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ソロバンを計算機にした男
矢田技術士事務所 ソロバンを計算機にした男 我国では江戸時代から子供の手習いとして「そろばん」は必修の技能であった。電卓が 一般に行き渡っている現代でも小学校では必修科目であり、そろばん教室が存続している のは能力開発に効果のあることを認めているからに違いない。もともと人間が道具を使っ て数の計算を始めたのは紀元前に遡れるらしいが、そろばんの原型は紀元前 300 年ころの ギリシャにその萌芽を見ることができると言われている。そしてそれは 10 進法をベースに していた。それが中国を経由して日本には室町時代(1400 年頃)に入ってきたらしい。 現代のそろばんは四つ珠と呼ばれ、下側に 4 個、上段に 5 を表す 1 個の珠からなり、か なりコンパクトになっているが、四つ珠になったのは 1938(昭和 13)年に珠算が小学校の 義務教育に取り入れられてからである。それまでは今のものより大きく下側に五個の珠が 有った。珠算は江戸時代の初め毛利勘兵衛重能が指導して日本で独自の発達をし、後に関 孝和(1642-1708)を生み出す和算の体系はそろばんと算木を計算道具としていた。 西洋でのソロバンは Abacus と呼ばれ、その語源はギリシャ語の計算盤を意味する abax によるが、日本のような計算技術としての Abacus の進化はなく、数学者パスカル(Blaise Pascal)が 1642 年に最初に機械式計算機を作ったのは貨幣の計算を目的としたとされてい る。数学者の眼には Abacus は魅力がなかったのであろう。これは 10 進法で歯車を使って 計算した。其の後ライプニッツがこれに改良を加え、さらに 1878 年にスエーデン人のオド ナー(Wilgott Theophil Odhner)が完成型とも言える手回し機械式計算機を発明した。こ れは各桁に 10 個の数値の設定位置があり、まずこれをセットした後、加減乗に必要な数に 合わせて、ハンドルを回して計算する。オドナーは彼の特許を公開したために世界各国で これが作られた。日本では後にタイガー計算器と呼ばれる虎印計算器も此の系列に属する もので 1923 年に大本寅次郎が売りだして日本の市場を席巻した。電卓が出現する 1970 年 ころまでは此のタイガー計算器は計算尺と共に技術者には欠くことのできない道具で有っ た。その頃の技術屋はこの計算器は外国由来のもので あると理解していた。 しかし、大本がタイガー計算器を売り出す前に日本 人による独創的な機械式計算機が既に発明されていた ことが近年になって明らかになった。それは森鴎外の 小倉日記が 1951 年に発見され、ここに矢頭(ヤズ)良 一が自動算盤を持ってきたという記述のあるのを根拠 に、小林安司と内山昭が別個に調査して再発見した(右 北九州市立文学館 蔵 図)。矢頭は 1901 年にこれを発明し 1903 年に自働算盤として特許 6010 を得ている。この 機械式計算機は歯車の回転で計算はするが、オドナーの方式とは異なる独自のもので、四 つ珠算盤と同じように、1 桁の数字を、5 を表す 1 個のレバーと 1~4 を表す 4 個のレバー からなっている。其の機能は他の機械式計算機よりも簡便で扱いも容易で有った。鴎外は これを高く評価し、この計算機を陸軍や、内務省などで採用させ 200 台を売ったとされて いる。矢頭は計算機で商売をすることが本来の目的ではなく、当時まだ誰も実現出来てい なかった飛行機の研究費を稼ぐためのものであった。彼は中学を中退してこの研究に没頭 したが、1908 年 30 歳の若さで亡くなっている。上図の計算機は日本機械学会の第 30 号機 目次へ 械遺産に指定された。 全国珠算学校連盟 http://shuzan-gakko.com/rekishi/index.html http://www004.upp.so-net.ne.jp/mysouda/math/japan/mathj.htm http://www.xnumber.com/history_pages/history1.htm 山田昭彦 国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第 5 集 2005 年 3 月 31 日