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第75号
1997年3月 21日発行 チ ャペ ル ・ニ ュー ス い 第 75号 神 戸松 蔭女 子 学 院 大 学 神戸松蔭女子学院短期大学 本教 セ ンター 神戸"躍 区篠原伯母野山町 1-2-1 1 鉛7 年 3 月 2 1 日発行 ﹁ 多 幸 の時 代﹂ か ら の脱 出 テャブレン 野 々目 晃 〓一 文化精神医学︶ は月刊誌 ﹁世 界し 一九 野 田正彰 ︵ 、 九七年 二月号 岩波書店︶ に発表 した論文 ﹁ 戦争と罪 、 政治的 責﹂ で アレクサ ンダ ー ・ミ ッチ ャリ ッとが ﹁ 、 社会的 不毛 は 過去 の否 認から生 まれたも の﹂と言 っ 、 て現代 ドイ ツを批判し たが これ は現代 日本社会 にも 、 共通す る現実 と診 断 し そう し た 日本 社 会 は深刻 な 。 ﹁ 多幸 な時代﹂ にあ ると批判す る そも そも多幸 症 と は客観的 には感じとれな い空虚 か つ無意味な英快気分 となる病気 のこと で、患者 には人格 の水準低下 が見 ら 。 、 れ る 野 田は日本社会 のこの病 める原因 は 軍国 日本 を旗印 に掲げ てき た近代 日本が ﹁ 焦燥 の時代﹂ の戦争 、 の罪責 を否認し続 け 民主主義 の名 のもと で高度経済 。 成長を速げ た結果 であ ると見 る 私 たち は こうした時 、 代 の申し子 であ り 他人 の痛 み に対 する自分 の責任を 、 、 感 じ また 醜 い自己 に対 する深 い悲 しみ に嘆 く こと っ も く、 き る ことを実徳 とし て な た い ば い に だ せ 生 幸 、 き た。 ここに野 田が指摘す る ﹁ 多幸 の時 代 ﹂ 薄 く浅 い﹁ 幸 せ﹂ に色付 けされた時代気分 に酔 い痴れた欠陥 。 社会が出来上 が った のである と ころ で歴史学者 ヨ ハン ・ホイジ ンガ 全全一 T 天四兵 、 オラ ンダ︶は ﹁ 世界がまだ若く 5世 紀 ほども ま え の ころには、人生 の出来事 は、 いまよりもも っとく っき りとしたかたちを みせ ていた。悲 しみと喜びのあ いだ、 、 幸と不幸 のあ いだ の へだたりは わたしたち の場合 よ りも大 きか ったようだ。﹂と語り、 ルネ サ ン スが こう した感性 ゆたかな中世 の花を包 み込んで枯らしたため、 。 中世 の潟落 が始 ま ったと考 える 彼 は ここで中世時代 の誌人 ユスタ シ ュ ・デ ィシ ■ン 。 やジ ャン ・メシノーの詩 を紹介す る 、 、 おお、 みじめな と てもな し い生 よ 、 。 戦争があり 死 と飢 えとがある 、 、 、 寒 き 暑 き 昼と夜と がわれらを弱らせ 、 、 のみ だ にのたぐ いの虫どもが 、 、 。 戦 いをしかける つまりは 悲惨 が 。 。 卑 し いこの身を荒らす 生命 は短 い 中世 の秋﹄堀越孝 一訳からの引D ︵ホイジ ンガ ﹁ このような メラ ンヨリ ツクな心情 に人があ るとき、 その人 の心 には子供 っぼ い大喜 び への議望が錯綜 し つ 、 つ 俗世 から の解放 の希求が生 まれ出 るとホイジ ンガ は観察す る。 と ころ で私 たち は前述 のようなゆたかな心を失 って 。 多幸 の時代﹂ の悪戯 によ 久し い これは野 田が言 う ﹁ る のであ り、高度経済成長期 に育 った私たち に見 る感 、 情 の貧 しき 自分 たちが犯 した過去 の罪科 に対す る無 、 責任 他者 に対す る無関心などがそ の症状 とし て見 ら 。 れる これらは過去 の否認 に原因す る多幸症 によると 。 、 考 え てよ いだろう しかも まだ私 たちは この自分 の 、 。 病気 に気づかず 自減 の道を陽気 に歩 ん でいる いま、私 たちは罪責 の自覚 に立 ち返 り、真実 に ﹁ 平 。 和 の時代﹂を求 め て共生 しなければならな い 使徒 パ ウ 0は自分が犯 した罪あ る過去 に立 ち返 り、 これを機 、 、 悔 改心 し て キ リ ストの平和 に包まれた喜 び に感動 、 し て、﹁ 罪が死 によ って支 配し ていた よ う に 恵 みも 、 義 によ って支配し つつ わたしたち の主 イ エス ・キ リ ストを通し て永遠 の命 に導 く のです。﹂ ︵コー マの信従 。 への手紙五 ⋮二 一︶と語 っている 自分 たち の犯し た 、 忌 まわし い過去を直視し直 し そ の罪科 を本心 から悔 、 、 やみ 教 しを乞 うとき 私 たちは明 日の人生 のため に 、 、 学 ぶ べきも のごとを見出 し 失 った自分を取戻 し 生 きる勇気を蘇らせ ること が出来 る。 いま私 たち に本当 、 に必要なも のは こうした真面目さ であ り ﹁多 幸 の時 。 代﹂ から の脱出 であ る 第75号 修 ) ニ ュー ス チ ャペ ル ・ 1997年3月 21日発行 也 弘 村 勝 募 募 募 … 一九 九 二年 の マ ー ルブ ルク大学 の 、 冬 学期 の講 義 は 日か ら始 十 月 一言 一 ま った。 この頃 に はわ たし が十 月初 旬 か ら住 ん でいた カ ンベル の ﹁村 ﹂ 。 の生 活にも償れ た ず っと 若 か った時 、 代 に や は リ ドイ ツを 代 表 す る大 学 町 の ハイ デ ルベ ル ク で二年弱生活 し た ことがある。 あまり にも風光明娼なため に、 す っかり観光地 にな ってしま った ハイデ ルベ 、 ルクに比 べると マールブ ルクには本物 の学 。 、 問 の町 の雰囲気がある ただし その分 回舎 。 、 である カ ッベルは 神学部等 のある町 の中 心部 から パ スで二〇分位南 に行 った所 にある 、 、 から田舎 そのも の 十月初 旬 には 道路 から 。 放牧中 の乳牛 が いたる所 に見えた カ ッペル と言 う地名 は、 ラー ン河を見下 ろす小 さな丘 、 の上 村 の中心 にある ﹁ 礼拝堂﹂ から由来 し 。 、 たも のであ る カ ッベルは 英語 のチ ャベル に当 たる ︱なおドイ ツの標準 語 では礼拝堂 は カ ペレと言 う ︱。 ここはず っと マー ルプ ルク と は別 の村 であ った のが、 二0年 くら い前 に 。 合併 したよう であ る わたしが ミ ニ台所付き の部 屋 を 借 り て三 カ月 間暮 す こと にな った 、 ﹁ホ テル ・レストラ ン ・カー レ﹂ は こ の村 、 の唯 一の宿 屋と言 ってよく 集会場も兼 てい ドイ ツ漫遊 記 ―その4- る ︵ わたし のいた部屋 は別 棟 であ った が︶。 、 それ で 村 の スポ ー ツチームや環境保護団体 の集ま り、 お誕生 パーテ ィー、日本 の コ屋 控 の集会 のようなも の等 がし ょ っち ゅうある。 、 夕害時 にな ると ﹁レストラ ン﹂ には 連 日常 連 がや ってき てビー ルを飲 みながら ト ラ ンブ をす る。葉巻を ふかしながら立 ってガブガブ と ピールを飲 ん でいる連中 もけ っこう いる。 ここの樽から出 たピー ルは、他 に比 べて安 い うえ にけ ぅこううま いから、 わたしも暇 つぶ し によく立 ち飲 みグ ループの仲間 入りをした。 、 神戸 の地震 のことは こんな田合 でも みんな よく知 っている。 それ で、初対面 の人 たちと の最初 の話題 はなんと言 っても地震 であ った。 あ る日、飲 みに行くとやけ に元気 のいい御 。 年車 の大集団と い っし ょにな った カ ッペル 。 、 こ一 tの宿屋 の亭 の合唱団 であ った すぐ に , ユ ハイ ンツさんがわたし に指揮者を紹介 し て 。 、 下 さ った 聞けば 大学教会 のオ ルガ ニスト 、 兼教授 で ここの合唱団 の指揮 はヽ ラ ンテイ アでや っていると のこと であ った。す ぐ に親 しくな ってビ ールのグ ラスを重 ねるうち に、 、 彼 の専門 のオ ルガ ンの話 にな った ので わが 松蔭 ご自慢 の ﹁ガ ル ニエオ ルガ ン﹂を知 って いるかどうか尋 ねてみた。もち ろん日本 にあ る こと は知 っておられたが、 それがわたし の 動め ている小 さな大学 にあると知 ってび っく り。自分 の弾 いているオ ルガ ンは、 ﹁何 し ろ 。 日立大学 のも のだからね一 千 ⋮こ と のこと よく聞くと ドイ ツのど この大学 でも、 この御 、 時勢 の事 だから この種 の ﹁ 文化﹂ には予算 、 。 が取れな いのだと 視線 を落とした 十 一月 に入 ると朝夕 はぐ っと冷 え込 ん でく るが、村 の中 や周囲 の森 の白様 のは っぱが黄 。 金 に輝 いてすばらし い眺 め になる このころ は、 ど こを散歩 し ても たとえよう のな いほど 。 、 。 美 し い しかし それも束 の間 十 一月中旬 あたりから急激 に寒くなり、森 の落奈樹があ っ と言 う間 にす っかりは っばを落としてしまう。 。 、 池 の水も薄く氷 り始 める 朝 は霧 が深 いし 。 夕閣 はす ぐ に訪 れ る 曇天 が続 いたりす ると 。 褒と な毎 日 にな る 気温 は昼間 でもだ いた い 。 、 零度前後 であ る こんな 日の早朝 部屋を出 てホ テルの裏 にあ る空き地を通 ると目 の前 に 巨大 な豚さんがぶらさが っているのを見 てび っ くりした。層殺直後 のよう で、 ほんわかと湯 、 気が立 っており お っさんが番 手で肝臓 や腸 などを取 り出 し ている所だ った。 興味津 々で 立 って見 ていると ホ テルの中 から ハイ ンツき 、 んが現れ て のこぎ り でそ の啄をゴ リゴ リや りはじめた。 パ スがくる ので残念ながらそれ 、 、 以上見物 できなか ったが 後 で聞くと ここ の レストラ ンで出す ツーセージを作 るため で あ った。 田舎 のホテルの宣伝 用 バ ンフレ ット を見 るとよく ﹁ 当家 では層殺 した てのお いし いお肉 を提供 いたします﹂等 と書 いてある。 と っさ に ﹁あれや/﹂ と気付 いた。 日本 では これが ﹁ 当家 ではとれとれ の新鮮な魚介類を 。 、 提供します﹂となるわけだ なお ここのツー セージ は安 く てすごくうま い。 カ ッベルではよく民俗衣装 を者 た老婦人を 。 見 かけ る ヘッセ ン地方独特 の黒 いなま で、 頭髪 は上 にまとめ て黒 い飾 りを つける。 これ ま で観光 ガイ ドでしか見た ことがなか った の 1997年 3月 21日発行 チ ャペル ・ニ ュー ス (3)第 75号 、 で こんな のを普通 に着 ている老婦人が そこ ら中 にいる のを見 て最初 は驚 いた。もち ろん こんなおばあち ゃんの す 言 は、全然分 か 話 方 。 ら ら い な の な い 中 で お ばあち ゃん 村 突 然 知 に話 し掛 けられ、何 か アウ フ ︵ 英語の g に 当 たる語︶ と言 う単語 だけは分 か ったも のの チ ンプ ンカ ンブ ン。 そのまま通り過ぎ たのだ 、 が 途中 で ハタと傘 のことだと思 い つき振 り 、 向 くと このおばあち ゃん買物能を道 に下 ろ し て傘 を ひろげ た所 であ った。 アウ フには 。 、 o︺g の意味 も あ る のだ なぜ か わた し に 。 傘をあけ て欲 しか った のだ ろう ひと り書 し でお しか った のだ ろうか。 これ はも う想像を 。 越 える世界 であ る ︵つづ く︶ ︵ 教授 ・キリ スト教学︶ カッベルの牧会で祈る円人たち。 20世紀の初めまでは、村人はみなこんな服装を していた。 聖 書 の話 司録 松 岡 農 ︱顧︵ かえり︶みる日 ︱ チ, 多 ″ 主 は振 りむ いて ペテ ﹁を見 つめられた″ 一 ルカ による福音書 二二章六 一節 、 聖公会 の礼拝 では い つも代策 の中 で ﹁ 神 きま、悩む人、悲 しむ人、病気 の人、貧 し い 、 人 災難 の中 にある人 びとを顧 み て下 さ い﹂ 。 と祈 ります ︵ 祈策吉 〓ハ九頁︶ ﹁ 顧 みる﹂ の 原語 は前記 ルカ二二章六 一師 の ﹁ 振 りむく﹂ と同意語 です。顧 みると は、 ぶりかえ って見 。 る こと、 つま り心 にかける こと です 私達 は あ る人 を心 にかけ ていると見すごし にす る こ とが出来ず、 ふりかえ って見 る のです。 イ エスさまは最後 の晩優 の夜 ユダ の密告 に よ って群衆 に捕 えられ、大察司 の中庭 で裁判 されました。 そし て十字架刑を宣告 された の 。 です 筆頭弟子 であ った ペテ oは火 にあ たた まりながら裁判 の様子を そ っと見 ていました 、 が 大祭司 の女中 に見 つかり ﹁お前も イ エス の仲 間だ﹂と問 い つめられました。 そ のとき 、 ﹁ 私 はイ エスなんか知 らな い 仲間 ではな い﹂ と恐 ろしき のあまり に三度もう そを ついてイ エスさまを裏切 った のです。 そ のベテ ,をさ えも ﹁ 主 は振 りむ いて見 つめられた﹂と聖書 は語 っています。心 にかけ て愛 し い眼を そそ 。 がれた のです 顧 みる日と は このイ エスさま の目 です名 か つてテ レビ番組 の中 で作家 の二満綾 子さ 、 んが ﹁ 皆 さん 親 と いう字を書 いて見 て下 さ い。木 の上 に立 って見 ると書きます。 母 はわ が家を巣立 って行 く子供 の姿を顧 み の目 でい 、 、 つま でも見 つめ ついに見えなくなると 木 の上 に立 ってなるも見 つめ続け るのです﹂ と 。 語 っていました 私達 にと って大切な のは こ の﹁ 顧 みる日﹂ を持 つこと ではな いでし ょう 。 か 、 人 間 の文化が極度 に発達 し す べてが機械 。 化 され科学万能 の時代となりました 人 々は 、 利己主義 にな り お互 いを心 にかけ顧 みる こ とが少 なくな って参 りました。最近 アメリカ ではミー ︵ Sじ の時 代 と いわれ ています。 。 や ヽ︱﹂ は目的格 で ﹁ 私 に﹂ の意 です つま り総 てが ﹁ 私 に﹂ であ って他人 のことなどか ま っていられな い、周囲 の人 には無関心 にな っ 。 ています 自己充足 の時代、自己本位、自分 のみを満足 させる時代 と いわれ ています。 親 、 、 、 、 、 子 家庭 学校 職場 近隣社会 いろんな 。 場 で人 間関係 が崩壊 し つつあります す べて が ヨンピ ュータ ー化 され ていく今 日 であるほ ど、私達 は周囲 の人 々を見すご さな いで、多 く の困難 にあ る人 々を常 に顧 み、振 りむ いて いきた いも のです。 神戸松 蔭女 子学 院 チ ャベル 回路 .か お り 。南 野 泰 子 (シオン会・ 大学 4回生、3回生) 、 皆 さ ん 松蔭 女 子 学院 のチ ャペ ル に入 った ことが あ り ます か。 も っと も チ ャベ ルの外観 は、 普 段 か ら親 し く日 にし て いら っ し する こと でし ょ うが、どと ヽ チャ ベ ル の中 も ご覧 く 。 、 だ さ い まず 正 面 に壁 に掛 けら れ て いる大 き な十 字 、 し そ て大 理石 架 る東 の窓 には混沌 の海から ﹁ 光あ れ﹂ と の神 、 のみ言葉 によ って成 った輝 く光 が そし て鳥 、 や馬などが勢 い良 く走 って 神 の天地創造を 、 。 賛実 し ています しかも 次第 に人間 の世界 、 、 は暗黒 の世 へと堕落 しますが 闇を光 に 音 、 難 を喜び に導 く神 の働 きがあ る ことを 数 々 。 の絵 が物語 っています これら の絵 は ステ ン 。 造 り の祭壇 が目 に留ま ります 次 に見上げ て 5 ヽ 5 1 5 く さ 。 こには長径 1 い だ そ mの ス m 短径 1 0枚 が並 ん でいます。 これらは テ ンドグ ラス5 みな聖書 にその主題を見 る ことが出来 るも の 、 、 、 ばかり であ り 清く 聖 なる 極みのない天︵ 、 、 果 てしな い海原を表 す青 燃 える火 滴 るば 、 かり の血を表 す赤 そし て地 の平和を表す緑 。 の三色 を主とし て用 いています 緑 を主とす 教会 め ぐり1 7 ) ドグ ラス作家立花江津子氏 によ って制作され 。 、 たも のです なお こうした解説 の詳細 は本 学 の荒井章三教授 による解説書 ﹁LIGHT 。 O F L I G HT﹄ をご 覧 く だ さ い 、 次 に 二階 の本 ル コニーを見上 げ てみまし ょ 8 う。 こ こには 1 世 紀 の音 色 を 正確 に再 現 す る フラ ン ス ●オ ルガ ンがあ り ます。 そ の パイブ 、 の数 は 22 0 0本 も あ り 世 界 の代 表 的 オ ル 。 ガ ン奏者 達 も こ のオ ルガ ンを演豪 し ています ま た、 こ のオ ルガ ンは チ ャベ ルが行 う礼 拝 の 。 重 要 な機能 を担 って います ま た学生 の皆 さ O M I N I P R I N C I P I U M ん にも こ のオ ルガ ン演 奏 を学 習 す る機 会 が与 。 えら れ ています さら にチ ャベ ルの鐘 接 には 、4 カ リ ヨ ンが設 置 さ れ 1 個 の鐘 が実 し い メ ロ デ ィを 奏 でて礼 拝 や学 習 の時刻 を告 げ て いま 。 す i 、 次 に チ ャベル の エント ラ ン スの頭 l を 見 。 てみ まし ょう そ こ にラ テ ン語 でT I MO R D SCIENTIAE ︵ 主を畏れる こと は知識 の初 め である︶と いう旧約聖書 の歳言 1章 7 、 。 節 の言葉 が書かれ ています 私達 が 日々 学 問研究 に励む ことが出来 るよう導 く神 のみ前 に謙虚 にひざまづき祈 りを捧げまし ょう。 、 皆 さ んが析 りを解げ た いと思 ったとき には どうぞ自由 に、 気軽 にこのチ ャベルに入 って 。 、 下 さ い なお チ ャベルでの定刻 の社拝 であ 、 る スー ン ●サービ ス ︵ 昼 の祈 り︶ に 月曜 日 、 5分から2 0分間 で、聖 から金曜 日 午後 0時 3 、 、 。 書を読 み 講話を開き 賛実歌を捧げます 、 短 い時間 ですが このよう にし て私達 は心を 、 、 落ち着 かせ 心 ゆたか に生き る意味を問 い 。 神 にみ守 りを祈 ります また この新 り のひと 時 は大変 ア ットホー ムな気分 に浸 ることが で き、疲 れた気分、 緊張 で張り詰めた思 いを和 らげ る ことが出来ます。なお、 このスー ン ・ サービ スでの聖書 の朗読 やオ ルガ ン伴奏等 に は、学 生がすす んで奉仕 し ています。皆 さん も 井 これ に参加 し てくださ い。 是 この他 にも チ ャベルでは、誕生 回礼年、入 、 、 学感謝礼拝 卒業感謝礼年 タリ ス マス礼拝 、 。 があ ります こと にクリ スマス礼学 とく に 夕刻から始 まる クリ スマス ・キ ャンド ルサー ビ スには全員 が ol ツクを手 に持 ってクリ ス マス ・キ ャ ,ルを歌 い、祈 りを捧げ、 チ ャペ ルはオ ルガ ンと聖歌隊 の演奏が万堂 に響 きわ 、 た って 何 とも言 い尽せな い感動、厳 かな雰 。 囲気 に私達 は香 み込 まれ てしま います 今年 、 1997年 のクリスマス礼拝 はセ月0 1日 ︵ 水︶ 。 ■日 ︵ 木︶ の予定 です このチ ャペルでのク リ スマス礼拝 は授業 と の関係 でこのよう に少 し早 い時期 に行 われます。教会 のクリ ス マス 礼拝 に是井とも参加 し てみ ては いかが でし ょ うか。 き っと素敵 な思 い出 をあなた の胸 に刻 。 む ことが出来 る でし ょう 本学 チ ャベル 第75号 昭 ) ニ ュー ス チ ャペ ル ・ 1997年 3月 21日 発行 要 歌 隊 で の四 年 間 、 ベ ル で練 習 ば か り し て いる の ではな く 色 々 。 な 学校 の行 事 で歌 って いま し た クリ ス マス﹂ 前に一 行われ るキ ャ ンド ルサ ービ スはそ の名 の通 リキ ャ ンド ルを 持 って ︵ 践近 、 は ベ ンライ ト です か ︾礼 中 を行 う の です が 、 チ ャベ ルが貞 一時 にな り キ ャ ンド ルの炎 だ け で歌 う時 はと ても神 聖 な気持 ち にな りま し 。 た し か し練 留 では誰 も いな いチ ャ末 ルで致 、 い 誕生 回礼 祥 で歌 う時 も出 席 す る学 生 はと ても少 な い のにキ ャ ンド ルサ ー ビ スには チ ャ 、 ペル い っば い に学 生 が座 って い て い つも と 、 チ ャベ ルの雰 囲気 が違 う の二 ″怒 いますが \ オ ル ガ ン奉 仕 回 想 訂 伊 藤 嘉奈子 し てみ な いク ﹂ 、 、 と 上 野 先 生 に声 を か け て頂 い てか ら は や 。 三年 か経 と うと し ていま す 大 学 入学 前 か ら 、 松 蔭 のオ ルガ ンに億 れ て いた私 には この奏 、 楽 の暮 仕 を 通 し て オ ルガ ンに触 れ る機 会 が 、 よ り多 く与 えら れ レ ッス ンま で受 け る こと 。 、 が でき ると いう こと は 大 き な喜 び でし た 、 、 今 卒業 を間 近 に推 え この四年 間 を 振 り返 、 、 るとき 私 にと って こ の スー ンサ ー ビ スで 、 ﹁伊 藤 さ ん スー ンサ ービ スの奏業 の春 仕 オルガ ンを伴奏 する筆者 蒼 葉 挙 科 松 島 実 和 聖 歌隊 に入 った こと で私 の大 学生 活 はと て も素 哨 ら し い四年 間 にな りま し た。 私 の心 に 残 っている聖 歌 隊 の思 い出 を振 り返 ってみ よ うと 思 います。 聖歌 隊 の練 習 は月 曜 日と火 曜 日 の五限 目 に 、 チ ャ ベル で行 い 指 導 し て下 さ る のは梅 村先 、 。 生 です 先 生 はと ても おし ゃべり が好 き で 、 練 習 の合 間 に日 を ク リ クリ させ て 身振 り手 、 振 りを交 え てお し ゃべりを す る の です が そ 、 の話 か面白 く て笑 いなから歌 っていると あ っ 。 と いう間 に時 間 が過 ぎ てし ま います チ ャペ ル で歌 うと歌 声 が智 い て何 と な く上手 に聞 こ え る気 が す る の で気 持 ち よく歌 う こと が でき 。 ま す そ れ に天 丼近 く には め込 ま れ て いる ス 、 々なこ の テ ンドグ ラ スに 日 ︼ た って 夕 が 様 、日 が沈 む と中 光 が チ ャ末 ルに斉 し込 んだ り 央 の ステ ンドグ ラ スが ライ ト に照 ら さ れ る の 、 、 で それ を見 な か ら軟 って いると 一瞬 こ こ が大 学 であ る こと を忘 れ てし ま う くら い幻想 。 的 な気 持 ち にな れます そ れ で私 は こ の時 間 、 が人好 き で 聖 歌 隊 に入 ってよか ったと心 か ら思 ってきました。 ても このような素敵な チ ャ 梅村発生 (左)と 共 に立 つ窄者 1997年 3月 21日 発行 チ ャベル ・ニ ュー ス 15)第 75号 、 そ んな時 正面 にあ る ステ ントグ ラ スを 見 て 。 心 を落 ち青 か せ て いま し た 、 礼拝 行 事 以外 にと 日 の卒 業上 の結 嬌 式 で も歌 いま す。 晴 れ た 日 には、 床 や白 い野 に差 し込 む ステ ンドグ ラ スの光 を式 の間 、 ず っと 。 眺 め ている こと も あ り まし た 赤 いガ ウ ンを 、 着 て四年 間 歌 う こと が でき て と ても子 せ て し た。 、 最 後 にな り ま し た が 四 年 同 お 世 話 にな っ 、 宗 教 セ ンタ ー の方 々 に感 謝 し ま た梅 村 先 i ,。 チ ︵ 次京︶ の奏 英 の奉 ■ が と ても大 き な経 験 であ った こ とを 改 め て感 じ さ せら れ ます。 、 初 め て本仕 を さ せ て頂 いた頃 は 毎 H が緊 、 張 の連 続 で 同 一回 の奉 ■ に時 間 を かけ て 、 、 準 備 し て いまし たか 慣 れ る に従 って 日 々 、 の忙 し さ にまか せ 準 備 不足 のまま で レ ッス ンや奉仕 に臨 む こと も多 くな ってし ま いま し 、 。 、 た そ のよう な中 でも 私 自身 常 に忘 れ な いよう に心掛 け ていた こと が 一つだ けあ りま 、 。 す それ は 神 様 を 見i げ てオ ルガ ンに向 か 、 うと いう こと です。 ヌー ンサ ービ スは 私 の 、 練 留 の成 果 を 発 揮 す る為 の場 ではな く 神 様 、 を礼件 す る為 の場 であ る こと を い つも心 に 。 留 め て いた いと顧 い つ つ事 仕 し てき ま し た 、 私 自 身 の状 態 か ど う であ っても 心 を静 め て 、 神 様 を礼 第 す ると き 不思 議 に心 に平安 を与 。 えら れ た こと を覚 え ています 忙 し い学t 仁 、 、 活 の中 で お岸 の 一時 静 か な礼拝 の時 を 持 、 てると いう こと は 素 晴 らし いこと だ と思 い 、 。 ます 一人 でも多く の学生 が このスー ンサー ビ スに集 う こと が出 来 る よう、 祈 り願 うも の 。 です 、 、 オ ルガ ンの奉仕 を通 し て 私 は 言葉 では 。 一 言い表 せな い多 く のも のを 与 え ら れま し た この奉 仕 は、 神 様 か ら私 に与 え ら れ た ブ レゼ ントだ った ような気 が し ます。 私 のオ ルガ ン 、 、 が ほん の少 し でも 神 様 への設 美 と な って 。 いれ ば嬉 しく思 いま す 、 最後 にな りま し たが い つも練 習 不 足 の私 、 を暖 か く見守 り ご指 導 し て下 さ った上 野先 。 生 に心 か ら感 謝 いたし ます あ りが と うご ざ 。 いま し た シ オ ンタ に 参 加 し て 短大基 文字科奏信学 手客 手 一 共 ケ谷 装 香 、 私 が シオ ン会 に入 った のは キリ スト教と はどんなも のな のか、 クリ スチ ャンの人達と は 一体ど んな人達 な のかと いう こと に興味が あ ったから です。 シオ ン会 に入 るま では、昼 休 み のお弁当なども教ま で友達 と食 べていた 、 のですが だらだらと意味 のな い話をしなが ら、 と ても退日 で面白 くあ りません でした。 新学期早 々あまり気 の合 う友達 が できなか っ たと いう理由 もあ るのですが。そういう訳 で、 、 私 は シオ ン会 に入 ってからは 毎 日宗教 セ ン ター で昼食を取 る こと にしました。 あまリ シ オ ン会 の人達 がすす ん で来 ると いう ことがな 、 か った ので 一人 で林 しく食 べている時もあ りましたが、先章が いた時など はと ても楽 し く食 べる ことが できました。私 にと ってシオ ン会 と は心 のよりど ころでした。 もし シオ ン 。 松蔭︶ 5 13 ︵ 松蔭︶ 醸蜘 ︵ 線霧 佳法 決 勝 O武本 ・穂 5 13 緩和 ・岡 田︵ 佳︶ 。 武本 ・穂組 は優勝 緩利 ・岡田 ︵ 佳︶組 は 、 。 準優勝 松尾 ・握野組 は3位とな ,た ◎全 日本学生選抜 ソフト テ ニスイ ンド ア選手 権大会 0 日、東京 セ月 1 体育館 で開催 準決勝 本 日本体育大学︶ ︵ 松蔭︶ 5 12 ︵ 綴 荷性 ○ 決 勝 本 5 13 O ︵日本体育大学︶ 瀬 瀬船 5 14 榔晦 山 九州産業大︶ ︵ 武本 ・楠組 は優勝 ◎九州学生 選抜 ソフト テ ニスイ ンド ア選手権 大会 2月 1 5日、 岡市東 ︲ 福 平尾運動 公園 で開催 撃決勝 決 勝 ○ 松 蔭 ︶ 配 蔚︵ 1 15 九州産業大学︶O ︵ 締茄 。 江守 ・加藤組 は準優勝とな った 胆瀬 ■学部 ◎全 日本学生 選手権大会 0月 2 5∼ 2 7日、東京体首館 で開 1 催 ダブ ルス準 々決勝 細山 ・上 回 の4回生 ペアは全 日本学生 ダブ ルスでラ ンキ ング 5位 とな ったが、 これ は4 回戦 で前年度 ラ ンキ ング3位 の鎮西 ・塩見組 大正大︶を破 った ことが 評価 され た も のと ︵ 。 思 われ る ︲ 8 ︲ ︲ 2 ︲ 4 ︲ ︲ 2 ︲ 〇 2 ︲ 5 ︲ ︲ 印 摘 ﹁ 稲 2 ͡ 碑 ギ ︶ ◎ 関西学生 選抜 イ ンド ア ・ソフトテ ニス選手 権大会 1 4 日、 大阪中央体育館 で開催 1月 2 準決勝 ○武本 ・楠 ︵ 松蔭︶ 511 小谷 ・中島 ︵ 天理︶ ソフト テ ニス部 ︱ 一 フ ラ ッショ 〓 ス 、 会 が無 か ったら 私 のこの二年間 は空し いも 。 、 のにな っていたと思 います 宗教 と いうと 、 取 っつき にく いも ののよう に感 じます が シ オ ン会 はクリ スチ ャ ンでなくとも入れます。 そう いう意味 で、 シオ ン会 は宗教 に対す る偏 。 見を除く いい場 であります これからも大学 生活を充実 させるため にシオ ン会 に入 る学生 。 が増 え て欲 し いです 介態ポラ ンテ ィア をする筆者 ヽ.___r′ 第75号 崎 ) ニ ュー ス チ ャペル ・ 1997年 3月 21日発行 1997年3月 21日発行 チ ャペ ル ・ニ ュー ス (7)第 75, 日文学科 4回生 (車球部) 子 祥 林 、 7 今 回 私 は ﹁1 h t イ タ リ ァォ ー プ ン﹂ と いう試合 、 に参加す るため 1 0 9 1月 2 日∼ 1月 6 、 タリ ア イ 日ま で の ボ ル ツ ァー タと い う 町 に行 って き 。 と い って ました も、関西学生卓球 連 盟選抜 チームの ユ務 とし て同行 し まし た。残念なが ら、試合 をす る こ とは出来 ませんが、選抜 チー ムの主務 とし て 、 イタリアに行 けるだけ で幸 せでした。しかし 、 。 私 はこの年 で 飛行機 に乗るのも初め てです この時代 に二十歳すぎ て飛行機 に乗 った こと 、 。 がな いのも すご く珍し いと思 います とも 、 あれ、期待と不安を抱えたまま イタリ アを 目指 しました。 2 さ て、 日本を出一 発し て約1時間後ヽボルツァ ー タに到着 しました。 ほと んど飛行機 の中 で したが、 日本を初め いろいろな国 を上から見 、 、 下 ろした時 や 雲 の上 を飛 ん でいる時 は と 、 。 ても感動 しました 私 にと っては 全 てのこ 、 とが初 め ての経験 で、 何もかも珍しく 主務 と いう立場を忘 れ てす っかり観北気分 でした。 と にかく、感動 の連続 で、 ポ ル ツァータの 。 、 町並 みや 景色も素晴 らし いも のでした 初 日 この町を みんな で観光 した時、山 に登りま した。山と い っても 日本 とは、 ま ったく違 い イタ リア紀行 ます 。 、 今 ま で 写真 な ど でし か目 にす る こと 、 。 日 の前 に広 が りま し た が な か った景色 が ﹁わ ぁ1/﹂ と いう 一言 し か あ り ま せ ん でし 、 た が 気 付 いたら シ ャ ッタ ーを押 し ま く って 。 いまし た 、 イ タ リ アと いえば ″木 スタ″ が 有 名 です 。 、 が ︵ 行 く前 か ら楽 し み にし て いま し た ︶ 確 。 、 か にお いし か った です 昼食 と夕 食 は 木 ス タ、 肉料 理、 デザ ート の パタ ー ンで決 ま って 、 。 いま し た 初 め は満 足 てし たが 約 1週 間 1 、 、 日 2回 この メ ニ ェーが続 くと 次 第 に あ っ 。 たか いご は んと味 暗 汁 が恋 しく な り ます 毎 、 食 味付 け は変 え てあ って いろ んな味 を経験 し ま し たが、 や は り 日本食 が 一番 です。 男 子 。 、 監 督 の勝 先生 は ﹁日本食 が い いな あ ﹂ と嘆 、 い てお ら れ まし た し イ ンスタ ント食 品 を食 、 。 べ て いた選 手 も いまし た 日本 全戻 ってき て 2 カ月 く ら い パ スタを 見 る のも擁 でし た。 、 と ころ で 出 発 し てか ら無事 日本 に 戻るま 、 。 で 何 も な か った わ け ではあ りま せ ん 添乗 、 員 は いま せ んし 回 の中 にイ タ リ ア語 を 話 せ 、 る人 は いま せ ん。 ︵ 初 め の3 日間 だ け 勝先 、 生 の知 り合 いのジ ャネ スさん に頼 んで 通訳 し てもら いまし た。︶関 西学生 卓 球 連 盟 と し 。 、 ても このような単独 の遠征は初めてでした 、 、 だから 旅を盛 り上 げ る 問題 や ハブ エング 。 、 がありました まず は ホテルの宿泊料を出 、 発前 は ホ テルに直接払 うよう に言 われ てい ました。 しかし、試合会場 に行 ってみると、 。 主催者側 に現金 で払 うよう に言われました 、 支払 いはカ ードを使 う予定 だ った ので 宿泊 料 が払 え るほど のお金を持 っていませ ん でし 。 、 た いろ いろ考 えた挙げ旬 同 じ日本代表 と し て参加し ていた松下浩 二選子 に、 お金 を借 りること になりました。 もう 一つ、忘 れられ 、 、 な いのは 密 や雨 で飛行機 が運れ も う少 し 。 で帰国が延び ると ころでした オ ラ ングを経 、 由す る飛行機 でしたが オ ラ ンタ の空港 がす 、 ごい け ていた のに再び エンジ で 掛 雨 着 陸 仕 ン全開 になるなど、飛一 行機 にトラブ ルでもあ っ 。 た のかとび っくりしました 、 、 最後 に この遠征を振 り返 って 主務 らし 、 。 いこと は 何 一つし て いな いと 思 います 。 、 試合 の様子 は 音 いていませんが⋮ ⋮ ︶ け ︵ 、 れども私自身 は 貴重 な経験をしたと思 って 、 います。初めは何もかもが一 介安で 小さくな っ 、 、 ていまし たが いろ いろな国 の人 と出会 い だ んだんと片言 の英語 で話す ことが出来 るよ う になりました。相手 に物事を伝え ると いう こと は、 と ても難し い事 ですが、 この遺征 で 、 言葉 の違 う国 の人と そ ≧ ニケーシ ョンを 、 取 る ことが でき そ の喜 びを味 わう ことが出 。 、 来 ました い つま でも 心 に残 るいい旅行 で した。 第75号 0 チ ャベ ル ・ニ ュー ス 1997年 3月 21日発行 ◎ 逝去者記念礼拝 1 毎年行 われ ている逝去者記念礼拝 は昨年 1 4国内 スー ン ・サービ スの時 間 にチ ャペ 月2 一 ルで開催 された。学院創 設 に尽 く され た H ・ ︲ の G・フォス師を はじめ6 名 逝去 教 職 員 の壼 、 魂 の安息 と視福 を願 い 厳 か に析 りが捧げら れた。 なお今回 は元教員大 谷篤蔵先生 と現戦 で近去 された村上 二郎先生 のお二人が逝去者 。 名簿 に加えられた ◎ クラブ活動 ・対外試合優勝記念感謝礼拝 2月 5国内、 5年連続 5回目 の優 今年度 は1 ″ 勝と いう輝かし い勝利 を達成し た なぎなた 0回優 勝 を げ た 部 と関 西 リ ーグ戦 通算 5 基 ク ″ソフトテ ニス 部″ の部員 が感謝 の析 りを解 、 げ 友枝学長 のお祝 いの言葉と学長賞 が綬与 さ た。 なお、 を代表 し てなぎなた部部 れ 両 部 ″ 感謝 の言葉﹂とし て 私 員大西泰代 さんが ﹁ たちを勝利 に導 いてくださ いました神 と大学 。 関係者 の皆様 に心から感謝 します ⋮⋮私 た 、 ち の勝利 を文 え てくれた のは仲間と先輩達 それ に顧間 の先生 です。 ⋮⋮ これからも切嵯 琢磨 し て輝 かし い本学 の伝続 を引き継 いでい きた いと思 います。″と換拶 した。 ◎卒業感謝礼拝 0 0 0 より 0 今年 2月 7日0年前 1時 3 分 約 1名 の 、 、 卒業予定 の短大 大学学生が参集 し て 心 か ら の感謝 の折 りが捧 げられた。 なお黒沢学院 長 の挨拶 に次 いで日本聖公会神戸教区主教古 、 本純 一郎師父が テサ ロニケ信徒 への手紙 I 教 セ ンタ ー便 り ◎教会 オ ルガ ニスト検定試験公開演奏 5日 、 木 明 今年 2月 1 口 鈴 雅 先生 の指導を受 2名が教会 オ ルガ 一スト検定試験 に け た 学 生 、 0 挑み 約6 名 の聴衆 が聞き入 る公開演奏 でそ の検定を受 けられた。なお、 この方 々は演奏 、 後 鈴木先生 やチ ,ブ レンから励まし の言葉 を聞 いて無事 そ の検定試験 に合格 され た。受 。 験学生お よび演奏曲 目 は次 のとおり 市川友子 さん F・クープ ラ ン⋮教 区 のた め のオ ルガ ン ・ミサ曲 よリキリ エ、 J・S・バ ッ 、 ハープ レリ ュードと フーガ ホ短 調 そ の他 2曲 7 5 番 コと十架 の上 にヽ 字都富 冷さん 贅姜 歌2 、 JoS・ バ ッハ⋮ ヨラール人罪な き神 の子羊V その他 1曲 ◎ スチ ューア ント ・コンサート 5日 昼 のひととき、 オ ルガ ン 講 3月 1 ω 受 生 ならびに聴議生 6名は日頃 の練習 の成果を チャ ベルで発表 した。 このとき演奏 した のは次 の 。 、 方 々 であ った 鈴木康代 さん 石黒美知子 さ 、 、 、 ん 林 暁 子さん 伊藤嘉奈子 さん 氷室美 、 。 果さ ん 島井範子 さん 3 ◎今年度 のチ ャベル活動奉仕者数 は延 6名 。 多 く の方 の奉仕参加 に心 より感謝 します そ の数 の内訳 は次 の通り でした。 、 2名 ︵ シオ ン会 ⋮1 今年度卒業 生 は3名 ︶ オ 6 4 ︶、 ルガ ン演奏 ⋮1 は 名 ︵ 今 年 度 卒 業 生 名 5名 ︵ 4名︶な お 上 聖歌隊 ⋮3 今年度卒業生 1 以 の奉仕者 には これら のうち二 つにわた った方 2 ︲2 を用 いて、 への 5章 1 感謝 の意味 に 神 2節 。 ついて説教 された また聖歌隊 によ って ヘン デル作曲∧ああ感謝 せんV が演豪 された。 が 6名 お ら れ た 。 チ ヤベ ル で結婚 式 守 け おめ でとう ′ ●●● 1月 4日 日 1 ︵ ︶吉岡美賀子姉 ︵ 大学国文学科 2 3 9年卒︶と朝倉康博兄 1 0日 3 上︶中野圭捨姉 ︵ 1月 3 ︵ 大学国文学科 9 年卒︶と今 西秀典 兄 2 1 4日 ︵ 月 ︲ 土 ︶西日有紀子姉 ︵ 短大生活科学 4年年︶と石升誉士雄兄 科9 2月 1日 ︵ 土︶岩崎睦子姉 ︵ 大学英米文字科 ︲ 9年卒︶ と糠野克之 兄 2月 2日 ︵日︶中野裕美子姉 ︵ 大学英米文学 3 と 中 科9 年 卒 ︶ 畑 達 也 姉 5日 ︵ 9年 2月 1 土︶大野歩姉 ︵ 短大英文学科 8 卒︶と西村道隆 兄 6日 ︵日︶光安葉 子姉 ︵ 0 2月 1 短大英文学科 9 年卒︶と来海章治兄 それぞれチ ャベルで結婚式を挙げ られまし た。 おあ でとうござ います。