>
城壁上ではベイルに設置されたバリスタが、敵の接近に備えての
準備を進めていた。
ベイルは数万の市民が生活する巨大な城塞都市である。もともと
存在していた遺跡の上に城壁を備え、砦から都市へと成長していっ
た街だ。
魔術師の力も借りて作られた城壁は十数キロに及び、堅牢に敵の
侵入を防ぐ盾となっていた。
しかし今まで敵の侵入を1度足りとも許したことのないその信頼
も、今や危うしと守備隊は不安を募らせていた。
到底信じられないほどの巨岩が空を舞った。
何処からとも無く飛来したそれは、ベイルの城壁をいとも容易く
破壊する。
城壁上に展開していた数台のバリスタが呆気なく瓦礫の波に消え
た。
ベイル防衛に携わっていた守備隊は困惑の色を隠せないでいた。
1294
現実を受け止めきれないのだ。それもそうだろう、このような自
体は誰も想定していない。何が起こったのか予想もつかない。只々
呆然とするばかりだ。
目の前に広がる、かつて城壁だった砕けた石の塊。
それを見つめる守備隊の面々。
この時点で、この惨状を把握できていたのは希少種の動向を探っ
ていた者達と、その周辺の巨人と相対していた者達だけだっただろ
う。
﹁これはマズイのう﹂
ドワーフの1人が呟いた。
白く長い髭を擦りながら、押しこむように唸り声を上げる。
その視線の先には件の希少種が居た。
焦げ茶色の肌を持ち、他のどの巨人よりも遥かに巨大な体躯を備
えた希少種だ。
腕やら胴体やらに黒いミミズのような模様が見える。頭部には骨
の兜だ。巨大な猪の頭骨を仮面の様に被っている。宗教的な意味合
1295
いでもありそうな、恐ろしげな姿だった。
そいつが地面に手を翳すと、筍のように岩が持ち上がるように生
えてくるのだ。先端のやや尖った、楕円形のような形だ。
ある程度出てきた所で、希少種はそれを引き抜いた。巨大な希少
種の巨人が、両手で抱えるほどに大きな岩だった。
そしてその巨岩を、片手で徐ろに空へと投げ放った。上手投げと
でも言うのだろうか。大きく腕を振りかぶり、地面へ叩きつけるよ
うに振り下ろす。
岩は凄まじい速度で彼方へと消えていった。
焦げ茶色の巨人は岩を創成して投擲する能力があるらしい。
他の巨人にはない能力だ。そういうスキルなんだろう。なるほど
流石は希少種といった所か。
ともあれ悠長に事を構えている時間はなくなった。
いや、もとよりそんな時間はないか。
今現在も冒険者のパーティーがそれぞれの判断で動き、巨人の各
個撃破を行っている。
人族同士の戦争のようには行かない。人で壁を作っても巨人の動
きを止める事はできないだろう。そもそも人類は、これほどの巨人
1296
の大群との戦いを経験したことがないのだ。何もかもが手探りの状
況だ。
だが希少種を止めれば状況は変化する。それは間違いない。
このベイル進行の引き金になっているのは希少種の存在。そうに
違いないはず。それを止めれば巨人が人の街を襲う理由はなくなる
のだ。
ドワーフの戦士団が希少種に向かって行動を開始した。
その動きを補佐するように60名あまりの冒険者の連合部隊が続
く。
﹁ヴィム様、前方から2体の巨人が!﹂
ヴィムに追従する若い冒険者の男が叫んだ。
若いながらに60名あまりの部隊を纏める隊長役の男である。
﹁阿呆、わしにも目ぐらいは付いておるわ!それと様ってのはやめ
てくれと言ってるだろう。背中がむず痒くなる﹂
迫り来る巨人を機敏な動きで回避し翻弄していく。全身を鎧で固
めたとは思えないほど軽快な身のこなしで、掴みかかろうとする巨
人に掠らせもしない。
1297
若い冒険者はその光景を、驚きと羨望の眼差しで見つめることし
か出来なかった。
﹁そらっ﹂
﹁どっこいしょお﹂
ドワーフたちは巨人の足元を、すり抜ける様に走り去る。
あるときは股下を、あるときは前転後転と文字道理転げまわるよ
うにして縦横無尽と立ちまわった。
そして隙を見て攻撃に移る。巨人とて周囲で動き回る全ての者に
気を配ることなどできない。ある者が注意を惹きつけている間に他
の者が攻撃する。声など掛けずとも皆が理解している息のあった連
携で、瞬く間に巨人の体は地に伏せることとなった。
﹁すげえ。動きも凄いけど、こんな小さい体でどれだけ力があるん
だ⋮⋮﹂
ドワーフたちが手に持つ巨大な両刃の戦斧を勢い良く振り回せば、
巨人の分厚い皮膚も硬い骨も、意味を成さずに容易く両断されてし
まう。
いや容易くはないのだろうが、容易いように見えてしまう。それ
ほどの破壊力だ。
﹁おい小僧、お前たちもぼやっとしてないで働け!わしらはそう長
くは走り回れんのじゃぞ﹂
1298
真っ白い髭のドワーフが少し疲れたように声を荒げた。
﹁そうだな。体力のあるうちに、あのデカブツをなんとかしなくて
は⋮⋮露払いは頼んだぞ﹂
ヴィムが若い冒険者たちに声をかける。
﹁任せて下さい!﹂
血気盛んな若者は雄々しく声を上げた。
>>>>>
ぐらぐらと地面が揺れる。
波の立つ水面のように地面がうねっているのだ。
見たことも聞いたこともない現象に、思わず若い冒険達の足が止
まる。
﹁重心を低くして這うように移動するのだ!足を止めると奴らに捕
まるぞ﹂
ともあれドワーフたちも困惑している。小さな体を砲弾の様に転
がせて、巨人の追撃を回避していた。
1299
﹁やれやれ近づくことも、ままならんのう﹂
希少種の能力だろう。地面が揺れ、うねり、隆起する。まるで神
話に出てくる大地を創生した巨人のような能力だ。
うまく揺れを凌いで希少種に近づこうとすれば、突然目の前に岩
の柱が出現する。地面から自在に生やせるのだ。まったく油断なら
ない。
微かな地面の変異を察知して、飛び退くことで致命傷は避けてい
るが、まともに喰らえば馬鹿みたいに頑丈なドワーフでも相応に傷
を負うだろう。 ﹁これでは取り付くことも出来ん﹂
ヴィムが苦々しく吐き捨てた。
﹁わしの矢では傷もつれらんしのう﹂
白い髭のドワーフは取り出したクロスボウに矢を番える。
先程から隙を見て攻撃を加えはいるものの、傷を負わせているか
と問われれば口を噤んでしまうだろう。
誰がどう見ても効果があるようには思えなかった。
﹁時間稼ぎにもならんか﹂
ヴィムはゼストから指示された任務を頭のなかで反芻する。
1300
出来るだけ時間を稼げと。
ここからベイルまで直線距離で2キロは無いだろう。
進軍の速度は落とすことに成功しているが、何度か例の遠投を許
している。被害の確認はできていないが、あの巨岩がベイルの市街
地に降り注げば、その被害は考えるまでもない。
ドワーフ戦士団の面々は、普段はベイルで鍛冶や貴金属の加工を
行う職人たちだ。本職の職業戦士ではないのだ。
それでもこれほどまでに勇猛に戦えるのは、ドワーフならではな
のだろう。勿論かなりの無理をさせているのは承知している。
だが若い人族の冒険者たちでは荷の重すぎる仕事だ。時間稼ぎで
すら厳しい。ゼストはそう判断したのだ。
﹁まったく時間を稼げというが、何時まで耐えればいいんだ。この
ままでは体力が持たんぞ﹂
皆の年齢があと50も若ければかなり違うのだが、とヴィムが心
の中で呟いた時、ベイルの方角から空を突き抜ける光弾が飛来する
のを目撃した。
まさに一瞬の出来事で、光弾は希少種の周囲を右往左往する冒険
者やドワーフ達をかすめて、いくらか離れた巨人の群れの中に着弾
した。
そして閃光が生まれた。
1301
着弾箇所から、爆音、凄まじい光、巻き上げらられる土砂。そし
て巨人だったものの肉片のやらが、四方八方に飛散した。
筆舌し難い途方も無い威力の爆発が起きたのだ。
巨人も冒険者も誰しもの時が止まった。何が起きたのか理解する
ための時間を要したのだ。だがその問に解を与えられるものは、こ
の場に居なかった。
いや、ただ1人いた。ヴィムだ。彼だけがこの光弾の正体を知っ
ていた。そのための時間稼ぎだった。
﹁馬鹿者が⋮⋮だから無茶だと言ったんだ!﹂
ヴィムは可能な限りの大声で﹁逃げろ!﹂と叫んだ。
その声に反応した戦士団、冒険者たちが脱兎のごとく希少種から
遠ざかっていく。
あれだけ張り付こうと必死の攻防から反転、踵を返すがごとく逃
げ去った。
僅かな間を置いて、光弾が再び飛来する。
あれほど手を焼いていた希少種だったが、突如飛来した強大過ぎ
る力によって、呆気なくも完膚なきまでに破壊しつくされたのだっ
た。
1302
第111話 ベッドの上で
﹁ジン様っ!﹂
リザの叫ぶような声に意識を覚醒させる。
ぼんやりと瞼を開けて周囲を確認すると、古い木材で囲まれた部
屋のようだった。
窓は無いらしく部屋は薄暗い。明かりには壁際に設置されたカン
テラがススと共に弱い光を放っている。
燃料は獣脂だろうか。肉を焼いたような匂いが、微かに部屋に漂
っている。そういえば腹が減ったな⋮⋮
﹁⋮⋮だいぶ寝てたか?体の怠さから、相当時間がたってるとはわ
かるんだが﹂
寝ていた体をゆっくりと起こす。頑丈に作られた木製の寝台。敷
布団に毛布を何枚か重ね、清潔な白い布でまとめている。柔らかい
感触が心地よかった。
ベッドの周囲には、竹のような繊維質の植物で編んだと思われる
衝立が、視界を遮るように並んでいた。
部屋全体ではそれなりに広い。40帖くらいはあるだろうか。
﹁まだ寝ていて下さい。体力を戻すにはもう少し休まれたほうが良
1303
いと思います﹂
リザに肩を押されて抵抗する気力もなく寝台に押し戻される。
確かに体力は戻ってないようだ。気が抜けたのかもしれない。
ベッドに横になっている間、彼女は傍らの椅子に腰掛けずっと手
を握っていてくれたらしい。
意識を取り戻した姿に安心したのか、屈託のない笑顔を見せてく
れる。
意識を失ってから時間にして、丸一日ほど経過しているそうだ。
街には異常発生の報が発令され、戦闘力のない住民は所定の場所
に避難しているらしい。
リザは一度ミラさんとシアンの安否確認に外出したあとは、ずっ
と俺の側にいたようで細かい戦場の状況は把握してないようだ。
ちなみに2人の無事は確認できたようで、今は同じ建物の別室で
休んでいる。
ベッドの脇には外された装備類が纏められている。
その中の鞄をあさって盗賊の地図を取り出した。
現在位置を確認すると、冒険者ギルド近くの建物地下にいるよう
1304
である。
﹁ここは冒険者がよく利用する治療院の地下施設らしいです。戦闘
で負傷者が出た場合は、ここに運び込まれるという話です﹂
多少の怪我なら光魔術の治療で現場での回復も可能なのだろうが、
腕が千切れた、足が吹き飛んだ、などという大きな負傷となると簡
単には行かないだろう。
そういった場合は負傷兵として、ここに運び込まれる訳か。
確かに似たような部屋は他にもあるようだし、施設としては相当
でかそうだ。
それにこの部屋にも何人かの存在︵魔力︶を感じる。
たぶん位置的にベッドに寝ている。負傷者だろう。俺はギルドの
作戦に参加したわけではないが、ギルド会員ということでここに運
び込まれたのか。
リザの話によると、ギルドに報告はしたものの巨人の動向はギル
ドも知る所で既に動き出していた後であったという。
魔人の存在、希少種の存在、巨人の群れの動向などを報告した後、
職員の手を借りて俺をここまで運んだようだ。
﹁ジン様は負傷者ということでギルドの召集は免除されるそうです﹂
1305
リザはそのあたりのことも確認してくれていたようだ。
もし召集に応じて作戦に参加しても、E級だと後方支援になると
いう話だが。
﹁でも街が大変なときに寝てるのも、何となく申し訳ない気分だな
⋮⋮﹂
そういって苦笑してみせると、彼女は腕を首にまわし優しく抱き
しめてきた。
﹁ちゃんと休むべき時は休んだほうがいいですよ⋮⋮﹂
その言葉の後にも何か言いたそうな雰囲気であったが、彼女はぐ
っと言葉を飲み込んだようだ。
抱きついた状態のまま、沈黙が流れる。
﹁そうだな。無理して作戦に参加しても、邪魔になるかもしれない
しな﹂
﹁そうですよ。今はしっかり休んで体力を回復させてください﹂
抱きついたまま、彼女は安心したような声で答えた。
俺はそっと彼女の首筋に手を延ばす。
﹁あっ⋮⋮ダメですよぉ⋮⋮ここには他にも人がいますし⋮⋮﹂
リザの吐息が首筋にかかる。そういう触れ方をするといい反応を
1306
見せる彼女に、つい俺も調子に乗ってしまうのだ。 ﹁少しだけな⋮⋮?﹂ 1307
第112話 姉妹の奉仕1
突然すぐそばで大きな魔力が膨れ上がる感触を得た。
異常を感じた俺は、咄嗟にその魔力の発生場所へ視線を送る。す
ると衝立の裏から顔を半分出して、こちらを睨む見覚えのある顔が
あった。
﹁ずいぶんと元気なご様子ですね⋮⋮?﹂
ギルド職員のリン・マウ女史だった。
スラリと伸びた肢体と涼やかな声を持つエルフ族の美女である。
日常ではギルドの受付で、冒険者の対応している姿をよく見かける。
﹁あー、いえ⋮⋮おかげさまで﹂
いつもより低い声のリンに驚きつつ、ベッドから体を起こす。俺
の反応にリザも素早く重ねた体から飛びのき、何事もなかったかの
ように澄ました顔で数歩離れた位置にて姿勢を正した。
﹁いまは異常事態だというのに⋮⋮それにここは治療院なんですよ。
そ、そのような⋮⋮男女がそういうことを⋮⋮する場所では⋮⋮私
だってもう10年くらい彼氏いないのに⋮⋮﹂
リンの言葉は小さくて、最後の方は何を言っているか聞き取れな
かった。
1308
﹁とにかくそういうことは、家に帰ってからお願いします。明日に
は警戒も解かれるでしょうから、今日はここで大人しく休んで居て
下さい﹂
﹁わかりました﹂
僅かに頬を染めつつも、不機嫌そうなリンに余計な言葉は掛けず
に了承した旨だけを伝える。
﹁それと、これはマスターからの伝言です﹂
リンは投げやりな感じで、片手に収まるほどの何かが入った革袋
を手元に投げて寄越した。咄嗟に片手で受け取ると、僅かな重さを
感じる。
催促され、中を確認してみると魔石のようだ。
﹁老兵を貸してほしい。だそうです。確かに伝えましたよ﹂
そういって彼女は仕事は終わったとでも言わんばかりに、踵を返
して立ち去っていった。
﹁⋮⋮今日は大人しくしておこうかな⋮⋮?﹂
そっとリザに視線を移すと彼女は顔を手で覆い隠し、僅かに震え
ていた。
﹁⋮⋮恥ずかしくて死にそうです﹂
1309
>>>>>
翌日、ミラさんシアンと合流し治療院を後にした。
俺の失った腕を見て﹁私の力では治療できません⋮⋮ごめんなさ
い﹂と嘆くミラさんに気にしないようにと言葉を掛け、悲しそうな
顔で傷を見つめるシアンの頭を撫でて﹁何とかなるさ﹂と笑いかけ
た。
いろいろ不便なのは承知しているが、今更足掻いても仕方ないの
で、なるようにしかならないだろうと言うのも本音ではある。
アルドラに関しては昨日のうちに魔石を使用して顕現させ、送り
出している。今頃ギルドの指示のもとで働いていることだろう。
冒険者ギルドに顔を出してから、俺達は帰路についた。
﹁ギルドの話によれば異常発生は収束したようだが﹂
ベイルに接近していた大型巨人の希少種を退治したことで、巨人
の群れは散り散りになり文字通り統率を失ったらしい。
大部分はおそらく縄張りへ戻るために森へと移動し、一部はまだ
近くを彷徨いているようだ。そのため冒険者が幾つかの班に分かれ
1310
て排除に動いているそうだが。
﹁はい。ですが、街が受けた被害も大きそうですね⋮⋮﹂
大きな通りに差し掛かると、道を塞ぐように巨岩が鎮座していた。
周囲の建物も大きな破壊の後が見られる。視線を上げると岩の破
片とでも言える鋭い岩石が、幾つも屋根に突き刺さっているのが見
えた。
驚いた様子でそれを見上げていると、近くにいた老人が声をかけ
てくる。
﹁あんた冒険者か?その怪我は今回のでやったのか?それだけの大
怪我で生き残ったとは運がいいな﹂
老人は巨岩が落ちた場所の隣家の住人らしい。
家の地下室に避難していた為に死なずに済んだという。
﹁わしは生まれも育ちもベイルだが、この街がこんな大事になった
のは今回が初めてだよ。犠牲もだいぶ出たそうだが、わしもあんた
も生き残った。お互い運が良かったってことだな﹂
貧民街へと赴く道すがら、同じように多くの被害を受けた建物を
目にした。
全壊しているもの、半壊しているものと様々だが、それなりに大
規模な攻撃を受けたようだ。
1311
昨日の今日で場所によっては既に復旧作業が始まっている箇所も
あった。瓦礫の撤去作業だ。道などが塞がっていると、これから行
われる作業や人の移動の妨げにもなるし、早くに行動したほうが良
いのは確かだろう。
広場では炊き出しのような光景も目にした。作業している者達を
見ていると、リザが女神教修道会の援助だろうと教えてくれた。
こういった慈善事業のようなことも教会では行っているらしい。
普段はあまり接点がないので、殆ど見かけることはないのだが。
家に戻ると、あの日に出かけた朝と同じように、何一つ変わって
いなかった。
どうやら幸運なことに、この家は被害に会わなかったようだ。
扉を開けると主の帰りを待っていたかのようにネロが出迎えてく
れた。
﹁にゃあ﹂
シアンに向かってひと鳴きすると、ひょいと軽い動作で彼女の肩
に飛び乗った。ここが彼の定位置なのだ。
﹁ただいまネロ。留守を守ってくれてありがとう﹂
﹁にゃあ﹂
1312
シアンの言葉に満足したように彼は小さく鳴いて答えた。
>>>>>
﹁私は食事の用意をしますね。皆お腹すいたでしょう。まだお昼過
ぎだけど、早めの夕食にしちゃいましょうか﹂
朝に治療院で出された食事は、量も味も十分とは言えないものだ
った。それもあってミラさんの手料理は非常にありがたい。
﹁お願いします。実はすげー腹減ってて⋮⋮﹂
昼も食べ損なっているので、現状かなりの空腹だった。
﹁ふふふ。わかりました。今はまだこんな状態だから満足な食料を
用意できないけど、貯蔵庫にあるもので何か作りますね﹂
何がいいかしら?と俺にリクエストを聞いた後、彼女は台所へと
向かった。
﹁お母様、湯の用意もお願いします。ジン様に先に汗を流して頂く
ので﹂
﹁ええ。わかったわ﹂ 1313
リザはそう言うと、手際よく湯浴みの用意を始める。
﹁俺より先に、皆に湯を使って貰ったほうがいいんじゃないかな﹂
リザは勿論、避難していたミラさんもシアンもそういった時間は
無かったはずだ。2人とも体を清めたいだろう。
﹁私は後で大丈夫ですよ。食事の用意もありますしね﹂
﹁兄様、私も大丈夫です。先に体を休めて下さい﹂
﹁私も霊芝の下処理がありますし、ジン様に先に使って頂いたほう
が良いでしょう﹂
そう言われると断る理由もないので、先に使わせてもらおう。
女性陣は夜に浴びたほうが、気兼ねないのかもしれないしな。
リビングでワインを傾けていると、湯の用意が出来たと声が掛か
った。
リザに着替えなども用意してもらい、至れり尽くせりといった状
態である。
﹁悪いな。後は1人でも大丈夫だ﹂
右腕が使えないとなると、服を脱ぐだけでも一苦労である。慣れ
ていないと尚更だ。
1314
﹁そんな⋮⋮もっと私に頼って下さい。私はジン様のお役に立ちた
いのです﹂
リザはそう言いながら、服を脱がせてくれる。
なんか介護されている気分だ。
でも悪い気分ではない。ちょっとこの状況は嬉しかったりする。
﹁そうか。ではせっかくだし頼もうかな﹂
﹁はいっ﹂
リザに見られて困るようなものは無いのだが、改まってこういっ
た状況で晒されると言うのも変な気分である。
晒し者である。何が晒されたかは敢えて言うまい。
完全な晒し者と化し、仁王立ちとなった俺のもとに1人の少女が
駆け寄ってくる。シアンである。
リザが気を効かせて素早く俺の腰にタオルを巻いた。
﹁私もお手伝いさせて下さい﹂
着替えてきたのか彼女は楽な部屋着になっている。
キャミソールと言ったような形状の上衣だ。袖はなく細い紐で吊
るされた、丈の短いワンピースとも言えるような服だ。
1315
白いキャミソールにシアンの青い髪が映える。
少し痩せ気味の華奢な体躯に、ショートボブといったようなふん
わりとした短い髪をしている。
シアンはリザのような豊満な肉体ではないし、魔術の才も生産術
のようなものもない。
だからこそなのか遠慮しがちというか、自信なさげというか、助
けを乞うような上目遣いと共に、彼女から放たれるか弱い雰囲気が
より一層の庇護欲をそそるのだ。
﹁⋮⋮わ、私も兄様の妻ですよね⋮⋮?﹂
彼女の憂いだ瞳に見つめられると、男として断る術は見つからな
かった。
﹁そうだな。シアン頼むよ﹂
﹁はいっ﹂
俺が少し悩んでから頼むと、彼女は嬉しそうに明るい声で答えた。
1316
第113話 姉妹の奉仕2
﹁兄様、痒いところは無いですか?﹂
﹁うん。大丈夫だ。気持ち良いよ﹂
シアンは背後に回り髪を洗ってくれている。彼女の手つきはぎこ
ちないが、丁寧にやろうという気持ちは伝わってくる。それを思う
となんとも言えない、胸に温かいものが満たされる。
﹁良かったです﹂
シアンの声は嬉しそうだ。
彼女と初めて会った頃の事を思い起こせば、ずいぶんと懐いてく
れるようになったものだ。
それが嬉しくもあり、愛おしくもある。
時折失った右腕のほうへと視線を感じる。
普段は包帯を巻いているが、今は濡れるので外してある。
まぁ、怪我の部分は自分が見ても、正直グロい。噛み切られたわ
けだしな。剣で切り落とされたほうが、まだマシな状態だったよう
な気もする。
1317
そんな訳で、否応なしに注目を集めてしまうのは仕方のないこと
かもしれない。
﹁気味悪いだろう?早く治せるといいのだが、まぁしばらくは無理
だろうな﹂
ははは。と軽い感じでシアンに話しかけると、彼女がそっと腕に
触れた感触がした。目を瞑っているのでその様子は見えない。
﹁気味悪くなんか無いですよ。⋮⋮早く治せるといいですね。また
兄様に抱きしめてもらいたいです﹂
シアンの細い指が傷口近くへと伸びる。
﹁痛くないですか?﹂
﹁痛くないよ、大丈夫だ﹂
少ししてからリザがやってきた。
彼女は俺の前にそっと跪く。
﹁ジン様、お湯加減は如何ですか?﹂
木桶に張った湯に指を入れながら温度を確認する。
﹁あぁ、丁度いいよ﹂
1318
木桶は平たく底の浅いものだ。それに湯を張り、タオルなど布を
濡らして体を清めるのが、この国の一般的な風呂文化であるらしい。
どうも銭湯のようなものは無いらしく、相当な金持ちか、貴族く
らいしか俺のイメージする風呂というものは所有していないようだ。
つまりそれほどの贅沢品なのだろう。
俺は風呂好きということもあって木桶にあぐらをかいて座り、無
理やり風呂感を味わっている。サイズ的にも多少無理があるものの、
濡らしたタオルで体を拭くだけでは得られない満足感があるのだ。
﹁体を洗いますね﹂
﹁うん。頼むよ﹂
リザはスポンジのようなものを湯に浸し、石鹸を擦り付けて泡立
てた。
ベイルでは石鹸はそれほど高級品ではない。材料の獣脂も木灰も、
森の産物として大量に手に入るからだ。
スポンジは植物を乾燥させて作る天然のものらしい。
スポンジより固くタワシより柔らかい感触がある。
話によるとヘチマのような植物らしいが、俺の知るヘチマよりも
感触は柔らかい。
1319
リザが丁寧に体を洗ってくれる。スポンジを使って強く擦る。だ
けど強すぎない、絶妙な力加減。非常に気持ちいい。スポンジが使
えない場所は手に石鹸を泡立てて洗う。まるでマッサージするよう
な手つきだ。
単純な力ではない。優しい手つきだけど、疲れが揉みほぐされる
ような溶かされるような感触。そういう仕事してるんじゃないかな
?と思えるほど手慣れた動きだ。とても素人とは思えない。
﹁まさか、そんな仕事したことありませんよ。前にタマさんにコツ
を教えて貰ったことがあるくらいです。もちろん男の方にこんなこ
とをするのは初めてですよ⋮⋮?﹂
そう話しながらもリザに全身を洗われる。
ここは天国ですか。そうですか。
やばいな癖になる。それぐらい気持ちがいい。女の子の柔らかい
手で洗われるだけで気持ちが良いのに、リザのテクニックは既にプ
ロ級である。
﹁そうですか。喜んでもらえたようで嬉しいです。ふふふ。もっと
気持ちよくさせちゃいますね﹂
彼女は嬉しそうに笑顔を見せる。少し悪戯っぽい笑顔だ。可愛ら
しくもあり、色っぽくもある。リザのギアが一段あがったような気
がした。
1320
しかし、あまり張り切られると色んな意味で大変な感じになりか
ねないので、そろそろ手を止めてほしいところでもある。
﹁リザ、お客様が来てるわよー﹂
少し離れた所から声が掛る。ミラさんの声だ。玄関に来客があっ
たようだ。
﹁はいー。今行きますー﹂
リザは手の汚れを手早く布で拭き取る。
﹁すいませんジン様、ちょっと席を外します。シアン後はお願いね。
自分の体を洗うよりも丁寧に。わかってるわね?﹂
﹁はい。姉様﹂
リザが席を立つ。丁度よかった。髪も体も洗ってもらったし、後
は自分で出来そうだ。むしろ自分でしなければならない状態である。
そのあたりのことをシアンに伝えると、彼女は暗い顔をして俯い
てしまった。
﹁やっぱり姉様じゃないとダメですか⋮⋮?﹂
私ではダメなんだ、と小さな声で呟いている。
自分の胸を触りながら、小さいとダメなのかな⋮⋮と項垂れてい
る様子だ。
1321
マズイ。落ち込ませてしまった。しかも明後日の方向に勘違いし
ている。
﹁いや髪も体も洗ってもらったし、後は大丈夫だから⋮⋮ほら俺も
恥ずかしいし⋮⋮﹂
まぁ、こう言っておけば角が立たないかな?シアンには十分手伝
ってもらったので、ありがたい気持ちでいっぱいなのだが、俺の暴
れ馬を見せてドン引きされても忍びないし、いやドン引きくらいな
ら良いか。
気持ち悪い最低。とか言われて嫌われる可能性のが高いよな。う
ん。嫌われる方向は避けたい。シアンに嫌われるような事になれば、
俺の精神的ダメージが計り知れない。たぶん泣く。
﹁わかりました。それならこうしましょう﹂
シアンは名案を思いついたとばかりに、声をあげた。
シアンはタオルで目隠しをして俺の眼前に座り﹁さぁ兄様、これ
で恥ずかしく無いですよね﹂と意気込んでいる。
駄目だ。どこから突っ込んでいいのかわからない。いろいろ間違
っているのは確かなのだが。
﹁兄様立って下さい。私が姉様の代わりに洗いますので﹂
1322
どうしよう。シアンがやる気を出してらっしゃる。
彼女は﹁私も兄様のお役に立ちたい﹂と言って憚らない。
立って下さいと言われても、もう立ってます。とは言えないしな
ぁ⋮⋮
しかしシアンにお願いされては俺も断ることはできない。
ここは受け入れるしか選択肢はないだろう。
俺はしばらく悩んだすえに意を決した。
木桶からすっくと立ち上がる。
腰にはタオルを巻いてある。直視は出来ないから大丈夫だろう。
彼女は目隠しもしているし問題無いはずだ。バレなければいいのだ。
﹁わかった。シアンよろしく頼む﹂
﹁はいっ﹂
シアンは膝立ちになり元気よく返事をした。
近い!顔が近いよ!シアン、あぶねえ! シアンが足元から脹脛、太ももと丁寧に洗ってくれる。
1323
目隠ししているから手つきは余計にぎこちないが、一生懸命だ。
シアンの真剣な顔つきが可愛い。
しかし今のこの状況、客観的に見ると色んな意味でアウトだ。俺
は心のなかで頭を抱えた。
﹁あっ﹂
俺の声にシアンがビクリと身を竦ませる。
﹁ごめんなさい。痛かったですか?﹂
シアンの声に不安の色が混ざる。
﹁いや、大丈夫だ。そうじゃなくて、もう大丈夫だ。ありがとうシ
アン﹂
俺は慌てて言葉を紡ぐ。
﹁まだ洗ってない所ありますよ?﹂
シアンは小首を傾げる。跳ね返った湯を浴びたのか、彼女の胸元
はずぶ濡れだ。あらわな感じになっていて、いろいろ直視できない
状態になっている。
﹁あー、いや大丈夫。それで洗うと痛そうだし、あとは自分で出来
るから﹂
﹁兄様お願いです、私に最後までやらせて下さい﹂
1324
シアンはそういって自らの手に石鹸を泡立てる。
﹁どうしても、私じゃダメですか⋮⋮?﹂
彼女は泣きそうな、湿った声で小さく呟いた。
俺はその声を聞いて︱︱
﹁わかった。シアンよろしく頼む﹂
と答えるしかできなかった。 1325
第114話 姉妹の奉仕3
﹁シアン上手く出来ましたか?﹂
﹁はい。姉様﹂
戻ってきたリザがシアンに声を掛ける。
﹁ジン様。シアンが粗相いたしませんでしたか?﹂
﹁ああ。シアンはよくやってくれたよ﹂
シアンは大きなバスタオルのような布で、濡れた体を拭くのを手
伝ってくれている。
それにリザも加わり、着替えも手伝ってもらう。
リザはよく気が利くし、頭もよく、何でもそつなくこなすので貴
族の屋敷とかでもメイドなどでも働けそうだ。
まぁ優秀な薬師で、戦闘もこなすのだから、完璧超人過ぎとも言
えるが。
それを思うとシアンが少し可哀想な気もするが、リザはリザで幼
いころから無理を押して頑張ってきたのだというし、今の彼女はそ
の結果なのだろう。
1326
食事の用意ができたと声がかかったので、ミラさんの手料理を皆
で頂く。
いつもとは席順が違う。リザが隣に座るのは同じだが、逆隣には
シアンが座った。両手に花である。対面にはミラさんだ。
﹁あらあら、ジンさんモテますね﹂
ミラさんは微笑ましいといった様子で、くすくすと笑顔が溢れた。
﹁こんな美女に囲まれての食事だなんて、俺には贅沢すぎますよね﹂
﹁それには私も入ってるんですか?﹂
﹁勿論ですよ﹂
﹁ふふふ。ありがとうございます﹂
ミラさんはいつもどおり露出の少ない体のラインの目立たない服
装だが、その豊かな双丘は隠しようがない。
両腕に挟まれたそれが、その迫力をもう一段押し上げているよう
だ。
テーブルの上で存在感をみせるそれ目を奪われるのは、男として
は仕方ないことなのだと弁明したい。
1327
﹁はい。ジン様こちらもどうぞ﹂
薄切りにされた生ハムを口に運ばれる。
森から得られる魔獣の肉を加工した食材だ。王国の気候風土に適
した保存食らしく、ベイルでも様々な種類が作られている。
所謂塩漬け肉なのだが、王国では甘みのある果実を巻いて一緒に
食べるのが流行りらしい。
王国の特産は葡萄と小麦。また森からは魔獣の肉が大量に得られ
るため、王国人の血はワインから、体はパンと塩漬け肉から作られ
るとされている。
その言葉通りに王国のワインと生ハムは相性が良い。
﹁兄様、こちらはどうですか?﹂
シアンのスプーンが口元に運ばれる。
乾燥させた果実と、塩漬け肉、すり潰した豆、根菜類を蜂蜜と香
草で味付けした謎の調理だ。
見た目は悪いが味はいい。それほど甘みも強くなく食べやすい。
どうもエルフ族の家庭料理らしい。
シアンの好物らしく﹁なかなか旨いな﹂と評すると﹁良かった。
私も好きなんです﹂と嬉しそうに語った。
1328
美しい姉妹に囲まれ、まるで王様にでもなったかのように尽くさ
れる。
そのせいもあってか些か食べ過ぎてしまったようだ。ひさしぶり
のまともな食事。ミラさんの手料理である。それも仕方ないだろう。
酒も進み少し飲み過ぎた。
毒耐性のスキルはアルコールにも効果があるようだが、飲んだあ
とに設定を変更しても無意味らしい。
かと言って耐性をつけて酒を呑むのも、無粋というものだろう。
気持よく酔えなければ飲む意味もない。
﹁寝床の用意はしてあります。そろそろ休まれては﹂
そういうリザの言葉に甘える事にした。ミラさんは後片付けを終
えてから休むそうだ。リザとシアンは俺と共に来るらしい。
﹁宜しいでしょうか?三人だと少し狭いかもしれません。ジン様が
ゆっくり休めないかも⋮⋮﹂
そう言って押し黙るリザとシアンの肩を抱いて﹁一緒に寝ようか﹂
と耳元で囁く。
何言ってんだ、俺調子乗ってんなぁ。と心のなかで自分にツッコ
ミをいれるが、酔っているので気にしない。なにせ︱︱
1329
﹁﹁⋮⋮はい﹂﹂
美しい姉妹がその言葉に頬を染めて、小さく頷くのだ。あまりに
可愛らしい反応を見せる2人に、俺は肩を抱いたまま自室へと急い
だ。
とは言え、2人同時に頂いてしまおう。といったような下衆な感
情を持っているわけではない。いや、無いわけではないが⋮⋮あま
り無茶をやらかして、嫌われないようにしたいという考えはある。
3人で川の字になって眠る。
いろいろ期待しないわけではないが、俺も疲れた。2人も疲れた
だろう。
ともあれリザはともかく、シアンに手を出していいものかという
自問自答ある。
まぁリザは知識もあるようだし、ある意味理解している。理解し
たうえでの行動をしている。おそらくそうだろう。
だがシアンは理解していない。たぶん。
ある意味で純粋だ。無垢なのである。それを汚していいものかと
いう自責の念もある。まぁ既に少しやらかした感はあるが⋮⋮
リザに手を出しておいて何を言ってるんだという気もする。なの
1330
で気にしなくてもいいのか。まぁ考え過ぎか。
シアンはリザに遠慮というか、一歩引いた、劣等感のようなもの
を持っているようだし、特別扱いというか別に扱うと傷つくおそれ
がある。
たぶんどう取り繕っても、落ち込むのは間違いないだろう。
2人を妻にすると決めたのは俺だ。
平等に愛せばいいのだ。2人とも大事に、幸せだと言ってもらえ
るようにすればいいのだ。
考えるまでもなく、当たり前のことだった。悩むまでもなかった。
隣へ視線を送ると、既に寝息を立てているシアンの横顔があった。
とても可愛らしい寝顔だ。天使だ。スマホが壊れて無かったら待
受にするところだ。この姿を永遠に止めておくようなスキルがあれ
ば良いのにと切に願うところである。
スースーと微かな寝息を立てている。起きる様子はない。そっと
しておこう、彼女も張り切って尽くしてくれたので疲れたのだろう。
いろいろ心配も掛けたかもしれない。
反対側へと首を傾ける。
リザも既に寝息を立てていた。胸元がゆるく開いたワンピースみ
1331
たいな寝間着だ。ブラジャーは付けていないようだ。豊かな胸が押
しつぶされて変形している。
谷間だ。秘境である。まだ俺も数えるほどしか踏破していない、
神秘の谷である。
冒険者であれば挑戦するしか無い。そうだ冒険だ。俺は冒険者な
のだ。
谷に顔を近づける。かすかに香る花のような匂い。
リザは特別香水のようなもを付けていないと言っていたが、たぶ
ん扱っている薬草の匂いではないかと言うことだった。
それと彼女の体臭だろう。
香水のように添加された感じではない。内側から滲み出している
ような感じだ。フェロモンかもしれない。とにかくいい匂いなのだ。
とりあえず我が分身である人差し指を秘境へと送り込む。
ズブズブと肉の壁を押しのけ、暗き谷を踏破するために。
柔らかいし暖かい。そしていい匂いだ。
指先で秘境の感触を楽しんでいると、秘境の主と目があった。
﹁⋮⋮ジン様、何してるんですか?﹂
若干冷めた視線が、俺の精神を射抜いた。そう感じたのは俺の気
1332
のせいかもしれないが。
﹁ぼ、冒険かな⋮⋮﹂
俺は口ごもりながら答え、毛布の中を移動して彼女の上に覆いか
ぶさった。
﹁疲れているのではないですか?﹂
彼女の囁くような声が耳を刺激する。
﹁疲れている時ほど、そういう気分になるというのもあってだな⋮
⋮﹂
リザはフッとはにかみながら、視線をシアンへと移す。
﹁シアンが起きてしまいます﹂
俺もシアンへと視線を送るが、彼女は毛布を深めに被って寝息を
立てている。起きる様子はない。
﹁大丈夫だろう。よく寝ている。起きると問題が?﹂
リザは少し考えて答えた。
﹁彼女は男女のそういったことを理解していないので⋮⋮予め色々
教えておいたほうが、良いかもしれません﹂
予備知識か。保健体育の授業的な。
1333
﹁リザは理解していると?﹂
﹁多少なりとは。タマさんにいつか良い男と出会った時のためにと、
前に色々教わりました﹂
色々教わったかー。何教わってるのか、すげー気になる。
﹁なるほどな。親切なご近所さんで良かったな﹂
﹁ええ。このあたりの人たちは、みんないい人ばかりですよ﹂
﹁そうか﹂
リザが笑顔で答える。彼女がそういうのなら、そうなのだろう。
人との縁というのは金では買えない財産なのだ。 ﹁まぁ、それはともかく﹂
徐ろに体を密着させる。
リザの口から﹁ひゃぁん﹂という変な声が聞こえた。
﹁ジン様?﹂
﹁あまり大きな声だすとシアンが起きるから静かにな。それとも今
夜はやめておくか?﹂
リザの耳元で囁くように語りかける。
吐息が耳にかかるたびに、彼女の小さな声が漏れた。
1334
﹁ジン様、意地悪です。私だって⋮⋮﹂
抱きしめあう腕に互いに力が入る。きつく締め付けるように、離
れぬように離さぬように。
そのまま2人は熱情に身を任せ、時を忘れて互いに貪りあった。
1335
第115話 巨人殺しの英雄1
徐々に覚醒する意識。
窓の隙間からこぼれ落ちる光が、既に日が高いことを知らせてい
た。
﹁今何時くらいかな⋮⋮﹂
毛布を剥いで立ち上がる。傍らに居たはずの妻たちの姿は今はな
い。
大きく伸びをして、枕元にきちんと畳まれた着替えに袖を通す。
石鹸の匂いのする清潔なものだ。
大きめのシャツと七分丈のズボン。麻のような植物で織られた服
は通気性も良くて、着心地が良い。
﹁おはよう﹂
階段を降りて2人に声を掛ける。
﹁おはようございます。ジン様﹂
﹁兄様、おはようございます﹂
1336
リザは食事の用意を。シアンはネロに餌の用意をしているようだ。
﹁ジン様、着替えなら声を掛けてくださればお手伝いしましたのに﹂
リビング備えてある椅子に腰を掛ける。ミラさんの姿はない。
﹁着替えくらい1人でも出来るよ。病人ってわけでもないし。体力
も十分すぎるくらい回復したから、もう大丈夫だ。でもありがとう﹂
リザは少し残念そうな表情を見せて﹁もう少しジン様のお世話し
たかったな⋮⋮﹂と小さく呟いた。
﹁それならたまに怪我するのも悪くないな﹂
正直に言えば、2人に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは良い気分
だ。堕落しそうではあるが。
﹁それはダメです!それにお世話なら何時でも出来ますよね⋮⋮﹂
リザは俺の世話を焼くのが好きみたいだ。
﹁そうだな。まぁこれから先も、互いに助け合うことは幾らでもあ
るだろう?﹂
﹁そうですね﹂
リザは微笑み小さく頷いた。
﹁私も兄様のお世話したいです﹂
1337
シアンは井戸から汲んだばかりであろうよく冷えた水を、水差し
からマグに注いで差し出した。
﹁ありがとうシアン。そうだな、そのときは頼むよ﹂
そう言って笑顔を向けると、シアンも嬉しそうに頷いた。
焼いた卵、ベーコン、野菜のスープ、パン。テーブルにはリザが
用意した朝食が並ぶ。
とはいっても時間的にはもう昼だ。
昨晩は寝るのが遅くなってしまったせいもあって、起きるのが遅
くなった。
3人で遅い朝食を取っていると、ミラさんが重い足取りで姿を現
した。
﹁おはようございます。ミラさん﹂
階段を降りてきた所で声をかける。
﹁お、おはようございます。ジンさん﹂
気のせいだろうか。僅かに頬を赤く染め、動きも辿々しく何かお
かしい。熱でもあるのかもしれない。心なしかいつもより疲れてい
るようにも見える。
1338
枯渇症の影響だろうか。であればリザに薬の作成を急いで貰った
ほうが良いかもしれない。
﹁大丈夫ですよ。体に異常はありません。昨日は少し寝るのが遅く
なってしまって、それで少し疲れただけです﹂
﹁そうなんですか?それならいいんですが⋮⋮遅くなったっていう
のは、片付けが大変だったからですかね。だとしたらすいません、
手伝いもしないで﹂
﹁いえいえ、違うんですよ。部屋に戻ってから⋮⋮そうだ、読み物
!読み物とかしてたんです。それで遅くなってしまって⋮⋮﹂
食事の後片付け等は姉妹で行ったので、確かに片付けるのが大変
なものは無かったように思える。
シアンも本を読むのが好きなようだし、その母親なのだ。彼女の
本好きはここから来ているのかもしれない。
﹁そうでしたか。ミラさんも食事にしますよね?起きてすぐだと無
理そうですか?﹂
﹁いえ、頂きます﹂
﹁てっきりミラさんが朝弱いのは、枯渇症の影響なのかと思ってま
した﹂
ちょっとアンニュイな雰囲気のあるミラさん。体力があるように
1339
は見えないし、常に疲れたような気怠いような空気を身にまとって
いる感じだ。
必要以上に露出のある服を着ることはないし、服装で言えば若々
しさもあって清楚なお姉さんといった風貌だろうか。
ただその憂いだ瞳は、なんとも言えない大人の色香を感じさせる。
ニット系のワンピースとか着ている日なんかは特に危険だ。
﹁母様は昔から朝弱いですよ﹂
俺の隣で一緒に食事を取るシアンが答えた。
﹁ええ、そうね。たぶん子供の頃から朝は遅かったかもしれません。
⋮⋮今よりはもう少し早かったかと思いますが﹂
エルフの村を出てからは冒険者をしていたということもあって、
時間にルーズでも問題なかったようだ。冒険者というのは時間に縛
られない職業らしい。
﹁エルフという種族自体が人族とは時間の感じ方、概念が少し違う
のではないかとも思いますけどね﹂
というのはエルフの村でも暮らしたことのあるリザの意見だ。
確かに人族とエルフ族では寿命も違うし、時間の捉え方は違うの
かもしれない。
人よりも寿命の長いエルフは、ゆったりした時間の中で生きてい
1340
るということか。
スローライフ的な。ロハスか。
森には魔物も出るから、あまり優雅な感じではないのかも知れな
いが。
彼女たちとの食事の時間を楽しんだあと、俺は自室で着替えを済
ませ外出の用意を整えた。
戦闘用の装備ではなく、街着といったような軽装だ。
ちなみに外套は損傷が激しいので部屋に置いてある。
﹁ではちょっと出かけてくるよ﹂
あまり部屋に篭っていても気が滅入るので、ギルドの様子でも伺
ってこようかと思う。
昨日は戦況を聞くこと無く戻ってきてしまったし、現在の状況く
らいは把握しておきたい。
戦闘に参加云々という話ではなく、この街の住民として、といっ
た感じだ。
﹁ジン様、私もお伴します﹂
側に来るリザを優しく窘める。
1341
﹁いや、リザは薬の作成を急いでくれ。せっかく素材が手に入った
のだし、ミラさんの体調が悪化した時のことを考えても急いだほう
がいいだろう﹂
彼女は少し考えたあと、俺の気持ちを汲んでくれた様で、小さく
頷き了承してくれた。
﹁兄様、私は付いて行ってもいいですか?﹂
リザの後ろから姿を現したシアンが、飛びつくようにして腕を絡
ませ密着してくる。 ﹁街もまだゴタゴタしてるから、大人しくしていたほうがいいな。
何かあったときの為にミラさんの側にいてくれ﹂
シアンは残念そうに頷いた。
彼女の足元に控えるネロに声をかける。
﹁留守を頼むぞ﹂
﹁にゃう﹂
ネロは誇らしげに一声鳴いた。
>>>>>
1342
待ちゆく人々は何処と無く疲れていた。
だがそれでも復興へと歩みは進めているようである。あちらこち
らで、瓦礫の撤去に動いている人々を見かける。
同じ装備で身を固めたベイル守備隊の隊員たちも忙しそうに動き
まわっている。
このような状況下であると、治安維持もいつも以上に大変なのか
もしれない。
冒険者ギルドの屋舎に近づくと、やはり周囲の人影は少ない。何
時もなら外まで人が溢れ、賑やかな場所なのだが。
屋舎の重厚な扉に手を掛け、屋内に入る。
するとそこには予想していなかった光景が広がっていた。 1343
第116話 巨人殺しの英雄2
逞しい男たちの群れであった。
群れの中、その中央には裸の男が2人抱き合っているのが見える。
それぞれの肉体に備わるのは巨大化した筋肉。
はち切れんばかりと、その存在を誇示している。
2体の筋肉の熱き抱擁だ。
﹁うおおおおおおぉぉーーーーーッッッ!!!﹂
﹁フオオオオォォォォーーーーーーーッッッ!!!﹂
﹁アーーーーーーーーーーーーッッッ!!!﹂
周囲の男たちの野太い怒号が、冒険者ギルドのホールに響く。
そこには男たちの熱気と喧騒が渦巻いていた。
あ、よく見るとズボンは履いている。全裸ではなかった。危なか
った。
﹁アルバス久しぶりじゃのう﹂
﹁私を覚えてくれているとは嬉しいな!﹂
1344
中央で抱き合う男たちをよくよく見れば、1人は見知った顔だ。
アルドラ。2メートル近い高身長に長い銀髪、蒼い瞳を持ったエ
ルフの美丈夫である。
もう1人は知らない顔だ。アルドラの知り合いだろうか。彼を僅
かに超える程の高身長。だが見た目の年齢はずっと上のようだ。白
髪を整髪料でキチッとまとめている。四角い顔に髭も綺麗に整えら
れていて、そこいらのゴロツキといった風体ではない。
今は上半身裸に革パン、革手袋といった謎の出で立ちなのでわか
りにくいが、身なりを整えれば老年の紳士といった雰囲気だろう。
おそらく人族のようなので実際はアルドラの方が年配なのだろう
が。
アルバス・ダムドーラ 戦士Lv58
人族 72歳 男性
鉄壁 C
鎚術 B
盾術 C
剛力 B 体術 D
投擲 F
レベル58⋮⋮Aクラスの戦士。
1345
重装歩兵みたいなスキル構成。体格からしてもそうだが、相当な
強さなのだろう。まぁAクラスなので、言わずもがな。
﹁ふんっ﹂
突然、筋肉の老紳士がアルドラの顔面に拳を叩き込んだ。
久しぶりに会った友人といった、気さくな雰囲気が一変した。
急に気が触れたのだろうか?
まったく意味がわからない。 拳を大きく振り上げ、体重の乗った一撃。
アルドラはノーガードでそれを顔面で受けた。
﹁ジョルトブローだ。全身の力と体重を乗せた、破壊力抜群のパン
チだぜ﹂
俺が驚いていると、隣にいたおっさんがドヤ顔で教えてくれた。
﹁はぁ⋮⋮﹂
思わずため息混じりの声が漏れた。
場内からワッと歓声があがる。
1346
﹁巨人殺しの英雄とアルバス戦士団の団長を並んで見られるとは、
俺も運がいいぜぇ﹂
おっさんは手に持った酒を煽った。顔も赤いし、強いアルコール
の匂いがする。既に相当飲んでいるようだ。だが彼だけという訳で
もなく周囲を見ると皆同じような状況のようだ。
何故か上半身裸の奴が多い。中には全裸のやつもいる。飲むと脱
ぎたくなるタイプか。いるよなそういう奴。
﹁アルバス腕を上げたな。いいパンチじゃ﹂
凄まじい迫力の拳を受けるも、全く動じないアルドラはふんと鼻
を鳴らして答えた。
そしてその言葉が終わるやいなや、アルドラもお返しと言わんば
かりの拳をアルバスの顔面に叩き込んだ。
メリッという嫌な音が場内に響き、周囲の人間は息を呑んだ。
﹁アルドラ、貴方も全く衰えていない。エルフとはこうも衰えを知
らぬ者なのか﹂
アルドラの拳も、相当な威力が乗っていたはずだが、老紳士は何
事も無かったかのように耐えた。
そして彼らは互いの力量を確かめ合ったと言わんばかりに、再び
熱い抱擁を交わすのであった。
1347
﹁なんだよコレ⋮⋮﹂
俺はウンザリした表情で、それを離れた場所から静かに眺めてい
た。
﹁もう聞いてるとは思うけどー!ラウル辺境伯から今回の作戦に対
して特別に恩賞が届いてるんだよぉー!巨人の首を上げた人にはぁ、
金貨2枚の大盤振る舞いっ。特に頑張った人には特別報酬もあるよ
ー!﹂
突如、受付カウンターに立ち上り演説を始めるノーマさん︵ギル
ドマスター︶に冒険者たちからどよめきが起こる。
﹁わかってると思うけど、作戦に参加した人は前金で金貨2枚、後
金で金貨2枚貰えるからねっ。忘れないで受け取るよ∼に﹂
場内の男たちから﹁はーい﹂という野太い返事が聞こえる。
﹁更に更に∼、今回出現した4体の巨人希少種を倒した人には特別
報酬が与えられちゃいまーす!﹂
場内から再び歓声。巨人希少種、確かにあれは別格にやばかった。
というか4体も出たのか。俺が見た奴の他にも2体。
アルドラやリュカさんクラスの戦力がないと、あんな化物を相手
するのは厳しい物があるだろうな。
1348
﹁まず1体目、雷を操る巨人を退治した双剣士リュカに報奨金、金
貨30枚﹂
場内から歓声があがった。
﹁リュカさんか!﹂
﹁流石はベイルの英雄!﹂
﹁リュカさんがやったってことは単独撃破か!やっぱり並じゃねぇ﹂
周囲の冒険者から矢継ぎ早に感嘆の声が漏れる。
巨人の希少種ということもあり、実際その姿を見ていないもので
も、その危険性を感じているようだ。
報奨金の高さから見ても、撃破の重要性を伺えるだろう。
だが俺が実際見て感じ取った雰囲気からすれば、報奨金はもっと
高額でも良いくらいだ。
続けて、ベイルに巨人の大群を率いて進行した大巨人や、砦付近
に出現した瘴気を操る巨人などの名が上がった。
聞いたことのない名の竜剣士や、ギルド職員のヴィムの名も呼ば
れていた。
アルドラの話によれば彼は元A級冒険者とのことなので、非常事
態ともあれば職員とも言えど戦力に数えられるのだろう。
1349
そしてノーマさんの口から読み上げられる名には、俺の名も含ま
れていた。
﹁黒い稲妻、ジン・カシマ﹂
見に覚えのない字名で呼ばれた。
隣のおっさんに説明を求めると、目立つやつは早いうちから遅く
てもB級クラスにもなれば周囲の者から字名を付けられるのだとい
う。
大抵が戦闘スタイルなどから直感を得て付けられるのだが、運が
いいとギルドマスターに名を付けてもらえるらしい。
マスターは気に入った者にしか字名を付けない。字名を付けられ
た者は、必ず出世すると言われている。
それ故に字名は冒険者であれば、誰もが求めてやまない憧れなの
だ。
﹁えぇ⋮⋮いらねぇ⋮⋮﹂
もう少し他に何かなかったのかと、1人項垂れる思いであった。
>>>>>
1350
﹁黒い稲妻か⋮⋮﹂
隣に立っていた魔術師っぽい装備の爺さんがボソリと呟いた。
わしは知ってるぞ、的な感じを醸し出してる。
﹁知ってるのか爺さん﹂
爺さんの隣の若い男が爺さんの呟きに乗っかった。
﹁ああ。この間、でかい盗賊団が捕まったって話があっただろう?﹂
﹁ん?⋮⋮そういやあったな、そんなこと﹂
﹁潜伏先には盗賊が何十人もいたそうだが、それをたった一人の男
が壊滅させたらしい﹂
﹁は?A級の冒険者でも乗り込んでいった。って話か?﹂
﹁いやそれをやったのがE級冒険者の男って話だ﹂
若い男はゴクリと息を飲んだ。
﹁E級なんてのはランクで言えば見習い程度のものだぞ。仮に盗賊
が素人同然の、盗賊もどきだったとしても1人で討伐は有り得ない﹂
﹁その有りえないことをやったのさ。噂では実力を隠してベイルに
潜入している他国のS級冒険者じゃないかって言われている﹂
1351
﹁何だよその胡散臭い話⋮⋮﹂
﹁その噂の根拠が、そいつが雷魔術と闇魔術を自在に操り、剣術の
心得もある魔導剣士だって話さ﹂
﹁な、何だって⋮⋮!?万物の基礎となる4属性の上位属性、光闇
雷氷のうち2つも修得しているだと⋮⋮?﹂
﹁上位属性というのは魔術を極めた魔導の熟達者たちの中でも、ほ
んの一握りの者たちが習得できるとされる非常に希少な力だ。無論、
早い段階で力に目覚める天才も中にはいるが、それは極少数だろう﹂
﹁なるほどな。確かにそれが本当の話なら、そいつはただのE級っ
てことはないようだ。だが噂の出処は何処なんだ?それによっちゃ、
信憑性ってもんが問われるぞ﹂
﹁ノーマさんが受付で話していたのを盗み聞きしたんだ。捕縛した
盗賊たちは、死ぬよりも恐ろしい悪夢を見せる呪いの雷、黒い稲妻
を受けて廃人となったらしい。廃人になった盗賊は、奴隷商会でも
引取を拒否されて処分に困ったとボヤいていたよ。何人かは頭のま
ともな奴が生き残ったんで、証言が聞けたらしい﹂
﹁死ぬよりも恐ろしい呪いの魔術か⋮⋮黒い稲妻ジン・カシマ。一
体どんな化物なんだ﹂
若者は恐ろしい想像をしたのか、思わず身を竦ませた。
俺は隣で話を聞いていて頭を抱えた。
1352
個人情報駄々漏れだし、変な噂が1人歩きしてるし。
S級を目指して、名声を高めて家族を守る作戦だったけど、ちょ
っとおかしな感じになっている気がしないでもない。
ギルドマスターのせいじゃないのコレ? 1353
第117話 巨人殺しの英雄3
冒険者ギルドは地獄絵図であった。
酒に酔った冒険者たちで溢れ、皆ひどい酔い方をしている。
酒精の強いものを一気に煽ったのだろう。あるものは部屋の隅で
嘔吐、あるものはあられもない姿で床に転がっていた。
そのような醜態を晒しているのは、大概いかつい男性冒険者だ。
と言うより、この場にいるのはほぼ男性冒険者のようであるが。
﹁今夜はわしのおごりじゃあ!酒じゃ、酒を持って来い!﹂
アルドラの怒号が響く。
いつの間にか巨人のようにデカイおっさんに肩車されている。
﹁おおおおッ!巨人殺しの英雄に乾杯!冒険者の勝利に乾杯!つい
でに死んでいった友に献杯!﹂
﹁酒屋を呼んでこいっ、樽で運び込め!﹂
﹁誰か手伝いに行け!呼んでくるより早い。ありったけの酒を飲み
尽くしてやれ!﹂
場内の熱気は最高潮といった様子だ。
1354
命がけの戦いを乗り越えた戦士たちが、ここで全ての苦悩、苦痛
を吐き出したいと叫んでいるかの様子に思えた。
隣のおっさんが教えてくれたのだが、アルドラは俺が送り出した
後、獅子奮迅の戦いを見せ巨人の群れを圧倒したらしい。
アルドラが単身群れに切り込み、密集している巨人を分断するこ
とで他の冒険者も巨人が狩りやすくなり、旨味を得たのだという。
彼自身も100前後の首を上げ、一度の戦いで巨人殺しの英雄と
讃えられるまでになってしまったようだ。
﹁命がけの戦いをくぐり抜けたのだ。この宴の僅かな時間くらい憂
さを晴らすのも悪く無いだろう?﹂
おっさんがいい顔で答えた。
﹁⋮⋮そうですね﹂
彼らは何時死ぬかもわからない、極度の緊張に晒されていたのだ。
その疲労も大変なものだったのだろう。
確かに今は発散の時なのかもしれない。
1355
アルコールと男の汗と、人間の生み出す熱気と、吐瀉物の匂いが
入り交じる地獄とかしたギルドホール。
ギルドは石造りの窓の少ない密閉された空間。
そこに男たちが寿司詰めの如く集まり酒を煽り騒いでいるので、
当然のごとく熱気も臭気も篭ると言うものだ。
そろそろ換気をしてくれ。と俺が心のなかで願った時、勢い良く
ギルドの扉が開いた。
1人の来訪者が姿を見せる。
重厚な門戸が開け放たれ、新鮮な外気が悪臭を押し流す。
姿を見せたのは緋色の髪と緋色の瞳を持つ、獣狼族の女性剣士だ
った。
﹁⋮⋮ずいぶん派手に盛り上がってるみたいね﹂
涼やかな瞳が、全裸で暗黒舞踏を披露していた壮年の冒険者を射
抜いた。
︵ちなみに暗黒舞踏とは、遥か彼方に存在する東国により伝来した
神に捧げる古の舞である︶
筋骨隆々といった自慢の肉体も、彼女に睨まれて色々縮んだよう
に見える。
﹁あっ⋮⋮リュカさん、お疲れまでーす﹂
1356
それなりに年を重ねた歴戦の戦士も少年兵のように畏まる。
彼の額に汗が滲むのが見えた気がした。
男は思わず股間を両手で隠し、腰を引いて押し黙った。
リュカの登場で場内が静まり返った。
カツカツという、彼女のブーツの音だけがホールに響くといった
状況となっている。
リュカは無言のまま場内を見渡し、俺と目が合うと動きを止めた。
﹁ジン。付いて来なさい、話がある﹂
有無を言わせぬ口調に迫力を感じとり、俺は黙って彼女の後を追
従した。
>>>>>
俺たちが立ち去った後のホールから﹁ジン?アイツが?﹂とか何
とか聞こえたような気がしたが、聞こえなかったことにした。
﹁戻ったか。ジンも一緒か、丁度いいな﹂
1357
執務室に入ると、高そうな椅子に深く座るギルドマスターゼスト
の姿があった。
先程までホールに居たはずなのに、いつの間に追い抜いてここに
入ったんだろうか⋮⋮
﹁ん?その腕は⋮⋮随分酷い怪我をしたようだな﹂
ゼストの視線が失われた右腕に注がれる。
﹁ええ⋮⋮まぁ色々と﹂
﹁取り敢えず座ってくれ。よし、アイツらも来たな。まずは改めて
ジンから報告を聞きたい。お前自身の口でな﹂
ドアを開けてエリーナとヴィムが姿を現す。
挨拶を交わし、彼らが所定の位置に腰を下ろした所で俺からの報
告を行った。
リザからの報告は受けているはずだが、改めてというなら断る理
由もない。
﹁なるほど。それでどれほどだったんだ?﹂
俺が魔人の報告を終えた後、リュカの報告が後に続いた。
1358
﹁全力で戦えば負けない自信はあるけど、相手の能力がわからない
んじゃね。私は普段からそれほど情報を隠していないし、たぶんそ
れなりに知られていると思うから、不利なことは間違いないでしょ
うけど﹂
﹁お前を出し抜ける程度には力を持っているということか、その若
い奴は﹂
ゼストがにやりと不敵な笑みを浮かべる。
﹁声は若い男だったけど、実際はどうかわからないわよ。フードで
顔半分は隠れていたし、瘴気もかなり濃かったからね﹂
姿や声色を偽装するスキルや魔導具も存在するらしいので、偽ろ
うと思えば難しくないのだという。ただ感覚の鋭い獣人や直感を持
つエルフを出し抜けるかは別の話ではあるが。
﹁しかし、今回の巨人騒動の中心は件の魔人の可能性が高いことは
間違いないな﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ああ。ジンの報告にもあった⋮⋮アルドラの村の件。状況は似て
いる﹂
アルドラの村を襲ったインプとは臆病な魔物で、棲家を荒らすも
のに対しては戦いを挑むが、基本的に非好戦的である。
魔術の使い手で、高い戦力を有するエルフの村を積極的に襲うと
いうのは普通であれば考えられない。
1359
今回の巨人にしてもそうだ。
彼らは凶暴で凶悪な怪物ではあるが、基本的に自ら縄張り外へと
出ることは殆ど無い。
人間は弱い生き物だが、中には自分たちを殺しうる強力な存在も
いる。ということを彼らは知っているのだ。
﹁魔人は魔物を統率する能力がある。その可能性は高いだろうな﹂
ゼストは確信したかのように語った。
﹁口ぶりからして、その若い男は関係者だろう。深入りするなと言
っておきながらの、この騒ぎ。妙じゃないか?魔人も暴れてるし。
探られるのが困るなら大人しくしておけよ。ってな﹂
﹁魔人は⋮⋮そうですね。暴走していたように思えます。話が通じ
ないっていうか、自分の考えで突っ走ってる感じでしょうか。魔人
化してからは、まさに暴走って感じで﹂
俺はあのときの状況を思い出しながら語った。
﹁上役の存在もいるようだし、組織なのは間違いないだろう。短期
間に2体の魔人。背後にいる組織。魔人への変化、暴走。⋮⋮今回
の巨人の騒動は意図していなかったものと言うことか。魔人化した
やつの暴走から引き起こされた。⋮⋮アルドラの村に出た魔人とは
死に様が違う。不完全な魔人⋮⋮制御できていないのか?魔人を作
っているのか⋮⋮?﹂
1360
まるで独り言のように語る。頭のなかの考えを整理しながら呟い
ているようだ。 ﹁最初から魔人だったって線はないの?﹂
リュカの疑問に首を振って答える。
﹁それはないな。何か原因があって魔人化した。それは間違いない﹂
ゼストは確信を持って答えた。
テーブルに置かれたギルドカードを拾い上げる。
魔人ルークスが唯一所持していたものだ。彼の遺体はリュカが回
収し、ギルド職員の手に渡してある。これから詳しく調べられるの
だろう。
今はギルド近くの治療院に安置されているはずだ。
﹁エリーナわかるか?﹂
カードを側に控えていたエリーナに手渡す。 赤銅のカード。C級の冒険者に与えられる身分証である。
﹁ええ。確か妹さんと二人でパーティーを組んでいた獣狼族の若者
だったと記憶しています﹂
数年前に起きた異常発生の際に、妹が戦死。その直後、彼もギル
1361
ドから姿を消したそうだ。
﹁そうだ。貴方に頼まれていたもの、ちゃんと回収してきたわよ﹂
リュカはそう言って自身の鞄を弄る。
そしてあるものを取り出し、テーブルに置いた。
﹁おぉ、ありがとうございます﹂
魔晶石 素材 B級
大きさで言えばゴルフボールより一回り大きいくらい。
魔石は石炭のように黒々として光沢のある石といった感じなのだ
が、魔晶石はまるで水晶だ。薄く黒い色付のされた透明の水晶。
球体ではなく、歪んだ楕円形に近い形状をしている。
見るだけで、そこに込められた魔力を感じる。
触れると其処に込められた魔力が、体内へと流れこんでくるのが
わかった。
1362
スキル︻隠密︼を修得した。
︻隠密︼魔力の流出を完全に断つことで、探知スキルに認識される
こともなく、また気配を消す効果により相手から認識されにくくな
る。
姿を消す闇魔術︻隠蔽︼との相性が良く。同時に使えば互いの利
点をより高める事になるだろう。
﹁ほう、魔晶石か﹂
魔物の体内には魔力の結晶、魔石が見つかることがあるが、より
上位の魔物には魔晶石が備わっていることがあるという。
﹁ええ。それはジン達が倒したヤツで、これは私が倒したものね﹂
リュカはもう1つ魔晶石を取り出した。
薄紫色に輝く透明の水晶体。内包される強い魔力を感じる。
試しにと触れさせてもらうと、魔力が体内に流れ込んできた。
雷魔術︻雷蛇︼を修得した。
蛇のように獲物を探し襲う攻撃魔術のようだが、実際に使ってみ
ないと操作感はわからないな。
1363
思い掛けず新たな力を得られた。
魔石や魔晶石からスキルを得ても、それ自体の価値が変化する訳
ではないから、問題ないと思う。
魔石からスキルを得られるのは、今のところ俺だけのようだしな。
﹁それとロムから貴方に﹂
﹁俺にですか?﹂
﹁街の外で大きいの倒したんだって?倉庫に運び込まれて使える素
材に解体されてたから、貴方の取り分を渡して置いてくれって。倉
庫番の子から預かってきたのよ﹂
﹁そうなんですか。じゃあ、ありがたく﹂
魔晶石 素材 B級
内包された魔力を体内に吸収する。
スキル︻奇襲︼を修得した。
これは対象への認識外からの攻撃に補正が加わるというスキルの
様だ。
1364
魔犬の大牙 素材 C級
﹁討伐依頼の出ていた魔獣の牙か。また珍しいものを持ってきたな﹂
ヴィムが牙を持ち上げて、しげしげと眺める。
﹁知ってるの?﹂
﹁ああ。確か俺の工房に設計図があった筈だ﹂
ヴィムはギルド職員という肩書のほか、鍛冶工房を経営している。
設計図というのは魔物の素材を用いた、魔剣の制作レシピのよう
だ。
1365
第118話 巨人殺しの英雄4
黄銅のギルドカード。
D級冒険者の身分証。
﹁これでお前はD級に昇格だ。これからも頼むぞ﹂
そう言ってゼストは満足気な笑みを見せる。
﹁ええ。どうも﹂
左手でカードを受け取る。
﹁おっと。そうか⋮⋮そうだな﹂
ゼストが指示をしてエリーナが何かを持ってきた。
琥珀色の液体が収まった硝子の小瓶。
ライフポーション 魔法薬 S級
S級?S級の回復薬?
なんでマスターがこんなもの持ってるんだ?
1366
ゼストはエリーナから受け取った小瓶を俺に渡した。
訝しげな視線を送る俺に、ゼストはからからと笑う。
﹁飲め。その腕も治るぞ﹂
現在、薬師たちが作れる最上位のポーションはB級まで。
だがB級でさえ作れる者は世界でも数名程度なのだ。
大森林の遺跡からは様々なものが発見されている。
遺物とされる古代の刀剣類、失われた技術から作られた魔導具、
未知の魔法薬。
この魔法薬もその1つなのだという。
﹁俺に手に入らない物はないのさ﹂
そう言ってゼストはにやりと笑い、魔法薬を進めてきた。
腕を治せるアテは今のところないと言っていい。
ともあればチャンスではあるのだが、本当に貰ってしまっていい
のだろうか。
S級といえば、相当な希少品なのは間違いないはず。
﹁若い奴が遠慮などするな。アルドラの弟子ともあれば、知らない
奴でもないだろう。まぁ俺はお前に期待している。先行投資ってや
1367
つだ。利き腕がないので、冒険者やめます。なんて言われても勿体
無いのでな﹂
周囲を見渡す。リュカやヴィムの顔を伺うと、うんうんと頷いて
る。
受け取っても良いという事だろうか。
﹁えっと⋮⋮それじゃあ、遠慮無く﹂
魔法薬を受け取り、恐る恐る中の液体を飲み干す。
サラリとした飲み口。苦いか酸っぱいかという不味い味を想像し
ていたが、様相に反して殆ど匂いも味もない。いや、後味が微かに
土の味がするような気がする。
小瓶の液体を全て飲み干し、しばらく待つと体に異変が起きた。
体の中から熱が生まれる。
まるで火が付いたかのように、それは全身に行き渡る。
だが苦しいという感覚はない。どちらかと言えば心地よい気分だ。
気づけば俺の全身から、とてつもなく強い黄金のオーラが立ち上
がっていた。
﹁おお⋮⋮すごいな﹂
ヴィムから感嘆の声が漏れる。
1368
﹁私も実際見るのは初めてね﹂
リュカもこの様子を興味深げに観察している。
黄金のオーラ。まるで闘気のスキルを使用した時と似ている。
いつも使う闘気のオーラよりも遥かに強い光。
まるで太陽の炎のように、黄金のオーラが全身を駆け巡り溢れ出
ている様だ。
それが体の内側から生み出されているものだと、自然に理解でき
た。
失われた右腕の傷口が熱く疼く。
﹁これがS級の魔法薬ですか⋮⋮﹂
エリーナも珍しく驚いている。彼女もこの現象を見るのは初めて
のようだ。
傷口から黄金の炎が、火口から吹き上がるマグマのように溢れ出
ている。
光の粒子が大量に舞い散り、あたりを埋め尽くす。
強い光に埋め尽くされる中で、確かな手応えを感じた。
光の粒子が集まり、腕を復元していく。
1369
肉が盛り上がって再生されるといった現象ではない。
未知のエネルギーが肉に変換されているようだ。
気づけば光は収まり、右腕がかつての姿を取り戻していた。
>>>>>
﹁⋮⋮ありがとうございました﹂
若干腑に落ちないが、助かったことに違いはない。腕が無いと困
ることも多いのは事実だ。
﹁まぁ気にするな。返済は依頼料から毎回1割引いておくので、頑
張って稼いでくれ﹂
結局のところ魔法薬は無料とはいかなかった。まぁそりゃそうか。
希少な品のようだし。欲しがる奴はいくらでもいるだろう。いや、
金さえあれば誰でも欲しがるか。
提示された金額は大金貨にして100枚。500万シリルだ。こ
れは貧民街に住む1人の労働者が一生のうちに稼ぐ金よりも多い金
額である。
普通の冒険者なら到底払える金額ではない。たぶん無理をして途
1370
中で死ぬ確率のほうが高いだろう。
正直高すぎないかと思わないでもない。
しかしアルドラは一晩で多数の巨人を撃破し、報奨金だけで20
0万近く稼いだというので無理な話ではないと思う。
勿論アルドラをアテにしている訳ではない。自分で稼いで返す。
当然のことだ。
しかしながらアルドラは幻魔である。俺は彼の主である。召喚獣
的な存在である。本来食事とか衣食住とか考えなくていい立場なの
だ。
稼いでも使い道は装備くらいなものだし、正直金を使う必要はそ
れほどない。⋮⋮と思う。と思うのだが⋮⋮
﹁アルドラの報奨金は酒代に変わったぞ。ホールで死体のように転
がってる連中にくれてやったからな﹂
ウイスキーだの、ウォッカだの、値の張る蒸留酒が大量にギルド
に運び込まれた。報奨金は全て無くなったらしい。
﹁だがそれも必要なことだろう。というアルドラの判断だ。アルド
ラは突然やってきて獲物を根こそぎ奪っていったようなものだから
な。反感を買わないように配慮する必要があったのだ﹂
俺のため、ひいてはリザやシアン、ミラさん家族の為ということ
だ。
1371
ピンチの時に来てくれた英雄なら、命を救われ感謝もするだろう。
だが巨人を殺せば金になる。それを知ってしまえば⋮⋮そしてあ
る程度の危機を乗り越え、心に余裕が生まれれば、獲物を奪いすぎ
だ。俺の獲物を横取りする気か。報奨金を独り占めする気かと反感
を買うことに繋がる。
それでも皆を助け、強さを見せつけ、なおかつ得た報奨金を気前
よく酒として全員に振る舞えば、そうそう反感も生まれないだろう。
強く気前のいい英雄を演出したわけだ。余計な敵を作らないよう
に。まったく頭の下がる思いである。
﹁魔剣のことは任せておけ。アルドラの剣は今まで嫌というほど打
ってきたからな。一応奴にも意見を聞いて、出来るだけ良い物を作
ると約束しよう。珍しい素材だし、俺も興味があるからな﹂
﹁よろしくお願いします﹂
魔犬の大牙はヴィムに預けることにした。
それを使ったアルドラの魔剣を打ってくれるらしい。
アルドラは剣を失ってしまったようだし、丈夫な剣を欲していた。
街で売っている物より、良い物を作ってくれるそうなので期待する
ことにした。
それに彼の攻撃力が上がるなら願ったり適ったりである。
﹁一週間は安静にしていろよ。剣を振り回したり、重いものを持ち
1372
上げたりするのは一週間経ってからだ。安定するまでは時間が掛る
らしいからな。リハビリがてらに柔らかいものとか、軽いものなら
多少は問題ないがあまり無理はするな﹂
﹁わかりました﹂
﹁一週間後、迎えに行くわね﹂
﹁はい﹂
リュカは異常発生に連なる調査の仕事が終わったということで、
しばらく暇を貰ったらしい。
その暇を使って俺に剣を教えてくれるそうだ。
﹁アルドラは何だかんだ言って子供には甘いからね。それに彼の得
意な得物は大剣だから、片手剣なら私のほうが上手だと思うわよ﹂
アルドラは巨人や巨大な魔獣なんかを相手する戦いを好む。リュ
カは人型くらいの魔物との戦闘も熟知しているので、指導を受ける
のはそういう意味でも有意義だという話だ。
英雄からの指導を受けられる滅多にないチャンスだ。断る理由は
ないだろう。
それまで彼女は森の様子を見て回ったり、自分の家族のいる村に
顔を出しに行くと言っていた。
巨人の進行で被害を受けた村もあるようなので、そのあたりの確
認だそうだ。 1373
第119話 姉妹の結婚式
﹁結婚式ですか?﹂
唐突な質問にリザは疑問の色を見せる。
﹁ああ。そういうのはエルフでは無いのかな?﹂
ルタリア王国に広く布教されている宗教、女神教。
王族を始めとした貴族たちを中心に、ルタリアに住む人族のほぼ
全てがこの教団に身を寄せていると言って過言ではない。
人々の精神的主柱、結束の中心にあるとさえ言われるこの女神教
は、王国でも非常に強い影響力を持っている。
﹁人族は教会が取り持つというのは聞いたけど、エルフ族ではどう
なのかなと思ってな。ほら⋮⋮リザとシアンを妻とする事を決めた
訳だが、何ていうか⋮⋮ケジメとでも言うのかな﹂
リザのことは出会った当初から、そう言った話であったので唐突
ということも無いが、シアンは勢いで⋮⋮といった感じも否めない。
勿論軽い気持ちというわけではなく、俺なりに考えてのことだが。
結婚は勢いが大事ということもあるが、それはこの際置いておこ
う。
1374
リザは美しい娘だ。
彼女を妻に。そう言われて断る男はいないだろう。まともな美的
感覚があれば、同性愛者でなければ、欠点たる欠点の見当たらない
誰もが羨む器量の良さである。
それでも俺がこの世界にたどり着いた理由がわからない状態で、
結婚なんてものは考えられなかった。
仮に一晩限りの⋮⋮そういったものなら考えたかもしれない。
しかし真剣に考えるなら、あやふやな状態での進展は難しい。
どういった力でこの世界に辿り着いたかわからないなら、いつ突
然元の世界に帰るかわからないからだ。
彼女は真摯で、良い娘であればあるほど、誠実に接したい。しな
ければならないと、考えさせるのだ。
一応の所、元の世界に帰るという余地はない。今はそう考えてい
る。俺もまたこの世界の住人。この世界で骨を埋めるのだと。
であれば何時までも彼女を待たせるわけにも行かないだろう。
﹁お母様に聞いてみます。そうですね⋮⋮結婚式。いいですね⋮⋮﹂
リザは小さく呟き、口元を微かに緩めた。
1375
>>>>>
エルフ族の結婚式、春の儀式は文字通り春の季節に行われる。
ルタリア王国、大森林、この地域にも四季があり季節の移り変わ
りはあるようだ。
ただ気候的には温帯に属するようで、冬とはいっても雪が積もる
事は滅多にない。
﹁花の冠、エルロードという樹皮から作られるローブと杖を持って、
詩と踊りで祝福されるのが春の儀式ですね﹂
ミラさんは昔を思い出すように教えてくれた。
大森林に住むエルフは、家族が幾つか集まったような小さな集落
を築いて生活している。
春になると、その幾つかの集落が集まり春の祭り、新たな年の始
まりを祝うのだという。
﹁普段あまり接触のない集落同士の情報交換の場でもありますね﹂
そういった場で、若い男女が出会い番になるのだという。
気に入った男性がいれば、若い女性エルフは自分の母に相談する。
母から父へ更に村長に伝えられ、相手方の方に話が伝えられ村長
1376
と父親とが中心になって話が進められていくものらしい。
﹁エルフの男性は消極的ですからね。大抵は女性の方から動きます。
もしくは村長や父親たちが集まって、話し合いなども行われるそう
ですが﹂
春の儀式は村の者総出で、つまり家族で祝うのが通例なのだ。
﹁どうかなリザ、シアン﹂
彼女たちに向き直ると、それぞれに嬉しそうに頷いた。
家族で結婚式をあげようという話だ。
姉妹の結婚式。
ミラさんは村を出て、今は交流もない。アルドラもそうだ。
そういった訳で参列者はこの家の住人のみとなる想定だが、まぁ
それもいいだろう。
﹁では、そのように準備を進めますね﹂
ミラさんが張り切っている。未だこの世界の文化、生活に熟知し
ているとはいえないが、母が娘を祝福したいという気持ちは、世界
が違えど変わらないものなのだろう。
﹁私も調合の合間を見て、準備します﹂
1377
リザはミラさんの薬の調合を最優先に、手が空いた時に儀式の準
備を進めるという。
ちなみに儀式は俺の浅い知識を加えて、現代日本式+異世界エル
フ式というハイブリッド結婚式となる予定だ。
﹁白無垢⋮⋮兄様、私も着てみたいです﹂
﹁勿論だ。俺も二人の着飾った姿を見てみたい﹂
まぁ、白無垢なんてものはないだろうし、ウェディングドレスな
んかも無いだろう。
という訳で白いドレスを探すことにした。1から作るとなると、
まず製作者から探さないと行けない。街が混乱の中にある状態では、
難しそうだ。
時間を掛けてゆっくり準備するかとも思ったが、女性陣が思いの
ほか乗り気なので今更無粋なことは言うまい。
俺はというと腕のこともあって、基本的に家で留守番である。
>>>>> ﹁どうですか兄様?﹂
1378
﹁ありがとう。まぁ何とか、頑張るよ﹂
しばらく安静にということだったので、俺は空いた時間でこの国
の文字をシアンに習っている。
まぁ、獣皮紙に何度も書いて覚えるという単純なものだ。
とりえあえず数字は覚えた。十進法で文字数もそう多くはないの
で、すぐ覚えられた。
その後は王国で一般的に使用されるルタリア語に挑戦する。
32文字からなる象形文字のような記号である。
それからは文字の組み合わせからなる単語をひたすら書いて覚え
る。
文法は後回しで、一般的に、もしくは冒険者が使いそうな単語を
中心に覚えていく。
これでギルドの依頼書、もしくは酒場のメニューくらいは直ぐ読
めるようになるだろう。
魔術の教科書たる魔術書を読むには、これとは別に魔術文字とい
うのを覚えなければならないそうだ。
魔術文字は人族の魔術師の手によって、エルフ文字を元に作られ
た。
1379
人には理解しづらいエルフ文字を、人の魔術師にも修得しやすい
ように簡略化された物だそうだ。
文字1つ、1つに意味があり、それぞれに魔力が備わるのだと言
われている。
﹁それにしても覚えることは、まだまだあるな⋮⋮マスターするに
は、かなり時間が掛かりそうだ﹂
人生は死ぬまで勉強だ。なんて何処かで聞いたような気がするが、
実際こうして見ると学生時代に戻った気分だ。
まさか異世界で異世界語を勉強することになるとは思いもよらな
かったが。
﹁任せて下さい。私が全力で教えます!﹂
シアンは拳を握りしめ気合を入れた。
その姿が可愛すぎて、思わず抱きしめそうになるのをグッと堪え
る。
﹁お願いします。先生﹂
﹁先生?﹂
シアンは不思議そうな表情を見せる。
﹁勉強を教えてくれるなら先生だろ?﹂
1380
そう言うと彼女はにっこり笑って﹁先生に任せなさい﹂とまんざ
らでもない様子を見せるのであった。
>>>>>
数日後、いつものリビングでささやかな結婚式が開かれた。
ミラさん、アルドラ、それに俺とリザ、シアンと家族だけの祝で
ある。
いつもより数段豪勢な料理が用意された。酒も手に入る限りの上
等なものだ。
﹁リザ、シアン、二人共すごく綺麗だよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁兄様、嬉しいです﹂
生花を使った花の冠。ミラさんの手作りである。
二人が着ている白いワンピースのドレスは、街中を探して手に入
れた。
アルドラとリザとで見つけ出したものだ。レースがふんだんにあ
しらわれた豪華なドレスである。
1381
二人のデザインは微妙に違う。リザの背中は大きく開いていて、
かなり扇情的であるし、シアンはかなりミニスカになっている。チ
ラリズムがすごい。この世界にもミニスカって文化があったのかと
感動を覚えた。
スカートの端がレースになっていて、シースルー的な感じになっ
ているのが、また非常に良い。主に視覚的な意味で。
﹁わしはお主にやると言ったときから、すでに送り出したものとし
ておる。じゃから今更じゃな﹂
とは言うものの、姉妹の幸せそうな顔を見ればアルドラも目尻が
下がる思いであるようだ。
姿は若々しいが、おじいちゃんみたいなものだしな。
アルドラが言うには、エルフには結婚という言葉はあるが、離婚
という言葉はないそうだ。
死別は別として、例えリザやシアンと別れるようなことがあって
も、彼女たちはお主を離れた地から思い続ける⋮⋮
そうなっては不幸になるしかないので、末永くよろしく頼むとい
うことだった。
もちろん言われるまでもない。
1382
彼女たちを手放すことなど、到底考えられないことなのだから。
しかしアルドラの言い回しが若干怖い。
﹁ジン様、これからもよろしくお願い致します﹂
﹁兄様、ずっとお側に居させてくださいね﹂
彼女たちに視線を送ると、そう言って晴れやかな顔を向けてくる。
⋮⋮怖いなんて言うものではないな。
俺の人生に、これ以上の幸福など無いのだろうから。 1383
閑話 リュカの日常︵前書き︶
※リュカ視点
1384
閑話 リュカの日常
﹁おはようございまーす。リュカ様、起きてますかー?﹂
木製の扉を打ち付ける金属製のノッカーが、来訪者を告げる打音
を響かせる。
まどろみの中で手を延ばす。
枕元に置いた懐中時計を手元に引き寄せ、時間を確認した。
どうやらすでに約束の時間は過ぎているようだ。
頭まですっぽり覆っていた毛布を、勢い良く剥ぎ取る。
大きく伸びをして、縮こまった筋肉を引き延ばす。
重い足取りでテーブルに辿り着くと、置いてある水差しから水を
注ぎ、乾いた喉を潤した。
﹁早いわね。いつもどおり頼むわよ﹂
玄関の扉を開けて、外に立つ人族の青年に声をかける。
﹁わかりました。リュカ様﹂
青年は浅くお辞儀をして、それに答えた。
1385
﹁あのね。いつも言ってるけど、貴族じゃあるまいし、様なんて畏
まった敬称やめてくれる?それに私は獣人よ﹂
やれやれと溜め息を吐きつつ、青年を室内へ招き入れた。
リュカが借りている部屋は、市民街の中でも高級な部類に入る地
域に属している。
洗練された街の雰囲気からも、貧民街とは違う場所なのだと容易
に理解出来るだろう。
だが街の雰囲気とは裏腹に、この場所は雑然とした様相を呈して
いる。
簡潔に言うと、すごく散らかっていた。
﹁S級冒険者であるリュカ様は、下級貴族と同等の地位があると記
憶していますが﹂
青年は澄ました顔で答える。
﹁領地があるわけでもないし、名ばかりの権利でしょ﹂
少なくとも長い冒険者生活の中で、貴族の地位が役に立ったなん
て思ったことは1度もない。
﹁わかりました。それはそうとしてリュカさん、もう少し身なりに
気を配って頂きたいのですが。流石にその格好はどうかと思います
よ﹂
1386
そういう青年の指摘を受けて確認すると、リュカは寝間着のまま
のキャミソールにホットパンツといった様な出で立ちであった。
青年は澄ました表情を崩さないが、相手によっては確かに問題が
ある。
﹁⋮⋮わかったわよ。ちょっと着替えるから待ってて。あと掃除は
いつも通りお願い。鍵もいつも通りに﹂
﹁わかりました﹂ >>>>>
﹁やあ英雄。調子はどうだい?﹂
﹁姫さま、いい肉が入ってるぜ。買ってかないか?﹂
﹁リュカさん、港から南の珍しい果実が届いたんだ。見てってくれ
よ﹂
道を歩けば次々に住人たちから声が掛る。
ベイルの住人たちは皆逞しく、街の復興は急速に進んだ。
仕事の早いドワーフたちが多く住んでいるのも理由の1つだろう。
1387
彼らは生来の職人気質を持ち、その能力を石工や大工、鍛冶師とし
て遺憾なく発揮している。
﹁こんにちは。ビッケルいるかしら?﹂
職人街の片隅、古い工房を尋ねた。
お世辞にも綺麗とはいえない、年季の入った工房は屋根が少し傾
いている。
ここに住む者同様に、色々とガタが来ているのだ。
﹁よお、よお、お嬢ちゃん。久しぶりだな!今日はどうしたんだ?
あぁ、また魔剣の鞘を頼みに来たのか?﹂
右目を眼帯で隠した、白髪のドワーフがよたよたと足取りも悪く
姿を見せる。
腰には革製の道具袋が下げられており、金槌やノミのような道具
が確認出来ることから大工なのだとわかる。
﹁ガルドル、私2日前にも来たんだけど。そうじゃなくて、頼んで
おいたものを取りに来たのよ﹂
﹁ほお、そうだったか?がはははは、年を取るといけねぇな。どう
したって忘れっぽくなっちまう﹂
豪快に笑うドワーフの老人の手を、虫を払うかのように軽く叩く。
﹁痛えな。なんだよ、お嬢ちゃん?﹂
1388
﹁痛えな。じゃないわよ。私の尻は安くないの、勝手に触らないで
くれる?﹂
叩かれた左手を大げさに庇う。
﹁老い先短い人生なんだ、冥土の土産に少しぐらいいいじゃねえか﹂
﹁その人生、今直ぐ終わらせてあげましょうか?﹂
何時何処から出したのか、いつの間にか握られている小剣にドワ
ーフの老人は冷や汗をかいた。
﹁なんだよ冗談だろうが⋮⋮﹂
がっくりと肩を落とし、老人は疲れた様子を見せた。
﹁なによ、ちょっと触らせてあげたでしょ﹂
﹁そんな固い尻じゃ、あんまり嬉しくな︱︱﹂
ガツンと鈍い音が工房に響いた。
﹁痛え!?今本気で殴ったな!﹂
﹁私が本気で殴ったら貴方死んでるわよ⋮⋮いいからさっさとビッ
ケル呼んできなさい!﹂
﹁は、はい﹂
1389
ガルドルは追い立てられる様に、工房の奥へと走っていった。
>>>>>
﹁ジン、さぁ行くわよ!支度はできてるでしょうね?﹂
強く玄関の木扉を叩き、訪問の合図を送ると同時に勢い良く戸を
開けた。
﹁⋮⋮っ!!﹂
リビングに居たリザが、驚いた表情を浮かべて飛び退いた。
﹁おはようございますリュカさん。は、早いですね﹂
ジンも慌てて姿勢を正す。
﹁⋮⋮その様子じゃ腕の方は問題無さそうね。さぁ、森へ行くわよ﹂
この二人が番になった話は聞いている。若者同士だし、元気なの
はいいことだ。ただ訓練の前にやり過ぎると疲れが貯まるのでおす
すめはしない。
﹁あぁ、それならいい場所があるんですが⋮⋮﹂
1390
ドーム型の天井。地下だというのにかなり明るい。直径100メ
ートルはあるだろうか、広さも十分だ。
﹁街の地下にこんな場所があったなんてね⋮⋮驚きだわ﹂
この街にはそれなりに長く暮らしてきたが、こんな空間が地下に
存在していたとは知らなかった。
﹁訓練に丁度いいでしょう?音も外に漏れることはないだろうし、
この遺跡の石材自体がかなり頑丈なので少々暴れても問題ないと思
いますよ﹂
街の全体に広がっている地下水道も、古代の遺跡をそのまま利用
しているという話だ。
もしかしたら、この場所はそういった遺跡の一部なのだろうか。
ゼストは知っているのだろうか?そういった話は聞いたことが無
いが⋮⋮
街の石畳や水路、一部の石壁、古い家屋に備えてある地下室の一
部も遺跡なのだという。
この街には至る所に古代文明の面影が残されているのだ。
﹁もう終わり?まだまだ始まったばかりよ﹂
1391
ドワーフの職人に作らせた特注の木剣。普通に振れば特に変哲も
ないものだが、魔力を僅かに込めることで重量と耐久性が大幅に向
上する。
木剣とはいえ当たりどころが悪ければ、致命傷にもなりかねない
危険な武器である。
﹁⋮⋮ま、まさかぁ。まだまだ、これからですよ﹂
とは言え足元がふらついている。それでも軽口が言えるなら、ま
だ元気な証拠か。
﹁そうよね。大丈夫よ、今日は時間があるから、たっぷり付き合っ
てあげる﹂
﹁⋮⋮わぁい﹂
そういうジンの顔は、これ以上ないくらいに強張っていた。
﹁それで、どうじゃジンの様子は?﹂
訓練を見るという名目で呼びだされたアルドラが、腕を組み立ち
並んで質問してきた。
﹁悪くはないわね。これで剣を持ったのが最近なんでしょ?それを
考えれば、相当な成長速度だと思うけど﹂
ジンは体力を使い果たし、今はミラの膝枕で休憩中だ。
1392
疲れからか僅かな時間で眠ってしまったらしい。寝顔だけで見れ
ばただの少年にしか見えない。黒髪、黒瞳、クセのある髪、幼さの
残る顔立ち。
北方系の顔立ちではない。かといって南方系とも違う。少なくと
もこの辺りでは見ない人族の種だ。まぁ人族は獣人と同じく幅広く
生息地を広げる種だ。この辺りでは見かけない人族も、遠方の地に
はいるのだろう。
色々な事情から故郷を出て、新天地へと旅立つ。そういったこと
も珍しくはないと聞く。
﹁お主がそれほど評価するとはな。そりゃあ最高評価じゃないじゃ
ろうか﹂
そういってアルドラは顔を綻ばせる。まるで自分の息子が褒めら
れて、気を良くしているかのようだ。
﹁まったく⋮⋮子供に甘いんだから⋮⋮﹂
そういって自分の幼少期のことを思い出す。
父の友人、アルドラ。
エルフでありながら異端の存在。その全てが規格外。
何でも酒場で大喧嘩して以来、父と友人関係となり共に行動する
ようにもなったのだとか。
1393
父の操る獣狼族特有の格闘術を修得するため、一緒に暮らしてい
た時期もある。
私が初めて会ったのは2歳くらいの時らしい。もちろんその辺り
の記憶は、私には無いが⋮⋮
﹁何か良いことでもあったか?﹂
アルドラが不思議そうに私の顔を覗き込む。
﹁⋮⋮なんでもないわよ﹂
思わず顔に出てしまったらしい。僅かに頬が熱くなるのを感じた。
﹁それにしても、お主がジンの稽古を付けるなどと言い出すとはな。
どういった了見じゃ?﹂
単にアルドラのお気に入りに興味が湧いただけ。などということ
はない。
勿論理由はある。
﹃ジンを鍛えてやってくれ﹄
ゼストに頼まれたことだ。
あのように真剣な顔で頼むときは何か理由があるときなのだが、
それを安々と教えるような奴ではない。
1394
言わないというより、言えないのだと解釈している。
﹃いいけど、1つ貸しよ﹄
﹃わかった﹄
ゼストに貸しを作って置くのは悪く無い。
私は暇が出来たらという条件で了承した。
﹁そんなことより、随分と気に入ってるみたいね﹂
視線を移すと、ジンがミラの手を握りしめ、それに嬉しそうな表
情を浮かべるミラの姿があった。
﹁ええ。男の子って可愛いですよね﹂
ミラの2人の娘、リザとシアン。
ついこの間、身内だけの内々の結婚式を上げたのだとか。
﹁どうもリザの話では結婚式は2人のために、というより私のため
に、私を安心させるためにしようとジンさんが提案してくれたみた
いなんです﹂
そういってジンの手を握りしめるミラ。
しかしその顔は娘の夫に向けるようなものでなく、まるで自身の
恋人に向けるような恋する乙女のものに感じた。
1395
ジンはというと今だ眠りに着いている様子である。
﹁⋮⋮まさかとは思うけど、もう抱かれた?﹂
私の言葉の意図を理解したのか、ミラが焦りの色を見せて狼狽す
る。
﹁なっ⋮⋮なにを言ってるの!?﹂
彼女は私の倍ほどは生きているはずなのだが、どうも見た目も相
まって少女のようにしか見えないときがある。
精神の成熟が緩やかとされるエルフならではといえば、それまで
かも知れない。
ともあれ今の彼女は、母の顔というより1人の女の顔といった様
相だ。
まぁ私も一応は女だ。
女らしいことをしばらくした記憶はないが、ミラの心情にはある
程度予測はつく。
﹁ほんと少年好きも大概にしておかないと、大変なことになるわよ
⋮⋮﹂
呆れ半分、諦め半分。
ともあれ今では彼女のことも、友人の1人だとは思っている。
1396
であれば悲しい結末にはなって欲しくはないというのが、正直な
心情だ。
﹁あ、あのねぇ⋮⋮何をそんな⋮⋮﹂
狼狽えるミラは言葉が辿々しい。
視線が泳ぎ、焦点が定まらない様子だ。
﹁あ、あれ?俺寝てました⋮⋮?﹂
ミラがもごもごと口どもっている間に、ジンの目が覚めたようだ。
﹁ええ。少しの間ね。寝て体力も回復したでしょう。さぁ修行の続
きをやるわよ!﹂
確かにこの少年には底知れない何かがある。
アルドラはその辺りに興味を惹かれているのだろう。ミラもリザ
もそうかもしれない。
そういう私もそうか。
この子の成長がどこまで行くのか、見てみたい気持ちはある。
そう考えると、確かに面白そうだ。
しばらく修行に付き合って、成長を見守るとしよう。 1397
1398
第120話 白猫館1
ベイルは旧市街、現在では中央と呼ばれる街の中枢と、新市街と
呼ばれる中央を取り巻くようして作られた新たな居住区域によって
できている。
中央を囲む城壁に、外周の城壁という2つの城壁である。
だがそれとは別に、この新市街には隔離された地区があった。
花街。
約500メートル四方の区画に、他地区とは異なる見た目の家屋
が立ち並ぶ密集地帯。
この地区には西門と東門という、入口と出口が定められた2箇所
があるだけで、それ以外は壁と水路で他地区とは完全に分断されて
いる。
中の様子を伺うには門番が控える西門を潜るしか無い。
この門を潜るだけでも一定の金額を納めなければならないため、
貧乏人には縁のない地域でもある。
﹁お話は伺っております。案内人がおりますので、どうぞあちらの
詰め所に、声を掛けてお待ち下さい﹂
手に槍を持ち、金属の重鎧を身にまとった門番が、ギルドカード
1399
を確認した後に門を通してくれた。
﹁わかった。ありがとう﹂
今回の訪問が招待ということだからなのか、門を潜る際の通行料
を払うこと無く無償で通れた。
他の通行者の様子を伺っていると、皆一様に支払っているので俺
が特別ということらしい。
門を抜けて直ぐ側には、門番や花街の警備にあたる人間が待機し
ている詰め所がある。
花街に並ぶ家屋と似たような作りの、木造3階建の古い建物。し
っかりした作りで古いと言うより味があるといったほうが正しい。
貧民街の建物も大抵は木造の2、3階建てのものだが、それより
も凝った作りをしている。
いや、凝った作りというよりも、これは何処と無く和風の建物に
も見える。何処か懐かしい雰囲気だ。何処がと問われると難しい所
ではあるが。
﹁ジン・カシマ様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。
今日はお一人様でございましょうか?﹂
ぼんやりと町並みを眺めながら、案内人を待っていると背後から
声が掛かった。
1400
50代の落ち着いた人族の男だ。
﹁ええ。今日は1人で来ました。直ぐ伺うつもりだったのですが、
お待たせしたようですいません﹂
案内人の男が柔和な笑みを浮かべる。
﹁当店の小猫たちが待ち侘びている様子でしたよ。特にモクラン様
が⋮⋮いえ、私から言うのも無粋でしょうか﹂
小猫というのは白猫館で働いている女性たちの総称らしい。
酒と食事を提供し、泊まることもできる旅館兼料亭のようなもの
だという。
花街でも最高クラスの店。それが白猫館なのだ。
﹁もちろん提供するのは酒と食事だけではありませんが⋮⋮﹂
小猫たちは芸に身を窶し、歌舞を始めとした様々な事を修得する。
訪れる客をもてなし、癒やし、日常を忘れさせて楽しませる。そ
れが彼女たちの仕事だ。
案内人が先を歩き、俺はそれに追従した。
歩みはゆっくりしたもので、道すがらにこの地区の説明を受けた。
1401
しばらく歩くと、立ち並ぶどの店よりも豪華な門構えの店にたど
り着く。
案内人と別れ、店の門を潜ると獣猫族の年配の女性が出迎えてく
れた。
﹁お待ちしておりました、カシマ様。お部屋の準備は出来ておりま
す。どうぞこちらへ﹂
女性に促され、履物を脱いで室内に入る。
入る際には女性従業員に足を洗われるサービス付きだ。
慣れないことをされて驚いたが、気持ちがいいし疲れが取れる。
それにしても、この世界に来て初めて靴を脱いで入る建物に出会
ったな。
武器等もここで預けるようだが、俺は丸腰なのでそのまま通され
た。
冒険者の鞄は備えたままなのだが、それは問題ないらしい。
﹁通常は預けて頂きますが、カシマ様ならそこまでせずとも良いと
指示を受けております﹂
女性は落ち着いた声で答えた。
1402
>>>>>
木造の建物は建てられてから、かなりの年月が経っているように
見える。
だが細かい修繕を繰り返し、この美観を維持しているらしい。
3階建の大きな建物。長い廊下を歩くと中庭が見える。人工物を
廃し自然の趣を活かした庭園は、かなりの広さがあるようだ。
﹁こちらでお待ち下さい﹂
通された部屋は20帖くらいの板間で、毛皮の絨毯が敷かれてい
る。ふかふかとした肌触りが気持ちよく、このままここで寝てしま
いたいくらいだ。
部屋を区切る板戸の間仕切りが見えるので、実際はもっと広いの
かもしれない。ますます和風っぽい。ただ畳は無いようだが。
窓辺はベランダになっているようで、空いた戸から外の景色が見
える。
いつの間にか時間が経ち日は落ちている。空は暗いが店の軒先に
吊るされた明かりが、花街を色鮮やかに賑わしていた。
通りを歩く人々を眺める。夜が深けるにつれ人通りも増えてきた
ようだ。日本の着物によく似た装いの女性たちの姿も見える。
1403
皆鮮やかな色合の衣で、女性たちを艶やかに飾っているようだっ
た。
﹁失礼します﹂
部屋の外から声が掛る。幼さの残る若い女の声。
﹁はい﹂
俺が返事をすると部屋と廊下を区切る引き戸が開いた。其処に居
たのはまだ幼い少女だった。
﹁白猫館へようこそお越しくださいました﹂
膝を突き深く頭を下げる幼い女の子。獣猫族の少女だ。
チセ 10歳
サヨ 8歳
1人かと思ったが2人いた。よく見ると顔立ちが似ている。姉妹
かもしれない。
﹁モクラン姉様はもう少し時間を頂くことになりますので、それま
での間、私達がお相手致します﹂
﹁そうか。わかった﹂
1404
こんな時、呼びつけておいて待たせるとは何事か。と怒ってはい
けないらしい。
女は準備に時間が掛るものなので、男が待つのは当然の事なのだ。
というよりも敢えて待たせて、待つ時間を楽しむというものらしい。
よくわからないが、こういった花街の流儀的なものが色々あるの
だという。まぁ、これも1種の遊びということだ。ちなみに障りだ
け案内人のおじさんに教えてもらった。
それにしても、ここではこんな幼い子たちも働いているのだろう
か?
冒険者ギルドでも子供が受付をしているので、不思議ではないか
⋮⋮
いや、あれは子供ではなかったな。
2人の少女が部屋に食事を運んだり、酒を運んだりと用意を始め
る。
部屋の隅で香を焚く。食事の邪魔ではないのか?と一瞬思ったが、
特にキツイ匂いがするわけでもない様だ。
﹁緊張を解して心を安らげる香だと聞いております。もしお嫌いで
したら片付けますが⋮⋮﹂
1405
﹁いや、いい。そういうわけじゃない﹂
紫雲香 薬品 D級
特に気になる訳でもないので、彼女たちに任せる。異世界の文化
に触れるいい機会でもあるしな。
右にチセ。左にサヨ。
2人の幼女に挟まれる。なんだろうこの状況。
﹁ぜひ旦那様には一度お会いしたいと思っておりました。こうして
叶うことになって夢のようです﹂
俺の話相手になってくれているのがチセ。幼いものの大きな目に
ハッキリした顔立ちで、将来は相当な美人になると予想される少女
だ。
言葉遣いも大人のようにハキハキしていて、お店のお手伝いとい
った雰囲気ではなく、1人の従業員といったようなプロの雰囲気が
漂っている。
しっかりしている。とでも言えばいいのだろうか。
隣に座るチセは小さいながらも女性らしい仕草で、しなだれるよ
うに俺に寄りかかり酌をしてくる。
なんか色々覚えちゃったんだな。率直に言うとそんな感想だ。
1406
対してサヨはだんまりというか、無表情、無口を貫いている。
と言うよりも緊張しているのかもしれない。少々顔が強張ってい
るようにも思える。
顔立ちはチセに似ているが、雰囲気は正反対だ。
黒というよりも深い青、濃紺といったような色合いの髪と瞳でチ
セは肩くらいまで長く、サヨは短く揃えている。
外を歩く艶やかな着物をまとった女性たちに比べれば、地味な色
合いのシンプルな着物で身を整えている。装飾品の類も身につけて
はいないようだ。
1407
第121話 白猫館2
﹁旦那様ぁ、もっと下の方⋮⋮もっと下の方を擦ってください⋮⋮﹂
衣を捲り、白い腹を晒す。チセは甘えた声を出しながら、身を捩
った。
﹁いやいや、もっと下ってそれもうお腹じゃないから﹂
﹁いやぁん⋮⋮旦那様のいじわるぅ﹂
あぐらをかいて座る俺の膝の上に、横抱きになるように小さく収
まったチセは、白い肌を晒して腹を撫でられていた。
﹁サヨちゃんも指離してくれない?﹂
大人しかったサヨも、どうしたことか俺の腕を取り指に吸い付い
ている。
まるで赤ん坊が哺乳瓶に吸い付いてるような感じだ。
﹁はむっ⋮⋮んっ⋮⋮ふぅ﹂
まったく声が届いていない。どうやら話が通じないようだ。
﹁にゃぁ∼。お兄ちゃんの匂い、いい匂いがするにゃぁ∼﹂
﹁あぁ∼、この匂いスキ∼。すぅー、はぁぁぁぁ︱︱﹂
1408
なんかいつの間にか幼女が増えてるし。
背中に張り付くのは、2人の獣猫族の少女。
首筋の匂いを嗅いだり、舌を這わせたりといった正気とは思えな
い行動を取っている。
チセとサヨも正気では無いようだが、どうしたと言うのだろうか。
部屋に訪れてしばらくは普通だったのだが⋮⋮
状態:発情
何処かで見た記憶のある情報が、魔眼よりもたらされた。
あー。それかぁ⋮⋮
場合によっては有り難い状況だが、正直言って彼女たちは守備範
囲外。
そのため現在の状況は嬉しいよりも、むしろ困る状態だ。
将来は美人になりそうな可愛い子たちだが、流石に若すぎるだろ
う。
﹁旦那様ぁ、もっと下⋮⋮お願い⋮⋮﹂
1409
﹁いいなぁ、私も触って欲しい⋮⋮﹂
﹁あたしはちゅーして欲しいな⋮⋮﹂
うーん。どうしたものか。
何度か説得を試みたが、話が通じるような状態ではないようなの
で説得は難しそうだ。
かといって力尽くで引き剥がすのも難しい。
俺が1人苦悶していると、部屋に人が近づく気配を感じる。
﹁失礼します﹂
落ち着いた大人の女性の声が、廊下から聞こえる。
﹁長らくお待たせしまして、申し訳ありません﹂
健康的に日焼けしたような小麦色の肌。胸元まで長く伸びた髪は
美しく結い上げられ、金の髪留めで纏められている。
ダークブラウンと言ったような、吊り目気味の濃い茶色の瞳。
俺を招待した獣牛族の妓女。モクランであった。
整った顔立ち、頭部に備わる湾曲した2つの角。
背は高く大きく開かれた胸元、括れた腰、大きな臀部、迫力の質
1410
量。
なんという、わがままボディ⋮⋮
その妖艶な美しさに、男なら誰もが目を奪われるだろう。
﹁あらら、まぁ、ジンさん⋮⋮もしかしてお邪魔でしたか?﹂
口元に手を添えて大げさに驚いた振りをするモクランに、俺は苦
笑して答えた。 ﹁まさか、勘弁して下さいよ。取り敢えず助けて貰えますか?﹂
>>>>>
発情の原因となった紫雲香は取り除かれた。
本来ならばこれほど強力な効果は出ないらしいのだが、彼女たち
が幼かったせいもあって効果が強く効きすぎてしまったようだ。
通常であれば、男性にはほぼ無効、女性にはちょっとエッチな気
分になるというものらしい。
無論これはリザが生み出した薬が元になったものである。
﹁獣猫族の一部の女性には発情期というものがありまして⋮⋮﹂
1411
所謂先祖帰りとでも言うのだろうか。
10人に1人。もしくは20人に1人ほどの割合で、発情期に悩
まされる者が現れるのだという。1種の体質のようなものなのだと
か。
発情期の期間は異性を激しく求めるが、それ以外の期間は激しく
拒絶する。そういった性質の類らしく、この仕事を続ける上で非常
に困る体質のようだ。
紫雲香は擬似的に発情期の状態を作り出す、媚薬のようなものな
のだ。
薬師ギルドに相談したとこで、そのような特殊な事情の薬は対応
してもらえない。
長年悩まされていた事情が解決されたことで、多くの獣猫族の女
性たちが助かっているのだという話を聞いた。
﹁申し訳ありませんジンさん。あの子達には後でキツく言っておき
ますので﹂
﹁いや、怒らないであげてください。可愛い子たちじゃないですか﹂
ちなみに獣牛族には発情期という性質はないらしく、モクランに
は紫雲香の効果は無いそうだ。
1412
﹁ジンさんはあのくらいの娘がお好みですか?﹂
﹁いえ、そういう意味ではなく⋮⋮﹂
チセを始めとした4人の幼女は、モクランが呼んだ獣猫族のお姉
さん方に連れて行かれた。
文字通り摘み上げられて。
﹁旦那様っ、助けてー!やだぁぁあーーー﹂
他の子達は大人しく連れて行かれたが、チセは最後まで叫び抵抗
していた。
初対面のはずだし、懐かれるようなことをした覚えはないので、
少し不思議な思いである。まぁ、悪い気はしないが。
彼女たちは所謂、見習いというのか丁稚のような存在らしい。
店の掃除や、先輩妓女の身の回りの世話等をして過ごし、客前に
出ることは無いのだという。
﹁ジンさんのお相手をする娘を言いくるめて、チセがその役目を引
き継いだのでしょう。色々知恵の回る娘ですから﹂
﹁そうでしたか。まぁ口は達者のようですしね﹂
﹁そうなんです。ですが普段はあのように我侭を言うような娘では
無いので、ジンさんは余程気に入れられたのだと思いますよ﹂
1413
隣に並び座るモクランは、透明な硝子の杯に酒を注ぎながら語っ
た。
﹁まぁ、可愛い女の子に懐かれるのは、悪い気はしないので良いで
すけどね﹂
そう答える俺の顔を覗き込みながら、モクランは穏やかな笑みを
見せる。
﹁成人を迎えていない娘は、客の相手をさせてはいけない決まりな
のですが、ジンさんは恩人ですし特別に呼んできましょうか?相手
はチセが良いですか?﹂
そういうモクランの笑みは、少し意地悪っぽく見えた。その表情
からしても冗談で言っているというのが理解できる。
﹁いや、俺はどちらかと言うと大人の女性のほうが好みですよ﹂
今日のモクランの衣装は艶やかといった言葉が似合うものだった。
黒、朱、橙を中心に大きな華を描いた着物は、素人が見ても豪華
で手の込んだ品だということがわかる。
和装の着物の様に、何枚か重ねて着るものらしく、中の白い衣が
肌の褐色をより鮮明に引き立たせる。
下着はつけないものらしい。
やはり着物だからなのだろうか。
1414
俺のような別世界の記憶を持ったものが、この世界で暮らしてい
るという可能性もある。
精霊の祠で会った彼のように、同郷の存在がこの文化を作ったの
かもしれない。 だとすれば、俺はそいつに一言いいたい。﹁ありがとう﹂と︱︱
大きく開かれた胸元は、うまい具合に先端部分が絶妙に隠されて
いる。
覗きこめば見えるかもしれないが、流石にそれは不味いだろう。
まぁ、見ろと言わんばかりの、挑発的な衣装ではあるが。
しかしながら谷間がすごい。
あまり凝視するのも、どうかと思うのでそれとなく視線を外すこ
とにした。
﹁若い奥方を2人も貰った方の言葉とは思えませんね﹂
そういって彼女は胸元を正す。覗き込んでいたのがバレていたよ
うだ⋮⋮
﹁ま、まぁ、それはそうとして、今日の衣装は凄いですね﹂
前にあった時は違い、今日は仕事着なのだという。
1415
﹁ジンさんのことを考えながら選んだ衣です。どうでしょうか?似
合ってますか?﹂
足を崩して、体を斜に構える。
開けた足元から望む太ももが悩ましい。
﹁すごく似合ってます﹂
﹁ふふふ。そう真っ直ぐに言ってもらえるのが一番うれしいですね﹂
1416
第122話 白猫館3
花街の女性たちが着ている衣は竜衣と言い、竜人族が古来より着
用する伝統的な衣類らしい。
なんでも花街を最初に作ったと言われる人が、竜人族の友人と共
に作ったのが始まりなんだとか。
﹁通気性がよく夏は過ごしやすくて良いですよ。この辺りの夏はと
ても暑いですからね﹂
獣牛族は寒さには強いが、暑さは苦手なので丁度いいらしい。
﹁もうすぐ夏なんですよね。いいですね。家で休むときはそういう
のがあったら快適でしょう﹂
﹁よかったらジンさんの竜衣もお作りしましょうか?﹂
花街の竜衣は、とある決まった工房で作られている。
特殊な衣装であるため、知識のある限られた裁縫師でなければ作
成は難しいのだ。
﹁おお、それはありがたい。お願いしてもいいんですか?﹂
﹁勿論ですよ。職人の方にも連絡しておきますので、後日ご紹介い
たしましょう﹂
1417
>>>>>
﹁それにしても、ここの酒は旨いですね。つい飲み過ぎてしまう﹂
目の前に並ぶ豪華な食事。
透明な硝子の器に、硝子の盃。
透明な硝子というのは相当な高級品らしいので、それだけこの店
の格が高いということなのだろう。
﹁お気に召されたようで、何よりです﹂
硝子の杯に透けて見える濁りのない青い透明の酒は、辛口でスッ
キリしており、喉越しもよく飲みやすい。
﹁海人族の作る醸造酒ですね。詳しい製法は知られていませんが、
穀物を原料にしているというのは聞いております﹂
北の方の大きな河の辺りにも、僅かに海人族が暮らしているらし
いが、直接は見たことがない。
この酒は北海の島々に住む海人族の街から船便で取り寄せている
らしく、大変希少な品のようだ。
﹁いいんですか、そんな高そうな酒⋮⋮﹂
1418
今回の飲食代は店側が持つ事になっている。つまり奢りである。
ご招待なのだ。
とはいえ話を聞くだけでも高そうだとわかるものを出されては、
少々気が引けるというものだ。
﹁ただ置いておくだけでは価値はありませんから。ジンさんに飲ん
でいただいて、喜んでもらえれば価値があったということでしょう﹂
そう言いながらモクランは俺の杯に酒を継ぎ足した。
まぁ、相手が良いというのだ。堪能しても悪くはないか。
それにしても本当に旨いな。何処と無く日本酒にも似ている気が
するし。
酒の肴に用意された料理の品々は、どれも手が込んでいて調理と
しての技術も高いように感じる。
ベイルの飲食店で提供される食事は味の濃い物が多い。ミラさん
の手料理はそのあたりも考慮して、俺好みに調節してくれているの
だ。
ここの料理も塩分控えめで極端に強い香辛料を使わない等、俺好
みになっているので、もしやと思い聞いてみると﹁リザ先生にジン
さんの好みを聞きました﹂と予め調査済みだったようだ。
﹁この焼き魚は、海の魚ですよね?﹂
1419
ベイルからは海岸線まで馬車で七日ほど掛かるらしく、海産物は
ほぼ流通していない。あったとしても、僅かな乾物程度。
北へ行けば2日と掛からず大きな河に出るため、魚といえば川の
魚なのだ。それすらも市場で見かけるのは魚の干物がせいぜいであ
る。
﹁よくご存知で。私どもの店では特別な流通路を持っていますので、
各地の珍しい素材が手に入るのです﹂
所謂ただの魚の塩焼きなのだが、それがこの酒に良く合う。
脂の乗った新鮮な魚を焼いてあるのだ。日常的に新鮮な魚を食べ
ていた俺には、それだけでも感動があった。
日本酒に良く似た酒、魚の塩焼き、店の雰囲気や女性たちの名前、
着物なんかを見ていると、なぜか懐かしい気分に浸れる。
まぁ、日本人顔の女性はいないし、店も着物もそれっぽいだけで
和風かと言われれば、どれも偽物としか言えないのだが。
ざっくり言えば、外人が間違って得た知識でそれっぽいものを作
った。そういったような雰囲気である。
ただ横に座る女性は間違いなく、最上級の美女だ。
彼女はすでに現役を退き、今は裏方として働いているのだとか。
1420
話によると店長みたいなものらしい。
現役時代は最も人気のあった妓女だったのだとか。つまりNo.
1ということだ。
﹁私も年を取りましたから。ジンさんも若い子のほうが、良かった
ですよね⋮⋮﹂
モクランは俯き加減で大袈裟に手を目元へやり、悲哀を現す。
悪ふざけにしか見えないが、彼女自身衰えたとは思ってはいない
のだろう。
今日の気合の入り方といい。自分に自信があるのがよく分かる。
と言うよりも、女の武器をよく理解している。そういう感じだろう
か。
﹁うーん、どうでしょうか。女性の魅力は若ければよいと言うもの
でも無い様な気がしますね。妻たちも若いから選んだという訳では
ないので⋮⋮若いことは素晴らしいことだとは思います。ですがモ
クランさんの美しさは、それだけの物ではないでしょう﹂
モクランの熱の篭った視線を受ける。
熟した体を寄せ、俺の手をとる。
﹁そうですね。若いことは素晴らしいことですよね。⋮⋮ふふふ。
ジンさんも若いはずなのに、そうでもないような気もしますね⋮⋮
不思議な人ですね﹂
1421
柑橘系のような爽やかな香りが鼻腔を刺激する。
﹁ジンさんのために用意した香水です。どうでしょうか、こういっ
たものはお嫌いですか?﹂
目の前にうなじが⋮⋮これは目に毒だな。良い香りも相まって危
険すぎる。
モクランは俺の目の前に手首を突き出す。小柄なシアンや抜群の
スタイルを持つリザと比べると、背の高いモクランは大柄といえる
部類だが、手首は細くしなやかで美しかった。褐色の肌もこれは、
これで良いものだ。
突き出されたものを押し返すわけにもいかず、彼女の手を取り眼
前に手繰り寄せた。
﹁ん。いい香りですね。俺は好きですよ。そんなにキツくないです
し﹂
モクランの頬が仄かに染まる。
﹁私は体臭が強いほうなので⋮⋮職業柄こういったものが手放せな
いのです﹂
﹁そうなんですか。この香水も微かに香る程度なので、きっと気に
なさる程のものではないとは思いますが⋮⋮﹂
不意にモクランに抱きしめられる。
酔っているせいもあり、体制を崩し俺がモクランを押し倒す形に
1422
なってしまった。
﹁おっと、すいません﹂
豊かな胸の谷間に顔が埋まる。
甘いミルクのような香りが微かに広がる。
柔らかいけど、しっかりした重みのある感触。
立ち上がるために、手を掛けようとするが間違えて彼女の胸を鷲
掴みにしてしまった。
﹁あんっ、駄目ですよ。そんなに乱暴にしちゃ﹂
﹁あ、ごめんなさい﹂
モクランの腕の力が強まる。立ち上がれない。筋肉質な感じでは
ないのに意外と力が強い。
﹁ああ、いい。やっぱり可愛いわ⋮⋮﹂
浮ついた表情を隠し切れないモクランは、漏れるように言葉を発
する。
﹁⋮⋮え?モクランさん?﹂
﹁⋮⋮アテュルです。私の本当の名前。ねぇ⋮⋮アテュルって呼ん
で、ジンくん﹂
1423
抱きしめられ動きが拘束される。ギリギリのラインを守っていた
竜衣は、すでに守ることを放棄している。
力で抵抗しても封じられる。けっこう本気なのだが、押さえ込ま
れている。かなりの腕力だ。
スキルを使えば脱出できるかもしれないが、彼女を傷つけてしま
う恐れのあることはやりたくない。どうしたものか。
﹁ちょっとモクランさん、どこ触ってるんですか!?﹂
﹁どこって?どこ?﹂
どさくさに紛れて俺の体を弄るモクラン。
拘束しているのは片腕になったのだが、それでも振り解けない。
﹁⋮⋮惚けないでくださいよ﹂
﹁やだ、怒った顔も可愛いわ﹂
恍惚の表情を浮かべる今の彼女には、何を言っても無駄のようだ。
﹁アテュルって呼んでくれたら、解放してあげる﹂
俺もかなり酔ってはいるが、彼女も酔いが回って悪乗りしている
だけだろう。そういう遊びなのだ。このノリに付き合ったほうが解
決は早そうだ。
﹁アテュル、手をどけてください﹂
1424
俺は静かに彼女の目を見つめる。
﹁⋮⋮っ﹂
モクランさんは満足してくれたのか、言葉通り解放してくれた。
衣がはだけて大変なことになっているが、いたしかたない。見て
はいけないのだと後ろを振り向くと、彼女は即座に背中に覆いかぶ
さってきた。
大きな物体が背中に当たる。
これはマズイ。獣人だからなのか、腕力は相当なものだ。俺も酒
の旨さにかなり飲んでしまった。このままでは押し倒される。
独り身だったなら、むしろ押し倒されたい。望むところだ。だが
今は2人の妻を持つ身である。
このまま流れに身を任せてはいけない。たぶん駄目だろう。いや、
絶対駄目だ。
﹁若いって、素晴らしいですね⋮⋮﹂
モクランは後ろから抱きつき体を弄りながら、熱っぽい声でそっ
と呟いた。
ふと気がつくと、部屋を区切る間仕切りがいくらか動いて、隣の
部屋の様子が覗き込めた。
1425
こちらから入り込む光と、魔眼の力で部屋の様子は良く見える。
見間違い出なければ布団が1つに枕が2つ⋮⋮
うん。これはとてもマズイな。
﹁モクランさん、俺そろそろ帰りますね﹂
俺は危険を感じ、徐に立ち上がる。
だが凄まじい力で引き戻され、唇を奪われた。
彼女のねっとりとした舌が口内に侵入してくる。
﹁ダメよ。アテュルって呼んで﹂
悪女の様な妖艶な笑みを湛えながら、その蠱惑的な肉体を密着さ
せてくる。
彼女に掴まれている部分も含めて、色々と本当に不味いのでそろ
そろどうにかしないと⋮⋮
﹁仕方ないな⋮⋮﹂
アテュルの肩を抱き寄せ、その厚い唇に吸い付く。
﹁んっ⋮⋮あっ⋮⋮﹂
舌を絡ませ、吸い寄せる。
1426
闇魔術︻魔力吸収︼
口吻からアテュルに宿る魔力を強制的に吸いだした。
﹁ふうぅぅんんあああぁぁぁ!!?﹂
ご馳走様でした。
魔力を根こそぎ吸いだされたアテュルは、意識を失い床に伏せる。
﹁聞き分けのない女はキスして黙らせる⋮⋮なんちゃって﹂
1427
閑話 ウルバス・ハントフィールド
﹁素晴らしいことだ。我らの集落から、これほどの術士が誕生する
とは﹂
﹁彼ならば近い将来村長に。いや、いづれは族長に選ばれてもおか
しくはない﹂
﹁あぁ、我らの集落から族長が選ばれる。これほど名誉なことが他
にあるだろうか﹂
物心ついた時から、周囲から聞かされ続けてきた言葉。
僕にとっては当たり前のことが、皆には難しいことらしく、こう
して事あるごとに賞賛される日々を送っていた。
﹁こんな幼い子が、すでに光魔術C級に達しているそうだ。まった
く信じられない成長速度だな﹂
﹁本当なのか?まだ10歳にも満たない子供だぞ﹂
﹁長老が確認している。ハントフィールド始まって以来の天才かも
知れん﹂
僕が魔術を使うと皆が驚き、そして褒めてくれた。
僕にはそれが嬉しかった。
1428
﹁誰が魔術を教えているんだ?﹂
﹁ザフカ老が光魔術をゾーラ老が風魔術を指導しているらしい。お
二人とも厳しい指導者だが、彼の成長に大変満足していると仰られ
ているそうだ﹂
﹁あの長老たちが⋮⋮となると、予てから言われている村長の話も
現実味が増してきたな﹂
﹁あぁ、ハントフィールド始まって以来の最年少村長の誕生だ﹂
僕の毎日は日々魔術の訓練に費やされた。
村の若い衆に連れ立って、狩りも行くようになった。
僕は光魔術の治療が使えるため重宝されたのだ。
﹁まったくアルドラと同じ兄弟とは思えないな﹂
﹁ふふふ。それを言っては彼が可哀想よ。ウルバスは特別出来る子。
アルドラは特別出来ない子なんだもの﹂
アルドラ⋮⋮?聞いたことのない名前だ。同じ集落の者なのだろ
うか?
﹁集落の端に暮らしてるんだ。そうか会ったことは無かったのか。
1429
まぁ、それもそうか。アイツは何時も1人だからな﹂
﹁今頃は北の方の遺跡に篭ってるんじゃない?﹂
アルドラ⋮⋮僕の兄らしい。一度も会ったことはないけど。
いや、見かけたことはあったかな⋮⋮何時も1人でいるやつだ。
そうだ、エルフのくせに1人だけ鉄の剣を担いでいる変な奴がいた。
アイツがそうか。
エルフなのに魔術が使えないらしい。信じられない。
魔術なんて気が付いたら使えていた。治療だって誰かに習ったわ
けじゃない。母様が僕が転んだ時に癒やしてくれたのを見て覚えた
んだ。
風魔術もそうだ。気がついたら空が飛べるようになっていた。別
に誰かに習ったわけじゃない。
僕の父も母も優秀な魔術師だという。それなのに兄弟の彼が魔術
が使えないだなんて信じられない。
﹁アルドラは特異体質だ。たまにいるのだ、そういったものが。エ
ルフで魔術不能なんてのは初めて聞いたがな﹂
特異体質と言うのはそう珍しいものではないという。
脚力が自慢の獣狼族が鈍足であったり。
長寿の妖精種が短命であったり。
1430
そのような普通とは少し違う者たちを、特異体質と呼ぶらしい。
﹁可哀想なやつだよ。エルフの私達がいくら体を鍛えても、獣人の
ような強靭な肉体は手に入らないだろうに﹂
アルドラはいつも1人だった。
何度か声を掛け、会話したことはある。話した内容までは覚えて
ない。
ただそんなに暗いやつではなかった。自分の境遇に絶望した、も
っと屈折したやつだと思ったのに違ったようだ。
アルドラとは父は同じだが母が違う、つまり異母兄弟というやつ
らしい。
彼の母は彼を産んで直ぐ亡くなったそうだ。
僕の母は病弱ではあるものの健在だ。受け継いだ才能も含めて恵
まれているとも思う。
﹁ウルバス、魔術を教えてくれよ﹂
﹁あなたは教え方が上手ね。きっといい指導者になれるわ﹂
1431
﹁若手で魔術の腕前は1番だろう。この若さでこれなのだから、ま
だまだ伸びるぞ﹂
僕は自分の魔術の訓練をしつつ、求めるものに魔術の指導をする
ようになっていった。
最近では独自の魔術を開発するための研究も進めている。
そういえば近頃、アルドラの姿が見えない。
修行のためにと魔物の巣である地下遺跡に篭もることもあるそう
だが、こう何日も篭っているものなのだろうか。
彼とは別に仲が良いわけではない。話したことがあるのも数える
ほどだ。
だが一応血の繋がりはある。父が同じ人物なのだ。それを思うと
無視しようにも無視できない。そういった思いが込み上げてくるの
だ。
﹁アルドラは村を出たよ。広い世界を見て回るそうだ﹂
﹁はぐれエルフってやつさ。たまにいるのだよ、協調性の無い奴が﹂
﹁人の街に行くそうだよ。丁度いいんじゃないか?魔術の使えない
エルフなんて、耳の長い人族みたいなものじゃないか﹂
﹁そうだな。案外幸せにやってるかもしれないな﹂
アルドラが居なくなったことを楽しそうに笑う村人達。だけど僕
1432
は笑える気分になんか成れなかった。
彼を追い出したのは君たちじゃないのか?彼は何時も1人だった。
力を持たない彼を追い詰めて、村から追い出したのは君たちじゃな
いのか?
だけど気づいた。それは僕も同じだった。兄弟だからと言って気
にかけているフリをして、何もしていなかった。同じだった。
僕は長い時間を魔術研究に費やした。
新たな魔術を開発し、自ら魔術書を作成したりもした。
その中にはエルフ族の掟に反する物もあった。そういったものは
集落から遠く離れた地下遺跡に隠れ家を作り、そこで研究を進めた。
その場所は偶然発見したものだが、森のなかにはこういった場所
が時々あるようだ。
精霊の隠れ家。
不思議と魔物の寄り付かない場所をそう呼ぶのだ。
僕が見つけたこの場所も、そういった類のものらしい。
何かに守られている。まるで結界が張られているような場所だ。
1433
﹁アルドラが戻ってくるそうだ﹂
集落で噂が広がっている。
集落を出てから彼は1度たりとも、ここへ戻ってくることは無か
った。
人の街に降り、冒険者という仕事をしながら剣の腕を磨いていた
らしい。
今では英雄と呼ばれる存在なのだという。
﹁長老達が呼び戻したのだ。彼を次の村長に据えるのだという﹂
アルドラが⋮⋮?次の村長に?
﹁村長はウルバスではなかったのか?すでに決まっているものだと
聞いていたが﹂
﹁村長を決めるのは長老たちだ。長老たちの決定を覆すことは誰に
もできない﹂
村長を引退した者達のことを長老と呼ぶ。つまりエルフの有力者
たちだ。村長というのは集落の民を導く存在。その相談役とも言え
る立場であり、大きな発言力を持っている。
実際の地位は村長よりも上だ。
1434
﹁アルドラよ、よくぞ帰ってきてくれた。我らは貴様が逞しく成長
し、再びこの地に舞い戻るこの日を待ち望んでいた。今こそ次代の
村長に就任し、若き民を導いてくれ﹂
長老たちはアルドラを村長に指名した。
今までアルドラに否定的だった者達は手のひらを返したかのよう
に、彼を絶賛した。
﹁アルドラに剣を勧めたのは俺だ。まぁ、最初の剣の師匠と言って
も過言ではないな﹂
﹁私は信じていたわ、彼は何か大きなことを成し遂げる者だって﹂
﹁アルドラ、人の街ってどんなところなの?旅の話を聞かせてよ﹂
﹁ほう。船に乗って北の海か。なに南の大陸にも行ったのか?それ
でその後どうなったんだ?﹂
人族との積極的な交流に否定的だった者たちも、長老たちがアル
ドラを村長にし人族との交流を持つことを決めると、次第に否定的
な意見は少なくなっていった。
年寄りのエルフたちは保守派が多いようだったが、長老たちに意
見できるものは居なかったのだ。
アルドラの存在が集落で大きくなるにつれ、僕の研究施設に篭も
る時間は増えていった。
1435
そして僕の生活の場が完全に研究施設に移行するまでに、さした
る時間は掛からなかった。 この研究施設は集落の誰にも、その存在を明かしていない。
おそらく見つかることは無いだろう。
僕が村長になることも、きっともう無い。
ならば思う存分に研究に没頭しようかと思う。
正直思うところが無いわけじゃない。だけど不思議と肩の荷が降
りたというか、今はすっきりした気持ちでもある。
アルドラに関しても戻ってきたということは、やる気があるとい
うことだろう。
集落のエルフたちに怒りや恨みを感じているなら、村長を打診さ
れても戻ってなど来ないはずだ。
ならば集落のことは彼に任せることにする。
いや、これは僕がどうこう語る立場ではなかったな。
僕は、ただのはぐれエルフだ。もう何者でもない。
そういえば父もはぐれだったそうだ。
1436
母と関係を持ち、その後に姿を消した。
僕にははぐれの血が流れていたのだ。
ここには魔物が来ない。
何処にでも現れるというゴブリンでさえ、ここでは姿を見せない。
だけど僕の直感が危険を知らせている。
わからないが何かが近づいている。そんな漠然とした感覚が体の
中を駆け巡る。
手をかざし、前方の藪に向けて30発前後の風球を撃ち込んだ。
見えない何かを燻り出すために。
﹁うはは。だせぇー、気づかれてやがる﹂
背後から声がする。ん?背後?どういうことだ?
﹁うるせえな。俺は隠密系は苦手だって言ってるだろっ﹂
藪の中から図体のでかい深緑色の外套をまとった者が姿を現した。
何かの魔術なのか声を聞いても性別を判断することは出来ない。種
族も何故かわからない。妙な感覚だ。おそらく認識阻害か何かだろ
う。
背後からも同じような出で立ちの者が姿を現す。突然何もない空
1437
間から現れたような感覚。
﹁エルフの直感を舐めるなって言ってるだろうが。油断だよ、油断﹂
﹁油断じゃねぇ。俺の領分は本来こういうことじゃねぇの!﹂
﹁はいはい。わかった、わかった﹂
﹁むぎぎぎぎ⋮⋮﹂
落ち着いて精神を集中させれば、感じ取れる。認識阻害はそこま
で強力な影響を与えているわけでもないようだ。こいつらは人族の
冒険者だろうか?
金次第ではエルフを攫い奴隷にして売るという商売もあるという
のを聞いたことがある。僕の聞いた話では、その対象となるのは若
い娘や幼子だということだが。
僕への注意がそれほど高くないようなので、魔術で牽制して脱出
するか。
どう考えても森で遭難した者には見えないし、彼らをお茶会に誘
った記憶もない。この来訪者は危険だ。
それぞれに手に高濃度に圧縮した風球を形成。同時に風刃の魔術
を合成する。風で作った円盤状の板。高速で回転するこれに、切り
裂けぬものはない。
瞬時に魔力を練り上げ、風刃を放つ。直撃だ。悪いが上半身と下
半身にはここでお別れしてもらおう。
1438
﹁おおおっ、あっぶねー。何かやったぞコイツ!﹂
﹁ばーか、ばーか!やっぱ油断してるじゃねーか!﹂
﹁うるせぇ!お前もやられてるんだよ!﹂
あれ?⋮⋮効いてない?なぜ?僕の風魔術は完璧のはずなのに。
僕が有り得ない自体に困惑している最中、新たな来訪者が現れる。
﹁お前ら、さっさと仕事をしろ!何時まで遊んでるんだ!﹂
この者たちと似たそうな出で立ち。仲間か。
新たに現れた来訪者によって、2人の雰囲気が変わる。
もう逃げられるような隙がない。3人めもまったく気配を感じな
かった。ここまで接近していて存在を感じられないのなら、逃げる
ことは難しい。まだ他にも仲間がいるかもしれない。
それに魔術が効かない理由もわからない。
3人に距離を詰められ包囲される。逃げる術はない。
﹁はぐれエルフなら丁度いい。レベルも高いようだし、満足して貰
えるだろう。おっと魔術は無駄だそ。無力化できるからな﹂
3人めの来訪者が外套のフードを外す。小柄な男だ。人族か。
1439
﹁カミル、攫うのは人族の冒険者が中心じゃなかったのか?﹂
﹁能力の高そうな亜人も適当に攫うという話をしただろう。それに
はぐれなら足がつきにくいから、丁度いいんだよ。あまり派手にし
たくないそうだからな﹂
﹁ふーん﹂
カミルと呼ばれた男が僕の肩に触れる。
﹁悪いな。これも仕事なんだ、勘弁してくれ﹂
1440
閑話 王都ロンバルディア
王国歴463年 春
鹿島仁がザッハカーク大森林に降り立つ50年前
ドンドンと部屋の木戸を叩き鳴らす音と共に、助祭の青年が慌て
た様子で上ずった声をあげた。
﹁ラズン司教様。王都からの使者がお見えになりましたっ﹂
﹁わかった。直ぐに行く﹂
私は困惑していた。
苛立つ心を勤めて抑え、平静を装う。
なぜ私が王都に召喚されるのだろうか。教会の運営費を着服した
のが見つかったのだろうか?それか仕事を助祭に押し付けて、花街
に通っていたことか。もしやルイージ司祭が密告したのだろうか⋮⋮
いや、だとすれば彼も一緒に通っていたことが明るみになる。そん
なことを彼がするはずがない。しかしなぜ王都なのだ⋮⋮何か問題
を起こして呼び出されるとすれば王都ではなく、ルタリア派の教会
本部がある神聖都市ヴィネとなるはずだ。
1441
しかも呼びつけたのはルタリア王国の国王 アウタリス陛下であ
るという。
様々な憶測が頭のなかで嵐のように渦巻いていく。
考えを纏めている時間などない。しかし陛下を待たせる訳にも行
かない。私は乱れる心のままに、使者の用意した馬車に飛び乗り陛
下の待つ王都へと向かった。
人口5000人程の小都市タラントより馬車で東へ2時間、王都
ロンバルディア。
周辺に広がる穀倉地帯はルタリア王国最大の広さを誇り、この国
の豊かさを象徴するかのようであった。
古き良き伝統ある様式美と、新しい技術を惜しみなく取り入れる
美しい都市の様子から、ここを訪れる旅人より永遠の都と称される
ルタリア最大の人口を抱える大都市でもある。
﹁白亜の竜が守護する約束された地か⋮⋮﹂
何処まで広がる蒼い若草の小麦畑を眺めながらポツリと呟く。
馬車の長椅子は対面式で、正面には使者が座っているのだが彼は
馬車に乗ってから一言も発していない。
何かしらの説明があってしかるべきとは思うものの、陛下よりの
使者に問い詰める訳にもいかずに困惑は深まるばかりである。
1442
ちらりと様子を伺うも、無言無表情を貫いている。そういう教育
をされているのだろう。
今日のことが事前に知らされたとき、説明は然るべき時にと言わ
れているので使者から説明がないのも仕方のないことなのだが、そ
れにしてもだ。
﹁⋮⋮はぁ﹂
重苦しい空気に思わず溜め息が漏れるばかりであった。
>>>>>
王都ロンバルディアの中心にあり、この都市の美しさの象徴でも
ある白亜の城、ティレニア城。
ルタリア王国、建国以来より存在し続け、今なお輝きを失わない
王の居城である。
王城に入ってどれくらいの時間が経過したのだろうか。
部屋の1つに通され、お目通りが叶うそのときまで待つようにと
指示されている。
まるで裁判の判決を待つような心境だ。
1443
時間の感覚が無くなり始めた頃、謁見を知らせる報が私の耳に届
いた。
そこは儀礼、式典が行われる謁見の間といったような広間ではな
い。
おそらく、陛下の私室といったものだろう。通常であれば主か掃
除婦、執事くらいの入室しか許されないような場所だ。
すでに夜の帳は降り、窓から見える空は闇に包まれている。
部屋は薄暗く、僅かに蝋燭の明かりが幾つか灯るのみ。
柔らかな光が、豪華な調度品を朧気に映し出していた。
﹁そう固くなるな。今この部屋にはわしとお前しかおらぬ﹂
50代後半の壮健な男。アウタリス・ロンバルト。剣、槍、弓、
馬術など一通りの武術を収め政への思慮も深い王の見本のような男。
だが王国の歴史に名を刻むような大きな仕事をしていないという
評価もあり、その評判は決して高いとは言えなかった。
﹁はっ⋮⋮あの⋮⋮それで、私はなぜ呼ばれたのでしょうか⋮⋮?﹂
他に誰もいないと言いつつも、人の気配はある。おそらく侍従だ
1444
ろう。部屋の隅、闇に紛れているのだ。
﹁野心はあるが度胸はない。教会の運営費を誤魔化して財布を温め
る程度が精一杯の小物がお前だ﹂
ギロリと鋭いアウタリス王の視線が、怯えからか身を小さくさせ
るラズン司教を捉えた。 ﹁⋮⋮はっ⋮⋮ははぁ⋮⋮﹂
思わず吐き出した息を飲み込む。蝋燭の明かりに照らされた陛下
の顔には影が差し込み、私の恐怖心を増大させた。
﹁そこでお前に良い話があるのだ⋮⋮なに難しい話ではない。簡単
な仕事だ。上手く行けばお前を、大司教へ押し上げてやることも可
能だぞ﹂
近年ルタリア王国では豊作が続き、上質な小麦が前年を上回る収
穫を記録している。
国内消費を上回る小麦は近国に輸出されるが、大量に市場に放出
されれば価格の暴落は免れない。
だが暴落は起きなかった。近年に新開発された商業船は海の魔獣
の襲撃を掻い潜って、より遠方の国々との貿易を可能にしたのだ。
多くの貴族、そして船主である貿易商たちの懐が温まったのは言
うまでもない。
﹁貴族が余る程の金を持つと、やることは1つだ﹂
1445
ゴクリと唾を飲み込む。
﹁そ⋮⋮それは⋮⋮﹂
﹁ルタリア王国より南、ティレニア海を挟んだその先、南方大陸フ
ァラカル。言うまでもなく獣人共の支配する大地だな﹂
ここ数年で貯えを増大させた大貴族を中心に、南大陸へ侵攻を進
言する声が高まっている。
北の大地に居を構えるハイドラ帝国は、近隣諸国を侵略しその力
を増大させている。
抵抗する国は滅ぼされ、支配を受け入れた国は属国へと降ってい
るという。
﹁帝国に対抗する力を蓄えるため、南大陸の植民地化というのが貴
族どもの言い分だな。女神教ルタリア派も賛同の声が大きい。文明
の遅れた南大陸に、文明と信仰を普及させるという大義名分を掲げ
ているのだ。獣人にとっては迷惑な話かも知れんがな⋮⋮しかし勢
いづく貴族どもを長く抑えることも難しい﹂
確かに教会内でもそう言った発言をする者はいる。
精霊信仰という得体のしれない物を崇める獣人に、正しい教えを
伝えようと言うのだ。
﹁それで私の仕事というのは⋮⋮﹂
1446
﹁なるほど。金鉱ですか⋮⋮﹂
﹁うむ。お前には守護に神殿騎士と、兵を与える。他の者に悟られ
てはならん。表向きには女神教の布教活動として行動するのだ﹂
﹁⋮⋮わかりました。して時期はいつごろに﹂
﹁帆船の改修が夏には始まる。早ければ来年の春には動く﹂
1447
閑話 悪夢を抱きながら1
あぁ⋮⋮
またこの夢か⋮⋮
かつては毎日のように見た夢も、最近では時々思い出したかのよ
うに訪れる程度。
この悪夢にうなされ、苦しめられ、何度絶望を味わったことか。
こんなに辛い記憶なら、全て忘れてしまいたい。いっそ死んでし
まったほうがどんなに楽なことだろうかと、毎日悩んでいたあの頃
⋮⋮
だが今ではこの悪夢が私の支えであり、希望となっている。
忘れなくてよかった。
この悪夢が全てを思い出させてくれる。
絶望、憎悪、苦痛。
私に宿る黒い感情を風化させずにすむ。
時とともに曖昧になる感情を、憎しみの炎で再び燃え上がらせる
ことが出来るんだ。 1448
王国歴464年︱︱
それは何時もと変わらない朝だった。
南方大陸ファラカル。
大部分が硬い土と乾いた砂でできた大地。
大地の支配権を奪い合う数多の獣人種と、多様な魔物が日々大河
のごとく血を流す世界。
私が住んでいたのはそんな大地の端、海岸沿いにほど近い場所に
ある黒の森。
我らダークエルフが支配する領域だ。
父は狩人で朝日が昇る前に集落の男衆と出かけていった。西の沢
で大物が目撃されたといって、前の晩の酒盛りでは誰が一番に獲物
を見つけるかで、みんな盛り上がっていた。
母は集落の女衆と共に近くで果実の採取だ。
この時期はウラの実が丁度熟し始める頃合いなので、森の動物に
食べられてしまう前に急いで採取しなければならないのだ。
私はまだ子供だからと集落に残って、より小さい子供達の面倒を
1449
見ている。
集落の男も女もみんな忙しく働いているので、子供の面倒を見る
のは年老いて普通の仕事ができなくなった者達がする。
だが将来を担う子供を預かり、幼児教育を任されるのは非常に名
誉な仕事であり、責任ある大事なもの。
そのためこの仕事を任されるのは単に年老いた者というのではな
く、集落で敬意を払われる尊敬に値する人物が受け持つということ
になっている。
今でもあの時、何が起きたのかを正確に計り知る事はできない。 時間は昼ごろだっただろうか。
母達の帰りが遅いことを懸念していた。とっくに集落に戻って昼
食の用意をしている時間。そんな頃合いだった。
﹁ああああああーーーーッッっ﹂
叫び声を上げながら血まみれの男が集落の広場に入ってきた。
集落に残る老人と子供たちは、その異様な光景に理解が及ばない。
騒ぎを駆けつけ、人がぞろぞろと集まる。
私もつられて足を向けた。
1450
そこにあったのは絶望だった。
巨大な蠍。
森では見かけない魔物がそこにいた。
話には聞いたことがある。
集落からずっと東へ。森を抜けた先の場所に広がる乾いた砂の海、
死の砂漠。
砂の嵐が吹き荒れるこの場所には、大陸を代表する怪物が住んで
いるという。
大陸に住む全てのものに恐れられる魔物、砂漠蠍。
鉄の鎧のような体。馬を両断するほど強力な鋏。掠っただけ死に
至らしめる毒針を備えた尾。
大きなものは体長5メートルを超えるものも珍しくはないという
化物だ。 蠍は血まみれの男に覆いかぶさり、頭からばりばりと食べ始めた。
巨大な力の前に抵抗は無意味だった。
逃げなきゃ。
1451
弾けるように鼓動が高まり、ぼんやりとした意識が覚醒される。
だが次の瞬間、更なる絶望が私を襲った。
私が見たのは四方八方から現れる無数の砂漠蠍の大群だった。
﹁ここに隠れていなさい。小さい子の面倒は貴方が見るのよ。お姉
さんなんだからできるでしょ﹂
どうして、どうやって、どのように其処へ辿り着いたのかは覚え
ていない。
私は気づくと地下に作られた貯蔵庫にいた。
集落全体で保存食を貯蔵しておく場所。
振り返ると、私の他には3人の老人と9人の幼子が身を寄せあっ
ている。
﹁まってお母さん!﹂
血に濡れた母の顔。
顔色が悪い。怪我をしているのだ。
母は弱々しく、私の頬に手を添える。
1452
﹁怪我をしてるみたいね。大丈夫治してあげるから﹂
﹁怪我をしてるのはお母さんだよ!﹂
私の声は届かない。
頬に温もりを感じる。
母の手から送り込まれる力が、私の体内で暖かい何かに変わる。
﹁これで大丈夫﹂
﹁お母さん!﹂
より一層力を失ったかのような母は、気丈にも笑顔を見せて立ち
上がった。
私の静止を振り切り、貯蔵庫の扉を閉める。
扉の外から母の声が聴こえる。
﹁しばらくそこに隠れていなさい。絶対に出てはダメよ、軽はずみ
な行動をとれば貴方だけじゃなく、みんなが大変な目に合うかもし
れないんですからね。お願い⋮⋮貴方は生き残ってね﹂
﹁お母さん!待って行かないで!﹂
私の呼びかけも虚しくその直後、母はその場から立ち去った。
1453
どれくらいの時間が経ったのか。
泣き叫んでいた幼子たちは泣きつかれて寝てしまった。
扉の外から聞こえていた喧騒も静かになった。
何かがいるような気配はしない。
もう出ても大丈夫だろうか。
もしかしたら母が怪我をして困っているかもしれない。
だとすれば急いだほうがいい。
私が扉から出ようとすると、老人の1人が肩を掴んだ。
感情を押し殺したような険しい表情だ。
老人は視線を幼子に移し、まだ行くなと首を振った。
﹁どいて!﹂
私は老人の手を振り払い、扉を押し上げた。
みんなを危険に晒すような真似はしたくないけど、少しくらい様
子を見てきても問題ないはず。
でも扉はびくともしなかった。
1454
いくら私が力のない子供だとしてもおかしい。
扉は木製で外から鍵を掛けられるようになっているが、まさか私
達を閉じ込めたまま鍵を掛けていってしまったということはないだ
ろう。
どうしよう⋮⋮どんなに押しても引いても、扉は開く気配がない。
母のことも、集落のみんなも心配だけどここから出られないこと
にはどうしようもない。
私以外の老人や幼子では、腕力に期待できそうにもない。
ここは食料の貯蔵庫だ。保存食は十分にあるし、日持ちする果実
もいくらかある。
少しの間なら耐えられそうだけど、外の様子がわからないのでは
不安が募るばかりであった。
何日か経った。地下であるため窓もなく、外の様子も窺い知れな
いため正確な時間はわからないが、感覚からして3日は経過してい
ると思う。
老人たちも幼子も体力を消耗している。
地下室は十分な広さがあるが、光の差さない密閉された空間。光
を生み出す術も、火を焚く道具も用意していないため、常に闇に包
まれていた。
1455
これでは夜目があっても、殆ど物を見ることは出来ない。
闇の中で狩りすることもある私たちは闇を恐れることは無いが、
それでも疲弊はする。
老人と幼子であれば尚更だった。
﹁おい、こっちだ。何かあるぞ﹂
﹁地下室か。瓦礫で埋まってるな⋮⋮工兵を呼んでこい、撤去させ
ろ﹂
﹁隊長、蠍の駆除が終わりました。斥候によれば、周辺の魔物は残
らず駆逐完了とのことです﹂
﹁わかった。やはり異常発生か?﹂
﹁魔術師たちは、その可能性が高いと言ってますが詳しく調べるま
でわからないそうです﹂
﹁そうか。そういや司教様はどうした?﹂
﹁天幕でお休みになられています。お呼びしましょうか?﹂
外から男の人の声が聴こえる。聞いたことのない声だ。集落の者
ではない。
﹁集落の戸数を確認しろ。遺体は広場に集めておけ、瓦礫の下敷き
になってる奴も全てだ﹂
1456
﹁報告どおりですよ。奴らの殆どが金の装飾品を身に着けています。
凄いですよ、この集落だけでどれくらいの価値になるのか⋮⋮﹂
﹁懐に仕舞いこむのだけはやめておけよ。これらの戦利品は陛下に
献上する手筈になっているのだからな。その代わりに生き残りを自
由にすることを許可してやってるんだ﹂
﹁わかってますよ。さすが隊長、話がわかる人だ﹂
﹁まぁ兵の息抜きも重要だからな。ただし殺すなよ、まだ価値はあ
る﹂
何だろう⋮⋮何の話だろうか⋮⋮私達を助けに来たのではない⋮
⋮?
扉の外からガラガラと何かが崩れる音が聞こえる。
何人もの男の声。
金属の擦れる音。
大きなものが倒れる音。
そうした喧騒がしばらく続き、やがて収まった頃。扉は久しぶり
に開かれて、外界の光を地下室へと招き入れた。
﹁大丈夫か?我々はルタリア王国から参った聖典騎士団だ。貴公ら
1457
を救出に来た。もう安心するがいい﹂
声の大きな男が開かれた貯蔵庫の入り口から、中の者にと声を掛
けた。
聖典というのは女神教の有り難い教えを記した、書物のことらし
い。
彼ら聖典騎士団は隣の大陸に存在する女神教ルタリア派の頂点、
法王の指示の元にこの地に使わされた布教部隊という話だ。
私を始めとした貯蔵庫に閉じ込められていた人達は、聖典騎士団
と名乗る者達によって救出された。
みんな一様に疲弊していたが、なんとか無事に生き残った。
そうだ⋮⋮集落のみんなは、どうなったんだろう⋮⋮
その問を投げかけるべく、休憩場所となっている箇所から立ち上
がり、私に答えを教えてくれる人を探した。
そして見てしまった。
おぞましいものを。
瓦礫の中から無理やり引き摺り出される集落の者の遺体。
身に着けていた金を始めとした装飾品を、乱暴に奪い取っていく。
金は精神を安定させ、魔術の操作力を引き上げる有効な触媒であ
1458
るため、集落の成人した者なら誰でも身に付ける重要で希少なもの
だ。
それを獣のようにむしり取っていく男たちに、私は恐怖を覚えた。
装飾品を奪った遺体は広場に集められる。
すでに多数の遺体が、山のように積み上げられていた。
﹁獣脂をもっと持って来い。燃え残らんようにな﹂
腹の出た大柄な男が周囲の者に叱咤を送る。
金属の鎧を着込んだ者達とは違う、キラキラして飾りがたくさん
ついた白いローブをまとった中年の男。
﹁このような埋葬の仕方、本当に宜しいのでしょうか?女神教の教
えに反するのでは⋮⋮﹂
﹁馬鹿者。こいつらは異教徒だ。そのような者に女神教式の埋葬に、
わざわざしてやる道理がどこにあるというのだ。それとも彼らは死
の間際に女神教に改宗したというのかね?それを貴様が確認したと
?﹂
﹁い、いえ⋮⋮そのようなことは﹂
﹁くだらないお喋りで私を疲れさせないでくれたまえ。私は国王陛
下直々にあらゆる権利を委任されてここに立っているのだ。その私
に意見するということは、陛下のお考えに意見するということに等
しい。国家反逆罪を疑われても致し方のないことだと理解しておる
1459
のだろうな﹂
﹁も、申し訳ありませんっ、ラズン司教様﹂
司教と呼ばれた男のもとに、助けられた老人の1人が這い寄る。
力のない弱々しい動き。
﹁この度は、私どもの集落をお助けいただいて⋮⋮感謝の言葉もご
ざいません﹂
手が届きそうなほど司教に近づき、地に頭をつけて深々と感謝を
示す。
私達にとって相手に最大限の敬意を示す、挨拶の一つだ。
司教と呼ばれた男は感情の篭もらない表情で老人を一瞥する、そ
して徐ろに懐から何かを抜き取りそれを老人に向けた。
パンッという乾いた高音が響いて、老人の頭部が弾けた。
﹁汚らしい異教徒が私に許可無く近づくんじゃない。くそっ、陛下
から頂いた聖者の外套が汚れてしまったではないかっ。おい、誰か
魔術師を呼べ。洗浄を使えるやつだ。はやくしろ!ええい、こんな
ことで希少なミスリル製の魔弾を1つ消費してしまうとは。おい、
そこのお前、はやくこのゴミを片付けろ。グールにでも成られたら
臭くてかなわんぞ﹂
私は目の前で起きている現実味のない光景に、声も出せずにただ
立ち尽くしていた。
1460
ついこないだまで母がいて父がいて、集落の幼子たちの面倒をみ
ながら毎日平和に暮らしていた筈なのに。
一体どうして、こんなことになってしまったんだろう。
わからない。何も考えられない。
頭が何も働かなくなってしまったかのようだ。
山積みとなった集落の者達の遺体。
ごうごうと炎の柱を上げて、煙を撒き散らしながら燃え盛る。
熱風がここまで届くほどの強烈な炎。
天まで焦がすほどの巨大な火柱を見て、私はもう全てが終わって
しまったんだなと、やっと気がついた。
﹁ああっ、やめてくださいっ⋮⋮お願いします。助けて⋮⋮﹂
﹁うへへへ。亜人ってのも中々悪くはないな。男好きしそうなイイ
体してるじゃねぇか。それにこんな露出の多い服装なんだ。そうい
うことなんだろう?﹂
﹁そんな、違います﹂
﹁確かダークエルフが露出の多い服装なのは、刻印術って奴を肌に
1461
施してるからじゃなかった⋮⋮かな?﹂
﹁ああん?なんだそりゃ。まぁどうでもいいや。お前参加しないな
ら、気が散るからどっか行けよ。俺は今そういうおしゃべりする気
分じゃないんだ﹂
﹁勿論参加するよ。他の女はみんな取られちゃったし。問題無いだ
ろ?﹂
﹁下は俺が先だぞ﹂
﹁わかった、わかった﹂
どこからか聞き覚えのある声が聞こえる。
私はその声に導かれて、所在を探し彷徨った。
そして騎士団の天幕の1つから、その場所を見つけた。
﹁お母さん?やめてっ、お母さんに酷いことしないで!﹂
裸の男が立ち上がる。
片手には、この大陸では滅多に見ない鉄の剣。
﹁何だコイツのガキか?まったく、うるせえなぁ。⋮⋮俺は邪魔さ
れるのが一番ムカつくってのによぉ﹂
1462
怒りの形相を浮かべて、剣の柄を握る。
私は恐怖で体が動かない。
﹁メリッサ?貴方がどうしてここに?やめて、その子に乱暴しない
で!私が相手をするからお願い︱︱﹂
﹁⋮⋮お願いします。だろ?﹂
﹁お、お願いします⋮⋮﹂
現実とも夢ともつかない地獄のような光景を、私はどうすること
も出来ずにただ静かに眺めていた。
終わりのない途方も無い時間を、いつまでも、いつまでも。
1463
閑話 悪夢を抱きながら2
﹁聖女様、大丈夫ですか?﹂
木戸を叩く音と共に、いつも世話をしてくれる侍女の声が聴こえ
てくる。
私は重い体を引きずるように、寝台からその身を起こした。
﹁ええ、大丈夫よ。ごめんなさい、疲れて少し寝ていたみたい﹂
扉を開けて侍女に声を掛けた。
若い侍女は安堵の表情を見せる。
﹁きっとパレードで疲れが出たのでしょう。明日は孤児院の訪問と
なっておりますが、お体の方は大丈夫でしょうか⋮⋮﹂
その表情から純粋に私の心配をしてくれているのだというのが見
て取れる。
﹁大丈夫。それまでには体力も戻るでしょう。でも、もう少し体を
休めたいから食事はいいわ。部屋には誰も寄越さないようにして頂
戴﹂
﹁わかりました。もしお腹が空いたら私にお声を掛けてくださいね。
夜中でも何でも、ご用意致しますから﹂
1464
﹁ふふふ。わかったわ、ありがとう﹂
侍女を送り出し、扉を締めて振り返る。
すると其処には1人の少女が立っていた。
長い銀髪を2つにまとめたツインテール。白肌に碧眼、人族の丸
耳とは違う短いが尖った耳。
背は低く痩せていて、どこもかしこも細く華奢だ。
﹁あの方がお呼びなの?﹂
今まで1人きりだった部屋に突然現れた少女。
でも私に驚きはない。彼女はそういった存在なのだから。
少女は無言のまま、ただ小さく頷くだけ。
その顔に表情はない。まるで感情が抜け落ちているような顔だ。
﹁そう。わかったわ。着替えるから少し待ってて﹂
>>>>>
遺跡と呼ぶにふさわしい年代を感じさせる石造りの廊下。
1465
私は少女と二人でその道を進む。
廊下というよりは迷宮の通路といった趣だ。
﹁ミクスティア、貴方も人族に恨みがあるのでしょう?実験動物の
ように体を弄くり回されて、望まない力を勝手に与えられて⋮⋮﹂
彼女は問いかけに答えない。
と言うより魔術師ギルドに幽閉されていたさいに行われた、度重
なる過酷な実験が彼女の人間らしさ、感情の大部分を失わせたのだ。
我が主が助けださなければ、この少女も今頃どうなっていたこと
か。
私は彼女の返答をあきらめ先へ急いだ。
少し歩くと大きな扉にたどり着く。
月と太陽を主題とした彫刻があしらわれた荘厳な扉。
扉には門番のように2人のメイドが立ち並ぶ。
白いエプロンにロングドレス。シンプルで装飾の少ないデザイン。
その容姿は美しい人族の女性のように見えるが、正確に言えば人
ではない。
灰色の肌に緋色の瞳。
1466
主の呼びかけにより、冥府より舞い戻った亡者なのだ。
彼女たちは言葉を発しない。ただ静かに主に傅くのみである。
﹁お呼びでしょうか。アーシャ様﹂
部屋中は薄暗く、淡い光を放つ魔導具が光源として幾つか存在す
るのみ。
窓はなく天井も壁も石造りで、豪華な調度品がなければまるで城
の地下牢のようでもある。
だが部屋の広さも天井の高さも十分にあるため閉鎖感はない。
そこに漂う空気は清浄で、埃やカビを感じさせない清潔さがあっ
た。
﹁⋮⋮近くに﹂
まるで王族の姫君が使用するような、豪華な装飾の施された天蓋
付きの寝台。
そこから聞こえる声は、ひどくか細く注意深く備えていても聞き
逃してしまう程だ。
私は静かに寝台に近づく。
1467
﹁失礼します﹂
カーテンを潜り、主の横たわる寝台の脇へと跪いた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
清潔な白い寝具。そこから伸びる手はあまりに細く弱々しい。
と言うよりも骨と皮しかないように見える。
指に輝く白銀の指輪。
その手はまったく生気が感じられなかった。
﹁はい。ええ⋮⋮問題ありません﹂
私は主の手を取り、優しく両手で包む。 そして耳を研ぎ澄ませて、主の言葉を聞き逃さないよう務めた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁あぁ、もっと私の生命を分けて差し上げられたら、どんなに良い
ことか⋮⋮きっと今よりも、随分と楽になるでしょうに﹂
﹁⋮⋮良い。そなたの献身は十分に⋮⋮これ以上は⋮⋮﹂
﹁勿体無いお言葉、恐れいります﹂
﹁そなたの⋮⋮は希少だ⋮⋮そのスキルを⋮⋮に使え⋮⋮﹂
1468
﹁はい、心得ております﹂
﹁⋮⋮頼む﹂
側仕えのメイドが盆に葡萄酒と硝子の杯を携えて現れた。
寝台の側に備えてある小さな木製のテーブルに置くと、元よりテ
ーブルに置いてあった金の小箱を開ける。
それはまるで女王陛下の宝石でも収められていそうな、職人の技
が光る見事な細工を施された宝石箱。
中に収められていたのは、小指の先ほどの小さな緋色の水晶。
いくつか収められていたそれを、一つ摘み上げると慣れた手つき
で硝子の杯に音もなく滑り落とす。
透明な硝子の杯に、緋色の水晶が収まりそこへ葡萄酒が注がれた。
メイドから杯を受け取り、私はそれを主の元へと届ける。
飲むことさえ難しい作業であるため、補助は欠かせない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁はい。⋮⋮はい。わかりました﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1469
﹁ええ。アーシャ様の好きな赤色のドレスを用意しましょう。化粧
品も最高の物を用意します。せっかく久しぶりにお姉様にお会いに
なるのですものね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
私は主との束の間の会話を楽しんだ。
やがて体力の限界がきた主が眠りに付いたのを確認してから、後
のことをメイド達に任せミクスティアと共に寝室を後にした。
>>>>>
﹁おいっ、誰かいないのか!?わしを誰だと思っておる!薬師ギル
ドのマスター、ドミニク・ベルクヴァイン様だぞ!このような地下
牢の如き場所に閉じ込めおって⋮⋮くそっ、どうなっておるのだ⋮
⋮まさか、わしの命を狙う者達の仕業か⋮⋮うむむ、誰だ。デイル
のやつか、まさかギーヴか?いや、もしやアンドレアか!﹂ ﹁おっさん結構恨み買ってるみたいっすね∼。まぁ薬師ギルドって
スゲー評判悪いから、さもありなんって感じっすけど﹂ ﹁ぬおっ!?き、貴様、一体何処から⋮⋮?﹂
﹁何処からって入り口から普通に入ってきたっすけど﹂
1470
このあたりの区画は幾つもの部屋に分かれている。
そうした部屋の1つから男たちの声が聞こえてきた。
若い男と年配の男だ。
﹁ともかく、この拘束を解いてもらおう!今ならまだ許してやる。
だがわしは気の長いほうじゃないんだ、怒らせないうちに行動した
ほうが見のためだぞ﹂
﹁⋮⋮うーん。覚醒したことで記憶が曖昧になってるんすかねぇ⋮
⋮進行も遅いし、素質はありそうなのに、こりゃ期待外れっすかね
ぇ﹂
﹁なに?なんだ、何の話をしている?﹂
﹁テオドルス!﹂
私は部屋の入り口から、中の者に呼びかけた。
﹁うおっ!?あ、姉さん?﹂
﹁⋮⋮アイツは何処にいる?﹂
﹁薬師さんですか?あー、自分が案内するっす﹂
テオドルスは拘束された年配の男を放置して、私の元へと駆け寄
ってきた。
1471
﹁お、おいっ!?ちょっと待て!私を置いて何処へ行く気だ?おい、
待て私の話を聞け!おいっ、待ってくれ!待ってくれぇぇ︱︱⋮⋮﹂
>>>>>
テオドルスの先導で辿り着いた場所は、今まで立ち寄った部屋と
はまるで違った趣があった。
高いドーム状の天井を持つ、非常に広い円形の部屋。
天井の最上部には部屋を照らす魔導具が備えており、部屋の明る
さを十分にしている。
だが一番の違いは部屋の床を覆い尽くす、毒々しい濃い紫色の花
を咲かせる植物の姿だろう。
甘ったるい香りが部屋に充満している。
それはあまりの臭気によりむせ返るほどで、思わず顔をしかめて
しまうのも致し方のないことだ。
﹁許可無くこの部屋に入るんじゃない、汚らわしい亜人が﹂
おびただしい数の花々の中に立つ、金髪碧眼の若い男。
1472
黒い革手袋に黒い革のロングコート、高身長に整った顔立ち。
人族の若い娘なら誰もが振り向くであろう美丈夫であった。
﹁誰も好き好んで来ては居ない﹂
﹁ほう。まるで私に責任があるみたいな言い草だな﹂
﹁苗の管理は貴様にあるはずだ。逃がしたのは貴様の責任だろう。
この森の騒ぎをどう責任取るつもりだ?今はまだ身を潜めるべき時
期なのに﹂
﹁逃がしたのではない。逃げたのだ﹂
﹁同じことだ!﹂
私は込み上がる苛立ちを必死に抑える。
﹁私に課せられた仕事はこの花の栽培法を確立させること。そして
薬の作成と改良だと聞いていたが。そもそも逃亡した奴を捕獲する
のは、お前の部下の仕事ではなかったか?私に言いがかりを付ける
前に、部下の不手際に対する処分を考えたほうがいいんじゃないの
か?﹂
テオドルスは大きく肩を落とした。
﹁こんな広い森を1人で捜索とか無理っすよ⋮⋮人員増やして欲し
いっす﹂
1473
﹁ともかく、貴様は主に対する忠誠がなってない!もしものことが
あってからでは遅いのだぞ﹂
﹁ふん。私は奴の部下になった覚えはない。あくまで私の目的のた
めに協力しているだけにすぎん。貴様こそ忠臣顔してるが、己の復
讐の為に奴を利用しているだけではないか﹂
﹁なんだと貴様ッ!﹂
﹁どうでもいいから、早く出て行ってくれないか。この部屋に亜人
がいると空気が汚れるのだ。お前の大事な主様のための花が萎れて
しまうぞ﹂
この部屋の管理者である若い男は、冷笑を讃えて言い放った。
このような奴を主の側に置くことは到底我慢できないのだが、こ
んな奴でも今追い出すわけには行かない。
主の回復には、此奴の力が必要なのだ。
奴に忠義が無いことは承知の上。そのことは、もちろん主も理解
している。
だが此奴の目的を考えれば、主を裏切ることは絶対にない。
まったくこの態度は癪にさわることだが、今しばらくは様子を見
る他ないのか。
私は乱れる心を落ち着かせるよう自分に言い聞かせ、その場を足
1474
早に後にしたのだった。
1475
第123話 ゴブリン盗賊団1
ザッハカーク大森林の巨人異常発生から2ヶ月後。
大森林を含めたルタリア王国周辺は、本格的な夏季を迎えていた。
フォッグ
﹁リザ、濃霧を頼む﹂
﹁はいっ﹂
サーチ
魔力探知で周囲を索敵。
濃い葉が生い茂る深い森の中。眼前には森を代表する魔物、ゴブ
リンが4体。伏兵の存在はない。
リザは杖を構え、静かに精神を集中させる。
目の前に発生させるのではなく敵の中心部、ある決まった範囲内
に指定して魔術を操作するには、それなりの技量が必要だが彼女は
それを難なくやってのけるのだ。
時を待たずに、水魔術である濃霧が展開される。
視界1メートルも利かないような高濃度の霧。それはゴブリンの
群れ全体の視力を一時的にだが奪ってしまった。
1476
﹁行ってくる﹂
﹁お気をつけて﹂
短い言葉を交わし、群れへと走りだす。
ハイディング
リザには隠蔽を付与してある。意識的に隠れていれば、まず見つ
かることはない。
﹁ゴブリンの様子もだいぶ変わったな﹂
俺は霧を掻き分け、群れの中に突入した。しかしゴブリンは誰ひ
とりとして気づくものは居ない。こうして独り言を呟いたとしても、
今まで見つかったことはなかった。
腰に差した魔剣を抜き、一番近い鎧を着込んだゴブリンの背に狙
いを定める。
﹁ギイィッ!?﹂
ゴブリンから小さなうめき声が漏れる。
人型の魔物というのは、多少の違いはあれど人間と似たような骨
格、内臓の位置であるという。そういったことで急所というのも、
人と大きな違いはない。
心臓や頭を潰せば、大抵殺せる。
背中から心臓へ。鎧を着ていても、多少骨にあたっても、それほ
ど問題じゃない。大概貫通してしまう。
1477
ピアシング
鎧通し 魔剣 C級 魔術効果:貫通
魔獣の亡骸から回収し、ヴィムの手で打ち直して貰った品だ。
かつては魔人ルークスが所持していた物だが、非常に有用な武器
であるため俺が使わせてもらっている。
﹃⋮⋮一体どんな使い方をしたら、こうなるんだ﹄
ライトニング
魔獣に突き刺して、S級の雷撃をぶち込んだと言ったら呆れられ
てしまったが、必要に迫られてのことだったので仕方あるまい。 ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv23
弱点:火雷
スキル:剣術
魔物の癖に人間が装備するよな鉄の鎧を身につけ、ロングソード
を振るうゴブリンの戦士。
森で死んだ冒険者の装備を剥ぎとったのか、森を出て周辺に点在
する開拓村を襲ったのか。
入手経路は定かではないが、一端の装備を整えたこの魔物はゴブ
1478
リンだとしても油断のならない存在だ。 ﹁ギャァ!?﹂
﹁グアっ!!﹂
﹁ギャッ!﹂
スニーク
ともあれ濃霧が姿を眩まし、更に隠密で気配を悟られないように
近づけるため、例え強力な魔物だとしても脅威となることはなかっ
た。
レイド
死角からの攻撃に補正を加える奇襲の効果も確認したかったが、
貫通の魔剣を用いれば金属の鎧さえも貫けるため、そもそもゴブリ
ン程度では検証にならないかも知れない。
﹁隠密は攻撃してしまえば通常解除されてしまうスキルなのだが、
こうして濃霧で視覚を遮ってしまえば隠密状態を維持できるんだな﹂
ゴブリンの群れは呆気なく駆逐された。
﹁凄いですね⋮⋮ジン様、圧倒的です﹂
リザが崇拝ともとれる熱視線を送ってくる。
﹁リザの補助があってこそだよ﹂
﹁ウッ⋮⋮グゥゥゥ⋮⋮﹂
1479
一体のゴブリンが血溜まりから立ち上がる。
急所を外したか。既に致命傷のようだが、魔物というのは総じて
生命力が非常に強い。
口の端からゴポゴポと血を吹き出し、息も絶え絶えにこちらを睨
み付けてくる。
﹁ハッ!﹂
そんなゴブリンにリザは一切の躊躇もなく、杖を用いた突きの一
撃を喉元に放った。
エアボール
避ける素振りも見せずに喉元に差し込まれる。そして接触の瞬間、
風球を発射。ゴブリンは派手に後方へと吹き飛ばされ、激しく後頭
部を大地に打ち付けた。
誰が見てもそれは止めとなる攻撃であった。
リザは攻撃力のある術は持っていないと言うことだったが、使い
方次第で風球でも十分に攻撃力を発揮することが出来るようだ。
﹁⋮⋮さて、回収するものを手早く集めて、皆と合流しようか﹂
﹁はいっ﹂
見た目は可愛らしいリザも、魔物と相対するときは容赦ない逞し
い女の子なのだ。
1480
ゴブリン戦士からの戦利品
シミター 片手剣 F級
ロングソード 片手剣 F級
ショートソード 片手剣 F級
バスタードソード 片手半剣 F級 バックラー 小盾 F級
ウッドシールド 盾 F級
ラウンドシールド 盾 F級
バレルヘルム 防具 F級
レザーヘルム 防具 F級
キュイラス 防具 F級
ハイドアーマー 防具 F級
ハードレザーアーマー 防具 F級
サンダル 防具 F級
レザーブーツ 防具 F級 ゴブリンの左耳×4
状態:劣化 時間経過や使用される事による化学的、物理的変化
により品質や性能が低下している状態。
1481
状態:腐食 ある種の侵食を受けた状態。金属の場合は表面の錆
などにる体積の変化や、性能の低下を引き起こす。
状態:破損 壊れたり傷が付いた状態。
魔眼で調べてみた結果、どれもこれもランクは低いし状態も悪い。
正直売れるかどうかも怪しいが、今の俺には金が必要だ。
取り敢えず少しでも金になりそうなものは、片っ端から回収して
いくことにした。
1482
第123話 ゴブリン盗賊団1︵後書き︶
ジン・カシマ 冒険者Lv25精霊使いLv18
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/56
特性:魔眼
雷魔術 ︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
火魔術 ︻灯火 筋力強化︼
水魔術 ︻潜水 溶解 洗浄︼
土魔術 ︻耐久強化 掘削︼
闇魔術 ︻魔力吸収 隠蔽 恐怖︼
魔力操作 ︻粘糸 伸縮︼
探知 C級︻嗅覚 魔力 地形︼
耐性 C級︻打 毒 闇︼
体術
盾術
剣術 B級
鞭術
闘気 F級
隠密 C級
奇襲 1483
警戒 C級
疾走
解体
繁栄
同調
成長促進
雷精霊の加護
装備
ムーンソード 魔剣 C級 魔術効果:月光 ミスリルダガー 短剣 C級
鎧通し 魔剣 C級 魔術効果:貫通
黒狼の革兜 防具 E級
黒狼の胴鎧 防具 E級
黒狼の籠手 防具 E級
黒狼の佩楯 防具 E級
黒狼の脛当 防具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
疾風の革靴 魔装具 E級 魔術効果:移動速度上昇
雷精霊の腕輪 魔装具 S級 魔術効果:制作成功率上昇 魔術抵抗上昇 活性 鋭敏
1484
魔術師の鞄 魔導具 C級 魔術効果:収納58/60 ショートソード 片手剣 E級 魔弓
C級 魔術効果:貫通
ラウンドシールド 盾 E級
鹿王の朱弓
矢筒 猟具 E級
木の矢 矢弾 E級 ×99
ナイフ 短剣 E級
ギルドカード 魔導具 D級
発火棒 魔導具 E級 魔術効果:発火
盗賊の地図 魔導具 C級 魔術効果:測量 地図作成
借用書 書類 D級
ベイル流剣術指南書 書物 E級
獣皮紙 雑貨 E級 ×12
インク 雑貨 E級
羽根ペン 雑貨 E級
砥石 雑貨 E級
石鹸 雑貨 E級
毛布 雑貨 E級
木綿布 雑貨 E級 ×12
魔晶石 素材 B級 ×2
魔石 素材 F級 ×22
魔石 素材 E級 ×16
1485
魔石 素材 D級 ×2
カダの薪 素材 D級 ×12
種油 素材 E級 ×12
虫除け薬 薬品 E級 ×12
傷薬 薬品 E級 ×12
ライフポーション 魔法薬 E級 ×12
ライフポーション 魔法薬 D級 ×12
マナポーション 魔法薬 E級 ×12
マナポーション 魔法薬 D級 ×12
キュアポーション 魔法薬 E級 ×12
キュアポーション 魔法薬 D級 ×12
中和ポーション 魔法薬 E級 ×12
興奮ポーション 魔法薬 D級 ×12
水の入った硝子瓶 食品 E級 ×12
白パン 食品 E級 ×12
干し肉 食品 E級 ×12
ドライフルーツ 食品 E級 ×99
蜂蜜飴 食品 E級 ×99
シリル金貨 貨幣 D級 ×56 シリル銀貨 貨幣 D級 ×80
シリル黄銅貨 貨幣 D級 ×50
シリル青銅貨 貨幣 D級 ×21
シミター 片手剣 F級
ロングソード 片手剣 F級
ショートソード 片手剣 F級
1486
バスタードソード 片手半剣 F級 バックラー 小盾 F級
ウッドシールド 盾 F級
ラウンドシールド 盾 F級
バレルヘルム 防具 F級
レザーヘルム 防具 F級
キュイラス 防具 F級
ハイドアーマー 防具 F級
ハードレザーアーマー 防具 F級
サンダル 防具 F級
レザーブーツ 防具 F級 ゴブリンの左耳 素材 D級 ×4
※鞄に収納できる物は無生物に限る。
矢、小石など小さなものは同種のもの1枠99個にまとめられる。
薬の小瓶など、片手に収まる程度のものは1枠12個にまとめられ
る。
両手で抱える程のものは1枠1個。
あまりに大きすぎるものは収納できない。
※冒険者の鞄は緩やかな時間経過有り。
魔術師の鞄は時間経過ナシ。
1487
第124話 ゴブリン盗賊団2︵前書き︶
※前半シアン視点
※後半ジン視点
1488
第124話 ゴブリン盗賊団2
森の中で偶然見つけた、とある場所にある池のほとり。
周囲を見渡すとやや地面が低くなっていて、窪地のようになって
いる。
この池の回りはクローラーという魔物の繁殖地となっているらし
い。
﹁ふう、問題ない。問題ない。落ち着いてやれば、大丈夫だから⋮
⋮﹂
呪文のように言葉を唱え、私は自分に言い聞かせる。
ふと少し前のことを思い出した。初めての狩りは兄様と二人で行
ったんだっけ。
兄様も石弓は使ったこと無いって言ってたけど、お店の人の助言
と私と二人で色々考えて使い方を勉強したんだった。
楽しかったな⋮⋮兄様は上手くできたら頭を撫でて褒めてくれた。
少し子供扱いされている気がするけど、それでも嬉しかった。
それに私は⋮⋮そうだ。兄様のお嫁さんにしてもらったんだ。
本でそういうのは読んだことあるけど、実際のところはよくわか
ってない。
1489
妻って何をするものなの?
母様は兄様のことを﹁支えてあげられるようになりなさい﹂って
言ってたけど⋮⋮
兄様に聞いてみても﹁俺も正直わかんないんだよな﹂って言って
た。
焦らなくてもゆっくり考えればいいんじゃないか。とも言ってい
たので、私なりにゆっくり考えてみたいとも思う。
姉様を見てると確かに支えてる感じはする。姉様は色んな薬が作
れるし、魔術も凄い。兄様と一緒に狩りにも行ける。
それに夜だって凄い⋮⋮
姉様を見習って目指せば良いのだろうけど、私が姉様みたいにな
るのは難しい気がする⋮⋮だって凄すぎるんだもん。
姉様は﹁私の真似より貴方にしか出来ないことで、彼を助ければ
良いと思う﹂って言っていた。
私にしか出来ないことか⋮⋮う∼ん、難しいなぁ⋮⋮
樹の根元に腰をおろし、背中を預けて戦闘の用意をする。
手に持つのは、兄様が力のない私でも戦えるようにと考えてくれ
1490
た機械式石弓。
ドワーフの職人に依頼して特注で作ってもらったそうだ。金貨3
枚もしたらしいけど、兄様は安かったって言ってた。
私には高価過ぎると思うんだけど⋮⋮
片手回し式ハンドルを使い、備え付けられた歯車と歯竿で弦を引
くというもので、私でも扱えるように調節されてある。 弦を引き絞り専用の矢を固定する。革製兜の帯を締め直して、準
備完了だ。
﹁にゃあ﹂
ネロが足元に擦り寄ってくる。
木陰に溶けこむような艶やかな黒い毛並み。神秘的なオッドアイ。
初めて出会った頃と比べると、随分と大きく立派に逞しくなった。
凛々しい顔を向けて鳴くネロの姿は、まるで﹁ご主人様は僕が守
るよ﹂と言ってくれているように思えた。
﹁ありがとうネロ。じゃあ行こうか﹂
木の影から獲物を見定める。
1491
草を喰む魔物の姿。この辺りにいるクローラーは境界あたりにい
る物より、些か凶暴で体付きも大きく色も少し黒みがかっている。
亜種というやつだろう。
魔物には通常種、亜種、上位種、希少種など呼ばれているものが
ある。
人の都合でグループ分けしているだけなのだが、クローラーを例
にすると通常種は濃い緑色のクローラーで境界付近に多数生息する。
亜種というのは食べ物や魔素の濃度の違いなど、環境の変化によ
って違いが生じたものであるという。上位種というのは通常種より
も、魔物として大きく強力な存在に変化したものだ。
希少種はある種の突然変異だと言われ、発生原因はわかっていな
い。
どれも人族の研究者たちが提唱しているものなので、人によって
は意見の食い違いもあるが世界的には概ね浸透している考え方らし
い。
私は近い所にいるクローラーに狙いを定める。
呼吸を整え、周囲に注意を向けつつ、引き金に指を掛けた。 放たれた矢は魔物に命中すると、強く弾かれたように明後日の方
角へと飛んでいってしまった。
1492
クローラーの皮膚は強く固いと同時に弾性もある。
皮膚に垂直に当てるように矢を放たなければ、力を逸らされてあ
あやって弾かれてしまうのだ。
わかっていたはずなのに失敗した。
﹁ギィィィ⋮⋮﹂
魔物からうめき声のような音が聞こえる。顎をガチガチと打ち鳴
らし、怒りを現す威嚇行動である。
自分に向けられた敵意に、思わず後退りする。
しかし魔物はしばらくすると、怒りが収まったのか何事もなかっ
たかのように再び草を喰み出した。
﹁ふう⋮⋮﹂
魔物狩りには何度か来ているけど、未だに慣れない。
初心者向きの魔物相手でも怖くて仕方がない。
﹁でも兄様を心配させないように、自分の身を自分で最低限守るに
は⋮⋮﹂
再び矢を番える。
﹁もっと強くなるしか無いんだよね﹂
1493
放たれた矢は直線の軌道を描き、魔物の頭部に深々と突き刺ささ
った。
>>>>>
巨人異常発生から森の様子が変わった。
森を覆い尽くすように広がった瘴気が、魔物の生息域に変化をも
たらしたのだ。
更に今まで見つかっていなかった遺跡の多くが発見された。それ
らに隠されてるやもしれぬ、まだ見ぬ宝を求めて冒険者たちは遺跡
探索に色めき立っていた。
﹁なるほど、あの魔法薬も遺跡で見つかったものか﹂
﹁今の技術では生み出せない魔法薬や魔導具が見つかれば、大金を
手にする可能性もありますから﹂
この2ヶ月、リュカに稽古を付けて貰いつつ盗賊の地図の空白部
分を埋めていった。
まぁ、行ったことのない場所を虱潰しに移動しただけだが。
ベイル市街、ベイル地下遺跡、ベイル地下水道、ベイル周辺地域、
1494
ザッハカーク大森林、ザッハカーク砦。
その場にたどり着き、名称を知ることで地図にも記載される便利
機能だ。
空白部分を埋める作業が思いのほか楽しくて、疾走、隠密、隠蔽
を使ってかなり頑張った。
地形探知を併用することで、探知で調べた箇所も地図に記載され
るという事実に気がついたのは少し後だったというのが悔やまれる
所だが、まぁそれはいいだろう。
﹁確かこの辺だったはず⋮⋮﹂
周囲の様子を伺う。魔力探知の反応から疎らに魔物の存在を感じ
る。森の中にしては密度は少ない。
﹁ジン様、いました﹂
リザの示す方へ視線を送ると、今まさに3体のゴブリンと戦闘中
のシアンを見つけた。
慌てる俺にリザは冷静な口調で窘める。
﹁大丈夫ですよ。彼女たちも成長しましたから﹂
1495
﹁兄様!﹂
返り血を浴びて随分と勇ましい様子のシアンは、俺を見つけると
嬉しそうな笑顔を見せて胸に飛び込んできた。
﹁見てたのですか?﹂
﹁ああ。少し前に来たんだ﹂
シアンを抱きしめ、頭を撫でる。革製兜の上からだが彼女は嬉し
そうだ。
﹁見てもらえますか?﹂
シアンが抱きしめられた状態のまま耳元で囁く。
色っぽい話ではない。ステータスのことだろう。
狙撃 F級
﹁おお!凄いぞ。スキルを覚えたのか﹂
スキルは1つ目、2つ目あたりはいつの間にか覚えてしまうほど
の難度であるという。
しかし3つ目、4つ目となると長い期間修練を積み、技を磨かな
ければ手にはいらないと言われている。
其処には才能や運も含まれるだろう。
1496
スキルをたくさん持つことがそのまま強者という訳でもないが、
努力が実を結んだというのは素直に喜んでもいいはずだ。
﹁えへへ。兄様みたいに調べられないから確証はなかったのですけ
ど、何となくそうかなって﹂
﹁頑張りましたねシアン﹂
リザが優しくシアンを称える。
﹁はいっ。ありがとうございます﹂
﹁見つかったのか?﹂
背後から声がする。藪から姿を表したのはアルドラとミラさんだ
った。
﹁ああ。見つかったよ。それなりの規模だとは思うけど、問題ない
だろう。治療師もいるしね﹂
ミラさんに視線を移すと、冒険者風の装備に身を包んだ彼女が朗
らかな笑顔を向ける。
﹁怪我したら任せて下さい。パアッと治しちゃいますからね﹂
﹁頼りにしてます。それじゃ、サクッと行きましょうか。ゴブリン
盗賊団の殲滅任務に﹂
1497
1498
第124話 ゴブリン盗賊団2︵後書き︶
シアン・ハントフィールド 獣使いLv11
ハーフエルフ 14歳 女性
スキルポイント 1/11
特性:夜目 直感 促進
同調 E級 調教 E級
使役 E級
狙撃 F級
装備
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
レザーヘルム 防具 E級
ソフトレザーアーマー 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ソフトレザーパンツ 防具 E級
レザーブーツ 防具 E級
力の指輪 魔装具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
クレインクィン 石弓 E級
ウッドボルト 矢弾 E級
ボルトバック 猟具 E級
ハンドアクス 片手斧 E級
ナイフ 短剣 E級
1499
ネロ 使い魔Lv8
種族:ブラックキャット 魔獣
弱点:火雷水 耐性:闇氷
スキル:闇付与
バックパック 雑貨 E級
ライフポーション 魔法薬 D級 ×4
キュアポーション 魔法薬 D級 ×4
※バックパックは普通の背負い袋。荷物が嵩張らないように必要最
低限の荷しか入れていない。
今回の戦利品
クローラーの触角 素材 F級 ×14
ゴブリンの左耳 素材 F級 ×8
1500
第125話 ゴブリン盗賊団3
﹁ほう、ここか﹂
俺達がやってきたのは、クローラーの縄張りから歩いて30分ほ
どにある谷間だった。
地面が抉れたように裂け、底には細やかながら水の流れがある。
﹁近くでソルジャーが4体、見回りをしていた。あれが意味もなく
森を徘徊することは無いって言うから、たぶん間違いないだろう﹂
ゴブリンはレベルが上がり成長すると、知能が著しく高くなり様
々な技能を発揮するようになる。
その中でも特に好戦的で、体格に恵まれた者は戦士階級に昇格す
るのだという。
戦士の仕事は縄張りの巡回、巣の防衛、敵地への侵略等である。
自ら餌を探すために森を徘徊することはない。それらはもっぱら最
下級ゴブリンの仕事なのだ。
﹁だが正確な位置はわかるのか?お主の探知でも見つからなかった
のじゃろう﹂
ここ最近、とあるゴブリンの群れが成長し危険視されていた。
群れとして成熟し、それぞれに成長、役割を得たゴブリンを多数
1501
抱えた危険な集団と化しているらしい。
そういった群れでも特にゴブリンシーフを多数抱えた集団を、ゴ
ブリン盗賊団とギルドでは呼称している。
シーフのゴブリンは小型で力も弱いが、すばしっこく悪知恵も働
く。無意味な戦闘を回避し、人間の集落を闇に紛れて襲撃しては物
資を盗んでいくのだ。
既にかなりの被害が出ているという。
﹁最近は遺跡探索に熱中してる冒険者が多いようだけど、誰も巣を
見つけてないんだよな。ギルドにも腕の良い斥候はたくさんいる筈
なのに、見つけられないってのは理由があると思ってたんだ﹂
森の奥深くに巣があるなら、今の俺では対処できない。
隠密と隠蔽を駆使すれば行けなくもないが、そこにポイントの大
部分を消費すれば万が一戦闘になった時に対処できなくなる可能性
がある。
奥地には危険な魔物しか居ないというし。
それに巣は奥地にはないだろう。
人間の集落は森を出ないと無いのだ。であればそれほど奥地に巣
があるとは思えない。
巣が奥地にあると森外へ向かうのに冒険者に目撃される可能性が
高いし、奥地には危険な魔物が多数生息している。もちろんゴブリ
1502
ンを餌にしているような奴もだ。
せこい盗みを繰り返す集団が、わざわざ危険な場所に巣を作ると
は思えない。冒険者から逃れるために敢えてという可能性もあるが、
冒険者より奥地の魔物のほうが危険そうだ。まぁ、無いだろう。 ﹁理由はソルジャーだけか?﹂
アルドラが怪訝な表情を浮かべる。
﹁いや、理由はこれだよ﹂
>>>>>
降りられそうな場所を選んで谷間を降りることにした。
リザは自ら軽やかに。シアンはアルドラに担がれて。ミラさんは
俺がおんぶして降りた。
﹁ごめんなさい。重くないですか?﹂
﹁全然軽いですよ。ミラさん小柄だし、俺も一応男ですからね﹂
背中に当たる柔らかな感触。
ミラさんはリザやシアンと比べると、ふっくらした体型だがリザ
1503
よりも背は低いし、重いとまでは感じない。
本人は気にしているようだが、そのくらいのほうが男からの意見
としては魅力的だと思う。
俺がミラさんをおんぶしているのを見て、リザが失敗したといっ
たような表情を浮かべていた。
もしかしたら彼女もおんぶして欲しかったのかなと思い、帰りは
呼びかけてみることにした。
﹁森も地図の空白部分を埋める為に、結構動き回ったんだが幾つか
埋まってない場所もある﹂
高濃度の瘴気がある場所では、探知を始めとしたスキルや魔術が
正常に働かない場合がある。
﹁いくつかは確認したけど、どうも意図的に地形探知が上手く機能
しない場所があるとわかった﹂
遺跡内部や洞窟地下深くなど瘴気の溜まりやすい場所なら理解で
きるが、地上で探知が作用しない場所は限られている。
ベイルだと中央と呼ばれる貴族の邸宅や、行政機関のある場所な
どがそうだ。そのようなところは招かざる客を想定して、予め結界
が張られていたりするらしい。
そういった場所を探索するには地形探知に頼らず、自ら歩いて回
1504
らなければ地図は埋まらないようだ。
今のところ危険を犯してまで1人で地図完成を目指している訳で
もないので、そういった箇所は放置している。
﹁ここも、その1つか﹂
﹁巣が見つからないのは、まだ見つかってない遺跡なんかを巣にし
ているんじゃないかって思ってね﹂
谷間のとある場所に崩れた岩がいくつも転がる箇所があった。ま
るで崖崩れがあったような場所だ。
クラッシャー
﹁掘削で破壊してもいいけど、かなり慎重にやらないと危険そうだ﹂
俺が思案していると、リザが名乗りを上げた。
﹁ジン様、私にやらせてください﹂ レビテーション
﹁風魔術の浮遊か。⋮⋮そうだな、頼むリザ﹂
﹁はいっ﹂
浮遊を使って慎重に岩を移動させていく。幾つか動かすと奥へと
続く隙間が見えてきた。
隙間は人が通るには狭いようだ。背が低く細身のゴブリンなら通
れるかもしれない。
1505
鎧を着込んだゴブリンだと厳しいだろうか。普通のゴブリンは1
20センチほどで、鎧ゴブだと140センチはある。彼らは筋肉も
発達していて、たかが20センチほどだがそれなりに大柄である。
岩を全て排除すると洞窟のような穴が見えた。
﹁これが入り口か﹂
﹁ジン様ここに何かあるのですか?﹂
人が通れるような大きさの穴だが、皆の様子を見るとどうも見え
ていないようである。
ミミック
状態:擬態
﹁俺の魔眼だと見破れるようだ﹂
﹁確かに壁の奥から何かしらの気配を感じるのう﹂
正確には把握しきれないが、確かに洞窟内部から魔物の存在は感
じる。危険は何かしらあるとは思うが︱︱
﹁入り口に娘達を残しておくほうが危険だと思うが﹂
﹁魔物がいるならジンさんが怪我をするかもしれませんし、治療師
は必要でしょう﹂
1506
﹁私は常にジン様のお側に﹂
﹁兄様の側に居たいです﹂
まぁアルドラもいるし、残していくより全員で行動したほうが安
全かもしれない。
シアンに至っても彼女には多くの経験を与えたほうが良いとの話
もしている。 ﹁⋮⋮そうだな。みんなで行こう﹂
壁をすり抜けるように洞窟内部へ侵入。
内部は人工物というより自然の洞窟、鍾乳洞のようにも見える。
入口付近に違和感を覚え、手探りで探ってみると魔眼が異変のあ
る場所を教えてくれた。
一部の壁に人の手が後から加えられた形跡がある。
調べると何か細工をしてあるようだ。
﹁魔法の罠というやつかのう﹂
サーキット
低級の魔晶石と魔力回路を組み合わせた1種の魔法陣のようだ。
壁の一部をくり抜き、装置を仕込んでから壁を元の形状に戻した
のだろう。
1507
丁寧に復旧されてはいるが、微妙な違和感は拭えなかったようで
ある。
﹁魔晶石が周囲の魔素を取り込み、半永久的に何かしらの魔術的効
果を発揮するというもののようじゃ﹂
﹁おそらく幻影の魔術と探知妨害ではないでしょうか。この洞窟の
規模から他の場所にも探知妨害の仕掛けが施されているかもしれま
せん﹂
確かに洞窟は奥が深そうだ。入り口付近は人一人が通るに精々だ
が、奥に進めば進むほど天井は高く幅は広くなっていく。緩やかな
階段のように、どうやら地下へ地下へと続いているらしい。
魔晶石 素材 F級
それに装置を破壊しても幻影が解除されただけで探知妨害は解除
されていないように感じる。
もしかしたら探知妨害は他の場所に設置されているのかもしれな
いが。
まぁ、取り敢えず魔晶石は回収しておこう。
低級とはいえ魔晶石は高価なのだ。値段は詳しく調べていないが
金貨10枚近くと聞いたような覚えがある。
それに加え魔力回路というのは、設置者が意図した魔術効果を発
揮するために施す刻印のことで、石版や木板、金属板などに彫り込
1508
んで作るものらしい。
ここに設置されているものは石灰質の壁に直接彫り込まれている。
資金や知識があるものが、明確な意図をもってこの場所を隠蔽し
ている意志を感じた。
﹁誰かがこの場所を隠したがっているのはわかった。まさかゴブリ
ンが設置したってことは無いよな?﹂
レベルが上昇しそれに伴って知性も上がるなら、そういった技術
を使いこなすゴブリンがいても不思議ではないと思うが。
﹁流石にわしも聞いたことがないのう﹂
﹁そこまで知性の高いゴブリンは、まだ確認されていないと思いま
す﹂
まだか。
アルドラも聞いたことがないというし、頭のいいゴブリンが罠を
設置しているという可能性は低いのかな。
1509
第125話 ゴブリン盗賊団3︵後書き︶
エリザベス・ハントフィールド 薬師Lv28
ハーフエルフ 16歳 女性
スキルポイント 1/28
C級 特性:夜目 直感 促進
調合 E級
C級︻脚力強化 風球 浮遊 微風 風壁︼
採取
風魔術
E級︻洗浄 浄水 濃霧︼
F級
水魔法
杖術
装備
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
ストール 衣類 E級
ハードレザーアーマー 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ソフトレザーパンツ 防具 E級
レザーブーツ 防具 E級
魔術師の指輪 魔装具 C級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
ショートスタッフ 片手棍 E級
解体ナイフ 魔剣 D級 魔術効果:解体
冒険者の鞄 魔導具 D級 魔術効果:収納40/40
1510
1511
第126話 ゴブリン盗賊団4
緩やかな坂を下る。
丸みのある岩の表面は、湿気を帯びていて洞窟の暗がりと共に歩
みを更に慎重とさせた。
洞窟の壁面や天井に疎らに生える苔、手元近くに存在するその1
つに手を延ばす。
光苔 素材 E級
﹁魔素の濃い洞窟などに自生する植物ですね。周囲の魔素を吸収し
て発光する薬草の一種です﹂
﹁へぇ。こうして壁から千切り取ると発光は消えてしまうんだな﹂
淡い光が洞窟内を幻想的に彩る。
どうも魔法薬の素材にも使われるらしいが、それほど珍しいもの
ではないようで市場にも普通に出回っているものなんだとか。
ともあれ今はこれのおかげで、僅かばかりの視界は確保されてい
る。
トーチ
火魔術の灯火を使っても良いが、ここがゴブリンの巣であるなら
ば彼らに我々の位置を教えてしまうことになるため、念のためにと
使用は控えていた。
1512
この光源がなくなり、洞窟が闇に包まれれば使用せざるを得ない
のだろうが。
ある程度地下へと降りてくると、開けた場所に辿り着いた。
天井は5、6メートルはあるだろうか。天井からつららのように
岩の柱が伸びている。疎らに天井を覆う光苔がぼんやりと闇を照ら
していた。
地面は大雑把に言えば平らに近い。やはり筍のように岩の柱が生
えている。大きい物や小さい物と様々あって隠れる場所は多そうだ。
開けた場所は奥が見えないほど広い。視界が悪いせいもあるが、
かなりの広さがありそうだ。地形探知も近距離なら問題ないようだ
が、あまり範囲を広げると感覚に靄が掛かったように怪しくなる。
現状では近距離を維持しておくのが良いのかもしれない。
盗賊の地図は記載されさえすれば、信用して良い情報といえるの
で帰り道の心配はなさそうだ。
﹁近くにいるな⋮⋮たぶん普通のゴブリンだろう、数が多いから俺
がまとめて減らす。撃ち漏らしがいたら頼む﹂
アルドラとリザに合図を送る。彼らはそれぞれ俺を中心に、左と
右に1歩下がって布陣した。
﹁うむ﹂
﹁はい﹂
1513
ミラは俺の背後に待機している。直接的な戦闘を得意とはしてい
ない彼女は、基本的に非戦闘員なのだ。
﹁シアンも無理はしないように。ミラさんの側で待機しつつ、隙が
あれば自分で考えて動いてくれ。ネロの指示も任せる。ミラさんは
状況に応じて動いてください、基本待機で﹂
﹁ええ、わかりました﹂
﹁はい。兄様﹂
﹁にゃう!﹂
ネロも臨戦体勢のようで、シアンの肩の上で勇ましく鳴いた。 魔力探知が魔物の動きを感じ取る。
アルドラも察しているようだ。既に収納から魔剣を取り出し、肩
に担ぎあげている。
両手に魔力を貯め練り上げる。
何時でも撃てる準備を整え、その瞬間を見計らった。
﹁来た!﹂
岩陰から飛び出してくるゴブリンの群れ。
1514
﹁ギャギャギャッッ!!﹂
狂ったように雄叫びを上げ、四つん這いに走り迫る。思ったより
も数が多い。その数は把握できないほどだ。
﹁ッッ!﹂
迫るゴブリンにシアンが後退る。ネロは怖気づいていない。まだ
まだ子猫かと思ったが、魔獣というのは成長が早いのか。
まぁ、焦る必要はない。
相手は数が多いだけの単なるゴブリンなのだ。
ゴブリン 妖魔Lv12
プラスペリティー
弱点:火雷
スキル:繁栄
ゴブリンの動きに注意しつつ、彼らを十分に引き付けてからその
魔力を解き放った。
ブラスト
雷魔術:雷扇
解き放たれた魔力は紫電となって魔物の群れを襲う。
雷撃を浴びたゴブリン共は弾かれたように地面を転がった。
﹁リザそっちに行ったぞ!﹂
1515
咄嗟に遮蔽物へと隠れた者は攻撃を回避できたようだ。
身を隠しつつ、様子を伺いながら接近してくる。
﹁はいっ﹂
四つん這いに走り回るゴブリンの1体が、隙を見てリザに向かっ
て飛びかかった。
だがリザは冷静に対処する。間合いを計り1歩下がると同時に、
片手に持ったショートスタッフで鎖骨のあたりを打ち据えた。
地面へ落ちたゴブリンに追撃の爪先蹴りを眉間に放つ。
思い掛けずダメージを負ったゴブリンは蹌踉めきつつも立ち上が
るが、更なるショートスタッフの滅多打ちを浴びることになる。
俺と並んで戦いたいと願い、その願いが杖術という形で叶ったら
しい。
リュカに指示も受けていたようだが専門ではないとのことで、ほ
ぼ独学で身につけたようだ。
彼女は心配せずとも大丈夫のようだ。これくらいのゴブリン程度
では、遅れを取ることはないだろう。
アルドラに視線を送ると新たに手に入れた魔剣を振り回し、周囲
のゴブリンを圧倒している。
1516
掠っただけでも体が千切れるほどの破壊力。ゴブリンに為す術は
ないだろう。
剣を振るうたびにゴォという空気を切り裂く音が聞こえる。
まったく本気とはいえない気軽な剣筋だが、遠心力を持った大剣
の迫力は凄まじい。
グラットンソード 魔剣 C級 魔術効果:大食
魔犬の大牙から作られた魔剣は、飾り気のない無骨な作りで実用
性重視の両手剣型だ。
刃の幅は広く厚く作られ、切れ味よりも破壊力を重視した設計の
ため敢えて刃は鈍くしている。
灰黒い刃は180センチ超え。重量に至っては5キロを超える。
並の人間には扱えない代物だろう。
付与された魔術効果、大食は刃を走らせた相手の魔力を僅かに奪
う効果があるのだという。
アルドラが剣を振るうと、目の前のゴブリンは紙の様に分断され
千切れ飛んでいく。とても刃を鈍らせているとは思えない切れ味だ。
﹁アルドラ!﹂
1517
﹁わかっておる﹂
物陰に潜む者への警戒を伝えるが、余計なお世話だったようだ。
普通のゴブリンに紛れて、大柄なゴブリンがアルドラに肉薄する。
チェインメイルと兜を備え、大剣を携えたゴブリンの戦士だった。
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv32
弱点:火雷
スキル:剣術
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv31
弱点:火雷
スキル:斧術
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv32
弱点:火雷
スキル:鎚術
でかいゴブリンが3体。150センチはあるだろうか。それぞれ
に鎧を着こみ、武器や盾で武装している。
それにまだ修得していない斧術や鎚術のスキル。使うかどうかは
別にして、修得できるものはできるだけ手に入れておきたい。
1518
雄叫びを上げて、それぞれが連携するかのような統制の取れた動
きを見せる。ただの凶暴な魔物とは違うようだ。脳みそがあるとい
うことか。
だがアルドラにはあまり関係のないことだった。
﹁ふんッ!﹂
巨大な魔剣の振り下ろしが、もっとも近くに居たゴブリン戦士を
鎧ごと両断した。
そこからは一瞬だった。一方的な暴力。放り投げるような突きが
盾と斧を持ったゴブリンを串刺しにし、巨大な戦鎚を持ったゴブリ
ンは、防御した戦鎚を破壊され、重さなど無いかのように吹き飛ば
されると、石柱に激しく叩きつけられて動かなくなってしまった。
1519
促進
収納
眷属
換装
帰還︼
第126話 ゴブリン盗賊団4︵後書き︶
アルドラ 幻魔Lv25
直感
スキルポイント 1/87
特性:夜目
時空魔術 S級︻還元
剣術 S級
体術 C級 闘気 D級
回避 C級
疾走 F級
剛力 E級
装備
グラットンソード 魔剣 C級 魔術効果:大食 黒狼の革兜 防具 E級
黒狼の胴鎧 防具 E級
黒狼の籠手 防具 E級
黒狼の佩楯 防具 E級
黒狼の脛当 防具 E級
疾風の革靴 魔装具 F級 魔術効果:移動速度上昇
1520
第127話 ゴブリン盗賊団5
雷扇がゴブリンの群れを薙ぎ払う。
断続的に現れる群れは、既に相当な数に達していた。周囲は囲ま
れているが、弱いゴブリンであれば数は大した問題ではない。
固まっていれば雷扇で、単独で動いている奴は雷撃で撃ち殺す。
視線を送るとリザ、シアン、ミラさんは3人で円陣を組むように
して応戦していた。
互いに動きを補助し合い、危なげなく対処している。
リザはショートスタッフと魔術で、シアンはハンドアクス、ミラ
さんは盾とショートスタッフを振り回している。
流石は親子。息はピッタリだ。ネロは彼女たちの回りを変幻自在
に動き回り、ゴブリンの背中に取り付いたり足元や首を掻き切った
りとやりたい放題だ。
小さなネロは動きが素早く、乱戦では捕まえられそうにない。
ネロが動くことによりゴブリンの足が止まり、そこを女性たちが
仕留めるという連携になりつつあった。
なんか普通に強いなうちの女性たちは。
1521
アルドラは自由に暴れて魔物を惹きつけている。
女性たちからは少し離れた位置を陣取り、派手に動くことで敵の
注意を引き付けているのだ。
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv26
弱点:火雷
スキル:狙撃
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv28
弱点:火雷
スキル:弓術
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv27
弱点:火雷
スキル:投擲
遮蔽物に隠れていたゴブリンを隠密、隠蔽を付与しつつ近づき密
かに仕留める。
魔力感知で存在は感じていた。こちらに接近する訳でもなく、あ
る程度の距離を置いてじっと動かなければ流石に違和感を感じる。
アーチャーはボロ布を身にまとい、手には短弓や石弓、スリング
を備えている小柄なゴブリンだ。
1522
鎧ゴブのように特別鍛えられたような感じはしない。装備以外、
見た目は普通のゴブリンのようだ。
しかし飛び道具をもった奴は危険である。早めに潰しておくに越
したことはない。
﹁やれやれ、次は槍持ちか﹂
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv31
弱点:火雷
スキル:槍術
短槍を備えたゴブリンの戦士。普通のゴブリンを多数従え、俺達
を包囲するように迫り来る。
既にかなりの数を葬ったと思うが、思ったよりも群れの規模は大
きかったようだ。
鎧ゴブは手強くレベルも高い。女性たちに任せるには荷が重いだ
ろう。
アルドラは雑魚相手とはいえ、数も多いし忙しそうだ。俺は俺で
厄介そうな奴を最優先で減らして行くとしよう。
﹁兄様っ!助けてっ!﹂
雷撃でゴブリンを処理していると、シアンの叫びを聞き素早く体
1523
を反転させる。
彼女たちの元へ辿り着くと、シアンの背嚢を強引に奪おうとして
いるゴブリンが目に写った。
いやシアンだけではない。リザやミラさんにもゴブリンが取り付
いている。周囲にも多数いるようだ。
ゴブリン・シーフ 妖魔Lv24
弱点:火雷
スキル:窃盗
ゴブリン・シーフ 妖魔Lv26
弱点:火雷
スキル:強奪
ゴブリン・シーフ 妖魔Lv25
弱点:火雷
スキル:疾走
ネロが必死に応戦しているが多勢に無勢といったところか。
荷物を奪うことが目的のようで積極的に戦おうとはせず、動きま
わって撹乱しつつ荷を狙っているらしい。
流石にシアンに向かって雷撃を放つわけにもいかない。
1524
隠密、隠蔽を付与した暗殺者モード︵自称︶で接近し、ミスリル
ダガーにてゴブリン・シーフの喉元を掻き切った。
﹁大丈夫か?﹂
﹁兄様!﹂
シアンが安堵の表情を見せる。
ともあれ今は戦闘中。のんびり頭を撫でてやるわけにもいかない
ので、ゆっくりするのは後回しだ。
突然仲間のシーフが殺されて危機感を覚えたのか、リザやミラさ
んに取り付いていたゴブリンが飛び退いた。
周囲のシーフにも緊張が伝わったようだ。しかし逃げられても面
倒なので、出来るだけ仕留めたい所である。
トラッカー
雷魔術:雷蛇
手の中に雷球が生まれ、地面に堕ちる。
地面に接地した瞬間、それは弾かれたように走りだした。
走ったと言っても足があるわけではない。まるでそれは雷で出来
た生きた蛇のように、地面を這うように動き獲物を求める雷撃であ
る。
光の如き速さの雷撃と比べると攻撃速度は遅い。それでも他の魔
1525
術と比べるなら相当に速いらしいが。
ともあれこの雷蛇は魔力探知で捉えた獲物を追跡して仕留めると
いう、誘導性能を持った強力な攻撃魔術なのだ。
今は一度に生み出せるは3発までだが、練習すればもっと行ける
かとも思う。
魔力を溜める時間が少し長いようなので、連射は難しそうだ。
スキルレベルを上昇させるだけでは、弾数は増えないらしく魔術
の制御能力を引き上げるしか無いようだ。
﹁逃げても無駄だ﹂
動きの素早いシーフはいち早く危険を感じ取り逃走を企てるが、
その行動は僅かに遅かった。
射程距離内にいる獲物を蛇は逃さない。
今のところ捉えられないのは、空中の鳥と水中の魚だけだ。
雷蛇の直撃を受けてシーフが地面を転がる。
破壊力と麻痺発生率のバランスの良い雷蛇は強力な攻撃魔術であ
る。更に雷が弱点のゴブリンとは非常に相性が良い。
Cクラスの威力でも十分に即死級の破壊力になるようだ。
1526
ネロの鋭い爪がシーフの顔面に爪痕を残す。
シアンの石弓から放たれた太矢がゴブリンの肩に食い込む。
リザの風球がいくつも放たれ、動きまわる魔物の足止めをする。
動きを止められたのは僅かな時間だが、十分に大きな価値がある
行動だった。
俺が再び魔術を放つ時間を稼いでくれたのだから。
雷魔術:雷蛇
再び生まれ出た蛇は、手癖の悪い妖魔たちそれぞれに襲いかかっ
た。 滑りやすい足場、石柱がいくつも連なり遮蔽物の多い地形、明か
りに乏しく視界は悪い。
そんな中でシーフの動きは捉えどころがなく、仕留めるのは厄介
だが俺の蛇には関係ないようだ。
射程距離内ならいくら隠れようとも追跡が途絶えることはない。
直線を進む雷撃と違って、雷蛇は障害物を避けて目標を捉えるこ
とができるのだ。
1527
おそらく範囲は2、30メートルくらいか。スキルレベルを上げ
れば更に射程も伸びると思う。
連戦が続き女性たちに疲労見える。
ウォール
ミラさんが光魔術、防壁を使って魔物の攻撃を防いでいるようだ。
自身の周囲に不可侵の領域を展開する魔法障壁。
その効果ないに及ぼされる、あらゆる害悪を防ぐという強力な防
御魔術。使用中は他の事ができなくなるらしいが、守りに徹するな
ら非常に有効だろう。
魔力総量の多いエルフなら、ある程度の時間は期待できる。
リザはまだ魔力も体力も在るのか、防壁外へ出て応戦している。
防壁に守られた状態では戦闘行為は出来ないのだ。
﹁リザ、大丈夫か?﹂
少し離れた位置にいるリザに、激励の意味も込め響くように声を
掛けた。
﹁はいっ!まだ行けます!ジン様はご自由に動いてくださいっ﹂
﹁わかった!﹂
リザは大丈夫そうだ。目に力強さがある。経験もあるし無謀な行
動はしないだろう。
1528
エアウォール
近づくゴブリンには杖の殴打と風壁で牽制。離れた相手には風球
で応戦している。
風壁とは自身の付近に一枚板のような重い空気の層を作り出し、
目標の行く手を阻むという魔術である。
使用者によっては、矢などの飛び道具さえも防ぐことが可能らし
い。
雷撃、雷扇、雷蛇を効果的に使いつつ、雷付与されたムーンソー
ドで近くの魔物を切り捨てていく。
無用な消費は抑え、出来るだけ魔力は温存しておきたい所だ。
鎧ゴブは油断出来ない相手、故に暗殺者モードで対処する。奇襲
スキルを加えれば背後から鎧もろとも体を切断することが可能なの
だ。
1529
第127話 ゴブリン盗賊団5︵後書き︶
ミラ・ハントフィールド 治療師Lv28
エルフ 90歳 女性
スキルポイント 2/28
特性:夜目 直感 促進
光魔術 C級︻治癒 防壁︼
魔力操作 C級︻制御︼
調理 D級
装備
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
キャスケット 衣類 E級
ハードレザーアーマー 防具 E級
キルティングベスト 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ロングスカート 衣類 E級
レザーブーツ 防具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
ショートスタッフ 片手棍 E級
ラウンドシールド 盾 E級
バックパック 雑貨 E級
1530
第128話 ゴブリン盗賊団6
﹁やれやれ、ようやく片付いたようじゃの﹂
地下洞窟の広場は血と汚物の混じった匂いが充満し、元魔物だっ
た物体がバラバラに地面へ転がる酷い有様となっていた。
﹁はぁ、まったく多すぎだろ。まさかここまで大規模な群れだとは。
群れっていうのはある程度の規模になると分裂するんじゃなかった
のか?﹂
火魔術の灯火を複数作り出すことで、広場に明かりを生み出す。
灯火は術者を自動追尾するようにも出来るし、ある空間に留めてお
くようにも設定できる便利な魔術だ。
その御蔭で惨状が顕となってしまっているのだが。
﹁まぁ、何事にも例外はあるものじゃ﹂
俺達が話している間も、リザとシアンは黙々とゴブリンの耳を集
めている。
左耳を集めるのは最初にゴブリンを金銭目当てに狩った冒険者を
踏襲としているらしい。
何でも左耳だけは戦利品として持ち帰っても良いが、別の部位を
持ち帰るとゴブリンに呪われるとか言われているんだとか。
1531
迷信の類らしいが信じているものは多く、ギルドでも討伐証明と
しては左耳しか受け取らないんだそうだ。
おやつ
ちなみにゴブリンの左耳は討伐証明として回収されたのち、獣使
いギルドに回され魔獣たちの餌になるようだ。そういった訳で無駄
になることはないのだという。
﹁まぁいいや。アルドラも手を動かせよ、娘たちばかりに働かせて
いないで﹂
﹁お主もな﹂
死体の山をあさり耳を切り取る作業は、なんとも言えない感慨が
あったが今は何も考えるまい。
それに群れのボスであるリーダーの姿はまだ見つかっていないの
だ。
正直もう街に帰って風呂にでも浸かりたい所だが、ボスを退治す
るまでは帰れそうにないだろう。
下手に手を出してボスを放置すれば、余計にややこしい自体を招
きかねない。それを考えれば逃がさないよう出来るだけ急いだほう
が良さそうだ。
戦利品
ゴブリンの左耳 素材 E級 ×128
ゴブリンの左耳 素材 D級 ×32
1532
魔石 素材 E級 ×14
魔石 素材 D級 ×3
魔石︻窃盗︼
魔石︻槍術︼
魔石︻鎚術︼
魔石︻投擲︼
クレイモア 両手剣 F級
チェインメイル 防具 F級
バックラー 小盾 F級
ハンドアクス 片手斧 F級
バトルアクス 両手斧 F級
ダガー 短剣 F級
ショートボウ 短弓 F級
木の矢 矢弾 F級 ×8
新たなスキルを手に入れた。
セフト
窃盗は相手に気づかれないように掠め取る盗賊スキル。槍術は槍
を鎚術は鈍器、投擲は投擲武器を扱うスキルのようだ。
戦闘で破壊されたゴブリンの装備類は捨てていくことにした。素
人の俺が見ても価値がないと思えたものだからだ。
まだ利用価値がありそうなものだけを選んで回収する。収納場所
1533
はアルドラの時空魔術だ。
無限に収納できる時空魔術S級は非常に便利だが、細々とした物
を大量に保管しておくと再び取り出すのに非常に手間らしくアルド
ラは不満気であった。
まぁ、俺の鞄もリザの鞄も空きがないので妥協してもらうしかな
い。
リザやシアン、ミラさんを冒険者ギルドに加入させて冒険者の鞄
を買うという案も考えたが︵冒険者の鞄は通常D級以上の冒険者に
しか販売していない︶
冒険者になると異常発生や、緊急の指令があった場合、状況によ
っては拒否できない場合もある。
自己防衛の観点から考えても、彼女たちをギルドに入れるのは賛
成できかねなかった。
過保護かも知れないが加入すれば彼女たちの情報をギルドに渡す
ことにもなるし、特別必要でなければ個人情報は守りたいと考えて
いる。
まぁ、急ぐ話ではないしギルドに加入の件は現状保留ということ
でいいだろう。
ウォッシュ
汚れた装備に水魔術、洗浄を施し先へと移動を開始した。
大きな怪我こそ無かったものの、それぞれに小さな傷は受けてい
1534
ヒーリング
たようなので、ミラさんは万全の状態を保つためみんなに治癒を施
してまわった。
魔力には十分に余力があるようなので問題ないようだ。
無理をさせるつもりはないので、自身の判断で体力が厳しくなっ
たら申告してもらおう。
﹁ジン様、魔力の方は大丈夫でしょうか?かなり魔術を使っていた
ように見えましたが⋮⋮﹂
リザが体を寄せて心配してくれる。必要があれば自身の魔力を提
供する考えなのだ。
﹁まだ余裕があるから大丈夫だ。魔晶石に保管されていたものを使
ったしな﹂
新たに手に入れたF級では大した回復はできないが、俺はB級を
2つ所持している。これを使えば3割強は回復出来そうだ。
﹁⋮⋮そうですか﹂
リザが気のせいか残念そうな表情を見せる。
﹁兄様、もし魔力が必要なら私のをお使いください。姉様は魔術の
ために温存しておいたほうが良いかと思います。私なら必要以上の
魔力は必要ありませんから﹂
﹁ちょっ⋮⋮シアン?﹂
1535
﹁⋮⋮そうだな。必要になったら頼む﹂
﹁えぇ⋮⋮ジン様ぁ﹂
目に見えて落ち込むリザ。
﹁ん?ダメだったか?﹂
﹁いえ⋮⋮ダメじゃないんですけど⋮⋮﹂
リザは何故かあまり納得していない様子であったが、シアンの言
い分も最もなので断る理由も思いつかなかったのだ。
奥へと進む道中、多数の鼠を発見する。
スモールラット 魔獣Lv4
手のひら程の大きさの鼠の魔物だ。ラットの上位種だろうか?む
しろ弱くなっていそうなので、亜種といえばいいのかも知れない。
まぁ、どっちでもいいか。
魔力探知で探るとかなりの数がいるようなので、希少種ではない
のだろう。
特に襲ってくる様子もないので放置することにした。何かしらの
スキルは持っているだろうが、珍しい魔物でもないようだしスキル
の回収は後回しでいいだろう。
1536
入り口で見かけたような魔術的な仕掛けも幾つか発見した。
やはり人為的なものを感じる。ただの魔物の巣ではないことは確
かだ。
﹁ここにもあるな﹂
魔石を組み込んだ魔術罠。燃える水と言う気化しやすい可燃性の
液体を噴出し、発火させ対象を炎上させる罠らしい。
地形探知で罠の仕組みを探り、解体する。
構造は単純なものなので、解体はさほど難しくはない。
念のためにと設定した解体スキルが機能しているのかもしれない。
﹁ジン、瘴気が濃くなってきたようじゃ。薬を飲んでおいたほうが
良いやもしれん﹂
光苔の量が増え光量は悪くないが、それに比例して魔素の濃度は
上がっているようだ。
高濃度の魔素が瘴気と言えるほどに地下に溜まり渦巻いている。
﹁そうだな。まだ先は長そうだし、中和ポーションを飲んでおこう﹂
魔法薬は効果が強力であるため、複数使用が制限されている。仮
に使ったとしても正常な効力を発揮しない可能性が高いらしい。
薬師ギルドでは2時間の待機時間を推奨しているという。
1537
﹁念のためリザとシアンも飲んでおいたほうが良いじゃろう。傷の
治療はミラに任せるが良い﹂
エルフであるミラさんはハーフの彼女たちよりも耐性があるため
問題ないようだ。
洞窟を更に奥へと進む。
かなり深くまで来ている気がするが、空気は問題なく存在してい
るようで酸素が薄いといった感覚はない。
やがて俺たちは広い空間に辿り着いた。今まで通ってきた場所よ
りも、遥かに天井が高く空間の広い場所だ。
その場所は大きな屋敷がすっぽり収まりそうなほどには広い。し
かし岩が無造作に迷宮の如く存在しているため、開けているとは言
いがたかった。
光苔が大量に繁殖しているが光量はそれだけではない。空間を照
らす光源となる魔導具か何かがあるようだ。
その光源で成長したのか大量の植物が繁茂している。
土壁からは地上の植物の根なのか、太く長い大樹の根のようなも
のが無数に飛び出していた。
﹁アルドラ、何かあるぞ﹂
1538
朽ち果てているが、明らかに木製の扉がある。
ドアノブも既に無く、腐った木製のプレートに何か文字が書かれ
ていた。
︻医務室︼
ここしばらくこの国の文字を学習していたのが、役に立ったよう
だ。
俺でも読める単語である。これはルタリア王国で一般的に使われ
ている大陸文字というやつだ。
主に人族の間で広く使われている文字である。
アルドラが勢い良くドアを蹴破る。
﹁リザ、シアン、ミラさんはここで待機していてくれ﹂
鬼が出るか蛇が出るか。とりあえず中を調べてみよう。
1539
第128話 ゴブリン盗賊団6︵後書き︶
ジン・カシマ 冒険者Lv25精霊使いLv18
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/56
特性:魔眼
︻魔力吸収 隠蔽 恐怖︼
︻耐久強化 掘削︼
︻潜水 溶解 洗浄︼
︻灯火 筋力強化︼
雷魔術 C級︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
火魔術 水魔術 土魔術
闇魔術 探知 C級
︻打 毒 闇︼
︻嗅覚 魔力 地形︼
魔力操作 ︻粘糸 伸縮︼
耐性 C級
体術
盾術
剣術 C級
槍術
鎚術
鞭術
闘気 隠密 C級
1540
奇襲 D級
投擲 窃盗
警戒 疾走
解体
繁栄
同調
成長促進
雷精霊の加護
1541
第129話 ゴブリン盗賊団7
寝台 家具 F級
寝台 家具 F級
寝台 家具 F級
チェスト 家具 F級
椅子 家具 F級
ランタン 雑貨 F級
衝立 家具 F級
広さは20帖くらいの空間で、粗末な家具が並んでいる。
床板は至る所が腐り、穴が空いていた。
おそらく住人が立ち去って、かなり長い時間が経過しているのだ
ろう。
寝台に目を移すと、布で覆われた物体が視界に入った。いや、死
体⋮⋮?
グール 死霊Lv12
1542
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
光の灯らない闇を湛えた眼窩。
灰色の肌。血の気はなく、人の死体というのか、むしろ骨と皮の
みの干物のようである。
警戒を怠らず様子を伺っていると、ピクリと僅かに反応した様に
見えた。死霊に適した言葉かどうかはわからないが、まだコイツは
死んでいないようだ。
その刹那、魔力探知が反応を見せる。
﹁ぬんッ﹂
次の瞬間、一切の躊躇なくアルドラの豪剣が寝台ごとグールの首
を撥ねた。
腐った木が激しい破砕音と共に砕け散る。
勢いのままに床をも突き破ってしまった。
グールは首を落とされ、なんの抵抗もすること無くそのまま沈黙
した。
﹁活動停止していると魔力を抑えられるのか⋮⋮﹂
魔力探知に常に気を配り、油断すること無く調査を続けよう。
1543
部屋の隅に木箱を見つける。かなり重量があり、頑丈な作りでま
るで宝箱だ。
家具に隠されたように存在しているそれは、細工がしてあるよう
で隠蔽が付与されている。
魔力回路と魔晶石が組み込まれているのだ。
マジックトラップ
おそらく魔術罠のようなものだろう。
アルドラには見えていないが、彼も触れれば所在がわかるのだ。
﹁鍵が掛かっているようだな。この部屋に鍵があるのだろうか﹂
箱には鍵が掛かっていて、どうやっても開けられない。
宝箱 家具 E級 手を触れ調べてみるが、鍵穴はあるのだ、ならば鍵もあるだろう。
探せば見つかるかもしれない。
そう考えていると、背後のアルドラから声が掛かった。
﹁どれ、鍵はこうして開けるんじゃ﹂
アルドラは隠蔽が付与された箱を蹴り飛ばした。
激しく吹き飛び、奥の壁に激突する。
1544
ものの見事に箱は破壊されていた。
﹁な?開いたじゃろう﹂
﹁あぁ、ちょっと雑だけどな﹂
傷薬 薬品 E級
傷薬 薬品 D級
傷薬 薬品 C級
ライフポーション 魔法薬 D級
キュアポーション 魔法薬 D級
﹁おぉ、なんか色々入ってるな。薬箱か﹂
医務室だからなのか薬品が保管されていたようだ。状態は問題な
いようだし、回収しておこう。
﹁何かすごい音がしましたが、大丈夫ですか?﹂
﹁ああ、ちょっと魔物がいたが問題ない﹂
﹁兄様、あそこに別の部屋が﹂
1545
シアンが指し示す方向に、似たようなが木扉が見える。
︻仮眠室︼
医務室の物よりは頑丈そうな扉だ。
やはり何故かドアノブがない。
取り敢えずそっと扉に耳を済ませ中の様子を伺ってみる。
すると中からズリズリと何かが這いずり回る音が聞こえてきた。
凄く嫌な予感がする。
地形探知で探った様子では、部屋の間取りは医務室と似たような
感じであろう。
魔力探知では複数の反応を感じる。
﹁取り敢えず開けてみなければ、中の様子はわからんのう﹂
﹁⋮⋮そうだな。アルドラ頼む﹂
アルドラは持ち前の魔剣を構え、まるで破城槌の如き突きを放っ
た。
﹁やり過ぎだろ⋮⋮﹂
木扉は容易く粉砕され、部屋への扉は開かれた。
1546
部屋の中は質素な作りで、粗末な寝台が並んでいる。
価値のありそうなものは無いようだ。魔眼で確認したが宝箱の存
在も見つからなかった。
ただ部屋いるのはグールのみ。
グール 死霊Lv8
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
激しい物音にも動じずに、数体のグールが彷徨うように部屋を徘
徊している。
部屋を腹ばいで動いている者もいる。部屋の物音の正体はコイツ
か。
﹁放置して後で面倒が起きても困るし、片付けるか﹂
もうしばらくこの辺りを探索する予定なので、不安要素は片付け
ておいたほうが良いだろう。
聖油は塗ってないが、それほど強力な個体でもないし問題なさそ
うだ。
1547
︻栽培室&調合室︼
更に探索を進めることで別の部屋を発見した。
部屋と言うにはかなりの広さ。自然の洞窟をそのまま活かして作
ったような場所。天井には照明の魔導具が確認できる。
栽培室の名が示す通り、その場所には数えきれないほどの植物が
繁茂していた。
一株が人間大程もある大きな植物。赤黒い大きな葉が生い茂り、
毒々しい濃い紫色の花が咲いている。
部屋に充満する甘ったるい香り。
あまりの強烈な臭気に気分が悪くなる。
﹁ジン様これは⋮⋮﹂
﹁知っているのか?﹂
魅惑草 素材 B級
﹁ええ。ルタリア王国で取引禁止、所持禁止の指定をされている有
名な毒草です﹂
精製することで魅了、興奮、幻覚の催眠効果を与える毒物を作れ
1548
る植物。
精製の難度もそれほど高くないことから、厳しく取り締まわれて
る違法植物の1つらしい。
取り扱いには十分に注意が必要で、下手をすれば薬師自身も中毒
になってしまうほど強力な毒草なのだという。
ルタリアを始め多くの国で厳しく取り締まっているものの、取引
するものが後を絶たず闇の業界では古くから出回っている薬物のよ
うだ。
使用目的は多岐に渡るそうだが、一般的には対象に摂取させるこ
とで傀儡と化す術に利用されている。
﹁そんなものがあるのか⋮⋮この部屋の様子だと、何者かが違法に
栽培していたとしか見えないが﹂
﹁おそらくジン様のお考えで間違いないかと。ですがこれほど高品
質ものが存在するとは⋮⋮﹂
地面から生える無数の毒草。そのあぜ道を通り抜け、奥に見えた
小屋、調合室を調べる。
おそらくここで毒草を生成していたのだろう。
それらしい道具が散乱しているが、まともな状態のものはなかっ
た。
﹁どうもゴブリン狩りに来たら、変な所を見つけてしまったようだ
1549
な﹂
ともあれ現在はゴブリンの巣であることは間違いなさそうなので、
ボスの捜索を続けることにする。
面倒事はギルドに報告すれば良いのだ。
﹁希少なものなら、少し貰っておこうか?何かに使えるかもしれな
い﹂
リザにそう問いかけたが、彼女は首を振って答える。
﹁やめておきましょう。もし所持しているのが見つかれば、あらぬ
疑いを掛けられるやもしれません﹂
﹁それもそうか⋮⋮﹂
︻武器庫&資材庫&資料室︼ 更に探索を進めると、倉庫のような建物を発見した。
洞窟の地形を利用したものではなく、資材を持ち込んで建てられ
たものだ。
長方形の建物は地形探知で確認すると、内部で部屋が3つに区切
られているようだ。 倉庫はかなり大きい。
1550
魔力探知を展開しつつ、静かに扉を開けて中の様子を伺う。
倉庫内はだいぶ荒らされており物品棚は倒され、傾き、その様子
はまるでゴミ屋敷といった状態である。
グール 死霊Lv16
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
グール 死霊Lv18
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
グール 死霊Lv17
弱点:光 耐性:闇
スキル 闇耐性
この部屋にもグールがいる。
他の部屋の無手の者とは違い、それぞれに武器を携え部屋の内部
を巡回するかのように動いている。
盾と剣、大剣、短剣。得物は様々のようだが、生前の技量が活か
されているということなのだろうか。
ここからではまだ気づかれる様子はないが、部屋の内部を調べる
には排除するしか無いだろう。
1551
﹁まてジン。奥に中々の奴がおるぞ﹂
アルドラに呼び止められ、その先へと視線を動かすと、物品棚の
影に潜むそれが見えた。
コープス 死霊Lv43
弱点:光 耐性:闇氷
スキル 剣術
コープス 死霊Lv32
弱点:光 耐性:闇氷
スキル 闇付与
﹁おぉ、ヤバそうなのがいるな﹂
コープスという魔物はグールのような頭が2つ腕が4つ、胴体が
1つに、足が3つという異形の風体をしていた。
それぞれの手に武器を持ち、不完全ながらも防具も身に着けてい
る。
その風貌から察するに複数のグールが合体して誕生した魔物の様
にも見えた。
﹁グールが密集しているような場所では生まれることがあると聞い
たことがあるな。わしも実際見たのは初めてじゃ。かなり珍しい魔
物じゃぞ﹂
1552
そんな嬉しそうに言われても⋮⋮実際アルドラは嬉しそうに顔を
綻ばせている。クジで当たりを引いたみたいなニヤついた顔だ。
コープスの発生は諸説あり解明はされていない。
魔素の濃い領域で死体を放置すれば発生すると言われるグールと
は違い、そう滅多に出現する魔物ではないようだ。
グールが密集していると生まれる可能性があるということから、
合体して誕生という考察はあながち間違っていないのかもしれない。
﹁魔力探知で探ってもコープスは2体しかいないようだな。探索を
進めるためにも倒すしか無いか﹂
ゴブリンとは違って討伐依頼に含まれていない魔物ではあるが、
スキル入手の可能性もある。
邪魔者の排除という意味以上に利はある。
﹁問題ないじゃろ。ちと場所は狭いがのう﹂
確かにアルドラの得物では、物が散乱する倉庫内は狭すぎだろう。
﹁まぁ、なんとかするわい﹂
﹁一応リザから聖油を貰っておこう。俺達だけで来てるわけじゃな
いんだし﹂
1553
﹁そうじゃな。そうしようかの﹂ 1554
第130話 ゴブリン盗賊団8
リザから聖油を受け取り、それぞれの得物に塗っておく。
魔を払う力があるとされる聖油は、武器に塗れば死霊に対して有
エンチャント
効なダメージを与えられるようになるのだ。
ウォーカー
リザが脚力強化を付与してくれた。
効果時間は短いが、ないよりはいいだろう。
﹁3人は入り口で待機してくれ。ゴブリンや他のグールが接近して
きた場合の対処を頼む。無理はしなくていい、危険を感じた場合は
自分の身を最優先で守るように﹂
﹁わかりました。ジン様もお気をつけて﹂
﹁よし、行くか。アルドラは右から、俺は左からだ。手前の体の大
きい方を頼む﹂
﹁うむ﹂
視覚に頼らず対象の魔力等を感じて襲ってくるグールに隠蔽は必
要ない。
合図をして、互いに部屋に侵入した。
1555
散乱した物資の様子から、この部屋は武器庫のようだ。
隠密、奇襲で一番手前のグールに先制攻撃を仕掛ける。肩口から
脇腹へ、袈裟斬りにその灰色の体を両断した。
アルドラに視線を送ると、一瞬でもう一体のグールに詰めより串
刺しにしていた所だった。
聖油がどうこう関係ない攻撃力である。
彼は剣先にグールを引っ掛けたまま、奥へと走りこんでいく。
遅れる訳にはいかない。彼が心配とか作戦への支障とかいう話で
はない。
未だアルドラには遠く及ばないとはいえ、俺も2ヶ月の間リュカ
に指導を受けてきたのだ。
﹃子供に甘い彼とは違って、私の指導は厳しいわよ﹄
﹃彼は魔獣や巨人と殺し合いをするのが得意らしいけど、私は人く
らいの大きさを斬るのが得意なの。これから先、長く生き残りたい
なら絶対役に立つと保証するわ﹄
﹃ああ、大丈夫よ。死なないように調整するから。多少の怪我なら
問題ないでしょう?だってC級の治療師が側にいるじゃない﹄
1556
⋮⋮リュカの指導は本当に厳しかった。
人を斬るのが上手いというのは冗談の類ではないというのが、身
にしみて思い知った次第だ。
ミラさんが短時間で治せる程度の怪我で収めるのもすごいが、あ
のシゴキを受けてトラウマにならなかった俺も十分すごいと思う。
﹃痛みを伴わないと覚えないでしょう﹄
あのときは気にしていなかったが、闇耐性が恐怖から精神を守っ
てくれていた、のかもしれない⋮⋮まぁ、確証はないが。
レベルの高い方はアルドラが相手をしている。
彼の心配はしていない。むしろ少し強い相手がいて、楽しんでい
るようだ。
﹁オオオオオォォォォォ⋮⋮﹂
まるで怨嗟の声のごとく、腹の底から響くような音を放つ死霊の
戦士。
身長はアルドラより低いくらいだが、パーツが多いぶん大きく見
える。
大剣を2本それぞれ片手で操り、短剣に鎌と武器は多彩だ。
グレートソード 両手剣 F級
1557
ツーハンドソード 両手剣 F級
ダガー 短剣 F級
草刈り鎌 雑貨 F級
武器じゃないのも混じってるが、どれも錆びていたり欠けていた
りと損傷は激しい。
まぁ、逆にそんなもので斬りつけられれば、傷口が悪化しそうで
怖いというのはある。
認識された状態では隠密は機能しない。しかし、ここのには都合
よく物品棚や、捨てられた資材、木箱が散乱している。
﹁オオオッッ!!﹂
コープスの力任せの斬撃が振り下ろされる。
飛び退いて回避すると、大剣は床に転がっていた木箱を打ち砕い
た。木片が勢い良く弾け飛ぶ。
﹁まともに受けるのはヤバそうだな⋮⋮﹂
コープスの持つ武器には、それぞれに黒いオーラがまとわりつい
ていた。
おそらく闇付与の効果だろう。
1558
嫌な感覚だ。まるで恐怖の魔術がそのまま武器に宿っているかの
ような感触がする。
俺は闇耐性がある為それほどの脅威を感じないが、耐性のない者
には厳しい相手かもしれない。
2本の大剣が嵐のごとく振り回される。
壁を棚を、斬撃が通り深い傷跡を残していく。
俺はその攻撃を掻い潜り、崩れた物資や物品棚を利用して姿を隠
し隠密を発動させた。
背後から接近、奇襲を仕掛ける。
﹁だめかぁぁぁ︱︱ッッ﹂
四本腕のうち自由になっている短剣が、雷付与されたムーンソー
ドの攻撃を防いだ。
視線はこちらを向いていない。そうだグールは視覚に頼った行動
をしないのだった。コープスも同じか。障害物に隠れても無駄なの
だ。
更に反撃にと草刈り鎌が振りぬかれる。
腕を掠め血が流れた。
俺は素早く距離をとり、設定を変更することにした。手当たり次
1559
第に地面に転がった物資を投げつけ時間を稼ぐ。
雷魔術 S級
探知 C級
耐性 C級 警戒 D級
必用なスキルにポイントを割り振っていく。余ったのは適当でい
いか⋮⋮
﹁まぁ、相性ってのはあるんだ。それはわかってる。今のは単に選
択ミスしただけだ⋮⋮﹂
2ヶ月苦労した剣術で無双したかったが、そうもいかなかったか。
剣だけで捻じ伏せられるほど、俺は強くない。く、悔しくない。
もともと弱いんだ、そう簡単に強くはならないだろう。
階段は一段一段上がればいいんだ。
まだまだ修行が必要だ⋮⋮
﹁それはともかく﹂
黒いオーラを武器にまとわせたコープスが、殺意を漲らせてにじ
り寄ってくる。
右手に雷付与。
1560
更に魔力を集中し、練り上げていく。
﹁オオオオオォォォォォ⋮⋮﹂
障害物を乗り越え、魔物は既に目の前だ。
﹁取り敢えず吹き飛べ﹂
雷撃 S級
放たれた閃光がコープスを飲み込んだ。
>>>>>
﹁リザ、シアン悪いけど魔力分けてもらえるか﹂
﹁勿論です。お望みのままに﹂
﹁はい。兄様﹂ チャージ
コープスを撃破するのにS級の雷撃を3発も使用した。
クールタイム
1発撃つのに魔力の溜めが必要なことと、使用後に約30秒ほど
待機時間が発生することから、撃っては逃げるの繰り返しという戦
闘であった。それでも最初の1撃を与えた後は、目に見えて動きが
1561
鈍ったので厳しい戦いというほどでは無かったのだが。
待機時間というのは俺の感覚から言うと、細胞の疲労と考えてい
る。
全身に宿る魔力。そして血に乗って巡る魔力が、魔術を使用する
ために手のひらなどに一時的に集束し、そして発動。そういった際
の肉体に掛かる負担が、無意識に待機時間というものを作り出して
いるのだ。
﹁これは単純にコープスの耐久力が高いってことなんだろうな⋮⋮﹂
雷撃1発に総魔力の1割くらいを使っている。1体倒すのにB級
魔晶石で回復した分は消耗した。あまり効率は良くない気がする。
単に使い方の問題だろうか。
﹁んっ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
リザはちょっと慣れてきたのか、皆の前でも躊躇ないな。
まぁ、これは医療行為みたいなもので性的な感情は一切ない。
治療師が治癒を行うのと同じ様なものだ。
だから彼女は皆の前で行っても恥ずかしくないのだろう。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1562
ミラさんが温かい目で見守っているが、全く気にする様子はない。
アルドラは少し離れた位置で、周囲を警戒している。
﹁ふぅ⋮⋮んンンッ︱︱⋮⋮﹂
繰り替えすが、断じて性行為ではない。
あまり多く貰うのは魔術のこともあり得策ではない。リザからの
供給は余力を残して止めておこう。
﹁⋮⋮兄様﹂
シアンが物欲しそうな表情を浮かべて、上目遣いで俺の袖を掴む。
まだ慣れていないせいか、彼女は2人だけでしたいらしい。
﹁あの⋮⋮まだ上手くできないので、優しくしてくださいね﹂
﹁⋮⋮わかった﹂
>>>>>
内部に存在した魔物を駆逐し、全員で探索を開始する。
武器庫内は戦闘を行う前から、かなり荒らされた状態であったた
1563
め期待はできないだろう。
錆びて曲がった剣やボコボコに変形した甲冑が転がっているが、
修復を試みるほど価値があるとは思えない。
﹁ジン、こちらに無事な宝箱があるぞ﹂
アルドラの呼びかけに足を向けると、確かに破壊を免れたものが
1つだけあったようだ。
案の定アルドラが蹴りつけ、解錠を試みるが今回は開く様子はな
かった。
﹁けっこう頑丈だな。どうするか⋮⋮っておい!﹂
俺が相談する間もなく、アルドラは魔剣を振り上げた。
﹁叩き割るんじゃ!﹂
アルドラの言葉通り、宝箱は無残にも破壊されたのだった。
アイスジェム 魔導石 E級
ファイアジェム 魔導石 E級
サンダージェム 魔導石 E級
ストーンジェム 魔導石 E級 1564
クレイモア 両手剣 C級
ストレングス
猟兵の外套 魔装具 D級 魔術効果:認識阻害 斬撃耐性
スロー
フランシスカ 魔斧 C級 魔術効果:投擲 筋力強化
上蓋を破壊され箱の中から出てきたのは、見たことのない武具の
数々だった。
それぞれが丁寧に布を巻きつけられて保管されている。
﹁中の物が壊れたらどうするつもりだよ。もう少し丁寧にやってく
れないか?﹂
初めて見る道具もあるし、希少度を見てもそれなりに価値はある
のだろう。
﹁加減はしたぞ。まぁ、細かいことを言わんでも良いじゃろ﹂
身長2メートルの大男が、やれやれと悪びれもなく宣う。
﹁アルドラ様、加減を間違えれば希少な品が失われる可能性もあり
ます。力づくで解決するのは最後の手段が宜しいかと愚考しますが﹂
リザが手に見せたのは、小さな鍵束だった。
﹁⋮⋮うむむ?﹂
1565
﹁コープスの体から魔石を採取する際に見つけました。もしかした
ら彼は生前、資材管理をする立場の者だったのかもしれませんね﹂
リザからの指摘に流石のアルドラも押し黙り、力尽くの行動は最
終手段とすることを受け入れたのだった。
1566
第131話 ゴブリン盗賊団9
クレイモアと外套は俺が使用し、魔導石は女性たちで分配、フラ
ンシスカはシアンの所有とした。
両手剣にしては小型で取り回し易いクレイモアは、俺には丁度良
いがアルドラには物足りないようだ。
2ヶ月の間にアルドラから両手剣の扱いも学んでいる。スキルの
補正もあり実践を繰り返せば使い物にはなるだろう。
ハンターグリーン
猟兵の外套は常磐色ともいうべき濃い緑色の外套だ。
影隠の外套が損傷が激しく使い物にならなくなってしまったので、
代わりのものとして丁度良かった。サイズ的にも問題無さそうだ。
斬撃耐性というのも魅力的だし、このまま身につけてしまおう。
﹁希少な魔導石がこんなに。売れば1つ金貨3枚はしますよ﹂
希少度はE級だが作れる者が少なく、供給される絶対数が少ない
らしい。そのため利用価値は高いものの手に入りづらいのだ。
﹁使える装備関係は売らないで使っていこう。処分するのはあくま
で自分たちでは使わないものだけで﹂
﹁それが良いじゃろう﹂
1567
フランシスカは所持しているだけで筋力強化が期待できるのだと
思われる。ムーンソードの月光もそのようだしな。
それであればシアンには丁度いいだろう。石弓のハンドルを回す
にも力は必要なのだ。体を鍛えろと言っても今直ぐどうこうなるも
のでもないし、ガチムチになったシアンは正直ちょっと嫌だ。
﹁私には勿体無い気が⋮⋮﹂
﹁俺のために受け取ってくれ。それぞれの身を守る為にも、できる
だけ皆の装備を充実させたい﹂
シアンの所持していたハンドアクスを受け取り、無理矢理交換に
応じさせる。
彼女は遠慮していたが、ここは応じてもらう。装備不十分なんか
で怪我をさせたくはないのだ。
フランシスカはハンドアクスと比べても大きさ重量とも、それほ
ど大差無いようだ。差異はあるだろうが、その辺りは使っていけば
慣れるだろう。
史実なんかだと投擲用の武器だった気がするが、付与された効果
をみると、この世界のフランシスカも似たようなものなのかもしれ
ない。
︻資材室︼
1568
隣の部屋に移動して探索を始める。
ここも荒らされてはいるが、武器庫程ではない。
瓦礫に埋もれた宝箱を発見したので、リザの見つけた鍵を使って
みると開けることができた。
魔石 素材 E級 ×32
魔石 素材 D級 ×56
魔晶石 素材 F級 ×3
エリオール鋼 素材 C級
アイアンインゴット 素材 C級
銀製の女神像 調度品 D級
鼠殺し 薬品 D級
﹁これまた結構なお宝が⋮⋮﹂
どれも売却すれば、いい値が付きそうな物ばかりだな。
エリオール鋼ってのは何なんだろうか。
﹁さぁな。わしは聞いたことがない﹂
1569
女性たちも知らないようだ。ヴィムあたりに聞けば、わかるだろ
うか。
長方形の金属の塊。全体は鈍い灰銀色で、片手で持てるくらいの
大きさだ。
︻資料室︼
他の部屋と同じような作りで、やはり荒らされているため価値の
あるものは少なそうだ。
ただ資料室というなら、ここで何が行われていたのか情報が得ら
れるかもしれない。
まぁ、俺は警察でもなければ、そういった任務でここを訪れたわ
けでもないので調べる義務はないのだが。
だがせっかくなので探索ついでに少し調べてみよう。何かわかれ
ば報告もしやすく、情報料として報酬も期待できるだろしな。
魔剣の設計図 書類 C級 完成品:聖銀のクレイモア
ラットキラー
薬品の設計図 書類 D級 完成品:鼠殺し 1570
薬品の設計図 書類 C級 完成品:傷薬
薬品の設計図 書類 D級 完成品:燃える水
チャームレジスト
魔法薬の設計図 書類 D級 完成品:魅了耐性ポーション
マーメイドダンス
魔法薬の設計図 書類 C級 完成品:人魚の舞踏
ヘッドウィンド
風の魔導書 書物 C級 修得魔術:逆風
インシナレート
火の魔導書 書物 C級 修得魔術:火葬
施錠された宝箱は発見出来なかったが、崩れた資料棚から幾つか
有用と思わる品を見つけたので回収した。
設計図には作成に必要な素材も記載されているようだ。たくさん
あるし帰ってからゆっくり確認したいと思う。
魔導書というのは、魔術師が魔術文字を使って書き上げた特殊な
書物である。
1つの魔導書には1つの魔術が記録されており、声に出して繰り
返し読むことでその身に染み込ませる。朗読者が魔術を修得すると、
1571
魔導書から文字が消え魔導書としての価値を失う。つまり魔導書1
冊からは1人、1度しか修得できないのだ。術を修得する朗読は1
度読めばいいというものではなく、修得するまで繰り返し読まなけ
ればいけない。高度な魔術ほど厚い魔導書なので、修得には長い時
間がかかるという。
レシピ
﹁私の知らない薬の設計図がこんなに⋮⋮。ジン様のお役に立てる
よう、頑張って作りますね﹂
﹁ああ、頼りにしてるよ﹂
その後、しばらく部屋内部を漁ってみたものの残された書類から
は、この場所の秘密に迫る重要な情報はないように思えた。
1つ1つ丁寧に調べるとなると、相当な時間が掛かると思われる。
調べるのはこれまでとして、後はギルドに専門の人を派遣して貰お
う。
﹁今なにか物音が聞こえなかったか?﹂ 何か違和感を感じ、リザに向き直る。
﹁いえ、私は何も⋮⋮﹂
﹁どうかしたのか?﹂
アルドラも感じていない様子なので、気のせいだろうか。
1572
﹁いや、部屋が揺れたような気がしただけだ﹂
それにしても、ゴブリンのボスが見当たらない。
ゴブリン自体も見なくなったし、前の襲撃で倒しすぎたのだろう
か。まさかあれで全部とは思えないが。
この辺りもそろそろ探し尽くしたと思うのだが、まだ探していな
い場所があるのだろうか。
﹁魔力探知の感覚では、魔物の存在は感じる。しかしこの辺りの瘴
気濃度は、かなり高いようだからあまり当てにならないだろうな﹂
周辺の地図の様子も、あと僅かで完成だ。
虱潰しに探せば何かしら見つかるだろう。
>>>>>
部屋から出た俺達は地図の空白部分、まだ探索の完了していない
地点を虱潰しに埋めていく。
まだ見つかっていない部屋や、ゴブリンの寝床となるような穴蔵
があるはずだ。
1573
そう思って洞窟内の広場を彷徨いていると、見つけてしまった。
コープス 死霊Lv36
弱点:光 耐性:闇氷
スキル 剣術
コープス 死霊Lv38
弱点:光 耐性:闇氷
スキル 盾術
コープス 死霊Lv39
弱点:光 耐性:闇氷
スキル 槍術
どこから湧いて出てきたのか。
つい先程まで部屋で2体見た限りだったはずの魔物が、広場のあ
ちこちで彷徨いている。
急に湧きだした?
リポップ
まるでゲームの再出現のようだ。
﹁ジン様!﹂
リザが声を荒げるのと同時に、警戒が反応する。
1574
一体何だ?
その答えは、地の底から現れた。
地面の土が不自然に盛り上がり、亡者の戦士が地中より姿を現す。
土葬された死者が墓場から蘇るかのように、まるでB級ホラー映
画のワンシーンのような展開が目の前で起きていた。
どうするか。
とは言っても、このような異常事態では戻る他に選択肢はないだ
ろう。探索は中止だ。冒険は安全第一が基本だからな。
そう思った矢先にシアンが何かを見つけた。
﹁兄様あれを!﹂
シアンの指し示す方角には木扉があった。位置的にまだ調べてい
ない部屋のようである。
その部屋の存在が、更に俺を悩ませる。
﹁ジン、新手の大物じゃぞ﹂
アルドラの呼びかけに応じて見た先には、この場所にいるはずの
ない見慣れたものが存在していた。
ウッドゴーレム 魔導兵Lv36
1575
弱点:火雷 耐性:水光
スキル 木工
ウッドゴーレム 魔導兵Lv34
弱点:火雷 耐性:水光
スキル 木工
ウッドゴーレム 魔導兵Lv35
弱点:火雷 耐性:水光
スキル 木工
身長5、6メートルはあろうかという樹木の集合体。
木材が寄り集まって出来上がった木人形。
ウッドゴーレムである。
ここから距離はあるが、複数のゴーレムが洞窟内を徘徊している。
俺達が侵入した場所は狭くて、とてもこんな巨体が通れるもので
はない。
となると何処からやってきたんだ?
﹁ジン、のんびりしている暇はなさそうじゃ。移動したほうが良い﹂
﹁おっと、そうだった﹂
土中から出現したコープスは無手だがレベルは31。生まれたば
1576
かりの魔物ではないようだ。もしかしたら土中で寝ていたのだろう
か。
騒ぎを起こすと周囲のコープスも反応してしまう可能性がある。
派手な魔術は控えたほうがいいだろう。
﹁フンッ﹂
アルドラの斬撃がコープスの腕の1本を切り落とす。怯む気配が
無いことから、痛みはないのだと思われる。まぁ、ゾンビっぽいし
な。いや、むしろミイラが近いかもしれない。
間を置かず、俺は瞬時に懐へと飛び込むとムーンソードで斬撃の
乱舞を放つ。魔物の体は削りきられ、反撃を許さないアルドラの更
なる追撃が止めとなった。
﹁ジン様、あの最後の部屋も調べてしまいましょう。おそらくあそ
こに件の魔物がいるはずです﹂
リザの直感か。
まぁ、調べていないのは其処ぐらいなものなので、直感も何もな
いだろうが。
どうしようかと悩む俺に、そっと寄り添う影があった。
ミラさんだった。
一瞬ドキリとさせられたが、どうやら気づかないうちに傷を負っ
ていたらしい。患部に手をかざす様に傷を癒やしてくれる。暖かな
1577
光だ。
﹁ここまで来たのだから行きましょう、ジンさん﹂
ミラさんはそう言って、にっこりと微笑む。
﹁怪我は私が治します。それほど危険はないでしょう。ジンさんと
アルドラ様がいれば、大抵の危機は乗り越えられるでしょうから﹂
まるで恋人のように腕を絡め、顔を覗きこむようにして微笑みか
けてくるミラさんに、胸を熱くするのは良くないことなのだろうか。
ミラさんはイマイチわかってないようだが、他に例えようのない
美女であるリザの実母だ。美しく無いはずがない。
大人の雰囲気を持ちつつ、それでいて若々しい矛盾した魅力。エ
ルフ特有の神秘性。どこか気怠げでアンニュイな空気。
流石にリザの母に手を出すなどというのは自重したいところだが、
こうも隙を見せられると俺の鉄の精神力も揺らいでしまう。
1578
第132話 ゴブリン盗賊団10
扉の前にコープスが1体。
﹁周囲に他の魔物の存在はない。素早く片付けて部屋の内部に侵入
する﹂
﹁うむ﹂
﹁わかりました﹂
大盾と大剣を左右それぞれの手に持ち、背後に備えた2本の腕は
無手だった。
俺は魔力を貯めつつ射程距離内まで接近、相手の出方を伺うまで
もなく雷撃を放った。
強大な閃光に轟音を伴った稲妻の柱が、一直線に魔物を貫いたか
に見えた︱︱
﹁な、なに?﹂
光が収まり見えたものは、焦げた大盾と立ち上る白煙。
まさか、防がれたのか?
驚いている暇もなく警戒が反応を見せる。
1579
﹁ジン様危ない!﹂
﹁ッ!?﹂
頬を掠めたのは刃物の様だ。ギリギリだったのか肌に熱いものを
感じる。僅かに切られたらしい。
﹁オオオオオォォォォーーーーン⋮⋮﹂
コープスの腹に響くような重低音が、周囲の者たちを威圧する。
﹁下がっていろ、わしが行く﹂
アルドラが魔剣を担いで走りこんだ。
20メートルは離れている距離を一瞬で詰める。
﹁ふんッ﹂
﹁ゴァッ﹂
アルドラの振り落としを、大盾と大剣を交差させて受け止める。
見ただけで凄まじい力が込められているのがわかるが、それを受
け止める魔物も凄い。アルドラでも正面突破は無理なのか。
アルドラは一瞬身を引き、更なる突撃を敢行した。剣と剣が交差
し、力と力の勝負となった。
単純な力比べではアルドラが上なのか。コープスを壁際まで押し
1580
込んでいく。3本の足で踏ん張るが、アルドラは揺るがない。更に
押す力が強くなる。
そこで奴の背に隠れていた2本の腕が動いた。その手にはナイフ
が握られている。
﹁アルドラッ!﹂
振り下ろされたナイフは彼の頭部と首に深々と突き立てられた。
痛々しい光景だが、彼に痛覚はない。
﹁悪いな。わしは生身ではないのでのう﹂
アルドラの力が更に強まり、魔物を壁にまで追い込んで叩きつけ
た。
だがその程度では魔物の活動を止めることは出来ない。
﹁ジン!心臓付近にある魔石を抜けいッ!﹂
アルドラが魔物を壁に押し付けながら叫んだ。
窃盗スキル発動。
ミスリルダガーで胸部を開き、内部の魔石を強引に抜き取る。
魔物には魔石を持つものと持たないものがあるが、それは魔力の
結晶化が起こっていないだけで魔石はある程度の大きさの魔物なら、
1581
どんなものにでも存在する可能性がある。どうやら結晶化に至る速
度に個体差があるだけのようだ。
魔力は血にもっとも強く宿る。
そして血が集まる体の中心。つまり心臓付近に魔石は出来やすい
と言われていた。
﹁魔石を抜くと弱体化するのか。初めて知ったな﹂
﹁まぁ、普通は死ぬじゃろうがな。死霊くらいじゃろ弱体化で済ま
されるのは﹂
﹁心臓付近の血肉を無理矢理抜き取れば、そりゃ普通死ぬな。それ
より良く魔石があるってわかったな?﹂
﹁直感じゃよ﹂
魔石の魔力を感じ取ったのか。
魔力探知を持つ俺でも、そこまで細かい判別は出来ないのに。
動きが弱ったコープスを袋叩きにして止めを刺し、扉から部屋の
内部に侵入した。
どうやらここは食堂のようだ。
今までの部屋よりも随分と広く、長机や椅子が数多く並んでいる。
おそらくここには、それだけの人の出入りがあったのだろう。
1582
奥にもまだ部屋があるようだ。厨房だろうか。
﹁⋮⋮ジン様﹂
リザが油断なく部屋の奥を見つめる。
既に気付いているようだ。
﹁ああ、わかってる。魔力探知でも補足してるからな﹂ ミラさんが奥の扉から聞き耳を立てると、中から微かに物音が聞
こえるという。
物音の感じから間違いなく多数のゴブリンが潜伏してるのだと思
われる。
﹁ミラさん耳が良いのですね﹂
﹁ええ、ほらエルフって人族より耳が長いでしょう?感覚を集中さ
せれば、獣人に引けをとらないくらいには優れていると思いますよ﹂
﹁なるほど﹂
俺の魔力探知で探った感覚でも同意見であるため間違いないだろ
う。
しかし窓も無く扉も1つであるため、袋小路かと思いきや抜け道
があったとは。
1583
﹁ゴブリンの巣というのは、必ず入口と出口があるもんじゃからの
う﹂
外敵に襲われた際の逃げ道として、そういった物を作るらしい。
﹁ゴブリンはあの扉を囲むようにコの字で潜んでるのだと思われる。
その中にはボスがいるはず。たぶんボスを守る精鋭も﹂
ゴブリンの襲撃の際に、なかなか強い戦士が混じっていた。あれ
と少なくとも同レベルかそれ以上はいると思う。ボスなら自分を守
らせる為にそう配置するはず。
﹁逃げられても面倒だし、せっかくここまで来たんだ、できれば留
めて帰りたい。だから皆に協力して欲しいんだけど⋮⋮いいかな?﹂
アルドラは別としても、彼女たちを戦力として使うには抵抗があ
る。
だけど皆ただ守られるだけの女性ではないのだ。
この世界の人は皆そうなのかもしれないが。
覚悟というか何というか、レベルとかそういうんじゃない強さが
ある様な気がする。
俺が守ってやるなんて痴がましいくらいに、みんな強い。
﹁今更ですね、ジンさん﹂
﹁じゃのう﹂
1584
﹁私は常にジン様のお側に﹂
﹁が、がんばります﹂
﹁にゃぁー﹂
>>>>>
アルドラが扉を蹴破り、厨房へと突撃した。
流し台を飛び越え、瓦礫の山を飛び越え、目標に向かって突き進
む。
﹁ギャギャギャッッ!!﹂
興奮したゴブリンが声を荒げて喚き散らす。
おそらく敵が迫っていることは感じていたが、このように突撃し
てくるとは思っていなかったのかもしれない。
焦ったゴブリンがアルドラの進路を塞ぐ。
ゴブリン
﹁はははっ、小鬼めが生意気な!﹂
ゴォと空気が切り裂かれる音が1つすると、アルドラの進路を塞
1585
いでいた魔物は何の抵抗も出来ずに横薙ぎに両断された。
その一瞬の間を狙って数本の矢が彼の肩、脇腹、脚に刺さった。
ゴブリンにしては悪く無い連携だ。
﹁わしが普通の人間なら、危なかったかもしれんな﹂
アルドラは矢を体に刺したまま走った。
そして抜け穴まで辿り着くと、そこに群がっていたゴブリンに突
撃してゆく。
走りこむ勢いのままに、渾身の斬撃を床に叩きつけたのだ。
腐りかけた木床は耐え切れず粉砕され、周囲に木片を散乱させた。
勢いと迫力に押され、ゴブリンらは後ずさった。抜け道の奪還を
試みるものは今のところいない。
まぁ。いたとしても︱︱
﹁さぁ、かかってこい小鬼ども。わしが一緒に遊んでやろう﹂
ぶった切られるだけだろうが。 これで逃げ道は塞いだ。
後は殲滅するのみである。
1586
﹁手筈通りに﹂
女性たちに視線を送ると、軽く頷いて了解を得る。
そうしてから部屋に侵入した。
﹁ギャギャギャッッ!!!﹂
部屋中が興奮したゴブリンで埋め尽くされている。思ったよりも
数が多い。
取り敢えず適当に数を減らそう。
雷扇
両手から放たれる紫電が、部屋を占拠する魔物たちに降り注いだ。
ゴブリンたちがバタバタと倒れていく。
雷に弱いゴブリンは、魔力消費を抑えた雷扇でも問題なく倒せる。
俺はボスを探すために視線を動かす。
すると足元に何かを投げ込まれた。
硝子瓶。
床に強く叩きつけられ、音を起てて割れると内容物を撒き散らし
1587
た。
液体が床を濡らし、すぐさま微かな臭気とともに気化。
この匂いは何処かで嗅いだことがあるような︱︱
﹁兄様!﹂
警戒が危険を知らせる。気が付くと俺のもとに一発の火球が飛来
していた。
ここの罠にも使われていた可燃性の薬品、燃える水。
硝子瓶に詰められたものを、何処からか見つけてきたのだろう。
使い方も知っているとは驚きだ。
しかし自分らで作成していない、人の作った武器や防具を身につ
けているのだ。何かの機会に見よう見まねで修得したのかもしれな
い。
ともすれば侮れない知性だと言える。ゴブリンとて馬鹿にしたも
のではない。
激しく炎が燃え上がる。
これが体に付着していたらと思うと、ゾッとするな。
1588
ゴブリン・メイジ 妖魔Lv14
弱点:火雷
スキル:火球
それにしても魔術の使えるゴブリンもいるとは驚きだ。
成長の幅が広くて何気に優秀な種族なんじゃないのか? ﹁助かったよ、リザ﹂
前方に風壁を展開して、火球の被弾及び燃え上がる炎から身を守
ってくれたのだ。
﹁風壁は得意な術ではないのですが、上手くタイミングがあって良
かったです﹂
魔力で作った空気の壁で飛来物から身を守ったり、対象の進路を
阻害したりすることが可能な魔術である。
術を使っている間は他の術が使えないなどの弊害はあるが、来る
のがわかっていれば使うタイミングも図りやすい。
﹁おっと、弓兵もいるんだったな﹂
足元に届いた矢を躱しながら、俺はその射線上にいるゴブリンを
魔眼で睨む。
1589
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv32
弱点:火雷
スキル:弓術
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv33
弱点:火雷
スキル:弓術
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv31
弱点:火雷
スキル:弓術
ゴブリンの精鋭弓兵か。この部屋にいる弓兵はこれで全てのよう
だし、弓術スキル入手のチャンスだな。
﹁飛び道具を潰してくる。ミラさん守備のほうお願いします。リザ
はメイジの処理を頼む。レベルは低いようだが行けるか?﹂
﹁はい。ジンさん、お気をつけて﹂
﹁問題ありません﹂
﹁シアンはミラさんの側に。無理はするなよ﹂
﹁はい。兄様﹂
俺は体に剣に雷付与を施し、群れの中へと飛び込んで行った。
1590
ゴブリン・シーフが跳びかかって来る。
体格は小さく動きの素早い奴だが、力は強くない無視して強引に
進む。
﹁ギャンッ!?﹂
抱きついてきたシーフが、弾かれたように俺の身から剥がれ落ち
る。
雷が弱点だと肉体に付与した威力も上がるようだ。これは良い情
報だな。
﹁邪魔する奴は雷に撃たれて死ぬぞ。それでもいいなら、かかって
こい!﹂
﹁ギッ⋮⋮ギギィ⋮⋮﹂
紫電を纏い、雷を操る俺はゴブリンの天敵のようなもの。
どうやら恐怖を感じているのか、積極的に襲ってこなくなった。
大人しくなってくれるなら面倒がなくていい。
弓ゴブまであっという間に接近を果たすと、雷付与を施したムー
ンソードで一線。腕ごと削ぎ切りにして、弓兵は血の海に倒れた。
雷の宿った剣は、掠っただけでも痺れて動きが鈍る。
このように一撃では、あまり関係のない話になるが。
1591
弓兵が身に着けているものは、ボロ布と短弓それに矢が何本かだ
けのようだ。
戦士と違って肉体的には下級ゴブリンと大差ない。
反撃の矢を余裕で躱し、残りの弓ゴブも血の海に没した。
アルドラは抜け道を塞さぐように、立ち回り周囲のゴブリンを圧
倒している。
どうやら鎧ゴブが果敢にも攻め行っているようだ。
まぁ、彼ならここにいるゴブリン全員で向かっていっても倒れる
ことはないと思う。
女性たちに視線を送ると、ミラさんが防壁で守りに徹し、入り口
を塞いでいる。
鎧ゴブはアルドラの方に向かっているし、シーフの攻撃力では防
壁を破れない。
しばらくは時間を稼げると思う。防壁を維持し続けるには魔力消
費も相当なものとなるが、彼女はエルフだ。直ぐに枯渇することも
ないだろう。 リザ、シアン、ネロがミラさんの周囲で立ち回り、ゴブリンの数
1592
を減らしている。
リザは既にメイジを片付けたようだ。仕事が早いな⋮⋮
シアンは実戦で感覚を掴んできたのか、石弓の命中精度も上がっ
てきているようだ。
不意に接近するゴブリンがいたとしても、魔斧の一撃が待ってい
る。
シアンも大人しそうに見えて、結構やるな。
さて後はボスなんだけど、一体何処にいるんだ︱︱
﹁痛ってぇッ!?﹂
不意に脚に激痛を感じる。鎧に守られていない部分を切られたの
だ。
﹁キキィッ!﹂
ウォンテッド
﹁指名手配モンスターか!﹂
耳削ぎジャック 妖魔Lv38
弱点:火雷
スキル:短剣術
1593
魔物の中には固有名詞で呼ばれる奴がたまにいる。
長く生きて知恵の付いた質の悪いゴブリン。それがこいつだ。
人間がゴブリンの左耳を戦利品として持ち帰るように、この魔物
も人間を襲った際の戦利品として人間の左耳を切り落とし持ち帰る
のだという。
そして持ち帰った耳で作った首飾りを自慢気に身に着けている。
それが奴の勲章なのだ。
﹁依頼書通り。コイツで間違いないようだな﹂
手に持つのは魔力を秘めた小刀。まるで床屋の使う剃刀のような
形状。おそらく魔剣の類。切れ味も良いみたいだし、油断は出来な
い。
﹁仲間の死体に紛れて隙を伺っていたのか⋮⋮なかなか知恵が回る
な﹂
元はシーフだったという情報通り、奴の動きは非常に速くまるで
撹乱するかのように絶えず動き続けている。
雷撃を放てば仲間の死体を盾にして躱し、遮蔽物を利用して姿を
眩ませる。
そうして隙を付いて首を掻き切る算段なのだろう。
前宙、後宙と軽快な動きでこちらを翻弄し、近づけば離れ、離れ
1594
れば近づく。
魔剣を口に咥え、四つん這いに遮蔽物の中を縦横無尽に走り回る。
これほどの速さでは、並の冒険者であれば捉えることすら難しい
だろう。
厄介な相手だが、俺には関係ない。 雷蛇
生み出された3匹の蛇が獲物を求めて動き出す。
相手がどんなに速かろうが関係ない。一度狙いを定めた獲物は絶
対に逃さないのだ。
﹁なに!?﹂
仲間の死体を両手に1体ずつ持ち上げ、挟み撃ちにしようと迫る
雷蛇を死体を投げつけ回避。残る1発の雷蛇を空中に飛んで回避し
た。
﹁キャキャキャッ﹂
余裕の笑みなのか、甲高い声を響かせる。
こいつの跳躍力は普通のゴブリンとは違うようだ。
その跳躍のまま、天井に張り付く。
1595
そして天井をヤモリのごとく動きまわるのだ。重力を感じさせな
い素早い動きが気持ち悪い。
雷撃を放ち、撃ち落としを試みるが変則的な動きで躱されてしま
う。
﹁ギャッ!?﹂
と思ったが、何故か急に天井から落ちてきた。
痛みに苦しむように地面を転がる。
よく見れば矢が刺さっている。シアンの石弓か。
狙撃に加え、直感で動きを読んで矢を放ったのか。凄いな。
﹁となると手柄はシアンかな﹂
悶えるゴブリンのボスに麻痺を撃ちこみ、動きを拘束する。
全身を痙攣させて、まともに動けないようだ。もはや逃げられま
い。
ボスが纏うボロ布の襟首を掴み、シアンの元へと放り投げる。
﹁止めを刺せシアン!﹂
目の前に放り出されたことに一瞬及び腰となるが、俺の方へと視
線を送り直ぐに決意を固めたようだ。
1596
﹁はいっ﹂
手に握られたフランシスカが、真っ直ぐに振り下ろされる。
何か固いものが砕ける音が響く。
それでも麻痺の拘束は解けない。
シアンは魔物の動きが完全に止まるまで、何度も何度も斧を振り
下ろした。
﹁良くやった!﹂
﹁はいっ!﹂
レベルを上げるためには必要なこと。これが一番手っ取り早い。
優しいシアンに残酷なことをさせてしまっているが⋮⋮
いや、悩むのは後にしよう。
﹁よし、後は残りを殲滅するだけだ﹂ >>>>>
1597
魔石︻軽業︼
魔石︻解錠︼
魔石︻火球︼
魔石︻短剣術︼
魔石 素材 D級 ×4 魔石 素材 C級 ×5
ゴブリンの左耳 ×37
ゴブリンリーダーの左耳 耳の首飾り
髭剃り 魔剣 D級 魔術効果:鋭刃
バトルメイス 片手鎚 F級
バトルハンマー 両手鎚 F級
ツーハンドソード 両手剣 F級
ダガー 短剣 F級
ディオール金貨 貨幣 D級 ×6
ディオール銀貨 貨幣 D級 ×3
戦利品を回収し、アルドラの収納へと収める。
﹁わしのいくらでも入るからと言って、いくらでも入れていいわけ
1598
では⋮⋮﹂
﹁悪いけど我慢してくれ﹂
﹁ぬう⋮⋮﹂
指名手配モンスターであったことの証明として、首飾りを回収し
たが人の耳で作られていると思うと、なかなかグロいな⋮⋮
特別なやつではなくともゴブリンリーダーは討伐対象になってい
るようだし、報酬も良いということでその耳も回収しておく。
これでここでの任務は終了だ。
﹁シーフからは軽業、解錠。メイジからは火球。ボスからは短剣術
とスキル的にも文句なしだったな。﹂
弓術が手に入らなかったことが心残りではあるが、いづれチャン
スはあるだろう。
﹁私のレベルも上がったみたいですっ﹂
シアンの声が弾む。
返り血を浴びて猟奇的な雰囲気になっているが、嬉しそうなので
あえて水を差すことは言うまい。
﹁シアンは活躍してたからな。戦利品もたんまりで思い掛けず稼げ
たかもしれん。換金が楽しみだ﹂
1599
金貨、銀貨はボスが身に着けていた小袋に収まっていた。
ゴブリンは光物を収集する性質があると言うのを聞いたことがあ
るし、何処かで見つけてきたのだろう。
﹁確かルタリアで使われているのはシリルって貨幣だったよな。デ
ィオールってのもあるのか﹂
﹁うーむ。少し前まで北の方で使われておった貨幣じゃな。今は国
がなくなって使われなくなったそうじゃが﹂
アルドラの興味に触れる話ではないようなので、記憶は曖昧のよ
うだ。
﹁確かグールの異常発生で滅んだのじゃったかな﹂
﹁グールの異常発生なんてのもあるのか﹂
コープスあたりが、わんさと雪崩れ込んできたなら結構やばそう
だ。
金貨は太陽をイメージしたものが刻印され、銀貨は月をイメージ
したものが刻まれている。
シリル貨幣だと金貨は鷹、銀貨は鹿、黄銅貨は葡萄、青銅貨は小
麦だったか。
国によって違いがって中々面白いな。
1600
﹁ジン。ゆっくり休んでおる場合では無いようじゃ﹂
﹁ん?﹂
アルドラの視線の先、俺達が侵入してきた入り口から、バキバキ
という何かが破壊される音が響いた。
魔力探知の反応。もしかしなくても間違いない、コープスだ。
この厨房の前室、食堂に扉を破って侵入してきたのだ。
﹁3体はおるな﹂
シアンとネロは元気そうだが、リザとミラさんは魔力を消耗して
いるのだろう疲労が見える。
俺もそれなりに消耗しているので、連戦は難しいかも知れない。
それに、侵入してきた奴を倒せば終わりとは行かない可能性もあ
る。
狭い室内の戦闘に3体のコープス。少し厳しいかな。
﹁脱出しよう。丁度抜け道はあるようだし﹂ 1601
第133話 戦利品の鑑定
﹁やっと街へ帰って来れた⋮⋮疲れた﹂
既に日は落ち始め、大通りに点在する灯火の魔導具に明かりが灯
る。
酒場に人が流れて行き、次第に賑やかな声が響いてきた。
シアンとは何度か森へ入っているが、ここまで長い時間篭ってい
たのは初めてのことだし、ミラさんに至っては魔物狩りの同行は初
である。
互いに慣れない緊張感もあっただろうし、疲労も溜まったことだ
ろう。
﹁久しぶりに緊張感がありました。しばらく街の外へは出ていなか
ったので﹂
ミラさんの顔にも疲れの色が見える。 ﹁私はまだまだ大丈夫です!﹂
﹁にゃうう∼﹂
シアンとネロは元気だな。若いからか。
1602
﹁ジン様、このまま真っ直ぐ向かいますか?﹂
﹁いや、いったん家に戻って着替えてから行こうか。俺とアルドラ
はギルドに立ち寄ってから行くことにする﹂
﹁では私もお伴します﹂
﹁そうか、わかった﹂
俺たちはゴブリンの抜け道を利用して厨房から脱出。
出た先は食堂の直ぐ側だったが、コープスを避けることは出来た。
途中ウッドゴーレムとの戦闘になりつつも雷撃で排除、脱出路を
探った。
ゴーレムの魔石から木工スキルを得られたことが、せめてもの救
いであろう。
地形探知を併用しつつ、侵入してきた経路とは別の地上への出入
り口を運良く発見した。
その出入り口の大きさから、ウッドゴーレムはここから入ってき
たのだと思われる。
>>>>>
1603
﹁⋮⋮今日は凄いですね﹂
回収した戦利品をギルド裏手の鑑定所に持ち込んだ。
あまりの物量に驚かれたが、処理してくれるそうなのでお願いし
た。
アルドラが収納から取り出した品を次々に並べていく。あまりの
量であったために別室を用意されたほどだ。
自分たちで使いそうな素材等は取っておくことにして、利用予定
の無いものは売却することにした。
﹁値段は今付けられるのですが、納金されるのは後日となります。
宜しいでしょうか?﹂
﹁ええ、問題ありません﹂
シミター 片手剣 F級 100シリル
ロングソード 片手剣 F級 100シリル
ショートソード 片手剣 F級 50シリル
1604
バスタードソード 片手半剣 F級 400シリル
クレイモア 両手剣 F級 600シリル
チェインメイル 防具 F級 200シリル
バックラー 小盾 F級 100シリル
ハンドアクス 片手斧 F級 50シリル
ハンドアクス 片手斧 E級 200シリル
バトルアクス 両手斧 F級 200シリル
ダガー 短剣 F級 20シリル
バトルメイス 片手鎚 F級 100シリル
バトルハンマー 両手鎚 F級 300シリル
1605
ツーハンドソード 両手剣 F級 400シリル
ダガー 短剣 F級 30シリル
ショートボウ 短弓 F級 50シリル
グレートソード 両手剣 F級 800シリル
ツーハンドソード 両手剣 F級 300シリル
ダガー 短剣 F級 40シリル
髭剃り 魔剣 D級 魔術効果:鋭刃 40000シリル 草刈り鎌 雑貨 F級 30シリル
バックラー 小盾 F級 10シリル
ウッドシールド 盾 F級 10シリル
1606
ラウンドシールド 盾 F級 50シリル
バレルヘルム 防具 F級 100シリル
レザーヘルム 防具 F級 50シリル キュイラス 防具 F級 200シリル
ハイドアーマー 防具 F級 100シリル
ハードレザーアーマー 防具 F級 100シリル
サンダル 防具 F級 10シリル
レザーブーツ 防具 F級 50シリル
クローラーの触角 素材 F級 ×14 700シリル
ゴブリンの左耳 素材 F級 ×8 800シリル
1607
ゴブリンの左耳 素材 E級 ×128 12800シリル
ゴブリンの左耳 素材 D級 ×48 4800シリル
ゴブリンの左耳 素材 C級 ×25 2500シリル
ゴブリンリーダーの左耳 素材 C級 5000シリル
銀製の女神像 調度品 D級 20000シリル
耳の首飾り 装飾品 F級 50000シリル ディオール金貨 貨幣 D級 ×6 48000シリル
ディオール銀貨 貨幣 D級 ×3 3000シリル
﹁武器や防具は損傷や劣化が激しいので、これ以上の値段は難しい
ですね。多少の錆なら磨けば落とせますが金属の劣化は修復出来ま
せんし、破損を修復するにも費用も手間も掛かりますから。F級の
装備ですと其処までする価値があるのかと問われるでしょうね﹂
1608
ある程度予測はしていたが、やはり安いな。
アルドラの収納があるから持ち帰れるが、一般の冒険者ならその
場で捨てていくだろう。
大きな物ともなると鞄に入らないから分解せねばならないし、そ
こまでする価値も無いのだろう。
﹁魔剣は上質の品と言っても良いものですが、どうやら呪詛状態の
ようですね。売却でよろしかったですか?﹂
呪詛状態?
﹁えっと、それでも売却できるならお願いします﹂
﹁わかりました。売却については問題ありません。専門の術士に解
呪させますので﹂
解呪は光魔術らしいが、呪詛状態であっても解呪できれば使用に
問題はないらしい。
人の耳を削ぐために使っていた魔剣だし、あまり気持ちの良い物
ではない。それに現時点では俺達に解呪を使えるものは居ないし解
呪を依頼してまで使おうとも思っていない。
ということで、今回は売却で良いだろう。
呪詛が付いた品は、使い手に災いを呼ぶとされている。
それが武器であるならば、血を求め不必要な殺戮さえ呼び寄せる
1609
というのだ。
長い期間に渡り血を吸った魔剣は、呪詛に汚染されるらしく定期
的に浄化するか、汚染された場合は解呪するのが望ましいという。
耳の首飾りは指名手配モンスターの証明として売却となった。討
伐証明部位と同じ扱いだ。
純銀ではないようだが女神像も高く売れた。
ルタリア王国の国教となっている宗教の女神像である。付加価値
もあるのかも知れない。
﹁ディオール金貨ですか。珍しいですね﹂
﹁珍しいんですか?﹂
﹁ええ。神聖王国カノン、及びその周辺国で使われていた貨幣です
ね。カノンが滅亡してからは、殆ど使われなくなりましたよ。ディ
オール金貨を製造していた貨幣ギルドも大きな損害を受けたようで
すし、ギルド所有の鉱山も魔物の領域に没したようですしね。現在
大陸中で使われているシリル金貨は魔導具で作られるようになった
ので、昔よりも偽造がし難いらしく大陸中で利用されていますから
他の貨幣が使われることはしばらく無いのではと思いますね﹂
ディオール金貨は珍しいとはいえ歴史的価値のようなものはなく、
単純に貴金属の含有量から計算された値段としているようだ。
﹁以上で鑑定は終了です。討伐お疲れ様でした﹂
1610
鑑定所の職員が深々と頭を下げる。
総額 192350シリル
このうち討伐依頼の報酬76600シリルの10%、7660シ
リルを借金返済のために差し引かれる事になった。
いまだ借金は490万くらいあるはずなので、全くと言っていい
ほど減ってない。
依頼料の安さのせいもあるのだが、普通に戦利品で稼いでまとめ
て返したほうが早いな。
返済期限は特に設けられていないので焦る必要は無いのだが、返
せるものなら早急に返したい。
﹁ありがとうございます。それでは﹂
鑑定所での事を終えて立ち去ろうとする俺達に、職員が思い出し
たかのように呼び止めた。
﹁あ、ジンさんそう言えばマスターがお呼びでした。帰る前に顔を
出すようにとのことです﹂
1611
第133話 戦利品の鑑定︵後書き︶
シアン・ハントフィールド 獣使いLv16
ハーフエルフ 14歳 女性
スキルポイント 0/16
特性:夜目 直感 促進
同調 E級 調教 E級
使役 D級
狙撃 F級
装備
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
レザーヘルム 防具 E級
ソフトレザーアーマー 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ソフトレザーパンツ 防具 E級
レザーブーツ 防具 E級
力の指輪 魔装具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
クレインクィン 石弓 E級
ウッドボルト 矢弾 E級
ボルトバック 猟具 E級
フランシスカ 魔斧 C級 魔術効果:投擲 筋力強化
ナイフ 短剣 E級
1612
ネロ 使い魔Lv11
種族:ブラックキャット 魔獣
弱点:火雷水 耐性:闇氷
スキル:闇付与 潜伏
1613
第134話 面倒くさい奴
冒険者ギルドの正面に回り、受付に顔を出してマスターへの取次
をお願いする。
﹁おお、ジンじゃねーか!久しぶり!﹂
受付でぼんやりと待っていると、見慣れない若者に肩を組まれた。
誰だ?怪訝な表情を向ける俺に、若者は苦い顔で答える。
﹁⋮⋮なっ、なんだよう。忘れたのか、ほら異常発生の前に森で会
っただろう﹂
うーん。と唸って考える俺にリザが救いの手を延ばす。
﹁ジン様、霊芝のときに出会った3人組ですよ﹂
﹁⋮⋮あぁ﹂
忘れかけていた記憶が浮上してきたが、名前までは思い出せなか
った。
﹁ひでーな。あの後1度ギルドであってお互いに名乗ったじゃねー
か⋮⋮まぁ、いいや。嫁さんが覚えていてくれて助かったぜ﹂
そうだった。確かコイツは戦士のザックだったか。
1614
今の俺と同じ年の17歳で、冒険者ランクも同じD級だったな。
短い金髪に頬傷、碧眼の若者だ。17にしては老けてるというか、
いかつい感じで如何にも戦士といった風貌である。
斥候役のゼル、魔術師のシドという男3人のパーティーらしいが
この若さでD級というのは、それなりに優秀な部類に入るらしい。
﹁それで考えてくれたのかよ?﹂
馴れ馴れしく肩に手を置くザック。
俺はさっぱり話が見えてこないので、首を傾げて考える素振りを
する。
﹁うおおおい。俺達のパーティーに入らねーかって誘ったじゃねー
か!忘れたのかよ!﹂
﹁ああ、っていうかそれ断ったよな?﹂
アルドラの表情やリザの様子を見ても、彼は悪い人間ではないの
だろう。
悪人が何か企みを持って近づいてくる場合、大抵はエルフの直感
で見破ってしまうのだ。
﹁なんでだよ!俺達とお前とで組めばもっと稼げるぜ?その気にな
りゃ奴隷だって買えるぞ!同じD級じゃねーか、仲良くやろうぜ﹂
自分たちは将来有望な若手パーティー。そこに誘ってやるんだ、
1615
有り難い話だろう?つまりはそういうお誘いである。やれやれ⋮⋮
別に俺は奴隷を欲しいと思ったことはない。
パーティーメンバーとして、俗に戦闘奴隷と呼ばれる戦闘に心得
のある奴隷を買う冒険者もいるようだが、戦力ならアルドラで十分
だ。
だいたいレベルが高かろうが、戦闘スキルを持っていようが、実
際に魔物狩りで役に立つかはその場になってみないとわからないも
のである。
性奴隷というのもあるらしいが、それこそ俺には必要ないし。
まぁ、ベイルには花街という安全に女遊びができる場所があって、
一部の高級店でなければ敷居もそう高くはないので性交目的だけで
金の掛かる奴隷を買うというのは少数派らしいが。
ともあれ彼らと組むとなると、色々説明しなきゃならないし面倒
というのもある。
それに俺にはシアンを育てる義務があるのだ。とても忙しい。
﹁悪いな。他をあたってくれ﹂
諦めきれないのかザックはしつこく食い下がる。
面倒くさい奴だ。男に付きまとわれても嬉しくも何とも無いのに。
1616
ギルド内でそんなやり取りをしていると、明らかに不機嫌な表情
をした大男が俺たちの間に割って入ってきた。
ブラック・ライトニング
﹁お前が黒い稲妻か!なんだまだガキじゃねえか!﹂
ギルド内全体に響き渡る威嚇するような大声。
高圧的な態度。また碌でも無いのが寄ってきたな⋮⋮
後ろに控えるリザが、睨みつけるような視線と敵意のオーラを放
っている。
﹁やっぱり希少種の巨人を殺したってのはデマだな!どうせたまた
ま死んでいた所に居合わせたんだろう。まったくこんなチビがD級
だなんて笑わせるぜ﹂
俺は相手を刺激しないように注意して、受付にいたリンさんにそ
っと近づいて小声で話を聞いてみた。
﹁申し訳ありませんジンさん。ご迷惑をお掛けして⋮⋮﹂
彼は最近ギルドに加入したばかりの冒険者らしい。F級がE級に
なるためには、講習を受けて初心者迷宮を突破しないとその資格を
与えられないのだが︵最低限の知識と自衛能力を図るため︶自分に
は生来備わった肉体があるから、知識など必要ないし自衛能力も問
題ないE級に昇格させろと騒いでいるらしいのだ。
まぁ、当然その訴えは受け入れてもらえず、八つ当たりなのか色
々な人に噛み付いて問題を起こしているらしい。
1617
﹁素直に講習受けろよ⋮⋮﹂
俺には少々理解し難い部分があるのだが、ルタリアには義務教育
のような機関が存在しない。学校といえば聖職者を育成教育する神
学校か、魔術を学ぶ魔術学院くらいしかないそうだ。
村落で読み書き計算などを学ぶ場合には、教会などに赴き司祭な
どに教えを請う。
女神教徒であれば、彼らは拒むことはないだろう。聖職者は聖典
を読み祭事を司るために読み書き計算などが出来なくはならないの
だ。
しかしそれらは強制ではない。村落に暮らす労働者の多くは、必
要が無いからという理由で学ぶことを放棄している。
﹁なんだチビぃ、さっきからごちゃごちゃと⋮⋮﹂
アルドラは離れているので手を出すことはないだろうけど、リザ
がかなり険しい表情をしている。他人には無表情に見えるかもしれ
ないが、俺にはわかる。
今彼女はかなり機嫌が悪い⋮⋮このまま放置しておくと風球を連
ショック
射しそうだ。
雷魔術:麻痺 1618
﹁ガッぁッッ︱︱⋮⋮!?﹂ 声もでかいし、鬱陶しいので強制的に黙らせる。
﹁講習は受けたほうがいいですよ。どうせ黙って話を聞くだけです
から﹂
そう言って新人にアドバイスを送ると、リンさんから執務室へ行
くように呼びかけられたので、その場を後にした。
﹁やれやれ、ジンさんに絡むなんて無謀にも程がありますよ⋮⋮ベ
イルへ侵攻してきた、あの大巨人と同格の存在を倒した人だと言う
のに﹂
ベイルに直接被害を与えた巨人の存在は、多くの冒険者達が目に
している。
その巨人と同格とされる巨人を倒したジンの存在は、冒険者たち
の間でも知られるようになっていた。
1619
第134話 面倒くさい奴︵後書き︶
ジン・カシマ 冒険者Lv28精霊使いLv22
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/63
特性:魔眼
︻火球 灯火 筋力強化︼
雷魔術 C級︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
火魔術 ︻潜水 溶解 洗浄︼
︻魔力吸収 隠蔽 恐怖︼
︻耐久強化 掘削︼
水魔術 土魔術
闇魔術 探知 C級
︻打 毒 闇︼
︻嗅覚 魔力 地形︼
魔力操作 ︻粘糸 伸縮︼
耐性 C級
体術 D級
盾術
剣術 C級
槍術
鎚術
鞭術
短剣術
闘気 1620
隠密 C級
奇襲 D級
投擲 窃盗
警戒
軽業 F級
疾走
解体
解錠
繁栄
同調
成長促進
木工
雷精霊の加護
1621
第135話 遥か北の海へ
﹁というわけで、お前にはレヴィア諸島へ行ってもらう。出発は一
週間後だ﹂
執務室へ通された俺は、唐突な指令をゼストから受けた。
まったく訳がわからない。
レヴィア諸島って何だ?
﹁ほう。それまた遠いのう﹂
アルドラはレヴィア諸島を知っているようだ。遠いらしい。
﹁⋮⋮えっ﹂
リザの顔が見る間に青ざめる。
遠くに行ってもらうというギルドマスターの言葉に、不安を感じ
ているのだろう。
﹁⋮⋮すいません。話が全く見えてこないので、わかるように説明
してください﹂
唐突にそんな言葉を掛けられては、リザが不安に思うのも無理は
ない。
1622
ともあれ事情を聞いてみないことには、受けることも断ることも
できない。
まずは話を聞く。全てはそれからだ。
﹁おっと、説明がまだだったのか。なるほど、そりゃ訳がわからな
いよな。つまりだな︱︱﹂
レヴィア諸島。
ルタリア王国より北の山岳地帯を抜け、その先に広がるハイドラ
帝国を更に超えた先、北の海洋上に存在すると言う、とある領域の
島々の総称。
帝国からの距離は近いものの、いくつかの理由があって侵略は免
れている中立地帯のようだ。
ベイルからは遥か遠い異国の地ではあるが、ゼストは若い頃に訪
れたことが有り、個人的な繋がりがあった。
現在ベイルから送られた駐屯調査団が、その地域でとある調査を
行っているのだが人員が不足しているらしい。
自衛能力が高く、探知、鑑定のスキル所有者を探しているとのこ
とだ。
1623
﹁アルドラと共に旅をしていた頃、立ち寄ったことがあってな。ま
ぁ、その時に縁が出来たわけだ。細かい仕事の内容は現地で説明さ
れると思うが、島の地下にある迷宮の調査を手伝うって感じだな。
調査が主な任務だが魔物も存在するので、自衛能力も必須というこ
とだ﹂
アルドラはパーティーの仲間と共に諸国を巡っていた時期があっ
たという。
その仲間にはゼストも入っていたのだ。その頃の話らしい。
﹁しかし話だけ聞くと、かなり遠くないですか?陸路で行くんです
よね﹂
仕事。まぁ、出張だよな早い話が。
せっかく慣れてきたベイルを離れるのかと思うと、思うところは
ある。
遠い場所なら行って帰るだけでも、相当な時間が掛かるだろう。
飛行機なんて無いだろうし、簡単な話ではない。
それに今の俺には家族と言える人たちも居るのだ。そのことを抜
きに話など進める事はできない。
﹁まさか。山岳地帯は素人には抜けられん。崖崩れも多いし、まと
もな街道もない。基本徒歩での移動だから、相当な時間がかかる。
1624
だから北を目指すとき、普通は海路を使うんだ﹂ ﹁わしらのときも、船便を乗り継いで行ったんじゃったなぁ﹂
アルドラは目を細め、昔を懐かしむ。
﹁まぁ、海路でも片道2ヶ月は掛かるからな。しかし、今回は時間
がないから別の方法を使う﹂
ゼストににやりと含んだ笑みを見せた。
﹁別の方法?﹂
>>>>>
﹁なるほど。それで随行員が1人というのは、どういう理由で?﹂
横で口を閉ざしたままのリザが無表情でゼストを睨む。
いや、睨んでいる訳ではないのか。美人が無表情で一点を見つめ
ているので、そう見えるだけだ。
ゼストは思案しながら答えた。
﹁龍脈の流れを調整するのと、装置を起動させる魔力充填に一週間
ってとこか。人数が増えればそれだけ消費する魔力も増大する。ア
1625
ルドラは胸ポケットにしまっておけばいいとして、お嬢ちゃんは何
が何でも付いて行くって顔してるしな﹂
リザが深く頷いた。その眼差しに強い決意を感じる。
﹁⋮⋮それって断ることは、出来ないんですよね﹂
﹁そうだな、できれば行って欲しい所だな。ギルドと特別に契約し
ている腕利きの斥候もいるにはいるが、今は大森林の調査で手一杯
だしなぁ⋮⋮﹂
異常発生を経て、魔物の生息分布は大きく変化していた。
巨人は浅層域を行動するようになり、小さな集落のような物も確
認されている。
大森林に変化が起きている。
森で一体どのような変化が起きているのか、正確に把握する必要
がある。そのためにギルド主導で大規模な調査が連日行われている
のだ。
﹁お前に融通した魔法薬、あれはS級クラスの冒険者に何かあった
時のためにと秘蔵して置いたものなんだよ⋮⋮まぁ、ジンはアルド
ラの息子みたいなものだし、別に後悔はしていない。いずれはS級
になる逸材だと信じているし、体が万全で無いために重要な成長期
間を棒に振るというのも忍びないからな﹂
俺の方にちらちらと視線を送りながら、ゼストは頭を抱えた。
1626
﹁まぁ、無理にとは言わないさ。仕事自体は難しい物じゃないが、
遠いしな⋮⋮しかし他に人員が居ないことも確かなんだ⋮⋮あぁ、
困った⋮⋮﹂
酷い三文芝居だった。
アルドラが顔を伏せて苦笑する。
﹁⋮⋮よく言うわ﹂
龍脈というのは、地下深くに存在すると言われている魔素の流れ
のことらしい。
人間の皮膚の下に血管が走るように、大地の下には龍脈が走り、
魔素というエネルギーを循環しているのだという。
しかし、そのあたりのことは研究が殆ど及んでいないために、多
くのことはわかっていないそうだ。
﹁じゃあ魔力があれば問題ないということですか?﹂
ゼストは腕を組んで唸る。
﹁まぁ、な。調節が問題だが⋮⋮それはいいか。だが魔石の1つや
2つじゃ話にならんぞ。随行員1人追加するのにC級の魔石を最低
10は必要だな﹂
ベイルには魔石を売買する商店、魔石屋が存在する。
1627
魔石というのは魔物の体内で熟成される魔力の結晶だ。
大きさは小指の先ほど、大きなものだと握り拳ほどの物もあると
か無いとか。
魔力の結晶化というのは人族および妖精種︵亜人︶、獣人種、魔
物化していない通常の生物には起こりえない現象らしい。
原因は不明だが、極稀に魔素の非常に濃い地表などでも見つかる
ことがるという。
魔石は冒険者は勿論のこと、ベイルでは一般の市民にも馴染みの
深い素材の一つだ。
魔石は魔導具に内蔵すれば、魔力を消費せずにその機能を使うこ
とができる。
粉末状に加工すれば薬品の材料に。また魔晶石の充填にと用途の
幅は広い。
現在、魔石のベイル相場は
F級 20∼50シリル
E級 100∼300シリル
D級 1000∼3000シリル
1628
C級 10000∼30000シリル
B級 100000∼300000シリル
となっている。
品薄になれば値段が上がり、供給が増えれば値段は下がるといっ
た具合だ。
ランクが上がるほど店に持ち込まれる魔石の数は少ない。
持ち込む者というのは殆どが冒険者なのだが、高レベルの冒険者
ならば自前で消費することが多いからだ。
ベイルほどの大都市でもB級は数えるほどしか在庫は無く、A級
以上に至っては全く無いらしい。
今からC級を買いに走っても、一週間で規定の数を揃えられるか
は不明だ。
﹁C級が揃わない場合は、D級を代用って訳にはいかないのですか
?﹂
﹁それはダメだな﹂
等級が上がると、内包された魔力量と共に質も上昇する。
使用する用途によっては下級の物での代用も可能らしいが、それ
が全てに適用されるということでもないようだ。
1629
﹁D級での代用は無理だが、代用の手は他にもあるぞ﹂
そう言ってゼストはリザに不敵に笑いかけるのだった。
1630
第136話 ドワーフの鍛冶屋1
﹁そういやリュカから預かっているものがあるぞ﹂
身代わりの護符 魔導具 D級 ×3
市場では1つ銀貨3枚ほどで取引されている身を守る魔導具であ
る。
効果は重症に至るような不慮の事故から、1度だけ身代わりをし
て装備者を守るというものだ。
F級、E級では気休め程度。D級ならそれなりに期待できるとい
った評価である。
それは小さな金属板に、複雑な魔力回路が彫り込まれた代物だっ
た。
効果を果たすと板は砕け、その役目を終えるのだ。
﹁ありがとうございます﹂
俺は魔眼で確認した後、懐にしまい込む。
これは俺が彼女に頼んでおいた約束の品だった。
品不足で入手困難だったらしいが、流石S級冒険者は顔が広いの
1631
だろう。
特訓中に彼女と、ある1つの賭けをした。
木剣での激しい打ち込み。
もし1度でも彼女を本気にさせる斬撃を当てることが出来たのな
ら、ご褒美に何でも言うことを聞いてやると。
﹃⋮⋮抱かせろ、とか言うのは勿論ナシよ﹄
﹃あ、はい。そういうのは大丈夫なんで﹄
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
最初は気力と体力を鍛える訓練。
体の動かし方、剣の持ち方、扱い方。
基本技を習い、反復し続ける毎日。
最初は隙をあえて見せ、狙うべき場所を示唆する。リュカは反撃
しない。俺は狙うべき場所を打ち込み続けるのみ。
リュカは徐々に隙を見せないように動きを変化させた。俺自身が
考え狙いを定めるように。
やがて反撃をするようになった。より打ち込みは複雑に。時折来
1632
る反撃を更に切り返す。
まぁ、2ヶ月続いた訓練の中で、結局リュカに本気の1撃を入れ
ることは叶わなかったのだが、俺の頑張りに彼女は特別に褒美をく
れるという話になったのだ。 その褒美というのが、身代わりの護符である。
その存在を知ってから、欲しいとは願っていたが入手は難しいと
いうことがわかった。
何せ物が無いのだ。店でも入荷待ち、予約待ちといった状況であ
る。
今から欲しいと願ったとしても、実際手に入れるまでには時間が
掛かるだろう。そう思っていた。
どのような経路で手に入れたのかは不明だが、約束通り用意して
くれたのだありがたく使わせていただこう。
>>>>>
﹁すいませーん。誰かいませんかー?﹂
職人街に赴いた俺は、とある工房の前で店の者に向かって呼びか
1633
けた。
﹁はーい。あっ、カシマ様にアルドラ様。えっと⋮⋮﹂
出迎えてくれたのは工房で働く人族の少年だ。
﹁彼女は俺の連れだよ﹂
リザが軽い会釈で挨拶をする。
﹁そうでしたか。ようこそおいで下さいました。親方は地下にいま
すので、どうぞお入り下さい﹂
まだ8歳という幼さながら、この工房に住み込みで働いているら
しい。
彼とは何度か面識があるのだが、利発で快活な少年である。
物覚えが良い、頭の回転がはやい、手先が器用、明るく快活、要
領が良い。
何かしら才能ある子供が居た場合、親は教会などに相談して奉公
先を斡旋してもらうことがある。
義務教育という機関がない世界、貧しい者は年少の頃から住み込
みで働くというのは珍しいことではなかった。
﹁この辺りの品はどれもD級のようだな﹂
1634
片手剣、両手剣、短剣、戦鎚、盾と並べられた商品の種類は幅広
い。
﹁奴は剣専門だった筈じゃが、弟子が作ってるのかも知れんな﹂
多くの職人たちは専業制で、剣なら剣、鎧なら鎧と専門の品を作
っている者が多いらしいのだがここは違うようだ。
﹁ここに並んでいるのは、ヴィム様の趣味でもありますから﹂
店の奥へと進み、地下への階段を降りる。
石造りの地下室は思いのほか広く、制作に使用されるであろう素
材が至る所に箱積みになっていた。
他にも何に使われるかわからない、金属製の大型機械などがある。
歯車が組み合わさった複雑な機械だ。
埃除けなのか、幾つかの機械には布が被せてある。
その中の1つ、布がズレ落ちたものが視界に入った。
355ミリ火竜砲 魔導砲 C級 状態:破損
その姿形、何処かで見た覚えのあるものだった。
1635
実物を見た訳ではない。何かの本で見た記憶だろう。
そうだ。それは、大砲と呼ばれるものだった。
金属で作られた砲身は、木製の荷車のようなものに設置されてい
てる。移動して使える設計なのだろう。
周囲を見ると似たような荷が並んでいる。布を被せているが、お
そらく同じものだ。数えると10基はあるだろうか。
戦争でも始まるのか?
それにしても、この世界にはこのような近代兵器もあるのだな。
﹁あまり、ごちゃごちゃ弄られるのはかなわんな﹂ 地下室の奥からヴィムが姿を現す。ギルドで見せる装いとは違い
汚れた革製の前掛けを身につけ、仕事着といった様子であった。
﹁ずいぶん物騒な物を作ってるんですね。これも仕事ですか?﹂
ヴィムはやれやれと手を上げて答える。
﹁口外はしないでくれよ。まぁ、お前らだからここへ通したんだか
らな﹂
地下室の奥へと誘われた俺達は、誘われるがままに彼に追従した。
1636
﹁とりあえず適当に座ってくれ。ウィスキーでいいか?﹂
﹁ああ﹂
ドワーフの蒸留酒 飲料 D級
小さな硝子の杯に酒を注ぐ。
特徴的な香ばしい香り。
アルドラはそれを、勢い良く喉へと流し込んだ。
﹁うむ。旨い﹂
俺も真似して杯の半分を流しこんだ。喉が焼ける様に熱い。全身
の毛穴が一瞬で開いたような感覚を覚えた。
﹁くはっ⋮⋮これは⋮⋮う、旨い酒ですね﹂
﹁そうだろう?人族の葡萄酒も悪くないが、酒精が物足りんからな。
寝酒にこれをやらんとドワーフは寝られんのよ﹂
横に視線を動かすと、持っていた杯を静かに卓に戻すリザがいた。
どうやら彼女には刺激が強すぎたようだ。
﹁あれはゼストの玩具よ。帝国艦隊からの払い下げ品を、密輸商に
1637
扮して手に入れた。それを改造して作ったって訳だ。いずれ使う時
が来るからとな。まぁ、現時点では使い物にならんが﹂
一度使用すると砲身が歪み、冷却と調整を行わないと使えないら
しい。
冷却装置となる部分が未完成なのと、砲身の強度が不安定という
ことで実戦に耐えられる代物ではないということだ。
通常の火薬で飛ばす大砲とは違い、1種の魔導具らしい。
﹁帝国でも不良品扱いだった代物だからな。使えるものに仕上げら
れるとは思えんが⋮⋮まぁ、付き合ってやるさ﹂
﹁やはり異常発生対策として、ってことですかね?﹂
﹁たぶんな。詳しくは聞いてないが。⋮⋮それより魔剣の具合はど
うだ?﹂
1638
第137話 ドワーフの鍛冶屋2
アルドラは収納から魔剣を取り出した。
自由に異空間へと出し入れ出来るために、鞘は使っていない。
﹁もっと重くてもいいくらいじゃが⋮⋮まぁ、悪くはない。使い慣
れた道具のようにしっくりくるわ。流石はヴィムじゃな﹂
アルドラから魔剣を受け取り、しげしげと眺める。
﹁もっと重くても良いって、手首を痛めるぞ。まったく相変わらず
の馬鹿力だな⋮⋮ずいぶん乱暴に使っているようだが⋮⋮この魔剣
の力か。まさに魔物を食らう魔剣といった所か。乱暴なお前には丁
度いい剣に仕上がったようだ﹂
アルドラもヴィムも表情には出さないが、互いに剣の出来栄えに
満足している様子であった。
次にヴィムは俺から鎧通しを受け取り、その刀身を丁寧に調べる。
﹁ひどく焼き付いていたが、なんとか魔剣として生き返ったようだ
な﹂
ヴィムは、フンと鼻息を一つ鳴らした。
﹁ええ。問題なく使えてますよ﹂
1639
﹁だが、何時まで持つかはわからんぞ。寿命はそう長くはないと思
って良いだろう。本体がかなり消耗しているからな﹂
人よりも遥かに長い寿命を持つ、ドワーフの鍛冶師からの忠告で
ある。
様々な剣を打ち、様々な剣を見てきた彼には、俺の魔眼でさえ得
られない情報でさえも感じ取ることができる。彼が鍛冶師としての
生活から得た、経験という力だ。
本体の消耗はどう足掻いても修復は出来ない。刃こぼれを研ぎ直
すようにはいかないのだ。
﹁わかりました﹂
﹁それとコイツもそうだな﹂
ムーンソードを手に取る。ヴィムは刃を上向きにして、光に透か
すようにして調べた。
﹁見ろ。かなり刃こぼれしているだろう?ミスリル合金製の刃は特
別頑丈なもんだが、ここまで消耗してるというのは手入れを怠って
いるせいでもある﹂
﹁うっ⋮⋮申し訳ない﹂
﹁だが、これほど消耗しているということは、それだけ使っている
と言うことだ。剣は飾っておくもんじゃねぇ、使ってこその代物だ。
そういう意味では正しい使い方だと思うがな。若い奴の中には、腰
に差してあるだけの飾りってのも多いからよ﹂
1640
ムーンソードはヴィムに渡し、研いでもらうことにした。
あまり自分の手でやらなかったのは、素人がやっておかしくなる
のを心配してのこともある。
街の研師に依頼すれば良かったのだが、疎かにしていたのは俺の
責任だ。
言い訳をするなら、それほど手入れに気を使わなくとも凄まじい
切れ味だったというべきか。
まぁ、早い話が後回しにしていただけの事なのだが。
ヴィム自身も研ぎは本職ではないようだが、刀剣に関わることは
一通り出来るようなので問題ないようだ。
﹁ああ、それと森の遺跡で見つけたんですけど﹂
アイアンインゴット 素材 C級
﹁鉄か。なかなかの質のようだな﹂
等級が上がると質が向上するらしい。鉄の質が上がるというのは、
どういうことだろう?
不純物が少ないとかだろうか⋮⋮
1641
メイス
﹁戦棍を作って欲しいんですけど、出来ますか?﹂
﹁俺は剣専門なんだが⋮⋮ふむ、作ったことはないが、まぁいいだ
ろう﹂
鎧を着たゴブリンなどもいるのだ。これから先、重武装した魔物
がいつ現れてもおかしくはない。
武装した魔物を鎧の上から殴り殺せる武器があれば、剣を無駄に
消耗させなくて済む。
素材を提供し、手間代として金貨1枚で引き受けてくれた。
﹁それと、こういうのも見つけまして﹂
﹁ほう、設計図か。どれ見せてみろ﹂
聖銀のクレイモア
ユニコーン
材料:一角獣の血、一角獣の皮 一角獣の角 エリオール鋼 ミ
スリルインゴット シルバーインゴット アイアンインゴット
﹁どうですかね。作れますか?﹂
﹁材料があればな﹂
ミスリル
ミスリルインゴットは精製した霊銀鉱の塊である。
ミスリル自体が非常に希少であるため、まず市場に出回ることは
1642
ないらしい。
﹁一角獣というのは?﹂
北方にあるという針葉樹の森にに生息する希少な魔獣。
気性が荒く極めて危険な魔獣と言われている。
﹁数が少ないために市場に出るのは稀だ。オークションでも高値で
取引されるからな﹂
各部位が素材として利用できるらしい。特に血や角は薬の材料と
して有名なのだという。
﹁銀や鉄なら俺でも用意できる。一角獣も金と運があれば手に入る
だろう。ミスリルはコネがないと難しいが⋮⋮だが、もう1つ難し
いのがエリオール鋼だ﹂
エリオール・ライオネットという高名な魔術師が生み出した魔法
金属。
他の金属との繋の役目を果たし、魔術との相性も良く、魔剣を作
る際に使われる最高クラスの素材の1つ。
作り出せるのは魔術師エリオール本人のみであり、その製法は他
者に伝わってはいない。
エリオール自身が亡くなっているのか存命なのかもわかっておら
ず、現存するエリオール鋼は数が限られるために値段が付けられな
いといった状況となっている。
1643
﹁ただ不思議な事に予期せぬ所から見つかることもある。とある商
家の蔵、農家の納屋、安宿の馬小屋、実はエリオール自身が生きて
いて、気まぐれに鋼をバラ撒いていると言う話もある﹂
﹁⋮⋮何のために?﹂
﹁知らん﹂
ともあれ希少な素材に間違いないようだ。俺が所持しているのは
C級ということもあって、それなりに価値が有るのだろうと予測し
ていたが、もしかしたら等級以上の価値があるのかもしれない。
﹁そうだ、頼んでおいたもの出来てます?﹂
今回ここへ訪れた理由は魔剣の調子を診てもらうのと、もう1つ
あったのだった。
﹁ああ、できてるぞ。今持ってこよう﹂
鉄蟻の盾 盾 D級
鉄蟻の胸当て 防具 D級
ベイル地下水道で繁殖していた、蟻系モンスターの甲殻を加工し
て作成した防具である。
1644
俺とアルドラの防具は新調したばかりであったため、試しにとシ
アンの胸当てと俺の盾を作成してもらった。
関係者以外立ち入り禁止だった地下水道は、現在C級以上のパー
ティー限定でダンジョンとして開放している。
それも調べてみれば魔物の生息数が予想よりも遥かに多かった為
であった。
異常発生後から魔物の活動も活発になっているという報告もあり、
ギルドでは地下に冒険者を送り込むことを承諾したのだ。 ﹁ほんとに無料でいいんですか?﹂
﹁ああ、試作品だしな。それに甲殻を利用することを思いついたの
は、お前だろう﹂
まぁ、思いついたというより甲殻が軽く丈夫であるため、防具な
どに利用できないかとふと思ったに過ぎない。
通常の方法では固い甲殻は加工が難しく、大した利用価値はない。
しかしアシッドスライムの体液を薄めた溶液に浸すことで、甲殻
を柔らかくし加工しやすくする技術を開発したのだ。
これは水魔術:溶解を考察しているときに思いついたものである。
﹁アシッドスライムはゴミ処理場にいくらでもいるからな。体液は
無償で分けてもらえる。甲殻は冒険者が蟻の駆除のついでに回収し
てくるしな。悪くない商売だ﹂
1645
ヴィム自身はギルド職員として忙しい身であるため、工房に出入
りする時間は殆ど無いらしい。
だが弟子たちを遊ばせておくわけにもいかず、仕事を考えなけれ
ばならない。そのため俺が提案した防具の加工術は、職人に仕事を
与える意味で価値があった。
﹁鉄より軽いが革より丈夫だ。これなら体力のない者でも利用でき
るかもな﹂
鉄製の装備は命を守る上で優秀な防具だが、重量や金属の擦れる
音などから、機動性、隠密性を重要視する斥候には不人気だった。
しかし魔物の甲殻を利用した装備であれば、そういった問題も回
避できる可能性がある。試す価値はあるだろう。
﹁ほう、なるほどな。一週間後か、わかったそれまでに仕上げよう。
必要な物は揃えたのか?﹂
﹁必要な物ですか?﹂
﹁ああ、アルドラには収納があるのだろう?だったらそれを活かし
て借金を返せば良いではないか﹂
﹁なるほど、そうじゃのう﹂
テント
﹁俺が若い頃に使っていた天幕をやろう。古いものだし無料でいい、
1646
持って行け。特別な魔獣の革で作ってあるから丈夫だぞ﹂ ベイルの市場でも天幕は売っているが、大抵は1人用だ。
騎士団や商隊が使うような大型のものになると受注生産が普通な
のだ。
ヴィムの用意してくれた物は4∼5人用の大きな天幕であった。
﹁ちょっと重いけど丈夫そうだし、良い品ですね。俺が持ってるの
は2人用だし、丁度よかった。ありがたく使わせて貰います﹂
﹁ほう、2人用ってのも珍しいな﹂
そういや使わないから仕舞ったままになっていたが、ビニール素
材とか珍しいだろうし、もしかしたら礼になるだろうか。
俺は分かる範囲で地球から持ち込んだテントの説明をした。
﹁面白そうだな。ぜひ見てみたい。譲ってくれるのか?﹂
﹁いいですよ。明日にも持ってきます﹂
﹁おお、頼む﹂
ヴィムには随分と世話になっている。彼の好奇心を満たせるなら、
喜んで差し出そう。
なにせアルドラの魔剣も無償で作成して貰ったようなものだ。
1647
素材は持ち込んだものの、魔剣の材料はそれだけでは及ばす、足
りない材料はヴィムが用意したというのに。
それでもアルドラの魔剣は商売で拵えた物ではなく、自分の趣味
で作ったものだから、珍しい素材だったから作ってみたくなっただ
けだと金を受け取らなかった。
俺の理解の及ばない二人の友情がそこにあるのだと察して、俺は
深く追求することはしなかった。 1648
第138話 不思議な光
﹁いらっしゃいませ、カシマ様。ささ、どうぞお入り下さい﹂
俺は一旦家に戻り、シアン、ミラさんを連れ白猫館へ訪れた。
この白猫館のある花街は女人禁制の地区なのだが、事前にモクラ
ンに相談し話を通してもらっている。
認識阻害の魔装具で素性を隠しているとはいえ、自分の勝手で我
侭を言ってしまった。
﹁悪いんだけど、先に風呂をいただきたい。大丈夫かな?﹂
﹁はい、モクラン様からお話は聞いております。では、案内の者を
お呼びしましょう。少々お待ち下さい﹂
初めて来た時には知らなかったが、白猫館には貸し切りにできる
浴室がある。
それを知って以来、風呂好きの俺は度々白猫館へ訪れていた。
案内の者に追従し、廊下を進む。
ミラさんは家で入浴を済ませたそうなので、先に部屋で待ってい
てもらうことにした。
1649
エルフには熱い湯に浸かる文化がないので、風呂というのは苦手
のようだ。
アルドラはと言うと長い冒険者生活の間に諸国を巡り、異国の地
で温泉文化などに触れることで風呂好きになったらしい。
自ら故郷の村に温泉を掘ってしまう程には、気に入っているよう
だ。
﹁温泉があれば良いなと思うてな。試しに掘ってみたら出おったわ、
ははは﹂
すれ違う店の従業員が、頭を下げ挨拶してくる。ここで働く者た
ちには俺がモクランの良い人であるという噂が広まっているようだ。
勿論、彼女との間には何もない。
初めて訪れた夜に少々やり過ぎたくらいだ。
>>>>>
﹁何だろうあれ⋮⋮﹂
中庭の庭園に光る何かが浮遊しているのが見える。
1650
﹁ジン様?﹂
俺の呟きにリザが不思議そうな表情を向ける。
まるで小さな森といったような自然溢れる庭園。
廊下には明かりが灯っているが、それほど強くはない緩やかな光。
そのため、庭園全体を照らすことはなく、木々の影が深い闇を作
り出している。
そんな闇に浮かぶ光る何か。
あれは⋮⋮蝶?
不意に雷精霊の腕輪が熱くなるのを感じる。
次の瞬間、目の前に出現したのは雷精霊ジン。
腕輪から放出された魔力の粒子が、人の形に変わってゆく。
以前見た時は14∼15歳くらいの人族の少女であった。今は子
供バージョンのアルドラのように幼児化している。
突如出現した雷精霊は、中庭に走り去っていった。
1651
どうやら光る蝶を追いかけているようだ。無数の光る小さな蝶が、
闇の庭園を彷徨っている。
﹁誰だろうあれ、中庭に誰かいる﹂
﹁何処ですか?﹂
俺以外の者達には、蝶が見えていないらしい。
皆が一様に不思議そうな表情を浮かべている。
庭園の中、光る蝶が群がる中心。その中に人影が見えた。
あれは白い髪の獣猫族の女性のようだ。タマ?いや違うか⋮⋮
何処か儚げで消えてしまいそうな雰囲気を醸し出している。アホ
っぽいタマとは姿が似ているだけで、別人のようだ。
距離があるし、顔が見えないので魔眼で確認する事はできない。
光精霊スプライト
近くへ寄ってきた光から情報が見えた。精霊か。
ホタルのように儚げな光を灯した、幻想的な蝶の群れ。
1652
その中心にいる女性。
不思議な光景に見とれていると、一瞬で光が掻き消えた。
まるで蜘蛛の子を散らすが如く何かが炸裂したかのように弾け、
光は闇へと溶けて消えた。
まるで幻だったかのように女性も一緒に消えている。
後に残ったのは残念そうな表情を浮かべ、空いた両手のひらを見
つめる雷精霊ジンだった。
﹁お前、スプライト捕まえようとしてただろ⋮⋮﹂
1653
第139話 混浴でお願いします
﹁それで、どうしてモクランさんがここに居るんですか?﹂
リザが憤慨したように抗議の声を上げる。
彼女は既に一糸まとわぬ姿となっていた。
これから風呂に入るのだから当然か。
動くたびに2つの果実がユッサユッサと揺れている。
なるほど、これが眼福というやつか。
﹁ここ白猫館は私共の店。お客様をおもてなしするのが私の仕事で
すから﹂
当然のことだと、モクランが答えた。
彼女もまた生まれたままの姿であった。
身長180センチはあろうかという大柄な体躯。
豊か過ぎる胸に括れた腰、大きな臀部と迫力の肉体を曝け出して
いる。
ウェーブの掛かった明るい髪、そこから突き出る湾曲した角。
1654
日焼けしたような小麦色の肌が、健康的でもあり艶めかしくもあ
った。
﹁ジン様のお世話は、私達がやりますから。モクランさんは必要な
いかと。そうですね、シアン?﹂
﹁え?あ、はい﹂
突然話を振られたシアンが慌てて答える。
2人とは対照的にタオルのような布で、体の前面を隠しているの
で全体は見えない。
だが逆にそれが良かった。
もじもじと気恥ずかしそうに、立ちすくむシアンが愛らしい。
ちなみに白猫館では妓女が客の風呂に同室して、接待をするとい
うのは通常行っていない
頼めば従業員の婆さんが背中を流してくれるくらいはあるだろう
が。
﹁まぁ、もう衣服は脱いでしまったのだし、せっかくだから脱衣所
で話してないで皆で一緒に入ればいいじゃないか。ここの風呂は大
きいのだし、問題無いだろう。それに俺の故郷には混浴という文化
があってだな⋮⋮﹂
俺もまた全裸で仁王立ちである。
1655
ここは脱衣所であるから、至極当然のことであった。
彼女たちの視線がある場所に注がれるが、今は気にしないでおく。
それよりも俺の愛する風呂という文化の素晴らしさを、語って聞
かせることにした。
おそらく熱意が伝わったのだろう︱︱
﹁わかりました。ジン様が良いとおっしゃるのなら⋮⋮﹂
リザも納得してくれたようだった。
>>>>> ﹁どうですか、ジン様痒いとこございませんか?﹂
﹁ああ、大丈夫。気持ちいいよ﹂
洗い場の木椅子に腰掛け、リザに髪を洗ってもらう。
以前から彼女は俺への奉仕を喜びにしていた節がある。
それが腕を失ったあの怪我以降、より顕著になったようだ。
1656
風呂に入る機会があれば、こうして一緒に入り何を言わずとも当
然との如く髪や体を洗ってくれるのだ。
俺の眼前から髪を洗ってもらっているので、目の前には揺れる2
つの果実が。
まったく素晴らしい光景であった。
﹁ちゃんと目を瞑ってないと、石鹸が目に入りますよ﹂
シアンはというと、背後に回り背中を洗ってくれている。
拙い動きで力も弱いが、一生懸命さが伝わってくる。
﹁兄様、痛くありませんか?﹂
﹁ありがとう、もっと強くても良いくらいだな﹂
﹁はい、がんばります!﹂
﹁可愛らしい奥様が2人も。嫉妬してしまいますね﹂
跪いて足を洗ってくれているのは、モクランだった。
明るい茶色の髪を、髪留めでまとめている。
目の前に曝け出された豊満な肉体。これでは目を奪われるのも仕
方がないだろう。
1657
﹁そうですね、俺には過ぎた嫁たちです﹂
モクランの手の動きは絶妙な力加減があり、まるでマッサージの
ように心地よい。
これは玄人の技なのか、あまりの心地よさにそこまでされるのは
悪いと感じつつも、受け入れてしまっている。 ﹁そういえば、さっき中庭で人影を見たのですが﹂
先ほど見かけた不思議な光景に付いて、モクランに尋ねた。
﹁なるほど⋮⋮それはおそらくオーナーでしょう。白猫館の主なの
ですが普段は自室に篭っていますので、外で見かけるのは珍しいの
ですが⋮⋮﹂
モクランに聞いても光る蝶については知らないようであった。
おそらく精霊を見ることが出来ないから、気づいていないのだろ
う。
主の自室には側仕えの女性数名とモクランだけが立ち入りを許さ
れているだけで、他の従業員とは顔を会わせる機会も無いのだとか。
﹁もし精霊のことを知っているのなら、話を聞いてみたかったのだ
が⋮⋮難しそうかな﹂
俺は精霊について知らないことが多すぎる。いや、むしろ何も知
1658
らないと言っていいだろう。
初めて見る俺以外の精霊使いだ。接触すれば、何か得られる情報
があるかもしれない。
﹁主と面会したいのですか?﹂
﹁そうですね。可能であれば、お話したいです﹂
モクランがぐっと身を寄せる。
企むような笑みが、直ぐ側にあった。
腕が彼女の谷間に食い込んでいく。
﹁私からお会いできるか、話してみましょうか﹂
1659
第140話 戦果を祝って
﹁レヴィア諸島ですか⋮⋮﹂
﹁はい。俺としてはリザ、シアンを置いて行こうとは考えていませ
ん。ですがミラさんを残しても行けない。わがままだと思うかもし
れませんが、一緒に来てもらえませんか?﹂
地図で見るレヴィア諸島は北国の更に北の海上に存在する。
おそらくこの国とは、かなり気候が違うことだろう。
アルドラを除いてみんな遠出をしたことないというし、簡単な話
しでは無い筈だ。
﹁わかりました。それじゃ明日から準備しなくてはいけませんね﹂
そう言ってミラさんは笑顔で了承してくれた。
﹁皆一緒がいいです⋮⋮﹂
長湯でのぼせてしまったシアンが床に転がりながら答えた。
﹁え?いいんですか、そんな簡単に決めてしまって﹂
2人は以外なほど簡単に了承してくれた。
急な話で不安などは無いのだろうか。
1660
﹁私は森とベイルくらいしか行ったことがないので、正直楽しみで
すね∼。それに皆と一緒なら不安なんてありませんよ﹂
ミラさんはまるで遠足気分なのか楽しそうだ。
﹁薬を用意しなければいけませんね。薬品のレシピが手に入ったの
で、直ぐ作れるか調べてみます﹂
リザはレシピは複数手に入ったので市場で賄える素材なのか、足
りないものがあれば何がどれほど足りないのか調べてみるそうだ。
ベランダの柵に腰掛け、月を肴に杯を傾けるアルドラ。
浴衣のような竜人族の民族衣装、竜衣に袖を通し差し詰め夜涼み
といったところか。
日が落ちて随分経つが未だ気温は高い。通気性の高い竜衣は火照
った体に風を通してくれて、今日の様な夜でも快適に過ごさせてく
れる。
アルドラは生身ではないため必要はないのだが、気分の問題らし
い。
それにしても、このおっさんは何を着ても似合うな。
竜衣はアルドラ、ミラさん、リザ、シアン、俺と全員分用意して
1661
貰っている。
麗しい女性たちの肢体を、薄い布が包み込む。
胸部や臀部の形がはっきりわかって、この竜衣というのは中々に
刺激的だ。
部屋には豪勢な酒と料理が並ぶ。
今回の探索で20万弱の収益があったのだ。今日はその戦果を祝
って贅沢しても、バチは当たらないだろう。
ベイルの花街で1番の高級店である白猫館は、普通に一晩飲み食
いするだけで2万くらいは掛かる。
勿論、サービスの内容を変えれば上限はいくらでも上がる。
﹁そんな⋮⋮遠征だなんて⋮⋮﹂
話に割って入らず、静かに後ろに控えていたモクランが思わず吐
露する。
上級の冒険者であれば遠征は珍しくはない。
他国からの要請もあれば、護衛任務として商隊や貴族に追従する
こともある。
1662
まぁ、D級冒険者などであれば珍しいのかもしれない。
﹁そうですね。期間はわからないけど、しばらくは戻ってこれない
と思います﹂
﹁そうなんですか⋮⋮﹂
モクランはがっくりと肩を落とした。
﹁うんうん、少年は年増女の性欲に火を付けてしまったにゃ∼。こ
うなるとあちしでも止めれれないにゃ∼﹂
いつの間にか部屋に侵入していたタマが、料理を口に頬張りなが
ら答えた。
﹁こんな高級店じゃやってくる客は金のある爺ばっかりにゃ。たま
に肥えた商人か、一儲けした上級冒険者だにゃ。旦那みたいな少年
は珍しいのにゃ。お気の毒様にゃ﹂
﹁モクラン様が辺境伯の身請け話を蹴ったっていう噂はそっから来
てたのか⋮⋮辺境伯って確か70近い爺さんだもんね﹂
タマの隣で料理を頬張りながらミケが答える。
﹁爺さんは直ぐ死ぬだろうし、死んだ後自分がどうなるかもわから
ないからにゃ。贅沢は出来ても自由はないだろうし、死にかけの爺
さんより若い男が︱︱﹂
1663
﹁黙りなさい﹂
モクランのアイアンクローがタマを捉えた。
メキリと鈍い音が頭蓋から響く。
﹁にゃにゃ!?﹂
片手でタマを持ち上げると、そのまま廊下へと放り出された。
その様を見ていたミケが顔を青ざめる。
﹁えっと、私はタマを止めに⋮⋮し、失礼しまーす﹂
ミケは後退りしながら廊下に転がるタマを回収し、素早くその場
から立ち去った。
﹁なんか凄い音したけど、大丈夫ですか?﹂
﹁大丈夫ですよ。彼女意外と丈夫ですから﹂
﹁それにしても寂しくなりますね⋮⋮出発は何時頃になるのですか
?﹂ ﹁一週間後かな﹂
﹁そんなに早く⋮⋮﹂
1664
顔を伏せ悩むモクラン。
彼女は俺の元へ寄り添うようにしなだれ掛かり、顔を近づける。
﹁私も連れて行って欲しいな⋮⋮﹂
﹁ん?モクランには仕事があるでしょう﹂
モクランは白猫館の代表を務めている。
こうして俺が店に訪れれば顔を出してくれるが、暇なわけではな
い。
﹁仕事は誰かに引き継がせればいいんです。私は小猫ではありませ
んから身請け代も掛かりませんし。どうですか?﹂
竜衣という薄い布に包まれたモクランの体。
先程の風呂での出来事を思い出し、胸が熱くなる思いがした。
﹁そんな、ダメです!﹂
リザが思わず立ち上がり悲鳴を上げた。
﹁おっぱい好きのジン様がモクランさんを受け入れたりしたら⋮⋮
私の価値が⋮⋮﹂
立ち眩みがしたのか、思わずよろける。
素早く身を寄せて抱きとめた。
1665
﹁ジン様ぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮俺は何も言ってないぞ﹂
﹁リザさん安心して下さい。第一夫人にリザさん、第二夫人にシア
ンさん、私は愛人枠で良いですから。お二人の邪魔はしませんよ。
たまに味見するだけで良いんです﹂
そう言って、モクランは笑顔で答えた。
1666
第141話 注文の品1
翌日家に戻った俺達は約束の期日まで、それぞれに準備を始めた。
﹁私は家の片付けをしますね。長い間家を開けるなら貴重品はジン
さんにお願いして冒険者ギルドで預かってもらいましょうか﹂
リザの荷物は多すぎる為に、ギルドの金庫では収まりきらない。
﹁素材等は街の貸し倉庫を借りようかと思います。後は時間がある
だけ薬品の精製を行おうかと﹂
傷薬などは直ぐ作れそうなので、いくらか作って見るそうだ。
リザにも得意先はあるだろうし、急に姿を消しては迷惑になるか
もしれない。その辺りの処理もあるだろう。
﹁わしはちょっと出かけてくる﹂
アルドラが自分の用事で出かけるのは珍しい。
﹁なに、昔の知己に少しな﹂
﹁そうか、わかった﹂
俺は前もって注文していた品を受け取りに行くことにした。シア
ンもそれに付き合うことになった。
1667
>>>>>
﹁モクランさんも、兄様の奥さんにするのですか?﹂
目的の店へと向かう道すがら、シアンが唐突に訪ねてくる。
﹁え?いや⋮⋮どうかな﹂
まぁ、結局リザはというと、もし俺がモクランを受け入れたいと
願えばそれに従うと言っていた。
昨日の夜は取り乱したものの、俺のすることに反対をしたくない
らしい。
ともあれ、本心では受け入れて欲しくないのだ。
俺とて彼女を悲しませるような行動は取りたくない。で、あれば
選択肢は決まっている。
﹁シアンはどう思う?﹂
﹁私は兄様が良いと思うなら、モクランさんが奥さんになってもい
いと思います。家族が増えて楽しそうですよね﹂
エルフの特性、直感により彼女が悪人ではないことはわかってい
る。
1668
俺に近づいているのも、何か企みがあるという訳ではない。ある
種の性癖によるものなのだ。
﹁まぁ、結局のところ結論は後回しにしてるんだけど⋮⋮﹂
モクランのことは好みか好みではないかで言えば、相当好みでは
ある。
あのように迫られて、はっきり拒否出来ないくらいには。
それもあってか、返答は先延ばしにしてしまっているのだ。
﹃わかりました。いいお返事が聞けるように、祈ってます。主との
面会の話は、ジンさんがベイルにお戻りになられた時叶うように計
らいましょう。私の願いが届かずとも、そちらはどうにか致します
ので心配なさらないで下さい。ですが、主は大変気難しい方なので、
上手く行かない可能性もあることをご理解ください﹄ >>>>>
﹁今日は何処に行かれるのですか?﹂
﹁モクランに紹介してもらった店だ。シアンも前に1度訪れている
場所だよ。花街で使われている竜衣を一手に作っている店で、その
1669
主人が腕の良い職人なんだ。竜衣の他にも色々衣類を作っていて、
前に伺った時に物は試しにと注文してみたんだ﹂
﹁そうでしたか。それは手土産ですか?﹂
﹁ああ、疲れたときには甘いモノが良いらしい。差し入れにと思っ
てな﹂
シアンの視線が手土産に集まる。
﹁心配しなくてもシアンの分も買ってある。帰ったら皆で食べよう﹂
﹁あっ、いえ、そんな⋮⋮はい﹂ 俺たちは職人街の1角にある工房を訪れた。
店先は綺麗に掃除が行き届き、そこから見える店内もよく整理さ
れ、見本なのだろうか様々な服飾が壁から掛けられている。
﹁どうも、ビルギットさん。ユキノジョウさんいますか?﹂
店内を覗き込み、そこで掃除をしていた人影に声を掛けた。
﹁やあ旦那、ユキさんなら奥にいるよ。でも機嫌が悪いから気をつ
けたほうが良い。まぁ、旦那なら大丈夫だと思うけど﹂
ビルギット 裁縫師Lv38
ドワーフ 102歳 女性
1670
ビルギットは作業の手を止めて答えた。
あまり見かけないが、彼女は女性のドワーフだ。
髭が無いことを除けば、男性のドワーフと見た目の差はない。 ﹁そうか。これ後で食べて。甘いもの好きだったよね﹂
﹁蜂蜜ケーキ!いやあ、嬉しいね!ユキさんも好きだから喜ぶと思
うよ﹂
ビルギットに手土産を渡し、作業場のある奥の部屋へと進んだ。
この先は関係者以外立ち入り禁止とのことだが、前に案内された
こともあって勝手はわかっていた。
﹁はぁぁぁぁぁ︱︱⋮⋮駄目だぁぁぁぁ⋮⋮﹂
奥の部屋から盛大な溜め息が聞こえてくる。
﹁ユキさんお邪魔します。また問題ですか?﹂
作業場となっている部屋に入り、机に突っ伏しながら項垂れる女
性に声を掛けた。
﹁⋮⋮んんぁあ?ジン・カシマか!良いところに来た!﹂
1671
ユキノジョウ 裁縫師Lv58
獣猫族 42歳 女性
ユキノジョウは元々白猫館で妓女として働いていたが、30歳で
退職し現在は裁縫師として働いている。
裁縫スキルA級を活かし師匠亡き後、店主として店を守っている
のだそうだ。
花街の妓女となるものは命名の魔導具によって、名前を書き換え
られ花名を与えられる。
退職後、本名に戻されるのだがユキノジョウは花名が気に入った
らしくそのまま使っているのだという。
﹁注文の品を受け取りに来たんですけど⋮⋮何か有りました?﹂
﹁ああ、アレなできてるぞ。ちょっと待ってろ⋮⋮って、その後ろ
の娘は誰だ?﹂
ユキノジョウの視線が、俺の背後に隠れるシアンに注がれる。
シアンは怯えたように、小さくお辞儀をした。
﹁言ってませんでしたっけ?俺の妻ですよ﹂
1672
1673
第142話 注文の品2
﹁ほほう、ハーフエルフか⋮⋮﹂
ユキノジョウは値踏みするように、上から下へとシアンを見据え
た。
その眼光に気圧されたシアンは、思わず尻込みしてしまう。
﹁ユキさん?﹂
﹁おお、済まない。なかなか可愛らしい娘さんだな。なるほど、な
るほど﹂
ユキノジョウはブツブツと独り言を呟きながら、部屋の奥へと姿
を消した。
そして僅かな時間を置いて、両手に抱えるほどの荷を運んできた。
﹁これほど愛らしい娘なら、君の彼女を着飾りたいという気持ちも
わかるな﹂
﹁わかって貰えましたか﹂
ショーツ 衣類 C級
1674
﹁とりあえず試作品が完成したので、使い心地を試してみてくれ﹂ 帝国領から取り寄せた弾力、伸縮性に優れた特殊な生地を使用。
フィット感を重視した設計。
お尻、腰を包み込むようなデザインを採用し、ずり上げしにくい
構造に。
手縫いで仕上げられたレースが豊富にあしらわれ、最高級の華や
かさを演出している。
﹁まだ試作段階だからな。もう少し制作に慣れればB級クラス、い
ずれはA級クラスを生み出すことも夢ではないだろう﹂
現在、人類が生み出せるアイテムの等級はドワーフの鍛冶屋で刀
剣類のB級が最高だとされている。
A級、S級の製法は失われて久しいのだ。
﹁そうですか。それは楽しみですね﹂
確かにこの手触り、素人の俺でも上質な素材、高度な技術を持っ
てして作られたのだと理解できる1品であった。
更に机の上には各種下着類の他に、様々な服が並んでいる。
これらは全て我が家の女性たちのものである。
﹁⋮⋮兄様、これは一体?﹂
1675
シアンが驚いた表情で、こちらの顔を覗き込んできた。
﹁狩りに行くときは鎧を着こむのは仕方がない。仕方がないけど⋮
⋮普段は可愛い服を着て欲しいじゃないか⋮⋮﹂
俺は声を絞りだすように答えた。
オーダーメイド
受注生産の衣類、装備品は非常に高価だ。
それが出来るのは豊かな資金が在ってこそ。
武器防具などの装備品に、借金の返済と金はいくらあっても足り
ない状況だが、こういった事に金を使うのは間違いではないと確信
している。
言うなればこれは未来への投資だ。
俺の心が満たされ、明日への活力が湧く。
非常に理にかなった資産運用なのである。
﹁シアン、取り敢えず試着してみようか﹂
﹁ふぇ!?﹂
>>>>>
1676
﹁素晴らしいね。ジン、君の見立ては悪く無いぞ﹂
﹁ありがとうございます。ですが、モデルも衣装も一流ですから当
然だと思いますよ﹂
﹁ふふふ、なるほどな﹂
ユキノジョウは着替え終わったシアンを見据え、その作品の出来
に満足した様子であった。
﹁はぅぅぅ⋮⋮﹂
家に篭もりきりの生活だったシアンは、あまり人に慣れていない。
特に積極的に距離を詰めるタイプの人は苦手の様子だ。
羞恥に悶えるシアンが更に頬を赤くする。
キャバリア・ブラウス 衣類 C級
プリーツ・スカート 衣類 C級
﹁よく似あってる。シアン可愛いぞ﹂
そう言って頭を撫でると、彼女は気を良くしたのか少し落ち着い
たようだ。
1677
﹁あ、ありがとうございます。兄様﹂
白いブラウス、濃紺のスカート、シンプルで落ち着いた感じがシ
アンの雰囲気によく合っていた。
今回の品の代金をユキノジョウに収める。
﹁金貨10枚、確かに受け取った。ああ、そうだ。そうだ。君に見
て欲しいものがあったのだ﹂
机の上に置かれたのは、両手で抱えるのもやっとという大きさの
木箱だった。
﹁私の師匠が残した物でね。鍵はあるのだが、開かないのだ。何か
魔術で封印されているのかもしれない。確か君は鑑定が使えるんだ
よな?試しに判別して貰えないだろうか﹂
鑑定所に持ち込もうと考えていた際に、丁度良く俺が訪れたよう
だ。
前に来た際にアイテムの等級を当ててしまったので、鑑定持ちだ
と察したのだろう。
鑑定持ちはそこまで珍しい訳でもないので、特に隠す必用もない
と思う。
﹁わかりました。見てみましょう﹂
1678
収納箱 家具 D級 状態:施錠
両手で抱えて持てる程度の木箱である。
特殊な物ではなく、何処の家庭にも存在する収納に利用されるよ
うな一般的な家具の1種だ。
﹁魔術を付与された形跡はないようですね。鍵を使っても開かない
となると、鍵が悪いのか錠が悪いのかどちらかでしょう﹂
ユキノジョウが腕を組んで唸る。
﹁そうか⋮⋮では、あとは破壊して開けるしか無いか。中に何が入
っているか分からないので、破壊するのは避けたかったが仕方ない。
慎重にやれば問題ないだろう﹂
俺はふと新たに手に入れたスキルのことを思い出し、使えないか
どうか試してみたくなった。
﹁ユキさん、細い金属の棒とか無いですかね?何か鍵の代用になる
ような⋮⋮﹂
﹁金属の棒?何かするのか?﹂
シーフツール
盗賊の道具箱 雑貨 D級
ユキノジョウが部屋の奥から用意したのは、所謂ピッキングツー
1679
ルという奴だ。
小さな木箱の中には、何種類かの加工された金属の棒が収まって
いる。
市場で普通に販売されている物らしく、違法性はないらしい。
﹁そういや、鍵を無くした場合に使おうと思って買っておいたんだ
った⋮⋮まぁ、今まで使ったことは無いのだけど﹂
俺はユキさんから盗賊の道具箱を受け取り、解錠スキルにポイン
トを振り込む。
﹁開きましたよ﹂
﹁早いな!﹂ 衣類の設計図 書類 C級 完成品:ガーターベルト 衣類の設計図 書類 C級 完成品:ストッキング
衣類の設計図 書類 C級 完成品:ハイソックス
衣類の設計図 書類 C級 完成品:ベビードール
衣類の設計図 書類 C級 完成品:ブラジャー
箱に収まっていたのは獣皮紙の束だった。
1680
﹁これは、凄いぞ⋮⋮﹂
ユキノジョウが興奮した様子で、獣皮紙を調べる。
﹁凄いんですか?﹂
確かにC級はランクで言えば高い部類だ。そういった意味では凄
いのかもしれない。
﹁ああ、現代では失われたとされていた衣類の設計図だ。何故こん
な所に⋮⋮師匠のコレクションか?いや、それよりも⋮⋮﹂
ブラジャーやハイソックスは、ベイルにもあるようだけどD級ま
でしか無いらしい。
つまりこれは、高品質の製品を作るための設計図ということだ。
失われた技術が使われているために、ランクが高いようだとユキ
ノジョウは推測している。
﹁素材さえあれば、私でも作れる⋮⋮ふふふ、これは面白くなって
きた﹂
ユキノジョウは感情を抑えきれない様子で、口元から笑みをこぼ
すのだった。
俺は製品が完成した際には、必ず買いに来ると約束をして店を後
1681
にした。
1682
第142話 注文の品2︵後書き︶
※盗賊の道具箱はあっても使わないらしいので、貰って帰りました。
1683
第143話 魔杖と魔弾
﹁兄様、この後はどうされるのですか?﹂
元の服装に着換え、俺の後を追従するシアンが歩みを遅らせなが
ら聞いてきた。
彼女との歩幅の違いに気付いた俺は、迂闊だったと歩みを止めて
シアンの腕を取る。
恋人の様に腕を組むと、シアンは嬉しそうに頬を赤らめた。
﹁後はリザ用にと作らせている魔杖の受け取り、シアン用の魔弾の
受け取り、魔石屋に寄ってC級があれば買って、あとは⋮⋮ああ、
ギルドへ行って昨日発見した毒草の栽培所についての報告だな﹂
今日はそんなところかなと、シアンの動きを見て歩みを再開させ
た。
ギルドの報告は単に忘れていただけだ。色々あったからな⋮⋮
﹁まずは品物を受け取りに行く。どちらの店も職人街にある。近い
からそれほど時間は掛からないだろう﹂
職人街の片隅にある年季の入った工房を尋ねた。
1684
見た限りでは屋根は傾きあちこち歪みが生じていて、精錬とは程
遠い様相の建造物だ。
だがこの工房の職人は腕だけは信用できるとヴィムの勧めもあり、
シアンの石弓の制作を依頼した店でもあった。
無理を言って特注で制作してもらったにも関わらず、その高い完
成度は信頼のできる職人だと感じている。
﹁すいませーん!﹂
取り敢えず、店の奥へと大声で呼びかける。
見たところ人影はないようだし、ここに住む職員は老人なので耳
が遠い可能性が高い。
﹁誰かいませんかー?﹂
返事はない。
しかし魔力探知の反応から奥に人がいるのはわかっている。
寝ているのかもしれないが、せっかく来たのだし起こして品を貰
っていこうとしよう。
﹁んがががががッ⋮⋮んがががががッ⋮⋮﹂
特徴的な寝息を起てて、1人の老人がベンチで眠りこけていた。
1685
白髪のモヒカンのような髪型に、体の前面を多い隠すほどの豊か
な髭を持つドワーフ。
顔にある深い皺を見れば老人とわかるが、その全身に備える筋肉
には衰えた様子が全くと言っていいほど無かった。
この強固な肉体こそが、ドワーフの特徴の1つだと言える。
﹁おーい。ビッケル、起きてくれー﹂
取り敢えず優しく呼びかけてみる。
まぁ、起きないことは知っているのだが念のためだ。この爺さん
は、ほとんどの時間をこうして昼寝に費やしているのだ。
﹁んがががががッ⋮⋮んがががががッ⋮⋮﹂
﹁起きる気配はないな⋮⋮﹂
今日はこの後も予定があるのだ。のんびりと時間を掛けている暇
はない。
雷撃 F級
﹁うおッっふぅうッ!?﹂
指先から放たれた小さな光が、老人の尻に刺さる。
その衝撃で眠気が吹き飛んだのか、彼は勢い良く飛び起きた。
1686
﹁おはよう、ビッケル﹂
﹁スマンが坊主、もう少し優しく起こしてくれんかのう⋮⋮﹂
老人はがっくりと肩を落とし、疲れた様子で項垂れていた。
﹁いやあ、そう思ったんだけど、起き無さそうだったんでついな﹂
ドワーフという種族は丈夫な連中で、特に魔術に対する抵抗力が
非常に高いらしい。
つまりF級程度の威力では、大したダメージにはならないのだ。
﹁それで今日は何のようじゃ?また新しい石弓が欲しくなったんか
?﹂
﹁いや、そうじゃないよ。かなり前から魔杖を頼んでおいただろう。
忘れたのか?﹂
﹁⋮⋮ああ、忘れておったわ。ははは、すまん、すまん。勿論でき
ているとも、待っておれ﹂
赤霊木の戦杖 魔杖 D級 魔術効果:火球
前にリザと一緒に採取したレッドトレントの枝。根のほうは薬に
1687
変わったが、枝や幹は杖の材料に最適だと聞いたので、いくらか回
収していたのだ。
﹁坊主の指示通り、打撃にも耐えられるように補強しておいたぞ。
まぁ、余程無茶な使い方をしないかぎりは、実戦でも耐えられるじ
ゃろう﹂
一般的に魔術師の持つ魔杖というのは、近接戦闘に対応していな
い。
魔術師は魔術の行使、維持に神経を集中させているものなので、
杖で殴りあうという事はまずしないのだ。
万が一、敵に接近されたら腰の短剣などで応戦するといった具合
である。まぁ、普通の魔術師ならその前に逃げるのだろうが。
﹁ありがとうございます。これ、約束の代金です﹂
﹁うむ、金貨10枚、確かに受け取った。殴打仕様の魔杖なんて仕
事は初めてじゃったが、なかなか面白い経験じゃったぞ。また面白
いもんを作ろうって言うなら、声を掛けるがいい﹂
﹁ええ、そのときは﹂
>>>>>
1688
﹁次はシアン用の魔弾だな﹂
ドワーフの工房を後にした俺達は、次の目的地へと歩みを進める。
﹁あの兄様、魔弾というのは何ですか?﹂
魔弾というのは何らかの魔術付与を施された矢や、銃弾類を指す
ものだ。
話によるとこの世界にも銃は存在し、極一部で使われているらし
い。
石弓と同じように銃術というスキルがないようなので、あまり一
般的ではないようだが。
銃本体も弾丸も非常に高価だというのも、一般的ではない理由な
のかもしれない。
﹁シアンは魔術が使えないが、石弓という強力な武器がある。もし
矢に魔術を付与することが出来るなら、強力な攻撃手段になるはず
だ﹂
魔力を宿した装備品は、大量に身に着けると肉体から魔力を奪っ
てしまうので、不必要に身につけるのは良くない。と言われている
らしい。
だがハーフエルフの彼女なら、その辺りは問題にならない筈だ。
1689
目的の店に辿り着くと、俺は中に居た店主に声を掛けた。
﹁久しぶりだな、ラドミナ。約束の品は出来てるか?﹂
灰色の髪に褐色の肌。
深い緑色の瞳を備えた長身の美女。
彼女はベイルではあまり見かけないダークエルフと言われる種族
である。
﹁勿論だ。見てくれ﹂
ショックボルト 魔弾 D級 魔術効果:麻痺
俺が編み出した雷魔術、麻痺を付与した魔弾である。
ラドミナ曰く付与術師を長年やってきたが、このような術は聞い
たことがないそうだ。なので今のところ俺のオリジナル魔術という
ことになっている。
この術は何かと便利なので、シアンの石弓で扱えるサイズの太矢
に付与して貰ったという訳だ。 ﹁取り敢えず200本用意した。足りなければ言ってくれ﹂
﹁わかった。助かる﹂
1690
それだけあれば当座は十分だろう。
この矢は主武装と言うよりも、獲物の動きを止めるための補助と
して使う予定だ。
取り敢えず使い心地を試してみて、追々他の術も付与してもらう
ことにしようと思っている。
﹁ラドミナが付与術を教えてくれるなら、俺が自前で作ってやれる
のにな⋮⋮金は払うから術のやり方を教えてくれないか?﹂
そう言われた彼女は、明白に表情を曇らせる。
﹁そう言われて、はいそうですか。と教えると思うのか?勘弁して
くれ、私の食い扶持が無くなってしまう。それに人族に我々の術が
扱えるとは思えん﹂
ダークエルフでなければ使えないのか?と問いてみるが、答えを
濁したのでそう言う訳でもないらしい。
﹁そうか、残念だな。まぁ、ラドミナから仕事を奪うつもりはない
から心配しないでくれ。ただ興味が在っただけだ﹂
そう言うと彼女はホッとしたように、安堵の表情を浮かべるのだ
った。
﹁ど、どうしても我らの術の秘密が知りたければ、ダークエルフの
奴隷でも探すことだな。まぁ、そこらに居るとは思えんが﹂
50年ほど前に起こったルタリア王国と獣人国との戦争。
1691
その混乱の中、当時獣人国に住んでいた多くのダークエルフが保
護という形でルタリアに連れてこられ、戦争の有耶無耶のなかで奴
隷とされたものが居たらしい。
﹁聖女様がかなりの数の同胞を助けたと聞いたが、未だ多くのダー
クエルフが奴隷に身をやつしていると聞く⋮⋮﹂
﹁聖女様?同胞?﹂
﹁なんだ、知らんのか?女神教の聖女様はダークエルフなんだよ﹂
1692
第144話 検証
床下の食料貯蔵庫から隠し階段を降りて、ベイル地下遺跡の1室
へと辿り着いた。
アルドラと共に盗賊の地図、ベイル地下遺跡編の完成を目指して
探索したのだが、まだまだ完成には程遠い。
それというのも、ベイル市街の下にベイル地下水道があり、更に
その下に地下遺跡が広がっている。
そして、どうやら地下水道の水の一部が遺跡の方にも流れ込んで
いるらしく、遺跡を広範囲に渡って水没させているのだ。
水道に出没する魔物、ウォーターリザードが地下遺跡でも活動し
ていることから、彼らも流れ込んできているらしい。
おそらく複数箇所で繋がっているのだと予想している。
そういうこともあって、地下遺跡の地図完成は遅れていた。
まぁ、地図の空白埋めは趣味半分、好奇心のようなものだし、仕
事ではないので急いではいない。
なので特別問題は無かったのだが︱︱
﹁人魚の舞踏という魔法薬、これを使えば約2時間ほど自由に水中
で活動が出来るようです。ジン様の探索のお力になれるよう頑張っ
1693
て作りますね!﹂
と言ってリザが張り切ってくれているので、彼女の魔法薬が完成
次第探索を再開させようかと思っている。
﹁それにしても1本100シリル、200本で金貨2枚か⋮⋮結構
高くついたな﹂
付与術師がよく使う魔導具に転写板というものがある。
見た目は石版のようだが内部に魔晶石が組み込まれており、魔術
師が石版に手を当て魔晶石に術を記憶させるという道具だ。
記憶された術は付与術の触媒の1つとされ、それを使って別のも
の、今回は矢に付与を施したと言うわけだ。
できれば切り札となり得るような術は秘匿としておきたいところ
だが、彼女にはこれからも仕事を依頼するつもりなので致し方ある
まい。
それほど生産スキルB級の所持者は数が少ないのだ。 ﹁まぁ、いいや。次はリザを連れて行って値切らせよう﹂
ラドミナの店の後はギルドに寄ってあの毒草の報告をし、その後
ベイルに何店舗かある魔石屋を巡った。
C級の魔石を探していた訳だが、買えたのは2つ。あわせて金貨
1694
5枚だった。
わかってはいたが、かなりの高額だ。
﹁あっという間に金が無くなっていく⋮⋮まぁ、装備品は仕方ない。
必要経費だ﹂
やはり貿易で一気に稼ぐしか無いか。
レヴィア諸島とは僅かだが貿易の航路があるらしく、いくらかや
り取りがあるらしい。
通常は船代が掛かる所を、今回は転移装置で一気に移動するのだ。
しかも俺にはアルドラという無限収納箱がある。
レヴィア諸島で高く売れそうなものをベイルで買えるだけ買って、
向こうで売りさばき差額で儲ける作戦だ。
火球を放つ。
﹁あー、そういうのって密輸とかになるのかな⋮⋮後でリザに相談
するか﹂
>>>>>
地下遺跡の壁面に向かって、新たに修得した火魔術
1695
火球の大きさは握り拳ほどで、まるで溶岩の如き赤々としたエネ
ルギーの塊。それが炎をまとって発射されるのだ。
速度は100キロも出ていない。風球よりは速くはないようで、
射程は20メートルほどといったところか。しかし、20メートル
先の的に当てるというのは、かなり難度が高そうだ。10メートル
くらいを実用距離と思ったほうが良いかもしれない。
壁に着弾すると爆裂し、その場を炎上させる。
魔術の火だからなのか、石の壁も燃えている。火はやがて消えた
が、石壁が溶けたり変化した様子は見られない。そこまでのパワー
は無いのだろうか。
F∼B級と段階的に等級を上げると、単純に威力が向上するよう
だ。火球の大きさには、それほど変化はない。
実戦で使ってみないと威力の程度はわからないが、爆音や炎上を
見てみると相応に威力は高いように思えた。
壁面に向かって火球を撃ち続ける。
やはりA級、S級となると迫力が違うな。巨大化した火球が轟音
と爆炎を生み出し、着弾点の周囲を炎で飲み込む。
大きくなることで的には当てやすくなるだろうが、その代わり発
射速度は落ちているような気がする⋮⋮この辺りは微妙な所だな。
実戦での検証が必用だろう。
1696
﹁兄様∼、そろそろお昼ですよ∼﹂
地下遺跡で1人検証作業を続けていると、シアンから声が掛かっ
た。
﹁新しい魔術の検証ですか?﹂
﹁ああ、そうだ。火球は中々使い勝手が良さそうな魔術だな﹂
火球の扱いを熟知すれば、雷球も出来そうだ。イメージ的には似
たようなものだし、リザに助言を貰っても良いだろう。
﹁兄様は良いですね⋮⋮魔術が色々使えて⋮⋮そうやって簡単に覚
えてしまうし﹂
まぁ、長い期間修練して身に付けるのが普通らしいからな⋮⋮そ
ういう人から見れば、俺の能力はチート以外の何物でもない。
魔石からスキルを得られるのは、どうも俺だけのようだし。シア
ンにもそういった修得が出来るのならば、覚えさせてやりたい所だ
が⋮⋮
﹁シアンも魔術が使えるようになるさ﹂
﹁そうでしょうか⋮⋮﹂
1697
少し落ち込んだように、目を伏せる。
﹁それに今は魔術が使えなくとも、シアンにしか無い能力もあるだ
ろう﹂
シンクロ
俺も同調というスキルは修得しているのだ。それを使えば俺だけ
のペットを手に入れることも可能な筈。
ただ魔物には相性があるらしく、俺と相性の良い相手は未だ見つ
かってはいない。
俺は猫より犬派なので、犬系の魔物などを下僕にできると良いの
だが⋮⋮ワイルドドックは死にかけた痩せた犬という見た目が微妙
なので、直接見たことはないが黒狼などが良いかなと思う。
奴らは大森林の奥地に生息しているらしいので、未だ接触する予
定は無いが。
﹁そう、ですね⋮⋮﹂
﹁俺も同調スキルの使い方をもう少し熟知すれば、何か下僕を得ら
れるだろうか﹂
シアンは俺の手を取り、指を絡める。互いの手のひらを重ねるよ
うに。
﹁ん?﹂
﹁兄様も同調を使ってみて下さい。私の同調に重ね合わせるように﹂
1698
感覚を共有して、スキル使用のコツを教えてくれるそうだ。
﹁おお、そうか﹂
鋭敏のスキルを併用し、シアンの感覚に侵入し共有していく。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁大丈夫か?﹂
彼女は喘ぎ声にも似た小さな吐息をこぼす。
それに合わせるように、ビクリと身を震わせ背を仰け反らせた。
﹁はい、大丈夫です⋮⋮﹂
1699
第145話 黒衣の聖女
シアン曰く同調を使われるのは、服の中に手を突っ込んで弄られ
る感覚に近いそうだ。
相性が良い。というか、許容できる相手であれば問題ないようだ
が、そうでない相手であれば即座に拒絶することを選ぶという。
シアンからも同調を使って貰っているので、彼女の言わんとして
いることは何となくは理解できる。
どうも感覚的に使うスキルであるため、何度も使って慣れるしか
無いようだ。チャンスが有れば魔物にも積極的に使って相性の良い
奴というのも探してみたい。
真夏のルタリア王国は日中40℃近くになることも珍しくなく、
北国育ちの俺には厳しい物がある。
それ故、日中は涼しい地下で過ごすことを選んでしまうというわ
けだ。
約束の日まで魔術やスキルの検証をしたり、魔術修得のために魔
導書を読んだり、剣術、弓術、槍術の訓練をしたり魔石屋を巡った
りして過ごした。
1700
約束の日の前日リザが出かけるというので、それに同伴すること
にした。
﹁傷薬のC級が出来ましたので、いつも卸している所に置いてこよ
うかと思っています﹂
自分たちで使う必用な量は既に確保しているそうだ。
しばらくベイルを離れるということもあって、得意先への挨拶と
いう意味もあるのだろう。
貧民街は平民が暮らす区画である。
市民権を持つ者が暮らす市民街と比べると、あらゆる部分でみす
ぼらしいと言わざるをえない。
通常であれば都市に居住できるのは市民権を持つ者だけとされて
いるが、この自由都市ベイルでは条件さえ満たせば平民でも壁内に
暮らすことが認められた特殊な街であった。
そんな貧民街のとある1角に、その場所はあった。
﹁⋮⋮ここは?﹂
初めて訪れる場所だが、ここがどういう場所かは知っていた。
﹁貧民街の女神教会です。正確にいうと用があるのは教会の方では
なくて、隣の孤児院のほうなのですが﹂
1701
ベイルにある幾つかの教会には、孤児院が併設された場所がある。
ここは、その1つだ。
教会の建物はアルドラの村で見た作りとよく似ていた。
﹁エリザベス様﹂
塀を超えて敷地に入ると、年配の女性が声を掛けてきた。
服装から教会の関係者だろう。
修道士Lv26
リザはお辞儀をして、それに答えた。
﹁いつも孤児院のためにお薬ありがとうございます。今日はどうい
ったご用件でしょう?まだお薬の補充には早いと思いましたが⋮⋮﹂
﹁ええ、実は⋮⋮﹂
リザは持ってきた薬の包みを渡し、修道士の女性に事情を話した。
﹁そうでしたか。お仕事なら致し方ありませんね。子供たちも寂し
がると思いますが⋮⋮﹂
1702
この孤児院は妖精種、つまり亜人の子供たちが暮らしている。
薬師ギルドから必用な薬は購入しているらしいが、薬は高額で亜
人の孤児院は何かにつけて後回しにされるので、リザが安く薬を回
しているらしい。
リザが修道士の女性と何やら話し込んでいる間、俺は木陰で休む
ことにした。今日は特に日差しが強い気がする。
﹁暑い⋮⋮暑すぎる。よくリザは平気だなぁ⋮⋮体温調節の魔装具
を仕込んでいるとはいえ、この炎天下でコート着てるんだよな。シ
アンもそうだけど肌とか全然乾燥してないし。もしや、エルフの血
に何か秘密があるのだろうか?⋮⋮それにしても暑い。俺の魔装具
壊れてるんじゃねぇかな⋮⋮﹂
大木を背に項垂れていると、こちらに近づいてくる魔力を感じる。
﹁お兄ちゃん何してるの?﹂
現れたのは1人の少女だった。
﹁お兄ちゃん、次!次見せて!﹂
﹁私、うさぎがいいー。うさぎのやり方、また見せて﹂
﹁きつねは?きつねは、どうやるのー?﹂
1703
いつの間にか俺は、褐色の幼女︵集団︶に囲まれていた。
﹁わかった、わかったから、ちょっと落ち着け!﹂
灰色の髪に金色の瞳。彼女たちはダークエルフと呼ばれる者たち
だ。
孤児院の敷地内で死にかけた人がいると、心配した幼女が俺に水
を差し出してくれたのだ。
俺はお礼にとうろ覚えの手影絵を見せてやったら、意外と好評で
この有様である。
﹁ジン様、大丈夫ですか?﹂
話を終えたリザが足早にやってきた。
﹁あー、ちょっと助けてくれるか?﹂
>>>>>
﹁お兄ちゃん、ばいばーい!また遊んでねー﹂
満足した幼女たちが孤児院へと帰っていく。
1704
﹁ちょっと目を離したら、ジン様は⋮⋮﹂
そっぽを向いてリザが呟く。
﹁え?いや、違うよ?あれ?なんか変な誤解を生んでない?﹂
﹁たぶん誤解ではないと思います﹂
リザはきっぱりと言い放つ。
そうこう話していると、敷地の入り口で人が賑わっているのが見
えた。
誰か客が来たらしい。
神殿騎士Lv34
神殿騎士Lv37
神殿騎士Lv42
そこに現れたのは綺羅びやかな軽鎧、騎士服に身を包んだ集団で
あった。
如何にも騎士っぽい奴から、普通の市民っぽい格好だが中身は騎
士って奴まで様々いる。なんか物々しい雰囲気だ。
1705
探知を使ってみると敷地外にもいるようだ。
おっと、あんまり使わないほうが良いかもしれない。外を彷徨く
連中の動きに変化があった。警戒されたか?
﹁ジン様、聖女様です﹂
リザがそっと耳打ちする。
綺羅びやかな騎士服の集団に囲まれた中心、その中に黒衣の聖女
が佇んでいた。
先ほどの年配の修道士と話し込んでいるようだ。
まるで喪に服しているように全身黒い服を着ている。露出の全く
ない服だ。長いドレス、長い手袋。 顔もベールで覆われていて、その素顔を見ることは出来なかった。
この炎天下で暑くないのだろうか。
と思ったら、聖女は修道士と分かれこちらへと近づいてくる。
彼女は1人の騎士を追従させ、俺達も目の前で立ち止まった。
﹁貴方ですね、孤児院に質の高い薬を提供してくださっている薬師
様は﹂
1706
聖女がベールを外して、にこやかに微笑む。
少し影のある印象の美しい大人の女性だった。エルフと似た長い
耳。灰色の髪に褐色の肌、金色の瞳。
この人が聖女か。
﹁あっ、はい。ですが、大したことはしていません。自分たちで使
う過剰分を提供しているだけなので﹂
この施設にはダークエルフの子供の他にも、ハーフエルフの子供
もいるらしいので、リザがここへ通う理由はその辺りにあるのかも
しれない。
﹁自分たち?﹂
そう言って聖女は、俺の方へ視線を送った。
思わず会釈で答える。
後ろの騎士に一瞬睨まれたような気がしたが、たぶん気のせいだ
ろう。
﹁なるほど、冒険者でしたか﹂
状態:認識阻害
1707
認識阻害の魔術効果は①ステータス鑑定の妨害、②顔を隠すこと
で種族性別の判断を阻害といったものだ。
故にリザも街を歩くときは、余計な者に絡まれないように常に顔
を隠している。
この聖女様のステータスは、俺の魔眼でも鑑定が出来ない。
どうやら、かなり強力な魔術が働いているらしい。
状態:認識阻害
後ろに控える騎士も同様か。
装備を見る限り他の騎士と同質のようだが、おそらく実力は段違
いなのだろう。
勘だがそんな気がする。
﹁メリッサ。そろそろ時間だ﹂
後ろの騎士がぶっきらぼうに答えた。
﹁ええ、わかったわ。ごめんなさいね、もう行かないといけないみ
たい。また会いましょう、可愛い薬師様と若い冒険者さん﹂ 1708
第146話 転移門
装備を整えた俺達はベイルに片隅にある古い倉庫に来ていた。
﹁準備はできているようだな。では行こうか﹂
ゼストが先導し、それにエリーナ女史が追従する。
倉庫はかなり大きなもので、そこかしこに木箱が雑然と積み重ね
られていた。
そんな荷の中を縫うように進むと、彼らはある場所で立ち止まる。
どうやら目的の場所に辿り着いたらしい。
俺たちは静かに事の成り行きを見守る。
リザやシアンは興味深そうだ。
ネロはシアンの肩の上で、大人しく従っている。
エリーナが床の埃を軽く手で払うと、懐に収まっていて何かを取
り出した。
一瞬見えたそれは、どうも鍵束のようだ。
1709
エリーナが床に触れ何か動作をすると、その刹那光が床に走り奇
妙な魔法陣が浮かび上がる。
これも魔力回路というやつか。
次に気がついた時には地下へと続く階段が姿を表していた。
狭く暗い階段を降りる。
それぞれに灯火の魔導具を備えているが、足元は暗かった。
地下へと続くこの階段は、上がったり下がったり時に分かれ道に
なっていたりと複雑になっている。
﹁ちゃんとついてこいよ。正しい道を通らないと罠があるからな﹂
罠というのはゼストが用意した物ではなく、遺跡の時代のものが
まだ機能しているということらしい。
ゼスト曰く洒落にならないくらいの、えげつない罠がたくさんあ
るそうなので要注意とのことだ。
俺は懐に忍ばせておいた盗賊の地図に視線を移す。
﹁なるほど、この辺にあるのか⋮⋮﹂
盗賊の地図にはしっかりと地図が記載されていた。
1710
この場所もベイル地下遺跡の一部のようなので、倉庫からこなく
とも地下から近道で行けるかもしれない。
こんど詳しく調べてみよう。 ﹁なにか言ったか?﹂
ゼストが怪訝な顔をこちらに向ける。
﹁いえ、何でも﹂
そうこうして辿り着いた場所は、地下遺跡の1室だった。
部屋全体が球体という奇妙な部屋だった。四角い石板を貼りあわ
せて壁にしているのだ。
照明が無いにも関わらず、何故か部屋の中は明るい。
部屋の中心には黒い球が浮かんでいる。
転移門 遺物 A級
﹁この場所は他言無用で頼むぞ﹂
そう言ってゼストはにやりといつもの笑みを見せた。
1711
﹁わかっています﹂
俺の後ろに大人しく控えているリザ、シアン、ミラさんもコクコ
クと頷いた。
詳しい説明はされていないが、ここが重要な場所であることは彼
女たちにも理解できたようだ。
﹁わしも初めてきたな。ベイルにこんな場所があるとは﹂
黒い球を見つめるアルドラが呟く。
﹁アルドラがベイルを去ってからだよ、この場所を見つけたのは﹂
大森林の遺跡研究は古い時代から行われていたようだが、ベイル
の地下遺跡が発見されたのはそれほど古い話ではないようだ。
エリーナが壁面の一部に触れ、何かを操作している。
様子を覗こうと思ったが、何をしているのか見当がつかない。俺
が作業を見ても情報は得られ無さそうだ。
こういったことに専門的な知識があるやつがいれば、わかるかも
知れないが。
作業の時間を待っていると不意に地面の一部がせり上がってくる。
1712
金色の四角い柱。表面には何か文字が彫られている。俺には読め
ない文字だ。
﹁さて、魔石は用意してきたか?﹂
アルドラを幻魔石へと姿を戻した。
幻魔石はアルドラの本体でありながら、魔力を貯めこむ事ができ
る魔晶石でもある。
﹁なるほど、流石はS級の魔晶石だ﹂
俺は幻魔石をゼストに手渡す。込められた魔力の大きさに彼も納
得した様子だった。
アルドラにはこの一週間、大人しくしておくように言ってある。
魔力の消費を抑え回復に務めている手筈だ。
金の柱の上部に幻魔石を近づける。石と柱の間に放電のような現
象が起こり、魔力の粒子が放出された。
幻魔石に内包されている魔力が、柱へと注がれているのだ。
﹁⋮⋮大丈夫なのか?﹂
﹁問題ない。魔力を吸収しているだけだ﹂
1713
魔力が尽きた幻魔石を受け取る。
﹁まだ、足りないようだぞ﹂
続いて俺が柱に触れる。
﹁おぉ⋮⋮﹂
手のひらから、放電が起こり魔力が奪われていく。まるで体の中
身を、掃除機で吸い取られていくような感覚だ。
半分ほど消費した所で、シアンとミラさんが柱に魔力を注いだ。
そこで魔力は十分供給されたようだ。結局魔石は使用しなかった。
﹁魔石は腐らないからな。必要ないなら売ればいいだろう。取って
おいて値が上がった時に売るのでもいいしな﹂
ルタリア王国での魔石の供給源は、ザッハカーク大森林がほぼ全
てを担っている。
活動期なら魔石も手に入りやすいが、停滞期になれば流通が滞る
可能性がある。その場合は外国からの輸入に頼ることになるのだが、
大概の場合値段があがることは避けられないそうだ。
念のためとC級の魔石は10個用意したが、今は売らずに取って
おこう。
1714
使いみちが無いわけでもない。
1715
第147話 汐の風
ゼストが金の柱を操作すると、黒球は音もなくゆっくりと降下し
た。
門というのは、この黒球のことらしい。
球体の部屋の一番底まで降りてくると、その動きは止まった。
﹁向こうの安全は確保されている筈だから心配するな。既に滞在組
には連絡を入れてあるから、しばらく待てば迎えがくるだろう﹂
詳しい話は現地で、ということだ。
﹁わかりました﹂
先ずは俺から黒球に触れる。
実体があるように見えて、影のようなものらしく触れた手がズブ
ズブと沈んでいった。
隣を見ると既にリザ、シアン、ミラさんも一緒に黒球に触れてい
る。
﹁みんな一緒に行きましょう﹂
並び立つリザが答えた。
1716
﹁そうだな﹂
俺たちは互いに顔を見合わせ、一斉に黒球へと潜り込んでいった。
>>>>>
真っ暗な闇の中。
何処が上か下かもわからない。
まるで夜の海の中へと、沈んでいくような感覚。
周囲に手をやって空間を探ってみるも、何も掴むことはない。
探知スキルも役に立たない。
ここは、何処なんだ。
ちゃんと転移できたんだろうか。
みんなは無事だろうか。
何も見えない闇の中で、言い知れない恐怖が心のなかに入り込ん
でくる。
もしも、このまま1人になってしまったら⋮⋮一瞬そう考えると、
1717
グッと胸が締め付けられる思いがした。
そんな不安がよぎる中、そっと俺の手を掴むものがいた。
細くて柔らかい手だ。しっかりと握られていて力強い。
不安な気持ちを拭い去ってくれる優しい手だった。
﹁⋮⋮着いたかな﹂
未だ周囲は闇に閉ざされているため、今自分が何処に立っている
かさえわからない。
だが、不思議とあの黒い空間を抜けたという感覚はあった。
何処かに着いた。そんな気がする。
今まで周囲に感じなかった人の気配。
隣で寄り添うように立つのはリザだ。
﹁何も見えませんね。でもカビや埃の臭がします。地下でしょうか﹂
直ぐ近くにシアンとミラさんもいるようだ。
﹁塩の匂いもします。たぶん海が近いと思います﹂
1718
﹁にゃぁう﹂
闇の中にネロの声が響く。
﹁皆無事のようですね。よかった﹂
ミラさんの声は少し不安げだった。
灯火
﹁取り敢えず、明かりが必用だな﹂
火魔術
手元から生まれた火球が周囲を明るく照らす。
取り敢えず5個くらい生み出して、適当な空間に配置した。
魔物が直ぐ側にいる場合、自分の位置を知らせてしまうことにな
るため考えて使わなければ危険にもなる行為だが、この場所は安全
が保たれているということなので大丈夫なのだろう。
明かりが灯ると、周囲の様子が見えてきた。
リザの言うとおりこの場所は地下のようで、高い天井に石の壁、
石の柱が並ぶ遺跡のようだ。
見たところベイルの遺跡にも何処と無く似ている。年代的にも同
じくらいなのだろうか。ともあれ、相当古い時代なのは間違いなさ
1719
そうだ。
広範囲探知を展開して周囲の様子を探る。
近くに魔物の気配はないようだ。
同時に地形探知が、遺跡の形状をあぶり出していく。
﹁地上への道らしきものを見つけたぞ。取り敢えず行ってみよう﹂
崩れた石材が転がる遺跡を慎重に進み、俺たちは外へと通じる扉
を発見した。
扉は古くかなり重いが、筋力強化があれば何とか押し開けること
ができた。
アルドラがいれば楽なのだろうが、今は魔力を消耗して休ませて
ある。
魔石を消費すれば呼び戻せるが、無闇に消耗するのもどうかとい
うことで保留とした。 扉を開けると、湿気を含んだ冷たい風が頬を撫でた。
空には雲一つない青空。
1720
風に含まれる塩の香り。
嗅いだことのある独特の生臭さが鼻に付く。
シアンの言うとおり海が近いようだ。
扉を開けて出たのは草原のような場所で、あたり一体を短い草が
覆っている。
ザッハカークで見るような大きな木は無く、周辺で目につくのは
巨岩ばかりだった。
﹁ここがレヴィア諸島ですか﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
﹁にゃぅ﹂
﹁何か変な匂いがしますね﹂ 俺も久しぶりだが、彼女たちは初めての遠出だものな、色々と興
味も湧くことだろう。
広範囲探知で周囲の様子を確認。
アルドラは休ませているし、皆魔力を消耗しているので出来れば
安全な場所で休息したい所だ。
1721
探知で見た所この場所は小さな島のほぼ中央にあり、島はなだら
かな平の島で他にこれといって何もない島のようだ。
地形探知で見ることで盗賊の地図にも記載された。
魔物もいるようだが、あまり強そうなのはいないな。
まぁ、後で確認しておこう。
ゼストの話では﹁海の側に天幕を貼るのは止めておけ﹂との事だ
ったので、どこか海から離れた所に適当に貼って休憩にしようと思
う。
まぁ、その前に︱︱
﹁島を少し見て回るか﹂
﹁はい﹂
そうして歩き出した俺たちの背後から、突如ズシリと重い何かが
動く気配がした。
魔力探知では魔物の気配はなかった。
何処かに潜んでいたのか?
振り返ると地面が隆起し、大量の土が寄り集まり、何かの形をな
そうとしている所であった。
1722
アースゴーレム 魔導兵Lv42
弱点 風 耐性 土雷闇
スキル 創造
そこに現れたのは、4メートルを超える土の巨人だった。 1723
第148話 創造
﹁皆下がれッ﹂
脚力強化の準備を始める。
声をかけると同時に、シアンとミラさんは距離を取るため走りだ
した。
リザは俺の後方に待機。風魔術
焦茶色の塊。
胴体と四肢があるため人型と言えるが頭部はない。首にあたる部
分が盛り上がっている程度だ。
丸みを帯びた体。かなりの重量感がある。
アースゴーレムは体をびくりと震わせ、地面を力任せに叩きつけ
た。
衝撃が地面へと伝わり、僅かに地揺れが起こる。
﹁兄様!﹂
シアンの呼びかけに視線を移すと、地面から生き物の様に土壁が
迫り上がってくるのが見えた。
1724
一箇所ではなく全てが繋がっている。まるでシアンたちの進路を
妨害するかのように。
地形探知︱︱
俺達が通ってきた遺跡の出入り口、そこから周囲50メートルく
らいが壁で囲まれてしまっている。
﹁逃がさないつもりか﹂
何処が安全なんだよ。思わず心のなかで舌打ちをする。
とはいえ、今は目の前の対処へ集中しよう。
動きは鈍そうだが、パワーはありそうだ。
まともに白兵戦を挑んだなら、あの馬鹿みたいに太い腕で潰され
てしまうだろうな。
と思っていたら、こちらを敵と判断したのかアースゴーレムが動
き出した。
しかも結構速い。
﹁リザ、別々に動いて撹乱させよう。隙があれば適当に攻撃して反
応を見る﹂
1725
﹁わかりました﹂
既に脚力強化を付与してある。
見た目より速いとはいえ、脚力強化の足には追いつけないだろう。
﹁やはり雷撃は効かないか﹂
射程距離まで接近し試しに撃ってみたが、表面で弾かれる。
近づき過ぎると、太い腕を振り回して攻撃し始めるので注意が必
用だ。
逆側からリザが風球を放つ。
これは効いているようで、巨大な体に当たるたびに怯んでいる様
子だった。
アースゴーレムが太い足で地面を踏みつける。
ズシンと地面が揺れ、ゴーレムを中心に地面から石の柱が無差別
に突出した。
﹁うおっ!近づきすると危ない、リザ気をつけろ﹂
﹁はいっ﹂
1726
攻撃を受けて慌てて引き下がる。
無差別攻撃のようだが術の範囲が広い。
近接系が相手をするには相性の悪い魔物のようだ。
急にゴーレムの動きが鈍くなる。
どうやらリザの風魔術のようだ。
﹁逆風で押さえ込みます。今のうちに﹂
ゴブリン退治の折に手に入れた魔導書。
風魔術の書は、俺達で唯一風の使い手であるリザの手に。火は俺
の手に渡った。
火の術の修得は完了していないが、リザは既に使いこなしている
ようだ。
日々の魔法薬作成に加えて、術の修得も行っていたらしい。
﹁よくやった。そのまま抑えていてくれ﹂
魔力で生み出された風がアースゴーレムの体に纏わり付く。
前に進もうとすれば前から。後ろへ下がろうとすれば、後ろから
風が吹くという行動阻害系の魔術らしい。
1727
魔力を濃縮したような風は、まるで実体があるかのように重く伸
し掛かる。
全く動けなくなる訳ではないようだが、その動きは亀のように鈍
くなった。
火魔術 火球 S級
ポイントを変更し、魔力を惜しみなく注いだ全力の火球を放つ。
まるで小さな太陽かという光と熱を放出する火球は、身動きの取
れないアースゴーレムへと直進しその身を紅蓮の炎で焼き焦がした。
1728
第149話 即席露天風呂
手を上げて静止の合図を送る。
彼女はすぐに理解したのか、杖を下ろし術の発動を止めた。
燃え上がっていた炎が収まると、アースゴーレムは力を失い土塊
へと変化していた。
﹁ジン様、このゴーレムは⋮⋮﹂
魔物に詳しいシアンが、前に話してくれた事を思い出した。
ゴーレムというのは、魔術師が特別な材料に仮初の命を吹き込ん
で使役する召使いのようなもの。
迷宮の奥で宝を守っていたり、招かざる客を退けたりするものら
しい。
﹁やっぱりそうかな﹂
振りかかる火の粉を払っただけなので、俺に非はないはず。
とはいえ、重要な遺跡の守護をさせているのなら、滞在組にでも
報告だけはして置いたほうが良いのかな⋮⋮
風を受け土塊と化したゴーレムが、がらがらと音を立てて崩れ落
1729
ちる。
崩れた中から微かな魔力を感じ取り、埋もれていた魔石を回収し
た。
クリエイト
土魔術 創造
大地を操作する土魔術。
先ほどゴーレムがやったように、地面を隆起させたり土を岩に変
化させたり出来るようだ。
﹁ジンさん、これを見て下さい﹂
逃げ道を絶っていた土壁を杖で軽く叩くと、意外にも簡単に崩れ
落ちた。
﹁ゴーレムが倒れて、力を失ったんですかね﹂
俺たちを襲った岩も、既に土に戻っている。
魔力で作ったものは、いずれ土に還ると言うことだろうか。
いや、たしかベイルの城壁も、一部は魔術で作られた材料を使っ
ていると聞いた気がする。
ということは、作り方に違いがあるのかもしれない。
1730
落ち着いた所で、島の探索を開始する。
﹁それにしてもリザの新しい風魔術は強力だったな﹂
格上の相手を完全に抑えこんでいた。弱点という事もあったのだ
ろうが、それを差し引いても強力な魔術には違いない。
﹁はい。この魔術で少しでもジン様のお役に立てれば嬉しいです﹂
逆風を使用している間は、それ以外の術が使えない弊害はあるも
のの利用価値は高い。
術者の有能さも相まって、これから存分に活躍してくれることだ
ろう。
何体かの魔物を見かけたが、どれもレベルは低く脅威になるよう
な存在は居なかった。
あのゴーレムは魔物除けではなく、部外者除けだったのかもしれ
ない。
島の直径は2、3キロという小さなものの様なので、探索と言う
ほどのものには為らなかった。
>>>>> 1731
海岸線より離れた場所で、適当に見晴らしの良い場所に天幕を張
った。
今はミラさんとシアンが食事の用意をしている頃だろう。
俺はリザを連れ立って、そこから少し離れた場所の地面の様子を
調べていた。
﹁この辺りなら傾斜も少ないし大丈夫そうだ﹂
天幕からも近いし丁度いいだろう。
﹁ジン様ここで何を?﹂
リザが不思議そうな表情をして、地面を探る俺を覗き込む。
﹁試しに新たに手に入れた土魔術で、露天風呂を作ってみようと思
ってな﹂
創造の魔術で土の地面を岩場に変化させ窪地を作る。
細かい作業は難しいので掘削や溶解を併用しつつ、何とか形を作
っていく。この辺りは何度か経験する内に慣れてくるだろう。
完成した池にリザが水魔術の浄水で水を貯めていく。
1732
量が量だけに、かなりの魔力を消耗してしまいそうだ。もっと小
火球を溜めた水に撃ちこみ湯へと変え
さめに作ればよかったと少し後悔した。
水を張った所で、火魔術
る。
火球が強過ぎれば、露天風呂ごと吹き飛んでしまいそうなので加
減は重要である。 ﹁⋮⋮わぁ、凄いですね!﹂
﹁中々のものだろう?﹂
﹁はいっ、こんな短時間で此程立派なものが出来てしまうなんて⋮
⋮﹂
完成した露天風呂を目にしたリザが、感嘆の声を上げた。
湯に触れて温度を確かめる。
﹁熱くし過ぎたかな。少し時間を置けば丁度良くなるだろうけど﹂
﹁でしたらジン様、先に食事に致しましょう。その後、皆でゆっく
りと﹂
そういってリザは俺の腕を絡めとった。
ここ数日、彼女は魔法薬の調合と魔術書の修得に時間を費やし、
1733
俺と満足に触れ合う時間が無かったのだ。
そういうこともあって、寂しかったのだろう。なんて考えるのは、
流石に思い上がり過ぎだろうか。
﹁⋮⋮寂しかったですよ﹂
身を寄せるリザがそっと呟く。
俺は考えていることが、顔に出るタイプらしい。
彼女にとっては直感など無くとも、考えを読み取るのは容易いこ
とのようだ。
リザには隠し事は出来ない。俺はそう改めて思い知らされるのだ
った。
1734
第149話 即席露天風呂︵後書き︶
ジン・カシマ 冒険者Lv28精霊使いLv22
人族 17歳 男性
︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
スキルポイント 0/63
特性:魔眼
雷魔術 ︻潜水 溶解 洗浄︼
火魔術 S級︻灯火 筋力強化 火球︼
水魔術 ︻魔力吸収 隠蔽 恐怖︼
土魔術 S級︻耐久強化 掘削 創造︼
闇魔術 魔力操作︻粘糸 伸縮︼
探知 D級︻嗅覚 魔力 地形︼
耐性 F級︻打 毒 闇︼
体術
盾術
剣術 槍術
鞭術
投擲
短剣術
闘気 隠密 奇襲 警戒 疾走
軽業
1735
解体
窃盗
繁栄
同調
成長促進
雷精霊の加護
︻装備︼
ムーンソード 魔剣 C級 魔術効果:月光 ミスリルダガー 短剣 C級
鎧通し 魔剣 C級 魔術効果:貫通
黒狼の革兜 防具 E級
黒狼の胴鎧 防具 E級
黒狼の籠手 防具 E級
黒狼の佩楯 防具 E級
黒狼の脛当 防具 E級
猟兵の外套 魔装具 D級 魔術効果:認識阻害 斬撃耐性
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
疾風の革靴 魔装具 E級 魔術効果:移動速度上昇
雷精霊の腕輪 魔装具 S級 魔術効果:制作成功率上昇 魔術抵抗上昇 活性 鋭敏
魔術師の鞄 魔導具 C級 魔術効果:収納 ショートソード 片手剣 E級 1736
クレイモア 両手剣 C級
メイス 片手鎚 C級
ラウンドシールド 盾 E級
魔弓
C級 魔術効果:貫通
鉄蟻の盾 盾 D級
鹿王の朱弓
矢筒 猟具 E級
木の矢 矢弾 E級 ×99
ナイフ 短剣 E級
ギルドカード 魔導具 D級
発火棒 魔導具 E級 魔術効果:発火
盗賊の地図 魔導具 C級 魔術効果:測量 地図作成
ベイル地下水道の鍵 魔導具 D級 魔術効果:解錠
盗賊の道具箱 雑貨 D級
1737
第150話 疑惑の朝
手に感じる柔らかな感触。
指を動かすと例えようのない心地よさが伝わり、朧げな意識の中
でただそれを楽しんでいた。
﹁⋮⋮?﹂
意識が緩やかに覚醒して行く。
﹁⋮⋮んっ⋮⋮はぁ﹂
溢れる甘い吐息。
横たわるミラさんは、静かな寝息を立てていた。
ネグリジェとでもいうのか、何時も着ている服装よりも露出が多
い。
開かれた胸元から、白い谷間が見えている。
天幕は1つで、昨晩は皆で川の字になって眠ったのだと思いだし
た。
それが何故か今、ミラさんと並んで天幕で二人きりでいる。
1738
もみっ
おおおお!?
何だこれ、すっっげーーーー柔らかい!?
リザともシアンとも違う感触。
テンピュールの枕か、マシュマロか。
今まで感じたことのない新感触に感動すら覚える。
これは良くないことだ。
最低なことだ。
そう思いつつも、手が離れない。
罪悪感を感じつつも、その甘い感触を味わっていると不意に白い
腕が俺の肩を抱き寄せた。
﹁あ、ちょっ⋮⋮﹂
微かな汗の匂い。
だけど不快ではなく、むしろ良い匂いだ。
1739
豊かな膨らみを押し付けられると、俺の焦りは頂点に達した。
﹁⋮⋮んんっ⋮⋮こっちへ居らっしゃい。いい子ねぇ、ネロちゃん﹂
寝言なのか、小さく呟いて俺の頭を撫でている。
ミラさんは確か朝に弱くて、簡単には起きないと言っていた。
しかし、万が一この状況で起きられると、非常にマズイ気がする。
妙な誤解を生んでしまう気がする。
少しばかりミラさんの抱擁を味わったのち、俺は彼女を起こさな
いよう柔らかな腕から逃れるため静かに身を捩った。
彼女の拘束が意外と強く、なかなか外せない。
そうして藻掻いている内に、天幕の入口がそっと開かれた。
﹁兄様、起きてますか?朝食の用意ができました﹂
ミラさんの胸に顔を埋めている最悪の瞬間に、シアンが天幕へと
入ってきたのだった。
>>>>> 1740
外へ出ると周囲には、高さ2メートルほどの土壁が天幕を中心に
築かれていた。
寝込みを襲ってくるような魔物は島には居ないと判断したものの、
念のためを思っての防衛策である。
﹁⋮⋮見張りご苦労﹂
土壁の上で佇むネロに声を掛けると、彼は大きなあくびをして答
えた。
天幕から少し離れた所で、朝食が用意がされている。
先に起きていたリザとシアンが準備してくれたのだ。
﹁すいません兄様。お邪魔でしたでしょうか﹂
軽めの食事を取りながら、シアンが申し訳無さそうに呟いた。
﹁いやいやいや、だから誤解だって言っただろ?ミラさんが寝ぼけ
てただけだから!﹂
シアンの言葉に、思わず咽ながら答える。 リザの疑惑の視線を感じるが、シアンの直感よりも強力な彼女の
それは弁明する意味など無いかのように真実を見抜いてくれる事だ
ろう。
1741
﹁私は構いません。お母様と仲良くしていただけるのは、むしろ喜
ばしいくらいです﹂
そういって彼女は微笑みを向けてくる。
何故か、まったく疑惑は晴れていなかった。
﹁はい。私も兄様が母様と仲良くされるのは、嬉しいです﹂
シアンも姉に同調し、笑顔を浮かべている。
﹁⋮⋮ま、まぁ家族が仲良くするというのは、俺も吝かではないが
⋮⋮って、そういうことでは﹂
姉妹の笑顔をに挟まれて、俺は言葉を小さくしていくのであった。
1742
第150話 疑惑の朝︵後書き︶
エリザベス・ハントフィールド 薬師Lv30
ハーフエルフ 16歳 女性
スキルポイント 1/30
C級 特性:夜目 直感 促進
調合 E級
C級︻脚力強化 風球 浮遊 微風 風壁 逆風︼
採取
風魔術
E級︻洗浄 浄水 濃霧︼
E級
水魔法
杖術
︻装備︼
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
ストール 衣類 E級
ハードレザーアーマー 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ソフトレザーパンツ 防具 E級
レザーブーツ 防具 E級
魔術師の指輪 魔装具 C級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
アイスジェム 魔導石 E級
ファイアジェム 魔導石 E級
身代わりの護符 魔導具 D級
解体ナイフ 魔剣 D級 魔術効果:解体
赤霊木の戦杖 魔杖 D級 魔術効果:火球
冒険者の鞄 魔導具 D級 魔術効果:収納40/40
1743
第151話 未知との遭遇
﹁兄様!見てください、これっ﹂
驚きを隠し切れない弾む声。
波打ち際で何かを発見したシアンが、それを大事そうに両手に乗
せて運んでくる。
﹁何だそれ、何処から持ってきたんだ⋮⋮﹂
シーワーム 魔獣Lv1
それはピンク色の円筒形という謎の物体。
生物らしくピクピクと僅かに動いているのがわかる。
幅5センチ全長20センチくらいか。微妙に脈動しているのが余
計に気持ち悪い。
シアンはそれに不快感がないようで、愛おしそうに手のひらに乗
せ眺めている。
﹁砂の中にいたのを見つけたんです。たぶん害は無いと思います﹂
図鑑にものっていた魔物らしく、彼女には見覚えがあるようだ。
シーワームということは、海のミミズといったようなものか。
1744
魔物は頭部と思われる先端をもたげると、シアンの顔に勢い良く
何かを噴射した。
﹁ふぁっ!?﹂
﹁だっ、大丈夫か!?﹂
少し怯んだ様子を見せた彼女だったが、直ぐに立ち直り再び観察
を始める。
﹁大丈夫みたいです。吹き出したのは海水のようですね﹂
﹁そうか⋮⋮大丈夫なら良いけど、気をつけてな﹂
﹁はいっ﹂
シアンは嬉しそうに返事をする。
今まで家に閉じこもりがちの生活だったのだ。見るもの全てが新
鮮で、好奇心を刺激されるのだろう。
周囲には脅威となる魔物の姿も無いようだし、自由に行動しても
問題はなさそうだ。
リザはと言うと、彼女は彼女で膝辺りまでを海水に濡らし、何か
の採取に勤しんでいる。
海に生える薬草、いや、海藻なのか。
1745
﹁凄いですね。海には初めて来ましたけど、貴重な薬草がこんな簡
単に採れるなんて﹂
﹁そうか。この辺りは安全のようだけど、夢中になり過ぎないよう
に。あまり深いところまで行くと危険だろうからな﹂
﹁はい。わかりました﹂
>>>>>
﹁どうですか?気持ちいいですか?﹂
﹁あー、すごいいいですね∼﹂
波打ち際で忙しそうにしている姉妹を見ながら、俺は浜辺でミラ
さんのマッサージを受けていた。
患部を揉みほぐしながら治療術を掛けるミラさん独自の技術らし
く、通常よりも疲労回復効果が高まるらしい。
これは治療院で働いていた時期に、客の老人たちのために編み出
したのだとか。
﹁制御スキルを併用することで、より繊細に術を行使できるのです
ね﹂
1746
﹁それほど大層なものではありませんよ﹂
謙遜するミラさんだが、その技術は中々に高いように思える。
力は決して強くはない彼女だが、その指先が体の奥に蓄積された
疲労を溶かしていく感覚が快感だった。
制御スキルを修得できれば、俺の操る魔術も一段階上の領域に上
がれることだろう。
魔物から修得できれば良いのだが、それがいつに為るかはわから
ないので、ミラさんに習うという選択肢も有りかもしれない。
﹁ええ、勿論いいですよ。私で良ければ協力いたします。でも、人
に教えるという経験が無いもので、教えるにしてもどうすれば良い
のでしょうね⋮⋮﹂
﹁なるほど、そうですよね﹂
ミラさんの制御スキルは誰かに与えて貰ったものではなく自然に
身についたものらしいので、教えるにしてもどう教えて良いのかは
わからないという。ミラさん自身、操作しようとしているのではな
く、無意識に効果を発揮しているものなのだろう。 ﹁ああ、そうだ。俺が所有するスキルに同調っていう感覚を共有す
るものがあるのですが、もしかしたらソレを使えば制御スキルの感
覚を覚えるのに役立つかもしれません﹂
1747
第151話 未知との遭遇︵後書き︶
シアン・ハントフィールド 獣使いLv20
ハーフエルフ 14歳 女性
スキルポイント 1/20
特性:夜目 直感 促進
同調 E級 調教 E級
使役 D級
狙撃 D級
斧術 F級
︻装備︼
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
レザーヘルム 防具 E級
ソフトレザーアーマー 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ソフトレザーパンツ 防具 E級
レザーブーツ 防具 E級
力の指輪 魔装具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
サンダージェム 魔導石 E級
クレインクィン 石弓 E級
ウッドボルト 矢弾 E級
ショックボルト 魔弾 D級 魔術効果:麻痺
ボルトバック 猟具 E級
フランシスカ 魔斧 C級 魔術効果:投擲 筋力強化
1748
魔導具
ナイフ 短剣 E級
身代わりの護符
ネロ 使い魔Lv14
D級
種族:ブラックキャット 魔獣
弱点:火雷水 耐性:闇氷
スキル:闇付与 潜伏 隠密
1749
第152話 海人族の男
﹁ムカエガクルゾッ!ムカエガクルゾッ!﹂
伝達
片手に乗るほどの大きさの小鳥が、眼前に降り立ち喧しく鳴き喚
く。
伝書鳩 魔導具 C級 魔術効果:飛行
まるで本物かと言うほどに精巧な作りの生物型の魔導具。その様
子から生きた絡繰り人形といっても過言ではない。
鳩とはいうが、俺の知る鳩とは違うようで地味な色彩の野鳥のよ
うだ。
前に聞いたことがある。上位の冒険者との緊急の連絡をとる手段
があると。それがこれなのだろう。
B級以上の冒険者ともなれば、その活動範囲は広く場合によって
は国外に及ぶことも珍しくはない。
そういった場合、場所によっては緊急の連絡がつかない状況も考
えられる。
そこで開発されたのが、この伝達の魔導具というわけだ。
ギルドで緊急の案件が発生した場合に、やむえず連絡をとる手段
なのだ。
1750
テント他を撤収させ、伝書鳩が導く浜へと移動する。
絶えず喧しく鳴くので、おそらくもうすぐ迎えの者が現れるのだ
ろう。
﹁ジン様、来たようです﹂
﹁おっ、来たか﹂
リザが指差す方角に視線を動かすと、こちらへと向かってくる帆
船の姿が確認できた。
だんだんと岸へ近づいてくる帆船。
ここから確認できる乗組員は男性1人のようだ。あれが話にきく
海人族というやつか。
﹁ギルドの冒険者が迎えに来るのかと思ったが﹂
線は細いが引き締まった無駄のない体。人族の肌色ともエルフの
色白とも違った、青味がかった珍しい肌の色をしている。
髪の色は灰色に近い白髪。長めの髪を乱暴に後ろで縛っていた。
船の男は何やら大きく手を振って合図している。
1751
なかなか気の良さそうな男だ。
あまりに一生懸命に降っているので、俺も思わず手を振り返した。
﹁うおおおおーーーーーい!!!お前ら、ささっと船に乗れぇーー
ーーッ!!奴らがくるぞ、早くしろーーーーーーッ!!!!﹂
岸近くまで寄ると、船の男は絶叫かと言わんばかり声を張り上げ
た。 >>>>>
船の男の指示に従い、リザ、シアンが慌てて船に飛び乗る。
リザの表情を見れば、男が悪意のある者でないことはわかった。
状況はわからないが、あの焦りようは全くの猶予がないのだと訴
えているようだ。
船は接岸する手前で止まっている。浜まで乗り上げてしまうと、
素早くこの場を離れることが出来なくなってしまうからだろう。
俺はミラさんを抱きかかえ、船へと急いだ。
﹁すいません、ジンさん﹂
1752
腕の中で恐縮して小さくなるミラさんが可愛い。
﹁ローブが濡れてしまいますからね﹂
船の男が手を繋ぎ船へと引き上げてくれる。細身の男だが力強い。
それなりに年齢はいっているようだ。
瞳が水晶でも嵌め込んでいるかのような不思議な造形をしている。
それを見て、やはり人族とは違った種なのだと実感する。
﹁助かる。ありがとう﹂
船に乗せてくれた男に礼を言うと、彼は慌てた様子で答えた。
﹁悪いが話は後だ、すぐに出発する﹂
長年使い慣れた道具のように手際よく船を操作して、素早く反転
させると船は沖へ向かって進み始めた。 1753
第152話 海人族の男︵後書き︶
ミラ・ハントフィールド 治療師Lv29
エルフ 90歳 女性
スキルポイント 3/29
特性:夜目 直感 促進
光魔術 C級︻治癒 防壁︼
魔力操作 C級︻制御︼
調理 D級
︻装備︼
ミスティコート 魔装具 E級 魔術効果:認識阻害
キャスケット 衣類 E級
ハードレザーアーマー 防具 E級
キルティングベスト 防具 E級
レザーグローブ 防具 E級
ロングスカート 衣類 E級
レザーブーツ 防具 E級
アウトラスト 魔装具 E級 魔術効果:体温調節
ストーンジェム 魔導石 E級 ショートスタッフ 片手棍 E級
ラウンドシールド 盾 E級
身代わりの護符 魔導具 D級
バックパック 雑貨 E級
1754
第153話 深海の使者1
船は大人10人が楽に乗れると思われる大きさがあり、俺たちが
乗り込んでも十分に余裕があった。
大きな帆が風を受けて進む。
波は穏やかで、何処までも空は青い。
念のためにと探知の範囲は広くしているが、特殊な反応は感じな
い。
何があるというのだろうか。
﹁俺はミスラ族のシダ。お前らルタリアの冒険者だろ?まぁ、装備
を見ればだいたいわかるけどな﹂
確認もせずによく船に乗せたなと思ったが、あの指定された場所
にいるのは俺たちだけということなので、間違いようが無いという
話であった。
シダ・ミスラ 漁師Lv31
海人族 42歳 男性
特性 流動 皮膚感知
スキル:風魔術C級 水魔術C級
槍術D級
1755
操船E級 ﹁ジン・カシマです。それより、ずいぶん慌てていたようですけど
何があったんですか?﹂
俺を含め皆、挨拶もそこそこにして本題を聞き出す。
﹁あー、そうだな。あの場所は人魚の縄張りでな。女がいると襲っ
てくるんだ﹂
島を含む、あの領海は妖魔マーメイドの縄張り。
マーメイドは人種の男性から精を奪い糧とするが、女性の場合は
殺して海に沈めるのだという。
﹁そんな奴がいるんですか⋮⋮﹂
﹁あの辺りは縄張りでも端のほうだから、浜に寄らなければそれほ
ど危険でも無かったんだがな﹂
近くに魔物の気配は感じられなかったが、魔物の感知する能力が
どれほどのものかはわからない。
もしかしたら俺たちの行動が、魔物を刺激してしまった可能性が
あるということか。
﹁男の場合は殺さるまではしない。餌みたいなもんだからな。吸え
るだけ吸ったら開放するらしい。でも女連れだと興奮して襲ってく
る可能性が高い﹂
1756
ちなみに精というのは生命力みたいなものらしく、奪われれば数
日間はまともに立って歩けなくなるほど衰弱してしまうのだとか。
シダは俺たちを、と言うより女性たちを順に見渡し軽く溜め息を
吐いた。
﹁こんなに多いとは聞いてなかった。追加料金貰わないと割に合わ
ないな﹂ ﹁申し訳ありません﹂
表情の曇る男にリザが謝罪を述べる。
﹁あんたに謝られてもな。まぁ、依頼主から貰うから良いさ。それ
よりこんなに女の匂いを漂わせていると︱︱﹂
﹁ジンさん、見てください。あそこです!﹂
ミラさんが身を乗り出すようにある場所を指し示す。その先の水
面に、高く水飛沫が上がっているのが見えた。
何かが凄い速度で船を追いかけているのだ。
﹁まさか、あれがそうですか?﹂
﹁そのようだ。マーメイドは執念深いからな﹂
水面を走る水飛沫の数は6箇所。少なくとも6体はいるのか。
1757
その内の1体が水面から飛び出す。
まるでバタフライ泳法のような泳ぎだが、速度が尋常じゃない。
とてつもない速さだ。
﹁もっと速度出せないんですか?﹂
船に備わる帆を見れば、大きくたわみ存分に風力を受けているの
がわかるが、このままでは直に追いつかれるだろう。
エアカレントコントロール
﹁無理だな。俺は風魔術の気流操作で船を動かしているが、この速
度が限界だ。そうだ、君たちの中に風魔術を使えるものはいないの
か?たしかエルフは風魔術が得意だと記憶しているが﹂
﹁リザ、どうだ?﹂
視線を送り意見を伺うが、彼女は首を振って答えた。
ブリーズ
﹁私が使える術で風を操れるのは微風くらいです。それでは船を動
かす足しにもならないと思います﹂
微風は例えば洞窟内に溜まった毒ガスを押し流し除去する、など
といった場合に使われる魔術である。
風力という意味では、かなり小さい部類に入る術なのだ。とても
この大きな船を動かす助力になるようなものではないという。
1758
第154話 深海の使者2
﹁シアンは右を、リザは左を警戒してくれ。俺は中央、ミラさんは
後ろで待機﹂
﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂
この海域から目的地まで、おおよそ15時間は掛かるという。と
なれば迎撃する以外に選択肢はない。
人が管理する領海に入れば魔物もおいそれとは追ってこないとい
うが、その目的地まで安全に休める場所は無いらしいのだ。
﹁シダさん、これを﹂
﹁ん?何だこれは﹂
鞄から取り出した魔法薬を男に手渡す。
マナポーション
﹁魔力回復薬です。消耗していると感じたら直ぐ飲んで下さい﹂
リザの逆風と同じく、気流操作を使っている間は他の魔術が使え
ない。
となれば、魔物の迎撃は俺たちで請け負うことになる。まぁ、話
によれば引き寄せてしまったのは、俺たちが原因のようであるし致
し方ない。
1759
ゼストが浜に近づくなと言っていたのは、この事だったのだろう
か。もう少し詳しく指示してほしいものだ。
﹁なんと、助かる。でも良いのか?たしか高価なものだと聞いたこ
とがあるが﹂
﹁大丈夫ですよ。彼女が薬師なので、材料さえあれば作れるんです。
それに自分たちで使うぶんは確保してありますしね﹂
﹁そうか、それなら遠慮無く使わせてもらおう﹂
魔法薬を受け取ったシダは操船に戻った。このような海上で船が
止まれば逃げ場はない。彼は操船に集中してもらおう。
﹁ギィシャァアアアアアーーーーーーッッッ!!!﹂
奇声を発し、魔物が水面より姿を見せる。
マーメイド 妖魔Lv23 たいてい人魚というのは、美しい人間の女性の上半身に魚の下半
身というので相場が決まっている筈である。
だが目の前に現れたのは、人魚というより魚人。
鱗で覆われた異形の怪物だった。
確かに顔は魚系だ。下半身は見えないが魚なのだろうか。
1760
右側に姿を見せた魔物の頭部に、突如深々と矢が突き刺さる。
狙いすましたシアンの石弓が獲物を捉えたのだ。
﹁うおおお、凄いな。高速で動く物体を水面から出た瞬間に狙い撃
ちって、並の技じゃないだろう﹂
俺が驚きの声を上げると、シアンが満足そうな笑顔を向けてくる。
﹁えへへ。後でいっぱい褒めて下さいね﹂
そういって彼女は再び矢を番えた。どうやら彼女は心配なさそう
だ。
自分に自信がなかった頃が嘘のように、逞しく成長したものだ。
ネロはと言うとシアンと足元で小さく丸まっている。
浜でも大人しかったが、船もダメらしい。そういえば水が苦手だ
ったんだよな。 左側の水面が大きく跳ね、マーメイドが船の縁に取り付いた。
鱗に包まれた腕。鋭い爪。船へと乗り込もうと身を乗り出す。
﹁お任せ下さい﹂
鋭い牙の並ぶ大きな口に戦杖を叩き込む。
1761
刹那、マーメイドの頭部が勢い良く燃え上がった。
﹁ッンガッ!?﹂
声にならない声がマーメイドから溢れる。
リザは即座に戦杖を引き抜き、側頭部に渾身の打撃を叩き込んだ。
﹁左舷は私が守ります﹂
新しい杖でリザの攻撃力は大幅に改善されたようだ。
﹁嬢ちゃんたち、やるなぁ﹂
背後でシダがぼそりと呟いた。
1762
第154話 深海の使者2︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
1763
第155話 深海の使者3
雷撃の射程は短く役には立たない。火球の射程は20メートルほ
どだが、速度が足りずマーメイドに当てるのは難しそうだ。
そもそも高速で動く魔物に攻撃を当てるというのは、相当に難易
度が高い。
﹁当たる気がしない⋮⋮しかし、牽制の意味でも攻撃はしておくか。
魔力を無駄にするのも癪だしな﹂
横を見ればリザの攻撃も控えめだ。当たらない。当たってもたか
が知れていると察したのだろう。
魔弓
C級 魔術効果:貫通
俺が持つ攻撃手段で、速度と射程が長いのは今のところ1つしか
なかった。
鹿王の朱弓
取り出した弓に矢を番え、水面を波立たせる魔物へ向けて放つ。
矢は貫通の魔力を宿し高速で飛行、魔物が潜むであろう水面に静
かに吸い込まれた。
手応えはない。
そうそう簡単には当たらないか。それでも狙った場所に飛ばせた
1764
だけでも、なかなかのものだろう。
俺は気にすること無く再び矢を番え、魔物へ向かって放ち続けた。
﹁⋮⋮何だ?何か、違和感が︱︱﹂
耳鳴りだろうか。頭の奥を締め付けられるような感覚。視界が歪
み、思わずよろけたたらを踏む。
周囲を見渡すとリザ、シアンも頭を押さえ違和感を感じている様
子だ。
ミラさんは異変からか、その場に蹲っている。
﹁気をしっかり持て!こいつは呪歌だ。セイレーンが近くにいるぞ﹂
舵を取るシダから激が飛ぶ。
どうやら、この異変は何らかの攻撃を受けている結果らしい。
﹁おおっ!?﹂
衝撃を受け、船体が大きく揺れる。
船の最後尾、縁に掴まる巨大な腕が見えた。
マーメイドのそれとは、あきらかに違う巨大な腕。しかし、同種
なのか鱗に覆われ鋭く長い爪が備わっているのが見えた。
1765
﹁何とかしろぉぉぉーーーー!!﹂
高速で動く船を掴み、その動きを止める。まるで海の底に引きず
り込まんとするような強大な力。
このままでは危険だ。魔術を放つために魔力を集める。しかし、
それよりも早く動いたものがいた。
シアンだ。懐から何かを取り出し、船尾に向かって投げ放つ。
僅かな時間を置いて、そこから閃光が生まれ激しい雷鳴が周囲に
轟いた。
衝撃で船が揺さぶられる。魔物の拘束を脱したのか、船が再び推
進力を取り戻した。
﹁よくやったシアン!﹂
声を掛けながら、船に乗り込もうとするマーメイドを雷撃で蹴散
らす。
﹁はいっ﹂
一時的に動きを止められた結果、マーメイドが何体も船に取り付
いてしまったようだ。
リザは火球で、シアンは斧を振るいマーメイドを追い払った。
1766
船から僅かに離れた水面に、大きな水のうねりを感じる。
まだあの怪物が追いかけてきているのだ。
懐に収まっていた幻魔石を取り出し顕現させる。しばらく休息さ
せたので、幾ばくかは魔力も回復したことだろう。 魔力の粒子が集まり、人の体を成していく。
やがてアルドラが姿を現した。
﹁ジン、後ろじゃ!﹂
姿を見せるなり叫ぶアルドラ。
﹁え?﹂
彼の言葉に反応するも一歩遅く、俺は背後から何者かに首を絞め
つけられた。 1767
第155話 深海の使者3︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
1768
第156話 深海の使者4
細い腕が首にはまり頸動脈を圧迫した。
﹁え?あれ?﹂
あ、やばい本気で苦しい。
と思ったが、アルドラが速やかに腕を取り外してくれた。危なか
った。
﹁あのデカいのに、やられた様じゃな﹂
やれやれと彼は溜め息を吐いた。
﹁うがぁぁぁぁぁッ﹂
振り返ると蜂蜜色の長い髪を振り乱し、獣のように咆哮するミラ
さんの姿があった。
普段のおっとりした彼女からは想像もできない様子だ。
状態:魅了
アルドラが両手首を押さえつけ拘束しているが、彼女は暴れ抜け
出すことを諦めていない。 ﹁魔力を吸い出し気絶させよ。大人しくなるじゃろう﹂
1769
そういって彼はミラさんの拘束を解き彼女の身を委ねた。
慌ててミラさんを抱き寄せる。
﹁は?いや、それは﹂
俺がたじろいでいると、アルドラは問題ないと言い放つ。
﹁生娘じゃあるまいし、その程度のことなど気にせんじゃろ。それ
とも殴りつけて正気にさせるつもりかの?﹂
アルドラは冗談交じりに問いかける。
﹁ミラさんを殴る?それは絶対ダメだ﹂
驚きの提案に、俺は僅かに声を荒げた。
﹁なら任せるぞ﹂
そういって彼は視線を別のものに移す。
今まさに先ほどの巨大な怪物が、船尾に姿を見せたのだ。
﹁任せるって⋮⋮﹂
セイレーン 妖魔Lv46
巨人のように大きな体を持つ怪物。鱗に覆われた皮膚。鋭い爪、
牙の並ぶ裂けた口。マーメイドを巨大化させた魔物がそこにいた。
1770
おそらくマーメイドの希少種なのだろう。奴らを率いていること
を考えても、おそらく間違いないはず。
シアンがショックボルトを番え絶え間なく放っているが、あまり
有効には見えない。微かに怯んでいる、その程度だった。
﹁ぁぁ⋮⋮﹂
力なく虚ろな表情を向ける彼女の手を取り、強く抱き寄せた。
﹁すいません、ミラさん失礼します﹂
唇を奪い、その魔力を根こそぎ吸い出していく。
﹁あっ︱︱﹂
柔らかな唇。甘い香り。豊かな胸が押し潰され、変形する。
舌を強引に差し込み、彼女を思うがままに蹂躙した。
魔力を奪いつくされたミラさんは、その場に力なく倒れた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
シダから怪訝な視線を送られるが、今は無視しておく。 それどころじゃないからな。
1771
アルドラが剣を振るい、セイレーンと交戦しているが決定打には
欠けるようだ。
相手は海の上。危険を感じれば何時でも距離を取れるのだ。それ
に加え、配下のマーメイドが多数存在する。
リザとシアンが対処しているが、防戦が精一杯の様子だ。この状
況は魔物に有利すぎる。下手に戦闘を続けるよりも、退避したほう
が良いだろう。
﹁リザ、船に浮遊を掛けてくれ。この領海を脱出する﹂
﹁え?あ、はい﹂
船を浮かせることができれば、接触抵抗が発生しないのでシダの
気流操作だけでも速度が出せるはず。
巨大な船体を浮遊させるのは、簡単なことではないが︱︱
﹁シダさん、今からリザが船体を浮かせます。おそらくそれで速度
が出せるはず。この戦況を脱出します﹂
﹁なんだって?﹂
リザが全神経を集中させ魔力を操作する。
俺の指示の真意を、事細かに問いただすようなこともない。俺は
それを信頼してくれているのだと受け取っている。
1772
説明する時間も惜しい時には、その信頼はとても有り難い。
船体が僅かに浮いてくる。それに合わせて航行速度も徐々に上が
っているようだ。
セイレーンが船に張り付き妨害してくるが問題ない。
雷撃S級
閃光と轟音。それに伴う激しい衝撃がセイレーンに襲い掛かる。
直撃を受けた魔物は動きを完全に制止させた。
雷撃の余波は周囲のマーメイドをも巻き込み、もろとも海底へと
沈んでいった。
1773
第156話 深海の使者4︵後書き︶
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1774
第157話 海上都市ミューズ
セイレーンの追撃は無かった。
仕留めた感触はないので、もしかしたら再び姿を現す可能性もあ
る。警戒は怠らないよう探知を広げておく。
﹁休憩にしよう。港まであとわずかだ。ここまで来れば、魔物の危
険も少ない﹂
長時間魔術を維持し、1人で操船を行っていたシダにも疲れの色
が見える。
魔物の襲撃があったため無理したようだが、通常であれば休みな
がら魔術を使って航行するものだそうだ。
それに長時間の浮遊はリザの魔力も大きく消耗させている。
超重量の船体を、1人で持ち上げようというのだから無理もない
だろう。
やらせたのは俺だが、それでもやってのけた彼女には頭が下がる
思いだ。
疲労が限界に達したのか、今は少しでも回復させるため横になっ
て身を休めている。
浮遊による高速移動は船体の負荷も増大させることになったが、
1775
念のためにと付与した耐久強化にどれほどの効果があったか⋮⋮
﹁母様は大丈夫でしょうか⋮⋮﹂
心配そうにシアンが顔を覗き込む。
ミラさんは魔力枯渇により、強制的な睡眠状態に陥っていた。
今は俺の膝の上で熟睡中だ。
﹁心配ない大丈夫だ。少し休めば目を覚ますだろう﹂
俺の言葉に安堵したのか、顔を和ませ彼女はそのまま隣に座った。
探知に感じる微かな反応。
水面に視線を送ると波間から飛び出した何かが、水上を滑る様に
飛行する物体を確認した。
﹁あれは飛魚じゃな﹂
フライングフィッシュ 魔獣Lv2
﹁文字通り空飛ぶ魚だな﹂
青魚にヒレが変化した羽を備える魚の魔物。魔物っていうか、普
通の魚にしか見えないけど。
1776
1体かと思ったが、次々に波間から出現する。どうやら群れのよ
うだ。
﹁このあたりじゃ良く捕れる魚だよ。焼いて食うと美味いぞ﹂
海上に太陽が沈んでいく。
夕焼けに染まった空に明かりが失われ、藍色に変化する。
だがそれとは別に、遠くの空に明かりが灯っているのが見えた。
黄昏とは違う人工的な明かり。
﹁到着だよ。あれが海人族の貿易拠点であり、お前たちの目的地で
もある海上都市ミューズだ﹂
﹁海上都市か﹂
船が目的の場所へと近づいていくと、どうやらそこは湾のような
場所になっているのだとわかった。
まるで門のように切り立った崖が左右から突き出している。先端
には灯台らしきものも確認できた。船を誘導するための施設だろう。
その間を通り抜ける。とはいっても幅は広い。遠くから見れば門
のように感じたが、近づけばそれなりに距離はある。たぶん500
メートルくらいはあるだろう。
1777
これまでの航海も波は小さく穏やかなものだったが、湾に入って
からはいっそう緩やかになった。
先の海上には、大型の船舶が何隻も浮かんでいるのが見える。
言っては悪いがシダの船とは、比べるまでもない巨大な帆船だっ
た。
﹁あれは確か、ガレオン船ってやつじゃないか?﹂
どこかで見たような記憶がある。大航海時代だったか。
﹁ん?さぁな。船の名前なんてのは知らないが、あそこに浮かんで
いるのは全部帝国の船だぞ﹂
1778
第157話 海上都市ミューズ︵後書き︶
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1779
第158話 上陸
海上都市ミューズ。
かつては海人族の1氏族であるミスラ達が暮らす小さな漁村であ
ったという。
人族の造船技術の進歩。操船技術の発達。それらが人族の海洋進
出を大きく躍進させた。
時代は進み帝国には未知の領域を目指して船を駆る、専門の海洋
冒険者が多く誕生することになったという。
そんな冒険者たちが、この辺りの領海で狩りをする場合に拠点と
しているのが、この海上都市ミューズである。
帝国の大型船を大きく避けるように進み、シダは湾内にある小さ
な漁港に船を着けた。
この辺りは明かりも少なく、人の気配も感じられない。
雰囲気から言えば田舎の漁村といった感じか。桟橋は木造だが、
岸壁は石造りのしっかりしたものだ。
港にある建物を見ると木造の建物より、石造りのものが多いよう
に見える。ベイルの街の様子と違うのは、容易に手に入る材料に違
いがあるからだろう。
1780
﹁帝国の奴らにはあまり関わらないほうがいい。面倒ごとを起こし
たくなければな﹂
湾内を進む際に見えた海岸線の強い明かりは、帝国冒険者が滞在
している区域らしい。
そのあたりは夜でも昼間のように賑わいがあり、多くの人が行き
交っているという話だ。
﹁問題があるんですか?﹂
理由を聞くとシダは苦い顔で答えた。
﹁奴らのことを好ましく思っている者は、この島にはいないだろう。
まぁ、島にしばらく滞在するなら嫌でもわかる﹂
﹁⋮⋮わかりました。覚えておきます﹂
僅か半日あまりの航海であったが、気の抜けない時間であったた
めに陸地が恋しく感じていた所だ。
リザもシアンも自分の足で立っているものの疲労の色が強い。
ミラさんはまだ回復していないので、アルドラが抱えて船を下り
た。
﹁俺が案内するのはここまでだ﹂
﹁そうかですか。お世話になりました。ありがとうございます﹂
1781
﹁世話になったのは、こちらも同じだ。魔法薬には助かったし、浮
遊術のお陰で予定よりも早く到着できたしな﹂
そういって俺たちは握手を交わす。
﹁ルタリアの連中が根城にしているのは、あの坂を上り切った先の
白い建物だ。行けばすぐわかるだろう。夜中でも明かりが消えるこ
とは無いから、今から行っても人はいるはずだ﹂
既に夜の帳は下りているが、まだ深夜というほどの時間ではない。
それなら問題ないはずだ。
彼の住んでいる家はこの近くらしいので、島に滞在していればま
た出会う機会もあるだろう。
シダと別れた俺たちは彼の情報に従い、ルタリア冒険者たちの滞
在先を目指して歩き出した。
1782
第158話 上陸︵後書き︶
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1783
第159話 人形操師
緩やかな坂を上っていく。
道は石畳で丁寧に舗装されていた。技術的なものを見る限り、特
別ベイルよりも劣っているようには見えない。
並び立つ建物はどれも石造りのもので、白い漆喰のようなもので
塗り固められた様相をしている。
庭木などを見るも背の高い植物などは殆ど見かけない。ベイルと
は植生も大きく異なるのだろう。
夜に外出するものは少ないのか、家屋からこぼれる明かりは見え
るものの島民と擦れ違うようなことは無かった。
そうしてしばらく夜道を歩いたのち、俺たちは目的の場所に辿り
着いた。
﹁白い大きな建物。たぶん、ここだな﹂
他の家屋と比べると敷地も含め相当大きな建物だとわかる。この
辺りから、一般住宅地とは分けられた区域になっているようだ。
確かに窓から明かりが漏れている。窓といっても硝子窓というも
のではなく、嵌め殺しの窓に木板が備えてあるだけという物のよう
だ。
1784
﹁人はいるようじゃな。とりあえずは今夜の休める場所を教えても
らわねばのう﹂
そういってアルドラは視線を下す。
リザは気丈に振る舞っているが疲れは隠せていない。消耗した魔
力もそれほど回復はしていないだろう。
﹁そうだな。俺が声を掛けてくる。ちょっと待っててくれ﹂
白い壁に木製の扉。備えられた金属のノッカーを打ち鳴らし、館
の住人に来客を知らせた。
夜ということもあって周囲に気を使って鳴らしたのだが、それを
打ち破るかのような足音が室内から響いてくる。
﹁戻ったか!!﹂
勢いよく開け放たれた扉から姿を見せたのは、黒いローブに袖を
通した幼い少女だった。
シフォン・ベル 人形操師Lv47
ミゼット族 53歳 男性
特性:健脚 潜伏
スキル:風魔術C級
土魔術B級
使役C級
鑑定D級
1785
隠密E級
魔力操作E級
いや、少女じゃない。おっさんだ。おっさんだった。
ミゼット
小人族か。初めて見た。
赤み掛かった髪を短く切り揃えた幼い顔立ち。見た目だけで言え
ば、小学生にしか見えない。
﹁あ、どうも、初めまして。ベイルから派遣されて来ました。ジン・
カシマです。よろしくお願いします﹂
予想外の出迎えに驚きつつ、とりあえず挨拶を済ませる。だがシ
フォンは放心した表情のまま、一切の行動を停止しているようだ。
どうしたものか。様子を伺いつつ、相手の反応を待つ。
﹁⋮⋮あの、すいません?﹂
思考が完全に停止している様子のシフォン。仕方がないので、ち
ょっと呼びかけてみる。
﹁あっ!そうか!ゼストの奴か!そうだった。今日だったのか。よ
し、わかった。すまない失念していたのだ。取りあえず中に入って
くれ、詳しい状況を話そう﹂
どうやら連絡が伝わっていなかった訳ではないらしい。一安心だ。
シダが迎えに来てくれたことを考えても、連絡が行ってないはずが
1786
ないのだしな。
﹁そのことなんですけど、実は連れが今回の移動で疲弊していまし
て。早く休ませてあげたいのですが、お願いできないでしょうか﹂
﹁ああ、そうだ。そうか。そうだな。よし、わかった!部屋を案内
しよう。滞在中、君たちが自由に使える部屋だ。詳しい話は明日に
しよう。そのほうが私も都合がいい。今、ちょっと事情があって、
仮眠中の者を除けば館にいるのは私1人だからな﹂
そういってシフォンにすぐ傍あるという館の別棟を案内して貰え
ることになった。
1787
第159話 人形操師︵後書き︶
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1788
第160話 協力
案内されたのは白い壁の大きな屋敷だった。
本部から歩いて数分の距離にある建物で部屋数は十分にあるし、
驚いたことに風呂も完備され広い庭まであるという高級別荘といっ
た様相だ。
これらはゼストを通じて島の代表者から貸し与えられているらし
く、遠慮しなくても大丈夫とのことだった。
﹁そうだな、鍵は預けておこう。すぐに使えるようにしてくれてい
るはずだが、何か必要な物があるなら遠慮無く言ってくれ。用意さ
せよう﹂
﹁わかりました。ありがとうございます﹂
シフォンと別れ用意された屋敷へと入る。
広間に入るとテーブルや椅子が設置されていた。必要最低限の家
具は用意されているらしく、そのまま生活できるように配慮されて
いるようだ。
それにしても広い家だ。ベイルの家と比べるのは申し訳ないが、
部屋数から言っても倍はあるだろう。 ﹁見て回るのは、取り敢えず皆を休ませてからにしてはどうかのう
?﹂
1789
ミラさんを抱きかかえたアルドラが、やれやれと言った様子で答
えた。
﹁ああ、そうだった。悪い﹂
ベッド
部屋を確認したが、どの部屋にも寝台が用意されている。
主寝室が2つに客室が4つか。
ミラさんを適当な部屋に寝かせて、疲労の色が濃いリザやシアン
にも今日は早く休むように促した。
﹁ジン様は休まれないのですか?﹂
﹁いや、俺も今日は休むよ。そのまえに屋敷と周辺を確認してから
な﹂
安全確認、と言うよりも単純に好奇心からだった。俺にとっては
ベイルもそうだが、見るもの全てが新鮮なのだ。
まぁ、ここへ来てからは彼女たちも同様なのだろうが。
俺は先に休むようにとリザに伝える。
だが、そのやり取りへ割って入る様に服の袖を掴まれる感触。視
線を落とした先にいたのはシアンだった。
﹁私は兄様と一緒がいいです﹂
1790
シアンは眠い目を擦りながら応えた。
足元がおぼつかない様子で俺の体に身を寄せる。
﹁⋮⋮そうだな。3人で寝ようか﹂
シアンに甘えられては受け入れる以外に選択肢はないのだ。
﹁はい。そうしましょう﹂
リザが笑顔で答える。
主寝室の1つを俺たちが使う部屋にする事にした。寝台はキング
サイズなのか、かなり大きい。客室のものより大きそうだ。
3人で寝るのはちょっと狭いかもしれないが、シアンは小柄だし
問題ないか。
﹁アルドラ、後は頼む﹂
ベイル調査隊本部が直ぐそばにあり、街中ということもあって警
戒度は低そうだが、事情のわからない初めての土地だ。用心に越し
たことはない。
﹁わかっておる。ゆっくり休むが良い﹂
アルドラの魔力も十分に回復しているとはいえないが、今日のと
ころは彼に不寝番を任せて休ませてもらう事にしよう。
1791
>>>>>
﹁おはようございます、ジン様﹂
朝起きると既に皆起きていて、それぞれに活動を開始していた。
朝食はベイルから持ち込んだ物を、リザが調理してくれたものを
頂いた。
屋敷には調理場も備えてあるので、食料を買ってくれば自分たち
で調理できそうだ。
﹁皆の姿が見えないようだけど⋮⋮﹂
ミラさんは時間的にたぶん寝ているのだろう。
シアンは俺が起きた時にいなかったので、何処かに行ったのだろ
うか。
﹁シアンはネロを連れて朝の散歩に行きました。近くを偵察してく
るそうです。アルドラ様も一緒です﹂
﹁そうか﹂
シアンだけなら心配だが、アルドラが一緒なら問題ない。
1792
調査隊の連中と顔合わせをするのに、ここへ迎えが来る手筈にな
っている。
まだ少し時間はあるだろうし、それまで待機だな。
﹁リザは何かすることあるのか?﹂
﹁あ、はい。昨日の人魚の件で必要な素材が手に入りましたので、
魔法薬の下拵えをと考えてました﹂
﹁ほう、人魚も素材になるのか﹂
﹁ええ。新鮮な人魚の肝が薬の原料になります。簡単に手に入った
ので幸運でした﹂
人魚の肝。肝臓ですか。
リザの作ってくれる魔法薬に間違いはない。で、あるならば余計
な事は言うまい。と思っている。
後々ソレを飲むことに為ると思うと、ちょっと考えてしまうがあ
まり深く考えない方が良いのだろう。
﹁⋮⋮そうか。いつも助かる。これからもよろしく頼むな﹂
﹁はい。頑張ります!﹂
1793
空いた時間は居間で1人魔導書を読み込むことにした。
しばらく前にゴブリン討伐の際に手に入れた、例の火魔術の術式
を記した魔導書である。
これは繰り返し読み込むことで、記憶内に魔術の術式が組み込ま
れ術の使用を可能にする便利な魔導具の一種だ。
修得すると魔導書から魔術文字が失われるため、1冊の魔導書に
つき術を修得できるのは1人なのだが、それを差し引いても非常に
有用な道具なのは間違いなく、無論その市場価値も非常に高いもの
となっている。
等級的にはリザの修得した逆風と同じなので、修得難度も同程度
のはずだがこれがなかなか難しい。
魔術文字はだいぶ読めるようになってきたものの、何度繰り返し
読んでも修得には至らず、苦い思いをさせられているといった具合
であった。
リザに言わせると読むだけではダメで、理解することが重要らし
い。
彼女はこれを魔法薬を作成する傍らに修得してみせた。その熱意
と努力には頭がさがる思いである。
そうこうしていると、ぼんやりとした足取りでミラさんが起きて
きた。
1794
寝起きなのだろう。その姿はまさに夢現といったような状態だっ
た。
﹁おはようございます。ミラさん、具合は大丈夫ですか?﹂
声を掛けると、彼女はハッとした様子で我に返る。
気のせいか顔が少し赤い。
エルフの魔力回復速度は人族のそれよりも数段高い。時間的な事
を考えれば、魔力は十分に回復していると思う。
﹁おはようございますジンさん。だ、大丈夫ですよ。今朝はだいぶ
調子が良いみたいです﹂
そう言いながら、ミラさんは視線を外す。
若干様子がおかしいが、彼女が大丈夫といっているのだから、大
丈夫なのだろう。
居間の長椅子に腰を掛け、ほぅ、と溜め息を吐いた。
まだ疲れが抜けていないのだろうか。
いつものミラさんよりは今日は起きるのが早い。昨日は寝るのが
早かったからかな。
﹁どうぞ。体が温まりますよ﹂
1795
リザが湯を沸かしてくれていたので、それを使って蜂蜜茶を入れ
た。
蜂蜜と乾燥させた木の実を砕いたものに湯を注いだものだ。
リザに教えてもらったのだが、程よい甘さとスパイスのような特
徴的な香りが疲れを癒やしてくれるのだと言う。
俺はこれが気に入っていて、リザに入れてもらうこともあるが自
分でも定期的に作って愛飲していた。まぁ、コーヒーの代わりみた
いなものだ。
﹁わぁ、ありがとうございます。⋮⋮んっ、おいし﹂ ミラさんの視線が俺の手元に注がれる。
﹁魔導書ですか?﹂
﹁ええ。リザはあっという間に覚えてしまったようですが、俺はと
いうと彼女のように簡単には行かないようです。今、ちょっと挫け
そうになってるところですよ﹂
魔導書をテーブルに置き、一旦休憩することにした。
魔導書は音読が基本らしいが、大きな声で読まなくても大丈夫だ
というのは最近になってリザから聞いた話だ。
小声でも大丈夫のようだし、口内に篭もるように読むのでも問題
ないらしい。
1796
魔術師の詠唱と言う奴も、似たようなものなのだという。
﹁そうですか⋮⋮﹂
何となく煮え切らないミラさんに、どうしたのだろうと視線を送
る。
彼女は俺の注視に気がついたのか、慌てたように顔を逸らした。
あれ?ちょっと、避けられてる?
何かミラさんの気に障ることでもしてしまっただろうかと悩んで
いると、彼女の手がそっと俺の手を握った。
﹁⋮⋮ミラさん?﹂
﹁本読み終わりでしたら、昨日の続きしましょうか⋮⋮?﹂
昨日の⋮⋮続き?
何のことかと思案を巡らせた。
シンクロ
手を握り目配せするミラさんの表情から、それが同調のことだと
悟った。
﹁あ、はい。ぜひお願いします﹂
俺がそう答えると、ミラさんは握った手の指をゆっくりと絡ませ
る。
1797
しっとりとした表情と、その指使いが妙に艶っぽい。
あまりそれに注目すると、妙な気分になってしまいそうなので俺
は無心で同調を発動させた。
﹁ひぅっ⋮⋮﹂
ミラさんから押し殺したような小さな声が漏れる。
僅かに身を竦ませ、同調の感触から抵抗しているようにも感じた。
﹁ミラさん肩の力を抜いてリラックスしてください。俺に身を任せ
て、受け入れる感じでお願いします﹂
同調は互いに魔力の波長を合わせるのが重要なのだ。
抵抗されると成功率はグッと下がる。
﹁はい⋮⋮わかりました。ジンさんを受け入れれば良いんですよね
⋮⋮﹂
ミラさんが潤んだ瞳で、ぼそりと呟く。
﹁はい。お願いします﹂
俺はその言葉に彼女の瞳を見つめ答えた。
仄かに頬を染めるミラさんの手を握り、同調を発動させる。 1798
魔力操作系のスキル
制御
を手に入れるためには、今のところ
ミラさんに協力してもらうしか方法は無い。
修得できれば魔力操作に優れたエルフなみの操作技術を俺も手に
することが出来るはずだ。
そうなれば戦闘力の向上は計り知れない。
﹁ミラさん大丈夫ですか!?﹂
ソファー
同調を長時間使用した弊害か、ミラさんが長椅子に崩れるように
倒れ込んだ。
﹁ふふっ、大丈夫ですよ。ちょっと疲れただけです﹂
﹁すいません、夢中になってました﹂
﹁そうですか。でも大丈夫ですよ。ジンさんのしたいようにしてく
れて。私もジンさんに協力したいんです﹂ ミラさんはそう言って優しく微笑むのだった。
1799
第160話 協力︵後書き︶
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1800
第161話 調査隊
﹁なんすか!なんなんすか!ギルドからの応援がD級の冒険者で、
女連れ!しかも、こんな美人だなんて!﹂
若い男が悲痛な叫び声を上げる。
﹁あー、わかった。わかった。そうだな。そうか。だが、ギルドが
派遣してきた人材ということは、ゼストが認めた者だということだ
ろう?君はその決定に不服があるということなのだな?﹂
少女のように小柄な男性は、革張りの椅子に深く腰掛け溜め息を
吐きながらそれに答えた。
﹁うぐっ⋮⋮いや、そういう意味では⋮⋮﹂
自身の所属する組織の上役に反発する。その意味を考え、若い男
は思わず口ごもる。
﹁やめとけレド。男の嫉妬はすげー見苦しいぞ?﹂
神経質そうな眼鏡の男が、若い男を窘めた。
﹁だってよキース、ハーフエルフだぞ?エルフ族は美人ばかりっつ
ーのは有名な話だけどよ、こんないい女そうそういないぞ!しかも
3人もだ!3人だぞ?こいつ1人で搾取してるんだ、男の敵なんだ
ぞ!﹂
1801
天を仰ぎながら男は答えた。まさに魂の叫びというやつだった。
﹁おっ、おっ、俺はミラさんがいい。お持ち帰りしたい⋮⋮﹂
図体のでかい男が、どもりながら答えた。
その視線を離れた場所に座る彼女に送ると、瞬時に視線を反らさ
れる。
おそらく危険を感じたのだろう。
﹁やめとけブルーノ。あの隣に立ってるデカいのタダものじゃない
ぞ。すげーこっち睨んでくるし﹂
ミラさんの傍にはアルドラが控えている。彼の素性を知らない者
でも、その威圧感を肌に受ければ並みの者ではないことはわかるだ
ろう。
﹁きっ、きっ、キースくんは、どの子がいいの⋮⋮?﹂
視線を泳がせながら大男が問う。
﹁ふっ⋮⋮俺はあの、ちいぱいだな。ちいぱいは正義だぜ?﹂
神経質そうな男が眼鏡の位置を整えながら応えた。そうしてシア
ンに目配せると、嫌悪感を感じたのか彼女は身震いしてリザの後ろ
に隠れるのだった。
1802
レヴィア諸島。この付近の海底にはベイルに存在するような古代
の遺跡が眠っている。
遺跡を調査研究するために、ベイルの魔術師ギルドから派遣され
た研究者8名。
そして護衛のために派遣された冒険者C級12名とB級3名。 それが、この遺跡調査隊の本部に在籍している人材の全てだ。
現在、仕事にあたっている者を除き、研究者6名。C級冒険者1
0名がこの場に会している。
研究者の1人でもあり、調査隊の代表を務めるのが前日に対応し
てくれたシフォンさんであった。
十分に休息をとった俺たちは、やってきた本部からの迎えに追従
し、この本部のリビングルームで滞在者たちとの合流を果たしたと
いうわけである。
どうも護衛部隊の若い隊員は派遣された俺のことが気に入らない
様子だ。
特に露骨な態度を取っているのは冒険者C級の男。自分たちは船
旅で長い時間かけてここまでやってきたのに、D級の俺が転移門を
使ってやってきたことも納得していないらしい。
まぁ、途中から俺が連れている女性たちに気が移ったようだが、
ともあれ弁明はしておこうか。
1803
﹁彼女たちは冒険者ではありませんが、俺のパーティーメンバーで
す。ここにいるのは、仕事を補助してもらう仲間として連れてきま
した﹂
あまり納得していない様子だが、事実なので仕方がない。
隊員の若い男たちが色目を使っている様子もあるが、見るだけな
らまだしも仮に手を出そうものなら相応の覚悟をして貰わないとな。
アルドラが彼女たちの傍に立って、目を光らせているので下手な
ことをする様子はないし、女性たちも離れた位置にいるので別に問
題はないのだが。
﹁遺跡は強力な魔物、即死級の罠、複雑な地形と簡単に足を踏み入
れていい場所じゃねぇ。俺たちでさえ、長い時間をかけて少しづつ
調査を進めてきたんだ。D級のやろうが1人来たところで、なんの
役に立つって言うんだ。自分の身も守れるか怪しいもんだぜ。足手
まといになるのが、せいぜいだろうよ﹂
リザは大人しくしているが、明からに怒気を孕んだオーラを発し
ている。
悪態をつくレドを敵と認識しているようだ。
彼らからすれば階級的には格下なのだ。その対応も致し方がない
といえば、そうなのだろう。
相手の実力を推し量るというのは難しいものなのだ。
1804
その点、アルドラは存在感が凄くて、タダ者ではないというのが
早くも伝わっているようなのだが。
﹁俺にできることがあれば、可能な限り協力しますよ。マスターか
らは、そういう手筈で依頼されてますので﹂
そういうものの、納得しない隊員たちにシフォンはある提案を持
ち掛けた。
﹁そうだな。そうだ。そうしよう。ゼストが認める彼の実力に疑惑
を感じているのなら、それを払拭すればよいだけの事﹂
1805
第161話 調査隊︵後書き︶
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1806
第162話 決闘
﹁どうしてこうなった⋮⋮﹂
思わぬ事態に一人ごちる。
本部となっている館を出て中庭へとやってきた。
周囲には観客となった調査隊の面々が並ぶ。
﹁ごちゃごちゃ言ってるんじゃねぇ!男なら実力で俺を黙らせてみ
ろ!男と男の勝負だッ!﹂
レドと呼ばれた若い男が興奮した様子で吠えた。
﹁うむ。そうだな。そうだ。仕方あるまい。皆を納得させるために
も、君の実力を示すのが手っ取り早いという結論だ﹂
シフォンは頷き、そう断言した。
﹁いや、これから一緒に仕事する仲間なのに、こんな事で争ってい
ては支障を来すのでは⋮⋮﹂
﹁問題ない。隊員には治療術の使い手もいるので、存分にその実力
を示してほしい。もし怪我をしても、完璧に治して見せよう﹂ シフォンは自信ありげに話すが、命に関わる大怪我はS級クラス
の光魔術でなければ難しい。
1807
魔眼で確認したところ光魔術を修得している者はいるが最高でB
級。欠損部位の回復は望めない。
好ましくない男ではあるが、一応仲間である彼を大怪我させる訳
にはいかない。さて、どうしたものか。
火球で焼き尽くす訳にも、雷撃で黒焦げにする訳にもいかないだ
ろう。恐怖はトラウマになる可能性が高いので論外だ。
﹁拳で黙らせればよかろう﹂
アルドラが何でもない事だと答えた。
体術S級 軽業S級 闘気D級 奇襲F級
相手も俺の実力を測るための模擬戦。そういう考えでいるはずだ。
アルドラは存分にやれと意気込んでいるが、あまり派手に暴れるの
もどうかと思うので、様子を伺いつつ相手しよう。
ついでにまだ使ってない軽業の使用感でも試してみるか。 ﹁どうした!かかってこないなら、こちらか行くぞ!﹂
レドが声高に叫ぶと、腰の剣を抜き天へと高く突き上げた。
ファイアエンチャント
﹁火付与!!﹂
剣に炎の魔力が宿る。
1808
細身の剣に轟々と炎が巻きつき、風を受けて火の粉が舞い散った。
それと同時にレドの体からも炎が燃え上がる。剣と肉体へ同時に
術を付与し、更に長時間維持するのは中々大変なのだ。
もしかしたら意外とやる奴なのかもしれない。
レド・バーニア 魔法剣士Lv38
人族 24歳 男性
スキル:火魔術C級
剣術C級
回避D級
警戒D級
耐性D級
レベルから見てもB級一歩手前か。攻撃と回避に偏ったアタッカ
ータイプのようだな。
﹁ちッ、やる気がねぇなら、やる気が出るようにしてやろうかぁ!
!﹂
火属性が得意だから、暑苦しいやつなのかな。
そんなことを考えてると、炎を纏ったレドが突進してくる。
魔術で作られた炎だが、近寄られると確かに熱い。
火付与って結構使えそうだな。ぜひ欲しいが人間の体内では魔石
1809
が生成されないので、彼から魔石を得ることは不可能だ。残念であ
る。
﹁おっと、あぶない﹂
﹁くっそ!ちょこまかと!﹂
回避というのはどういうスキルなのだろう。
攻撃を回避しやすくなるらしいが、どういったものかイマイチわ
からない。自分で使ってみないと理解するのは難しいかもしれない。
軽業との違いも気になるところである。
まぁ、その軽業というのは、名称もそのままに魔力を注ぐことで
身が軽くなるスキルのようだ。
等級を上げれば効力も上がるのだろう。今の俺は体が羽根のよう
に軽い。軽く動いただげで、移動しすぎてしまうので慣れが必用な
スキルだ。
通常であれば時間を掛けて修得するはずなので、このような問題
になるのは俺くらいなものなのだろうが。
レドは警戒と回避を駆使しているのか、俺が放つ死角からの攻撃
を危なげなく避けていく。
何気に凄い。とは言え、スキルの等級では俺が大きくリードして
いるのに、この結果というのは俺が力を使いこなしていない証拠で
1810
もあった。
パターン
それでも、しばらくレドの攻撃を近くで見ていれば攻撃の定型は
見えてくる。
﹁うぐぁッ!?﹂
レドの斬撃を躱し鳩尾を狙って拳を放つ。一撃は人体の急所を深
く抉り、俺は確かな手応えを感じた。
﹁嘘だろ!?D級野郎が⋮⋮何でこんなにッ︱︱﹂
1811
第162話 決闘︵後書き︶
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1812
第163話 海神祭
﹁この勝負、ジン・カシマの勝利だ!レド・バーニア隊員、異論は
ないな?﹂
レドの戦闘継続は不可能と判断したシフォンは、勝敗の判定を言
い渡した。
はっきりと敗北を言い渡されたレドの顔には苦いものが浮かぶも
のの、自身の予想を覆された結果に認めざる得ないと言ったところ
だろう。
﹁⋮⋮ああ、俺の負けだ﹂
思いの外、すんなりと敗北を受け入れたのだった。
俺がただのD級クラスの冒険者ではないと理解した隊員の面々か
らは、まだ受け入れてはいないが実力は認める。といったような雰
囲気が漂っていた。
階級が上の冒険者には実力主義といったような風潮がある。強者
であればそれなりに認めてもらえるのだ。
これでマスターのコネでやってきた役立たず、といったような認
識が外れてくれれば良いのだが。
1813
﹁わだかまりが全て消えたわけではないようだが、とりあえず任務
と現状の話をしようか﹂
﹁よろしくお願いします﹂
現在本部にいるもの全員がリビングに集まり、シフォンの説明が
始まった。
﹁そうだ。そうだな。何から説明するか。まずは私達が何の任務に
あたっているかを説明したほうがいいな﹂
彼ら遺跡調査隊が行っている任務。
それはレヴィア諸島の海底に広がっている海底遺跡。通称、青の
回廊の調査だ。
青の回廊は大部分が青晶石という珍しい素材で作られた古代の遺
跡で、その素材から呼称されているらしい。
詳しいことは解明されていないものの、時代的にはザッハカーク
大森林の遺跡と似たような時代のもののようだ。
ロストテクノロジー
そして、その調査というのが未だ遺跡内部で稼働し続けている失
われし魔法技術の解明と発掘である。
﹁この辺りの海域は、少し前まで海賊の根城が無数にある無法地帯
だったらしい。当時の帝国海軍が人員を広く募集して、その掃討作
戦を行ってな。その時にゼストもそれに参加していたらしく、個人
的にレヴィア諸島の海人族とは繋がりがあるというのだ﹂
1814
その繋がりを利用して遺跡調査の許可を貰っているようだ。
青の回廊というのは海人族にとっては聖域のようなものらしく、
他種族の侵入を極端に嫌っている。
今回許可を貰えたのは異例中の異例ということのようだ。
アルドラに目配せすると、彼はにやりと笑った。
﹁しばらく海人族の漁港に滞在してな。海賊の船を100以上沈め
てやったわ﹂
長命種の彼に言わせれば、それほど古い話ではないという。ほん
の数十年前の話だ。アルドラは当時を懐かしんで語った。
腕試しと見聞を広めるために、諸国を仲間と共に旅していたとい
う。
この地にゼストが繋がりがあるというのは、彼と共に旅の途中で
立ち寄ったということのようだ。
ゼストは各地に冒険者を送り、遺跡を調査させているらしい。
青の回廊の調査はその1つということだ。
﹁ジンには青の回廊での探知による地図の作成の補助、罠の解除を
中心に頼むことになるだろう。魔物も多く出没するので、その対処
もな。まぁ、そのつど臨機応変に、ということになるだろう﹂
1815
﹁わかりました。ですが、罠の解除と言うのは、ほとんど経験がな
いのですが﹂
ゴブリン討伐の際に発見したような簡単な罠ならば対処できるだ
ろうが、専門的な知識は何一つない。
エキスパート
﹁できないことを、やらせるつもりは無いから安心してくれ。それ
に罠の専門家は調査隊にもいるから、もし仕事を行うにしてもその
者の指示に従って行動することになると思う﹂
﹁なるほど。了解しました﹂ 現在B級の隊員が不在なのは、青の回廊で新たな調査対象が発見
されたからのようだ。
今日中には帰ってくるらしいので、その時に顔合わせをする手筈
となった。
﹁ジンに回廊に入ってもらうには、もう少し時間が必要になる。ま
ずは許可を頂かないとならないのだ﹂
レヴィア諸島というのは、大小合わせて5000余りの島々が密
集した海域。
人間1人、立つのがやっとという小島もあれば、このミスラ島の
ように数千人の島民が暮らす大きな島もある。
そんな島々を海人族の16氏族が分担して管理、支配している。
とはいえ海人族の手中にあるのは一割ほどの500余りの島で、
1816
多くは未開の島、あるいは魔物の島であるという。
﹁許可ですか﹂
調査隊に途中加入した経緯を説明し、この島を収めるミスラ族の
女王に滞在の許可と、回廊へ立ち入る許可を得るのだという。
途中から入ってきたものが女王に挨拶もなく聖域に侵入したとな
れば、女王の機嫌を損ねてしまう恐れがあるというのだ。
そうなると調査にも支障をきたすので、許可が降りるまで大人し
くするよう忠告された。
﹁そうなのだ。だが今、女王は海神祭の準備で忙しくてな。なかな
か面会に応じてはくれないかもしれん。少し時間が掛かるかもしれ
ない。申し訳ないな﹂
海神祭というのはレヴィア諸島に住む海人族が集結して執り行う
1年に1度の祭りらしい。
毎年、仕切る役目を16氏族で交代で行い、今年はミスラ族の仕
切りで執り行うそうだ。
海神祭は海の安全と豊漁を祈願する神聖な宴らしいのだが、仕切
りが悪いと氏族全体の権威に関わる重要な問題となるらしい。
﹁失敗すれば他の15氏族の前で大恥かくことになるから、絶対に
失敗はできない。それで準備に忙しいから他のことに構ってられな
い。ってことですか?﹂
1817
﹁そういうことだな﹂
﹁その海神祭というのは、いつごろの予定なのですか?﹂
﹁ひと月後だ﹂ 1818
第163話 海神祭︵後書き︶
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1819
第164話 ベラドンナ
その後は複数ある回廊への侵入場所の確認、回廊内部の地図を見
ながら危険箇所の説明。
出現が予想される魔物の特徴や対処法、各隊員の役割などの説明
などが続く。
俺の能力や仲間たちの能力については、ざっくりと公表した。
もちろん魔眼やスキル修得のことなどは秘匿とし、ある程度でき
ることできないことを伝えたような感じだ。
それらは危険な現場で一緒に仕事をするのに、必用な情報という
ことで理解している。
﹁あ、そうだ。一つ報告があるのですが⋮⋮﹂
落ち着いたところで昨日に破壊したアースゴーレムの件を報告す
ることにした。こちらに落ち度はないと思うのだが黙っているとい
うのも気分的に良くはない。
﹁うん。なるほどな。わかった。何の忠告もしないとは。ゼストの
奴め忘れていたな﹂
あのアースゴーレムはシフォンさんが設計したものらしい。試験
的に何体か作ったうちの1体をあの場所に配置したのだ。
1820
土地の魔素と素材を吸収して再生するように魔力回路を組み込ん
でいるそうで、多少破壊されても問題ないのだという。
多少というか完全に焼き尽くして魔石も回収してしまったのだが、
それでも再生するのだろうか。
何となく不安も残るところだがあまり藪をつつくのもどうかと思
い、問題ないというのでそれ以上とやかく言うことは止めておくこ
とにした。
﹁それじゃ、行ってきます﹂
とりあえず今日の打ち合わせは終了ということで、一次解散とな
った。
時間的に今は昼頃。
調査隊の戦闘部隊の指揮をとるB級冒険者たちも、まだ帰る様子
はないということでミューズの繁華街へと繰り出すことにした。
俺たちはまだ滞在許可を受けていない身なので、あまり彷徨かれ
るのは困るようだが家に閉じこもっているのも退屈である。
﹁あまり騒ぎを起こさないでくれよ?とくに帝国の連中とはな﹂
繁華街の近くには帝国冒険者の宿泊施設が立ち並ぶ区画があり、
治安としてはあまり良くない。
1821
冒険者同士の揉め事もさることながら、島民とのいざこざも年々
増えているらしく問題になっているそうだ。
﹁わかりました。少し様子を見て早々に引き上げますよ﹂
﹁そうだ。そうだな。そうしてくれると助かる﹂
趣味程度のことだが、島の地図を完成させるためにも少し探索し
たいという理由もある。
他にも借金返済のためにベイルから持ち込んだ輸入品を捌くこと
も忘れてはいけない。
ベイルで安く買い、レヴィア諸島で高く売る。
そう上手いこといけばよいのだが、物流や市場のことなど知らな
いことが多すぎるので無難な物を選んで持ってきた。
ワイン
ルタリア王国で生産される葡萄酒の中でも最高級とされる物だ。
ベラドンナ 飲料 C級
ヴィムの知り合いの伝手を頼って1本金貨2枚で手に入れた品で
ある。
D級クラスならば毎年生産される中でも比較的入手し易いが、C
級となると途端に市場では手に入りづらくなる。
1822
だがそれも当然なのだ。ほぼ全ては名のある貴族が買い占めてし
まうのだから。
ごく一部だけ市場に流通するもの。更にそれを蔵に隠匿し、値が
上がった際に放出しようとするものから無理を言ってまとまった数
を譲ってもらった。
少々無理を言ってしまったようなので、彼には別に礼をしなけれ
ばならないだろう。
1823
第164話 ベラドンナ︵後書き︶
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1824
第165話 交渉
俺には猟兵の外套、女性たちはミスティコートに認識阻害の魔術
効果が付与してある。
フードを被り口元を隠しておけば効力を発揮するので、そう荒事
に巻き込まれることもないだろう。
アルドラはデカくて否応なしに目立つので子供形態で移動しても
らう。
この島は北と南で住み分けられていて、北のエリアは海人ミスラ
氏族の中でも統治者の女王と、その血縁者が住む領域となっている。
基本的にミスラ族であっても部外者は立入禁止で、特に海人族以
外の者が許可なく侵入すると、かなり大事になるそうなので注意す
るよう釘を刺された。
南のエリアは一般のミスラ族、主に漁師たちが住むエリア。
南の湾内にあるミューズは、外国から来る商人が滞在する漁村だ
ったのが、いつしか都市にまで発展した。
ミューズは帝国式の名称で、帝国の商人が勝手につけたらしい。
何でも海の女神の名前なのだとか。
平坦な土地が少なく、一部の居住区︵高床式︶は満潮時に地面が
1825
海に浸かるので、海上都市と言われるようになったのだそうだ。
白い壁の四角い家。
島にある海人族の家は、似たような作りのものが多い。
海の底から採れる白い泥を壁に塗っているので、そういった色に
なるのだそうだ。
青い石畳の道を進む。
夜ではわからなかったが、濃い鮮やかな色合で白い家との対比が
美しい。
海辺では海人族の漁師なのか、若い男たちが仕事に汗を流してい
る。小さな子供も仕事を手伝っているのか、もしくはただ遊んでい
るのか忙しなく動き回っていた。
海人族の者たちは誰もがシダと似たような青色の肌をしている。
微妙に違いはあるものの、青い肌は海人族共通の特徴のようだ。
海岸線沿いの道を進むと、小舟が数多く停泊している。
帝国の巨大な船では、接岸することが出来ないようなので、少し
離れた位置で停泊し小舟で上陸するもののようだ。
近くには見張りをしている帝国冒険者らしきものの姿も見えた。
1826
身につけているのは、ふんどし一枚で抜き身の長剣を肩に乗せ座
っている。
危なそうな奴なので視線を合わせないようにそっと通り過ぎた。 ﹁こうして歩いていると、本当に別の国に来たんだって実感します
ね﹂
リザが海を見ながら、ぽつりと呟く。
﹁そうだな。あの転移魔法陣が自由に使えるなら、また気軽に来れ
るんだけど﹂
﹁ふふふ。そうですね﹂
白い四角い家が並んでいた区域を離れ、やがて木造の巨大倉庫が
立ち並ぶ区域に入った。
この辺りは貿易で取り扱う商品を一時的に保管しておくための管
理倉庫らしい。
倉庫の他にも港の管理施設や、このあたりで働く人達向けの酒場
や商店が確認できた。
人が多く出入りする大きな店があったので、興味本位で中の様子
を伺ってみる。
倉庫を改装した店なのか、店舗にしてはかなり大きい。
1827
何でも屋とでも言えるような多種多様な品揃えだ。ベイルでは見
かけない珍しいものも多いので、見ているだけでも楽しめた。
﹁ちょっと聞きたいんだけど﹂
﹁いらっしゃい。何か気になる商品でもあったかい?﹂
﹁ああ、果実酒の売却をしたいんだが、この島で受け付けてくれる
とこなんて無いかな?﹂
店主と思われる海人族の男に話を持ちかけた。
俺の背後にはリザとミラさんが待機している。
直接口を挟まないが相手の嘘を見抜けるので、もし交渉の際に意
図して騙そうとすれば直ぐにわかる。
﹁うーん。果実酒か⋮⋮。確かに良い品みたいだけど、正直、海人
族にはあまり好まれないだろうな﹂
海人族は独自の酒造文化があり、歴史の古い海酒というものがあ
る。
海人族の料理は海産物を塩で焼くか、塩で煮るのがほとんど。
海酒はそういった料理に良く合う、スッキリとした飲みくちが特
徴の酒だ。
1828
重たい飲みくちの果実酒は飲み慣れないだろうし、海人族の口に
は合わないかもしれない。
﹁うちで買い取れるのは1本、金貨15枚。最大でも3本までだな﹂
商売を考えると海人族に売るには高すぎるし、よっぽどのモノ好
き以外には売れないだろう。
帝国冒険者なら果実酒も飲むだろうが、彼らとて酒1瓶に金貨1
5枚を出せるほど裕福ではないと思われる。
つまり果実酒の輸出は失敗だったということか⋮⋮
﹁そうですか⋮⋮わかりました。とりあえず買えるだけお願いでき
ますか?﹂
﹁ああ、いいよ。⋮⋮っと、そうだ。うちの取引相手に、帝国の商
人さんがいるんだけど、もしかしたらその人なら買ってくれるかも
な。ガレオン船を3隻も所有している大商人様で、けっこう手広く
商売してるみたいだしよ﹂
1829
第165話 交渉︵後書き︶
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1830
第166話 大賢者
貿易商ウィリアム・スタナー氏は大型帆船を幾つも所有する大富
豪で、海域での活動を専門にする海洋冒険者を大量に雇入れ、独自
の航路を開拓し成功を収めた人物らしい。
帝国海域に限ったことではないが、この世界の海というのは大森
林さながらの魔物の巣窟で、何処にどんな魔物が潜んでいるかとい
うのが全く不明で非常に危険な領域なのだ。
陸とは違い全てが繋がっている海ならではということもあるのだ
ろう。例えその海域の魔物を殲滅したとて、瞬く間に別の場所から
魔物が流れ込んでくるというのは、ごく当然のことだった。
深く暗い海という迷宮は、人間の力など及ばない絶対的な領域。
人の歴史において、沖へ出た長距離の航海というのは不可能とされ
ていた難関だった。
しかしそれも造船技術の発達や新たな航路の発見、新魔術の開発
など人間の努力により徐々に開拓されることなったという。
﹁年に一度の海神祭でレヴィア諸島に住む他の氏族の者も、このミ
ューズに集まりつつある。勿論それに合わせて物資も集まってきて
いるから、ウィリアム氏も海神祭を狙って島に訪れるのは間違いな
いはずだ﹂
レヴィア諸島は海人族の支配地域。他種族が自由に行動できる領
域は限られている。
1831
海人族でなければ手に入らない素材などもあるため、そういった
品の買い付けに必ず来るという話である。
﹁なるほど。わかりました。もし可能でしたら、ウィリアム氏との
取り次ぎお願いできますか?﹂
正確にいつ来るかは不明だというので、彼が訪れたら滞在してい
る屋敷に使いを出してくれるという話になった。
﹁良いのか?ウィリアム氏に話を持っていけば、もっと良い値段で
買ってくれるかもしれんぞ﹂
﹁そうかもしれませんが、てもちが心もとないもので。可能であれ
ば買い取っていただけると助かります﹂
﹁そうかい。なら先程も言ったけど1本、金貨15枚で3本だ。そ
れでもいいかい?﹂
﹁ええ。お願いします﹂
その貿易商がいつ来るかもわからないし、実際に買い取ってくれ
るかも不明だ。
安く買い叩かれる可能性もある。金のほとんどは酒に変えてしま
ったので、これからしばらく島で生活することを考えても、ある程
度は懐を温めておきたいという思いもあった。
それに金貨10枚で買った酒が金貨15枚で売れるのだから文句
1832
はない。
店を後にした俺たちは、観光気分で町並みを見ながら散策を再開
させた。 ﹁なるほどな。この賑わいも祭りが近いからという理由からか﹂
繁華街のような場所に訪れると、人の流れは一層多くなった。
海人族も多いが、人族、獣人族もかなり多い。
季節的には夏らしいけど、涼しい風が吹くので過ごしやすい気候
だ。日が当たっている場所は暖かく丁度いい。
そのせいか道行く人は薄着の人が多いようだ。
﹁兄様、すごい大きな人です!﹂
シアンが指差したのは広場の中央に建てられた巨大な石像だった。
杖を持ち、ローブを着た精悍な顔つきの男性像である。
高さ10メートルはあるだろうか。大きさといい、細部まで精巧
に彫り込まれた造形といい、このような広場の目立つ場所に設置さ
れていることを考えると、海人族の偉人か何かだろうか。
﹁なんか顔つきとか、あの特徴的な長耳を見るとエルフみたいに見
えるな。アルドラにもちょっと似てるかな?﹂
海人族の街にエルフの石像というのも不思議な感じがする。
1833
何か縁があるのだろうか。島に来てからリザたち以外にはエルフ
の姿を目撃していないので、海人族とエルフに深い関わりがあるよ
うな雰囲気でもなかった。
﹁そうかのう?わしのほうがイイ男じゃろう﹂
子供姿でフードを深く被ったアルドラが、石像を見上げながら応
えた。
﹁私にもエルフの男性像に見えます﹂
リザも同意見のようだ。海人族の耳も少し尖っているが、エルフ
ほどは長くないしな。特徴的な青肌は石像だとわからない。
石像の足元には金属板が備えてあり、文字が彫り込まれている。
たぶんこの人物の名前だろう。
﹁メルキオール・セファルディア様じゃよ﹂
﹁ん?﹂
声に反応して振り返ると、海人族の老人が立っていた。
﹁じゃから、お主らの目の前にあるのは偉大なる大賢者メルキオー
ル・セファルディア様の石像じゃと言っておる﹂
まったくそんなことも知らんのかと、海人族の老人はたいそうご
立腹の様子であった。
1834
﹁大賢者様。有名な方なんですか?﹂
﹁なんと!?若者よ、随分と勉強不足なようじゃな。偉大なるこの
御方を存じ上げないとは﹂
老人は呆れたように嘆く声をあげた。
﹁そうですね。勉強不足でした。もしよかったらお話をお聞かせ願
えませんか?﹂
﹁まぁ、よかろう﹂
老人の話によると。この大賢者様は現在レヴィア諸島に住んでい
る海人族の先祖たちをこの地に導いた存在なんだという。
古い海人族たちは世界中の島々や、海岸沿いに小さな集落を作り
暮らしていたが、人族との見た目の違いから妖魔の1種とされ迫害
されていたらしい。
ある者は棲家を追われ、ある者は妖魔として殺され、ある者は奴
隷として捕縛されたという。
そんな彼らに救いの手を差し伸べたのが、この大賢者様というわ
けだ。
1835
第166話 大賢者︵後書き︶
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1836
第167話 ミューズ市場
大賢者が現れたというのが2000年だか3000年だか前のこ
とらしい。
海人族は独自の文字を持たない種族であったために、正確な過去
の記録は残っていないそうだ。
この世界の歴史に触れる話は興味があるところなので、貴重な話
を聞けて僥倖であった。
俺は老人に礼を言って広場を後にした。
港近くには市場が広がっている。
捕れたばかりの魚や野菜、果物が所狭しと並ぶ場所だ。
木製の柱に布の日除けが掛けられている。市場が開かれる時間に
設置される簡易的なものなのだろう。
調理された物も売っているらしく、どこからか良い匂いも漂って
くる。
﹁それにしても港町なのに野菜もたくさんあるんだな﹂
野菜はどれも新鮮で生気に溢れている。
1837
﹁先ほどお店の方に聞いたのですが、畑が一面に広がっている農業
の島や、家畜を育てている牧畜の島など色々あるみたいですよ。こ
れだけ立派な食材が揃うなら、何か買っていってお屋敷で調理する
のも良さそうですね﹂
﹁おお、それは良いですね。楽しみだ﹂
ミラさんは魚はあまり調理したことが無いそうだが、新鮮な物が
揃うこの市場なら塩で焼くだけでも十分美味そうだ。
たぶんそれくらいなら俺でも手伝えそうだし。
﹁毎日魚ばかり食っては力が出んじゃろうと思っておったが、肉も
酒もあるようじゃな。この街に来たのは初めてじゃが、賑わい豊か
で良い街のようじゃ﹂
働いている者、客として訪れている者、市場は多くの人が行き交
っている。
﹁そうですね。市場の品揃えを見れば、街がどれだけ豊かなのかわ
かりますね﹂
酒を壺で売っている店や、肉の塊や塩漬けを売っている店もあっ
た。
食材の種類もかなり豊富なようだ。
﹁兄様見て下さい!あれ、シーワームが売ってます!﹂
シアンの言葉通り市場の1角では木箱に詰められたシーワームが
1838
売られていた。
木箱の中で無数のワームが蠢いている。どうやら食材として売ら
れているらしい。
﹁ベイルの市場も豊かだったけど、ここの市場も変わってて面白い
な﹂
﹁兄様、あっちにも変なのが売ってますよ!﹂
シアンが興奮気味に俺の手を引き先導する。
見慣れないものがたくさんあって、こうして彷徨いているだけで
も楽しめそうだ。
﹁買うものは買ったし、何処かで食事でもしようか﹂
市場は一通り見て回った。晩の食材や地酒、屋敷で留守番してい
るネロの土産も買った。
だが今日の俺の一番の収穫は、海人族の食文化に魚醤があるのを
知れたことだろう。
実際に市場でも貿易用に魚醤が販売されていた。
魚の内臓から作られる調味料である魚醤は、海人族の生活の中で
偶然生まれたものらしいが、彼らの中で広く浸透した文化となって
いるようだ。
1839
各氏族で使用される魚が違うので単に魚醤といえど数多くの種類
があるのだという。
今回この市場で手に入れたミスラの魚醤は、フライングフィッシ
ュの内臓から作られたものらしい。
嫌なクセもなく出汁の効いた、ちょっと風味の変わった醤油とい
った感じで俺の好みにあるものだった。
1840
第167話 ミューズ市場︵後書き︶
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1841
第168話 無頼
﹁やめて下さい!返して!﹂
市場の外れ。視線の先、人通りの少ない路地裏から女性の悲痛な
声が聞こえてきた。
﹁おお、スゲェ。金貨かよ。姉ちゃん景気いいな。俺らにも恵んで
くれよ﹂
海人族の女性たちに数人の人族の男たちが絡んでいる。
﹁俺たち今日の昼飯代も無くてよぉ、困ってたのよ。ちょいとばか
し恵んでくれると助かるんだけどなー﹂
﹁うひひ。金ないのは博打に全部つぎ込んだからだけどな﹂
男たちから、どっと大きな笑い声が上がった。
どうやら何かを女性から取り上げたらしい。財布か何か。
﹁それは私のお金じゃないのよ。無くすととっても困るの。お願い
だから返して頂戴﹂
女性は懇願するが、男たちは誂うようにして逸らかす。
そしてしばらくすると、どうやら女性を無視して置き去りにし立
ち去るようだ。
1842
男たちがこちらの方へと歩いてくる。
﹁やれやれ、困った小僧どもじゃのう﹂
アルドラは溜め息を吐きながら、手のひらを天に向ける。
時空魔術により異空間に収められた魔剣を取り出そうというのだ。
﹁ちょっと待て。揉め事は起こすなって言われただろ?﹂
俺は慌ててアルドラの腕を掴み、その行動を静止させた。
﹁なんじゃ、放っておけと言うのか?﹂
俺の言葉にアルドラ僅かに落胆した様子を見せる。
リザやシアンの表情にも不安の色が浮かんだ。
﹁あれ、たぶん帝国冒険者って奴らだろ?騒ぎを起こすと面倒にな
る﹂
とはいえ俺も困ってる女性を放置しようとは思っていない。
要は騒ぎを起こさなければ良いのだ。
隠蔽 隠密 窃盗
幸い彼らのレベルは高くない。
1843
警戒している様子もないし、簡単な仕事だろう。
﹁ありがとうございます。助かりました﹂
﹁いえいえ。偶然通りかがっただけですから﹂
男たちに奪われた財布は俺の窃盗スキルで奪い返した。
窃盗は相手に気づかれずに物を掠め取るスキルである。通常であ
れば人に使用するのは間違いなく犯罪行為であるのだが、こういっ
た状況ではやむなしであろう。
﹁ごめんなさい。何かお礼をしなければとは思うのですが、どうし
ましょう⋮⋮このお金は預かっているものなので、お渡しするわけ
には⋮⋮﹂
﹁大丈夫ですよ。お気になさらずに﹂
スナ・ミスラ 侍女Lv23
海人族 23歳 女性
特性:流動 皮膚感知
スキル:礼節E級
清掃D級
水魔術C級
光魔術E級
青い肌に白い髪。水晶をはめ込んだような特徴的な瞳。
1844
そしてスレンダーな体を包んでいるのは、俗に言うメイド服とも
呼ばれる侍女服であった。
コスプレのようなミニスカスタイルではなくロングスカートの本
格的な奴だ。
その侍女に隠れるように背後に立つ、もうひとりの人物。
状態:認識阻害
高級そうなレース生地のフェイスベール。
上品な純白のローブ。
身に付けている品から、その人物が特別な存在なのだと想像でき
る。
フルール・ミスラ 巫女Lv36
海人族 15歳 女性
特性:流動 皮膚感知
スキル:槍術C級
歌唱E級
舞踏D級
氷魔術C級
水魔術D級
魔力操作F級
装備の質が悪いのか、認識阻害を魔眼が突破したようだ。
1845
顔はベールで隠されているが、おそらく美人のような気がする。
目が合うと軽く会釈で挨拶された。どうやらベールを取るきはない
ようなので、こちらも会釈で返した。
侍女もそうだけど、巫女も初めて見る職業だな。
﹁姫様、ここは私に任せて下さい﹂
メイドさんは此方に聞こえないよう小声で背後の女性に声を掛け
た。彼女はその指示に小さく頷く。
まぁ、聞こえてるんだけど。
﹁あ、この人は⋮⋮私の友達です!﹂
俺の訝しげな視線を感じたのかメイドさんが慌てて説明する。
うん。メイドさん嘘が下手だな。彼女の装備は明らかに高級品。
友達、というには違和感がありすぎる。
本当に友達の可能性もあるけど何か訳ありのようだ。
﹁そうですか﹂
俺は空気を読んで、その辺りは深く突っ込まないことにした。
﹁それにしても、何処の国にもああいった輩はいるもんじゃのう﹂
1846
﹁そうですね。でも冒険者なんて、皆あんなものではないのでしょ
うか。特にこの辺りで彷徨いている輩には、碌なのが居ないという
のは間違いありませんけど﹂
メイドさんは冒険者に好意的な印象は無いらしい。まぁ、当然だ
ろうけど。
俺たちの微妙な表情に気がついたのかメイドさんは慌てて訂正し
た。
﹁あ、あの、もしかして皆さんも冒険者の方でしたか?すいません
私ったら⋮⋮冒険者の方にも、あなた方のような良い人もいるので
すね﹂
﹁いえ、気にしてませんから大丈夫ですよ。あんなのばかりじゃ、
そういう意見になるのも仕方ないですよね﹂
慌てるメイドさんに苦笑して返す。
シャークブリゲイド
﹁ここに滞在している凶鮫旅団というクランの悪名が特に高いので
⋮⋮申し訳ありません﹂
帝国には冒険者が多数集まった組織、クランというものがある。
1人では狩れない獲物も数人で、というのは王国でもパーティー
という存在がある。
だが帝国の規模はそれよりもずっと大きなもので、数十人、時に
数百人という規模で活動する団体が存在するのだ。
1847
﹁凶鮫旅団ですか。頭悪そうな名前ですね⋮⋮﹂
﹁ふふふ。旅団の名前を聞いて、そういったご意見を聞けたのは初
めてですわ。彼らの事をご存じないのですね。ということは帝国の
方では無いということですか。あなた方なら大丈夫そうですが、お
気をつけ下さい。あれは大半が犯罪者といったような集団なのです﹂
凶鮫旅団は総員5000人以上とも言われる帝国最大規模のクラ
ンなのだという。
彼らは戦闘員を増やすために、暴力行為の得意な者を積極的に雇
用し、犯罪歴、借金の有無など経歴問わず幅広く受け入れている。
そういったこともあってか、帝国各地のゴロツキが旅団の元へと
集まってくるのだ。
﹁それにしても、そういった輩がいる場所に女性だけで買い物とい
うのは危険じゃないですかね﹂
今まで歩いてきてメイド服の女性を見かけたのはこの人だけだ。
道行く多くの人は薄着の軽装である。その中にいれば、どうしたっ
て目立つだろう。
﹁あ、いえ。護衛の方が一緒に来てくれたのですが、はぐれてしま
って⋮⋮﹂
﹁ああ、なるほど。でも、それって護衛の意味ないですね﹂
うっかり本音をこぼすとメイドさんは大きく頷いた。
1848
﹁ええ、まったく本当にその通りですわ。はぁ、一体どこで油を売
っているのやら﹂
彼女は疲れた表情を見せて、苛立ち混じりに盛大に溜め息を吐い
た。なにか不満が溜まっているのかもしれない。
そうこうしていると、市場のほうからメイドさんへと呼びかける
声が聞こえてきた。
﹁スナどのー、何処にいったでござるかぁー?返事をしてくだされ
ー、拙者はここでござるぅー﹂
間延びした声を上げながら、やたら大柄な男がこちらへ歩いてく
るのがわかった。
1849
第168話 無頼︵後書き︶
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1850
第169話 食客の竜剣士
﹁ここに居られましたか!ずいぶんと探しましたぞ﹂
﹁探しましたぞ。じゃないですよ、もう!あっちフラフラこっちフ
ラフラって、クオンさんはすぐ居なくなるんですから﹂
小柄なメイドさんが大男を見上げて声を張り上げた。
﹁おや、そうでしたかな?面目ない。何やら街全体が賑わっている
ようで、少々浮かれておったようです。ほれ、この通り﹂
男は両手に持っていた品物の1つを、メイドさんに差し出した。
﹁なんですかコレ?﹂
﹁シーワームの塩炒めです。なかなかの美味ですぞ。いかがですか
?﹂
﹁結構です!﹂
行き交う誰とも類似していない特徴的な服装。どこかで見覚えが
あると思ったら竜衣に似ているのだ。厚手の羽織を着込んでいるが、
中に着ているのは似た様なものだろう。
身長は2メートルをゆうに超え、褐色の肌に灰色の長い髪を紐で
1851
乱暴に結っている。
少し尖った耳の上部。その髪の間から伸びるのは黒角。
そして特徴的な縦に伸びた瞳孔。
海人族や小人族に続いて、俺が初めて目にする種族。竜人族の男
が目の前にいた。
クオン 竜剣士Lv59
竜人族 43歳 男性
特性:竜眼 竜鱗
スキル:体術B級
剣術S級
闘気B級
火魔術F級
レベルはかなり高いな。
スキル構成もバリバリの戦闘系のようだ。
温和な態度と、のほほんとした語り口から鑑定を持っていない者
なら騙されそうだが、内包された実力は隠しきれない。
俺は魔眼で、アルドラは直感で彼の実力を察知している。
アルドラに耳打ちして彼の戦闘力はどの程度なのかと聞いてみた。
もちろん自分と比べてどうかということだ。
1852
レベルやスキルで言えばアルドラが劣っているとは思えない。だ
が彼の見解は﹁今の状態では奴のが上じゃろうなぁ﹂ということだ
った。
特に男が腰に差している得物。見たところ大振りな刀のように見
えるが、どうやらS級の品のようだ。
魔眼で見せて貰いたい所だが、初対面の剣士に刀貸してなんてこ
とは流石に言えないよな⋮⋮
メイドさんはクオンさんに、俺たちに世話になったことを話すと
彼は低姿勢に頭を下げた。
﹁護衛なら側に居てあげたほうが良いと思いますよ﹂
﹁やや、御もっともです。かたじけない﹂
お詫びの品にとシーワームの塩炒め︵食いかけ︶を差し出された
が、丁重にお断りしておいた。
俺の後ろで控えているリザの反応を見るかぎり、多少残念な雰囲
気はあるがどうやら悪い人ではなさそうだ。
彼はメイドさんが仕える主の所で、縁があり世話になっている食
客という存在らしい。
屋敷の客人としてもてなされ、滞在の許可を与えられているのだ
1853
とか。
その見返りとして実力を買われ、用心棒のようなことをしている
ようだ。
﹁数週間ほど前に、この島の浜辺に流れ着きまして。それから世話
になっておるのです﹂
﹁流れ着いて?﹂
﹁ええ。船でこの島に向かってはおったのですが、船酔いで海に向
かって吐いていましたら、波に揺られてそのまま海へ。いやぁ、死
ぬかと思いました﹂
﹁よく無事にたどり着けましたね﹂
﹁まったくです。幸運でありました﹂
クオンさんの話を聞いていると、どうも彼が住んでいた竜人族の
故郷には日本文化と思えるものが伝わっているらしく、米を主食に
醤油や味噌などもあるらしい。
この島を目指してきたのも、遠い故郷を懐かしみ、醤油に似た調
味料の魚醤があるという噂を聞きつけてのことだった。
﹁これで米があれば最高なのですが。そう都合良くは行きませんな﹂
俺の故郷にも竜人族と似た文化があるという話を伝えると、彼と
はすぐに意気投合できた。
1854
ゆっくり酒でも飲みながら竜人族の話を聞いてみたい所だが、彼
らはそろそろ戻らなければ為らない時間のようだ。 ﹁カシマ様。ありがとうございました。滞在中にもし困ったことが
あったら、屋敷へお尋ね下さい。私では大した力には慣れませんが、
私の主はお優しい方ですので助力出来ることがあるかもしれません﹂
メイドさんは自分が仕える主人に今回の事を報告するので、そう
なれば俺の方に謝礼が送られるかもという話になった。
しかし正直そこまで大したことはしていない。命を救ったとかな
ら謝礼も吝かではないが、礼を期待してのことではないので丁重に
お断りしておいた。
﹁不躾な質問ですが、スナさんが使えている方っていうのは偉い方
なんですか?﹂
﹁そうですね⋮⋮先代女王様の旦那様なので偉い方だと思いますよ﹂
海人族というのは女が政治を仕切り、男が軍部を仕切るように分
かれているらしい。
しかしあくまで女王が統治者であり、権力は実質女王に集約され
ている。軍部というのも兵力2、300人程度の町の自警団レベル
といった程度のものなのだ。
軍部のトップとはいっても、発言力はそれほど強くはないという。
引退している方だというし、女王に許可を申請している状態で滞
1855
在許可をその人にお願いしても難しいか。
﹁カシマ殿、近いうちにまた﹂
﹁ええ。楽しみにしておきます﹂
クオンさんが酒を飲む仕草を見せ、そうして再開の約束を交わし
た。 1856
第169話 食客の竜剣士︵後書き︶
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1857
第170話 フィッシャーマンズ・パーク1
スナさん達と別れミューズ市場を抜けると、飲食店の並ぶ歓楽街
のような場所に入った。
何処かで食事をと考えた俺は、地元民である彼女にお勧めの店を
訪ねた。
﹁兄様、ここじゃないですか?﹂
人混みを抜けると目的の場所を発見した。
木造の大きな建物で大きな魚の看板が非常に目立つ。なんでも海
人族の漁師たちが経営している店なのだという。
テラス席が多く用意され店の正面入口を挟んで右側は冒険者風の
男たちが、左側は地元の海人族の男たちが座っていた。
島では地元民も通う1番人気の店らしいが、話に聞く通り冒険者
との間には溝があるようだ。
外に用意された席は満席のようなので、接客していた店員らしき
海人族の女性に声を掛けて店内へと案内してもらうことにした。
﹁店内もすごい賑わいですね﹂
リザは視線を避けるため深く被っていたフードを僅かに持ち上げ
店内の様子を探った。 1858
店は木板が敷き詰められ、高い天井には何本もの梁が伸びている。
吊るされたランプが店内を柔らかい光で照らしていた。
中央には円形の舞台が設置され、ギターとも三味線ともつかない
ような独特の弦楽器が数人の海人族に演奏されている。
雰囲気の良い心地よい曲だった。
何百人も入れるような巨大なホールで今も多くの人で賑わってい
るが、彼らの音楽が聞こえてくるくらいには喧騒が抑えられている
ようだ。
﹁こちらへどうぞ﹂
﹁ありがとう﹂
店内でも舞台を中心に、冒険者側と島民とで離されているようだ
な。
もちろん案内されたのは冒険者側の席だ。
﹁港町だからな。きっと旨い魚が食えるだろう﹂
クオンさんの話では、この世界にも米や味噌が存在しているらし
い。
しかし彼の故郷というのが遠い場所にあり、故郷を旅立ってから
他の土地では米の存在を確認できなかったそうだ。
1859
もちろん日本人としては、米があるとわかれば恋しい気持ちにな
るのは当然のことだった。
無いと思ってたものが、この世界でも存在する。嬉しい話ではあ
るが、彼の話を聞く限りあまり普及しているようなものでもないら
しい。
とはいえ、あるとわかっただけでも僥倖だった。彼が世界の全て
を旅してきたわけでもないだろうし、どこかにあるとわかっただけ
でも希望が持てる。
風呂もそうだが、米も日本人には無くてはならないものだからな。
いずれ彼の故郷とやらにも訪れてみたいものだ。
﹁おお、凄い。久しぶりの海の幸だ﹂
テーブルに運ばれてきた料理の数々に感嘆の声を上げる。
﹁うむ。酒も豊富なようだし、良い店じゃのう﹂
店で出されているのは帝国人向けの蒸留酒や麦酒に、島の特産で
ある海人族の海酒だ。これは日本酒にも似た風味が特徴で、氏族ご
とに味や風味がことなるので比べてみるのも面白い。
﹁この海老というのは初めて食べましたが、身が甘くて美味しいで
すね﹂
料理の多くは素材を活かしたようなものばかりだった。
1860
近海で取れたものを茹でるか焼くかしたものだ。だがそれが非常
によく、どれもが美味だった。
海酒にもよく合うのでアルドラにも好評だ。子供の姿で陶器の壺
から酒坏に注ぐ姿は何とも如何しがたいものがあるのだが、状況を
考えると致し方ないだろう。
﹁兄様、この蟹というのも凄い美味しいです﹂
﹁どれもお酒に合いますねぇ。ちょっと飲みすぎてしまいそうです﹂
海産物は食べ慣れていないようだけど、女性たちにも好評なよう
で良かった。
ベイルとは食文化もだいぶ違うだろうと予想してたが、どうやら
懸念が1つ払拭されたようだ。
来る途中に見かけた飛魚も、刺し身や塩焼き唐揚げの姿になって
テーブルに並んでいる。
﹁ああ、旨い。焼き魚くらいは予想していたけど、刺し身が食える
とは思っていなかった。酒にもあうし最高だな﹂
俺がしみじみと喜ぶ姿に、隣に並んで座っているリザの顔がほこ
ろぶ。
思わず高揚したところを見られて少し恥ずかしい。
﹁ジン様が喜ぶ姿を見られるのは、私も嬉しいです﹂
1861
﹁久しぶりの故郷の味だからかな。思わず懐かしんでしまったよ﹂
酒が進む俺たちを他所に、シアンが微妙な表情をさせて小皿を覗
き込んでいる。
﹁シアンどうかしたか?﹂
﹁うーん?何でしょうこれ。変な臭がします﹂
彼女から皿を受け取ってみると、見た目と匂いから発酵食品だと
わかった。
材料は魚と何かを混ぜて作っているらしい。魔眼で確認しても異
常は見られないし、不快な臭気は感じられない。
たぶん塩辛のようなものなのだろう。魚を材料にしているところ
を見ると、北海道の切込みのようなものかもしれない。
指先につけて舐めてみる。
﹁兄様、大丈夫ですか?﹂
コクのある深い味わいに仄かな優しい甘み。魚の旨味が生きてい
る。
塩がキツイのは保存食だからだろう。冷蔵庫のない世界なので、
長期保存を考えると保存食には塩分を強めに添加する必要があるの
だ。
1862
﹁すげー旨い。白い米が欲しくなるな。塩が強いから酒にも合いそ
うだ﹂
シアンは予想していなかった俺の答えに好奇心を刺激されたのか、
おそるおそる真似して口に運んだ。
﹁ん∼。変わった味だけど、美味しいです。でもちょっと塩辛いで
すね﹂
﹁この旨さがわかるとはシアンも案外、酒飲みかもしれんな﹂
1863
第170話 フィッシャーマンズ・パーク1︵後書き︶
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1864
第171話 フィッシャーマンズ・パーク2
それにしても海人族の女性たちはスタイルが良いな。
スラリとした高身長に、引き締まった肉体。種族的な青肌も、そ
ういうものだと思えば見慣れてくる。
店の接客は海人族の若い女性が担当しているようで、見た目も麗
しい美女揃いだ。
上半身は首元まで覆うノースリーブといった衣服のようだが、ど
うも水着のように体に密着している特殊なものらしい。
素材はなんだろう。なめらかな生地がピタリと張り付き、体の曲
線が顕になってなかなかに色っぽい。
首飾りや腕輪の装飾品も見られる。種族は違えど、やはり女性と
いうものは着飾ることを好むのだろう。だがベイルなどでよく見ら
れる貴金属の類ではなく、貝や石を加工したような物だ。
下半身は布を巻き付けてスカートのようにしている。
布の端から望む細い脚は健康的で美しい。
﹁ジン様、あまりジロジロ見つめては失礼かと﹂
隣に座るリザに冷ややかな視線を送られ窘められる。
1865
﹁いや、そうか﹂
それほど注視していたつもりはないが、彼女の指摘に思わず動揺
してしまう。
﹁兄様はえっちです﹂
﹁男の子ですものねぇ。仕方ありませんよ﹂
﹁元気があって結構ではないか。ふはははは﹂
まるで俺が旅先の女性を物色しているかのような物言いにちょっ
と待てと弁明するが﹁わかっとる。わかっとる﹂とアルドラに流さ
れてしまった。
どうしたことか俺が無類の女好きのような扱いになっている。
いや、そりゃ女性は好きだけども。しかしそれは普通のレベルで
の話だ。一般的な普通の健全な健康男子として、女性が好きという
だけである。
ミラさんが﹁若いものね﹂と優しく微笑んでいるが、何かしら誤
解を受けているような気がしてならない。
俺は必死に釈明を試みたが、それが正しく受け入れられることは
なかった。
しばらくすると舞台の演奏者が入れ替わり、曲調が変わった。
1866
躍動感のある軽快なリズム。
ダンサー
それに合わせて舞踊を魅せるのは、海人族の女性舞踏家たちだっ
た。
﹁たしか海人族は歌と踊りを愛する種族だと聞いたことがあるのう﹂
ビキニの上から透けた布をまとったような衣装に、首元や手首足
首に装飾品が華やかさを添える。
女性のしなやかな曲線を強調したような舞。そこにいやらしさは
なく、芸術と言って良い優雅な舞であった。
﹁素敵ですね﹂
その美しさにリザも思わず感嘆の意を唱える。
﹁うむ。見事なものじゃ﹂
﹁大人です﹂
俺たちは彼女たちの舞を酒の肴に、しばしの時を楽しんだ。
良い酒に少し飲みすぎてしまったか、俺は用を足しに席を立った。
接客の女性に案内される道すがら、若い海人族の男たちの会話が
聞こえてくる。
1867
﹁どうして俺たちが我慢しなきゃ為らないんだ!﹂
﹁今代の女王は弱腰過ぎる。いくら帝国が強大だからといって、こ
れでは我ら海の民は舐められっぱなしではないか﹂
﹁このまま俺たちの誇りは、無駄に汚される事になるのか﹂
﹁女王は帝国から開国の報酬に、何か受け取っているという噂もあ
る﹂
﹁何かってなんだ?﹂
﹁さぁな。宝石か、金か﹂
﹁先代の女王様はミスラを先導してくれる立派なお方であったのに
⋮⋮﹂
﹁あまり大きな声を上げるな。誰が聞いているかわからぬぞ。ミス
ラ戦士団に聞かれでもしたら大事だ﹂
﹁ふん。聞かせてやってるのさ。奴らは今や女王に尻尾を振るだけ
の、卑しい犬にしか過ぎん。嘗ての勇猛な海の戦士は、戦士長ズオ
ウ様が亡くなったことで消滅したのだ﹂
﹁他の氏族にも声を掛けて、海人族の未来を憂う者を集めよう﹂
﹁この最中にか?﹂
﹁神聖な祭りなのだぞ﹂
1868
﹁隠れ蓑になって良いではないか。この騒ぎに乗じて人を集める。
帝国に一泡吹かせてやろう。海は我らと共にある﹂
﹁なるほど、面白そうだな﹂
﹁景気づけの酒だ。一番良い酒を頼もう﹂
﹁ああ、忙しくなるぞ﹂
なんか凄いきな臭い話してるなぁ⋮⋮まぁ、俺には関係ないけど。
1869
第171話 フィッシャーマンズ・パーク2︵後書き︶
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1870
第172話 フィッシャーマンズ・パーク3
皆の元へ帰ってきた俺が聞いたのは、静まり返る場内と男の怒号
だった。
﹁なんだこの店は、人間様に生ゴミを食わせるのかッ!﹂
上半身裸、腰に魔獣の毛皮を巻き、革ズボンにグリーヴといった
装いの大柄の男。
広い肩幅、白い肌、金髪碧眼。髪の半分は刈り上げて、もう半分
は長いアシンメトリー。
叫ぶ男の周りに護衛のように立つ男たちも、軒並みでかい。アル
ドラより上背があるかもしれない。巨人かよ。
クオンさんも大きな人だったが、この島にはデカイ奴が集結する
何かがあるのか。
アルドラも今では見慣れたが彼でさえ2m弱あるからな。
﹁何かあったのか?﹂
俺は小声でリザに問う。
﹁人族の無法者が騒いでいるようです﹂
1871
彼女は呆れたように応えた。
﹁やれやれ、困ったものじゃのう﹂
アルドラからすれば躾のなっていない子供が店で暴れている、と
いった具合だろうか。
シアンは場内に漂う悪意に萎縮しているようだ。
隣にミラさんがいるので問題ないのだろうが、その表情が痛まし
く俺はたまらず彼女の頭を優しく撫でる。
﹁まったく、飯くらい静かに食えないもんかね?可愛い店員さんに、
旨い酒と旨い魚がある最高の店なのにな﹂
俺が残念だと嘆くと、シアンもそれに同調した。
﹁はい。私はみんなで楽しく食べるのが好きです﹂
﹁俺もだ﹂
シアンは不安な表情を消し、笑顔を見せてくれた。彼女に暗い顔
は似合わない。
女の悲鳴と何かが砕ける音が聞こえたのは、その直後だった。
﹁この俺に腐ったモン食わせようとは、いい度胸じゃねぇか。覚悟
1872
は出来てるんだろうな?﹂
﹁申し訳ございませんお客様、それはヌルという古くから伝わるミ
スラ伝統の料理なのです。決して傷んでいる訳ではございません。
1つ食べてもらえばわかるはずです﹂
﹁ゴチャゴチャうるせぇよ。誰がこんなクセー生ゴミ食うんだよ?
イカレてんのかテメェは?妖魔崩れが。生魚食ってる獣同然のお前
らが、人間様の言葉を使うんじゃねぇ﹂
床に転がされた女店員に、蔑んだ視線を送る人族の男。
彼の種族差別の言葉が、周囲の海人族たちの憎悪を何段階も引き
上げたのは明白だった。
場内に緊張感が生まれる。
鋭敏な直感を持つアルドラたちは、互いにそれをひしひしと感じ
取っていた。
子供の姿で居たアルドラの魔力が変質していく。
手のひらに魔力を集め、魔剣を呼び出そうというのだ。
﹁待て、騒ぎを起こすなって言われているだろ﹂
﹁放っておくのか?あの娘、危ないやも知れぬぞ﹂
若い女店員はアルドラにしてみれば幼子も同然なのだろう。子供
に甘いアルドラは、特にちからを持たない弱者の味方だ。あの状態
1873
を放置しておくことなど出来ないのかもしれない。
俺は迷っていた。英雄気取りでこの揉め事に首を突っ込めば、盛
大に面倒事に巻き込まれる。たぶん100%。それにシフォンさん
の忠告もある。
だが、このまま店を出るというのも気が引ける。それに、リザや
シアンにかっこ悪いところを見せたくはない。
しかし、あの騒いでいる男も騒いでいるだけで、そうそう無茶は
しないのではないのだろうか。
いわゆるクレーマーって奴だろう。何にでも文句をつけたい奴と
いうのは、どこの世界、業界にも少なからず存在するものだ。
﹁ッッ︱︱!!﹂
床に這いつくばる女店員が、男に顔を蹴り飛ばされた。
金属のグリーヴが鮮血に染まる。
床に赤い血が広がった。
﹁ハハハッ!青肌なのに血はいっちょ前に赤いのか!﹂
ああ、駄目だこいつ。ダメな奴だった。この世界の男たちって、
本当に馬鹿野郎が多いよな。
1874
魔力が膨れ上がり、アルドラの姿が一瞬にして大人の姿に変化し
た。
﹁止めるのか?﹂
アルドラの怒気を含んだ低い声。
﹁止めるかよ。でも魔剣はやめとけ。殺しはだめだ﹂
﹁よかろう﹂
アルドラは振り向かずに低い声で答えた。
1875
第172話 フィッシャーマンズ・パーク3︵後書き︶
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1876
第173話 フィッシャーマンズ・パーク4
その男は長い銀髪に碧眼を持ち、特徴的な長耳にエルフとしては
珍しく、歴戦の戦士の如き引き締まった肉体を持つ美丈夫であった。
傍若無人な振る舞いを続け店内の一角を占拠する男たちへと近づ
くと、今も床に倒れ込む女性との間に割って入る。
おそらく男の座る位置、まわりとの距離感、その振る舞いからこ
の男がリーダー格のようだ。
﹁小僧ども、ここは皆で楽しく飯を食う場所じゃぞ。暴れたければ
外へ行って暴れてこい。皆の迷惑じゃ﹂
戦闘時に装備する革鎧などは収納に収めており、今その身に付け
ているのはベイルで成人男性が一般的に身につけるような普段着だ。
武器も収めているので、威圧的な要素は一切ない。
穏やかな口調ではあるものの、上からの物言いに男たちは不快感
を顕わにする。
﹁⋮⋮あァ、何だテメェは?﹂
座ったままギロリと睨みあげる男に、アルドラは涼やかな視線で
応える。
﹁わしの直感では相応の戦士だとお見受けしたが、このような弱者
1877
に力を振るうなど疎かな行いだとは思わんか?戦士であるならば強
者と見えてこそ、己の格を示せるというもの。貴公ほどの武人であ
れば、それがわからぬハズがなかろう﹂
薄ら笑いを浮かべた男の側近が、背後からアルドラに近づいて行
く。おそらく彼を拘束するつもりなのだ。
ただ彼はそのような浅はかな手に気づかぬ男ではなかった。後ろ
を振り返ることもなく絶妙な間合いで裏拳を放つ。
﹁ぐッぁ︱︱﹂
男は短いうめき声を残し、そのまま床へ転がる。
正面に座る男の眉が僅かに動いた。そして男はゆっくりと立ち上
がる。
それが意外なことだとでも言うように、周囲に存在する彼の取り
巻きたちからざわめきが起こった。
﹁確かに。戦士は勇敢たる者、強者とまみえてこそ真価が問われる
と言うものだ﹂
男が右手を差し出すと、アルドラもそれに応じた。
アルドラよりも頭ひとつ分大きな男は、その体格からして周囲を
圧倒している。
その男を見ただけで、誰しもが萎縮し敗北してしまう。そんな圧
力を撒き散らすような者であった。
1878
がっしりと強く握られた手が、骨を軋ませ異音を奏でる。
男がにやりと笑いかけると、アルドラの手を握る力が一層に強く
なり遂にソレは限界を超えた。
異常な握力によりアルドラの拳は、無残にも握りつぶされる。
﹁ぬうッ﹂
﹁くくくッ、戦士どの、随分と弱々しい拳なのだな。力加減を誤っ
て砕いてしまったぞ。これではケツを拭くのも苦労するであろうな﹂
周囲の取り巻きから笑い声が巻き起こる。なかには軟弱なエルフ
のくせに戦士の真似事か。といったような嘲りの声も聞こえた。
﹁なるほど、恐るべき怪力じゃのう。まるで巨人を相手にしておる
ようじゃ﹂
アルドラの言葉に男の表情が僅かに曇る。
﹁ふん。叫び声を上げなかったのはたいしたものだが、どこまでそ
の減らず口を言っていられるか。︱︱試してやる﹂
男の拳に魔力が集まる。
﹁凶鮫旅団、一番隊長レイド・アーチ。お前を殺した男だ。覚えて
おけ﹂
1879
獰猛な笑みを湛え、視線をアルドラへと送る。
そのまま攻撃態勢にはいるも、アルドラは防御の姿勢を一切取ら
ず無防備にその身を晒した。
﹁アルドラ。わしはただのアルドラじゃ。忘れてもいいがな﹂
アイスエンチャント
氷付与。
冷気を纏った拳が、アルドラの腹の真ん中を捉えた。
﹁ぐうっ、なるほど。良いな﹂
衝撃音。
攻撃が直撃したのは間違いない。だがアルドラの体は僅かに揺れ
ただけに留まり、その男の攻撃に耐えきった。
冷気を当てられたアルドラの体に、薄っすらと霜が纏わり付く。
男の様子を見ても手加減したとは考えられない。その感想は攻撃
した本人も同様のようで、まさかの事態に表情には動揺の色を隠せ
ないでいた。 ﹁⋮⋮なんだと?ふざけた野郎だ﹂
冷静さを装っているが、僅かに声が上ずっている。
手下に無様なところを見せられない。そういった感情もあるのか
もしれない。
1880
ただ間違いなくその瞬間、レイドの意識が僅かに揺らいだ。アル
ドラはそれを見逃さなかった。
﹁良い才能だと申しておる。武人として鍛錬を怠らなければ、更な
る高みも目指せるだろう。精進するが良い﹂
言葉を紡ぐと同時に、アルドラはレイドの腕を絡め取る。
身を沈ませ相手の懐に入り込むと、腕を引き込みながら男の巨体
を背負投げた。
この技は獣人族の友人から教えてもらったもので、当時の自分も
散々投げ飛ばされていたと前に語っていた。
一瞬にしてレイドの巨体が宙を舞う。
﹁なッ!?﹂
その場にあったテーブルや椅子を巻き込み、勢いよく大の字に床
へと叩きつけられた。
激しい破砕音と共に巻き込まれたものは粉砕され、床が人型に大
きく陥没した。
1881
第173話 フィッシャーマンズ・パーク4︵後書き︶
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1882
第174話 フィッシャーマンズ・パーク5
﹁口内と額から出血、あと倒れた時に頭を打っているようです﹂
状態:裂傷 出血 打撲 昏倒
﹁魔眼で確認した。ミラさんお願いします﹂
﹁はい﹂
気を失っているようなので魔法薬を飲ませるのは難しい。ここは
ミラさんの光魔術で治療してもらおう。
リザの見立てでは幸いにも傷は軽症のようだ。出血があるので見
た目は派手だが、傷口を塞げば回復も早いだろうとのことだった。
頭を打っているようなので、すぐに動かさないほうが良い。
光魔術の治癒は基本的に本人の持つ自然治癒力を向上させる働き
らしいので、回復させてから安静にできる場所に移動したほうが良
いだろう。 レイド・アーチ 魔剣士Lv48
特性:魔術耐性 剛力
人族 26歳 男性
スキル:剣術B級
闇魔術C級
氷魔術C級
1883
忍耐C級
アルドラと対峙する男に魔眼を発動させた。
かなりレベルが高いな。周囲の奴らが30台前半なのを考えても、
飛び抜けて強い。それに恵まれた体格だ。アルドラよりも上背があ
り、肩幅もあってかなりの巨体である。
それにしても人族には特性がないと思っていたのだが、そうでも
ないのか。特性がある人族というのは初めて見た。
いや、俺も魔眼があるから、無いこともないのか。まぁ、俺の場
合は例外と言えばそれまでだろうけど。
アルドラが負ける姿など考えられないので、そっちは放って置い
て良いだろう。
﹁あ、あれ?⋮⋮私は﹂
男に蹴り飛ばされた女の子が意識を取り戻した。
混乱しているようなので、リザが状況を説明する。
﹁すいません。助かりました、ありがとうございます﹂
﹁いえいえ、災難でしたね。傷口は綺麗に治りましから、心配あり
ませんよ。女の子の顔に傷が残っては大変ですから。でも今度から
は、ああいった話の通じないお客さんの対応には、何か対策を考え
る必要があると思いますよ﹂ 1884
ミラさんが優しく諭すと女の子は苦笑して頷いた。
アルドラがレイドを背負投げのような技で投げ飛ばし、店内の海
人族たちから歓声があがった。
普段から鬱憤が溜まっているのだろう。酒も入っているようだし、
ふんぞり返っていたチンピラ冒険者の親玉を投げ飛ばして盛り上が
りは最高潮だ。
だが相手は普段から荒事を生業にしている冒険者たち。
特にこういった輩は体面を気にするものなので、舐められたと感
じれば黙っては居ないだろう。
案の定、店内の緊張感は一気に加速する。
冒険者たちの怒号が響き、それに海人族の若者も反撃する。
場内は今すぐにでも乱闘が始まりそうな、異様な雰囲気に包まれ
ていた。
﹁コソコソ何やってんだ、貴様ら﹂
風貌をして海賊といったような無頼漢がミラさんに近づいてきた
ので、危険を察した俺は咄嗟に殴り飛ばしてしまった。
闘気、体術、奇襲で強化された不意打ちの拳打が、男の顎を打ち
抜き昏倒させる。
1885
﹁あ、つい、やっちまった﹂
たぶん、俺のこの行動が引き金になってしまったのだろう。
ついに店内の各所で酔っ払いたちの殴り合いが始まった。
﹁うおおおおあぁぁぁぁッッ!!﹂
﹁ぶっ殺せぇぇぇ!!﹂
﹁バカヤロウがぁぁぁ!!﹂
﹁このやろう!!﹂
﹁帝国のクソどもを追い出せぇーーー!!﹂
﹁生臭い魚人がほざいてんじゃねぇぇーーー!!﹂
やばい。焚き付けてしまった感は否めないが、ここにいてはマズ
イ気がする。皆に火の粉が掛かる。危険だ。脱出しよう。
アルドラは仕方ない、取り込み中のようだし置いていくか。どう
せ帰ろうと思えば帰還で帰れるのだ。
脱出する算段を皆に告げると、背後から巨人の如き大男が近づい
てくる。
1886
﹁あの野郎の仲間だな?逃げられると思うなよ﹂
クソ。巨人もどきのくせに気が回る奴だ。面倒くさい。アルドラ
と遊んでろよ。
俺が思わず睨みつけると、大男は気味の悪い薄ら笑いを浮かべて
襲い掛かってきた。
﹁ああっ、鬱陶しいッ﹂
掴みかかりに来る太腕を捌き、足払いをして相手の体勢を崩す。
頭が下がった所で、その顔面に渾身の拳打を叩き込んだ。
アルドラの組手と比べれば、動きは鈍いし単純だ。この程度なら
余裕で捌ける。
ほんの少しだけ、自分のせいかなと思うところもあるが、彼女た
ちを守ることが最優先だ。そのためには躊躇する暇など無い。 降りかかる火の粉は全力で打ちのめし、この場を脱出する。
﹁兄様!﹂
﹁おおッ!?﹂
シアンの叫びが、迫るもう一人の大男の存在に気づかせた。
掴みかかろうとする太腕が俺の顔面へと伸びる。
1887
だが、その動きは寸前でピタリと停止した。
まるで強力な力によって、無理矢理その動きを拘束されているか
のようだった。
﹁助かった、リザ﹂
﹁おまかせ下さい﹂
詠唱もなしに短時間の集中で、必用な魔術を必用な状態で発動さ
せる。
その正確度と精度は流石である。 魔術の拘束を受け無様な姿を晒す暴漢に、一切の遠慮なく渾身の
拳打を叩き込み沈黙させた。 ﹁ふッ⋮⋮ふっ、はははッ。やるじゃねぇか。エルフもどき。こい
つぁ、面白くなってきた﹂
レイドが笑みを湛えて、悠然と立ち上がるとおもむろに手を地へ
とかざす。
すると地面から黒い影が出現した。まるで闇が染み出していくよ
うな、得体のしれない何かが広がっていく。
黒い炎のように、地面から湧き上がる。すると徐々にその闇から、
1888
何かがせり出してくるのが見えた。
レイドはそれを掴み引き抜く。それは黒く禍々しい、巨大な大剣
であった。
デストロイヤー
破壊の大剣 魔剣 B級 魔術効果:破壊 増重 狂乱
強力な魔力を宿した一振りの魔剣が姿を現した。
﹁もっと遊ぼうぜ。付き合ってくれるんだろ?﹂
﹁やれやれ、仕方あるまい﹂
アルドラも収納から魔剣を取り出し、それに応じた。
しかし、2人のその戦いが始まることは無かった。
場内に突如冷たい風が吹き抜ける。
外風が入ってきたのか。肌寒さを感じた者たちが、思わず入口の
方へと視線を移す。
正面の大扉が広く開け放たれ、そこから冷気を含んだ風が侵入し
ているようだ。
ただの外気ではない。その冷気は徐々に強くなる。まさに真冬の
吹雪を思わせる凍てつく風であった。
誰もが違和感を感じ、不安を覚えた。場内を満たしていた争いは、
1889
凍り付いたように制止する。
だが何人かの冒険者はその冷気の正体をすぐさま感じ取り、嗚咽
にも似た恐怖の言葉を吐露していた。
﹁ぬう?﹂
アルドラがその気配を感じると同時に、レイドの体が宙に浮いた。
﹁うグッ!!?﹂
よく見れば首に縄が掛かり、首吊り状態となっている。
いや、縄というよりも組紐だ。血のように赤い組紐。細い糸を何
本もより合わせ、1本の丈夫な紐としているのだ。
紐は天井に伸びる梁に掛けられ、その端は正面入口へと伸びてい
た。
レイドの巨体が空中でもがき、暴れる。足をばたつかせ、必死に
首を絞める紐の拘束を解こうと手を伸ばすが、きつく食い込んだ紐
はなかなか外れない。
﹁なんじゃこれは﹂
アルドラが飛び上がり、紐を斬りつけた。
しかし紐はたわむだけで、切断することまでは叶わなかった。 1890
﹁そのようなナマクラでは、わらわの魔鞭は切れぬなぁ﹂
正面の大扉から入ってきた3人の人影。
黒いローブを目深く被り、その素性はわからない。認識阻害の装
備か。それもかなり強力なものだ。
何人かの冒険者は、その場に跪き身を屈している。彼らにとって
3人はそういった存在なのだろう。
ラヴァーズコード
愛奴の呪鎖 神器 S級 魔術効果:苦痛 快楽 伸縮 束縛
赤紐に魔眼を発動させると情報が手に入った。
1891
第174話 フィッシャーマンズ・パーク5︵後書き︶
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1892
第175話 フィッシャーマンズ・パーク6
中央の人物がフードを外すと、そこには若い女の顔があった。白
い肌に整った顔立ち。切れ長の瞳に長いまつ毛。長く伸びた桃色の
髪。
ドレスのような革製の鎧。胸元は大きく開かれていて、豊かな白
い谷間が顔を覗かせている。
ロゼリア・ミッドナイト 女帝Lv63 精霊使いLv58
特性:吸血 魅了 変化 幻夢
人族 116歳 女性
スキル:闇魔術A級
氷魔術B級
土魔術B級
鞭術S級
隠密D級
軽業C級
体術D級
平衡C級
空間認知C級
状態:吸血鬼化
女が白い指を操る様に動かすとまるで赤紐自体が意思を持つかの
ように動き、吊るされたレイドが彼女の眼前まで引き釣り出された。
﹁あががががっ︱︱、ぐおふっ。⋮⋮おっ、お嬢?な、何で?﹂
1893
﹁何で?じゃないわ。戯け者め。しばらく大人しくしとれ﹂
女が睨みつけると、レイドは意識を失ったようだ。それに合わせ
絞められた紐から解放された。
神器、精霊使い、吸血鬼化。どうしよう、突っ込みどころが満載
だ。
やり取りを見る限り、彼女は帝国側の人間だろう。友好的な人物
かどうかわからないが、できればこんな化物と揉めるのは勘弁した
いところだ。
﹁ん?﹂
一瞬で伸びた赤紐が、俺の足元に辿り着く。それが生き物のよう
に足に絡みつくと、されるがままに引き倒された。
﹁おおッ!?﹂
抵抗できない強力な拘束力。素早く鞄からムーンソードを取り出
して斬り付けるが、刃が弾かれる。神器。それが並みの柔軟性と耐
久性を備えた物でないことは明らかだった。
倒された俺は、そのまま紐に無造作に引きずり込まれる。
﹁ジン様!﹂
﹁兄様!﹂
1894
﹁ジンさん!﹂
武器を取り出し身構える彼女たちに危機感を覚える。
﹁ジン様に何をする!﹂
﹁ちょッ︱︱﹂
ちょっと待て、まだことを構えるには早い。この攻撃には殺意が
ない。そう伝えるよりも先にリザの風球が、シアンのショックボル
トが、ロゼリアに向かって放たれた。
だが、2人の攻撃が女に届くことは無かった。
ロゼリアに近づくとボルトは空中で制止し、風球は弾かれたのだ。
シールド
氷盾
一瞬のうちに空中に展開された薄氷の膜が、ボルトを止め風球を
弾いたのだ。
﹁ッ!!﹂
いくら攻撃力の低い風球だとしても、牽制のために抑えた攻撃だ
ったとしても、あのように薄い防御壁で弾かれたことにリザは驚き
を隠せないでいた。
﹁チッ。⋮⋮雑魚は黙ってろ。邪魔だ﹂
小さく舌打ちをしたのはロゼリアの隣にいる人物のようだ。認識
1895
阻害の装備が効いているので、男女の区別さえつかない。だが、そ
のただの言葉にさえ強力な冷気が宿っているかのように感じた。
冷たく重い強力な魔力を感じる。その圧力に流石のリザも押し黙
った。
間違いなく強力な戦闘力を保有する強者の圧力がある。
﹁リザ落ち着け!﹂
呼びかけながらも、俺はされるがままに引きずられていく。
そうしてあっという間に、女の前まで引きずり出された。
﹁どうだ?見えたかな?﹂
床に転がる俺を覗き込むように、ロゼリアが呟いた。
﹁なにを︱︱﹂
﹁惚けなくても良い。それほどの熱視線を向けられては、誰だって
否応なしに気付くだろう﹂
そういうロゼリアの顔が近い。何か良い香りがするし。 それにしても近くで見ると相当な美人だ。全てのものが自分に跪
いて当然という、絶対的な自信が表情に現れていた。
桜色の大きな瞳が、こちらを覗き込んでくる。その様子に思わず
1896
見惚れてしまう。
いやいや、見惚れてどうする。そうだ、アルドラはどうした。彼
のことを思い出し視線を泳がせると、少し離れた場所で魔剣を肩に
担いだまま、停止していた。
フリーズだ。完全に止まっている。なんだあれ、何があった?
﹁心配するな。ほんの少しの間、幻夢を見せているだけだ。すぐに
解ける﹂
何処からともなく飛来した巨大な黒いフクロウが、アルドラの頭
に止まった。
金色の大きな目玉をギョロリと動かし、此方へ威嚇するような視
線を送ってくる。
それに反応するかのように雷精霊の腕輪から、精霊ジンが姿を現
す。
幼女の姿で顕現した彼女は、無言のままフクロウと対峙している。
フクロウが巨大な翼を大きく広げると、精霊ジンはカンフーのよ
うなスタイルで挑発に応じた。何してんのお前ら?
﹁ふくくく。そうか、なるほどな。面白い。気に入ったぞ﹂
笑いを堪えるが、堪えきれずに含み笑いする。そんな様子は普通
の少女に見えた。
1897
﹁自己紹介がまだだったな。わらわはロゼリア。凶鮫旅団の頭目で
ある。覚えておくが良い﹂
1898
第175話 フィッシャーマンズ・パーク6︵後書き︶
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1899
第176話 氷獄島 調査報告︵前書き︶
※主人公視点じゃないです。
1900
第176話 氷獄島 調査報告
西方大陸を南北で二分する山岳地帯。その険しい山脈から北の地
を、人は北方地方と呼んでいる。
かつては大小500以上の小国が存在し、エルフやドワーフ、人
族からミゼットと様々な種族が暮らしていた北の大地。
魔物に脅かされていない限られた土地を奪い合い、長き戦乱の時
代が続いた血に濡れた土地。
それが300年ほど前に現れた人族の青年、後のハイドラ帝国初
代皇帝アルフォンス・ドラグニルによって複数の人族の氏族が併合
首都ディフォン
され、北方地方を統べる大帝国への足掛かりを作ったとされている。
ハイドラ帝国
帝国を支えるドワーフの技能者集団ドヴェルグによって設計され
た都市は、現在この世界で利用される最高水準の技術が惜しみなく
使われた西方大陸最大の都市だ。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
薄暗い部屋に、豪華な調度品が並ぶ応接室。高級感のある革張り
の椅子に深く腰を掛け、ひどく疲れた様子の老人が溜め息を吐く姿
があった。
1901
年の頃を言えば60はとうに過ぎているだろう。
一般的に言えば老人といって差し支えない年代。
くすんだような短い金髪に、碧眼と衰えた白い肌。帝国では一般
的に広く見かける典型的な北方系人族の特徴である。
静寂に包まれた部屋へ扉を打ち鳴らす音が響いた。
その音に反応し老人の背筋は自然と伸びる思いがした。緊張から
か喉の渇きが増し思わず唾を飲み込む。
部屋に訪れたのは侍従の男だ。
それから更にしばしの時を待つことになる。傍らに侍従も待機し
ている手前、懐に忍ばせてある懐中時計で時間を確認するような無
粋な真似はしない。しかし、時の感覚が失われるほどの長い時間待
ったような気がする。
主を待つのも配下の仕事の1つだという自覚はあった。
自分もこの地位に就いて長いときを過ごした。こういった緊張感
に晒されるのも、今に始まったことではないと再び肺の中の空気を
重く吐き出すのだった。
侍従が主の到来を知らせる。
それに合わせて、老人は立ち上がり主を迎え入れるべく姿勢を正
1902
した。
﹁待たせたようだな﹂
扉が開き、重厚な声が部屋に響いた。
獅子のたてがみの如き豊かな赤髪。整えられた豊かな顎髭。炎を
宿したような深紅の瞳。
40を過ぎてなお、力強く雄々しく生命力に溢れた肉体。 ハイドラ帝国の統治者、皇帝アルヴィス・ドラグニルがそこにい
た。
﹁いえ、滅相もありません。お忙しい中、時間を割いていただき恐
縮致します﹂
老人が畏まった様子で、深々と頭を下げる。
﹁良い。許す。それよりもお前自ら報告に来たのだ、実りある話だ
と期待して良いのだろうな﹂
その獰猛な笑みに老人は思わず息を飲む思いがした。
﹁ほう。これが例の氷霊石か。なるほど、確かに冷気を感じるな﹂
老人が革袋から取り出しテーブルに置いた青白い石を、アルヴィ
1903
スは興味深く見つめ手をかざしてその感触を確かめた。
青白い石からは僅かにオーラの如き魔力が立ち上っており、手を
かざせば冷気を感じた。これそのものに、そういった力が宿ってい
るのだ。
﹁魔石の1種ですが、これほどの物は世界を探してもそうはありま
せん。今のところ確認されておりますのは氷獄島のみでございます。
何より注目すべき点は、これが露天掘りで得られたものだというこ
と。そして等級がC級だということです﹂
瘴気が発生するような高濃度の魔素が滞留するような場所であれ
ば、地表近くの地中にも魔石が生成される場合があるという。
だが一般的にはF、E級がほとんどでD級ともなると数年に一度
見つかるかどうかの割合となる。
C級が発見された。といったような話になると酒場の噂話ていど
でしか聞くことは無い。
﹁霊石は魔石の上位種だという話だったな?それのC級が露天掘り
か﹂
﹁はい。これは異常なことでございます﹂
魔石に精霊が宿ったものとも噂される霊石は極めて貴重な素材の
1つである。
高濃度の魔素が存在する領域で発見されることもあるが、その発
見される数は魔石のそれよりも圧倒的に少ない。一般的には不純物
1904
の混じった魔力の結晶が魔石といわれ、より純粋な魔力の結晶。そ
して何らかの属性の力が宿ったものが霊石とされている。
﹁露天掘りであれば1つの場所で効率的に大量の霊石が手に入る可
能性があります。それは魔物から得られる量とは比較にならないほ
どでございます。この氷の魔力を宿した氷霊石があれば、以前より
問題となっておりました冷却装置の実用化の目途が立ちます。そう
なれば魔導炉の改良が可能になりますし、火竜砲の実戦配備も時間
の問題になるでしょう。魔導船の完成もあと僅かとなります﹂
﹁だが問題もあるのだろう?﹂
﹁はい。氷獄島の八割は年中溶けない氷で覆われた氷の島。島の周
辺海域も島から崩れ落ちた氷塊が浮かび、並みの船では近づくこと
もできません。さらに言えば島の周辺にはリンドヴルムの繁殖地が
あります。島に上陸するだけでも難関でございます。ですが一番の
問題は島の住人です。我が影を20名ほど調査に送り込みましたが、
生還したのは1名でした﹂
﹁お前の精鋭20名でもか。だがそうなると、氷霊石を手に入れる
のも簡単ではないか﹂
そういうとアルヴィスは髭を撫でながら表情を曇らせた。
﹁なるほどな。その案が可能であるなら氷獄島までの侵入も可能と
いうことか﹂
﹁猶予は海神祭までとしております。すでに女帝を送り込みました。
1905
帝国に存在するS級冒険者4名のうちの1人。北の海域を守護する
彼女に敵うものはおりますまい。もしも女王が首を振ることがあれ
ば実力行使に移る様に言っております﹂
﹁ヴァーミリオン紅国の遺児か。あのじゃじゃ馬が、そう簡単に言
うことを聞くのか?﹂
﹁彼女にも目的があります。それを手に入れるまで、そうそう我が
国との縁を切ろうとは思わぬかと。ですが1つ懸念もあります。竜
泉郷の十二天将の一人がミスラ島に潜り込んでいるとの報告が﹂
遥か東の果てに存在するという竜人族の里、竜泉郷。
その中でも特別な使命を与えられ諸国を放浪する英雄クラスの実
力者が十二天将と呼ばれる者たちである。
使命というのが世界に存在するある特別な魔物の討伐だとされて
おり、遥か古の時代より竜泉郷との盟約によって多くの国々は十二
天将の入国に関して限りなく自由を与えている。
もちろん見返りもあった。例外なく実力者である十二天将をいく
らかの制限はあるものの、各国の代表者は自国の利益のために利用
してよいという盟約である。
﹁放っておけ。盟約とはいってもあれは毒にも薬にもならん。所詮
はうわべだけのものよ。あれが国同士のいざこざに首を突っ込むと
は思えん﹂
とはいえ最低限の監視は必要だろう。場合によっては余計な知恵
を与えられて面倒が増える。
1906
﹁ミューズの拠点化の話はお前に引き続き任せる。我が国民のため、
ひいては人類全体のために頼むぞ﹂
﹁ははっ。必ず魔導船を完成させます。世界の制海権を帝国の物に。
魔物に脅かされない平和な世界を約束する為に﹂
1907
第176話 氷獄島 調査報告︵後書き︶
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1908
第177話 お持ち帰り
凶鮫旅団の一行は迷惑料だと金貨の入った袋を店員に投げ渡し去
って行った。
あとに残ったのは酷い有様となった店内と、わだかまり残る海人
族の連中だ。
﹁店主よ、すまなかった。店に迷惑がかかってしまったようじゃな﹂
アルドラが頭を下げると、体格の良い海人族の男は笑って答えた。
﹁なに気にすることは無い。金は十分頂いたし、壊れた店は直せば
いいだけだ。それより、うちの若いもんを助けてくれただろう。あ
りがとうよ﹂
﹁たいした怪我ではなくて何よりじゃ。こういったことは、よくあ
ることかの?﹂
店内を見渡しながら店主に訪ねる。破壊された店内を海人族の店
員はもとより、客も手伝い片づけている最中だった。
﹁いや、こんなに派手に暴れるのは最近になってから⋮⋮そうだな、
あんたが投げ飛ばしたあの男が、姿を見せるようになってからだろ
うな。帝国連中の船数も増えたし、人も大勢くるようになった。噂
じゃ、この島を乗っ取りに来たんじゃないかって話してる﹂
店主の話では、この街を拠点に周辺の島々に生息する大型の海洋
1909
魔獣を狩っているらしい。
海人族は滅多にそういった大物を狩ることが無いので、周辺には
多数の魔物が生息していると予測される。
﹁なるほど、魔獣の肉や脂、毛皮が狙いか﹂
﹁ああ、だけど最近の大人数はそれにしても多すぎる。もしかした
ら海神様を狙っているのかもしれないな﹂
﹁海神様。ふむ、海神祭と関係が?﹂
﹁ああ、そうだよ。海神祭は巫女様が年に1度、海底で眠っておら
れる海神様に歌と踊りで楽しんでもらう祭りなのさ﹂
レヴィア諸島は海神様によって守護されている。
そのおかげで、この海域では異常発生が起きないと言われている。
海底で眠り続ける海神様が1年に1度だけ目覚める日。それが海
神祭の本祭と呼ばれる日だ。
﹁海神様を狙うというのは?﹂
﹁海神様はレヴィアタンだっていう話だからな。俺も聞いた話で見
たことはないんだけど﹂
レヴィアタンは海蛇の魔物で、寿命は永遠と言われるほどに長く、
無限に成長する海の王と称される魔獣だ。
1910
嵐を呼び、津波を起こし、島を一飲みにするといったような伝承
が世界中に存在する有名な魔物の1種である。
素材としての希少価値は当然高く、小型のものでも1匹仕留める
ことができれば国が買えると噂されるほど。
﹁レヴィア諸島。海神様の眠る海か。冒険者が多少強引な手段を用
いても狙うというのも頷ける話じゃがのう﹂
アルドラの言葉に店主は首を振って答えた。
﹁だが冒険者といえど、海底で眠る海神様じゃ手を出すどころか近
寄ることさえ無理な話さ。あくまでも噂話だよ﹂
店内の乱闘騒ぎで何人かの負傷者が出たので、ミラはその治療に
当たった。
どれも軽症であったので緊急をようする事態にはならなかったが、
騒ぎを起こした発端という手前もある。手間になるようなこともな
いので、進言した次第であった。
﹁お母様、どうですか?﹂
﹁ええ、こっちはもう大丈夫よ。リザは大丈夫?﹂
﹁はい。お店の人に傷薬とライフポーションを渡してきました。低
級のものですが、こちらでは高価だと言うことで喜んでもらえまし
た﹂
1911
力なく笑う我が娘に、ミラは抱きしめて頭を撫でた。
﹁そうじゃなくて、心配なんでしょ?ジンさんのこと﹂
﹁⋮⋮はい﹂
ジンはこの場にはいない。
帝国の冒険者たちが連れて行ってしまった。
なんの魔術なのかはわからないが、あのアルドラでさえ動きを封
じられてしまう強力な力。
﹃悪いが少し借りてゆくぞ。なに殺しはせん、安心するがよい﹄
桃色の髪の女の言葉がリザの脳裏に浮かぶ。
もちろん追いかけようとしたが体が動かなかった。
まるで巨大な手で上から押さえつけられているような感覚。抗え
ない力にリザはどうすることもできなかった。
﹃俺は大丈夫だ、無茶はしないで大人しくして待っててくれ!﹄
リザに魔眼のような相手の力量を図る能力はない。
それでも後に現れた連中が大きな力を持っていることは彼女にも
理解できた。
1912
ジンは魔眼にて正確にその脅威を知ることになり、リザを含む仲
間たちに危険が及ばないよう配慮したのだろう。
﹁姉様、兄様は大丈夫でしょうか?﹂
﹁大丈夫です。ジン様がそう言っていたでしょう?私たちは信じて
待ちましょう﹂
不用意な行動はジンの願う所ではない。それにジンに危険が迫れ
ば眷属たるアルドラもそれを感じることができるはず。
今はその時を静かに待つ。それが最善だとリザは自分に言い聞か
せた。
﹁アルドラ様。気づいていますか?﹂
﹁うむ。尾行にしては些かお粗末じゃのう﹂
拠点へと帰る道を辿らず、住宅地を避け北へと進んだ。
建物が少なくなると人通りも大きく減り、自然のままの空き地が
増え、背の低い木々が生い茂る森のような場所へ辿り着く。
ある程度してからアルドラは皆に合図を出し立ち止まった。
﹁へへっ、どうした?もう、おうちについたのかい?﹂
薄ら笑いを浮かべる無頼漢。帝国の冒険者か。
1913
﹁おい、男は殺していいんだよな?﹂
﹁ああ、女は宿舎にさらって可愛がってやろうぜ。たっぷりとな﹂
下卑た笑い声をあげる男たち。
すでに腰から得物を抜き放ち、とても友好的な態度には見えない
様子である。
﹁なんのようじゃ?話があるなら要件を言うがよい﹂
アルドラがやや呆れたように問うと、男たちは苛立ち交じりに答
える。
﹁話だと?てめえらにする話なんかねぇよ。俺たち凶鮫旅団に逆ら
ってただで済むと思ってるのか?上の連中が見逃しても俺たちは黙
っちゃいられないぜ﹂
﹁そうとも。帝国冒険者はメンツが命よ!てめえら見たいな素人に
舐められたままじゃ下の連中に示しがつかねぇ。落とし前はつけさ
せてもらうぜ﹂
﹁俺たちが凶鮫旅団の恐ろしさをたっぷりと教えてやるよ﹂
目の前には6人の男たち。だがそれで全員ではないだろう。背後
に何人か。それにこちらを取り囲むように人を動かしているようだ
な。
男たちの視線が不自然な動きをしている。仲間の配置を気にして
1914
いるのか。
アルドラは並び立つリザに小声で話しかける。
﹁逃げるか、片づけるか。どうするかの﹂
﹁片づけましょう。拠点まで付いてこられても迷惑ですし﹂
﹁ふむ。そうじゃな﹂
﹁アルドラ様は正面の連中をお願いします。お母様はシアンと共に
守備に徹してください。私は伏兵を処理しますので﹂
﹁わかった。お主なら⋮⋮まぁ、心配はいらぬか﹂
襲撃者となった帝国冒険者16名。
ある者は気絶、ある者は縛り上げられ、地面にと転がされていた。
﹁くそっ、ちくしょうッ。放しやがれ!﹂
威勢よく吠えるも、地に這いつくばって醜態をさらしては、ただ
ただ哀れとしか言いようがなかった。
﹁何人か逃げたようじゃが、程度の低い連中のようじゃから問題な
いじゃろ﹂
﹁そうですね。それよりもやることがありますので﹂
1915
﹁ほう、何かな?﹂
リザは鞄から硝子の小瓶を取り出した。
﹁つい先日完成したものです。試しに使ってみようかと﹂
自白ポーション 魔法薬 C級 効果:判断力低下
エルフの薬学に獣人の薬草術と独自の経験を組み合わせて作った、
エリザベスオリジナルの魔法薬。
﹁数種類の毒物を混ぜて作りました。これは脳にダメージを与えて
判断力を低下させる魔法薬です。嘘をつくには意識が判然としてい
る必要があるそうで、脳機能を低下させると黙秘することが難しく
なるそうです。これを飲ませて、なぜ帝国冒険者がジン様を連れて
行ったのか聞き出しましょう﹂
﹁はぁっ!?て、てめぇら、なにをするつもりだ!?﹂
﹁大丈夫ですよ。脳にダメージを与えると言っても、僅かなもので
すから。痛みはありません。たぶん死なないと思いますし﹂
﹁馬鹿言ってんじゃね!そんな得体のしれないもん俺に近づけるな
!﹂
危機感を覚えた帝国冒険者が地面を転がり逃げようとするが、ア
ルドラが足で抑えているので逃げることは出来なかった。
﹁初めて使うのかの?﹂
1916
﹁試作品のときにゴブリンで何度か試しました。完成品で試すのは
今回が初めてですけど。毒物の容量を間違えると重度の脳障害を起
こす可能性がありますが、たぶん大丈夫だと思います﹂
﹁や、やめてっ﹂
﹁男なら覚悟を決めてください。すぐ終わりますから﹂
何人かの男に薬を飲ませ、質問をしてみたが特に価値のある情報
は得られなかった。
﹁ふむ。下っ端ではたいしたことはわからぬか﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
ただわかったのは桃色の髪の女は、帝国にいる4人のS級冒険者
の1人で帝国最強の魔術師だということだった。
調査隊本部へ帰還しリザはシフォンへと、ことの顛末を説明した。
﹁だからあれほど問題を起こすなと⋮⋮だが、そういった状況なら
仕方あるまいか⋮⋮うぬぬ﹂
少々苦い顔を見せ唸っていたが、最後には諦め納得したようだ。
島民と良好な関係を築くのも必要なこと。彼らを見捨てるわけにも
1917
いかず、帝国とことを構えるのも面倒になる。どっちにしろ、難し
い場面だった。
すでに帝国冒険者との間には軋轢が生じてしまったように思える
が、彼らの上役がどう動くかでことは変わってくるだろう。
しかしリザにとって、これらの問題はたいしたことではなく、ジ
ンの安否のみが彼女の思いの全てだった。
﹁ジンが心配なのもわかるが、今は焦って動かないほうがいいだろ
う。君のいう女は帝国でも有名な人物だ。噂によると彼女は強力な
闇精霊の加護を受けているという。闇の魔力が強まる夜の間に、こ
とを荒立てるのは得策ではない﹂
例え調査隊の全戦力を投入しても、夜戦ではその女1人にも敵わ
ないというのがシフォンの見解であった。
﹁事情を聴きに連中の元へ出向くのも朝になってからのほうが良い
だろう﹂
やがて日も落ち、昼間にはいなかった残りの調査隊の面々が揃う
と、本部で顔合わせも兼ねた宴がはじまった。
本部の広間には酒や料理がずらりと並んでいる。レヴィア諸島で
手に入る新鮮な海産物を中心とした海人族料理から、調査隊の男た
ちには懐かしいベイルの家庭料理まで、その種類の幅は広い。
ちなみに海人族料理というのは、ほとんどが素材を生かしたその
1918
まま焼いたり茹でたりするだけの料理。
調査隊の調理担当の男が滞在している最中に、見たり聞いたりし
ている間に覚えた様だ。
ベイルの家庭料理はミラが担当した。
﹁すげえ良い匂い!﹂
﹁おお、今日は豪勢だな﹂
﹁なんだ、何か懐かしい料理もあるぞ﹂
調査隊の男たちから感嘆の声があがる。
ミラが用意したのは魚の煮付けだ。市場で手に入れた新鮮な魚に、
海酒と砂糖と魚醤で味を付けた。生臭さを消すため、リザが用意し
た香草も使用している。
これらはジンの好物だと前もって聞いていたもので、密かに晩に
作って食べさせようと彼女が考えていたものであった。
もう1つは鍋だ。飛魚を乾燥させた干し魚が市場にあったので、
それを手に入れ火で炙ったのち砕いて鍋で出汁を取った。味付けは
海酒と魚醤を少し。
脂の少ない飛魚の干し魚は雑味が少なく、澄んだ上品な出汁が取
れた。出汁が良いので味付けは薄めに。市場で手に入れた白身魚の
切り身と、鍋に合いそうな野菜を適当に投入した。
1919
この料理もジンの話を参考にして作ったものだった。
ミラはシアンを助手に他にもベイルでよく知られる家庭料理を何
品か用意した。
﹁旨いな。この煮付けとやら、酒にもよく合うのう﹂
少し濃い目の味付けは酒の肴にも最高の1品だ。
アルドラは煮付けを肴に海人族の酒を飲んでいる。海人族の酒は
魚料理と相性が良いのだ。
﹁喜んでもらえてよかったです。たくさん食べてくださいね﹂
方々から旨い旨いと声があがっている。どうやらミラは調査隊の
胃袋をも掴んでしまったようだ。
﹁この鍋も最高じゃ。出汁の染みた野菜が抜群だのう﹂
鍋の中には葉物と根菜類が入っている。根菜はとろけるように柔
らかく煮られ、出汁と相まって最高の状態に。
葉物のほうも鍋によくあう。しばらく鍋に入っていてもシャキシ
ャキとした歯応えが残っていて心地よかった。
宴を堪能するアルドラの姿に思う所があったものの、リザはそれ
を口に出して言うことはしなかった。
﹁リザ、今は食べて休みなさい。貴女が思い悩んでいったって何の
解決にもならないわよ﹂
1920
﹁わかっています﹂
正直に言えば今すぐジンのもとへ駆けつけたい。リザは自分の中
で言い知れぬ不安が大きくなっていくのを感じていた。
1921
第177話 お持ち帰り︵後書き︶
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1922
第178話 投獄
肌に感じる冷気に混濁した意識を覚醒させた。
﹁あれ、ここは⋮⋮?﹂
冷たい木床が頬に当たる。屋内に寝かされているようだ。俺は自
分の記憶を遡り、ここへ至る経緯を探った。
そうだ、あの桃色の髪の女。アイツの神器で動きを封じられ連れ
てこられたのか。
途中から記憶がない。気絶していたのか。⋮⋮あれ?いつのまに
か全裸にされてる?パンツさえも奪われた。どうやら生まれたまま
の姿で転がされているようだ。
状況を確認しようと身をよじる。腕が動かない。後ろ手に拘束具
を付けられているらしい。
木床、木壁、何もない部屋。後ろを振り返ると鉄格子が見えた。
その奥に見える人影。机と椅子。壁に吊られたランタンが、薄暗い
部屋を仄かな光で色づけている。
﹁やぁ、色男。目が覚めたかい?﹂
獣猫族の若い女が椅子に座ってナイフを研いでいた。
﹁⋮⋮えっと、いま俺ってどんな状況なんですかね?﹂
1923
﹁うん、捕まってるね﹂
そりゃ、そうだ。
﹁いや、そうですけど。捕まるような身の覚えはないのですが⋮⋮﹂
﹁ふーん。まぁ、あんたに身の覚えがないだけで、何かやったんじ
ゃないの?﹂
やったのかなぁ?いや、やってないだろ。
多少暴れたけど、暴れたのが理由ならアルドラの方が捕まるはず
だ。ん?捕まったのって俺だけか?
﹁私は知らないけど聞いた話じゃ、この船に連れてこられたのは、
あんた1人みたいだね﹂
﹁そうですか﹂
それならまだよかった。アルドラは呼べば来てくれるし、リザた
ちが無事ならひとまず安心だ。
それにしても、ここは船なのか。
揺れている感じはしないので停泊しているのだろう。
部屋には小さな窓があるが、そこから光が差し込む様子はない。
拘束される前は昼くらいだったはずだが、もうずいぶんと時間がた
っているようだ。
1924
地形探知
広範囲探知で現在地を探ると、この船はミューズのある湾内に停
泊していることがわかった。
近くには多数の船が同じように停泊している。全部、帝国冒険者
の船だとすると凄い数だ。
さて、どうするかな。とりあえず服は着たいんだけど。
﹁ダメダメ。逃がさないよう装備は取り上げろって言われてるから
ね。まぁ、大人しくここで寝ていた方が身のためだよ。逃げようと
しても、その拘束具と鉄格子は魔術抵抗の処理がされているから、
魔術で破ろうと思っても無駄だろうけどね﹂
魔術効果:魔術抵抗力強化
鉄格子を魔眼で調べてみるが、確かに何か付与されているようだ。
拘束具も同じものなのかな。ちょっと試してみるか。
水魔術 溶解
溶解は低級だと効果が低いのでS級で試してみよう。あまり魔力
を込めすぎないように、力を加減して︱︱
﹁⋮⋮⋮﹂
加減したつもりだが拘束具はあっというまに溶解し、まるで溶け
1925
たアイスクリームのようにして原型を崩し地面に落ちた。
鉄格子はどうかなと手を伸ばすと、やはり1秒と立たずに溶解し
原型を失った。
﹁なっ、何をした!?﹂
獣猫族の女が取り乱し声をあげた。少し目を離した隙に自分の理
解を超えた現象が起こっているのだ。
﹁えっと⋮⋮溶けましたね﹂
﹁はぁ!?﹂
騒がれても困るのでとりあえず大人しくしてもらおうかな。
雷魔術 麻痺
﹁ッあ!!﹂
指先からほとばしる細雷が女の意識を刈り取る。意識を失った女
はその場に崩れ落ちた。
﹁ついでに魔力も頂いておくか﹂
状態:強制睡眠 魔力枯渇
うん。これでしばらくは目を覚まさないだろう。
魔力が尽きかけた状態、魔力枯渇になると回復に時間が掛かるか
1926
らな。
魔力回復の早いエルフのミラさんでも、けっこう時間かかったし
獣人なら1日以上はかかると思う。
ちなみに魔力吸収は口づけで行ったのではなく肌に触れて吸収し
ハンドスティール
た。
接種奪取というやつだ。これは魔力変換率が悪いだけで、相手の
魔力を消耗させるというだけなら十分に効果がある。
1927
第178話 投獄︵後書き︶
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1928
第179話 脱出計画
部屋を調べてみても俺の荷物は見当たらなかったので、仕方なく
他の場所を調べてみることにした。
闇魔術B級 隠密B級 探知B級 警戒B級 スキルを変更し隠蔽を付与しておく。これで隠密と合わさり俺の
姿は格段に捉えにくくなるはずだ。
今は夜で闇魔術が本来の効果を発揮する時間帯。更に言えば船内
の明かりはランタンの弱い光量に頼っている。魔石を使って光を生
む魔導具のようだが、疎らに設置してある程度なのでこの程度なら
問題ないだろう。
牢屋のある部屋から扉を出ると長い廊下に出た。
ここからでも多くの扉があるのが確認できる。情報がないので虱
潰しに探すしかないか。
全裸のまま廊下をうろつき、手当たり次第に扉を開けて中を調べ
る。
しばらくそれを繰り返していると、こちらへと近づいてくる魔力
を感じた。
﹁ん、マズイな誰か来る⋮⋮隠れる場所は︱︱﹂
1929
隠れる場所を探してもたついていると、手に掃除道具を抱えた女
はそのまま俺の存在に気付くこともなく通り過ぎて行った。
﹁完全に視界に入ったと思ったけど、全然見つかる気配なかったな﹂
その後も何人か通り過ぎる者が現れたものの、誰も俺の姿を見つ
けられるものはいなかった。
それにしても通り過ぎる者たちは皆女性だった。それに若い女が
多い。この船には女しか乗っていないのだろうか。見つからないと
わかったものの、全裸で行動するのは何とも落ち着かない。
﹁なんにせよ寒い。はやく装備を取り返したいが⋮⋮﹂
そう考えていると、ある部屋の中から話し声が聞こえてきた。
﹁まーた一番隊の連中が揉めごと起こしたらしいわよ﹂
﹁あー、聞いた。レイド様ね。お店で暴れて壊したって、噂になっ
てるし﹂
﹁なんか男の子にぶん投げられたって﹂
﹁それって昼に連れてこられた子じゃない?まだ子供でしょ?﹂
﹁牢屋に入れられてる子?﹂
﹁うん﹂
1930
﹁へー、凄いね。あの半巨人がやられるなんて﹂
﹁それ禁句。殺されるわよ、すごい気にしてるんだから﹂
﹁あっ、ごめんごめん、今のナシにして﹂
﹁気を付けなさいよ。あの人、女子供にも容赦ないんだから﹂
﹁でも男って馬鹿だよね、血筋なんて気にしちゃってさ。今どき、
どこ探したって純血なんていないでしょ?人族だって10代もさか
のぼればエルフやら獣人やら出てくるわよ﹂
﹁たしか何処かの貴族の血筋でしょレイド様って。余計なんじゃな
いの、そういうのにこだわるの。そういって教育されてただろうし﹂
休憩室みたいだな。数人の女性たちがわいわいと話し込んでいる。
連れてこられたっていうのは俺の事だよな。レイドを倒したのは
俺ってことになってるのか、誤解ですけど。
﹁お風呂いま誰入ってるの?﹂
﹁解体室の子たちじゃない。今日大物けっこう入って来てるから、
人増やしてるはずだけど﹂
﹁そっかー。じゃあ、あとにしよう。連中の後に入るのは勘弁だか
らね﹂
﹁確かに。たぶん酷いことになってるよ﹂
1931
この船には風呂があるのか。
全裸でうろついていたら、すっかり体が冷えてしまったんだよな。
ちょっとお風呂借りられないかな。
その場を離れて再び船内をさまよう。
解体室
と書か
すると僅かに開いた扉から冷気の漏れ出る部屋を発見した。
部屋の入口に掲げられた金属札に視線を送ると
れている。
﹁ここが例の解体室⋮⋮﹂
部屋全体が冷蔵庫みたいだな。冷気が充満している。さすがに裸
では入りたくないな。これはそういう魔術か、魔導具なのだろう。
かなり広い部屋で一目では部屋の全容を見定めることはできない。
人の気配はない。休憩中だろうか。
作業台が無数に並び、その上に何かが乗っている。
血の滴る何物かの肉塊。血や肉片のついた骨の山。作業台から垂
れ落ちた触手。たぶん解体室というのは、魔物の解体室なのだろう。
部屋には血の匂いと生臭い腐敗臭のようなものが漂っている。
まるで手術台かのように寝かされ、そこに横たわる体。鱗の生え
た腕が作業台からだらりと垂れる。魚のような顔。濁った眼。下半
身は魚をそのまま半分にしてくっつけたような姿だ。
1932
﹁マーメイドもいるのか﹂
まるで俺の声に反応するかのように人魚の腕が持ち上がる。その
顔を見れば生気があるようには見えない。
魚の顔をこちらへと向け、白濁した瞳が俺を見つめる。口が僅か
に動く。
﹁アア⋮⋮ァァァ⋮⋮ゥゥッゥ⋮⋮﹂
うめき声をあげ、鋭い爪を持った腕が手招きするようにこちらへ
伸びた。
俺は扉をそっと閉めた。
1933
第179話 脱出計画︵後書き︶
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1934
第180話 吸血姫
妖魔の1種に吸血鬼と呼ばれる種族がいる。高い知性と高度な擬
態能力を持つ魔物だ。
彼らは人の生き血を食糧とするため、人になりすまし人里で生活
をおくる。強力な能力を持つ恐るべき魔物だが、その反面繁殖能力
が低く全体の数は少ないと言われている。
だが例外的に吸血鬼を増やす方法がある。
それは繁殖とは異なるが、吸血鬼という種を増やす1つの手段。
吸血した相手に吸血鬼の血を流し込むことで、相手を吸血鬼化さ
せる。これは相性の問題もあり必ずそうなるわけではないのだが。
ロゼリアは母から精霊と神器を受け継いだ。ヴァーミリオン紅国
の王都ローズが陥落した100年前のあの日に。
彼女の母は密かに手に入れていた吸血鬼の血をロゼリアの体内に
注ぎ、吸血鬼化させ王都から逃がしたのだ。
全ては彼女を生きて逃がすためだった。
その日からロゼリアは定期的に生き血を欲する体になってしまっ
た。
老化も止まり、姿が変わらないので長く同じ土地に留まることも
1935
難しくなった。
帝国領では吸血鬼は忌み嫌われている存在。吸血鬼化していると
わかれば、どうなるかは簡単に想像できる。
帝国領の各地を転々と移動し、身を隠して生活する日々が続いた。
見知らぬ土地へ行く勇気はなかった。
吸血鬼となり身体能力は大幅に向上したが、もとは北方にある田
舎小国の王族の娘。たった1人で野に放たれ、生き延びる知識も技
術もなかった。
長年ハイドラ帝国の属国となるのを拒んでいた末の結末。
下手に丈夫になってしまった自分の体を呪いつつ、母の最期の願
ただその思い出だけが、ロゼリアに生きる活力を与えた。
いを思い出す。
生きて
そんな中で出会ったのが放浪の魔術師、エルフのシェリル。
彼女の提案で人間に戻る方法を探す旅を続けた。エルフの秘薬を
研究し、他の様々な文献、資料をかき集めた。奴隷だったダークエ
完全な万能薬
を作成するために、サンプル
ルフを手に入れ、その独自の魔術知識を得た。あらゆる状態異常を
正常な状態へと戻す
として世界中の魔物の肉体を集めた。薬の材料にするためだった。
魔素の濃い領域は強い魔物の縄張りであることが多い。
1936
あらゆる魔物をサンプルとして集めるには、相応に強さと人数が
必要になった。
魔素の濃い領域というのは、魔物の世界であると同時に精霊の世
界でもある。そういった場所では精霊使いの能力は非常に有効な力
になる。
ロゼリアは自分の目的を達成するべく、後先を考えず強者を求め
た。
凶鮫旅団は数を揃えるために無法者が大部分を占める。
帝国は支配地を広げるために各地で戦争を続けてる。今は停戦し
ているだけのところも多い。その影響で村を焼かれ畑を焼かれて住
む場所を失った人が、職を求めて帝国内部に移動してくるのだ。し
かし、そんな彼らの受け皿があるわけでもなく、多くの人が盗賊な
どに身を落とすことになる。
義務教育などない。10までしか数えられないとか、自分の名前
くらいしか読み書きできないという人もかなり多いのだ。
今まで畑仕事しかしてこなかった人はそれでもよかったようだが、
急に別の仕事を探すとなると簡単にはいかないのだろう。
もちろん住む場所を追われたストレスなども尋常ならざるものが
ありそうだ。
凶鮫旅団はある意味1つの受け皿ということになっていた。規律
はないに等しいのだが。
1937
豪華な調度品が並ぶ部屋の中央に、白い陶磁器にも似た湯船が鎮
座していた。
たっぷりと注がれた湯からは湯気があがり、僅かに忍ばされた香
料が良い香りを蒸気の中に含ませる。
部屋の主はこの時間を何よりも楽しみにしていた。
﹁それで、あの子どうするつもり?﹂
部屋壁にもたれるように立つ青白い髪の女が疑問の声を上げた。
﹁どうって?﹂
女は湯船に身を沈ませて答えた。冷えた体を芯から温めてくれる
ようで、思わず眠気に誘われる。
﹁捕まえてどうすのかってことだよ。傀儡にするなら、さっさとす
ればいいだろう﹂
はぐらかすような態度の少女に、女は僅かに苛立ちを覚える。
﹁できれば穏便に進めたいな。傀儡にするなんてもったいないだろ
う。あんな強力な精霊使いは滅多にお目にかかれないのだぞ﹂
精霊の加護を受けているものを俗に精霊使いと呼ぶ。
とはいえ、その恩恵を強く受けられるものはそう多くはない。
1938
精霊の強大さはおおよそ見た目で判別できる。ロゼリアに加護を
与えている大梟の姿を形どった精霊は他に類をみないほど強大な存
在だ。
しかし、それと同等か、もしくはそれ以上の存在がこの世にいる
ことを彼女は初めて知った。
人型の精霊など初めて聞いた。それにあの存在感。上位精霊と呼
んでいい存在だろう。
﹁じっくりと親睦を深めようではないか。夜は長いのだ﹂
ロゼリアの特性である魅了は、同性異性に関わらず効果を発揮す
る。
それは効果の及ぶ範囲の人の意識を強烈に引き付ける効力がある。
彼女の言葉、所作、視線に人々は引き付けられる。
周囲の視線を一心に集める能力、それが魅了である。
1939
第180話 吸血姫︵後書き︶
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1940
異世界×サバイバー 本日発売です︵
第181話 暗殺者︵前書き︶
黒き魔眼のストレンジャー
/・ω・︶/
web版とは一部内容や設定が異なっていますので、もしよかった
ら書店で手に取ってお確かめください。
柚希きひろさんのイラストが素晴らしいですよ!
女性陣がみんな可愛いのです︵*´ω`︶
1941
第181話 暗殺者
﹁はぁぁぁ⋮⋮生き返ったぁ︱︱﹂
解体室のすぐ近くに風呂場を発見した俺は探知を使いつつ潜入し
た。
誰もいないことを確認し、そのまま湯に浸かることに。ゆうに1
00人以上は入れる大きな湯船に溢れるほどの湯が貯めてある。
湯船に体を滑り込ませ、ゆっくりと体を沈める。冷えた体が温ま
っていく︱︱これほどの大きな風呂を見たのは、この世界に訪れて
から初めての事だ。
﹁あー、やっぱ広い風呂は最高だな﹂
俺はいつかに行った温泉のことを思い出した。そういやアルドラ
の村にも温泉があったが、それ以来そういったものは見かけていな
いな。
アルドラの村にあるくらいだから、広いルタリアなら他の地にも
温泉が出ている場所があるのではないだろうか。ベイルに帰ったら
そういった情報を集めてみるのもいいな。
それはそうと船内にこれほど大きな浴場があるというのは驚きだ。
帝国には風呂や蒸し風呂の文化があるそうだが、そうだとしても装
備として相当に贅沢なものであると思う。
1942
薄暗い浴場には船内の廊下に設置されたものと同様に、魔石を用
いたランタンが淡い光を放っていた。
それにしても、この船はかなり複雑な作りをしているようだ。地
形探知で探ってみたのだが部屋数も多く迷路のように作りが複雑で、
いまいち全容を掴み切れていない。
荷物を回収し地図を取り戻せば、出口までの道順もすぐにわかる
のだろうが⋮⋮
一息ついて視線を落とすと、湯船に張った水面が不自然に波立つ。
魔力探知がそこにいる存在を察知した。
﹁⋮⋮ん?﹂
水中から湯を押し上げるように突如出現したのはダークエルフの
女。って、こいつ何時から風呂の中に潜んでいたんだよ!?
豊かな胸に括れた腰。最小限の面積しかないボディスーツが、そ
の官能的な肉体を更に強調していた。
浅黒い肌に肩口まで伸びた灰色の髪。目尻の下がった深緑の瞳が
眠たそうにこちらを見つめている。
﹁やっと見つけたぁ∼。もう、ちょっと目を離した隙にいなくなっ
ちゃうんだもん﹂
濡れた髪をかき上げ、女が間延びした声でそう宣った。
1943
風呂に入ってからは隠密や隠蔽を解除してあった。それで見つか
ってしまったか。浴場には誰もいないようなので、少しの間だけリ
ラックスをと考えていたのが仇となった。
警戒は解除していないのでこちらへ殺気を放っていれば気づけた
のだが、今のところそれがないということは敵意がないということ
なのだろうか。
﹁風呂くらいゆっくり入らせてくださいよ﹂
何気なく答えた言葉に、女はにこりと微笑む。
﹁ん∼。アタシが指示されているのは、船から逃がさないようにっ
て話だけだし∼。いいのかなぁ?﹂
緊張感のない女の語りに思わず力が抜ける。どうでもいいけど、
凄いおっぱいだなこの人。巨乳っていうか、爆乳っていうか。背が
高くスタイルもいい。ほとんど隠す要素のない衣から暴力的にまで
自己主張した物体が飛び出している。
﹁よくわかんないけど、俺に何の用なんですか?あと服と荷物返し
てほしいんだけど﹂
そう言いつつ俺は魔眼を発動させる。
探知を潜ってここまで接近してきたという時点で実力者だとは思
うが、今のところその雰囲気はあまりない。
ブラック・マッドガーデン 暗殺者Lv58
1944
ダークエルフ 89歳 女性
特性:夜目 献身
スキル:強奪C級
体術B級
奇襲C級
隠密C級
闇魔術C級
軽業E級
と思ったら予想通りの実力者だった。
﹁んっ、見られちゃったぁ∼﹂
ブラックは両手で胸を隠す様な仕草をする。魔眼の視線を感じ取
られたのか。とはいえあまり気にしていない様子だ。
﹁魔法の鞄は危ないもの入ってるかもしれないし∼、念のため取り
上げておけって話だからね∼。それに連れてこられた理由は、察し
がついてるんじゃないの∼?﹂
ブラックが動くたびにおっぱいが目の前で揺れる⋮⋮おっと、思
わず見入ってしまったが、こんなことをしている場合じゃなかった。
俺の視線に気が付いているブラックと目が合い、その様子に失笑
される。
﹁悪いけど全然察しついてないです﹂
俺がそういうとブラックは俺の腕を指差した。
1945
﹁それだけは外せなかったんだよねぇ﹂
それは唯一身に着けている装身具、雷精霊の腕輪だった。
﹁加護がある人を欲しがるのは当然でしょ?君みたいに凄いの初め
て見たって喜んでたもん﹂
精霊の加護を受ければ魔術の素養が強化されたり、加護と同系統
の魔術から身を守ってくれたり、更には加護を受けた人物が危機的
に状況にいると、助言を与えてくれるなど不思議な恩恵があるとい
う。
確かにそれらは持たざる者からすれば魅力的な力なのだろう。精
霊の存在は一般的には忘れられた存在で、その加護についてもあま
り知られていないようだが。
﹁見えない人が存在を信じられないのも仕方がない話よねぇ∼﹂
﹁その口ぶりだと自分は見えるみたいですね﹂
その言葉にブラックは一歩俺へと歩み寄る。
そして自ら胸元を押し広げるように見せつけた。谷間に隠されて
いたのは魔法陣のような特殊な記号の集合体。そしてその中心にい
る、小さな黒い蜥蜴だった。
﹁可愛いでしょ?﹂
ちろちろと動く小さな蜥蜴は女の肌を滑るように移動し怯えたよ
うに姿を消した。
1946
﹁あなたも加護があるんですね﹂
﹁あなたじゃないよ、アタシはブラックっていうの。ロゼに付けて
もらったんだ。カッコいい名前でしょ?﹂
女性に付けるにはどうなんだろうと一瞬思ったが、本人が満足そ
うなので肯定しておいた。
俺とは価値観が違うかもしれないし、余計なことは藪蛇になりそ
うだ。
﹁話があるなら頭を下げて口頭でお願いしますよ。こうやって暴力
や権力で人を動かそうとするような人を俺は好きになれない﹂
俺の言葉にブラックはくすくすと笑いだす。
﹁好きになれない?ふふふ、可笑しいね。大丈夫きっと好きになる
よ。だってロゼをみたら、誰だって目を反らせなくなるんだもん。
みんな虜になって、あの子のために働くのが最高の幸せになるんだ
よぉ﹂
そういうブラックの笑顔は何処か狂気を含んでいた。
たぶんそれ操られてるんじゃないのかな。神器の能力か、特性の
魅了か。どちらにしろ碌なものではないことは確かだ。早々にお暇
した方が良さそうである。
様子を伺いつつ、あまりことを荒立てない方法をと考えていたが、
どうもそんな雰囲気ではないようだ。胡散臭さしかない。
1947
俺の逃げる決意を表情で感じ取ったのか、ブラックが狂気の笑顔
がこちらを見据える。
﹁逃げられると思う?﹂
﹁今の話聞いて逃げない方がおかしいと思いますね﹂
雷魔術B級 警戒B級 探知B級 耐性B級
時間は十分にあったので、彼女の能力に併せてスキルを変更した。
全裸のまま湯船から立ち上がり、肉体に雷付与をまとわせる。
﹁魔術師かぁ⋮⋮あの鉄格子には、魔術師対策がしてあったと思う
けど?⋮⋮まぁ、いっか﹂
そう言いながら彼女の視線が下腹部へと移動した様に感じたがた
ぶん気のせいだろう。
水の抵抗も難なく距離を詰めるブラック。左手は俺を拘束するべ
く動き、右手は腹部を狙った拳打が放たれた。
﹁悪いけど、魔術師対策してるの鉄格子だけじゃないんだよねぇ⋮
⋮逃げられるとアタシが怒られちゃうから、ちょっと眠ってて貰お
うかなぁ﹂
警戒のスキルが攻撃に反応し、攻撃を先読みするが肉体の動きが
反応についていけない。
1948
ブラックの左手が俺の左手首を抑え、右拳が腹部に沈み込む。
あっぶねぇ、拳自体は軽いけど、内臓を直接抉ってくるような攻
撃だ。打撃耐性がなかったらと思うとゾッとする。
﹁⋮⋮ん?﹂
俺の反応に違和感を覚えたのか、ブラックの動きが一瞬停止する。
そこへ麻痺を放った。
﹁ッふぁ!?﹂
敵とは言え褐色巨乳のお姉さんを亡き者にするのは勿体ない。い
や、間違った。俺の家族に危害を加えようとするようなクズなら容
赦はしないが、少々強引な勧誘だと思えば殺し合いまですることも
ないだろうという判断だ。
できるだけ穏便に禍根を残さない解決をしたいだけだ。断じて目
の前で揺れるおっぱいに意識を奪われたわけではない。
﹁あぶなーい。雷魔術を即座に無詠唱で放てるということは⋮⋮雷
精霊の加護なのかなぁ?﹂
﹁弾かれた!?﹂
俺は驚きのあまりに声を上げる。
するとブラックはドヤ顔で、自分の指に装着された白銀の指輪を
見せつけてきた。
1949
﹁にひひ、妨害の指輪だよん﹂
﹁魔術を無力化する指輪か?﹂
﹁自分に向けられた一部の効果だけだけどねぇ。でも下位の魔術師
相手には十分な性能かもねぇ﹂
あ、いいな。なんか使えそう、欲しい。
﹁俺があんたに勝ったらその指輪くれない?﹂
自分へと襲い掛かってくる相手に何言ってるんだとも思うが、相
手を打ちのめして荷を奪うような行為は基本的には好きじゃないん
だよな。
相手が盗賊とかなら気兼ねしなくていいんだけど。
﹁うふふ、いいよぉ、勝てたらねー。でも、勝てるかなぁ?魔術が
効かないって、理解したでしょ?﹂
ブラックは対峙する俺に両手を広げてアピールする。ノーガード
だ。撃ってこいってことかな?
妨害の指輪があるから?それとも他に対策があるのか⋮⋮まぁ、
考えても仕方ない。挑発に乗ってみるか、指輪の性能を見せてもら
おう。
俺は牽制の意味も込めて、左右の手からD級レベルの雷撃を同時
に放った。
1950
﹁⋮⋮凄いな、これも防げるのか﹂
﹁に、二発同時、意外とやるねぇ⋮⋮﹂
少し狼狽えた様子のブラックだったが、まだ余裕がありそうだ。
本気のS級を撃つと船ごと壊してしまいそうだしな、俺としては
あんまり派手なことはしたくない。帝国と喧嘩したいわけじゃない
し。
﹁じゃあ、もうちょい威力をあげよう﹂
左右の手それぞれに雷球を3つ、B級クラスの合計6発の雷蛇だ。
﹁え?⋮⋮なにそれ︱︱﹂
地面に落とされた雷球は、四方八方へと拡散し獲物に向かって距
離を詰める。
危機感を覚えたブラックは咄嗟に後ろへと飛び退く。だがその程
度で躱せる雷蛇ではなかった。
飛び退いた瞬間襲ってくる正面の雷蛇2発を打ち消したようだが、
背後、股下、左右から向かってくる雷蛇には対処できなかったよう
で︱︱
﹁あああああッッッ!!!﹂
叫び声を上げたブラックは空中で硬直、そして湯船へと落下した。
1951
﹁⋮⋮死んだ?﹂
水面を滑るようにして移動する雷蛇。十分な検証はしていなかっ
たのだが、これなら雨の日でも問題なく使用できそうだ。
うつぶせの状態で湯船に浮かぶ女。
状態:気絶 麻痺
ダメージはあるようだが、死んではいないようだ。
ともあれ、このまま放置すれば溺死しそうなので、とりあえず脱
衣までは運んでやろう。
女から指輪を抜き取り脱衣所まで担いでいく。
妨害の指輪 魔装具 C級 魔術効果:妨害
魔法の品物だからか、指輪は俺の指にも問題なく収まった。
希少度も高いし効果も強力。思いがけずいいものを頂いた。思わ
ず顔が綻ぶ。
どうでもいいけど、今この状況を誰かに見られたら最低な誤解を
招きそうだな。
裸同然の姿の気絶した女を、裸の男が抱き上げて移動してるって
いう⋮⋮
1952
こうしてる間にも誰かが入ってくるかもしれないし、隠密と隠蔽
を付与しておくか。はやく装備を回収しないとな。
俺は急いで脱衣所まで女を連れてくると、床にそっと寝かしてお
いた。衣類はおろか、体を拭く様な布も見当たらないので、そのま
ま放置だ。
スキルを変更し隠蔽を付与しようとしたとき、脱衣所の入口から
ガタガタと物音が聞こえた。
1953
第181話 暗殺者︵後書き︶
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1954
第182話 深海の悪魔
隠密と隠蔽を付与し脱衣所の入口から外の様子を伺う。
周囲に人の気配はない。しかし違和感はある。
バキバキと激しく何かが砕ける破砕音。それに合わせたように船
体が軋む様な音を立てて大きく揺れた。
﹁⋮⋮何だ?﹂
音の発生源、解体室のほうから濃度の高い黒煙が勢いよく流れて
くる。
遠くで人の叫び声がする。火事か何かか?
煙はまるで瘴気のように探知スキルを拒んでくる。煙の先が上手
く探れないのだ。であれば、これはただの煙ではないということだ。
再び破砕音が聞こえ、廊下に振動が伝わった。何かが起こってい
ることは明白だった。
黒煙のなかに人影が見えた。誰かいる。
静かに様子を伺っていると、何かから逃げるように体を引きずっ
て進む女が姿を現した。
足を引きずる様にして行くその女は、俺の目の前で前のめりに倒
1955
れた。
少しの間、様子を伺う。再び動き出すような気配はない。手を触
れ揺すってみる。反応はない。
﹁⋮⋮おいっ、大丈夫か﹂
倒れた女の耳元で声を掛ける。何度か体を揺すり反応を待った。
隠密状態にあっても人と接触すれば、その効果は解除される。すで
に効力は解除されているはずだ。
﹁⋮⋮誰?﹂
﹁あー、誰でもいい。それより何があった?﹂
思わず声を掛けてしまったのだが、その後のことは深く考えてい
なかった。
そうだな、どうせなら、鞄があれば魔法薬もあったのだが。
虚ろな表情で声を上げる女に、俺は強めの声を被せて状況を確認
する。
すでに俺が牢を脱出したことは伝わっているかもしれないが、勢
いでこの場を凌ごうという判断だった。むしろそれしかなかった。
﹁魔物だよ。解体室で、まだ息のあったクラーケンが目を覚ました
⋮⋮部屋に残ってた餌を食らって、力を取り戻しつつある⋮⋮ここ
も危ない︱︱﹂
1956
女は深く息を吐いて意識を失った。体を強く打ちつけたのか大き
な痣がある。魔眼で確認したところ瀕死ではないようなので、とり
あえずは大丈夫だろう。後で治療すれば死ぬことは無いはずだ。
廊下に置いておくのもどうかと思ったので、脱衣所に連れて行き
ブラックの隣に寝かせておこう。
﹁クラーケンかぁ、たぶん処置が甘かったのねぇ﹂
女を寝かせると気絶していた筈のブラックが目を覚ました。
﹁驚いたな。もう回復したのか﹂
魔眼で状態を確認したので間違いなく気絶と麻痺状態にはなって
いたはずだが、それにしては回復が早すぎる。何かの装備品の効果
だろうか。
状態:麻痺 麻痺は回復しきってないようだな。喋れる程度に回復したってこ
とか。それでも十分凄い効果だと思うけど。彼女は首だけをぐるり
と捻じって、こちらへと視線を向けた。動きが怖い。
﹁アタシの背中にね、そーゆー刻印が施してあるのよ。魔術抵抗力
を上昇させるのとぉ、自然治癒力を上昇させるのね﹂
確認してみたところ背中に刺青のようなものがあった。記号や文
字を組み合わせたもので、特殊な魔法陣のようにも見える。
﹁心配しなくても、もう君は襲わないよう。さっきのも手加減して
1957
くれてたんでしょ?﹂
﹁⋮⋮あんたも殺すつもりは無かったんだろ﹂
﹁そりゃ、そうだよ。殺しちゃダメって言われてたもん。あと、ア
タシはあんたじゃなくてブラックだよ﹂
ブラックは脱衣所で仰向けに寝そべったまま答えた。会話するこ
とはできるようだが、いまだ体は麻痺が続いているようだ。
﹁ところでクラーケンって何だ?﹂
﹁んー、クラーケンってのはねぇ︱︱﹂
妖魔というのは人間のように集団で生活し、ある程度の社会性と
知性を持ち、種によっては文化のようなものまで持つ魔物の1種で
ある。
本能のままに行動する魔獣よりも、悪知恵が回るぶん厄介とされ
る場合が多い。
そして海には数種類の妖魔の存在が確認されている。
その中でも異質とされているのがクラーケンという妖魔だ。体長
3mほどの異形の人型。鋭い牙が無数に生えた異形の頭部、肩口か
らは伸縮自在の触碗がそれぞれ4本づつ、胴体はカニの甲殻のよう
な生来の鎧が備わり、巨木のような2本脚が地面を支える。
異形と言うべきその姿で通常は深海に身を潜め、何か目的がある
時にだけ水面まで浮上し、その目的を達成するべく活動を開始する
1958
のだ。
妖魔でありながら群れを作らず、小型の魔物単体としての戦力で
は海の魔物の中でも最強クラスと称される。
﹁目的ってのは謎なんだよねぇ。餌を求めての行動とは思えない、
破壊行動だけをして帰る場合も多くて、何を食べるかもよくわかっ
てない⋮⋮ほとんど情報不足で何もわかってないんだけどぉ、嵐と
共に現れて港を襲ったり、船を沈めたりするんだって﹂
船を沈めるのか。それはマズイな。
今も遠く離れた所から人の声と何かが壊れるような音が聞こえて
くる。
﹁クラーケンは2つの心臓を持っていて固い甲殻で守ってるんだけ
ど、再生力が強くて同時に心臓を潰さないとすぐに再生しちゃうん
だよねぇ。触手も切り落としたとしても一瞬で再生しちゃうから厄
介なんだよ﹂
﹁弱点はないのか?﹂
﹁んー、弱点ねぇ︱︱﹂
なるほどな。それなら俺でも何とかなりそうだ。
﹁それじゃ俺の荷物の場所を教えて貰おうかな﹂
1959
﹁取り上げた装備の場所?ふふふ、それをアタシが素直に教えると
思うのん?﹂
そういって彼女はにへらと笑った。まだ満足に体も動かせないく
せに随分と余裕がある。俺が手心を加えているのを計算に入れてい
るのか。
あまり時間もないことだし、いまさら面倒な問答をするつもりは
ない。
﹁⋮⋮そうだな。別に教えて貰う必要はないか﹂
ブラックの腹部に手を触れて、同調スキルを発動させる。
﹁うぁ!?﹂
ブラックがその感触に小さく呻き声を上げた。
﹁このスキルは相手の内部に侵入する能力がある。これは相手の記
憶から感情あらゆるものを覗き込み、洗いざらい白日の下に暴き出
すというものだ。どこまで耐えられるか試してみるか?﹂
俺はブラックの耳元で悪意を込めて囁いた。
﹁え?﹂
同調スキルを乱暴に操り彼女の感覚を逆なでした。もちろん同調
スキルに記憶を探る能力はないので全てはハッタリである。
とはいえシアンの話では、このスキルには感覚として体を弄られ
1960
るような感触を覚えるというので、相手にしてみれば真実味のある
話に聞こえるだろう。
﹁なに、これ⋮⋮この感覚は⋮⋮?うそっ⋮⋮ふあああぁぁぁぁぁ
︱︱﹂
全力でスキルを行使すると、ブラックが白目を剥き股を擦り合わ
せて悶絶し始めた。
﹁あああああああぁぁぁっぁあああ﹂
いろんな体液をまき散らし、身を捩ってもがく彼女に焦ってスキ
ルを中断させた。
﹁今のうちに大人しく言うことを聞いた方が身のためだぞ?﹂
俺は可能な限りの低音でブラックに囁いた。
﹁あ、はいぃぃ﹂
少々やり過ぎたかと反省するところではあったが、同調スキルの
効果なのかハッタリが効いたのか、彼女も素直に装備のありかを教
えてくれたので良しとしておこう。
精神を集中させ広範囲探知で魔物の動くを捕捉する。靄が掛かっ
たように探知で探り切れない場所、ここが黒煙が発生している場所
だろう。その中心にクラーケンがいるはずだ。隠密、隠蔽を付与し
て廊下を移動する。その場所に近づくと黒煙がより深く濃密になり
1961
視界を遮った。
﹁被害状況を報告しろッ﹂
﹁クラーケンが下の階層へ移動中、扉を突き破って食糧貯蔵庫を襲
っています﹂
﹁7名の軽傷者、1名の重傷者を確認﹂
﹁第一戦闘艦隊に応援を要請しろ。クラーケンが完全に力を取り戻
しては我々では手に負えないぞ﹂
何人かの女兵士らしき獣人たちが慌ただしく動いている。
廊下は深い黒煙で包まれているので彼女たちの視界もままならな
い様子だ。
俺は魔眼のお陰なのか、行動に支障がない程度の視界は確保され
ていた。解体室の扉は大きく破壊され近くには無残に破壊された扉
の残骸が残されている。周囲には血や肉片が飛び散るような凄惨な
状況が確認できた。更に黒煙の中を進むと廊下に突如として大きな
穴が開いているのを発見した。
下の方から大きな魔力の動きを感じる。
装備を回収する前に船を沈められては困るので、クラーケンの処
理を行うことにした。
それに強力な魔物であれば魔石に込められたスキルにも期待が持
てる。いや、強い魔物に強いスキルが宿っているというものでもな
1962
いのだが、クラーケンはそう数の多くはない魔物のようなので希少
なスキルを保有している可能性もあるということだ。
軽業にポイントを振り分け大穴から下へと移動する。
すると、まさに目の前で食事中のクラーケンを発見した。
クラーケン 妖魔Lv42
その両肩からは、それぞれ2本の触碗が伸び、空中でゆらゆらと
蠢いている。
体力を取り戻していないのだろう、聞いていたものより触碗が少
ない。大きな体を震わせて一心不乱に何かに齧りついている。
近づくと食事を中断し一瞬だけ、こちらの方へと向き直った。警
戒しているようだ。ゆらゆらと動いていた触碗の動きが空中でピタ
リと止まる。
だがすぐに意識を食事へと戻し、再び貪る様に肉塊へと食らいつ
いた。あたりには黒煙と血の匂いが充満していた。
S級の隠密と隠蔽は施してあるが、それでも何かを感じる所があ
ったのだろうか。かなり感覚が鋭いのかもしれない。
しばらく観察していると俺の存在を感じ取ったという訳ではなく、
定期的に周囲を警戒している動きだということがわかった。単純に
用心深い魔物なのだろう。
1963
黒煙は姿を隠し魔力探知の感覚を鈍らせる働きがあるようだ。
それならばと隠密状態を維持しつつ、俺はスキルポイントを雷魔
術に振りなおした。
相手は心臓を潰しても再生するような生命力の強い魔物。遠慮を
していては倒しきれず反撃される可能性もある。そうなると俺1人
では危険。ならば一撃必殺が絶対条件だろう。
右手に魔力を集中させる。膨大な魔力が一ヶ所に集中するので、
感覚の鋭い魔物なら間違いなく気付かれるレベル。だが隠密S級な
ら魔力の流出を抑えることができ、その存在を隠し通すことができ
るようだ。
放たれる閃光。凄まじい轟音と巨大な光の帯がクラーケンを飲み
込んだ。発射の瞬間、クラーケンはその魔力の存在に気が付いたよ
うだが、高速で撃ち出される稲妻を気付いてから回避する術はクラ
ーケンには無かったようだ。
雷撃の余波が廊下の壁もろとも破壊の限りを尽くし、クラーケン
を飲み込んだ更に背後の部屋をも壊滅させた。
﹁もう少し威力を抑えた方が良かったかもしれない⋮⋮﹂
クラーケンより俺の雷撃で船が沈むかもと少し心配になったが、
魔物を止めるため仕方なかったのと思い直した。
クラーケンの残骸は形容しがたい無残な状態に変貌していた。雷
魔術が唯一の弱点あるそうなので、おそらく再び回復し蘇るという
ことはもうないだろう。
1964
アンデッド
これで蘇ったら生命力が高いというより死霊の領域である。まぁ、
そうなったら次は火球で焼き尽くしてみるか。
硬度が高く、魔力によって保護されている体内の魔石だけは無事
のようだった。
魔石 素材 B級
回収した魔石から氷耐性を修得した。
黒煙が手に入るかと思ったが⋮⋮いや、耐性は強力だから、これ
はこれでいいんだけど。
視線を動かすとクラーケンが食らいついていた肉塊が目に付いた。
まだ僅かに原型を留めていたので、もしかしたら大切な食料を守っ
たのかもしれない。
マーメイド
かなり損傷が激しいが、どうやらそれは人魚のようだった。
どことなく見覚えのある顔立ちだが、人魚に知り合いはいないの
で気のせいだろう。
魔眼が人魚の胸のあたりから魔力を含んだオーラが立ち上がって
いるのを確認した。
抉り取られた生々しい傷跡に手を入れ、残された魔石を回収した。
魔石 素材 D級
1965
人魚の魔石からは水魔術
遊泳を修得した。
立て続けにスキルを入手できるとは幸運だった。あとは装備を回
収して脱出するだけだな。ブラックから装備を保管してある倉庫の
場所は教えてもらったので問題はないな。
隠密と隠蔽を付与しつつ倉庫を目指して移動する。
﹁なんだ今の爆発は!?﹂
﹁わかりません、クラーケンの死骸が廊下で発見されたのですが、
周囲の被害が大きすぎて状況が確認できていないようです﹂
この船ってこんなに人がいたのかって言うほど船員たちが慌ただ
しく動き回っている。
隠密と隠蔽があるので見つかることはないが、誰かに接触すれば
解除されてしまうので狭い廊下を船員たちと擦れ違うのはさすがに
胆が冷える。
船員たちはみな若い女性のようで、たいして俺は全裸のまま行動
しているので今見つかるのは絶対に避けたい自体であった。
﹁先ほどの爆発で魔導炉の一部が破損したようです﹂
﹁これでは移動のための出力が⋮⋮修理にどれくらいかかる?﹂
﹁物を取り寄せてからと考えると、一か月はかかるかと﹂
混乱している様子の船員たちを掻い潜り倉庫へと辿り着いた。扉
1966
には鍵が掛かっているようだが、魔力は感じないので普通の南京錠
のようなものだろう。
周囲を見計らい雷撃で錠を破壊し倉庫内へと侵入した。
倉庫内には価値があるのか無いのか不明な道具が所狭しと積まれ
ていた。鎧や剣、槍などもあったがあまり質の良いものはなかった。
その片隅に俺の荷物が無造作に積まれているのを発見した。
魔眼で調べてみても間違いない。迷惑料に何か頂いていこうかと
も思ったが、鞄は荷がいっぱい入っているし手荷物を増やすのも邪
魔なので諦めた。
そこまでする価値のある品はこの場にはなさそうだ。戦利品は俺
の指に収まっている妨害の指輪だけでも十分だろう。
この指輪には、それくらいの価値はありそうだ。
﹁クラーケンがまだ︱︱﹂
﹁上の階層に︱︱﹂
﹁第一戦闘︱︱まだか︱︱!?﹂
﹁避難を優先︱︱﹂
部屋の外から微かに船員の叫ぶ声が聞こえる。
どうやらクラーケンは一匹では無かったようだ。
1967
1968
第182話 深海の悪魔︵後書き︶
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1969
第183話 氷結の魔術師
甲冑を着込んだ女が、触手に全身を締め付けられ空中へと持ち上
げられる。
徐々に強まる圧力に鎧の軋む音が響き、女の肉が骨が悲鳴を上げ
た。
﹁くっ、ああああああッ︱︱﹂
肺が潰され叫びと共に残った酸素が無理矢理押し出された。もは
やこれまでかと女の脳裏に死の影が浮かぶ。
全身を締め付ける魔物の拘束は時間と共に強さを増す。逃れる術
はない。握力さえも失われ、握られていた剣は手から滑り落ち、床
へ音を立てて転がった。
助けを呼ぶ声も、死を嘆く声も既に出すことは出来ない。
どうにもならない。どうにもできない。そう女が諦めたときの事
だった。
魔力探知で船内に存在する巨大な魔力を探した。既にクラーケン
の魔力は一度確認しているので、人間のそれと間違えることはない
だろう。
1970
まぁ、クラーケンで混乱している今なら脱出も容易だとは思うの
だが⋮⋮
船内の連中を見て回ったが、それほど悪党という訳でもないし、
普通の若い女の子も多かった。
レベル的に見てもクラーケンを処理できる戦力はこの船には居な
いような気がする。応援ってやつがどの程度かは不明だが、急がな
いと船ごと沈められそうなくらいにはクラーケンは強そうだ。
別に彼女たちを助ける義理はないが、魔石やスキルは俺にとって
も美味しいのでついでに他のクラーケンも頂いておくことにするか。
別に情けを掛けようという話ではない。自分の利益のためだ。
上層階に2体のそれっぽい動きを察知したので向かうことにした。
クラーケンを発見すると何人かの船員と交戦中だったが、既に船
員側は満身創痍といった様子であった。
雷魔術 雷蛇
俺の元を解き放たれた雷蛇は周辺で倒れている船員を躱しつつ、
天井、壁、床と縦横無尽に走り抜けクラーケンへと殺到した。
﹁グアアァァァァァッッッ!!﹂
雷蛇がクラーケンの触腕を麻痺させる。
魔物の動きが鈍っている間に鞄に収納してあったムーンソードを
1971
取り出すと、触腕を切り落として船員を救出した。
雷魔術 雷撃
クラーケンが再び動き出す前に、雷撃を放ち止めを刺しておく。
轟音と共に放たれた巨大な閃光が、一瞬にして魔物を飲み込んだ。
﹁おい、大丈夫か?生きてるか?﹂
鎧が激しく変形し体を圧迫しているのだろう。溶解を駆使し、鎧
を破壊して脱がせることにした。
﹁ライフポーションだ。飲めるか?﹂
﹁⋮⋮あ、あぁ﹂
立派な胸が押しつぶされて、さぞ息苦しかったことだろう。ポー
ションを飲ませたことだし、顔色もだいぶよくなったので、とりあ
えず命の危険は脱したはずだ。
鎧も衣類も溶解で溶かしてしまったので、目のやり場に困る状況
になってしまったが致し方ない。医療行為だしな。
大勢の声が近づいてきたので、俺はその場を離れることにした。
魔石も忘れずに回収しておく。B級ともなると金貨20枚、20万
シリルくらいにはなったはず。
できれば2、30匹くらい出てきてくれれば借金も一気に返せる
ところなのだが⋮⋮いや、そうなると魔力がもたないか。
1972
もう1体いるはずのクラーケンを探していると、廊下の突き当り
から声が聞こえた。
﹁この先は資料室だぞ、何としても奴の動きを止めろ!﹂
﹁雷魔術だ、奴には雷魔術が有効だ、ありったけの魔力を込めて撃
ち込んでやれっ﹂
﹁既にやってます。ですが魔力が持ちません。あんな化物を仕留め
られるほどの魔力だなんて、この場にいる全員の魔力を寄せ集めて
も不可能ですよ!﹂
﹁ギイイイイイイイィィィィィィッッッ!!!﹂
歯ぎしりにも似た不協和音が廊下に響き渡る。
あまりの絶叫、あまりの恐怖に誰もが委縮し腰が引けた。
﹁さっ、さがれ!一時退却だッ!﹂
誰かが言ったその言葉でクラーケンと対峙していた船員たちは、
蜘蛛の子を散らすように踵を返して走り去っていった。
俺は身を隠して様子を見守っていた。
どうやらクラーケンを置き去りにして、この辺りの者は立ち去っ
て行ったらしい。
1973
﹁ギッギッイィッ!﹂
3mはある巨体に肩口から4対の長い触手。異形の頭部からは長
大な牙が異様に伸び、絶え間なく粘液を吐きこぼしている。
雷撃 S級
こちらの存在を感じ取られる前に即座に雷撃を放つ。
巨大な閃光がクラーケンを貫いた。
両肩伸びた触手は根元から千切れ飛び、巨大な胴体は衝撃に耐え
きれずに吹き飛ばされ、背後の扉を突き破って止まった。異形の口
からごうごうと黒煙が噴き上がる。
魔石 素材 B級
スモーク
クラーケンの体から魔石を回収。同時に魔石に内包された闇魔術
黒煙を修得した。
自身の周囲に自在に煙幕を張る闇魔術。視覚と同時に魔力探知も
阻害するので、俺の持つスキルとの相性も良く近接戦闘で力を発揮
してくれるだろう。
クラーケンが打ち破った場所は固定された本棚がいくつも並ぶ特
殊な部屋だった。
本棚には羊皮紙の束がぎっしりとまとめられ収まっている。
1974
一部は扉を破壊した衝撃で崩壊しているが、細長い部屋の奥の方
は健在のようだ。
床に散らばった羊皮紙の一部を手に取って目を通してみる。
俺も大陸で使われている文字は読めるようになったし、魔導書で
使われるような魔術文字もかなり読めるようになってきたので、こ
の手の書類もだいぶ読めるようになってきたつもりだ。
魔導機関の仕組み
氷霊石の利用法
魔導炉設計図面集
レヴィア諸島周辺航海図集
ミューズ要塞建設図面
さらっと目を通しただけなので何とも言えないが、重要機密文書
っぽいのがあたりに散らばっている。
流石にここにある資料を全部持ち出すことは不可能だが、特に目
に付いた価値のありそうなものだけ抜き出して拝借していこう。
シフォンさんに報告して指示を仰ぐか、もしくはヴィムあたりに
渡せば、面白いものを作ってくれるかもしれない。
いや、場合によってはゼストに渡して書類の価値によっては借金
1975
帳消しになるかも⋮⋮
のんびりしていては人が集まってきてしまうので、手早く資料を
抜き出した俺は適当に鞄へと詰め込みその場を後にした。
盗賊の地図で現在地を確認。
甲板へと繋がる通路を発見したので隠密、隠蔽、黒煙を駆使して
進んでいく。
船内はクラーケンが大暴れしてくれたお陰で混乱の最中にあった。
これなら人の行き交う船内でも何とか行動できるだろう。広域探知
を使い活動状態にあるクラーケンが船内に存在しないことは確認済
み。いまのうちに甲板まで一気に脱出しよう。
﹁急げ!船内でクラーケンが暴れ出したら、幾らも持たんぞ﹂
武器を手にした男たちの集団が廊下を駆け抜けていく。仲間が増
援に着た様だな。狭い廊下でかち合っては隠密も解除されてしまう
ので、ここは上手くやり過ごそう。
甲板までくると久しぶりの外の空気を大きく吸い込んだ。
少し肌寒い夜風が気持ちいい。先ほどまで船内で魔物が暴れてい
たとは思えない静寂があたりを包んでいた。
地球の月によく似たものが淡い光で夜の闇を照らしている。
1976
船は湾内に停泊しており陸地からかなり距離があるが、水魔術の
遊泳と潜水があるので何とかなるだろう。
氷耐性も修得しているのでレヴィア諸島の冷たい海水も耐えられ
るはずだ。試しもなしにいきなりの本番だが脱出のためやるしかな
い。
スキルを設定し終わると、不意に強烈な冷気を感じた。
いや、正確に言えば耐性があるので苦痛はない。だが、強い圧力
と共に吹き付けられる冷気を不思議と理解できる。妙な感覚だ。こ
れが耐性による効果なのだろうか。
流れ込んでくる魔力感覚。ただの冷気ではない。これは魔術によ
って生み出された術者の意思の込められたものだ。
見る間に甲板の表面が氷で覆われていく。
まるで北国の地吹雪を思わせる風があたりを吹き抜けた。微氷を
含んだ極寒の地吹雪。並みの人間なら冷気で体が縮こまり、露出し
た肌は見る間に凍傷になるほどの烈風。
氷耐性の効果で冷気による苦痛は感じないが、顔に直撃する微氷
が鬱陶しいことには違いはなかった。
思わず目を守るために腕を盾に防御する姿勢をとる。
その直後、図ったかのように凍り付いた甲板から、津波のように
姿を変化させる氷が俺の体を飲み込もうと動き出した。
1977
自在に変化する白氷のうねり。生命を与えられた微氷の集合体は、
俺の体に絡みつき包み込もうと範囲を広げる。
﹁なんの騒ぎかと来てみれば⋮⋮鼠が逃げ出したか﹂
声の方へと視線を送ると誰もいないと思っていた甲板に人影があ
る。
フード付きのローブを深く被り、顔こそ見えないがそこから流れ
込んでくる魔力の強さから、この現象を引き起こしている張本人な
のは明白だった。
その者を中心にして猛烈な吹雪が渦巻いている。認識阻害の装備
か。この状態では魔眼で能力を探ることは難しそうだ。
まとわりつく鬱陶しい氷を手で払うと何事もなく氷は霧散した。
氷耐性は氷魔術全般にも作用しているようだ。
﹁⋮⋮私の術が弾かれただと?﹂
魔術師は驚きからか僅かに声が上ずる。
﹁ああ、今の何かの術だったのか﹂
何の抵抗も感じなかったので、大したものでも無かったのだろう。
﹁図に乗るなよ小僧﹂
俺の言葉に魔術師は憤慨したように声を荒げる。
1978
俺を中心に周囲に魔力の高まりを感じたと思った瞬間、周囲に氷
柱が伸び一瞬で氷の壁が形成された。それはまるで動物を閉じ込め
るための檻だ。
﹁どうやって抜け出したかは知らんが、大人しくしていて貰おうか﹂
溶解で氷壁に触れると、まるで最初から壁など存在して
﹁どうやってって、こうやってだけど﹂
水魔術
いなかったかのように一瞬で消滅。
普通に触れるとまるで金属かというほどの強度だが、溶解を防ぐ
には至らなかったようだ。
﹁⋮⋮馬鹿な!?﹂
どうやら相手を更に怒らせてしまったらしく、ムキになった術者
が大量の氷柱を形成し始めた。
あたりには俺を取り囲むように大きな氷柱は生えまくっている。
俺を捉えるつもりでやってるなら、かなり無意味だと思うが指摘
すると怒られそうなのでやめておいた。
﹁どうだ、これならば逃げられまい!﹂
得意げに声を張り上げる術者である。確かに周囲には氷柱が生え
まくって移動の妨害にはなりそうだが、屋根はついておらず完全に
囲われているわけではないので、溶解で一部を破壊し軽業で乗り越
1979
えれば脱出できた。
ともあれ逃げても追いかけて来そうな勢いなので、ある程度叩き
のめして置いた方が良いだろう。
できれば穏便に済ませたいところではあったのだが。向かってく
るなら対処するまでだ。
﹁何のようかは知らんが、話があるなら正面から来たらどうだ?﹂
﹁何か勘違いしているようだが、お前はロゼが気に入った素材だか
ら生かして置いてあるだけの存在だ。家畜が自らの処遇に論議する
など、おこがましいと知るがいい﹂
うーん。やばい凄くめんどくさくなってきた。やはり話の通じな
い連中なのか。
できれば穏便にと考えていたが、どうにも無理そうだな。
﹁ただの人間が身の程を弁えろ﹂
スキルを変更して土魔術にポイントを振り込む。
大規模な操作は難しいが、ちょっと激しく揺さぶるだけならたぶ
んできるだろう。
凍り付いた甲板に両掌を押し当て創造を発動させる。
地面を激しく揺さぶるイメージで魔力を流し込むのだ。
1980
甲板が激しく揺れる。振動が俺を中心に発生し、まるで甲板が波
打つかのように広がった。
﹁なっ、なんだとッ!?﹂
凍り付いた甲板は無理な衝撃が加わり激しい音を奏でて悲鳴を上
げる。
耐久度を超えた衝撃にあちこちで破壊が生まれた。同時に無数の
氷柱が無残にも砕け崩れ落ちる。
初めてやったがおそらく甲板を操ったというよりも、氷の方に創
造の魔術が作用したのだろう。
創造は土を操作する魔術だと思っていたが、どうも固形物を操作
するものと言った方が認識が近いようだ。
1981
第183話 氷結の魔術師︵後書き︶
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1982
第184話 ロゼリア・ミッドナイト
﹁なぜだ⋮⋮こんなことは、ありえない﹂
まるで自問自答するかのように呟く。
認識阻害の効果のためか男女の区別さえつかないが、その口調か
ら狼狽する様子は隠しきれていなかった。
﹁何者だ貴様は⋮⋮精霊使いだとしても、人間には強すぎる魔力⋮
⋮こんなことは、ありえんッ!!﹂
魔術師が声を荒げると、甲板に漂う冷気が渦を巻く様に上空へと
集まっていく。
ただの冷気ではない。魔術師が魔力を持って生み出した魔術だ。
1つに収束された魔力は、やがて巨大な氷塊を作り出した。
﹁おお、でかいな﹂
氷塊は不安定なのか、ふらふらと微妙に揺れている。
今もなお魔力が集まり巨大化しているようだが、もしかしてアレ
を俺に目掛けて落そうとしているのだろうか?
普通に考えてあんな物を落としたら、この船沈むんじゃねぇの。
1983
﹁ふふふ、これほどの術を人間ごときに止められるかなッ!﹂
スキル変更︱︱
火魔術 火球 S級
右手に収束された魔力が、まるで小太陽の如き輝きを生み出す。
輝きと同時に凄まじい熱量を周囲に発しているようだ。その影響
は甲板の氷を見る間に溶かしていった。
だが携帯している術者本人には影響がないようで、こうして超高
温の火球が傍にあっても焼き尽くされることはない。
俺はその火球を、いつ落ちてくるかもわからない氷塊へと放った。
爆裂 熱風 轟音 火球は一瞬にして氷塊を巨大な水蒸気に変え、甲板上空からその
姿を消滅させた。
﹁⋮⋮⋮何なのだ貴様は﹂
魔術師の身には床から競り上がった氷礫が集まり、1つのうねり
を生み出している。
微細な氷の集合体が氷の蛇を生み出し、輝く鱗が月光を反射して
幻想的な光景を実現させていた。
﹁何なのだと言われてもなー﹂
1984
1体の蛇が解き放たれ氷蛇が俺の元へ飛び掛かる。
コンフロント
妨害
妨害の指輪に込められた魔術が効果を発揮する。
氷蛇が体に取り付くその刹那、見えない力に押し返されるように
弾かれ空中で礫となって霧散した。
初めて使ったが、これはいい。実に便利だ。ただ自在に使いこな
すには十分な修練が必要だとも思う。要練習だな。
自分に向けられた魔術効果を弾いて無力化する指輪。自分がその
効果を認識し対応する必要があるようだが、それを差し引いても強
力な効果である。
こういったものがあるならば、探せば攻撃魔術自動防御なんての
も何処かにありそうだな。なければ自分で作るとか⋮⋮魔導具職人
を訪ねるのもいいかもしれない。ベイルに帰ったら忙しくなりそう
だ。
魔術師は甲板を走り回りながら、無数の氷球を撃ち放ってきた。
魔力探知によりその発動の瞬間や軌道を予測できる。氷球の軌道
は直線的で速度も大したことは無いので避けるのは難しくない。
冷静さを欠いた攻撃は単調で危険を感じることは無かった。俺に
は氷耐性があるので、そもそも氷魔術でダメージを負うことは無い
1985
だろうが。
身に届く氷球は妨害で弾き掻き消す。練習には丁度いい。
妨害自体は魔力の消費が少ないようだが、打ち消す対象となる魔
術次第では消費量も増大するようだな。
魔装具の質が良ければこの辺りの魔力効率も良くなるのかもしれ
ない。
氷球の攻撃が衰えたところで、お返しにと火球を撃ち出してみた。
S級の火球では威力が強すぎるので、B級あたりまで加減してあ
る。
﹁ああああああッッ!!﹂
魔術師が奇声を発しながら火球へ向かって氷球を撃ちまくる。
相打ちを狙ったのがどうかは不明だが、放たれた氷球が火球を止
めることは出来なかった。
火球に触れるか否かと接近した氷球がは瞬時に水蒸気に姿を変え
て消失してしまう。
おそらく威力差があり過ぎるのだろう。魔力探知で察知できる魔
力量もそう多くはない。燃料切れだ。
肩で息をする魔術師へと火球が到達する。
1986
魔術師は身にまとっていた氷蛇もろとも爆炎に飲み込まれた。
甲板上に火柱が立ち、舞い上がる火の粉が夜の空を明るく照らし
た。
船員たちのレベルから推測するに、この魔術師は船内にいたブラ
ックと同程度かそれ以上の実力者のはずだ。だとすれば妨害の指輪
か、もしくはそれ以上の何かを持っていたとしてもおかしくはない。
様子見も兼ねた攻撃だったのだが、本当にネタ切れだったようで
火球を撃ち返すこともなく、魔術師はそのまま身で受け止め火達磨
と化した。
シェリル・ブラッドベリ︱ 魔術師Lv59
直感
促進
エルフ 124歳 女性
特性:夜目
スキル:氷魔術A級
風魔術B級
魔力操作C級
探知C級
空間認知E級
燃え尽きたローブを払い除け、青白い髪の女が姿を見せた。
あのときロゼリアの傍にいた人物の1人だろう。
こちらをギロリと睨みつけるが、すでにまともに立つ体力もない
1987
のか、その場に座り込んでしまった。
やっと大人しくなったかと安堵したのも束の間、腕に足に赤く細
い紐が絡みついた。
﹁⋮⋮またか﹂
周囲の魔力変化には気を配っていたつもりだが、それでもこう容
易く捕まってしまうのでは逃れる術は簡単ではない。とはいえどう
するか。細く頼りない紐ではあるが、その強度は並みの斬撃を跳ね
返すほどだ。
甲板に散らばる氷柱の残骸を隠れ蓑に、赤紐を周囲に忍ばせてい
たのか。
どうしたものかと思案しているところへ、強大な魔力の存在を上
空に感じた。
視線を上げると、そこには月光を背負うかのように黒鳥の如き大
翼を広げた桃色の髪の女がいた。
﹁もう帰り支度か?つれないではないか﹂ 吸血鬼にして帝国最大人員を誇るクラン凶鮫旅団の頭目、ロゼリ
ア・ミッドナイト。
特徴的な桃色の長髪。切れ長の瞳に長い睫毛。白い肌を包む黒い
ドレスは所々が大きく開かれ、その秘めたる妖艶さを際立たせてい
る。
1988
彼女は無音のままに翼を畳み、俺の眼前へと降り立った。黒翼は
見る間に小さく縮みその勢いのまま消失した。
﹁シェリルめ。勇み足で仕掛けたうえに、軽くあしらわれるとは﹂
ロゼリアは背後にいる彼女へ一瞥することもなく落胆の声を放つ。
その言葉にシェリルは思わず顔を伏せた。
まぁ、軽くでは無かったのだが。氷耐性があったこと、魔術の相
性、俺の魔力量がシェリルのそれを遥かに上回っていることが勝敗
を分けたのだろう。
シェリル、ブラック、他多数で囲まれたら流石にどうにもならな
かったと思うが。
﹁その様子ではブラックでも相手に成らなかったのだな。素晴らし
い。まだ成長しきっていないうちから、これほど私を楽しませてく
れるとは⋮⋮ぜひとも私の手で育てたい﹂
獲物を見定めする獰猛な獣のように、ロゼリアの視線が俺を射抜
いた。
絡みつく赤紐が食い込み、腕も足も動かせない。
視線を彼女から離せない。これが魅了の効果なのか。
ざっくりと開かれた胸元、そこから見える白い肌が眩しい。
ブラックのような巨大な質量ではないが、小さすぎず大きすぎず
1989
と、絶妙なバランスである。端的に言えば完璧な美しさだ。完成度
の高い芸術品だ。
ロゼリアが1歩、また1歩と近づいてくる。
揺れる髪、その仕草、視線に目が離せない。自分でも理解できる
が、目を反らそうにも反らせないのだ。これほどまでに強力な能力
だとは。
触れるか触れないかまでの距離。甘い香りが漂ってくる。
﹁そう固くなるな。何も取って食おうとは思っておらん﹂
ロゼリアの指先が体に触れる。
特別なことは何もされていないが、防御反応なのが身を縮ませる
思いがした。
﹁何をする気だ?﹂
何とか意識を保ち声を出す。
俺の必死さをあざ笑うかのように彼女はくすくすと笑った。
﹁わらわの物になれ、カシマ・ジン。忠誠を誓い、跪くのだ。そう
すれば此度の事の全てを許してやる。お前の仲間にも手出しさせぬ
よう計らってやろう。お前が、お前1人が頷けば、全てがまるく収
まる。どうだ妙案であろう?﹂
ロゼリアの顔が近い。
1990
吐息が顔に掛かるほどに。
﹁断ると言ったら?﹂
俺は彼女に視線を合わせないように言い放った。
﹁断れやしまい。なに直に良くなる。わらわに身を委ねるがよい﹂
ロゼリアはゆっくりとその身を寄り添う様に近づける。
密着。薄い布ごしに彼女の感触を感じる。絡みつかれる腕に気が
の快楽に抗う術
付くと外套を剥ぎ取られ、服の中に彼女の白魚のような指先が侵入
してきた。
愛奴の呪鎖
直接触れる肌。鼓動が否応なしに高まる。
﹁無駄な我慢はよせ。わらわの神器
はない﹂
動けぬ状態のまま、ロゼリアに首筋を舐められた。思わず背筋に
電撃が走る。
マズイな。体の奥底に眠る欲望が爆発しそうだ。蠱惑的な声色と
香りにやられて眩暈がしてくる。
思わず身を委ねそうになる気持ちを察したのか、背骨に強い衝撃
を受ける。いや、受けた様な気がした。文字通りの電撃だ。無理矢
理筋肉を引き延ばされたような感覚。
1991
この感覚は雷精霊か。姿を見せた訳ではないが、まるでしっかり
しろと窘められた思いがした。
﹁わらわを拒むかのか。強情なやつめ﹂
赤紐がまるで生き物のように変幻自在に動き、腕が足が俺の意思
とは無関係に動かされる。俺の体はロゼリアに支配されているよう
だ。
床へと強引に膝を突かされ、頭を下げられた。
おもむろに俺の頭を手に取り押さえつける。
顔を近づけ額と額が接触する。
﹁止めろッ﹂
理屈はわからないが危険を感じた俺は思わず叫んだ。
﹁止めぬ﹂
強力な魔力が直接、俺の中へと注がれる。
幻夢は相手を強力な催眠状態する種族特性。
効果自体は短いが、その威力は極めて高い。この身に直に受けて、
それが理解できた。
﹁暫しの夢を見るがいい。目覚めたとき、お前はわらわなしには生
きられぬ奴隷となる﹂
1992
催眠状態にある俺を前にして、ロゼリアの甲高い笑い声が闇に響
いた。
俺は︱︱
一体どうしたんだっけ︱︱︱
﹃ジン様、どうかされましたか?﹄
不意に呼び掛けられる声に振り向く。
﹃リザ?﹄
﹃はい﹄
いつもと変わらないリザの笑顔。
﹃どうしてここに?﹄
だけど妙な違和感を覚える。
﹃リザはいつでもジン様のお傍におります﹄
そういって彼女は俺の胸に飛び込んできた。
俺は優しく抱きしめる。暫しの抱擁。この感触は忘れるはずがな
い。
1993
﹃なんか夢見てた気がする﹄
﹃夢ですか?﹄
周囲を見渡す。そこにあるのはベイルにあるリザたち親子と一緒
に暮らすいつもの家。俺の間借りしているいつもの部屋だ。
﹃ああ、なんか強力な魔物が暴れててさ。だいぶ疲れたけど、まぁ、
なんとか倒せたよ﹄
﹃そうでしたか。お怪我はありませんか?﹄
そういってリザは俺の体を触って確かめる。
﹃大丈夫だ。魔力をほとんど使ってしまったから、疲労があると言
えばあるけど﹄
﹃私をお使いください。私の全ては貴方のもの。ジン様が望めば何
時でも如何なるものも、全て貴方に捧げます﹄
リザは静かに身を寄せ、顔を上げて目を瞑った。
1994
第184話 ロゼリア・ミッドナイト︵後書き︶
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1995
第185話 幻夢を乗り越える者
ロゼリアは神器を操り、ジンの拘束を解除した。
﹁ふふふ、多少の抵抗はあったが、これでお前はわらわのものだ⋮
⋮﹂
虚ろな表情を見せるジンの顔を覗き込みロゼリアは満足した様に
微笑む。
今もなお床に伏して体力の回復を図るシェリルに向き直ると、ロ
ゼリアは何もない空中を探る動作をした。すると空中に黒い霞の如
き物体が出現する。これは自らの荷を自在に収納して置ける影空間
である。
﹁シェリル、飲んで置け﹂
ロゼリアは影空間から取り出した小瓶を投げ渡した。それは彼女
がいくつか所有する希少な魔力回復薬の1つだった。
﹁⋮⋮はぁ、なんて化物だ。こいつがロゼのいう特別な奴なのか?﹂
彼女は受け取った薬を飲み干すと、重怠い体をゆっくりと起こし
た。失った魔力はすぐには回復しないが、体に残る倦怠感は幾らか
マシになっただろう。
﹁まだわからん。だが可能性はある。人型の精霊など見たのは初め
てだしな⋮⋮﹂
1996
ロゼリアの気が逸れたその刹那、シェリルはその背後にあった気
配を直感にて感じ取った。
﹁ロゼ、後ろだ!﹂
彼女の言葉と反応よりも早く、ロゼリアは背後からの抱擁に拘束
された。
﹁馬鹿な、幻夢が解除されたのか?早すぎる﹂
ジンの思いのほか強い拘束にロゼリアは戸惑った。
﹁リザ⋮⋮﹂
耳元で囁く言葉に、ロゼリアは幻夢が完全には解除されていない
ことを確信する。肉体は動くようだが、意識はまだ覚醒しているわ
けではないようだ。
﹁幻夢は肉体の自由さえも奪う術だというのに⋮⋮﹂
なぜジンの肉体が自由を取り戻したのかと疑問を浮かべていると、
彼女は足元に転がる自分の闇精霊の存在を確認した。
大きな翼をバタバタともがくように動かし、頭から床に押し付け
られている。
頭の上を足蹴にする雷精霊が、にやりと不敵な笑みを見せた。
﹁貴様かッ﹂
1997
精霊の方へと注意を反らされ、ジンの行動を見逃した。
﹁ロゼ、危ないっ﹂
不意を突かれ唇を奪われる。
﹁んッンンンンンーーーーッッッ!?﹂
闇魔術 魔力吸収
﹁これはッ⋮⋮魔力吸収?くっ、離せッ︱︱﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁まだ幻夢から覚めていないのか!いい加減に目を覚ま︱︱﹂
ロゼリアは床へと押し倒され、更に魔力を奪われた。
﹁ロゼェぇぇぇ!!﹂
目の前で主が押し倒される光景にシェリルは叫び声をあげた。
﹁んぁぁああ、魔力が奪われ⋮⋮マズイッ⋮⋮馬鹿ッ、何処触って
︱︱﹂
魔力を吸い尽くされたロゼリアは魔力消失による強制睡眠、能力
低下、気絶状態を引き起こし、意識を失って床に倒れた。
1998
﹁そんな⋮⋮ロゼが⋮⋮﹂
ロゼリアが屈するところを初めて見たシェリルは、目の前で起こ
った出来事を信じることができなかった。
これは悪い夢だ。自分も気付かない間にロゼの幻夢に囚われてい
たのかもしれない。
私が信奉する彼女が、こんなことになるなんて。
無尽蔵に湧き出る魔力がある限り、夜の彼女に敵う者は世界中探
しても存在しない。そのはずだったのに︱︱
﹁そこにいたのか。悪いな、シアンも俺に魔力を分けてくれるのか﹂
ジンはゆっくりとした足取りでシェリルへと近づく。その様子を
見れば、いまだに幻夢は解除されていないのだとわかった。
﹁シアン?おい、馬鹿、やめろッ。私に近づくな!﹂
﹁ああ。助かる﹂
﹁貴様ッ、話を聞︱︱﹂
いまだ魔力は僅かにしか回復していない。逃げることも、迎え撃
つ力も残ってはいないのだ。
シェリルは何の抵抗も出来ずに、ジンに捕まりそのまま︱︱
1999
﹁ンンンンンッッ︱︱﹂
残った魔力を完全に吸い尽くされたのだった。
2000
第185話 幻夢を乗り越える者︵後書き︶
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2001
第186話 深夜の帰還
﹁⋮⋮これって、どんな状況なんだ﹂
俺は目の前に広がる光景に困惑していた。
眼前には意識を失い倒れ込む桃髪の女、ロザリア・ミッドナイト。
艶やかな黒のドレスは大きく開け、その白い素肌を月光のもとに晒
している。
周囲に存在していた氷塊は奇麗サッパリに溶け消え、戦闘の残滓
か甲板には所々に損傷の箇所が見られた。
見渡すと倒れているのは彼女だけではなかった。
青白い髪の女、エルフのシェリル。船内で出会ったダークエルフ
のブラック。他にも見覚えのない数名の若い女性が⋮⋮
ブラックの顔を覗き込むと、なぜか満足そうな寝顔を晒している。
なんで皆して甲板で雑魚寝してんだろ。皆目見当がつかない。まっ
たくの謎である。
状態:能力低下 強制睡眠 魔力枯渇
倒れている者たちは魔力を失い、それを原因に意識を失っている
ようだ。いったん枯渇状態になると魔力回復が始まるまで時間がか
かるので、しばらくは彼女たちが追撃に来ることは無いだろう。
2002
このまま無防備を晒すロゼリアの命を絶っておけば、今後の憂い
も解消されるかもしれないが⋮⋮
レベルを見ても彼女が帝国でも屈指の実力者なのは間違いない。
同時に冒険者でもあり、多くの繋がりもあることだろう。そんな彼
女を亡き者にすることは、帝国に正面から喧嘩を売ることになるの
ではないだろうか。⋮⋮わからん。だが下手な行動はできないのは
間違いない。とりあえず、この場はこのまま放置して拠点へと帰還
することにしよう。こういった面倒ごとは、偉い人に報告して指示
を仰げばよいのだ。
俺はスキルを変更し、謎の状況となった船上から脱出することに
した。
水魔術B級 闇魔術B級 隠密B級 耐性S級
クラーケンとの戦闘のお陰かレベルも上がってスキルポイントに
も余裕ができた。
高い階級を維持しつつ、複数のスキルを利用できるようになって
戦術の幅も広がることだろう。
夜の海に飛び込むのは勇気が必要だったが、闇耐性の効果なのか
恐怖は無かった。
期待通り氷耐性の効果も発揮され、冷気で体が動かなくなること
もない。冷たいとは思うものの、耐えられるし不快感はない。不思
議な感覚だが、冷たいことはわかるが冷たくないという謎の感覚な
のだ。
2003
潜水は皮膚呼吸を強化する術らしい。よくわからないが、肺に空
気を取り込まずとも長時間の潜水が可能になる。
遊泳は水中を自在に行動できるように補助する術だ。まるで足ヒ
レを付けているかのように、ひとかきで水中を思い通りに進むこと
が出来る。
魔眼は暗い海の中でも、ある程度の視界は確保できるし夜の海で
も問題は無さそうだ。
それなり距離はあったが問題なく陸地まで辿り着いた。
スキルを変更して広域探知を使用して確認するが、追手の気配は
感じられなかった。
まぁ、このような狭い島では逃げようと思っても無理がある。隠
れていても見つかるのは時間の問題だろう。何か仕掛けてくるよう
であれば、その場合は⋮⋮
いや、そうなると俺だけでの問題ではなくなるのか。⋮⋮シフォ
ンさんに相談しよう。
俺は再度、広域探知で周囲を確認した後、拠点としている屋敷へ
と足を向けた。
辿り着いた頃には誰もが寝静まる深夜という時間であったが、魔
力探知の反応からそこにいる存在を察知した。屋敷の扉を静かに開
2004
けると、そこで待っていたのはリザだった。
﹁お帰りなさい。ジン様﹂
彼女はそう言った後、勢いよく胸に飛び込んできた。
﹁ああ、ただいま﹂
俺はそれを受け止め、しばらく時が止まったように抱きしめた。
﹁ジン様。お怪我はありませんか?﹂
暫しの抱擁の後、リザは思い出したかのように俺の体を弄り、身
を案じてくれた。そんなリザに気恥ずかしさも感じながら、温かい
ものを感じた。
﹁大丈夫だ。問題ない。みんなは寝てる?﹂
﹁はい。お母様とシアンは先に休ませていただいてます。たぶんア
ルドラ様は屋根にいらっしゃるかと﹂
アルドラは屋敷の守護にと、屋根の上から見守っているらしい。
気配は感じるので、そのとおりなのだろう。
﹁リザも休んでいれば良かったのに。ずっと起きていたのか?﹂
﹁はい。ジン様は必ず帰ってくると信じておりましたので﹂
そういってリザは微笑んだ。
2005
装備を外して身軽になった俺は、濡れた体を温めるため湯につか
ることにした。
﹁リザも一緒にどうだ?﹂
﹁あ、はい。ご一緒します﹂
なんというか、妙な気分の高まりがある。たぶんアイツの魅了を
受けたせいかもしれない。
この高揚を静めないと、とてもじゃないが眠れそうにない。湯に
つかって落ち着けば良いが、難しそうだ。
俺のそんな気配に直感で気が付いたリザが、頬を染めて後ろを付
いてくる。
直感は強力な特性だが、あまりに便利すぎるのも考え物だ。求め
ていることが、すぐにバレてしまうのだから。
まぁ、今更といえば、今更ではあるが。
2006
第186話 深夜の帰還︵後書き︶
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ジン・カシマ 冒険者Lv32精霊使いLv30
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/75
特性:魔眼
雷魔術B級︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
火魔術︻灯火 筋力強化 火球︼
水魔術︻潜水 遊泳 溶解 洗浄︼
土魔術︻耐久強化 掘削 創造︼
闇魔術B級︻魔力吸収 隠蔽 恐怖 黒煙︼
魔力操作︻粘糸 伸縮︼
探知B級︻嗅覚 魔力 地形︼
耐性S級︻打 毒 闇 氷︼
体術 盾術 剣術 槍術 鞭術 投擲 短剣術
闘気 隠密 奇襲 警戒F級 疾走 軽業F級 解体 窃盗
繁栄 同調 成長促進
雷精霊の加護
2007
第187話 B級冒険者
疲労からか昼ほどに目覚めた俺は、シフォンさんに事の顛末を報
告した。
﹁そうか、そうだな。それにしても、君も厄介な者に目を付けられ
たものだ。まぁ、こうなっては仕方ないか⋮⋮ともかく無事でよか
った。戻って来てくれて私も嬉しい。拠点についての安全は私が保
障しよう。私の人形に守護を任せているからな。女帝クラスに動か
れてはどうにもならないが、配下の連中程度なら問題ないだろう﹂
﹁すいません、迷惑をおかけします﹂
﹁いや、君のせいではないのだしな。それより持ち帰った書類のほ
うを、少し預からせて貰っても良いだろうか?もう少し目を通して
おきたいのだ﹂
﹁ええ、もちろんです﹂
昨夜も宴会だったようだが、俺の帰還を歓迎してくれた調査隊の
連中が昼間から飲もうと誘ってくれた。
ミラさんとシアンは俺のためにと手料理を作ってくれているよう
だ。
﹁おう、カシマ君、よくあの連中に取っ捕まって無事に帰ってこれ
たな﹂
2008
﹁今日は帰還祝いだ!飲んで騒ごうぜ﹂
﹁お前は何かに託けて飲みたいだけだろう﹂
﹁まぁ、とりあえず何があったのか聞かせろよ﹂
調査隊の連中に捕まった俺は、葡萄酒を酌み交わし宴に参加した。
距離のあった調査隊とも酒を酌み交わし距離が縮まったようだ。
うむ、やはり一緒に飲めば、自然と交流できるし仕事前にこうした
席に参加できてよかったな。
﹁流石はわしの見込んだ男じゃな。今日の主役はお主じゃ、今夜は
存分に飲み潰れようぞ﹂
上機嫌のアルドラが酒を注いでくる。飲み潰れるのはどうかと思
うが。それにしても美味い葡萄酒だ。繊細で緻密な味わい。滑らか
な舌触り。口内に残る余韻。
海人族の島でもこんな上等な葡萄酒が手に入るのか。
﹁カシマ君に乾杯しようぜ﹂
﹁御馳走さまです!﹂
﹁美味い酒をありがとう!﹂
﹁今日は飲みまくるぞー﹂
2009
皆が杯を掲げ、乾杯の音頭を取った。
そうして口々に酒の礼を言ってくるのだ。
ベラドンナ 飲料 C級
酒の正体を魔眼で知り、アルドラに視線を移す。
すまんのう
じゃねぇわ!借金返済用の商品だぞ、
﹁これは商売用にアルドラに預けていた奴じゃないか?﹂
﹁すまんのう﹂
﹁いやいやいや
どうすんだよ⋮⋮﹂
﹁結束を高めるには酒を酌み交わすのが一番じゃろう。皆懐かしい
故郷の葡萄酒に喜んでおったぞ﹂
そう言いながら、手持った酒を調査隊の連中に振る舞った。
アルドラは既に前の晩からベラドンナを配っていたようなので、
彼に預けた酒はほとんど飲み尽くされてしまったようだ。
﹁﹁﹁ジン・カシマに乾杯!!﹂﹂﹂
調査隊の連中は杯を掲げ、安酒のように勢いよく最高級葡萄酒を
飲み干した。
﹁乾杯じゃねぇぇぇーーーー!!﹂
2010
俺の慟哭が屋敷に響いた。
﹁おい、ジン・カシマ!てめぇ、こんな隅っこでチビチビ飲みやが
って、男なら俺と勝負しろ!﹂
ミラさんの料理を味わっていると、頬を朱に染めたレドが大声を
あげながら絡んできた。
﹁意味がわからない。勘弁してくれ﹂
今はそんな気分じゃないんだ。
﹁煩い奴だな。酒の飲み比べ勝負だ、どちらがより多く飲めるか勝
負しろ!さぁ、早く杯を持て。いいか、勝者はエリザベスさんを自
分の物にできる権利が与えられる。これは男と男の正式な決闘だ!﹂
煩いのはどっちだ。レドは声も高らかに宣言するが、そもそもリ
ザは俺の嫁なので意味不明すぎる。お前はどこからその権利を主張
しているのだ。
﹁人を物みたいに扱うなんて、最低の人間ですね﹂
リザは俺の傍らから、軽蔑とも取れる冷ややかな視線を送った。
﹁え?いや、これは男と男の名誉を掛けた︱︱﹂
﹁最低﹂
2011
リザが冷たく言い放つと、レドはそれ以上なにも言えなくなって
しまった。
だがレドは、よほど俺と勝負をしたいらしく︵前回負けたことを、
完全には納得していない︶しばらく時間を置くと、しつこく勝負、
勝負と喚くので仕方なく付き合うことにした。
勝負の内容は酒の飲み比べだ。互いに1杯ずつ飲み、潰れた方が
負けという単純なルールである。
耐性 S級 ︻打 闇 毒 氷︼
耐性スキルを有効にしておけば、アルコールも毒素と認識して即
座に分解してくれる。
こうなると俺には酒も水と変わりないものになる。
悪いけどまともに付き合う気はさらさらないので、さっさと潰れ
てもらうとしよう。
﹁ぐううううう⋮⋮なんでだ⋮⋮﹂
レドはあんまり酒に強くないようだった。数杯飲んだ時点で、真
っ赤な顔を青く変化させ、ついにはソファーに倒れこんでしまった。
弱いなら勝負するなよと心の中で呟きつつ、レドにはこのまま寝
ていてもらうことにした。
﹁だらしないな、レド・バーニア!﹂
2012
颯爽と現れた小柄な少女が、うつぶせで倒れこむレドの背に一切
の躊躇なくドカリと座った。
﹁ぐえっ﹂
一瞬聞こえるうめき声。レドの顔が余計に青くなったような気が
するが大丈夫か。
丈の短いジャケットにピッタリと肌に張り付くインナー。短いス
カートの下に履いているのはレギンスか、腰から脚を覆う様に密着
した薄い素材。
これは先ほどのレストランで海人族の店員が身に着けていたもの
と同一の物らしい。とある島民から譲ってもらい、以来愛用してい
るそうだ。
伸縮性があり、水に対する強い耐性、刺突に対する耐性もある程
度期待できるという。鎧下に使うにも良さそうだな。濃紺色の生地
は、そのまま使っても水着として利用できるのではないだろうか。
リディル・ベル 探索者Lv45
ミゼット族 32歳 女性
特性:健脚 潜伏
スキル:探知B級
罠解除C級
短剣D級
投擲E級
風魔術C級
2013
シフォンさんの姪にあたる彼女は、調査隊にいる3人のB級冒険
者の1人でもある。
彼女もまたミゼット族特有の外見をしており、その姿は人族の1
2歳程度の子供にしか見えない。しかし魔眼が示す通り、外見とは
違って中身は大人の女性なのだ。
調査隊としては常に先行役となり、本隊よりさきに魔物の存在を
察知、遺跡内の罠を解体し無力化するのを主な任務としている。
﹁ジン・カシマ。明日から探索者としての技術を、あたしがビシバ
シ指導してあげるから楽しみにしててよね!﹂
﹁はい。よろしくお願いします﹂
﹁それにしても、この鍋っての凄く美味しいね!﹂
リディルさんはレドに座ったまま、小鉢に移した鍋をもりもりと
食べている。
﹁で、これ誰作ったの?あたし超気に入ったんだけど!﹂
﹁そこにいるミラさんですよ﹂
近くに座る彼女を紹介すると、ミラさんは少し困った顔をして答
えた。
﹁ジンさんの助言通りに作っただけですから。私は何も﹂
﹁いえいえ、俺は口を出しただけです。口は出すけど自分では作れ
2014
ないので、ミラさんには感謝してます﹂
﹁ふぅん?まぁ、何でもいいけどね!これ昨日もあったやつだよね。
また作ってよ。あたし本当に気に入っちゃった﹂
リディルさんは屈託のない笑顔を浮かべ実に満足そうだ。
﹁わかりました。また具材を変えて作ってみますね﹂
﹁うん。お願いね!﹂
ふと気が付くと、調査隊の男連中がミラさんのもとに集まって来
ていた。
﹁ミラさん懐かしい料理をありがとうございます﹂
﹁ここに来てから毎日魚ばかり食べていたので、ありがたいっす﹂
﹁ベイル料理がこの仕事中に食べられるなんて⋮⋮明日からまた頑
張れそうです﹂
﹁ミラさんの手料理なら毎日食べたいですよ﹂
家庭料理は故郷を思い出すということで好評のようだ。
連中のなかには馴れ馴れしくも、握手してくる奴とかいるし。
お前ら、ちょっと近いぞ。こら、ミラさんに触るんじゃない。
2015
﹁この人は俺のだから、ちょっかい出さないように﹂
どうにも我慢できずに、俺は思わずミラさんの肩を抱き寄せる。
﹁なっ、お前、ミラさんまでっ︱︱﹂
﹁この男所帯で、そういうことをするって事は、相応の事も覚悟し
てのことだろうな⋮⋮?﹂
﹁てめぇ⋮⋮うらやま⋮⋮殺す﹂
一瞬にして敵が増えた様な気がするが、致し方あるまい。
﹁ジンさん酔ってます?﹂
ミラさんは顔を近づけ、俺の顔を覗き込むように問いかける。
﹁そうですね。ちょっと酔ってます﹂
ミラさんが指で俺の胸を抉るように突いてくる。
﹁酔った勢いですか⋮⋮﹂
﹁ん?何か言いましたか?﹂
﹁いいえ、別に!﹂
キースが手に何かを隠し持って、こちらへ近づいてくる。
2016
﹁シアンちゃん。君のために市場でいいもの見つけたんだ。よかっ
たどうかな?﹂
ジュエルドロップ 菓子 D級
ミューズ市場は島近海で水揚げされた新鮮な海産物のほかにも、
帝国からもたらされた様々なものが売られていた。
帝国領の特産物の1つに砂糖がある。生産量には限りがあるため、
俺が良く知るものよりも遥かに高価なものなのだが、それでもベイ
ルで購入するよりは幾分安かった。
この菓子は金持ち向けの砂糖菓子の1つだ。砂糖に水飴を加え煮
詰めて、香料を添加して作った飴玉である。
﹁知らない人から物を貰っちゃダメって言われてる⋮⋮﹂
シアンが俺の影に隠れながら答えた。
﹁そ、そんな。知らない人じゃないよ!僕も調査隊の1員だよ?仲
間だよ!﹂
キースは若干シアンを見る目が犯罪的なので、彼女も激しく警戒
しているようだ。
﹁シアン、嫌じゃなかったら貰ってもいいぞ?毒物ではないようだ
し﹂
魔眼で確認したところ異常は見えなかったので、たぶん問題はな
いだろう。
2017
﹁毒なんか入ってるかぁ!!帝国直営の店で買ったんだぞ!銀貨1
枚もしたわ!﹂
ベイルだと砂糖1kg銀貨3枚くらいだったはずだから、その小
さな木箱で銀貨1枚ってぼったくり過ぎじゃないかと思うほど高い
んだけど。
菓子の容器である木箱が凝った細工をしていて、明らかに高級感
を出そうとしているので金持ち向けの贈答用なんだろう。
この島に持ち込んで売れるのかは疑問なところだが。
﹁まぁ、なんでもいいけど、あまりしつこいと彼女の護衛に敵だと
認識されるぞ。彼の爪はなかなか鋭いからな﹂
シアンの足元でネロが小さく鳴いた。
﹁くそぅ、お前の周りばかりに可愛い子を集めやがって⋮⋮向こう
を見てみろ!むさ苦しい男どもが集まって飲んで何が楽しいんだ!
あいつらが可哀そうだと思わないのか!?﹂
キースが指す方向ではブルーノと他数名の隊員が酒を酌み交わし
ているのが見えた。
柔道部かアメフト部員かというほどに、ごつい男たちが集まって
飲んでいる姿は確かにむさ苦しいな。キースの言いたいことはわか
るが、俺に言われても困るんだけど。
﹁調査隊にも女性隊員はいるじゃないですか?﹂
2018
そういってリディルさんに視線を移す。彼女は今もなお、鍋に夢
中だった。
﹁うーん、そうだけど。そうじゃないんだ⋮⋮﹂
﹁B級隊員はみんな女性でしょう﹂
ダリア・ロウ 魔術師Lv48
エルフ族 216歳 女性
特性:夜目 直感 促進
スキル:風魔術C級
水魔術D級
光魔術C級
土魔術D級
魔力操作D級
空間認知C級
﹁坊やの言う通りだねぇ。どれ、そんなにママが恋しいなら私たち
が可愛がってあげようかね﹂
キースへと慈愛に満ちた視線を送るのは初老のエルフ女性。3人
のB級冒険者の1人だ。
アルドラ以外で初めて見る年配のエルフである。気品のある穏や
かな佇まいから、淑女という言葉が似つかわしい婦人だった。
かなりの高齢のようだが、人族の感覚からすると70前後といっ
た感じだろうか。
2019
﹁いやいや、ダリアさん、そういう話では︱︱﹂
フィール 武闘家Lv57
獣熊族 67歳 女性
特性:
スキル:体術S級
闘気B級 忍耐D級
耐性F級
鉄壁D級
﹁そうだな。私で良かったら胸を貸そう﹂
いつの間にかキースに寄り添うように傍に現れたのは、最後のB
級冒険者の1人、獣熊族の武闘家だ。
獣熊族は獣人の1種族。
太い骨を筋肉の鎧で包み込んだような肉体と、鋼のような剛毛で
全身が覆われている。
男性も女性も生まれながらにして戦士という彼らは、優れた身体
能力を持つとされる獣人の中でも最強の存在として知られていた。
﹁フィールさん、あ、いや、ちょ︱︱﹂
丸太のような剛腕に捕まっては彼に逃げる術はない。
青ざめた顔を浮かべながら、キースはそのまま連れ去られて行っ
てしまった。
2020
2021
第187話 B級冒険者︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
2022
第188話 訪問者
柔らかなシーツの感触。毛布から這い出ると、カーテンの隙間か
ら朝日が差し込んでくるのが見えた。
宴会が終わって屋敷に戻ってきたのか。いつ戻ってきたのかは、
まったく記憶にないが⋮⋮
体に触れる感触に気付き毛布をめくって確かめると、腰のあたり
に抱き着くシアンの姿があった。
すぐ傍にはリザの姿も見える。自分の姿を確かめると、服の類は
一切身に着けていない。それは彼女たちも同様だった。
朧げな記憶を手繰り寄せる。うーむ。たしか、帰って来てから2
人を部屋に招いて⋮⋮うん。そうだった。朝方まで頑張ったんだっ
け。
リザの髪を撫でる。指通り滑らかな艶のある髪。美しい髪が白い
肌に映える。
ついでにと柔肌を撫でる。傷一つないすべすべの肌。撫でてるだ
けでも気持ちいい。
﹁んっ⋮⋮﹂
調子に乗って全身を撫でまわすが、少し反応があっただけで起き
る気配はない。よほど疲れているのか。いや、たぶん俺が疲れさせ
2023
てしまったのだろう。
もう少し静かに寝かせてあげようと思ったが、あまりの柔らかさ
と気持ち良さに手を離すことができない。困った。
朝のゆったりした時間を楽しんでいると、自分の体にまとわりつ
く感触に気が付いた。
﹁兄様おはようございます﹂
いまだに腰のあたりに抱き着くシアンが、毛布の下から屈託のな
い笑顔を見せる。
﹁ああ、おはようシアン﹂
務めて冷静に答えるが、まったく冷静になってない部分がすぐ傍
にある。顔が近い。すごく近い。吐息が掛かってくすぐったい。と
いうかワザとやってるなシアン。
﹁兄様はすごいですね⋮⋮﹂
何がすごいのかはよくわからないが、敢えて聞かないでおいたほ
うが良いのだろうな。
言葉なく上目づかいで見つめてくるシアン。まるでこちらの出方
を伺っているようだ。
﹁あー、ちょっと頼んでもいいかシアン﹂
﹁はいっ﹂
2024
その言葉を待っていたとばかりに、シアンは弾んだ声で答えた。
しばらくして耳元での物音に起こされたリザも加わり、朝から2
人を相手に頑張ってしまうのだった。
部屋の外からドタドタと騒がしい足音が聞こえた。
どこかで聞いたような若い女の声。乱暴に開けられる扉の音が聞
こえ、その足音はどんどんこちらへと近づいて来ている。
そして、その足音はこの部屋の前で止まった。
﹁いつまで寝ているつもりだジン・カシマ!起きろーッ!!﹂
大声と共に部屋の扉が開け放たれた。
そういえば部屋の鍵はいつも閉めていなかった。声の主は遠慮な
く部屋へと侵入すると、寝台から毛布を剥ぎ取った。
﹁あっ、待って︱︱﹂
﹁もうとっくに日は昇っ⋮⋮うあああああああッッ!!?﹂
﹁⋮⋮リディルさん、借りている間は一応俺たちの家なので、勝手
に入ってこられては困るんですけど﹂
俺は彼女へと窘めるように言葉をかける。
2025
﹁なんでっ、そんなっ、同じ寝台に!しかも裸で!????変態だ
よ!変態!﹂
リディルは両手で顔を隠し狼狽した。この世界にも変態なんて言
葉があったのか。意味は同じなのかは不明だが、彼女の使い方を聞
くと似たような物なのかもしれない。
リザとシアンは咄嗟に俺を盾にして身を隠した。俺は毛布をリデ
ィルから奪い取りリザに渡した。
﹁彼女たちは俺の妻なので、一緒に寝るのは普通ですよ﹂
俺は寝台から降りて手早く着替えを済ませる。
リディルは慌てて後ろを振り向きうずくまった。今更であった。
﹁えええ!?そうなの!?人族はそうなの!?﹂
リディルは混乱の極致といった具合だ。どうやら彼女は、こうい
ったものに耐性がないらしい。リザの話では年齢的には大人である
という話だが、まぁ大人だとしてもそういったことに慣れていない、
もしくは知識がないのかもしれない。
小人族の文化や価値観についてはリザも詳しくはないそうだ。ま
ぁ、しばらくすれば落ち着くだろう。
2026
第188話 訪問者︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
2027
第189話 ミスラの首飾り
現在レヴィア諸島海底遺跡、通称
への調査は一時中
などという理由ではなく、
青の回廊
俺の許可申請待ち
断状態となっていた。
もちろんこれは
遺跡内で不穏な案件が発生したということだった。
ベイル調査隊の調査自体は2年ほど前から細々と行われていたよ
うだが、ここ最近になって遺跡内部の特定の場所で意図的に破壊さ
れた箇所が確認されたのだという。
から選ばれた随伴員が付くことになっているので、
調査隊が遺跡に入る際にはミスラ族による島内の治安維持部隊
ミスラ戦士団
現状確認中ゆえに報を待て
という待機の指示が
間違っても疑われるような事にはならないとは思われる。
しかしながら
ミスラ族の女王から発せられているため、無視することも出来ず現
状待機状態となっているといった具合だった。
﹁さぁ!とりあえずは軽く体を動かしてから、罠解体の講義を始め
ようかな!﹂
﹁よろしくお願いします﹂
着替えを済ませ、リディルさんと表へ出てきた。
うずくま
朝の痴態を目撃し、羞恥に蹲っていた彼女も気を取り直したらし
2028
い。なんだか申し訳ないことをした気分だが、大丈夫そうなら敢え
て掘り返すこともないだろう。
小人族というのは活発な種族で、彼女も朝の散歩を日課としてい
健脚
は強靭な足腰と、脚力を実現させる小人
る。よく言えば元気、悪く言えば落ち着きのない人たちのようだ。
彼女の持つ特性
族特有の能力である。
古くは遊牧生活をしながら放浪していた者たちを祖先に持つとい
う彼らの、千差万別の地形を走破するために身に着けた生きるため
に備わった能力なのだ。
それに加えて彼女は風魔術を使い移動能力を大きく加速させてい
る。魔力の事情もあるので常時使える訳ではないが、その加速力は
疾走スキルにも迫る勢いを見せるという。
とりあえずは軽めにと走り出したリディルを、俺は疾走と軽業の
スキルで追いかける。
散歩という割には最初から全力のような速度だ。これは油断した
らあっという間に置いて行かれるぞ。
しかも彼女は街路を走らず道なき道を突き進んでいく。
ある時は余所様の家の塀を、ある時は余所様の家の屋根を。壁を
三角飛びで蹴り上げ、屋根まで駆け上がるとそのまま屋根伝いを軽
い足取りで走っていく。すでに散歩では無くなっていた。
2029
これは、あれだ。昔、映画か何かで見た、パルクールって奴のよ
うだ。道なき道を縦横無尽に駆け抜ける、忍者の如き移動術。
小柄なリディルさんは、そもそもが身軽でまさしく忍者のように
軽々と障害物を越えていく。
しかも息一つ乱すことなく楽しそうだ。
すでに俺のことは忘れて、どんどん先へ進んでいってしまう。俺
はなんとか置いて行かれないよう必死に付いていった。
途中から体術スキルにもポイントを振った。
少しでも体を自在に動かせるようにと考えてのことだ。どうやら
狙いはあっていたようで、複雑な動きも多少は可能になった気がす
る。闘気スキルも入れた方がいいかもしれない。すでに体中を打ち
付けて、かなりダメージを負っているのだ。
﹁ちょっと朝ご飯を食べていこう!﹂
﹁⋮⋮あ、はい﹂
なんとか彼女に追いつくと、リディルさんはいいことを思いつい
たと言わんばかりの笑顔でそう提案してきた。
俺は肩で息をしているのに比べて、彼女はまったく呼吸が乱れて
いない。⋮⋮今までの行程も彼女にとっては、散歩程度のものだっ
たのか。
2030
ミューズ市場に寄り道をして、軽めの朝食を取った。
海人族の食事は網や槍で捕った魚介類が中心だが、人族との交流
が増えて食生活もかなり変化してきているという。
昔は食べられていなかったパンなども、いまでは普通に食べられ
ているというし、そういった時代の変化から新しい文化も生まれつ
つあるそうだ。
市場でもそういったことから、並ぶ商品は意外と豊富であったり
する。
人族や獣人族もミューズには多く滞在しているので、そういった
客もいるからなのだろう。
市場では昨晩キースが手に入れていた飴玉も売られていた。金持
ち向けの高級砂糖菓子だ。鮮魚市場で扱う商品でないと思うが、と
もあれ我が家の女性たちは甘い物が好きなようだしお土産に買って
いこうか。
市場を歩いていると、帝国冒険者と思われる数人の男たちを見か
けた。
思わず緊張が走る。
見たところ武器は携帯していないようだし、身に着けている装備
も戦闘用の鎧等ではなく普段着のようではある。
しかし昨日の今日だからな。何かしらの報復といったものがあっ
2031
てもおかしくはない。今のところ音沙汰はないが、今ないだけで次
の瞬間にはどうなるかはわからない。
シフォンさんは向こうの出方を見るといった話をしていたが⋮⋮
念のためにとスキルを変更する。まだ朝の早い時間帯だが、人通り
は多い。派手な術は使えないだろう。
そう考えていると、連中の1人と目が合った。
その男はまっすぐこちらへ向かってくる。
何故かすごい笑顔だ。怖い。
﹁ジン様殿、おはヨウござマスッ!!﹂
男は俺の目の前で立ち止まると、深々と頭を下げた。
﹁⋮⋮お、おう﹂
その光景に気が付いた男の仲間もこちらへ向かって近づき、同じ
ように頭を下げて挨拶をした。
全員すごい笑顔である。怖い。
まったく瞬きをせず、瞳孔全開。とって張り付けたような笑顔。
なんだろうこれ。すごい違和感。
話を聞くと彼らは、市場の清掃活動を行っていたらしい。なんだ
清掃活動って。
2032
﹁私たちミナ、自分の愚かさにニ気ガ付キましタ。島の人たちと仲
良くないタイ。おお役に立チいタイ。だから清掃活動だからね﹂
なんか口調もおかしいし。へんな薬でもキメてきたみたいな感じ
になってる。大丈夫かこいつら。すげーやばい感じがするんだけど。
男たちは俺に挨拶をして清掃活動に戻って行った。見ていると市
場で働く人たちには好意的に受け入れてもらっているようだ。
なんだか良くわからないけど、まぁいいか。別に知り合いじゃな
いし。めんどくさいから見なかったことにしよう。
ハードな散歩を終え屋敷へ戻ろうと海岸沿いを進んでいくと、岸
辺の岩場で海人族の子供たちが集まっているのを目撃した。
大きな泣き声が聞こえる。揉め事だろうか。思わず気になり足を
止める。別にわざわざ首を突っ込む必要もないのだが﹁気になるな
ら見て来れば﹂リディルにそう言われれば断る理由もなかった。
﹁首飾りを落としちゃったの﹂
泣き顔の少女が教えてくれた。彼女は海人族の少女。両親はこの
島で漁師をしているらしい。
一緒にいる少年少女もみな同じように漁師の子供たちのようだ。
少女は6∼8歳くらいか。白い髪に青い肌。あの水着みたいな服を
着ている。
2033
女の子は将来は美人になりそうな整った顔立ちだ。
ナラ・ミスラ 漁師Lv6
海人族 6歳 女性
特性:流動 皮膚感知
スキル:水魔術F級
風魔術F級
光魔術F級
首飾りというのは、自身がミスラ族であるということを証明する
大切なものらしい。ギルドカードみたいなもんか。
子供たちを見ると確かにみんな首飾りを付けている。
ミスラの首飾り 装飾具 F級
中心に青い石。それを挟むように白い貝殻を紐で通した首飾り。
手作り感のある土産物屋とかでありそうな感じの首飾りである。
特別魔力が備わっているということもないようだ。
常に身に着けておくものらしく、泳いでいる最中も付けていたよ
うだが驚いた拍子に外れてしまったのだとか。
﹁ロッククラブだよ。あれがいるから落とした首飾りを取ってこれ
ないんだ﹂
少年の1人が海岸の岩場を指し示す。
しかし見た所、岩しかない。
2034
魔力探知
あ、いる。たくさんいるぞ。
ロッククラブ 魔獣Lv21
状態:擬態
岩に擬態しているのか。魔眼で確認すればわかるが、普通に見た
のでは岩にしか見えない。
この辺りの海岸はそう魔物の出るような場所ではないそうだが、
まったく出ないという訳でもなくこうして姿を見せる場合もあるの
だという。
皮膚感知
は周囲に存在する魔素や魔力の変化を、
魔物を発見した場合はすぐに陸にあがれば襲われる問題はないそ
うだ。
海人族の特性
肌で感じ取ることができると言われている。
魔物が近くにいれば、魔力の発する物体が近くに存在していると
いうことを感じ取れるのですぐに気が付くのだろう。
﹁俺が首飾りを取って来てやろう﹂
﹁え?﹂
﹁お兄ちゃん、あぶないよ!﹂
2035
﹁ロッククラブって強いんだよ!﹂
子供たちが慌てだす。怪我するから止めた方がいいとか言ってく
れる子もいて、みんな優しいいい子だな。
﹁確か強力な雷耐性があったはず。あと滅茶苦茶固い。馬鹿みたい
に、すんごいタフ。魔術がないと面倒になるかもだけど﹂
﹁雷以外は効果ありますかね?﹂
﹁たぶん﹂
火魔術が有効なら大丈夫だろう。
おろおろする子供たちの口に、1つずつ飴玉を押し込んだ。
﹁甘い!?﹂
驚く子供たちの表情が可愛い。子供は種族関係なく可愛いものだ。
﹁それでも舐めて、大人しく待ってな﹂
周辺にいる魔物を一掃すれば、海底に落ちている首飾りも拾って
来れるだろう。
スキルを変更して魔物に近づく。威力が強すぎると周囲の地形も
変えてしまう可能性があるから加減しておこう。
火魔術 火球 C級
2036
バスケットボール程度の大きさの火球が、まっすぐ目の前の大岩
に飛んで行った。
岩はまったく動く気配はない。そのまま着弾。爆発。2tトラッ
クくらいなら余裕で吹き飛ばしそうな破壊力だ。着弾点に炎が舞い
上がる。
﹁うわああぁぁ﹂
子供たちから感嘆の声があがった。
同時に岩がゆっくりと動き出した。丸いおにぎりの下に四本の脚
がついて、二本の腕が生えている蟹の魔物だ。俺の知っている蟹と
は相当かけ離れた姿ではあるが。
腕の一本は異様に大きい。それを高く持ち上げ、まるでこちらを
威嚇していいるようでもある。ただフラフラなので、瀕死なのかも
しれない。
状態:炎上 瀕死
やはり死にかけていた。
蟹は大きな腕を乱暴に地面へと振り下ろす。ドスンと大きな音が
した。蟹はそのまま息絶えたようだ。
火球は問題なく効果があるようなので、片っ端から処理していっ
た。
2037
魔石 素材 D級 ×12
素材に魔石と内包されていたスキル
鉄壁
を修得した。
防御に集中することで、肉体の耐久力を底上げするスキルらしい。
ロッククラブの爪︵大きい方の腕︶は食用になるそうだが、重いの
で1つだけ貰って後は子供たちにあげた。
﹁いいの貰っても!?﹂
﹁やったーー!!﹂
﹁ありがとー兄ちゃん!﹂
岩のように固い殻を外せば中の身を取り出せるそうだが、この数
では結構な重労働になりそうだ。子供たちは大人を連れてきて作業
すると言っていた。
﹁首飾りありがとうお兄ちゃん﹂
首飾りを渡すと少女が頬にキスをしてくれた。人族のお礼の挨拶
だと教わったらしい。おれも知らない風習だ。帝国の文化なのだろ
うか。
少し離れたところでリディルが無表情でこちらを見ている。俺は
気づかない振りをした。
2038
ミスラ鉱石 素材 F級
中心の青い石を見ると、素材の情報を得た。このミスラ島で捕れ
る素材なのだろうか。首飾りに使われるくらいだから、貴重なもの
でもないのだろうけど。
子供たちと別れ街路を進む。
﹁浮気かな?﹂
﹁冗談はやめてください﹂
真顔でおかしなことをいうリディルさんに注意しつつ屋敷へと辿
り着いた。
庭から声が聞こえるので覗いてみると、アルドラとフィールが組
み手をやっていた。
獣熊族の女性武闘家フィールは道着のようなものを着込み、対し
てアルドラは上半身裸とズボンといったような出で立ち。
けっこうガチな殴り合いが続いている。フィールの身長もアルド
ラと同程度か少し高いくらい。しかし筋肉量では圧倒的な差がある。
彼女はでかいのだ。見た目では女性とわからない毛むくじゃらの体
に、盛り上がった筋肉。鍛え上げられたアルドラでさえ細く見える。
まるで大砲のような拳打。迫力が凄い。それを相手にしているア
ルドラも凄いのだが、やはりエルフと獣人というのは根本的な差が
あるのだと感じてしまう。
2039
まぁ、アルドラ楽しそうだけど。
﹁む、帰ったのかジン。どうじゃ、お主も混ざらんか?﹂
﹁いや、遠慮します﹂
俺は2人を残して、そそくさと屋敷の中へ逃げ込んだ。
2040
第189話 ミスラの首飾り︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
ジン・カシマ 冒険者Lv32精霊使いLv30
人族 17歳 男性
スキルポイント 0/75
特性:魔眼
雷魔術︻雷撃 雷扇 雷付与 麻痺 雷蛇︼
火魔術C級︻灯火 筋力強化 火球︼
水魔術︻潜水 遊泳 溶解 洗浄︼
土魔術︻耐久強化 掘削 創造︼
闇魔術B級︻魔力吸収 隠蔽 恐怖 黒煙︼
魔力操作︻粘糸 伸縮︼
探知A級︻嗅覚 魔力 地形︼
耐性S級︻打 毒 闇 氷︼
体術 盾術 剣術 槍術 鞭術 投擲 短剣術
闘気 鉄壁 隠密 奇襲 警戒 疾走 軽業F級 解体 窃盗
繁栄 同調 成長促進
雷精霊の加護
2041
第190話 先輩たちの講義
屋敷に入ると居間ではダリアを講師に魔術講義が行われていた。
生徒はミラ、リザ、シアン。
﹁F級の魔術師は素人。E級で見習い、D級で一人前。C級で精鋭
と言われる。B級だと熟練者、A級で達人、S級になると英雄だね。
ちなみに私はB級になる﹂
居間のテーブルに広げられた大小の羊皮紙には、様々な魔法陣が
描かれびっしりと文字が書き込まれているのが見えた。
端には見たこともないほどの厚みのある古書が、何冊も積み重ね
られて不安定な塔を作っている。
﹁魔術の基礎はC級辺りにもなれば十分理解して扱えていると思う
けどね。だけどその先に行くには、もう少し工夫が必要だよ﹂
ダリアの左手から水球が出現する。そして右手からは魔術で作ら
れた圧縮された土の塊、土球が作り出された。
彼女の魔術によって生み出された2つのそれは、空中に浮かんだ
ままゆっくりと近づいて行きやがて接触、重なり合った。
2つの異質の術がゆっくりと混ざり、溶け、融合する。それはと
ても不思議で美しい光景だった。俺の感覚ではだが何かを破壊する
術よりも、生み出す術の方が繊細で鋭い感覚が必要な気がする。ダ
2042
リアの術はそういった部類のものに感じた。
﹁これが合成魔術だよ。緻密な魔力制御が要求される技だけどね、
エルフ族ならそれほど難しくはないはずさ。C級でも感のいい子は
使ってる者もいる。B級なら使えても珍しくはないね。元々魔術や
スキルは応用の利くものだ。自分が扱いやすいように調整するのは、
玄人なら当然のことさ。使い慣れた仕事道具と同じさね。自分の扱
う道具は自分で調節しなきゃね﹂
﹁私にもできるでしょうか?﹂
﹁エリザベスか。あんたは感が良さそうだ。すぐに使いこなすだろ
う。この年寄りがちょっとしたコツを教えればね﹂
﹁ダリア様、よろしくお願いします﹂
リザは深々と頭を下げた。
﹁あんたは少し背伸びをしすぎなところがあるね。あまり自分を卑
下するもんじゃない。時には立ち止まることも大事だよ﹂
ダリアが皺のある手でリザの頭を優しくなでる。リザは動かずそ
れを静かに受け入れている様子だった。
﹁シアンには水魔術の適性がありそうだ。ミラは光魔術だね。私の
扱える術を教えてあげよう。きっと役に立つからね﹂
﹁ありがとうございます、ダリア様﹂
ミラさんが頭を下げる。
2043
﹁⋮⋮あの、私にも魔術が使えるようになるんでしょうか?﹂
不安げな表情を見せるシアンにダリアは優しく微笑んだ。
﹁魔素の影響を受けやすい髪色を見れば適正魔術がわかるからね。
まぁ、大丈夫さ。それとも、こんな年寄りの話は信用できないかい
?﹂
﹁い、いえ⋮⋮﹂
﹁私もたくさんのエルフの子供たちを見てきたけどね、もともとエ
ルフ族は成長が遅い種族なんだ。シアンのように魔術の開花が遅い
子供は珍しいことなんかないんだよ。何人も見てきた経験があるか
ら言えるんだ。あんたは大丈夫だってね。心配することないよ、近
いうちにきっと使えるようになるさ﹂
ダリアは優しいお婆ちゃんって感じで、みんなに丁寧に魔術の指
導をしてくれているようだ。同族同士で親睦を深めることは良いこ
とだろう。エルフ族は人族や獣人族から見れば数が少なく、ベイル
で暮らしていてもなかなか接点がないしな。こういった交流は貴重
なのかもしれない。
﹁そこに隠れている坊やも一緒にお勉強するかい?恥ずかしがって
いないで出ておいで﹂
﹁いえ、隠れているつもりでは⋮⋮﹂
﹁ジン様、お帰りなさい﹂
2044
﹁兄様お帰りなさいっ﹂
﹁ああ、ただいま﹂
リザたちの嬉しそうな声に返事を返すと、ダリア婆ちゃんが彼女
たちの後ろでニヤニヤしているのが見えた。
とりあえずリディルさんに探索者としての仕事を教えて貰うとい
うことで、魔術講義は興味あるが後で参加させてもらうことにして
その場を後にした。
俺はそのまま別室でリディルさんの講義を受ける。
探索者としての仕事内容。不測の事態になった場合の対処法や優
先行動。罠の解体方法。
彼女が持つ冒険者の鞄から羊皮紙の束を取り出し地図を広げた。
レヴィア諸島海底遺跡の地図だ。
﹁いま攻略しているのがこの地区ね。特に注意するのが︱︱﹂
罠の図解を記した羊皮紙を見ながらその構造を習う。
﹁これが魔力回路ね。ここと、ここが繋がってるのがわかる?これ
は発動に魔石を使っていて、魔石を消耗すると発動しなくなるタイ
プ。こっちは魔晶石を使っているタイプ。遺跡内部の魔素を吸収し
て、魔力を蓄積するから罠が発動して魔力を消耗しても一定時間経
過すればまた罠が起動するってわけ。こういうのは魔晶石を取り外
せば機能しなくなるのよ﹂
2045
魔法陣系の罠は、魔術師が好んで使うタイプの罠らしい。
比較的簡単に設置できて効果は抜群。自分の根城や財産を守るた
めに盗賊避けに使われるのだそうだ。
特定の場所に触れると魔法陣が浮かび上がり、設定した魔術が起
動する。大抵は触れた本人を対象にするか、周辺も巻き込んで効果
を及ぼすものが多いようだ。
魔石内蔵型は安価で使い捨て。魔晶石内蔵型は何度も使えるが高
級といった違いがある。
ちなみに魔法陣系の罠はもっとも単純な罠の1つである。この遺
跡で確認されている罠の種類だけでも数十種類にも及ぶのだ。もち
ろん、ものによって対処法が異なるのは当然のこと。すべて俺が処
理するという訳ではないが、知らないと事故につながる可能性もと
いうことで講義はこの後も長々と続いた︱︱
昼食はミラさんが用意したパンとスープを頂いた。スープには俺
が獲ってきた蟹肉を解して入れてある。岩の塊のような外観だが、
解体スキルを使えば何とかなったのでよかった。爪だけでも成人男
性くらいのサイズはある。とても食べきれる量ではないが、余った
ら調査隊のほうにも持っていけば良いだろう。ちなみに味はなかな
かの美味であった。大味かと思いきやそうでもない。甘みもしっか
りあり蟹の旨味も感じられた。しかし量が多いのですぐに飽きそう
だ。あまりに多いと有難みも何もあったものではないな。
午後からも講義は続きある程度したところで、俺は途中から魔術
2046
講義のほうへ参加することになった。
﹁同調かなるほどね。でもあんたそれって、相手に合わせてもらう
のを待っているんじゃないのかい?自分から合わせていこうってい
う気はあるのかい?もう少し使い方に工夫をしたほうがいいみたい
だね﹂
俺が使える魔術やスキルに付いて質問すれば、アルドラでも得ら
れなかった答えを得ることができた。
彼女はエルフ族の老練の魔術師。その長きに渡った経験も積み重
ねた知識も、アルドラの生きてきた時間さえ超えるものだった。
魔術について深い造詣があるものは周囲にはいなかったのでこれ
は有り難い。この機会を活かし彼女から得られるものは少しでも吸
収させてもらおう。
そこから何日間かは、同じような日程でことが進んだ。
チンピラ
調査隊本部の方に帝国冒険者と思われる数人が、嫌がらせをしに
近づいてきたこともあったがシフォンさんの人形が返り討ちにして
いたようだ。
帝国の嫌がらせというのも、その程度の連中が姿を見せるくらい
なら問題は無さそうだ。女帝が本格的に粛清の乗り出すといった状
況にならない限りは大丈夫だろう。
シフォンが所有しているゴーレムの数は不明だが、何体かは調査
隊本部とこの屋敷の守護にと付近に潜伏させているらしい。
2047
彼が直接指示を出さずとも、簡単な指示を与えれば自分で考え行
動することのできる自立思考型ゴーレムなのだという。
それは魔物のゴーレムとなにが違うのかと尋ねたら、ほぼ同じも
のだという答えだった。
もともとザッハカークの森を彷徨っているゴーレムも、どこかの
魔術師が下僕として作り上げたものだと推測されている。
それが主を失い命令があいまいな状態のまま、永遠と森を彷徨い
続けているのだ。
内蔵されている魔力回路や核の性能を向上させれば、より高品質
のゴーレムを生み出すことも可能なのだという。
ちょっと面白そうなのでシフォンさんの講義もぜひ聞いてみたい
ところである。
彼が所有しているゴーレムは全て彼の自作であるというし、俺も
いつか自分のゴーレムという奴を作ってみたいものだ。
いつもの講義を受けている最中、珍しい客が屋敷に姿を現した。
﹁ややっ、どうも、どうも。先日はお世話になり申した﹂
特徴的な衣を身にまとった大男。竜人族のクオンである。庭で組
み手をやっているアルドラたちの賑やかな音に吊られて、庭の方へ
2048
と足を向けた様だ。
﹁おお、クオンさん。良くここがわかりましたね、今日は一体どう
したんです?﹂
俺が出迎えると、彼は懐を探りそこから一通の手紙を取り出した。
﹁拙者がお世話になっている御仁から、手紙を預かって参りまし︱
︱﹂
ぐうううううううううぅぅーーーーーーー
爆音とでも言うべき盛大な音がクオンの腹から鳴り響いた。あま
りのことに俺は動きを停止させ、背後でアルドラが爆笑している。
﹁わははははっ、これは見っともない真似を、申し訳ない﹂
﹁もう昼じゃからのう。一緒に飯でも食っていかんか?酒も用意す
るでな﹂
﹁いえ、拙者今日は手紙の受け渡しに参った次第でして、ご迷惑を
お掛けするわけには︱︱﹂
部屋の中から良い匂いが庭の方へと流れてきた。思わず反応する
大人たち。
﹁量は十分にあるじゃろう?もちろん酒もな﹂
﹁そうですよ、せっかく来たんだから食べて行ってください。今日
は俺の故郷の味を再現してみたんで、もしよかったら感想を聞かせ
2049
てくれませんか?﹂
クオンさんは遠慮していたが、いい匂いの正体が気になっている
様子だった。
彼はものすごくたくさん食べるので迷惑が掛かると遠慮している
らしいが、食材は持ち込んできたものも大量にあるし、ミューズ市
場でも近海で獲れる魚介などは安く手に入るのだ。
それにこの大所帯に1人増えたところで大した違いはないだろう。
﹁かたじけない。それではお世話になり申す﹂
創造を駆使して作ったBBQコーナーである。金網は屋
今日の昼飯はみんなで庭で食べることにした。
土魔術
敷に備えてあったものを使い、炭はミューズ市場で売ってあったも
のを購入した。
木材はレヴィア諸島では数が少ないので、どんな物でも希少なの
だ。それゆえに高価。燃料としての木材を帝国から輸入するにも場
所を取り嵩張るので、量を運ぶためには炭にして運んだ方が効率が
良いのだろう。
もともとは駐在の人族向けの品だったようだが、近年では海人族
も使うようになったのでミューズ市場でも常在品として常備されて
いるらしい。
﹁ぐおおおおおおおお!?うっ、うまい!!何ですかこれはーーー
2050
ーーーー!?﹂
焼き鳥を頬張り絶叫するクオンさん。かなり気に入ったらしい。
鶏肉を串に刺し、魚醤と砂糖と酒で造ったタレを掛けて焼いたの
だが、どうやら上手くいったようだ。もちろん手に入る材料で作っ
たなんちゃって料理だが、美味いのなら何の問題もあるまい。
俺も一口頬張ってみる。甘塩辛いタレの味が懐かしさを増長させ
る。もちろん記憶にある味とは違う。だがこれはこれで美味い。そ
れに系統としては同じといっていい出来栄えだ。かなり近い。焼き
鳥の親戚くらいにはなっていると思う。
他にも市場で買ってきた魚や貝を適当に焼いてみる。これらは素
材の味、塩味だ。十分に美味い。あ、いや、魚はちょっと魚醤かけ
たほうが美味いか。
アルドラ、クオン、フィールの3人でジョッキサイズの杯に互い
に海酒を注ぎ本格的な酒盛りが始まった。
海酒は日本酒によく似た酒精の強い酒なのだが⋮⋮まぁ、この人
たちには関係なさそうだ。フィールさんもクオンさんも見た目酒豪
っぽいしな。
2051
第190話 先輩たちの講義︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
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2052
第191話 神刀梵天
醤油の焦げた匂いが食欲をそそる。蛤によく似ている白貝だが、
手のひらくらいに大きい。身は厚く食べごたえは十分だ。思い切っ
て頬張ると、旨味の凝縮された汁が口の中に溢れた。
大きな海老は殻付きのまま網に乗せる。白っぽい殻が徐々に赤く
色づいた。殻の端が少し焦げ付いた頃が丁度食べ頃となる。首と胴
体の付け根を割り外すと、弾けるような白い身が飛び出した。ぷり
ぷりとした身は甘みが強く、頭に残ったミソは非常に濃厚で味わい
深い。一緒に食べればこれ以上ないという相性で、これがまた恐ろ
しく酒に合うのだ。
いつのまにか調査隊の連中が宴に加わり、仕事をしていたという
シフォンさんも合流した。
クオンさんが持ってきた手紙の中身を確認する。
わしの可愛い娘たちを助けてくれてサンキューじゃ♪
俺も最近ではだいぶ読み書きができるようになったのだが、これ
は大陸で人族の国を中心に広く使われている大陸文字のようだ。公
式の書類に使われるような固い文体ではなく、友人に送る手紙のよ
うな崩した文体で書いてある。おそらく要人としての立場からの手
紙ではなく、一個人としての手紙だという意味が込められているの
ではないだろうか。
2053
手紙に同封されていたのは、見覚えのある首飾り。
ミスラの首飾り 装飾具 C級
﹁それがあれば島内を自由に行動できるようになるそうですぞ﹂
クオンさんの話によるとF級はミスラの子供に、E級はミスラの
大人に、D級は要職に付いている者に、C級は女王を含む支配層が
身に着ける装飾具なのだそうだ。
希少な鉱石で作られた首飾りは、ミスラの限られた職人の手に取
って作られ島民に配られる。
C級の首飾りを持つ者は、女王一族の身内同然。立ち入り禁止区
域も自由に行き来できるようになるということだ。
﹁そうか。なるほど、なるほど。君はよほど、その手紙の主に気に
入ってもらえたようだな﹂
クオンさんが世話になっているお方の口添えで、遺跡探索も再開
の許可が出されることになったそうだ。
どうやら俺も探索に参加して良いらしい。個人としての謝礼の手
紙かと思ったが、かなり権力を使ってくれているようだ。
有難いことだが礼に伺った方が良いだろうか。
﹁ふむ。何かと忙しい方ですからな。拙者の方から訪問に伺う旨を
伝えておきましょうか﹂
2054
﹁お願いできますか?﹂
﹁お任せください﹂
クオンさんは戦闘に偏ったスキルに、鍛え抜かれた体を持つ大男。
更には腰に長大な大太刀を持つ剣士でもあった。
だがその質は気さくで取っ付き易い人柄のようだ。調査隊の連中
とも酒を酌み交わし、すでにその輪の中に自然と溶け込んでいた。
﹁聞けば聞くほど似ています。いつか行ってみたいですね、クオン
さんの故郷に﹂
小麦を練って作ったという麵料理などもあるというので、たぶん
ラーメンかうどんみたいなものがあるのではと想像している。
麺料理はこの世界でまだ見ていないので、好奇心をそそられる。
まぁ、麺料理ならそう難しいこともないだろうし再現できそうでは
ある。
自分で作るのは難しそうだが、材料を揃えて調理スキル持ちに作
ってもらえれば⋮⋮けっこう大変そうだからミラさんに何でもお願
いするのは申し訳ないが、みんなを巻き込んで挑戦してみるのも面
白いかもしれない。
﹁ぜひお越しください。水の豊かな美しい場所です。ここからだと
少し遠いですが、船を乗り継げば⋮⋮もしくは飛竜があれば山も楽
に超えられるので、そう遠くではないかもしれません﹂
2055
﹁飛竜ですか﹂
﹁拙者の故郷である竜泉郷に数多く生息しておる魔物の1種です。
竜泉郷では調教したものを移動手段として利用するのですよ。まぁ
乗り心地は最悪ですが⋮⋮拙者はあまり好まないので、何度か乗っ
た経験がある程度ですがね﹂
クオンさんは陸路を馬と徒歩で渡ってきたので、故郷を出てから
何年も掛かってこの辺りまで来たのだという。
﹁特に目的を持たない旅でしたから。見聞を広げるため各地を放浪
しておりました﹂
俺の視線がクオンさんの腰の得物に移っていることに気付いた彼
は、腰の帯に結び止めてあった紐を緩め刀を目の前へと引き出した。
﹁気になりますか?﹂
竜刀
と呼ばれる
﹁すいません、見慣れない剣でしたので。竜泉郷の剣なのですか?﹂
﹁ええ。竜泉郷に住む竜の牙を材料に作られた
品です﹂
竜泉郷の職人が生み出した片刃の剣の総称を竜刀。諸刃の剣の総
称を竜剣と呼ぶのだそうだ。
材料から製法に至るまで門外不出とされており、その存在も一般
的には知られていない特殊な存在なのだという。
クオンさんから許可を貰い触らせてもらう。興味があると言った
2056
ら快く見せてくれた。断られるかと思ったが案外言ってみるものだ。
﹁鞘から抜くことはできないのですね﹂
創造
生命
探知︼
﹁拙者以外には抜けぬようになっております。拙者ですら抜くべき
時にしか抜けぬのですがね﹂
ブラフマー
梵天 神刀 S級 魔術効果︻神焔
S級の竜刀。アルドラが直感で感じ取ったのはこれか。
ロストテクノロジー
S級に該当するのは失われた古代技術で作り出された神器だけと
いう話を聞いたような気がするが、他にもあったのだな。もしくは
神器に相当するものということか。
神器も所有者にしか扱えないらしいので、同質の存在という可能
性もある。
もしかしたらS級の品だから、逆に見せてくれたのかもしれない。
鑑定スキルは同等以下のアイテムの情報しか得られないはずなので、
S級アイテムの鑑定をするには鑑定スキルS級が必要なのだ。高レ
ベルの者でもS級スキルを所持している者は少ないからな。特に秘
匿せずとも他人に見破られることは少ないのだろう。
2057
第191話 神刀梵天︵後書き︶
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2058
第192話 青の回廊1
翌日早朝、遺跡探索の準備を整えた調査隊の一行は船着き場へと
やってきた。天気は雲一つない晴天。肌に触れる風は少し冷たいが、
過ごしやすい良い天気だ。
資料整理に研究者2名とC級冒険者2名が本部に残り、今日の探
索に参加するのはシフォンさん率いる研究者6名と冒険者13名。
それに俺たちを加えた総勢24名である。
遺跡は罠や魔物も多く存在するということで、ミラさんやシアン
を残すことも考えたが帝国冒険者のこともあって彼女たちも参加す
る手筈となった。
﹁治療師が多くても困ることはないでしょう﹂
﹁兄様と一緒に行きたいです⋮⋮私がいては邪魔になりますか?﹂
彼女たちから、そう言われては断る理由もなかった。それに邪魔
になるはずなどない。俺のほうが助けられることも多いのだ。
船着き場には何隻かの小型船が泊まっていた。大きさは大人が6
∼8人が乗れれば精一杯というもので、少し大きめのボート程度の
ものだ。
﹁ようお前ら、元気だったか?﹂
2059
一隻の船から手を上げて挨拶してきたのは、この島まで運んでき
てくれた海人族の漁師シダだった。
﹁お久しぶりです。シダさん。あれその船は?﹂
どうやらシフォンさんが海人族の漁師たちに声を掛けて船を手配
したようだ。
しかしシダさんが乗っている船は、俺たちが乗せてもらった船と
は違うようだが⋮⋮
﹁ん?あー、いま修理中でな﹂
そういって困った表情を浮かべるシダであったが、俺はその言葉
聞いて思い返した。
マーメイドの襲撃を受けて否応なしに高速運航を強行したのだ。
その際に船には通常運航以上の負荷を掛けてしまったようだった。
﹁すいません、それって俺のせいですよね﹂
﹁いや、悪いな。文句を言うつもりじゃなかったんだ。気にしない
でくれ。それより俺の娘を助けてくれたんだってな。ありがとうよ﹂
﹁え?娘さんですか?﹂
﹁ナラっていう小さいのだ。浜で首飾りを落としたのを魔物を倒し
て拾ってくれったって、あんたのことだろ?﹂
2060
数日前の浜でのことか。あの子シダさんの娘さんだったのか。小
さい島だし近所だし、偶然とはいえそういうこともあるか。
﹁黒髪に黒瞳の人族の兄ちゃんといったら、島にはあんたくらいし
か聞いたことないからすぐにわかったぜ﹂
シダさんと話し込んでいると、海人族の少年が苛立ち交じりに声
をあげた。
光魔術D級
風魔術D級
探知D級
忍耐C級
﹁さっさとしてくんねぇーかなぁー!俺たちも遊びで来てるんじゃ
ねーんだけどよぉー﹂
ウタリ・ミスラ 戦士Lv32
海人族 13歳 男性
水魔術D級
特性:流動 皮膚感知
スキル:槍術C級
フネ・ミスラ 戦士Lv29
海人族 14歳 女性
水魔術D級
特性:流動 皮膚感知
スキル:槍術C級
雷球︼
海人族独自の衣装に身を包んだ2人の男女。同じような装備に手
に持った三又の槍も同質の品のようだ。
トライデント 魔槍 D級 魔術効果︻雷付与
彼らは遺跡探索に同行するためミスラ戦士団から派遣された者た
ちだという。
2061
シフォン曰く神聖な遺跡内部で余計なことをしないように監視す
る役目なのだそうだ。特にこちらに口出しすることもないので、放
置していれば害はないとのことである。
﹁そうだ、そうだな。みんな時間が惜しい、すぐに出発しよう﹂
何組かに分かれ船に乗り込む。俺たちはシダさんの船に乗せても
らった。目的地は船で約10分の場所、ミスラ島から目と鼻の先に
ある無人島の1つである。
漁師たちは目的地の島まで調査隊を運ぶと、シフォンさんから報
酬を受け取りすぐに立ち去って行った。帰りになるのは何時になる
かわからないので、その時になってから連絡するらしい。連絡の手
段は例の伝書鳩の魔導具ということだ。
﹁遺跡には魔物が多いっていうからな、お前ら気を付けろよ﹂
﹁ありがとうシダさん﹂
漁師たちが離れていくのを見送り、島の中心を目指す。ほとんど
植物の生えていない岩ばかりの島だ。地形探知で調べてみたところ、
直径5kmもないだろう。岩ばかりで畑を作ることも難しく、一時
期は人が住み着いていたこともあったうようだが、今は無人島とな
っている。
少し歩くと遺跡の入口と呼ばれる場所に辿り着いた。入口は怪物
の口のように地面に大きな裂け目を作り出している。遺跡への侵入
経路はこの場所1つではなく、レヴィア諸島の各地にあるそうだ。
今回この場所が選ばれたのは、調査に都合の良い場所だったという
ことである。
2062
﹁では皆準備は良いな?リディルとジンが先行して侵入する。次に
フィール隊、レド隊、ブルーノ隊と続けて侵入してくれ﹂
隊員たちはそれぞれに了承を示した。
B級冒険者たちはフィールさんが隊長役となってまとめている。
俺たちもその指揮下に入ることになっていた。遺跡探索全体の指揮
はシフォンさんが行うようだが、魔物との戦闘時や想定外の事態に
はそれぞれの隊長役が臨機応変に対処する手筈になっているのだ。
B級冒険者は言わずもがな、レドやブルーノも経験豊富。もちろ
ん他の隊員たちに至ってもそれは同様だ。研究員においても魔物と
の戦闘は本業でないにしろ、魔術の心得があるものが大半なので自
分の身くらいは守れる者ばかり。戦闘には基本参加しないが、危険
な場合には相応の対応も可能なのだ。
心配されているのは俺たちのことだが、フィール隊に組み込まれ
て邪魔しないよう大人しくしていれば安全だろうということらしい。
とりあえず他の隊員の邪魔をしないよう、自分の仕事をこなすこ
とを第一に行動しよう。まずは何より経験が必要だ。
﹁あー、俺たちは勝手に付いていくから、気にしなくていいぞ﹂
槍を抱えた海人族の少年が、シフォンの視線に気が付いて手を振
って答えた。遺跡探索の度にミスラ戦士団から随行員が派遣される
らしいが、彼らは初めて見る顔だという。ミスラ戦士団はミスラ氏
族でも武に秀でた若者で結成された集団である。少年の態度から自
分は選ばれし者なのだというプライドが垣間見れた。
2063
幅10∼15m、高さ5∼6mほどの裂け目はゆっくりと地下へ
向かって続いている。
それぞれの隊員の手には魔導石を燃料に明かりをもたらす魔導ラ
ンタンが握られていた。
俺は灯火が使えるので無くても良かったが、火魔術にポイントを
振らなければならないし全員に貸し出してくれるというので受け取
っておいた。
﹁足元が滑るから慎重に行こう。慌てることは無い﹂
シフォンが声を掛けてくれる。隊員に、というよりリザやシアン
に向けてのことだろう。
ミラさんも今日は動きやすいようにいつものロングスカートでは
なく、パンツルックで来ている。足元は濡れた岩場のような場所で、
歩きづらいが魔物の気配もないし今のところは安全だろう。
ミスラ戦士団の少年はあくびをしながら付いてくる。基本魔物と
の戦闘になっても参加するこはないそうなので、そう思っておくよ
うにとシフォンさんから忠告されている。
まぁ、頼るほどの力量があるようには見えないので、そのあたり
は問題ないだろう。
青の回廊は遺跡というより自然にできた洞窟といったような様相
である。そのあたりをシフォンさん聞いてみると、自然の洞窟と人
2064
工的に作った部分をまとめて青の回廊と呼ぶのだそうだ。
レヴィア諸島に存在する無数の島々と繋がっていることも研究課
題とされており、何に利用されていたのか解明されれば青の回廊の
全容がわかるのだとシフォンは語っていた。
﹁こっから足場が砂になってるからねー!魔物もいるから要注意だ
よー!﹂
魔力探知が魔物の存在を感知する。まるで砂浜のように広がる地
下空間に、所々に転がる巨石があった。これは岩に擬態したロック
クラブだ。
近づきすぎない、下手に刺激しなければ積極的に襲ってくること
は無いそうなので、リディルが先導して戦闘は回避されることにな
った。
遺跡での滞在は2日程度が予定されている。物資は余裕をもって
用意されているが、その余裕にも限度がある。
戦闘を想定していることからも、できるだけ手荷物は最小限に留
めたい考えがあった。冒険者たちは全員が魔法の鞄を所有している
し、シフォンさんを含む研究者たちも似たような魔導具を所有して
るので、物資搬送の労力は最小限に抑えられる。とはいえ冒険者で
あれば戦闘補助に必要な品も少なからず必要になってくるので、魔
法の鞄があったとしてもそれほど余裕があるわけでもないのだ。
2065
第192話 青の回廊1︵後書き︶
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2066
第193話 青の回廊2
まだ地下にはそれほど深くは下りてきていない。とはいえ既に闇
は深く魔導ランタンの明かりが無ければ、魔眼をもってしても見通
すことは難しい。高さ3mほどの天井に、どこまでも続く広大な地
下空間。
地形探知がその広さを教えてくれる。胸元に忍ばせた盗賊の地図
の確認も忘れない。おそらく水の流れか何かで生まれた自然の地形
なのだろう。決して平坦とは言えないそれは複雑怪奇な構造をして
おり、闇の深さも相まって侵入者を飲み込む怪物の腹の中にも思え
た。
﹁何か来ますね﹂
﹁んー?魔物かな?﹂
﹁はい。砂の中からです﹂
﹁んふー。ジンは私の探知よりも優れてるみたいだね!魔物の警戒
はジン中心でお願いしようかな﹂
﹁わかりました。あと30秒くらいで姿を見せます﹂
リディルが全員に要警戒の合図を送る。
俺は探知に集中。正確な魔物の位置を特定する。砂の奥深くは流
動的で、動きが読みづらいのだ。
2067
それでも魔物が地表近くまでくれば、その限りではない。リディ
ルに出現地点を伝える。
﹁くるよー!﹂
砂塵が舞い上がり、地中から魔物が勢いよく飛び出した。
光沢とぬめりのあるピンク色の肌。筒状の体。先端に備えた円環
状の口腔。
飛び出した魔物は獲物を俺に定め、口腔を大きく広げた。口内に
はびっしりと隙間なく生える牙の如き突起が確認できる。
﹁ほいっと﹂
魔物を目視で確認すると、脇に身を潜めていたリディルは投げナ
イフを投擲した。
特性の潜伏で身を潜めていたので、魔物には察知されなかったの
だろう。風魔術で加速されたナイフは魔物の皮膚に深々と突き刺さ
る。
見る間に魔物の動きが鈍る。研究員の1人に調合スキル持ちがお
り、彼が用意した毒物をナイフに塗付してあるのだ。
﹁ふんッ﹂
硬直した魔物の皮膚にフィールの剛拳が放たれる。
2068
ぬめりがあり弾力に富む皮膚は打撃耐性を備えるそうだが、それ
を凌駕する破壊力が打撃耐性を打ち破り魔物に致命傷を与えた。
シーワーム 魔獣Lv23
それはいつか見た魔物であった。違いがあるとすれば、人間の大
人を余裕で飲み込めそうなくらいの巨体となっているところか。
﹁まだまだ来ます。10、いや、20はいるかもしれない﹂
﹁20!?そーれは、ちょっと多いなー。安全な場所まで移動しよ
う!みんな移動するよー、遅れないようにー!﹂
足元が砂地であるため、移動速度が出にくいが魔物が現れるまで
少し時間があるすぐに移動したほうが良さそうだ。
お主は自分の仕事に集中せい
と言われたような気がしたの
アルドラはシアンとミラさんの補助に動いている。視線を合わせ
ると
で、そっちは任せることにした。
リザは脚力強化と浮遊を自身に付与しているのか、妙な足取りで
俺から少し離れた位置を維持して付いてきている。浮遊で砂に足を
沈ませることなく滑る様に移動しているのだ。器用な使い方をする。
ダリアを師事することで更に磨きが掛かっているようにも思えた。
﹁レド!﹂
俺は呼びかけると同時に彼に向って全力で蹴りを放った。不意を
2069
突かれたレドは反応が遅れ回避しきれずに蹴り飛ばされた。
﹁な、なにを!?﹂
恨みを込めた視線が送られると同時に、彼の立っていた場所にシ
ーワームが出現する。瞬間を見計らい俺は麻痺を撃ち込んだ。
﹁時間が無かった。悪い﹂
移動してきた場所は足場に岩の混じるところだった。
先ほどよりもマシだが、それでも砂地は多い。シーワームは魔力
を探知しているのか、それ以外の何かなのか、確実にこちらを捕捉
しているようで迷うことなく追跡してくる。
さらには面倒なことにロッククラブもどこからか付いてきてしま
ったようだ。ランタンがあるとはいえ、視界も足場も悪いこの状況。
逃げるか迎え撃つか。こういった場合の判断は、先導役のリディル
が行う場合が多いようだ。
﹁シーワームもロッククラブも大した強さじゃないから、この場で
処理しちゃおうー。目的の場所まで付いてこられると面倒だからね
ー﹂
俺はシーワームの動きを捕捉し、可能な限り隊員に伝える。自分
で処理するよりも補助を優先とした。アルドラたちは直感のお陰か、
魔物が接近すれば察知することができるようだ。
かなり近くまで来ると砂が盛り上がるように動くので、たしかに
2070
注意していれば気づけるのかもしれない。とはいえこの視界の悪さ
である。隊員たちそれぞれがランタンを手にしているとはいえ、人
族やミゼットには厳しいだろう。
だが隊員たちの動きは迷いがなく経験の深さが垣間見れた動きだ
った。遺跡での戦いに慣れている。魔物に対する動きを見ればそれ
が良く分かった。
ちなみにこんな状況に置いても、ミスラ戦士団はわれ関せずとい
った様子であった。どうやら本当に手出しはしない主義らしい。
シーワームが口を窄め、水を吐き出した。いや、吐き出すという
よりも撃ち出すといったほうが正解だろう。圧縮された水が口腔よ
り噴出、それはまるでレーザービームのように隊員を襲った。
撃ち出された水は鎧を僅かに掠め、その背後にいたロッククラブ
に命中した。
ロッククラブの岩を張り付けたような頑強な装甲に、圧縮された
水の射出によって大きな穴が作られた。
﹁腹部が膨れたら注意しろ!水刃が来るぞ!﹂
フィールの号令が響く。連発はできないようだが、あの威力は危
険だ。生身に受ければただでは済まないだろう。
砂中から魔物が出現したら瞬時に取り囲み、逃がすことなく短時
間で仕留める。
2071
﹁疲れているとは思うが、魔石を回収したら移動を急ごう。目的地
水刃
を修得した。圧縮した水を
に着いたら休憩だ。みんな頑張ってくれ﹂
シーワームの魔石から水魔術
カッターのように撃ち出す魔術らしいが、なんとなく魔力の消費が
多そうである。
溶解もそうなのだが水魔術は魔力消費が多めなのだ。これは相性
のせいもあるのだろう。強力ではあるが運用が難しいとも感じる。 調査隊は手早く魔石を回収し終えると、怪我人の治療もそこそこ
に移動を開始した。どうやら目的の場所まで、あと僅かの地点らし
い。
ブルーノ・ウォー 戦士Lv37
人族 27歳 男性
スキル:鎚術C級 盾術C級 鉄壁D級 忍耐D級 水魔術E級
ブルーノの動きが鈍い。重装甲の甲冑、全身を覆うほどの大盾。
敵を粉砕する戦鎚。そういった装備の結果、彼の重量は相当なもの
となる。そのため砂地に足が囚われ、動きが鈍くなるのだろう。
﹁脚力強化と浮遊を付与しました。これでいくらか動きやすくなる
と思います﹂
リザがブルーノの補助にとさりげなく付与術を行使した。
付与術は効果時間が短く、基本は自身に掛け続けるのが一般的。
補助に徹するなら他者に掛け続ける場合もあるが、距離があるほど
2072
術を掛ける難度があがるので優れた魔術師でなくては戦闘中にも付
与術を維持するのは難しいのだ。
リザといえど調査隊全員に付与術を行使するの不可能であるため、
自分への行使へと留めていたようだがブルーノの苦労を察して手を
差し伸べたのだろう。
﹁あ、ありがとう。エリザベスさん﹂
スリットの入った鉄兜の奥から、低いどもり声が聞こえた。
﹁気になさらないで。急ぎましょう﹂
﹁あ、うん。そ、そうだね﹂
しばらく進むと砂と石の下に見え隠れする石畳の存在が確認でき
た。自然そのままの地形ではなく、人の手が加わった領域。壁は岩
盤を削ったそのままの壁であるが、所々に窪みが見える。おそらく
燭台かなにかだろう。今は何もないが、かつては明かりとなるもの
が設置されていたのかもしれない。
沈み込むような砂地ではなく、その下に固い確かな地面があるの
を感じた。それだけで歩きやすさが段違いである。進む道もいつの
間にか平坦に近いものになっていった。
ゲート
﹁見えてきたぞ。転移門のある部屋だ﹂
シフォンの声と共に視界に入ってきたのは、闇を照らす光だった。
2073
近づくほどにその強さは増すようで、先ほどまでの闇に慣れた目
には眩しすぎる輝きである。
ドーム状の高い天井は20m以上あるのではないだろうか。天井
には遺跡の装置なのか、いくつかの照明が機能しているようで強い
光を生み出していた。サッカーグランドほどもある広い空間。
砕けた岩石が無造作に転がり、砂が堆積しているのが見える。良
く見るとただの岩ではなく文字が彫られているようだ。遺跡の一部
なのだろうか。なにが書いてあるのかは読めないが、似たようなも
のがあちこちに点在しているのが確認できた。
﹁周囲の安全を確認する。その後は野営準備、怪我人の治療に当た
ってくれ﹂
広範囲探知で周囲を確認する。小さな魔力の動きを感じる。何か
いるな。
シーバグ 魔獣Lv16
岩の隙間から人の腕くらいはあろうかという巨大な甲虫が這い出
してきた。無数にある脚、長い触覚、大きな目。虫は危険を感じた
のか、素早い動きで走り去っていった。
﹁んー、あれね、シーバグっていう磯に住む虫だね!積極的に襲っ
てくることはないけど、寝てると噛まれるかもしれないから気を付
けてね!﹂
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噛みついてくる虫を放置するのは気が休まらないということで、
手分けして虫の駆除を行うことになった。
駆除には手の空いた隊員が行い、怪我人は治療師に任せ、他の者
は野営の準備に移った。
ミラさんは治療師としいて怪我人を見ている。軽症の者が数名い
るだけなので、魔力消費には問題ないだろう。遺跡は魔素濃度も高
いのでエルフならば促進効果で魔力回復の速度も高まるだろうしな。
虫退治にはシアンとネロも活躍した。
雷耐性
を修得し
これくらいの相手ならば、レベル上げにも丁度いいかもしれない。
﹁兄様、魔石を見つけて来ました!﹂
シアンがシーバグから回収してきた魔石から
た。
﹁よくやったシアン、偉いぞ﹂
﹁えへへ﹂
シーバグは比較的危険度の低い魔物なので、彼女に引き続き駆除
を任せた。魔力探知では残り数匹程度だろう。殲滅は難しいかもし
れないが、ある程は度減らしておいた方が良い気もする。
虫駆除に一区切りをつけ、シフォンの元へやってきた。部屋の中
2075
心にあるのは石で作られた円形の舞台。その周りには石柱が等間隔
で並んでいる。どこかで見たような作りだ。転移門というのはレヴ
ィア諸島へやってきた先に利用した、魔術装置による長距離移動装
置のこと。しかし、この場にあるのはベイル地下で見た黒球とは違
った形式のものらしいが。
﹁そうなのだ。この転移門は機能を失っている。これを解析調査し
て機能を回復させるのが今回の目的だ﹂
内蔵された魔力回路を複写、正常な機能を有している転移門と比
較し欠損ヶ所を修復するらしい。
機能が正常な転移門であれば魔物を退ける魔物避けの魔術が付与
されている場合が多いようだが、この転移門は機能を失っているの
でその効果は期待できない。
研究者たちが転移門の解析を行っている間、冒険者たちは交代で
この場を守護するのが任務となるようだ。
2076
第193話 青の回廊2︵後書き︶
今回で予約のストックが切れました。
︳︶>
できるだけ早い再開を目指したいと思いますので、申し訳ありませ
んがしばらくお待ちください<︵︳
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第194話 青の回廊3
野営準備に予定地となる場所から瓦礫を取り除く作業が進められ
た。
溶解で処理することも考えたが、どれに希少な情報が備わってい
るかわからないので止めておいた。古代文字の残っている瓦礫も多
く、調査するにも時間が掛かるのだ。
よく見ると野営予定地には剣のように固い葉を持つ毒草が生い茂
っている。
ライトニングウィード 植物 D級 状態:雷付与
全体が仄かに薄紫へと発光する大型植物。魔物ではないようだが、
魔法の力が宿っているらしく魔眼を通して魔術効果を見ることが出
来た。
話によると怪我するほどではないが痛みを受けるし、筋肉を弛緩
させ麻痺させる場合もあるので状況によっては危険な植物である。
﹁レド、野営地周辺の毒草は焼き払ってくれ。そうだな、遺跡周辺
も頼む﹂
﹁はいはい。わかりましたよ﹂
邪魔になりそうな毒草はレドが片っ端から焼いて処理していった。
2078
バーナー
火魔術 火炎放射
手のひらから放たれる炎が毒草を焼き払う。
焼いた際に微量ではあるが毒を放出するので、舞い上がった毒素
を吸い込まないように注意しなければならない。
研究者たちが解析の準備を進める中、冒険者たちはそれぞれに休
憩を取ることになった。
魔力探知を使ってみるが近くには魔物存在は確認できない。しば
らくはゆっくりできそうだ。
﹁ジンも休憩してくれ。今のところ魔物が少ないようだが、遺跡に
は多種多様な魔物が生息している。いつ大きな動きがあるかわから
ないからな﹂
﹁わかりました﹂
魔物への警戒は隊員たちで交代に行う。今のところ警戒すべき状
況ではないようなので、警戒レベルは最低限で良さそうだ。休める
ときに休んで置けということだろう。
ともあれ、それほど疲労があるわけでもないので、手持ち無沙汰
に転移門のある部屋を散策することにした。
ミスラ鉱石 素材 F級
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ふと足元に落ちている石に魔眼を使うと、見覚えのある名称が見
えた。濃い青色の石。首飾りに使われている石とは色味が違うよう
だが、おそらく同じものなのだろう。
落ちているミスラ鉱石は1つではない。探せばいくらでも見つか
った。ただ落ちているのはF級ばかりのようだ。
素材は等級が上がるほど希少性も上がり、高値で売れる場合が多
い。
また高い等級であれば、何かしら有益な性質を持つものも多いの
だ。思い返せば魔石などの類を見ても、等級の高い物は高額で取引
されている。
このミスラ鉱石もC級あたりが見つかれば、それなりの額になり
そうなものだが、そうそう簡単にはいかないか。
隊員たちはそれぞれ役割に分かれて天幕を設置している。この辺
りの作業は慣れたもので、動きに迷いがなく効率的に働いていた。
天幕は同じ規格で作られたものらしく、同じ大きさものが並んで
いるようだ。洞窟内なので雨風あるわけではない。となると天幕な
ど必要なさそうに思えるが、個人的な空間を作り閉塞感を与えるこ
とで安心して眠れる場所を作りだす効果があるらしい。
短時間で疲労を回復させるには十分に効果があるようだ。 ブルーノであれば、ぎりぎり収まるかどうかという広さである。
あまり快適とは言えないだろう。
2080
大人の姿のアルドラでは足がはみ出してしまうかもしれない。彼
の場合は子供の姿にもなれるので問題ないか。いや、そもそもアル
ドラは眠る必要もないので、問題にすらならなかったな。
体の大きな獣熊族のフィールはというと、どうにも収まらないの
で天幕は張らずに外で寝るそうだ。見ると岩の上にどかりと座るフ
ィールの姿があった。
﹁私は奴隷時代から、野外で眠るのは慣れているからね﹂
フィールは元奴隷で、現在は奴隷身分から解放されているいわゆ
る解放奴隷という奴らしい。
﹁それでB級冒険者なのですね﹂
﹁ああ、そうだ。君は相手の力量を見抜ける能力があるのだね﹂
﹁すいません、詮索するつもりはなかったのですが﹂
﹁いや、いいよ。そういったスキルを持っている者は珍しくないか
らね。別に隠していないから﹂
彼女はレベル的にいえばA級クラスだが、解放奴隷はどんなにレ
ベルを上げギルドに貢献しても階級はB級までにしか上がらないそ
うだ。
奴隷に必要以上の権利を与えないだとか、理由はいろいろあるら
しい。聞いてみるとくだらない理由だが、フィール自身は気にして
いない様子だった。
2081
﹁B級でも十分なんだよ。食っていくには問題なく仕事を回しても
らえるしね﹂
﹁そうですか﹂
﹁フィール殿は50年前の侵略戦争の経験者かの﹂
﹁ああ、あれは酷い戦いだった。あんたも参加してたのかい?﹂
﹁いや、わしは興味なかったからのう。冒険者の中には報酬目当て
の志願者もいたようじゃが﹂
アルドラは人間同士の争いには興味がないと、戦争には関わらな
かったようだ。
﹁そうか。まぁ、あれは戦争というより、一方的な虐殺といったほ
うが正しいかもしれない﹂
ルタリア王国から海を隔てた南の大陸ファラカル。王国から出立
したのは、各領主から送り出された騎士を含めた正規兵+志願兵2
万。迎え撃つのはファラカル沿岸に僅かに広がる森林地帯に縄張り
を持つ獣猫族を中心とした狩人3000。
装備を整え、対人戦の訓練を重ねた職業軍人と、日々の糧を得る
ために森を走る狩人。その数は元より、あらゆる面で勝ち目など端
からない戦いであったという。
いや、獣人側からすれば宣戦布告もない突然の襲撃。良く知らな
いが戦争にも作法というものがあるらしく、人間の国同士が争う戦
争というのは、本来であれば宣戦布告を行い戦闘を行う期日などを
2082
代表者が話し合って決めるものらしい。
これは長い人間の歴史の中で、互いに無用な被害を出さずに勝利
者を決めるという取り決めから生まれたものなのだ。
﹁多くの者が惨たらしく殺された一方的な虐殺だ。数日の間に沿岸
地域は制圧され、多くの捕虜が王国に送られた。ほとんどはそのま
まタダ同然の値段で奴隷として売られていったそうだ﹂
﹁王国の各地を繋ぐ街道も獣人の奴隷が作ったらしいのう﹂
﹁そういう話も聞いてるね。鉱山に送られた者。農園に送られた者。
戦闘奴隷となった者。生末は様々だったようだ。私は捕虜となった
後、すぐに戦闘奴隷として使われるようになった。奴隷となり自由
を奪われ、南の大陸に送られ多くの仲間を殺した﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
フィールはすでに昔の話と割り切っているのだろう。気軽に話し
ているが、あまりの重い話に正直反応に困る次第であった。
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第194話 青の回廊3︵後書き︶
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします︵=゜ω゜︶ノ
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1346cs/
異世界×サバイバー
2017年3月28日23時36分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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