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エバの罪の重荷を背負って - Womenpriests.org

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エバの罪の重荷を背負って - Womenpriests.org
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
129
第十一章
エバの罪の重荷を背負って
女性の叙階について神学的論争が始まったのは中世初期になっ
てからのことであった。この問題は通常たった 2、3 行で正当化
され、いつも簡単に片づけられていた。挙げられた理由は参考に
なる。1296 年のバイシウス(Baysius)裁判のギド(Guido)は次
のように述べている。
女は叙階を受けるに相応しくない。なぜなら、叙階は人々に
恵みを分配するためで、教会の完全なメンバーのために確保
されているからである。男だけが教会の完全なメンバーで、
女はそうではない。
さらに、女は罪の根源で、アダムは彼女によって騙されたの
で、呪いの根源であり、聖なる叙階は人々に恵みをもたらし、
1)
救いに導くので、女は救済の実際的動機とはなり得ない。
ギドにとり、女性は神の栄光を反映していないから教会の完全
2)
なメンバーではないのである。女性は呪いの根源である。これは
エバだけではなく、すべての女性に当てはまる。すべての女性は
罪に穢れていて、恵みを司ることなどできない。それはすべての
女性が伝染病に冒されていて、医者にも看護師にもなれないとい
うのと同じである。では、イエスの母であるマリアはどうなのか。
第三部 証拠の真偽を問う
130
ギドには準備した答えがある。すなわち、「女は物理的に救いの
原因になり得る。つまり、アダムの肋骨から造られたので物理的
に男から出たのである。このようにして(すなわち物理的にのみ)
聖母マリアは救いの原因とならねばならなかった。女の性は私た
ちの救世主であるキリストがマリアから物理的に生まれたので、
3)
救いの物質的原因であったというのは正しい」
。
中世の神学者たちにとり、すべての女性は罪の呪いを受けてい
る。その結果、神は彼女を男に従わせることで彼女を罰し、そし
てこの罰は取り消すことができない。彼女は常に誘惑の永続的な
根源として警戒して扱われなければならないのである。男児を産
んだ母親が 40 日間不浄とされるが、女児の場合は 80 日間である
理由に関して、フランシスコ会の神学者シカルドスは次のように
答える。
「女児の場合二倍であるのは女の生は二倍呪われている
からである。彼女はアダムの呪いとまた『お前は苦しんで子を産
4)
む』という罰を身に帯びるのである」
。
そして教会法はこの呪いを公認した。
女は神のかたどりでない故に、頭を覆わなければならない。
これを権威への服従のしるしとして行わねばならない……。
なぜなら、彼女たちを通して罪は世に入ったからである。原
5)
罪故に従わねばならない。
教父たちの意見
初期のギリシャ教父たちは、エバの呪いが女性の上にあるなど
と考えていなかった。アンティオケアの聖イグナチオ(Ignatius,
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
131
110 没)は、堕落は女を通してこの世に入ったが、救い主も女を
6)
通してきたのだと教えた。 聖イレネウス(Irenaeus, 140 ∼ 203)は、
悪魔は女を通して人類に勝ったが、同時にイエスの母マリアとい
7)
う女性を通して負けたのだ。 彼はアダムの方がエバよりもっと
責任があったと主張した。
二人のうちで、より弱い立場にあったエバを悪魔が攻撃した
というなら、私はその反対に、彼女が掟に背く男の助け手と
して登場しているので、彼女の方がしっかりしていたと答え
る。彼女は一生懸命蛇に抵抗してしばらく負けないように頑
張ってから、騙されて木の実を食べた。他方、アダムは何の
抵抗も拒否もせず、女から渡された実を口にしたのである。
これはひどい精神の薄弱、惰弱のしるしである。女こそ悪魔
による闘いに負けたのだから、赦されて当然だが、アダムは
個人的に神から命令されていたのに、女に屈したのだから赦
8)
されない。
このようなギリシャ人の声は、原罪におけるエバの役割の結果
として女性の従属的身分を証明し始めたラテン教父たちによって
間もなくかき消されてしまった。テルトゥリアヌス(155 ∼ 245)
は彼らの中でも最悪だった。彼の露骨な偏見は次のようなもので
ある。
すべての女はエバから受け継いだもの、すなわち、人類が最
初の罪と汚名の恥辱をより完全に償うために懺悔の衣を身に
まとい、エバのように嘆き、悔やみつつ歩き回らねばならな
第三部 証拠の真偽を問う
132
い。
「お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前
を支配する」あなた方一人ひとりはエバであることを知らな
いのか。あなたの性に関しての神の宣告は今に至るまで生き
ていて、罪悪感もまた生き続けなければならない。
あなたは悪魔の門!
「禁じられた」木を犯したのだ!
神の法を最初に破ったのだ!
あなたは悪魔があえて攻撃しなかったアダムを説得した女な
のだ!
あなたが神のかたどりである男をいとも簡単にダメにしたの
だ!
あなたが値する死のために神の御子が死なねばならなかった
9)
のだ!
ここでテルトゥリアヌスのことばを注意深く読む必要がある。
「あなたの性に対する神の宣告は今日まで生きている」
。彼はこれ
で何を言おうとしたのだろうか。神の宣告とは何だったのか。男
性の支配下にあって、キリストが来られたにもかかわらず、今日
までそれが続くとどうして言えるのか。女性がまだ男性の支配下
にあるからなのだ! 読者はローマ法の主張を覚えているだろう
10)
か 。女性は夫に所有され、彼の命令に従っていた。女性は公の
責任を担うことも、権威を行使することもできなかった。彼女た
ちは訴訟の証人になることも、代理を務めることもできなかった。
もしそうであるなら、神の罰はまだ女性の上にあるとテルトゥリ
アヌスは主張する。しかし、神は罪意識がないのに罰しはしない。
「あなたの性への神の宣告は今日にまで及んでいる。これは罪の
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
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呵責も必然的にずっと続く」ということである。したがって、す
べての女性は未だにエバの罪の呵責を背負っているのだ!
多くの教父たちはこのテーマを繰り返した。聖クリソストムス
「エバの罪はすべての
(Chrysostom, 344 ∼ 407)は次のように説く。
女にも影響を及ぼすのか。もちろんすべて性というものは弱く気
まぐれで、聖書は性について集合的に話す。すなわち、エバでは
なく『女が食べた』と言えば彼女個人ではなく、女全体のことに
なる。では、すべての女が彼女の過ちで罪を犯したのだろうか。
11)
然り、男ではなくすべての女が罪を犯したのだ 」
。
聖ヒエロニムス(Jerome, 347 ∼ 419)は、エバの罪は一人ひとり
の女に負わされていると繰り返し述べた。しかし、女は子どもを
産むか、より良いのは処女にとどまることによって、罰を免れる
12)
ことができる 。妻のテオドラと一緒に禁欲の誓いを立てた金持
ちのスペイン人ルキヌス宛ての手紙の中で、ヒエロニムスは彼の
妻は今や「男になった」「彼女は以前は暗闇の中であなたの伴侶
だったが、今は妹、以前は劣っていたが今は同等で、以前は女で
13)
あったが今は男なのだ」と言った 。したがって、テオドラは妻
として従属という神の呪いを受けていたという何とも奇妙な理由
づけがされた。禁欲で彼女は呪いから解放されて男になったので
ある。
聖書は何を言っているのか
創世記 3:1 ∼ 29 は、人類の始祖であるアダムとエバに関する神
話の中で、人間を取り囲む罪の状態を描いている。男と女双方が
ともに神に反逆する。二人とも罪を自覚し、恥じている。二人に
第三部 証拠の真偽を問う
134
苦しみが罰として課される。テキストは典型的な人間の苦しみの
例を挙げる。男は荒れた地を耕し、穀物を作るために苦しみ、女
は産みの苦しみと夫による支配を耐えることになる。
神は女に言う。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配す
る」
。これを夫が妻を従属させ続けるための免許状と思ってはな
らない。これは事実の叙述で、罪の結果を記しているだけなので
ある。先進国では男は旱魃、病気、不況の真只中でも作物を作る
必要はないし、女も子どもを産むのに苦しむこともなく、夫に虐
められることもないだろう。これは今カトリックの学者が受け入
14)
れている解釈である 。
ユダヤ教のラビたちはこの箇所を女の罪と罰として解釈した。
これは、一テモテ 2:14 で、女が従属的役割に縛りつけられる理
由を聖書記者が提示するところではっきりと表れる。
なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られ
たからです。しかも、アダムはだまされませんでしたが、女
はだまされて罪を犯してしまいました。しかし婦人は、信仰
と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことに
よって救われます。
前章で示したように、これらの理由づけは女性たちがグノーシ
ス派に入ることを怖れる司牧的懸念の中で付加された。この箇所
が注意深く考えられた神学的な宣言でないことは明らかである。
エバの違反を理由に女性たちに罪を負わせることが、いかに不条
理なことか考えてみよう。
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
135
- 父は子どもたちのゆえに死に定められず、子は父のゆえに死
に定められない。人はそれぞれ自分の罪のゆえに死に定められ
15)
る 。
- 旧約聖書でさえも完全な赦しを説いた。
「たとえお前たちの罪
が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅
16)
のようであっても羊の毛のようになることができる 」
。
- もしエバの背反が原罪の一部であるとしても (そうではない
、それは洗礼で潔められる。洗礼によって原罪はもとより
が)
すべての罪は赦されるからである。
- もし何かの罪がまだ女たちに付着しているなら、なぜ同じ罪
が男たちにも付着していないのか。神は人を分け隔てしないし、
17)
キリストにおいて男と女の差は消えてしまったのだ 。
それにもかかわらず、教会の公的な法は、女性が世に罪をもた
らした責任故に男に服従し続けなければならないことを固持した。
ここで教会法からの公のテキストを読みやすくするために、見出
しに意見をつけて提示する。
法的質問
女性は司祭を告発してもよいのか。
法的回答
できないようである。教皇ファビアヌス(Fabian)は主の司
祭に対し、彼らと同じ身分を持たない者と持てない者は告訴
も抗議も申し立てることはできないという。女性は司祭職や
助祭職の地位に挙げられることはない。この理由で彼女たち
は法廷で司祭に対し非難も抗議も申し立てることはできない。
第三部 証拠の真偽を問う
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これは聖なる教会法に示されている。
私の意見
ここで論拠の一部として引用されている司祭職からの女性の
排除は先に述べた教会法と民法の両方に基礎を置く。彼が参
照している法とは、主として、女性はいかなる権威も持てな
いという原則なのである。
法的反論
しかしながら、旧約では裁判官になれる者は誰でも原告にも
なれたし、士師記でデボラが裁判官であったことが書かれて
いるように、女性は裁判官になっていた。したがって、しば
しば裁判官の役割を果たし、聖書のことばによって原告の役
割を果たした人たちをその役割から排除することはできない。
法的回答
今日(例えば新約時代に)恵みの完成を通して廃止された多
くのことが、旧約においては許されていた。それ故、たとえ
(旧約で)女性が人々を裁くことが許されていたとしても、
今日、女性がこの世にもたらした罪の故に、使徒パウロは注
意深く、謙な慎みを示し、男に従属し、服従のしるしとし
18)
て頭に被りものをするようにと女性たちを諭すのである 。
私の意見
要するに、女性はこの世に罪をもたらしたがために背負わさ
れた罪の故に、旧約では権威を持つことができたのに、新約
ではそれが許されない。これは、私たちがより完全な恵みの
時に生きているのにだ!
神学者として生きた 45 年間に私はこんなにも馬鹿げた、しか
第十一章 エバの罪の重荷を背負って
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も歪められた考えに出くわしたことは滅多になかった。しかし、
上記のテキストは 1918 年まで教会の公の法律の書物であった。
これが女性を女性叙階から排除してきた理由づけだったのであ
19)
る。
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