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愛徳学園宗教部通信 第 289 号
愛徳学園宗教部通信 ○ 今月のみことば 第 289 号 2013 年 シスター 6月 西村三千恵 「永遠のいのちとは唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリスト を知ることです。」 (ヨハネ17章3節) 先日、私は、前教皇ベネディクト 16 世の回勅「希望による救い」の一部に触れ、とても感動 しました。その内容は『愛にふれた人は、いのちとは本当の意味でなんであるかを知り始めます。 イエスは言われました、「私が来たのはあなた方がいのちを受けるため、しかも豊かに受けるた めである。」(ヨハネ 10:10)イエスは私達にいのちとはなんであるかを説明して下さいました。 「永遠のいのちとは唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリ ストを知ることです。」(ヨハネ17:3)真の意味でいのちは、私たちが自分だけで持ってい ることも、自分だけで見出すこともできないものです。いのちは関係だからです。完全ないのち は、いのちの源である方との関係です。私たちが決して死ぬことのない方、即ち、いのちそのも のであり、愛そのものである方と関係を持つなら、その時、私たちはいのちの内にいます。その 時私たちは生きるのです。』というものでした。 私達カトリック校には、「全てのいのちの源である父なる神様」と「希望といのちに溢れるイ エス様とそのみ言葉」を伝える使命があります。愛徳学園は、週に 1 度の聖堂訪問、宗教の時間、 宗教行事、その他日々の関わりの中で、いのちの源であり、愛そのものである方(神様)に触れ、 希望といのちに溢れるイエス様とそのみ言葉に触れることによって、生徒の皆さんが「いのちと は本当の意味でなんであるかを知りますように」と願います。 また、愛徳学園がとても大切にしている聖女ホアキナの言葉に、「力によるよりも、全てを愛 によって」と言う言葉があります。権力や暴力・いじめがはびこるこの世にあって、「力による よりも、全てを愛によって」生きたいと願う本校で、生徒達が「いのちとは本当の意味でなんで あるかを知りますように」と願います。 生徒の心に語り掛けたいこと 英語科 佐々木敬子 今年度の学校目標は「チャレンジ」です。先日の学園祭でもたくさんの「チャレンジ」を感じ ることが出来ました。数々の苦難を乗り越えて完成したアルミ缶モニュメント、工夫を凝らした 文化部展示と舞台発表、日頃の学習や研究の成果が見られた教科の展示、堂々としていてとても 輝いていた有志発表等々、全て素晴らしい「チャレンジ」でした。そして初めての運動部模擬店 も大きな「チャレンジ」だったと思います。 日本語で「チャレンジする」と言うとき、単に「やってみる」 と言う意味で使っていることが多いように思います。英語で言 うと”give (something) a try”くらいの意味でしょうか。この 「チャレンジ」という言葉はもちろん英語の”challenge”とい う名詞から来ているのですが、”challenge”を英英辞典で調べ ると、よりはっきりとその意味がわかります。直訳ですが 「達成するために多くの技能やエネルギー、決意を必要とす るもの、特に今までやったことがないことや、楽しんででき るであろうこと」とあります。要するに、ただ「やってみ ること」というよりも、「達成するために困難を伴ったり、 たくさんの努力を必要とするが、やりがいのあること」と いうことになります。最初に触れた学園祭でのみなさんの 「チャレンジ」は、困難を乗り越えて最後までやりとげたからこそ達成することができた、まさ しく本物の「チャレンジ」だったと言えます。 ここで私の好きな形容詞、”challenging”を紹介しましょう。challenging は difficult(難しい) や demanding (きつい、 厳しい)とほぼ同じ意味になりますが、 英英辞典では“difficult to deal with or achieve, but interesting and enjoyable”「達成するのに難しいが、おもしろく、楽しい」と説 明されています。セス先生にも”It's difficult.”と言ったときと、”It's challenging.”と言ったとき の違いを尋ねてみましたが、「”difficult”を使ったときは、『あきらめ』の気持ちが入る が、”challenging”を使うと前向きでポジティブ(肯定的)な意味になる。」ということでした。 私は能力的にも時間的にも「難しそう。」「できそうにない。」と思うことが降りかかってきた とき、「これは challenging なこと・・」と呪文のように自分に言い聞かせます。みなさんも何 かしんどいことや難しい課題が与えられたとき、「無理!」と言ってしまうかわり に、”challenging”という言葉を使ってみれば、「難しいけどやってみる価値あり!」と前向きに とらえられることができますよ。 学園祭で見事な力を発揮したみなさんが、これからもたくさんの「チャレンジ」を成功させて、 大きく成長していく姿を楽しみにしています。 生徒のノートから 高 1 が高校生活を始めるにあたり、1 日静修をした時の感想を分かち合いたいと思います。 ・かわいい「しおり」や DVD などでリラックスしながら苦も無く静修することが出来ました。 DVD を見て遠い空の上にいた神様が、イエス様を通じて、地上に降りて来られるような気がし ました。イエス様も人間と同じ感情を持っているという事が DVD で分かって、よりイエス様を 身近に感じました。十字架に架けられたイエス様のお心を感謝し、尊敬して、日々の生活を送っ ていきたいと思い、神様のみ心を聞いて行動したいと思えた一日でした。そして、全てを信じ、 神様に尽くして、み心で全てを行うマリア様のような女性になれたらと思いました。 ・私は、今日の静修を通して、天地を創造して下さった神様と、私たちの事を心から愛して下さ っているイエス様への感謝を絶対に忘れてはいけないと思いました。そして、神様は私達みんな の父であり、イエス様は今日も自分の心の中や、友達の心の中に生き続けて下さっているという ことも分かりました。ミサでは本当に自分達が弟子達になってイエス様と食事をしているような 気分になりました。今日の事を忘れずに、これからの人生に役立てて、今日頂いたお恵みを、周 りの人にも分けてあげたいと思いました。 ・映画の中でイエス様がむちうたれたり、十字架を背負って歩くシーンはとても痛ましかったで す。でも、それだけ人間の心の残酷さを表していると思うと悲しくなりました。それと同時に、 イエス様の私達人類に対する深く大きな愛を表していて、私達人類の罪を償うためにイエス様は 苦しまれたのだと、改めて思いました。 ・最初は 1 日も少し嫌だな、しんどいなという気持ちが自分の中にありました。しかし、DVD を見たりして、イエス様の事も良く分かったし、すごく分かりやすくて良かったです。DVDを 学んだ後にミサだったので、いつもより一層気持ちが入っていたり、イエス様に感謝して取り組 む事が出来ました。・・・・今回終わってみて、始めた時と気持ちが変わった気がします。学ん だことを活かして、これから良い高校生活を送りやいです。 ・私は今まで「パンが増えた」「水が葡萄酒にかわった」と言う言葉を信じることができません でした。でも映画を見て想像することができたので、少し信じることが出来ました。イエス様が おっしゃった「目に見えないものを信じる人は幸いである。」と言う言葉の意味が分かった気が します。これから 3 年間の高校生活に限らず、長い長い人生の中で自分に与えられた使命を探し てやり抜くことを、今日のミサの中で誓いました。今日の静修を受けることが出来て良かったで す。