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第6章 テイラーと科学的管理法 フレデリック・W・テイラー(Taylor

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第6章 テイラーと科学的管理法 フレデリック・W・テイラー(Taylor
第 6 章 泰勒和科学管理法
第6章 テイラーと科学的管理法
フ レ デ リ ッ ク ・ W ・ テ イ ラ ー ( Taylor,
弗雷德里克•温斯洛•泰勒是美国机械工程
Frederick W. ) は ア メ リ カ 機 械 技 師 協 会
师学会活动和当时兴起的效率提高运动的集大
(ASME)の活動や当時の能率増進運動を集大
成者,被尊称为“科学管理之父(the father of
成し、理論的に体系化した。今日では「科学的
scientific management)”
。
管 理 法 の 父 ( the father of scientific
management)」とよばれている。
1.テイラーとその時代
1.
泰勒和他所处的时代
(1)生い立ち
(1) 成长历程
弁護士の子供として 1856 年アメリカ東部の
1856 年,泰勒出生于美国东部的费城,其
フィラデルフィアに生まれた。父母はクエーカ
父亲是律师。他的双亲是教友会成员,有着新教
ーとピューリタンで怠惰を嫌うピューリタン
徒式的厌恶懒惰的价值观。泰勒在法国、德国和
的な勤労観を身につけたといわれている。フラ
意大利等地接受了初等教育,并考上了哈佛大
ンス、ドイツ、イタリアなど海外で初等教育を
学,但因视力受损而放弃了入学。1874 年 19 岁
受けて、ハーヴァード大学にも合格したが、目
的泰勒进入费城的一家水泵工厂。
を悪くして入学を断念、1874 年に 19 歳でフィ
ラデルフィアのポンプ工場に入社した。
1878 年、22 歳でミッドベール・スチール社
1878 年 22 岁的泰勒进入米德维尔钢铁公
に入社、最初は機械工であったが、1880 年に
司。刚开始他只是一名机械工,1880 年升为机
旋盤作業の組長、1882 年に職長になり、1883
工组长,1882 年又被提拔为车间工长。1883 年
年にはスティーブンス工科大学から工学修士
泰勒获得史蒂文斯技术学院机械工程硕士学位,
の学位を得て、1886 年にはアメリカ機械技師
1886 年成为美国机械工程师学会(ASME)的会
協会(ASME)の会員になっている。
员。
この間、日給の現場作業者から現場監督者ま
在这期间,从领取日薪的工人到生产现场的
で、生産現場におけるさまざまな職種を経験し
监管者,泰勒历经了各种各样的职务,因此他非
たことによって、当時の生産現場の実情や矛盾
常了解生产现场的实际情况和存在的矛盾。
を熟知することになった。
テイラーは、ミッドベール時代に、工作機械
在米德维尔钢铁公司工作时期,泰勒就投身
や作業工程の改善に取り組み、時間研究や動作
于改善机器和生产作业的工作中,他着手研究劳
研究に着手、さまざまな作業実験を行なった。 动时间和劳动动作,进行了各种各样的实验。这
後に後継者の一人となるガント(Gantt, H. L.) 一时期
(1887 年)泰勒接班人之一的甘特
(Gannt,
がミッドベール・スチール社に来たのもこの頃
H. L.)也来到米德维尔钢铁公司。日后成为泰
(1887 年)であり、バース(Barth, C. G.)な
勒的弟子并一起创立科学管理法的卡尔·巴思等
どテイラ-と共に科学的管理法を確立した弟
人,也是在米德维尔时代聚集到一起的。
子が集まったのもミッドベール時代である。
1
金 属 削 り の 研 究 は 、 1898 年 に ホ ワ イ ト
1898 年泰勒和怀特(White, M.)一起发
(White, M.)が加わったことによってハイス
明了高速工具钢。所谓高速工具钢,就是用其制
とよばれる高速度鋼の発見につながった。高速
造的刀具可在高速运转下切割金属而不会发生
度鋼は、高速で金属を削っても刃物のヤキが戻
卷刃,这项发明也被称为泰勒怀特工具钢。
らないところからつけられた名前だが、発見者
に因んでテイラー・ホワイト・ツール・スティ
ールともよばれている。
テイラーは、この高速度鋼のほか 200 の特
除了高速工具钢泰勒拥有 200 多项专利,他
許をもっていたためにコンサルタント業とし
也因此开始独立地从事经营管理顾问的工作。泰
て独立できた。技術者としての基礎が固まった
勒的技师素养正是在米德维尔时代形成的。
のがこのミッドベール時代である。
(2) 初期的作业研究
(2)初期の作業研究
その後、1890 年に 35 歳でミッドベール・
1890 年 35 岁的泰勒从米德维尔钢铁公司
スチール社を退職してからは、マニュファクチ
辞职。这之后他在费城制造投资公司
ュアリング・インベストメント社(パルプ工場
(Manufacturing Investment Company,一家经
を経営する会社)など数社で工場管理を実践
营造纸工厂的公司)等多家企业进行了管理工作
し、1898 年にはベスレヘム・スチール社に移
的实践。1989 年他来到伯利恒钢铁公司,在那
って、ズク運びやショベル作業の研究を行なっ
里进行了“搬运生铁块试验”和“铁锹试验”。
た。
①
イ.ズク運びの研究
1898 年、スペイン戦争の影響でズク(銑鉄)
搬运生铁块试验
1898 年,受西班牙战争的影响生铁的价格
の価格が上昇したため、ベスレヘム・スチール
高涨,伯利恒钢铁公司 8 万吨生铁一售而空。当
社は8万トンのズクを売却することにした。75
时共有 75 工人从事这项工作,而每人每天的搬
人の作業者がこれにあたったが、一人が貨車ま
运量只有 12.5 吨。
で運ぶズクの量は一日あたり 12.5 トンにすぎ
なかった。
テイラーは、75 人の作業者を調べ、体力の
泰勒对这 75 名工人进行了调查,并对其中
ある4人に注目し性格や習慣や野心について
体力出众的 4 人的性格、习惯和上进心进行了重
調査した。その一人に1マイルの道を歩いてや
点研究。他们之中有一个名叫施密特的工人,他
って来るシュミットという作業者がいた。彼は
每天上班要步行 1 公里。施密特性格坚韧,是一
粘り強い性格で、少しばかりの地所を買い込み
个只要拥有巴掌大的土地便能自己盖小屋居住
自分で小さな家の壁を作っている「しまり屋」 的“勤俭之人”。于是泰勒和他商量,把一天的
だった。そこで彼と交渉して日給を 1.15 ドル
工资从 1.15 美元涨到 1.18,条件是他要按泰勒
から 1.85 ドルまで引き上げるかわりに、テイ
的指示来工作。
2
ラーの指示通りに働くことを承知させた。
その結果、シュミットは一日に 47.5 トンの
一天下来施密特搬运了 47.5 吨的生铁。这
ズクを運んだ。この成果をテイラ-は「ズク運
让泰勒认定为“搬运生铁块中也有科学”。虽然
びにも科学がいる」としている。賃金も重要だ
工资很重要,但连续搬运 47 吨的生铁,如果只
が、賃金が欲しいという欲望だけで 47 トンの
靠拿工资这个欲望的支撑,一上午就会累得精疲
ズクを運び続けたら午前中にも疲れきってし
力尽。
まったというのである。
また、テイラーは、課業管理において「課業
泰勒把“按照一流工人的标准设定任务”列
を一流工員の水準に設定する」という原理を5
为任务管理的第 5 项原理。在搬运生铁块试验
番目にあげているが、このズク運びの研究で
中,他挑选的正是施密特这样一名适合搬运工作
も、シュミットというズク運びに適した人材を
的人才。
選別したわけである。
②
ロ.ショベル作業の研究
铁锹试验
ベスレヘム・スチール社では約 600 人の作
伯利恒钢铁公司大约有 600 名工人使用铁
業者がショベルを使って作業をしていたが、シ
锹进行搬运,搬运物在形状和重量上多种多样,
ョベルですくう物は形も重さもさまざまであ
加上工人们随意地选用铁锹,所以搬运量也参差
った。また、作業者は好き勝手にショベルを選
不齐。
んでいたので作業量にバラツキがあった。
テイラーは、二人の作業者を選び、ショベル
泰勒挑选了两名工人,一边改变铁锹的大
の大きさを変えながら一杯あたりの平均重量
小,一边调查每次可铲的平均重量与搬运量之间
と作業量の関係を調べた。最初は、平均重量
的关系。一开始,当平均重量为 38 磅时搬运量
38 ポンドで一日の作業量が 25 トンであった
为 25 吨。然后选用小一些的铁锹,当平均重量
が、ショベルの大きさを小さくしてショベル一
为 34 磅时一天的搬运量达到 30 吨。继续换更小
杯の平均重量を 34 ポンドにすると、一日の作
的铁锹,当平均重量为 21 磅左右时搬运量达到
業量は 30 トンに増大した。さらにショベルを
最大值,再往下降时搬运量降低。
小さくして平均重量を 21 ポンド前後にすると
作業量は最大になり、それ以下では作業量も低
下することが分かった。
次に、21 ポンドを標準重量として、重い鉱
接下来,以 21 磅作为标准重量,吩咐工人
石には小さいショベル、軽い灰には大きなショ
铲重的矿石时用小铁锹,铲轻的灰和沙土时用大
ベルを使わせることにした。こうして8種類の
铁锹,这样下来共有 8 种铁锹被选用。为了保管
ショベルが選ばれ、これらを保管するために工
这些铁锹,还建起了工具室。泰勒进一步测定了
具室が作られた。さらに、積み上げた材料の中
作业中铁锹铲入搬运物时的速度和高度,并用秒
にショベルを押し込む速さや高さ、材料を投げ
表测定了挥动铁锹的时间。
(图 6-1)
るときの時間もストップウォッチを使って測
3
定された。(図表 6-1)
このショベルの研究は別の改革も生み出し
铁锹试验还催生了另外的改革。为了给 600
た。600 人もの作業者に迅速に適切なショベル
名工人快速合理地配发铁锹,事先需要对日程和
を配付するためには事前に十分に日程や作業
作业内容进行充分计划,于是“计划”的重要性
内容などを計画しておく必要がある。このため
增加,承担这项工作的主管和办事员也有了自己
「計画」という仕事の重要性が高まり、この仕
的办公室。这强化了“计划部”的功能。
事をする主任や事務員のために工務室が設置
工具的标准化
确定最佳搬运量
された。「計画部」の機能が強化されたのであ
38磅
る。
34磅
21磅
25吨/每天
矿石
30吨/每天
按照搬运物的
不同选择不同
号码的铁锹
参差不齐
最大
磅21以下 减少
矿石
灰和沙土
灰和沙土
图表 6-1 泰勒的铁锹试验
図表 6-1 テイラーのショベルの研究
計画部は間接部門なのでオーバーヘッド・コ
计划部是间接部门,其运作要花费管理费
スト(事務員に支払う賃金など間接的な費用) (overhead cost 支付给管理人员的工资等间
がかかる。しかし、テイラーの計算では一人あ
接费用)。但泰勒的计算表明,因为平均作业量
たりの作業量が平均16トンから平均 59 トン
从每人 16 吨增加到 59 吨,所以平均作业费用也
に大幅に増大するために平均作業費用は一人
从每人 0.072 美元减少为 0.032 美元。
(图表 6-2)
あたり 0.072 ドルから 0.032 ドルですんだ。
(図
工人人数
每人每天平均吨数
每人每天平均工资
每吨平均作业费用
表 6-2)
旧制度
新制度
400-600 人
16 吨
1.15 美元
0.072 美元
140 人
59 吨
1.88 美元
0.032 美元
图表 6-2 铁锹实验的成果
図表 6-2 ショベル研究の成果
(3)科学的管理法の確立
(3) 科学管理法的确立
イ.コンサルタントとしての活動
(1) 管理咨询的活动
それまでの実験や研究は、コンサルタントと
以上试验和研究的成果促使泰勒以顾问的
して独立して結実した。たとえば、フィラデル
身份独立开展管理咨询工作。濒临破产的费城
フィアのテイバー社は破産寸前だったがテイ
Tabor 公司接受泰勒的指导,6 年间生产量提高
ラ-の指導を受けた6年後には生産高で3倍
了 3 倍,产品价格下降了 27%,同时工资水平还
となり、製品価格を 27%引き下げてなおかつ賃
增长了 37%。Link-Belt 公司也是在泰勒的指导
金は 37%増大するという成果をあげた。リンク
下几年之内生产量就提高了一倍。
4
ベルト社も、テイラ-の指導のもとに数年にし
て生産高が2倍になった。
在取得这些成果的背景下,泰勒将以往的研
こうした成果を背景に、テイラ-はそれまで
の研究を著書にまとめ、『出来高払い制私案
究进行总结,出版了《计件工资制》(1895 年)、
(1895)』『工場管理(1903)』『科学的管理法
《工场管理》
(1903 年)以及《科学管理原理》
の原理(1911)』などを出版し、同時に積極的
(1911 年)等多本著作,同时他还积极地从事
に講演活動を行った。
演讲活动。
ロ.科学的管理法の命名
(2) 科学管理法的命名
こうして科学的管理法が体系化されていっ
在泰勒的努力下科学管理法不断成熟,但他
たが、テイラ-の手法に対する労働組合の反発
也遭遇到来自工会方面的越来越强烈的反对。
も強くなった。労働組合が 1909 年にウォータ
1909 年,工会拒绝在沃特顿兵工厂实施科学管
ータウン兵器廠での科学的管理法の導入に反
理法,最后还闹到了国会上。1910 年,在另外
対して、国会で審議されるようになった。また、 的事件中,泰勒的管理法被拿到听证会上进行审
翌 1910 年には別の事件でテイラ-の手法が公
议。事件的起因是,东部铁路公司要求提高货物
聴の場で議論された。東部の鉄道会社が運賃の
的运费,而货主们纷纷表示反对。
値上げを要求したが、荷主側はこれに反対した
のである。
ここで、荷主側の弁護士ブランデーズは、鉄
其中货主一方的律师 Brandeis 指责铁路方
道側の非効率を指摘するためにテイラ-の手
效率低下,他因此搬出了泰勒的管理法。这之前
法を紹介したが、その際にギルブレイス、ガン
泰勒时不时在一些场合将自己的管理法称为科
トらと相談してテイラ-が時々使っていた「科
学管理法。在这次洲际贸易委员会举行的听证会
学的管理法」という名をテイラ-的な手法の正
上,与吉尔布雷斯、甘特等人商量,将泰勒的管
式名称として州際商業委員会で使用した。委員
理法正式命名为科学管理法。委员会请泰勒出庭
会にはテイラ-らが招かれて発言し、「科学的
发言,
“科学管理法”的名字也由此传开。
管理法」という名が広まった。
(3) 晚年
ハ.晩年
晩年は、議会の証言に立たされたり労働組合
晚年的泰勒又要到国会作证又要应对工会
の批判に応えることで、科学的管理法の擁護に
的责难,为了维护科学管理法他殚精竭虑。泰勒
腐心しなければならなかった。テイラ-は、科
一直主张科学管理法的本质在于“精神革命”
(劳
学的管理法の本質を「精神革命」(労使対立か
资双方由对立转向合作的观念上的转变)。另一
ら協調への精神的転換)にあると主張し続けた
方面,来自工会方面的反对也不断升级。美国劳
が、労働組合の反発はエスカレートしてアメリ
工联合会(AFL)分别在 1913 年和 1914 年的大
カ労働総同盟(AFL)は 1913 年と 1914 年の
会上做出了拒绝采用科学管理法的决定。
大会で科学的管理法を拒否することを決議し
5
た。
1915 年泰勒罹患肺炎在费城的一家医院去
テイラーは、1915 年、フィラデルフィアの
病院で肺炎のために亡くなった。享年 60 歳で
世,享年 60 岁。
あった。
2.
2.科学的管理法の背景と理論
科学管理法的背景和理论
当時の監督者にとって最も頭の痛い問題の
对当时的监管者来说,最头疼的问题之一就
一つは「組織的怠業」にあり、作業者にとって
是“集团性怠工”;对工人们来说最大的烦恼就
の最大の悩みは「重労働への恐怖」であった。 是“对重劳动的恐惧”。
その背景には、仕事に対する共通の尺度が欠
产生这个矛盾的背景是缺乏衡量工作的共
如していたことがある。当時は、目分量方式
通尺度。在当时都是靠经验(rule of thumb
(rule of thumb method)による仕事の割り付
method)来分配工作,工作现场采取的都是被经
けや、現場での経験や勘あるいは習慣を優先す
验、感觉和习惯所支配的经验式管理(drifting
る成り行き経営(drifting management)が一
management),所以随着生产现场和现场监管者
般的であったため、生産現場や現場監督者によ
的不同,实施管理的方式也各式各样。
ってバラバラの管理がなされていた。
また、作業の成果(出来高)に応じて賃金が
再有,虽然采用的是按产量计算薪酬的计件
増える単純出来高払いが採用されていたが、そ
工资制(piece rate plan),但作为计算根据的
の出来高払いの根拠となる賃率の基準がなか
工资单价没有一定的标准,产生了各种各样的问
ったために、さまざまな問題が生じていた。
题。
当然のことだが、単純出来高払いでは、生産
计件工资制必然造成:生产量增加,劳动成
量が増加すると比例的に労働コストが増大す
本也会按比例相应增大。但在当时没有一个劳资
る。ところが、当時はこの負担増に関して労使
双方都认同的工资单价的标准,所以当效率提高
双方が納得する賃率の基準がなかったので、効
全体工人的工资水平也因此抬升的时候,监管者
率があがって作業者全員の賃金水準が上がる
往往会觉得“工资太高了”而降低工资单价。
と監督者が「賃率が高すぎた」と判断して賃率
を下げる傾向にあった。
監督者は、アメリカ機械技師協会(ASME)
监管者们引进了由美国机械工程师协会
の技師たちが提案する(単純出来高払いに改良
(ASME)提出的(像汤-哈尔西方案那样的计件
を加えたタウン=ハルシープランのような)賃
工资制改良版的)工资制度,但问题恰恰不在工
金制度を取り入れてはいたが、問題の本質は賃
资制度本身,而在于作为计算依据的工资单价没
金制度そのものにあるのではなかった。賃金算
有客观的标准。
定の根拠となる賃率の客観的基準がないとこ
ろにあった。
結果は、働けば働くほど賃率が切り下げら
其结果就是越是卖力干活工资单价就越低,
れ、作業者は「やればやるだけ重労働」であり
工人们感到“活是越干越重”,觉得“活干多了
6
。这样一来大家在“谁也不能卖力气”
「仕事をしすぎると損になる」と感じていた。 就是吃亏”
当然、集団レベルでも「仕事をしすぎるな」と
上形成了默契。
“勤劳的人会引发众怒”
,受到来
いう感情に支配され「働き者は迷惑(出る杭は
自集团的压力,正所谓“出头的椽子先烂”,于
打たれる)」という集団圧力が生じ、そこから
是“集团性怠工”便蔓延开来。
組織的怠業が蔓延した。
重要なことは、「賃率は監督者側が支配して
问题的关键在于,一方面“工资单价由监管
いた」のに対して、「ラインスピードは作業者
者决定”;而另一方面“生产线的速度控制在工
側によって決定されていた」ということであ
人手里”。当时受内部承包制的影响,职业的熟
る。当時は、内部請負制度の影響で職人的熟練
练工人控制着生产线的速度。
工がラインスピードを支配していた。
监管者为“集团性怠工”的蔓延伤透了脑筋,
監督者側は「組織的怠業」の蔓延に手をやい
ていたが、その原因は作業者側がラインスピー
这正是因为生产线的速度掌握在工人的控制之
ドを支配していたためであった。逆に、作業者
下。相反工人们总是“对重劳动怀有恐惧感”,
は「重労働への恐怖」を常に抱いていたが、そ
他们不知道工资单价什么时候又会被压低,因为
れはいつ賃率が下げられるか分からない状態
工资单价是监管者说得算。
にあったからであり、さらにその原因は監督者
側が賃率を支配していたためだった。
このような賃率とラインスピードに関する
形成双方这种对工资单价和生产线速度的
双方の支配のさらに根本的な原因は何であっ
支配关系的原因是什么呢?泰勒认为这是因为
たろうか。テイラーは、双方が「公正な賃率」 双方对于“合理的工资单价”和 “合理的生产
と「公正なラインスピード」を決める客観的基
线速度”的确定没有形成客观的标准。标准的缺
準を持ち合わせていなかったことに原因があ
少导致劳资双方互不信任,扩大了彼此的意见冲
ると考えた。そして、客観的基準の欠如が、労
突。
使相互の不信を生んで双方のトラブル(悩み)
を増大していたと考えたのである。
そこで、テイラーは、仕事の内容と量につい
于是泰勒想要抛开劳资双方立场来制定一
て、労使双方から切り離した基準や方法をもう
套规定工作内容和工作量的标准和方法。这套标
けようとしたが、それが「科学」という名の基
准和方法是以被命名为“科学”的方式制定的,
準や方法作りであり、後に「科学的管理法」と
后来被称为“科学管理法”
。
(图表 6-3)
よばれるようになった管理手法である。(図表
表 6-3 泰勒科学管理法的概要
6-3)
図表 6-3 テイラーの科学的管理法の概要
7
互不信任
工人的烦恼
共通的尺度、方法
互相信赖
工人方面
科学管理法
对重劳动的恐惧
(雇用方决定工资率)
雇用方的烦恼
高工资
①任务管理
②工作研究
③指令卡制度
④新工资制
⑤新组织
(公正的工资率)
雇佣方方面
高工资
集团性怠工
(工人决定生产线速度)
(公正的生产线速度)
テイラーは、科学的管理法について、①工員
泰勒提出科学管理法的 4 项原则:①打破工
の古い体験的知識の打破、②工員の科学的選考
人们的旧有观念;②科学地选拔和培养工人;③
と育成、③管理者と工員の親密な協働、④仕事
管理者和工人密切合作;④划分管理者和工人之
と責任を管理者と工員で均等に区分する、とい
间的工作与职责。这 4 项原则表明:泰勒通过导
う4つの原則をあげているが、この4つの原則
入科学这个共同基础,尝试将劳资双方的“互不
にも現われているように、科学という共通の基
信任”转变为“相互信赖”
。
盤を導入することで労使双方の「相互不信」を
「相互信頼」に変えよう試みたのである。
彼の主張した科学的管理法の内容は、主なも
他提出的科学管理法的主要内容有:①任务
のとして、
(1)課業管理、
(2)作業研究、
(3) 管理;②工作研究;③指令卡制度;④新工资制
指図票制度、(4)新しい賃金制度(率を異に
(差别计件工资制)
;⑤新组织(职能工长制)。
する出来高払い)
、
(5)新しい組織(職能別職
以下,我们分别来看。
長制)から成り立っている。以下、個別に見て
みたい。
(1)課業管理(task management)
(1) 任务管理(task management)
課業管理は、①課業設定、②標準的条件、③
任务管理包含 5 项原则:①设定工作定额;
達成賃率、④未達成賃率、⑤熟練移転の5つの
②劳动条件标准化;③定额完成时的工资单价;
原理から成り立っている。この5つの原理は、 ④定额未完成时的工资单价;⑤提高整体熟练程
作業研究、指図票制度、新しい賃金制度など、 度。这 5 项原则与工作研究、指令卡制度、新工
次に述べるテイラーの他の業績と深く結びつ
资制等后面要提到的泰勒的其他贡献紧密联结
いている。ここでは、それぞれの原理を簡単に
在一起。其中第一项原则对应工作研究;第二项
述べるが、第一原則は作業研究、第二原則は指
原则对应指令卡制度;第三、第四原则对应新工
図票制度、第三と第四原則は新しい賃金制度と
资制。这里先对各项原则进行简单叙述,希望大
密接に結びついているので後述の説明と合わ
家结合后面的解说进行理解。
せて理解して欲しい。
①課業設定の原理:課業を明確に設定すること
①工作定额的设定原则:明确设定工作定
である。課業とは「一日の公正な仕事量」のこ
额。所谓工作定额就是“公平合理的日工作量”
。
とであるが、この課業は、次の項目で説明する
其设定的依据就是之后要说明的“工作研究”。
「作業研究」に基づいて設定される。
8
②標準的条件の原理:作業の条件や方法を標準
②劳动条件标准化原则:对工作的条件和方
化することで、これは、次の項目で説明する「指
法制定标准。标准的内容清楚地记录在之后要说
図票」によって明記されている。
明的“指令卡”上。
③達成賃率および④未達成賃率の原理:課業を
③定额完成时的工资单价,④ 定额未完成
達成した場合には高い賃率の賃金を作業者に
时的工资单价的原则:定额完成时向工人支付高
支払い、達成できなかった場合には低い賃率の
工资单价的工资;定额未完成时支付低工资单价
賃金を支払うことである。これは「率を異にし
的工资。即实行的是“差别计件工资制”
。
た出来高払い」を示している。
⑤提高整体熟练程度的原则:以一流工人的
⑤熟練移転の原理:課業を一流工員の水準に設
の
水平为标准设定工作定额。我们还记得,在搬运
実験でシュミットが平均をはるかに上回る成
生铁块试验中施密特的效率远远高出平均水平。
績をあげたように、テイラーは課業管理を通じ
泰勒正是要通过任务管理来提高整体的水平。
定することである。すでに、ズク運び
て全体の作業水準を引き上げようとしていた。
(2)作業研究(work study)
(2) 工作研究(work study)
作業研究とは、課業設定のために作業の内容
所谓工作研究就是为了设定工作定额而对
と量を決定する研究のことであり、①時間研究
工作内容和工作量进行的研究,分为①时间研究
。
(time study)と②動作研究(motion study) (time study)和②动作研究(motion study)
から成り立っている。この場合、観察対象は(熟
尽管观察的范围包括(无论是熟练工人还是非熟
練工・未熟練工の作業を問わず)あらゆる作業
练工人)所有工人的工作情况,但研究的目标是
であるが、研究目標となる作業は「効率的な作
要找到“有效率的工作方法”,即“熟练工人的
業」あるいは「熟練工の作業」である。
工作方法”。
熟練工の作業は、無駄な動作をせずに手慣れ
熟练工人在工作时没有多余的动作,能够以
たやり方で無理なく一定の速度で作業を行な
惯用的做法毫不勉强地按照一定的速度进行作
うことができるが、ムリ・ムダ・ムラのない合
业。工作研究的目的是:仔细观察熟练工人这种
理的作業の過程をよく観察し、そのコツを科学
不存在勉强、多余和不均衡现象的合理工作方
的に分析し、一般の未熟練工に伝授すること
法,然后对其中的要领进行科学分析,再将其传
が、この作業研究の目的であった。
授给一般工人。
①時間研究:一連の作業を細かい要素に分解
①
时间研究:将一连串的作业分解成细小的要
し、個々の作業要素にかかる時間をストップ・
素,用秒表测定每个要素所需的时间,由此
ウォッチなどで測定し、標準時間を決定する研
来确定完成作业的标准时间。
究のことである。
②
②動作研究:動作研究とは、個々の作業がどの
动作研究:分析每项作业是由哪些动作构
ような動作から成るかを分析し、無駄な動作を
成,省去其中多余的动作,找出新的有效率
省いたり新しい効率的な作業方法を見いだす
的工作方法。
9
研究である
(3)指図票制度(instruction card)
(3) 指令卡制度(instruction card)
時間研究や動作研究の結果、課業の設定が行
根据时间研究和动作研究的结果设定工作
なわれるが、その内容を具体的に明記したもの
定额,将具体内容明确记录在指令卡上
が指図票である。標準化には、①道具の標準化、 (instruction card)。标准化的项目包括:①
②時間の標準化(同期化)、③作業の標準化が
工具的标准化;②时间的标准化(同步化);③
含まれているが、指図票には、その全てがマニ
工作方法的标准化。这些都被编写成条文写入指
ュアル化してあり、使用すべき道具や装置、標
令卡,详细地规定了需要使用的工具和机器、标
準作業時間や標準化された作業方法などの明
准工作时间以及标准工作方法等内容。
細が記入されている。
(4)新しい賃金制度(率を異にした出来高払
(4) 新工资制(差别计件工资制)
い)
新工资制实行的是任务管理第三和第四原
課業管理の第三と第四の原理で説明した「達
则所说的“完成/未完成时的工资单价”
,所以新
成/未達成賃率」のことで、一般には率を異に
工资制一般被称作差别计件工资制(different
した出来高払い(different piece rate system) piece rate system)。
とよばれている。
図表 6-4 は「単純出来高払い」と「率を異に
图 6-4 中比较了“单纯计件工资制”和“差
した出来高払い」を比較している。単純出来高
别计件工资制”。
“单纯计件工资制”规定每完成
払いは一個あたり 30 セントの報酬が追加的に
一个支付 30 美分,所以其图像呈一条向右上方
与えられるので右肩上がりの比例直線が続く。 延伸的直线。为了比较我们取工作量为 10 个时
比較のために 10 個の時点を見てみると3ドル
的点,按“单纯计件工资制”计算将获得 3 美元
が支払われる。
的报酬。
これに対して、テイラーの提案した「率を異
与此相对,泰勒提出的“差别计件工资制”
にする出来高払い」では、標準作業量を境にジ
的图像呈一条以标准定额为界跳跃上升的折线。
ャンプする折れ線グラフで示される。この図で
从图像中可以看到,当定额(10 个)完成时,
は 10 個の標準作業量を達成した場合には、成
将获得 3.5 美元的报酬;不满 10 个的话,将被
功報酬として 3.5 ドルが支払われるが、10 個
视为没有达到标准,每个只能获得 25 美分的报
未満の場合は、標準に達成しなかったとして、 酬。
一個あたり 25 セントが支払われる。
図表で見るならば、a の部分が単純出来高払
如图所示,阴影 a 是高出计件工资制中应获
いを上回るプレミアム(報償金)部分であり、 报酬的奖金部分;阴影 b 是低于应获报酬的罚金
b の部分がそれを下回るペナルティ(罰則金) 部分。
部分である。
ここで重要なことは標準値の適否である。図
10
重要的是标准值设定得是否得当。用图中的
でいえば 10 個の標準値が努力しなければ達成
情况来说的话,就是 10 这一标准值属于以下哪
できない目標値なのか、工夫したやり方で簡単
种情况:是不努力就无法达到的目标;还是按照
に達成できるものかの違いである。努力目標や
某种诀窍去做就能简单实现的目标。如果是奋斗
ノルマ(割当基準)であれば未達報酬のペナル
目标或劳动定额(任务量分配的标准)的话,从
ティが負担になって労働強化につながるが、妥
应获报酬中扣除罚金的做法会造成精神上的负
当な標準値ならばプレミアムが励みとなって
担,从而导致强化劳动。但如果是合理的标准值
生産性が向上する。
的话,奖金会成为一种激励,从而提高生产率。
すなわち、標準作業量を決定する作業研究が
综上所述,设定工作定额的工作研究是否合
どれほど妥当なものであるかという問題が重
理就显得尤为重要。新工资制与任务管理是密不
要になるわけで、この新しい賃金制度は、課業
可分的。
管理の実際と密接に結びついている。
差别计件工资制
工资(美元)
図表 6-4 率を異にする出来高払い賃金
计件工资制
完成时工资
未完成时工资
图 6-4 差别计件工资制的工资
(5)新しい組織(職能的職長制)
(5) 新组织(职能工长制)
当時は、軍隊式のライン組織が一般的で、職
在当时,企业中采用的一般都是军队式的直
長(班長)ごとに一つのグループ(班)が作ら
线型组织,每名工长(组长)带领一个小组。工
れていた。そのため、仕事の割付や手順、検査
作的分配、做工的顺序以及检查的标准都是工长
基準なども職長の個人的な経験や勘に頼って
凭借个人经验或感觉来决定。所以,各个小组的
いたので、グループ(班)ごとに作業量や速度、 产量、速度和产品质量参差不齐。
品質などにバラツキがあった。
そこで、テイラーは、職長の機能を大きく計
泰勒把工长的职能从大的方面划分为计划
画機能と執行機能に分け、それぞれをさらに4
职能和执行职能,接着又分别把每种职能分为 4
つづつ合計8つの職能に分類した。
项,共计 8 项职能。
このテイラーの職能別職長制については、第
泰勒的职能工长制可以看作是职能性组织
13章で説明するが、ファンクショナル(職能) 的原点。他把计划部门从执行部门中分离出来,
組織の原点ともいえるもので、計画部門を執行
从这个意义上来说,泰勒的职能工长制也是直线
部門から分離・独立させたという意味でライ
与幕僚组织(Line-and-staff)的源头。
11
ン・アンド・スタッフ組織の源流でもある。
3.テイラーの業績と限界
3.
泰勒的贡献和局限性
(1)テイラーの業績
(1) 泰勒的贡献
イ.管理概念の確立
①
管理概念的确立
当时的管理者都是靠经验评估来分配工作,
当時は目分量方式による仕事の割り付けや、
成り行き経営とよばれる場あたり的経営が横
采取的都是随意性很强或者习惯式的管理方法,
行していた。生産現場では職長の個人的経験や
在生产现场都是依据工长的个人经验和历来的
現場の習慣に基づく管理が行われていたが、急
习惯实施管理。随着机械化的快速发展和师徒式
速な機械化の進展と徒弟制的管理教育体制の
管理与教育体制的解体,大量非熟练工人出现在
崩壊を背景に、大量の未熟練工をかかえる大規
大规模生产的现场,以往这种建立在经验之上的
模生産現場ではこのような経験的な管理手法
管理方法就行不通了。
は通用しなくなっていた。
したがって、テイラーが「科学」という名の
所以泰勒的贡献有重大意义,他在“科学”
もとに、より客観的で、実証的な管理方法を提
的名义下提倡更加客观的、实证性的管理方法。
唱した意義は大きい。テイラーの科学的管理法
泰勒的科学管理法与后面要说到的法约尔的管
は、後述するファヨールの管理過程論などと結
理过程论一起开创了管理学中的古典管理理论
びついて伝統的管理論や古典的組織論という
和古典组织理论。
経営学の系譜を築き上げた。
②
ロ.生産管理の独立
生产管理的开创
泰勒的第二个贡献是开创了生产管理这个
テイラーの第二の業績は、生産管理という経
営学の独立した一分野を確立したことである。 管理学分支。在下一章中可以看到,泰勒的科学
次に見るように、テイラーの科学的管理法は、 管理法经福特之手开花结果。福特将其应用于实
ヘンリー・フォードによって、実践的なフォー
践,创造出被称为福特制的生产方式。
ド・システムという生産方式となって結実す
る。
また、テイラーの科学的管理法の思想は、ギ
另外,吉尔布雷斯(Gibreth,F.B.)和甘特
ルブレイス(Gilbreth, F. B.)、ガント(Gantt,
(Ganntt,H.L.)继承了泰勒科学管理法的思想,
H. L.)に受け継がれ、インダストリアル・エ
开创了工业工程(IE=Industrial Engineering)
ン ジ ニ ア リ ン グ ( I E = Industrial
这个生产工程学的领域
Engineering)という生産工学の流れを作った。
③
ハ.精神革命としての科学的管理法
科学管理法的精神革命
テイラーの第三の功績は、精神革命としての
泰勒的第三个功绩在于其共存共荣的思想,
共存共栄の思想にある。彼の基本的な姿勢は労
这种思想呼唤一场精神革命,其精髓在于劳资双
12
方通过合作来提高生产率。
使協調による生産性向上にあった。
泰勒在《科学管理原理》一书的开篇中指出,
テイラ-は『科学的管理法の原理』の最初に
「管理の目的は労使の最大繁栄」にあるとし、 “管理的目的在于使劳资双方实现最大限度的
従業員の繁栄とは高賃金ばかりでなく「生来の
富裕”,他强调说工人们的富裕并不仅仅是工资
能力の許すかぎり最高級の仕事ができること」 高,还意味着他们“能够从事能力允许范围内最
であると強調している。現在でいう自己実現を
高级别的工作”,用现在的话说就是希望工人们
仕事の場で達成することを願っていたのであ
在工作中实现自我价值。
る。
劳资双方通过合作实现共存共荣的思想是
こうした労使協調による共存共栄の思想は、
経営理念の考え方であり、テイラ-の生きた時
一种管理理念,在泰勒生活的年代里这种想法是
代を考えれば画期的な構想であった。しかし、 划时代的。但就像泰勒自己所说的那样,科学管
テイラ-自身が述べているように、科学的管理
理法中具体的窍门和方法太引人注目了,以至于
法にある細かな工夫や手法が注目されすぎた
人们经常本末倒置“将方法当做真正的本质”。
ために「手法と真の本質をとりちがえて」受け
取られたことが多かった。
(2)テイラ-についての批判
(2) 对泰勒的批判
イ.管理と現場の分化
①
管理与现场的分离
科学的管理法は、熟練工的徒弟制度が崩壊し
熟练工主导的师徒制解体之后需要将大量
て大量の未熟練工を組織化するという要請に
非熟练工组织起来,科学管理法就是在这种情况
応えたものであり、そのため「計画と実行の分
下应运而生的。它建立在“计划和执行分离”的
離」を前提にしていた。テイラーの科学的管理
前提之上。泰勒科学管理法的本质在于工作方法
法は、作業方法や作業時間の決定を計画部門が
和工作时间交给企划部门决定,其结果就是管理
管理するところにエッセンスがあるが、その結
人员和现场工人,也就是脑力劳动者(白领)和
果、管理職と現場作業者、あるいは、頭脳労働
体力劳动者(蓝领)之间变得泾渭分明。
者(ホワイト・カラー)と肉体労働者(ブルー・
这两种职能的对立与资本家和工人之间阶
カラー)という二つの職能を明確に分離した。 级斗争的激化一起成为 20 世纪初叶劳动争议的
そして、この二つの職能の対立は、資本家と
导火索。
労働者という階級闘争の激化と共に、20 世紀
初頭の労働争議の火種ともなった。
②
ロ.現場管理への傾斜
对现场管理的偏重
泰勒从工厂工人做起,担任过监管者和工程
テイラーは、現場作業者から出発し、監督者、
技師を経て科学的管理法を確立した。したがっ
师最终确立了科学管理法,因此他的想法很难脱
て、彼の発想はどうしても彼の生産現場での体
离其生产现场的体验。而科学管理法中的管理也
験から離れることができず、科学的管理法でい
往往被限定在“生产现场的管理”之中。
13
うところの管理は「生産現場の管理」に特定さ
れてしまった。
たとえば、企業の活動には販売活動や財務活
比如企业还会进行销售活动和财务活动,在
動もあり、それぞれの分野で販売管理、財務管
这两个活动领域里需要分别实施销售管理和财
理の必要がある。また、トップマネジメントは、 务管理。作为高级管理层还需要在生产管理、销
生産管理・販売管理・財務管理などの個別管理
售管理和财务管理等各方面的基础上从整体上
をふまえて企業全体の方向性について管理す
把握企业的方向,但泰勒的理论缺乏这种能够洞
る必要があるが、テイラーの理論には、そのよ
察企业整体状况的全局观。
うな企業全体を見通す視野に欠けるところが
ある。
それは、効率主義に典型的に見られる。テイ
泰勒有关效率主义的看法典型地反映了这
ラーは、上記のように、「労使強調による共存
一点。在上文中曾经提到,泰勒的管理理念是“劳
共栄」という経営理念的な理想をもってはいた
资双方通过合作实现共存共荣”,他从“直接追
が、その理念を達成する手段を「直接的な効率
求效率”中寻找实现这一理想的手段。而基于法
の追及」に求めた。これも後述するが、メイヨ
约尔等人的研究而发展起来的人际关系理论(到
ーらの研究に基づく人間関係論では、人間的な
后面还要介绍)就主张,人道主义的管理最终通
管理が最終的には人々のやる気を引き出して
过激发人们的干劲来提高效率。但在泰勒的脑子
効率を高めることがあると主張するが、テイラ
里就没有这种“间接追求效率”的想法。这也表
ーにおいては、そのような「迂回的な効率の追
明泰勒的管理论自始至终都是一种视野狭窄的
及」は念頭になかった。ここでも、テイラーの
管理学理论。
管理論は視野の狭い管理論に終始している。
③
ハ.人間性の欠如
人文关怀的缺失
今日でもテイラ-の科学的管理法から、人間
即使在现在,相信很多人都会由泰勒的科学
がまるで機械の歯車のように単純作業を繰り
管理法联想起卓别林的电影“摩登时代”中人就
返すチャップリンの映画「モダンタイムズ」を
像机器的齿轮一样重复单调作业的场景。如果推
連想する人が多いと思われる。科学的管理法を
行科学管理法,人的劳动就被分解成单调的作
推し進めれば、人間の労働は単純作業に分解さ
业,人被迫反复进行同一项操作,工作也因此变
れ、同じ作業を反復させられ、仕事は無味乾燥
得枯燥乏味。
な画一的な仕事になっていく。
科学的管理法は労働組合や社会主義勢力か
工会和社会主义者批判科学管理法是“以科
ら「科学という名の労働強化」として批判され
学之名行强化劳动之实”
。列宁在 1913 年的《真
た。レーニンは 1913 年の『プラウダ』で「汗
理报》上发表了《榨取血汗的“科学”制度》一
を搾り出す科学的方法」として批判し翌年にも
文,对科学管理法进行了批判,第二年又发表了
「テイラー・システムは機械による人物の奴隷
题为《泰勒制是用机器奴役人的制度》的文章。
化である」と論じた。
但是在十月革命后的俄国,工会方面积极导
14
ただし、革命後のロシアでは、労働組合が積
入泰勒制,之后又通过 HOT(劳动组织科学化)
極的にテイラ-・システムを導入し、そこから
运动提出劳动定额的概念。科学管理法在前苏联
HOT運動を通じてノルマという概念が出て
的计划经济中扮演了重要的角色。
きたといわれており、ソ連の計画経済で科学的
管理法の果たした役割は大きい。
图表 6-5 泰勒的贡献和对他的批判
1.
図表 6-5 テイラーの業績と彼の業績への批
判
2.
3.
15
泰勒的贡献
确立了管理的概念
管理思想和具体方法
开创了生产管理
福特制
工业工程
劳资合作的思想
管理理念的思考方式
1.
2.
3.
对泰勒的批判
分离了管理和现场
劳资对立的结构
偏重现场管理
全局观的欠缺
效率主义
人文关怀的缺失
科学名义之下的强化
劳动之实
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