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温故知新 - 福山市教育委員会
「温故知新」 《青い目の人形》 2016 年度(平成 28 年度)がスタート しました。本年度,校長を務めさせていた だきます,大塚三喜男です。よろしくお願 いします。 福山市は,今年市制施行100周年を迎 えます。福山市のホームページに「福山市 の歴史」が掲載されていて,その中に示さ れていたことを紹介します。 【メアリー,ナターシャ】 『1916 年(大正 5 年)深安郡福山町を廃し,市制施行して福山市となる。 人口 32356 人,面積 5.8 平方キロメートル。初代市長,阿武信一。』 『1917 年(大正 6 年)福山市制施行記念日の制定論告,市章を制定』 『1938 年(昭和 13 年)福塩線開通』 『1945 年(昭和 20 年)福山空襲により市街地約 8 割を消失』 『1956 年(昭和 31 年)第 1 回ばら展示会開催』 『1968 年(昭和 43 年)第 1 回ばら祭開催』 『1993 年(平成 5 年)「ばらのシンボルマーク」制定』 『1999 年(平成 11 年)井原線(神辺~総社)開業』 『2006 年(平成 18 年)深安郡神辺町を合併』 『2011 年(平成 23 年)福山市立大学開学』 『2016 年(平成 28 年)福山市市制施行 100 周年』 このようなことが,福山市では 100 年間にありました。 また,湯田小学校は,創立 104 年目にあたります。湯田尋常高等小学校とし て(湯田村大字湯野字中陣)創設され,様々な歴史を経て現在に至っています。 このホームページに写真がある「メアリーとナターシャ」は,なぜ湯田小学 校へいるのかという質問もありました。ここで,簡単にご紹介します。 1927 年(昭和 2 年),アメリカのギューリック博士が「アメリカと日本が これからも仲良くしていくために日本へ人形を送ろう。」ということで,日本に 約 1 万2000の「青い目の人形」が送られ,その中の一体が「メアリー」で 湯田小学校へ送られてきました。その後,太平洋戦争がはじまり「メアリー」 の行方が分からなくなりました。しかし,1952 年(昭和 27 年)に学校清掃 のときに校長室から見つかりました。その時に見つかった「メアリー」を,地 域の方が大切に保管してくれていました。そして,1993 年(平成 5 年)66 年ぶりに湯田小学校へ帰ってきました。翌年,ギューリック博士の孫のギュー リックⅢ世より, 「ナターシャ」が湯田小学校に送られました。それ以来湯田小 学校では「メアリーとナターシャ」と一緒に,入学式や卒業式に参加し,平和 や命の尊さを感じさせるシンボルとなっています。 本年度より, 「福山100NEN 教育」がスタートしました。その目的は, 「変 化の激しい社会をたくましく生きる子どもを育てる。」です。その目的を達成す るために,小中一貫教育1・2・3に ESD2観点を持って様々な取組を「つな ぎ,継続・積み上げること」をしていきます。 本校では,日々の授業の改善に取り組んでいきます。 「自ら考え学ぶ授業づく り」を推進するために,児童につける力をはっきり持ち, 「めあて」と「まとめ」 の整合性を図ることと,協同的な学習を進め,友だちとかかわることを通して, コミュニケーション力を高め,そして表現力をつけていきます。 児童の自己肯定感を高める取組を進めていきます。 「自分にはよいところがあ る」 「それを周りの人が認めている」ことを,児童自身が自覚できるような取組 をします。基本的には, 「ほめる」こと,とにかく「ほめる」ことを継続してい きたいと思います。児童ががんばっていること,今までよりも伸びたこと,で きるのはあたりまえと思うことでもほめることを,教職員一同実行していきま す。 湯田プライド(湯田小学校の自慢) 湯田小学校の3つの自慢 元気なあいさつ(立ち止まって,目を見て,元気にあいさつ) ※本年度は,「自分から先に」を入れてできるようにします。 静かに移動(体育館移動では,話さず静かに移動) 美しい歌声(校歌や全校合唱など,体育館に響き渡る美しい歌声) 昨年度までのすばらしい自慢(湯田プライド)を,さらに磨きをかけ昨年度 以上になるように取り組み,すばらしい湯田小学校にしていきます。 今後とも学校教育に対してご理解とご協力をよろしくお願いします。 2016年(平成28年)4月 校長 大塚三喜男