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2003年度(第10回) - 関西大学 工学部 化学工学科

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2003年度(第10回) - 関西大学 工学部 化学工学科
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キャ リアデザ イ ン教育 め ざして
化学工学科
室
山 勝
教授
彦
今年度就職担当 を してい ますが、学部卒業生の就職状況 は、
率直 に言 って良い とは言 え ませ ん。 これ は、大企業 ・中堅企業では、学部卒 業者 を長期 に
訓練 して育 てる よ り、能力の高 い中途採用者含 め、キ ャリア重視 、能力的 に高い人材 を厳
選 して採用す る ように方針 変換 した こ とです。特 に化学系 で は研究 開発 、生産技術分野 で
の修士課程以上の採用が主体 とな ってお り、修 士卒業者が有利です。一方 、学部卒業者の
技術者 と しての求 人が減少 して、営業職 な どにウエ イ トが移 ったことが特徴 です。
み な さんはキ ャ リアデザ インとい う言 葉 をお聞 きになったこ とがあ る と思 い ますC大学
では、一昔前 まで は幅広 い教 養 を身 につ け る とい う教養主義で良か った。 これは就職状況
が良かったか らです。 これか らは大学 で キ ャ リアにつ いて考 え、卒業、転職 な どの人生の
節 目で満足で きる職業 選択 が で き、 自分 の将来の職能 (
職 業生活) を地道 に設計 してゆ く
能力 が必要 とされ る時代 にな ってい ます。 つ ま り、大学 を出るだけで一流企業 に就職で き
る時代 ではな くな った こと。一流企業 において も終身雇用 で定年 まで安定 な生活がで きる
と言 う保証が な くな り、 リス トラな ど不安定 な状況の中でいかに職業生活 を満足で きる も
の と して送 るか を常 に考 えなければ な らな くなった とい うこ とです。卒業生の中に転職す
る事例 も多 くな ってい ます。 しか し、転職 に至 った と して も、キ ャ リア さえあれば心配 な
いのです。 人材 バ ンクへ の登録 や派遣 職 を経 由 して、その人の積 み上げた技術 的 な能力が
認め られ、キ ャリアア ップ となる事例 も珍 しくあ りませ ん。
ちなみ に、本 年度 化学工学卒業 者で弁理士試験 の合格者が、花 田考侍 (
86G)、ノ
」
、
山
靖
(
9
4M)、大洞正嗣 (
95
G)の 3氏 にのぼ ります。 これ らの諸君の今後の活躍 を期待 します。
また卒業生諸兄の御活躍 を心 よ り願 ってお ります。
㊥参
守朝
選管8
g騒 監
工学部発足の ころの思い出
関西大学工学部化学工学科
植
村
教授
正
私 が大阪府立大学 か らこち らの大学 にかわ って来 ま したの
は、昭和36年 の 4月で したか ら、 もう42年 にな ります。 月 日
の経 過す るの は、 まこ とに早 い もの だ とつ くづ く思 い ます 。
私が関西大学 に来 ま した当時の工学部 の学舎 は、第 4学舎の
1号館 (
事務室のあ る建物 です) と トタン屋根 の平屋 の実験棟 と同 じく平屋建 の製図重で
した。学科 も機械 、電気 、化工 、金属の 4学科 のみで助手 の先生方 を入れて も先生 の数 も
少 な く、 まことにこ じん ま りと してい ま した。千里 山の方 には教室 がなか った ものです か
ら、天六学舎で講義が行 われ ま した。学生 諸君 は大体午前 中は天六学舎で講義 を聞 き、午
後 は千里 山学舎の実験棟 で実験 をす る ことになってい ま した。天六 か ら千里 山へ の移動 で
すが、教 師は阪急千里 山線 で移動 し、学生諸君 は大学がチ ャー ター したバスで移動す る こ
とになってい ました。 ところが当時 は長柄大橋 が交通 の ネ ックになってい ま して、 ここで
渋滞が起 こる と、バスが動 けな くな り、昼か らの実験 開始時 間 に間に合 わな くなることが
しば しばで した。 このせいで実験 開始が遅れ、実験終了 も夜遅 くなる といった具合で した。
私が こちらの大学 にきた年か ら第 1回卒業生 の卒業研究が始 まりました。4年全員 に卒業研
究 をやらせるのですが、なに分 にも予算がほとんどありませ ん。当時の化学工学科 は研 究室が
8つあって、そのうち6つ は応用化学系で、あと2つが化学工学系で した。私 の部屋 (
本 当は蜘
場先生の部屋 ですが)はこの2つのうちの1つで した。設備 も金 もないので、学生 5人のうち、1
名だけ大学で実験 をやらせ、あと4人は会社 との共同研究 ということで (
現在では会社 との共同
研究 はめず らしくありませ んが 、当時ではあまりよいように思 われ ませ んでした。)、会社内 に実
験室 を用意 してもらい、予算 も計上 してもらって実験 をいたしました。もう1つの研究室 は化学工
場のプラントの設計計算 を卒研生 に分担 させ てやらされ、計算結果 にもとづ いて′
トさな木製の
模型 のプラントを作 られて、卒業研究 とされ ました。先 ほど工学部の学舎がわずかなものであ
ったと書 きましたが 、他学部の建物 もわずか なもので、そのかわり昔の千里 山の面影がいたる
ところに残 っておりまして、昼 の時間には散歩が たのしめたものです。当時の学生 諸君 は今 と
違 って、あまり教 員 と年齢差が ないためか、考 え方 に相通ず るところがあり、実 によく働 いてく
れ ました。この人達が今では各学科の中心的な教授 になっておられ ます。
当時の大学進学率 は11
.
8%だったそうですか ら、優秀 な人が多かっても当然か も知れ ませ ん
ね。また、当時の学生 さんは地方出身の人が多 く、素朴 な性 質の人が多かったように思います。
翌年、大学院の修士課程が開設 され、昭和3
8
年 に機械工学第 2
学科 と応用化学科が設置 され、
化学工学科 と応用化学科が分離 しました。阪急千里 山線 が南千里 まで延長 、開通 したのはこ
の年です。その結果、千里 山沿線 の都市化 も推進 されたように思います。この頃か ら我国は高
度成長時代 に突入 し、大学進学率 も急上昇するようになり、我国の私立大学の経営状態 もよくな
ったように記憶 しております。なぜ なら、私が関西大学 に来 ました昭和3
6年 には、私は同級生 中
で最 も給料が低 く、大学の教師の給料 は低す ぎるとなげいたものでしたが、たしか、その後 、2
-3年でかなりよくなったことをおぼえているか らです。管理 、電子 、土 木、建築 などの学科が
増設 されたのは、これ よりあとの話 になります。
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"卒 業 生 に 聞 く '
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植村教授の ご退職 に際 して
昭和4
2年卒業 (
化学機械 [(
覗)
低温化学工学]
研究室)
有限会社 ジェイコフ 代表取締役
砂
村
梅
晴
私 が 関西 大学工 学部化学 工学科 に入学致 しま したのは昭和
38年 で したが 、 この度植村教授 が長年 ご勤務 された関西大学
を平成 1
6年 3月 を もってご退職 され ますが 、私 が在学 当時化
学工学科 に在職 されていた先生方が全員退職 された事 にな り、やは り寂 しい気が致 します。
私が入学 した当時 は 日本 の経 済 も上昇 を始 めてお り、国内外 で石油 プラ ン トを始 め各種の
プラン ト建設が行 われてお り、その様 な環境下 において化学工学の重要性 は増 してお りま
した。
私が入学 当時 、植村教授 は専任講 師 を勤 め られてお り、講義 を受 け ま したの は 2年及 び
3年時の専門科 目 「単位操作 及 び演習 Ⅱ及 び Ⅲ」 であ りました。 そ して教科書 は 「化学機
械 の理論 と計算 (
亀井 三郎 先生著)」 を使 用 され ま した。 この中で流動 ・伝 熱 ・蒸発 ・蒸
留 ・乾燥 ・調湿等の講義 を受 け ま したが 、私 に と りま して この講義 はその後本学 を卒業 し、
熱交換器等 を製作 してい る メーカーに就職 して後 、現在 に至 る まで非常 に役立 ってお りま
す。現在 はプラ ン ト及 び機器 の設計 会社 を経営 してお りますが 、「
化学機械 の理論 と計算」
は会社の私の書棚 に置 いて今 で も使用 してお ります。 この本 を開ける度 に植村教授 に講義
を受 けた当時 を思 い出 してお ります。 その様 な訳 で、私 の仕事 の基礎 は植村教授 の 「
化学
機械の理論 と計算」 で有 ると感謝致 してお ります。
4年 にな りま して選択致 しま した研 究室 は 「化学機械研 究室」 で した。当時、本研究室
は軌場教授 と植村助 教授 に よって吸収式 冷凍機 に使用 され る冷媒及 び吸収剤 の特性研 究 を
行 ってお られ ま した。 しか し私 が 「
化学機械研 究室」 のお世話 になった時 には榊場教授 は
引退 され本研究室 は植村助教授 の研 究室 とな りま した。従 い ま して 「
化学機械研 究室」 に
於いての植村研究室 と しては私共が第1
期生 と言 うことにな ります。その当時の研究室 は第
4学舎 2階の一番奥 の左 側 に有 り、広 さ も現在 の研 究室 よ りかな り狭 か った ように記憶 し
てお ります。私 に与 え られ た研 究 テーマ は 「
R2
2-E1
81
系及びR2
2
- ジブチルフタレ- ト2
段式吸収冷凍機 の動作 特性」 であ りま した。最初 は吸収式冷凍機 についてほ とん ど分か ら
ない状態 で研究 をス ター ト致 しま したが、研 究室での 1年 間は大学生活での良 き思 い出に
なってお ります。
大学 を卒業 して就職 してか らも現在 まで何 か と植村教授 にはお世話 になってお りますが、
最近では数年置 きに植村教授 もご出席 いただ き、その当時の研究室の メンバ ーが集 まって
同窓会 を行 い、学生時代 に戻 って親 交 を深 めてお ります。植村教授 は今年 3月付 け をもっ
て ご退職 され ますが 、我 々植村研 究室 一期生 もこれか ら会社 の定年 を迎 えて行 く時期 に来
てお ります。 これか らは第一線 を退 い て も、現役時代 とは又違 った気楽 な気持 ちで この同
窓会 を続 け、益 々親 交 を深 め て行 きたい と思 ってお ります。 その時 にはお元気 なお姿 でお
会いす るの を一期生 全員楽 しみ に してお ります。
植村教授 の今後 の ご健勝 を心 よ りお祈 りさせ て戴 きます。
25年 後 の 夢
昭和54年卒業 (
化学機械 [(
覗)
低温化学工学]
研 究室)
(
秩)リッキ ドガス産業 ・エ ネルギ一部
坂
本
一
郎
私 が学 部 生 と して、植村 先生 の ご指 導 を頂 きま した昭和 5
3
年 4月当時 の研 究室 の テーマ は、吸収式 冷凍機 COPの向上 を
目指 した 3成分 系 の吸収 剤検 討 、再生 器 の腐 食抑 制 に適 した
イ ンヒビター選定 そ して鶏肉の品質劣化 ス ピー ド抑制 に適 したCA貯蔵 で した。 けっ して広
い とは言 えない研 究室 の中で講義 の合 間の ご指 導 に よ り実験計画 の策定 、実験 の基本習得 、
レポー トの まとめ方 な ど何 事 に対 し取 り組 む に当 って も基本習熟の重要性 を最低 限会得 で
きた と思 ってい ます。 (
先生 の意 図 は、 これ以外 に もた くさん有 ったか も しれ ませ んが-0)
入社先 及 び現 在の出向先 の会社 が 、エ ネルギ ー業 と言 うこ と もあ り、研 究室 テーマ に関
連 した商 品 を間接 、直接 的 に扱 う職場 に2
5年 間在籍 し、大学 に近い こ ともあ り何 度 か大学
にお伺 い し先生 のお話 をお聞 きす る機 会が あ りま した。 その度 に植 村教授 は、 ご多忙 に も
関 わ らず いつ も色 々なテーマ に話が及 びあ っ とい う間 に 2、 3時間が経 って しまい ま した。
今 回先生 が 3月末 を以 って ご退職 され る との話 をお聞 き し卒 業後25年 とい う時 間の経過
を改 め て認識 した次 第 です。 その経 過 の 中で 、研 究 室 テーマ に関連 した技 術 ・商 品 の状
況 ・発展の一端 を簡単 にご紹介 させ て頂 きます。
昭和 40年代 半 ば に商業 ビルで初め て吸収式 冷凍機 が稼動 し、その後二重効 用式 登場 と夏
場 の電力 ピー クカ ッ トの一翼 を担 うとの省 エ ネルギーニー ズに合致 した結 果 、吸収式 冷凍
機 の普及状 況 は、全 国累計 で7,
7
42千 RT (
平成 1
4年度末 :日本 ガス協 会ホームペ ー ジ よ り)
に もお よび殆 どの著 名 な大型 ビルで は吸 収式 冷凍機 が導 入 されてい ます。 また、 イ ンヒビ
ター技術 の進展 に よ り冷凍機 の耐久性 が飛躍 的 に向上 し工場 、 ホテル、病 院 な ど設備稼働
時 間の長 い建物 で も採 用 され る ようにな り、 また、省 エ ネルギーの切 り札 と して注 目 され
てい る コー ジェ ネ レー シ ョンの排 熱利用設備 ・エ ネルギー変換設備 と して ます ます注 目 さ
れてい ます。 この よ うに 日本 全体 の省エ ネルギーやエ ネルギーの平準化 に寄与 す る設備 と
して吸収式冷凍機 は、確 固たる地位 を築 いてい ます。
一方 、CA貯蔵技術 は、炭酸 ガス、窒素 ガス及 び酸素 ガスの濃度 ・組成 を制御 す る こ とで
種 々な用途 開発 が な され炭酸 ガス添加 に よる渋柿 の渋抜 き、輸 入バ ナナ熟成 、 りん ごの品
質保持 、 各種 野菜 の鮮度 保持 に応用 されてい るな ど身近 な技術 と して生活 に浸透 してい ま
す。
大学 で保 有す る知 的財 産 の社 会での有効 活用 を目的 にTLO設立 ・ベ ンチ ャー支援促 進 な
ど国 の施 策 の進展 を受 け "関西大学 工学 部 の25年 後 の夢 " を今 後 入学 され る方 、在学 生 、
卒業生 、教授 の皆様 と語 り合 える 日を楽 しみ に致 してお ります。
タンザニアでの2年 間
平成 8年卒業 (
炭素材料 [(
現)
エ ネルギー材料]
研究室)
(
樵)
松村石油研究所 本社研究所
藤
本
理
絵
平成 1
0年に大学 院 を修了 し、松村石油研 究所 に入社 いた しました藤本 と申 します。3年半、
勤務 したの ち、今 しかで きないことをや りたいと思い、青年海外協力隊 に参加することを決意 し、
会社のご好意 により休職 とい う形 で、実現 いたしました。職種 は理数科教師で、赴任地 は、タン
ザニアです。(
地図参照)0
協 力隊 で は、赴 任前 に訓練 所
で 3ケ月の研 修 が あ ります。これ
は、一言でいうと体力増強 と隊員
になるための知 識 、語 学 力 を伸
ばす ための もの で した。毎朝 の
マラソン、ラジオ体操 か ら始 まり、
一 日中、語学 、お よび模 擬授 業 。
平均睡眠時間 3-4時間と受験生
さなが らの勉強の毎 日でした。
さて、タンザニアまで は、最 短
で九一 日、もしくは 2E
]
かか ります。タンザ ニアに さしかか ると、キリマ ンジャロの 頂上 が雲 の上
か ら顔 をだして、迎 えてくれ ます。さすが 、アフリカ最高峰。その景色 とアフリカの広 大な台地
と空 に、まずは庄倒 されてしまいました。
タンザニアは、円本の約2
.
5倍 の国土 を持 っていますが、人口は、日本の約 1
/
4ほとで す。農業
凶であり、キリマ ンジャロ山 をはじめとし、セレンゲティー、ンゴロンゴロ国立公園 といった自然
の宝庫でもあります。1
0
0以上 の部族 か らなる多部族国家であり、イスラム教 、キリスト教 、その
他の宗教徒が暮 らしてい ます が 、基本 的 に仲が よく、よくテレビでみかけるような、部族や宗教
の争いはありませ ん。しか し、GNPが約2
00ドルといわれ、途上国の 一つです。日本か らは、教
育、医療 、環境 、インフラ等へ支援 が行 なわれています。
タンザニアで は英語 とスワヒリ語が公用語 です。市場 や日ごろの生活で はスワヒリ語が主流
なので、タンザニアでの生活 を楽 しむには スワヒリ語が必須 です。最初 は挨拶 もろくにできず、
呪文のように聞 こえた スワヒリ語 も、お しゃべ り好 きの タンザニア人のおかげで、日常 会話 は、
あまり困 らなくなりました。タンザニアで は、定価が ないので、なんでも交渉です。タクシーにの
るのも、トマ トを買 うのも。おかげで、か なりずぶとくなってしまいました。
タンザニア人は基本 的 に素朴で優 しい人が多いです。おしゃべ りが 大好 きでよく日陰や店先
でおしゃべ りをしてい ます。挨拶 が とても大事 で、なにを話す にもまず挨拶 か ら始 まります。ス
ワヒリ語 は、語嚢 はそれほど多 くないのですが 、挨拶 に関する語義 は多 く、また挨拶 や他 人へ
の気配 りが とても大 事 な文化で、とても気 に入っていました。タンザニア人は白い歯 をにっこり
だして、よく笑い ます。笑顔 が とても素敵 でした。特 に子供 は、とてもいい目をしていて、かわい
かったです。
アフリカは、どこも年 中暑 いと誤解 されている方 もおられ ますが 、タンザニアの気候 は海岸沿
2月か ら3月にかけて
いと内陸では大 きく異 なります。海岸沿いは基本的 に年 中暑 いです。特 に1
は毎 日とても暑 いです。湿度 もか なり高 いです。 内陸部 は年 間でか なり気温 の差 があ り、場所
によっては、暖房設備がいるほどです。
0%、高校へ
タンザ ニアの学校 は 、7,4,2,4年制です。小学校 か ら中学校への進学率 が約 1
の進学率 が約 5%と言 われてお り、たぶ んにもれず学 歴社 会です。小 学校教育 は、スワヒリ語
で行 なわれ ますが 、中学校 か らは、教科書 、授 業 は、英語 になります。しか し、低学 年では、英
語 が十分 に通 じないので、スワヒリ語 も併 用 しなければ なりませ ん。この 2年 間のお かげで英
語 は上達 しましたが 、スワヒリ語 との ミックス英 語 になって しまい ました。私 の赴任 先は首 都 か
0km北 卜した海沿 いの タンガ 市で、日本の 中学校 にあたる学 校 で指導 にあ たりました。
ら約40
0万 の地方 郡市 で、学校 は、町
人口2
の 中心 部 に位 置 して い ました。ムク
ワクワ二七 カンダリ- スクールとい い
00人です。担 当
ます。全校生徒約 8
は、化学 で、全学 年指導 しましたが 、
中心 は 1年生 と3年 生 で した。化 学
の 内容 は 、円本 とほぼ 同 じで 、実験
器具 の 名前 を覚 えるところか ら始 ま
り、物 質量 、中和 、化 学 平 衡 、有機
化学 とい ったところまで勉 強 します。
日本語で も数 えるのは難 しい分野 を
英語 とスワヒリ語 で教 えるの は さら
に大変で、実験 をなるべ く取 り入れ、
目で見て、身体で感 じる授業 にしようと自分 なりに努 力 してきました02年 と4年次 には、国家試
験 があり、2年 のそれでは、パ スしないと上 の学年 にあが れ ませ んし、4年では、その結果 によ
4年次 の試験 には筆記 テストだけでなく実験 の試験 もあるので、
って高校へ の進学が決 まります。
その対策 も行 なわなければ なりませ ん。しか し、生 徒 は、み な実験 が大 好 きな生徒 ばか りで、
実験 の授 業時 には目を嬉 々として行 なってい たのが印 象的で した(
写真 は中和 滴定 の実験 。生
徒 は、日盛 りを読 むのに四苦八苦)
0
この 2年は、長 いようで、とっても短 い期 間で した。特 に帰 国前 は、仕事 が 山積 し、十分 に友
人たちとの別れ を惜 しむまもなく帰 国の途 につきました。協力隊員 として、教 師 として、タンザニ
アの子供 た ちや人々とのふれあった経験 は、私の 人生 にとても大 きな影響 を与 えてくれ ました。
色 々な立場 の、異 なった考 え方 をもつ 人 々や 、雄大 な自然 、動物 た ちとの出会い は、私 にとっ
て宝物 です。たくさんの失敗 をし、そのたびにタンザ ニア人に助 けてもらい、人間 として忘 れて
はならないもの、人間 として大事 なものをたくさん数 えてもらい ました。
化学の分野 に一一人でも興味 をもってもらいたいとい う目標 をもって、タンザ ニアに渡 りました。
その思 いが どこまで通 じているかは、生徒 が大 人になる数 年後で ないとわか りませ ん。「私 は、
日本 に帰 って、化学 の仕事 を続 けてい きます。皆 さんは タンザ ニアで、化学 の勉 強 を続 けてく
だ さい。いつのRか、世界のどこかであなたた ちと再 会 し、化学 について、同等 の立場 で意見
を交換 できるようになるのが 、今の私の夢 です」と最後の授 業で生徒 と話 しました。この夢 を実
現で きるよう、私 もこれか ら、再度 会社 に複帰 し、頑張 っていきたいと思 い ます。
最後 になりましたが 、私 の学校 の生 徒 た ちは、まだ恵 まれている生徒 が 多か ったのですが 、
一般的 に教科書 は持 っていませ ん。そのため、小 円教授 を始め 、研究室 のOB、OG、後輩の皆
様 か ら毎 年寄付 を頂 き、参考書 の購 入にあて させ ていただきました。この場 をお借 りしてあら
ためて御礼 申 し上 げ ます。
搾教 室 だ よ り
カナダ ・カルガリー大学語学セミナー
平成 3年博士課程後期課程修了
関西大学工学部化学工学科助教授
池
永
直
樹
私 は平 成 15年 4月 よ り工 学 部選 出の国際交流 主事 と して、
教 育研 究 な らびに学習 におけ る国際交流 を促進す るこ とを目
的 に設置 されている国際交流 セ ンターで、国際交流 に関 わる
様 々の事項 につ い て議論 させ ていただいている。 その国際交流 セ ンターの業務 の一つ に春
休 みお よび夏休 み期 間 中 に開催 され る 5つの語学 セ ミナー (
英語 :マ ンチ ェス ター大学
(イギ リス)、 カル ガ リー大学 (カナ ダ)、 アデ レー ド大学 (
オース トラ リア)、 ドイツ語 :
ゲ ッテ ィンゲ ン大学 (ドイツ)、 中国語 :復旦 大学 (
中国))があ ります。今 回 、2
00
3年 7
月31日か ら 9月 1日まで 開催 され ま した カルガ リー大学での語学 セ ミナーへ参加す る2
0名
の学生 を引率す る とい う仕事 を仰せ つか りま した。引率 は二人で前半 と後半 に分 けて行 い
ます。私が担 当 したの は後半 部分 (8月 1
6日か ら 9月 1日に帰 国す る まで)で した。 この
引率期 間中の様子 を レポー トさせ ていただ きたい と思 い ます。参加 した学生の感想 は国際
交 流 セ ン ター が 発 行 して い る 「
A Ti
nyRi
ppl
e」 とい う冊 子 (
ht
t
p:
//www.
kansai
) に掲載 されてお りますので、興味のある方はご覧
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Ko
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ny.
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下 さい。
私の担当は後 半で したので、 関西 国際空港 か ら 8月1
4日午後 6:30に出発す るはずで し
た。 ところが激 しい雨 のため空港 が 閉鎖 され、出発 が 3時 間ほ ど遅 れ ま した。 当然 、バ ン
クバーバ ーで乗 り換 えるはず であ った カル ガ リー行 きの便 には間に合 わず、搭乗便 の変更
を余儀無 な くされ ま した。 この ときは私一 人だったので、搭乗 カウンターに並 んで新 しい
チケ ッ トを手 に入 れ、予定 よ り 7時 間ほ ど遅 れて無事 カルガ リーに着 くこ とがで きま した
が、 もし、 これが英語 を まだ よ くしゃべ れ ない学生 と一緒 であ った らと思 うとぞっ と しま
した。
語学 セ ミナーは語学力 に よって レベ ル別 に 2つの クラスに分 かれ、月曜 日か ら金曜 日ま
で午前 3時 間、午後 2時 間の授 業 (
引率 者 も学生 と一緒 に授 業 に出るこ とも可能)が行 わ
れ ます。その他 にキ ャンプ、Ho
r
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kr
i
di
ng、ア イススケー トや博物館 見学 な ど数多 くの
エ クス カー シ ョンが 企画 され てい ま した。引率者の業務 は毎 日大学へ行 き、学生たちの健
康状態のチ ェ ックや授 業 な どに対す る希 望 ・意見 をカルガ リー大学側へ伝 えることがあ り
ますが (
個 人的 には学生 も子供 で はないので、そ こまで手取 り足取 り世話 をす る必 要 はな
い と思 ってい ます。 しか もカル ガ リー大学 では授業の コーデ ィネー ターや ホームステ イの
コーデ ィネー ター な どサ ポー トは万全 です。)、それ以外 に も大切 な仕事 があ ります。それ
は、学生 と一緒 にエ クス カー シ ョンに参加 し、その内容 をチ ェ ック し、学生か ら感想 を聞
き、関西大学-報告 す る とい うこ とです。 おかげで、 カルガ リーに着 いた次の 日には時差
ぼけで眠い 目をこす りなが ら、馬 の背 に揺 られ なが ら、小一時 間山野 を散策 で きま した。
また、 日本 ス ピー ドスケー ト代 表 の清水選手 や岡崎選手 が夏合宿 を行 ってい るカルガ リー
大学 自慢 の オ リン ピ ックオーバ ル (
学生 や大学 関係者 は無料。 ただ し、スケー ト靴 を借 り
るの にC$5ほ どかか ります。) でアイススケー トも楽 しむこ とがで きま した。
午 前の授 業 は関西大学 の学生 を対 象 に特 別 に組 まれた ものであ り、 きめ細 か な指導 が な
されてい ま した。午後 は イ ンターナ シ ョナルな授 業 で、他 の国か らの学生 と一緒 に授 業 を
受 け、その後学 生 た ちはみ ん なで ダウ ンタウ ン- 出か けていた よ うです。 関西大学 の学生
だけでか た まって行動 す るので はないか と心 配 を してい ま したが 、韓国 、台湾 、 ロシアな
どか ら来 た学生 た ち と片言 の英語 で意志 の疎 通 を図 ってい ま した。 語学 セ ミナーの最 後 に
Fa
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we
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lpa
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yを兼ねた修 了証書授与式 があ り、ほ とん どの学生が涙 を流 しなが ら、先生 た
ち との別 れ を惜 しんで い ま した。 日本 を出 る前 の不 安 そ うな顔 は消 え 、 1ケ月 とい う短 い
期 間で したが カルガ リー大学 での生活 を思 う存分楽 しんだ ようです。
学生 の病気 や けが、その他 の トラブル な ど大変気 を遣 うこ と も多 か ったですが 、私 に と
って もいろんな意味 で良い勉 強 をさせ ていただ きま した。3週 間ほ ど留守 にす るに当た り、
化学工学科 や触媒工学研 究室 のみ な さん に大 変 ご迷惑 をお掛 け しま した こ とをお詫 び申 し
上 げ ます。
植村正先生
ご退職
植村正教授 が、平成 1
6年 3月末 日を もって定年退職 され ます。昭和 3
6年 4月に着任 され、
42年 の大変 長 きに渡 って学部学生 や大学 院生 の教育 や吸 収式冷凍機 や ヒー トポ ンプ、食品
貯蔵 な どの研 究 に多大 な貢献 を されて きま した。心 よ り感 謝 申 し上 げ ます。 尚、先生 には
来年度 も、非常勤講師 と して ご教鞭頂 きます。
教室事務
仁村方喜子 さんか ら市原亜希子 さんにバ トンタ ッチ
長年教 室事務 で御 世話頂 いた仁 柑 さんが 、平 成 1
5
年 3月末 日を もって入試課 に移動 され
ま した。就 職や生活 での悩 み な ど親 身 に学生 の御 世話 を して頂 き心 よ り感謝致 します と共
5年 4月 1日よ り市原 亜希子
に、今後益 々の活躍 をお祈 り申 し上げ ます。後任 と して平成 1
さんが着任 され ま した。教室 や学生の御 世話 を宜 しくお願 い します。
r編集後記■
第1
0回同窓会報 をお届け します。巻頭言 を学科長の室山勝彦教授 にお願い しました。ご退職に
当たって、植村正教授 に御執筆頂 き、工学部設立当初の劣悪な教育 ・研究環境の中、情熱 を持 っ
て学生 と共に研究に励 まれていた様子 を興味深 く拝読 しました。「
卒業生に聞 く」では、植村研 ご
卒業の砂村梅晴様 、坂本一郎樵 ご両名に御執筆頂 き、研究室生活や卒業後のご活躍 を拝読 しまし
た。藤本理恵様 には青年海外協力隊でのエネルギ ッシュで情熱 を持 ったご活躍の様子 を頼 もしく
拝読 しました。卒業生の皆様 か ら、関西大学や化学工学科 に対 し大 きな期待が寄せ られていまし
た。池永直樹助教授 には、本学の語学セ ミナーの様子 を楽 しく読 ませて頂 きました。
ご多忙 中ご執筆頂いた方々や広告掲載会社の皆様 に厚 く御礼 申 し上げます と共 に、皆様の益 々
のご発展 とご健康 をお祈 り申し上げます。
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4年度会計報告
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5年 3月31日)
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平成 1
4年度化学工学科 同窓会会計監査報告
平成1
4年度 の化 学 工学 科 同 窓会 の会 計報 告 書 に従 って 、 金銭 出納 帳 につ い て慎 重 に会計 監 査 を
行 っ た結 果 、平 成 1
4年 度 化 学 工 学 科 同 窓会 会計 の運 用 状 況 は厳 正 かつ 正 確 で あ り、 そ の記 述 内容 に
相 違 が ない こ とを認 め ます。
4年 度 化 学 工 学 科
平成1
同窓 会 会計 監査 委 員
平成 1
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年度
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5年 4月 1日-平 成 1
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