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(PDF 1701KB) 月刊監査役 660号 2016年11月号 月刊監査

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(PDF 1701KB) 月刊監査役 660号 2016年11月号 月刊監査
c o l u m n
人工知能が日本の会計監査業務に与える影響について
有限責任監査法人トーマツ パートナー デロイトアナリティクス日本統括責任者
矢部 誠(やべ まこと)
1 人は、人工知能に支配されるのか?
罪両面で様々な議論があることは承知し
ている。人工知能が人類の能力を超え、
人工知能が支配する将来と聞いてイ
これによって人類が支配される可能性が
メージするのは、二足歩行ロボットが自
あるといった話や、人類が人工知能を使
我に目覚め、武器を取り地球を支配する
うものと使われるものに分化し、極めて
イメージだろうか。または、猫型ロボッ
少数の人間が人工知能によってもたらさ
トや人型ロボットがおっちょこちょいな
れる富を享受するといった話。もちろん
子どもを助けるアニメのイメージだろう
未来を予測することはできないが、私見
か。そのどちらも人工知能を活用してい
では、依然として人類は自らの生命の安
るであろうことは想像できるが、現在、
全とより豊かな生活のために、これら技
または少なくとも近い将来において、人
術を倫理観を持って適切に制御し、活用
工知能と他技術の組み合わせによって実
を続けているだろうと考えているし、信
現される成果は、このようなイメージと
じている。
はかなり異なるであろうと考えている。
2045 年には、コンピュータの計算能
人工知能を取り巻く喧騒
力が人間の能力を超える“シンギュラリ
人工知能という言葉が広く知られ、身
ティ”を迎えると言われており 、この
近な存在になっている一方、「人間の知
頃における人工知能の可能性について功
能や直感に基づく判断や意志決定を代替
1)
し、ともすれば、より正確か
つ高速にそれを行うものが人
工知能である」、「人工知能は
万能である」といった、イメー
ジ先行の論調を多く目に
する。
数年前の「ビッグデータ」
ブームの次にやって来たのは
「人工知能」と「機械学習」
のようだが、これらのブーム
の中に身を置いて感じること
002
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は、その時々の流行りの技術が世の中を
人工知能の活用について、例えば単純
一変させてしまうという論調は、それら
な事務作業を念頭に考えてみる。従来、
技術や手法が持つ本質的な価値を時に歪
申込書や契約書を紙で受け取り、人手で
曲してしまう側面を持つということで
入力していた業務を OCR に置き換えれ
ある。
ば、入力業務自体が不要になり、OCR
国内外において、人工知能の技術的進
で識字された内容を確認する時間が相対
展や、ビッグデータ、クラウドの浸透に
的に増加する(OCR は近年の人工知能
よって、特定の領域における職業の必要
の進化によって高度化される画像認識の
性自体が低下し、失職や産業構造転換が
領域)。そして入力内容を確認する作業
生じる可能性が大きく取り上げられてい
を自然言語処理や機械学習によるパター
る。例えば、「今後数十年でコンピュー
ン認識と異常検知に置き換えることがで
タに取って代わられる職業」といった
きれば、入力内容を確認する作業に費や
テーマで、弁護士、会計士、税理士や金
していた時間が減少し、パターン認識の
融機関の融資担当といった、過去の事例
精度向上と、検知する異常の定義づけに
や一定の判断基準に基づいて見解を発す
費やす時間が相対的に増加する。結果的
る職業が人工知能に置き換えられるとい
に、同一の業務に対して必要とされる人
う論調である 。なかなかセンセーショ
員の絶対数が低減され、事務という業務
ナルで面白いが、職業がなくなるという
の内容が変化していく。これは単に、人
“0”か“1”かの議論の基礎として人工
工知能が職業を壊滅するという話ではな
2)
知能だけがフォーカスされていることは、
く、企業努力として常に行われている経
物事の一面しか捉えておらず、正しいと
営の効率化であり、その 1 つの要素技術
は思わない。
として人工知能を活用しているにすぎな
人工知能に限らず、バイオテクノロ
い。人工知能が持つ概念の曖昧さゆえに
ジー、無線通信技術やバッテリー関連技
拡大解釈や曲解を生み、本質的な価値に
術、モーターや電源、熱制御技術の進歩
焦点が当たらないまま、イメージだけが
によって、職業の定義や、業務において
先行しているのではではないかと感じて
時間を費やす内容が大きく変化すること
いる(図表 1)。
は想像に難くない。それはこれら技術の
進歩によって、単にコンピュータの計算
人工知能を取り巻く環境の変化
処理速度が向上し、精度が高まっていく
人工知能の概念は非常に広く、理論や
だけではなく、物理的なサイズや電源、
技術としては 50 年以上も前から存在し
情報の伝送など、商品やサービスの開発
ており、我が家の掃除機や炊飯器にも搭
において障壁となる制約が次々と解消さ
載されている。当時は「マイコン制御」
れていくことを意味しており、職業や
と記されていたものが1990年代に「ファ
サービスを破壊的に変える可能性のある
ジィ」に替わり、いつからか「人工知能
技術は枚挙にいとまがない。
(AI)」と記されるようになった。しかし、
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図表 1 機械の活用により、人が係る業務内容が変わる
人が確認
手で入力
精度向上
人が確認
AIで確認
全ての作業を人が行う
OCR入力
OCR入力
入力は自動化し
確認を人が行う
全て機械が行う
現在の人工知能が一般に想起させるイ
り計算処理能力が飛躍的に向上し、かつ
メージと、我が家の家電の実態は必ずし
低廉化したことで、許容時間内に膨大な
も同じではなく、ロボット掃除機は愚直
演算を行い、解を導出できるだけの計算
に同じところの掃除を繰り返し、浴室に
能力を得られるようになった。多くの人
入り込んだら最後、そのまま戻ってこな
が手にしているスマートフォンの処理性
い場合もあるし、炊飯器は米をセットし
能 は、1990 年 代 初 頭 の ス ー パ ー コ ン
て予約時間を入力しなければ自ら炊飯は
ピュータ並みの演算性能を有しているこ
してくれない。
機械が行う作業の本質は、
とからも、その性能の飛躍を感じること
人工知能が搭載されていなかった頃と変
ができる。
わっていないと思われる。
一方で、今、人工知能がこれだけ注目
2)利用可能なデータの爆発的増加
されるようになったのは、近年における
2002 年、人類が生成するデジタル情
以下に述べる 3 つの技術・サービス革新
報は、本やフィルムなどアナログ情報を
により、過去に何度か足踏みした進化が
凌駕し、それ以降拡大の一途をたどって
再び進んだためと考えらえる。
いる3)。また、質的にも、人手によって
データ化されていた情報から、スマート
1)コンピューティングパワーの
飛躍的成長
004
フォンなどのデバイスから入力されるテ
キスト情報や、デバイスに搭載されたセ
かつては理論上、解を導出できること
ンサーから出力されるログ、そして、画
と、実装されたプログラムで解を得られ
像や動画は、最初からデジタルで生成さ
るかどうかには、大きな隔たりがあった。
れたデータへと変化している。結果、情
しかし現在は、仮想化、クラウド化によ
報は高頻度・リアルタイムに生成され、
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分析の精度を維持するためのデータの密
これら 3 つの事象によって、かつては
度が向上し、デジタルイメージのように
容易には実現できなかった処理や分析結
多くの属性情報(画像で言えば撮影時間、
果の導出が可能になったことが、近年の
撮影日、位置情報など)がデータととも
最大の変化であり、人工知能の可能性と
に保持されるようになったため、データ
実用性を大きく広げたと言えるだろう
を活用する上で前提となるデータ間の関
(図表 2)。
連づけも容易になった。
今次における人工知能の位置づけと機能
先にも述べた通り、人工知能の定義自
3)ストレージの高密度化とクラウド化
磁気媒体や半導体メモリの超高密度化
体が非常に曖昧であるため、これが何を
に伴う記憶領域の拡大と単位容量当たり
意味するのかを定義せずに見解を示すこ
の価格の低廉化、およびデジタルデバイ
とは、新たな誤解を招きかねない。ここ
スから生成されるような、更新頻度は高
では、人工知能そのものだけではなく、
くないが大容量のデータをそのまま格納
自然言語処理、機械学習、IoT、自動化
するのに適したクラウドストレージの普
などの技術を含めた変化が、今後の産業
及によって、あらゆるデータを保存し、
に与える影響の考察についての概要を述
それらを素早く活用するアクションを可
べたい。
これまでも各種メディアによって、金
能にした。
融機関がコールセンターに人工知能を導
図表 2 人工知能と周辺技術の変化によるインパクト
利用可能データの
爆発的な増加
アルゴリズムの
高度化
処理能力の高速化
ビッグデータに適用される技術により、今までは活用できていなかった非構造化データからのインサイトの抽出を実現
構造化データ




非構造化データ





取引・CRMデータ
リサーチ・マーケットデータ
メインフレームデータ
POSデータ
40-50%
デジタルデータの
年間増加率*
62%
非構造化データの
年間増加率*
Eメール・ブログコンテンツ
ビデオ・SNSコンテンツ
患者ごとのカルテ
年次報告書・公的な提出書類
インダストリーレポート・
リサーチジャーナル
$2,320億ドル
2020年までにビッグデータ
領域で費やすIT支出額*
~9倍
2020年までに増加する
非構造化データの規模
(構造化データ比)**
* HP Autonomy, Transitioning to a new era of human information, 2013
** Steve Hagan, Big data, cloud computing, spatial databases, 2012
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入した事例や、住宅メーカーが人工知能
士や会計士、税理士の職業がなくなると
を搭載した対話型ロボットを導入した事
言われる所以であり、銀行の融資担当者
例などが紹介されている。これらは、人
も同様である。
が通常使用する言語体系を用いて音声入
また、現在 Deep Learning4)の主な
力を行い、この入力に対して、機械学習
適用領域である、画像認識や音声認識と
を用いて音声を認識し、自然言語処理を
パターン認識の組み合わせにおいては、
行った上で要求されている応答を推定し、
人の目で認識して応答するより、はるか
蓄積されたデータベースに対して検索を
に高速かつ正確な認識と応答が可能に
かけ、結果を返すという作業を自動化し
なっている。
たものである(図表 3)
。
以前より自動車の自動運転や自動ブ
一般的な処理過程では、機械学習が解
レーキとして動体識別技術は実用化され
析手法として多用されており、広い意味
ているが、技術の進展は非常に速く、レー
での人工知能と言える。検索に対する応
ダー(電波)技術からカメラの画像処理
答は、日々利用するインターネットの検
(またはその組み合わせ)へ進展したこ
索機能からもわかるように、相対的に見
とで、電波を反射しないことから今まで
れば進化が速かった分野ではあるが、そ
は検知できなかった人のような物体の検
れ以外の音声認識や自然言語処理の精度
知も可能にし、さらにはカメラのステレ
が業務に適用可能な程度に向上したのは、
オ化とカラー化が進んだことで、前方走
ごく最近の出来事である。
行車両のブレーキランプの灯火まで識別
この機能が実用に耐える状況になると、
することが可能になっている。人間とは
過去の事例や、体系化された情報に基づ
違い、よそ見も居眠りもしないため性能
いて判断される問い合わせ応答では、人
は安定的であり、検知の結果は電気信号
が行うより圧倒的に高速で精度の高い処
として各駆動装置に送られ、ブレーキや
理が可能になる。これは想定問答に基づ
灯火など、必要な制御をミリ秒単位で行
く単純なやり取りだけではなく、過去の
うことができる。
判例や会計処理、また一定の基準に基づ
似た事例として、当法人が提供するサー
いてある程度機械的に判断するような領
ビスにおいても、Deep Learning 技術を
域においても同様である。これが、弁護
活用し、有人監視していた情報サイトへ
図表 3
機械学習
音声入力
006
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テキスト
データ化
データ検索
自然言語処理
+
応答の推測
機械学習
結果を返答
の不適正画像のアップロードを自動検知
場や労働生産性にどのような影響を与え
し、検知対象のみを人が判別するといっ
るのだろうか。
たプロセスに変わりつつある。監視でき
人工知能に関連した技術の進歩は、労
る範囲が人員の数に比例する有人監視と
働生産性に大きな効用を生み出す可能性
は異なり、必要な計算量さえ確保できれ
が高い。先に述べたように、従来人手に
ば全量監視が可能であり、
チューニングと、
頼っていた業務の一部は、コンピュータ
オンデマンドクラウドやGPGPU5)の活用
による処理で代替できると想定される。
で計算量を確保することが可能となった
職業そのものがなくなるということでは
ため、すでに実用段階になっている。
なく、業務の内容や質が変化していくと
現時点では、特定の領域に限って効果
いう表現が適切であろう。1 日の労働時
を発揮するタイプの技術が実用化されて
間に制約なく業務をこなし続けるシステ
いる段階だが、今後は、より汎用性のあ
ムがあれば、このような、より効率的な
る人工知能に関連した技術が開発されて
労働力や手段に業務を移管するのは経営
いくものと思われる。つまり「囲碁が打
者として自然な判断である。
てる」や「対話ができる」といった単一
端的な仮説として自動運転を挙げると、
の機能性を有する技術から、対面してい
法整備や規制がクリアされ、公道での完
る相手の生体反応や反射、音声から感情
全な無人自動運転が可能になった場合、
を認識し、
「どのような動作をすれば良
トラックドライバーの仕事は、運転その
いかを推定する」ような、よりハイレベ
ものから集中管理センターでの運行監視
ルなコミュニケーションや、これに連動
へと変化するかもしれない。1 人の人間
した動作の実現が予想される。
が、自動運転する数十台のトラックの運
加えて技術的な進展とともに忘れては
行状況を管理しながら、異例操作の時だ
ならないのは、時間の経過とともに蓄積、
けジョイスティックを握ることが実現す
学習される情報が指数関数的に増加して
れば、労働生産性は飛躍的に向上する。
いくことである。そして、その情報自体
この環境下においてはトラックの事故は
も新たなインプットとして解析処理や特
相当に低減されており、かつ事故が起
徴量の抽出精度を向上させるため、進化
こった際の過失のあり方も現在から変化
の速度は一層速まっていく。
している可能性がある。さらには、自動
このように、
人工知能に関連した技術は、
車保険の形も変化し、それが損害保険会
着実に産業や一般社会に浸透しつつある。
社の営業員の働き方を変化させていく可
そして、業務の効率性は向上し、商品や
能性も否定できない。
サービスが消費者にとってより価値のあ
るものへと進化していくであろう。
日 本 の 労 働 市 場 に 目 を 向 け る と、
2016 年の現在の生産年齢人口 7,597 万
人6)は、2030 年には 6,773 万人程度と
人工知能の進化と浸透が日本に与える影響
なり、およそ 800 万人も減少すると言
それでは、人工知能は、日本の労働市
われている。人口減少に対応するために
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様々な政策が進むとは思うが、上述した
に基づいたサンプルベースでの証憑突合、
ような、
労働の質の変化はありながらも、
または回帰分析に近い分析的手続を主体
労働生産性の改善による効用は、日本の
とした取引や会計事象の正しさを確認す
社会全体にプラスの変化をもたらすもの
ることで、十分かつ適切な監査証拠を入
だと思われる。
手し、監査手続を実施するという流れは
数十年変わっていない。
2 会計監査業務における潜在的な
変化
この監査のプロセスは、昨今の技術進
歩により、以下の点において今後大きく
変化する可能性がある。なお、これは監
次に、会計監査業務において人工知能
査を取り巻く情報技術が与える潜在的な
に関連した技術の活用が代替し得る業務
影響を述べたものであり、現在行われて
の可能性と、その潜在的な領域について
いる財務諸表監査手続そのものの是非に
触れていきたい。
ついて見解を述べるものではないことに
会計監査を取り巻く環境は、人工知能
ご留意いただきたい。
や IoT、クラウド、ロボティクスに関連
した技術によって今後大きく変化するこ
手続が自動化されることで、
とが予想されるであろうことは、職業が
人の関与が減少する領域
なくなるかどうかは別にして明らかであ
過去の事例や体系化された情報に基づ
る。これは近年の技術革新が後押しする
いて判断される問い合わせ応答を自動化
部分もあるが、会計監査における監査意
するメリットが大きいことは先にも述べ
見の形成に至るまでのプロセスが、これ
たが、企業会計の基準の画一的な適用に
までの歴史において、手作業で行ってい
よって監査手続を実施するような局面も
たものをそのまま電子化するという側面
これに該当する。また、判断を伴うとは
が強く、革新的な変化があったとは言え
いえ、過去の実績等に基づいて算出され
ない一方で、企業を取り巻く環境は激変
る会計上の見積り、例えば貸倒引当金の
しており、事業スキームから会計処理に
ような評価性の引当科目は、相当程度自
至るまで大きく変遷してきていることか
動化が可能である。企業が構築したロ
らも、想像できる。
ジックを検証し、科目全体を再計算する
特に公認会計士が実施する財務諸表監
008
ことは特段難しいことではない。これは、
査において、時々刻々変化する企業の事
売上計上など多量だが定型的に処理され
業活動・会計処理に係る判断の基礎を会
ることが多い科目と比較すると、相対的
計基準の改定や監査の基準などが提供し
には複雑な判断をしているとはいえ、自
ており、これらを拠り所にしながら公認
動化されないと言い切ることはできない
会計士が重要な虚偽表示リスクの決定を
ということを意味する。
行い、監査上重要となる事業活動、科目、
企業が事業運営過程において高度にシ
開示を決定している。そして、その決定
ステム化された処理等を行っている場合、
監査役 No.660 2016.11.25
これを監査人が一時点の記録として提供
企業にしてみれば、特に期末を過ぎて
される監査証拠から手作業で再現、検証
限られた時間の中で決算を行わなければ
することは、投下された経営資源量の違
ならない状況下で、監査人からの大量の
いを考えれば難易度が高いことは自明で
資料提供依頼に対応する時間を減らすこ
ある。しかし、企業が実装した機能を、
とができる一方、監査人にしても、複数
ある程度対称性を持って監査人が実装で
の監査先を担当しながら、各企業が作成
きたとすれば、計算処理や数理統計を用
する情報の受領のタイミングを見極め業
いたシミュレーションを監査人も行った
務の割り振りを行うなど、監査の本質と
上で、識別された乖離についてのみフォ
は遠い部分でかかる多くの負荷が、自動
ローするということで足りる。結果的に
化されることで大きく改善できるであ
実証手続や内部統制の検証、評価性を持
ろう。
つ各種計算領域などは、多くの部分が自
動化される可能性がある。
加えて、独立性や監査の基準をクリア
できる施策やセーフガード等が前提とは
なるが、監査人が提供する会計システム
企業と監査人の常時データ連携
監査におけるコミュニケーションにお
いて、単純だが多くの労力を割く証票や
で企業が会計処理と決算を行うのは極め
て効率的とも言え、そのような将来がな
いとは言い切れない(図表 4)。
データのやり取りは、今後は企業と監査
人の間が物理的に分断された環境で授受
取引全量を利用した監査を通じ
を行う形から、企業と監査人の間が常時
過去実績の把握から将来予測へ
接続された環境での授受へと変化するだ
財務諸表監査における手続は、多くの
ろう。海外も含めた当法人ネットワーク
場合過去の会計事象を対象としたもので
ファームでは、仕訳データを日次連携し
あり、過去の特定の期間における会計処
ている監査先が実際に存在している。
理の適切性に対して意見表明するものだ
監査人が企業の莫大なデータを保有し
が、上述のような技術の進展によって、
切れるのかという端的な問題は、クラウ
監査実施の時点が過去から現在へ、頻度
ドコンピューティングが多くの部分を解
が都度からリアルタイムに変わる可能性
決するだろう。そもそも監査人が必要と
がある。
するのは、企業活動における一部のデー
現在通常に財務諸表監査を実施する上
タのみであることから、企業のシステム
では、期中往査や四半期レビューも含め
に対して監査人が必要とする IT 資源は
ると数ヶ月ごとに監査上の手続を行って
相対的に小さい。監査人は、監査先のデー
いる。一方で、企業側は日々取引の記帳
タを検索・抽出することが主で、同時多
を行っており、この記録の共有を日々受
数の顧客からの接続処理や、データをリ
けたとすると、リアルタイムに近い形で監
アルタイムに更新するために企業が必要
査先の会計処理を確認することができる。
とするようなリソースも必要ではない。
日々取引データが共有され、これを同
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図表 4
企業のデータセンター
監査法人のデータセンター
監査人
企業
Firewall
システム
Internet
監査用
サブ
システム
システム
監査法人
Firewall
データ
じく日々自動的に検証し、異例事項を検
気合いで売り切るから、在庫は収益性の
知する環境においては、出力される結果
低下による簿価切下げはしない」といっ
は、当日発生した事象全件に対するフォ
た判断は、「過去の売上トレンドと商品
ローとなる。日次で関連する全件のデー
ライフサイクルから時系列予測を行った
タが連携されることで、監査手続実施の
結果との乖離が大きいので認めることは
起点として一般的な四半期、または月次
できない。監査人の予測では、当該商品
の科目別残高とはまったく異なる粒度で
は 12 月を除く毎月、概ね 3%ずつ売上
企業の会計処理に向き合うことが可能に
が減少するはずである」となるかもしれ
なる。あわせて、データの粒度が細かく
ない。
なり蓄積が進むことで、分析における予
測精度が向上し、高精度な異例事項の検
知や、統計的な将来予測が実現される。
自動化・機械化されるのは、外部監査
期末近くになって、企業が監査人から
に限らない。内部監査機能が現状よりも
半年前の海外拠点における個別取引や会
一層 IT 化し、IT 監査機能の強化がなさ
計処理の妥当性についての問い合わせを
れる中で、Continuous Auditing(継
受けるのではなく、昨日の特定の取引内
続的監査:CA)の実装が進み、監査人
容と今後に与える影響について、翌日の
は内部監査部門のモニタリングに一層依
午前中には連絡が来るといった具合に対
拠する領域が広がる。
応が変わるだろう。
010
継続的監査(Continuous Auditing)
このプロセスが進展していく過程にお
これらは、個別取引データや会計処理
いては、おそらく外部監査の CA 化が進
レベルの検討に当たって有益なだけでは
み、これを内部監査にも取り込む形で進
なく、経営者の会計上の見積りについて
展するものと予想する。日本企業におけ
も、経営者の持つ仮定の合理性を判断す
る内部監査部門は、必ずしも潤沢な IT
る上で、実測結果に基づく検討が可能に
監査やデータ分析の専門家を抱えている
なる。
「経験上売れると思うし、現場が
わけではない。そのため CA を実装する
監査役 No.660 2016.11.25
ために、外部専門家の支援や助言を受け
報酬モデル
る上で、監査人が自社の監査に対して実
監査報酬モデルも、これらに応じて変
装している CA を参照することは、効率
化する可能性がある。企業のデータを直
的なアプローチである。
接的に利用し、手続を高度に自動化し、
検証手続も人工知能などを活用した予測
監査において新たに検証対象となるもの
モデルで行うことが主体になる財務諸表
企業において人工知能や機械学習の活
監査においては、監査人がどれだけの時
用が進むと、商品価格や在庫水準などが
間を費やしたかという時間に対する報酬
統計モデルによって自動的に決定され、
ではなく、事業における不確実性の度合
取引が実行される。そうすると、これま
いによるリスクや、監査手続における自
で監査において実施してきた手続では、
動化の度合い、利用する予測モデルの適
それぞれの決定の根拠や、妥当性が説明
合度合い(適合度が低ければ手作業が増
しきれなくなっていく可能性がある。同
える)、内部監査部門で実施される CA
様に、IoT の浸透で取引発生や所有権の
への依拠度合いなどを勘案した報酬モデ
移転の記録が、従来の発注書や契約書、
ルへと変化していくことが考えられる。
納品書や検収書から、センサーが記録す
るログに置き換わると思われる。
監査における監査人とのコミュニケーション
例えば、小売店の物流センターのセン
財務諸表監査における監査人とのコ
サーが在庫量の下限を検知して自動発注
ミュニケーションにおいて、会計事象や
し、取引先の物流センターで自動出荷処
会計処理に関する点に加え、予測モデル
理が行われ、製品にタグ付けされたRFID
や不正検知ロジック、実装された CA を
(Radio Frequency IDentification)で
検証するための技術情報などが増加し、
出荷が特定され、売上計上される。小売
コミュニケーションの対象も、公認会計
店の物流センターでは、RFID で納品を
士だけではなく、監査チームを構成する、
検知して在庫量を修正、仕入計上する。
それ以外の IT 専門家やデータ分析の専
在庫量については、販売予測システムが
門家などを対象とする割合が増えていく
算出した予定在庫量が自動的に適用され、
ことになるだろう。
これに基づいて在庫の調整がなされる。
一方で、公認会計士とのコミュニケー
このようなプロセスを想定した際に、
ションは、個別取引の検討から、経営・
監査上の検証対象となる受発注に係る証
事業の根幹に係る戦略やビジネスリスク
憑に代わって、このセンサーの情報の正
といった、
企業活動の本質に対する内容に、
確性や網羅性、そして在庫高の決定に利
より多くの時間を費やす形へと変化して
用されるモデルが、新たな要点になって
いくだろう。個別詳細の部分について自
くるだろう。
動化されたプロセスは検証済みであり、
異例事項についても日々のやり取りの中
で解消されているはずだからだ。
監査役 No.660 2016.11.25
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監査人は、経営者の持つ事業の方針や
かりではない。この人工知能や IoT、ク
会計上の見積りについて独自のモデルや
ラウド、ロボティクスによる自動化・機
仮定を基に、より具体的な問いを投げか
械化を活用しながら、企業会計とビジネ
けるようになるだろう。グローバルに展
ス全般に対する高度な専門性を持った人
開している会計事務所では、これを支援
間味あふれる会計士が提供する会計監査
するツールやモデルの開発に、すでに一
業務というものは、今後も変わらず必要
様に取り組んでいる。
とされ、存在し続けるものであると信じ
ている。
代替されない領域
では、変わらないものはないのか。企
業経営と意思決定が完全に自動化され、
そもそも市場に求められない商品や
人間が評価・判断するべきものがなくな
サービスは自然と淘汰されていくもので
らない限り、監査人は監査先に出向き、
あり、変化していく市場環境に適応でき
経営者の言葉に耳を傾け、職業専門家と
ないものが残っていくことは、非常に難
しての見解や判断を経営者と交わすだろ
しい。これは、チャールズ・ダーウィン
う。時に前例にとらわれずリスクをとり
の時代から語られた言葉であり、史実で
ながら戦略的に意思決定をしていく経営
あり、現実である。
者の判断に対する評価や、収益性のみで
会計監査、会計士といった業務・職業
は計れない価値に対する投資判断、数字
は、将来においても現状のままであるこ
には表しきれない経営者の誠実性の判断
とは恐らく進化の過程に抗うものであり、
など、公認会計士・監査人としての総合
それを望むことは社会一般の利益にもそ
的な判断は、人工知能がどこまで進歩し
ぐわないだろう。その意味では、人工知
ても、相手が人間である限り必要な存在
能によってであろうがなかろうが、求め
であるだろう。
られるものを提供できない事業・職業は
人工知能や機械学習は、与えられた問
淘汰され、代替されていく。規制とて、
題に対する解を人間よりも極めて高速に、
将来において引き続き事業内容や他業参
かつより確からしく導くことができる一
入を制約するものであるとは限らない。
方で、その問題が設定された背景を推定
昨今の会計監査を取り巻く厳しい環境
した上で、まったく違う問題設定と解の
の中で、その本質的価値を磨き上げるた
導出を行うことは、Deep Learning の
めに、監査に従事する者の多くが危機意
今後の進展によっては可能であるかもし
識を持って取り組んでいる。各種メディ
れないが、まだしばらくは時間がかかり
アの情報も含め危機意識を否応なく高め
そうな状況である。
られる状況は、前向きに捉えればチャン
そもそも人間の判断というのは矛盾に
012
終わりに
スでもある。技術の革新による会計監査、
満ちたものであり、これはどこまで進歩
監査人の進化は一面に過ぎないが、より
してもモデルによって説明できるものば
魅力ある、真に必要とされる会計監査の
監査役 No.660 2016.11.25
提供に向け、業界に身を置く人間の一人
として、全力で取り組んでいく決意で
日々臨んでいる。是非、監査業界、会計
監査、監査人にご期待いただきたい。
本記事は私見であり、有限責任監査
法人トーマツの公式見解ではござい
ません。
【注】
1)
“シンギュラリティ”とは、機械の能力が人間を完全に上回り、コントロール不能となるある種の臨
界点“技術的特異点”のことである。
Kurzweil, R. The singularity is near:When humans transcend biology. Viking Penguin,
2006.
レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生:コンピュータが人類の知性を超えるとき』井上健
監訳、小野木明恵=野中香万子=福田実共訳(日本放送出版協会、2007 年)
2 )Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne:THE FUTURE OF EMPLOYMENT:HOW
SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION ?, 2013.
3 )M. Hilbert and P. Lopez:The world’s technological capacity to store, communicate, and
compute information, Science, Apr. 1, 2011.
4 )従来の手法では分析者が問題設定を理解し、様々なデータ変換(特徴量抽出)方法を試行錯誤して
精度を磨き上げるが、Deep Learning では変換方法も自動的に最適化されるため、従来の手法より
高精度を達成できると言われている。
5 )GPU は CPU とは異なり、一般的に画像処理を専門とする演算装置である。この GPU の機能を使っ
た汎用計算。
6 )国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成 24 年 1 月推計)
」の出生中位・死亡中
位仮定による推計結果。
略歴
矢部 誠(やべ まこと)
有限責任監査法人トーマツ パートナー デロイトアナリティクス日本統括責任者
外資系金融機関等での勤務を経て、2005 年に監査法人トーマツに入社。金融機関、製造業、流通業等に対
するデータ活用による顧客管理、収益改善・コスト最適化サービス、不正調査支援サービスを含む多数の監査・
コンサルティング業務に従事。2012 年にデロイトアナリティクスを立ち上げ、デロイトトーマツグループ
が提供するあらゆるサービスへのアナリティクス適用を主導するとともに、先進分析手法やビッグデータ分
析・活用基盤の研究開発部門をリード。Global Audit Innovation Boardのメンバーとしてデロイトのグロー
バルネットワークと連携し、監査業務のイノベーションを推進。
監査役 No.660 2016.11.25
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