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現代社会の障害児観の一面の検証 −最近のマスコミ記事を材料として
現代社会の障害児観の一面の検証 −最近のマスコミ記事を材料として− 阿 部 幸 泰 1) (はじめに) 筆 者 は 機 微 ・ 創 刊 号 に 、「 単 に 『 係 わ る 』 こ と で な く 、『 係 わ り 合 う 』 こ と の 意 味 」 と 題 し て 、「 教 育 現 場 で あ れ 、 福 祉 の 現 場 で あ れ 、『 た が い に 輔 け 合 う 関 係 』 の 中 で 、『 生 き ているということはどういうことなのか』という命題は、まさに人間関係の神髄であろう し 、 そ の こ と を 発 信 し 続 け る 補 助 手 段 と し て あ え て 図 式 化 を 試 み 」 て 、 模 式 図 2)を 提 示 し た。 更 に 、「 教 育 的 係 わ り 合 い 」 に お い て は 、 係 わ り 手 と し て の 我 々 の 教 育 観 、 児 童 観 、 社 会観、人間観、生命観等が、重要な要因であることが自ずと浮かび上がってくることに も触れた。 では、我々個人個人の社会観、人間観、生命観、等々の形成に影響を与えかねない現 在の社会の障害児・者観の一面を、最近のマスコミ記事を材料としてどういった現状に あるのかの検証・コメントを記したい。ご講評をお聞かせいただきたい。 〔記事1〕 記 事 ( 毎 日 新 聞 HP:2003-11-07-18:33 ) の 概 略 。 【 先 天 性 筋 ジ ス ト ロ フ ィ − の 長 女 ( 当 時 27 歳 ) を 、 呼 吸 す る た め に 気 管 に つ け て い た チ ュ − ブ の 開 口 部 を 手 で ふ さ い で 窒 息 死 さ せ た と し て 殺 人 罪 に 問 わ れ た 父 親 に 、大 阪 地 裁 は 、 懲 役 3 年 、 執 行 猶 予 5 年 の “ 温 情 判 決 ”。 裁 判 は 「 家 族 と と も に 暮 ら す 喜 び を 長 女 か ら 奪 っ た 責 任 は 重 大 だ が 、 27 年 間 愛 情 を 注 ぎ 、 献 身 的 に 介 護 し て き た 」 と 執 行 猶 予 の 理 由 。 長女は生後間もなく、病状が発覚。8歳ごろから自力では動くことができなくなった。 昨年からは流動食しか受け付けず、今年1月、インフルエンザで入院し、3月に退院した が寝たきり状態に。両親はたんを吸引したり、寝返りさせるなど交代で介護していたが、 裁 判 は 動 機 に つ い て 、「 声 を 出 せ ず 自 力 で 食 べ る こ と も で き な い 長 女 を ふ び ん に 思 っ た 」 と 指 摘 し た 上 、「 昼 は 仕 事 、 夜 は 介 護 と 精 神 的 、 肉 体 的 な 苦 し み は 相 当 な も の で 同 情 の 余 地 が あ る 」 な ど と 情 状 面 を 考 慮 。】 〔記事2〕 記 事 ( 毎 日 新 聞 HP:2003-05-16-00:57 ) の 概 略 。 【 養 育 の 悩 み か ら 、 知 的 障 害 の な い 高 機 能 自 閉 症 の 寝 て い た 長 男 ( 当 時 14 歳 ) の 首 を コ ードで絞め窒息させ、遺書を書き自殺をしようとしたが死にきれなかった父親に、神戸地 裁 は 、 懲 役 3 年 、 執 行 猶 予 5 年 の 温 情 判 決 。 判 決 は 、「 安 ら か な 長 男 の 寝 顔 を 見 て 、『 こ れ 以 上 苦 し む 姿 を 見 た く な い 』 と 発 作 的 に 起 こ し た 犯 行 」 と し 、「 で き る 限 り の 世 話 を 長 年 続 け る な ど 同 情 で き る 点 が 多 い 」、 ま た 、 長 女 が 交 通 事 故 に 遭 う な ど し て 精 神 的 に 追 い 詰められた背景があるなどから情状面を考慮。被告の友人や医療関係者、障害者団体など から、刑の減軽を求める嘆願書約2万人分が集まっていた。弁護人は「被告の子どもへの 愛 情 を 理 解 し た 判 決 で 評 価 で き る 」 と 話 し た 。】 1 ) 仙台医療福祉専門学校 ・ 言語聴覚科 ( 非常勤講師 )、 尚絅学院大学女子短期大学部 ・ 保育科 ( 非常勤講師 ) 〔記事3〕 記 事 ( 河 北 新 報 夕 刊 3 面 :2003-11-14 ) の 概 略 。 【 10 月 下 旬 、 京 都 の あ る 小 学 校 で 音 楽 教 育 研 究 大 会 ( 参 加 者 200 名 ) が 開 か れ た 。 そ こ で 配 布 し た 同 校 の 音 楽 教 育 の 紹 介 冊 子 の 、楽 器 の 練 習 す る 児 童 の 様 子 を 撮 影 し た 写 真 の 中 で 、 障害児が写っている5,6枚にぼかし処理がされていた。一部の教員から「不適切だ」と 指摘を受けた同校は、児童の保護者の了解を得ていなかったと、保護者に謝罪した。校長 は「個人が特定されないよう配慮したつもりだが、最善の方法ではなかった」と話してい る 。】 〔記事4〕 記 事 ( 朝 日 新 聞 :2003-12-29 ) の 概 略 。 【 10 ∼ 13 歳 く ら い で 言 葉 を 話 せ な い 重 い 知 的 障 害 の 少 年 が 、 身 元 が 分 か る よ う な も の を 一切もっていない状態で保護された。保護された当時の服装の様子、疲れのない状態等か ら、そう遠くからきたとは思えず、関係機関は、近県等を含め、照会、チラシを配布した が 、 情 報 を 得 ら れ ず 1 年 が 過 ぎ よ う と し て い る 。】 〔記事5〕 記 事 ( 読 売 新 聞 H P :2004-1-5-09:18 、 及 び 、 ミ ヤ ギ T V 「 情 報 ナ ウ 」 :2004.1.6 ) の 概 略 。 【 昨 年 11 月 に ガ ン を 宣 告 さ れ て い た 63 歳 の 母 親 が 、 知 的 障 害 の あ る 我 が 子 ( 30 歳 ) を 窒 息 死 さ せ 、 自 ら も 自 殺 」。 母 親 は 自 ら の 病 気 へ の 不 安 か ら 先 々 の 子 ど も の 世 話 等 を 悲 観 し、無理心中したのでないかとのこと。母親はヘルパ−の仕事もしていた。また、青年は 地 域 の 作 業 所 に 通 所 し て い た よ う で あ る 。作 業 所 等 の 所 長 は 、取 材 に「 理 由 が ど う で あ れ 、 子 ど も の 命 は 、 親 の も の で な い … … 」 と 涙 な が ら に 声 を 詰 ま ら せ な が ら 話 し て い た 。】 〔検証・コメント〕 〔記事1、2に関して〕 以下のように次々と疑問が沸いてくる。 難 病 の 方 、障 害 児 ・ 者 は 、そ の 病 状 、障 害 故 に 親 に 殺 害 さ れ て も し か た な い 存 在 な の か 。 また、殺した親に、減刑請願署名運動という地域のこの実情は、どう考えればいいのか。 「温情判決」とは、何なのか。 福祉制度が充実してきてもこうした悲劇が起こるのは、福祉制度のどこに不十分な点が あるのか。 自己中心的な欲望故の残忍な事件は連日大きく報道するのに、社会意識として向き合う べき「生命」の問題への提起となるこうした事件を全国版紙上で報道しないマスコミの意 識は、どの程度なのか。 裁判にしても、判決に不服では検察も控訴が可能だが、こうした事件の控訴審はあまり 聞いたことがない。最近の医療事故の裁判は、控訴審がつきものぐらい、亡くなられた方 の生命、人権が尊とばれているのに、どうして親による障害児・者の殺害の裁判は、控訴 審が少ないのか。社会の規範となる判決を出す裁判官は、障害児・者の生命、人権をどう 考 え て 論 理 を 組 み 立 て て 「 温 情 判 決 」 に 至 る の か 。 裁 判 は 法 に 基 づ き 判 決 を 出 す が 、「 温 情」という部分は世論が影響する部分でもある。 「子どもへの愛情を理解した判決」とは、どういうことか。親は愛情故に我が子を殺し てもいいということか。もしそうなら、今社会的問題となっている虐待児問題はどうなる の か 。「 子 ど も へ の 愛 情 故 に 結 果 と し て 虐 待 に な っ た 」 と 、 も し 主 張 す る 親 が い た 時 、 我 々社会は何か云えるのか。 こ の 二 つ の 事 件 の よ う な こ と に 接 す る 時 、し ば し ば「 介 護 等 の 大 変 さ も 考 え な く て は 」、 という意見を耳にする。介護の辛苦、苦労の問題だけでなく、やはり根には、日本社会の 弱 者 排 除 の 論 理 故 か と 想 像 す る ( も ち ろ ん 親 に す れ ば 無 意 識 の こ と と 思 う が … … )。 過去には介護の問題を離れて、施設入所の子どもを面会にきた母親が殺傷した事件もあ った。また、養護学校・寄宿舎から帰宅中の子どもを親が殺傷した事件もあった。 や は り 、 親 と し て 、 障 害 の あ る 我 が 子 が 「 ふ び ん 」、「 可 哀 想 」 と い う 感 情 の 裏 に は 、 我々日本人の持つ精神風土の貧しさがあると思う。また、親にそうした感情を抱かせる社 会のあり方も問われなくてはならない問題であることは、いうまでもない。 筆 者 は 、「 ふ び ん 」、「 可 哀 想 」 故 の 悲 惨 な 事 件 を 見 聞 す る 時 、 約 30 年 前 に 読 ん だ 本 「 母 よ ! 殺 す な ( 横 塚 晃 一 著 、 す ず さ わ 叢 書 、 1975 )」 を 思 い 出 す 。 CP の 我 が 子 を エプ ロンの 紐 でしめ殺した母親に、地域で減刑請願署名運動が起こり、また、懲役2年執行猶予3年の 温 情 判 決 。 こ の 判 決 に 、 CP の 青 年 達 が 親 に す ら 殺 さ れ か ね な い 立 場 か ら 、 社 会 に 問 題 提 起した内容であり、障害者運動の歴史に触れる時に必ずといっていい程、引用される程の 価値ある本である。 こ の 本 の 出 版 か ら 四 半 世 紀 以 上 が 過 ぎ た の に 、こ の 時 間 の 経 過 の 意 味 ・ 重 み は な い の か 。 それ程までに、我々日本人の精神風土は貧しいのであろうか。 〔記事3に関して〕 児童の楽器練習風景の写真で、なぜ、障害児という理由でぼかし処理が必要なのか。ぼ かし処理をしなかった他の児童は、個人を特定できないとでもいうのであろうか。 そもそも、その意識こそ問題にされるべきことと思う。写真掲載の「了解を得ていなか ったので謝罪」というのなら、何も障害児に限らず、全ての児童の保護者に謝罪すべきこ と。また、こんな心貧しい校長の指導の学校で、音楽教育研究大会を開く程の豊かな心を 育む音楽教育が本当に実践されているのかと、疑いたくもなる。 まして、次世代を担う児童を教育する教育現場の学校、教師のこの障害児理解への意識 の貧しさでは、先が思い遣られる。こうした教師を現場に送り出している機関の指導者の 障害児観は、どの程度なのだろうか。 〔記事4に関して〕 筆 者 の HP ( http://www.h4.dion.ne.jp/~dekunobo/ ) に も 知 的 障 害 の 青 年 の 行 き 先 不 明 に 関 す る 記 事 ( バ ッ ク ナ ン バ − P : 2003/12/17 「 地 域 コ − デ イ ネ − タ − の 仕 事 の 現 実 」 参 照 ) を 載 せ ただけに、身につまされながらこの記事を読んだ。 青年は10日目に自力で帰ってきたのでことなきをえたが、この少年は自らは誰である かを表現できないだけに、ことは深刻である。恐らく在宅で過ごしていたと思われるだけ に、この年齢まで、しかもこれ程の重度な知的障害のある少年を育てるには、家族はかな り手のかけた世話をしていただろうし、外出も常に一緒だっただろうから、少年のいなく なった家族の日常生活の変化も顕著なはず。それだけに、周りは少年のいなくなった家族 の変化を気づかないのであろうか。確かに、現代社会は「隣は何をする人とぞ……」の風 潮はあるが、自らの意思を周りに伝えることの出来る人の問題と、この少年の問題は質的 に異なる。 障 害 児 ・ 者 の 主 体 性 を 尊 重 す る と い う 支 援 費 制 度 開 始 の 記 念 の 平 成 14 年 で あ っ た が 、 主体性が尊重される前に、まずその存在そのものが尊重される社会が必要十分条件と考え る 。 そ こ に こ そ 、 人 間 の ア イ デ イン テ イテ イ− の 問 題 を 考 え る 原 点 が あ る よ う な 気 が す る 。 福 祉 面 で は「 地 域 で 共 に 生 き る 」が ス ロ − ガ ン の よ う に 云 わ れ て い る が 、「 共 に 生 き る 」 前 に 、「 共 に 生 き て い る 」 こ と を 認 識 し 合 う 社 会 で あ り た い 。 〔記事5に関して〕 母親はヘルパ−であることから、在宅で過ごす障害者の支援等、福祉に関する情報もそ れなりに知っていたであろう。また、青年は地域の作業所に通所しており、それなりの地 域で生活するサ−ビスを利用していた。それでもなお、こうした悲劇が起こるのは、何故 か。 作業所等の所長は、取材に「理由がどうであれ、子どもの命は、親のものでない……」 と涙ながらに声を詰まらせながら話していたが、正にその通りである。 親は障害のある我が子の最高の理解者であり支援者でもあるが、一方、時に障害児・者 の最悪の抑圧者にもなりうる。その抑圧の最たるものが、我が子の命を奪うことである。 親 は 、我 が 子 の こ と は 自 分 達 が 一 番 解 っ て い る と 思 い が ち で あ る 。そ う 思 う 気 持 ち に は 、 何の異論もない。しかし、その気持ちの思い詰めの先に、このような事件があるとも考え られる。それだけに、こうした事件に接する度に、ふと思うことがある。 親に、障害児をどう育てるかを指導する専門機関は多い。一方、障害児を育てる親とし て、どういった親自身になることが望ましいかを、親に寄り添い、指導する専門機関、制 度はあるのだろうか。筆者のHPで提起した公園デビユ−コ−チ制度(付帯資料:参照) もしかりである。 こ う し た 制 度 が な い と 、障 害 児 の 子 育 て は そ の 時 々 の 親 独 自 の 気 持 ち に 任 さ れ る だ け で 、 親は孤立感、不安感の中で苦悩し、引いては悲劇に繋がりかねない。障害児をどう育てる かも大事であるが、それと同時に障害児をもつ親自身として、その時々に、どういった考 え 方 、観 点 が 必 要 か と い う 、親 自 身 の あ り 方 を 思 考 す る 余 裕 を 持 っ て も ら う よ う な 支 援 に 、 もう少し視点を置いた専門機関もあっていいのではないだろうか。 (おわりに) 以上、あれこれ疑問を提起しながら検証を試みても、責任の所在が明らかになるもので はないだろうことは、容易に理解できる。 それだけに、その社会(世論)の意識を形成する我々一人一人の意識が問われることで あり、また、我々自身の身近から、その世論を形成する努力を忘れてならない。 正に、障害児に係わり合うとは、社会に精神革命を起こす過程の作業とも云える。その ためには、社会を構成する我々一人一人の意識改革を、自らも含め問い続ける過程とも云 える。 そ の 自 ら の 意 識 改 革 へ の 作 業 は 、「 機 微 の 会 」 の 理 論 的 背 景 と し て 参 考 に し い て い る 梅 津 八 三 3)の 云 う 「 生 命 活 動 の 拡 大 方 向 ( 生 き て い る と い う こ と は 、 ど う い う こ と な の か ) を 自 ら に 問 い 続 け る 」 と い う こ と と 通 じ る こ と で あ ろ う 。 ま た 、 具 体 的 に は 、「 他 の 子 ど も と 較 べ る こ と を あ え て し な い で 、( 障 害 児 教 育 を 含 め 人 類 一 般 に お け る ) 教 育 的 係 わ り 合いをたがいに輔け合う関係」と捉えて係わり合う作業であろう。 そ れ 故 、「 機 微 の 会 」 の 実 践 検 討 会 は 、 我 々 参 加 者 に 、 係 わ り 手 と し て の 姿 勢 、 工 夫 を 自らに問う作業の場であるという、重要な意味を持っていると思っている。我々参加者一 人 一 人 が 、そ う し た 重 要 な 意 味 を 自 ら 意 識 す る こ と が 、ま ず は 最 初 の 作 業 で あ ろ う 。か つ 、 その作業から得た生命観、教育観、障害児観、等々を社会に発信する作業も行わなくては ならない。その一つがこの「機微」の刊行とも思う。筆者が思うには、生命観、教育観、 障 害 児 観 、 等 々 に は 、 到 達 点 と い う も の は な い 。 そ れ 故 に 、 勇 気 あ る 発 信 が 、「 た が い に 輔け合う関係」を作り、目指すべき社会構築への第一歩と考えている。 引用・参考文献 2) 阿 部 幸 泰 : 単 に 「 係 わ る 」 だ け で な く 「 係 わ り 合 う 」 こ と の 意 味 、 2002 年度「係わり合いを考える」実践検討会報 告 書 「 機 微 」 創 刊 号 、 2 、 宮 城 教 育 大 学 障 害 児 教 育 講 座 ・ 藤 島 研 究 室 、 2003 . 3) 梅 津 八 三 : 心 理 学 的 行 動 図 、 研 究 紀 要 創 刊 号 、 重 複 障 害 教 育 研 究 所 、 1976 . 付 帯 資 料 ( 筆 者 HP : http://www.h4.dion.ne.jp/~dekunobo/ の 2003/03/09/ 「 公 園 デ ビ ュ − デ ビ ュ − コ − チ 制 度 ( ? )」 か ら 抜 粋 ) 【 … … 。「 地 域 」 で 「 生 活 」 す る に は 、 例 え ば 、 母 親 が 公 園 デ ビ ユ − ( 象 徴 的 な 表 現 で 、 医師からの宣告の戸惑いから、子どもと共に地域生活にポシチブになるという意味合い) できるまで、共に公園へ寄り添うコ−チ制度を整備することの方が大切でないかなと思い ます。また、公園にいる周りの母親達にも、こうした親への係わり方を時にアドバイスす ることも、必要でしょう。つまり、地域の方々にも理解を促すことも出来ます。それこそ が 、地 域 の 方 々 も 障 害 児 と 共 に 「 地 域 」 で 「 生 活 」 す る と い う こ と に 、 繋 が る と 思 い ま す 。 障害者が勤務し始めると、何ケ月間か共に通勤し、企業側と本人にアドバイスする「ジ ョ ブ コ − チ 制 度 」 は 既 に あ り ま す の で 、 こ う し た 障 害 児 の 「( 仮 称 ) 公 園 デ ビ ユ − コ − チ 制度」も可能な気がします。 現に、地域の公園デビユ−まで、かなりの時間と勇気が必要だったという母親の話も聞 いたことがあります。かといって、障害児の母親へという目だけでのサポ−トだけでは困 ります。ある障害の親は、家にかかってくるセ−ルスの電話の時、自分が障害児をもつ親 とは知られず「一人の大人として会話できるので、ほっとする」という話も聞いたことが あります。また、養護学校に通っているために、地域の子ども会の名簿に記載されておら ず、子ども会の行事に声もかからず、更に、地域の小学校のプ−ルも使用させてもらえな いこともあったとか。 まず、障害児療育のプロしての専門知識・技術でのサポ−トや既存の制度等の説明以前 に、まず、母親の不安、戸惑い、願い等に寄り添うことが大切と思います。こうした支援 に出向くコ−チは、障害児をもった親の心理過程を理解し、かなりしっかりした人間性も 要求されます。……。もちろん、障害のあることを最初に宣告する医療機関(医師)→保 健所(保健師)→地域支援機関(公園デビユ−コ−チ)というように、サポ−トのための 連 携 の 構 築 を 含 め た も の で あ る こ と は 、 い う ま で も あ り ま せ ん 。】