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滋賀大学経済学部研究年報 第22巻 2015年11月

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滋賀大学経済学部研究年報 第22巻 2015年11月
─1 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
1960年代における西ドイツ銀行システムの
構造変化と競争秩序
─「競争の歪み」調査と金利自由化─
三ツ石 郁 夫
時期区分されている 2 )。
Ⅰ はじめに
他方で,G.ハルダッハは,1934年に制定さ
れた信用制度法(Kreditwesengesetz)が極端な
第二次大戦後の西ドイツ銀行業において,
競争制限を規定していたのに対して,第二次大
1960年代は,戦前の介入的経済運営と戦後の経
戦後の西ドイツ経済秩序として確立した社会的
済復興に由来する規制の時代から金融自由化へ
市場経済はこれに対立するものであり,1958年
と転換する時代であった。1958年 7 月の金融機
に金融業において市場経済が開始されたのち,
関の開業・支店設置に関する審査要件の廃止以
1961年に新たな信用制度法が制定され,1967年
降,民間信用銀行,貯蓄銀行,信用協同組合銀
には政府による利子規制が廃止されたと述べて
行を中心とした主要な三つの金融機関(銀行)
いる。しかし,にもかかわらず,一部に規制が
諸業態(セクター)は,1960年代に相互に拡大
維持され,銀行制度は社会的市場経済の競争政
と競争の関係を強めつつ,とくに1967年 4 月 1
策のなかで例外領域として維持されたと彼は述
日,金利調整令(Zinsordnung)が廃止され,同
べている 3 )。
年12月に金融機関全国組織による「競争協定」
戦後西ドイツ金融業における自由化の進展の
(Wettbewerbsabkommen)が 廃 止 さ れ る と,
認識において,フランクフルト銀行史研究所と
銀行間の競争は新たな段階へと進むことになっ
ハルダッハは,いずれも1958年を画期として金
た 1 )。
融業に市場経済が導入され,1967年までに自由
H. ポ ー ル を 中 心 と す る フ ラ ン ク フ ル ト
化が進んだことを重視しているが,銀行史研究
銀 行 史 研 究 所(Institut für bankhistorische
所は1967年から競争が激化すると捉えるのに対
Forschung)によって編集された『1945年以後
して,ハルダッハはなお銀行業が競争の例外領
のドイツ信用経済の歴史』においては,ドイ
域として残されたとしている。
ツ金融業は1948年通貨改革を含む占領期の後,
しかし競争は1967年以降において始まるので
1952年までの移行期を経て1958年までに銀行業
はなく,1950年代末の銀行業の「正常化」とと
の「正常化」を果たし,1965年まで集中的に成
もにすでに始まっていた。そして競争は,戦後
長した後,1966年以降,競争が激化するとして
西ドイツ経済が復興から成長へと構造転換する
─────────────────────────────────
1 )Christians, Wilhelm, Aktiengroßbanken als Wettbewerber ─ Probleme und Scheinprobleme, in: Burghardt
Pöpers(Hrsg), Wettbewerbspolitik im Kreditgewerbe(Schriften des Vereins für Socialpolitik, NF. Bd.87), Berlin 1976, S.39.;
Pohl, Hans und Gabriele Jachmich, Verschärfung des Wettbewerbs, in: Hans Pohl(Hrsg.), Geschichte der deutschen
Kreditwirtschaft seit 1945, Frankfurt am Main 1998, S.207f.;三ツ石郁夫「戦後西ドイツ高度成長期における銀行業の
再建と競争──『銀行業における競争の歪み調査』の背景と帰結──」『彦根論叢』第394号,2012年.
2 )Pohl, Hans(Hrsg.), Geschichte der deutschen Kreditwirtschaft seit 1945, Frankfurt am Main 1998.
3 ) Hardach, Gerd, Kommentar: Öffentliche Betriebe und Bankenregulierung im historischen Rückblick, in:
Frank Schorkopf, Mathias Schmoeckel, Günther Schulz und Albrecht Rithschl(Hrsg.), Gestaltung der Freiheit,
Tübingen 2013, S.227.
─2 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
にしたがって激しくなっていた。
いて報告したのは,ザールランド大学のシュ
社会政策学会(Verein für Socialpolitik)は,
テュッツェル(Wolfgang Stützel)であった。彼
1962年 9 月18日から20日までの三日間にわたっ
はやはり金融自由化への転換を基本的な構造変
て「成長経済の構造変化」
(Strukturwandlungen
化と捉えている。同報告では,第一に1950年代
einer wachsenden Wirtschaft)をテーマとして
の戦後復興によって信用構造が短期信用から長
スイスのルツェルンで大会を開いた。ここで学
期信用へと変化していること,第二に,1958年
会長のノイマルク(Fritz Neumark)は,1928年
7 月10日の連邦行政裁判所判決によって銀行設
に開かれた同学会大会では「資本主義の転換」
立の自由が保証され,これによって実質的に信
(Wandlungen des Kapitalismus)を中心テーマ
用制度においても営業の自由が認められたこと,
として,ゾンバルトが基調報告したことと比較
そしてそれ以後,多様な業態の銀行が設立され
しつつ,それから34年後のルツェルン大会にお
るようになり,銀行間の競争が促進されるよう
いては,各報告が西ドイツ経済成長を念頭に置
になったことが指摘され,これら二つの構造変
いて,経済成長過程は制度やマクロ経済の変化
化のうちで,後者の構造変化が成長経済にとっ
によって促進されうるのか,その場合に構造変
てより本質的であることが強調された。シュ
化を伴うのかを問題関心としていると説明して
テュッツェルは,さらにこうした傾向が進むこ
いる 4 )。
とによって,政府による利子規制の廃止ないし
1928年大会において,ゾンバルトは資本主義
利子自由化と資本の自由な流通が必要になると
のアウタルキー化傾向と世界経済的関連の縮
指摘している 5 )。
小,
市場メカニズムの縮小等の経済過程の変質,
実際,戦後における全金融機関のバランス
そして公的経営・協同組合の拡大による「ポス
シートをみると,1950年において,総資産に
ト資本主義」の広がりを指摘したのに対して,
占める短期信用の割合は40%にのぼり,他方
1962年の大会報告は,戦後復興過程における介
で中長期信用の割合は24. 8 %に止まっていた。
入と規制の経済過程がしだいに市場経済メカニ
1960年になると,短期信用の割合は19. 6 %に
ズムの機能回復による経済成長へと構造変化す
約半減し,他方で中長期信用の割合は47. 8 %
る過程を問題としているのである。ここからわ
へと大きく増加した 6 )。短期信用については
れわれは,戦前の資本主義における構造変化と
すでに1958年から20%前後の水準にあり,また
戦後の構造変化が逆のベクトルを示しているこ
中長期信用についても50年代後半にはあまり増
とに気付く。つまり前者では資本主義の国民経
加していないことから,金融市場は1950年代末
済的枠組みへの縮小,競争の縮小,公的部分の
までに戦後期の混乱した不安定な状態から回復
拡大であり,他方で戦後においては資本主義の
したと見做すことができる。
国際関係の広がり,市場競争の広がり,そして
他方で,バランスシートの負債面においては,
規制の強化から緩和への転換である。
一覧払預金が1950年の40. 1 %から1960年には
戦後の大会において金融業の構造変化につ
30. 9 %へと減少し,他方で貯蓄預金は同時期
─────────────────────────────────
4 ) Neumark, Fritz, Begrüßungssprache des Vorsitzenden, in: Schriften des Vereins für Socialpolitik, Neue Folge, Band
30/I, Berlin 1964, S. 4 . 社会政策学会1928年大会のゾンバルト報告については,柳澤治『資本主義史の連続と断
絶──西欧的発展とドイツ──』日本経済評論社,2006年,135頁以下,を参照されたい。
5 ) Stützel, Wolfgang, Banken, Kapital und Kredit in der zweiten Hälfte des zwanzigsten Jahrhunderts, in:
Schrften des Vereins für Socialpolitik, N.F. Bd.30/II, Berlin 1964, S.527-575.
6 ) The Position of the Individual Groups of Institutions in the German Banking System, in: Monthly Report of the
Deutsche Bundesbank, Vol.13, No. 3 , March 1961, p.27.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫) ─ 3 ─
に11. 1 %から23. 3 %へと大きく増加し,また
(Gewährträgerhaftung)である。前者は,設置
証券についても同時期に 4 . 5 %から12. 4 %へ
自治体が貯蓄銀行と州振替銀行(Girozentrale
と増加した。総じて,1950年代においては短期
ないし Landesbank)に対して引き受けている
業務が後退し,長期業務がより重要になったの
保証責任であり,後者は貯蓄銀行などへの預金
である 7 )。
者に対する預金保証責任である。第二の問題は
こうした戦後復興を要因とした金融構造の変
利益配当支払いである。貯蓄銀行では出資資本
化は,金融機関のなかでも貯蓄銀行に有利に作
がないために配当を分配する必要がないことに
用した。なぜなら貯蓄銀行はまさに貯蓄預金業
より,民間銀行に比べて競争優位になっている
務と長期信用業務を主要な二つの業務にしてい
とされた。第三の問題は自治体と貯蓄銀行との
たからである。そしてそのことは,シュテュッ
間の行政実務をめぐる関係であり,自治体の公
ツェルが第二の構造変化として挙げた金融自由
金が貯蓄銀行に優先的に預けられるなどの優遇
化に重なり合って,現実にドイツ銀行業の 3 業
があるとされた。第四の問題は,貯蓄銀行と信
態がしだいに競争過程を激化させている実態と
用協同組合銀行に認められている優遇税制につ
重なりあった。すなわちベルリン大銀行に代表
いてであった 9 )。
される民間銀行,手工業者や農民を組合員とす
しかし,調査の開始から報告書提出までの長
る信用協同組合銀行,そして自治体との深い歴
期にわたる調査過程において,連邦経済省と金
史的関係をもつ貯蓄銀行の 3 業態の関係が,信
融機関諸セクターはいかなる議論を展開させ,
用業務のなかで相互に固有な領域を分業的に分
そこにどのような問題を抱えていたのかについ
け合う従来のコーポラティブな棲み分けの関係
ては,なお明らかにされないままであった。そ
から,相互により同質的な業務を追求する競争
こで本稿は,この調査過程に焦点を当て,この
関係へと変質し始めたのであった。
時期の金融機関諸利害と政策当局と専門家の金
こうして1960年代に大規模に実施されたのが,
融政策をめぐる議論のあり方を検討することを
1961年から開始され,1968年に報告書を提出し
課題とする。
たドイツ金融業における「競争の歪み」調査で
この課題を検討する際に,「競争の歪み」調
あった。ここで調査の目的は,競争の歪みが存
査とは別に,1958年に連邦経済大臣エアハルト
在するかどうかを検証することであったが,そ
(Ludwig Erhard)が信用制度法改正との関連
の場合,競争の歪みとは政府や自治体,他の公
でシュテュッツェルに依頼した諮問が重要であ
的機関が活動することによって法的行政的要因
る。これに対してシュテュッツェルは,金融市
による歪みが生じているかどうかということで
場の自由化ないし規制緩和の必要性について検
ある 8 )。著者は,すでに別稿において1968年
討し,1964年に経済相に報告書を提出した10)。
の報告書を分析し,そのなかで,次の四つの論
銀行に関わる競争の問題は,一方で市場を取り
点を検討した。第一に,公法金融機関の法的地
巻く外部的な「競争の歪み」の要因の調査分析
位に基づく規則のなかでもっとも重要な問題
と,他方で銀行業それ自体の自由化という内部
は公的機関責任(Anstaltslast)と保証機関責任
的な条件との二つの側面からアプローチが進め
─────────────────────────────────
7 ) A. a. O.
8)
Bundestagsdrucksache V/3500: Bericht der Bundesregierung über die Wettbewerbsverschiebungen im
Kreditgewerbe und über eine Einlagensicherung, den 18. November 1968.
9 ) 前掲拙稿,183-186頁。
10) これは『銀行政策の現在と将来の課題』と題して公刊された。Stützel, Wolfgang, Bankpolitik heute und morgen. Ein
Gutachten, Frankfurt a/M. 1964. 後述,注22)参照。
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滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
られていたといってよい。
マインデ(自治体)と経済的つながりを持って
そこで本稿では,競争の外部および内部的な
いることは競争状態を不当に歪めている。経
条件に関わる議論を明らかにするために,まず
済的つながりとはゲマインデの経費や資金運
第一に「競争の歪み」調査において金融諸利害
用,振替取引に関わっている。両者の人的物
がいかに対立しいかなる問題の焦点を形成した
的関係は,住民が直接間接に貯蓄銀行と関係
か,とくにそこで問題の焦点となる貯蓄銀行の
を持つようにさせている。そのことはまた,明
「公益性」
(Gemeinnützigkeit)がいかなる概念
示的および暗示的に自治体が貯蓄銀行の宣伝を
と規範を持っていたかを明らかにし,第二に
していることになる。さらに被後見人安全性
シュテュッツェルの銀行政策論を手掛かりにし
(Mündelsicherheit)と公的資金の運用に関する
て,市場内部の金融自由化がいかなる論理とい
法的規定は,民間金融機関に対する貯蓄銀行の
かなる現実過程,あるいは現実的必要性を背景
特権となっている。これらの規定が生まれた数
として展開したかを明らかにし,そして第三に
十年前と現在では事情はまったく変化している。
それらを受けて連邦経済省がいかなる政策判断
そこで,貯蓄銀行に自己資本を強化させ,保証
をもって調査報告書をまとめるに至ったかを検
機関責任を制限することは,信用業における競
討する。こうした分析を通じて,戦後西ドイツ
争の初期条件を平等にするために必要な前提条
における銀行業の構造的特徴と金融政策の競争
件である。その他,学校貯蓄においても競争の
秩序について明らかにすることにしたい。
不平等が存在している12)。
貯蓄銀行の特権に対するこうした信用協同組
Ⅱ 「競争の歪み」調査における論点の対立
合からの苦情は,民間銀行も同調するところで
あった。もっともその苦情の力点は,民間銀行
⑴ 調査開始の背景
の場合,信用協同組合とは異なって,とくに租
税特権に集中した。
ドイツ銀行業における競争調査は1961年 3 月
こうした苦情に対応するために,連邦経済省
16日,連邦議会が連邦政府に対して,
「信用業
ではアンケート調査を実施することにした。そ
の諸業態の間での競争が特定金融機関に対する
の項目は次のようなものである。 1 .自己資本
法律的な,また行政的な優遇によって歪められ
と利子,2 .預金保証,3 .公法上の地位,4 .
ているか(verschoben)
,また歪められている
金融機関と自治体など公的団体との人的関係,
とすればそれはどれほどのものか」について調
5 .金融機関と自治体など公的団体との経済関
査を依頼したことから開始した11)。
係,6 .公益性,7 .租税特権,8 .保証,9 .
「貯
なぜこのような調査が実施されることになっ
蓄預金」概念の法的限定,10.学校預金,11.
たか。その現実的背景を明瞭に示しているの
支店増設,12.特別な宣伝可能性,13.連邦郵
は1962年 8 月23日に提出されたシュルツェ ‐
便の競争上の地位,の以上13項目である13)。
デーリッチュ信用組合協会による陳情である。
調査項目は多岐にわたったので,経済省審議
その内容は次のとおりである。貯蓄銀行がゲ
官(Ministerialdirektor)のヘンケル(Henckel)
─────────────────────────────────
11) Bundestagsdrucksache V/3500, S.II. この決議は,同年に可決された信用制度法(1962年 1 月発効)を審議して
いた連邦議会経済委員会の申請を採択したものである。
12) ド イ ツ 連 邦 史 料 館(Bundesarchiv, 以 下 BArch と 略 記 ), B102/49216, Schreiben des Deutschen
Genossenschaftsverbandes vom 23. Aug.1962. ここで「被後見人安全性」とは,被後見人資産の運用が安全であ
ることを意味し,そのための金融機関として貯蓄銀行が法律によって指定されていたことを指す。このことの貯
蓄銀行にとっての意味については,後述Ⅲ( 2 )(b)iii)を参照。
13) BArch, B102/49216, Schreiben vom 10.Dez.1962.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫) ─ 5 ─
を座長として,連邦銀行,連邦信用制度監督局,
れは1933年の銀行アンケート調査において最高
連邦営業経済局,連邦統計局,また州の関係部
潮に達したが,その後,ナチ期に攻撃は停止さ
局から担当者が参加して調査チームが結成され
れた。
た。また利害団体の代表者はここに参加せず,
そして今回の第二の攻撃は1950年代末から始
大学教授などの専門家から意見聴取することが
まり,その矛先は貯蓄銀行業務拡大に対してと
決められた14)。
いうよりも,貯蓄銀行の基礎をなす「公益性」
専門家からの意見聴取の対象者とされたのは,
に向けられていることを特徴とする。攻撃の内
上述のシュテュッツェルであり,すでに「ドイ
容として,貯蓄銀行における税制上の優遇や公
ツ連邦共和国の経済秩序における銀行の課題と
的預金の優遇,自治体との結びつきがあげられ
それに対応すべき銀行諸組織」という鑑定課題
ているが,最終的に貯蓄銀行から公益性を除去
が委託されていた15)。
して,「銀行としての存在」(Bankendasein)に
連邦経済省は金融機関諸業態から意見提出を
することを狙いとしているとし,貯蓄銀行はそ
求め,最終的に1963年 9 月11日の部局会議で作
うした攻撃から自らを守らねばならないとして
業プログラムを決定した16)。連邦議会が調査
いる。
の開始を政府に要請してから 2 年半経過して,
ホフマンは,民間銀行がどれほど攻撃を強め
ようやく調査が開始されることになったのであ
たとしても,貯蓄銀行は経済政策全般の重要な
る。
パートナーであり,国民全体の福祉に貢献して
⑵ 貯蓄銀行の危惧
いるがゆえに,国民は民間銀行の側に味方しな
いと判断している。
調査の過程で銀行セクター間の論争・対立
しかしホフマンは,連邦経済省が進めている
が激化した。民間銀行と信用協同組合銀行か
競争調査の作業プログラムでは問題の範囲が狭
ら攻撃の対象とされた貯蓄銀行側では,1963
く限定されており,なかでも後述する「取得利
年11月 6 日に開催されたドイツ貯蓄銀行大会
益」(erwirtschafteter Gewinn)の調査がなさ
において,全国組織であるドイツ貯蓄銀行・
れず,他方で課税が銀行競争にどのように影響
振 替 銀 行 連 合(Deutscher Sparkassen- und
するかが問題とされており,こうした作業プロ
Giroverband, 以 下,DSGVと 略 記。
)事 務 長 ホ
グラムは貯蓄銀行に不利な結果をもたらしかね
フマン(Hoffmann)が,大会の終わりに次のよ
ないことを危惧した。
うに貯蓄銀行が置かれている立場を説明し,そ
このような競争調査と銀行論争に関連して,
の業務の正当性を擁護した17)。
ホフマンは1960年代を貯蓄銀行制度の社会的
まず,貯蓄銀行に対する攻撃はこれが最初で
改良の時期と捉えている。それまでの20世紀
はなく,二度目である。一度目は,ワイマール
初頭からの約50年間の間に貯蓄銀行は社会政
期の1925年から26年にかけて,民間銀行協会が
策,とくに社会下層民保護救済政策と結びつい
貯蓄銀行の対人信用業務に対して攻撃した。こ
て銀行としての業務範囲を拡大してきたので
─────────────────────────────────
14) BArch, B102/49216, Schreiben vom 5 . Jan. 1963. 全体取りまとめは連邦経済省第Ⅵ局 A 3 課が担当し,個別
質問項目は関係部局に分担された。たとえば,第 1 項目の自己資本と利子は連邦銀行と連邦信用制度監督局が担
当し,第 6 項目の公益性については連邦経済省と連邦銀行が担当し,一部については法務省,内務省,財務省が
協力するという形である。なお,実際の質問項目はのちに追加と修正がくわえられている。
15) BArch, B102/49216, Schreiben Ministerialrat Dürre vom 15. Jan. 1963.
16) BArch, B102/72143, Schreiben des Bundesministeriums für Wirtschaft vom 11. Sept. 1963.
17) BArch, B102/72144, Deutscher Sparkassentag 1963 / Sparkassen-Fachtagung am 6. 11. Schlußansprache
von Hauptgeschäftsführer Dr. Hoffmann.
─6 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
あるが,今では貯蓄銀行の業務方針は社会全
得をも項目として取り入れることを要求するの
体の政策と一般的な経済政策の枠内全体に拡
であるが,この点についてはすぐに受け入れら
大してきていることを指摘するのである。そ
れるものではなかった。
して貯蓄銀行の政策的基本方針として「安定
性 支 援 」(für Stabilität)と「 反 集 中 」
(gegen
⑶ 「取得利益」に関する政府方針
Konzentration)を提案している。
連邦経財省は「取得利益」を競争調査の作業
ホフマンはこうした意見表明ののち,同年11
プログラムのなかに入れるかどうかについて,
月15日,連邦経済省内において経済省審議官
民間銀行と貯蓄銀行から意見を聴取して,翌年
シュライハーゲ(Schreihage)と意見交換して
までに方針を確定することにした。1964年10月
いる18)。
15日の同省覚書によれば,まず両者の意見は次
ここで何よりも問題となったのは公益性であ
のように整理されている。
る。ホフマンは,公益性はたとえばノルトライ
まず民間銀行は「取得利益」を明らかにする
ン・ヴェストファーレン州貯蓄銀行法の第32条
ことによって競争調査の目的である法的行政的
で規定されており,それによれば,貯蓄銀行の
優遇や差別を明らかにすることはできないとし
利益は公的な目的についてのみ利用が認められ
たが,その理由として,民間銀行は利益最大化
るのであって,貯蓄銀行は公益的な機関である
ないし最適利潤を原則とするのに対して,貯蓄
と述べている。
銀行は異なった営業原則に基づいているので,
これに対してシュライハーゲは,公益性が貯
両者の利益を比較することは無意味である。た
蓄銀行にとって特別な意味を持つかどうかにつ
とえ利益総額を比較しても,それは競争状態に
いては,まず公益性の概念を明らかにし,具体
ついて何も語ることはできない。利益が少なけ
化する必要があると答えている。
れば,それはコストが高いことや業務の合理化
ホフマンは,公益性の法律上の概念規定につ
が進んでいないこと,支店網が過剰に拡大して
いては議論するつもりはないが,一般的にこの
いることなどの結果でありうるし,むしろ貯蓄
概念は反対概念から考えられるとし,銀行の経
銀行にとっては公益性を証明することに役立つ
済活動を考えると,民間銀行はつねに自行の利
だけである。
潤を極大化するという原則にしたがって活動し
これに対して貯蓄銀行は,作業プログラム
ているが,それとは違って貯蓄銀行は社会全体
では租税特例措置や自己資本への利子(配当),
の課題(Aufgabe)にしたがっていることを指
収益性の高い業務とそうでない業務の法的行政
摘している。その場合,ホフマンは,公益性が
的措置による利益と不利益が問われているが,
単に歴史的に形成されただけでなく,貯蓄銀行
そうしたものすべての結果として「取得利益」
の原動力であり目標となっているのであって,
が数値に現れてくるとして,競争状態を分析す
したがって貯蓄銀行業務全体から公益性を捉え
るためには利益に関する詳細な調査が必要とし
るべきことを要求している。たとえば,民間銀
て,総合的な調査を要求している。
行はより多くの儲けのために組織を編成するが,
こうした両者の主張に対して,経済省は,営
貯蓄銀行では他の銀行より公益性のために物的
業原則が異なっているゆえに取得利益を比較す
人的コストをかけることを挙げている。
ることは難しいという民間銀行の意見を認めて
こうしてホフマンは,公益性を正当に捉える
いるが,他方で営業構造が異なっているからと
ためにも,調査では租税優遇だけでなく利益取
いって,取得利益の比較ができなくはないとし
─────────────────────────────────
18) BArch, B102/72144, Vermerk vom 25. Nov. 1963.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫) ─ 7 ─
て貯蓄銀行の意見も認めている。
そのうえで,経済省は1964年12月19日の覚書
Ⅲ 「公益性」問題を中心とした論点の展開
において「取得利益」の扱いについて次のよう
に方針を決定した。
第一に,まず「取得利益」とは 1 営業年度に
⑴ DSGV とヴァイサーの「公益性」論
おける総収益から経費を差し引いた粗利益とし
DSGVは1961年の年次報告書において,貯蓄
て規定し,その場合,租税と準備積立金は経費
銀行の「公益性」を第一に利潤取得と剰余蓄積
とみなさないとしている。
の放棄として理解し,それは貯蓄銀行の準備金
第二に,民間銀行は自由に営業活動をできる
積立よりも重要であると述べている。
のに対して,貯蓄銀行の活動は法律や定款に
ケ ル ン 大 学 教 授 の ヴ ァ イ サ ー(Gerhald
よって制限されているから,利益を得る客観的
Weisser)は DSGV 機関誌“Sparkasse”におい
なチャンスは両者の間で異なっており,さらに
て「公益性と同権公準(Paritätspostulat)」と
利益をどのように利用するかについても主観的
題する論文を発表し,そのなかで公益性原理に
に異なっているのであって,それを考慮したう
基づいた貯蓄銀行制度のあり方をより詳細に次
えで両者の間で利益を比較しなければならない
のように定式化した19)。
とする。
i)
市場経済に基づく経済社会において競争
第三に,そこで「取得利益」の問題は作業プ
を促進することはたしかに必要なことであ
ログラムのなかのAI 1 項目(公法金融機関に
るが,すべての政策には条件がある。貯蓄
関する質問項目)においてのみ問題とし,他の
銀行は,その制度に結びついた意義に基づ
プログラムではその問題をふれないことにする
いて公益企業として分類される。
とした。
ii)
公益企業とは,共同の利益(公的任務)
こうしてようやく調査項目が確定し,実際の
に直接貢献するように規定されている組織
調査へと入ることになったのであるが,この時
である。企業としては収益をあげねばなら
点で連邦経済省は民間銀行の主張に基本的に
ないが,成長する経済において,公益企業
沿って調査することになったと言えよう。それ
は公的任務に関連させて,必要な範囲で成
はつまり,競争調査が市場内部の競争状態に関
長することが認められる。一定の条件のも
するものではなく,それに影響を与える法的行
とで,公的任務のために補助金ないし租税
政的措置を対象とすることに限定するもので
軽減は認められる。これをどのように認め
あったからである。このことは,歴史的に形成
るかは,一般的に決められない。それは公
されてきたドイツ金融経済の制度的特質そのも
的任務のあり方や時代環境に依っている。
のを調査対象とし,そのことの経済的正当性を
iii)
何が共同の利益に適合するか,また公
問うものになったことを意味している。
益企業によって何が実現されうるかについ
こうして民間銀行と貯蓄銀行の間の銀行論争
ては,時代を超えて一般的に規定すること
は貯蓄銀行の「公益性」をいかに捉えるかの問
はできない。またその意義は裁判によって
題を中心にして本格的に展開することになった。
も決定することはできない。
この点について,節を改めて検討しよう。
iv) こうした意味での公益性を誰が担うか
について,法律で規定することは意味を持
─────────────────────────────────
19) Weisser, Gerhard, Gemeinnützigkeit und Paritätspostulat, in: Sparkasse, 81. Jg., Ht.22, S.343-361. ここでは
S.343f. 参照。
─8 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
たない。公的任務とは,制度的に十分信頼
なっており,振替銀行は地域原理で設置さ
ある基準が確保されているなら,自由な公
れている。
益企業と収益をあげる企業によって実行さ
viii) 金融機関業態間の意義の相違を縮小し
れる。
ようとする傾向が今日存在しているが,そ
v) 現代の貯蓄銀行制度には十分な公的任
れは慎重に検討されねばならない。市場経
務がある。貯蓄銀行は社会政策,中間層政
済支持者は,企業が基本的に公共利益に奉
策,自治体政策,投資政策,立地政策(宅
仕していると考えているが,
「収益をあげ
地開発と都市計画)
,貨幣通貨政策,企業
る公益性」の概念は非生産的である。企業
政策,保健政策,そして文化政策の観点
は私的利益か「共同の利益」のどちらに奉
から見て意義を持っている。貯蓄銀行は
仕するのかを,ただ一般的に議論すること
同時に,競争政策の手段としても意義を
も生産的でない。公的任務の包括的な目録
持っている。それゆえ貯蓄銀行と振替銀行
リストに基づいてのみ議論は意味をもつよ
(Girozentrale)
,建築貯蓄銀行は経済成長
うになる。
のなかで銀行としての能力を低下させては
以上のようなヴァイサーの説明の要点は次の
ならず,したがって必要な程度で企業とし
ようにまとめられる。第一に市場経済社会にお
て成長可能なように変化させなければなら
いて民間企業は私的利益を追求するが,それと
ない。
ともに,政策遂行と民主主義のためには共同の
vi) 特定目的貯蓄制度は別として,純粋な
利益(公益性ないし公共の任務)を追求する組
(貯蓄業務だけの)貯蓄銀行は今日では不
織が必要である。第二に公益性の内容は時代を
可能である。
建築貯蓄銀行も一定程度で
「銀
超えて一般的に,また法律によっても規定でき
行的」業務を行う必要がある。とくに労働
ない。第三に,貯蓄銀行制度は公益性にもとづ
者は,ますます貯蓄銀行から銀行サービス
く制度であり,そのうえで貯蓄銀行は一定の収
を受けることが望まれる。貯蓄銀行と競争
益をあげる必要がある。それゆえ貯蓄銀行の業
関係にある他の銀行業態は,貯蓄銀行を純
務を貯蓄業務だけに制限することは認められな
粋貯蓄業務に限定しようと努力しているが,
い。
それは非現実的である。貯蓄銀行が業務内
こうしたヴァイサーの主張に対して,民間銀
容を縮小することは拒否される。このこと
行とライファイゼン信用組合連合は直ちに反論
はこれまで20年間学問領域で強調されてき
した。
たが,今日でも変わっていない。
vii)
自治体貯蓄銀行の中央組織は,企業制
度と公的任務を考慮して成立したものであ
⑵ 民間銀行業連合とライファイゼン信
用組合連合の反論
る。貯蓄銀行の振替サービスは顧客に利便
性を提供しており,他の制度で代替するこ
⒜ 全国民間銀行協会は,1964年11月20日付
とはできない。今日の金融業では巨大銀行
連邦経済省シュライハーゲ宛ての書状において,
が国民経済の領域を超えて活動しているが,
ヴァイサーの論文は「公益的である貯蓄銀行は
貯蓄銀行は自治体や州と結びついて民主的
自己資本収益をあげる必要はないから,民間銀
国家のための社会的対重をなしている。貯
行よりも有利な条件で顧客にサービスを与える
蓄銀行は連邦銀行とともに通貨・景気政策
ことができる」と述べているが,1,300億マル
に影響を与えることができる。貯蓄銀行組
ク(DM)以上の資産をもって密接に協力しあっ
織の内部構成は民間大銀行とは本質的に異
ている(貯蓄銀行)グループが,競争秩序を順
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫) ─ 9 ─
守して収益努力している(民間銀行)企業を批
益最大化を目指すというよりも,むしろ場
判することは憂慮すべきことであり,あたかも
合によってはそれを放棄し,また損失を覚
「公益的な」企業形態が全体の利益に高度に貢
悟さえしていると述べているが,実際には
献しているかのように大衆に印象付けることは,
自分たちだけが持っている特権を利用して
社会政策的に危険であるとして,ヴァイサーの
競争する余裕がある。
貯蓄銀行擁護論を次のように批判している20)。
vi) ヴァイサーは,剰余(Überschüsse)と
i)
ヴァイサーは貯蓄銀行の縮小を拒否する
は保証団体に所有権がある自己資本からの
と述べているが,フランス,ベルギーや他
収益を意味しないと述べるが,これは貯蓄
の多くの国では貯蓄銀行が与信業務をして
銀行は自己資本の収益をあげる必要はない
いないか,あるいはしていたとしても限定
と読める。民間銀行が配当を支払うために
的であり,しかもその貯蓄銀行は十分に能
払う収益努力と比較するなら,貯蓄銀行の
力をもっている。この貯蓄銀行の資金を公
業務にはどれほど多くの優遇があるかは明
的任務のために用立てるなら,それは「公
らかである。
益的」でありうる。
vii)
ヴァイサーは,一国の経済とは資本収
ii)
ヴァイサーは,貯蓄銀行組織では地方金
益を意識的には目指さなかったり,収益か
融機関が抑制されることはないが,民間大
ら配当を支払することを放棄しているよう
銀行の中央集権的構造では地方が抑制され
な企業からも成り立っていると述べてい
ていると述べている。しかし,大銀行のな
る。そうした企業はたしかに例外的に存在
かで地方機関の「抑制」は何ら話題になっ
することはあるかもしれないが,競争で対
ていない。反対に地域経済との緊密な関係
立する民間銀行の資産を合計したよりも多
がつくられている。
い 1 ,300億マルクもの資産をもつ貯蓄銀行
iii) ヴァイサーは,大銀行支店と比較する
グループがそうした企業として市場を支配
なら,地域に根差した貯蓄銀行は自由に大
していることは,認識に大きな差がある。
胆に資金を処理することができると述べて
viii) ヴァイサーは,政治に役立つ場合に信
いるが,民間銀行から与えられる信用の
用を安価に提供し,剰余は市場志向とは別
88%は 5 万 DM 以下の信用であって,と
の投資に利用されると述べているが,特権
くに中間層に与えられている。
を政治に利用することは禁止されていると
iv) ヴァイサーは,貯蓄銀行は顧客に対し
はっきり言いたい。なにゆえ貯蓄銀行の剰
て市場価格よりも有利な価格でサービスを
余が社会的な住宅建設に利用されるべきな
与えることによって,社会政策的課題に最
のかは,まったく理解しがたい。ヴァイサー
適な形で応えていると述べている。しかし
は,貯蓄銀行によって「金融経済に準カル
これは,貯蓄銀行の特権が,それを持って
テルがもたらされる」ことを隠ぺいしてい
いない民間銀行に対して価格で勝つために
る。
役立っているにすぎない。これは法的優遇
⒝ 他方でドイツ・ライファイゼン信用組合
による競争の歪みに他ならず,われわれの
連合は1965年 2 月23日付けで直接ヴァイサーに
経済秩序の原則に反する。
手紙を送付し,同連合のなかで議論した内容を
v) ヴァイサーは,貯蓄銀行は公的団体の
金融機関として多くの業務を担う時に,利
以下のように説明した。
i) 上記ヴァイサーの論点 v)に対して,貯
─────────────────────────────────
20) BArch, B102/72150, Band 11, Brief des Bundesverbandes des Privaten Bankgewerbes vom 20. Nov. 1964.
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
蓄銀行がそのように広範囲にわたって政策
ている租税特例措置は不十分であり,信用
に関与することは,連邦憲法や自治体条例
協同組合の租税法上の扱いは改善されるべ
を侵害するのではないかと非常に憂慮す
きと述べているが,これについてはライ
る。
ii) DSGVは別の個所で「公益性」を貯蓄習
ファイゼン組合は同意する。
v) ライファイゼン組合の見方によれば,
慣の育成や下層社会層と中間層の経済支援
戦後ドイツ金融経済の自由競争は民間大銀
を例として挙げ,そのために貯蓄銀行の活
行ではなく,貯蓄銀行の優先地位によって
動があるとしている。そしてヴァイサーは
脅かされている。公法金融機関の市場シェ
そうした点で,貯蓄銀行と信用協同組合は
アが 6 割以上になり,さらに増加している
親和的な関係にあると述べている。しかし
状況は非常事態である。
ライファイゼン連合はそのように思わない。
⒞ 以上の 3 グループのそれぞれの主張をこ
法的形態と本質において,両者はまったく
こで一度整理すると,まず貯蓄銀行側は経営原
異なっている。ライファイゼンの目的は,
則としての「公益性」を前面に出し,それに付
第一に組合員の営業活動を協同組合組織を
随して与えられている特権を正当化している。
手段として自助の精神で振興することであ
これに対して民間銀行と信用協同組合は,貯蓄
る。信用協同組合は金融業における自由競
銀行は同等の業務をするにもかかわらず,特権
争を無制限に支持するものであるが,他方
を保有するがゆえに市場において異常に高い
で貯蓄銀行は今日ではすでに意義を失った
シェアを取得し,したがってそこでは市場経済
特権になおしがみついている。
の前提となる自由競争が成立していないことを
iii) 現在行われている競争アンケート調査
批判している。ただし,民間銀行と信用協同組
での主要問題は,貯蓄銀行が享受している
合の主張には一部で違いがある。民間銀行はす
特権,すなわち被後見人安全性と保証機関
べての特権を廃棄することを主張するのに対し
責任,および公的団体との排他的な取引関
て,信用協同組合は租税優遇策については,自
係である。被後見人安全性とは,後見人が
らもその優遇を受けているがゆえに,この点の
資金運用する場合に安全で優良な有価証券
みは貯蓄銀行と同様に,維持を求めている。
の扱いを貯蓄銀行にのみ限定していること
このような三者間での意見対立の焦点となっ
を指しており,したがって金融機関はこれ
ていた「公益性」について,連邦政府は独自に
を扱う安全な金融機関とそうでない金融機
その概念を検討していた。
関に分けられることになる。また保証機関
責任とは,貯蓄銀行と振替銀行の設置主体
⑶ 政府内部における「公益性」の評価
が自治体ないし州であるために,そうした
連邦政府は,貯蓄銀行監督問題に関連して金
公的団体が金融機関の債権者(預金者)に
融業における公益性に関して調査研究を行い,
対して直接保証関係にあることである。こ
その結果を1965年 2 月連邦内務省報告書として
の保証によって,貯蓄銀行は預金業務を有
提出した。同報告書はそこで,次のような 3 つ
利に展開可能となっている。さらに貯蓄銀
の作業課題を設定している。第一に,
「公益性」
行が公的団体と排他的に有利な取引関係を
概念は法律において統一的に理解されている
もつことによって,他の金融機関は犠牲に
か,第二に,「公益性」概念は判例ならびに貯
なっている。これでは公的団体の中立性が
蓄銀行と民間銀行
(およびその全国組織)
の文書,
失われている。
そして文献においていかに理解されているか,
iv) ヴァイサーは信用協同組合に認められ
第三に金融業にとってどのような「公益性」が
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 11 ─
重要であるか,金融業にとっての「公益業務」
経済が発展し,社会的な平等が進んだ現代社会
とは「利益を生まない業務」なのか「利益の少
では,新たな尺度が必要になってくる。それゆ
ない業務」を意味するのだろうか,あるいは何
え貯蓄銀行定款でも「経済的に力の弱い人々」
か別の意味内容が基礎にあるのだろうかを問う
という表現に変わってくる。しかし公的利益に
ている21)。
ついては十分に定義できないがゆえに,「公益
まず第一の問いでは,税法,住宅法,その他
性」概念は無概念であるとされるのである。
の連邦法,そして貯蓄銀行法(州法)のなかで
しかし報告では,金融業における公的利益と
どのように扱われているかを調査している。詳
して,第一に社会政策,とりわけ中間層政策の
細な内容はここでは省略するが,公益性の概念
課題,第二に自治体政策的課題,第三に貯蓄習
は連邦法のなかでは租税法においてのみ内容規
慣普及のための社会教育的課題,そして第四に
定されており,そこでは公益性とは,それを満
優遇金利による信用政策的課題を挙げている。
たすことによってもっぱら直接的に全体を振興
こうした点から,たしかに非営利性は公益性の
することになり,物質的精神的倫理的意味にお
指標のひとつになるが,両者は同一ではないと
いて一般善に貢献することとされている。しか
している。つまり現代においては公益的業務も
し,それ以外の連邦法と州法では,公益性概念
利益を得ることは認められるとするのである。
は内容規定を必要としない無概念であり,結論
そしてどのような金融業が公益的であるかの問
として何らの内容をもたないとされている。
いについては,直接に公的利益に奉仕するよう
第二の判例,個別金融機関,各種文献におい
に制度(法律,条例,定款)として規定された
て公益性はいかに理解されているかの問いでは,
組織が公益的企業であるとされた。ここで「直
主に次の 5 つ基準が公益性概念の要件として挙
接に」とは,その任務が付随的な業務として行
げられる。それらは,①経済力の低い社会層に
われるのではなく,業務の主要目標であること
対する所得改善のための信用供与,②中間層支
を指す。そうした企業として,たとえば貯蓄銀
援のための資産形成と資産管理,③準備金積立
行があるとされた。
に必要な額以上の利益取得と剰余蓄積の放棄,
以上の貯蓄銀行の「公益性」をめぐる議論は,
④収益が見込めないか,あるいは僅かしか見込
さしあたって次のようにまとめておくことがで
めない業務の実施,⑤公的利益に基づいて組織
きる。
が決定した任務の直接の遂行,の 5 つの基準で
第一に,公益性概念ないしそれが指し示す内
ある。
容については歴史的に変化したことが指摘され
第三の金融業にとって「公益的」業務は何を
ねばならない。とりわけ経済的に弱い社会層の
意味するかの問いについては,まず法律上の公
ための貯蓄事業は,戦後西ドイツの高度経済成
益性概念が無概念であることの理由が検討され,
長によって不要になりつつあった。
そこでは公的利益が歴史的に変化し,政治に
第二に,19世紀の資本主義勃興期に成立した
よって多様に利用されてきたことが挙げられて
貯蓄銀行は当初の貯蓄業務をそのまま維持した
いる。たとえば19世紀の金融業における公的利
のではなく,20世紀に入ると資本主義発展の諸
益の例として,奉公人や日雇いなどの貧困社会
局面に応じて業務内容とその範囲を変化拡大さ
層に対する貯蓄事例が挙げられており,こうし
せ,ユニバーサルバンクとして発展してきた。
た考えは古い貯蓄銀行法に見出される。しかし
そして第三に,そうした貯蓄銀行の特殊な性
─────────────────────────────────
21) BArch, B102/72151, Der Bundesminister der Innern, Erbringung gemeinnütziger Leistungen vom 12. Feb.
1965.
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
格の喪失と銀行としての成長は,とくに1950年
げ,そのあと,第一部の要点と,第二部の「信
代末には他の業態との相違ないし分業関係を解
用制度法第23条にもとづく利子規制の検討結
消する方向に向かわせていたのである。
果」を取り上げる。
ここまでの議論において,
「競争の歪み」調
査を担当する連邦経済省は,論争対立の焦点で
ある貯蓄銀行の「公益性」をどう意義づけるか,
⑴ 競争における貯蓄銀行の特別な地位
について
またそれを1960年代の西ドイツ金融経済のなか
でどのように位置づけるかについて,なお明確
シュテュッツェルは,貯蓄銀行が金融機関諸
な判断を下すことはなかった。
業態のなかで特別な地位をもっているのか,ま
こうしたなかで,競争をめぐる議論に大きな
た貯蓄銀行にとって競争優位の条件は存在する
影響を及ぼしたのは,1964年 6 月14日に連邦経
のかに関する問題を,まず第二次大戦後の金融
済大臣に提出されたシュテュッツェルによる
機関諸業態のバランスシートの数値比較によっ
「連邦共和国の経済秩序における銀行の課題と
て明らかにしようとする。
あるべき銀行組織のあり方」報告であった22)。
それによれば,1950年から1960年までの間に
ここでシュテュッツェルは,銀行政策に関する
もっとも大きく資産を伸ばした業態は抵当銀行
報告だけでなく,競争の歪みに関わる市場競争
であり,その増加割合は約13倍であった。それ
の外部的問題についても扱った。金融機関は一
に続いたのが貯蓄銀行であり,同期間に 7 倍増
般的に公共の福祉や公益に貢献する業務を行っ
加した。そのあと信用協同組合が 6 倍,民間信
ており,民間金融機関によってなされる多くの
用銀行は 5 倍であった23)。
業務はやはり公益的であるが,それは利益があ
しかしこの数値を検討するだけでは,貯蓄銀
がる採算の取れる公益業務であって,他方でそ
行が初期条件において競争優位を保持している
れに対して収益を生まない公益業務があり,そ
のかどうかはわからない。そこでシュテュッ
れを実施するのが貯蓄銀行であるとしていたの
ツェルは,むしろ貯蓄銀行が法的行政的な特権
である。次節では,シュテュッツェルの報告書
をいかに有しているかを検討し,それが特別な
の内容を検討することによって,戦後西ドイツ
利益を生み出し,その利益を誰が享受している
銀行業が内包していた問題を明らかにする。
かを問うのである。
Ⅳ シュテュッツェルの銀行政策論とそれ
をめぐる議論
シュテュッツェルが整理した貯蓄銀行の特権
は,第一に租税に関する特権(免税特権),第
二に預金について有利になる保証機関責任,第
シュテュッツェルの著書『銀行政策の現在と
三に公的な資金の預金における優遇,第四に公
将来の課題』
は大きく二つの部分から構成され,
的団体が発行する証券の割当における優遇,第
第一部は「銀行機能に関する公的秩序の保証」
,
五に公的団体を通じた顧客の誘導,第六に証書
第二部は「今日のドイツ銀行政策の個別問題」
特権,第七に被後見人安全性に関する貯蓄銀行
からなっている。本稿では,このうち直接関連
の優先特権である24)。
する部分として,第二部から「金融機関の競争
シュテュッツェルはこれらの項目から得られ
における貯蓄銀行の特別な地位」をまず取り上
る特権利益がどれほど大きいか,またそれが貯
─────────────────────────────────
22) Die Aufgaben der Banken in der Wirtschaftsordnung der Bundesrepublik und die demgemäß
anzustrebende Organisation des Bankenapparates. Gutachten erstattet dem Bundesminister für Wirtschaft
von Dr. Wolfgang Stützel, Saarbrücken 14. Juni 1964, in: BArch, B136/7360.
23) Stützel, W., Bankpolitik heute und morgen, S.60.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 11 ─
蓄銀行ではなく(特定の)顧客や自治体にどれ
二次大戦以降,銀行業態間の分業関係は事実上
だけ移転されているかを計算している。このう
消滅した。そのことは,特権利益がすべての社
ち,自治体との関係では,自治体は貯蓄銀行に
会層にオープンに開かれていることになり,そ
対して,預金者等にコストなしで預金保証を与
れが貯蓄銀行の競争優位として機能することに
えていること,自治体資金が貯蓄銀行に利子な
なった。シュテュッツェルはこのような事態を
しで委託されていること,また反対に貯蓄銀行
重視して,貯蓄銀行のシステムは内在的に欠陥
からの反対給付として自治体に利益が移転され
を有しているとする。特権利益をすべての社会
ていることを挙げて,これらについて貯蓄銀行
層に移転できることによって,貯蓄銀行はさら
は利益を上げているがそれらの利益とコスト
に利益を得ることが可能になり,国民所得が高
を計算することは難しく,またその問題は,金
まった戦後西ドイツにおいては,明らかに貯蓄
融機関相互の競争の問題というよりは,貯蓄銀
銀行が競争優位を保持することになったと結論
行と振替銀行との関係を通じた市町村と州との
するのである26)。
間における垂直的な財政移転の問題の側面が
そこでシュテュッツェルは,銀行政策として
あることを指摘している。しかし,いずれにし
の貯蓄銀行改革を提案する。そこで提案された
ても貯蓄銀行は戦後において自治体から受け取
のは,「耕地整理」であった。これは一定業務
る利益が大きく,その場合,預金金利規制があ
における貯蓄銀行の存在意義を認め,それにつ
ることによって多くの特権的利益を得ることに
いては存続を認めるが,それ以外については業
なったとする。そしてその総額は,貯蓄銀行に
務を他の金融機関業態へ移譲することである。
よって違いはあるが,高い場合で自己資本の10
一定業務とは特定社会層だけに限定される小口
~ 15%,低い場合でも 2 ~ 5 %と見積もってい
貯蓄口座の運営と自治体の地域政策を実施する
る25)。
ための資金調達・融資業務である。こうして貯
上記の特権のなかで,第一と第二は貯蓄預金
蓄銀行の「自治体銀行」としての存続と,他の
に関するものであった。これは貯蓄銀行設立以
業務を移譲された民間銀行の自由化ないし規制
来の目的である下層社会層における貯蓄習慣の
緩和が,シュテュッツェル銀行政策にとっての
涵養であり,それは貯蓄銀行の特別な任務,つ
要点であった27)。
まり公益目的であった。それゆえに貯蓄銀行に
シュテュッツェルの主張に対して,DSGVの
は免税特権が与えられていたのであるが,その
ホフマンは直ちに反論した。その主な論点は,
場合,貯蓄銀行に特権利益が生じているとする
分析方法,特権利益の考え方,そして特権利益
と,その利益は確実に下層社会層に移転される
の計算についてである28)。第一の方法論に関
必要があった。それは,20世紀初めまでは貯蓄
して,ホフマンはシュテュッツェルの分析方法
預金額の上限規制によって機能していたのであ
が理論的抽象的なモデル形成の研究であって,
り,それがドイツ銀行業における預金者階層の
貯蓄銀行の実際の競争優位を検証するならば,
棲み分けを形成していたのである。
その生成や前史に関する具体的な歴史的初期条
しかし,第一次大戦以降,そして何よりも第
件を経済的社会的視点から検討する必要がある
─────────────────────────────────
24) A.a.O., S.65. これらの項目が貯蓄銀行にとって特権(優遇)として作用するかについては,前掲拙稿を参照され
たい。
25) A.a.O., S.62-73.
26) A.a.O., S.74-78.
27) A.a.O., S.79-83.
28) BArch, B102/ 72150, Stellungsnahme zum Gutachten von Prof. Dr. Stützel vom Deutschen Sparkassen- und
Giroverband am 28. Oktober 1964.
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
と批判している。第二に,特権利益のシェーマ
拡大しようとする点が問題であるとされ,こう
は「競争の歪み」調査においても指摘されてい
した特権利益の移転経路について調査すべきと
る点であるが,これらがシュテュッツェルの言
している。さらに民間銀行は,シュテュッツェ
うように競争を優位に進めるための初期条件に
ルの主張にしたがって,公益業務においては採
なっているかどうかは明確でないとする。ホフ
算の取れる業務と採算の取れない業務があり,
マンは特権利益が生じうる可能性はあるが,そ
たしかに貯蓄銀行は両者の業務を行っているか
れが実際に取得されているということに対して
もしれないが,民間銀行も社会的市場経済にお
は同意できないと反論し,シュテュッツェルは
いて前者の採算の取れる公益業務を行っており,
単にその可能性だけから判断して,貯蓄銀行が
したがって貯蓄銀行のメルクマールを公益業務
優位にあると結論づけているとする。第三の特
の遂行におくことに反対している29)。
権利益の計算方法についてであるが,ホフマン
ここまでシュテュッツェルの貯蓄銀行論と,
は貯蓄銀行と信用銀行とのバランスシートの計
それに対する貯蓄銀行側と民間銀行側の議論を
算方法は異なっているとし,シュテュッツェル
見てきたが,ここから第一に,戦前までの金融
は同一のモデルによって計算して貯蓄銀行に
機関諸業態間での分業関係が戦後金融業の再建
「特権利益」が生じるとするが,その結果は現
後においては事実上消滅し,各業務における業
実から乖離していると批判している。
態間の競争が深刻化していたこと,第二にそれ
他方でドイツ民間銀行業連合は,シュテュッ
に関連して,分業関係が明確であったがゆえに
ツェルが,競争の歪みの問題を単に金融機関諸
貯蓄銀行に与えられていた免税特権は,戦後に
業態間での利益の比較や歴史的発展の相違やバ
おいては単なる特別利益を生み出す不公正競争
ランスシート項目の相違によって解明しようと
の源泉として捉えられつつあったこと,そして
するのではなく,何よりも貯蓄銀行には特権利
第三に,貯蓄銀行は公益業務を営み,民間銀行
益が生じており,それがどれほどであって貯蓄
は私的利益を追求するという諸業態の特性が薄
銀行がそれをどのように利用(移転)している
れ,戦後においては民間銀行も社会的市場経済
かを分析しようとする点に賛意を表した。特権
のなかで社会全体に貢献する公益的な企業とし
利益は第一に免税特権,第二に公的団体との優
ても意識が生じていたことが指摘されうる。
位な関係,第三に貯蓄銀行自体の公的性格から
シュテュッツェルは1960年前後における成長
生じるとし,ここに競争の歪みの本質があると
経済の構造変化のなかで,こうして相互に接近
するが,民間銀行にとってなかでも免税特権か
する金融機関諸業態が活動する金融市場経済を
ら生じる利益がもっとも競争を歪めるものであ
より自由化ないし規制緩和すべきことを主張す
ると受け止められた。そしてこの利益の移転経
ることになった。その内容を次に見てみよう。
路,そして利益の受取手として,第一に貯蓄銀
行の設置者である自治体,第二に貯蓄銀行内で
⑵ シュテュッツェルの銀行自由化論
経営的浪費などによって消費されること,第三
すでに述べたように,シュテュッツェルは
に特定の顧客,第四に貯蓄銀行が行う採算に合
1960年代初頭を金融経済の構造転換の時期にあ
わない公益業務,そして第五に新たな顧客取得
ると認識していた。それは二重の意味において,
や新たな業務拡大のための経費があり,貯蓄銀
つまり,第一には戦後復興からの転換,そして
行がこうした利益を使って新たに業務と顧客を
第二に金融規制から自由市場経済秩序への転換
─────────────────────────────────
29) BArch, B102/72150, Schreiben des Bundesverbandes des privaten Bankgewerbes an das Bundesministerium
für Wirtschaft am 7 . Oktober 1964.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 11 ─
である30)。
済構造と経済成長を操縦する調整装置となった
そもそも金融規制はいかにして始まったか。
とする。
シュテュッツェルは,19世紀から1920年代まで
そして第三に,同じく第一次大戦期以降,銀
の銀行経営について,個別的には公法機関や認
行預金は私法的な貨幣債券というよりも,公的
可株式会社の法的形態のために一定の政府管理
に保証された特別資産物権であるという考え方
のもとにあったが,支店の設置や業務構成,与
が広がってきたとする。その考えが最も高まっ
信・受信の構成や貸付利率や預金利率などの業
たのは,1948年 6 月の通貨改革においてであり,
務活動それ自体は自由原則のもとにあったの
ここで銀行預金は法律によって規定された特殊
であり,その後の銀行危機をきっかけとして政
な債権であるとみなされ,銀行は通貨及び信用
府介入による金融規制が始まり,それはナチ期
の供給機関とされ,銀行に対して経済秩序のな
と戦時期,戦後を経て1958年まで継続したと把
かでの特別な地位を与える傾向がはっきりした
握していた。そしてこの規制が強まる時期に先
とする32)。
立って,19世紀から20世紀への転換期以降,銀
こうしてシュテュッツェルは1960年代初頭の
行業は経済のなかで特別な地位にあるという見
西ドイツ経済秩序における銀行の地位と課題に
解が広がったと述べ,その理由を 3 つあげてい
ついて問うのであるが,そのために,銀行が具
る。
体的にいかなる機能を果たしているのかを検討
第一の原因は貨幣数量説の広がりである。こ
すべきとし,その機能として 3 つあげている。
の理論によれば,一国の経済活動全体,つまり
それは第一に振替サービスなどの支払取引機
商品取引や支出,雇用,そして価格水準などは
能,第二に手形割引や帳簿信用,確定利付き証
支払手段(通貨)残高によって決定されるので
券の引受など企業や家計へのファイナンス機能,
あって,政府はその供給量を公的に管理する必
そして第三に預金受入や債券発行への参加など
要があるが,実際にこの通貨を供給するのは銀
による資金運用可能性の提供機能である。シュ
行である。したがって銀行とは単なる営業経営
テュッツェルはこれらの機能の現状について分
と異なり,政府による管理を必要とする巨大な
析を進め,その結果,それぞれの機能において,
通貨供給装置になっていたとする31)。
戦後西ドイツの経済法秩序において銀行の特別
第二に,第一次大戦期以降,計画経済的規制
な地位を根拠づけるものはないとし,むしろ銀
が貨幣市場に影響し,市場での不均衡が生じ,
行機能が円滑に進むためには,信用制度それ自
人為的な低金利状態が維持された。信用の需要
体の秩序を形成・維持する通貨政策がその課題
側は列を作って待つことになり,供給側はそれ
を円滑に果たすと主張する。その政策を担当す
に対して割当をせざるを得なくなった。こうし
るのは発券銀行であるブンデスバンクであり,
て信用を供給する分配機関となった銀行は,経
またその通貨政策の対象は個別金融機関という
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30) 本稿「はじめに」参照。
31) 平山健二郎は,レイドラーを引用しつつ,「1870年から1914年の期間は貨幣数量説の『黄金時代』であった」
と述べている。同著『貨幣と金融政策──貨幣数量説の歴史的検証──』東洋経済新報社,2015年。Laidler,
David, The Golden Age of the Quantity Theory, 1991(石橋春男,嶋村紘輝,関谷喜三郎,栗田善吉,横溝えりか訳『貨
幣数量説の黄金時代』同文館,2001年)。 20世紀初頭のドイツにおける貨幣理論の成立については,次を参照さ
れたい。Reinhardt, Simone, Die Reichsbank in der Weimarer Republik, Frrankfurt am Main 2000, S.31-38. 第二次大戦
後のドイツ連邦銀行においても貨幣数量説を指向した通貨政策の基本的コンセプトが設定され,通貨供給額は通
貨政策の中間的目標および指標として位置づけられた。Thieme, H. Jörg, The Central Bank and Money in the
GDR, in: The Deutsche Bank(ed.), Fifty years of the Deutsche Mark. Central Bank and the Currency in Germany since 1948,
Oxford, 1999, p.503.
32) Stützel, Bankpolitik, S. 9 -12.
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
よりは「銀行システム」であると考える33)。
貯蓄銀行(振替銀行を含む)が同時に自治体の
ところでシュテュッツェルの報告書は,じつ
ハウスバンク(主要取引銀行)にもなっている
はすでに1962年 6 月までに連邦経済相に630頁
実態を考慮すると,貯蓄銀行を単なる貯蓄業務
の詳細版として提出されており,ここまで見て
だけの専門銀行に縮小することに対して「非現
きた報告書はその短縮版であった。その詳細版
実的」と評価している。
に対して,
当時のノルトライン・ヴェストファー
また,次に触れる公的な金利規制に関連して,
レン州中央銀行の副総裁であり,のちに連邦銀
現状で最高利率が規定されているのであるが,
行の理事となるイルムラー(Heinrich Irmler)
貯蓄銀行はたしかに貯蓄預金受入で有利になっ
が次のようにコメントを記していた。
ていることを認めている。そして,シュテュッ
その内容はおよそ 4
つの点に要約できる34)。
ツェルが主張するように金利規制が廃止された
第一に,シュテュッツェルが,報告のなかで,
場合,貯蓄銀行はさらに有利になるだろうとし,
純粋な競争を促進することを目的とする「シス
その場合は,貯蓄銀行に認められている免税特
テム順応的」
(systemkonform)秩序政策の原
権も同時に廃止されなければならないとしてい
則を重視し,そこから逸脱する行為や制度を排
る。この点は注目すべき意見である。
除する必要があることを述べている点に対して,
イルムラーは,シュテュッツェルの考えを実
イルムラーはその原則は大部分の点で正しいと
り多いとしつつ,貯蓄銀行改革案については,
している。
単に貯蓄銀行の「耕地整理」だけでなく,貯蓄
第二に,シュテュッツェルがそうした秩序政
業務についてはすべての金融機関に対して貯蓄
策の重要性を指摘しつつ,他方で,金融業に対
銀行と同様の「特権」を与えるべきであるとし
して政府と地方自治体がさまざまな法律によっ
ている。
て介入していることに対して,そうした介入は
そして最後に,金利規制に関する問題がコメ
必要でないと述べているのであるが,それにつ
ントの第四の点である。ここでもシュテュッ
いてイルムラーは金利規制の必要性に関する議
ツェルは「システム順応的」秩序政策の観点か
論の関係で注目すべきとしている。
ら,最高利率を規定している貸出・預金金利規
第三に,シュテュッツェルが貯蓄銀行問題に
制を廃止すべきとしているが,これに対してイ
関して,やはり「システム順応的」秩序政策の
ルムラーは完全に同意すると賛意を表明してい
観点から提案を行っていることに対して,イル
る。シュテュッツェルは,金利規制を廃止した
ムラーは妥当な認識と評価している。
この点は,
時に,中央政府・ブンデスバンクの通貨政策は
前節に関連する問題でもあるので,少し詳細に
その目的を実効的に達成できるかを詳細に検討
説明しておこう。
しており,その際,ブンデスバンクが金利を変
イルムラー自身,貯蓄銀行が自治体と関係を
更したときに,民間金融機関は既存の信用契約
持っていることで競争優位にあることを認めて
の利率を変更することがないかどうか,銀行間
いるが,事実上ユニバーサルバンク化している
で金利に関するカルテルが生じないかどうか,
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33) A.a.O., S.12-26.
34) BArch B126/59395, Schreiben des Vizepräsidenten der Landeszentralbank in Nordrhein-Westfalen Heinrich
Irmler an Ministerialdirektor Henckel Bundesministerium für Wirtschaft am 6 . Juni 1962. 著者はシュテュッ
ツェル報告書の詳細版を確認できていない。詳細版提出から短縮版提出までに 2 年近くの期間があることを考慮
すれば,内容に修正が加えられたことが想定される。実際,イルムラーのコメントには,短縮版では使われてい
ない用語に関するものもある。さらにシュテュッツェルはイルムラー以外からもコメントを得て短縮版で見解を
修正していることも考えられる。ここではこうした点を考慮してコメントを紹介する。イルムラーのコメントは,
その役職をも考慮すると,ドイツ通貨政策当局の政策形成に重要な影響を与えていると考えることができる。
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 11 ─
また貯蓄銀行は預金金利に関して「価格支配
銀行の間で交互計算取引と預金取引の利率と手
力」
を持っていることについて検討しているが,
数料が協定された36)。
イルムラーはとくに貯蓄銀行の「価格支配力」
こうした協定に貯蓄銀行と信用協同組合が最
について,それを解消することは難しいと述べ
ている。
初に加わったのは,1928年 5 月11日に成立した
「競争協定」(Wettbewerbsabkommen)におい
以上のようにシュテュッツェル報告に対する
てである。これは,1920年代相対的安定期にお
イルムラーのコメントを整理すると,その後,
いて,貯蓄銀行と信用協同組合がそれぞれユニ
ブンデスバンクのなかで重要な役割を果たすイ
バーサルバンク的形態をとるようになり,民間
ルムラーが,この報告から大きく影響を受けて
信用銀行との間で競争が激しくなってきたとき
いることがわかる。この第四の点である金利規
に成立した,競争制限を目的としたカルテルで
制について,
やや手順が前後するが,
シュテュッ
ある37)。
ツェルの1964年の短縮版から内容を見てみよ
こうして協定は,上述のように1931年の公
う。
的規制へと引き継がれるのであるが,とくに
⑶ 利子規制の廃止について
1934年に成立した信用制度法は,第38条におい
て,ライヒ銀行業全権委員の権限が金融機関全
第二次大戦後の西ドイツにおいて,貸出・預
国組織からなる「中央信用委員会」(Zentraler
金金利が規制されていたことについては,若干
Kreditausschuß)の多数決に基づいて,ライヒ
説明が必要である。
スバンク理事会との合意のもとにすべての金融
公的な規制が始まったのは,1931年夏の銀行
機関に及ぶことを規定した38)。
危機後,同年12月 8 日の第 4 次大統領緊急令
第二次大戦後,中央信用委員会の役割を引き
においてであり,そこで,資本市場において
継いだのは各州の銀行監督当局であり,これが
は債券利率を 6 %ないしそれを超える一定利
1934年信用制度法の内容を運用したが,各州当
率まで引き下げること,貨幣市場においてラ
局間の調整のために,各州・連邦・レンダーバ
イヒ銀行業全権委員(Reichskommissar für das
ンクないし連邦銀行の代表からなる「銀行特別
Bankgewerbe)の管理の下に同年末までに各金
委員会」
(Sonderausschuß Banken)
が設置され,
融機関諸業態全国組織の間で協定された利子と
そこで自由意志の(法的拘束力のない)推奨利
手数料を公認することが規定された35)。
率が示されていた。
こうした金利協定は,金融機関同士の間では
戦後西ドイツの市場経済秩序に対応するため
すでにそれ以前から始まっており,その最初の
に1961年に改正された信用制度法は,一方で銀
協定は,1913年にベルリンの銀行間で成立した
行業の信頼を維持し,債権者保護を保証するこ
「銀行・銀行家による一般協定」
(Allgemeine
と,他方で金融機関の利益を保証し,経済秩序
Abmachung der Vereinigung von Banken und
に対応した業務を営むことの二つの目標を立て
Bankiers)とされている。ここでは貯蓄銀行や
ていた39)。そしてその第23条は,新たに設置さ
信用協同組合を除くベルリンの民間銀行・個人
れた連邦信用制度監督局(Bundesaufsichtsamt
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35) Vierte Verordnung des Reichspräsidenten zur Sicherung von Wirtschaft und Finanzen und zum Schutze
des inneren Friedens vom 8 . Dezember 1931, in: Reichsgesetzblatt, 1931, Teil I, Nr.79, 1931, S.702ff.
36) Looff, Rüdiger, Die Auswirkungen der Zinsliberalisierung in Deutschland, Berlin 1973, S.12.
37) A.a.O., S.14. 拙稿「ワイマール期の金融構造における貯蓄銀行・振替銀行の位置──「金融分業」体制の展
開──」(『滋賀大学経済学部研究年報 第 8 巻』,2002年,92頁,参照。
38) Reichsgesetz über das Kreditwesen vom 5 . Dezember 1934, in: Reichsgesetzblatt, 1934, Teil I, Nr.132, S.1211.
─ 11 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
für das Kreditwesen)に対して,ブンデスバン
はり銀行の利益にはなっても顧客満足を満たす
クとの協議のもとに,1936年から効力を継続し
ことはできず,銀行は他行との差別化を明確に
ている利子協定を修正する権限を与え,その結
するために副次的なサービスに向かわざるをえ
果,1965年 3 月 1 日に新たな利子条例が発効す
ないとし,基本的には貸出金利の自由化が望ま
ることになった40)。
しいと同じ理由で,預金金利も自由化が通貨政
こうした状況のなかで,シュテュッツェル
策と銀行業の合理的編成,ならびに消費者利益
は利子規制の廃止を主張したのである。シュ
になるとする42)。
テュッツェルの問題意識は,利子と手数料に関
ただしシュテュッツェルは,銀行預金市場に
する公的規制は経済的に見て必要であるか,あ
は一定の特殊性があるために,単純に預金金利
るいは廃止されるべきか,また利子規制を廃止
を自由化した場合,通貨当局の政策には一定の
することによって,銀行制度にいかなる構造変
問題点が生じると述べている。それは,第一に
化が生じるか,そしてその変化はいかに評価さ
通貨政策当局が預金金利に対して影響力を及ぼ
れうるかということである。これらの問題を,
すために,独自に金利を設定する国庫証券など
貸出・預金利率の両側面に分けて検討している。
の債券を発行する必要があること,第二に,前
まず貸出金利規制に関して,戦後,中央銀行
節でイルムラーが指摘していたように,預金市
の割引率の変更に関連して,金融機関の利率も
場において「価格支配力」をもつ金融機関が生
連動して規制(変更)されたから,その意味で
じること,つまり貯蓄銀行は利率を実質的に独
は通貨政策当局の政策目的が利子規制によって
自に変更できる能力をもつことになるが,それ
効率的に達成され,
また割引率連動型の規制は,
に対して当局がいかに対応するか,それに関連
銀行の支払能力を利子変動のリスクから守って
して,第三に貯蓄銀行では顧客が比較的固定さ
おり,さらに預金者保護という観点から中小銀
れているために,市場や競争による圧力に対し
行の収益確保に役立つという肯定的意見が出さ
てあまり敏感でないことが指摘されている。こ
れていた。これに対して,
シュテュッツェルは,
の場合,単に預金市場の特殊性だけでなく,と
金利上限規制によって,現実には金融機関は規
くに第二と第三の問題はドイツ的特殊性ともい
制される業務よりは,より儲かる業務において
うことができ,貯蓄銀行が地方自治体と関係を
信用を与えるか,あるいは固定金利のもとで銀
もつことを考慮すると,中央の通貨当局と地方
行は副次的サービスによって顧客を取得せざる
自治体当局との政策的関係をどうとらえるかが
を得なくなり,それは経済全体の発展にとって
さらなる問題として指摘されている43)。
適切な信用供給を保証しないばかりか,あるい
この第二・第三の問題を政策的に生かすため
は阻害さえするとして,銀行業の合理的な経営
には,貯蓄銀行の租税特権を廃止することが必
構造への長期的発展可能性の観点から,利子規
要であった。第 3 節まで見てきた公益性の問題
制に反対する41)。
と貯蓄銀行の特権廃止問題をいかに整合的に解
次に預金金利規制についてであるが,シュ
決できるか。「競争の歪み」調査は報告書提出
テュッツェルは,上限利率を規制することはや
だけでなく,一定の政策的解決の方向性を示す
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39) Bähre, Inge Lore und Manfred Schneider, KWG-Kommentar. Kreditwesengesetz mit den wichtigsten Ausführungsvorschriften,
2 . neugearb. Aufl., München 1976, S.55.
40) Looff, a.a.O., S.16.
41) Stützel, W., Bankpolitik heute und morgen, S.92-96.
42) A.a.O., S.96f.
43) A.a.O., S.97-101.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 11 ─
ことも求められていた。それは1965年に入って
形成の構造変化,(b)短期・中期・長期信用業
ようやく動き出すことになった。
務における回復過程の相違がある。(a)では,
戦後における経済回復と高度成長によって労働
Ⅴ 連邦経済省による金融政策秩序の形成
者の貯蓄預金が増加し,それらは主に貯蓄銀行
に向かうことになったこと,自治体の増加した
資金はやはりハウスバンクである貯蓄銀行に預
⑴ シュライハーゲによる調査報告書に
向けた論点の提示
けられたこと,したがって民間信用銀行は経済
の成長に見合うだけ資本形成を行うことができ
なかったことがある。また(b)では,シュテュッ
連邦経済省審議官シュライハーゲは,1964年
ツェルが述べているように,戦後直後は短期業
11月25日,全国民間銀行業連合と DSGV,なら
務中心であったが,1950年代末までに長期業務
びに公法金融機関全国連合の代表と対話的な審
が回復し,それが貯蓄銀行に有利に作用したこ
問を行い,それらをまとめた要綱を1965年 5 月28
とがある45)。
日付の手紙で調査委員会メンバーに提示した44)
。
⑤ したがって通貨改革後の各銀行セクター
その概要は次のとおりである。
間の市場シェアの変化は明らかに上記要因によ
① 競争は市場シェアをめぐる競争である。
るものであるが,もちろん貯蓄銀行の特権に
「競争の歪み」とはこの競争参加者に関わる条
件が変化していることを指す。その変化とは,
よってこの傾向がより促進されたことはありう
る。そこで,この点に立ち入って調査するが,
(a)市場自体の変化(内生的要因)
,
(b)市場チャ
その場合,競争の有利ないし不利が特定の組織
ンスの主観的に異なった利用の仕方(外生的要
形態の結果であるかどうかについて,またそれ
因)
(c)法的行政的措置の三つに基づいている。
,
らを数量化できるのかどうかについて検証す
② 1950年から1964年までの金融機関諸業態
る。
の市場シェア割合は,資産で見ると信用銀行で
⑥ ドイツの銀行制度は法的に大きな相違が
は同期間に36. 4 %から24. 6 %に減少,貯蓄銀行
あり,また銀行業務の点でも異なっている。と
では30. 8 %から36. 7 %に増加,信用協同組合で
くに信用銀行と貯蓄銀行について概略すれば次
は12. 4 %から 8 . 8 %に減少,抵当信用銀行では
のとおりである。信用銀行は,自由な信用業務
5 . 9 %から13. 5 %に増加している。
活動とそれに結びつくリスクのうえに利潤最大
③ 民間信用銀行は,貯蓄銀行の市場シェア
化を原理とする民間銀行であり,他方で貯蓄銀
が急速の増大した理由はそこに与えられた特権
行は法律と定款に基づいて設置自治体と連携し
ゆえであると主張しているが,むしろその大き
て広範な金融業務を公益原理と地域原理をもっ
な変化は市場の内生的要因に起因している。そ
て営む公法銀行である。調査目的は,法律面と
れは特権に関係しているのではなく,戦後直後
行政面における正当でない優遇を除去すること
の金融システムの崩壊とその後の経済構造変化
であって,銀行の組織や構造の変更を求めるも
によるものである。したがって特権がいかに関
のではない。このように見ると,民間銀行業が
係するかを調査する前に,市場の内生的要因の
主張するような貯蓄銀行の特権は,それに対応
あり方と意義を明らかにする必要がある。
する「公益的な」負担や義務によって相殺され
④ 市場の内生的要因として,
(a)貨幣資本
ている。
─────────────────────────────────
44) BArch B102/72152, Schreiben des Ministerium für Wirtschaft am 28. 5 . 1965.
45) Stützel, S.59f.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
⑦ 後見人に関する貯蓄銀行の特権はたしか
るとするとその範囲と程度はどれほどなのか明
に必然的なものではないが,自治体に密接に関
らかにする必要がある。
連する貯蓄銀行の規則に合致するものである。
以上のシュライハーゲの要綱に対して,調査委
⑧ その他の業務のなかで,自治体が貯蓄銀
員会は1965年 6 月22日の会議において,それぞ
行を優遇している業務や政府の利子規制,最低
れの論点に対して次のような意見を交わした46)
。
準備規程は重要であるが,それらの影響は数値
① 競争とは市場シェアだけでなく,収益を
化されにくいために,報告では事実の認定にと
もめぐる闘争であるという意見が出された。
どめられる。
② 市場シェアに関する金融機関諸業態の比
⑨ 民間銀行は,貯蓄銀行が自己資本を自己
較では,資産だけでなく,個別の与信・受信業
金融の方法で形成し,利益の一部を配当に回す
務の数値を比較すべきだという意見で一致した。
必要がないために,外部資金に依存する民間銀
ブンデスバンクはこれに関連して,戦前の数値
行と比較して流動性と収益性の点で優遇されて
をも提出した。
いると批判しているが,
実際に計算してみれば,
③ これについては異論はなかった。
民間銀行の流動性減少額は資産の 0 . 4 % 程度
④ 市場の内在的要因が個別金融機関諸業態
であって,それをもって競争上の不利になって
の異なった発展に深く関連したという点につい
いるというには無理がある。また配当を出さな
て,出席者全員が同意した。
いから貯蓄銀行が有利というのも正当な議論で
⑤ この点に関連して,住宅建設省のホフマ
はない。
ン(Hoffmann)が,戦前においては貯蓄銀行の
⑩ 民間銀行が主張する貯蓄銀行の特権のな
特権が銀行業の構造変化にいかに影響したかに
かで,貯蓄銀行に認められている税制上の特別
ついて調査すべきと提案し,戦前における特権
措置については数量化可能である。
この特権は,
の影響の仕方で議論があったが,ここでは省略
市場の内生的要因とともに,競争において重
しておく。
要な影響を及ぼす。法人税は通常税率で51%と
⑥ これについては異論がなかった。
なっているが,貯蓄銀行ではこれが免除となっ
⑦ バーデン・ヴュルテンベルク州内務省の
ており,また他の公法金融機関は26. 5 %,信用
ヴュンシュ(Wünsch)は,この問題を競争調査
協同組合では19%となっている。貯蓄銀行の特
の枠内で扱うことに疑問を呈した。被後見人の
権は,まだ貯蓄銀行がそれほど大きな存在に
資産をどのように運用するかの問題は,もっぱ
なっていない時期に制度化されたものである。
ら金融機関の安全性と信用能力の問題であって,
戦後においてはもはや必要ではないのか,税率
それを検証するのは法務当局の仕事であるとし
を緩和して課税するのか議論が必要である。
た。これに対して会議を主催する連邦経済省の
⑪ 以上が報告の概要となるが,調査報告の
ヘンケルは,ここでは本来の被後見人の資産の
ためには租税特権も含めて,関連する統計調査
運用ではなく,公金の運用が問題であって,競
が必要である。
争から中立的な規則が求められねばならないと
⑫ 租税特例の正当性を判断するためには,
した。
現在それが認められている金融機関がそのため
⑧ ここでは自治体によるすべての影響行使
に特別負担を強いられているかどうか,もしあ
が濫用とまではいえないこと,民間領域におい
─────────────────────────────────
46) BArch B102/72152, Ergebnisprotokoll über die Besprechung am 22. Juni 1965. この会議には,連邦経財省以
外に,連邦内務省,連邦財務省,連邦農業省,連邦住宅建設省,ブンデスバンク,連邦統計局,連邦信用制度監
督局,バイエルン州財務省,バーデン・ヴュルテンベルク州内務省の代表者計32名が出席している。
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 22 ─
ても疑わしい行為が見出されること,農村にお
1965年12月31日,
「信用協同組合の利子収益評
いては公職者の個人的関係が信用協同組合にお
価と損益計算」ならびに1966年12月28日,
「1965
いて見出されることが指摘され,報告ではすべ
年の信用協同組合と貯蓄銀行の収益状態」を報
ての疑わしい行為が述べられるとされた。
告した48)。
⑨ 上述のヴュンシュは,シュライハーゲの
要綱に疑問を呈した。たしかに貯蓄銀行が配当
⑵ 最終報告へ向けての議論
を振り出さないことは流動性にとって有利では
1966年になると経済省内では報告書の作成の
あるが,それは収益性を利することにはならな
ために繰り返し担当者の会議が開かれていた。
いとした。なぜなら,経営学の原則によれば,
とりわけ,上述の会議で見解の相違として残さ
自己資本に対しても利子が計算されねばならず,
れた取得利益の調査については立ち入った議論
貯蓄銀行は実際には利子を支払っているからと
がなされた。1966年 5 月16日には省内の調査委
された。この点については議論の正確さについ
員の間でメモが作成されている49)。それによ
てなお疑念は残ったが,認識を深める必要性が
れば,取得利益の問題は作業プログラムの最初
残った。
の草稿には含まれていなかったが,自己資本の
⑩ これについては異論がなかった。
問題では,信用銀行が第三者から資本を受け取
⑪ これに関連して,連邦内務省のヴェーグ
る場合には,配当を支払うから,そのことによっ
ナー(Wegner),上述のホフマン,連邦財務省
て競争では不利になるかどうかを検討すること
のピットロフ(Pittroff)は取得利益の扱いが要
になり,したがって自己資本と資産に対する利
綱では欠けていると述べ,これは①の認識に
益の関係が調査されることになる。このことは
とっても,また⑩の認識にとっても重要である
事実上,金融機関諸業態における取得利益を問
とした。ピットロフおよび同じく連邦財務省の
題にすることになると議論されている。さらに
カラウ(Karau)は,財務省の見解としては租税
租税特例措置の正当性を検討する場合には,取
の比較を行うことは必要であり,それによって
得利益と租税負担を金融機関全体にわたって検
租税特権が競争にどれほど関連しているかが判
討する必要が出てくるとされている。
断できるが,それは財務省ではなく,経済省の
しかしそれにもかかわらず,取得利益の統計
仕事であるとした。これに対して,経済省のヘ
を市場シェアと特権に関連付ける議論の方法
ンケルは,利益調査は必要ではないし,法的に
について,連邦経済省は最終的に否定的な立
も認めがたいと答え,この点では意見の相違を
場を取ることになった。このことの態度表明
残したまま会議は終了した。
は,同年12月 6 日に同省銀行専門試補マイアー
しかし全体として,この会議において報告書
(Bankassessor Maier)に よ っ て 文 章 化 さ れ,
提出までの見通しがついたといってよい。その
シュライハーゲによって内容が確認されたのち,
後,ブンデスバンクは統計資料として,1965
一般金融雑誌に掲載されることになった50)。
年10月25日,「1900年以降のドイツ銀行業の構
マイアーはこの雑誌論文において,第一に民
造変化とその規定要因」を47),さらに遅れて
間銀行は貯蓄銀行による特権利益の取得を競争
─────────────────────────────────
47) BArch B102/72153, Deutsche Bundesbank,“Der Strukturwandel im deutschen Bankgewerbe seit 1900 und
seine Bestimmungsgründe”.
48) BArch B102/72154, Deutsche Bundesbank,“Die Auswertung der Zinsertragsbilanzen sowie der Gewinn- und
Verlustrechnungen der Kreditgenossenschaften”
,“Untersuchung der Ertragslage der Kreditgenossenschaften
und der Sparkassen im Jahre 1965”.
49) BArch B102/72153, Vermerk am 16. Mai 1966.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
の量的結果(市場シェアと取得利益)として測
始まっていた財政改革に関連して,これを理由
定しようと主張しているが,競争調査を量の問
として特権による優遇と特別負担を数量化する
題として考えることは調査の目的ではなく,む
必要が迫っているとし,とくに法人税が収益に
しろ貯蓄銀行の特権は競争の結果を生み出す要
かかるものであるとすると諸業態の収益を再
因の一部にすぎないとする。第二に,原則と
度計算せざるを得なくなっているが,その場
して考えれば,競争の結果を生み出す要因は
合,貯蓄銀行は公益性を原理としているために
2 種類あり,第一に競争参加者自身の行動(企
相対的には少ない利益を生み出しているに過ぎ
業の営業政策),つまり内生的要因,そして第
ないことを考慮しなければならないと述べてい
二に市場環境条件の変化(市場への公的介入な
る。そして論文の最後では,「公的経済活動が
ど)
,つまり外生的要因があり,特権は後者に
市場経済としても正当性をもつこと」
(Müller-
属するものである。第二次大戦後に貯蓄銀行が
Armack)を認めている経済秩序においては,
市場シェアの大きな部分を占めることになった
自由なイニシアティブと自由競争が十分でな
のは,両者の要因が複合的に絡まり合っている
い場合,こうした公的経済活動は補完性原理
のであって,貯蓄銀行の特権ゆえに貯蓄銀行が
(Subsidialitätsprinzip)にしたがって受容され
シェアを伸ばしたということはできないと述べ
ると締めくくっている。
る。
そして第三に,
そうした原則にもかかわらず,
市場シェアや利益を計測しようとすると,金融
機関諸業態によって信用業務の内容に違いがあ
⑶ 中期財政計画における貯蓄銀行課税
問題
るから統一的に評価することは困難になってい
る。
そのことはさらに,
金融機関諸業態が異なっ
1967年に入ると,議論の中心は,公法金融機
た原則に基づくことに由来する。つまり民間信
関と信用協同組合銀行の租税特例措置をいかに
用銀行は利潤最大化原則であり,他方で貯蓄銀
廃止して法人税等を課税するかの問題に移るこ
行は公益性ないし共同経済原則により,また信
とになった。この問題は,すでに別の論文で簡
用協同組合は組合原則であるがゆえに,利益取
単に扱っているので,ここでは1967年12月21日
得は上位の原則でないとする。
に連邦中期財政計画実現のための法律第 1 部と
こうしてマイアーは,市場シェアや利潤の大
なる第二次税制改正法が成立し,そのなかで貯
きさを比較することにどれほどの意味があるだ
蓄銀行に対する優遇税制の廃止を盛り込むこと
ろうかと問い,あらためて,競争の結果を量的
になったことを記しておく。
に測定し,それによって特定の金融機関の特権
最終的に報告書は1968年10月に連邦議会に提
の存在を証明しようとすることは役に立たない
出されることになったが,その直前,やはり連
とし,
競争調査を担当する連邦経済省第Ⅵ課は,
邦 経 済 省 行 政 試 補(Regierungsassessor)の フ
個々の金融機関諸業態が持っている規範を相互
ラッハマン(Flachmann)は調査の意義を次の
に比較し,競争からの逸脱があれば除去を提言
ように述べている51)。
するか,あるいはそこに正当性があれば維持を
第一に,この調査が長期にわたったことが批
提言すると述べている。
判されているが,1960年代に民間銀行と貯蓄銀
しかしこれに続けてマイアーは,この時期に
行の業務が相互に重なり合うことによって競争
─────────────────────────────────
50) BArch B102/72154, Schreiben von Schreihage am 6 . Dezember 1966. ; Manfred Maier, Marktanteil und
Gewinn als“Privilegien”-Kriterium?, in: Zeitschrift für das gesamte Kreditwesen, 20.Jg., 3 .Heft, 1967, S.99-101.
51) Klaus Flachmann, Die Wettbewerbsuntersuchung im Kreditgewerbe vor dem Abschluß, in: Zeitschrift für das
gesamte Kreditwesen, 21.Jg., 15.Heft, 1968, S.766f.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 22 ─
がかつてなく激しくなったがゆえに,競争調査
あったといってよい。この間の金融機関諸セク
は,長期にわたってそれぞれの金融機関セク
ターの主張,ならびに政府,自治体,そしてブ
ターの位置と意義,ならびに課題を西ドイツ経
ンデスバンクと連邦信用制度監督局との意見を
済秩序のなかで描き出し,そのうえで対立的な
調整するなかで,最終的に連邦経済省は報告書
規則と活動を全体調整し,競争のための環境を
作成過程において戦後西ドイツ資本主義の金融
整備する必要があったとする。
システム秩序を確立することになったといえる。
第二に,こうしたなかで確認されたことは,
1960年代は,金融システムの新たな政策秩序を
「秩序政策の観点から見れば,ドイツの二極の
生み出すための長い期間であった。
銀行システムはかなりの優位性を持っており,
公法金融機関が民間銀行と同じ競争市場におい
Ⅵ おわりに
て活動することが正当であるかどうかをめぐる
対立は,経済社会一般の全体利益のなかに解消
連邦経済省は,1968年11月に提出した「競争
され,埋め込まれるべきだ。
」と論文で述べら
の歪み」調査報告書において,貯蓄銀行の公的
れている。
な任務,すなわち「公益性」を認め,この原則
第三に,調査報告は最終的に,
「競争の歪み」
に基づく貯蓄銀行の活動を認めた52)。したがっ
を市場シェアや取得利益のような数量変化で測
て貯蓄銀行に本来的に備わっている自治体との
定する方法ではなく,優遇や特権の根拠が今日
関係,すなわち自治体の区域内で活動する地域
なお有効であるか,あるいは新たに正当化でき
原理ならびに公的機関責任と保証機関責任も承
るのかどうかという質的な検証の方法を取った
認された。しばしはドイツ銀行業の「 3 柱シス
のであるが,問題解決のために,調査委員会は
テム」と呼ばれる固有の金融システムは,ここ
租税特例の解決,自治体による保証の影響,自
において戦後西ドイツ金融システムとして認証
治体と貯蓄銀行との相互協力,そして預金保護
されたといえる。
の改善を提案し,とくに公法金融機関と信用協
しかし同時に,金融市場自由化のために金利
同組合に認められていた租税特例措置をかなり
自由化も導入された。この点では,本稿で明ら
の部分廃止することによって競争問題を解決で
かになったように,シュテュッツェルの議論は
きたとした。
一方で政府とブンデスバンクの金融政策を金利
そして最後に,経済政策に責任をもつ部局は
自由化へと向かわせ,他方で「競争の歪み」調
1960年代の経済発展のなかで景気政策と構造政
査を貯蓄銀行の租税特権廃止に向かわせていく
策を追求することによって政策秩序を構築する
ことになったといえよう。
一時代を築くことができるとした。
シュテュッツェル報告は,上述したように,
こうして 7 年間の年月をかけた「競争の歪
のちにブンデスバンク理事会メンバーとなるイ
み」調査は報告書提出の段階を迎えることに
ルムラーの幅広い共感を生むことになり,連邦
なった。この期間は,戦後西ドイツ経済が復興
政府とブンデスバンクの政策に大きな影響力を
から成長経済へと構造変化する過程において,
与えることになり,実際,1931年から続いてき
あらたな金融秩序をいかに構築するかの期間で
た政府による貸出・預金金利規制は1967年 4 月
─────────────────────────────────
52) Bundestagsdrucksache V/3500. とくに「要約」部分の IV 頁と本文43-46頁参照。ここで,調査過程において
議論の焦点となった「公益性」の用語は,報告書では「公的な任務」
(öffentlicher Auftrag)または「特別な任務」
(besonderer Auftrag)の用語に置き換えられ,公法金融機関が低所得者層や営業的中間層,農村住民に対して
おこなう金融的仲介や自治体への信用供給を業務の領域とすることが示された。
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
1 日をもって廃止されたのである53)。
の問題意識は,2003年から05年に至るドイツの
シュテュッツェルの考えが政策当局者にいか
労働市場改革と税制改革による産業立地優位性
に影響を与えたかについては必ずしも明瞭に示
の進展によって,ドイツ産業は,企業の収益力
すことはできないが,上述の報告書とイルム
と内部金融力を改善し,投資とイノベーション
ラーのコメントのほかに,たとえば戦後西ドイ
の活性化を図ることに成功したのであるが,他
ツの通貨政策に関するアカデミックな議論を俯
方で,グローバルな通貨・銀行・資本市場の不
瞰したR.リヒター(Rudolf Richter)は,ブン
安定性と不確実性が一層増したことによって金
デスバンクが編集した『ドイツマルク50年史』
融システムの安定性をいかに確保するかが経済
のなかで,「この論文で言及したドイツの経済
政策の重要な焦点となっていたことに関連する。
学者のなかで,Wolfgang Stützelは通貨政策に
諮問委員会は,こうした要請に対して2008年報
関する独自の思想を生み出した点でもっとも著
告書を提出し,そのなかで,市場経済に基づく
名な学者であったが,その思想は国際的な議論
金融システムを構築するためには,より安定性
の場に持ち込まれることはなかった」と述べて
と透明性を高める必要があるとし,とりわけ,
いる54)。シュテュッツェルは1966年から68年
金融危機において資本配分の非効率性を示した
までドイツ経済諮問委員会委員を務め,この間
公法銀行グループに対して改革の必要性を要請
の報告書のなかの通貨政策部分を担当したので
した。とりわけ,貯蓄銀行の上位機関である州
あって,この時期の通貨・信用政策において重
立銀行(ランデスバンク)は金融危機によって
要な役割を演じた55)。
収益性を損ない,銀行モデルとしての可能性を
こうして確立した戦後西ドイツ金融システム
失ったとして,諮問委員会はこの銀行の民営化
秩序は,1970年代以降,さらに自由化と税制優
を提案した。また貯蓄銀行については,収益力
遇の廃止をすすめ,2000年代には EU 委員会と
のある貯蓄銀行は公的な業務を分離し,自治体
の協議のなかで貯蓄銀行の公的機関責任と保証
財団と非貯蓄銀行セクターが半数未満の資本割
機関責任の廃止に至った。
合を所有する株式会社に組織替えし,他方で独
しかし金融システム秩序自体は維持された。
自の地域原理と全国三層構造を維持すべきこと
2007年11月 2 日,ドイツ連邦政府は経済諮問委
を提案したのである56)。
員会に対して「グローバル競争下におけるドイ
本稿で見てきた連邦経済省の「二極銀行シス
ツ産業に対する金融・イノベーションの条件」
テム」の考え方は,歴史的に存在してきた貯蓄
をテーマとして専門家諮問を依頼した。そこで
銀行の「既得権益」を守る利害のために存続さ
─────────────────────────────────
53) Geschäftsbericht der Deutschen Bundesbank für das Jahr 1967, S.62ff. 1966年から68年にかけて,西ドイツだ
けでなく,フランスやカナダにおいて金利規制を緩和ないし撤廃する動きがあることが日銀によって報告されて
いる。西ドイツの「金利調整令」は金融機関の間の過度の競争を抑制し,預金者保護,借り手保護に資すること
を目的としていたが,現実には,預金金利規制を頻繁に変更することが難しく,資本市場の金利との間にアンバ
ランスを生ずる場合があり,またとくに商業銀行と貯蓄銀行との間の激しい預金取得競争から,特利や闇金利な
どの逸脱行為が目立つなどの弊害が指摘されていたため,同規制が撤廃されたと説明されている。『日銀調査月
報』1968年 7 月号,15-16頁。なお,「金利調整令」以降の西ドイツにおける金利がどのように推移したかについ
ては,本稿で扱うことができなかったが,さしあたり,次が参考になる。Looff, Rüdiger, Die Auswirkungen der
Zinsliberalisierung in Deutschland, Berlin 1973. とくに32頁以降。
54) Richter, Rudolf, German Monetary Policy as Reflected in the Academic Debate, in: Deutsche Bundesbank
(ed.), Fifty years of the Deutsche Mark. Central Bank and the Currency in Germany since 1948, New York, 1999, p.560.
55) Krupp, Hans-Jürgen, Der Beitrag Stützels zur Geldpolitik, in: Helmut Schmidt, Eberhart Kertzel und Stefan
Prigge(Hrsg.), Wolgang Stützel ─ Moderne Konzepte für Finazmärkte, Beschäftigung und Wirtschaftsverfassung, Tübingen 2001,
S.306.
1960年代における西ドイツ銀行システムの構造変化と競争秩序 ─「競争の歪み」調査と金利自由化─(三ツ石郁夫)─ 22 ─
れたと捉えるべきではない。むしろ積極的に考
えれば,貯蓄銀行を存続させることが一つの経
済政策だったのである。独自の金融経済システ
ムは,グローバル化する経済のなかで制度的比
較優位を主張する。それはとくに何を目的とし
たか。
すでに本稿の議論のなかでも出てきたが,
それは社会下層のための社会政策の側面から地
域政策と中間層政策へと重点を移していったと
考えられる。後者の領域において貯蓄銀行がい
かなる役割を果たしたかを検討することは,こ
れから取り組むべき課題である。
【付記】
本稿は,科学研究費補助金(基盤研究(c)課
題番号25380423)
による研究成果の一部である。
─────────────────────────────────
56)Sachverständigenrat zur Begutachtung der gesamtwirtschaftlcihen Entwicklung, Das deutsche Finanzsystem.
Effizienz steigern ─ Stabilität erhöhen, 2008, S.III. なお現在においては,この金融システム秩序の転換も議論されてい
ることを付け加えておく。Monopolkommission, Hauptgutachten 2012/2013. Eine Wettbewerbsordnung für die Finanzmärkte,
Baden-Baden 2014.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
Structural Change and the Regulatory Framework of
the Banking System in West Germany in the 1960s
Ikuo Mitsuishi
This paper analyses the process of structural change and the regulatory framework of West
Germany’s banking system in the 1960s, looking at the dispute between the three banking
sectors, the government’s inquiry into the banking industry, and the discussions of economic
experts. At that time, the framework of economic management was in the process of changing
from government intervention and regulation before and after World War II to liberalization
of the market economy and banking industry. That process was influenced by two reports
related to West Germany’s banking policy and framework of the 1960s. Firstly, W. Stützel in
Saarbrücken reported on the significance of liberalizing interest rates, which had been fixed
by an official committee since 1931. Secondly, the report of the federal government’s inquiry
commission suggested the abolition of tax exemptions or reductions, which savings banks
and credit cooperatives were allowed, but not the private bank sector, since the 1920s.
Market competitiveness within the three sectors began with the abolition of the necessity
examination by the authorities at the establishment of banking institutions or their branches
in 1958. While both sectors of private banks and credit cooperatives attacked the privileges
of the savings banks, savings banks justified their position from the viewpoint of public
interest, which was closely connected to it. After the regulations on lending and deposit
rates were abolished in 1967, based on Stützel’s report, competition between the sectors
became more effective within the market. The abolition of the tax priorities of savings banks
realized at last fair competition within the banking sectors. But the savings banks’ business
principle of public and regional interests was recognized by the federal economic ministry
report. Thus with the private banks’ profit principle, the bipolar features of the regulatory
framework in(West)Germany’s banking system remains to the present.
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
ワルラスのマルクス批判
─企業者国家論を中心に─
御 崎 加代子
しているのかということである。それは,ワル
Ⅰ はじめに
ラスの経済学体系を構成する三つの分野(純粋
経済学・応用経済学・社会経済学)の関係をど
本 稿 の 目 的 は, レ オ ン・ ワ ル ラ ス(Léon
のように理解し,どう評価するのかという問題
Walras, 1834-1910)が 著 書『 社 会 経 済 学 研 究
でもある 1 )。
Etudes d’économie sociale』
(1896)
第 5 章「所有の
本稿では,ワルラスがマルクスの批判を行っ
理論 Théorie de la Propriété」
において行った,
たのは,主要業績である純粋経済学(一般均衡
マルクス(Karl Marx, 1818-1883)に対する批判
理論)を完成した後であること,そしてワルラ
を主な手がかりとして,ワルラスの企業者概念
スは純粋経済学が正義の議論を目的とした社会
と国家観の特徴を明らかにすることである。
経済学の基礎理論であることを生涯,信じてい
教科書的な解釈によれば,ワルラスとマルク
たことを手がかりに,教科書的な解釈とは一線
スの経済学とは,理論的にもイデオロギー的に
を画した,ワルラスとマルクスの関係に注目す
も互いに相容れないものである。第一に,マル
る。
クスの主張する労働価値論と,ワルラスが主張
ワルラスがマルクスに興味をもちはじめたの
する限界効用理論は著しい対比をなしており,
は,純粋経済学(一般均衡理論)が一定の評価
第二に,マルクスの資本主義批判や科学的社会
を得た後の1880年代である。おなじ頃パレート
主義の思想と,ワルラスの流れを引く新古典派
が行ったマルクス批判と同様に,ワルラスも『社
やワルラシアンの市場経済擁護とは真っ向から
会経済学研究』
(1896)でマルクスの学説をと
対立するというのがその理由である。
りあげるにあたって,労働価値論批判から始め
実はワルラスは,第一の点,すなわち価値論
ている。しかしながらここで注目すべき点は,
の違いについては,決定的な対立とは考えては
科学的社会主義者を自負するワルラスが,正義
いなかった。また第二の点について言えば,ワ
の実現をめざすマルクスに共感を寄せ,おなじ
ルラスはマルクスを知る以前から,自ら「科学
「集産主義的」な国家論の構想を持つ者同士と
的社会主義者」を名乗り,生涯その信念を曲げ
いう認識に基づいて,マルクスの体制を検討し
なかったという事実がある。
ていることである。
このような問題を取り上げるに当たって確認
ワルラスによるこのようなマルクス解釈は実
しておかなければならないのは,
ワルラスの
「科
は,ワルラス独自の企業者国家論が出発点に
学的社会主義」の主張が彼の主要な経済理論上
なっている。ワルラスが主著『純粋経済学要論』
の貢献である一般均衡理論と,どのように関係
(初版1874―77)で論じた企業者は,その収入で
─────────────────────────────────
1 ) たとえば,シュンペーターが,純粋経済学で一般均衡理論を展開したワルラスの功績のみを絶賛し,社会経済
学で土地国有化などの社会主義的な主張を展開していることに対しては,冷ややかな態度をとったことはよく知
られている。(Schumpeter, J, 1994, pp. 827-828)
─ 22 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
ある利潤を求めて行動するが,均衡状態におい
『純粋経済学要論』のような体系的な作品を残
てはその利潤がゼロとなるという仮定がおかれ
すことは,さまざまな事情で難しいと考え,そ
ている。企業者利潤ゼロの非現実的な仮定は,
れぞれ,論文集『社会経済学研究』
(1896)と『応
同時代の経済学者たちから激しく批判された。
用経済学研究』
(1898)を出版することにした
20世紀になって,例えばシュンペーターがワル
のである 2 )。
ラスの企業者概念に,現実性をあたえるべく,
マルクスへのまとまった批判が展開されてい
独持の企業者論を発展させたことは,周知の事
るのは,
『社会経済学研究』第 5 章「所有の理
実である。
論」である。これは,ワルラスの親友であり社
一方ワルラス自身は,純粋経済学以外の著作
会主義者であるジョルジュ・ルナール(Georges
において,独占すなわち企業者が一人となる場
Renard, 1847-1930)が主宰する雑誌『社会主義
合,異常な利潤を手中におさめないように,そ
雑誌 Revue Socialiste 』に,同年掲載された
の力をコントロールすべく,国家が企業者の役
書下ろし論文であった 3 )。『社会経済学研究』
割を担うという集産主義的な企業者国家論を展
には,ワルラスが一般均衡理論に着手する前の
開している。『社会経済学研究』
(1896)におけ
青年時代に書かれた論文も多く含まれるのだが,
るマルクス批判は,マルクス経済学の主張をそ
「所有の理論」はそうではなく,同書が出版さ
のような集産主義的企業者国家論の一つとして
れた当時のワルラスの主張を伝える論文なので
とらえ,自らの理論との比較を行いつつ展開さ
ある。
れたものなのである。
フランスでは,すでに1870年代,マルクスを
Ⅱ 『社会経済学研究』第 5 章「所有の理論」
(1896)
批判してワルラスやジェヴォンズを支持する論
客が登場していた 4 )。1893年には,ラファル
グ編『資本論(抜粋)』の序文において,パレー
ワルラスはローザンヌ大学を1892年に退職
トがマルクス批判をし,ワルラス純粋経済学の
し,1896年に『社会経済学研究』を出版した。
優位性を主張していた 5 )。ワルラスがマルク
1874年と1877年に二分冊のかたちで初版を出し
スに興味を持ち始めたのは1880年代であったが,
た『純粋経済学要論』は,1896年に第三版が公
実際にマルクスを読んだのは,この「所有の理
刊され,国際的な評価を得るまでになっていた
論」の発表の少し前の1895年10月だとされてい
が,ワルラス自身は,それだけでは満足せず,
る 6 )。ただしワルラスがこの時,読んだのは『資
純粋経済学に社会経済学と応用経済学を加えた
本論』の第 1 巻のみであり,その当時まだ仏語
自らの経済学体系を,ぜひとも完成させたいと
訳がなかった第 2 巻と第 3 巻ではなかったと考
願っていた。しかしながら後者二つに関しては
えられている 7 )。またワルラスは
「所有の理論」
─────────────────────────────────
2 ) «Notice Autobiographique», Walras,L, 2001, p.20.(和訳「ワルラス自伝資料翻訳」御崎1998, p.160)
3 ) ジョルジュ・ルナールは,「所有の理論」を『社会主義雑誌』に掲載するにあたって,マルクス(労働価値論)
を支持する読者からの反発を予想し,同誌がそのような読者を排除するものではないという注釈をつけた。「所
有の理論」が『社会経済学研究』に掲載されるにあたっては,その注釈は削除された。このことについては,
1896年 6 月28日に「所有の理論」の校正刷を受け取ったジョルジュ・ルナールからワルラスに当てた書簡ならび
にジャッフェの注を参照されたい(Walras, L.1965, vol. Ⅱ , p.685, letter 1250)
4 )『ワルラス全集』の編者注釈では,Maurice BLOCK による反論があげられている(Walras, L. 1990, p.449)
5)
その詳細は,松嶋(1985)Ⅱの三「パレートのマルクス経済学批判」で示されている。ここで指摘されている
ように,パレートの1893年のマルクス経済学批判と,限界効用理論を放棄した1899年末以降のマルクス批判とを
同一視することはできない。このようなパレートの理論的な転換も考慮した上で,ワルラスとパレートのマルク
ス批判を比較検討することは今後の課題としたい。
6 ) Walras, L.1990, p.448.
ワルラスのマルクス批判 ─企業者国家論を中心に─(御崎加代子)
─ 22 ─
において,
『資本論』からの直接的な引用はせず,
批判を決定的な論点とはみなしていないことで
もっぱら概括的な批判を展開している 8 )。
ある。
Ⅲ 「所有の理論」におけるマルクス批判の
パースペクティブ
「私は,これらの二つの間違いを拒絶するつも
ワルラスはマルクス批判を,労働価値論批判
拒絶するつもりもない。それらの間違いの結果,
からはじめ,その二つの誤りを指摘する。
「第一に労働だけが価値をもち,いかなる財も
その通常の価値は,それが含む労働量にほかな
らない。第二に,すべての種類の労働は,ただ
ひとつの種類に還元され,その単位が価値の計
測の基準として役立ちうる。この間違いは今や
明らかにされた。それは部分的にアダム・スミ
スによって作られたが,スミスはそれを保持す
ることはしなかった。それとは逆に,カール・
マルクスは,厳密な論理をもって,その推論と
結論を追究したのが,今日ではその誤りは晴ら
された。」(Walras, L.1990, p.195)
りはなく,それらから生じたマルクスの学説を
地代と利子は,土地用役と資本用役のそれぞれ
の価格としてではなく,労働者兼消費者を犠牲
にした資本家兼企業者による搾取として考察さ
れている。しかし私にとってより興味深いのは,
この理論を応用する際の問題,要するにマルク
ス主義的集産主義が,その出発点の欠陥のため
につまずく実践的な不可能性を,示すことであ
る。
」
(下線 御崎)
(Walras, L.1990, p.196)
ここで出てくる「集産主義 collectivism」と
いう言葉は,当時1884年に公刊された,ルロワ・
ボーリュー(Pierre-Paul Leroy-Beaulieu, 18431916)の著書『集産主義─新しい社会主義の批
判的検討』 9 )からとられている。ワルラスは,
マルクスの体制を集産主義の一形態とみなし,
労働価値論に対して,ワルラスは自らの稀少
自らの体制との比較を展開するのである。
性価値理論の優位性を主張する。労働にはいく
そこでここに出てくる「資本家兼企業者」の
つものタイプがあり,効用においても量的制限
意味について考えるために,ワルラスの階級観
においても異なること,これらのタイプは,土
について,確認しよう。
地用役や資本用役と同じように,価値に関する
ワルラスの『純粋経済学要論』に登場する階
限り,互いに比較可能であるが,異なったタイ
級は,地主,労働者,資本家と企業者である。
プの労働を量によって,
すなわち期間によって,
前三者は土地,人的能力,資本という耐久財の
共通の基準に還元することはできないことをワ
所有者であり,そこから生じる生産用役(土地
ルラスは主張するのである。
用役,労働,資本用役)を供給し,その対価(地代,
このようなマルクス労働価値論に対する批判
賃金,利子)を受け取る。それに対して,企業
は,すでに述べたように1893年にすでにパレー
者は,それらの生産用役を組み合わせて生産を
トによってもなされていた。しかしながら,こ
行い,生産物を供給する。企業者は利潤を追求
こで注目すべきことは,ワルラスは労働価値論
し,生産費(地代+賃金+利子)が市場価格よ
─────────────────────────────────
7 )ローザンヌ大学所蔵のワルラス文庫にあるマルクスの著作は,1900―02年に公刊されたフランス語版『資本論』
(全 3 巻)のみである。またこの本にはワルラスの書き込みが一切ない。(2015年 3 月確認)
8 )Dockès(1996)によれば,ワルラスは当時マルクス集産主義について論じたジョルジュ・ルナールの仏語論文
は読んでいたが,ベーム・バベルクのマルクス批判などは知らなかったようである。(Dockès, 1996, p.192)
9 )ちなみにローザンヌ大学ワルラス文庫所蔵の『集産主義』(1884)にはワルラスによる多くの書き込みがなされ
ている(2015年 3 月確認)。ワルラスが,この書物からどのような影響を受けたかについては,今後の課題とし
たい。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
りも低ければ,生産量を増加させたり,その部
したのである。
門に新規参入し,逆に生産費が市場価格よりも
ワルラスの集産主義すなわち企業者国家論は,
高ければ,生産量を減少させたり,その部門か
社会経済学と応用経済学において,本格的に展
ら撤退する。このような企業者たちの行動によ
開されているのであるが,実は『純粋経済学要
り,均衡状態においては,生産費=市場価格が
論』においてもこの構想が示唆されている部分
達成され,企業者の受け取る利潤は結局ゼロに
がある。
なると仮定されている。この企業者利潤ゼロの
仮定は,ワルラス純粋経済学の謎あるいは欠陥
「しかしながら,たとえ企業者が多数であるこ
のひとつとみなされてきた10)。
とが生産の均衡に導くとしても,それはこの目
このようにワルラスは,
「資本家」と「企業
者」を区別し,両者の受け取る報酬である「利
子」と「利潤」をも区別する。そしてマルクス
の「資本家」を,「資本家兼企業者」と位置付
ける。そして「資本家兼企業者による搾取を排
除するために,マルクス主義はすべての企業を
国家の手にゆだねる」11)と,ワルラスは解釈
するのである。
標を達成する理論的に唯一の方法ではないとい
うこと,および,ただ一人の企業者が,生産用
役を競り上げつつ需要し,生産物を競り下げつ
つ供給すること,そしてそのほかに,損失の場
合は常に生産を制限し,利益の場合には常に生
産を拡張することによって,同じ結果を得るで
あろうということに注意すべきである」
(Walras,
L. 1988, p.284)
すでに述べたように,ワルラスは純粋経済学
興味深いことに,これは,1900年の『純粋経
以外の分野で,国家のみが企業者となることを
済学要論』の第四版以降に付け加えられた部分
想定した企業者国家論を構想していた。
『応用
である。ワルラスは,社会経済学や応用経済学
経済学研究』(1898)の中で,ワルラスは独占
における企業者国家論の主張を補強することを
について論じた際に,公的な財やサービスの独
意図して,この部分を付け加えたのかもしれな
占の必要性を指摘しただけでなく,私的な財や
い。
サービスについても,流通や生産技術の進歩に
ともない効率性の理由から独占が増えることを
予測していた12)。
Ⅳ ワルラスがマルクスに呈した二つの疑
問
その場合,たとえ企業者が一人になっても,
では,ワルラスが「所有の理論」において指
生産費と販売価格がゼロになるという条件が満
摘した,マルクス的集産主義の「実践的不可能
たされるような生産量が実行されれば,一般均
性」とは何だろうか。
衡の条件は満たされ,独占の弊害はない。生産
マルクスの集産主義においては,国家は唯一
量の恣意的な操作によって,企業者が異常な利
の企業者であり,すべての土地,すべての人工
潤を手中におさめることがないように,個人で
資本の所有者である。労働価値論をもとにした
なく,国家がその役割を担うべきだとワルラス
マルクスの集産主義において生じる困難として,
は考えた。ワルラスは,自らのその体制を「集
ワルラスがまず指摘するのは,企業者国家が労
産主義」と位置付け,そしてマルクスの体制を
働を買い入れる際の評価の困難,人口資本の減
同じ「集産主義」のひとつとして検討しようと
価償却と保険の準備金を誰が負担するのかとい
─────────────────────────────────
10)この点について詳細には,御崎(1998)の第 2 章「ワルラスと企業者」, Misaki(2012)の第 5 節“Mystery of
Walras’ pure economics Ⅱ ,The Zero-Profit Entrepreneur”を参照されたい。
11)Walras, L. 1990, p.196.
12)ワルラスは前者を「道徳的独占」,後者を「経済的独占」と呼んだ。
ワルラスのマルクス批判 ─企業者国家論を中心に─(御崎加代子)
─ 33 ─
う問題などである。
じくらいあるであろう。人的能力を使い発展さ
その中でも,最大の困難としてワルラスが強
せようとする動機は,贅沢品の消滅によって部
調するのは,土地用役を含むことによって高い
効用を持つ生産物の需給の不一致の問題であ
る。
分的には消滅するであろう。人間は,現在そう
であるように,楽しみを得ることができるよう
に働くのである。労苦への報酬が,ビールやシー
ドルを飲み,キャベツやジャガイモを食べるこ
⑴ 土地用役の稀少性をどう測るのか
とだけになれば,優れた医者も減り,偉大な芸
ワルラスは,マルクス主義においては,土地
う。
」
( Walras, L. 1990, p.200)
用役の持つ価値が認められず,労働のみが価値
を持つと説明する。これがもたらす帰結をワル
ラスは,高級ワインを例にあげて示した。
術家も減り,注目すべき経営者も減るであろ
⑵ 消費者の需要をどのように知るのか
シャトー・ラフィットのワインの価格を,そ
次にワルラスが指摘するのは,マルクス主義
の生産に費やされた単純労働で測れば,その価
のシステムにおいては,国家はどのように,唯
格でどのくらいの需要と供給が生じるだろうか。
一の企業者として,前もって,生産計画をたて
ワルラスの想定では,ブドウ園が供給できるの
るのかという点である。
はたったの 2 万本であるのに対し,100万本の
需要が生じる。その場合,シャトー・ラフィッ
「マルクス主義のシステムにおいては,企業者
トをどのように分配すればよいのだろうか。論
国家はどのように,前もって,どの生産物をリ
理的な解決策は,シャトー・ラフィットをもは
ストにのせ,どの生産物を消滅させるべきか,
や生産しないことである。
その後,
リンゴとホッ
知ることができるのであろうか?この点を解決
プが,高級ワインのブドウ園に植えられ,これ
するためには,供給の要素だけでなく,需要の
によって,シードルとビールの賃金で表した平
要素が必要である。供給の要素は必要であれば
均費用での需要量を,供給することができるよ
計算しうるが,需要の要素は,消費者の必要性
うになるかもしれないが,その場合に失われる
の中に見出されるべきものであり,消費者は,
総効用は計り知れない。このように,マルクス
その必要性が次から次へと変化するかもしれな
主義は,土地用役を必要とする生産物が,労働
いという理由で,それを国家に伝えることがで
で表した平均費用での分配が可能なくらい大量
きないのである。
」
( Walras, L. 1990, 200)
には存在しない場合は,生産を停止するしか方
法がない。その場合に,効用面で大きな犠牲を
供給と需要との関係に関するこのような不確
払うのだとワルラスは結論する。
実性は,市場の価格決定のシステムにおいては,
需給を均衡させる価格変動に任せておけばよい
「明らかにこのことは,有効効用のかなりの損
が,マルクス主義のシステムにおいてはこれが
失をもたらすであろう。それは,より優れた生
作用せず,需要不足の場合には生産物は,廃棄
産物を消費することができたかもしれない人々
や,より劣った財を消費しなければならない人々
の欲求の満足の合計の減少に等しい。たとえば,
ワインを飲むことができたのに今やシードルや
ビールを飲まないといけない人々。それほど多
くの土地用役の廃止から間接的に生じる,ある
人的用役の廃止による有効供給の損失もまた同
処分されなければならないことを,ワルラスは
指摘する。
結局のところ,マルクスの体制は,資本家兼
企業者による労働者の搾取を防ぐことを優先的
な目的とし,正義の実現のために経済的有利性
を犠牲にしているとワルラスは断定する。すな
わち効率よりも公正を優先させるのがマルクス
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
だと考えているのである。では市場のシステム
個人が得た賃金からの貯蓄に基づいていること
において生じる不正義について,あるいは効率
が条件であり,国家が地代を手段に生み出した
と公正の実現について,ワルラス自身はどのよ
場合は例外として共有にすべきと,ワルラスは
うに考えているのであろうか。
考えるのである。
ワルラスは言う。たしかに,市場の価格決定
搾取の原因が,資本の私有そのものにあるの
システムにおいては,高級ワインを産する土地
ではなく,土地の私有にあるという考え方は実
には高い地代が実現するかもしれないし,アレ
は,ワルラスが父オーギュストから受け継いだ
クサンドル・デュマのような高名な作家には,
考えであり,処女作『経済学と正義』
(1860)以来,
高い賃金が実現するかもしれない。しかし両者
曲げることのなかった主張である13)。地代は,
に対する扱いは全く異なる。ワルラスは,土地
土地用役の稀少性に比例するため,進歩する社
私有を認めるべきではないこと,メドックの土
会においては絶えず上昇し,土地私有が認めら
地が,我々全員に与えられ,その用役に対する
れれば,個人がそれを受け取ることが可能に
高い地代が,国家に属することになること,こ
なってしまう。
れらの地代によって,国家は,国民全員に無料
「所有の理論」(1896)においては,土地の私
の公的サービスを提供しうることを主張する。
有のもたらす悪に加えて,独占利潤の弊害が強
実は,
この土地国有化と税制撤廃の主張こそが,
調される。独占は,企業者たちが生産費用を上
ワルラスの社会経済学の主要なテーマである。
回る販売価格を実現させ,生産量を固定するこ
一方,高い才能に支払われる高賃金について
とを可能にする。悪の根源は土地私有と競争の
はどうであろうか。ワルラスによれば,デュマ
不在がもたらす独占利潤である。この二つが廃
の人的能力は,
彼自身に与えられたものなので,
止されている限り,資本の私有が不正義を生み
彼の用役に支払われる高賃金は,彼のものであ
出すことはないとワルラスは考える。彼は,当
る。そしてこのような人々は,シャトー・ラ
時のアメリカの大富豪の財産の源泉を,土地へ
フィットを飲むためにそれを使うだろう。そし
の投機と競争なきビジネス活動に見出す。
て我々は,小説『モンテ・クリスト伯』を読む。
このような社会的富の分配は,公正であるとワ
「…私が心に抱いている新しい社会では,個人
ルラスは述べる
による土地所有と独占といったような封建主義
Ⅴ ワルラスの考える搾取の原因─土地私
有と独占利潤
土地所有は,地主に,土地用役を,その稀少性
以上のように,ワルラスは,土地と地代は国
家に,人的能力と賃金は個人に帰属させること
を主張し,それによって社会の公正は保たれる
と主張する。では,マルクスや他の社会主義者
たちが搾取の原因と考えた,人口資本と利子・
の真の原因と条件は,
廃止されているからである。
に比例する価格,言い換えれば,進歩する社会
においては絶えず上昇する価格で売ることを可
能にする。独占は,特権か提携かによって,自
然的であろうと人為的であろうと,ある産業を
手中に集中させた企業者たちが,平均費用を上
回る価格の超過,最大の超過を目指して生産さ
れる量に固定することを可能にする。アメリカ
利潤についてはどうであろうか。
で,数年の間に形成された大富豪の莫大な財産
ワルラスは,人口資本の所有とその資本用役
の源泉を探してみれば,土地の価値増加への投
の対価である利子は,個人に帰属させるべきこ
とを主張する。ただし例外もある。資本所有は,
機,競争なきビジネス活動を見出すであろうし,
たいていは,これらの二つの条件が組み合わさっ
─────────────────────────────────
13)御崎(1998)終章を参照されたい。
ワルラスのマルクス批判 ─企業者国家論を中心に─(御崎加代子)
ているのがわかるだろう。」
(Walras, L. 1990, p.205)
─ 33 ─
労働者の生活の備えになることを想定している
のである15)。
ワルラスは未公刊のメモ Notes d’humueur
「合理的な社会においては,
私的土地所有がなく,
の中で,次のように述べている。
独占がなく,個人の資本財は,一般的に,個人
の貯蓄すなわち賃金の消費を超過する分からの
み生じる。それらは,生産用役の所有者あるい
は生産物の購買者を企業者が搾取した結果では
「資本と資本主義は廃止しないこと。
そうではなく,全員を資本家にすること。
」
(Walras, L. 2000, p.575)
ない。利潤の見込みと損失のリスクは相互的で
あり,発明と改善の効果を別にすれば,究極的
には互いに相殺するからである。」
(Walras, L. 1990, p.205)
Ⅵ 公正と効率の両立をめざして
ワルラスは,独占が必要な場合は,国家が企
ここで最後に述べられている「利潤と損失の
業者の役割を担い,競争に障害が生じない場合
相殺」は,純粋経済学における企業者利潤ゼロ
は,個人の主導権にゆだねることを改めて強
の仮定がまさに意味することである14)。
調し,マルクス批判を締めくくる。生産物の市
独占による恣意的な生産量のコントロールが
場価格が結局のところ生産費に等しくなり,企
なければ,
利潤が不正義をもたらすことはない。
業者が異常な利潤を生じさせないことを自らの
また資本所有が不正義をもたらすこともないこ
「集産主義」の本質的な特徴と考えているので
とを,ワルラスは次のように説明する。
ある。
「したがって,合理的な社会では次のように想
「そのような解決が可能であれば,富の生産に
像すべきである。国家に属さない大量の資本が,
関しても分配に関しても,私自身が集産主義者
労働者たちの手にあり,小さな部分に分けら
であると宣言するにやぶさかではない。しかし
れ,様々な企業の株や債券,特に協同組合企業
ながら,譲歩がなされることが確かでない限り,
の債券の形をとり,現在の厚生に,明日の安心
そして,集産主義者たちの学説が多少なりとも
への保障や,将来の退職への備えを付け加える
カール・マルクスの誤謬によって妥協される限
のである。このことすべては,私的な主導権の
り,そして結局,集産主義という言葉が正確には,
おかげであり,必要な場合に,無私で利他的な
私が愛着を感じている考え,すなわちすべての
援助を与える以外に,国家からの介入はない。」
経済的社会的問題における国家と個人の権利と
(Walras, L. 1990, p.205)
義務との総合という考えを表現しない限り,
私は,
総合的社会主義あるいは総合主義の名のもとに,
イギリス古典派やマルクスとは違い,一人の
私の理論を,さらに注目されるまで,示し続け
人間がいくつもの階級の機能を担うことができ
る。
」
(Walras,L. 1990, p.206)
るという機能主義的な階級観を持つワルラスは,
労働者が貯蓄をすることによって資本家になり,
さてすでに指摘したように,ワルラスは,マ
資本がもたらす利子をうけとることによって,
ルクスの体制が,正義の実現のために経済的有
─────────────────────────────────
14)ただし,ワルラスの企業者利潤ゼロの仮定は,現実経済において利潤そのものの廃止を意図しているものでは
ないそれはワルラスの未公刊メモ «Notes d’humeur» における,友人のシャルル・ジッドへの批判的見解からも
みてとれる。(Walras, L. 2000, pp. 539-540)この問題についての詳細な考察は別の論文で行いたい。
15)このような発想は,ワルラスが青年時代に参加していたアソシアシオン運動にも見られる。御崎(1998)第 5 章
を参照されたい。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
利性を犠牲にする体制とみなした。ワルラスは
進氏をはじめとする多くの方々にこの場を借り
あくまでもそれらの両立を目指していたが,も
てお礼を申し上げる。
しその二つが矛盾するのであれば,マルクスと
同様,正義の方を優先させると述べている。ワ
ルラスのマルクスへの共感が読み取れる主張で
ある。
「(マルクスの体制においては)その生産組織は,
分配の組織に従属させられる。私自身は,これ
らの二つの範疇を互いに独立させておくが,こ
の点においては,反論はしない。なぜなら,私
もまた有利さと正義との間が両立不可能な場合
には,後者が前者に優先されるべきであると信
じているからである。」(Walras, L. 1990, p.196)
ところで,この効率と公正の両立というワル
ラスの高き理想は,
真理を追究する純粋経済学・
効用を追及する応用経済学・正義を追求する社
会経済学という,三つの分野から構成される彼
の経済学構想にまさに反映されているのである
が,このうちの純粋経済学のみが注目され発展
させられていった20世紀には,ワルラスの当初
の意図は忘れさられてしまい,新古典派とマル
クス学派との対抗関係のみが強調されるように
なった。
その一方で,ワルラスの構想する集産主義や
企業者国家は,いかにして実現可能なのだろう
か。社会経済学と応用経済学を,ワルラス自身
が結局完成させることができなかったという事
実からも推察できるように,検討すべき課題は
多い。
【付記】
本稿は,JSPS 科研費 基盤研究 C「ワルラ
ス企業者論の解明─純粋・社会・応用経済学の
観点から」
(課題番号26380257)の研究成果の
一部である。
本稿は,経済学史学会第78回大会(2014年 5
月24・25日於立教大学)での報告「ワルラスの
マルクス批判」を加筆修正したものである。大
会当日に貴重な意見をくださった討論者の竹永
参考文献
1.Dockès, P.(1996)La Société n’est pas un pique-nique,
Léon Walras et l’économie sociale, Paris, Economica.
2.Leroy-Beaulieu, Paul(1884)Le Collectivisme, examen
critique du nouveau socialisme, Paris, Guillaumin.(ロー
ザンヌ大学ワルラス文庫所蔵)
3.Marx, K. (1900-1902) Le Capital, 3 Vols. Paris,
Giard & Brière.(ローザンヌ大学ワルラス文庫所
蔵)
4.松嶋敦茂(1985)
『経済から社会へ─パレートの生
涯と思想』みすず書房
5.御崎加代子(1998)『ワルラスの経済思想─一般均
衡理論の社会ヴィジョン』名古屋大学出版会
6.Misaki, K. (2012) History, Philosophy, and
Development of Walrasian Economics, 6.28.38 the
Encyclopedia of Life Support System (EOLSS), the
UNESCO, 2012.
7.Pareto, V. (1966) Introduction à K. Marx, Le
Capital. Extraits faits par P. Lafargue, Paris, 1893,
Marxisme et Economie Pure, œuvres complètes, éd. Giovanni
Busino, t.IX, Genève, Librairie Droz.
8.Schumpeter, J.A.(1994)History of Economic
Analysis, with a new introduction by Mark
Perlman.New York, Oxford University Press.
9.Walras, L.(1965). Correspondence of Léon Walras and
related papers, ed. Willaiam Jaffé. 3 vols. Amsterdam.
10.Walras, L.(1988): Eléments d’économie politique pure,
ou théorie de la richesse sociale (Auguste et Léon Walras, œuvres
économiques complètes, ed. Pierre Dockès et al, t. Ⅷ),
Paris, Economica.
11.Walras, L.(1990): Etudes d’économie sociale: théorie de
la répartition de la richesse sociale (Auguste et Léon Walras,
œuvres économiques complètes, ed. Pierre Dockès et al,
t. Ⅸ), Paris, Economica.
12.Walras, L. (1992): Etudes d’économie politique
appliquée: théorie de la production de la richesse sociale
(Auguste et Léon Walras, œuvres économiques complètes, ed.
Pierre Dockès et al, t. Ⅹ), Paris, Economica.
13.Walras, L.(2000): Œuvres Diverses (Auguste et Léon
Walras, œuvres économiques complètes, ed. Pierre Dockès
et al, t. ⅩⅢ), Paris, Economica.
14.Walras, L. (2001): L’économie politique et la justice,
(Auguste et Léon Walras, œuvres économiques complètes, ed.
Pierre Dockès et al, t. Ⅴ), Paris, Economica.
15.Walras, L.(2005): Tables et Index, (Auguste et Léon
Walras, œuvres économiques complètes, ed. Pierre Dockès
et al, t. ⅩⅣ), Paris, Economica
ワルラスのマルクス批判 ─企業者国家論を中心に─(御崎加代子)
─ 33 ─
Walras’s Criticism of Marx: in Relation to the State
Entrepreneur
Kayoko Misaki
This paper aims to clarify Walras’s ideas of entrepreneurship and the State by focusing
particular attention on his criticism of Marx in chapter 5 ‘Theory of property’ in Studies in
Social Economic(1896).
Based on the idea of the zero-profit entrepreneur presented in his pure economic model
(the general equilibrium theory), Walras developed his views on collectivism in his social
and applied economics, and defined it as a system where the State takes over the role of
the entrepreneur. He classified Marx’s scheme also as collectivism, and tried to clarify its
practical difficulties and impossibilities. Contrary to the textbook interpretation, Walras did
not regard the difference in their theories of value as a crucial point to criticize Marx.
Walras concluded that Marx gave priority to justice, that is to say, the prevention of any
exploitation by the private capitalist entrepreneur, by sacrificing economic advantage. Walras
believed he could realize his own style of collectivism where justice and economic advantage
could be achieved together.
If we ignore Walras’s thinking in areas other than pure economics, and if we hold to the
textbook interpretation about the antagonism between the Marxian and Walrasian schools,
we then lose sight of the real implications and significance of Walras’s pure economic theory.
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
<研究ノート>
ラディカル・ヒストリ・アワァ
─療養所がある島を過ごす─
阿 部 安 成
W-atelier01■阿部安成,石居人也「あれからずっ
とが,わたしたちの〈話トリエ〉の目的である。
と,あれから,ずっと-国立療養所大島青松園在
〈話トリエ〉では,一般に歴史の調査者や研
住者の顕彰碑をめぐるその後」滋賀大学経済学部
究者がしばしばおこなう,フィールドに残され
Working Paper Series No.211,2014. 6 。
た文書や図書を史料としてその保存と公開と活
W-atelier02■阿部安成「サミシイオモイ-〈話ト
用を進めるだけでなく 1 ),わたしたちが島に
リエ〉のなりたちにさかのぼって」同前 No.213,
わたり,会って,話しを聞くことができる在園
2014. 6 。
者の声と話を記録するよう努めている。話者が
W-atelier03■ 同「 療 養 所 の 外 へ, 島 の 外 へ - キ
わたしたちに伝え,わたしたちが話者から聞く
リスト教霊交会創設者の墓前礼拝」同前 No.219,
内容は,わたしたちが過去を知るときの手がか
2014. 8 。
りとなるとともに,在園者と,対面で,生の声
W-atelier04■本稿。
をとおして,意思をつきあわせる時と場は,わ
なま
たしたちが過去にむきあうその構えを自省する
〈話トリエ〉のねらい わたしたちが実施し
機会となるととらえている。これが〈話トリエ〉
ている〈話トリエ〉と名づけた工房をとおし
のねらいである。
た作業は,国立療養所大島青松園(香川県高松
さきに,わたしたちの〈話トリエ〉を工房と
市庵治町。以下,大島青松園,と略記する)
示したが,これはフィールドになにか特定の設
を調査と研究のフィールドとしている(上記
備をおいたわけではない。マイクやレコーダー
W-atelier01- 同03を参照)
。そこには,1909年に
の有無にかかわらず,わたしたちと在園者たち
施行された法律第11号「癩予防ニ関スル件」な
がともにいる場所が〈話トリエ〉となる。ひろ
どによって設置された療養所が,いまも,ある。
くいえば,〈話トリエ〉とは,わたしたちが療
在園者たちが「本病」と呼ぶその病を患ってい
養所のある島で過ごすときの,そこで過ごした
るものがいまも,そこにいるとは聞かない。だ
ときの,その過ごし方についての思索の場なの
が,
「本病」そのものが癒えたとしても,
いまも,
である。
数十名の男女がそこに暮らしている。
きっかけ 数十年振りで出席した東京歴史科
癩そしてハンセン病をめぐる療養所とそこに
学研究会2014年大会の会場で,大門正克の論考
生きた療養者たちの生を,歴史において考える
に接した。「歴史実践としての陸前高田フォー
こととあわせて,そのための手立てを整えるこ
ラム」と題された稿は 2 ),表題からもうかが
─────────────────────────────────
1 ) 文字史料の保存と公開にかんしては,そのデジタル撮影とそれをもとにしたリプリント版の刊行をおこなって
いる。リプリント国立療養所大島青松園史料シリーズとして,すでに,大島の療養所で編集発行されたいずれも
逐次刊行物の『報知大島』『藻汐草』『霊交』を公刊した(阿部の監修と解説で近現代資料刊行会から2012年と
2014年に発行。シリーズ刊行は継続中)。このシリーズの紹介に,松岡弘之「資料紹介『報知大島』リプリント版」
(『国立ハンセン病資料館研究紀要』第 4 号,2013年 3 月)と柴田「ほんの紹介」(『朋』第36号,2014年 7 月19日)
がある。
─ 33 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
えるとおり,「三・一一後に歴史学はどのよう
り,2004年から「 7 年を経たいま」との文言が
な役割を担うべきか」との「課題を考え,実践
本の帯にみえるので,2007年ののちは増刷され
するため」に設けられた「現場」とそこに展開
ないまま,しかしわたしの購入した本は2011年
する「サイクル」の記録である。
「現場」とは,
以後に,その装いがあたらしくあつらえられた
「東北地方の近現代史を研究する」研究者 5 名
商品とうかがえる。初刷から10年にわたって,
による歴史講座としての
「フォーラムにおいて,
確実に出版書としての意義を保ってきた作品と
私たち関係者,全国の参加者,現地の人たちの
いえよう。
三者がテーマと場所を得てできたもの」
を指し,
刊行当初にこれをきちんと読むことはなかっ
「フォーラムの現場」と,
「フォーラムの現場を
た。ただその当時,手にとってみた覚えがある。
ふまえて本を構想」
「現場をふまえた本を刊行」
本書に記された「歴史する(doing history)」
という経緯を経てつくられた「本」という 2 つ
の語を,奇妙な,しかしおもしろい用法だと感
によって「サイクル」がつくられたという。
じたことを,しっかりと覚えている。だが本書
この「フォーラムと本による取り組み」を大
を読みとおしはしなかった。大門に導かれてあ
門は,「歴史実践」と考え,その術語の典拠と
して,保苅実『ラディカル・オーラル・ヒスト
らためて,
『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
(以下 Rohとする)を読むこととした。
リー─オーストラリア先住民アボリジニの歴史
それというのも,2013年秋に構想を固め,翌
実践』
(御茶の水書房,
2004年)をあげた─「保
2014年春に始動したわたしたちのプロジェク
苅氏は,日常的実践において歴史とかかわる諸
ト〈話トリエ〉でも,聞き取りという作業を軸
行為を歴史実践と呼び,オーストラリアのグリ
として,歴史事象(≒過去の出来事)と,それ
ンジ・カントリーでの長老たちの歴史実践をふ
にかかわる現在を生きる当事者と,そうしたあ
まえ,自らも長老たちとのかかわりを歴史実践
れやこれやを調べて書くわたしたちとの 3 者の
として示そうとした」と説く大門は,自分たち
関係を考えようとしていたので,大門が「三・
の活動を「三・一一後に歴史学の存在意義を問
一一後」という時世と社会において,「歴史学
い直す歴史実践」と示し,
「らせん階段をまわ
の存在意義を問い直す」ときの 1 つの指針とし
るように少しずつ移動(前進)している」よう
て示した「歴史実践」が,また大門が参照した
すを,「サイクルになった歴史実践」ととらえ
Rohで示された,とりわけ「ラディカル」とい
てみせた。
う姿勢が,気になったのだった。
ここに参照したかぎりでいえば,
「日常的実
わたしたちが実施する〈話トリエ〉の参考書
践において歴史とかかわる諸行為を歴史実践と
として Rohを読み,議論の端緒を開くためにこ
呼」ぶというのでは,それは日々の生活の多岐
の小文を書くこととした。
多様にわたり,
つねにとまでいわないにしても,
墓前礼拝 ただ,さきにも留意点として示し
わたしたちが営む生活の諸相がそう呼べること
たとおり,「歴史実践」という術語には,日常
となり,これではなにもいわないに等しくなる
にあらわれる諸相の多くを対象としてしまい,
のではないかと感じた。
ひいては無概念となりかねない危うさを感じる。
参考書 さて,
大門が参照した『ラディカル・
わたしたちの〈話トリエ〉ではまず,わたした
オーラル・ヒストリー』という著書は,わたし
ちがフィールドとしている大島で,1914年に結
の手許にある本をみるとその版は2007年の第 1
成されたキリスト教信徒団体のキリスト教霊交
版第 6 刷で,第 1 版第 1 刷は2004年の発行とな
会(以下,霊交会,とする)が計画した墓前礼
─────────────────────────────────
2 ) 大門正克「歴史実践としての陸前高田フォーラム」(『歴史評論』第769号,2014年 5 月)。
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 33 ─
拝をその 1 つの事案とした 3 )。それは,会創
交会信徒が過去にこころをむける,そこに介在
設信徒のひとり三宅官之治(1877年─1943年)の
したと感じたときとなった。
生地に建てられた墓碑と顕彰碑に会員が詣で,
歴史への介在 墓前礼拝以前にも,この介在
そこで礼拝をおこなうという企画だった。わた
を実感したときがあった。2004年から大島にか
したち(宮本結佳,石居人也,阿部)は,墓参
よいはじめ,翌2005年,その翌々 2007年以降
に同行することとした。
も島で史料撮影と図書整理をおこなうなかで,
癩そしてハンセン病をめぐる療養所に生き,
わたしが長田穂波の 1 冊だけ残る日記を書棚か
そこで亡くなったひとの遺骨は,ほとんどのば
らひっぱりだしたり,著者の献辞がある『癩院
あい,園内にある納骨堂におさめられる。生地
創世』を机のひきだしにみつけたり,かつて代
や故郷に遺骨が帰る例は多くはない。療養所に
表をつとめた石本俊市の三文判が押してあるガ
隔離されたもののほとんどが,死後も郷里を
リ版刷りの『報知大島』に驚いたりすると,霊
失ったままなのだ。そうしたところで,彼の霊
交会信徒からも,図書台帳の簿冊や穂波の遺書
交会創設信徒の遺骨は,その生地で父母といっ
を写した写真などあれこれと古いものの提供が
しょの墓に埋葬された。霊交会では,2014年 5
あり,信徒もだんだんと自分たちの過去に眼を
月に会として初めて,その創設信徒の碑のまえ
耳をむけてゆき,ついには,1940年に廃刊となっ
に集い,そこで礼拝をおこなったのである。霊
た会の機関紙『霊交』の復刻版までつくるにい
交会信徒はそれを,
「霊交会の原点に立つ」
「霊
たったのである。霊交会信徒も忘れていたり知
交会の原点に帰る」と表現した。
らなかったりした過去の遺物をあらためて,わ
現在の霊交会代表は,創設信徒の墓碑につい
たしがいわば篋底からひきだしたことによって,
て,それがあることを知らなかった,あるいは,
彼ら自身の過去への関心を強め,それをいま知
知らされても信じられなかったとのべていた 4 )。
ろう,知らせようとしていったのである。(癩
その所在は,古くは 2 つの書物によって 5 ),
そしてハンセン病をめぐる療養所は,人数から
近年では2006年に三宅官之治顕彰碑が建立され,
いっても男社会だった。いまでは高齢化し,在
その礼拝をつかさどった牧師のブログによって,
園者数が80人をわったところで,だんだんと男
直近では2014年になってから,わたしの問いあ
女比がおなじになっていると大島青松園在園者
わせに回答するための赤磐市郷土資料館学芸員
から聞いた 6 )。すぐまえに書いた「彼ら自身
の調査によって,そして,わたしと石居の現地
の過去への関心を強め」というとき,当初はそ
行によって確認された。わたしたちは調査後す
う書いたものの,これは男だけのことなのかと
ぐに,霊交会代表にその 2 つの碑について伝え
あらためて自問した。関心を寄せる人数やその
た。霊交会による,初めての,創設信徒墓前礼
度合いに個々の違いがあるが,ここでは,彼ら
拝の端緒は,わたしたちがつくった。現在の霊
彼女たち,としてよいとおもう)
─────────────────────────────────
3 ) 阿部安成,石居人也「父母に抱かれた「聖者」のひと─国立療養所大島青松園在住者の顕彰」(滋賀大学経済学
部 Working Paper Series No.208,2014年 3 月),同「あれからずっと,あれから,ずっと─国立療養所大島青松
園在住者の顕彰碑をめぐるその後」(同前 No.211,2014年 6 月)を参照。
4 ) 前掲阿部,石居「あれからずっと,あれから,ずっと」を参照。
5 ) 土谷勉『癩院創世』(木村武彦,1949年)と笠居誠一ほか編集委員『霊交会 創立五十周年記念誌』(大島青松園
霊交会,1964年)。
6 ) 本稿執筆当初の時点での人数を記すと,在園者は男41人,女38人,平均年齢81. 9 歳(「大島青松園入所者数・
年齢別数等概況/平成26年 5 月 1 日現在」『青松』通巻第676号,2014年 6 月)
。執筆途中での人数は男37人,女
33人,平均年齢82. 6 歳(「大島青松園入所者数・年齢別数等概況/平成27年 3 月 1 日現在」同前通巻第681号,
2015年 4 月),最新の人数は男36人,女32人,平均年齢82. 6 歳(「大島青松園入所者数・年齢別数等概況/平成27
年 7 月 1 日現在」同前通巻第683号,2015年 8 月)。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
2004年から月の数日を島で過ごし,作業をし
主義の場所的倫理学─ジミー・マンガヤリの植
たり,いっしょに食事をしたり,話しをしたり
民地史分析」,第 5 章「ジャッキー・バンダマ
聞いたりしてきたなかで,わたし(たち)は彼
ラ─白人の起源を検討する」
,第 6 章「ミノの
ら彼女たちが過去から未来へとつないでゆく歴
オーラル・ヒストリー─ピーター・リード著『幽
史に介在していると感じるようになり,そのこ
霊の大地』より」
,第 7 章「歴史の限界とその
とをきちんと,部外者として自覚し,観察し,
向こう側の歴史─歴史の再魔術化へ」,第 8 章
記録し,自己点検しようと決めた。それが〈話
「賛否両論・喧々諤々─絶賛から出版拒否まで」,
トリエ〉と名づけたプロジェクトとなった。こ
「著者によるあとがき」(保苅実),「もうひとつ
のとき〈介在〉という観点や立場やかかわりぐ
のあとがき」(塩原良和),「ミノ・ホカリとの
あいが重要な論点になるとおもった。
対話」
(テッサ・モーリス =スズキ)
,
「開かれ
さきにあげた考察の対象とする関係となる
た歴史学へ向けて」(清水透)。
3 項─歴史事象(≒過去の出来事)と,それ
目次をみて,第 1 章を一読して,その構成,
にかかわる現在を生きる当事者と,そうした
文体,用語に著者の妙や才を強く感じ,精緻で
あれやこれやを調べて書くわたしたちとの 3
あり奔放でもある企てのもとで綿密に構想され
者─これらをここで簡潔にいいかえて,
歴史,
た記述だと,ひとまず,おもった。第 1 章は,
「幻
当事者,観察者としよう。観察者とは,フィー
のブック・ラウンチ」= 架空の「出版記念パー
ルドの島で,そこでの歴史の当事者である在住
ティ」の体裁で,しかしそこに出席した「架空
者に会い,話しをし,そこでみたこと聞いたこ
の人物」に実際にあったシンポジウムでの「発
と感じたこと考えたことを記録し,
歴史を書き,
言内容」を語らせ,そのシンポジウム報告に「大
そして自己省察するわたしたち自身である。
「日
幅に加筆修正のうえ再構成」したこの第 1 章が
常的実践において歴史とかかわる諸行為を歴史
重要な核となっている本書に寄せられるであろ
実践」というとき,わたしたち観察者はフィー
う意見や質問をあらかじめ,本書その内にふく
ルドとする大島で日常を過ごしつづけているわ
みこんでしまっていたり,著者の意図しないと
けではないので,わたしたちのあれこれの行為
ころとはいえ,著者以外の執筆者による「あと
は「歴史実践」とはいえないかもしれない。だ
がき」と解説までついていたりする Rohはやは
が,確かに,島に生きるひとたちの歴史という
り,
(出版社編集者からの信書もある!,博士
ものに介入している,関与しているとの実感が
論文査読報告も!)
,巧みで抜かりのない,み
ある。それを「歴史実践」といいはるのであれ,
ごとに計算されたと,(ひとまず),みえる著作
歴史に介入,関与している,介在する位置にあ
となっている。30歳台初めにこうした著作をま
るという意味で〈歴史介在〉という造語を用い
とめ得た眩しいほどの才気への嫉妬を告白して
るのであれ,ともかく,大島というフィールド
おこう。
で,歴史,当事者,観察者の 3 者の関係性につ
歴史実践 まずは, 3 ・11以後に「歴史学の
いて考えるとしよう。そのための導きの手引き
存在意義を問い直」そうとする大門によって参
として,Rohを選んだ。
照された「歴史実践」が,Rohでどのように説
用意周到 Rohの構成を示そう。第 1 章「ケ
かれているかを第 1 章にみよう。
ネディ大統領はアボリジニに出会ったか─幻の
Roh 第 1 章では,著者が「歴史学者です」と
ブック・ラウンチ会場より」
,第 2 章「歴史を
の強い自覚をもち,「僕自身は歴史学にこだわ
メンテナンスする─歴史する身体と場所」
,第
りをもって研究をしてい」ることが示され(「戦
3 章「キャプテン・クックについて─ホブルス・
略的歴史学者
(a strategic historian)
」
ともいう)
,
ダナイヤリの植民地史分析」
,第 4 章「植民地
一方で,
「誰が歴史家なのか?」と掲げられた
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 44 ─
問いのもとで,
「歴史実践」が説かれてゆく。
をやったんですね」といいつつ,「参与観察」
文書を残さない「アボリジニの歴史にオー
という行為や手法には疑義を示し(参与と観察
ラル・ヒストリーの手法で接近する」なかで,
は同時におこなえないという),また,「人類学
「「歴史」を生産・維持しているのは,なにも歴
者のフィールドワークとほぼ同じことをやりつ
史学者だけではないということ,むしろ僕たち
つも,しかし歴史(学)にこだわったオーラル・
誰もが,ふだんから行っているはずの歴史実践
ヒストリー調査をしました」とまとめたとおり,
(historical practice)に注目し,それを大事に
これはなにか特別な,新規の,Rohの著者に固
していこう」との姿勢をとり,それを「本書の
有の調査方法ではない。 1 つ,強烈にはっきり
大雑把な目標」としたという 7 )。
としている点は,著者の「歴史学にこだわりを
ついで,オーラル・ヒストリー研究に 3 つ
も」つようすなのだが,それがどういうことな
の方法があるといい,第 1 はオーラル・アー
のかは,じつはこのあたりの論述からはよくわ
カイブの活用,第 2 がインタビュー形式 8 ),
からない。
そ の 第 3 の 鍵 言 葉 と し て「 歴 史 す る(doing
「メンテナンス」 Rohを読んでゆくと,
「僕
history)
」があげられた。これはなにか。
たちは,日々の生活のさまざまな場面で「歴
史している」でしょう?」と呼びかけられる。
ある時間を決めて,その時間のあいだに,準備
自説を展開するためにまず,
「歴史学者たち
した質問に答えてもらうということをなるべく
は,通常歴史を探索しますよね。searching for
しないで,むしろアボリジニの人々が暮らす村
historyですよね」と参照させ,ついで,
(コミュニティー)に滞在させていただいて,一
緒に生活していく中でかれらが具体的に行って
それに対して,僕がアボリジニの人たちから
いる歴史実践を一緒に経験していく。つまり,
学んだことっていうのは,paying attention to
コミュニティーに暮らす人々と一緒になって「歴
history 歴史に注意を向けていく,つまり,僕た
史する(doing history)」ことを心がけました。
〔中
ちが主体になって歴史を探し求めていくのでは
略─引用者による。以下同〕かれらの生活の
ない,というか,もう歴史というのはそこらじゅ
なかで生きている歴史実践にそくして歴史を一
うにあるんですよ。歴史が僕らに語りかけてく
緒に体験してゆくという方法を重視しました。
る言葉に耳を傾ける。そういう歴史実践が行わ
れていた。
─こうした方法が「フィールドワーク形式」
と示されている。
「歴史実践」
「歴史する」
「歴
といい,それをまた,「歴史を本にする」「歴史
史を一緒に体験してゆく」
「フィールドワーク
を構築し,生産する」「歴史を紡ぎ出す」「歴史
形式」は,いずれもおなじ行為を指しているの
を書いていく」
「歴史を制作していく」という「歴
だろう。著者自身が,
「僕はたぶん人類学者の
史学者」のすることと区別して,「歴史をメン
方々のフィールドワークとほとんど同じこと
テナンスする」「歴史はそこに常にあって,そ
─────────────────────────────────
7 ) 第 2 章にも「日常的実践において歴史とのかかわりをもつ諸行為,それをここでは歴史実践(historical
practice)と呼びたい」と記されている。
8 ) これについて Roh では「もっともオーソドックスな方法」と評して「今後もインタビュー形式のオーラル・
ヒストリーの方法論めいた本がたくさん出版されそうな気がするので,本書ではとくに扱いません」と断ってい
る。Roh では「社会学の分野であるが」とかぎったうえでこの方法の「既刊のすぐれた参考文献」として,谷富
夫編『ライフ・ヒストリーを学ぶ人のために』(世界思想社,1996年),中野卓,桜井厚編『ライフヒストリーの
社会学』(弘文堂,1995年),桜井厚『インタビュー社会学-ライフストーリーの聞き方』(せりか書房,2002年)
があがっている。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
れを一緒に大切にしている」
「歴史にディップ
組みを説く知である。
する」
「歴史に浸る生き方」
「歴史に取り囲まれ
歴史のひと さきにふれたとおり,Rohは「誰
て暮らす生き方」といくつもの表現を用いて,
が歴史家なのか?」と問うている。これはさし
Rohの核となる考え方にもとづいた著者の姿勢
あたり,「僕たち歴史学者がインフォーマント
が説かれてゆく。
「歴史実践」の 変 奏 が多様
(情報提供者)の話を聞くのではなくて,むしろ,
ヴァリエイション
な表現で唱えられる。
インフォーマント自身を歴史家とみなしたら,
その具体相も複数あげられてゆく─番茶を
かれらはどんな歴史実践をしているのだろう」
すすりながらの愚痴,昔話,温泉旅行と名所旧
「僕は僕で歴史学者ですけれども,かれらはか
跡,お盆のお墓参り,大河ドラマ,コミックス
れらで歴史家である」との問いや理解につなが
などなどなど─そして,
「歴史なんて,僕ら
る。歴史が遍在するのであれば,だれもが歴史
の日常生活のあちこちに溢れかえっているんで
家になり得る,というかぎりでは理解可能な主
すよ」とうったえられる。歴史の遍在とでもい
張ではある。
うべき様相は,なにもオーストラリアのアボリ
この論点のつぎが─,
ジニの周辺にだけみられるのではなく,わたし
たちのまわりにもあることとなる。
歴史学者が,歴史を探索する主体としての歴史
ここには,そのとおり,という確かさと,一
家であることを本当に上手に括弧で括っちゃえ
方で,これでは anything-goes,no limitsだと
ば,今度は「歴史」が僕たちに語りかけてきて
いう危うさがあるとおもう 9 )。歴史が生活の
くれるかもしれない。
〔中略〕改めて歴史を探索
場のあちこちにある,という指摘はひとまず,
する主体としての歴史学者の特権的な地位を揺
そのとおり,といえる。だが,わたしたち研究
さぶってみる。歴史表象における歴史学者中心
者にかぎらず,ひとは,そうした厖大なといっ
主義っていいますかね,そういうものを一回括
てよい歴史といい得る諸相を適宜,適当に,好
弧で括ってみる
き好きに,選んだり選ばなかったりして生きて
ファイティング・ポーズ
いるのである。歴史はそこにつねにある,だろ
との 姿
うし,ひとは歴史にとりかこまれて暮らしてい
ち─「僕が思うところの(ラディカルな)オー
る,のだろうが,そうした周囲にある歴史なる
ラル・ヒストリー研究です」と,本書 Rohの企
ものを,ひとは選択し,必要なものを抽出し,
図が開示されたのである。Rohには,しばしば,
べつにいえば,不要なものは無視し,あるいは
廃棄して,生きているはずなのだ。
勢 をとるにいたる。これがすなわ
「学術的歴史学」の語がみえる(「アカデミック
な歴史学者」
「学術的歴史実践」の用語もある)。
maintenanceを整備,維持,管理,保守,点
「ラディカル・オーラル・ヒストリー」とは,
検といいかえてみると,ひとは,みずからにか
非(ないし反)「学術的歴史学」の謂である10)。
かわる歴史をめぐってそうした保守,点検,整
じつはわたしは,大島でのフィールドワーク
備などのあつかいをする対象と,その必要がな
において,不遜にもわたしこそがここの歴史を
いそれとを選り分けているのである。歴史学と
書くのだとの傲慢な看板を掲げていたことがあ
は,わたしの考えでは─わたしがこれまで学
る。といっても,そうした標榜はわたしの気
んできたことがらをふまえていうと─その仕
持ちのなかだけでではあるが。もう 1 回,「と
─────────────────────────────────
9 ) 著者が第 1 章「 4 僕たちの歴史実践」に仕掛けた「質問者 2(実証主義歴史学者 B)」は「歴史学が史実性を
無視してしまったら,なんでもありになってしまうのではないですかね。誰もが好き勝手に自分の都合のよい歴
史を捏造する。私は歴史学者として,そんなことを到底認めるわけにはいきませんな」と異議を唱える。この点
とわたしの感じた危うさは異なる。詳述しないが本書と本稿を読めばそれは明白。
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 44 ─
いっても」,をつけると,大島の霊交会教会堂
ない。彼を(おそらく彼女ではない)歴史家や
図書室で,ひとり蔵書目録をつくっているとき
歴史研究者と呼ぶかどうかはともかく,過去や
は,わたしこそが,ここでの,歴史学研究者な
歴史といったものは,専門家や職歴(職革にな
のだとのはっきりとした自覚をもっていた。お
ぞらえてみた。著者も「職業的歴史家」との用
よそ2000冊の蔵書は,いまでは,島のひとたち
語を使用)の専有物ではない。あたりまえのこ
からも霊交会信徒からもほとんど利用されずに
とだ。
忘れられ,また,これまでここを訪れた研究者
最 高難度 では,
「誰が歴史家なのか?」と
もジャーナリストもボランティアも,蔵書のい
いう問いは,なにを議論するために提示された
く冊かを手にとったり,必要な記述を書き写し
のだろうか。この設問のすぐあとに,「そうす
たり写真撮影したりしたかもしれないが,だれ
ると,何が歴史なのかっていうことがあらため
ひとりとして蔵書の目録をつくりはしなかった,
て問題になっちゃうんですよ」と記してある。
だから,わたしが目録もつくれる歴史学研究者
そうなるとこれは,だれが歴史家か,歴史とは
なのだとの自負があった。
なにか,という歴史という知の始まりにかかわ
そうしたひとりよがりの傲岸さはかんたんに
るような(だがそれはどうにも容易には解きよ
崩された。さきにも書いたとおり,霊交会に手
うのない)根元の疑問が示されたにすぎないの
書きの図書台帳があったのだ。あるとき作業中
か。ここにあらためて,第 1 章の表題をみるこ
に霊交会代表からその簿冊をわたされ,これに
ととなる─それは,「ケネディ大統領はアボ
は驚いた。細かくみていないので,どの時点で
リジニに出会ったか」だった。
の台帳なのか,わたしのつくった蔵書目録との
著者はアボリジニへの聞き取りで,「アメリ
異同がどうなのかをまだ確認していない。わた
カのケネディ大統領が,グリンジ・カントリー
しの作業に先行して,当事者によって,蔵書目
に来たっていうんですよ」という,彼らにとっ
録がつくられていたのである。また,わたしの
ての過去を知った。しかし,
「僕たち歴史学者は,
作業中にあらためてでてきた,霊交会の機関紙
ケネディ大統領がグリンジ・カントリーを訪問
である『霊交』も,大島の自治組織の逐次刊行
したこともなければ,二〇世紀も後半になって
物である『報知大島』も,どちらもていねいに
米国がイギリス相手に戦争したことなんかない
紐や繃帯(!)で綴じられたり括られたりして
と「知っている」
」のだ。アボリジニには「か
保管されていて,後者にはしかも「石本」の印
れらの歴史の文脈がある」
,わたしたちは「そ
影のいわゆる三文判が押されていた。整理者,
れを「知ってしまった」
」
,それでは,
「こうし
保管者の痕跡である。
たグリンジの歴史分析を受け入れるかどうか」
いまとなってはもう,台帳記載者や機関紙整
という,「応答責任(responsibility)」が問われ
理者の歴史意識を,もっとかんたんにいえば,
ていると著者はとらえたのである。Rohには,
歴史に寄せる気持ちを知る術はない。当時とし
こう記されている。
サイン
ウ ル ト ラ G
ては,過去の記録をつくるというよりは,現在
のようすを記し,整え,残すことで,過去から
史実性という呪縛から完全に解放された歴史学
現在につづくつながりを継いで,それをさらに
の方法をまじめに模索する必要があるのかもし
未来へと送ろうとする気持ちだったのかもしれ
れない……。
─────────────────────────────────
10) 本書第 1 章の「質問者 1(実証主義歴史学者 A)」への返答で著者は,
「学術的歴史学」に馴染んだ「アカデミッ
クな歴史学者」による「素朴実証史学」を完全に否定してはいないこととなる。そこで反の語を( )にいれた
= 括弧で括った。だが論点は「学術的歴史学」の少なくとも緩和ないし解消にあるはずではないか。
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
─ただし著者は,
その記述のすぐまえに,
「
「事
くのべた理由は,歴史の記し方の分岐がここに
実とは何か」っていう問いをちゃんと考えな
あるような気がしたからである。1 つの方向は,
きゃいけないんでしょうが,それだけで話が先
たとえば,オーストラリア・アボリジニの歴史
に進めなくなると嫌なので,とりあえず,こう
という型の歴史記述で,「世界の歴史」や「民
言っておきます」との留保をつけていた。
族の歴史」などと題されたシリーズの 1 巻にふ
これまでは,歴史を記すということは,
「学
さわしい,従来の,といってよい歴史の記し方
術的歴史学」の訓練をうけ,
その技術を修得し,
である。もう 1 つの方向は,オーストラリアの,
その職業界を闊歩する「アカデミックな歴史学
アボリジニの,歴史を記そうとするときに,そ
者」にだけ,ほぼ,許された専門技能だった。
の記し方やそれを記すものの思考法や立場や観
その特権性をいったん棚上げしようとの勧めに
点などと関連させながら,対象とする歴史の記
読める。
し方の考察もふくめた歴史の記し方となる。
ではどうするか。それが,
「ギャップごしの
Rohは,後者の型を選択した。そうした試み
コミュニケーションは可能なはずだって思う
の成否が問われる。ここでのべておくと,Roh
んですよ」との提案である。べつにいうと,
はその試みを充分な果実として提示していない
「排除でも包摂でもない歴史叙述やエスノグラ
とわたしは読んだ。そのかぎりで本書は,未完
フィーの方法はあるんだろうかっていう問い」
の,未決着の,いや,しかしそういってしまう
であり,「そこの問題を粘り強く考えていく」
と正当な完成や確実な決着があって当然とみと
との姿勢である。ここにいう「排除」や「包摂」
おすこととなるので,ひとまず,着手されたば
とはなにか。それは,たとえば,ケネディ大統
かりの投機なのである,ととらえておこう。
領がグリンジに来た,
というアボリジニの知を,
投機の中身 あらためて問おう ─ Rohは
「史実性の呪縛から解放されない」
「歴史学者」
読者になにをみせようというのか。第 1 章の「 6
は排除する,それを指し,一方で,
「記憶論」
もうひとつの経験主義」の末尾に,(これは第
や「神話論」にみられるという,それを排除し
1 章の掉尾ともなる),
たり否定したりせずに「包摂」する =「掬いあ
げる」が,しかし当事者の「経験を無毒化して
オーラル・ヒストリーという方法が,たんに今
しまう」
「巧妙な排除」をいっている。
まであった歴史学に新しいメソッドが増えたと
では,どのような歴史の記し方になるのか。
か,史料の量が増えたとかいう話に終わるんじゃ
わたしには Rohを読んでも,それがわからな
なくって,むしろ「歴史とは何か」っていう問
かった。ここであらかじめのべてしまうと,
題を,もう一回根源的に問いなおせるような,
Rohは,それを「粘り強く考えていく」という
そういうものとしてオーラル・ヒストリーを練
姿勢を提示する書なのだとおもう。
「ギャップ
りあげることができるとしたら,こんな面白い
ごしのコミュニケーション」というなすべき課
ことはないって思っています。
題の遂行は,もちろん,
「可能なはずだって思
う」ことはできなくはない。
「そこの問題を粘
とのいわば宣言がみえる。さきにわたしは本書
り強く考えていく」と掲げることも,当然のこ
について,歴史の始まりにかかわるような根元
と,できる。だが,そうした姿勢をみせる(に
の疑問が示された,と書いた。これは著者自身
とどまる)本書は歴史記述なのだろうか。
にも自覚のあったところで,やはり本書は,歴
いや,ていねいに書くならば─だが,本書
史の知り方や記し方の 1 つとしての既存の歴史
は,従来の意味での歴史記述なのだろうか,と
学を,その「根源」(根 元 )において練りなお
したほうがよかったかもしれない。まわりくど
そうとする問いの著述なのである。その意味で,
ね もと
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 44 ─
またそのかぎりで,
本書は
「ラディカル」
なのだ。
にふれた(本稿脚注 9 )「質問者 2 」への応答
著者がこうした問いを掲げるにいたったきっ
のくだりで,
かけはなにか?─それは第 1 章 5 の節題にあ
る「ジミー・マンガヤリとの出会い」
なのだろう。
グリンジの人々は,過去のできごとや経験を現
在に語りなおし,再現しなおし,それを倫理的,
僕はといえば,ジミーじいさんのオーストラリ
政治的,霊的,思想的にさまざまな分析をくわえ,
ア植民地史分析のユニークさと精緻さに衝撃を
歴史から何かを学び,
何かを伝えようとしている,
受け,彼を情報提供者としての「インフォーマ
という意味で歴史家なんです。
ント」というよりは,そこから政治思想や歴史
分析を学ぶべき,ひとりの「歴史家」であると
とのべている。「ジミー・マンガヤリという一
理解するようになりました。
人の傑出した歴史家の歴史分析を紹介する」と
も評してもいる。またべつな箇所では,
「ダグ
というわけだ。それは,
「自分だけが「現地の
ラグ村には,現在あるたくさんのアボリジニ・
人々」と特別に良好な関係を構築したなんて,
コミュニティーとは多少異なった設立の経緯が
思っていないんですよ」
「フィールドワークを
ある点,さらに言うと,そのことに,グリンジ
行う研究者であれば,多くの方が経験したはず
の人々が現在でも強いプライドを持っている」
のいくつかの深い出会い,
実現したラポール
(信
とも説明されている。
頼関係)の現実的ありよう」なのだとも説明さ
Rohが提示する論点の 1 つが,
「歴史学者と
れる「出会い」と「経験」で,
これが著者に,
「超
してのエージェンシーを相対化してみる」とい
自然的現象を信じてはいけない,という近代主
うことにある。そうであるならば,さらに,
「イ
義の,アカデミズムの,世俗主義の要請が,実
ンフォーマント」として,「歴史家」としての
際に現地で経験・実感した(はずの)
「ほんと
ジミーじいさんを「相対化」する手続きはどう
うらしさ」を無理やり否認してはいないでしょ
確保されるのだろうか。
うか」と気づかせた,との自覚をみせる。
「グリンジ・カントリーには,職業的歴史家
ここにいう「ほんとうらしさ」とは,
「素朴
はいませんでした。ですから,ジミーじいさん
実証史学のなかでは,こんな歴史は,まあ排除
をはじめ,僕が本書であつかう歴史家たちは,
されるわけです」と指摘される「ケネディ大
歴史語りを専門の生業とする人々ではない」と
統領がアボリジニの村に来たっていう歴史」
の断りがあり,「ジミーじいさんの歴史分析が,
「大蛇が洪水で牧場を流したっていう歴史」と
グリンジ社会全体を代表するわけではありませ
もかかわる。いうなれば,土地に馴染んだ歴
ん」との留保も示す。だが,ジミーじいさんは
史,それをわ(れら)がこととして保持するひ
というと,「実際,僕に一言も口を聞こうとし
とたちにどのようにむきあうのかと,著者は問
なかったアボリジニの長老だっていました」と
う─「本書において,僕は,ジミーじいさん
紹介された,無愛想な,あるいは無関心なその
をはじめとするグリンジの歴史家たちの歴史分
長老とは,はっきりと異なる(はずだ)。歴史
析を,どうしたらリアルに引き受けることがで
に関心を寄せないもの,過去から現在への時間
きるのかについて,さまざまな検討をしたいと
を重視しないもの,過去をあまり必要としない
思っています」
。
ものがいることを想定することは,そうおかし
では,ここにいう人びと,たとえばジミーじ
なことではない。そうしたものたちとくらべる
いさんとはだれか?,あるいは彼らはどういう
と,ジミー・マンガヤリもグリンジの人びとも,
「歴史家」なのか?─これについては,さき
いくらか,あるいはおおいに,ふつーとは異なっ
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
た様相をみせる「歴史家」なのである。
叙述を「普遍化」しようとしてきた」という作
Rohは,自分が選びとった対象を,偶然が介
業は,「どこの誰がいつ検証しても,「実際そう
在したにせよ,その選択によってあらわれてし
だった」といえそうな歴史の叙述をめざ」すこ
まうなにかに対しての注意が弱かったり薄かっ
となのか?。この任意のものによる再検証可能
たりするようにおもう。既存の歴史学や歴史学
性ということはあくまで手続きなのであって,
者の再考ないし批判は明瞭だ─「修正主義者
それを経てどういう歴史像を描くかは個々の学
たちに限らないですが,これまで多くの歴史学
者や研究者によって違うはずだとおもう。ここ
者たちは,原則的に自分の歴史叙述を「普遍
に想定されている「普遍化」というのは,たと
化」しようとしてきたと,思うんですね。つま
えば世界史の基本法則だとか人類に普遍の精神
り,どこの誰がいつ検証しても,
「実際そうだっ
とか人間の本質とか国民のアイデンティティや
た」といえそうな歴史の叙述をめざしています
民族の誇りというところを説こうとしてきたひ
よね」というぐあいだ。これに対して Rohの著
とたちの歴史の記し方や歴史への姿勢といった
者は,
ものではないか。
経験と truthfulness 文章を切り貼りした批
僕は,グリンジの語る歴史をそういう意味で普
判だといわれかねないとの覚悟を自覚したうえ
遍化する意図はないんです。そうではなくて,
でいえば,著者自身が「僕はいつも,いろんな
歴史時空の多元性,個別性,瞬間性,地方性を
言葉を使い回して試しているんですけれども」
見出すためにこそ,グリンジの歴史を真摯に受
と記しているとおり,本書にはあれこれの術語
け止めるべきだと主張しているんです。
や用語が散りばめられている(正しくは,鏤め
られている)。本書の対抗姿勢はよくわかった。
という。ここで急ぎ疑念を示しておくと,たと
では,くりかえし引用すれば,「ジミーじいさ
えば,歴史教科書を執筆する能力と立場にめぐ
んをはじめとするグリンジの歴史家たちの歴史
まれた歴史学者や,なにかしらの野望を抱いて
分析を,どうしたらリアルに引き受けることが
いたり強い使命感を自覚していたりする野心家
できるのか」
「アボリジニの人たちの歴史分析を,
にとっては,自分が記す,または納得できたり
真摯に共有できる言葉がいったいあるんだろう
好んだりする歴史を「普遍化」しようとする欲
か」
「ケネディ大統領がグリンジの長老に出会っ
求があるかもしれない。そうではない歴史記述
たという歴史を真剣に考える歴史学」と記しは
者は,少し史料を読めば,歴史がいくつもあっ
するものの,本書の姿勢,あるいは課題に即し
て,しかもそれぞれに固有であると,いくらか
ていったい,それはどういった歴史の記し方や
賢しらな頭で,知る。歴史に関心を寄せるもの
記された歴史となるのだろうか─ケネディと
が,歴史の多元性,個別性,地方性に気づくこ
アボリジニの邂逅という知を「メタファーに還
ともそうむつかしくはない。わたし(たち)と,
元してしまっては〔中略〕これこそが,アボリ
彼(ら)や彼女(たち)とで,両者にかかわる過
ジニの信念体系の一方的で暴力的な領有です」
去の理解の仕方に違いがあることなどしばしば
とまで論断するのだから(さきにみた,尊重と
だから。普遍化というふるまいや,他方で,多
いう包摂は巧妙な排除だという議論もおなじ),
元性等々を唱えることは,歴史の利用や活用な
それではどうするのかと詰め寄りたくなるのが
のであって,過去のとらえ方にある本質ではな
筋というものだ。
い。
「僕は,ひとつのキーワードとして,経験
ここで少しだけ細かな点を議論しよう。これ
(experience)という語を使っています」─第
まで多くの歴史学者が泥んできた「自分の歴史
1 章を読んだかぎりでは,著者みずからが掲げ
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 44 ─
た問いへの応答は,これしかみつからなかっ
かで初めて立ち上がってくる」と説明されても,
た。
「歴史学はもう一度経験に戻らなくてはい
いささか,あるいはおおいに困ってしまう。歴
けない─これは,僕のポストモダン史学批判
史とは,過去をめぐって自己と他者との関係の
です」
「やっぱり歴史学って経験の学なんじゃ
なかで造形される知なのだから,それはとても
ないかと僕は思っています。経験に真摯であ
当たりまえのことにすぎる。
るような歴史学」
「真摯っていう言葉で,僕は
「要するに」と語り始められる結語のような
今,faithful(誠実な)という意味と truthful(本
ところで,「「真実」という言葉に「誠実」って
当の)という意味を合わせて使っています」
「歴
いう意味が重なるわけです」と表明される姿勢
史経験に真摯であるような研究方法を考えてい
は,やはり,問いのポーズであって,それこそ
くべきなのではないか」
「歴史経験への真摯さ
が Rohの(少なくとも第 1 章においては)基本
(experiential historical truthfulness)とはつま
姿勢なのである。問いの書である Rohというこ
り,ケネディ大統領がグリンジの長老に出会っ
とだ。
たという歴史を真剣に考える歴史学のことで
歴史実践の手続き さて,順序よく読んでゆ
す」と「真摯」の語をくりかえし使って示され
くと,つぎは Roh 第 2 章「歴史をメンテナン
る姿勢がそれである。
スする─歴史する身体と場所」となる。節の
ここでまた,急ぎ疑念を示しておくと,著者
題目をあげよう─「 1 歴史実践とは何か」
自身も「ジミー・マンガヤリという歴史家の植
「 2 歴史する身体と世界の歴史」「 3 移動の知
民地史分析」ととらえてみせているとおり,ア
識学」「 4 グリンジ社会の時間性」「 5 グリン
ボリジニの経験を,歴史学者であるという著者
ジ・カントリーの歴史実践」。
が,
植民地という歴史において理解
(しようと)
すでにみたとおり,「歴史実践」も「歴史を
しているのではないか。これはアボリジニの
メンテナンスする」も「歴史する」も同義とみ
語ったことをメタファーやレトリックととらえ
てよい。まずくりかえし引用すると,「日常的
る処理となにが,どれだけ違うのか。わたしに
実践において歴史とのかかわりをもつ諸行為,
はおなじにみえる。これは聖書をなにかの教え
それをここでは歴史実践(historical practice)
としてうけとめてもいけない,そこに記されて
と呼ぶ」ということだし,もう 2 つあらたに引
いる世界の始まりをそのままに,信じよ,でも
用すると,「歴史実践は,歴史学者におよそ限
いけないはずで,
そのままにありのままにせよ,
定された活動である歴史研究や,学校の授業な
としかいえない徹底した原理のままの読み方を
どよりもはるかに多様な,人々が歴史に触れる
もとめていることとおなじに感じる(ここで聖
広範な諸行為をさす術語である」
「歴史実践の
書を持ちだすのは唐突かもしれないが,大島に
様式は多様である」
。著者自身がいうとおり,
調査にいったとき霊交荘でしばしば聖書を手に
また第 2 章冒頭で著者自身がこまごまとその具
する。著者自身も Roh 第 2 章で「旧約聖書を
体例をあげたところにみえるとおり,著者のい
読むことも歴史実践である」と聖書にふれてい
う「歴史実践」は「広範な諸行為をさす術語」
る)。
であるだけに,これを軸とする論述はあまりに
なお,truthfulは「テッサ・モーリス =スズ
茫漠としてしまうはずだとおもう。著者の調査
キから借用」とのこと。
もフィールドワークも観察も論述も,もっと限
「経験っていうのが,個人の人生の結果であ
定されているはずなのだ。
ると考えられている限り,やはりまずいんじゃ
この第 2 章では,「グリンジ・カントリーで
ないか。個人主義リベラリズムの問題ですね。
行われていた歴史実践のありよう」をとりあげ
経験というのはやはり自己と他者の関係性のな
ると提示する。ついで,「もちろん」という,
─ 44 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
これはどういう意味での使用なのか明瞭ではな
その論点を提示し,ついで第 2 章で,その具体
いのだが,さきに「歴史実践の諸様式は,時代
相をのべるという展開を Rohはとっている。著
や地域,階級やジェンダー,信仰や趣味などに
者は第 1 章で,
「グリンジの歴史分析を受け入
よって多様でありうるだろう」と示してあった
れるかどうか」「ハイブリッド化を「かれらの
のだから,
そのすべてをとりあげるのではない,
実践」の問題ではなく,「われわれ研究者の実
というために前置きした副詞なのだろうか。
践」の課題として受け入れるかどうかです。歴
史の多元化を本気で推進するつもりがあるかど
もちろん,ここで報告するのは,筆者がそこ〔グ
うかです」との指針を掲げていた。そのとき,
リンジ・カントリー〕に滞在していた限定した
他者の経験を「尊重」するという態度もまずい
時期に,限定した人々と,限定した場所で共有
と退けられていたのだ。
0
0
された 歴史実践である。〔傍点は引用者による。
0
0
0
以下同〕
そうした課題が設定されていた第 1 章を経て,
グリンジ・カントリーにおける「歴史実践」の
具体相を論述する第 2 章の冒頭で,
「歴史実践」
というわけだ。 3 度も「限定した」という語が
を共有したのだ,とそれがすでに完了済みのこ
使われているのだから,さきにあげられていた
ととしてかたづけられたり,提示された「歴史
見通しのとおりということだ。ついで,
実践」が一般性をもつかどうかの判断が読者に
ゆだねられてしまったり,また現場の「歴史実
私は,自分が経験したグリンジ・カントリーに
践」をここでは翻訳し解釈したのだ,とあっけ
おける歴史実践のありようから,過去のできご
らかんと(わたしにはそうみえてしまった)披
とが現在にもたらされる手続きの,そのひとつ
露されてしまったりしたのでは,すくなくとも
のありようを示したいと思う。その一方で,こ
こで紹介するグリンジ・カントリーにおける歴
史実践の様式が,どの程度の一般性をもちうる
0
0
0
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0
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(べき)かについては,読者の判断にまかせたい
0
0
00
0
ように感じている。ローカルであることの意義
を強調しつつ,ローカルであることの越境性に
も関心をもつゆえんである。
といい,さらに「もう一点」をくわえる。
わたしという読者は困惑してしまう。これでは,
「歴史実践」という経験の手続きが,曖昧,未完,
不備,だとおもう。
もういちど,手続きを Rohでは「学術的歴
史実践」という用語もあるので,「歴史実践」
それ自体は,なにもこの著者に固有の方法や概
念ではない
(言葉としては新規かもしれないが)
。
ここに著者自身が「キーワード」だという「経
験」の語を引きあわせてみると,「歴史実践」
私は,グリンジの長老たちが私に教えてくれた
とは,あるひと(びと)が(他者とかかわりのあ
歴史実践のありようを,かれらが私に示してく
る)自分(たち)の過去の経験の仕方やそのあら
れたように,そのままここに再現することはで
わし方であり,また,そのようすを調査し,観
きない。〔中略〕グリンジの長老たちは歴史書を
書かない。あなたは,不可避的に保苅が書いた日
本語の本を読んでいるのである。この避けがた
い翻訳と解釈の作業。〔中略〕つまり,避けがた
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0
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0
0
0
い翻訳と解釈の作業は,グリンジ・カントリー
内であっても,歴史の条件である。
察し,それをさらにあらわしたり,あるいはも
ういちどあらわし直したりする経験の謂であ
る。
あるひと(びと)の経験を,わたし(たち)が
また経験するのだから,それを共有というもい
うまいもそれぞれに勝手ではあるが,これを,
共有した,であれ,共有された,であれ,そう
─第 1 章で「歴史実践」という術語を説き,
いい切ってしまうところには,ある力,ある作
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 44 ─
用,ある横領が発現するのであり,それを政治
解したまとめの論述なのである。だから,「情
というも,あるいは,それをこそ歴史というも
報システム」「知識体系」「世界観」の用語が使
可能なのだとおもう。そこには,
わたし
(たち)
えるのだ。
の共有と,あるひと(びと)との共有がそれぞ
ある時代や社会に,固有の「世界観」をみつ
れにあらわれているはずなのである。
その検証,
けること,つかみだすことは,歴史学であれ人
吟味,思索はどうするのか。
類学であれ,
ごくふつーの作業である。
もちろん,
また,「一般化」というとき,なにを想定し
それとの対照によって,自分(たち)が馴染ん
ていたのだろうか。なにが,どうなったと判定
だ「世界観」や,自分(たち)には当たりまえだっ
されたときに,この「一般化」が議論できるの
たり固有だと自負していたりした「世界観」を
だろうか。これは第 1 章で著者が避けていた,
再考するかどうかは,べつのことではあるが。
「普遍化」とは違うのか。わたしには,ここで
の議論がよくわからなかった。
「だから」という前置きがあってのべられる,
「歴史実践は,感じることであり,知ることで
さらに,「翻訳と解釈」というとき,そうし
あり,教わることであり,思い出すことであり,
た用語を使うかどうかはべつとして,フィール
演じることである」との感慨も,けしてこの著
ドにあったなにかしらの現象や事態を,そこで
者にだけ許された,著者のみがみつけ得たとこ
のワーカー(worker)がそのままに提示するの
ろではないはずだ。研究者であれそうでないも
ではないこと,提示できないことは,とても当
のであれ,史料を読んだりフィールドワークを
たりまえのことではないのか。
「翻訳と解釈」
したりするなかで,そう感じたものは確実にい
の用語にかえて,理解,といってみれば,それ
る。それを論文に明記するかどうかの違いでは
はよくわかるようすではないだろうか。わたし
ないか。またさきの引用のすぐあとで,
「歴史は,
たちは,フィールドで調査したり観察したりし
生きられる経験なのである」とみるとき,この
たその現象や事態を,わたしたちによるなにか
観点や論点が,歴史をめぐる研究史という歴史
しらの理解として表現したり提示したりしてい
のなかで,どう実践されたのかを説いたほうが
るはずなのだ。Roh 第 2 章では著者自身が,
「私
よかった。
の理解では,移動と知識の関係についての考察
植民地史分析 第 3 章「キャプテン・クック
は,グリンジ・カントリーにおける歴史実践の
について」は,後注で,Deborah Bird Roseの
ありようを理解するうえで決定的に重要であ
稿を「ローズ氏の許可を取り,ここでは,ロー
る」
と記している。
意図してのことなのかどうか,
ズの分析は掲載せず,ローズが記録したホブル
ここで「理解」の語を 2 度使っているところに,
ス・ダナイヤリの独白のみを収録した。私〔Roh
「歴史実践」が,ある理解であること,なにか
著者〕自身は,対話型の聞き取り調査を重視し
しらの理解のあらわれであること,が明瞭にあ
たため,このような独白型の記録を録ったこと
らわれている。
はないが,これも重要な実践的記述形式である
Rohでの議論が,歴史をめぐる専門性,もっ
と考え,本書に再録する」と説明された,「ホ
といって特権性,べつにいいかえると奥儀や相
ブルス・ダナイヤリの植民地史分析」との副題
伝を避けようとしているようすはよくわかる。
がついた章である。
だが,そのための手立ては,とりたててめずら
ローズによって記録され,著者によって訳さ
しくはない,むしろ歴史研究としても当たりま
れて Rohに収録されたホブルス・ダナイヤリ
えの作業だとおもう。第 2 章は,
「身体」
「移動」
の「独白」に「植民地」の語も「植民地史」と
「時間性」という観点または概念で,著者がグ
いう術語も登場しない。フィールドワークをと
リンジ・カントリーにおける「歴史実践」を理
おした記録が,「植民地史分析」と翻訳,解釈,
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
理解されたのである。くりかえせば,
ホブルス・
部から認識」とは,あくまで,アボリジニでは
ダナイヤリの「独白」を「植民地史分析」とと
ない学者が「内部」「から」「認識」したと示さ
らえたのは,ローズか本書著者であるはずだ。
れるなにかなのである。
第 4 章
「植民地主義の場所的倫理学─ジミー・
「グリンジの人々は,植民者であるヨーロッ
マンガヤリの植民地史分析」も同様。
「アボリ
パ人とかれらの法の,歴史的・存在論的起源
ジニの人々の倫理地理学にそくして回答を探求
の発見に成功したのである」
「グリンジの歴史
することが何より大切なの」だ,というが,ジ
家たちによるヨーロッパ史分析には,植民地的
ミー・マンガヤリは,図 4 - 1 に示されたとお
過去におけるかれら自身の経験も反映されてい
り「三本のドリーミングの道 跡」を記しただ
る」「「アボリジニ」が入植者たちの思想と実践
けなのだ。いやもっと厳密にいえば,
「彼はま
の構築物であったのと同じように,「白人」も
た,砂上に三本の線を西から東に引く」ととも
グリンジの思想と実践の構築物であった。これ
に,それになにかしらの説明をくわえただけな
らのアイデンティティは,オーストラリア植民
のだ。「ジミーじいさんの教えを理解」したの
地主義の二重の産物なのである」という学者の
は当然のこと,それを聞き,Rohに記した著者
分析も,「ドリーミングの宇宙観」や「アボリ
だし,それを「教え」と「理解」した学者が彼
ジニの世界観」をとらえてみせるふるまいとお
なのだ─「この倫理的かつ地理的な砂絵の技
なじである。
法によって,オーストラリア植民地主義の歴史
こ の こ と に Rohの 著 者 は 自 覚 が あ っ た
分析がなされた」と「まとめ」たのも彼。この
か─「その〔探究の〕過程が,かぎりなく人
引用にある「倫理的」
「地理的」
「砂絵」
「技法」
類学的解釈学になりかねないことを懸念しなが
「オーストラリア植民地主義」
「歴史分析」も彼
らではあるが」との 1 文があるので,
「懸念」
トラツク
0
0
0
の術語。
さらに,
「ジミーじいさんの分析が,
ロー
があった気配はある。それを詳述するところに
カルな視座に立ちながらも,いかに正確で洞察
「ラディカル」な姿勢があらわれたはずなのだ
力をもっているかがわかるだろう」
(下線は引
が。Rohにいう「ラディカル」とは,どうも,
「ア
用者による。以下同)という評価をおこなった
カデミックな歴史学者はいまや,あらたな方法
学者も彼。
論的問題に直面しているのではなかろうか。そ
第 1 章と第 2 章がなければ,第 3 章と第 4 章
れは,アボリジニの過去にたいして,西洋近代
は,聞き取りというフィールドワークをふまえ
的概念としての「歴史」
(のみ)を適用させる
た,よくできたオーストラリア植民地史誌と読
根拠は何か,というより根源的な問いである。
めた。いいかえれば,第 1 章,第 2 章と,第 3
実際,少なくともアボリジニ史学のあいだでは,
章,第 4 章とのあいだに,思索とその論述のう
アボリジニの過去に関する歴史分析の妥当性に
えでおおきな溝があるとわたしは読んだ。
たいしてさまざまな疑問が提出されている。そ
第 5 章「ジャッキー・バンダマラ─白人の起
して,サバルタン研究といった国際的・学際的
源を検討する」では,よりいっそう解釈学が展
場でもそれは同様ではなかろうか」というくら
開するとみえる。
「アボリジニのオーラル・ヒ
いなのである。
ストリーは,単に「学術的な歴史実践」を補完
リアリティ 第 6 章「ミノのオーラル・ヒス
する史料として用いられるべきではなく,アボ
トリー─ピーター・リード著『幽霊の大地』よ
リジニの歴史実践の内部から認識される必要が
り」は,章の副題にあらわれているとおり,こ
ある」という主張も,ひとまず当たりまえとう
れは Rohの著者ではないものが執筆した稿で,
けたうえで,そこにいう「内部から」が詳述さ
なぜこれがここにおかれたのか,Rohを読んで
れなくてはならないはずだった。
そしてその
「内
もよくわからない。章題につけられた後注をみ
─ 55 ─
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
ても,出典の書誌情報とその著者についての紹
かな解釈だと思われていた,ただ一つのリアリ
介があるだけで,Roh 著者以外の文章をここに
ティや世界理解と共存することが可能であるよ
おくことで,Rohがどう読めるのか,どう読む
うだ」,そしてそのためには,「ローカリティが
こととなるのかは明らかにされていない。
ただ,
重要だ」というのである。この章は,「ローカ
1 点,「リアリティ」という論点の提示があっ
リティ」が賞揚されて終わる─「身体的,感
たことが重要だとおもう。本文わずか14頁だけ
情的,霊的に親しみをもったローカリティは,
の章に,
「リアリティ」の語が14回も使われ,
「リ
迫りくるグローバルな画一化と瓦解しつつある
アル」の語の使用も 2 回みえ,
「実在」の語は
国民国家という二つの極とは異なるオルターナ
1 頁の紙面に 7 回も一気に登場する。これらの
ティブなのである」。
語は,あだやおろそかに記されたわけではない
複数,共存 さきにも書いたとおり,わたし
はずだ(Roh 著者によるのか,ピーター・リー
にはよくわからなかった,Rohにおけるこの第
ドによるのかは不明)
。これは,なにを意味す
6 章の位置づけは,あえてそれをいうと,ピー
るのか,あるいは,なにを考えることとなるの
ター・リードの記述を借用して,自己の議論の
か。
確からしさを示しているとみえてしまう。リー
この章はどうもひとまずは,ピーター・リー
ドは,「オーストラリア国立大学教授,オース
ドによる Roh 著者の紹介となっている。リー
トラリアを代表するオーラル・ヒストリアンで
ドは Roh 著者がオーストラリアのグリンジの
ある」,「その〔「アボリジニ親子強制隔離政策
人びとに会いにいって数日したところで,
「霊
の被害者たちの」〕本格的なオーラル・ヒスト
性(スピリチュアリティ)に向きあわなければ,
リー調査をおこなった歴史学者でもある」とい
かれらの歴史を書くことはできない」
(原文に
うのだ。
ある傍点を引用にあたって略した)という「人
リードが価値をおく「ローカリティ」とは,
類学のあるテキストが彼に教えていたことを理
さきにわたしが書いた文言をくりかえせばそれ
解しはじめた」と伝える。
「霊的に生まれ変わ
は,土地に馴染んだ歴史,ということなのだろ
る(spiritually transformed)
」との表現もみえ
う。それは,たとえば,調査研究がおこなわれ
る。調査地で暮らしながら調査をつづけるなか
るオーストラリアの調査地に住んではいない調
で,
「ローカルな場所の力は,ミノ〔Roh 著者〕
査者にとって「オルターナティブ」なのだと評
のリアリティの知覚をゆがめはじめた」
という。
価されなければ意味を持たないなにかではな
この章で「リアリティ」の語が用いられた箇所
いはずだ。Rohに籠められた文脈はそうではな
はこの引用部分に始まる。調査地で
「
〔調査者〕
かったのか。ここでまた,さきにわたしが書い
自身の理解力を超える何かを,かれら〔調査さ
た疑義をくりかえすと,
「ジミーじいさんのオー
れるものたち〕が見たり経験したりしていたと
ストラリア植民地史分析」と Rohの著者はいう
確信する」ようになるようすや,
「神秘」とい
のだが,ジミーじいさんは「オーストラリア植
いあらわされる「ことを学んでいく(absorb)
」
民地史分析」をおこなったのだろうか。そうで
といった変化もあわせて示される。ちょっとみ
はないはずだ。
ると,この章では,フィールドワークをふまえ
オーストラリアの調査地をめぐる「ローカリ
た反「西洋的経験主義」が提唱され,
「非西洋
ティ」を「オルターナティブ」としたり,ジミー
的な思考」が推奨されているようである。
じいさんの所為を「オーストラリア植民地史分
だが,そう単純ではない。ピーター・リード
析」としたりする評価や意味づけは,「一方的
はこう記した─「異なるリアリティの数々,
で暴力的な領有」とどこが違うのだろう。
異なる世界理解の諸様式は,これまでは唯一確
だから─ここでリードのいう「異なるリア
0
0
0
0
0
0
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
リティの数々,異なる世界理解の諸様式は,こ
き,気持ち悪いほどに鮮明に映像が浮かんだ夢
れまでは唯一確かな解釈だと思われていた,た
だった。
だ一つのリアリティや世界理解と共存すること
わたしの勤務する大学のキャンパスまえに,
が可能であるようだ」との推断が必要となった
そうした坂はない。夢をみたあと寝覚めの朝の
のか。
だが,
ここにいうのは,
「西洋的経験主義」
ニュースで,そうした船の沈没は報道されな
「西洋的な思考」と,
「ローカリティ」や「非西
かった。だからといって,わたしのみた夢がまっ
洋的な思考」との「共存」なのか,
「ただ一つの」
たくの絵空事だと,だれが,なぜ,いえるのだ
という,過去のものではあれ,ともかくも優位
ろう─といってしまっては,わたしの頭がお
性をあたえられたそれはなにか,
「数々」とい
かしいのだろうか。わたしが大学に勤めている
うとき,いったいその数はいくつまで想定でき
こと,ときどきは大島にゆくこと,大島にゆ
るのか,いずれもわたしにはよくわからなかっ
くには船に乗らなくてはならないこと,という
た。わたしの貧しい英語力から単語を引きだし
実在のことがらがこの夢には確かにあった。し
ても,
Rohの主張は,
localityや vernacularをヨー
かもその夢は,なかなかまとまらない大島での
ロッパなるものに対置するということではない
フィールドワークの論考を考えあぐねて寝たと
はずだ。それでは単純な二分法にすぎないのだ
きにみたのだった。では,せめて,実在のこと
から。
がらをふまえた夢は,なにをあらわしているの
心 性 第 6 章はともかくも,さきに引用し
か,と問うこともおかしいのか。
た 2 箇所の記述 ─「霊性(スピリチュアリ
ではつぎの卑近な例はどうか─21世紀を生
ティ)に向きあわなければ,かれらの歴史を
きるわたしたちにとって,携帯電話はみぢかに
書くことはできない」
,しかもフィールドでは
当たりまえにある,日常生活に欠かせない 1 つ
「ローカルな場所の力は,リアリティの知覚」
のアイテムとなっている。だがそれは,
「歩き
を変化,変形,変容した─にみえる論点を提
スマホ」と呼ばれる用法に馴染む使用者を死に
示したかったのだろう。ただここで,
「霊性」
到らせることもある。駅のホームや踏切で実際
だの「デビル -デビル」などを持ちだすから,
に起こっていることだ。こうした電話を携えて
ことが厄介になる。
死んだり怪我したりという出来事は,携帯電話
わたし自身の例をあげると,このあいだ,大
登場初期のあのでかい箱型のときにはなかった
学キャンパスのまえにある横幅の広い急な坂を
だろうし,多くの家庭に 1 台しかなかった固定
くだるときに,わたしは舟を携えていた。その
電話のときにもなかったはずだ。わたしたちが
坂のしたのこれまた幅の広い水路は,わたしの
暮らす時代と社会とは異なる時空に生きるもの
調査研究のフィールドである大島につづいてい
にとってみれば,ほぼひとにとっての必需品と
る。そこには,大島ゆきの船ともう一艘ゆき先
なっていながら,携帯しているものを傷つける
のわからない船が停まっていた。すると,どち
あの小さな機器が悪魔にみえるのではないか,
らがさきだったかよく覚えていないのだが,順
あるいはなにかしらの魔性をそれに観取するの
序はさておくと,その 2 隻の船が沈んでしまっ
ではないか。そうした感性があるとしたとき,
たのだ。呆然とするわたしは,自分の抱える舟
それに泥むものは愚かなのか。
の綱を手離してしまい,それも沈んだ。さきに
「ローカルな場所の力は,ミノのリアリティ
沈んだ船の乗客を救おうとしてわたしは水路
の知覚をゆがめはじめた」というとき,その変
に飛びこみ,凄まじい水流のなかで綱につか
化や変容は,なにか否定されるべきようすなの
まりつつ,ひとりの遭難者を助けることができ
か,歪むことは望ましくないことなのか。日本
た─という夢をみたのだった。目が覚めたと
語の,ゆがめる,歪む,には悪い意味あいが感
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 55 ─
じられるのだが。そうした是非をひとまずおけ
いがいまや,
「そもそも歴史研究は可能なのか」
ば,
「リアリティの知覚」が変わってしまう体
へと移ったと Rohの著者はいう。もっとも,
「歴
験は,その長短,遅速,深浅,濃淡を問わなけ
史とは何か」という問いは,だれか,特定の,
れば,そしてそれに気づくかどうかをべつとす
ひとりないし数人の提唱といえる質問なのでは
れば,それこそ日常生活に遍在しているのでは
なく,それは,だれにでも,つねに,問われて
ないか。「リアリティの知覚」がなにかしら変
いることがらだといってもよい。この問いは,
わるようすはむしろ,ものごとをきちんと考え
「歴史の相対性をめぐる議論」でもあり,「「よ
ようとするときに必要なこころ構えであって,
い歴史」を志向する歴史学の伝統」をゆるがす
それによって知ること,わかること,つかむこ
ものと想定されている。Rohのこうした問いは,
とは,なにも霊性などとことさらに神秘めかし
あらためていえば,「グリンジの歴史家たち」
ていうようななにかではなく,それは,こころ
が著者に語った「歴史物語り」が始まりとなっ
のありよう,
心世界,
マンタリテ,
コスモロジー,
ている。著者はいう─「グリンジの歴史家た
とこれまでにも(ただしおもに研究の業界で)
ちは,オーストラリア植民地史に関する歴史物
いわれてきたところなのではないか。
語りを熱心に筆者に語ってくれた。それは植民
わたしたちは,人びとがそれぞれにこころの
地史であって,いわゆるアボリジニの神話では
なかに思い描いてきた世界を,どのようにつか
なかった。さらに,過去を探索し分析するグリ
まえて考えるのかを問うている,問うてきた,
ンジの歴史実践を単なる記憶と呼ぶこともでき
はずなのだ。その具体例は,
「民衆思想史」
,あ
ないのは明らかだ」。ここにいう「植民地史」
るいは「民衆思想研究」と呼ばれてきた領域に
とは,「北部オーストラリアの多くのアボリジ
ある(あった)
。
ニの人々にとって」は,
「牧場開発」の歴史「を
歴 史 序章と終章をおくという構成をとら
意味する」。「開発」とは,「アボリジニの土地
ない Rohではあるが,内容からすれば,第 1 章
への侵入」
「追い出し」
「殺害」
「殺戮」
「捕獲」
「低
を序章に,第 7 章を終章としてもまちがいはな
コストな牧場労働力として利用」を内実とする。
いだろう。その第 7 章は,あらためて Rohが,
当初著者は,「文献検索によって得られるグ
歴史なるものを考察の対象にしているとの姿勢
リンジの植民地史に関する知識」として,そう
をみせる。ここには,
「よい歴史と悪い歴史」
した「開発」の中身があり,「こうした歴史理
「危険な歴史」
「歴史の限界」といった魅惑の,
解をグリンジの人々自身の語りで肉付けるよう
だがもしかすると議論を混乱させるだけにとど
な,いわば歴史学者にとって「便利」なオーラ
まってしまいかねない困惑の術語がならぶ。そ
ル・ヒストリーを収集することを期待して出か
れを乱暴に括ってしまうと,歴史には正統と非
けていった」とふりかえる。そのとき著者は,
「白
正統があり,それはこれまで「西洋出自の〈普
人がやってきてからのあなた方の歴史を学びた
遍的〉歴史学」
「西洋出自のアカデミックな歴
い」という「申し出」をした,
「グリンジの人々
史」が判断し,あるいは,それが正統な歴史そ
が語るに値すると考える歴史を,語りたいとき
のものであった。だが現実には,歴史なるもの
に語ってもらえばよいと考えていた」ともいう。
は 1 つではない。そこで,
「多元的な歴史時空
グリンジの人びとは「私〔Roh 著者〕が学ぶべ
におけるコミュニケーションを放棄しないため
きオーストラリア植民地史を聞かせてくれた」。
に必要な歴史叙述の方法を模索する必要を訴え
それは,「確かに植民地史であって,アボリジ
たい」とここでの課題が掲げられた。
「模索」
ニの創世神話ではなかった。にもかかわらず,
という語を覚えておこう。
グリンジの歴史物語りは,決してアカデミック
かつて唱えられた「歴史とは何か」という問
な歴史学者が歓迎するような「よい歴史」では
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
なかったのである」と著者が掲げる問いの背景
ここから著者はつぎのとおり議論を展開す
や経緯が示されたといってよい。
なぜ,
「
「よい」
る─「学術的歴史学は,たしかに超自然的存
歴史ではなかったのか」
。その「歴史物語り」
在を記述する言語をもたない。しかしその一方
には,
「
「歴史の公共性」に照らし合わせて擁護
で,超自然的存在はグリンジやサンタルと同様
不可能な内容が多数含まれていた」から。もっ
に我々の生活世界にとって身近である」→「西
とかんたんにいえば,
「存在しない」
「史実」が
洋近代が要請する世俗的時間意識と,超自然的
語られていたからだ,という。
な時間意識は,我々のうちに同時に存在してい
歴史①② グリンジで語られる「歴史物語
る」→「人々は,多元的世界を二重の意識によっ
り」を聞いて Roh 著者は,それを「全体を想
て実際に生きているのであり,両者は矛盾しつ
定しない断片,〈普遍的な〉歴史時空に還元不
つも相互に結びついてもいる」。「我々にとって
可能な歴史」ととらえ,
「普遍化を志向する歴
信じることはできなくとも」
,一方でわれわれ
史学者には「間違った歴史」にみえてしまう歴
もそれと「無縁に生活しているわけではない」
史といってもよい」とみせ,
「歴史学者が「そ
という「世界」があるという。そこが複数の「歴
の歴史は間違っている」と語るとき,そうした
史実践」が交差する「世界」で,その「世界」
発言がいかなる知識体系に条件づけられている
を,その「世界」で語られる「ギャップごしの
のかを見定めることが重要である」と思索を動
コミュニケーション(communication over the
かし,「このようなアボリジニの人々による歴
gap)」を Roh 著者は提唱する。それはまた,
「グ
史実践が我々に突きつけているのは,歴史時空
リンジの歴史をアカデミックに普遍化(=世俗
の根源的多元性であり,西洋近代を普遍化する
化)せざるをえない意識と,こうした普遍化を
ことに取り憑かれてきたアカデミックな歴史の
拒んで歴史時空の多元性を引き受ける意識とを
限界である」と指摘した。
「自らの普遍性の限
同時に保ちながら歴史叙述をおこなう態度」で
界を認識」したのならば,
「その限界の向こう
もある。
側にひろがる多様な歴史群〔中略〕とのコミュ
さきにみた「学術的歴史実践に生きる歴史学
ニケーションの可能性を模索することではなか
者」も「アカデミックな歴史家」ももてあます
ろうか」との課題を掲げる。これを,Roh 著者
「「危険な歴史」を〈普遍化〉不可能な歴史とし
が提示した歴史①としよう。Rohでは「地方化
て,無毒化せずにそのまま引き受け(ようとす)
された歴史」の語であらわされている議論であ
る態度も同時に求められている」ともいう。「無
る。ここにも「模索」の語がみえる。
毒化」という術語もまた,読者を魅惑しつつ,
もう 1 つの議論は,
「複数」や「多元」といっ
だが困惑させもするだろう。さきの引用部分に
たたんに多数や多様というにとどまらず,ま
つづけて,「この二つの歴史叙述を矛盾しつつ
た「史実」などといったところからもっと超越
も同時に行なうこと。これこそが,ギャップを
した,「超自然的な現象や存在を基礎にした歴
承認しつつもコミュニケーションの可能性を放
史分析」または「歴史解釈」についてとなる。
棄しない態度ではなかろうか」との見通しが示
Roh 著者は,「超自然的な現象や存在」は,
「学
されている。これを Roh 著者が提示した歴史
術的歴史実践に生きる歴史学者を大いに戸惑わ
②としよう。Rohでは「ポスト世俗的な歴史叙
せるはず」だし,
「アカデミックな歴史家」は,
述」の語で著されている議論である。
それを「人類学的に解釈」してしまうだろうと
「 ク ロ ス・ カ ル チ ュ ラ ラ イ ジ ン グ・ ヒ ス ト
みなし,「学術的な人類学・歴史学は,自らの
リー」
従来の議論を批評し,それを否定し
普遍性,
公共性に固執せざるをえないがために,
たり超克したりしようとするとき,それにみ
その限界に直面する」と指摘する。
あったあたらしい言葉が記されることがある。
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 55 ─
なにかを参照したり借用したりしてつくりださ
「戦略」なのだから,それを「啓蒙主義的に脱
れるあたらしい言葉は,その含意とともに吟味
構築すること」を,ひとまずは,
「わざと忘れ去っ
され検証され,それが活かされたり無視された
てみ」ようというのである。
りしてゆく。
ここで注意すべき点は,Roh 著者が,
「グリ
なぜ,たとえばグリンジの人びとの「歴史物
ンジの長老たちの期待は,私〔著者〕が学んだ
語り」を「神話」や「記憶」としてすくいあげ
グリンジの歴史物語りを「反植民地主義的言説
てはうまくゆかないのか。それでは,調査し,
(counter-colonial discourse)」として(のみ)扱
観察し,研究するものと,観察され研究される
うのではなく,「実際にあった歴史」として物
ものとのあいだの「権力関係は無傷のまま温存
語ることであるはずだ」との記述である。これ
されてしまう」からだという。では,どう記す
までに本稿でわたしがのべたとおり,グリンジ
か─「多元的歴史時空を多元的に記述するた
の人びとの「歴史物語り」を「植民地史」など
めのアプローチ」と著者が「理解」する「歴史
とする解釈や理解は Roh 著者のものであって,
の詩学」を参照して,それとさきの「地方化さ
そこのことを自覚しているのかどうか,そして
れた歴史」にかかわる議論とが「交錯する地点
その「歴史物語り」はいったいなにか,Rohで
で営む歴史叙述」,これを「クロス・カルチュ
は不明瞭だったのだ。ここではそれをふりかっ
ラライジング・ヒストリー(cross-culturalizing
てみて,いくらか曖昧ながらも「実際にあった
history)の企てと呼びたい」と示された。それ
歴史」と受けつけよといっているのか。だが正
はまた,「アカデミックな歴史がそれ以外の歴
確にはこの文は,「「実際にあった歴史」として
史を〈普遍化〉しようとする際の限界に留意し,
物語ることであるはずだ」と記してある。この
多元的歴史時空において相互の交渉・接続・共
「物語る」の主語はなにか。文章をみわたせば,
奏をうながすような歴史叙述の方法」でもある
これはやはり Roh 著者が「「実際にあった」歴
ようだ。
史として物語る」でよいのだろうか。かならず
ここで用意周到にも「十分に予想される批
しも明瞭ではないものの,Roh 著者の目配りと
判」への反論が示される─それは,
「
〈グリン
して読めばよいのかもしれない。すると,聞き
ジの歴史実践〉なるもの〔これはまたグリンジ
手の解釈や理解よりも,そのままに「歴史物語
の人びとの「歴史物語り」でもあろう〕を本質
り」を聞くということとなる。
化し,アカデミックな歴史叙述との二項対立関
ついで,そのように聞いたグリンジの人びと
係をことさらに固定化していないか」との想定
の「歴史物語り」を,著者がたとえば Rohにど
批判への「二重の回答」として記されている(傍
のように記述するのかを問うているようにみえ
点原文)
。
る。それを著者は「特権化」「全体化・固定化」
「回答」は,
「第一に,戦略的本質主義につい
の言葉で表現している。さきの「二項対立関係」
て。コロニアルな権力構造を批判するエリート
をめぐる「戦略的本質主義」にかかわって,
「こ
知識人は,ときに言説分析という自ら学び知っ
うした態度は,私〔Roh 著者〕がダグラグ滞在
た方法を,「わざと忘れ去ってみる=ときほぐ
中にもっとも親密なつきあいをしたグリンジの
す」必要があると訴えたい」
。
男性長老たちを特権化してしまう危険をはらん
ここで Roh 著者は,
「二項対立関係」はグリ
でいる」
「西洋型の学校教育を受けたことのな
ンジの人びとが採用した「戦略的本質主義」で
いアボリジニの男性長老を中心に教わった歴史
もあった,アボリジニとそうではない白人とい
物語りが,私〔Roh 著者〕のエスノグラフィッ
うこの図式は彼らがみずからを「本質化する」
クな記述のなかで「グリンジの歴史」として全
ことによって対立を明示して相手を批判する
体化・固定化され,例えばグリンジ・カントリー
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滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
に暮らす女性や若者の歴史の語りを抑圧してい
向にのみ進行していることの問題性である」と
る可能性はないか」といった危惧の表明となっ
の指摘,そしてここにいう「一方向」とは,も
ている。これを Roh 著者は,
「ハイブリッド性
ちろん,といってよいだろう,「西洋近代の絶
に関する第二の回答が不可欠となる」
と示した。
え間ない流入によって,グリンジをはじめアボ
それを Roh 著者は,
「私はまずグリンジの植
リジニの歴史実践がどんどんハイブリッド化し
民地史分析は,その定義上,既に/常にハイブ
ている」という方向で,ここにこそ留意すべき
リッドあることを強調したい」と応じてみせた
だ,という著者のとおりだとおもう。
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0
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0
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(傍点原文)
。
グリンジの人びとの
「歴史物語り」
Rohの議論,ここにいう「クロス・カルチュ
を「植民地史」または「植民地史分析」といっ
ラライジング・ヒストリー」は,二重の意味で
たときからそれは「ハイブリッド」だったとい
「権力作用を問題」とするとの見通しが,おそ
うのだ。つづけて「西洋近代がもたらした知識
らく,のべられている。1 つが,さきの「一方向」
や事物の流入なくして,グリンジの歴史物語り
にかかわって,「アカデミックな知の産出構造,
に「キャプテン・クック」や「ウェーブヒル牧
そしてそれと共犯関係にあるグローバルかつナ
場」が登場する余地はない」とつけくわえる。
ショナルな政治経済構造が再生産し続けている
第 1 に「二項対立関係」はグリンジの人びと
権力作用を問題」とすること,もう 1 つが,こ
の「戦略」だった,そこで「批判」する相手を
れまたさきにあげた「神話」や「記憶」として
名指し得た時点で,第 2 にすでにそこに「ハイ
グリンジの人びとの「歴史物語り」を「包摂」
ブリッド」な「歴史」があったのだ,という反
してしまう,温存された「権力関係」を廃棄す
論で,なるほど「二重の回答」の表記にわざわ
ることである。
ざ著者が傍点をふったわけがわかった気になる。
「歴史経験への真摯さ」 では,指摘された
だがよくよく考えてみると,ここで「植民地史
「ハイブリッド化」の「一方向」性,この回避
分析」の 6 文字に傍点をふったのは Roh 著者
や解除の手立てをどうするのかが,なぜわたし
だし,そうとらえてみせたのもやはり同人で,
たちは,グリンジの人びとの「歴史物語り」に
さきの,
「
「反植民地主義的言説
(counter-colonial
ある「超自然的な現象や存在」を「
(信じるこ
discourse)
」として(のみ)扱うのではなく」
とができないとしても)一定の範囲で理解する
ととらえてみせたのも Roh 著者だったはずだ。
ことができるのか」との問いに継がれる。そ
どうにもこれでは堂々めぐりの議論のようだし,
こに提示された術語が,
「
〈歴史への真摯さ〉
「十分に予想される批判」だという「二項対立
(historical truthfulness)」である。これはすで
関係をことさらに固定化していないか」は,
「こ
に Rohでも説かれ,本稿でもみたところであ
とさらに固定化」をのぞけば,これは甘受すべ
る。この第 7 章での議論をあげると,たとえば,
き批判ではないのか。というよりも,
Rohは「多
「キャプテン・クックがグリンジ・カントリー
元的歴史時空を多元的に記述」しようとしてい
にやってきてアボリジニを撃ち殺した」という
るのだから,「二項対立関係」は,あるいはそ
「歴史物語り」には,「史実」ではないことがふ
うした表現がいやであれば,複数の歴史,複数
くまれている。たとえそうだとして,「オース
の歴史の記し方,Rohにもっともふさわしい表
トラリア侵略は起こり,アボリジニは殺された
現を用いると複数の歴史実践となろうか,それ
のである」から,「我々はグリンジの語る物語
は織りこみ済みのはずだとおもう。
に〈歴史への真摯さ〉をみいだすことができる。
Rohのつぎの議論 ─「むしろこのハイブ
これは,ひとえにグリンジの語る歴史が経験的
リッド性に関して注意を喚起したいのは,こう
(experiential)に紡ぎだされたからなのではな
した歴史実践のハイブリッド化が,かくも一方
かろうか?」という。ここにいう「真摯さ」と
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 55 ─
はさきにみたとおり,
「誠実な」
「本当の」とい
んでよいとみえるところがあるが,そうではな
うことだろう。
く,ここではそれは,「全体性を想定しない断
こ こ で も や は り, テ ッ サ・ モ ー リ ス =ス
片」
「〈普遍的な〉歴史時空に還元不可能な歴史」
ズ キ が 参 照 さ れ,
「
「 歴 史 的 真 実(historical
「多元的歴史時空を多元的に記述するためのア
truth)
」との対比で「歴史への真摯さ(historical
プローチ」
「アカデミックに普遍化(=世俗化)
truthfulness)
」への注目・シフトを訴えている」
せざるをえない意識と,こうした普遍化を拒ん
のが彼女で,また,
「歴史への真摯さは,歴史
で歴史時空の多元性を引き受ける意識とを同時
を探索する主体と探索される客体との関係性の
に保ちながら歴史叙述をおこなう態度」のどれ
うちにある。つまりここでは,歴史家が無尽蔵
もを備えた歴史実践にのみ許された評価なので
な歴史的真実に向かうさいのプロセスに重点が
ある。
シフトしているのであり,必然的に過去に接近
このあたりの Rohの議論をもっとかんたんに
しようとしている歴史家自身のポジション,歴
いうと,グリンジの人びとの「歴史物語り」は
史家がもっている偏見に最大の注意を払う必要
初めから「ハイブリッド」だった。それに対し
が生まれる」とその議論を受けている。ここで
て,「ホロコースト否定論者」「歴史修正主義者
ひとことだけいうと,
「歴史家自身のポジション,
の多く」が,「〈真摯さ〉を通じた多元的コミュ
歴史家がもっている偏見に最大の注意を払う必
ニーションを求めてはおらず,むしろ自分たち
要が生まれる」ということであれば,
なにも「歴
の〈歴史的真実(虚構)
〉を排除的に普遍化し
史への真摯さ」などをもちださずとも,わたし
ようとするコロニアルな欲望に基礎づけられて
が学部の 1 年生のときに受講した必修科目「歴
いる」11)ために,それはグリンジの人びとの
史学方法論」
(講義名は違ったかも)でも習っ
歴史実践とは異なるというのだろう。
ていた観点だった(テキストは良知力『向う岸
Roh 著 者 は 第 7 章 の 末 尾 ち か く に,「 ク ロ
からの世界史』未来社,1978年,など)
。
ス・カルチュラライジング・ヒストリーの企て
Rohにいう「真摯さ」とはなにか。さきにみ
は,〔中略〕ギャップごしのコミュニケーショ
たところでは,たとえば「アカデミックな知」
ン─をどこまでも粘り強く模索しつづける営
からすれば「史実」ではないと否定されること
みである」と説いていた。やはり「模索」なのだ。
がらをそのうちにふくんでいるとしても,
「歴
補 遺 「賛否両論・喧々諤々─絶賛から出版
史を真剣に考える歴史学のことです」と示され
拒否まで」と題された第 8 章は,その内容の一
ていた。ここではどうか。これまた,まえの
部が章題に記されているとおりで,Rohの構成
章での議論にあった「経験」の語がもちださ
の妙をあらわすところとなっている12)。だが
れ,
「
〈経験的な歴史への真摯さ〉
(experiential
そのおもしろさに親しむことはせずに,行論の
historical truthfulness)
」という。
「実証主義的
うえで参照すべきいくつかの論点をとりあげる
な学術的歴史実践」も「グリンジ・カントリー
としよう。
で行われている歴史実践」も,
「双方とも言説
1 つは,第 8 章「 1 草稿もってグリンジ・
ではなく「実際にあったこと」を問題にしてい
カントリー再訪,二〇〇七年七月」にみえる,
る点では一致している」との記述からすると,
Rohのもととなった著者の博士論文の草稿を
バイアス
バイアス
たんに,ともかくも,
「実際にあった」ことを
もって,グリンジを訪ね,そこの人びとからの
ふまえた歴史実践であればそれを「真摯」と呼
「コメント」
をどう引き受けるかという議論での,
─────────────────────────────────
11) 引用部分にある「〈歴史的真実(虚構)〉」とは,歴史修正主義者のいう「歴史的真実」は「虚構」だ,となる
のではなく,「歴史的真実」も「歴史的虚構」も,との謂だとおもう。
─ 55 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
「「現地の人々」との関係において,フィールド
的に記述する」とは,喩えれば,蝶をその目,
ワークを行う研究者たちがなすべきひとつの誠
科,属にしたがって分類し,それを展翅板にピ
意,それは,かれらのフィードバックがどのよ
ンでとめてゆく作業とは異なるはずである。だ
うなものであれ,それを自分の書く論文の中に
が,Rohの記述では,「多元的歴史時空」の 1
明確に示し,そこでなされた研究者とのあいだ
つひとつが,うまいぐあいに区分けされて,そ
の交渉をも,あからさまに記述することである
れぞれが記されてゆくようにうかがえたのだっ
ように思うのだが,どうだろう」という,問い,
た。
「学術的歴史実践」とグリンジの人びとの「歴
または呼びかけには,そのとおり,と応じよう。
史物語り」との両方にクックの名が登場すれば,
つけくわえれば,
「かれらのフィードバックが
そこにいわば多元性の交差をみるということな
どのようなものであれ」にいう「どのようなも
のか。これは観察者の「歴史実践」をこんどは
のであれ」とは,わたしにとっては,フィード
記述者としてどう記してゆくかを問うこととも
バックの有無にかかわらず,それが言葉として
なるだろう。その点で Rohは,やはり,
「模索」
あったかどうかにかかわらず,とのことだと示
の書なのだといえる。
しておこう13)。
おそらくは,歴史をめぐる多元性が交差する
2 つめは,
同章「 2 博士論文の査読報告(抄
位置にあるもの,多元性を媒介するものは,
「わ
訳)二〇〇一年六月」で,
「査読者 1 」が「こ
たし」なのだとおもう。歴史を観察し,その歴
れほど一貫した「クロス・カルチュラライジン
史を描こうとし,しかもそこに多元性を意識し,
グ・ヒストリー」の努力をほかに読んだことが
それを意図して歴史に介在しようとする,その
ないし,異なった歴史意識の様式へのこれほど
「わたし」を叙述に織りこむことが必要なのだ
までに誠実な介入も,目にしたことがない」と
ろう。Rohの著者はそれに気づいていながらも
のべたこと。Roh 著者の「歴史実践」を「異なっ
(
「経験」のとらえ方に)
,歴史の叙述にはそれ
た歴史意識の様式への〔中略〕介入」だととら
をうまく持ちこめなかったとおもう。
えていること,とりわけ「介入」と評したとこ
テッサ・モーリス =スズキ 「ミノ・ホカリ
ろがおもしろかった。
との対話」と題されたモーリス =スズキの稿は,
第 3 に,同章同節で「査読者 3 」が,
「私に
なんと呼べばよいのか。解題かコメントか追想
は,この論文が,大きな断絶として設定されて
か。その名はともかく,この稿は Rohにとって
いるもののあいだを絶えず知的に跳躍している
幸いだったとおもう。これがあることで Rohが
ように思える。その断絶とは,すなわち歴史学
動いた。喩えれば,水路が開かれ水が流れたよ
者のいうところの歴史と,過去についてのグリ
うな。あるいは,これがあることで Rohが, 1
ンジの語りのあいだの断絶である。この二つは
つにうまくまとまったと感じた。寄木細工に最
常に分かれたままなのだ」との指摘。これは,
後の 1 個を嵌めて球体が整ったような。彼女は
Roh 著者がいう「多元的歴史時空を多元的に記
Rohから学んだ「もっとも重要なことのひとつ
述する」ことともかかわっている。この「多元
は,
「聴くこと」あるいは「注意深くあること」
─────────────────────────────────
12) 本稿40ページにも記したこの妙については Roh 著者自身も自覚していたところで「著者によるあとがき」に「本
当に知を内破することに挑戦したのが本書である。内容そのものだけでなく,そのためにあちこちに仕掛けた,
構成,文体,字体その他の工夫」と記してある。
13) そしてわたしのフィールドワークにおけるいわば行儀については,阿部安成「島の書,書の園─国立療養所大
島青松園をフィールドとした書史論の試み」
『国立ハンセン病資料館研究紀要』第 2 号,2011年 3 月,同『島で─ハ
ンセン病療養所の百年』
(サンライズ出版,2015年)を参照。後者はまたわたしのフィールドワークをとおした「歴
史実践」ともいえる。フィールドワークの行儀をすでに前者で示していたところなのだが,後者執筆にさいして
は Roh の議論が念頭にあった。
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
─ 55 ─
の重要性」
だと記した。それは
「近代社会」
が
「喪
からすれば,未熟な,未整理の,素人による,
失」した「能力」
,それが「自分の住んでいる
狭い範囲を対象として狭い範囲に流通する狭い
世界に欠如している,と意識せざるを得なかっ
範囲でしか通用しない歴史としてあつかわれて
た」ともいう。ここで彼女はきっと,とても大
きたとの観がある。彼ら彼女たちの記録を研究
切なことを記している。それは歴史を知るとか
史の始まりにおく,そのわずかな余地すら認め
歴史を書くとかにとどまらない,わたしたちが
られていなかったといえよう。
生きてゆくなかで忘れている,生と政治の様式
療養者たちの声が,聞き取り集として研究者
なのだろう。
によって編まれたばあいがある。それもまた,
彼女の言葉はこのくらいにとどめておいて,
研究者が使うための史料集となり,政府の圧
それと Rohとをとおしてあらためて考えるわた
政を糾弾するための証言集となり,そこに集め
しのフィールドを,書こう。
られた声たちが全体としてどういう世界をかた
「アカデミックな歴史」ではない わたしが
ちづくっているかが問われることはほとんどな
フィールドとする癩そしてハンセン病をめぐる
かったとみえる。
療養所。その療養所とそこに生きる療養者は,
「わたしはここに生きた」と題された大島青
まず,だれによって記録されてきたか。大島
松園盲人会が1984年に発行した「国立療養所大
療養所では(そのまえの第四区療養所もふくめ
島青松園盲人会五十年史」
(副題)は,声がき
て)
はっきりとしている。
それは当事者によって,
ちんと聞きとられにくいようすが継続する事態
だった。当事者はおおきく 2 つに分かれる。療
をみはるかして告発した書だったといえよう。
養者と,そうでないものたち。大島の療養所に
わたしたちの声が届かない,それは聞かれない,
おいては,療養所の史料をみていない,みられ
だが「わたしたちはここに生きた」ということ
ない,こともあって,当事者のなかでも前者の
だ。
療養者たちがまず自分たちについての記録をつ
ていねいに聞き,大切にあつかう 療養所と
くり,それを残してきたということとなる。
療養者を記述するものたちの多くは,「超自然
大島の療養所と療養者についての研究では,
的な現象や存在」をべつとすれば(もっとも療
しかし,そうした記録の始まりが無視されてき
養所で療養者がそうしたたぐいを話す例は少な
たようすがある。研究史が記されるばあい,決
いようにおもう。わたしが知らないだけかもし
まってそこには「アカデミックな歴史」があげ
れないが)
,彼ら彼女たちの語る内容を尊重し
られてきた。おそらくほかの療養所と療養者の
てきたといってよい。ときにそれは,Rohに示
ばあいもおなじだろう。大島では療養者がつ
されていたとおり,すでに分析された「歴史理
くった記録がながいあいだみつけられていな
解」を当事者「自身の語りで肉付けるような,
かったこともある。それもまた研究者による調
いわば歴史学者にとって「便利な」オーラル・
査の不備となるが,それに重ねて研究者たち
ヒストリー」であったり14),当事者の語る内
は,療養所と療養者の研究は自分たちだけがお
容をそれこそ聖書に書いてあることのそのとお
こなっているものと思いこみ,療養者が残した
り読むように,そのままのものとしてあつかっ
記録はそれをかたちづくるための素材にすぎな
たりすることがあった15)。Rohを読み終えたい
いとみなしてきた。療養者自身が自分たちを対
ま,当事者が語るところ,彼ら彼女たちの声を
象としてつくった記録は,
「アカデミックな知」
聞くには,べつな構えをとらなくてはならない。
─────────────────────────────────
14) かつては文字史料の欠落部分の補強として聞き取りがあつかわれたり,あるいは,文字史料の確証を得て初め
てその価値や意義を聞き取りにあたえたりすることがあった。ここにその一例として中村政則『労働者と農民』
(小学館,1976年)をあげても誤りはないだろう。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
それがわたしたちの〈話トリエ〉のねらいでも
わたしたちも,この〈交響話〉の場を,聞き方
あった。
を,そしてその書き方を模索している。
いつも,いくつか 療養所と療養者をめぐる
大島を過ごす 大島に生きる人びとの,自分
多元性とはなにになるのだろうか。どのように
たちの歴史の知り方,接し方,発信の仕方など
すれば,それをあらわしたこととなるのだろう
などが,Rohにならっていえば,彼ら彼女たち
か。
療養所と療養所の歴史記述は,
大島にかぎっ
の「歴史実践」であり,わたしたちはその観察
てみても,そこそこの数がある。記述者は療養
者として,その記録者として,だんだんとそこ
者であり,療養所であり,新聞記者もいれば研
にわたしたち自身も介在していると感じるよう
究者もいる。地方自治体によって編纂発行され
になってきた。それはいわば歴史の現場にいる
た史誌にも療養所と療養者の記述がある。そう
との高揚感の一片ともなっていると喜びたい気
したなかで欠落している記述者が,療養所の職
分にもなり,しかしこのところはそれがいくら
員と,療養者のおんなたちである。
かの辛さともなっているように感じている。英
医師はみずから記述し,また記述されるもの
語の bitterから苦みといってもよいだろう。
でもある。療養所で働く医師以外のものたちの
大島に生きる人びとの信徒団体であるキリス
声が記録されることは少なく,また,そうした
ト教霊交会が初めておこなった,創設信徒の墓
職員がどういうひとたちだったかもよくわから
前礼拝から 1 年あまりが過ぎ,創立百周年記念
ない。大島青松園では退職職員の親睦会がある
礼拝から数えてももうすぐ 1 年になろうとし
と聞くし,退職したのちに懐かしがって島を訪
ている。どちらも会と会員にとって重要な行
うひともいる。だが職員についての記録はそう
事で,その歴史の 1 つの( 2 つの)節目となっ
多くはない。療養者の男女比には偏りがあり,
た。2014年11月に催された後者の礼拝には,そ
おんなたちはその絶対数が少なかったのだが,
のときの信徒 6 名全員が出席をした。それから
それにしても過去のさかのぼるほど,おんなた
1 年に満たないきょうまでのあいだに,いくに
ちの声は記録されにくかった。
んもの信徒が亡くなった。療養所に生きるもの
記録をめぐる,記述者についての欠落を確か
にとって,そこがいずれなくなることは自明で
めることが必要であるものの,その空白域をう
あって,「終末期」とはかなり以前から使われ
めていって歴史をめぐる記述の均衡を整えれば
ていた覚悟と諦念の,また,笑いと怒りの,そ
それで済むのではなく,複数,多元,多様,と
して悔しさと名残との表現であったようにおも
あらわせる,療養所と療養者についてそれぞれ
う。在園者の平均年齢が80歳台となったいま,
にある加減をみわたしたうえで,横断する,橋
部外者にもその語が実感を押しつけるがごとき
渡しする,たがいに響きあう話し語りが模索さ
圧迫をもたらすようになりつつある。わたしが
れていたのである。Rohの姿勢をそう,わたし
その苦みを除けたくなってしまっている。他者
は受けとめた。たがいに響きあうといっても,
の歴史に介在するとは,居心地の悪さをともな
喩えれば,それはつねに協和なのではなく,当
い,苦く重い経験なのだと分かりつつある。
然のこと不協和もある。たがいに響きあう機会
もとより面白半分ではなく,興味本位だった
は,特定の時と場にあるのではなく,日々の生
のではないといいたてたい気持ちを引きづりな
活のなかにもあるようにおもう。いまかりに,
がら,やはり知りたかったのだとの動機に始
この話し語りを〈交響話〉と名づけておこう。
まった仕事の現場 =フィールドが,わたしの性
つら
にが
にが
─────────────────────────────────
15) この事例とそれへの批評は,阿部安成「だって,当事者がそう言うものですから─ハンセン病療養所における
聞き取りの手立て」(滋賀大学経済学部 Working Paper Series No.142,2010年12月)を参照。
ラディカル・ヒストリ・アワァ ─療養所がある島を過ごす─(阿部安成)
根を問いつつあるのだ。
THE BEATLESの『MAGICAL MYSTERY
TOUR』
(1967年 BBC 放送)は,たしかに不思
議な魅惑の,謎めいた,なんだかわからないと
ころもある映像だった。玖保キリコの『シニ
カル・ヒステリー・アワー』全13巻(
『LaLa』
1982年~ 1995年連載)もたしかに,斜に構えた
過激さが内に籠るコミックスだった。Rohはど
こが「ラディカル」なのか。くりかえせば,そ
の一斑は「歴史学者が,歴史を探索する主体と
しての歴史家であることを本当に上手に括弧で
括っちゃ」
う,
という姿勢にあったのだとおもう。
ただ著者は,
「僕が思うところの(ラディカル
な)オーラル・ヒストリー研究です」と肝心な
語を( )で括っちゃっていたのだった。用意
周到な著者の茶目っ気なのか,大胆にして小心
ひと
さをもあわせもったそのいわば自画像の一筆な
のか,すこぶるおもしろい表記だった。
歴史する(
「Doing History !」
)わたしが過ご
す仕事場は,わたしの性根を審査する─だか
ら「ラディカル」
。
【付記】
本稿は,日本学術振興会2015年度科学研究費
基盤研究(C)
「20世紀日本の感染症管理と生を
めぐる文化研究」
(課題番号26370788,研究代
表者石居人也),2015年度滋賀大学環境総合研
究センタープロジェクト「療養所を交ぜる」
(研
究代表者阿部),2015年度滋賀大学経済学部学
術後援基金「歴史資料の保存と公開と活用の実
践論」よる,研究成果の一端である。
─ 66 ─
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
<研究ノート>
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities─The Neglected Element:
A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities
(AASB Occasional Paper No.1)
赤 塚 尚 之
質的特性としている(IASB 2010a, pars. OB 2
Ⅰ 本稿について
and QC 5 )。それにもかかわらず,双方の提案
には大小様々な相違がみられる。そこで,副
1.1 本稿の目的と概要
本 稿 は, オ ー ス ト ラ リ ア 会 計 基 準 審 議 会
次的にではあるが,OPについての論評のほか,
OPと DPの提案の比較,さらには ASAFにお
ける議論についても言及する 2 )。
(AASB)よ り2013年10月 に 公 表 さ れ た
Occasional Paper No. 1 「負債─手付かずの構
成要素:負債の財務報告についての概念的分
1.2 OP の問題意識(OP 第 1 章「なぜ負
債に関する OP を公表するのか?」)
析」
(元 IASB理事 Warren J McGregor著,
以下,
「OP」
)において提案された負債会計のモデルの
まず,OPは,資産の会計問題により多くの
詳細を把握することを,第一義的な目的とする
焦点が当てられてきたことにより,負債の会計
ものである 1 )。本稿は,OPの構成に即して(当
問題が看過されてきた事実を指摘している。そ
時の)負債会計をめぐる国際的動向を整理した
の主な原因として,OPは,①一部の負債の特
うえで,OPの提案に言及している。
性に起因する検討課題の複雑化と,②「現在の
OPは,2013年12月開催の会計基準アドバイ
価値(current value)」を基礎とした測定にお
ザリーフォーラム(ASAF)において取り上げ
いて生じる「直観に反する(counter-intuitive)」
られた。なお,ASAFに際し,プレゼンテーショ
結果を挙げる(OP, par. 1.1)。
ン用のハンドアウト(McGregor 2013b)も別途
問題を複雑にする「負債の特性」とは,訴
用意されている。当該ハンドアウトは,IASB
訟負債や資産除去債務等,一部の負債が交換
が2013年 7 月に公表した討議資料「財務報告の
取引を経ることなく(対価の受領なく)発生し,
概念フレームワークの見直し」
(以下,
「DP」
)
存在の判定が不明確となる点である(OP, par.
における
「予備的見解」
との相違に言及している。
1.2)。つまり,負債は,識別可能な相手方が存
OPと DPは,
いずれも IASBの現行フレームワー
在しなくとも,また,現在の債務が存在する
クに則り,「資金提供者が資金提供に関する意
明確な証拠がなくとも存在しうることが,資産
思決定を行う際に有用となる財務情報を提供す
と負債の取扱いに非対称を生んできた(OP, fn.
ること」を財務報告の目的とし,
「目的適合性」
2)。また,存在の判定問題をクリアすると,次
と「忠実な表現」を有用な財務情報の基本的な
のような測定問題に直面することとなる。非交
─────────────────────────────────
1 ) AASB は,OP を,財務報告をめぐる諸論点の詳細な検討により議論を促進し,会計基準設定における「ソー
トリーダーシップ(thought leadership)」を発揮すべく公表されるものと位置づけている。ただし,OP におい
て提示された見解は,AASB の公式見解ではなく,あくまでも著者(本稿が取り上げる No. 1 は McGregor 氏)
によるものである。
2 ) 本稿は,DP 公表以降の概念フレームワークをめぐる最新の動向には言及しない。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
換取引により生じる負債には「原価が存在しな
現状よりも負債を完全なかたちで表示し,負債
い(costless)
」から,代替的な測定基礎を選択
に関する経済的負担をよりよく反映するとされ
して適用しなければならない。このとき,政府
る(OP, Synopsis)。OPは,次の 6 章から構成
補助金を名目価額(ゼロ)で測定すべきである
される。
とか,訴訟負債の認識を主要な不確実性が解消
されるまで遅延すべきといった主張がなされる
(OP, par. 1.3)
。さらに,
「現在の価値」による
測定に関して,利子率にリスク調整(負債額の
第 1 章 問題の所在(
「なぜ負債に関する OP
を公表するのか?」)
第 2 章 定義(
「負債とは何か?負債はいつ発
生するのか?」)
増額)を行う際のリスクフリー利子率の引下げ
第 3 章 認識(「負債はいつ認識すべきか?」)
や,不履行リスクの反映に伴う負債額の減少と
第 4 章 測 定(「 負 債 は い か に 測 定 す べ き
評価益の発生には,直観的に違和感を覚える論
者も多い(OP, pars. 1.4 and 1.5)
。
これらについて,会計基準設定主体は,基準
設定をつうじて対処してきた。もっとも,多く
の論点が未解決であり,提示された結論も首尾
か?」)
第 5 章 開示(「負債に関するいかなる情報を
開示すべきか?」)
第 6 章 今後の展望(「これからどこへ向かう
のか?」)
一貫性を欠き,
概念上の厳格さに欠けていると,
OPは指摘している
(OP, par. 1.6)
。
そこで,
OPは,
OPは,IASB,AASB,FASB, 国 際 公 会 計
概念上首尾一貫した手法による分析をつうじて
基準審議会(IPSASB)の現行フレームワークと
負債情報の質の飛躍的な改善に資することを目
諸基準さらにはそれらの改訂動向を参照して諸
的として,定義,認識,測定,開示問題に関す
論点に対する見解を提示し 3 ),すべての負債
る相互に関連した諸提案を行う(OP, Synopsis
項目に適用すべき会計モデルを構築している。
and par. 1.8)
。
1.3 基本的な考え方と構成
OPの基本的な考え方は,次のとおりである
(OP, Synopsis)
。
⒜ 負債を広範に定義する(法的に強制可
能なものに限定しない)
。
Ⅱ 負債の定義(OP 第 2 章「負債とは何か?
負債はいつ発生するのか?」)
2.1 負債の定義をめぐる動向と OP の概要
OPは,負債の定義について,とくに範囲の
策定に焦点を当てて検討を行っている。
⒝ 認識要件は,
「定義の充足」のみで足
現行の概念フレームワークにおいて,
IASBは,
りる(個別要件は不要である)
。
負債を「過去の事象により生じる現在の債務で
⒞ すべての負債を,
当初測定において
「現
あり,決済に際し経済的便益を意味する資源が
在の価値」
(
「出口価格
(=公正価値)
」
)
流出することが予想されるもの」(IASB 2010a,
によって測定する。事後測定において
par. 4.4⒝)と定義する。そして,IASBの定義
も,
多くの負債を「現在の価値」によっ
もそうであるように,①過去の事象(または取
て測定する(原則として,単一の測定
引)に起因すること,②特定の主体が負担する
属性を適用する)
。
(現在の)債務であること,③将来に資源流出
を伴うことの 3 つが,負債の本質的な特徴と理
以上に基づき提案される負債会計のモデルは,
解されてきた。
─────────────────────────────────
3 ) なお,本稿は,IASB のフレームワークと諸基準を主に参照し,必要に応じてその他に言及する。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 66 ─
(赤塚尚之)
負債の範囲は,②の特徴と関連を有する。
拠を有する負債と同列に扱われてきた諸項目は,
つまり,負債の範囲をめぐる問題は,負債の
負債に該当しなくなる。
本 質 に か か わ る 問 題 で あ る。 こ こ に「 債 務
さらに一転して,負債の範囲をめぐる近年の
(obligation)」とは,
「特定の方法によって実行
基準レベルの提案は,以上の概念レベルの提案
または履行する義務または責任」をいい,
「債
とは真逆の方向性を示している。IAS 第37号に
務を負担する」とは,
「相手方または第三者に
代わる新規の IFRS 作業草案「負債」
(
「負債プ
対する資源流出を回避する余地がないか,あっ
ロジェクト」
)は,文言修正を施して範囲を縮
て も ほ と ん ど な い(little, if any, discretion to
小したうえで,推定債務を根拠とする項目を適
avoid)
」状況にあることをいう(IASB 2010a,
用対象とするよう提案している(IASB 2010b,
pars. 4.15-4.16)
。債務負担にかかる文言より,
par. 12)。同様に,IASBの保険契約草案は,
「有
「債務」には,法的債務以外の債務(
「推定債務
配当またはウィズプロフィット(participating
(constructive obligation)
」
)も該当する(IASB
or with profits)保険契約」にかかるキャッシュ
2010a, par. 4.15)
。また,例えば IAS 第19号「従
フローの測定について,法的さらには推定債務
業員給付」,IAS 第37号「引当金,偶発負債お
を根拠としたものに限定しない旨,提案してい
よび偶発資産」,および IFRS 第 2 号「株式に
る(IASB 2010d, par. BC70)。
基づく報酬」がそうであるように(IAS 19, par.
このように,負債の範囲をめぐって,概念レ
4⒞;IAS 37, par. 14⒜;IFRS 2, par. 41)
,基
ベルと基準レベルの提案に齟齬が生じているの
準が対象とする具体的な項目の範囲は,フレー
が,OPが前提とする当時の状況である(その後
ムワークの見解と概ね整合的であるといってよ
の DPにおいては,推定債務を含むとする予備
い 4 )。
的見解が提示されている)
。以上をふまえ,OP
ところが,IASBと FASBとの共同プロジェ
は,負債の範囲をめぐる議論を整理し,範囲の
クト(現在は IASB 単独のプロジェクトとして
拡大を支持する見解を表明する。そのうえで,
44 4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
進行)である「概念フレームワークプロジェク
「報告主体の負債とは,当該主体が債務を負う
ト(当時にいう「フェーズ B」
)
」は,一転して
現在の経済的負担」との定義案を提示する。以
負債の範囲を制限するよう提案した。具体的
下,範囲をめぐる OPの見解とその根拠,定義
には,2008年の段階において,
「報告主体が債
案の特徴および定義案の当てはめについて言及
務者となる現在の経済的債務 5 )」
(IASB
する。
2008,
par. 8)という負債の定義案が提示された。そ
して,報告主体は,
「経済的債務を負担し,そ
2.2 負債の範囲に関する OP の見解
うすることが法またはそれと同等の手段によっ
負債を法的に強制可能な項目に限定する
て強制される場合,債務者(obligor)となる」
と, 債 務 の 識 別 に 関 す る 裁 量 を 排 除 す る こ
(IASB 2008, par. 8)
。つまり,
「法またはそれ
と が で き, そ れ が 財 務 情 報 の「 比 較 可 能 性
と同等の手段によって強制可能であること」が
(comparability)」に資すると考えられる。し
負債として不可欠な要素となり,法的拘束力が
かし,それは,同時に,法的根拠にとらわれな
なくとも経済的または倫理的見地より資源流出
い有用な情報を除外するおそれを孕んでいる。
を回避する余地が排除されているとして法的根
つまり,負債の範囲をめぐる問題は,状況に
─────────────────────────────────
4 ) た だ し,FASB の 資 産 除 去 債 務 基 準 は, 資 産 除 去 債 務 の 範 囲 を 法 的 債 務(「 約 束 的 禁 反 言(promissory
estoppel)」に基づく推定債務を含む)に制限している(ASC, 410-20-15- 2 a, 410-20-20)。
5 )「経済的債務(economic obligation)」とは,
「法またはそれと同等の手段により強制される,経済的資源を引き
渡すかまたは放棄する無条件の約束その他の要求」をいう(IASB 2008, par. 8)。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
即した衡量の問題となる。OPは,これを基準
事実上回避する余地がないか,あってもほとん
設定主体が直面する「ジレンマ」と評している
どない経済的負担が負債に該当しないとするこ
(OP, par. 2.19)
。
とによる潜在的な不利益(有用な情報の喪失)
負債の範囲をめぐっては,
「比較可能性」に
をより問題視した結果といえる。また,負債の
照らして,法的強制力がなくとも経済的見地か
範囲をめぐる概念レベルと基準レベルの提案の
ら将来に資源移転を強制される(であろう)項
齟齬について,OPは,財務情報の有用性に照
目の認識が,かねてより問題視されてきた 6 )。
らして,資源流出を回避する余地を厳格に把握
また,とくに IASB 基準においては,推定債務
する事象を捕捉するための(法を超えた)より
の判定指針を利用したリストラクチャリング引
広範な概念が必要であることが,基準レベル
当金の計上による損失計上(ビッグバス)が可
において示唆されていると指摘している(OP,
能となっていた。さらに,
推定債務(とくに「約
par. 2.29)。さらに,OPは,基準設定における
束的禁反言」に基づく推定債務)を根拠とする
議論が,(明示的か黙示的であるかを問わず)
項目が,事実上,法的に強制可能であるという
契約が中心的な役割を果たす法域を前提とする
考え方も存在する(OP, par. 2.30⒝)
。これらに
ことの弊害を指摘している 7 )。つまり,契約
照らして,負債の範囲を縮小することについ
に優先しうる商慣習や宗教上の制約が存在する
て,一定の合理性が認められる(OP, pars. 2.16,
法域において,かかる前提は過度の制約となり
2.19, and 2.30⒜)
。
かねない(OP, pars. 2.31 and 2.33)。
しかし,負債の範囲を縮小することは,時に
以上より,負債の範囲について,法的強制力
現行実務を否定することとなる。例えば,受
を有するものに限定すべきではないとするのが,
給権未確定(unvested)の従業員給付について,
OPの見解である 8 )。
従業員はすでに労働用役を提供している(交換
取引が成立している)
。そこで,権利獲得(一
2.3 負債の定義案
定期間の労働用役の提供)前であっても,雇用
負債の範囲に関する上記見解をふまえ,
OPは,
主たる報告主体には将来に対価としての給付を
次の定義案を提示する(OP, par. 2.34)。
なすべき推定債務が生じていると解されてきた。
ここで,負債を法的強制力を有するものに限定
報告主体の負債とは,当該主体が債務を負う
すると,権利確定まで給付の支払いを雇用主に
(obligated)現在の経済的負担(present economic
強制する法的根拠は存在せず,負債は存在しな
burden)である。
いと判定される(OP, par. 2.18)
。
OPは,現行の定義がそうであるように,負
OPは,資本ではなく負債を直接定義するこ
債の範囲をより広範に定義する見解を支持して
とと,資産の定義と対称性を有するよう定義す
いる(OP, par. 2.32)
。これは,法またはそれと
ることを前提としている(OP, pars. 2.12, 2.39,
同等の手段によって強制可能ではないものの,
and 2.40)
。また,OP 本文に直接の言及はない
─────────────────────────────────
6 ) 2008年当時の定義案に至る議論において,①報告主体が真に強制力を自覚しているか,具体的な犠牲が認識さ
れるまで外部より検証不能であること,②存在の判断に関する個々の主体の見解の相違・裁量により,「比較可
能性」が低下するという難点が指摘されている(IASB 2006a, par. 60)。
7 ) OP は,約束的禁反言が適用される法域においても,負債の範囲を縮小することは不当な制限となるとしてい
る(OP, par. 2.33)。
8 ) 負債の範囲について,IPSASB も同様の見解である(IPSASB 2012, par. 3.2;IPSASB 2014, par. 5.15)。OP は,
パブリックセクターにおいては,プライベートセクターよりも,法またはそれと同等の手段によることなく将来
の資源流出を不可避とする事象がより多く生じることを指摘している(OP, par. 2.20)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 66 ─
(赤塚尚之)
が,現行の定義にみられる「過去の事象(past
定義案の運用について10),権利未確定の従
events)
」という表現は,
「現在の(present)
」
業員給付については,従業員が労働用役を提供
という表現との重複を避けるべく盛り込まれな
した事実に基づき,雇用主たる報告主体にはそ
い(McGregor 2013b, slide 8)
。
の対価として給付をなすべき「現在の経済的負
定義案の核となるのは,
「現在の経済的負担」
担」が存在する。そして,たとえ給付を回避す
という文言である 9 )。
「現在の経済的負担」
る裁量を有していても,従業員が過去の実績,
は,報告主体から経済的資源が移転されること
明言された方針,特定の声明等により給付に対
により便益を享受するか,移転されないことに
する合理的な期待を抱けるならば,雇用主は「債
より害を被る他の主体が,資源を移転するよう
務を負う」(OP, par. 2.90)。なお,給付の時期
要求しうる事象が発生した場合に存在する。当
および金額(給付されない可能性を含む)に関
該事象は,資源移転にかかる無条件の約束そ
する不確実性は,負債の存在を前提とした測定
の他の要求であり,経済的負担が存在するに
の問題となる(OP, par. 2.91)。
は単に当該事象が資源移転を要求しうるとい
また,ある法域において,医薬品メーカーに
う事実のみで足りる。そして,不確実性の一
対し,安全に使用できる医薬品の販売を義務づ
切は,測定において反映する(OP, par. 2.35)
。
け,それに反すれば発生しうる不利な結果を
したがって,定義の段階において,
「存在の不
回避しえないことを定めた法律が存在したとす
確 実 性(existence uncertainty)
」は問わない
る。このとき,当該法域において事業を営む
(McGregor 2013b, slide 2)
。
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
メーカーには,のちに問題が発覚する医薬品を
さらに,経済的負担に関して,
「債務を負う」
販売した時点において法の違反が認められ11),
とは,「報告主体に負担を強制するしくみが存
被害者に対する補償について無条件の待機債務
在するか,自身の行動その他によって当該負担
が生じる。つまり,メーカーには「現在の経
を回避する裁量が実質的に排除されている状況
済的負担」が存在し,「債務を負う」(OP, par.
にあること」を意味する(OP, par. 2.36)
。これ
2.96)
。また,具体的事実(販売されたいずれの
に関して,すでに明確にされているとおり,法
医薬品が誰に被害を与えるか等)に関する不確
的債務(ここでは「衡平法上の債務(equitable
実性は,負債の存在を前提とした測定の問題と
obligation)
」を包摂する)のほか,推定債務を
なる(OP, par. 2.96)。
根拠とする場合も,
「債務を負う」状況に該当
また,損益計算の観点から収益を繰り延べる
する(OP, par. 2.37 and fn. 25)
。なお,推定債
べく,「繰延収益(deferred income)」が負債と
務にかかる文言については,IASBの作業草案
して計上されることがある。当該項目は,かね
における現行規定の修正提案(表 1 を参照)を
てより負債の定義を充足しないことが指摘され
支持している(OP, par. 2.38)
。
ている。これについて,OPは,収益を発生さ
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
─────────────────────────────────
9 ) OP は,「報告主体の資産とは,当該主体が他の主体が有しない権利その他の手段を有する現在の経済的資源
である」(IASB 2008, par. 8 )という資産の定義案との対称性が確保されるとしている(OP, par. 2.39)。
10) OP は,定義の運用に際して検討を要する諸項目の取扱いに言及している。具体的には,①非交換取引により
生じるもの(「社会的便益(social benefits)」,「賦課金(levies)」,「政府補助金(government grants)」,「排出権
取引(emission trading scheme)」
),②行動の抑制に関するもの(「競業避止契約(non-compete agreement)」),
③「規制負債(regulatory liabilities)」
,④「履行義務(performance obligations)」,⑤「リースおよびサービス
コンセッション契約(leases and service concession arrangements)」,⑥「権利未確定の従業員給付(unvested
employee benefits)」,⑦「訴訟負債(litigation liabilities)」,⑧「オプション(Options)」である(OP, pars. 2.45-2.106)。
11) ただし,違反の状況を定期的に確認する「コストベネフィット」に照らして,基準レベルにおいては,違反が
発覚するまで認識を遅延させることが認められうる(OP, pars. 2.103 and 2.104)。
─ 66 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
せる取引から生じる項目は,負債の定義に即し
また,基準上も,IAS 第37号は,次に示すと
て認識・測定すべきとし(OP, par. 4.25)
,繰延
おり,⒜定義の充足に加えて,引当金の認識要
収益を負債計上しないとする見解を明示してい
件として⒝蓋然性要件と⒞測定可能性要件を設
る(4.2.2を参照)
。
定している(IAS 37, par. 14)。
Ⅲ 負債の認識(OP 第 3 章「負債はいつ
認識すべきか?」)
⒜ 過去の事象の結果,現在の債務(法的
または推定債務)を有すること。
⒝ 当該債務を決済するために経済的便益
を意味する資源が流出する蓋然性が高
3.1 認識要件の設定をめぐる動向と OP の
概要
いこと(蓋然性要件)。
⒞ 当該債務額について,
「信頼性」を有
する見積りができること(測定可能性
IASBは,概念上,定義を充足する財務諸表
要件)。
の構成要素の認識要件として,次の 2 要件を提
示している(IASB 2010a, par. 4.38)
。
蓋然性要件について,IAS 第37号は,
「50%
⒜ 関連する将来の経済的便益が流入す
超(more likely than not)」12)という解釈を明
るかまたは流出する「蓋然性が高い
示している(IAS 37, par. 23)。また,測定可能
(probable)
」こと(蓋然性要件)
。
性要件について,引当金は「時期または金額に
⒝ 「信頼性(reliability)
」をもって測定で
不確実性を有する負債」(IAS 37, par. 10)であ
きる原価または価値が存在すること
るから,⒞の文言にあるとおり見積りを前提と
(測定可能性要件)
。
する。これについて,合理的な見積りは財務諸
表の作成に不可欠であり,見積りの使用がただ
以上をふまえ,負債は,⒜現在の債務を決済
ちに「信頼性」を損なうことにはならない(IASB
することにより経済的便益を意味する資源が流
2010a, par. 4.41;IAS 37, par. 25)。
出する「蓋然性が高く」
,かつ,⒝決済額につ
蓋然性要件は,資源流出の蓋然性が低い項目
いて「信頼性」をもって測定可能である場合に
の認識を阻む。また,測定可能性要件は,見積
認識する(IASB 2010a, par. 4.46)
。なお,⒜蓋
りの使用を認めつつも,「信頼性」とそれを支
然性にかかる具体的な解釈は,基準ひいてはそ
える諸特性を基礎として13),「信頼性」を担保
れに基づく報告主体の判断に委ねられる。⒝測
できない項目の認識を阻む。不確実性を有する
定可能性要件について,完全(complete)
・中
負債については,これらの制約が棄却要件とし
立(neutral)であり,さらに誤謬が存在しない
て機能し14),財務情報の有用性に貢献しうる
(free from error)とき,情報は「信頼性」を有
(これら 2 要件を充足しない項目の情報は確実
する(IASB 2010a, fn. 4)
。
性に乏しい)ことについて,一定の合意が形成
─────────────────────────────────
12)「資源流出が発生する確率が発生しない確率よりも高い」(IAS 37, par. 23)という表現を数値化すれば,「50%
超」となる。
13) IASB の改訂前フレームワークにおいて,「信頼性」を支える特性は,「忠実な表現(faithful representation)」,
「実質優先(substance over form)」,「中立性(neutrality)」,「慎重性(prudence)」,「完全性(completeness)」で
ある(IASC 1989, pars. 33-42)。
14) IAS 第37号は,引当金について,通常,可能性のある幅のある結果を決定でき,引当金を認識するに足りる信
頼性を有する見積りを行うことができるとしている(IAS 37, par. 26)。そうすると,実際に測定可能性要件が認
識を棄却する要件として作用することは稀と考えられる。また,OP も,測定額を算定できない状況を稀である
ことを前提としている(OP, par. 3.13)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 66 ─
(赤塚尚之)
されてきたといってよい。
また,蓋然性要件については,「(認識におけ
ところが,近年,基準レベルにおいて設定・
る)クリフエッジ(cliff-edge)」とよばれる問題
提案される認識要件には,明らかな変化がみ
が,かねてより指摘されるところである。IAS
られる。IASBは,作業草案「負債」において,
第37号の蓋然性要件を基礎とした認識・非認識
⒜負債の定義の充足と⒝(
「信頼性」に基づく)
の判断について,極端にいえば,ある項目の
測定可能性要件を提示し,蓋然性要件を削除す
ある報告期間の終了日時点における蓋然性が
るよう提案15)している(IASB
2005a, par. 11;
50%ちょうどであれば,蓋然性要件を充足しな
IASB 2010b, par. 7)
。さらに,直近の基準設
い。そして,その後の報告期間において蓋然性
定においては,見積りを要するはずの諸項目
が50.01%(50%超)に上昇すれば,当該時点に
(金融負債および保険負債)について,蓋然性
おいて蓋然性要件を充足し,(他の要件も充足
要件はおろか,測定可能性要件も明示されない
するとして)引当金を認識する。つまり,0.01%
(IFRS 9, par. 3.1.1;IASB 2013b, par. 12)
。
という僅かな確率的判断の相違が,認識・非認識
OPは,蓋然性要件と測定可能性要件の要否
という異なる結果を導くこととなる。これは,蓋
を検討し,
(概念レベルの)蓋然性要件と測定可
然性要件が,時として情報提供の不連続を生むこ
能性要件を削除するよう提案16)している(OP,
とを示唆している。OPは,
「クリフエッジ」17)に
par. 3.9)
。さらに,OPは,その他追加的な認
概念上の合理性を見出せないとしている(OP,
識要件を一切不要とする。したがって,
「定義
par. 3.11)。
の充足」が,OPが必要とする唯一の明示的な
ちなみに,OPは,測定可能性要件よりも蓋
認識要件となる。
然性要件を存続させたほうが,財務報告の質を
3.2 蓋然性要件の削除
OPは,報告主体が負担する負債に関する情
より損なうとしている(OP, par. 3.12)。
3.3 測定可能性要件の削除
報はすべて有用であり,負債を網羅的に認識す
測定可能性要件の取扱いは,概念フレーム
ることこそが財務報告の目的に適うとの考え方
ワークにおける財務情報の質的特性の変化を反
を基礎とする(McGregor 2013b, slide 19)
。そ
映したものとなっている。
うすると,蓋然性の制約を課すことにより(金
IASBは,有用な財務情報の質的特性につい
額について)重要性を有する負債を認識しなけ
て,
「信頼性」に代えて「忠実な表現(faithful
れば,ひいては財務報告の目的に矛盾すること
representation)」を,
「目的適合性(relevance)」
となる(OP, par. 3.11)
。したがって,認識に際
に並ぶ基本的な質的特性とした(IASB 2010a,
して蓋然性を問うことなく,不確実性を反映で
QC 5 )。このような質的特性の変化に照らせば,
きる測定属性(
「公正価値」または「主体に固
少なくとも形式上,「信頼性」を基礎とした測
有の価値」といった「現在の価値」
)を適用す
定可能性要件を維持する必要はない。
ることにより,資源流出の蓋然性にかかる期待
「忠実な表現」については,
「信頼性」と同様,
を測定額に反映すべきとなる(OP, par. 3.10)
。
完全・中立であり,さらに誤謬が存在しないこ
─────────────────────────────────
15) これに先がけて,FASB 基準は,公正価値測定を適用する一部項目(資産除去債務,撤退または処分活動によ
り生じる費用に係る負債)の当初認識に際し,同様の認識要件を規定した(ASC, 410-20-25-4;420-10-25-1)。
16) OP は,基準レベルにおいても同様の見解を示唆している。
17) ただし,
「クリフエッジ」は,蓋然性要件を削除しただけでは完全に回避することができない。「クリフエッジ」
を完全に回避するには,測定において,将来キャッシュフローの見積りに期待値を適用する必要がある(6.1.3参
照)。
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
とが求められるが,それらを可能な限り最大化
①情報利用者にとって,目的適合的となりう
すれば足りる
(IASB 2010a, par. QC12)
。
そして,
4 4 4 4 4 4 4 4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
る経済事象を識別する。
4
「観察不能な価格または価値の見積りの表現は,
②利用可能かつ忠実に表現しうるとした場合
それが見積りであることが明確かつ正確に提示
に,当該事象について最も目的適合的な情
され,見積りプロセスに関する特性と限界が説
報を識別する。
明され,見積りの適切なプロセスの選択と適用
4
4
4
4
4
③当該情報が利用可能かつ「忠実な表現」と
4
に際して誤謬が存在しない場合,忠実となりう
なるか判定する(該当しなければ,目的適
4
る(傍点筆者)
」
(IASB 2010a, par. QC15)
。つ
合的な次善の情報を用いてこのプロセスを
まり,
「忠実な表現」は,測定額の絶対的な「正
反復する)。
確性」や,結果についての「確実性」を求め
るものではない(IASB 2006b, par. QC21;OP,
例えば,ある負債項目の測定属性として,
「公
par. 3.14)。さらに,
「信頼性」の構成要素と解
正価値」が第一義的に目的適合的と認められる
されてきた「検証可能性(verifiability)
」18)は
ものの,市場参加者の観点から主要なインプッ
補強的特性と位置づけられたうえ,
「間接的な
トを見積もることができず,
「公正価値」が「忠
検証(indirect verification)
」
(モデル,算式そ
実な表現」に該当しない場合,報告主体の観点
の他の技法に対するインプットの確認や,同一
から「現在の価値」を見積もり,
「忠実な表現」
の手法を用いたアウトプットの再計算)も,
「検
に該当する次善の測定額を算定していく。
証可能性」を担保するとされた(IASB 2010a,
OPは,当該プロセスによって,最も目的適
pars.QC27 and BC3.36)
。さらに,たとえ見積
合的な情報を提供できなくとも,
「目的適合性」
りに幅が生じ,見積額が可能性のある範囲内の
と「忠実な表現」を達成する次善の測定額を追
額のひとつにすぎなくとも,それは検証可能と
求すべく当該プロセスを反復することにより,
される(IASB 2010a, par. QC26;OP, par. 3.16)
。
最終的に負債を認識することとなると解して
以上,「忠実な表現」との関係における見積
いる(OP, par. 3.20)。さらに,OPは,「忠実な
額の解釈に照らせば,
実質的にも「
(直接的な)
表現」が,認識の制約条件ではなく,認識を前
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
検証可能性」や「正確性」
,
さらには「確実性」
提として適切な測定基礎を決定する際の制約条
と結び付けた測定可能性要件を維持する必然性
件 となるという解釈を示している(McGregor
はない(OP, par. 3.17)
。もっとも,依然として,
2013b, slide 19)。ならば,「忠実な表現」の担
財務情報として「信頼性」に代わる「忠実な表
保を目的とした測定可能性要件は不要というこ
現」という特性を担保すべきことに変わりはな
とになる。測定可能性要件の削除に際し,OPは,
い。したがって,「忠実な表現」を達成する見
測定額の不確実性に関する懸念は,適切な測定
積りが可能となるまで認識を制限する趣旨にお
基礎の選択(第 4 章)および測定プロセスの開
いて,測定可能性要件を維持する余地がある。
この点について,OPは,
「目的適合性」と「忠
4
示(第 5 章)により克服可能であるとしている
(OP, par. 3.21)。
実な表現」の適用プロセスに着目している(OP,
なお,「コストベネフィット(cost benefit)」
par. 3.19)。双方の特性の適用については,次
の制約について,OPは,一般的な制約であり,
に示すとおり,「目的適合性」を優先して考慮
認識要件としてあらためて明示する必要はない
する(IASB 2010a, par. QC18)
。
としている(McGregor 2013b, slide 19)。
─────────────────────────────────
18) IASB の改訂前フレームワークには「検証可能性(verifiability)」は明示されていないが,
「信頼性」は「検証
可能性」を内包すると解される(IASB 2010a, par. BC 3.35)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 77 ─
(赤塚尚之)
Ⅳ 負債の測定(OP 第 4 章「負債はいか
に測定すべきか?」)
4.1 負債の測定をめぐる動向と OP の概要
新たに「履行価値」とよばれる属性を提案して
いる19)。具体的な属性の選択に際しては,
「原
価と価値の選択」のほか,価値測定を選択した
場合における市場または報告主体のいずれを基
礎とすべきかという「(公正)価値と(主体の固
測定問題は,一連の提案の核となり,OPが
有の)価値の選択」20)も問題となる。
構築する負債会計のグランドデザインにかかわ
このような状況のなか,いずれの測定モデル
る論点である。既述のとおり,定義と認識をめ
をいかなる根拠に基づいて選択し,いずれの測
ぐっては,測定において不確実性を反映するこ
定属性をいかなる根拠に基づいて選択すべきか
とを前提として,諸提案がなされたところであ
が,第一義的な検討課題となる。
る。測定をめぐる論点を大別すれば,それは,
さらに,とくに「価値」測定を行う場合,具
①測定モデルの選択,②測定属性の選択,③具
体的な算定について,割引現在価値による推定
体的な算定手法の問題からなる。
計算を想定した 4 つのビルディングブロック
会計モデルの方向性を左右する最も大きな問
(①将来キャッシュ(アウト)フロー,②貨幣の
題は,
測定モデルの選択問題であろう。つまり,
時間的価値,③リスク調整,④不履行リスク)が,
すべての項目に単一の測定属性を適用するモデ
それぞれに適用上の問題を抱えている。具体
ルを採るか,何らかの準拠枠に即して複数の属
的には,①は,将来キャッシュフローの見積基
性の併用を認める混合モデルを採るかという問
礎(最頻値,中央値,期待値等)の選択問題で
題である。なお,この問題は,測定属性の選択
ある(OP, pars. 4.57-4.80)。②は,貨幣の時間
と関連を有する。単一の測定属性を適用するモ
的価値を反映するための適切な利子率の選択問
デルを採る場合,当初測定と事後測定のいずれ
題である(OP, pars. 4.81-4.91)。③は,リスク
においても,
すべての項目に対して
「公正価値」
プレミアムの具体的な反映手法をめぐる問題で
の適用が提案されることが多い。また,混合モ
ある(OP, pars. 4.92-4.102)。④は,不履行リス
デルを採る場合,例えば,金融負債の事後測定
クの反映の是非をめぐる問題である(OP, pars.
において「公正価値」と「償却原価」が併用さ
4.103-4.112)。
れている(IFRS 9, par. 4.2.1)
。
OPは,測定モデルについて,すべての負債
次に,測定属性の選択をめぐって,とくに
項目の当初測定および事後測定において,単一
非金融負債には多様な属性が適用されている。
の測定属性を適用するモデルを理念型として提
FASB 基 準 は, 偶 発 損 失( と そ れ に 呼 応 す る
案する。そして,測定属性については,
「現在
負債項目)について伝統的に「原価累積(cost
の価値」
,なかでも「出口価格」
(公正価値)の
accumulation)
」
(FASB 2000, par. 2)を適用し
適用を提案する21)。そのうえで,OPは,
「コス
つつも,
資産除去債務等の当初測定において
「公
トベネフィット」を準拠枠として,混合モデル
正価値」を適用している。また,IASBは,作
(当初測定においては「出口価格」とその代替値,
業草案「負債」および保険契約草案において,
事後測定においては「出口価格」と「償却原価」
─────────────────────────────────
19) 現行 IAS 第37号については,引当金の測定属性が事実上の「公正価値」に該当しうるか,解釈が分かれるこ
とが指摘されている(OP, par. 4.106)。
20) 具体例として,保険契約を挙げることができる。保険負債について,
「討議資料」の段階において事実上の「公
正価値」とみなしてよい「現在の出口価格(current exit price)」(IASB 2007, par. 104)が提案されたのち,一
転して公開草案において「履行価値」が提案された。
21) つまり,OP は,「価値と価値の選択問題」に焦点を当てているわけである。
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
の併用)を最終的な提案モデルとする。あらか
たは富の評価額をいい,経済的意思決定の基本
じめ強調しておくと,
「コストベネフィット」
的構成要素であることから,情報利用者に有用
を根拠として混合モデルを適用可能とするのが,
な情報をもたらすとされる(OP, par. 4.29)。
OP 提案の特徴である。測定モデルを提示した
「現在の価値」は,市場参加者の観点に基づ
うえで,OPは,上記 4 つのビルディングブロッ
き決定される価格(「入口価格」および「出口
クの取扱いを詳細に検討している22)。なお,
「リ
価格」
)と,報告主体の観点に基づき決定され
スク調整」と「不履行リスク」の取扱いに照ら
る価値(「主体に固有の価値」)に大別される。
して,OPは,IASBが提案する「履行価値」の
OPは,最終的に「出口価格」に優位性を見出
適用に消極的である。
している。
4.2 OP の基本的な考え方
4.2.2 「入口価格」の難点と適用上の制約
4.2.1 「現在の価値」
「 入 口 価 格(entry price)」 と は, 交 換 取
OPは,適切な測定基礎とは,負債にかかる
引 に お け る「 歴 史 的 受 取 対 価(historical
経済的負担を反映し,これまで非認識または未
proceeds)」,つまり,負債を引き受けること
認識となる要因となった不確実性を反映できる
により受け取る対価をいう(IFRS 13, par. 57)。
ものであるとしている(OP, par. 4.26)
。具体的
「入口価格」も,たしかに「現在の価値」に該
には,次の 2 要件を充足するものである(OP,
当する(当初測定においては「出口価格」に等
par. 4.27)
。
しい23))ものの,OPは,以下の諸点に照らし
⒜ 負債の特性を反映すること。
てこれを第一義的に選択すべき属性とはしな
⒝ 負債の特性を反映するインプットの
い。
「 現 在 の 見 積 り(current estimate)
」
であること。
まず,非交換取引においては,そもそも受取
対価は存在しない(OP, par. 1.2)。したがって,
「入口価格」を適用することができる項目は,
ここにいう「負債の特性」とは,将来にお
おのずと限定的となる。
ける資源流出の金額および時期とそれに関す
また,交換取引においても,「入口価格」は,
る不確実性(
「不履行リスク(non-performance
必ずしも負債の特性を適切に反映できるわけで
risk)」を含む)をいう。OPは,測定額が負債
はない。例えば,「サービス型」の製品保証を
の「忠実な表現」となるには,
「負債の特性」
「履行義務」として認識し,「入口価格」に相当
に関するすべてのインプットを反映すること
する独立販売価格を測定額とすると,負債額に
が不可欠であるとしている(OP, par. 4.28)
。そ
収益が混入する(保証を提供するか保証期限の
して,上記要件⒝より,OPは,
「現在の価値
到来まで収益を繰り延べる)こととなる(IFRS
(current value)
」を適切な測定基礎とする(OP,
15, pars. B29, BC371-373)。測定対象を負債の
par. 4.29)。「現在の価値」とは,経済的効用ま
定義を充足する項目に限定するならば,独立
─────────────────────────────────
22) 本稿は,OP の提案および「履行価値」の取扱いに直接関連を有する事項についてのみ言及する。
23) IFRS 第13号は,「出口価格」と取引価格たる「入口価格」は等しくなるが,そうならない可能性がある状況
として次の 4 つを挙げている(IFRS 13, pars. 58 and B 4 )。
⒜ 関連当事者間取引によるもの。
⒝ 強制的な取引か,売り手が取引価格の受入れを強制されること。
⒞ 取引価格が表す会計単位が,公正価値を用いて測定する資産または負債の会計単位と異なること。
⒟ 取引を行う市場が,主要な市場(または最も有利な市場)と異なること。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 77 ─
(赤塚尚之)
販売価格は負債の「忠実な表現」とはならな
い。また,関連当事者間取引やロスリーダーに
ま た,「 主 体 に 固 有 の 価 値(entity-specific
該当する商製品の取引など,必ずしも受取対価
value)」は,報告主体の観点から経済的負担を
と負債の特性が整合的ではない取引も存在する
測定するものであり,次の 4 つのビルディング
(OP, par. 4.33)
。さらに,保険契約においては,
負債の過小計上をめぐって,
「負債十分性テス
ト(liability adequacy test)
」を実施する必要
4
4
4
4
ブロックからなる(OP, par. 4.36)。
⒜ 将来の資源流出の金額および時期に対
4
4
4
4
する報告主体の期待
がある(OP, par. 4.34;IFRS 4 , par. 15;IASB
⒝ 貨幣の時間的価値
2013b, pars. 36 and 39⒜)
。
⒞ 資源流出の予想額と実際発生額が相違
その他,負債の定義との関係において,定義
上の文言が資源流出を前提とするならば,資源
するリスク(リスクプレミアム)
⒟ 不履行リスク
流入を前提とする「入口価格」は整合的ではな
いといわざるをえないであろう。
「出口価格」と「主体に固有の価値」は,す
そこで,OPは,当初測定において,受取対
べてのビルディングブロックを反映することを
価と負債との関係が明確であり,かつ,当該対
条件として,経済的負担の「現在の見積り」と
価が負債の特性を反映していると認められる場
して適合的である(OP, pars. 4.32 and 4.37)。
合にのみ,
「入口価格」を適用可能としている。
OPは,双方の優劣について,客観性に着目
ちなみに,
その場合における「入口価格」は,
「出
している。たしかに,観察可能な市場価格を参
口価格」または「主体に固有の価値」の合理的
照できれば,
「出口価格」のほうが客観的である。
な代替値として用いられる(OP, par. 4.35)
。
また,効率性の反映に着目すると,双方に明確
入口価格に関する以上の取扱いにより,
「現
な相違が生じる。平均的な市場参加者の視点を
在の価値」として適用が想定されるのは,
「出
反映する「出口価格」は,内部資源による決済
口価格」と「主体に固有の価値」である(OP,
に伴う個々の効率性を反映しない。したがって,
par. 4.44)
。
「出口価格」によって負債を測定すれば,効率
性に関する期待が実現する以前の段階において,
4.2.3 「出口価格」の優位性
効率・非効率を意味する損益を認識することは
4
4
4
4
4
「出口価格(exit price)
」は,市場参加者の観
ない(IFRS 13, par. BC81)。それに対し,個々
点から経済的負担を測定するものであり,
「公
の効率性を反映する「主体に固有の価値」は,
value)
」24)と同義である。
「出口
効率性の点において測定額が主体間で相違する。
正価値(fair
価格」は,負債の特性に関連する次の 4 つのビ
そして,期待が実現する以前の段階から損益を
ルディングブロックからなる(OP, par. 4.32)
。
認識し,それを利益計算に反映する。もちろん,
⒜ 将来の資源流出の金額および時期に対
4 4
4
4
4
する市場参加者の期待
このとき認識される損益額は,最終的に確定し
たものではない。
⒝ 貨幣の時間的価値
以上より,OPは,
「出口価格」をより客観
⒞ 資源流出の予想額と実際発生額が相違
的かつ包括的な測定属性として支持する(OP,
4
4
するリスク(市場リスクプレミアム)
par. 4.45)。
⒟ 不履行リスク
─────────────────────────────────
24) 制度上,
「公正価値」とは,
「測定日における市場参加者間の秩序ある取引に際して,資産の売却によって受け
取るか,または負債の移転によって支払うであろう価格」をいう(IFRS 13, par. 9)。
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
4.3 測定モデルの提案
を適用する。
⒝ 「出口価格」
を容易に決定できなければ,
4.3.1 理念型
利用可能なビルディングブロックには
OPは,あらゆる負債項目の当初測定および
現在の市場に基づく見積りを用い,利
事後測定において,
「出口価格」を適用するシ
用不能なものには主体固有の現在の見
ンプルな測定モデル(単一の測定属性を適用す
積りを用いて測定する。
るモデル)を理念型とする。
当初測定に関して,OPは,負債に関する完
⒝について,厳密な「出口価格」ではないに
全,比較可能,さらには目的適合的な情報を提
せよ,測定額にすべてのビルディングブロック
供するには,負債の特性を反映するインプット
を反映することに変わりない。これにより,単
の「現在の見積り」となる共通の測定属性へと
一の測定属性を適用しないことによる「比較可
一本化すべきとしている(OP, par. 4.44)
。上述
能性」の喪失を最小限に抑制することができる
のとおり,OPは,
「現在の価値」のなかでも,
「出
(OP, par. 4.48)。これが,⒝のねらいといって
口価格」を最も適合的な測定属性としている。
よい。また,⒝は,「目的適合性」と「忠実な
また,事後測定に関して,金融負債等の一部
表現」を達成する次善の測定額を追求するプロ
項目を除き25),概して当初測定と事後測定に
セス(OP, par. 3.20)と整合的である。ちなみに,
おいて適用する測定属性は首尾一貫している
⒝に基づき算定された測定額は,「出口価格」
(OP, par. 4.49)
。OPもこれを踏襲し,当初測定
の代替値と解すればよいであろう。
に「出口価格」を用いることとの整合性から,
また,提案モデルの事後測定においては,次
事後測定においても引き続き「出口価格」を適
に示すとおり,「コストベネフィット」に照ら
用すべきとしている(OP, pars. 4.51 and 4.52)
。
して,「償却原価(amortised cost)」26)を「現
在の価値」(本来適用すべき「出口価格」)の
4.3.2 派生型(提案モデル)
OPは,
「出口価格」を原則的に適用すべき測
合理的な代替値として適用することができる
(OP, par. 4.51)。
定属性としたうえで,
「コストベネフィット」
⒜ 「出口価格」を適用する。
に照らして「出口価格」以外の属性を適用す
⒝ 「償却原価」を適用する。ただし,資
る派生的な測定モデル(原価と価値の混合モデ
源流出の時期および金額の変動がない
ル)を最終的な提案モデルとしている。
かあってもほとんどない場合に限る。
提案モデルは,当初測定において,
「出口価
格」の算定にかかる「コストベネフィット」
事後測定においても,
「償却原価」の適用は「コ
に照らして,次に示すモデルを採る(OP, par.
ストベネフィット」を根拠としており,制度上
4.47)
。
の根拠とは異なる27)。また,⒝のただし書き
⒜ 容易に決定可能であれば,
「出口価格」
にあるとおり,「償却原価」の適用は,資源流
─────────────────────────────────
25) その他,FASB の資産除去債務基準は,当初測定において「公正価値」を適用するが,事後測定においては適
用しない(ASC, 410-20-35-5)。
26) 金融商品会計における「償却原価」とは,「金融資産または金融負債の当初測定額から元本返済額を控除し,
当初測定額と満期額との差額を実効利子率法(effective interest method)によって処理した償却累計額を加減し,
さらに減損または回収不能額を控除したもの」をいう(IAS 39, par. 9)。
27) 基準設定上,金融負債に対する「償却原価」の適用は,金融負債(デリバティブを除く)はキャッシュフロー
の変動可能性が僅少であり,報告主体は中途での決済または第三者への移転ではなく,満期まで保有して利息と
元本を定められた方法に従って支払うであろうことを根拠とする(OP, par. 4.50)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
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(赤塚尚之)
出の時期および金額の変動がないか,あっても
い)根拠として,OPは,①報告主体は対象と
ほとんどない項目に限られる(OP, par. 4.51)
。
なる負債を履行する意思を有しており,あえて
つまり,「不履行リスク」または「貨幣の時間
市場参加者の仮定を用いる必要はないこと,②
的価値」に重要な変化が生じた場合,それらの
市場参加者の仮定を用いた見積りは「コストベ
反映を回避することを目的として「償却原価」
ネフィット」に抵触しうること,③履行を予定
を代用することは提案モデルの趣旨に反すると
する負債に「不履行リスク」を勘案する必要が
いうことである(OP, fn. 110)
。
ないこと,④不履行リスクを反映すると直観
に反する結果を生むことの 4 点を指摘している
4.4「履行価値」の取扱い
(OP, par. 4.41)。
「履行価値」は,
「主体に固有の価値」の一
履行を目的として保有する項目の測定におい
種といってよいものの,③および④より「不
て,第三者への移転または相手方との決済を想
履行リスク」を反映しない(IASB 2013b, pars.
定した「出口価格」の適用に対する反対意見は
38 and BCA22⒟)。他方,OPは,「主体に固有
根強い(OP, par. 4.52)
。そこで,OPは,提案
の価値」についても,「不履行リスク」を含む
モデルのバリエーションとして,すべてのビル
すべてのビルディングブロックを反映すること
ディングブロックを反映することを条件として,
を前提としている。「不履行リスク」を反映す
将来の資源流出の時期および金額に変動可能性
る論拠として,OPは,かねてより指摘されて
を有する項目の事後測定に際し,
「出口価格」
いる①資産と負債との対称性および②富の移転
に代えて「主体に固有の価値」の適用を示唆し
のほか,③履行する意図を有していても最終的
ている(OP, par. 4.55)
。
に履行するか不明であること,④現在の財務費
ここで IASBは,作業草案「負債」および
用を忠実に表現すべき点を挙げている28)(OP,
保険契約草案において,
「履行価値(fulfilment
pars. 4.111- 4.112)。いうまでもなく,ビルディ
value)
」とよばれる測定属性の適用を想定し
ングブロックのひとつを反映しない「履行価
ている(IASB 2010b, par. 36B ⒜;IASB 2013b,
値」は,OPにとって致命的な欠陥を有するこ
par. 18⒜)。現状において明確な定義は存在し
ととなる(OP, par. 4.110)。
ないが,OPは,
「履行価値」について,
「負債
また,「主体に固有の価値」の算定における
を履行することを前提として,
(将来キャッシュ
「リスク調整」29)については,報告主体の観点
フローおよびリスク調整について)報告主体の
に即して行うべきはずである(OP, par. 4.93;
観点からの見積りを使用する現在の価値」
(OP,
IASB 2010a, par. B15;IASB 2013b, pars.
fn. 1)と評している。IASBが「履行価値」を提
B76-B77)。しかるに,OPは,最終的な提案モ
案した(いいかえれば「公正価値」を適用しな
デルの当初測定⒝に照らして,「主体に固有の
─────────────────────────────────
28) ①「資産と負債との対称性」とは,ある主体の資産は別の主体の負債であることを前提として,資産側で不履
行リスクを反映した測定を行うこととの整合性に照らして,負債側も不履行リスクを反映すべきとする考え方で
ある。②「富の移転(wealth transfer)」とは,株主が有限責任の下で負債額を行使価格とした(デフォルト)プッ
トオプションを保有する点に着目し,(企業価値を一定として)信用状況の変化に伴う株主・債権者間の相対的
な持分の変動を会計上反映するよう要請する考え方である。④は,債権者側において債務者の信用力の変化を利
子率に反映することとの整合性に照らして,債務者側も信用力の変化を反映すべきとする考え方である。「不履
行リスク」の取扱いの賛否については,Upton(2009)を参照。
29)
リスク調整額について,作業草案は,「測定額と実際のキャッシュフローが相違するリスクから解放されるた
めに,期待現在価値を超えて合理的に支払う額」とし,保険草案は,
「保険契約を履行するにつれて生じるキャッ
シュフローの金額および時期に関する不確実性を負担するために,報告主体が要求する対価」としている(IASB
2010a, par. B15;IASB 2013b, Appendix A)。
─ 77 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
価値」の適用に際しても,ビルディングブロッ
4
4
4
4
4
クには可能な限り市場参加者の観点を盛り込む
念頭に置き,具体的に開示すべき情報および留
意点に言及している。
べきと考えている(OP, par. 4.99)
。それと同時
に,OPは,報告主体の「リスク選好」という,
キャッシュフローの特性とは無縁の要素を反映
5.2 未認識項目に関する開示情報の拡充
することによる「比較可能性」30)の喪失を懸
5.2.1 存在の不確実性
念している
(OP, par. 4.102)
。そこで,
OPは,
「主
「存在の不確実性」を有する項目についての
体に固有の価値」の算定に際したリスク調整に
存在・不存在の判断は紙一重であっても,認
ついても,市場参加者の観点31)を基礎とすべ
識・非認識という判断結果は明確に異なる(OP,
きとした(OP, par. 4.102)
。この点においても,
pars. 5.2 and 5.3)。負債が「存在しない」と判
「履行価値」は,OPの見解に完全には適合しな
いことになる32)。
Ⅴ 開示(OP 第 5 章「負債に関するいか
なる情報を開示すべきか?」)
5.1 OP の概要
断されれば,負債が認識されることはない。こ
れについて,OPは,情報利用者が報告主体の
判断により未認識とされた項目についての情報
開示をのぞむことを前提としている(OP, par.
5.4)。OPは,①主体が置かれた状況および②
認識された場合における財務的な影響を開示す
べきとしている(OP, par. 5.4)。ちなみに,同
OPは,定義の充足以外の認識要件の削除に
様の開示要求は IAS 第 1 号「財務諸表の表示」
際し,測定額の不確実性に対する懸念は適切な
に も 存 在 す る も の の(IAS 1 , pars. 122 and
測定基礎の選択と測定プロセスの開示により克
123)
,OPはそれが有効に機能していないと指
服可能であるとしている(OP, par. 3.21)
。した
摘している(OP, fn. 157)。
がって,OPの一連の提案において,不確実性
また,作業草案「負債」は,
「存在の不確実性」
に関する開示内容の拡充は,
測定モデルと同様,
に関して,⒜置かれた状況,⒝起こりうる財務
重要な検討課題と位置づけられる。
的影響,⒞資源流出の金額または時期の不確実
OPが 言 及 す る 開 示 事 項 は, ① 未 認 識 項 目
性,⒟補填に対する権利を開示するよう提案し
に 関 す る も の(「 存 在 の 不 確 実 性(existence
ており(IASB 2010b, par. 51),OPが必要とし
uncertainty)
」
,
「 条 件 付 債 務(conditional
た開示事項と大差はみられない。なお,「存在
obligations)
」
)
,②認識項目の測定に関す
の不確実性」にかかる開示は,資源流出の「蓋
る も の(
「 見 積 り の 不 確 実 性(estimation
然性が僅かである(remote)
」と判断される場
uncertainty)
」
)
,および③開示免除に関す
合には不要33)とされる(IASB 2010b, par. 51)。
る も の(
「 先 入 観 を 与 え る 情 報(prejudicial
この点について,OPは,報告主体の情報作成
information)
」
)で あ る。 い ず れ に お い て も,
および情報利用者による分析にかかる「コスト
OPは,開示情報の拡充を求める情報利用者を
ベネフィット」の観点から支持しうるとしてい
─────────────────────────────────
30) ここにいう「比較可能性」は,報告主体間および報告主体内の期間比較の双方を指す(OP, par. 102)。
31)
「主体に固有の価値」について,市場参加者の観点からの見積りを行うことについては,固定資産の減損にお
ける「使用価値」の算定において適用されている(IAS 36, par. 56)。ちなみに,IAS 第36号は,「使用価値」に
ついて,ピュアな「主体に固有の」価値ではないと評している(IAS 36, par. BC60)。
32) もっとも,「履行価値」は,「不履行リスク」以外のビルディングブロックをすべて反映する(「リスク調整」
も行う)ことから,次善の測定基礎となりうる(OP, par. 4.113)。
33) FASB 基準は,保証について,保証に基づく履行の可能性が僅かであっても開示を要するとしている(ASC,
460-10-50-4)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
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(赤塚尚之)
る(OP, par. 5.7)
。
る。情報利用者は,「現在の価値」による測定
がいかに有用であったとしても,客観性に対す
5.2.2 条件付債務
る疑念を抱くこととなる(OP, par. 5.11)。そこ
不 確 実 性 を 有 す る 負 債 を,
「条件付債務
で,OPは,①測定に用いられた手法と重要な
(conditional obligation)
」とその履行を待機す
仮定,および②測定額の変動に関する情報の開
る「無条件債務(unconditional obligation)
」に
示が必要であるとしている(OP, par. 5.11)。
分解し,後者に焦点を当てて負債の存在を確定
OPは,金融商品基準(IFRS 第 7 号「金融商品:
したうえで,前者にかかる不確実性を測定に反
開示」
)における開示事項の多くが,そのまま
映するという考え方がある(IASB 2005a, par.
適合的であるとしている(OP, par. 5.10)。その
24)
。
ほかにも,IFRS 第13号における「レベル 3 」
しかし,一部項目にあっては,無条件債務
のインプットに関する開示情報が参考となろう
を 伴 う こ と な く, 条 件 付 債 務 が 単 独 で 存 在
(IFRS 13, par. 93)。なお,OPは,「見積りの
す る。 典 型 的 な 項 目 は,IFRIC 第21号「 賦 課
不確実性」に関して,「感応度(sensitivity)」
金(Levies)
」 に 規 定 さ れ る も の の う ち, 一
に関する情報要求の高まりに言及している
定の収益獲得額等の最低限の閾値(minimum
(OP, par. 5.13)。これについて,IFRS 第13号は,
threshold)に達した場合に認識されるものであ
「レベル 3 」に区分される公正価値測定につい
る(IFRIC 21, pars. 12 and IE 1 Example 4)
。
て,観察不能なインプットの感応度に関する記
当該項目は,特定の閾値に到達しない限り,認
述(narrative)お よ び 定 量 的(quantitative)情
識されることはない。そこで,例えば,ある年
報の開示(定量的情報は金融資産および金融負
度の期中報告において負債を認識せず,通年の
債のみ)を要求している(IFRS13, par. 93(h))。
財務諸表には負債を認識するといった情報提
過重負担の問題をクリアしなければならないが,
供の不連続を引き起こす可能性がある(IAS 34,
ビルディングブロックの感応度に関する定量的
par. 29;IFRIC 21, par. 13)
。
情報をひろく提供すれば,開示情報は飛躍的に
OPは,情報利用者に資するべく,閾値に到
拡充されるはずである。
達する以前の状況において開示すべき情報とし
て,①条件付債務の特性,②閾値に到達する蓋
5.4 開示免除
然性,および③閾値に到達した場合における
稀ではあるが,他の主体との係争における報
賦課金額を挙げている(OP, par. 5.9)
。とくに,
告主体の立場について先入観を与える情報を
報告主体に裁量が残されているとすれば②であ
開示するおそれがある場合,IAS 第37号は,詳
ろうから,②に関する開示情報はより有益とい
細な情報開示を免除する34)(IAS 37, par. 92)。
えるであろう。
これは,開示情報が,相手方との交渉や,裁判
5.3 見積りの不確実性
所の判決その後の損害賠償額の査定の材料とな
りうる点に鑑みて設けられた特例である(OP,
OPの提案は測定額に不確実性を反映するこ
par. 5.15)。
とによって初めて成り立つことから,
「見積り
OPは,開示免除により財務上の利害を有す
の不確実性」に関する適切な開示は不可欠であ
る一部の利害関係者は利するであろうが,それ
─────────────────────────────────
34) ただし,開示しなかった事実とその理由とともに,係争の一般的な性質を開示する(IAS 37, par. 92)。また,
認識要件を充足しているならば,引当金を認識しなければならない。当該規定は,詳細な情報(granular
information)の開示免除規定であることに留意を要する(OP, fn. 162)。
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滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
により不利益を被るおそれがある他の利用者と
完全に排除されなかった。これについて,文言
の衡量に留意して,細心の注意を払い開示免
の厳格化によって推定債務を適切に判定できる
除の検討を行うべきとしている(OP, pars. 5.15-
とすれば,実質的にその余地を排除しうると説
5.16)
。また,OPは,開示免除を適用する報告
明できるのかもしれない。そうであるならば,
主体の動機に対する疑念や,基準設定主体に開
推定債務に関する適切な指針の作成を断念し,
示免除の対象を拡大する圧力がかかる可能性に
資産除去債務の範囲を縮小した FASB 基準に
照らして,総じて情報利用者はより積極的な
ついて,再考の余地が生じることとなる35)。
開示を好むという見解を示している(OP, par.
6.1.2 認識
5.16)
。
OPは,定義の充足以外に一切の制約を設け
Ⅵ 論評
ることなく,負債を網羅的に認識することこそ
が財務報告の目的に適うという考え方に基づい
6.1 OP 提案の特徴と示唆
ている。蓋然性要件の削除提案は,それに基づ
き,不確実性を反映する測定を中心とした一連
6.1.1 定義
の会計プロセスを前提とした提案である。そこ
OPの定義案は,これまでと同様,資産の定
で,蓋然性要件の要否は,会計モデルの方向性
義との対称性を勘案している。これについて,
にかかわる象徴的な問題となるであろう。また,
「経済的資源」たる資産との対比において,負
「クリフエッジ」の問題に関して注目すべきは,
債を「債務」ではなく「経済的負担」とした点
「価値」測定のビルディングブロックのひとつ
が定義案の特徴である。また,定義案は,
「存
である将来キャッシュフローの見積りにおける
在の不確実性」の程度を問わず,それを定義の
最頻値,中央値,期待値の選択問題に対する示
段階から測定問題と明確に位置づけている。つ
唆である。最頻値と中央値は,それ自体,黙示
まり,測定における不確実性の反映を前提とし
的な認識要件となる(例えば,ゼロとなる確率
て負債を定義することにより,定義の充足を判
が50%超であれば,最頻値と中央値はゼロとな
定する段階から一連の会計プロセスに明確な関
る)ことから,
「クリフエッジ」を回避できな
連性をもたせているわけである。さらに,繰延
い(IASB 2011c, pars. 30 and 43)。したがって,
収益および賦課金(一定の閾値に到達しないも
「クリフエッジ」を正当化しない OPは,期待
の)が負債の定義を満たさない項目であること
値の適用を前提としていると解することができ
を明確にしたうえでその会計処理等に言及した
る。
ことも,OPの特徴といってよい。
次に,測定可能性要件の削除について,OP
負債の範囲をめぐる OPの検討について注目
は,「信頼性」から「忠実な表現」への置換え
すべきは,推定債務の判定に関する報告主体の
という財務情報の質的特性の変化が,認識要件
機会主義的行動への対処方針である。機会主義
にもたらす形式的・実質的影響を明らかにして
的行動の抑止を最優先すれば,負債の範囲は法
いる。とくに,
「忠実な表現」を,認識を前提
的強制力を有するものに限定すべきはずである。
としたうえでの適切な測定基礎の選択に際した
しかし,「範囲の縮小による機会主義的行動の
制約条件と位置づけた点が,OPの大きな特徴
排除」と「範囲の縮小による情報の有用性の喪
である。なお,いかなる個別要件も設定しない
失」との衡量の結果,機会主義的行動の余地は
という OPの提案を前提として,稀であったと
─────────────────────────────────
35) OP の提案は,基準レベルにおいて対象項目の範囲を縮小することまでをも制限しないはずである。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 77 ─
(赤塚尚之)
しても測定不能となる状況を想定すれば,財務
また,OPの測定モデルは,ビルディングブ
諸表本体において項目のみを表示する「ゼロ認
ロックを基礎とした「価値」測定を念頭に置い
36)
識」
の適用も考えておくべきように思われる。
ている。「リスク調整」の手法について,リス
ちなみに,OPは,表示問題には言及していない。
クフリー利子率を引き下げることが直観に反す
OPが提示した認識要件は,究極的に簡素化
るというのであれば,キャッシュフローに調整
されている。これにより,OPが提案する会計
することによりそれを回避すればよい。そう
プロセスについて,
定義の充足は認識を包摂し,
すると,計算技法としては,期待現在価値法
また,
測定も認識を包摂することとなる。また,
(キャッシュフローに調整する「第 1 法」
)がよ
個別要件を設定することによる機会主義的行動
り適合的となる(IFRS 13, par. B29)。また,
「主
は排除されよう(OP, par. 3.18)
。
体に固有の価値」の算定においても「不履行リ
スク」を反映するのが,OPの特徴である。こ
6.1.3 測定
れについて,議論が平行線を辿る現状をふまえ,
すでに明らかなように,測定は,負債会計の
誤解をおそれずにいえば,「コストベネフィッ
グランドデザインにかかわる問題と捉えるべき
ト」に着目した議論が可能か,一考の余地もあ
である。OPは,定義,認識,測定の順に検討
るように思われる。いずれにしても,直観に照
を行っているが,むしろ,測定問題から検討を
らして懸念が表明される論点については,建設
始めたほうがよいようにさえ思われる。
的な議論が行われるようとくに留意しなければ
OPは,測定モデルの理念型として,単一の
ならない。
測定属性(「出口価格」
)を用いるモデルを提案
さらに,「価値」測定を行う場合,事後測定
している。かかる事実は,現行のフレームワー
において測定額が変動し,さらには最終的な決
クにおける財務報告の目的および財務情報の質
済において実際発生額との差額が生じうる。そ
的特性から,単一の測定属性を採るモデルと混
れらの額は,利益計算に反映される。しかも,
合モデルのいずれも導出しうることを示唆して
その額が多額にのぼることも予想されることか
いる。
ら,当該差額を純利益計算の区分と包括利益計
混合モデルを採る OPの提案モデルは,
「コ
算の区分のいずれにおいて表示すべきかについ
ストベネフィット」を根拠として,
「出口価格」
ても問題となろう38)。
以外の属性の適用を認める。とくに,事後測
その他,「入口価格」の取扱いからも明らか
定における「償却原価」の適用について,
「コ
なように,OPは,収益認識のモデルに対して
ストベネフィット」を根拠とするのが,OPの
懐疑的であることが窺える。また,測定に限っ
顕著な特徴である37)。金融負債を前提として,
た議論ではないが,資産の会計モデルとの対称
混合モデルという測定モデルの外観と選択可能
性も勘案する必要がある。これについて,OP
な測定属性は同じであっても,OPと現行基準
は今後の課題としている(OP, par. 6.2)。
ではその根拠が大きく異なる。とはいえ,OP
が提案する混合モデルも,現行のフレームワー
6.1.4 開示
クから導出されうるモデルの一類型なのであ
負債の開示をめぐる OPの議論および見解は,
る。
開示情報のさらなる拡充を提案している。ただ
─────────────────────────────────
36) 詳細については,佐藤(2014)を参照。
37)「コストベネフィット」に焦点を当てて混合モデルの適用可能性を分析したものとしては,川村(2014)を参照。
38) 例えば,現行基準において,金融負債の公正価値の変動のうち,不履行リスクに起因するものについては,そ
の他の包括利益に表示する(IFRS 9, par. 5.7.7⒜)。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
し,そもそも OPが前提とする開示情報の拡充
ない「出口価格」の適用,④提案モデルの事後
を求める情報利用者像は,必ずしも検証をつう
測定⒝における「償却原価」の適用,および⑤
じて合意が形成されたものではないように思わ
「存在の不確実性」に関する開示の省略に関す
れる。
る根拠として用いられている。もっとも,OP
「見積りの不確実性」に関して,算定基礎等
は,その「コスト」と「ベネフィット」の具体
の開示にとどまらず,感応度に関する情報の拡
的な把握の手法についてまで言及していない。
充は,情報利用者に資する可能性があることか
「コスト」については,情報の種類に応じて相
ら,検討に値する。ただし,制度との対比にお
違することが指摘されるところである(IASB
いて,感応度分析の開示の導入に際しては,非
2010a, par. QC 3 )。また,「ベネフィット」の
金融負債項目における開示の加重負担が問題と
定量化が非常に悩ましい問題となろうことは,
なろう。
想像に難くないはずである。
また,開示免除について,OPは,利害関係
また,
「比較可能性」は,①(OPは支持しな
者全般の利害に照らして慎重に検討すべきとし
いが)負債の範囲の縮小,②提案モデルの当初
ている。もっとも,開示免除の決定が衡量の問
測定⒝の肯定,および③「主体に固有の価値」
題であるとして,財務上の利害を有する利害関
の算定における市場参加者の観点に基づくリ
係者を「主要な利用者グループ」と想定し,彼
スク調整において根拠として用いられている。
らに利することを優先するならば,
(状況に応
もっとも,そもそも,
「比較可能性」は,IASB
じて)開示免除は積極的に肯定せざるをえない
の現行フレームワークにおいて,補強的な特性
はずである。
とされる。つまり,
「目的適合性」と「忠実な
なお,必ずしも開示免除に直接関連を有する
表現」を満たす財務情報は,究極的には「比
わけではないが,訴訟負債は一般的な基準よっ
較可能性」がなくとも有用でありうる(IASB
て対処することが難しい固有の特性を有してい
2010a, par. BC3.10)。そこで,「比較可能性」
る。ならば,基準レベルにおいて訴訟に関する
を主要な論拠とすることの是非を問わねばなら
個別指針等を別途作成することも,ひとつの方
ないであろう。また,そもそも,
「比較可能性」
策となるであろう。
がただちに財務情報の有用性に資することにつ
いて,合意が得られているわけでもない39)。
6.1.5 論 拠としての「コストベネフィット」
と「比較可能性」
さらに,すでに明らかなように,
「コストベ
ネフィット」と「比較可能性」は,文脈に応
以上の論評のほか,様々な局面において論拠
じて多義的に用いられる点にも留意を要する。
として用いられる「コストベネフィット」およ
OPにおいて,
「コストベネフィット」は情報作
び「比較可能性」について,次の点を指摘する
成者および(または)情報利用者の観点から用
ことができる。
いられ,
「比較可能性」は主体間比較および(ま
まず,
「コストベネフィット」は,OPにおい
たは)期間比較の観点から用いられる。
て論拠を形成する鍵となる概念であり,しかも
その用途は多岐にわたる。
「コストベネフィッ
6.2 2013 年「討議資料」との異同
ト」は,①定義の充足(訴訟負債の認識遅延)
,
IASBは,2013年に討議資料「財務報告の概
②(黙示的ではあるが)認識の制約条件,③提
念フレームワークの見直し」(DP)を公表して
案モデルの当初測定⒝における「ピュア」では
いる。DPも,OPと同様,IASBの現行フレー
─────────────────────────────────
39) これについては,大日方(2002)を参照。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 88 ─
(赤塚尚之)
ムワークにおける財務報告の目的と財務情報の
の相違は,負債の存在についての判定に相違を
質的特性に即して(DP, par. 1.34)
,負債の会計
生む。訴訟負債を例に挙げると,OPにおいては,
モデルを提案している。そうであるにもかかわ
主体が法に違反した段階で(概念上)負債が存
らず,双方の提案は,とくに測定に関して大き
在すると判定される(OP, par. 2.96)。それに対
く相違する。以下,OPと DPの異同を概観する
し,DPにおいては,いかなる時点において「現
(なお,あわせて表 2 を参照)
。
在の債務」が存在するか,
(概念上)定かでは
定義について,DPも,負債を直接定義する
ない(McGregor 2013b, slide 10)。さらに,OP
ことと,資産の定義と対称性を有するよう定義
と DPは,主体の将来行動に左右される条件付
することを前提としている。そして,
「過去の
債務の取扱いが異なる。DPの見解 2(「現在の
事象により報告主体に生じる現在の債務であ
債務は過去の事象により生じ,実質的に無条件
り,経済的資源40)の移転を伴うもの」とする
のもの(practically unconditional)でなければ
定義案を提示している(DP, par. 2.11)
。当該定
ならない」)と OPでは41),①「賦課金」(市場
義案は,①「現在の債務」であること(経済的
占有率に基づくもの以外)
,②「変動リース料
便益の流出に直接焦点を当てないこと)
,
②「存
(variable lease payments)」,③「条件付対価
在の不確実性」を問わないこと,③範囲に関し
(contingent consideration)」 に つ い て, 債 務
て概念の明確化を条件として推定債務を含める
の存在の判定結果に相違が生じる(McGregor
こと(表 1 参照)が大きな特徴である(DP, pars.
2013b, slides 11-17;DP, pars. 3.77-3.83)。
2.10⒜(ⅱ)
(ⅳ), 2.35, and 3.62)
。したがって,
認識について,DPは,OPと同様,原則とし
OPと DPの定義案は,
「存在の不確実性」の取
てすべての負債を認識すべきとしている(DP,
扱いと負債の範囲の 2 点において共通する。た
par. 4.5)。 こ れ に よ り,DPも,( 概 念 レ ベ ル
だし,具体的な範囲が一致するとは限らない
の)蓋然性要件の削除を提案している(DP, par.
(McGregor 2013b, slide 7)
。
4.8)。また,測定可能性要件について,
「信頼性」
他方,双方の定義案は,①「過去の事象(past
から「忠実な表現」への置換えに伴い,信頼性
events)
」への言及と,②負債を「債務」
(DP)
に基づく測定可能性要件が不要となることにつ
とするか「経済的負担」
(OP)とするかという
いても,双方の見解は共通している(DP, par.
2 点において相違する。①について,DPは,
4.16)
。もっとも,DPは,①「目的適合性とコ
債務を課す原因となった過去の取引その他の事
ストベネフィット」および②「忠実な表現」に
象を会計処理の対象とすることを強調すべく,
基づく制約を課している42)。具体的には,①
「過去の事象」という文言を織り込んでいる
により,認識しても「目的適合性」が認められ
(DP, par. 2.16⒞)
。②の相違は,
「過去の事象
ないか,情報作成コストを正当化するに十分な
により報告主体が支配する現在の経済的資源」
「目的適合性」が認められなければ,当該項目
(DP, par. 2.11)という資産の定義案と対称的と
を認識しない(DP, par. 4.25⒜)。また,②によ
いえる文言(とくに「経済的資源」という文言)
り,必要なすべての記述および説明を開示して
が複数存在することを示唆している。また,②
も債務とその変動(結果として生じる収益と費
─────────────────────────────────
40)「経済的資源(economic resource)」とは,「経済的便益を創出する能力を有する権利その他の価値の源泉」を
いう(DP, par. 2.11)。
41) DP は,見解 2 のほか,見解 1 「現在の債務は過去の事象により生じたものでなければならず,厳密に無条件
のもの(strictly unconditional)」,見解 3 「現在の債務は過去の事象により生じたものでなければならないが,
将来の行動を条件としてもよい」を挙げている。なお,見解 1 は棄却された(DP, par. 3.96)。
42) なお,補強的特性に関する明示的な制約を課す必要はない(DP, par. 4.23)。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
用)を忠実に表現できる測定額が存在しなけれ
6.112)。もっとも,DPは,報告主体の観点から
ば,当該項目を認識しない(DP, pars. 4.19 and
見積りを行う場合における「不履行リスク」の
4.25⒝)
。
取扱いを明確にしてはいない(DP, par. 6.130)。
測定について,DPは,単一の測定属性を適
開示(DPは表示も含む)について,DPは包括
用するモデルを採らない(OP, pars. 6.35⒝)
。
的な検討を行い43),有用な情報の区分ごとに
その論拠として,DPは,①すべての(資産およ
開示すべき事項に言及している。OPが言及し
び)負債を原価ベースによって測定することは
た一部の開示項目(とくに未認識項目の情報お
目的適合的とはいえない,②一部の(資産およ
よび認識項目の測定手法・仮定・判断に関する
び)負債について,現在の市場価格に関する情
情報)について,DPも同様の情報を開示すべき
報は目的適合性とはいえない,③観察不能な現
としている(DP, Table 7.1)。
在の市場価格の見積りが主観的となり,
「コス
OPと DPの提案を比較すると,IASBの現行
トベネフィット」に抵触しうるためとしている
フレームワークから異なる会計モデルが導出さ
(DP, par. 6.13)
。
れうることが浮き彫りとなる。これについては,
混合モデルの適用に際し,DPは,当初測定
必要に応じて多様な会計モデルを設計すること
および事後測定における測定額の目的適合性を,
ができるとして,肯定的に解することができる。
将来キャッシュフローへの寄与と,財政状態計
しかし,それと同時に,概念フレームワークを
算書・純損益およびその他の包括利益計算書に
もってしても会計モデルを一様に決定できない
おける影響に照らして決定すべきとしたうえで,
として,否定的に解することもできるであろう。
負債については個々の決済または履行の方法に
即して測定属性を決定すべきとしている(DP,
6.3 ASAF における議論
pars. 6.35⒞⒟(ⅱ), and 6.97)
。したがって,
「出
最 後 に,ASAF(2013年12月 開 催 )に お け
口価格」の統一適用を理念型とし,
「コストベ
る議論(ASAF 参加者の意見)を概観しよう。
ネフィット」に照らして混合モデルを適用可能
ASAFにおいては,OPと DPとの対比により,
な提案モデルとする OPとは,見解が大きく相
定義と認識の問題に焦点が当てられた(IASB,
違する。
2013f, par. 9)。とくに,定義について重点的に
な お,DPは,
「 理 解 可 能 性 」 に 照 ら し て,
議論されたことが窺える。
適用する測定属性を必要最小限にすべきとし
定義をめぐっては,負債の範囲について,費
ている(DP, pars. 6.23 and 6.35⒠)
。そのうえ
用認識の側面から縮小に賛成する意見が示され
で,DPは,①「原価ベースの測定(cost-based
た。つまり,法的強制力の有無に照らして真に
measurements)
,②「公正価値を含む現在の
債務とはいえない項目を認識することに伴う費
市場価格(current market prices including fair
用額の増大を根拠として,負債の範囲を縮小す
value)
」
,③「他のキャッシュフローベースの
べしとする見解である(IASB, 2013f, par. 10)
測定(other cash-flow-based measurements)
」
また,定義案における「経済的負担」
(OP)と「債
という 3 つの測定区分を挙げている(DP, par.
務」(DP)という文言の相違について,「経済
6.37)
。また,DPは,③の適用に際して考慮す
的負担」としたほうが資産の定義との対称性が
べき要因として,OPと同様のビルディングブ
より確保されるとの意見が示された。それとと
ロックを挙げ,市場参加者と報告主体の観点の
もに,「経済的負担」とした場合には,「現在の
いずれによる見積りも想定している(DP, par.
債務」の識別プロセスが複雑になる(
「経済的
─────────────────────────────────
43) OP も,開示に関する包括的な検討の必要性を指摘している(OP, fn. 156)。
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 88 ─
(赤塚尚之)
負担」の識別と,
「債務を負う」ことについて
の識別の 2 段階)という懸念も示された(IASB,
2013f, par. 10)
。その他,
「コストベネフィット」
に照らした訴訟負債の認識遅延(違反が発覚する
まで認識しない)と,主体の将来行動に左右され
る条件付債務についても議論されている44)。
認識については,
「コストベネフィット」要
件の取扱いが検討されている。そして,基準レ
ベルにおいて「コストベネフィット」による制
約を課す可能性があるならば,概念レベルにお
いて明示的に要件を設けておくことにより,首
尾一貫した基準設定が可能となるという意見が
示された(IASB, 2013f, par. 10)
。
なお,時間的な制約もあろうが,測定問題に
言及された形跡がない。あわせて,賛否が分か
れるであろう蓋然性要件および不履行リスクの
取扱いについても言及された形跡もない。ちな
みに,企業会計基準委員会は,蓋然性要件の削
除に反対し,測定について概ね DPの見解を支
持する意見案を用意していた(企業会計基準委
員会 2013, pp. 9-10)
。
─────────────────────────────────
44) これらについては,本稿において言及した内容以上の議論は行われていないと判断できるため,詳細は割愛す
る(注11および6.2を参照)。
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
【表1】推定債務にかかる文言修正
IAS 第37号
作業草案・OP の解釈
DP
推 定 債 務 と は, 次 に 示 す 主 体
の行動により生じた債務をいう
(IAS37, par. 10)。
主体は,次の状況に限り,推定
債務を有する可能性がある(IASB
2010a, par. 12)。
推定債務の定義を補足すべく,
次の 3 点を強調する追加指針の提
供が考えられる(DP, par. 3.50)。
⒜ 確立された過去の慣習,公表
された方針,または十分に明
確な最新の声明により,主体
が他の主体に対し,「ある責任
(certain responsibilities)」 を
負担するであろうことを示唆
しており,
⒜ 確立された過去の慣習,公表
された方針,または十分に明
確な最新の声明により,主体
が他の主体に対し,「特定の責
任(specific responsibilities)」
を負担するであろうことを示
唆し,
⇒ 「ある責任」から「特定の責任」
へと文言を変更することによ
り,債務の性質に明確に焦点
を当てる(OP, par. 2.26)。
⒜ 他の者に対する義務または責
任を有していること。
主体が自身の最善の利益また
は株主の最善の利益のために
行動することを経済的に強制
されるだけでは不十分である。
⒝ 「履行により便益を享受するか
または不履行により害を被る
主体」に対し,当該責任を受
け入れることが示唆されてお
り,
⇒ 責任を負う主体の特性を明確
にすることにより,経済的な
負担が存在しなければならな
いことを明確にする(OP, par.
2.26)。
⒝ 当該他の者は,主体が義務ま
たは責任を履行することによ
り便益を享受するか,履行し
ないことにより害を被る者で
あること。
⒞ その結果,他の主体に対して,
責任の履行に対する「合理的
に依拠できる(reasonably rely
on it)」という妥当な期待を抱
かせるに至ったこと。
⇒ 責任の履行について,「合理的
に 依 拠 で き る 」 こ と に よ り,
初めて責任が存在することを
明確にする(OP, par. 2.26)。
⒞ 過去の行動により,当該他の
者が,主体が義務または責任
を履行すると合理的に依拠で
きること。
⒝ その結果,他の主体に対して,
これらの責任を履行するであ
ろうという妥当な期待を抱か
せるに至ったこと。
(出所 IAS 第37号,OP,IASB(2010a)をもとに筆者作成。)
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 88 ─
(赤塚尚之)
【表2】OP と DP の比較(定義・認識・測定)
論点
定義
認識
OP
DP
比較(主な異同)
報告主体が債務を負う現在
の経済的負担。
過去の事象により報告主
体に生じる現在の債務であ
り,経済的資源の移転を伴
うもの。
・ともに「存在の不確実性」
の程度を問わない。
・ともに推定債務を含む。
・OP は「過去の事象」に言及
しないのに対し,DP は言及
する。
・OP は負債を「経済的負担」
とするのに対し,DP は「債
務」とする。
定義を充足すること。
定義を充足すること。
ただし,
⒜ 測定額に「目的適合性」
が認められること。
⒝ コストを正当化するに
十 分 な「 目 的 適 合 性 」
が認められること。
⒞ 「 忠実な表現」が担保さ
れること。
・ともに蓋然性要件を削除す
る。
・ともに「信頼性」に基づく
測定可能性要件を削除する。
・OP は定義の充足のみを明示
的要件とするのに対し,DP
は「目的適合性」,「コスト
ベネフィット」,「忠実な表
現」に関する制約を課す。
(理念型)
当初測定および事後測定に
おいて,「出口価格」を一律に
適用する。
測定
(提案モデル)
1 ) 当初測定
⒜ 容易に決定可能であれば,
「出口価格」を適用する。
⒝ 「 出口価格」を容易に決
定できなければ,利用可
能なビルディングブロッ
クには現在の市場に基づ
く見積りを,利用不能な
ものには主体固有の現在
の見積りを用いる。
2 ) 事後測定
⒜ 「出口価格」を適用する。
⒝ 資源流出の時期および金
額の変動がないか,あっ
てもほとんどない場合,
「償却原価」を適用する。
当初測定および事後測定
において,個々の負債の決
済または履行の方法に即し
て,測定属性を決定する(混
合モデル)。
考えられる測定基礎:
⒜ 原価ベースの測定
⒝ 公正価値を含む現在の
市場価格
⒞ 他のキャッシュフロー
ベースの測定
・OP の理念型は,単一の測定
属性を適用するモデルであ
る。
・OP の 提 案 モ デ ル と DP は,
ともに混合モデルである。
・ 混 合 モ デ ル の 根 拠 と し て,
OP が「 コ ス ト ベ ネ フ ィ ッ
ト」を挙げるのに対し,DP
は「キャッシュフローへの
寄与」を挙げる。
・報告主体の観点からの見積
りにおける「不履行リスク」
について,OP は反映すべき
ことを明確にしているのに
対し,DP は明確にしていな
い。
(出所 OP,DP,McGregor(2013b)をもとに筆者作成。)
─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
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文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
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─ 88 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
Annotated Bibliography of AASB Occasional Paper No. 1
“Liabilities─The Neglected Element:
A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of
Liabilities”
(written by Warren J McGregor)
Naoyuki Akatsuka
The aim of this paper is to introduce the proposals of AASB Occasional Paper No. 1 in the
Japanese language. This Occasional Paper focuses on the accounting for liabilities(definition,
recognition, measurement, and disclosure issues)neglected until recently. As far as I know,
there are no materials in Japan that focus on the Occasional Paper itself except ASBJ(2013)
prepared for the ASAF meeting held on December 2013.
Occasional Paper No. 1 leads the proposals of accounting for liabilities from IASB’
s
conceptual framework, especially“the objective of general purpose financial reporting”
and“the qualitative characteristics of useful financial information”. The main proposals of
Occasional Paper No. 1 are:
(a)Definition: Liabilities should be defined“broadly”.
A liability of an entity is a present economic burden for which the entity is obligated.
(b)Recognition: There should be no need for“separate recognition criteria”.
A entity shall recognize a liability if the item meets the definition of a liability.
(c)Measurement: Measuring all liabilities using“exit price”
(namely“fair value”) is
desirable(applying the measurement model using single measurement attributes).
However, this proposal does not prevent the measurement model from applying a
mixed measurement model on“cost-benefit”grounds.
At initial measurement, Occasional Paper No. 1 proposes the following measurement
model:
(ⅰ)use exit price if it is readily determinable; or
(ⅱ)if exit price is not readily determinable, measure the liability at its current value
using current market-based estimates where they are available, and“current
entity-specific estimates”otherwise.
At subsequent measurement, Occasional Paper proposes following measurement
model.
(ⅰ)use exit price; or
(ⅱ)use“amortised cost”if there is little or no variability in the timing or amount
of future resource flows.
(d)Disclosure: Users of financial information will need more information about liabilities
文献解題 Warren J McGregor: Liabilities―The Neglected Element: A Conceptual Analysis of the Financial Reporting of Liabilities(AASB Occasional Paper No.1)
─ 88 ─
(赤塚尚之)
(whether they are recognised or not)than at present.
Measurement issue is key of the proposals of the Occasional Paper because they
significantly affect the definition, recognition, and disclosure of liabilities. The main
implications from the proposals of measurement are:
(a)It is possible to derive a measurement model using single measurement attributes
from the existing conceptual framework.
(b)A mixed measurement model can be justified on cost-benefit grounds. There should
be no need to consider how to settle or fulfil the particular liability when the entity
chooses the appropriate measurement attribute.
In addition, it is remarkable that the proposals of accounting for liabilities(especially the
measurement model)in the Discussion Paper“A Review of the Conceptual Framework
for Financial Reporting”issued by the IASB are quite different from those of the
Occasional Paper, though both rely on the same existing conceptual framework.
I hope more attention should be paid to the issues of accounting for liabilities in Japan in
the same manner as the issues of the amortisation of the goodwill or the necessity of profit
or loss concept.
Keywords : constrictive obligation, economic burden, relevance, faithful representation, exit
price, cost benefit, non-performance risk, and sensitivity analysis.
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
<研究動向>
〈歴史材〉を活かす
─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─
阿 部 安 成
今 井 綾 乃
なかで,目録をつくり,書庫環境を少しでも改
1
善し,マイクロフィルム撮影やデジタル撮影を
おこない,史料の画像をウェブ上で公開し,共
(阿部)
同研究を組織し,調査やワークショップを実施
わたしたちは,歴史像を描くとともに,その
し,それらを可能とするために必要な資金を学
ために必要な,過去から現在へ,さらには未来
内外で獲得すべくいくつもの研究助成を申請し
へと伝えられる記録そのものをめぐる知を蓄え,
てきた。
それを鍛えてゆきたいと身構えている。わたし
2015年の現在,わたしが勤務する滋賀大学に
たちは調査と研究のフィールドを,おおよそ20
は「国立公文書館等」の施設もなければ,「大
世紀前半に機能した高等教育機関の官立高等商
学アーカイブズ」もない。ただ,国立大学法
業学校(以下,高商,と略記)としている。そ
人の経済学部としては稀有な経済学部附属史
れらのほとんどが現在,国立大学法人の経済学
料館(以下,史料館,と略記)をもち,それが
系学部に転換している。ここ10年くらいのあい
「Archival Museum」 を 名 乗 っ て い る 1 )。 ま
だにあらためて,これらの学部が保有する高商
た,同学部には滋賀大学経済経営研究所(The
史料が整理され,公開され,活用されるように
Institute for Economic and Business Research
なってきた。また2000年来のこのかんは,
「大
Shiga University。以下,研究所,と略記)が
学アーカイブズ」が熱心に議論されたときでも
あり,さきの史料館とは異なる系統や分野の所
あった。もしかするとその熱気は,なにかしら
蔵史料を公開している 2 )。一方で,大学の法
の鬱陶しさを避けようとする勢いだったのかも
人文書については,さきの 2 つの機関にかかわ
しれない。
る教員などが,担当理事によって「有識者」と
この10年あまりはまた,わたしにとっては勤
して召集され,その選別をおこなう場に出席し
務先での,歴史資料(史料)をその保存と公開
ている。
と活用にむけて整備する期間でもあった。大学
現在は 2 学部で構成されている滋賀大学は,
が保有する公文書(法人文書)をめぐってしば
最小規模の国立大学法人で,曖昧な表現ではあ
しば指摘される国立大学の法人化や関連法(た
るが,それなりに,大学が保有する文書,記録,
とえばいわゆる公文書管理法など)の施行など
図書などを管理して,可能なかぎりそれらを公
とはべつに,わたしが担った職務にかかわって
開している。
目にし手にふれた図書や文書をまず整えてゆく
滋賀大学経済学部は,その母体を,1923年に
─────────────────────────────────
1 ) 同史料館についてはひとまず,原田敏丸「史料館事業の回顧」『研究紀要』滋賀大学経済学部附属史料館,第
29号,1996年 3 月,同「史料館回想」同前,第46号,2013年 3 月,を参照。
2 ) 同研究所についてはひとまず,阿部安成ほか「彦根高等商業学校収集資料のポリティクス」
『彦根論叢』第
344・345号,2003年11月,阿部「彦根高等商業学校収集資料の可能性について」
『NEWS LETTER』近現代東
北アジア地域史研究会,第15号,2003年12月,を参照。
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
第 1 回入学生をむかえた彦根高等商業学校(以
アーカイブズ」
』
(世界思想社)と菅真城『大学
下,彦根高商,と略記)としている。同年に校
アーカイブズの世界』
(大阪大学出版会)との
内に設けられた調査課(一時期は研究部)が,
二著の刊行によって,あらためてアーキビスト
現在の研究所と史料館の原初である。研究所で
にとって歴史学の履修が必要であることが明瞭
は,彦根高商調査課が収集したその同時代の文
となった」と書いた(
「二〇一三年回顧/動向
献や,彦根高商による作成物,刊行物が管理さ
収穫/日本史近代以後」『週刊読書人』第3020
れている。史料館では,いったん廃棄されたは
号,2013年12月)。短文ながらそこでは 2 点の
ずでありながら倉庫に放置されていたり,おそ
指摘をした。この 2 著をとおして考えることは,
らく滋賀大学経済学部の文書などと分けるため
1 つには「大学アーカイブズ」ではなくあくま
に別置保管されたりしていた彦根高商の作成物
で「大学が保有する文書など」であること,も
と刊行物が保管されている。
う 1 つには歴史学を知らない「アーキビスト」
前者では,管理する「彦根高等商業学校刊行
はつかえないということ,だった。いま書き直
物」のほぼすべてをデジタル撮影し,その電子
せるのであれば,アーキヴィストとしての素養
画像を研究所ホームページの「デジタルアーカ
に必要な学は歴史学でなくてもよく,文学でも
イブ」で公開している。2014年度にはこの「デ
社会学でも文化人類学でも文化研究でもよいと
ジタルアーカイブ」などの史料を利用して執筆
いうことで,重要な点は〈歴史の感性〉が不可
された修士論文が,滋賀大学大学院経済学研究
欠ということである。
科に提出され,提出者に修士号の学位が授与さ
前掲 2 著の情報をつけくわえよう。平井の
れた 3 )。同研究科で初めてとなる彦根高商研
著 書 は2013年 2 月20日 発 行, 総 ペ ー ジ 数 viii
究の成果である。
+457+10,縦書き,本体7600円,菅の著書は
その前年2013年には,
「大学アーカイブズ」
2013年 8 月31日発行,総ページ数は vi +296,
についての 2 冊の著作が刊行され,さきの修士
横書き,本体4200円(以下,前者を『Ar 管理』,
論文でもそれらが参照されていた。
「大学アー
後者を『Ar 世界』と略記)
。両著をならべると
カイブズ」についての単著はまだ少ない。両著
菅の本が見劣りするほどに平井の著作は厚い。
を得た,また,滋賀大学大学院で彦根高商を対
だが『Ar 管理』はそのうち162ページ分,総ペー
象とした研究成果が 1 つまとまったいま,大学
ジ数のじつに 1 / 3 ほどが「カタログ 小樽商科
が保有する歴史資料をめぐる論点を提示するこ
大学公文書(抄)
(ホームページの検索結果から
とが,本稿の目的である。
コピー)」にあてられている。この部分は本に
不可欠な情報だったのか。これがなければもっ
2
と薄く軽く安い本になったはずだ。両著ともお
およそ既発表稿をあつめた構成となっていて,
(阿部)
『Ar 管 理 』 は2004年 ~ 2011年,『Ar 世 界 』 は
2013年に「大学アーカイブズ」にかかわる 2
2005年~ 2013年に発表された稿を収載してい
冊の著作が刊行されたとき,それをとりあげる
る。どちらも書評に恵まれた本で,それぞれに
にあたってわたしは,
「大学が保有する文書な
ついてすでに数編の稿が発表されている。
どについての,平井孝典『公文書管理と情報
本稿の構成を示そう。まず,彦根高商史研究
アクセス─国立大学法人小樽商科大学の「緑丘
で修士号を取得した今井が,
『Ar 世界』をとり
─────────────────────────────────
3 ) 今井綾乃「彦根高等商業学校生の修学と進路の動向」2014年度滋賀大学大学院経済学研究科博士前期課程提出
修士論文。
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃)
─ 99 ─
あげる。
今井執筆分は,
おおよその書評にならっ
を中心に集めていた大学アーカイブズは,「自
たスタイルをとっている。つぎに,阿部が『Ar
己点検・評価」に対応できなかったと考察する。
管理』
を批評する。同書には著者による
「小括」
そのため,大学アーカイブズには,法人文書と
がこまめにつけられていて,そこを読めば同書
ともに「教育研究」の関係資料を収集する役割
の内容がわかる構成をとっている。全体にくり
も必要であると主張する。さらに,
「アカウン
かえしの記述が多い。ここでは,必要に応じて
タビリティ」と「アイデンティティ」を軸とす
同書各章を参照するにとどめ,
「序章」
と
「結章」
る大学アーカイブズを展望している。
から同書の説くところを批評する 4 )。最後に,
第 2 章では,大学アーカイブズの社会的使命
阿部が両著の書評もふまえて論点を提示する。
について論じられている。まず著者は,
「大学
史活動」と「大学アーカイブズ」の活動とが全
3
く同一なものではないことを指摘する。この指
摘を行った上で,大学アーカイブズには,「機
(今井)
関アーカイブズ」を基軸に「収集アーカイブズ」
(1)
『Ar 世界』は,著者が大学アーカイブ
の機能ももつ「トータルアーカイブズ」が必要
ズに関して著してきた論考をまとめたものであ
であることを主張する。そして,資料の保管や
る。大学アーカイブズをめぐる著者の問題関心
収集に留まらず,資料を公開し,アカウンタビ
は 3 つである。 1 つは大学アーカイブズとは何
リティを果たすことが大学アーカイブズの社会
か, 1 つはなぜ必要か, 1 つはどのようにすれ
的使命であると指摘する。
ば設立できるか,といった点である。なかでも
第 3 章では,広島大学文書館の設立までのあ
本書は,著者の実務経験を踏まえ,大学アーカ
ゆみを報告している。文書館の設立には, 2 つ
イブズはどのようにすれば設立,運営できるか
の前史的事業と 2 つの社会的背景が存在した。
といった提言に紙幅が割かれている。
広島大学五十年史編纂事業と森戸辰男関係文書
本書は 3 部で構成されている。第Ⅰ部では,
整理事業,情報公開法の施行と国立大学法人化
大学アーカイブズの理念と使命を提示してい
である。前史的事業は設立への直接的な基盤で
る。続く第Ⅱ部では,各大学アーカイブズの設
あり,社会的背景は設立への後押しになったと
立経緯をたどりながら,公文書管理法や各大学
考察している。なお,著者は広島大学文書館の
のアーカイブズ規則を分析している。また,今
設立理由に「説明責任」と「個性化」が記され
後,設立される大学アーカイブズのための提言
ていることを指摘している。そして,説明責任
を記している。そして第Ⅲ部では,アーカイブ
と個性化が,今,大学アーカイブズを必要とす
ズの活用例と大学アーカイブズの必要性を論じ
る理由であると捉えている。
ている。以下,各章についてみていきたい。
第 4 章では,大阪大学アーカイブの前身組織
第 1 章では,大学アーカイブズの理念や役割
である大阪大学文書館設置準備室まで遡り,文
が示されている。1990年代,大学アーカイブズ
書館設置までの経緯と文書館の運営について報
は大学の「自己点検・評価」のために必要とさ
告している。ゼロからの設立であった大阪大学
れた。しかし,著者は「自己点検・評価」の対
アーカイブの実務経験があるからこそ,著者は
象が「教育研究」であったことから,法人文書
大学アーカイブズの設立に理念が不可欠である
─────────────────────────────────
4 ) 両著への詳細な評言については阿部の別稿を参照(「ズヴイカーアの使徒たち─『大学アーカイブズの世界』
を読もう」滋賀大学経済学部 Working Paper Series No.236,2015年 8 月,「ズヴイカーアの番人たち─『公文書
管理と情報アクセス─国立大学法人小樽商科大学の「緑丘アーカイブズ」』を読もう」同前 No.238,2015年 9 月)。
別稿と本稿とで重複するところがある。
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
ことを強調する。
中心」であるからこそ,大学自身で整備される
第 5 章では,まず国立大学アーカイブズの歴
べきであると主張する。
史をまとめている。その中で, 3 つの特徴的な
第 8 章では,公文書管理法が国立大学法人と
事柄があったことを指摘している。 1 つ目は大
そのアーカイブズに与える影響について考察し
学史編纂事業である。ほとんどの国立大学アー
ている。その結果,保存期間満了文書が一斉に
カイブズの設立の契機となったと記している。
大量廃棄される危機にあること,また,恣意的
2 つ目は情報公開法である。国立大学アーカイ
評価選別の可能性の高い原局職員が評価選別を
ブズは「機関アーカイブズ」としての機能をも
行う状態にあることを指摘している。そのため,
つようになったことを指摘している。そして 3
大学独自のアーカイブズを設置すること,また,
つ目は,公文書管理法である。国立大学にアー
文書の最終的な評価選別は原局職員の助言を受
カイブズを設置することが困難になったと主張
けながら,アーキビストが関わることを提言し
する。次に,大阪大学アーカイブの設置までの
ている。
経緯を記している。叙述の中心は,文書館設立
第 9 章では,公文書管理法公布後の大阪大学
後の動きである。最後に,今後大学アーカイブ
の対応と国立大学法人全体の課題について述べ
ズを設置するには,教育研究資料や学内刊行物
ている。公文書管理法の公布後,大阪大学は法
を収集すること,大学史編纂資料を再整理する
人文書管理規程の制定と法人文書ファイル管理
こと,法人文書の保存期間を延長することを提
簿の修正を行ったが,「国立公文書館等」の指
唱している。
定申請は行わなかった。そのため,法人文書の
第 6 章では,2008年時点の各国立大学アーカ
保存期間を延長させるといった対応をとったこ
イブズの設置根拠を示すとともに,目的・業務
とを報告している。著者は,この対応がほとん
規程について考察している。設置根拠をめぐっ
どの国立大学法人で共通すると推察している。
ては,大阪大学文書館が大学の組織規定に明示
そして,その背景には,「国立公文書館等」の
されなかったことで,大学の組織図上に表れな
指定条件が高いこと,また,ガイドラインの提
かったという問題点を指摘している。
そのため,
示から法施行までの時間が短かったこと等を挙
大学アーカイブズの設置根拠は大学の組織規定
げている。さらに教職員の文書管理改善に対す
に位置づけるよう提言している。また,目的・
る意識改革の欠如を強調し,前章に続き,再度,
業務規程をめぐっては,用語を細かく検討して
文書作成者が専門的技術的助言を受けながら,
いる。その結果,目的・業務規程は各大学アー
評価選別を行う必要性を記している。
カイブズや各文書館の成り立ち,現状が反映さ
第10章では,広島県立文書館所蔵の公文書を
れ,それぞれに特徴があることを示している。
利用し,広島東洋カープと広島大学・広島高等
第 7 章では,2006年時点の各国立大学アーカ
師範学校との関係性を示している。したがって,
イブズにおける法規上の問題点を論じている。
本章はアーカイブズの利用例であるといえる。
とりわけ,大学アーカイブズが資料を「活用」
この利用例を踏まえ,著者は,アーカイブズ利
するところなのか,
「公開」するところなのか
用者の観点からアーカイブズのあり方を展開し
について議論を展開している。
著者は,
大学アー
ている。それは,アーカイブズはアーカイブズ
カイブズは資料を
「公開」
する場所とし,
「活用」
組織の構成員とともに一般市民のために開かれ
に潜む大学アーカイブズ独自の危険性を指摘し
る施設であるということである。
ている。他方,「公開」をめぐっては,個人情
第11章では,広島大学・大阪大学の建学の精
報保護法との整合性の問題を指摘している。そ
神・理念について考察することで,国立大学の
して,これらの法規的問題は,大学が「学術の
建学の精神と大学アーカイブズとの関係につい
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃)
─ 99 ─
て論じている。著者は,
広島大学と大阪大学が,
アーカイブズの多様性を検討するべきではない
歴史的経緯の中で,建学の精神を「発見」
,
「再
か,という点である。この点を指摘するにあたっ
評価」したことを明らかにしている。また,両
て,評者は滋賀大学経済経営研究所(以下,研
者の大学史編纂活動が,建学の精神の「発見」
究所,と略記)の「デジタルアーカイブ」を活
だけでなく,大学のアイデンティティの形成に
用し,著者が第11章で広島大学・大阪大学につ
影響を与えていることを指摘している。このこ
いて著したように,滋賀大学経済学部の創立の
とから,大学アーカイブズが大学のアイデン
精神や理念における歴史的経緯を検討する。文
ティティ形成の場であると主張している。
書館を持たない滋賀大学経済学部を取り挙げる
( 2 ) 以上,本書は今後の大学アーカイブズ
ことで,地方国立大学のアーカイブズのあり方
設置のための指針書ともいえるが,さらに検討
を提示したい。
すべき点について,幾つか指摘しておきたい。
初めに,現在の滋賀大学経済学部の理念を確
1 点目は,大学アーカイブズが説明責任を果
認しておこう。滋賀大学経済学部は2000年に学
たす場となることは,大学アーカイブズにとっ
部理念を決定した。その理念は「『士魂商才』
て理想なのだろうか,という点である。著者
の精神を受け継ぎ,広い教養と国際的視野を持
は,第 1 章・第 2 章で大学アーカイブズが「教
つ経済人に」である。「士魂商才」をめぐっては,
育研究」に対するアカウンタビリティを果たす
理念の解説に,滋賀大学経済学部の前身である
ことは必要不可欠であると主張する。しかし,
彦根高商の建学の精神であったこと,また,彦
この主張は大学アーカイブズと大学の広報組織
根高商は「士魂商才」に独自の意味を与えてい
との境界を不透明にさせる。大学アーカイブズ
たこと等が述べられている 5 )。
これらの出所は,
は,大学がアカウンタビリティを果たすための
彦根高商に在籍した教官が記した紀要や論稿,
ひとつの要素と位置づけるべきではないだろう
ならびに学部史等であることが記されている 6 )。
か。また,大学においてアカウンタビリティと
このことから,滋賀大学経済学部の創立の精神
はなにか,アカウンタビリティの役割をもつ大
や理念を辿る場合,前身である彦根高商に遡る
学アーカイブズのあり方について検討する必要
必要があることがわかる。
がある。
それでは,彦根高商の建学の精神についてみ
2 点目は,第10章に示されたアーカイブズの
ていこう。彦根高商について知るには,これま
利用例が大学アーカイブズにどのように活かさ
でに刊行された自校史と滋賀大学経済学部内に
れるのか,という点である。著者は,アーカイ
残された彦根高商資料がある。
ブズがその組織の構成員と一般市民のための施
自校史には, 2 冊の大学史と 2 冊の学部史が
設であることを強調するために,広島県立文書
ある。大学史は,『滋賀大学史』(滋賀大学史編
館所蔵の公文書を利用している。しかし,一般
纂委員会編,滋賀大学創立40周年記念事業実行
市民がどのような契機で公文書館に行くのか,
委員会,1989年)と,その追録となる『滋賀大
どのような場面でアーカイブズを利用するのか
学史:50周年を迎えて』
(滋賀大学史編纂委員
を検討していない。さらに,利用例が大学アー
会編,滋賀大学創立50周年記念事業実行委員会,
カイブズにどのように活かせられるのかを明示
1999年)である。記述の中心は滋賀大学創立後
していない。
本書刊行後の課題となる点である。
の出来事であり,彦根高商に関する記述は前史
3 点目は,各国立大学の環境に応じて,大学
に留まる。学部史は,
『陵水三十五年』
(陵水
─────────────────────────────────
5 ) 経済学部理念ワーキング・グループ「経済学部の理念とその解説」『彦根論叢』第326号,2000年 8 月,96─97頁。
6 ) 同上。
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
三十五年編纂会編,陵水三十五年編纂会,1958
重視していたことを読み取ることができる。例
年)と『陵水六十年史』
(小倉栄一郎編,陵水
えば,初代校長は「本校の教養の趣旨は初めよ
会,1984年)である。後者は,前述した学部理
り確立して居る単簡に云えば専ら人物養成と云
念の出所となった学部史である。どちらも,そ
うことに重きを置きて〔中略──引用者によ
の多くを彦根高商に在籍した教員や生徒の回想
る。以下同〕人格至上主義とも云はんか理智に
にあてている。これらの学部史には,
「士魂商
もさとく豊富なる感情を涵え又意思の力を鍛錬
才」をめぐる記述が掲載されている。例えば,
して充分の人格を養成したい」
と語っている 9 )。
ある教官は「校長の訓育方針は一言に尽くせば
さらに,デジタルアーカイブが整備されて以降,
士魂商才で近江商人の質実剛健,刻苦勉励など
新たに滋賀大学経済学部のキャンパス内で見つ
の例話も屢々講堂訓話の対象となった。然し商
かった彦根高商資料や卒業生の寄贈資料は,現
才と言うよりも寧ろ士魂に重きを置き,之を以
在,滋賀大学経済学部附属史料館でその目録を
て人間性の完成を期せられた」
と綴っている 7 )。
確認することができる。そして,その目録から
この記述は,学部史を編纂する際,彦根高商が
も建学の精神を示すような資料はない。
振り返られたことによって,校長の訓育方針と
このように,自校史や一次資料を通じて,彦
「士魂商才」という言葉が結びつけられたこと
根高商の建学の精神が明確ではなかったことが
を示しているのであって,建学の精神について
わかる。そして,学部史の編纂や学部理念の制
示しているわけではない。さらに,自校史には
定によって,彦根高商が振り返られたことで,
「建学の精神は士魂商才である」といった建学
「士魂商才」は彦根高商の建学の精神として強
の精神をめぐる直接的な記述や「士魂商才」に
調されてきたといえる。したがって,滋賀大学
独自の意味を加えたといった具体的な記述は見
経済学部の学部理念に明示されている建学の精
当たらない。
神は,滋賀大学経済学部が彦根高商から続く歴
彦根高商資料には,
『学校一覧』や卒業アル
史に自身の独自性を求めた結果,彦根高商を過
バム,校内誌等がある 8 )。また,学部理念の
去とする人々の記憶と今日まで残された資料の
出所となった紀要や論稿もある。これらの資料
中から創出された産物であると考えられる10)。
群は,現在,研究所が整理,保管している。そ
以上のように,文書館を持たない滋賀大学経
して,資料群を「デジタルアーカイブ」で公開
済学部においても,創立の精神や理念をめぐる
している。そこで,
「デジタルアーカイブ」を
歴史的経緯を知ることができる。それは,研究
利用し,
彦根高商の建学の精神を確かめてみる。
所が,彦根高商時の調査課から組織名称を変え
その結果,自校史と同様に,建学の精神への直
ながらも,一貫して資料の収集,整理を担って
接的な文言は見つからない。つまり,彦根高商
きたことに尽きる11)。まさに,研究所は著者
の建学の精神は曖昧であったと考えられる。そ
が提示する「収集アーカイブズ」の機能をもつ
の一方,資料からは,当時の校長が人格養成を
組織であるといえるだろう。しかし,研究所は
─────────────────────────────────
7 ) 陵水三十五年編纂会編『陵水三十五年』陵水三十五年編纂会,1958年,141頁。
8 ) 資料の詳細については,阿部安成「<資料紹介>滋賀大学経済経営研究所調査室報①~⑫」
『彦根論叢』第337
号~第363号,2002年 8 月~ 2006年11月,を参照されたい。
9 ) 中村健一郎「発刊の辞」『学友会誌』第 1 号,彦根高等商業学校学友会,1924年 3 月, 2 頁,滋賀大学経済経
営研究所所蔵。
10) 阿部安成「母の痕跡─歴史のなかの滋賀大学経済学部と彦根高等商業学校」滋賀大学経済学部 Working
Paper Series No.196,2013年 7 月,を参照。同稿では,建学の精神が創造されたことを指摘している。
11) 阿部安成「<資料紹介>滋賀大学経済経営研究所調査資料室報①」
『彦根論叢』第337号,2002年 8 月,149─155
頁。さらに,滋賀大学経済経営研究所ホームページ→研究所紹介(2015年 8 月30日閲覧)にも紹介されている。
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃)
─ 99 ─
自身を大学アーカイブズとは謳ってはいない。
に取り組み,さらに学内関係者で資料整理につ
著者はすべての大学にアーカイブズが必要だと
いて議論」し,「教職員と繰り返し意見交換」
訴え,
そのアーカイブズは
「機関アーカイブズ」
をおこない,「アーカイブズ実務」にかかわる
を基軸とし,「収集アーカイブズ」の機能も備
「法的制度的な課題も克服すること」「アーカイ
えた「トータルアーカイブズ」であるよう提言
ブズに対する勉強」に努め,あわせて,海外も
する。しかし,本書で提示されている総合大学
ふくめた「他大学や自治体アーカイブズ」を調
と滋賀大学経済学部のような地方大学では予算
査し,そうした成果を関係学会で報告し,学会
や人員等,そもそもの環境が異なる。研究所の
誌に寄稿してきた,という(「結章」265─266頁)。
ように,大学アーカイブズはアーカイブズ機能
ここにいう「勉強」とは,「一般的に実務担当
を兼ね備えた組織で代替できないのだろうか。
者は国立公文書館あるいは国文学研究資料館な
各国立大学の環境に応じた大学アーカイブズを
どの研修を受講したり英独仏語の実務報告書を
めぐっては,さらなる検討が必要である。
どん欲に読むことになる」と示されている。日々
ともあれ,本書は著者の実務経験をもとに著
の作業や協議に励み,いくつもの調査を重ね,
された点にその特徴がある。そして,大学アー
すさまじいほどの勉強をやり遂げたことによる
カイブズ設立を考えるための提言書となりえる
強烈な自負が,その成果を「単なる実務報告」
1 冊であるだろう。
にとどめず,「理論的研究」なのだと唱えさせ
たのである。
4
著者がみせる観点の 1 つの特徴は,アーカイ
ヴズと人びとの「記憶」とを結んでいるところ
(阿部)
にある─「アーカイブズとは,その社会(の
(1)
『Ar 管理』の著者は,小樽商科大学で
人々)にとって,もしくはその設置団体(の構
11年あまりにわたって「大学アーカイブズ」の
成員)にとって大切な資料を未来に残していく
業務を担った。その業務やそれを「振り返」る
組織である。人々の「記憶」を後世に伝える役
ことを「主たる素材としつつアーカイブズにつ
割を担う」(i 頁)というわけだ。ただここで述
いて比較考察することを目的」に本書を執筆し
べておくと,本書はその用語や術語の意味がよ
たという(
「まえがき」ii 頁)
。著者は本書が「単
くわからず,記述の展開も曖昧だったり不明
なる実務報告ではな」いと,くりかえし記して
だったりするところが多い。文章自体が粗雑だ
いる(「序章」17頁,
「結章」266頁)
。それは自
とわたしは感じている。既発表稿を一書にまと
分の成果を読み誤らせないように強く,文字を
めるにさいしての整理も拙い。そこで,本書の
紙面に刻みつけたかのようにみえる。では,本
内容をつかむばあい,それは読者が強引に括る
書はなにか。それは,
国立大学法人の
「大学アー
こととなる。
カイブズ」での「実務経験」に拠ったアーカイ
なぜアーカイヴズと人びとの「記憶」とがつ
ヴズの「理論的研究」だとみせているのである。
ながるのか。それは,本書著者が,
「
(公)文書
なぜ「単なる実務報告」と扱われたり読まれた
を管理する権利が一体誰にあるのかと言えば,
りすることを拒み,事例紹介ではなく,ただの
市民にあるということになる」( 5 頁)と考え,
研究でもなく「理論的研究」だと謳うのか。
おそらく「公的な機関や学校などの保有する情
著者は,小樽商科大学で常設ではない「期間
報へアクセスする権利」
( 3 頁)もその「管理
限定」の「代替アーカイブズ」の実務を担い,
する権利」にふくまれ,そして「アーカイブズ
業務遂行にあたっては,同大学の「学長や幹部
は,社会のコンセンサスや組織の戦略に沿って,
らとのやりとりで示唆され考えさせられた課題
その社会や組織の重要な資料を収集していく組
─ 99 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
織である」(189頁)とみるからなのだ。著者は
書管理の実際とその思想的背景」
,第 6 章「ス
アーカイヴズをいわば公共財とみているとおも
ウェーデンにおけるアーカイブズの現況と情報
われる。だから「大学アーカイブズ」であって
アクセス権の成立およびカタログについて」
,
も,それは大学構成員にとどまらず,国立大学
第 7 章「小樽商科大学におけるアーカイブズ運
法人のそれであればなおいっそう,
「市民」に
営の条件」,というぐあいだ。
開かれている必要があるということとなる。こ
ここで小樽商科大学の「大学アーカイブズ」
れが本書の根幹にあるアーカイヴズ観である。
をめぐる歴史をみておこう。同大学では教員に
本書は,著者のこうした観点から,
「国立大
よる小樽高商史研究会があり,その活動成果と
学法人小樽商科大学を主たる素材としつつ,主
して『小樽高商の人々』(小樽高商史研究会編,
には小規模な大学アーカイブズの業務と運営に
小樽商科大学,2002年)が刊行されている12)。
ついて,実務経験およびその考察を踏まえ,明
その前年2001年に同大学は,市立小樽文学館を
らかにする」( 7 頁)との意気込みでまとめら
会場として「小樽高商小樽商大90周年展」を
れた著作となった。著者はべつに,
「本書は,
開催した。それは,同大学の母体となった小樽
小規模な国立大学法人における記録管理および
高等商業学校に初めて生徒が入学した1911年か
アーカイブズの実務を主に整理した研究である。
ら数えて90年めに,
「本学の創立90周年記念事
国立大学においてアーカイブズや年史編纂室を
業の一環として」の行事だととらえられてい
運営するための今日の論点が取り上げられてい
る13)。同大学では「二〇〇一年の九〇周年展
く」
( 6 頁)とも記している。本書には著者自
示から古い法人文書を本格的に活用し始めた。
身が記す「本書は」
「本書では」の語に始まる
二〇〇二年四月から百年史編纂室を名乗り,後
文がいくつもあり,読むほうからするとその数
には看板も設置した」(80頁)という。2011年
だけ「本書」があるとみえてしまう。それはと
に創立百周年をむかえる同大学では,2006年に
もかく,いくつもあるこうした記述をふまえ,
創立百周年記念事業委員会規程が制定され,百
また本書を通読したところからすると,本書は
年史編纂室では,『小樽商科大学百年史』の刊
「大学アーカイブズの業務と運営」を明示して,
行にむけて,アーカイヴがないために「法人文
「国立大学法人における記録管理およびアーカ
書の収集整理という業務」を,あわせて「史料
イブズの実務」を整理して紹介し,各大学での
展示室に関すること」などをも担うこととなる
「大学アーカイブズ」の設置を願う,
いわば「大
(81頁)。
学アーカイブズ」ノスヽメと読むべき本なのだ
百年史編纂室では,『小樽商科大学百年史』
とおもう。
編纂にさいして,冊子体資料集の刊行予定を変
( 2 ) 本書はじつに細かく,小規模国立大学
更し,「動的な「資料集」」を同室ホームページ
法人における「大学アーカイブズ」を説明して
で公開することとし,その「作成にもっとも労
ゆく。章立てをあげるだけでも,その中身が推
力を注」いだという(81─82頁)。その「動的な「資
しはかれる──第 1 章「小樽商科大学の文書管
料集」」が書名副題にいう「緑丘アーカイブズ」
理」
,
第 2 章「著作物でもある法人文書の公開」
,
となる。百年史編纂室は,「動的な「資料集」」
第 3 章「電子目録の作成とその利用」
,第 4 章
の制作をおもな業務としつつ,常設アーカイヴ
「法人文書の収集と評価選別理論」
,第 5 章「文
のない小樽商科大学にあって,おそらくは法人
─────────────────────────────────
12) 同書について書評を執筆した(阿部安成「書評 小樽高商史研究会編『小樽高商の人々』
」『彦根論叢』第350号,
2004年 9 月)。
13) 小樽商科大学長山田家正「小樽商科大学創立90周年展の開催にあたって」小樽商科大学・市立小樽文学館編『小
樽高商小樽商大90周年展』2001年。
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃)
─ 99 ─
文書全般にわたる目配りを日々の仕事に織り込
学アーカイブズも,人々の記憶を残していくこ
みながらその運営を果たしていったのだろう。
とを目的に設立される」(264頁12行め),「組織
その11年にわたる軌跡の一端が本書に記録され,
ごとにアーカイブズが設けられれば,各組織特
読むものに同室の厖大な実務の内容を詳細に,
有の記憶の保存にもそれぞれ十分な配慮がなさ
そしていくらかの著者の心情とを伝えている。
れることになる」(264頁12行め~ 13行め)と,
小樽商科大学百年史編纂室の編となる『小樽
著者が構想するアーカイヴズでは,「記憶の保
商科大学百年史』は,
「通史編」と「学科史・
存」がその目的となっているというのである。
資料編」の 2 部構成をとった大著となって,
著者は「カナダのナチ戦犯容疑者資料廃棄事
2011年 7 月(奥付)に小樽商科大学出版会から
件」についての先行研究を参照し,そこに示さ
刊行された。同編纂室が発行する逐次刊行物に
れた術語を援用して「社会の「集合的な記憶
同書の書評が掲載されたためなのか14),
『Ar 管
(collective memories)」として記録を残してい
理』には,
「動的な「資料集」
」については多く
く」
(137頁)ことをめぐる議論を組んでいるよ
のページがあてられて話が展開していながらも,
うにみえる。だが本書を読んでも,著者が担っ
その活用成果となったはずの『小樽商科大学百
た小樽商科大学百年史編纂室の実務や,そこで
年史』
への言及はごくわずかにとどまっている。
つくりあげた「動的な「資料集」
」である「緑
成果の自己点検や検証はまったくない。
丘アーカイブズ」をとおした,記録を記憶とし
同大学の「百周年記念事業委員会」と「百年
て未来へ残すためにアーカイヴズがとりくむ
史編纂委員会」では2006年の時点では,百年史
「記憶の保存」についての論を読みとることは
編纂室の「継承組織の設置を表明してい」たの
できなかった。
だが
(145頁)
,
2010年の
「
「百年史編纂小委員会」
こうした議論の欠落は,本書の核心になると
で強い反対があり,結局,二〇一二年三月の編
おもわれる著者のアーカイヴズ観でもみられ
纂業務終了後の設置は見送られた」と後注(156
る。著者の主張を簡潔にいえば,公共財として
頁)にひっそりと記されている。小樽商科大学
のアーカイヴズをとおして発現する「公文書管
での「大学アーカイブズ」の設置期間は,百年
理と情報アクセス」の権利は「市民」にある,アー
史編纂室が名乗りをあげた2002年 4 月から数え
カイヴズは,
「市民」の「コンセンサス」によっ
てちょうど10年となった。
て成りたつ,となる。ではそれが本書で,どの
( 3 ) 本書の特徴であるアーカイヴズと「記
ように説かれてきたか──「小樽商科大学では,
憶」をめぐる議論を検討しよう。本書「結章」
百年史編纂の機会に,学生や教職員,卒業生,
には,「大学アーカイブズとは何か。一言で言
あるいは市民により,深浅はあるにせよ,アー
えば,社会にとって重要な記録,もしくは,そ
カイブズについての一定のコンセンサスの形成
の組織・大学にとって重要な記録を,市民や学
がなされてきたことと思われる」(
「結章」264
生,構成員の記憶として未来に残していく組織
頁)と,曖昧な記述ながらもまとめられはした
である」(264頁 1 行め~ 2 行め)と記されてい
が,その経緯や過程は本書に記されていない。
る。さきにみた「まえがき」の「人々の「記憶」
ただ,第 7 章には,
「百年史編纂室は,後から
を後世に伝える役割を担う」との記述が,ずれ
百年史編纂小委員会が設置されるなど,業務の
始めている。
「
「記憶」を後世に伝える」と「記
合意プロセスは,複雑に変遷している。その業
憶として未来に残していく」とではあまり違わ
務は,全てその時々の話し合いの結果行われて
ないとみえるかもしれないが,
「結章」では,
「大
いるが,背景の説明を加えると煩雑になる。本
─────────────────────────────────
14)『小樽商科大学史紀要』第 5 号,2011年。
─ 111 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
章では,合意の到達内容や,その結果の業務の
うことである」
(268頁)──この一文を著者は
成果のみに触れて考察が進められる」との記載
本書に 2 度も記している(第 3 章122頁)。胸奥
があった。だがこれは,
「本章では」ではなく
からの著者の叫びにも聞こえよう。手続きが「未
本書全体にもおよぶ記述の限定である。
「結果」
成熟」であるから,その過程はともかくも,な
をもってその経過を理解せよ,
できあがった
「緑
んとかできあがった形を鑑賞しよう,
「未成熟」
丘アーカイブズ」や『小樽商科大学百年史』が
なわたしたちには「例えば,欧州のアーカイブ
このアーカイヴをめぐる合意形成の証しである,
ズ先進国からいかに学ぶかが課題である」とい
というわけだ。
しかし,
合意とは,
その形成の
「プ
うわけだ(「序章」第 3 節「大学アーカイブズ
ロセス」こそが重要なのではないか,そこを検
の先行研究と本書の位置」13頁)。
証できなければ,ひろく「市民」にとって意義
「スウェーデン語圏」など「欧州」の「先進」
のある,有効な合意とはいえないと,わたしは
事例を参照し学習して,機関や施設としての
考える。
アーカイヴズの技術を移入することは,もしか
また,本書にいう「市民」とはだれなのだろ
するとできるのかもしれない。アーカイヴズの
う。権利者(管理権者)であるという「市民」
仕組み,制度の導入を果たしたあかつきには,
の権利の行使はどうだったのだろうか。第 2 章
わたしたちはその「文化」をも手に入れられる
で「現用文書」の一例としてとりあげられた「卒
のだろうか。「インターネットの普及などアー
業論文」について,
小樽商科大学ではそれを「現
カイブズを取り巻く状況の変化を敏感に感取し
用の法人文書として図書館が保存管理をし,研
つつ,新しいテクノロジーを道具として最大限
究者や学生,市民に利用・閲覧されている」と
に活用して大学アーカイブズの実務を組みたて
紹介され(65頁)
,
第 3 章で「動的な「資料集」
」
直すこと」が著者の実務の課題であり本書の論
である「緑丘アーカイブズ」の「検索展開画面」
点だったいう(「結章」263頁)
。新規技術は先
について,
それが「グーグルとも連動し〔中略〕
進「文化」の取得にも役立つだろうか。
特に市民による検索,資料の利用が増加してい
( 4 ) 最新のテクノロジーを道具として駆使
る」と記してあった(87頁)
。だがどちらもそ
し,発達した制度によって構築され,先進文化
の具体相が読者にはわからない。
「市民」であ
の結晶としてかたちづくられたアーカイヴズに,
れ「学生」であれ,そうした権利者たちが,
「緑
わたしたちは,わたしたちの「記憶」をどのよ
丘アーカイブズ」や『小樽商科大学百年史』に
うに提供し,それをどう利用するのだろうか。
なにを望み(望まなかったか)
,それをどう利
本書には,「各組織特有の記憶の保存には,例
用し(利用しなかったか)
,それがあり,使え
えば,研究資料の収集や組織関係者の私文書等
ることが「市民」であることや「学生」である
の受領を積極的に行う必要がある」との一文が
ことにどう効 いたのか(効かなかったか)
,そ
みえる(「結章」264頁)
。「各組織特有の記憶に
れは本書を読んでもまったくわからなかった。
関わる私文書等も,公文書管理法では,
「特定
議論がないために,不可視の「市民」
,つか
歴史公文書等」の対象である(第 2 条第 7 項第
みどころのない「学生」が享受するという「公
4 項)」と,「私文書等」の管理もまた法によっ
文書管理と情報アクセス」の権利が,本書のな
て定められているという(同前)。
かでとても空虚にみえてしまう。ただ,もしか
おおまかにいえば,わたしたちは公なるもの
するとわたしが感じたこの虚についての説明が
を統治者の手に委ねることに慣れてきた歴史を
本書にはあったかもしれない。
「結章」にみえ
もつ。ただ近世や中世にさかのぼってみても,
る「わたしたちの社会,少なくとも大学社会で
そうしたなかで,村で,村の文書を,村が管掌
は,アーカイブズの制度や文化が未成熟だとい
していた例があった。その村の文書をいまも地
き
うろ
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃) ─ 111 ─
域で保存し,それを読み議論をしているところ
65号,2013年。
がある。おそらくそこには,アーカイヴズなど
R ② H 坂口貴弘『京都大学大学文書館研究紀
といった言葉を使わずともいっこうに差支えが
要』第12号,2014年。
ない地域の営みがあるのだろう。
R ③ H 清水善仁『記録と史料』第24号,2014年。
もとより公共機関であれば関連する法の範囲
R ④ H 渡邊健『GCAS Rrport』第 3 巻,2014年。
で業務をおこなわなくてはならず,また世知辛
『Ar 世界』について──
い世のなかで身過ぎ世過ぎをするには,コスト
R ⑤ K 兎内勇津流『日本図書館情報学会誌』
パフォーマンスをつねに気にする差配がもとめ
第60巻第 3 号,2014年。
られ,そのために便利な道具を駆使する能力も
R ⑥ K 清水善仁『アーカイブズ学研究』第20
欠かせず,説明責任を果たすためには理屈を蓄
号,2014年。
えなくてはならない。
R ⑦ K 椿田卓士『記録と史料』第24号,2014年。
ただわたしは,アーカイヴズの語をもって考
R ⑧ K 西山伸『京都大学大学文書館研究紀
える仕事は,手にした 1 枚の文書, 1 点の簿冊
要』第12号,2014年。
から始まるようにおもう。法と理論から始める
R ⑨ K 平井孝典『レコード・マネジメント』
アーカイヴズの議論は,どうにも倒立している
第68号,2015年。
ように感じる。
どれもおおむね,好意ある優しい書評と紹介と
わたしの記憶は,わたしのこころのうちに
なっている。
あってほしいし,それがかなわないときは,だ
『Ar 管理』は,
「本書の特徴は,小樽商科大
れかに,どこかにそれを預けてよいかもしれな
学におけるアーカイブズ活動の実践報告である
い。それでも,なにかしらよくわからないとこ
と同時に,北欧諸国を中心とした諸外国の研究
ろもある,わたしたちの記憶というものの管理
動向や実態の分析に基づき,「情報アクセス」
のために,
わたしの記憶が侵食されるとしたら,
という視点からアーカイブズの制度的・社会的
わたしはそれを拒むこととする。記憶の保管庫
なありようにまで幅広く考察を進めている点に
が剛構造だと,ちょっと嫌な気がする。銀行の
ある」
(R ② H)と評され,また,同書での権利
ATMのようにかなり出し入れ自由な仕組みは
をめぐる議論は,「アーカイブズや記録情報管
便利だが,その構造をわたしはまったく理解し
理に対する社会的,組織的なコンセンサス形成
てはいない。最新,
先進のシステムであっても,
の程度,換言すれば,利用者の情報アクセスに
それがわたしの理解をこえているとすると,そ
ついての権利意識を高めることを重視し,アー
うした保管庫にわたしの記憶を収納したくはな
カイブズの目的や業務の成立理由といった「そ
い。
もそも論」に立ち返ることを喚起する内容と
なっている」「平井氏の問題提起は,アーカイ
5
ブズの成熟度は国民,市民,組織内関係者の権
利意識の程度に規定されるというものであり,
(阿部)
本質的で的を射た指摘である。アーカイブズ関
(1)
『Ar 管理』と『Ar 世界』の書評と紹介
係者が広く社会に対して,或いは組織内の利害
をあげよう(CiNiiで2015年 8 月31日に検索。な
関係者に対して,情報アクセス権まで遡及した
お稿名は省略する。ここでは著者名のまえに
働きかけをしていかなければならない所以であ
ふった記号で稿を示す)
。
る」とうけとめられ,同書の構成も「冒頭のロ
『Ar 管理』について──
マンチックなエピソードとは対照的に,本論は
R ① H 菅真城『レコード・マネジメント』第
極めて論理的に構築されている」
「アーカイブ
─ 111 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
ズに関する権利意識の問題を一貫して主たる論
商科大学における文書・アーカイブズ管理にお
点に据えた展開は解りやすく,それが深い実務
いて著者の言う「(社会)契約」あるいは「社
経験に裏打ちされたものであるからこそ,より
会のコンセンサス」
(157頁)をどう反映させて
説得力を持って迫ってくる」と不備も欠点も指
いくか,その展望が述べられるべきではなかっ
摘しない読み方も示された
(せいぜい,
スウェー
たか」との指摘がある(R ③ H)。
デンなどの事例紹介に対して,
「社会的なコン
小樽商科大学百年史編纂室がない現在はなお
センサス,コンテクストが異なるが故に,同じ
のこと,「小樽商科大学の公文書管理権はわれ
土俵で論じにくい面もある」と少しの疑義が示
われ市民にあるのであり,公文書へのアクセス
されたていど。R ④ H)
。
権を有しているのである。よって,そのアクセ
ただ,
「緑丘アーカイブズ」
についての指摘で,
ス権を行使して,小樽商科大学のアーカイブズ
「本書評執筆時点(2013年12月)の「緑丘アーカ
政策について検証することが,われわれアーカ
イブズ」
は,
キーワード検索は可能だが,
特に
「所
イブズ学や記録管理学に関わる者の責務であろ
蔵資料」というカテゴリに収められた 4 万件を
う」
(R ① H)と,同書に「記述がないことを,
超えるデータの概観をつかむのは極めて難しい
当事者の一人である著者に求めるのは酷であろ
システムとなっている」
(R ② H)との点は重要
うと」その議論の減免を認め課題を継ごうとみ
で,
『Ar 管理』は「緑丘アーカイブズ」につい
せるこの姿勢は,素直に敬意を表すべきと感じ
て,その仕組みを説いてはいたが,その使い方
入った。
や使い勝手については言葉少なだったため,こ
『Ar 管理』に対しては,
「
「小規模な大学アー
の評言は有益な情報となる。
カイブズの組織と運営」についての重要な問題
『Ar 管理』でもっとも重要な議論とおもわれ
提起も少なくなかった。今後は,こうした小規
る,
「公文書管理と情報アクセス」権について
模大学のアーカイブズの事例を通して述べられ
はどうか。R ② Hは,
「とりわけ興味深く読ん
た意義や課題を,どう大学アーカイブズ全体に
だ」と指摘する 2 点の 1 つにこの「公文書管理
普遍化させるかが重要な研究テーマとなろう」
権」をあげ,
「斬新な視点」
「本書において鍵と
とも,また著者の記述をうけて,「あわせて,
なる論点」ととらえてみせながらも,ただし,
著者自身も指摘しているように「アーカイブズ
「市民が「公文書管理権」をもつとした場合,
の目的や,アーカイブズが存在する本質的な理
公文書管理の実務が具体的にどのように変わっ
由を考えていくこと」
(276頁)も不可欠な課題
てくるのか,という点については,本書の中で
である。こうした点での著者のさらなる研究の
緻密な論述が展開されているとはいい難い」と
進展が望まれる」とも,評言が寄せられている
の難点をあげたうえで,
「
〔大阪市の制度にみら
(R ③ H)
。わたしの読み方は,こうした帰納や
れる〕市民参加重視の方向性と,著者が随所で
本質をめぐる議論は,「理論的研究」と著者自
強調するアーキビスト等の専門家(素人ではな
身がみせるからには,同書において,著者が記
く)を登用することの必要性との間で,いかに
すべきだった(見通しにふれるていどであれ),
整合性を図っていくべきなのか。
「公文書管理
とおもう。そうしてこそ初めて,一冊の研究書
権」という概念は,他にも多くの論点を生み出
が完成するはずだから。
す刺激的な問いかけといえよう」とうけとめ,
( 2 ) 『Ar 世界』にも,「本格的な大学アーカ
つぎの議論へとつなげる展望が示されていた。
イブズ論」
「大学アーカイブズの最前線で勤務
『Ar 管理』にいう「市民」の権利と「社会の
してきている著者ならではの,実践を踏まえた
コンセンサス」はやはり,同書を読むときに重
地に足のついた論集」「いわば「硬軟とりまぜ
視すべき論点ととらえられ,
「少なくとも小樽
て」大学アーカイブズについて語られた論集」
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃) ─ 111 ─
(R ⑧ K)との好評が寄せられている。同書の主
カイブズの存在やその所蔵資料が登場しないこ
張は 1 つに,
「大学アーカイブズ」と「アカウ
とで,どうしても本書のタイトルとの齟齬を感
ンタビリティ」「アイデンティティ」との結び
じてしまう。内容の精度を批判するものではな
つきにあったはずで,これについて数は少ない
いが,本章をあえて本書に所収する必要があっ
ながらも,いくつかの書評が考えるべき論点を
たかどうか,疑問が残る」
(R ⑥ K)と不満(そ
示していた。
ういってよいか)が示されたりもした。どちら
公文書管理の権利も情報アクセスの権利もと
も『Ar 世界』の記述についてである。ただし
もに「市民」にあると説くものによる R ⑨ Kは,
後者の評は,同書第10章についてはさきの引用
おそらくその唱えるところから「アカウンタビ
にあった指摘だったものの,同書第11章につい
リティ」を「待ちの状態」
「消極的な用語」と
ては,「極めてユニークな視角であり,手堅い
みなして,そこにとどまってしまう姿勢を問う
論証には説得力がある」
(R ⑥ K)と高評をあた
ているようにみえる(もとめられて初めて説明
えていた。わたしにはどうにも「手堅い論証」
するようではだめ,ということか)
。
とは読めなかったのだが。
『Ar 世界』の「アイデンティティ」について
なお,上記の書評と紹介のなかに,「学恩に
の批評はあとでみることとしよう。
報いる意味も込めて,本書評では様々に気付い
両著のどちらにもあった記述が,
「大学アー
た点を記してきた」との記述があり,その古風
カイブズ」の利用例についてだった。これまた
で時代がかった表現に,驚いた(この文をふく
おおよそ好評で,
『Ar 管理』については「
「緑
む文章では「先輩」には「 」がついていたが
丘アーカイブズ」の豊かな内容を分かりやすく
「学恩」にはなかった)。先輩-後輩関係におい
物語る箇所となっている」
(R ② H)
『Ar 世界』
,
て書評することとなるとは,「大学アーカイブ
では「読み物として楽しく,また,文書館の役
ズの世界」も,なんとも厄介な業界だ。
割が,
歴史研究者のためだけにあるわけでなく,
6
大学のアイデンティティ確認など広がりを持つ
ことを示す,興味深い実例になっている」
(R
⑤ K)と,どちらも評者から好まれている。わ
(阿部)
たしにはそうは読めず,両著に記されたところ
( 1 ) ここではさきにあげた両著への書評と
を丁寧に読んでゆくと,紹介の親切さにおいて
紹介 1 編にあり,ほかのそれらにはなかった大
も実証の練度においても,ずいぶんと浅く低く
事な論点をとりあげよう。それは R ⑧ Kが示
拙いとおもえた。
上記の書評と紹介のなかでも,やんわりとだ
した 2 点──「大学アーカイブズ」の意義と,
「大学アーカイブズ」にかかわる「アイデンティ
が,
「本章では,アーカイブズとは,市民の文
ティ」について,である。
化を豊かなものにしてくれる存在であることが
2011年施行のいわゆる公文書管理法とその関
実例をもって語られている(可能であれば,大
連法のもとでは,国立大学法人の文書が廃棄さ
学アーカイブズで論じてほしかった気もする
れてゆく怖れが強まったとの危機感をあらわす
が)
」(R ⑧ K)と,
( )内にこっそりと注文が
『Ar 世界』に対して,
「そのことを踏まえた上で,
記されていたり,いくらか強く,
「行政文書や
あえて本書に注文をつけるとするならば,大学
各種刊行物を用いて論じられており興味深く読
にアーカイブズがなぜ必要不可欠か,もう一歩
むことができた。
〔中略〕
ただ,
本章が
「大学アー
踏み込んでほしかったと感じる」と R ⑧ Kは
カイブズの世界」と題された本書に含まれてい
告げていた。
るのは,
やや違和感を覚えた。
〔中略〕大学アー
この注文は,「大学アーカイブズ」に勤める
─ 111 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
ものや,その業務に深くかかわるものから発せ
資料に基づいて語れるということである」と R
られにくく,またそれが念頭に浮かんだとして
⑧ Kは賛意を示しつつも,そのいわば「アイデ
も,日々の実務のなかでは脇へと追いやられが
ンティティ」探しが,それを必要とするものた
ちとなったり,なかなかうまい応答をしづら
ちの原初をたどる様相に対して,「むしろ問題
かったりするであろう問いだとおもう。
『Ar 管
なのは,ある対象を源流とすることの是非より
理』でも「職員のメリット」と題された見出し
も源流を遡らせることによって制度としての大
のもとで,事務職員には「大学アーカイブズ」
学設立のもつ意味が相対的に希薄になってしま
の「メリット」が感じられないとの意見がある
うことであろう」と警告し,「ただ実態として
ことがみせられてはいたが,その疑義は,
「アー
大学アーカイブズは,教育や展示や刊行物など
カイブズの制度や文化が未成熟」だからだと
を通して常にメッセージを発信している」なか
切って捨てられていた。
でなお,
「アーカイブズは,組織のアイデンティ
それを R⑧ Kは,
「
「有能な」
事務職員であれば,
ティといかに関わるか」が依然として問いとし
法人文書の保存期間を延長すれば事務利用には
て残ると,考えることの継続を指摘して評を閉
もちろん問題ないし,公開についても情報公開
じていた。
で対応可能である,つまりアーカイブズは不要
大学であれ社会であれ,アーカイヴズがある
と考えてしまうのではなかろうか」と説いた。
こと,それを必要とすることは自明ではない。
説得力のある説明だ。ではどうするか──「こ
現在用いている文書や現在必要とする簿冊は,
うした考え方に対してわれわれは,大学アーカ
それゆえに,手許に,てぢかなところにある。
イブズの独自性,専門性を主張していかなけれ
現在用いていない文書や現在必要としていない
ばならない。
それは例えば,
目録作成や評価選別,
簿冊が,手許に,てぢかなところにあることは,
保存環境整備といった点からも説明されるであ
自明ではない。そうした文書や簿冊を残すとい
ろうし,同時にそうした業務を遂行するアーキ
うとき,それを「アカウンタビリティ」や「ア
ビスト像,求められる職員像が展開されていく
イデンティティ」で説こうとしても,とってつ
ことになろう」との見通しが述べられていた。
けたような理由では多くのひとを納得させるこ
こうした主張の効きぐあいはどうだろう
とはむつかしい。慣れていない(とみなした)
か──より高度な技能と知識を備えた専門家
ものたちに,それは権利だからとうったえても
と,専門家によって構築された「大学アーカイ
(したがって義務だといっても),説得力に乏し
ブズ」を利用する素人や非専門家や無関心なも
いだろう。必要があれば,それは制度になる。
のたちとのあいだに広がるであろう溝をわたし
そういうと管理や統治の発想だと非難されると
は危惧する。だからこそ『Ar 管理』は,公文
したら,こういい直そう──ほんとうに必要だ
書管理権を「市民」に委譲する議論をたてよう
と感じることがらについては,なにかしらの手
としたのだろうし,しかしそれが勇ましい信念
立てを整えようとして,調整が始まるだろう。
の表明にとどまったとみえてしまったのだから
必要なものにはそれにふさわしく対処するし,
(「未成熟」なわたしたちに根づくための論はな
不必要なものは,いらないのだ。
かった)
,わたしたちは依然としてアーカイヴ
(2)
わたしは,歴史も必要とされないこと
ズをめぐる議論の隘路にたっているようなの
がある,といおうとしている。それは過去のす
だ。
べてをいま知ることができないことに明らかだ
『Ar 世界』は,そこに「アイデンティティ」
とおもう。消えてよい過去がある,過去は消え
を掲げてみせた。それをめぐって「アーカイブ
てゆく,歴史とならない過去がある──そうし
ズが持つ強みとは,
徒なプロパガンダではなく,
たなにかしらの勢いに,意識するにせよ無意識
〈歴史材〉を活かす ─「大学アーカイブズ」をめぐる近年の動向から─(阿部安成・今井綾乃) ─ 111 ─
のままにせよ,抗うところに記録が生まれ,そ
れが継がれてきた。過去が歴史となったとき,
7
それを報せるための材として記録がつくられた。
それは文字を紙に記した文書であったり,石や
(阿部)
土や木を用いた造物だったり,形態はさまざま
いま,「大学アーカイブズの実態というもの
だ。いまそれを仮に,
〈歴史材〉
と呼ぶとしよう。
があまりにも多様化し,組織の形態や役割もい
〈歴史材〉は過去を知り,その像を組みたて
ささかぼやけてしまっているかの感さえある」
る資材であるとともに,その認知や象形の仕方
(R ⑦ K)との指摘がある。そうしたときに「大
を探り,つくり直し,組み直して,鍛え直す,
学アーカイブズ」のいわば輪郭を明瞭にしよう
そのための材料でもある。わたしたち歴史学研
とした『Ar 管理』と『Ar 世界』の試みは活か
究を志すものたちは,
〈歴史材〉を活かして,
されなければならない。日々の厖大な業務をこ
過去から現在へとつながる(あるいは,つなが
なしながら 1 つずつ稿を記していった努力もよ
らない)
時間を歴史像として描き,
それとともに,
しとしたい。ただわたしは両著のうちとくに
その描写の方法を点検し鍛練しているのだとお
『Ar 管理』を読んで強い違和を感じたところが
もう。〈歴史材〉を活かすことは, 1 枚の文書
あった。それは「動的な「資料集」」である「緑
や 1 冊の綴,そして 1 つの施設, 1 つの機関と
丘アーカイブズ」を推奨する文にみえるつぎの
してのアーカイヴの利用にも活用にもつうずる。
箇所である──「この検索システムを活用する
どういう過去を,どういった道具や観点や手法
と,年史執筆の準備や次に述べるような研究が,
で歴史として描くのかがそこでは問われる。そ
場所を選ばず,小樽に来なくても可能となる」
れがこの稿でわたしが書いた〈歴史の感性〉
(第 3 章87頁)。同様の記述が同書「結章」の「小
が発揮されるところであり,また,
〈歴史の感
括」の文につけられた後注にもみえる──本文
性〉の活躍する場となる。歴史学研究者もアー
の記述は「資料は,可能な限り画像データとし
キヴィストも,その感性を養わなくては,みず
て公開する」
(277頁)
,ここについた後注の記
からの業務を遂行しづらくなるだろう。
『Ar 管
述が──「結果として,資料の利用される世界
理』にも『Ar 世界』にも記された利用と活用は,
が無限に広がることにもなる。そこでは,レファ
どうにもお粗末だった。もっと緻密に,そして
レンスが何件,といった統計データは意味を持
大胆に,アーカイヴズをうまいぐあいに使って
たなくなる。小樽商科大学を一度も訪れること
みせなければ,そしてそれをきちんと論述でき
なく,資料を閲覧し活用する研究者もいる。オー
なければ,
その腕は未熟だと評価されてしまう。
ストラリアのあるまちで,小樽商科大学の公文
滋賀大学経済学部に残る彦根高商史料は,そ
書を読む人も実際にいるのである。なお,百
の残りぐあいも彦根高商の歴史を構成する一端
年史編纂室のホームページは,二〇〇三年六月
となる。残った〈歴史材〉としての史料をどう
二四日に開設した。間もなく,画像公開を試み
あつかうか,それを用いてどういう歴史像を描
始めたが,編纂室関係教職員に,「ナイロビで
くか,それらをも彦根高商史の領域として,そ
も小樽商科大学のことが執筆できるようにした
れを展望することをわたしたちの視野として,
い」と著者は発言している。許される範囲で業
史料をあつかい,歴史像を描く──それがわた
務を大胆に遂行し,コンセンサス形成のための
したちの仕事だと構えている。
素材を提供することも必要である」(279頁)。
文意不明な「資料の利用される世界が無限に
広がることにもなる」とは誇大広告のようだし,
現実の世界では,「統計データ」が依然として
─ 111 ─
滋賀大学経済学部研究年報 Vol.22 2015
もとめられるはずだ。
「画像データ」へのアク
はない容量をもっている。22万コマ(2011年 8
セス件数は何件か,と。そしてそれは,つけた
月時点)の画像は厖大だ。それをわがものとす
予算にみあった件数か,配置した人員にみあっ
るときに,「小さなメディアの必要」という構
た件数かと問われるにちがいない。だがわたし
えを忘れないようにしようとおもう。そう題さ
の違和感はそこにはない。小樽にゆかずに,小
れた書籍は,晶文社が刊行した 1 冊だった(著
樽商科大学をまったく訪いもせずに,オースト
者は津野海太郎)
。奥付の発行年月日が1981年
ラリアでその大学の公文書を読んだり,ナイロ
3 月25日だから,学部に入学してまもないころ
ビで「緑丘アーカイブズ」の画像データをもと
に読んだのだとおもう。たぶん当時あった『朝
に小樽商科大学についての稿を書いたりするこ
日ジャーナル』の書評欄で知った本だった。こ
とが,このうえなく重要なのだろうか。
こには「森の印刷所」「子ども百科のつくりか
さきに引用した『Ar 管理』の記述──「新
た」「ガリ版の話」がひろげられている。そこ
しいテクノロジーを道具として最大限に活用」
からわたしは,ひととひととをつなぐなにかを
したアーカイヴズがあると,どこでも,だれで
めぐって,身体性と協同性が必要だと学んだ。
も,いつでも(ただし,インターネットに接続
書名にいう「小さな」とは,ひとの身体を離れ,
できる PCやタブレットやスマホと通信環境と
人びとの協同をはるかに超えてつくられるメ
バッテリや電源があれば,なのだが)
,そこか
ディアのすさまじいまでの巨大さに対する異議
らとりだした画像データを読める。それはとて
申し立ての標なのだとうけとめた。いまから30
も便利だとはおもう。それを読んで,小樽商科
年もまえのインターネットも PCもわたしたち
大学のことを執筆して,小樽商科大学のことを
のみぢかになかったころに,同書は,すでに「小
知った気になる,わかった気になる。でもその
さな」という構えで現在のわたしたちを問うて
執筆者は,地獄坂を歩いていない,冬の図書館
いたのだ。
書庫の暖かさを知らない,小樽の潮の香を嗅い
さきにわたしは,
『Ar 管理』は,
「大学アー
でいない,なにより, 1 枚の文書も 1 冊の綴も
カイブズ」ノスヽメと読むべき本だと書いた。
手にしていないのだ。こうした環境を問わない
もう 1 つくわえると,同書は「大学アーカイブ
姿勢が,わたしには気になる。
ズ」のつくり方の書でもあった。しかも DIY。
もとよりわたしは現場第一をかならずしも是
だが同書には,〈つくり方〉を考える,〈つくり
とするものではない。かつて歴史家が,19世紀
方〉を問う,〈つくり方〉を点検する,ややこ
後半,1880年代の神奈川地域の運動を考えるに
しいいい方をすると,〈つくり方〉を審級の場
さいして,
相模原の野原にたたずみ,
それを「歴
におく,そういう構えがなかったのだとおもう。
史のスパーク」と呼んだことがあったが,そう
した手続きが研究に必要だとは,わたしは感じ
【付記】
ない。そのうえで,小樽にも小樽商科大学にも
本稿は,2015年度科学研究費助成事業基盤研
ゆかずに,同大学について,同大学の歴史につ
究(C)
(一般)
「20世紀前期の帝国日本におけ
いてなにかを執筆してわかった気になる,その
る教養の知と技をめぐる実学リテラシー研究」
ことへの躊躇をわたしは手放さずにありたいと
(課題番号15K02864),2015年度滋賀大学経済
おもう。それを忘失すると,なにかを考えたり
学部学術後援基金「歴史資料の保存と公開と活
書いたりするときのその「わたし」を問う機会
用の実践論」の研究成果の 1 つである。
を逸してしまうとおもう。
「小規模」な国立大学法人が設けた道具とは
いえ,「緑丘アーカイブズ」はけしてちいさく
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