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1 穂高岳 穂高で合宿をするとなると「岳沢」か「涸沢」だが、さて・どちらに

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1 穂高岳 穂高で合宿をするとなると「岳沢」か「涸沢」だが、さて・どちらに
穂高岳
穂高で合宿をするとなると「岳沢」か「涸沢」だが、さて・どちらにしようか?と悩んだものである
「岳沢」は近いが登るルートがやや地味、
「涸沢」は景観抜群だが荷物を背負ってのベース地までが
長い。
「岳沢」
新人のころ、ここでよく合宿があった。登攀は「コブ尾根」とか「明神沢」とか「西穂沢」とかで
あるが、
この場所の選択にはこのころ山岳部が冬季に「明神岳」を目標にしていた関係もあると思う。
合宿中はテントの中でよくトランプをしたが、そのカケの対象が、帰路の名古屋までの駅の食べ物だ
った、例えば「木曽福島」のソバ、
「中津川」の駅弁とか「多治見」のシューマイとか・・
当時は上高地に入るには「木曽福島」からのバスで、その「木曽福島」に行くには名古屋発-木曽福
島行き普通列車であった。丁度「大曽根」発が夜の6時台であったと思う、そのため合宿当日はキス
リングを背負い会社に出勤した。あまり格好の良いものではなかった。
「岳沢」のテント場は、積雪期は決まった場所はなかった、雪崩などの恐れのない広い台地にテント
を張ったが、夏はそうは行かない。岳沢小屋の右奥の指定場所に張らねばいけない。ただ夏は困るの
は水の確保である、沢本流は残雪を抱いているが雪解け水は直ぐガラガラの岩場に消えてしまう。小
屋の水は有料である、最後に行った夏の岳沢は上部の残雪から解け出した水が伏流になり、それが丁
度テントの脇に流れ出し、これが美味しかった。
この合宿に入るとき、岳沢道を登ってくると上から綺麗なお嬢さん二人を伴った撮影隊に出会った
来年度のヤマケイ VTR
or(DVD)の撮影と聞いたが、さて映るのでは・・・と期待したが出番は
無かったようである。
(
‘07 冬北八つのとき出合った撮影は数名のご出演はあったと聞く)
「奥穂南稜」
:ここをベースにしてのバリエーションは「コブ尾根」と「奥穂南稜」が双璧である
が前者は新人のころ登っている、ある夏の合宿で南稜に行こうと後藤君と出かけた・・・が、ここは
夏には登るルートではない。滝の上は急な草付きだし、トリコニーの手前はハイマツが凄い、百メー
トル近くをハイマツの上に乗って、枝を掴んでは前進、掴んでは前進の繰り返しであった、まるで宇
宙遊泳のごとしである。それでも上半分は快適に(歩いて)登れた(一箇所岩峰を登り進退窮まり懸
垂下降したが)
・・終了点が奥穂頂上手前だったので、この時は頂上に登るのは省略したと思う。吊
尾根を縦走し「重太郎新道」を走るように降りた、眼前のパーティは皆、抜いてしまった。
この「重太郎新道」急で鎖場の連続である。よく滑落事故が起きるが、この時もテント場からヘリが
何回も飛ぶのを目撃した。ヘリは、負傷者は収容するが、そうでないと機外に吊るすとのこと。これ
で事故の結果が判断できる・・・・
(吊るされたくはない)。夏なのにテント脇に桜が咲いていたのが
印象的である。たしか何とか桜だが辞典を調べないと今は分からない。
「涸沢」
ここに合宿にいくときは「ばてた」思い出が一杯である、特に春山がひどい。一番初めに「涸沢」
合宿に出かけたときは、もう横尾に着く前からばてていた。そんな私を見てその時リーダの先輩は屏
風岩の岩小屋前で行動を中止してテントを張ってくれた。その日の行動予定の時間が余ったので、屏
風岩の一ルンゼの雪渓に出かけ雪上訓練を行ってもらったが、この時初めて「屏風岩」を間近に眺め
ることとなった。この屏風岩での停滞のため合宿予定が一日遅れ、先輩の Na さんが予定していた三
峰フェースの登攀が無くなり、かなり後まで恨み言を聞かされた。
春に稲沢に転勤になった石原君に「北尾根」に行きたいと頼まれ、出かけたことがある。その時の
1
涸沢行きは本当に「ばてた」
。本沢橋を渡り雪面を歩くようになってから足が「つり出した」その時
のつり具合は尋常ではない、10 歩も歩けなかった、10 歩歩いては雪面に倒れ込み足を揉み休憩した
後から来る登山者が気の毒そうに見て追い抜いて行った。石原君たちには先行してテントを張って置
くように言った、這うようにして涸沢のテント場に到着した。小屋で買ってきてくれた「ファンタ・
オレンジ」を差し出されたが一気に飲み干した。普段炭酸飲料は飲まないが、この時のファンタは美
味しかった。それでも次の日の北尾根はチャンと登ることが出来た。これこそクライマーズハイ
か??
「春の涸沢」に入ると顔がひどいことになった、三日も四日もきつい日差しの中の雪面にいるので
唇がパンパンに腫れタテに何本もクラックが入った。食事の時口も十分に開けることもできないほど
である。そのころのテントは内張り付きのビニロンのテントで重かった、その白い内張りに沈殿など
時間があるときは落書きを一杯した。あのころのテントはまだあるのだろうか・・・
「北尾根」を登るときの靴である、積雪期はアイゼンを履くのでお決まりだが、無雪期はどんな靴
を履いていくのだろうか?(この悩みはクライミングシューズが出来た後のことであるが)
岩はクライミングシューズの方が快適に登れるが・・・ここに行くにはアプローチも長い、そして岩
と言っても簡単な岩場だ、と言うことで履き替えるのも面倒なので普通の登山靴で出かけることにし
たが、ここをクライミングシューズで登る人はいるのかな?
秋の涸沢の紅葉は有名である、しかし私は本当の紅葉時期に涸沢に入ったのは一度しかない、たし
かに紅葉は綺麗だが、ヒュッテのテラスでヒゲの写真家「コンタツおじさん」がコーヒーを飲みなが
ら談笑していたのが印象に残っている。我々サラリーマンと違い、彼はプロの写真家である、「これ
は・・・」と言うとき写真が撮れるので、うらやましい。
夏に家内と一緒に奥穂高に行く計画で「涸沢小屋」に宿泊したことがある。私と家内とは小屋泊ま
りの山は土・祭日を外すようにしている、その時は日曜日だったが、部屋は8畳くらいで布団1枚に
一人であった。話によると前日はここに 20 数名入ったと聞いた。この部屋から北尾根をよく見るこ
とができた、
「タヌキ岩」など本当にタヌキにそっくりである。この北尾根で、日本の登山史に名を
刻んだ先輩方の物語を思い浮かべながら涸沢小屋の夜が更けて行った。
この辺のバリエーションルートといえば代表的なのは「北尾根」
「北穂東稜」だが「涸沢槍東稜」
にも若杉君と行ったことがある、たしか1ピッチ位ザイルを出したかな?
もう少し足を延ばすと「滝谷」であるが、私は涸沢から滝谷へは行ったことがない、全て北穂南稜に
テント(ツエルト)を張ってアタックに出かけている。一度、北原君と行った時は3日間ここにいた。
一日に2本登ってもまだ午後2時頃でもう一本登りに行けたが、あまり欲張らず、のんびりと前穂な
どを眺めて過ごした、その時の写真が我が家の玄関に飾ってあるが、カラーも色あせず、段々とせり
あがる北尾根と前穂の雄姿が写っている。
もう一つの岩登りのメッカ「奥又白」に涸沢から出かけるパーティもあるが、私はここには奥又池
をベースにして登りに行っている。ここも思い出は沢山あるが、変に思い出すのは池の周りの「白い
点々」である、これは「三の窓」も同じだが・・・・今は余り行く人も無く、きれいになっているこ
とだろう。
我が家に白黒の写真だが、奥又池から眺めた「4峰フェース」の大きな写真も飾ってある。ここは
東壁だが、さながら「ノースフェイス」のイメージだ。眺めると、ここの「北条新村ルート」を登っ
たのだな・・・と、写真からルートが思い出される。
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