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Revelation 12:11-17, 13 Intro (訳注:黙示録12:11-12の解説が続い
Revelation 12:11-17, 13 Intro (訳注:黙示録12:11-12の解説が続いています。今回は、「告発されている聖徒たちの勝利についての 3つの手段」の3つ目から始まります。) (黙示12:11-12)「『兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。 彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、 地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからであ る。』」 3.「彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」 これは、私たちがたどり着くべき高尚な水準です。あなたや私が主イエスを私たちの人生の中で一番愛 するものとし、自分を愛することを2番、3番、4番目、あるいはもっと違う場所に置くことです。 確かに私たちは自分たちへの尊敬を持たなければなりません。そして私たちには品位があるべきです。 でも、主を第一にしようではありませんか。私たちが主を第一とするとき、この地上で主のために生きるのに は何の問題もありません。今日あなたがそれによって生きている規則が大きな問題なのではありません。そ の規則の背後にあるものが問題なのです。あなたがそれによって生きるための規則の背後に必要なのは、 小羊の血とあかしのことばと、そして主に対するほかの何ものにもまさる愛です。愛は、まさに奉仕の土台 です。主はシモン・ペテロに言われました。 「あなたはわたしを愛しますか?」 弱々しい水準ではありましたが、シモン・ペテロが最終的に自分が主を愛していると言うことができたとき、 主イエスは、 「わたしはあなたを用います。あなたはわたしの羊を飼うようになるのです。」 と言われたのです。(ヨハネ21:15-17参照) (ヨハネ21:15-17)「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シ モン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があな たを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』イエスは 再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。 主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさ い。』イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエス が三度『あなたはわたしを愛しますか』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさ いのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われ た。『わたしの羊を飼いなさい。』」 ペテロは教会で最初の説教をしました。そして彼はおそらく、そのときに生きていたひとり当たりに対して、世 界の歴史のどのときよりも多くの人々が救われたのを目にしたことでしょう。 サタンが天から投げ落とされたことに対するふたつの過激な反応が見られます。 天には喜びがあります。この恐ろしい、反逆的で、危険で、執念深い蛇が天から永遠に出て行ったからです。 地上にはわざわいがあります。これは、7つの怒りの鉢が注ぎだされることに及ぶ第3のわざわいです。地 上のための唯一の慰めは、サタンの地上での滞在が、42ヶ月間と短いことです。(でも)この期間、艱難は 激化します。 竜が女を迫害する (黙示12:13-14)「自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。し かし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時 の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。」 これは、世界の上をうなって行く最後の反ユダヤ主義の波であり、最悪のものです。なぜなら、サタンは地 上に投げ落とされ自分のときが短いのを知っているからです。サタンはイスラエルを憎んでいます。なぜなら、 肉によればキリストはこの国から出られたからです。これは‘ヤコブの困難のとき’であり、また私が現在の イスラエルのかの地への帰還を喜べない理由です。一部の人たちは、自分たちが千年王国へ帰って行くの だと思っているようです。そうではありません。神さまのみことばによると、もし彼らが何らかの目的で帰って 行くのだとすれば、大艱難時代のために帰って行くことになるのです。 彼女が荒野に飛んで行くことができるように「大鷲の翼を二つ与えられ」ました。これは、イスラエルを彼 らの隠れ家に連れて行く、飛行機だと見る人たちがいます。そして、その人たちはいつでも、岩でできた町ぺ トラを隠れ家に選ぶのです。あの場所にどうやってその飛行機を着陸させたら良いのか私には分かりませ んが、それは、そのような説明をする人たちの問題であって(私の問題ではありません。) ふたつの「大鷲の翼」は、イスラエルの人々にとって何か異常なもの、あるいは特別なものではありませ ん。大鷲の翼は、イスラエルをエジプトから解放された神さまの恵みを思い出させるものです。神さまは(そ のとき)彼らに言われました。 (出エジプト19:4)「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わ たしのもとに連れて来たことを見た。」 彼らは自分たちの努力や能力によってエジプトから出て来たのではありませんでした。彼らが出てきたのは、 神さまが彼らを運び出されたからでした。そして、彼らにとって鷲の翼はそのことのシンボルになりました。 ここでもまた、大艱難時代にイスラエルは自分自身を助け出すことはできません。また、彼らを助け出す ことに興味のある者はひとりもいません。でも神さまは、恵みによって彼らをわしの翼に載せて助け出してく ださるのです。 「自分の場所である荒野に」と書かれています。聖書には、岩で造られたぺトラの町がその場所になる とは書かれていません。その可能性もありますが、ただ私たちには分からないのです。この「荒野」はさまざ まな場所と思われて来ました。ぺトラだけが唯一の場所ではありません。一部の人たちは、これはこの世の、 人々の荒野であると言います。つまりもう一度イスラエルの世界的な離散があるということです。キリストは (マタイ24:16)「・・・山へ逃げなさい。」 と言われましたから、私たちはこれが文字通りの荒野であると信じています。もしかすると、イスラエルがモ ーセのもとに40年を過ごしたあの同じ荒野であるかも知れません。(でも)今回は、42ヶ月です。なぜなら、 「一時と二時と半時の間」とは、42ヶ月を意味するからです。重要なことは場所ではなく、神さまが恵みによ って彼らを守られるという事実です。 「養われるためであった。」とは、過去に神さまが天からのマナと岩からの水をもって彼らを養われたこと を思い起こさせます。神さまは彼らをもう一度養われます。もしかしたら同じ方法で養われるのかも知れませ ん。 (黙示12:15-16)「ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し 流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。」 「そして蛇は、彼女が川によって押し流されるように、自分の口から女の後ろに向かって水を川のように吐き 出した。でも地は女を助け、地が口を開いて竜が彼の口から吐き出した川を飲み干した。」(マギー訳) 荒野が文字通りであるという事実を考慮すると、水もまた文字通りであり得ます。神さまは、荒野の行進の 始まりのときに紅海で、そしてもう一度荒野の行進の終わりにヨルダン川でイスラエルを水から助け出され ました。でも、洪水のように押し寄せる水は、川のように彼らの上になだれ込む軍隊である可能性もあります。 イザヤはこの比喩を使っています。(イザヤ8:7-8参照) (イザヤ8:7-8)「『それゆえ、見よ、主は、あの強く水かさの多いユーフラテス川の水、アッシリヤの王 と、そのすべての栄光を、彼らの上にあふれさせる。それはすべての運河にあふれ、すべての堤を越え、ユ ダに流れ込み、押し流して進み、首にまで達する。インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱい に広がる。』」 エゼキエルが描いた終わりの日の様子では、北の王がイスラエルに行進してくるのが見られます。サタ ンは、この人々を滅ぼすためにできる限りの手段を使います。 サタンをどのように止めたら良いのでしょう? 彼を止める国はひとつもありません。でもそこに神さまがおられ、サタンがパレスチナを侵略するとき、神さ まが自然の力を使ってサタンを滅ぼされるのです。 (エゼキエル38:22)「『わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々 の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。』」 エゼキエルのことばは、黙示録のこの箇所でヨハネが語っていることのしるしです。 イスラエルの残りの者たち (黙示12:17)「すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエ スのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。」 「すると、竜は女に対して激怒して、神の戒めを守りイエスのあかしを離さない、女の子孫の残りの者たちと 戦争するために出て行った。」(マギー訳) 「女の子孫の残りの者」とは、この期間に神さまの証し人である残りの者たち、印を押された14万4千人を 指しているのでしょう。彼らは明らかに、世界中で証しをしています。彼らは「神の戒めを守り」ます。彼らが 神さまの戒めを守るということは、彼らが律法の下に戻ることです。このことは、証し人たちが教会であると いう可能性をあらかじめ除外します。 すべての反ユダヤ主義はサタンの示唆によるものであり、最終的にサタンがイスラエルの国を滅ぼそう と最大の努力をすることで絶頂に達します。パロのエジプトのレンガ製造所から、ハマンの絞首台、ヘロデ の残酷な勅令、そしてヒットラーの粛清を通し、大艱難の世に至るまで、サタンはこの人々に対する攻撃を 指揮して来ました。それは男の子、つまりイエス・キリストのゆえなのです 13章 —————— テーマ:海と地から上って来た獣。 7つ目のラッパによって7人の人物たちが私たちに紹介されます。そのうちの5人には、私たちは12章です でに出会いました。女、あるいはイスラエル。赤い竜であるサタン。女の子どもであるキリスト。大天使ミカエ ル。そしてイスラエルの残りの者たち、つまり神さまに印を押され、大艱難時代を乗り切ることになる14万4 千人の人々です。13章では、最後のふたりの人物が私たちの前に連れて来られます。 ひとりは、海から上ってくる獣です。彼は政治的な力であり同時にひとりの人物です。 もうひとりは、地から上って来る獣で、彼は宗教的なリーダーです。 このふたりの人物が出て来るとき、一連の出来事が起こります。ここに、光と暗やみ、神さまとサタンの間に 起こっている大きな闘争が明らかにされます。大艱難時代の終わりに近づくにつれそのことが現れてきます。 このふたりの獣は、私たちに“野生の(wild、野蛮な、乱暴な、手に負えない)”獣として示されます。そ れが文字通りの翻訳です。獣であるだけでも十分悪いことなのに、野生の(野蛮な、乱暴な、手に負えない) 獣であるというのは、さらにひどいことです。 獣たちが誰であるかについては、立派な聖書解説者たちの間でも、多くの意見の相違があります。一部 の人たちは最初の獣を人物であると考えますが、ほかの人々は彼をローマ帝国の最後の姿として扱います。 一部の人たちは第2の獣を‘罪の人’として扱いますが、ほかの人たちは彼を最初の獣のためのただの預 言者、あるいはバプテスマのヨハネの類型であると考えます。このような難しさが出て来るのは、王を彼の 王国から切り離すのは不可能であるからです。独裁者は自分が支配する領土を持っていなければなりませ ん。そうでなければ、彼は独裁者ではありません。王と王国を区別するのは難しいことではありますが、最 初の獣は、復興したローマ帝国の支配者である反キリスト(訳注:ここでの反キリストは、antichrist で、ひと りの特別な人物ではなく、複数の反キリストたちのひとりの意味)のようです。黙示録16:10には、「(野生 の)獣の座」のことが語られています。(黙示16:10参照) (黙示16:10)「第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみの あまり舌をかんだ。」 この節から私は、その‘獣の座’につく者が誰かいると判断します。それは、ここで示されている獣です。でも、 もし彼が帝国を持っていなかったなら、彼は獣ではあり得ません。最初の獣が誰であるかを確定したあとは、 ふたり目を確定するのはそんなに難しいことではありません。彼は人間であり偽預言者、最初の獣に対する 礼拝に人々を導く宗教的なリーダーであり、彼も反キリスト(antichrist)です。 今日、反キリスト(antichrist)とは、実際の人物であるというよりもむしろ、キリストのご人格を否定する ことであるとするもうひとつの見解があります。言い換えれば、反キリストとはこれから明らかにされるはず の人物ではなく、むしろ偽の教理であるということです。私が思うにこのことの説明は、ふたつの使い方があ る“反(anti)”という前置詞の意味の中にあります。 “反”の最初の意味は、「~に対抗して」です。 ふたつ目の意味は、「~の代わりに」です。 この前置詞は、聖書の中で両方の意味を持っています。第1と第2の両方の手紙の中で、ヨハネは反キリス ト(antichrist)のことに言及しています。この名称を使うのはヨハネだけです。私たちは、反キリストの中に この両方の特徴を見ることができます。彼は、キリストに“対抗する”者であり、またキリストを“模倣する”者 でもあります。反キリストはその両方なのです。 第1の手紙の中でヨハネは、 (I ヨハネ2:18)「小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いてい たとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかりま す。」 と書いています。「小さい者たちよ。今は終わりの時です。」と書かれていますが、ヨハネはこれを1,900年 (以上も)前に言ったのです。私たちは、長いこと終わりの時の中にいるのです!ここで、ヨハネは反キリスト がこれから来ると言っているだけでなく、彼の時代にすでに多くの反キリストが現われていたと言っているこ とに注目してください。反キリストを見分ける理由は何でしょう? (I ヨハネ2:22)「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御 子を否認する者、それが反キリストです。」 反キリストは、キリストの神性を否定します。彼はキリストに反対します。彼“こそ”キリストの地上の敵です。 彼の第1の書簡の4章の中で、ヨハネは私たちに反キリストに関するそのほかの事実を教えてくれます。 (I ヨハネ4:1)「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのも のかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。」 (I ヨハネ4:3)「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリ ストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」 言い換えれば、どんな人、あるいはどんなグループ、またはどんな本でもキリストの神性を否定するものは 反キリストなのです。私は、ロック・オペラの“ジーザス・クライスト・スーパースター”は反キリストであると考 えています。聖書のイエス・キリストに反しているからです。同時に、どんな牧師でもキリストの神性を否定す る者は反キリストです。つまり彼はキリストに“反抗して”いるのです。 ヨハネの第2の書簡の中には、 (II ヨハネ7)「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られ たことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」 と書かれています。反キリストは惑わす者です。彼は自分がキリストであるふりをしますが、キリストではあり ません。主イエス・キリストは言われました。 「多くの者たちがわたしの名を使ってやって来て、『自分はキリストだ。』と言います。あなたがたは彼らを試 してみるべきです。なぜなら、すべての霊が神さまからのものではないからです。」 今日私たちは、霊を試してみる必要があります。あなたは、自分の小さなグループや、あるいは自分が興味 を持っているカルトを試すことから始める必要があります。とびっきりの聖徒である代わりに、彼らは実際反 キリストに従っているのかも知れません。主、そのようなものに対して、オリーブ山の説教の中で警告されま した。 (マタイ24:24)「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなし るしや不思議なことをして見せます。」 奇跡をおこなうことのできる偽キリストが出て来ます。この第2の獣は本物の奇跡をおこなう者です。彼も反 キリストのひとりです。 ですから、最初の獣は政治的な反キリストであり、第2の獣は宗教的な反キリストなのです。悪魔でさえ も、それをひとりの人物にまとめることはできません。私は、ふたりの人が出て来ると信じます。反キリストで あるこのふたりの獣です。