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2001年春号 - 一般財団法人住総研

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2001年春号 - 一般財団法人住総研
ISSN 0916-0671
季
刊
春
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エOC巴ZO
号(通護団号)
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〆
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日町 EZ)
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戸間山間﹀同
二OO一年四月一日発行。
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︿風紋﹀ 土檀の家判、桜一泊の
藤井明
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︿焦点﹀ 住まいの﹁高さ計画﹂ │ 序論:・4
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H 小 林 秀 樹 (阻止椋細細合研究所)
﹁高さ計画﹂への挑戦
11平面計画から高さ計画へ
西出和彦
、
東 利 恵 :::m
西村幸夫・窪田亜矢 : 引
編集後記::市
︿すまい再発見﹀ 上 海 旧 式 空 手 住 宅 片 山 知 俊 し::日
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助成研究の要U
︿図書室だより﹀ まちなみ・景観・風景
︿私のすまいろん﹀ 塔の家と阿佐ケ谷の家
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立 米 住 宅 雑 感│ │
集合住宅
の 貧しき階高を見直す初見学:::柑
一
安井高・空間容積が拓く空間体 験 以 勢 ωず桁動
﹁
高さ計阿 ﹂の山 米と将米 中 山 台 化 仁 到
谷内田章夫 (建築家) 友田博通 (嫡拘禁) 司会
J
論
特集日住まいの﹁高さ計画﹂ !序
1
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明 男C
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財団法人 住宅総合研究財団
会ヴい
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釣 鐘 型 の 高 床 の 穀 倉 が 特 徴 的 な ロ ン ポ ク 島 サ サ yク族の集落 。 聖山に向かってびっ
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!ダラム・パレより下段のサンコを 3
とる.
パリ烏のデンパサi ル空港から飛ぴ立った飛行機は水平飛行に移る蝦むなく、
ボク烏のマタラム京港へと降下を始める。パリ烏とロンボク品の間のロンボク海峡は
艇が一二五加ほどの瀬戸であるが、ここを生物地環山手上有名なウォレス認が 4
ぬっている。
こ の 線 を 境 と し て 、 東 倒 の オi ストロ・マレ l 地区と西側のインド・マレ l地区に生
物相が分かれる。パリ島の緑したたる風誌に比べ、ロンボクおはサバンナを忠わせる
乾いた気候で、ユーカリなどの説林で翠われている。
サデは烏の中南部にあるササック絞の集落で、小高い丘を覆い尽くすように卒浮き
の家騒がびっしりと並んでいる。
集落は関川間を土同日記と十小川倒で閥い、入口に門がある。山中央部に木造のモスクがあり、
ているのは釣鐙型のお床の穀倉で、これが随所に見られる。
ふじい
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何 PLVAUρ
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に分けられ、右側が男の議一
50m
他に公共的な胞設として集会所、井戸、泳浴一昨などがある。この村の景観を特設づけ
ササック族の建物は棟が盟山リンジャニの方向を向いているのが一役的であるが、
ここでは等高桜に沿って汲んでいるために方位が少しずれている。しかし、怖が向一
方向に並列するという基本的な記列部は守られている。ひとつの家族の領域は住掠と
穀倉とその周辺の越で、廷の一隅に水を入れた瓶がある。
パレと呼ばれる住搬はほぼ正方形の平両で、斜面に沿ってつくられ、斜面の一ト側に
入口がある。床面は午餐と石灰で悶めた土境の地床で、斜面に対し設丘状につくられ
ている。面白いのはその平而の分割の社方で、下郊のテラス状の空間をサンコと呼ぴ、
F
その上郊の一設おい 奥 ま っ た 部 分 を ダ ラ ム ・ パ レ と い う 。 サ ン コ か ら グ ラ ム ・ パ レ へ
は土の府段で芥る。ダラム・パレは窓が全くなく、扉を陪めると完全なふ治安になる。
サンコが前隠の道からも容易に税き込める関投的な空間であるのに対し、グラム・パ
レは閉鎖的で対照的である。グラム・パレは夫婦、子ども、未婚の娘の寝主として使
れている。
主義簿記鐙図
絵模平箇図
5符1
O
ダラム・ノてレ
サンコ
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われ、サンコは未婚の息子の寝所になる 0 グラム・パレの内部は更に入口に向かって
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一刻
右 関 の 袈 な る 区 域 と 左 側 の 浴 な る 区 域 に 分 か れ 、 か つ て は 奄 が こ こ に 設 け ら れ て い た04謹
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今は厨房はサンコの⋮隅にある。サンコち階段を挟んで
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アのお瞬、郊の部伎によく見られる双対観念であるが、ロンボク品の住居でもこれが空兵
〉
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入ロ
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領域で、左側が女の領域である。左布を聖際、男女などに結びつけるのはインド、不シ/誕
存
在
住 し の J臨時さ計
痔論
ブになれば幸いである。
いからである。しかも、室内の高さを建物全体の高さという都市計画と関係
うのは、平面計画についての蓄積は多いが、高さ方向についての検討は乏し
実は、既成の学問は、このような問いに答えられないかもしれない。とい
が不要であったこと、第二に、戦後開発された壁式構造では五階建て前後が
四1五階建てとされた理由は、第一に、当時は高価であったエレベーター
ても、公共集合住宅では最も経済的とされた四 1五階建てが一般的とされた。
裕がなかった。たとえば、室内の高さは最低限とし、建物全体の高さについ
戦後しばらくは住宅不足の解消が第一であり、高さ方向について考える余
川住宅不足の中で高さに関心が及ばなかった時伐
ら現在までの経緯を概観しておこう。
高さ計画への関心は、これまでもたびたび表明されてきた。まず、戦後か
高さ計画はどのような軌跡をたどってきたか
*
経済性や法規@諸制度などによってがんじがらめになっている住まいの高さのデザイン。その隣塞状況を打ち誠るには?
特集の趣言
近年、住宅の高さが話題になることが多くなった。たとえば、高層住宅の
是非は繰り返し話題になるし、また臼影規制等のさまざまな法制度について
も、その見直しが話題になる。
一方、住宅の内部をみれば、天井が低い今日の状況を嘆く声は強いし、か
といって、天井の高さに変化をつけようとしても容易ではない。容易でない
理由は、室内の高さは建物全体の高さと密接に関わっており、経済性や外観
に影響するからだという。では、具体的にどう関わっており、それを解決す
づけるとなると、ほとんど聞いたことがない。結局、高さ方向の計画論が不
最も建築単価が安いこと、第三に、冬至四時間日照を確保する基準が、四 1
るにはどうしたらよいのだろうか。
足していることが、日本の住宅の貧しさの一国かもしれない。
五階建てでは隣棟間隔が二Om前後になり、空地確保とのバランスがよかっ
問時間日照について補足すると、この基準は、本来は室内の階高(を積み
このような状況を見直そうというのが、本特集の出発点である。
重ねた住棟の高さ)と密接に関わるもので、高さ計画の第一歩となるべきも
たこと、であったという。
能性について述べる。そして、それに続く記事では、都市計画側の視点をひ
のであった。しかし、当時は、暗高は最低限(二・六 m程度)とすることが
まず、以下の本稿で、建築と都市を総合化して取り組む﹁高さ計画﹂の可
とまずおき、建築側からみた高さに対する取り組みを中心に論じていただい
警
翠
E
た。一つ一つの積み重ねが、都市計画の議論と総 A同化していくためのステツ
翠
山 平 面 計 画 へ の ア ン チ テi ゼ と し て の 高 さ の 設 計
方向の豊かさなど考える余地がなかったのである。
暗黙の前提であった。とにかく戸数を確保するという時代にあっては、高さ
倒実践の場における高さ問題の発生
った。
ら接近しようとしたのが、昭和四0年代に始まる初期の高さ計画の特徴であ
ところが、高度成長期も終わりに近づくと、実践の場面では、高さ方向の
豊かさの実現を阻むような問題が次々と発生した。
このような時代に注目されたのは、西山知三や吉武泰水らに始まる住宅の
平而計一間論であった。たとえば、食寝分離論などが 2DKプランの成立につ
郊外だけではなく、既成市街地に集合住宅が建設されるようになると、日
①日縮小問題の発生
このような平面計画優先の状況は、しばらく続いた。しかし、しだいに高
照権をめぐる近隣紛争が激化した。これを解決しようと、一九七六年に建築
ながっていったことは周知のとおりである。
度成長の患恵を受けて生活が豊かになるとともに、住宅の平面だけではなく、
基準法が改正され日影規制が導入された。これ以降、集合住宅の高さの形状
は、この規制によって決定的に左右されることになった。
文化や感性に関わる空間の質が語られるようになった。
このような安部の質への関心は、一九五五年頃には、すでに丹下健一二や清
め込むことが要請されたため、低い階高のマンションや、建物を斜めに切り
日照問題に拍車をかけたのが、地価高騰である。従来にもまして戸数を詰
②地倒の高藤による貧しい階高
く平岡計画への疑問の表明という色合いが強かった。しかし、高度成長期も
取る形が一般化した。
に説明できるように理論化)されたわけではない。むしろ、使われ方に基づ
家清らの建築家から提起されていた。もちろん当時は、それが一一一一口語化(他人
中頃になると、二戸建て住宅のデザインを中心に高さ方向の豊かさの追求が
当時、プレハブ住宅やP C技術に代表される住宅の工業化が進展した。こ
③工業化部品の運搬による制約
このような動きと軌を一にするように、一九六五年前後から、空間の質に
のことが大型部品の運搬す法の制約という忠わぬ現白から、住宅の高さに影
主要なテi マの一つとなった。
S D法などの心理
迫ろうとする研究が登場するようになった。その代表は、
響を与えた。
道路交通法は、一故車両の古川さを一一一・八 m以下、幅はこ・五 m以下と定め、
学的方法を用いた研究である。具体的には、﹁開放感﹂といった言葉で高さ
方向の豊かさを語り始めたのである。これらは﹁空間論﹂と呼ばれることも
産の住宅では、一階分の高さのユニットを運搬するために、荷台の床を下げ
それを超える特殊車両を許可制としている。住宅部品の運搬を容易にするに
また、この時期、毘地計一側においても心理的研究が始まっている。その契
た特殊なトラックを開発したという。逆に言えば、車両高さ三・八 mという
あった。つまり、﹁平函計画だけが設計ではない。空間を扱うことで設計の
機は、ケビン・リンチの﹃都市のイメージ﹄の出販であり、その影響を受け
基準の一トでは、階高は一一一 m弱 で 頭 打 ち に な っ て し ま う の で あ る 。 こ れ は 、 集
は、この一般寸法を守る必要がある。たとえば、積水ハイムのような工場生
たイメージマップ研究などの展開である。これらを通じて、高層住棟のラン
合住宅の大型P C版についても同様であった。
会体像に近づこう﹂という問題意識であった。
ドマ lクとしての意義が明らかにされ、低層、中層、高層掠によるミックス
④冷綾一房の普及による吹抜けの不人気
冷暖房の発速による快適さの追求が急速に進んだが、それとともに町家や
配置の理論的支柱の一つとなった。
つまり、平而計耐日使われ方に対して、高さ計画日人間心理という見方か
しかし、これらの動きは個別解にとどまり、住宅市場を動かす力には乏し
かった。しかも、集合住宅の高さ計画をみれば﹁貧しい﹂の一言であった。
農家に見られた高い天井は、﹁寒い﹂という不満が強まった。当時は、床暖
房が一般化しておらず、ストiブなどの対流式の暖房器呉が小心であったこ
一
Omの高さ制限の中に四層で階高二・五 mという事例も少なく
たとえば、
は次々と塗り替えられた。さらに、千 m級を実現しようとする研究も官民を
この時期、地価の高騰を受けて多くの超高層住宅が建てられ、高さの記鉱
①建物の高さへの関心i 超高層住宅と景観問題
なった。その状況をみてみよう。
さて、バブル経済期の前後から、再ぴ高さ計一問への挑戦がみられるように
側近年の新しい挑戦の始まり
あり、それを突破しようとする計画論は手詰まりであった。
総じて、室内空間の豊かさよりは、経営効率が住宅設計を決定する状況で
なかった。
とも不人気に拍車をかけた。
同計画識の手詰まり
さて、高度成長の忠志により、ようやく住文化や感性に関心が向かう時代
を迎えたにもかかわらず、皮肉なことに、現実の場函では高さ方向の豊かさ
を制約する動きが強まったのである。これを解決するには、どうしたらよい
のだろうか。
当時、小木骨らは﹁立雨建ぺい率﹂の提案を行なっている(一九七一年)。
簡単に一言えば、﹁敷地面積に対する建物の外壁面積の大きさ﹂を、新たな建
築基準にする提山楽であった。
当時、市街地では二時間日間へと基準が緩和される中で、かつての四時間
そこで、開放感を示す指標として、す一面建ぺい率を提案したのである。この
のことは、景観という観点から、建物の高さを考える契機となった。これが
その一方で、高層化の進展は、街の景観を大きく変えることになった。こ
あげて行なわれた。
概念は、その後普及したわけではないが、平面的な﹁建べい率﹂から、立体
端的に表れたのが、京都の景観問題である。かつての京都は、低層の町家が
日照のときは表而化しなかった狭い隣棟間隔による圧迫感が問題になった。
的にとらえる﹁立両建ぺい率﹂への発展であり、山口問さ計画の可能性を示すも
続く中で、寺社建築だけが高さ方向の景観を形づくっていた。それが京都ら
ようないびつな形が多くなり、街並みは乱雑になっていった。このような状
一方、京都に限らず、斜線制隈や日影規制の結果、建物が斜めに削られた
景観の調和は失われつつあった。
しさの象徴でもあった。しかし、町家が高層マンションなどに建て替えられ、
のであった。
しかし、住宅界全体としては、経済性優先の風潮の中で、古川さ計画は手詰
まりに陥った。その一国として、建築計画と都市計一間が分離してしまい、室
内の高さと建物の高さを総合化する視点が抜け落ちてしまったことも影響し
ているかもしれない。
況を受けて、建物の高さについて、新たに都市景観という視点の大切さが認
識されるようになった。
もちろん、建築家が手がける一一戸山崎て住宅においては、豊かな空間設計が
展開したことも事実であった。たとえば、天井の高さの変化、開欣的な窓の
一方、室内の高さについては、どうだろうか。
② 室 内 の 高 さ へ の 再 接 近i 階高とバリアフリi
一九八0年代に一世を印刷摩したミサワホl ムの﹁天井が高い家は大物が育つ﹂
まず、集合住宅の階高を見直そうという動きが始まった。将来のリフォー
デザイン、スキップフロアや中二階などによる空間の変化などである。また、
というキャッチフレ iズも注目される。科学的には疑問符がつくものの、古川
ムの自由度を高めようとすれば階高は一一一 m以上が望ましい。これならば、新
警
護
さの意義について﹁開放感﹂とは別の視点を示したものであった。
遺
築時においても、自由設計を受け入れやすいというメリットがある。また、
これを一歩進めて、一・五層分の階高をもっ集合住宅も実現した。さらに、
集合住宅でも傾斜屋担が多くなったことを受けて、最上階での変化のある天
井のデザインも一殻化するようになった。
住まいの高さ計画を発展させるにはどうするか
﹁住まいの高さ計耐﹂の確立に向けた課題を考えてみよう。
山高さのデザインを表現する言葉奇襲かにする
まず、第一に取り組むべき課題は、室内の空間の豊かさを表現できる﹁一言
これらの試みを総じて言えば、住宅のゆとりは、面積だけではなく高さも
重要であるということである。この主張を明確にしようと、都市公団は、面
葉﹂を豊富にすることである。これが、空間の貧しさを解消する第一歩にな
高 さ 方 向 を 表 現 す る 言 語 は 乏 し い 。 古 典 的D/H(奥行・一高さ)、吹抜け、
居住水準、囲みや平行配琶など、﹁一一一一日葉﹂が豊富である。これに比べると、
たとえば、平面計画では、食寝分離に始まり、 OLDK、続き間型住宅、
ヲ令。
積(平米一ぎではなく、体積を表す﹁立米一凶﹂によって住宅の質を示そ
うという提案を行なっている。
一方、床の高さについての関心も高まった。その契機は、高齢化対応の実
旧来の日本家屋では、玄関の上がり口、廊下と畳の聞の段差というように、
現による床の段差解消の動きであった。
展線表空間、一・五層という一言葉があるが、まだまだ平面計画の蓄積に比べ
たと、えば、平均の天井高は同じでも、一つはフラットな天井で、もう一つ
床には多くの段差や変化があった。しかもそれらは、靴を脱ぐ生活への対応
の新しい設計手法もある。しかし、それらが、バリアフリ!の名の下に否定
は高い部分と低い部分がある場合、この違いを表現する言葉が欲しい。﹁私
ると雲泥の差がある。
される傾向が生じたのである。このことが、床の高さ方向への関心を高める
の住宅は3LDKです﹂と一一一日うように、﹁私の住宅は000なんです﹂とい
や、雨仕舞いといったそれなりの理由をもっ。さらに、スキップフロアなど
ことになり、現在でも議論が続いている。
また、関じ吹抜けでも、そのプロポーションや光の状況で人びとに与える
うヰ一一口十楽である。
高さを人関心理からみて評価する試みは、地道に続けられてきた。そこで
の吹抜けは違う。それを表現する言葉が欲しい。さらに、町家の高い天井の
感動には雲泥の差がある。教会のステンドグラスが入った高い天井と、住宅
③新しい研究の展開
は高い天井の評価だけではなく、低い天井の﹁落ち着き﹂や﹁やすらぎ﹂の
いる。建築設計者による果敢なデザインへの挑戦は最も大切な役割を果たす
もちろん、﹁一言葉﹂には、﹁デザイン話器開﹂と呼ばれる設計手法を含んで
なのだろうか。この他にも、多くの課題があると忠われる。
精子の文化では、高さ方向の感覚が違うとされるが、実証的に調べるとどう
そのためには、国際比較や歴史研究も重要だろう。たとえば、座の文化と
計画の楽しさを浸透させていくための第一歩である。
このように高さにおける﹁違いがわかる言葉﹂を豊富にすることが、高さ
質も違う。これも表現したい。
評価も試みられている。さらに、天井の高さを上げ下げする実験を行なって、
具体的な高さ寸法を見いだす実証的な検討も行なわれるようになった。
また、環境工学の分野では、環境共生からの高さ研究が注目されている。
たとえば、伝統家屋の高い天井の良さを、熱や気流の観点から解明しようと
する研究である。さらに、床や天井に貯めた熱を住宅金体に行き渡らせる気
流のあり方も注目されるようになった。
以上のように、高さ方向のデザインについてさまざまな関心が示されてい
る。しかし、いずれも散発的で相互の関係がない。今日求められることは、
これらを総ん同化した﹁住まいの高さ計画﹂の確立である。
だろう。
これを総合化することが必要だ。そのためには、両者が共通して議論でき
る言語・土誌を見いださなければならない。
一方、建物全体の高さについては、土地の有効利用に始まり、都市景観、
てもよい。もしかしたら、都市の低いスカイラインへの共感と、高い天井へ
うに、建物全体の高さについても景観などの心理函から追求することがあっ
たと、えば、室内空間の豊かさを人関心理から説明するのであれば、同じよ
さらには防災や居住心理にいたるまで、さまざまな視点が提示されてきた。
の共感には、過去の居住体験に基づく共通の感性があるかもしれない。伝統
倒街づくりにおける高さ計画を発展させる
これらをうまく総 A同化して、街づくりにおける高さの計画論を整理すること
的都市で培われた感性、団地でほわれた感性等々:::。このような発想によ
なるはずだ。
り、少なくとも建築と都市からの高さ計一闘を、同じ視点から語るきっかけに
が課題になる。
歴史的にみると、建物の高さは、居住階層の表現であったり、建築の材料
寸法による必然であったりと、より理由が明確であったという。しかし、現
この他にも共通言語が成立しそうな分野はある。その中で、私が期待する
のが、次に述べる﹁高さの経済学﹂である。
代の住宅の高さはバラバラである。街並みの視点から、高さ計画を理論づけ
ることが期待される。
﹁高さの経済学﹂への期待
とすれば、同じ視点から室内空間を語ることができないだろうか。そうすれ
建物の高さについては、土地の有効利用をはじめとした経済の視点が強い。
川建築と都市からの視点を総合化する
さて、本稿を通した主張は、上記の二つの視点の総合化である。 つまり、
室内からの要求と都市からの要求の合体である。
日影を落とす。また、屋根裏部屋は、昔は建築工法によって生まれた空間で
たとえば、家内の高さは、住宅市場でどう評価されるのだろうか。おそら
ば、最も有力な共通言語になるはずだ。
あったが、現代は斜線制限や日影規制との関わりが強い。つまり、住宅にお
がその投資に見合うほどは高くできない。
く、現状の評価は低い。つまり、無理して高い室内空間を実現しても、家賃
たとえば、室内を高くしようとすれば、建物全体の高さが高くなり北側に
いては、室内からの要求と都市からの要求がトレ iドオフ関係にあるため、
ところが、このように両者は不可分でありながら共通性に乏しい。前者は、
れば、室内の高さの豊かさが市場性をもつのか﹂という課題設定である。こ
骨頂は、この次の段階にある。つまり、﹁では、どのように市場構造を変え
ここで諦めては、現状の貧しさを追認しただけである。高さの経済学の真
使われ方、人関心理、住機能などによって説明され、後者は、土地利用、景
こまで到達すれば、高さの経済学を介夜して、室内からの視点と建物全体か
内と外を相互にやりとりしつつ解決策を見いだしていくことが必須となる。
観、相隣関係などの一言葉で語られる。そこには共通の土俵がない。
都市からの視点は規制と結びつき、建築からの視点は表現の自由を主張する。
は、建物全体の高さは、法規制との関係が強いことにありそうだ。つまり、
すれば約一割弱のアップである。この程度ならば賛同する建主は多いだろう。
百年住宅を実現するためには、高い措高が不可欠である。これは建築費に
これを実践した一例が、スケルトン定借(つくば方式)である。
らの視点が合体する。
このため、建築と都市という分離に加えて、﹁規制と自由﹂という対立が入
しかし、たとえば日影規制で六階建てしか入らない敷地で、階高を上げたた
なぜ、高さ計画において都市と建築の分離が呂立つのだろうか。その理由
り込む。このため議論がかみ合わない。
近く上がる。ここまで上がると、事実上、市場では受け入れ難い。つまり、
めに五階しか入らないと仮定しよう。そうすると、戸当たりの土地費がニ割
敷 地 は 、 ほ と ん ど こ の ケ i スだ。しかも、高さ制限は住宅地において厳しい
ある。日影規制や斜線制限、あるいは一Omの高さ制限などの影響下にある
ぱいで、容積率が消化しきれない(法定容積率﹀実容積率)というケl スで
たとえば、﹁高さ制限と階高制限﹂による制度の可能性はないだろうか。
このような状況を見直すために、どうしたらよいのだろうか。
設計になっている。
まり、高さも容較も目一杯という状態に持っていく。それが、事実上の住宅
現実のマンション設計では、限界設計を追求しつつなんとか④の状態、
められる。
できるだけ低い階高にしたり、建物形状を斜めに欠いたりする限界設計が求
この場合は、室内の高さを貧しくするように経済原理が働く。具体的には、
をめぐる状況とは相当異なることを銘記したい。
ため、住宅では、この③のケi スが圧倒的に多くなる。この点は、オフィス
高い階高は経済的に実現できないのである。
そこで、土地を定期街地権にする。一般分譲では土地費が二割上がっても、
定期借地権ならば権利金が地価の二0 1三O%程度だから、二割アップ×ニ
0 1一二O%H五%アップ程度でしかない。このような理屈によって、高い階
高を現実の市場を通して実現することに成功したのである。
この発想が、まさに高さの経済学の応用である。このような思考方法によ
り豊かな高さ計画を実現できるならば、﹁高さの経済学﹂の可能性は大きい
のではないだろうか。
法制度研究の必要性
もう一つのわかりやすい共通言語は、法制度である。そこでの最大のテー
現状は、﹁十回向さ制限と容積率﹂の二つが採用されている。この組み合わせ
高い部分を組み合わせることで豊かな空間を実現している設計を否定してし
それは、時高を決めてしまうと、メゾネット住一戸にして階高が低い部分と
その方が貧しい階高を是正しやすいかもしれない。しかし、これも問題がある。
が、どのような室内の高さを誘導する
まうことだ。そのような場合は、メゾネットの全体を合わせた二層分を階高
①
法定容積率
③
④
実容積率
実容積率
は、階高を高くしたり吹抜けを設けた
ス(①②)は理想的である。というの
室内の高さをトレiドオフしながら総合的に考えることが不可欠ということ
大きな可能性がありそうだ。いずれにしても、高さについては、建物全体と
このような配慮を欠かさなければ、﹁高さ制限と階高制限﹂による方法は、
以上の他にも都市と建築を総 A同化することで、ダイナミックな議論が成り
りして建物を高くしても、そのために
だ。このケ i スは、建築デザインの工
立つ場面は、まだまだありそうだ。本格的な﹁高さ計画﹂は、始まったばか
である。
夫により、ゆとりある室内の高さを実
研究所住宅計附研究
国 土 交 通 翁 出 土 技 術 総 An
w一氏参照。
室長、本誌編集委員。格回収は m
小林秀樹/こばやし・ひでき
りなのである。
。
ふ
の
ヲh
v つまり、建物の高さが制限いつ
しかし、最も多いのが③のケi スで
現しやすい。
階数や床面積を減らす必要がないから
その内部は自由にしてかまわないという発想が必要になる。
か考えてみよう。図の四つのケ!スが
〉
②
法定容積率
まず、建物の高さに余裕があるケー
とみる必要がある。また、一・五層住宅についても一・五層分を階高とし、
マは、高さ制限、容積率制限、階高制限の三者の相互関係の解明にある。
つ
ム
あ
る
。
高さ制限と容積率制限の関係
園
法定の高さ>実際の高さ
法定の高さ=実際の高さ
宮中高
霞
L
l
1
」
関
罷翠罷電器
序
論
L
盤
時通/ともだひろみち
機浜悶立大学工学部建築学科卒業、東京大学大学
院修士課程修了。一九七八年、北山恨、木下道郎
とワークシヨソブを設J
H、九五年、ハ八日内田章夫/
ワクシヨソブを設立、現在に至る。来京理科大
学忠仁川子部非市勤講師。
建築家、谷内田章夫/ワークショップ代表
谷内臨章夫/やちだあきお
平面計画から
高さ計画へ
高
さ
小林(司会)今日は、建築設計における高さへの取組みを中心に考えてみ
化
ま す 。 今 日 の 話 を 、 い ず れ 都 市 計 画 的 な 建 物 の 高 さ に つ い て の 議 論 と 総 A同
していくきっかけにできればと考えています。
谷内田さんは、住宅の設計者として、実際に高さ方向のデザインの可能性
を追求されています。集合住宅で高さ方向の工夫をするというのは、経営的
に大変難しいことですが、それを実践されているということで興味深いお話
が旬、えるのではないかと思います。友田さんは、研究者として﹃心の住む家﹄
という本を出されまして、おもにインテリアの心理的な面から高さ方向の空
間のあり方を研究されています。
では、谷内田さんからお話しいただきます。
瞬高に工夫を
l l i一天井の高い集合住宅を設計する
谷内田章夫
ここ六 1七年ぐらい、賃貸集合住宅を設計する機会が多くなってきました。
私が手掛けたものは本当に小規模で、あまり一般的ではなく、手間のかかる
ことばかりやっているわけですが、そういうなかで、賞貸住宅に入ろうとす
る方の天井高の高い居住空間に対する反応が非常に大きいということを肌で
と思いますが、そういった要望が現実としてある以上、その可能性を伸ばし
感じています。これは必ずしも一般的なニ iズを反映しているとは眼らない
ていきたいと思っていまして、最近手掛ける集合住宅のほとんど、全ユニッ
トではないですが、なるべくボイド(吹抜け)のある居住空間をつくろうと
いう意気込みでやっています。いわゆる立体住一戸といわれる一・五層のもの
とは違って、私は階高をいろいろ工面して、なんとか二階建てのメゾネット、
またはフラットの形式をやってみたいと思っています。
それでは、実際に設計した事例をご覧にいれながらお話ししていきたいと
n
u
i
RADIAN 1
9
9
0
撃伊j
①
(北山恒・木下道郎と共同)
小芸
1
秀鱒/こばやしひ
古車京大学工学部建築学科卒業、
内総て、八五年、東京大学大学院博士談程修了。
学博士。八七年より建設省建築研究所勤務、二
O 一年より攻 腕ι。専門は住宅問題および建築討
つくば方式(スケルトン定借マンション)の研
および開発で、日本不動産学会業絞賞、都市役
学会学会党を受賞。著書に吋新・集合住宅の時代総
﹃住地住のなわばり学﹄﹃日本の住宅がわかる本﹄
どがある。本誌⋮編集委員。
林
RAD-AN(写真iI12)
思います。
事例①
これは、目黒区大橋にある、一 O 年 ぐ ら い 前 に 設 計 し た 賃 貸 集 合 住 宅 で す 。
五階建てで、いちばん上の部分に吹抜けをもっメゾネット住戸をつくりまし
た。これはただ単に高さ制限の関係で、多少セットパックすれば道路斜線に
かからずもう一階分建てられるということ、地耐力も五階建てにちょうど見
合う範囲だったので、ロフトのようなものを最上階に付加しました。
とても評判がよかったのです。タラップで上り下りする上の階は高さ一・
五mぐ ら い で す 。 上 の 階 の 家 賃 分 は 、 棺 場 の 半 分 に し ま し た 。 こ れ は も ち ろ
ん容積には算入していまして、容棋を消化するために、ただボリュームがな
いからこういったところで我慢してもらおうという形です。
建築家が入居しましたが、結局、タラップはちょっと辛いらしくて、梯子
を取り付けています。﹁酔っぱらったときに上ってもだいじようぶだけれど、
彼は言っていました。
次の日起きるときに、頭をゴチンとぶつけるのが辛い﹂というようなことを
そういうところをもうちょっとうまく工夫して、人が立てるぐらいの高さ
がいいなということ、若干関口部が狭かったものですから、風の抜けがあま
りよくなかったという問題点があり、なるべくそういうところももっと開放
的なしつらえにしたほうがいいのじゃないかなという結論を得ました。
オi ナ ! の 住 居 部 分 は は じ め か ら 階 段 に し て い ま す が 、 こ こ は と て も 暮 ら
しゃすくなっています。すべてそういう方向でできればなと思いました。
この建物の場合、こうした二層にした部分は、屋根裏部屋を開放した寝度
で、ごく一部なので、コストに与える影響はほとんどありません。
SQUARES(写真1314)
事例①に続いて、六年ぐらい前に竣工した中庭型の集合住宅で、第一種低
事僻⑧
層住居地域に建っているものですが、道路が二商あり、わりあいごろんとし
た形がとれるため中庭を中心としました。
中庭のレベルが一・五階のところにあります。そこから半階上がったり下
8 QしJARE8 1
9
9
5
翠例⑧
写真-4* 中庭
断面図
がったりして入る﹁スタジオタイプ﹂と、一・五階上がった三階にメゾネッ
トタイプがあります。メゾネットですから、一二階に行けば四階までは中でつ
ながっているわけですから、知らず知らずに上の階へ行ける仕組みです。
これをとにかく一 Omの 高 さ 規 制 の な か で や る の が 結 構 大 変 で し て 、 壁 式
の中に納め、コンパクトにまとめ関口部を大きくとりました。スタジオタイ
構造ですが、梁型を出さないように、逆梁にし、援は袖壁として設備や収納
プは、食事をしたり昼間過ごす領域と寝るスペースを可動の家具で分けただ
けで、なるべく大きな空間をとろうと思いました。北側、南側両方とも関口
を 大 き く と れ ま す の で 、 階 高 は 二 八O Oで、四五O の梁せいを床下でとり、
フラットな天井にしました。
Omの中に凶階建てを入れるのは至難の業なんです。メゾネットのなか
一
には、ア部、平均天井高をクリアするために、段差をつくってちょっと下に
下げたりし尤いるものもあります。これは中野区の基準と公庫の基準が共に、
天井高は一二 O Oではなく、居{歪である限り二一二O O必 要 だ と い う こ と な の
で、それをとるのにえらく苦労しました。
設備はコンパクトに納め、ダイレクトにオープンな部屋が接合し、なるべ
く広く感じられるようにしています。階段を上っていくと上に一・五部屋つ
いている。ムハ七ぽですが、個室的なものが一一一個半にLDKを 部 下 も な く オi
プンな形でつなげたというプランです。そこでは、それほど大きくありませ
んが、吹抜けをつくりました。これは意外と陽射しが奥まで入り、風の通り
がよかったので、室内環境を形成するにはなかなかいいものであったと思い
ます。
その吹抜けですが、空調がきかなくなると困るなと忠い、上にプロペラの
扇風機をつけているのですが、それを使わなくても、陽射しが上下からくる
ものですから、天井高が高くても意外とあったかい。できれば床陵一房を入れ
たかったのですが、この当時はその余裕はありませんでした。
ただ、関口部は上下に開け、空気の抜けがいいようになっているものです
から、流れがよく、ここ五 l六年、結構暑い夏が続いたのですが、 この入居
写真ド
6*
写真
1
/
3
0
0
断商図
1
9
9
7
事例③ TRINITE
Al
車
者 は ﹁ ほ と ん ど クi ラiを使わないで過ごした﹂と一一一一口っていました。そうい
った意味ではこの階高のもつ開放性というのは、風通しの閣で有効ではない
かなと思います。
スタジオタイプのワンルi ム の も の も 、 天 井 高 は 二 三O Oぎりぎりですが、
梁型を出さないというシンプルな形で、目いっぱい関口部をとっていますの
で、開放感があります。
寝 る 領 域 と 食 べ た り 過 ご し た り す る 領 域 を 分 け る た め の 収 納 は 一 六O Oの
高 さ で 計 画 し ま し た 。 奥 行 き は 六O Oあ る の で す が 、 視 線 の 標 準 と し て 二 ハ
0 0ぐ ら い を 考 え た と き 、 そ れ 以 下 は 見 え な い だ ろ う と い う こ と で や っ た の
で す が 、 実 掠 は も う 少 し 低 く て も よ か っ た 。 二 ハO Oだ と 少 し 圧 迫 感 が あ る
かなという感じです。動かしゃすさとかも考えれば、このぐらいのスケール
TRlNiTE(写真│516)
いであれば、部屋の一体感はかなり強まると思います。
の部屋では二二O Oぐ ら い が い い の で は な い か 。 天 井 高 の 半 分 ち ょ っ と ぐ ら
事例③
向じく中野にある集合住宅です。いろいろな住一戸タイプがあるのですが、
一つに道路からじかに入るタイプがあります。ペーブメントであるテラコッ
タを延長して道路と同じレベルに玄関を兼ねたリビングスペースがあります。
ここは一一一一一O Oの 階 高 が あ り 、 フ ラ ッ ト な 天 井 の 下 に 、 上 の レ ベ ル に は ダ イ
ニングスペ i ス が あ り 、 半 階 下 が っ て サ ン ク ン コ ー ト 付 き の 個 室 と 、 も う 半
階 下 が っ て 個 室 が あ り 、 ス キ ッ プ し た い わ ゆ る2LDKの よ う な タ イ プ ( 約
六 七 さ で す 。 こ の 住 一 戸 の 関 口 は 三 ・ 四mし か な い の で す が 、 上 下 と も 関 口
口部がとれています。これはすべて筏積率の地下緩和を利用したものです。
部がとれ、南北両側についていますから、ワイドスパンの集合住宅に近い関
指 定 は 一 五O %の容積率だったのですが、専有面積で一一OO%を 超 え て い ま
す
。
土問といいますか、アプローチの部分から同じペーブメントでやってきて、
ここで八O Oぐ ら い 段 差 が あ り ま す 。 天 井 は つ な が っ て い て 、 奥 に 庭 が あ る
という形です。陽心当たりが限られていますが、この場合は床暖房を入れまし
1
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7
事例④ Aしγ 0 8
o
断面
たので、 とても居心地がいいそうです。
前の事例は壁構造でしたが、これは薄肉ラーメン構造で、関口方向はすべ
てオープンにして関口をとっていて風の流れがいいので、夏は逆にコンクリ
ートの躯体が蓄熱した上に風が流れるので、非常に涼しいという効果があり
ました。
写 真 の お 宅 は ピ ア ニ ス ト の 練 習 場 を 兼 ね た 住 ま い に な っ て い ま す 。 いちば
ん下のレベルにピアノがあって、練習部屋にしている。ここは地下のドライ
mの
エリアに聞いていますが、意外と地下でも陽は当たるものだなという感じが
ALTOB(写真j718)
しました。
事例⑧
これは港区海岸に建てた二O 戸 の 集 合 住 宅 で す 。 こ こ はSRCでコ二
高さ制限に一一階建てでつくりまして、各タイプともフラットですが二層分
の 大 き な 吹 抜 け が 付 属 し て い ま す 。 住 戸 の 簡 口 が 柱 の 芯 で 五 ・ 七 mあります。
口部というしつらえです。海側にある景色のいい部屋ですと、向かいにフジ
階高も一平均で二・八 mぐらい、奥行きが一 Omあ っ て 、 間 口 方 向 は す べ て 関
テレビ、レインボーブリッジを眺め、都心居住でありながら海が間近に見ら
れるということになっています。
港区の海岸というところはまだ交通の便もよくなくて、交通騒音はかなり
のものがありますし、日常の買い物の施設なんかも整っていません。ですか
ら、一般的な集合住宅には向いていないといわれたところなので、むしろこ
う い う 光 景 を 取 り 込 ん だ り 、 巨 大 な ボ イ ド ス ペ i スを中に入れることにより、
新しい感覚で暮らそうという方を想定しました。
たとえば、カメラマンがこういったところをスタジオにすると、奥行きが
O m、 幅 が 五 ・ 五 m、高さが五 mぐらいあり、ホリゾントという白いパッ
一
ク ス ク リ ー ン の 非 常 に 使 い や す い ス ケi ル で す 。 た だ 、 残 念 な が ら 一 人 も カ
メラマンは来なかったです。一戸当り約一 OOUです。
アメリカ人のご夫婦が住んでいます。奥さまが美術関係のこともあって、
絵を飾って、居間がギャラリーみたいな感じになっていて、しょっちゅうパ
CUBES 1
9
9
9
事俄⑤
I
!
400
断面図
ーティーもやられているようで、 お 客 さ ま を 招 き 入 れ る と い う 形 式 と し て 非
常にうまくいっていると思います。
これだけ天井高がありますから、暖房も怒念されるところでした。これは
コストの制限があり、熱源はガスですが、温風を中に通してコルクを張った
床面を発熱体として、徐々に窓捺のほうまで空気を流して、床面を暖めて暖
房するという、﹁オンドル﹂式の床暖房を考、えました。
一つの階で三分の一が吹抜けになっています。コスト的には躯体費用が一
lニ阿部上がっていると思います。ただ、躯体自身は全体のコストの二 i一
一
一
割
で、この場合、サッシュはよけいにかかりますが、私の場合は打放しが主体
ですから、特に仕上げによけいかかるというわけではないので、そのへんは
さらに安くなるように、なんとか無駄なものを省き、普通の工事単価に抑え
ました。物や材料で高級感を出すのではなくて、いわゆる空間の大きさと自
由度で裂かさを表わそうと忠いました。
こ の 建 物 は ツ イ ン タ ワi で 建 っ て い て 、 高 速 道 路 側 と 海 捌 と 二 棟 あ り ま し
て、高速道路側はガラスブロックになっています。
高 速 道 路 側 か ら 海 側 を 見 る と 、 一 層 ず れ て い ま す か ら 、 下 の 階 だ け カi テ
ン と か ブ ラ イ ン ド を す れ ば 、 ま っ た く プ ラ イ バ シiを 守 り な が ら 海 を 見 通 せ
るのですが、実擦は上も下もカーテンを閉めちゃいまして、奥のほうから海
が見えるということは全然ない。こういう現象を最初から察知していたら、
出定のル l パi で も つ け て お け ば よ か っ た の じ ゃ な い か と 。 こ れ は 空 間 の 中
に入って初めて気づき、ちょっと残念な気がしました。
高速道路側の住まいにグラフィックデザイナーのご夫婦が暮らしています。
モノとかカタチにとてもこだわる方なので、﹁アイスブレiも か っ こ よ く 過 ご
しておられます。たいへん社交的な方で、私もクリスマスパーティ!に誘わ
れ ま し た が 、 五O 人 ぐ ら い 集 ま り 、 ジ ャ ズ バ ン ド も 入 り ま し た ( 写 真 │8)。
五O 人 集 ま っ て も あ ま り 息 苦 し さ を 感 じ な い と い う こ と と 音 の 響 き が 良 い と
いう意味では、五 mと い う 天 芥 高 が 住 宅 の 内 部 に あ る と い う こ と の 効 用 だ と
思いました。
トyブライト
DUPLOS 2
0
0
0
翠例⑥
写真一 1
3ネ
事例⑤
CUBES(写真1915
入居希望者がチラシを見て来るのですが、実際に空間を体験すると、﹁こ
れはいい﹂と評価していただきまして、﹁空き﹂がなくなると、﹁ほかにない
でしょうか﹂という話になり、二年後にリクエストに応えて建てた集合住宅
これは一五一戸全部が海に向かっている形で建てました。前のものは各階に
です。
廊下があったのですが、ここはメゾ、不ットにして、海側のほうに大きな吹抜
けをとっているので、二層おきに廊下があるという形になります。しかし廊
下といっても三軒しか並んでいないので、ほとんどバルコニーみたいな状態
になっています。
前の事例とは違って、一一 mぐ ら い の バ ル コ ニ ー を 設 け 、 そ れ 以 外 は 全 部 透
明のガラスにして、海との一体感を強めました。これも一一階建てで、一番
下が車庫、五ユニット上に重ねて、一 O階プラス一時で一一階ですけれども、
一つ前のA L T O Bという建物と同じ構造になっています。
大きな木とかサーフボードが楽しそうに並んでいるのですが、通常のライ
フ ス タ イ ル と い う か 生 活 感 と は 異 質 の 空 間 に な っ て い ま す ( 写 真130 な る
べく各部屋から海が見えるようにということで、お風呂からもガラス越しに
海が見えるというしつらえにしてあります。
各階によって全然景色が違いますし、屋上ともなるとかなり眺望がよくな
るということで、 A L T O Bの と き は 屋 上 は 最 上 階 の 方 の 専 用 空 間 だ っ た
のですが、この場合はいろいろな階の方に共用で楽しんでもらおうと、海の
開放感を味わっていただいています。ここの建物には写真家が四人入ってス
タヌオ兼用で暮らしているのですが、よくこの屋上でも撮影したりするらし
いです。芝生の上でビi ル を 飲 ん だ り 、 バ ー ベ キ ュ ー を し た り 、 皆 さ ん で 結
。
ふめヴhv
DUPLOS(写真lU32
構しょっちゅう楽しんでいるみたいです。ですから、屋上もかなり可能性が
事部⑮
これは一 Omの 高 さ の 中 に 四 層 入 れ ま し て 、 階 高 に す る と 、 二 五 五Oぐら
lnhu
写真一 1
5
*
写真一 1
6
*
1
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3
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0
断面密
1
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3
0
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断E
童図
SAIZE1
1 2
0
0
0
事例⑦
APARTMENT0
2 2000
事例⑧
トップライト
写
主
主-14*
ぃ。いちばん最初にお見せしたRADIAN、 上 の 階 の 天 井 が 低 く て 頭 を ぶ
つけてしまうという寝室のものとプランニングは似ていますが、それよりも
小規模で、下がリビング空間で、上が寝室で、お風呂が奥にあるという四一一一
がのユニットが六つ並んでいます。
これの場合も、基本的には階高を詰めていますから、脳相体費用としては、
とにかく空がよく見える、そういった開放感がありますし、陽射しも中に
吹抜けをもちながらも一般のものと変わりません。
入ります。風の通りをよくするため、寝室にもお風呂越しに風が流れるよう
Om以内に抑えて田層つくったものです。廊下から入っ
SAiZEH(写 棄 は ー は )
な工夫がしてあります。
事例⑦
これは連棟式で一
て階段で上っていきますと、部屋が二つあり、真ん中にボイド空間がある。
階段をよって、部屋は廊下の上にちょっとハングするような形で取り付けて
0
Omの高さに納めてい
ある。六O Uちょっとで、独立した部屋を一一一室とりながら、吹抜けをとって
いるという フランです。
い ち ば ん 下 の 階 は 床 を 部 分 的 に 由O 叩ほど下げ、一
ま す 。 こ れ も 住 宅 金 融 公 庫 の 基 準 に よ り 、 居 室 の 天 井 高 は 二 三O Oあります。
もう一つの特徴としては、吹抜けで費やされたロスをカバーしてコストを
合わせなければいけないので、外断熱による直天井のコンクリート打放しに
して、スペースを確保しています。
吹抜けのところにトッ。フライトがあるのですが、ここが暗い空間だったら
吹 抜 け は 生 き て こ な い 。 こ の 部 屋 と ボ イ ド の 仕 切 り は ツ イ ン カi ボ ン と い う
材料でやっています。ここからも光は透過しますが、最上階なのでトップラ
イトをつけて自然光を確保しています。
トッ。フライトの効用もあり、六十数凶しかありませんが、集合住宅であり
ながら一戸建て感覚の雰囲気があります。それと、これは一二・八 mのスパンで
すけれども、窓側の上下に二つ、奥の部屋のほうにも独立した関口部がとれ、
三・八 mの間同日の関口部が三か所で開放できるところが特徴です。
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..木ド.ì:tl虫[;と c!l~['i[)
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断面図
1
9
8
8
寧例⑧ 苗場ブリヴヱ
1
9
9
3
害警俄⑩ 保谷本町のク 1
)ニック
レベルが違うことによって、公私の区切りをつけながらも、空間としての
一体感を同時に得るというところがこういう吹抜けを介した一体型の住居の
APARTMENTG(写真│山口15
特色ではないかと思います。
事関⑧
これも同じ中野にある、一 Omに 加 え て 道 路 斜 線 と か い ろ い ろ な 形 で 制 約
があるなかで、いろいろと吹抜けをとりながら、コストもバランスしながら
つくった七戸の小さな集合住宅です。
写真は三、四階のメゾネットの下の階で、オーナーの住居部分ですが、足
元国りに窓をつけました。いるところに窓気が流れるので、去年の夏とても
涼しかったそうです。テラコッタが張つでありますが、床暖房をやっている
ので冬も問題ありません(写真150
お さ ま り が 武 骨 で 失 敗 し た か な と 忠 う の で す が 、 オ ペ レ ー タiをつけてい
る の で 、 上 の 窓 も 聞 く よ う な 形 に な っ て い ま す 。 ツ イ ン タ ワi で建っていて、
四mち ょ っ と し か 間 隔 が な い の で す が 、 そ う い う 形 で も 上 か ら 陽 射 し が 入 っ
て き ま す 。 素 通 し の ガ ラ ス で 見 合 う よ う な 感 じ で す が 、 プ ラ イ バ シi のコン
げ)
トロ i ルはブラインドでやっています。
事 例 ⑧ 苗 場 プ リ ヴ エ ( 写 真i
なぜボイドのある空聞をやるようになったか。そのきっかけとなったのが、
一二 1一二年前に設計した苗場に建つリゾート施設です。先ほどの集合住宅の
ですが、それぞれに吹抜けをつくりました。
A L T O Bの よ う に 、 一 層 お き に 互 い 違 い に 積 み 重 ね て い く よ う な タ イ プ
向かいにゲレンデがあり、非日常性を求めて来るのだから、天井が高いこ
とによってより景色のよさが強制されていいなと感じまして、それ以降、な
同)
るべく多く吹抜けをとるようになりました。
一事例⑩保谷本町のクリニック(写真i
医院と住宅併用のものです。住宅密集地に建っているので、あまり呂立ち
たくないというのがありまして、最高高さは五・一一一 m、 低 い と こ ろ は 間 空 間
後。これこそ一・五日間みたいな建物ですけれども、高さを白いっぱい活用し
/
4
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断箇 o 1
1UJ
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1
8
8日
翠例⑪ 高線のフォトスタジオ
8xH 1
8
8
8
事例⑫
写真一 1
9*
ている例です。
その。フランは、設備であるとか、 X線 で あ る と か 、 暗 室 に な っ た り 、 ト イ
レであったり、本械の集合みたいになっている呂角いユニットを、淡々と配
したなかで、それ円以外のスベi スをフリi スペースとしています。
毘慌のほうは四角ユニットの中には床がなく、全部抜けているのですが、
住宅のほうは吹抜けに出てくる前に天井高一一O 五O と い う 空 間 を 体 験 し ま す
ので、リビングのスペ i スにくると、五000ですが、もっと高く感じます。
最小恨の寸法で最大限の効果を発揮するような組み合わせじゃないかと忠い
ます。
こ れ は 半 出 率 ヴ ォl ル ト の 屋 根 に な っ て い ま す の で 、 低 い と こ ろ で は 頭 が
あたるぐらいの高さですけれども、一地らないところはそれでもかまわない、
J
真ん中泌分はちょっと高い感じがするような仕組みになっています。天井高
に変化を与えました。
写 真 は 住 宅 の リ ビ ン グ ル i ムです。いろいろなところの光を入れながら、
高いのか低いのかわからないような感じで、全体としては壮大さと親しみゃ
すさが混ざった不思議な感じがする空間になっています。
ダ イ ニ ン グ は 天 井 高 ニO 五O で す が 、 こ の 高 い 空 間 と つ な が り 、 一 体 化 さ
れていると、梁型が出ていないこともあり、圧迫感が感じられません。
事例⑪高輪のフォトスタジオ(写真│川口)
om 以内で計画したスタジオと住まいの融合体。写真で見るとお
これも一
り目線の高さのところまで躍がきています。それでホールドされているので、
部屋の中にいると空しか見えないという形です。窓を聞けても隣りと対面す
ることがないので、思い切り開けることができます。これは密集地域での一
S×H(写真lm)
つの方法かなと思います。
事例⑫
これは代々木公闘の前に建っていて、上が住宅で下がオフィスになってい
ます。住宅は縦に三軒並んでいます。代々木公圏の前に建っていますから、
すごく景色がいい。森の海みたいな感じがします。高層ビルも視界に入って
きます。気持ちいいボイド空間のある一連の空間ですが、ここではボイド空
四枚と机と窓が描いてあるというふうに、人間の印象みたいなものが中心に
逆に、現代の 3LDK型では何も出てこない。出てくるとしても、座布閣が
間にとって必要な心理的な空間を寄せ集める形の設計が今後求められるとい
設計したほ、つがいい。たとえば人間にとって必要な心理的な空間は何か。人
そういう意味でいうと、機能なんか考えないで、人間の気持ちに対応して
間に彩られている。そんな家が印象に残る本格的な家なのかなと感じました。
りには大きな納屋とか屋根裏部屋、仏壇の簡があって、そういう印象深い空
とえば非常に狭いところで食事をして、布団を敷いて寝る。だけど、その周
しかも、古い住宅は、機能的な空間以外の空間が非常に思い出される。た
ような解答ばかりでした。
なっているだけ。迫力のある空間は現代は除かれたというのが明確にわかる
間も設定された階の高さにより異なった印象がありました。
小林いろいろ刺激を受けたことがあると思うのですけれども、それは後回
しにしまして、友田さんから引き続きプレゼンテーションいただきたいと忠
イメージ対蕗の住宅設計
e
います。 では、お願いします。
空間関@必理
立体的な室設計
友田博通
うことで、吋心の住む家﹄を室田きました。
心の空間の設計ということが今後求められるとしたならば、日本において
私はコ口問さ計画﹂について、どうしてそういう方向で研究をするようにな
立派な家に行って、そこに住んでいる人には調査をしない。そこにかつて住
の農家とか、京都の町家とか:::。しかも、変わった調査で、京都の町家の
実際に伝統的空間がどういうふうに把握されているのか調査しました。川崎
ったのかということを、実際の調査の実例に沿ってお話ししたいと思います。
んでいて、そこから引っ越して一 O年以上経過した入を探して謂査票を送る。
﹁心の住む家﹂ilLホi ル聖
なぜ﹁高さ計画﹂かということですが、最初から﹁高さ計画﹂と思って研
その調査票を回収して分析をするという形の調査です。住総研の助成を受け
らく心のやにインパクトを与える空間なのだろうというふうに考えたときに、
らちょっと回ったなと思ったのですが、夢に現われる空間というのは、おそ
も、私は九州まで呼ばれ、﹁夢の研究をしろ﹂と。僕は夢をあまり見ないか
先祖の鎖があって怖かった﹂という形で、いつも使うということ以外の住宅
さしい土問があって、吹抜けの空間が思い出される﹂とか、﹁仏関があって、
けれども、迫力のある空間がたくさんある。﹁外から帰ってくると、土のや
たとえば川崎の農家だと、自分たちが実際に使っている空間は小さいのだ
て実施した﹁伝統的家空間の意味作用﹂という研究です。
夢は見ないけれども、印象深い空間を人聞はもっている。吉武先生の夢の分
の意味が非常によくわかった。また、京都の町家も閉じように、吹抜けの通
﹁夢の話﹂という研究をなさっています。何を忠われたか知りませんけれど
究していたわけではありません。私の先生の先生にあたる吉武泰水先生は
析結果を聞いていると、どうやら家というものは、﹁心の中にどう残ってい
り庭があった。日本の伝統的空間にも吹抜けはいくらもあった。そういう吹
なぜ一 O年以上経過した人に開くのか。 いま住んでいる人に家のことを開
です。
抜け空間が家の空陪構造の中心に位置していると、居住者はとらえていたの
るか考えて設計しろ﹂ということに最終的に行き着くのかなと思いました。
そこで、学生がどういう夢を見るのかと思いつつ、﹁自分が住んでいた家
で印象深い空間はどこか﹂を調査すると、いろいろなものが出てきました。
伝統的な住宅では、たとえば農家の﹁吹抜けの土問﹂といったようなところ。
日
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写真,21 Lホール型に吹抜けを組み合わせた住宅設計例
設 計 友E
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草i
邑
の
くと、機能的なこととか回っていることが出てくるわけです。一 O年 以 上 経
過 し た 人 の 家 に 対 す る 思 い 出 と い う の は 、 一 0年 間 と い う フ ィ ル タ ー に よ っ
て非常に明確に空間の本質をとらえて出てくると感じています。夢に出てく
る空間も時間がたつているのです。
さて﹁心理対時の設計﹂のために、どうしたらいいか考えると、結局、家
の空間構造の中心に吹抜けの空間をとる。そしてそこは、やっぱり居間だと
思います。そうすると、日本はなぜ居間が空間構造の中心にならなかったの
ですが、日本は中廊下型をいったん通ったからかなと。韓国はもともと中庭
か。韓国の中庭型の家空間の印象調査をやったときにだいたいわかったわけ
中心になっていた。その結果、韓国はこ階まで真ん中にリビングをとって、
れます。たまたま酒鬼替殺事件とか、家族の崩壊、子どもと親のコミュニケ
また、家の空間構造の中心を居間にもってきて吹抜けにした場合が考えら
うことを考えてみました。
家の各空間の設計としては、非常に開放的な空間とか、格式の高い空間とい
どこで食べても、どこで寝てもいいように設計することが可能です。また、
いうことですけれども、家の機能は台所を真ん中にもってくることによって、
﹁心理対応の空照の設計﹂というと、普通の空間の設計とどう違うのかと
しホール裂の実際の試み
うしたらいいのかということをお話しさせていただければと思います。
ことをスライドで紹介しながら、実際に集合住宅におけるコ品さ計画﹂をど
の後日本の住宅にどれぐらい吹抜け空間が入ってくるようになったかという
ります。これらはいずれも一 O年 以 上 前 の 研 究 で 、 き ょ う は そ こ か ら 先 、 そ
それをさらに吹抜けにしようという形で、吹抜けの空間を研究した経緯があ
グみたいなものを配したプランはお本ではどうなのかということを検討し、
住総研の論文では、﹁Lホi ル型﹂、つまり家空間の構造の真ん中にリビン
廊下に入って各部屋にいく形をとっている。
部屋がこれを囲む。これに対し日本は、中廊下型の影響でいまだに玄関から
型という空間構造があって、それがインテリア空間ではないのだけれども、
1
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│絡
f霞凶
トレンディドラマのTV
スタジオ風景
写真一目
学生に大人気のロフトイすぎアパート
写真一回
写真一2
4・
2
5 中高層住宅最上階に登場した吹抜けタイプ
ーションの問題が次々と山山たということがありまして、それを予防するには
Lホ ー ル 型 が い い と い う こ と で 、 さ ら に そ れ を 吹 抜 け と 組 み 合 わ せ る と う ま
くいくんだよというお子本を、実際に設計しました。部屋が居間の吹抜けに
すべて面している。なおかつ、各部屋は一一 m以 上 の 関 口 を リ ビ ン グ に も っ て
いて、しかも擦りガラス戸にしました(写真む。
印象深い空間をどう生みだすかということで、この家はたまたま子どもが
中学とか高校生なので、各部屋にロフトとか屋根裏部屋をつくって、倒室の
中で空間同の変化をもたせようとしました。
住宅市場における吹抜け付き空間の分析
ロフト付きのアパートの流行
こ う い う ふ う に 、 と も か くLホi ル型にして、なんとか吹抜けとか屋根裏、
ロフトを推進したいと思っていたのですが、同じころ、テレビのトレンディ
iド ラ マ で 、 と て も 空 間 に 変 化 を も た せ た 設 計 ( 特 に テ レ ビ ド ラ マ の 場 合 は 、
高さを変えるとか、たとえばここに俳優が立つと優位な感じがするとか、こ
こに廃っているといじけた感じがするとか、そういうストーリーにのせて空
間を設計するということをやる人がいた。フジT Vの荒川さんという方です)
が大変話題を呼ぴ、実際に、一般的な住宅に影響を及ぽしました(写真佼)。
具体的には、単身者のアパートにロフト付きがものすごくふ、えました。少し
東京を離れて郊外の大学のそばにいくと、ロフト付きでなければ学生が入ら
lg。
ないという事態も起こっているそうです(写真
中高層住宅最上階に登場した吹抜けタイプ
その次に出てくるのが中高層住宅の最上階です。私が知る限りでは、公団
のすすき野団地のニュ l モテル中層で初めて傾斜屋根が本格的に用いられ、
屋 根 裏 部 屋 を 中 心 に と っ た よ う で す 。 そ の あ と 、 多 摩 ニ ュ l タウンの鶴牧で
居間吹抜け型、屋根裏型が山山て、公団の浦安あたりからほとんどの最上階住
戸の底開が吹抜けになるという状態になります。
逆にいうと、それまでは暖房の問題があったのですが、公団の浦安からは
写察26 戸建て住宅の吹抜けのリビング
階タイプ
写真一2
7 中高層住宅の中鶴階に登場した1.5
吹抜けの下は床暖房を入れるようにしたようで、それで一応苦情は解消した
というように、調査上はなっています(写真iM、さ。
調査は吹抜けの効果を調べるために、最上階とその一階下とを比較しまし
た。心理的な尺度は、﹁明るい﹂とか﹁開放的な﹂という尺度を用いました。
最上階のほうが当然いいわけですが、よく出てくる項目とあまり出てこない
境目がある。明確に出るのは﹁明るさ﹂ですね。谷内田さんも﹁天井高を高
くしたときに、窓を上まで上げる﹂とおっしゃってましたが、やっぱり窓の
明るさの影響が吹抜けの効果を決めているような気がします。
特にリビングとダイニングが横につながっている場合の吹抜けは比較的う
まくいきやすい。逆にリビングの奥にダイニングがある場合は、なかなか難
しい。光を奥の‘ダイニングにどう落とすか、また奥の、ダイニングの天井が高
くなりすぎる傾向があります。そのための下り天井のとり方についてもいろ
いろ問題があるところです。
また、公団でも、屋根傾斜は一二す五分ではなくて、かなり傾斜をもたせた
例もあります。ここでちょっと不思議なのは、台所のカウンターの前にソフ
ァーテーブルが遣いであって、ダイニングテーブルが別の場所にある事例が
ある点です。
伝統的な住宅の誠査をすると、日本の場合は天井の低いところで食事をし
て、天井の高い土問とか通り躍をながめるという形をとっていて、食事をし
て、そこでそのままくつろぐというタイプが多いように思います。日本人は
食事からくつろぐ場所に移動するということをあまりしない傾向があるよう
で、こういうふうにあえて天井の低いところに食卓をもっていって、そこに
ずっといる。でも、天井の高いところは鉱山駄かというと、食卓にいるときの
さらに思ったのは、空間のバランス。ちょっと狭いところにやたら高い吹
気分は全然違う。
抜けがきている例があって、先ほど谷内田さんは、、つんと高くするところは
平面的にも広くすることでバランスをとっていらっしゃるわけですが、ちま
ちました空間のときに天井の高い部分が有効に作用するのかどうかが大きな
1
.
5階タイプー貴重上階の例
写真一部
1
.5
踏タイプー偲窓上階、下部収納タイプ
写真一回
問題としてあると思います。
一戸建て住宅の吹抜けタイプ
次に、吹抜けが市場に出回ってくるのが戸建て住宅です。戸建て住宅はも
ともと傾斜居振でして、天井を低い位置に張って無理にその部分をふさいで
いるわけです。屋根裏を吹抜けにするということは非常に簡単なことで、こ
の団地ではすべて吹抜けにしていた。
一方、一戸建ての屋根裏をそのまま吹抜けにすると、一措リビングの天井は
低く、二階にある個室の天井は高いということが起こってくるわけです。こ
れは非常にいろいろな問題を生じます。たとえば﹁お父さんが家で楽しいと
きはどうしますか﹂というと、当然﹁開放的な寝室に行く﹂という答えが出
てきてしまう。﹁悲しいときはどうしますか﹂というと、﹁天井高の低い居間
いというのはあるのかもしれないんですけれども。そのときは不思議だなと
に行く﹂。確かに、お父さんとしては悲しいときは子どもの顔でも見ていた
思いました。
戸建て住宅の場合、たとえば一階リビングの上を総二階にしないで吹抜け
ig、 二 階 部 分 を リ ビ ン グ ・ ダ イ ニ ン グ に す る と い う よ う
にするとか(写真
な工夫をせず、安易に傾斜屋根の下を吹抜けにすると、問題が起こるという
ことは明確に指摘できると思います。戸建て住宅の場合、建て売りではどう
しても総二階になりやすいのですが、傾斜屋根の下を有効に使、つだけという
ふうに考えると、非常に問題が起こります。
中高層住宅の中間轄に一・五措タイプか登場
さて、これでアパートとか中高層住宅の最上階、戸建て住宅は吹抜けにな
るので、残りは中高南住宅の中間階です。中間階は、二層吹抜け的なメゾネ
ット型が従来考えられていたわけですが、一・五階というタイプも登場しま
1411m
の家では個室を半階上に上げるということにして、下はリビングから
一・五階のタイプは、全部が一・五階の高さになるのではありません。写
す(写真│幻)。
真
使う収納にしていました。リビングに個室を直接同じフロアで開放するより
写真一3
01
.5
階タイプ
玄関から半階下ってリビングタイプ
写繁一3
1 1
.5
階タイプー
岐阜県の諸方の集合住宅の葛橋棟
21
.
5
s
皆タイプの模式図
写真 3
一上階で他の部屋につながる例
放できるようです。写真
imは最上階の一・五階の例です。
も、半措上がって開放すると、プライバシーを守りつつ、なおかつ大担に開
一・五階というのはいいか悪いかというと、フラットに比べて、いいに決
まっているわけです。皆さん車線的にそう思っているようで、中高層住宅の
マンションの場合、一階ないしは二階部分は売れ残る場合が多いそうです。
そこに自玉的に一・五階を入れる。そうすると、従米売れ残るものがさばけ
るというふうに開いております。日以上階は付加価値をつけると高く売れると
いうことで、最上階は目玉商品として一・五階にしたと聞いております。当
然、この場合は値段が高いということになると思います。
中間階の一・五階型に一民りますが、そうすると問題は、一・五階型で吹抜
け空間同がどれぐらい意味をもつのかということになるわけですが、写真 11却
は玄関がすでに0 ・五階上がっている形式で、半階分は床下収納とか、リビ
ングから収納が使える形になっています。
半階下りるというのは、フラットに入るタイプと比較して、吹抜けに対す
る評価が高くなるという効果があります。
0 ・五階分の人ホ裕をどう有効活用するかと
同一フロアのまま吹抜けのリビングに出る場合とどっちがいいかは、いろ
いろあると思うのですけれども、
いうことは重要な意味があるかと思います。最上階の場合、傾斜屋根の下を
使うだけだと、先ほどのようにハイサイドとか、工夫が必要になってきます
が、中間階の一・五階型の場合は、自然と閉口部が大きくなるからたいへん
次に、メゾネット型の中間関の例を調査しました。写真│引は岐阜県の北
有利です。
方の集合住宅の高椅機です。
高橋棟の場合、吹抜けに対して非常に広い空間が開放的につながるという
ことがありました。妹烏棟の場合はわりと壁で切れているということがあり
ます。火口内田さんは﹁なるべく狭い個室をリビングに開放する﹂とおっしゃ
っていたのですが、調査結果上は、そうしないと吹抜けの人気がすごく惑い
というようなことが出てくるようです。
写 真11犯 は 上 階 で 他 の 部 屋 に つ な が る 例 と 下 階 で 他 の 部 屋 に つ な が る 例 を 、
ろいろ空開体験をしていただく。それでも結構不安がっていますが、そのよ
なことが必要になります。模式的なパ i スをつくったほうが説明しやすいと
があります。そこで最終的にはなんらかの実験的な全体としての確認みたい
必ずしもすべてのタイプを綿羅できない、比較対象が明確でないという問題
重要です。結構感覚的には難しい問題があるし、実際の住宅の調査をすると、
すので、﹁高さ計画﹂に際しては、それぞれの問題を明時にしていくことが
戸建て、中高層住宅の最上階、市中間階、それぞれ独特の問題を抱えていま
友田谷内閲さんが謙虚に引いちゃつたから、むしろ僕のほうは、多くの人
小林友田さんの調査ではどうですか。
どうかと聞かれたら、多くの人はそれほど望んでいないのかもしれませんね。
は高さについて先鋭的にやらせていただいています。といっても、一般の方が
多いなかで、商品としていろいろなものが登場するなかで、あえて私のほう
向を掘り起こしているだけなのかもしれません。ただ、画一的な賃貸住宅が
入居者のほうについては、友田さんの一一一一口われるように、ごく一部の人の志
うに場を重ねて説得していくんですね。
いうことです。実態的な研究と実験的な研究が両方混ざったときに、非常に
が望んでいると言います(笑)。それは、調査結果からも明らかなんです。
それぞれ模式的に表わしたものです。
わかりやすい形がとれるのかなという気がしています。
宅の一、二階あたりは何か工夫しないと空家がでるから、一・五層のタイプ
また事業者からみても、最上階は天井を高くすればお金をとれるし、高層住
小林研究の成果を交えて、いろいろ興味深いお話を伺ったと思います。そ
なにいないのじゃないかという危倶もあるのですが。
一般的な人たちは吹抜けを望むのだろうか。それに住みたいと忠う人はそん
いですね(笑)。
に二層分の吹き抜けをつくるというのがいいと思っているんです。でも、友
いやすさということに立って考えれば、できれば床はフラットにして、そこ
確かに、友田さんが示された図のように﹁上階が左右に広がったタイプの
関さんの分析によると、空間的な感動を受ける意味ではあまりよくないみた
方は、まずいないですね。そこで誌は、﹁建築コストはそう上がりません。
摘が個室になりにくいので、生活フロア、リビングスペースが二つに分かれ
吹き抜け﹂がいちばん開放感があるんだと思います。ただ、あれの場合は上
と い う こ と を 申 し 上 げ ま し て 、 オi ナl の方を実際の建物にお述れして、
ほとんど同じでやります﹂﹁話題になったほうが入居者に評価されますよ﹂
谷内田オーナー側については、とにかくビジネスとして成り立てばいいと
出品化しやすい部分があって活用されているわけですよね。でも、本当の使
核不算入とか法規的な盲点をついているために、わりあいと
中途半端だなという感じがするんです。現在は、たまたま容
どうかな。一・五層は、半階上がったり下がったりするのが
日︿口内田そうですね。でも、本当の使いやすさという点では
小林同じ家賃だったらですね。
るということになりますね。
0
谷 内 田 確 か に 同 じ フランだったら、指高が一・五倍あったほうが人気があ
を設計するというようになっている。
ッション
れではディスカッションに入りたいと思います。
し
、
考えていますので、確かに﹁吹抜けをつくってください﹂といってこられる
谷内田さんの、特に二層吹き抜けている設計についてですけれども、
吹き抜けを本当にユーザーが求めているのか?
イ
友
毘
うタイプがいいかということではなくて、プランニングとの関わりで判叫制し
ますよね。 そ れ を 好 む 居 住 者 が い れ ば い い の で す が 。 一 概 に 吹 抜 け は ど う い
響かなという感じはあるかもしれないですね。
移動する。だから、食事の場が天井が抵い空間というのは日本的な文化の影
るから、 天 井 が 高 い こ と が 多 い 。 終 わ っ て 杯 飲 む の は 天 井 の 抵 い と こ ろ へ
日本人がヨーロッパ人になってもいいんですが、やっぱり僕はリビング・
ていくことだろうと思います。
リビングはす向くするのがいい。天井高さでニつの場を分ける案なんです。谷
ダイニングは一つの天井高さにするんではなくて、ダイニングは天井を低く、
小 林 友 田 さ ん は ﹁ 普 通 の 3LDKに 印 象 深 い 空 間 は な い ﹂ と い う お 話 を さ
内問さんの設計も、たぶん両方の雰囲気を楽しめるように考えているのだと
プランニングと天井の高さ
れていますが、その理由は何ですか。
思います。
研究する上での難しさは何かありますか。
高さのよ容をどう評備できるか
友田無駄に見えるけれども大切な空聞を捨てちゃったということだと忠い
ます。たとえば食べる場所はどうかというときに、あるときは和室でお鍋を
閤んでとか、あるときは吹抜けのある開欣的な場所で、というほうが印象深
い。逆に、食事と空間を機能面だけでくっつけると、心理的な豊かさが失わ
題だと思います。たとえば天井を高くすると、そこで食事を
高さを評価する尺度は何かということがいちばんの問
小林﹁居間中心型の間取りと連携して高い空間があるというのに意味があ
れてしまうと思っているわけです。
る﹂ということもおっしゃっていますが、小八口内田さんの設計はどうですか。
のですが、私が調査した限りでは、そこまではなかなか出て
こないんですね。
くのじゃないかなと思っています。そういう意味では、友田さんの考え方と
ですね。というのは、居住者は自分が住んでいる空間だから、他と比較しょ
いることになりますが、これも賠住者に問答してもらうことに無理があるん
そこで、 S D法 に よ る ﹁ 明 る さ ﹂ と か ﹁ 開 放 的 ﹂ と か 、 そ う い う 尺 度 を 用
同じかもしれませんね。
三了、。
、司ノ}刀吟。し
ほうが落ち着くというイメージがありますね。
過去の価値観みたいなものがあるのかもしれませんけれども、やっぱり低い
という問答が多い。このことが吹抜けの意味を最も的確に反映していると感
そうすると﹁狭い個室から天井高の高いリビングに出るときにホッとする﹂
と、それは、﹁家にいてホッとするのはどんなときですか﹂という質問です。
じゃ僕は何を尺度にこの吹抜けは良いとか惑いとかいっているのかという
小林⋮計同論のなかに﹁ハレとケ﹂という考えがあって、普段の食事の場所
ゃうんですね。
も試したんですが、外にパチンコ犀とかお風呂屋があると、そっちに行っち
それから、﹁気分転換したいときにどういうことをしますか﹂という質問
じています。
日合内沼無意識的にか、私もダイニングスペースは天井が低いところですね。
小林食事の場所はどうですか。
空間にする。そのほうがより落ち若きやすいし、外部からの連結がうまくい
ゃ う 。 そ し て 、 い ち ば ん 奥 に あ る デ ッ ド エ ン ド の 部 分 を プ ラ イ バ シi のある
しなくなるとか、そういうふうに機能にまで影響すればよい
田本本
谷内回玄関からわりと早めに吹き抜けのあるリビングに出て通路は省いち
友小
は﹁ケ﹂の空間なので、そういうところはあまり気分の高揚感とかは必要な
い。だから天井は低いほ、つがいいという理論もある。それからするとわかる
別の考え方もあって、 ヨ ー ロ ッ パ だ と 、 食 事 の 場 所 は 在 使 い が 走 り 回
気がしますね。
友
図
な家なんて家じゃない﹂というふうにいえるぐらい、高さ計画を考えたダイ
小林谷内田さんは、こういう研究があったらいいなとかありますか。
ないかと思っているんです。
外は行かないで、いつもリビングにいるとか、それぐらい違ってくるのじゃ
ナ ミ ッ ク な 住 ま い が 必 要 だ と 思 っ て い る ん で す が 、 普 通 の 3LDKだと室内
谷内田空間全体の問題ですから、平面計画があって高さ計画があるという
僕は、﹁ホッとしない家なんて家じゃない﹂とか、﹁気分転換できないよう
に変化がありませんから、﹁気分転換で外に行く﹂とか、そういう答えにな
二つを比較した場合に、天井の高い部屋のほうが多めに容積感を感じてくれ
たとえば同じ容積で、天井が高い部屋と、横に広げた部屋の
ています。まだ抽象的な実験室での実験の段階なんですが、
う﹁得﹂があるのかということをいろいろな見地から研究し
茜出和彦(東京大学)天井高を上げることによってどうい
が五 1六 万 で す よ ね 。 そ れ に 五000円 足 せ る 。 建 設 費 は ほ と ん ど 変 わ ら な
す。ワンルl ムのロフトは月五000円 だ そ う で す 。 大 学 生 が 入 る の は 家 震
友 昭 ロ フ ト と か 屋 根 裏 部 屋 の 家 賃 は 、 延 床 面 積 に0 ・一二掛けるんだそうで
思っているのですが、まだそこまでいっていないですね、残念ながら。
内田さんの実践の意義をちゃんと評価できるのじゃないかと議議譲警受
り込み﹂をどう成り立たせるかという、高さの経営学という襲撃ち寸へん
のもあっていいのじゃないか。それが発展すれば、きっと谷議襲撃畿
小林そういう意味では、経済的な側面も含めて﹁高さの取畿勢総裁タ
かに、高さをどう盛り込んでいくかということだと思、つんですよね。
ような部分的な研究だけでは難しいかもしれませんね。建物全体の計画のな
そういう意味からいうと、谷内田さんの設計ぐらい徹底すれば、室内で多
ってくると忠、つんです。
様な毘場所ができるだろうと思って、調査したいなと思っているところなん
るということがあるんです。まだ模索している段階で、ちょっと理由はわか
です。
りませんけれども。
小 林 ベ イ エ リ ア と ス キi場というのがありましたね。
重要なんです。
小林高さ方向は平面国だけではわからないので、何か特別の設計方法を使
谷内出それ以外に意外と効用があるのは、近所の木であるとか、空である
とか、身近な自然が感じられるようなものですね。それをうまく取り込んで
それを四分の一ぐらいにしたらどのようになるかということで、そういうプ
小林友田さん、心理的な雨とは別の視点はあり得ますか。
友白谷内田さんの空間くらい変化が大きければ、ただの使い方調査からで
も言えてくる部分があるのだろうと思うんです。たとえば倒室は寝るとき以
ピュータというよりは、空間システムのセットみたいなものとして自分の事
それで、限られた敷地条件のなかでどれがふさわしいかというのを、コン
ロトタイプも別につくっている。
っ た り し ま す か ? た と え ば 模 型 と かC A Dみたいなものを使うとか。
谷 内 田 絶 え ず プ ロ ト タ イ プ み た い な も の を 考 え て い ま す ね 。 た と え ばA L
T O B みたいな互い違いのものは、吹抜けが一二分の一あるタイプなんです。
設計方法
きには、 そういう経営的なものがきいてくるのは確かですね。
それは確かに別なんです。ただ、吹抜けの事例がどんどん出てくると
それがいい空間につながるといいんですけどね。
かったから、収入が増えたと。そういう類例はいくらでもありますよ。
小林そういう意味では、谷内田さんの部屋の写真を見ていると、面積は六
ou とか狭いけれども、広い感じがしますね。
谷内田そうですね。ただ吹抜けをとるというだけではなくて、光をたくさ
んとろうというのも影響しているんじゃないですか。空が見えるとか、海が
関キ'*
いくと、広がり感がより強くなるような気がします。
見えるとか、山が見えるとか、旧制が見えるとか、何を見せるかが広がり感に
友小
務所のなかではいくつかもっている。連棟型のものもつのパターンです。
けれども、 や っ ぱ り 一 律 に 居 室 の 天 井 高 は い く ら 、 何 々 室 は い く ら と い う よ
いうのは一つのノウハウかなと思っている部分です。
法規制に柔軟な対応を望むところが大きいですね。
スさえとれれば、個別の部屋の高さは変化があっていいのじゃないかと思う。
うなことはやらないほ、つがいい。むしろ、平均天井高みたいに全体のバラン
小林企業秘密ですね(笑)。
松家克
O個 ぐ ら い パ タ ー ン が あ る の で す け れ ど も 、 そ う
谷内田いや、単純で一目瞭然なものです。でも、使い方を知らないと使え
ことではなくて、たとえば梁が見えているとどうかとか、あ鰯機鱗鱗額縁護
も重要だと思います。というのは、ただ天井高が高いという欝ぉ
そういう意味でいうと、一
ない部分があって、皆さんそんなに使わないかもしれません。
一
句
した対象が、本当にいろいろ問題をもっていたからなんです。どの空間を高
際は下手な人が多いんじゃないですか。というのは、私たちがたまたま調査
での空間論議が必要だと思っています。ただ、それが研究で追求できるかど
いう質的な問題で空一聞を人がどう感じるのかというような突っ込んだところ
るいは色彩やテクスチャーであるとか、照明計画とか、そう五襲撃警
、〆い
くすればよいかとか、吹抜けをとるからには明るさをちゃんと考えなければ
、
っ
か
。
jy
いけないとか、空間の全体のバランスをとりながら高さ方向を考えないとい
小林先ほど公団の屋根裏の写真を友田さんが紹介されて、谷内田さんの
ι
けないということを明確に言っていかないと。それなしに吹抜けさえとれほ
真と比較すると、梁の扱いとか、相当違いますね。
デ
いいという発想の住宅が増えていくと、とんでもない住宅ばかりになっちゃ
谷内問それは心理的な効果としてかなり大きいですから、逆梁がやれる場
A
(ARX建 築 研 究 所 ) 高 さ の 評 価 に は 質 的 な 感 覚 ゑ 饗 饗 議 議 饗
友田谷内田さんみたいに、高さ方向の設計がうまい人もいるけれども、実
うのじゃないか、そういう心配がありますね。
松本中一(前田建設)いまの集合住宅は、本来はここは低
力少なくしなければしょうがないわけです。そうなってくると、浮かび上が
経済的な状況、市場性に見合う値段でやっているので、とにかく仕上げは極
形で出しちゃうだけで終わることもあるし、いろいろです。かなり無理して
合はやりますし、ゃれない場合は大胆に梁を見せて﹁どうだ﹂というふうな
くてもいい、ここは高く欲しいというのを、一律問じ階高の
ってくるのは極体になるわけです。その形はどうしても気になるという部分
高さ方向の変化
なかに不合理におさめているのではないかという疑問をもっ
はありますね。
とかいうのはやらないほうがいいと忠、つんです。
だ け で あ っ て 、 一 ・ 四 m以 下 は 寝 室 で は な い と か 、 一 ・ 五 mな ら オ ー ケ ー だ
スがよければいけると思う。要は、全体のバランスで設計の技量が問われる
友 関 高 さ が 一 ・ 四 mで も 、 リ ビ ン グ と つ な が っ て い る と か 、 全 体 の バ ラ ン
小 林 た と え ば 谷 内 田 さ ん の 住 宅 に 入 る ユ l ザiは 、 や は り カ タ カ ナ 職 業 と
そうじゃない人もいる。
だと思うんです。たと、えば、いまの若い学生ならロフト付きを好むけれども、
化をつけたらいいのかというのは、どういう入居者層に投げ込むのかが重要
友図ライフスタイルの議論も必要ですね。最低の高さとか、どれぐらい変
ライフスタイル
て い ま す 。 そ こ で 、 高 い 天 井 と い う の と は 逆 に 、 一 ・ 五 mの
天井とか、そういった低いことに対しての心理的な許容というか、そういう
谷内田僕の場合は、やはり居住者にとって使いやすい方向はどういうこと
いう印象をおもちですか。
議論はありますか。
かということを考えたいわけです。そうすると、基準法的な高さはあります
れども。
小林谷内田さんは話のなかで、大きな窓から揚が入るから冬でも陵かいと
いまの一二0 1四O代だったら、そういう特殊な層かなと思うのですが、
い ま の 大 学 生 ぐ ら い が 三0 1四O代 に な れ ば 、 抵 抗 な く 多 く の 人 が 受 け 入 れ
か 、 ず い ぶ ん 暑 さ 寒 さ の 話 を さ れ て い ま し た ね 。 そ れ は オiナ ー や 入 居 者 か
らそういう話題が出るので、話されるようになったのですか。
実感としては、世代というよりは、その人のもっているキャラクタ
ます。
ハ︿口内田
小林一一一浦展さんというマ l ケ ッ テ ィ ン グ の 方 が 、 ブ ル ー タ ス 佐 代 と そ の 下
吉村和美(清水建設)マンションを設計してきでいて、実
谷内田いや、それは勝手に僕がそのほ、つがいいと思って。日本の集合住宅
の世代を指摘していて、ブルi タ ス 世 代 と い う の は 、 谷 内 田 さ ん の よ う な ブ
際に生活者の人たちに開いてみると、﹁窓が大きすぎると掃
ーとか、好みとか、パーソナリティの遠いのほうが強いような気がしますね。
ランド志向的な賃貸マンションを好むけれども、その下の世代は、むしろご
除が大変﹂とか﹁照明はどうやったら替えられるのか﹂とい
は外廊下が多く開放的にしにくいというのがありますが、関口部をいろいろ
ちゃごちゃの狭い空間に雑多に住むということを好むと。
う誌が出る。そんなところで対応していると、空間的な笠を
な形で提供すれば熱的にも有効だということにチャレンジしたいと思ってい
谷内田雑誌﹃。ホパイ﹄でそういうインテリア特集をやっていましたね。で
保つという状況ではなくなってしまう。
む傾向が強まっていると思います。
も、生活感を出すか出さないかということでいうと、﹃ポパイ﹂に出ている
仕事だと、たぶんそういう方向になっていく。特に日本の場合、デベッロツ
日︿口内田マス・マ l ケ ッ 小 と い う か 、 八 割 以 上 の 人 を 対 象 に せ ざ る を え な い
﹃ブルータス﹂は、わりあいと生活感を消すという流れらしい。ただ、それ
パーは安全主義なところがありますから、そういうところがあると思うんで
ていくことだから、空間的に魅力的なものをつくろうとする。僕の場合は、
は方向性の違いだけであって、空間を楽しむ傾向としては同じかもしれませ
僕は収納をいろいろ手当てしてあげないと生活が片付いていかないのじゃ
賃貸で個人的なクライアントが多いから、説得しながらそういう方向にもっ
す。しかし、僕たちがやらなければいけないのは、いろいろな可能性を探っ
ないかという気持ちがあって、結横付けているのですけれども、かっこよく
ていっているわけです。
といっても、そういったメンテナンス面を無視しているわけではなくて、
がいいということだけではなくて、汚れがつかないというか目立たない。シ
たとえば、僕が打放しがいいと思っているのは、フィーリングとかテイスト
永井達也(郷設計研究所)設備設計をやっているのですが、
ナベニヤとか安っぽい材料を使っているのも、ちょっと拭けばよいか、汚れ
高さのデザインの制約
吹き抜けで空間全体を暖めたり冷やしたりというのは、エネ
高い空間をつくると床面積そのものが減ってしまい
高さを生かす法制度
が目立たないからです。両方追求しているつもりなんです。
友国昔の石油ストーブは対流式ですから、天井が高いとダ
本
キ
メということもありますね。それで、京都の町家や川崎の農家でも、わざと
天井を低く張ってしまった。いまは、ずいぶん改善されていると思いますけ
マーケット的に
ルギー上は無駄だという指摘を常にされます。
jF
飾りながら住めるという人も、なかには増えてきているような気がします。
んね。
ものも、それなりにかっこよく偶性ある生活感を出しているわけですね。
ただ傾向としては、だんだん柔軟になってきて、いろいろな新しい空間川を好
るんじゃないかな。
友
沼
日奇内固いや、ベイエリアの二つの例は床が減っているわけではなくて、容
すか。
う危倶はちょっとあります。いまの大山ゑさん主体の賃貸であれば、そう大が
れられている。ただ、スケルトン賃貸とか分譲にした場合にどうなるかとい
ません。けれども、実態として、九十数%はいまある空間性のほうに引き入
谷内田中途半端な空路性だと、すぐに床を張るという方向に走るかもしれ
積率いっぱい使っているんです。あそこは準工業地帯で四OO%なんですね。
かりな改造はされようがないんですけれども、インフィルが入居者の自由と
ベイエリアの事例なんかはどうしているんで
そのわりに道路幅が広いため、高さ一一二mまでなら建てられます。だから、
難しいと忠うんですけれども
吹き抜けをとっても床を減らす必要がない。あそこは倉庫用の用途地域とし
小林高さ制限とか容積率とかの規制が変わったら、高さ方向の設計が相当
ような仕組みも含めて、もっと立体的に空間を使っていくべきだと思ってい
のなかで認めたらいいのじゃないかという気はします。そのへんを緩和する
ただ、その場合も、時間の経緯とともに、ある躍度の範臨であれば、法律
いうことになったらどうかな、という懸念は確かにあるかもしれません。
変わるということはありますか。
ます。
てやっているところなのでそういう結果になっているんですね。
友田現在の容積率というのは、延床面積率ですよね。だから、谷内田さん
佐々木誠(京大)
谷内閉それを立米とか外形で規定したりすると、みんなどんどん内部の床
小林なるほど。吹き抜けは容積率には入らないから、むしろ好都合だと。
ています。
ように変わっていったほうが好都合かと思っていたのです。立米を提案され
ームが大きいということで、むしろ、容積、立米で評価する
がしました。というのは、谷内田さんの建物は高さのボリュ
閉さんにとっては好都合だという話が、すごく不思議な感じ
延床面積で決めるいまの仕組みは、
のように吹抜けをとるためには、最もいいコンディションにあると僕は思っ
を増やしたがるでしょう。だから、むしろ平米で規定されているからこそ、
居住者サイドに立ってみると、非常につまらない現象を起こしている部分が
らずに、多少無理があるかもしれませんけれども、建築家等が引っ張ってい
谷内田確かに立米も一つの方法だとは忠います。でも、最初から無力にな
には受け入れられないので、そういう提案をしたのだと思っていました。
ある。むしろ、そのへんがどうやったら解決できるのかなというほうが気が
って実践のなかでご﹂れがいい﹂と設い続けることが大切で、それが既存の
そういう意味で、自分のつくったものを人に見せるというのは恥ずかしい
かりですね。
とか一二mにしようかという意見があるんです。そうすると、谷内田さんが
ことなんですが、見学会なんかに特に若い人たちに来ていただいて、お互い
仕組みを超えるきっかけになればいいなと思っています。
紹介された四層の設計ができなくなるなと思って見ていたんですが、そうな
に刺激を与えあいながら広げていければなと思っています。
小林まとめの言葉みたいですね(笑)。高さ方向の工夫をするというのは、
掃誌や暖房、経済的な問問題から制約が多いわけですが、それでもお二人は相
谷内田
当のことを実践されています。これを伸ばしていくことができればいいと思
永井
小八日ー内国さんの吹抜け空間に、ある時期に床がつくられてしまうことは
っています。きょうは、どうもありがどうございました。
(文糞詩編集部)
理念、 と の 開 に ず れ が で き る お そ れ が あ る の で は な い か な と 忠 い ま す が 。
ありませんか。住み子が勝手に変えてしまうと、法がつくる環境、建築家の
四層プラス一部五層という新しいシステムをつくります(笑)。
ったらどうなりますか。
小林高さ制限はどうですか。一部で一Omの高さ制限ではなくて、一一m
ただ、天井高が一四OO以下なら階数に入らないとか、そういう状況が、
高さ方向は自由度があって可能性が広がると思っています。
内
た公陸の人は、天井高の高い住宅を提案しようと忠つでもなかなか一殻社会
谷
天井高⑧空容積、か拓く空間体
人間の心理@行動に基づく寸法論
西出
娃築空間をデザインするということは、そのような人間に対し影響を与え
建築を建築たらしめるものは何であろうか。それはおそらく﹁空間﹂があ
得る。空間を変えると人間に対する何かが変わる可能性がある。その可能性
築空間が人間に与える生活・行動の可能性は、空間デザインによって変わり
る援や床や天井などの建築的要素の位置関係や質を決めることといえる。建
ることであろう。人間がその空間の山中に入って体験もしくは体感でさること、
を開拓し求め人間に提供するのが空間デザインの意義であろう。
しているわけではない。生活の背去として、何気なく活て、閉まれ限定され
持ちながら何気なく生活している。いつも空間を見て美しいと感じたり感動
ない人間の動ける可能性を限定し、平面の形はそこで行なわれる行動の可能
面である。一半面は重力と垂庄な面であり、地面・床而から離れることができ
建築空間において人間生活に直核関わり、最も大きい影響をい号、えるのは一半
平面から三次元空間へ
た空間の中で動き、見渡して、時には狭いと感じたり、広いと感じたりしな
両にまで踏み込んだものである。
能だけではない。用がなせればよいというものではなく、心理的・情緒的な
そこで与えられるものは人間にとって最低限の生活を可能とする狭義の機
相対しあるいは包み込んで人間に何らかの影響を与える。
ない。建築空聞は中にいる人間の視点から見えて感じる三次元の空間として
しかし人出は建築空間から平面に関わる機能だけを享受しているわけでは
切れないものとなる。
性を拓くことになる。それ故、建築の機能を考えるとき平面計画は切っても
動を限定したり、逆に行動の可能性を拓く。
壁や床や天井などの建築空間を構成する境界一山は、人間の視線を遮り、行
もあるし、意識しない寝度の影響を与えるにすぎないこともある。
空間が人間行動のすべてを決定するわけではない。夜桜行動一を規制すること
建築空間は人簡を取り巻き、人間の生活・行動はそれにより影響を受ける。
生活@行動の可能性を柘く空間デザイン
がら生活している。
その建築空間の中で人間は、賠て、見て、時には触れて、空間同と関わりを
のスケールのデザインではできない、建築だけがもっ特質といえる。
それが人間にとって建築の本宜的立昧といってよいであろう。このことは他
建築。空間@体験する人間
事E
E
孝
建築空間のスケール
建築空間が人間の生活を内包するものであるが故、建築空間のスケールは
人間の生活ができるだけの大きさであることが求められる。池上で章一力を受
けるものの宿命として、長さの三采に比例する東量を受けることにより、建
が、技術の粋をこらし、技術を超えて達成した大空間という感覚をもたらす。
建築空間デザインが今までにない新しい体験を開拓することであるとする
と、大きい空間、天井のおい空間から得られる体験を開拓してみたいと考え
るのも当然であろう(図)。
現在、建築は権威のためにあるのではなく、人間のためにある。技術の発
三次元空間は人間に何を与えるか
建築空間をつくる構法や材料によって、それなりの可能なスケールがある。
展した現在、空間の大きさ、天井の高さは、技術的視点よりも人間の視点を
築空間のスケールになるとそれなりの重力を支える架構、技術が必要となる。
木造には木造の、組石造には組石造の、鉄骨には鉄骨のふさわしいスケール
優先させて長いはずである。
空間の高さ方向を考える根拠としてどのような考え方があるであろうか。
マ
@
。
う。そういった現状に対し、そうではないと、王張できる棋拠が欲しいのであ
ある。そして経済性におされて天井が低くおさえられているのが現状であろ
このような感覚的・心埋的な視点はなければないでよいと済まされがちで
とを超えたもので、感覚的・心理的なことである。
らえられることが主となる。それは人間工学的に用ができればよいというこ
三次元空間は、視覚、触れないで感じる感覚を中心とした感覚によってと
えるだけでよいわけではないはずである。
である。つくられた平而にこのような人間工学的に必要な天井高を均質に与
工学的視点からの知見はある。しかしこれらは最小限の用をなせばよい高さ
どのような高さが必要かという人聞の動作を‘可能にする高さについての人間
たり跳んだり動いたときどのような高さが必要か、それにゆとりを含めると
高さについてはどうか。人間同の背の高さ、挙げた手の届く高さ、そして歩い
平面に関しては多くの研究の蓄積や知見はあるものと考えられる。しかし
うな空間がより盟かな可能性を拓くのかなどについてである。
れが人間にとってどのような心理・行動に影響を与えるのか、さらにどのよ
間の大きさ・形状、天井高、容積などがどのように知覚・認知され、またそ
それ故、つくられる三次元空間を人間の立場から検討する必要がある。空
がある。伝統的につくられてきた建築空間の中で経験を重ねることにより、
それぞれの構法や材料に対するそれ相応のスケール感覚が築かれてきたとい
、えヴ令。
大きい空間、天井の高い空間が欲しいと思っても技術的にそれが可能にな
るとは限らない。空間の大きさ・形をどのようにするか、人間の要求とそれ
を技術が可能とするかのせめぎ人口いが生じる。
こうして大きい空間、高い天井の意義が生まれる。大きく、高くすること
図-1 ケルンの大聖堂
J
三 門 夜 怪 7.5mmの蕊の切れ目(1.5
う Y ドルト環
1
それは一一誌では一一一一日えない
高さを少し変えることが、実際以上に大きい影響を与えるということでもある。
(
図;
3)。 見 上 げ る こ と に は エ ネ ル ギ ー が い る の で あ ろ う か 。 そ れ だ け に 、
三次元の空間を把握し、そこにいて空間がどのような広がりをもっているか
ない。人が動くことによる見、えの変化などいろいろなことを手がかりにして、
いない。しかし、人間は単に眼の網膜に映る像をそのまま兄ているわけでは
建築空間の知党において視覚は中心的な役割を果たしていることには間違
体験する空間の知覚
難しい開題である。まだ
肝γ干,U
乙
ま者こっ i こ ま 戸 )
FJfkO市yu'jyt--i
の分野であろうが、いく
つかの実験的研究がその
糸口を示している。
見上げる空間
ある時間的一断面において下方を見ているとかいうことだけでなく、生活
知覚する。
方向と関わっている。そ
行為というある時間をもった動きの中で、コ一次元空間をどう知覚しているか
人間の生活姿勢は重力
のためか人附の視線の方
その会貌を明らかにするのは難しいが、空間の物時的な本当の大きさや形
を理解する必要がある。
d
向はやや下向きである
マ
jvJJノノマヴ止,刀
hJ-Jhv
状と、それを人間が受け取った心域的大きさ・形状は必ずしも一致しない。
。
2)
見ている範囲は日の位置
この人間が空間の大きさ・形状を読みとる特性が空出の知覚特性を考える上
(
図
よりドの方が中心となっ
は下向きになる。
﹁大穂
すなわち部屋の天井出と平一向形
都市基盤整備公団・総合研究所に、 天井高と一半面形を変えることができる
45 がある。
を変えた二つの部屋を続けて体験して比べることができる。 こ の 実 験 室 を 用
がこっ並んだ実験室(甲
れる、 ド 方 へ の 視 線 を 怠
プヂ
20
きは伺じ距離でも近く感
も遠く感じ、 見下ろすと
。
ふ
め
ヲh
v それは体験しない限りわからない。
ように、 人 間 が 実 際 に 実 物 大 ス ケ ー ル で 接 し て み て 初 め て 体 感 で さ る こ と が
我々日本人がゴシック教会の空間を初めて見てその空間の高さに感動する
そ の 意 味 で は 実 物 大 ス ケi ルでの
じるという結果が出た
の大ささや形状を体験できることである。
こ の 実 験 室 の 特 徴 は な ん と い っ て も 人 間 (被験者) が直接、 リ ア ル に 空 間
実験が行なわれている註
室空間山の容積がどのように人間に知覚されているかの一連の
いて、
実験文献ーによると、 見
は当を得ているといえる。
識した日本人の空間感覚
寺孤遼庵忘答﹂ に代表さ
天井高可変の実物大実験室
で何らかのヒントになると忠われる。
平血位と視点が
ている。 そ れ も 立 位 、 椅
位
床面に近くなるほど祝線
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距離感の呉方性
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塁
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i
壁続的に天井議の設定が司能。
全ての壁面は天井高のよ下に従い、
2枚のパネルをスライド E
させることにより
遼続的に設定される。
図-5 天井富の知覚
天井高の変化に気づくために
必妥な変化盆L¥.hは、
L
¥
.h=[/2Lx
tan(8t2)-h
実験室実験は有効である。
いわゆるバーチャルリアリティ技術も発展したが、人間の自由な行動に即
いて未だ十分とはいえない状況であろう。
して、見え方が変わり、運動感覚など視党以外の感覚も反映させることにつ
天井高の知覚と容積の知覚
この実験室を用いた、央口れものとしての空間がどのように知覚されている
かの二つの実験について概略を紹介したい。
天井高の知覚
天井が高くなるとほとんどの場合空間を大きく感じるであろう。それでは
天井出はどのように知覚されているだろうか。
二つの室空間の天井高を見分ける実験文?によると、二室の天井高の違い
5)。これは天井川口川の比でおよそ四%を超えると差がわかるというこ
に気づくのは天井と控の墳を見る視線の仰角がニ度程度違う場合であるとい
う(図
とである。
仮に部屋の中央に椅子に座って天井を見るとすると、 八畳で天井高一
oom になると一一仰となる。
酬の場合九倒、 天井高二七
またこの天井高の
。
問
知党特性は一平而の大きさ・形状によって影響を受けることも明らかになった。
空間の見え方においては、 大きさなどがどの程度違えば差を反別できるか
という弁別閥 (品十万一呉が区別できるかできないかの限界) が重要な意味を持つ。
少しの変化では人間には違いがわからない。 つくる側としては誰が見てもわ
かるように大きさを変えないと意味がない。
このようにして空間の大きさ、 特 に 天 井 出 の 人 間 に と っ て の 意 味 が 少 し ず
つ見えてくる。
容積の知覚
建築空間を三次元空間として扱う以上、室空間の容積の意味は重要である。
そのため符椋が人間にどのように知覚されているか理解する必要がある。
たとえば、床面柏が狭い空間でも天井市をおくし容積を確保することによ
って狭さ感を補うことができるかどうかである。
30
一方は床耐を少し狭くし、その分天井を高くして谷和、は同じと
前述の実験室において二つの同じ存積の部屋をつくり比較する実験が行な
われた文政
する。二室の物理的存柏は出じであるにもかかわらず、この二室を比較した
被 験 者 は 床 面 柏 が 狭 く 天 井 お の お い 安 の 符 砧 を0 1⋮0 %大 き く 知 覚 し た
6)0
(mm)
後一一一一前
(
侶
2つの空間が物礎的に等主主績の
i
士
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.
1
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0 0 4
5
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0
01
3
5
01800225027003150
このことは存積を大きく感じる場合に天井市がぶ平方向の広さよりも効い
冷
恥V
ているということを示すものである。鉛直方向の距離は、その他の方向とは
災なり、物現的寸法以上に評価されたという証しでもある。容積の知覚とい
う意味においては、人関のまわりの空間の距離感覚は、重力方向の高さ方向
は特に過大評価されるのであろうか。そうとなれば天井高を高くするという
ことは大変重要な意味をもつことになる。
もう一 つ の 尺 茂 人 間 の ま わ り の 空 間
人間自'川河が持っている三次元空間尺度もある。
住築空間の山中で人間の体は援や天井に接しているわけではないし、他人と
の間にもある程度の間隔をあける。
人間のまわりに閉があることは無意味ではなく、他人が近づきすぎると自
分のなわばりに侵入されたような気になる。建築物が体にぴったりくっつく
ように狭いとたまらないと感じる。
人間個体のまわりには、日には見えないが、一一砲のなわばりがある大きさ
をもって、身体が延長して広がるように形成されている。狭い部屋や混み合
いでこのなわばりが侵されると不快を感じる。
このようななわばりは三次元的にどのような大きさをもっているのであろ
うか。その一面を言葉を用いて探ることができる。
ニ
一
一
口
一
菜
、
特に指一不調コ・ソ・アの使い分けと関連し
指示代名詞コレ@ソレ@アレと空間との対応
人間のまわりの空間は、
特徴づけられる。 た と え ば コ コ と い え ば 自 分 の 近 く を 指 し て い る 。 日本語の
指示されるものの位註や距離に
と
か
し
、
54によると、 指 示 詞 コ ・ ソ ・ ア の 使 い 分 け は 、 ① 話 し 手 の な わ ば り
教科書
し
AU
に属するものはコ、 相手のなわばりに属するものはソ、 それ以外はア、
と
う場合と、②関心が強く近くにあるものはコ、 関 心 が 強 く 遠 く に あ る も の は
相
手
﹁迂
く・意
;:J
ア、アには近すぎるものはソ、 と い う 場 合 の 二 つ が あ る と し て い る 。
話
なわまり他の用法もあるかもしれないにせよ、 誰かの ﹁;
JlL
し
手
大きい容
実際の容積
E
巨
再t
I
く﹂といわれるように、
話
。
-10%
1
0
0
笠間i
の方が、
ハU
知覚される容積
場合、床面積が狭く天井の高い
ゆ
積であると知党される。
100-110
I
7 指示代名詞コレ、ソレ、アレの使い分けによる領域
図
容積の知覚
6
図
関連することがある。
はないことを臨認しておきたい。こじんまりした阻まれた感じの空間、
ンク・ロイド・ライトの建築のように天井の低い空間、それぞれに魅力ある
一つの価似にこだわらない、またんマあるもの、今普通のものだけにこだわ
人間のまわりのいろいろな位置にある対象(十分な大きさで担問的な限定
的にコレ、ソレの領岐によって、あたかも二重のなわばりに包まれるように
らないことが必要なのではないか。デザインとはそのプロセスで全く新しい
空間である。ただしそれとていつでもどこでもそういう空間が良いというわ
7)。コレ、ソレ、アレそ
の少ない実験室(体育館)に浮遊させた物体)を指すとき、コレ、ソレ、ア
なっていて、その外側がアレの領域となった(図
ものを生み出し得るものである。今までなかった空間を提案し、それを試行
けではない。
れぞれの領域の意味づけは、未だ解明されていない部分が多いが、たとえば
しながら多方而から検討・一詐倒するといった方法もあり得るであろう。
求められる建築空間のデザインとは、そこで生活する人間との豊かで多様
な関わりを持てるような空間であり、生活・行動の可能性を広げる空間のデ
Huh
h
し
ザインであろう。
じのする低さということなのであろうか。
いろいろ検証すべきことは多くあるものの、空間に対する﹁見方﹂の一つ
を得たと考えられる。
高さ方向の空間尺度
いくつかの実験的研究によって、 人間を中心とした、 人間を取り開む建築
提出の広がり、 特に市さに関する見方がいくつかできた。 さてこういった実
験結果をもとに、 どのようにして空間デザイン、 特に天井古川を決める根拠と
するか。
少なくともこれだけでは、 どのような大きさ・天井おの空間が良いとはい
えない。 そもそも良い悪い、 快不快は状況により呉なる。 ある時には天井の
古川い開放的な空間が求められることもあるし、 ある時は天井の低い落ち若い
た空間が求められることもある。 評側は制人についても一定でなく時により
川地(なるし、 例入栄一も大きい。 どのような空間を良いとするかは、﹂れらとは次
一五の災なる話で、 さらに検討を重ねられるべき問題であろう。
ぃ
みにコレ領域の向さはこ・山 m近辺、ソレ領域のおさは一二 m近辺にある。こ
フ
れが何を意味するか。天井市二・問 mはコレ領域に接し、子の印刷きそうな感
さて、これらの領域が天井古川を考える物差しになりうるであろうか。ちな
大きさをもっている。
コレ領域は、人体の動作としてちょっと予を伸ばせば印刷く範問にも相当する
レのいずれを用いるかを調べた実験芸 sによると、人間のまわりは、一二次元
フ
閉山和彦/にしで・かずひこ
い米京大学大学院工中系研究科(建築学専攻)
助数段。
一九七六年、ヤ山市京大学仁川千部建築山子科卒業 o
M火中続出川土法程退学、工学問士。京京大学
助手、千葉工業火や講師問、助教授を経て、九
八年より現職。建築計州、特に人間の心開・
行動に江市川づく計州内ム酬を山子門とする。止(砂刊に
アンリiス︿人間と建築﹀環境と均
I
m
“人間環境山下よりよい段境デザインへ(共
に判合 ド口約)がある。
︿
社
世
﹀
1 都市法懲終備公同・総合研究所技術センター(八王子市)応住性能館・祭間体験室。
2 d 烈住宅研究開発(一九九二年から一九九六年)。
︿
文
献
﹀
1 山内山崎市山八月・初見学﹁けん上げとけんドろしの即断感距総の認知に関する研究﹂日本建築
ゃんぷ大会学術部州円以縦概集、一九九三年。
2 込山敦司・初見学﹁筏築山川加州安問における天井一 MM
の認知構造﹂日本建築学会計附系論
文集、一九九六年。
3 込山敦斗川・総本郁子他ユボ京間の火口約と印象評倣に関する山実験的研究山徐被を指標と
した笠間⋮計附のための法礎研究その 1﹂日本住築学会計的系論文集、一九九七年。
3
日本説教育指導参考書 8 行本語の指一小前 h、一九八一年。
同合一同総研究所 日
1境
n
M制
体
限志・凶山山利点広他 環
と空間'刺入川市 問、一九九七年。
そういう意味から、 ここでは大きい、 天井の高い空間だけを評価するので
4
3
﹁千晶君計画﹂爪由来と将
建築における計画概念としての J晶さ﹂を塵史の中に探る
高さの定義
こでは未検討になってしまう。 だから私たちは、高さ計的を考えるにあたっ
て、それが必要となった白米、 その位置づけを同時に考、えなければならない、
考えてみよう。抽象的に規定するならば、以下のような大きくは二つ、具体
ではためしに何が建築形態における各高さを規定しているか、を仮設的に
というわけなのである。
ている。そしてさまざまなな同を持った要素が占めようとする高さを総合的
i
2
.内からの要求
4 全体的なかたち
高さ規定の要因の相演図
~--l
して取り扱うこと自体が、
﹁おさ﹂だけを独立
在する古川さといったもので、多くは経験的な事象に由来する。それはさらに
法 律 、 協 定 に よ る 規 制 と か 、 す で に 存 在 す る (H慣習的な)建築構成要素に内
第一の要悶は、慣習的、社会的な規定要因である。具体的には、社会的な
外からの要求(法律における高さ制限とか、高度地区など)
ションへの反対運動が高
第二の要国は、それら構成事物が銭築として表象されるための、建築的まと
に分けることができる。これらは第二の要因に対し規制的に関与している。
内からの要求(建具などの建築構成要素がすでに持っている高さ)
さのみに集中してしまう
すればより問題の深い建
棋に見えるかもしれない。建築に見えるということは、建築という山車体とし
に見えるかもしれないし、地震で倒壊した家屋のように雑然とした事物の集
というのは、単なる建築部分の寄せ集めは、実は建築には見えない。家具
まりである。
築物の幅への批判が、そ
いる。日照的な問題から
ことに、集約的に現れて
点は、たとえば新築マン
である。 つまりその問題
定概念であるということ
すでに疎外された形態規
i)0
的には三つの関係面から考えることができる(悶
3全体的なかたち成 立の許容幅
1
ここであらかじめ述べておかなければいけないのは、
に調怒しようというのが出さ計耐ということになるだろう。本論はその歴史
出地築各部のい 川
u さは、使築を構成する各事物の垂十回方向の占有関係を象徴し
し
ネ
的な由米を、いくつかの事例から考且察してみようとするものである。
1 外からの要求
て成立させるための全体性、完結性を必要としている。だから建築は、その
全体を決定する内在的な形態規定システムを有している。たとえばそれは、
ここで挙げたいのは、東松家
か 打
l
I
の屋
よで
比例(プロポーション)であったり、幾何学的形態であり、構成(コンポジ
F
実は江戸時代においては、幕
が明治建立であることには、当
つ
シ ョ ン ) で あ り 、 い ず れ も こ れ ま で の 建 築 の 歴 史 に お い て 、 最 も 建 築 に 沼律
的な部分として扱われていた領域である。
これら要因はどのように組み合わされるのか。出さ計画を考、えるときにも、
第二の要因である娃築会体としてのかたちへの照らし合いが必要なことは明
白であろう。というのもおさ計画が必要とされているそもそもの発端は、い
わゆる建築計画学の多くが主に平副を扱ってきたことからの疎外的発見によ
るものだからである。その主張の桧には、平一向と出さとを有機的に計画する
ことによって、三次元的な娃築計幽の秩序立てがよりよく行なわれるであろ
られているのである。
うという見通しがある。つまり娃築のかたちの全体的な把握への期待が込め
古川さと全体という考え五は、さまざまな事象を用いて考えることのできる
普遍度の高いものなので、筆者の専門としてきた近世の建築技術における事
疎外された計同概念としてのおさが、いったい以前はどのような全体性のも
府の禁令によって町人が三階建
徴される。 その性格は、
一般に家絡上の格式や各種取り締りに関する制度の
とになるが、東松家のみならず、
造三階建てが碍ぴ規制されるこ
の後、近代的法制度によって木
(一八六七)のことである。そ
かれたのは、末も末、慶応三年
能であった。都市部で禁令が解
とに考えられてきたかを採ってみたいからである。先に挙げた三つの祝点ご
一般に刺広川な都市住肘を成立させるためには、 特 に 共 同 的 に 住 む た め の 外
外からの規制近壁町家と幕府による建築規制
ての普請をすること自体が不可
i
r
とにその事例を挙げてみようと芯う。
例を発端として、むしろ梶山此をさかのぼることで、その射程を考えてみたい。
るにくに [
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I f
[な 家 に 、 行 業 松 全 て の
。そ兄建
戸り主隠三きで家宝具に
時の一二階建ての解禁が深く関係
ぶの
な
山静特によるもの、 建 築 施 行 に 関 す る 制 度 の 影 響 に よ る も の 、 そ の ほ か 理 念 的
1 3階建ての東松家住宅外観
写
真
n〆 eM
東松家住宅の内部
O
n
な江
人戸
工時
的代
写真
程、し九のでか屋見現。明よなれ
が窓た O 二あなが n
j
!
yし三治ム外て
そのら一階る生法らた階村、、かい
れ配し)建舌かし茶建に:1hらる
と置いにてこをれの席て移玄のよ
な、
な を の 民 て 良 が で 築 。L 高 う
く
外つ、建映いいあ、保
さで
知の兄て明物したとつな存
続あ
、
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芋古
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来宅さも
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道
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ら処も三治実て
1)
れ理よ階三はか、ろ
ける町家ほど、 さ ま ざ ま な レ ベ ル の 形 態 規 制 を 加 、 え ら れ た 事 象 は 少 な い で あ
お
著名な大規模な町屋はその多く
都
市
ろ
、
っ
。 近附一期町家に対する外からの規制は、 幕府のいわゆる触書、 禁 令 に 象
からの規制的計同、 約束事が必要になってくる。 その意味で、
W
:
近
物 全 体 の か た ち と し て の お さ の 姿 求 が 頭 を 持 ち 上 げ て く る 様 子 が 、 来松山氷を
制限といった、 社会的慣判明日からの規制が撤廃されたとき、 内 か ら の 要 求 、 往
している。 明治はいわば、 社 会 的 お さ 規 制 の 空 白 期 で あ る 。 終 式 に よ る お さ
な二階娃て、そろった粁線、うだつの統一的意匠等々の、いかにも調和のと
町家が生まれ、それが現在残る姿なのである。つまり町家なみのヒューマン
景観の詳細にまで立ち入った町触が次々に山山され、ここでの規制に見合った
降、
繊 細 で 落 ち 若 い た 外 観 の 町 家 で あ っ た以。
同様の町家の函構えや町並み
が見逃せない。自治協定どころか、筆者にはむしろ外的な規制要悶の重なり
L
れた町放みを形作った主なる要凶は、幕 肘による外からの規制であったこと
として、伝統的町一段群が見えてしまう時もある。そのドラスティックな規制
rxzhhj
日
8
吋
叩防吋一-到fヲ川町﹂
の駆逐に
財政を没収すると伝えられていたのです。)ただし住民に対しては、口氏く真直ぐ
子で全て二、一二日山中に取り附抗されてしまいました。(その命令に従わぬ者は皆、
工人の家路(七万軒以仁)があったのですが、会て木造でしたから、住民自らの
めくらされた城慌の口氏さは三思にも及ぴました。(小路)その区域内には商人や
人宣教師フロイスの手記の一部によって知ることができる。
の様子は、秀市円以晩年の慶長一二年に下された大坂普請について記した、外国
王日
本司
会
ド (一六四七) の﹁大坂町話法度﹂
うか。禁止令撤廃の一 二O 年前、 j
i
i
f
は、会銀の箔や三時蔵に代表される、 当 時 流 行 し て い た
一 見 し て 容 多 禁 止 を 自 的 と し た 町 家 の 建 築 制 限 で あ る 。 その目一八体的な目標
一、三階仕るべからず、日弁に身上に過ぎ、結構なる作本社るまじき本
がその最初であり、 次のように定めている。
それではさかのぼって、 近附一における三階往て禁止令の初出はいつであろ
見ると具体的にわかるのである。
ノ
な道路で区分けした代詩地が与えられました。そしてそれぞれの家屋は、粁のお
界街
へ
あったといわれている。 堺普諮とは、 当時の堺の自の苔杭を前提に、 t
f
たちが繰り広げた建築技日前様式である。 これら堺の町家のデザインは、
さが同じになるように、また給材を山川いるようにと命ぜられました。
*3
じれこ↑ζdiu
べ
日にすることができる端正な町家とは相存れないデザインで、 二
一一ρUepiv 1一nutタワえ
内からの規制近世本部における高さの疎外
さて、 外からの市さ規制は社会的、償、朝日的な法、 約 束 事 と し て の 性 格 を 持
内からの規制によるおさは、具体的には、建築に収納される家具、建問問一ハ、
っていたが、内からの規制はどのような性格を持つであろうか。
幕府の禁令によって、
る続松山の存在であろう。それらはひいては建築を取り巻く経済的流通基盤に
あるが、それ以上に興味深いのは、建築構成部品、インテリアの流通化によ
設 え ら れ る 床 、 槻 、 天 井 な ど の も つ '阿
H 部の寸法と、建築の躯体との関係を含
山明書詰は次第に消滅し
も深く関係してくる。それを一番見やすい座敷のしつらいについて考えてみ
ような市さへの志向が
た。代わって荒川制した
たし。
めた、それら相互の調諜によって決定されてくる。社会的、慣習的な規制も
のが千本桜子を伴った
間切れているのである。
の前後の空白期に同じ
の禁止令を挟んで、 そ
ZAP-'444
格が認められる。 144
qH
追及において伺質な性
。 これら堺普誌の特徴と明治の末松家には、 構 成 、 お さ へ の
3);
まち{これ:まう
フロイス日本史﹂より
寸
を 設 え た 災 形 の 町 家 が あ っ た よ う な 初 期 大 阪 の 町 家 に 共 通 す る 多 様 な,
造形要
業が混在していた。 そ し て も う ひ と つ の 特 徴 は 、 お の 象 徴 と し て の 三 階 建 て
現
在
の成であり、 な か に は 眺 望 の 得 ら れ る 三 階 を 客 肱 敷 と す る も の も あ っ た と い
う(写真
3 現存する三階蔵富田林市寺内自T
大i
坂長[
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寸×一 尺一寸五分、 建 具 で あ れ ば 内 法 出 さ 五 尺 八 寸 な ど と い っ た 基 本J法が
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人
あり、 こ れ に よ っ て 各 職 騒 が あ ら か じ め 独 比してストック生 此を行なうこと
、
ぷ靴工三編大工棚釧担﹄ (
思 2) は
一一概筒鋭な木叫が提示されていることである。 水割について
率が定まっており、 川口の枚数に来上半をかけることによって、 会 々 の 広 さ の 部
その方法は、 一二、問、六、八、十社について、 そ れ ぞ れ 畳 一 枚 あ た り の 釆
なっている。うち、武家住居の木割を主に収録した殿屋集において、たと、え
後)に記され、門記集、社記集、堂記集、ぽ明記集、敗毘集という、五巻から
して有名な﹃匠明﹄のことをさしている。江戸初期(およそ一七世紀初頭前
本来の木割とは、ここでは現存する初期木割書の中で最も体系だった書と
おける、高さの規定はどのように行なわれていたのだろうか。
尽の柱太さを決定する。 そ し て 各 部 材 に つ い て 二 六 項 目 に わ た っ て 決 定 さ れ
ば、以下のようなプロセスで座敷関連の高さが決められている。
長先して決定する小刀法の一つであったのである。
の初期は建物全体の水割に連動してその比例が決定されて
しょっみャナベノ
ている。 棚雛川ム
し
)日
;
iを‘
基準寸法として順次各部(材)寸法を比例的に割り出すもので、 そ抗
以t
伊似
柱間真々の約二倍にあたる。つぎに軒の出長さおよび軒高については、柱真
同じく内法高さの一 O 分の六としているから、建物の桁古川は地面より測って、
似の上端までを内法高さの一 O 分の問、内法長押下端から桁の上端までを、
﹄
基準寸法の惜数または分数関係で簡明に表現できるよう紛織化したものであ
全体から制部へ規定が山かう志山があったのに対して、 略 木 部 で は 部 屋 の し
つらいがそれとすでに独似してしまっていたわけである。 で は 本 米 の 木 割 に
誌はその二分の一にとる。つまり座敷から軒下の形態規定は、ほほきれいな
よりれわ釦の外而までを柱間と同じ長さにとり、一 J駅構造の場合に、ムド配んの位
った。 いわば日本のプロポーション論である。 さて本来の木割には、 建築の
つぎに、終日時の高さ、小壁の古川さの規定がある。落縁高さは、地面より総
去の寸法と同じにとることを記している。
地長押の上端より内法長押の下端までを﹁六尺五寸ヲカエス﹂とし、柱間真
vf
建物の規模は柱時の数の多少によって定められる。柱間の寸法は六尺五寸。
と は 文 字 ど お り 水 制 の 剖 略 版 と い う 意 味 で あ る 。 水制
」
なげしつ丸山り
テリアの開銀だけで部屋の広さ、 いけ川さの各寸法が決定されているのである。
各
木
り
μ
これが単枚となる。建物の高さについては、まず関口部の内法高さを示して、
先ほどの
,
-
とは、 建築の規模に応じて基昨柱附より性大さ寸法を決定し、 この柱太さを
1
1
1
持っていたわけである:。
これらは現在のマンション内部での陀敷のつくり方に共通した性格をすでに
44h
いたのに対して、 建物の外観や、 MV格とは関係なく、 山口から始まる内郎イン
図 E 版数に用いる各稜棚の仕様をI
J
Y
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ました
「雑工三線大工矧雛型ょより
近世後期にはすでに縦型書、 現 在 に い う カ タ ロ グ ブ ッ ク が 多 数 公 刊 さ れ て
した。 つまり各部、 得意紅がパッケージされ、 交 換 可 能 に な っ て い た の で あ
者¥
1
る。それは各部品の基本寸法が共通になっているまで、 建 築 部 品 経 済 が 成 長
していなくてはならない。 ほとんど近代的な状態であるが、
1
1
1
:
近
の発展はそれなくしてはあり討なかった。 たと、えば、 川口であれば六尺三
現
ができたし、 小十日部品の流通もあり符た。 そのような郷型書のうちの一つ、
)
幕末期謀、氷三年 (一八五O
の
別いる各種棚の仕様を収鉢したものである。 興 味 深 い の は 同 書 に ﹁座敷向略
とい、っ、
」
は後に触れるとして、 それは座敷構成要素のプロポーションを、 部 品 寸 法 を
オ
三
正方形閉つで構成され
。 つまり旺
た ( 図 ji3)
明殿屋集の座敷、軒下
さかのぼって、高さと全体との関係を検討してみたい。
高さと全体、 ひいては部分と全体の関係から、 西洋建築を眺めてみよう。
建築の形態を決定する要素と高さの関係ーオーダー
と高さが立体的に関係
規定においては、一千両
づけられている。全体
﹁建築の五オーダーの制桃山川いを塙矢としている。以前にも間同様の著作が
AVL
ムHPす弓 柱頭装飾などをさす。しかしその発明ならびに規定は、 日本では
室 町 時 代 末 期 に あ た る 一 五 六 二 年 、 ヴ ィ ニ ョ l ラ(一五O 七1七一二) が公に
ヘノレしM
1
4
1
5、
間川知の通リオーダ!とは、 ギリシア・ロ i マ建築の柱の各部分と建築全体
係が当てはまりそうである。
乱暴ではあるが、 ドリス、 イオニア、 コリント、 コンポジットなどの柱様式
を 規 定 し た オ ー ダi と
、 その母胎となるシュンメトリアという概念にその関
と高さとの調和的な関
係が存在するのである。
そしてそこには、正方
形による自律的な形態
操作の手法が深く介在
している。
両者を見るかぎり、
方法論としては、
くともより以前の匠明の方が優れているように見える。 ではなぜ ﹁発展﹂後
の近世末の計一聞の方が疎外されているのだろうか。 こ れ に つ い て 優 れ た 示 唆
を加えているのが中川武である。 中川は近世建築の特質を、 木割術の急速な
客観化に伴い、 これまでの日本建築様式の全体的な把握傾向が、 次第に各部
wH J- の確立問とした。
﹁
寸法決定の方法に吸収された結果の、
それは近叶⋮
立
口
一ノJ ﹂
、
、
の労働組織の改革と相まって、 設 計 技 術 の 解 放 を 推 進 し 大 工 た ち の 技 術 的 競
建具、 畳 な ど の 規 絡 商 品 化 を 推 進 し た
人口の下地をつくると同時に、 分 業 化 さ れ た 専 門 大 工 を 出 現 さ せ る 方 向 を 補 完
した。 さらに規格化への技術上の内的要悶となり、 当 時 の 甫 業 資 本 や 流 通 過
程の発達と伴って、 標準寸法、
としているのである;。この指摘は、 いってみれば一九六0年 代 以 降 の 日 本
、
、町、.フギ﹂日﹃ rfLHリ
LJdptu
においては光の略水割に近い位置を占めている。
それでは、 ヴィニョ i ラにとって、
にあたる原典とは何で
スイスのガレ
一
O書 よ り 成 り な っ て い て さ ま ざ ま な 興 味 深 い 記
の後の凶洋建築の歴史があったとしても過去口でないほど、 唯 一 の 控 史 的 規 範
ン修道院で発見された、 ローマ時代のヴィトルヴィウスによる建築書であった。
同書はヴィニョ i ラのそれ以上に著名な書であり、 同書の発見によって、
あったのだろうか。 それにあたるのが、 奇 し く ちυ
u
一四
打
リ
ト
性絡を持っていたといえるだろう。 いわばヴィニョ i ラのオーダーは、 本 論
は、その実用性、交換可能性から見て、 近世後半の雛型書に文字どおり近い
このような説明から惟測するかぎり、 ヴィニョ l ラによるオl ダi の規定
されたのだという。
向者は埋論書というよりも実用的な雛型本の性格を持っていた;。 実際の設
計にすぐ役立てられたわけで、 そのため非常に広く流布し、 世界各悶に翻訳
ん谷を整備したのである。 これによってオーダー、 いわば柱の高さ計画法は完
に確立され、 いわば円柱、宇の典範ができ上がった。 しかし興味深いことに、
あるにはあったが、 ヴィニョ l ラは、 円柱に開削する部分のみを独立させ、内
し
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こ
としてあがめられてきた。
そ
tì: l ii!災々を…i立の Jが11\ とした íFJj Jl~1時つでもIVtU記される。 I',,'J さは地 K
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における近代建築の技術的発展の縦型のようであり、 建築の商品化、 客観化
このような部分、 つまり内からの規制の諸条件を生むわけである。
カ
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13i-
、
少
な
3 匠明殿屋集高さ出例の密
関
口帆え﹂引川同 P J U 以 上 の よ う な 部 分 的 計 画 法 の
つにほかならないが、 それは
全体との関連を見るかぎりにおいて、 有効な視点をもたらすだろう。 さらに
ノ、
五
i
三
木
材
述を含んでいるが、高さと全体に直接関係し得る部分を抜粋してみたい。
-神殿の構成はシュンメトリアから定まる。この則一法を建築家は十分注意深く
第三書第一章
身に付けなければならぬ。これはギリシア語でアナロギアといわれる比例から
関 連 街 所 を ご 瞥 し た だ け で も 、 大 き く 二 つ の モ チi フがあることに気づく。
それはシュンメトリアという全体概念であり、もう一つはそれとの親和性を
もって重要視される人体のアナロジーである。後者については後の節で触れ
ることにして、前者のシュンメトリアを含む彼の造形上の六原則(第一書第
二 章 参 mm) をここで挙げる。
E
t
o
- ・:適正な量
オルディナチオミ門出
得られる。比例とは、あらゆる建物において肢体および全体が一定部分の度に
E
c
:
:適正な配置
デ ィ ス ポ ジ チ オ 巳 告S
4 のように大きくニつの項自化が可能である。
たことではないだろうか。
いたようである。これは閑っ
関係は、調和的に考えられて
けばいくほど全体と高さとの
れている。どうやら古代にい
構成群によってさらに吟味さ
はシュンメトリア以下の下部
自律的形態という第二の要因
ブチオへ連なる系列に相当し、
場合デコ i ル か ら デ ィ ス ト リ
要因は、ヴィトルヴィウスの
先の第一の社会的、慣習的
ここで気づくのは、筆者が冒頭で仮設的に示した高さを決める要因群が、
すると、図
それぞれに簡便な説明を付けたが、それぞれの内容からそれらを分類分け
デコ i ル 母 門・::造形上の定則、沼畑山、格式
丘町 C・::身分にあった適切な建築費用、材料の配分
ディストリブチオ忠由主σ
g
シ ュ ン メ ト リ ア 弓552ユ出:・:建築の部分と全体に一定の寸法を割り与えること
BUi---比例のつり合い
ユiリトミア 2 弓P
従うことで、これからシュンメトリアの理法が生まれる。実にシュンメトリア
0
または比例を除外しては、すなわち容姿の立派な人間に似るように各肢体が正
確に説付けられているのでなければ、いかなる神殿も構成の手段を持ち得ない
5 さらにかれらはすべての建物に不可欠と考えられる計泌の基を指、学、足、
に分配した。そして昔の人は十と呼ばれる数を完全数と定めた。
腕のような人体の肢体から集め、それをギリシア人がテレイオンという完全数
第三金目第三章(正柱式の場合のシュンメトリア)
場の正面は、もし悶柱式がつくられるとすれば、柱ム日と柱礎の突出部を除き十
7 この式の細部の割付けは次のように展開されるであろう。神殿に定められた
一と二分の一部分に分割され、もし六柱式であれば、十八部分に分割される。
ここにすっぽりと納まることである。
{トス唖
ヘ
町
一 md
図 ヰ ヴィトルヴィウスの建築審より
1
_光夫 E建
築ヨミ i命の歩み』掲絞の表に'1'谷が追記。
チ
1
'
もし八柱式が建てられるとすれば、二四と二分の一に分割される。そして四柱
式であろうと六柱式であろうと一八柱式であろうと、これらの部分から一部分が
とられてそれがモドゥルスとなるだろう。このモドゥルス一つが柱の太さにな
るだろう。中央の柱聞を除いた各柱聞は二と問分の一モドゥルス。正面と背面
J
J
のそれぞれの中央柱聞は一一一モドゥルス。柱の 口同さそのものは九と二分の一モド
ウルス。こうして、この分前から柱間も柱の高さも正しい部付けを受けるであ
ろ
、 70
8 ( ドリス式の場合)柱の太さはニモドゥルス、おさは柱認を合めて一間モド
第図書第三業(細部のシュンメトリア)
ウルスとなるだろう。柱頭の伴さは一モドゥルス、幅はこと六分の一モドゥル
ス。柱一販の厚みは三部分に分かたれ、そのうちの一つはキュ l マティウムを含
(東海大学出版会、
(:::以降細部について延々と続く)
L
一九七九年)より引用
むプリントゥスとなり、他はアi ヌルスを含むエキl ヌスとなり、第三は頚部
となる。
│││森田耐震一訳注﹁ウィトルウイウス建築審
三
と
》
批判ど)。なぜモデュロールがそのような発見性を持ち得ているか、モデュロ
ールを成立させている:-つの要素 1 1人 体 比 例 、 武 金 比 、 フ ィ ボ ナ チ 欽 列li
実に回ったことだから、私たちは現代へ展開した全体と部分(高さも当然
含む)との関係論の優秀どころを採し、高さ計耐の米米に役立てることにし
を分析することで明らかにしてみたい。
ト に よ っ て な さ れ て い る ( 図;
5)。 こ れ に よ っ て も モ デ ュ ロ i ルが人体比例
モデュロ l ル の 説 明 原 理 は 、 周 知 の と お り 、 片 手 を あ げ た 人 物 の シ ル エ ッ
人体比例
てみよう。
世界の割り方 l モデュロl ルが最強な理由
的であることは明らかであるが、そもそもの西洋の歴史の中で、人体比例の
アナロジーは高さ計幽の主な要素の一つであった。なぜ人体比例が、建築比
簡単な道具、物に寸法を訓リ付ける助けをする正確な道呉
例に当てはまり得るのか。この日本人には理解しがたい特殊な関係は、紀元
できる。
前 の ギ リ シ ャ に お け る 自 然 概 念 ピ ュ シ ス iiーを検討に加えることで類推
昌内包的な役割一調和せる作品
一九四八年)より
b 外延的な役割 γ今日分裂して対抗さ、えしている人聞の活動を協和させ、結ぴ
あわせ、一九にさせること
ーール・コルピユジエ吋モデユ口│ル 1h(
世間阪隆正訳、鹿島出版会、
ス派においては、万物の﹁成り立ち﹂は事物を構成する形式的な原理である
者がそこから成り立っている第一の原理を意味していた。たと、えばピタゴラ
当時における自然とは、存在する事物の原理であり、生成し消滅する存在
二O世 紀 最 大 の 建 築 家 の 一 人 で あ る コ ル ビ ュ ジ ェ は 、 寸 法 論 者 と し て も 最
はこの第一原理の罷れた顕現の一つであり、そこに内在する比例は、他の多
数 に 求 め ら れ た 。 世 界 は 相 反 す る 諸 性 質 の 問 に 生 ま れ る 数 的 な 調 和 (H比例、
モデュロi ル は 、 新 し い 高 さ 関 係 を 発 見 す る た め の 道 具 で あ る 。 つ ま り 意
くの事物、もちろん建築物にも適用可能でもある、というわけである。つま
上げた主に高さの寸法計的法である。筆者はそれが高さと部分との発見的関
大 級 の 功 績 を な し た 。 黄 金 の モ デ ュ i ル、つまりモデュロ l ル は 、 彼 が 練 り
識的な計的考のための寸法論である。というのは、端的にいって、計画者が
り人体比例には以上のような、不可視の役界的調和が隠されていたのである。
ロゴス)なのである。つまりこの佐に顕在する事物はすべてこの第一原理に
新しい高さ関係をつくろうとするときに直面する問題とは、自体的高さの根
迷信どころか、カオス理論をはじめとした最新の科学理論が、依然として自
係において、いまだ示唆的なものであると思っている。モデュロ!ルの射程
拠の所在そのものである。我々は一つの建築をつくるにあたり、その高さを、
然から多くのインスピレーションを得ていることからも、このような関係は
よって統話されており、その統括を一不す先ぶれが数、比例なのである。人体
先にも指摘したように、すでに現前していた要素を組み合わすことによって
いまだに続いているとさえいえる。
を歴史的にとら、ぇ直すことで、その魅力を探って終わりとしたい。
計画する。すると高さを決める要悶は、全てがあらかじめ決められているも
黄金比
以上のような不可視の全体性を象徴する不思議な秩序に、黄金比(﹀わ一∞ h
のであり、そこに新しい高さ関係は入りょうがない。つまり新しい高さ関係
2∞・・)がある。コルビュジェはこれ
u
(
J
h十回)一 N H H E ∞・・ニリfc・
を、先の人体ー比例の各部関係に見いだした。
をつくりだすということは、まだ見たことのない全体性へ向けての投企であ
らかの合理的な解釈をもちうる形態とは、一敢に美的と総称される状態に属
二辺の長さが黄金比の長方形から短いほうを一辺とする正方形を切り取る
るよりほかはない。以上のような、今は明らかにすることができないが、何
llエマニユエル・カントぷ判断力
している(﹁芙とは目的なき合目的性である﹂
白
ν
。
包4828JJ
323
れ品以 uri
ロ
一
ア
ユ
4 モテ‘ュロールによるコルピユジ、ヱのテ、ザイン
この賞金比のフィボナチ数列による置換の意図
も、おそらく先に示したように、世界的調和と具
現化した建築寸法との不可視のきずなを構築する
ことにあったと思われる。コルビュジェのこの操
作によって、黄金比は人体比例を超えて拡張され、
原理的には、ミクロの大きさから、宇宙的規模の
づけられることになったのである。そしてこれら
大きさまで、一一O O間程度の手続きによって関係
の関係は単なるおまじないでなく、黄金比という
長何学的な秩序が常に介主している。コルビュジ
4) のは、以上のような投
エが、モデュロ l ルによって山糸口一︿から都市までを
デザインし得た(写真
一 ﹂ Eノ一,ノー寸
一し 'う
l工
i
一九八一年、
小谷礼仁/なかたに・のりひと
大阪市史大や工学部建築町一 f科専任講師。
一九八七年、早稲山大や辺工学部建築学科卒
業。同大学院修士課税修了後、清水建設設計
本部勤務を総て、早稲川大学大学院同士課程
満期退学。同大学m⋮工宇部建築川 f科助手、明
治大学工学部、芝浦工業大宇非常勤講師仰など
をは刊で、九九年より現職。山也築史専攻。
。
っ明治的日本建築技術史新訂版 L井上市川応、一九八一年、 μ真
井上光夫吋建築主︿諭の歩みい出比ね出版会、一九九一年、 ω叉参照。
5 小川武立小割の研究﹄参照。昭和六 O年、私家版。
年、問頁参照。
川
川 訟2に同じ、川又より再引用。
3
4 同本ムハハ開子﹁阪放州側形の内総的特区﹂叶日本時比築十日山肌(叢京日第 5巻﹄大能堂、
im支を参照の、﹂と。
2 大阪の初期町家については﹃まちに住まう大阪郷市住宅史し平凡社、
1
︿
註
﹀
しての古川さを熱望してやまない所以である。
つまりモデュロ l ルとは、批界の割り方なのである。再び鍛えられた芙と
金としての調和的高さを佐得したからにほかならない。
写真
モ
と、残りの長方形の二辺の長さもまた黄金比となる。賞金比もまたギリシャ
時代に発見されて以来、その安定住と反復性から、凶洋のおさ計同を魅了し
てきた。それも、実際に黄金比を出いて計附してみるとわかるが、武金比に
は単純な反復グリッドで味わえない奥行きがある。無限数である就令一比を操
作すると途端に正方形が浮かび上がったりするからである。この比例が実際
に快の感情をもたらすかどうかは、控史的にもさまざまな論議がなされてき
たが、不思議な秩序という状態は、先の芙の定義ともよく合致しているとこ
ろである。
フィボナチ数列
モデュロ i ルにおいてコルビュジェは、先の人体各部の黄金比例を、
ボナチ数列に置き換えた。
とって得られる数列のことである。フィボナチ数列の隣殺するこ項の比は項
で提示したもので、初頃と第二頃をーとし、第三項以後次々に前二項の和を
フィボナチ数列とは、フィボナッチが﹃算術の書﹄(一二O 二年)のなか
フ
が進むと、急速に賞金比に近づくことがわかっており、コルビュジェはこれ
を利用したのだとい、える。
6
図-5
イ
立米住宅雑
学
見
集合住宅の貧しさ踏高を見直す
これまで日本や海外に建つ新しい集合住宅や時代の流れの中を生き続けて
ず気になっていた断両構成の師自い事例があった。最近、手元に届いたチャ
山地築展や海外の文献でたびたび目にしていたのだが、詳しいことがわから
チャiルズ@コレアの集合住宅
きた古い集合住宅を見たり調査したりしてきだ。最近の日本の集合住宅につ
ールズ・コレアというインドの建築家の作品集(参考文献│、 2) に絞ってい
年 に か け て 、 ボ ン ベ イ 市 内 の 丘 の 上 に 建 設 さ れ た 。 高 さ 八 五 m、一辺ニ一 m
一ハ﹀之のに﹀勺ム﹂己 ZC﹀ と 名 付 け ら れ た そ の 集 合 住 宅 は 、 一 九 七O年から八一二
たので、ここにその概要を紹介したい。
せ る た め に メ ゾ ネ ッ ト を 多 用 し た 英 国 の シ ェ フ ィ ー ル ド 民 地 や パ イ カi団地、
の正方形乎而の塔状集合住宅(ムリ一面の。フロポ i ションは一一四)で、総一戸数
tJ四 寝 室 の 標 準
複雑な断面構成で多数の住一戸タイプを混合させた英国のマ lキ ス ロ ! ド 団 地
は一一一二戸。住戸には一一一 i六寝室のバリエーションがある。一ニ
場している。しかし、こうした数少ない事例を除けば、住一戸を平面的に並べ
断面構成が印象に残る。最近では岐阜北方の公営住宅にメゾネット住戸が登
では、ネクサス(福岡)でのS ・ホi ル掠やR ・クi ルハウス棟での巧みな
用できるように、一一一方向に関口を持つ。一一層分の空間を立体的に巧みに組み
やや変則的なメゾネット形式で、高層住宅ならではの眺望や通風を最大限活
雑な断而構成にある。住戸はワンフロアーの半分とその上階の一部を使った
この集合住宅の特徴は、次頁の限や写真が示すように、そのユニークで複
タイプに使用人の部屋が計尚されていることからみて、かなり裕福な階層を
てただ積み上げただけの単調で断一的な集合住宅の多いのがわが国の現状で
くりだしている。圧巻なのは、コーナ!部に計画された二層分の高さの広い
合わせ、床レベルを変化させ、吹抜けを介して上下階に視覚的な連続性をつ
の集合住宅の草創期には、将米のリノベ l シ ョ ン を 考 成 し て 三 層 を 単 位 と す
ある。経済性を追求するあまり、集合住宅を立体として捉え、変化に富んだ
対象とした集合住宅だと忠われる。
快適な空間を創り出す努力が忘れられているように忠えてならない。
るメガストラクチャーを提案した晴海アパートのような事例もあった。近年
住戸規模が小さくてメゾネットの採用に踏み切れなかった日本でも、戦後
など、海外には街面構成まで含めて全体を構想した事例が多数存在する。
L字型断面住一戸を組み合わせたコルビュジェのユニテ、空中街路を成交さ
いて思うことは多々あるが、その一つが高さ方向の発想の欠如である。
断面を忘れた集合住宅の計画
初
円u
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1 チャールズ・コレア設計の!くANCHANJUNGA
、
CHARLESCORREA-h
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Thames& H
断面図
KANCHANJUNGAの外観
コーナー郊の 2府吹抜けのバルコニーが圧線。
標準住戸の平蘭図
メゾネット f
主戸 2つが組み合わされた街頭の彩
が、これまでの集合住宅では見たことのない気持ちよさそうな場所を居住者
バルコニーである。住棟内に組み込まれた外部空間に相応しい空間の広がり
O
)
O
フロア住宅)として計画された。約一.五謄分の帥情附高四一コ三ニ一(
に九一戸戸、総一戸戸数問O ニ戸のうち計一=一三二戸が一.五層住宅(公団名称は一デプユオ
この集合住宅は、一ニニ階建ての都心型超高層住宅で、最上階に四戸、ニ階
申
占
.
?
鵬
に提供している。
居間の床から一二ふ六ハO O削上がつたレべルに寝室を配し、その下を収納空間に
充 て て い る 。 天 井 高 三 国 六O 酬の居間は、ニ四O O 間前後の一般的な集令住
一九八五年から建設省が始めた﹁新・都市ハウジングプロジェクト﹂の中
住まいに溢れる物を収納しても余りある。ふだん使わない物を約一戸や蔵にし
井が低く、大人は屈まないと入れないが、子ども部屋ほどの広さは、現代の
e
で、﹁立体住戸による居住空間形成システム﹂の検討が行なわれた。これは、
まっておき、季節や状況に応じて取り出してきて部屋を設えるわが国の伝統
一 五層住宅
平面の計画に偏っていたこれまでの住戸計画手法を見直し、高さ方向も含め
的な生活様式を、この収納空間は可能にしてくれる。
宅を見慣れた目には、とても新鮮で、解放感がある。寝室下の収納空間は天
て新しい住戸空間創造の可能性を追求しようとする試みであった。そこでの
検討を引き椴ぎ、当時の住宅・都市整備公団が試行したのがご・五層住宅﹂
ている集合住宅の多くは、防当たりの良いパルコニ i側 に 居 間 や 食 事 室 、 反
居間の一向い天井、十分な収納空間以外にも、高階高の住一戸は新しい可能性
気持ちのよい浴室や、住一戸の奥行き方向に空気の流れる天井の高い一一つの居
室、その下に収納空間と浴室。このような構成も可能であり、外部に面した
に夫婦の寝室、その下部に収納空間と玄関。家族室の側面上部に子どもの寝
に家族の居間を配し、その関を台所で軽く分節する。大人の居間の側面上部
象 と す る な ら 、 玄 関 側 にSOHOと し て も 使 え る 大 人 の 居 間 、 バ ル コ ニ ー 側
公団の事例はDINKSを 怨 定 し た も の だ が 、 子 ど も の い る 一 般 家 族 を 対
くりだすことができるのである。
分の部屋にいながら、居間や食事室にいる家族の気配が感じられる関係をつ
居 間 と 寝 室 に レ ベ ル 差 を 設 け る こ と で 、 寝 室 の プ ラ イ バ シiを 守 り つ つ 、 自
求められるのではないだろうか。高階高の住戸では、一・五層住宅のように
家族のつながりを日常的に感じられるような、公と私の緩やかな関係こそが
強 い 分 離 が 来 た し て 必 要 な の か ど う か 。 個 人 の プ ラ イ バ シiを尊重しつつ、
現化した乎碩構成ではあるが、現代の日本の家族にとって、これほどまでの
置き、居間と寝室の関係を分断する構成となっている。公私分離の理念を具
対側の玄関・通路側に寝室を配し、住戸中央部に台所や浴室などの水回りを
を秘めている。それは居間と寝室との関係である。現在、わが国で供給され
上階
下階
で あ る 。 こ こ で は 、 一 九 九 五 年 に 公 団 が 建 設 し た ﹁ 天 王 洲 ビ ュ ー タ ワi﹂の
J;~~.lm より!次t左けごしに 1-_19,;;の L下室を 5'" る。
事例を紹介し(図 i2)、その可能性について考えてみたい。
1
露住戸(天荒川│ビュータワー)
.5
2 1
図
3)。 こ れ は 一 例 で あ る が 、 高 階 高 住 戸 に は
下F
皆
///h)
といった指擦を除けば、空間の性状を去す指標として
断面1m
が並んでいる。ハリウッド通りにはヘルツベルハ l の設計した小学校、グレ
カノをはじめとする多くの建築家の設計したさまざまな形態の低層集合住宅
通りの名前に映幽俳優や監督の名前を借用したユニークな計画住宅地で、メ
アムステルダム近郊の埋立地アルメ l ルに建設された﹁∞ CC21何人己ロ﹂は、
三年ほど前、オランダの集合住宅を見て回る機会があった。一九九二年に
も、事務所と集合住宅のように間市が異なれば、建物全体の容積は異なる。
面積に寵き換えられ、容砧そのものではない。同じ容積率を満たした建物で
﹁容積﹂が使われることは少ない。筏度の指様である容積率も、わが国では
や換気凶数(ぽ
建築は三次元のす一体であるにも関わらず、残響時間の目安となる﹁気積﹂
住宅の性能指標としての﹁容積﹂
このような可能性もある。
間を持つ住戸が実現できる(図
上階
タ・ガルボ通りにはヴアン・アイクの設計した高齢者福祉施設が建っている。
この街で入手した本(参考文献 3) に、街の計画理念から始まり、各街区の
特徴や個々の住戸が図面と写真で詳しく紹介されている。興味を覚えたのは、
それぞれの住戸に付けられた諸元に容積が記されていることだった。一例を
挙 げ る と 、 ﹁ 木 造 、 部 屋 数 一 四i五人以上の家族問の賃貸住宅で自由に使え
る部屋が三室、延床面積一一 O三 時 各 室 面 積 一 居 間 五 問 。 灯 、 台 所 九 町 浴
室六百、寝室一回凶・九。灯、物置/趣味室七。灯、玄関六可容積二一三O U﹂
の自由度が大きく、屋根形状を反映して各部屋の天井の高さも変化に富んで
といった兵合である。この住宅地には核地型の低層集合住宅が多いため断面
いる。このため、床面積だけでなく容積を表示する必要があったのかもしれ
ない。しかし、この後、注意して街の不動産の広告を見ると、普通の集合住
宅にも容積を表示した事例が散見された。
現在、わが国では住宅の性能表示に関する議論が盛んである。集合住宅の
居住性を大きく左右する性能指標として、接外気面量などの他に、今後、
﹁容積﹂を取り入れることを検討しても良いのではないだろうか。また実際
に使える空間のボリュームを居住者にド伝えることは大切な性能表示であろう。
にはなり得るはずである。なお、最後になるが、本稿のタイトル﹁立米住宅﹂
少なくとも計同者と居住者双方が、立体的に集合住宅を捉え底す一つの契機
V
清水建設設計本部、東京大山一イ助手を絞て、八
一年より現職。専門は建築計画、住民計画。
pt都 市 の 住 態 L
著書にゴ集合住宅計画研究巾
﹃現代集合、什叫ん合設計モデル集いなどがある。
初見学/はつみ・まなぷ
東京滋科大内了間引工学部建築学科教授。
一九七一年、東京大学工宇部建築学科卒業。
とは、このような願いを込めたものであることを付記しておく。
︿参考文献
35U 由
の242mwroc巴コ白山町三ニユE55020コ
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公私融合型1.5麗住宅試案
3
図
ii設納
特築惨住まいの﹁怒さ童館﹂
すまいのテクノロジー
高惑の
醸晶化戦略
はじめに
の取り組み、技術的課題とその取り組み、ユーザ
問つの事例について、商品の発想、法的課題とそ
層立体住一戸、事例4にルネス工法である。これら
成スクラムハウスJOYTOP、事例3は一・五
例1はミサワホl ム蔵づくりの家、事例2は柏崎化
ここでは次の四つの事例を取り上げてみた。事
い空間をつくったものである。
の最大の不満である収納の確保と荷聞に天井の高
向上を狙った商品が一部開発されてきた。購入者
床面積にカウントされずにす同さ方向の居住水準の
バブル崩壊以降、商品の差別化を凶る犯いから、
司
ーの評価について調査し、今後の高さ方向の商品
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iハウジング協会「立 H三lU' ,え:t, n"N同~いより転、投
ルネス研究所パ/フレソトより松故
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開発の課題について考えてみた。
事例 3:立体住戸 間新都市八ウジング協会
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t4:ルネス工法の家
ミサワホームパンフレソト「践のある京 J よりも,,&
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ヒ成パ/フレソト rlOYTOPSCHl
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1:ミサワホーム蔵づくりの皇室
事例
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じ成スクラムハウス JOYTOP
事例
江
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目をした。 そ の 記 憶 が 脳 袋 に 焼 き 付 い て お り ヒ ン
構 造 上 の 制 約 か ら 、 蔵 の 広 さ は4 P×4 Pが限
く符桔を磁ぐ空間(天井の高い家は大物が育つ)
ると法規・税・融資的制約があるため、面積でな
盟かな空間づくりを目指したが、床⋮向精一を広くす
は工場で下地から仕上げを施したパネルを生産す
問題もなかったとのこと。ただし、最近ミサワで
は足場を設ける必要が生じたこと程度で、生産土
度であること、また室内の天井が高いため工事中
技館的課題
トになったとのこと。しかし、開発当初の発想は
として階おを上げようと考えた。階市を上げると
るように変更した。ところが、この蔵部分のパ、不
事例l一
ミサワホーム蔵。つくりの家
蔵づくりの家は、指段の中間の踊り場から直接
水畑りの上がデッドスペースとなるため、収納空
蔵づくりの家の概要
入れるか同さ一・二 mの大きな収納空間を有している。
ル古川さが削・二 m程 度 あ る た め 、 道 路 交 通 法 の 道
て輸送し、現場で再度接合を行なっている。
路 而 か ら 高 さ 三 ・ 八 m以 下 の 規 定 に 抵 触 し て し ま
当 初 行 政 当 局 か ら 、 基 準 法 上 一 ・ 削 mの 最 高 高
法規的課題
さ(登記は一・五 m
) で床面積に算入されるため、
3
な っ て お り 、 平 成 一 一 年 度 に は 一 五O O一戸(全体
パネルに問・五尺を加えた高さ一三尺のパネルの
が指導された。この結果、凶のように八・五尺の
O九O 万 円 、 坪 六 十 数 万 程 度 で 、 蔵 部 分 は 二 百 万
高い収入階層(平均は一五一がで外構工事込み一一一
蕗づくりの購入者の評価
った。そこで八・五尺と四・五尺の二つに切断し
三 万 二 四O O戸 ) を 販 売 す る ヒ ッ ト 商 品 と な っ て
5
ミ サ ワ ホl ム 開 発 担 当 者 の 話 に よ れ ば 、 十 数 年
天 井 内 に 布 さ 一 ・ 二 mの蔵を設けることになった。
f~
蔵っくりの家の断面形状し
事に判断が委ねられ、ほとんどの地区で階数は二
棋の取り扱いについては平成六年度の頃は建築主
ら直接出入りができるように計画した。階・床耐
たが、居住者が利用しづらいため、賠段踊り場か
mが受けているのだ。
いでしょう﹂と話すそうだ。居間の天井古川三・二
案内してソファーに座らせ﹁天井を見上げ:::い
くと売れにくく、敏腕営業マンは、顧客を居間に
展示場では、営業マンが顧客を蔵部分に連れて行
所に取り扱いの確認が必要である旨の記載が残っ
が行なわれているが、現在もパンフレットには役
んどの地区で階数・床面積に算入しない取り扱い
など、大変な苦労をしたようだ。現在では、ほと
に影響するため、特定行政庁ごとに協議を行なう
のことであった。
ってしまい、あまり良い詐価は得られていないと
を押し込んでしまって奥の方はあまり使わなくな
例もあるとのこと。気になる収納の評価は、荷物
成部分の収納は親世帯の捨てられない家具を山一位く
和室の上に戒を設けるため遮音性能が高いこと、
購入者は二世帯が多く、一階親世帯の居住する
ている。
算入地区に分かれた。床面積の遠いは融資・税制
階建てと判断されたが、成部分の面積は算入・非
都市郊で一二階が建たない地域を対象に、比較的
以上前に某幹部が趣味で絵画骨董を飾るため、自
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守
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パンフレソト r
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三
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ド3
(単位尺)
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円程度プラスになる)をターゲットにしている。
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小屋裏収納と同様にはしごで上ることを検討し
三〈の}'{ん1
'にある行法 J
宅を蔵づくりの家のようにリフォームしてお披露
商品開発の発想は収納でなく豊かな空間
いづ令。
一・二 mに抑えることや、一二層構造としないこと
のある家、都市物語、好日の山本などの商品構成と
間として活則する蔵づくりの家の発想が生まれた
0
4
平 成 六 年 八 月 に 発 売 さ れ 、 現 主GENIUS成
より和、絞
l
2
事例2一
旭化成スクラム八ウス
ス ク ラ ム ハ ウ ス JOYTOD--Aの 概 要
スクラムハウス小屋実十段活用システムは、印回
線勾配を一一一尺、六尺と一二尺の一一一種類とし、小屋
哀を一O段階の高さに設定することによって、高
さ制限等に対応した屋根システムである。
2 商品開発の発想
旭化成の住宅を購入した者が﹁一一一階往てを検討﹂
トップライト設置)、これらいずれも法令の淑り扱
ったようだ。
技衛的課題
向じ取り扱い、②一一一階で床面核算入、窃階に入ら
るためか、特定行政庁の見解は、①小思表収納と
開放的なロフトで民主的用途として提案してい
造評側し工業化住宅認
の耐力壁﹂を特別に構
設置をするために、外壁に設ける﹁ム口形・長方形
間、小屋哀のおさを変える、および外壁に関口部
JOYTOP開発に際して、小鹿表内を無柱空
ないが床両被に入る、などばらばらであった。ま
定を受けている。一一一階
法的課題
た、登記についても天井古川⋮・五 mを超えたら全
の階高は耐力壁二五五
十分の一をモジュ i ル
て算入または超えている部分のみ算入と分かれ、
避難関係規定について、①非常用進入口(トッ。フ
として高さを十段階に
公庫融資の金利や税制控除にまで影響することも
ライトでの代怒判所)に付随するバルコニー設置、
設定している。また、
H⋮一七八七棚で、この
②直通階段設置(ロフトへの階段では認められな
主に斜線制限等や軒高
二間十梁せい二三五 m
いて③ニOOM以上の場合の排題設備設置(勾配
あったようだ。そのうえ三階控てと判訴されると、
3
間月にJOYTOPが開発された。
商品価値を高める。以上の理出により平成一一年
いが特定行政庁ごとに判断が呉なるため混乱があ
屋根のため、関口部が排壇上有効な窓とならず、
JOYτOPの断笛例
しながら法規制を理由に半数が断念したこと、③
①都市部の一一一階建て需要がおいこと、②過去に
さ制限
4
rワJ'~.・ 1叶とも!日i化成パンフレソトより
ノj 、 1王L~l の手IjJlli担l
1
九mまでの特定建築物(許容応力度計算のみ)と
したため、各層の天井高が一了間 mと低くなる。
一階の居間を高くすると三階が抵い天井高となり、
トラブルを恐れて顧客にお勧めしにくいというこ
とが現場で起こり問題となった。そこで﹁顧客を
小屋裂で産らせ、一・悶 m i 一・八 mのす同さがあ
れば圧迫感は少なく不快と感じないことを説明す
るように﹂と営業マンを集めて研修を開催するな
ど、苦労したとのことであった。
5 購入者の評価
平成三年度当初から﹁構造計算された家・エン
ジニアリングウッド・スチiルトラス﹂をアピールし
たが、顧客の技術に対する関心は薄く、他社との
差別化を図れなかった。購入者は郊外部で比較的
若い三O代から四O代、核家族主体で平均四O坪
で坪四八万円1 (建物本体)であった。 J O Y T
O P発売後、小屋裏三階の販売割合は一O%から
一二%と二倍に増え、評価は良かったとのことだ。
注一スクラムハウスは千成一一年令今月に、事業撤退を発ぶした。
一
事
例3一
立体佳一戸 紛新都市八ウジング協会
体性戸は集合住宅特有の空間から脱却し、 階高を
4
ば、階に含めない﹂により、 問題が解消した。
立体住戸の建設実績からみると、高層マンショ
購入者の評価について
一・五倍にし、ゆとりある空間と収納スペースの
確保を狙いとしたものである。
状を予測←住戸外避難完了までの床防火性能を維
えから、﹁収納下部火災発生←盛期火災の火災性
認定申詰を行ない、ここでは避難余裕時間的な考
劫火規制のあり方が問題になった。法三八条個別
能﹂に関して、寝室下の収納(荷物日撚え卒)の
法ニ七条・六一条﹁主要構造部(床)の耐火性
%増と想定されており、譲渡価格で言えば、﹁譲
れる。資料によれば、価格は施工費の一二Oi五O
ョンの一部分の建設にならざるを得ないと考えら
五層の四・五 mの階高を持つ住戸は、分譲マンシ
に建設し低価絡に抑える必要がある。よって一・
影規制等による階高の制約と容積率制限いっぱい
階部分に建設されている。分譲マンションは、日
ンで特に紋売が難しい活舗措の宜上階とか、最上
昭和六0年度に連設省が実施した新都市ハウジン
持﹂を求められた。結果、別途は収納限定、天井
渡坪一一OO万円、工事費坪五O万円﹂とすれば一
法規等の課題について
グシステム提案募集の結果、優秀立・企画開発奨
市一・開 m以下、不燃の扉一か所から出入り、収
割強程度の増加となる。入居者アンケートによれ
3
励賞を受賞した余業三五社が設立した、新・都市
納の壁・天井は一小燃石汗ボード一二胴以上、消防
ば、﹁販売価格(賃貸料含む)の上乗せ価格はい
立体住戸の概要
ハウジング研究開発協議会によって開発されたも
設舗は倒加協議とする内容で認可された。しかし、
2 商品開発の発認は豊かな住空間づくり
施されて以降、一OO一戸近ぃ実献をあげている
立体住戸は、階一品川門@五 m、一。五府の住戸の
のである。平成二年度にモデルプロジェクトが実
床下や小屋実に大きな収納を設けたものである。
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法改正で一一一八条認定がなくなり今後特定行政庁判
入a
都市生活のライフスタイルが多様化している中
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) ピングルーム。
行政庁の判断はばらば
納空間については特定
適用されたが、床下収
ついては小屋裳告示が
扱いは、天井一裟収納に
一方、床面積の取り
った、となっている。
者において床段差、掃除、光熱費の面で不満があ
納スペースに高い評偶を受けた反面、幼児・高齢
客ニーズ調査結果によれば、階高の高い居間、収
と考、えられる。また、別途実施された立体住戸顧
なっており、原価相当の適正な評偶を受けている
高 内 法 高 さ が 一 ・ 四m
一二年六月一日)﹁最
指導課事務連絡(平成
らであった。しかし、
あった。
納の掃誌や出し入れのしにくさを不満とする声も
不満が四二%と多い。生活実態調査でも、床下収
スペースが使いづらい五六%、収納以外に使えず
また、収納が多いという良い評価の反面、収納
の二分の一未満であれ
以内の物置等は床面積
立 体 住 戸 イ メ ー ジ 図 UJNニL ントランス主'
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立J より似帆
で、豊かな住空間創造を実現したものである。立
(十日t'Jr{;lídí ノ、ウンング協会 r\'r. f十三 fU' における '1 治 j~!íË,J,!, J1fJ より七、,I,x
断に委ねられたことが今後の課題となった。
くらが妥当か﹂という質問に対して、﹁一 0 1
一
一
O%﹂と考えた人が五六%を占めるという結果と
1
一
事
例4一
ルネス工法の家
(i霊築資一 8%)
1.305万円 225m'~5.8万円1m 3
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以納のノ〈ラエティ。
4
さ r1抑制宅Ji¥J
Jの 定 l
付
ド
式
そこに大きな収納を設けて居住空間面積を広くし
ようとしたものである。
技術的問題
開発時は逆梁で東方式を採用していたため
またルネス加盟企業のうち、 北海道のイワクラ
五万円増加)で容績は二五%増加するとなってい
ットによれば、七五ぽで一七O万円の差額(坪七・
づ令。
によれば、収納空院の多さ、特に、王寝室の八角形
購入者の評価については、都内で奴売された例
﹀
}
、 ②住まいを傷めず郊口問が交換で
(床先行) こ
の凶転収納、玄関の昇降式収納などを顧客が体験
ム鏑を設け、ビーム鋼と梁の間に床の振動を抑え
こ
﹀
}
、 ④耐久性の高い部材・構造材にすること、
シの空間が非常によかったとのことであった。
し好評であった。また逆梁によるL Dのハイサッ
年ぜマhv
ニ
ト
﹂
、 ③配管・配椋スペースが独立している
れている。 ① 部 屋 の 広 さ や 間 取 り が 変 え ら れ る
シス一アム) の認定を受けており、 以ドの工夫がさ
ホームは、 CHS (センチュリl ・ハウジング・
昇降式といった狭い空間でも使いやすい収納部品
フ
となり、価格を下げるためには面較を少なくせざ
イ
%増加(通常ニ・七 mの階高)し、この工事費は
スよりもは北
るを得ない。こんなマンションの常識に対して、
. ルネス研究}咋ハンフレソ}
エ
約一五%アップとされている。ルネスのパンフレ
1
;
設備を開発する等の取り組みを行なっている。
ルネス工法の階高一二・一一一 mによって容積が二五
購入者の評価について
綴太
ルネス工法の概要
ルネス工法は、逆梁工法で階高を⋮一一・一二 mとし、
床下六OOmの空間を収納空間として活用するも
のである。平成六年にル、不ス研究所を発足させ、
逆染の施工方法、床下収納システムなどの特許権
を出願しているほか、﹁ルネス﹂﹁一階二階空間﹂
l
(n'=olSl万円 Ut跨しf
ニととのも'"忽俗(11
."50万向j
を開発し、 さらに床下配置用の屯気温水器や空調
i
翠築資
というキャッチフレーズも商標登録している。平
戸
。
成一二年一二月現在の建設実結は、二八O O一
2
1
5
.
1万円 Im
x75m"=1,132.5万円
⑤計耐的な維持管理のサポート体制があること。
ジよりも、絞
ムヘ
ルキス研究?苛ホ
建築業、ディベロッパ l企業を対象にしたフラン
チャイズ契約の加盟企業を通じ新規市場の創出を
進めている。
商品開発の発想について
在来工法
に活用できるようになり、
7
5併で生じる住空間 (
m
'
) と建築資(j1J
/
m
'
)
るためゴムを敷いた。この結果、床ド空間を有効
束を不安とするため、自動車問の強度の古川いビー
階下に響きやすいといった問題があった。そこで
カf
天井にある梁を逆スラブ工法によって床下に設け、
広く快速な居住性を求めると面的似増。側桜上昇
i
ご(7)1
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1(土、!よド I以納を
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翠祭認
3
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l 1. 132.5万丹市Om'~6.3万円1m
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{主窓間在立方単位で詳{面すると
l
2
3
﹀、/伊﹄
支持を得る小屋裏空間づくりが難しかったようだ。
特定行政庁ごとにその計画に時じた取り扱いがさ
れている。
あった。ユーザーの詳側は、高天井の居間に大き
確保してその分居住空間を広げようとしたもので
らん谷較的な発想﹂を行ない、収納を床下や天井に
各社に共通した開発の動機として、﹁床面積か
る一方で、立体住戸の実績は六棟一 O O一戸程度、
年間一五O O棟を販売するヒット商品になってい
とても見合わない。したがって、蔵づくりの家が、
い口問による未消化容柏率分の土地費を含めた額には
コスト上昇分の対価とほぼ一致しているが、高階
うなマンションの場合は、土地費を合めない建設
なっている。ただし、ルネス工法や立体住戸のよ
豊かな空間の対仰を支払ってもよいという評価と
購入者の支払ってもよい価格がほぼ一致しており、
るのに苦労する問題があった。パネル構造および
があり、販売サイドが顧客に低い天井高を説明す
裏三階建ての場合は室内の天井川口問が低くなる場合
主に斜椋制眼などや構造的制約によって、小屋
③技術的問題
局で判断が異なる状況にあるとのことである。
など、この解釈について特定行政庁および消防当
非常用進入口、士位通階段および排煙設備への対応
三階建てになると避難関係規定の適用により、
価格の面でみれば、建設コストの上乗せ価格と
な魅力を感じ、肝心の収納部分の使い勝手の而で
ルネス工法は累計二八O O戸となっており、今後
工業化住宅構造評価という特殊な認定を受けてい
J
LdA4pu'u
、
、
の満足は得られていないようであった。立体住一戸
の普及を期待したい。
るが、木造在米軸組工法と同様の規定の適用を受
②3階建ての場合の課題
の例のように﹁収納は多い﹂という反而で、﹁使
法的課題
各 社 の 商 品 位 戦 略 と ユiザ!の反応について
いづらい・収納以外に使えない﹂といった評価が
2
小屋裏やロフトの例では、低い天井高のため販
!i~尖民主・ロフト労;を主主設した戸数{土イc, 1リ j 。
半数を占めていた。
売スタッフが顧客にお納めしにくいといった問題
けている。
増加
up
{罰格
累計
成 1年4丹 平 成 4年 平 成 6年
平 成 6年 平
建
実
設
績
100p
1,
500p 355p正
1年 累 計
平成1
1年 平 成 1
無
鉦
紡
である。平成一二年六月一日通
を受けられるか問題となるから
融資額の変更、税制控除の適用
によっては、公庫融資の金利・
度確認を必要としていた。判断
いたため、特定行政庁にその都
とともに、今後の普及に大きく期待したい。調査
これらの先駆的取り組みに対して敬意を表する
規制、主にこの一二点が普及の大きな鍵と考えられる。
る空間や収納を開発すること、および日影等の高さ
扱いを共通化すること、ユーザーの支持が得られ
ロフトや小屋裏の例のように特定行政庁の取り
設計に山附する研究等に従事。
0フラン
中十日マンション性能一対側子法、ブリi
修士端部程修了。住ん宅金融公庫を絞て、二00
0 年より現職。スケルトン住宅に関する研究、
究家研究久。
芝浦工業大山一十火学校(建設工常生産技術研究)
国土交通符建築研究所第⋮研究部什はんされ耐研
江袋総司/えぷくろ・さとし
にご協力いただいた皆様にお礼申し上げます。
の取り扱いが定まっておらず、
断がつかないため、階・床面積
用途が居室・収納など形態で判
一方ロフトについては、その
がほぼ一定となった。
達(事例 3 i 3項参照)以後、解釈
3 今後の普及の課題
①階・床面積の法的諜題
O
に象徴されるように、市場ニ!ズは十分あるもの
30~50% 坪 7.5万円
l
説部介
坪 48~
十 20 0
l
J
円
万円
1
2,
800戸
期
売
つい最近まで特定行政庁ごとに判所が異なって
スクラムハウス m
z
.
:
/
!
己J'数 3
5
5
)iのうち、 JOYTOPIこより小
注
i
多い
収納を売 使いづら
評価
i収の高居間・
い天井
ノ
、
イ
サ
ッ
シ
評価高い 高い天井 情 談
ロフ卜
部介
の居間
吹抜け
なし
皇主の雨さ
が道路交 生産中止; なし
通法抵触
技術的
題
技術
なし
なし
その他
登
有記
i無
主
廷
無
階数[
非常用進
床下収納
入口、
直通階段 の耐火性
能の解釈
宣備
排 煙E
;去的
課題
担
床面積
i
発
時
概要
手
ぎ
の現行焼制内での開発の結果、残念ながら顧客の
収納部品
収納部介 あまり良
りにして い 掃 徐 が好評
評価
くない
いない
しづ らい
1
事例 1 事例、2
ウ
スI
率伊U3 事例 4
ク
ラ
ムJ
立体位戸 ルネス
蔵づくり ス
工法
の家
JOYTOP
特集⑧住まいの三品さ計画﹂ 111
序議
私のすまいろん
塔の家と阿ヶ谷の家
ーーー隈られた空間間を生かす設計のヱ夫
都市に住むこだわり
父は、もともと大阪の町なかで育ち、母も大阪
船場育ちであった。高家の建ち並ぶ北日ながらの大
阪の町の生活と戦後発展した郊外住宅地の生活で
はあまりに掛け離れていたのであろう。父・東孝
なかに住みたいと、この住まいを建てた。
光は郊外の一戸建て庭付き住宅ではなく、都市の町
もともと、日本の町には町家や長屋が並び、庭
付きの住宅なぞは、ある程度の地位にあった武家
の住まいぐらいだったはずである。文化住宅の発
祥頃から、庭付き一戸建てが庶民のあこがれにな
った。しかし、もともとの町育ちの人にとって、
郊外住宅地はあまりに刺激の少ない寂しい町に映
ったのではないか。ということで、町育ちの両親
はまず郊外住宅地を選択肢からはずした。
当時のその他の選択としては、まだそれほど多
くはなかったがマンションもあった。事実、私も
母に連れられ、原宿駅前のマンションを見に行っ
たのを覚えている。しかし、箱型の狭い閉鎖的な
の敷地に搭の家が建てられた。私はちょうど、小
三十数年前、青山の外苑間通りに両した六坪余
新しい生活が始まったつもりが、いつのまにか、
大阪に暮らしていた母と私も合流し、ささやかに
板倉準三先生の事務所から父が独立し、また、
あり、自分たちの住み処になるものとは考えられ
あったが、あくまで、人生の中での仮の住まいで
思いだった。大阪ではすでに団地住まいの経験も
部屋の並んだODKの住まいは息がつまるような
学校一年生で、その半年前に大阪から東京に移っ
なかったのだろう。
分に分けて、青山に約六坪の土地を手に入れたの
辺にできたたくさんの三角形の土地のひとつを半
結局、東京オリンピックのための新設道路の周
口コミで変わった家があると訪問者が増え、取材
り、また、友だちにも人気の家であった。
てきていた。この年の秋に、この家が出来上がり、
ド/.t)十の家の
外線。
が増え、都市型住居の代表的作品になってしまっ
IjJ与の~(の
親子一一一人が住み始めたのである。新しい住まいは、
1lJ,:抜けを兄ド
ろす。
たのである。
利
率
小学生の私には、わくわくするような楽しさがあ
東
である。
の住まいとしては、極端に狭いわけではない。
多くの人が驚くのは、おそらく、約七畳の空間
が縦に積み上げられているからであろう。階段が
階段の心配よりも語りたいことは、縦に重ねた
空間の魅力にある。
建蔽率からはずれる地階は納戸兼設計事務所と
けである。
者としての父には空間上の工夫が必要であったわ
あった。この敷地を有効に利用するために、設計
(約七畳)がワンフロアに⋮説則された最大の広さで
この土地は当時建萩率六O%のため、三・六坪
頃から、上から下まで一気に駆け下りたり、駆け
は、急でもなく緩くもなく上りやすい。子どもの
いため段数が少ない。また、蹴上げと踏面の関係
をつなぐため、その空間の中にあるし、階高が低
も、一般的な住宅用の階段とは違い、部屋と部屋
よっぽどましという感じである。措段とはいって
が、住んでいる慨は、閉鎖的で陰気な中廊下より
昼間は室内の方が暗く、中の気配は見えにくい。
るので、道行く人と視線が合うことはない。また、
路側より玄関が半階、居間がさらに半踏上ってい
ラスの程ドアで、中からも外からも見えるが、道
れることがないからである。まず、玄関の扉はガ
と言われる。ひとつには、空間が視覚的に切断さ
見学に来られた方の多くは、予想より狭くない
畿空間関に暮らす
して(すぐに事務所は移ったのだが)、一階は駐
上ったりしていた。実捺、この階段でけがをした
階段を上り、玄関の扉を税き込む人もいたが、居
空間の広がり
車場、二階は居間と台所と食堂、一二階はトイレ、
ことはなく、数回すべったことはあったが、廻り
大変なのではないか、というのがよく質問される
浴室と二階を見下ろす吹抜け、四階は主寝室、五
(?) かと思った﹂と騒ぎながら逃げて行った。
平醤図
B I~.皆
巴
l階
1
/
1
5
0
間のベンチで私が動くのを見て﹁驚いた!人形
2階
階段であるため、せいぜい一 1二段おしりがすべ
3階
階は子ども部屋とバルコニーとなっている。すべ
H皆
っていくという程度であった。
5~答
てを合わせれば、約一一O坪の住まいである。都市
t
誌の家設;i!'=点字光
からない。
というぐらい近くまで米ないと気配は外からはわ
を開けていくことで次々につながっていくように、
れは、障子やふすまでつながっている空間を障子
に、空間のつながりを切るようなものはない。そ
筒抜けではあるが、生活の音は気配が感じられる
ライバシーは守られている。音は、上から一トまで
いるため、
一つの空間から別の空間への視線のプ
玄 関 か ら ま た 半 階 上 っ て 、 揺 り こ む とLDKの
識としてのルールで十分である。学生時代に、伊
程度であるし、テレビなどの音が大きければ、大
また、西洋建築のように空間が幾何学的な軸の
勢の古い旅館に泊まった時に、朝方、人の歩く音
きいと文句を言えばよい。家庭の中での本来の常
上にのって構成された建物と遠い、筏棋の行く先
やささやき戸が障子ごしにもれ聞こえ、木造家犀
のに似ている。
には壁などによって広がっていく次の空間の方へ
もは引の家も似たようなものだなあと思ったことが
空間がどんどんと変化しながら奥へ広がっていく
間階の主寝室は、外苑間通りに対して斜に構え
誘導される。空間から次の空間へ移る時の視線の
あった。
げると窓が空を取り込んでいる。また、吹抜けご
た大きな一面の関口があいているが、上階のパル
先には大きな窓が開けたりしながら、日本建築の
バルコニーに洗濯物を干しにくる時には、階段
空間が広がっている。上部は吹抜けており、見上
コニ i が 庇 が わ り と な り 、 ま た 、 下 階 の 風 呂 場 の
続行する空間のように、ジグザグ(というよりは
を上る音が子ども部屋の扉をノックする音のかわ
しに、一二階の踊り場がつながっており、空間の広
外の問い込むようにつくられた外壌によってプラ
グルグルとかもしれないが)と 災
r へ奥へと上って
りであったし、居間で家族がくつろぐ時間に、本
がりをつくり出している。
イバシi が守られ、安心感をつくっている。
いく
大きな一耐の関口からいつでも空が兄える屋根裏
あり、一番固い込まれた空間ではあるが、やはり、
つなぐ動線にも、同じような効果があるように私
させることに支献している。塔の家の上下空間を
て、実際の空間の広さよりもより広く盟かに感じ
がら長い道のりをつくっていく。そのことによっ
れた空間を一望させずに、次への期待を持たせな
日本の空間構成の中でも、履行する動線は限ら
議をする(抗議とけんかは本質的に違う)。朝晩
する。反対に、下の音が大きければうるさいと抗
夜一 O時 を 過 ぎ れ ば 音 を し ほ る か ヘ ッ ド ホl ンに
いさつだけはする。自分の部屋のラジオの音は、
けあう。お客様がいらした時には、下へ行ってあ
自分の部屋に上がる。お茶を飲む時には、芦をか
を読んだり勉強をしたい時にはそれを表明して、
部屋のような空間になっている。
には思える。上階への空間のつながりは決して切
かならず殺の寝室を通るのであいさつをして、起
五階の子ども部犀は、バルコニーがあり、庇が
日本の家屈は空間単位を横につなげていくため、
れることなく、視線は、次の空間であるいは外
きたこと、眠ることを表明し、夜遅く帰ってくる
履行型の動線
塔の家のような縦につながった空間は、伝統的な
へと変化しながらつながっていくのである。
父とは、朝、階段を下る時に、ベッドの中の父と
爆はもちろん、トイレや浴室にもカーテンの仕切
塔の家は、玄関と駐車場以外燥がない。側室の
が個室に閉じこもってしまうことで、忘れられて
も 結 び つ い て い く も の で あ る 。 こ の よ う な ルl ル
子 ど も に と っ て は 、 成 長 し た 時 の 社 会 の ルi ルに
家政聞の暗黙に山山米上がった小さなルl ルは、
近況の話をする。
り以外扉はない。しかし、空間が縦につながって
扉のない家
ものと遠いように忠われるかもしれない。しかし、
実際、塔の家は、日本的な空間構成と同じような
部分が多いように忠える。前述のように、応の家
の空関のつながり方は、縦方向に重ねているだけ
ではなく、ひとつひとつの単位がその物明的広さ
以上の広がりを感じさせる視線ののぴがある。
たとえば、玄関から子ども部屋にむくまでの間
しまっていないだろうか。
戦わなくていいの?
居間
私たちは、これを、町に住むことに対するこだわ
か戦いたい。と最初の打ち合わせで話されていた。
こだわりがあり、 あ え て 、 こ の 土 地 に 住 む こ と で
吹抜けの直徒一一一 m弱の円待状の空間をつくった。
上げるのでは狭くなってしまうため、十回一(中に三階
の場をつくるにあたって、七 m魚の結空間を和一み
三階建てとなったが、この主聞に四人家族の生活
│階
への一歩となるはずである。たとえば、家族問の
家族の間にあるル!ルは、子どもにとって社会
おどろきである。
ても気が付くことのない住まいがあること自体が
いるようにも忠える。九年も少女が監禁されてい
も家紋崩壊を助長しかねない状況をつくりだして
なっているように思える。今や、住まいそのもの
要 な く な り 、 そ の 結 果 、 社 会 の ル l ルが見えなく
いままで自然に身に付いてきた家族のルl ルが必
ことができる住まいが多い。しかし、そこでは、
とができ、親の気配も子どもの気配も簡単に出す
最近では、子どもも側室をもち、閉じこもるこ
を感じる。
といったことを聞くと、搭の家の生活と似た部分
いても、家族が吹抜けをとおして会話をしている
配が伝わってくる。なんとなく措が違うところに
生活と違い、この家では、どこにいても家族の気
味に解釈しているのだが、それまでのマンション
れた。満足していただいた上の話なので、よい意
や外部に対してではなく、家の中にあったと話さ
施主は住み始めてしばらくした後、戦いは社会
屋が、この吹抜け空間をとおしてつながっている。
ムの二階の LDK、 ガ ラ ス ば り の 三 階 の 子 ど も 部
側 室 と 水 廻 り に 固 ま れ た ⋮ 階 の ホl ル、ワンルi
りと受け止めた。
S
j
Z
商
関
l
!
eO
O
敷地は、ほぽ一 Om×九mの角地で、そこに私
白
五、六年ほど前に、 や は り 都 市 部 の 小 さ な 敷 地
2~嵩
たちは七 m×七 mの平副をのせた。古川さ制限から、
F
u
f1主ケ守干の'ネの外観。
山
に住宅を設計した。 施 主 が 阿 佐 ケ 谷 と い う 場 所 に
阿佐ヶ谷の霊安
立
日μ
iニ止と苧た十点以1えi
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さ
I
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II
づ
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:
j
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J
i
. ~~やJ ,IJ2:
音にしても、自分の出す音が他の人にとってどう
なる。これらの多くの場合、
ヨンなどレディメイドのものから選択することに
ルl ル は 社 会 に 結 び つ く 。 住 ま い か ら 生 ま れ る 家
のあり方と住まいの関連をもう一度見直す時期に
いう意味を持つかを知らずに育てば、やがて、自
間が密室になりやすい箱空間であることが多く、
案の数で広さが表現されるように、一つ一つの空
族の結びつきもまた、広場や街路などの公共空間
こともあるのである。
ように、家族のあり方にまで大きく影響を与える
母さんに腕まれたり、けんかになること覚情でな
人の子どもであっても注意をする。日本では、お
子どもを社会全体で脊てるという意識も強く、他
日本と違い、しつけなどの考え方も異なっている。
欧の文化では、家族における子どもの位置づけが
とが多い。このような住宅は歌米にも多いが、西
出してくれる可能性をまだまだ秘めているように
は、いろいろな側面から、住宅の豊かさをつくり
ってくる。しかし、塔の家のような空間の捉え方
たもので、条件が違ってくれば異なった内容にな
で、そこに住む人たちの生活を考えながら設計し
である。前述の塔の家や阿佐ケ谷の家は、あくま
などにみる社会との関係にも結びついていくはず
子どものみならず、大人であっても、家族関の
きているように思える。
分が独立した時に近隣に迷惑をかけることになる
それをつなぐものはやはり孤立した廊下であるこ
住宅は偶人の生活に対する考えが投影されるも
いとなかなか注意できないのだが。日本が形だけ
OLDKと い っ た 偶
場合もある。住まいのデザインによっては、この
ので、一般解などないはずのものである。しかし
を欧米の住宅から真似れば、中身である生活に破
これからの住まい
ながら、現状では、選択の余地はますます狭めら
L
十米利市剛山/あずま・り、ぇ
御来環境・建築研究所代表取締役。
一九八二年、日本女子大学家政学部住居
学科卒業。東京大学大尚子院工学系研究科
(連築学専攻)修士課程修了後、アメリ
カ・コ lネル大学火学院建築学部修了。
一九八六年より現職。 まな作品に、東孝
光と共同設計による﹁大原のアトリエ﹂
﹁
K フラット﹂﹁阿佐ヶ谷の家﹂﹁ホテ
ルブレストンコ lト﹂など。、乏な著作に
Ju本 の 現 代 建 築 士 九 五 八 一 九 八
五︺﹄(共著)吋培の家白書﹄(共著)など
がある。日本女子大学、昭和女子大学、
跡見学闘で非常勤講師を務める。
として、心掛けてもいきたいと思っている。
まれてくることを願っているし、また、つくり子
度見直し、日本らしい集合住宅、戸建て住宅が生
ずである誤られた空間を生かす設計手法をもう一
成の考え方、また、日本本来のお家芸でもあるは
住まい方や家族のあり方にまで関係する空間構
国U
、
え
ヲ
令
。
れているように思える。建築家に設計を頼む人は
綻がおきることも考えられる。私たちは今、家族
叶を見る。
しに台 J
マン、ン
一撮りであり、多くの人は、建売り住宅、
l
ニ/阿佐ケ幸子の家
の吹抜け見上げ。
下/阿佐ケ谷の 2
誌
、 I
次炊けご
の 2附
日
υ
nhu
住について考えるための基本図書
住総研図書室だより
酉 村 幸 夫 @窪関 亜矢
塁塁
累畏
塁
審
み
⑧
語感
20
一附幸夫十開江主み研究会鯨岡市の
〈二事三
フュソ一規制の基本的な考え方(パリ市)
vコゴケ/'
.
.
/'->、 /'~---l::~'5!;JOrn
JF でご句 ~'~ief 句
,m ,;
議詣芸品時
手法
欧米の扶観コントロ~)レ
風景 ~njlJÏ
と実際J学芸出版社刊、より
0年代以降のものについて、以下の三種類に分けて
まちなみ・景観・風景に関する本を、主に一九七
成されていないことを意味していると論じた。一九
の都市﹄は、風景の喪失は﹁共向社会的関係﹂が形
社会科学者の内問﹃風景とは何かi 構想力として
がら述べている。土木工学者による風景論だった。
七0年 代 に 抱 い た 西 欧 の 風 景 へ の 憧 僚 が 、 日 本 の 乱
て構想する社会学的分野からのもので、もうひとつ
雑な風景に対する問題意識になっていることが特徴
援理したい。ひとつは景観・風景の意味や力につい
した著作である。そして最後に、都市風景の現状と
は歴史的まちなみや関連するまちづくりをテi マと
である。
がある。前者は、具体的な都
媒介として土地にそなわっている地霊を、後者は、
市 に お け る 歴 史 的 事 件 ・ 人 物 の 具 体 的 ス ト ー リiを
b
場所性に主告白した都市史研究としては、鈴木﹃東
謀題についてである。
京の地霊﹂﹃都市へ
る形で始まったのは、欧米の諸研究が日本に紹介さ
(近代)とい、 7時間的厚みを、各々描き出している。
都市風景の向こうに揺らいで現れる都市の一時代
景観・風景に対する社会学的考察が現在につなが
畿景観や嵐景の意味とカ
フ﹃場所の現象学ヘトゥアン﹃空間の経験へシユ
それらが並んだことによって形成される都市景観が、
クェンスとして捉えている。個々の建築物ではなく、
った。都市景観を歩行者の連続的祝点すなわちシー
法をデザイナーに対して教授するという主出日の本だ
カレン﹃都市の景観﹄は、景観をつくるための作
も、一九七0年代だった。
日本に欧米の景観分析方法が大きく紹介されたの
畿腹史的まちなみからまちづくりへ
れた一九七0年代後半からだったといえよう。レル
ルツ可ゲニウス・ロキ﹄は現象学的地現学などと呼
ばれる分野の仕事であるが、人間の営みによって、
こうした考え方は、今では全く新しさを感じられな
単なる物理的空間が特別な場所になることを論じた。
いほど定着したといえよう。その過程には多くの著
作があった。
樋日﹃景観の構造﹄﹃日本の景観﹄は、景観の認
視覚的にどのように認知されるのか、写真とスケッ
識方法を理論的、歴史的に論じている。
川添﹃東京の原風景﹄は、歩くことによって拾い
こうした表現手法にも関連するが、徹底した実、測
上げることのできる、断片的な土地の記憶を、一連
を記録していくデザイン・サi ヴェイは、一九六五
チによって述べている。
る地形や、日本文化のうちでも社界に与えた影響が
の聡史として論じている。切り口は、坂をゆ心とす
大きいとする花井・植木であった。庶民の生活も合
ン・ランゲージ﹄は、好ましい環境を構成する要業
で は 初 め て の 実 践 だ っ た 。 ア レ グ ザ ン ダi ﹃パタ
年にアレグザンダiら が 金 沢 で 行 な っ た も の が 日 本
また中村﹃風景学入門﹂は、主に日本でどのよう
めて東京の朕風景を想像させてくれる。
に風景が愛でられてきたかを文学の領域にも触れな
(NPOや ワ ー ク シ ョ ッ プ ) と 、 ま
を抽出し、空間づくりの作法をふ普遍化しようとする
ちなみ保全の立誌が深化する過程は述勤しているこ
や参加の広がり
争都市風景の現状と課題
とが読みとれる。
試みだった。
日本では、会大川市研究家を小心的扱い子として椛
ん に デ ザ 千 ン ・ サl ヴ ェ イ が 行 な わ れ た が 、 ほ と ん
どが膝史的集落においてであった。それまで文献淵
ベルク﹁日本の風景・問欧の景観そして造去の
︿まちなみ・崇鏡・風景﹀基本函書リスト
A.*印を付した阿古は什山総日間関応策に所践しています。
ぷ kHに関しては、符名(ぷい引)、川町題、出版子、路題、町市訳出版年、
却訳出版 H
刊の阪にぷ示しています。
*・エドワード・レルフ(心的野岳彦他訳)dun巾由主
みを相手にするようになり、保全巡動が始まった。
対観が歴史的にどのようにつくられてきたか、また
時代
越えてい一九九一年、筑摩書一切。
立虫色巾的出口巾出出三回申戸吋州場所の現象学l没 場 所 性 を
一九七0 年 代 に 本 絡 的 に 全 間 各 地 に 広 ま っ た ま ち な
認識されてきたかを論じた地則一学の分野の仕事であ
交が小心だった集務調査は、﹁もの﹂としてのまちな
み保全巡動の総括が、ぷ山史的町並みのすべていヮ除
る。本書の円以
訳)Emg一
戸
間
一 C口一ご︼也叶少叶ゲニウス・ロキ建築
は、古今来四の事例をふまえて、呪代の都市
史 的 町 並 み 事 胤C で あ る 。 ラ ン ド ス ケi プ や 保 全 工
行なっていることである。すなわち﹁問欧で近代の
の現象学をめざしてい一九九悶年、住まいの図書館
h
学など、当時の新たな考え方を積極的に導入し、住
風景の危機から生まれたポスト二元論と、祉問介が知
山以応。
り米アジアの伝統において前提とされる非二元論﹂
入 乃 さ ;l
門
噂
1
空間の経験│身体から都市へ
b
一九
小紋の帥間近l ランドスケ iブとしての日
EHA
本の公'同協i ふるさとの一ぬ州f 一九八一
一しトい↓L t、 lf 付税同品。
一
一4ノ - 1止 力 自 制 UL}守
mdHH
H)
お出版会 (SD選古川町)。
*・クワストファ l ・アレグザンダi (平
)2
一九九
m
m械部訳)
* ・ コ ー ド ン ・ カ レ ン ( 北 原 則 叩 級 訳 )JY
巾252巾
05百円山℃百三迄コヨ﹃都市の景観吋一九七五年、鹿
小央公論新社。
*・鈴木博之吋都市へい(日本の近代印)、一九九九年、
OMT
、文禁中称秋社。
山小・鈴木問問﹂ノ ぷ米京の地譲(ゲニウス・ロキ
*・山内問芳明﹃印刷去とは何か iM
例制心力としての都市﹄⋮
)
九九二年、初日新聞聞社(判日選決 H。
(小公新米
*・小村内此土八ぷ瓜日早川ナ入門﹄一九八二年、,中央公論社
。
七九年、日本放送出版協会 (NEKブックス)。
*・川添八札ぷ糸口小の原風景i 都市と間関との交流﹂一九
。
h
t
)
年、春秋社、⋮九九一一一年、筑康増HM(ちくま学芸文
-陥叫口忠彦
J A 1 3ヅユμHL
*・樋口忠彦
*・クリスチャン・ノベルク日シュルツ(加藤邦男他
M
M
m。
八八年、筑摩市r
℃
山
田
口
巾353
* ・ イ l フl ・ ト ゥ ア ン ( 山 本 出 訳) J℃出円巾出足
民参加についても一一一一日及しており、保全運動がまちづ
るようになったもうひとつの大きな風奴の伝統つま
全国町並み保存述盟刊新・阿波み時代さは、各地
(一じ↑べ iジ)が総合された新しい風景をつくろう、
J
U
R裂 な 点 は 、 米 米 へ 向 け て の 提 案 を
くりへと展開する流れが明らかである。
で山一泊まれてきたまちなみまちづくりの実践と保会開
ものでなくランダムに林点している印象を受ける。
いる。ひとつひとつの関心は、必ずしも系統だった
役割、コミュニティ、市民参加など多岐にわたって
作品の舞台である都市との関係、都市内部でのは燃の
心は、作品のコンセプトやテクスチャーだけでなく、
に ラ ン ド ス ケl プ を 似 る 仕 事 に 関 わ っ た 発 言 者 の 関
から参加があったシンポジウムの記銘である。実際
プ・アーキテクト、美術史家、後築家など、諸分野
らく山は主にヨーロッパと日本の、ランドスケー
﹃ 再 発 見 さ れ る 風 景 ラ ン ド ス ケi プ が 都 市 を ひ
を つ く り だ し て い る 営 み を タ 千 ム リl に伝えている。
刊誌の名前となる。隔月刊誌吋造対﹄は各地の風景
係性はないらしいが)一九九六年に創刊された隔月
という、まちづくりに凶わる者へのメッセi ジである。
1
0かI
'
!
i
の戦略的眺望(ロンドン}
I
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論のこれまでの到達点といえよう。保全対象の広が
,
同書の副題で使われている市認﹁泣対﹂は、(関
J
1
ti
とされた
り(近代建築物やスカイライン、続録文化財など)
都市内の跳望の保全
マスタープランだけに頼るのではなく、魅力的な場
込む変換手法を編み出すのか。最近、予定調和型の
一方、作り手ではない発言者からは、風景と作品と
所をさらに魅力的にしていくことで、全体の質を押
所にだけ存在した﹁まちなみ﹂を匿名の都市に持ち
の差異について言及がある。シンポジウムを通じて、
し上げようとする考え方が注目されている。たとえ
む し ろ 、 だ か ら こ そ 、 ラ ン ド ス ケlプ が 都 市 を ひ ら
﹁ランドスケープ﹂と﹁風景﹂という一言葉が暖昧に
ば 地 区 計 画 制 度 や 熊 本 アl ト ポ リ ス な ど が こ の 流 れ
く可能性を持つことが期待されると考えられよう。
佼われており、両者が微妙に混同している実態に口任
35叶戸﹃パタン・ランゲージ
環境設計の手引き﹄一九八郎年、鹿島出版会。
E-U
町民同巾門口戸田口開口問問問
問並みのすべて﹂一九七八年、発売l星雲社。
*・環境文化研究所﹃環境文化﹄訂/犯号特集﹁歴史的
房
。
*・西山知一一一他﹃歴史的町並み事典﹄一九八一年、秘書
進士他﹃風景デザイン感性とボランティアのま
の建築プロジェクトは一般解には成り得ないだろう。
市が埋め尽くされるとは考えにくいし、鳴り物入り
講談社(講談社境代新書)。
景・西欧の景観i そして造去の時代﹄一九九O年
、
への提案﹄一九九九年、学芸品版社。
*・全国町並み保存連盟﹃新・阿波み時代まちづくり
ちづくり﹄は、造園学者、行政、都市コンサルタン
第一、現実として無性絡な都市風景は既に広がって
に挙げられよう。しかし、魅力的な地区ばかりで都
トの分野を超えた共著である。景観や風景の捉、ぇ方
いる。たとえばコールハ i ス ﹃ ジ ェ ネ リ ッ ク ・ シ テ
意を払うべきだろう。
についての簡単なレビューに続いて、風景デザイン
ィ﹄のように、現状を開き直って容認するのか。そ
-ホンマタカシ﹃東京郊外 ι 一九九八年、光琳社出版。
出版社。
景 観 コ ン ト ロ ー ル 手 法 と 実 際 ﹄ 二000年、学芸
*・西村幸夫十町並み研究会﹃都市の風景計画欧米の
のまちづくりい一九九九年、学芸出版社。
*・進士五十八他﹃風景デザインi感性とボランティア
Nプローブ。
が都市をひらく﹂寸ZHugぴ 巾 ︿ O円少一九九八年、 T
-八束はじめ抽出﹁再発見される風景l ランドスケ lブ
*・隔月刊﹃造景﹄一九九六年 1、建築資料研究社。
*・オギュスタン・ベルク(篠初勝英訳)﹃日本の風
の名のもとで行なわれているさまさまなまち、つくり
れではその先は?
都市風景の問題をつきつめれば、他者との関係を
が紹介されている。目指すべき風景像とは仰なのか、
どのように結んでいくのか、ということに真正面か
という問いに対しては、エコロジカルなものやまち
ら答えることとい、えよう。風景が、他者の共存する
社会における諸活動と呼応するものであるならば、
の﹁らしさ﹂・イメージを強化するもの、というの
り子法によって実現していくことが現在の風景デザ
まちを歩き、都市風景を感じ、他者と話し合いをす
が本舎による答えである。これを参加型のまち、つく
インの主流になっていることを同警の構成は示して
一九七七年、東京大学工学部都市工学科卒業。
同大宇院修土課程修了、工学博士。明治大学
助手、アジア工科大学助教授などを経て、九
六年より現戦。著者に叶環境保全と景綴創
造﹂っ西村幸夫都市論ノ l卜﹄(共に鹿島出
版会)など。
窪初頭矢/くほた・あや
一九九O年、東京大学工学部都市工学科卒業。
同火浮院修士課程修了、工学博士。附アルテ
ップ勤務を経て、二000年より東京大学工
学部都市工学科都市デザイン研山九室助手。
攻)款問日。
西村幸夫/にしむら・ゆきお
東京大学大学院工学系研究科(都市工学専
ではないだろうか。
ることによって、その答えが明らかになっていくの
町並み研究会吋都市の風景計画﹄は、欧米の諸都
いマ令。
市で実践されている景観・風景計画を紹介している。
市街地内での街路景観をどのようにつくっていけば
よいのか、市街地と周辺の自然を一体として捉え両
といった問題に答えるためには、こうした先駆的試
者の関係をどのように守り育てていけばよいのか、
ホンマ﹃東京郊外﹄は、画面全てに焦点を合わせ
みから技術的にも理論的にも学ぶべき点が多い。
るスーパーフラットと呼ばれる手法で郊外を撮った。
どこにも焦点のない然性格な風景を表現している。
こうした状況にどう対応すればよいのか。特別な場
まちづくりと地峡おこしのための総合咋門誌
として 1
9
9
61
ドに告 I
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りされた雑誌立;よ。
主主築資料研究社 f
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巧今 d
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一九五六年浦邸設計表現の新しい試み
膏藤祐子
同情殖して、まちづくりに発展すること
もが J、えていた。一階のグランドレベル
一九五六年に竣工した、士凶阪除正十
間蕊年の時を定ねた現在も、のぴやか
U 研究家設計の西広市に建つ泌邸は、
門も塀もないアプローチからピロテ
がまち蛇みに開放される計的である。
なピロティの開放性が強い印象を与え
ィを斜めに抜けて階段を上がると中二
階 の 玄 関 ホi ル 。 ホ ー ル か ら 半 階 上 が
つピ日必ず咋ア、設問、 1よ JE
、問
つI
昔、
JJJ711uj74
2主6
f上
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スペースになっている。上下足の区別
をつけていない泌邸では、玄関で靴を
ベル変化が、緩やかな述動と共に住民
の 代 わ り に 、 述 統 す る ア プ ロ i チのレ
場監聞を担当した。
ながら、主にマルセイユ・ユニテの現
し、いくつかのプロジェクトに参加し
脱いで部屋に上がるという行動の節目
の内部へと導いていく。独特の、心地
府給波留学生として波仏、パリで知り
妻は戦後第一問、第二回のフランス政
士口阪隆正と施、一上の浦太郎、美輪子夫
を試みている。一平而閥、断珂問、部分
浦邸の設計では、出而の新たな表現
計が、む研究家の故初の仕事であった。
ナーの大竹十一と取り組んだ浦邸の設
帰問問後、自邸を建設した後、パート
合った。土日以は一九五O年 か ら 二 年 間
良さをつくりだしている。
をル・コルビュジエのアトリエで逃ご
ルの影響を受けた間耐とは違う表 m
切で
詳 制 限 を 組 み 合 わ せ て 構 成 す る ボ ザi
ンとして表呪し、材料ごとに分類して
ある。一平岡関は五O 分 の ⋮ の キ イ プ ラ
部 分 詳 細 凶 を 二O 分 の て そ し て 、 原
寸の詳縮問をそれぞれ描いている。コ
ンクリートの壁柱、床と尿恨スラブの
構造体、煉一九の二重段、木製の建国一ハ部
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尽アブローチから兄る i
市
立¥
1
の外観。
するダイヤグラムを構成している。
トの躯体と煉瓦、防段、天井高を表現
情報を表現しようと試み、コンクリー
せた一枚の関商で、高さ方向の総ての
分組計図、煉瓦核み詳細図を組み合わ
また、記号化した断閣の寸法図、部
戻ったような印象さえ与、えている。
ンスをして、むしろ竣工時の姿に立ち
られていた。その後、十分なメンテナ
げて、憐造体への被容が最小限に抑え
ジ ョ イ ン ト 部 分 で 変 形 の ダ メi ジを逃
被害を受けることはなかった。素材の
あった地区の中で、幸運にも決定的な
の阪神淡路大長災では、大きな被害の
成と図面表現は一致している。六年前
分と、明依に分節化している建築の構
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9
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合
写真/北
京からピ口ティを見る。
ている。
バラックはとりはらわれて、
大地は再ぴ万人のものとなった。
私は人工の土地に、空山中に住むよう
になった。
町に住む子供たちは、広くなったこ
の土地へ白山に米て遊ぶ。
それでも空中に、人工の土地の上に
伎む私の生活は何の邪魔もされない
でい附かである。
椋の木なが、この人工の土地をとり
か こ み 、 大 地 は 再 ぴr
H然 の を を と り
一決した。
111﹁ある住居﹂一九六O年
新宿・一白人町に建つ自邸が一九五況
年に完成した時に、士口阪はこう記して
い
ヲ
也
。
浦邸の訂一一川両も、一階はピロティとし
て大地は完全にまちへと聞かれ、間住
スペースは二 mmレベルに計川附されてい
る。問時に、一千一仰を様成する正方形が
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内島
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知
加
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尺擦をヒン卜にした断面図
を示す尺俸とだけで、家を完全に建
さの関係
単な線抗きの山川取りと、一 HM
﹁日本の従米の大工さんたちが、簡
急 逝 し て か ら ニO 年の時が経つ。
と、吉阪は認った。その年の一一一月に
サード、古川さを決めなくてはいけない
のスケールを考えながら、建築のフア
γ は、コンビュ!ターの
子扱きの関 聞
ててしまう。そこまで簡略化した間
耐にならないだろうか。﹂
場は、加工されたもの、工業製品が搬
入されて級み立てる場所に変わってい
CADの 線 に 急 速 に 移 行 し 、 建 築 の 現
る。けれど、入が生きていく営みの中
ii1 ﹁建築文化 ι 一九五八年九月号
ヒントにした試みであった。また、建
木造の現場で大豆さんが使う尺枠を
共のおさ、割付、家具、天井の寸法に
でものをつくり、生きていく場所をつ
正、大竹十一を小心に、事務所の若手
システムで構成されている。それは、
し て み る と 、 非 常 にCAD化 し や す い
予描きの浦邸の凶磁をあらためて見直
くる建築の本質は変わることはない。
は 、 モ デ ュ ロ i ルを使っている。
メンバー、大学研究室の有志学生とい
身体化された寸法を記号化する試みで
U 研究室では士山阪隆
う構成で、コンペに取り組んでいた。
あった。建築を表現する方法が多様化
一九八O 年夏、
は何度も、﹁様式から解放されたはず
で感じ取りながら岡国に表現すること
している現在こそ、寸法と素材を全身
打ち合わせのディスカッションで吉阪
の 人 と 建 築 の ス ケi ルが、再び生産性、
EAUωIIドれ?仁川
可
。
仕ghHhhu日以 s
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全一七巻、勤卒者一郎。
E
・斉藤祐子﹃士口阪除正の方法﹂住まいの図
-J)
訪の021HJ士口阪隆正+U研究室し九佐官。
・﹃士口阪除正集
︿参考図審﹀
一九七七年、早稲別大学現工宇部処築学
科卒業。 U研究室を経て、一八五年、七月
工房を共同で設立、八九年、小玄関工一訪問
を設立、二 OOO年、制SITEに改組。
住宅を採点に設計活動を絞けるかたわら、
DISCON守事務防として、出版・炭
覧会の企州連常にも参加している。
ωSITE代表取締役。
出川勝祐子/さいとう・ゅうこ
の大切さをあらためて考えさせられる。
経済性から決められるようになってし
まった。人間にふさわしいスケールを
もう一度考えなくてはならないです
ね﹂と、建築のスケール、おきについ
て語った。
際高、山首ゅの高さ、手摺の高さなどを
つ、原寸で考えながら、予で触る形、
打ち合わせで決めていくとき、一つ一
五0 年 代 、 六0 年 代 は 、 そ れ は あ た
おさを考えて図耐を抗いていた。
り ま え の こ と で あ っ た が 、 七0 年 代 に
なると工業製品、カタログから製品を
選んで設計することが、経済的な方法
になってきた。もう一度、等身大の人
刷日年度の当財団の助成研究一一一潟、明日年度の効成研究一帽閥、川目年度の特別助成一潟、の要旨を
掲載しています。
詳しい内容をお読みになりたい方は、 吋研究年報幻号﹂をご焚ください。
震史的資源をもっ既成市街地の物的・
非物的整備に関する研究
研 究 胤B982
lli伝 統 的 な 筋 子 文 化 の 比 絞 調 査 を 過 し て
中国農村部における椅子と生活文化
のかかわりに関する研究
研究胤
点から分析し、低限川統成市街地の段階的、部分
市街加州市街地を対象に、その復興過程における
⋮戸時叫て住宅地に容積率二OO%が指定されてい
とである。分析の結果、戦前から定者した後段
M化による市街地時設備のあり方を探る、﹂
的
小
一
日M
伎環境問絞備の課題を、都市叫則的・建築計画的視
研 究 地BEE-
iliバ ン コ ク ・ 東 京 の 事 例 比 較 研 究 に よ る
gg日3
戦前期における軽井沢別荘地と
洋風間別荘の変容に関する研究
主査日内田青議
委 員 H藤 谷 陽 悦 、 山 形 政 昭
統的な椅子が、地域の生活文化とかかわり、い
本研究の目的は、中国州民村部で使用される伝
ることが明らかになった。一方、小規模敷地に
や地ぼ一計画などの活郎が一定の成田市を上げてい
発していること、また、それに対し、指導袋網
地に伴う処物おさなどに起凶する建築紛争が多
る地区で、大規模敷地での中一日 M mマンション立
くつかの生活形態に関する規範安形成した可能
いものの、相続潔境の商で問題が大きいことが
おけるマンション立地では、おさの問題は少な
主交日石村真一
委 員 H半 政 弘 、 石丸
性を、調資によって検読することにある。中間
本一机では、わが国最初期の別荘地である凝井
本研究は、勝史的資淑を有する大都市統成市
の調査は、間川翁成潟市、胤日州批判凱泉市、附間内
沢について、その別荘地としての変餐過程を地
板的に導入した建築会社あめりか屋とヴォ lリ
街地において、その資源を活かしながら現代的
省渓中市、湖南省部隊小巾の問ケ所で災絡した。
主 査 H眠時津康
委員日鈴木伸治、辻本治一郎、板子修一郎、
ヨングタニソト・ピモンサティアン、
パワンヤ・チュカエウ、
クリヤンサック・ティラウイパス
ズ建築事務所の経井沢進出について報告してい
な生活に適応させていく怒川附手法のあり方を考
調交の結果から、低い腰掛と低い市中子の組み合
図をもとに開明らかにし、加、えて、洋風別荘を約一
る。すなわち、総井沢の別荘地としての変袋の
既成市街地の中から、一聞の集合住宅地を阿部
察したものである。事例は、バンコクと東京の
研 究 胤 日 目 日5
MM
準寸法に移行している傾向が認められた。
卓子を伝統的に使用してきたが、近年は欧米の
地域ではおさ瓦O 叩程度の腰掛、八Om抑制皮の
芥閲気を残す池区(台東区谷小池阪)を対象と
わせは、山間部の一部に限られた。ほとんどの
して選定した。対象地区の肉交・分析から市街
らに東京からは似別更新に依拠しながら独特の
拡大化した第一一一期(一九一一一01 一九四五年)に
地の物的な状況(建築物、印刷住環境、インフラ
市から(鉄道職員住宅地、印刷刷会アパ iト て さ
区分できること、また、第二期の別核地開発に
研 究 地9984
(一九二ハ j 一九二九年)、南が丘に別液地が
あめりか屋・ヴォ iリズ建築事務所が核極的に
ストラクチャー等)と非物的な状況(生活水準、
に執匁した文献の読み込みと、先駆者自身への
よって形づくられたものと考え、先駆者が過去
先駆的にまち、つくりに取り組んできた先駆者に
ることである。これらの現今中・寝込酬の多くは、
で諮問相されてきた攻論とを m
明らかにし体系化す
よび研究を支えてきた装礎的な理念と、その中
本研究の釘的は、参加型まち、つくりの実践お
、
五
点
品
川 υ米 野 史 健
委 員 H饗 庭 伸 、 岡 崎 篤 行 、 円 十 回 宰 、
楽袋奈美子、吉村輝彦、森永良丙
の別荘地として企業が開発に乗り出した第二期
参入し洋風別荘の普及の契機となったことを明
コミュニティの親指山度等)を把援し、その結果
備の課題
、一五点以日土井幸平
委員日杉山茂一、小野茶道、中村
総尾野徹、溺井沢栄
本研究の際的は、阪神火災災で被災した商白
仁
、
lii阪 神 大 震 災 の 復 興 に み る 住 環 境 援
らかにした。
起した。
て評側し、地区怒備を進めるための考、ぇ方を提
から地区の物的・非物的状況のバランスをとっ
低層既成市街地における段階的、部
分的中高層化に向けた計菌的研究
参加型まちづくりの基礎理念の
体系化
jlI先 駆 者 の 体 験 ・ 思 想 に 基 づ く 考 察
川明らかになった。
て の 第 一 期 ご 八 八 六 i 一九一五年)、日本人
過程は、外悶人中心の自然発生的な別荘地とし
進
証
研究地B509
近代における皇族別荘の立地・沿革
及び建築・使い方に鴎する研究
海浜別荘を中心とする検討
111
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キ
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工
小
奇
明らかにするものである。検討の結果、以下の
L
を制作
点が明らかになった。障壁画制作は、部同胞の画
泌を﹁併合﹂で決定した後、﹁伺下絵
し、それが了ポされて、はじめて実際の﹁張付﹂
に取り掛かるという手順で行なわれた。制作に
際しでは、絵師の屋敷に﹁御絵仕立所﹂が建て
られ、LKにそこで制作が行なわれた。防壁画制
作のほか、﹁日限付﹂の料紙の採択や、金箔・金
ことを目的とする。戦前に設けられた隊宮・御
を行なった。
から建築の内部山公開を読み取って、障壁画制作
の別邸は髭災前は御用邸が設けられた海浜別荘
研究地BEl-
子法の開発概裂について述べるとともに、第二
品し、集合住宅計尚史の中で作一涜づけると共に、
建設当時における計同技術を多角的視点から検
し、複数施設・複数殿 舎を使い分けていた。
天泉家は一施設もしくは一般合の利用者を特定
A
郎
プンスペース・敷地割)の変化実態の分析を通
概指的傾向の把握と地区基殺(総街路網・オー
共同化・協調化の会事例を収集し、住宅潟建の
本研究は、神戸市を対象に川氏災復興における
委員日小泉秀樹、真鍋陸太郎、 野 淳 千 絵
主査 H大 方 潤
-i;
住環境改善に対する効果に着目して
震災複輿における共同化・協調化に
よる住宅再建に関する研究
に、二つの具体的な住宅計画プロジェクトに本
そごで長く営まれた凶伎に関わる現象を、自治
じて、北(問化・協調化が地区環境改努・向上に
来たす効果と課題を検証した。その結果、共同
化は、抜道不良敷地や狭小敷地の解消に効果が
あったが、共同化後の敷地規模が大きい判明人口、
問辺の庶住環境に対する影響等に開削する諜越が
明らかになった。協認化は、山川口の狭い敷地の
日記﹄の検討を通して、江戸城の天保皮西丸御
協調化方針の必要性的?の湘枠組が明らかになった。
結果的に﹁協調化﹂したものが多く、地区全体の
たが、一人の設計者が何時間別にまとめて設計し、
再建において、建築計画上のメリットは見られ
殿および弘化皮本丸御殿の開成幽制作の実態を
本研究は、幕府御用絵州仲村野崎川院の﹃公則
主査 H山間由香里
委 員 H尾 本 附 子 、 福 岡 道 宏
ー
公用臼記による江戸城御殿の内部空
間と障壁画の研究
li天保度西丸御殿・弘化皮本丸御殿を
ドむに
A
子法を適用する実験を行なうことにより、シナ
会という集合住宅全体としての祝点からと、似
似を試みるものである。建築計同・附州市計的・
研究胤B910
リオ・アプローチによる住宅計尚子法の有効性
研究駄目gB7
同刑法一計州からは、汽アパートを同判例会アパート
設計打ち合わせにおける建築主と専門家の役
、ヱボ AU森 傑
能していたことが判った。
委 員 H関岡絵美子、 上月九︿弓(出始一一約尾)
で住環境の紙持制織としてのれ治会が光分に機
環境の維対・辺公の分析の結果、一市開発決議ま
の対同技術史上の中期とん任問一つけた。また、住
住宅設計における建築主と専門家じ
の非対称性に関する研究
とにより、長期防什抗された集合住宅の多角的評
々の日出住者の伎治史という視点から検証するこ
合家風のな阪への崎川町が強く日んられる。また、
ている一方、宮家では、数許可尽の伝統を継ぐ間
床に紋後敷が導入され、総子座が広く導入され
摘できる。御用郊においては、利館であっても
は大部分和館のみであること、などの傾向を指
こと、本間却の多くが洋結合備えるのに対し別部
地に多いが民災後山間郊の新興別荘地に拡がる
別邸二五刊、{明日家の別邸限九件を見ると、一日家
過稼とその建築や使い方の特伎を明らかにする
師の仕事であった。絵師川は、乎市山同州や起し絵図
英字
泥銀泥の見積りと採択、﹁絵料﹂の見料相りも絵
空
語
本研究は、御用邸・削剛山れなど皇族別殺を研究
1
:
m水
対象とし、近代における海浜別荘の成支・変容
口.<.
ヒアリング調交に基ついて、理念および別立酬が
をう今め~全通]/:ザ通
j11
長期居住された集合住宅の多角的検
主査日若杉幸子
1
11
1
l
うそ
委 員 H加藤牧久、士山岐祐一、氏(野洋介、
大月敏雄、前同昭彦
Eミ 11
彩成される過料を分析した。これにより参加型
l
研究地9 9日8
両潤会鷲谷アパ!トの計画史的位置
付けと居住過程に関する研究
v
本研究では間判例会総谷アパ iトを対象とし、
委主
まちづくりの計品川辺論を、﹁計闘﹂﹁主体・組織﹂
論主主燥野は 1
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1 り、I;.Yi会をキ1 デ を
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法有の分究
﹁仕初み﹂の三要素によって笠理し、その理念
としてまちづくりに対する﹁態度﹂が主要であ
ることを(一小した。
研究地BBBS
個人をべ i ス と し た ハ ウ ジ ン グ に 対
応した住宅計画に関する研究
、日正式ハ日高町光雄
委 員 H安 枝 英 俊 、 加 茂 み ど り 、 井上普一、
加藤芳邦、仁科有美
本研究では、尚齢化、少子化、女性の初会参
加などを北川対とする生活市佼の似人化の検討を
裂化するという仮説に立って、これに対応した
紛ま、えて、例人をべ i スとしたハウジングが疋
住宅計尚をめざして、シナリオ・アプローチに
よる、住宅計尚子法の開発を試みた。すなわち、
ψ
の検証を行なった。
第一に、シナリオ・アプローチによる住宅計画
絞 る 後 て や し 作 イ し 主J
I
索テのい教て用ンて l
対
す 1 13:る脊展形のこ係
るマ環エ宇防]式内そは
もと境ス
、さに主主椛
の と テ ノ認、 h 内も)',¥とま
でも吋ごメ長日てゐ:まささ
あ に イ ソ 不lい し f
こ h に
る、ンド常るで、て会
そjiJf口な。いそい話
の うZ ジ ど 本 る の る の
方 の l の研't
l
tょ 。 シ
研 究 悦B512
衛生分野における女性研究者としての内小分けで
ものである。
まい・まちづくり教脊の方向性を採ろうとした
地域のお齢者を対象とした暖房に開削するアンケ
の健淡に与える影響を把握するために、会問問ハ
翁の身体問辺国胤淑皮尖態調査、および、災なる
ート調査、これらの一一一地域の佼宅におけるお紛
あり、そのユニ iクさは初会学者としてのアプ
研 究 臨sg15
ローチであった。住ぼ衛生に削附する L
K妥な研究
E U都市政策における住宅政策の
位置づけと展開に関する研究
業絞は佐絞鏡、小林陽太郎との共問研究である
住宅地調発の成立基盤と地域構造に
関する研究
実証的研究
体間関でやや乾燥した例が兄られたものの乾燥
た。また、身体問川辺潟市似皮刑判交の結果から、身
とお給者の健康との郎の関山地位などが示唆され
観的な川加熱⋮感覚に装づく殴殺到節、環境温湿皮
浪皮環境下の皮綴乾燥に関する実験調査を実施
が、栄のオリジナリティーは伎生活改善にあり、
同住宅居住、生活の洋風化に対して、都営高輪
i i戦前大阪都市圏を中心とする
した。その総来、岬MM方法時間殺の地域差、主
ミルズカレソジへの留学、議時間加悶際病院医療
本研究は、 E U都市政策が住宅政策に与えて
った。また、殴史的人びととの多彩な炎流(花
アパートの実験人隠を務機に研究、中山口交を行な
、混交日検谷美恵子
委員日小玉徹、大相場茂明
いる影響を、イギリス、ドイツ、フランスにお
社会事業部等の経験を背景に、戦後始まった共
ける事業分析を通じて明らかにしようとするも
感の愁訴は少なく、加紛による感党低下が示唆
され、実験結来から、お温度における古川い皮防
、主査 H多 治 見 左 近
委員社三浦要一
水分説、男性における大きな例入品非て務年者に
森安治、キャサリン・パウアi他)は、栄が一出
本研究は火阪都市悶悶を対象とし、明治期以降
比した温度感度低下が示唆された。
のである。住宅政策は各国政治の災住のもとに
の住宅地形成過棋を一h視的・間桝巡的に明らかに
動した時代背景の則一解を深めている。
することを目的としている。都市発展の術総と
あるが、間般的にはE U統合の彩殺を強く受け
して一九O 五i一九一一一O年の人口統計を用い、
ている。 E U助成プログラムによる共通都市政
研 究 漁BS14
研 究 地9917
策は、社会・刊紙済開発や地球環境問題への取り
大阪市、京大阪、阪神間臨海・内陸が住宅地形
高齢者施設における臭気の測定と
対応策の提案
組みを促す包拐約な卒業を、問題を抱える住宅
成上熱波的地域であることを確認し、これら地
明らかにした。また宅地開発が寸前発な地域で渓
域が戦業や峨朴氏関係の独特の倣質をもつことを
業本怖を山日米として地主が開発に来たした役剣
宅地化の方一山別粉淡を把慢し、土地所有形態に
地所有を記録する吋火阪地紋地図いの分析から
その結果、痴呆僚などの専門機で臭気の問題な
とにおいに出向するアンケート調査を災絡した。
委員日池間耕一、経
主十念日光闘志
住まいやまちづくりは住民生活に密校した沼
ついて江戸川刷新回開発の系議をひく地主の存在
を明らかにした。さらに明治末期大阪近郊の土
市立な問題である。伎生活の改善やよりよい住環
や耕地鐙辺、スブロ!ルなどの開発への影山穏を
主査日商品芳子
委 員 H碓問智子、 宇野浩一一一、同俊江、
金川久子、 久 保 加 津 代 、 問 中 勝 、
山田治維
生涯学習時代の住まい・まちづくり
教育に回附する研究
地で誘導、推進するとともに、公民の述携、非
常口利組織や取の恨の住民組織の参闘を方向づけ
るなど、新特別で災験的な方法を公式化し、普及
させている。近一祝される課題や事業の進め方は
日出によって遠いがあるものの、 E U共通都市政
策は各国の住宅政策の方針に一定の彩絡を及ぼ
・まちづくりに主体的に参加し、学校や家庭、
境の形成に向けて、子どもから大人まで住まい
識がおく、居室、刷出所、汚物処理室でにおいが
栄(一九O 一l九五)に関して、氏が逸された
本研究は一光樹立公衆微生院住宅衛生室長約凶
クな実践例を収集・分析し、生涯学問時代の住
や諜趨を明らかにするとともに、会問のユニー
住宅行政にみる住まい・まち、つくり教育の現状
家庭科を中心とする学校教育、社会教育および
くしてほしい臭気減としては、印拍,一兎の排池物、
ZA
・
許容レベルの最も低い汚物処理笈でこ・六 1六
O抑制皮であった。引先おれの許容レベルについては、
i二五、汚物処理室で瓦l間五、便所で氏i一一一
臭気発生川県の指様である臭気波茂は、居室で
口火気発生張、臭気成分、許容レベルを検討した。
体炎が多くあげられた。また、常温泌総加熱税
研 究 地SBIB
務/吸九%測定法を用いて、実際に臭気を測定し、
冬家暖房時におけるぽ伎環境の混皮が高齢者
七一交日五十嵐由利子
委 員 H高 橋 啓 子 、 梁 瀬 皮 子 、 大 洲 律 子 、
総本修左、北限博史十
高齢者の住まいにおける暖房方法と
健康との関連に鵠する研究
強く感じられていることが明らかとなった。無
職員を対象として、高齢者施設内の環境市立案
研 究 臨B913
川明らかにした。
している。
住居衛生研究の女性パイオニア、
駒田栄に関する研究
学び絞けることのできる環境や体制つくりが求
ω生川聞や吋中日時代の到米、
められる。本研究は、
山総合的な引干潟の時間の導入など学校教育の再
多様な資料分析およびこれを炎づける調査を通
・まち、つくりを取り巻く環境の変化に対応し、
編、印住宅マスタープランの策定など、住まい
して、一舟詳術を行なったものである。栄は伎同情
主交付行中島明子
委 員 H小 林 防 太 郎 、 菊 池 邦 子 、 的 問 利 子 、
白山崎真理子、日 γ⋮旬千鶴、松尾邦子、
山口治子
地域社会の協力・一地携のもとに生波にわたって
'
i
i
l
r
を別いてれ大気の低減除去を検討した結果、空間
二であった。光触媒ユニット付きのゆ Jd
汎治泌総
ことを目的としている。古代における伎の開発
て、文献資料を広く収集し全貌を明らかにする
川町を支える各積のシステムの開発とや及につい
日本桟瓦構法の成立過程における
オランダ瓦の影響
研究胤gB21
太守備隊司令官邸(一九O八年竣工、現ユジノ・
舎など日本統治期の住宅建築の概況とその現存
心に採り、伎の説日放を日光社参史料をもとに検
本の独自性を記録から検証し、中世以後につい
無を明らかにすることにある。そのため、日閣
される日本の校瓦に対するオランダの影響の有
本研究の包的は、七出紀後半に成立したと
理を検討した。
食生活様式の特性と北方性ライフスタイルの原
らえることにより、ロシアにおける北方型住宅・
用しているダlチャの形態と利用方法などをと
の空問機成と住み方、および彼らが所有し、利
サハリンスク軍事裁判所)の実測調交結果を報
状況、当時から最上級の住宅建築であった旧株
の狭い州場所では効栄が認められた。
託している。投職人の出現を記録から、川区肢の
の品川瓦の成立過程を総べ、日前側交渉史問問迷の文
秋田窓、前田知恵子
委 員 H塚 原 し ず か 、 瀬 山 久 美 子 、
保利美奈子、寺原伊都花、吉本幸代、
主査村議見泰彦
張設住宅の居住環境改善に関する
問題発晃および問題解決
在の一般的な居住様式であるクヴアルティ l ラ
告し、その膝史的評価を検討した。さらに、現
地方への広まりを地名から検証し、メンテナン
献史料を検討し、出オランダ鎖各地における桟
について、現存する最古の川区を日間切りとして日
研究臨S91B
スシステムの開発と普及を明らかにしている。
瓦伝般の様態を明らかにした。その結果、当時
主査日安藤正雄
委員日深尾精一、 大 野 和 子
室内環境内の浮遊真菌を含む空気汚
染レベルの解明と低減化対策
一方、抗戦人の育成システムについては職業訓
研究抽出gg51
特別助成
れることから、それぞれは独自に発後したもの
と結論つけた。しかし、日、鋭、ジャワにほぼ
限定された桟瓦の分布とその歴史的文脈を考泌
すると、平戸市同館建設の際等に、岡山闘の技術者・
工人の防で桟瓦の原現に関する意見が交わされ
賢岳災害等、近年の
阪神淡路大災災、雲仙品川 H
日本は兆一大な自然災害を被っている。住宅を欠
た可能性はなお残る。
国産のスギは議紋誌の増大にもかかわらず、
問題な識を走者させる啓蒙活動を試みている。
ターネソト等による情報発信を通じて、市民に
作および改警策の提案を行ない、展示会やイン
発見と、その問題解決として仮設住宅の模型製
な課題ととらえ、被災者との交流を通した問題
する学生とともに、この問題を市民共有の身近
であるが、その居住環境等が災吉の皮に問題祝
尚い傾向があり、特にベットの存在がお淡皮姿
i l戦 前 期 住 宅 と 現 代 の ラ イ フ ス タ イ ル
った被災者の応急的住民がいわゆる﹁仮設住宅﹂
態で低温の冬期には、低い淡皮となることが明
るための方策として、表面に熱を加えて応密し
た三巡の口 l ルの間にスギ板を通し、表面をつ
、五 A I U
越野武
委員日角幸博、鏡味洋史、
瀬戸口剛、荒井信段、
一?
AH
J4
ノ品川U H J
bym川
則と現在の両面から検討を加えたものである。
は実践記録および救出川論文として執楽されている。
的意義を見いだすことができる。したがって本稿
なお一連の活動には参加する学生に対する救出汀
まず、旧王子製紙株式会社の社宅群や樺太庁官
本研究は、サハリンの住宅について日本統治
本口
正孝
町1
t
専
て硬度を上げることを試みた。一一五O℃に熱し
研究臨5912
能試験として、伴さのもどり、表街硬さ変化、
ートをとったところ、概ね好評であった。
た。また、実際に養護胞設に施工して、アンケ
広葉樹材に近い特性を有していることが判明し
した。その結果、衣川出硬さと摩耗特性は向上し、
摩耗特性、色の変化、床としての使用感を検討
ぶして、去十間硬化を行なった。床材としての性
畳と畳を支えるシステムの開発と
普及についての文献に関する研究
主 査 U平 井 ゆ か
委員川内問祥哉
本研究は、日本の伝統的な床材である伐と
石野
らかとなった。
羽年度助成研究
材
研究地BSB3
の
小平町市立が年々減少している。そこで、従来の柱と
板
ては形状の変化や床材としての成立を絵巻を中
本研究は、室内環境中の空気質にや右目し、受練校の歴史等を採り、立の生産・供給システム
少なく、またいくつかの相違点を検討した結果
オランダ瓦が日本に直綾持ち込まれる必然性は
る
凶と認められた。災前問は、一込町刑に向く、乾燥状
.
l
'
.
f
主査リ芳住邦検
委員日高矯治介、 工 藤 た か 子
動型サンプラlを用いて、東京周辺の一 OO家 に つ い て は 縁 地 や 問 屋 等 の 現 地 調 査 ・ 資 料 収 集
ス
ギ
作
からも両者は別の発生の系統に属すると考えら
庭近くの居間で測定を行なった。生活環境を快一を行なっている。
ス
されている。主交は指導している建築学を専攻
会
しての利用に限定せず、住宅の床として利用す
オ
白4
巡なレベルに維持するための指針を得ることを
よ
仁3
の文期においておく、また、新築ないしリフォ
圧 II'~
密ルl
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化プ1
2
レ1
0
、玉木川日徳田迎夫
委員川内迫食卒、
τL
L
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J
目的としている。ホルムアルデヒドはお混多湿
ーム後三年程度の期間で⋮向かった。 N02波皮は、
開放型暖房器具の使用により極めておい濃度と
なっていた。また、繊維材料へのN02山米成分
の付着認は羊毛、総およびナイロンで高かった。
表熱!研
サハリンの住宅における麗史的背景
と居住環境に関する研究
アンモニアは、室内環続中の濃度は屋外よりも
面ロ 1
許
活動概況
0
01E!l研究遂営委員会
2
/4 第 1
0回情報委員会
1
/
2
2 第6
4
6回 江 戸 東 京 フ ォ ー ラ ム 「 江 戸 の 見
2
/
2
7 第1
性 物J
2
/
2
8 研究効成応募締七万
効活用システム﹂提案競技(図太交通省主
二000年度は、﹁住宅ストック形成・有
勢ができた。
合わせにも、十分とはいえないが応える体
ベl ジ の 立 上 げ も 終 え て 、 海 外 か ら の 問 い
きた。英文による住総研事業案内のホ│ム
介の住まいへ日
一方、高齢社会開述、府一 m
を 向 け た フ ォi ラムなどは、ヒアリング、
にいたらず、研究動向調査も的を絞りきれ
ホ│ムベ l ジ で の 呼 び か け に 留 ま り 具 体 化
ず進出肢をみなかった。
戸建住宅、住宅絞済に絞って分担して推進
進展をみていなかった研究動向調査を、
二O O 一年度の活動
自主研究と幅広い情報発信を雄進
みである住教育のよ削文募集・発表会﹂も刊紙
開江戸東京フォーラムを開催した。初の試
ム、高齢者の住まいづくりフォーラム、公
﹁批田谷に借りて住む﹂、住教育フォ i ラ
ンターと共催する第二回市民フォーラム
情報発信の而では、世田谷まちづくりセ
した年であった。
ど、汐研究する財団。への第一歩を踏み出
ミュニティおよぴ維持管理に関する研究な
催)への応募・優秀提案入賞、マンション
し、研'究者の論文検索の使を図ることがで
滅 し た 論 文 要 旨 を 財 団 ホl ムベ l ジ で 公 開
また、過去一関年間の﹃研究年報﹄に仰向
なった。
ン用詩集﹄﹃住教育論文集﹄が発刊の述ぴと
は 、 高 齢 者 関 連 の ﹃ ハ ウ ス ア ダ ブ テi シヨ
5回ずまいろん編集員会
1
/
1
5 第6
大規模修絵本例の研究、設貸アパートのコ
ニ000年度の総括
グ研究する財団。へ第一歩の年
2
0
0
1年
汎健に終えることができた。出版物として
ハウスアダブテーション用語集 J 出 版
記念報告会
論文発表会
6障すまいろん高寝室革委員会
4
/9 第 6
0
1泊研究運営委員会
4
/
1
7 第1
1国 情 報 委 員 会
5
/
1
5 第6
5
/
3
1 印刷助成・出版助成応募締七万
7
/
1
3 第 21~司{主総研シンポジウム「マンション
居住を考えるーマンションの建替をめぐ
0
2回研究逐営委員会
8
/1 第 1
って J
ハ体的な作家を選定し、次年度以降
HA
μ
創刊口すから一 0年間に
で順次作成し、この卒業を終了する。
掲絞された研究論文の姿旨を、二年の予定
めに、﹃研究年報
国日をホl ムベi ジで順次公開閉する。そのた
また、前年度に引き続き、研究論文の市立
イミング良く、者実に関山慨していく。
ムを、多くの研究者、一般市民に向けてタ
フォーラム、それに公開江戸東京フォーラ
研シンポジウム、市民フォーラム、住教育
を立ち上げること、定例化している、住総
つのフォi ラム(高齢社会、世界の住まい)
一方、情報発信の而では、積み残した二
考えている。
の本終的な実施に向け、試行に移りたいと
決め、
ベースのフォーマット、収集する図面等を
さらに、住宅設計図アーカイブは、データ
賃貸アパ iト関連の研究を継続的に行なう。
効活別についての研究を幅広く進めること、
することを第⋮に、住宅ストック形成・夜
3
/
2
0
N
o
.
8
関監ws
し駐すす臣奨
悶「住まい・まち学習」実銭報告・
3
/
1
7 第2
﹁すまいろん﹂バックナンバー
、一む∞∞
ネ春抑制+巾におけるハウジング
*変東京の原風景
秋一宮両日閣居住
、↓む岱の
冬居住の原点と未来
春近代住居計蘭批判
夏すまいと音
秋住文化にみる近代化
、一むむO
γ
*
冬すまいづくりの労働と技能
審すまいと日本的感性
夏子供部屋
秋ライフスタイルとしての都心居住
﹂のむ﹂
﹂
m
w
m
w陀
冬すまいづくりと工業製品
審街区とすまい
*夏アジアと住文化
*秋自然とつきあう住まい
﹂
Cmw印
冬都市の共同空間
審借りて住む
*変宮両鈴者の居住の茨実
秋リビングル│ムのゆくえ
﹂
m
w
m
w
ム
*冬。まちにわ。の視点から
*泰子どもの遊び
*夏外聞出入居住
秋 す ま いl未来からのレビュー
*冬新﹁住宅双六﹂
審宝さがし│防を受け継ぐ
夏住まい手と作り手の接点
秋アジアの都市居住
、刊のむ印
冬衣裳としてみる住まい
春バリアフリ!とハ怪文化
変関西の次世代ハウジング
秋 す ま いiあふれる住具
ゥ
i
n
u
常設委員会
m
第 回研究運営委員会
論文評価はニ極化
一一月四日開催
金の会綴返還を条件とすることもやむを得
て議論する小で、従山山が遅れた場八日は助成
得点以技で切ってお届けしようというもの。
を検討した。探すことの楽しさを、委員の
るための基本協会﹂シリーズの次のテ!?
一月二七日開催
江戸庶民の娯楽﹁見世物﹂とは
第織田江戸東京フォーラム
フォーラム関鰭
シンポジウム r/
ν
s
♂汗末日﹂・・::と続く予定であり、ご期待一トさ
、。
(居住技術研究所)が担おする。﹁復刻版﹂
第⋮回は﹁古書﹂を取り上げ加藤雅久委員
ないとの結論に五った。
ーーマンションの建替をめぐって
マンション居住を考える
第引回住総研シンポジウム
一般的になって久しいマンション伝伎を、
以災を契機に問題がクロ iズアップされた
!11研 究 論 文 詳 二 三 編 の 審 議
一九九九年度研究助成論文(一九九八年
か建答。に絞って議論することを決定した。
建終決定論辺、既存不適格、法、仕紛・制
飢当の内開放造委員の司会で、計画修銭、
度一編、特別助成抑制止口一一樹を合む)の評を
﹁この研究者は楽しく研究している総子
皮、閉山什比政統などを、議論することにした。
審議した合研究年報陶幻しに掲紋)。
が闘に浮かぶようだ﹂﹁符研究者の専門性が
フォーラムは、﹁江戸の見段物﹂と題して
立大学教授)、丸山英気(千葉大学教授)、
m氏 ( 見 世 物 文 化 研
開 催 し た 。 議 併 は 川 添w
講師・パネリストに、梶泌恒男(大阪市
ず良くまとまっている﹂など絶賛を降した
小林秀樹(往築研究所室長)、大西誠(都市
究所)である。
込く機能していながら、オムニバスになら
論文がある。かたや、従来指摘されてきた、
務備公開課長)の山氏を迎えて、来る七月
橋と浅草奥山にあった。興行内容は、一日
んなものであったのか。見世物小路は両国
ジがあるが、近世後期、江戸の見世物はど
あやしい、おどろおどろしいというイメー
﹁現夜、見世物というと、いかがわしい、
論題と内筏の議隊、調査抑制止刊の械を出ない
一行(令)午後、建築会館ホールで削依
する予定を決定した。
第出回情報委員会
購入雑誌を見直す
l 文献採索のたのしみ
る﹁住総研州問主主だより住について考え一
﹁すまいろん﹂に述載中で瓦口ずで終了す
猟議官
ことから、収集に努めることとした。
住まいに山内する則子にも優れたものが多い
また、公説法人や企業等から発行される、
雑誌に傾注することとなった。
る雑誌は最小限にとどめ、住まいに関する
部ずつ議論した。どの図書館でも閲覧でき
住まいの専門問書館としての視点から一
月二二日開催
に加え、今年度は調査すら満足に行なわれ
ていない例があり、﹁こんな論文を読むと
不愉快になる﹂など委只の慨嘆しきりとい
なお、今年度から実施したか版下原稿に
うこ極化が印象的であった。
よる提出。については、おおむね作成姿綴
に則っており、次同以降の実胞にも問題は
ないと判断している。
論文提出期限遅れは助成金返還
1li研 究 効 成 条 件
例年、事務局を悩ませるのは、提出期限
が守られないことである。遅れに対するペ
ナルティとして、一二O%の関係などを設定
いるため、効果がみられなかった。八IMは
したが、基本的には研究者の善意に頼って
三か月遅れの提出があり、その扱いについ
一
、
*冬都市コミュニティの再認識
審自然知の住まい
*一泉戦後住宅史を読み直す
秋英国からみた臼本のハウジング
JCmw
刈
冬待ったなし!マンション建て替え
春すまいの祖形砂利。の感性との対特
夏すまいの明日をみる
秋住まいの癒し
﹂む mwmw
品
m
w
m
w
m
w
冬 住 宅 市 場 の ゆ く えi拡大神話の終一世相
春街づくりと﹁時間﹂
官主初役紀から幻泣紀へ向けて贈る一一言葉
秋フォリナ!ズによる住宅設計
冬すまいと﹁性能﹂
春これからの住まいの実像と虚像
夏住まいの資源循環
の送
秋新・
ぬむGA
i序論
冬混一端としての住宅史
*春再検誌地域からのまちづくり
夏中古住宅再考
* 秋 田 地i昔・いま・これから
冬ものづくりの暗黙知
官一骨住まいの﹁古同さ計画﹂
*印は在庫切れ
バックナンバー燦読一各号すべて500内です。
送料は、-脈210H1213附310q、4
J
:
l
j
i
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、
間3
- 5i
0司
6恐
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i-380H1711川附 4 5
0円です。
定期購読については、ねべ iジ下段のご案内を
ご覧下さい。
財閥﹁すまいろん﹂購読係ま
お問い合わせ -WJ
でお願いします。ホ!ムベ!ジでも詳細ご案内
をしています。
7
1
ラム会場風景
江戸薬京フォ
日んると病気にならないという防相蛇やゑの動
れら地域雑誌を似広く集めていくことも行
研究助0043
印刷助成
宅老所に関する研究
なっていきたい。
問主時間一九一一一一0 1 一六・。。
図議自室案内
場料は歌舞伎より安いものの、小原の大き
休室了十ム限日日限日祝祭日当山間
で、大衆娯楽の代表的なものであった。入
さ、奥行刻問、上がり、入りなど、歌舞伎
慌の休日(瓦季・冬季の休暇則
物見険物、細工見計一物、紙業、役人形など
と遜色がなく、大規模なものであった。見
問、創立記念日目一一月六日)
物問、遊間関地、テ!?パ!ク、映川問、テレ
利用形態一完全開加公式
利用資紘一十八歳以上の方
かにすることによって、住民参加による﹁地
柄引仰の広がりを位制的し、その方向性を明ら
地域述携の観点からん吃老所の運用形態と
代表.火橋英字(日本福祉大学)
住民参加による地域ケア拠点の檎築にむけて
計一物は、近現代に 向
ι かって、サi カス、動
ビの娯楽器紛へと展開していった﹂と話さ
域ケア拠点﹂の構築に役立てるために、一
o
m円です。
山伎町与一コピーは⋮枚一
詳細お問い合わせは一
円・]℃¥
0
72iO521) へ
。
お中し込みは、丸山品川営業部(電話 03132
A 4判幻べ l ジ 本 体 側 絡 1 8 0 0円十税
九九八年金悶んも老所調査をまとめた。
れた。
ZG一¥¥者芸者]己的。一内巾ロ・
資料貸出はしておりません
なぜ発生したのか、大衆文化が議成する持
日ん股物が大衆エンターテイメントとして、
制別だったのか、などについて参加者ととも
畿新刊刊行物のご案内
2
に議論をした。
出版助成
0
住総研司研究年報開 陶
﹂
U幻
戦後改革と都市改革/発見された﹁宅地法﹂
9
索資料袋成
税
γ
2 0 0内十税
編著者1内問点目成十大川三椛+総谷防悦
府出向山山版会問ページ
次号予告
捌年夏号
六月一五日発行
A
特集 H
無知の知i 住宅・大疑問
︿依⋮点。
中小合札仁(大阪市立火学)
︿大疑問﹀
以下の各氏が︿大疑問﹀に答える
安藤邦殴小林秀樹三浮文子
片山和俊築山成三塚本山附
附同校史凶叩伸英和長谷門ん同時一
ヘ
p
kr切な弓件拝7
五
日長 nzk'E
Eヌ イ ー ヱ l i j j j
ーif日
長問広之官口出校二清水意敦
遠藤秀市 γ 高間滋大災大島折口歳
タイトルは仮問、執筆活は変わることがあります。
︿住総研ニューズレタ│﹀
︿図書室だより﹀
市中谷礼仁
︿ひろば﹀
ノ
441HVヒ間判
hEz--cι5μ
︿すまい再発見﹀
︿私のすまいろん﹀
長鳩山ほ郊
mm 一文
0
一九九九年皮の助成研究二一編・特別助
:
?
盟盟国案内
本
f
本
監 修1大本主野
<<
成一編・前年度助成研究論文一一川酬を収録。
2
0
6
本年皮の研究助成は新しい方針を取り入れ、
するため、選考においてもその点が考慮さ
究 I
J
l
受入雑誌の捌新
牛
イ
i
:
1
日 本 評 論 初 制 べ i ジ 本 体 7 0 0 0円
現在、総入雑誌の凡なおしを行なってい
れている。また、ほかに二000年度のシ
干
料J(;主訪
初1. 1~
十築"I'i"落
税静 1 採
図解・近代認本住宅史/幕末から現代まで
1
f
J処 c
t
.
:主
義
社会的議題に対応する研究を紡根的に推奨
る。﹁伎宅専門凶吉川主として、本当に必姿な
﹀
L、Y
ンポジウム記録・委託論文一一一編を収録して
O
み合いながらの選定作業である。
雑誌を﹂という恭本方針のもと、予算と脱
この論文集は、わが悶の住研究の水準を
一不すものとしておい評価を得ている。
現夜までに、新規の受入を決めた雑誌は、
行本住宅会議﹁住宅会議ヘ住宅金融普及協
A 4判・抑べ│ジ・本体倒的愉 4 5 0 0円
c
会﹁住宅問題研究し、投資経済社吋土地と住
m 刊リフォーム
月
風上初ョチルチンびと﹄などである。
ま い ヘ テ ツ ア ドl出版
この他にも、関述団体や住宅関連企業、
大学、研究所などの機関誌や広報誌なども
幅広く収集していく予定である。
また、これまで﹁谷根千﹄やよ八阪人知
といった雑誌も受入れてきたが、今後はこ
27
時
第引間住総研シンポジウム
﹁マンション居住を考える l iマンションの建替をめぐって﹂
趣旨
日 本 の 分 談 マ ン シ ョ ン ( 区 分 所 有 マ ン シ ョ ン ) の 建 設 量 は 既 に 三O O万 戸 を 越 え 、 今 日 の 都 市 住 宅 に お い て 確 聞 た る 地 佼 を
占めているといえよう。しかし、既存のマンションの建替市宇例は、老朽化したマンションが比較的少なかった事情もあって、
容秘率に余絡があり、権利者の負担がない(もしくは極めて少ない)場合に限定されていた。
ところが、⋮九九五年の阪神・淡路大渓災では兵庫県下だけでも二五一一一二棟の分譲マンションが被災し、既に一一 O棟 を 越
えるマンションが建務えられ、残りの大部分は補修された(係争中のマンションを含め、建替、補修の方針が定まらないマン
ションは数棟である)。一連の建替えにあたっては、国や自治体により﹁震災特例﹂とでも称すべき特別の優遇措置がなされ
たが、被災マンションを補修するか、建努えるかの選択、そして建替をめぐる諸国側灘は、マンションという都市住宅をめぐる
問題点、特に関係者の合意の難しさを広く社会に明らかにすることとなった。
本シンポジウムでは、阪神・淡路大震災後のマンションの補修・建怒の実態を調資された梶浦さん、マンションの補修・建
替をめくる法的問題を研究されている丸山さん、スケルトン・インフィル方式を椛進し、つくば方式を考案した小林さん、そ
司会 H
討議
内田雄造(東洋大学工学部建築学科教授)
し て マ ン シ ョ ン 建 替 卒 業 に 関 わ っ て お ら れ る 大 商 さ ん と 各 界 の エ キ ス パ iトを迎え、マンション建替をめぐる現在の問題点、
将米の展望を論じたい。
日 待 七 月 一 三 日 ( 金 ) 一 一 二 一 001 一七一 O O
会 場 一 建 築 会 館 ホl ル(東京都港区芝 5丁目お番初口三
講演(委託論文執筆者)
-梶浦恒男(大阪市主大学大学院生活科学研究科教授)
丸山英気(前掲)
パネリストリ梶浦恒男(前掲)
小林秀機(前掲)
丸山英気(千葉大学法経学部総合政策学科教授)
﹁阪神・淡路大災災が明らかにした被災マンションの補修、
建替問題﹂
﹁マンションの計耐修繕、補修、筏抗日をめくる法的問題﹂
講演の人的題、パ不リスト等に変死が生じる山場合もございます。
大西誠(都市基盤護備公団課長)
﹁スケルトン・インフィル方式の多様な試み﹂
小林秀樹(国土交通省国土技術総合研究所住宅計画研究室室長)
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春口ぢ四月一一目、支口す六月⋮五日、秋ロザ一
鳳即発刊日は原則として、冬号⋮月一六日、
O月 一 日 で す 。 し た が い ま し て 、 送 付 開
Ah
みおき下さい。
始は、購読料受領後の最新号とさせてい
ただきます。なお、購読手続きには約一
週間かかりますので、お
@購読満了時にご通知いたしますので、引
き続きご購読いただきますよう、お願い
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一電話(03)345612051
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一般3 B B g内・学生 1gOB円
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電話(03)32911338
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ナ橋
参加笈
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@ 南 洋 堂 書 信 千 代 田 区 神 田 神 保 町lin
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郵便振込(東京oo--03i6639財団法人住宅総合研究財団)
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六月二九日(会)先者一服にて、定員一五O 名 に な り 次 第 締 切
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お問い合わせは財団法人住宅総合研究財団﹁シンポジウム﹂担当まで
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望日要
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3
伝統的な住形式を残しながら、豊かな生活を包み込んだ低層高密居住
上海 1
8式壁葬住宅
写真と文/片山和俊
どこから沸いてくるのだろうか。はじめて
ことを知って、今度は傍然とした。毎年のよ
勢いで壊されているのがその坐売住宅である
る。ところがそれからしばらくして、物凄い
市川土住宅に凝縮して再構築し、石庫門の装飾
山中国江南の伝統的な住宅形式をべ i スに、都
とはい、ぇ、皇子住宅には、明代から治代の
⑧人が溢れるまちょ海
上海に行った一五年前の光景である。人が滋
た古川府建築が建ち並ぶ。高架道路や地下鉄が
路)に、近隣生活を媒介する盟かな一戸外空間
設践を義務づけたことにより生じた里子(通
がある。そして建築物の前後両面に出入口の
通り、北沢浦江の対岸には派手な屯子応が建つ。
い。近隣の目がある生活は、過度の干渉を生
がある。市中京汁までは、表通りの喧吸も脂かな
などに西洋風な感覚を取り入れた独特な魅力
がりの中に人がうごめき、沸いて出てくるよ
その変化変貌の凌さは、高度経済成長時の日
み出す危険性もあるが、ふだんは外部の者が
が姿を消していく。跡には思い思いの形をし
うに見えた。その様子は、未だに険に焼きつ
本など、日沈下にも及ばないスピードと泣をも
z寸る有効な方法
入りにくい、安全な住宅地を 一
うに立ち寄る上一海の向から、次々に皇子住宅
いて離れない強烈な印象である。しかも、上
つものであった。
れ、率が通れないような人並みが延々と統く
海にはすし詰め状態のパスと自転車しか交通
畿塁弄共通の路地空間をもった集合住宅
であった。
して成り立っているかを解くことが、旅行山中
とまった敷地に、連続集合住宅が連なる尚一
を踏襲したか商品住宅。である。ある程度ま
資という性的怖をもっ、中悶の伝統的生活様式
したがって里子住宅は、利潤追求の一小動産投
集合住宅が、 m十五汗住宅の始まりだからである。
し、外国人不動一説業者が彼ら向けにつくった
や太平天国の乱を逃れた山中国人が火主に流入
まれた粗削介に、小刀会の幹起(一八五一一一年)
圧力によって結ばれた南京条約、その結果生
古川が低く抑えられ、屋上には物干しが設けら
抜けられる。南側に対して、北側ゾ!ンの階
(主として用い、北側の厨一肢から北側の里子に
な が ら も 前 庭 が あ り 、 南 側 ゾ l ンは居間、居
決 し て 狭 く は な い 。 二 i一一一際建てで、小さい
がわかる。一一応住単位としての旦一斉住宅は、
悦住民としての資質を十分に街、えていること
をあてて型弄住宅をみると、都市型の低限古川
かり流布されてきたが、住民ユニットに焦点
っていないことなど、その劣惑な居住状態ば
そして近年、過密居住や老朽化、設備が怒
⑧天井が古向いからできた高密居住
の興味となった。そして推理から符た結論は、
ほかならない。しかも、その急激なつくられ
なようでなかなか思いつかない結論であった。
離れている環境しかぽ住体験がないと、的川町平
攻松下を受けると、一 O 万人以上に膨れ上がっ
後に始まった太平天間の乱で県城が幾度かの
二年後の一八五五年には二万人以上に、五年
会 の 乱 以 前 が 丘O O人足らずであったのに、
ピードである。机界の中国人の人口は、小刀
方は、現在の上海の変貌を笑、えないほどのス
過心掛山印刷住で皇奔は話題になったが、それも天
の初期の例では、間・二 m前 後 も あ る 。 近 年
時代が下がるほど低くなるものの、旧式双子
が取られている。そして南側居室の天井おは、
るとともに、附設案から通印刷と上からの採光
よって廊下を減らし、全体の空間効率を上げ
れている。南北ゾ l ンの間に設けた階段家に
ているというのは、 後 日 文 献 を 見 て か ら で あ
及んでいなかった。町楽に里子住宅が広がつ
実は、その時に具体的な答、えまでは考えが
は、普通のことであるのにである。
時代を少し戻せば、都市の中に人が住むこと
たというのだから、すさまじい。
の東京のように、伎むところと働くところが
町なかに人が住んでいることであった。近年
的な笠間性は、まさに経済的な原則の反映に
アへン戦争と街抜な関係がある。欧米列強の
ところで失われた史子住宅は、もともとは
機関がないと開き、この人に溢れた町がどう
街路。そして目を凝らすと、而する府舗の暗
塁手宇佐宅(歩高里)のアクソメ
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里弄住宅の規模
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が、屋根裏にアティックが設けられ、屋根に
井高に余裕があるからである。各階に中二階
れるなどの工夫ができたからである。このよ
里弄特有の虎窓という採光通風の窓が付けら
アモイ
うに 中 国 民 居 の 天 井 高 は 、 概 し て 高 く 空 間 容
北など南部に多い騎楼と呼ばれる商庖街は、
量が大きい。度門や広 州、あるいは台湾の台
の天井高が高く、間口の狭い底舗では中二階
その良い事例である。里弄と同じように一階
し、間口が何スパンもある広い底舗では、高
を設け、事務所や倉庫、作業場に利用できる
い天井高が生きて圧迫感がない。
査を手がける 。
一時 期 ま で 盛 ん に 検 討
ほか、中国民居調査をはじめ、各地の景観調
東京芸 術 大 学 美 術 学 部 建 築科教授。
東 京 芸 術 大 学 美 術 学部 建 築 科 卒 業 、 同 大 学 院
修士課程修了。住宅を中心とする設計活動の
片山和俊/かたやま・かずとし
いである。
ないというのが、里弄を調査していた時の思
れてしまったのは、実は 上海だけの問題では
マであるだろう。上海の里弄住宅が取り壊さ
密住宅は、本来はもっと検討されるべきテー
でき、 内 側 に 豊 か な 空 間 性 を 宿 し 得 る 低 層 高
うが、接地性と豊かな近隣関係を保つことが
済性という視点からだけでは限界があるだろ
建てとともに、都市を埋め尽くしている。経
で 、 高 層 が あ た り ま え に な り 、 狭 小 宅 地 二戸
イプの構築ということも聞かない 。 その一方
最近全く聞くことがなくなった。都市住居タ
された都市の低層高密集合住宅という声を、
ところで、日本で、
*
居間から天井(光庭)を見る。
l
百房から路地を見る 。
墨書
霊
童
里弄住宅の住棟問の路地(小弄堂
)
。
ノ・
屋根の上の虎窓。
高層建築に固まれた里弄住宅(四達里)。
里弄住宅内を貫く大きな通り(大弄堂)側の立面図
明
事 務用﹂
編集後記
d
p
計画﹂の中の﹁計画﹂といず言葉に抵抗
感 を も 勺 意 見 が あ り ま し た 。 想 像 するに、
ごの点は、私には意外でした。私は、
平面計画論が往宅の標準化につながった
むしろ設計の自由を 獲 得するために、規
という印象を受けたようです。
例があるように、建築設計の自由を 奪 う
いたと記憶しています。 そ の点で、本特
一九七0年代頃に、﹁平面から空間へ﹂
と い う 主 張 が あ り ま'
した 。 平 面 計 函 を 機
能主義とみみして、その限界を指摘して
制緩和に向けた理論武装、つまり﹁計画﹂
が 例 外 か も し れ ま せ ん 。 ただし、銘記し
集 と 共 通 点 が 多 い‘
の、
ですが、ここでは
﹁
昇問計画﹂ではなく、﹁高さ計画﹂と
いう言葉にしまし で
。
その理由は、 .
建築と都市計画を結びつ
ておきたいことは、 真 の 建 築 計 画 と は 、
が 必 要 だ と 思 っ て 心た か ら で す 。
'
しかし、考えてみれば い 私の認識の方
けるニとが今日的課題であり、﹁平面か
いつの時代も、旧来の殻を打ち破るよう
L
という主張の方が、都市計画
ら高さへ
たら言い過ぎでしょうか 。
P
に つ か げ や す い と 考 え た か ら で す 6 編集
な実践を支えた原動力であったというこ
委員でもある中谷氏の記事を借りれば、
です 。 標準化や固定化への短絡は、 建
と、
﹁内からの要求﹂と﹁外からの要求﹂の ・ 築 計 画 の つ ま み 食 い に す ぎ な い 、 と い っ
総 合 化合
ということです。 -
住まいの高さの 長ザインは、経済性や
住 宅 総 合 研 究 財 団 ( 略 称 川 住 総 研 )は
昭和二 三 年
、 当 時 の 清 水 建 設 社 長 ・清 水
の窮迫した住宅問題を、
康 雄 に よ り一 戦 後 ,
住宅の総合的研究、および成果の公開、
実践 、 普 及 に よ っ て 解 決 す る こ と を 目 的
現在は住宅に関する 研究助成事業を中
として設立された財団法 へであります。
心としハ﹁研究字報﹂﹁研究論文﹂を発刊、
ま た 住 に 関 す る 専 門 図書 室 、 セ ミ ナ ー 室
等を料£剛、公開、社会のお役に立つよう、
公 益 事 業 に つ と め て お り ま す。
こ の ﹁ す ま い ろ ん ﹂ は 、 活 動 の 一環と
し て 、 成 果 の 一端を、市民、 実 務 者 、 研
究者の皆様に、より広く、より手軽にご
理解いただくとともに、その意見交流の
場・
になることを願って刊行(季利)され
500円
年 会
日ろ
F
年
〆
/
編集委員H*
l 委員丘
片山和俊(東京芸術大学建築科教授戸*
小林秀樹(国土交通省国土技術総合研究所室長)
立 松 久 昌 (月刊﹁住宅建築﹂顧問)
中谷礼仁(大阪市立大学建築学科専任講師)
服部等生(千葉大学大学院教授)
東京大学生産技術研究所助教授)
野 城 智 也 (十
制 作 H建 築 思 潮 研 究 所
〆
-''
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山
12
,
9
頒 〆 二 季'
印 刷 ・ 製 本 U慶 昌 堂 印 刷 株 式 会 社
・
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の入った論考のおかげで、ずいぶんと強
(本号 責 任 編 集 H小林秀樹)
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化 し て い た だ き ま し た 。 ぜひ、お読みい
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ただければと思います。
です 。
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諸制度によ サがんじがらめになっていま
す 。 そ の閉塞状態を打ち破るためにこそ、
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﹃﹁高さ計画﹂とい、1理 論 武 装 が 必 要 な の
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空語 4 4 区 ' 総
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炉
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- と ニ ろ で 、 本 誌 に は 掲 載 じ ませんでし
たが、ミニジンポジウ沿の中で、﹁高さ
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