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ゲストスピーカー - 大津ロータリークラブ

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ゲストスピーカー - 大津ロータリークラブ
ゲストスピーカー
ゲストスピーカー
8月31日
9月7日
9月14日
「輪の国琵琶湖」
「子どもと本を結ぶ」~文庫活動を通じて~
「琵琶湖の魚と環境」
NPO法人㈱地球の芽
大津市文庫交流会メンバー
琵琶湖博物館 専門学芸員
高田 友美 氏
9月21日
樋口 てい子 氏
9月28日
桑原 雅之 氏
10月12日
「住み心地日本一の滋賀を目指して」 「わが国の平和と独立を守る
~女性という名の日本の潜在能力~」 「第3セクターによる街づくり再生事業について」
滋賀県知事
嘉田 由紀子 氏
10月19日
第131地区警務隊 大津派遣隊長
津村 知里 氏
11月30日
伊藤 光男 氏
1月11日
「都市と芸術」
「税務職員への道!」
京都橘大学 教授
大津税務署長
上原 恵美 氏
㈱黒壁 代表取締役常務
八塚 久幸 氏
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音楽例会「新春コンサート」
びわ湖ホール
声楽アンサンブル
1月18日
2月1日
2月8日
「児童養護施設の現状について」「日本文化と格闘するアメリカ人」
湘南学園 施設長
大久保 和久 氏
3月1日
ミシガン州大学連合日本センター インターンシップコーディネーター
北村 みずき 氏
3月22日
「生命保険医学」
日本生命医事研究開発室 診査医長
松浦 莉穂世 氏
3月29日
「暮らしと女の精神力」
「山野草プロジェクト」
「中小企業におけるネットビジネス成功法」
冨田屋十三代目 代表取締役
琵琶湖ホテル マーケティング部 副支配人
㈱アロンジェ 代表取締役
田中 峰子 氏
4月5日
本荘 由美子 氏
4月12日
「滋賀に元気を! 湖国の人づくり、
まちづくり、夢づくり」
「
『江 ~姫たちの戦国~』
制作裏話とこれからの見所」
NPO法人フィールド・オブ・ドリームス 理事長
「江」制作統括チーフプロデューサー
中村 豪 氏
屋敷 陽太郎 氏
27
市田 美加 氏
2011 年 国 際 大 会 参 加 報 告
森井 文義
2010年のモントリオール大会に引き続いて
その後、昼から大会出席。
今年も私一人で参加して来ました。
バナーを交換しました。
大会は5月21日~25日までで、その前にア
トランタ(南北戦争の終結地『風と共に去り
ぬ』の舞台になった所)を観光の後、ニュー
オリンズに入りました。
5月22日㈰ 日本人親善朝食会出席(6:30
~8:30)後ニューオリンズ市内観光。
アメリカ人と南アフリカ人の女性でした。
日本人親善朝食会
大会はジャズの発祥地であって、すばらし
い音楽の数々でした。
28
Otsu
Otsu Rotar
Rotar Act
Act Club
Club
■2010-2011年度活動報告
2010-2011年度幹事 辻 井 薫
今年度はクラブテーマ「With Love」の下、
活動を行いました。昨年度、嬉しいことにク
ラブ員が大幅に増えましたので、クラブ員同
士の交流を深め、また、地域の方々との交流
を図ることで、地域に根付いたクラブを目指
して、一年間活動していきたいと考えました。
夏には一大イベントとなりつつある「自転
車琵琶湖一周」を今年度も行いました。その
大きさを体感するために琵琶湖を一周すると
いう事業も今年で4回目となりました。
また、今年度はクラブから滋賀ゾーン代表
を輩出し、地区行事である第一回会長幹事会
のホストを務めるなど、地区のローターアク
トにも貢献できたと思います。
新しく「絵手紙をつくろう」という事業を
立ち上げました。今後、更に大津市とモスマ
ン市との交流の懸け橋となるようにこの活動
を続けたいと思います。また、浜大津清掃活
動や浜大津サマーフェスタへの出展、日吉台
継続事業である「夢灯かり」を今年度も引
小学校の夏祭りにも出店しました。
き続き行いました。今年度で9年目を迎え、
今までは自分たちで制作したオブジェだけの
展示でしたが、今回は地域の方とより交流を
深める為に、こども美術教室の子供達と作品
を共に作り、成安造形大学にオブジェの制作、
工作キットの体験コーナーも行いました。ま
た、恒例の平尾夫妻による「よし笛のコンサー
ト」も行いました。
今後も仲間の絆を深め、協力しあい、この
経験を次年度の活動に活かしたいと思います。
29
米 山 原点と留学生活
奨学生
2010-2011年度 米山奨学生
龍谷大学社会学研究科 權 順浩
髙田会長は大津ロータリークラブ創立60周
年を迎えて、キャッチフレーズを「原点」と
した。髙田会長がいう「原点」は、私が考え
るよりも、深い意味が含まれていると思われ
るが、当時、その意味を自分なりに解釈した。
ここでは、その思いを語ろうとする。
いかなる組織であれ、年月が経つにつれて、
その組織の役割と機能は変わられよう。それ
は組織の創立当時と異なって、しだいに変わ
りつつあるわれわれの生活環境や、社会経済
システム、人々のニーズに適切に応えるため
にも変わらなければいけない。むしろ、変化
なしに発展はないと考えるほうがより適切な
表現かもしれない。しかし、いくら変化して
も変わってはいけないこともある。それは何
のためにその組織がつくられたのか、その本
質と目的である。本質と目的はその組織に
とって本来目指すべき方向であり、その方向
を決める舵である。そのため、時代や社会に
応じて変化する役割と機能もその組織の本質
と目的に基づいて変わらなければならない。
ところが、組織の本質と目的よりも、どう
すれば組織を現存させるか、中身よりも箱に
重点を置き、何のための組織なのかがわから
にくい、すなわち主客転倒する。大津ロータ
リークラブのような長い歴史と巨大な組織で
あればあるほど、そういうふうになりやすい
であろう。
髙田会長の「原点」は、なぜロータリーク
ラブがつくられたのか、その社会経済的背景
30
と目的を吟味し、そうならないようにするた
めの一策でもある。それに基づいてこれから
のロータリークラブとロータリアンが目指す
べき道をロータリアンみんなが一緒に考え、
一緒に行動することを示したという意味では
高く評価できよう。
「原点に返ろう」とは口にするほど実践は
やさしくない。とくに、組織のトップが提案
し、それをみんなが考え、行動まで移すこと
はより難しい。そういう思想や考え方だけを
みても、髙田会長の人柄を憶測できよう。
「原点」は組織だけではなく、個々人にとっ
て大きな意味をもっている。
私の米山奨学生延長において大きな役割を
果たしてくださったのが髙田会長だと聞いた
ことがある。もちろん、留学生活において経
済的支援も重要であるが、それに加えて何の
ために来日し、勉強しているのか、その目的
意識を失わないように支援するのも重要であ
ると思う。私のように長く留学生活をおくっ
ている人ほど目的意識がぼやけやすい。私も
そういう時期があった。自分の性格上、カウ
ンセラーに相談はしなかったが、ちょうどそ
のときであった。しかし、例会に参加し、髙
田会長の「原点」に関する話を聴くたびに、
自分の原点について考えることができた。
もしそういう話を聴かなかったら、今の自
分はないかもしれない。改めて感謝を申した
い。
R Y L Aに参加して
5月₂₀日~₂₂日
青少年委員会
5月₂₀日㈮から₂₂日㈰の3日間、天理大学
において開催されました。
今年も地区クラブ推薦の精鋭₁₀₅名の若人
が3日間の研修に臨みました。
当クラブからは綾羽㈱様の社員4名、野村
證券㈱様の社員1名、計5名で参加致しまし
た。
RYLAの目的は、若い人々の指導者及び善
良な市民としての資質を伸ばすことを目的と
しています。将来の指導者となる資質をもち、
同じ志をもつ者同士が寝食を共にし、共に学
び、考え、問題解決の道を探る訓練の場とし
て提供するものです。
去る3月₁₁日に発生した東日本大震災で、
現代社会に生きる私たちにとって本当に大切
なものとは何かについて多く学んだように感
3₁
じます。₂₁世紀は「心の時代」と言われるよ
うに、この3日間の研修で日本人の精神から
生まれる人間力を再認識されたのではないで
しょうか。
今回の研修は講師陣も多彩で、特に最終日
の森元首相の「文明の発展は文化を破壊する。
何も文明を否定するものではないが、文化を
重んじる人間力を磨け……文化とはすなわち
友情、思いやり、人間が古来よりもちつづけ
ている品格である」との言葉に研修生が真剣
に耳を傾けている姿勢が印象に残っています。
今後もロータリーの中でRYLAが有意義な
ものになることを願い、今回の研修を受けら
れた次代の指導者たる皆様のご活躍を祈念し、
ご報告とさせていただきます。
(服部 一則:記)
亀尾ロータリークラブ訪問 9月16日~18日
藤井副会長挨拶
東大邸駅到着
早朝の出発にもかかわらず、全員無事集合、
関空よりソウル仁川空港へと旅立ちました。
仁川空港で、元ロータリー財団奨学生の表
君の出迎えを受け、亀尾に向かいました。
本郷君の努力でなんとか亀尾RCとのコン
タクトは取れていましたが、アバウトな世界
はいつものことなので、彼等の例会が本当に
あるのかどうかも知る由もなく、とにかく友
好を深め、大津RCの創立60周年記念例会へ
の招請をしっかりすることだけを念頭に現地
入りしました。
新幹線の東大邱駅で、久し振りに亀尾ロー
タリークラブの都さんや李さんと再会し、本
当に18:00から例会があることを知りました。
時間の余裕もないので、ホテルにチェックイ
ンしてすぐに例会場へ出発です。
朴元大統領ゆかりの金鳥山ホテルは、すば
らしいロケーションに立地していて、亀尾に
何回も来ましたが、こんなに良いところが
あったんやという思いでした。聞くところに
よると、昨年リニューアルがやっと完成し、
再開したばかりだとのことでした。
これからは、亀尾ではこのホテルに決まり
と思いました。
例会にはガバナーも出席すると聞いて、ど
ういうことなのかなと考えていましたが、例
会場についてみると実はガバナー公式訪問と
いうことでした。
偶然だったとは言え、えらい日に来たもの
だと思いました。
32
しかし、ここは度胸を決めて、3630地区崔ガ
バナーの後を受けてショートスピーチをさせ
ていただきました。
全体的にみて、なかなかピリッとした良い
例会でした。
この10年でずいぶん立派なクラブになった
と思いました。
会員数も大津を上回る人数となりましたし、
自前の事務所、例会場を持つなんて、日本で
はちょっと考えられないことだと思います。
いろんなことを書きたいのですが、指定の
文字数をオーバーしました。又の機会という
ことですみません。
それにつけても、ソウルの街を我がもの顔
で謳歌する増田君や木村 禎君はともかくと
して、最長老の芝野さんにまでお世話をかけ
てしまう我が身を返りみますと、そろそろ私
も遠慮しなければならない時が来てるのかな
と感じながら帰途に着きました。
会場風景
(藤井 節治:記)
台 中ロータリークラブ 訪問 9月30日~10月2日
お出迎え
歓迎会
髙田会長・松平エレクト・私というトリオ
で9月30日~10月2日に、台中ロータリーを
表敬訪問し、皆様に熱烈歓迎をしてもらって
きました。1975年に姉妹締結して今年で35周
年。
それを記念した植樹と例会に参加し、台中
ロータリーが作られた施設、台中の名所を案
内頂きました。
(百聞は一見に…ですので写
真をご覧下さい。
)
ご存知の通り酒好きの3名ですが、会長も
松平さんもビックリするくらい紳士で…皆様
にお話しする大きなアクシデントも無く、楽
しく有意義な旅をさせてもらいました。参加
の機会を頂いた皆様に感謝いたします。
台中ロータリー例会
35周年記念植樹
台中ロータリー布袋様
例会で会長挨拶
(奥村 利樹:記)
33
ご逝去会員
ご 逝 去 会 員
故
出かけておられました。
大津ロータリークラブにおいても、クラブ奉仕
理事や関連委員会の委員長として国際奉仕には大
いに尽くされました。
最近のこととして特筆すべきことは₈0歳を過ぎ
てからパソコンに挑戦され、自らIT委員会を立
ち上げ、その委員長としてクラブのIT化の先鞭
をつけられたことでありました。
その功績は現在のホームページや事務処理、又
クラブ員に対する啓蒙啓発など脈々と受け継がれ
ております。
また、ロータリーライフの楽しみとして囲碁や
俳句の同好会にも熱心でした。人生を楽しむとい
うことを最後まで実践された様に感じております。
酒もめっぽういけました、どれだけ呑んでも乱
れない飲みっぷりは酒豪というよりも古武士を彷
彿とさせるものがありました。
大津ロータリークラブがローターアクトを提唱
し、県下で初の結成をみた時は率先して、ご令嬢、
ご子息を入会させ、その後ご子息夫婦は大津ロー
ターアクトアクター夫婦となられました。
あなたのロータリー精神は、きっとご子息に受
け継がれていることと思います。
思い出は尽きませんが、全身の痛みをおして最
近まで例会に皆出席されていたお姿は誠にロータ
リアンの範であり、我々大津ロータリークラブの
誇りであります。
あなたのロータリーへの思いを深く心に刻み、
その精神を受け継いでいくことを茲にお誓い申し
上げ、お別れの言葉とさせていただきます。
今はただただ痛みから解放され、安らかにおや
すみください。さようなら。
平成22年8月8日 奉読
吉田賢次郎 氏
2011年8月6日逝去(享年88歳)
昭和3₈年4月2日 入会
弔 辞
大津ロータリークラブ 会長 髙田 紘一
大津ロータリークラブの大先輩吉田賢次郎さん
のご逝去の報に接し、心より哀悼の意をささげ、
お別れの言葉を申し上げます。
逝去された8月6日は奇しくも₂010琵琶湖花火
大会の当日でございました。
あなたの御霊を天国に送り届けるか如く、琵琶
湖の天空高く一万発の大花火が打ち上げられまし
た。忘れられぬ浜大津の花火となりました。
あなたは昭和3₈年4月大津ロータリークラブに
入会され、爾来₄7年間ロータリアンとして最も大
切な例会皆出席を継続され、それは後輩会員に範
となる偉大な記録でありました。
戦後の混乱期から一貫して大津の建設業界の
リーダーの一人として、大津商工会議所その他の
業界活動に参画され、重要な役割を担われ、又大
津ロータリーにおいては業界の代表格として常に
その存在感を示してこられました。その後業界か
ら多くの後輩会員が入会されたのも、あなたの功
績の賜物と感謝致しております。
国際親善、国際交流には、ことの他熱心であり
ました。
大津市の海外研修生のお世話や商工会議所、
ロータリー活動での海外に対するご理解は常に周
囲の人々の高い評価を受けていました。
高齢になってからも英会話の勉強を続けておら
れたり、ごく最近まで大津市の姉妹都市にもよく
36
ご 逝 去 会 員
ものはすぐ買って帰られそのコレクションは四畳
半の部屋いっぱいでした。自分には合わないから、
と言って高価なドライバーやパターをおしげもな
く譲ってくださいました。今も私のキャデイー
バッグの中に國領さんからいただいたクラブが数
本入っています。形見として大事に使っていこう
と思っています。あなたの思いやりと気配りは大
きな救いとなりました。₂005年10月会長任期中蜘
故
蛛膜下出血に倒れ二ヶ月の入院生活の後₂006年新
國領 基雄 氏
年の第一例会から復帰した私に、あなたは例会ご
2011年2月21日逝去(享年85歳)
とに会長席に来て「無理したらあかんで、しんど
かったらまた休みや」となんども声をかけてくだ
昭和₄5年3月1₇日 入会
さいました。どんなにありがたかったことか ! い
まとなっては直接お礼を言うことも出来ませんが
國領 基雄さんを偲んで
感謝しております。ロータリーでは副SAAを担
当された時のニコニコの読み上げ姿が印象的です。
德田 定弘
飄々とした読み語りは余人の追随を許さず、今も
國領さんのご逝去を知り数々の思い出が浮かん
と人間性がにじみ出た語り口でした。同じ感慨を
できました。享年₈5歳、天寿を全うされた、と言
持つ会員の方も多いと思います。お通夜、本葬の
えるのでしょうが、またお元気になられて例会場
どちらも時間が合わず欠席しましたので直接大津
でお会いしたかった。私が國領さんのご交誼を得
市の斎場へ伺って最後のお別れをしました。死に
たのは國領さんの一生から言えば最晩年の十数年
顔に接し思わず不謹慎にも「最後までダンデイー
間でした。国領ストアーの経営者、大津公設市場
やったな、カッコいいなー」と思ってしまいまし
のお仕事、大津市商店街連盟理事長など褒章の対
た。と同時にもう國領さんとの楽しかった時が二
象となった数々のお仕事をバリバリこなしておら
度と戻ることはないのだ、と実感し落涙してしま
れた現役時代の國領さんを私は存じ上げません。
いました。國領さん ! また浄土でお会いしましょ
私が60歳代になって琵琶湖カントリークラブ会員
う。天国カントリークラブで御一緒にラウンドで
権を父から相続して30年ぶりにゴルフを再開して
きる日まで楽しみに待っていてください。追悼の
以降よくご一緒にラウンドしていただきました。
文にはふさわしくない文となりましたが國領さん、
一回り以上年下の私に同年のように接していただ
お許しください。再見、またお会いしましょう。
き可愛がってくださいました。宮崎君武会議所会
合掌。
耳に残っています。國領さんの巧まざるユーモア
頭、亡くなられた岩崎栄三さん、退会された北脇
さんなどとコースを周りながらの國領さんのお
しゃべりは談論風発、冗談も交えて実に楽しかっ
た。剣道の達人、社交ダンスの名手の聞こえも高
かったのですが、國領剣士の雄姿もパートナーの
女性をウットリさせたという優雅なダンス姿も見
ることはありませんでした。でも立ち居振る舞い
のそこここに、さもありなん、と感じることがよ
くありました。あなたは本当にダンデイーな紳士
でした。凝り性だったのでしょう、ゴルフ用品、
クラブには目がなくゴルフショップで気に入った
37
ご 逝 去 会 員
なり、田中さんをご存知の方はほんの少しとなっ
てしまいました。
しかし、田中さんは、出席規定の₈5年ルールが
できるまでは、毎週東京麹町RCでメーキャップ
をされ、出席100%を続けられたのです。そして、
故
ホームクラブで何の奉仕活動も参加できないので、
田中敬一郎 氏
そのお詫びにとニコニコ箱、ロータリー財団寄付
2011年9月13日逝去(享年90歳)
金、米山記念奨学会寄付金に多額の寄付を続けら
れました。
昭和₄₉年4月2日 入会
世界大会にもご夫妻で参加され、大津のメン
バーと過ごすことを楽しんでおられました。又炉
田中敬一郎氏を偲んで
辺会合(情報集会)のリーダーをされたときは、
ご自宅(現在の茶が崎荘)を会場に提供され、ま
安 本 進
さしく炉端を囲み、琵琶湖を眺めながら集会を開
平成₂₂年9月13日90歳でお亡くなりになりまし
会員同士の日々の繋がりを大事にされる方で、
た、故田中敬一郎さんを偲んで筆をとりました。
会員の慶事には東京から戻って祝辞を述べ、又、
田中さんは昭和₄9年4月2日に西友関西副社長
クラブからの訃報の連絡には、いつも奥様が代わ
時に、大津ロータリークラブに入会されておりま
りにお参りをされておりました。
す。現在の当クラブでは、田中さんのご入会を知
とてもおしゃれな方で、物静かな紳士の中の紳
る会員は私を含め7名で、古くからの会員であり
士でありました。
ました。19₈5~90年度代には、理事、各種委員長
大津ロータリークラブでの例会出席が出来ない
等をお勤めになっておりましたが、自社ブランド
ことをいつも残念がり、自分の生まれ育った地、
「絵里奈」の東京進出により、仕事の場が東京に
大津のロータリークラブの会員であることに誇り
移った関係で、例会場でお顔を合せることがなく
とされた田中さんでした。
催されました。
1₉₉5年 第₈₆回国際ロータリー世界大会
フランス・ニースにて
モナコ観光
38
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