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は み か え る

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は み か え る
土佐学年報
第2号
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か か
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2008年3月
土佐学協会
2
「土佐学年報・第2号」刊行にあたって
∼たまるか!土佐がはみかえりゆう!∼
理事長 竹村 昭彦(司牡丹酒造社長)
この度いよいよ、「たまるか!土佐がはみかえる」(土佐学年報 第2号)が刊行さ
れる運びとなりました。この1年間熱心にご活動いただきました会員の皆様と、お忙し
い中刊行にご尽力いただきました会員の皆様、そしてご支援いただきました賛助会員企
業の皆様と、活動にご協力いただきました様々な団体の皆様に、心から感謝申し上げます。
さて、創刊号同様第2号も、「たまるか!土佐がはみかえる」という、土佐弁の一風
変わった書名になっております。これを標準語に訳せば、「すごい!土佐が開き直って
がんばっている」というような意味になります。しかし、私は第2号刊行にあたり、あ
えて「たまるか!土佐がはみかえりゆう!」と申し上げたいと思います。これを標準語
に訳せば、「すごい!土佐が開き直ってがんばりつつある!」というニュアンスになる
でしょうか。私たちが掲げる目標のひとつ「土佐を元気にする」が、わずかな歩みなが
らも一歩一歩進んでいると肌で感じられるから、こう申し上げたいのです。
リクルートのじゃらんリサーチセンターがまとめた「宿泊旅行調査2007」の都道府県
ランキングで、「地元ならではのおいしい食べ物が多かった」部門の第1位に、高知県
が選ばれました。高知県の食のおいしさに、「日本一」のお墨付きが与えられたといえ
るでしょう。また、将来を有望視されているアメリカの若手映画監督アーロン・ウルフ
ォークさんが、「Harimaya Bridge(はりまや橋)」という映画を撮影することになり
ました。彼は「高知は第二の故郷。高知の素晴らしさを世界に広げたい。」と語ってい
ます。ハリウッド俳優のダニー・グローバーさんの出演も決定しており、高知を舞台に
した映画がアカデミー賞を獲得する、なんてことが夢ではなくなるかもしれないのです。
これらは、私たちの活動とは何の因果関係もないかもしれません。しかし、私たちの
目標「土佐を元気にする」にとっては、大きく貢献するであろうことは明白でしょう。
そして、強い「念い(おもい)」は深いところで通じ合うものです。私たちの活動は、
地道で小さなものですが、「土佐を元気にする」という「念い」は、強いものがありま
す。そして、より多くの県民の皆様が、「土佐を元気にする」という強い「念い」を持
てば、さらに高知県にとって素晴らしい出来事がやってくる確率が高まるのではないで
しょうか。・・・そんな「土佐学協会」の「念い」と活動に、今後ともご支援ご協力を
頂戴できましたら幸いです。
3
土佐学年報 第2号
目 次
或る「土佐学」について −会長挨拶に代えて− 会長 中内 光昭 1
「土佐学年報・第2号」刊行にあたって ∼たまるか!土佐がはみかえりゆう!
理事長 竹村 昭彦 2
【Ⅰ 私たちの土佐学】
Ⅰ-1 土佐学に期待すること −「学問振興運動」としての土佐学について−
副会長 成田 十次郎
4
Ⅰ-2 土佐の職人たちの話−その生活から学ぶもの− 副会長 坂本 正夫 7
Ⅰ-3 高知の食の“売り”はなんだろう? 顧問 松 淳子 10
【Ⅱ 研究会の報告】
Ⅱ-1 特集
『土佐の「おきゃく」( 宴会)
における酒と食文化に関する比較分析』 土佐酒学研究会
[はじめに] 水谷 利亮 14
[1 参加者の調査研究レポート]
1-1 新たな土佐の「おきゃく」文化の創造と地域発展の可能性
∼『土佐の「おきゃく」
(宴会)
における酒と食文化に関する比較分析』調査での気づき∼
竹村 昭彦 16
1-2 伝統的食文化の継承は秋葉まつりから 小西 文子 19
1-3 土佐の「おきゃく」がリデザインされる日 清原 泰治 22
1-4 土佐のおきゃく文化とは
傍士 麻子 25
1-5 秋葉祭りにおける「おきゃく」調査について
若葉屋 友香 26
[2 皿鉢料理の再現]
昭和30年代の土佐の香長平野における「おきゃく」と皿鉢料理 28
昭和30年代の香長平野のおきゃく再現! 松 淳子 29
[3 おきゃく調査レポート]
(1) 西土佐で「土佐学協会」土佐の「おきゃく」調査ぜよ! 33
(2)「土佐学協会」で土佐清水の「鹿嶋神社大祭」取材ぜよ! 39
(3)「土佐学協会」で「秋葉祭り」の「おきゃく」取材ぜよ! 4
5
(4)「土佐学協会」で伊勢志摩の「おきゃく」取材ぜよ! 53
(5)「土佐学協会」主催「昭和30年代のおきゃく再現!」ぜよ! 60
Ⅱ-2 「土佐のお茶」研究会、活動報告 坂本 世津夫 64
「土佐花番茶」づくり−きびしいときこそ花が咲くんだよ− 水谷 利亮 68
Ⅱ-3 「絶滅危惧の産業と文化」研究会 宮川 敏彦 70
Ⅱ-4 平成19年度地域文化デジタルアーカイブ研究会活動報告 大野 加惠 73
デジタルアーカイブ講座に参加して考えたこと
−土佐市蓮池西宮八幡宮秋祭りのデジタル記録− 高崎 敬雄 7
8
「地域文化デジタルアーカイブ講座」に講師として参加して 橋尾 直和 81
【Ⅲ “秋の収穫祭”の報告】
Ⅲ-1 あなたの人生を豊かにする食とお酒の相性のコツ 竹村 昭彦 82
Ⅲ-2 酒盗はエコ・クッキング 小西 文子 92
Ⅲ-3 嶺北地方の相撲について 清原 泰治 95
Ⅲ-4 高知県における総合型地域スポーツクラブの類型と特徴について
野川 絢加 97
Ⅲ-5 土佐「学」を満喫する旅コースづくり 100
【Ⅳ 募集原稿】
土佐学と地元学
水谷 利亮 1
05
4
【Ⅰ−1 私たちの土佐学】
土佐学に期待すること
−「学問振興運動」としての土佐学について−
副会長 成田 十次郎(高知学園理事長)
はじめに
今年1月28日に土佐学協会の講演会で、私は「土佐学に期待すること」という題で、
私たち協会会員の仕事を土佐学の中にどう位置づければよいのか、という報告をしました。
今日は、この報告の討議を参考にして、(1)土佐学はなぜ「学問振興運動」の性格
をもって出発したのか、(2)振興運動としての土佐学はどのような知や技のまとまり
であるのか、(3)今の土佐の緊急の課題の一つは、土佐に住む人に「笑顔とうるおい」
を同時に与えることにあるということ、(4)最後に、「笑顔とうるおい」のためには、
俯瞰と総合が大切であることについて述べたいと思います。
(1)土佐学はなぜ学問振興運動という性格をもって出発したのか
半世紀ぶりに郷里池川町(現仁淀川町)に帰った私ががくぜんとしたのは、山河の荒
れようでした。子供のころ(1940−50年ころ)の池川には、山の上まで人家があり、山
の上の谷でも水が音をたてて流れおち、モツゴが泳ぎ、かみそ(紙の原料)がたくさん
つけてあり、水車が勢いよく回っていました。
ところが、今では住む人もなく崩れかけた家があちこちにあり、谷という谷に水は全
くなく、水車小屋など跡形もありません。見晴らしがよかった麦畑とみつまた畑は、す
っかり日が射さない杉林となり、いたるところに山崩れの痕跡が残っていました。
10校あった小学校も1校だけとなり、そこでも1学年20名たらずとなっています。
この現状をみて、大学に籍を置いてきた自分たちに、故郷のため何かできるかを考える
ようになりました。
学問とは、さまざまな問題を自由に深く鋭く研究し、その過程ではあたかも現実から
離れて行くように見えて、実は大きな果実を私たちに与えてくれる知や技のまとまりと
いうことができましょう。私自身、第二次大戦後の東西ドイツの学問にふれてきたので、
学問のあり方に関心をもち続けてきました。
それはそれとして、荒れはて、笑顔とうるおいを失いつつある故郷を元気にする知や
技はないものだろうかという、せっぱつまった気持ちが、私たちの土佐学協会設立の出
発点だったといえます。
この意味で、土佐学は学問振興運動の性格を帯びていたといえましょう。
(2)学問振興運動としての土佐学はどのような知や技のまとまりか
土佐学の体系図として、「土佐学試論2」(2008年1月28日)に政治(行政を含む)
を加えて、現在、次の[図1]のように考えています。
5
[図1]
6
(3)
「笑顔とうるおい」を同時に与えることの意味とは
土佐学にかかわるわれわれは、土佐を浮揚させる絶好の環境が今整いつつあるという
時代認識をもっています。時代は、いま「自然」「信頼」「安心」など、つまり「ほん
もの」を求める時代に入りつつあるととらえています。
最近、私はある小さな、しかし「ほんもの」の事例に大いに注目しています。
吾北の山の上に退職後の先生が家を建て、向かいの峰から滑車で4∼6万本のホダ木
を自宅上の山に飛ばし、家族でシイタケ栽培に取り組み始めています。周辺の老人たち
と協力し、行政の媒介で産品を大手の流通・販売機構に乗せる仕組みを作っています。
そして、その輪を広げようとしています。
私たちがもっとも注目しているのは、このような活動の中から集落を活性化する「ほ
んもの」が生まれるという期待がもてるからです。一つには、集落の人々が、自分たち
の産物が生活者の手に渡って味だけでなく、信頼と安心を与え、喜んでもらえるという
「労働本来の喜びと意義」を持つであろうということ、他の一つは、同時にこれによっ
て収入がぐんと増えるにちがいないということです。
中山間に「笑顔とうるおい」が同時に(この二つが逆ではいけません)芽生えている
事例です。
仲間と肩を組めば、この拠点はいの町の山間だけでなく、峠一つ越えた仁淀川町にも、
さらに東西に広がって、四国の中山間回廊に「笑顔とうるおい」の輪を広げていくと期
待されます。シイタケだけでなく、お茶やよもぎやその他「ほんもの]の産業を起こし
ていくことが期待できます。
(4)最後に、地域力を高めるには俯瞰と総合を欠くことができないとはどういうことか
吾北の事例でみたように、中山間の活性化、労働の喜びにともなう収入の増加、「笑
顔とうるおい」のためには、土佐学の体系図で示したように、「原料−生産製造−流通
−販売−生活者」を俯瞰する、つまり生産者が生活者と結びつく展望を持つことが大切
であるということです。もの作りをする人と生活でそれを利用する人とが結びつかなけ
れば、生きる上でもっとも大切な作る喜びが生まれないし、それにともなう収入、生活
のうるおいも生まれないということです。
この吾北には、伝統芸能を保存・発展させようとしている女性がいます。
また、もっとも意義深いのは、上に述べた事例の先生宅には、近隣の中学生たちが大
勢定期的に集まって、勉強を始めています。
土佐学の体系図で示したように、それぞれの地域に「笑顔とうるおい」を生み出し、
定着させるためには、地域の「政治」「自然」「産業」「文化」「教育」の諸力を総合
的に高めて行くことが大切です。もとより、どこに重点を置くかは地域ごとの特性によ
ります。
良い政治・行政のないところに地域の繁栄はありません。ゆたかな自然(自然という
語は本質を意味します)のないところにほんものは生まれません。地域に密着した産業
のないところに生活のうるおいは期待できません。地域の生活に根づく文化のないとこ
ろに人は育ちません。きちんとした教育がないところに永続性はありません。「学問振
興運動」としての土佐学が、地域のこれら諸力を総合的に高めていく一つの拠点となる
ことを期待しています。
7
【Ⅰ−2 私たちの土佐学】
土佐の職人たちの話
−その生活から学ぶもの−
副会長 坂本 正夫(県立歴史民俗資料館元館長)
1 職人とは何か
職人は、中世には土地にあまり関係なく、ある種の技術を持って生活していた雑業の
人々、つまり農民以外のいろいろな職種の人々の総称でした。土佐で職人が出てくる最
初の文献は、十六世紀末の『長宗我部地検帳』ですが、その中で多いのが鍛冶屋、番匠
(大工)、紺屋など私たちの生活に欠かせない職人です。
江戸時代には職人は手工業者を意味するようになり、町に定住する者が多くなりまし
たが、城下町では職種ごとに一定地域に居住するように規制されていました。城下町高
知にも鍛冶町、大工町、樽屋町その他の職人町があり、紺屋町、細工町、鉄砲町などと
いう町名が戦後も残っていました。明治時代から大正・昭和戦前期には工場労働者を「職
工」と呼ぶようになり、職人は大工、鍛冶屋、左官、桶屋というような伝統的な手工業
者を意味するようになった、というのがおおまかな職人の歴史です。
2 職人の社会
職人の社会は徒弟制、つまり一番上に親方(師匠)がいて、普通の職人(平職人)が
いて弟子がいる、という体制になっていました。さらに年季制があり、何年間も親方の
家へ住み込んで修業するのが、職人社会の普通のあり方だったのです。その年季奉公の
ことが、安政四年(一八五七)の安喜郡川北村(今の安芸市)『御改正風土取縮指出牒』
に記録されていますが、鍛冶屋の奉公期間十五年、左官十年、大工・樽屋八年となって
います。明治以降、世の中の制度が変わり、人々の考え方も変わりましたので奉公期間
も少しずつ短くなり、太平洋戦争直前頃には五、六年から七、八年が多くなりましたが
職種によっては二、三年から四、五年というのもありました。
それでは、どのような人たちが職人になったのでしょうか。昭和二〇年代までは農家
の長男はたいてい家を継いでいました。相当資力のある家の次男以下の者は旧制中学校
や工業・商業学校など(戦後は新制高校)へ進学しますが、これは恵まれた者でした。
多くの家の次男以下の者は職人の弟子奉公に行ったり、町へ出て商家の丁稚奉公をした
りするのが普通で、小学校を出るとすぐ奉公に出て、二十歳の徴兵検査までとか職種に
よってはもう少し長くなることもありました。
弟子奉公は住み込みが原則で無給、弟子離れ後は一定期間のお礼奉公をし、親方から
道具一式を贈られるのが一般的形態でした。現在は週休二日制ですが、昭和二十年代ま
での職人に日曜はなく、休みは職種や時期にもよりますが一般的には正月の三ケ日、盆
8
と三月・五月・九月の節句、その地域の春秋または夏冬の神祭は休みました。職種によ
っては十一月八日にフイゴ祭りを行いますが、その日は午前中は仕事で午後は休みました。
職人社会にはどの職種にも、その職がどうして始まったのかということを説明する職
祖神信仰があります。たとえば大工の職祖神は聖徳太子といわれていますが、金属関係
の鍛冶屋、鋳物師、鋳掛屋などは天神や金屋子神あるいは天目一個神を祖神として仕事
場に祀っています。また石を山から掘り出したり、加工したりする石屋や石工は山の神
を祀っております。そして地域社会内の同種の職人が太子講をつくり、正月、五月、十
一月の一定の日に集まり職祖神を祭って飲食し、日当(賃金)の協定や弟子の待遇など
を話し合っていました。また道具は職人の魂であり、神ともかかわる大切なものだとさ
れ、弟子のときから道具を大切にすることを徹底的に仕込まれました。
3 職人の技術教育
職人は、たとえば鍛冶屋なら鎌とか鍬をを作るには、どのような順序と方法で技術を
習得していくのか。大工だったら、弟子入りしてから一人前に家を建てることができる
ようになるまで、どのように技術・技能の習得をしていたのだろうか。私は長い間、県
内を歩いて多くの職人に会い、このことを聞いてみましたが、彼等の答えは異口同音に
「ひとつも教えてくれざった」ということばでした。「よお見て仕事せえよ」というだ
けで、何も教えてくれないので聞いても、親方が手取り、足取り教えてくれることはな
かったのです。古典的な職人の世界では、弟子は「見よう見まね」で自ら技術を習得し
なければならなかったのです。
小学校を卒業すると住み込みで弟子入りします。最初は親方の子どもの子守りをした
り、作業場や家の内外の掃除をしたり、というようなことをします。しばらくすると、
たとえば鍛冶屋だったら炭を割るなど簡単な仕事を命じられますが、具体的なことを「教
えてくれる」ということはなく、自分で親方や兄弟子のやっていることを「見よう見ま
ね」で身体で覚えるのです。こうして長い間の苦労と体験の中から、仕事の「コツと勘」
を覚えていくのが職人の世界の教育方法だったのです。
現在の学校は一から十までのメニューを教師がつくり、教師が手取り、足取りていねい
に教えていますが、これでは学力がついたように見えますけれども、本当の実力はつきに
くいのです。職人の弟子は「見よう見まね」で、自分自身がひとつひとつ主体的に技術を
習得するのであり、これが本当の「学び」(「まねぶ」すなわち「まねする」から生じた
語)であり、学ぶことだったのです。また職人の世界では「習うより慣れよ」とか、親方
や兄弟子の技術を「盗め」といわれてきました。「盗む」ということばは、それだけをと
り出して聞くと、よくないことのように思われますが、ここでは「学ぶ」と同じ意味を持
っており、このことばには職人の技術習得と弟子教育の本質があったのです。
親方と弟子、師匠と弟子の間は主従関係で結ばれており、その関係は終生続きました。
そして弟子の間でも誰々という親方から、ずうっと長くその関係が広がっており、兄弟
子、弟弟子、孫弟子の関係があり、ひとつの技術の流れがはっきりしていました。戦後
9
は、このような関係は封建制の名残りだとして批判されましたが、ある意味では徒弟制
度があったから技術の伝統が守られたのだ、ということを忘れてはならないと思います。
4 結び
現代は金と効率中心の高度技術社会です。たとえば旅行するにも、どこへでも簡単に
行けるようになりました。昔は目的地までてくてく歩いていましたので、たとえば農民
なら周囲を見回し、よく稔っている稲があればこれは何という品種だろうかとか、この
野菜はどのように育てるのだろうか、というようなことを観察し考えながら歩いていた
のです。沿道の人と世間話をすることもありました。だから「旅は憂いもの辛いもの」
「可愛い子には旅させよ」というようなことわざもできたのです。
だが今日では、このことわざは通用しなくなりました。どこへでも簡単に行けるよう
になったからです。旅行だけでなく、あらゆることが早く、簡単にというのが現代文化
の特徴です。今の文化はプロセス(過程)を重視せず、目的に早く到達できれば、その
中間・途中はどうでもよいのです。このような現代文化を高取正男は「中間カットと押
しつけの文化」と呼んでいますが、今の学校教育がまさにそうです。小学校でも中学、
高校、そして塾でも手取り、足取り教えてくれます。すべてマニュアルがあり、そのマ
ニュアルどうり他律的に行動する生徒がよい学校へ進学できるという仕組みです。
これに対し昔の職人は、既述したように親方(師匠)は手取り足取り教えてはくれな
かったが、親方や兄弟子の仕事をよく見ておれば、その中にはまことに深い技術と思い
(思想)があったのです。職人の弟子は、その技能を獲得するため懸命に努力してきた
のです。今日の社会からみれば、人権無視の徒弟制・年季制が非難されなければならな
いのは当然ですが、苦難に立ち向かって行こうとする気概(困難にくじけない強い意志)
あふれる生活をしていたかつての職人の姿を忘れてはなりません。気概と主体性こそ、
今日の若者に最も求められていることだろうと思います。
10
【Ⅰ−3 私たちの土佐学】
高知の食の“売り”はなんだろう?
顧問 松
淳子(土佐伝統食研究会代表)
1.多彩な食材がある
高知に配属になった転勤族が、決まって口にするのが「高知にこんなにたくさんの素
晴らしい食材があるとは知らなかった。文旦や小夏は知らなかったし伝統食も知らなか
った」という言葉です。これは、某中央紙の記者の声です。それって“売り”ですよね。
(1)魚
高知の魚屋には四季多彩な魚が並びます。回遊魚、地付きの魚や貝、川魚など。昭和
初期は「3度の食卓に魚のにおいのせん
日はなかった」というぐらい魚好きの土
地でしたから。だしの材料も干物(塩干)
もかまぼこ類も質の良いものを伝えてき
ました。
(2)野菜と果物
いわゆる園芸作物です。「130種類も
の品種を作る県は他にはない」と県職員
の方から聞きました。それを使いこなし
た土地の料理を手放さないこと。
ツガニ
2.食材が新鮮なところ
リクルートじゃらんリサーチセンターの「じゃらん宿泊旅行調査2007」では、高知県
は「地元のおいしい食べ物」で
これは、塩、に
1位に、「特産品や土産物」で
んにくのみじん
8位、「おもてなし」で4位に
切り、酢をたた
きつけて、葱の
なっています。おいしかったの
小口切りを鰹が
は「鰹のたたき」を筆頭に「さ
隠れるぐらいど
っさりのせた塩
しみ」「農産物」「四万十の幸
たたき。
(うなぎ・ノリなど)」「皿鉢
塩だけつけて食
べるものから、
料理」です。やっぱりトレダチ
いろいろの塩た
の鰹だからですよ。保冷技術の
たきがある。決
め手は鰹の鮮
進んだこの頃ですが、ピンとし
度。
てギラギラ光る魚の味は漁場の
鰹の塩たたき
味です。他県でも海の幸の新し
さへの声が多いようです。この調査項目中「宿泊旅行の目的」では「おいしいものを食
べる」がトップになっています。漁場のノレンに期待するところです。なお土産物では
鰹節、柚子、柑橘類に人気がありました。
11
3.「すし文化」の土地です
かつて私も執筆した『聞き書 高知の食事』(農山漁村文化協会、1986年)に、今は
亡きはらたいらさんが一文を寄せて下さり、それには「土佐のおきゃくはお酢ぜめ」と
書かれていました。なる
ほど、すし、酢あえ、ぬ
た、酢ごぼう、というわ
け。それどころか、彼は
NHK家計調査で本県が
「食酢消費額全国1位」
をずっと続けていたこと
を知ってのことだったの
でした。さすがクイズ王
と脱帽。私も気温の高い
高知で防腐と食欲の上で
すしや酢のものが合理的
いろいろなすし:こんにゃくずし
(まん中)、左上から時計回りに、
かますの
だとは思っていました。
姿ずし・太刀魚のかいさまずし、
こけらずし、銀ぶろうずし、
その上、米はご馳走でし
金時豆の押しずし・つわずし、
板昆布のすし・海苔の巻き
ず
し
・
黒昆布のす
し
・
卵の巻き
ずし
たから、ハレの日にこそ
たらふく食べられたのです。魚はもちろん、
土地の食材がさまざまのすしになってハレの
席を彩ってきたし、折り箱に詰めて土産とも
され、子供たちは父の帰りを待ちかねて折り
を開いたものでした。一方で、マンガ「美味
しんぼ」の日本全県味巡り高知篇にちなんで
出版元が募集した一団が来高したとき、「あ
れ、すしってこんなのもあるの?握りずしだ
けぢゃないの?」と大声をあげた若者もいま
した。田舎ずしなんて都会っ子は大喜び。
田舎ずし
4.「おきゃく文化」の土地です
宴会を“おきゃく”とよび、定番形式は皿鉢です。宴が進めば主客入り乱れて酌み交
わし、論議し、老若が交流するのがおきゃくです。だから「じゃらん」の調査でも「地
元のホスピタリティを感じた」と4位になったのでしょう。以前、高知で国体が開かれ
た時にも、民宿が大活躍して、料理の腕を上げたばかりか、「まあ一杯飲みや、たたき
も食べや」ともてなしたとの報道につい笑いがこみあげました。土佐なら誰でもがそう
なる。お酒は淡麗辛口でたたきが一層おいしくなるし。
香長平野のおきゃくのことを書いた棚野薫さん(故人)の文に「あげくの果てに人の
履物を履いて、甚だしきは小川へ落ちて失敗することがあるが、当家ではかえって何人
川へ落ちたと喜んでいたものだ」−これは大正期のことですが、土にしみ込んだ文化を
感じてしまいますね。
12
5.古いものと新しいものがある
(1)古いもの
高知は古く朝鮮半島の文化の渡来が伝え
られています。豆腐は藩政期に朴氏によっ
て伝えられたことが知られています。海水
からニガリをとって作る固い豆腐です。当
時の製法は「生搾り」とよぶ手法でした。
今は衛生上「湯とり」とよぶ製法に定めら
れ、昔のものではありません。この他に朴
かしきり(かしどうふ)
氏によって伝えられたものに「かしきり」(かしどうふ)とよぶドングリのでんぷんを
煮て豆腐状に固めたものがあり、今は安芸市に残っています。韓国では「トトリムッ」
とよんで今も食べられています。日本に伝
えられたのは土佐だけで、これも朴氏の伝
えたにんにく入りのぬたで食べます。
(2)新しいもの
一方、最近新しく創作された食材があり
ます。高知原産の土佐地鶏とアメリカ原産
のロードアイランドレッドの交配による「土
佐ジロー」、県産地鶏の土佐九斤と白色ブ
リマスロックを交配させた「土佐はちきん
地鶏」。そして「深層水茄子」などの高品
質の食材が生まれています。ジローの卵、
土佐はちきん地鶏のみぞれ酢かけ
はちきんの肉と、自慢の食材が増えています。
6.「土佐の料理伝承人」のお店がある
高知県は56の団体・個人を料理伝承人に
選びました。「高知の豊かな食文化を伝え
るために、地域の郷土料理について卓越し
た知識・技術をもち、伝承活動に取り組ん
でいる」方たちです。このうちお店を開い
ているグループが20あって、予約制や開店
日限定で料理を提供してくれます。6グル
ープは漁師町で「太平洋からのおくりもの」
新しい伝統食:米茄子のお好み焼き
「漁師町で食べる魚料理はどっかちがうでェ」
「こじゃんと旨いき」とキャッチフレーズも威勢がいい。14グループは山村や平野部で、
「シェフは田舎のおばちゃん」「景色のごちそう、空気のごちそう」「四季折々の風物」
「自然のまんま」といやしのなかでのご馳走をうたっています。見はるかす太平洋、ま
た天に続くかと思う棚田、そして清流、そこの人たちとの交流は日本一の田舎の味では
ないかと思います。旅行社のメニューに入るようにならないものかと思うのですが――。
13
7.農家体験民宿がもっとあってほしい
私はかつて大豊町のある農家の蚕室に泊めてもらったことがあります。今は使ってい
ない、ご両親がかつて住まわれていたお部屋で、山菜をご馳走になり、太陽の匂いのす
る布団(多分日干しをして下さったもの)で眠ったのです。孫たちをディズニーランド
だけでなく、こんな所へ連れてきてやりたいと思いました。できれば、みみず採りから
始まる魚釣り、山菜を摘んで作る食事、雑巾がけも。自然と離れて暮らしている主都に
いる孫に、こうした“いやし”があることを知ってもらいたいと思いました。県の資料
(おいしい風土こうち−地産地消の取り組みモデル事例集<第2集>平成17年発行)に
は梼原町の“いちょうの木”と大正町“はこば”が紹介されています。山のくらしの良
さと苦労や、土地を守っている人たちのやさしさに觸れてほしいと思うからです。それ
は日本人が忘れ、失おうとしているものだからです。
8.安全を“売り”にする
さて、高知の食の安全は?となると、ウーンと腕組みして考える。さて?ハウス園芸
の先進地であり、王国と自認している高知県です。環境保全型農業をとり入れたJAや、
天敵を導入しての減農薬も増えているし、有機の学校が開校しました。また、「無農薬」
野菜も少ないながら出てはいますが「家庭用に作ったのが余ったから」という言い訳つ
きもあります。
土壌消毒の農薬、化学肥料(や家畜の糞尿)からの硝酸、そして加温の副産物である
CO2。わが県の実態はどうなのでしょう。決してなまやさしいものとは思えないのです
が――。
また、最近注目のフード・マイレージ問題。国レベルでは39%の食料自給故に世界
でも突出した数値になっています。フード・マイレージとは食料の輸送量に輸送距離を
かけ合わせた指標ですが、韓国・アメリカの3倍、イギリスの4.5倍、フランスの9倍
という数値になっています(農林水産省九州農政局消費・安全部消費生活課長 中田哲
也「そのお弁当のフード・マイレージはどのくらい?」『食農教育』No.60)。日本の
農業、高知の農業がめざしてきたものが、真の進歩であったのかどうか。地球的規模の
課題「脱温暖化」をつきつけられている私たちにとって、これからは、このテーマと取
り組む責任があると痛感します。
〈お願い〉
土佐の食の“売り”についてのご提案を歓迎します(土佐学協会事務局へ)。実は、
去る2月19日の「まちの駅」でのミニ講演会では、①高知の食の特性、②高知の食の
課題、③高知の食の“売り”で話を進める計画で、重点は③にあり、出席者の声を集め
るツモリでしたが、ついノリすぎて①と②で終わってしまいました。
本稿は筆者の独断と偏見で述べております。が、今や高知の食は“資源”として重要
で、県の活性化策にも必要と思いますので、この稿の不十分を補っていただきたく、大
いにご意見を寄せて下さいますようお願いします。
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【Ⅱ−1 研究会の報告】
特集
『土佐の「おきゃく」(宴会)における酒と食文化に関する比較分析』
土佐酒学研究会
水谷 利亮(高知短期大学准教授)
15
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[1−1 参加者の調査研究レポート]
新たな土佐の「おきゃく」文化の創造と地域発展の可能性
∼『土佐の「おきゃく」(宴会)における酒と食文化に関する比較分析』調査での気づき∼
理事長 竹村 昭彦(司牡丹酒造社長)
平成19年度「土佐酒学研究会」のメイン事業として、『土佐の「おきゃく」(宴会)
における酒と食文化に関する比較分析』というテーマで、高知県内3ヶ所、県外1ヶ所
の取材調査に回った。9月には「川」の文化の代表として四万十市西土佐の「神祭」に
おける「おきゃく」を、10月には「海」の文化の代表として土佐清水市の「鹿嶋神社大
祭」における「おきゃく」を、2月には「山」の文化の代表として仁淀川町の「秋葉祭
り」における「おきゃく」をそれぞれ取材調査し、3月には「平野」の文化の代表とし
て「昭和30年代・香長平野のおきゃく再現!」を開催し、また同3月に県外の代表と
して、高知に似た「さはち料理」の残る三重県志摩市志摩町の「おきゃく」を取材調査
したというものである。まだまだ比較分析が可能な充分な調査ができたといえる程では
ないが、そんな中から「土佐学協会」が掲げる「土佐を元気にする」という視点で見て、
いくつかの気づきを得ることができた。その点について、簡単にまとめてみたいと思う。
まず、なぜ土佐の「おきゃく」が衰退してきたのかという点については、食文化の変
容(外食・中食文化の普及、アルコール離れなど)、コミュニティの崩壊(個人主義の
浸透、家長制度の崩壊、近所づきあいの変化、過疎化・高齢化など)、信仰心が薄れた
ことなどが挙げられるであろう。また、経済成長とともにあらゆる面で豊かになり、か
つては唯一の楽しみであった食べることや飲むことや集うこと以外に、楽しいことが周
囲にいくらでもあるという状況が出現したことなども、原因の1つといえるだろう。実
際に取材に回った各地域の「おきゃく」も、これらの原因によって否応なく変化し、衰
退しつつある現状を目の当りにした。
では、どうすれば土佐の「おきゃく」を復活することができるのだろうか。まずは衰
退の原因が上記の通り、ひとり高知県のみのことではなく、日本全体の社会的変容であ
る以上、かつての「おきゃく」同様の姿での復活というのは不可能であろう。このよう
な時代背景を前提として、『新たな土佐の「おきゃく」文化の創造』という形での復活
を目指すべきであると考える。
そのためにまず最初に必要なのは、「おきゃく」を実施する側のもてなしの心と、そ
れを理解し支え、受け継いでいこうとする家族の存在である。西土佐での調査において、
「お金もないにバカなことしよった」と語る方と、「お金も手間もかかって大変やけんど、
孫や仲間や友人らあが、おいしかったっちゅうて悦んでくれるき、嬉しゅうてまた作っ
ちゃろうっちゅう気になる」と語る方がおられた。前者の家では既に「おきゃく」は消
えており、後者の家ではかろうじて残っていたことからも、この点の重要性がうかがえ
るであろう。また、仁淀川町の「秋葉祭り」調査においても、手作りの皿鉢料理をズラ
リと並べ、最も昔ながらの「おきゃく」の姿を残していた大石家でも、同様にもてなす
17
側の悦びの声を聞くことができた。そして、それを支え受け継ごうとする家族の姿があ
った。
次に必要なのは、環境の変化や外部の人々を積極的に受け入れるという地域の人々の
柔軟な姿勢であろう。土佐清水の「鹿嶋神社大祭」は古来よりの伝統に則った素晴らし
い祭りであるが、神輿の通り道の家は洗濯物などを出してはいけないなど、現代の生活
とズレが生じてきており、また地域の祭りとしてのスタンスを重要視して、外部からの
観光客や取材などに対しては比較的閉じたスタンスであったといえる。これでは、地域
外の方々に伝わりづらく、そのため出ていった若者達が戻ってきて祭りを支えようとい
う現象が起こりづらくなっているのではないだろうか。一方、仁淀川町の「秋葉祭り」
は、開かれたスタンスであり、柔軟な姿勢であると感じられた。その姿勢が結果的に、
マスコミ報道を加速させ、NHKなどでも特集番組が報道されることにつながり、それ
によって2万人もの観光客を呼び寄せることにもなり、出て行った若者達の心に、この
時だけでも戻って祭りを支えようという気持ちを生み出させたのではないだろうか。環
境の変化や外部の人々を積極的に受け入れるという地域の人々の柔軟な姿勢は、祭りや
「おきゃく」を存続させていくためには、今後は益々必要となっていくのではないかと
思われる。
また、その地域の地酒メーカーの存在も、大変重要であると考えられる。志摩町の調
査では、地産地消を唱えている「志摩いそぶえ会」の女将さん達が、日本酒については
あまり意識せずに灘・伏見のお酒を使っており、指摘されて初めて日本酒も三重県のお
酒を使って地産地消にしなければと気づく状態であった。これは、志摩町には昔から地
酒メーカーがなく、ずっと灘・伏見のお酒をメインに扱ってきたからであろうが、「い
そぶえ会」のような地産地消を推進する団体が増え、地産地消運動が広がりつつある昨
今、地酒メーカーにとっては大きなチャンスが到来しているといえるのではないだろう
か。今後地域に次々と現れてくるであろう地産地消推進団体らと協働し、地酒メーカー
が地域文化の担い手として立ち上がれば、地域の新たな「おきゃく」文化創造の可能性
が大いに開けてくるであろうと思われる。
そして、「風の人」(※注)の力も大変重要である。前記の家族や地域の人々や地酒
メーカーは、その地域にとってはそこに暮らす「土の人」(※注)であった。しかし「土
の人」のみの力では、残念ながら地域の発展や新たな「おきゃく」文化の創造などは、
なかなか実現が難しいであろう。外部からやってくる元「土の人」やその地域のファン
や熱心な観光客、そして報道機関などのマスコミ、さらに我々「土佐学協会」のような
応援団体など、そういった「風の人」の力が加わってこそ、地域の発展も新たな「おき
ゃく」文化の創造も、大いに可能性が開けてくるものなのではないだろうか。
世界最新のネットワーク理論の大家である西口敏宏氏(一橋大学イノベーション研究
センター教授)は、その著書『遠距離交際と近所づきあい――成功する組織ネットワー
ク戦略』(NTT出版、2007年)の中で、「社会システムの新陳代謝を促す原動力の一つ
は、あなたを取り巻く『直近の』ネットワークと、普段は意識せず接触も少ない『遠い』
ネットワークの間に、思いきって少数のバイパス(迂回路)を設けることで、どっと流
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れ込んでくる『新鮮な情報』である。だが、遠くからの情報量が過剰でも、また、それ
を受け取るあなたとその周囲の者との関係が疎遠すぎても、情報は活きない。どこかで
途絶えてしまう。つまり、遠距離交際と近所づきあいの、絶妙なバランスが大切なのだ」
と述べている。そして、成功する人も組織も地域も、この遠距離交際と近所づきあいの、
絶妙なバランスをとりながら活動しているとして、世界中から様々な実例を挙げている
のである。この「遠距離交際」相手が「風の人」であり、「近所づきあい」相手が「土
の人」であると考えられ、つまり「風の人」と「土の人」とのバランスのとり方こそが、
地域発展のカギを握っているといえるのではないだろうか。
まとめてみよう。今回の調査研究で私が気づいた『新たな土佐の「おきゃく」文化の
創造』のための条件は、以下の通りである。
<「土の人」・・・近所づきあい>
●もてなしをすることを悦ぶという心を持った「おきゃく」の主催者。
●それを理解し支え、受け継いでいこうとする家族。
●環境の変化や外部の人々を積極的に受け入れようという柔軟な姿勢を持った地域
の人々。
●地域文化の担い手として立ち上がろうとしている地酒メーカー。
<「風の人」・・・遠距離交際>
●外部からやってくる元「土の人」やその地域のファンや熱心な観光客、そして報
道機関などのマスコミ、さらに「土佐学協会」のような応援団体など。
もちろん、この条件さえ満たせば『新たな土佐の「おきゃく」文化の創造』が実現で
きるとは断言できない。まだまだ様々な課題や問題もあり、他にもいろいろな条件が考
えられることだろう。また、上記の条件は地域によっては様々な形に編集し直す必要も
考えられる。例えば、「おきゃく」の主催者は地酒メーカーや地産地消推進団体などに
なり、会費を取って「おきゃく」を開催するという姿もあり得るはすである。ともあれ、
上記の「土の人」や「風の人」が集まり、「遠距離交際」と「近所づきあい」のバラン
スを意識して、交際を継続していくことができれば、きっと様々な課題や問題を乗り越
え、『新たな土佐の「おきゃく」文化の創造』に向けて、前進していくことができるで
あろう。そして、そんな交際の中から、必ずや地域発展の光も見えてくるであろうと私
は確信している。
※注:
「風の人・土の人」・・・地元学ネットワーク主宰の吉本哲郎氏(地元学の提唱者、
水俣市ISO14001認証取得のキーマン)の言葉。吉本氏の提唱する「地元学」では、
「風の人」を外から訪れる客人たちとし、「土の人」は地元に住んでいる人たち
として、「土の人」の「地元学」が独りよがりにならないように「風の人」達と
共に行なうことで、今まで見えなかったことが見えてくる、としている(地元学
協会事務局 吉本哲郎『風に聞け、土に着け【風と土の地元学】』三重県自治会
館組合、2000年)。
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[1−2 参加者の調査研究レポート]
伝統的食文化の継承は秋葉まつりから
小西 文子(高知学園短期大学准教授)
『食から日本人の生き方を根本的に見直そう』を趣旨とする食育基本法が平成17年
7月に施行されました。食育基本法の10項目のうちのひとつに「伝統的食文化の継承と
創造」があります。
また、学校教育法の一部が改正されて、平成17年4月から、小学校や中学校に栄養
教諭が配置されています。栄養教諭の職務内容には、「伝統的食文化の継承と新しい伝
統になるような食文化の創造」があります。栄養教諭は、家庭と地域との連携・調整の
コーディネーターをするのです。
それには、秋葉まつりのような地域の伝統行事が最適と考えます。
食育は、本来の栽培と味を取り戻すことです。
現在は、労働環境の変化と共に、食生活が洋風化しています。また、冷凍食品やレトル
ト食品、真空調理などの食品加工技術が発達してきました。それによって味が全国で統
一化され、地域の味がすたれようとしています。そして、生活習慣病が増加しています。
本来の味をもう一度よみがえらすためには、味覚基礎づくりの幼児期から完成期に、
伝統食によって、食品本来の味を、受容器にあたる舌から、記憶させる栄養教育が必要
になってきています。
秋葉まつりにはみんな帰ってきます
調査でお世話になった仁淀川町副町長の大石さんは、「お盆やお正月に忙しくて帰っ
てこれなくても、秋葉まつりには、みんなが帰ってきます」とおっしゃっていました。
秋葉まつりの皿鉢料理には、たけのこ、ぜんまい、いたどりなどの煮物が盛られてい
ます。これら春の山の幸は、4月∼5月に採り、乾燥・塩蔵・冷凍保存してあったもの
を使用して調理しているのです。大石さんは、「今は山菜採りの名人がいるのでいいの
だが……」と。「秋葉まつりの料理作りは、4月からの山菜採りから始まっているので
すね」「山菜採りに家族がそろい、保存加工をする年間計画も必要ですね」などの話を
したことでした。これが、まさに食育なのです。以前は、家庭で普通に行われていたこ
とが、今は料理が工業生産化され、本来の味を忘れかかっています。
郷里を仁淀川町別枝に持つ友人に聞いてみました。
Q:「いつも、秋葉まつりに帰りますか」
A:「はい、家族全員で帰ります。毎年帰っています」
Q:「どうして?」
A:「男性は祭り当日の役目があります。女性は祭り当日の役目がないのですが、帰 省して、祭りを見て参加することが文化の継承につながっていると思うからです」
Q:「お料理は」
A:「母が皿鉢を作って待っていてくれます」
Q:「どのような皿鉢ですか」
A:「巻き寿司などのお寿司や山菜の煮物など、地域の食材を使った手作りの品々です」
Q:「どのような方が集まりますか」
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A:「兄弟の家族やおじ・おばの家族などです」
幼児期の味覚 祭りの時に、実家に帰る。その時に待っていてくれている家族とお母さんの手料理。
これは、祭りの楽しさとともに幼児期から、食べ慣れている味が舌にしっかり記憶され
ているから、舌が呼んでいるのでしょう。
寿司には、各家庭による家庭の味、おふくろの味があります。今は、ちらし寿司、巻
き寿司、鯖寿司など、いろいろの種類が売らており、手軽に買って食べることが多くな
りました。せめて、お誕生日などの行事食に、各家庭でお寿司をつくりたいものです。
現在に生きる人は、「コンビニ味覚」、「テレビ料理味覚」、「給食メニュー味覚」、
「料理本のマニュアル味覚」などによって、味覚が形成されています。
「おふくろの味」は単線型味覚ですが、複線型の味覚が形成がされつつあるのです。
これらの「コンビニ味覚」などは、社会環境や経済的変化によって形成されています。
従来の伝統食がすべてよくて、いかなる「コンビニ食」などがすべてダメという是か
非かの評価だけではなく、かつての冷凍食品の初期のように、それらを認めつつも、本
物の味の復活と新しい食文化の創造には、伝統食やおふくろの味による味覚形成が必要
です。本物の味を賞味し、舌に記憶さすことが重要です。安全・安心・健康の食生活を
送るためにも、祭りには、手作りの料理を復活させて、楽しく食べましょう。
食文化の継承
大石さん宅で、大石さんのお母様の手作りの料理を調査させていただきました。お母
様は80歳を過ぎているようですが、とってもお若く、料理を作るのがとても楽しそう
でした。そして、大石家の味を伝承するのだという使命がみなぎっていて、大石さんの
奥様や息子様の奥様、孫様と一緒に料理を教えてあげながら調理をしていました。その
様子を見た時、これこそは、食文化の継承であり、家族の絆を強くするのだと確信した
ことでした。これも秋葉まつりの効用です。調理をしなくても、見ているだけで料理を
つくることができるといわれています。魚をおろすのを見ているだけでも、おろせるよ
うになります。きっと、子どもの頃から、料理をしている様子をみている大石家のこど
も達は、料理好きで料理上手だと思います。
調理は脳を活性化する
子ども達や学生に、「調理はなぜするの」と聞いたことがあります。
『生きるため』、『栄養のバランスをよくするため』、『食品をよりおいしくするため』、
『食べてもらう喜びを感じるため』、『作る楽しさのため』、『コミュニケーションの
ため』、『頭の体操』などの答えが返ってきました。
調理過程は、①献立を考える。②購入量を計算し買い物をする。③洗ったり、切った
りする。④炒める・煮る・揚げるなどの調理をする。⑤味つけ、彩りや盛りつけをする
ことによって料理ができあがります。これら一連の作業は、前頭前野のトレーニングに
なるのです。
脳の司令塔である前頭前野の働きは、○創造力、○記憶力、○コミュニケーション力
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○自制力、○意欲力などです。高齢者が生活の中で調理をしなくなったととたん、ボケ
がはじまるという話しをよく聞きます。
大石さんのお母様は、秋葉まつりの献立を1年前から考え、材料をそろえ、お客様の
人数に合わせた量を準備し、ご自分も楽しみ、お客様の喜ぶ顔を思い浮かべながら、調
理をしていることでしょう。そして、家族に教えながらつくっているのが、お元気で若
い源のひとつだと感じます。前頭前野を鍛えるのに、調理をする以外には、簡単な計算
をする。目と目と合わせたコミュニケーションがあります。
『おきゃく』は、コミュニケーションの場ですから、脳をさらに活発化させています。
『おきゃく』は人間形成の場
食に関する指導の目標は、平成19年に文部科学省から『食に関する指導(食育)の手
引き』で、次のように示されています。
○食事の重要性、食事の喜び、楽しさを理解する。
○心身の成長や健康の保持増進の上で望ましい栄養や食事のとり方を理解し、自ら 管理していく能力を身に付ける。
○正しい知識・情報に基づいて、食物の品質及び安全性等について自ら判断できる能
力を身に付ける。
○食物を大事にし、食物の生産等にかかわる人々へ感謝の心をもつ。
○食事のマナーや食事を通じた人間関係形成能力を身に付ける。
○各地域の産物、食文化や食にかかわる歴史等を理解し、尊重する心をもつ。
『おきゃく』には、食事の楽しさ、心身の健康、食品を選択する能力、感謝の心、社
会性・食文化などを、学ぶのに最適の場であることが、今回秋葉まつりのおきゃくの調
査でよく理解することができたのが何よりの収穫です。
現在、こしょくが問題になっています。こしょくには、孤食・個食・小食・粉食・子
食などがあります。こしょくによって、子どもの生活習慣病、問題行動、非行などが増
加しているといわれています。『おきゃく』は共食です。 共食は コミュニケーション
能力がつく場です。 『おきゃく』はこころの発達の場です。
『おきゃく』がより復活したらいいですね。
[参考文献]
川島隆太:脳を鍛える大人の料理ドリル、くもん出版
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[1−3 参加者の調査研究レポート]
土佐の「おきゃく」がリデザインされる日
清原 泰治(高知女子大学文化学部教授)
何か問題が生じた場合、その原因が明らかになれば、解決方法が見えてくることがよ
くあります。しかし、私が関わっている中山間地域の問題は、原因はわかっているので
すが、どうすればいいのか答えがなかなか見つからない。土佐のおきゃくを調査してい
ると、それと同じ思いになります。
先に結論を言えば、土佐のおきゃくがすばらしく、地域社会の維持・発展に重要であ
ることはよく理解できたのですが、肝心の、この文化をどう持続させていけばいいかに
ついては、残念ながら妙案が浮かんできません。文化はかたちを変えながら続いていく
ものですから、おそらくは全く消えてしまうということはないのですが、水谷利亮氏が
このプロジェクト研究の仮説としてあげている4つの仮説の中に見られるような機能や
役割、そしておきゃくの料理は、だんだん消えていくのではないかと心配しています。
私は、2007年9月の旧幡多郡西土佐村の金比羅神社の「神祭」におけるおきゃくの調
査と、2008年3月の三重県伊勢志摩での調査に参加しました。また、土佐学協会が主催
した「昭和30年代・香長平野のおきゃく再現!」にもお接待役として並び、楽しい時間
を過ごしました。まず、それぞれの調査で印象に残っていることからご紹介したいと思
います。
旧西土佐村では、おきゃくの席が地域の情報交換の場になっていたということです。
おきゃくをしなくなったら、身の回りの情報は以前と同じように入ってくるけれど、少
し遠くの集落のことはわからなくなったそうです。このような情報は、インターネット
や携帯電話が発達しても、なかなか入ってこない情報です。しかし、それがないとどう
も生活が不自由になる。あるいは地域の横のつながりが希薄になっていくのです。小さ
な不便ですが、高齢化の進む地域社会にとっては大きな問題だと思います。
驚いたのは、おきゃくのために1ヶ月分の収入を一晩で使っていたということです。
高い山の上にある畑から、毎日毎日袋に詰めた芋を運んできては売り、その売上金がお
きゃくのための酒と料理の材料代になったというのです。「何とムダなことを!」と思
う人は多いでしょうが、しかしそれが喜びだったそうです。そこまでしておきゃくをす
ることの意味は何だったのでしょうか。今年の春の大祭で、学生たちと一緒に神祭を調
査することになっています。そこで、少しでも答えが見えてくるかもしれません。
伊勢志摩調査では、いそぶえ会が再現してくださった料理の彩りの美しさに驚かされ
ました。料理のことはよくわかりませんが、素材を大切にし、醤油を使った煮炊きをあ
まりしていない印象でした。全体的に甘い味付けでした。
ここで最も印象に残っていることは、かつては料理をする男性の集団がいたことでし
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た。「刺身方」あるいは「料理方」と呼ばれていたそうで、おきゃくをする家の親戚の
人だったということですが、ど
の家でもおきゃくをしていたで
しょうから、おきゃくのための
料理を作る能力を持った男性が
かなりいたということになると
思います。
旧西土佐村の調査でも、男性
が料理をするということを聞き
ました。最近は、料理をする男
性が増えているとはいいますが、
皿鉢料理を作れる男性はさすが
に少ないでしょう。おきゃくの
担い手は確実に減っているのです。
いそぶえ会制作の「さはち料理」
伊勢志摩調査の帰途に、伊勢神宮に寄りました。内宮の近くにある、おかげ横町を見
に行きました。おかげ横町については次のように説明されています。
内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持
を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。いわゆるテーマパー
クではないので、入場料といったものはありません。約2700坪の敷地内には、江戸から
明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現され、この地方の魅力が凝縮され
ており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感していただけま
す。(伊勢内宮前おかげ横町 http://www.okageyokocho.co.jp/html/about.html、
2008/03/24)
古いたたずまいの日本建築にデザインされた43店舗が建てられ、古いものから新しい
ものまで、食料品を中心にかなり珍しいものが売られています。たいへん魅力的な「町」
です。私はデザインには詳しくないのですが、「なるほどこれがリデザイン(redesign)
なのか」と実感しました。
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おかげ横町に見られるような日本の古い町並みは、一度は否定されたものです。古い
日本建築は使い勝手が悪く古くさく、そのためにビルに建て替えられていった時代があ
ります。また、そこで売っている商品も、いったんはいまほどの価値を見出されず、あ
まり売れない時期を通って生き延びてきたものかもしれません。
しかし、どうでしょう。再現された古い町には、たくさんの観光客が訪れ、商品を買
い求めるための行列ができています。伊勢神宮という歴史的な存在を背景に、歴史を感
じさせるこの町並みが人を呼び、歴史を感じさせる商品が売れている。一度消えかけた
文化を、見事に復活させていると思いました。
土佐のおきゃくはどうなるのか。その衰退の原因は、土佐の人々がおきゃくに以前ほ
どの価値を見出さなくなったからでしょう。社会の変化、地域の変化、生活習慣の変化
などがそうさせているのだと思います。それを止める方法は、なかなか見出せないので
はないでしょうか。
しかし、エコ・ツーリズムの流行に見られるように、地域の伝統や文化に目を向ける
人が増えています。いまはツーリズムの世界での話ですが、いずれ日常生活の中で、ま
たハレの日の行事として、日本のよき伝統文化の価値が見直され、時代を超えてかたち
を変えながら人々の心を再びつかんで離さなくなる日が来ると思います。私は土佐のお
きゃくの「リデザインの日」もあると予測しています。こんなに人の心をわきたたせる
文化なのですから。
そのためにも、私たちは土佐のおきゃくの情報をできるだけたくさん記録として残し
ておく必要があります。あるいは、土佐のおきゃくを支える背景についても、しっかり
と把握しておくことが重要です。
この調査はまだまだ続ける必要がありそうです。
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[1−4 参加者の調査研究レポート]
土佐のおきゃく文化とは
傍士 麻子(高知女子大学文化学部3回生)
土佐の三大祭のひとつ「秋葉祭り」は、去年初めて体感し、受け継がれてきた大切な
伝統だらけの異空間に感動したことを覚えていました。豪快な鳥毛ひねり、子どもたち
の太刀踊り、耳に残るお囃子、ひょうきんな油売り・・・一年に一回のこの大祭の魅力を
感じるため、多くの人々が仁淀川町へ足を運びます。今年は、おきゃく文化の調査とい
うことで、祭り前日の沢渡部落集会所でのおきゃくと、当日の大石家でのおきゃくに参
加させていただきました。
何枚もの皿鉢、お芋の煮っ転がしに鮎、山菜と漬物など、お酒の進む御つまみがたく
さん並び、楽しい笑い声と献杯・返杯の嵐で土佐のおきゃくは延々と続きます。本格的
なおきゃくの場を楽しめたのは、貴重なご縁があったからこそであり、このような「縁」
が何通りにも広がっていくんだなと感じました。
私の実家は香美市の土佐山田町ですが、曾祖母の代までは寿司を自ら作り、綺麗に皿
鉢料理をこしらえ、ふすまを外して部屋を広くし、お客をしていたそうです。昔は娯楽
が少ない上、都会と違い辺鄙な場所ということもあり、ご近所で集まってお酒を飲むこ
とが唯一の楽しみだったのだと思います。毎日堅実に農作業を頑張る人々のストレス解
消と、普段は見せない本性を見せ合い親睦を深めるためのおきゃくです。ストレス解消
や親睦会のための「飲み会」なら現代でも盛んですが、昔の形態のおきゃくは廃れてい
っています。
理由のひとつは、職業が変わってきたため。第一次産業から人々が離れていき、会社
への出勤時間が早いからと「飲みすぎてはいけない」意識が強くなってきました。おき
ゃくと言えば夜通しで意識がなくなるまでお酒を飲み続けるものですが、それが言い訳
として通じなくなり、規制も厳しいものになりました。もうひとつの理由は家の間取り
です。ふすまを外して広くするなんて出来ないし、騒げばご近所迷惑になるからと気に
します。
現代の一般家庭に昔ながらのおきゃく文化を復活させることは難しいですが、季節ご
とのお祭りやイベントの中でのおきゃく文化は生き続けていくと思います。県外へ出て
行った人々も年に一回、秋葉様に呼ばれて帰ってきます。たくさんの人々との出会い、
お偉方との無礼講も手伝って、さまざまな情報収集や町の更なる発展へとつながる事業・
イベントの案を出せる場となります。人に温かく、「まぁ寄っていきや∼」と誰彼構わ
ず受け入れる酒飲み・議論好きな土佐人だからこそ、おきゃく文化が根付いたのだと、
今回の調査で感じました。そしてそれをお祭りの中に受け継いでいくことで、町を盛り
上げるキッカケにたどり着くのではないかと思いました。
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[1−5 参加者の調査研究レポート]
秋葉祭りにおける「おきゃく」調査について
若葉屋 友香(高知女子大学文化学部2回生)
今回、私は「土佐酒学研究会」の調査で、仁淀川町に1泊2日で「秋葉祭り」の「お
きゃく」(宴会)の取材に行きました。
私は、「調査」ということ自体が初めて
の経験で、取材と言っても先生方につい
て回るだけで、何のお手伝いをすること
もできませんでしたが、とてもいい経験
をさせていただくことができました。
まず、「おきゃく」の取材の前に「秋
葉まつり」について大石副町長さんに
説明や案内をしていただき、練りや鳥
毛投げのリハーサルを見学しました。
練りをしている子供のなかには、幼稚
園児もいるというので驚きでした。また、祭りの目玉である鳥毛投げは、家の庭や狭い
道で行われるのですが、とても迫力があり、リハーサルとは思えないほど、周りの観衆
は拍手と歓声でにぎわっていました。
リハーサルの 見 学 がおわると、翌日のメイ
ンとなる「おきゃく」の会 場 、大 石 家にお邪 魔
をし、
いろいろお話を伺いました。大石家では、
宴 会に出 す 皿 鉢の 半 分は「 幸 楽 」という店
から取るらしいのですが 、あとは全 部 手 作り
なのだそうです 。この「 幸 楽 」という仕 出し
屋は、大 石 家からだけでなく、その他の家か
らも多く頼まれているということです 。さらに、
翌日の「おきゃく」に出される予 定の山 菜や
漬 物をいただくことができました 。大きなお
皿に、
タケノコ、
ゴボウ、
イタドリ、ゼンマイ、
タ
クアン、
ヤマクラゲが盛りつけられていました。
これらは、毎 年「おきゃく」に出されている料
理らしいのですが 、私たちもどんどん箸が進
んでしまい 、四 人で完 食してしまいそうな勢
いでした。そして、
もう1つ驚いた料 理はタイ
モの煮っころがしです 。翌日のために揚げら
れたタイモが大量に盛られていました。これは、
今までに見たことのない料 理で、翌日の「おきゃく」を楽しみに大 石 家を後にしました。
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当日、「秋葉祭り」は素晴らしく、迫力があり、多くの人で会場は埋め尽くされてい
ました。この「秋葉祭り」のすばらしいところは、普段はふつうの山道でしかない場所
がこの日に限り、立派な舞台となるということです。新たに何かを建造するのではなく、
自然をそのまま活かしています。そして、正午前に参加した後、再び15時半ころから私
たちは大石家の「おきゃく」に参加しました。私は、二十歳になったばかりで、それま
で日本酒を飲んだことがありませんでした。この日、私は初めて「返杯」を体験しました。
これは、「おきゃく」の席での大事なマナーです。私にとって「返杯」は、この調査で
の大きな収穫だったと思います。また、高知県知事や私の地元である佐川町長もいらっ
しゃっており、竹村社長のはからいで、佐川町長とお話をすることもできました。
「おきゃく」という場は、人とのつながりをつくりあげてくれるところだと感じまし
た。また、「おきゃく」は無礼講だと言われていますが、実際、誰でもが今回のような
「おきゃく」に容易に参加できるわけではありません。だが、一歩「おきゃく」に加わ
れば、そこはもうある意味、無礼講であるように思います。私は今回、とても貴重な体
験をさせていただいたのだと改めて感じました。
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くといえば座敷いっぱいの席になって、煮菜のだしもたくさんいるので大鍋に白身魚を
丸ごと泳がせてだしをとるのが便利です。廿枝では、だしのぬけた魚をぜんざいの鉢に
入れていました。甘い汁を吸っただしがらの味もいけますよ。
そうめん
太平(タイの潮汁)
ぜんざい(魚入り)
物据に置いた皿鉢をコの字に配置
2.座敷のしつらえと客のルール
お床には宴にふさわしい掛軸と生花。大盃、土産の角樽や酒瓶を飾り、座敷には、物
据(塗物)に置いた皿鉢をコの字に配置して、客の席には八寸盆の上に小皿2∼3枚と
杯(杯台も)と赤箸が置かれていました。
客は席の外側に、亭主役が内側に座ってもてなす
「松翁」
「文佳人」
「豊乃梅」
「花の友」
「司牡丹」
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客は席の外側に座り、内側には亭主役が座ってもてなします。
「その料理を入れて」と離れた席の客同士が好みの
ものを入れてあげるのもOK。目下の者が「どうぞ」
と杯を出しても失礼にならないのもルールです。宴た
けなわになれば、席は入り乱れて交歓します。
なお、お箸はすべて竹の塗箸で、皿鉢の取り箸は7
寸(23cm)、手もとの小箸は5寸(165
. cm)です。
日常の食事にもすべてこの箸が使われ、小箸はそのま
ま箸拳の道具ともなりました。
帰る客には折箱に巻きずし、魚のすし、ようかんな
どを詰めた土産を渡しました。
ハラン組?
!
ほとんどの客が帰り、皿鉢に葉蘭しか残っていないのにまだ粘って飲んでいる客人を
家人は「ハラン組」とよびます。
〈昔のおきゃくの風俗〉
土佐のおきゃくは座敷いっぱいの席になることが多く、その料理は素人の器用
さば
料理人がつくっていました。魚を捌くのは男性、煮炊きは女性、料理の仕上げは
男性という役割が一般的で、近所の人たちも手伝っていました。
さわちの数は25
. 人から3人に1枚を目安に用意しますが、融通性があります。
また、席は初めのセレモニーには上客が上座に座りますが、宴が始まると自由に
移り、夜の更けるを知らず、来客も交代するなど、自由で解放的です。昔は泊ま
ざん
り客もありました。翌朝は「残」といって、さばずしの頭を焼いたり、たいのあ
うしおじる
らで潮汁をして飲みなおすならわしでした。
[土佐伝統食研究会編著『土佐の食卓 伝えたいおふくろの味ママの味』
(高知県農業改良普及協会、2007年、11ページ)より引用]
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【Ⅱ−2 研究会の報告】
「土佐のお茶」研究会、活動報告
副理事長 坂本 世津夫(高知大学教授)
[「土佐のお茶」研究会座長]
「土佐のお茶」研究会の座長をしています、高知大学の坂本と申します。平成19年度、
「土佐のお茶」研究会では、毎月1回「まちの駅」で開催しています「月例研究会」な
ど、私自身が6月から12月まで大学の公開講座に追われていた関係で休会にすることが
多く、座学としては十分な研究活動を行うことができませんでした。
反面、実学としては、平成19年5月28日(月)、佐川町にでかけて放棄茶園の現状調
査を行い、その繋がりもあって10月には「土佐花番茶」の試作を行うことができました。
JAコスモスの鮑遠清さん、佐川町役場
の和田剛さん、岡林製茶の岡林光治さ
んなど、佐川町の多くの方々にご支援
いただき、素晴らしい「土佐花番茶」
の試作品が完成しました。この「土佐
花番茶」は、11月23日(金)に開催さ
れました「秋の収穫祭」でも試飲が行
われ、また、平成20年2月17日(日)、
高知大学で開催しましたシンポジウム「土
佐茶の味を探ろう」でも、試飲とアン
ケート調査を行いました。このアンケ
ート調査では、思っていたよりも素晴らしい評価を頂きました。
私自身は、この「土佐花番茶」の試作品づくりにも参加することができなかったので
すが、竹村理事長や高知短期大学の水谷
先生、そして高知女子大学の学生の皆さ
んの活躍により、実学として一つ実を結
んだ(花が咲いた)と思います。この実
を、これから如何に育てていくか、それ
が平成20年度以降の活動課題の一つにな
ります。この「土佐花番茶」に関しまし
ては、別途、高知短期大学の水谷利亮先
生から詳しくご報告があります。
私自身は、平成19年12月まで「土佐の
お茶」研究には具体的に関わることがほとんどできなかったのですが、「地域産業おこ
しに燃える人」や「地域活性化伝道師」など、現在、政府の地域再生事業にも深く関
わっている関係で、土佐の素晴らしい伝統産業の一つである茶産業をこれからどのよ
65
うにしていけばよいのか、四六時中ずっと考え続けてきています。そして、「土佐のお
茶」研究が第2ステージ(次のステップは、より実学である「地域学」)に向かうにあ
たって、今までの集大成として一度シンポジウムを開催することにより、土佐の茶産業
を活性化させるためのヒントが見つからないかと考え開催したのが平成20年2月に開催
したシンポジウムであります。
このシンポジウムを開催するにあたっては、高知大学人文学部の蕭紅燕先生から多大
なご支援(人的ネットワークなど)をいただきました。蕭紅燕先生のお茶研究の集大成
としても、一つの区切りになったのではないかと思います。研究成果は、今年の夏頃、
書籍出版される予定です。
シンポジウムの開催に際しては、四国内外の各地から講師はすべて自費でかけつけて
くださいました。開催に至るまで、3ヶ月以上の準備期間を要しましたが、その間、佐
川町の岡林さんをはじめ、愛媛県は四国中央市新宮町の脇さんなど、参加者全員から多
大なご支援とご教示をいただきました。特に、平成20年1月10日(木)に、佐川町の岡
林さん宅を訪問し、色々とご教示(ご指導)を受けた時に、岡林さんの奥さまがたてら
れたお茶をご馳走になり、生まれて初めて「お茶」の本当の味を知りました。まさに、
目からウロコが落ちた思いがしました。「私たちは、如何にお茶の本当の味を知らない
か」、「お茶の飲み方(入れ方)も知らない」、「お茶を楽しむ文化も失っている」、
これを見直さないかぎり、土佐のお茶産業の未来は見えてこない、と感じた次第であり
ます。
シンポジウムの目的は、山茶をはじめ、煎茶、番茶などを見直し、土佐茶の将来的展望
を考えることにありました。当日は、
高知県だけではなく愛媛県や徳島県か
らも多くの研究者や茶業関係者が駆け
つけてくださり、それぞれの取り組み
状況をご報告(話題提供)いただきま
した。そして、土佐茶をはじめ、阿波
茶、伊予茶など、さらに茶の発祥地で
ある中国のお茶を試飲しながらお互い
の交流を深め、自由に語り合える雰囲
気の中で、広い視野から土佐茶の過去、
現在、そして未来を見つめ直しました。
シンポジウムの内容は、総務省四国総合通信局でデジタルコンテンツ連携に取り組まれ
ている(私も一緒に取り組んでいます)白井栄一さんがデジタルビデオ録画してくださ
り、現在、編集作業も行われています。白井さんも、昨年から愛媛県の面河地区で放棄
茶園を借り受け、お茶栽培に取り組まれています。是非、このシンポジウムの内容を、
四国のCATVで放映していただけないものか検討しています。
再度になりますが、今回のシンポジウム開催において(準備作業も含めて)感じたこ
とは、土佐だけでなく四国の茶産業の復活の為には、これから如何にお茶を飲む(お茶
66
を楽しむ)文化を作っていくか、これが最も重要になると思います。お茶を楽しむ文化
と、お茶の生産を連携・連動させて、土佐茶の未来を創っていければと考えています。
その為には、高知だけではなく四国内外との連携も深めていく必要があります。
しかし、急峻な地形に植えられているお茶は、高齢化が進む地域にとっては維持・管
理が非常に難しい状況になっています。そのような中で、すでに放棄茶園がどんどん増
加してきています。ただ、不思議と放棄茶園は、急峻な地形にある山間部よりも、人々
が住んでいるところに近い場所、里中の方が放棄されているように感じます。理由とし
て、山間部はお茶以外に作付けできるものがないという理由もあると思いますが(簡単
に放棄できない)、住宅地に近い場所は、土地がどのようにでも活用できるため、簡単
に放棄されているのではないかと思います。住宅地の近くで、交通の便も良い場所では、
茶園を維持・管理できる新たな人材さえいれば簡単に復活できるのではないかと思いま
す。今後、新たな人材、例えば若者たちが放棄茶園を再生する仕組みなどについても検
討していきたいと考えています。
地域には、折角すばらしい「お茶」という資源があるのですから、これを見捨てずに
再生させていくことが重要ではないかと思います。特に生産者の高齢化が問題でありま
すが、例えば大学を卒業した若者が個業(SOHO)の傍らお茶栽培を行うとか、サラリ
ーマンで休日には農業をしたいと考えている方々、そして地元の土木建設業者など新た
な業態への移行が必要な方々が栽培技術を身につけて放棄茶園の再生に取り組むことも
可能ではないかと考えています。
それと同時に、品質の維持、ブランド化(産品、人、地域の3つでブランド化を同時
に図る)、新たな商品開発、新たな販路開拓、お茶を楽しむ文化の醸成、これらを総合
的にマネージメントできれば、土佐の茶産業も大きく変わるのではと考えています。
ということで、来年度の「土佐のお茶」研究会は、より地域に密着した取り組みを進
める為に、「絶滅危惧」の産業と文化の研究会と一緒になって、「地域」研究会として
新たなスタートを切る予定です。是非、多くの皆様のご参加をお待ちしております。
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[資料]
「土佐茶の味を探ろう」
目的:山茶をはじめ、煎茶、番茶などを見直し、土佐茶の将来的展望を考える。
土佐茶をはじめ、阿波茶、伊予茶などさらに茶の発祥地である中国のお茶を試飲しな
がらお互いの交流を深め、自由に語り合える雰囲気の中で、広い視野から土佐茶の過去、
現在、そして未来を見つめなおしましょう。
日時:2008年 2月17日(日) 13時より
会場:高知大学 共通教育2号館 210番教室
高知市曙町二丁目5-1
内容:話題提供(10名)1人20分(質疑応答込み)
お茶の試飲+ふれあい
(休憩時間+終了後)
大まかな進め方:
13:00 ご挨拶
13:10∼14:50 5人のお話を聴く
14:50∼15:20 休憩(お茶の試飲+ふれあい)
15:20∼17:00 5人のお話を聴く
17:00∼17:10 ご挨拶
17:10∼ 休憩(再びお茶の試飲+ふれあい)
主催者:高知大学国際・地域連携センター 生涯学習部門
後 援:茶商組合、土佐学協会、にんぶろ・宋代茶文化研究会
話題提供者(敬称略):
山口聡(愛媛大学農学部花卉育種研究室)
「土佐在来ちゃ樹の来た道、行く道」
西岡克己(中 国茶芸バンブー茶館)
「中国茶の話」
黒橋由加里(日本茶インストラクター)
「阿波の山茶」
森木弘道(森木翠香園社長・高知県茶商組合長)
「茶商からみた土佐茶」
小島一郎(高知県茶業試験場)
「茶業試験場での研究とインストラクター体験」
岡林光治(佐川町茶農家)
「茶農家の1年」
お申し込み
脇博義(農業生産法人脇製茶場)
〒780-8073 高知市朝倉本町2丁目17番47号
「山茶に学ぶ村ぐるみ無農薬栽培」
高知大学国際・地域連携センター 生涯学習部門
国友昭香(国友林業)
教授(生涯学習部門長)坂本 世津夫
TEL:088-844-8555 Fax:088-844-8556
「有機無農薬栽培の山茶づくり」
鮑遠清(JAコスモス佐川支所果樹・茶担当) E-mail:[email protected]
「茶園施肥窒素削減の取り組み」
水谷利亮(高知短期大学・土佐学協会理事)
「佐川町の花番茶」
費用:手弁当
参加費:発表者以外の方々には、
土佐茶の研究会に1000円のご協力金をいただけると助かります。
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「土佐花番茶」づくり
−きびしいときこそ花が咲くんだよ−
水谷 利亮(高知短期大学准教授)
[はじめに]
この度、番茶と乾燥した茶花を混和した「土佐花番茶」(試作品)が完成しました。
その経緯を簡単に紹介します。
なお、今回の「土佐花番茶」づくりにおいては、岡林製茶(高岡郡佐川町黒原1535 ) 、
JAコスモス営農指導課・鮑(ほう)さん、佐川町産業振
興課・和田さんには、いろいろご協力・ご支援をいた
だき、たいへん感謝しております。
[1.経過]
きっかけは、私たちの土佐茶研究会において仁淀川
町で調査したおり、教育委員会の方から各家庭の番茶
用茶葉について説明を聞いたことでした。仁淀川町の
田舎の家庭では、秋に番茶を摘むときにお茶の花もい
っしょに摘み、それを三椏用の釜で焙って番茶を作り、
その番茶を沸騰した鉄茶瓶に入れて飲むそうです。そ
して、その年に飲み切れなかった茶葉を保存して、1
年物、2年物、3年物として「熟成」した番茶を、飲
む前に1回焙って飲むこともあり、その茶花入りの番
茶の風味が良いということでした。
そこで、「土佐のお茶研究会」でプロジェクト化し
て、今年度に「佐川町・花ばん茶の里づくり事業」と
して実際に「土佐花番茶」の試作品を作ることにした
のです。
[2.花番茶のおおざっぱな解説]
茶は、4月末∼5月初旬に一番茶、二番茶、三番茶と
摘んで、秋に花が咲く頃に番茶用の茶葉を摘みます。
茶の花は、茶園では茶葉の栄養をとってしまうので花
は不要であり、また花も毎年咲くものではないそうで
す。花は、夏の気候などが茶の木にとって厳しく、「生
命」の危機を感じた時の秋(初春にも咲くことがある)
に咲くそうです。まさに、「きびしいときこそ花が咲くんだよ」ということです。番茶に
は2種類あり、大柄な茶葉がそのままのものが「平番茶」、手で茶葉をよったものが「柳」
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といいます。
[3.「土佐花番茶」づくり]
研究会のメンバーは、2007年10月29日(月)に、JAコスモスの鮑さんと佐川町役場の和
田さんの心強い協力をいただきながら、茶花の
蜜の香りがかぐわしい岡林製茶の茶園で、その
蜜を求めて来る蜜蜂に注意しながらも、茶摘み
ならぬ茶花摘みを行い、約3kgの茶花を集めま
した。
その後、岡林製茶の茶工場で茶花を乾燥させて、
この時はそれらと「柳」の番茶とを混和して袋
詰めし、「柳」番茶の「土佐花番茶」の試作品
が完成しました。11月7日(水)には、先の乾燥さ
せた茶花と「平」番茶を混和し、「平」番茶の「土
佐花番茶」の試作品も完成しました。
土佐学協会の‘秋の収穫祭’やシンポジウム「土
佐茶の味を探ろう」(高知大学)において試飲
会を開催しました。試飲されたみなさんには、番茶の芳ばしい風味・コクとハーブティ
のような茶花のやさしくナチュラルな味わいを同時に楽しんでいただけたと思います。
[おわりに]
古来より土佐の高知は、静岡以上
においしいお茶が取れる名産地であ
りましたが、一般的には名前が売れ
ていません。この度の「土佐花番茶」
が、お茶の名産地として土佐の高知
が世に知られるきっかけになれば幸
いであると考えております。
なお、試飲していただいたみなさ
んのアンケートでの評価がよかった
ので、2008年度においては、少しでも商品化に向けて取り組みたいと思います。そのこ
とによって、ささやかながらも土佐茶や「土佐花番茶」において「原料−生産製造−流
通販売−生活者」を俯瞰しながら、お茶とともに土佐のお茶菓子もセットでとらえて、
その「お茶の時間と空間」を豊かな生活の1つのあり方として、ちょっと提案できれば
うれしいことです。その協力者を求めます!よろしくお願いします。
70
【Ⅱ−3 研究会の報告】
「絶滅危惧の産業と文化」研究会
−地域における実践的「土佐学」、「絶滅克服」の3条件−
理事 宮川 敏彦
[「絶滅危惧の産業と文化」研究会座長]
この1年、「土佐の産業・文化・技術など、絶滅が危惧されているもの、がんばって
いるものを調べてみろ」という課題を背負いました。私なりに地域の研究や活動の経験
をふまえ、取り組んでみました。道を開くには本当に難しいです。
(1)高知新聞に「ポスト橋本に思う」という連載がありました。最初は、関西学院大
学の野田正彰さんでした。高知県をどう見るか、ほとんど同感ですし、書かれているよ
うなことを私も長い間、言ってきました。
しかし違うところは、私は高知県で生まれ、高知県でくらし、死ぬまで高知で生きな
ければなりません。ですから、「ではどうやって高知をよくしていくか、みんなが食べ
ていけるようにするのか。そのために自分は何ができるのか」、馬鹿みたいな実践に明
け暮れなければなりません。外から、こうあるべきだ、こうすべきだと批判や提言をす
るのはしよいです。県民である私たちは、毎日毎日、意味のないように見えることを積
み重ねて、わずか1ミリの歴史をすすめなければなりません。
確かに野田さんは、外から眺めて、いてもたってもいられないかもしれませんが、民
衆というものはしたたかなものですから、たいへんのように見えても、スタインベック
の「怒りのぶどう」の一家のように、最後までへこたれることはありません。
野田さんの話から私たちが学ぶべきは、
「近い過去を見よ」ということでしょう。野
田さんは、幕末から明治初期のわずか20年間の、坂本龍馬・自由民権だけを観光的に繰
り返すのではなく、その後の歴史を見よ、といっています。この100 年と現在を高知の
人たちは避ける傾向があります。私は機会あるごとに、
「いつまでも、坂本龍馬(歴史)・
自由民権(政治)・四万十川(自然)とカツオのタタキ(料理)の4 点セットではダメ
ではないか」、と言ってきました。
(2)今、高知県で弱くなったのは、住民の自治、学習、社会運動などの力ではないか
と思っています。地域の自治的なエネルギ−です。かつては学校の先生たちが、文学活
動や地域の歴史や社会調査、自然の研究など、住民や子どもたちといっしょになって、
科学や文化を育てました。教育者であり科学者でした。
私はこうした力を探して、もう一回、学校の先生や自治体の職員の協力を得てがんば
ってみようと各地を訪ねてみました。しかし、私が長く続けてきた地域活動は、なかな
か発見することができず、失望の念に陥っています。最近のいくつか事例です。
71
本川村(現在いの町)です。一人の青年が正統派神楽の継承にがんばっています。
土佐学協会も、それを応援して再興できるようにと考えました。役場に聞きますと、地
域には、神楽をになう人たちの間にむずかしい深刻な矛盾や対立があって、なかなか共
同できない、役場もさじを投げた、という話です。町長さんは、宗教活動だから、保存
や支援などに関わることはしないと。本当にそうでしょうか。津野町も梼原町も、地域
文化を大事にし、町長さんなどが保存会の会長さんです。
去年の夏、梼原町の自然と文化を学ぶ住民組織を作りたいと思いました。まず、林
業に生きた年配のみなさんの記録、この人たちの生活史を語ってみよう、とお世話下さ
る方に相談しました。成果を学校のこどもたちにも知らせようと。とても喜んでくださ
り、11月初めには1回目の集まりができるようにしようとなって楽しみにしておりま
したが、そこからがなかなかすすみません。
宇佐の海を背景にした歴史、自然、文化の研究も考えました。有志が張り切ってく
れましたが、結局、そこからが難しい。
(3)外からの働きかけだけでは、うまくいくと思っても、地域の中に核がないことに
は続きません。20年、30年前でしたら、学校を中心に、学習活動家がどっさりおりまし
た。内発的なエネルギーの核、原動力がありました。その力を回復するために、いま私
たちは何ができるのか、何をすべきか、だと思います。
私は元来、社会運動や生産者運動が好きなものですから、結局は、地域の人たちがど
うしたら食っていけるか、そのために何をすべきかを考えます。研究も、当然それに役
だつものでなければなりません。研究をしていくと、解決のための課題が見えてきます。
大事なことは、研究でわかった理屈が実際の問題解決に役立つかどうか、です。実践し、
成果が上がっていくと楽しく、地域に自信もできます。
土佐学といいましても、「水戸学」とか「東北学」、「北海道文学」とかの世界とは
違って、歴史的に認められた学問や文化の体系があるわけではないと思います。ですか
ら土佐学とは何か、どのように土佐学をすすめるのか、ここのところを打ち立てること
が、土佐学協会が長生きできるカギだと思います。
土佐学協会の会員が、独自にテ−マを追加して研究し、1年に1回の発表を行うとい
っても、なかなか難しい話です。高知県には各地でがんばっているみなさんがいます。
それを広く見渡して、このような研究会の機会に横断的に発表していただく、そういう
総合的な研究発表の機会を得ることも必要と思います。
研究は、どのようなものであれ、3年、5年、10年以上と積み上げて初めてわずか
な成果が生まれるものです。私には本川の氷室研究と活動も、高知の障害者運動もそう
でした。木炭研究も20年以上になります。やっと、地域産業をどうするのか、青年の
製炭者の未来がどうすれば開けるか、大阪や東京での市場価格を生産者が食っていける
ものにするにはどうすればよいのか、答えもわかり、生産者自身が組織を作って実現の
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ための活動をしています。2007年11月、100年の炭の歴史で初めて、生産者が大阪の大
きな料理店と直接交渉をし、産直・共同出荷に成功して価格も20%アップを実現しまし
た。
土佐学協会も、基礎研究や地道な調査を積み重ね、「高知の人たちが、どうすれば食
っていけるか」を研究しなければならないと思います。「脱藩主義ではなく、また、東
京から偉い人を呼んでくるのでもなく」です。
(4)伝統産業や文化・技術の未来を開く三つの条件について
高知県には、山村・農村・漁村を中心に、伝統的な産業や技術がたくさん生きています。
最後に「回復の力」となる条件を考えてみたいと思います。
①地域産業としての生産が継続的になされていること。つまり、地域や住民が生きて
いく力となる基盤の産業があること。文化や技術の土台です。これを「生活の力」と言
ってもよいと思います。
②とは言っても、技術や文化は産業から興りながら相対的に独立した世界を持つもの
ですから、その成果を大切にし、保存・普及していく特別の努力が必要です。地道な研
究を重ね、保存会も作り、小さくても資料館などが継続の力を発揮します。思いつきの
ような、にわか仕立ての取り組みでは、花火の跡のような寂しさだけが残ってしまうの
で、その力を継続できることが大切です。「文化」の力です。
③この①②の力を維持、発展させていくのは、担い手である「住民の力」、将来に引
き継いでいく「青年の力」です。若い人たちを励まし、学習と青年・中堅・熟練者の交
流をすすめ、5年先、10年先を見通した生産者の力を育てることです。外から、知恵
や理屈をいくら持ち込んでも、簡単には地域の力に転化されません。山村の仕事が奪わ
れたから人がいなくなり、「限界集落」となっていくのですが、解釈するだけではエネ
ルギーにはなりません。「おまえのところは限界集落だ」などと外部からいくらレッテ
ルを貼っても、それだけでは何も解決しません。大事なことは、住民を主体に、外部の
応援者もいっしょになって、「回復へ可能なこと」を一つひとつ積み重ね、実践してい
く以外にないと思います。
73
【Ⅱ−4 研究会の報告】
平成19年度地域文化デジタルアーカイブ研究会活動報告
理事 大野 加惠(有限会社生活創造工房代表取締役)
[「地域文化デジタルアーカイブ研究会」座長]
1.地域文化デジタルアーカイブ研究会について
工業や交通網、情報通信網等が発達したことで、私たちの生活は便利にそして豊かに
なりました。しかし一方で、営々と地域の人達が継承してきた文化や知恵、技術を失っ
てきていると思います。技術や知恵といった無形な文化は、人が媒介となり受け継いで
きたものですが、継承されずにその人が亡くなってしまうと、二度と復元をすることが
できません。
我が国においては、e-Japan戦略等でデジタル技術を使って伝統文化を記録、保管し、
保護していこうという活動が出てきました。しかし、これらが対象としているものは、
文化財保護法で指定された文化であり、地域の人々の生活の中で息づいてきた広義の意
味での文化は対象とされていません。しかし、地域の文化を知り、学び、活かしていく
ことは地域の独自性、固有性を維持し、また、さらに発展させていくことに繋がり、非
常に重要なことであると考えます。
デジタル技術が発達し、静止画だけではなく動画や音を記録することが比較的容易に
できる様になりました。このような社会において、デジタル技術を活用し、失われてい
く地域文化を記録、保存していくことは、後世に対して決して無駄なことではないと考
えます。加えて、地域文化の記録、蓄積が地域の独自性、固有性を顕在化し、これらが
新たに観光資源や事業資源となる可能性も十分あると考えます。そして、地域文化の記
録、保管から活用への道筋をつけることによって、地域経済の活性化にも寄与できると
考えます。
以上の考え方に基づき、県立歴史民俗資料館をはじめとして“想い”を共有いただけ
そうな方々にお声がけをして、平成18年春に「地域文化デジタルアーカイブ研究会」
を立ち上げました。そして、平成19年度からは当研究会を土佐学協会の中の研究会と
して位置づけ、地域文化の記録、保管、活用方法について検討、そして一部については
実施をしてきました。
2.第1回地域文化デジタルアーカイブ講座の概要
デジタルアーカイブ…言葉は聞いたことがあるけれども、どういったものなのか良く
分からない…。研究会に参加しているメンバーの中でもデジタルアーカイブに関して有
している情報や知識、その記録、保管、活用方法のイメージもまちまち…というのが研
究会の現状です。平成18年度は様々な意見交換、議論をしましたが、「議論をしてば
かりいても先に進めない。とにかく“記録”のところから手をつけてみよう。そうしな
いと地域文化を担ってきた人が亡くなっていってしまう。」ということになり、平成19
年度は地域文化の“記録”ができる人を養成する第1回地域文化デジタルアーカイブ講
座を開設することになりました。
講師陣もデジタルアーカイブ講座を行うのは初めて、手探り状態です。保管、活用方法に
74
ついての議論も途上の中で、問題意識を共有して“記録”を行える人を養成するカリキ
ュラムを作成することはとても難しいことでした。例えば、デジタルによる記録や編集
に関する知識や技術習得をどこまでしてもらうか…、民俗学に関する講義は必須か…、
どうすれば目的を達することができるのか…等々、議論を重ねました。そして、平成19
年度はひとまず「最近はデジタルカメラやデジタルビデオを趣味としている人も多い。
使い方や編集についてはある程度分かっているという人を前提にしてみよう。」という
ことになりました。講習会のカリキュラムを決め、講座の参加者募集にかかることがで
きたのが8月。9月からの講座開始まで1ヶ月足らずとなった頃です。
講義内容
開催日
1 デジタルアーカイブ概論/民俗学とは
時間
講師
18:30∼19:30
大野 加惠
19:30∼20:30
坂本 正夫
10:00∼11:00
中村 淳子
11:00∼12:00
梅野 光興
10:00∼11:00
中村 淳子
11:00∼12:00
梅野 光興
県立高知女子大学
9月5日(水)
県立歴史民族資料館
9月15日(土)
2 民具と民俗
9月22日(土)
3 くらしと仕事の道具
場所
県立歴史民族資料館
4 まつりの記録
9月26日(水)
18:30∼20:30
梅野 光興
県立高知女子大学
5 言語と民俗
10月 3日(水)
18:30∼20:30
橋尾 直和
県立高知女子大学
6 デジタルアーカイブの手法と技術
10月10日(水)
18:30∼20:30
大野 加惠
県立高知女子大学
7 合同調査の打ち合わせ
10月17日(水)
18:30∼20:30
講師全員
県立高知女子大学
8 実地調査(フィールド実習)
講習期間中に決定
講師全員
現地
9 調査報告と打ち合わせ
講習期間中に決定
講師全員
県立高知女子大学
10 成果発表会に関する検討と展示準備
講習期間中に決定
講師全員
県立歴史民族資料館
講師全員
県立歴史民族資料館
11 成果発表
12月 1日(土)
10:00∼12:00
第1回地域文化デジタルアーカイブ講座のカリキュラム
講座は平成19年9月5日∼12月1
日(座学7回、フィールド実習6回、ま
とめ学習3回 計16回)に開催。座学
は、地域文化に最も関係の深い民俗学に
ついての知識がベースとして必要であろ
うと、当協会副会長の坂本正夫先生、県
立歴史民俗資料館の梅野学芸員、中村学
芸員そして高知女子大の橋尾先生が、専
門家の立場で初心者にも分かりやすい話
をしてくれました。デジタルアーカイブ
については、概念と方向性と活用事例を
知ってもらえれば良いという程度に考えて、
高知新聞記事
75
不肖ながら私が話をさせて頂きました。
フィールド実習の対象は土佐市蓮池の西宮八幡宮秋の大祭。まとめを経て、12月1
日に高知県立歴史民俗資料館で成果発表会、その後10日間の展示を行いました。
以上が講座として行ったカリキュラムですが、その後、高知工科大学附属図書館や土
佐市の中央公民館等で展示の機会を得ることができました。
3.第1回地域文化デジタルアーカイブ講座の課題
(1)デジタル機器使用・編集方法に関する講習の必要性
講座の参加者は民俗学に興味のある人が多く、講座のカリキュラムを作成するにあた
って前提とした人達(デジタルカメラやデジタルビデオの使い方や編集方法はある程度
分かっている)の参加が殆どありませんでした。これではいけないと、同時期に行われ
た四国総合通信局主催「デジタル動画コンテンツ制作のための研修会」を参加者に紹介
し、こちらに参加をしてもらう様にしましたが、講義として用意してあったデジタルア
ーカイブ特有の記録方法の知識等よりも、デジタル機器を使っての記録や編集に関する
技術・技法についての実習の必要性があった様に思います。
ただ、編集は“活用”方法が明確になって初めて出来ることです。少なくとも、当講習
で“記録”した物の“活用”方法の明確化を出来るだけ早い段階で行う必要があると考え
ています。また、編集を行うにはパソコンが必要だけではなく編集用ソフトウェアも合わ
せて必要となりますので、これらも合わせて検討をしなければならないと考えています。
以上のことを踏まえて、今後、講座に参加頂く人の前提条件をどこに置くか、デジタ
ル機器の使用法や編集に関わる技術についての講義をどのレベルから行うか等、当研究
会で検討をしてカリキュラムの再構築をしなければならないと考えています。
(2)フィールド実習における対象物の事前決定
講座開始の段階では、フィールド実習の対象物を何にするのかを決めていませんでし
た(デジタルアーカイブ概論では最初に決定を行う必要があると講義をしたにも関わら
ず、講座開講時に決定が出来ていませんでした)。講座途中で“祭り”を対象とするこ
とに決めたのですが、やはり対象を何とするかを事前に決めておくべきでした。それは、
記録対象物について事前に情報収集、調査を十分に行うことができ、どこが重要なのか、
例えば、どのような角度で記録を行えば記録の情報量を最大限にすることができるのか
等を予め検討、決定することができるからです。
ただし、事前情報の収集、調査を各自に任せるのか、講座で付与するのかについては
一考する必要があると思います。それは、そもそも当講座が“修了後は各自が自立的、
自主的に地域文化の記録を行う”事を目指したものであるからです。この立場に立てば、
「個々人が予め記録をしようと思う対象物についてどのように調査すれば良いか、その
手法について講習で行えば良い…」という考え方になります。
講座では調査方法についての講習を行いました。しかし、講習参加者は地域文化に興味を
76
持っており、また、せっかく民俗学の専門家が講師陣にいるのだから、事前に対象物の
学習をする機会がもっとあっても良いという考え方もあると思います。実際に、こうい
った意見を参加者からも頂きました。
この点は、記録をした物を“誰が”、“どのように”、“活用”するのかを明確に決
めないと決まりません。まずは“記録”から…という事で始めた講習会ですが、平成20
年度の実施に向けては、主催者としての活用方法についても検討、議論を行い、一定の
方向性を定めた上で講座の内容を見直す必要があると思っています。
事前情報の付与を講習で行う、または、調査方法の講習に留めておく、いずれにしても、
フィールド実習における対象物を講座開講時には決定をしておく必要があると考えています。
地域文化のデジタルアーカイブ化フロー(例)
(3)保存と活用方法の研究と検討
「まずは、身近なくらしの中に息づく地域文化の“記録”ができる人を養成しよう」と始
めた第1回地域文化デジタルアーカイブ講座ですが、「“活用方法”が明確になっていない」
ことが講座内容を中途半端にしてしまったという反省があります。活用方法というのは一般
的なことではなく、当講座においての成果の発表や展示方法と主催者側(高知県立歴史民俗
資料館と土佐学協会地域文化デジタルアーカイブ研究会)の方向性です。これによってプレ
ゼンテーション(表現)方法が決定されます。例えば、動画の場合だと映像ホールで流すの
か、インターネット経由で動画配信を行うのか。地域文化の記録情報として単にメディアに
記録した物をアナログ的に保管するのか、データベース化するのか。主催者側として、どの
ように活用したいのかを明確にして、それに向かっての道筋をつけた講座内容とする必要が
あると考えています。
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そこで、平成20年度は、デジタルアーカイブに関する講座について先進的な取り組み
をしている事例の研究を行い、高知県で地域文化のデジタル記録、保存、活用を継続的に
行っていくたための講座内容、仕組みのあり方等の検討も行いたいと考えています。
デジタルアーカイブ・ロードマップ
デジタルアーカイブの構築と運用(笠羽晴夫著)より 4.おわりに
第1回地域文化デジタルアーカイブ講座に参加を頂いた皆様、ありがとうございました。
どの方も熱心で、講座開設の検討、決定をした想定以上の成果がありました。講座内容が不
十分であったために、調査や発表会や展示に向けたデジタルデータの編集、作成に際しては、
一部の方に多大な負担をかけてしまいましたことお詫び申し上げます。
平成20年度は、第1回の反省と課題を踏まえ、第2回の講座内容を検討し、実施したい
と考えています。より多くの方に、私たち研究会の取り組みを知って頂き、まずは地域文化
のデジタル的な記録にご協力を頂きたいと思います。講座内容が決定をしましたら、土佐学
協会ニュースレター等でご案内をさせて頂きますので、是非、ご参加下さい。宜しくお願い
致します。
以上
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デジタルアーカイブ講座に参加して考えたこと
−土佐市蓮池西宮八幡宮秋祭りのデジタル記録−
高崎 敬雄(高知工科大学電子光システム工学科教育講師)
1.デジタルアーカイブについて
最近しばしば目にする「デジタルアーカイブ」なる単語、どうも英語の「デジタル」
+「アーカイブ」らしいと推測し、英語の辞書を引いてみたところデジタルは「離散的」、
アーカイブは「書庫」とありました。離散的というと分かりづらいのですが簡単にする
と記録形式がアナログのレコード盤からコンパクトディスクになったようなもので、こ
ういう形式の資料が沢山保管されていると考えたら良いと理解しました。このようなア
ーカイブが何故最近注目され盛んになってきたのかはいうまでもなく情報・通信技術や
半導体技術の進歩で資料を保管する倉庫、すなわち計算機やその資料を配信するインタ
ーネットが高性能・安価かつ容易になったことがあげられます。政府もこの技術分野で
世界のトップランナーたらんとe−Japn構想などを立ち上げ、また国会図書館関西
館はデジタル資料の倉庫として位置づけられています。また、地域に目を移すと地方の
地盤沈下が叫ばれるなか活性化の一助になって欲しいという要請もあるのではと推測し
ます。
一方、私たちの生活を振り返るとわずか数十年の間で生活環境が激変し、かつて身近
にあった生活環境・生活道具がもはや何処にも残されていないという状況も出てきてお
り、これらを何らかの形で残しておきたいという要請もでてきたことがあげられます。
2.デジタルアーカイブ講座にエントリー
たまたま土佐学協会デジタルアーカイブ研究会と高知県立歴史民俗資料館が主催する
「デジタルアーカイブ講座」が学内メールで案内されたのでの何かしら興味を覚え参加
することとなりました。何かしら興味というのは、ひとつは筆者がデジタルカメラで撮
影した写真が1万枚を超え、これらをどう整理しようかと考えていたこと、さらに高知
工科大学図族図書館で柳田國男 、折口信夫、宮本常一、鳥居龍蔵、伊波普猷、森銑三
らの民俗学に関するビデオを視聴したところであったという同時性、まさにまったくの
偶然からです。
3.デジタルアーカイブ講座の内容
講座は2007年9月25日に開講され、座学、実習、事前調査、現地調査、まとめ
を経て同年12月1日に高知県立歴史民俗資料館での成果発表会を行い同企画コーナで
10日間公開されました。
講座内容の詳細は、1回目「デジタルアーカイブ概論」と「民俗学とは」、2回目「民
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具と民俗」、3回目「くらしと仕事の道具」「民具のスケッチ」、4回目「言語と民俗」、
5回目「まつりの記録」、6回目「デジタルアーカイブの手法と技術」、7回目「調査
の打ち合わせ」、8回目「実地調査」、9回目「調査まとめ」でした。なを、当初計画
には無かったのですがビデオ撮影と動画編集を目的として、四国総合通信局主催「デジ
タル動画コンテンツ制作のための研修会」が追加されました。
4.デジタルアーカイブ講座のメリット
講座参加者にはそれぞれ得失が有ったと想像しますが、それはさておき筆者自身は、
知らない分野を経験するので開始地点の知識が少ない分その増分は大きなものがあり非
常にプラスになったという満足感があります。筆者は民俗学につては全くの素人、よっ
て今回の講座で少し糸口を掴んだという実感があります。また、撮影した画像(約23
00枚)や動画(数時間)を短期間に見て処理しまとめるため、使用経験のないソフト
ウェアを試したりして今回身につけたモノは大きかったと主催者に感謝しています。
また、今回の成果物をお借りして高知工科大学附属図書館で2008年1月に展示す
るさい餅の模型を試作機で作り展示(図1∼図3参照)したことも本業に活かせるとい
うメリットが有りました。
図1 餅(小判形、手形)
図2 手形の3次元モデル
図3 試作機で作成した模型
5.今後のデジタルアーカイブ講座のために
今回のような講座を続けて開催し、デジタルアーカイブの裾野を拡大していくことが
重要と考え、よりよい講座に仕上げていくために三つ提案をしたいと思います。
1)記録対象の事物に対する民俗学的な知識付与
歴史的な背景や民俗学的知識を事前に持つことにより、記録することの意義、どう
記録すべきかなどモチベーションも上がり、記録物の品質向上が期待できます。
2)記録対象事物の内容そのものの知識付与
今回記録したような「太刀踊り」では、その動きの意味や、動きの勘所を事前に把
握し理解できていれば、その記録に工夫がなされ、記録物の品質向上が期待できます。
3)記録物の活かし方
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デジタル記録物のみの話ではなく、記録物を含めた収蔵物をどのようにして将来に活かす
のかが分かっていれば、単に知り合いが写っているからとかうまく撮れたとかいうレベルで
は終りません。
6.さいごに
今回初めて講座を開催された機関および講師の方々に感謝いたします。筆者個人としては、
デジタル記録物の検索(記録物固有の名前のつけ方と簡単な検索方法)を検討するとともに、
高知県教育委員会の高大学連携事業(ブルーバード)で行われている出前授業の一つに加え
ていただくことで地元の中・高校生にデジタルアーカイブ授業を提供し、その裾野を拡げて
いくような活動をしていきたいと考えています。 以上
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「地域文化デジタルアーカイブ講座」に講師として参加して
橋尾 直和(高知女子大学文化学部教授)
2007年10月3日、高知女子大学南舎137教室において、「言語と民俗」と題して、私は
未来のデジタルアーキビストの方を対象に、文化の基盤としての言語、方言学と民俗学
の接点、目に見える文化と目に見えない文化、民具の方言呼称の記録、伝統的習俗・方
言と新しい習俗・方言、記録することの意義、フィールドワークの重要性などについて
講義を行いました。同年9月5日からスタートした、土佐の暮らしを記録する「地域文化
デジタルアーカイブ講座」の一環でした。
この講座は、生活が便利になり豊かになった反面、失われつつある地域文化を、記録・
保存し後世に残すことと同時に、デジタル技術を活用し、地域の文化資源を活用するこ
とで地域活性化につなげることを目的としています。主催は、土佐学協会地域文化デジ
タルアーカイブ研究会・県立歴史民俗資料館、共催は、県立高知女子大学・(有)生活
創造工房です。講師陣は、坂本正夫(県立歴史民俗資料館前館長)、中村淳子・梅野光
興(県立歴史民俗資料館主任学芸員)、大野加恵(生活創造工房代表)と私(高知女子
大学准教授)です。受講生は一般の方ですが、すでにカルチャーサポーター(博物館で
実施されている)として活躍されておられる方もいらっしゃいます。
私が講師として方言学の内容でお話しさせていただいた理由は、デジタルアーカイブ
の部門において、「目に見えない文化」と言われる方言(音声言語)も、今のうちにき
ちんと記録・保存してデジタルアーカイブ化しておく必要があると考えたからです。受
講生の皆さんには、民俗との関わりのある方言もきちんと後世に残しておく意義をお伝
えし、民俗学とともに方言学の基礎知識も身につけていただきたく開講しました。受講
生の方々も熱心に聴いてくださいました。
同年11月1日から4日まで、土佐市蓮池の西宮八幡宮の秋の大祭における「オハケ立
て」「太刀踊り」のデジタル記録を行うことになり、祭りの準備から「直会」、そして
後片付けに至るまで、すべてにわたって多角的に映像を記録・保存することができまし
た。これは、私のこれまでのフィールドワークの中でも初めて体験でした。祭りがどれ
だけ準備に時間を要し、手間暇をかけて行われているのかを実感できました。受講生の
方たちと一緒に、祭りに携わる地元の方々と一体化し、そこにどっぶりととけ込んで取
材できた4日間でした。同年12月1日には、県立歴史民俗資料館で受講生による展示・
上映発表会を催し、2008年3月1日に、作成したDVDを土佐市中央公民館で教育委員会
に贈呈し、3月4日には、蓮池コミュニティーセンターにおいて上映会を催しました。
82
【Ⅲ−1‘秋の収穫祭’の報告】
あなたの人生を豊かにする食とお酒の相性のコツ
「土佐酒学研究会」座長 竹村 昭彦(司牡丹酒造社長)
●食とお酒の相性を知れば、人生が豊かになる!
食とお酒には相性の良し悪しがあり、組み合わせを間違えると、せっかくのおいしい
食べものをマズくして食べることになってしまいます。しかし、上手に合わせれば、お
酒は食べもののおいしさや効用をグンと倍増させ、私たちの人生を一層楽しく豊かにし
てくれるという大変素晴らしい効果が期待できるのです。
●醸造酒・蒸留酒・混成酒
食とお酒の相性を考える際に、まず知っておきたいことは、醸造酒・蒸留酒・混成酒
の違いです。世界には様々なアルコール飲料がありますが、その全てはこの3つのうち
の何れかに分類されるのです。醸造酒とは、糖質を酵母菌の働きによってアルコール発
酵させて造ったもので、日本酒・ビール・ワイン等があります。蒸留酒とは、醸造酒を
蒸留させたもので、焼酎・ウィスキー・ブランデー等です。そして混成酒とは、醸造酒
または蒸留酒に香料・草根・糖質等を加えたもので、リキュール・ベルモット・みりん
等があります。そして、食とお酒の相性を考える際の最も基本的な常識は、以下の4つ
なのです(基本ですが、もちろん例外もあります)。
<基本①>食中酒(食事を食べながらいただくお酒)としては醸造酒が最適である。
<基本②>蒸留酒は食中には用いず、食後にカワキモノ等をつまみながらゆっくりいた
だくというのが基本である。
<基本③>リキュール等の糖分の多い甘いお酒は、ディジェスティフ(食後酒)として
デザート等に合わせるのが基本である。
<基本④>炭酸ガスの入ったスパークリング系のお酒はアペリティフ(食前酒)に適す。
●食とお酒の相性のコツ
そして、上記の4つの基本を踏まえた上で、食とお酒の相性のコツを簡単に表現すれ
ば、以下の4つになります。
<コツ①>軽いお料理には軽いお酒、重いお料理には重いお酒。
<コツ②>お料理の格や繊細さにお酒も合わせる。
<コツ③>その土地のお料理にはその土地のお酒を。
<コツ④>似た風味があるお料理とお酒は相性が良い。お酒を多く使ったお料理には、
そのお酒を合わせる。
この4つのコツだけでも知っていれば、あなたの食生活の楽しみはグンと倍増し、人
生そのものも、一層豊かになること保証付きです!それでは以下に、もう少しだけ詳し
く、それぞれの酒類別にお料理との相性のコツを、簡単に記しておきましょう。
83
●ワインとお料理の相性のコツ
日本でよく言われている「お魚には白、お肉には赤ワイン」というのは、実は正確では
ありません。ワインとお料理の相性のコツは、前記の「4つのコツ」が基本になります。
協力:友田晶子氏(ワインコーディネーター・ 酒師)
<コツ①>
単にお魚といっても、白身や貝類のように繊細であっさり淡白なものから、鰹やマグロ、
ぶり、秋刀魚など赤身や光り物で脂がのっているものまでいろいろです。また、同じお肉で
も鶏肉や豚肉のように白身のものから、牛肉、羊肉のような赤身、個性の強い臓物類まで様々
です。つまり、お魚、お肉という区分けではなく、味わいが「軽い」「淡白」なものならサ
ッパリとした「軽いワイン」、味わいが「重い」「しっかり」したものならコクのある「重
いワイン」という組み合わせがいいいうことです。また、塩コショウだけの軽い味付けやさ
っと炙っただけのものなら「軽いワイン」、さまざまなソースを使いこってり仕上げたもの
や長時間煮込んだものなら「重いワイン」が相性の良い組み合わせとなります。
<コツ②>
たとえば、日常の家庭の食卓で「シャトー○○○」といった格付け高級輸入ワインを合わ
せる必要はありませんが、逆に記念日などに行くレストランなどで手の込んだプロの料理に
は、それなりの格の高いワインを合わせる・・・など料理の格にワインも合わせるとバランス
がとれるということです。また、繊細な食材や味付けのお料理のときに、渋味や癖の強いワ
インでは料理が負けてしまいますから、やはり繊細な味わいのワインを。逆に、個性の強い
味わいのお料理にはそれに負けない個性を持つワインを合わせるとバランスがとれるという
ことです。
<コツ③>
その土地の食材にはその土地のお酒が一番相性が良いということです。たとえばブルゴー
ニュ地方の名物料理「コック・オー・ヴァン(鶏肉の赤ワイン煮込み)」にはブルゴーニュ
の赤を、羊の放牧で知られるボルドー地方の「骨付き仔羊のロティー」にはボルドーの赤を、
南仏の港町マルセイユの「ブイヤベース」には、同じ南仏のロゼワインがベストマッチ。と
いうように、その土地の美味しいものにはその土地の地酒がよく合います。
<コツ④>
まず、似た風味があるお料理とお酒は相性が良いという点で言えは、たとえばハーブ様の
香りを持つ爽快な白ワインと香草類を多用した南仏料理とか、スパイシーな香りを持つ赤ワ
インとスパイスを効かせた肉料理等は相性が良い、ということです。
次に、お酒を多く使ったお料理にはそのお酒を合わせるという点で言えば、牡蠣のシャンパ
ン蒸しや、鱸(スズキ)の白ワインソース、オックステールの赤ワイン煮込み・・・などなど
ワインを使った料理には、同じワインを合わせるのがルールということです。いずれも同じ
ような香りや風味が重なり、美味しさのハーモニーを奏でます。
<裏ワザ>
また、ワインには、もっと簡単な合わせ方の裏ワザがあります。それは、「お料理の色とワイ
ンの色を合わせる」という方法。サラダやクリームシチュー、白身魚の焼き物など緑、白、黄色
84
系の色のお料理であれば「白ワイン」、トマトソース、シチュー、赤身魚の焼き物、煮物全
般など赤、茶系なら「赤ワイン」、海老のようなピンクなら「ロゼ」、という具合です。
<ワインと相性の良くないお料理>
基本的にはワインは、お刺身等の生魚料理や、イクラ・カズノコ・キャビアなどの魚卵類
とは相性が良いとは言えません。これらと合わせるとどうしても若干生臭さが強調されてし
まうのです。またワインは、軽いワインにしてもやはり個性的。ですから、日本料理の豆腐
やじゅんさい等の無味に近い極めて淡白なお料理には不向きと言えるでしょう。
●ビールとお料理の相性のコツ
ビール(以下、発泡酒・第3のビール含む)も、基本的には「4つのコツ」の通りです。
<コツ①>としては、日本のビールのほとんどはピルスナータイプという軽いタイプのビー
ルですので、軽いお料理に合うということになります。<コツ②>としては、日本のビール
ならプレミアムタイプのビールは、若干格の高いお料理と合うと考えればよいでしょう。ま
た、世界には様々なタイプのビールがあり、ベルギービールなどにはワインのように「グラ
ン・クリュ」などという高級なビールも存在しますから、そういうタイプは高級なお料理と
合わせると良いというようなことです。<コツ③>としては、ドイツビールとドイツのソー
セージという具合でしょうし、<コツ④>としては、黒ビールは燻製っぽい風味があります
から、燻製料理と合うといったことでしょう。
また、ビールの場合、「炭酸ガスの爽やかさとホップの苦みで、脂っこいお料理の脂分を
サッパリと洗い流してくれる」という合い方があります。ギョウザやフライドチキンやソー
セージ等と、ビールは最高に合いますが、これらがその合い方と言えるでしょう。ビールは、
醸造酒ではありますが、<基本④>の炭酸ガスの入ったものになりますから、基本的にはお
料理に合わせるというよりは食前酒に適すということにもなります。そういう意味では「と
りあえずビールで乾杯」は正しいのかもしれません。お料理と合わせる場合は、相性が悪い
というほどではなくても、炭酸とホップのせいでどうしても「平板」な組み合わせになりが
ちです。お刺身などと合わせると、おいしさの余韻を完全に断ち切ってしまうため、せっか
くの繊細な味わいをすぐに消してしまうことになってしまいがちです。と、なると、ビール
とお料理を合わせる場合の基本は、やはり、「炭酸ガスの爽やかさとホップの苦みで、脂っ
こいお料理の脂分をサッパリと洗い流してくれる」ということになるでしょう。この点では、
ビールにかなうアルコール飲料はないのではないでしょうか。
●蒸留酒とお料理の相性のコツ
まず、ウィスキーやブランデー等の洋酒系の蒸留酒は、<基本②>の通り、食中には用い
ず、食後にカワキモノ等をつまみながらゆっくりいただくというのが基本になります。例外
として「世界の蒸留酒の中で唯一、食中酒として使えるのが日本の本格焼酎である」と言わ
れたりもしますが、それとて「相性が良い」と言うよりも、「相性が悪いわけではない」と
いったレベルが大半で、お料理がおいしくなるといったことはほとんどないのが現状でしょ
う。強いて挙げれば、<コツ③>の、その土地のお料理にはその土地のお酒という点で、鹿
児島の黒豚の角煮と鹿児島の芋焼酎、沖縄料理と泡盛、韓国料理と韓国焼酎、あるいは<コ
ツ④>の、栗料理と栗焼酎、芋料理と芋焼酎といったところでしょうか。
85
●混成酒とお料理の相性のコツ
<基本③>の通り、リキュール等の糖分の多い甘いお酒は、ディジェスティフ(食後
酒)としてデザート等に合わせるのが基本ということです。混成酒は大抵が糖分が多く
甘いお酒ですから、食中酒には用いず、食後酒にすべきなのです。よく日本料理店など
で、梅酒を食前酒に使ったりしますが、その後のお料理の繊細な味わいが分からなくな
ってしまいがち。日本酒や水やお茶などで、一度口中を洗ってから食事をされた方がよ
りおいしくいただけるのではないでしょうか。しかし、甘いデザートとの相性となると、
抜群の相性を示すものが少なくありません。梅酒と梅を使ったデザートや、本格みりん
とチョコレートやアイスクリーム等、素晴らしい相性でマリアージュ(「結婚」という
意味で、お酒にもお料理にもない、第3の風味が現れる、最高の組み合わせ。)する場
合があります。
●日本酒とお料理の相性のコツ
さて最後に残ったのが日本酒です。実は日本酒の場合、前記の「4つのコツ」に加え
てあと2つ、全部で「6つのコツ」が存在するのです。
<コツ①>軽いお料理には軽い日本酒、重いお料理には重い日本酒。
<コツ②>お料理の格や繊細さに日本酒も合わせる。
<コツ③>その土地のお料理にはその土地の日本酒を。
<コツ④>似た風味があるお料理と日本酒は相性が良い。日本酒を多く使ったお料理に
は、その日本酒を合わせる。
<コツ⑤>日本酒は、反発するお料理がほとんどない。
<コツ⑥>旬の素材を使ったお料理には旬の日本酒が最適。また、定番の日本酒でも季
節に合わせて温度を変えれば、同様にベストマッチ。
<コツ①>
一般的には生酒や吟醸酒や本醸造酒、淡麗辛口のお酒などが軽い日本酒ですから、軽
めのお料理が、純米酒や山廃仕込みや長期熟成酒、濃醇甘口のお酒などが重い日本酒で
すから、重いお料理が合うといえます。また、アルコール度数の高い原酒タイプの日本
酒も、リッチ感があり重めに感じますので、重めのお料理が良いでしょう。
<コツ②>
大吟醸酒や吟醸酒などは、たとえ比較的軽めのタイプであっても、お酒自体に格があ
りますから、日常のお料理よりも料亭の手の込んだお料理や、フレンチレストランのお
料理などと合わせると良いということです。また、大吟醸酒や吟醸酒は、繊細な味わい
のものが多いですから、繊細な味わいのお料理とよく合います。逆に、あまり精米歩合
の高くない(使用するお米をあまり磨いていない)タイプの純米酒などは、ナチュラル
で個性的で、味わいの成分も多いですから、濃い味付けのお料理などによく合います。
<コツ③>
これは日本酒の世界では常識ですね。土佐の地酒と土佐のカツオのタタキの相性などは、
まさに最高です。また、さらに細かく地域を区切れば、四万十川の鮎と四万十川水系の仕込
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み水で仕込まれた土佐酒は合う、というようなことになるでしょう。
<コツ④>
たとえばキノコは「木の子」ですから、木の風味があります。日本酒を杉樽に入れて木
の風味を付けた樽酒も、木の風味がありますから、キノコ料理と樽酒は最高の相性でマッ
チするのです。また、意外かもしれませんが、日本酒とチーズの組み合わせ。日本酒とチ
ーズを合わせるなどと言うと、意外に思われる方が少なくないでしょうが、実はナント!
日本酒はチーズに大変よく合うのです。ソムリエ世界一の田崎真也氏も、「チーズにはワ
インより日本酒のほうが確実に合うんです。」(「エル・ア・ターブル」No.16 Nov.2004
<Foodie’s News>より)とおっしゃっているほどなのです。田崎氏いわく「理由は、日
本酒は麹を使うから。麹はカビなので、チーズのカビと非常に相性がよく風味的にも合う
んです。」(前出同誌)とのことなのです。また、日本酒造りの際に重要なのが乳酸の存
在ですが、これも理由のひとつなのだとか。「日本酒は醸造酒の中でもアミノ酸が豊富で、
旨み・甘み・柔らかな酸味をもっています。これは、まさにチーズの味と一緒。だから、
日本酒を飲みながらチーズを食べるとお互いの風味を引き立ててくれるんです。」(前出
同誌)とのこと。また、魚の煮付けなどのお料理は、日本酒を沢山使うものが多いですが、
そのお料理に使った日本酒を合わせると、よく合うということです。
<コツ⑤>
日本酒には「反発するお料理がほとんどない」とは、以下のような日本酒ならではの特
徴から導き出されています
(右田圭司監修・SSI編著『新訂 酒師必携』柴田書店、
1999年)。
<料理との相性における日本酒の特筆すべき点>
・海産物全般から生臭みを引き出すことがほぼなく、特にキャビア、イクラ、カズノコな
ど魚卵類について異臭や異味を生じさせない。魚類や動物の血液などに対しても、同様
の効果を示す。
・材料や料理内の塩分の多少にかかわらず、口中で酒の力が変わらない。
・甘みを加えた料理に対して、酒のバランスが変わらない。
・発酵させた食品や塩漬けした漬物など、各種酒の肴と反発しない。特に醤油や味噌とは
絶妙に調和する。
・フレッシュなフルーツと反発を生じない。例えばメロンと大吟醸酒、イチゴと長期熟成
酒などの組み合わせは調和を示す。
・煮切ったり、加熱をしていない各種の酢類を使用した酢の物、サラダなどに広い許容性
を示す。
・味噌汁はもちろん、スープ、ポタージュ、コンソメなどの汁物と相交わる特性を持つ。
・日本酒の持つ各種アミノ酸は、多くの魚介類や肉類の旨味を増幅する。
・わさび、辛子などの強い香辛料に対して負になることがない。
・じゅんさいや豆腐などの無味に近い食品の味や舌触りの輪郭を消すことがない。
・クリーム、バター、チーズなどの乳製品と好相性を示し、まろやかに感じさせ、原乳の
持っていたおいしさを引き出す。
・日本の洋食、家庭で多用されるソース類など(ケチャップ、マヨネーズ、トンカツソー
ス、ウスターソース、ドレッシング類など)に酒の味わいがゆがめられることなく、相
等しく組み合わさる。
・生野菜類、アクのある野菜のアクの裏に隠れている良い個性を引き出す。
87
・・・まだまだありますが、このへんにしておきましょう。つまり以上のことから、日本酒
は、ほぼ全素材、全調理法の間で反発を生じることがなく、また料理の味を歪曲せず、「加
える」「消す」「調和させる」といった役割を見事に使い分けるという、大変広い可能性
を持っているといえるでしょう。
ただし、日本酒のタイプによって、相性が良いお料理の傾向などはあります。華やかな
香りの「吟醸酒タイプ」は、軽快な旨みを持つもの、清涼な風味を持つもの、素材自体に
自然でやわらかな甘みを持つもの、シンプルな味付けのもの、などに好相性です。軽快で
なめらかフレッシュな「生酒タイプ」は、軽快な旨みを持ったお料理、淡い味付けのお料
理と同調しますし、淡白な素材を全面に活かしたものや、清涼感あふれる風味を持つもの
と合わせると、双方の爽やかさが相乗効果で引き立ちます。ふくよかな香りとコクのある
味わいの「純米酒タイプ」は、しっかりとした旨みを持つお料理と調和の方向を示し、ア
クの強い食材や発酵食品などの強い風味の料理にも負けず、また生クリームやバターを使
用した洋食系のお料理とも好相性を示します。練れた香りと豊潤な味わいの「古酒タイプ」
は、他のタイプでは対抗できないような風味の強いお料理、濃厚な味付けのお料理と同調
し、中華料理や肉料理などにも負けません。(前出『新訂 酒師必携』より)
<コツ⑥>
あらゆるアルコール飲料の中で、日本酒ならではの最大の特徴は、「旬がある」という
ことでしょう。「旬がある」とは、次のような意味です。まず、日本酒には古来より、春
には「花見酒」、夏には「滝見酒」、秋には「月見酒」、冬には「雪見酒」という具合に、
自然の四季の移り変わりを愛でながら楽しむ風習がありました。そして日本酒自体にも四
季が、季節感が、旬があるのです。春には春霞のような「薄にごり」の「霞酒」やフレッ
シュな「しぼりたて新酒」(アルコール度数15度程度のものが良い)、夏には軽快でなめ
らかな味わいの「生酒」や「生貯蔵酒」、秋には熟成して旨みタップリとなった「ひやお
ろし」、そして冬には「燗酒」や「しぼりたて新酒」(アルコール度数の高い原酒タイプ
が良い)という具合に、その季節にしか味わえないような旬の日本酒が存在しているので
す。
さらにそれぞれの旬の日本酒は、見事に旬の食の効用を促進させ、さらに見事にピッタ
リの相性を示します。春の「霞酒」や「しぼりたて新酒」(アルコール度数15度程度のも
の)は生命力にあふれ、冬の間に動きが鈍っていた内臓を活性化させてくれますし、春の
山菜料理などの旬の食材が持つほのかな苦味と抜群の相性を示し、その美味しさをさらに
引き出してくれます。
夏の「生酒」はフレッシュで爽やかな香味を持ち、身体を冷やす効果が高く、食欲を増
進させてくれますし、夏の果菜料理などの旬の食材が持つサッパリ感と抜群の相性を示し、
その美味しさをさらに引き出してくれます。
秋の「ひやおろし」は熟成したリッチな味わいを持ち、これから寒い冬に向かう身体づ
くりに効果がありますし、秋の旬の食材の旨味タップリの味わいと抜群の相性を示し、そ
の高い栄養価と美味しさをさらに引き出してくれます。
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冬の「燗酒」は全身に沁み込む旨さを持ち、身体を温める効果が高いですし、冬の根
菜料理などの旬の食材が持つ優しい旨味と抜群の相性を示し、その美味しさをさらに引
き出してくれます。また冬の「しぼりたて新酒」の原酒タイプも、リッチな旨みがあり、
「燗酒」同様に冬の食材と好相性を示します。
ビールにこのような季節感や旬、あるいはこのような理に叶った季節ごとの効用があ
るでしょうか?ワインにはあるでしょうか?焼酎には?ウイスキーには?ブランデーに
は?カクテルやリキュールには?・・・季節感や旬、そして理に叶った季節ごとの効用
は、世界のアルコール飲料の中で唯一日本酒のみに与えられた、最大の特徴なのです。
ところで、旬の日本酒などと言われても、「お酒は、1年中同じ銘柄の定番酒に決め
ている」という方もいらっしゃることでしょう。そういう方のためにも、日本酒は底力
を発揮するのです。同じ銘柄の定番日本酒であっても、春や夏は新酒傾向があり、秋や
冬は熟成酒傾向がありますから、そのままでも少しは旬のお料理とマッチする傾向を持
ってはいます。これを、季節によって飲む時の温度を変えてあげるだけで、一層旬のお
料理と見事な相性を示すようになるのです。
春は「常温」(20℃程度)や「涼冷え(すずひえ)」(15℃程度)で、夏は「花冷え
(はなひえ)」(10℃程度)や「雪冷え(ゆきひえ)」(5℃程度)で、秋は「常温」
(20℃程度)や「人肌燗」(35℃程度)で、冬は「ぬる燗」(40℃程度)や「上燗(じ
ょうかん)」(45℃程度)でという具合に、季節に合わせて温度を変えて楽しんでみま
しょう。定番の日本酒であっても、見事に旬のお料理と好相性を示し、驚かれることで
しょう。日本酒は、様々な温度で楽しむことが可能な、世界でも稀なお酒でもあるので
す。なんとありがたいことでしょう。
尚、この<コツ⑥>につきましては、[資料1]「日本の食と日本酒・旬の一覧表」
にまとめておりますので、是非日常の食卓の座右に置かれ、日々ご活用ください。
●まとめ
かつての「イッキブーム」はどこへやら、もはや酔うためだけにお酒を飲んだり量を
飲んだりするという時代ではないでしょう。本稿の提案は、そういう飲み方ではなく、
またお酒を中心に考えるのでもなく、おいしい食事をさらにおいしくいただくために様々
なお酒をうまく利用しませんか、ということなのです。
これほどの四季折々のおいしい旬の食材に恵まれた日本に生まれ育って、その楽しさ
や豊かさを知らずして何の人生でしょう。しかもそれらのおいしい旬の食材を、わざわ
ざマズくして食べるなんて、なんともったいない話しでしょう。日本のおいしい旬のお
料理を、さらにおいしくしていただくために様々なお酒をうまく活用しませんか。きっ
とあなたの人生は、一層楽しく豊かになっていくことでしょう。あくまでおいしいお料
理をさらにおいしくするためですから、量を飲む必要などありません。それなら悪酔い
したり次の日に残ったりすることもないはずです。お酒とは、あなたの人生を素敵に演
出してくれる名脇役であり、あなたの食生活を健康で楽しく豊かにしてくれる魔法の水
なのですから・・・。
〈参考文献:土橋よみ子 監修『からだの自然治癒力をひきだす「旬の食材」』サンマーク出版、
2002年〉
[資料1]日本の食と日本酒・旬の一覧表
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[資料2] 「目からウロコ!『土佐の食とお酒の相性実験会』」の案内文
おいしい土佐の旬の食を、さらにおいしくして食べたい方に朗報!
参加費千円で目からウロコの「土佐の食とお酒の相性実験会」開催!
春夏秋冬、山川海、おいしい旬の食材が大変豊富な土佐の高知。実は、ほんの少しそ
れらの食とお酒との相性を考えるだけで、さらにおいしくしていただくことができるの
です!「食とお酒の相性」というと、何かソムリエのようで難しいように聞こえますが、
実はちょっとしたコツをつかめば、どなたでも自分の食生活に取り入れて、人生を一層
豊かにすることが可能になるのです。そんなコツが、わずか参加費1,000円で手に入れ
られるとしたら・・・。お申込締切は目前です!ご参加ご希望の方は、今すぐ下記詳細
をご参照の上、お申込をお願い申し上げます。
目からウロコ!「土佐の食とお酒の相性実験会」
●日時:平成19年11月23日(金)16:10∼16:50
●場所:高知城ホール(高知市丸の内2-1-10 TEL:088-822-2035)
●参加費:1,000円(要予約)
※ただし、未成年の方、及び終了後にお車を運転される方はご遠慮いただきます。
●内容:土佐の秋の味覚を中心に、数点の食材を集め、それらのお料理(一口ずつです)
と様々なお酒(日本酒・ビール・ワイン・焼酎・梅酒など)との相性を体験いただきま
す。そして、「きき酒師」の資格も持つ、司牡丹酒造の竹村社長(土佐学協会理事長)
から、「食とお酒の相性のコツ」が、皆様に伝授されます!
●主催:土佐学協会
●お申込締切:平成19年11月19日(月)必着
●お申込・お問合せ:司牡丹酒造(株)本越(もとごし)まで 高岡郡佐川町甲1299
TEL:0889-22-1211 FAX:0889-22-4116 E-mail:[email protected]
★上記「土佐の食とお酒の相性実験会」は、下記「土佐学協会」のイベント内にての開
催です。併せて下記の全イベントにも、是非ご出席いただけましたら幸いです。
第1回土佐学研究集会「秋の収穫祭」
●日時:平成19年11月23日(金)13:00∼17:00(17:30∼懇親会・要予約)
●場所:高知城ホール(高知市丸の内2-1-10 TEL:088-822-2035)
●参加費:無料(ただし、「相性実験会」と懇親会は有料・要予約。)
●内容:12:45受付 13:00オープニングセレモニー(ご挨拶等) 13:10各研究会中
間報告 13:50一般研究報告(3件) 14:50幻の「土佐花番茶」試作品試飲タイム
15:10「土佐学を満喫する旅コースづくり大コンペ大会」&授賞式(第1回「土佐の
旅達人」が認定されます。) 16:10「土佐の食とお酒の相性実験会」 16:55閉会
17:30∼懇親会(同会場)※会費5,000円・要予約
●主催:土佐学協会
●お申込締切:「相性実験会」と「懇親会」以外は無料で、お申込の必要はございません。
●お申込・お問合せ:土佐学協会事務局 高知市旭天神町292-26 E-mail:[email protected] TEL:088-840-1121 FAX:088-840-1223
事務局対応時間:火曜・金曜 午前9時∼11時(担当:岡本)
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【Ⅲ−2‘秋の収穫祭’の報告】
酒盗はエコ・クッキング
小西 文子(高知学園短期大学准教授)
酒盗は、かつおの塩辛のことです。かつお節を製造する際の副産物の内臓を塩漬けし、
発酵させたものです。資源を有効利用するエコ・クッキングであり、保存食品です。
今、エコ・クッキング、地産地消、スローフードなどの言葉を見たり、耳にしたりす
ることがあります。これらの共通点は、新鮮な食品を無駄にしないでおいしく食べよう
ということです。 エコ・クッキングって
エコ・クッキングは、エコ(ecological:生態学的、economical:経済的の両面)と
クッキング(cooking:調理)を合わせた造語です。
台所から出る排水や排熱と生ごみなどを減少させ、環境をこれ以上悪化させない、地
球の生態に負担をかけない調理のことをエコ・クッキングといいます。買い物から始ま
り、調理方法の改善、ごみの始末までが、エコ・クッキングに含まれます。つまり、「地
球への思いやりはキッチンから」、「台所から地球環境を考えること」なのです。
なぜ、酒盗は、エコ・クッキングなの?
かつお節製造業者は、かつお節を製造するときに、かつおを三枚おろしや、節おろし
にします。その時に出るかつおの内臓から酒盗は作られています。
家庭で、あじやさばを3枚おろしにする場合、頭、中骨、内臓を取り除きます。頭や
中骨でだし汁をとりますが、内臓は捨てています。
酒盗は、捨てているかつおの内臓からつくられています。まさに、資源を有効利用す
る酒盗は、エコ・クッキングであり、保存食品なのです。
酒盗の由来
酒盗の名前は、高知県で命名されたと言われています。土佐藩主12代目山内豊資が土
佐清水の宿でかつおの塩辛で酒を飲み、酒がすすんだことにより、「今より『酒盗』と
名付けたがよかろう」という話が今に伝わっています。
酒の肴にすると、酒を盗飲したくなるほどうまいということがこの名の起こりのようで
す。酒盗がつくられるようになったのは、かつお節の製造法が改良された延宝2年(1
674年)のころと推察されています。
酒盗の製造法
【一次製品の製造工程(土佐市吉野商店)】
① かつおの頭を切り落として、内臓を取り出す。
②内臓の胃と、幽門垂、腸を使用する。心臓、えら、胆嚢、脾臓、生殖巣
93
は取り除く。
③胃と腸は切り開いて内容物を包丁でしごいて取り除き、水洗いする。
④濁りがなくなるまで、流水にさらして、汚物や血液を除く。
⑤網の上にひろげて、水けをきる。
⑥小型のプラスチックの容器に⑤を入れ、食塩を加えて、かき混ぜる。
食塩の量は、材料の約30%程度(材料3:食塩1)。
⑦小型の容器にたまったら、大型の桶に入れ、密封して、10∼13か月
常温で熟成させる。表面にでている水分は適時とり除く。
⑧包丁で切るか、チョッパーにかけ、1cm弱の大きさにする。
⑨瓶詰めにする。食塩含量は20∼23%。
昭和43年ごろから、二次加工業者(高知市福辰)は、一次製造業者(土佐市吉野商店)
の製品をさらに消費者の嗜好に合うように、隠し味に甘みを加えたものや減塩して調味
加工した商品を販売しています。……二次加工品
どのような商品がありますか? (1)福辰……高知市大橋通り ①商品名「酒盗・辛口」:食塩含量(19.9%)。一次製造の酒盗に隠し味に砂糖やみ
りんを加えて塩味をやわらげたもの。一次製品の酒盗に近い味。少量の酒で洗って
食してもよい。
②商品名「酒盗・甘口」:食塩含量(11.3%)。一次製品の酒盗を水で洗って、減塩
し、酒・みりん・蜂蜜・オニオンパウダーなどで調味したもの。
③商品名「飯盗・味付」:食塩含量(9.5%)。一次製造の酒盗から、胃のみを取
り出して、水で洗って減塩し、酒・みりん・蜂蜜・オニオンパウダーなどで調味し
たもの。
(2)吉野商店……土佐市宇佐
商品名「酒盗」
酒盗の特徴
酒盗(塩辛)は、内臓に塩を加えて腐敗細菌の増殖をおさえ、有用微生物と自己消化
によって発酵し、熟成され味がなれています。桶のふたを開けるとチーズの香りがしま
す。
形状はゾル状で、甘味、渋味、酸味、苦味、えぐ味が微妙に織りなし、こくのある味
と香味がします。また、くさややある種のチーズに類似の香りを感じます。まろやかな
熟成した食感が食欲を誘い、日本酒もすすみます。
近年、減塩運動がおこり、薄味嗜好となり、塩辛い食品をさける傾向がみられていま
すが、1食分の献立を考える時、他の料理の塩分を抑え、酒盗の塩分で味のメリハリを
つけると食事がより楽しいでしょう。
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酒盗の味わい法
うま味や風味を味わうには、『一次製造の酒盗』や二次加工の『酒盗・辛口』のよう
です。塩辛い酒盗は次のようにして食してみてください。とってもおいしくなります。
①ざるに入れて、水洗いをする。
②少量の日本酒をかける。
③酢にさっとつけて食する。
また、調味料として利用すると、隠し味の妙味で調理の幅が広がります。
酒の肴や調味料以外にも、クラッカーにクリームチーズなどとのせるオードブル。豆
腐に酒盗をのせる酒盗豆腐。温かいご飯の上にのせる。おにぎりにするなど、いろいろ
の食べ方があります。
栄養価
栄養素として、ビタミンAやDが含まれています。目のためによいことや頭や顔から
出る汗を止める効果があるので、漁船食に積み込まれているそうです。 発酵食品の酒
盗は、たんぱく質などが酵素によって分解され、免疫力の向上、脂肪代謝の促進、筋肉
強化などの健康効果が高められるともいわれています。
保存法
塩蔵食品ですので、常温で半年から1年は保存できるのですが、未開封でも発酵が進
むといわれ、冷蔵庫で保存が良いようです。
生産の現状
高知県の産地、宇佐では近海もののカツオ漁獲量の減少などによって、かつお節製造
業者は2軒となり、酒盗製造も2軒となっています。高知県の生産量は、ここ数年100
トン前後で、生産過程はすべて手作業で製造されています。
地域食には、食品を無駄にしない、先人の知恵があります。
捨てられる部位を、塩蔵貯蔵発酵することによって、あらたな食品によみがえらせてい
ます。捨てる調理文化からリサイクル調理文化のエコクッキングは、300年も以前から
行われていたのです。エコ・クッキングでもある酒盗の文化と心を伝承したいものです。
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【Ⅲ−3‘秋の収穫祭’の報告】
嶺北地方の相撲について
清原 泰治(高知女子大学文化学部教授)
1.はじめに
土佐は「相撲王国」でした。横綱玉錦をはじめ、大相撲や学生相撲で高知県出身の多く
の名力士が誕生しています。そうした相撲好みの風土が形作られてきた要因の一つは、地
域で行われてきた宮相撲の伝統であると考えられます。
近藤勝氏の著書によれば、嶺北地方は宮相撲がたいへん盛んな地域でした。そこで、嶺
北地方を事例に、地域社会において宮相撲がどのような役割や機能を果たしていたのかに
ついて考えてみたいと思います。
2.宮相撲の実施方法の変化
調査によって、土佐町では、田井の中嶋観音の十七夜祭、森の野中兼山祭、相川の納涼祭、
宮古野白髪神社の中日祭、地蔵寺地蔵堂の夜相撲、峰石原の高峰神社大祭、本山町では東
光寺十七夜祭、上関阿弥陀堂の夜相撲、吉野の三倉神社、白髪神社で、戦前から宮相撲が
開催されていたことが確認できました。この他にも、いくつかの大会があったようです。
これらの宮相撲は、農閑期に入る8月上旬から始まり、米の収穫の時期をはさんで12月ま
で、リレー方式で開催されていました。大会には、近隣の集落からたくさんの人々が集ま
りました。
実施方法は、現在のトーナメントのようなやり方ではありませんでした。まず、「前相撲」
といって、会場に来た力士が次々と土俵に上がり、相撲をします。それを見ていた「四方柱」
と呼ばれる審判たちが力士の実力を総合的に判断して、好取組となりそうな「お好み三番
勝負」をさせます。同じ対戦相手の取組が三本勝負でなされるのです。次には、出場力士
が甲・乙・丙組に分けられ、それぞれの組において「五人抜き」「飛びつき五人抜き」(間
髪入れず次々とおこなう五人抜き)がなされます。つまり、取組の勝負の過程や相撲その
もののおもしろさをじっくり味わうというやり方でした。
ただ、いつもひいき力士の勝負をめぐってけんかが絶えなかったそうです。けんかが起
こりそうなときには、「勧進元預かり」といって、主催者の権限で引き分けにするという
裁定方法もありました。最後に勝敗を曖昧にすることで、集落間のいさかいを避けていた
のです。
3.化粧まわし
今回の調査では、嶺北地方に化粧まわしが現存していることが明らかになりました。
①重関(かさねぜき):上田作穂氏が名乗りました。土佐町立割に住み、明治期から大
正期にかけて活躍しました。
②手束弓(てづかゆみ):土佐町台の池添冨治氏が名乗りました。1930年代から活躍しま
した。手束弓というしこ名は、祖父の伊平氏から引き継ぎました。
③荒巖(あらいわ):土佐町麦山の上田楠吾氏が初代荒巖です。二代目は長男の斉馬氏で、
ともに明治期に活躍しました。三代目は近藤正宗氏でした。
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④岩雄関(いわおぜき):土佐町溜井の和田海治氏が初代岩雄関です。明治時代に活
躍しました。二代目は息子の亨氏で昭和10年前後に活躍し、嶺北相撲番付で常に上
位にランクされました。二代目の時、ある大地主と旅館の主人が化粧まわしを京都
の業者に作らせ、亨氏に贈ったと言われています。
(左から右回りに、重関、手束弓、荒巖、
岩雄関の化粧まわし)
4.地域共同体における宮相撲の社会的機能
強い力士には、「ひいき連中」―地縁・血縁による後援者たちによって、しこ名がつ
けられ、化粧まわしが贈られることもありました。ひいき連中は熱烈な応援を繰り広げ、
喧嘩沙汰になることもたびたびでした。
このようなことから、宮相撲によって、各集落の「ローカリズム」(自分が住んでい
る地域やその地域の住民を最も大切にするという考え方や、その考えに基づく行動・行
為)が高まっていたことが想像できます。
しかし、そうした緊張を緩和させるために、集落間の対立を避け、融和を実現する機
能も宮相撲は有していました。「勧進元預かり」という勝負を引き分けにする裁定があ
ったこと、会場となる寺社の周りには夜店が並び、各集落の特産物が集められ集落間の
交流がなされたこと、集落を越えての男女交際・結婚の契機となったことなどは、そう
した意味をもっています。
このように、宮相撲は地域における共同の意識や人間関係を見直し、強化する役割を
果たしていたと考えられます。人々は、そうした共通の体験を通じて、日常生活におけ
る利害を越えて、集落内の仲間意識を確認していったと思われます。その共同性は、各
集落を核としながらも、岩雄関の化粧まわしの寄贈者が集落外にいたこと、あるいは他
集落の若者に相撲を教えていたことからなどから分かるように、他集落を含んだ、より
広域のものへと広がっていったことも考えられます。ただ、これについては十分な事例
にあたっておりませんので、今後の課題とします。
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【Ⅲ−4‘秋の収穫祭’の報告】
高知県における総合型地域スポーツクラブの類型と特徴について
野川 絢加(高知女子大学文化学部4回生)
1.はじめに
2000(平成12)年、「スポーツ振興基本計画」の中で文部科学省は総合型地域スポー
ツクラブ(以下、総合型クラブ、とする)の普及振興を提唱しました。生涯スポーツ社会
の実現に向けた、地域におけるスポーツ環境の整備充実方策として、①誰もが、それぞ
れの体力や年齢、技術、興味・目的に応じて、いつでも、どこでも、いつまでもスポー
ツに親しむことができる環境作り、②成人の週1回以上のスポーツ実施率を50%に引き
上げる、という2つの目標を掲げ、その具体的な施策の1つとして、総合型クラブを中心
に地域のスポーツを活性化させていくことを最重点施策としてあげています。
総合型クラブの特徴は、①複数の種目が用意されている、②多世代の誰もが参加でき
る、③拠点となるクラブハウスがあり、定期的・継続的なスポーツ活動を行うことが出
来る、④質の高い指導者の下、個々のスポーツニーズに応じたスポーツ指導が行われる、
⑤地域住民が運営し、自主財源を基に活動する、とされています。
そして、文部科学省は、2010年までに全国の各市区町村において少なくとも1つは総
合型クラブを育成し、2010年までに各都道府県において少なくとも1つは広域スポーツ
センターを育成することを、総合型クラブの全国展開の到達目標として置いています。
こういった動きの中で、高知県には現在19のクラブが設立されています。これまでに
ゼミの活動を通じて、いくつかの総合型クラブの活性化に関わってきた経験を通して、
それぞれのクラブが独自に発展を遂げていると感じました。これからは各クラブ間の横
の繋がりが重要になってくると考え、今後のさらなる発展に繋げていくため、クラブが
蓄積してきた知恵やノウハウを共有することで、高知県の総合型クラブがもっと効率的
に稼動するのではないかと思ったことが本研究の動機です。その第一歩として、現在設
立済みである19クラブを類型化し、特徴を明らかにします。
2.高知県の総合型地域スポーツクラブの類型と特徴
本稿では、県内の総合型クラブの事業に着目し、5つに分類しました。
(1)
スポーツを通じたまちづくりを目指すクラブ
【鰹乃國スポーツクラブ、ファミリークラブこうよう、旭東スポーツクラブ、清流クラブ池
川、ぬのしだピカッとクラブ】
それぞれの地域の実情に見合った形で、地域のスポーツ活動を中心に「まちづくりの中核
的存在」として、地域を活性化させることを強く意図した事業に積極的に取り組んでいます。
活動内容の特徴としては、定期的なスポーツ活動に加え、広く地域間・世代間の交流の場
となるイベントや大会の開催が多く見られます。また、地域の魅力あるものが今後存続して
いくように地域をあげて活動しているクラブもあります。
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(2)健康づくりの事業を中心に活動するクラブ
【NPO法人かがみスポーツクラブ、NPO法人すさきスポーツクラブ、NPO法人総合ク
ラブとさ、スポレクすくも、はるのGENKIクラブ、くぼかわスポーツクラブ、いの
スポーツクラブ】
これまで健康づくりのための運動やスポーツに無縁だった地域住民のニーズに対応し
ながら、子どもから高齢者まで、誰もが身近な場所で気軽に運動やスポーツを楽しめる
事業を展開しています。
活動内容の特徴としては、エアロビクス、ヨガ、健康体操、フラダンス、運動神経が
よくなる教室など健康づくり、初心者向けのもの、ニュースポーツなど、気軽にスポー
ツ活動を始められるようなメニューが多数用意されています。
(3)設立母体の活動を基盤として活動するクラブ
【おちスポーツクラブ、大正スポーツクラブ、さくらクラブ吾川、仁淀スポーツクラブ】
現在は設立母体の事業を引き継いで活動していますが、将来的には、クラブが地域を
活性化する「まちづくりの中核的存在」となることを計画中・準備中です。今後、さら
に各々で門戸・視野・活動内容などを広げていくために、地域住民の意識を変えていく
ことを重要視し、それぞれの地域のニーズに合った方法で、活動を展開していくことが
求められます。
(4)子どものための事業を中心に活動するクラブ【NPO法人スポーツクラブスクラム】
「子どもの居場所づくり」「放課後子どもプラン」など国の委託事業を取り入れた活
動を展開しています。クラブをはじめ、地域住民・図書館・公民館・学校・行政職員な
どで構成された「子どもネットワークしみず実行委員会」を中心に、地域のさまざまな
団体と連携して子どもの健全育成と家庭や地域の教育力の再生を目指した取り組みに重
点を置き、活動しています。子ども事業を推進することにより、地域の協力体制を構築・
強化し、そのネットワークを上手く活かしたクラブづくりができています。
(5)競技性を重視したクラブ【高知アスリートクラブ】
競技性を重視し、トップレベルの競技スポーツに対応できる指導・育成システムを確
立させ、各種大会や競技会において上位進出を目指すトップアスリートの育成を第一の
目的としています。きちんとした指導・一貫した指導の下でスポーツ活動を行いたい人、
トップアスリートを目指す人を主な対象とし、高知県のスポーツのレベルアップを目指
す事業に力を入れて取り組んでいます。
今後は、内容の充実を図るため、高知県スポーツ振興財団との協力・支援体制を整え
る必要があります。
(6)障害者スポーツの普及を目的とするクラブ【高知チャレンジドクラブ】
広く高知県全域を活動範囲と捉えた大きな構想を掲げ、事業を展開しています。高知
県障害者スポーツセンターが全面的にバックアップし、互いの目的を達成させるため、
協力・支援体制を整えて内容の充実を図っています。しっかりした組織の下で、障害者
スポーツの普及活動を中心に、地域住民や高齢者の運動・スポーツ活動の推進、また今後さ
99
まざまな可能性を拡大していけるように、総合型クラブ間のネットワークの構築も視野
に入れ、バリアフリーのスポーツクラブを目指して活動しています。
3.おわりに
総合型クラブが次々に設立され、これまではそれぞれが独自に発展を遂げてきました
が、これからは「連携」がキーポイントとなってくると考えています。
今後、各クラブのさらなる発展に繋げていくため、聞き取り調査と資料を参考に作成
した各クラブのデータを元に、クラブ間の横の連携を強化していくような提言をしたい
と考えています。また、本稿は事業に着目しましたが、設立の経過、クラブの目的、組
織形態、財政、などの視点からも類型化を行い、特徴を明らかにしていくことが課題で
す。
100
【Ⅲ−5‘秋の収穫祭’の報告】
土佐「学」を満喫する旅コースづくり
[担当:水谷利亮]
このたび、土佐学協会では、新プロジェクトとして『「土佐“学”を満喫する旅コース」
づくり大コンペ大会』を‘秋の収穫祭’にて開催しました。「土佐学に関心のある土佐・
高知のみなさん」に次のように呼びかけて、「土佐“学”を満喫する旅コース」を公募
しました。
県外のお友達が高知に来た時に、みなさんが‘密かに’案内している『とっておき』の場
所や旅のコース、お食事・くつろぎ場所、あるいは、こんな旅・コースがあったらいいなあ、
など、みなさんはきっとたくさん秘めておられるにちがいない!
ぜひ、みんなで素敵なアイデアを出し合って、豊かな‘土佐’を再発見しましょう!!
「土佐『学』を満喫する旅コース」作成にあたっては5つの「条件」をもとめました。
①土佐・土佐「学」に関する何らかのことがら(神祭、生業・産業、風習、風土、
生活様式・文化、歴史など)と、「食」・飲食物の両方が含まれていること
②地域は、お街や農山漁村などどこでも歓迎、ただし高知県内に限ること
③コース期間:はりまや橋あるいは高知駅を起点に「日帰り」か「1泊2日」
④コースの内容(応募用紙①)と、その簡単なマップ付き図解(応募用紙②)作成
⑤コースの季節:秋・冬・春・夏コース、いつでもコース、など
その結果、12名の方にご応募いただき、
‘秋の収穫祭’において土佐学大賞1名を発
表し、その方に「土佐の旅達人」の称号を授与しました。その他に、5名の方のアイデ
アを表彰しました。
土佐学大賞 :『★☆土佐清水、海の癒し満喫コース☆★』 (萩野新子さん)
優秀賞 :『地質・酒蔵の町、佐川町を満喫する旅』 (若葉屋友香さん)
『知って味わう土佐の食(野菜編)』 (M.N.
さん)
特別賞 :『土佐の「海賊」と「甘・辛」の旅コース』 (R.M.
さん)
準特別賞 :『いただきます!満腹くれツアー』 (R.Y.
さん)
審査委員長賞:『日曜市で購入した食材を夕食に。お洒落な30代∼50代女性向けプラ
ン』(M.M.さん)
せっかくですので、土佐学大賞と優秀賞の2つの「土佐“学”を満喫する旅コース」
をここではみなさんにお伝えしておきます。それらを含む6つの旅コースは、土佐学協
会のホームページ(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)にて公開しています。
ぜひ、多くの方にそれらを参考にしていただいて、土佐・高知を満喫する旅を楽しんで
いただければ幸いです。
なお、賞の授与にあたっては、次の賛助会員企業各社(順不同)にご協力いただき、
副賞を提供していただきました。ありがとうございました。
(株)城西館、学校法人龍馬学園、高知県立歴史民俗資料館、(株)フタガミ
協同組合帯屋町筋、(有)福辰、(有)生活創造工房、司牡丹酒造(株)
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102
10 車
分で
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104
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【Ⅳ.募集原稿】
土佐学と地元学
水谷 利亮(高知短期大学准教授)
はじめに
7年前に地域調査で沖縄県の宮古島に行ったことがあります。そこである居酒屋に入
ると当時の高知県知事の色紙が貼られていました。聞くと、以前にその知事が来たそう
です。その時、泡盛を飲んで酔っていたこともあり、現実的ではないですが、もし仮に
日本から沖縄県が離れたら日本の社会や文化などにとってどうなのか、高知県が日本か
ら離れたらどうなのかと比較して夢想したことがありました。沖縄県には独特の歴史と
文化、自然環境、思想などがあり、その独自性が日本の社会や文化などにとって大きな
意味とインパクトがあるので、沖縄県が日本でなくなればその痛手はたいへん大きいの
ではないかと勝手に思いました。それに対して高知県ならどうなのか?当時、高知県に
来て3年目ぐらいの私には、よくわかりませんでした。
中内光昭会長によると(「土佐学の強み」土佐学協会『ニュースレターNo.2』2007年
1月)、土佐の特長は、地理的な特殊性から古くからの個性が保存され全国的にみても「極
めてユニークかつ貴重な地域」で、単に都からへき遠の地であるだけでなく「その地域
を通って文化が往来する『街道筋』ではないという点で」「『どん詰まり』の地」であり、
「すばらしい対象に恵まれている」ということです。高知に来て10年で、県内の多くの
地域に調査に行き、土佐学協会に参加している今では、土佐・高知には土佐・高知なり
の良さがあり、その素敵な「どん詰まり」文化に少し愛着と自信を持ち始めています。
私に土佐・高知の良さを再認識させてくれた土佐学協会の取り組みや土佐学のあり方
や方法論を考えるにあたって、「地元学」は、地域を知り、地域の良さに気づき、地域
づくりに取り組む方法の1つであり考え方であるので、たいへん参考になります。
ここでは、(1)その「地元学」について簡単な紹介(地元学協会事務局 吉本哲郎
『風に聞け、土に着け【風と土の地元学】』三重県自治会館組合、2000年、による)と、
それとの関連で、(2)沖縄県の竹富島の地域づくりのあり方と、(3)市町村や県の
地元学的な取り組みをみることで、地元学の1つとして土佐学のあり方についてちょっ
と違う視点から少し考えてみたいと思います。
(1)地元学
まず、吉本哲郎氏に依拠しながら、その地元学について簡単に整理して紹介しておき
ましょう。今後の土佐学における具体的な取り組み方法や切り口としてたいへん参考に
なるからです。地元学の全体的な流れは、図1の通りです。
[ 1)地元学と「土の人」・「風の人」]
地元学とは、「地元に学ぶこと」で、「土の人」(住んでいる人たち)である地元の
人たちが地元のことを、独りよがりにならないように「風の人」(外から訪れる客人)
である外の人たちの目や手を借りて協働しながら、自らの足と目と耳で調べ、考え、そ
して日々、生活文化を創造していく連続的な知的創造行為のことをいいます。
また、地域に同じところはないし、人によって進め方も違うので、同じ方法はひとつ
106
としてありえないという点で、地元学とはそれぞれであるということです。
地元学でいう「地元」とは、生活圏域のことで、風土や歴史、生活領域を一つにする
集落や自治会・町内会と小中学校区のコミュニティをさしますが、時には市町村という
行政区域の範囲まで含みます。
その際の地域づくりの主体は、住民(生活者)、行政、事業者に加えて、地域共同体
や非営利団体(NPO)及び専門家などが行政と住民や事業者間の通訳・調整の機能を
持って主体の一翼を担っています。
[ 2)地元学の目的]
地元学の目的は、4つぐらいあります。
①いい地域の条件を探ること:豊かさは、「経済面での豊かさ」「自然環境面での豊
かさ」「生活文化面での豊かさ」の3領域でとらえられ、自然環境と産業と生活文化の
バランスがとれているところこそ「いい地域」と考えられています。
②地域の固有の風土と暮らしの文脈をさぐること:風土と暮らし(社会)はつながっ
ており、地域固有の風土には、地域固有の暮らしがあります(身土不二)。
③変化を適正に受け止めなじませること:風土を舞台とする暮らしの営みは常に変化し
てきています。「人は自分を把握し、それなりに自信を持っていれば他人の話にも耳を傾
け、受け入れる所は受け入れることができ」ますが、「自分を把握していなければ人の意
見を無批判に受け入れたり(かぶれる)、とにかく話を聞かない(拒否)ことが発生」し
ます(ちょっと土佐人には、耳が痛いかも?)。「変化を適正に受け止め、暮らしになじ
ませてきた営みに自然環境に関する知恵や生活ルールが有形無形に存在すること、暗黙の
うちに守られてきた約束を共有してきたことなどを調べ、確認することが求められ」ます。
④地域再生のポイントを探ることです。
[ 3)土の地元学の作法]
①当事者意識づくり
地元学の当事者は、住民(生活者)ですが、都市化や情報過多などにより生活文化創
造の担い手としての意識は急速に希薄になってきています。地域を守り育てていく当事
者意識への変革は、住民自らが地域を調べることから始まります。
②調べる:ないものではなく、「あるもの探し」
「あるもの探し」が地元を調べる第一歩で、地域の風土と暮らしを「あるもの」で探
していきます。その際の心得は、i )地域外の人たちといっしょに調べる、ii )地域情
報をデータベース化する(「地域情報カード」にしていく)、iii )現場に出かけて調べ
る(自分の足を運び、見て、聞いて、そこにある事実に即してものごとを調べ考えてい
く)、iv)先入観を捨てて聞く(必ず地元の人に聞いて書く)、v)対等の立場で聞く、
vi)実際にやっていることや使っているものについて聞く。
③テーマを選ぶ
調査の際の「目の付け所」は次のような、「テーマ」:「内容」:「データ」です。
i )「地域の絵地図」:あるもの探しの中で地域にあるものを絵地図にしていく:「地
域資源マップ」「○○地区の絵地図」
ii )有用植物(用、食、遊、景、包装):農家とまわりの有用植物の今昔をつないでみる:
「おばあちゃんの植物図鑑」
iii)「海、山、川での遊び」:遊びの今昔と海山川をつないでみる:「海山川使い、
海山川遊び、海山川眺めマップ」
iv)「食べ物暦、野の草花暦」:食べ物や野の草花と季節・場所と重ねてみる:○○地
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区(家)の食べ物、野の草花暦
v )集落の成り立ちの物語:風土と暮らしの移り変わりを重ねてみる:○○集落の成
り立ちの物語
vi)職人マップ:職人と場所、素材、技術、生活具としての製品を重ねる:生活を彩
る職人たちマップ
vii)お店の品々のゆくえ:
・例えば、魚のゆくえ(漁師、市場、加工場、レストランなど):漁(生活)業振興
のための基礎情報としての「魚のゆくえ」
viii)古い道と自然神:古い道、等高線、水場と自然神、お寺、神社などを重ねる:古
道マップ、自然神マップ、環境ツーリズムマップ
④考える
i )調べたことをまとめていく
ii)モノづくり、地域づくり、生活づくりに役立てる
〇モノづくり:地域の資源の活用:草木染め、木工、野の幸の加工など
〇地域づくり
・これまでを読む:風土と暮らしの物語を把握する。地域に何があるのかを確認
する。自然(風土)と暮らしの移り変わりを知る。
・変化の風を読む:今、どのような変化が押し寄せてきているのかを読む。
*環境の時代、アレルギーが増えているなど
・これからを読む:ではどうしたらいいのか、どのような方向なのかを読む。
*環境の時代、安心安全な食べ物や住まいの素材の供給など
・手をうつ:行動していく。
〇生活づくり:地域の素材を使う、遊ぶ。地域の暮らしを楽しんでいく。
[ 4)風の地元学の作法]
「風の人」は、変化や情報、知的刺激をもたらし、思いがけない地域の資源や力に気
づかせてくれるなど役割が大きい。「風の人」は地元に入るとき、①つきあい方、話し
あい方の行儀・作法に注意、②言葉の持つ内容の違いを意識すること、③異質の出会い
を楽しむ、④地元の人たち自らが外に出かけて外を知って、他所と比較し、地元を絶対
視せず相対化するまなざしを身につけて、地元民も風になろうとすることが大切です。
(2)沖縄県竹富島と内発的発展
地元学のあり方と関連すると思われる具体的な事例として、竹富島における観光や地
域づくりについて次にみてみましょう。
[ 1)観光と公民館活動と竹富島憲章、そして教育]
竹富島は、島全体が国立公園で、集落部分が町並み保存地区(1987年、文化庁選定)
であり、芸能・民芸・史跡・長寿の島として、観光客が年間約42万人も訪れる「美しい
島」です(上勢頭芳徳氏[喜宝院蒐集館館長]資料「竹富島の概況」)。人口が361人
(2006年10月)で、前年度比11人増で、15年連続増加中です。現在の竹富島の観光の成
功と人口の増加などは、魅力ある地域づくりを行ってきたことの結果であり成果です。
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そのような竹富島では、公民館が住民自治のシステムとして機能しており、そこでは公
民館館長を中心とした執行部が機能し
ているだけでなく、自らの財源と議会
ももっています。まさに民主主義的な
「自治」システムなのです。公民館は、
竹富島の文化や精神的な基盤でもある
多くの祭事行事(例えば、種子取祭や
二月祭など)の実施にも責任をもって
います。地域開発においては「竹富島
憲章」を創って「うつぐみ」(住民が
一致協力するということ)の精神を大
切にして、地元の人たちによる観光産 竹富島祭事行事の二月祭(ニンガチマツリ)で島の神
司と役職者などの真知御嶽での様子。お米や塩、ニン
業を維持し、外部資本による開発を抑
ニク、御神酒(泡盛)などが供えられている。
制しながら、自然環境や生活空間を保全し、長い目でみると環境を保全しながら観光産業
と地域経済が持続するしくみをつくってきました(「対談 竹富島憲章と竹富島公民館」
東アジア社会教育研究編集委員会編『東アジア社会教育研究』第12号、2007年)。
竹富島の地域づくりでは、その根幹で、公民館自治、生活環境や景観の保護・保全、地
域文化、観光振興、地域経済の発展、よい教育(学校教育と社会教育)などが融合してい
るのです(2008年3月12日に竹富島にて上勢頭芳徳氏に対するヒアリング調査による)。
[ 2)竹富島フィールドミュージアム]
竹富島では、「フィールドミュージアム」という考え方・コンセプトを大切にしてい
るようです。フィールドミュージアムとは、地域の環境や文化、人などの地域全体が博
物館であるというものだと思われます。
「竹富島フィールドミュージアム」とは次のようなものです(環境省と竹富町、NPO
たきどぅんなどが協力しながら運営している「竹富島ゆがふ館」のホームページ
http://www.taketomijima.jp/museum/index.html)。竹富島には、自然の営みや島人
の暮らしから長い年月をかけて生まれ、今日まで伝えられてきた様々な「物語」が今も
息づいており、それらは海や森、畑、道、家、井戸、御嶽、墓といった島人の暮らしの
「場」にあり、場と物語は切っても切れない関係として暮らしの中で大事にされ、それ
らが繋がることによって竹富島ができています。竹富島フィールドミュージアムは、竹
富島物語に出会うチャンスをつくり、本物の竹富島を体感してもらおうという仕組みだ
そうです。
地域の人たちが、自覚的に、地域の歴史や文化や環境などを大切に維持・保全しなが
ら、観光や地域づくりを行っていることは、地元学と重なる面があると考えられます。
[ 3)観光客の関心度による観光情報の提供]
竹富島の民宿、宿、観光情報、文化、伝統などの情報を紹介している「T−DON(て
ぃいどん)竹富島」のサイト(http://www.tdon.net/tdon/)があります。コミュニテ
ィサイトなどもあり、竹富島の魅力や出来事を知るのに役立つサイトです。この中で、
興味深いことは、竹富島の観光情報の見せ方です。万人向けの観光情報ではなく、見る
人の関心度によって情報の提供内容を区別しているのです。①超初心者コース(竹富島
って?っていう人向け)、②初心者コース(初めて訪れる人向け)、③中級者コース(一
度でも訪れたことがある人向け)、④上級者コース(はまってしまった人向け)です。
私たちも旅をする時にその目的によって、単なる観光情報がほしい場合や、地域や社
会・文化などを含めて詳しく知りたい場合などがあります。そのようなニーズごとに、
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4区分は一定程度応えてくれて旅がより充実しそうで、おそらく今は「中級者コース」
や「上級者コース」のような観光情報が旅行者に強く求められているように思います。
(3)行政・公務員による地元学
地元学は、一般的には、地域で生活する住民による学びであり、方法です。しかし、
地域生活や地域づくりを支援する市町村職員や県職員にとっても地元学は有効で、地域
政策の形成においても役立っています。「三重ふるさと学」と、長野県下伊那地方事務
所における地元学と関連する取り組みをみて、地元学の広がりをみておきましょう。
[ 1)「三重ふるさと学」]
三重県自治会館組合では、三重県市町職員の研修プログラムの1つとして地元学の応
用編となる「三重ふるさと学」を行っています(三重県自治会館組合「三重ふるさと学
∼地域を知り、地域を学ぶ∼」)。これは、①市町職員が地元を訪れて住民の協力のも
とで里山、小川、野原、田畑、お寺、野菜、花、農機具、地元料理などを実際に歩いて
取材し、地元ならではのお宝を見つけ、②その詳しいことはお年寄りなどに聞き、③お
宝について聞いたことや写真などを「資源カード(お宝カード)」に記録し、④そのカ
ードを整理して、テーマごとの資料や絵地図などを模造紙にまとめ、⑤地元の住民の前
で発表し、思ったことなども伝える取り組みです。
これは、市町村職員が自らの地域について知り地域政策につなげていくとともに、地
元住民にとっては、①ひと味違った地元の良さに気づいて地元を再発見し、②地元を愛
する気持ちが高まり、③もっと地域を良くしていこうと元気が出て、そのアイデアが湧
き出て、やりたいことがたくさん見つかる良さがあると考えられて地元学が実践されて
います。まさに一石二鳥で、住民と役場職員との協働なのです。
[ 2)長野県下伊那地方事務所『南信州街道物語∼人々が皆、「語り部」となるために』]
長野県下伊那地方事務所では、多彩な祭りと民俗芸能、往時を偲ぶ史跡の数々、こう
した今も息づく伝統文化や史跡は、私たちの財産であるとともに南信州の大いなるポテ
ンシャルだと感じた職員有志が「南信州街道研究会」を立ち上げて、一年間の取材を重
ねて職員手作りで南信州を紹介する『南信州街道物語I・Ⅱ∼人々が皆、「語り部」と
なるために』(2008年3月21日)といった冊子をまとめました。「地域の人々がこうし
てふるさとの歴史の知識や物語を共通の話題にして、これからの地域づくりについて語
り」、地域のポテンシャルを再発見し、内外から訪れる多くの皆さんにその魅力を紹介
してもらえたらという思いからでした。
これは、下伊那地域を担当する県の地方事務所職員が、地域住民といっしょに「風の
人」であり「土の人」となって地元学を実践し、住民も県職員もともに「語り部」とな
りながら地域づくりを行っていこうとするものであるといえそうです。これ以外に、こ
れまで下伊那地方事務所では「ポテンシャルSideB」という、職員の隠れた知識、才能、
趣味、興味などいわば“B面”に相当する部分を活かして、自らの仕事に直接関わらな
くても広く南信州地域の課題や地域づくりにつながるテーマについて、組織を超えた仲
間をつくり地元の人に話を聞くなどしながら調査・研究する取り組みも行ってきました。
2007年度には、「半生菓子のメッカ飯田の和菓子を軸にした観光戦略」「下伊那の言い
伝え(気象、災害、地名等)、古文書」「南信州の鄙びた花火のスポット」「南信州の
観光スポットとなる『秘境』」など10の研究テーマがありました。これらも県職員が地
域を知り地域を元気にする地元学に通じる取り組みであると思われます。
110
おわりに
地元学とはそれぞれであり、私たちの土佐学も1つの地元学といえそうです。地元学
の主体は住民(生活者)、行政、事業者の3者に加えて、NPOや専門家でした。1つの
地元学としての土佐学の充実において、吉本氏の「地元学」に学びながら、土佐学協会
がNPOや専門家として「通訳・調整の機能」をしっかりと果たしていくことがこれか
らますます求められているようです。
図1 地元学の流れ (出所)吉本哲郎『風に聞け、
土に着け【風と土の地元学】』
(9ページ)
111
編集後記
この1年間、土佐学を堪能いたしました。本文でも書きましたが、2度の調査は実に刺激
的でしたし、「香長平野のおきゃく再現」のイベントには妻と参加させていただき、すば
らしい時間を過ごすことができました。「土佐学大会」「秋の収穫祭」ともに内容のある、
いいイベントであったと思いますし、発表や運営のお手伝いさせていただいた私のゼミの
学生たちにとっても、貴重な体験となりました。1月と2月に開催した、成田十次郎副会長
と松 淳子顧問による「ミニ講演会」はそれはすばらしいご講演でした。卓越したリーダ
ーシップで理事会を引っ張ってくださっている竹村昭彦理事長はじめ、役員のみなさんに
感謝申し上げます。この年報の編集作業を一手に引き受けてくださっている水谷利亮理事
にも感謝いたします。 (清原泰治)
土佐学協会も2期目の中締めを迎えました。土佐学にはどのような目的や理念が込めら
れているのか、土佐学をどのような方法ですすめたらよいのか、土佐に生きる私たちの生
活や地域の経済にどのようなかかわりをもっているのか。そのようなことを含めて土佐学
のあり方についてたくさんの知見が、土佐学協会のスタート当初からさらにバージョン・
アップされて、この年報の中で随所に語られています。例えば、「学問振興運動」という
性格をもった土佐学ということから「土佐学の体系図」がまとめられているし(成田十次
郎さん)、
「地域における実践的土佐学、絶滅克服の3条件」が示されていたり(宮川敏彦
さん)、
「遠距離交際と近所づきあい」や地元学の「風の人・土の人」という視点と関連づ
けながら土佐学のあり方のとらえ直しがなされています(竹村昭彦さん)。
この約2年間、土佐学協会は着実に「ホップ」の時季を歩んできたと思われます。この
春からの2008年度は、大きく素敵に「ステップ」を踏み出したいと思います。「土佐に生
きる人、土佐に心を寄せる人」、さらにこの年報を読んでくださるみなさんとの協働がま
すます進むことを期待しています。2008年度も、よろしくお願いします。 (水谷利亮)
【謝意】
土佐学協会は、2007年度の事業実施にあたって、賛助会員として次の14団体からご支援
を頂きました(順不同)。
学校法人龍馬学園、
(株)関西土地、
(株)高南食品、
(有)乾佛具店、
有限会社福辰、
金高堂書店
株式会社フタガミ、
株式会社高知銀行、
西岡寅太郎商店、
高知県立歴史民俗資料館
株式会社トーホーテクニカル、
和建設株式会社、
(協)帯屋町筋、
司牡丹酒造(株)
この『土佐学年報』(第2号)を発行するにあたっては、「公益信託こうちNPO地域
社会づくりファンド」のご支援も頂きました。
また、今年度「土佐酒学研究会」が行った『土佐の「おきゃく」(宴会)における酒と
食文化に関する比較分析』は、アサヒビール学術振興財団の研究助成金(高知短期大学に
おいて出納)によって行われました。
たまるか! 土佐がはみかえる
土佐学年報 第2号
2008年3月31日 発行
編集・発行/土佐学協会 〒780-0955 高知市旭天神町292-26
電話:088-840-1121、FAX:088-840-1223
http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/
印 刷/弘文印刷株式会社
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