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IRRI - JICA報告書PDF版

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IRRI - JICA報告書PDF版
筑国セ
JR
03-203
目 次
序文
議事次第
要約
1 シンポジウム全発言記録 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−1 開会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−2 挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−3 セッション1 開発途上国に対する稲作協力の事例と考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−3−1 開発途上国における稲生産の社会経済的役割
田中耕司氏 ・・・・・・・・
1−3−2 アジアにおける稲作協力
高橋 均氏 ・・・・・・・・・
1−3−3 アフリカにおける稲作協力
坂上潤一氏 ・・・・・・・・
1−4 小討論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−5 セッション2 各機関における稲作協力の事例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−5−1 農林水産省における稲作協力
長田明夫氏 ・・・・・・・・・
1−5−2 NGO における稲作協力
萬代保男氏 ・・・・・・・・・
1−5−3 国際機関における稲作協力
伊藤 治氏 ・・・・・・・・・
1−5−4 JICA 筑波国際センターにおける稲作研修
美馬巨人氏 ・・・・・・・・・
1−6 小討論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1−7 セッション3 総合討論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2 研修員へのアンケートおよび集計 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3 サマリー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3−1 開発途上国における稲生産の社会経済的役割
田中耕司氏 ・・・・・・・・
3−2 農林水産省における稲作協力
長田明夫氏 ・・・・・・・・
3−3 アジアにおけるオイスカの稲作協力
萬代保男氏 ・・・・・・・・
3−4 アジアにおける稲作協力
高橋 均氏 ・・・・・・・・・
3−5 アフリカにおける稲作協力
坂上潤一氏 ・・・・・・・・
4 資料 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
序文
JICA 筑波国際センターでは、古くは内原の国際農業研修センターの時代より、開
発途上国における農業分野の人材育成を目的とし、稲作、野菜、灌漑、農業機械の
各分野において、集団研修を実施してきました。これら集団研修において、本邦にお
ける研修実施の意義を評価・検討する目的で、数年前より野菜、灌漑、農業機械の各
分野について、外部有識者を交えた客観的評価を実施してきました。
今回、稲作分野の評価を検討するにあたり、これまで実施されてきた評価手法を検
討した結果、より広く関係者に参加をいただき、開発途上国における日本の稲作協力
について広く議論を交わし、その中で当センターでの稲作研修のあり方について検討
するということを目的として、シンポジウムを開催いたしました。
本シンポジウムでは、稲作分野の専門家の方々かたの活動事例、展望等について
の発表や、一般聴講者や当センターの研修関係者等を交えた参加者全員によるパネ
ル形式の総合討論を通じ、活発な議論が行われ、今後の研修において多くの有益な
フィードバックを得ることができました。本報告書はその成果をまとめたものです。また、
本シンポジウム開催に際し、稲作分野研修コースに参加した研修員からもその効果等
についてアンケートを実施し、その結果も合わせて掲載いたしました。
本報告書が、今後の日本の稲作協力を考える上での一助となれば幸いです。
平成15年12月
独立行政法人国際協力機構
筑波国際センター
所長 狩野 良昭
シンポジウム
「開発途上国における日本の稲作協力 ∼稲作研修のあり方を考える∼」
議事次第
1. 日時 平成15年5月23日(金) 10:00∼17:00
2. 会場 JICA 筑波国際センター研修棟講堂
3. プログラム
(総合座長 社団法人国際農林業協力協会技術参与 金田忠吉氏)
10:00∼10:10 挨拶(JICA筑波国際センター所長 狩野 良昭)
10:10∼12:00 セッション1 開発途上国に対する稲作協力の事例と考察
(1テーマ発表 25 分、質疑応答 5 分)
10:10∼10:40 開発途上国における稲生産の社会経済的役割
(プレゼンター:京都大学東南アジア研究センター教授 田中耕司氏)
10:40∼11:10 アジアにおける稲作協力
(プレゼンター:元 JICA フィリピン専門家 高橋均氏)
11:10∼11:40 アフリカにおける稲作協力
(プレゼンター:国際農林水産業研究センター国際情報部 坂上潤一氏)
11:40∼12:00 小討論
12:00∼13:00 昼食
13:00∼15:20 セッション2 各機関における稲作協力の事例
(1テーマ発表 25 分、質疑応答 5 分)
13:00∼13:30 農林水産省おける稲作協力
(プレゼンター:宇都宮大学名誉教授 長田明夫氏)
13:30∼14:00 NGOにおける稲作協力
(プレゼンター:財団法人オイスカ海外担当部長 萬代保男氏)
14:00∼14:30 国際機関における稲作協力
(プレゼンター:国際農林水産業研究センター生産環境部長 伊藤治氏)
14:30∼15:00 JICA 筑波国際センターにおける稲作研修
(プレゼンター:JICA 筑波国際センター業務第二課長 美馬巨人)
15:00∼15:20 小討論
15:20∼15:30 休憩
15:30∼17:00 セッション3 総合討論
以 上
1 シンポジウム全発言記録
開
会
美馬氏 おはようございます。時間になりましたので、シンポジウム「開発途上国における日本の稲
作協力∼稲作研修のあり方を考える∼」を始めさせていただきたいと思います。
本日はお忙しい中をお集まりいただきまして、ありがとうございます。シンポジウムの総合座長
につきましては、国際農林業協力協会技術参与をされております金田様にお願いいたしま
す。
挨
拶
美馬氏(JICA 筑波国際センター業務第二課長) まず、当センターの所長の狩野の方から開催のご挨拶
をいたします。
狩野氏(JICA 筑波国際センター所長) 私、この国際協力事業団筑波国際センター所長の狩野といい
ます。本日はお忙しいところ、私どもセンターが企画いたしましたシンポジウム「開発途上国に
おける日本の稲作協力∼稲作研修のあり方を考える∼」にご参加いただき、ありがとうござい
ました。
また、プレゼンテーションしていただく先生方には、お忙しいところ快諾いただきまして、今日
発表していただくことを感謝申し上げます。特に座長をお願いいたしました金田先生につきま
しては、このような形の試みが非常におもしろいということで、このシンポジウムを実現するため
にいろいろな形でご支援いただき、厚く感謝申しあげます。
既にご案内のとおり、このシンポジウムは、日本のお家芸であります稲作協力、稲作技術につ
きまして、開発途上国の方々に貢献しようという形の協力について、日本がどのような形でや
ったかということを見直していきたいというのが一つの目標でございます。
もう一つは、この筑波国際センターでは 1961 年以来、約 718 名が稲作研修を受けております。
その私どもの研修コースについて、今後の日本の稲作協力の中で、どのような方向で進めて
いくのが望ましいかということを、ぜひパネリストの皆様方、そしてフロアの皆さんが一体となっ
て、率直に意見交換をしていただきたいと思います。
本日は夕方5時まで丸一日という長丁場でありますが、ぜひ皆さんにご協力いただきまして、
このシンポジウムを成功裏に終わらせていただけたらありがたいと思います。
最後に、私ども、このセンターでこのような形のシンポジウムを開催するのは初めてでございま
す。運営上等、いろいろな形で不行き届きがたくさんあるかと思いますが、望ましい稲作協力
をやっていこうという仲間として、ぜひ忌憚のない形のご助言、ご意見を賜りたいと思います。
それでは、金田先生に総合座長をお願いいたしまして、シンポジウムを始めさせていただきま
す。本日はどうもご出席ありがとうございました。
座長((社)国際農林業協力協会技術参与 金田忠吉氏) 金田でございます。非常に不慣れなことをやる
ことになりますが、よろしくお願いします。
まず最初に、本日のスケジュールのご紹介をお願いします。
美馬氏 これから午前中のセッションに入ります。午前中は3題ございます。まず、京都大学教授の
田中耕司様から、「開発途上国における稲生産の社会経済的役割」という演題で 30 分間プレ
ゼントをしていただきます。田中先生は大変お忙しく、発表が終わりましたら、ご質問を受けた
後、すぐ退席されるということですので、若干延長して質問を受けて終わりたいと思います。そ
の後、「アジアにおける稲作協力」ということで、元フィリピン専門家でいらっしゃいます高橋均
様、「アフリカにおける稲作協力」ということで、JIRCAS の坂上潤一様。その後、20 分間ほど小
討論をとって、12 時に午前中のセッションを終わりたいと思います。
午後のセッションにつきましては、1時から始めたいと思います。4 題ございまして、「農林水産
省における稲作協力」ということで、宇都宮大学名誉教授の長田明夫様、「NGO における稲
作協力」ということで、オイスカの萬代保男様、「国際機関における稲作協力」ということで、
JIRCAS の伊藤治様、「JICA 筑波国際センターにおける稲作研修」ということで、私の方から課
題を説明したいと思います。また小討論を挟み、ブレイクをとり、その後、3 時半から 5 時まで総
合討論という形で本日のシンポジウムを結論づけていきたいと思います。
それでは、長いシンポジウムになりますが、よろしくお願いいたします。
座長 ありがとうございました。先ほどの所長のご挨拶にもありましたように、こういうような形でシン
ポジウムをやるのは初めてだということでございます。もう一つ、ここで長いこと稲作研修コース
をやってこられましたが、今年から国別に変わりまして、第 1 年目はキューバから7名来ておら
れます。今まではもっぱら英語で講義しておったのですが、今年はスペイン語ということで、通
訳の人も随分苦労しておられるようです。そんなことで、今年は稲作の研修コースの一つの曲
がり角に立っているわけです。今までの研修コースを振り返っていただいて、いろいろとご意
見をちょうだいして、これから先どうすべきかということを、研修だけに限らず、開発途上国にお
ける稲作への技術支援はどういうふうにあるべきかというところまで話がいけばいいなと考えて
おります。本当にごく小さな人数の集まりでございますので、ざっくばらんなところをお話しい
ただければありがたいと思っております。お互いに知った顔が集まってますので、どうぞよろし
くお願いしたいと思います。
セッション1
∼開発途上国に対する稲作協力の事例と考察∼
開発途上国における稲生産の社会経済的役割
プレゼンター 京都大学東南アジア研究センター教授
田中 耕司氏
座長 最初に、京都大学東南アジア研究センター所長の田中耕司先生です。田中先生は熱帯に
おける稲作の実態を非常によくご承知で、研究面でも非常にお詳しい方でございます。今日
1
は非常にお忙しいところを無理して来ていただきまして、この講演が終わりますと、トンボ返り
で大阪に帰らなければいけないのだそうです。そんなことで、昼前の 20 分ほどの質問時間の
一部と考えておられるような質問も先生の講演が終わったらすぐに出していただくということで、
先生の持ち時間を 35 分から、場合によっては 40 分ぐらいまでいってもいいかなと考えており
ます。そんなことで、よろしくお願いしたいと思います。
田中氏 ご紹介いただきました京都大学東南アジア研究センターの田中でございます。今日は本
来ならば丸一日こちらのシンポジウムに参加する予定でいたのですが、ご承知のとおり、大学
は来年度 4 月 1 日から法人化されまして、独立行政法人になります。そのために、大学に附置
されている研究所や研究センターの再編の問題が浮上しておりまして、東南アジア研究セン
ターも一つの研究機関ですので、その会議にどうしても出席しなければならないということで、
発表が終わりましたら失礼させていただきます。本当に申しわけありません。稲作研修コース
の転換のときに途上国の稲作について考えるという非常に興味深いシンポジウムで、私自身
もこの問題には大変関心があるのですが、都合で失礼させていただかねばなりません。どうぞ
お許しください。
当初、私に研修センターの方からご依頼があったのは、開発途上国における日本の稲作協
力について考えるシンポジウムをしますので、何か話題提供していただけますでしょうかという
ことでした。私、稲作研修コースでも 1 コマをこの数年間担当しておりまして、アジアの稲作に
ついて研修生の方々に講義をしていたという関係もありまして、テーマ自体が非常におもしろ
いし、ああ、結構です、私もぜひ参加させていただきますというお返事をしたのです。その後、
あなたの役割はこういうものですということで回ってきた役割を見て驚いたのですが、「開発途
上国における稲生産の社会経済的役割」という大変難しい課題を与えられました。
開発途上国、特に稲生産をいわば農業の基幹の部門として持っているような開発途上国は、
稲、あるいは稲生産が社会的にも文化的にも、あるいは経済的にも大変重要な役割を持って
いるというのはもう言うまでもないことで、大変重要ですと言わざるを得ないわけです。ところが、
日本が稲作の技術協力を始めて既に 40 年余りがたつわけなのですが、最初のコロンボ計画
で稲作技術に日本が参画していた時代と現代の時代は、世の中全体が随分大きく変わって
きたと言えるかと思います。稲の生産という面に関して、あるいは稲の生産されている舞台であ
ります水田の利用に関して、従来から開発途上国という形で一括して言われているのですが、
技術協力の援助対象になっているような対象国の中には、本当に途上国なのかなという国も
出てきているわけです。日本の稲作技術協力をこの時点で見直してみるということは大変意義
があるかと思います。
そんなことで、私に与えられたのは社会経済的役割なのですが、プログラムの構成を見ました
ときに、かなり個別の技術協力の分野で仕事をされていた方々、あるいは稲作の技術開発に
当たっていた方々が私の後にたくさんプレゼンテーションされますので、私は社会経済的役
割の「役割」のところはちょっとどけまして、社会経済的な問題点がいかに重要かということをお
話ししたいと思います。
2
(スライド映写)
○稲作技術協力の成果が相手国の社会経済条件の改善と強化に役立っているか、あるいはこ
れからも役立っていくのか、そういった課題を設定してみたいと思っています。
○こういった課題をより具体的に考えていくときに、いくつかのレベルがあると思うのですが、私
は3つを考えてみました。より具体的に問題を考えるときに、稲の生産力や水田の生産力の向
上に向けた技術体系自体を評価していくという問題があるかと思います。稲作の技術協力を
する場合に、日本人の技術協力は日本で開発された日本型の技術を移転している。ところが、
対象国の技術のレベルはさまざまでありますし、地域的に大変多様な稲作を展開しています。
技術協力で持っていくような技術が果たして多様性に対応できるのかという問題があります。
もう一つは、これも技術移転の場合に非常に問題になるのですが、従来、かなりハイ・インプッ
トの技術体系が移転されて、ハイ・リターンの多収穫を得ていこうという目標を掲げていたわけ
ですが、これからは支援事業の持続可能性の問題、あるいは環境負荷の問題等に対応でき
る技術であるのかどうかが技術体系自体を評価する場合の問題として出てくるかと思います。
もう一つは、稲作を取り巻く社会経済条件が大きく変化しています。従来は、人口の増加に対
して、米はどんどんつくればいいという発想でよかったのですが、現在ではそうはなっておりま
せん。
例えばインドネシアですと、1980 年代の末にはある程度自給レベルを獲得したわけですが、
その後、自給レベルを維持せずに、米を他の国から輸入するという形をとっています。その結
果、米の価格を低く抑えている。輸入米を導入することによって米の価格を低くして、ある意味
では自給レベルから転落していった、そういう場合もあります。
また、例えばベトナムのように、輸出競争力をつけるために米の買い入れ価格を低く抑えてい
る。そのために農民は幾ら米をつくっても、なかなか生活が向上しない、あるいは所得が向上
しないといった問題があります。
それから、例えばミャンマーのように、政府自身が米の価格を低く抑えているという政策をとっ
ているところもあります。ですから、各国の食糧安全保障政策の中で稲作の技術協力を位置
づけていかなければならない、そういった問題があります。
さらに、単に対象国の社会経済状況が変わっただけではなくて、日本の国内の技術協力に対
する見方も変わってきています。日本は今、米の生産に対して随分と風当たりが強くて、ある
意味では逆風が吹いているわけですが、そういった逆風があるにもかかわらず、途上国で稲
作技術協力をするのがいいのかどうかという議論が起こっております。端的に言えば、こんなこ
とをやっていて国益にかなうのかという話です。
そしてさらに、ODAの事業を実施していく枠組み自体が変わってきています。ODAとしては、
今までは稲作の技術協力で食糧を確保するために稲の収量を上げている。そのための技術
協力をしている。いろいろな技術要素を組み合わせて、稲作技術の改良ということで専門家を
派遣するという枠組みができたわけですが、今はそういった枠組みだけではなくて、稲作技術
をそういうふうに改良していくならば、より社会的な側面、例えば援助をするということは、相手
3
国の全般的な貧困問題にプロジェクト自体がどんなふうにかかわっているのか、あるいは社会
的に女性のエンパワーメントに役立っているのか、あるいはそのプロジェクト自体がトップダウ
ンではなくて、いろいろなコミュニティー、あるいは社会全体の参加が保証されているのか、そ
ういった問題が問われるようになっております。ですから、こういったことに技術協力自体が貢
献できるのかどうかも問われてくるわけです。
ですから、水田の生産力や稲の生産力を上げていこうという技術体系自体の問題と、稲作を
取り巻いている経済条件、あるいは社会条件が変わっていること、そしてODAの枠組み自体
が変わっているということが非常に重要な論点として上がってくるかと思います。
○そこで、こういう課題に日本の稲作技術協力が対応できるのかという問題なのです。従来、稲
作技術協力はどんな形で行われてきたかは皆さんよくご存じですので言う必要はないと思い
ますが、私は、アジア全体の大きな稲作の枠組みから考えますと、日本の技術協力は、言って
みれば日本型稲作というふうな、アジアの中では非常に特殊な稲作の技術移転ではなかった
かと考えております。
○日本型稲作の技術移転は大変大きな成果を上げてきました。1950 年代から 1960 年代、特に
1960 年代末から始まったアジアの「緑の革命」と言われる稲作技術改良の中で、大変大きな
貢献をしたわけですが、考えてみれば、この「緑の革命」を支えた技術は、日本人がいろいろ
開発してきたような技術ないしは栽培理論といったものが母体になっているわけです。言って
みれば、日本型技術によって「緑の革命」の技術は組み立てられていったと思います。現在に
至るまで、稲作の生産を上げるためには、このモデルが一番いいと考えられておりますし、技
術的な観点からは、ポスト「緑の革命」等、いろいろ言われておりますが、稲研究ないしは稲作
の技術普及にかかわっている方々は、こういう形で稲の生産を上げていくことがやはり一番重
要なことだと考えておられます。
ところが、先ほど申しあげましたようなグローバルな経済の発展、そしてそのもとでの社会の大
きな変化の中で、さまざまな社会的、あるいは経済的な条件を持った地域に、言ってみれば
一様な日本型稲作の技術移転という発想で果たして対応できるのだろうかという問題が出てき
ています。そういったことから、ある意味では発想の転換が必要ではないかと思います。
○「日本型稲作」という言葉を使いましたが、これはどんな稲作かといいますと、アジア全体の中
では、大きくは盆地型の灌漑技術を持った稲作だというふうに技術体系としては評価できるか
と思います。これは、比較的安定した水資源を非常に組織的に利用する水利用システムをつ
くって、非常に集約的な稲作をするというタイプの稲作だと思うのです。私はこういうのを「山間
盆地型の稲作」と呼んでいますが、世界でも同じような地形にめぐまれた山間盆地地域では、
日本の稲作技術は最もその技術力を発揮できたように思います。
ところが、こういう山間盆地型の集約的な稲作は江戸時代から明治時代にかけて成立した非
常に集約的な稲作技術体系で、これはアジアの中でも非常に特異な位置にある稲作であっ
たと言ってもいいかと思います。
同時に、「立地形成型技術」と「立地適応型技術」の相補的な投入という難しい書き方をしてい
4
ますが、言ってみれば、日本の稲作技術は稲をつくる場である水田に対しても随分といろいろ
な働きかけをして、稲作の栽培立地を改良してきました。ずっと昔の技術ですと、例えば乾田
化していくためのいろいろな水田改良技術ですとか、あるいは水管理のための水路技術です
とか、そういった立地をつくり変えていく技術、立地を新たに形成していく技術がありました。そ
して一方では、新たな立地ができ上がった後に、それにうまく合うような栽培技術が投入されま
した。例えば乾田化しますと肥料の効果が出ますから、もっと肥料を与える。もっと肥料を与え
ると、肥料に耐えるような品種を改良していく、あるいは導入していく。そういうのを私は「立地
適応型技術」と呼んでいます。立地を形成していく技術とそれに適応していく技術、この2つが
うまく絡み合いながら発展してきたのが日本の稲作技術ではないかと思います。その結果、非
常にハイ・インプット、ハイ・リターンの稲作技術をつくったと思います。
もう一つは、これは農民にも技術者にも共通して言えるのですが、こういった日本型の稲作は
田んぼ全体を管理しているように見えるのですが、実は、稲作の株一つ一つを丹念に観察し
て、まるで個体を管理するような形でいろいろな栽培管理を施していく技術です。言ってみれ
ば個体管理の非常に徹底した技術体系、そのために非常に労働集約的な管理を行ってきた、
こういう技術体系であったかと思います。こういう日本型稲作が「緑の革命」の時代に最も有効
な手段として働いたわけです。
○そういう中で、東南アジアがどんな現状にあるかということを例に上げさせていただきますが、
昔ながらのやり方で、非常に安定して、低位の生産レベルで生産活動を続けているところがあ
ります。例えばミャンマー、ラオス、ベトナムなどの大陸部の山間地に行けば、こういう稲作が
今でも見られます。
それから、収穫を増大していこうというところはたくさんあります。これは、いわば「緑の革命」の
技術を受け入れて、どんどん生産を上げていった地域です。
そういう第2段階を経て、経済のグローバル化のもとで商業的な農業がいま急速に浸透してい
ます。稲だけではなくて、現金獲得のための商品作物を導入した非常に複合的な体系を目指
そうというところが、東南アジアですと、大都市を控えたデルタ地帯、あるいは人口稠密なジャ
ワ、そういったところで出てきております。
さらに都市化が進んでいる大都市周辺になりますと、逆に土地を離れていくような施設型の農
業ですとか、あるいはもう少し大都市から離れたところですと、工業部門との労働力の競争が
起こりまして、できるだけ労働節約的な技術が必要になってくるといったことがあります。
こういう変化の中で、表に示したようないろいろな技術的課題があるのですが、現代では稲作
の技術改良だけでは済まないような問題がたくさん出てきています。例えば、商業化のもとで
の土地集約的な複合的農業となりますと、非常に高度な土地利用をしていく。そのために、農
業部門では穀類だけではなくて、園芸作物が入ったり、あるいは淡水魚の養殖が入ったり、そ
ういったことが行われます。それから、非常に高品質な作物の生産が要求される、そういったこ
とが起こってきます。投入資材を効率的に利用するわけですが、その結果、いろいろな環境
負荷を増大させるという問題が起こってくるわけです。さらに都市化が進んだ段階になりますと、
5
輸出用産品ですとか、そういった部門の変化が起こってくるわけです。
○これは私がベトナムで調査をしたメコンデルタの例ですが、図の上段はかつて「緑の革命」が
始まる以前の稲作です。この時代には雨期になると洪水が始まって水位が上がり、これに合
わせて稲を年 1 回つくったわけです。洪水が非常に深いところは浮き稲をつくり、浅い所では
移植稲作をし、洪水が余りかからないところは非常に短期の稲をつくるといった、年 1 回の作
付パターンを行っていたわけです。ところが、タンノンと呼ばれるIR系統の品種が入って、栽
培期間が非常に短くなって、二期作、三期作が導入されます。
このときに注目しなければならないのは、かつては雨期に稲をつくったわけです。ところが、雨
期に稲作を休むような作付体系になってきた。すなわち、乾期に水路からのポンプ灌漑を始
めることで乾期の稲作が可能になります。ところが、雨期の増水期はIR系のような短稈の品種
はうまくつくれないということで、この時期を外してポンプ灌漑、あるいは初期の洪水、後期の
減水期の水でそういったものをつくっていく。だから、作期ががらっと変わって、この時期に農
村の社会構造も大きく変化します。今までは共同ポンプだとか、そういうものがあったわけです
が、こうなりますと、例えばポンプを個人で持ったり、あるいは経済開放の後はポンプを持って
いる人は水を販売するという形になっていきます。このことは、単にメコンデルタだけではなく
て、例えばバングラデシュのようなベンガルデルタでも起こっておりまして、ベンガルデルタで
は、シャローチューブウェルと呼んでいる浅井戸を持った人がどんどん地下水を汲み上げて
二期作を進めるといったことが起こります。ですから、農村内部で「緑の革命」のために農民層
の中に貧富の格差がさらに広まっているという結果をもたらしているわけです。
こういった形で、60 年代、70 年代から 80 年代まで、稲の多期作化が進みました。ところが、
1987 年から経済開放が始まりますと、農民たちは、いわゆる二期作、三期作を導入した稲の
多期作化をベースにして、その間に商品作物を入れます。例えば大豆を入れたり、サトウキビ
を入れたり、あるいは水田の中に養魚池をつくって、複合的な生産体系をつくるといったことを
始めています。水田の多角的な利用が進んでいるわけです。非常に典型的な複合化の例が
ここで始まったということです。
一方、ベトナム政府も環境の保全といったことにも注意は喚起していますが、今のところ、土地
の高度な利用体系に使われる農業資材はほとんど外部資材がインプットされます。特に農薬
などの使用もどんどん増えていますので、水をきれいにしましょうとか、あるいは農業だけでは
なくて林業もやって複合的な土地利用をしましょうということになっています。
○今日は非常に時間が限られていますので、問題提起という形でお話をしたわけですが、稲作
技術研修のプログラムだけではなくて、日本の稲作技術協力をこれからどうしていくかというこ
とが今日のシンポジウムの最大のテーマだと思いますので、今私が考えていることを若干お話
ししたいと思います。
1950 年代から始まった稲作技術協力は、先ほど開会の挨拶のときに、稲作の技術協力は日
本のお家芸だという言葉があったように、確かに日本のお家芸でした。ところが、日本の稲作
技術者は現代の非常に複雑な農業問題に関して、そのお家芸を十分に使い切れない状態に
6
なっていると私は考えております。それはなぜかというと、稲作自体がある地域の水田利用体
系や農業体系の一コンポーネントにすぎないという形になってきているからです。
先ほど4つの地域を並べまして、1 の地域は伝統的な在来農業をやっている地域と紹介しまし
たが、そういう地域であっても、稲作プラスほかの生業という形で皆さん生活をしているわけで
す。ですから、稲作は日本人にとっては非常に重要な農業セクターですし、稲作を改良して
稲の生産を上げれば何らかの形で農業に貢献できる、それは当然なのですが、稲作技術者
は稲にこだわり過ぎているところがあると思います。ですから、稲はあくまで一つのコンポーネ
ントで、その一つのコンポーネントが含まれているような、もっと大きな農業の体系を考えていく
必要があるかと思います。
もう一つは、先ほど日本型稲作と言いましたが、日本型稲作は非常に完成された技術体系で
す。これは今も日本人は誇りにしたらいいと思います。これほど生産性をきっちりとうまく技術
体系としてまとめた体系はほかにはないと思いますが、この日本型稲作はあくまで非常に特殊
な条件の中で発達してきた稲作なのだということを我々は忘れてはならないだろうと思います。
そういった意味では、地域の社会・文化特性をもっと加味したような体系がきっとあるはずだと
私は思っております。
例えば、日本人は日本の稲作技術を日本型稲作という形にまとめ上げたわけですが、日本の
技術者は、それぞれの現場なり、日本の条件なり、あるいは社会的・経済的な条件も含めて、
日本型稲作をつくり上げるのに随分といろいろな側面に注意を払いつつ技術体系を完成させ
ました。ところが、稲作技術協力のために援助対象国へ行くと、稲作のことしか考えないという
ことが起こり得るわけです。そのために、より広い文化的な、あるいは社会的な特性をどんなふ
うに技術体系の中に反映させていくのかということが、これから問われていくかと思います。
もう一つは、稲作の作業体系に関わる問題です。農地を持っている農家が一生懸命子供を育
てるように稲を育てるというのがもともと日本の稲作だったわけです。ところが、そんなふうには
思ってない人も世界じゅうにはたくさんいるということです。ですから、労働力の編成ですとか、
あるいは稲作に関する労働観ですとか、そういったことにこれから注意していく必要があります。
先ほど言いましたように、経済的には収量を上げれば、それだけ農家の収入が増えるわけで
すが、相対的に収量の上昇と比例したような収入を得たという実感が得られるかどうかはまた
別の問題なわけです。つくればつくるほど価格は低くなるという原則がありますから、本当に稲
作の収量を上げていくだけでいいのかどうかという問題があります。それはコンポーネントの一
つだという問題ともかかわってきます。
もう一つは、日本型稲作はいわば普遍的な技術のように考えられがちなのですが、実は地域
の中でいろいろな形のモディフィケーションが必要になります。地域の中で稲作を定着させる
ということは、地域の中でどれだけ差異化を図っていくかということなのです。差異化をするた
めには、ほかとどう違うかということをはっきりさせることですから、そういった特徴をもっと出す
ような稲作技術の展望が必要になると思います。
私はラオスの経済政策に関係しているのですが、ラオスの稲作生産力は隣のタイ国と比べた
7
ら随分と差があります。品種改良も進んでいなくて、彼らに言わせれば、私たちは昔ながらの
いわば自然の農業をやっていますと言うわけです。そうしますと、そこに日本が技術協力をす
るなら、その稲作を改良して収量を高めていくという方向がいいのか、自然のままでやってい
る稲作に国際的な競争力をつけていくような技術協力をしていくのか、その選択の問題になっ
てくると思うのです。
差異化を図るということは、ラオスの農業の現状が近代化からおくれて、かなり自然の要素を
残しているなら、その自然の要素をもっと伸ばしていくような農業技術協力があっていいだろう、
あるいは稲作技術協力があっていいだろうということです。言ってみれば、自然でつくられたラ
オスの米ですよということをナショナル・ブランドにしていくような政策があっていいのではない
かということです。ラオスは今、IRRI のプロジェクトも入って、新しい品種を入れて稲作を近代
化していこうとしていますが、それだけが稲作技術協力ではないだろうと私は思っております。
そんなことも含めて、今後、日本の稲作技術協力を考えるときに、より広い枠組みの中で稲作
を位置づけていく、あるいはより広い枠組みの中で稲作を理解していく、そういったことをぜひ
進めていっていただきたいと思っております。今日は細かい話は余りできませんので、大枠の
話をしましたが、後の討論にも生かしていただければと思います。
簡単ですが、以上で報告を終わらせていただきます。
座長 大変ありがとうございました。先ほども申しあげましたように、先生はじきにここをお発ちになら
なければいけないということですが、皆さん、質問がたくさんおありだと思います。どなたからで
も結構です、質問をよろしくお願いします。
小林氏 AICAF から参りました小林と申します。今、今後の展望についてお話を伺ったのですが、
正直言って私は東南アジアの稲作に詳しくはないのですが、一度タイに行ったときに、本来、
淡水の田んぼにインドあたりから輸入してきた塩をぶち込みまして、そこでブラックタイガーの
養殖をしているのを見かけたことがあるのです。皆さんご承知のとおり、タイは大変米をつくっ
ている国ですが、米の価格が余りにも低過ぎて、お百姓さんが田んぼをやめて、ブラックタイ
ガーエビは非常にいい価格で売れるものですから、そこでエビをつくり始めるのです。
米の技術協力は日本のお家芸だと先ほど言われましたし、私も大切なことだと思うのですが、
お百姓さんが求める利益が先にきてしまったときに、政策の問題もあるとは思うのですが、例
えば灌漑水田をつくるということで、無償資金協力であるとか、言ってみれば箱物のような協力
を日本も行ってきたわけですが、それで整備された、稲をつくる目的でつくった田んぼで、米
が売れないから、米が安いからというのでエビをつくられてしまったら、日本の協力って本当に
それでよかったのかなと、すごく首をかしげてしまうものがあるのです。稲作を考えるときに、利
益なのか、それとも、その人たちの食をまず確保するのか、どの辺に力点を置くべきなのかな
というのを田中先生にお伺いしたいのです。
田中氏 ご質問は2点あったと思いますが、まずエビの問題は、おっしゃるとおり、価格の問題なの
です。水田をつくっているよりも 50 倍の収益が得られます。実際には南タイとかバンコク郊外
の水田で始まったのですが、病気でやられたり、いろいろな形で問題が起こっています。価格
8
が上がって、よし、わしもやってやろうというので、無茶苦茶なことだと思いますが、水田を掘り
下げて塩水を入れる、あるいは海から水を運ぶということもやっています。それはやはり余りい
いことではないと私は思いますが、稲をつくっているよりいいと思う人たちがいるのはごく自然
だと思うのです。ただ、持続性という面からいうと、それはいずれ失敗しますから、いわば非常
に短期の投機的な養殖をやっているということで、まったく推奨されません。
ただ、タイはずっと、いわば経済発展の優等生のような形できたわけですが、1997 年に経済
危機が起こって、南部にものすごい洪水が起こり、水田が被害を受けたのです。そのときに国
王は全国に、タイの農業は自然に帰るべきだという指令を発しています。タイの昔の農村の暮
らしを復活とは言いませんでしたが、とり戻すような、調和のとれた農業をやりましょうと。農地
を4分の 1 に区切りまして、4 分の 1 には田んぼ、4 分の 1 には淡水養魚、4 分の 1 には野菜と
か商業的な生産をつくっていく、あとの 4 分の 1 は家畜だとか家禽だとか、複合的な農業をや
っていくべきだという号令を発しています。タイは王様が言うと政府も皆動きますから、私が
1998 年か 1999 年にタイに行ったときには、技術者がそういう方向で話をしてくれました。
ただ、農民自身がそれをやるには、今まで手を省いてきたけれども、もっと労働しなければい
けないことになりますし、組み合わせをどういうふうにしていくのかという問題があります。です
から、稲作技術協力を考えたときに、農業自体も大きな曲がり角にきていることを考えなけれ
ばなりません。タイのような米を中心にした農業生産国も、今はもう米だけではなくて、輸出用
のいろいろな作物をつくっていますが、それをつくる基盤になっている農家の生産体系をどう
変えていくかという話が向こうでも進んでいますので、日本の技術者はそういうのにもリンクしな
がら稲作のあり方を考えていく必要があると思います。
座長 時間がちょっと気になりますが、もしご質問がありましたら、もうお一方どうぞ。
池田氏 JIRCAS の池田と申します。最後に先生が示された表のところで、地域の社会・文化的な
特性を配慮したような地域の稲作技術を考えていかなければならないという一つのご提案だ
ったと思うのですが、例えば合衆国の稲作とかオーストラリアの稲作は、稲作生産はあっても
稲作の文化はないという話が時々出てきます。同じアジアにあっても、若干地域が違いますか
ら、同じ稲作をやっていても確かに社会とか文化は違うとは思うのです。一つお聞きしたいの
は、日本人研究者が行ったときに、社会・文化的な違いというファクターを、どういうふうにとら
えて、どう配慮したというような具体的な例がありますでしょうか。例えばこんなことということで
説明いただけますか。
田中氏 従来の稲作技術協力の分野で社会・文化的なファクターが必要だということはよく言われ
てきました。具体的にそういう形で仕事がされたのは、いわゆる経営分析という形で入っていく
のが一番多かったと思います。ですから、農家の経済を調べるという方向だと思うのです。社
会・文化ということになってきますと、もうちょっと違いまして、私は稲作自体は農家の経営を支
えている一つのコンポーネントにすぎないということをもっとはっきりと調べていく必要があると
思うのです。一つのコンポーネントなのだが、稲をつくるということは土地の問題があります。農
業技術全体の中では、土地面積という面で言えば、稲作は一番土地を取っているセクターな
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のです。ですから、それを管理するときに、農家だけではなくて、いろいろな社会のシステムが
あったりしますので、そのことを十分調査するような技術協力が必要ではないかと思っていま
す。ですから、稲作自体の経営収支を見るだけではなくて、農家全体の広い生業の中で、稲
作は一つのコンポーネントだということをちゃんと思い知って調査をしていくことが必要ではな
いかと思います。ただ、それを技術協力の中にどういうふうに組み立てていくのかということに
なると、非常に難しい問題だと思いますが、取っかかりの段階としては、きっちりとそういう調査
をする必要があるだろう。そのためには、調査をする人のグループ構成を、もっといろいろな分
野横断的なチームを組むとか、そんなことが必要になってくるかと思っております。
座長 どうもありがとうございました。先生はまだまだお話しなさりたい種はたくさんお持ちだと思うの
ですが、電車の時間もあると思いますので、ここで皆さんで拍手をして送り出したいと思います。
ありがとうございました。(拍手)
田中氏 勝手いたしますが、失礼いたします。どうもありがとうございました。
アジアにおける稲作協力
プレゼンター 元 JICA フィリピン専門家
高橋 均氏
座長 続きまして、フィルライスで 8 年チームリーダーをなさったという経験を踏まえまして、「アジア
における稲作協力」ということで、高橋均さんにお願いしたいと思います。高橋さんは私と同期
のような年ごろでございまして、タイで長く熱帯の長期在外研究員をなさっておられました。農
業研究センターの総合研究官をなさって、その後、退官、フィルライスのチームリーダーでご
活躍いただいています。専門は栽培でございますが、いろいろのご経験をお持ちですので、
いろいろなお話が聞けると思っております。よろしくお願いします。
高橋氏 ご紹介にあずかりました高橋でございます。こういうところで話題提供というのは慣れてお
りませんで、お聞き苦しい点があろうかと思いますが、しばらく我慢していただけたらと思いま
す。
今、ご紹介があったわけですが、総合座長の金田さんは農研センターの所長のころ、おまえ
はフィリピンに行けと私に命令された方です。それから、狩野所長は、私どものプロジェクトが
走り出したころの所管の農業技術協力課長であられたのです。そのほか、長田さんは私は大
変昔からお世話になっていたのですが、フィリピンに行くとき、あそこは難しいところだ、IRRI が
あるのだからフィルライスなどへ行ったって苦労するばかりだよという忠告を受けました。その
ほか、JICA の皆さん、横尾先生もおいでですが、AICAF の皆さん、大変いろいろお世話にな
っています。この席をおかりしてお礼申しあげたいと思います。
私に与えられたテーマは「アジアにおける稲作協力」ですが、アジアと言いますと、ものすごく
広くて、その中には近代化、工業化が進んで、既に日本の稲作協力から卒業した国まで含ま
れますので、ちょっと絞って東南アジアのあたりに焦点を当てますと、イメージがはっきりしてこ
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ようかと思います。ほとんどが開発途上国であり、農業国になるわけです。その中でも、私は 8
年間フィリピンに行っておりましたので、フィリピンにおける稲作協力を事例にしながら、そこに
絞って話題提供させていただきたいと思います。
(スライド映写)
○最初に、稲作協力の背景を申しあげたいと思います。ASEAN に絞って考えますと、共通問題
がたくさんあります。GDP に占める農業生産、特に米生産の重要性がどこも共通してあります。
それぞれの国の人口に占める農村人口の割合、全産業労働者の中の農業従事者割合がい
ずれの国でも高い。そういう意味で、農業生産、あるいは米生産がそれぞれの国で最も重要
な産業でありますが、一方で農業の生産性は非常に低い。規模が零細である。機械化は、例
えばフィリピンで言いますと、日本に比べたら 30 年から 40 年も遅れているわけです。いずれの
国も灌漑施設が不備です。そのために旱魃がしょっちゅう起こるのですが、雨が降れば洪水
が起こる。それから、農協組織化が非常におくれている。あるいは組織ができても、それが強
化されていない国がほとんどであります。それぞれの農民がもっと活動するために金融制度を
活用したいと思っても、それが非常に不備で、年率で 20 何%という高利で借りなくてはいけな
いというのがほとんどだと思います。
そういう ASEAN 共通の問題の中でフィリピンの話を進めてまいりますが、フィリピンの米生産は、
反収はかなり停滞しておりますが、時々、天候がよい年、つまり雨が十分に降って、余り洪水
が起こらない年には生産が伸びます。しかし、全体を通して言うと、米生産の伸び率はせいぜ
い年率で 1.2 から 1.3%程度です。それに比べてこの国は人口増加率が非常に高くて、10 年
ほど前までは 2.5%だったのですが、今は 2.3%。1 年間に 150 万人ぐらいずつ増えていく
のです。そういうことで、米の供給が需要の増加に追いつかない。現在、お米の自給率は
91%。といっても、国民が食べたいだけ食べて 91%ではなくて、収入の低い人はお米を食べ
るのをちょっと我慢してトウモロコシを食べているという人たちもかなりいるわけです。それを見
込まないで 91%という自給率なのです。
それから、東南アジア全般にそうなのですが、このごろ、農業政策に非常に力を入れつつある
と私は受けとめております。フィリピンで言うと、10 年ほど前は穀類生産増強計画(グレイン・プ
ロダクション・インハンスメント・プログラム)、最近は農業近代化法(アグリカルチャー・アンド・フ
ィッシャリーズ・モダニゼーション・アクト)ができて、2、3年前から近代化計画に入り始めており
ますが、そんなにどんどん進まないのが実状です。
○その中で具体的に私どもの技術協力が行われたのは、フィリピン稲研究所です。フィリピン・ラ
イス・リサーチ・インスティテュートをフィルライスと略称して呼んでいます。このフィリピン稲研究
所は 1985 年の大統領令でできまして、活動が始まったのは 1987 年からです。もともとフィリピ
ンの稲作技術はすべて IRRI に依存していたのですが、IRRI は国際機関でして、必ずしもフィ
リピンの国内でかゆいところに手が届くような形でのご指導が得られない状況になってきたとい
うことで、フィルライスが設立されたわけです。
本場はヌエバエシハ州です。Map を見ますとここがフィリピン、ここがルソン島、これがミンダナ
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オ島です。ルソン島の中で、マニラの南 60 ㎞に IRRI があります。フィルライスはマニラの北方
150 ㎞の辺りにあります。この辺はルソン島の中央でちょうどフィリピンの穀倉地帯なのです。フ
ィルライスの支場は全部で 5 つあります。ルソン島に3カ所、ミンダナオ島に 2 ヵ所あります。
フィルライスの陣容ですが、研究職の数は約 200 名です。これに行政職等を入れますと 480
名ぐらいになっているかと思います。この研究職の中でドクターを持っている人が 20 名を超え
ております。私どもが行ってから留学させてドクターとった人が 10 名ぐらいになっていますから、
半数近くが日本のドクターになっております。そのほかはアメリカのドクターが圧倒的です。そ
れから、マスターコースを終えている人が 70 名ぐらいおります。ざっとこれを見ますと、かなりハ
イレベルだなという感じがするかもしれませんが、実はフィリピンの学校制度は6・4・4制で、20
歳で大学が終わるわけです。ですから、学卒で日本の短大卒と同等になりますし、マスターを
出ても日本の学卒と同じ形ですので、高いというほどではないです。
○フィルライスは設立されたが、施設も何もない、陣容も非常に貧弱だという状況から出発してお
りまして、初代所長がとにかく日本の援助を得ようということで、日本政府に要請したのが、ま
ずは無償資金協力でした。1990 年度に 22.6 億円の無償資金協力がありまして、本館、宿泊
施設、グリーンハウス、圃場調査棟、試験圃場が約 100 へクタールあるのですが、そこに基幹
排水路が2本入ったわけです。
この無償資金協力が終わりますと、今度は技術協力が必要だということで要請されまして、最
初のプロジェクトはフィリピン稲研究所計画で、1992 年 8 月から 1997 年 7 月までの 5 年間。こ
れはいわゆるフェーズ1なのですが、フェーズ2につなげるときに、同じフェーズではなくて、完
全に視点を変えるといいますか、新しくするという形だったので、フェーズ1、フェーズ2と言わ
ずに、TCP(テクニカル・コーポレーション・プロジェクト)1と言っているものです。
このときは、専門別の基礎的研究手法を移転することによって研究水準の向上を図る、人材
を育成するということを視点にして、調査項目は、研究・研修計画、品種改良、土壌肥料、栽
培、作物保護、農業機械、米の品質評価とか農業経営も含めてありまして、これをもうちょっと
細かくした小項目がレジュメに書いてあります。
派遣された専門家は、長期専門家はリーダー、育種、土壌肥料、調整の4名、短期が農業機
械、栽培、害虫、食品、農業経営、普及、こういった分野から専門家が派遣されております。
○TCP2は、先ほどのTCP1に引き続いて 1997 年 8 月から 2002 年、昨年の 7 月まで 5 年間実
施されております。つまり、10 年間継続して実施されたわけです。このTCP2における協力の
視点は、研究の重点化。これは、多収・良質、直播、機械化に対応した目的別の研究手法の
移転、あわせて技術開発。技術開発しながら手法の移転をするということを視点にしたわけで
ありまして、その協力項目は、品種改良、農業機械、省力・多収栽培技術、米品質評価技術、
機械化営農体系、これは情報システムも含んでおります。
派遣専門家は、長期はリーダー、育種、農業機械、栽培、調整の5名に増えました。短期の方
は、農業機械はダブッておりますが、長期専門家だけでは間に合わない広い範囲の項目でし
たので、短期にも派遣していただいております。あと、土壌肥料、雑草、害虫、病害、食品、農
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業経営、情報技術の専門家が派遣されております。
○どういうスタンスで技術協力を進めたかということですが、JICA の技術協力は技術移転である
と言われます。この場合は、技術移転という表現ではなくて、研究手法の移転を研究者にする
のだということです。研究手法の移転によって、人材育成・研究水準の向上を図ることが第一
のスタンスであります。
それから、研究手法といっても、先ほど田中先生からお話があったのですが、日本的稲作、あ
るいは日本的手法そのものを持ち込むということではありません。相手側の条件に適した手法
を移転する。
例えば、わかりやすく言いますと、これは手法と言っていいかどうかわかりませんが、日本の研
究者は自分の実験圃場が鳥によって乱されないように防鳥網を張ります。日本の研究者が行
きますと、こういう試験をやるときは防鳥網が要るのだと。日本ではみんな鴻巣市にある興農館
から防鳥網を買っているのです。派遣された専門家はどうしても防鳥網が必要だというわけで
す。そういうものを発注すると 100 万円以上の金がすぐ飛んでしまうわけです。ところが、風が
吹くと破れたりして、すぐ使えなくなるのです。そういう研究手法を移転すると、後々、そこの国
はそれを引き継いでやっていけないのです。ここの国で何か使えるものはないだろうかという
視点が必要だという意味なのです。結局、漁業用の網でナイロンが入って強いものがありまし
て、非常に安く買えた。そういうふうに持っていかないとだめなのです。防鳥網が必要だという
のは普通の考え方なのですが、何を選ぶかというときに、そこの国にあるものを選ばないとい
けない。
あるいは、玄米の外観を調査するときに小さなカルトンというものを使います。ペンキで黒く塗
ったものだと米の透明度などが見やすいというので、そういうのを使っているのですが、それが
ないと教えられない、ぜひ日本から取り寄せてほしいと。結局、取り寄せたのですが、そういう
のはだめだと。現地にある材料を使ってペンキを塗ればいいと。そういう方法で手法は移転で
きるわけです。そういうことを私はここで言いたいわけです。
それから、研究手法適用に当たって研究対象とする開発技術は何を開発するか。それは、相
手国の社会・経済的条件並びに自然環境条件を重視して、向こうが受け入れられる技術を研
究対象にしましょうということで進めてきました。先ほどの田中先生の考え方と一致するわけで
す。
最後に、「フィルライス・ファミリーの一員になって」と書きましたが、人間関係として、外国人とし
て行くということではない。外から眺めて、あなたたちはこうすべきだ、そんなやり方はだめだよ
と言ったのでは、向こうに受け入れてもらえないのです。2 番に関係しますが、日本ではこうや
っていたのだという言い方では向こうは受け入れてくれません。手法の移転ができないのです。
日本でやっていたからという考え方ではなくて、内側に入って、内側から見て、こうしようではな
いか、この方法がいいではないかというふうに持っていかないとだめなのです。そういうことで、
フィルライス・ファミリーの一員になって、好ましい人間関係を構築して、しかも、これはまた専
門家にはきついのですが、適切な研究指導がないと信頼関係ができませんので、あの人はあ
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んなことを言っているが、日本の人はどうもだめだという話になると困るわけです。適切な研究
指導というのは、非常に困っているとき、それを解決できる、自分の経験とか知識で指導でき
れば信頼が得られて、非常にいい関係ができ上がるのです。そういうことによってプロジェクト
が成功になりますし、私どもは努力して、まあまあの成果が上がったのではないかと考えており
ます。
○では、どういう成果を上げたのかということです。インプット、アウトプット、こういう分け方がいい
のかどうか知りませんが、私なりに分けて整理したのです。まず、インプットによる研究水準の
向上。その一つは、研究手法の移転によって相手側の研究水準の向上ができたという意味で
す。
それから、研究手法移転に必要な研究施設とか機械を導入していく。手法移転のときにどうし
ても機械、あるいは施設が必要になります。例えば、ここでは、稲作の機械化研究棟、農業機
械工作用機械がなければどうしようもないものですから、このプロジェクトの運営資金の中に予
算化してもらって、JICA から出していただいて、この施設、機械が入っています。それで研究
水準の向上も図ることができたという意味合いであります。
それから、アウトプットによるフィリピン稲作への貢献と、国内外からのフィルライスの評価が上
昇されたということがあります。その中身としては、この研究手法移転をしながら技術を開発し
たわけでして、その中の一つは有望系統の育成。PJ ナンバーが育成系統名なのですが、これ
は 10 年間に 27 系統。PJ の P はフィリピン、またはフィルライス、J はジャパン、または JICA な
のです。フィルライス、JICA の系統という意味合いの 27 系統つくりまして、私が帰ってきてから
ですが、これまでに 1 品種が登録されたと聞いております。まだ地域適応性検定試験が続けら
れております。
それから、稲刈取機、稲直播機が既に市販化されております。それから、水稲直播栽培技術
のマニュアル化をしております。これは普及員に渡されております。それから、農業経営にお
ける技術の事前評価ができるようになっております。それから、成果技術をコンピュータの中に
全部情報化することができまして、フィリピン国内における研究機関はどこでもすぐ活用できる
ように進めております。
二番目は、政府予算のフィルライスへの配分が非常に増えた。要するに、そういういい反映が
あったということです。その中身としては、2KR のカウンターパート・ファンド。これは食糧増産
援助の見返り資金という意味で、相手国が自分の農業政策のために使えるようになっておりま
して、その予算によるフィルライスにおける農民研修・情報センターと宿泊棟。農民の皆さんが
おいでになったとき、いつでも泊まれるように政府の方で使わせてくれるということで、ほかに
なかなかこういう例はないのですが、フィルライスは特別にそういう予算が獲得できたのです。
そのほか、政府予算で育種実験棟、作物調査棟、種子貯蔵庫をつくったり、そのほか、研究
活動費も年々増加するというふうに、評価が高まって反映しております。今は、海外の人たち
も含めて 1 日 100 人ぐらいの来訪者、見学者があります。
○この写真が新しい品種の PJ2 で、耐冷性の品種です。要するに、2000 年の歴史のある棚田の
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地帯に適する品種がなくて、ようやくできたということです。
○こちらの写真がもう市販化された機械です。上が稲刈機ですが、ただ刈り倒すだけです。機械
に関して一言申しあげますと、先ほどの社会経済条件に合う形でというのを私は常に注意して
いるわけです。あそこの国は水牛がいるし、人が余っているから、機械化しなくてもいいのでは
ないかというかもしれませんが、モータリゼーションがフィリピンでもどんどん進んでおりまして、
農家の人たちはハンドトラクターにトレーラーをつけて自動車がわりにする。それが7、8年前
からどんどん伸びて、今はほとんどハンドトラクターを使うようになっております。黙っていても
そういうふうになってくるのです。それから、オートバイが農家にもどんどん入ってきております
し、ちょっと恵まれた農家は今、四輪自動車が入っております。そういう世の中になりますと、
農業だけは重労働でもいいのではないかということは言えないのです。少なくとも重労働から
の解放を少しずつ進めないといけない。ただし、急激に日本の今の機械を持っていったら、向
こうの稲のコストも上がりますし、人が余ったら大きな社会問題が起こりますから、本当に徐々
に徐々に進めていくしかないだろう。しかも、機械そのものは、そこの国の材料を使って、そこ
の国で修理ができるものでないとだめだという観点です。この刈取機はバリカン型ではないの
です。バリカン型だと、いわゆる田舎の鍛冶屋ですから、技術的に無理なのです。それで、回
転刃、ガーッと回ると稲が刈り倒されるという仕組みのものなのです。大変喜ばれています。し
かも、日本のクボタの刈取機から比べると値段が半分で済むし、耐久性もむしろクボタの機械
より長いのだと評価されております。
○次に成果の一つですが、研修生受け入れによる人材育成。カウンターパート研修は本来
JICA の集団研修の対象ではないのですが、この 10 年間に 45 名のカウンターパート研修を受
け入れて、そのうちの 12 名が筑波の研修センター、その中の1名が稲作研究コースに入って
おります。ほかの JICA の国際センター、沖縄だとか、大阪だとか、北海道に7名の集団研修、
あとは全くの個別研修で、農研センターが一番多くて、13 名。その他、いろいろな研究機関に
お願いして受け入れていただいております。
○JICA の集団研修国別割当、要するに一般枠なのですが、それに応募して受け入れられた者
が 8 名おりまして、その中の 2 名がこの筑波で稲作研究を受けております。JICA の長期研修
が 1 名、今、東大のマスターコースに行っております。
○留学生ですが、これも随分力を入れて斡旋したわけです。文部省奨学生の博士課程は全部
で 8 名。その内訳を言いますと、JICA の推薦枠は、フィリピンからは毎年 1 名、最近は 2 名に
増えたという話を聞いておりますが、これに 5 名。この中の 1 名は、総合座長の金田さんが神
戸大学におられるときに電話一本で受け入れを引き受けていただいたのです。それから、大
学の教授の方から、ぜひフィルライスから留学させてください、受け入れますよと言ってくれた
ところが2カ所あります。これはもう卒業して、ドクターを持って帰っています。それから、大使
館を通して受験するというのも 1 名合格して留学しております。実際にはもう1名合格している
のがいたのですが、アメリカに行きたいということで、アメリカに行ってしまったのです。これが
文部省の奨学生 8 名です。そのほか、学振の論博制度で 2 名受け入れていただきまして、こ
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れらもすべてドクターをとることができました。
最後の締めの言葉がないのですが、後でまた議論があるでしょうから、これで終わらせていた
だきます。どうもありがとうございました。
座長 どうもありがとうございました。ここで質問ですが、ちょっと時間を過ぎてますので、小討論のと
ころで質問を出していただきたいと思いますので、メモしておいていただきたいと思います。
アフリカにおける稲作協力
プレゼンター 国際農林水産業研究センター国際情報部
坂上 潤一氏
座長 次は、JIRCAS の坂上さんにお願いいたします。坂上さんはアフリカでいろいろとご活躍され
ました。最初は JICA の青年海外協力隊員としてニジェールに行かれたわけでして、数年前に
私も JICA のミッションでニジェールに行ったときに、坂上さんの話を盛んに向こうの研究機関
が言っておりましたのをよく覚えております。帰国されましてから、筑波の国際センターで稲作
集団コースの研修指導員をなさっておられます。去年の2月から JIRCAS に移られています。
専門は資源植物栽培学だそうです。アフリカの稲作協力を中心としてお話をいただきます。よ
ろしくお願いします。
坂上氏 ご紹介いただきました国際農林水産業研究センターの坂上と申します。私もここで7年ぐ
らいお世話になっておりましたので、知った顔がたくさんおりますが、「アフリカにおける稲作協
力」という課題で今日は話をしたいと思います。前半部分で西アフリカを中心とした稲作事情、
後半で我が国のアフリカに対する稲作協力、研究及び技術協力ということでお話ししたいと思
います。最後の方に TBIC からのリクエストのありました帰国研修員の活躍といいますか、活動
等もスライドでご紹介したいと思っております。
(スライド映写)
○まず、アフリカにおける稲作の歴史について、ごく簡単にまとめてみました。紀元前 1500 年ご
ろ、アフリカ稲、学名オリザ・グラベリマと申しますが、それが栽培化されています。どんな地域
で栽培化が始まったかといいますと、ニジェール河のマリの内陸デルタ地域だと特定されてお
ります。その後、500 年ぐらいたちまして、紀元前 1000 年ごろに、このアフリカ稲は、現在のセ
ネガル、チャド、ギニア地域に普及されています。
一方、紀元前後、はっきり特定できませんが、オリザ・サティバと言う、アジア稲がアジアから持
ち込まれている。地域別には、まずインドから東部アフリカに入りまして、その後、北アフリカ、
西アフリカには比較的遅くて、15 世紀ぐらいにサティバのインド型品種が導入されたのではな
いかと言われています。
現在、アフリカ稲はニジェール、ギニア、セネガル、マリ等の深水、氾濫地域で主に栽培され
ておりまして、アジア稲、主にインディカの品種ですが、これはアフリカ全土で栽培されていま
す。稲の栽培面積は、2002 年の実績で 770 万へクタール、そのうちの約数十万へクタールが
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アフリカ稲であると推測されております。したがってアフリカの稲品種の主流はアジア稲であり
ますが、一部ではアフリカ稲も栽培されているということです。
○稲作、あるいは米生産のアフリカの農業に対する位置づけを見ていきたいと思います。これは
全アフリカ諸国の作物生産国の割合を示しています。アフリカ地域の作物生産の状況を見た
いと思いますが、トウモロコシはアフリカの中で一番多くつくられているわけです。アフリカ全 53
ヵ国のうち、その約 9 割の国でトウモロコシが栽培されている。その次には落花生です。コメは
といいますと、アフリカの在来作物でありますソルガム、あるいはキャッサバと同じように、約 7
割の国で栽培されている。こういった傾向から、コメは現在のアフリカにとって非常に重要な作
物であることがわかります。
○アフリカの稲作をこれからご紹介したいと思います。これは地域間の栽培面積の割合です。全
アフリカの稲作面積の約 56%が西アフリカです。私たちがアフリカの稲作というと、対象がほぼ
西アフリカになることは栽培面積からも言えるのではないかと思いますし、私どもの研究対象も
西に絞ったものが多くなっているという現状であります。
○西アフリカの稲作を見る上で、いくつかデータを取り出してみました。西アフリカは現在、17 ヵ
国あります。人によっては 15 ヵ国というくくりもありますが、私は基本的に 17 ヵ国としております。
この「平均」は私のミスタイプで、「合計」と直していただきたいと思います。栽培面積は約 470
万へクタール、生産量は 730 万トンとなっております。これは 2001 年の実績であります。生産
量を個別に見ますと、ナイジェリアが最も多くて、その次にコートジボアール、マリ、ギニアの生
産量が多いという傾向を示しております。
次は生態系の話に移りたいと思いますが、西アフリカの生態系は非常に多様であります。灌
漑水田から畑の栽培、深水、天水とあります。深水の中にはマングローブ、浮き稲等も入れて
おります。西アフリカの稲作と言いますと、一般的に畑で陸稲を栽培しているというのがイメー
ジとしてあります。実際には畑での稲栽培は約 4 割を占めます。しかしながら、ミクロ的に、国
別に見ていきますと、おもしろい傾向があります。アンダーラインをつけていますのが、その国
の主流となる稲作生態系です。畑で陸稲を栽培している畑地作が中心の国は、コートジボア
ール、ギニア、シェラレオーネおよびトーゴの 4 ヵ国だけです。ですから、残りの 13 ヵ国は水系
を利用した水田なのです。したがって、実際に我々は個々の国を対象にした技術・研究協力
を常に意識する必要があり、その意味からも私は水田開発というのはものすごく重要な意味を
持ってくるのではないかと考えております。
○これはマクロ経済的なデータで自給率の推移を出しております。1960 年−1964 年の平均自
給が 65.2%。それがどんどん下がり、1980 年代前半には、西アフリカのコメの自給率は 41%ま
で下がっています。その後、1980 年代後半から 1990 年代前半にかけまして少し上昇しました。
国別に見ますと、自給率が最も高いのはナイジェリア、最も低いのはガーナの 15.1%という結
果になっております。自給率は消費量、輸入量、そして現場での生産量が大きなファクターに
なっているわけで、実際に自給率を上げるには、生産量を上げるとともに輸入量を減らす必要
があります。そういうことからすると、コメは都市部の人口を養う重要な栄養素であり、今後、都
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市化がどんどん進む中で、米生産というのは非常に重要になってくるだろうということです。実
際には、都市部の人口によるコメの消費量は高い割合で増加しております。こういうことから考
えますと、私たちに与えられた役割は非常に大きいのではないかと思います。
○これは、アフリカ稲作の最近の動向から現在、どのような話題があるのかいくつか挙げました。
皆さんよくご存じだと思うのですが、WARDA という西アフリカの稲研究機関で開発しました種
間雑種をネリカ(NERICA)と呼んでおりますが、その品種育成と地域への普及。育成につき
ましては一段落ついてますので、今、いかに普及していこうかということが話題になっておりま
す。
続いて、低湿地の開発です。地域の差があるのですが、今までは水田として使われなかった
が、可能性があるのではないかという評価がされているところで水田を開発していく。もう一つ
は、PVS(Participatory Varietal Selection)といいまして、農民に参加してもらって、自分の田
んぼで植える品種を選んでもらおうというプログラムが、多くの国と地域で行われています。こ
れは最初は WARDA が指導してやっていたわけですが、最近では国単位で独自にPVSのプ
ログラムを実践しているということです。
次に、生産性向上ということですが、1980 年ぐらいまでは栽培面積を拡大する方向で灌漑面
積も増加していったわけですが、1980 以降は、生産性を向上させるためにはどういう技術が必
要なのかということが技術開発の中心的テーマとなり、このことは現在も継続されている。
あるいは環境保全型稲作については、最近ではFAO、あるいは国際機関主導のプログラム
がいくつかの国で開始されています。
そのほか、ARI(African Rice Initiative)とROCARIZ(Reseau Ouest et Centre African du riz)
は普及、あるいは研究を目的にした、西アフリカの地域のネットワークですが、こういうものも最
近立ち上げられるようになっています。
○さて、対アフリカの開発、協力について我々はどういうことをやっているかをこれからお話しした
いと思います。技術協力という意味では、1970 年代にキリマンジャロ(タンザニア)で JICA のプ
ログラムが始まったわけです。これが契機となって、対アフリカの協力が始まっている。その後、
ほかにもいくつかありますが、代表的な国としては、ガーナ、ケニア、コートジボアールでプロ
ジェクト方式技術開発が推進されている。
機材協力に関しましては、第二ケネディ・ラウンドで、2000 年の実績で 68 億ぐらいが、アフリカ
の 18 ヵ国に今供与されている。
一方、研究協力です。手前みそでありますが、JIRCAS が中心に行ったきたわけです。最近の
研究の実績としまして、土壌肥沃に関する研究が 1999 年から 2000 年まで、ブルキナファソで
行われています。今年の 4 月よりニジェールのニアメーでICRISATと共同で土壌肥沃度の維
持・機能解明に関するプロジェクトが始まっています。その他、コートジボアールで 1998 年か
ら 2003 年 3 月まで、稲作に関する研究もされていました。あるいはマリで、穀物生産のリスク軽
減技術開発研究をIERという国立の研究所をカウンターパートとして共同でやっています。詳
しくは申しあげませんが、NGO、大学等も参加して多方面で技術研究協力が実施されている
18
ということであります。
○1993 年にTICAD(東京アフリカ開発会議)が始まりました。そこでは日本が主導で、アフリカ
の開発をどういうふうにやろうかということを話し合ったわけです。1998 年に第 2 回目のTICA
DⅡが開催されますが、そこでどういうことが話し合われたのでしょうか。経済開発分野の項目
について上げました。唯一、農業分野で入っているのが、アフリカにおける稲作振興のための
援助。「稲作」という文字がここに入っているわけです。これはどういうことかというと、アフリカに
おける稲作振興のための援助は 3 つあります。一つは、コートジボアールにおいて、適切な技
術の試験及びデモンストレーション等の技術移転を行います。あるいは、先ほど申しました
WARDA で開発されたネリカ、あるいは種間雑種の開発を支援いたします。もう一つは、東部
アフリカでのアジア型稲作の普及を図る。こういった背景から、その後国内ではいろいろな稲
作協力の動きが活発化していきます。
○JICA 主導のプロジェクトがコートジボアールで2つほど実施されています。1つは、灌漑稲作
機械訓練計画、CFMAGと言います。もう一つは、灌漑稲作営農改善計画、PASEAと言い
ます。これらのプロジェクトはコートジボアールのグランラウとヤムスクロで実施されましたので、
ごく簡単にその内容を紹介したいと思います。
○まず最初の方、CFMAGといいますが、1992 年から 1997 年にかけて稲作の機械化をしましょ
うというプロジェクトです。機械化をして米生産の向上を図りましょう、そのための研修をするの
だということです。私はどちらかというと西アフリカ地域での機械化に経済的な面で否定的な
考えを持っておりますが、ここにもいろいろな思惑があるのだろうと思います。では、今実際に
機械化されているのかというと、それはわかりません。
○もう一つのPASEAは営農改善のプロジェクトで、P1がフェーズ1で、2000 年から 2002 年、P2
がフェーズ2の 2002 年から 2007 年の 2 つの期間に分けてやっているのです。P1はいわゆる
準備期間ということで、いろいろなプロジェクト実施のための準備をします。その後、本格的に
実施するのがP2。私も去年ここに参りましたが、残念なことに昨年の 9 月 19 日にクーデターが
起きまして、まだ終息しておりません関係で、現在、完全にストップしています。第 2 フェーズ
に入れるかどうかは今のところ未定のようです。非常に期待はしておったのですが。ここでも最
終的な目標は、研修をして、そこで灌漑稲作を中心とした営農改善の技術を普及させましょう
ということですので、両方とも研修が非常に重要性を持っているというプロジェクトです。そして、
人材育成を重点化しているということがうかがえると思います。いくつかプロジェクトの実施風
景を撮ってきましたので、お見せしたいと思います。
○先ほどから日本型というのが出ていますが、苗代も、これだけ見ると日本の田舎の風景かなと
いう気がしますが、非常にきれいにつくっています。
○続きまして、私ども JIRCAS における稲作研究協力の実績についてご紹介したいと思います。
1998 年から 2003 年まで、JIRCAS は共同研究を WARDA でしておりました。WARDA は先ほ
ど申しあげましたので詳しいことは申しあげませんが、コートジボアールのブワケというところに
あります。
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○研究課題は二つあります。まず一つ目の課題について。コンセプトはどういうものかと言います
と、研究の背景としましては、先ほど私、生態系のことを申しましたが、丘陵地の畑は収量が低
くて不安定で、いろいろな病害とか雑草の問題も出る。それらの環境ストレスに対して抵抗性
のある品種を育成し、評価することがプロジェクトの目的です。これはネリカをかなり意識したも
のとなっています。もう一つの研究課題は、低湿地における稲作技術普及上の紹介経済的問
題の解明です。社系の分野でありますが、どうしてこういう地域が利用されないのかという原因
解明の研究をしました。期待される成果としましては、畑では改良品種が普及されて、収量が
安定する。低地では栽培が始められて普及されて、高収量が期待できるのではないかというこ
とです。
○では、個々の研究内容についてさらに詳しくご説明したいと思います。まず前者の研究は、ア
ジア稲とアフリカ稲の種間雑種を含む幅広い遺伝資源について、環境適応性の遺伝学的及
び生理生態学的研究であります。さらに、耐乾性とか耐酸性土壌耐性など、実際にアフリカで
生産制限要因となっているようなものを洗い出して、そういうものを集中的に、重点化して研究
していくということです。そして最終的には有用遺伝資源、育種素材、効率のよい選抜システ
ムに関する知見・技術が WARDA の新品種育成事業に連携して利用されるということが期待さ
れています。
○一方、もう一つの社系の研究でありますが、低湿地は現在のところ余り利用されてない。しかし
ながら集約的利用の可能性が非常に大きいのではないかということで、天水の湿地稲作の生
産制限要因の解明をすることを目的としています。対象をコートジボアールとガーナにして、
土地所有制度、灌漑管理、生産物の販売、共同体の役割というような個々に分類された研究
テーマをについて、それぞれの研究者が取り組んでいます。最終的には、地域の開発・普及
機関に中・長期的視野に立った低湿地開発のための政策提言を行うことが期待されていま
す。
実際には、今年の 3 月に外部評価の委員の方々からこのプロジェクトの評価を受けまして、非
常に高い評価をいただきました。現在はコートジボアールに政情不安の問題がありますので、
実質プロジェクトは途中で止まっているわけですが、個々の研究員は補足的にこれらの研究
を現在も続けております。
○自然系の研究風景について紹介します。まず WARDA の正面玄関脇にはネリカの展示圃場
が広がっています。ネリカに相当に力を入れているということがわかります。これは不良環境耐
性品種選抜ということで、約 600 ぐらいの品種を陸稲状態で植えまして、その適応性を比較
する。その中から良さそうなもの、悪いものを選びまして、実際の生態的な研究をここで実施し
ました。これは光合成速度などを測っております。一方、陸稲だけではなくて、水田でも同じよ
うな形で適応性の実験を我々のチームがやっておりました。
○最後のパートでありますが、稲作関係研修員の帰国後の活動と協力関係について、今回はニ
ジェール、コートジボアール及びギニアを対象に紹介します。私は去年、6、7 ヵ国くらいアフリ
カを回っているのですが、そのときにいろいろ協力していただいた方に何人か、ここ(TBIC)の
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OB、OG がおりますので、紹介したいと思います。
○まず、コートジボアールですが、左がセルジュさん。主に筑波、東京、新潟などでポスト・ハー
ベストの研修を受けていました。右がパンフィルさん。この方は灌排の集団コースを受けてい
た。彼らは、アナデール(ANADER)というコートジボアールの普及機関の専門技術員で、先
ほどご紹介いたしましたプロジェクト、PASEA の一員で、非常に優秀であります。私がコートジ
ボアールの国内に参りまして調査をしたときに、彼らにお願いしてアシスタントとして協力して
もらいました。
○次にギニアですが、イラグ(IRAG)という国立農業研究所の一室で会議をしたのですが、その
ときのメンバーで、一番左がマビンティーさん、1 人飛ばしまして 3 人目がシラさん。この方たち
は米生産の集団コースに参加していた研修員で、現在、マビンティーさんは農業計画局の
NGO の担当官であり、シラさんは研究調整官で、非常に重要な役職につかれています。ギニ
アのカンカンというニジェール河の氾濫源地域で遺伝資源の探索収集をしました。私は彼女
にお願いして、アシスタントとして調査団のメンバーに入ってもらって、いろいろご協力いただ
いたところです。
○もう 1 名、ネストールさんは研究所のキリシという試験場の稲育種プログラムの主任で、70 品種
も新しい品種を出しているということであります。彼にもキリシの地域をいろいろ案内していただ
いて、今年からイラグと一緒に共同研究をやろうと考えている次第です。
○最後にニジェールです。舟に乗ってニジェール河を渡っている風景です。彼はヌフさんと言い
まして、彼も米生産コースの研修員だった人です。ニジェール国立農業研究所の稲研究主任
で、彼も調査に入っていただいて、いろいろご協力をいただいたのです。皆さん、帰国されて
から非常に重要な役職につかれている方が多い。一部は行政に行かれている方もいますが、
ここで研修を受けて、その後、さらにブラッシュアップするということで、例えばアメリカとかフラ
ンスに留学をされている。私がここで担当した5、6名ぐらいの研修員は、現在、日本の大学で
勉強しています。
○稲作協力というテーマで議論する良い機会ですので、私見を含めていくつか最後に提案した
いと思います。今後のアフリカ稲作開発と支援の方向性ということで、冒頭で申しあげましたが、
比較的水分条件のよい内陸の低湿地、あるいは河川の氾濫地農業を持続的に発展させるよ
うな開発を私たちは考える必要があると思います。
あるいは、最も大きな制限要因となる土壌の肥沃度改善に向けた施肥技術や有用資源の開
発も重要であろう。
もう一つ、先ほど田中先生もおっしゃっていましたが、実際に稲を単作でやっていこうというの
は、大丈夫なところもあるのでしょうが、そうでないところもあるので、稲を基本にして、ほかの
作物との混作のシステムを開発することも重要です。これは平面的、あるいは空間的な問題を
考えれば、非常に有効になってくると考えます。実際に稲とトウモロコシを混作しているという
のはコートジボアールなどで非常によく見られるわけですから、その現場へ技術改良すること
です。
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また、マルチシステム協力体制と書いておりますが、これはどういうことかと言いますと、二機関
同士の協力ではなくて、バイではなくてマルチ的に、いくつかの機関とグループ化をして協力
体制を組んではどうか。例えば、狩野所長がおっしゃったような気がしますが、JICA と JIRCAS
が組むとか、いろいろな機関がグループとなって協力して互いの弱点を補うものです。
あるいは、人材育成と研修生の活用ということで、日本は比較的人を使うのが下手くそですか
ら、ここで研修をやってもその後のフォローが上手くない。実際に帰国研修員を生かすという
意味で、もう少しそういったところに配慮したプログラムをつくってもいいのではないかと考えて
います。
○最後のスライドですが、研修に対する方向性の提案をします。まず最初に、日本人は現場を
把握せよと書きました。これは、田中先生もおっしゃったような気がしますが、実際、研修する
のであれば、研修している国の農業、稲作を知らなければならないです。それを研修実施側
の日本人スタッフが本当にわかっているかどうか、私は疑問に思います。現場で何が起こって
いるのか、何が問題なのかをまず勉強しなければいけないということです。
二番目に、日本型稲作研修の現地適応性の評価。TBIC では日本型の稲作が関連技術・研
究を教えることが一番大きな目的です。それのいい悪いは別にして、そのもの自身が例えば
アフリカの現地に適応できるのかということです。それをぜひ評価してほしい。イメージではなく
て、評価をしてほしい。それによって研修で何が必要か、何が必要でないかがわかるはずで
す。
次に、研修員の専門性を生かせる研修体制を構築する。研修生はバックグラウンドが違う国や
機関、あるいは研究室、部署等から来るわけですが、集団研修の場合はまとめてやるというこ
とかもしれませんが、実際にはいろいろな専門性を持っているわけです。その専門性を生か
せるようなプログラムをつくられてはどうかということです。
次に、人間に喜んでもらうような研修を実施する。研修で扱う相手は人間で、犬や猫ではない
ということです。彼らが何を考えているのか、何を重要と思っているのか、あるいは何のために
ここに来たのかということをしっかり把握していただきたいということです。彼らに心から喜んで
もらえるような研修をぜひしていただきたい。非常に抽象的で申しわけありません。
最後に、指導側の人材育成の重要性。これは一番重要かもわかりませんが、実際に指導する
側の人材の確保なり育成が大変重要になってくるのではないかということです。また皆さんか
らいろいろなご意見をいただければと思います。以上です。ありがとうございました。
小
討
論
座長 どうもありがとうございました。各スピーカーの方は、時間が足らないところを時間いっぱいお
話ししてくださったものですから、もう 12 時になってしまいました。小討論が 20 分ほど予定され
ているわけですが、ここで 10 分だけに限って、今、お2人の方からお話伺ってますので、ご質
問をいただきたい。午後の最後の討議にも生きるような形で質問が出てくればいいなと思って
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おります。どなたでも結構でございます。はい、どうぞ。
佐藤氏 このセンターで灌漑分野の指導員をしております佐藤と申します。高橋様にお伺いしたい
のですが、フィルライスが去年終わったということなのですが、その後、どのような形でこのプロ
ジェクトをフィリピン政府にバトンタッチしたのか。あと、現在、どのような形でこのフィルライスは
動いているのか、教えていただきたいと思います。
高橋氏 適切に答えられるかどうかわかりませんが、幸い、フィルライスの研究者はフィリピンの中で
も優秀な人たちが集まっているグループなのです。まずは研究手法を移転したということを申
しあげますが、これは自己評価をさせますと、90%以上の手法は移転できたと向こうは思って
います。こちらの専門家から見るともうちょっと低くなるのですが、向こうは受け取りが非常に的
確になっております。我々がいなくなってから、一緒に協力した成果をもとに、彼らはテクニカ
ル・レポートをつくり上げておりますが、非常によくつくられています。ですから、協力した範囲
のものは非常によく向こうに移転できたと思っております。
なお、技術開発されたのは、それぞれ普及に移せるものはちゃんと移しておりますし、TCP2
までの仕事はそれなりにちゃんと向こう側に移転できていると。
なお、狩野所長が終了時評価の団長で行っておられますので、どういうふうに評価しておられ
るか、一言いただくといいのではないかと。
あと、どう考えているのかということがありますが、私は 2000 年に終わって帰って来るときに遺
言を置いてきたのです。私の後任のリーダーはそれをもとにしながら現地の人たちとディスカッ
ションして、フィリピン側から次のプロジェクトの要請が出されて、既に日本の方にそれがきて
いて、希望的観測ですが、若干の動きがあるのかなと思っております。
狩野氏 JICA がやって、JICA が評価するのはいささかどうかなという思いがありますが、私昨年の3
月にこのプロジェクトを合計 10 年間の協力の一番最後のところについて評価させていただくと
いうことで行かせていただきました。結論から申しますと、高橋さんがおっしゃったことと全く同
じです。この 10 年間の中で、フィリピンの研究者の方、日本人の専門の方に指導、助言をい
ただいて、自分たちで自信を持ってやることができたということがあります。それと、農業機械
等については、研究用ですから、あそこで原型をつくるのです。その原型をもとにして、日本
で言うと町工場みたいな形なのですが、そこが実際にあのプロットタイプをつくって市販をして
おります。そういう形で、あそこの研究成果が農民レベルまで広がっていくという形を目の当た
りに見させていただきました。ただ、フィルライスは研究機関なのです。研究機関から農民まで
にはもうワンクッション必要です。つまり、普及とか技術の伝播のところを今後どうしようかという
のが JICA としての課題だと思います。この 10 年間のフィルライスに対する協力については、も
う十分な成果を得たと思います。
座長 もう1人、2人。はい、どうぞ。
粕谷氏 宇都宮大学大学院の粕谷です。坂上さんにネリカのことでお伺いしたいのです。育種の
面でお話はいっぱいあると思うのですが、私どもが今、土壌病理を勉強しているというのもあっ
てお伺いしたいのですが、主に作物保護の分野、病理的なこととか、そういった研究がどんな
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ようなテーマを持って、どの程度進んでいるのかということをちょっとお話しいただけたらと思い
ます。
坂上氏 WARDA の予算の中で、確かにいわゆる育種には予算が多くつくわけです。病理関係で
は、例えば西アフリカで非常に問題になっているライス・イエローモットル(RYMV)というウイル
ス病に対して非常に抵抗性があるというのがまず一つ言われています。もう一つは、イモチに
対して、ある系統は抵抗性があることらしい。それ以外にいくつかの抵抗性について言われて
いるのだとは思いますが、私の知る範囲ではそれだけです。ライス・イエローモットル抵抗性に
関しては最初から育種ターゲットにしていた形質ですから、成功しているのではないでしょう
か。
座長 ほかにご質問ございますか。どうぞ。
横尾氏 筑波大学の横尾ですが、坂上さんにお伺いします。アフリカについても、どこでも同じなの
ですが、自然環境とか社会文化環境についてはどの地域も非常に多様だと思います。そこで、
最後の結論では、その全体像を見ながら的確に対応すべきだとおっしゃったのですが、それ
は本当に可能なのだろうか。フィリピンについても同様のことが言えるのですが、そこをどう具
体的に考えたらいいのでしょうか。地域は多様である。それにどう対応して焦点を絞るか。そこ
はどうでしょうか。
坂上氏 例えば同時進行的に全部の地域をターゲットに置いてやることはなかなか難しいと思いま
す。ですから、ターゲットを絞るとすれば、その地域で最も盛んである、いわゆる主流となるよう
な生態系に主眼を置いて、まずそこからやっていくべきだろう。作物についても同様に、コメか、
ミレットかなど、あるいは混作かなど、どの栽培が中心であるかを把握することが重要です。そ
のうえで、一つ一つつぶしていくという表現がいいかどうかわかりませんが、重点化するところ
をまず決めるということです。ですから、まずプライオリティーとしては、生態系として最も重要
であろうというところをピックアップし、国別、あるいは地域別に対応していくということだと思う
のです。
座長 今の横尾先生のご質問は、多分、午後の討議の中でも非常にホットなところになるかと思い
ます。ほかにございませんか。よろしいでしょうか。
10 分ほど過ぎていますので、ここで昼食にしまして、午後、開始の時間を後ろにずらして1時1
0分でよろしいでしょうか。それでは、これで昼食にします。
( 休 憩 )
セッション2
∼各機関における稲作協力の事例∼
農林水産省における稲作協力
プレゼンター 宇都宮大学名誉教授
24
長田 明夫氏
座長 午後の部に入りたいと思います。トップバッターは長田明夫さんでございます。長田さんは大
学を終えられるとすぐに当時の農林省に入られまして、農業技術研究所生理遺伝部にご勤務
されまして、大体、鴻巣が主だったそうです。それから、スリランカとかタイとか、稲の生理の専
門家として国際的にご活躍されました。1972 年から宇都宮大学の教授に移られまして、現在
は名誉教授でございます。AICAF にも長くお勤めになりまして、その間、皆さんご存じの『稲作
技術協力史』という非常にぶ厚い本をまとめられた。あれは大変な労作だと思います。これか
ら 25 分ほどお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
長田氏 表題は「農林水産省における」となっていますが、これは言うまでもなく農水省と事業団が
一体となった協力事業ということになります。
お配りした資料の 13 ページに話をご理解いただくためにあらすじが書いてあります。それから、
14、15 ページに稲作にかかわるプロジェクト協力の一覧を示しております。稲作自体のものも
ありますが、多分稲作もかかわり合っているに違いないという私の想像で入れてあるようなプロ
ジェクトもあります。
もう一つ、技術協力にはいろいろなタイプがあるわけです。個別専門家派遣、研修員受け入
れ、機材供与、無償資金協力、開発調査、プロジェクト協力などがありますが、プロジェクト協
力は JICA の年報などで比較的全体を把握しやすいです。しかし、個別派遣だとか、開発調
査だとか、無償供与だとか、機材などは非常に膨大多岐にわたっており、現在になると、この
全体像を把握するのは著しく困難な状態になっています。それで、日本の稲作分野の協力と
いっても、プロジェクト方式協力を中心にこれからお話しすることをお断りしておきます。
1954(昭和 29)年の 10 月、コロンボ計画に加盟して政府ベースの技術協力が始まった。それ
はそう言っていいと思うのですが、実は昭和 29 年度初めから、日本政府は研修員受入事業を
始めています。そして 5 月ごろに、当時、埼玉県鴻巣町にありました関東東山農業試験場、現
在、農研センターになっているわけですが、ここにスリランカ、当時のセイロンから3人の農業
技術者がやってきた。そして約半年間、稲作研修を受けております。そのころ私は、そこに併
設されていた農業技術研究所鴻巣分室の駆け出しの研究員でしたが、各研究員を挙げて、こ
の研修生に自分の仕事を説明したりしてお相手を務めたものです。当時、ほかでそんなことを
やっているというのは全然聞いておりませんので、これが政府ベースの稲作研修の始まりであ
り、さらに言うならば、日本の稲作協力の始まりと言っていいだろうと思います。民間について
はちょっとわかりませんが。そして 10 月にコロンボプランに加盟して、翌年から研修はコロンボ
計画に基づいてぽつぽつと鴻巣で進んでいったわけです。
それから、会計年度で同じ昭和 29 年度である翌年の 2 月にセイロン政府の要請によりまして、
農業技術研究所長の盛永俊太郎先生と東大の土壌肥料の教授、三井進午先生が短期派遣
されまして、稲の研究所設立に関するレコメンデーションを提出しております。ほかの資料をみ
ても、このお二人が政府ベースの技術協力、コロンボ計画による最初の派遣専門家であると
25
言っていいだろうと思います。この両先生は後に学士院賞を受賞し、学士院会員になられた
最高の権威です。技術協力の初めに当たって政府はそういう姿勢で臨んだということがわかる
わけであります。こういうふうにして、翌年からぽつぽつと、研修員受け入れ、専門家派遣が行
われ始めました。
次に、専門家派遣による協力というものの推移を見てみます。最初は研修も専門家派遣もい
わゆる個別の派遣です。個々の要請に応じて、ぽつぽつと出していった。それが次第に昭和
30 年代、40 年代と増えていきまして、当初、10 年、15 年の間に個別派遣で行った主な国は、
セイロン、パキスタン、マラヤ(今のマレーシア)、それから少しおくれてインドネシア、タイ、ラオ
スなどでした。
特にマラヤにおける稲作研究協力の中で、日本の農林省の 4 人の育種家によりまして非常に
優れた 3 つの品種が育成された。これは画期的な業績なので、そのことをちょっと触れておき
ます。
こういうふうにしまして、個別派遣は次第に増加していきました。私は余り増加しないころにセイ
ロンに派遣されたり、タイへ行ったりしていたのですが、1970 年代以降になりますと、派遣者が
どんどん増えていったわけです。そうなると、どこの国へ、だれが、どんな稲作分野で行ったか
などというのも、記録を拾い出すこともなかなか容易ではないので、それ以降の個別派遣専門
家による事業の実態を知ることは困難であります。
ついでながら、1989 年から、個別派遣扱いですが、数人のチーム派遣でプロジェクト方式のミ
ニ版であるミニ・プロジェクト、ミニプロが行われています。最近の年報によりますと、2 ヵ所、ミニ
プロで稲作の協力が行われております。
その次に、センター方式技術協力です。今申しましたように、コロンボ計画加盟とともにぽつぽ
つと専門家が派遣されていった。しかし、数年ならずして、こんなささやかな国際協力ではどう
しようもないと。また、日本の経済も発展の緒についたころでありますので、もっともっと本格的
な協力をやらねばならないということで、1959 年に海外技術協力センター事業が発足したの
です。このころはまだ OTCA もできてません。アジア協会というところが扱っていたわけです。
こういうセンター協力が発足したわけです。これはすべての技術分野に共通しています。相手
国にセンターを設けて、その中へ数人のチームをこちらが派遣して、いろいろな技術改善を試
みて、それを展示し、そして技術者や農民を訓練する。そういうふうにして周辺に普及させて
いこうというアイディアのもとに始まったわけです。
最初にできたのが、現在のバングラデシュですが、パキスタンの農業訓練センターとか、農業
機械化訓練センター。それから、少しおくれてインドに農業技術センターが8カ所つくられてお
ります。
この協力様式はさらに発展して、プロジェクト方式協力となっていきます。どうしてそういうふう
になっていったかといいますと、センター方式では、要するにセンター内だけの活動であって、
なかなか技術が周辺に普及していかない。普及していかない大きな理由の1つは、農民側に
そういうものを受け入れる体制が整っていないからだ。農民側の体制をもっと整備した協力が
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必要である。耕地などインフラの整備だとか、普及組織や、流通組織など農村のいろいろな体
制の改善も含めた、総合的なアプローチが必要であるということになって、1961 年にプロジェ
クト方式協力というものが農林水産業について発足したのです。
最初の構想では、アジアをまず対象として、当面は稲作を主とする。1 国に 1 ヵ所か 2 ヵ所つく
って、基盤を整備して、高収量品種や肥料を入れた稲作の改善をやっていく。それから、普及
指導組織の整備、流通信用体制の整備、そういったことまでも協力していく。そのために、拠
点としてパイロットファームを建設する。そして、その周辺、 1,000 へクタールから 3,000 へクタ
ールぐらいの地域に普及させていこうというのが最初の構想だったわけです。
14、15 ページにこの方式による協力プロジェクトが実施された年代順に示してあります。最初
に行われたのがフィリピン・稲作開発計画、インドネシア・西部ジャワ食糧増産協力、ラオス・タ
ゴン地区農業開発計画などであります。
農林水産業以外の技術協力はそのままセンター事業と呼ばれたのですが、その後、JICA で
は、これらをすべてひっくるめてプロジェクト方式と呼ぶようになってきて現在に至ってきました。
また、平成 14 年度からは、プロジェクト方式協力も研修員受入も機材供与も何もかもひっくる
めて、技術協力プロジェクトという枠組みで取り扱うことになったようですが、その辺のことは私
にはよくわかりません。
次に、プロジェクト方式協力はどんなものがあるのだろうかということですが、私なりに分類して
みたのが1から6までの類型です。今まで行われたプロジェクト協力をこんなふうに分けること
ができるだろうと思います。読んで字のごとしで、説明するまでもないと思うので、この類型の
一つずつについて実例をお話しいたします。
最初に、パイロットファーム型のフィリピン・稲作開発計画ですが、これはミンドロ島とレイテ島
のそれぞれの 1 地区に 50 ないし 100 へクタールの耕地を基盤整備して、そこに新しい高収量
品種などを入れた稲栽培法の改善を試みる。それから、随分、機械化を導入しております。そ
れから二期作もやって、へクタール当たり 4 トンを超えるぐらいの収量を得るまでになっており
ます。そこではまた普及活動を周辺農村にやっているわけです。このセンターは、この事業が
終了後、普及訓練センターになっております。
二番目に、普及訓練センター型としてインド・マンディア農業普及センターがあります。インド
では、センター方式協力で 8 つの農業技術センターをつくったわけですが、そのうちの 4 つが
プロジェクト方式によって農業普及センターと改まって活動をやっております。その代表的な
のがインド・マンディア普及センターです。4 つの普及センターの協定事項には、技術試験と、
その結果の普及とか、農業指導者、技術員、農民に対する技術訓練、改良農機具による試験
展示とその結果の普及などがあり、そういったことが農業普及センターの事業として行われて
おります。
三番目の地域開発型では、インドネシア・ランポン農業開発計画があります。インドネシアでは
外領の一つ、スマトラ島ランポン州の開発に非常に重点を置いていた。日本もトウモロコシそ
の他の開発輸入でこの辺はかなり注目していたということで、この開発に協力するようになった
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のです。主な業務は 3 つからなっています。まず、農業普及センターを設置して、そこでいろ
いろな計画を立て、稲その他の作物の栽培試験をやり、技術者、農民の訓練をやっていった。
それから、水田地帯、畑作地帯、同じような方法なのですが、水田地帯では、希望農家 10 戸
を集めて、合計約 5 へクタールの展示農場、デモ・ファームを次々につくっていった。そこで稲
作の改良技術を導入して、稲作の生産性を高める試験をやって、周辺にずっと普及させてい
った。これは非常に成果があって、近くの水田農業に大きなインパクトを与えたと評価されてい
ます。それから、この 5 へクタールぐらいのデモ・ファームを 10 個集めて、農民組織をつくった。
農民を組織化して、さらに将来は農協に発展させようという試みもやっております。
次に、研究教育型ですが、インドネシア・作物保護計画があります。インドネシアでトビイロウン
カの大発生により米が非常に減収して大問題になった。そこで病害虫防除の協力です。日本
が建設したジャチサリという発生予察実験所で病害虫の発生の消長とか発生予察の調査研
究、ボゴールの中央農業研究所で稲病害虫の基礎研究といったこと。あるいは稲の食用作物
保護政策に関する指導だとか計画の策定などをやって、トビイロウンカと稲の病害であるツン
グロ病といったものに対する対応策をしっかりと構築して、大きな成果を納めております。
次の潅漑開発型では、タイ・潅漑農業開発計画があります。タイの中央平原、メナム川、ネクロ
ン川流域に 1 ヵ所ずつ基盤整備して、輪中堤を設けたり、潅漑施設をつくったりして、稲作改
善技術を示し、二期作を行ったりしていったわけであります。それから、同じ地域にあるスハン
ブリ農業試験場で、この潅漑開発の成果を高めるためのいろいろな栽培試験をやり、また農
民、技術者の普及訓練などもやっております。
六番目の遺伝資源保存は、ご存じのように、開発の進展、自然の破壊、あるいは栽培作物品
種が高収量品種、高収量品種といって、在来品種が捨てられていくといったことに対する対応
策として、各国とも遺伝資源の保存に力を入れ始めてきているわけです。1988 年にスリランカ
で遺伝資源プロジェクトをやり、次いでチリ、パキスタン、ミャンマー。ミャンマーはつい最近終
わったようでありますが、そういう協力をいたしております。
さて、こういった日本の稲作協力が熱帯アジアの稲作にどのように貢献してきたかということが
問題になるわけですが、現在のところ、総体的に日本はこういう貢献をしたなどと評価すること
はできないのではないかという気がいたしております。IRRI の貢献も大きいし、各国、稲作に
力を入れているわけですから、日本の協力がそこでどのくらいあずかって力があったかなどと
いうことは、なかなか評価しようがないのではないかと思います。ただ、こうやって行われたプロ
ジェクトの中には、非常に成果があったと言われているものが少なからずあります。それらのい
くつかをお話ししたいと思います。
まず、マラヤの個別派遣専門家協力。当時、西マレーシアに二期作が余りなくて、二期作を拡
大したかった。ところで二期作目のオフシーズン作には、今までないわけですから、適当な品
種がない。それで、二期作用になるような品種を育成したいということで、日本の協力によりま
して、マリンジャ、マスリ、バハギアという優れた品種の育種に成功したのです。これで西マレ
ーシアの二期作は急速に拡大していった。さらには、近隣諸国にもこういった品種が栽培され
28
るようになっております。つい 10 年足らず前にミャンマーやネパールに行く機会がありましたが、
現在でもマスリなどが栽培リストの中に載っております。これは非常に大きな成果です。主観
的にではなくて、客観的に、品種という形で成果を上げたということです。
それから、さっき言いましたインド・マンディア農業普及センターは、非常に学術的、教育的な
協力をやってきまして、その協力過程も盛んに印刷、刊行して、後に残しております。そして、
何より高く評価された証拠として、協力終了後も長く、インド日本農業普及センターという名前
で運営されていたと言われております。日本という他国の名前をそこに冠しているわけです。
次に、韓国に対して日本は非常に大規模な農業研究計画をやっておりますが、ここで非常に
多くの成果を上げています。これに対しては、韓国側から非常に高い評価を受けている。さら
にまた、この協力過程で、10 人の韓国人が日本で博士号を取得しております。
それから、先ほど言いましたインドネシア・ランポン農業開発計画も非常に大きな成果を上げ
たのですが、その後の事後評価で、この協力事業がインドネシアの他の外領開発のモデルケ
ースとなっているのだそうです。さらにまた、ランポン州の近年の発展は非常に目覚ましいと言
われております。
それから、インドネシア・作物保護計画も終了時点で高い成果が認められたのですが、現在
のところ、インドネシアの米の生産の安定と増加に絶大な寄与をしているといった評価がなさ
れております。
それから、タイ・東北タイ農業開発研究計画が行われています。これは自然環境、社会環境の
非常に厳しい地域です。ここでフェーズ2まで研究協力が行われて、その結果として、こういう
ところではもっともっと基礎的に生産阻害要因を研究する必要があるということで、タイの農業
省と日本の JIRCAS の共同研究として現在進行中であります。ということは、この研究計画が非
常に意義のあったものであるということを裏書きしていると思います。
最後に、成果の一つとして、第三国研修事業があります。日本のプロジェクト方式協力が終わ
って、その成果の上に立って、その施設を利用したりして、そこに従事した向こうの技術者が
先生になって、近隣諸国の技術者の研修をやるという第三国研修が行われています。プロジ
ェクト一覧表でいきますと、14 ページの下の方の米印のついたプロジェクト、それから次のペ
ージの米印のついた 2 つのプロジェクト、ここで第三国研修が行われております。この表で、初
めの方はないではないかと言われますが、初めの方はそういうシステムがなかったわけです。
それから、終わりの方もないのは、終わりの方の半分ぐらいは現在進行中であるということです。
かなりの割合で第三国研修が行われるような成果を上げてきたということができます。
大分時間が過ぎてしまいましたが、最後に研修について一言。最初に個別研修でスタートし
たのですが、鴻巣で稲作個別研修がずっと続けられていたのです。数年を出ずして、個別だ
けではもうとてもやっていけないということで、個別とは別に集団研修コースが発足します。
鴻巣の稲作研修も、稲作研究コース、農機具利用研究コースという集団方式になった。これ
が発足した 1961 年に一方で内原国際農業研修センターができて、農業実習コースという集団
コースが発足しています。鴻巣における集団研修は 1974 年まで続きまして、20 年間行われた
29
わけです。以後、内原のコースに移管されたわけです。当時は鴻巣の稲作は基礎的なコース、
内原のコースは実務者的なコースということで仕分けされておりました。
研修の最後に、在外研修として、さっき言いました第三国研修があります。
大分時間が超過してしまいましたが、来年でコロンボプラン加盟 50 年、半世紀の稲作協力を
30 分ばかりのお話で、駆け足でまことに申しわけありませんが、どれだけご理解いただけたか。
これで終わります。
座長 どうもありがとうございました。質問時間 5 分はもう過ぎておりますが、一つだけ、どうしてもと
いうのがありましたら伺います。なければ、後の小討論に回しますが、よろしいですか。それで
は、どうもありがとうございました。
NGO における稲作協力
プレゼンター (財)オイスカ海外担当部長
萬代 保男氏
座長 午後の 2 つ目は、「NGO における稲作協力」ということで、オイスカ海外担当部長の萬代保
男さんにお話を伺うことにいたします。萬代さんは、オイスカ開発教育専門学校を終えられま
して、オイスカ四国研修センター高等学校開発教育専門学校などに勤務されまして、現在は
東京本社で勤務しておられます。90 年からオイスカの海外部長として、いろいろなところで活
動しておられますので、お話を伺うのを楽しみにしております。どうぞよろしくお願いします。
萬代氏 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介をいただきましたオイスカの萬代と言います。時々、
新宿のマインズタワーの JICA の本部の方にはお邪魔させていただいているのですが、こちら
には本日初めて参りました。このセンターが非常に環境のいい場所にあるのにはびっくりしま
した。私どもの事務所は新宿の近くにあるのですが、こういった自然に囲まれた中で仕事をや
れば、もっといい案も出てくるのかなと、そんなことを思います。
今回、稲作協力ということでシンポジウムが開かれ、その稲作シンポジウムで NGO からの稲作
に関する活動を紹介していただきたいというお話がありまして、実は私、正直言いましてお断り
したのです。と言いますのは、今日お見えになっている先生方は、まさに稲作を長年にわたっ
て実践されてこられた先生方ばかりですので、私のような素人がここに出向いて行きまして稲
作のことについて話をするなんておこがましいと思いましてお断りしたのですが、実はオイスカ
も今年で 43 年目になるので、40 数年間活動してきておりまして、やはり責任といいますか、そ
ういう意味で、簡単ではありますが、ご紹介をさせていただかなければいけないかなと思いまし
て、承諾して、本日参りました。よろしくお願いいたします。
(スライド映写)
○まず、オイスカについて簡単にご紹介させていただきます。オイスカはインターナショナルとし
て 1961 年に、精神と物質が調和した繁栄を築くという非常に高い理念のもとに生まれたわけ
です。それを具体的に活動として展開していくために、1969 年に外務省、農水省、現在の経
30
済産業省、厚生労働省、この4省の共管を得まして、財団法人オイスカとして発足いたしまし
た。もちろん財源があるわけではありませんので、会員の会費による財源であります。現在は
外務省を通じて補助金を一部いただいてきておりまして、かつ各企業、または個人の方からの
寄附等を得まして活動を行っております。
○主な活動ですが、4 本の柱がありまして、上から、農業開発協力。海外それぞれの現場に即応
したプロジェクトを展開するということで、専門家を派遣して技術協力を行う。
次に、環境保全。実は、オイスカは当初、農業を主体とした国際協力でスタートいたしました。
1970 年代、1980 年代、いわゆる環境問題が騒がれるようになりまして、1980 年から植林も本
格的に手がけるようになりました。現在、各方面で植林を展開しておりますが、一部の人たち
には、オイスカは環境 NGO ではないかということまで言われております。本筋は農業ですが、
現在、植林もそれくらい展開しております。きょう皆さん方にお配りさせていただきましたパンフ
レットも、植林といいますか、環境といいますか、そういったものが前面に出たようなパンフレッ
トになっておりますが、それくらい環境問題に対して積極的に取り組んでおります。
ちょっと話が逸れますが、現在、バングラデシュのチッタゴン で 100 メートルの幅 60 キロという
距離にわたりまして、緑の防波堤としてマングローブを植林してまして、1992 年から始めて、現
在、既に7、8メートルのマングローブが育っております。
また、東京海上さんの支援を受けまして、インドネシア、タイ、フィリピン各地で約 1,500 へクタ
ールのマングローブを植林しています。
さらに、「子供の森」計画といいまして、現在、アジア、南太平洋、南米の方で 2,700 校の小・
中学校で植林を行っております。
植林に関して長くなりましたが、次に人材育成。農業、農業と言いましても、私どもが一貫して
活動してきましたのは人材育成を基本にした国際協力ということで、これが一番の大きな柱に
なっているのではないかと思います。これについてはぜひお話をさせていただきたいと思いま
す。
そして、一番下は国際理解教育。これは先ほどちょっと触れました、環境を通じての子供たち
の教育かつ国際理解といいますか、文化、歴史、伝統、そういったものをお互いに理解し合い
ながら地球社会をつくっていく、その一歩であると思います。
こういった4本の柱でもって現在活動を行っております。
○これは主に東南アジアと南太平洋。スペースの関係でフィジーが欠けておりますが、南太平
洋、さらに南米のブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、この地域でも植林を展開しております。こ
れは植林関係のパワーポイントにあったのをお借りしたものですから、木のマークがついてお
りますが、大体こういった国々で植林を行っている。現在、8カ国に 21 カ所の研修センターが
あります。その3分の1程度の研修センターにしか日本人は派遣しておりません。あとはすべて
現地のカウンターパート、あるいは現地のOBたちが研修センターを運営しながら、かつ現地
の青少年、農村青年の育成といいますか、教育を行っております。
○私どもはいろいろな活動を行っておりますが、パプアニューギニアで取り組んでいます稲作教
31
育が非常に脚光を浴びておりまして、いい形で現在に至っております。
○パプアニューギニアのラバウルというところにあります研修センターであります。ラバウルといえ
ば、第2次世界大戦で非常に有名になりまして、「ラバウル小唄」などという歌もありますが、そ
のラバウルに研修センターを設置しました。もちろん東ニューブリテン州になりますが、ラバウ
ルから車で1時間ほど南に下ったココポにあります研修センターです。設立されましたのが
1987 年でありまして、既に 16 年ほどたっております。ここの研修センターが設立された目的は、
稲作の技術移転を通した人材育成でスタートいたしました。
○ここの研修センターは非常にユニークでして、稲作だけではないのです。当初は稲作だけや
っておりましたが、研修センターの責任者が2人目になりまして、東京出身の荏原という方にな
わに
ってから、稲作だけでなくて、豚も飼い、鶏も飼い、鳥も飼い、蝶も飼い、そして鰐も飼い、この
ほかにも淡水魚も飼っております。さまざまなものを一つの敷地内で飼育している。この下に
「生命の循環農法」と書いてますが、これはまさに現地の責任者が考案した手法であります。
○これが「生命の循環農法」を図にしたものです。これを見ていただければ、ご理解いただける
のではないかと思います。関係するものがすべて、お互いの持っているものを生かしながら、
常につながっていると。昔の農家で、五反百姓という話を私も時々聞くのですが、稲だけでは
ない、野菜だけではない、また鶏だけではない、稲も野菜も鶏も、そして牛も馬もということで、
そういったものをすべて循環させながら肥料に使い、できたものを動物に与えるというように、
無駄なく生かしている。こういった農法でもってやっているのがこのセンターの非常に特徴の
あるところです。
○パプアニューギニアの米事情ですが、私も正直申しまして詳しくは存じてませんが、現在、ほ
とんどと言っていいほど海外から輸入をしているようであります。年間 15 万トンほどの米を、オ
ーストラリア、あるいはアジアの国から、オーストラリア米がほとんどだと聞いておりますが、輸
入をしている。実際に輸入にかかる金額も 130 万キナから 150 万キナと言っていますので、
日本円に直しますと 50 億円ぐらいになるのでしょうか。パプアニューギニアの財政からしますと、
国家財政の 10%という非常に大きな割合を占める。
実は、パプアニューギニアではお米はできないのだと今までずっと言われてきていたそうです。
最近になってわかったことらしいのですが、豪州、アジア等からの輸入米を扱っている組合が、
パプアニューギニアの中で売りさばいていきたいといった意図的な考えがあったようでして、デ
マといいますか、この国ではお米はできないのだということを宣伝していたようです。
ところが、私どものオイスカがラバウルに研修センターを設置しまして、そこでコシヒカリを栽培
し始めたわけです。それが非常にうまくいきました。
○右下が現地でつくられていますコシヒカリです。左が陸稲の愛知 23 という品種でしょうか。右下
の写真はちょっと古いのですが、非常に見事な籾をつけました。こういった作柄はなかなか日
本では見られないのかもしれませんが、見事に稲ができました。それもコシヒカリです。こういっ
たことが首相、総督、州知事ほか、パプアニューギニアの政府関係者の耳に入りまして、ほと
んどの方がここを訪れて見学されたようです。それでもって、パプアニューギニアでもお米がで
32
きるのだということが実証され、米政策が出てきたようです。ただ、何せ今まで経験がありませ
ん。ノウハウになると、ラバウルの研修センターということになりまして、現在、研修を実際行っ
ております。
○これは陸稲です。現在、こちらには研修生が 70 名以上おります。昨日ちょっと聞きましたら、1
ヵ月ほど前、指導員と研修生が 140 名ほどいたそうです。一般の農家から、あるいは各州の
農家から選抜された研修生を受け入れているわけです。2001 年から、JICA、NDAL(農業
省)、オイスカの三者協力で稲作振興事業を始めまして、今年で 3 年目を迎えるかと思います。
パプアニューギニア政府といたしましても、農業関係で稲作を普及するために、普及員の一
部、また地方の農業者の代表、あるいは農民の代表、時には学校の先生といった方々をこの
研修センターに受け入れて研修をやっていただこうと。JICA さんの役割は、資金を提供すると
か、そういったことが主になるのでしょう。また、現地農業省としては、いわゆる人の選抜だとか、
その後の調査、調整。オイスカは、現地の研修センターでもって研修をさせていただく。もちろ
ん、その後のモニタリングなどもあるわけです。そういったことを現在行っております。年間 15
万トンのお米を輸入しているのを、10 年後にはそのうちの 10%をパプアニューギニアで生産し
ようという目標があるようです。それに向けて、現在、たしか年に3回研修を行っていたかと思
います。
○こちらの研修センターは有機農法です。当初は化学肥料などを使っておりましたが、最近で
はほとんど有機農法で行っております。ボカシを作ったり、現地の土着菌、カカオ米、あるいは
コーヒーの絞りかす、そういったものをいろいろ使いまして、有機栽培を行っています。ほとん
ど 100%近い形の有機農法でやっているようです。
左が荏原という現地の責任者です。年は私と同じぐらいですが、現地に参りましてもう既に8年
目になります。パプアに参ります前はパラオに 10 年ほどいて、そこでは全く稲作はやっていな
かったのです。こちらに来て初めて稲作を始めたのです。私どもオイスカの技術者は意外とそ
ういった方が多くて、結局、年数というのでしょうか、現地に長くいることによって、そこでいろい
ろな農法といいますか、技術などを習得して伝えていっているというケースが多いかもしれま
せん。
当初、1961 年、あるいは 1970 年代ごろ、日本からインドのパンジャム州だとかパリアナ州だと
かに一番多いときで 50 名ほどの技術者を派遣したようです。その当時、 2,000 万の餓死者が
出た。そこにIR8という品種の稲を使って、非常に見事に成功したということで、いろいろと表
彰されているようです。そのようなことを言うと、実際に専門家でおいでになっている方々に失
礼ですが、その当時、現地においでになった方は実は篤農家の方でして、農業大学を出られ
て専門に勉強された云々ではなくして、皆さん、本当に農家の、まさに毎日農業やっている人
たちがほとんど9割方でした。その方たちは、畑に行って、みずから土を取ってなめられるわけ
です。そうすると、その土にどういった成分が含まれているかを当てられる。どこまで当たって
いるかはわかりませんが、それをごく当たり前のようにやる。そういった方々が当時、何人かお
られたと聞いています。実際、15 年ほど前にそのうちの1人と一緒に畑に出向いたときに、そ
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れを見たわけです。私も話に聞いていたのですが、目の前でそれをおやりになって、びっくり
したのです。そういった方たちが実際おりました。
○ここの特徴は、農業機械といいますか、農業で使う用具はすべてここでつくろうと。もちろん大
型の機械は別です。ですから、ここで鍛冶屋もやっております。こちらに派遣しました方は日
本の刀鍛冶をやっておられた岐阜の方です。実は、AICAF さんからも毎年、技術者派遣とい
うことで支援をいただいておりまして、それでもって2、3回派遣した方です。鎌から鋸、鋏、鍬、
すべてつくられました。本当にびっくりします。その方は残念ながらお亡くなりになりましたが、
ちゃんと技術を伝授したといいますか、現地では彼らが自分たちでそれぞれの農具をつくって
おります。これは今の状態です。
○左上の方が刀鍛冶で、現地で農具をつくられた方です。現地では、こういった唐箕といいます
か、風選機を実際つくっています。これも日本の技術です。下の方がそれを使っている状況な
のですが、現地では、農業機械というとなかなか大変ですので、足踏み脱穀機、まさに燃料も
要らない、人力だけでいいということで、日本から 20 数台送りましたら、一部ではそれをまねて
つくっているようです。実際、現地の農業に即したやり方を行っているわけです。
○これは木をくり抜いて、精米といいますかね。こういったものがあれば、電気も燃料も要らない。
これは最近やり始めたようです。
○これはできているお米です。
○これは研修を受けたOBたちが現地で指導に回っている。この鍬をかついだのが研修のOBで
す。こういう格好をしているとよくわからないのですが、現地キリスト教会のリーダーで、日本に
研修に参りました一人です。
○JICA、あるいは NDAL、そしてオイスカが共同事業で始めた稲作推進事業のモニタリングの様
子です。
○ちょっと長くなりまして省いた面もありますが、パプアニューギニアをさっと流しました。実は、パ
プアニューギニアのほかに1つご紹介したいのはミャンマーです。これはダポック方式の苗床
です。
○ミャンマーの中部乾燥地帯、ちょうど真ん中にありますが、年間の雨量が 300 ミリしかない。パ
コックー県エサジョというところに一番新しい研修センターがあります。1997 年に開設しました。
雨量も少ない、何も少ないということで、草の根無償の支援を得まして井戸をつくって、やった
ところ、水が非常にアルカリ性が強くて、すべて枯れた。これは困ったということで、いろいろ薬
を投入したりしたのですが、これではどうしようもないということで、池から水を引きまして、やり
ましたら、稲ができるようになりました。
○これは以前の写真ですが、今、大変お米ができております。このサイトの近くにイラワジ河とい
う大きな河がありまして、そちらから灌漑といいますか、これも草の根無償の支援を受けてやっ
たのですが、水を引きまして、現在、稲作をやっております。
○これも、その一環で支援を受けて入れた精米機です。立っている方が現地に派遣しています
専門家の方です。この方は信州の方で、オイスカで一番長くて、32 年目になります。ここだけ
34
ではなくて、いろいろな国を回っています。できたお米をここで精米をしてあげるということをや
っております。
○もう一つ、フィリピン。
○フィリピンのネグロス島のカナオンという 2,000 メーター級の山の山麓でやっていますプロジ
ェクトです。1977 年にパライ・ナンバヤン、お米増産計画がありまして、10 アール当たり籾で 14
俵という収量を上げまして、マラカニアン宮殿で表彰されたようです。その実績があって、ずっ
と今に至っているのです。こちらはすべてコシヒカリをつくっております。これはすべて現地に
移管して、研修生のOBたちがやっております。この米はマニラあたりに全部出荷されていま
す。
○もう一つ、バングラデシュです。先ほど写りました日本人の年配の方がここで 10 年間指導しま
して、ここでも稲作を行っております。非常にいい形でできています。
○JICA さんが無償支援で建てられた女性研修センターがあります。オイスカはそちらで研修を
担当しまして現在に至っているわけです。女性も稲作をということで、実際、現場でやっている、
その状況です。
○これは現地方式で脱穀しているところです。その隣に男子研修センターが隣接しておりまして、
これは男子センターの方です。そこで実際にやっているということです。
○最後になりましたが、日本での研修。
○私ども、国内に4カ所の研修センターがあります。ここまでとはいきませんが、立派な研修セン
ターがあります。そちらで研修生が約 20 名近く研修しております。これは四国の研修センター
でして、女性生活改善コースといいまして、JICA さんの委託事業を受けましてやっているとこ
ろです。その中で稲作もということで、これは田植機の使い方を教わっているところです。
○これは中部研修センター。エジプトの研修生です。ここでもこういった研修を行っているわけで
す。こういった機械は現地ですぐ使うわけではないのですが、一つの体験としてさせておりま
す。
○こういった稲作終了調査なども実際やりまして、現地で実際にできるようにということでやって
いるわけです。
ちょっと長くなりましたが、オイスカの特徴といいますと、人材育成でやってきておりますが、ほ
とんどがグラスルートに近い人たちを対象にしてきております。ですから、一般にホワイトカラー
ではなくて、グラスルートですから、農業をやるにしても、お米をつくるにしても、田んぼに入り、
畑に入り、やられる人たちが実際に行えるように、手取り足取りといいますか、そういった形でも
って教える普及員の育成を現在、一つのメインとしてやっているわけです。それがうまく成功し
ているプロジェクトもあります。また何かの機会がありましたら、それをご紹介させていただけれ
ばいいなと思います。非常に簡単にやらせていただきましたが、これで終わります。ありがとう
ございました。
座長 どうもありがとうございました。国が行う技術協力は年度が限られてまして、5年で終わりとか
何かですが、NGO の場合は非常に息長くできるのが非常に大きなメリットかなと思っておりま
35
す。ありがとうございました。ご質問ございますか。とりあえず、1つだけ。よろしいですか。あと
の小討論に移させていただきます。
国際機関における稲作協力
プレゼンター 国際農林水産業研究センター生産環境部長
伊藤 治氏
座長 今度は、「国際機関における稲作協力」ということで、JIRCAS の伊藤部長さんにお願いをい
たします。伊藤さんは大学院を終わられて、当時の環境庁公害研究所での5年間の研究の後、
農水省農業環境技術研究所、JIRCAS を経て、96 年から 3 年間、IRRI に勤務されました。現
在また JIRCAS に戻られまして、生産環境部長でございます。よろしくお願いします。
伊藤氏 今ご紹介いただきました JIRCAS の伊藤と申します。IRRI にいたことがあるのでこういうテ
ーマだと思うのですが、国際機関でも、稲を対象作物として研究を進めているところは、IRRI
のほかにも、午前中にご紹介ありました WARDA 並びにコロンビアの CIAT などもありますが、
私の経験からというところで、今回のお話は IRRI に限らせていただいて、IRRI における稲作協
力というところでお話ししたいと思います。
(スライド映写)
○内容をざっと説明しますと、まず、IRRI の業務内容、使命とか戦略、運営指針、組織構造等、
概略お話しした後、運営資金の推移、IRRI が現状かかわっています困難な運営資金のやり繰
りをちょっとお話しして、日本とのかかわりをお話しして、その次に、このシンポジウムの本題で
あります IRRI の研修活動の概略をお話しします。それとともに、IRRI が最近、キャッチフレーズ
にしております稲知識銀行、英語では「ライス・ノレッジ・バンク」についてちょっとお話しして終
わりたいと思います。
○ご存じのように、国際農業研究協議グループ(CGIAR)の中には、現在、16 の機関があります。
その中の1つがフィリピンのマニラ近郊にあります IRRI であります。IRRI は 1960 年に創立され
まして、もう 40 年以上の歴史を持つ、国際農業研究機関の中でも一番古い研究機関でありま
す。
○国際イネ研究所の使命といいますと、一般的な話になってしまいますが、稲作農家と米の消
費者、特に低所得者層の現在及び将来の生活を改善することを使命として研究活動を行って
おります。稲に関する短期または長期的な環境・社会・経済上の利益をもたらす知識・技術を
創成伝播して、また各国の稲研究開発の強化に協力することを目的としております。
○この目的達成のための戦略としましては、まず第1に、主な稲作環境について、生態系を基礎
とした、学問分野間にわたる研究プログラムの設置、要するに、狭い研究分野にとらわれずに、
研究分野にまたがるいわゆる研究分野横断的なプログラムを設置して研究活動をしていくと
いうことです。もちろん従来どおりの専門分野別の研究体制も維持しながら、このプログラムと
専門分野とのマトリックスの中で研究を進めていくことを戦略としております。新しい科学的可
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能性を探求する先行的な研究に投資をしていくこと、並びに農業資源の保存及び責任ある利
用を行い、遺伝資源、技術及び知識の共有を目的とする事に力を入れております。それから
また、研究と開発における女性の参加を促し、同じ目標を持つ農業集団、研究所及びその他
の機関との協力を維持しつつ、こういうことを行っていこうということです。
○IRRI の組織運営上の指針としましては、多分、研究所はどこでもそうだと思うのですが、高度
の研究レベルを維持し、科学的な誠実さと責任感を持って、革新性と創造力を出していくとい
うことです。意見とアプローチの多様性に重点を置いて、プロジェクト研究をしていく場合、もち
ろんチームワークが重要ですが、依頼者へのサービスをモットーとして、文化の多様性と男女
平等を焦点にして、知識の独自性、環境の保護を重視していくということです。
○IRRI が 1960 年に創立されて以後、面積当たりの生産性がどんなふうに変わってきているかを
世界アベレージで見てみます。60 年から 95 年まで書いでみますと、非常に直線的に上がっ
ています 60 年の頃は 2 トン以下であったのが、95 年には 4 トンに近づいているというところで、
大体倍増したと見られます。しかし、これを 1 人当たりの年間の生産性にしていきますと、最初
のころは多少のアップダウンはありますが、直線的に上がっていくのですが、80 年の中盤ぐら
いから停滞傾向が出てきています。最近は余り上がった傾向が見られてないというところで、
個人べースにしていくと生産性は停滞ぎみであると考えられます。
○IRRI と言えば稲における「緑の革命」で有名ですが、これはご存じのように 1960 年代から始
まった、稲における半矮性で肥料感応性の高い高収量品種の育成と普及によって達成され
て、先ほどお見せしました生産性の倍増が達成されたわけです。しかし、これに対する批判が
幾つかありまして、主なものを上げてみますと、農業用水や化学肥料の多投下を必要とする高
収量品種の栽培管理技術は貧農の手の届くものではなかったという批判があります。それか
ら、集約栽塔と農業資材の多投下は土壌や水の質を悪化させたと言われております。もう一
点としましては、高収量品種が優良な品質を有する在来品種を駆逐して、その結果、遺伝資
源の多様性を縮小させたと言われております。IRRI は、最初は貧しい人々が購入可能価格で
の食糧供給を目的として研究活動を行い、いわゆるファースト・グリーン・レボリューションに大
きく貢献しましたが、こういう批判を受けて、今後、IRRI のチャレンジとしましては、そこからまた
飛躍して、土壌と水の劣化を防止し、生物多様性を保護し、批判を乗り越えるような挑戦をし
ていこう、そして持続的な穀物生産を目指した体系を確立していこう、いわゆるセカンド・グリー
ン・レボリューションを目指したような研究をしていこうというのが現在の活動指針であります。
○先ほど言いましたプログラムと研究部門が 2 つのマトリックスに入った形で IRRI の研究活動が
されているのですが、これはマトリックス研究構造と言います。研究部門としましては、現在、こ
のような 5 つの大きな研究分野があります。作物・土壌・水資源をひっくるめて 1 つの研究部が
つくられています。それから、育種・遺伝・生化学、病理昆虫、杜会科学、農業機械といった研
究部があります。それが 1 つの軸にありまして、もう一つの軸には 4 つのプログラムがあります。
プログラム 1 が遺伝資源の保存、評価及び遺伝子の発見が課題です。プログラム 2 が好適環
境における生産性と継続性の強化。プログラム 3 が劣悪な環境に向けた生産性と栄養生活の
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改善。プログラム 4 が研究と開発の連結強化です。各研究者はマトリックスの中で、自分の専
門分野、目的をはっきり持ったプログラムに属して研究活動を行っているのが現状です。
○プログラムでは、主に稲の生態系を非常に明確にして、その対象、自分の研究成果がどこに
入っていくかを明確にしながら研究活動をしています。そして、この生態系は大きく分けまして
4 つあります。灌概稲作、天水稲作、陸稲作、深水稲作とありますが、それが南アジア、東南ア
ジア、東アジアでどういうふうに分布しているかがこの図であります。特に深水稲作とか、そうい
うものは、沿岸立地帯に分布しております。陸稲作が内陸の主に山岳地帯に属していて、天
水稲作も含めて、環境が劣悪な場所での稲作の生産性の向上などを目指しているわけです。
○次に、資金の面で簡単に触れたいと思います。IRRI の研究資金は設立当時からは直線的に
伸びてきたわけですが、80 年の後半ぐらいから、全体としては非常に落ちてきているという状
況にあります。最近はもっと落ちがひどくなって、財政的に非常に厳しい状況の中で研究活動
をしているというところです。しかし、日本政府の拠出は、全体が落ちているにもかかわらず、
その後も直線的にある程度伸びているというのが、つい最近までの状況でした。
○資金の拠出源の推移を見てみますと、IRRI はフォード財団とロックフェラー財団が主体となっ
て設立されたものですから、設立後 10 何年も経てもその徴侯がありまして、フォード財団、ロッ
クフェラー財団は、この当時、30%、20%ぐらいの寄与がありました。アメリカが 35%で、この時代
はアメリカ一色という形だったわけです。その後、まずフォード、ロックフェラーの貢献が非常に
落ちてきました。80 年の後半になってくると、アメリカも落ちてきて、95 年ぐらいになってきます
と、目本が 20%以上で非常に大きな貢献を示していました。
○これが 2000 年の国別または機関別の拠出資金供与の分布です。まだ日本がトップで、大体 8
億ドル以上出しているわけです。次はワールドバンク、USAID、いろいろな機関、または国が
入っております。しかし、この後、2001 年から日本は ODA 削減で半減しておりますので、今は
第 2 番目の拠出国となっております。
○次に、日本と IRRI との関係を簡単に説明させていただきたいと思います。IRRI は国際機関で
ありますので、日本政府は主に外務省を窓口として IRRI に関係しておりますが、外務省だけ
では農林関係の細かいことがわかりませんので、もちろん農林水産省、そのバックにはまた研
究的な支援として我々JIRCAS が控えているということです。もちろん我々JIRCAS のバックには
日本国内の非常に優秀な稲作関係の研究者を持った研究機関が控えているといった形にな
ります。そして、外務省を通して、公的資金、IRRI のコアとなる、先ほどお示ししましたような資
金が流れているわけですが、それとともに研究者の派遣も行われています。また、特別研究プ
ロジェクトも細々ながら、コアの資金の流れとは別に行われております。この特別研究プロジェ
クトにかかわる研究者は JIRCAS を通して派遺されているといった形になっております。
○IRRI の活動はもちろん研究者で推進されるわけですが、そこの頂点として IRRI の理事会があ
ります。その理事会に関しては、日本は設立当初から人を送っておりまして、非常に優秀な、
稲研究に多大な貢献をした研究者が名前を連ねております。これはリストでありますが、継続
的に常に出ております。例えば 1980 年代には逸見先生が理事長にもなられております。今で
38
も逸見ビルディングという建物が IRRI に残っております。現在、2 人の理事、秋田先生と大塚
先生が出ていますが、大塚先生は近々理事会の理事長に就任されることが決定しております。
IRRI の運営のトップの構造の中でも日本人が活躍しているところであります。
○そして、研究レベルではどうかと言いますと、日本人のポストドク研究者とか、博士、修士学
生、研修生の総数は、これは 1997,8 年段階のデータでちょっと古いですが、国際スタッフとし
て 25 人ぐらい、客員研究員が 28 人、ポストドク 38 人、博士課程の学生、修士課程の学生、そ
の他研究者、短期の研修生も行っている。こういう研修、研究のところで日本人の若手研究者
も貢献しているところであります。先ほど言いましたコア拠出以外の特別拠出金による研究プ
ロジェクトが、IRRI と日本の間で進められております。1984 年から第 1 期がスタートしておりま
す。第 1 期は「省資源型の技術の開発」というテーマで 5 年間行われました。第 2 期が 1989
年からですが、「2 期作のための安定化技術の開発」というテーマで行われました。第 3 期が
「遺伝資源変異を利用した水ストレス下における稲作の安定化」というタイトルで行われており
まして、現在、第 4 期が 1999 年から来年 2004 年の 9 月まで続けられております。テーマとし
ましては、「持続的稲栽培に向けた収量決定要因と生態的適応性に関する遺伝生理的研究」
です。
○最初にお見せしましたが、CGIAR のセンターが 16 ありますが、今の問題点は、日本人の人的
な貢献が見えにくいというご指摘があります。IRRI では継続的に日本人研究者がスタッフとし
て採用されているというところで、他の CG センターとは異なり、日本人研究者がそこで果たし
てきた役割が認められます。例えば、IRRI の基本戦略に沿った研究並びに業務管理に参画
しています。IRRI のスタッフとして、その他の色々な業務をこなしています。それから、日本人
研究者として日本側の研究戦略の導入、調整なども担っていますし、それとともに、日本の先
進的な研究成果、手法の紹介並びに輸入に関しても貢献しているだろうと考えられます。日
本側と IRRI 間の情報交換の仲立ちにもなっています。また、細かいことですが、日本人来訪
者の対応などに関しても役割を担っています。こういう研究者がいるということは、研究推進の
中でも非常に重要であると考えられます。
以上が非常に雑駁ではありますが、IRRI を例にして、農業研究に従事する国際機関でどんな
ことが行われてきているかの説明であります。
○次に、このシンポジウムの主題にかかわる研修の部分についてお話ししたいと思います。各国
際機関は研修というものを非常に重視しておりまして、研修機能を持っております。IRRI もそ
の例に漏れずに、研修に対して人的な投与、または資金的な投与をしているところであります。
しかし、研修に関しては、私自信は専門ではないので、今からお見せする情報は IRRI に材料
提供をいただいてスライドを構成させていただいたので、またまた非常に雑駁なお話で、細部
になりますとよくわからない部分も出てくるかと思います。
IRRI が研修に対して持っている一つの考え方は、「貧困が学ぶための制約になってはいけな
い。学ぶことによって貧困から脱出する機会を与える」という 36 代のアメリカの大統領のリンド
ン・ジョンソンの言葉に象徴される考え方で、そういったところに立脚して研修を位置づけてい
39
ます。
○IRRI の研修コースの使命としてとらえているのは、知識、技能、考え方の向上による、能力、自
信、参加意欲の育成を重視しています。
○IRRI はもともとは研究機関ですが、研究と研修との関係をどうとらえているかといいますと、
人々の生活を向上させるために必要不可欠で相互補完的な要素であるととらえております。
IRRI は自分たちを、「エデュケーショナル・アンド・リサーチ・センター」ととらえていて、研究の
みならず、教育にも深く関わっていくべきであると位置づけています。
○この図に示しますように、もちろん研究をして科学的な貢献をしているわけですが、科学的な
成果を現場に持っていくためには、研修生を受け入れて、研修を与える、彼らが各国に戻っ
て、実際にそういうものが役に立っていくといった構図を描いているところであります。
○研修の必要性を IRRI は中国のことわざからとっております。「1 年間の投資のためなら、稲を植
えろ。10 年先のためなら、木を植えろ。100 年先のためなら、人を育てろ」といった形で、稲と
人材育成を絡めて、目先のことにとらわれずに、長い目で見た場合にやはり人材育成が必要
であって、そのために研修が非常に重要になってくるというように考えています。
○IRRI が目指しているところはどういうところかと言いますと、現地の研究普及機関の能力の開
発、それから、各種媒体を用いての農民への技術移転の促進です。各種媒体というのが最近
の IRRI の研修活動の中で非常に重要なのですが、いろいろな媒体を通して研修活動をして
いこうといった動きが見られます。
○研修において、IRRI はクラスルーム研修だけではなくて、いろいろなものを使って現場に出て、
そこから学んでいくといったところを非常に重視しております。
○研修における IRRI の優位性を 5 つほど上げてみますと、まず最初に、稲の科学並びに技術に
関する知識基盤を背景とした 40 年の研究実績を有しているというところが第 1 番目の優位性
であると考えております。
○第 2 番目には、 1,000 人以上の研究者により積み上げられてきた経験があるというところで
す。
○第 3 番目は、25 以上の稲生産国と密接な連携を持っており、10 カ国にわたって事務所を設置
している事からも窺えるように、各国との強い連携関係を有しているということです。
○IRRI にはしばしば各国の重要な人物が訪問されます。例えばカンボジアの首相とか、フィリピ
ンのアロヨ大統領、ベトナムの首相、そういう方々が非常に頻繁に訪れるというところも、各国と
の密接な連携を示すものであると考えられます。
○4番目としましては、フェイス・トウー・フェイスの対面教育や通信教育に経験豊かな教育や研
修専門家チームを有しており、ここに示すような研修のための専門のチームを持っているとい
うところです。
○5番目としましては、卓越した研究、研修施設を有しているというところです。
○IRRI の研修に係る活動を具体的に見てみますと、1 番目に、グループ研修という形があります。
それから、実践型の専門研修、オン・ザ・ジョブ・トレーニングがあります。それから、学位取得
40
型研修とワークショップなどを基盤にした研修が挙げられます。
○研修のタイプとしましては、本部のロスバーニョスでやる研修と、対象国外でやる研修、研修材
料の作成にかかわる研修があります。
○IRRI の研修の内容としては、基礎から応用まで幅広い分野をカバーしています。例えばバイ
テク研修から稲の栽培コースにかかわる研修まで、非常に幅広い分野を研修としてカバーし
ているということです。
○研修の設定と実施ですが、1 つのタイプとしましては、実践を多く取り入れた対面型といったク
ラシカルなアプローチがあります。2 番目としましては、情報通信技術を駆使し、ウェブサイトな
どを用いた遠隔型のもので、3 番目としては、これをミックスした形が考えられます。
○これまでの研修実績という観点から見てみますと、直接的な実績は、各国の農業研究普及組
織の強化、研修研究者のリーダーとしての活躍などが今上げられます。数としましては、これ
までに 1 万 4,000 人以上の研修者を出してきた。また、500 以上の研修コースを持ってきまし
た。また、200 以上の現地コース並びにワークショップを開催し、5 種類の媒体を使って 600 以
上の研修材料を作成してきたということです。
○間接的なものとしましては、例えばカンボジア、ラオスで、1 年間で 80 万トンの増収が見られて
きたのも、一つは研修を通しての成果とも考えられるのではないかいうことがあります。それか
ら、農民や消費者の生活向上にも貢献してきたと言うことが出来るかと思います。例えば、これ
らの国では、米価が 40%位低減してきてます。こういうのも、研究だけではなくて、研修活動に
も力を入れてきたというところで達成されたと位置づけております。
○国別の研修者数を 1990 年から 2000 年まで上げてみますと、これはアジアだけに限ったもので
すが、一番多いのはベトナムで、この 10 年間で 250 人以上の研修者があります。それから中
国、フィリピン、日本も 25 人ぐらい研修生が出ております。
○これが研修の概要なのですが、それプラス、一つ今売り物にしている「ライス・ノレッジ・バンク」、
RKB と略してますが、遠隔型の研修の材料として、ウェブを通して使われている材料なので、
宣伝がてら、ちょっと説明させていただきたいと思います。IRRI のウェブページにいきます最
初のページにクリックする場所がありますので、お時間のあるときにぜひ訪問していただくと、
いろいろな情報が得られるというところであります。
○ノレッジに対する IRRI の考え方は、知識の共有、だれとでも、いつでも、どこでも IRRI に関する
知識を共有しようというところでノレッジ・バンクという構想が出てきているわけです。
○RKB とはどういうものかといいますと、総合的デジタル稲栽培関係図書館といったところでしょ
うか。ちょっと訳が固いですが、IRRI に関するいろいろな情報が入っているところです。IRRI の
科学的研究を実践に導く手段であるととらえております。研究における知識管理と情報通信
技術を利用して、CGIAR を指導的立場に押し上げる一つの方策であり、これをキャッチフレー
ズとして売り物にしようとしているところであります。
○誰のためのものかと言いますと、まず、IRRI のパートナーであります各国の農業研究普及組織、
NGO、大学が RKB を使えるのではないかと考えられます。2 番目としましては、大規模な米生
41
産団体、各国にあります、例えば製粉業者とか農民、各種農業機械製造業者が対象になるの
ではないでしょうか。もちろん、多くの農民はこういうアクセスはないわけですが、開発途上国
でも恵まれているところ、例えばタイとか、そういうところの一部の農民に関しては、こういうとこ
ろにアクセスできる可能性も出てきています。
○RKB の内容は、主に電子学習、「e ラーニング」と言っています。プロセスとしましては、自己ガ
イダンス、自分で入って、自分で学んでいくといったパターンであります。同期的及び非同期
的な討議も可能であります。コース満了に伴う認証制度なども存在いたします。
○我々、稲栽培の実地にかかわっている者として有用なツールとしましては、ここにありますよ
うな 3 つのツールがあります。これはウェブに行けばすぐ見つかります。1 個は TropRice。これ
は、熱帯における米生産に関して、情報に基づいた、より実際的な判断が下せるように支援す
るシステムであります。例えば、自分の圃場がどんなふうに見えたかを聞いてくる。それを 1 個
1 個たどっていくと、そこにどんな問題があるかということの可能性を示してくれるというのがツ
ールであります。次は、RiceDocter。これは、熱帯において稲の生育を制限している要因を同
定するための圃場診断ツールです。例えば病気の問題とか、栄養障害とか、目で見た内容か
ら、どんなものが間題になっているかを引き出していけるような診断ツールであります。
あと、Market Price、Oryza 、RiceOnline.com というツールが載っております。
○RKB の中には情報を取りまとめた印刷物なども入っております。例えば、あるトピックに関する
情報の一枚刷り、非常に簡単な説明を書いたものなどが入っております。例えば、カンボジア
における稲の総合病害虫防除を知りたいのであるならば、引っ張っていくと、そういったことが
簡単に説明されている。例えばゴールデンライス、葉色帳、いろいろな情報の非常に簡単な
説明などもとることができます。
○あと、データベースに関しては、International Rice Information System(IRIS)というツール、また
は GISmaps、そんなものが入っております。
○研修材料もこの RKB の中に入っておりますので、JICA で研修している場合でも、こういうところ
からの研修材料を参考にとることもできると思います。IRRI の研修で用いられているすべての
材料、発表資料とか論文等はこの中に入っています。こういうものが複数のタイプの媒体によ
って供給されています。検索も可能ですが、現段階では、これはインターネット上だけで利用
可能であるということです。
○IRRI が考えている RKB の将来としましては、もう少しこれを強化、宣伝していこう、内容も充実
していこう、このアプローチの評価と追跡調査などもしていきたいと考えておりまして、利用者
の意識調査とか、各国の評価なども今後行っていって、さらなる充実化を図っていきたいと考
えているようであります。
以上、非常に駆け足でご説明申し上げましたが、研修に関しましても、CG センターなどはこれ
を 40 年間行っているので、一つの参考例として、また、JICA で行っている研修の一つのモデ
ルとして今後、参考にしていただければと願っております。また、研修も何も日本だけで固まっ
てやる必要もなくて、研修においても国際的に連携しながら研修活動をしていくことも非常に
42
重要ではないかと思いますので、いろいろなところで、どんな研修が行われているかということ
も参考にしていただければと思います。どうもありがとうございました。
座長 どうもありがとうございました。とりあえず確認したいという質問がありましたら。よければ、小討
論に回させていただきます。
JICA 筑波国際センターにおける稲作研修
プレゼンター JICA 筑波国際センター業務第二課長
美馬 巨人氏
座長 最後のプレゼンテーションになりますが、筑波国際センター業務第二課長、美馬さんでござ
います。美馬さんはジャイアンツの名前をお持ちでございまして、巨人さんです。77年に JICA
に入られまして、主に農業分野の職場で勤務されて、インドネシア事務所、中国事務所などで
経験がございます。ここのセンターでは、農業土木分野の研修指導員も経験していらっしゃい
ます。現在、業務第2課長でございます。それでは、よろしくお願いします。
美馬氏 私、業務2課の課長をしております。業務2課は農業分野の研修担当で、このセンター全
体で年間 900 人ほどの研修員を受け入れておりますが、そのうち 500 人ほどが農業分野の
研修です。集団コースにつきましても 30 コースほどを実施しております。今日のテーマになっ
ております稲作分野の研修につきましては、2つのコースを実施しております。名前はいろい
ろと変わっておりますが、テーマ的には、農業普及者を対象としました栽培技術の研修を目的
とする稲作コースと、稲作栽培研究における研究者を育成するコースの2つを実施しておりま
す。今日はその2つのコースの歴史も振り返りまして簡単に紹介させていただき、その研修が
どういう効果をもたらしているかということについてご報告したいと思います。研修の評価はな
かなか難しいですし、まだ確立された評価手法はありませんので、帰国した研修員たちが現
在どういう活動をしている等のアンケート調査が中心になってしまいますが、そういった観点か
ら評価をいたします。今後、どういった研修を進めていけばいいかについては、きょうのテーマ
でありますので、後ほどの総合討論等でご議論いただくということで、簡単にご紹介していきた
いと思います。
(スライド映写)
○まず、稲作コースですが、これはこのセンターの発足時からの基幹コースになっております。6
1年に当センターができまして、当初、農業実習コースということで 20 名の定員で3年間続い
ております。その後、稲作普及という名称で 15 年間続きまして、1979 年から稲作コース、途中、
米生産という名前にも変わっております。これは英語の研修コースなのですが、1988 年から、
そのコースと並行してフランス語圏アフリカを対象として 10 年間実施いたしております。それと、
それまでは全世界からの研修員が要望に応じました割当で研修を実施しておりましたが、
1997 年からは地域別に研修を実施しています。アジア地域の研修、あるいは中近東、アフリ
カ地域、中南米地域も含めた地域別の研修を 1997 年から 2002 年まで実施しております。こ
43
のコースにつきましては、今年度からはキューバの小規模稲作技術コースという国別の研修コ
ースに変わってきております。今まで JICA の研修は集団コースが中心の研修形態だったので
すが、国別のアプローチを強化するということで、国別の研修を実施する方法に重点を置いて
きております。40 年以上続いたコースですが、去年からはキューバの特設コースに変わってき
ているということです。このコースにつきましては、全課程を、スペイン語で実施しております。
また、稲研究というコースにつきましては、1984 年当初、稲作研究コースという名称で始まって
おりまして、内原時代では稲作分野 1 コースのみの研修でしたが、筑波に移りまして、施設的
な拡充もありましたので、2 コースの実施ということで、1984 年から研究者を対象とした稲研究
コースを実施しております。研究者を対象としておりますが、普及の技術者も参加しています。
○先ほど長田先生の方から、過去の JICA の協力のお話がありましたが、このセンターの発足当
時の写真を振り返ってみたいと思います。内原のセンターができる以前、イランから10名の農
村青年が58年に来日したのが茨城での研修の始まりとなっています。
○58年当時は内原にあった日本国民高等学校に研修を委託していたのですが、JICA の前身
の OTCA のさらに前身であるアジア協会が、茨城の農業研修会館という研修センターで先ほ
どの稲作農業実習コースが始めました。当時は 30 ベッドで始まったということです。
○67年には既に OTCA になっておりますが、さらに設備を拡充して、内原農業研修センターと
してこのセンターの前身が発足する。この当時ですと、稲作は 12 名のコースを実施しておりま
したが、さらに機械、灌漑排水、野菜栽培の4つのコースが 48 名程度の研修規模で運営され
ておりました。研修期間は大体 10 ヵ月です。
○その当時の稲作の実験圃場です。
○これはプラウ耕の研の水路です。同時に2つのコースがありましたので、これは稲作コースで
はなく、多分、稲作機械農機具利用コースの写真だと思います。
○1981 年にこの筑波のセンターができまして、内原の農業センターを整理して、こちらに移って
おります。20 年以上タイムスリップします。
○今年の研修風景ということで、ざっと見ていきたいと思います。種まきです。
○田植え。昔はのどかな研修風景だったのですが、後ろには圏央道ができまして、ちょっと殺伐
とした雰囲気になっております。このセンターは場外に2へクタールほど水田を持っておりまし
て、現在、2つのコースがその2へクタールの水田を使って実習をしております。
○田植え風景。これは昨年の写真です。
○田植えです。
○ポット試験のための稲を植えているところです。
○生育試験です。
○これは水田雑草の実習風景です。
○試験栽培の脱穀試験。
○収穫風景です。
○写真は場外ばかりになってしまいました。こういった形で研修を実施しております。
44
○人材育成につきまして、20 年間で 716 名の人材を育ててきております。61 年から始まってお
ります稲作コースで 491 人、稲研究コースで 151 人、また 88 年から実施しました米生産コー
スで 74 人、70 カ国にわたる人材育成に貢献しております。20 年間かけて 700 人を育てたと
いう実績なのですが、実際問題として、分母となる対象母数がなかなか計算できませんが、ど
の程度の影響を持っているのかということについては評価するのは難しいところです。
○地域的には、アジア地域がやはり中心になりまして 400 人、アフリカが 181 人、中南米、中近
東と続いています。国として一番大きいのがインドネシアの 60 人、フィリピン 50 人、タイ 48 人、
インド、マレーシアと続きます。アフリカ地域では、キリマンジャロの農業開発プロジェクトがあり
ましたのでタンザニアの 29 人、ケニア、ナイジェリア、コートジボアールとなります。中南米につ
きましては、ブラジル、メキシコ、キューバとなっております。中近東につきましては、エジプト、
イラン、スーダン。オセアニアでは、PMG9人、フィジー7人。資料の後ろの方に全 714 人のリ
ストをつけておりますので、参考にしてください。
○研修の評価に移りたいと思います。稲作研修のニーズということで、JICA では要望率がニーズ
を測る一つの尺度となっています。毎年、集団コースにつきましては、前年度の8月ぐらいまで
に在外の要望調査を実施します。集団コースにつきましては、各国、どういうコースを希望する
かということについて、事務所を通じて相手政府に要望調査をいたしますが、それに対して、
コースの割当国、要望のある国々に対して割当をかけますが、割当国数は定員プラス、昨年
までは1で、今年からは定員プラス2です。ですから、定員に対して何倍の要望があるかといっ
た調査結果です。稲研究につきましては 3.71、約4倍。稲コースは定員が6名ですので、大体
20 カ国以上の要望がある。稲作コースにつきましては 1.11 とちょっと低くなっておりますが、最
近は地域別に実施しているので地域が限られるということで、こういった数字になっていると思
います。
参考までに、当センターで実施しています他のコースの要望率ですが、農村女性能力向上と
いうコースは4倍以上、野菜栽培が4倍、水管理については 3.85 です。要望率の低いコース
ですと1倍を切るようなコースもあります。この数字自体からは、どういったニーズがあるかという
ことはなかなか判断しにくいかと思います。
○次はコストについてです。JICA も独立行政法人になるということで、従来の研修のやり方、研
修の経費のかけ方でいいのかどうか、今後だんだん厳しくなっていきますので、コストについ
てちょっと調べてみました。上2つが今日の対象の2コースです。さらに、当センターで実施し
ています外部へ委託している研修、農業普及と統計統計は農林省関係の財団法人に委託し
ているコースです。南アフリカの野菜栽培コースはこちらのセンターで実施しております。タジ
クの野菜は民間のコンサルタント会社に委託して、このセンターで実施しているコースです。6
つを比較検討してみました。
総額については、長期間の研修を実施しているということで、稲作と稲研究については 4,500
万円ほどの総経費がかかっております。農業普及、農業統計、期間的には2ヵ月半、1ヵ月ち
ょっとというコースですので、こういった経費になります。南アとタジクにつきましては、野菜栽
45
培分野の研修で、3 ヵ月、4 ヵ月のコースです。月当たりの研修経費ということでやってみますと、
各コース、大体 400 万円から 500 万円ぐらいのコース経費がかかっております。タジキスタン
の野菜研修については、このコースはロシア語でやっておりますので、通訳のコストがかかっ
ているということで、ちょっと飛び出たコストになっております。今年から実施しておりますキュ
ーバにつきましてもスペイン語通訳をつけていますので、若干高くなると思っております。1人
当たりの研修経費は、長期間のコースである稲作、稲研究が 400 万円から 600 万円。稲研
究につきましては、定員がカウンターパート入れて 7 名ということで、1人当たりのコストは高く
なっております。短い委託型のコースですと 100 万円前後になります。あと、1人月当たりの研
修経費ということでいけば、いろいろありますが、大体 50 万円前後のコストがかかる。JICA の
研修コストは1月1人当たりは大体 50 万円。これは研修の実費経費ですので、さらに1日1万
円程度の滞在費がかかりますから 30 万円ということで、大体 70 万円から 100 万円ぐらいの研
修コストがかかっているということになります。
○次に評価ということで、アンケートにつきまして簡単に見ていきたいと思います。
○最近 15 年間の帰国研修員 300 人に調査をいたしました。回収率は 31%、有効回答 93 名で
す。
○アジアが 48 名、あとはアフリカで、稲栽培 55 名、稲研究 37 名。1人不明者がいたので、数字
は合いません。
○アンケートの質問内容につきましては、この4つになります。①研修のカリキュラムはどうだった
か、②帰国後の技術伝達をどういうふうにしているか、③帰国後のインパクト、④資格、論文等
をどうやっているか。
○まず、カリキュラムですが、レベルが「十分高かった」と「高かった」で大体 60%。「適当だった」
を入れれば、ほぼ全部の数字になります。
○業務で要求されるレベルと比べて、50%近くがレベルは高かったと言っております。
○同僚の技術・知識と比べてどうかということで、比較するのがいいのかどうかわかりませんが、
「大変向上した」「向上した」で 80%になっております。
○どのトピックが適応度が高かったかということで、講義では種子生産、収量構成要素、論文作
成、データ分析、実験計画法等。実験・実習で言えば、圃場実習、種子選抜、収量分析等々
になります。見学分野では、農家調査、農家ホームステイ。両コースとも5日間程度のホームス
テイを実施しております。
○同じような内容ですが、どのトピックが有益だったかということで、もう少し社会的な表現になっ
ていますが、勉強については知識・技術向上、仕事に対する姿勢が向上した。日本文化、日
本人が理解できた。農家滞在が非常によかったという点が大半であります。
○帰国後の技術伝達度ですが、研修で学んだことを普及させたかについては 93%。ほぼ全員
が普及させたと言っております。
○どのような方法をとったかということで、セミナー、ワークショップ、あるいは講義をした、レポート、
そういった方法になっております。
46
○何人くらい普及したかということについては、 100 人以上、普及員でしたら、それくらいは当然
かと思います。全員が普及していると思います。
○帰国後のインパクトにつきましては、収量がどのくらい増えたか。このあたりはちょっとおもしろ
い結果だと思います。 1.5 トン以上増えたと答えたのが 18%おります。大体、増量している。
アジア地域等ではもうかなり生産性が上がっています。アフリカの地域の分析はまだできてお
りませんが、非常に効果があったということだと思います。
○昇進についても、非常に役立ったということで、7割の人が昇進につながっているという回答を
いただいております。
○上司からの高い評価についても、80%が役立ったという評価をしています。
○業務に必要な技術・知識の習得。最初は技術と知識を別々に調査したのですが、大体同じよ
うな傾向でしたので1つにまとめましたら、9割が習得につながったと。
○やりがいのある仕事への抜擢についても、80%が役立ったと。
○業務への積極的な取り組みについても、「非常に役立った」「役立った」で9割になっていま
す。
○資格、論文等ですが、農業分野の資格取得につながったということで、92 名中 36 名。博士号
をとったのが8人おります。大学に行って修士をとったのが 19 人。19 人のうちの8人が博士ま
で進んだということかもしれません。一応、JICA の研修の資格要件としては大学卒業の者とな
ってますが、中には短大学等の人もいますので、大学に行き直した人が4人。
○学位取得を地域別で比べました。アジアが赤で示されていますが、博士号をとった、修士をと
ったのはアジアが多い。
○研修で学んだ内容で論文を発表したかについては、「学会発表した」が 43 人。
○帰国後の技術情報を何から得ているかについて、インターネット、学会参加、科学雑誌。研修
講師、研修時の同僚、研修関係者ということで、これは TBIC の研修スタッフからの情報という
ことで、連絡をとっているということになります。
○その他コメントで、一番多いのは、もう一度日本で研修したいとか、ほかのコースにも参加した
いということです。
○多く出された要望は、学位を取得できるようにしてほしい、これもよく出てくる回答です。研修
期間が長い稲研修の場合、やむを得ないところがあります。再教育プロジェクトをつくってほし
い。そういった要望も出されております。
○その他の意見で、ブラジルの研修員ですが、日本の農業は小規模で適用が難しい。インドの
研修員で、適した研修員が選ばれていないのではないかと。自国の予算の問題で、研修で得
た技術が使えない。フォローアップの予算をみてほしい。このフォローアップについては今後
重点的にやっていきたいと思います。JICA スタッフによる帰国後聞取調査がない。これはフォ
ローアップ調査という形でやってはおります。あと、TBIC は大学や JIRCAS と連携をして品種
改良プログラムをつくってほしい、等々です。
○帰国後、中国の研修員ですが、大学で日本の稲作の授業をやっている。JICA で研修を受け
47
た人は技術を普及する業務に配置されている。新しい物の見方ができるようになった。そうい
った意見が出てきています。
○稲作研修の今後の方向性ということで、今日のテーマになります。地域別アプローチを JICA
でいたしております。先ほどの坂上さんの話から、アフリカは米の自給率の低い状況が続いて
おります。ネリカ米等もできましたので、そういった分野での協力。また、PNGに対しても、稲
作の国別研修をやれないかという要望もきております。中南米につきましても、パナマ、ボリビ
ア等からも稲作分野での要望がきております。この中南米地域もかなり米を食べますし、自給
率もまだ低迷をしている状況です。先月、中央アジアに行きましたら、あの地域もジャポニカ米
を食べておりますし、米の生産も盛んですので、地域を対象とした稲の協力をやっていけると
思います。研修実施機関の拡大ということで、大学との連携強化は重要と考えています。きょう
も筑波大から来ていただいておりますが、筑波大、茨城大とも連携を十分取りながらやってい
きたいと思います。また、NGO、NPOも研修実施の重要なパートナーと思っております。
○帰国後のフォローアップ事業についても、研修という事業は、帰った後研修員がどういう活動
をしてくれるかというところが一番の成果につながることになります。これは稲作研修だけの話
ではないのですが、強化していく予定です。予算についても、現地事務所等で5万ドル程度
の資金でしたら、セミナーですとか、資機材等を提供することができます。このフォローアップ
については、研修員へPRをするとともに評価もしていきたいと考えております。
今後の方向性については、後ほどの小討論に期待するところが大きいですので、これで私の
話を終わりたいと思っております。
インドネシアの研修員のビデオレターをいただいてますので、これを紹介したいと思います。こ
の研修員は病虫害予測センターの研修員として来ておりました。質問内容は、どういったトピ
ックが研修に適したものかということです。
(ビデオレター放映)
美馬氏 ちょっと聞き取りにくいと思いますが、研修でいろいろ学んだということと、生育のステージ
とか、病気の判断ができるようになったと言っていたと思います。この研修員はジャチサリの作
物保護の病虫害予測センターで活動している研修員です。ちょっと時間超過いたしましたが、
これで終わります。
座長 ありがとうございました。
小
討
論
座長 もう小討論が終わる時間になっていますが、今まで 4 人の講師の方の質問なしできています
ので、やはり時間をとりたいと思います。できるだけそれぞれの講師の方にということで、まず
最初の長田先生に対してのご質問ございますか。
小林氏 AICAF の小林です。私、長田さんとはタンザニアに一緒に調査に行ったことがあります。
今回、アジアでの稲作協力の実績というか、成果についてのご報告が中心だったのですが、
48
アジアについては、いろいろなところで評価が高い、成果が上がっているという話は聞いてい
るのですが、タンザニアをごらんになられたときに、アフリカでの日本の協力が長田さんの目に
どのように映ったかをちょっとお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか。
長田氏 アフリカでの協力は、プロジェクト協力ではタンザニアのキリマンジャロですね。あれも人に
よっては強い批判をする大規模投資ですね。 1,000 へクタールか 2,000 へクタールか基盤
整備して、大型の圃場をつくって、確かに収量を上げたのです。しかし、稲を画期的に増産さ
せていくためには、ああいったこともやらなければならないだろうというような気はしますね。そ
して後続の普及員訓練のプロジェクトが行われておりまして、非常に意義のある事業ではない
かと思います。そのほかは知りません。見てません。
座長 ほかに長田さんにはないですか。よければ、その次に萬代さんにご質問をどうぞ。オイスカ
は非常に特色のある活動をしていると思います。余り現場をご存じない方が多いと思いますの
で、質問もなかなか出にくいかもしれませんけど。
長田氏 終わりごろで簡単におっしゃったようですが、オイスカが JICA からの委託で、中部日本、
西部日本、四国で研修事業をやっているわけですか。何人ぐらいの規模ですか。
萬代氏 国内に 4 ヵ所研修センターがありますが、JICA の委託研修を受けてますのは西日本の福
岡にあります研修センターと四国の研修センター、そして中部、愛知県の豊田市の研修セン
ターの 3 ヵ所でやっております。実は 2 コースありまして、一つは農業者育成コースです。これ
は 18 名受けております。期間は 12 ヵ月です。もう一つは女性生活改善コース。これはたしか5
カ国から 15 名の研修生を受け入れております。同じく 12 ヵ月です。
座長 もう一つ、オイスカの関係で何かございませんか。
坂上氏 1 つ教えていただきたいのですが、循環型ということで、いろいろな家畜を飼われているよ
わに
うですが、例えば鰐はどういう利用をされるのですか。ちょっと教えてください。
萬代氏 私も実際ご紹介しなかったし、恐らく質問が出るかなと思っておりました。なぜ鰐を捕獲し
て飼っているのだと疑問に思うのですが、鰐は結構繁殖しているらしいのです。東ニューブリ
テン島から小さい鰐をとってきたのをセンターで飼っています。センターで養鶏もやっていて、
時々死ぬので、それを餌にしているのです。鰐の革を販売しております。それと、肉も食用とし
て販売しています。これは別に違法ではないようです。そんなことを聞いております。
佐川氏 AICAF(国際農林業協会)の佐川です。今の鰐に関して若干補足させていただきますと、
国際協力事業団も 1980 年代後半から 1990 年代にかけまして鰐の養殖のプロジェクト方式の
技術協力をフィリピンで実施したことがあります。本来なら JICA の方から紹介した方がよろしい
かと思いますが、萬代さんがお話しになったように、鰐の革をハンドバッグとかベルトとか、そう
いうものに使う。あと、鰐の肉を食用としてとる。私は食べたことありませんが、鰐の肉は大変美
味だと伺っております。鰐も WWF とか、野生動物に対する保護の規制が強くなっておりまして、
やたらとれる時代ではなくなっているということで、養殖によってやると。そういうことでフィリピン
で JICA が始めたプロジェクトがあったということをご紹介いたします。
萬代氏 それはフィリピンのパラワンですよね。私も 3 回ほど行かせていただきました。
49
座長 次は、国際機関における稲作協力についてお話しされた伊藤さんに対してのご質問がござ
いましたら、どうぞ。
○○氏 先ほどのお話にもありましたが、IRRI はもう 40 数年で、研修とか、技術の伝達、情報の伝
達、知識の伝達というふうに、非常にシスティマティックにプログラムを組んでやっていると思わ
れるのですが、最後に JICA の方からもお話がありましたが、研修で一番大事なのはフォロー
アップではないかと思うのです。研修生は毎年かわるわけですから、同じ人が毎年来て新しい
知識を入れたり、さらにレビューしていくわけではない。ネットワークシステムは非常にかちっと
したのができていると思うのですが、国へ帰ってから、研究機関に向けた研修が効率的に生
かされるためにどのような手立てをとられているか、補足でお願いしたいと思います。
伊藤氏 申しわけないのですが、そういう具体的な話になると途端に弱くなるのです。多分、IRRI が
目指しているところは、こういうネットワークの中で、ディスタンス・ラーミングみたいのを含めて、
研修後のフォローアップをしていくということだと思うのですが、具体的にフォローアップをどう
いうふうにやっているかは、申しわけありませんが、ちょっと私はわかりません。
座長 今のご質問で思い出すのですが、私、帰ってからも 20 年近く、ずっと雑誌やら何やらが送ら
れてきておったわけです。そういう意味では、IRRI の方式はなかなか金がかかってまねできな
いと思います。最近は特に CG の機関も金がなくなってきましたので、そういう面では、印刷物
を配るというのはとても難しくなってきていると思います。どんどんどんどん拡大するわけですし
ね。そういうことで、最後にお話しになったナレッジ・バンクの方式は、インターネットを使える
人にとってはずっといいと思いますし、ネットワークもその中に窓口をつくってやればいいかな
と。そういう意味では、JICA の国際センターの場合も、研修生を組織するためには、各国での
同窓会だけでなくて、全部をひっくるめたネットワークができればいいのではないかなと思った
りしております。
伊藤氏 ナレッジ・バンクはローカルな言葉をいくつか選択できる部分がありまして、タイ語とかラオ
ス語とか、いくつかのローカル・ランゲージでも入っていくことができる。なるべく言葉をバリア
にしないという方針が非常によく見えるところであります。
座長 もう一つ。横尾さん、どうぞ。
横尾氏 筑波大の横尾です。供与資金がどんどん減っているという話ですが、研究の陣容も縮小
されていると聞いています。この普及教育に関するスタッフの人数とか資金の規模の縮小があ
るのか、あるいは拡大しているのか、最近の実情はどうなのでしょうか。
伊藤氏 その辺を数字で示すようなものは持ってないですが、やはり研究組織であるので、資金の
低減に対応して、研究はなるべく切らないようにして、ほかのところは切ってと思うので、基本
的なところでトレーニングは非常にきつくなってきている。ですから、方向として、お金のかから
ない、なるべく招聘とかしないような、電子的なメディアでという形の方法をとって、活動レベル
は何とか維持していこうといった方向に変換しているのだと思うのです。
横尾氏 今、座長のお話しになったようなシラブルですね。
伊藤氏 そうですね。
50
座長 それでは、最後の JICA の活動に対してのご質問をどうぞ。
小林氏 AICAF の小林です。美馬さんにお尋ねしますが、研修コースに対する要望を要望率のよ
うな感じで数字を見せていただいたのですが、要望率が低いコースは見直しにかかると解釈
してよろしいでしょうか。
美馬氏 そうですね。連続して低い場合は見直しの対象にするという本部の方針があります。
小林氏 通常、一つのコースは3年ぐらいのタームでやられていると理解しているのですが、例えば
最初の1年時ぐらいでもう既に要望が非常に少ないと解釈されたものは、3年でタームをとって
いたとしても、2年目で見直しにかかると解釈してもよろしいでしょうか。
美馬氏 最近、JICA もサイクルを早めてますので、3 年を考えるということも出ていますが、通常、大
体5年でやっております。ただ、要望率については、新しいコースは、コースの内容を理解す
るとか、そのあたりができてませんので、なかなか要望の方に乗ってこないのです。ですから、
2年度ぐらいまでは当然低いのです。初年度、2 年度までは、要望が低いからといって改廃す
るかというと、それはないと思います。当初 3 年ぐらいは継続して、それ以降見直すことになる
と思います。
小林氏 ありがとうございました。
座長 ほかにもう一つぐらいご質問ございますか。
伊藤氏 これは一般的な質問で、狩野所長にお聞きした方がいいと思うのですが、研修というのは、
稲作に限らず、JICA が非常に広く行っていると思うのです。我々JIRCAS はほとんどしてない
のですが、自分たちのカウンターパートにちょっと教えようかなと考えた時点から、非常に研修
というものは奥が深いなと思うのです。要するに、学問的なバックグラウンド、コンセプト、いろ
いろなものを統合して研修生に立ち向かっていくというところでは、非常に高次の技術を要す
ると思うのですが、JICA の中で研修一般に関して、研修する側の研修というようなシステムは
存在するのでしょうか。
狩野氏 私どもは、国内で受け入れるという形と、専門家が現地で教えるという形の長い経験があり
ます。自分たちが持っている経験、技術を生かされるという意味では同じような形だと思うので
す。各論的な技術移転論はありますが、おっしゃったような研修システムは、JICA の職員一人
一人が他の方より経験ないしは訓練を受けて身につけるということが現状です。日々の中で、
みずからが築き上げるかなという感じで、一つの学問という形までは JICA の方でもまだ持って
いません。
萬代氏 ご質問させていただきたいのですが、研修生の受け入れで、研修先、もちろん JICA の中
でご指導をおやりになっているのでしょうが、農家に委託しての研修は、指定された農家なの
でしょうか。それと、農家さんの方は快く研修生の受け入れをなされているのでしょうか。ちょっ
とその辺を教えていただきたいのです。
美馬氏 受け入れ農家を探すのはなかなか難しいのですが、うちのコースの場合、大体、各コース
1週間近いホームステイ、ファームステイをやっておりまして、大体固定しているケースもありま
すし、毎年移っていくような形をとっているケースもいろいろあります。
51
萬代氏 それと、言葉の問題はどうされているのでしょうか。
美馬氏 日本語でやれという場合もありますが、それで何とか通じる。長いコースですと日本語も少
しやってますので。ホームステイの場合はスタッフも担当者も含めて4∼5名がついていきます。
農家の聞き取り調査とか、そういう課題も与えていますので、ちょっと助け船的にスタッフが控
えていますが、直接やってもらうと。英語でやるのか、日本語でやるのか。評価票も対訳的な
形にしていますので、それで何とか、反収は何ぼとか、そういったところの聞き取りはやると。調
査というよりも、コミュニケーションの勉強になってしまうのかもしれませんが、そういったことを
やっております。
萬代氏 1∼2週間の研修の期間に稲作云々は考えられないですが、それはあくまでも聞き取り調
査みたいな形での研修になるのでしょうか。
美馬氏 農家の生活を知るということです。実際タイミングよくその時期に農作業が当たっているか
というと、そうではない。農家もやはり仕事を抱えている時期は忙しいですから受けたくないと
いうのもありますので、どちらかというと農家にゆとりのある時期に受けていただくので、農作業
的なところで直接指導が受けられるかというとそれはありません。しかし、実際、農家に入って
やりますので、いろいろなことが勉強できるので、プラス・アルファ部分の勉強がかなり大きい
かなと思います。最大5日ぐらいですので、2週間もというふうにはしておりません。
座長 私の感じですが、それは農家の技術を覚えるというのではなくて、農家に住み込んで雰囲気
を体験するということがかなり中心になるのではないでしょうかね。
いろいろとご質問出していただきましたが、時間もかなり食い込んできていますので、ここで休
憩に入りたいと思います。
( 休 憩 )
セッション3
∼総合討論∼
座長 時間になりましたので、総合討議に入りたいと思います。1時間 15 分ほどございますので、
45 分ほどの時間をかけて、ちょっと話題が大きいのですが、今まで非常に長い年月かけて、
いろいろな国に稲作技術の移転といいますか、協力をやってきたわけですが、これからどうい
う形でやっていったらいいのかと。稲作協力はどこにポイントを置いたらいいのか。これも朝の
田中先生のお話のとおりに、国によって、あるいは国の中でも地域によってかなりポイントが違
ってくるかもしれません。非常に扱いにくいトピックスかと思いますが、どうやったらポイントを把
握できるのかというところにまず1つ、取っかかり、議論すべきポイントがあるかなと思います。
そうすれば、当然、協力分野はどこに力点を置くべきかという話が出てくると思います。そうは
言っても、相手の国の社会条件、経済条件、あるいは自然環境条件、日本ではとても手が出
ないというところがあるかもしれません。いわば自分の身の丈に合った協力の仕方があると思
52
います。
それから、協力はしたいが、相手の国に全くそういったリソースがないという悩みも専門家はよ
く感じるわけです。そうすると、相手国が決まったときに、従来、そこと密接に連携をとってきた
国、例えば西アフリカだったらフランスなどがかなりコンタクトを持ってやってきたわけで、現実
にまだ CIRAD とか、そういった機関がいろいろとやっているわけですから、ほかの機関との連
携もあると思います。
話題はいろいろあると思いますが、特に交通整理をしないで、今、私が取っかかりにこんなこと
を考えられないかというので申しあげた項目、ばらばらでも結構ですので、出していただけれ
ばと思います。対象地域はどういうところをやるべきで、どういうところはやるべきでないというご
意見があったら、そういうところから入っていただくのもいいかもしれません。そうしたらば、その
分野では何ができるかという話になるかと思います。なかなか難しいトピックかもしれませんが、
稲作協力の進め方という点でまず1つ。
それで、あとの 30 分ぐらいをかけて、研修の中身について、これからどのようにやったらいいか
と。2つに分けて考えていきたいと思います。どなたからでも結構でございますので、発言をよ
ろしくお願いします。はい、どうぞ。
萬代氏 先ほど予定しておりました議題の中にできなかったのがありましたので、それを簡単にご
紹介させていただきます。私どもは NGO ですが、もう一つ、NPOと企業との協力による稲作
普及がパプアニューギニアで昨年から始まって、現在やっております。オイスカはラバウルの
研修センターで稲作技術移転の研修をやっていたわけですが、そこで育った研修生たちが
地元に帰り、地元で稲作をやり始めた。そういったのが各地に広がっているわけです。
他方、東ニューブリテン島の右の方にあるソロモンに青年海外協力隊の隊員の方が指導でお
入りになっていた。任期を終えてお帰りになって、ソロモンで稲作の普及ができないものかとい
うことで、一緒においでになったOBの方と話をしておられたらしいです。そうしたところ、オイス
カは稲作研修をやっているらしいということでご相談があったのです。
私どもでは研修生を受け入れて指導しているわけですが、受け入れるに当たっては、経費も
かかるものですから、そういったお話をしてましたら、ちょうどうまいことに別の隊員の方がコス
モ石油にお勤めになっていた。石油関係の会社などは環境問題に非常に関心を持って取り
組んでいるのですが、コスモ石油でも、環境問題ということで、実はパプアニューギニアの焼き
畑農業を減らして森林伐採を防ぐ、そのかわりに陸稲を普及させたらどうだという考えがあった。
ちょうどそこに青年海外協力隊の隊員の方が話を持って行かれたところ、非常にうまく話が合
いまして、資金はコスモ石油で出そうと。研修はオイスカでやる。ソロモンの研修生たちも研修
ができると。ソロモンだけではなくして、東ニューブリテン島を含めて稲作の普及に貢献しよう
ではないかと。コスモ石油のコマーシャルをごらんになった方がおありかもしれませんが、オイ
スカの研修生のOBが出ているのです。
もう一人はAPSDというNPO法人です。わずか数名の職員しかおられないのですが、その3
者で環境保全を進めるために陸稲を普及していると。実際お米をつくるようになると、それをど
53
うやって精米するのだと。研修センターに精米機がありますので、例えばお米が 100 円なの
に、 200 円も輸送費を使って精米をしに来ていたという実例がありまして、それでは精米機を
寄贈したらいいではないかという話になりまして、そういった資機材を提供しようではないかと。
そういう形で今やっておりまして、2 年目に入りました。
座長 今のAPSDの人が私のところへ来まして、どういうような品種をつくったらいいかなどという相
談に乗ったりしました。そのうち、ネットワークを立ち上げて、インターネットでいろいろな人に
入ってもらってご意見をいただきたいということを計画しているようです。また、具体的にネット
ワークの案ができますと、いろいろな人のところに飛び込んでいくかと思いますので、そのとき
はまたよろしくお願いしたいと思います。財政的に大変になってきていますので、企業に入っ
てもらったり、巻き込んでというのは非常に望ましい方向かなと思います。はい、どうぞ。
長田氏 問題は難しくて、私、具体的には何もないのですが、これを考える取っかかりとして、
AICAF(国際農林業協力協会)が5年前、『開発協力40年史』をつくりました。この中で、今後
の農業開発戦略を提唱しているのです。一つが食糧の安定供給、一つが貧困の追放、もう一
つが持続可能な開発、技術。今後の農業開発戦略はこの3本柱だと。稲作で協力はどうした
らいいかというのはわからないのですが、話の取っかかりとしてご紹介しておきます。
座長 ありがとうございました。どこの地域を考えたらいいのかというと、私は AICAF に入るちょっと
前ぐらいから西アフリカにかかわりを持つようになりました。アジアについてはかなり技術レベ
ルが上がってきたわけですが、西アフリカに行ってみますと、まだまだしてあげなければいけ
ないところが大きいなと。特に灌漑稲作という点で言うと、そういった農法が入ってからまだほ
んの数十年しかたっていない。それ以前は畑で陸稲をつくっていた。台湾が入っていって初
めて灌漑稲作が行われた。たまり水で稲をつくるというのはやっておったのでしょうが、人工的
に水を調節するという技術は入ってまだ 50 年ぐらいしかたっていない。しかも、それがまだま
だ根づいていない。その根本は何が問題かというと、あそこの稲作はお天道様次第なので
す。
この間もギニアに行って見てびっくりしたのは、乾期で非常に作物の生産性が高い時期に4つ
5つの普及センターを訪問したのですが、どこへ行っても作物がつくられていないわけです。
よくよく見てみると、溜池には水がない。堰堤が壊れておって、たまらない。あるいは泥が押し
込めてきて、溜池が浅くなって、どうにもメンテがうまくいってなくて水がない。今は川の水が 10
メートルぐらい下を流れている。それが雨期になると土手を超えて、どんどん田んぼに流れてく
る。その日数が 50 日もある。それだけふんだんに水がくるのに、その水が乾期になると全くなく
なるという状態です。
私の感じでいきますと、例えばスポーツ選手の能力を上げていこうとするのに、走る技術ばか
り、こういうふうにすれば早く走れるよと言うが、実際の体力がついてない。心臓が弱い、あるい
は胃が弱い、そういうところが現状なのかな、それが農業なのかなという感じがしています。一
番基本的なところをもっと整えることをしないと、技術導入といっても、なかなかうまくいかない。
根づかない。
54
そういうふうにあきらめてもしようがないわけで、具体的にはコートジボアールなどでは、午前
中ちょっと紹介がありましたが、灌漑稲作機械化訓練センターの専門家がコートジボアールじ
ゅうを歩き回って、うまく動いてくれそうな農村を探し出して、そこに技術移転をやる。そうしたら、
それがちゃんと根づいているということがありますので、やはりしっかりした調査をやって、何を
すればちゃんと根づくのか、そういったところが伴わないといけないなという気がいたします。
そんなことを感じているわけです。
萬代氏 今、溜池のお話が出たのですが、ミャンマーは先ほどご紹介しましたように年間 300 ミリ程
度しか降雨がないわけですが、そこで稲作を始めた。実際、成功しているわけです。このプロ
ジェクトの横にイラワジ河という、川幅が2キロ近くの非常に大きな河がありまして、雨期と乾期
の水位が 10 数メートル違ってくるのです。乾期は本当に水が少ないのですが、雨期になると
土手を超えまして氾濫するのです。 3,000 へクタールぐらい水浸しになりまして、それがまた
引くわけですが、そのときに溜池があると、そこに残るのです。その溜池の水をうまく利用して
稲作をやる。今までそういったことは余りやってなかったのですが、私どもの技術員が現地に
行きまして、それをやった。稲ができるではないかと。お米を簡単に手に入れることができるよ
うになった。
実は、この一帯は 10 年ほど前に ADB(アジア開発銀行)からの支援を受けて調査が行われた
のですが、具体的な行動に移せなかった。そこに国連と共催で調査に入って、オイスカが入り
ますということでやった。そうしたら、小規模ながら稲作ができたということで、今になって 10 年
前の計画を再度見直しして、それを実行しようではないかという話が出てきているのです。灌
漑施設をつくるということです。チンドウィン河という支流があって、イラワジ河に流れるのです
が、上流から灌漑用水を引いて、 2,400 へクタールの地帯に水を引いて稲作をやろうではな
いかと。そうすれば常に稲作ができるのではないかという話になりました。今までは稲作は全く
やれなかったのですが、そういった形で稲作を普及できるのではないかということで、ミャンマ
ー政府も力を入れているようなのです。
座長 乾期は何ヵ月ぐらいあるのですか。
萬代氏 たしか半分ぐらいが乾期。
座長 その期間は全く雨が降らないのですね。
萬代氏 そういうことですね。
座長 ちゃんと雨期の河の水をためればいいではないかと言ったら、だめなのですよ、乾期は蒸散
量が多くて、あっという間に引いてしまうのですよという話で、ああ言えばこう言うで、こちらのア
イディアを何とか考えようという気がちっともない。ごく短時間の訪問なものですから、そこで話
は終わってしまっていますが、まだまだ何かやれることがありそうな気がするのですね。
伊藤氏 今のと余り関係ないのですが、最初のころに金田さんが掲げられました稲作協力の対象
地の明確化という課題なのですが、そのためには類型化がすごく重要だと思うのです。私の
発表のところで、IRRI の側から見た類型化は、例えば表面水の挙動による類型化、灌漑稲作、
天水稲作、陸稲稲作、深水稲作、そういう形の分け方。きょうの朝、田中先生が出されたのは、
55
農業の形態による類型化。非常に重要なのは、IRRI などの場合だと稲作オンリーでいってい
るので、表面水による類型化でいいのですが、現状、稲作は1個のコンポーネントにすぎない
というところからするならば、田中先生が上げられたような、農業の現状に即した、在来型農業
とか、または収穫増大指向型小農とか、そういう形で分けていくことによって、対象地域を明確
化していく。その中で稲作協力の方向性を出していくみたいなことをしていかないと、稲作して
いるところも多様性に富んでますから、全部をカバーするのは難しくなってくる。どこをやる、ど
こをやらないというわけではなくて、そういう中で、類型化に基づいて方向性をまず決めていく
ことが重要ではないかと思うのです。
座長 ありがとうございました。
高橋氏 AICAF とオイスカ、JIRCAS と出ましたので、私は今フリーなのですが、どちらかというと
JICA 寄りで発言させていただこうと思うのです。4月21日に、農水省の主催ですか、農水省と
JICA なのでしょうか、ASEAN 諸国の政策担当局長級のセミナーがあったのです。その資料を
ちょっと見せていただいたのです。現状の問題点を各国とも出しておりまして、今後どうしてい
くかをそれぞれ ASEAN の8カ国から提起されているわけです。アフリカの方は私はよく知らな
いものですから、ASEAN を対象にして物を考えるとすれば、このセミナーの中身を大いに生か
すべきではないかと思うのです。
共通した問題は、先ほど私の話題提供の中で申しあげたわけですが、ASEAN の8カ国とも洪
水と旱魃の繰り返しで非常に生産性が低く、不安定だと言われてまして、各国とも今後、灌漑
施設の整備に励もうということが提起されています。ただ、灌漑施設となりますと、それ自体は
稲作協力に直接的には当たらないかもしれませんが、稲作をやっていくに当たっての灌漑施
設のあり方という意味合いでは、当然関係はするわけです。
それから、どこの国も生産性が非常に低いということが提起されておりまして、これはやはり研
究開発と、その成果の普及にあると。今後、それに努めてまいりたいということが提起されてお
ります。規模が小さくて、そのために生産性も低くて、貧困率が非常に高い。特に農村部にお
いて貧困率がべら棒に高いということも提起されておりまして、これは何とか解決しなくてはい
けないと、どこの国からも提起されております。
もう一つは、生産性の低いのにかかわるわけですが、機械化がどこの国も著しく遅れているわ
けです。一つの国でトラクターが数百台しかないというところがほとんどで、そのトラクターも4
輪のトラクターではなくて、歩行用のパワーテーラーしかないという状況で、これをどうしたらい
いかということも提起されております。
ただ、機械化になりますと、話題提供のときも申しあげましたが、簡単にそれでは日本の機械
を使ってくださいというわけにはいかないわけです。これを入れたら大変な社会問題が起こる
わけですから、それぞれの国の社会経済条件を加味しながら、どういう形でそれを攻めていく
かということをやっていかないといけない。日本がちゃんとした指導をしないと、今、指導しない
うちにどんどん機械が入ってきているわけです。よその国から中古品を買って機械化を進めて
いるわけですが、その中に日本の機械もやはり入ってくるわけです。パワーテーラーの中にも
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日本製品の中古品がかなり含まれているのです。
それから、たまたま一昨年、AICAF の調査でフィリピンに行ったときに、農業改革省の人に、あ
る農家が乗用の田植機を入れているところに案内されたのです。その田植機を使っているリー
ダーが新人民軍のコマンダーだった人なのです。この人はそこを引退して今百姓になってい
る、友達と一緒にやっていますと。台湾に行ったら日本の乗用田植機があった。その乗用田
植機はやはり中古品で台湾に入っていて、その中古を買ってきましたと。そんなことをしたらコ
ストが上がるではないかと言ったら、いや、友達と数人で共同で買っているのだから安いのだ
と言うのです。そんなことをしたって、やはり米のコストは上がるのだと説明したら、びっくりして
ました。要するに、大勢で使えば耐用年数は縮まるわけです。面積が広がれば年数が当然縮
まるわけです。そういうことを全然考えられずに、買うときの値段が安いからコストは上がらない
と考えてしまっている。ああいうのが一旦入りますと、どこも欲しくなるわけです。ですから、これ
は非常に気をつけないといけない。上手に指導していかないと、日本の轍を踏むことになるの
ではないか。
たまたま日本の機械化協会の皆さんが 10 人ぐらいまとまってフィリピンに来た。自分たちの市
場開拓のために入ってくるわけです。私は、いや、申しわけないが、あなたたちに用事はあり
ませんからお帰りください、やはりフィリピンに合う機械を開発していかないとだめなのです、日
本の機械をそのまま入れるわけにはいきませんと言って、帰っていただいたことがあったので
す。
技術協力をする JICA 側の方でちゃんとした哲学を持っていないと、専門家の中でも、日本の
メーカーに来てもらった方が早いやと考える人がいるのです。フィリピンのようなところに日本
の乗用田植機を機材協力で持っていったところもあるのです。これは大変なことだと私は思う
ので、そういうことはきちんと整理しないといけないのではないか。
私の言いたいことは、JICA、農水省がやられたセミナーに今の問題点は何か整理されてある
し、今後やっていこうとすることも整理されてありますので、それを土台に、我々ができることは
何だろうかと考えていくのも一つの方法かと思いますので、提案したいと思います。
座長 ありがとうございました。今、高橋さんのおっしゃった資料は、どこを見ればわかりますか。
高橋氏 私はいただいたのですが、後で金田総合座長にお渡ししましょう。
座長 JICA のホームページに出ていますか。
狩野氏 ちょっとご説明いたしますと、私どもセンターでいろいろな形で研修コースをやっている中
で、農水省と共同で、ASEAN の WTO 農業交渉に関係する局長クラスを呼んで、日本の現状、
稲作の現状をもっと率直にお話ししようかというふうな形の1週間のセミナーを開いて、今年で
3回目になります。この趣旨は何かと申しますと、WTO 交渉はどちらかというと先進国と途上国、
特に東南アジアにすると、日本の農村市場をいかにあけようという形のような単純な図式にさ
れがちなのですが、実は、問題は単なる市場原理だけではなくて、その国の独自の発展形成
とのバランスの中ですべきではないかという日本の主張、そうやって、みんなすぽっとあけろと
言ったら、あなた方の農業が逆に大変なのですよということを真摯な意見交換をする中で、み
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んなで理解を深めようということで開いたものであります。毎回、各国から、日本ですと経済局
長とか、国際部の部長というような方々にお越しいただきまして、まず各国の現状と農業政策
の方向ということをカントリー・レポートしていただきます。今、高橋さんがおっしゃったのは、そ
のカントリー・レポートであります。ASEAN の農業政策者がどのような視点を稲について持って
いるかについてはご参考になると思いますので、もしご関心ある方がありましたら、お送りいた
しますので、ご参考にしていただければと思います。
座長 ありがとうございました。実は、午後の総合討論が始まる前に、午前中、発表とか発言をなさ
らなかった人をご紹介しなければいけなかったのですが、私、うっかりしておりました JICA の本
部の農業開発協力部で最近、農業技術協力課長に就任なさいました北林春美さんです。10
月になりますと独立行政法人に切り替わるとか、いろいろ大変な時期に課長になられたわけで、
これからの JICA のあり方などについても、かなり大変なお仕事をしょい込まれたと思っておりま
す。最近の技プロの動きとか、あるいは今後の農業技術協力の方向とか、そういったことにつ
いて少しお話を伺えばいいかなと思っています。よろしくお願いします。
北林氏(農業開発協力部農業技術協力課長) ありがとうございます。JICA の本部の農業開発協力部農
業技術協力課で農業関係の技術協力のプロジェクトを担当しております北林と申します。この
筑波センターは JICA の中でも私どもの課のパートナーでして、私たちの行っておりますプロジ
ェクトで、現地で専門家と一緒に活動する現地の行政官、技術者の方々、場合によっては農
民組織のリーダーの方々が日本で研修するときには、ほぼ 100%、筑波センターにお願いを
して、こちらで研修をしていただくという関係です。私どもは研修には直接にタッチせずに、現
地に専門家を派遣したり、必要な資機材を調達したりというような活動を行っております。私は
全く農学の専門家ではありませんが、本日、長田先生の歴史的な概観を含めまして勉強をさ
せていただき、いろいろと参考になりました。それから、日々、私たちが協力をしています中で
考えている問題と同じような問題をご指摘になった経緯があると思います。
今日は稲作がテーマだということなので、少し調べてきたのですが、先ほどお話がありますよう
に、一番古い形の技術協力のテーマの1つであると。JICA の研修で来ますと、センターで研
修員バッヂをもらうのですが、そこに双葉と輪っかの中に原子か陽子かが飛んでいる絵が描
いてありまして、これは、日本の技術協力は稲作から原子力まで何でもカバーしているという
意味なのだよと皆さんに言いなさいと言われたのを思い出したので、本当に一番最初に始ま
った技術協力の一つだということで、長い歴史があります。
最近感じておりますことを二、三申しあげますと、先ほどからいろいろとご紹介ありましたように、
稲作技術ということで言いますと、何十年もの間、試験研究、普及の制度や人員の研修、灌漑
の施設整備や運営、機械化というテーマで、アジアを中心にいろいろな技術協力が行われて
きたのですが、それが相変わらず今でも協力の中ではかなりの部分を占めております。
ただ、最近の新しい流れとしましては、午前中のお話にもありましたように、アフリカでの稲作
について大変に今、関心が集まっている。1つは、去年、南アフリカのヨハネスブルグで開催さ
れました持続的開発のためのサミットにおいて、小泉首相がネリカ米について大々的に支援
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をするという姿勢を打ち出された。アフリカにおける食糧問題を解決するための一つの方法と
して、ネリカ(ニュー・ライス・フォー・アフリカ)の農民への普及を支援したいという方針を表明さ
れました。
私が昔、若いときに、主食というのは米だけではないのだ、バナナも芋も豆もある、余り米ばか
り押しつけるのは非常に日本中心的な考えだと教わっていたので、本当に米なのですかと言
ったら、もともと西アフリカでは米を主食としておられた方がいらっしゃるし、稲作もあったと。た
だ、タンザニア等の場合には、米はむしろ商品作物と見なされていて、非常に収入につながる、
いい作物だと見られている部分もあると考えております。米は自分が食べるのか、売るのかと
いうときに、アジアの場合は大体両方なのですが、農民にとっての米もいろいろな見方があっ
て、必ずしも日本と同じような見方はされていない。
それから、先ほどオイスカの萬代さんからご紹介があったパプアニューギニアの稲作は、今ま
で米というものを一度もつくったことのない人たちに稲作を紹介して、自分で米をつくれるのだ
ということを教えてつくってもらうというプロジェクトで、これについては JICA でもオイスカさんと
協力して、今までいろいろな形での支援を行ってきました。パプアニューギニア政府からの要
望で、プロジェクトという形で今後まとめて取り組んでみようかという話になっております。
今までのモンスーン・アジア、東南アジアのみではない地域での稲作協力、あるいは農村開
発の中での稲作というテーマは、我々が地域を選択するとか、JICA の好き嫌いということでは
なく、ニーズが大きいというので、それにこたえていかなければいけない。ただ、午前中からお
話があるように、その部分について、日本の専門性、ニーズはどこまで適用可能なのか。例え
ば、今普及しているネリカ米は陸稲と聞いております。パプアニューギニアでも、まず最初に
JICA が対象にしているようなところでつくってらっしゃる方はみんな傾斜地の畑に植えている。
日本に陸稲の技術協力をするノウハウはどこまであるのだろうか。パプアニューギニアの場合
は、昨年、茨城県から専門家の方が2人行っていただいて、いろいろと役に立つご示唆をいた
だいたと聞いておりますので、必ずしも全くないということではないと思います。
それから、最近の援助の流れとして、国レベルでの食糧の増産というよりは、食糧安全保障、
あるいは農家、農民の生活水準の所得の向上を第一義的に考えて、増産はその一つの手段
であると。田中先生が、米は一つのコンポーネントだとおっしゃったのですが、まさに、農家は
何をやってもいい、場合によっては農外収入を得てもいい、必ずしも稲作から収入向上を図ら
なければいけないとは限らないのではないかと。
しかしながら、私たちがやっている活動は、技術レベルでの開発だけではなくて、農家の人た
ちの収入の向上につながることができる限り確認できるようなものでなくてはいけないという考
え方があります。最近、技術開発だけではなくて、農家への普及を目指したプロジェクトは大
変数が多いのです。しかも、普及員というプロの人の研修ではなくて、農家まで届くことを目標
にしておりまして、そのときに我々は大変な困難に直面しております。理屈ではいくはずなの
だが、どうして多くの農家までいかないのだろうかという悩みがあります。これについては今後、
もっとノウハウ、経験を積んで、方法を確立していかなければいけないと思います。
59
あと、稲作の場合は、世界的に米の国際価格はじりじりと下がっていると伺っておりまして、た
くさんつくっても得にならないという状況の国がたくさんあります。ベトナムもそうですし、ミャン
マーもそうです。そういうところで、たくさんとれる技術を教えることが農民にとって何の得にな
るのか。たくさんつくっても、労力がかかるだけで収入は上がらないというところでは、そういうも
のが農民の方々に受け入れられる根拠はどこにあるのだろうかと。より高く売れる米、品質のよ
い米をつくることの方に関心がある場合があります。
それから、生産の技術の問題ではなくて、流通の問題の方が大きい。例えばミャンマーの場
合は、国家公務員に米を無償で配給するために、農民から強制的にある一定の割合の米を
市価の2分の1ぐらいで政府が供出させて配るというシステムがありましたので、農民は幾らつ
くっても、どうせ政府から安く買われてしまうと。あるいは、どうせ政府に安く買われるなら、品質
を上げるインセンティブもないということで、農民レベルのインセンティブは必ずしも技術の開
発とパラレルになっていない。そのことについて我々はどういうふうに対処していったらいいの
だろうか。あるいは輸入米の方が安いというところで、米の増産というのは多くの人にとってどう
なのだろうかと。特に最近の WTO への加盟で小規模な農家は壊滅的に影響を受けていると
言われる国々がたくさんあります。そういうところでの農業開発のあり方と。
最後に、確かに稲作は日本のお家芸なのですが、最近、青年海外協力隊等の隊員募集で稲
作を募集しても、応募者がいる保証はありません。日本にそれだけの専門家がこれからどれだ
け確保されるのだろうかというところも少し心配なところで、まさに地域コミュニティーのレベル、
農村レベルでの普及を考えた場合には、我々のようなお役人を通じてアプローチするよりも、
直接コミュニティーに入っていく NGO、ボランティアというアプローチの方がよりふさわしいとは
思われるのですが、そういう人材が日本でどれだけ確保できるだろうかと。問題ばかりで、なか
なか答えが出ないのですが、そういうことを感じております。
座長 ありがとうございました。今の北林課長さんのコメントに対しても、何かご質問、ご意見があり
ましたら、それも含めて。
坂上氏 西アフリカの稲作の話が出ましたので、ちょっと補足的に私の考えを申しあげたいと思い
ます。最初に金田先生がおっしゃった、どこにポイントを置くかということにも関連するのです
が、もともと稲は畑でつくるものではなくてそれは、稲は乾燥にそれほど強くないためです。一
般的には水田に適応しているものであります。その状況の中で、西アフリカでネリカという陸稲
がつくられた。1991 年に育種が開始されて、品種の普及までに大体 7 年ぐらいかかっている
わけです。
先ほど生態系のところでお見せしましたが、陸稲の面積と、水田、いわゆる灌漑と天水田の面
積の比率は、40%、50%となる。どうしてネリカの開発対象が陸稲かというと、一つは WARDA
という機関がコートジボアールにあるからです。コートジボアールの畑面積は全稲作面積の約
74%ですから、それが一つ、大きなポイントであろう考えられます。
もう一つは、これは個人的に話をしたことですが、ネリカを育成された元 WARDA のモンティ・
ジョーンズさんの出身がシェラレオーネで、ここもまた6∼7割が陸稲です。小さいときから陸稲
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を見てきて、陸稲には非常に関心があったのだとおっしゃっていました。
陸稲用のネリカが 1 から 7 まで普及されているわけですが、地域的に見ると、実際に普及をう
まくやっているところはコートジボアールとギニアです。研究あるいは種子増殖はガーナとかシ
ェラレオーネ等でもやっていますが、それ以外のところは、例えばニジェールという国に持って
いったところで全く広まらないわけです。ここは灌漑水田、あるいは天水田が7∼8割を占めて、
畑はほとんどない。そのようなことからも、ターゲット地域は絞られるのだと思われます。
それでも、西アフリカ、あるいはアフリカを救うのだということでネリカの普及拡大が、多くの地
域で展開されている。今のところ、ネリカの一番の利点は、生育期間が極端に短い早生品種
だということです。その生育期間は 90 日、あるいは 85 日です。私はコートジボアールとギニア
で調査しましたが、大体その程度です。
もう一つは、食味がよいということです。特にネリカ1のボンファニ(Bonfani)という品種は香りが
あって、現地で非常に好まれている。ですから、コートジボアールの調査結果からは、ネリカ1
が非常に広まっていることがわかっています。
生育期間が短くて食味は良い、ほかに特別な利点があるかというと、残念ながら、今のところ、
それら以外の利点については十分には確認されていない。実際に WARDA はいくつかの特
性評価試験結果について発表していますが、それらの研究はまだ十分でない。
それ以外に、実はもう一つ、水稲用のネリカが今、育成されています。これも種間雑種ですが、
ネリカの1から7とは全く別の親を使った雑種です。これは、セネガルにあります WARDA のサ
ヘル支所で研究されたもので、2000 年にはこの育種に成功し、現在は農家圃場で試験栽培
を行っている。研究所の圃場レベルで収量を比較しますと、ある品種は約 8 トンぐらい超えるよ
うです。私は圃場を見ましたが、5 トン、6 トンぐらいの収量はあるのではないかと思いました。
ですから、いろいろなところでネリカ、ネリカと言っていますが、ポスト・ネリカということを考える
と、この水稲用品種を頭に入れながら協力するという方向で私たちも考えなければいけないの
ではないかなという感じがします。これはまだ計画段階ですので、どういうところに普及して、ど
ういうふうにやるか等まだ WARDA の具体的な方針は出てませんが、少なくともセネガルを中
心にして普及されるのではないかという見通しがあります。陸稲がよくないと言っているわけで
はないのですが、可能性という意味からすると、水田での稲作の方がより大きいポテンシャル
があるのではないかと思っております。6 月にネリカ協力に関するミッションが、マリを中心に組
織されます。私ども JIRCAS も参加することになっておりますので、そこで何か成果が出れば、
ネリカ協力の方向性についても定まるのではないかと考えます。
座長 ありがとうございました。さっき坂上さんが報告されたときに、あれと思って見ていたのは、天
水田のパーセントが非常に高い国が幾つもあります。そういった天水田は水にどれだけ期待
できるのかという問題があって、陸稲だけを注目していると、大したことないと。ただ、天水田の
率の非常に高い国は、かなり陸稲的な栽培をせざるを得ない年が結構あるのでないかという
気がしているのですが、その辺どうですか。
坂上氏 基本的に天水田というのは、水系の形成形態、あるいは水が入る時期はまちまちですの
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で、一概には言えませんが、実際には簡単な畦をつくるだとか、少し技術を入れてやることに
よって水が保てる。あるいは溜池を利用するなど。陸稲の場合は降雨しかなく、水を長期間溜
めておくことができない。したがって降雨がなければ稲は全く育たない。天水田の場合は、そ
こに水がたまるという前提ですから、雨が降って、水が流れてくれば、そこでとめればいいわけ
です。ですから、水管理技術等を少しずつ改良するような技術移転、あるいは技術開発によ
って、収量なり、安定した稲作が営まれるのではないかなという気がしております。
横尾氏 筑波大の横尾ですが、北林さんのお話で、確かに日本では、この数十年、稲作協力を随
分やってきたと思うのですが、そのときの私たちの技術集団と現在の技術集団は数が違う、質
も違う、随分違ってきているのです。私も裏で見てきているので、正確な数値では言えません
が、ものすごく変化してきていると思っています。それに応じて、世界の稲作、あるいは米生産
から利用、経営管理までに至る技術も地域によってかなり動いている。そこを私たちはマッチ
ングさせないと技術協力というものは成り立たないだろうというのは、私もそう思います。特に注
目しなければいけないのは、世界のニーズもそうだが、日本の技術集団の量と質がぐぐっと変
わってきた。特にこの 10 年、20 年の間にものすごく変わったということを考えなければいけな
いかなと思うのは北林さんと同じ意見であります。そして、それは稲作協力もそうなのですが、
それはデバイデでいく稲作協力。今度は受けて、私たちが待っている稲作研修についても同
じで、私の個人的な考えなのですが、稲作丸ごとの研修ではなくて、これからもっとコンパクト
な、あるいはシラブルな課題別研修を打ち上げて、それに対応するというのも一つの手かなと、
日ごろ、ここの JICA センターに時々お邪魔しながら考えております。そんな感想を持っており
ます。
座長 ありがとうございました。具体的にはまだいろいろお持ちだと思いますが、現在のところはそ
こまでは踏み込まないでということですか。
もう残りが 30 分切りましたので、稲作協力のあり方という点についてはそろそろ締めて、その次
の研修についてどうするかというところに移っていきたいと思っています。美馬課長さんの報告
の一番最後のところでアンケートがいろいろ出てきていて、回答率のパーセンテージとしては、
もっとあってもいいかなという気がいたしますが、まあまあ、こんなところかなと。あれを伺ってお
って感じたことも含めて、いろいろとご意見をいただきたいと思います。はい、どうぞ。
長田氏 今、北林さんのお話で、技術を普及させるのにどうやったらいいか、答えが出ないというこ
とですが、ここでいろいろ研修をやる。新しいものを学んでいく。そういう人たちが国へ帰って、
それを普及させる。これが容易なことではないわけです。特に途上国の場合、農民の側にそう
いうものを受け入れる体制がない。現在、農業開発とか開発経済学とか、そういうものの研究
教育が随分盛んなようです。JICA のプロジェクトでも、ラオスだのインドネシアで農村開発をや
っています。そういうところでは、新しいことを広めていくことが困難だという問題と闘っている
専門家がいっぱいいるのではないかと思うのです。ここでの研修でも、例えばそういった経験
を持った専門家から、技術普及の難しさとか、どうやったらいいか、1 日ぐらいそんな話があっ
てもよろしいのではないかと思います。
62
狩野氏 長田先生の話については、私ども 40 年来、いろいろな形でやってきまして、その中で途
上国の稲に対する考え方がどんどん変わってきています。普及員から農民へというチャンネル
がなかなか機能しないという実感を持っています。そういう理解の中で、私どもの研修コースの
中でも、普及員自身がもう少し農民に目線を合わせた形の協力をするような姿勢も要るのだろ
うということで、日本の今の普及システムの方が実践しているやり方と同じことをとりいれていま
す。参加型のいろいろな形の取り組みとか、JICA で PCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)
をやってますが、農民が自分たちの潜在的な要求、必要性等々ぶちまけながら、それを行政
は行政で取り入れながらという形のやり方とか、それも研修コースの中には今取り入れてして
おります。
今回、こういう企画をしたのは、私どもの稲作研修コースを今後どうしたらいいのだろうかという
ことを検討していただきたかった訳です。私の問題意識としては、日本政府の稲作に対する研
究とか普及とかの力と同じような現象が実は途上国も生じているということがあります。つまり、
70 年代、80 年代は途上国におきましても食糧を確保することが最大の国策だったわけです。
米がなければ暴動が起きてしまう、政権が倒れてしまうということで、為政者も稲作に対して大
きなエネルギーを割きました。研究、普及、それに伴う予算等も十分されたのですが、ひとた
び自給近くに達すると、日本と違って急激に熱がさめてしまいます。
80年代に構造調整という形で、農業分野に対しての財政的な締めつけがあったことも事実だ
と思うのですが、80 年代後半、90 年代となるにつれ、研修員たちが活動しにくい形になってき
ています。そういう中で、私どもで稲作研修員の受入れをやっているのですが、環境の違いの
中でどのような研修形が望ましいのかということに関し、横尾先生おっしゃったように、我が方
のリソースの限界性から見えてきて、従来の形の、作物全体系を受け入れた形の研修から、も
う少し課題といいますか、テーマに絞って実施したらどうかという示唆をいただき、非常にあり
がたいと思っています。伊藤先生がおっしゃった、田中先生が類型化されました形のニーズ
についても、ぜひ、検討していきたいと思います。
1 つ、皆さん方にお教えいただきたいのですが、今回、いろいろな先生方のお話で、ニーズに
多様な形があるということがわかってきました。日本のリソースとの関連で、どの辺のところを日
本がしっかりと押さえるべきか、ないしは押さえられるのではないかというところを是非教授いた
だきたいと思います。具体的には、この稲作研修のコースのここの部分をもう少し強調し、目指
してやっていけばいいなというような点です。
座長 ありがとうございました。どうぞ。
白石氏 研修指導員をやっている白石です。今の所長の補足なのですが、午前中から出ている、
例えば多様性をどうするかとか、ポイントをどこに置くかという問題なのですが、私も去年、研
修員を7カ国から受け入れて研修指導したのですが、どこにポイントを置けばいいのかという
のは、その答えは、やはり情報を持ってないと何も言えないということです。去年担当したのは
ガボン、キューバ、中国、タイ、パキスタンで、彼らにいろいろ質問したのですが、必ずしも自
分たちの農業がよくわかっていませんでした。例えば、パキスタンの研修員から、私たちの国
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では水田の水がとても熱くなって稲が死んでしまうということを聞きました。どのくらい熱いのだ
と聞いたら、足を入れられないぐらい熱いという答えが返ってきた。禅問答のようなのですが、
どのぐらいの温度かを測ったことがなかったみたいなのです。そういう中で、どのくらいのことを
やっていったらいいのか、よくわからなかったのです。そういうことも含めまして、情報というもの
をもっと持たなければ私たちの研修も成り立たないということで、ここにいる先生方にもいろい
ろ教えてもらいながらやっていければ、もっといい研修ができるのではないかなと思いました。
座長 ありがとうございました。今のに関連して私もちょっとコメントしたいのです。コースが始まりま
す、今年は何月何日に講義をお願いしますということで出て来るわけですが、ほかの人がどん
な内容の講義をしているのかということは、スケジュールを見る限りしかわからないのです。こ
んなのがあったらいいのではないかなと私が思うのは、集まれる人だけでもいいですから、講
師が丸一日集まって、いろいろなことを議論してみる。そういったのがその次の年の計画に反
映できるのではないかなという気がするのです。稲作コースは何を取り上げるのか、種まきから
収穫、ポスト・ハーベストまで全部ひっくるめてとなりますと、これは非常に効率が悪い。どこま
でどこまで適用できるのかということについては皆目手探りです。研修員も、これは使えるが、
これは使えないということを言いながら聞いているわけです。そういったことをもっとしっかり情
報集めるということが必要になってくると思うのです。いろいろなことがあって、一概には結論は
出てこないと思いますが、とにかく話し合う時間をもっともっとたくさんとらなければいけないと
いう気がします。講義をしていても、時間がきてさっと終わってしまうと、どんなことを感じたのか
を聞く時間が余りない。確かに情報がなければ何もできない。何をしても効率が悪いということ
は確かに言えると思います。でも、どういう情報をどこで集めるか、そこがまた非常に難しいとこ
ろだと思います。自由に発言してください。
美馬氏 今の補足になりますが、横尾先生から課題別の研修も1つのアイデアかなというご意見も
ありましたし、研修指導の白石さんの方から、各国代表の寄せ集めの研修だと、課題がばらば
ら、どう教えていいかわからないということもありました。先ほども私申しあげましたが、国別研
修を実施するということで、課題の絞り込みはより楽になってくるのかなと思います。今年、白
石さんはキューバの稲作を担当されてますので、そういう意味では、昨年よりは問題点の絞り
込みができるのかなということになります。課題の絞り込みということで言えば、JICA の場合、
個別研修ということで実施しておりますが、10 人の定員の研修を 10 個の個別研修に分けると
いうのも、受け入れサイドとしましては非常に手間がかかる受け入れになりますので、そういう
意味では、国別研修、地域別研修という方向性は非常に的を射た方向性かなということは感
じております。
座長 ありがとうございました。現状では、キューバ1カ国ですよね。同じ圃場、同じ材料を使って、
2つ、あるいは3つの国の特設研修は難しいのですか。1ヵ国5年続けてとなりますと、非常に
限られた範囲にしかいかない。
美馬氏 PNGからも要望がきております。ただ、圃場が2へクタールで限られていますので、やはり
実習中心の研修を組みますと、どうしても圃場が足りなくなる。ほかの国からの要望があれば、
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大学等に委託も考えていかなければいけないかなと考えております。
座長 同じ圃場で同じ材料を使って、時間をずらして複数の国が特設研修コースを持つというのは
難しいですか。
美馬氏 それは時期をずらして。
座長 時期をずらしてではなくて、講義の時間をずらしてといいますか、例えば田植えをして、一つ
の国がずっと進んでしまって、一過性で終わってしまう。それをもう一つ、メニュー方式で後を
追いかけていく。同じ田んぼを使って、同じ材料を使って、追いかけていく、それはできるので
はないかなという気がします。
美馬氏 田植えと、ある程度の生育で終わって、その後、収穫の結果は見られないということであれ
ばできます。野菜栽培関係ですと、3ヵ月、4ヵ月の短期研修コースを組んでおりますが、稲作
については今のところ、病虫害の勉強ということであれば1ヵ月、2ヵ月の集中講義を個別研修
等でやっていますが、稲作栽培ということであれば、フル期間でやっています。それも一つ、ア
イディアとしていただきたいと思います。
高橋氏 研修生が専門の特定の領域について、ちゃんとした目的を持った形で研修を受けたいと
いう場合には、専門の研究者のいる研究機関にお願いするのが一番だと思うのです。そうなり
ますと、JICA の稲作研修というと、稲作技術全般、あるいは一般ということになるのではないか
と思います。その場合も、研修生がどのレベルの人かによって研修の中身も考えないといけな
いのではないかと思うのです。
フィルライスの例から言いますと、専門家のカウンターパートになる程度の人たちは、一応、主
任研究員みたいな形で、MS 以上の人たちなのです。そういう人たちが JICA の稲作研究コー
スに来ましても、ほとんど知っていることをまた繰り返す程度で戻ってくるのです。その助手クラ
ス、向こうで言うと BS、学卒で 18 歳で就職した人たちですと、稲作全般、大変勉強できました、
おまけにスタディ・ツアーがあって日本のあちこちを案内してもらったというので、日本を理解
するのに大変役立ちますということだったのです。
それにしましても、日本の稲作技術そのものを教えても、そのまま役に立ちません。要するに
カリキュラムの組み方だと思うのですが、どうやったら帰ってから役に立つ中身の研修ができる
かというのを、これからまた反省しながら考えてみる必要があるのではないかと思うのです。例
えば稲の生理といったら、これはユニバーサルの問題ですから、どこでも役に立つのです。で
すから、稲作理論の場面はどこの国にも役に立つが、そういう理論だけだと研修生のレベルが
限られてきます。実際のことをどう考えるか。稲作技術ということで考えていくと、単なる稲作理
論ではなくなるわけです。そうなりますと、例えば普及員とか、そういうことまで含めて考えること
になります。日本の稲作技術ではなくて、現地に役に立つ中身の技術にモデファイしていか
ないといけない。海外の経験者がもう随分増えているわけですから、インストラクターの陣容の
中にそういう人たちに十分加味していただくようにしていったらどうなのだろうか。国別になりま
すと、そこの国に行った人を選定できるわけですから、これからはなるべくそういう方向にいっ
ていただいた方がいいのではなかろうかと。率直な意見なのですが。まだ言い足りない感じも
65
するのですが、とりあえず以上です。
座長 ありがとうございました。この中には、研修コースの講師をしてらっしゃる方がたくさんおられ
るのではないかと思うのです。講師の方からの発言も少しいただきたいと思うのですが、いか
がでしょうか。
佐藤氏 灌漑分野の指導員の佐藤と申します。灌漑コースの見学に行ったり、講義をお願いしたり
しているのですが、技術というものはそのまま移転できるものかどうか。例えば日本の場合、水
管理にしても非常に精緻な水管理をしています。コンピュータを使ったり、本当に先進国の水
管理手法です。そういうことが研修員にとってどうなのかということがまずあります。今回の稲作
につきましても、午前中のお話にありましたが、日本の稲作はとてもユニークだと。特殊性があ
ると思います。そういった中で考えると、このセンターでまず1つやることは、適正技術というか、
このセンターの中で新たな技術がつくれないか、あるいはそういったアイディアが出ないか。そ
ういったものが1つ、このセンターでやれることではないかなと私は考えています。
前にニカラグアに行ってきたときに、かなり山間部に入って小規模農家を支援しておりました。
足踏みポンプとか、さまざまな機械を工夫をし、開発し、そういった形で小規模農家に対して
指導しました。我々技術協力が末端の受益農家に対してどういう協力ができるかということを
考えたときに、持続可能というか、低コストで、新たな技術、そういったものがこのセンターでは
求められているのではないかなと考えております。また、それがこのセンターの一つの特色に
なるのではないか。単に日本の技術を移転する、日本の技術を教えるだけではなくて、このセ
ンターの中で新たな技術が開発できないか。それは手法も含めて、例えば普及についても何
かアイディアが出せないか、そういうふうに考えております。
座長 ありがとうございました。丸山さん、何かありそうな気がしますが。
丸山氏 ここで研修講師をやっていまして、この4月に作物研究所から筑波大学に移りました丸山
と申します。私、この研修の中身をどうしたらいいかということについて積極的な発言はできな
いのですが、自分が講師をやっていた関係から、この場に出させていただきまして感じたこと
を一つ申しあげます。私自身、東南アジアとか、研修生が来るようなところに行ったことがありま
せんので、研修をやっている上で、本当に適切な講義とか、ごあいさつができなかったというこ
とを感じております。以前、研修員のフォローアップに行ったらどうかという話がありましたが、
作物研究所におりまして、なかなか時間がとれなくてお断りしたこともありました。実際問題とし
て、ああいうときに行っておれば、もう少しいい研修が講師としてできたのではないかということ
を今感じております。今日は歴史の話もありまして、私自身が非常に参考になりました。今、筑
波大学に移りまして、農業とか、そういったことを教育したり、自分でも課題としてやっていかな
ければいけないものですから、そういう意味で非常に役に立つと思います。感想になりました
が、何か役に立つようなものが含まれていればよかったかなと思います。
座長 ありがとうございます。CIAT とか、あるいはいろいろな CG の研究機関で、各国に出向いてい
って、普及員にトレーニングをするトレーナーが養成されていまして、各国の中でもやっている
わけですが、トレーナーズ・トレーニングが非常に最近は大事になってきているわけです。一
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般レベルの研修をするよりも、いいトレーナーをつくる方がずっと効率がいいということがありま
すので、そういう観点でご検討いただいたらいいかなと。今の丸山さんのお話とも絡んでくるわ
けです。要するに、リソースが非常にやせてきたという話とも絡んできますので、機会をとらえ
て、JICA で海外出張、調査などに出かけるときに、トレーニング・コースにかかわりのありそうな
人をなるべく加えるということを考えていただけばいいかなと思います。
予定の時間になりましたが、もう5分ぐらい延ばしてもいいかなと考えていますが、いかがです
か。どうぞ。
佐川氏 AICAF の佐川です。先ほどの北林課長の東南アジアにおける稲作協力の今後の展望に
ついては私も全く同じ考えを持っております。一部の国では供給がダブついているというお話
がありましたが、生産面から、つまり生産が増加したから供給がダブつくということだけではなく
して、これからはお米の消費が相当減ってくる国が出てくるのではないかと私は思います。特
に無償を卒業した国であるタイはもともと輸出国ですが、そのほか、インドネシア、ASEAN では
ありませんが、プラス3の方に入ります中国、こういった国が無償をもうそろそろ卒業する国で
す。フィリピンもいずれそうなると思います。こういった国々でも、今は97年の経済危機からま
だ立ち直ってませんが、いずれ経済が再軌道に乗れば、相当所得が高まってきて、食生活が
多様化するのではないか。現にタイ、インドネシアの大都会では相当食生活が多様化してき
ております。輸入も、乳製品、あるいは小麦粉製品、熱帯ではできない野菜、ニンジンとかタマ
ネギとか、そういったものが相当入ってきております。こういった国々がお米の消費をどんどん
減らしてくれば、昭和35年から40年代にかけての日本のように減ってくるのではないか。です
から、日本の稲作協力は東南アジアで減ってくるでしょうし、残ったにしても相当質が変わって
くるのではないか。ですから、今後の稲作協力の重点は、やはりアフリカに持っていくべきでは
ないか。今まで持っておりましたノウハウをアフリカに向けるべきではないかと私は思います。
その際、今日は研修ということですので、私が思うのは、アフリカを対象とした研修で日本でや
るというのは、ここはアジア・モンスーンですから、余り適しているとは思わないので、ぜひ第三
国研修を中心にすべきではないかと思います。長田さんからいただいた資料を見ますと、アフ
リカではまだ第三国研修の稲作の実績がないようです。エジプトはありましたが、あそこはアフ
リカではありませんので。英語圏を集めた第三国研修、フランス語圏を集めた第3国研修とい
う形でやるのが適しているのではないかと思います。
北林氏 今の佐川さんのご発言に関しまして、アフリカでは日本まで来るだけで、飛行機使うだけ
でえらい高いものにつきますし、気象条件も違いますので、おっしゃるとおりだと思うのです。
一つの動きとして、先ほど来話題に上っておりますタンザニアにありますキリマンジャロ農業研
修センターでは、今年から、稲作研修のノウハウを近隣の諸国にも伝えようということで、ケニ
ア、ウガンダ、マラウイ、ザンビアの稲作地域の人たちに対するタンザニアでの研修と、タンザ
ニア人と日本人が一緒になってそれらの地域に出向いていく巡回指導みたいなことを開始し
ております。こういう試みがうまくいきましたら、西アフリカでも、もし平和になれば、コートジボア
ールあたりでまた実施をしていく可能性があるのではないかと思います。
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あとは、今は現地での研修と日本での研修は必ずしも有機的に結びついておりませんが、そ
れをもうちょっとうまくリンクさせた形の、連携した、現地と日本、両方での研修のような形のもの
を行うことによって、より効果的な稲作の研修ができるのではないかと思います。
座長 ありがとうございました。大分時間が進んできておりますが、最後に一つという人はおられま
せんか。はい、どうぞ。
勝屋氏 本センターで研修指導者をやっている勝屋と申します。簡単に言いますと、私はアジアは
外すべきではないと思っています。理由は、研修員の話を聞いていますと、まだまだ現場では、
こういう研修が必要だという声が非常に高い。先ほど相手国の要望率云々というところがありま
したが、果たしてあれが本当にそこの国の実情を反映しているかどうか、私は非常に疑問に思
っているわけです。これは稲研究だけではなくて、野菜の方についてもそう思っているわけで
す。集団コースと国別特設というのは、お互いにいいところと悪いところを持っているわけです。
特に、応用力をつけるという項目が1つ、目的にあるのですが、どうして応用力をつけるのだと。
応用力というのは、今、現にあるものをよりよく改良する場合と、全く新しいものを取り入れてい
くという両方あると思うのです。そのときには、集団研修はいろいろな国から人が来ているので、
ここではこういうことをやっているのだということが実際にわかるわけです。ここの研修も、私、非
常勤なのですが、見ていますと、彼らのニーズに合ったテーマを与えて研修するようになりだ
していますので、そういう意味ではアジアの一部の国はもう外してもいいと思いますが、すべて
アジアを外すというのは私は賛成しません。
それから、先ほど伊藤先生が言ったような生態系を考えたやり方というのは、今まで我々は余
り考えてなかったことなので、これはぜひ検討するに値するのではないか。
もう一つ、来るレベルが、極端に言うと、高校生からマスターぐらいの知識を持っているのが一
つのクラスに入っているわけです。そのときに、どういう対応をするのか。指導する側は非常に
悩んでいる問題だと思うのです。その辺もぜひ、研修を続ける場合には考慮していただきたい
と思います。
座長 どうもありがとうございました。それでは、終わりを宣言させていただきたいと思います。長時
間ご協力どうもありがとうございました。
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2 研修員へのアンケートおよび集計
3 サマリー
JICA 筑波国際センターシンポジウム
「開発途上国における日本の稲作協力」
開発途上国における稲生産の社会経済的役割
田中耕司(京都大学東南アジア研究センター)
日本の稲作技術協力が開発途上国、とりわけ稲作を主要な農業としている東南アジア諸
国の稲生産の向上に大きな役割をはたしてきたことは言うまでもない。私自身、筑波国際
センターが行っている稲作研修プログラムに講師として参加したことが何度かあるが、近
年では、研修生の参加は東南アジア諸国にとどまらず、南・西アジアからアフリカ諸国、
中南米諸国など世界各地にわたっており、研修生の構成からも、日本の技術協力が地理的
に大きく広がりつつ、対象国の稲作技術改良に大きく貢献していることを実感している。
本シンポジウムにおいて私に与えられた課題は標題のとおりであるが、多様な自然条件
と社会経済的背景をもった多くの対象国において稲生産がどのような社会経済的役割をは
たしているかについて総括的な議論を展開することは困難なので、この発表では、今後の
稲作協力のあり方を考える議論の材料として、以下の課題について言及したい。
①稲の生産力・水田の生産力の向上に向けた技術体系自体の評価
②稲作をとりまく社会経済条件が大きく変化したなかで稲作技術協力はなおその正当性
が主張できるか
③ODA 実施の枠組みの変化に対応できているか
①については、日本のこれまでの技術協力が、「日本型稲作」とも呼べる緻密で集約的な
技術を中心に行われてきたことが指摘できる。そしてそのことが、多様な生態的・文化的
背景をもっている世界各地域の稲作改良に関わって、かなり一面的なアプローチをとる結
果を招いてはいないかという問題提起が可能なように思われる。また、技術協力に参加す
る研究者・技術者自身が、稲作自体が現地の農業活動の一つのコンポーネントにすぎない
ことの自覚と、その自覚のうえにたった水田全体の利用体系や農業体系への関心を欠いて
いたのではないかという問題が指摘できるように思う。
②については、途上国における稲作技術政策および食糧安全保障政策が変化しているこ
と、とりわけ、稲作そのものの生産向上よりも、より複合化した、そして商品化した作目
を組み込んだ農業生産政策へとシフトしていることに注意を向ける必要がある。また、国
内的には、ただでさえ逆風が吹いている日本の稲作政策のなかで、途上国への稲作技術協
力が国益にかなうのかという議論があることも考慮しておかねばならない。
③については、農業技術改良にせよ、農村開発にせよ、ODA による技術協力案件が援助
活動の国際的な標準を満たしているかどうかがより強く要請されるようになっていること
にも注意を向ける必要がある。貧困撲滅、参加型アプローチ、女性のエンパワーメントな
どがいわば「紋切り型」のように唱われているわけではあるが、こういう視点を欠いた技
術援助案件は、今後、ODA 案件として採択されていかないという傾向があるのも事実であ
る。農業技術者・研究者がこのようなより社会的・文化的な側面にどのように関わってい
けるのか、あるいはそのためにどのような制度的対応を作っていく必要があるのかが検討
される必要があろう。
以上のような課題を提示することは簡単であるが、その課題に対して十分に応えうるよ
うな具体策を練り上げていくことはそう簡単な作業ではない。従来から、稲作技術改良に
あたって社会科学や人文科学の分野との協力が必要だとは言われてはいるものの、十分な
連携には至っていない。また、稲作技術にかかわる農学諸分野内の連携も十分とは言えな
い状況である。こういう現状をみるとき、個人的には、稲作に関わる研究者や技術者が他
分野の研究者とともに、長期にわたって対象国に入り込めるような体制を作っていくこと
がもっとも重要だと考えている。その国情を熟知し、その理解にたって対象国の農業全般
に目配りしつつ専門分野を活かすような研究者・技術者が輩出してくることを期待してい
る。明確な対応策を提案することは私の力量の範囲を超えているが、これまで東南アジア
各国で行ってきた地域研究に関わる調査、そして現在、ラオスでの政策立案に関わって感
じていることなどを紹介しつつ、稲作技術協力、そして JICA 筑波国際センターの研修事業
の今後のあり方を検討する材料が提供できればと思う。
アジアにおける稲作協力
−フィリピンにおける稲作研究開発技術協力を事例にして−
高橋 均
元 JICA フィリピン専門家
1.稲作協力の背景
1)アセアン諸国共通の問題
米はアジアの人口 36 億人の主食であり、世界の米の 90%はアジアで生
産され、消費される。しかし、アジアは広く、中には工業化・近代化が進
んだ国も含まれるが、農業情勢はアセアンに絞ると各国に共通する点が多
い。例えば GDP に占める農業の役割は大きく、凡そ 50∼10%が農業生産
によってまかなわれる。その中でも米生産は重要な位置を占め、農業生産
額中の米生産額の割合は高い。また、全人口に占める農村人口の割合が高
く(75∼20%)、全産業労働者中の農業従事者割合も高い(75∼20%)。い
わゆる農業国としての特徴が浮び上がる。
これらの国での農業は規模が零細であり、機械化は著しく遅れ、農作物
の単収が低い。灌漑施設は不備(水稲栽培水田の灌漑水田割合 50∼15%)
であり、洪水と旱魃が繰り返されて生産は極めて不安定である。また、農
民組織化の停滞、金融制度の不備等の問題もある。農村地帯における貧困
家庭の割合が高いのも大問題である。
アセアン諸国はこのようにほぼ共通して開発途上国の様相を呈する。
2)フィリピンの稲作事情
フィリピンは開発途上の農業国として上記アセアン諸国の典型的な国の
一つである。アジアにおける稲作協力の一事例としてフィリピンにおける
稲作研究開発技術協力を述べるに当たり、フィリピンの稲作事情を概観す
ると、ヘクタール当たり籾収量の平均は未だ 3.1 トンと低く、米生産の増大
傾向は年率 1.2∼1.4%に止まる一方、人口増加率は 2.3%と高く、米の供給
は需要増加に追いつかない。天候に恵まれた豊作年は数年に 1 回おとずれ
て、人口 1 人当たり精米消費量を 100kg と計算した場合の需要量を満たす
かに見えるが、通常は不作なために、米の自給率は 91%に止まり、年々70
∼80 万トンもの米が輸入される。但し、農村地帯の 40%以上もの家庭は貧
困層にあって、食べたい米を十分に買うことができず、安価なトウモロコ
シを代用食にして空腹を補っているのが実態であり、経済条件が許せば真
の需要量はさらに大きくなるはずである。米の生産増加は急務である。
こため、フィリピン政府は、貧困の撲滅を目指しつつ、この 10 年来、穀
1
類生産増強計画、続いて農漁業近代化計画を最重点農業政策にして食糧増
産に取り組んでいるところである。
2.稲作協力の直接対象機関の概要
フィリピン稲研究所(Philippine Rice Research Institute:略称 PhilRice)は
1985 年の大統領令によって設立され、実際の活動は 1987 年に開始された。設
立前のフィリピン稲作技術の開発は専ら国際稲研究所(IRRI)に依存していた
関係で、当初は事務所をラグナ州ロスバニョスに IRRI に隣接しておいた。しか
し、陣容が乏しい上に、研究施設・器械も整っていなかった。そこで日本政府
の無償資金協力によって研究所の本場を、マニラから北へ約 150km 離れたルソ
図1
プロジェクトサイト位置図
2
ン島中央穀倉地帯の中心地ヌエバエシハ州におき、その後、JICA の技術協力に
よって研究所の充実に努めてきた。PhilRice は本場のほかに、バタク、サンマ
テオ、ロスバニョス、ノースコタバト及びアグサンの5ヶ所に支場を有する。
2000 年現在における PhilRice の研究陣容は研究職 200 名余、うち PhD21、
留学中9、MS63、ほかに客員研究員 16 名で、現在はかなり充実している。圃
場作業員 55 名、事務職 130 名のほか期間雇用・臨時雇用を含めた全体は 500
名を超え、このうち本場配置は約 350 名である。
3.無償資金協力
フィリピン政府からの要請を受けて、日本政府は 1990 年度に 22.6 億円の無
償資金協力を決め、PhilRice 本場の研究本館、宿泊棟、グリーンハウス、圃場
調査棟、試験圃場基幹排水路、研究器械等を建設・整備した。
写真1
無償資金協力による研究本館
4.技術協力プロジェクト
引き続いてプロジェクト方式技術協力の要請を受け、JICA を通して以下の技
3
術協力が実施された。
1)フィリピン稲研究所計画(別称 TCP1)
1992 年8月1日から 1997 年7月 31 日までの5年間にわたり、専門別の基
礎的研究手法の移転による人材育成・研究水準向上を視点にして、以下の協
力項目の下で技術協力が進められた。
(1)研究・研修計画
① 研究計画の策定
② 研修計画の策定
(2)品種改良
① 低平地気象生態適応型多収・良質・耐病虫性品種の育成
② 高標高・低肥沃土地帯向き多収・良質・耐冷性・難脱粒性品種の育成
(3)土壌肥料
① 地域農業生態系に適応した効率的施肥管理技術の開発
② 施肥水準別生育モデルの構築
(4)栽培、作物保護、農業機械、その他
① 栽培様式の改善
② 害虫総合防除技術の開発
③ 省力機械化技術の開発
④ その他:米品質評価、農業経営等
派遣専門家は、長期専門家としてチームリーダー、育種、土壌肥料および
業務調整の4名のほか、普及、栽培、害虫、農業機械、食品および農業経営
の分野は毎年4∼5名の短期専門家によって補われた。
2)高生産性稲作技術研究計画(TCP2)
本プロジェックトは TCP1 に引き続いて 1997 年8月1日から 2002 年7月
31 日までの5年間実施された。TCP1 の成果に基づき、多収・良質、直播栽
培、機械化に研究の重点をおき、これに対応した目的別研究手法の移転と技
術開発を視点にして進められた。協力項目は以下のようである。
(1)品種改良
① 低平地灌漑水田向け機械化適性の高品質・多収有望系統の育成
② 高標高地向け耐冷性の良品質・多収有望系統の育成
③ 有望系統の地域適応性評価
(2)農業機械
① 灌漑水田における直播栽培用耕うん・整地・播種機械の開発
② 収穫機(刈取機および小型コンバイン)の開発
(3)省力・多収栽培技術
① 直播栽培法の開発
4
② 多収・良品質米生産のための施肥技術の改善
③ 病害虫管理技術の改善
(4)米品質評価技術
① 米粒品質の評価技術の改善
(5)稲を基幹にした機械化営農体系
① 稲作を基幹にした機械化営農モデルの開発
② 稲作経営改善のための情報システムの開発
派遣専門家は、長期専門家としてチームリーダー、育種、農業機械、栽培
および業務調整の5名、短期専門家には農業機械、土壌肥料、雑草、害虫、
病害、食品、農業経営および情報技術の分野に毎年3∼4名が派遣された。
5.遵守した技術協力のスタンス
1) プロジェクトの「技術移転」は稲作技術の移転ではなく、
「研究手法の
移転」であり、これによって人材育成・研究水準の向上を図る。
2) 研究手法は日本的手法の直接移転ではなく、フィリピン稲作の技術開
発に適して定着すると考えられる手法を採用する。
「日本では云々」は
タブーとする。
3) 研究手法の適用に当たって研究対象とする技術開発は、フィリピンの社
会・経済的条件並びに自然的条件を最重視し、受容可能な技術とする。
農業機械を例にすると、先進国の高性能機械を目標とするのではなく、
国内産の材料を用いたシンプルな構造を念頭におき、安価でかつ自前の
修理が可能なものとする。重労働からの解放を主旨とし、労働力市場の
社会的混乱の因とならない範囲に止める。
4) PhilRice Family の一員になって好ましい人間関係を構築して内側の
同朋になるとともに、適切な研究指導を通じて信頼関係を築く。好ま
しい人間関係と相互の信頼関係は技術協力成功の基礎になる。
6.技術協力の成果
1)インプットによる研究水準の向上
(1)研究手法の移転:プロジェクトの協力項目に沿って、技術開発に必
要かつ好適な試験設計法、調査・測定法、検定法、診断法、化学分析
法、データ解析法、品質評価法、技術の事前評価法、情報化技術等の
手法を専門分野別に確実に指導・移転し、フィリピンにおける稲作研
究の水準を高めた。
(2)研究手法移転に必要な研究施設・器械等の導入:研究手法は施設・
器械を伴うのが一般である。稲作機械化研究棟、農業機械工作用機械、
5
稲の耐冷性検定施設、その他多数の分析用器械、測定機器、検定用機
器等を導入して PhilRice の研究水準向上に貢献した。
2)アウトプットによるフィリピン稲作への貢献と国内外の評価上昇
(1)研究成果としての開発技術:有望系統 27 を育成し、うち1系統が新
品種に登録された(写真2)。
写真2
新品種 NSIC
Rc104(Balili):系統名 PJ2
農業機械では回転式刈倒し型稲刈取機(写真3)およびハンドトラ
クター牽引型ドラム式稲直播機(写真4)を新たに開発し、メーカー
(町工場)にノウハウを渡して市販体制に入った。
写真3
開発した稲刈取機
PhilRice-JICA
6
Rotary Reaper
写真4
開発した水稲直播機
Mechanical Paddy
Seeder(Dram
Seeder)
これらのほか、水稲直播栽培技術マニュアルが策定され、普及に移
された。また、米の品質評価法や炊飯米の官能検査法が有望系統の特
性検定に活用されて好評を得、GIS による作物生産地図の作成、IT に
よる技術研究情報のインターネット化など、多くの成果を挙げた。
(2)政府予算配分への反映:JICA の技術協力による PhilRice の研究内
容の充実と開発技術等の研究成果が認められて国内外からの評価が高
まり、それをさらにフィリピン政府が支援する意味で、2KR カウンタ
ーパートファンドによる農民研修・情報センターと宿泊棟の建設、政
府予算による育種実験棟・作物調査棟・種子貯蔵庫等の建設が実現した。
さらに PhilRice の研究活動費も連年増額した。
3)研修生受入れによる人材育成
(1)カウンターパート研修:JICA プロジェクトのカウンターパートのう
ち、TCP1で 24 名、TCP2で 21 名、合計 45 名が日本国内の研修に
受入れられた。これらのうち 19 名が JICA の集団研修または視察研修
等に参加、ほかの 26 名は国公立の試験研究機関における専門的な個別
研修に受入れられた。
研修の内訳を見ると、JICA の 19 名のうち 12 名はつくばの TIATC
または TBIC で、管理者個別視察研修3名、農業機械集団研修5名、
稲作研究集団研修1名、研究機関個別訪問研修3名であった。なお、
農業機械研修は、日本の研究機関における研修では研究内容のレベル
の違いが大きくて帰国後に直ちには役立たないと判断され、JICA の基
礎的一般的な集団研修が好適していると考えられた。また、稲作研究
7
の集団研修は PhilRice のカウンターパートにとってはレベルが低いた
めに効果的でないと判断され、最初の1名で中止し、本研修コースに
は後述の集団研修国別割当一般枠に研究助手クラスを当てて成果を挙
げた。
JICA の他の国際センターでの集団研修参加は、沖縄に情報関係3名、
東京に普及関係2名、大阪に作物保護1名、北海道帯広には土壌肥料
1名であった。
研究機関における個別研修は研修目的を特定した専門的研修とし、
農業研究センターでは稲育種・水田土壌肥料・農業経営・稲栽培生理・
植物病理・研究情報等の分野で 13 名、農業生物資源研究所ではバイテ
クおよびジーンバンクの分野で3名、農業環境技術研究所では稲生育
モデリングに1名、東北農業試験場では稲育種および病害防除に3名、
九州農業試験場では虫害防除に2名、食品総合研究所では米品質評価
および貯蔵害虫の分野で3名、新潟県食品研究所には米の食品加工で
1名、それぞれ研修を受けて成果を挙げた。
(2)JICA 国別割当一般枠応募受入れによる集団研修:8名が受入れられ、
うち2名は前述の稲作研究コースで TIATC または TBIC、ほかはポス
トハーベスト、食品科学、農業機械自動化、情報ネットワーク、オー
デオビデオ、遺伝子工学等のコースで、東京、北海道、沖縄、東北等
の国際センターで研修を受けた。
(3)JICA 長期研修:情報科学の分野で1名が受入れられ、東京大学修士
課程に入学して目下研修中である。
このように多くのスタッフが研修に受入れられて、PhilRice の人材育成・
研究水準向上に貢献している。
4)留学生周旋・援助による人材育成
(1)文部省留学生(博士課程)
:合計8名が留学し、そのうち5名が JICA
推薦枠を通して合格し、神戸大学(遺伝育種学)、岡山大学(応用昆虫
学)、山形大学(育種学)、京都大学(食品科学)および九州大学(農
業気象学)に留学した。また、2名は大学(教授)推薦枠で合格し、
山形大学(栽培学)および宮崎大学(農業機械学)に留学した。1名
は大使館推薦枠を受験して合格し、岐阜大学に留学した。
(2)学術振興会論文博士制度による留学:これは既に研究業績を有する
者が大学教授の指導によって追加実験を行ないながら博士論文を纏め
上げる制度で、2名が書類審査をパスして筑波大学および弘前大学に
留学した。いずれも農業機械学である。
以上のように合計 10 名が留学して、京都大学および九州大学の2名が現
8
在も修学中であるが、ほかの8名は技術協力実施期間中に論文審査をパス、
農学博士の学位を持って帰国した。諸外国では PhD 保持者の数は研究所の
研究水準の高さを表わす一つのメルクマールであり、また、帰国した彼ら
は実際に PhilRice の各専門分野において中心的な役割を果たしており、正
に人材育成の成果の表われと思考される。
7.むすび
以上のように、無償資金協力による研究施設を基盤にして、2期 10 年間
のプロジェクト技術協力が実施された。10 年間に、各種の技術移転を行う
とともに、多分野の研修生並びに留学生を受入れて、多くの人材が育成さ
れた。そして、施設・器械の導入を伴って PhilRice の研究水準は向上した。
その上、いくつかの技術開発に成功し、新品種登録、開発した農業機械の
市販化や技術マニュアルの普及にまで漕ぎ着けた。これらの成果は数多い
直接関係者とそれを支援して下さった JICA、農水省、大学や試験研究機関、
並びに AICAF 等の多くの関係者のご協力があっての成果である。また、フ
ィリピン・サイドの真摯な努力と寛大なホスピタリテイがなければ、これ
ほどの成果は無かったものと思われる。この稲作協力に直接関係した者の
一人として、多くの協力者に心底から感謝の意を捧げたい。
9
アフリカにおける稲作協力
西アフリカ地域の稲作事情と我が国の技術・研究協力
独立行政法人国際農林水産業研究センター
坂上潤一
1 アフリカの農業と稲作の概観
1−1 アフリカ地域の作物生産の状況
アフリカ地域における 2001 年の作物生産の栽培状況を比較した(図1)。アフリカ諸国において最も
多くの国で栽培されている作物はトウモロコシで、アフリカ全体の 92%の国で栽培されている。次に落
花生が多く 87%の国で栽培されている。また、ソルガム、コメ、キャッサバ、サトウキビは全体の 75%
の国で栽培されている。一方、半乾燥地域で主要なミレットは 67%、ヤムイモ、タロイモ等のイモ類は、
それぞれ 43%、36%の国でしか栽培されていない。
100
90
80
割合(%)
70
60
50
40
30
20
10
ゲ
サ
生
花
サ
豆
落
大
イモ
トウ
キ
ビ
タロ
サ
バ
ム
イモ
ヤ
米
ャッ
サ
キ
ット
ミレ
ガ
ム
麦
小
ソル
トウ
モ
ロ
コシ
0
作物名
図1 アフリカにおける作物別の生産国割合(2001年)
1−2 アフリカにおける稲作の歴史
アフリカの稲作歴史は、紀元前 1500 年頃にニジェール河内陸デルタ地域を起源とするアフリカ稲
(Oryza glaberrima Steud.)の栽培化により始まる。その後紀元前 1000 年頃には、現在のセネガル、
チャド、ギニアに伝播されている。一方、アジア起源のアジア稲(O. sativa L.)は紀元後にインドか
ら東部アフリカに導入されている。その後 6∼7 世紀にはエジプトから北アフリカへ、15 世紀には西ア
フリカへ伝播されている。現在、アフリカ稲は西アフリカを中心に一部の湿地や深水地で栽培されてい
る。アジア稲はアフリカ全地域で栽培され、灌漑水田においては全てがアジア稲である。このように、
アジア稲の普及にともないアフリカ稲の栽培面積は急激に減少しており、アフリカ地域における不良環
境耐性のある貴重な遺伝資源の消失は重要な問題である。
-1-
現在のアフリカにおける約 90 万 ha の稲作面積のうち、56%が西アフリカ地域で占められている(図
2)。次に東アフリカ(25%)、中央アフリカ(9%)の順に多い。したがって、アフリカの稲作は西アフ
リカ地域の稲作を指し示す場合が多い。西アフリカで稲作が発展している理由は、この地域が稲作の発
祥であり稲作の歴史が長いこと、河川の取水を利用した灌漑施設が 1970 年頃から積極的に導入された
中央
南部
北
西
東
図2 アフリカの地域別稲作面積の割合(1998)
ことで灌漑水田が発展したためと思われる。さらに、農家の嗜好の変化も影響している。
1−3 西アフリカ稲作の概観
西アフリカ稲作の概観を、国別に栽培面積、生産量、及び栽培生態系を比較した(表 1)。西アフリカ
地域全体の栽培面積は、約 47 万 ha、生産量は 73 万 t である。栽培面積、生産量が最大の国はナイジェ
リアで、その生産量は西アフリカ全体の 4 割近くを占めている。また、生産量上位のナイジェリア、コ
ートジボアール、マリ、ギニアの 4 カ国で西アフリカ全体の約 8 割のコメ生産量を上げている。
西 ア フ リ カ 諸 国 の コ メ生 産 と 稲 作 生 態 系
国名
ベナン
ブル キナファソ
カ メル ー ン
チャド
コ ー トジ ボ ア ー ル
ガンビア
ガーナ
ギニア
ギニアビサウ
リベリア
マリ
モーリタニア
ニ ジ ェー ル
ナ イ ジ ェリ ア
セネガル
シエラレオーネ
トー ゴ
平均
1)2001年 実 績
栽 培 面 積 1) 生 産 量
(1000ha)
(1000t ) 灌 漑 水 田
27
55
10
58
109
19
20
70
86
87
112
5
510
1212
7
16
19
6
136
275
10
580
870
0
55
100
9
144
183
466
933
32
18
67
100
27
76
57
2207
2752
11
89
244
45
183
199
0
32
64
16
4655
7340
-2-
生 態 系 (% )
天水田
深水田
81
0
64
10
10
0
84
0
19
0
15
67
81
0
30
12
29
48
25
0
27
45
43
22
20
40
0
16
12
7
9
0
畑
9
7
4
11
74
12
9
58
10
4
0
0
32
5
67
64
西アフリカ稲作の生態系はアジアの場合と同様に多様である。一般的に西アフリカの稲作は畑地での
陸稲栽培が中心に考えられているが、国別に見ると畑地栽培は 17 カ国のうちの 4 カ国のみで、その他の
多くは水系を中心とした水田栽培である。その中でも最も多いのは天水田である。したがって、西アフ
リカにおける稲作技術開発においては、個々の国の主要生態系に応じた戦略が必要である。
最近では多くのアフリカ諸国で稲の栽培面積は増加しているが、稲の高生産性、コメの高エネルギー、
良食味などの形質は農家による稲栽培拡大の動機となる要素になっている。また、最近の食文化の多様
化や都市化現象を考えても、コメの需要は将来においても高いことが推測される。この意味で、アフリ
カ農業における稲作は益々重要になってくると考えられる。しかしながら、依然としてコメの自給率は
現在西アフリカ諸国平均で 40%代を推移しており、生産性向上のため技術開発が急務である(表 2)。
西 アフリカ諸 国 の コメの 自 給 率 の 推 移
国名
ベナン
ブルキナファソ
チャド
コー トジ ボ ア ー ル
ガンビア
ガーナ
ギニア
ギニアビサウ
リベリア
マリ
モーリタニア
ニジェール
ナ イジェリア
シエラレオーネ
セネガル
トー ゴ
平均
数値は%
2
1960-64
1 2 .4
8 3 .1
1970-74
2 6 .7
7 4 .3
1980-84
2 2 .9
3 4 .2
7 0 .1
8 4 .8
2 8 .8
8 3 .1
9 4 .6
6 3 .5
100
4 .2
6 3 .7
9 8 .7
9 2 .6
2 7 .8
7 0 .8
6 5 .2
7 1 .3
8 7 .1
4 8 .3
8 2 .9
4 7 .4
7 1 .1
6 9 .7
5 .3
5 2 .8
9 8 .8
9 1 .4
2 3 .3
70
6 1 .4
42
23
4 1 .2
7 4 .4
6 0 .1
64
4 5 .2
10
2 6 .7
5 1 .4
7 7 .4
1 5 .5
2 8 .4
4 1 .1
1989-96
1 7 .7
3 9 .3
75
6 2 .8
18
1 5 .1
5 6 .7
55
3 8 .5
4 8 .9
5 4 .1
4 9 .6
8 3 .8
55
2 0 .3
56
4 6 .6
わが国の対アフリカ農業開発と援助の概要
2−1 アフリカの農業開発援助の変遷
わが国の対アフリカ技術協力は、1970 年代の JICA によるタンザニア(キリマンジャロ)における技
術協力が契機となっている。その後、ガーナ、ケニア、コートジボアールなどでプロジェクト方式技術
協力が実施されている。機材等の援助いわゆる 2KR(第二ケネディラウンド)の 2000 年の実績は、18
カ国に 68 億 3 千万円を供与している。一方、研究協力は国際農林水産業研究センター(JIRCAS)を中心
に、コートジボアール、ブルキナファソ、マリ、ニジェールなどで共同研究が進められてきた。大学で
は日本大学、京都大学、島根大学、東京大学、東京農業大学などが中心的に研究を実施している。NGO
では、SG2000、サヘルの会などが、多方面の協力を実施している。
2−2 アフリカの稲作分野の協力・援助
我が国におけるアフリカ地域の開発問題に関する取り組みは、1993 年に開催された TICADI の開催に
よって加速していると考えて良い。また、TICADI は実際には世界の目をアフリカに向ける良い機会であ
った。5 年後の 1998 年の TICADII では、包括的な行動目標である「東京行動計画」を採択した。その内
-3-
容は、アフリカ諸国の自主性と開発パートナーとのパートナーシップの 2 点を基本原則として、社会・
経済開発問題を優先的に取り組んで行くことを表明したものである。経済開発分野においては以下の項
目について推し進められる事となった。アフリカ投資情報センターの設立、「アジア・アフリカ・ビジ
ネス・フォーラム」の開催、西暦 2000 年を中小企業年とする、アフリカにおける稲作振興のための援助、
南部アフリカ地域における観光開発、債務管理に関する人造り事業、及び債務救済のための無償資金援
助である。この中で農業分野は稲作の振興が中心的である。その内容は、1)コートジボアールにおいて、
適切な技術の試験及びデモンストレーション等の技術移転を行い、将来的には近隣国にも技術移転を図
る、2)西アフリカ稲開発協会(WARDA)で研究されているアジア稲とアフリカ稲との交雑による新品種(陸
稲)開発を支援し、西アフリカ地域のコメの増産を図る、3)東南部アフリカの一部に専門家を派遣して、
アジア型稲作の普及を図ることである。
以上のように、わが国は、アフリカ地域に対して稲作を中心とした協力を技移転および研究開発のそ
れぞれの分野で本格的に実施することになる。
2−3 JICA によるコートジボアールにおける稲作技術協力
2−3−1 灌漑稲作機械訓練計画(CFMAG)
1992 年から 1997 年の 5 年間、グランラウで行われた農業機械化を目的としたプロジェクト方式技術
協力である。このプロジェクトは、農業機械化訓練センターにおいて、農村開発支援公社の普及員など
技術者に対する農業機械の操作、保守管理・修理および灌漑稲作に関する研修訓練を実施し、象牙海岸
の機械化灌漑稲作を促進し米増産を図ることを目的としている。また、その内容は、1)技術力向上訓練
の実施、2)教材およびマニュアルの作成、3)現場での技術指導能力の向上、4)2KR 援助により導入され
た農業機械の効率的利用、5)農民の灌漑稲作技術力の向上、6)農家圃場での訓練活動(on-farm training)
の有効性実証、及び 7)灌漑稲作栽培における技術開発である。
本プロジェクトの方針は現地の普及機関に引き継がれ、現在も稲作振興に関する普及活動が実施され
ているが、対象国の稲作機械化が進んでいるかどうかは不明である。
2−3−2 灌漑稲作営農改善計画(PASEA)
2000 年から 2002 年を第一フェーズ、2002 年から 2007 年を第二フェーズとして、ヤムスクロを拠点と
して灌漑稲作振興を目的に計画されたプロジェクト方式技術協力である。プロジェクトの目的は灌漑稲
作振興センターにおける研修を通じた灌漑稲作営農改善手法の適応と普及員の能力開発によって、灌漑
稲作を中心とした営農を改善する技術が波及されることである。その協力の内容は、1) 水稲耕種基準の
改善
、2) 農民組織による営農計画の作成と実施の支援、3) 研修の計画・実施・評価、及び 4) 普
及員の活動計画の作成支援である。
現在は、2002 年 9 月に勃発した内戦によりプロジェクトは中断している状態で、日本人専門家の派遣
も見合わせている。第二フェーズにあわせて建設した研修センターは現地の普及機関により活用される
予定である。
2−4 JIRCAS による稲作研究協力
農林水産省の独立行政法人である国際農林水産業研究センターは、1998 年より 5 年間 CGIAR の国際機
関であるコートジボアールのブアケに本部を置く西アフリカ稲開発協会(WARDA/ADRAO)と、西アフリカ
コメ生産向上のための共同研究プロジェクトを実施した。本プロジェクトは自然科学と社会科学の研究
-4-
から構成されている。前者の課題はアジア稲とアフリカ稲の種間雑種における環境適応性の遺伝学的及
び生理生態学的研究、後者の課題は、西アフリカの天水低湿地における稲作技術普及上の社会経済的問
題の解明である。
自然科学分野では、アフリカ地域稲作の制限要因となっている、耐乾性、酸性土壌耐性などの形質を
取り上げ、幅広い稲遺伝資源から有用な遺伝資源を特定する事を目的としている。筆者は、2002 年の 8
∼9 月に、WARDA において土壌水ストレス条件下における根系の動態に関する実験を行った。深根性の比
較から、数品種のアジア稲について、根が地下部に深く伸長することがわかった。種間雑種系統の NERICA
(New Rice for Africa)は、一部を除き極めて根の伸長が抑えられていた。社会科学分野においては、
湿地稲作の拡大を阻害している要因を明らかにするため、現在収集したデータの分析に当たっている。
近くその結果が発表される予定である。本プロジェクトは 2002 年度末で終了しているが、個別に研究が
継続している。
3
アフリカにおけるわが国の稲作分野協力の方向性
3−1 アフリカにおける稲作の動向
3−1−1 WARDA における種間雑種の育成と地域への普及拡大
前述のアジア稲とアフリカ稲の種間雑種後代、いわゆる NERICA は、現在西・中央アフリカ地域を中心
に、最も注目されている品種である。この種間雑種育成プログラムは、1991 年から開始されて、現在で
はコートジボアール、ギニアを中心に何品種かは普及されている。その第一の育種目標は雑草防除の軽
減であった。育成された NERICA は生育初期の葉面展開速度が速いとされ、雑草競合性に優れているとさ
れている。その意味からは、この種間雑種開発は成功したと考えも良いだろう。1997 年から 1998 年に
かけて NERICA の 1 から 7 までの 7 品種をまず種子増産を目標に現地圃場に導入している。NERICA の普
及に当たっては、コートジボアールで栽培されている NERICA1 は BONFANI、NERICA2 は KEAH という品種
名がつけられている。また、ギニアの農家では NERICA とは一般的に呼ばれる事はなく、系統番号(交雑
の際につけられる番号あるいは記号)で示されている。
2002 年のアフリカにおける NERICA 普及面積は 2.4
万 ha。WARDA の目標は 2006 年で 21 万 ha の栽培面積を目指している。この 21 万 ha というのは西アフリ
カの稲作面積の 5%に相当する。これを陸稲に限定すると畑の 14%が NERICA 圃場になる計算である。
3−1−2 農民参加型品種選択プログラム(PVS)の振興
WARDA が中心となって、進めている農民参加型の品種選択プログラムである。これは、国の研究機関
等が展示圃場で十数品種の適正品種を栽培し、生育期間の最高分げつ期、収穫期、及び収穫後に農家を
圃場に集め、それぞれの品種の特徴から農家の好む品種を数品種選択させることを目的としている。選
択した品種は、実際の農家の圃場で栽培され、その品種の適合性を確認する。最終的に選択品種を栽培
するかどうかの判断は、農家の意思によるものである。現在、PVS は国や研究・普及機関で独自に行わ
れている場合も多く、アフリカにおける稲作技術普及の主流となりつつある。
3−1−3 ネットワークの構築
近年、西アフリカを中心とした稲作や稲研究のネットワークが相次いで構築されている。その主なも
のは ARI(African Rice Initiative)
、及び ROCARIZ(Reséau Ouest et Centre African du riz)であ
る。これらネットワークの目的は、NERICA の普及拡大、低湿地稲作の振興、研究・技術開発に関する情
報交換、諸国間あるいは先進国ドナーとの協力関係の強化などである。特にコートジボアール、ギニア
などの稲作が発展している国々は重要で、これらの国々が中心となって様々な取り組みがなされている。
-5-
3−2 対アフリカ稲作技術研究協力の方向性
NERICA に関する研究・普及に係わる協力は、現在までにわが国が中心となって支援してきた事は前述
の通りである。このことからも、今後も農家への適正技術の普及を含めた研究・技術開発を積極的に推
し進める事が重要である。一方、農家への研修なども重点的に実施する必要がある。また、セネガルに
ある WARDA のサヘル支所で開発された水稲用の種間雑種は、低地における導入の可能性が高い事から、
これら内陸低湿地・河川氾濫地の開発においては、持続的農業開発も含めた、わが国の水田稲作の経験
を技術移転できるであろう。さらに、稲を基本とした他作物との混作システムの開発も食糧安全保障の
観点からも重要である。また、人材の育成と研修生(JICA、独法機関など)の有効的活用は効果的で、
今後の協力体制の強化に向けて極めて重要である。
わが国の協力体制においては、マルチ的な枠組みを構築する事が重要であると思われる。そこには、
研究から普及までのプロセスを重視した開発プログラムと、援助組織間の連携及び協力が必要である。
例えば JICA、JIRCAS などが開発プロジェクトを計画し、現地において連携する事は特に稲作分野に
おいては十分な効果が得られるであろう。今後のわが国の対アフリカ稲作技術協力においては、安定的
生産力の維持を目的とした、技術パッケージの開発と普及、現地の人材育成の両面から推進する事が重
要である。
-6-
農林水産省における稲作協力
長田明夫
はじめに
表題は「農林水産省における」となっているが、農林水産省と国際協力事業
団およびその前身が一体となって行った事業であることはいうまでもない。ま
た、技術協力の初期から中期にかけては稲作分野の協力が大きなウエイトを占
めていたので、稲作協力の歴史はそのまま技術協力の歴史に重なる部分が大き
い。
つぎに、わが国の技術協力の中には個別の専門家派遣、開発調査、無償資金
協力、機材の供与などもある。これらの事業に当然稲作分野も含まれているわ
けである。しかし、それらの協力事業は極めて多岐にわたり、残された記録も
十分でなく、稲作分野でどのようなことが行われたかを正確に知ることははな
はだ困難である。これに対しプロジェクト方式技術協力は、発足の当初から事
業団年報に要点が記載されており、またプロジェクトの専門家による報告も多
いので、比較的容易にそれらの内容を知ることができる。そこで表題の内容は、
プロジェクト方式協力を中心とするものであることを断っておく。
1.技術協力の始まり
わが国の技術協力は 1954 年 10 月、コロンボ計画への加盟とともに始まった
とされている。実質的にはそういってよいであろうが、このような国際協力が
コロンボ計画への加盟とともに全く新たに始まったわけではない。その前にす
でに、FAO などの国際機関を通じての専門家の派遣や、東南アジア諸国の日本
に対する協力の要請などの動きがあった。
1954 年度からわが国は研修員受入事業を始め同年 5 月、埼玉県鴻巣町にあっ
た当時の関東東山農業試験場(後に農事試、そして現在の農研センター)に3
人のセイロン(現スリランカ)人農業技術者が来場し、約6カ月間稲作の研修
を受けた。同場に併設されていた当時の農業技術研究所鴻巣分室の駆け出しの
研究員であった筆者も、自分の担当する仕事を説明するなどと、多くの研究員
が彼らのお相手を勤めたものである。当時、他の場所でこのような研修があっ
たことは全く知られていないので、これがわが国における稲作研修、さらには
稲作協力の始まりとみてよいであろう。そしてそれはコロンボ計画加盟以前に
始まっていたのである。翌年からは同計画によって研修が行われた。
1954 会計年度中の 1955 年1~3 月には、森永俊太郎農研所長と三井進午東大
1
教授が、セイロン政府の要請に基づき同国に派遣され、稲研究所設立に関する
レコメンデーションを提出した。いくつかの記録から、この両氏がコロンボ計
画に基づく最初の派遣専門家と認められる。両氏はそれぞれ育種学および土壌
肥料学の分野で後に学士院賞を受賞、さらにともに同院会員となられた泰斗で
ある。技術協力の開始に当たってのわが国政府の姿勢がうかがわれる。
こうしてわが国は、専門家の派遣と研修員の受入れを柱として、先進諸国と
並んで技術協力という国際的な事業に参加していった。
2.専門家派遣による協力
(1)個別専門家派遣協力
日本が技術協力を開始する前後に、わが国の協力に強い関心を示した国はセ
イロン、インド、パキスタンなどであった。
セイロンへは前記2専門家に続いて 1971 年までに延べ 24 人の専門家が派遣
され、稲作諸分野の研究を指導した。
パキスタンに対しては、主として当時の東パキスタン(現在のバングラデシ
ュ)に、4 人の技術者を 1 つのチームとして 2 年の長期にわたって派遣するとい
う本格的な協力が 1956 年から始まった。専門家チームは国内各地に駐在し、主
として日本式稲作の指導に努めた。本協力は 1970 年まで続き、延べ 32 人が派
遣された。
そのほか、コロンボ計画加盟後間もなくタイ、ベトナム、カンボジアなどに
各 1 人の専門家が派遣されている。
1958 年にはマラヤ(現マレーシア)政府の要請により現地調査団が派遣され、
それに基づいて 1958 年から 1967 年までの 9 年間、セイロンと同様に稲作諸分
野の研究に協力した。派遣専門家数は延べ 17 人である。この協力の中で同国の
2期作用品種として Malinja,
Mahsuri および Bahagia という優れた品種が育
成された。これは日本の農業技術協力の中で特筆すべき成果であった。
1960 年から翌年にかけては、4 人の専門家から成る稲作調査団がインドネシ
アに派遣され、稲作改善に関する勧告書を同国政府へ提出した。1965 年から
1969 年の間、ラオスに合計 6 人の専門家が派遣され、日ラオ農牧実習センター
協力が行われた。タイに対しては 1968 年から 1972 年の間 3 人の専門家が米穀
局に派遣され、イネの生産性向上を目的とした研究に協力した。
以上のような専門家の協力活動は、専門家報告書や学会誌・雑誌などを通じ
て比較的容易に知ることができる。これに対しこの時代以降、技術協力の急速
な拡大とともに個別派遣専門家の数も著しく多くなり、その中で稲作専門家の
2
派遣先国や活動状況などの全体像を明らかにすることは、残念ながらほとんど
不可能になってしまった。
ミニプロジェクト
協力事業としては「個別派遣専門家」の中に含まれているが、後述するプロ
ジェクト方式技術協力と個別専門家による協力の中間的な協力形態として、
1989 年度から開始された。個別専門家をチームで派遣して協力を行う。現在、
稲作ではタンザニア・バガモヨ潅漑農業普及計画および中国の水稲機械化と肉
用牛生産振興の 2 つの事業がある。
(2)センター方式技術協力
技術協力草創期の小規模で散発的な個別派遣による協力ではその成果にも限
界があり、国際協力としてはあまりにも貧弱なものであった。一方 1950 年代後
半は、わが国の経済もようやく発展の緒についた時であった。こうして早くも
1959 年、大規模かつ計画的な技術協力として、すべての技術分野を通じて海外
技術協力センター事業が発足した。
試験や訓練のため相手国が設置したセンターに数人の専門家をチームとして
派遣し、カウンタパートである現地人技術者を訓練しながら、センターで確立
した技術を展示し、周辺地域に普及させようとするものである。本事業のもと
で行われた稲作協力には、東パキスタン・農業訓練センターおよび農業機械化
訓練センター、インド国内8カ所に設置された農業技術センター(模範農場)
などの事業がある。
インドでは 1950 年代前半から、収量の高い日本式稲作が注目され、全国的に
日本式稲作の導入が図られていた。このような背景のもとに、インド政府は多
数の展示農場の設置を要請、農業技術センターの設置に至ったのである。
(3)プロジェクト方式技術協力
センター方式協力において、単にセンター内で普及員を訓練したり、新技術
を展示しても、新しい技術を受容する条件が整っていない農民への普及は困難
である。種々のインフラや組織・制度的要因の改善や整備を含めて、総合的に
援助する必要があることが強調されるようになった。そこで農林省が中心とな
って農業分野における技術協力が検討された結果、新たな協力方式として「プ
ロジェクト方式」による協力の構想が固められ、1967 年に本方式が発足した。
この構想では、当面対象地域はアジアとし、将来拡大する。稲作を主対象と
し、国別に1,2カ所実施する。事業内容としては、潅漑排水などの基盤整備、
3
稲作技術の改善、技術者の訓練、普及指導組織の整備、信用流通体制の整備、
などが取り上げられている。そして、拠点センター(パイロットファーム)を
核としてある範囲の地域(1000∼3000ha)を協力の対象としている。
これに基づいて最初に実施されたのがインドネシア・西部ジャワ食糧増産、
フィリピン・稲作開発、ラオス・タゴン地区農業開発の諸計画である。また、
インドの農業技術センター協力に引き続いて実施された農業普及センター協力
はプロジェクト方式協力に含まれている。
その後、技術協力方式はさらに多岐にわたるようになり、農業以外のセンタ
ー方式協力などを含めて、チーム派遣による協力事業はすべてプロジェクト方
式協力と呼ばれるようになった。
ところが平成 14 年度から、プロジェクト方式協力は専門家派遣、研修員受け
入れ、機材の供与などと一括して技術協力プロジェクトとして取り扱われるこ
とになった。
(4)プロジェクト方式技術協力の類型
現在までに実施された稲作分野のプロジェクト方式技術協力は付表に示す通
りである。これらの事業には稲作のみを対象としたもののほか、稲作もかなり
含まれているもの、また稲作と密接な関係があると考えられる潅漑プロジェク
トなどがある。それらはおおよそ次の 6 つのタイプに分けることができる。
①
パイロットファーム型
②
普及訓練センター型
③
地域開発型
④
研究教育型
⑤
潅漑開発型
⑥
植物遺伝資源保存型
技術協力の初期には、途上国の農業開発戦略はどちらかといえば大規模潅漑
や機械化農業を志向していた。プロジェクト方式協力の発足とともに実施され
た上記 3 件の協力やインド・ダンダカラニア農業開発計画、インドネシア・タ
ジュム地区農業開発協力などがその例である。しかしながらその後、BHN
(Basic Human Needs) に代表されるような小農の視点、貧困の除去、あるいは
環境問題に関連して登場してきた持続性の概念の重視とともに、次第に協力事
業の内容も変わっていった。
ただし、技術協力の原点といえる人造り協力は、協力の当初から現在に至る
まで続けられ、過去の協力の経験の蓄積により、次第に効率的な協力へと努力
されている。
一方、過去に行ってきた実用的分野を主とする協力の過程で、現地における
熱帯農業の基礎的研究の必要性が認識されるようになった。また、熱帯農業の
4
研究分野に対する途上国側からの協力の要請が次第に増加する傾向にあった。
このような背景のもとに農林省では 1968 年ごろから、わが国の農業協力の強化
のためには農業研究協力が必要であることが指摘されるようになった。その結
果、1970 年にインドネシアで農業研究協力(第 1 次)が開始され、これを端緒と
して、研究協力は重要な協力様式の 1 つとなったのである。
以下に上記の類型①から⑥の順にそれぞれの協力事業の実例を述べる。
① フィリピン・稲作開発計画(1969~1976 年)
ミンドロ島ナウハン地区とレイテ島サンミゲルーアランアラン地区にパイロ
ット農場を建設し、これを拠点に米の増産に協力することになった。ナウハン
地区では、荒れ地に 1 区画1ha という大規模な水田を 97ha 造成した。アラン
アラン地区では、既耕地を区画整理して約 52ha の基盤を整備した。営農計画の
基本方針は、高収量品種を導入し、肥料と農薬を施用して完全な 2 期作とし、
ha 当たり乾季4t、雨季 3.5 t を目標とした。また、耕起から収穫調製まで機
械化を試みた。両地区とも各種の栽培試験を行って栽培法の改善に努めるとと
もに、普及活動を進めた。収量は次第に増加し、ha 当たり4tを超えるレベル
に達した。協力終了後、パイロット農場は普及訓練センターとして利用されて
いる。
②
インド・マンディア農業普及センター(1968~1975 年)
農業技術センター(模範農場)8カ所のうち4センターが普及センターに改組
され、7年間協力が行われた。事業の内容は、①農業技術の試験の実施とその
結果の普及、②農業指導者、技術員、農民に対する技術訓練、③改良農機具に
よる試験、展示と試験結果の普及、となっている。これに従って各農場それぞ
れ独自の運営が行われた。いずれのセンターも稲作が対象である。本センター
は、州立大学が実施している普及、訓練のうち稲作分野を重点的に担当し、イ
ネの生理生態を中心とした試験を行いながら研修を進めていった。また、州内
の高収量田の収量構成要素を調査したりしている。
③
インドネシア・ランポン農業開発計画
インドネシアは外領の開発を進めているが、とくにスマトラ・ランポン州に
重点を置き、その開発に対する協力を要請してきた。わが国もかねて同州の農
業開発に注目していたのでこれに応じ、本協力が始まった。農業普及センター
を設け、調査企画、イネその他の作物の試験、普及員や農民の訓練などを行っ
た。水田農業では、希望農家 10 戸で約5ha のデモファームを設定、肥料や農
薬などを調達して改良技術の指導、普及を図った。デモファームは順調に増加
し、収量も高くなった。畑地農業開発でもデモファームの生産の増加は顕著で
5
あった。デモファーム 10 カ所前後で 1 つの農民グループを作って組織化し、将
来は農協に発展させようとした。事業は順調に実施され、土地生産力、農民の
所得は上昇した。さらに、最も大きな成果は、水田地帯の農業が著しく改善さ
れたことである。
④
インドネシア・作物保護計画(1980~1992 年)
インドネシアでは 1975 年からトビイロウンカが大発生し、米の生産が著しく
減少した。この対策として、発生予察の調査研究に重点を置いて本協力事業が
行われた。ジャチサリ発生予察実験所でイネ病害虫の発生消長の調査研究、ボ
ゴール中央農業研究所でイネ病害虫の基礎研究、農薬検査室で農薬の分析など
を行った。さらにフェーズ II 協力では、イネ以外の作物も含めた食用作物保護
政策に対する指導、計画の策定など、より包括的な協力を行った。本協力によ
り多くの成果を挙げたが、とくにトビイロウンカおよびツングロ病の発生予察
法と監視調査法の構築は顕著な成果である。そして多くの技術が移転され、カ
ウンタパートが自立の段階に達したという。
⑤
タイ・潅漑農業開発計画(1977~1986 年)
タイでは末端圃場に至る潅漑施設の整備が発達していないので、その整備と
水管理技術に関して協力することになった。事業は4つの部分から成る。まず、
プロジェクトセンターが全体の計画を調整、指導した。チャオピア計画では、
チャオピア川流域に約 500ha のパイロット地区を設定し、輪中堤を築造して圃
場を整備し、関連施設を設け、各種の栽培試験、普及活動を行い、また水稲 2
期作の可能性を示した。メクロン計画では、メクロン川流域の2カ所に各 400,
500ha のパイロット地区を設定、圃場を整備し、チャオピア計画と同様の活動
を行った。スハンブリ試験場では、潅漑農業開発の成果を高めるため各種の栽
培試験を行い、併せて技術者や農民の訓練を行った。
⑥
スリランカ・植物遺伝資源センター計画(1988~1995 年)
スリランカでは開発の進展に伴い、イネ・マメ類・イモ類などの有用な遺伝
資源が消失しつつある。このため遺伝資源の収集、保存に取り組んでいる。し
かし、技術、施設とも不十分なためわが国に協力を要請してきた。これに対し
わが国は、中央農業研究所内に遺伝資源研究センターを建設するとともに専門
家を派遣し、遺伝資源の探索・収集・分類・評価・保存・増殖、遺伝資源の情
報処理と管理、関係スタッフの研修に協力した。その結果、おおよそ遺伝資源
業務の核は形成されたが、不足する部分に 2 年間のフォローアップ協力を行っ
て所期の目的を達成、協力を終了した。
6
(5)協力の成果
現在、熱帯アジアにおけるイネの生産性は、いわゆる緑の革命という技術革
新を中心として格段に向上している。このような生産性の向上に、わが国が半
世紀にわたって実施してきた稲作協力がどのように貢献したであろうか。それ
を客観的、実証的に判定することは非常に困難であろう。各国政府は稲作研究
に力を注ぎ、また肥料、農薬の施用を奨励したりしている。IRRIの貢献も
極めて大きい。このような中で日本の果たした役割を抽出することは土台無理
というものかもしれない。結局、これら三者の努力の集積の上に現在の熱帯ア
ジアの稲作が成り立っていると考えればよいのだろう。とはいえ、わが国が実
施した個々の協力事業には、明らかに優れた成果を挙げたといえるものが少な
からずある。以下に幾つかの事例を述べる。
マラヤ・個別専門家派遣協力
マラヤでは年 2 期作を拡大しようとしていたが、第 2 期作(オフシーズン作)
に適当な品種がなかった。この品種育成に農林省から派遣された 4 人の育種家
が協力して、Malinja、Mahsuri および Bahagia という優れた品種を育成した。
これらの品種はたちまち西マレーシアに広く普及して 2 期作の拡大に寄与する
とともに、近隣諸国で広く栽培されるようになった。このような品種育成の成
功は、協力事業の客観的な成果として大変貴重である。
インド・マンディア農業普及センター
本センターは州立大学と連携して、極めて学術的、教育的な協力を行ってき
た。また、州レベルの合同委員会に加わり、州の水稲作に対する政策決定に参
画した。さらに、種々の活動の成果を2種の一連のレポートとして印刷、配布
して記録に残した。協力終了後もこれらの活動は引き継がれ、長く「インド日
本農業普及研修センター」と日本の名を冠していたという。
韓国・農業研究計画
本協力は多くの研究成果を挙げ、最終的に韓国側から高い評価を得た。また、
来日韓国研究者 58 人のうち 10 人が、研修が契機となって博士号を取得した。
このような成功の要因としては、専門家がすべて短期派遣で、有能な研究者を
動員することができたこと、韓国側の協力体制が円滑に機能したこと、わが国
の国内委員会の支援体制が充実していたことなどが挙げられている。
インドネシア・ランポン農業開発計画
本協力も終了時点で大きな成果を挙げたことはすでに述べた。さらに、1986
年に行われた事後評価では、本協力事業が他の外領開発のモデルとして政策面
に影響を及ぼしているとして高く評価されている。また、ランポン州の近年の
7
発展は目覚ましいという。
インドネシア・作物保護計画
本計画終了時点で優れた成果を挙げたことが認められていたが、その後この
事業の評価はさらに高くなった。数年後の事後評価によれば、インドネシアの
米生産の安定と増加に絶大な寄与をしているという。
タイ・東北タイ農業開発研究計画
本計画は、開発の遅れている東北タイの農業開発に関する研究活動に対する
協力で、タイ、日本、アメリカの 3 国共同研究開発プロジェクトである。協力
はフェーズ II まで行われたが、東北タイのようなせき薄土壌、塩害、干ばつ、
貧困な経済環境など、厳しい生産阻害条件を克服するには、より基礎的な問題
の研究が必要との観点から、本事業はタイ農業省と日本の国際農林水産業研究
センターとの共同研究として引き継がれている。このことは、本協力計画が極
めて重要な意義を持っていたことを物語っている。
第三国研修事業
後述する研修事業の中で在外研修として本事業がある。これは過去に実施し
たプロジェクト方式技術協力の成果の基盤の上に実施されている。協力事業終
了後その施設を利用して現地技術者により、近隣諸国の技術者の研修を行うも
のである。このようなプロジェクトは成果が高かったことを端的に示している。
稲作分野でもこのような研修コースが8コースある。
3.研修員受入事業
すでに述べたように、1954 年度に研修員受入事業が開始され、関東東山農試
(以下鴻巣)において、極めて小規模ではあるが稲作研修が始まった。その後、コ
ロンボ計画への加盟とともに同計画に基づく研修が、鴻巣において個別研修の
形で毎年続けられた。
(1)個別研修と集団研修
研修員の受入れが始まって数年間は相手国の要請に基づき、個々の研修員に
ついて受入機関を選定して研修を行ってきた。しかし、研修員の増加とともに
個別方式のほかに集団受入方式を採用する必要が生じ、1961 年度からすべての
技術分野を通じてこの研修方式が発足した。同年に 16 コース、翌年には 26 の
コースが設けられた。
もちろん、個別研修も引き続いて現在まで行われている。しかし、研修員と
受入機関の数はぼう大でその内容を知ることは容易でない。
8
(2)鴻巣と内原における研修
鴻巣における稲作研修も 1961 年度から集団研修コース稲作および農機具と
なった。その後コース名は稲作研究および農機具利用研究と変わった。稲作研
究コースは 1969 年度までは関東東山農試、1970~1974 年度は発足早々の熱帯
農業研究センターが受入機関となって行われた。しかし、同センターの筑波移
転とともに本コースは終了した。農機具コースは 1965 年度まで続いた。
一方、1961 年度には内原国際農業研修センターが開設され、農業実習コース
が発足した。当時、内原における集団研修は実務的な技術者を対象とし、鴻巣
におけるコースはより基礎的な研修として位置づけられていた。内原の集団研
修は 1964 年度には早くも稲作普及と稲作農機具利用の2コースに分化、その後
さらに発展し現在に至っている。また、1981 年度からは研修センターは筑波に
移転した。それらの詳細は、次のプレゼンターによって述べられよう。
(3)在外研修
1975 年に日本のプロジェクト方式協力によるタイの養蚕研究訓練センターに
おいて、第三国研修として養蚕技術コースが開設された。既述のように、この
研修は過去に実施したプロジェクト方式技術協力の成果の基盤の上に実施され
るものである。この研修は年々拡充され、すべての技術分野を通じて 1995 年度
89,
1998 年度には 120 コースに達している。稲作分野にも幾つかのコースが
あることもすでに述べた。
このほか、わが国が実施している技術協力プロジェクトのカウンタパートを
対象として、日本に受け入れることなく第三国で研修を行う第三国個別研修も
ある。また、わが国の過去の技術協力で育成された途上国の人材が講師となっ
て、自国の人を対象に自国で行う第二国研修(現地国内研修)があり、多数のコー
スが設定されている。
9
付表
稲作分野のプロジェクト方式技術協力一覧
年
国・事業名
1959~70
カンボジア・農業技術センター
1960~65
東パキスタン(現バングラデシュ)・ 農業訓練センター
1965~70
同
1962~68
インド・農業技術センター(模範農場)
1968~75
同
1968~76
インドネシア・西部ジャワ食糧増産協力
1969~76
フィリピン・ 稲作開発計画
1970~75
ベトナム・カントー大学農学部協力
1970~77
ラオス・タゴン地区農業開発計画
1970~75
インド・ダンダカラニア農業開発計画
1970~76
スリランカ・デワフワ村落開発計画
1970~85
インドネシア・農業研究計画(第 1 次)
同
農業機械化訓練センター
農業普及センター
(第 2 次)
同
1970~75
マレーシア・稲作機械化訓練計画
1971~76
インドネシア・タジュム地区農業開発協力
1971~84
ネパール・ジャナカプール農業開発計画
1972~82
インドネシア・ランポン農業開発計画
1973~75
バングラデシュ・農業開発(農業機械化訓練計画)
1974~82
韓国・農業研究計画
1982~87
同
1975~83
バングラデシュ・農業普及計画
1975~84
ブラジル・リベイラ川流域農業開発計画
1976~84
フィリピン・カガヤン農業開発計画
1977~86
農業気象災害研究計画
*タイ・潅漑農業開発計画
1977~86
マレーシア・水管理訓練計画
1978~86
タンザニア・キリマンジャロ農業開発センター計画
1986~93
同
農業開発計画
1994~06
同
農業技術者訓練センター計画
同
フェーズ II
1979~88
1980~87
1980~92
*インドネシア・中堅技術者養成計画
タイ・雑草研究計画
*インドネシア・作物保護計画
同
フェーズ II 作物保護強化計画
1981~88
*同
潅漑排水施工技術センター計画
1981~92
*エジプト・米作機械化計画
1983~88
ミャンマー・中央農業開発訓練センター計画
1983~90
フィリピン・ボホール農業開発計画
1983~92
ホンジュラス・農業開発研修センター計画
1
1983~94
*タイ・東北タイ農業開発研究計画
同
フェーズ II
1985~90
スリランカ・マハベリ農業開発計画
1985~93
中国・三江平原農業総合試験場計画
1985~93
フィジー・稲作研究開発計画
1985~95
バングラデシュ・農業大学院計画
フェーズ II
同
1985~97
タイ・潅漑技術センター計画
同
1988~95
1988~04
フェーズ II
*スリランカ・植物遺伝資源センター計画
ミャンマー・潅漑技術センター計画
同
フェーズ II
1989~93
ナイジェリア・ローア・アナンブラ農業開発計画
1989~94
韓国・農耕地高度利用研究計画
1989~95
1989~00
*チリ・植物遺伝資源計画
フィリピン・土壌研究開発センター
同
フェーズ II
1990~96
イラン・カスピ海沿岸地域農業開発計画
1991~98
ケニア・ムエア潅漑農業計画
1992~97
コートジボアール・潅漑稲作機械訓練計画
1992~97
フィリピン・稲研究所計画
1997~02
同
1993~98
パキスタン・植物遺伝資源保存研究所計画
1993~98
中国・河南省黄河沿岸稲麦研究計画
1993~00
同
1994~99
ホンジュラス・潅漑排水技術開発計画
1994~01
インドネシア・潅漑排水技術改善計画
1995~02
ラオス・ビエンチャン県農業農村開発計画
同
高生産性稲作技術研究計画
潅漑排水技術開発研修センター計画
フェーズ II
1996~01
フィリピン・ボホール総合農業振興計画
1997~02
中国・湖北省江漢平原四湖湛水地域総合開発計画
1997~02
ミャンマー・シードバンク計画
1997~02
ガーナ・潅漑小規模農業振興計画
1999~04
タイ・水管理システム近代化計画
1999~04
イラン・ハラーズ農業技術者養成センター計画
2000~02
コートジボアール・小規模潅漑営農改善計画
2000~05
カンボジア・潅漑技術センター計画
2000~05
ボリビア・小規模農家向け優良種子普及計画
OTCA/JICA年報 2002 までから作成
*:事業終了後第三国研修実施
2
「アジアにおけるオイスカの稲作協力」
財団法人オイスカ
萬代保男
1.はじめに
オイスカは1961年(昭和36年)の設立以来、「物質と精神が調和した繁栄を
築く」という基本理念に立ち、地球規模でさまざまな活動を推進している民間団体で
ある。これまで40有余年に亘りアジア太平洋の国々と地域において1)農業開発協
力、2)人材育成、3)環境保全、4)啓発普及(国際理解)の4つを柱にして協力
活動を展開している。
1)開発協力
9カ国に点在する研修センター並びにプロジェクトに技術員を派遣してそれぞれ
の地域に相応しい形でプロジェクトを展開し
ながら農村社会を中心とした国づくりに寄与
している。地域の農村青年に対する農業の技
術移転を行うとともにオイスカの理念に共鳴
する現地の人々の協力を得ながら、実践を通
して地域の住民とともに持続可能な開発を目
指している。
2)人材育成
オイスカが創立以来一貫して取り組んでい
るのが人材育成であり、それぞれの国々の研
修センターでは開発協力・環境保全の拠点と
して現地の青年に研修の機会を提供している。
一方国内の4ヶ所の研修センターでは途上国
から地域開発リーダーを目指す青年たちを招
き、独自の方式による技術研修を行っている。
特に技術以前の
働く心
の大切さの理解に
力を注いでいる。
3)環境保全
海外の協力現場の経験から植林の重要性に
気づき、1980 年以来植林運動を開始。地球
環境問題の重要課題の一つである森林問題に
取組み、山での植林、海岸でのマングローブ
植林、また教育的な側面から学校の子供達を
対象とした「子供の森」計画の推進や植林ボ
ランティア派遣、植林プロジェクトの支援な
どを行っている。
中部日本研修センター (成育調査。調査後、状況を発表)
4)普及啓発
相互理解なくして協力活動は成り立たない。
国連等国際機関が主催する国際会議へ代表者
を派遣したり、時代に即したテーマで国際会
議を開催している。また民間レベルの交流を
推進している他、国際協力への理解を深めて
もらうため各種活動を展開している。
2.パプアニューギニアにおける稲作協力
1987年の開所以来オイスカラバウル研修センターでは現地青年への稲作技術移転
を通しての人材育成に努めてきている。当初は現地の人たちにとって稲作栽培は物珍し
さだけであって、自分で作る対象農産物ではなかった。この背後には長い間豪州から PNG
では米はできないとの欺瞞的喧伝がなされていたことも起因している。
豪州産米、あるいは豪州稲作農民組織‐TRUKAI Industry がアジア諸国から輸入してい
る米を PNG に売りたいがための喧伝
であったと言われている。オイスカで
実際に稲作の可能性を実証し PNG 首
相、総督、大臣、州知事等の政府要人
の視察を受け、PNG 国内での米自給
の期待が形成され始めた。
当センターとしても1995年農村
稲作普及事業として草の根無償資金な
どの支援などにより資機材の供与を受
け近隣農村に入って普及活動を行った
が、農民の反応は鈍かった。米は買って食べるものであって、自分で作って食べるもの
との認識がなかったため、また 1 キロ約40円と安価であったことも農民の稲作への意
欲を減少させていた。
しかし、米の嗜好性が良くその需要に伴う消費が次第に家庭や村でのお祭りで高まる
につれ、輸入米が国家財政、家計の財政を確実に圧迫するようになった。現在輸入米量
は年間15万トン(約 K132~K150 Million Kina)と言われている。オイスカは Rice and
Grains Technical Advisory Committee(TAC‐スポンサーは Trukai Industry)のメンバ
ーとして1996年の本委員会設置時より関わってきたが、昨年より JICA-DAL の稲作
増産研修がその農村への広まりを重要し、オイスカとして TAC への関わりは第二次的に
なった。
1998年 PNG 中央政府は食糧増産政策(含米増産)として10∼15年の事業で1
10万 ha の天水田造成、15∼17万トンの白米を自給するという計画を打ち出した。
しかし、規模も巨大で土地問題ある中、予算の裏付けのある形で政府の稲作に対する支
援はわずかなもので、JICA 支援抜きで当政策の具体的な展開は殆ど見られない
・JICA-NDAL‐OISCA 稲作振興事業
本事業は2001年度 JICA 開発福祉支援事業として始まった。小規模稲作農民を対象
に据えた稲作振興プログラム(3年間)である。役割分担は以下のようになる。
①JICA:資金提供、稲作関係諸機関との推進と調整、全国会議を NDAL と共に主催。
②DAL
:研修、巡回講習の内容調査と指導アドバイス。種籾購入と各州への分配
③OISCA:研修施設提供、宿泊施設提供、研修実施と巡回講習へスタッフ派遣。
種籾生産。NDAL へ販売。
大規模機械化稲作事業は今までにも数件事業化されたが、どれも現在はまったく運営
されていない。
その理由として
機械化できるほどの社会基盤と予算が整っていない。
(機械を使うスタッフには機械
を維持し使っていくという基本的な考えが無く、壊れるまで使う技術者が多い。一
旦故障すると部品の調達に時間がかかり、修理を的確にできる技術者がいない)
この経験を重く見、かつ現実的な見地に立った稲作の普及を農民の間で行う。
具体的な目標として
① 稲作農民数と栽培面積を現在の30%増を目指す。
② 米の生産高を PNG 全体として20%の増収を図る。機械化はせず各農家の家族で
管理できる圃場の広さ(1 反程度)、鎌での収穫作業、臼杵での籾摺り作業等家族
単位での労働力と低額な初期投資額で可能な規模を基本に計画した。
稲作振興事業の経過
稲作研修巡回指導の概要
稲作研修場
研修期間
オイスカエコテック研修センター、ラバウル
第 1 回:9 月 1 日∼9 月 26 日
15名
第2回:10月2日∼10 月27日
参加者数
32名
東ニューブリテン州
5州よりの参加者
17名
3州よりの参加者
(内女性1名 DPI 稲作担当者マダン州)
参加者出身州 ① セントラル州 ②東シピック州 ③東ニュ‐ブリテン州
④マダン州⑤モロベ州 ⑥ブーゲンビル州
⑦西ニューブリテン州⑧サンダウン州
研修教官
オイスカ稲作スタッフ
研修内容
1. 稲作一般講義
3.浸種芽だし
2.種子選定
4.畑苗代作り
5.播種(陸稲直は)
6.苗代管理
8.耕運機基本操作とメインテナンス
10.除草
7.本田整備(陸稲、水稲)
9.陸稲・水稲田植え
11.追肥(尿素と発酵肥料)12.陸稲等高線栽培の指導
13.病害虫調査防除
14.陸稲等高線栽培
17.精米機臼杵による籾摺り精米作業
輪作計画
15.収穫
16.籾乾燥
18.貯蔵 19.稲作を組み入れた
20.参加者の現地で行われている稲作に関する情報交換
21.研修後現地での稲作普及計画案作成
22.その他
修了証
研修終了後授与ーJICA・DAL・OISCA 代表者サイン
研修総評
研修参加者はそれぞれの地域を代表して参加している意識が強く、
適切な稲作の基本を積極的に学んでいた。DPI 普及員の参加もあり、
モニタリング事業の準備の話し合いの時間も持て、稲作普及チーム
の意識を育てることができ良かった。
目標達成の手段
1)支援対象州の指定 5 州
① セントラル州、②モロベ州
③ マダン州
⑤
④東シピック州
東ニューブリテン州
2)モデル農民への稲作研修提供
稲作経験農家の中からオイスカで
基本的な稲作技術を学ぶ機会を与
え、その生産性を高める。また、
現地での稲作普及を担うリーダーとして必要な知識と技術を習得する。
3)各州の DPI(農業局)普及員にもオイスカでの稲作研修の機会を設け、モデル農
民と一緒に現地での普及に尽力する人材を育てる。
4)研修終了後巡回指導のため研修生の出身地を回り、現場での指導及び一般農民
への稲作講習の機会とする。また、現地の稲作振興における課題問題を理解し
共有する。
5)原始的な稲作栽培法を実施している農民にも理解できるような稲作入門書‐テ
ストブックを作成する。
JICA-DAL稲作振興事業による影響
1)ラバット刑務所に於いて囚人のリハビリテーション、刑務所内の食糧購入経
費削減、囚人の出所後村で生計を立てられるよう刑務所内職業訓練として稲
作が始められた。
2)Utmei Secomdary High School(ウットメイ・セカンダリー高校)では寮生学
校として始めて大規模(約1ha)稲作を授業の一環として始めた。有機陸稲
栽培、淡水魚養殖にも力を入れている。各学校も食糧生産に取り組むよう
中央政府の通達も出た。
中央政府の通達も出た。
3)稲作の重要性が認識され企業も稲作を始めたところがある。
4)Raluana(ラルアナ)地方政府でも稲作蔬菜栽培に取り組み、オイスカ卒業生7
名が働いている。当州での稲作はオイスカで実践している発酵肥料を利用した
有機栽培である。
・PNGに於ける稲作振興活動とその状況:
支援及び研修依頼
1)稲作研修スポンサー団体
①JICA−PNG‐DAL 省
②ADB
⑤CIS-Kerevat(刑務所)
③EU
④NGO(ENBSEC)
⑥ JICA−PNG 教育省
参加者:一般農民、稲作農民、職業訓練校教師、教会青年部代表、教会女性部
代表、政府農業省(局)役人
2)モニタリング事業受け入れ州
ENB州、西 NB 州、Morobe 州、東シピック州、サンダウン州、マダン州、
マヌス州、オロ州、セントラル州
3)(株)コスモ石油精米機寄贈裨益団体‐東ニューブリテン州
2001年①東ポミオ(クランプン村)
2003年①CIS−Kerevat,②西ポミオ(ウボル村)、③Duke
Of York 島
4)オイスカ・ラバウルより精米機寄贈
1997年ブーゲンビル州オイスカ卒業研修生グループへ
5)その他:
精米機寄贈ドナー組織・EU, AUSaid,
・東ニューブリテン州小規模稲作開発プロジェクト:
2003年3月東ニューブリテン州ガゼル郡選出・現国家計画監視大臣‐シナイ・
ブ ラ ウ ン 閣 下 ( Hon. Sinai Brown ) The Minister of National Planning and
Monitoring の依頼により当州は農業関連機関を組織し東ニューブリテン州小規模稲
作開発プロジェクト(East New Britain Province smallholders rice development
project)のプロポーザルを提出した。国として輸入米を削減することが緊急課題とし
て取り組むものでそのモデルとしてまず当州を指定したものである。
当州は一人あたり約77キロの米を年間消費している。15,857 トン(1997)、21,315
トン(1998)13,863 トン(2000)の米を輸入に頼っている現状がある。
本プロジェクト目標:
1)ENB 州にて持続可能小規模稲作産業を確立する。
2)食糧安全保障のため
3)収入増
4)輸入米減量を掲げた。
当州の抱えている稲作問題は以下の通りである。
1)精米所までのアクセスが悪い。
2)米販売マーケットが確立されていない。
3)農民が稲作栽培の基本技術を得るルートが確立されていない。
4)稲作を始める農家への融資政策の未確立
5)土地問題
6)農民の稲作生産に関する適切な知識と技術不足が認識されている。各農業開発
担当組織が年間スケジュールを作成し上記の課題解決に努力する。
3.他国における稲作技術協力
1)カンラオン研修センター(フィリピン・ネグロス島)
ネグロス島で最も高いカンラオン山の麓に160ha の水田が広がる。日本人技術者の
指導により年中水量に恵まれた地形に灌漑
設備が完備され1年を通して稲作栽培が可
能である。主栽培品種はコシヒカリで首都
圏のマニラ方面に出荷されており、邦人を
中心に高い評判を得ている。肥料はミミズ
を使っての有機肥料を取り入れ環境に配慮
した稲づくりに取り組んでいる。1982
年に現地に移管された当研修センターは現在
は全て研修生 OB が管理運営を行っている。
2)ミャンマー農林業研修センター(ミャンマー・エサジョ郡)
ミャンマーの中央に位置する乾燥地帯での持
続可能な農業を目指して1997年に設立さ
れた当研修センターでは無農薬稲作栽培に挑
戦し、2年後に 1 エーカー当り 1.6 トン(籾)
の収量を得た。年間300㎜の雨量による水
不足、塩害、強アルカリ性土壌を克服しての
稲作栽培の成功はこれまで不可能とされた当
該地域の住民にとっては大きな朗報として歓
迎され、大きな励みとなっている。今後は近くを流れるイラワジ川より定期的に水を
取り入れて永続的に稲作が出来るよう政府は農業灌漑省が積極的に日本政府への資金
提供を促している。
3)バングラデシュ研修センター(バングラデシュ・サバール郡)
設立以来20有余年を数えるバングラデシュの男子及び女性研修センターでは農村青
年に対して稲作、蔬菜、養鶏、養魚の技術指
導を行っている。圃場では無農薬による栽培
を行っており、肥料に鶏糞や土壌菌を使った
ぼかし肥
投入したり、以前は更に淡水魚
(テラピヤ)を水田に放流して稲の生育向上
に工夫を凝らしていた。現在は現地米に加え
て一部日本米を栽培してバングラデシュ在住
の邦人に好評である。
4)日本における稲作指導
国内3ヶ所(福岡・西日本研修センター、香川・四国研修センター、愛知・中部日
本研修センター)では以下の内容で稲作の研修を実施している。
(1)種子予措:
① 種子選別保存⇒圃場別品種選定、刈り取り、掛干し、日乾(水分15%)。
② 比重選別、消毒、浸漬、催芽⇒塩水選方、薬剤消毒、冷水浸漬、催芽。
③ 予措の意義と効果⇒熱帯地方とやり方と比較しながら講義する。
(2)育苗
① 育苗箱の消毒⇒薬剤消毒。
② 箱苗代用土の作り方⇒山土使用、PH調整、肥料、病害虫防除のための薬剤使
用、籾殻クンタン混合。
③ 苗床の作り方⇒育苗箱詰め、手植え用苗代つくり(普通苗代,ダポック苗代)
④ 播種⇒手蒔き、機械蒔き。
⑤ 育苗管理⇒水管理、肥培管理、薬剤散布、鳥害防止などを実施。
⑥ 発芽後の調整⇒発芽歩合調査、調整、除薬、間引き。
⑦ 苗の生長と育苗環境条件⇒苗に関する講義。
(3)本田準備
① 本田準備要領⇒本田準備要領に関する講義。
② 本田整地,耕起⇒本田の高低ならし及びトラクター、耕運機等による耕起法。
③ 灌漑用水路の整備⇒水路除草刈り取り、溝底の土上げ、補修、その他の清掃作
業、近隣農家との共同作業に参加する。
④ 肥料設計及び施肥⇒肥料の作用、肥料設計要領及び元肥施肥。
⑤ 代かき⇒トラクター及び耕運機使用(レベルができるよう念入りに行う)。
⑥ 除草剤の種類と使用法⇒除草剤別に使用時期が異なることを認識させる。
⑦ 本田周囲の病害虫防除⇒本田周囲の清掃、薬剤散布。
(4)田植え
① 苗取り⇒手植えの苗取り。
② 田植え(含補植)⇒機械植え及
び手植え、いずれも並木植え。
③ 活着の機構及び活着と環境条件
⇒田植えについての講義。
④ 水稲直播、陸稲直播⇒日本の直
播と熱帯の直播の相違を確認さ
せる。
(5)除草
① 除草剤使用及び手取り除草(含む,畦畔の草刈)、草の種類と対処法。
② 肥培管理⇒生育段階に応じて適切に施肥する。その効用を学科と実習で学ばせ
る。
③ 水管理⇒間断潅水法で行う。
④ 稲の一生⇒稲の一生について成長過程と生理を学習させる。
(6)収穫調整
① 収穫⇒コンバイン及び手刈鎌使用。
② 脱穀⇒脱穀機及びハーベスター使用。
③ 籾乾燥⇒乾燥機及び天日使用(保存と食味について学習)
。
④ 貯蔵⇒貯蔵器使用及び政府米保管倉庫見学等(籾貯蔵と精米貯蔵)。
⑤ 籾摺り,精米⇒ライスセンター等へ委託加工を学習及び籾摺りと袋詰作業。
⑥ 出荷⇒日本における政府検査、集荷の体験と見学。
(7)病害虫防除
① 水稲の病害虫の種類と防除⇒日本の水稲の病害虫、熱帯の病害虫の学習と防除
実技。
② 農薬の種類と用法⇒農薬の種類とその使用法の講義。
③ 耕種的予防⇒健全な稲作り。
(8)日本の稲作
① 日本の稲作の特色⇒講義によって習得させる。
② 稲作技術の発達史⇒郷土資料館等を視察して、現物を通して学ぶ。
③ 日本と熱帯の稲作比較⇒現地経験を有する指導員に指導させる。
・試験的に小面積の圃場で水稲有機栽培を行う。
・途上国の農民の経済状態を鑑みて農薬代、肥料代を極力抑える方法で実施。
・肥料:安価な鶏糞を主体に使用。その他ぼかし肥料を追肥用に使用。
・病害虫防除として:木酢液、EM、ストチューなどを定期的に散布。
4 資料
開発途上国における稲生産の
社会経済的役割
シンポジウム「開発途上国における日本の
稲作協力−稲作研修のあり方を考える−」
2003年5月23日
JICA筑波国際センター
田中耕司
京都大学東南アジア研究センター
課題の設定
稲作技術協力の成果が
相手国の社会経済条件の
改善と強化に役立っているか、
あるいは役立つか?
課題の具体化
1.稲の生産力・水田の生産力の向上に向けた技術体
系自体の評価?
・技術レベルの現状−地域的多様性に対応可能か?
・水資源利用・環境負荷等の問題に対処は可能か?
2.稲作をとりまく社会経済条件が大きく変化したなかで
稲作技術協力はなおその正当性を主張できるのか?
・国家の食糧安全保障政策のなかの位置づけ?
・途上国での技術協力が国益にかなうのか?
3.ODA実施の枠組みの変化に対応できているか?
・貧困撲滅・参加型アプローチ・女性のエンパワーメント等
このような課題に日本の稲作
技術協力は対応できるか?
日本の技術協力が総体的には日本で
開発された、いわば「日本型稲作」とも
言える稲作の技術移転であったことの
反省が必要な時代にきていないか?
「日本型稲作」とはどんな稲作か?
・アジアの稲作類型のなかで、盆地型の灌漑技術をと
もなった稲作(「山間盆地型稲作」)
・江戸∼明治時代に確立された集約稲作技術体系(ア
ジアの稲作発達史のなかで特異な位置をしめる)
・「立地形成型技術」と「立地適応型技術」の相補的な
投入によるハイ・インプット、ハイ・リターンの稲技術
体系
・「個体管理」の思想と技術を徹底した労働集約的管理
技術体系
「日本型稲作」の技術移転がこれまで大
きな成果をあげてきたのは、「緑の革命」
の技術が「日本型稲作」の技術によって
組み立てられていたから
では、これからも、グローバルな経済発展
のもと、さまざまな社会経済的条件をもっ
た「地域」に同様な発想で技術移転を続
けることは可能だろうか?発想の転換が
必要ではないか?
東南アジアの農業の現状
農業の現状
Ⅰ.伝統継承型
在来農業
Ⅱ.収穫増大指向型小
農農業
Ⅲ.商業化のもとでの土
地利用集約的複合
型小農農業
Ⅳ.都市化のもとでの労
働節約/集約指向
型農業
農業技術の性格
低位安定生産
地域
ミャンマー・ラオス・ベトナム
等の大陸部山間地
中・高位安定生産
大陸部のデルタ地域
東北タイ・カンボジア等の天
水田
島嶼部の天水田・畑
各国の平野部
耕地の高度利用作物
作物種の多様化
チャオプラヤ・デルタ、メコ
ン・デルタ
ジャワ・インドネシア外島の
高地
タイ・マレーシア・フィリピン・
インドネシアの平野部
労働生産性向上
チャオプラヤ・デルタ、メコ
ン・デルタ
マレーシア
東南アジアの農業の対応すべき課題群
農業類型
作物学に関連する課題群
Ⅰ.伝統継承型
在来農業
地力維持、栽培技術改良、作物輪作、農林複合(ア
グロ・フォレストリー)、焼畑の常畑化、水田開発、
植林、資源の持続的利用、土壌浸食防止
Ⅱ.収穫増大指向
型小農農業
土地生産力改善・向上、問題土壌の改良、栽培技
術改良、二期作化、防疫病害虫、耐虫・耐病性品
種、多収穫技術の体系化、作付体系改良、技術普
及体制の確立
Ⅲ.商業化のもと
での土地集約
的複合型小農
農業
耕地高度利用の圃場改良・基盤整備、農・園・水複
合技術、高品質作物導入と作型・作付体系確立、
防疫病害虫、耐病性品種、ポストハーベストと品質
管理、投入資材の効率的利用と環境負荷評価、流
域管理
Ⅳ.都市化のもと
での労働集約
指向型農業
水稲直播多期作体系の確立、高品質作物導入と作
付体系の確立、機械化作業体系確立と適品種の育
成、輸出用商品作物の機械化作業体系、生産組織
等の農地管理体制
稲作技術協力の今後の展望
・地域の水田利用体系・農業体系の一つのコ
ンポーネントとしての稲作
・地域の社会文化特性を加味した稲作技術
体系の模索
・労働力編成と労働観に配慮した稲作作業
体系の模索
・「差異化」を図ることの重要性
アフリカにおける稲作協力
西アフリカ地域の稲作事情と
技術・研究協力
独立行政法人
国際農林水産業研究センター
坂上潤一
アフリカにおける稲作の歴史
紀元前1500年頃
アフリカイネ(Oryza glaberrima Steud.)の栽培化
ニジェール河内陸デルタ地帯
紀元前1000年頃
セネガル・チャド・ギニア地域に伝播
アジアイネ(O. sativa L.)の導入
インドから東部アフリカへ
6∼7世紀
エジプトから北アフリカへ
15世紀
西アフリカへ
紀元前後
ニジェール・ギニア・
セネガル・マリなどで栽培
深水・低湿地
低投入型・付加価値型
アフリカ全地域で栽培
灌漑地・畑地
低・高投入型
アフリカ地域の作物生産の状況
アフリカにおける作物別の生産国割合(2001年)
100
90
80
70
割合(%)
60
50
40
30
20
10
サ
サ
ゲ
生
花
大
豆
落
トウ
キ
ビ
イモ
作物名
サ
タロ
イモ
ム
ヤ
ャッ
サ
バ
米
キ
ット
ミレ
ム
ガ
小
麦
ソル
トウ
モロ
コシ
0
アフリカの稲作面積の比較
アフリカの地域別稲作面積の割合(1998)
北
中央
南部
8%
9% 2%
25%
東
56%
西
西アフリカの稲作の概観
西 ア フ リ カ 諸 国 の コ メ生 産 と稲 作 生 態 系
国名
ベナン
ブルキナファソ
カ メル ー ン
チャド
コ ー トジ ボ ア ー ル
ガンビア
ガーナ
ギニア
ギニアビサウ
リベリア
マリ
モ ー リ タニ ア
ニ ジ ェー ル
ナ イ ジ ェリ ア
セネガル
シエラレオーネ
トー ゴ
平均
1)2001年 実 績
栽 培 面 積 1) 生 産 量
(1000ha)
(1000t ) 灌 漑 水 田
27
55
10
58
109
19
20
70
86
87
112
5
510
1212
7
16
19
6
136
275
10
580
870
0
55
100
9
144
183
466
933
32
18
67
100
27
76
57
2207
2752
11
89
244
45
183
199
0
32
64
16
4655
7340
生 態 系 (% )
天水田
深水田
81
0
64
10
10
0
84
0
19
0
15
67
81
0
30
12
29
48
25
0
27
45
43
22
20
40
0
16
12
7
9
0
畑
9
7
4
11
74
12
9
58
10
4
0
0
32
5
67
64
西アフリカのコメの自給率
西アフリカ諸国のコメの自給率の推移
国名
ベナン
ブルキナファソ
チャド
コートジボアール
ガンビア
ガーナ
ギニア
ギニアビサウ
リベリア
マリ
モーリタニア
ニジェール
ナイジェリア
シエラレオーネ
セネガル
トーゴ
平均
数値は%
1960-64
12.4
83.1
1970-74
26.7
74.3
1980-84
22.9
34.2
70.1
84.8
28.8
83.1
94.6
63.5
100
4.2
63.7
98.7
92.6
27.8
70.8
65.2
71.3
87.1
48.3
82.9
47.4
71.1
69.7
5.3
52.8
98.8
91.4
23.3
70
61.4
42
23
41.2
74.4
60.1
64
45.2
10
26.7
51.4
77.4
15.5
28.4
41.1
1989-96
17.7
39.3
75
62.8
18
15.1
56.7
55
38.5
48.9
54.1
49.6
83.8
55
20.3
56
46.6
アフリカ稲作の最近の動向
• WARDAにおける種間雑種の育成と地域への
普及拡大
• 低湿地水田の開発と農民参加型品種選択プロ
グラム(PVS)の振興
• 生産性向上のための技術開発
• 環境保全型持続的稲作の鼓動
• ARI(African Rice Initiative)
• ROCARIZ(Reséau Ouest et Centre African
du riz)
我が国の対アフリカ農業開発援助概要
◎技術協力
1970年代のJICAによるタンザニア(キリマンジャロ)におる技術
協力が契機
ガーナ・ケニア・コートジボアールなどで技術協力を推進
◎資機材等援助
2KRで年間68億3千万円、18カ国の供与(2000年)
◎研究協力
研究所(JIRCAS)
「土壌肥沃度維持研究」(1999∼2000年/ブルキナファソ、
2003∼2008年/ニジェール)
「米生産向上研究」(1998∼2003年/コートジボアール)
「穀物生産のリスク軽減技術開発研究」(2000∼2002年/マリ)
大学:日本大学・京都大学・島根大学・東京農大学・・
NGO:SG2000・緑のサヘル・サヘルの会・・・
共同研究機関:IITA・WARDA・ICRISAT・ICIPE・IFDC・ILRI
TICADII
経済開発分野
• アフリカ投資情報センターの設立
• 「アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラム」の
開催
• 西暦2000年を中小企業年とする
• アフリカにおける稲作振興のための援助
• 南部アフリカ地域における観光開発
• 債務管理に関する人造り事業
• 債務救済のための無償資金援助
TICADII
アフリカにおける稲作振興のための援助
1)コートジボアールにおいて、適切な技術の試験及び
デモンストレーション等の技術移転を行い、将来的
には近隣国にも技術移転を図る。
2)西アフリカ稲開発協会(WARDA)で研究されてい
るアジア稲とアフリカ稲との交雑による新品種(陸
稲)開発を支援し、西アフリカ地域のコメの増産を
図る。
3)東南部アフリカの一部に専門家を派遣して、アジア
型稲作の普及を図る。
JICAにおける稲作技術協力
• 灌漑稲作機械訓練計画(CFMAG)
• 灌漑稲作営農改善計画(PASEA)
PASEA
CFMAG
P
P
灌漑稲作機械訓練計画(CFMAG)
プロジェクト期間:1992∼1997
プロジェクトサイト:グランラウ
計画の目的:農業機械化訓練センターにおいて、農村開発支援公社
の普及員など技術者に対する農業機械の操作、保守管理・修理
および灌漑稲作に関する研修訓練を実施し、象牙海岸の機械化
灌漑稲作を促進し米増産を図る。
協力の内容:
1)技術力向上訓練の実施
2)教材およびマニュアルの作成
3)現場での技術指導能力の向上
4)2KR援助により導入された農業機械の効率的利用
5)農民の灌漑稲作技術力の向上
6)農家圃場での訓練活動(on-farm training)の有効性実証
7)灌漑稲作栽培における技術開発
灌漑稲作営農改善計画(PASEA)
プロジェクト期間: PI 2000∼2002、 PII 2002∼2007
プロジェクトサイト:ヤムスクロ
計画の目的:灌漑稲作振興センターにおける研修を通じた灌漑稲
作営農改善手法の適応と普及員の能力開発によって、灌漑稲作
を中心とした営農を改善する技術が波及される
協力の内容:
1) 水稲耕種基準の改善
2) 農民組織による営農計画の作成と実施の支援
3) 研修の計画・実施・評価
4) 普及員の活動計画の作成支援
PASEAの活動状況
営農専門家・中條淳氏
日本型移植法(20x20cm)
折衷苗代
JIRCASにおける稲作研究協力
西アフリカ地域のコメ生産向上のための
自然科学的・社会科学的研究
研究期間:1998∼2003年
共同研究機関:WARDA(West Africa Rice
Development Association)
病虫害
湿地
地下水位
乾燥
病害虫
雑草
畑
畑
丘陵地
低地
未 利 用
JIRCAS
低 収 量 ・ 不 安 定
WARDA
種間交雑種(アフリカ稲 x アジア稲)の育成および改良
低湿地における稲作技術普及上の社会経済的問題の解明
天水田
灌漑水田
畑
改良陸稲品種普及
低湿地稲作普及
高
収
量
研
究
の
内
容
畑
丘陵地
低地
研
究
の
背
景
中 収 量 ・ 安 定
期
待
さ
れ
る
成
果
アジア稲とアフリカ稲の種間雑種における
環境適応性の遺伝学的及び生理生態学的研究
・ Oryza Sativa L. x Oryza glaberrima STEUD.
NERICA
研究ターゲット
・ 耐乾性、酸性土壌耐性
・ 遺伝資源の評価と選抜、育種素材の育成、
効率のよい簡易検定法・DNAマーカーを利用
した選抜システムの確立
有用遺伝資源、育種素材、効率のよい選抜
システムに関する知見・技術がWARDAの
新品種育成事業に連携して利用される
西アフリカの天水低湿地における
稲作技術普及上の社会経済的問題の解明
集約的利用の可能性 大
利用されていない
対象:コートジボアール・ガーナ
天水低湿地稲作の現状分析
生産制限要因の解明
土地所有制度、灌漑管理、生産物の販売、共同体の役割
地域の開発・普及機関に中・長期的視野に
立った低湿地開発のための政策提言を行う
プロジェクト研究活動
NERICA品種
不良環境耐性品種選抜実験
遺伝資源の蒸散・光合成測定
水田適応性実験
稲作関係研修員(TBIC)の帰国後の
活動と協力関係
コートジボアール
左:Mr. Serge・個別
(ポストハーベスト)
右:Mr. Panfil・集団(灌排)
PASEA/ANADER専門技術員
農家圃場聞取り調査
ギニア
(1)
左1人目:Ms. Mabinty・集団
遺伝資源の探索・収集
(米生産)
(ニジェール河上流域氾濫原)
左3人目:Mr. Sylla・集団(米生産)
(農業畜産省/農業計画局NGO担当官・
研究調整官)
ギニア(2)
右3人目:Mr. Nestor・集団(米生産)
(IRAG/ギニア国立農業研究所/
Killisi試験場稲育種プログラム主任)
農業生態系調査
(キリシで発表者と)
ニジェール
Mr. Noufou・集団(米生産)
(INRAN・ニジェール国立農業研究所/
稲研究室主任)
稲作栽培体系調査
(ニジェール河沿い
・ティラベリ)
今後のアフリカ稲作開発と支援の方
向性の提案
• 内陸低湿地・河川氾濫地の持続的農業
開発
• 土壌肥沃度改善に向けた施肥技術開発
• 稲を基本とした他作物との混作システ
ムの開拓
• マルチシステム協力体制の構築
• 人材の育成と研修生(JICA、独法機関
など)の有効的活用
日本における稲作研修の方向性の提案
•
•
•
•
•
日本人は現場を把握せよ
日本型稲作研修の現地適応性の評価が必要
研修員の専門性を生かせる研修体制構築する
人間に喜んでもらうような研修実施する
指導側の人材育成の重要性
事業内容:農業開発協力、環境保全、研修、普及啓発
活動地域:バングラデシュ・インドネシア・マレーシア・ミャンマー ・ フィリピン・
フィジー ・パプアニューギニア・スリランカ・インド・ネパール・パキ
スタンなど24カ国
創立:1961年10月6日
法人格取得: 1969年5月1日
主務官庁:外務省、農林水産省、経済産業省、厚生労働省
会長:中野良子
財政 総収入:1,430,920,056円 (2000年度)
主な実績
▽国連諮問資格:ジェネラル認定(旧カテゴリーI、1995年)
▽国連地球サミット賞受賞(世界NGO代表、1992年)
▽国連青年功労賞受賞(世界初、1989年)
財団法人オイスカ
本 部 〒168-0063 東京都杉並区和泉3-6-12
TEL:03-3322-5161
FAX:03-3324-7111
E-mail:[email protected]
URL:http://www.oisca.org/
農業開発協力 ∼大地と人のドラマはここから生まれる∼
農村の人々が都会に出稼ぎに行かずとも、村や地域にあるものを
活かして、十分な暮らしを立てていく方策を追求します。
環境保全 ∼森は、人の暮らしのもっと近くにあっていい∼
農業を土台とした人々の暮らしをより豊かにするため、水の安定供給など多く
の機能を果す森の再生に取り組みます。
人材育成 ∼未来を切り拓くチカラを育てる∼
国内外に設立された研修センターで、農業実習を中心とした人材育成に取り
組み、自分の生まれ育った村や地域でリーダーシップを発揮する人材を輩出
します。
国際理解・教育 ∼はじめの一歩は難しくない∼
子どもや若者を対象に、環境教育や国際理解交流などを通し、普及啓発活
動をすすめます。
オイスカの活動領域は、大地のあるところすべて
パプアニューギニア
生命の循環農法
ミャンマー
フィリピン
バングラデシュ
日本
農林業を基盤とした国づくり
国際機関(IRRI)における稲作協力
伊藤 治
国際農林水産業研究センター(JIRCAS)
シンポジウム「開発途上国における日本の稲作協力」
国際機関(IRRI)における稲作協力
内容
• IRRIの業務内容(使命、戦略、運営指針、組織構造等)
• 運営資金の推移
• 日本との関わり
• IRRIの研修活動概略
• イネ知識銀行(Rice Knowledge Bank, RKB)
国際稲研究所
International Rice Research Institute
(IRRI)
13
12
9
5
6
8
14 11
1
2
3
4
5
3
1
10
7
2
CIAT Cali, Colombia
CIFOR Bogor, Indonesia
CIMMYT Maxico City, Mexico
CIP Lima, Peru
ICARDA Aleppo, Syrian Arad Rep.
4
6
7
8
9
10
ICLARM and IRRI Manila, Philippines
ICRAF and ILRI Nairobi, Kenya
ICRISAT Patancheru, India
IFPRI Washington D, C
IIMI Colombo,SriLanka
11
12
13
14
IITA Ibadan, Nigeria
IPGRI Rome, Italy
ISNAR TheHague,Netherlands
WARDA Bouake,Cote divoire
国際農業研究協議グループ傘下の研究機関
国際稲研究所の使命
稲作農家とコメの消費者、特に低所得者層の現在及び将来
の生活を改善すること
イネに関する短期または長期的な環境・社会・経済上の利
益をもたらす知識・技術を創世伝播し、また各国のイネ研
究体制の強化に協力すること
目標達成のための戦略
• 主要な稲作環境について、生態系を基礎とした、学問分野間にわたる
研究プログラムの配置
• 専門分野研究部制による研究能力の強化
• 新しい科学的可能性を探求する先行的研究
• 農業資源の保存及び責任ある利用
• 遺伝資源、技術及び知識の共有
• 研究と開発における女性の参加
• 同じ目標を持つ農業集団、研究所及びその他の機関との協力
IRRIの組織運営上の指針
•
•
•
•
•
•
•
•
•
高度の研究レベル
科学的な誠実さと責任感
革新性と創造力
意見とアプローチの多様性
チームワークと協力
依頼者へのサービス
文化の多様性と男女平等
知識の独自性
環境の保護
面積当たり生産性 (t/ha)
3.5
140
3.0
2.5
120
2.0
100
1.5
1961 1965 1969 1973 1977 1981 1985 1989 1994
Year
面積・一人当たりコメの生産性
(from FAOSTAT DATA base)
一人当たり年間生産性
(kg/capita/yr)
160
4.0
イネにおける緑の革命
• 1960年代から始まったイネにおける半わい性で肥料感応性の高い
高収量品種の育成と普及。
• 以後30年間の間にコメ収量は倍増し、収量増加率は人口増加率を常
に上回っていた。
批判
• 農業用水や化学肥料の多投下を必要とする高収量品種の栽培管理技術
は貧農の手の届くものではなかった。
• 集約栽培と農業資材の多投下は土壌や水の質を悪化させた。
• 高収量品種が有用な形質を有する在来品種を駆逐し、その結果遺伝資
源の多様性を縮小させた。
挑戦
• 貧しい人々が購入可能な価格での食糧供給(the first green)から、土
壌と水の劣化を防止し生物多様性を保護した穀物生産の持続的発展を
目指した体系(the second green)の構築。
イリの研究体制
(マトリックス研究構造)
プログラム
研究部門
プログラム1 プログラム2 プログラム3 プログラム4
作物・土壌・水資源科学
育種・遺伝・生化学
病理昆虫
社会科学
農業機械
プログラム1.遺伝資源の保存、評価、及び遺伝子の発見
プログラム2.好適環境における生産性と継続性の強化
プログラム3.劣悪な環境に向けた生産性と栄養生活の改善
プログラム4.研究と開発の連結強化
イネ生態系の分布
潅漑稲作
天水稲作
陸稲作
深水稲作
50
運営資金 (百万ドル)
45
40
全体
35
30
25
20
15
日本政府の拠出
10
5
0
1965
1970
1975
1980
1985
年
運営資金の年次変動
1990
1995
2000
IRRIに対する資金拠出源の推移 (%)
1972
米国
フォード財団
ロックフェラー財団
英国
国際開発研究センター
日本
国際連合開発計画
世界銀行
EU
アジア開発銀行
その他
35.1
28.2
18.6
8.3
3.5
2.6
3.7
1983
1989
32.0
1.0
0.4
4.2
1.3
15.7
7.7
23.3
0.5
0.1
4.7
2.0
21.4
4.9
1.4
36.3
0.5
42.8
1995
10.9
0.0
3.4
3.7
0.4
21.9
5.6
8.4
6.3
1.4
38.1
Japan
World Bank
USAID
Switzerland
United Kingdom
Australia
European Commision
Denmark
Asian Development bank
Rockefeller Foundation
German Agency for Technical Cooperation
Canadian International Development Agency
Netherlands
France
Sweden
German Ministry for Economic Cooperation
Korea
Philippines
International Development Research Center
Others
United States Department of Agriculture
International Fund for Agricultural Development
India
Belgium
Iran
China
Norway
Bangladesh
Thailand
Spain
Mexico
Brazil
0
1
2
3
4
5
6
7
供与資金額(百万ドル)
国・機関別資金供与 (2000)
8
9
日本政府のIRRIへの
資金供与と研究支援
日本政府
IRRI
コア資金
外務省
資金供与
農林水産省
JIRCAS
日本国内農業研究機関
特別研究プロジェクト資金
研究者派遣と招へい
日本人理事
氏名
木原
均
Name
機関
所属
Hitoshi Kihara
1960-1963
京都大学教授・国立遺伝学研究
所長
石塚 喜明
Yoshiaki Ishizuka
1964-1967
北海道大学教授
山田
Noboru Yamada
1968-1972
熱帯農業研究センター所長
飯田 俊武
Tositake Iida
1973-1976
植物ウイルス研究所長
江川 友治
Tomoji Egawa
1977-1982
農業技術研究所長
逸見 謙三
Kenzo Hemmi
1983-1988
東京大学教授
久馬 一剛
Kazutake Kyuma
1989-1991
京都大学教授
都留 信也
Shinya Tsuru
1992-1997
熱帯農業研究センター所長・日
本大学教授
有馬真喜子
Makiko ArimaSakai
1996-1999
横浜女性協会・フォーラムよこ
はま館長
藤巻 宏
Hiroshi Fujimaki
1998-1999
前農業研究センター所長
秋田 重誠
Shigemi Akita
2000-2005
滋賀県立大学教授
大塚啓二郎
Keijirou Otsuka
2002-2004
政策研究大学院大学教授
登
日本人ポストドック研究者、
博士・修士学生、研修生の総数
国際スタッフ
25人
客員研究員
28人
ポストドク研究者
38人
博士課程学生
14人
修士課程学生
10人
その他の研究者
45人
短期研修
6人
特別拠出金による
IRRI-Japan共同研究プロジェクト
•
第1期I, 1984年12月から1989年11月
稲作における省資源型技術の開発
•
第2期, 1989年12月から1994年11月
イネの2期作のための安定化技術の開発
•
第3期, 1994年12月から1999年11月
遺伝資源変異を利用した水ストレス下における稲作の安定化
•
第4期, 1999年10月から2004年9月
持続的イネ栽培に向けた収量決定要因と生態的適応性に関する遺伝生理
的研究
CGセンターにおける日本人研究者の役割
• センターの基本戦略に沿った研究並びに管理業務
(センターの1スタッフとしての研究室運営、各種委員会活動など)
• 日本側の研究戦略の導入・調整(特に拠出金研究者)
• 日本の先進的研究成果・手法の紹介並びに移入
• 日本側とセンター間の情報交換の仲立ち
• 日本人来訪者の対応
IRRIにおける研修
“Poverty must not be a bar to learning and
learning must offer an escape from poverty.”
Lyndon B Johnson, 36th US President
IRRIの研修コースの使命:
知識、技能、考え方の向上による、
能力、自信、参加意欲の育成
研究と研修…
人々の生活を向上させるために必要不可欠で相互補完
的な要素
イネにおける研修の必要性:
1年間の投資のためなら、稲を植えろ、
10年先のためなら、木を植えろ、
100年先のためなら、人を育てろ。
“If you want to invest for a year, grow rice. If you want to invest for ten years,
grow trees. If you want to invest for 100 years, train a person”
中国のことわざ
“Poor people in Asia can live without many things in
life, but they cannot live without rice.”
Muhummad Yunus, director, Grameen Bank, Bangladesh
IRRIが目指すところ:
• 現地の研究普及機関の能力の開発
• 各種媒体を用いての農民への技術移転の促進
研修におけるIRRIの考え方:
行動することにより学習する
IRRIの有意性 (1/5):
イネの科学並びに技術に関する知識基盤を背景とした40
年の研究実績を有する
IR64
IRRIの有意性 (2/5):
1000人以上の研究者により積み上げられてきた経験
IRRIの有意性 (3/5):
25以上のイネ生産国との密接な連携
10ヶ国に設置された事務所
Prime minister
(Cambodia) visits
IRRI
Philippine President
visits IRRI
Prime minister
Vietnam visits
IRRI
IRRIの有意性 (4/5):
対面教育や通信教育に経験豊富な教育や研修の専門家
チームを有する
IR64
NRM
IRRIの有意性 (5/5):
卓越した研究・研修施設を有する
IRRIの研修に関わる活動 (1/3):
• グループ研修
• 実践型専門研修
• 学位取得型研修
• ワークショップ
IRRIの研修に関わる活動 (2/3) :
• 本部 (ロスバーニョス、フィリッピン)
• 対象国内
• 研修材料の作成
IRRIの研修に関わる活動 (3/3) :
基礎 から
バイテク手法の応用
応用 まで
イネ栽培コース
研修の設定と実施 :
• 実践を多く取り入れた対面型
• 情報通信技術を駆使した遠隔型
• 混合型
NRM
PSBRC54
伝統的なアプローチ
情報技術を駆使したイネ 知識銀行
これまでの実績 (1/2): 直接的
各国の農業研究普及組織の強化
研修経験者のリーダとしての活躍
• 14,000人以上の研修者
• 500+以上の研修コース(本部にて)
• 200以上の現地コース並びにワークショップ
• 600以上の研修材料 (5種類の媒体)
これまでの 実績 (2/2) : 間接的
1年間で 8百万トンの増収 (カンボジアやラオス)
農民や消費者の生活向上
1960年代と比べ米価の 40%低減
IR64
NRM
PSBRC54
国別研修者数 (アジア) 1990-2000
研修に関わる大きな問題点:
1. いかにして最良の研修を設定して与えること
が出来るか?
2. いかにして研修活動に必要な資金を維持する
か?
イネ知識銀行
Rice Knowledge Bank (RKB)
知識 に対する考え方:
知識の共有
誰とでも、いつでも、どこでも
RKBとは?
• 総合的デジタル稲栽培関係図書館
• IRRIの科学的研究を実践に導く手段
• 研修における知識管理と情報通信技術利用に関して、
CGIARを指導的立場に押し上げる一つの方策
RKBは誰のため?
• IRRIのパートナー
– 各国農業研究普及組織 (NARES)
– NGO
– 大学
• 大規模コメ生産団体
– 製粉業者
– 農民
– 各種農業機械製造業者
RKBの内容
• 電子学習 (eLearning)
– 自己ガイダンス
– 同期的及び非同期的討議
– コース満了に伴う認証
圃場における診断と実践
• TropRice
– 熱帯におけるコメ生産に関して、情報に基づいたより
実際的な判断が下せるように支援するシステム
• RiceDoctor
– 熱帯において稲の生育を制限している要因を同定す
るための圃場診断ツール
• Market Prices
– Oryza
– RiceOnline.com
情報をまとめた印刷物
• あるトピックに関する情報の一枚刷り
– カンボジアにおけるイネの総合病害虫防除
– golden riceとは?
– 葉色帳 (The Leaf Color Chart, LCC)
– “Needs and Opportunity Assessement”法の利
用例
Reference Materials
• Distilled content from scientists’ research,
presentations, and training courses
• Single source published. Available on the Internet,
CD-ROM, and Print
• Searchable and consistent in navigation and look
データベースとGIS
• International Rice Information System (IRIS)
• GIS maps
研修材料
• IRRIの研修で用いられる全ての材料(発表資料、論文
等)
• 複数のタイプの媒体による供給
• 検索可能
• インターネット上でだけ利用可能
Other Areas on the RKB
• Search field
– First with Google search engine
– Second with RKB search engine
• News link
• Partners link
• This week’s feature section
• Advertisement section
• Student and kids link to riceromp.com
• Fair use statement
• Usage statistics
RKBの将来
• 協力関係の強化と宣伝
• 内容の充実化
• 本アプローチの評価と追跡
– 利用者の意識調査
– 各国における評価
JICA筑波国際センターに
おける稲作研修
1,稲作研修実績
○稲作研修について
・1961年に農業実習コース(20名、3年間)として始まる
。稲作普及コース(12名、15年間)、1979年から稲作
コース(米生産コース)
・米生産(仏語)1988年∼1997年
・1997年から、地域別に研修を実施してきた。
・キューバ小規模稲作技術コース
○稲研究
・1984年から稲作専修コース、1988年から稲作技術コー
ス、1996年から稲研究コースとなる。
961年 茨城農業研修会館設立(アジア協会)
開設時の農業研修館の正門
1967年 内原農業研修センター設立
稲作コースの実験圃場
JICA筑波国際センターにおける稲
人材育成について
・稲作コース(1961年∼2002年)
491人
・稲研究コース(1984年∼
151人
)
・米生産コース(1988年∼1998年)
70カ国
総計
74人
716人
地域的には
・アジア地域
397人(インドネシア60人、フィリピン
50人、タイ48人、インド34人
、
マレーシア33人等)
・アフリカ地域 181人(タンザニア29人、ケニア17人、
ナイジェリア17人、コートジボアー
ル14人等)
・中南米地域
64人(ブラジル8人、メキシコ7人、
キューバ6人等)
・中近東地域
58人(エジプト24人、イラン14人、
スーダン12人)
・オセアニア地域 16人(PNG9人、フィイジー7人)
2,研修の評価
○稲作研修のニーズ
・要望率:(在外要望国数÷コースの割当国数)
・稲研究コース
3.71
・稲作コース
1.11
(農村女性能力向上 4.24、
野菜栽培 4.0、水管理 3.85)
研修コストについて
研修経費
月数
研修員数
総額
月当たり 一人当たり 一人月当り
研修経費
研修経費
研修経費
稲作
44,178,303
9.50
10
4,650,348 4,417,830
465,035
稲研究
44,666,525
10.00
7
4,466,653 6,380,932
638,093
農業普及
13,821,988
2.50
11
5,528,795 1,256,544
502,618
農業統計
7,848,990
1.33
8
5,901,496
981,124
737,687
南ア野菜栽培 14,210,233
4.00
9
3,552,558 1,578,915
394,729
タジク野菜
3.50
10
9,722,241 3,402,784
972,224
34,027,843
帰国研修員アンケート結果
1.アンケート実施方法
対象:TBICの稲作集団研修に参加した帰国研修員
300名(最近15年間)
方法:アンケート用紙を研修員に送付、回収(選択
式・記述式)
有効回答数:93名(回収率:31%)
研修員の割合
研修員地域割合
アジア:48名
アフリカ:25名
中南米:10名
中近東:6名
欧州:2名
大洋州:2名
研修員コース別
稲栽培分野:55名
稲研究分野:37名
2.アンケート質問内容
(1)研修カリキュラム
(2)帰国後の技術伝達
(3)帰国後のインパクト
(4)資格、論文、その他
(1)研修カリキュラム
(1)来日前に期待したレベルと比
べて
2%
1%
3%
十分高かった
28%
高かった
適当だった
34%
どちらかと言えば低
かった
低かった
無回答
32%
(2)業務で要求されるレベルと比べて
2%
2%
1%
十分高かった
16%
高かった
適当だった
45%
34%
どちらかと言えば低
かった
低かった
無回答
(3)同僚の技術・知識と比べて向
上があったか
3%
0%
1%
14%
大変向上した
向上した
46%
変わらない
むしろ下がった
明らかに下がった
36%
無回答
どのトピックが適応度が高かっ
たか?
1.講義
種子生産、収量構成要素、論文作成、データ分
析、実験計画法等
2.実験・実習
圃場実習、種子選抜、収量分析、栄養診断等
3.見学
農家調査、農家ホームステイ、研究機関等
どのトピックが有益だったか
1.勉強
知識・技術向上、仕事に対する姿勢、
2.日本文化、日常生活
伝統と現代の融合、時間管理、勤勉さ、視野の
広がり、様々な人との交流、
3.農家滞在
農家の稲作の理解、農村生活の体験
(2)帰国後の技術伝達
(1)研修で学んだことを普及させたか
7%
はい
いいえ
93%
(2)どのような方法をとったか
(複数回答 単位:人)
25
39
42
28
38
38
セミナー
ワークショップ
会議
講義
レポート
その他
(3)何人くらい普及したか
6%
9%
18%
51%
16%
1-10人
11-30人
31-50人
51-100人
100人以上
(3)帰国後のインパクト
(1)収量がどのくらい増えたか(単位:t/ha)
18%
11%
16%
18%
8%
15%
14%
変わらない
0.1-0.3
0.3-0.5
0.5-1.0
1.0-1.5
1.5以上
無回答
(2)昇進の機会
8%
非常に役立った
2%
役立った
11%
38%
9%
32%
どちらとも言えない
それほど効果的では
なかった
全く役に立たなかっ
た
無回答
(4)上司からの高い評価
1%
6%
0%
非常に役立った
役立った
16%
38%
39%
どちらとも言えない
それほど効果的では
なかった
全く役に立たなかっ
た
無回答
(7)業務に必要な技術・知識の習得
5%
0%
3% 3%
非常に役立った
役立った
どちらとも言えない
25%
64%
それほど効果的では
なかった
全く役に立たなかっ
た
無回答
(8)やりがいのある仕事への抜擢
非常に役立った
1%
1%
6% 0%
役立った
どちらとも言えない
32%
60%
それほど効果的では
なかった
全く役に立たなかっ
た
無回答
(9)業務への積極的な取り組み
3%
0%
0%
6%
非常に役立った
役立った
どちらとも言えない
27%
64%
それほど効果的では
なかった
全く役に立たなかっ
た
無回答
(4)資格、論文、その他
(1)研修で学んだ内容で学位を取得したか
(単位:人)
農業分野の資格
36
博士
8
修士
19
学士
4
0
5
10
15
20
25
30
35
40
帰国後の学位取得率(地域
44.4%
40.0%
農業分野の資格
13.3%
博士 0.0%
修士
学士
28.9%
8.0%
2.2%
8.0%
アフリカ
アジア
(2)研修で学んだ内容で論文を発
表したか(単位:人)
学会発表した
43
論文投稿した
32
0
10
20
30
40
50
帰国後新しい技術の情報を何か
ら得ているか
その他
15
インターネット
38
学会参加
33
57
23
13
科学専門誌
研修講師
研修時の同僚
20
研修関係者
その他コメント(最も多い意見)
・非常に多くのことを学び、役に立った。
・もう一度日本で研修を受けたい
・他の研修コースにも参加したい
多く出された要望
・学位を取得できるようにしてほしい(4名)
・研修期間が長い(4名)
・再教育プログラムを作ってほしい(3名)
・バイオテクノロジー分野も学びたい(3名)
その他意見
・自国に比べて日本農業は小規模で適用が難しい
(ブラジル)
・稲研究コースに適した研修員が選ばれていないのではな
いか(インド)
・予算の問題で、得た技術を適用できない。学んだ技術を実
施するためのフォローアップ予算を配慮してほしい(マラ
ウイ、ガーナ)
・JICAスタッフによる帰国後聞き取り調査がない
(セネガル)
・TBICは大学やJIRCASと連携をして品種改良プログラムを
策定してほしい(タイ)
その他意見
・帰国後、大学で「日本の稲作」という授業を行っている。(中
国)
・JICAで研修を受けた人は技術を普及する業務に配置されて
いる(インド)
・新しいものの見方ができるようになった。
(フィリピン)
・日本の農家から多くのことを学んだ(スリランカ)
・研究活動を通じて、他国の研修員とのつながりを継続した
い(エジプト)
3,稲作研修の今後の方向性
○地域別アプローチの強化、
・アフリカ稲作、PNG稲作、
中南米地域(パナマ、ボリビア等)、
中央アジア地域等
○研修実施機関の拡大
・大学との連携強化。
・農業研修の委託先として筑波大学農林生物系
学部、茨城大学農学部等。
・NGO、NPO等。
帰国研修員のフォローアップ
事業の活用
・帰国研修員同窓会組織の拡充。
(78カ国、84組織)
・フォローアップセミナー、資機材等の
支援。(5万ドル程度まで)
稲研究コース
コース目的
日本における最新の水稲栽培研究成果と技術を習得し、栽培技術開発
のための研究計画とその実施及び研究成果を分析し得る研究員を育成する
標準稲栽培技術
基礎理論と応用技術
課題研究
日本の水稲栽培技術や主要
稲研究に必要な稲の形態、
稲研究のための研究手法を
理論を習得し、稲の生育を
生理・生態とその他関連分
習得し、実験計画の立案、
体系的に理解する
野の基礎知識を習得する
実施及び結果の解析を通
じ、研究の基礎能力を向上
する
(1)日本の農業と稲作
(1)稲の形態学
(2)日本の標準稲作技術
(2)稲の生理・生態学
(3)栽培管理技術
(3)稲の育種
(1)栽培方法と施肥
(4)生育診断技術と収量
(4)土壌・栄養生理
(2)光合成と乾物生産特性
(5)稲の病害虫
(3)病害防除
(6)雑草
(4)雑草防除
(7)環境と稲作
研修方法
講義
見学
実験・実習
稲栽培技術
個別実験
日本の標準稲作技術
稲研究の基礎理論
圃場実習
稲研究の特論的なテーマ
稲研究の応用技術
共通実験
最新の稲作研究技術
稲の研究成果
19.5%
その他関連実習
65.9%
と成果
研修成果
(1)標準的な日本型稲作技術について理解できる
(2)稲研究に必要な各種の基礎知識を理解し、研究に応用できる
(3)稲研究のための基礎的な実験手法を習得し、それぞれの専門分野にお
いて稲研究に従事できる
自国で直面している稲作の問題解決のために、
稲研究分野において寄与できることが期待される
14.6%
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
バングラデシュ
ブータン
ブルネイ
カンボジア
中国
インド
インドネシア
大韓民国
ラオス
マレーシア
ミャンマー
ネパール
パキスタン
フィリピン
スリランカ
タイ
ベトナム
アジア合計
フィジー
パプアニューギニア
オセアニア合計
アルゼンチン
ボリビア
ブラジル
コロンビア
キューバ
ドミニカ
エクアドル
ホンジュラス
ジャマイカ
メキシコ
ニカラグア
パナマ
パラグアイ
ペルー
トリニダード・トバゴ
ベネズエラ
ハイティ
ガイアナ
中南米合計
稲作集団研修コース 国別参加研修員数
稲研究
稲作コース
米生産
(仏)
稲作技術
米生産
9
10
7
1
13
1
16
2
7
27
7
53
3
1
2
15
7
26
6
20
1
17
10
9
15
35
5
19
15
33
5
103
293
1
2
5
9
2
14
3
2
4
3
5
1
6
1
4
3
1
2
5
2
2
2
3
1
3
4
1
2
1
1
1
1
25
38
1
国別総計
19
7
1
14
18
34
60
4
17
33
26
18
19
50
24
48
5
397
7
9
16
5
4
8
1
6
5
3
1
2
7
4
3
4
5
2
1
2
1
64
稲研究
稲作技術
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
アフガニスタン
エジプト
イラン
イラク
スーダン
中近東合計
ベナン
ボツワナ
ブルキナファソ
ブルンディ
カメルーン
コンゴ
コートジボワ−ル
ガボン
ガンビア
ガーナ
ギニア
ギニアビサウ
赤道ギニア
ケニア
リベリア
マダガスカル
マラウイ
マリ
モーリタニア
ニジェール
ナイジェリア
セネガル
シエラレオネ
タンザニア
トーゴ
ウガンダ
ザンビア
チャード
アフリカ合計
総 計
稲作コース
米生産
6
13
12
2
11
44
米生産
(仏)
国別総計
1
6
24
14
2
12
58
4
1
2
2
6
1
14
5
1
11
11
1
3
17
9
10
3
6
2
8
17
9
6
29
1
7
1
1
102
72
1
1
181
151
491
74
716
11
2
1
14
4
1
3
1
1
2
2
3
1
10
1
15
9
1
3
1
1
2
2
3
1
12
1
11
1
2
9
5
1
8
17
9
1
1
5
28
Fly UP