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開催報告書(PDF版) - 環境情報科学センター

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開催報告書(PDF版) - 環境情報科学センター
環境情報科学センター設立 40 周年記念シンポジウム開催報告
「環境国家づくりへの挑戦」
一般社団法人
環境情報科学センター
環境情報科学センタ-が設立されてから 40 年が経過したが,
今日,「循環型社会」,「低炭素型社会」,「自然共生社会」の3
つの側面が統合された「持続型社会」の構築がまさに問われて
いる時代となっている。
本センターでは,昨年度「近未来における環境都市の実現を
目指して」と題するシンポジウムを開催し,国の政策や国内外の事例報告をもとに,目指すべき
環境都市の姿像やその実現に向けての今後の取り組み等について議論した。
一方,本年3月に発生したマグニチュード 9.0 の大地震による「東日本大震災」は大津波や原
発の放射能汚染により未曾有の大災害を引き起こした。また 9 月に発生した台風 12 号による和
歌山,三重,奈良の 3 県にまたがる豪雨被害も甚大であり,人間社会が自然災害の脅威にさらさ
れた時代となっている。
そこで,(一社)環境情報科学センターでは,設立
40 周年記念シンポジウムのテーマを「環境国家づくり
への挑戦」と題し,基調講演(午前・午後の部),パ
ネルディスカッション(午後の部)の 2 部構成による
シンポジウムを,平成 23 年 10 月 31 日(月)10:30~17:00 に東京大学弥生講堂
一条ホールに
て参加者 126 名(会員 40 名,非会員 86 名)を得て開催した。
本シンポジウムでは,本センター昨年度のシンポジウムの成果をもとに,また災害面も踏ま
えつつ,環境都市・地域の集合によって形成される環境国家の有り様やその実現にあたっての方
向性を探るとともに,今後の方策や具体的取り組み等について,議論いただいた。
まず基調講演では,東日本大震災を踏まえつつ,快適で安全・安心な持続型社会の構築方策や
その社会を形成する地方自治体,企業,市民三者の果たすべき役割等について,糸長浩司氏(日
本大学教授)
・池邉このみ氏(千葉大学大学院教授)
・伊藤泰志氏(富士通エフ・アイ・ピー(株))
・
崎田裕子氏(ジャーナリスト・環境カウンセラー)
・鈴木輝隆氏(江戸川大学教授)の各氏に講
演を戴き,またパネルディスカッションでは,4名の講演者に加えて舟引敏明氏(国土交通省)・
塚本瑞天氏(環境省)をパネリストとしてお迎えし,前半の
基調講演をもとに,環境国家づくりに向けての課題ならびに
快適で安全・安心性が備わった環境国家づくりへの今後の展
開方法や具体的取り組み,さらには環境情報科学の目指すべ
き方向性等について議論を行った。
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開会の挨拶
丸田頼一
一般社団法人環境情報科学センター
理事長
皆様おはようございます。当センターは本年設立 40 周年を迎え,この記念シンポジウムを開
催させていただくことになりました。
環境情報科学センターは 1972(昭和 47)年 10 月 17 日に設立されております。当初,任意団
体として発足しましたが,旧来からの専門分野の枠を超えて,環境科学や情報科学など,新たな
世の中で要求されている環境分野を横断的にとらえて,その学術や技術の発展や普及を意識して
設立されたわけでございます。その後,国連人間環境会議の開催や,わが国は経済界等の反対に
よりかなり遅れましたけれど,環境アセスメントの国際的な定着がありました。
そして,環境庁の新設等のうねりも受けながら活発な行事の開催,出版物や機関誌の刊行も順
調に進みまして,1977(昭和 52)年には社団法人として環境庁に認可されまして,以後もわが
国で数少ない環境学の学術団体として定着し,数々の成果を上げつつ進展してまいりました。こ
れらの活動にあたりましては,安芸皎一理事長や後の松井健理事長のみならず,とくに環境アセ
スメントで有名な名古屋大学の島津康男先生や,植物生態学がご専門の千葉大学
沼田真先生の
両先生などに,環境科学や環境教育の面で本当に手厚いご指導とセンター運営にご協力を賜りま
した。
1976(昭和 51)年からセンターでは第1回の環境サロンを催しておりますが,その他海外研
修なども継続する一方,環境研究発表会の開催,環境情報科学論文集の発行,センター賞の授与
などに加えまして,最近では 2004(平成 16)年から,国際化時代に鑑み,環境学分野では希少
な英文学術誌の発刊を毎年定期的に重ねてきております。
なお,本センターには,調査研究室が設けられておりまして,環境学関連の調査研究を受託し
てシンクタンク機能をはたしており,学術部門同様,大きく発展してまいりました。
さて,本日は本センター設立 40 周年を記念いたしました学術シンポジウムを開催することに
なりましたけど,本年は丁度,本センターが一般社団法人に移行した節目の年でもあります。昨
年度開催したシンポジウム「近未来における環境都市の実現を目指して」をも継承しつつ,
「環
境国家づくりへの挑戦」をテーマにさせていただきました。
ご承知のように,循環型社会に低炭素社会,生物多様性などを含めた自然共生社会への動きが
徐々にでも動き始めましたことを考えあわせますと,今後,環境国家づくりにより視点をおきつ
つ地球環境保全,地域環境の保全と創出の双方から国,自治体,企業,国民等が役割分担しなが
ら目標に向かって一体となって進み,安全で,快適で,安心して暮らせる持続的な社会を構築す
べきでありましょうし,本センターも推進に当たって中心的な役割を担う必要があります。その
際には,もちろん,東日本大震災の教訓から防災面も総合的に配慮する必要がありますけれども,
わたしは以前から,環境に関わる学識や技術を習得した環境ジェネラリストとか,環境コーディ
ネーターの養成の必要性を唱えておりまして,本年発行した機関誌「環境情報科学」の 40 巻 1
号にも書かせていただきました。
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環境国家づくりには,環境に関わるグランドデザインのみならず,総合的な学理と政策・施策,
計画技術,施工管理技術などを推進し,展開をつかさどる人,研究者,技術者,政府・自治体の
為政者,企業者などの養成が欠かせません。本日は時間の関係もございまして包括的な内容にな
っておりますが,以前,本センターでは環境アセスメントに視点をあてた,夏期大学を 5 年続け
てやらせていただいた時期があります。その際,わたしは短期集中講座というものを体系的に組
みまして,理論だけではなく現地の見学もあわせて行い,好評を得ました。今後は,そのような
5 年とは言わなくても数年かけた体系的な講座なども開いていきたいと思っているところです。
最後に,本シンポジウムを開催するにあたりまして,講演やパネリストをお引き受けください
ました各先生方,準備及び本日の司会進行をお願いしております方々に厚く御礼申し上げ,開会
のあいさつとさせて頂きます。本日はよろしくお願いいたします。
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不安定時代における持続型社会の構築とは
-しなやかでレジリエンスな社会へ
糸長浩司
日本大学生物資源科学部・教授
NPO法人 エコロジー・アーキスケープ代表
NPO法人パーマカルチャー・センター・ジャパン代表理事
おはようございます。ただいまご紹介いただきました,日本大学の糸長です。設立 40 周年おめ
でとうございます。
半年以上前に非常に大規模な震災があり,現在までも2万人弱の方が亡くなられ,あるいは行
方不明となっております。あわせて,東京電力福島第一原発事故による放射能汚染によって多大
な被害が生まれ,まだ避難,災害の最中であるという状況が続いている中でこういうお話しをし
なければいけないことを非常に残念に思います。ただこれから先を見据えて,色々考えているこ
とを申し上げたいと思います。
今回の講演タイトルは「不安定時代における持続型社会の構築」としました。最初に事務局か
ら頂いたお題は,持続型社会の構築といったタイトルでしたが,果たしてサステナビリティとい
うのは今ちゃんと問えるのか,どういう姿がサステナブルなのかという問いをもっと真摯にして
いくべきではないか。かつ,日本は,ご存じのように津波,地震含めて非常に大地そのものが長期
的スパンからいって安定とはいえない。われわれはそういう中にずっと暮らして生きているわけ
です。つまり,地球そのものもそうですが,あまり強固な安定性,持続性を求めること自体が人類
の不遜なのかもしれません。そうした中でも,もう少ししなやかに対応できる仕組みや理念を考
えていきたいということでこのタイトルにいたしまし
た。
このスライドに書きましたいくつかは,今までずっと
言われてきている温暖化の問題や生物多様性の危機や,
あるいは経済的問題でいえば,現在も続いているような
グローバリゼーションの問題,そうした中にあらためて
自然災害,大震災という状況がもたらされています。一
番下にありますように,今アメリカのウォールストリー
トでも若者たちの運動がありますけれども,やはり富の
格差の問題,これは人間がすべて引き起こした問題であ
るわけですが,そこを含めてやはり多様な課題を突きつ
けられています。
これは,よく出てくるわけですが,ピークオイル,石油
に頼ってきた暮らしそのものの見直しを含めて,どうわ
れわれは新たな次のエネルギー戦略,あるいは,エネル
ギーを生み出していくのか,あるいは,逆に言うと少な
いエネルギーでも暮らせる状況をいかに作るかという
ことだろうと思います。
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この絵は,私がここ 15~20 年近くやっている
パーマカルチャーという生活環境運動があるの
ですが,その創始者のデビット・ホルムグレンが
描いたものです。このベビーブーム,分水嶺と書
いてあるところまでが産業革命以降の,いわゆる
右肩上がりの状況です。これを成長文化と書きま
したが,経済成長文化と言ってもいいかもしれま
せん。サステナブルということをこの経済成長文
化の延長線上に描くのか,そうではなく,そもそ
もこれがある意味で人類史上における異常であ
り,広井先生が言うように定常型と考えるのか,
あるいは場合によっては,カタストロフィーや崩壊も含めた非常に厳しいシナリオを用意しなが
ら対応しなければいけないのかが問題です。
1992 年のサステナブルの論議が国際的にあった頃は,まだこの手の話が真剣にされていませ
んでした。その時に作られたサステナブル・デベロップメントという概念そのものの一種の賞味
期限も一方ではあるのかなと思います。新たな意味での,サステナブル,あるいはそれに代わる概
念をわれわれは作り出していかなければいけないのかなと,いう風に思っております。
これは,デビット・ホルムグレンが 2010 年末に農文協で翻訳を出した本、
『未来のシナリオ』
という中で言われたものです。横軸がいわゆるピークオイルのスピードです。縦軸が地球温暖化
のスピードです。右上で救命艇と書いてあるのは,一種のサバイバルですね,石油が無くなり,地
球がどんどん異常をきたしていく,次にどうするのかという,それは今までの都市の仕組みや農
山村の仕組みそのものでは対応できないかもしれない。そのスピードに対して,どう生き残るの
か,というサバイバル的なシナリオです。右下は,地球温暖化がそれほど急激には進まないとすれ
ば,一種の自給自足ではありませんが,循環型の地域社会を市民がじっくりと構築していく,その
ような意味合いのものです。どれが正しいというよりも,この基本的な課題の二軸をベースとし
て,それぞれの軸に対応したシナリオを考え,それを用意しておくこと,それは政策的にもそうで
しょうし,ライフスタイル的にもそうでしょう。あまりにも厳しい状況では,たぶん地球全体,あ
るいは日本国の生き残りでも,非常に厳しいのではないか,ということを示しているともいえま
す。3.11 後の話でいうと,日本には,これにもう一軸,Z 軸として原発の放射能汚染とどう長期的
に付き合うのか,その軸がもう一つ入ってくるのかなというように思います。
そうした中で,今日のシンポジウムの大きなタイトルの「環境国家」というお話ですので,国の
システムで考えると,物理的・生物的・生態的な環境だけではなくて,当然社会や経済のあり方が
非常に重要になります。先程から申しているような,経済成長論というのは一種の極論からいう
と西洋的な価値に基づくある種の人類成長主義
であったかもしれません。
経済のために人間がいるのではなく,経済は社
会のためにある訳で,社会に経済をいかに組み込
むかということを含めて,脱功利的な考え方での
社会の在り様というものが重要で、循環型社会構
築のための経済の姿といってもいいかもしれま
せん。この辺の話は,フランスのラトゥーシュと
か,あるいは脱功利主義のモースのグループがも
ろもろ出しておりますので皆さんもご存じだと
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は思います。改めてそういう今までの社会を支えて
きている大きな社会の在り様を,石油やエネルギー
の問題も含めて考え直していかなければいけない。
そうすると所有をベースとした在り方に対して,も
う少し賃貸借,あるいは貸与ということも含めて,
市場経済システムに対してもう少し多元的な交換
システムを考えていくべきだろうと思います。
経済はご存じの通り,広い意味での経済と狭い意
味の経済があります。経済人類学の分野でも言われ
ていることですけれども,モノやサービスを交換す
ることが経済であるとすれば,それを市場というシ
ステムだけに頼る必要はない訳です。まあ,頼った
方がいいという人たちが今まで富を相当築いてき
たということにはなる訳ですが。
一方で,贈与や互酬あるいは税金も含めた分配の
システム,あるいは市場も一部あってもよいのです
が,それから共同的な経済社会といったものがある
意味共存できる社会というのが一つの姿ではない
だろうかと思います。
これは,ラトゥーシュが『経済成長無き社会発展は可能か』という本の中で書いている8つの
プログラムです。基本的に今申し上げたようなことになるわけですけれども,⑤にあるように,
ローカライゼーション,再ローカライゼーション,地域でいかに経済社会を自立させていくのか
という,そういう視点をわれわれは重要視していくべきだろうと思います。
そうした中で,先程のポストピーク,それから循環型経済,あるいはローカライゼーションとい
う,いくつかの課題を地域の中で答えていく一つの運動として,トランジション・タウン運動とい
うのがあります。これは,イギリスのトットネスという所から起きた運動で,元々はパーマカルチ
ャーの教師が始めたものですが,日本でいう,いわゆる地産地消型の暮らしで,かつ伝統的なもの
も活用しながら,エネルギー使用量が少なくても地域の中で豊かに暮らせるコミュニティを作っ
ていこう,という運動です。
近年ほかの分野でも使われ始めてきていますが,その時のキーワードとして,レジリエンスと
いう言葉があります。いわゆる生態学でいう回復力・復元力という意味ですが,単純に壊れて破
損をする,建築で言うと建物の梁がせん断で壊れてしまうというのではなくて,粘り強く保つと
いうような意味を含めたもので,それがここでいうレジリエンスです。本来,生態系そのものが継
続してきた根拠の中には構成要素間の相互的な循
環もありますが,一方で,お互いが回復力を持つ、
システムが回復力をもつという,このレジリエン
ス型の社会というのが非常に重要であろうという
ことです。
今回の津波災害あるいは原発事故での放射能問
題に関しても,回答がすぐに出てくるとは思いま
せん。そうすると,災害といった非常時といわれて
いる状態の中でいかにサバイバルしていくのか,
そして,より新たな姿に蘇るのか,という意味での
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創造的な粘り強さが求められているのではな
いかなと思います。それは地域だけではなく
て,こういう環境系の学問分野,学会分野であ
っても同じだと思います。
イギリスは,低炭素コミュニティ運動助成
を政府で行っておりまして,これは 2009 年の
調査のデータです。全国で全英で 10 か所ぐら
いあったかと思いますが,その中の1か所に
選ばれたトットネスという場所です。トラン
ジション・ストリートプロジェクトというの
で,日本でいうと町レベルというか,隣近所レ
ベルで低炭素型のコミュニティを作るための勉強会と全体のシナリオを考え,そして,行動して
いく,というプロジェクトです。
パーマカルチャー
次に,ライフスタイルに関することですが,「パーマカルチャー」,これはパーマネントアグリ
カルチャーとか,パーマネントカルチャーの略ですけれども,農は食料を得るということだと考
えていただくと,自分たちが生きていくための糧を得るということを一つベースにしながら,自
分たちの暮らしそのものを自立,循環系にしていく,そのためには,あなた作る人私食べる人では
なくて,私も作りあなたも作りみんなで食べましょう,というそういう意味での暮らしのあり方
です。これは近代的な農業ともまた違った自然のシステムに沿った農のあり方であり,地域社会
がもっていた伝統的な文化,あるいは知恵を紡ぎながらやっていく。1970 年代にシューマッハが
「スモールイズビューティフル」という標語を提唱しましたが,それとも非常に関係する話です。
大規模技術というよりは,適正技術を使いながら環境を創造していくと。
これは,その創始者の一人のビル・モリソンの本にある絵ですけれども,左側が近代的なシステ
ムで卵を作る仕組みです。右側は,パーマカルチャー的にデザインした鶏小屋とマメ科の植物を
植えている鶏のパドックです。左側は,大量のエネルギーと輸送コストを含めて廃棄物を出す。
鶏は狭いケージの中でノイローゼになりながら不安定な状態で不健全な卵を生産し,それを人間
が食べる。右側は,おそらく鶏にとっても幸せな,近年いわれる Animal Welfare の状況の中で健
全な卵を産み,それを人間が食べる。
本来,人間は生き物なわけですから,安全・安心なものというのは自然の仕組みの中で,生態系
のピラミッドの上に人間がいるとすれば,それを食すると,それが一番の幸せであり,健康につな
がる。そうした意味では,左側の多量なエネルギーを使い、不健全なものを大量に生産するシス
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テムではなくて,右側のシステム(これは自然のシステムではありません,人間がデザインをして,
的確にものを配置した,あるいは,自然の樹木や鶏という動物の食性を理解した上での配置論で
す)が本来の環境のデザインであると,私は思っております。
その次に,パーマカルチャーの中に,自然の遷移とともに人間の環境をデザインしていこう,と
いうコンセプトがあります。ランドスケープを専門とする方がたは「ギャップダイナミクス」と
いうお話を聞いたことがあると思いますが,このギャップダイナミクスの中での多彩なランドス
ケープを念頭に置いて考えると,横軸が時間で,縦軸がバイオマス成長量です。極相に到るという
ことでいえば,S 字カーブで行くわけですが,自然だけの保護ということで言うと S 字カーブの極
相を求めるということはあるかもしれません。ただ,そこの土地や水の条件でいうと,全て極相に
到るわけではなくて,途中で止まることもあるわけです。
一方で,人間は極相の中だけで生きるわけではない,森の中だけでは生きられません。そこで農
業革命が起きたわけです。農業革命は,自然の遷移を止めることです。あるいは,攪乱させること
です。それを,毎年同じように繰り返す,お米であれば毎年洪水を起こす。里山管理であれば,20
~25 年で山を切る。木材生産であれば,70~80 年で山を切る。都市では,そういうものが全部邪
魔だとすればバイオマスもゼロに近い人工地盤を作る。それが人間の行いです。これはすべて肯
定です。否定するものでもありません。問題は,
その中で自然の遷移といかに共存するかという
ことでいうと,多様なものが共存しあう,それぞ
れ成長過程の違うギャップが共存しあう,その
多様な層をわれわれは意識的にデザインすれば
いい,あるいはそういうところに居を構えれば
いい,いうことになると思います。ですから,巨
大な都市は F だけ,巨大な農村,農地のところは
E だけということになるし,巨大な森だけは C に
なるかもしれません。それはわれわれが望むも
のではない。適当な広さでのこれらの多様な遷
移の層の共存の姿が理想です。
エコビレッジ
その次は,コミュニティ論です。持続可能なコミュニティを自分たちでどう作っていくのかと
いうことで,「エコビレッジ」という考え方が出てきました。これも,今から 20 年ぐらい前から
世界的な運動が起きまして,それとのおつき合いもあって日本でも同様な運動をしてきておりま
す。そこでは,エコロジーという概念がもっと多様な概念として扱われてきています。生態学だ
けではなく,ソーシャルあるいはエコノミー,そしてスピリチュアルも含めて,人間にとって必要
なものの持続循環系を考えよう,そして,それを一人ではなく,共同でということです。
いくつかの事例ですと,これはデンマークのツーラップというエコビレッジですが,左側に既
存の集落があります。これがエコビレッジで,農業や保育園なども経営していますが,駅を近くに
おいて公共交通を活用することで CO2 を削減していこうという暮らしをしています。
これは 2009 年にコペンハーゲンで COP15 がありましたが,その時にデンマークのエコビレッジ
のグループが調査をして,デンマークの人たちの暮らしとエコビレッジで暮らす人たちの CO2 の
排出量を計算したものです。そうすると,これがエコビレッジでの平均値ですが,平均の国民の暮
らしと比較して 6 割くらいで CO2 が減ると。これは単純に言うと,重油の集中ボイラーからチッ
プ系に,木質系に変えるとか,カーシェアリングするといったことで相当程度削減できると。つま
り,エコビレッジ的な暮らしが CO2 削減にもつながっていく,低炭素コミュニティにつながって
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いく。
では,日本ではそういう村をどう作ってきたのかというと,今日全体像をお示しできませんけ
れども,これは江戸時代の柳沢吉保が行った三富新田の集落形態です。これは,権力的に,強制的
に作った開発の村です。しかし,そこには居住地と農地と森林がセットになって農的な暮らしが
でき,そこから半分以上の年貢を取るという,そういう仕組みがある意味で持続していたわけで
す。ですから,それを誰がするかという問題だけですけれども,計画論でいえばそういう仕組みが
構成されてきました。
日本の場合には,先程から申し上げているように,里山,二次自然的な環境を、農民が生きつづ
けるために、農ということをベースとして農民が作り出してきた。非常に厳しい労働も含めてで
すが,これは後程言う福島県の飯館村の昨年の里山の風景です。これは自然の風景ではなく,人間
が作ってきた人間と自然の関係性による風景です。それをちょっと別の視点で,南方熊楠が書い
ている曼荼羅ですけども,「心」と「物」それを両方合わせたところに「事」がある。この「事」
をデザインというふうにとらえなおすとすれば,人間が自然をいかに読み,いかに加工し,配置し,
そして「事」として成していくのか,そこにデザインの本筋があるのではないか,というふうに思
っております。
福島県飯館村
次に,残りの時間で飯館村のお話をいたします。なぜこの話をするのかというと,不安定な時代
という,それは地震,津波だけではなくて,今後もまだ 20 年,30 年,チェルノブイリのことを考え
るとそれ以上というように思うのですが,ある非常に信頼できない大地,自然,樹木,土,水,とい
うのがある一定のエリアに広がってしまっています。それを物理的に除去,除染できるのか,とい
う点では非常に大きな疑問があります。そうした場合に,われわれ環境を扱う学会もそうですが,
汚染された環境に対してどう真摯に向き合っていくのが良いのかということを,私も解答をもっ
ているわけではないのですけれど,一緒に考えてみたい,ということです。この課題は,不幸なこ
とにたぶん人類史上,チェルノブイリの次に日本が与えられてしまった課題であり,まだ続いて
いる災害です。ある意味でいうと,それはチェルノブイリを時間的には超えてしまっている災害
だといえると思います。
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この村は,私が 20 年ぐらいお付き合いをしていまして,いわゆるエコロジカルな村づくりを村
民とあるいは行政と一緒にやってきました。コミュニティビジネス的なこともやったり,ここに
あるような自然再生可能エネルギー的なプロジェクトも行ってまいりました。
これは老人ホームに設置したチップボイラーです。日本で最初のデンマーク製のチップボイラ
ーで,これを入れたときにはデンマーク大使館と村で一緒にシンポジウムを開催したりしました。
これは役場のすぐ横に作った生活・環境教育センターです。パーマカルチャー的な体験ができ
る施設です。これは、環境省が認定した全国 20 か所のエコハウスの 1 つに認定されて,補助金
100%で建設したもので、2010 年にできました。
「までいな暮らし普及センター」と言っていま
す。ここでは,建物自体の基礎が外断熱になっていて,土間があって温かいといった農村の建て替
えの見本になるようなプランにもなっているのですが,全体として,親と子が大家族で住めて,ア
トリエ棟と書いてあるところは農機具を置いたりしてもいいのですが,一方では,飯館村という
のは農民の方の中に芸術的な仕事をする人がおられまして,そういう農的な暮らしの中で芸術的
な活動もしようね,というような意味とか,あとは環境に配慮した汚水処理だとか,ガーデン,農
的な暮らしができるような案になっています。
これが飯館村の 20 年間やってきた一つのストーリーですが,手作り型でやってきたというこ
とです。20 の行政区で,それぞれで地区別計画を作っていただいて各地区に 1000 万の助成金を
10 年間トータルで出して行動をともにしていくと。あるいは,「までぇ」という,スローライフ
でいきませんかということを私の方で提案をして,東北弁の「までぇ」という言葉がいいのでは
ないかということで,それを入れて,じっくりゆっくり丁寧でもったいない暮らしをしていこう,
ということをやってきました。
11
こういう所に放射能災害が起きました。最
初の津波と地震に関しては,ここは阿武隈山
系ですので地盤が安定していて建物はほとん
ど壊れていませんでした。しかし,南と東の方
から最大で 1300 人(3月 15 日)もの避難民
が逃げてきて,それを一生懸命介助していた,
という状況です。その人たちも,放射能が飛ん
できているということでさらに西の方へ逃げ
ていく。3 月 20 日になると避難者はゼロにな
りましたが,村人は残っていました。一部南に
放射能の高いところがあったので,鹿沼の方
に集団での自主避難を,村の誘導で避難して
もらったりもしました。しかし,だんだん落ち
着いてくると,村人 4000 人がまた戻ってきて
しまうというような状況がありました。
これが 15 日の,役場の前のところで放射能
で 44.7 マイクロシーベルトの数字が出ました。
前日の 14 日からも数字が出ていましたが,デ
ータ的に明確なのはこの時からです。われわ
れも 16 日ぐらいからデータをいただいて村に
情報支援をしてきたのですが,結果的にいう
と 20 日の水道水から 965 ベクレル検出されま
した。この 20 日というのは,先程のこれでい
うと,この 15 日の時に村外から避難者を最大
で引き受けていて,このとき役場の人も村人
も外に出て,避難者を介助していた訳です。だ
から,村人も避難者も内部被ばく,外部被ばく
も含めて放射能を浴びていた訳です。
なぜそういうふうになってしまったかとい
うと,今新聞でも一生懸命追及しているよう
ですが,SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネ
ットワークシステム)によるデータがまず出
てこなかった。総理大臣官邸に情報が入って
いたのか,いってないのか,どうも原子力安全
委員会はわかっていたようですが,これがもっと早く出ていれば内部被ばく,外部被ばくは無か
ったということがいえます。
われわれは 3 月 23 日に,飯舘村の南の地区での土壌から高濃度の放射能が出た。
㎏あたり 16.3
万ベクレル,㎡あたりにすると 300 万ベクレルくらいになるのですけれど,それを京都大学の今
中哲二先生が朝日新聞でそういうお話をされて,われわれもそれを知って,私の NPO のスタッフ
の小澤祥司さんが今中先生に連絡をして,飯舘村の放射能調査に一緒に入りました。われわれは
放射能調査が専門ではないので,お願いをして一緒に入ったということです。
これは飯館村の土地利用図ですけれど,森林が 7 割くらいあります。放射能は山に降ったわけ
ですから,これは並大抵な話ではない,ということが当初からわかっていた訳です。でも,村内の
森林は国有林が半分ぐらいあるのですが,林野庁の測定、対策の動きも非常に遅かった。あるい
12
は,マスコミなども当初は山についてはあまり
触れていなかったのです。
今中先生たちが計ったデータでは,南が高く,
北の方は比較的低い。ですから避難をさせる場
合,全村避難が一番いいのですけれど,それも難
しいのであれば,北の方のコンクリートで囲わ
れたようなところに子供や妊婦は避難させてく
ださい,あとは,徹底的に道路は除染してくださ
い,という助言を村長、村当局にいたしました。
村長さんには,このデータを含めて,村民にこ
の放射能汚染状況の情報を開示してくださいということを申し上げましたが,残念ながらそれは
隠されました。そのためわれわれは 4 月 4 日の段階でネット上で公表し,全員では無いのですが,
村民は情報を知る訳です。それはつまり国と同じで,情報は誰のものかということです。情報は
すべて国民のものです。研究者は得た情報に関しては,真摯に研究者としての立場で情報開示を
しなければいけない。その中で,さまざまな信頼関係が崩れることがあります。私ごとながら,
村長さんと私の関係はこれで,ある意味で破断しました。それでもわれわれは引き続き村を支援
しております。行政の支援もしますし,村民の支援もしております。
これは当時出た値です。これは㎡あたりですけれども,セシウム 137 が 218 万ベクレルぐらい
出ているという状況です。134 と 137 が同じくらいの比率で出ていますので,当初から 1 対 1 で
降っているよね,ということがわかっていました。そのあと,われわれも測定の仕方がわかったの
で,独自に村に行って GIS でマッピング化して,それを村や村民に提供したりもしました。
13
これは 6 月の段階で文科省が出したデータです。一
概に法律違反とは言えませんが,放射線の障害管理法
でいうと,管理区域は時間当たりでいうと 0.6 マイクロ
シーベルトですので,福島県の中通り,浜通りを含めて
放射線管理施設の中にいる状態で,そこで人が住んで
いて,一定の基準値以下の作物だといって食べている,
という状況です。果たしてこの状況をわれわれは認め
てずっといくのでしょうか。
村民は村民で行政とは別に決起集会を開いて「負げ
ねど飯館」という組織を作りました。これは若い人た
ちと,村の役所をリタイアした人達で構成され,商工会
の青年部ががんばっているのですが,決起集会や歌手
の加藤登紀子さんを呼んでコンサートをやったりして
います。あとは彼らの独自の提案として健康手帳を作
って,当時の行動記録を各自が作っておく。これはこの
後で何かあった時のエビデンスとして確保しようと
6000 部印刷し,村民に配布したりしています。
われわれも,子供の被害を少なくするためにも累積
被ばく量のバッジをつけさせてくださいと,再三村長
にも言っているのですが,村長は子供が心配するので
いやだというように,放射能リスクに関しての見解が
分かれています。放射能汚染による健康被害の答えが
はっきりしないですから,ある意味リスク回避でいえ
ば,シビアなリスクの方にしっかりと対応する方が将
来に禍根を残さないのだろうと思うのですが,なかな
かそうはいっていない。
われわれとしては,新しい土地に新しい村を小さく
てもいいから数個作り,そういう意味での,移村の権利と,また戻って来れるという還村の権利を
もっと主張していくべきではないだろうかと思っています。
これは、10 月 4 日に緊急集会を村人と開きました。専門家とわれわれと村民たちです。その
時にアンケートをやったのですが,村民の出席者でアンケートに回答したのは 37 名で,比較的年
齢層が若い人たちでした。結構シビアな回答で,これを公開することを村は嫌っているのですが,
一応「負げねど飯館」のホームページに掲載されています。村は 2 年で住宅を除染して戻っても
らう,ということをいっている訳なんですが,なかなかそれは厳しい。2 年後に村で生活できない
と回答した人が 5 割以上,わからないが 3 割以上です。
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こういう避難所は比較的高齢者の人が多いです。つまり世帯分離が起きてしまったんですね。
飯館村は 1700 世帯あったのですが,今は 2700 世帯です。単純にいうと,子供を持っている若い人
たちは仕事のこともあるから早めに逃げて、借り上げ住宅で福島市内等に住んだりもしています。
残ったお年寄りたちが最終的に,仮設住宅地ができたので入っています。そう意味でいうと,世帯
分離が起きている。ですから,高齢者が比較的に仮設住宅地に多い訳です。私達は、仮設住宅で
聞き取り調査をやっていますが,そういう高齢者の人たちというのは,7割くらいは戻ったとし
ても子供や孫が来ないのだったらそんなところにいてもしょうがない,というようなことをいう
人たちもだいぶ出てきています。
そうはいっても老人たちのことも心配なので,われわれは,いくつかのプロジェクトを起こし
ています。一つが共同菜園作りです。放射能の比較的被ばく量の少ない野菜を作っても大丈夫と
いうところに,これは相馬市ですが,共同菜園を「負げねど飯館」のメンバーの人たちに努力して
いただいて借りています。これはわれわれの支援金で作った作業小屋,倉庫です。支援金を活用
しながらやっています。これは,「いっぷく小屋」と命名していますが,避難者の人たちが作って,
休憩小屋を兼ねて,農的な暮らしをしようというものです。現在,老人たちに「匠宿」ということ
で,漬物や凍み餅といったものを作る技術を神奈川県や長野県に来てもらって,教えてもらう,と
いうもう1つ別のプロジェクトを起こそうとしています。夏休みには,日本大学の施設を使って
富士山のふもとで子供たちを 28 名くらい引き受けてサマーキャンプもしました。できるだけ被
ばく量を少なくしようと,来春は沖縄で子ども達の受け入れのプロジェクトを立ち上げようとし
ています。
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最後になりますけれども,まさに不安定期という
中で,もう一度われわれとしての社会の再構築をど
う作っていくのか。一番重要なのは場所ですが,地産
地消を含めた場所に則した自給自足,あるいは自立
型の,循環型のプランニングが重要です。放射能汚染
に関しては,場所性に依拠できない,汚染されている
場所で地産地消はあり得ないわけです。そうすると,
当面場所を否定して,新たな場所で循環型の社会を
作っていく,一種の2居住,100 年もしかしたら 200
年かかるかもしれませんけれど,そういう2つの住
む場,あるいは,場合によっては移動しながらという
ことも含めて,そういうプランニングというのも在
り得るだろう,ということです。
そうした中で,これは 4 月の頭からずっと出してい
る避難村のです。避難所ともちょっと違う,もう少し
安定した農的な暮らしもでき,コミュニティも維持
でき,かつ共同の働き場所もあるような,そういう村
を小粒でもいいから何か所か作っていくことを提案
したりもしています。
これが最後の絵になりますけれども,最初に書い
たピークオイルの絵と似ているのですが,右肩上が
りで来たが、今われわれはピークに到達しているの
かもしれません。世界人口がどんどん増えていく状
況にありますが,日本の人口は今ピークを過ぎてき
たとすればもう少し落ち着いて,かつまだまだ安心
できる状況ではない非常に不安定な中で,それでも
幸せを感じる暮らしの在り方というのをどのように
探っていくべきなのか。今までの価値観を超えた新
たな価値の創造と新たな社会の創造,あるいは,それ
を形として示していくための環境デザインが求められているのではないかというふうに思って
おります。
以上で,私の最初の報告にいたします。どうもありがとうございました。
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地方自治体のなすべきこと
-地域社会の持続可能性
池邊このみ
千葉大学大学院園芸学研究科教授
ご紹介に預かりました,池邊でございます。わたくしは,本日のシンポジウムのテーマである
「環境国家づくりへの挑戦」という言葉をお聞きし,また,最初のご挨拶で丸田先生の「環境コ
ーディネーターの人材を育成していかなければいけない」という言葉をお聞きし,私の本日の話
す内容について、非常に意を強くいたしました。
わたくしは,この温故知新という言葉の表紙を景観や生物多様性の講演の際に使っております。
先程,糸長先生からも江戸の時代の話がありましたし,手を入れた人工の自然というお話があり
ましたが,皆さんもよくご存じの「明治神宮」と「吉野
山」,下は「伊勢神宮」ですけれども,ようするに人間
の手によってつくられた緑が今では原生林のように見
えているということを伝えています。また、江戸時代の
園芸文化,あるいは,エコな時代に学ぶということで「温
故知新」という言葉を使っております。今日は地方自治
体が成すべきこと,というテーマで地方自治体の方々に
これから環境の時代にやっていただきたいと思う,私の
思いのたけをお話しさせていただきます。
最初に,英国の話です。低炭素では、よくイギリスの
事例をあげられる方が多くいらっしゃいますけれども,
私のもってきた事例はちょっと違います。ご存知の方も
多いかもしれませんが,今開催を待つばかりとなってい
るロンドンのオリンピックの資料でございます。右側に
見る写真,ドブ川にゴムタイヤがいっぱい落ちているよ
うなところが見えるかと思いますけれども,この場所は
ロンドンでも非常に悪い場所で,低湿地帯,なおかつ爬
虫類,両生類のすみかであったわけです。スタジアムの
場所として選んだわけですけれども,オリンピックを開
催するにあたって、実はここにいる両生類,爬虫類を
4000 匹捕獲して一時,他の場所に移転いたしました。
そして,これが開催後の計画です。
「One planet 構想」
というもので,跡地の生態系公園,しかもこれはただの
生態系公園ではありません。先程の出てきた,爬虫類や
両生類それらが卵を産み,育てられるような傾斜,ある
いは,水辺との関係,そういったものに全部配慮した環
境に戻すという計画です。私は,この計画を聞いたとき,
本当にびっくりしました。そして,この資料の最後には,
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とても印象的な言葉が書いてありました。
「オリンピッ
クによりここにいる生物たちに対する影響はありませ
ん」という言葉です。日本では逆ではないでしょうか。
この両生類たちはいなくするので,害はありません,
いう風に書くのではないでしょうか。そういう所に,
生態系についての基盤の意識が全く違うなというとこ
ろから入りたいと思います。
そしてこちらは,皆さんもよくご存じだと思います
が,お隣の韓国の事例です。左は言わずもがな清渓川
ですけれども,となりはワールドカップ公園です。この公園はハヌル公園という所で,ご存じの
通りごみ置き場,夢の島のようなところに作ったわけです。そこでの植物の遷移の状況がわかる
ように最初から人口の緑を植えないという政策をとっています。それから左側は,火力発電所の
跡地を地下に埋め、リサイクル生態系公園として整備した事例です。そして,こちらが今行われ
ている新しい事例ですけれども,韓国は今非常に開発が進んでいて,このような耕作放棄地や間
に残っているような荒地がたくさんあります。そこを,なんと 77 か所,確か100万 ha,15
0億円かけてこちらに見るような小川や池のある生態系豊かな緑に変えようとしています。この
写真以外にも,ソウルの森では人間が入れない野生の部分を半分作ってシカやタヌキを放したり,
あるいは,ソウル大公園という所が大改造されていますけれども,気候帯別の生態系の公園に変
わったりと,韓国では生態系に関するものが続々と作られております。
昨年 COP10 が日本で行われましたが,この COP10 を記念して日本で生態系に関する公園が全く
作られなかったことに,私は同じ業界にいる人間として少し責任を感じなければいけないという
気がしております。平成というのは「環境の時代」だと思います。30 年後ぐらいに,政治を習
う時に平成というのはこんなにたくさん環境に対する政策が打たれた年だよ,ということを子供
たちは教えられるのではないかと思うのです。それなのに,なぜか私たちの周りでは,NPO の活
動とか企業の活動,また今日の午後ご発表になるような活動は非常に進んでいますけれども,国
としては国際的に少し遅れている,あるいは,スタンスが違うというような状況があるかと思い
ます。
最近では,ロハスやスローライフ,アースフレンドリー,地産地消,低炭素などという言葉を
一般の人たちも使いますが,本当にこれが持続性につながるのでしょうか,というのが私の疑問
です。特に,テレビのコマーシャルのせいかもしれませんけれども,エコポイントとかエコカー
減税,太陽光発電,というものがエコだという風に思っている子供たちがかなり多くいます。そ
して,アースフレンドリーや有機野菜,いまどきのライフスタイル,雑誌でいうとソトコトを読
んでいるような読者の方でしょうか,いわゆるかっこいいという感じの生活があります。また,
ペットも最近は飼っている人が多いですけれども,動物を愛玩物として扱いがちな日本のライフ
スタイルというのが非常に目立ってきております。また,野鳥のような鳥を見る行為でも,鳥の
えさを育む環境まで目がいっていないのではないか,
というのが私の指摘したい事項です。
そして,都市計画ではエココンパクトという言葉が
サステナブルだという風に言われて,エココンパクト
シティを目指せということがいわれてきました。つま
り,公共基盤整備と経済成長を優先してきたわが国の
都市政策を転換するというのですが,本当にコンパク
トシティというのが日本の中でうまく機能するのかと
いうことはとても大きな課題だと思います。後ほど少
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し東日本大震災のことをお話しさせていただきますけれども,コンパクトシティにしたときに本
当に市民生活が豊かになるのか,市民が自分の住む町を愛し誇れるのか,という所がとても大き
なポイントだと思います。
私の知っているドイツ在住の都市計画家に水島さんという,建築家のアルバー・アアルトの研
究家の方がいらっしゃいますが,その方にドイツのまちづくりと日本のまちづくりはどうしてこ
んなに異なるのか,という話をお聞きしたことがあります。水島さんの答えは,二つありました。
一つは,日本の縦割り行政のせいであり,もう一つは,住民が自分たちが住む町を愛し,誇れる
ということ,それを本当に目指しているというところで一緒になれるかどうか,そこが違うので
はないだろうかと言われました。
日本は技術大国だといわれますけれど,太陽光発電,風力発電のように,どうも技術重視の日
本の環境政策というのが,エコといえばこういうことをやればエコなんだ,という風に少し間違
った方向に市民の頭と心をひっぱってきてしまったのではないだろうかと思います。もちろんこ
れらは悪いことではありません。ただ,こういうものだけに流れている日本の政策に対して,私
は少し是正する必要性を感じています。
こちらは,それに対してどうなのかということで,生物多様性のことをしゃべるときによく私
が使う資料です。COP10 のことをとうとうと語られる方はたくさんいらっしゃいます。行政の方
もそうです。でも,その方のお子さんは果たしてこういうミジンコやミミズ,プランクトンなど
を見たことがあるでしょうか。私は実は,小学校の時に学校の先生がミジンコの大家でして,顕
微鏡でたくさんのミジンコを見せられた人間なんですけれども,こういった,要するに,生態系
ピラミッドを頭では知っているけれども,実際に見たことがない,そういう子供たちが学生にな
っているわけです。私は千葉大で造園学を教えていますけれども,造園を志す子供でさえこうい
うものを知らない,そういう子たちが増えているということに私は危機感を感じます。このよう
なカビやキノコ,枯葉などの腐敗イコール汚い,ということになってしまっていて,こういった
生態系のサイクルそのものを理解しないまま,COP10 だ,生物多様性だといっても始まらないの
ではないかと思います。
そして,先程ヨーロッパの事例や糸長先生のお話しにもありましたけれども,やはり北欧やド
イツの環境立国をリードしてきたのは市民の力であり,その中で一番大事なものは幼児からの環
境教育だと思っています。日本ではどちらかというと自然と一緒に共生することを「便利を我慢
する」というように考えていますけれども,自然と共に生活することの楽しさや感動というもの
を小さい時から体験することが必要だと思います。また,環境教育は日本でも進んできてはいま
すが,小学校ぐらいで終わってしまいます。ドイツなどでは,幼児から高校まで,しかも全科目
共通に入っています。環境問題というのは今や外交問題や金融までを含んだ広い分野にまたがっ
ています。ですから,高校ぐらいになるとエネルギー問題とか経済社会との関係性,そういった
問題が環境教育の一部として教えられてきているわけです。そしてまた,彼らのところでは環境
先進国としての自負と誇り,地域の愛着が市民
や行政,企業を動かす,といった好循環を生ん
でいるのです。
ここに一つそれの端的な事例を出したいと思
います。日本でも最近は校庭の芝生化を進めて
いますが,私はそこまでやるのは大きなおせっ
かいだと感じます。これはドイツの事例ですけ
れども,コンクリート舗装の校庭を土に戻すプ
ロジェクトで,なんと 6 歳から 10 歳の小学生を
対象にやっています。そして,そこに泥の遊び
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場や迷路や畑などを作って,そこで虫が飛び,花が咲いて,収穫も子供たちがやる,というよう
なことをやっています。また,畑の隣の池の中央にはソーラーエネルギーで動く噴水があり,子
供たちはそこで代替エネルギーというものについて学ぶことができる。また,学校で飼っている
動物についても,なるべくその地域固有の動物を飼い,動物の糞をコンポストにして畑に使う。
そういうことを学んでいくわけです。
これももう一つ似たような事例です。こちらはもう少し大きくて,日本でいうと中学生の事例
です。12 歳の子供たちは,中学校に入った時にいわゆる自生種,木を 500 本近く用地に植え,
そして 3 年後の卒業時に営林署の手を借りて近くの森にそれを植え替えるのです。なぜこの木が
500 本かというと,学校での彼らのエネルギー消費のために排出された CO2 の量だ,ということ
を学ぶことができる訳です。そして,自生種の樹木を森に戻すことが重要であるということもあ
わせて学ぶことができる。ただ自生種の木を植えればいいというだけではなくて,こういう理論
の展開みたいなものを子供たちにきちっと理解させる,ということが必要なのではないかと思い
ます。
幼児の教育については,すでにご存じの方,
見に行かれた方もあるかと思いますが,北欧や
ドイツでは「森の幼稚園」といわれているもの
が数多くあります。日本でも無認可ですけれど
も,すでに行われていますので身近にあるのを
ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。そ
こでは園舎というものは,ごく小さな荷物置き
場のようなログハウスがあるだけで,子供たち
は朝から森の中で遊ぶわけです。子供たちは,
そこで危険な目にも会いますし,様々な生物,
動植物とも出会います。このような手作りの遊
具を先生たちと一緒に作って,生態系を学ぶと
ともに創造性も育んでいく。
こちらは、デンマークの事例です。そういっ
た足元からの環境教育というのが必要なのでは
ないかと思います。環境教育というと,どうも
教科書的に生態系はこうなっているというよう
に教えると思うんですけれども,やはり,この
ような小さい時から森の中にいるということが
楽しい,あるいは,気持ちいい,そういうこと
を実際に体験していく人間を増やしていくこと
こそが市町村でやれることではないかと思いま
す。
さて,話は少し変わりますが,
「環境首都コン
テスト」というのがあるのをご存じかと思いま
す。市民の視点から環境自治体づくりを評価す
る,ということで 2001 年にスタートしました。
ここにある 1~15 までが評価項目です。
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これは 1 年ほど前の古い資料で恐縮なんですが,
全国 1 位は水俣です。水俣はご存じのようにいろん
な歴史を経て第1位になっているわけですけれど
も,ここで私はどこが 1 位か,どこが 2 位か,とい
うことはあまり論じるつもりはありません。何を見
ていただくかというと,サステナブルを何で測って
いるか,ということです。こちらは地方都市圏での
ベスト 10 です。栃木県の小山が 1 位になっていま
すが,要するに環境保全度,社会安定度,経済豊か
さ度の 3 つのスコアによってサステナブル度をはか
り,それが環境首都としてふさわしいかどうかとい
うことを評価しています。
こちらは環境軸ですね。交通なども入っています
し,都市生活,バリアフリー,まちづくり条例をや
っているかとか,景観の分野も入っています。もち
ろんエネルギーも入っています。全部で 57 指標あ
るのが環境軸,そして次が産業部分です。社会軸と
いわれている部分が入ってきます。産業力ですとか,
自治体の財政力,人口,福祉,医療サービス,教育
のサービス分野,文化,余暇分野,安全分野などが
入ってきて,かなり細かな指標で評価されています。
先程お話しいたしました栃木県の小山市は,実はバ
ランス度もとてもいいということで評価をされて
います。経済豊かさ,環境保全度,社会安定度,ほ
ぼ正三角形ではないですけれども,環境保全度が一
番高いということで,このようなレベルまで達して
います。
そして,こちらは環境モデル都市の富山市ですが,
富 山に つい ては もち ろん交 通マ ネー ジメ ント が
78.1 という高水準ですが,環境の質,温暖化対策,
都市生活環境,交通分担率,産業廃棄物,エネルギ
ー対策というのがこのようなレベルで評価されて
います。少し廃棄物や交通分担率が 50%より下にい
っているのが目につくかと思います。
なぜ経済豊かさ度とか,社会の安定度とかを環境
首都の評価に入れてくるかということですけれど
も,要するに,経済豊かさ度と環境保全度との関係
性は,やや反比例的な関係にあるという風にいえる
かと思います。その中で,環境行政というのは少し
進みにくいといわれてきています。なぜでしょうか。
今放射能のことで,市町村の方々も手一杯という状況かと思うんですけれども,どうも地域のビ
ジョン,要するに環境を良くしたときに,あるいはリサイクルをがんばった時に,どんな地域に
なるのか,それが自分にとっていい地域なのかどうか,ということが明確にされていない,そし
て,そのために行政は何をして,企業や住民は何をするべきか,そういうものが明確になってい
ないので,環境行政というは進みにくいのではないかと思います。
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ここでちょっと大きな話に飛んでしまいますが,これは OECD30 ヵ国の国民の豊かさ度総合指
数です。日本は 7 位で,結構いい線にいると皆さん自負するわけなんですけれども,こちらはヨ
ーロッパのクオリティオブライフ,生活の質を量る指標です。こちらの環境指標,53 指標とい
うことで経済指標に次いで多い指標になっています。これくらい環境の指標というのは地域の生
活の質を量る指標として重要になってきています。ところが日本はどうでしょう。GDP が上がっ
ていても生活の満足度は下がっています。また,よく言われることですけれども,未婚率が高ま
っていて,子供を産みたい,産めるという環境の良さというものが確保できない状態にあります。
そして,こちらは余暇時間ですけれども,増えたという人の数がなぜか 2000 年ごろから減って
いる。不況で残業時間は少なくなったはずなのに余暇時間というのが増えていない。そしてこち
らは,幸福度曲線です。15 歳から 79 歳までで,日本は幸福だと感じているのは 15 歳がピーク
で段々段々下がっています。アメリカは逆です。15 歳から少し下がるんですけれども,30 代 40
代 50 代と進むにつれ段々幸福度が高くなる。
そして,これも私がとても気にしている指標の一つなんですけれども,2007 年のユニセフの
資料ですから信頼できるかと思いますが,自分が孤独であるという風に回答した 15 歳の子供た
ちが日本では 30%近くいるんです。カナダ,フランス,ドイツ,イタリア,英国などは逆に子
供が自立しているといわれている国ですけれども,特にフランスは小さい時から自立させている
といわれている国ですがこちらは 10%以下です。
こういう社会に対して,私たちが環境の側面から何をすべきか,ということなんです。ここに
掲げたのは,
「健康みやざき市民プラン」です。宮崎の,どちらかというと福祉に近いところで
作っている健康なまちの定義というものです。安心して暮らせるとか,暮らしやすい,水と空気
がきれい,ごみがない,緑豊かという指標が入っています。すべての住民が,要するに,自らの
力と社会の支援によって充実した人生を送れるまち,それを健康なまちという風に考えましょう,
ということで宮崎ではこうした指標を作って,目標像としています。
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ちょっと環境とは違いますが,ここではおもしろい分野別の指標がありました。私どもでした
ら,緑の基本計画とかというと緑の量や NPO の数などを指標にしますけれども,ここでは少し違
います。世代を超えたふれあいのあるまちづくりでは,隣近所と会話をする人の割合,子育てで
は父親の育児に満足している母親の割合,ジェンダーの問題では人工妊娠中絶の実施率,心の健
康ではストレスによる日常生活への影響のある人や睡眠薬やアルコールの助けを借りないと寝
れない人の割合,そして,育児で自信を喪失したときに相談できる人の割合,仕事をしている人
で休暇がほぼ希望どおりとれる人の割合など。これは,一見福祉の指標だと思うかもしれません
が,こういう指標は環境ととても強い関わりがあると私はみなさんに理解していただきたいので
す。
同じような指標を多治見市も持っています。そして,多治見市では,人口や雇用,まちづくり,
財政と自然環境,生活環境には因果関係があって,だから自然環境や生活環境を良くすることが
人口を伸ばすことにつながるんだよ,ということをきちっと市民の側に示しています。このよう
に,環境,社会,経済,精神や文化のサステナビリティ,そういうものが合わさってこそ,サス
テナブルな社会というのが実行できるのではないかと思います。
ここで「リブコム・アワード」という賞をご紹介したいと思います。こちらは,1997 年から
行われているもので,国連環境計画と IFPRA(International Federation of Park and Recreation
Administration;国際公園レクリエーション管理行政連合)によって承認された国際的な表彰制
度です。今や 50 か国以上の国が参加して,300 件近い応募があります。ここで注目したいこと
は,この賞は一部の国では海外からの投資を呼び込む際の指標になっているということなのです。
そこでの都市の質を量る指標,評価項目は 6 つです。景観,自然・文化・歴史遺産,環境配慮,
コミュニティの参画・協働,そして,それに対して将来計画がきちっとされているかどうか,そ
して,さきほどクオリティオブライフといいましたけれども,なによりもそこに暮らす人たちが
健全なライフスタイルをとれているかどうか,ということが大きな指標になっています。今年
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は日本からは萩と熊本が参加して,受賞できるかどうかを競っています。また環境配慮型プロジ
ェクト賞という部門では,越谷レイクタウンのような環境配慮のまちなどが入っています。そし
て,環境部門というのは,環境という言葉くらいこんなにこの 10 年,20 年で内容が広がった言
葉はないのではないかという風に思います。昔は,日本では公害問題から始まって,水や大気と
いうころから始まりました。ところが,最近ではどんどん,こちらですね外交,今回生物多様性
で一番してきたわけですけれども,あと最近では森林税だとか緑の税をとっているところもあり
ます。そして,金融社会へという風にどんどん環境という言葉の影響が広がってきています。
日本では環境情報戦略というのが平成 21 年にとられました。私はこれはすごいことだと思い
ます。日本の環境戦略というのが一つのサイトにまとまっています。環境省,国土省,経産省,
農水省,厚生労働省,外務省,文科省といった全ての省庁の環境政策が一つに見られるようにな
った。これだけでもとても大きな進歩だ,と思っています。そして,都道府県や市町村レベルの
ものも掲載されています。
ところがですね,私造園の出身ですので一つだけ気になったことがありました。なぜか,緑の
部門が入っているところがないのです。埼玉県の環境ポータルというホームページの中にだけ緑
と公園の部門が入っていました。環境政策から自然環境までは一体ですけれども,なぜか緑の部
門だけ別の組織になっているという残念な状況があります。そして,これは,午後からの話で出
てくるかと思いますけれども,今、ISO26000 という新しいものがガイダンスとして出されてい
ます。そして,これは企業だけではなく,大学などの教育機関にも適応されるようになってきて
います。現在、これによって国際社会,企業社会,市民社会がどんどん変わってきていますが,
変わっていないのは公的組織だけではないか,という風に思います。
こちらは,WWF と BANKWATCH という金融機関の CSR 報告書の評価項目です。13 の項目がありま
すが,このうちの 9 つは全て環境に対するものです。これくらい金融機関の CSR 報告書の評価項
目の中で環境というもののウェイトが高くなっています。そしてこちらは,ソニーのアメリカ
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のピットマンという工場ですけれども,工場の一部を自然保護区としてニュージャージー州と協
定を締結しています。ニュージャージー州はそこで定期的な監査をしているといいます。
そういった意味で,私は行政の管轄する環境のすべての情報を集約し,そして,民間や NPO・
市民の協働・協力・参加可能な領域を仕分けること,また地元の企業の CSR 活動を戦略的に先導
してメニューを用意できること,そういったことが地方自治体の環境部門として必要なのではな
いかと思います。そこにはもちろん,戦略ですから,企業にとってのアピール力のある活動を選
ぶことや,行政にとっての財政や人材の助けとなるものを選ぶこと,そして NPO にとって活動が
しやすく,市民にとっては効果が分かりやすい,といった 4 つの観点においていつもメニューを
用意し,開かれた窓口とする。要するに,ニーズとシーズのマッチング,それとそれをプロデュ
ースする力がわれわれ環境部門には少し欠けているのではないかと思いました。
先週,日本学術会議の連携会員の説明会がありまして,新しく学術会議の会長になられた大西
隆先生が,「われわれ学術の人間が少し蛸壺に入りすぎている。震災を前にしてここから出るべ
きだ」という風におっしゃっていましたが,どうも環境というものもそれぞれの非常に小さなサ
イエンスの中に入り込みすぎている,そこからもう少し飛び出て戦略的に物を言っていくべきで
はないか」という意見をおっしゃいました。まさにそう思います。
最後にちょっと震災について触れさせていただきます。こちらは,日本再生の必要性として内
閣府が出しているものなのですけれども,再生に向けた取り組みの再スタート,革新的エネルギ
ー環境戦略,空洞化防止,海外市場,国と国との絆,農林産業の再生,成長型などが書いてあり
ます。しかし,これで本当に再生ができるんだろうか,やはり技術や経済だけでは長続きしない,
健康な生活,心地よい生活を育める環境の整備が重要ではないかと私は思います。
これは先程、糸長先生の話にも出てきた,相馬の野馬追です。今年も開催されたというニュー
スをご存じの方も多いと思います。こちらは宮古の黒森神楽です。今回被災を受けた地域にはた
くさんの神楽や柳田國男の遠野物語のような民話など,さまざまな文化があります。それぞれの
地域の風土,郷土性を生かした復興計画,住民の記憶に残る心象風景の再生,また地域のもって
いたヒューマンスケール感の再現,地域のアイデンティティーとしての風景の継承,祭礼や神
楽・伝統行事などの再生,地域文化とともにある地域コミュニティの維持,そして,なによりも
住み続けたいと思う魅力ある生活環境というのが大事なのではないでしょうか。今,土木の人た
ちを中心に作られているいろいろな計画,そこの中に本当に,さっきのアンケートでもありまし
たけれども,10 年後住んでいる人たちがいるのかどうか,というのが心配です。
これは,この前の朝日新聞にも載っていたのでご存知の方も多いかと思いますけれども,建築
家の石山修武さんが気仙沼の安波山の参道に桜並木,山並みにはフジ,市街地の参道にはシモク
レンを,2012 年 5 月 5 日には安藤忠雄さんも入ってですね,アジアから多くの人たちが集まっ
て植樹祭をするという計画です。この安波山というのは,確かランドスケープ協会が作っている
景観事例の中にも入っていた場所だったと記憶しているのですが,そういう所に建築家の方が,
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震災復興の象徴として,そして,魂を慰める山と
して,再生の中心に添えるということでこんな提
案をしています。
また,こちらは牝鹿半島の高台移転のプロジェ
クトに対して,アーキエイドという震災後すぐに
作られた建築家を中心とした団体,建築家 27 名
と 15 大学による支援チームが先日模型を持ち寄
って,高台移転に対して地元の人たちといろいろ
意見を交換しました。
もちろん私たちの中でも,たくさん現地に入っ
て支援している人がいます。ただ,ここではまち
づくりだけではなく,漁業などの産業復興策も漁
師の人たちと話し合って提案したり,人の暮らし
や景観などを総合的に考えるといった,建築家な
らではの提案が揃ったと小野田先生という方は
おっしゃっています。
私は非常に悔しい思いをしました。私は造園学
というのは半分はサイエンスだと思っています
が,地域の人間の生活や歴史,文化を尊重して生
物と人間とが共生できる地域の計画やデザイン
を学ぶ,そういうものが造園学だと思っておりま
す。環境を扱う人材の活躍する舞台は,従来どち
らかといえば公的な事業に守られていました。こ
れからは,そこから出て,地域社会,そして,企
業社会へと広げることが重要ではないかと思い
ます。皆さんが今,業界を挙げてやっている一本
松の保全ですとか,あるいは三陸の復興の国立公
園の話,また,石川先生がやられている千年の丘
の話,また,防潮堤整備とともに作られる国営公
園計画も重要だと思います。でも,それだけでわ
れわれの仕事は終わりではないのです。もっと環
境の人材が,結束とネットワークによって,社会に対して積極的な参画をするべきだと思います。
一番市民と一緒にいるのが,地方自治体ということですので,是非ともワンストップでどんな環
境の分野でも受け入れられる窓口,そして,そこにやりたい人が何かやろうとしたときに出来る
メニュー,そういったものを用意していただければと思います。
ご清聴ありがとうございました
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企業の役割-環境経営による
持続可能な発展に向けて
伊藤泰志
富士通エフ・アイ・ピー株式会社
ただ今ご紹介にあずかりました富士通エフ・アイ・ピーの伊藤でございます。環境情報科学セ
ンターの 40 周年記念シンポジウムにお呼びいただきまして感謝申し上げます。また,環境経営
による持続可能な発展に向けた企業の役割の事例ということで,具体的には極洋さまと富士通の
事例を発表しますが,極洋さまにはこういう発表の機会を頂きましてお礼を申し上げたいと思い
ます。
発表の概要といたしましては,3.11 の震災がどういう影響を与えたのかということと,今回
のテーマである持続可能な発展に向けて企業という立場から,われわれが考えていることをご説
明したいと思います。それから,その中で企業の経営課題として求められる環境経営,CSR 評価
についてご説明したいと思います。また,企業が組織の中,製品の中で活動している ISO14000
の規格構成,ならびに具体的な極洋グループ・富士通グループの取り組み事例をご説明したいと
思います。
私は,1980 年に富士通に入社し,以来外部環境ということで,環境アセスメントや地域環境
管理計画,環境モニタリング等の情報システムにかかわり,2000 年以降は,内部環境として企
業の中から環境をどう変えていくのかということで,環境経営というテーマでずっと取り組んで
きております。
今回,震災の影響ということで一番特徴的なことは,津波や原発事故の問題もありますが,被
災地域の岩手・宮城・福島には,日本にとって非常に重要な部品工場が集積され,貴重な工業地
帯を形成しているところが被災したということです。また,同時に,このエリアというのは農業・
森林資源,水産資源等非常に貴重なエリアだということを再認識させられたことです。その中で
どういう問題があったかというと,やはり,自動車製造メーカーにとって重要な電子部品がルネ
サスエレクトロニクス社など一社に依存されており,サプライチェーンの中で製品が供給できな
いとい問題が発生したということです。
自動車産業の例ですが,過去においては完成車を作るためにこういうピラミッド構造がいくつ
も出来上がっていた訳です。これを,最近はダイヤモンド型ということで,1次・2次サプライ
ヤーを集約化していく流れになってきています。ここが震災で非常に大きな影響を受けてしまい,
部品が供給できず,完成車が納入できないという問題を引き起こしています。即ち,こういうサ
プライチェーンを通してサプライヤーが部品,製品を供給する中で,工場で組立てをしながら,
流通センター,それから,小売店舗,それで最終的に消費者に渡るといった流れが,この震災で
寸断され製造がストップしてしまったということです。
もう一つ問題となったのが,原発停止に伴う電力供給についてです。これは,4月9日付の日
本経済新聞ですけれども,
「夏場の停電回避で綱渡り」と言われていました。そういう中で,大
口顧客を中心に 15%カットということでいろいろな節電対策をしました。こちらは 9 月 27 日付
ですが, 大口では 29%節電を達成したとあります。家庭では,6%ということが報告されており
27
ました。そこでどういう問題が引き起こされるかというと,震災の影響で製造の海外移転が加速
する可能性が考えられることです。経産省が実施した緊急アンケートの結果では,電力供給と電
力使用の抑制に不安を感じる企業が 7 割,電力コストの上昇には 6 割の企業が不安を感じていま
す。3 番目には経済全体の復旧・復興が遅れてきている,というところです。わたしは,いま言
ったエリアの中小企業が海外に出ていくことになれば,これまで地域の経済を支えてきた主要な
企業が出ていくということですので,これは地域だけでなく日本にとって大きな問題になるので
はないかと思っております。
こちらの画像は,実は,津波・原発による生態系サービスへの影響ということで,ミレニアム
生態系評価という 2005 年に発表された図です。サステナビリティの科学的基礎に関する調査で
あり,これは非常にわかりやすい図だと思います。生態系サービスは,基盤サービスや供給サー
ビス,調整サ-ビス,そして,文化的サービスで構成され,この生態系サービスの中で,われわ
れは人間福祉が構成されている安全安心とか,よい生活のためのきれいな空気や水へのアクセス
とか,健康等の恩恵を受けている,ということです。これが,津波・原発事故によって破壊され
てしまったわけで,このことにより,われわれの
人間福祉の構成要素が阻害されたということに他
なりません。
われわれは持続可能な発展に向け,地球温暖化
防止ということで,京都議定書発行以来,低炭素
社会を作ろうと動いてきております。また,2000
年になってからは,循環型社会を作っていこうと。
そして,昨年の COP10 では,生物多様性の保全も
やっていきましょう,ということです。結局,別々
に動き出してはいますが,われわれが目指すのは
この 3 つを同時に構築した世の中を作っていかな
くちゃいけない,ということです。低炭素であり,
循環型であり,生物多様性を保全する,こういっ
た社会を同時に実現していくことが求められてい
ると考えてます。
この図は私が非常に感銘を受けたといいますか,
考え方として非常に重要だなと思っている図です。
縦軸に豊かさを示しています。英語では welfare
という言葉を使っています。先ほど池邊先生が話
をされたような,豊かさとはなんなのかというこ
とに関係するのですが,これはお金だけではなく
て精神を含む人間の豊かさ全体を表しています。
そして横軸が時間です。われわれは豊かさを追求
しながら,経済等を営んできています。
20 世紀型の豊かさというのは,自然資源やエネ
ルギー利用を拡大しそれに依存しつつ豊かさを追
求してきた,ということだと思います。これを 21
世紀はどうするのかということですけれども,や
はり,これまでのように自然資源やエネルギー資
源の消費を拡大させ,豊かさを求めていたら地球
環境は持続しない,ということです。つまり,自
28
然エネルギーの利用を削減しながら,豊かさを追求していく時代がこの 21 世紀型の社会だと思
っています。即ち,この図のように,資源・エネルギーの利用を半分にして豊かさを倍にし,4
倍の豊かさを実現するということです。実は,これは,ドイツのワイツゼッガーが提唱した考え
方「ファクター4」です。また,ファクター10 も可能だとも言われています。要するに,10 倍
の資源・エネルギー効率の良い社会を作っていこうということ,これが持続可能な発展と環境問
題の根幹であると私は考えております。
そういう中で,企業経営,企業の中の経営課題としてどのようなことが求められているかとい
うとですが,この図の真ん中に企業があります。その周囲に一つとして今申し上げた地球環境問
題として温暖化とか,エネルギーの問題もあります。それから,もう一つに環境等の法規制があ
ります。これは,国内の法規制だけではなく,RoHS とか REACH など世界的に化学物質に対する
規制が厳しくなってきている,ということです。その一方で社会的な評価ということで,環境格
付けやエコファンド,消費者のグリーン購入など,消費者からも評価を受ける時代になってきて
います。
企業は,環境リスクということで,有害化学物質管理とか土壌汚染とか不法投棄,そしてまた,
今回のような電力供給,こういった問題をリスクとして抱えています。もう一つはやはり,企業
の CSR 評価ということです。法的責任ということで,法順守は必須であり,環境から見た責任が
求められるだけでなく,経済的な責任,それから社会的責任が求められ,これらは「トリプルボ
トムライン」と言われますが,この三つが,企業経営に求められてきています。
近年,企業経営に求められる「環境経営」という言葉がよく使われていますが,それが何を表
しているのかというと,なかなか具体的に答えられないという実態があります。環境経営を,英
語で訳すと Environmental Management という言葉になります。これを日本語に訳すと,
“環境管
理”になってしまう。正確に訳せば Environmental Consciously Management“環境に配慮した
経営”ということなのでしょうが,海外でそういう言葉があるのか,といわれると自信がないと
神戸大学の國部先生がおっしゃられていました。
「環境経営」というのは日本独特の考え方かもし
れません。ただ,やはり企業の経営の中に,環境に
配慮した経営というのが求められるのは,当然だと
思います。それを説明したのが,企業経営の中の隅々
に対し環境の意識を浸透させた経営,ということに
なろうかと思います。そうすると,企業経営では,
調達から製造,販売,研究,財務,会計,人事など,
いろいろな職能がありますが,環境経営というのは,
それら企業経営体に環境意識を浸透させてやってい
くことだということが,
『環境経営イノベーションの
理論と実践』とう書籍の中で述べられています。
この中では,そういう企業が製品開発や製品輸送,
消費,リサイクルの工程において環境負荷削減とか
低減といった視点から見直しをすることによって,
非効率性とか生産方法の改善をしていくことで次の
イノベーションが生じる可能性が高まる,とも言っ
ています。このイノベーションを引き起こしていく
ような体質を持続することにより,この環境配慮型
イノベーションが発生しやすくなる,ということも
述べられております。
29
環境経営に関連するもので,1992 年のリオサミ
ットの 1 年前に,環境 ISO の検討が開始されてい
ます。従来,ISO そのものは製品に対する世界標準
の規格ということで,特に法的な強制力はありま
せんが,地球環境の中でどういった取り組みが考
えられるかといったことで検討されたのが,
ISO14000 シリーズでございます。この TC207,
Technical Committee207 という技術専門委員会が
あり,その中でマネジメントシステムとか,監査
とか,パフォーマンスという,組織面に対する仕
組みが ISO として検討されてきています。また,環境ラベルといったラベリング,これも ISO
の中で製品面での評価として検討されてきています。同じように,ライフサイクルアセスメント
や温室効果ガスマネジメント,カーボンフットプリントなども検討されてきています。また,環
境側面とか,環境管理会計 MFCA,Material Flow Cost Accounting ということで,こういったも
のも今年の 12 月くらいに発行される予定です。こういった規格が 1991 年からずっと検討されて
きています。その中で,組織として 14001 を構築しながら環境に配慮した経営をやっていくとい
うことが叫ばれてきているわけです。
極洋の事例
そこで,具体的事例として,極洋という会社の取り組みについてご紹介します。この会社は
1937 年に捕鯨を中心にして設立された会社です。その後,サケマスとか,トロール漁業をずっ
とやってきましたが,1970 年代になると 200 海里問題が起こって,捕鯨も規制されて撤退。そ
の後,トロール漁業からも撤退し,最近はカツオ,マグロに経営主体を移し,漁獲から加工・販
売までをしている,という会社です。年商は連結で約 1,600 億円,従業員も連結で 2,800 名近く
いる会社です。
そういう中で,魚を獲るだけではなくて,加工,保管,販売まで持っているため,企業経営の
ガバナンスを強化しようということで 2001 年に ISO14001 の構築を開始しています。そこで私ど
もはその構築・運用支援をさせていただいています。2001~2003 年の 3 ヵ年をかけ極洋グルー
プ全体で ISO14001 を構築し,その後継続運用されています。基本理念に基づき環境方針を設定
しています。環境保全体制としては,取締役会があって,社長を委員長とした環境保全委員会が
あります。その下に環境管理責任者がおり,本社,グループ会社がそれぞれ委員会を構成し,自
分たちの活動や取り組んだ結果を委員会の中で議論しながら,PDCA サイクルを回しながら,継
続的に企業経営を改善していく,という仕組みです。毎年日本経済新聞社が行っている環境経営
度調査で,2010 年度の水産加工業界においてトップの評価を得ています。
30
実際,ISO14001 はどういう形で作っているのかということですが,このような工場のモデル
で考えると,インプットということで材料とかを投入しながらアウトプットとして材料加工して
製品を提供しているのですけれども,どうしてもアウトプットとして廃棄物なども出てきてしま
う。結局,このインプット,アウトプットで物質の収支を全部ここで把握してしまう訳です。そ
うすると,どういう部署にどういう負荷があるかを分析して,負荷の高いものから PDCA サイク
ルを用い低減していくのが ISO14001 の仕組みです。
極洋の場合では,魚を獲るところから,それを加工する工場を持っています。それから,材料,
製品を保管する冷蔵庫も持っています。そして最終的に消費者に販売する。極洋の場合は,卸売
業がメインですけれども,一部小売もあります。こういったサプライチェーン全体を現在持って
いるのが特徴です。その中で,インプットして,エネルギーを使って,どういう負荷をかけてい
るのかについて全部洗い出し,その負荷の高いところをコントロールして,それを低減してきて
いる活動です。その具体例が,温暖化対策では,これは関係会社の名前を入れておりますけれど
も,フロンからアンモニアへというように,脱フロンで新しい冷媒装置を導入したり,冷蔵庫の
中でフロン管理,保守点検を強化してきています。また,ここは水資源が豊富なところとで,農
業用水が近くに流れているんですけれども,周辺農
家と協議のうえで,そこの用水を使って屋根に散水
しながら,冷房効果を高めるような活動をしていま
す。
それから,資源循環対策では,天かすである油が
なかなかリサイクルできなかったのですが,再処理
業者を見つけまして 100%リサイクルを達成してい
ます。水資源の利用については,こういう新たな流
量計を設置したり,非常に細かいところですけれど
も,ホースによる洗浄の際今までは垂れ流ししてま
したが,ストッパー付きのホースを導入し節水に努
めています。製品・配送管理においても,資源循環
に対し,配送作業で誤って発送してしまい製品にな
らなくて,産業廃棄物として廃棄するということが,
経営上重要な問題になっていました。これについて
は QR コードシステムを導入し,誤配を低減していこ
うという取り組み,も活動に組み込んでいます。
それから,直接魚資源を取り扱うため輸送のため
の船舶を持っています。生物多様性の保全という意
味でバラスト水の処理についての生態系の保全を順
守していく。それから TBT,有機スズです。これは環
境ホルモンで騒がれましたが,そういう TBT を使用
をしない,ということを,全隻に徹底されています。
近年には,先程申し上げたように,カツオ,マグロ
を獲るだけではなくて, 自分たちで資源として沿岸
漁業で稚魚から育てるといった畜養まで取り組んで
きています。
また,先程環境ラベルのお話をしましたが,こうい
う海のラベルや森林のラベルがあります。例として
管理された漁場からシャケを導入し加工して消費者
31
に届ける,ということが保障されたラベルがこの MSC という認証ラベルです。それだけでなく,
その管理された漁場から得られた素材が管理された工場で加工され,ちゃんと消費者まで届けら
れているかを保障する CoC 認証まで行われています。極洋の中ではそういった製品が徐々に増え
てきています。
それから,社会貢献活動として,今回の東日本大震災では,極洋水産という会社が所有してい
る漁船を利用し,海から物資をいち早く被災地に届けるような援助をしました。その他に,海や
魚が水に関わるということで,山中湖でカヌースクールを実施し,小学生からお年寄りまでの参
加者に自然の大切を体感してもらうという活動もやっています。その他,日本では大手企業を中
心とした ISO だけではなく,サプライチェーンを支える主要な中小企業に対しては,エコステー
ジや EA21,KES などに取り組んでいます。
では,もう一つ,富士通の事例について紹介します。大手企業はみずからの工場の中で,材料
投入や製造,出荷,環境配慮設計も含めて環境負荷を低減してきていますが,それだけでなく,
その一次供給会社,二次供給会社に対しても,グリーン調達という観点で影響力を行使してきて
います。グリ-ン調達においては,上流だけでなく下流でもグリーン物流がありますし,最終的
にグリーン製品を消費者に提供する,ということも含まれます。ベースはこういう CSR になる訳
です。
富士通グループは,今こうしたグリーン調達を実施しています。富士通の場合は,昔は自工場
でほとんど 100%材料調達から組立て,加工,販売まで一貫してやってきましたが,最近はこう
いうサプライチェーンを通して,関係会社から部品を調達しながら,本体で組立てるようになっ
てきています。従って,そういう関係会社がないと製品が組立てられなくなってきている状況が
背景にあります。対象領域として,部品,材料,ユニット,装置,ソフトサービスも含めて,そ
の企業に 14001 といった EMS を構築するということを調達の基準として掲げています。具体的に
は,富士通グループ全体でサプライヤーの数は約 1 万社あります。これらの会社に対し,このマ
32
ネジメントシステムを導入し,前述した IO 分析(インプット・アウトプット分析)をやって,さ
らに指定化学物質の規制を順守してくださいとお願いしています。それから,RoHS 規制に代表
されるように重金属がもし製品に混入すると製品回収の問題が起こってしまうということで,製
造メーカーにとって非常に重要な問題です。そのため CMS(Chemical substance for Management
System:化学物質管理システム)といったことを,調達先に求めてきています。さらに,CO2 の
排出削減,最近では生物多様性の保全の取り組み,を調達先に要求してきているというのが大き
な流れです。
次に,企業活動で代表的な取り組み,として,製品の評価として LCA (Life Cycle Assessment)
という考え方があります。これは,製品のライフサイクルを考えて素材調達,製造,輸送,加工,
それから使用,回収までを含めて,どこに負荷が一番高くかかっているのかという分析をします。
そうすると,こういった形で素材の購入時の CO2,製造した時の CO2,流通・使用・廃棄・リサ
イクルの各段階での CO2 はどのぐらいになっているのかがわかります。そうすると使用している
段階で一番 CO2 が高いということがわかり,この使用段階での CO2 を削減するための環境配慮設
計をしなくてはならないということになる訳です。産業環境管理協会は,この分析した結果を消
費者にオープンにするため,「エコリーフ」というエコマークを認証しています。エコリーフに
より製品の環境負荷について定量的に判断できるのが,エコラベルであり,最終的には消費者が
購入,使用,廃棄に伴う CO2 を自覚できる,ということになります。それによって,CO2 削減を
一歩前進させることができます。このように,現在,事業者は使用段階で CO2 を削減するための
製品を改善していくという,そういう大きな流れになっています。
生物多様性の取り組み
最後になりますが,生物多様性の取り組み,についてご説明したいと思います。ビジネスと生
物多様性イニシアチブということで,COP10 が開催される前の 2008 年に,日本と世界の 34 企業
が,こういうイニシアチブに賛同しています。この中に,富士通が入っています。つまり,①企
業活動が生物多様性に与える影響について分析する,②指標を作成し,③担当役員を指名する,
④具体的な目標を設定する,⑤活動の成果を公表する,⑥納入業者の活動を統合していく,つま
りサプライチェーンの中で統合していく,⑦科学機関とか NGO と協議・検討する,という以上の
7 項目について同意したということです。ここに,日本の主要な企業名が載っています。
では,富士通グループでは具体的な行動指針というものを掲げています。これは,自らの企業
活動,事業活動において,生物多様性の保全と持続可能な利用を実践していく,生物多様性と持
続可能な社会づくりへ貢献していく,ということを考え方の基本にしています。行動指針では,
われわれは IT 企業ということで,情報技術を活用し,生物多様性の社会の普及に貢献し,グロ
ーバル規模で展開していく,ということを掲げています。そこで,具体的な2つの事例をご説明
したいと思います。
33
一つは,タンポポ調査というのをやっております。GPS 機能付きの携帯カメラなどを使って画
像と位置が地図上にプロットできるシステムを提供しています。一昨年は富士通グループのイン
トラ内で従業員だけを対象として実施しましたが,今年はこれをインターネット上で公開し,市
民や学生,それから,企業も含めて,みなさんが参加出来るというモニタリングツールとして提
供しています。このシステムの意味というのは,一つは,身近な生き物を通して,在来種と外来
種の問題を理解させる,ということです。実際,この携帯フォトを使ってやっていく中で,ニホ
ンタンポポとセイヨウタンポポの分布が一般に公開されていますが,温暖化の指標といわれてい
るシロバナタンポポの分布をマッピングすることができました。残念ながら,今回の震災で福島
など被災地についてデータがとれなかったのですが,温暖化はどこまで進んでいるのかといった
市民を巻き込み環境情報を把握するということで,非常に重要なシステムだと考えています。
もう一つは,生態系ネットワークを考慮した生物多様性評価です。今年,東京都市大学の田中
教授と一緒に,HEP というアセスメントなどにも使われる生態系評価を活用して,
「簡単 HEP」と
いう具体的な自分たちのモデルを作って,富士通の川崎工場に適用しています。ここには多摩川
や等々力緑地がありまして,南武線が通っており,こちらにたちばな台という丘陵地があります。
現存植生図ではここの富士通の工場は,工場用地としてしか評価されていません。これは,この
富士通の持っている緑地が実際どういう意味があるのかということを,ネットワークで評価した
結果です。
そうすると,カバータイプとして,森林の指標種としてシジュウカラ,水辺の指標としてカワ
セミ,草原の指標としてオオカマキリ,この3種を特定しました。この3種の採食条件,水条件,
行動・休息条件,それから,繁殖条件について,HSI(Habitat Suitability Index)シート
というものを作り,これをもとに従業員自ら現場に立ち会いチェックしながら定量評価をします。
このレーダーチャートはカワセミで見た場合ですが,その生息環境について低いところがあれば,
これを改善していくという活動を富士通が始めようとしています。
さらにこの地域全体の中で,富士通の工場がどういう役割を果たしているかという地域生態系
ネットワークという視点から見ると,多摩川,等々力緑地に生息しているカワセミが,この川崎
工場まで来ているということがわかりました。また,ここは既成市街地ですが,ほとんど市街地
で何もないという状況を示しています。そうすると,多摩川,等々力緑地,富士通川崎工場は一
つのまとまった生息環境を形成していますが,たちばな台に挟まれた既成市街地部分をどうする
かというのは課題です。そこは,やはり行政が絡まないと,一民間企業の中では限界がある,と
いうことを表しています。今後行政との連携が望まれるところです。また,富士通はこの手法を,
沼津工場や熊谷工場や富士通グループ全体の工場に展開しようとしています。今後,私どもはこ
の手法を,富士通グループだけでなく,他の民間企業や行政に対し提案し,普及させていきたい,
と思っています。
ご静聴いただきありがとうございました。
34
地域連携で実現する環境のまちづくりと
「新たな公」の役割
崎田裕子
ジャーナリスト・環境カウンセラー
みなさん,こんにちは。本日このシンポジウムにお呼びいただきましてありがとうございます。
私自身,ジャーナリスト,環境カウンセラーとして仕事しておりますけれども,ずっと生活者の
視点で社会の課題全体に対して関心を持って歩んでいました。今から 20 年くらい前に,自分が
関心を持って取材しているのは,今でいう環境問題,エネルギー問題,こういうことにつながっ
てくるな,ということに気づいてきました。その頃非常に思ったのは,今後地球環境問題は大変
重要になってくる,けれど,そのときに産業界,あるいは,専門の方々の技術力と行政,つまり
自治体とか国とかの行政のシステムづくり,それと共に暮らしや仕事で,それを実際に改善して
実施していくという民の力,市民の力,そういうもののパートナーシップが大事じゃないか,と
いうことを非常に強く感じました。そして,そのパートナーシップが大事だと思った時に,私は
ずっと生活者の視点で歩んできましたので,そこを自分の中心テーマにしていきたい,という思
いが強くなってきました。
やはり,現場型で歩んでいますといろんな方との出会いがありまして,取材して記事を書いて
発信する,というだけではどうも納まらなくなってきました。自分の暮らしの中で,例えば,省
エネをしてみる,ごみを減らしてみる,そういうことを実際に定量化してやってみると,自分な
りに,取材しているだけではわからない,ごみの減らし方とか,そういうのがわかってくる。そ
ういうことを本に書いて発信するうちに,いろんな方との出会いがあり,今 3 つの団体,NPO な
どを主宰しております。
簡単に申し上げると,日本各地でごみ問題の解決に向かって,市民,事業者,行政,研究者と
いったいろいろなお立場でやっている方のネットワーク「持続可能な社会を作る元気ネット」
,
その次に,やはりそういう全国の応援をしていると,自分は地域で,足元でいったいどういうこ
とをやっているんだろうかというのが気になりまして「新宿環境活動ネット」,今度はボランタ
リー精神だけでは社会は回っていかない,環境を仕事にしている女性たちとの輪を作って,歩ん
でいたりと,こういう風に広がってきておりますが,そういう中で常に民の立場で,どういうこ
とができるか,どんな風な流れが起こっているのか,そして,どういうことを自らに課して,歩
んでいて,それが社会の中でどういう風に動きとリンクしているのか,そんなことをちゃんとお
話しをしていきたいと思っております。
最初に,誰が国を作るのか,誰のための国づくりか,という資料を作りました。なぜかと申し
ますと,本日は「環境国家づくり」というタイトルで話し合う一日と考えたときに,もうそこの
一言に尽きるだろう,という風に思いました。誰が作るのか,誰のためかというと,本当に,そ
こで暮らす人々が納得し,自ら汗をかきながら,共に様々な行動をして国を作っていく,そして,
誰のためにという時に,もちろん自らが納得し,満足し,そして,心豊かに暮らして,自分たち
だけではない次の世代もという所を明確に意識していくことで,この社会が成り立っているので
はないか。そういうところから始まっていくと,やはり国というのが非常に身近に考えられる,
と常に思っております。
35
本日,3.11 によってみんなの気持ちがどういう風に変わっていったのか,そして,今何が重
視されているのか,ということも非常に重要なキーワードとして考えられている,ということを
この会場で知りました。当初は,一般の市民の方々や NPO でお会いする方たちと協力して,新宿
の環境学習センターなどに物資を集めて,バスをチャーターして,みなで帰りのバスの燃料まで
持っていったりという風な普通の市民による被災地へのボランティア活動をしていました。現在
はこういったボランティアづくりは,とりあえず次の若い世代の人たちに任せて,その後,いわ
ゆる放射線の影響が原子力発電所の外に出てしまったということは全く想定していなかったの
で,そういう中で放射線の影響をどのように収めていくのかということに関して,その分野の知
見の専門家と,今後中心にならなければいけないであろう環境分野での仕組み作りについて非公
式の勉強会を延々開催するなどしておりました。また最近ようやく,除染に対しての特措法など
もできましたので,それの基準づくりなどにずっと関わっておりました。
これからは,福島の方々が,非常に環境が不合理な状態で汚染されて,その上除染もしなけれ
ばいけない,それを集めて廃棄物が出たときにまた環境が悪くなるんじゃないか,ということで
非常につらい思いをされている状態の中で,社会が支え合う,あるいは,特に首都圏の人達が支
え合う仕組みをどうやって作ろうか,ということを今考えております。しばらくしたら,除染ボ
ランティアというような仕組みを作ってボランティアを送り込むような流れをつくろうかとい
う風に思っておりますが,実際には,環境省のいろいろな委員会の中でそういう検討を進めてお
ります。最近新たに検討されているのが,環境アセスメントの精神で,地域の中でより良い除染
のシステムを計画していく,ということが出来ないだろうか,ということです。あるいは,事前
のそういう戦略的な環境アセスの精神で除染の計画を立てるということがまだまだ難しいとし
ても,その後の中間貯蔵,あるいは最終処分場をつくるという段階で,戦略的アセスの手法が使
えるのではないかというようなことでいろんな検討が徐々に始まっております。これについては,
国民的な議論を巻き起こすという視点でみなで一緒にやって行こう,と私なども思っております。
そのほか,最近関わっていることの一つに,将来のエネルギーをどういう風に考えていくかと
いうことで,来年の夏ぐらいまでに今後のエネルギーの将来ビジョンに関して,ある程度の流れ
を作っていきたいというのが,私が入っている資源エネ庁の委員会の目標になっております。そ
の中で,これからの日本がどういう国になっていくかということを明確に考えながらそれを議論
するのが大変重要ではないか,という風にわたしは思っております。そういう意味で,地域の未
利用資源を徹底活用したエネルギー自立型の地域づくりで日本再生を果たすと,そういうことを
基盤にしたうえで,基盤電源の量なども考えた上で日本のエネルギーの将来計画を作るというこ
とを私なりに発信していこうという風に思っております。委員会は毎回インターネット中継をし
ておりますので,ご関心があれば是非見ていただければと思っております。
そのように再生可能エネルギーを徹底活用して日本再生を図るといったさいに,いろいろな摩
擦を起こす部門もある。そういうことをできるだけ表に出していきながら,その地域ごとの将来
像をきちんと考えていく,ということがこれからは大変重要な流れになってくると思っておりま
す。そうした中で,市民一人ひとりが自分の暮らしの中で出来ることを考えていく,そういうよ
うな積極的な姿勢が必要だと思っております。そのなかで,低炭素・循環型・自然共生の 3 つの
キーワードと,みんなで安全安心な気持ちでキチンと生きていけるようなシステム設計をする,
ということが大変重要なのではないかという風に思っております。
現在,中央環境審議会では,第 3 期の基本計画を見直して第 4 期の基本計画を提案する作業を
しておりますが,安全安心の社会というキーワードを入れるかどうか,という議論を丁度してい
るところです。そういう時に,ここに書いたように,例えば,環境・経済・社会という要素を入
れていくとしても,やはりそういう新しい動きを技術の革新や,経済の役割の中にキチンと入れ
込んでいく,そういう経済の視点と,大きな産業の視点と,もうひとつ,暮らしの視点でパート
36
ナーシップをつないでいく,ということが大変重要だという風に思っております。
実は,こういった動きを非常に推進していらしたのが,このセンターでいらっしゃるというこ
とです。なぜそういうことを申し上げるかというと,1992 年のブラジルのリオのサミット後,
これまでの公害や環境汚染というような強い流れプラス地球環境を視野に入れて,「think
globally, act locally」というような動きが出てきたときに,日本もその直後に環境基本計画
を作成し,循環・共生・参加・国際的取組,という 4 本柱を入れました。その時,では参加とい
う気持ちをどういう風に明確にするかというところで,さまざまな政策形成時に市民参加,市民
参画を明確に位置付けて環境政策を作っていこう,という強いムーブメントがあった時に,その
事業を受託されて推進されていたのが,このセンターでいらっしゃいます。その時に,私も呼ん
でいただいたりしましたので,こういう風な中でどんどんつながっていくんだろうと思います。
実は最近,2010 年ぐらいになってきて,環境・経済・社会,そこにもう一つ,文化という視
点を入れることで,私たちが暮らしの心根とか,満足度,幸せ感といったものもキチンと踏まえ
ていく,そして歴史と共に歩んでいくという動きが大変強くなってきております。ちょうど今も,
その基本計画の中にその言葉をどのくらい明記するかといった話もあり,リオプラス 20 への提
案もふくめて,日本のステークホルダーとして,環境・経済・社会・文化をこれからの政策や,
世界の持続可能な開発の中に明確に入れていく,というようなことを提案しております。
これまで民の中の動きについてお話しましたけれども,私自身いくつかの責任をもってお話で
きるものとして,民の動きということを少しお話したいと思っております。今この 10 年間ぐら
いの間に,みずから地域に関わって地域づくりに参画していこうという動きが大変育ってきてい
る,という風に思っております。その一つとして自ら関わっているのが,新宿に根差した環境活
動をする人たちの輪で,NPO法人新宿環境活動ネット,と申します。これは,立場や分野を超
えて次の世代を育てる,ということに共感を持つ方たちが集まって成り立っているNPOですけ
れども,最初は地域と学校の連携で,学校の出前授業などでそういう活動をしておりました。そ
の中で,新宿区立環境学習情報センターの指定管理者を今までやらせていただいております。今
こういう所も,市民団体だけではなくて地域の方々や環境 NGO,そして企業といった方たちが共
に知恵を出し合う形で運営しておりますが,日本全体でこういう動きが広がっていると思ってお
ります。それをいかにキチンとコーディネートしていくのか,ということが今問われています。
これはその事例ですけれども,暮らしの省エネ,3R,緑の実践の場づくりなどいろいろな視点
でそれを実践型にし効果を定量化する,という動きが進んでいます。たとえば,省エネナビを各
家庭でつけていただいて,時々それをチェックし改善するとか,緑のカーテンを育ててもらうな
ど,心豊かに暮らしながらその効果をみんなで定量化していく。このように最近は効果を見える
化・定量化するという流れでいろいろな動きが進んできております。
都市型の生活では自ら CO2 削減しよう,エコライフをしようというだけでは足りず,もう少し
37
大きな輪で,新宿区が行政単位でほかのところと新宿の森という,そういう交流を作りながら,
森の管理にキチンと区がお金を出し,区内のこども達とか,親子連れ,みんなでそういう所の管
理をする。植林だけではなくて,下草狩りとか,間伐といったことを継続していくような輪を作
る。やはり,こういうことで,私たちの心の中に自然と一緒に暮らすという,そういう大切さが
芽生えてくるのではないか,と思っております。そういう意味で,都市型のところは都市・農山
村交流で環境まちづくりという,こういうような精神が定着するのかなと思っておりますが,こ
ういうような交流型の動きが大変広がってきているように思います。
次にもう一つ,これもわたしが理事長を務めておりますが,持続可能な社会を作る元気ネット
の活動です。もともとは,循環型社会づくりに関心のある方たちの集まりだったのですけれども,
単に地域のゴミとか,資源を循環させるというだけではなく,地域の課題を解決するなどどんど
ん輪を広げ,地域の未利用資源でエネルギーを作る,あるいは,食の循環をつくる,そこで仕事
を起こすといった輪がいろいろ広がっているわけですけれども,そういうようなものをキチンと
その地域でやっていても悩みが深まったりするので,できるだけ応援しあいながら多くの方がそ
こに訪れながら,学んでいく。こういった交流も今,大変多くなっております。
私たちの団体では,10 年前から市民が創る環境
のまち元気大賞,という動きで,そういう元気の
いい事例を表彰させていただきながら,そういう
活動のシステム,ノウハウを社会に発信する,と
いうことをしてきております。
その次の最近の動きとしては,そういうボラン
ティア精神だけではやはりなかなか継続しない,
またそこに自分の人生を掛けようという人たちに
とっては,自分たちの仕事として取り組むという
のが大変重要です。最近は,環境ビジネスを企業
するという人も大変増えてきておりますが,そう
いう人たちを応援する輪がなかなか育っていない
ということで,たまたまこれは環境大臣懇談会で
出会った女性環境ビジネスの企業家たちが自ら頑
張るだけではなく,次の世代を応援するというこ
とで,環境ビジネスコンテスト
エコジャパンカ
ップというのを運営しています。例えば,このエ
コジャパンカップの運営というのも,先ほど文化
という話をしましたけれども,環境ビジネス部門
とライフスタイル部門と,その真ん中にカルチャ
ー部門というのを設けます。そういう所で,アー
トやデザイン,ミュージックなどそういう分野を
設けて,暮らしの心根に響くようなところに,環
境マインドを入れた商品,製品,あるいはデザイ
ンといったものをできるだけ社会に増やす部門を
広げてきております。
このように,今,民というか新たな公の動きと
いうのは,大変多岐にわたり始めていると思って
おります。そういう意味で,
“地域連携で実現する
環境のまちづくりと新たな公の役割”について,
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自然環境に密着した一つの動きというのを,少しお話ししようと思います。それは,先ほどお話
した元気大賞という仕組みですが,今 500 ほど応募団体がありまして,緩やかなネットワークを
形成しております。最初のころは,生ごみをリサイクルしながら地域の環境農業に生かしている,
といったお話も多かったのですが,徐々に地域コミュニティで風力や小水力発電といった電源を
使っていくような動きになっているとか,自転車や食の交流ということで北海道の農業クラブ,
昨年度の大賞は NPO 法人上越後山里ファンクラブという新潟県の NPO 法人でした。
実はこのシステムは,多くの環境まちづくりに関心のある方たちに呼びかけて,翌年に大賞の
受賞地にエコツアーをする,そして,そこで活動の仕方を共有して学びあうというやり方をとっ
ております。それで活動の仕方を少しご紹介したいと思います。
ちょうど,直江津から少しバスを乗って行ったところなんですけれども,日本海から 17km 沖
合に入っている間に集落があります。その集落の一番上の古民家を拠点にして活動している NPO
がありまして,そこに行ってまいりました。そこの山へ行くまで,若い女性がその集落の成り立
ちを丁寧に説明してくださいました。彼女は日本の大学を出てからアメリカへ留学し,戻ってき
たあと縁があってここで就職していると伺い,ちょっと驚きました。ここでは棚田学校という,
町から来た方に棚田でお米を育てていただくシステムを作って,こうした若い方たちがお仕事と
してここに住んでいるそうです。ただ,この方たちは,単に棚田を守ろうという団体ではなくて,
実は,2002 年以前に森林 NPO として間伐材に山の認証を付けて使っていただくというような活
動から始まったそうです。海岸沿いの公共施設ではその木を上手く使って作られています。途中,
その森を守ろうという活動はこの地域の方たちの日々の暮らしからは少し違う所で活動してい
て,自分たちの自己満足にすぎないものなのではないかと思ったそうで,森を守るというのでは
なく,森を守るコミュニティの仕組みを守ることが大事ではないか,という風に思ったというこ
となんですね。
その谷に 30 くらい集落があるのですが,彼らはそこに暮らす方たちに「皆さんが他の方に伝
えていただけるような技はどんなことがありますか」というようなアンケートをとったそうです。
そうしたら,棚田で米作りを教えることができるとか,ヨモギを採ってきて乾燥させてヨモギ茶
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を作ることができるとか,昔の祭りをみんなに教えることができるとか,いろいろ書いてあった
そうです。その時に,集落の方たちのお歳から考えて,このままでいったらあと 10 年でそれは
全部廃れるであろうと思ったそうです。それでこの NPO の若いメンバーは,この谷の 30 の集落
に暮らす方たちをつなぐつなぎ手になろうということで,今 10 人くらいの若い方が暮らしてい
らっしゃいます。その経済的な収益を回す手段としていくつかのプロジェクトを行っていますが,
先ほどお話した棚田学校で技術をちゃんと伝えて,できたお米を持って帰っていただくというこ
ともやってますし,何十年か中止していた地域のお祭りを復活させて,観光客に地域の民宿など
に泊まっていただいたりしながら,少しずつお金が回る仕組みを作る活動をしている,といった
お話を伺いました。
私どもも,その際に秋になったらお米を送ってくださいとお願いをしましたら,先日そのお米
が送られてきました。そこには「有縁の米」と書いてありました。つまり,このお米には 10 の
保証がついているということで,不作の時も予約してくださったら必ず分配をしますとか,I タ
ーンとかUターンなどこの地域への移住を希望される場合にはコーディネートいたしますとか,
お住まいの地域で万が一災害が起きたときには一次避難場所としてこの村をご提供しますとか,
そのようなことがに書いてありました。こういう風に新しい人のつながりを作って村を興し,そ
れに関わる若い世代の動きがあるということを非常に心強く感じました。
このような活動の仕方というのはほかにもいくつもありますけれども,環境のまちづくりとし
て 10 年間に 500 ぐらいの団体から応募をいただいたときに,非常に強く感じるのは,活動が継
続してしっかりと地域に根差しているようなところは,人間力と地域力という二つの力が非常に
しっかりと根付いていると思います。人間力と地域力を合わせて「地域環境力」と言っておりま
すけれども,この言葉を使っている環境関係の方も増えてきています。人間力という場合には,
やはり,多くの元気な人が自分たちの暮らしや地域に関わろうとしている,そういうような輪が
育っています(市民参加)。つぎに,その人たちがつながって協力して元気にやっていこう(連携
共同),というこのような輪がやっぱり必要だと思います。
そして,地域力の場合,共に地域資源を活用し,
地域課題を解決して自分たちの地域を生かしてい
こう,という基本的な精神が明確にあることが重要
だと思います(地域性)。そして,自分たちの世代
だけではなく子供たち,若者といった次の世代に伝
えていこうという思いがある。つぎに,継続発展,
例えば,自分たちが関心を持ったのが 3R が入り口
でも,地域のエネルギー作りとか,自然とか,食に
どんどん広がっていくということです。6 番目に,
まちづくり・まち興しという視点です。7 番目,そ
れができればコミュニティ・ビジネスづくりで継続
していく。こういう視点が非常に強くなっているな
と思います。その時に,先ほどの団体にもありまし
たけれども,そのつなぎ手となる人材,NPO とか企
業の場合もありますが,つなぎ手の育成というのが
これからの社会で鍵になるのではないかと思って
おります。
そういう時に,地域環境力の見える化と継続する
仕組みづくりということで,地域の特色を生かして
豊かな地域を作っていくことがこれからの社会で
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非常に大事ですし,それが環境保全に資する行動を進める潜在力になっていく。こうした新しい
動きを明確に意識することが大事なのではないかと思っております。では,具体的に変革を生み
出すパートナーシップとしてどういう人材育成が必要なのかと考えると,3.11 前から考えてお
りましたけれども,最近特に多くの方たちのお話に出てくるのが,資源とエネルギーと食を総合
化した環境まちづくり,そして,そういうところとキチンと交流する都市づくり,こういう視点
がこれから大変重要だと思っております。
その時に,それを自分たちで作り,自分たちだけではできない時にはそれをコーディネートで
きるという力があるという人が多く育っていくことが大事なわけです。こういった総合的な視点
のなかに,今のように農業,林業,漁業をつないでいく地域づくり,そして,未利用資源を活用
した再生可能エネルギーの確保,水・緑・公共交通で快適なまちづくりや都市づくりをする,と
いったことがかなり明確に位置づけられることが必要ですし,それが具体化されるときに大学や
行政機関など知見のある方たちとキチンとつながっ
ていく,あわせて金融機関ともつながって具体化す
るような動きが大変重要だと思っております。
そして,身近な市民の動きとしては,暮らし,地
域の環境行動を定量化することも非常に重要だと思
いますし,自然エネルギーの多い都市とそうではな
い都市のカーボンオフセットや,そうした社会シス
テムをきちんと定着させるといったような総合力で
新しい社会をつくっていくことが大事だと思います。
今そういう地域の将来ビジョンをみんなで作ってい
く,そして,資源・食・エネルギー・交通・自然,
これを総合化し金融経済とつなぐ,そして見える化,
定量化する,こういうことをキチンと動かせるよう
な人材を育成する,あるいは,人材と出会う。人材
がネットワークをする,パートナーシップをつなぐ,
そういうことで地域性豊かな環境まちづくりを作っ
ていく。そして,PDCA サイクルで自己満足に終わら
ないような地域社会にする。基本的な地域社会の中
で,このようなことがこれからの環境国家を作るベ
ースになると思っております。
私は,このように地域が活力を持てば,そこから
日本全体が活力を取り戻していく,そして他の国と
の間でキチンとした交流が生まれていく,というよ
うなことを足元から描いていける社会にすることが
大変重要ではないかと思います。
今日は,このようなお話しをさせていただける時
間をいただいて,本当にありがとうございます。何
か参考にしていただければありがたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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市民による実践-「素の力」で生きる
次世代の育成
鈴木 輝隆
江戸川大学社会学部ライフデザイン学科教授
環境情報科学センター40 周年記念,おめでとうございます。本日はお招きいただきまして,
どうもありがとうございます。私は,パワーポイントは使わないでお話ししていきます。皆さん
のお手元にありますレジュメを見て頂けたらと思います。
私は 2 年ほど前に,環境情報科学センターの機関誌「環境情報科学」に“農山村をローカルデ
ザイン力で再生する”というタイトルで原稿を書かせていただきました。35 年ほど、ローカル
デザインということをテーマに,日本中を歩いております。今日のシンポジウムのテーマが「環
境国家づくりへの挑戦」ということで,本日一番最後の基調講演ですので,私は,“若い人たち
(特に子育て世代)の力が育てる次世代の育成”ということで,少し話をさせていただきたいと
思います。
私はこのごろ,文明に頼りすぎている,科学技術が大きくなって人間が小さくなってしまった
のではないか,ということを感じております。例えば,“衣食住足りて,ロハスあり”と表現さ
れたり,
“衣食住足りすぎて,スローライフやエコロジー”というように,日本が東日本大震災
を経験して以降とくにそのように感じます。
今日お話ししたいのは,まず,若者の思考に大きな変化が生まれているということです。
学生に「自分の好きなことはなにか」と訊ねると,
「都会にあこがれを持たず,自分の家族や
自分のまち、ローカルに興味を持っている」という答えが非常に増えてきています。若者の力が
日本の再生には欠かせないのです。生まれながらの力を「素の力」と私は言っている訳ですが,
今,あまりにも文明が進んで,非常に生活が楽になったため,人間が生まれながらに持っている
力をほとんど発揮しなくなってしまった所に,現代の幸福感の無さや日本の閉塞状況がなかなか
解決されない原因があるように思います。
レジメにはありませんが,ひとつ考えるきっかけとなったお話をしたいと思います。
山梨県の北杜(ほくと)市須玉町津金に、NPO 法人「文化資源活用協会」という地域文化の継
承と地域振興に取り組む団体があります。明治時代の木造の校舎が活動の拠点です。廃校にはな
りましたが、明治 8 年に初めて学校ができて以来創建を記念して、昨年 135 年目の一日だけの登
校日ということで,小学生を対象に「一日学校」という授業を開校したのです。子供たちにこん
な大人を会わせてみたいという趣旨で,ちょっと変わった方々を先生に迎えました。1 時間目が
書道で,書家の華雪さん,2 時間目が冒険で,サバイバル登山家の服部文祥さん,3 時間目はダ
ンスで,演出家でダンサー,珍しいキノコ舞踊団を主宰している伊藤千枝さん,という自分の道
を自分で切り開いている人たちです。募集はすぐにいっぱいになりました。37 名の子供たちが
集まったわけです。
その中で,サバイバル登山家の服部文祥(はっとり
ます。
ぶんしょう)さんは子供たちにこう話し
世界で 8,000m 級の山というのは 14 座あります。ただ,それに登っても登山家や冒険家として
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世間からは認められないのです。なぜかというと,今は文明が進んでいて,南極・北極やエベレ
ストや先程の 14 座などの極地へも,ヘリコプターなどを使えば簡単に行くことができる。その
ほか,装備も非常によくなってしまったから,達成できたのは装備の力か自分の力かわからない
のだと。つい最近も冬のエベレストに 76 歳の方が登頂したとニュースになりました。
つまり,冒険家も山に登ればそれで認められる時代じゃないということ。服部さんは、K2 な
どの名だたる登山を経ながら、果たしてこれは自分の力で登山しているのかという疑問にぶつか
り、それからは、テントや燃料を持たず,鉄砲と釣道具を持って山に入り,沢など人が歩かない
ところを歩いて,食料なども現地調達で 10 日間ほど過ごすような、サバイバル登山という形に
たどり着きます。人の体は本来道具、その道具を磨いて持っている力をどこまで発揮できるのか
を自分自身で知りたいと。もちろん携帯電話も持っていきません。そのことによって,自分の力
だけで生きていくにはどうしたらいいかを自らの頭で必死に考えていかなければいけない。装備
に頼れないので,自分の力を 100%出しきらないと生きられないわけです。普段の生活でも,現
代的な装備に頼って,だんだんと人は自らの力を 100%出さなくなってきてしまいました。人間
が持っている「素の力」というものが,実は非常に重要ではないかと、彼の話から改めて考え思
いました。
全国のさまざまな活動の事例を「素の力」に着目し、その例を少しお話したいと思います。
NPO 法人尾道空き家再生プロジェクトの誕生
私は,ハウジングアンドコミュニティという財団が,まちづくり,コミュニティづくりの活動
に対して助成金を出すプロジェクトの選考委員長を務めております。今年も 221 件の応募があり
その中から 10 件を選びました。100%助成のうち,50%が前渡金ということで応募も多く,それ
だけ活動の充実度の高い団体も出てきます。その中に、広島県尾道市の NPO 法人「尾道空き家再
生プロジェクト」がありました。尾道という地域はもともと古くから港町で栄えていたため,商
人たちも多く,尾道三山にあるお寺には多くの寄付が集まっていた時代があったそうです。今は
25 寺ほどに減っていますが、最盛期は 80 ものお寺が建っていました。そのうちに,眺めのいい
斜面に別荘を建てることが豪商たちの間で盛んになって,人口も増えたそうです。その後も洋館
や旅館建築などさまざまな時代の建物が建てられ,斜面地に密集しました。しかし現在は,駅か
ら 2 ㎞周辺に 500 件近い空き家となって残されています。尾道の斜面には車が入らず,すべて歩
かなければならず、高齢になると階段や坂を上っていくというのは大変なので尾道を出て行って
しまい、人がいなくなっていくわけです。
当時は主に別荘として建てられたので,非常に洒落た造りの建物が多いのが特徴です。日本の
建築技術というのは,昭和 8 年ぐらいが一番高かったといわれていますが,その頃の建物なども
結構残っているのです。その一軒に通称「尾道ガウディハウス」というのがあります。これも 3
年ほどかけて昭和 8 年に完成した建物です。もちろん車が通れませんから,全部人海戦術で資材
を運んで作られました。このように斜面には当時の建物が多く,建物の博物館ともいわれていま
す。
こういったところですから,今は皮肉にもどんどん空き家が増えてし
まっています。NPO 法人「尾道空き家再生プロジェクト」には、尾道出
身の理事長の豊田雅子さんという方がいらっしゃいます。彼女はまだ 30
代半ば近く,双子の母親ですが,大阪の外国語大学を出て,旅行代理店
に就職し海外でツアーコンダクターをしていました。その後,お母様の
具合が悪くなって尾道に戻られたわけですが,その時に,尾道というの
は不便だけれど,ヨーロッパの中世の街に負けない個性があると非常に
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魅力を感じ,その空き家を自分が買って再生しようと考えたそうです。資金にと、彼女は宝くじ
を買い続けたのですがもちろん当選せず。そこで自腹で最初に 300 万円ほどで買ったのが,前述
の「尾道ガウディハウス」です。これが空き家再生プロジェクトの第 1 号(2007 年)となりま
した。この建物を買ったことで,周りにもこの人は本気だということがわかったのです。それか
らは,彼女の旦那さんが大工で,たまたま古いものが好きだということもあり,建物の修理をし
てくれました。
もともとは地主も宅建業者も,この斜面地の建物をどうしたらいいのか困っていました。市も
空き家バンクを始めたけれど,ほとんど買い手がありません。しかし、そこにこのガウディハウ
ス再生をきっかけに興味のある人が集まって,2007 年に「尾道空き家再生プロジェクト」が発
足,翌 2008 年には NPO 法人化しました。
次に,プロジェクト第 2 号として「北村用品店」
,もう数十年空き家で幽霊屋敷といわれてい
た建物を再生します。若い人たちが現地のアーティストたちも一緒になって,掃除からはじめて
自分達で修理修復し,非常に楽しく活動しています。次の第 3 号は「三軒屋アパートメント」と
いう「北村用品店」の裏にある古いアパートを修理して,カフェやギャラリーや卓球場,マンガ
図書館を作りました。ひとつずつ再生していった訳です。
NPO 法人尾道空き家再生プロジェクトの活動概要
彼らはまた,尾道に住もうという人たちのために「尾道暮らしへの手引書」というものも作っ
ています。トイレも水洗ではなく汲みとり式ということで,手引書には“ボットントイレは当た
り前,日々己と向き合うべし”と書かれています。それから道も狭いですから,
“狭い路地,階
段ゆずりゆられ歩く日々”といったカルタのような文句を作って,これを笑って受け入れられる
人に入居してもらおうと,プロジェクトは動き出しました。
宅建協会も市も空き家が増えて困っていたので,三者で相談して「空き家バンク」事業を尾道
空き家再生プロジェクトが受けることになったのです。現在では,理事長の豊田さんと,昨年大
学院を卒業された新田さんと,今年大学を卒業した女性の 3 人が事務局です。収入の半分は行政
などからの委託金,残りの半分は自分たち,空き家バンクや賃貸料などの収益を得ているという
ことです。例えばアパートなども,もうタダで貸してもいいよというぐらい,大家さんは困って
いる状況です。そこで 5,000 円を大家さんに払って,建物を修理して,電気代・水道代・トイレ
も全部込みで,1 万 8,000 円で貸すことで収入を得ているわけです。
このように,今の行政,宅建協会との関係も非常に上手にやっておられるわけですが,斜面地
でのごみ出しや消火訓練・防災訓練を率先して若い人がしますので,組長さんや町内会長さんに
も非常に評判がいいのです。
豊田さんという人は,アートにも非常に興味があり,デザインやアート関係の人たちともつな
がりがあります。また尾道大学には美術学科もあり,新しい現代感覚をもった若い人たちも集ま
ってきます。例えば,「尾道建築塾」という事業では,尾道の建物を歩いて回りながら自分たち
のまちのことを勉強する。それから,わたしの研究室の学生も卒論で参加する予定の「尾道まち
づくり発表会」では,古い文化財になった商工会議所の建物を使って,1 年に 1 回成果を発表し
ています。市の幹部の人も参加し,レベルの高い発表が行われているそうです。
その他,住民が残していった家財をガレージセールで売り,再生のためのお金に充てたりして
います。また,
「AIR ONOMICHI」というアーティストグループが光明寺というお寺の集会場をカ
フェにして,外国人も交えアーティストのレジデンシャルといった活動も行われています。さら
に「いっとく土嚢の会」という会があり,地元の焼き鳥屋をしている若い市民 50 人以上が集ま
り,月 1 回斜面地からごみ降ろしをしたり,斜面地に資材を上げるといった活動を人海戦術で行
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っています。
尾道建築塾
わたしの研究室の学生がここを卒論の対象にするというこ
とで,今夏に尾道の建築塾の夏合宿に参加しました。15 人ほ
どの参加者の募集に,45 人申込みがきたそうです。7 泊 8 日
の合宿で,
「アクアの森」というぼろぼろになった家を 25 名
(女性 13 名,男性 12 名)の参加者で修理しました。参加者
には高校生もいて,みな若い人たちです。
合宿の食事なども,30 人分の朝食を地元の高校生が光明寺
カフェで働いて作ってから高校に行くそうです。また,自分
たちの宿泊施設も前年度の合宿で修復した家を使っています。
作業が面白い時は,現場に寝袋をもちこんで修復を続けるな
ど,非常に活発に活動しています。
わたしの研究室の学生も、午前と午後の 3 時間ずつ,自分
たちの素の力 100%を出し切ってやると,本当に手が棒のよ
うになると言っていました。その後は夜学というのがあって,
夜 8 時から 10 時まで尾道の建築の勉強をするそうなのですが,眠気を抑えながら起きているの
が大変だったとも感想をもらしていました。彼はそれ以来人間が変わったようで,この合宿の体
験は,幸せだったと彼はいうのです。大学に4年間いたけれども,今回本当に全力を出し切って,
一緒に幸福感を味わった人と親友になれたと言っていました。自分の力を 100%出しきるという
のはこんなにも幸せなことなのかということを,とうとうと後輩にも語ったのです。
また,尾道建築塾のチラシもとても素敵なデザインなのです。それは若い人たちが、外注せず
に尾道に移り住んだ若い人の仕事になるように,自分たちの力でやっているから。それぞれが力
を発揮した結果生まれたものであり,たとえば,壁の土葺きとか漆喰塗,ガーデンキッチンやピ
ザ釜の制作などいろんなことを彼らはしています。
その他,
「空き家再生ピクニック」と名づけて,主婦の人たちが家族を連れてきて,午前中は
空き家を掃除し,昼からはそこでピクニックをするといった活動をしています。あわせて,空き
家を再生するだけではなくて,子供の遊び場もつくろう,畑や農地もつくって野菜も作っていこ
うという活動に広がる。このように工夫を重ねていくと,観光や建築,コミュニティづくりなど
さまざまに組み合わさって仲間を増やしています。
今,尾道ではここ 2 年で 35 人が起業家として,パン屋やカフェ,プリンを売る店などさまざ
まな活動をしています。起業家同士で家の修復をしたり,みなで家の掃除をやるという仕組みが
出てきました。みなが自分たちの持っている素の力を 100%出しあいながら,助け合いの仕組み
ができているのが,尾道の新しい動きになっています。
森のようちえん「まるたんぼう」
次の事例として,鳥取県智頭町に,2 年ほど前に始まりました「森のようちえん・まるたんぼ
う」を取り上げたいと思います。同町の人口は 8,000 人,森林率は 93%で,智頭林業として杉
の木の生産で有名なところです。中国山脈の 1,000m 級の山に囲まれ,岡山県との県境に接した
場所です。ここは住民自治からの地域経営ということで1/0運動を展開しており,郵便配達の
人がひとり暮らしの人の御用聞きもするといった「ひまわりシステム」など,自分たちで地域の
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自治を守り地域経営をするという姿勢で今まで活動
してきています。最近は,
“緑の風吹く疎開の町”と
いうことで,都会から疎開にきませんかと,何かあ
った時には 1 週間無料で食事も出しますよ,といっ
た活動や,住民の提案で森林セラピーなども行って
います。これは,住民がやりたいことを発言する「100
人委員会」で出たアイデアに,町が予算をつけると
いうシステムによって始まった事業です。初年度は
140 人程が発言し,事業の採択は 21 件あったそうです。その中で,森のようちえんをやりたい
と声を挙げたのが西村早栄子さんという方です。
西村さんは京都の大学を卒業後,アジアの大学院を出て,東京の商社に勤められていた方で,
40 歳になる前に子供を 1 人ほしいなあと思っていたそうです。智頭町では,自分の家族でなく
ても,上の子供が小さな子供の面倒を見るというのは当たり前で,小学生でも,上級生が1年生
のカバンを持ってあげて 3.2 ㎞ほどの通学路を通ってきます。そういう姿をみて,西村さんはこ
こに移り住むことを決められたそうです。
西村さんが 100 人委員会に行って,森のようちえんをやりたいと提案して始めました。森のよ
うちえんには園舎はありません。遊器具もありません。預かる場所は山の中の 9 か所です。雨が
降っても,雪が降っても,カリキュラムもなく遊びます。1 歳から 7 歳までの子供を預かってい
ます。預かる時間は,1 週間の内 5 日間,朝 9 時から 5 時くらいまでです。
子供は 2 つしてはいけないことがあります。黙ってそこにあるものを食べないことと,大人の
保育士の先生が見ているところで遊ぶこと,この2つです。それ以外にやってはいけないことは
ありません。大人は子供たちが池に落ちても助けません。自力で上がってくるのを見ている。ま
た,1 週間に 1 回は子供たちだけで食事を作る。1 歳児はちょっと無理でも,2~3 歳の子供たち
も包丁を持って作ります。大人は手を出しません。味噌汁なども全部自分たちだけでよそいます。
急に雨が降ってきて 1 人が泣くとみんな一斉に泣いてしまいます。3 歳の子がバッグを落として
中のものをばらまいてしまったら,
「あなたも 4 歳になったら
こうするのよ」と 4 歳の子が 3 歳の子のバッグの中のものを
詰めてあげるのです。それから,喧嘩なども鼻血が出るくら
いまで子供でも殴り合います。それでも大人はじっと見てい
る。そのうちに子供たちは自分たちで解決していきます。卒
園を迎える日には、ここは豪雪地帯なので,雪の中に卒業記
念品を隠して,年長の子供が年少の子供を連れて冒険のよう
に探しにいくといった、ここらしい卒園式も行っております。
森のようちえんの園長の熊谷さんは,自分の子供が 1 歳 5 か月の時に家の前の側溝に落ちて生
命の危機に陥って,それが原因で生育が遅れている子供も、園長として見守っていらっしゃいま
す。
この森のようちえんの日々のなかで、どういう変化が子供たちに起こってくるかというと,体
力がつき,体つきが変わってくる,その子その子の個性が輝きだす,転び方が上手になる,様々
な動きに対応できる。それから,暑さ寒さに負けなくなる,病気にかかりにくくなる,手先が器
用になる,足の指で岩を掴むようになる,とっさに体が動くようになる。半年たつと標高 1,000m
の登山もできるようになるまでに成長するようです。あわせて,しなやかな心が育まれる,自然
に目が向くようになる,五感が磨かれます。我慢強くなる,自分で考えて行動できる,他者への
信頼感が生まれ仲間を思いやることができる,上手に問題解決する,想像力が豊かになる,豊か
な言語を持つ。
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他の幼稚園では遊ぶ道具があるのですが、ここの子供たちは雪の中や水の中,田んぼやそうい
うものにどんどん入って行ってしまいます。地域の人の反応は,子供たちが行くからということ
で,マムシは退治しといたからな,とか,丸太で橋を作っておいたからな,というような方も増
えてきたわけです。
これからの未来へ我々が考えていかなければいけないのは,衣食住余りてロハスや,エコとか,
スローライフではなくて,もう少し自分の力を出し切る喜び,それから不便を楽しむことが必要
ではないかと思います。学生もそれを経験してきてからは、急に生き生きしてきたのがわかりま
す。不便を知ってはじめて文明のありがたさを知り,人のありがたさを知ることができるのです。
ですから我々は,経済の問題以前に社会への価値観の変化を受け止めて,若い人たちが他と比べ
るのではなく自分の独自性を築いていくために 100%己の力を出せる場をつくっていくことが,
一番大切ではないかと思います。
東日本大震災でも,世界が感動した被害者同士の助け合いや被害者の忍耐強さというのは,こ
うした自然と共存し時に対峙するたくましい東北の日常生活から生まれたのではないかと思い
ます。だからこそ,子供のころに自然の中で自分の力を 100%出していく経験が,実は必要では
ないかと思うのです。私のところでは,研究や卒業論文も今年はもう面倒を見るのではなくて,
学生自身が自分でやりきるように指導しています。不便はあっても,伝統や文化や歴史,自然環
境,天候と共に生きていくということは,自分の体を 100%使っていくことです。そこからのみ,
充実感が生まれていくものです。このことをいち早く子育て世代の女性が、気がついたのではな
いでしょうか。近代が失ったものがいかに大切かということに若者たちは気づいている,と思い
ます。
以上が私の報告です。どうもありがとうございました。
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パネルディスカッション 問題提起1
舟引 敏明
国土交通省都市局 公園緑地・景観課長
国土交通省の舟引です。本日はお招きいただきありがとうございます。国土交通省といいまし
ても,全体を代表できませんので,私のセクションで取り組んでいる分野の話を交えながら,個
人的に思っていることをいくつかお話しします。
まず,スライドをご覧いただきたいと思います。これは,松戸市からいただいた航空写真で,
江戸川から,松戸,金町,葛飾を見たものです。われわれの都市のシンドロームの縮図のような
ものですので,いくつか紹介をしたいと思います。まず,真ん中を通っているのは江戸川です。
このあたりずっと松戸の江戸川の河川敷,段丘の下です。優良農地で今でも市街化調整区域で残
っています。それ対して,葛飾側の同じ堤防を越えると,すぐ密集市街地です。条件はそんなに
変わらないはずですが,松戸側は農地のままいまだに残っています。なぜこういう状況になって
いるかというと,そういった政策的選択をしてきた,都市計画でそういう選び方をしてきた,と
いうのが松戸側です。では,そういうプランニングが万能かというと,一方で葛飾側は市街化さ
れて密集しているということは,実際の経済の発展の圧力にそのようなプランニングがまったく
間に合わなかったという事実がもう片方で示されています。
これだけ市街化されると,特に密集市街地ですので,いまさら緑だとか環境だというのは,か
なり難しい状況だということがわかるかと思います。ではこういう風になった元凶は誰かという
と,実際そこに住んでそこの経済で暮らしを立てている我々自身です。我々自身がこれに対して,
原罪とまでは言いませんけれども,一定の責を負っているというような典型だと思います。
都市計画で頑張ってきたところでいえば,たとえば,水元公園です。戦前の東京緑地計画でプ
ランニングして防空緑地として確保して,今日に至るまで延々と用地を買い続けてつくっていま
す。それから,江戸川の河川敷はもちろん,今申し上げた農地です。そして、江戸川の段丘崖で
す。ここは外環でちょうどちょん切ったところですが,池邊先生の千葉大学もこのあたりにあり
ます。ここには貴重なオープンスペースが残っているわけです。
こういう場合にどうやって環境をよくしていくかというと,たとえば,ここにありますのは葛
飾区新宿の三菱製紙の跡地です。今度,東京理科大
が引っ越してくるところで,ここでは最近の開発で
すから緑地を確保したまともなものができてくる
と思います。それから,これは葛飾区金町浄水場で
す。他方松戸市側では同じ浄水場等でも農地をつぶ
して作っていくものもあります。限られた土地利用
をどうやっていくかというのは非常に難しい。ここ
は柴又もありますし,矢切の渡しがここを通ってい
るというので,文化的資源も残っている。縮図的に
いうと,こういう状況の中で,コンパクトシティ,
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環境モデル都市などをどう考えるか,また当然大都市と地方都市のシンドロームは違いますので,
どんな風に考えていくのかということが一つの問題提起です。
このスライドは,私どもが大きく外向けに課題を整理したものです。1 つは環境問題。これに
は,CO2 の話,ヒートアイランドの話,生物多様性の話,いくつかありますが,地球規模も含め
た大きな規模での環境の話です。それから,ここではランドスケープとカタカナでくくっており
ますけれども,残されたものをいかに守っていくかということ。それから,3 番目が今回の東日
本大震災で一つ浮き彫りにされたような災害への対応をどうやっていくか,ということです。今
日のシンポジウムは「環境国家づくりへの挑戦」という非常に大きなタイトルですが,実は私ど
ものセクションも含めて、これらの課題については、地方が仕事をするべきか,国が仕事をする
べきか,という地方分権の議論の中にある微妙な問題であります。
次のスライドですが,温暖化やヒートアイランド問題に対して,国では低炭素都市づくりガイ
ドラインをつくっています。内容は国土交通省のホームページを見ていただければと思います。
国がやっている仕事は都市計画の技術的助言という位置づけです。現在まちづくりそのものは,
基本的にほとんど地方公共団体の事務とされています。したがってわれわれの仕事の一つは技術
的に信頼性のある助言を行うことです。たとえば,コンパクトシティの構造や,エネルギーの効
率的な利用,緑地の保全など,そういうことをメインとして政策を組み立てたほうがいいですよ
という助言をしているのがわれわれの今の仕事です。
次に生物多様性についてです。同様に運用指針と示していますが、これは国の助言です。また、
上の方には生物多様性の COP10 における都市の決議と書いてありますが、これは地方公共団体の
決議です。生物多様性を国の立場で重要だという所までは言えますが,じゃあこれをどうやって
実現していくかという所については,先程と同じように,方向性は示すけれども今はそんなに実
現手段を持っていないわけです。
一方で,じゃあ本当は何もできないのかというと,国には重要な仕事があります。それは守る,
保全をする仕組みをつくる役割です。スライドでは文化的価値がある,美的価値がある,緑・生
態的な価値があるという風に 3 つの価値を示していますが,文化価値というのは昔から文化財保
護法があり,最近では歴史的風土や歴史手風致というような概念規定を作って守っていく。それ
から美的価値については,屋外広告物や最近できた景観法といったもの。それから緑地につい
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ては,自然環境保全法もあれば,都市関係の緑地保全の法律もある。わが国では,個人の権利を
制限するには,一定の法律的根拠がいるという仕組みになっています。ここで掲げた 3 つの価値,
文化的価値,美的価値,緑地は,いずれも経済的指標にはのらない,市場で放っておけばたぶん
無くなってしまう性格のものです。そういったものを今後も残していくためには,たまたまそれ
を持っている人たちに,ご協力いただくというか,権利制限をお願いしてそれを残すということ
が必要ですが,これは,まさに個人の基本的人権にかかわるところですので、国が分担している
部分です。例えば平成 16 年に成立した景観法という法律があります。これは完全に地方分権の
法律で,良い景観だとか悪い景観というのは全て自治体が決めますが,人の権利を制限すること
ができるという枠組みは、国が法律で設けています。
次が,歴史的まちづくり法という,平成 20 年に制定した法律です。これは,重要文化財だと
か,文化財の価値というのは地方だけで決められるものではなくて、きちんとした物差しのある
価値であるという考え方で,国と地方公共団体が一緒になって実施するという枠組みの法律です。
それからもう 1 点は災害への対応です。ここに書いてありますのは,東日本大震災が起きる前
の話で,関東大震災から作られてきた,都心に直下型地震が起きて火事があった場合,逃げる場
所をオープンスペースなどで確保しようという方法論でつくられた仕組みです。阪神・淡路大震
災でも同じです。
最後に,今回東日本大震災が起きて,我々の実施してきた点を 2 点示します。1 つは,今年の
10 月に出したどういう所にオープンスペースを確保すれば津波を減災できるのかという指針で
す。これまで津波に対する方法論というのはこれまでほとんどなかったので,一般論として示し
ました。あわせて,災害廃棄物,がれきをどうやって活用するかというような方法論を示しまし
た。2つめは,今回の復興への財政的な支援です。今回の 3 次補正予算でようやく用意が出来ま
した。ただ,実際に実施するのは地方公共団体で,今の段階ではプランを作っている状況です。
最後は高田松原の写真を示しています。これも象徴的な写真です。元に戻すのかどうか、また
低地にあるこれらの家々を将来的に集団移転をしていくかどうかなどの課題を,誰がどういう仕
組みでやっていくのかという視点が必要です。
以上,環境国家というタイトルで感じたことと私の仕事とを絡めてご紹介しました。
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パネルディスカッション 問題提起2
塚本 瑞天
環境省自然環境局自然環境計画課長
環境省の塚本です。生物多様性国家戦略を来年に改定するのですけれども,それに向けて,今
有識者の方々で懇談会を行っています。そこで,なかなか面白いデータが出てきたので,今日は,
それをご紹介して,一つの問題提起にしたいと思います。
一つは,人口がどんどん減っていくデータです。右の上を見ていただきますと,2005 年現在,
全く人が住んでいないところは,国土の 51.9%なのですが,2050 年には 62.3%に増えると言わ
れています。その 20%はこれから人が住まなくなるのですけれども,それは大部分が北海道で,
特に農耕地から人がいなくなってしまうというのがよく分かると思います。
これは,植林地で人がいなくなるところです。愛知,紀伊半島,四国,九州では,植林地に住
んでいた人がいなくなって無人の植林地がどんどん増えていくというデータです。これは,2 次
林から人がいなくなるところで,東北地方の太平洋側や能登,中国地方で非常に増えています。
このデータからは,次のようなことが考えられます。まず,農地とか里山という人の手が入って
いるからこそ守られていた自然は守れなくなってしまいます。それを守ろうとすると,人が住み
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続けて手入れをしていかなくちゃいけません。人の住まないところで,人手をかけなければなら
ない。とんでもないことを僕らは考えなくちゃいけないのではないかなと思っています。
次に具体的な地域の話をしたいのですけれども,屋久島国立公園があります。ここは,森林
がたくさんあり第 3 次産業の人がたくさんいる。ここは世界自然遺産に登録されてから来島者が
ちょっとずつ増えています。けれど,島に住んでる人はどんどん減っています。滞在人口は増え
てきているけれども,地域に住んでいる人,その国立公園を支えている人たちが減っている。所
得は増えているような,減っているような,微妙な感じです。地域ではなんとかしたい。そのた
め文化村構想ですとか,エコツアーを募集するなどといった取り組みをしたり,あるいは,環境
に負荷をかけない携帯トイレを普及させるというような取り組みをやってますけれども,これが
果たしてそういう方向でいいのかどうか,というような話があると思います。
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最後に,「しろい環境塾」を紹介します。日本全
体の人口は減少しますが,都市に人が集中してきま
す。都市に人が集中してくると,農家の人が農業を
やるのは農家だけではなくなります。非農家の人が
農業をやるようになる。これは典型的な例だと思う
のです。
「田 園 自 然 再 生 活 動 コ ン ク ー ル 」を毎年
農水省と環境省が後援してやっていますが,今年の
農水省の農 村 振 興 局 長 賞 をとった事例です。ここ
はいわゆる団塊世代の定年退職した人たちが中心に
なっており,農家はたった一軒しか参加していませ
ん。この人たちが農地を借りて,そこで農業をやって,生態系を守って,子供たちに生き物のこ
とを教えているという事例です。こういった都市近郊の動きがあります。その反面,先ほど申し
上げましたように,中山間地ではどんどん人口が減ってきて,限界集落も出てきている。
最後のスライドですけれども,この「しろい環境塾」が取り組んでいるものです。竹林を伐
採して生け垣を作っていきます。それから,森林も,もともと素人の人たちが植林をやったり,
子供たちと流しそうめんをしたり,あるいは,荒れた農地で火入れなどをやったり,子供たちと
一緒に田植えをしていく。こういう動きが全国的に広がっています。私からの問題提起は以上で
ございます。ありがとうございました。
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この後,畔柳昭雄(CEIS 学術委員会委員・日本大学理工学部教授)ならびに小谷幸司(CEIS
編集委員会委員/三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング(株)主任研究員)の両名をコーディネー
ターとして,パネルディスカッションが開催され,活発な議論が行われた。最後に,河野英一(CEIS
常務理事/学術委員会委員長・日本大学生物資源科学部教授)より閉会の挨拶があり,本シンポ
ジウムは無事終了した。
本シンポジウムの企画・開催に関しては、
「設立 40 周年記念シンポジウム実行委員会」を組織し,
島田正文(CEIS 理事/学術委員会副委員長・日本大学教授)
,河野英一(前掲)
,柳井重人(CEIS 理事
/行事委員会委員長・千葉大学園芸学部准教授)
,杉村 乾(CEIS 理事/学術委員会委員・
(独)森林総
合研究所主任研究員)
,伊藤泰志(前掲)
,金岡省吾(CEIS 学術委員会委員・富山大学教授)
,小谷幸
司(前掲)の 7 名が担当した。
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