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平成26年秋号

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平成26年秋号
松医会報 第
号 平成
99
年 秋
26
2014年11月21日
発行者
勝 山 努
編集者
石曽根 新 八
中 田 和 義
恒 元 秀 夫
印 刷
㈱ 綜 合 印 刷
松医会事務局
〒390- 8621
長野県松本市旭3-1-1
TEL0263-35-4600(内線)5132
0263-37-3001(ダイヤルイン)
E-mail:[email protected]
FAX 0263-39-0240
信州大学医学部松医会
松医会報 第99号
発 行
秋
信州大学医学部松医会
平成26年
99号
秋 平成26年
巻頭言
ご挨拶…………………………………………………………………… 会長 勝山 努(信13)……… 3
就任の挨拶
医学部長就任挨拶………………………………………………… 医学部長 池田 修一(信24)……… 5
医学部附属病院長就任挨拶…………………………………… 附属病院長 本郷 一博(信24)……… 7
信州大学大学院医学研究科保健学専攻長・医学部保健学科長・医学部地域保健推進センター長
就任挨拶……………………………………………………………… 金井 誠(信34)……… 9
新任教授就任挨拶……………………… 信州大学医学部泌尿器科学 石塚 修(信30)……… 11
………………… 信州大学医学部救急集中治療医学 今村 浩(特別会員)……… 12
…… 東邦大学医学部外科学講座呼吸器外科学分野 伊豫田 明(信37)……… 13
募金のお願い
信州大学医学部保健学科校舎 耐震改修・機能改善ならびに「地域保健推進センター」設置に係る
募金のお願い………………………………………………………… 金井 誠(信34)……… 16
前会長 森本 雅己先生を偲んで
弔辞……………………………………………………… 大学医学部同級生 清水 強(信 9)……… 17
森本雅己君を偲んで…………………………… 飯田市立病院 名誉院長 宮川 信(信 9)……… 18
森本雅己先生への弔辞………………………………………… 松医会会長 勝山 努(信13)……… 19
元松医会理事 塩澤 久要先生を偲んで
塩澤久要先生の思い出……………………………………………………… 窪田 貞喜(信 4)……… 21
塩澤久要先生への弔辞…………… 昭和34年3月信大医学部第5回卒業 五十嵐修三(信 5)……… 22
塩澤久要先生への弔辞………………………………………… 松医会会長 勝山 努(信13)……… 23
アフリカ・ニジェールで活躍される谷垣 雄三先生(信13)の支援について
…………………………………………………………… 東 璋(信 6)……… 25
会員の広場
ラッパ飲み……………………………………………………………………… 竹尾 康男(信 6)……… 26
北満の星〜佐藤大四郎の生涯〜……………………………………………… 佐藤 玄二(信 7)……… 29
葬式、はて?さて!…………………………………………………………… 田口 和宏(信 7)……… 34
松医会報送付で思った事 その後…………………………………………… 藤田 喜久(信 7)……… 36
万葉集全歌通読 =後編のⅢ= 大伴家持−万葉集の終焉 その2……… 三原 宏俊(信 7)……… 37
支部会だより
平成26年度中信支部総会報告… ……………………………………………… 中川 真一(信20)……… 42
第30回松医会静岡支部総会および懇親会報告… …………………………… 中村 好邦(信13)……… 43
松医会伊那飯田支部たより……………………………………………………… 前沢 信義(信20)……… 44
平成26年度信備会の報告… …………………………………………………… 高谷 泰正(信21)……… 45
平成26年度松医会神奈川支部会報告… ……………………………………… 張 家正(信28)……… 47
平成26年度東京城西支部松医会… …………………………………………… 沖津 明(信29)……… 49
同級会だより
47士会(昭和40年卒)………………………………………………………… 小川伸一郎(信11)……… 50
昭和52年卒業(信23)クラス会の報告……………………………………… 久米田茂喜(信23)……… 51
昭和26年度57卒同窓会の報告………………………………………………… 庭本 博文(信28)……… 52
1985年卒業(+1979年入学者)同窓会… ………………………………… 高久 仁利(信35)……… 54
平成5年信州大学医学部卒業生同窓会報告…………………………………… 平林 洋樹(信39)……… 56
学生の広場
第57回全国医学生ゼミナールin信州報告文書… …………………………… 奥野 衆史(学 3)……… 57
5月11日 13Mクラス会… …………………………………………………… 山口 雄大(学 2)……… 63
松医会より
昭和26年度信州大学医学部松医会評議員会・総会… ……………………………………………………… 64
平成25年度松医会賞・奨励賞の選考について… …………………………… 駒津 光久(信32)……… 93
松医会賞および松医会奨励賞授与式…………………………………………………………………………… 94
松医会賞受賞論文報告……………………… 医学部病態解析診断学講座 吉澤 明彦(信43)……… 95
松医会奨励賞受賞論文報告……………………… 医学部附属病院薬剤部 竹澤 崇 ……… 98
第43回松医会ゴルフコンペ報告… …………………………………………… 松田 國昭(信11)…… 101
信州大学医学部医学科 第60回卒業者名簿… …………………………………………………………… 102
平成26年度 信州大学医学部医学科 入学者名簿… …………………………………………………… 103
編集室より
会員異動及び訃報……………………………………………………………………………………………… 104
母校の現状………………………………………………………………………… 石曽根新八(信17)…… 105
信州大学
平成26年度 信州大学入学式が行われました… …………………………………………………… 105
信州大学校友会 設立記念式典・記念講演会を開催………………………………………………… 106
池上 彰 特任教授による平成26年度夏季集中講義を開催………………………………………… 107
医学部
医学系研究科循環病態学の新藤隆行教授が財団法人博慈会平成26年度ダ・ヴィンチ賞を受賞しま
した … ………………………………………………………………………………………………… 107
医学系研究科循環病態学の田中愛さんが、第87回日本内分泌学会で若手研究賞(YIA)を受賞し
ました…………………………………………………………………………………………………… 108
地域保健分野の活動拠点「地域保健推進センター」を開設………………………………………… 108
医学系研究科循環病態学の山内啓弘さんが、第38回日本リンパ学会で日本リンパ学会奨励賞(西
賞)を受賞しました…………………………………………………………………………………… 109
医学系研究科循環病態学の田中愛さんが、第35回日本炎症・再生医学会で優秀演題賞を受賞しま
した……………………………………………………………………………………………………… 109
医学系研究科循環病態学の小山晃英さん(現国際医療福祉大学)が、第46回日本動脈硬化学会で
若手研究者奨励賞最優秀賞を受賞しました………………………………………………………… 109
CITI Japanプロジェクトで『人を対象とする医学系研究に関する指針について』講演会を開催…… 110
平成26年度文部科学省「高度医療人材養成プログラム」において、医学部のプログラム2件が採択
………………………………………………………………………………………… 111
医学部附属病院
長野県立こども病院と連携協定を締結しました……………………………………………………… 112
信州上田医療センターと医師確保に関する協定を締結……………………………………………… 113
丸の内病院、長野県看護協会と助産師出向等に係る協定を締結…………………………………… 113
JA長野県グループから寄贈された巡回診療車の愛称が「めぐりん号」に決定し、表彰式を行いました
………………………………………………………………………………………… 114
松本市立病院と医療連携に関する協定を締結………………………………………………………… 114
10月1日(水)より 路線バスが信大病院内「玄関前」に乗り入れ!来院がますます便利に!…… 115
誌上写真展示……………………………………………………………………… 中田 和義(信18)…… 116
事務局より
アフリカ・二ジェール谷垣雄三先生への支援金…………………………………………………………… 129
名簿一覧(名前・住所ラベル)が必要な方… ……………………………………………………………… 129
「松医会」投稿要領…………………………………………………………………………………………… 129
松医会賞論文及び松医会奨励賞論文募集…………………………………………………………………… 130
平成27年 松医会報100号(春号) 誌上写真展への出展募集… …………………………………… 131
平成26年発行松医会会員名簿の訂正について… ………………………………………………………… 131
松医会会員名簿の配布について……………………………………………………………………………… 131
連絡先不明者についてお願い………………………………………………………………………………… 132
編集後記…………………………………………………………………………… 石曽根新八(信17)…… 135
広告……………………………………………………………………………………………………………… 136
表紙・裏表紙の写真の解説…………………………………………………………………………………… 140
異動連絡票……………………………………………………………………………………………………… 141
巻頭言
ご挨拶
松医会会長 勝山 努(信13)
森本会長が病気療養を理由に2期目の任期半ば
もあります。学生諸君からは、卒業後の研修先の
で辞任され、残り1年を私が担当するよう指名されま
選択に役立つような情報や国家試験に関する情報
した。いささかウォーミングアップ不足は否めません
が欲しいなどの意見が寄せられていますが、どの
が、ショートリリーバーなりの役割は果たすつもりで
ような情報を期待しているかを把握するとともに、
おりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。松
情報提供の仕方にも工夫が必要かもしれません。
医会の目的としては、会則に「本会は、会員相互の
現役学生諸君の意見を汲み取るために、今後理事
親睦研修を図るとともに、信州大学医学部と連携を
会への出席、会報編集への積極参加などを考慮す
保ち母校の発展を期し、且つ後進の便宜をはかる」
るつもりです。
とされており、歴代会長さんはその実現を旨として松
2.松医会報の発行(総支出の15%)は「会員相
医会の運営に当たってこられました。会長就任以来
互の親睦研修を図る」に相当する主要な事業です。
3回の理事会に出席させていただき、副会長・理事
本年8月には会員名簿の発行が行われ、大変好評
の皆様のお話を伺ってきました。また、池田医学部
を博しているようです。松医会報については冊子
長、本郷附属病院長のご意見を伺い、さらに医学科
体で発行するかが問われており、HPへの掲載でよ
学生委員長などから申し出があり、意見交換の機会
いのではないかと言う意見もあります。ただ、冊
を持ちました。皆さんのご意見をまとめると、1.医
子体の送付の中止が松医会との縁の切れ目になら
学科現役学生諸君との交流の強化、2.松医会報の
ないようにしなければならず、編集担当理事を中
発行を中心とした会員への情報提供の在り方の検
心に理事会として十分検討したいと思います。
討、3.医学部医学科・附属病院との連携の強化、4.
3.医学部との連携、医学部の発展への支援と言
財政的基盤の強化、5.法人化の検討、など、喫緊の
う意味では、学術助成金の提供、松医会賞の授与
課題が目白押しと感じております。
などがあります(同9.4%)。本号に寄せられた
1.現役学生は何と言っても将来松医会の中心と
池田医学部長からのメッセージに述べられている
なる諸君であり、彼らの心をしっかり掴むこと
ように、本会に対してさらなる財政的な支援が期
が松医会の将来の発展につながることになりま
待されています。
す。松医会の行っている事業の中で、学生会員に
ご承知のように、国立大学は行政改革の一環と
対してはクラブ活動費の補助、国試対策費の援助
して10年前の平成16年4月、独立法人化されまし
など様々な直接的な支援を行っていますが(平
た。移行時の学長は、本医学部10回生の小宮山
成25年度総支出の7.4%)、現在の松医会収入の
淳先生で、大変なご苦労の末に、現在の信州大学
62.6%(平成25年度決算)が医学部学生の入会金
の基本となる組織を構築されました。信州大学の
と会費に頼っている現状を考えると、支援をもう
正式な名称が、「国立大学法人信州大学 Shinshu
少し強化してほしいと言う学生諸君からの切なる
University, National University Corporation」と
訴えにも頷けるものがあります。もちろん、松医
なったことは皆様ご存知でしょうか。国からは
会報の発行も学生諸君への情報提供と言う意味を
「知の共同体」から「知の経営体」への変換が強
含んでおりますが、学生の間で会報の既読率はは
く求められ、国立大学の運営予算のおよそ半分を
なはだ低く、教室の片隅に山積みされたままに
占める運営費交付金は、平成16年度の全国立大
なっていたり、相当数が廃棄されているという話
学での総額1兆24百億円から平成26年度には1兆
3
13百億円と10%減額されています。人件費も小
5.松医会の法人化についてですが、どのような
泉内閣のいわゆる骨太の方針以来、年間1%ずつ
形態が可能か、奥平財政担当理事を中心にプロ
減額するよう義務付けられており、教員数は大き
ジェクトチームが発足しました。皆様からご寄付
く減少しています。
をいただくについても、免税措置を講じられるよ
医学部について見ると、独立法人化以後、講座
う、早期に結論を出したいと思っています。
費は激減し、今年度、臨床系講座(今年度から
「教室」と呼ぶことになったそうですが)への配
医学部では昨年度、5名の教授が退職されまし
分はついに無くなった(ゼロになった)と聞いて
た。生化学教室の鎌田教授、生理学教室の大橋教
います。人件費の削減に対応するために、教授の
授、外科学第二教室の天野純教授、泌尿器科学教
ポジション数はほぼ以前と同様ですが、講師・
室の西沢教授、救急集中治療医学教室(高度救命
助教クラスの教員のポジションはこの8年間で
救急センター)の岡元教授です。因みに、今年度
10%を大きく超えて減ってしまいました。OBの
から「講座」なる名称は「教室」に変更されまし
方々には、医学部講座の「教官」数が教授1+助
た。生理学第一、泌尿器科学、集中医療・救急医
教授1+助手3(臨床系講座はこれに加えて病院
学各教室の後任はそれぞれすでに選考が終了し、
枠の教官枠があります)であった良き時代をご記
そのうち、泌尿器科の石塚教授(本学30回生)、
憶の方が多いと思いますが、現在では平均4名を
集中医療・救急医療学の今村教授(横浜医大卒)
大きく割り込んでおり、教授を含めて3名の講座
はすでに発令されました。天野純教授の後任につ
が多数存在します。医学部の医局講座制は大学紛
いては、天野先生は外科学第二が担当する乳腺内
争以来の古くて新しい課題ですが、今後知的生産
分泌外科、呼吸器外科、循環器外科の3診療科す
性をあげて競争力ある医学部組織にするために、
べてに専任教授を選考すべきとの見解を表明され
診療科と講座(教室)の再編成を俎上に乗せざる
たと聞きました。如何にも構想力に優れた天野教
を得ないと思いますし、医学部長、病院長は先陣
授のご発言と思います。そのご意向が反映された
を切って徹底的な改革に取り組んで欲しいもので
のだと思いますし、また池田学部長の大英断と
す。松医会としても可能な支援を検討します。
言って失礼には当たらないと思いますが、心臓血
4.学生支援、松医会報発行、医学部、附属病院
管外科、乳腺内分泌外科の2名の教授が選考され
の支援のいずれをとっても財政的基盤を強化しな
たようで、医学部の長い歴史上画期的な出来事と
い限り何もできません。もちろん、すべての支出
教授会の決定を大いに称えたいと思います。生理
を聖域なく見直す必要がありますが、それだけで
学第一教室についてもすでに選考は終了したと聞
は到底足りません。森本前会長は財政面の弱さを
いています。医学部、附属病院の現状、抱える課
たいへん心配され、卒業後20年を経たOBの方々
題については、それぞれ池田医学部長、本郷附属
に毎年5千円の寄付をお願いする制度を発足させ
病院長から寄稿されたエッセイをぜひお読みくだ
ました。終身会費を納入すればその利息で本会を
さい。
運営できるという当初のビジネスモデルは、バブ
松医会の運営も医学部の運営も謂わば瀬戸際状
ルの崩壊とともにその前提が崩れていることは、
態です。同門生の皆様の絶大なご支援をお願いす
大方のOBにご理解いただいていることと思いま
る次第です。
す。平成25年度には800名余りのOBにご寄付を
最後になりましたが、会員の皆様のますますの
いただき、有難いことと思っております。その用
ご健康とご活躍を祈ります。この小文に記したこ
途については、今年度中に目鼻を付けたいと考え
と、あるいは関係ないことでも結構ですが、ぜひ
ています。
ご意見をお寄せ下さい。
4
就任挨拶
就任の御挨拶
信州大学医学部長 池田 修一(信24)
今年の夏は各地で豪雨が発生して多くの尊い人
についても再考の必要がありそうです。学生定員
命が失われましたが、季節は早爽やかな秋となり
増にも係わらず、国家公務員の定数削減の影響で
ました。皆様におかれましては全国各地で日々御
信州大学医学部の教官数は年々減少させられてお
活躍のことと拝察申し上げます。
ります。その結果、小講座(教官定員教授1、准
さて、私はこの6月11日より医学部長を拝命致
教授1、助教1の3名)においては教育義務を果
しております信24回卒業、現在、第三内科に所
たすことで精魂疲れ果てているという状況も見受
属しております池田でございます。本紙面をお借
けられます。大学本部からは組織構造改革がなか
りして就任の御挨拶とともに現在の医学部が抱え
なか進まない医学部の現状に対して厳しい評価を
ております課題について御説明申し上げ、その解
受けておりますが、50年以上継続している小講
決法についても私なりの提言を致したいと思いま
座制を見直し、より効率的な組織・機構への脱皮
す。
が必要と考えます。
ⅰ)施設整備と医学教育
ⅱ)研究内容
医学部の建物は全体の約85%が耐震改修を終え
研究に関しては全国をリードする、世界へ通
て、基礎医学研究棟、臨床医学研究棟の外観・内
じる高いレベルの内容が常に求められておりま
装は一新されました。この中には皆様の御寄附に
す。信州大学全体ではカーボンナノテクを中心
より再構築された第一臨床講堂と第二臨床講堂が
に、工学部と繊維学部の両学部が非常に頑張って
含まれております。懐かしの急傾斜を有した階段
おります。工学部は2年前にCenter of Innovation
講堂は取り払われて、現代風の明るく広々とした
(COI)を取得して、長野市若里の敷地内に研究
講義室に生まれ変わっております。これも偏に皆
所の建築を行い、同時にカーボン繊維を用いた水
様の御厚情のお蔭と心から感謝申し上げます。建
の浄化装置を国内の有力メーカーと共同開発して
物が良くなった今、医学部自体の中身の充実が強
東南アジア地域へ売り込もうとの国家プロジェク
く求められております。昨今、地方大学医学部に
トの一翼を担おうとしております。また繊維学
対しては、医師不足を背景として地域医療への貢
部は“ファイバー研究ルネッサンス”を合い言葉に
献を社会的、政治的な最優先課題として期待され
リーディング大学院の認定を文科省から得ており
ております。本学医学部も学生定員数120名(こ
ます。これにより毎年14名の大学院生が年間200
の内県内枠20名)として対応しておりますが、
万円の奨学資金を受給することが可能です。
その反動として留年生の増加、医師国家試験合格
残念ながら現状の医学部はこうした研究の活性
率の低下などの負の側面が現れております。信州
化状況にありません。昨今、医学的社会的に求め
大学医学部は言うまでもなく国立大学であり、優
られている研究内容は、再生医療、がん研究、認
秀な卒業生を全国各地へ送り出すことが本来の使
知症を含めた高齢者医療の3つが大きな領域で
命です。地域医療への急激な傾斜を辿った過去数
あると認識しております。これらの領域の中に、
年間の軌跡を十分吟味して、National University
我々信州大学医学部の何人のスタッフが入って全
としての本来の在り方を考える時期に差しかかっ
国的な研究発表ができるのでしょうか。勿論、研
ているかも知れません。
究は流行、社会情勢などとは無関係に研究者の信
また同時に大学の根幹をなす学問・研究レベル
念を貫き通すことが最優先されますが、大型研究
5
費を獲得するためには学内にエキスパートから成
センターでは先端予防医学、神経難病学、ナノテ
る研究チームを組織することが重要です。また同
クを用いた医療工学、代謝ゲノミックス(農学部
時に、こうした研究チームを立ち上げるための必
が担当)の研究を集約的に行うことが義務付けら
要な人材を学外から積極的に招聘することも考慮
れております。信州大学医学部において初めての
しなくてはなりません。本年4月から教授が欠員
研究所の設置であり、これから本格的に魂を入れ
している5講座の主任教授の選考が行われており
て行く必要があります。
ます。新任教授の能力こそが信州大学医学部の今
一方、こうした流れに沿う形で医工連携の分野
後15〜20年の活動に大きく影響します。今回の
を早急に確立することも求められております。繊
教授選考は上記の点を十分考慮して進められてお
維学部との協同で軽くて弾力性のあるロボット
り、既に選ばれた5名の教授の先生方は全員、私
スーツの開発、工学部との連携で安くて耐久性に
達の期待に十二分に値する人物であります。
優れた人工関節、人工血管の開発などが当面の課
ⅲ)学部間連携
題です。さらには県内の有力企業との間で手術用
山沢清人学長は2年前から信州大学の各学部に
器具を含む医療器機の開発ができればより一層の
対して、総合大学の利点を生かした学部間連携研
将来展望が開けます。
究を行うよう提唱し、自ら学部横断的なグローバ
最後になりましたが、医学部には研究活動、人
ル研究センター構想(信州大学先鋭領域融合研究
材育成、地域貢献等のあるゆる分野において、
群)を打ち立てました。山沢学長の二期目のマニ
“常に信州大学の盟主であれ”という使命が課せら
フェストであります。この一環として、医学部で
れております。私はこれを全うするため、精一杯
は農学部との合同でバイオメディカル研究セン
職務に励みたいと思います。松医会員の皆様にお
ターが設立され、本年4月から学部本体から専任
かれましては今後ともご指導、ご鞭撻を賜ります
教官が複数名異動して活動が開始されました。本
よう、よろしくお願い申し上げます。
6
附属病院長就任の挨拶
信州大学医学部附属病院
病院長 本郷 一博(信24)
松医会の皆様にはお世話になっております。本
しましたが、その後も病院のアクティビティは
年4月より信州大学医学部附属病院長に就任して
年々高くなり、さらに機能強化を図るべく包括先
おります。私は昭和53年に信州大学を卒業(信
進医療棟(仮称)(地上6階地下1階)を北中央
24)し、当時新設の脳神経外科学教室(杉田虔
診療棟の東に平成30年1月のオープンを目指し
一郎教授)の一期生のひとりとして入局し、脳神
て準備を始めています。がんセンター、周産期医
経外科を始めました。平成6年に愛知医科大学に
療センター、手術室の増設、ICU、GCUの増床
異動し平成11年に縁あって松本に戻って参りま
など、機能強化を図ります。それに続き、平成
した。その後、平成15年に小林茂昭教授(当時、
30年からは、病棟の改築を行い、個室病床を増
現信州大学名誉教授)の後任として教授に就任し、
やし、6人病室の4人病室化など患者の入院環境
現在に至っております。特に信州大学を離れてい
の向上を図ります。また、包括先進医療棟(仮
た期間、松医会報は母校の状況を知る貴重な情報
称)の建設に先立ち、来年4月より外来棟前の患
源でした。海外留学中の2年間も同様でした。
者駐車場の南半分の立体化(2層3段)整備を行
4月に病院長に就任後、5月に開催された松医
います。
会総会に出席しご挨拶を兼ねて、附属病院の現況
ハード面での強化のみでなく、ソフト面での強
および今後の計画、課題などについて簡単にご紹
化を図ることも重要であります。そのひとつと
介させていただきましたが、ここにその後の進捗
して、臨床研究支援体制を強化して、信州なら
および計画を含めてご紹介させていただきます。
ではの研究をより進め、また文科科研あるいは
大学病院の使命として、教育・研究・診療の3
厚労科研などの外部資金を獲得しやすい環境を
本柱に国際化・地域貢献を加えた5本柱が挙げら
整備します。臨床研究支援センター(仮称)教
れています。歴代の病院長のリーダーシップの下、
授(特定雇用)として全国公募の中から五十嵐
信大病院はそれぞれの使命に関して、大きな役割
隆先生に決まり、10月1日付けで着任となりま
を果たしてきております。しかしながら、医療を
す。がんセンター緩和部門教授(特定雇用)も現
とりまく環境は大きく変わり、運営
費交付金が毎年減少し教員の定員も
毎年削減されている中、そして本年
4月からは消費税も増税されるなど、
大変厳しい状況の中で、大学病院も
積極的に時代の変化に対応し、ダイ
ナミックに改革を進めていかなけれ
ばなりません。
「基盤整備なくして高度医療な
し」と考えております。平成6年に
病棟改築から始まった再開発が平成
21年の新外来棟の運用開始で一段落
7
在選考中であります。本年2月に、病院機能評価
療棟(仮称)の稼動により収入増が期待できます
(3rdG:Ver.1.0)を受審し追加審査なく合格しま
が、それまでの3年間は、医療機器整備費の縮小
したが、今後、継続して病院の医療の質向上を目
などをせざるを得ない状況であります。増収を図
指すべく、クオリティーマネージメント委員会を
り支出を減らすべく、後発医薬品への切り替えを
設置し活動を始めております。
含め具体的な策で対応を始めています。しかしな
県内医療機関との連携は、医療人の育成、円滑
がら、1,700名を超える教職員が皆モチベーショ
な診療遂行、さらに臨床研究の推進にとって極め
ンを持って仕事ができるような環境づくりが大切
て重要であり、第2期(平成22年から27年)中
であり、前向きに取り組んでいます。「教育研究
期計画にも柱の一つとして掲げられ、実施されて
診療推進プロジェクト」はそのひとつであり、本
いるところです。病院長就任の4月から現在に至
年は院内から19のプロジェクトの申請がありま
るまでの期間に、県立こども病院との成人先天性
した。教職員の高いモチベーションを感じていま
心疾患診療に関する連携協定、丸の内病院との助
す。
産師出向プログラム、信州上田医療センターとの
話題は変わりますが、8月の第1週の土曜日
医師確保に関する協定、そして松本市立病院との
(本年は8月2日)には、恒例の「松本ぼんぼ
診療に関する連携協定をそれぞれ締結しておりま
ん」があり、今年は200余名という規定上限の人
す。
数で「信大病院連」を結成し参加しました。夜9
病院運営を円滑に行う上で「現場を知る」こと
時過ぎの終了時刻まであっという間に時間が過ぎ、
はとても大切なことです。月2回病院内各部署を
大変な盛り上がりでありました。信大病院教職員
回り、現場での生の声を聞く「病院長ラウンド」
のパワーを感じ、感激したところです。
を行っております。1回は看護部長と病床運営を
思いつくままに綴りましたが、厳しい情勢の中
中心に、他の1回は看護部長含め事務方とともに
でも信大病院の教職員、一丸となって大学病院の
施設面を中心に要望を聞きながら回ります。すぐ
使命を果たすべく、また更に信大病院が発展する
に対応できないことも多々ありますが、すぐに改
べく、頑張っております。今後もさまざまな機会
善できることは対応しています。
を利用して信大病院の状況をお伝えして参るつも
3月に定年退職で教授空席となっていた臨床3
りでおります。松医会の先生方には、ぜひ信大病
教室(外科Ⅱ、泌尿器科、救急医学)の教授も決
院への熱い応援をいただき、またご支援ご鞭撻を
まり、それぞれが担当する診療科も新たな体制で
いただきますよう、お願いいたします。
スタートします。いずれも大学病院にとり、さ
らに長野県医療にとり重要な領域であり、
それぞれの診療科の今後の活躍に期待し
ております。
「運営費交付金が毎年減少し教員の定
員も毎年削減されている中、そして本年
4月からは消費税も増税されるなど」と
前述しましたが、正直、病院の経営状況
には大変厳しいものがあります。消費税
の3%増加分だけでも4億円の支出増と
なり、どこかで支出を抑えざるを得ませ
ん。平成30年に予定している包括先進医
8
就任のご挨拶
信州大学 大学院医学系研究科保健学専攻長 医学部保健学科長 医学部地域保健推進センター長
金
井 誠(信34)
平成26年4月より、信州大学大学院医学系研
との学内連携とともに、さまざまな地域連携、社
究科保健学専攻長、医学部保健学科長、医学部地
会連携を構築することで、関連機関・地域住民等
域保健推進センター長に就任いたしました金井 との多様な連携に基づいた地域保健活動の推進を
誠と申します。松本で生まれ、松本深志高校、信
目指して、本年4月に信州大学医学部地域保健推
州大学で学んだ生粋の松本育ちです。学生時代
進センターを設立いたしました。今後は本セン
は、高校も大学も硬式野球に明け暮れておりまし
ターを中心として、学内連携による、予防医療、
た。卒業後は信州大学医学部産科婦人科学講座に
在宅医療、診断・治療、リハビリテーションなど
入局し、現在に至るまで周産期医療を中心とした
に関する教育・研究のさらなる充実を図り、行政
教育・診療・研究に務めて参りました。平成20
機関と連携した保健指導体制の確立や共同研究、
年に保健学科小児・母性看護学領域教授に着任し
関連職能団体と連携した専門領域別卒後教育支援
ております。
や潜在医療職者の復帰支援の推進、超高齢社会に
まず、松医会の皆様には保健学科の馴染みが薄
おける介護・予防医療に関する教育と情報発信、
いかと存じますので、本学科のご紹介をさせて
地域住民の保健行動に関する関心隆起、関連企業
いただきます。医学部保健学科は看護学(看護
との連携に基づく医療機器や福祉機器等のものづ
師、保健師、助産師)、検査技術科学(臨床検査
くりの推進と臨床応用などを展開していく予定で
技師)、理学療法学(理学療法士)、作業療法学
す。
(作業療法士)の4専攻でコメディカルスタッフ
現時点で着手しているセンターを中心とした具
の教育課程を設けています。昭和26年に設置さ
体的な活動としては、地域住民や地域保健医療職
れた医学部附属看護学校を源流とし、昭和49年
者を対象とした『健康講座(第1シリーズ全10
に発足した医療技術短期大学部を前身として平成
回;平成26年9-12月の火曜日18時-19時、本
14年に4年制大学として設置されました。大学
センター3階多目的講義室)』、『実践力ある在
院も平成19年に医学系研究科保健学専攻博士前
宅療養支援リーダー育成事業(H26−30文科省・
期課程、平成21年に博士後期課程が設置されて
課題解決型高度医療人材養成プログラム採択事
います。現在、附属学校、短大時代を含めて卒業
業)』、『青少年の生活習慣病予防を目的とした
生は約5,000人に達し、県内のみならず全国の医
地域連携型研究・教育拠点の確立事業』、『健康
療、研究、教育の現場で活躍しています。現代医
長寿世界一を目指す先進的地域保健医療システム
療はチーム医療を基盤として成り立っており、目
の開発事業』、『安心して出産と育児に臨める地
覚ましく進歩する医療科学を理解し、それを実践
域ネットワークの充実事業』、『死別者にとって
できる能力を身につけた優秀なコメディカルス
支援的な地域社会の創出事業』、『関連職能団体
タッフの育成は、医療の発展に欠かすことはでき
と連携した、保健医療専門職者における生涯学習
ません。本学科は、その役割を担っていると自負
の推進事業』などが挙げられます。信州の地域性
しております。
を考慮した新たな遠隔保健指導システムの構築に
そのような中、医学部保健学科を中心として、
医学科、附属病院、バイオメディカル研究所など
も取り組みたいと考えています。
わが国は少子高齢化社会を迎え、質の高い医療、
9
保健、福祉の提供が求められています。また健康
が、この後に続きます『信州大学医学部保健学科
の維持・推進や疾病の予防対策は今後の重要な課
校舎 耐震改修・機能改善・増築ならびに「地域
題となっています。本学科・本センターの活動が、
保健推進センター」設置に係る募金のお願い』を
これらの課題解決に結びつくような社会貢献への
ご覧いただき、格別のご高配を賜りますように、
寄与に努める所存です。
心よりお願い申し上げます。
長野県の地域医療に貢献するとともに、全国・
今回このようなご挨拶の機会をいただきありが
世界に向けた情報発信を信州大学から行っていき
とうございました。今後とも、松医会の皆様方に
たいと考えております。
はご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い
なお、誠に勝手なお願いで恐縮ではございます
10
申し上げます。
新任のご挨拶
信州大学医学部泌尿器科学教室 教授 石塚 修(信30)
平成26年9月1日付けで、泌尿器科学教室教
尿器腹腔鏡手術技術認
授に就任いたしました。石塚 修です。昭和36
定医」の養成も課題で
年の泌尿器科学教室の開設以来、4代目の教授と
す。合格率が50%を
なります。よろしくお願い申し上げます。
切る難関となっていますが、信州泌尿器科腹腔鏡
臨床では、これまで行ってきましたロボット支
援手術(ダ・ヴィンチ手術)をはじめとする低侵
襲手術や、移植医療の充実を目標にしたいと考え
ております。
教育プログラムを立ち上げており、県内の各病院
と連携して養成に協力したいと考えています。
研究は、国際的に評価の高い骨髄幹細胞を利用
した膀胱再生や、講座の伝統であるウロダイナミ
現在の前立腺癌に対する全摘出手術はダ・ヴィ
クス研究の継続・発展が目標。尿失禁の改善を目
ンチが主流になりつつあります。これまで、信大
的とした自己脂肪幹細胞を用いた尿道括約筋の再
病院での本手術の立ち上げより関与させていただ
生に関する大型治験も、名古屋大学など複数の大
き、2012年12月に長野県での第1例目の実施を
学と協力しながら、いよいよ始まる予定です。
させていただきました。現在、信大病院での実
学生時代はバスケットボールに励みました。現
施は週2例のペースとなり、88例を超えました
在の趣味は水泳で、年間100㎞は泳いで、日本ス
(2014年9月16日現在)。本年4月には、病院
イミングクラブ協会よりゴールドマスターズをい
長、および関係される諸先生のご尽力をいただき、
ただいていましたが、最近はなかなか暇がないの
装置を更新し、コンソール(操作席)は県内初の
が悩みです。
2台体制となり(図)、より安全性の高い手術を
宮崎県の出身ですが、学生時代を含め、足かけ
実現できるようになりました。また、医師や学生
36年、信州大学に関わっております。泌尿器科
のトレーニングにも、これまで以上に活用できる
学教室では、はじめての本学出身者となります。
ようになりました。今後も推進したいと考えてい
松医会の皆様の、今後のご支援を引き続きよろし
ます。「県内で泌尿器科医が充足しているところ
くお願い申し上げます。
はない」という状況ですが、ダ・ヴィンチの普及
で、泌尿器科へ関心を持つ研修医、学生は着
実に増えてきたのではないかと考えています。
本学は移植医療がその看板のひとつと思わ
れます。2006年より移植医療センター長を併
任してまいりましたが、移植医療も臨床の大
きな柱としたいと考えています。本院の腎臓
移植は生着率が全国平均よりも高く、移植管
理が難しい血液型不適合移植や、透析導入前
移植といった症例にも腎臓内科と協力して引
き続き力を入れたいと考えています。
教育においては、県内にはまだ少ない「泌
11
ご挨拶
信州大学医学部救急集中治療医学教室
教授 今村 浩(特別会員)
このたび2014年9月1日をもちまして信州大
スタイルがありますが、当講座で養成してゆく救
学医学部救急集中治療医学教室教授を拝命しまし
急医は、ER診療ができ、重症患者の集中治療が
た。私は南信に生まれ、1987年横浜市立大学医
でき、内因・外因性疾患を問わず初期診断から入
学部を卒業し、内科レジデントとして虎の門病院
院管理までを行うことができるジェネラリストで
に入った後、循環器内科に勤務しました。1993
あって、必要な場面では各科専門医と連携がとれ
年に故郷に帰って信州大学医学部第一内科に入局
る質の高い救急医であります。救急医療というと
し、内科、循環器の診療に携わってきました。そ
過酷な労働というイメージがありますが、やりが
して2001年に信州大学に救急集中治療医学講座
いを実感でき、一生の仕事として持続可能な救急
が新設されたときこちらに移りました。救急に
医療を実践する医師を養成してゆきたいと考えて
移ったのは内科、循環器の臨床に従事する中で、
おります。
いかに初期の対応がその後の患者さんの明暗を分
自分がこれまで行ってきた活動の原点にあるの
けるかを痛感し、入り口となる救急医療の体制を
は「自分の家族を安心して入院させられる病院に
充実させることが重要であると思い至ったからで
する、安心して受けられる医療を提供する」とい
あります。診療の臓器別細分化が進む中で、元々
うことです。今後はこれをより多くの人に提供す
何でも見られるgeneral physicianを指向していた
るために救急医療の充実を、医学教育を、そして
こと、医師3年目の時に日本医科大学救命救急セ
研究を進めてゆきたいと考えています。
ンターで数ヶ月働き、医療が進歩した現代におい
ても、外傷などでは、本来救えるはずの若い命が
失われる例があるのを知ったことなども理由にな
りました。救急集中治療医学講座に移ってからは、
岡元前教授の下、救急部病棟の開設、2005年の
救命救急センター、2007年の高度救命救急セン
ターの開設、2011年のドクターヘリ松本の運行
開始など、信大病院と地域の救急医療体制の構築
に努めてきました。
このたび、2代目の教授に就任し、まさに身が
引き締まる思いです。まずは長野県の救急医療の
最後の砦として信大病院高度救命救急センターを
さらに充実させていく所存です。それとともに、
全県に同じレベルの救急・集中治療を提供する体
制、今後県内でも必ず発生すると思われる大規模
災害時の医療体制の整備を進めてゆく所存です。
救急・集中治療の専門医はまだまだ少なく、その
育成はきわめて重要です。救急医にはいくつかの
12
今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い
いたします。
教授就任のご報告
東邦大学医学部外科学講座 呼吸器外科学分野
教授 伊豫田 明(信37)
この度は、大変お世話になりました信州大学医
楽しかった夢のような
学部松医会の先生方に御礼を申し上げる機会をい
6年間でした。飯島智
ただき、誠にありがとうございます。平成25年
先生と中島恒夫先生と
6月1日付で、東邦大学医学部外科学講座呼吸器
は、野球部時代に苦楽
外科学分野教授を拝命いたしました。これもひと
を共にした仲で、松本を訪れた際や学会で会うの
えに信州大学医学部時代にご指導いただきました
が楽しみでしたが、活躍半ばでの飯島先生の急逝
先生方や、良き先輩、同級生、後輩に囲まれ、充
は残念でなりません。「おめーすげーなー。でも
実した学生生活を憧れの松本の地で送らせていた
似合わねーぞ、ハハハ。」日本酒の男山を飲みな
だいたおかげと思っております。今回は松医会報
がら飯島君がそういっているように思えます。私
に投稿させていただく機会を頂きましので、拙筆
の母は飯島君の大ファンであり、今回私がこのよ
ながら、これまでお世話になりました先生方への
うな機会を得たのも飯島君が導いてくれたおかげ
御礼と今後の抱負を述べさせていただきたいと思
なのだから、一緒に頑張るつもりで生きていくよ
います。
う、就任の際、言われました。本当に良い友人を
私は昭和60年信州大学医学部医学科に入学し、
持てたことに感謝します。
在学中は野球部に所属しておりました。当時は旭
平成3年に大学卒業後、社会福祉法人三井記念
会館前のグラウンドで、シーズン中毎日練習に励
病院外科にて初期研修を行いました。三井記念病
んでおりましたので、医学部の授業ではなかなか
院では呼吸器外科だけでなく、心臓血管外科、消
会えないが、用事があればグラウンドに来れば会
化器一般外科、乳腺甲状腺外科、小児外科と当時
えると友人に言われるくらいの生活でした。野球
としては珍しく外科を全般的に研修できるシステ
部での練習は体力的にきついものでしたが、体力
ムをとっており、院内に宿泊施設がないにもかか
を鍛えただけではなく、先輩後輩のいろいろな意
わらず、レジデントのほとんどが院内で寝泊まり
見に耳を傾け、異なった価値観に触れる大切さな
する生活でしたが、羽田圓城先生に呼吸器外科の
ど多くのことを勉強させていただきました。当時
魅力を教えていただき、多くの著名な外科医の下
も東医体優勝が必然でありましたので、黄金時
で、数多くの手術を経験させていただいたことは
代を築かれた先輩方との緊張感のある練習は、毎
非常に有意義でありました。現在胸部外科領域で
日が全力を出し切らざるを得ない充実したもので、
は、東京大学名誉教授、三井記念病院院長 髙本
自然に集中する力も鍛えることができました。医
眞一先生、呼吸器外科分野では、杏林大学名誉教
局対抗野球の審判の後、各医局へ懇親会に伺い、
授 呉屋朝幸先生、埼玉医科大学国際医療セン
叱咤激励を頂きましたのも良い思い出です。ま
ター 金子公一先生、杏林大学 近藤晴彦先生、
た、練習に明け暮れる生活に同情してたくさんの
北里大学 佐藤之俊先生など、三井記念病院の先
友人達が、夜遅くまで試験前に協力してくれなが
輩方が多数活躍されており、様々な面でご支援、
ら、多くのことを語り合ったことは今でもつい先
ご指導をいただいています。
日のことのように懐かしく思い出されます。下宿
平成7年4月より、山口豊先生が主宰されてい
生活でしたが、毎日が合宿のような状態で、心底
た千葉大学医学部附属肺癌研究施設第1臨床研究
13
部門(肺外科)に入局し、千葉大学医学部附属肺
癌の分子生物学的特徴を解析すると小細胞癌と類
癌研究施設病理研究部門において大和田英美先生
似した特徴を示し、肺癌に対する術後補助化学療
を中心に肺癌を中心とした呼吸器病理を非常に雰
法の有効性に否定的な意見が大多数であった時代
囲気の良い中で、自由に研究させていただきまし
に、retrospectiveな検討ではありますが、術後補
た。そのような中で、大和田先生と当時准教授で
助化学療法が予後を改善する可能性を2001年に
あった廣島健三先生から私のライフワークともい
世界で初めて報告しました。さらに世界に先駆け
える肺神経内分泌腫瘍の大細胞神経内分泌癌に関
て術後補助化学療法に関するprospective phase II
する研究テーマをいただいたことが大きな転機と
studyを開始し、大細胞神経内分泌癌に対する小
なったと思います。平成13年10月からは千葉大
細胞癌に準じた術後補助化学療法の有効性を示す
学医学部附属病院にて藤澤武彦先生、吉野一郎先
結果をprospective studyとして世界で初めて報告
生のご指導のもとで診療、教育、研究に従事する
しました。当初は非小細胞癌に分類されていた大
機会をいただきました。
細胞神経内分泌癌が、小細胞癌と同様に高悪性度
平成20年4月三井記念病院時代の先輩であっ
神経内分泌腫瘍として認識されるようになる一助
た佐藤之俊先生の教授就任に際し、佐藤先生の主
となったと思います。現在は大細胞神経内分泌癌
宰される北里大学医学部呼吸器外科学教室へ赴任
に対して有効性を示す分子標的治療薬の探索を目
することとなりました。北里大学には約5年間お
標に研究を継続しています。その他、肺癌の遺伝
世話になり、北里大学病院(本院)と北里研究所
子プロファイリングに関する共同研究、間質性肺
病院(白金)で診療にあたり、内視鏡手術で著名
炎合併肺癌の術後急性増悪に関する研究、悪性中
な渡邊昌彦先生にもご指導いただきました。北里
皮腫に関する多施設共同研究、呼吸器細胞診に関
大学赴任後、名誉教授 吉村博邦先生と佐藤先
する研究、気管支鏡の開発に関する研究など様々
生の御尽力で、Memorial Sloan Kettering Cancer
な研究に取り組ませていただきました。2008年
Centerへ留学させていただき、著名な胸部外科医
にはこれらの業績をご評価いただき日本呼吸器外
であるValerie W Rusch先生や大細胞神経内分泌
科学会から第1回日本呼吸器外科学会賞をいただ
癌を提唱した病理医であるWilliam D Travis先生
いたことはその後の大きな励みとなっています。
と共同研究をさせていただき、貴重な経験となり
私が着任しました東邦大学は、医学部、看護
ました。
学部を大森キャンパス、理学部、薬学部を習志
これまで私は、肺癌診療のテーラーメイド化に
野キャンパスに擁する自然科学系総合大学であ
向けた肺癌に対する診断、治療の研究を行ってま
り、1925年(大正14年)創立で2015年に創立90
いりましたが、特に1999年に新たに分類された
周年を迎えます。大学病院は私が赴任しました本
肺大細胞神経内分泌癌に着目し、臨床病理学的お
院の東邦大学医療センター大森病院が大田区に
よび分子生物学的研究を行ってまいりました。肺
972床を有し、その他に大橋病院(目黒区、455
大細胞神経内分泌癌は1999年のWHO分類におい
床)、佐倉病院(千葉県佐倉市、451床)と3病
て初めて明文化されましたが、当時の分類では大
院をかかえ、建学の精神「自然・生命・人間」を
細胞癌の一亜型に分類されていました。しかしな
基盤に、安全で質の高い医療の提供を目標として
がら臨床病理学的特徴をその亜型とともに解析
います。3病院の内、外科学講座呼吸器外科学分
し、大細胞神経内分泌癌およびその亜型は、小
野として呼吸器外科を専門とする独立した講座は
細胞癌と類似した臨床病理学的特徴を有してお
当教室のみであるため、臨床の実績は当然のこと
り、小細胞癌と同様に非常に予後不良であること
ながら、研究、教育を充実させ東邦大学から呼吸
を明らかにし、報告しました。大細胞神経内分泌
器外科学に関する新しい知見を研究成果として発
14
信することが期待されています。高木啓吾前教授
を含めた術前、術後治療もより充実させながら治
が肺癌治療や気道狭窄に対するステント療法など
療する必要があります。私は今後も、これまで
多岐にわたる臨床実績を重ねられており、我々は
の方針を継続しながら、診療ではテーラーメイド
その伝統を継承するべく昨年全体で280例程の手
医療の推進、低侵襲手術から拡大手術までの対応、
術を施行し、肺癌、重症筋無力症、胸腺腫を含め
robotic surgeryなどの技術の導入を実施し、診療
た縦隔腫瘍、転移性肺腫瘍、気胸を含めた嚢胞性
実績をさらに向上させながら、再生医療など最新
肺疾患、膿胸などの感染性疾患、外傷などに対す
技術の導入も視野に入れて呼吸器外科治療の発
る根治療法や間質性肺炎などびまん性肺疾患に対
展に貢献したいと考えています。研究に関しては、
する胸腔鏡下生検、気道狭窄に対するインターベ
これまでの大細胞神経内分泌癌に関する研究を継
ンション、ステント治療など、肺移植以外の呼吸
続するとともに、当教室の伝統であるCOPD合併
器外科対象疾患は全て取り扱いました。現在は低
肺癌、間質性肺炎合併肺癌に関する研究、気道疾
侵襲手術に積極的に取り組み、ほとんどが胸腔鏡
患に対するインターベンションに関する研究に加
下手術となっています。さらに当院にもda Vinci
えて、共同研究を推進し、新しい技術を導入して
surgical systemが導入されたため、今後はrobotic
いこうと思います。さらに、最も重点を置いてい
surgeryへの対応も求められています。
るのは教育です。多くの手術を経験できる環境を
これまで、私は、胸腔鏡手術の積極的な推進、
整え、一緒に技術を高めあいながら世界的に活躍
進行肺癌や重症併存疾患合併肺癌に対する積極的
できる研究意欲のある呼吸器外科医をここ「城
な拡大手術と安全な術後管理を推進してまいりま
南」の地で育てたいと思っています。
した。今後の呼吸器外科医療は、症例の高齢化に
最後になりますが、これまでご支援をいただい
加えて、組織型や分子生物学的手法を用いた個別
た先生方に深く感謝し、信州大学で学んだことを
化がすすみ、より専門的な知識を駆使して治療す
生かしながら努力してまいりますので、これから
ることが求められます。さらに重症併存疾患を有
も引き続き、御指導、御鞭撻を頂けますよう、よ
する症例の手術がますます増加し、呼吸リハビリ
ろしくお願いいたします。
15
信州大学医学部保健学科校舎
耐震改修・機能改善ならびに
「地域保健推進センター」
設置に係る募金のお願い
信州大学医学部保健学科長、
同地域保健推進センター長 金井 誠(信34)
平素より、信州大学医学部保健学科・大学院保
⒈募金名称:信州大学医学部
健学専攻における教育・研究・運営にご協力・ご
「地域保健推進センター」設置等基金
配慮を賜り、深く感謝いたしております。
⒉お申込みについて
信州大学医学部保健学科では、平成25年から
■寄付金による税額控除の申請を予定されてい
26年度にかけて、北校舎・中校舎の耐震改修・
る方は、一連四票式の振込用紙をご用意して
機能改善、さらに地域保健推進センターの増築設
おりますので、以下にご連絡下さい。基金名
置がおこなわれておりますが、国の厳しい財政状
と振込先等が記入済みの振込用紙を郵送させ
況の中で整備事業に十分な予算を確保できないこ
ていただきます。
とから、校舎内の設備や備品等における教育環境
の整備・充実が充分にできず、学部学生および修
本振込用紙は、ゆうちょ銀行又は郵便局・
八十二銀行での払込手数料が無料です。
士・博士大学院生に満足のいく教育・実習・研究
〒390-8621 松本市旭3-1-1
が提供できない状況にあります。そこで今回、こ
信州大学医学部 学務第二係
の不足分の財源を確保するために広く募金をお願
TEL;0263-37-2356 FAX;0263-37-2370
いしております。松医会の皆様には直接関係ない
■個人の場合
と感じる方もいらっしゃるかと存じますが、看護
【一口 5千円】(できましたら2口以上のご
師、助産師、保健師、臨床検査技師、理学療法士、
作業療法士は医療をおこなう上で必要不可欠の存
在であり、特に地域医療において医療の質を向上
協力をお願い申し上げます。)
一口未満のご寄付につきましても有り難くお
受け致します。
させるには優秀なコメディカルスタッフの輩出、
■法人の場合
育成が必須です。
【一口の金額は特に定めておりません。】
本学科は平成14年度に3年制の医療技術短期
⒊振込先
大学部から4年制の医学部保健学科となり、学部
八十二銀行(金融機関コード0143)
生定員で1学年分160名が増員されました。また、
信州大学前支店(店番号421)
大学院学生も定員で40名増えております。その
普通預金 口座番号 856157
結果、講義室はもとより、実習室・研究室も含め
ゆうちょ銀行
た教育研究環境は決して良好とはいえない状況で
普通貯金 口座番号 00500-3-50838
した。
受取人:
皆様におかれましては、「募金の趣旨」にご賛
信州大学医学部地域保健推進センター基金
同いただき、母校である信州大学医学部の発展の
(フリガナ)シンシュウダイガクイガクブ
ために是非とも、格別のご協力を賜りますように、
チイキホケンスイシンセンターキキン
心からお願い申し上げます。
(ところ) 〒390-8621 松本市旭3-1-1
⒋募金期間
平成26年12月31日まで
16
弔辞
大学医学部同級生 清水 強(信9)
森 本さん まさかあなたへの弔辞を私が述べ
を閉じた後は患者さん方は本当に残念がったこと
ることになろうとは夢にも思いませんでした。何し
です。しかし後事を新しい方にきちんと引き継ぎ病
ろ半年前迄はあなたは私の主治医だったのですか
人達の不安無きよう手配したことをあなたから聞き
ら! 患者の病気の転帰を見届ける迄生きていて
及び私自身もそうして戴き誠に責任感強きあなたら
戴きたかった。残念のひとことです。
しい態度と感じ入ったことです。
あなたが目を閉じられる二日前の病室でのしっ
あなたはまた、多忙な診療の仕事と共に社会活
かりした大きなお声と交した握手のぬくもりが私の
動に心を寄 せ松本市医師会の副会長などの要職、
心にいつ迄も残って居ります。寂しい限りです。
信州大学医学部同窓会の理事や会長、医学部バス
思いかえしますと、信州大学での学生時代は、あ
ケットボール部OB・OG会会長等として各会の発展
なたが当時の名門校都立日比谷高校出身の俊英
に尽くして来られました。私共医学部同級会の事務
であると耳にしていながら勉強を一緒にした覚えは
局も長きに亘って御苦労されお陰で同級会は途絶
ないのですが、創部間もない医学部バスケットボー
えることなく続いてきました。本当にありがとう存じ
ル部の仲間として練習に汗水流し、大いに語り、騒
ました。真面目で人付き合いは必ずしも器用とは言
いだものでした。残念ながら弱小チームでしたが、
えず頑固な位のところも見せますので時にあなたの
我々が卒業したら途端に強くなったと苦笑いしたこ
真意が伝わらずもどかしいところもあったでしょう
とを覚えておいででしょうか。
が、これぞということはしっかり推し進めてきたもの
あなたは卒業後は当時まだ少なかった心臓外科
でして、あなたであって初めて新たなことも実践し
医として要職も務めながら信州大学を舞台に大活
得たものと思います。まさしく世に尽した功績は大
躍しておられました。心臓に関する基礎的研究を少
きなものがあります。
しばかりして居りました私には臨床最先端からの刺
こうして言の葉を幾ら連ねてもあなたをこの世に
激となったものです。二十五年程前でしょうか、思う
引き戻すことはできませんので空しくなるばかりで
ところありとて大学を辞して松本市野溝に診療所を
す。でも語りたくなることは山程あります。時にふれ
開設し、地域医療に邁進尽くして来られました。当
てまた皆で思い出を語ることにします。
初は大学での診療とは異なり随分戸惑ったというよ
あなたにはすばらしい御家族がいらっしゃいます。
うなことを話しておられたことを思い出します。
御遺 族の皆様の今後の御発展は間違い無きとこ
専門や勤務場所も異にしたことから直接話す機
ろとてせめてもそのことは御安心なさり天上から見
会は多くありませんでしたが、十年余前私が二十年
守って上げて下さい。私共同級生もやがていつか
振りに松本に戻りましたのを機に私の持 病の心房
は天上で宇宙のどこかであなたとの再会の日が来る
細動の治療でお世話になることとなり、少なくとも
でしょう。それ迄各自森本さん、あなたの維持して
月に一度は受診し話す機会を持つようになりました。
下さった同級の集りを守って参ります。
御多忙の中ですが診察を受けることもさることなが
お別れに当たりにこれ迄の沢山の御活躍に敬意
らあれこれと話をするのが楽しみなものでした。
を表しますと共に常に変わらず賜ったあなたの御厚
患者として診療所で垣間見たところでは病人の
情に厚く御礼申し上げます。どうぞ安らかにおやす
人達のあなたに寄せる信頼は絶大でした。午後は
み下さい。
往診をこまめに行い、これぞ「かかりつけ医」の見
森本さん さようなら
本のようでした。去る三月身体 状態を考え診療所
平成二十六年十月九日
17
森本雅己君を偲んで
飯田市立病院 名誉院長 宮川 信(信9)
前会長の森本雅己君が、平成二十六年十月七日
励んだ。その間、二人とも留学し、俺が助教授に
㈫にご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げ
なり、そして、飯田市立病院へ出向した。その後、
ます。告別式の私の弔辞をもって森本君を偲ばせ
君が助教授になった。その時、俺は本当にうれし
ていただきます。
かった。しばらくして、君は開業した。
君はいつも同級会の幹事で、同級会の企画を
弔 辞
やってくれた。感謝している。
森本雅己はもういない。
俺は約二年前、秋田県で雪のため転倒し、脊椎、
同級生、友人、親友の俺たちをおいて、どうし
第Ⅺ胸椎を骨折し、同級会に出席できなかった。
て、どうしてそんなに忙いで逝ってしまったのだ。
すると電話で出席するのか、しないのか連絡ぐら
東京出身の君は、麹町中学校、日比谷高等学校、
いよこせ!と叱られてばかりであった。
そして信州大学医学部とエリートコースを歩んで
今年の三月、森本医院を閉院するとのハガキが
きた。俺も東京の私立、中・高一貫高だったので、
届いた。歳をとったせいで患者を診るのがいやに
何となく気が合ったのだろう。
なったのかなと漠然と思っていた。
君はバスケットボール部、俺は野球であり、君
しかし、九月の末に、外科学第二、前野統括医
は勉学とバスケットを、一生懸命に励んだ。俺は
長から電話で、森本先生が入院している、あまり
野球と酒と遊びに狂った。もちろん講義はほとん
良くないようだ、との知らせがあり、俺は驚き、
ど出なかった。
あわてて信大附属病院の病室へ行った。そのとき
いわゆる、君は真面目で、俺は不良であった。
君は意識もあり、俺と話すことがうれしそうだっ
そんな不良の俺を避けずに、いろいろと付き合っ
た。
てくれた。君はもち論、試験は一回で合格し、俺
なつかしい昔話から、最近の話しまで、三十分
は落ちた。そしてビーコン(再試験)で、君の
ほど話し合った。
ノートを借りて、かろうじて合格した。そのよう
俺は君と会えて思い残すことはない。本当に、
な俺は君や友人の力でやっと卒業できた。
痛みと苦しみで、こらえきれなかったことだろう。
そして信州大学医学部大学院、第二外科学講座
俺の顔を見て、やっと安心したのだろう。よく
に、仲の良い五人で入学(入局)した。君は犬の
頑張った。本当によく頑張った。
実験グループ、俺は病理学・解剖学の方で学位を
もうすべてを忘れて、やすらかに眠ってくれ。
取得した。それぞれ医局で、研究、指導、診療に
合 掌
平成二十六年十月九日
18
森本雅己先生への弔辞
松医会会長 勝山 努(信13)
このように森本雅己先生のご霊前にて弔辞を読
ろなら働いてもいいという御答えがあり、飯田教
ませていただくことになろうとは、未だに信じら
授のご了解も得られました。丸山大司先生も非常
れない気持ちでおります。過日、先生から治療が
に喜ばれていたのですが、ジッツの関係でこの話
一段落した旨の御手紙を頂戴し、その頃丸子中央
は結局白紙となってしまいました。森本先生に御
病院の方へお電話も頂戴しました。松医会のこと
目にかかるとしばしばこの件に話が及び、あれは
について君にしっかり引き継ぎもしないままで今
残念だったと申されておりました。その職に現在
になってしまったので、もうちょっと体調が回復
私が就いているわけで、これも因縁かと思ってい
したら食事をしようというお話でした。全く申し
ます。
訳ないことに、その後先生の病状を把握せず、そ
さて、信州大学医学部同窓会である松医会につ
のままお待ちしておりました。一昨日先生が亡く
いてですが、森本先生は平成23年5月の松医会
なられたと伺い、思わず絶句した次第です。
総会にて五十嵐会長の後を継がれ、第7代会長に
私が先生を知ったのは、私の第二病理時代にさ
就任されました。松医会の目標には会員の親睦、
かのぼります。当時、第二外科の心臓血管症例の
情報の交換と並び医学部の支援がありますが、平
病理解剖はかなりの症例数に上りました。心奇形
成16年の国立大学独立法人化後、運営費交付金
の病理診断は一般の病理医にとって意外に面倒で
の減額、人件費の削減など、医学部の置かれた環
あることは関係の先生方はよくご承知のことと思
境の変化は恐ろしいほどです。松医会としても強
います。特に術後症例の病理診断は、外科医が心
力な支援を求められています。しかし、森本会長
臓に手を加えた後だけに容易ではありません。那
が松医会報などに書かれているように、終身会費
須教授へ病理解剖診断を提出する前に、森本先生
で松医会の運営費を賄う予定であった当初のビジ
にも何度も教えていただいたのですが、実に根気
ネスモデルはバブル崩壊とともに崩れてしまい、
良く、時には夕刻から深夜まで、雑談をまじえな
本会の財政基盤は極めて弱く、新しい事業の展開
がら、何度もお付き合いいただきました。その折、
は容易ではない状況にあります。森本会長は、こ
森本先生の懐の広さ、筋を通す正義感の強さ、気
の積年の課題を解決するために、すでに終身会費
骨のある男義に溢れた人柄を知り、この人は大物
を払われている卒業後25年以上を経た松医会員
だと実感した次第です。
の方々に毎年寄付をお願いして、学生からの入会
その後時を経て、先生が第二外科を辞職される
金に依存する現状から抜け出そうと云う大胆な提
と云う話が伝わってきました。私が現在勤務して
案をされ、見事に成功に漕ぎ着けました。初年
いる丸子中央病院の当時の院長丸山大司先生は森
度は実に800名の卒業生が寄付をなさっておられ、
本先生の人柄に惚れ込んでおられ、それまでもお
正に森本会長の努力のたまものと深く敬意を表す
付き合いが続いていたようですが、ある日私に電
る次第です。
話があり、森本先生は教授になられる方と思って
2月下旬だったと思いますが、森本先生からお
いたのだが、大学をもし辞められるなら丸子に院
電話があり、体調が悪いので閉院する、松医会長
長として赴任してもらいたい、田舎の病院に来て
の任期についてもあと1年を残しているが、療養
くれと言って断られると怖いので、自分の意向を
に専念するため辞任したい、何名かのOBに会長
伝えてくれないか、との話しでした。早速森本先
就任を依頼したが断られている、この上は君に頼
生のところに伺ったところ、丸山大司さんのとこ
むしかないから引き受けて欲しいとのお話しでし
19
た。任期の残り1年だけでよいからと言われまし
れておりました。志半ばでのご退任となり、御心
たので、余り深くも考えず御引き受けしたのです
残りであったことと思います。あの世でゆっくり
が、とても森本先生の変わりは務まらず、申し訳
お休み下さいと申し上げたいところですが、でき
なく思っております。先生は、財政的な面を含め、
ることなら、時にはあの世から帰っていただいて、
松医会の改革に情熱を燃やしておられ、会員全員
もっとご指導いただきたいと思わずにはいられま
が賛同する様な提案では改革はできない、多くの
せん。長年にわたるご指導、ご鞭撻に心から感謝
会員が反対する様な変化こそ必要なんだよと申さ
し、弔辞とさせていただきます。
20
平成26年10月9日
塩澤久要先生の思い出
窪田 貞喜(信4)
塩澤先生のご逝去の報に接した時、私の情報把
れました。正統派の良医として日夜産科そして婦
握の悪さを悔やみました。
人科診療に努められ、塩澤医院ここにありと奮闘
現役を通すという先生の信念が病状を知る機会
されておりました。
を失していたようです。ご葬儀の折に入退院を繰
専門分野の違いで医師会ではお目にかかる機会
り返しながら、入院しても落ち着いておれず、少
は稀でしたが、松医会の理事会で折にふれお会い
し快方に向かうと診療現場に戻ったという、ご子
していました。平成15年私は松医会長に任命さ
息様のお話を伺い、先生が常にいわれた生涯現役
れましたが、松医会役員としては経験不足で極め
を貫いたことに胸を打たれました。
て不安な門出となりました。多くの役員がベテラ
先生との出会いは大層昔のことになります。私
ンで、特に塩澤先生は卒業以来50年に及ぶベテ
が大学2年生のころでした。医学部映画演劇部が
ラン役員として、生き字引的存在でした。早々に
年一回、当時の市民会館で公演を開催しておりま
「医師会長より大変だぞ」の一言が任期中の檄と
した。記憶を辿るのに演目を失念し恐縮ですが、
して心の隅に抱いておりました。
先生は然る演劇の舞台監督になられて、私は裏方
先生の松医会における存在感は大きく、事ある
でお手伝いをすることになりました。綿密な打ち
毎に明快な方向性を指示され、頭の中には常に松
合わせのため幾度となく会合が開かれ、これが先
医会が存在しており、母校に対する関心と母校愛
生との出会いでした。先生はその頃から裏方で人
の深さを思い知らされました。 を支えることに徹していたように思います。
先生はよく赤提灯の巷で自腹をきって教授の皆
当時としてはめずらしくカメラに造詣が深く、
さんと議論を交え、教授選を始め学部が抱える諸
よく持参されていましたが、そのカメラは病理学
問題を把握されて、正確な情報と予報を伝えてい
教室、産婦人科学教室を通じて、フイルムに収め
ただき、会の運営に資することが多々ありました。
られ、教室の学術の資料として大変役に立ったと
想えば先生はいつも裏方に徹し、決して表舞台
伺っております。今日のようにカメラブームの時
に出ませんでした。{能ある鷹は爪を隠す}とい
代に一切カメラに関心を示さないので、或るとき
いますが、実は裏方こそ全体像を把握し、方向性
何故かとお伺いしましたが、明快なご返事をいた
を示唆する実力者です。先生は正にその人でした。
だけませんでした。
松医会は先生の事あるごとの提言や足跡を振り
病理学での那須教授、産婦人科での岩井教授に
返ることで、発展の礎になると信じております。
対する尊敬の念は、先生の一言「良医になるには
長い間、松医会の運営に誠心誠意ご尽力いただ
良師を選択せよ」という言葉で、自分の選択に間
き有難うございました。先生の精神を受け継いで、
違いがなかったと公言していることで分かります。
会員一同頑張ってまいります。安心し安らかにお
臨床経験を積まれて、昭和42年には松本市で
眠りください。
産婦人科医院を開設され、松本市医師会員になら
21
塩澤久要先生への弔辞
昭和34年3月信大医学部第5回卒業 五十嵐 修三(信5)
平成26年7月10日、私が安曇野赤十字病院整
会、信大医学部の情勢を詳しくみてこられました。
形外科に入院中塩澤久要先生の訃報に接しました。
私が松医会会長の平成19年の頃、先生のご子
塩澤先生におかれましては最近体調が悪く、入
息様が教授選に出馬される時は、夜の帝王といわ
退院を繰り返しておられると、風の便りに聞いて
れた先生は身をひそかに慎まれ外出を控えられま
おりました。それでも、体の続く限り診療をして
した。ご子息様の教授選獲得数をぴったり当てて
おられました。
おられました。
塩澤先生は医専の3回生です。私の大先輩で松
松医会の代々の会長に仕えられ、盛り沢山の情
医会の理事を42~3年間勤められ松医会では生
報を提供していただきありがとうございました。
き字引の存在でした。この長い期間、信州大学医
お世話になりました。
学部の教授間の話題、又教授の選挙では影になり
先生、やすらかにおやすみ下さい。
日向になり関わってこられました。松医会、教授
22
合 掌
塩澤久要先生への弔辞
松医会会長 勝山 努(信13)
塩澤久要先生、弔辞を読ませていただくのが私
塩澤先生については一体何をお話ししてよいの
のようなものになって大変申し訳なく思います。
か、あまりにも多くの思い出、そして思いがあり、
発地雅夫先生、飯田高校の後輩である池田医学部
迷ってしまいます。ご葬儀に伺う前に、先生の同
長、丸山雄造先生、歴代の松医会長の先生方を始
期生であった丸山雄造先生にお電話して確認しま
めふさわしい方がたくさんおられるのは承知して
したが、先生は戦時中に松本市旭町の地にあった
おりますが、「たまたま松医会長になっているの
歩兵第50連隊に入営され、終戦で除隊、翌21年
だから君が読むように」と言われまして、結局こ
に松本医専へ3回生として入学されました。入学
うなりました。お許しいただきたいと思います。
時の授業は松本中学の一隅を借りた教室で受けら
産婦人科医としての塩澤先生、野球部OBとして
れ、8月からは除隊されたばかりの旧松本連隊跡
の塩澤先生についてはこのあと野口先生からご紹
地である現信大旭町キャンパスで受けられたと云
介があることと存じます。
う稀有な経験をお持ちです。インターン終了後の
さて、塩澤先生らしいと云えば先生らしいので
昭和27年、火事で丸焼けとなったばかりで顕微
すが、急に先生がおられなくなって、多分私ばか
鏡もない病理学講座に丸山雄造先生と共に入局さ
りではないと思いますが、ご列席の皆様もキツネ
れ、石井、那須両教授の下で、講座の再建にたい
につままれたような気がしておられるのではない
へん尽力されました。レンガ造りの旧病理学講座
でしょうか。と申し上げると、「勝山君、人生と
の建物は、歴史的建造物より野球グラウンドの方
はそんなもんだよ」と言われる先生の声が聞こえ
が大切というある時期の医学部執行部の手で取り
てくるような気がします。
壊されましたが、それは連隊時代の炊事場で、塩
先生のお名前「久要」はご承知の方が多いかと
澤先生も当番兵としてそこで働いたと伺いました。
思いますが、論語の憲問編第十四にある「利を見
先生の学位論文は「心臓GP(糖蛋白)変性の組
て義を思ひ、危きを見て命を授け、久要平生の言
織化学的研究」ですが、コロイド鉄染色、Alcian
を忘れずんば、亦以て成人と為すべし」から採ら
blue/PASなど、当時の最新鋭の研究手法を駆使さ
れたもので、「久要」とはずっと古い約束のこと
れています。後年私が米国に留学した際、ボスの
です。利に臨んだ場合に、その利が義にかなって
スパイサー教授が糖蛋白組織化学の専門家であり、
いるかどうかを考え、生命を投げださなければな
塩澤先生の学位論文をお見せしたところ、1950
らない場合は潔く一命を捧げ、古い約束は平生の
年代の東洋の僻地でよくもまあこのような研究を
自分の言葉を忘れないで実行する。そういうこと
したものだ、英文だったら世界的な評価を得たの
ができる人物ならば、成人と言ってよいだろう。
にと言われました。この論文の付図は、当時の学
私が入局したころ、昔丸暗記した論語を多少は
術誌にはきわめてまれなカラー写真であり、塩澤
覚えていたので、お名前のことを伺ったところ、
先生の面目躍如といったところです。このような
「親がつけてくれた名前だから、名前負けしない
学問的な研鑽が後年婦人科学講座で活躍し、その
ように生きなければならないと思っている」と言
後も大学と強い絆を保たれた理由の一つと思いま
われていました。ご出席の皆様も同じようにお感
すが皆様はいかがお考えでしょうか。病理学講座
じになられると思いますが、塩澤先生は、ご両親
の在籍は7年間でしたが、那須先生の信頼は極め
の期待にたがわず、「久要」という名前に負けな
て厚く、産婦人科学講座に移動されてからも、あ
い、見事な人生を生きられたと思います。
るいは後に開業されてからも、那須先生の相談役
23
と言いますか、助言役を勤めておられました。発
今年1月、発地先生、第二病理の秘書だった宇
地教授に代わられてからも先生の役割は変わらず、
留賀さんと久しぶりで夜の席をご一緒させていた
第二病理の同門会長をお勤めいただき、我々教室
だいたのが私にとってゆっくりお話しした最後と
員は公私にわたり、また昼夜分かたず、言葉に尽
なりました。少し弱られたかなとは感じましたが、
くせないほどお世話になりました。
医学部の歴史、特に裏面史を語らせたら先生の右
このような相談役、アドバイサー役としての塩
に出る方はおられないと改めて感じました。今年
澤先生の役割は、私が知る限り、産婦人科学講座
は医学部70周年で、池田学部長も御祝いの会を
においても同様であり、岩井、福田教授を始め歴
催したいと言われています。その矢先に先生が急
代の教授に信頼されておられました。また医学部
逝され、記録されるべき多くの歴史が先生と共に
レベルで見ても、東先生を始めとする歴代の医学
失われたことを本当に残念に思います。
部長、さらには何代かの学長の相談にあずかって
ご両親にもらった「久要」と云うお名前にふさ
おられたと思います。医学部同門会である松医会
わしい人生を送った塩澤久要先生、お二人のご子
では3年前までの40年余りにわたって役員を勤
息はそれぞれ立派になられておりますし、後顧の
められました。先生は学外にありながら医学部の
憂いはないのではと思います。奥様が待たれてい
運営に深く関わり、貢献されたと云う特別な存在
るあの世でゆっくりお休みください。また御話を
でした。今後このようなOBが二度と現れること
伺える日を楽しみにしております。
は無いのではないかと思います。
24
平成26年7月13日
アフリカ・ニジェールで活躍される
谷垣 雄三先生(信13)の支援について
東 璋(信6)
これ迄彼への支援はNPO法人:「アジア・アフリカ
された住民負担の外科治療とニジェール人外科医療
医学教育支援機構(OMEAAA)、代表・熊谷義也
養成そして12,119名の手術患者の報告です。熊谷先
医師が中心に動いていて我々はそこに参加するとい
生とFAXで推敲を重ねて仏語と英語で出来上がった
う形でした。ところで年齢的に厳しい環境下彼も最
と聞いております。
終ステージに入っているように思います。数年前我々
先日熊谷先生に会う機会がありました。思い切っ
が現地訪問時の印象では彼の後継者を日本で見つ
て「松本に来ていただき、彼のことを一番理解してい
けることは至難なことと思いました。フランスとの軋
る先生に信州の先生方に説明していただくのが一番
轢、不安定なニジェールの情勢・世界最貧国、厳し
良いと思うのですが」と申し上げたところ「松医会が
い自然環境、中国の介入、隣国ナイジェリアのボコ
OKならいつでも喜んで伺います」という返事でした。
ハラムの活動、そしてエボラ出血熱患者等々。彼の
小生の独断で出過ぎたことをしましたがご検討い
実績が何とか残らないかと案じていました。ところ
ただければ有難く思います。
が、彼は我々が現地訪問の翌年からニジェール医学
部学生を対象とした外国語教科書の作成に着手し
横浜港北ロータリークラブ・谷垣医師を支援する会
ていたようで本年8月、フランス語で出版するに至っ
信州大学関係支援金 4,596,015円
ています。
(表紙のコピー)小生残念ながらフランス
(平成14年2月6日~平成22年12月31日)
語は読めませんが、平成4年(1992年)~平成23年
(2011年)迄20年間、
「テッサワ・パイロット・セン
念のため略歴:
ターのまとめ」2011年:内容は1992年から2009年ま
昭和36年慶應義塾大学 医学部卒業後は外科
での約20年間テッサワ・パイロット・センターで実行
専攻、若くして同大学医学部副学長を経験・現在は
新宿区大久保のクマガイ・サテライト・クリニックで日
本有数の内視鏡専門家として活躍。ご尊父は東大卒、
外科医、松本・丸の内病院初代院長、本人は蟻ケ崎
に住み清水小学校に通学していたと聞いています。
松医会員の皆様へ
ご承知のように、谷垣 雄三先生は長年にわた
りアフリカの僻地で孤軍奮闘されており、日本国
内でも支援の輪が広がっています。例年松医会報
春号に谷垣先生への支援について掲載してきまし
たが、現下のエボラ出血熱の蔓延により、一段と
厳しい環境での診療を余儀なくされている状況を
考慮して、本99号にも東先生からのお手紙を掲
載させて頂くことになりました。ご理解とともに、
皆様の一段のご支援をお願い申し上げます。
松医会会長 勝山 努
表紙のコピー
25
会員の広場
ラッパ飲み
竹尾 康男(信6)
私は一年間のインターン臨床研修を東京郊外、
横田米軍基地の近くの病院で受けました。
インターン研修とは六年間の医学教育を終了し
た後で、全科の臨床を学ぶ制度です。
ですが、そんなことは全く気になりませんでした。
おまけに、床板には油がたっぷり沁み込ませて
ありますから、靴を履いたままで生活できます。
はしたないとは思いながら、靴を履いたままベッ
研修病院に指定された病院は全国に多数ある
ドに横になり、足を傍らの机の上に乗せて、西部
のですが、殆どの病院は一銭も手当を支給せず、
劇の主役が拳銃を指でクルクル回す場面を真似し
「研修生」という名の無給丁稚奉公みたいなもの
てみると、俄に自分が格好良いカウボーイに変身
です。朝から晩まで指導医の命ずるままに動き
したみたいで一人悦に入りました。
回って“勉強”し、一週間に二、三度も夜間当直を
して医師不足を補う肉体労働者です。
食事はドンブリ飯を喰い放題ですから、腹が
ビール腹のように飛び出てきて“太った!太っ
それでも指定病院の中には少額の奨学金を支給
た!”と大喜びです。金欠病による学生時代の腹
する病院が幾つかありました。中でも、米軍横須
ペコ生活から解放された喜びは大きく、当時はま
賀海軍病院は七千円もの大金を支給していました。
だメタボなんて考えは一般的でなかったことも
日本の医師の初任給が二万円くらいの時代なので、
あって、食道楽は益々昂じて毎晩ラーメンの出前
七千円といえば大金です。当然研修希望者が多く
をとり、そしてビールを飲みました。
て選抜試験があり、患者が外人ですので英会話が
堪能であることを要求されます。
中年の出前のおじさんは、職業を転々とする風
来坊だったのが、ラーメン屋さんに住み込み店員
学生時代は遊び惚けて学力はありませんし、英
として拾われたらしいのですが、私という気楽
会話はからっきし駄目ですから、私にとっては望
な話し相手ができたのを喜んで、“大サービス”と
むべくもない高嶺の花です。仕方なくその下の下
言っては生きたニワトリを頻繁に差し入れてくれ
のクラスの病院を選びました。
るようになりました。私はそれを解剖用メスで捌
私が選んだこの病院は無試験であるだけでなく、
いて七輪で焼いて大喰いするのですが、量が多過
毎月二千円を支給してくれて三食付きという好条
ぎるので、毎回看護婦達を招いて豪勢なバーベ
件でした。横田空軍基地に隣接するので、乱立す
キュー大会をしました。
る妖し気な飲み屋が多く、アメリカの兵隊さん達
しばらくすると、オジサンが鶏を持って来ない
がウヨウヨ出入りしているので、英会話を身につ
だけでなく、出前でも姿を見せないので尋ねてみ
けるのには理想的であると判断しました。
ますと、鶏泥棒の現行犯をして捕えられて今は刑
居住用に割り当てられた部屋は古い木造で小さ
務所に入れられているとのことでした。
いものですが、藁のマットを敷いた木造のベッド
鶏肉から遠ざかっていくらもたたないのに肉が
が置いてあり、勉強机も添えてあります。私は日
しきりに食べたくなって、私はジージー焼きの店
本式家屋にしか住んだことがなく、ベッドで寝る
に出かけました。ジージー焼きとは、得体の知れ
のは初めてです。これからこの洋風じみた部屋で
ない肉と内臓を七輪で焼いて食べるもので、今で
スマートな生活を始めることになったことを大喜
言うホルモン焼きですが、黒人兵たちに大変好ま
びしました。何から何まで中古で、長い間放置さ
れていました。そのような店が基地の周辺に掘建
れていたものの再利用であることは一目瞭然なの
て小屋同然の建物で軒を連ね、妖しい女性が兵士
26
達を呼び込んでいました。
驚いたことに、この女性達は英語だけで外人
というジェスチャーとして指で丸を作ってみせま
した。
達と話ができて冗談さえ言えるらしく、キャー
ところが彼は硬い表情をして私を見つめ、コッ
キャーと談笑しています。あの鶏泥棒をして刑務
プを指差して“なぜだ”と尋ねているみたいです。
所に入っている出前のオジサンも、この辺の飲み
炭酸水のおいしさは、はじける泡と炭酸の軽い
屋で外人客の相手をするうちに英語を喋れるよう
刺激が口一杯に広がって醸し出すシワシワした爽
になったと言っていたのを思い出しました。この
やかさで、それを更にノドの奥まで広げて喉越し
地に私が来た目的の一つが英会話ペラペラ男に変
の快感を楽しむことにあると思っています。ラッ
身することですから、求める英会話道場が此処で
パ飲みは折角のうまい水を無理遣りに食道の方へ
あり、あの出前のオジサンのお導きによるものだ
流し込むことになって、口の中で味わう楽しみを
と思って、勇気を出してノレンをくぐりました。
棄てることになります。へたをすればむせて咳を
排気の悪い小さなお店は朦々と煙っており、焼
連発するかもしれないと思ったのですが、そんな
肉の強烈な臭いが鼻をつきます。何人かの外人達
微妙なことは英語で言えないので、私は咄嗟の思
がテーブルを囲んで飲み喰いしているのですが、
いつきを言ってやりました。
早口で喋る英語は私の頭の上を飛んでいくみたい
「私はノーブルな家に生まれ育ち、歩きながら
でした。喋りながらのジェスチャーが大袈裟なの
の飲食や、ましてやラッパ飲みなんてみっともな
にも驚かされました。
いことはやってはいけませんよ、と幼少の頃から
その中の大柄で少し偉そうな一人の黒人兵が私
教育されました」
のテーブルの上にデンと尻を移してきて、大きな
彼は「アイ・シー」と言って頷きますので、
靴の足を空き椅子の上に乗せたままというはした
「ユー・シー?」と念押しして、ラッパ飲みはダ
ない態度で私に話しかけてきましたが、私にはチ
メという意味で両手を交叉して×印を作りました。
ンプンカンプンで返事のしようがありません。
前々から一度は言ってみたかったキザな気取っ
「ママさん、コーク、コーク、ツーコーク」
た言葉をとうとう言うことができたとほくそ笑ん
持って来させた一本を私にくれ、自分はもう一
でいると、彼は更に「なぜラッパ?」と攻めて
本をラッパ飲みして、フーと息を吐き、ゲップを
きました。ラッパ吹きの形で飲むのだと言う私
しました。
の言い分には納得せず、正確にはdrink from the
これが私とコカ・コーラとの初めての出会い
bottomと言うのだと教えてくれました。
で、女性の身体に似たビンのデザインとスカッと
私はラッパ飲みという日本語は飲む姿を明確に
した爽やかな味に感心してしまいましたが、炭を
思い浮かばせるだけでなく、激しく動く喉がゴク
思わせる味と嗅いがしましたので、コークとは炭
ゴクという音まで伝えてくれる非常に面白い表現
(coal)かコルク栓のことか、いずれにしても材
だと思っていますが、ビンの底から丸飲みすると
木から美味いものを作ったものだと感心しました。
いう発想もなかなかのものだと感心して、次の
私が英語を喋れないと知った彼は、易しい言葉
チャンスにはこの英語を使ってみようと心に決め
を探しながら、自分はアメリカ軍人であり、三年
ました。
前から立川基地で働くうちに日本という国が好き
店を出て夜風に吹かれて帰る途中、フラフラと
になって、日本女性を妻にしていることを話して
もう一軒の飲み屋のノレンをくぐりました。注文
くれました。
したのは勿論コークです。隣りの席の軍人に積極
もう一本飲めというので素直に受け取り、店員
的に話しかけて、私はまたも“お母様からビンの
に持ってこさせたコップに注いで飲み、“うまい”
底から飲むのははしたないことだと幼少の頃か
27
ら厳しく躾をされた”と言ってdrink straight from
対局中も相手方はネチャネチャしながら二人が
the bottomを使ったところ、あっさりとbottomで
かりで歯向かってきましたが、勝ったとなると私
はなくて“bottle”だと訂正されて、bottleをbottom
の目の前で派手に抱きあって喜びます。これも英
と聞き違えていたことを恥じました。私の“馬
会話の授業料のうちと見逃してやり、最後に幾つ
鹿の一つ覚え”は“馬鹿の聞き違え”だったと知り、
かの辛口のアドヴァイスを与えました。
一遍に酔いがさめてしまいました。
「あなたは飛行士なんだから、飛車と角と香車
それから暫くしたある日のこと、先日コカコー
という飛び道具を縦横無尽に活用して敵地深くを
ラを一緒に飲んだ黒人兵の奥様だという日本女性
ピンポイントで攻撃すべきだ。桂馬はもっとロデ
から電話があり、馬鹿丁寧な御挨拶を受けたあと
オ風にピョンピョンと暴れさせること。捕らえた
御招待を受けました。
敵の駒は捕虜とはいえ人権を認めて大事に扱って、
「主人が将棋を教えてほしいと言っている。英
ここぞという時に有効利用する。王は日本の亭主
語の勉強だと思って来てほしい。それに私達の生
のようにデンと構えてオロオロしない。それが日
活振りも見てくださると嬉しいんだけど」
本男児というものだ」
訪ねてみるといかにもアメリカ人向きのカラフ
私のカタコト英語がうまく通じて、ジュネーブ
ルな新建材一戸建て住宅で、室内は小奇麗にして
条約の精神や日本男児の心意気まで十分に理解さ
あり、食堂兼用の居間には赤い花が一輪活けてあ
せることができたのかどうかは大いに疑問ですが。
ります。奥様は小柄で可愛い人ですが気味悪いほ
あとは大和撫子奥様の翻訳に期待する事にしまし
ど化粧が厚く、極端に短いパンツ姿です。コー
た。
ヒーをいれてくださった後で、改めて御丁寧な御
挨拶を受けて恐縮しました。
亭主が将棋盤を持ち出してきましたので、昨夜
から英作文して用意していた英語でルールを説明
して戦いを開始しました。
一息ついたところで、奥様が「お茶をどうぞ」
と言って、お盆にコーラと三つのグラスを乗せて
やってきました。
三人がそれぞれグラスを持ち、なみなみと溢れ
んばかりにコーラを注いで乾杯をして今日の親善
敵は初年兵ですから、私が手加減してやっても
試合を祝いましたが、彼は私にウィンクを送りな
簡単に勝ってしまいますが、さすがは米軍将校だ
がら、左手の親指を立てて日本語で言いました。
けあって負けず嫌いです。もう一回、もう一回、
「わたしたちノーブルね。ラッパ飲まな~い」
これがラストと言って限りなく挑戦してくるので、
彼はこの一言を言いたくて私を呼んだのかもし
私はうんざりしてわざと負けてやり、やっとのこ
とで終わりにしました。
28
れません。
北満の星~佐藤大四郎の生涯~
佐藤 玄二(信7)
昭和初期、日本軍国主義は中国大陸に進出し、
て創設した「綏化県農
中国を支配し満州国を建設した。そういう世相の
村協同組合連合会」は、
時代に、民族主義、東洋主義を掲げて人類の平等
貧農層に重点を置きつ
を唱え、被支配者側の中国の貧農を援けた人物が
つ、各級勤労農民の生
存在したのである。その名を佐藤大四郎と云う。
活安定を計ることを目的とした。(中略)これ
は、日本政府派遣のエリート官僚達が推進した満
◎大四郎叔父の生涯について
私の四叔、即ち父達雄の兄弟の四番目の弟、大
四郎の事はあまり知られていない。
しかし、私の人生を考えると、どうしても触れ
ざるを得ない人物である。
州農業政策とは対称的で、本質を異にするもので
あった。実はそのことが口実とされて、彼、佐藤
は33歳の若さをもって命を奪われたのである”続
いてそのあとがきに、“大四郎の生涯は、貧苦に
喘ぐ農村社会の人々の幸福のための方法を探り出
叔父は短い生涯で、中国東北部(当時、満州)
し、確立し、実践し、そして官僚派の陰謀のゆえ
に渡り、貧苦の農民の救済すべき方法を探り、実
に、官僚派との戦いを余儀なくされ、遂に死に至
践し、全力で戦った末、当時の日本官僚派の陰謀
らしめられたのである”と。
により獄死したのである。33歳の若さであった。
(昭和18年5月20日)
祖父潤之助の亡くなった昭和14年8月、滝野
川の佐藤家で6歳の私は、最初で、最後の叔父の
しかし、叔父の行った運動は、反官僚主義の旗
色は鮮明であるが、その本質は貧しい農民の救済
運動であり、その近代化を志向するものであった
のである。
姿を見ている。色々な人々が沢山居たが、‘優し
当時の罪状は、満州国治安維持法第五条第一項
さの中に、威厳があり、眼光鋭く、細身’で私た
‘宣伝罪の適用’である。しかし、これは強引に治
ち兄弟(2歳上の潤一兄と私)に近づき、頭を撫
安維持法に引っかけたのであり、大きな誤りと罪
でて呉れた事を今も思い出す。幼少の私でも印象
を犯したのは、むしろ処断した新京高等法院の側
が深い事柄であった。母から遠い所から来た父の
である。これは、まぎれもない歴史的事実である。
弟であると聞いた。
当時の獄中の叔父の姿は“あれほどやせ細るも
大四郎の友人、田中武夫氏は、大四郎を良く知
のだろうかと思った。本当に骨に皮がくっついて
る人物で、満鉄情報課勤務、満州評論社主幹を務
いるだけという印象を受けた”(塙英夫氏談)そ
めた方で、“橘樸と佐藤大四郎(合作社、佐藤大
の後、栄養失調に肋膜炎を患い死にいたるである。
四郎の生涯)”を執筆した。その書物の中で次の
獄死である。嗚呼!自分の信じる道を、貞節を、
ように述べている。
最後まで曲げなかった叔父の毅然たる姿勢に感涙
“佐藤大四郎とは何者か。農民組織者である。
彼は北満の屯子(部落)のなかに、青春の一切の
情熱を傾けて、数年間、中国農民組織化の仕事に
打ち込んだ。日本人による、そのような事績は、
と、哀悼の意を捧げたい。
元明治大学教授、近代思想史家の橋川文三の佐
藤大四郎に間する証言。
“佐藤のような日本知識人の誇りとする青年が、
空前にして絶後である。彼が昭和12年(1937
なぜ異国の農民組織にあれほどの知識と情熱を傾
年)1月、浜江省、綏化県下の農村に身を挺し
注して、しかもその果てに日本官憲に捕らわれて、
29
現地で獄死をとげなければならなかったのか、と
恐ろしい欠乏と迫害を蒙って、その民族は再
いう問題になると、それほど答えやすい問題では
び起つ能はずして、永遠の訣別を告げて逝い
ない。(中略)では佐藤と云う青年を忘れ去って
たのである。之に反して戦争に勝った民族或
良いかといえば、断じて否という思いである”
いは国家の多くは、栄光ある勝利に限りない
また近代思想史、評論家の綱沢満昭の弁。
誇りと自信を持って、国民は多くの勇敢なる
“佐藤は橘樸の志を十分継承しながら、困窮下
戦士の犠牲を弔ふと共に、勇気凛々として新
にある中国耕作農民に新しい未来を切り開くべく、
しい文化の建設に着手した。その文化はその
そして彼らの自主的幸福の追求を援助するため、
民族・国家の発溂たる元気が迸って、或いは
農村組合運動による連帯感を養う事に全力を投入
雄麗なる大都市、大道路の建造となり、或い
する。綿密な科学的農村調査に基づいた彼の方針
は勇壮典雅なる詩となり歌となった。斯くし
は他の追随を許さぬものであった。植民地支配を
てあらゆる方面に文化の発達を促した。斯く
行う側の人間が、被支配者の側に立ち、民族の対
の如く一方には滅び行く民族の哀愁を堪えた
等を願い、ギリギリのところで行った貧農解放運
旋律を奏でつつ、一方には覇者の雄雄しい勝
動であった。(中略)いったい戦後日本は、この
利を讃えて、歴史は悠々ここに幾千年を経て
橘や佐藤から何を学び、何を継承してきたのであ
現代に至ったのである。
ろうか!”と警鐘を鳴らしている。
ここに私は近古、近世の戦争の歴史を訪ね
て見てみよう。そこには、我々が、夢幻に描
いた華やかな戦争の影形だに無い。兇猛と悲
◎叔父の学生時代
1927年(昭和2年)旧制一高に入学。その年
に書いた二つの作文が私の手元にある。
惨と絶望とに閉じ込められた暗滄たる戦争の
みが史上に存在するではないか。近古に於け
①戦争 文甲一年一組 佐藤大四郎
る欧州各国の王位継承戦役を見よ。クリミア
②正しき事 文甲一ノ一 佐藤大四郎
戦争を見よ。ナポレオンの為した幾多の戦争
(全文本人の直筆があるので、一部をコピー、
を見よ。そこには文化の建設はない。ただ尊
全文を書写します)
い人類の紅の血が、灰色の戦場を赤く彩った
にすぎないではないか。最も近世に至って
文甲一年一組 佐藤大四郎
1914年7月に勃発した欧州大戦争を観察し
人類起源の太古以来、物凄い征服欲に支配
て見よう。全欧州の国家・民族は7年の長き
されて、幾多の他民族と鋒を交へた兇猛な種
に亘った戦争の為に極度に疲弊し戦勝と戦敗
族もあった。又偉大なる理想郷を夢見て、富
の否を問わず、皆、傷つき凡ゆる困難の中に
にあこがれ栄光を求めて、至る処の民族と
沈滞して了った。面して彼のドイツ帝国の征
戦った慓悼勇壮な国民もあった。是等幾多の
服欲の権化たる皇帝カイゼルの凄壮なる世界
戦争の跡を歴史に繙いて審らかに観察する時
統一の覇権は幾百万の生霊を犠牲とし、凡ゆ
に、私は戦争が地上の全人類に及ぼす影響の
る物質を破壊し尽くして空しくも没落し去っ
広大なる事を、今更乍ら痛感せざるを得ない
たのであった。面も戦勝国たる英・仏その他
のである。
の国々の戦後経営は、近代武器の進化に依っ
戦争
太古より中世に至る迄史上に有名なる戦争
て、復興の原動力を完膚なき迄に絶滅せしめ
に於ては、いたましくも敗れた民族の多くは、
られ、加うるに各国民が、ラ・マラディ・
悲しい末路を迪って絶滅の淵に急いで行った。
ド・ヴィクトアールの風潮に陶酔したが為に、
国破れ若人は死し、父は去って子は飢えて、
その歩みは遅々として困難、苦悩の極度を味
30
わったのである。斯くして、幾千年の絢爛た
る文化を誇った全欧州の天地は荒廃して、戦
のは当然のことである。
我々の日常の修行を省みれば、それは一言
争を呪う怨嗟の声は嵐のやうに沸き起こった。
にして云へば、ただ我々が正しく生きん為の
そこには父を失った孤児もあろう。若人を
努力である。考え方に依れば、常に正しい行
失った母もあろう。愛人を失って気も狂った
を為して毫も愆ることのない人は、既に聖人
乙女もあろう。傷ついた戦士を涙に迎えた年
の域に達した人と論断し得る。正しく生きる
老いた一家の人々もあろう。かの欧州大戦争
ことは修養の大眼目であり、人生の基調たる
は、凡ゆる悲しみと呪いと、死の恐れを地上
所以である。
に印して過去の薄霧の中に消え去って行った
従って我々が正しくあることに対して「誤
のだ。省みよ!此の莫大な犠牲を払った大戦
りをやらなけりやいい」と云う消極的な態度
が終わって、そこに何があったのだ。
は最も忌むべきことである。修養は実行にあ
人類の誇るべき光輝ある文化もなければ慈
る。正しく生きる為には自ら正しいと信ずる
愛に満ちた幸福も生まれなかった。唯、我々
ところを実行しなければならない。正しいこ
人類が苦悩と悲惨に悶えたのみではなかった
とを実行する―そこに我々は大きな誇りと悦
か!貧欲に汚れた浅ましいこの争闘から、鮮
びとを抱くことができる。ごく卑近な例では
血の洗礼に依って何で真の平和と幸福を求め
あるが、込み合った電車の中で老人子供をい
得やうか!戦勝に依って得た栄光―何と云う
たわってあげる―これは正しいことである。
空しいものだ。我々は戦争が人類に与える莫
そしてそれを実行したとき、我々は他の人々
大な苦悩を体験したのだ。我々は平和の為に
に対して純な誇りと悦びを心の中に感じるの
努力すべきことを真に自覚したのだ。人類の
である。面もその愉快な心持は、その時以後、
幸福の為に正義の楯を持って、凡ゆる邪悪と
常に心の中に明るい喜悦に満ちた微笑となっ
戦わねばならないのだ。正義と平和の為に十
て現れるのである。その快い感じは、他のあ
字軍の魁をなさねばならないのだ。
らゆる正しいことを実行した場合に於ける気
講評文論旨明晰、叙述秩序あるを喜ぶ(担
当教官)
持ちと一致するところがあるに違いない。
そして、その感じこそは、その正しい行い
の報酬として、その人一個に与えられた喜び
正しき事
文甲一ノ一 佐藤大四郎
人間の生活の最も根本的な信条は「正しく
生きる」と云うことである。不正を斥けて清
に止らず、人々の感情を和げ社会をして潤ひ
のある所とすることができるのである。
正義に基いた行いを「正しい行い」と言う。
らかに正しく生きることは人間の最も幸福な
これこそ実に人間の生活の基調をなす重要な
ことの一つである。
ものであるのだ。我々の修養の根本信条であ
我々は正しい行を見る時には、必ず感激を
する。不正なる仕業を見れば必ず憤慨する。
るのだ。敢えて再び繰りかえしてこの文を終
わる。
つまり正しくありたいと云うことは人間本性
の要求であるのだ。正しいことの前には、あ
本人の弁①:この文は大変まずいものですけれ
らゆるものは屈伏する。邪は正に克つことは
ど、どうしたわけか◎がついて殆んど満点との
出来ない。何が故であるか。即ち邪悪は天下
話でした。昨晩家にかへったとき、お母さんが
盡く之を斥け、正義には天下盡く之に就くが
「送って下さい」と仰しやったから、ハズカしい
為である。大勢の向う所、如何とも為し難い
次第ではありますが、お送りします。(原文のま
31
ま)
②について:(教師の弁)論旨明確、叙述秩序
あるを喜ぶ
二つの文章は“旧制一高生の作文帳”に全文があ
ります。
叔父の人生を、親友作家高見順が、昭和38年
に絶筆『激流』のモデルとして書いている。
の医家の家系は現在も続いている。
ところで、叔父のことであるが、友人の死や友
人の父親の死について書いた「死の悩み」という
作文もある。
“死、死は実に忌まわしいものです。私にとっ
てこれほど恐ろしいものがありましょうか。人は
常に生というものに深い執着を持ち、生というも
のに限りない欲望をもっているのに”という書き
◎叔父大四郎(佐藤家)の家系
出しで、
父は耳鼻咽喉科医師である潤之助、母せい。兄
“あゝ!僕の死はいつなのでしょうか。考えれ
弟(妹)は8人で、長男英一郎、次男達雄(私の
ば考える程頭は混乱して了います。(中略)大勢
父)、共に耳鼻咽喉科医師、三男陽之助、四男大
の人々を死の悩みから救ってやるのだ!”そして
四郎、五男伍郎、六男六郎、長女光子、次女雪江
大四郎少年の言葉―「大勢の人々を救ってやるの
の順で八人兄妹である。
だ」という、生への燃える思いが、彼の生涯の核
英一郎は旧制一高~千葉医大、達雄は旧制東京
医専(現、東京医大)、陽之助は旧制一高~東大、
となる。
また、旧制一高時代には、昭和5年(1930
大四郎は旧制一高3年中退、伍郎は横浜国立大、
年)1月発行の一高『校友会雑誌』第325号に、
六郎は立教大などである。
佐藤大四郎の論文「マルキシズムの世界観」が掲
私の父、達雄は家族、兄弟(妹)が多かったの
載され、詳細は省くが、T教授との論争が掲載さ
で、1921年(大正10年)中学四年で医専に入り、
れている。当時の学生には稀に見る格調の高い文
1926年(大正15年)には、早くも22歳で医師と
章といわれ、昭和5年10月発行の『一高同窓会
なって父を助けたと聞いている。
会報』に、先輩の広田精一なる人物が「佐藤君の
大四郎は、1909年(明治42年)11月22日、浅
草区(現、台東区)柳橋生まれ。
ような一高の誇りとすべき頭の良い学生は、(中
略)将来、マルクス、ヘーゲル、序に東洋哲学も
1914年(大正3年)大堀幼稚園入園
研修してサトウイズム、あるいはネオマルキシズ
1916年(大正5年)福井小学校入学
ムを近き将来に発表して世界を驚かさるゝことを
1922年(大正11年)高師付属中
望む」と述べている。
(現、筑波大付属中)入学
長兄の英一郎は、同じ一高後輩の大四郎の性
1927年(昭和2年)旧制一高、文甲(英文)
格を、“割に無口、そして淡白、そして豪胆、自
入学、3年時、中退。
主独立の気性”と述べている。“大四郎は愛情深い、
1908年(明治41年)生まれの私の母よしも、
義侠心の強い家系に生まれ育っている”(田中武
当時、同じ福井小学校に在籍しており、一級上の
夫著橘樸と佐藤大四郎龍渓書舎1975年)と書か
陽之助と、一級下の大四郎を知っており、目立っ
れている。
た生徒たちだったと印象を語っていた。母は、そ
の後、府立第一高女(現、白鴎高)に進んだ。
また「佐藤大四郎と満州における農村協同組
合運動」等を専門に研究されている福井紳一氏
以上が、叔父の略歴と、私の母の思い出である。
も、“人道的な医師の家庭からの影響がその行動
代々医家の家系で、佐藤家は、静庵、杏岱、玄
の原基にある。”と述べている。(小林英夫、福
岱、春岱そして潤之助と続く。
因みに達雄、私、そして息子と四代耳鼻咽喉科
32
井紳一共著:『激論満州国満鉄調査部事件』彩流
社2011)
以上二点の書物と、小林英夫、福井紳一共著:
『満鉄調査部事件の真相』小学館(2004)及び
『佐藤大四郎著満州における農村協同組合運動の
建設』再販1980年(昭和55年)龍渓書舎に、詳
細は書かれているのでここでは省略する。
①佐藤大四郎の思想形成とその協同組合思想福井
紳一2002
②橘樸と佐藤大四郎(合作社事件佐藤大四郎の生
涯)田中武夫龍渓書房1975
③満州に於ける農業協同組合運動の建設佐藤大四
最後になるが、
郎龍渓書房1980(再販)
中国の故事に、
“大医は国を治す、中医は人を治す、小医は病
人を治す”とあるが、途上で挫折したとはいえ、
貧苦に喘ぐ中国農民の救済に全力投球した叔父、
佐藤大四郎こそ、‘大医’に値する人物と思い、敢
えて身内とは言え宣揚し筆を執った次第である。
参考文献:
(以上)
④旧制一高生の作文帳佐藤玄二板橋区医師会通報
1990
⑤佐藤大四郎と「満州評論」~中国東北農村問題
に関する理論と実験~
祝力新中国東北師範大学外国語学院2012
尚俠中国東北師範大学日本研究所教授
33
葬式、
はて?さて!
田口 和宏(信7)
3月に、義弟が悪性腫瘍の長い療養後、亡く
ちなみに直会というは、「祭り!の儀式の終
なった。葬式は、3年前東北大震災を被った北茨
わった後、供物・酒のお下がりを参列者一同で分
城市である。遠い、特急を3つも乗り継いで行っ
けて食べる宴会」で、精進落としは「精進の期間
た。翌日の通夜、葬式に出るためには前日出発し
が終わって普段の美食・肉食をすること」とある
なければならなかった。
のがおもしろい。現実は後者か。
翌日納棺して火葬場へ。最後のお別れである。
この機会に「葬式」を考えてみたい。葬式とは、
お浄よめと称し、送る我々遺族は、手を洗い、身
「人の死を悲しみ惜しむための法事」と定義され
辺に食塩を振る。仏は神聖であり、生者は汚れて
る。あくまでも個人的行事と思うが、社会に生き
いるというのであろうか。読経が何回もある。お
て来た以上社会的意義も持ち合わせている。一方
経の内容はわからない。時々入る打楽器?で緊張
死とは、人間の有機的生活が全面的に停止した状
する。火葬場では、焼かれた骨すべてを係員が金
態とも規定できて、死んだら個人の意思は消失す
の円筒に収める。ほとんど細かに潰される。最上
る!のだが、「遺志」は何らかの形では残され得
面は人面を形作るかのように採型する。これを
るかもしれない。島田裕巳氏は葬式を「納得でき
持って斎場に帰って通夜となった。ここでまたお
る人生の締めくくり方に結びつけたい」と述べて
経である。大変な人が出席され、葬式と見紛うほ
いる。しかし「納得できる」の主語は誰なのか、
どの人出である。焼香ともなると、夥しい人が遺
本人は死んで居ない!納得するのは家族か、ある
族席の私たちにも拝礼するので、それへの返礼だ
いは周囲または取り巻いて来た社会圏か。
けでも大変である。
本人が予め遺志を記しておき、家族がその通り
翌日はまず告別式。花の羅列、難解な読経、焼
に、執り行ってくれるのが理想だろう。(ただ残
香の大勢の人々に対する頻回過ぎるほどの返礼の
された家族が忠実に施行してくれるかどうかは別
繰り返し。
問題だし、故人は既に関与できない時点での事情
告別式が終わるとバスで、納骨のため墓へ。墓
は高台に在り、途中降車して登山。最近とみに下
が起こるかも知れない。)この紙面では大まかな
希望だけを述べるのが限界である。
肢の弱った妻たちはバスの中で待った。墓石の背
1、信仰をもたない自分は宗教色のないsimple
面は削り取られた断崖がせまり、その直上の他の
な葬儀、まずは家族葬をしてもらいたい。
墓石がいまにも滑落して来そうという、ここにも
地震津波の爪跡を目前に認めることが出来た。
再び斎場にもどり、本番の葬式が執り行われた。
2、従ってそこには会葬者は近親者だけである。
読経、戒名なども遠慮したい。
3、こうして葬儀(家族葬)自体はしめやかで
納骨に行けなかった方々には、お待ち戴いたのだ
哀悼感が満ちていようとも、本人が納得し
ろうか。告別式だけで、直会にも出ずに帰宅され
て一生を終わったことを称賛してくれるよ
てしまった方も多かったかもしれない。とすれば
うな、少しでも明るい雰囲気も醸し出して
失礼を欠いたということになりはしまいか。宴席
貰いたい。
には料理にふろしきがついていたが、葬式前に料
法的には医師の死亡診断書をもって、死亡届を
理を持ち帰るのも不自然で、この辺にも葬儀の難
役所に出すが、それは24時間経たなければ、火
しさ?を考えた。
葬には出来ない。理由は生き返る?ことがあるか
34
ら、だそうである。そんなことを、医師であるの
と言う慣習は捨てたく無い。家族で墓参りという
に、はじめて知ったのが恥ずかしい。こうして火
形が踏襲されているのも現実である。
葬式は、本人が生前どう生きたかを反映するば
葬許可証がおりるのである。
「世間体」を気にして「家」中心の葬式とい
かりではなくて、最後に家族にも悔いを残さず、
う考えの時代は終わりつつあるように思われる。
すなわち生前の生き方そのものが葬式という延長
hierarchizeされるような、見栄を張った葬式や
線上に表われ、前述したように、しめやかさの中
「戒名」などは要りません。現代の葬式が仏教式
にも、一縷の明るさを醸し出してくれるような、
で行われるのは、単に慣習に因るものだろうが、
そういう葬式を小生は希望する。
現代では仏式となると華美にならざるを得ない理
由が多々、横たわっているらしい。
核家族となり、高齢化社会を迎え、家制度は無
こだわ
くなったともいえよう。仏式に拘 ることもなく
参考 島田裕己 葬式は要らない 幻冬舎
新明解国語辞典 三省堂
(桔梗ヶ原病院整形)
なったと実感する所以である。一方では、墓参り
35
松医会報送付で思った事 その後
藤田 喜久(信7)
松医会報の97号に「松医会報送付で思った
ただ、本日の時点で、信大HPの松医会の欄を
事」と題して投稿をしましたが、その後も98号
見ますと、会報の97号までしか閲覧出来ません。
が送られて来なかったので、2014年8月12日に事
98号が本年の春に発刊されてから、もうかな
務局宛てに会報送付催促のメールを送りました。
りの時間が経過していると思いますので、是非、
そうしましたら、本日(2014年8月19日)、待
今後はHPでの会報掲載をもっと迅速にして下さ
望の98号が着きましたので、嬉しく、早速、今、
読んだところです。
ところで、先の会報95号で本会の財政的窮状
を訴えていましたので、「塵も積れば山となる」、
僅かなお金でも、大勢が同意して下されば、松
医会の経費節減にも繋がるかと思って、97号に
「会報送付不要案」を投稿しました。
それで今回、その事を実行する為に、私は文
明の利器を使った方法に切り替えて、「今後は
る様に、同時に事務局にお願いもしました。
80歳近いお爺さんの私が切り替えたのですか
ら、internetに詳しい、若い方達はもっと簡単に
切り替えられるのではないかと思っています。
北国のイギリスは季節の移り変わりが速く、も
うすっかり秋の風情です。
学生時代を過ごした松本でもお盆が過ぎると赤
トンボが飛んで、早い秋の訪れを感じた事を想い
出しています。
internetを通して会報を読むので、会報送付は不
会員の皆様、どうぞ、お元気でご活躍下さい。
要です」とのメールを事務局に送りました。
初秋のLondonから
36
万葉集全歌通読 =後編のⅢ=
大伴家持−万葉集の終焉 その2
三原 宏俊(信7)
その1 越中の家持
ていた。旅人の九州下向が神亀5年(728)、大
大伴氏は歴史に登場した時が絶頂期にあった。
あったが念願適って帰京した旅人は辺境での妻の
その時期は五世紀半ばの雄略朝頃から六世紀半ば
死や長旅の疲れがたたってかその翌年7月、67
の欽明朝までの約百年間で、当時は律令制度以前
歳でこの世を去った。遺された家持は時に14歳。
だから大臣、大連が並立して朝廷の政治を執行す
天平5年には、その深い学識で家持に大きな影響
る最高位であったが、大伴連室屋・金村がその栄
を与えた山上憶良が74歳の生涯を閉じた。旅人、
光の時代を築き上げた。臣姓の氏族は大和の地名
憶良の死をきっかけとして家持の作歌活動がはじ
を氏の名としており(葛城、平群、巨勢、蘇我な
まり、万葉史の時代区分での第4期が始まる。そ
ど)天皇家と並ぶ大和地方の土着の豪族であった
の頃の歌:
おほおみ
おほむらじ
むろや
へぐり
こ
せ
納言となっての帰京が天平2年(730)12月で
のに対し、連姓の氏族は、大伴、物部、中臣、忌
う ち 霧 ら し 雪 は 降 り つ つ し か す が に 部など職掌の名を負い、朝廷で軍事・祭事等の職
吾家の園に 鶯鳴くも
とものみやつこ
わぎへ
(巻八・1441)
務を担う部民を率いて朝廷に仕えた 伴 造 の家柄
平17年正月、家持は従五位下に昇任。晴れて
であった。天皇家の勢力を強大にしたのは、連姓
貴族の仲間に入った。当時の官僚体制では、三位
氏族の活躍であり、朝廷に対しての親愛感は彼ら
以上が「貴」と呼ばれる高級官僚、四・五位はそ
の方が臣姓氏族のそれよりもより強かったといわ
れに準ずる「通貴」。「貴」と「通貴」、「通
れる。わが国初の歴史書、古事記・日本書紀が編
貴」と六位の間は待遇の差が歴然としていた。
纂されたのは、大伴家が全盛を極めていた継体・
その翌年の6月、越中の国守に任ぜられた。越
欽明朝頃とされるので、初めての史書に記載され
中は現在の富山県に相当するが当時は能登も含ま
た先祖の輝かしい業績は青年家持の名門氏族とし
れ「延喜式」では上国とされた。越中の守として
ての意識をいやがうえにも高めた。
の任務は一般的な業務の他に、天平15年に出さ
しかし名家大伴氏が室屋・金村の時代のように
れた大寺を作りそこに巨大な毘盧遮那像(通称 再び政権の中枢に座ることはなかった。ある時は
奈良の大仏)を安置するという勅とも密接な関連
蘇我・物部の後塵を拝し、大化以降は藤原(中
のある業務もあった。
臣)鎌足に操られ、壬申の乱は大伴家復興の唯一
聖武天皇は彷徨の王権とも言われるように、天
の好機であったが、乱に勝利して政権を掌握した
平12年(740)から17年(745)までの5年間は
天武帝は皇統による専制支配体制を確立して一人
都を転々と移した。先ず久邇京へ行き、次に難波
の大臣もおかず臣下が登用されることはなかった。
に移った。その間紫香楽の開発が始まった。ここ
嫡流家持は大宰の帥とはいえ高齢の父、大伴旅
は都とは宣言されなかったが、大仏建立はここで
人が64歳にして九州へ赴任し、そこでは山上憶
発願された。天平17年になり都はやっと平城京
良、沙彌満誓、少弐小野老等、多数の風流士がい
に戻り聖武帝は大仏建立に執念を燃やした。家持
て「九州歌壇」といわれるほどに作歌活動は活発
が越中に赴任して3ヵ月後の天平18年10月に元
ではあったが、下向して間もなく妻、女郎を亡く
正太上天皇・聖武天皇・光明皇后たちが大仏に燃
したりと、悶々と望郷の念止みがたい日々を送っ
灯供養のため金鐘寺に行幸した。この寺の規模が
しゃみのまんせい
おののおゆ
いらつめ
くにきょう
し が ら き
こんしゅじ
37
あさけ
拡大されそこで大仏建立が始まって後の東大寺と
今朝の朝明 秋風寒し 遠つ人 雁が来鳴か
なった。
む 時近みかも
(巻十七・3947)
越中国の隣の越前国には東大寺の墾田が多くそ
天離る 鄙に月経ぬ しかれども 結ひてし
この国守には藤原宿奈麻呂が家持と同時に任命さ
紐を 解きも開けなくに (巻十七・3948)
れたが、宿奈麻呂はその年の9月には上総守に転
「越中三賦」「賦」は中国で詩を内容からと表
じ大伴駿河麻呂と交代になった。
現からの各3つの型に分類した六義の表現の類型
東大寺と関係が深い北陸の2国守が共に大伴氏
の1つで紀貫之がそれを和歌に転用した。和歌の
であったことは天皇や橘諸兄が積極的に大伴氏を
六義はそえ歌、かぞえ歌、なずらえ歌、たとえ歌、
起用したのだともみられている。この2国には大
ただごと歌、いわい歌である。「二上山の賦」、
仏建立の資金獲得のための東大寺の墾田の開発の
「布勢の水海に遊覧する賦」、「立山の賦」の3
任が課せられた。
つを合わせて「越中三賦」という。先ず「二上山
す く な ま ろ
りくぎ
家持には弟と妹が一人ずつ居たといわれるが、
の賦」は3985,3986,3987の3首で3985は、射
その5歳下の弟、書持の死が越中へ赴任した直ぐ
水川の流れ巡る二上山の尊い美しさを詠った長歌
の9月に伝えられた。天平11年(739)の妾の死
渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくし
から始まって近親者の死が続いた。加えて赴任2
くに 古思はゆ
年目の2月には家持自身が病床にあった。疾患が
玉匣二上山に鳴く鳥の 声の恋しき 時は来
何であったか明らかではないがかなりの重病で
にけり
ふみもち
しぶたに
ありそ
くしげ
(巻十七・3986)
(巻十七・3987)
あったといわれる。
次に「布勢の水海に遊覧する賦」の1首目はそ
家持の父、旅人は筑紫にあっては山上憶良とい
の美しさを讃えた長歌。
としのは
う深く広い学識を持った歌人を部下にもち、その
勢の海の 沖つ白波あり通ひ いや毎 年に 憶良によって、辺境の地に来て間もなく妻を亡く
見つつ偲はむ
した悲しさと断ちがたい望郷の念は大いに希釈さ
たちやま
(巻十七・3992)
「立山の賦」は4000番の長歌と短歌2首。
れたが、越中に来た家持は自分を筑紫での父、旅
立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども
人に重ね合わせた。その時、憶良に当たる人物は
飽かず 神からならし
家持よりも少し前に赴任していた大伴池主であっ
片貝の 川の瀬清く 行く水の 絶ゆること
た。池主は家持と姻戚関係にあったが、同一国に
なく あり通ひ見む
(卷十七・4001)
(巻十七・4002)
おいて三親等以内の者達が地方官になることは
この「立山の賦」には池主が4003の長歌と短
禁じられていたから、それより遠い関係として
歌2首でその翌日の作で応えている。家持がこの
も、家持にとっては頼りになる年長の部下で歌人
歌を詠んだのは4月27日とあり、新暦なら尚の
であった。宴席などで歌を詠みあう場面でも池主
ことこの時期、立山剣連山は大量の雪に包まれ海
は主君家持を立てるよう歌作で家持に和している。
沿いから見ると峻峰が海に雪崩れ込まんばかりで、
越中守の館での歌
どこに人が住む平があるかと思うほどである。雄
秋の田の 穂向き見がてり わが背子が ふ
山から入って剣岳に登り剣沢の大雪渓を下った時、
さ手折りける 女郎花かも(巻十七・3943)
振り返りみると剣の峰々が頭上にのしかかるよう
これが家持歓迎の宴における家持の挨拶の歌と
に聳え立ち未だ陽は高いのに辺りは暗くなって恐
すると、それに和して池主は
怖さえ覚えた。海側から見た立山剣連峰は海から
おみなえし
女郎花 咲きたる野辺を 行きめぐり 君を
の水をたっぷりと含んだ寒風が大量の雪を降らせ、
思い出 たもとほり来ぬ (巻十七・3944)
黒部川を挟んで後立山側から見た姿とは全く異な
応じた。以下、家持の歌…
38
る。早春の海辺に立って白い壁の如き立山剣連
峰を仰ぐ時1260年余り前、家持もこの景を眺め
た。しかしその全てが叶うことはなかった。様々
やったかと思うと感無量である。
な困難を乗り越えて完成した大仏の開眼会が天平
越中の国府は現在の高岡市伏木にあった。家持
勝宝4年(752)4月9日天皇をはじめとする文
はここで約5年間を国司として過ごした。
武百官はもとより諸外国からの使節も含めて催さ
その間任地内を定期的に巡回する義務があり、
れ国際色豊かな盛儀であったとされる。招待され
不作の年の農民の苦しさをしっかりと脳裏に焼き
た時の歌まで用意してあったといわれるが家持は
付けた。辺境の地にあっても何時も気になるのは
その盛儀に招待されなかったらしい。越中時代陸
中央における藤原氏の動向と天皇の大伴一族に対
奥から金が出て大仏の鍍金用に奉献されたのをわ
する接し方であった。家持を喜ばせたのは、天皇
がことのように慶びそれを長歌にまで詠んだ。そ
はどうしても大仏造営を成し遂げたいと願ってい
れだのにである。
たが鋳造完了を目前にして貼る金箔が不足してい
天平勝宝6年(754)、兵部少輔に任ぜられ、
た折も折、陸奥国から金が掘り出された、という
その年、山陰道の巡察使にも任ぜられた。兵部少
知らせであった。天皇は歓喜し年号を変えるほど
輔は部門の名家とされる大伴氏の領袖である家持
であったが、家持もこれをこの上もない慶事と受
にとっては名誉でふさわしい役目であった。その
け止め「陸奥国より金を出せる詔書を賀ぐ歌」を
翌年、その役に含まれる業務として難波に行き防
詠んだ。
人を検校することになった。具体的には防人の出
越中に赴任していた5年間に歌人家持を代表す
発の点検であった。そこで家持は防人達が家族や
る歌のいくつかが詠まれた。
恋人と悲しい別離の歌を交わしていることを知っ
ひょうぶのしょうう
春の苑 くれないにほう 桃の花 した照る
た。その歌及びそのような慣わしがあるという事
道に 出で立つ をとめ (巻十九・4139)
実は家持を大いに驚かせ感激もさせた。その時
わが薗の 李の花か 庭に落りし はだれの
家持は防人やその家族、恋人が詠んだ多くの歌
いまだ 残りたるかも
(93首)を記録した。そして彼らに共感する歌
すもも
ふ
(巻十九・4140)
まが
もののふの 八十をとめらが くみ乱ふ 寺
井の上の かたかごの花 (巻十九・4143)
朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝こぎしつ
つ うたふ船人
(巻十九・4150)
を詠んだ。
ますらお
ゆき
大夫の 靱とり負いて 出でて行けば 別れ
を惜しみ 嘆きけむ妻
とり
(巻二十・4332)
鶏が鳴く 東男の 妻別れ 悲しくありけむ 天平勝宝3年(751)7月家持は少納言に任ぜ
年の緒長み
られ越中における任務を終えて京へ帰った。その
海原に 霞たなびき 鶴が音の 悲しき宵は 間、丁度5年であった。
国辺し 思はゆ
(巻二十・4333)
い
(巻二十・4399)
家おもふと 寝を寝ず居れば 鶴が鳴く 蘆
その2 越中以後の家持
辺も見えず 春の霞に
(巻二十・4400)
天平勝宝8年(756)聖武上皇は崩御。諸兄も
少納言になったことで太政官の中に組み入れら
その2月に官を辞し、孝謙天皇と藤原仲麻呂の時
れた。太政官は律令制の中で、八省諸司及び諸国
代となって益々家持の出る舞台は狭まって行った。
を総管し、国政を総括する最高機関とされていた。
その折も折、同族の大伴古慈悲と淡海三船とが朝
少納言はその中で事務局所属であった。
廷誹謗のかどで禁固される事件が起こった。2日
帰京が決まって家持が最も心に期していたのは
後には釈放されて大事にはならなかったが、家持
聖武上皇の宴に招かれること、橘諸兄にその8年
は格調高い長歌「族に諭せる歌」を作り、神話の
にも及ぶ政権担当にお祝いの歌を奉ることであっ
時代に遡って名族大伴が果たしてきた役割を賛美
やから
39
天平勝宝9年6月28日「奈良麻呂の乱」と呼
して一族を鼓舞した。その反歌、
しきしま
磯城島の 大和の国に 明らけき 名に負う
ばれる大事件が起こった。橘奈良麻呂は諸兄の子
伴の緒 心つとめよ
(巻二十・4466)
でその年の正月諸兄が死亡した後、仲麻呂は強引
剣大刀 いよよ研ぐべし 古ゆ 清けく負ひ
な人事により自分の意のままになる人物で周りを
て 来にしその名ぞ
(巻二十・4467)
固めた。その最たるものは、皇太子道祖王は心が
仲麻呂は徹底した中国崇拝主義で紫微中台、自
淫らで勝手気儘であるとして太子から降ろし、代
分が就任した紫微内相とか紫微令とか全て中国の
わって自分の意のままになる大炊王を立て自分の
模倣であった。仲麻呂は実行力はあったがそれだ
邸に住まわせていた。この暴挙に対して橘奈良麻
けに敵も多かった。大仏建立派でその点では聖武
呂らが謀叛を企てた。渦中の仲麻呂の歌、
ふなど
おおい
たはわざ
帝とは一致した。孝謙女帝は聖武帝・光明皇后の
いざ子ども 狂業なせそ 天地の固めし国そ 一人娘で帝位についてからは親の意を体するより
大倭島根は
やまと
(巻二十・4487)
は仲麻呂に同調的であった。仲麻呂に反旗を翻そ
5日後に起こるこの乱を十分に予知していたと
うという面々がいたがお互いの利害が絡み、仲麻
される家持の歌、
呂に足元を見透かされてその足並みは中々合わな
移り行く 時見るごとに 心いたく 昔の人
かった。ようやく天平宝字8年(764)9月包囲
し 思ほゆるかも
(巻二十・4483)
された仲麻呂は挙兵したが既に遅く近江に斬殺さ
峻烈を極めた仲麻呂の尋問(拷問)で多くの人
れた。
が死に、配流された。報復人事がみかけ上終わっ
正倉院宝物の中に弓矢等の武具が残っている。
たところで8月に改元して天平宝字元年となった。
聖武帝の遺愛の品とも思えない。これらは仲麻呂
旗色を明かさなかった家持も因幡守に任ぜられた。
がいざはの際に持ち出すべく宝物の中に紛れ込ま
左遷であった。
せたものといわれる。仲麻呂が決起した時それら
「三年の春正月一日に、因幡国の庁にして、饗
の武具は反対派に持ち出されて隠した本人には渡
を国郡の司等に賜へる宴の歌一首」
あらた
らなかったという。自分を守るために隠し置いた
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の 武具が自分を誅することになった。歴史の皮肉で
いや重け 吉事
よごと
(巻二十・4516)
ある。仲麻呂のおかげで1200年後の我々は当時
(現行)万葉集の最後を飾る歌であり、万葉歌
の美しく細工された弓矢を目にすることができる。
人家持にとっての最後の歌でもある。時に家持
反仲麻呂派として家持にも働きかけはあった。
42歳。この歌を最後としてこの大歌人は作歌を
しかし迷いも焦りもあった家持は動かなかった。
辞めてしまったのだろうか?多くの万葉学者は残
氏の存続のためにはそれがよかれとの熟慮の結果
りの人生26年間も歌人であり続けたと信じてい
であった。
る。ただその歌の記録が出てこない。
家持の心の動きを表す歌:
よのなか
その後家持は行政官として各地を転々とした。
世間は 数なきものか 春花の 散りの乱ひ
その主な軌跡は:
に 死ぬべき思へば
(巻十七・3963)
天平宝字八年(764)薩摩守、その着任の年、
うつせみは 数なき身なり 山川の 清けき
桜島の大噴火があった。家持は間違いなくそれを
みつつ 道を尋ねな
(巻二十・4688)
見たはずといい、もし家持がその光景を歌に詠ん
渡る日の 影に競ひて 尋ねてな 清きその
でいればそれは貴重な記録になったかもしれない
道 またも遇はむため
という。
みつぼ
40
まが
(巻二十・4469)
泡沫なす 仮れる身そとは 知れれども な
神護景雲元年(767)大宰少弐、かって幼少の
ほし願ひつ 千歳の命を (巻二十・4470)
頃、父旅人が長官であった時の山上憶良がこの任
に就いていた。対新羅外交が主な仕事か?とされ
延暦二年(783)中納言。
る。文人淡海三船が同じ少弐であったので職務外
々 三年(784)持節征東将軍。
でも満たされていたか?
々 四年(785)八月任地多賀城にて死亡。と
宝亀五年(774)相模守、上総守。
ころがその翌月、藤原種継暗殺事件が起こりその
々 七年(776)伊勢守。
首謀者は家持とされ、それから20年もの間、罪
々 十一年(780)参議兼右大弁。辺境の地方
人として隠岐の島に遺骨を留め置かれた。延暦
官を経てようやく大伴家の首長として安定した要
二十五年ようやく赦免となり復位が認められた。
職に就くことができた。
死者が起こしたとされる冤罪事件であり正に波乱
天応元年(781)右京大夫兼春宮大夫、正四位
に富んだ生涯であった。
上、左大弁、従三位。
々 元年(782)解任、参議兼春宮大夫復任、
陸奥按察使兼鎮守将軍。
41
支部会だより
平成26年度中信支部総会報告
日時:平成26年4月26日㈯
場所:東急イン
中川 真一(信20)
4月26日午後5時より東急インにて総会が行
よる「iPS細胞を用いた医療の将来」という学術
われました。総会出席者は27名でした。総会で
講演が行われました。iPS細胞は医療の多方面に
は平成25年度の事業報告と会計報告がなされま
わたる応用が期待され、それにより医療が大きく
した。事業報告の中では、事務の松医会本部への
変わっていく可能性があることが示されました。
依頼、会員の勧誘および中信支部名簿の作成が主
会場の先生方も熱心に聞き入り、医療の将来につ
たるものでした。引き続き今年度の事業計画と予
いて夢を馳せているようでした。講演会終了後懇
算案が提示され、了承されました。その後次期
親会が行われ、テーブルスピーチでは、講師の中
松医会長として、中信支部より勝山努先生(信
畑先生との交流が多く話され、和やかな雰囲気の
13)を推薦したいとの提案がなされ、承認され
中でお開きとなりました。
ました。総会終了後、中畑龍俊先生(信16)に
42
第30回松医会静岡支部総会および懇親会報告
日時:平成26年7月12日㈯ 午後5時30分より
場所:清水「末廣鮨」
この会も節目の30回目を迎えました。当日は、
中村 好邦(信13)
つまされる話題が多く、楽しいひとときでした。
台風8号の過ぎ去った直後の好天に恵まれ、例年
そのあと恒例により、岡田千曲先生(信16)の
のごとく7月の第2土曜日に今回は静岡市清水区
音頭で春寂寥、信濃の国を全員で斉唱し、今回の
江尻東の鮨の名門「末廣鮨」を会場にして、静岡
当番幹事中村の一本締めで無事一次会はお開きと
県内(東部、中部、西部)より合計24名の会員
なりました。
が集まりました。幹事は東部、中部、西部の持ち
回り制になっておりますが、今回の当番は中部地
出席者(卒業年度順)
区ということで勝又正孝先生(信13)との相談
三宅信明(専1) 山田道夫(信1) で私、中村好邦が当番幹事をお引き受けいたしま
原 正守(信3) 水村博光(信4) した。
島田一郎(信5) 清水浩安(信8) 第一部総会では、支部長 三宅信明先生(専
鈴木明夫(信8) 廣瀬安之(信10) 1)の開会挨拶、次いで議事に入り、前回総会
勝又正孝(信13) 中村好邦(信13) 幹事中嶋成剛先生(信27)より報告があり、次
岡田千曲(信16) 鈴木 健(信19) いで永年会計を担当されている鈴木健先生(信
加藤康雄(信20) 淵上知昭(信21) 19)より前年度の会計報告がありました。
伊東和樹(信23) 城所龍一(信23)
第二部懇親会は清水で永年小児科を開業され
水上泰延(信23) 横沢 保(信23) ている山田道夫先生(信1)の乾杯の音頭でス
木村裕子(信26) 白坂有利(信27)
タートいたしました。宴も盛り上がったところで、
中嶋成剛(信27) 秋本剛秀(信33) たっぷり時間をいただいて、出席者全員の近況報
杉 敏彦(信36) 三浦孝夫(信44)
告をしていただきました。それぞれの年代の身に
43
松医会伊那飯田支部たより
日時:平成26年4月
場所:飯田市 割烹「柚木元」
前沢 信義(信20)
平成26年4月、南信濃路の美しい桜の季節が
は言え、長野県南部に位置しており、辰野町小野
ほぼ終わり、ゴールデンウィーク目前の週末の宵
から静岡・愛知県境の天龍村中井侍まで約120Km
のひと時、飯田市の割烹「柚木元」で定期支部総
余りの広大な範囲です。支部地域の唯一の公共交
会を行いました。最初に定例の支部総会報告に続
通機関である飯田線の不便が支部総会への参加者
き、歓談に移りました。上伊那からは、村岡(昭
数を少なくしている外因として挙げられます。他
和伊南総合病院)、野々村(飯島町)、廣瀬(飯
に高齢会員の体調不良、若い世代の会員の多忙と
島町)、私たち前沢2名(伊那市)、飯田市とそ
関心の低さなどが重なります。会員の関心は世代
の近郊から千葉(飯田病院)、金子・羽生・大東
間で大きく異なっています。そんな事情でも学生
(飯田市立病院)、古川(松川町)、林(健和会
時代の教師の姿・講義(棟)・試験・生活のあれ
病院)の各先生です。前年度の総会は予定の春か
これと尽きない思い出の記憶は、松本時代の懐か
ら遅れて11月に行ったため、半年後の開催とな
しさと重なり、いつも皆が微笑む共通の話題の中
りましたが相互に歓談し楽しい時間を過ごす事が
心となります。地勢条件ゆえに参加会員への制限
出来ました。
が多いことはやむを得ないことではありますが、
会話は、多くの会員にこの「支部総会へ足を運
利害を離れ年齢を超え、共通の生活をした一時期
んでもらうためにはどうしたら良いか」という毎
の昔話に浸れる機会をこれからも大切にして行き
回恒例の話題から始まります。支部総会への関心
たいと思っています。
を高める明確な方法の見出せないまま議論が続き
ます。全国から見れば、当支部は松本から近いと
44
平成26年4月26日
平成26年 信備会の報告
日時:平成26年7月12日㈯
場所:倉敷 料理旅館鶴形
髙谷 泰正(信21)
信備会は岡山県(備前・備中・美作)及び広島
開会に先立ち、物故会員(難波英彦先生・昭和
県福山地区(備後)に在住の卒業生の同窓会で、
44年卒、下村宏之先生・昭和53年卒)に黙禱を
会長は岡山市の大森晶彦先生(昭和33年・第4
捧げ、その後大森会長が挨拶され、乾杯・懇談と
回卒)で、笠岡市の小野泰生先生(昭和41年・
なりました。まず薄井松医会副会長から大学や松
12回卒)が中心となって開催されています。前
医会の現況報告がなされ、地域医療の問題・大学
回岡山市での会から5年ぶりに倉敷(料理旅館・
や松医会人事のことなどが話されました。出席者
鶴形)で開催し、4回卒から54回卒まで19名が
からは、大学と松医会の意見交換・意思疎通の促
参加しました。松医会から前回は会長に出席いた
進のための制度的改革、国試合格率、大学院大学
だきましたが、今回は薄井尚介副会長に遠路ご参
への移行など大学や松医会に対する意見が出まし
加いただきました。折しも豪雨による南木曽での
た。暑さのせいか、熱い意見のためか、薄井副会
土石流のため中央西線が不通となり、東京経由
長は少し汗をかかれていました。引き続き参加者
でお越しいただきました。お土産として薄井先
が順番に、それぞれの立場から現況報告や思い出
生撮影の美しい写真付きはがき集「信州の四季
話、医療教育情勢に対する意見などを熱く語りま
(Ⅲ)」(1月~12月)をいただき、松医会から
した。この地区には約60名の信大医学部OBが在
も祝儀をいただきました。
住ですが、今回参加された先生方も30歳から80
前列左から 工藤健一郎(平18)・藤本亘(昭54)・中嶋健博(昭41)・大森晶彦(昭33)・
薄井尚介(昭41)・小野泰生(昭41)・内藤充子(昭42)・久保美代子(昭46)・高嶋志保(平20)
後列左から 高谷泰正(昭50)・洲脇正雄(昭50)・岡浩郎(昭56)・山村昌弘(昭56)・
高橋健治(昭56)・折田洋二郎(昭47)・内藤紘彦(昭42)・北村陽道(昭52)
写真掲載の他参加者 治田精一(昭51)・鎌田豪介(平15)
45
歳まで、診療を引退した先生から開業医、そして
子先生のバイオリン伴奏で「春寂寥」と「信濃の
大学の研究生、中堅病院勤務医、院長・総合病院
国」を合唱しました。バイオリンの美しい音色に
センター長・大学教授まで多彩でした。皆、苦労
誘導されて、皆大きな声で気持ちよく歌いました。
話と共に共通して信大医学部の隆盛・発展を期待
今後ともバイオリン付きで歌いたいものだと思い
する気持が滲んでおり、やはり同窓会は世代や環
ました。まだ語り足りない人もいましたが、楽し
境を越えて人を繋げる機能があるものと感じまし
い2時間を過ごし次回は福山で開催することを確
た。会の終盤には懐かしい「春寂寥」を合唱する
認して解散となりました。(数名は2次会で更に
ことになっていますが、いつも小野泰生先生が歌
懇親を深めました。)次回は更に参加者、特に若
詞を用意して下さいます。更に今回は内藤紘彦・
い世代の先生方の参加を期待し、同じ釜の飯の絆
充子先生(昭和42年卒)がバイオリンを持参さ
で繋がった賑やかな信備会として盛り上げていき
れ「信濃の国」の歌詞も準備されました。内藤充
たいと思います。
46
平成26年度松医会神奈川支部会報告
日時:平成26年5月31日㈯ 場所:北京飯店
神奈川支部会事務局 医療法人社団 鳳凰会 いえまさ脳神経外科クリニック 張 家正(信28)
5月31日にいつもの横浜中華街の北京料理の
ろ、病理の講義でお世話になっています。三十数
老舗、北京飯店で行いました(幹事 張、稲葉)。
年ぶりに昔と変わらずお元気なご様子を拝見でき
事務局をさせていただいています。いえまさ脳
て、本当にうれしく存じます。先生からは近年苦
神経外科クリニックの張(信28年、S57年卒)で
しい状況に置かれている松医会のお話をしていた
す。昨年は松医会総会の日と重なってしまったた
だきました。松医会の将来について、少し不安に
め、松医会会長をお招きすることができず、申し
なるお話でしたが、会員皆様の協力により何とか
訳ございませんでした。
打開できると信じています。
私はH.23年1月17日、55歳を迎える年にJR戸
例年行ってきた開宴前の特別講演は田中 雄一
塚駅西口に脳神経外科クリニックを開院しました。
郎先生(信27)にお願いしました。田中先生は
じきに還暦を迎えるこの年で膨大な借金をするの
H.25年4月に聖マリアンナ医科大学医学部主任
は、「破滅的だ」と冗談交じりに言われることも
教授に就任されました。信州大学初代脳神経外科
あります。少しでも質の良い医療を提供するため
教授の故杉田先生から脳神経外科のすべてを指導
に、私のモットーは「金に糸目はつけない」です
されており、その教育理念を基に聖マリアンナ医
(もちろんクリニックがつぶれない程度ですが)。
科大学脳神経外科教室の教育を実践しております。
このため、お金に糸目をつけず(会費は極力抑え
「杉田イズムの伝道者としての7年間の歩み…聖
ていますが)、おいしい料理を特別メニューで提
マリアンナ医大で展開した信大式脳神経外科の実
供してもらえる北京飯店で毎年支部会を開いてお
践」と題し、脳外科以外の先生方に楽しんでいた
ります。
だける、軽妙な話題を盛り込んで、杉田先生の業
今年は5月の松医会総会で会長になられた勝山 務先生をお招きいたしました。先生には学生のこ
績、自身の手術実績、聖マリアンナ医大の紹介な
どをしていただきました。
47
プログラム
参加者 30名(敬称略)
特別講演 田中 雄一郎先生(信27)
S.42年卒 勝山 努
聖マリアンナ医科大学
S.35年卒 佐藤 卓彌
脳神経外科主任教授
S.36年卒 佐藤 知子
開会の辞 佐藤 卓彌先生(信6/S35年)
他大学卒 柳澤 信夫
神奈川支部会会長
S.29年卒 冠木 宏之、
乾杯の音頭 柳澤 信夫先生
S.34年卒 中込 弥男
(関東労災病院名誉院長)
S.38年卒 兵頭 行夫、長谷川 英之、
松医会近況報告 松医会会長 勝山 務先生
正来 秀也
監査報告 東 璋先生 平成14年より松医会神
S.40年卒 石塚 榮一
奈川支部から谷垣先生への支援がありま
S.41年卒 福井 準之助
したが「監査報告」を会員の皆様に提示
S.42年卒 百瀬 隆行
歓談 近況報告
S.43年卒 池田 豊
閉会の辞 内田 健夫 先生
S.44年卒 岡部 芳勝、新海 行子
S.53年卒 内田 健夫
S.54年卒 酒井 文彦
今年の料理は例年よりも、豪華でおいしかった
S.56年卒 田中雄一郎
ようです。わいわいさわぎながら、時間がたつの
S.57年卒 小松 達夫、張 家正
も忘れ、4時間に及ぶ楽しい会でした。
S.59年卒 春田 明郎
S.60年卒 松木 孝道
S.62年卒 徳武 巌信、稲葉 鋭
H.1年卒 植田 啓
H.2年卒 植田 秀穂
横浜医療センター研修医1年目 林邉 廉
横浜医療センター研修医2年目 野田 尚志
事務局スタッフ 榎坂、富永
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平成26年度東京城西支部松医会
日時:2014年6月28日㈯ 午後6時
場所:京王プラザホテル本館47階「あさひ」
沖津 明(信29)
東京城西支部松医会が、2014年6月28日㈯午
今回は初参加は2名で、菊地賢先生(信32)と
後6時から、京王プラザホテル本館47階「あさ
伊藤澄信先生(信28)でした。菊地先生は東京
ひ」にて開催されました。蒸し暑い日でしたが、
女子医大感染症内科教授、伊藤先生は国立病院機
18名の城西支部及び多摩支部会員が集まりまし
構本部総合研究センター臨床研究統括部長・治験
た。当日のオープニングレクチャーは、総合東京
研究部長で、いづれオープニングレクチャーで話
病院統括外科部長兼血管外科部長の佐久田斉先生
してもらおうと思っています。全員スピーチ終了
(信32)による、特別講演「血管外科の実際と
後も、多くの先生方が残られ、情報交換や昔の思
進歩」でした。佐久田先生の琉球大学病院・第二
い出話などで花を咲かしていました。来年度は
外科、豊見城中央病院・血管外科、東京慈恵会医
オープニングレクチャーは一橋病院、循環器内科
科大医学病院・外科、総合東京病院血管外科にお
部長、青鹿佳和先生に、高血圧とその治療につい
ける、豊富な臨床経験を基に、様々な多疾患の
て話してもらおうと思っています。今年来られな
外科手術、PAD治療、腹部動脈瘤のステント治療、
かった会員の方も、是非来年、この会に御参加下
下肢部静脈瘤のレーザー治療、下肢リンパ浮腫の
さい。
治療等、幅広く具体的症例を挙げながらディス
カッションしていくものでした。特に、腹部動脈
田島 洋(専2) 島村 宗夫(専2) 瘤のステント治療は、最先端の領域で、慈恵会医
白木 秀男(専3) 田中 美郷(信3)
大外科大木隆生教授から直接指導を受け、総合東
茅野 文利(信5) 佐藤 禎二(信13) 京病院でスタートしたものでした。講演後の質疑
鈴木 洋(信21) 友利 直樹(信25)
応答も、相当ヒートアップし、また、レクチャー
瀬下 明良(信25) 伊藤 澄信(信28) そのものの内容も相当濃かったため、参加した諸
前 昌宏(信29) 沖津 明(信29)
先生も大変満足している様子でした。レクチャー
髙瀬 義昌(信30) 草場 郁夫(信30) 終了後は写真撮影をして、次に食事の合い間に、
菊池 賢(信31) 高沢 賢次(信31)
恒例の参加者全員による近況報告がありました。
佐久田 斉(信32) 高橋 春樹(信32)
49
同級会だより
47士会
(昭和40年卒)
日時:平成25年11月9日㈯
場所:湯村温泉 富士屋ホテル
小川 伸一郎(信11)
信大医学部第11回卒業の同窓会「47士会」は、
翌10日は、貸し切りバスにて山梨の身延町に
卒業後ほゞ毎年開催される恒例の行事なのです。
ある「和紙の里」を先ず見学し、実際に和紙製作
平成25年度は既に49回目を迎えます。今回は山
と作業を体験し、各自のデザインを加えた「うち
梨県在住の私が幹事役の任を負いました。年を追
わ」を完成させて本会の記念として持ち帰りまし
う毎に、奥様連れで参加する同志が増え、今回も
た。ひき続き、日蓮宗総本山である身延山奥之院
参加者23人の内13人が夫婦で参加。計36人の華
久遠時を見学。山内にある「坊」にて豪華な精進
やかな同窓会となりました。
料理の昼食。全ての行程を終了し、食後バスにて
平成25年11月9日。甲府市内湯村温泉「富士
甲府駅に戻り、午後4時頃解散となりました。
屋ホテル」に先ず集合。一年ぶりの再会を喜び
47士会も年を追う毎にその数を減らし、当初
合って宴会。同志の松田國昭君の提案で、25年
47名の同志が、現在は36名。加齢を感じる年代
度の信大入学式で披露された、旧制松本高等学校
でもあります。又平成26年度の再会を期待して、
思誠寮寮歌『春寂寥』を全員合唱して会を締め、
無事に1年を乗り切りたいものです。
二次会へと盛り上がりました。
50
昭和52年卒業
(信23)
クラス会の報告
日時:2014年6月28日(土)
場所:松本市 追分屋旅館
久米田 茂喜(信23)
卒業後37年目の同窓会を、平成26年6月28日
忘れました。学生運動最後の世代でもあり、当時
に松本市の追分屋旅館で行いました。我々の学年
の再現を彷彿させる議論を朝方までする者もいれ
は、83名で入学しましたが、106名で卒業し、そ
ば、朝になって、俺もまだこんなに飲めるんだと
の半数以上が信大に残ったという学年で、入学年
若さに感動する強者もいました。翌日は朝食を
度は問わないし卒業年度も問わない在籍時期が重
とって散会しましたが、翌日のアマゴルフの大会
なっていればいいという同窓会です。定期的な開
にでて68でプレーしたり、裏山(美しが原)に
催ができず、6回目くらいになると思います。そ
歩いて登ったり、結構元気な世代であることを証
ろそろ勤務医が定年間際となり、医師として円熟
明していました。2年後にまた再会したいと思い
した現役最後の時期になり、病にみまわれるメン
ます。
バーも数人出てきました。特に、我々の学年の世
(参加者)
話役・試験委員として全員揃って卒業することに
伊藤博文、大久保守、太田伸生、岡藤太郎、
ずっと尽力してくれた丸山君の病について皆に共
岡本講平、川茂幸、川崎紀章、城所龍一、
有してもらい心を痛めました。だんだん顔をみる
久米田茂喜、黒河内信夫、小泉健二、高昌星、
のが懐かしくなってきたこともあり、今後は2年
小松繁、清水英男、篠崎孝、杉浦憲治、通堂満、
に1回のペースで開催することを決めました。当
仲井淳、浅井(中沢)真知子、平林伸一、
日は、25名の参加があり、ほとんどが宿泊して、
樋掛忠彦、古川安之、金子(堀田)和可子、
酒を酌み交わしながらの昔談義に時間がたつのを
本郷実、松崎安孝
51
平成26年度 57卒同窓会の報告
日時:2014年9月13日
場所:京都府円山公園内 左阿彌
庭本 博文(信28)
9月13日、毎年恒例となったこの会に22名が
して負けたら飲まされるというゲームです。おお
集まってくれました。今年は関西地区の番で、前
いに盛り上がりました、皆おとろえつつある反射
回の横浜で、「来年は京都で芸者さんあげて
神経で負けが続くなか松原君と生嶋君はプロ相手
パーッとやろう」とだれかが言ったのがほんとに
に勝ってまだまだ若いところをみせてくれました。
実現してしまいました。京都府立医大乳腺外科の
花代はあとから金君のところに「おきや」から届
田口君が幹事で、昨年同大の小児整形外科の教授
くそうで、貧乏症の会計としてはちょっと心配で
(信28で4人目)になった金郁吉君のツテで円
す。二次会は祇園のスナックでしたが、ママのピ
山公園内にある高級料亭「左阿彌」で、京料理に
アノ演奏でするカラオケで先に歌ったのが1971
舌鼓をうちながらじつに京都らしい夜を体験しま
年「恋人もいないのに」でレコード大賞新人賞を
した。昔大石内蔵助が遊んだ一力茶屋から芸妓さ
とった「シモンズ」という女性デュオでした。プ
んと舞妓さんを呼んでくれました。踊り(「舞
ライベートで来たらしいですが60歳は超えてる
い」というらしい)をみてから粋な「お座敷あそ
はずなのに、声も姿も若かった。そんなプロ歌手
び」を楽しみました。「虎、虎」というジェス
のあとにもかかわらず堂々と歌えるだけあって金
チャーじゃんけんと「金毘羅船船」というだんだ
君と小徳君は上手でした。もうすぐ「おじいちゃ
ん早くなる歌と三味線にあわせて舞妓さんと勝負
ん」になるものから、最近結婚したのや、まだ1
後列 小野、生嶋、半井、裏川、吉村、 平井、小徳、高北
中列 三木、井川、張、遠藤、金山、松原、鈴木(泉)
前列 浅井、井上、金、庭本、田口、 北野、古井
52
歳の子供がいるのまで人生いろいろ、私はといえ
着いた感じは学生時代とちっともかわってなかっ
ば子育ては終了したものの、高血圧、高脂血症、
た。
IGT、O-SAS、PATと借金をかかえて開業2年目
今年のようなな贅沢は生涯でもめったに経験で
です。
きないことで、忘れられない夜になりました。
今回初参加は、大活躍の金君と古井君でした。
来年はまた普通にもどって、松本で9月12日
古井君は卒業後岐阜にもどり現在垂井町で100年
(土)にやる予定です。7月にメールで案内しま
目を迎える古井医院(呼吸器内科、アレルギー
すが、メーリングリストに参加希望のかたは下記
科)3代目院長として活躍されています。32年
までメールください。
ぶりに会いましたが、見た目も若く物静かで落ち
[email protected]
53
1985年卒業
(+1979年入学者)
同窓会
日時:2014年10月11日
場所:浅間温泉 ホテルおもと
高久 仁利(信35)
2014年10月11日、台風19号が沖縄に上陸し、
い時間を過ごされたようです。
御嶽山の行方不明者の捜索が急がれ、浅間温泉で
翌日、懐かしき街中を探索して歩きました。松
松明祭りが行われる中、首都圏より約30年ぶり
本城で、開催されていたそば祭りの参加者の多さ
に松本に帰ってきた8名(+小児1名)を迎え撃
には驚かされました。
つ、松本近郊に在住の先生方10名、総勢18名に
少し涼しいくらいの爽やかな風が流れ、空は晴
て思い出多き浅間温泉で、同窓会を行いました。
れ渡り、北アルプスは美しく、松本城は雄々しく、
教授に就任されている方々に、数少ない女性参
これで冬の寒ささえなければ何といい町だろう。
加者のお二人から、花束贈呈。それぞれの近況報
“翁堂”でコーヒーを飲み、そばは、“こばやし”の
告、みんなそれぞれに第一線で活躍されている事、
並びの“佐々木”で食しました。
医療に対する真摯な姿勢に初めて、信州大学の卒
私ども、幹事の不手際で、ご連絡が遅れ一時
業生であることの喜び、誇りのようなものを感じ
開催が危ぶまれた事、“+1979年入学者”とうたっ
ました。
たわりには連絡が付けられなかった方々がいた
来年は卒後30年、参加できるひとだけでも毎
事、一次会18時開始予定が、19時開始になって
年やりましょうという声が上がり東京と松本で交
しまった事など、大変ご迷惑をおかけいたしまし
互に開催することになりました。
た。
温泉の湯は暖かく、露天風呂はほとんど貸切り
で、計4回利用させてもらいました。
2次会は、“赤いピアノ”に12名で、途中で、
“力寿司”に行かれた方もおり、それぞれに、楽し
54
今回の反省もふまえ、次回開催(2015/10/10 場所:新宿? その他未定)では、事前に、十分
な準備をしたいと思っております。
幹事は、加藤匡志先生、私、高久仁利(留任)
参加者
です。今回、連絡がつかなかった方々、連絡先が
飯島正久 石田文宏 太田浩良 加藤匡志 わかる方は、孝仁クリニックFAX:03-3474-5567
金児英敏 菊池賢 小池祥一郎 小泉知展 までご連絡ください。
佐藤雪雄 高橋正人(+御子息) 服部ますみ 馬場淳 百瀬敏充 吉川佐和子 吉川文彦 米原啓之 江田清一郎 高橋順 高久仁利
55
平成5年信州大学医学部卒業生同窓会報告
日時:平成26年8月30日
場所:美ケ原温泉ホテル翔峰
平林 洋樹(信39)
平成26年8月30日に、美ケ原温泉ホテル翔峰
する予定です。ご希望などがありましたらご連絡
において平成5年信州大学医学部卒業生の同窓会
ください。また同窓生の連絡手段として電子メー
を行いました。
ルを活用しますので、本記事をご覧になった平成
今年は松医会会員名簿が改訂されたため、ほぼ
5年卒業生は是非下記アドレス
すべての卒業生に案内状を送ることが出来ました。
[email protected]までご連絡ください。
その結果、初参加の卒業生が2名いらっしゃいま
ご参加の先生方、お疲れ様でした。再びお会い
した。遠方よりご出席ありがとうございました。
することを楽しみにしております。
夏季に開催される学会が少ないという理由で、
ここ数年は8月の最終土曜日に同窓会を開催して
出席者(敬称略)
いました。しかし例年確実に出席可能な卒業生も
写真の後列左から宮田、近藤、杉田、宮川、矢
いれば、そうでない卒業生もいらっしゃいます。
作、三田、平林です。前列左から中田、戸田(旧
来年以降は秋の連休開催など、日程その他を変更
姓折井)、市野(旧姓高根)です。
56
学生の広場
第57回全国医学生ゼミナールin信州 報告文書
全国実行委員長 信州大学5年 光武 鮎
現地実行委員長 信州大学3年 奥野 衆史
2014年8月16日から19日にかけて、第57回全
勤労者福祉センター、松本市浅間温泉文化セン
国医学生ゼミナールin信州が「子どもの今を見つ
ター、本郷公民館で開催されました。4日間で学
める~健やかな成長を支える医療~」をメイン
生287名、一般(市民、医療従事者など)85名の
テーマに、信州大学松本キャンパス、長野県松本
合計372名の参加がありました。
8月16日(土)
■講演会
楠木重範氏(チャイルドケモクリニック院長)
「小児がんと闘う子どもたちと家族のために~チャイルドケモハウスでの取り組み~」
チャイルドケモハウスは病院でもあり家でもある
場所を目指し、子どもと一緒に親も生活する場と
して医療と生活空間を提供しています。将来のあ
る子どもたちだからこそ、彼らひとりひとりに
合わせた「特別」を提供することに楠木氏はこだ
わっていらっしゃいます。そして、それを成し遂
げるためには、医師だけではなく、看護師やCLS
など多くの職種や団体との協力が必要となります。
病の子どもたちを支える最前線であり、チーム医
チャイルドケモハウスの創設者であり、小児が
療の最前線でもあるチャイルドケモハウスでの取
んを患った子どもたちと、その家族にとって最も
り組みは、多くの医療系学生に新しい発見と、た
良い環境を追求していらっしゃる楠木重範氏に、
くさんの刺激を与えました。
その取り組みの経緯と実状、そしてそこから新た
感想文には、「本当に心から子供と家族が一緒
に見えてきたことについてお話していただきまし
に病気に立ち向かえていけるのがチャイルドケ
た。
モハウスなのだと思いました。」(看護・1年)、
早期発見と地道な治療によって治る可能性も高
「先生は『理不尽な平等よりみんなに特別を!』
い小児がんですが、小児がんを患った子どもたち
と仰っていたが、小児がんに対する偏見により、
の多くに長期の入院が強いられることは不可避で
今まで我慢していたことも「特別」の言葉で認め
す。しかし、幼少期という貴重な時間を、家族と
られるのはすごく子どもにとって嬉しいだろうと
離れて暮らすことも病院でずっと過ごすことも、
思った。」(看護・1年)などの声が寄せられま
子どもたちにとって最善とは言えません。そこで、
した。
57
■医学連企画
は「2023年問題」という外圧のもとで大きな改
革期にあるということが述べられました。そして
そのような時期に、学生の意見をまとめて、大学
へ伝えていくことは重要であるいうことが述べら
れました。
医学生だけでなく、看護学生やリハ学生にとっ
ても、自治会をもっと知ってもらいたいという思
いからできた企画でしたが、感想文では「学生が
主体で考え行動することが大切であり、また、そ
同じく1日目には、主催団体である医学連によ
の主張が通ることもあると言うことがわかった」
る企画が行われました。この医学連企画では、医
(看護・1年)や「内輪で不満を言い合うのでは
学教育の現状と、学生による自治組織の意義につ
なく、具体的に要望を出して、前向きな提案をし
いて、アンケートの結果や会場とのやり取りを織
て行く姿勢が学生に求められているのだと感じま
り交ぜての発表がありました。
した。」(医学・4年)といった意見が寄せられ、
発表では、現在の日本で行われている医学教育
多くの学生が興味深く聞いていたようです。
■学生発表 メイン企画
同日には学生発表として、メインテーマについ
て一年間、学生の中で積み重ねられた学習や議論
をもとに書かれた学生レポートの発表がありまし
た。
メインレポートでは、子どもたちのすべての権
利が守られ、あらゆる可能性が奪われないような
環境の中で、彼らが育っていくことを、健やかな
成長と位置づけ、それらを社会全体が、そして医
療者が守っていくことが大事だと訴えました。そ
の上で、今の社会では子どもたちの健やかな成長
は守られているのかということについて、いじめ、
虐待、貧困、病の4つの事例から考えました。
どの事例でも、子どもたちが持つ生きる権利や、
守られる権利などが不当に奪われており、そして
医療や行政、福祉が、苦しんでいる子どもたちの
環境になかなか介入できないという状況がありま
した。
メイン企画 発表の様子
参加者からは、「子どもは大人と違い、知識が
ない・考えられないといった点で大人(親)に依
58
存せざるを得ないことが問題を悪化させる要素
は多くあり子どもの生命に関わることで深く考え
の1つになっていると思った。」(医・2年)、
させられた。」(放射線技術・1年)などの感想
「虐待や、貧困、いじめなど子どもに対する影響
が寄せられました。
8月17日(日)
■分科会
ら集まりました。発表は90分×6タームで行わ
れ、参加者が興味のある分科会を選ぶという形式
で行われました。発表者は参加者からさまざまな
意見をもらうことができ、参加者は興味のある内
容について発表者の深い学びが良い刺激となりま
した。「分科会の後、学んだことをすぐにでも活
かそう!と意識し行動していたら、小さいながら
コミュニケーションの面で自分の変化が実感でき
た。」(看護・3年)、「大学での学習では行え
学生が各地で自主的に学んできたことの発表が
ないことも深く学習できてよかった」(社会福
行われました。今年は2~4日目に、「笑いの
祉・3年)「分科会を作ることによって自分が普
力」「群青色の境界線~ミナマタに何をみるか
段何を思っていたかを再確認できた」(医・2
~」「はじめての漢方医学」「治療費はなぜ高い
年)、といった声が聞かれ、発表者・参加者とも
のか」「『男』じゃないは『女』じゃない」など
に有意義な時間を過ごしました。
といった約50の多種多様なテーマが全国各地か
分科会の様子
■シンポジウム企画
「子どもの貧困に立ち向かう! 医療と地域のネットワーク」
子どもの貧困問題の実態を知り、それを通じて
な現場で活躍していらっしゃる方々をお呼びして、
地域の連携や医療者の役割を考えることを目的と
子どもの貧困についてのリアルな実態をそれぞれ
してシンポジウムを開催しました。シンポジスト
の立場から語っていただきました。
には医療・教育・地域のコミュニティーなど様々
学生コーディネーターからは、医ゼミに参加し
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■シンポジスト
和田 浩氏 健和会病院(飯田市) 小児科医
小林啓子氏 長野の子ども白書事務局
無料学習サポートきずな塾
(長野市)事務局
小山治男氏 元伊那北小学校教諭
南箕輪小学校講師
胡桃 薫氏 松本市立女鳥羽中学校あさひ分校
シンポジウムの様子
(情緒障害児短期治療施設)教諭
ている学生が「子どもの貧困」をどのように捉え
だ、簡単に見えるものではないので、懇意が必要
ているかのインタビュー調査の報告をしました。
というところが貧困という問題が周囲に知れ渡っ
その中で、医ゼミの準備期間に行った事前学習や
ていないことの原因」(医・2年)、「医療を提
無料塾でのボランティアの経験から、子どもの貧
供する場は、地域を見守り気づく場でもある」
困が一見豊かに見える日本にも身近にあることを
(理学療法・1年)、「日本の政策、役所の敷居
知ったという声が聞かれました。また、いま自分
の高さや恥の文化が生きづらい環境を作っている
自身が貧困を身近に感じながら大学に通う学生の
ことを知り、これを改善するために選挙に出た
切実なことばも紹介されました。
りお金のかからない援助があることを学び、発信
参加者からは、「困っている人は必ずしも困っ
したりと自分の行動できる場を大切にしていきた
ているように見えない、だからこそ、困っている
い」(看護・1年)といった感想が寄せられまし
人を見つけようとすることが大事…(中略)…た
た。
8月18日(月)
■学生発表
平和企画 ~暴力の克服をめざして~
平和学の考え方を用いて「暴力のない状態」とし、
深めていきました。さらに、「暴力」を直接的・
構造的・文化的の3種類に分類し、子ども兵士、
ガザ地区の紛争、ブラック企業などの具体的事例
と照らし合わせて考えていきました。「暴力」に
より様々な不健康が導かれることを学び、それに
対して健康の守り手たる医療者ができること、私
たち一人ひとりに何ができるか、など、熱いディ
スカッションがなされました。
学生発表の平和企画では、医療者が平和を考え
参加者からは、「普段は見る事が出来ないけれ
る意義について参加者とともに模索していきまし
ども、かなり身の回りのあちこちにあるかもしれ
た。
ない暴力。1つ1つなくしていくためには何が暴
漠然としてとらえにくい「平和」を、ここでは
60
力であるのかを認識すること、暴力があると気が
ついたら、それを声をあげて報告し、行動するこ
いう医療系学生の根源にある考えは平和を考えて
とで、できる努力をひとつずつしていく事が重要
いるということと同値であるように思われる」と
である」(看護2年)、「『健康を守りたい』と
いう感想が聞かれました。
■講演会
伊藤真氏(弁護士)
「医療と憲法」
伊藤真氏の講演会では、法律家の立場から、今
の社会で起こっていることや憲法の本質をお話し
ていただきました。憲法は、多数意見や法律でも
奪えない人権や平和をを守るものであり、国民一
人ひとりの人権を保障するものだという点で、法
律と大きく異なることがわかりました。また、私
たちの生活の中で憲法は、「権力・暴力・財力・
社会的地位・専門知識などの強い力から弱いもの
伊藤真氏
を守るための道具」となることを教えていただき
ました。私たち医療系学生に向けて、「憲法を
知ってしまったものとして、主体的に生きること
を広めてください」というお言葉をいただきまし
た。
参加者からは、「『主体的に生きること』『お
かしいことは、おかしいと声をあげること』は今
の自分に足りないことだと思うので、実践してい
きたい」(看護・2年)、「憲法と医療の関わり
という、目新しい視点からの授業が興味深かっ
講演会の様子
た。また、これらの関係性の強さを感じ、医療人
として、憲法にも見識がないとならないと痛感し
た。」(医・1年)といった感想が集まりました。
8月19日(火)
■まとめ企画
4日目にはまとめ企画を行いました。まとめ企
57信州医ゼミでの学びの総括と、新たな問題意
画では、1日目から3日目までの学生企画や講
識の共有という貴重な機会になりました。このま
演会、SGDに対しての参加者の感想文から、多
とめ企画で共有したことが、全国各地へ持ち帰ら
かった意見や感想、次の学びにつながる考えなど
れて、それぞれの学びの種となればと思います。
を抜粋して、紹介しました。このまとめ企画に
このまとめ企画に対しても、参加した学生から
よって、途中からの参加者でも今年の医ゼミの概
は「4日間のまとめを行うことによって、自分が
要がわかり、同時に、すべての参加者に対する
どんなことに気づき、そこから得られる課題を自
61
分なりに勉強を通して得られるようになる1つの
を作っていることが分かった。」(医・2年)な
全体像を作ることが出来た。」(看護・3年)、
どの感想が寄せられました。
「多くの学生が意見や感想を出し合って、医ゼミ
■交流会
交流会の様子 (1日目、3日目、4日目)
全国の医療系学生の仲間作りの場として、交流
会を毎日開催しました。地域別の交流、学年別の
交流などを行う中で、将来をともに担う学生同士
のつながりを強く作ることができました。今後の
学びの原動力にもなる交流ができました。
■まとめ
4日間の医ゼミを通して、将来の医療を担う医
ゼミ活動を続け、準備委員会や各地でのプレ企画、
療系学生として交流し学んでいくきっかけ作りに
ポスト企画、そして来年の第58回の医ゼミにつ
なりました。それぞれが地元に持ち帰って、自主
なげていきます。
62
5月11日 13Mクラス会
信州大学医学部医学科2年 山口 雄大
5月11日(日)に13Mの今年度初のクラス会
この13Mのメンバーも2年目を迎え、4月は新
が開催されました。場所は信大生おなじみの鶏ム
歓があったり、解剖実習が始まったりと少しずつ
スコです。あまり大きくない店内なので貸し切り
環境が変わっていく中で、去年はあまり話さな
でワイワイ騒げるところが鶏ムスコのいいところ
かった人と話す機会も増えたと思います。このク
ですよね。そんな訳で、人数は36人といつもよ
ラス会もそんな機会の一つになったのではないで
りは少なめでしたが今回のクラス会も盛り上がり
しょうか。なったらいいなと思います。今後は東
ました!お酒を飲んでワイワイする人もいれば静
医体などそれぞれ目標とするものに向けて忙しい
かに語りあう人もいる、そんな自由なクラス会で
日々になると思いますが(もちろん勉強も)、み
す。
んなで仲良く充実した生活をおくることができれ
ばと思います。
63
松医会より
平成26年度信州大学医学部松医会
日時:平成26年5月19日(土)
評議員会・総会
場所:信州大学医学部松医会講堂(第二臨床講堂)
昨年と同様「松医会講堂」
において、平成26年度評議員
会・総会が開催された。
薄井副会長の開会の辞で始ま
り、その後庶務担当中川理事に
より1年間に亡くなられた48
名の物故者の氏名が読み上げら
れ薄井副会長の発声で黙祷が捧
げられた。
次いで議長として満場一致で
川原 信義(信17)会員が選
出された。
していただき、支障ない本会の運営を行うことが
引き続き会則第
できたことに対して深く感謝申し上げます。
34条に定められた
昨年の平成25年度本総会で、私は任期2年の
1/10以上の出席及
会長に選出されました。しかし、昨年12月、私
び委任状の提出が
の病気が確認され、その治療上、残る会長任期を
あるため総会が成
全うできないと考え、第8回理事会で辞意を表明
立したことが報告
しました。そして、去る3月、平成25年度臨時
された。
評議員会を開催して、正会員より後任会長を内定
いたしました。本日の総会で後任会長の選出をお
1.会長挨拶
願いいたします。
森本会長に挨拶をお願いすることになっており
つぎは、本総会で上程された議案は承認をお願
ましたが、体調不良のため本日は欠席です。会長
いするのでありますが、平成26年度松医会事業
より挨拶文が届いておりますので、ご覧願いたい
計画(案)および歳入歳出予算書(案)に関して
説明が、薄井副会長よりあった。
は、内定の後任会長参加の下に立案されておりま
すので、よろしくご理解の程お願いいたします。
森本会長挨拶文
さて、この1年間を振り返り、松医会事業の主
新緑の候、会場の会員皆様にはご多用に関わ
な項目について述べさせていただきます。庶務関
らず、平成26年度信州大学医学部松医会評議員
係では発行が遅れていますが、松医会会員名簿の
会・総会にご出席されたこと対し感謝申し上げま
作成でした。発行予定の名簿の巻頭に記しました
す。
が、個人情報保護法等により名簿掲載が正会員に
さて、冒頭よりお詫び申し上げなければなりま
限定され、前回発行の名簿と比べ、より空白が多
せん。私の体調不良により皆様に多大のご迷惑を
くなりました。そのためにコンパクトな名簿にな
かけました。とくに副会長には度々の職務代行を
ると思われたので、全会員への無料配布も検討さ
64
れましたが、資金上不可能で断念しました。今後
ありますが、本部からの支援を求める支部もあろ
は名簿に代わって松医会事務局が基地となり、IT
うかと思います。地域の会員親睦のため今後の課
による会員相互の情報交換が行われると思われま
題の一つとして頂くようお願いいたします。今回
す。広報関係では「松医会報」にはより充実した
の松医会会員名簿には現状では各支部名簿が掲載
内容を心掛け、サイズはA4にして読みやすいよ
でなかったことをお詫び申し上げます。
うに心掛けました。つぎに、昨年の平成25年度
今後の松医会には課題が残されています。一
総会で認められた松医会会費納入規程により、終
つ、一つ申し上げませんが、後任の会長をはじめ
身会員で卒後25年に達した会員には、本会の発
役員・職員の方々のご活躍にお願いする次第です。
展、後進の育成等の寄与を期待し、毎年会費の納
最後にこの3年間、ご協力・ご支援いただいた役
入を願うものとする第3条第2項の施行で、平成
員、評議員、会員の皆様および職員に、心より感
25年度でも当該会員より、ご理解のうえ、納入
謝申し上げます。
いただきました。感謝申し上げます。今後の松医
会事業を考え、より多くのご協力をお願いする次
1.会長辞任の承認・後任会長の選出
第です。しかし、この会費納入に関しては当該、
森本会長から退任の申し入れを受け、3月20
会員から非協力のご意見があり、そのうえ、数名
日開催の臨時評議員会において勝山 努会員を会
の当該会員から退会の申し出もありました。それ
長候補者として推薦することが決定された。
で、退会申し出の会員との対応のなかで、松医会
本日の総会において審議の結果、挙手多数にて
会則第7条および第8条に不備が認められました。
森本会長の退任、後任会長として勝山 努会員の
今回、改定案を上程いたしますので、ご承認の程
就任が決定した。
お願いいたします。
さて、私の会長3年間をまとめますと、一つは
1.後任会長挨拶
ルールを守り、不備のルールは改定し、不足の場
皆さんこんにち
合はルールを設けることにありました。すなわ
は。ただいま松医
ち、会則の改定や松医会賞および奨励賞に関する
会の次期会長にご
規程の改定、会費納入規程および職員就業規程の
推挙いただきまし
設立等であります。これに合わせて特に重点を置
た。森本先生の
いたのは事務局の書類等の整備および松医会ホー
任期の残り1年間、
ムページの確立でありました。二つ目は会費およ
今日から勤めてさ
び入会金に関しては、全新入生からの完納は望め
せていただきます。
ません。そのため将来の資金不足は否めず、苦
どうぞよろしくお願い申し上げます。
肉の策で、卒後25年経過の会員にも会費納入を
松医会については、歴代会長さん、あるいは理
願ったことであります。三つ目は役員および職員
事の先生方からいろいろな話を着ておりましたが、
のお力により、松医会のルール、すなわち、会員
断片的であり、全体像についてはこれから勉強さ
名簿の発行、会報の発行、写真展の開催、松医会
せていただきたいと存じます。したがって、運営
ゴルフ・コンペの開催、松医会賞ならびに奨励賞
方針などについては、今ここで述べられるような
の選考等行うことができました。感謝申し上げま
ことはまだ考えておりません。
す。四つ目は会則に条項がありながら、充分に検
先程、東京の藤森会長さんのご挨拶文を読ませ
討なされなかったのは、支部のことでした。活発
て頂きましたが、僕が申し上げたいなぁというこ
な活動をされている支部、再活動した九州支部も
とがもう書かれておりました。やっぱり大きな問
65
題はですね、いったい同窓会というものの存在意
義とは何なのか。もちろん、会員相互の親睦をは
かるということが最大の存在意義であろうと思
いますけれども、同時にですね、信州大学医学
部、信州大学附属病院、あるいは信州大学の運営
をサポートする、そういう意味でのもうちょっと
大きな役割を果たすべきではないかと思うんです
ね。今日、新任の本郷付属病院長さん、池田次期
医学部長さんもお見えになっておりますが、大学
のほうもなかなか大変な状況であり、皆さん非常
に努力されています。ただ、大学のなかでずっと
仕事をしていると、世の中を見る目線が大学から
のそれに限定されてきちゃうんですね。長野県の
医療を俯瞰して考えていただくことは勿論ですが、
日本の社会を見渡して、そして社会の流れを見て、
そのような視点で大学、医学部を運営していただ
く必要があろうかと思います。その点では、松医
会員の皆様は大学、医学部、附属病院の運営に携
わる方々に物申す場面がもっと多くて良いし、そ
の中で松医会の存在意義を発揮できればよいので
はないかと思っております。
松医会について、森本会長さん、歴代会長さん、
理事の方々から勉強させていただき、医学部元気
の教員の幹部の方々、学生諸君などからもお話
伺って、活動方針を決めていきたいと考えており
ますので、どうぞよろしくご指導のほどお願い申
し上げます。
以上簡単ですが、ご挨拶とさせていただきます。
1.役員・評議員変更の報告及び承認
栗林理事から体調不良による辞任願いが提出さ
れたことに伴い後任として吉村 一彦会員が理事
に就任したことが報告され、別紙の平成26年度
松医会名誉会長・顧問・役員及び評議員一覧表の
とおり承認された。
66
平成26年度 松医会 名誉会長・顧問・役員及び評議員
名誉会長
池 田 修 一
顧 問
評議員(支部代表)
学 年
氏 名
信−04
担 当
信−12
薄 井 尚 介
中 信
窪 田 貞 喜
信−13
大 橋 東二郎
北 信
信−05
五十嵐 修 三
信−07
三 原 宏 俊
東 信
信−09
森 本 雅 己
信−03
佐々木 治 夫
佐 久
信−07
笠 原 忠 夫
諏訪・岡谷
信−20
前 沢 信 義
伊那・飯田
信−32
駒 津 光 久
学 内
役 員
学 年
氏 名
担 当
信−13
小 林 直 樹
北 海 道
信−13
勝 山 努
会 長
信−13
西 郡 光 昭
東 北
信−12
薄 井 尚 介
副 会 長
信−06
新 井 峻
茨 城
信−14
大 橋 東二郎
〃
信−14
小 尾 英 二
栃 木
信−32
駒 津 光 久
〃
信−06
佐 藤 卓 彌
神 奈 川
信−04
神 谷 健
渉 外
信−06
藤 森 英 之
東京23区・東京城西
信−07
三 原 宏 俊
庶 務
信−21
宮 国 泰 斗
東京都下
信−09
張 洛 善
監 査
信−13
佐 藤 行一郎
千 葉
信−11
関 龍 幸
厚 生
信−19
小 林 章 一
山 梨
信−11
松 田 國 昭
監 査
専−01
岩 井 昭 一
新 潟
信−14
奥 平 貞 英
会 計
信−27
奥 寺 敬
富 山
信−17
石曽根 新 八
広 報
信−13
木 部 佳 紀
石 川
信−18
中 田 和 義
〃
信−23
野 村 元 積
福 井
信−20
中 川 真 一
庶 務
専−01
三 宅 信 明
静 岡
信−21
小 泉 陽 一
広 報
信−15
日比野 清 康
東 海
信−22
大 野 伸 一
〃
信−07
高 見 元 敞
近 畿
信−23
久米田 茂 喜
〃
信−14
谷 掛 駿 介
奈 良
信−23
高 昌 星
学 術
信−12
小 野 泰 生
中 国
信−23
吉 村 一 彦
厚生(新)
信−15
富 長 将 人
山 陰
信−26
井 上 敦
渉 外
信−14
上 田 英 憲
四 国
信−27
藤 本 圭 作
学 術
信−24
西 澤 茂
九 州
信−28
古 田 清
会 計
信−13
知 念 義 和
沖 縄
信−30
石 塚 修
学 術
信−33
恒 元 秀 夫
広 報
信−39
新 倉 則 和
学 術
67
評議員(学級代表)
学 年
氏 名
学 年
氏 名
学 年
氏 名
専−01
丸 山 清
信−20
大 橋 俊 夫
信−44
八重樫 弘 信
専−02
赤 羽 伸 弘
信−21
井 上 憲 昭
信−45
東 城 加 奈
専−03
塩 澤 久 要
信−21
小 池 健 一
信−46
金 井 信一郎
大−01
中 村 直 亮
信−22
藤 本 定 一
信−46
布施谷 千 穂
大−02
保 刈 康
信−23
高 昌 星
信−47
関 野 康
大−03
手 塚 敬
信−24
池 田 修 一
信−48
牛 木 淳 人
信−01
永 田 哲 士
信−25
野 口 徹
信−48
鈴 木 敏 郎
信−26
赤 松 泰 次
信−49
三 枝 達 也
信−02
信−03
丹 羽 康 平
信−27
河 内 繁 雄
信−50
岩 谷 勇 吾
信−04
神 谷 健
信−28
古 田 清
信−50
森 田 進
信−05
溝 上 長 男
信−29
綾 田 昌 弘
信−51
岩 村 奈都子
信−06
佐 藤 卓 彌
信−30
丸 山 正 昭
信−52
奥 田 千 幸
信−07
野 口 浩
信−31
石 田 文 宏
信−53
五味渕 俊 仁
信−08
赤 羽 清 夫
信−32
永 田 茂 樹
信−54
瀬 川 恵 子
信−09
森 本 雅 己
信−33
原 田 謙
信−54
藤 井 仁 深
信−10
張 洛 禹
信−34
下 里 修 一
信−55
安 藤 孝 志
信−11
松 田 國 昭
信−35
酒 井 圭 一
信−56
繁 田 真 人
信−12
大 塚 訓 喜
信−36
番 場 誉
信−57
阿 部 隆 太
信−13
清 澤 研 道
信−37
小 口 智 雅
信−58
川 原 泰
信−14
奥 平 貞 英
信−38
鈴 木 順
信−58
河 内 遼
信−15
上 條 裕 朗
信−39
篠 崎 康 治
信−59
佐 藤 元 己
信−16
中 畑 龍 俊
信−40
矢 代 泰 章
信−60
井 町 賢 三
信−17
石曽根 新 八
信−41
長谷川 丈
信−60
大 屋 大
信−18
中 田 和 義
信−42
森 淳一郎
信−19
進 藤 政 臣
信−43
平 野 真 理
68
1.医学部長(名誉会長挨拶)
10年後、この医学部はどうあるべきか、それに
みなさまこんにちは。
関して一番大事なことは、教授選です。
第三内科の池田修一で
現在、5つの教授選が進行中です。今までは、
ございます。
どういう医学部を作りたいからどのような専門性
学生の頃お世話に
を有する教授を呼ぼうっていう議論がされなかっ
なった懐かしい先生に
たと思います。
お会い出来て本当に嬉
昨今の世の中で医学的社会的に求められている
しい、そんな中で第三
研究っていうのは、再生医療、がん研究、認知症
内科ならびに医学部全
含めた高齢者医療、この3つが大きな領域だと思
体が先生方に大変お世話になっていることをこの
います。そういう領域の中に、我々信州大学医学
場をお借りして厚く御礼申し上げます。
部が入って戦えるのかということを考えると、現
私は今ご紹介にありましたように、6月11日
時点ではイエスと胸を張って言える状況にはない
から医学部長兼学科長を拝命しております。この
ですね。現在医学部のスタッフはこういう領域で
選挙は1月に行われており、その時に私は学部長
活躍できるけど、それを補うためにどうすべきか、
としての公約をいくつか出させて頂きました。そ
どのような人材に加わってもらうべきかを教授会、
の内容を簡単にお話してみたいと思います。
そして、松医会の皆さんと議論すべきだろうと思
最初にお話しますが、先生方がいらっしゃった
います。
頃の医学部は、信州大学の中でトップリーダーで
もう20年以上前になると思うのですが、信州
あるということは揺るがなかったのですが、残念
大学附属病院では肝臓へメスを入れられる医師が
ながら現在の医学部の評価は非常に低いのです。
いないということで、幕内雅敏先生をお呼びに
ちょうど病院長がお見えですが附属病院は別です
なった。そして日本で成人間の生体肝移植を最初
よ、医学部と附属病院は本来は一体なんですけど、
にやってのけたという時代に私は教授になりまし
評価って違うんです。それは部局化という制度が
た。どうしてもあの時の夢をもう一度が自分の心
あって、医学部と附属病院は違う部局であるとい
のなかにあり、日本で、世界で一番という仕事を
うことから、双方の評価は違うんです。医学部の
やっていくべきじゃないかと、私自身は常に考え
評価が非常に低い理由は、やはり医学部において
ております。
全国区または国際的に通じる研究の活動性が低い
今日ここにも資料が出ていて本当に恥ずかしい
という一言に尽きると思うんです。
のですが、今の信州大学医学部の医師国家試験の
社会的な要請または種々な理由のなかで、現在
合格率は悪い状況です。おそらくここに座られて
の医学部は、学生教育や地域医療貢献ということ
る先生方は「俺達の時代は黙ってたってトップ5
が、医学部の前面に出ている。だけど、医学部が
に入ってたよ」ということだと思うんです。この
地域に医者を出すこと、そして附属病院を介して
合格率は、早急に改めるようにします。
地域医療へ貢献することは当たり前のことであっ
全学を見渡すと工学部はCOI(センターオブイ
て、当たり前のことが医学部の本業になったらば、
ノベーション)そして、繊維学部はリーディング
それ以上のことは出来ないというふうに私は思い
大学院を取得しております。それはどういうこと
ます。
かいうと、繊維学部は1年間に14名の学生さん
それではどうやって今後改革を進めていくかっ
に年間200万円の奨学金を出すという制度を国か
ていうことですが、やっぱり医学部の将来像を
ら得ております。いま信州大学の合言葉は、ファ
はっきりさせないといけないと考えます。5年後、
イバー研究ルネッサンスであり、工学部と繊維学
69
部が脚光を浴びております。残念ながら、医学部
には本当にお世話
は何をするんだということが学長の頭に入ってお
になりますが、病
りません。なんとしても全学の研究機構の中へ医
院の現状・展望を
学部が入り込めるような形にしなきゃいけない。
少しお話させて頂
現在山沢学長が、グローバル研究センター構想
きたいと思います。
ということを立ちあげて、この4月から医学部は
前天野直二病院
農学部と協力して、バイオメディカル研究所とい
長から引き継ぎま
うものを立ちあげました。これはあくまでもまだ
して、いま国立大
バーチャルであって、本当の箱物もそして財政基
学病院に求められていることは非常に多くあって、
盤もないということなのです。だけど、これに乗
国の政策も変わってきておりかなり大変な状況で
り遅れないよう、私は一生懸命やっております。
はあるのですが、やはり大学病院として、診療・
最後ですが、医学部の財政面での強化はもう避
研究、教育などの使命をきちんと果たす必要があ
けて通れません。医学部の入学定員は長らく100
ります。具体的に今プロジェクトとして進めてい
名でしたが、地域枠等で120名まで増えておりま
るものについて、少しご紹介させて頂きたいと思
す。逆に教官は減らされている。どんどん減らさ
います。再開発ということで平成6年に東病棟
れているのです。そして、講座費といって大学本
ができて、平成21年に新外来棟がオープンして、
部から解剖学・第三内科・脳外科学講座等へ 毎
いわゆる再開発は終了したんですが、もうすでに
年200万きていた校費というのが一切なくなりま
5年ほど経過し、さらに新しく様々な機能を強化
した。従って基礎系の教室は秘書さんすら雇えな
しないといけない、という状況になってきており
いという状況に追い込まれております。
ます。信州がんセンターもオープンしております
何かしらの外部資金を取ってきて、講座費を補
けれども、さらに周産期センター、手術数の増加
う必要があります。私は「自分でトップセールス
に対応した手術室の増室、また先進医療機器を導
をして外部資金を取ります」と言ったのですが、
入するなど、新しい内容を入れるべく、機能強化
先日長野県の農協中央会からバイオメディカル研
をはかるため、包括先進医療棟(仮称)の建設を
究所をサポートして頂く資金に関する条項を締結
予定しています。今、文科省と交渉しており、平
しました。来月はエプソンの会長にもお会いしよ
成30年1月のオープンを目指して進めています。
うと思っております。
さらにその後、今の西・東病棟の改修を予定して
勝山新会長には是非とも、松医会からの財政援
おります。6人病床を4人病床にし、個室を増や
助をお願いしたいと思います。なお、今年は信州
すなど、各病床の改修ということで3年ほどかけ
大学医学部70周年の記念行事も予定しておりま
てやる予定でおります。
すので、この点も松医会からご協力くださいます
それから、先ほどの次期学部長から、研究をし
よう、重ねてお願いします。
なきゃいけないというお話がありましたけれども、
病院としても、臨床研究をバックアップする臨床
1.病院長挨拶
研究支援センターという、これも今は仮称なんで
皆さんこんにちは。ただいまご紹介頂きました、
すけれども、立ちあげて、臨床研究のしかた、ノ
本郷と申します。
ウハウを持っている専門の教授を招聘して、さら
この4月に病院長を拝命致しました。私は信
にデータマネジメント、モニタリングもきちんと
24回、昭和53年卒業で、診療では脳神経外科を
行うことにしています。そういったことで、「信
やっております。折角機会を頂いたので、先生方
州からいい臨床研究を世界に」ということを目指
70
したいと思っています。
ります。同窓が同じ場所に集うことで情報交換、
それから医学部とのタイアップが非常に重要だ
切磋琢磨、あるいは仲良しクラブ的な憩いの空間
と思うんですけれども、医学教育センターと卒後
が広がります。こういった一面のあることを否定
臨床研修センターの連携を強め、卒前・卒後の教
する人はまずいないでしょう。
育を一体化することを考えています。なにはとも
反面では大学と同窓会との関係があります。最
あれ人が一番、良い人材を確保することは非常に
初に同窓会と大学とは、互いに緊密な役割を保持
大事だと思います。
しながらも、癒着ではなく緩やかな間柄であるの
たくさん良い学生に入ってもらい、母校に残っ
が望ましい姿です。次に大学への提言とか交渉な
てもらい一緒に医療を行うことができればという
どの際には、同窓会としての独自の見識とポリ
ことを考えています。
シーを堅持するのが大前提です。
3年間という任期でどこまでできるかわかりま
さて、同窓会をもっと身近なものにして活性化
せんが、一生懸命やるつもりでスタートしたとこ
するには、どのような方策を立て実行に移せばよ
ろです。少し時間を頂きまして、ご紹介およびご
いのでしょう。ここで繰り返しになりますが、再
挨拶させて頂きました。先生方には信州大学医学
度強調しておきたいのは、どうすれば多くの同窓
部附属病院を今後ともぜひバックアップ頂ければ
生が、年1回の総会に出席したくなるかです。そ
幸いです。どうもありがとうございました。
の原動力は何でしょうか。
目に見えるものと見えないものがありそうです。
1.支部長代表挨拶
これらの事柄をじっくり考えてみることは、避け
同窓会への提案
ては通ることができません。この大きなテーマは
−同窓会を身近なものにするには−
別の機会に俎上に載せることが賢明と思います。
同窓会への卒業生の参加が少ない現状を打開
これから先の総会をはじめ同窓会の命運を左右し
することは可能で
かねないと思われます。
しょうか。会の存
30代から50代前後の同窓の仲間については、
在あるいはあり方
一考を要する案件といえます。この年代の先生方
に対する意識の変
は、公私いずれの職場にあっても、あるいは開業、
化は、時代の推移
勤務医、大学の研究職を問わず、それぞれの仲間
と無関係であると
が多忙で、自分の日々の仕事に追いまくられ、同
は思えません。そ
窓会のことなど眼中にないという方が多いようで
れにしても医学部
す。勿論、これらの先生方が奮って参加いただけ
は今年創建七十周年を迎えました。こうした時代
れば大歓迎ですが。
状況にあるからこそ、この記念すべき年に、現在
さしあたり奇想天外な妙案とか起爆剤となる新
の同窓会について英知を結集し、多角的に検討す
たなアイデアなど私には捻出できそうにないので、
ることには意味があります。
叩き台にでもなればと、思いつくままの項目を以
同窓会の存在意義といった難しい課題を議論す
下のように羅列してみました。
る気など少しもありません。今後の論点を整理す
1)年1回の早春の総会では、学内外で活躍さ
る端緒にでもなればと、私見の一端を開陳するだ
れている同窓生に呼びかけ、専門領域の
けであります。
アップツーデートな学術講演をしていただ
御承知のように同窓会は同じ学窓で過ごした仲
く。総会前の午前の時間帯を充てます。
間に、親睦や回想の場を提供することに意義があ
2)総会と別に秋ごろには気軽に顔を出せる
71
座談会とかシンポジュウムを年1回開催。
大学を卒業し松本を離れて半世紀以上になりま
テーマによっては学生が参加し、先輩の回
すが、この間、暇なときなど古ぼけた望遠鏡を取
顧談やバリバリの挑戦を聞いたりします。
り出し、同窓会組織の一断面を気ままに眺めてき
3)同窓生に関する情報収集の迅速化にはネッ
ました。顕微鏡の視野を一点に固定して目を凝ら
トワークの構築です。日頃から学内の優れ
しているだけでは、どうしても目指す断面を同定
た業績に限らず、学外の他大学で活躍する
できないことがあるそうです。
卒業生、公的病院等の人事情報を出来うる
信州の各地には顕微鏡を覗くように、同窓会と
限りチェックし、エポックメイキングな事
いう組織の働きを、丹念に追及する先生方がお
例などはホームページに公表します。
られると伺っています。そうした先生にとって
4)インターネットを活用すれば近隣大学の同
は、本日の話題提供における好き勝手な提言に、
窓会のみならず、種々の動向を用意に検索
ひょっとしたら不快な思いをされているのではな
できます。大学にとっては、バーチャル空
かろうかと危惧します。
間であれ現実世界であれ、ライバルの存在
これまでの主題が多少とも今後の同窓会運営に
を目の当たりにすることが大切です。隣の
活かされるなら望外の喜びです。
庭を覗くことは参考になります。
5)同窓会がこのような新たな戦略―変革への
平成26年度信州大学同窓会評議員会・総会
意思表示―を周知徹底させれば、総会や座
平成26年5月17日(土) 午後3時~
談会に老若男女の同窓生が多く集まるよう
医学部第二臨床講座
になるかもしれません。横ばかりでなく、
東京支部(23区)代表 藤森 英之
縦の繋がりも一層緊密化します。そうなれ
信州大学同窓会連合会東京支部設立総会
ば更なる連帯・一体感がうまれます。
6)私たち仲間は今や遅しというのが実感です。
藤森 英之(信6)
平成21年2月7日(土曜)に東京の市ヶ谷に
渉外・広報あるいは学術担当の理事は、職
あるアルカディア市ヶ谷で信大同窓会連合会の東
責の垣根を越え、学内ばかりでなく、他の
京支部設立総会が催された。講演会、大学からの
医療機関や大学における同窓生の動静を知
報告、そして設立総会、懇親会と盛りだくさんの
る機会が倍増し、優秀な若手の人材を他の
スケジュールであった。ここでは会の雰囲気の一
大学へ送り出す機運が高まります。
端を記すことにしよう。
7)大学には臨床教授という制度がありますが、
まず山階鳥類研究所長(元京大教授)山岸 哲
先輩によるトーク番組はどうでしょう。学
氏(信大教育‘61年卒)が「生命(いのち)の賑
生にとっては、大学の先生の講義や教科書
いはどのように生ずるのか」という演題で話され
では知りえない、先輩たちの臨床や研究の
た。少年の頃に鳥の巣を壊し山里を駆けずり回っ
経験を直に聴けます。経験知の他にも秘話
たこと、信州大学のスキー部合宿で他の学部の先
とか裏話など伝授することになります。
輩や同僚と歓談した思い出を織り交ぜ、鳥の行動
8)学術講演会と平行して春や秋の季節には、
や生態、進化の過程を検証するための形態学や
総会出席者の希望があれば、長野県内の観
DNA(遺伝子)鑑定による種の同定などについ
光に出かけるのもよし、スポーツ好きの先
て述べた。私どもが日ごろ目にする鳥の世界にも
生方には、予めゴルフ場をセッティングす
生き物の多様性のあることを、素人にもわかるよ
れば、親睦を深めるきっかけになるかもし
うに噛み砕いて説明された。鳥の形態や行動ある
れません。
いは生態系を追い求める山岸さんのお仕事は、小
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学生の素朴な観察眼に原点があり、それが、たと
した。飛び入りで学士山岳会の60周年記念事業
えば後年のマダガスカルのフィールド調査の研究
実行委員長 松尾武久氏が、壮大な海外登山計画
成果に結実しているのであろう。ともあれ、専門
や国内の「上高地サマーテント」、「山と森の学
領域で一芸に秀でた人の話を伺うことは、楽しく
校構想」などへの協力と後援の依頼を述べた。余
もありわくわくする講演会でもあった。
興にはShodai Band の生演奏、ビンゴなどが
ちなみに信大東京同窓会は十数年前から、毎年
あったが、この頃になるとさすがに参加者も談笑
2月の第1土曜日に、インフォーマルな形で開催
に疲れ、最後に信濃の国を斉唱しお開きとなった。
していた。その際には今回同様、各学部の推薦し
さて、この機会に旧制松本高等学校を経て信
た人の中から選ばれた演者は、テーマを自由に選
州大学国文科を(‘53)卒業された信大名誉教授 び、「タコ壺」に潜り込んでいては聞けない貴重
馬瀬良雄先生のお話に耳を傾けてみよう。先生か
なお話を聞くことができた。
らの私信によれば「全国同窓会発足の問題に初め
次に大学本部からは小宮山淳学長はじめ、理事、
て手をつけたのは、北条学長(繊維学部)であり
各学部長、研究推進部長や総務部長らの出席が
ます。何回となく設立準備委員会が本部で開か
あった。当日の会ではまず学長から信州大学の現
れ、その度に出て行きましたが、実りませんでし
況が手短に紹介され、続いて白井汪芳研究推進部
た。」し、「キャンパス統合の問題は、1949年
長は「信州大学からの報告」と題して、地域に根
の信州大学発足時にさかのぼります。このときは
ざした拠点大学への新たな取り組みを述べ、それ
初代学長を誰にするのかで揉めに揉めたことを
を受けて下田勝総務部長による「信州大学シニア
思い出します。」と述べておられる。されに馬
サマーカレッジ」や6月1日(月曜)から1週間
瀬氏は旧制松本高等学校の校舎が重要文化財指
つづく創立60周年イベントについての説明があ
定(2007年)に至る険しい山道を行くような経
り、多くの同窓生への参加要請が熱っぽく語られ
過を回想され、分散・広域型の大学の現状から集
たことには共感を覚えた。
約・統合への道程は、「いずれにしろ、ゲーテ
設立総会では幹事代表の根建恭典氏(文理‘61
のPolaritätの考え、分化の向こうにある総合(統
卒)から開会の辞が述べられ、次いでかたどお
合)の必要性を説ける人の現れることが必要だと
り議長選出となり、幹事諸氏による設立趣意書
思います」と語っている。
(案)、会則(案)、役員人事(案)の提案と説
ともかく今回の各学部の障壁を取っ払ってアル
明があった。会則の中身について二、三の異見の
プスを縦貫するようなこの同窓会連合会の設立は、
陳述があったが、このことは、これから会員とな
60年の歳月を重ねた8学部8本のタコ足からなる
られる諸氏の関心の度合いの深さを感じさせ、提
「タコ壺」大学にとって、卒業生はもちろん在校
案者として歓迎するところであり、意を強くする
生相互の、垣根を乗り越えた交流を促す起爆剤と
ものでもあった。会長に選出された根建氏の挨拶
なるだろう。やがてこの「タコ壺」から抜け出し、
のあと、同窓会連合会の会長窪田貞喜氏からの祝
壺をぶっ潰す信大人が輩出することを祈るばかり
辞で総会は閉幕となった。
である。
懇親会では文理学部同窓会長の可知偉行氏と山
2009年2月15日記す 藤森 英之(医‘60年卒)
沢清人工学部長からの来賓挨拶があり、山沢氏は
工学部の施設工事への募金依頼もされた。続いて
教育学部同窓会副会長 深沢弘二氏による乾杯の
後、学部や年齢を超えて着席した。130余名の出
席者は円卓を囲んで賑やかな歓談のひと時を過ご
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1.議事
7.18 第2回松医会理事会・暑気払い
第1号議案 9.19 第3回松医会理事会
平成25年度松医会
10.17 第4回松医会理事会
事業報告書に関し
11.21 第5回松医会理事会
承認を求める件
12.20 第6回松医会理事会・忘年会
1.17 第7回松医会理事会
平成25年度松医会
2.21 第8回松医会理事会
事業報告
3.21 第9回松医会理事会
1.庶務関係
4.17 第10回松医会理事会
1)松医会理事会開催 議事録添付
主要検討事項として
① 松医会会員名簿の作成について
6.20 第1回松医会理事会
平成24年松医会理事会議事録
第1回理事会
理事会に先立ち前松医会事務局飯沼 進氏に対し
て感謝状の贈呈が行われた。
日 程:6月20日㈭19:00〜
場 所:旭会館 中会議室
出席者:森本、薄井、大橋、神谷、三原、張(洛)、
張(禹)、栗林、松田、奥平、中田、中川、
久米田、井上、藤本、古田、恒元、花岡、新倉
会員異動:物故者
児玉 悦男 信27
和歌山県和歌山市 H22.12.7 死去
後藤 都秀 信29
神奈川県藤沢市 H23.9 死去
山田 貞一 専2 長野県佐久市 H24.10.1 死去
森下 博史 信21 没日不明
協議事項に先立ち新理事から自己紹介があった。
〔協議事項〕
1.名簿の発行について
中川理事より資料の工程表、名簿作成について
の会員宛案内文、準備資料について説明があり、
松医会個人情報保護管理規則及び細則に従い、正
会員、学生会員、特別会員について作成すること
が確認された。
2.職員就業規程の改定について
就業規程第8条の勤務時間についての改定が承
認された。
〔報告事項〕
1.感謝状の贈呈について
会長より感謝状の贈呈についての経緯の説明が
あった。
2.会則の改定に伴う会費の納入について
5月18日㈯開催の評議員会・総会において承認
された会則の改定に基づき会員宛会費の納入につ
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いて(お願い)の文書を発送することか報告され
た。
3.第42回松医会ゴルフコンペについて
栗林理事よりゴルフコンペの経費について報告
された。
4.事務室に係る経費について
奥平理事より松医会建物の清掃等事務室に係る
経費の説明があった。
5.信州大学医学部循環器内科学講座10周年記念式
典
4月21日㈰ ホテルブエナビスタ 奥平理事報告
6.信州大学地域技術メディカル展開センター開所
式
5月20日㈮ 旭会館大会議室 薄井副会長報告
〔行事予定〕
1.医学科ビアパーティー
7月3日㈬ 臨床棟と基礎棟の間の庭
第2回理事会
日 程:7月18日㈭19:30〜
場 所:松本館
出席者:森本、薄井、大橋、神谷、張(洛善)、
張(洛禹)、松田、奥平、石曽根、中川、小泉、
久米田、高、藤本、古田
会員異動:物故者
花岡 脩三 信8 長野市 H25.6.28 死去
秋城 和人 専2 駒ヶ根市 H25.7.11 死去
〔協議事項〕
なし
〔報告事項〕
1.大和証券債券について
奥平理事から8月5日付で満期になる山口FG債権
の取扱いについて説明があった。
2.松医会報「秋97号の」の原稿について
石曽根理事から会報原稿の締切日について説明
があった。
3.医学部第三内科学講座開講40周年記念式典
6月22日㈯ ホテルブエナビスタ 会長出席
4.信州医学振興会第10回理事会
6月25日㈫ 医学部第二会議室 会長出席
5.信州医学振興会第4回評議員会
6月25日㈫ 医学部第二会議室
薄井副会長出席
6.第22回日本がん転移学会学術集会・総会
7月11日㈭~7月12日㈮ ホテルブエナビスタ
7.医学部メディカル・ヘルスイノベーション講座
キックオフ記念式典・講演会
7月13日㈯ 医学部第一臨床講堂 会長出席
8.医学科学生、准講会共同主催ビアパーティ報告
7月3日㈬ 医学部中庭においてビアパーティ
が盛大に行われ、中庭の通称が「mPATIO」に決
定 松医会から森本会長、張(洛善)理事が出席
9.学長候補者意向投票の結果報告
意向投票の結果、山沢 清人氏423票、渡邉 秀人氏341票を獲得7月3日開催の学長選考会議
において山沢 清人氏が次期学長候補者として決
定した。
10.松医会中信支部の事務の委託について
薄井副会長から事務の委託について説明があっ
た。
11.松医会事務局職員の夏季休暇について
信州大学が定める夏季休暇の一斉取得期間に合
わせて8月14日㈬~8月16日㈮まで松医会事務局
職員も夏季休暇とすることが報告された。
〔行事予定〕
1.第16回信州大学同窓会連合会役員会
7月27日㈯ 旭会館中会議室 会長出席予定
2.第1回松医会九州支部会
8月10日㈯ 福岡市
ANAクラウンプラザホテル福岡 会長出席予定
第3回理事会
日 程:8月19日㈭19:00〜
場 所:旭会館 中会議室
出席者:森本、薄井、大橋、張(洛善)、栗林、
松田、奥平、石曽根、中田中川、小泉、久米田、
井上、古田、駒津、
会員異動:
昇任 花岡 正幸 信35 H25.9.1
信州大学医学部第一内科講座教授昇任
物故者
村田 剛 信6
大阪府豊中市 H20.4.2 死去
鈴木精太郎 専1
長野県松本市 H23.11.15 死去
後藤 一博 信5
千葉県流山市 H23.11.19 死去
徳元 伸行 信26
千葉県銚子市 H24.8.5 死去
井口 喜資 専3
長野県飯田市 H24.12.15 死去
町田 拓也 信7 長野県松本市 H25.5.17 死去
梅沢 圭策 信1
千葉県浦安市 H25.6.19 死去
村田 明 信9
茨城県笠間市 H25.6.24 死去
上島 隆 信8
長野県上伊那郡 H25.7.8 死去
山下 光洋 信16
京都府宇治市 H25.7.12 死去
大矢 明 信5
新潟県新潟市 H25.7.23 死去
加賀美年秀 信2
山梨県甲府市 H25.8.5死去
吉田 仁 信4
千葉県船橋市 H25.8.17 死去
杉山 正憲 信18
愛知県名古屋市 H25.8.19 死去
難波 英彦 信15
岡山県岡山市 没日不明 死去
白石 哲郎 信18 没日不明 死去
〔協議事項〕
1.信州大学同窓会連合会、校友会について
7月27日㈯に開催された第16回信州大学同窓会
連合会報告が会長より報告され、校友会の必要経
費と会費については、現段階では定員120名に対
して1名当り、3,000円を負担することとなる。
2.名簿作成及び25年経過会員の会費の納入状況に
ついて
名簿作成については、中川理事より9月18日現
在で名簿作成資料送付者4,312名に対して、1,894
名から回答があったことが報告された。
今後の作成作業について、回答のない会員につ
いては、了承されたものとみなし、作業を進めて
いくこととした。
3.会費の納入状況については、対象会員2,332名
に納入のお願いをしたところ9月18日現在で695
名の方から納入されたことが報告された。
この会費の保管方法については、一般会計の口
座を新たに設け普通預金として管理することと
なった。
4.大和証券債券等について
山口劣後債券の8月満期に伴う今後の処理とし
て、元金保証でリスクの低い債券の購入を視野に
今後検討することとした。
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5.高先生から申請された第34回日本アフェレシス
学会学術大会に100,000円を支援することとした。
また、新倉先生から申請の学生とのソフトボー
ル大会の支援費として30,000円を補助することと
した。
6.松医会報「秋・97号」の発行について
97号から会報のサイズをA4版にすることが了
承された
〔報告事項〕
1.第1回九州支部会
8月10日㈯ 福岡市ANAクラウンプラザホテ
ル福岡で開催されたことが会長より報告された。
〔行事予定〕
1.信州大学医学部合同慰霊祭
10月31日㈭ 13:30〜15:00
キッセイ文化ホール中ホール 会長出席予定
第4回理事会
日 程:10月17日㈭19:00〜
場 所:旭会館 3F会議室
出席者:森本、薄井、大橋、駒津、神谷、三原、
張(洛善)、松田、奥平、中田、中川、小泉、
井上、古田、新倉
会員異動:物故者
宮坂 英男 信3
長野県諏訪郡 H25.5.1 死去
西澤 康司 専2
東京都東久留米市 H25.6.3 死去
近藤 博恒 信3
愛知県日進市 H25.8.10 死去
林野 久雄 専2
山梨県甲府市 H25.6.18 死去
高瀬 昭 専2
埼玉県所沢市 H25.9.15 死去
小野 義夫 専3
長野県長野市 H25.9.18 死去
浦野 一彦 専2
長野県松本市 H25.9.21 死去
萱場 泓朗 信8
東京都武蔵野市H24.9.28 死去
〔協議事項〕
1.会則の変更について(退会と除名)
名簿作成資料、25年経過会員の会費納入のお願
いに伴って退会者が出たため会則第3章の見直し
を行うことが承認され、次回からの理事会におい
て議論されることとなった。
2.理事の交替について
花岡先生が教授昇任となったため、准講会から
の推薦を新倉先生にお願いすることになった。
3.平成25年度収支状況報告書について
9月末現在の収支状況報告書を作成した、現時
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点では、約300万円の繰越が可能となるが、名簿
作成経費が見込めないため流動的であることが報
告された。
〔報告事項〕
1.名簿作成資料の進捗状況について
10月16日現在学外会員1,852名、学内会員534
名から回答があった。
また、名簿の有料配布希望者が10月16日現在で
1,265名であることが報告された。
2.25年経過会員会費の納入状況について
10月16日現在784名から納入されたことが報告
された。
3.大和証券債券について
10月9日付けで日本製紙㈱の社債を1,000万円
で購入したことが報告された。
〔行事予定〕
1.中信支部 秋の学術講演・懇親会
10月5日㈯17:00〜東急イン
2.東海支部総会 11月30日(土)18:00〜
名古屋観光ホテル 会長出席予定
第5回理事会
日 程:11月21日㈭19:00〜
場 所:旭会館 3F会議室
出席者:森本、薄井、大橋、神谷、三原、張(洛)、
松田、奥平、石曽根、中田、中川、久米田、高、
井上、藤本、石塚、恒元、新倉
会員異動:物故者
内藤 実 大2
山梨県甲府市 H25.9.10 死去
高瀬 昭 専2
埼玉県所沢市 H25.9.15 死去
谷川 一夫 信2
福井県鯖江市 H25.10.30 死去
〔協議事項〕
1.理事の交替について
前理事花岡先生の教授就任に伴い、准講会から
泌尿器科の石塚先生が就任した。
2.会則の改定について
前回理事会で報告された改定(案)が示され協
議した。26年5月の総会に諮るよう今後も検討す
ることとした。
3.名簿作成について
在学生の名簿形式が示され承認された。
大学院修了者の名簿形式が(案1)~(案3)ま
で示され、(案1)に決定した。
特別会員名簿が示され承認された。
4.債券評価格について
会計担当理事から9月末現在の債券評価格につ
いて報告があった。
〔報告事項〕
1.松医会賞等の論文募集について
11月7日に学内会員についてオールメール配信
し周知した結果2講座から申込書、推薦書の送付
依頼があったこと、2名の先生から質問があった
ことが報告された。
2.卒後25年経過会員の会費の納入状況について
11月19日現在で822名から納入されたことが報
告された。
3.医学部合同慰霊祭 10月31日㈭13:30~
キッセイ文化ホールで行われ会長が出席したこ
とが報告された。
〔行事予定〕
1.花岡教授就任祝賀会 11月24日㈰
ホテルブエナビスタ 会長出席予定
2.第17回同窓会連合会臨時役員会
12月14日㈯ 14:00~
信州地域技術メディカル展開センター
会長出席予定
3.信州大学東京同窓会 平成26年2月1日㈯
アルカディア市ヶ谷 会長出席予定
4.理事会忘年会について
12月19日㈭ 19:30~ 松本館
第6回理事会
日 程:12月19日㈭19:00〜
場 所:松本館(松本市丸の内7-39)
出席者:森本、薄井、大橋、神谷、張(洛善)、
奥平、石曽根、中田、中川、小泉、久米田、井上、
古田、恒元
会員異動:物故者
木之瀬 昭平 専3
山梨県中央市 H23.10.25 死去
新美 和夫 専1
愛知県半田市 H25.11.15 死去
花輪 文夫 専1
山梨県南アルプス市 H25.11.30 死去
加藤 隆司 信9
山梨県甲府市 H25.12.6 死去
山村 伸吉 信19
長野県茅野市 H25.12.14 死去
福田 喬 専3 没日不明 死去
森 貞次 専3 没日不明 死去
〔協議事項〕
1.会費納入規程の改正について
三原理事からの文章を参考に、規程第3条の毎
年会費相当の寄附について議論され、「協力金」、
「協力費」、「賛助金」等の意見があり、次回の
理事会において協議することとなった。
〔報告事項〕
1.25年経過会員の会費の納入状況について
会費納入状況について、担当理事から報告が
あった。
2.花岡教授就任祝賀会 11月24日㈰
ホテルブエナビスタ 会長出席
3.東海支部総会 11月30日㈯
名古屋観光ホテル 会長出席
4.第17回同窓会連合会臨時役員会
12月14日㈯ 信州地域技術メディカル展開セン
ター 会長出席
前回の役員会において事業費の負担額は、各学
部同窓会の拠出金で負担することになっていたが、
今回全ての経費について当面大学が負担すること
になった。
第7回理事会
日 程:1月16日㈭19:00〜
場 所:旭会館 中会議室
出席者:薄井、大橋、神谷、三原、張、栗林、松田、
石曽根、中田、中川、久米田、高、井上、藤本、
古田、石塚、駒津、新倉
会員異動:物故者
古畑 茂喜 専1・大3
長野県松本市 H25.12.28 死去
〔協議事項〕
1.会費納入規程の改正について
会長欠席のため、議論されなかった。
2.名簿の作成について
名簿の原案が各理事に回覧された。特に意見が
ないため、この形式で業者選定を行うこととした。
〔報告事項〕
1.25年経過会員の会費納入状況について
1月16日現在858名 4,290,000円 収納率 36.79%であることが報告された。
2.松医会賞・松医会奨励賞応募状況について
松医会賞に2名、奨励賞に1名の応募があるこ
とが報告された。
3.会報98号の原稿募集について
提出期限2月28日までに投稿して頂くよう担当
理事から報告があった。
4.アフリカ・ニジェールで活躍されている谷垣 雄三先生(信13)のテレビ放映について
5.東 璋先生(信6)よりテレビ東京から送られ
たDVDの提供が松医会にあり、事務局で保管して
おり貸出しできることが報告された。
〔行事予定〕
1.信州大学東京同窓会 2月1日㈯
アルカディア市ヶ谷 大橋副会長出席
2.信州大学同窓会連合会役員会 2月22日㈯
薄井副会長出席予定
3.北信支部総会 3月1日㈯
4.平成26年1月~5月行事予定表
77
第8回理事会
日 程:2月20日㈭19:00〜
場 所:旭会館 中会議室
出席者:森本、薄井、大橋、駒津、神谷、栗林、
松田、奥平、石曽根、中田、久米田、高、石塚、
新倉
会員異動:物故者
宇都宮 朋宏 信48
群馬県高崎市 H26.1.20 死去
黒田 秀雄 信29
長野県長野市 H26.1.27 死去
塚田 直敬 信16
長野県松本市 H26.2.15 死去
〔協議事項〕
1.会費納入規程の改正について
(案1)の「毎年会費相当の寄附を願うものと
する」に改正することとした。
2.会長の交替について
会長体調不良のため、辞任することが表明され、
3月20日㈭に臨時評議員会を理事会と合同開催す
ることとし、会長候補者の選考を行うこととした、
5月までの期間は会則第15条に基づき副会長が代
行することとした。
3.事務職員の契約更新について
副会長あて提出された就職希望者に履歴書の提
出を求め、現職員を含め次回の理事会において選
考することとした。
〔報告事項〕
1.松医会名簿作成について
見積徴収業者の競争結果により、前回契約業者
の信教印刷株式会社と契約することになり、1冊
当たり単価が1,300円~1,500円程度になることが
報告された。また、業者より提出された工程表に
より4月下旬には納品となる予定。
2.松医会賞・松医会奨励賞の選考結果について
松医会賞2件、松医会奨励賞1件の応募があり、
松医会賞に病態解析診断学講座助教 吉澤 明彦
氏、松医会奨励賞には附属病院薬剤部 竹澤 崇
氏を選考したことが報告された。
3.25年経過会員の会費納入状況について
2月19日現在861名4,304,160円(振込手数料
840円)、収納率36.92パーセントであることが報
告された。
4.医学科5年生からの卒業アルバム作成の支援に
ついて報告され、多数決の結果支援することと
なった。
5.2014年4月9日以降マイクロソフト製品の
windowsXPのサポート終了に伴うパソコン更新
経費及びバージョン変更に伴う特に重要である住
所登録システムの改修経費が93万円程度の予算が
必要となり、説明後承認された。
78
6.信州大学東京同窓会について
2月1日に開催された東京同窓会について、出
席された大橋副会長、高理事から報告があった。
7.医学部長、附属病院候補者選挙について
医学部長は内科学第三講座池田 修一教授を選
出、附属病院長は脳神経学講座本郷 一博教授が
得票総数161票で2月27日開催の医学部教授会で
承認予定であることが報告された。
8.同窓会連合会幹事会について
2月18日に開催された幹事会について、薄井副
会長から平成26年度学生及び卒業生表彰候補につ
いて報告された。
〔行事予定〕
1.平成26年3月20日㈭
理事会・臨時評議員会の開催について
2.平成26年3月24日㈪
信州医学振興会理事会 会長出席予定
再掲
平成26年2月22日㈯ 同窓会連合会役員会
薄井副会長出席
平成26年3月25日㈫ 卒業式「祝賀会で挨拶あり」
薄井副会長
平成26年4月4日㈮ 入学式
平成26年4月18日㈮~4月19日㈯ 出席予定
新入生合宿研修(挨拶あり) 第9回理事会
日 程:3月20日㈭19:00〜
場 所:旭会館 中会議室
出席者:森本、薄井、大橋、神谷、張(洛善)、
松田、奥平、石曽根、中田、中川、小泉、久米田、
高、古田、恒元、新倉
会員異動:物故者
菊池 繁弘 大3
愛媛県西予市 H26.3.1 死去
臨時評議員会
開催に先立ち評議員数99名に対して、出席者6名、
委任状提出者52名であり、会則第34条第1項に定め
る1/10以上を満たすため評議員会の成立が宣言され
た。
後任会長の選出には、勝山 努会員4名、森本 雅己会員2名、清澤 研道会員1名の推薦があり、
協議の結果勝山 努先生を次期会長として内定した。
〔協議事項〕
1.会費納入規程の改正について
前回理事会において、承認された改定案の寄附
という表現について再度協議したが結論を得ず専
門家の意見を聞き次回理事会において協議するこ
ととした。
2.事務職員の選考について
提出された履歴書を職員就業規程第3条に基づ
き協議した結果不採用とした。
〔報告事項〕
1.松医会報「春98号」の発刊について
担当理事から98号の目次が示され、4月下旬発
送予定の報告があった。
2.平成26年度第43回松医会ゴルフコンペについて
担当理事から第43回ゴルフコンペについて報告
があった。
3.第108回医師国家試験合格発表につい
4.同窓会連合会役員会 平成26年2月24日㈯
薄井副会長から報告があった。
5.北信支部総会 平成26年3月1日㈯
大橋副会長から報告があった。
〔行事予定〕
なし
第10回理事会
日 程:4月17日㈭
場 所:旭会館 中会議室
出席者:森本、薄井、大橋、駒津、神谷、三原、
張(洛善)、関、松田、奥平、石曽根、中田、
中川、久米田、高、古田、石塚、新倉、
勝山 努(オブザーバー)
会員異動:物故者
當山 輝夫 信3
東京都東久留米市 H24.2.28 死去
小林 孝俊 信3
京都府京都市 H24.3.1 死去
山中 元 専2
長野県松本市 H24.3.27 死去
遠藤 信男 信20
長野県佐久市 H26.4.7 死去
〔協議事項〕
1.理事の辞任願いについて
栗林 七郎理事から健康上の理由で辞任願が提
出され、後任に(信23)吉村一彦先生が就任され
ることが報告された。
2.会則及び会費納入規程の改定について
会則については、提出された原案のとおり承認
された。
会費納入規程については、第3条2項を以下の
とおり修正することで承認された。
「終身会員で卒後25年に達した者には、本会の
発展、後進の育成等の寄与を期待し、毎年会費相
当の寄附金の納入を願うものとする。」
3.平成26年度信州大学医学部松医会評議員会・総
会(次第)について
次第について、各項目の担当者の報告があった。
支部長代表挨拶については、県外各支部の支部
長に積極的に出席を願い、挨拶をお願いすること
とした。
4~8について
担当理事から資料について説明があった。
9.松医会名簿作成に関することについて
担当理事から現在の進捗状況、発送時期、1冊
当たり1,500円とする説明があった。
〔報告事項〕
1.松医会報98号の発行について
4月28日には会員宛発送となることが報告された。
また、来春の会報が100号になるため、特集号を
発刊する予定であることが報告された。
2.信州大学松本地区卒業式3月25日㈫キッセイ文
化ホールについて出席した薄井副会長から報告が
あった。
3.信州大学入学式4月4日㈮ 松本市総合体育館
について出席した薄井副会長から報告があった。
〔行事予定〕
1.平成26年度松医会総会
5月17日㈯ 午後3時~ 終了後 懇親会
第11回理事会
日 程:5月17日㈯14:30〜
場 所:医学部 第一臨床講堂
出席者:薄井、大橋、駒津、神谷、三原、
張(洛善)、松田、奥平、石曽根、中川、小泉、
久米田、高、吉村、古田、石塚、
勝山 努(オブザーバー)、
川原(総会議長候補者)
会員異動:物故者
菅原 栄憲 信1
東京都町田市 H25.12.16 死去
田中 正利 信4
長野県諏訪市 H26.4.11 死去
上条 信郎 信3
長野県諏訪市 H26.4.21 死去
輿石 悌三 専3
東京都渋谷区 H26.5.12 死去
〔協議事項〕
1.評議員会・総会打ち合せについて
議長候補者川原先生に出席願い、総会議事進行
メモに従って進行の確認を行った。
〔報告事項〕
1.新入生合宿研修 4月18日㈮~19日㈯
薄井副会長から報告があった。
〔行事予定〕
1.松医会神奈川支部 5月31日㈯
勝山次期会長出席予定
79
2)医学部及び学生の松医会関係行事への参
加及び助成
⑤ 東日本体育大会優勝者あるいはクラブ
に対し、祝金を授与する。
6.20 第1回松医会理事会
今年度該当者なし
5.10 信州地域技術メディカル展開セン
⑥ 卒業生謝恩会支援費として10万円を
ター開所式出席
5.23 第22回がん転移学会学術集会・
総会への支援
5.30 第73回日本解剖学会中部支部学
術集会への支援
6.14 第三内科学講座開講40周年記念
式典に参加
6.28 中庭完成記念及び医学科BEER
PARTYに参加
支援する。
⑦ 信州大学銀嶺祭に対しては2万円支援
する。
⑧ 准講会・学生とのソフトボール大会に
3万円を支援
5)松医会支部関係
4.13 松医会中信支部春の総会
5.28 松医会山梨支部総会
6.15 松医会東京城西支部総会
7.3 チェルノブイリ医療基金支援
8.10 松医会九州支部総会
9.24 第34回日本アフェレシス学会学
10.5 松医会中信支部秋の総会
術大会への支援
11.14 内科学第一講座花岡教授就任祝賀
会に参加
2.14 谷垣 雄三先生(信13)支援
3)医学部関係行事・助成
10.31 信州大学医学部合同慰霊祭
11.9 松医会飯田・伊那支部総会
11.16 松医会多摩支部総会
11.30 松医会東海支部総会
3.1 松医会北信支部総会
6)信州大学同窓会連合会
7.27 第16回信州大学同窓会連合会役
員会
3.25 信州大学卒業式(長野県松本文化
会館)
12.14 第17回信州大学同窓会連合会臨
時役員会
医学部医学科卒業生祝賀会(旭研
究棟9階)
2.18 平成25年度信州大学同窓会連合
会幹事会
4.4 信州大学入学式(松本市総合体育
館)
2.22 第18回信州大学同窓会連合会役
員会
4.18~4.19 新入生合宿研修
(美ヶ原高原王ヶ頭ホテル)
4)学生(学生会、各クラブ等)に対する助成
① サークル活動費として、各クラブに毎
年2万円を支援する。
(現在31クラブ)
② クラスコンパ支援費として、松医会報
に投稿があったクラスに1稿当り1万
円の投稿料とする。
③ 学生入学案内冊子「PORTA」の発行
費用は松医会が負担する。
④ 学生6年次の国家試験対策費として50
万円支援する。
80
2.1 信州大学東京同窓会に参加
7)信州医学振興会
6.25 ㈶信州医学振興会第10回理事会
〃
㈶信州医学振興会第4回評議員会
3.24 ㈶信州医学振興会第11回理事会
2.広報関係
1)会報発行
4.25 松医会報第96号発行(春号)
11.8 松医会報第97号発行(秋号)
2)写真展開催
会員及び学生 開催支援・助成
3.厚生関係
松医会ゴルフコンペ開催
平成25年5月19日
穂高カントリークラブ
参加者 会員10名 学生6名
4.松医会賞及び松医会奨励賞
懸賞論文の選考
資料により三原庶務担当理事から説明があり、
承認された。
第2号議案 平成25年度松医会歳入歳出決算書
に関し承認を求める件
平成25年度会計監査報告
資料により奥平会計担当理事から説明があり、
承認された。
引き続き張監査理事から監査結果について、
適正に処理されている報告があった。
第3号議案 平成26年度松医会事業計画(案)
に関し承認を求める件
三原庶務担当理事から説明があり、承認された。
また、本日東京医科歯科大学大学院医歯学総合
研究科 国際環境寄生虫病分野大田 伸教授から
別紙資料の説明があり、平成26年度の事業計画
として取り入れることが承認された。
第4号議案 平成26年度松医会歳入歳出予算書
(案)に関し承認を求める件
奥平会計担当理事から説明があり、承認された。
第5号議案 会則及び会費納入規程の改定につい
て承認を求める件
三原庶務担当理事から説明があり、承認された。
81
平成26年度松医会事業計画(案)
1.庶務関係
2.広報関係
1)理事会開催
1)松医会報の発行(春、秋の年2回)
2)医学部及び学生の松医会関係行事への参加
平成27年春発行の会報が100号となるため特
集号を計画する。
及び助成
3)松医会支部への参加・助成
2)会員及び学生の写真展開催への助成
4)会員、クラス会への支援
3.厚生関係
5)信州大学同窓会連合会への参加・協力
1)松医会ゴルフコンペの開催
6)信州大学校友会及び知の森基金への協力
4.松医会懸賞論文事業の継続
7)信州大学医学振興会への協力
5.その他
8)松医会事務局のIT関連機器の充実
9)その他
宮入慶之助と日本住血吸虫:信州から世界に伝えるメッセージ(仮題)
日本は、古代から
林 正高先生(信8)、天野皓昭先生(信15)な
人々を苦しめていた
ど信州大学医学部同窓生の大きな功績が記されて
住血吸虫病の原因を
います。そのような情況にあって、松医会には標
自らつきとめて、世
記事業の開催についての提案とご協力をお願いす
界に先駆けて制圧に
る次第です。
成功しました。その
鍵となったのは長野
記
県出身の宮入慶之助
平成26年度松医会年度事業において、NPO法
による中間宿主貝の発見です。恐ろしい風土病と
人・宮入慶之助記念館と共催で標記テーマ(仮
の格闘に取り組んだ先人の努力と世界に誇るべき
題)での展示と講演会を開催する。
成果を歴史の片隅に置き去りにしてはなりません
主催:信州大学医学部松医会・
し、地球上には今日なお2億人以上の人々が住血
NPO法人 宮入慶之助記念館
吸虫病を病み、苦しんでいます。このことは住血
対象:信州大学医学部学生、教職員、同窓生ほか、
吸虫症を初めとする熱帯感染症が人類の健康と福
信州大学関係者
祉に対する大きな脅威であり、今日の医学生、コ
開催時期:平成26年11月頃(詳細は未定)
メディカル関係の若手諸君が関心を寄せる所以で
開催場所:信州大学医学部構内
もあります。
企画内容:宮入慶之助の功績について紹介すると
宮入慶之助は信州・松代の出身です。日本住血
ともに、国際保健の領域で住血吸虫症の持
吸虫の中間宿主であるミヤイリガイは1913年に
つ今日的意義、重要性について、学術的な
発見されました。その偉業から100年を経て、国
視点から論を拡げる
立科学博物館、九州大学医学部、日本寄生虫学会
展 示;片山病から日本住血吸虫の発見、中間
等、国内各所で記念展示と講演会が開催されまし
宿主発見、生活史、貝撲滅対策、安全
たが、私どもは慶之助生誕の地信州で、その功績
宣言、貝発見100年後の現在について、
を医療関係者にもアピールしたいと考えています。
などをB2版パネル約20枚に作成し掲
日本住血吸虫症の研究には加茂悦治先生(信2)、
示する。同時にガラスケース1台に書
82
籍や標本を展示する。
パネル(筑後川流域での駆除対策写真、片山
地方での記録、山梨県での駆除対策
講演会;「住血吸虫症:アジア、アフリカに与
写真)
えたヘルスインパクトと今後の課題
(仮題)」といったテーマで松医会員
ガラスケース(山梨県での届出用紙)
を含む3名程度の講師による講演
安全宣言・終息宣言
(※場合によっては学生対象の講演会か
パネル(安全宣言・終息宣言の報道記事、宮
入貝供養碑写真、地方病流行終息の
産業医講習会の形式も考えられますが)
碑写真)
費用について:
展 示;パネルを吊り下げる壁面とガラスケー
◎住血吸虫症の現在
ス1台を準備いただければ、パネル準
世界の住血吸虫症の分布
備・輸送・取り付け・片付けは宮入記
パネル(世界地図での分布図)
念館が担当(輸送費は相談による)
パネル(ケニア、中国、ラオス・カンボジア
における防圧)
講 演;講師については関係者と相談・連絡し
て決定。講演会場は松医会にて準備い
◎今後の課題
ただき、謝礼は別途協議による。
パネル(貝根絶の困難さ、共生への模索)
パネル(貝の生態研究の現状)
[展示内容]
[展示諸元]
◎ミヤイリガイ発見以前
⒈展示スペース
*難病・奇病の存在
⑴.パネル展示壁面の高さ 2m程度
#パネル(甲陽軍艦、片山記、杉山なか碑、患
⑵.所要壁面(総延長)
パネル総数約20枚として、1枚あたりの長
者のスケッチ)
さ65㎝とすると65×20=1300→約13m
*日本住血吸虫の発見
#パネル(桂田・藤浪写真、説明、成虫写真、
発見碑写真)
⒉展示期間 1ヶ月程度
⒊展示中の係員駐在
◎宮入貝発見から100年
無人とするが、期間を限定して受付を設置
宮入慶之助像
以上
パネル(宮入慶之助年譜、写真でたどる宮入
企画申し入れ責任者
慶之助の生涯)
ガラスケース(講義ノート、講義風景写真、
NPO法人 宮入慶之助記念館 理事長 宮入源太郎
著書、手紙など)
元・市立甲府病院部長 林 正高(信8)
日本住血吸虫の中間宿主発見
東京医科歯科大学教授、日本寄生虫学会理事長
パネル(論文コピー)、ガラスケース(ミヤ
太田伸生(信23)
イリガイ標本)
日本住血吸虫の生活史解明
パネル(山梨県作成または久留米大学医学部
作成のポスター)
パネル(成虫、卵、スポロジスト、セルカリ
ア、体内の虫卵などの写真)
各地のミヤイリガイ駆除対策
83
平成25年度松医会決算書
3月31日現在
(単位 円)
(収入の部)
項 目
繰越金 繰
越
会 費 会
25年度予算額 25年度決算額
金
4,655,232
4,655,232
費
15,650,000
13,627,480
雑収入 雑
入
収
計
3,695,000
24,000,232
3,203,592
21,486,304
(支出の部)
項 目
25年度予算額 25年度決算額
7,691,514
7,668,232
事務費
4,480,397
4,020,000
給
与
費
845,526
1,307,000
通
信
費
31,450
0
備
品
費
250,856
309,232
消 耗 品 費
191,000
300,000
渉
外
費
136,080
136,000
借 料 損 料
402,164
395,000
光 熱 水 費
407,361
272,000
役
務
費
38,430
29,000
手
数
料
908,250
900,000
ホ ー ム ペ ー ジ
1,620,602
1,802,000
会議費
240,660
374,000
総
会
費
1,209,682
1,245,000
役 員 会 費
123,360
133,000
旅
費
46,900
50,000
委 員 会 費
8,705,057
12,530,000
事業費
260,000
290,000
支部・クラス会補助費
1,577,730
1,440,000
学 生 補 助 費
2,030,000
3,000,000
学 術 研 究 助 成
3,219,720
3,000,000
会
報
費
134,022
300,000
写 真 展 費
538,075
500,000
慶
弔
費
0
0
パソコンソフト更 新
50,000
0
信州医学振興費
895,510
400,000
名 簿 作 成 費
0
2,000,000
備
費
雑 費 予
3,469,131
0
翌
年
度
繰
越
21,486,304
24,000,232
計
3月31日現在
項 目
基 本 金
計
84
備 考
増 減
0 平成25年度入会学
112名
△ 2,022,520 平成25年度以前入学
1名
退学による返金
1名
振込手数料
小 計
年会費
34名
会費合計
△ 491,408 分配金
△ 2,513,928
増 減
23,282
460,397
△ 461,474
31,450
△ 58,376
△ 109,000
80
7,164
135,361
9,430
8,250
△ 181,398
△ 133,340
△ 35,318
△ 9,640
△ 3,100
△ 3,824,943
△ 30,000
137,730
△ 970,000
219,720
△ 165,978
38,075
0
50,000
△ 3,104,490
△ 2,000,000
3,469,131
△ 2,513,928
名簿代
広告掲載料
信州医学会電気料
保険手数料
その他写真販売、利息等
雑収入合計
備 考
10,000
4,290,000
△ 840
4,299,160
クラス会・支部会補助費
(会報投稿料)
サークル活動費、国家試験対策費、クラスコンパ支援費、新入生歓迎冊子等
医学部助成金、
松医会賞、
奨励賞、
学会支援等
年2回発行会報代
病院内写真展示費
香典、
生花、
教授昇任祝等
平成25年度賛助会費
名簿作成資料印刷、
発送経費
858名
八十二銀行普通預金口座で管理
基本金内訳 大和証券
野村證券
計
増 減
△ 1,229,337
△ 1,229,337
80,936,513
21,183,110
102,119,623
(単位 円)
総会準備費、
懇親会経費、
ゴルフコンペ等
理事会食事代、
交通費、
タクシー代、
暑気払・忘年会経費
各支部会出席旅費
松医会賞審査会経費
平成25年度松医会決算書(基本金)
25年度予算額 25年度決算額
103,349,000
102,119,623
103,349,000
102,119,623
1,963,787
8,000
475,000
192,210
303,835
260,760
3,203,592
事務職員給与、
社会保険料、
源泉所得税等
会報送付、理事会・総会通知、電話料、弔電等、名簿作成資料送付代等
冷蔵庫
封筒、
コピー用紙、
ラベル用紙、
事務用文具類等
各支部会出席会費、
同総会連合会助成金等
カラー複写機リース代
電気使用料
カラーコピー複写代、
運送費、
清掃費等
銀行払込手数料
ホームページ更新経費
平成25年度 卒後25年経過会員会費納入状況
現金収納分
郵便振替
振込手数料
合
計
13,440,000
120,000
△100,000
△2,520
13,457,480
170,000
13,627,480
備 考
平成26年度松医会予算書(案)
(単位 円)
(収入の部)
項 目
繰越金 繰
越
会 費 会
25年度予算額 26年度予算額
金
4,655,232
3,469,131
費
15,650,000
14,570,000
雑収入 雑
入
収
計
3,695,000
4,950,000
24,000,232
22,989,131
(支出の部)
項 目
25年度予算額 26年度予算額
7,619,131
7,668,232
事務費
4,300,000
4,020,000
給
与
費
1,170,000
1,307,000
通
信
費
500,000
0
備
品
費
300,131
309,232
消 耗 品 費
300,000
300,000
渉
外
費
140,000
136,000
借 料 損 料
450,000
395,000
光 熱 水 費
420,000
272,000
役
務
費
39,000
29,000
手
数
料
0
900,000
ホ ー ム ペ ー ジ
1,780,000
1,802,000
会議費
300,000
374,000
総
会
費
1,300,000
1,245,000
役 員 会 費
130,000
133,000
旅
費
50,000
50,000
委 員 会 費
11,590,000
12,530,000
事業費
350,000
290,000
支部・クラス会補助費
1,600,000
1,440,000
学 生 補 助 費
2,800,000
3,000,000
学 術 研 究 助 成
3,400,000
3,000,000
会
報
費
170,000
300,000
写 真 展 費
600,000
500,000
慶
弔
費
600,000
0
パソコンソフト更 新
50,000
0
信州医学振興費
2,020,000
4,000,000
名 簿 作 成 費
2,000,000
2,000,000
備
費
雑 費 予
0
0
翌
年
度
繰
越
22,989,131
24,000,232
計
備 考
増 減
△ 1,186,101
△ 1,080,000 入会金及び会費
120名
年会費
34名
会費計
14,400,000
170,000
14,570,000
1,255,000 分配金
広告掲載料
信州医学会電気料
保険手数料
名簿代
その他写真販売、利息等
雑収入計
2,000,000
475,000
190,000
150,000
1,875,000
260,000
4,950,000
△ 1,011,101
増 減
△ 49,101
280,000
△ 137,000
500,000
△ 9,101
0
4,000
55,000
148,000
10,000
△ 900,000
△ 22,000
△ 74,000
55,000
△ 3,000
0
△ 940,000
60,000
160,000
△ 200,000
400,000
△ 130,000
100,000
600,000
50,000
△ 1,980,000
0
0
△ 1,011,101
備 考
(単位 円)
事務職員給与、
社会保険料、
源泉所得税等
会報送付、
理事会・総会通知、
電話料、
弔電等
パソコン更新経費
封筒、
コピー用紙、
ラベル用紙、
事務用文具類等
各支部会出席会費、
同窓会連合会助成金等
カラー複写機リース代
電気使用料
カラーコピー複写代、
運送費、
清掃費等
銀行払込手数料
総会準備費、
懇親会経費、
ゴルフコンペ等
理事会食事代、
交通費、
タクシー代、
暑気払・忘年会経費
各支部会出席旅費
松医会賞審査会経費
クラス会・支部会補助費
(会報投稿料)
サークル活動費、国家試験対策費、クラスコンパ支援費、新入生歓迎冊子等
医学部助成金、
松医会賞、
奨励賞、
学会支援等
年2回発行会報代
病院内写真展示費
香典、
生花、
教授昇任祝等
住所登録システム改修経費
平成26年度賛助会費
名簿印刷代、
名簿送付代
平成26年度 卒後25年経過会員寄附金(案)納入予定額
項 目
会費(寄附金)
計
項 目
基 本 金
計
25年度決算額 26年度予算額
4,299,160
4,299,160
4,299,160
4,299,160
増 減
0
0
備 考
860名分、
振込手数料を含む
平成26年度松医会予算(案)(基本金)
25年度決算額 26年度予算額
102,119,623
105,345,000
102,119,623
105,345,000
基本金内訳 大和証券
野村證券
計
増 減
3,225,377
3,225,377
80,936,513
21,183,110
102,119,623
備 考
85
86
会 則
第1章 総 則
第1条
本会は、信州大学医学部松医会という。
第2条
本会は、事務所を松本市旭3丁目1番
2.入会金及び会費の納入方法は、総会に
おいて決定する。
第7条
会員のうち、会費の20箇年分を前納
したものは、終身会員とする。
1号信州大学医学部内におく。
第8条
1.既納の会費は、原則としてこれを返還
第2章 目的及び事業
第3条
しない。
本会は、会員相互の親睦研修を図ると
2.ただし、学生会員の退学の場合、終身
ともに、信州大学医学部と連携を保ち
会費は返還し、入会金は返還しない。
母校の発展を期し、且つ後進の便宜を
第9条
会員が死亡したときは、退会とする。
はかるを目的とする。
第10条
会員が本会に対して著しい不都合が
あったときは、評議員会の決議を経て、
第4条
除名することができる。
本会は、前条の目的を達成するために
次の事業を行う。
第4章 役員及び職員
1.医学ならびに医術に関連する諸問題の
研究会などの開催
2.会員の親睦福祉に必要な事項
第11条
1.理事若干名(30名以内とする。会長
3.母校ならびに各教室の発展に要する物
心面での援助、協力
4.その他の前条の目的を達成するために
必要な事項
本会には次の役員をおく。
1名、副会長3名)
2.監事 2名
3.評議員 学級代表評議員 各1名
学内支部代表 5名
中信支部代表 若干名
第5条
第3章 会 員
その他の支部代表各1名、但
本会の会員は、次の通りとする。
し30名をこえる支部におい
ては2名
1.正会員 松本医学専門学校、松本医
科大学、信州大学医学部医学科及び信
州大学大学院医学研究科を卒業又は修
第12条
1.会長は、総会にて正会員中より選出す
る。
了した者
2.学生会員 信州大学医学部医学科及び
2.副会長は、会長が総会の承認を得て、
正会員中より指名する。
信州大学大学院医学研究科に在学中の
者
3.理事及び監事は、評議員会において互
選する。
3.特別会員 信州大学医学部医学科、現
職の教授、准教授、並びに講師及び理
第13条
り選出する。
事会で推薦した者
第14条
第6条
役員に欠員を生じた時は、2箇月以内
に選出を行う。
1.正会員及び学生会員は、入会金及び会
費を本会へ納めなければならない。
評議員は、各支部において正会員中よ
第15条
87
談に応ずる。
1.会長は、本会を代表し会務を統括する。
2.副会長は、会長を補佐し、会長事故あ
第6章 会 議
るときは会長があらかじめ指名した順
序によってその職務を代行する。
第16条
第24条
理事は理事会を組織しこの会則に定め
るもののほか、この総会の権限に属せ
しめられた事項以外のすべての事項を
会議は、総会、評議員会及び理事会と
する。
第25条
1.通常総会は、毎年1回、会計年度終了
議決しかつ執行する。
後2箇月以内に会長が召集する。
第17条
監事は民法第59条の職務を行う。
第18条
評議員は評議員会を組織し、この会則
めたとき、いつでも召集することがで
に定めるもののほか、理事会の諮問に
きる。
応じ重要事項を審議する。
2.臨時総会は、会長又は監事が必要と認
第26条
第19条
の者より、又は評議員会の決議により、
1.本会の役員の任期は、2年とし、再任
会議に附議すべき事項を示して、総会
は妨げない。
の招集を請求された場合には、その請
2.補欠による役員の任期は、前任者の残
求のあった日から1箇月以内に臨時総
任期間とする。
3.役員は任期が満了しても後任者が就任
会を招集しなければならない。
第27条
するまでは、なおその職務を行う。
第20条
会長は、正会員現在数の5分の1以上
本会の役員としてふさわしくない行為
総会の議長は、その都度出席正会員の
互選で定める。
第28条
総会の招集は、少なくとも10日前に
のあった場合、又は特別の事情のある
その会議に附議すべき事項、日時、場
場合には、その任期中であっても評議
所を記載した書面、又は本会の発行す
員会の決議により会長がこれを解任す
る機関誌により、会員に通知しなけれ
ることが出来る。
ばならない。但し10日の制限は、緊
第21条
急の場合にはこれを短縮することがで
1.本会の事務を処理するため書記等の職
員をおく。
2.職員は、理事会の議決を経て会長が任
免する。
3.職員は有給とする。
きる。
第29条
1.次の事項は、総会に提出して承認を受
けなければならない。
⑴ 事業計画及び収支予算
⑵ 事業報告及び収支決算
第22条
第5章 名誉会長及び顧問
⑶ 会則の変更
本会に名誉会長をおく、医学部長を推
⑷ 財産目録
挙する。
⑸ その他理事会で必要と認めた事項
2.前項の第1号の事項について、総会の
第23条
1.本会に顧問若干名をおくことができる。
招集が困難であるときは、評議員会に
2.顧問は、総会の議決を経て、会長が委
おいて決議することができるがこの場
嘱する。
3.顧問は、重要な事項について会長の相
88
合は次の総会においてその承認をうけ
なければならない。
第30条
もののほか、次の事項を附議する。
総会は評議員の10分の1以上及び出
席した正会員により成立する。
1.不動産の買い入れ及び運用財産中重要
な財産の処分。
第31条
1.総会の議事は、この会則に別段の定め
がある場合を除くほか、出席正会員の
過半数で決し、可否同数であるときは、
議長の決するところによる。
2.予算外の支出
3.その他重要な事項
第36条
1.理事会は、原則として毎月1回会長が
招集する。又会長が必要と認めたとき
2.総会の議事の要項及び議決した事項は、
はいつでも召集できる。
機関誌により会員に通知する。
2.会長は、理事現在数の2分の1以上か
第32条
1.評議員会は、毎年1回以上会長が招集
ら会議に附議すべき事項を示して理事
する。但し、会長が必要と認めたとき
会の招集を請求された場合には、その
はいつでもこれを召集することができ
請求のあった日から7日以内に招集し
る。
なければならない。
2.会長は、評議員3分の1以上から会議
に附議すべき事項を示して評議員会の
3.理事会の議長は、会長とする。
4.理事会の招集は、少なくとも5日前に、
招集を請求された場合には、すみやか
その会議に附議すべき事項、日時、場
に召集しなければならない。
所等を記載した書面により直接理事に
通知しなければならない。但し、緊急
3.評議員会の招集は第28条を準用する、
の場合はこの限りではない。
この場合には、同条中「総会」及び
「会員」とあるのは、「評議員会」及
5.理事会の議事は、出席理事の過半数で
決する。
び「評議員」とそれぞれ読みかえるも
のとする。
第33条
第37条
理事会は、総会及び評議員会の決議す
評議員会の議長は、そのつど出席評議
る事項以外のすべての事項について議
員の互選で決める。
決し、且つ会務を執行する。
第38条
第34条
すべての会議には議事録を作成し、こ
れを保存する。
1.評議員会は、評議員現在数の10分の
1以上が出席しなければ開くことがで
第7章 支 部
きない。但し、出席できない評議員は
委任状を提出することができる。この
第39条
場合には、あらかじめ通知のあった事
項についてこれを出席とみなす。
できる。
第40条
2.各支部は評議員に事故あるときは、正
各支部は支部規約を定め、各支部会員
名簿を作成し、本部に提出するものと
会員たる代理者を出席させることがで
する。
きる。この代理者は、その評議員会に
第41条
各支部は支部長及び支部役員をおく。
評議員の資格をもつものとする。
第42条
支部長は支部を代表し、本会の目的達
3.評議員会の議事は、出席評議員の過半
成に協力し、支部在住会員の親睦を図
数で決する。
第35条
本会は各地域に、支部を設けることが
評議員会には、この会則に別に定める
り、且つ本部との連絡を密接にする。
第43条
支部の会計は、本部会計とは別に支部
89
なければならない。事業計画及び収支
毎これを定める。
予算を変更した場合も同様とする。
第8章 資産及び会計
第44条
本会の資産は次のとおりとする。
第50条
1.本会の収支決算は、毎会計年度終了後
2箇月以内に会長が作成し、財産目録、
1.本会設立当初から継承した別紙財産目
事業報告書及び会員の移動状況書とと
録記載のもの
2.入会金及び会費
もに監事の意見をつけ、理事会及び総
3.事業に伴う収入
会の承認を受けなければならない。
4.資産から生ずる果実
2.本会の収支決算に余剰金があるときは、
5.寄附金品
理事会の議決及び評議員会、総会の承
6.その他の収入
認を受けて、その一部もしくは全部を
基本財産に編入し、又は翌年度に繰越
第45条
すものとする。
1.本会資産を分けて、基本財産および運
用財産の2種とする。
第51条
2.基本財産は、別紙財産目録のうち基本
1.収支予算で定めるものを除く他、新た
財産の部に記載する資産及び将来基本
に義務の負担をし、又は、権利の放棄
財産に編入される資産で構成する。
をしようとするときは、理事会、評議
員会及び総会の議決を経なければなら
3.運用財産は、基本財産以外の資産とす
ない。
る。
4.寄附金品であって寄附者の指定あるも
第46条
2.借入金(その会計年度内の収入をもっ
のは、その指示に従う。
て償還する、一時借入金を除く)につ
本会の基本財産のうち現金は、理事会
いても同様とする。
の議決によって確実な有価証券を購入
第52条
本年の会計年度は毎年4月1日に始ま
り翌年3月31日に終わる。
するか、定期預金とするか、確実な信
託銀行に信託するか、又は、定期郵便
第9章 会則の変更並びに解散
貯金として会長が保管する。
第47条
基本財産は、消費し又は担保に供して
会においておのおのの出席者の3分の
やむを得ない理由があるときは、理事
2以上の議決を経なければ変更するこ
会、評議員会及び総会の決議を経、そ
とができない。
90
第54条
本会の解散は、理事会、評議員会及び
ることができる。
総会において、おのおのの出席者の4
本会の事業遂行に要する費用は、入会
分の3以上の議決を経なければならな
金、会費、事業に伴う収入及び資産か
い。
ら生ずる果実等の運用財産をもって支
第49条
この会則は、理事会、評議員会及び総
はならない。但し、本会の事業遂行上
の1部に限り処分し、又は担保に供す
第48条
第53条
第55条
本会の解散に伴う残余財産は、理事会、
弁する。
評議員会及び総会においておのおのの
本会の事業計画及びこれに伴う収支予
出席者の4分の3以上の議決を経て本
算は、毎会計年度開始前に会長が編成
会の目的に類似の目的をもつ公益事業
し理事会の議決及び総会の承認を受け
に寄附するものとする。
第56条
第10章 補 則
附 則 昭和40年8月21日 施行
この会則施行についての細則は、理事
平成9年5月17日 改定
会、評議員会および総会の議決をもっ
平成19年5月19日 改定
て別に定める。
平成25年5月18日 改定
平成26年5月17日 改定
信州大学医学部松医会会費納入規程
第1条 1.本会費納入規程は、信州大学医学部
松医会会則第56条の定めるところにより設
ける。
入する。
第4条 傷病のため長期休業中あるいは休学中の
会員であって、会費の納入が著しく困難であ
2.この規程は、信州大学医学部松医会の正会
ると認められる会員に対しては、本人の申請
員及び学生会員の会費の納入に関する事項を
により、理事会の議決を経て、会費を減免す
定めたものである。
ることができる。
第2条 正会員及び学生会員の会費は、5,000円
とし、入会金は20,000円とする。
第5条 会会費は本会の指定するゆうちょ銀行の
払込取扱票により納入するものとする。
第3条 会費納入は、次のとおりとする。
1.学生会員は年会費の20箇年分を終身会費
として、一括して、入学の際に納入する。
附 則
本規程は、平成25年5月18日から施行する。
2.終身会員で卒後25年に達した者には、本
本規程は、平成26年5月17日から施行する。
会の発展、後進の育成等の寄与を期待し、毎
本規程は、総会の議を経て変更することがで
年会費相当の寄附金の納入を願うものとする。
きる。
3.第1項に該当しない場合は、毎年会費を納
91
1.報告事項
働きかけをしています。施設やカリキュラムに
1)中川庶務担当理事から遅れていた名簿の発
関する要求・要望が多く、それらはやはり学生の
送が6月中に発送できることになった報告
力だけでは対処することが難しいため、大学との
があった。
連携が必要不可欠となります。そのため学生会で
2)駒津学術担当理事から松医会賞及び奨励賞
別受賞者の報告があった。
は毎年大学と懇談の場を設け交渉を行っていま
す。昨年度の懇談会は3月に行われ、60分講義の
内容改善や医学部図書館の設備の充実化などを求
1.学生会員代表挨拶
め交渉しました。その結果各講座および教員に対
する60分講義への徹底・改善や医学部図書館の
信州大学医学部医学科5年 春日一希
昨年度より学生会会長
無線LAN設置などが実現可能となりました。ま
を務めております、信州
た昨年度より学生会の代表が医学部教育センター
大学医学部医学科5年の春
会議に出席できることとなり、カリキュラムや制
日と申します。本日は松
度に関して学生の意見を述べる場が生まれたこと
医会総会に出席させてい
で、さらなる学生生活の質の向上が期待されます。
ただきありがとうござい
このように学生の要望が具体的な形としてあらわ
ます。医学部の学生を代
れつつあることには、松医会の皆様や医学教育セ
表いたしまして一言挨拶を述べさせていただきま
ンターの先生方、そして学務の職員の方々のご支
す。
援があればこそのものであり非常に感謝しており
信州大学医学部松医会の皆様には、平素より医
ます。
学部学生の教育に対しご支援を賜り、深く感謝し
続きまして、松医会の皆様からの援助金につい
ております。近年では臨床講堂の新設を援助して
て感謝の意を述べさせていただきます。松医会の
いただいたことで、私たちはより良い学習環境の
皆様からは毎年多大な支援を受けており、国試対
もと講義を受けることができています。学生の勉
策やサークル支援の費用として援助金を活用して
学に対する意識というものは学習環境に左右され
います。そのご支援により、6年生は模擬試験の
る面も少なくないと考えられます。そのため、こ
受験ができるようになり、各サークルにつきまし
のような快適な学習環境の整備ということが課題
ても備品の整備が行き届くようになりました。学
に挙げられます。私たち医学部学生会ではそのよ
生の中には高価な参考書や学費のために生活をき
うな課題に対する活動を主に行っています。ここ
りつめている者も少なくないため、この援助金に
で簡単に私たち学生会の取り組みの様子を紹介さ
は本当に感謝しております。ただ残念なことにこ
せていただきます。
の状況を当たり前に感じている学生がいることも
医学部学生会は医学科の一年生から六年生まで
事実としてあり、援助金をいただけることが当然
の全ての学生が所属する組織であり、学生生活を
であるかのような身勝手な言い分を耳にされるこ
より快適にすることを目標とし活動しています。
とがあったかもしれません。今後そのような気持
日々の活動といたしまして、まず学生から様々な
ちを持つ学生がいなくなるよう学生会として周知
要望を聞き出すためにアンケート調査を行ってい
徹底していく所存ですので、学生を代表いたしま
ます。そのアンケートから浮き彫りとなった問題
して今後ともご支援の程どうかよろしくお願いい
点や課題に対して現状を把握し、早急に対処でき
たします。援助金だけでなく、私たち医学生が将
るものに対しては学生委員が対応にあたり、大き
来立派な医療者を目指し勉学に励み学生生活を送
な問題に対しては大学側と交渉し解決できるよう
る様子を暖かく見守ってくださればと思っており
92
ます。簡単ではございますが、以上を学生代表の
議長より、以上をもちまして平成26年度信州
挨拶とかえさせていただきます。ご清聴ありがと
大学医学部松医会評議員会・総会の議事および報
うございました。
告事項がすべて終了したことが報告され、大橋副
会長より閉会の挨拶があった。
松医会賞および松医会奨励賞 選考委員会
松医会副会長 駒津 光久(信32)
平成26年2月4日
最初に、各賞の選考規
しかし、規定を当てはめると、今回の受賞は
定を確認した。その後、
発表年が2011年または2012年であることが条件
松医会賞候補論文2編に
になるが、前嶋論文は2013年の発表であること
かんして、1編ずつ各委
が問題となった。過去の事例を再確認することに
員の講評を述べていただ
なったが、この議論に間違いがなければ、本年度
き、審査を行った。
は吉澤論文が受賞対象となる。なお、前嶋論文は
吉澤論文は、肺腺癌の
学術的には極めて価値が高く、申請者に事情を説
組織学的な新たな分類を提唱しており、臨床論文
明して、異論がなければ、現申請書を来年度に検
として極めて評価できるとの総意を得た。すで
討することが提案され、全委員が同意した。
に141回の引用がされていることからも、学術的
インパクトの高さがわかる。一方、前嶋論文は
次に、松医会奨励賞の対象論文1編について審
Nature Medicineのarticleとして掲載されおり、学
議した。竹澤論文は、成人と胎児の薬物代謝酵素
術的なインパクトは極めて高い。心筋細胞におけ
の制御機構の違いを適切な実験方法を用いて明ら
るオートファジーの新規分子機構を解明したとと
かにしており、学術的価値が高いと判断された。
もに、いままでの学術活動の高さも秀逸である。
また、学内で研究が遂行されていたことも評価さ
したがって、両論文とも臨床研究と基礎研究の
れた。したがって、竹澤論文に松医会奨励賞を授
違いはあるが、十分に松医会賞に値すると全委員
与することで、全委員の意見が一致した。評価
の意見が一致した。それぞれの論文に対する、評
シートによる総得点は、85点満点で70点であっ
価シートによる総得点は、85点満点で吉澤論文
た。
63点、前嶋論文66点であった。
(文責:駒津光久)
93
松医会賞および松医会奨励賞授賞式
松医会賞が医学部病態解析診断学講座吉澤 明
彦先生(信43)、奨励賞が医学部附属病院薬剤
部竹澤 崇先生の論文に対して薄井副会長より授
平成25年度松医会賞受賞論文
吉澤 明彦(本学平成9年卒業)
信州大学医学部病態解析診断学講座
論文題名:Impact of proposed IASLC/ATS/ERS
classification of lung adenocarcinoma :
prognosticsubgroups and implications
for further revision of staging based on
analysis of 514 atage I cases
発表誌名:Modern Pathology
24巻、5号 653頁~664頁、2011年
平成25年度松医会奨励賞受賞論文
竹澤 崇(星薬科大学平成17年卒業)
信州大学医学部附属病院 薬剤部
論文題名:Luwer expression of HNF4α and
PGC1α might impair rifampicinmediated CYP3A4 induction under
conditions where PXR overepressed in
human fetal liver cells.
発表誌名:Drug Metabolism and
Pharmacokinetics
27巻、4号、430頁~438頁、2012年
94
与された。
その後同じ会場で、吉澤先生、竹澤先生の受賞
講演に活発な討論が行われて会は終了した。
松医会賞受賞論文報告
臨床検査部 吉澤 明彦(信43)
はじめに
されていました
が、重篤な肺線維
この度は伝統ある松医会賞をいただき、大変光
症にて亡くなる方
栄に思っております。私は1997年本学を卒業し、
が多発し、その使
1999年より信州大学医学部附属病院臨床検査部
用は実質的に制限されました。この傾向は世界的
にて勝山努教授のもと、診断病理の研修を始めま
にもひろがり、EGFR変異肺腺癌患者に対する大
した。病理専門医取得後、さらに診断病理の技術
規模前向き試験にてその有効性が証明されるまで、
を向上させたいと思っていたところ、2004年に
その使用は制限されることになります。この間、
京都大学医学部附属病院、2006年に米国ニュー
2007年にはALK肺癌が本邦自治医大グループよ
ヨーク市にあります、Memorial Sloan-Kettering
り報告されます。そして2012年には同癒合遺伝
Cancer Center(MSKCC)にて勉強する機会を得
子から作られるキメラ蛋白を特異的に阻害する分
ました。MSKCCでは肺病理で世界的にご高名な
子標的薬(ザーコリ:crizotinib)が有効である
William D. Travis先生と出会い、肺腺癌の病理組
ことが示され、2013年には本邦において臨床応
織学的な検討を行うことになりました。本論文は
用されるに至ります。いずれも肺癌のなかでも組
当時、同センターにて、私が検討した内容になり
織型としては腺癌でした。こういった経緯により、
ます。詳細は、信州医学雑誌第62巻2号に、他
肺腺癌はこの10年で治療方針が大きく変わりつ
の要項も含め掲載してありますので、本稿では、
つある癌となりました。
その内容をかいつまんで述べさせていただけたら
組織学的に肺の腺癌は非常に多彩な細胞形態、
構造異型を示し、多数の亜型を有しています。し
と思います。
かしながらその組織亜型よって、予後が推測でき
研究背景
たり、治療に直結する特異的な所見が得られるこ
とはあまりありませんでした。時代はさかのぼり
原発性肺癌は世界的にも罹患率、死亡率ともに
ますが、1995年、現在の筑波大学野口雅之教授
極めて高い肺の悪性上皮性腫瘍で、本邦でも年間
らから、肺胞置換性に増殖する肺腺癌は5年生存
7万人を超える方が亡くなられています。これま
率100%を示すことがCancer誌に発表され、世界
で原発性肺癌は治療的観点から非小細胞癌と小細
を驚かせました。この論文が基本となり、1999
胞癌に分類されてきました。非小細胞癌のうち、
年、世界保健機構(WHO)の肺腺癌の組織亜型
最も多くかつ近年増加傾向にあり、また遺伝子変
の改訂が行われ、現在ではその改訂版であるとこ
異に関連した特異的治療が注目されているのが肺
ろの2004年の組織分類が最新の亜分類として認
腺癌です。
知されています。しかしながら、このWHO分類
2004年、上皮成長因子受容体(EGFR)に変
にも多数の問題点が指摘されており、少々詳細な
異のある肺癌において特異的なチロシンキナー
記載にはなりますが、以下にその問題点をあげて
ゼ拮抗薬(TKI)が著効することが報告されまし
みたいと思います。
た。本邦では、それに先立つこと2002年よりTKI
1 細気管支肺胞上皮癌(bronchioloalveolar
であるところのイレッサ(gefitinib)が臨床応用
carcinoma: BAC)の認識
95
BACは既存の肺胞上皮を置換するように一層
の腫瘍細胞が増殖する腫瘍です(これを近年は
研究方法と結果
lepidic patternといいます)。BACは前述のごと
検討方法を以下に示します。MSKCCにて外科
く1999年刊行の第3版のWHO分類から非浸潤
的に切除されたリンパ節転移のない514例の原発
癌として扱われていましたが、その言葉自体は
性肺腺癌(Stage I)を対象に、病理組織学的に
WHO分類第1版から存在し、世界的には、野口
以下の様々な組織学的観点から検討し直す作業を
教授らの報告にあるような5年生存率100%の小
行いました。たびたび述べてきている様に肺の腺
型腫瘍だけでなく、予後不良な浸潤癌にまで広
癌はその構造がきわめて多彩です。その代表とな
汎に用いられており、混乱のもとになっていま
るのは、肺胞置換型増殖様式(lepidic pattern)、
した。
腺房様増殖様式(acinar pattern)、乳頭状増殖様
2 微小浸潤癌(minimally invasive
式(papillary pattern)、充実型増殖様式(solid
adenocarcinoma)の存在
非浸潤癌と浸潤癌の間に生物学的にその中間
pattern)であり、2002年以降報告が続いた微小
乳頭状増殖様式(micropapillary pattern)を加え、
的な腫瘍が存在することが、野口教授らの報告
一つの腫瘍内でのその比率を算出しました。同時
以来、特に日本から多くの報告がなされていま
に、リンパ管侵襲、静脈侵襲、胸膜浸潤などあら
す。しかしその定義や意義は定まっていません
ゆる予後との相関が予想される組織学的因子も検
でした。
討しました。更に、予後推定に重要な組織学的因
3 混合型腺癌(adenocarcinoma, mixed
子として浸潤の程度(浸潤距離)も検討に入れま
subtype)の問題
した。この浸潤の程度に関しては、肺という臓器
前述したごとく、肺腺癌は構造的多彩性に富
の特色で、非常に判断が困難でしたが、我々は、
み、一つの腫瘍内に多くの形態像が見られます。
非浸潤癌として認識されていたlepidic patternの
本亜分類はWHO分類3版から登場していますが、
部位以外を浸潤部として算出することにしました。
現在多くの肺腺癌がこの腫瘍に入れられてしま
結果としては、lepidic patternのみのもの、
い、分類としての意味をなさなくなっています。
lepidic patternに加えて5mm以下の浸潤を示すも
4 微小乳頭状腺癌(micropapillary
のは全体の1.8%と少数ではありましたが、いず
adenocarcinoma)の取り扱い
れも5年生存率が100%であることがわかりまし
乳癌など他の臓器で報告の続いた微小乳頭状
た。これは、前述した野口論文の報告を証明した
腺癌が、肺腺癌にも存在し、リンパ節転移と相
ものでしたが、対象例の多くを占める浸潤癌にお
関し、予後不良な亜型である可能性があるとし
いて、solid patternおよびmicropapillary pattern優
て2002年報告されました。以降多数の報告がな
位な癌はStage Iでありながらその3割が再発して
されてきましたが、現行の肺腺癌の組織亜型と
いることを発見しました。また、acinar pattern
して、これに相当する項目はありません。
あるいはpapillary patternの優位な癌はその中間
以上の問題点を念頭に、新しい組織亜型を提
起すべく挑んだのが今回の論文です。
的なグループであることも示されました。これ
らの結果は、2011年にInternational Association
for the Study of Lung Cancer(IASLC)、the
American Thoracic Society(ATS)およびthe
European Respiratory Society(ERS)が合同で
発表した、新たな肺腺癌の組織亜分類(IASLC/
ATS/ERS分類)を後押しする形となり、現在改
96
訂中の新WHO分類に採用が予定されています。
今後の展望
その後私は、日本人を対象とし、同組織亜型分
類の有用性およびEGFR遺伝子変異、KRAS遺伝
子変異との関係性を示した論文を発表しました
(Yoshizawa, et al. Journal of Thoracic Oncology
2013)。その論文では今回検討した肺腺癌の組
織亜型が、同遺伝子変異とも相関する結果が得ら
れ、生物学的動態のみならず治療にも役立つ分類
であるという確信が持てました。
現在肺癌は、他の悪性腫瘍同様、遺伝子変異を
基盤とした治療が注目を集めています。しかしな
がら本研究で行ったような、形態学的検討も今後
も色あせず重要であることを信じ、外科病理医と
して、また研鑽を積んでいきたいと考えておりま
す。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお
願い申し上げます。
97
松医会奨励賞受賞論文報告
Lower expression of HNF4α and PGC1α might impair rifampicin-mediated CYP3A4
induction under conditions where PXR overexpressed in human fetal liver cells.
信州大学医学部附属病院 薬剤部 竹澤 崇
この度は伝統ある松医会の松医会奨励賞という
(PXR)のアゴ
大変光栄な賞をいただきありがとうございます。
ニストであり、ヒ
選考委員の先生方ならびに松医会の先生方に厚く
ト成人肝細胞に
御礼申し上げます。
おいてCYP3A4
私は、薬剤師として医療に関わっており、新規
の強力な誘導剤
医薬品を通じ医療の進歩を実感していますが、医
であるリファン
薬品をより有効かつ安全に使用するための情報は
ピシン(RIF)
まだまだ十分ではありません。なかでも妊婦に薬
では全く誘導さ
物を投与した際の胎児への影響についての情報は
れないことを明らかにしている。その原因とし
乏しいのが現状です。本研究では胎児への薬物の
て、PXR mRNAが検出されなかったことから、
影響を検討するモデルと成り得るヒトの胎児の肝
HFL細胞ではPXRの発現が極めて低いか未発現
細胞を用いて、胎児の薬物代謝酵素の発現に及ぼ
状態であることが推察された(Maruyama et al,
す薬物の影響について検討を行いました。以下に
Biol Pharm Bull 30:2091-2097, 2007)。本研究は、
その要旨を掲載させていただきます。
HFL細胞においてCYP3A4がRIFによって誘導さ
れない原因がPXRの低発現のみにあるのかを明
目 的
らかにするため、HFL細胞にPXRを過剰発現し
た場合のCYP3As誘導におよぼす影響について検
妊婦に対して薬物療法を行う場合、薬物が胎児
討した。また、RIFによるCYP3Asの誘導に関与
に与える影響の有無を予測することは重要である
すると考えられる転写調節因子の発現量について
が、薬物の胎児への影響を臨床試験で検討する事
HFL細胞、HepG2細胞、ヒト成人肝臓で比較検
は倫理的に不可能であり、実験動物による毒性試
討した。
験等で代替されている。しかし、薬物代謝酵素の
発現量や性質には種差が存在するため、酵素誘導
や阻害、催奇形性の予測は動物実験のみでは不十
方 法
分である。したがって、ヒト胎児に対する薬物の
HFL細胞は、米国Applied Cell Biology
影響を予測し得る系の確立が必要である。その一
Research Institute社より研究用に取得されたヒト
つとして、ヒト胎児肝細胞(HFL細胞)を用い
胎児初代肝細胞(胎齢約13週、6胎児肝混合)
る試験モデルが有用と考えられるが、ヒト胎児由
を用い、HFL細胞の比較対象としてヒト肝癌由
来の培養細胞を用いた薬物代謝研究はほとんど行
来のHepG2細胞をポジティブコントロールとし
われていない。Matsunagaら(Biochem Biophys
て使用した。PXRの遺伝子導入はアデノウイル
Res Commun 318:428-434, 2004)は、HFL細胞
スベクターを用いて行った。薬物によるCYP3As
のCYP3A4はデキサメタゾンにより強く誘導さ
の誘導はリアルタイムRT-PCRおよびレポーター
れるのに対し、核内受容体pregnane X receptor
ジーンアッセイにて、核内受容体および転写因子
98
の発現量はRT-PCRを用いて解析した。
いことから、PXRの低発現だけではなく、HNF4
αおよびPGC1αの発現量の低下がPXR過剰発現
結 果
HFL細胞におけるRIFのCYP3A4誘導を阻害して
いる可能性が示唆された。
HepG2細胞ではPXRアゴニストによるCYP3A4
この知見は、成人と胎児の誘導剤に対する
mRNAの発現量の顕著な増加が確認され、PXR
CYP3A4の応答性の相違を示しており、胎児への
過剰発現によりさらに発現量は増加した。一方、
薬物の影響を予測しうる系の確立に貢献するもの
HFL細胞ではデキサメタゾン以外のPXRアゴニ
と考える。
ストによるCYP3Asの誘導は認められず、PXR過
本賞受賞にあたり、研究の指導を賜りました大
剰発現条件下においては、誘導は認められたも
森 栄先生(信州大学医学部附属病院 薬剤部 教
ののその程度はHepG2細胞に比べ明らかに小さ
授・薬剤部長)、松永 民秀先生(名古屋市立大
かった。レポータージーンアッセイでも、HFL
学薬学部 教授)に厚く御礼申し上げます。
細胞ではPXR過剰発現条件下でのRIFによる
CYP3A4転写活性の増加はHepG2細胞に比べ小
さいものであった。HFL細胞におけるPXRの低
発現がRIFでCYP3A4が誘導されない原因である
と推察してきたが、PXR以外の他の因子もRIFに
よる誘導に関与していることが推察された。そ
こで、CYP3A4の転写活性に関与するコアクチ
ベーターとコリプレッサーのmRNAの発現量を
HFL細胞、HepG2細胞および成人の肝臓と比
較した。その結果、HFL細胞ではコアクチベー
ターであるhepatocyte nuclear factor 4α(HNF4
α)、peroxisome proliferator activated receptor
γ coactivator 1α(PGC1α)がHepG2細胞およ
び成人の肝臓と比べ、発現量が低いことが明らか
になった。さらにHNF4αとPGC1αによって発
現が調節されている遺伝子ApoCIIIおよびPEPCK
の発現は、HFL細胞においてRT-PCRで検出限界
以下であった。
考 察
PXR過剰発現条件においてRIFによるCYP3A4
の誘導が認められたことから、PXRの低発現が
RIFでCYP3A4が誘導されない原因であること
が明らかになった。しかし、HFL細胞にPXR
を過剰発現した条件下においても、RIFによる
CYP3A4の誘導はHepG2細胞に比べ明らかに小さ
99
懇親会
前年同様医学部室内楽団11名の学生による絶
終了後恒例の懇親会が附属病院外来等5階レス
妙な調べに包まれて楽しい語らいは尽きなかった。
トラン「ソレイユ」で開催され、中川理事の司会
最後に室内楽団の演奏に合わせて思誠寮寮歌
により、乾杯の音頭を兼ねて副会長の駒津理事の
「春寂寥」を全員で合唱して盛会のうちに終了し
挨拶があった。
た。
100
第43回松医会ゴルフコンペ 報告
松田 國昭(信11)
総会翌日の26年5月18日、五月晴れの下、松
本カントリークラブで行われました。
参加者
小崎 真歩(1年生) 品川 希帆(1年生)
12名の参加者でちょっとさみしい感じでした
木下 竜一(2年生) 中嶋 純一(信2)
が、新入生の2名、2年生の1名の学生が参加し
窪田 貞喜(信4) 宮坂 雄平(信5)
楽しい一日でした。学生さんの礼儀の良さに先生
石田 康雄(信6) 廣瀬 義明(信6)
方は感心されていました。又、孫より若い方とゴ
関 龍幸(信11) 松田 國昭(信11)
ルフを一緒にすることができたと話す方も居まし
柳沢 温(信11) 京島 和彦(信18)
た。
敬称略
次回も又、5月の第三日曜日に開催の予定です。
大勢の方の参加をお待ちしております。
(石曽根幹事が急用のため松田が代行、柳沢先生
は練習のため写真に間に合いませんでした)
101
信州大学医学部医学科 第60回卒業生名簿
氏 名
新 井 康 祐
池 原 智 彦
和 泉 真
井 樋 創
伊 東 毅
井 町 賢 三
井 本 早穂子
上 野 圭 祐
鵜 澤 正 寛
内 田 晃 司
内 田 宗一郎
内 村 真 介
宇 野 博 人
大 岩 秀 明
大 塲 純
大 屋 大
岡 本 敏 幸
奥 村 裕 士
小 澤 亮 太
加賀美 慧 帆
加 古 里 子
片 岡 将 宏
加 藤 雄 大
金 井 亮 憲
金 子 ひより
川 口 弘 子
北 島 浩 平
北 浜 卓 実
北 原 拓 哉
倉 澤 幸 史
倉 島 侑 希
黒 住 尭 巨
古 賀 玲 奈
小 島 怜 子
小 林 和 之
小 林 雅 和
齊 藤 圭 介
齊 藤 孝 昌
齊 藤 真 規
提 坂 浩 之
佐 藤 雄 紀
佐 渡 智 光
佐 渡 怜 子
塩 﨑 政 史
繁 永 大 輔
清 水 純
志 水 利 之
白 井 エリオ
杉 田 健 一
鈴 木 聡一郎
102
卒業後の進路
青梅市立総合病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
国立病院機構東京医療センター
国立国際医療研究センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
公立陶生病院(愛知県)
愛知県厚生連江南厚生病院
江戸川病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
東京医科歯科大学医学部附属病院
長野赤十字病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
篠ノ井総合病院
飯田市立病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
横浜市立大学附属市民総合医療センター
国立病院機構千葉医療センター
長野赤十字病院
八戸市民病院
篠ノ井総合病院
長野中央病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
長野赤十字病院
岡山済生会総合病院
大阪大学医学部附属病院
佐久総合病院
国立国際医療研究センター
自治医科大学附属病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
前橋赤十字病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
長野赤十字病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
横浜市立大学附属病院
長野市民病院
飯田市立病院
長野市民病院
長野市民病院
まつもと医療センター松本病院
国立国際医療研究センター
氏 名
髙 畑 周 吾
髙 柳 佑 輔
竹 内 博 紀
竹 田 裕
竹 中 裕 史
田 中 気 宇
玉 城 良
玉 田 恒
土 橋 皓 展
手 塚 一 秀
東 條 龍 之 介
當 銘 玲 央
鳥 山 義 郷
長 尾 哲 也
中 嶋 優 太
中 西 優 樹
中 野 祐 太
中 原 亜 紗
長 峰 広 平
中 村 篤 史
成 田 智 晴
野 中 智 文
野 村 俊
林 邉 廉
原 憲 司
原 大 地
平 岡 祐
廣 田 周 子
藤 森 美 音
星 野 優 美
堀 莉 彩
松 周 治
松 田 正 樹
三 浦 治 己
水 野 伸 彦
三 股 政 英
三 村 隆 文
宮 坂 祐 輔
宮 澤 祐 樹
宮 下 尚 輝
宮下(有馬)結実子
三 輪 剛 士
百 瀬 瑞 季
山 下 裕 騎
山 中 美 和
山 村 薫 平
横 川 裕 亮
渡 邊 築
渡 邉 久美子
卒業後の進路
千葉労災病院
札幌東徳州会病院
篠ノ井総合病院
大垣市民病院
国保旭中央病院(千葉県)
八雲総合病院(北海道)
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
刈谷豊田総合病院
埼玉社会保険病院
社会医療法人愛仁会高槻病院
琉球大学附属病院
国立国際医療研究センター
東北大学属病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
相澤病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
長野赤十字病院
石巻赤十字病院
長野市民病院
国保松戸市立病院
長野赤十字病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
長野赤十字病院
横浜市立大学附属病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
市立甲府病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
国立病院機構まつもと医療センター
九州中央病院
卒後臨床研修センター
深谷赤十字病院
信州上田医療センター
津島市民病院
洛和会音羽病院
信州大学医学部附属病院卒後臨床研修センター
東京都立多摩総合医療センター
名鉄病院
関西労災病院
飯田市立病院
水戸済生会総合病院
平成26年度 信州大学医学部医学科 入学者名簿
氏 名
青 井 裕一郎
青 木 文 哉
麻相田 卓 雄
荒 井 竜
新 畑 里 咲
有 田 康
石 井 智 大
市 川 喜 理
市 原 和 樹
伊 藤 黄
伊 藤 国 秋
伊 藤 博 貴
伊 東 優 衣
稲 垣 雄一郎
茨 木 智 子
岩 橋 拓 道
上 野 匠
牛 丸 遥 香
臼 井 朝 美
内 田 翔 太
梅 原 舞
大久保 絢 香
岡 隼 輔
岡 沢 優 志
岡 田 真 典
小 口 祐 一
掛 川 恭 吾
片 野 良 香
加 藤 あかね
加 藤 尚 樹
金井田 れ な
金 子 海 渡
川 上 ちひろ
川 上 陽 也
菊 池 洋 大
古 泉 啓 介
河 野 絵理子
小 島 祥 文
小 林 周 平
小 林 聡一郎
小 林 千 夏
小 林 若 葉
小 堀 ほたる
駒 場 渉
紺 谷 利 沙
齋 藤 和 紗
佐 藤 渉
澤 﨑 恵 未
柴 﨑 由佳子
渋 谷 卓 生
島 村 光
清 水 駿之介
下 里 光
下山田 多 恵
邢 明 彦
杉 浦 宏 尚
杉 山 梓
鈴 木 毅
鈴 木 裕美子
関 根 寛 子
出 身 高 校
浅野高等学校
松本県ケ丘高等学校
屋代高等学校
横浜翠嵐高等学校
菊里高等学校
岡山白陵高等学校
佐久長聖高等学校
高松高等学校
伊那北高等学校
松本深志高等学校
沼津東高等学校
長野日本大学高等学校
灘高等学校
渋谷教育学園渋谷高等学校
智辯学園和歌山高等学校
桐蔭高等学校
松本深志高等学校
女子学院高等学校
広島大学附属高等学校
旭丘高等学校
佐久長聖高等学校
早稲田高等学校
松本深志高等学校
東海高等学校
諏訪清陵高等学校
伊那北高等学校
桜蔭高等学校
旭丘高等学校
早稲田高等学校
札幌南高等学校
諏訪清陵高等学校
普連土学園高等学校
松本深志高等学校
浅野高等学校
巣鴨高等学校
長野高等学校
浅野高等学校
野沢北高等学校
伊那北高等学校
駿台甲府高等学校
栃木女子高等学校
宇都宮高等学校
松本深志高等学校
藤枝東高等学校
東京大学教育学部附属高等学校
白百合学園高等学校
桜蔭高等学校
新潟高等学校
海城高等学校
岡山高等学校
横浜翠嵐高等学校
豊島岡女子学園高等学校
穎明館高等学校
東海高等学校
上田高等学校
柏陽高等学校
桜蔭高等学校
学習院女子高等科
氏 名
園 部 真 也
高 藤 洸 毅
高 林 謙 之
武 市 哲
武 田 壮 司
竹 中 雄 祐
田 中 愛 香
田 中 耕太郎
田 中 良 昌
田 邉 知 佳
谷 理 香
田 畑 遼
近 澤 優 太
千 村 純
辻 野 亮
手 計 勇 哉
傳 田 桃 子
冨 岡 哲 也
内 藤 信太郎
中 島 啓 吾
中 條 薫 子
西 村 紀 子
西 本 篤 史
野 上 豊
能 口 待 子
野 村 真 希
馬 場 琴 子
樋 口 昴
菱 川 峻
福 澤 耕 介
藤 田 楓
藤 田 賢 吾
堀 口 竜 也
堀 谷 勇 介
堀 部 祐 真
前 田 倭 空
増 井 智 基
松 土 光 祐
丸 山 祐 輝
三 田 隼太郎
米 良 健 輝
栁 澤 香 月
山 形 理 恵
山 口 夏 希
山 田 崇 仁
山 中 詩 織
山 本 健 太
横 山 美 咲
吉 兼 茅 穂
吉 澤 智 也
吉 田 恭 義
吉 田 倫 將
吉 村 有 彩
吉 村 宗 士
吉 村 智 樹
吉 村 雅 衣
芳 村 理 紗
吉 盛 太 朗
渡 邉 みのり
渡 邉 由 奈
出 身 高 校
七尾高等学校
関西創価高等学校
佐久長聖高等学校
海城高等学校
高田高等学校
富山中部高等学校
高校卒業程度認定試験
攻玉社高等学校
西高等学校
茨城高等学校
ラ・サール高等学校
穎明館高等学校
木曽青峰高等学校
関西創価高等学校
開智高等学校
高校卒業程度認定試験
上田高等学校
諏訪清陵高等学校
広島学院高等学校
野沢北高等学校
大妻高等学校
天王寺高等学校
灘高等学校
桜蔭高等学校
南山高等学校
上田高等学校
土浦第一高等学校
青雲高等学校
飯田高等学校
伊那北高等学校
松本深志高等学校
佐久長聖高等学校
洛南高等学校
甲陵高等学校
白陵高等学校
開成高等学校
開成高等学校
野沢北高等学校
開成高等学校
野沢北高等学校
四天王寺高等学校
小松高等学校
滝高等学校
東京学芸大学附属高等学校
大阪教育大学附属池田高等学校
上田高等学校
滝高等学校
県立前橋高等学校
上田西高等学校
開成高等学校
鴎友学園女子高等学校
旭丘高等学校
上田高等学校
四天王寺高等学校
神戸女学院高等学部
近畿大学附属豊岡高等学校
千葉東高等学校
豊島岡女子学園高等学校
103
編集室より
平成26年度 訃報者
(会報98号以後の死亡会員)
104
信 7 木田 富士雄
長野県小諸市
H24 7月 22日
信 1 菅原 栄憲
東京都町田市
H25 12月 16日
信 25 中川 治一
滋賀県守山市
中川医院
H25 12月 17日
専 1 廣瀬 博一
兵庫県佐用郡
廣瀬医院
H25 12月 19日
信 10 中澤 武夫
東京都練馬区
宮島医院
H26 1月 9日
専 1 平林 明
東京都北区
平林耳鼻咽喉科
H26 1月 20日
信 6 巴陵 宣彦
富山県高岡市
H26 3月 7日
信 20 遠藤 信男
長野県佐久市
H26 4月 7日
信 4 田中 正利
長野県諏訪市
田中クリニック
H26 4月 11日
信 3 上條 信郎
長野県諏訪市
上條医院
H26 4月 21日
専 3 輿石 悌三
東京都渋谷区
H26 5月 12日
大 3 三輪 晴彦
岐阜県岐阜市
三輪医院(産婦人科)
H26 5月 22日
専 1 野田 三郎
静岡県浜松市
遠州浜外科医院
H26 6月
信 6 高橋 正敏
神奈川県大和市
H26 6月 30日
信 21 工藤 一彦
千葉県船橋市
H26 7月 8日
専 3 塩澤 久要
長野県松本市
塩澤産婦人科医院
H26 7月 10日
信 6 奥秋 仁
埼玉県川口市
奥秋内科医院
H26 8月 2日
信 13 森 邦雄
愛知県西尾市
森内科クリニック
H26 8月 8日
大 3 手塚 敬
長野県松本市
H26 8月 19日
信 1 村田 仁
長野県長野市
村田皮膚泌尿器科医院
H26 8月 29日
専 3 野々村 卯太郎
愛知県名古屋市
野々村クリニック
H26 9月 12日
信 9 森本 雅己
長野県松本市
森本医院
H26 10月 7日
信 6 中村 有三
静岡県浜松市
中村内科医院没日不明
母校の現況
石曽根 新八(信17)
信州大学
松本地区 入学式
●平成26年度 信州大学入学式が行われました。
信州大学入学式が平成26年4月4日(金)に松
本市総合体育館で行われ、全8学部の新入生と編
入学生、合計2,181人が入学しました。
山沢清人学長は告辞で「広い教養と深い哲学的
思考を大切にし、信頼され、敬愛される真のリー
ダーとなる準備を、この信州大学で、していきま
しょう。」とあいさつし、新入生を代表して、工
かける
学部電気電子工学科の小山翔留さんは「現代の課
題に対処し、社会に貢献できる人材となれるよう、
山沢清人学長挨拶
向上心を持ち、人と人とのつながりを大切にし、
専門的な研究に取り組みたい」と決意を述べまし
た。
新入生を迎える記念演奏では、昨年に続いて、
はるせきりょう
旧制松本高校寮歌「春寂寥」が歌われました。本
学交響楽団の演奏に合わせて混声合唱団とグリー
クラブが4番まで歌い、続いて参列者全員で1番
を合唱しました。
会場の外では新入生を歓迎するサークルや部活
の勧誘、演奏、ダンスなどのパフォーマンスがに
会場の様子
105
ぎやかに繰り広げられ、新入生は学生生活への期
待に胸をはずませていました。
はるせきりょう
旧制松本高校寮歌「春寂寥」を合唱
新入生代表による決意表明
●信州大学校友会 設立記念式典・記念講演会を
記念式典と記念講演
会を松本キャンパス
開催
平成26年8月3日、信州大学の在学生、卒業生、
で開催しました。
同窓会関係者、名誉教授、元教職員、現教職員な
信州大学交響楽団
ど約130名の方が参加し、信州大学校友会の設立
による演奏の後、校
友会長として山沢清
人学長があいさつ、
信州大学同窓会連合
会の可知偉行代表が
祝辞を述べられまし
信大卒業生、フジテレビジョン
プロデューサー中島久美子さん
による記念講演
た。続いて三浦義正理事(産学官・社会連携担
当)が校友会組織の設置の目的や経緯、役員構成
校友会会長の山沢学長の挨拶
同窓会連合会の可知代表からの祝辞
や事業の狙いなど概要の説明を行いました。
三浦理事から校友会の概要説明 司会は信大卒業生、長野朝日放送の蔵田玲子さん
106
参加者全員で記念撮影
信州大学交響楽団による演奏
その後、信州大学卒業生の、㈱フジテレビジョ
て何?~」と題した記念講演会が行われ、大勢の
ンテレビドラマプロデューサーの中島久美子さん
方々が聴講、夕刻からは盛大に交流会を開催しま
が、「ドラマ制作の現場から~プロデューサーっ
した。
●池上 彰 特任教授による平成26年度夏季集中講
義を開催
9月16日(火)、経
済学部にて池上彰本学
特任教授による「社会
科学特講(現代史基
礎)」の夏季集中講義
が行われました。
講義初日の16日
講義の様子(経済学部第一講義室)
池上 彰 特任教授
(火)は特別に一般の方向けの聴講席も設けられ、
後史に焦点を当て、原爆から原子力発電、3.11の
経済学部の学生107名、一般の聴講生90名、計
東日本大震災での原発事故等をジャーナリストな
197名が聴講しました。
らではの視点で解説。受講した学生や一般の聴講
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とい
生は、その分かりやすく巧妙な解説に引き込まれ、
う格言を用い、過去を学び現代を知ることの重要
会場全体が熱心に聞き入っていました。
性を説くことから始まった講義では、、日本の戦
医学部
●医学系研究科循環病態学の新藤隆行教授が 財
の修復過程の破綻は、様々な慢性臓器障害の原因
団法人博慈会平成26年度ダ・ヴィンチ賞を受賞
となります。血管の恒常性維持において中心とな
しました
るのが、血管内皮細胞です。血管内皮細胞は、体
血管は全身に分
内恒常性を維持する様々な生理活性分子を産生し
布して、生体機能
ます。新藤教授は血管から分泌されて、各臓器の
の維持に必須の役
恒常性維持に深く関わっている生理活性因子と、
割を果たしていま
その受容体システムに着目しました。新藤教授は
す。一方で血管の
様々な遺伝子改変マウスを駆使して、生体内生理
障害は、癌、脳卒
活性ペプチドの病態生理学的意義とその応用展開
中、心臓病の3大生
に繋がる研究成果を発表してきました。
活習慣病の病態に
新藤教授は、今回、この様な「血管の恒常性維
も深く関わってい
持と慢性臓器障害の予防と治療」研究の成果に対
ます。さらに血管
して、財団法人博慈会より平成26年度 優秀研究
の恒常性維持のための調節システムの異常と、そ
ダ・ヴィンチ賞を授与されました。
107
●医学系研究科循環病態学の田中愛さんが、第
87回日本内分泌学会で若手研究賞(YIA)を
受賞しました
平成26年4月
24~26日に福岡
国際会議場・福
岡サンパレスで
開催された第87
循環病態学教室員と共に
回日本内分泌学
会において、田
する」です。本研究では、血管恒常性の維持に関
中愛さん(医学
わるアドレノメデュリンと、その受容体活性調
系研究科疾患予
節タンパク(RAMP2)の腫瘍転移における意義
防医科学系専攻
を検討しました。田中さんは、成体において遺伝
循環病態学博士
子欠損の誘導が可能なノックアウトマウスを作製
課程)が、審査
し、解析することで、血管のアドレノメデュリン
講演会の結果、
表彰式
-RAMP2系が、血管構造と炎症反応を制御し、悪
若手研究賞(YIA)を受賞しました。
性黒色腫の転移を抑制することを発見しました。
受賞対象となった研究課題は、「アドレノメ
今後、新しい治療法の開発に展開することが期待
デュリン-RAMP2系は、転移前土壌の形成を抑制
されます。
●地域保健分野の活動拠点「地域保健推進セン
従来、信州大学医学
部を始め学内他学部や
ター」を開設
信州大学は、4月22日に保健分野における地域
外部の関連機関で行っ
貢献活動推進の拠点となる「地域保健推進セン
ていた地域保健活動の
ター」を松本キャンパスに開設し、テープカット
取り組みをさらに強
式を行いました。
化・改革していくため
このセンターは、社会から強く求められる健康
の連携拠点と位置づけ
寿命の延伸、介護予防の推進、高度専門保健医療
ています。
職者の輩出に応えるべく開設するものです。
「長寿県・長野」の
地域保健推進センター長
金井 誠 保健学科長
特徴を生かした地域保健活動をこれまで以上に推
進し、医療関係者だけに対象を限定しない市民向
けの講座を開講したり、行政、保健・医療・福祉関
連機関や企業との共同研究を行っていきます。
開所式典で、センター長の金井誠 保健学科長
は「地域貢献は大学の大きなミッションのひとつ。
地域や行政からの要請に積極的に応え、住民とと
もに地域の課題を学ぶ場にできれば」と抱負を語
テープカットの様子
108
りました。
●医学系研究科循環病態学の山内啓弘さんが、第
新生や、血管の
38回日本リンパ学会で日本リンパ学会奨励賞
機能維持に重要
(西賞)を受賞しました
であるのに対し、
平成26年6月20日−22日に北里大学白銀キャン
AM-RAMP3は成
パスで開催された、第38回日本リンパ学会にお
体におけるリン
いて山内啓弘さん(大学院医学系研究科疾患予防
パ管機能を制御
医科学系専攻循環病態学博士課程)が日本リンパ
しており、二つ
学会奨励賞(西賞)を受賞しました。
の系の協調性に
受賞対象となった演題は、「アドレノメデュリ
より、脈管全体
ン受容体システムの機能分化と、血管、リンパ管
の恒常性を維持
の制御機構」です。研究内容は、多彩な生理作
していることを
用を有するアドレノメデュリン(AM)とその受
明らかにしまし
容体活性調節因子RAMP2及びRAMP3の脈管にお
た。今後、この研究が進むことでリンパ浮腫の新
ける機能分化を示しました。AM-RAMP2は血管
たな治療法の開発に繋がることが期待されます。
●医学系研究科循環病態学の田中愛さんが、第
察しました。そ
35回日本炎症・再生医学会で優秀演題賞を受
の結果、血管の
賞しました
AM-RAMP2系が、
会頭の馬島正隆教授(北里大学)
とともに
平成26年7月1日~4日に万国津梁館(沖縄)で
血管の恒常性維
開催された第35回日本炎症・再生医学会におい
持に働くことで、
て、田中愛さん(医学系研究科疾患予防医科学系
血管の透過性や
専攻循環病態学博士課程)が、優秀演題賞を受賞
炎症細胞浸潤を
しました。
抑制し、転移予
受賞対象となった研究課題は、「アドレノメ
定先での慢性炎
デュリン-RAMP2系は、血管恒常性を維持し、癌
症を抑制するこ
転移前土壌の形成を抑制する」です。本研究で
とにより、癌転
は、血管恒常性の維持に関わるアドレノメデュ
移を抑制してい
リン(AM)と、その受容体活性の調節タンパク
ることを発見し
(RAMP2)の腫瘍転移における意義を検討しま
ました。AM-RAMP2系による血管の恒常性と炎
した。田中さんは、成体においてRAMP2遺伝子
症の制御に着目することで、癌の転移を予防する、
欠損を誘導することが可能な遺伝子改変マウスを
新しい術後アジュバントセラピーの開発につなが
作製し、遺伝子欠損後から血管に生じる変化を観
ることが期待されます。
●医学系研究科循環病態学の小山晃英さん(現国
た第46回日本動脈硬化学会総会において、大学
際医療福祉大学)が、第46回日本動脈硬化学
院医学系研究科循環病態学の小山晃英さん(現国
会で若手研究者奨励賞最優秀賞を受賞しました
際医療福祉大学)が、本年度の本学会若手研究者
平成26年7月10日から11日に東京で開催され
会長の高柳広先生(東京大学大学院医学
系研究科免疫学教授)
とともに
奨励賞最優秀賞を受賞しました。
109
本賞は、過去一年間の間
に発表された、動脈硬化に
関する最も優れた研究論文
に与えられる賞です。小
山さんは、医学系研究科
博士課程における博士論文(Circulation 2013;
127:842-53)の研究成果によって、候補者3人う
ちの1人にノミネートされ、学会総会におけるコ
ンペティションの結果、最優秀賞を授与されまし
た。
(写真右) 学会長の永井良三先生(自治医科大学学長)
小山さんは、血管および臓器の恒常性維持を司
かとし、研究成果は、動脈硬化とその合併症に対
る生体内システムである、アドレノメデュリンー
する新しい治療法につながるものとして評価され
RAMP2システムの意義を、種々のコンディショ
ました。
ナルターゲティングマウスの樹立と解析から明ら
●CITI Japanプロジェクトで『人を対象とする医学
系研究に関する指針について』講演会を開催
働省制定)(疫学指
針)、②臨床研究に
研究者の倫理規範
関する倫理指針(平
教育プロジェクト
成15年厚生労働省制
「CITI Japanプロジェ
定)(臨床研究指針)
クト」では平成26年
等の指針を定めていま
7月18日、文部科学
す。
省 研究振興局ライフ
しかし、近年は適用
サイエンス課 生命倫
対象となる研究が多様
理・安全対策室長の伊
藤嘉規氏をお招きし、
文部科学省 研究振興局
ライフサイエンス課 生命倫理・
安全対策室長 伊藤嘉規 氏
CITI Japanプロジェクト 福嶋義
光 事業統括による挨拶
化し、特に疫学指針と臨床研究指針の枠を超えた
研究が増えてきています。伊藤氏は講演で「こう
講演会『人を対象とす
した背景から、平成25年2月より文部科学省と
る医学系研究に関する指針について』を医学部第
厚生労働省の合同会議で、両指針の一体的な見直
一臨床講堂で開催しました。
しの検討を開始した」と説明しました。
人を対象とした医学系の研究では、研究対象者
の身体や精神、さらには社会に対して正負様々な
影響を与えるため、研究者には研究対象者の尊厳
や人権を守るための倫理的・法的・社会的な責任
が伴います。
このため、文部科学省や厚生労働省などの省庁
では、研究者が人間の尊厳及び人権を守りつつ適
正・円滑に研究を行うことができるよう、①疫学
に関する倫理指針(平成14文部科学省・厚生労
110
講演会の様子
講演では、両指針見直しについての現在までの
あり、他大学・他機関からの参加者を含めた80
経緯や今後のスケジュール、合同会議の状況や新
名以上の聴講者は、伊藤氏の説明に熱心に耳を傾
たに統合する指針の内容について具体的な説明が
けていました。
●平成26年度文部科学省「高度医療人材養成プロ
グラム」において、医学部のプログラム2件が採択
文部科学省が今年度から始める補助事業「課題
解決型高度医療人材養成プログラム」において、
信州大学医学部のプログラムが2件採択となり、
8月20日に記者会見を行いました。
このプログラムは、医療現場の諸課題等に対し、
科学的根拠に基づいた医療が提供でき、健康長寿
社会の実現に寄与できる優れた医療人材を養成す
医学部長
池田 修一
医学部附属病院長
本郷 一博
学術研究院教授(医学系)
福嶋 義光(事業統括)
医学部保健学科長
金井 誠
学術研究院教授(保健学系)
坂口 けさみ
医学部附属病院看護部長
伊藤 寿満子
ることを目的とし、文部科学省が今年度から最大
5年間の補助期間として公募したものです。
信州大学は、【取組1】医師・歯科医師を対
象とした人材養成(申請件数99件、採択14件)、
【取組2】看護師・薬剤師等のメディカルスタッ
フを対象とした人材養成(申請件数136件、採択
12件)の両取り組みで1件ずつの採択となりま
した。
信州大学のプログラム事業名は下記のとおりで
す。
【取組1】医師・歯科医師を対象とした人材養成
「難病克服!次世代スーパードクターの育成-ゲ
ノム時代の難治性疾患マネジメントを担うオール
ラウンド臨床遺伝専門医の育成と全国遺伝子医療
部門連絡会議を介した全国展開-」
【取組2】看護師・薬剤師等のメディカルスタッ
フを対象とした人材養成
「実践力ある在宅療養支援リーダー育成事業」
し、1年間のOJT(On the Job Training)プログ
ラムを開発・実践します。プログラムの概要説明
「難病克服!次世代スーパードクターの育成プロ
を行った、医学部医学科の福嶋事業統括は、「本
グラム」は、希少難病で症例が少ない難治性疾患
事業により、今までのような部位・臓器別ではな
について、総合的にマネジメントできる医師の養
く、総合的な遺伝子診療を通じての課題解決とマ
成を目的としたプログラムで、特色ある遺伝子診
ネジメント能力を備えた医療人養成が期待できる。
療を実践している札幌医科大学、千葉大学、東京
本事業の成果をモデルケースとして、全国へ展
女子医科大学、京都大学、鳥取大学と本学が連携
開・普及させたい」と力強く話しました。
111
「実践力ある在宅療養支援リーダー育成プログ
澤病院の訪問看護ステーションが連携して進め
ラム」は、既に医療機関で教育的立場にある看護
るこのプログラムは、(平成26年4月に開設し
師や、訪問看護ステーションの看護師等を対象と
た)地域保健推進センターの中心的な事業として
して、難病・がん・重症児等の新たなニーズにも
考えている。質の高い在宅療養支援を通じて、多
対応できる、質の高い実践的な在宅療養を提供で
くの患者さんの幸福を実現したい」と期待の言葉
きるリーダーを育成・増員することを目的として
を述べました。
います。これにより、長野県内の在宅療養支援基
会見で挨拶した池田医学部長は、「大型の補助
盤の整備と質の向上を図ります。教育プログラム
事業プログラムで医学系・保健学系の両プログラ
は、講義や演習の他、遠隔会議システムやeラー
ムが採択されたのは嬉しく思う。これを契機とし
ニングを活用して行われ、受講者が自身の業務に
て、医学部医学科・保健学科・附属病院が一致団
支障なく、自由に教育を受けられる環境を構築し
結し、今後の地域医療への更なる貢献を促進した
ます。プログラムの概要を説明した、医学部保健
い」、同じく本郷病院長は「遺伝子診療や在宅医
学科の金井保健学科長は、「これからの超高齢化
療等を全国に先駆けて行ってきた信州大学ならで
社会を迎えるに当たり、在宅医療・在宅支援を担
はの2件の採択は大きな意味がある。これらの成
う人材育成が重要となってきている。医学部保健
果を地域へ還元できれば嬉しい」と語りました。
学科と附属病院看護部、長野県立こども病院、相
附属病院
●長野県立こども病院と連携協定を締結しました
長野県立こども病院と信州大学医学部附属病院
は、先天性心疾患患者の診療に関する連携強化を
目的に、協定を締結し、平成26年6月16日に長
野県立こども病院において調印式を開催いたしま
した。
この連携は、成人先天性心疾患患者さんに必要
な診療をこども病院と信大病院とで協力して行う
ことで「患者サイドから見てよりよい医療」の提
供を目指します。例えば、成人期医療が必要なこ
病院とで共同して移行外来を実施し、患者さんが
ども病院の患者さんを信大病院で治療し、信大病
不安にならないよう配慮いたします。加えて、信
院では難しい成人先天性心疾患患者さんのカテー
州メディカルネット等を活用し、情報の移行も確
テル治療や手術をこども病院で行います。このよ
実に行います。
うに、両病院の技術を活かした連携協力によって、
これらのほかにも、後進育成や調査研究によっ
より質の高い最適な医療を患者さんに提供できる
て、全国の成人先天性心疾患患者さんの診療向上
ことが可能になります。
が期待されます。
また、病院を移行する際は、こども病院と信大
112
●信州上田医療センターと医師確保に関する協定
を締結
独立行政法人国立病院機構信州上田医療セン
ターと上田地域広域連合、上田市をはじめとする
市町村及び信州大学医学部附属病院は、上小(上
田)医療圏と坂城町の地域医療の整備・充実と同
地域の安定的な医師確保を目的に連携協定を締結
し、平成26年7月8日、上田市交流文化芸術セ
ンターにおいて、母袋広域連合長(上田市長)、
各市町村長、森信州上田医療センター院長、本郷
写真左から:北村村長(青木村)、花岡市長(東御市)、本郷病院長、
母袋広域連合長(上田市長)、森院長(信州上田医療センター)、
羽田町長(長和町)、山村町長(坂城町)
信州大学医学部附属病院長が列席して調印式を開
長野県保健医療計画に設定される上小医療圏及び
催いたしました。
坂城町の地域医療を充実させることを目的に、各
今回の協定締結以前は、上小医療圏地域医療再
生計画(2009~13年度)に基づき信州大学医学
部附属病院から、信州上田医療センターへ医師派
市町村からの研究費補助を受けて今回の協定締結
に至りました。
これによって、今まで以上の地域医療の充実と
遣をしてきましたが、計画終了に伴い、引き続き
研究の推進が期待されます。
●丸の内病院、長野県看護協会と助産師出向等に
に、安心な妊娠・出産・育児環境の整備』の第一
係る協定を締結
歩となります。
信州大学医学部附属病院と社会医療法人抱生会
特に、丸の内病院と信大病院との協定では「助
丸の内病院、(公社)長野県看護協会は、助産師
産実施能力の強化・教育指導」に重点を置き、相
の就業先の偏在や地域の周産期医療体制の確保に
互受け入れを行うことで助産師の質の向上を目指
貢献するとともに、正常分娩の介助経験など、助
し、長野県で安全安心な出産環境の整備に貢献し
産実践能力の強化を目的として連携協定を締結し、
ます。
平成26年7月29日㈫、信州大学医学部附属病院
において、中土丸の内病院長、三輪長野県看護協
会長、本郷信州大学医学部附属病院長が列席して
調印を交わしました。
この協定は、厚生労働省「看護職員確保対策特
別事業」である「助産師出向支援モデル事業」に
基づき、県内の周産期医療と助産師の偏在の状況
を把握した上で、医療施設での助産師の出向・受
け入れを実施し、地域における助産師の偏在是正
と、助産実践能力強化や教育指導、人事交流を図
ることを目的としております。また、本事業の最
終的な目的である、『すべての妊産褥婦と新生児
左から丸の内病院中土幸男院長、
信州大学医学部附属病院本郷一博院長、
(公社)長野県看護協会三輪百合子会長
113
●JA長野県グループから寄贈された巡回診療車
の愛称が 「めぐりん号」に決定し、表彰式を
行いました
JA長野県グループのご厚意により寄贈いただ
いた、地域医療や健康長寿の促進、実践的な総合
診療ができる医師の育成などを目的とした巡回診
療車の愛称について、平成26年6月21日㈯~平
成26年7月22日㈫までの期間公募いたしました。
この結果、全国から343件のご応募をいただきま
した。多数のご応募ありがとうございました。
山沢学長より表彰状が手渡された
この中から愛称選考会を開いた結果、次の愛称
に決定しました。また、最優秀賞1名としており
ましたが、どちらの愛称の説明にも甲乙つけがた
く、2名同時の受賞となりました。
【愛 称】 めぐりん号
さくらい
さ
え
みやざき ひであき
【応募者】 桜井 彩恵 さん 宮崎 英明 さん
【愛称の説明】
●巡回診療車によって人々の健康、絆、全ての思
いが輪のように繋がる(巡る輪)という願いを
込めました。
右から長野県農業協同組合中央会牧島保昌参事、池田医学部長、
桜井彩恵さん、山沢学長、本郷病院長
席しました。受賞した桜井さんには山沢学長より
●巡回診療車を象徴する「めぐる」と、信州を象
表彰状と副賞が手渡されました。桜井さんは「地
徴する「りんご」を合体して、「めぐりんご」
域の人々の健康や絆が輪のように繋がってほし
とし、さらに「ご」に「号」をあて、車らしさ
い」と愛称に込めた思いを話しました。
を出しました。
引き続き、本郷病院長から巡回診療車を寄贈い
ただいたJA長野県グループ様へ感謝状が授与さ
名称決定に併せて9月1日、巡回診療車のお披
れ、最後に記念撮影を行い式は終了しました。
露目と愛称決定表彰式を開きました。表彰式には、
今後、巡回診療車は、総合診療や健診、調査研究
応募者の桜井彩恵さんと長野県農業協同組合中央
などを実施するために役立て、災害医療への活用
会参事 牧島保昌様、山沢学長、本郷病院長が出
など、幅広く使用する予定です。
●松本市立病院と医療連携に関する協定を締結
院に対して、急性期治療からリハビリテーション
信州大学医学部附属病院と松本市立病院は、両
を中心とする回復期治療までを円滑・効率的に連
院の入院患者の転院に関する連携協定を結び、平
携して協力し合うことを目的に協定締結の依頼が
成26年9月9日㈫、信州大学医学部附属病院に
あったことで実現しました。
おいて連携協定書の調印式を開催いたしました。
協定には、松本市立病院で心筋梗塞などによっ
この協定は、平成26年4月に「回復期リハビリ
て急変した患者さんを、本院高度救命救急セン
テーション病棟」を開設した松本市立病院から本
ターが24時間体制で直接受け入れたり、本院の
114
の患者さんを松本市立病院が積極的に受け入れた
りするなどの内容が盛り込まれ、患者さんの状態
に応じた医療の提供が可能となります。
信州大学医学部附属病院本郷病院長は「双方向
で患者さんを受け入れることは、地域住民にとっ
て有益な素晴らしい協定になる」と本協定への期
待を述べました。
本院は既に近隣5病院と同様の連携協定を結ん
協定を交わす松本市立病院高木病院長(左)と本郷病院長(右)
急性期やリハビリテーションを対象にした回復期
でおり、今回の調印により6病院目の連携協定に
なります。今後も地域医療連携の更なる強化を進
めていきます。
●10月1日㈬より 路線バスが信大病院内「玄関前」に乗り入れ!
来院がますます便利に!
平成26年10月1日より、アルピコ交通の路線バスの信大病院
内への乗り入れを開始します。
患者さんやご家族の利便性向上のため、かねてから信大病院
がアルピコ交通に要望をしていたものです。新しく設置された
バス停の名前は「信大病院玄関前」です。
路線バスは「北市内線西回り」で松本駅のお城口を出発し、
松本深志高校、信大病院玄関前、松本秀峰中等教育学校などを
経由し、約30分で松本駅に戻ります。料金は均一で200円(こど
も100円)です。
患者さん、及びそのご家族、並びに職員の皆さん、便利に
なった路線バスを是非ご利用ください。
115
誌上写真展示 第22回写真展
平成26年秋号に誌上発表させて頂きます。
紙面の都合上全作品を掲載出来なかった事をお詫び申し上げます。
中田 和義(信18)
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写真出展者一覧
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写 真 …………………………………………………………………………………………………………………
「富嶽黎明」―車山高原にて―
後藤 迪夫(専2)
「富嶽暁雲」―山中湖にて―
後藤 迪夫(専2)
孤高のマッターホルン
窪田 貞喜(信4)
アルプス草原のモウ君
窪田 貞喜(信4)
メタセコイヤ 2題
茅野 文利(信5)
(1) 早春の樹林
(2) 初夏の樹林
虹
小林 璿(信5)
南木曽の春
石田 康雄(信6)
樹林
竹尾 康男(信6)
愛馬
竹尾 康男(信6)
常念の秋
薄井 尚介(信12)
落葉の渓谷
髙野 良介(信12)
紅葉の乗鞍岳
小沢 利明(信13)
レンゲツツジ咲く 鉢伏
小沢 利明(信13)
白と緑の季節
清澤 研道(信13)
姫川源流の梅香藻
清澤 研道(信13)
山桜
山本 香列(信13)
凍る湖
山本 香列(信13)
晩秋の駒ケ池
中田 和義(信18)
輝く初冬
中田 和義(信18)
秋の茜の
高梨 哲生(信45)
大雪の朝
高梨 哲生(信45)
炎の夕暮れ
田口 健一(学4)
十一面観世音菩薩立像
本田 行平(学4)
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116
富嶽黎明 −車山高原にて− 後藤 迪夫(専2)
富嶽暁雲 −山中湖にて− 後藤 迪夫(専2)
117
孤高のマッターホルン 窪田 貞喜(信4)
アルプス草原のモウ君 窪田 貞喜(信4)
118
メタセコイヤ2題 (1)早春の樹林 茅野 文利(信5)
メタセコイヤ2題 (2)初夏の樹林 茅野 文利(信5)
119
虹 小林 璿(信5)
南木曽の春 石田 康雄(信6)
120
樹林 竹尾 康男(信6)
愛馬 竹尾 康男(信6)
121
常念の秋 薄井 尚介(信12)
落葉の渓谷 髙野 良介(信12)
122
紅葉の乗鞍岳 小沢 利明(信13)
レンゲツツジ咲く 鉢伏 小沢 利明(信13)
123
白と緑の季節 清澤 研道(信13)
姫川源流の梅香藻 清澤 研道(信13)
124
山桜 山本 香列(信13)
凍る湖 山本 香列(信13)
125
晩秋の駒ケ池 中田 和義(信18)
輝く初冬 中田 和義(信18)
126
秋の茜の 高梨 哲生(信45)
大雪の朝 高梨 哲生(信45)
127
炎の夕暮れ 田口 健一(学4)
十一面観世音菩薩立像 本田 行平(学4)
128
事務局より
アフリカ・ニジェール谷垣雄三先生への支援金
谷垣雄三先生のアフリカ・ニジェールでの医療活動への松医会の先生方のご協力を引き続きお願い致
します。
下記口座までよろしくお願い致します。
八十二銀行信州大学前支店 普通預金 口座番号 759977
信州大学医学部松医会 会長 勝山 努 宛
名簿一覧(名前・住所ラベル)が必要な方
☆支部会・クラス会等で名簿一覧(名前・住所ラベル)が必要な方は、事務局に連絡ください。
「松医会報」投稿要領
1.目的
松医会報(以下会報)は会員相互および母校医学部との密接な連携により、会員の親睦を図ること
を目的とします。
2.投稿資格
原則として、松医会会員に限ります。ただし、依頼原稿はこの限りではありません。非会員の投稿
については、理事会編集会議で採否を決定いたします。
3.原稿内容
松医会活動に対するご意見・提言、論説、小論文、体験談、紀行文、随筆、俳句、短歌、自著書紹
介等、報告事項
4.原稿字数
原則として、2,000字以内、写真、図、カット(絵)5点以内でお願いいたします。
5.原稿校正
ご自身のご校正に加え編集会議においても明らかな誤り、文字の誤り等は可能な限り訂正いたしま
す。
6.投稿原稿、その他の採否
原稿の採否、掲載号、掲載方法等の判断は編集会議で行います。
7.以上の要領以外については、事務局にお問い合わせ願います。
「原稿送付・問い合わせ先」
〒390-8612 長野県松本市旭3−1−1 信州大学医学部松医会事務局
電 話:0263-37-3001 FAX:0263-39-0240
E-mail:[email protected]
129
松医会賞論文及び松医会奨励賞論文募集
平成26年度松医会賞論文及び松医会奨励賞論文を下記のとおり募集いたします。
松医会賞規程
第1条
この規程は、医学に関する優秀な論文を表彰の対象論文とし、その著作者に対して、松医会
が行う表彰について定める。
第2条
この表彰を松医会賞(以下本賞)という。
第3条
医学の進歩に貢献し、実績顕著な、公表された論文とする。ただし、すでに公に顕著な賞を
受けた論文は、本賞の対象論文としない。
第4条
本賞の受賞資格者は、松医会正会員とする。
第5条
本賞の選考方法等は、別に定める。受賞者の最終決定は理事会がこれを行う。
第6条
本賞は、賞状及び賞金とする。
第7条
本賞は、年度賞とし、選考年度は毎年1月1日に始まり、12月31日に終わるものとする。
第8条
本賞受賞者は、松医会総会において、受賞論文要旨を発表するものとする、
附則
本規程は平成24年5月19日より改定施行する。
規程は理事会の議を経て変更することができる。
松医会奨励賞規程
第1条
この規程は、医学に関する優秀な論文を表彰の対象論文とし、その著作者に対して、松医会
が行う表彰について定める。
第2条
この表彰を松医会奨励賞(以下本賞)という。
第3条
医学の進歩に貢献し、実績顕著な、公表された論文とする。ただし、すでに公に顕著な賞を
受けた論文は、本賞の対象論文としない。
第4条
本賞の受賞資格者は、松医会正会員以外で、信州大学医学部(附属病院を含む)並びに信州
大学大学院医学系研究科に在籍するものとする。
第5条
本賞の選考方法等は、別に定める。受賞者の最終決定は理事会がこれを行う。
第6条
本賞は、賞状及び賞金とする。
第7条
本賞は年度賞とし、選考年度は毎年1月1日に始まり、12月31日に終わるものとする。
第8条
本賞受賞者は、松医会総会において、受賞論文要旨を発表するものとする。
附則
本規程は平成24年5月19日より改定施行する。
本規程は理事会の議を経て変更することができる。
130
応募手続
(1)
応募資格者は、松医会賞規程及び松医会奨励賞規定に定めるものとする。
(2)
応募対象論文は、応募資格者が前年度及び前々年度(1月1日より12月31日まで)医学関係学
術専門誌に発表したものとする。
(3)
提出書類は、松医会賞推薦書または松医会奨励賞推薦書及び応募論文別刷6部(コピーでも
可)とし、会長宛てに提出する。
(4)
募締切 平成26年12月末日
平成27年 松医会報100号(春号)誌上写真展への出展募集
松医会報100号(春号)の発刊を平成27年4月下旬から5月上旬に予定しており、例年同様誌上写真展
示 第23回写真展を計画しておりますので、大変お忙しいところ恐縮ですが平成27年2月末までに、投
稿してくださいますようお願い致します。
なお、投稿していただく作品は2点以内でお願い致します。
また、会報への掲載については編集会議において決定させていただきますのでよろしくお願い致しま
す。
ご不明な点については松医会事務局までご連絡下さい。
平成26年発行松医会会員名簿の訂正について
本名簿中に記載漏れがありましたので下記のとおり訂正いたします。
信1 永田 哲士先生
勤務先・所在地 信州大学名誉教授(医学部第一解剖)
〒390-8621 松本市旭3-1-1 0263-35-4600
信州医療福祉専門学校教授
〒380-0816 長野市三輪1313 026-233-0555 026-233-0556
松医会会員名簿の配布について
平成26年度版松医会会員名簿を、名簿作成資料により有料配布希望された方に配布しておりますが、
印刷部数に多少の余裕があります。1冊1,500円で配布いたしますので配布を希望される方は下記にご連
絡願います。
払込取扱票を送付いたしますのでお近くの郵便局で払込をお願いします、払込が確認できた後、郵送
させていただきます。
今回は、個人情報の観点から従来掲載しておりました教室系、講座系の名簿については掲載しており
ませんのでご了承願います。
住所 〒390-8621 松本市旭3-1-1 信州大学医学部松医会 事務局 担当 岩 原
0263-37-3001 0263-39-0240 E-mail:[email protected]
131
連絡先不明者についてのお願い
☆事務局では以下の会員の方々に連絡がとれず困っております。現住所・勤務先・連絡先等お心当たり
のある方は事務局までご連絡くださいますよう、お願い致します。
氏 名
旧姓
卒業回数
氏 名
旧姓
卒業回数
氏 名
旧姓
卒業回数
小 口 悌 示
専1 飯 古 益 三
信20 長谷川 浩 司
信31
酒 井 弘 雄
専1 臼 井 実
信20 松 本 日 洋
信31
砂 辺 完 友
専1 丸 岡 康 洋
信20 三 輪 裕 通
信31
谷 原 博 公
専1 新 里 徹
信21 山 原 茂 裕
信31
中 島 利 昇
健夫
専1 西 野 潤
信21 佐 藤 早 苗
信32
宮 沢 信
専1 岩 田 俊
信22 佐 藤 達 朗
信32
宮 元 秀 雄
専1
小宮山 徹 三
信22 中 辻 良 幸
信32
葛 西 一 介
専2 李 英 哲
信22 中 村 仁
信32
藤 田 正 司
専2 石 原 雅 樹
信23 長谷川 陽 子
信32
安 藤 千 秋
専3 黒 田 修
信23 山 田 晴 男
信32
小 野 一 郎
専3 中 本 富 夫
信23 新 井 俊 男
信33
嶋 津 義 一
専3 中 山 佳 子
信23 土信田 久美子
星野
信33
窪 田 稔
大1 小 林 重 雄
信24 戸 村 美恵子
信33
内 藤 博 行
大1
村 田 了 悟
信24 中 藤 正 樹
信33
寺 島 銀之輔
信1
笠 間 透
信25 堀 内 威 至
信33
高 木 裕
信2 鈴 木 洋
信25 野 本 龍 生
信34
近 藤 豊
信3
本 井 智 己
信25 横 山 美 貴
信34
藤 森 麻 生
信3 北 口 志津子
青木
信26 後 藤 敦 子
信35
藤 原 敏 修
信5 田 口 正 男
信26 森 田 高 史
信36
文 尚 賢
信7 土 屋 俊 明
信26 山 田 宏
信36
北 畠 忠 幸
信10 長谷川 順 一
信26 小 野 伸 一
信37
山 下 和 意
信10 山 本 明 弘
信26 丹 羽 伸 也
信37
松 田 稔
信14 兼 島 洋
信27 松 澤 重 行
信37
加 藤 祐 三
信15 京ヶ島 守
信27 横 川 清
信37
柴 延 次
信15 高 富 彦
信27 鄭 琦
信38
島 田 均
信15 畑 中 史 郎
信27 中 西 豊
信38
鈴 木 荘 六
信16 佐 藤 公 司
信28 藤 井 孝
信38
島 龍 弘
信18 石 川 克 也
信30 廖 志 誠
信38
杉 村 純
信18 氷 見 真木子
信30 春 日 勇 三
信39
須 田 南 美
小林
信18 野 口 貴 弘
信30 近 藤 幸 宏
信39
山 本 三 幸
信18 桂 浩 二
信31 佐 藤 未 光
信39
吉 田 薫
信18 草 場 ゆ か
米山
信31 澁 井 洋 文
信39
木 下 勝 秀
李
信19 酒 井 勉
信31 田 川 学
信39
松 本 奐 良
信19 武 長 実
信31 中 邨 裕 之
信39
山 本 雄 士
信19 竹 山 和 昭
信31 広 瀬 太 郎
信39
楊 孝 康
信19 田 中 茂
信31 渡 辺 慶一郎
信39
132
氏 名
旧姓
卒業回数
氏 名
旧姓
卒業回数
氏 名
旧姓
卒業回数
石 川 学
信40 三 橋 洋
信43 安 成 和 晃
信46
一 沢 夏 枝
信40 武 藤 貴 仁
信43 李 工
信46
北之園 明 久
信40 山 口 史 子
稲葉
信43 天 田 大 輔
信47
佐 藤 勉
信40 山 下 啓 史
信43 伊 藤 晴 子
大條
信47
難 波 清 人
信40 岩 原 千 絵
信44 加 古 英 介
信47
牧 恵美子
信40 小 谷 雄 三
信44 小 柳 尚 子
野津
信47
吉 田 淳 仁
信40 鈴 木 篤
信44 酒 井 咲 子
墨矢
信47
安 藤 久 恵
信41 鈴 木 文 仁
信44 佐 藤 祐 子
中島
信47
石 原 左 奈
横井
信41 津 本 学
信44 杉 山 太 朗
信47
稲 場 一 恵
信41 寺 島 洋 一
信44 孫 鳳 銘
信47
小 松 京 子
信41 中 屋 桂
南
信44 高 橋 雄 介
信47
斉 藤 理
信41 東 川 麻 子
信田
信44 田 中 啓 隆
信47
坂 尻 さくら
吉野
信41 平 井 健
信44 野 寺 栄 男
信47
関 谷 剛
信41 宮 内 茂
信44 萩 原 佐江子
信47
立 澤 あきさ
信41 守 屋 貴 美
信44 橋 本 明 子
信47
田 中 由紀子
川﨑
信41 頼 田 圭 輔
信44 平 瀬 由紀子
信47
田 中 聖 子
信41 石 川 聡 子
信45 細 田 和 貴
信47
堀 田 浩 一
信41 岡 田 純 代
小口
信45 柳 沢 徹 雄
信47
吉 澤 克 彦
信41 岡 野 友 美
信45 市 村 崇
信48
吉 村 まどか
信41 唐 松 純
信45 加 藤 る り
信48
浅 野 寿 利
信42 斉 藤 栄 作
信45 坂 井 邦 臣
信48
鹿 野 理 子
信42 佐 和 未 央
信45 佐 野 貴 史
信48
河 野 順 子
森田
信42 塩 川 和 雄
信45 清 水 篤 志
信48
寺 本 咲 子
信42 朱 林
信45 船 岡 祐 介
信48
中 村 めぐみ
信42 中 口 智 博
信45 三 村 尚
信48
南 光 る り
信42 松 浦 国 臣
信45 宮 本 典 子
後藤
信48
早 川 正 廣
信42 森 下 城
信45 森 秀 徳
信48
松 本 桂 輔
信42 吉 田 実穂子
信45 今 井 由 生
信49
山 田 明 伸
信42 磯 部 和 哉
信46 今 井 一 徳
信49
井 上 かんな
信43 市 川 麻 子
信46 岡 本 尚 子
信49
内 田 博 起
信43 大 澤 晋
信46 川 北 理 恵
信49
大 倉 美 和
信43 勝 浦 隆 嗣
信46 川 本 友 紀
信49
香 川 福 子
信43 加 藤 夏 野
鈴木
信46 小 松 沙 織
信49
北 村 恭 子
信43 金 海 武 志
信46 住 谷 珠 子
信49
関 山 裕 子
信43 木 村 公 一
信46 高 須 美 奈
信49
田 中 智 樹
信43 倉 田 ふ み
信46 竹 本 研 史
信49
谷 口 浩 和
信43 島 田 誠 子
信46 根 本 貴 祥
信49
野 村 裕太郎
信43 高 橋 典 子
信46 本 田 葉
信49
東 山 史 子
信43 野 崎 威功真
信46 山 本 有希子
信49
福 山 國太郎
信43 橋 詰 史 朗
信46 石 田 暁
信50
133
氏 名
旧姓
卒業回数
氏 名
旧姓
卒業回数
石 田 岳
信50 長 尾 剛 至
信53
伊 藤 雄 介
信50 藤 井 健 夫
信53
梶 原 大 季
信50 三 輪 尚 之
信53
真 田 喬 行
信50 村 松 志 保
信53
鈴 木 和歌子
信50 山 野 水 紀
信53
高 山 啓
信50 梶 山 明日美
信54
戸 塚 清 人
信50 楯 笑美子
信54
沼 美 雪
犬伏
信50 田 平 敬 彦
信54
鉾 碕 佳 子
信50 平 屋 有紀子
信54
有 馬 孝 博
信51 宮 坂 清 之
信54
石 井 貴久子
信51 宮 澤 一 成
信54
石 岡 春 彦
信51 飯 田 崇 博
信55
伊 藤 奈 央
信51 三 枝 太 朗
信55
上 山 数 弘
信51 村 上 倫 子
信55
岡 田 悠 子
信51 岡 本 将 輝
信57
尾 崎 晋 一
信51 川 崎 貴 史
信57
恩 田 義 幸
信51 松 田 洋 彰
信57
小 柳 和 彦
信51
司 城 朋 子
信51
田 中 さとみ
信51
所 弥 生
野村
信51
豊 島 信 明
信51
野 村 明 弘
信51
松 本 知 華
坂本
信51
安 井 広 彦
信51
若 松 昌 巨
信51
岩 永 雅 史
信52
笠 井 恵 美
信52
杉 谷 亮
信52
田 中 亜 新
信52
細 井 英 隆
信52
三 浦 夏 希
信52
村 尾 芙 美
信52
山 田 雪
信52
米 澤 元 樹
信52
青 木 陽 恒
信53
岸 根 健 二
信53
高 坂 真 路
信53
仙 田 花 実
信53
田 島 光 浩
信53
134
氏 名
旧姓
卒業回数
編 集 後 記cccccccccccccccccccccc
あとがき
した。森本前会長は、任期半ばで、松医会の改革
今年の信州は、大型台風の襲来による南木曽町
を推進している途中での退任であり、ご本人はも
の土石流災害や木曽御嶽山の噴火による大惨事な
とより会員にとっても口惜しく残念でなりません。
ど、度々全国ニュースで報道されておりましたた
塩澤先生は、松医会の生き字引として常に理事会
め会員の皆様方も心を痛められたたことと拝察い
をリードし、松医会の発展をサポートし続けてい
たします。
ただきました。お二人の業績を忍び衷心より哀悼
本日、会員の皆様方には、松医会報第99号を
の誠を捧げます。
お送りいたします。本号では、松医会の新しい会
今回は、第22回写真展や学生の広場や支部会
長となりました勝山 努先生・新任の池田 修一
便りが充実されておりますので是非ご覧ください。
医学部長・本郷 一博病院長のご挨拶並びに新任
来春は松医会報が100号記念号として特集号を
教授のご挨拶を掲載いたしました。
また、9月に急逝されました森本 雅己前会長
計画しております。会員の皆様から広くご寄稿を
募集致しますので宜しくお願い申し上げます。
及び7月に亡くなられた松医会の重鎮でありまし
た塩澤 久要先生に対する追悼文を掲載いたしま
広報担当理事 石曾根新八(信17)
135
国内最大級のリファレンス データベース
「今日の診療」診療に関する最新情報を簡単に検索できます
パソコンだけでなく、
スマートフォン・タブレット端末でも
「今日の診療」
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※スマートデバイスの動作環境
、iPad、iPod touch
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今日の診療
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「治 療 薬 検 索」機 能 で は、
「薬品名」
「適応症」
「禁忌」
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ソコンがインターネットに接続していなくても、インターネットに接続できるパソコンがあれば、認証作業を行う
ことができます。
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収録内容詳細
プレミアム・ベーシックともに収録
①今日の治療指針 2014年版
⑤今日の小児治療指針
②今日の治療指針 2013年版
⑥今日の救急治療指針
③今日の診断指針 第6版
⑦臨床検査データブック
付録を除く全頁を収録
2013―2014
④今日の整形外科治療指針
⑧ 治療薬マニュアル 2014
付録の一部を除く全頁を収録
付録の一部を除く全頁を収録
第6版
136
第15版
第2版
付録の一部を除く全頁を収録
付録の一部を除く全頁を収録
価格:本体59,000円+税
[JAN4580492610049]
プレミアムにのみ収録
*書籍とは一部異なる部分があります
⑨今日の皮膚疾患治療指針 第4版
⑩今日の精神疾患治療指針
⑪ 新臨床内科学 第9版
⑫ 内科診断学 第2版
序・付録を除く全頁を収録
⑬急性中毒診療レジデントマニュアル 第2版
⑭医学書院 医学大辞典 第2版
137
138
139
〈表紙の写真〉 栂池自然園の秋
北アルプスの懐で、湿原がある栂池自然園(海抜1900m)は、初夏から秋に
かけて素晴らしい自然の移ろいを見せてくれます。
昨年10月中旬の好天に恵まれた日に、麓からロープウェイで上り、終点から
10分ほど登った自然園から見た小蓮華岳側の斜面の景観に息を呑むほどに見と
れました。ナナカマド、カエデの赤、ダケカンバの黄色、オオシラビソの緑が
三段紅葉そのものでした。
写真の右下に見える数人のパーテイが錦秋を楽しみに出かけるところでし
た。
ダケカンバは黄葉が落ちるとくっきりと見える白い枝が(右上方に見えてい
ます)まさしく踊るダケカンバの様相を呈します。
青野 幸雄(信7)
〈裏表紙の写真〉 桜花満開
群馬県沼田市の山に咲く桜を夜撮影しました。
桜を中心に入れて、快晴の夜8時頃長時間露光(30分位)で撮影しました。
140
髙野 良介(信12)
平成 年 月 日
異 動 連 絡 票
会員番号
卒 業 年
出身大学
昭和
回
平成
本学・他学( )
所属教室
フリガナ
性 別
氏 名
(旧姓・旧名)
男 女
生年月日
※
明大
年 月 日
( 歳)
昭平
該当するものに○をお付けください。
開業医 勤務医
産業医 研修医
その他 ( )
〒 現 住 所
(自宅)
TEL :( ) -
FAX :( ) -
名 称
勤務先
職 名
〒 所在地
TEL :( ) -
FAX :( ) -
Eメールアドレス
会報等送付先
自 宅
勤務先
(○をお付けください)
連絡事項
及び
メッセージ
※お願い 名簿発刊時に記載不可の項目は○で囲んでください。
〒390-8621 長 野 県 松 本 市 旭 3 − 1 − 1
信州大学医学部松医会
TEL:0263-37-3001 FAX:0263-39-0240
E-Mail:[email protected]
松医会報 第
号 平成
99
年 秋
26
2014年11月21日
発行者
勝 山 努
編集者
石曽根 新 八
中 田 和 義
恒 元 秀 夫
印 刷
㈱ 綜 合 印 刷
松医会事務局
〒390- 8621
長野県松本市旭3-1-1
TEL0263-35-4600(内線)5132
0263-37-3001(ダイヤルイン)
E-mail:[email protected]
FAX 0263-39-0240
信州大学医学部松医会
松医会報 第99号
発 行
秋
信州大学医学部松医会
平成26年
99号
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