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(24)技術系人材のマネジメント に関する研究
【経営学論集第 84 集】自由論題 (24)技術系人材のマネジメント に関する研究 ――類型化モデルの構築を通じて―― 大阪大学 日高 靖和 【キーワード】人的資源管理(Human Resource Management),技術系人材(Technologists & Scientists),内部労働市場(Internal labor Market),知識(Knowledge),技術経営(MOT) 【要約】これまで日本の雇用システムは長期安定雇用主義が特徴とされ,技術系人材につい ても,企業の内部労働市場の中で活用されることが多かった。しかし,グローバルなメガコ ンペティションと呼ぶべき厳しい状況下,旧来型の HRM 施策を技術系人材に適用することが 困難になりつつあり,グローバルに適用可能な理論枠組に基づき,HRM を構築していかなけ ればならない。本稿では,実務レベルで利用可能な新たな技術系人材マネジメントのスキー ム作りを目指したものであり,主な成果は以下のとおりである。 (1) 「人材アーキテクチャー」(Lepak and Snell,1999)を技術系人材のマネジメントへ適用す る際の問題点を考察した。 (2) 「知識」視点を導入し,その流出リスクを考慮した技術系人材マネジメントモデルを構築 した。 実務家へのインタビュー調査により,構築したモデルの有用性を検討した。 1.はじめに 1-1. 問題意識 日本的雇用慣行の特徴として『長期的雇用関係』が挙げられ(大橋・中村,2004),日本 企業は配置転換により,自社内の内部労働市場で人材を活用していると言われている(小 池,1982) 。この特徴は,製造業において競争力の源泉となる技術系人材についても例外で はなく,新卒で採用された技術系人材は,企業の要員計画(梶原,1996)に沿って,配置転換 や管理職への昇格を経験しながら(今野,1991),定年を迎える場合が多い。ところが,近年 のグローバルなメガコンペティション(小林,1999)と呼ぶべき厳しい状況下,これまでの 日本型の人的資源管理(Human Resource Management: HRM)の手法では対応しきれない状 況が起こりつつある。多くの企業では,事業構造の改編と経営資源配分の最適化を図るこ とにより競争環境に対応しようとしているが,とりわけ製造業においては,競争優位の源 泉を担う技術系人材のマネジメントが極めて重要な経営課題になっている。成長が見込ま (24)-1 れる分野に優秀な人材を配置し,高度な専門性をもとに高いパフォーマンスの発揮を求め る一方で,技術系人材はその処遇を間違えば,技術・ノウハウの流出といったリスク(1) を伴うだけでなく,それがもとで企業の競争優位を失いかねないからである。しかも,事 業の縮小・撤退を余儀なくされる際には,他部門への配置転換の難しさから,余剰人材が 発生し,その対応に苦慮することも少なくない。すなわち,保有する知識が事業分野と密 接に結びついている技術系人材は,事業構造の改編を伴う競争戦略遂行の影響を受けやす く,人的資源管理においても独特な視点が必要である。 1-2.本稿の目的 本稿は,『技術系人材のマネジメント』における新たな理論枠組を模索し,学術的かつ 実務的な貢献を果たすことである。先行研究レビュー(例えば石田,2002;丹羽,2005;開 本,2005;福谷,2013;三崎,2004;村上,2003)及び実務家へのヒアリングから窺い知れ ることは,「技術系人材のマネジメントは,多種多様な視点がある」ということであり, 専門分野(例えば,機械系,電気系,化学系,生物系など)あるいは職種(例えば,新技 術開発,新製品開発,生産管理など)のみならず,個別企業の競争戦略からも影響を受け, 結果,マネジメントスタイルも多種多様である,ということである。事実,「技術系人材」 の定義自体が企業によってさまざまである。しかも,日本企業が研究・開発・生産拠点を 海外に求めるなどの動きの中ではグローバルな人材採用が求められ,他方では,日本の技 術系人材の中にはグローバルに活躍の場を求めようとする動きも見られることから,技術 系人材の HRM は日本特有の雇用関係と労働市場においてのみ適用可能なものではなく,グ ローバルに適用可能なそれへと進化していかなければならない。そのために,本稿では, 労働経済学的視点からの HRM 論を技術系人材のマネジメントに適用する際に生じる問題点 を指摘し,実務レベルで活用可能な新たなスキーム作りを目指している。 1-3.本稿の特徴 本稿の特徴は,HRM 論において内部労働市場論の要素を取り入れた代表的なモデル「人材 アーキテクチャー」(Lepak and Snell, 1999)を,技術系人材マネジメントへ適用する際 に生じる問題点について「知識」の観点から確認し,その解決に向けた枠組を示すことで ある。本稿の構成は,まず第 2 節で人材アーキテクチャー・モデルを適用する場合の問題 点を指摘し,第 3 節で,それを解決するための「知識ベースによる人材類型」を提示する。 この類型に基づき,第 4 節で技術系マネジメントモデルを構築し,その活用方法を説明す る。第 5 節では,構築したモデルの実用化を検証するために実施した実務家へのインタビ ュー成果を示し,第 6 節ではモデルの実用性について考察し今後の課題について検討する。 (24)-2 2.既存モデル適用の問題点 2-1.内部労働市場論 労働経済学では,日本企業で見られる長期的雇用関係を日本特有の文化として捉える見 方(例えば野口,1995;仁田,2008)がある一方で,人的資本形成(Becker,1975)という 経済合理的なメカニズムとして築かれてきたという見方(例えば樋口,2001;小池,2005) もある。 「人的資本」の概念を生み出した Becker(1975)によれば,合理的な企業は,企業内での み通用する「特殊訓練」の費用は負担するものの,企業内外で通用する「一般訓練」の費 用は負担せず,一般訓練者を市場価格で雇用する,とのことである。Doeringer and Piore(1971/1985)は,企業が,「特殊訓練」を行った労働者を継続的に雇用し次の教育訓練 を行うことへ誘引されるため,その結果,企業の合理的な選択として「内部労働市場」が 形成されていく,としている。また,Williamson(1975)は,取引費用を節約するために「情 報の偏在」が少ない内部労働市場を活用することの合理性を示唆している。Lazear(1998) は,こうした経済学的な理論を基礎として様々な人事の問題を幅広く分析しており,樋口 (2001)は終身雇用や定年制といった日本的な雇用慣行には経済合理性があると結論づけて いる。 バブル崩壊以降に活発化した構造改革論争の中で,日本的な雇用システムがもたらす労 働移動の硬直化が企業社会に与えるデメリットを指摘し,雇用流動化を図るべきであると いう主張(例えば通商産業省産業政策局,1997;八代,1997;山田,2006)が注目を集めた が,近年,内部労働市場を活用した長期安定雇用のメリットを再評価する論者も多い(例え ば小池,2005;石水,2012)。 2-2.人材アーキテクチャー論 1995 年に日本経営者団体連合会が発刊した『新時代の「日本的経営」-挑戦すべき方向 とその具体策-』の中で「雇用ポートフォリオ」という考え方が紹介され,労働市場の流 動化を見据えた有期雇用契約を効果的に活用する要員管理の手法として注目された。 Lepak and Snell が提案した「人材アーキテクチャー」は,「雇用ポートフォリオ」と類似 点があるが,企業資源基底観(Resource Based View of the Firm),人的資本論(Human Capital Theory)及び取引費用の経済学(Transaction Cost Economics)に基づいて理論的に構築され たものであり,普遍性の高いモデルであると評価することができる。そして,このモデル が「人材を内部育成すべきか?市場から調達すべきか?」の選択を主要な命題としている ため,人材の内部育成によって成長してきた日本企業が外部の人材の活用を模索していく 時流の中で,日本でも様々な文献(例えば平野,2006)で紹介されてきた。 (24)-3 「人材アーキテクチャー」 (図表 2-1)では,横軸に企業の競争優位やコア・コンピタンス の確立への貢献度を表す「人材の価値(value)」,縦軸に人材の『企業特殊性(uniqueness)』 の二つの指標により,人材を4つのタイプに分類し,それぞれのタイプに適した雇用モー ド,雇用関係,HR 方針(Human Resource configuration)を適用することを提案している。 ここで, 『企業特殊性』とは,人材に対する教育訓練の方針を決定する要素であり,人材の 低 人材の企業特殊性 高 外部労働市場との出入りの容易さを示す指標であると捉えられている。 図表 2-1 人材アーキテクチャー 第4象限 第1象限 雇用モード : 提携 雇用モード : 内部育成 雇用関係 : パートナーシップ 雇用関係 : 組織志向 HR 方針 : コラボラティブ型 HR 方針 : コミットメント型 第3象限 第 2 象限 雇用モード : 契約 雇用モード : 調達 雇用関係 : 取引的 雇用関係 : 共生 HR 方針 : コンプライアンス型 HR 方針 : マーケット型 低 人材の価値<競争優位やコア・コンピタンスへの貢献度> 高 (出所: Lepak and Snell(1999)から抜粋・加筆修正。) 2-3.技術系人材への適用上の問題点 「人材アーキテクチャー」を技術系人材に適用した場合,いくつかの問題点を指摘せざる を得ない。第一は,技術系人材の場合,「長期的な視点で企業の競争優位性を支える人材(い わゆるコア人材)」が必ずしも「企業特殊性が高い」とは限らない点である。すなわち,企業 特殊的能力ではなく,汎用性のある高い技術的専門性が競争優位の源泉となる場合が多く, 「コア人材が実は市場性が高い」という現実を捉えられていない点である。 第二は, 「汎用的能力が高い」人材が必ずしも市場性が高いとは限らない(Campbell, Coff, and Kryscynski, 2012),という点である。技術系人材の場合,汎用的な能力が高い人材で あっても,保有する技術の特殊性などの理由で市場規模が小さい,技術に関する情報の非 対称性のゆえに市場で過小評価される,という理由で労働移動が起こりにくいことがある。 3.問題点の解決策 3-1.知識視点の導入 2-3.で述べたような問題が生じるのは,人材が保有する知識に対する理解が欠落してい るためであり,技術系人材の場合,人材そのもののパーソナリティも重要であるが,企業 (24)-4 にしてみれば,その価値は,知識によって多くは定まる。しかも,その特性は「知識が企 業特殊的であるか?汎用的であるか?」という分類だけでは説明不能である。例えば,あ る技術系人材の保有する汎用的かつ高度で専門的な知識が,その企業の競争力の源泉を支 えているとすれば,その人材は「汎用的能力が高く,かつ長期的な視点で企業の競争優位 性を支える人材(いわゆるコア人材)」として内部育成すべき人材となりうる。 また,技術系人材の労働市場は,保有する知識の分野ごとの「異なる市場の構成体(大住, 1999)」であると見なすことができ,個々の労働市場の規模が小さければ,いわゆる「完全 競争市場(荒井,1996)」とは程遠い状態になる。例えば,技術系人材が保有する知識に汎 用性があっても,その知識を保有する人材が不足していれば,人材を外部労働市場から自 由に調達することは困難となり,逆に,寡占産業などで,その知識を必要とする企業の数 が少なければ,人材が外部の労働市場に流出することを懸念する必要性は乏しくなる。 とすれば,技術系人材の特性を考慮したマネジメントスキームを構築するためには,ま ず知識ベースの枠組を用意しなければならない。図表 3-1 は,知識の類型である。縦軸を「組 織依存的/組織非依存的」,横軸を「属人的(暗黙知的)/非属人的(形式知的)」とする 4 類型 である。 知識ベースのマネジメントスキームを用意することの第二の意義は,内部労働市場論あ るいは人材アーキテクチャー論のいずれにおいても,人材の「育成」局面にその主眼が置 かれていたのに対して,グローバルなメガコンペティション状況下でのいわゆる「選択と 集中」局面では,競争優位の確保と知識流失リスクの回避を念頭におかなければならなく なってきていることにある。確かに「育成」は重要であるが,それが「流出」してしまっ ては元も子もなくなるのである。しかも「人材」という媒体を介して「知識」が流出する ということは,その「知識」が外部に拡散する可能性があることも意味するのである。 図表 3-1 知識の類型注) 組織非依存的 属人的(暗黙知的) (Ⅳ)技能 人材とともに移転可 能な暗黙知 (Ⅰ)技術 移転可能な形式知 (Ⅲ)熟練 組織内での教育と経験 の蓄積による暗黙知 (Ⅱ)職能 組織内でマニュアル 化された形式知 非属人的(形式知的) 組織依存的 注)本知識類型は,筆者指導教授小林敏男氏の知見による。 まず,(Ⅰ)の領域に分類されるのは,「技術 technology」に象徴される知識である。 形式化されており,かつ組織に依存しない知識であり,高度で複雑な理論に基づく最新の (24)-5 技術から,一般的に知られる技術まで含まれる。(Ⅰ)の知識を保有する人材が他社に流出 した場合には,知識が形式化されているがゆえに,たとえ高度で複雑な理論に基づく知識 であっても,その知識を再現できる人材を採用や教育で確保できる場合は事業活動への影 響は軽微である。しかしながら,非属人的(形式知的)であることから,この知識を保有 する人材の流出に伴い,知識が企業外に拡散する可能性があり,その知識が競争力を支え ている場合には,事業活動に致命的なダメージを与える可能性がある。次に(Ⅱ)の領域 に分類されるのは,組織内でマニュアル化された「職能 function」である。組織依存的な知 識であるため,(Ⅱ)の知識の他社への流出リスクは低い。また(Ⅰ)と同様に,(Ⅱ)の 知識を保有する人材が流出しても,その知識を再現できる人材を確保できる場合には事業 活動への影響は軽微である。そして,(Ⅲ)の領域に分類されるのは,組織内での教育と経 験によって蓄積される「熟練 expertise」である。(Ⅲ)の知識を保有する人材は,組織依存 的ゆえに流出するリスクが低いとはいえ,暗黙知的ゆえに他の人材による再現が容易では なく,流出した場合の事業活動への影響が軽微ではないことがあり,企業内部での価値が 高い場合もある。一方で,事業構造の改編による事業の縮小や撤退,あるいは技術革新な どにより保有する知識が無価値になったときには,それまでの企業内での評価が高いほど 処遇に苦慮するかもしれない。最後に(Ⅳ)の領域に分類されるのは,「技能 skill」に象 徴され,属人的(暗黙知的)であるが,どのような組織においても通用する知識である。 (Ⅳ) の知識を保有する人材は,知識が属人的であるがゆえに「余人を持ってかえがたい」という ポジションを占めていることがある。こうした人材は,企業外でも高く評価されやすく, かつ形式知化されていないことから代替する人材を再調達することが困難であることがあ る。それゆえ,流出しやすく,かつ流出したときの事業活動への影響が大きいという流出 リスクが極めて高い状況にある場合がある。 3-2.人材の類型化 図表 3-1 で提示した知識類型に基づき技術系人材を類型化すれば,図表 3-2 となる。縦 軸に「移転可能性 transferability」を,横軸に「内部価値 internal value」を採用して いる。 まず,各軸の高低を決定づける要素について説明する。「移転可能性」の高低は,人材が 保有する知識が,図表 3-1 で示す知識類型のどの領域に該当するかということに大きな影 響を受ける。すなわち,組織非依存的な知識である(Ⅰ)または(Ⅳ)の領域に該当する知識 を保有する人材は移転可能性が高く,組織依存的な知識である(Ⅱ)または(Ⅲ)の領域に該 当する知識を保有する人材は移転可能性が低い。一方,「内部価値」の高低を決定づけるの が,企業としての事業領域の重要性とそれに貢献する知識価値であり,これこそが技術系 人材の特徴と言える。もちろん,一般的な人材と同様に,個人のパーソナリティも内部価 値を構成する要素であり,創造力,発想力,調整力,達成意欲などが高い技術系人材は一 (24)-6 般的に内部価値が高いとされているが,競争戦略論的な意味合いからすれば,こうした個 人的特性は二の次で,組織への貢献意欲がいくら強くとも,事業再編上配置転換は必定と なる。 次に,4つの領域に属する人材について説明する。(Ⅰ)の「ケア人材」は,内部価値が高 く,保有する知識の移転可能性が高いことから流出リスクが高い人材と言える。それゆえ その処遇については,最もケアしなければならない人材である。(Ⅱ)と(Ⅳ)は組織内外 への転用が容易,あるいは外部への流出リスクが低いという意味から,「マネージャブル人 材」と呼びうる。(Ⅱ)の「マネージャブル人材A」については,詳述が必要であろう。所属 事業領域自体の社内価値が低くなったために,内部価値が低いと評価されるものの,組織 への貢献意欲も高く,また他分野でも通用する技能・熟練等を有している場合は,配置転 換が妥当である。問題となるのは,配置転換できない場合である。社内では使い道がない, しかしながら外部労働市場ではニーズがある場合(たとえば,途上国等において),注意を 要する。いわゆる一般的な技能等であれば,潜在的な競争企業においても競争優位の源泉 とはなりえないが,現在においては競争優位を失ったが,かつて競争優位の源泉であった ような技術が,潜在的な競合企業に渡る可能性がある場合,そうした技術を具現してきた 人材の処遇については,難しい問題が残されている。他方,(Ⅳ)の「マネージャブル人材 B」は,内部価値が高く戦略上重要であるが,保有する技術や技能の組織依存性が高いため 移転のリスクが低い。このため,企業としてのマネジメントは比較的容易である。(Ⅲ)の 「プロブレム人材」は,組織依存性が高く内部での価値が低い人材である。所属する事業部 門の業績が順調な場合にはさほど問題にはならないが,事業構造の改編などに伴う事業の 縮小や撤退が行われる場合,内部価値が低いため内部労働市場での配置転換が困難であり, しかも保有する知識が組織に依存しているがゆえに外部の労働市場での雇用機会も乏しく 問題となる可能性が高い。とりわけ解雇に関する法規制が厳しい日本(大橋・中村,2004) では処遇に苦慮することになる。 図表 3-2 知識ベースからの人材類型 内部価値 移 転 可 能 性 高 低 高 低 (Ⅰ)ケア人材 (Ⅱ)マネージャブル人材A 流出リスクがある人材 組織内外での転用が可能な人材 (Ⅳ)マネージャブル人材B (Ⅲ)プロブレム人材 社内プロフェッショナル型人材 リストラの際の処遇が難しい人材 (24)-7 4.技術系人材マネジメントスキームの構築 4-1.技術系人材のマネジメントモデル 技術系人材のマネジメントを考察する際,実務レベルでは,第一に「評価」の問題,第 二に「配置」の問題を検討しなければならない。しかしながら,前者については,人事考 課に関するさまざまな思想,理論,方法を検討しなければならないため,本稿では,戦略 上の優先順位が高い後者の配置問題に絞り込んで議論する。そこで,第 3 節で提示した人 材の類型化をもとに,技術系人材の配置の意思決定を支援するスキームを提示する。まず, 競争戦略との関連で人材配置をとらえるために,配置領域を「(A)将来の競争優位領域」, 「(B)現在の競争優位領域」,「(C)競争優位を補完する(可能性のある)領域」という3つに区 分し, 第 3 節で提示した人材類型と併せて,3 行 3 列のマトリックスを形成する(図表 4-1)。 「(A)将来の競争優位領域」は,技術トレンドマップ等をもとに,企業が将来の有望市場で あると位置づけている領域である。企業がその領域には企業が保有する技術等を活用しつ つ,いち早く市場参入を果たし,競争優位を確立したいと考えるだろう。「(B)現在の競争 優位領域」では,市場が成長期にある場合には,追加的な研究開発投資は市場シェアを高め るために必要不可欠であり,また成熟期においても,コスト削減や新しいマーケットへの 参入を目的とした製品の改良改善を常に行う必要がある。「(C)競争優位を補完する(可能性 のある)領域」は,必ずしも競争優位の源泉には直結しないものの,事業としての採算性を 高める,あるいは品質を維持・向上させるために必要となるプラットフォーム的な領域で ある。例えば,製薬業界において,いわゆるピカ新の開発は競争優位の源泉であるが,そ れをどの程度効率的に生産できるかは,非常に重要な課題である。このような競争優位の 源泉を補完する,あるいは補完する可能性がある領域のことを指す。 図表 4-1 技術系人材マネジメントモデル 配置領域 競争優位領域 (C)競争優位を補完する (A)将来の競争優位領域 (B)現在の競争優位領域 (可能性のある)領域 人材類型 1.ケア人材 △(○) ○ × 2.マネージャブル 人材 ◎(△) ○(△) △ 3.プロブレム人材 × △ ○ (24)-8 4-2.人材類型と配置領域 人材類型と配置領域の理念的な関係について説明する。以下の説明は,雇用に関する法 規制や雇用慣行などの制約を受けないという前提条件のもとで,保有する知識に基づく人 材類型から導き出される合理的な配置方法である。 まず, 「ケア人材」は,現在のコア・コンピタンスを支える人材で (B)領域に配置し,競 争優位を盤石にすることへの貢献を期待することが最も適している。内部価値が高いため (A)領域に配置すべきという考え方もあるが,成長途上でヘッドハンティングに遭うという リスクがあるため,組織への忠誠心が極めて高い,知識の特殊性が高い,あるいは情報の 非対称性が高いなどの理由で,知識流出のリスクが限定的であると認められる場合に限り, 配置すべきである。「マネージャブル人材」は,マネジメントが容易であるため,(A),(B), (C)のいずれの領域にでも配置しやすいといえる。他の人材との比較の中で,とりわけ図表 3-2 の(Ⅳ)の「マネージャブル人材 B」こそが (A)領域に配置するに相応しいと見なすことが できる。理由は,「内部価値」が高く「移転可能性」が低いマネージャブル人材は,適切な 評価システムを提供すれば,長期的な自社への貢献を期待できるからである。一方,「マネ ージャブル人材 A」は, 「移転可能性」が高いものの「内部価値」が低いため,一般的には流 出による事業活動への影響が軽微で限定的であるが,例えば,競合企業が多数存在し労働 市場の需給環境が逼迫しているなどの理由で人材の再調達が困難である場合は(A)や(B)へ の配置には注意を要する。とりわけキャッチアップしてくる企業への流出リスクがある場 合は(B)への配置は避けるべきである。最後に「プロブレム人材」は,(C)に配属すること が妥当であろう。ただし,(B)領域において「職能」が確立されている環境で配置す れば, 一定のパフォーマンスを期待できるように思われる。 5.実証研究 第 4 節で構築したスキームの実用性を検証するための第一歩として,実務家に対して, このスキームに対する意見を求めた。インタビューの対象者は図表 5-1 のとおりである。 また,そこから得られたコメントは以下のとおりである。 【A 氏(X 社) 】 将来の競争領域へ進出する場合,進出のタイプにより配置する人材タイプが異なる。 既存技術を使って新しい用途を開発する場合は「マネージャブル人材 A」を,既存のマ ーケットに対して新製品を開発する場合「マネージャブル人材 B」を活用する傾向があ るといえるのではないか。 全く新しい需要を創造する場合は,全社研究所で新しい技術の開発に携わってきた人材 が配置されることが多く,その人材は「ケア人材」に分類されると思う。 (24)-9 米国の拠点では,秘密保持契約や競業避止契約などを締結し,人材の流出に伴う技術の 流出を防いでいる。日本国内では,ケアをしなくても人材が流出することが少ない。 【B 氏・C 氏(Y 社)】 将来の競争優位領域に内部価値が高い「ケア人材」を配置しないことはありえない 。 リスクを恐れて内部価値の高い人材を配属しないことは経営上の選択肢として無い 。 「ケア人材」に分類される人材は市場価値は高いが,入社時から社内での評価が高く,良 好な研究の環境が与えられているため,ジョブホッピングを狙う人はいないだろう。 優秀な研究者は,『○○研究所に配属すること』を確約し,大学の研究室からの推薦で 入社している者も多く,心理的にも転職しにくいと思う。 生産技術部門の研究者は,外国人研究者も多いが,特段のケアをしていない。 【D 氏(Z 社) 】 将来の競争優位領域に内部価値が高い「ケア人材」を配置しないことはありえない 。 当社は全般に人材が流出することが少なく,「ケア人材」に分類される人材もヘッドハン ティングで流出することは殆ど無い。しかも,内部価値の高い人材は,それなりの処遇 を受けているため,流出する可能性は低い。 当社の場合,全体的に退職率が低いが,中途採用者が退職しやすいという印象があり, この分類とは印象が異なる。保有する知識を評価されて中途採用されたにも関わらず希 望する部門に配属されない場合,自分への評価が低いと感じているように思える。 図表 5-1 実務家インタビューの対象者 A氏 B氏 C氏 D氏 属性 研究者。人事担当の経 験あり。 元・人事担当者。 元・研究者 元・研究者。現・人事 担当。 所属 X社 Y社 Z社 所属する企業について 化学メーカー(売上高<連結>6756 億円)。国内 だけではなく,海外にも研究開発拠点あり。 化学メーカー(売上高<連結>19525 億円)。研 究開発は国内中心。海外は主に生産拠点。 化学品メーカー売上高<単独>546 億円)。研究開 発は国内中心。海外は主に生産拠点。 6.まとめ 6-1. 考察 実務家インタビューでは,知識ベースからの人材類型(図表 3-2)や技術系人材マネジメ ントモデル(図表 4-1)の構成についての理解は得られたが,このモデルを利用した合理的 な配置領域のあり方については異論があった。全ての実務家から「ケア人材を将来の競争 優位領域へ配置することを避けるようなことはありえない。」という趣旨の指摘を受けた。 確かに,実務上、将来の競争優位領域を求めて新しい事業分野に進出する場合は,新技術 の研究開発部門などから技術シーズが持ち込まれることが多いため,その研究に携わって (24)-10 いる人材が新規事業部門に投入されやすく,そして,その人材の多くが「ケア人材」に分 類されるだろうことは想像に難くない。しかしながら,安易に「ケア人材」を将来の競争 優位領域に配置することは,知識流出のメカニズムを正しく理解せずリスクを過小評価し ているとはいえないだろうか。つまり,これまで知識の流出リスクが顕在化してこなかっ たことが,日本の長期的雇用慣行や特有の労働市場といった他の要因が大きいにも拘わら ず,自社のリテンション策が機能していると錯覚しているという見方もできる。 本稿で提示したスキームは,技術系人材の流出リスクの構造が図表 6-1 のように存在し ていることを前提としている。つまり,人材の保有する知識の類型によって流出リスクが 定まること,そして,その流出リスクは人材の特性に関する企業内外の情報の非対称性の 制約を受けつつ,技術分野ごとに細分化された個別の労働市場の特性の影響を受け,さら に人材を取り巻く社会的環境(法規制・社会的慣習・国民性など)の影響を受けるという 構造である。ここで,技術系人材の特徴は,まず,図表 3-2 の人材類型で示したとおり, 内部価値が高い人材であっても移転可能性は異なり,この移転可能性が人材の保有する知 識の特性の影響を大きく受ける点である。次に,保有する知識の深度や特殊性ゆえに企業 内外における人材の特性に関する情報の偏在が発生しやすいことである。さらに,技術分 野ごとに細分化された個別の労働市場の規模や需給環境の影響を受けやすいことであろう。 保有する技術分野の労働市場の大きさは属する業界の市場規模の大きさの影響を受けるだ ろうし,急成長する技術分野では需給環境が逼迫し,労働市場が小さいほど需給環境の影 響を受けやすいだろう。他の業界への応用範囲が広い知識を保有する人材の労働市場は大 きくなるということも言える。そして,図中の最も外側の枠の「社会的環境(法規制・社 会的慣習・国民性など)」は,国や地域ごとに配慮せざるを得ない要素であり,図中の内側 の枠ほどグローバルに適用できる理論を構築できる可能性が高いと考える。 さて,本稿で提示したスキームの主な役割は,まず,人材配置において無用な人材流出 リスクを回避するために,問題のある人材配置を発見し警鐘を鳴らすことである。そして, リスクを犯しても配置する必要がある場合に,適切なリスクヘッジの手段の検討を支援す ることである。つまり,人材を類型化して,その特性を理解した上での配置を支援すると 同時に,技術系人材の流出リスクの構造を理論的に把握することにより,内部価値が高く, かつ流出リスクの高い人材に対する適切なリテンション策を講じ,たとえ内部価値が高く とも流出リスクの低い人材に対する無駄で無意味なリテンション策への投資を回避するこ とを支援することであると考える。 (24)-11 図表 6-1 技術系人材の流出リスクの構造 保有する知識の特性 (知識の移転可能性・価値など) 技術系人材の特性 企業内外の人材の特性についての情報の非対称性 個別の労働市場の特性(市場規模・需給環境など ) 社会的環境(法規制・社会的慣習・国民性など) 6-2.今後の課題 本稿では,実務家インタビューの対象者が所属する企業の中で海外に研究開発拠点を有 する企業はX社だけである。構築したスキームの実用性を検証するためには,海外に研究 開発拠点を有する企業や,今後,海外に研究開発拠点を求めていく企業へのインタビュー が有効であると考える。6-1 の考察が正しければ,このような視点で人材配置の意識決定を 既に行っている,あるいは計画している企業があるはずである。無いとすれば,この視点 のどこに問題があるのか,あるいは経営者に未だ問題意識がないのか,といったことを実 証研究を通じて明らかにしていきたい。本稿は,いうなれば構造的議論であり,構造論を 保管するプロセス論,すなわち評価システムも検討することによって,技術系人材のマネ ジメントに関する知見を充実させていきたい。 (1)リスクの大きさは、その「発生確率」と「発生に伴うダメージの大きさ」により評価できると考える。 【参考文献】 Barney,J.B.(2002)Gaining and Sustaining Competitive Advantage,Second Edition,New Jersey:Pearson Education,Inc. 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