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第 10 回 性転換 - 東海大学出版部 TOKAI UNIVERSITY PRESS

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第 10 回 性転換 - 東海大学出版部 TOKAI UNIVERSITY PRESS
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本能と煩悩 (全 12 回)
第 10 回 性転換
浦野明央(北海道大学名誉教授)
これまで,第 7 回 恋心,第 8 回 フェロモン,第 9 回 性的二型性のいずれ
でも,動物の「性」は,発生段階のある時期に決定する固定されたものとして
話を進めてきた.ある動物種の集団は,判然とした雄と雌によって成り立って
おり,その雄と雌による有性生殖で子孫を残していくものだとしてきたのであ
る.しかし,ヒトも含めた哺乳類でさえ,発生の途上で,すべての個体が,典
型的な雄と雌に分化できるわけではない 1).また,動物界を広く眺めると,単
為生殖と有性生殖が世代交代する種,あるいは同一個体が,雄と雌,両方の形
質をもつ雌雄同体現象など,多様な生殖戦略が見られる.
これまで,本能行動である生殖行動は,精巣および卵巣,すなわち生殖腺,
の発達に対応して発現するのだが,雄の行動パターンは雄型のニューロンネッ
トワークによって,雌の行動パターンは雌型のニューロンネットワークによっ
て制御されている,と説明してきた.ここで興味深いのは,性転換をともなう
雌雄同体現象(詳しくは後述)である.生殖腺の性,つまり身体の性が雄から
雌,あるいは雌から雄に換わった時,脳の性,ひいては心の性も換わって,行
動のパターンが入れ換わるのである.したがって,性転換の基礎的なメカニズ
ムを明らかにすることは,身体の性と心の性が一致しない性同一性障害の理解
にもつながると考えられるのである.
性を決めるのは?
性転換の話の前に,何が動物の性を決めているのかを見ておこう.ここで性
の決定と言うのは,生殖腺を精巣に分化させるのか,卵巣に分化させるのかと
いう身体の性の分化のことで,多くの種で,性染色体 2)上にある性決定遺伝
子がその主要な要因とされてきたが,自然環境(とくに温度)あるいは社会(ま
たは行動)的環境が性決定に携わる種も知られている(表 1).
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表 1 動物における性決定の様式
決定要素
様式
雄ヘテロ型
XY 型
染色体構成
代表的な例
性決定遺伝子
雌雄異体の生物
遺伝的な性決定
♂:XY ♀:XX 哺乳類
魚類(メダカ,サケ属)
(メダカ)
双翅目昆虫(ハエ)
XO 型
♂:XO ♀:XX センチュウ
直翅目昆虫(バッタ,ゴキブリ)
蜻蛉目昆虫(トンボ)
雌ヘテロ型
ZW 型
♂:ZZ ♀:ZW 鳥類
ヘビ
アフリカツメガエル
魚類(ウナギ,アナゴ)
鱗翅目昆虫(チョウ,ガ)
環境による性決定
温度
(カイコ)
爬虫類(ワニ,カメ)
両生類の一部
魚類の一部
個体間の関係
アワブネガイ
ボネリムシ
同時的雌雄同体
魚類の一部
軟体動物・腹足類
ミミズ類 ヒル類
扁形動物(ヒラムシ)
隣接的雌雄同体
成長(時間) 雄性先熟
クマノミ,クロダイ
(性転換を行う)
甲殻類の一部
雌性先熟
魚類の一部
甲殻類・等脚目の一部
周辺環境
ホンソメワケベラ
甲殻類・等脚目の一部
ゴカイの一部
遺伝子による身体の性の決定: 性の決定には,いくつかの遺伝子の一連の働
きが関わっている.この一連の遺伝子の働きを駆動しているのが,性決定のマ
スター遺伝子(性決定遺伝子)である.ヒトでは,25 年前の 1990 年に Y 染
色体上にある
遺伝子(マウスでは
)の構造が決められたが,他の動物
の性決定遺伝子の構造は,しばらくの間,不明であった.しかし,長濱嘉孝を
中心とする日本の研究グループがメダカの
遺伝子の構造を決めた(長濱
嘉孝ら,2003 参照)のが引き金となってか,ここ何年かの間に,動物の性を
決定するさまざまな遺伝子が確認されている(表 1).また,哺乳類とメダカ
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図 1 哺乳類(マウス)とメダカの性決定に関わる遺伝子のカスケードの概略.XY および XX は
性染色体の様式.性決定に関わる主要な遺伝子はイタリックで示してある.T および 11KT はアン
ドロゲン,E はエストロゲン.(Norris and Carr, 2013 を参考に作図)
の性決定に関わる遺伝子のカスケードの概略を図 1 に示したが,いずれでも最
終的には性ステロイドホルモンが,生殖腺の性分化に重要な役割を果たしてい
る.
温度による性決定: 脊椎動物の中でも変温動物には,孵卵時(正確には胚発
生の際の生殖腺分化の温度感受期)の環境の温度によって性が決まるものがい
る.古くから知られているのは,すべてのワニの仲閒と多くのカメの仲閒(と
くにウミガメ)であるが,若干のトカゲ類,両生類および魚類にも,温度によ
って性が決まるものがいることが分かってきた.ワニの場合,巣の温度が 30
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℃以下ならすべての個体が雌に,34℃以上ならすべての個体が雄に分化し,中
間の温度だと雄と雌の比率が 1:1 になるという.カメの場合は,低温で雄に,
高温で雌に分化する 3).温度に依存する性決定のメカニズムは,明らかになっ
ているとは言い難いが,種によっては,性分化時に,テストステロンをエスト
ラジオールに変換する芳香化酵素の活性が高まっているという.芳香化酵素に
よるアンドロゲンからエストロゲンへの変換は,前回もふれたように,脳の性
分化に関わっている可能性がある(Norris and Carr, 2013 参照).
社会的な要因による性決定: 個体の間の関係で性が決まる動物がいる.よく
知られている例に,ユムシの仲閒,ボネリムシ(
)の性決定がある.
ボネリムシの幼生は,海底に定着すると,体長が 10 cm ほどになる雌に分化
するが,雌の吻に誘引されると,そこから消化管内に入り,体長 1 ∼ 3 mm の
雄になって精子を作る共生者になる.
軟体動物・腹足類のアワブネガイ属(
)も古くから研究されてき
た仲閒で,何匹かの個体が積み重なってコロニーを作るが,上の方にいる若く
て小さい個体は雄に,下の方にいる少数の大型個体が雌に分化している.雄を
コロニーの外に移すと雌になり,多くの雄が集まっていると,何匹かが雌に分
化するが,これはすべての個体が雌性化フェロモンを産生している一方で,雌
だけが雄性化フェロモンを産生しているためだとされている.なお,雄から雌
に転換した個体が元に戻ることはない(Gilbert, 2000).
身体の大きさが性を決める例はゴカイでも知られている.水槽内に大小 2 尾
のゴカイを入れて飼育すると,まず,大きい方が雌に,小さい方が雄になり,
繁殖活動を開始する.卵を生産し続けた雌は,やがてやせ細るが,雄は成長し
続けるので,身体の大きさが逆転する.そうなると,雌は雄に,雄は雌に性転
換してしまうという(桑村,2004 参照).
脊椎動物でも,サンゴ礁に生息する多くの雌雄同体の魚類で,社会的な地位
によって性が転換する.性転換はいわば一度決まった性のリセットで,それに
は 3 つのタイプがあるという.雌から雄への転換(雌性先熟),雄から雌への
転換(雄性先熟),および双方向性転換がそれである.社会的な地位が性転換
を引き起こすことが最初に報告された雌性先熟のホンソメワケベラ(
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図 2 ホンソメワケベラのハーレムと性転換.あるハーレムの雄が死亡等でいなくなると,最も大
きな雌が雄に性転換する.隣接するハーレムの雄同士には縄張り争いが見られる.詳細は本文参照.
(桑村 , 2004 を参考に作図)
)の場合,性転換を誘起する刺激は,ある繁殖集団(ハーレム)の
中では最も大きく優位だった主の雄がいなくなることで,それによって最大の
雌が直ちに雄になり,いなくなった雄の地位を引き継ぐ(Robertson, 1972).
魚類の性転換の神経内分泌学
生殖腺の性転換に先立つ行動の性転換: まず,桑村哲生(2012)を引用して,
上に述べたホンソメワケベラの性行動を見ておこう.「雄は直径数十 m のなわ
ばりを他の雄から防衛する.なわばりの中には数尾の雌がすみ,一夫多妻にな
る.繁殖の際には雌雄のペアで上昇し,ほぼ同時に卵と精子を水中に放出して
体外受精する.雌は 1 日に 1 回しか産卵しないが,雄はなわばり内の雌たち
とペア産卵を繰り返す.雌は最小 5 cm ほどで成熟するが,どのグループでも
一番大きい個体だけが雄である.小さい雄は,なわばりの外にもいない.その
理由は,性転換するからである.グループから雄が消失(死亡)すると,雌の
中で一番大きい個体が雄に性転換する(図 2).このときの行動変化はすばやく,
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雄が消失して 30 分ほどたつと,最大雌は熟卵をもっていても,雄としての性
行動をとりはじめる.つまり,脳内で行動上の性転換のスイッチが入り,自分
よりも小さい雌たちに対して雄としての求愛行動をするようになる.その後,
3 週間ほどで卵巣を精巣に作り変える.」というのである.
雄から雌あるいは雌から雄へと双方向に性転換をするオキナワベニハゼ(体
長 3 cm ほど)でも,「大きな雌と小さな雌を同じ水槽に入れると,大きな雌
が性転換し雄になる.逆に雄のペアを飼育すると,小さな雄が,雄から雌への
性転換を行う.この際,ペア同士の大きさの差が 0.2mm 以下でも、性転換は
見られ、大きな個体が必ず雄として振る舞う.性行動は,性転換の方向に関係
なく約 30 分以内で転換し、脳の性転換を素早く行っていると考えられる.そ
の後の求愛行動の頻度を調べたところ、実験開始後には、かなりの頻度で求愛
行動が観察された.〈中略〉 最初の活発な求愛行動は、雄がテリトリー内の雌
確保の為に行っているのではないかと考えている.また、最終的な生殖腺の性
転換は雌から雄へは 5 日間,雄から雌へは 10 日間で完了した」(小林靖尚,
2005 より引用).
神経内分泌系は? このように,社会的地位に対応じて性が決まる場合は,視
覚系を介して脳が社会的地位の変化を認知し,まず行動上の性転換が始まる.
次いで,視床下部―下垂体―生殖腺(HPG)系の働きによって,生殖腺の性
が変わると考えられる.雌性先熟のベラの仲閒(
)の脳
内では,性転換にともなって,視索前野の GnRH 免疫陽性ニューロン 4)の数
が 2 倍に増加する.クマノミの仲閒も性転換することが知られているが,同様
のことが報告されているという(Godwin, 2010 参照).これらのことから,視
索前野の GnRH が,性転換に関わる要因の 1 つであると考えられている.
生殖腺の性転換: HPG 系において GnRH の下流に位置し,その合成と分泌
を調節されている下垂体の生殖腺刺激ホルモン(GTH)が,生殖腺の性転換
を引き起こし,精巣からはアンドロゲン,卵巣からはエストロゲンを分泌させ
ていることは確かなようである.上に述べた双方向性転換する雌雄同体のオキ
ナワベニハゼでは,性転換を起こす操作,例えばハーレムから雄を取り除くと
いったことで,雌から雄に性転換する時には精巣の,その逆に雄から雌に性転
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換する時には卵巣の GTH 受容体遺伝子の発現が,12 ∼ 24 時間後に高まって
いたという(Kobayashi et al, 2009).なお,現時点では,生殖腺における
GTH 受容体遺伝子の発現を制御している機構までは明らかになっていない.
脳の性転換: 行動を制御する系の性転換,すなわち脳内のニューロンネット
ワークの性転換は,先にも述べたように,刺激後 30 分以内で起きていると考
えられる.これは,生殖腺の性転換に比べて格段に速い.しかも,少なくとも
ベラの仲閒
5)
では,卵巣を除去した雌でも,雄に転換すること
ができるので,生殖腺の性は,脳の性の決定には関わっていないと考えられて
いる(Godwin, 2010 参照).
性転換を引き起こす処理で見られる性行動の変化には,セロトニン,神経ス
テロイド 6),GnRH,バソトシンといった脳内の情報分子が関わっている可能
性がある.とくに注目されているのは神経葉ホルモンのバソトシンで,オキナ
ワベニハゼやベラの仲閒の視索前核で,性転換を生じる実験的な処理の直後に,
生殖腺とは関係なく,バソトシン遺伝子の発現が急速に高まる.また,バソト
シンの投与は,縄張り行動を増強する一方で,受容体の阻害剤は縄張り行動を
抑制するという(Godwin, 2010 参照).なお,性転換する魚種ではないが,サ
ケ科魚類では,GnRH ニューロンからバソトシンニューロンへの投射があり,
GnRH によってバソトシンニューロンの電気活動が高まる(Saito et al, 2003).
なお,行動の性転換を引き起こす刺激は視覚的なものなので,魚類の視覚中枢
である視葉から視床下部,とくに視索前野,への信号があるはずであるが,今
のところ,それについてはよく分かっていない.
性転換する魚類の行動の変化が時間的に速いのは,ニューロンネットワーク
が形態学的に変化するというよりは,機能的に変化するということである.そ
のような変化が可能なのは,脳内に雄の行動を支配するネットワークと,雌の
行動を支配するネットワークがあり,それが刺激によって切り替わるからだと
考えられる.鳥類や哺乳類でも,ステロイドホルモンによって性行動が転換す
る例が知られているので,雌雄同体の魚類の行動が性転換するメカニズムを明
らかにすることは,脊椎動物における脳の雄化,あるいは雌化の理解につなが
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るのではないだろうか.
註
1) ヒトの場合,性同一性障害という症状が知られている.また,ウシでは,二卵性双生児の
一方が雄,もう一方が雌だと,雄が分泌するアンドロゲンの影響によって,雌が正常には
性分化できないフリーマーチン現象が古くから知られている.
2) 染色体の中には,性決定に関わる遺伝子(群)を乗せている少数の性染色体と,通常の働
きに関わる遺伝子を乗せている多数の常染色体がある.常染色体では,相同な染色体がペ
アになっているが,ヒトも含めた哺乳類には X と Y,鳥類には Z と W とよばれる性染色
体があり.哺乳類では XY のペアをもつものが雄,鳥類では ZW のペアをもつものが雌に
なる(表 1 参照).
3) 絶滅が危惧されているウミガメの場合,地球の温暖化によって性比が偏り,繁殖に障害が
出て,絶滅の速度を速めるのではないかと危惧されている.
4) 生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の抗体を用いた免疫染色によって染まるニュ
ーロンであるが,免疫染色によって染まる陽性ニューロン数の変化が,必ずしも GnRH の
合成・放出活動に対応しているとは限らない.
5) なじみある名前,和文の場合は和名,をもたない動物種を表記する時は,初出のところで
学名を
さず
のように全部書くが,2 回目からは属名は略し,種小名は略
のように記す.
6) 脳内のニューロンやグリアによって産生されるステロイドホルモンを,神経ステロイドあ
るいはニューロステロイドと呼んでいる.魚類では,視索前野にアンドロゲンのテストス
テロンを,エストロゲンのエストラジオールに変換する芳香化酵素の強い活性(前回の図
2 参照)があり,脳が生殖腺よりも大量のエストロゲンを分泌していると言われている.
参考文献
桑村哲生:性転換する魚たち―サンゴ礁の海から.岩波新書 909.岩波書店(2004)
桑村哲生:魚類の社会行動と性転換の進化.比較内分泌学 38(145): 68-72(2012)
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小林靖尚:雄から雌,雌から雄へと両方向に性転換する魚―オキナワベニハゼ(
).比較内分泌学会ニュース 118: 2-6(2005)
長濱嘉孝,小林亨,松田勝:魚類の性決定と生殖腺の性分化.比較内分泌学会ニュース 108:
4-14(2003)
Gilbert S.F.: Developmental Biology, 6th Ed. Sinauer Associates(2000)
Godwin J.: Neuroendocrinology of sexual plasticity in teleost fishes. Front Neuroendocrinol 31:
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Norris D.O., Carr J.A.: Vertebrate Endocrinology, 5th Ed. Academic Press(2013)
Robertson D.R.: Social control of sex reversal in a coral-reef fish. Science 177: 1007-1009
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Saito D., Hasegawa Y., Urano A.: Gonadotropin-releasing hormones modulate electrical
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107-110(2003)
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