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ぐ/フ:::::--ク戸
浄土第71.1D号 {毎月 l 回 1 日発行} 平成 17年 12F1 1 目先行昭和 1 0年 5 月初日第 3樋脇便物腿可 • /~ 一't:Qrt' / / ~ ./ • /ぐ/フ:::::--ク戸=- . . 。,7 ~" / 1 ' 1' ! ; . r 〆 法然上人鎖仰会 ;,,- f . II' 1 称、 え ず ば ぜ た と L 、 イ言 ず と 、 、 3、.ピ ヲ る と も カ£ 如 し 。 、 イ言 名 ぜ号 ず を ば閑 、 関 と か 、.1 2 0 L 、 る と も カミ 如 し 。 ワ れ ける御飼 」 制 法 然 上人御法語 「つねに仰せら 割即応>/12月号目次 法然上人を踊る ③ H・ H・. . . .・ H ・.... ..・ H ・..... .・ H ・. . .・H ・. . . .・ H・-…・ ひろさちゃ tll 怨紀行 ・・…・・…. . . .・H ・..…... .・H ・... .・H ・...・ H・.. .・H ・-・・・・ .. i接 清鑑 2 1 2 会いたい人小沢昭 ー さん①…・…・…… H ・ H・-… H ・ H ・-…・・ 関 容子 18 お念傍 に生 されて ・…-…..…H・H・-…・・・梅原健隆 2 6 新連載 ライブラリー 浄土 表紙のことば ………H ・ H・-… H ・ H ・-…H・ H ・-…・… H ・ H・-…H ・ H ・..村上健 33 轡流十万 ・・・ H ・ H ・. ..・H・...・ H ・.. .・H ・ H ・ H ・.... .・ H ・... .・ H・-….... .・ H ・-・・ H・ H ・ 林田廠順 3 4 揃堺の ことば 胸排のじかん …H ・ H ・...・H・-…. . . . . . . . . .・ H ・-…・ 藤原理加 38 仏教コラム H ・ H ・......… H ・ H ・-……・.....・ H ・...........・ H ・...・ H ・...・ H ・-… 大室 7 睡 4 3 浄土誌上句 会 4 4 4 7 マンガ ……・・・ H ・H・. .…・・…・・… H ・ H・.....…H・H・-蜘岨織田河郎子 さ っ ちゃんはね つ…....・ H・.....・ H ・-…・・ H・ H・- かまちよしろう a集後記……・………・・ …… … … … …… …............................. ,,d,, ‘'マ./ ヨ陸自民題字 =浄土門主 中村康隆貌下 アートディレク ション= 近藤十四郎 悔カ =迦陵頻伽合 ~ 子どもが、ある日、七十点取 。 って帰ってきた 十 四点だ 。 と 言っ 。 それじゃ、 て、台所で 一生懸命 「よかったね、よくやったね 」 った」 と 言 えば、その途端にもうカレーライス で、途中で聞くんです 。「そういえば、今日の平均点は何点 今日はあなたの好きなカレーライスをつくってあげましょう 。 ったの ?」。「今 日の平均点は八 カレーライスを作っている だ を作る気がなくなる だから、何だっていいわけじゃない 。 。 よくや 。 。 。 。 そこへいくと、病人はちょ ったものだから 。 。 クラス と言 われ ネクラでどうして悪 」 っと浮気できないだけ幸せなん 。 あんた、も 。 っ 何だ ってい いと 仏様がくださるもの 。 仏教の問題です ったねと評価してあげるべきなんです その子が普段は 三 十点のところが七十点取った、それはその子の努力で決まることなん です しかし、平均点より上か下かというのは仏様の問題でしょう 。 っちでもいいんだ の中でどれだけできるかは全部仏様が決めてくださることなんです ってください なんだから、 平均点以下であろうと上であろうと、ど 思 そういうふうに思う 。 病気になれば、病気がいいんです 健康なるがゆえに浮気して、総理大臣をクピにな 。 た方もおいでになるんだから です っていいんです 私がこういう話をすると、 「先 生の ような考え方をすると明るくなれますね 仏様がくださ 。 と 言 われます っと個性を伸ばしなさ 」 くよくよくよくよ、いらいらいらいら、がつがつがつがつ、それもいいんで 。 と 言 、つんです 「私は嫉妬深い性格なんです、この自分の性格が織なんです 何だ ってい いんだから 。 る方がいますが、それも大間違いで、明るくなくた 。 いんですか す ときどき、 が、 「 嫉妬深いというのは個性ですよ 」 4 法然上人を掛る いと 首 いたいですね 。 欠点というのは個性です 。 。 、 。 音痴というのは個性なんですよ 散がう 。 っている私なん あるいは、お浄土に行 。 ってからの ったら、 一生懸 万 が 一怪我をし バ イに乗りたいと 言っ 。 そして、 「泣かないように しかし、そうじゃないと思うんです 。 それな 子どもから心配かけられるのは嫌だというのは、虫がよすぎる 。 。 だから、音痴がより音痴になれば個性が 。 。 っちのほうがいいと、マンションを替えるよう それは仏様が預けてくださ 。 私は 音 痴なんです 私はあ ってください まくなれば、ありきたりの人間になるんですね 伸びたことになるんです まず、みんな自分を好きにな 。 それは来世にしましょう だから、それを好きになるのです 。 。 嫉妬深い人は嫉妬深い自分を預 。 っていいと考えていただきたい 今この世では、この体を預かっているんです なわけにはいきませんから 。 っているんだから、仏様の預かりものとして何だ 問題です か 。 。「万が こ 不幸にな しかし、私がこういうふうに 言 いますと、けれども 「 万が こ のときがあるでしょう います 「万が こ のときには泣けばいいん 「 万が こ のときはどうしたらいいんですか、と聞かれます 。 どうしたらいいんですか、とよく聞かれるんですが、 です と雷 私たちはみんな、泣いちゃいけないと思うんですね 命努力しなさい 」 ったんです オートバイの運転は危ないし、 っている話ですが、娘が大学生のときオート 。 言 おうと思 ったんです って、やめろと 言 おうと思 これはい つも私が使 たとき、やめろと たらどうするんだと思 ったら 5 しかし、よく考えてみたら、自分も大学生のときに親に心配かけてきたのです のに自分が親にな . 子どもが、ある日、七十点取 。 って帰ってきた 。 。「よか よくや と 言っ ったね、よくや 」 。 。 ったね 。 それじゃ、 て、台所で 一生懸命 。 何だ 。 そこへいくと、病人はちょ 仏様がくださ 。 ったものだから 。 。 クラス と 言 われ ネクラでどうして悪 」 っと浮気できないだけ幸せなん 。 あんた 、 。 っ っ ていいと 仏様がくださるもの 仏教の問題です ったねと評価してあげるべきなんです った、それはその子の努力で決まることなん っ た」 と 言 えば、その途端にもうカレーライス で、途中で聞くんです 。「そういえば、今日の平均点は何点 今日はあなたの好きなカレーライスをつくってあげましょう っている 。 ったの ?」。「今 日の 平 均 点 は八十四点だ カレーライスを作 だ を作る気がなくなる だから、何だっていいわけじゃない 。 その子が普段は 三十点のところが七十点取 です しかし、平均点より上か下かというのは仏様の問題でしょう 。 っちでもいいんだ の中でどれだけできるかは 全 部仏様が決めてくださることなんです ってください 。 健康なるがゆえに浮気して、総理大臣をクピにな なんだから、 平 均点以下であろうと 上 であろうと、ど 思 そういうふうに思う 。 病気になれば、痛気がいいんです 。 た方もおいでになるんだから です っていいんだから 。 と 雷 われます も っと個性を伸ばしなさ 、「私は嫉妬深い性格なんです、この自分の性格が嫌なんです と 言 、つん です 」 くよくよくよくよ、いらいらいらいら、がつがつがつがつ、それもいいんで っていいんです 私がこういう話をすると、 「先生のような考え方をすると明るくなれますね 何だ 。 る方がいますが、それも大間違いで、明るくなくた 。 いんですか す ときどき が、 「 嫉妬深いというのは個性ですよ 」 4 法然上人を 踊 る いと 雷 いたいですね 。 欠点というのは個性です 。 こ の世では、 。 私は音痴なんです 。 歌がう 音痴というのは個性なんですよ 。 。 だから、 音 痴がより 音 痴になれば個性が っている私なん 。 それは仏様が預けてくださ 。 。 嫉妬深い人は嫉妬深い自分を預 あるいは、お浄土に行ってからの 私はあっちのほうがいいと、マンションを替えるよう 。 この体を預か っているんです それは来世にしましょう 。 ってください まくなれば、ありきたりの人間になるんですね 伸びたことになるんです まず、みんな自分を好きにな 今 。 だから、それを好きになるのです 。 なわけにはいきませんから 問題です かっているんだから、仏様の預かりものとして何だっていいと考えていただきたい 。 。 「万がこ 不幸にな 。 一生懸 一怪我をし バ イに乗りたいと 雷っ 。 そして、 「泣かないように しかし、そうじゃないと思うんです 。 。 ったら、 しかし、私がこういうふうに 言 いますと、けれども「万が こ のときがあるでしょう います 「 万が こ のときには泣けばいいん 「万が こ のときはどうしたらいいんですか、と聞かれます 。 どうしたらいいんですか、とよく聞かれるんですが、 です と雷 私たちはみんな、泣いちゃいけないと思うんですね 命努力しなさい 」 ったんです オートバイの運転は危ないし、万が っている簡ですが、娘が大学生のときオート 。 言 おうと思 ったんです って、やめろと 言 おうと思 これはいつも私が使 たとき、やめろと たらどうするんだと思 。 ったら、子どもから心配かけられるのは嫌だというのは、虫がよすぎる 5 しかし、よく考えてみたら、自分も大学生のときに親に心配かけてきたのです それな のに自分が親にな 、 と思いました 。 それで娘に、 「お父さんはあなたが大怪我でもしないかと心配だ 。 。 だが、 その心配という布施をさせて 親があなたにしてあげる仕事というのは、忠告じゃない、アドバイスすることじゃない 。 。 だから、あなたは、お父さんが心配しているという荷物をオートバイの ってね 」と言っ たら、娘は喜んでくれたんです 。 親があなたにしてあげられることは、心配することなんだ もらおうと思う 。 。 しかし、子どもはみんな仏様の子どもなんです だから、その子どもは、その子の人 ところが、親は子どもに 「こうしなさい」とアドバイスする必要があると思われていま 横に載せて走 す 。 侮っき、のたうちながら生きないといけな 。 。 その子はその子の人 生 を だから、その子には 「やめなさい 」と 親が 言 うの っかしい人生かもしれない 生を歩まないといけないんです 親から見て危な 。 私はアドバイスはしちゃいけないんだ それもまたその子の人生なんです 。 。 はよくないと思います 。 い 生きるんだと思います と言 います 。 。 そして、お母さんの病気が治 ったから 万が 一のときに それなのに親の忠告を聞かなか 。 ったもので、また再び修行に出ていく 。 そ 永 平寺に おいでになられたある禅師が若いころ東京で修 。 それは 言つ てはいけないことです 。 何だっていいんじゃないですか そして、万が 一のときに泣いてやればいいん 」 それを、「あのときああ 言っ たでしょう 。 でも、それでその子は傷つくかもしれないけれど、そんなことを恐れていたんじゃ駄目 。 なんです です こんなことになるのよ 。 一緒に泣いてやるのが本 当の 慈悲なんです これは曹洞宗の禅師の簡です 。 行をしていたら、お母さんが病気で倒れたということで、福井の実家に帰ってお母さんの 看病をしていた 6 法然上人 を穏 る 」 と 。 ったら、この家の敷居を 。 っていいんだ 。 てくださ った 。 皆さんの亭主も仏様からの預かりものだと患 。 ったら、裏 口 から帰っておいで 。 したが っていただきたいんです 。 一のときに 一 。 法然上人が ってくだ 親ができる布施 って、万が 。 お でも、お前が世 そのときはこんな 。 それだけの覚悟 って、世の人々から糾 二度とまたがない のときに禅 師 はお母さんに 言っ た。「私が万が 一堕落した坊主にな って修行に出ていきます 弾されるような破戒坊主にな を持 こんな家、忘れた 。 そうすると、お母さんが 言 われたそうです 。「お前、馬鹿なことを 言 うんじゃない 。 ったときは、世間が人がちやほやしてくれるんだ って来なくてもいいんだよ 前が名 僧 、高 僧 にな 家なんて帰 。 玄関から帰ってくるのが 恥ずかしいんだ 間の人から後ろ指きされて、みんなが 相手にしてくれなくなったら、そのときこそこの家 に帰っておいで と 言っ ったそうです 裏口からも入れないようなら、窓を破ってでも入っておいで お母さんはいつでも待って いるからね 」 この 言 葉を禅師は忘れることができなか 。 緒に泣いてあげることが、親が 子どもにしてやれる最大の布施なんです は、 子どもをはらはらはらはら心配して、気遣うことだけです 。 そして、自分の肉体もそうだし、皆さんの女 房も仏様からの預かりものだと思 さい 。 スタンダードとい 教えてくださったのはそのことだと思います 。一 緒に泣いてやることが布施なんだよとい うことです 。 7 もうひとつの物差し 、 私が 雷 いたいことは何かといえば ダブル・スタンダードなんです • 。 。 病気は悪いことなんだという物差し 健康は 。 うのは標準という意味ですが、物差しと訳しましょうか そうすると、 二 つの物差しです 一本の物差しは、日常世間の物差しです 。 。 。 。 。 。 。 しょぼ いつまでも若く見 ったのがいいんです 健肢がいいんで、病気が悪い 若いのがよくて、老人が悪い いいものだということで、健肢のためなら死んでもいいというような健康オタクまであら われる 。 えるというのがほめ 言 葉みたいに思っている 。 。 それがダブル・スタンダード 。 もう いつまでも若ければ 。 がんは医者に行 。 。 っ がんになれるまで高い年 。 。 一本の物差しは浄土宗の物差しで、法 。 けれども、そういう世間の物差しだけじゃ駄目なんです いつまでも元気はつらつとした老人、 「はつら 何で老けているのが悪いことなのだ 年を取ると、年を取 くれたら、しょぼくれたのがいいんです っています でも、世間の物差しはそうはいかない つ老人」がいいと思 その物差しで私たちは苦しんでいるんです そのもう それゆえ、私たちにもう 一本の物差しが必要です 。 。 老けろと 言 われれば老けます がんになれと 言 われたらがんになればいいんです 。 それは何かといえば、計らないということです 。 一本物差しを持ちなさいということです 然上人から教えられた物差しです 。 何だ って いいんだ、お任せします 若くていい 。 そういう仏教を法然上人は私たちに説いてくださっ 。 がんは治りませんから 。医 者は悪いもの、がんの部分を切っているだけ 一本物差しを持つ 家を壊しているようなものです 。 齢まで生きられたというのは、文句言 わないでいいんじゃないですか 。 たって駄目です でしょう 。 ともかく、もう たんです 8 tま然上人を 諮 る それでは最後のまとめをします 。 。 私がお話ししたのがおわかりになりましたか 。 。 。 。 私が 言 おわかり もう全部阿弥陀さんにお任せしよ て そしてダブル・スタンダード 何だっていい 。 。 あ っという聞にお浄土に行くんです 。 したが 仏様の物 差 しからみれば 。 って、この人生そんなにあく 苦し いときは苦しめばいいんです 。 。 だれが、早いか遅いかわかりませんが、 って、どうなるというんです 頭をとると 「ナン、マン、ダプ 」 です ったのは、まずナンだっていい、次にマンが になりますね 。 浮世の物差しであくせくや うじゃないか どうせ、もうすぐみんなお浄土に行くんですよ 。 あと百年もすれば、ここにいる人は誰も生きていないでしょう もうすぐです せくしがみつく必要はないんです 。 。 。 。 。 そこを何だ っていいと なぜなら、本当に安らかに死にたい 。 ぽけ老人は安らかです 死の恐怖がないのはぽけ 。 っていいんです けれども、 「 安らかに死ね 」 なんて法然上人はどこで のたうち回りながら死んだ と 言 われる方がおいでになる 私がこういうふうに 言 うと、 「そういうふうに考えることができれば安らかに死ねます ね」 言っ ているんですか わかれば、安らかなんです 。 。 したが 目 になればのたうち回れ もうすぐ関東にも大震災があると思い 。 って、のたうち回る羽 でも、ぼけて安らかに死んだほうがいいか、ぽけずに苦しんだほうがいいのか、 ったら、早くほければいいんです ここのところ、ちょっとおもしろいと思うんです んだ 老人です 。 ど っちがいいのかわかりませんね ばいいんです みんな地震が来たらどうしようと考えています っています 。 早いか遅いかだけです 。 。 9 ますが、来れば万が 一のときには死ねばいいんじゃないですか どうせ人 聞 は 一度は死ぬ に決ま . それで勝 。 。 ったほうが正義でしょう 今は反対の意味に使われているんです 。 。 恐ろしい 。 。 それが そのために我々は政治家や行政マンを雇っているん 。 。 この上の四角が変形して 一本の梯にな 。 っ てしま そんな字なんです 。 正義 足跡 二 つ並べ 。 。 。 や 正 アメ H 正 u という字は軍隊で城 ってそういう意味です だから、 。 そうじゃない 言っ ているようなものです 。 HH H だから、窓から月が これが 。 。 ったら、窓という意味なんです 。 よく考えてみると太 ρ 明 u るいです 。 H 。 ったんですが、この 正 。 しいという 字 は、昔は上にある 二 u H 正 u しいという字は、白 どうも日本人は漢字を余り知らないんです 一方私たちは死ぬときは死ねばいいんです 「明らめ 」 です っかり考えるべきで、 あきらめは 都議会は東京に関東大鍵災がもう 一辺来たらど しかし、私がこう 言っ てもダブル・スタンダードだから、行政は浮世の物 差 しでちゃん 行政はし 。 と仕事をやってもらわないと困るんです 。 うするか、その対策をしっかり練る です 。 H 明 がという字はおもしろい字です あきらめです この 。 ; 別に私がそんなに知っているわけじゃないんですが、たとえば ったんです 川静博士の『字統』を見てび っくりしました が四角だ 。 ρ 止 u まるという字は本来の意味は「進む 」 という意味なんです 四角は何を意味するかといったら、城壁で固まれた町なんです そして た象形文字 壁を攻めるんです って怖いんです っていたんです リカがイラクを攻めるようなもので、勝ったから正義だと 義 。 因 。という字を響いていた 明 u るいという字、これは昔、私は太陽と月だと思 H っていくわけなんです それが 問 H はどういう意味かとい ρ 。 太陽と月じゃありません はり 『字 統」を見ますと、昔はへんの部分は に変わ この 差し 込んでくる 。 1 0 法然上人を 踏 る 踏と月は 一緒に出ませんよね 。 。 太陽光線の下で恋人の肌を見てごらんなさい 汚い 。 。 。 。 。 っと目を聞いているのはお不動さんだけです 。 。 これは こまごました 「明も過ぐれば察にな 。 。 やはり、女房が美しく見えるのは 。 察 u なんです っと目を聞いて見ることじゃない 目を聞いてものを見るのは 仏様の中でか 。 お不動さんという ってくる光を遮断してい 察になれば疑い多し 」と「近思録』という本の中に書いてありました H 察 u というんです ですから、物事をあきらめるというのは、か 窓か ら差し 込んでくる、薄らぼんやりとした窓からの光でも って美しく見えるんです り 。 ところまで見てしまうと、疑いだらけになってしまいます そういえば、仏様の目はみんな半眼になっていますあれは入 るんです っと目を聞く 。 。 こういう仏教を法然上人は私たちに教えてくださ った 。 っていい、万が 。 何だ そういう っ ていい これは本 当に 修 て ダブル・ス ってくると如実知見、ありのままに見られるんです。 ありのままに見る 。 のは仏の世界でガードマンの役割ですから、警察官として見回っている、そういう役割で すから、か それがわか 。 しかし、仏様や菩薩様は、みんな目を半分閉じている それがあきらめです 。 意味で、私たちは欲望でも っても のを見てはいけない とい ったふうに見るのです 。 「南無阿弥陀仏 」 すなわち 「ナン・マン・ダブ 」 は、何だ タンダードです 。 。 この法然 上 人がお出ましにな 。 (おわり ) ったからこそ、日本の仏教はここま そういう仏教をユーザーの自で、私たちの大衆の目で選択してくださ 行も何もいらない、明日からすぐさま幸せになれる、今この瞬間から幸せになれる、そう いう仏教なんです ったのが法然上人です でちゃんと発展することができたんだと、私は信じている次第であります 11 ww大往復元図 { 日本属鍍図&締慢・房刊より } 12 出'*紀行 った 。 雄大な富士 もあ ったという ところが古代には百メート 。 ル の社と伝えられている 。平 安時代のもので 機は五月の空に舞い上が を眼下に見下ろしアルプスを越え、琵琶湖 上 。 この発 ところが こ O O O年に拝取と八足 全く疑問視さ すら奈良の大仏殿を凌ぐ高きであり、社殿に 。 。 っ ている 1 四箇所発見されたがその それは 正 面に急勾配の木の 。 そこには伝説の、八雲に 柱の位置から察するに古代の本 。 大社は大屈 主 命を 主 そして当時はすぐ傍まで海の波が押し 。 。 祭神としているがいずれにせよ古代から稀な 寄せていたようである うだ 殿は拝般から八足門にかけて存在していたよ 見て取れる 届かんばかりの神界に達する古代人の憧れが ようにな 坂道があり、上り詰めると細長い 立体の塔の 。 これが 三 柱が 三 本束ねて 一本になっているという巨大 の結果現れたものは直径約 一 ・二 メートルの 掘は歴史的なもので慎重に進められたが、そ 門の聞から巨大な支柱が発見された 。 美 しい山並 った 。 れていた 空を越えて日本海へと向か 舎かう み 。 伝わる 百 メートルという商さは 空港に降り 立っ た 出 雲 大社 必 LL Th ha 出雲の大社は海の近くにある 大社 いし 拝殿の背後 。 高さ 二 十 四 った なもの 。 平安時代には倍の四十八メートル 図抜けて大きな社 で ある 。 ができあが メートル、柱の周聞六メートルの大鳥居をく すると銅鳥 そこから樹齢数百年の古松が 。 位置などから専門家による古代本般の想像図 高さ 二 十 三 みを過ぎると中海、 宍 道湖の沿岸をなめ出雲 av ぐり、 五百 メートル直進すると階段があり上 ると再び鳥居 。 。 その枝も今では 。 普段様が馬の鞍を太い枝に 。 右側にひときわ太い松があり 「鞍 。 両側に 立 ち並ぶ長い参道を行く 居がある 掛の松 」 という 掛け、お厳いをしたという も んた 手の届かぬ高さに成長している ゃっゐ L 。 に人足門があり、いよいよ本股である 造り メートル 1 3 。 る神域として 崇 められてきたことは間違いな 、 i v 現在の・本殿は宵 宗 公が大改築したもので 二 かっ HS 。 。 したが って大 月は神無月といわれるがそれは 全 国の神様が ここに来てしまうからである 社では十月を逆に神在月という かぐらでん 。 この神楽殿でな っても驚傍するのはその巨大な注連純 メー んとい った ったので六組が予定 。 本般の左側に著名な神楽殿がある 何しろ 国 宝 である 大社造り 。 縁結びの神であるから結婚式が絶え間ない 。 百六十年を経ている まず正方形の 一辺に 三 。 S 長さ十 三 。 トル、太さ八メートル、 った 。 は、 「笠にも届く大き 」 であ さ - 大注連 岨崎 である こ とだ の特徴は以下の通り (入り口 ) は正面向かって右に位 こうはい ら 交 差 している千木の両 されているとの 訪れた日が大安吉日であ o 本、計九本の円柱形式、古代の遺産である高 床式、御扉 S 位、その上に向拝という屋視がついている uvb だぷ 。 桧皮葺 屋根は、千木と 三本の勝男木 ( 正商よ り横に 三本) を持つ 重さ 五 トンとまさに日 ( 外削ぎ酬と 先端部分が垂直に切られている 本 一。 。 出雲大社はなにしろ のが男性神、ギ・担なのがん然性 大神 社の場合、 主 神は大同 主 命であるから前者:・などであ 注目されるのは内部の御神座が向か 桁違いの大きさなので 。 って る ある 面向いの 一般に旧暦の十 占代から人々が 凶天 すなわち 。 横、問向きに位置していることである 山忽太社に寄せる願望 。 。 王与の丙向き品店と同じくタ陥が海に沈む冥 非を意味しているのかもしれない は本般の左右に細長く位位する束十九社、西 。 十九社でこれは卜月に 全 国の神が集結すると ころとされている 。 1 4 的安紀行 C- ティファニl 出雲大社から回避四 三一 号線を行くと宍道 湖の北側に面してルイス・ 。 ト・ジユエリ l むしろ息が詰まる思 1 あきらかに日本芸術の影響を受けた 花瓶、陶磁器、ア 。 一点として隙のない完成さ 子が置かれている。どれもこれまで 目にした 調度品を上回り、 。 れた美をとどめている いだ 。 銀製品 どのような美術館 であろ 。 庭園美術館はある 作品の数々 。 あのニュ ー 。 ルイ ヨークの の作品群である 、 しかし、何といっても感噴きせられるのは うかとさしたる期待も無く門をくぐった。す ると見事に咲き乱れた白パラの木が 出迎えて l 1 ステンド・グラス 。 。 イタリ これほど美しいステ 創設者の長男にして偉大な芸術 ルイス・ティファニ 左に 曲がると 「パテイオ花の広場、 。 。 ンド・グラスの愈は見たことがない 家 ティフ ァニ くれた エント l 。 ス・ C ・ティファニ 息を呑む美しきだ 右手に柿右衛門 。 ルの建築美は簡潔にして洗練さ 展 示室 に入 った l 。 細長い噴水池を阻むように色とりどりの花が 。 咲き乱れている ランス・ホ れている 。 ティフ 一枚の絵にな そ 水の色は 上 。 。 長く流れ落ちる河のふも 遠くの空を背景に山、白樺の林、 。 こに 一顕の鹿が水を飲んでいる とには赤く咲いた木々の花、そして岩場 。 ニ!の「鹿の窓」 はそのまま ア 宗教的な心像露 出を 主 眼とし ている アに行けば、いたるところの教会に大きな窓 ・ の有田焼、そしてなんと写楽の 三世市川高腿 った美のショ パリ ・サロンではエミ ここから始ま 。 ルイ・マジ ル があるがいずれも主イエスの物語に関係し、 。 った 。 1 ックは例えよ 蔵 うも無か ガレの家具・調度品に驚嘆した ガレのサ っている 。 ヨレルのグランド・ピアノの造形の優美さ、 の茶色 中央に川が流れる ー 白鳥などのレリーフの大胆さ 。上 品で濃く、 かっちりとしたマホガニ l ド、テーブル、梢 ロンには大きなサイドボ 1 5 。 照明は、窓の 朝と畳の明るさの変化 。 流から下流まで千変万化している 白樺の紅 。 葉は繊細な黄色の輝きである 、 。 。 こうした自然 微細に彩られた自然色が絵もいわ 外の陽の明かりのみ を受けて れぬ光彩を放ちつつ変化する の光景を目の当たりにした錯覚に陥る 青空と白くたなびく 雲 を背景にせんにんそ 。 き っちりと格 う ( クレマチス )の紫の可傍な花、つるばら (『白ヨE2 5 ・ 8)のポ ケのような紅色、小さな 緑の葉が織り成す窓辺の風景 つ、 再度見てみたいステンド・グ 。 正に題名 「 ωξZZ」 のとおり 。 子状にはめられた窓枠がこの外の光景を鮮やか に映し出す もうひと 豊かな自然を描 いたものである 。 最初 、 油絵だなと思 。 l った 。 。 の ジユ エリーは、き りと 長男と 。 。 こ った ところがさにあらず、水彩画なのである ニ っち の絵を見た喜びは望外であった 自分の水彩 ァ 画手法も在り得ると思 ティフ 調和したデザインのなかに美の凄みがある 。 店ジユエリー l っているのだなと感じた 鳴呼、彼の作品がティファニ の原点にな 。 通常は古めかしく、 ンプは、いず 。 して経営を受け継ぐ代わりに、その根幹を成 す作品を彼は創造したのである ら あ った ステンド・グラスの数々のラ れも衝撃的です どぎつきを感じる作品が多いものだが、ティ フ ァニ l のランプには 一つの モチーフが賞か l の言葉 「 美へ いつまでも立ち去りが ティファニ 界を現出させている 。 アール・ヌーボーを代表する、その幅広い の探求は人間の最も健全な行為である」。 たい作品ばかり 。 れており、その繊細なデザインと多彩な色調 。 のステンド・グ ラスが 「 木漏れ日 」 お gb31a 喝 。。含 ) 陽が 差し込 む森の木々、クワ科の植 である このほかにティフ 。 いずれも実際の窓 l の綾は見るものを飽きさせない常新の美 的世 。 。 ァニ 物アコ ウの 例えようもない美しい色彩の乱 舞 。 った ラスの名作が方々にある として使われている 一枚の大きな絵があ 1 6 t.ll~紀行 。 この美術館に並行し 収蔵、展示されている ア 。 「美への探究 」 への結品は文句無くティフ て英国調の庭園がある 。 すでにこ そこは大きなガラス 美術館との間仕切り 作品の世界 一のコレクションを形成して 。 l の建物は明るく、広い ニ 西洋のこうした作品群は合理的な完成 。 いる の作品にはとめどない深奥 空間の洗練された美の世界である l 美としてはじかれるような思いがするものだ ニ の空聞から眺望できる花々咲き乱れる洗練さ ァ が、ティフ れた美の庭園と小波寄せる砂浜、それにつな 松江市も凄いものを この湖畔に面したテラス、 。 造ったものである 。ニ OO 一年開館。是非と 熱帯植物園、チャペル 。 に何かが宿っており、それが今もなお、ある 。 ム がる半島の遠望 。 ル・ガレ、ド l 種の新鮮さすら感じさせてくれる 驚樗の思 いである 1 極拳餓師。 ック、エミ マーケティング胴査。 太 ルネ・ラリ 。 (つづく) -由八湿潤に望。首里術値聞 も再訪し、じっくりと鑑賞したい の他海外/圏内の広告・ この中には明 環境・騰繁物調査等。 そ 。 また、荷問、古九谷の模写で Mori&Associates代表。 兄弟のすばらしい金属装飾品 。 らかに日本の美の影響を受けたデザイン・モ チーフもある 。 そうした事実を現尖に超 一流 ルイス・ C ・ テ ィフ ?ニ司店舗鍵術館 はないかと思われる英同マイセンの陶総肌も ある 広重、北斎、歌麿、写楽、柿布衛門に代表 。 される日本の美の文化がアール・ヌーボーの った If ンフレ ッ トより 原点であ フランスの両壇に大きな影響を与えた広 の作品を過して見られる稀有な美術館であ 。 1 7 る 屯の版画百 二十点、北斎漫画の完本十五冊も (著者プロフィール) 連載 関容子 自"Y 1rカオカ邦彦 会いたい人 とうらいさん な 『不忠臣蔵』、雑誌に十二団連載した中の 一本 それで井上ひさしさんの 座時代の『しみじみ日本乃木大将』とかが好 をいただいて、 。 きだし、観た映画では『幕末太陽伝』や『五 憶えて稽古もして、熊谷のほうの劇場を借り みたかったんです 排の締 』『青春の門 』に 独特の味わいがある て、ちゃんと上演したんです 小沢さんの一人芝居『唐来参和』とか芸能 し、ラジオの『小沢昭一的こころ』もここ 三 せなか ったの」 にくい 。 でも誰にも観 。 いつだっ ということだが、なかなか事情が呑みこみ 。 一人芝居に仕 立 てて、せりふ 十何年か続くうちには、笑わされたり心を打 たれたりすることが何度もある。著書の『日 本の放浪芸 』や『ものがたり ・芸能と社会』 「 話はずっと以前に逆のぼります たか、四谷をプラッと歩いていたら、お岩稲 は名著だけれど、司わた史発掘』や『言わぬ が花』などの随筆をつい愛読してしまう 荷の前あたりから何かへンな声が聞こえるん 俳 句を作れば 宗 匠なみの腕前。これだけ幅広く ですよ。行ってみると、亡くな った林家彦六 。 てしかも総てに突き抜けた存在だと、何から 師匠が、あのころはまだ けど、 一生懸命お稲荷さんに 向 って 一席やっ ( 先代)正蔵でした 話を切り出したものか迷わされる。 そこで取敢ずこの『会いたい人』にゲスト 何の噺だかわかんないけど、例の調 ている 。 で登場した方々のお名前を順々に挙げていた 子ですよ(笑) 師匠とは知り合いの仲だっ 。 たから、どうしたんです、って声 をかけたら、 。 ら、安野光雅画伯のところで小沢さんが、 。 「安野さん : :: わたしは安野さんの幻のポ いえね、神様に聞いてもらってる:::って ポスターか スターというのを持ってますよ いいなぁと思って、わたしはあんまり神信心 。 らチラシから大道具小道具、照明から何から はしないんですけど、 言 わば今日さまに捧げ こんにち 全部 作って客を入れない、というのをやって 1 9 連般 関容子 織~/宮カオカ1I1J 会 いたい人 とうらいさん年 『 しみじみ日本乃木大将 』 とかが好 唐 来 参和 』 とか芸能 小沢さんの 一人芝居 『 座時代の みたか ったんです 。 それで井上ひさしさん 『 不忠臣蔵 』、雑 誌に 十 二団連載した中の 、 の 一本 熊谷のほうの劇場を借り 一人 芝 居に仕 立 てて、せりふ をいただいて、 司五 きだし、観た映画では 憶えて稽古もして 『 幕末太陽伝』や 排の椿』『青春の門 』 に独特の味わいがある 三 。 て、ちゃんと上演したんです でも誰にも観 『 小沢昭 一的こころ』もここ にくい 。 「 話はず っと以前に逆のぼります いつだ っ たか、四谷をプラ ッと歩いていたら、お岩稲 。 ということだが、なかなか事情が呑みこみ 」 し、ラジオの 著書の『日 せなかったの 。 十何年か続くうちには、笑わされたり心を打 たれたりすることが何度もある ・ 芸能と社会』 本の放浪 芸 』や 』 や『 言 わぬ 『 ものがたり は名著だけれど、『わた史発掴 が花』などの随筆をつい愛読してしまう。俳 これだけ幅広く 何の噺だかわかんないけど、例の調 、 。 っ 一席や っ ( 先代 ) 正蔵でした ってみると、亡くな った林 家 彦 六 荷の前あたりから何かヘンな声が聞こえるん 。 行 句を作れば 宗 匠なみの腕前 。 。 たから、どうしたんです、 っ て声 をかけた ら 子 ですよ( 笑) 師匠とは知り合いの仲だ ている けど、 一生懸命お稲荷さんに向って 師匠が、あのころはまだ 。 ですよ 。 てしかも総てに突き抜けた存在だと、何から 話を切り出したものか迷わされる そこで取敢ずこの 『会いたい人 』 にゲスト 、 で登場した方々のお名前を順々に挙げていた ら、安野光雅画伯のところで小沢さんが 。 ポスターか 「安野さん:::わたしは安野さんの幻のポ 。 信心 ですけど、 言 わば 今日 さまに捧げ こんにち って、わたしはあんまり神 いえね、神様に聞いても らっ てる:::っ て ってますよ し ないん スターというのを持 は いいなぁと思 って客を入れない、というのをやって らチラシから大道具小道具、照明から何から 全部作 1 9 。 器用な人だった わたしだけが 立 派な鎧を着て、ほ した 「 親父が前の晩にボール紙に金紙貼ったりし . て、鎧を作ってくれま んですね でも別に両親は見に来たわけ P 知 ってます、って 言 らないわ、 っ て言 うから歌 (レコード ) を大事に持 ったら、あら、 いましたよ、ひばりさんの前で 。ヘ 雷門でデ ートして、 仲 見世行けば鳩が鳴く:::っ て、 。 ヌ かの子は普通 l 雷門を修復したときの記念に ・ 浅草なんですよ、と言 っても、 隅 田川を セ じゃないんです とにかく近ごろは物忘れが に見立ててラ . ひどいんですが、正成のむずかしいせりふは 次から次へと追わ 知らないわ、って(笑) 小 学 生のころ、小沢 写 真館の写場でよく芝 。 今も 言 えますね れるように仕事してたころのは印象に残らな さても大軍寄せたりな、敵 は描磨路須磨の浦、ひよどり 越の坂よ りも、 か ったのかも 知れ ませんね 」 。 二 つ 引 き稜四つ目甲斐、輪違いの 服吹き なび かせ、我劣らじと寄せたるありさま:::と 言 遺固にし っこをして遊んだのが、ご近所の っ 町田裕 居ご 。 うと、して先陣は?と訊かれる 。 。 その 。 引越しの (中 国 って、向うが 手 目、トラックの荷 って、ジョンとの別 う ち町田の家が満州 あのころは放し飼いだからいつもぼくと 。 ら くてね 台の 一番 うしろにジョンが乗 れがつ 東 北部 ) へ行くことにな いたんです た のとこの犬なのにぼくにくっついて歩いて 「 ジョンが好きで可愛がるものだから、 町田 た 君で、そこの犬のジョ ン とも大の 仲 よしだ 」 。 。 かと見分かねど、赤松筑前とおぼえたり::: なんてね すごい記憶力 「 いやいや、子供のころだけですよ。昔の自 え?こんなことしたつけか、なんて ったく憶えてないんで 分の 出た映画観 ても、 隅田川 へ飛び込む シー 。 ンなんかあってもま す S 会っ たときに、ひ 浅草 』 という歌が好きで ・ も っ とも 美空 ひばりさんに ばりさんの『ラ 22 会いたい人 え振るわけはないんだけど、ずうっとこっち を見てて消えて行ったのが忘れられません」 後年、町田君とは再会した。小沢さんが早 何かあ って、おふくろが 稲田大学と俳優座養成所に掛け持ちで通って いたころだった。 「 俳優座で発表会か あれ?今裕ちゃんいたよ、 中 同級生は堺正俊(フランキ! 小沢さんは麻布中学に入 学する 。 。 。 花のザブ ・堺)、加 は目端のきくやっで 。 。 、 藤武、仲谷昇、大西信行、なだいなだ:::と l いった鐸々たるメンバーだ った 「 とにかくフランキ 『幕末太陽伝』 で主演した居残り佐平次、い のさんそのまんま。たとえば、当時は暖房が 。 って、熔接を 来たんですよ 悪ガキ共が降りて 学校側はケシカランというんで、先生方がい 取ってきてボンボン折って燃やすわけです . なくて寒いから、講堂の地下室で焚火をする すぐに行 お寺の墓場 って言うんですけど、家族で満州へ行 っちゃ 。 でも名簿を見てみたら んですけど、運動場が崖になっててその下が 。 ったんだからいやしないよ、そうかい、って それで終ったんです 制作部のほうに 町田裕 つであった って、裕ちゃん、昭ちゃんか、って抱き合っ 毎日顔合わせててわ っせいに取り囲んで 一網打 尽 につかまった 。 て喜んだんですけどね お前もやろ そこへ何食わぬ顔で、堺がトントントンと階 、 からなかったのに、おふくろにはわかったん 町田はあとで日生劇場に引き肢かれ 段を降りてくるんで、堺、何だ 。 っと見ました ら ですよ いえ、今ちょ うとしたのか って余計叱 ら ホラ見ろ、こういう愛校心のあ 。 て越路吹雪ロングリサイタルなんかを制作し 講堂の地下から煙が出てましたので、母校に 。 た練腕のプロデューサーになりましたから、 に来ました 万が 一のことがあってはいけないと思って見 」 二人とも子供時代の遊びが尾を引いて芝居に からんでたわけですね るのもいるのに貴様らは何だ、 2 3 ザプ中こと阪布中学綬 (1日制> Be代 . を自闘が小沢昭ーさん 、 すぐ告がフランキ-jJJさん 2 4 会 いたい人 。 ったから、落語全集から『蚊いくさ 』 れた(笑) そういう頓智のあるやつで、才 気換発だ . そこへいくとわたしな っちゃったんですか のちに文楽師匠から桂 なんでいう誰もやらないようなネタを憶えて みごとにやっちゃう 。 文鼻という名前までもら らたいしたものです んかは寄席で聴いてきた前座噺を幼稚に やっ てたくらいのものでしたからね」 』 を 芸能 。 昭和 二十 一年、中学五年(まだ旧制だった) のとき、菊池寛の戯曲 『屋上の狂人 。 し くて真面目で、むしろ硬 。 ぼくが乗る 女学生が待 派でしたけど、あいつが乗る ③ 番の都電(路 面電車 ) は混んでしょうがない 。 (笑)。麻布中学の近くに っててい っぱい乗ってくるから のはガラガラです 」 は女学校がたくさんありましたからね、それ は花やかなものでしたよ その情景を歌った小沢さん作詞によるズン ドコ節の替え歌がある。 。か危 へ右に聖心左に館(東京女学館)あとに控 える願心、英 和 (東洋英和)粋なザプ中 の晴れ姿麻布が丘は恋の丘 」 「 アハハ、腹はへ っ てましたけど、 代でした こ〉時 祭で上演する 「 屋栂に上 ってる兄貴の狂人役が加藤武で、 学生カバンを肩から下げてる弟役がわたし 堺はそのころ音楽部のほうに熱心でしたから おとな . 稽古にもろくに来ないでいて、当日、黒板拭 きで頭をボンボンとやって白髪にして、老け 役で出たんですが、これがまたうまくてね 」 。 それにしてもすごい配役 観てみたかった 。 2 5 「 でも何と 言っ ても女学生にもてたのは仲谷 昇ですよ ラ! 一一一了一一一一一一一一一一一一一一一一 昭 和 し、 ,合、 ね 2 ザム弘 ん 2 ・ーヲ~ カ、 3r つ ø , ' ' 6 元富山大学学長 浄土真宗本願寺派元勧学寮寮頭 同閏 お念備に!tされて ただ晶んぷっす〈ぜんじ 唯念悌して救はれる にんちでご〈ろう〈だ ほうおん -ze 。 | ・晶んぶつい 専修念傍 l ね んぷつれ ζ ζと と 云 ふ事 れb れ が法然上人の血 の出るように御 苦 努下された よ号てん 御念悌を喜 。 要舗であります そして、念悌 一つに我々の かんぜんぜい時いす〈みいだおねんぷつよあ 完全な生命の救ひを見曲された かたいぜんた〈事ん ねんぷ AY 一 。 って、本賞にこの御念悌と 叫んとうお ばれた方はそれ以前にも滞山いらせられた ・ ほうねんし 5 にんいた が、法然上人に至 企宅向みいだ 云 ふものの味ひを見曲されたのであります 合ん Ea' おんぶつ ところが、この専修念悌がや、もすると へんけんと畠 。 av u avL U46 ん L aaに ' んお -zh おん-rzb れ bh おちつ 法然 上 人の御心で、 この御心を我々は稽付い 。 hMんぷつ品ん て考へなくてはいけない ほうねんし a今にんお そこで法然上人の御念偶は、 一面から 云 へ E ・〈ょう ば、阪 釈を艇にする ぬと mm むことも、 って、 かん晶んど〈 巴 D 晶むん ぜい 穂らゆる人生 生 。 ・-ごう E -uん ぷ qu んぷ qt 。 う ねん -Z 9にん Z 観念することも、調舗することも、供養する 定定 位ん 白 んいき ことも、それを傍にして専念すべしと 云ふ虜 ぁ。がたど にその有難い御慈悲がある かうはいげ章ねんぷつなか傘立』じん 活を排草したのではなく、念悌の中に 全 き人 ぜいねんぷっとうみがだ ・A いし.,、 む7h ごほうご を耳ぜん 生がそのま、念梯で統 一されるやうに購き出 す つの偏見を伴うてまゐります 晶んぶった された慮に、この専修念備がある 法然上人 おねんぷつとなほうじ L SA, 』んお H 『 上人は御念悌 一つで助かると仰言 ったと云 の御法語に Pとしか って、御念悌だけ唱へておれば、法事は要ら が〈bんいいたいど 併 F 、.u. ζ 巴んせいしづて へんけんぽんぷ 。 おちつ 法 お。 L ・がん ぬ、事問も要らぬと 云ふ態度の人がある grb ζとほ 『 衣食住の 三 つは念悌の助梁なり 』 いし 。なかぜんじ・ねんぷ AV とあるが、衣食住の中にそのま、専修念悌を た 。 かす 9 Lav し、これでは私はどうしても落付けない ねんぷつぜんじ ・ Ha んぷ つな お 仰 言 ったのは、頑固な偏見ではなく、凡夫 の 畠 んし a今にん 然上人が念悌専修と仰 言 ったのは他の 言 葉で 生 れつきのま、、さながらの人 生 を静かに 手 ふ〈 云 へば、御念悌一つの中に穂べてが含まれて aa これが んぷつ 。 御念梯は鍵 。 あbh である んぶっ きZ ぜんにんぜんにん晶んぷ 。 とう つ せい白うち ぜいと〈ベワ雰 4 あ〈にんあ〈にん きてい 普 人は 普 人ながら念備し悪人は悪人 つじん ながら念悌する 人生を特別な形に規定して、 '担んぷ 。 恥に総てぜっあ 長ふ卦 て、紗らゆるも を合して念梯する慮に統制ある慣植があるの ゐると U いげSζLquu のを排草する岡執ではなか った ζA'E て量とう らゆるものを高次的に統 一してゐる 27 畠んぷ つ ま -aん し」 から ぜいかつ仰向 担んぷ つ Hた L ちいかた bうす おゐ量んらいぜつだいなぞ 白んぷ q と 云 はれてゐる 島んぷつとな 。。ばもいたか -ん E- t 念悌を唱へるに邪魔にな 。 。 ろづを厭ひかて、これ』 を釦むべし 「 念傍の妨げになりぬベくば、何なりともよ est と、鉱山恥によってこの桜 。だ を俳かれた ζ この生活を私達は如何にして立 てるべきであ ζτ いう ζうじてきとう'ぜん巴 か曹巴んぜい信い 。 お んぶ AV ζと Ea ? にん 念傍を固定したのではなくて生れつきのま、 担んぷつ ksz 畠んぷつ みちい ほうねん るか、これは古往近来の絶大な誕であります 。 念悌するように高次的に統 一したのが専修念 ぶつい E ・ 迄 法然上人は、 「 念悌の申されんやうに過ぐべ a z' 悌であります 衣食住と限らずとも、人生生 かっしょ be' 活の諸行は悉く念傍であります ほう白んらみ今にんごぜいしん Ea v 往生の途であると云ふ事 ほうおんしae にんおう包 az、〈 この法然 上人の御輔神を忘れると、念怖は おねんぷつ 。 す 滅びてしまひま みちおう 。 さてこの御念備は法然上人によると往 生 極 64 幾の途であります ぜいかつぜ。たいしんじんぜ ねんぷ AY 。 るものは、どんな 立添な地位であらうが商い us 。 つ おんし・ 8 にん ごと は、死んでから先の事のやうでありますが、 同島ゆじんぜいなか bすむ 。 L 生活であらうが、絶盟にいけない 農の人生 み 'Le Lんじん信い めいよ そうではなく、滅び行く人生の中に滅びざる ζといえい ζと 。 しん巴んぜいつかほう うじんぜいす、制ねんぷ 。 .,、 巴んぜい はんぜいよ尋 at--b ..。 艇は照的刑、対郎総郎鰍駅がサンデー即 れるのであります と、喝破せられて、厳粛なる反省を要求せら か AV ぱげんし が眠へられなければ、どんな人生でも打鍍 は念悌の申されんやうに人生を過せ、御念悌 ねんぷ qb の農人生を摘むものである だから法然上人 。 を見失ふてはならぬ どんな名署の 仕事でも、 えんぜい暗いつかい じんせいつかい 人生を鋼むと 云ふ事である 。云 ひかへれば永 民の人生を忘れてはならぬ 御念悌こそ、こ にん 晶んぷっつか A フ ・ 。 この意 阻んし2 Z A7bA7 遣の生命を鋼むと云ふ事であります みほ品 味を法然上人は、 げんぜすみちねんぷ ι beζとぱ 往生念備をはっきり鋼ま .0 が企 。 『 現世の過ぐべき途は念悌の申されんやうに す' 過ぐべし 』 とお当 じaa , と説いてゐられる P ひぐら れてゐる、非常に有嫌い御 言 葉であります Leu 現賓の人 生 、五十年の婆聾の日暮し、 げんぜげん巴つじんぜい且ん | 現世 2 8 お念i弗に生されて hxE いだいえら ζと み いだとう巴い草はや 。 お んぶつ ようふ〈か&ゐじ つお ねんぶつ也のかちいし畠お血んぷつ 也の a a4b か 念悌は物の慣値意議です ・い曜 き 。 s・'が〈えいご と ゅ 。 ず 御念傍をしてゐる 。 を入れて、何時も御念悌を憶念なく唱へた ぜんぜい を見出したのです 嘗時、諌早中事の英語の えい申 4 。 もとす守@いな ま 私の英雄 」 と 云ふ題で選ほされた事があ に 「 とき和たしや ぜいねんえら Uゃいき互ちい 令 よお んとな 先 生 でしたが、洋服のポケットには必ず疎殿 O りましたが、その時に、私は山本進と 云 ふ名 なひと 事けんいき も無い 一人の青年を選びました かれげんざい企が害 4 彼は現在長崎臓の諌早と云ふ慮に、小さな ぞadめんつ〈ねんぷつとなと勾 Z 5 ひと -e bちおこ 。 てきベんとうひらぜんぜいお〈つ〈 ちえめひらかれ時ひら S 。 聞に物の慣値が解って来ます 閉ざれてゐた 〈が〈ど句 草庵を作って念棋を噌へてゐますが、東京の ・ u8 智慧の眼が聞かれるのです 彼もこの眼が閲 LZ はじ時ごとうせいか童ぽミ'しゃうんとう L・9しんひ 大事の英文科出身で、非常に苦事、努力の人 かれると、 一椀の御飯も、 手 を合して頂かな ι いおちっぽ ぜんたんいひといろいろじ巳・ であります だいが〈えいぷんか 始は後藤静香さんの希 望 社運動 ければならぬ鏑持が起って来た 今迄は事務 害いごかれ宮 k 彼が魂の故郷を求めて 。 bんご叫んてあわい港 の尖端を行った人でありましたが色々な事情 。 で最後の彼の魂の落付き場所となったのは、 的に鱒嘗を聞いてゐた先生が、奥さんの作つ 22Hごはんてあわた てくれた冷い御飯を、手を合さなければ食べ おねんぶつかれ宮もいふる替とも は令 〈苦いごとまいきはや 酔・命 い まま でじむ 御念悌でありました られなくなった やまもとくんい事もらくおそ 。 あちこちを漂泊して最後に留ったのは諌早の てらろうしよお血ん たちみないつまてあ もと〈んうけ ぜいと b a uza ご砧んた ぜいと ろしいものです、山本君の受持ちの級の生徒 ま 山本君がかう 云ふ鋪持になって来ると、恐 sazh んたりんり や ある 寺 であったが、そこの老師に依って御念 ぷっと辛どうと〈じんぜい か畠 。 逮が皆何時の間にやら手を合せて御飯を食べ sb ずしの また、生徒のポケットにも 。 ・ 。 悌を唱へるやうになりました 道徳で人生を ぜいかつおもどうと〈せいかっ 生活するものと思ってゐたが、道徳では生活 で 教埴に 立 って倫理の やまもと〈んどうじ るやうになった 。 、 出来ないと判って来た 史帽しむぷんじぷんが〈ゃなん -sasg げんしaヲ a 副 vaこ vう き 話をしても自分で自分の襲屋がわかつて 何 うそいおねんぷつとな L いふるきと あったから、 この現象も皐校で注意するよう 29 い 山本君と同じゃうに珠敵が忍ぴこんでゐる 主%とうじがさ EL い〈げん事んと 所が醤時はまだ事校では宗教々育厳 禁 の時で はじじぷん官 始めて自分の魂の故郷 。 だか嘘を 云 ってゐるやうで、御念怖を噌へず にはゐられなかった 2 9 になった ぜいねんせいと 。 暗んだいが〈で ま ζと また、 一一聞には大事出て問もない P む a'S9e ぜきにんのがおも 。 ζ とれ守、わる 責任を逃れようとは思ひません したのでは ・-&b ,る 、 け av あわた ζ とた〈 Sん ないが、それが結局面部い事ならば、私が悪い hhじて 邑 ぜ S にん 私が手を合せて食べた事が、揮山の 。 。 aqとおたずじぷん 者を恕くしたと 云ふのならそれは私の責任で b 拘わ畠いお 青年でありながら生徒から非常に尊ばれた事 Lg bんだい のです いんかい ges し号うを令ちがたちばぜんぜいたちねた t aa 。 が、思想上の違った 立 場の先 生 逮の妬みとな ついし 4 とい って、遂に職員曾織の席上で問題となった やま &E』〈ん S み ど也そだ いと a けいし ・aヲ hz - e S いだんぜん えて ab 品。こど -TUと〈ん 8 い〈ほう U9 いいち b そだ uaaと ?し Z かう云ふことは断然いけな 君の臓の生徒はまるで滞土宗 。 ま た一本す 時ぐ た b b ること ねん・・ 。 8 いんたち叫ん たてん bん で食べるのは 惑 い事でせ、っ」 か れつれ っしん hkら tおがた と烈々の 信念で教員連へ反問した も a HL い hKL 。 みち hTb おが どんぜん 私の生きる途として 。 「 若しも私が拝んで食べられないならば、私 ・・ 8 い〈でき拘 はもう教育は出来ない 巴 L-Z 齢職します 」 -み白んお ・ n 05 と 云 ってその場へ蹄衰を出した ばじ 。 やってゐる事が間違ひであるならば私は断然 ごとまちが 軒止し けれども、 一寸御尋ねしますが、自分で す 。 「 山本君のやる事はどうも不可ぬ 」 耕しもせずに、坐りながら食べられるのは天 いu-z' 。 況んや、 宗教の形式を以て子供を育 ζ 〈ん 机いし どこがいかぬのですか」 「 -Z9 の慰みがあるからでせう これでも私の拝ん み也んぷ ・3 「君は文部省の訓令を知ってゐるだらうが、 」・A 量&令い 。 宗教と 云ふもので 子供を育て、はいかぬじゃ ないか φ て、はいかぬ しんじ の信者みたいだ 。金んとうじ・・ ことや 。 この非難、岱時の教育方法から 云 へば、 一 HA4"a ご叫んた 膳尤もな事です ところが山本君は hA 日b ・ 「イヤ、君はまだ年をとって居らぬから、そ ・ ‘. と校長が聞くのを ζa''a今 からどうするかね」 こといもやあす 「 私は御飯を食べる前に手を合せなさいとは いじ・ずもおし んな事を云ふが、若し僻めてしまったら明日 。 'hw 。 疎取を持ちなさいとも教へませ 云ひません ・し曹 。 ん 知 らず諮らずのうちにさうなったのです ま ん これは燃して絞りではあり。 だせ が縦 は 3 0 お念備に生されて ごしん eqa すがたれ止しゃ あすことなど党主お b ら 明日からの事等は考へて居りません」 。 御親切は有難いが、私は静めさして貰ひた 「 ぃ 発みのぼあが いaLS や 章色 一 とくんついや 「 君は、そんなに逆上せ上ってどうするんだ 」 -』奇 619 ま b と〈んぜん命〈 h 校長の戒めも聞かずに、山本君は遂に蹄め しかや ねんぷ q Z 止なん 「 念備の妨げになりぬベくば、何なりともよ いとすこれや ζとばに aE つ ろづを厭ひ捨て、是を止むべし」 お 。 つとな 先 生 になって御念悌が唱へられなけれ ぜんぜいおねんぷ の御言 葉を如質に生かしてゐるからであり ます やおや血んぷつとなやおや 抱んぷつとなこ 。 u- ひら baヲつ うもう 。 64 ES oa' う ιvd, tvう 。 。 u-AVLa&Y9 たにんたす b う 住所にて申されずば、流行して申すべし AV 。 るぎ令也ううちい むりきい じ os い与 t んたす b 骨ワひとりをヲ 仇与ぐ苦空今 ば、自力 の衣食にて申すべし 炉事ほうと ひと 0 』。 hqいもう ・ b' 一人して申 。 市されずば、 一人徳居して申すべし。』 &XF されずば、同朋と共に申すべし 共行して 。 れて申すべし、他人に助けられて申されず b-KHh 自力の衣食にて申されずぱ、他人に助け ら -z,、畠 流行して申されずば、家に居て申すべし 畠 61A 7 『若 し聖で申されずば、長を儲けて申すべ qtb E-b 饗を儲けて申きれずば、聖で申すベし し 。 ば、八百四四になって念備を哨へる八百嵐に 併し、山本君は 一鎮 一の貯へがあ 。 A号 V〈 白 んぷつわれ せいかっし てしまった か〈書 bと〈んひょうしん 御念梯は喪々の生活の指標であり、 。 bれ なって念梯を唱へられなければ乞食になって と金お るわけではなく、鮒何にして食ふかぽ早速に もんだいお〈そうだんちで のを ae-- 唱へる 奥さんと相談して、血の出る 。 。 -Zいひら 問題となった お島やおやい草はやまち せいしんた〈ぜんぜい eφ ちひと 法す のな 然史 山1 つ ま 速を開き悟を聞くものである はがう bo ような思ひをして人 百屋 になって諌早の町を 幸z ζEb 心ある町の人は あるはじまこと 。 歩き始めたのは、それから間もなくの事であ った 動れ b れ の私E や 曹三智[ 「む 我々の子供の精神を託した先生であったの 「 に」 告げ品司令ま ねんぷ つで SAマ m& 量 と模く者もあったが、山本君の火の様な 信 ねんしだいみちひらゆいつま L47M 念は次第々々に過を聞いて行き、何時の間に 上 3 本2 た 人2 君i ちいそう晶んた 拘たしえいゅう 「私の英雄 」 として選ん ほ今おんし aヲ a にんごしんねんじっ 法然上人の御信念は買にはっきりしてゐま 31 やら小さな草庵も建ち、静かに御念悌の出来 だる E |翠 す b れ bれせいかつぜんぶ必ねんぶっと金 、 。 はんと う す《 さいほう必包 aeE みち むか 古島陰ゑ洛 。 〈 みた おねんぷ つとな 事といか ごしんぜっさと E す 〈 e いかは このお諭 し は 如何に時世が獲 bれ bれじん晶いふ時つい曹島た へるものであります 。 らうとも、永遠に我々人類に不滅の意義を興 えいえん なったのです るやうに人生を組 立 てよと御親 切 にお諭しに Cんぜい や生活をしてゐても、御念悌を叫へて教はれ 信いか つ 一の指導原理として受敬せられ、どんな立 場 しどうげん句じ・けいたちば 浄土宗法衣専門 ん そ ともかく我々の生活の令部が御念梯を昭 古き伝統路 三代にかたる 。 や〈だ へられるやうに役 立 たなければならない じん ぜいかちおお bab れ L こにほんとの人生の慣値があるのです 御念 ぷつよ壱』ひとゐ 。 qpとじんぜいとう 一つを人生統 これが我々の本岱に救はれる道であり 梯を喜んで、 一足々々西方の御静土に向って 行く 。 ゆ ます はうねんル 2 にんお白んぷ とにかく、 法然上人は御念悌 有鼠 金位 3 2 表紙のこと ば 千7 t こ 園田 ~R を免れた古都金沢は、名所旧 跡はもちろん、私の好きなレトロな 商店が数多く残る街です。 来六 l朝に 近い、静かな 一 両にあったハンコ厳 さんもそんな 一つでした。 ところでハンコには実にいろんな 種類と材質があります。 認印、実印、 社印、割印。 ぶ柘殖、水晶、水牛や 学の角、級王F、巣てはまっこうくじ らまで。 商売や本人特定に欠かせな いハンコですが、昨今ネットバンキ ングや生体認証など、ハイテク商売 やシステムが流行りはじめ、君主千年 の長薄商品ハンコの命運も尽きるの では……。 と思ったら、 二 十万円近 い育相印なんてのもあって、この手 が好きなお )J も依然少なくないはず。 それに、 T守羽1パスワードや首相指紋 認証などはまだない 。 よって、この 店の静かなたたずまいは、当分保た れることでしょう 。 こう る じっぽう 響涜+方 。 釈尊在世の時すら たし 、 、 、 (念 『仏大意 』) 龍女のほかいとありが 。 この 身 このままで 仏とな ったのは 即身成仏におきでは 、 お釈迦さまがいらっしゃった時代ですら 『 法華経 』 に説か れる飽女以外 にはいようはずもありません 五十六億七千万年も待たずとも・.. 買益土主 • ったいいつ頃この世にお出ましいただけると 思 われますか?そ 「みなさん、 皇 円阿樹梨がわが身を龍にかえてま で、今も待ち続けておられる 弥動菩薩は、い ちらのご 主 人いかがですか? 」 。 。 」 その日の会場は、菊 川市の応 声 教 院 で 信 徒 会 共催になる ってこの世にお 出 ましいただ 「ぇ、私ですか ?そうですねえ 。 千年ぐら い先のことですか? 」 どうもありがとうございます 。 みなさんはどれ位の時 なるほど千 年 ですか 「 ( 驚)」 。 る 十 一月 十 三 日、静岡教区教化団・槽 ことなんです 間を想像されましたか?実は、弥動菩薩が仏とな 11 、去 くのは、なんと五十六億七 千 万年も先の 「え このやりとりは 「 お念仏と法 話の 集い 」 での 一闘 一 です 。 、 した 八 五 五)年、文徳天 皇 の勅願所として慈覚大締円 応 声 教院は 斉衡 二 ( 仁により創建され、行基菩薩作と伝えられる阿弥陀知来座像や少しだけ口を聞 。 ヶ池 ( 御前崎市 ) には次 のような伝説が いて歯をのぞかせている歯吹如来 (阿弥陀如来 立 像) など、多くの 宝物が伝来 している名刺です その応 声 教院とそこからほど近い桜 。 そして、 伝えられています 。比叡 山功徳院に住み、その弟子 三千 人と誕われた 皇 円阿闇 梨は、衆生済度のため、弥勅菩薩が仏となってこの世に出現される時を待ち、 直接その教えを受けて成 仏を遂げようとの大願をお建てになりました 3 5 。 。 。 嘉応元( 一二 ハ九)年、皇円阿閣梨は、その願を成就するため、わが身を龍に かえて桜ヶ池に入定されたのです 皐円阿闇梨が桜ヶ池に足を運ばれた際に宿 とされたのが応声教院です 周知のように皇円阿闇梨は、比叡山で修学されていた法然上人が『法華玄義』 『法華文句』『摩詞止観』という天台 三大部を学ばれた際のお師匠様で、神武天 皇から堀河天皇までの仏教中心の歴史書『扶桑略記』全 三 十巻の撰者としても 著名な高僧です 。 。 。 。 。 皇円阿闇梨入定の後、浄 土宗 を開宗された法然上人は、恩師を慕 って桜ヶ池 を訪れ、桧造りのお植に赤飯を詰めて供養のため池中に沈めました 毎年、秋 彼岸のお中日、桜ヶ池の池宮神社では、法然上人に倣って、皇円阿闇梨供養の ため、背年氏子十数名が四升五合の赤飯を詰めたお植を 立ち泳ぎで池の中央に 運び、順次これを沈めて龍に供える納植祭を勤めており、この行事は県の無形 民俗文化財に指定されています 桜ヶ池から帰洛の途中、応声教院に 立 ち寄られた法然上人は、皇円阿闇梨の 形見として龍の鱒を奉納され、七日七夜の別時念仏をお勤めになりました 今 も、法然上人が納められたという三枚半の龍の鱒や別時念仏の際に鳴らされた という鉦鼓が大切に保存されています 以上が、応声教院と桜ヶ池に伝わる伝 説の概要です 3 6 重量土五 • 。 さて、こうした伝説からは、法然上人ご在世当時、日本各地で弥勅信仰が広 法然上人も、その主著『選択集』の中で阿弥陀 まっていたことが分かります 。 さまの極楽浄土への往生と弥動菩薩がおられる兜率天への上生との優劣を論じ ておられます そして同時に、冒頭の法然上人のご法語にあるように、この裟 婆世界でどれほど学行を修めようとも、この身このままで仏となることなど万 。 分の 一も叶うはずがない現実のありのままの姿を、この伝説は見事に明らかに そうしたありさまをご承知の上で法然上人は、お念仏さえ称え してくれます れば、阿弥陀さまのお力に乗じてお浄土に往生して倶会 一処が叶えられる、そ 。 して、だからこそ、そのお浄土で心おきなく仏道に遁進し、すべての者が仏に なれるのだ、と身命を賭して説き続けられたのです 。 応声教院での法話の最後に私はこう申し上げました。「よろしいですか、皆 私たちは、皇円阿閣梨のように憶に身をかえて五十六億七千万年も待た さん 。 。 実にありがたいことです そのた 合掌 。 ずとも、必ず誰もが浄土往生を叶えることができ、そこで直接阿弥陀さまのお 話を聞いて、速やかに仏となれるのですよ めのた った 一つのお約束こそ、お念仏に他ならないのですよ」と 大豆大拳*佳m--軸骨園厳} 順 { 3 7 その こ lま 〔続 ・豆〕 V か ん Jlt- と緋 〔悲劇の ブル lマ ウンテン 〕 ー 。 から、「なぜ ー い つものカフェ D の にて、 マスタ ある冬の黄昏時 カウンタ 編排豆には山の名前のものが多いの 「SHB 」 は 「グアテマラの中でも最も 標高の高い畑で採れたものなんですよ リ港やサントス港から出荷された由緒正 ト 。 「モ ス」 も同じ 」 という標高高いサインで、 「マタリ 」 や つまり、 l 。 「サントス 」 は港の名前サイン か か? 」 のワケを教えてもらいました 「これはモカやブラジルの中でも、 とされる酸味と香り、それは 一般的には しき 豆 ですよ :: 「サン 。 ー マウン マウンテンで採れたこ その名の通り、カリプ海はジャマ 1 。 D のマスタ ーは 「 瑚排の吟醸酒 」 とも詳します の豆 の端正な味わいをカフェ イカの名峰プル テン 一高価とされるのが、かのブル さて、そんな最高級豆の中でも、世界 :また 一つ賢くなりまし 」という意味なのだとか 標高の高い場所で採れた豆 ほど備えてい なるほどねえ ス」 の 。 タ 。 いつまんでいえば、 「良い瑚排 旦 一 の条件 。 マ 」。つまり、 山 の るといわれているから 名前がついているというのは、それだけ ですでに 「この 豆はたいへん上質ですよ 、 「グア 」という商品質サインなのだそうです 1 さらに、商品質サインといえば、 テマラ SHB 」 の「 SHB 」 とか ・ ト マタリ 」 の 「マタリ 」 や 「プラジ カ ・ サン ル た ζの 理加 。 一方で、悲劇の 豆 で 多 ブランド価値が高いだ 「でもね、この豆は もあるんですよ 。 。 お気に入 素敵な軽やかさは、こんな夕食前のひと 時には、本当に良く合います りの豆を見つけてそれを飲み続けるのも 一つの道ですが、 TPO に合わせて瑚排 けに、まがい物の流通も非常に多い くの人に本当の美味しきを知られていな の一 旦をいろいろ変えてみるのも愉しいも 。 い、すごく誤解の多い一 息 そういう意味 全 然違 。 のだと、この日、改めて実感しました カフェ D のプル 「じゃあ次は、プルマンとはまた で、ほんとに悲劇の豆なんですよね 」 。 う、個性派の、エッジの効いた酸味が魅 たしかにそ、つでした マンは、これまで私がプルマンに持って マンジャロの誤解 。 というわけ ああ、なんとワクワ この 豆 も誤解の多い豆ですし・:」。キリ 力のキリマンジャロを試してみますか? 。 」 いた 「 やや酸味が強いかなぐらいで、と ジとはまったく違います りたててスゴイというほどの味はない ー クするフレーズでしょう! というイメ 口に含むとすーっと爽やかで、嫌な雑味 ・ タンザニアへ ・ 。 瑚排を知ると、 ジャマイカからア で、次回は、カリプ 。 が }切ない でも味がないわけではなく、 日本酒でいえばまさに フリカ 。 ちゃんと豊かで これなら高価なのも納得だし、その なんだか世界地図も聞いてみたくなりま 。 3 9 五味のバランスがとれた端正な吟醸酒で す す 800号記念特集 先遣の支えがあ っ て作られてきてい る 。 ここでは 8∞号発行を目前にし、 誌面を 通巻8∞号という長い歴史は、多くの f 浄土 j 誌面を飾 っ た人たちのお名前 上、全員のお名前は掲載できないが、 表紙を書いて下さ っ た何人もの画家、 教化の 一助となる 一 文を寄せていた だいた諸大徳、また宗教誌にもかか わらず原稿をお寄せいただいた文化 人の方々など、安い原稿料、あるい は現物支給という方も少なくないの にも関わらずご協力いただいた方々 に、改めて誌面より心よりの御礼を 申し上げさせていただきます。 今月 は創刊から戦前までといたします 。 った を列記させていただく 。 誌面の都合 【 戦前届靖 】 大野法遜 高村光太郎 鍾月伺 w? 佐幽原良智 谷磁占ハ 岩野喜久代 佐藤安願 矢吹鹿輝 曲胃袋塵五郎 相馬御風 白鳥省吾 中村鍋m康 佐厳移夫 岡本かの子 匡 権回均m 値 鍵野正願 瓜生天金 小池重 山中筆太郎 倉悶百 三 服郷賛成 青柳容兵衛 寝川旭丈 大村桂厳 安直属不 二夫 中村吉右衛円 岡本舗堂 江厳滋美 井上正泰 山岡荘人 輿錨岡野晶子 中野善美 大島徹水 舗見祐稲 宮口 m 関紙二郎 谷中安規 紙本幸四郎 戸松感瑛 山岡厳憶障 由民厳正純 六 本多 aw 井口乗海 服榔字之吉 岩井智海 蔵弁貨店 菊池際援 笹本成浄 石井教道 井 川定鹿 野上遣外 鈴木 天 山 湯島誠也 武者小路実篤 一世鱒務貞丈 池悶笑淳 佐山製順 総下行怠 恵谷隆成 補問問正 白銀盤光 里見違信帽 中野魁子 路開存 富士川掛町 宮口水鎗m 堂 編飼隆元 也崎山 一郎 野島宜道 三木武夫 安岡秀賞 補問有戒 金問明進 中野陵緩 友松岡盤町 一世鯛事圃貞鏑 石井院議 首厳莞爾 増谷文信帽 大量情りゅう子 長谷川良俗 子母湾寛 高瀬承厳 高嶋米鱒 渡辺海旭 古 紙自鍵 山岡田野調 中村康隆 成田有恒 村瀬秀忠 川村良孝 岡本 一平 日尾上菊五鶴 小川会英 漬野綾光 八百谷飯店 後援助問援 安居大曲字 北鎌事智光 ・m ・清 循回有 a 鍵月侶成 直属弁苑鱒 繍弁照道 鈴木浄海 佐厳密接 ‘却隼 SH ι SM 中堅介山 赤尾光 値幅 ( 郭盟 梅原興隆 @東京プリンスホテル マグノリアホール 無料 昭和 年、浄土宗の有志で発足した 9 @平成18隼 1 J1 31 日(火眼目) 午後4時より午後5時30分 東京プリンスホテル (東京a港区芝公関与Eト1 マグノリアホール お営治下鉄鋼成門駅下車徒歩 3 分} 包E 法怨上人鋪仰会会員 司・.. (後日 、 招待券をお送り重量 し ます) 一般 ( 12 月 1 日 ~ぴあチケ γ ト取り緩い中 1000円 P コード 会 仰向 糾 で 寧AF 時 川 H 鏑時 時 人閉 山 J M金 銭山凶 ~ 法花 伺 5 月に 。 その名は 『 滞 土」。 号 を発行 法然上人鎖 仰 会は翌年の昭和 m年 。 月には復刊、 一冊の月刊誌を創刊 3 月 に は通 巻 戦時中にはやむなく休刊するも、 昭和幻年 2 8 00 平 成 時年 山 崎町 ル溜 似 獄絵悶 創刊 号から 800 号まで 平成 18年 1 月 31 日(火胆日) 的困 問 回 諮問議 ri争 土』表紙展 部夫 総 到に教諭一 恒 丘一w のリ ; 教 仏 {展示会} 午後 1 鴫より午後3時ま で 刊校内岡威 一…諮問 のお知らせ A 川一 一 昨明 武一 有細川一… 講演会/展示会 606・019) サンタクロース(見えないもの) 7 。 。 。 。 百年以上も前のアメリカでの有名な話 を知りました (東京新聞) パl ジニアの八歳になる少女が、 地 元 のニューヨーク・サン紙に「サンタクロ ース って本当にいるんでしょうか」と投 稿しました 返事は社説に載りました 「この世の中に、愛や、人への思いやり ゃ、真心があるのと閉じ様に、サンタク この世でい ロースも確かにいるのです ちばん確かなこと、それは子供の目にも、 大人の目にも見えないものなのですか 。 出 来事が次々 ら」 夢と愛情をもら った少女は、長じて先 生となり、長期入院の子供のための学校 で副校長も勤めました 。 「見えないもの 」 を大切にする先生にな ったのだろうと思います 最近、非情にして残忍な と起きています 。 。 。 あるモーター会社の社長宅に 二人が忍 び込み、社長夫人と長女の 二人を殺害し て貴重品を盗んだうえに、その家に放火 した事件が 三年ほど前に起こりました 懸命の捜査のおかげで漸くその犯人が先 ごろつかまりました 。 その家は 証 6拠物件として今も縄がはっ てあり、自分の家でありながら、社長さ 。 ん自身でさえ 立 ち入りが出来ない状態だ と聞いています 。 最愛の家族を失い、家をも焼かれた社 長さんの悲しみは、 言語を絶するものだ そのご本人が語 っ ておら 。 ったでしょう れました 「自には見えないけれども、霊はあるの だと最近にな って悟りました、それから 漸く心が落ち着くようになりました 」と 秋祭り村ふくれくる踊りの輪 〈 筆〉 。 江 。 。 友 村のどこかに広場でもあるのだろうか 輪 多作 って踊りが始まる頃には、取り囲む輪も どんどんふくらんでくる 村人だけでなく、 近郷からもやってくるのだろう こうして秋 善 石原 谷 祭りはこ T村の集A 系 一珠沙華 金 也 〈 佳作〉紋迩かせ ハ 井 村 新 村衆の竹 会反る膏響きAqフ 村外れ地蔵ピ 。 。 回りから仏のような人としてめて いるの で ある それほどの人が穴子より鰻が 誰が何を好んでも不思議では 好きだという 山 穂 子 信 子 4 4 村 穴 口 佐 藤 • • 六子より鰻が好きど生き仏 〈 g 、 。 。 中島富士子 ないが、このように表現されると何となくお 俳諮である かしくなる 石舞台六の中よリ汗の顔 足元へ六子這い出す組、ふ' 〈佳作〉若岩の膝の風穴秩高し -自由題 造林の杉の剣先月明し 。 。 杉山を月が明るく照らしている 植林だか ら等間隔に行犠よく、しかも同じような高さ で立 っているのである 幾千という杉が月夜 に剣先をそろえている様子は、荘重というに 。 ふさわしいもの.たろう 信子 響 家 人 〈佳作〉秋の陽会長けて背中も尻&ゑ T地図の上なる秋の旅 この路地にいろいろ死んで良夜かな 範リい 一丁田美恵 4 . 5 佳 美 口 海 康 林 隼 恵 浜 増 田 大 内 〈 特選 〉 選者=鎗田河郎子 参加作品 …………… 絹集部遭 袋 肩 自由題 題 浄土露上句会の お知らせ • 村 村はじめ木犀の呑の流れ来マ 伊藤寿美子 げ子 …良夜かな村に増えたる織の数 …村が町に町が市になる祭錨 佐線路裕子 山本美代子 無造作に荻が活けらる村投場 増田信子 浜口俊春 …父のセルの・虫灸穴も械か L や周東遊江 …小春日の蟹が六振る湖だまリ河令官美枝 …六深〈 繰 っマ囲 えリ独活の丈金谷友江 …穴 霧生まる大小の村明日容かな 中島一子 …ボタン穴ひピったがえてそぞろ来、山本美代子 L 紳無月村は祭の笛太鼓 中島宮士子 …畦道の所どころにもぐら六中島一子 村祭リ綿菓子買・フ子顔見・えず谷 道の辺に野翁湛れて過疎の村 片桐てい女 』の樹もτ村境どす …休暇果つ大樹にあまた蝉の火片桐てい女 L' 柿赤 大場清 めす T野晶測の村どなリ L 問東澄江 …白命題 銀容を拾う身支度ものもの 日 T千 い女 ・中島一子 τ 佐蔵松子 物乾きけリ西井正 L 嵐あど風に修羅なす荻の花筒田信郁子 月昇る海峡の灯を従えて寺下忠至 コスモスの揺れ 鎌ひとつみかんひどつで年送る山本美代子 父の忌の供筆ピす庭の式揮の実周東直結江 郎経の一一穂違へず震の氷河令官美枝 秋寂や気丈に生きるほかはなし金谷友江 松茸の喜捨ゑ〈抽惜のu 塊m 狼れ傘枯れて開閉ままならず片桐 患の狭ひらひら皿を沈ませて中島宮士子 L 河令官美枝 …風穴に一葉落らゆく樹海かな大場滑 秋祭小さき村の村お・』し 杉木立抜け 秋灯や村の語録老い 、 締切・ ニOO 五年十二月二十日 発表・ 『 浄土 』 二OO 六年二 三月号 選者 ・旭国河郎子 (荷 『風』主宰 ) 応募方法 。 明照会館内 4 氏名を必ずお書き下 4 171 ・ ・ いずれの題とも数の制限はありません 。 . 特選各 1名 ・佳作各 3 名 葉書に俳句 ( 何句でも可 )と、住所 さい 東京 都港区芝公翻 月刊 『 浄土 』能上句会 係 〒 m'oo-- 宛先 4 6 今広川 わレ luり キ いい的 l 4内V-w= リ匂 I4 ス子 色 広ア ヲ tキ ゆず,z 什イコ O ス予 3 しょ 脇山「 lレ が nωh ゃ T::・ 1: VJιmmw 内 寸\←町二 4 7 み吻 h 叩 歯 かい 自 弘 。 調 集後記 丸ま った箔のまわりの落ち藁錫〈 岱潤 然上人績仰の気持があったのだと思える のである. 通巻八 OO 毎 も間近に迫ってきた。 『浄土』総上でもこのところ、ライブラ に値いておいて、念仏を信じる人が、念 仏の祖師として法然上人を績仰する、そ も、どの宗派でも良かったのであろう の心を文章にしたためでぐれれば、離で が合わないなどと 言った 議論は、向こう 僧侶である そうした 宗 派の枠に閉じこめない、法然 . 今の浄土真宗の教義と、浄土宗の教義 リーと称して過去の名文を縄載してい る.今月号でも梅原英隆師の昭和十 一年 六月号の文章を縄戦させて頂いた。ご存 じのとおり侮原氏は浄土真宗本願寺派の はり浄土宗内の人の方がという意見が多 く出た.しかし私が過去の『浄土』総を 上人績仰の心を広く伝える意味におい 編集会議の時各氏から、や めく っていて気がついたの は、戦前の創 て、敢えて梅原先生の文章を鍋載させて . 世期のころは、実に他 宗の方の 執筆が多 宮事事昭彦 (大本 山光明寺) いのである.批判に浄土真宗の先生の執筆 頂いた.しかし、この事にこだわるのは、 が多い。これはやはり、この会を立ち上 僧侶の方ばかりで、 一般の読者にとって (長) 飯田 実 経 (駒 ヶ 根 ・安楽寺) .谷.iE ( 目 黒・ 祐天寺) 江口定信 (浦安・大選寺) 大江田縛導 (仙 台 ・ 西方寺 ) 大国秀三 (大本 山 清浄望書院) 北山大組 (燐浄 ・ 光心寺 ) 熊谷繍彦 (佐賀 ・ 本腹寺) 粂原笹久 011 越・ 蓮.寺) 健康司Ji:量 (鎌倉 ・ 高徳院) tをE康成圏直 (品川・ 願行寺) 佐.!亀舗 (小石川 ・光闘寺) 東海事事良 憲(塩釜・~上寺) 須旗康仙 (函館 ・ 称名寺) 袖山'医院 (長野 ・ 十念寺) 高口費量行 (大阪・ 一心寺) 回中光成 (町 田・ 事陸運寺) 中島.1健 (青山 ・ 梅窓院) 中村康II (清水 ・実相寺) 中村民遥 (仙 台・思鈍院) 野上旬纏 (静岡・宝台院) 舗ロ隆信 (石巻 ・ 西光寺) 蕗回得三 (鴻巣 ・鵬願寺) 指図阜爾 (書静岡 ・ 当医陽院) 真野飽海 (芝・天光院) 水科普隆 (長野 ・ .慶寺) 宮事事緩.(横浜 ・ 大光院) 山田和緩 (諏訪 ・ 貞鮫院) {敏称略 ・五+音順} フ l 編集チ ッ 印刷 an行 フ 佐山哲郎 青木照憲 村伺洋 一 大室了時 七十 一巻十 二 月号制帆 鋪 六百 円 年会資 六千 円 Il- 人 li-- 書 人 g - I ティ 1 イ l 法然上人鍍仰会 厳 電窃 O三 { 三五七八}六九四七 FAX O 三 { 三五七八}七O 三六 m QU 一八0 ・八・八戸=八七 宛行防 干 一O 五・oo 一一 東京鯨港区芝公鴎四・七・ 四期照会館内 印刷 Em-- 臨時式会役シ 真 野龍海 佐藤 良純 昭和十年五月 二十日 第一碕 ニ郵便物認可 平成十七年十 一月 二十日 平成+七年十 二 月 一 白 浄土 編集スタ :I/gekkan-j吋o.info h ホ ー ムペ ージ げた先生の心には、宗派の枠を超えた法 はとまどうばかりであろう。 維誌 f浄土j 特別 、 維持、賛助会員の方々 4 8 月刊 L もうすぐ 月刊「浄土J ' お知らせ ⑮ サイトマ,, 7 メール 主!.t!i 1: 人JJt仰会 ,, ( C )2 002HOUN F . N SYOU N lNS以NGOUKAI. A I Inl { hl ! Cn:'sl' 'cd , 法然上人鏡仰会のホームページご紹介 法然 上 人鎖仰会では通巻 800 号記念事業の 一環としてホーム ペ ー ジの 整備 を行 っ ております。 ホーム ペ ージでは今までに刊行された浄土の 目 次検索や一 部本文の 検索など ができますし、内容も 一 部提供してインターネット 上 でお読みになることが できます 。 また浄土 の広場では、インターネッ ト 上から俳句の投稿 などもできます 。 どうぞご覧ください 。 ht l p : / / ho n e n. s an g o u. n e t ht l p : / /ge kka n-jod o. 国fo 000 ぞ・一 ヨ 022 法然上人 会の 念仰 説 本 月刊 f浄土j c争巧 •• "ゐ仏 ・ g ュ ・!・ RS 町,. ・ ・,. l r ' a a ュ ・・荷・ a ‘.v 司刊 MOou --N 発行人 / 奥野総海 事誌ー 二-~込 こ怠 [lW"'_ I 併 ーーι』・ 編集人 /佐渡 由民純 緬築チ r.:1 ・・・・・ .司 f念傍踊本j 完全復刻服 1.ωO(J) 誌, Iì~長・1・i);'17 x5!1佃 f差出人は浩然 さんl 縦訓O円 ..,・. 遭鐸銀十六・之国 (a入り ) f選持集絵解き物 話 J :青む l 20.0側11) (矧~.i怠桝抱料3(州 11) フ/長谷川岱潤 「法然上入信伝鐙.・J ( 8 校セット ) 8帥IJ) 駒-・・ " 飾泊KA--- 良公二宮本』 ・ ゅー -K怠陶・ t・‘ 帽鉄熔土人倫伝 -一 愛託販必 2・繍煩 f浄土への道 涜然上人法信妙1 1.似)()円 f フッタ 知れば知るほどj 1.似)() 川 ※ YÞ じ友人・本Illl1'I 1 :. ' jJ i l nu然 k 人絵(t;・蛾欠 : {!本」 より 当会発行の書籍、雑誌のお求めは、 . 当会へお申し込みください 。 ~お、月 I 刊浄土を除き価格に送料l志含まれ . ておりまぜん。別途実質を申し受けます。 1・ 1- 電話 / 03・~}e'Ý1::]・[~l!.4 FAX / 03・[ël-"YL:]・UIICT:J E ・・ ・・