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印刷用pdf - 特定非営利活動法人 アジア近代化研究所
IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) Ⅳ 台湾旅行記 その1 藤沢すみ子 エマウス・メディカル・ジャパン 株式会社代表取締役 文筆家 8 月 28 日 台風 11 号が台湾の南に上陸すると同時に、 我々は台湾北部にある松山国際空港に着いた。 空港ビルから外にでると、どんよりした曇り空から落ちた雨が頬に触れた。 台南から北上する台風に向かって、我々は南下して行かなくてはならない。今日は台中 のホテルに泊まる予定だ。 この先どうなることやら、と空を睨みながらツアーバスに乗り込む。総勢 11 人のツアー 客の平均年齢はおそらく 60 歳を超えるだろう。4 組は我々を含む夫婦連れ、1 組は母と娘、 そして女性 1 人。みな、口ぐちに不安を漏らしながら席に着いた。 ガイドは、眉毛に特徴のある、目鼻立ちのはっきりした小柄な男性で「ハンソン」と名 乗った。范村山と書いて「ハンソンサン」と読むとのこと。先祖はオランダ人で、ハンソ ンという名前がそのまま残ったのだという。オランダ人云々は、彼の顔から想像がつくが、 名前に関してはどうだろう。 「はん・そんさん」という名前なら理解できる。だが「はんそ ん・さん」という台湾名は有り得るのだろうか。さすがの私も、出会ったばかりの彼に訊 けなかった。 自己紹介が終わると、ガイドは、台湾は中華民国ではない、と語りはじめた。中華民国 は台湾に寄生している政府であって……と自身の歴史・政治観を語り続ける。台湾に中国 語はない、あるのは台湾語と北京語だけ、台湾人はみんな中国が嫌いだ、台湾は日本であ った時代に国としての基本が整った、台湾人は日本の国でありたかった、日本が台湾を放 棄しなければよかった、etc. 1 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) アジアを旅するたびに思うのだが、どうしてガイドはみな自国に対する歴史・政治観を 語りたがるのだろう。そして必ず、日本に対しての感想を述べる。反日か、そうでないか。 中間は有り得ない。ガイドのみならず、アジア人はみな、日本に対してなにかしらの想念 があるということなのだろうか。それとも、ガイドという職業を持つと、日本人に対して 特別な感想を持つようになるということなのか。 時折吹く強い風がバスを揺さぶる。その都度、ガイドは、台風が近づいていますからね、 と繰り返し、シートベルトを確認させ、再び台湾独立主義、中国否定、日本肯定論を繰り 返す。 「ホテルに直行するには時間がありすぎますから、途中で、黒檀の彫刻を売っている店で お買い物しましょう」 ガイドは、この店は特別な店なのだから、是非、何か買ってほしいと言う。 「店の社長さんは、すごく偉い人で、台湾の原住民族が作った品物を売って、その一部を 原住民族のために使っています。だから、皆様がその店で何かを買うと、台湾のためにな るよ」 店に到着するまでの小一時間、ガイドは黒檀の説明を続けた。小雨が降ったり止んだり という空模様の中、バスは、古ぼけた看板のかかった店に到着した。思いのほか、小さな 店だ。バスが一台、やっと止まれる駐車スペースしかない。 バスを降りると、まず、店の入り口前で、黒檀の切れ端を持ったガイドから、黒檀強制 指導を受けた。 2 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) 入口では、店員がバナナを持って我々を出迎え、バナナを一本ずつ我々に渡す。なぜバ ナナなのか、よく分からないが。 入口付近には、黒檀色の大小様々な彫刻が陳列してあるのだが、とても庶民に手の出る 値段ではない。百万円単位のものが多い。奥に進むにつれ、買いやすい値段になっていき、 一番奥には、箸やらしゃもじやら、家庭で使えそうな小道具や、小物類があった。箸が5 膳で 1,800 元。日本円で 5,000 円だ。しゃもじがついて 2,500 元。買えない値段ではない が、黒檀色の(本物の黒檀かどうか定かではない)しゃもじには興味がない。 ツアーの中で、二組のご夫婦が箸としゃもじのセットを購入するのを見て、申し訳なく もほっとして外に出る。犠牲者は二組で充分だ。 店の外には、立ったままタバコをくゆらせている初老の女性がいた。彼女のことは空港 に着いたときから気にかかっていた。スーツケースやボストンバッグなどは持たず、スー パーで使うエコバッグのみという軽装でツアーに参加していたのだ。 私と目が合うと、彼女は口元を緩めた。 「百円ショップで買えそうなものばかりね」 私が感じていることをあっさりと語ってくれる。華奢で細身の彼女が頼もしく思えた。 白髪混じりの髪を無造作に結び、化粧っけもない。履きなれたジーンズにスポーツシュー ズといういで立ちからは、いかにも旅慣れていますというオーラが醸し出されている。 ツアーの面白さは、その時限りのメンバーで一期一会の家族ごっこができるところだ。 普段の生活では有り得ない様々な人間模様の中に、新たな発見がある。 「この店、他のツアーでも来たことあるわ」 「何度も台湾に来ているんですか?」 「独り者だから、誰に気兼ねすることもなし、しょっちゅう、いろんなツアーに参加して るの」 タバコをくゆらせながら、くったくなく答える。彼女は自ら、椎名と名乗った。ますま す興味をそそられる。台風にたたられながらも、旅が面白くなりそうだ。 黒檀店で買い物をした二組の夫婦が、バスに最後に乗り込む。他のメンバーはみなにこ やかに彼らを迎えた。雨が強まる中、バスは出発。 3 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) バスが走り出すやいなや、ガイドはマイクを持ち、不機嫌そうに低い声で語った。 「こちらで買い物をした方は、佐藤さん、鈴木さんの 2 名。たった 2 名。これじゃ、僕た ちガイドの立場がないのよ、次はぜひ、お願いしますよ、みなさん」 根がお人好しに出来ているから、そう言われると、胸がちくりと痛む。 「お土産は安物を買っちゃダメ。安い携帯ストラップやキーホルダーを何個も買って、人 にばらまいたって、だれも喜ばないよ。どこかに置いておしまい。どうせ買うなら、1 個で いいから、何万円のものを買って差し上げた方がいいね」 どうしても、ツアー中に連れて行かれるいずれかの土産物屋で、ガイドのご機嫌取りに、 不要なものを買わなければならないらしい。楽しさ半減、お土産ツアーの巻だ。 途中立ち寄ったドライブインは、黒檀店よりよっぽど面白かった。日本統治下時代の台 湾を再現している。自分の幼いころの日本を彷彿とさせるショップが並んで、飽きなかっ た。 土産物には、日本語ネーミングのものも多い。 「北海道の恋人」には驚いた。なぜ台湾に 北海道のお土産が、と思わずシャッターを押す。 ガイドは、台湾の民衆の多くは日本びいきであると語ったが、これほどまでとは思わな かった。もし、同じドライブインを中国に建設しようとしたら、袋叩きに合うかもしれな い。 雨風が強まる中、バスは、台中のホテルに到着した。こじんまりとしたホテルで、スタ 4 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) ッフたちも笑顔で我々を迎えてくれた。清潔でかんじのいい建物だが、周囲には何もない。 入口前には工事現場が広がっているだけだ。天気も悪いし、部屋のテレビで台風情報でも 眺めながらビールでも飲みましょうと、ホテル横のコンビニへ入って驚いた。 昼食によく買って食べている蕎麦やおにぎりと同じものが、まったく同じ仕様の棚に、 同じ向きに置いてある。おでんには感動さえ覚えた。ここは日本国台湾県? 夢を見てい るの? と頬をつねってみたくなる。 夕食は客家料理。今まで食べた、他のアジアの国々の料理より、日本人の口にあう。上 海や北京の料理より、ずっと日本人の味付けに近い。台湾が 50 年間もの間、日本国であっ 5 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) たという事実は、歴史の教科書より如実に庶民の味覚に残った。 私の隣に腰かけた椎名さんは、肉をよけては、野菜やスープばかり食べていた。食べ物 の好みが私と同じだとわかって、会話が弾む。 「8 月の初めは中国にいたのよ、私」 「毎月、海外旅行するんですか?」 「月に 2 回旅行に出ることもあるわ」 なるほど、と納得。椎名さんの軽装は、よほど旅慣れた人のものだ。 「ツアーでいろんな人と一緒になれて楽しいじゃないの」 1年 365 日のうち、半分以上は海外に出ているとのこと。旅を続けるには、体力も経済 力も必要だ。しみじみと彼女を見ると、Tシャツに、膝の擦り切れた古いジーンズという 軽装だが、胸にはでっかいダイヤのネックレスがかかっていた。 「夫は働きづめの人生で、おまけに定年直前にさっさと逝っちゃって。専業主婦だったか ら、旅行ぐらいしか趣味がなくてね。子供もいないし」 経済さえ許せば、ツアー三昧で、一期一会の家族ごっこを演じて、一人暮らしの寂しさ と有り余る時間を埋めるという方法もあるのだな、と自分の未来が椎名さんに重なって、 すぐに消えた。残念ながら私には、コレステロール値がほんのちょっと高めなだけの、長 生き家系の夫と、2匹の迷犬と、いつまでもお金と手のかかる子供や孫がいる。 ホテルに戻ってテレビをつけると、どのチャンネルも台風のニュースばかり。のろのろ 台風の居座った台南の被害状況を次々に映し出していた。 壊れた家や、土砂崩れの場面が映し出されたと思うと、次には、傘を飛ばされそうにな りながらも、土砂崩れの道路脇で営業を続けるテント張りの小さな露店や、わざわざ車で そこまで行って食品を買う人や、町の夜店で膝まで水につかりながらも営業を続ける人々 を映す。日本では有り得ない逞しさが懐かしくもあり、羨ましくもあり、画面から目が離 せなかった。黒檀屋より、台湾のことがよくわかる。 8 月 29 日 翌日は、朝から雨。台風の影響が強まる中、台南から北上する台風へ向かって、我々は 南下していく。 バスは雨に打たれながら、ときおり風に煽られて大きく揺れた。ガイドは、台風を気に しながらも、バスの窓から景色が見えないのをいいことに、朝からずっと中国の悪口を続 けだ。中国へ何度か行ったが、そのたびに、必ずガイドから日本批判をチクリとやられた。 それにひきかえ、ここでは日本批判されないだけましだが、やはり、持論を押しつけられ るのは気分のいいものではない。 6 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) 日月譚へ到着したときは、小雨ながらもなんとか観光できる状況だった。きれいな湖を 前にして、ガイドは、我々を自由に散策させてはくれない。カメラを湖に受けただけで、 「中国人の真似しないで、私の話を先に聞いて。写真はいつでも撮れるよ」 と言って旅行者の自由を奪う。 湖の前に佇む文武廟に入ったとき、ガイドの説明を聞いているふりをして、さっと撮っ たのがこの写真。本物の兵馬俑に見えるけれど、生きた人間がパフォーマンスしている。 表情ひとつ動かさない逆パフォーマンス。足元もぶれないし、手も少しも動かない。触っ てみたくなるほどだ。ガイドの説明よりよっぽど面白い。 文武廟をしばらく歩いた後、ようやくバスに戻るまで 15 分の休憩を貰った。ガイドの目 の届かない場所にある文武廟内の土産物店に入ると、昨日、黒檀店で見たのと同じ箸を見 つけた。なんと、0が1つ少ない。180 元だ。横には、箸が 10 膳まとめて輪ゴムでとめて あって 200 元。ま、いっか。昨日、黒檀店で箸を買ったご夫婦は、台湾の経済を潤したと いうことでグッジョブ。 とうとう湖畔に降りて歩くことを許されずに我々はバスに戻った。どんどん台風に近付 いている中、ガイドも、できるだけ早くスケジュールをこなしたいと言う。 蓮池譚に着いたとき、雨は相当強くなっていた。湖を前に、どうすることもできず、虎 7 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) の口、竜の尾を持つ塔の中へ入った。竜の尾から入り、虎の口から出ることで、糊口を凌 ぐことができるとかなんとか……。竜の尾を模した入口から入り、つるつると滑る階段を 上り、塔の頂上から台風の中にある蓮池譚を眺める。 ここにどんな歴史があるのか、嵐の中、さすがのガイドも説明も何もあったものではな い。ともかく予定をこなさなくては、と何も知らされずに、極彩色の、テーマパーク的な 建物の中から、湖や、他の建物を眺めた。何かにつかまっていないと、足が滑ってしまう。 同じツアーの方々とすれ違い様に何度も大理石の階段から滑り落ちそうになった。 ゆっくり階段を降りて出口に向かうと、そこには誰もいない。ガイドも、ツアーの仲間 もいない。夫と私だけ。みんなどこへ行ったのかしら、と慌てて外に出ようとしたが、ど のドアも、内側から閂がかけられていた。おまけにその閂は動かないように鍵がかけられ、 さらに外側から鍵をかける、とご丁寧に三重に閉められていたのだ。 台風の真っただ中、夫と私は、虎の口と竜の尾の間にまんまと閉じ込められてしまった。 窓から見える景色の中にも、ガイドやツアー仲間の姿は見えない。 来た道を戻って入口にから出ようとすると、入口も閉められていた。入る時には確かに 居た料金取りのおじさんもいない。 雨風がひどくなり、塔に上るのは危険だと、閉館したのだろう。 8 IAM Newsletter 第 13 号 2011 年 11 月 15 日発行 特定非営利活動法人アジア近代化研究所(IAM) 「中に誰かいるかどうかぐらい確かめてから閉めればいいのに、本当にいいかげんなんだ から、もう」 夫も私も口ぐちに文句を言いながら、ドアを開けようと空しい努力を続けていた。横、 縦、斜めに動かしてみるが、頑丈な閂はびくともしない。 ふいに、ガイドの携帯番号のメモがバッグの中にあることを思い出した。なんとか抜け 出すことができそうだ、とほっとしてメモを取出し、携帯を開いた。が、携帯の画面が明 るくならない。電源ボタンを何度押してもだ。携帯のバッテリーは切れていたのだ。悪夢 を見ているかのようだ。 こんな時に限って、夫まで携帯をバスに置き忘れて来たという。 最悪の場合でも、明日の朝になれば、誰かが見つけてくれるとわかっていても、焦燥感 は増すばかり。右も左もわからない外国での非常時、肝っ玉かあさんを気取る私でも、さ すがに心穏やかではいられない。時々刻々と激しくなる胸の鼓動もため息も、窓を叩きつ ける雨と風の音にかき消された。 <続く> 9