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第7章「外部性の経済学」

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第7章「外部性の経済学」
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第7章
外部性の経済学
7.1 外部性
7.1.1 外部性と環境問題
市場が競争的であれば、社会の限られた資源を効率的に利用する資源配分が実現する、というのが 5 章まで
の議論であった。
しかし 5 章の最初に述べたように、(完全) 競争市場というものは、現実の市場そのものを描写したものでは
ない。一方で、競争市場が望ましくても、現実の市場には独占的要素など競争を制限するさまざまな要因が
あって、資源配分にゆがみをもたらしていることがある。また他方で、市場で取り扱われる財そのものの性
質によって、自由な市場だけでは 5 章で述べたような効率的資源配分が実現できないような性質を持つ財貨・
サービスもある。
前者は、たとえば日本の「独占禁止法」やアメリカの「反トラスト法」などの競争促進政策によって問題を解
消したり、ある程度軽減することができる。しかし、後者の問題は、市場を競争的にすれば問題が解決するわ
けではないから、そのような財の性質に基づいた適切な資源配分の方法を考える必要がある。いいかえれば、
そのような問題に即した「経済学」が必要となる。このような本来 (競争的な) 市場だけでは資源配分の問題が
解決できない分野の代表的な例は環境問題である。
企業の生産活動に伴って人の生命を脅かすようなイタイイタイ病や水俣病などの公害病が発生することにつ
いては、かなり以前から深刻な問題として取り上げられていたが、環境問題が広く取り上げられるようになっ
たのは、1970 年前後である。たとえば当時工場や自動車からの排ガスが規制されないまま空中にばらまかれて
いた。そしてそれに含まれる窒素酸化物や炭化水素が、日光の強い日に紫外線の影響で光化学反応をおこし、
多くの人に被害をもたらすいわゆる「光化学スモッグ」が東京の環七通り沿いの学校で発生したのが 1970 年
であった。1960 年代から次第にさまざまな面で環境問題の議論がわき起こっていたが、そのような動きを背景
に、日本では 1971 年に環境庁 (現在の環境省) が設立された。その直前の 1970 年にはアメリカで大気浄化法
Clean Air Act of 1970 が成立している。
たとえば、排ガス規制のない状態で乗用車が生産販売され、その乗用車を購入した消費者が便利に乗り回す、
という状況を考えよう。この自動車の市場では供給者 (自動車会社) と需要者 (消費者) が取引をし、それによっ
て供給者と需要者のどちらの側も得をして (余剰を得て) 満足する。これまでの市場の議論であれば、話はここ
までである。しかしこの場合はこれでは済まない。このような排ガス規制のない乗用車をドライバーが乗り回
し、それによってとくに東京などの都会では窒素酸化物が空中にまき散らされ、それが光化学スモッグなどに
よる被害をもたらしたからである。
第 7 章 外部性の経済学
人体に対する悪影響は、確かに排ガス規制のない乗用車をドライバーが乗り回したことによって引き起こさ
れたものであるが、自動車の生産者も消費者 (ドライバー) もそれを気にする必要はなかった。なぜなら、自動
車会社にとって、自動車の生産費用 (限界費用) にこの大気汚染がもたらす第三者の負担 (費用) は含まれていな
かったし、ドライバーにとっても運転の快適さ・便利さ (限界効用) が自分の自動車の排ガスによって変わるも
のではなかったからである。もちろんドライバーも自分が運転する地域の大気が汚染されれば、不快な空気を
吸わざるを得ない、という意味では無関係ではなかった。しかし、問題の焦点は、自分が自動車を購入し運転
をすることで自分が呼吸する空気が識別できるほど悪化するか、という点である。自動車排ガスによる大気汚
染は、長らく排ガスにより蓄積された汚染物質によるものであるから、自分の自動車 1 台がその中に加わった
からといって、それによって引き起こされる現在の大気汚染の深刻化は無視できるほど小さなものなのである。
結局、自動車会社は自分が負担する費用だけを考慮して生産供給し、消費者 (ドライバー) は自分の効用のみ
を考慮して需要を決める。そのため市場全体としても、供給曲線も需要曲線も大気汚染とその被害に全く影響
を受けず、市場価格と取引量が決まることになる。
しかし、社会全体としてみれば、自動車の排ガスによって、人々にとって負担となる負の効用 (被害など) が
発生するのは紛れもない事実である。有限な資源を使って、可能な限り人々の豊かな生活を実現することが
「経済の基本問題」であるという観点からは、資源が無駄なく効率的に使われたかどうかを判断する際に、この
ような社会的な負担を無視することはできないのである。
市場では取引に参加する生産者や需要者の私的利害だけが考慮され、それに基づいて生産量や需要量が決定
されるから、市場取引の外部にいる第三者に及ぶ負担や被害などの影響は市場では考慮されず放置されるまま
になってしまう、という現象を経済学では、市場の外に発生するという意味で外部効果と呼び、このような性
質を外部性 externality と呼ぶ。環境問題は具体的に見るとさまざまな種類に及ぶが、経済学的に見ると一様
に外部性という性質を伴っている。
7.1.2 外部経済と外部不経済
上記の環境汚染の問題は、市場取引に影響を与えることなく、その市場取引の外側に負担あるいは負の便益
をもたらす現象であるが、世の中にはその逆に市場取引に影響を与えることなく、その市場取引の外側に負担
の軽減あるいは正の便益をもたらす現象もある。
たとえば、かつて結核は不治の病といって恐れられたが、ストレプトマイシンが発見されることによって、
劇的に治療効果が上がることになった。このとき、患者が医師の指示に従ってストレプトマイシンを購入し、
その投与によって治療が行われる場合、これは原則的に市場取引の範囲内で行われる治療であるといえる1 。と
ころがそれだけでなく、このような結核に効く治療薬が使われるようになって、社会の結核感染率が劇的に低
下し、予防も含めて結核治療にかかる費用が社会全体で低下したとなると、個々人が結核治療のために費用負
担をして得た私的便益以上に社会全体に便益が生まれてくる。このような社会的便益は、市場を経由せず、市
場の外側に発生する便益である。このような便益は外部経済 external economy と呼ばれる。これにたいし自
動車排ガスによる被害のように、市場を経由せず、市場取引の外側に発生する負担あるいは負の便益を外部不
経済 external diseconomy と呼ぶ。
外部経済の例としては、技術進歩 technological development もよく挙げられる。企業などを中心に日々技
術革新への努力がなされているが、技術革新の成果が生まれるためにはしばしばかなりの資金負担が必要とな
る。しかし資金を投じた結果新しい技術が生まれると、それがもたらす成果とその技術の方向はかなり明白で
1
もっとも現実的には、医療保険制度が介在したり、患者自身が治療に関して的確な判断を下すことができない、という意味で、純
然たる市場取引とは異なる面を持っている。
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第 7 章 外部性の経済学
あることが多く、その結果その技術の開発者ではない者 (企業) もそれをまねた技術を開発することはしばしば
かなり容易になる。こうして、新しい技術はタイムラグ (時間的な遅れ) を伴いながらも、社会全体に広がって
いくことになり、社会全体が恩恵を被ることになる。
もっとも場合よっては、費用負担を負って開発した新技術が、あまりにも安い費用負担で、あるいはほとん
どただ同然で他の企業に流出することもある。そのような場合にはオリジナルな開発者に開発を断念させる
ディスインセンティブが生まれることになり、技術の開発そのものを阻止してしまう危険性もあるということ
になる。典型的な例はソフトウェアとその違法コピーである。もっとも技術の開発自体もしばしば外部経済的
に流通する知識をベースに生み出されることが多く、その意味では開発者に無制限の権利を与えるべきとも思
われない。どの程度の制限を加えるべきかについても検討すべき課題であると思われる。
外部経済と外部不経済は逆方向を向いているが、外部性という特質においては共通している。
7.2 私的最適水準と社会的最適水準
いまある工場の生産活動から汚染された廃液が川に流され、その結果河口付近の漁場と漁民が被害を被った
としよう。これは外部不経済の例である。この場合、どのような費用と便益が発生しているだろうか。
この企業の生産物が、たとえば化学肥料であるとしよう。この化学肥料は農業で使われて、それによって育
成した農産物が人々に食料として供される。したがってこの化学肥料に対する需要曲線 (とくにその高さ) に
は、これが最終消費者に対してどれほどの便益 (効用) を生み出すかが示されている。(「便益」という言葉は、
効用を含めてより広い意味に使われる。たとえば企業の場合であれば収入は企業の便益である。)
他方でこの化学肥料を生産するには、原材料や労働力、資本設備などを使っているから、その限界費用がこ
の企業の供給曲線の高さに示されている。
これらはいずれも、市場取引に関わる供給者と需要者の私的費用 private costs と私的便益 private benefits
である。ここで「私的」という理由は、この生産物 (肥料) の生産や需要を決める主体が私的に受け取る費用や
便益であり、そのため市場参加者の供給行動や需要行動に直接影響するものだからである。
ところがいまの例では、その他にこの化学肥料の市場取引に関係のないところで、漁民が被害を被っている。
これは河口の漁場では同じ費用を掛けても漁業の収穫が減り、あるいは収穫物 (魚) の質が落ちることであり、
逆にいえば漁業収穫の限界費用が増加することである。これは化学肥料の供給者が負担する私的費用には入ら
ないが、社会的には確かに発生する費用負担である。したがって、この肥料の生産に伴う社会的費用は生産者
の私的費用に加えて漁民の負担する費用があるわけで、社会的費用は私的費用を上回っていると考えることが
できる。
この関係は図 7.1 に示されている。右下がりの曲線 D はこれまでの需要曲線と基本的に同じもので、この曲
線の高さがこの財 1 単位がもたらす「私的限界便益」を表している。(われわれのこれまでの消費者の需要曲線
でいえば私的限界便益には限界効用が対応している。)
これに対して、
「私的限界費用」曲線はこの化学肥料メーカーが私的に負担する限界費用であり、これまでの
限界費用曲線と異ならない。これも通常の競争市場では供給曲線を表している。
ところがこの化学肥料の生産がもたらす費用は、この生産会社が私的に負担する費用に加えて漁民が負担す
る費用がある。後者は図で「外部不経済による限界費用」と書いた部分であり、より詳しくいえば生産者が肥
料を 1 単位追加生産する毎に、漁民が全体として追加して負担しなければならない限界費用を表している。(こ
の漁民が被る負担は、このように外部が被る負担を追加的な限界費用として社会的限界費用曲線を描く代わり
に、それを外部が被るマイナスの便益と見て社会的限界便益 (効用) 曲線を私的限界便益曲線と比べてその分下
にシフトさせて分析することもできる。しかしどちらの方法をとっても本質的には同じことで、以下の分析に
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第 7 章 外部性の経済学
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S s 社会的限界費用
A
S p 私的限界費用
G
F
a
c
外部不経済による限界費用
(漁民が負担する限界費用)
d
E
b
C
B
D 私的限界便益
Qs
O
図 7.1
Qp
生産量 = 取引量
私的限界費用と社会的限界費用
影響はない。)
したがって社会全体としては、企業が生産のために負担する私的限界費用(S p の高さで示される) と漁民が負
担する限界費用の合計に等しい社会的限界費用 (S s の高さで示される) が発生していることになる。
前章までで詳しく議論したように、市場参加者 (供給者と需要者) が自分たちの利得の観点からのみ行動する
と、市場の需給均衡は図の点 E になるだろう。そのとき生産量は Q p となり、市場参加者が合わせて獲得する
利得すなわち私的総余剰は図の a + b + c になる。しかしこの生産によって、市場外部の漁民が被害を被るとい
う負担が発生している。生産量が Q p である場合、この負担は図の b + c + d に等しくなる。これはマイナスの
余剰であるから、漁民まで含めた社会的総余剰は図の (a + b + c) − (b + c + d) = a − d という大きさになる。
マイナスの余剰 d が発生するということは、生産規模 Q p が過大であるということであり2 、市場に任された
だけでは、外部不経済は過大な生産をもたらすということである。社会的に見れば、マイナスの余剰が発生し
ない生産規模 Q s が望ましい生産水準である。いいかえれば、私的限界便益と私的限界費用が一致する点 E で
はなく、社会的限界便益と社会的限界費用の一致する点 F が望ましい均衡なのである。(ただしいまの例では
社会的限界便益曲線と私的限界便益曲線は同一である。)
先の結核に対するストレプトマイシンの発見の例のような場合には、外部経済が発生するから、社会的限界
便益曲線が私的限界便益曲線と異なり、社会的限界便益曲線が外部経済による限界便益に相当するだけ私的限
界便益曲線より上に位置することになる。この外部経済のケースでは外部不経済の場合と反対に、私的均衡生
産量が社会的最適生産量を下回り、市場に任せただけでは生産量が過少になるのである (グラフを書いて確認
せよ)。
7.3 外部費用の内部化
7.3.1 税金の賦課
前節で見たように、外部不経済が発生するときには、企業は社会的に見て過大な生産をする。そうであれば
企業に生産を抑制させるような何らかの政策手段を考えればよいということになる。図 7.1 でいえば、市場の
自由にして放置すれば生産量が Q p になるところを、政策手段を使って生産量を Q s に押さえるということで
ある。
2
前章の過少生産、過剰生産の説明を参照せよ。
第 7 章 外部性の経済学
このような目的を実現する方法のひとつとして税金の賦課が考えられる。外部不経済が発生する場合、私的
限界費用が社会的限界費用を下回っており、それが過剰な生産規模をもたらしたのだから、生産者に生産単位
当たりの税金を課して、税金を含んだ生産者の私的限界費用を社会的限界費用に等しくなるようにしてやれば、
あとは市場参加者 (供給者と需要者) の取引に任せておいても、社会的に望ましい均衡点 (図 7.1 の点 F) が実現
されるだろう、ということである。
このように、社会的限界費用と私的限界費用の食い違いに等しい税金を企業に課すことにより、社会的最適
生産量を実現しようという考え方は、その発案者にちなんでピグー税 Pigouvian Tax と呼ぶ。また社会に漏れ
出る限界費用を何らかの形で私企業に負担させ、私的限界費用に組み込む方策を外部費用の内部化という。
7.3.2 汚染物質排出削減のための選択肢
しかしこれまでの考え方、すなわち汚染物質の排出量を削減するために生産量を制限する、という考え方は
対応策を限定しすぎている。というのは、企業に生産を抑制させる代わりに、生産は維持しながら汚染物質の
排出を削減する設備を導入させる方法も考えられるからである。むしろ、化学肥料 1 単位の生産に対して、固
定的な量の汚染された廃液が不可避的に流れ出る、と考えるのは固定的に過ぎよう。企業はむしろ、まずは生
産量を維持したまま汚染廃液の放出量を減少させる手段がないか考えるだろう。
これは廃液を浄化させる技術の問題である。その技術はあるかもしれないが、一般にそれには費用がかかる。
しかしその費用は短期的には大きなものかもしれないが、関連する技術開発を考えれば、長期的には費用は低
下していくものと思われる。
そうすると汚染廃液の排出量を制限された場合、企業にとっての選択肢は基本的に二つになる。
1. 化学肥料の生産に廃液の放出は不可分であるとして、化学肥料の生産を削減する。
2. 化学肥料の生産は落とさないで、廃液の放出を減少させる設備を追加設置する。
このとき企業がどのような基準により、二つの対応策 (あるいはその混合手段) を選択するだろうか。それ
は当然、企業にとってどのような対応がより大きな利益を残すだろうか、という観点である。すなわち、求め
られる汚染物質排出削減にかかる費用も考慮に入れた上で、どのようなやり方がもっとも自らに利益を残すだ
ろうか、という視点である。漁民に掛かる負担を減少すべく汚染物質排出削減についての政策的要求が政府に
よって策定されるなら、それをそのあとどう実現していくかについては、原則的に企業の選択に任せる方が効
率性の観点から望ましいということになる。
しかし話を単純化するために、以下では上記の第 2 の方法である、廃液の放出を減少させる設備を設置する
場合の考え方を議論しよう。
7.3.3 汚染削減の費用と便益
話を簡単にするためにここでは生産量の変化による影響を考慮しないことにする。いまある生産量のもと
で、化学肥料工場から有害な廃液が川に流されている。この工場で有害な廃液を浄化する設備を設置すればあ
る程度有害な廃液の流出は減らすことができるとする。しかも高価な設備を設置するほど、いいかえれば費用
を掛けるほど廃液の浄化は進むとする。他方で、これまでの想定通り、川に流された有害な廃液は河口の漁場
に被害をもたらすものとしよう。
図 7.2 で考えてみよう。まず、さしあたり図の横軸には有害な廃液の排出量が計られているとする。この企
業が廃液の排出削減に何の費用もかけないとき、その廃液の排出量が W で示されている。さてここで企業が
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第 7 章 外部性の経済学
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廃液排出量の削減をおこなったとき、その排出削減量を改めて原点 O から横軸に沿って計ることにしよう。た
とえば、排出削減量が W に等しければ工場からの有毒廃液の排出は完全に止まるということになる。あるい
は排出削減量を WO でとどめたとすると、放出される廃液はまだ W − WO だけ残っていることになる。また排
出削減量が O で示される量、つまりゼロであるなら、廃液は W だけ放出されることになる。
さてこのような廃液削減量に対して、曲線 BEN で示されるような限界費用がかかるとしよう。廃液削減量
を増やしていくためにはそれだけ技術も設備も大規模なものが必要になり、プラスの限界費用がかかるのであ
るが、さらにこの限界費用は逓増的であるとする3 。いいかえれば、廃液削減量を増加させればさせるほど、さ
らに追加一単位の削減に要する追加費用が次第に大きくなっていくということである。したがってたとえば、
WO で示されるだけ廃液の排出を削減しようとすれば、この企業は図形 OBEWO (斜線部分) の面積で示される
削減費用を負担するということになる。
A
N 削減に要する限界費用
(設備に要する追加費用)
E
P
M 削減がもたらす社会的限界便益
(漁民の負担の減少分)
B
汚染廃液削減量
WO
O
W
図 7.2 汚染物質排出量の削減
他方で廃液排出量が減っていけば、それだけ漁民の被害が減少し、社会的便益が生まれることになる。これ
をそれぞれの削減量に対応する社会的限界便益として示したものが曲線 AEM である。たとえば廃液を WO だ
け削減すれば、それによって生まれる漁民の被害の減少は、いいかえると社会的便益は図形 OAEWO の面積分
だけ生まれることになる。このとき残った被害の大きさは図形 EW0 WM の面積に等しい。
廃液の削減が一方で曲線 AEW に示される社会的限界便益を生み、他方で曲線 BEN に示される社会的限界
費用 (このばあい私的限界費用に等しい) を伴うなら、それをもとに社会的総余剰を最大にするような廃液放出
の削減水準がある。それは社会的限界便益曲線 AEW と社会的限界費用曲線 BEN の交点 E である。この点 E
が社会的に望ましい均衡点であり、対応する WO が社会的に見て望ましい廃液削減量である。(このとき廃液は
なお W − WO だけ流されることになる。) 廃液の削減が全くないときに比べて、社会的総余剰が図形 ABE の面
積だけ増えたということになる。
7.3.4 内部化の方法: 課税と排出権取引
図 7.2 の点 E に示される廃液排出量をどのように実現するか、いいかえればどのように点 E に向けて企業を
誘導するか、については基本的に二つの方法がある。一つは、排出量を直接量的に規制することである。最初
の頃は多くこの方法が用いられ、企業ごとに汚染物質の排出量が直接規制された。しかし、この方法には排出
権取引の節で説明するように資源配分上の欠陥がある。二つ目は、図 7.2 の P に価格を設定することにより、
3
これは図では限界費用曲線 BEN が右上がりの曲線であることに示されている。曲線 BEN が上に湾曲していることはとくに必要
な条件ではない。
第 7 章 外部性の経済学
(全体としての) 企業の排出量が点 E になるように、企業を間接的に誘導しようという方法である。ピグー税も
排出権取引も基本的にはその例である。
■ピグー税 ピグー税についてはすでに触れた。図 7.2 で説明すれば、価格 P に等しく排出単位あたりの税率
t を設定しようとするものである。
ただ、価格は企業の収入になるものであるのに、税金はむしろ企業が奪われ、企業の負担になるもの、とい
う点を不審に思うかもしれない。しかしこの場合実は効果は同じなのである。図 7.2 の価格 P は汚染物質排出
量の削減に対して与えられるものであった。しかしピグー税は汚染物質の排出量に対して課せられるものであ
る。もしも企業が汚染物質の排出量を削減すれば、その削減量に応じて租税徴収額は減少する。つまり、汚染
物質排出量に対しては価格と同じくピグー税は企業に収入をもたらすものなのである。
そのように理解できれば、限界費用曲線 BEN と価格線 P が与えられたとき、企業の利益最大化行動の結果
として、汚染物質排出削減量が点 E に決まることは第 4 章で説明したのと同じメカニズムである。
■排出権の賦与 これと同じ効果は排出権を賦与することによっても達せられる。すなわち図 7.2 でこの企業
に対し、W0 W だけの汚染物質排出の権利を与え、もしもそれを超えた量を排出した場合には、その超過排出
量に対して罰則的な課徴金を課すのである。いいかえれば、企業に W0 の排出量削減を要求するわけである。
この限りでは排出権の賦与は企業ごとの排出量の直接規制と同じである。しかし企業ごとに排出量を直接規
制すると、排出抑制のために膨大な費用が掛かる企業と安価な費用で済む企業のばらつきが出てくる。この点
に着目し、企業間で排出権を自由に取引させることによって、社会全体の排出削減費用を最小化することをめ
ざすのが次に述べる排出権取引である。
7.3.5 排出権取引
排出権取引は汚染源となる企業に一定の汚染物質排出の権利 (排出権 emission permits) を与え、その排出権
を自由に市場取引させようとする制度である (tradable emission permits)。排出権を市場で取引させようとする
と、汚染物質排出に多くの企業が関わっている場合の方がより機能を発揮させやすい。いままでは化学肥料会
社が汚染物質を川に流しそれが川下の漁場に被害を与えた、という想定で議論をしてきたが、汚染物質がより
広範囲に排出される大気汚染や温室効果ガスの排出を念頭に置いて、以下の排出権取引の議論を進めよう。
■排出権取引が生まれるまで 1970 年アメリカで大気浄化法 Clean Air Act of 1970 が成立した4 。この法律は
とくにアメリカの大都市部での大気汚染を減らすことを目的とし、環境保護庁 EPA の規制を通じて、許容汚
染水準を各地域毎に指定するものであった。とくに主要都市圏では全国大気浄化基準の達成が求められた。し
かし主要地域の多くではすでに大気汚染が進行していたから、汚染が基準を上回っている地域 (基準の「非達
成地域」) では新たに大気に有害な影響を与える工場プラントの建設は禁止されることになってしまった。し
かしそれではこの地域はこれ以上の産業の発展がないことになり、望ましいとはいえない。(ここには trade-off
がある。)
そこで環境保護庁は「相殺」政策を導入した。たとえば、フォルクスワーゲン社がペンシルヴェニア州に新
工場を建設しようとしたとき、ペンシルヴェニア州はハイウェイ舗装工事から出す汚染物質を減少させること
で、新工場建設を可能にした。舗装工事からの汚染減少が新工場からの汚染を相殺したのである。
しかし相殺政策の問題点は相殺相手を見つけるのが難しいことにあった。汚染地域に新規プラントを建設す
4
以下の説明は、R. LeRoy Miller, et. al., The Economics of Public Issues, 9th ed., HarperCollins 1993 (赤羽隆夫 (訳)『経済学で現代
社会を読む』日本経済新聞社、1995) に基づく。
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るたびに、汚染減少に同意してくれる相殺相手を探さなければならない。ここに汚染権の取引を仲介するとい
うアイデアが登場した。
プラントを閉鎖するか、改良された汚染削減装置を設置した企業は、この浄化努力への対価として他の企業
に売却可能な「クレディット」を得る。また他社からクレディットを購入した企業はその分汚染物質を追加排
出することが可能になる。基準を超えて汚染を削減したときにクレディットが配布されるわけだから、それを
購入して追加排出しても、その地域全体では汚染物質の排出量が基準を上回ることはないわけである。
大気浄化法は 1990 年に改正され、その際 SO2 についての排出権取引の制度が導入された。この内容は次の
ようなものであった。
1. 石炭火力から排出される SO2 について、全国年間排出量に上限を設定する。
2. もっとも排出量の多い 110 の発電所に対し、排出権を配布し、それを超える排出に対してはトンあたり
2,000 ドルの課徴金を課す。新設発電所には排出権は配布されない。
3. 排出権は市場で自由に売買できる。
シカゴ商品取引所は 1993 年に SO2 排出権を上場し実際に取引を始めた。排出権の市場価格は次第に値下がり
し、1995 年末にはトンあたり 80 ドルまで下がったという。そもそもなぜこのような取引がおこなわれるのだ
ろうか。このような取引にはどのような利点があるのだろうか。
■排出権取引の仕組み 最初に排出権が各企業に配布されるから、排出権取引がおこなわれるということは、
排出権を余らせて売却する企業も、排出権が不足して市場から購入する企業もあるということである。
たとえばいままで好きなように SO2 を排出してきた二つの企業 A、B に対し、改正大気浄化法のような規制
が導入され、ともに等しい排出権が配布されたとする。企業 A も B も SO2 の排出量を排出権の範囲内に削減
しなければならなくなったわけである。しかし、許容される排出権の量まで SO2 の排出量を削減するとき、企
業 A と B が負担する費用が同じであるとは限らない。
たとえば、企業 A が配布された排出権の量に等しくなるまで排出量を減らしたとき、その排出量削減の 1 ト
ン当たり限界費用が 100 ドルであったとする。これに対し企業 B にとっての同じ限界費用が 150 ドルであっ
たとしよう。いいかえれば企業 A はさらに 1 トン排出量を削減すると 100 ドルかかるが、企業 B は 1 トン排
出量を増やすことができれば 150 ドルの費用が浮く。これは排出権 1 トンが企業 A、B 間で、100 ドルと 150
ドルの間の価格で取引される可能性が生まれるということである。
たとえば、排出権 1 トンが 120 ドルであるとしよう。政府から配布された排出権に等しくなるまで排出量を
削減している企業 A は、100 ドル掛けてさらに 1 トン削減すれば、1 トンの排出権が余り、それを 120 ドルで
企業 B に売却することができ、差し引き 20 ドルの利益を得ることができる。また同じく排出権に等しくなる
まで排出量を削減した企業 B は、排出量を 1 単位増加させることができれば、1 トン削減するのに要した 150
ドルが戻ってくることになる。それには企業 A から排出権 1 トンを購入すればよいのだが、その価格が 120
ドルであれば、確かにその 120 ドルを支払っても差し引き 30 ドルの利益が出る。このように両企業の排出削
減の限界費用が異なっているときには、両企業にとってともに利益を出すような排出権の取引が可能になるの
である。
このメカニズムを図 7.3 で説明しよう。図の左には図 7.2 と同様の、ある企業の汚染物質 (SO2 であるとし
よう) の排出量を削減するための限界費用が描かれている。W は規制のない時にこの企業が排出する SO2 の量
である。
いま、この企業に SO2 の排出権が V だけ配布されたとしよう。排出権にしたがって、この企業が V の量だ
け SO2 を排出するとすれば、W0 だけの排出量削減を実現しなければならない。そのための総費用は図の斜線
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第 7 章 外部性の経済学
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部分の面積 TC0 で示される。また最後の W0 トン目の 1 トンの SO2 を削減する限界費用は MC0 に等しい。
P
排出削減の限界費用曲線
MC0
P−δ
MC0
TC0
O
WO
W0 − δ
Pγ
V
W
W0 + γ
−WO
−δ O γ
V
図 7.3 排出権取引の仕組み 1
右図は左図とほとんど同じだが、縦軸が W0 を通るように書き直したものである。排出権 V を配布されて、
それと同じだけの排出量になるように排出量を W0 だけ削減すれば、この企業は右図の原点 O に位置している
ことになる。つまり排出権を余分に手に入れる必要もなければ他から調達する必要もない状況である。
この状態から、この企業がさらに γ だけ SO2 の排出量を削減したとしよう。このとき実際の排出量は V − γ
トンになるから、配分された排出権 V トンのうち γ トン分は余ることになる。したがって、排出権が市場で売
買されているならば、市場価格で排出権 γ トンを売却してその対価を受け取ることができる。SO2 の排出量を
追加削減するには対応する限界費用が掛かるが、排出権の売却でそれを上回る対価を受け取ることができるの
ならば、この企業には更に排出量を削減するインセンティブが働くことになる。たとえば、排出権が市場でト
ンあたり Pγ で売買されているなら、この企業は実際に γ トンだけ排出量を追加して削減しようとするだろう。
逆にこの企業が排出量を δ だけ増加させた場合を考えてみよう。右図では −W0 から始めた排出削減を −δ で
とどめ (排出削減量は (−δ) − (−W0 ) = W0 − δ トン)、SO2 の排出量は V − (−δ) = V + δ トンになる。しかしこ
の量を排出するには配布された排出権 V トンでは δ トンだけ足りない。そこでその δ トンの排出権を市場から
購入できれば、実際に排出量を δ トン増やすことができるわけである。また排出量を δ トン増やせば、この企
業はそれだけ削減費用を節約することができるが、対応して市場から購入する排出権への支払額がその排出削
減費用よりも小さいならば、市場から排出権を購入しても差し引き得であることになる。そこでたとえば、排
出権の価格がトンあたり P−δ であるならば、この企業は δ トンだけ排出権を市場から購入し、SO2 の排出量を
δ トンだけ増やすだろう。
以上の検討の結果、図 7.3 の右図において、排出量削減の限界費用曲線が、その企業の排出権の (超過) 供給
曲線になっていることがわかる。排出量を排出権配布 V に等しくしたときの削減の限界費用 MC0 に比べて排
出権の市場価格が高いとき、この限界費用曲線はこの企業が市場に放出する排出権の供給量を表している。ま
た MC0 に比べて排出権の市場価格が低いときには、供給量はマイナスになるが、それは排出権を需要する (市
場から購入する) ことを意味する。図の右象限では排出物削減の限界費用曲線は排出権の市場への供給曲線に
なっている。(左象限では需要曲線として現れている。)
■排出権の市場取引 そこで次には市場でどのように取引がおこなわれるかを考えるために、二つのタイプの
企業 A と B があったとしよう。図 7.4 左には両企業の排出物削減の限界費用曲線が描かれている。ただし、両
企業が政府から与えられた排出権に等しくなるよう排出量を削減した場合、いいかえれば縦軸との交点で示さ
れた削減の限界費用は企業 A より企業 B の方が高いものと仮定する (MC A < MC B )。その上で、企業 B に関
第 7 章 外部性の経済学
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P
P
SA
MC B
RB
P0
P0
E
MC A
A
E
RA
DB
B
V
V
O T
O
T
排出権取引量
図 7.4 排出権取引の仕組み 2
しては限界費用曲線を左右逆にしている。企業 B の限界費用曲線は右象限で排出権の (超過) 需要曲線になっ
ているわけである。こうして図 7.4 左の右象限には排出権についての企業 A の供給曲線と企業 B の需要曲線
が点 E で交わっている。
この企業 A の供給曲線と企業 B の需要曲線が交わるあたりを拡大して見たのが右図である。この 2 企業が
競争市場における競争企業のように行動すると想定しよう5 。排出権取引市場が競争的であれば、排出権市場の
需給は図の点 E で均衡し、価格は P0 に落ち着くはずである。このとき排出権の取引は T トンになる。またこ
のような取引によって、企業 A は図の斜線部分 RA に等しい利益を獲得し、企業 B は RB に等しい利益を獲得
する。企業 A が利益を得たのは、小さな費用で排出量を削減し、余った排出権を高い価格で売却したからであ
る。企業 B が利益を得たのは、安い価格の排出権を購入することにより、高い費用を掛けて排出を削減するこ
とを (部分的に) 免れたからである。
この結果社会全体としては何が変わったのだろうか。SO2 の排出量は企業 A が減らした分企業 B が増やし
た。排出量は企業間で肩代わりがおこなわれただけで、排出量全体は変わっていない。実際 2 企業合わせて排
出量を 2V に抑えるという政府の方針は維持されている。
しかし T トンの排出削減が限界費用の高い企業 B から限界費用の低い企業 A に肩代わりされた結果、T ト
ンの排出削減の限界費用曲線が、企業 B のより高い限界費用曲線 (需要曲線)DB から企業 A のより低い限界費
用曲線 (供給曲線)SA に肩代わりされた。つまり、排出権取引の結果生まれる 2 企業の利得 RA + RB は、社会全
体としてみれば、同じ排出量削減を実現するための費用節約の効果を現している。
問
図 7.4 に関して、V の排出権が各企業に配布された後、(1) 排出権の市場取引がなされなかった場合と、
(2) 自由な排出権取引がなされた場合の双方について、企業 A と企業 B の排出削減に関連する費用の大
きさを図中にそれぞれ示せ。また、それとの関連で図 7.4 右図に表された各企業の利益がどのように生
まれたか、図で説明せよ。
費用が「生産のために消費されてしまう社会の有用な資源の価値」を表しているとすれば、同じ汚染物質排
出量削減を実現するのに少ない稀少資源の消費で実現できているということは、明らかに社会的な利益である。
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実際に 2 社しかないのであれば、複占という市場で競争市場とは違った企業行動が現れるが、いまは企業 A と企業 B のタイプの
企業が 100 社ずつあるような状況を考えておこう。そうであれば、供給側の A タイプの企業も需要側の B タイプの企業も市場価
格を所与として、price-taker としての行動をせざるを得ない。排出権取引市場も実際はそのような競争市場に近似的な市場と考え
て良いだろう。
第 7 章 外部性の経済学
排出権取引は、最も少ない費用で削減することのできる企業を選び出して、排出削減を実施させ、それによっ
て SO2 など汚染物質の排出抑制にかかる社会的な費用を可能な限り減少させる機能がある。これは逆に見れ
ば、同じ社会的費用を掛けるならば、より厳しい排出抑制が可能になる、という意味で、環境保護にとっても
基本的に望ましい話である。
もう一点、この排出権取引について述べておくべきことがある。図 7.4 で排出権を供給して利益を得た企業
A は排出削減の限界費用が排出権価格を下回っているのに応じて利益を得た。それは排出削減の限界費用の低
下が、排出権売却を通じて利益の源泉になることを意味する。それは排出削減費用を引き下げるような技術革
新が利益を生み出すということであり、この排出削減技術の開発を巡って市場競争が始まることを意味する。
排出権取引は、市場全体に排出削減の技術革新を促進するインセンティブを導入するのである。これが単純な
個別企業ごとの排出量規制に比べて排出権取引がはるかに優れている点である。
復習のための問題
1. 「外部性」とは何を意味するか。また何に対して「外部」であるといっているのか。
2. テキストに挙げた以外の外部経済と外部不経済の例を挙げてみよ。それらはなぜ外部経済であり外部不
経済であるか。
3. 私的限界費用と社会的限界費用に差が生じるのはどのようなときか。
4. 外部不経済があるとき、ピグー税が社会的最適均衡を実現するための手段であり得ることを説明せよ。
5. 汚染物質排出源の排出量を直接コントロールしようとする政策はどのような欠陥を持っているか。
6. 汚染物質の排出権の配布を受けた企業は、どのようなときに市場から排出権を購入しようとするか。ま
たどのようなときに市場に排出権を売却しようとするか。
7. 排出権取引の特徴と利点を説明せよ。
応用問題
1. 「ピグー税を課して汚染物質の排出量を制限しようとするとき、汚染物質の排出量はゼロであることが
本来望ましいのだから、排出量がゼロになるような充分高い水準に税率を設定する方が望ましい。」コ
メントせよ。
2. 大都会の都心ではしばしば交通渋滞が起きる。これが一種の外部不経済をもたらすものであることを説
明せよ。
3. 汚染物質排出量を削減するために排出量に応じた税金を課すのと、排出量を削減した量に比例して補助
金を与えるのは効果が同じであることを説明せよ。違うとしたら何が違うだろうか。
4. 「排出権取引で汚染者は汚染の権利を売却して利益を得る。これは批判されるべきである。」コメント
せよ。
5. 国内で排出権取引制度が導入されたアメリカで、ある環境保護主義団体は自ら排出権を購入し、それを
未使用のままにしたという。これがどういう意味を持っているかを議論せよ。
6. 汚染物質の排出量を減らすための、税金を課すのと排出権取引による方法を比較して、どちらが好まし
いと考えるか、現実の問題として考えて自分の評価をせよ。
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